北海道中心高山植物研究史資料II

北方山草 7 (1988)
北海道中心高山植物研究史資料 I
I
江 別 市 外 山 雅 寛
A
. 大雪山高山植物探究史
(植物生態学会報・ 1(j))を発表している。
本稿は、北方山草 6号・ 43-44Pの「小
1
9
5
5年には壁島空二堕・ミ竺茎氏により「石
泉兄弟以降の大雪山高山総物の探究史」に
J
I源流原生林総合調査報告書:J(旭川営林
狩J
j
i
l
i
*
占
す
る
。
局)がまとめられ、高 1
1
1帯の植物について
!ポ田泰氏(19
2
5
) は森林についての生態
記されている。
学的な研究をまとめて「大雪 1
1
1葉森林帯の
同年総脇操・高橋啓二氏により「石狩源
3
)及び
生態学的研究 J (北海道林業会報・ 2
流原生林総合調査報告 J (旭川営林局)の中
「大雪山蒙の植林植物侍及森林植物の地理
で植物群落についてまとめられたものがの
学的位置 J を発表されている。
1
9
5
8
)
せられている。その 3年後、節目高先生は (
r
北太平 i
4"諸島の森林生態学的研究 J
(
英文)
1
9
3
5年には館協操先生によるけ仁日本に
r生態学研究 J 1
於けるハイ 7 ツの分布 J (
0
(
4
トーを発表
一一北海道大学農学部紀要 1
・(1)-29-33P) を発表された。また、秋
された。館協先生の報告は 1960年代に於い
山茂雄氏(19
3
5
) は F大雪山スゲ属植物J
9
6
3年には「大雪山の柄物 J (
日
ても多く、 1
(Biogeogr
. 1 :49-53P) を著し、これ
本白然保護協会調査報告・ N
O
.
8)、「北海道
まで卜分知られていなかった大雪山のスゲ
の高山植物 J (英文)
属植物についての詳細を明らかにしている。
要 .N、の発表があった。
東北大学珂会学部紀
秋山先生の著書のうちスケ'属植物について
9
6
4年には舘脇・伊藤氏によって rタ
翌1
9
5
5年北海道大学で刊
集大成されたものは 1
イセツヒナオトギリ(新種)について J (
英
行された r極東東産スゲ属植物 J -本文編
9
)、 1
9
6
9年には舘脇
文) (植物研究雑誌・ 3
(
2
5
7P)、図版編 (
2
4
8P) より成る大著で、
操 ・ 鮫 島 惇 到i・伊藤浩司・遠山三盟去氏
スゲ属植物の精細な図版は同定に欠かせな
等によって「石狩川上流高原温泉の植生J
(
北
いものとなっている。
海道大学植物研究報告・ 1)等が報告され
ている。 1
9
6
7年には小林圭介氏が r
北海道
19491f.には官官脇操先生による「大雪山の
植物 J (林友会旭川支部)が刊行された。さ
大雪
らに翌 1950年には館協操・高谷実著「層雲
(日本生態学会誌・17)
る植物社会学的研究 J
峡経営区の植生J が「寒H
'
訪ね N
o
.
ll・1
2に
を報告した。 1
9
6
9年、左望遠二氏は
引統き発表された。また、同年「ト勝底音
(
神奈川県立植物館研
の高山荒原植物群落 J
:流の様生」を「緑の芽 J 2(
2
)に発表
更川 J
究報告・ 1) 1968
年、通企1Ii'l・玄墜室二・
9
5
1年にはコマクサの生態学的な
された。 1
吉岡静夫氏等 l
立、「高山および極地圏での横
調査をまとめられ、「コマクサの分布と生態」
物の越冬
1
9
日高山系のハイマツ低木群落に関す
r
s本
l、高山植物の耐冬性 J (低温科
北方山草 7 (1988)
学
、 No26) をまとめ、さらに翌 1
9
7
0
'
f
ニ酒井
壌温度・士壌酸土およびハイマツ一一一コケ
1
1
日・大塚法二両氏によって「品i
I
I
J
柄物の耐
モモ群集の循環変化について(英文)(北海
冬性J が失文で報告された。(Ecology51)
o
.
l
l
)
道教育大学旭川分校・大台科学研究報告N
さらに 1970年に発表されたものをあげる
が、翌 1977年には「大雪山北部の高山植物
t
.
