航空機産業の DNA

航空機産業の DNA
「天国とは何ぞ」と訊かれたら、「盆休みにイギリスに行けば分かる」と答えることにして
いるが、それほど今の時期のイギリスは快適この上ない陽気に恵まれる(ただし熱波に見
舞われなければ)。ファンボロー航空ショーから帰国した人たちが、ギャップに打ちのめさ
れているのも無理はない。体調管理にはぜひ気をつけていただきたい。
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さて先日、出展者のひとり(航空機産業参入済み)に感想を訊いたところ、「改めてイギ
リスと日本のレベルの違いを痛感した」との答が返ってきた。「ロンドンの街を歩いている
と、外国人であふれかえっている。旅行者だけでなく移民も大勢いるが、とにかくたくさ
んの国々から人が集まって、ひとつの社会を形成している。何百年にも渡ってイギリス人
、、、、、、、、
が世界中を駆け回り、築き上げた人間関係の結果だが、重要なことは、航空機産業もまた、
、、、、、、、、、、、、、、、、
そうした社会を背景に成立しているということだ」
← ロンドン東部の地方都市グリニッジにあ
る経度ゼロ線。グリニッジ標準時の基点で
あり、暦における世界の中心という位置づ
けになる。イギリスの世界との密接な交流
の軌跡がうかがわれる
★ イギリス航空機産業の舞台
地方の赤字空港の問題がクローズアップされるようになってから、
「日本は小さな島国な
のに空港が多すぎる」との声が目立つようになった。
しかし日本の国土面積の3分の2しかない島国イギリスには、空港が約 200 ほど存在し
ている。島国ではないが、日本の 1.5 倍の国土面積のフランスでも、空港は約 500 ある。
アメリカは日本の 25 倍以上の広大な国土を持つが、空港数は 5,000 以上。
国土面積あたりの空港数で比較しても、日本はイギリスやフランスの3分の1前後、ア
メリカの2分の1以下ということになる。決して多すぎるとはいえない。
イギリスでは、人口数十万人の地方中核都市を基点に半径 20~30km ほどの円を描けば、
その範囲内に3~4の国際空港が入ってくるほど、空港の密度は高い。ロンドンに至って
は 10 の国際空港が存在している。
いずれの空港も、燃料の価格、飛行機のメンテナンス体制、社用ジェット専用の出入国・
税関手続きの簡素化など、さまざまなサービスを競って、飛行機の呼び込み合戦(飛来し
てくる飛行機だけでなく、自分の空港をベースとする飛行機利用者の開拓も含む)を繰り
広げている。
つまり、それだけ飛行機が盛んに使われている、ということだ。
MRO も部品製造も、この圧倒的な飛行機の使用量を背景に成立している。
↑国際線旅客数世界1のヒースロー空港を擁するロンドンでは、上空をひっきりなしに飛行機が
行き来している。
では、イギリスの 1.5 倍の国土と2倍の人口を持ちながら、たった 98 の空港の大半で閑
古鳥が鳴いている日本の現状を、どう捉えるか──?
