1 柴田教授夜話(第 30 回)「ウェストファル氏の功績」 2015 年 8 月 4 日

柴田教授夜話(第 30 回)「ウェストファル氏の功績」2015 年 8 月 4 日
■『ウェストファル』は学生時代から現在に至るまで、何かと耳にする医学者
の一人の苗字である。Karl Friedreich Otto Westphal (1833-1890) はドイツ・ベルリ
ン生まれの精神神経科医である。高名な同姓同名の臨床医を父 (1800-1879) に
もち、母は Karoline Friederike Heine という。妻 Klara との間に設けた息子
Alexander Karl Otto Westphal (1863-1941) もまたドイツ・ベルリン生まれの精神神
経科医である。本稿ではこの紛らわしい名前をつけられた二人の精神神経科医
を区別するため、first name で Karl あるいは Alexander と呼ぶことにする。
■1857 年、Karl はベルリン (医科) 大学 (Berlin Charité) 精神科の助手に採用さ
れ、1858 年以降、Wilhelm Griesinger、Wilhelm von Horn、Karl Wilhelm Ideler ら
に師事した。学位を取得した後、1869 年に准教授、1874 年に教授を拝命した。
彼はまた、教育者としても卓越しており、教室から多くの高名な神経学者や神
経病理学者 (Arnold Pick、Hermann Oppenheimer、Karl Fürstner、Karl Moeli、Carl
Wernicke、Ludwig Binswanger など) を輩出した。これらの人物はドイツにおけ
る神経学の黄金時代を築いた (『Wikipedia』『nifty 神経学の歴史』参照)。
■当時、医学論文は書籍として刊行されることが多かった。しかし、医学雑誌
が次々と創刊される時代の流れを受けて、Karl の論文も様々なジャーナル、と
りわけ、Allgemeine Zeitschrift für Psychiatrie、Virchow Archiv für pathologische
Anatomie und Physiologie und für klinische Medizin、Berliner klinische Wochenschrift、
Charité-Annalen、Vierteljahrsschrift für gerichtliche Medicin、Archiv für Psychiatrie
und Nervenkrankheiten (Arch Psychiatr Nervenkr) などに掲載されていった。彼は
1868 年、Arch Psychiatr Nervenkr の編集者に就任した。
■Karl は精神医学、臨床神経学および神経病理学における未解決の問題に関心
を抱き、研究に取り組んだ。その甲斐あってか、彼の名を冠した医学用語は沢
山残されている。1872 年、Westphal は広場恐怖症 (agoraphobia) という特異な精
神 症 状 ( 現在 は Westphal 症 候 群と も 称 され る ) を初 めて 記 載し た 。後 に
Erb-Westphal symptom = Westphal 徴候と名づけられることになる脊髄癆患者にお
いて膝蓋腱反射が消失する現象は、Karl Westphal とハイデルベルグ大学の
Wilhelm Erb が同時期にそれぞれ独立した研究で得られた成果である。編者であ
った Karl は、Erb に敬意を払い同誌 1875 年 5 月号で自分の論文よりも前の頁に
Erb の論文を載せるよう配慮したというエピソードが残されている。これは現在、
脊髄癆患者の深部感覚障害 (後根神経節を構成する偽単極性感覚ニューロン細
胞体から伸びる末梢側神経軸索と中枢側後索軸索からなる大径有髄感覚線維の
変性) を反映したものと理解されている。1880 年、Karl は後に Wilson 病という
疾患概念が確立することになる疾患に罹患した患者の足関節を受動的に背屈さ
せると、その姿勢を維持するため前脛骨筋の遠位腱が浮き立って見える Westphal
1
背理性筋収縮現象を報告した。現在、この現象はパーキンソン病に特徴的な等
尺性筋緊張亢進を反映するものと理解されており、前脛骨筋の他に長趾伸筋や
腓骨筋でも観察しうる。仰臥位で寝転んでいる患者の枕をいきなり除去すると、
頭頸部が宙に浮いたままの姿勢を保つ現象もこれと同義である。平易な表現を
用いるなら「急には力を抜けない」といったところであろうか?続いて 1882 年
には肢節運動失行を、1885 年には周期性四肢麻痺をそれぞれ Charité Ann と Berl
klin Wochenschr に報告している。Westphal-Strümpell 仮 (偽) 性硬化症は、多発性
硬化症でしばしば出現する随意運動時過動症 (hyperkinésie volitionnelle) によく
似た不随意運動を呈する病型として、1883 年に Westphal が、1898 年に Strümpell
がそれぞれ報告し、後に概念が統合されたものである。これは、1912 年に Wilson
が報告した肝レンズ核変性症 (銅蓄積による肝硬変を基盤としてレンズ核が変
性に陥る疾患) の亜型であることが後に判明し、小脳遠心系に属する視床前核が
侵されることで上記の不随意運動が出現すると今では理解されている。1887 年、
Karl は成人の中脳に瞳孔収縮核を発見した (Arch Psychiatr Nervenkr)。ところが、
その 2 年前の 1885 年に、解剖学者 Ludwig Edinger (1855-1918) は産婦人科医か
ら譲り受けた胎児の中脳に瞳孔収縮核を見出していた (Neurol Centralbl)。
■Edinger-Wesphal 核は、こうした両研究者の功績を讃えて命名されたものであ
る。彼らは、中脳水道周囲灰白質腹側正中部に位置する一般体性遠心性第 III 脳
神経 (動眼神経) 核に隣接する一般内臓遠心性 (副交感神経系) ニューロンの集
合体が内眼筋 (縮瞳筋と毛様体筋) を支配することを明らかにしたのである。
Edinger は 14 歳の時、母親から顕微鏡をプレゼントされ、なんでもかんでも顕微
鏡で観察する理科好きの少年だったという。これが昂じて後に解剖学者の道を
進むことになるのだが、ユダヤ人であるがゆえに公共施設の職に就くことがで
きず、開業医の仕事の傍ら解剖学研究に情熱を燃やし続け、大脳や小脳が新皮
質と旧皮質に分けられることや上述の瞳孔収縮核の発見などを次々と報告した。
1885 年以降、フランクフルト大学病理解剖学研究所に赴任してきた Weigert のも
とに足繁く通うようになり、温痛覚を伝える脊髄視床路の発見や視床出血後の
視床痛で苦しんでいた患者の剖検を行うなど、精力的な活動を展開した。そし
てついに、Edinger は Weigert の研究室を引き継ぎ、フランクフルト大学神経学
研究所の初代所長となった。感動的なサクセスストーリーではないか。
■Karl の息子 Alexander も多くの功績を残している。Westphal-Pilcz 症候群 = 徴
候 = 現象 = 反射は、強制的閉眼により外眼筋の緊張を高めると、瞳孔が一旦
縮小した後に散大する現象を指し、neurotonic papillary reaction とも呼ばれる。
Westphal-Leyden 症候群は、1890 年に Leyden が、1903 年に Alexander がそれぞ
れ記載した急性小脳性運動失調症を表す用語である。
■明治維新の頃に開花したドイツ神経学の中心に Westphal 父子鷹はいた。
2