f
と清水寛厚著 r日本高山都の好雪性純物l
1
洋洛 J I (1司研究所報告)が発表された。
落について J や堅固芳去著「ツガザクラ属
なお、形態を吸ったものとしては、西川
r
植物と自然J ・4)が報
の分類と系統 J (
7
6
)が r
北日本キンパイソウ属
恒彦氏(19
告された。
植物の花の形質変異 J(北海道教育大学大雪
1
9
7
1年、小林圭介氏は r]j本のハイ 7 ツ
1
1
1自然教育研究施設報告 N
o
.ll)をあげなけ
低木群落に関する植物社会学的研究 J(広島
ればならない。 1979年から 1980年にかけて
大学理学部紀要 J ・1
4
) を、伊藤浩司・辻
並立当及ぴ伊藤浩司氏によって大雪山のハ
1
J三樹夫氏によって
井達一・迷 1
イマツの生態について発表されたものがあ
F大雪山系
の高山植生 J (予報1I)が報告され、翌 1973
る
。
年にはこの調査に佐藤謙氏が I
J
Uわり、「大雪
1
9
8
1年には大雪山自然生態系総合調査の
山系の高山植生 J (予報1II)が発表された。
成果として未完成となっていた「大雪山系
なお、この年伊藤浩司氏によって写真集「大
現布植生図」が刊行された。内容は「大雪
雪山の植物群落J (写真集「大雪山」北海道
山系現存植生図概説 J
撮影担)がつくられた。翌年、 1974年には
存航空2図 J (I)・(1I)の 2枚により成る
伊藤治司・き接事丘二且i
両氏によって「北海
ものである。
1
1
I
I
r
と「人・雪山系現
道鹿追則東ヌプカウシ山コマクサ群落地調
大雪山の植物を扱った原色写真集に類す
査報告書 J (鹿追町教育委員会)がまとめら
7
5
) 氏の「大雪山
るものでは高橋秀雄(19
れた。
毎)、野呂-.犬氏(19
7
8
)r
大
の山と花(総北 i
1
9
7
4年 -1975年にかけて行われた最も i
t
雪1
1
1の高山植物J (北海道新聞社)、永田芳
Hすべき調査は大雪山自然生態系総合調査
8
3
)r
大雪山の花 J (文化出版局)
男氏(19
であり、第 1次の 1974年には十)砂川流域(東
等が相次いで出版された。
大雪・裏大雪)の調査が完了され、翠 1975
年にはその成果が「大雪山系自然生態系総
B. 日高の高山植物探究史
合調査中間報告 J (北海道)として発表され
. r日
本稿は前号(北方山芋・ 6号) E
た。また、 2年次の 1975年には石狩川流域
高の高山植物探究史 J に連結するものであ
についての調査がなされ、現 1976年 3月に
る。前号に記したように日高の高山縞物の
「大雪山系自然生態系総合調査中間報告 J
調査は北部から子がつけられ、原氏によっ
第 2報(北海道)としてまとめられた。
て日尚南部の調査が始めて実施された。そ
1976
年には伊藤浩司・西川恒彦により「大
雪1
1
1北部の高 1
1
1植物計百存 J 1
して、その後は日高山脈中部にも調査の手
がのばされるようになった。主な採集者の
気温・土
2
0
北方山草 7 (1988)
標品は北大農学部の標本]!jIに納められ、宮
ソウに極めて近きも小片の少なきこと、
部金吾・舘脇操両先生によって「北日本植
花序内の花数少きこと、旗弁、哲、托葉の
物資料 J (札幌博物学会報)の中でその都度
形によりて別つことを得べし。_r
北植資 J
I
1<摘要)(
r
札博報 JVO
L
.Xl
l
I
, PART 1.
報告されている。
1
9
3
3
) より引用。
この資料は貴重なもので H尚の高山植物
を調査した人々の足跡、を知る上にも欠かせ
@カムイコザクラ P
rimulakamuianaMI
ないものである。両先生によって新種とし
YABEETTATEWAKI,
s
p
.n
o
v
.(
彊里
て発表されたもののうち、前号 (
r北方山草 J
吉彦・石田文三郎、カムイエクウチカウ
6号)で解説を付さなかったものをあげる
シ岳、 1
9
3
7・8 ・1
3
)
〈解説〉
と次のようである。(以下「札幌博物学会報」
を「札博報」、「北日本植物資料J を r
北市民
キタダケコザクラとは葉形と苓裂片の先
X等、花梗共に有毛にして、
資 J の略号を使って記録したい。)
端を異にし、
@ヒダカゲンゲ O
x
i
t
r
o
p
i
s Kudoana MI.
且花冠裂片に縁毛を有するを以て別つべ〈、
YABEETTATEWAKI,S
p
.n
o
v
.(制高
又アポイコザクラとは、葉形並ぴに葉の欠
操、エサオ 7 ントッタベツ岳 -1927・7
主1を異にし、且葉柄と花茎有毛にして別つ
べし。_r
北納1
資J 1
2<摘要) (
r
札 博 報J
・2
8・大立目謙一郎、 1
9
3
2・7)
VOL
.X V
I,
PART1.
1
9
3
9より守│用) -
〈解説〉
x
i
t
r
o
p
i
sr
e
v
o
l
u
t
aLE.
本穂は北千島産 O
以上新種とて発表されたものからー
さらに、 1
9
4
3年宮部金書先生はピパイロ
DEB.オカダゲンゲに似たる稀品にして日高
山脈中央部のみに分布す。オカダゲンゲと
キンパイソウ(ピパイロ岳、札内岳
は小葉片の数少なく、形は大、毛の少なき
氏採集品)、ヒダカキンパイソウ(エサオマ
こと及び花茎上部に黒点を有することに依
ントツタベツ岳 栃内吉彦及び石閏文;三郎
りて類別せらる。
氏採集品)を新穏として発表している。
西田
本種の種名は、北海道の植物研究に深き
(Miyabe,K
. 19430n t
h
es
p
e
c
i
e
so
f
関係、を有する故玉墜!旦主を記念するものな
T
r
o
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p
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n.
.
.
.
.
.A
c
t
aP
h
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t
o
t
a
x
.
り。-r~tf直資 J 1<摘要)(
r
札博報J VOL
.
Geobot
.1
3・
1-16)1934年から 1
9
3
8年にか
X1
l
I,PARTl
.1
9
3
3)
けて館脇操先生が発表された「北海道本島
@ヒダカミヤ7 ノエンドウ O
x
y
t
r
o
p
i
sh
i
d
a
高山帯柄物の分類学的類別研究」第 I報
kamontana MIYABE ET TATEWA.