★ イギリスの社会
ロンドン在勤の友人が何年か前、メキシコにスペイン語の語学留学をしたことがある。
「ヒスパニック系の住民が増えたので、英語しか話せない人間は、ロンドンでは通用しな
くなってきている」というのが理由だったが、実際にロンドンは人種の坩堝と化している。
筆者も初めてイギリスを訪れたとき、“白人の国”というイメージは到着初日に崩れた。
アラブ系、インド系、アフリカ系、ヒスパニック系──何代も前にイギリスに移り住んで
きた人々の末裔もいれば旅行者もいるが、肌の色も服装も言葉も違う人々が、街の至ると
ころを行き交っている。
ロンドン都心部の高級ホテルは、アラブ人たちでごった返しており、中東に来たのかと
錯覚するほどだったが、
「避暑で訪れた石油商の人たちです」と旅行会社のスタッフが教え
てくれた。
白人であっても話してみると、カナダからの旅行者だったり、スウェーデンの貨物船の
船長だったり、オーストラリアからの留学生だったりと、実に多彩な顔ぶれが見られる。
そもそもイギリスという国は、
① ストーンヘンジなどを遺した未知の民族
② その後に渡来したケルト民族
③ ケルトを支配したローマ人
④ ローマ帝国崩壊とともに渡来したアングロ・サクソン人
⑤ アングロ・サクソン人たちを征服したヴァイキング(フランスに所領を持つ貴族でもあ
った)
──と、支配層の複雑な交代を経て成立した多民族国家であり、その後もアメリカ大陸や
オーストラリア大陸への殖民、インドや中東、アフリカ、アジアへの版図拡大を通じて成
長・発展したグローバル文明だ。
イギリスは、「外部との密接な関係を通じ」、
「数多くの民族の複合国家としてその歴史を
形成してきた」のであって、「閉鎖的な『島国』ではなかったのである」(以上、
『ヒストリ
カル・ガイド
イギリス』(山川出版社)より引用)
↑イギリス南東部の港町ヘイスティングス。11 世紀、フランス貴族でもあったヴァイキングの
有力者ギョーム(イギリス名ウィリアム)は、この海岸から上陸し、イングランドを征服した。
以降、イギリスにはフランス文化の流入が加速しただけでなく、イギリス国王がフランス王位の
継承権を主張して争うなど、複雑な二国間関係が展開することになる(ウィリアムの建造した城
砦跡よりヘイスティングス市街を望む)
今日のロンドンの国際性は、こうした歴史が育んだ人間関係の上に成り立っている。こ
の世界各地との密な関係が、膨大な航空需要を生み出し、航空機産業のマーケットを形成
している。
歴史の大半を、“狭い島国”に閉じこもって過ごしてきた日本との決定的な違いだが、も
うひとつ留意すべきは、航空機産業が発達しているアメリカ、フランス、オランダ、ドイ
ツ、スイス、カナダ、さらには新興勢力のブラジル、中国、インド、ロシアのいずれも、
程度の差こそあれ、イギリス同様に“多民族の交流”に揉まれてきた国である、というこ
とだ。
例えば──
・ オランダ──17 世紀にはイギリス、フランスをしのぐ覇権国に。アフリカ、アメリカ
大陸、東南アジアに領土を広げる。交易立国としてのネットワーク力は今
なお健在で、ハブ空港や旺盛な航空需要を背景とした MRO が発達してい
る
・ スイス──16 世紀の宗教改革以降、反カトリックの難民流入地として国際政治・経済
の中心地へと発展。そうした国際的影響力を背景にビジネスジェットの利活
用が盛んで、ビジネスジェットを対象とする MRO などが発達している
・ カナダ──ヨーロッパ諸国からの植民者によって成立・発展。ヨーロッパに親戚を持つ
カナダ国民も多く、政治・経済・文化などさまざまな分野で交流が盛ん。ボ
ンバルディアの母国であるのみならず、NAFTA(北米自由貿易協定)によ
り、アメリカやメキシコとも航空機産業での連携が深まっている
・ 中国──シルクロード、華僑ネットワーク、朝貢貿易、騎馬民族による支配など、古来
より多数の民族が入り乱れる社会だった。近年は経済発展に伴い、ビジネスジ
ェットの国際運航も急増している。厦門にはアジア最大級の MRO 空港が台頭
し、日本の航空会社の整備も受託。航空機の購買力を背景に、欧米メーカーか
