告白教会とユダヤ 人問題 - 東北学院大学情報処理センター

佐 藤 司 郎(東北学院大学)
告白教会とユダヤ人問題――アウシュヴィッツ以後の神学への萌芽、または一九三三年
のバルトとボンヘッファーの神学的方向定位
はじめに
掲 げ ら れ て い る 標 題 は 相 当 大 き な も ので 、 今 日 は そ の ほ ん の 一 部 を 、 日 頃 関 心 を も って
調 べて い る と こ ろ か ら 、 申 し 上 げ る こ と に な り ま す 。 今 日 の 演 題 を 「 ア ウ シ ュ ヴ ィ ッ ツ 以
後の神学へ の 萌芽―― 一九三三年 のボンヘッファーとバ ルトの神学的方向定位 」と いたし
ます。
第 二 次 大 戦 の 未 曾 有 の 経 験 を へ る こ と に よ って 決 定 的 に 方 向 を 転 換 し 、 今 日 と 将 来 の キ
リ ス ト 教 の 在 り 方 を 規 定 し て い る 重 要 な 認 識 の 一 つ が ユ ダ ヤ 教 と キ リ ス ト 教 の 関 係 理 解で
す 。 ユ ダ ヤ 教 側 も キ リ ス ト 教 側 も す べ て が そ の 方 向 に 歩 み を 進 めて い る と い う の で は 、 む
ろ ん あ り ま せ ん が 、 少 な く と も キ リ ス ト 教 の 側で は 、 と り 分 け ド イ ツ の カ ト リ ッ ク 、 プ ロ
テ ス タ ン ト を 問 わ ず 、 新 た な 関 係 理 解 と じ っ さ い の 交 流 へ 向 け て 戦 後 一 貫 して そ の 努 力 が
積 み 重 ね ら れて い る こ と は 一 般 に も 知 ら れ て い ま す 。こ う し た 流 れ に や が て 通 じ る こ と に
なる最初の一歩を踏み出したキリスト教の神学者として、カール・バルトとディートリヒ・
ボ ン ヘ ッ フ ァ ー を 取 り 上 げ ま す 。 バ ル ト は 二 十 世 紀 を 代 表す る ス イ ス の 神 学 者 で 、 ヒ ト ラ
ー 政 権 に 反 対 し 戦 っ た 教 会 、 《 告 白 教 会 》 の 神 学 的 な 指 導 者で す 。 ホ ル ク ハ イ マ ー = ア ド
ル ノ は 反 ユ ダヤ 主 義 に 批 判 的 な キ リ ス ト 教 神 学 者 と して 二 十 世 紀で は た だ 一 人 〔 「 公 認 の
キ リ ス ト 教 に は 反 対 の 立 場 を と る ク リ ス チ ャ ン 」 の 一 人 と して 〕 バ ル ト の 名 前 を あ げ て い
ま す ( 『 啓 蒙の 弁 証 法 』 ) 。 た だ 今 日 ま で の ド イツ の 教 会 史 家 の 一 部 に は それ に 疑 問 を 投
げ か け る 声 も な いわ け で は あ り ま せ ん ( K ・ シ ョ ル ダ ー な ど ) 。こ と に 告 白 教 会 の 抵 抗 の
思 想 的 拠 り 所 と な っ た 、 主 と して バ ル ト の 起 草 に な る 一 九 三 四 年 の 「 バ ル メ ン 神 学 的 宣 言
― ― ド イツ 福 音 主 義 教 会 の 今 日 の 状 況 に 対 す る 神 学 的 宣 言 」 に ユ ダ ヤ 人 問 題 が 一 言も 盛 ら
れ な か っ た と い う き わ めて 明 示 的 な 事 実 か ら も な さ れ て お り 、 そ れ に 対 し て バ ル ト 自 身 が
自 ら の 罪 責 と 認 めて い る こ と な ど も 関 連 し て い ま す ( 六 四 年 、 ベ ー ト ゲ 宛 書 簡 ) 。 し か し