第 3報 (
r
札幌農林学会報」所収)は日高の
KI,
s
p
.n
o
v
.(塁企会塑、ピパイロ岳、 1
9
2
9
みならず、全道に及ぶ高山植物をまとめた
.7・17)
画期的なものであった。
〈解説〉
1
9
4
8年には鮫島惇一郎氏がコイカクシュ
本種は黒住久調布により日高山脈ピパイ
サツナイ岳を踏査された。 1
9
5
1年には舘脇
ロ岳に採取されしものなり。千島序:コダ7
操先生によって日高山系に於けるコ 7 クサ
2
1
北方山草 7 (1988)
の分布がペンケヌシ岳のみに限られている
得ている。そして、日高山系の高山植物相
ことが発表された。(館協操 0951
> : rコ
の実態がほぼ明らかにされたのは 1
9
6
0年代
マクサの分布と生態 J ......植物生態学会報
から 1
9
7
0年代にかけてであった。
1
9
6
5年から 1
9
6
7年にかけては、塑1
宣左笠
1)
M
:
物研究f
思議部の‘行が日高山脈全域の調
1
9
5
3年からは渡辺定元氏によって口高山
脈の植物について精力的な踏査がなされ、
査を実施している。 1
9
6
8
年から 1
9
6
9年の両
その成果は 1
9
5
7年「北 i
毎道日高山脈の高山
年、辻堂達二先生は腕尻、カムイエクウチ
植物相について」という報文として発表さ
9
7
0年「日高山脈
カウシ山を踏査され、翌 1
れた(植物分類地理17) この報告は 1
9
5
0年
の植生
代に於ける最も精力的な調育で SAPの標本
ウシ岳ーを中心として J(Jj高山脈学術調査報
を活則する等、 1
3
1積の高 J
I
J柏:物を記録して
告
いる。
国秀犬先生は「日高・夕張山系の i
"
:
i
I
JJ植物
0
主として幌尻、カムイエクウチカ
北海道)を発表、その翌年(I9
7
2
)盟
1
9
5
5年舘脇操先生が発表されたものに「北
相に於ける周極要素について J (
Noteson
太平洋諸島に於けるサクラソウ属の捕物地
t
h
eC
i
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rElements i
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理苧 (
1
9研究 J (
G
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o,J
apan(
]
)
…
.
.
.MemN
atr¥Sc.
i
口f
i
c
.)がある。
Mus.Tokyo) を発表され、日高及び夕張
1
9
5
5年から 1
9
6
0年にかけて盟国秀夫先生
山系の周板要素 2
8
種についての再検討をな
は「槌物地理学会報」に「北海道の超塩基
された。
性岩+直物キ目について J (Toyokuni,H
.On
日高山系は北海道では最もけわししな
t
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かなか人々を寄せつけなかったが、これま
a
i
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o,
j
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p
a
n
.j
O
l
l
r
nGeobot
.)という報文
での調査研究によってようやくその全ぼう
ι続けて発表された。この間にユキパヒゴ
が現れるようになった。特に、 1
9
7
6年から
タイを戸高)jJ
I-ffiより確認され、 1
9
5
7年「ユ
1
9
7
8年にわたって実施された日高山系につ
キパヒゴタイの第二の序ー地 J{r北陸の植物」
いての自然生態系総合調査(北海道より北
3
2
(
7
)
) を報告された。 1
9
5
7年からは亘噴誼
海道自然保護協会に委託された調査)は幽
氏による日高山脈のフロラ調査も精力的に
期的な調査で植物の部では、森林帯の植物、
なされ、その成果が 1
9
6
6年から 1
9
7
0にかけ
高山帯の植物、閤谷地形における植物、蘇
て「日高北部の槌物相 J として次々と報告
干
2
2
類にまで及んでいる。
された (
r北陸の植物 J 1
4
(
3
)・1
5
(
4
)・1
8(
1
)
)
。
査結果がまとめられ r日高山系自然生態系
高橋設氏はこれによって 1
9
5
7年に報告され
総合調査報告書(総説・植物篇)
J となって
た渡辺定元氏の報文「北海道日高 J
I
J脈の高
刊行された。この報告書の巻末には高等植
山植物相について」に追加されるべき植物
物目録がド甘されており、 9
4
科
、 3
4
6
属
、 6
8
4
を発見したり、分布域についても新知見を
種
、 4
7変種、 2
0品種の植物が記録された。
2
2
1
9
7
91[':にはその調
北方山草 7 (1988)
,*n
高U
J植物は 1
5
3分類部(13
1種
、
8変積、
には庚i
頼i
度氏が数皮にわたって利尻岳を主主
1
4品種)を示している。報告書:の巾の rl
J
山し、リシリソウ、ミヤ 7 ラッキヨウ、 リ
高山 j
派の高等植物分布表」は山岳ごとに高
シリゼキショウ、オオハシヨリ
山植物の分布がまとめられ、精細なものに
集した。この年の 1
0月2
1日、壁塑盛氏は札
なっている。
4凶 月 次 会 で 叩l
尻1
1
1の見
幌博物学会の第 5
などを採
.