らの技術供与も受け、航空機製造業への進出も加速している
・ インド──古代ではメソポタミア文明と大規模な交易も。アレクサンダー大王の遠征後
に現地化したギリシア人たちは、仏像の発明などインド文化に大きな影響を
残した。騎馬民族、イスラム文明、ヨーロッパ文明などの支配も受けてきた。
近年は、シリコンバレー帰りの技術者などにより IT 産業大国へと成長。経
済発展に伴い航空需要も増大し、インドの航空会社と欧米航空機メーカーが
共同で MRO 会社を新設する動きも生じている
★ 遺伝子レベルの差
以上の観点からは、航空機産業とは本質的に、「多民族国家の産業」と捉えることもでき
る。「肝心の飛行機が飛んでいない国で、航空機産業や MRO の話だけ進めようという日本
の考え方は、本末転倒ではないのか?」とアメリカ政府関係者が首を傾げるのも、もっと
もなことだ。
自動車や家電産業が日本で発達した経緯を振り返れば分かることだが、ものづくりは常
に「使うマーケット」に支えられて発展する。航空機産業も例外ではないだろう。
冒頭のファンボロー航空ショー出展者は前述の諸国家を、
「狩猟民族の社会」と表現した。
もちろん比喩であり、“外向き遺伝子の社会”という意味である。
ヨーロッパ諸国のように狩猟民族にルーツを持つ国々もあれば、中国やインドなど農耕
文明が発展した国々もあるが、共通しているのは、「内向き(=同じ民族だけで暮らそうと
したり、自分の国の中だけで完結した社会を作ろうとする性格)では生き残れなかった」
という点だ。
「外へとテリトリーを拡げていこうとする人々もあっただろうし、異民族の侵入などによ
り、否が応でも他者との交わりの中で生き抜かなければならなかった人々もいただろう。
いずれにせよ、そうした環境下で生き延びた遺伝子が、こうした(航空機産業の発達した)
国々を形成している。日本は反対に、“外向きの遺伝子”の方が淘汰される歴史を歩んでき
た鎖国社会であり、他の国々との落差はあまりに大きい」
(前述の出展者)。
この問題をいかに解決するかが、日本の航空機産業の重要な課題となる。
解決策のひとつは資源同様、「足りないものは外から取り入れれば良い」。
日本民族だけで、狭い島国に閉じこもって暮らしてきた我々と正反対の、“外向き”の感
性・価値観・行動様式を持つ人々を、積極的に日本社会に招きいれていけば、次第に航空
機産業の発展し得る多民族交流社会へと変化していけるだろう。
前述のアメリカ政府関係者は、
「移民など“異なる他者”を外から受け入れるメリットは、
今までその社会が持たなかった可能性が持ち込まれることにある。異なる感性、異なる価
値観、異なるアイデアのせめぎ合いが、新しい価値、新しい産業、新しい経済発展の可能
性を生み出す。その“可能性”が、また新たに外部の人間を惹きつけてくる。現代なら、
こうした人々の出入りは、もっぱら航空機によっておこなわれるだろう」と指摘する。
海外から優秀な人材を手広く集めるため、英語の社内公用語化に乗り出した楽天やファ
ーストリテイリングなどの取り組みは、ひとつのモデル事例ともなるだろうし、出身国を
問わず同一労働・同一賃金・同一待遇を徹底することも必要だろう。実績を挙げた人間へ
の高額報酬も、優秀な人材を呼び込むには重要な要素となる。
航空機産業の振興は、
“外に開かれた社会づくり”から始まる、ともいえる。
文責:石原達也(ビジネス航空ジャーナリスト)
ビジネス航空推進プロジェクト
http://business-aviation.jimdo.com/
略歴
元中部経済新聞記者。在職中にビジネス航空と出会い、その産業の重
要性を認識。NBAA(全米ビジネス航空協会)の 07 年および 08 年大
会をはじめ、欧米のビジネスジェット産業の取材を、個人の立場でも
進めてきた。日本にビジネス航空を広める情報発信活動に専念するた
め退職し、08 年 12 月より、フリーのジャーナリストとして活動を開
始。ヨーロッパの MRO クラスターの取材を機に、C-ASTEC とも協
力関係が始まる。2010 年6月、C-ASTEC 地域連携マネージャー就任
(ビジネスジェット研究会担当、非常勤)