そう し た 批 判 的な 見方 に 対 して 別 な 見 解 をも つ研 究も 、 たと え ば ベ ルリ ン 大 学 の マ ル ク ヴ
ァ ル ト 、 ブ ッ パ ー タ ー ル 神 学 大 学 の クラ ッ パ ー ト 、 そ し て 決 定 的 に は ( 私 は ほ と ん ど 決 定
的 と 見て い ま す が ) ゲ ッ テ ィ ン ゲ ン 大 学 の エ ー バ ハ ル ト ・ ブ ッ シ ュ ら の 手 に よ っ て な さ れ
て き ま し た 。 ( ブ ッ シ ュ の 研 究 は 多 く の と こ ろ で す で に 紹 介 さ れて い ま す が 、 一 九 三 八 年
以 降 の 詳 細 な 研 究 も ご く 最 近 出 ま し た の で 〔 ( 数 年 前 ブ ッ シ ュ の と こ ろ で 勉 強 して い た と
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き 彼 が 取 り 組 ん で い た 〕 こ れ か ら い そ いで 勉 強 し な け れ ば な ら な い と 思 っ て い ま す ) 。 こ
う し た 研 究 者 の 仕 事 に よ り 反 ユ ダ ヤ 主 義 に 反 対 し 今 日 の イ エ スラ エ ル 神 学 へ の 道 を 拓 い た
人 と して の バ ル ト の 地 位 は か な り ほ ぼ 確 定 し て い る と 言 って よ い と 思 い ま す 。 今 日 の 私 も
の 発 表 も そ れ ら の 研 究 線 上 に あ り ま す 。 他 方 、 ボ ン ヘ ッ フ ァ ー に つ いて は 、 彼 は バ ル ト よ
り 二 十 歳 ほ ど 若 い 神 学 者で 、 ド イ ツ 国 防軍 内 の ヒ ト ラ ー 暗 殺 計 画 に 参 加 し ( 七 月 二 十 日 事
件 ) 、 二 年 の 獄 中 生 活 の す え 、 四 五 年 四 月 、 敗 戦 一 ヶ 月 前 、 三 九 歳 の 若 さ で 強 制 収 容 所で
殺 害 さ れ た 人で 、 ド イ ツ で は 知 ら な い 人 は い ま せ ん 。 一 部 で は 崇 拝 に 近 い 尊 敬 を 集 めて い
ま す 。 戦 後 遺 稿 が 次 々 出 版さ れ る 中で 、 二 十 世 紀 後 半 か ら 現 在 に い た る ま で の 世界 の 教 会
に 決 定 的 影 響を 与 え つ づ け て いま す 。 ボ ン ヘ ッ フ ァ ー の 場 合 は 、 今 日 ま で 、バ ルト と は 違
い 、 む しろ ヒ ト ラ ー 政 権 下 の ユ ダ ヤ 人 問 題 に 教 会 の 中 で 最 初 に 問 題 性 を 指 摘 し 、こ れ と 戦
いはじめた人と目されています。そしてそれはその通りです。
今日は 、こ の二人の 、三三年一 月 のヒトラ ーによる政 権奪取前後 から 教会闘 争初期にお
け る こ の 問 題 へ の 関 わ り を 、 当 時 の 教 会 世 論 を 背 景 に し な が ら 見て 見 ま す 。 一 般 に ボ ン ヘ
ッ フ ァ ー の 先 駆 的 な 問 題 提 起 に 対 して 、 バ ル ト の 遅 れ ば せ の 関 与 が 指 摘 さ れ る な か 、 は た
して ど う で あ っ た の か 、 そ の 後 の 告 白 教 会 の 闘 争 や 、 ま た 戦 後 の 教 会 に 与 え た 影 響 な ど 直
接 言 及す る こ と は で き ま せ ん が 、 教 会 闘 争 の 始 ま り の と こ ろ で の 方 向 定 位 が 思 想 的 に も 歴
史的にも明確になればと思います。
教会世論――「ドイツ的キリスト者」と「青年宗教改革運動」