J、宮部金吾先生は「平J
r尻 I
I
I植物の特
聞
尚橋誼氏の著書で京~:なものを単行本か
7
らあげると、様似町北方植物研究会編(19
7
3
)
'
I
t
J というテーマていそれぞれ公開 J
寅説をさ
の「アポイ岳の高山植物 J や 1
9
8
1年に刊行
れた。
された「日高山脈の高 1L
r
M
:物J がある(第
A
1
8
9
6年(明治 3
2
年)には川上瀧掬氏が利
法規)。
尻岳を調査した。この年、フオリ一氏が第
3
1
両!の植物採集をしている。利尻島の植物
C. 利尻岳の高山植物探究史
を調査した初期の人々のうちで最も精力的
北海道の隊島植物についての研究が見え
な調査をした人は川上瀧掬氏である。
始めたのは 1
8
0
0年
イ tち後期になってからで、
川上氏は明治 4年山形県飽海郡松嶺町の
特に初期の利尻岳の高山植物の研究に足跡
Lt
..
1郎の 2男である。
生まれで、松山藩士)1
を残された代表的な人々としてはジャン・
利尻島に於ける)1[上氏の調査の主とすると
ウノレパン・フオリーと出」羽目樹氏をあげな
0年、北海
ころは気象観測であった。明治 3
ければならない。(離島植物初期の開拓者)
道庁より高山に於ける気象観測の挙あり、
8
4
7年(弘化周
ウノレパン・フオリ一氏は 1
1
路悶
川上氏はその御用人夫となり、同年却1
年)フランスのオート・ロアノレ県デュニエ
2
年には利尻岳山項に於い
雌阿寒岳、明治 3
ール村山身の人である o 北海道の利尻島で
のかたわ
て 8月の 1ヵ月間に及ぶ気象観測l
5年で、
最初の植物採集を始めたのは、明治 2
ら柄物の採集とその分布状態を調宣する等
8
9
3年 r
新選日本鮮苔譜J を完成して
翌年 1
精力的に活動した。なお、この時の調査結
おり、隠花植物について得意であったよう
果は、「北兄図利尻島に於ける植物分布の状
である。
、
態J として「東京植物学雑誌J (XN77-旬
99-112)に発表し、松村・二好岡博士の審
筆行が調査した限りでは利尻島の柄物を
I
"
J4'1
1月
8
8
7
調査した最も初期の人は明正太郎氏で、 1
査により銀杯を授与されている。
年 8月平J
r尻島利尻岳でミヤマラッキヨウ、
2
5日、札幌博物学会第 8
1回月次会で r
利尻
エゾウスユキソウなどを採集しており、そ
島の柄物 J という演題で公演をされた。翌
8
9
) 8月 1
9日には山項にてリ
の主主々4' (
18
1
8
9
7年には川上氏はこれまでの調査を目録
8
9
3年 7月
シリソウなどを採集している。 1
としてさらに整理し、「利尻植物目録 J (T
にはフオリ一氏が利尻岳にて三回目の植物
KAWAKAMI:Al
i
s
to
fp
l
a
n
t
sc
o
l
l
e
c
t
e
di
n
採集をし、この年の 8月には宣益金萱先生
t
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do
fR
i
s
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r
i,
i
nBot
.Mag.Tokyo,
1
1
1
法志を踏査された。 1
8
9
6年
がオニワキ・ 1
XN.1
0
6- 1
0
9,
1
1
9- 1
2
2,
1
3
7-1
3
9
)と
2
3
北方山草 7 (1988)
して植物学雑誌に公表された。川上氏のこ
シャジン、オタカラコウ、アキカラマツ、
れ等の発表の成果によって秘境利尻岳が一
キタミアザミ、
大高山植物の宝庫として中央に知られるよ
ドキ、ツタウルシ、ハナウド、カワラマツ
7
イツソレソウ、ツノレウメモ
バ、オオヤ 7 フス 7 、イワノガリヤス、ナ
うになった。
9
0
3年の牧
このことがきっかけとなって 1
ワシロイチゴ、コウゾリナ、クサフジ、チ
野寓太郎先生の利尻岳登山となった。日本
シマフウ口、ボレヤナギ、エゾイヌナズナ、
山岳会の発行になる「山岳」第 2'f.報・第
エゾヒナノウスツボ、エゾハマハタザオ、
2号に投稿された牧野E
吉太郎著「利尻 1
1
1と
エゾオオノ〈コ、ツメクサ、ノコギリソウ、
9年 6月干1
]
) という紀行文は
其植物 J (明治 3
イワレンゲ、シロヨモギ、エゾオトギリ、
次のような書き出してい始まっている。
力、ンコウラン、センダイハギ、ハチジョウ
ナ、イヌゴ7 、ハマニンニク、ハマエン}
「余が北見図利尻島の利尻山に登ったの
6
年 8月である。農学士川上瀧繍
は、明治 3
ウ、ノゲシ、ハマハコベ、イチゴツナギ、
君が数年前に数│日間此山に立能って採集
ホソパノハマアカザ、ナミキソウ、オオバ
せられた結果を植物学雑誌に発表せられた
コ、オトギリソウ、アキタブキ、ハ 7 べン
のを読んでから、析があったら自分もー度
ケイ、カセンソウ、イヌタデ、イブキジャ
1
1に採集に出かけたいと思っていたが、
は此 1
コウソウ、タチツボスミレ、シオツメクサ、
何分にも好機会がないので忠いながら久し
ノボロギク、ネマガリタケ、ミヤコザサ、
く目的を達することができなかった叫・日
ミヤ 7 シケシダ、シロパナニガナ、ツボス
(以下関与)
ミレ、ホザキナナカ 7 ド、メシダ、オオメ
シダ、ジョウモンシダ、ミヤママタタピ、
当時利尻岳登山のために牧野先生と同行
1
1植物の培養を手がけ
された方は、永年高 1
サルナシ、パツコヤナギ、オオパノヨツパ
られた担璽室登壬爵(カトウハコベの発見
ムグラ、テンナンショウ、ヒトリシズカ、
者)、木下友三郎法学士等であった。
ミツノぐベンケイソウ、ヒメジャコケ、ウド、
川上瀧禰氏の植物標本に基づいて牧野富
ザゼンソウ、ナンパンハコベ、ミヤ 7 タニ
太郎先生が新種として発表されたものにボ
タデ、エソソダケカンパ、ハイ 7 ツ、イワ
タンキンパイ、リシリリンドウ、リシリト
ツツジ、キバナシャクナゲ、エゾフス 7 、
ウウチソウがある。参考までに牧野先生が
ミヤマハンノキ、ジンヨウスイノ大キクノ〈
書:かれた紀行文にあげられた植物を記すと
クワガ夕、リシリトリカブト、ゴヨウイチ
次のようである。
ゴ、イワオトギリ、シシウド、チシマヒナ
トドマツ、ヨモギ、アキノキ
ゲシ、ヤマハナソウ、シコタンソウ、シコ
リンソウ、カワラナデシコ、シロワレモコ
)シリリンド
タンハコベ、エゾコザクラ、 1
ウ、ハギ、ウシノケグサ、ススキ、スゲ、
ウ、ヒメハナワラビ、チシ 7 リンドウ、タ
サマニヨモギ、エゾノヨモギギク(日本で
カネオオギ、リシリオオギ、ミヤマハナワ
の珍品と記されている)、ヤマノ、ハコ、ハマ
ラビ、チシ 7 ラソキョウ、エゾヨツノぐシオ
エソマツ、
24
北方山草 7 (1988)
ガ7 、ホソノてオンタデ、 リシリソウ、タカ
しべの基音 1
Iに接することから直ちに類)J
J
'
で
ネツメクサ、コイワレンゲ、チシマイワブ
きる」と記載されている。報告書:の第三節
キ、アラシグサ、キンパイソウ。(以上、牧
「利尻島植物目録Jには 8
2科 5
1
2
種の植物を
野寓太郎著「利尻山と其地物」より引用)
のせている。なお、報告書:の最後に「利尻
川上氏の調査以後、三i
車道主主氏(明治 4
0
岳高山被物の保護に関する
私案J を附し、
年 8月)の梢物調査があったが全島に及ぶ
北見国利尻郡鬼脇村f
山法志村、背形村、鴛
ものではなかった。
i
白村に跨る干J
'
尻岳上部地帯の高山植物の自
生地を保存理由をつけて天然記念物として
明治以降、利尻全島を対象として詳継な
ま館脇操先生が最初で、
調査を実行された方 l
保護すべき旨を述べている。
1
9
1
9年(大,[8年) 7月(全島調査)、 1
9
3
4
1f-(昭和 9年) 5月
、
館協操先生による高山槌物保護私案を資
料としてあげると下記の通りである。
7月
、 8月(全島調
査
)
、 1
9
3
5年 (
1
1
日和 1
0年) 8月 (全島調査)
利尻岳高山植物の保護に関する
などの精力的な麟査がなされた。また、 1
9
3
4
保護の種類:天然記念物
年(1Ii{和 9年) 7 ・8月、企宣室主JI)}.H
保 護 の 名 称 平J
'
尻岳高山植物自生地
i
賓賢一・鈴木直治(いづれも当時北海道大
所 夜 地 :~t見悶利尻郡鬼脇村、 1111i法
学植物学分科学生)等が手J
'
尻全島について
志村、沓形村、鴛i
白村に跨
紋物調査をして、採集資料を舘脇操先生に
る
平J
'
尻岳上部地帯
提供された。また、 1
9
3
2年(昭和 7年) 7
地
私案
籍:国有林干f
l
n
勾営林区署管内利
月、盗塁虚三氏が鬼脇・利尻岳で純物採集
尻事業区高山帯(施業除地)
をされている。
2
3
林班、 3
1
0
0,
6
6陪
1
9
3
4年には舘脇操先生が踏査によって得
保 存 理 由 : 利 尻 岳 は 北 見j
l
l
j北関の離島
見 を ま と め 匂J
'
尻・礼文の植物地理学
た卸l
をなす・火山烏なるも、旧
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ephytogeography
について J(No
くより其上部は高山楠物の
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名産地として知られたり。
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d
.)という報文が発表され、
事実利尻寓士は単体火山と
さらに 1
9
4
1年には植物地理学的な内容のみ
して北海道中最も高山併の
ならず、植物群議学的な内容も含めたけt
横物種類に寓み、壮麗なる
見利尻島の植物 J(札幌農林学会報・第 3