当 時 の 教 会 の 世 論 は ど う だ っ た の か を 、 は じ め に 短 く 述 べて 、 バ ル ト 、 ボ ン ヘ ッ フ ァ ー
の 位 置 づ け の 手 が か り を え た い と 思 い ま す 。 教 会 世 論 を 動 か して い た 二 つ の 立 場 を 申 し 上
げ ま す 。 一 つ は ナ チ 的 な キ リ ス ト 教 、 つ ま り 「 ド イ ツ 的 キ リ ス ト 者 たち 」 、 も う 一 つ は そ
れ に 反 対 し た 青 年 宗 教 改 革 派 の グ ル ー プで す 。 割 り 切 っ て 言 え ば 、 バ ル ト は 両 者 に 批 判 的
に 対 峙 し 、 ボ ンヘ ッフ ァー は 後 者 から 出 発 して 、バ ルト に 接 近 し 、 行動 に お いて バ ルト 以
上にラディカルな道へと出て行った人です。
は じ め に ナ チ 的 キ リ ス ト 教 、 ド イ ツ 的 ‐ キ リ ス ト 教 的 信 仰運 動 。 こ れ は 一 九 世 紀 以 来 の
ド イ ツ 民 族 至 上 主 義 ( ブラ ッ ハ ー 『 ド イ ツ の 独 裁 』 参 照 ) の 影 響 を 受 け 、 文 字 通 り 「 ド イ
ツ 的 」 な も の と と 「 キ リ ス ト 教 」 と の 総 合 を 意 図 して 、 第 一 次 大 戦 後 後 民 族 主 義 的 な 傾 向
を 強 めて い た 教 会 の 中 に 発 生 し た 種 々 の 運 動 を 指 し ま す 。 こ う し た 右 翼 的 な 運 動 を ナ チ の
働きかけに応じて糾合し成立したのが「ドイツ的キリスト者信仰運動」 (Glaubensbewegung
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です。ここには当時の牧師の二〇パーセント以上が加わっていたといわれ、
Deutsche Christen)
そ れ 以 上 に 多 く の 信 徒 が 参 加 して い ま し た 。 創 設 者 は 、 古 プ ロ イ セ ン 合 同 教 会 の 牧 師 ホ ッ
セ ン フ ェ ル ダ ー で す 。 一 九 二 九 年 に ナ チ 党 に 入 党 し ナ チ 牧 師 団 を つ く って 、 古 プ ロ イ セ ン
の 反 ナ チ 的 な 指 導 者 で あ っ た オ ッ ト ・ デ ィ ベ ー リ ウ ス ら と 対 立 し て い た 人で す 。 三 二 年 六
月 に 十 項 目 か ら な る 「 ド イ ツ 的 キ リ ス ト 者 信 仰運 動 の 基 本 方 針 」 が 発 表 さ れ ま す 。 そこ に
は 「 一 つ の 帝 国 教 会 」 「 民 族 教 会 」 の 創 設 が う たわ れて お り 、 三 三 年 一 月 の 政 権 奪 取 以 後
の 彼 ら の プ ロ グラ ム が 示 さ れ て い ま す 。 こ れ を 使 っ て ヒ ト ラ ー は プ ロ テ ス タ ン ト 教 会 の 一
元 支 配 を 目 指 し た ので す 。 三 三 年 三 月 二 三 日 の 政 府 声 明 で 現 行 の 教 会 の 権 利 を 守 る こ と を
確 約 して か ら ド イ ツ 的 キ リ ス ト 者 の 運 動 が 急 速 に 拡 大 し ま す 。 紆 余 曲 折 を へて 、 し か し 九
月 に は 、 ヒ トラ ー の 息 の か か っ た ル ー ト ヴ イ ヒ ・ミ ュラ ー が 帝 国 教 会 監 督 の 地 位 に つ き 、
ド イ ツ 的 キ リ ス ト 者 の 目 論 見 は 成 就 し ま す 。 こ の ド イ ツ 的 キ リ ス ト 者 の ユ ダヤ 人 理 解 は 当