4
巻
御花畑を構成す。且植物の
・2号)を発表され、平J
'
尻島の植物につい
宝庫礼文と共に幾多の珍奇
ての全ぽうがはっきりとしてきた。この報
種を産し、同島固有の植物
告書によってレブンナニワズ Daphne r
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をも有し、東耳巨大陸東北部、
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sTATEWAKI,
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.)が新種と
樺太、北海道本島等の間に
して発表され、備考には「本種は最もナニ
ある植物分布の興味深き問
ワズ l
こ近いが、:(1':偽ーが短〈、子房が下部雄
題を包合して、植物学上4
仁
2
5
北方山草 7 (1988)
日本に於ける屈指の重要地
探究史までを取り扱ったが、本稿では、内
点とす。幸に北海道庁所管
田氏以降の研究史についてまとめてみたい。
1
9
3
0年、本田正次・竹中安 氏によって「早
のもとに柄物は好く今日も
A
其原生状態を保持し米れり。
池峯山高山植物帯、岩手山 ρ
'
jI
lJ植物帯 J
されど森林施業を妨げざる
天然記念物調査報告書・柄物之部・第 10
集ー
高山帯に対し、天然記念物
が発表されてより、北海道の H高及び夕張
指定を nちて一層其保護の
I
l
Jn
mの植物が本州の半池峯の植物と関係が
完墜を期し、以て学術研究
i
装いことが知られるようになってきた。
-
1
9
3
3年には杉本順著「夕張岳之植物J
絶好の資料を確保せんこと
が謄写版印刷されたといわれるが、この資
を要するものなり。
4巻・第 2号所
(以上札幌農林学会報 第 3
料は筆者未見の資料である。(玉虫らくごく少
l
以舘脇操著「北見平)
1
尻島の植物J より引用。
部数印刷されたものではと思われる) 1
9
5
0
但し、 l
日漢字は新漢字に e
;zめた。)
年代年の初期には主墜室氏が芦月)
1
岳を調査
さhた
。
9
2
4
年に発表
菌類を取り扱ったものでは 1
1
9
5
9年 -1962"fにかけて野坂;ぶ郎先生が、
された富樫治吾氏者の「利尻・礼文両烏ニ
於ケノレ菌類採集目録 J(日本地物学斡報・第
北海道石狩夕日長岳積了
「北禄の植物」に r
2巻・第 2号)があり、 1
3
9
種の菌類を報告
植物予報」を次々と発表され、さらに 1
9
6
9
している。さらに出・隆氏の発表を補うもの
年にはそのく補遺〉を報告されている。
として、 1
9
3
0
年照 J
I陸奥生氏が「手)
1
尻礼文
1
9
6
8
年には菜園康次・石塚栄一氏がキリ
岡島ニ於ケノレ菌類採集目録補遺(ADITIO
ギシ岳に最初の植物学的な調査の足跡に残
NALLISTOFTHEFUNGICOLLEC-
9
6
9年 -1970年にかけてさらにキ
された。 1
TED IN THE ISLANDS OFRISHlRI
リギシ岳を調査された方々は渡辺定元、佐
ANDREBUN HOKKAIDO ・札幌農林
専範等で、
藤議、石塚栄一、江沢町、志、道言 1
学会報・第 1
1巻第 3引を報告し、 3
5種の
翌1
9
7
1年には、渡辺定元・佐藤謙者「北海
した。(19
3
0年代以降の利尻島植
商業Ilを迫力n
2
)が
道空知嵯山の石灰岩地帯の相物相(1)・ (
物研究史については他日資料を調査してま
、6
3-75) に報
「北陸の植物 JI9(7-15
告されている。また、 1
9
7
0年北海道教育大
とめるようにしたい)
学旭川分校稲垣賞ー氏を中心とする調査隊
D
. 夕張山脈高山植物探究史
9
7
1年稲垣貰
がキリギシ岳を麟査し、 1
本稿は、「北方山草 J第 6号に寄稿した F北
豊岡秀夫両氏によってキリギシアズマギク
海道中心高山植物研究史資料J C
. r夕張
が新穂として発表されるに至った。
1
9
7
0年稲垣貰ー氏等が富良野西岳の調査
山脈高山植物探究史J に連結するものであ
9
7
6年の江
も実施している。それ以降では 1
る
。
9
8
1年 D
沢
沢弘志氏による麻風岳の調査、 1
前稿では、西岡氏の夕張山脈の正i
j1
[
1植物
2
6
北方山草 7 (1988)
E
. 知床半島の高山植物探究史
弘志、・堀江健二両氏による天狗f
去の調査等
カぜあった。
知床半島は永い問、人を寄せつけぬ秘境
夕張山脈の植物に関する他の報告書では、
として存在し、初期の植物学的な足跡を「北
1971年渡辺定元氏が報告された「北海道日
海道柄物資料 J (
r
札幌博物学会報 J 所収)
高夕張山系における高山植物の組物地現学
によってたどってみても、その 1
也をさける
的研究 J (同立科学博物館専報、 N
O
.
4、
) 1974
が如くに、記録が見当たらないのである。
しかし、近代的な槌物学が日本にまだ本
1f.野坂志郎氏の報告された r北海道石狩地
方夕張岳の顕花柄物 J(S
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絡的な発展を見ていなかった時代、蝦夷地
PhanerogamF
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の大探検家松浦武四郎が、安政五年(18
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9
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検したことは驚嘆すべきことである。 f
皮が
がある。
この偉業をなしとげることができたのは、
また、 1972年、禁固秀夫先生が「目前1 ・
アイヌの人々の案内があったからで、もし
夕張山系の高山植物相に於ける周極要素に
もそれがなかったなら恐らく踏査不能の地
ついて J (
Notesont
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l
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であったに違いないと推定される。この踏
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査の詳細は松浦武四郎著 F匁l
床日誌J (
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Yupari Ranges,Hokkaido,]apan(1)-
閥蝦夷山川地理取調紀行 J ・多気志楼蔵版、
Mem.Natr
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.Mus.Tokyo)を発表され、
万延元年)に記録されている。(この書物の
この中で周板要素 2
8穏についての再検討を
原本の入手はむずかしいが、幸い昭和 5
3年
なされた。
に
r
s本古典全集 J -多気志楼蝦夷 H託、集
1977年には江沢弘志・野坂志朗両氏によ
.第二巻が現代思潮社より活字本となって
って夕張岳に関する唯一の原色植物J図鑑と
覆刻されているので参考にされたい。)この
して「夕張訟の高山柄物」が刊行された(私
調査の折、 f
皮は若 Tの械物について記録し
f
l
。
)
J
たのみである。宣教師であり植物学者であ
った F
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・
i
e氏は全道各地を歩き植物採集を
最後に、「北方山草」に寄稿されたものの
中から夕張山脈の植物に関するものをあげ
なした。
1890年、彼は斜里までは調査旅行に米て
てみると次のようである。
1980年野坂志朗
r
北海道のユキノシタ
いたが、知l
床半島は調査してはいなかった。
属植物J、1982年野坂志朗・「夕張岳の超塩
恐らく彼は何度となく知床の秘境を調斎し
基性岩地帯(蛇紋岩地帯)の植物」、 1984年
てみたいと思っていたに違いない。
高野英二
r
夕張岳登山 J ():J.上 r~t :Ji山草J
1900年代の前後には研究者による踏査が
遠く棒太・千烏列島等にまで及んでいたに
に寄稿されたもの)。
もかかわらず、米だ匁i
床の地は人の近ずく
のを頑強に拒み続けてきたのである。
2
7
北方山草 7 (1988)
を調査。
主"'床半島に関する柿:物学的な報告として
r
t氏の r知床半
最初のものは、恐らく屋墨 3
7 ・3
1 雨のため三峯のキャンプ地
附近のみを調査。
島の植物J (北林 328号一 1930
年)ではない
8 ・1
だろうか。
羅臼平を経て羅臼仰rJ に~.山
8 ・2 知l
内別一帯を調査。
1
9
5
0年代には盤堕塾先生が知床半島を踏
北
査され、 1954年には「知床半島の植生 J (
8 ・3 知l
付別、羅臼問を調査。
網走道立公園匁1
床半島の
見営林局)及ぴ r
8 ・4 羅臼滝より海上{呆安庁巡視
植物 網走道立公国知床半島学術調査報告」
船「天竜 J にて知床半島東海
(網走道立公園審議会)が公にされた。
岸視察。ウナキベツ海岸に上
(北見符林局)
特に前者「知床半島の植生 J
床半島
は知l
限しその上流計?を調査。
FLORA研究の基礎資料となり、
8 ・5 ポロモイ台地の東端に達し、
その後の踏査によって明らかにされた植物
ハイ 7 ツ地帯を調査。
がこれに追加されることになった。
8 ・6 ウナキベツ海岸香尾附近を
調査。
〈トー記以降の学術調査〉
知床半島は未だ人跡未踏の地が多いがた
8 ・7 ウナキベツ海岸を調査。
め、侍広畜産大学関係者を中心とする学術
以上は知床半島第一次調査団の生物班の
5年 7月2
5日- 8月 8
調査があった。昭和 3
行動を中心として記録したものである。
日にかけて第一次学術調査が実施された。
6年 7月 1
8日から 7月3
1日にか
さらに翌 3
団長亘竪重三・土壌班、生物班、人文社
けて、第二次知床半島学術調査が実施され
)、撮影班、庶務で
会班、衛生理f(特別参加1
た
。
組織された。生物班のうち植物を担当され
生物玉!fが調査した地域のみをあげると次
也同好郎及
た方は、帯広農業高等学校教諭i
のようである。
1
r地区、岩尾)J
J
rの沼沢地帯、主I
1床
山1
1
岩尾)JJ
び帯広三条高等学校教諭査墜盆氏であった。
1
1沿にそって登山ボロモ
一帯、ウナキベツ )
3
5・7 ・2
5 字主主呂にベースキャンプを
はる。
イ白地のガレ場一帯、ポロモイ台地への登
6 字登呂 H
t近を調査。
7 ・2
召(標高 850-860m)
。
山路、ポロモイ i
7 ・2
7 岩尾別一帯を調査。
この調査結果がまとめられたのは昭和 37
年 3月で、「待広畜産大学知床半島学術調査
7 ・2
8 宇登呂より海上保安庁巡視
船「空知」により海岸ー帯を
団報告(第 1報)J として公にされた。
祝祭、知1
床半島文古湾に上陸
この報告書:の中には池田好郎・斉藤稔著
し調査。
床半島の植物(第 1報 )
Jが収録され
の「知l
ていて、調査の概要と植物目録がf
・
jせられ
7 ・2
9 岩尾別から羅臼岳までの地
械で調査。
ている。そして基礎資料としてまとめられ
7 ・3
0 硫黄山を往復し、山岳地帯F
た館協操著の「知床半島の械生」になお多
2
8ー
北方山草 7 (1988)