時の代表的な神学的イデオローグのエマヌエル・ヒルシュらによって唱道されますが、「ド
イツ的キリスト者信仰運動の基本方針」にもはっきり出ています(資料①)。十項目のうち
と く に 四 、 七 、 九 、 一 〇 条な ど 。 第 四 条は ル タ ー を 「 人 種 適 合 的 な キ リ ス ト ‐ 信 仰 」 に 結
び つ け 、 第 七 条で は 、 「 人 種 、 民 族 性 、 国 民 」 と い っ た 「 神 か ら わ れ わ れ に 与 え ら れ 委 ね
ら れ た 生 活 の 諸 秩 序 」 の 「 保 持 」 を して 「 神 の 律 法 」 と し 、 二 〇 年 代 の は じ め か ら キ リ ス
ト 教 神 学 を 席 巻 し た 創 造 の 秩 序 の 神 学 を 援 用 して い ま す 。 第 九 条 に は 「 ア ー リ ア 人 条 項 」
の 問 題 が 登 場 し ま す 。 か く て ナ チ に 呼 応 し た ド イ ツ 的 キ リ ス ト 者 に お いて 人 種 的 な も の 、
民 族 的 な も の が キ リ ス ト 教 の 規 範 と して 教 会 に も ち こ ま れ 、 洗 礼 を 受 け た ユ ダ ヤ 人 キ リ ス
ト者が徹底排除の対象とされます。彼らは旧約聖書を捨てたのです。
こ れ に 対 抗 して も う 一 つ の 教 会 世 論 を 形 成 し た の が 青 年 宗 教 改 革 運 動 で す 。 三 三 年 五 月
に 、 帝 国 教 会 の 形 成 を 目 指す ド イ ツ 的 キ リ ス ト 者 と そ の 教 会 政 治 的 動 き に 反 対 して で き た
も ので す 。 キ ュ ン ネ ー ト 、 リ ル エ 、 のち に マ ル テ ィ ン ・ ニ ー メ ラ ー ら も 加わ り ま す 。 と く
に ル タ ー 派 の 教 会 の 多 く の こ こ ろ あ る 聖 職 者 たち が こ の 立 場 に 立 ち ま す 。 彼 ら は 教 会 的 中
道( 中 間 派 )と 呼ば れ る グル ー プ を 形 成 しま す 。 そ の立 場 に は 妥 協 的な も のが あ っ た 。 つ
まり、一方でたしかにドイツ的キリスト者には反対した、しかし彼らの「呼びかけ」(資料
②)に明らかなように、それは「新しいドイツ国家に対する喜ばしい然り」を語り、これに
よ って 促 さ れ た 「 わ れ わ れ 福 音 主 義 教 会 」 の 「 新 し い 形 成 」 、 つ ま り 帝 国 教 会 の 形 成 を 基
本 的 な と こ ろ で 認 め も ので し た 。 非 ア ー リ ア 人 の 排 除 に は 反 対 し た も の の 帝 国 教 会 と 帝 国
監 督 の 設 置 に 賛 成 す る と い う 妥 協 的 な 態 度 は バ ル ト に よ って 痛 烈 に 批 判 さ れ ま す ( バ ル ト
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「 今 日 の 神 学 的 実 存 」 三 三 年 六 月 ) 。 「 呼 び か け 」 の 第 七 項 に 彼 ら の 基本 的 な 立 場 が 示 さ
れて います 。「わ れわ れは 聖霊 へ の 信 仰を 告 白す る 、 そ れ ゆえ 根本 的に非 アー リ ア 人を 教
会 か ら 排 除 す る こ と を 拒 否す る 。 と いう の も そう し た 排 除 は 国 家と 教 会 の 取 り 違 え に 基 づ
いて い る か ら で あ る 。 国 家 は 裁 か な け れ ば な ら ず 、 教 会 は 救わ な け れ ば な ら な い 」 。 非 ア
ー リ ア 人 の 排 除 は 教 会 の 領 域 で は 許 さ れ な い が 、 国 家 の 領 域で 国 家 の 措 置 と し て は 容 認 さ
れ る と い う の が 主 旨で す 。 キ リ ス ト 者 で な い ユ ダ ヤ 人 は 国 家 の 取 り 扱 い に 委 ね る と い う の
が そ の 立 場 で す 。 ま さ に 伝 統 的 な ル タ ー 主 義 的 二 元 論 の 考 え 方 に 立 っ た 判 断で す 。こ の 人
びとは三三 年九月、非 アーリ ア人牧師追放を 決めた古プ ロイセン合 同教会総会で それ反対
して 行動 に 立ち 上が り ます 。 結 成 さ れ た のが 牧 師 緊 急 同 盟で す 。 ニ ー メラ ー ら は 教 会当 局
に 抗 議 文 を お く り 、 全 教 会 に 反 対 を 呼 び か け ま す 。 ニ ー メラ ー 、 ヤ コ ー ビ 、 そ れ に ボ ン ヘ
ッ フ ァ ー ら が 加わ り ま す 。 一 時 は 七 千 人 以 上 ( 全 牧 師 の 三 分 の 一 ) が 加わ り ま し た 。 緊 急
同盟への参加者たちに求められた「誓約」(資料③)には、まさにこのユダヤ人キリスト者
排 除 を 教 会 が 教 会で な く な る 根 本 問 題 、 つ ま り 信 仰 の 告 白 を 余 儀 な く さ れ る 事 態 だ と いう
彼 ら の 認 識 が 示 さ れて い ま す 。 そ の 中で も 、 と く に 第 三 項 は 、 ア ー リ ア 人 条項 の 導 入 に よ
って 抑 圧 さ れ 被 害 を 受 け る 人 び と と の 広 い 連 帯 を 表 明 す る こ と に よ って 、 そ れ に つ づ く 告
白 教 会 の 闘 争 の 先 取 り と な っ た と い う 評 価 も な さ れ て い ま す ( ガ イ ガ ー ) 。 こ う して 強 制
的 に 教 会 へ の ア ー リ ア 人 条 項 が 導 入 さ れ 、 そ れ が 全 国 の 教 会 に 波 及 して い き ま す が 、こ れ
に よ り 排 斥 の 対 象 と な る 牧 師 は 引 退 教 職 も 含 めて 二 九 名 、 古 プ ロ イ セ ン 合 同 教 会 だ け で は
四名にすぎなかったのです。
ボンヘッファーの洞察
ベ ル リ ン 大 学 の 若 き 私講 師 デ ィ ー ト リ ヒ ・ ボ ン ヘ ッ フ ァ ー は 当 時 二 七 歳 、 ナ チ ズ ム の 本
質 を ユ ダ ヤ 人 問 題 に お いて 見 抜 い て い た 少 数 の 人 物 の 一 人 で し た 。 父 カ ー ル ・ ボ ン ヘ ツ フ
ァ ー は 国 会 議 事 堂 放 火 事 件 の 犯 人 と して 捕 ま っ た フ ァ ン ・ デ ル ・ ル ッ ベ の 精 神 鑑 定 な ど も
お こ な っ た ベ ル リ ン 大 学 の 精 神 医 学 教 授 、 枢 密 顧 問 官 で 貴族 に 列 せ ら れ て い た 教養 市 民 層
に属す る 人です 。 家族 の中 からは 義 兄ハンス ・フォン・ドナーニー をは じめ、 ディートリ
ヒ を ふ く め 四 人 の ナ チ 犠 牲 者 を 出 し 、 義 弟 で ユ ダ ヤ 系 の ゲ ル ハ ル ト ・ラ イ ブ ホ ル ツ ( 亡 命
から 帰 国 、 戦 後 ゲ ッ テ ィ ン ゲン 大 学 に 復 帰 、 最 高裁 判事 な ど 歴 任 ) の 受け た迫 害な ど 、ナ