くの椛物を追加していることは注目すべき
マユミ EuonymusS
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今、追加された植物をあげると次のよう
である。
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也問・斉藤氏による匁 l
床半島追加植物》
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ョウツナギ G
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パグサ Poap
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aPALIB.,エナシヒゴクサ Ca
LINDL ミネザクラ Prunusn
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北方山草 7 (1988)
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の成果は昭和 5
6年 3月 r知床半島自然生態
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系総合調査報告 J (総説・植物編)として公
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sBUCHEN" タチコウガイセキショウ
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jされ、関係者のみに配布された。
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1
1
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また、
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の報告書を補完する目的を持
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って刊行された資料としては、「知床半島現
.TakedaiOHWI
var
作柄生凶概説 J (
19
8
1年 1
1月刊行、北海道)
以上のような多数の舷物か池田及び斉藤
がある。これは知床半島の植物に関する最
両氏により追加され、人跡未勝の秘境知床
新の資料で、巻末には知床半島の「高等植
半島の植物中日がベーノレをぬいで姿を現して
物自主主J がのせられていて、総数 1
0
3科 3
6
6
きたのであった。
属
、 7
7
4
種
、 5
5変稲 2
0品種を記録したもので
n
g干
1
J4
0iFには知l
床半島特別調査隊による
8
1
9の地物が報告されている。これを帯広畜
知 床 半 島 イi
Fの調査が実施された。調査は
産大学の知 l
床半島学術調査(総数4
1
8
種)に
8
0余名を A'Bの二つの班に編成され、総
比べると数に於いてはるかに多きに達して
合的な調査となった。
いる。これによって知l
床半島の航物がほと
この調交の概袈報告は I
I
R和 42年、北海道
んど姿を現したと忠われるが、今後なお追
加されるべき植物が登場することであろう。
教育委員会より、北海道文化財シリーズ第
9集 _ r
知l
床半島特別l
調交報告 J として公
この高等植物Jii
止は従来までの知l
床半島
刊された。 A班植物関係の概要報告は田川
の資料にさらに 8
8
分類群 (
7
3種 1
4変種 I品
除・事国康次両氏が「知床半島特別調査報
種)を新たに加えたものである。追加され
告」と題して本シリーズ第 9t
、
長 31-37P
た8
8
分類群は下記の通りである。(学名省関与)
にまとめて報告されている。また武 l
司久古
ゼン 7 イ、オウレンシダ、フクロシダ、
先生を同長とする B耳T:所属の辻井達一先生
ミヤマベニシダ、オオメシダ、オクヤマワ
は、 r~jl 床半島におけるこ、三の興味ある植
ラビ、カラマツ、ケミヤ 7 ヤナギ、シロヤ
物1
洋法について J(同シリーズ第 9集・ 38-
ナギ、エゾヤナギ、ウダイカンパ、カラフ
4
2P) をまとめられ、海岸組物1
下落、高山
トホソパハコベ、エゾイチゲ、チャボカラ
の続物群落、 i
昆,);(と湖沼、森林柄物1
t
1
¥
務
等
マツ、オオヤマオダマキ、ネコノメソウ、
についてまとめられた。
オランダイチゴ、クロノてナロウゲ、コキン
パイ、クマイチゴ、エピカ。ライチコ、タチ
また、団長の武出久吉先生は「知床日記」
と題して、 B五
f
f
.
の
知1
床半島特別j
調査の日程、
オランダゲンゲ、ニセアカシア、ツリノ〈ナ、
松浦武四郎(安政 5年
アギスミレ、ケナシイワアカパナ、カラフ
1
8
5
0
) の知床探検、
日班の行動とその折々に目に触れた柄物に
トアカノ〈ナ、シロウマアカノ〈ナ、オオチド
ついて百己主主さ~l.ているロ
メ、ミヤマセンキュウ、ハクサンボウフウ、
さらに、 1
日
手
f
J5
4
年から 5
5年にかけて知l
床
カラフトイチヤクソウ、アカモノ、カクミ
ノスノキ(ウスノキ)、アクシパ、ミヤ 7 イ
半島白然生態系総合調査が実施された。こ
3
0
北方山草 7 (1988)
ボ夕、エゾリンドウ、ヤマタツナミソウ、
キクノ〈クワカ夕、コタヌキモ、ヤエムグラ、
エダウチチチコグサ、ヒ口ハムカシヨモギ、
エゾウサギギク、ヒトツパハンゴンソウ、
アラケ'ハンゴンソウ(キヌガサギク)、セイ
ヨウノコギリソウ、フランスギク、
7
シュ
ウヨモギ、コウリンタンポポ、ホロムイソ
ウ、コミヤマヌカボ、ハイコヌカグサ、ハ
ノレガヤ、ホソパナソモソモ、オオスズメノ
カタビラ、カラフトドジョウツナギ、ミヤ
マネズミガヤ、フトイ、エゾハリイ、クロ
ヌマハリイ、ミカヅキグサ、キタノカワズ
スゲ、ヤチカワズスゲ、ヒロハオゼヌ 7 ス
ゲ、ハクサンスゲ、ヒメカワズスケ¥カワ
ラスゲ、アゼスゲ(ト 7 リスゲ)、カブスゲ、
リシリスゲ、タカネショウジョウスゲ、ホ
ソパヒカゲスゲ、ヤチスゲ、ミガエリスゲ
(タカネハリスケ,)、ミタスゲ、ムジナスゲ、
クモ 7 スズメノヒエ、ヒメイワショウフ¥
ショウジョウパカ 7 、ユキザサ、クロミノ
エンレイソウ、オニノヤガラ、コイチョウ
~ノ〈ナノエシ ν イソウ
ラン。
(この稿「知床半島の高山植物探究史J は
資料の不足のため他日改めて充実したもの
にしたいと考えている。)
望来にて
3
1
行事叫-<4--