チ ス に よ り 過 酷 な 運 命 を 余 儀な く さ れ た 一 族 で す 。 三 三 年 一 月 三 〇 日 、 ヒトラ ー 政 権 奪 取
の さ い に は す で に 、 ヒ ト ラ ー と は 戦 争 を 意 味 す る と い う こ と が 家で は お 互 い の 確 信 と な っ
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て い た と 伝 え ら れ て い ま す 〔 こ の 言 葉 は 共 産 主 義 者 が プ ロ パ ガ ン ダ の 言 葉 と し て 使 って い
たも の 〕 。 そ の 二 週 間 前 ベ ルリ ン で な さ れ た 説 教が 残 っ て い ま す が 、 迫 り 来 る 嵐 を 前 に 非
常 に 緊 張 に 満 ち た 説 教 で す 。 政 権 奪 取 の 翌 日 な さ れ たラ ジ オ 放 送 「 若 い 世 代 に お け る 指 導
者と個人」(資料④)はヒトラーの悪魔性に警告を発した預言者的鋭さに満ちています。放
送 は た び だ び 中 断 さ れ 、 と く に 後 半 は ほ と ん ど 分 か ら な か っ たと 言 わ れて いま す 。こ こ で
示 さ れ た 指 導 者 論 、 つ ま り 被 指 導 者 の 前 に 自 ら 偶 像 に な る こ と な く 、 究 極 の 権 威 と して の
神 の 前 に 個 人 と して の 自 覚 に 立 っ て 自 ら の 課 題 に 留 ま る よ う に と い う 指 導 者 論 が だ れ に 向
け ら れて い た か は 明 ら かで し た 。 私 は 今 日 、 同 じ く 三 三 年 五 月 に な さ れ た 有 名 な ハ イ デ ガ
ー の フラ イ ブ ル ク 大 学 総 長 就 任 講 演 『 ド イ ツ 大 学 の 自 己 主 張 』 の 掉 尾 に 出 る 言 葉 「 わ れ わ
れは我々自身を欲する 」を思い起こ します 。神学的な 見方を許され れば、自ら を世界の中
心 に お こ う と す る 衝 動 に 道 を 空 け よ う と し て い る 点で 、 ヒ ト ラ ー と ハ イ デ ガ ー に 同 じ も の
を見ます。
さて 三 三 年 四 月 下 旬 の 論 文 「 ユ ダヤ 人 問 題 に 対 す る 教 会 」で こ の 問 題 に お い て 彼 が 先 駆
的 な 洞 察 を 示 し た こ と は 、 今 日 か ら 見て も 間 違 い な い こ と で す 。 政 権 奪 取 以 降 、 一 月 ~ 四
月 、 ご 承 知 の よう に 、 ヒ ト ラ ー は 、 共 産 主 義 者 を は じ め 、 社 会 民 主 党な ど の 政 治 的 な 体 制
批 判 的 者 、 そ して ユ ダ ヤ 人 を タ ー ゲ ッ ト と して 、 突 撃 隊 ( S A ) 親 衛 隊 ( S S ) を 使 って
暴 力 的 に 排 除 し ま す 。 四 月 一 日 の ユ ダヤ 商 店 の 全 国 ボ イ コ ッ ト 、 四 月 七 日 の ア ー リ ア 人 条
項を含む 公 務員再建法 は その具体 的措置です 。( それは 三五年九月 ニユルンベ ルク法 、三
八 年 一 一 月 帝 国 水 晶 の 夜 、 そ して 四 二 年 一 月 ヴ ァ ン ゼ ー 会 議 で の 絶 滅 計 画 と と 進 ん で 行 っ
た ) 。 こ う し た ユ ダ ヤ 人 排 除 に 対 して いち 早 く 非 難 の 声 を あ げ た の は ア メ リ カ で あ り 、 そ
の ジ ャ ー ナ リ ズ ム 、 ま た 世 界 の 教 会で し た 。 む しろ ド イ ツ の 教 会 は 、 そ れ ら の 非 難 の 声 に
対 して 、 国 家 の 措 置 を 合 法 的 措 置 と して 容 認 し つ つ 、 い く つ も の 有 力 な 例 外 も あ る も の の
全 体 と し て 弁 明 ・ 反 論 に 終 始 し た と い っ て よ いで し ょ う 。 そ れ ら の 立 場 を 代 表 す る 論 説 と
して 、 ヴ ァ ル タ ー ・ キ ュ ン ネ ー ト の 論 文 ( 「 ド イ ツ に お け る 教 会 と ユ ダ ヤ 人 問 題 」 ) を あ
げ る こ と が で き ま す 。 彼 は 三 十 歳 少 し 過 ぎ た ぐ ら いで ベ ル リ ン の 護 教 セ ン タ ー の 所 長 、 大
学 の 私 講 師 で し た 。 そ の 中 で 彼 は 伝 統 的 な 二 王 国 説 に 立 ち 、 ユ ダヤ 人 問 題 に 対 す る 国 家 の
措 置 と 教 会 の 見 方 と の 厳 密 な 区 別 か ら し 出 発 し ま す 。 そ して 国 家 的 措 置 を 容 認 し ま す 。 そ
の 理 由 と し て 上 げ て い る こ と の 一 つ は 、 当 時 の ユ ダヤ 人 の 人 口 比 ( 0 ・ 9 % ) か ら して 官
公 吏 、 医 師 、 銀 行 家 の 割 合 が 多 い と いう こ と を あ げ 、 「 ド イ ツ 民 族 の 安 全 の た め の 防 衛 策
の 性 格 」 を も つ と 書 い て い ま す 。 一 方 教 会 は そ れ と は 異 な る 。 政 治 的 視 点で は な く 教 会 的
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視 点 か ら 取 り 扱 わ な け れ ば な ら な い 。 教 会 員 で あ る こ と は 洗 礼 に よ る ので あ っ て 人 種 に よ
ら な い の だ か ら 。 そ の 上で 彼 は 問 題 の 解 決 策 と して 、 ユ ダヤ 人 と ユ ダヤ 人 キ リ ス ト 者 の 区
別 を 国 家 に 要 請 し ま す 。 洗 礼 を 受 け た ユ ダ ヤ 人 に 対 して の 特 別 な 取 り 扱 い を 求 め ま す 。 キ
リ ス ト 教 的 愛 が 向 け ら れ な け れ ば な ら な い 。 そ して そ の た め の 献 金 の 可 能 性 な ど も 上 げ て
います。
ボンヘツファーの論文「ユダヤ人問題に対する教会」(資料⑤)も基本的に国家の措置と
教会の課題 と を区別す るこ と から 始めます 。 たしかにこ こ には二王 国説の枠組 みがあ りま
す 。 し か し 同 時 に そこ に は そ れ を 越 え て 、 一 年 後 「 バ ル メ ン 神 学 的 宣 言 」 第 五 項 の 教 会 と
国 家 の 規 定 に お いて 見 ら れ る 教 会 の 「 政 治 的 神 奉 仕 」 と い う 線 が そ こ に は あ り ま す 。 こ う
書 いて い ま す 。 「 教 会 は 、 こ の 国 家 に よ っ て な さ れ た 措 置 を 、 ど う 評 価 す る の か 、 そ し て
そ の こ と の 結 果 と して 、 教 会 は 何 を な す べ き で あ ろ う か 。 こ れ が 一 つ の 問 題 で あ る 。 も う
一 つ の 問 題 は 、 教 会 の 中 に い る 、 洗 礼 を 受 け た ユ ダ ヤ 人 に 対 して 、 教 会 は ど う い う 態 度 を
と る べ き で あ ろ う か 、 と いう こ と で あ る 」 。 つ ま り 教 会 は 国 家 の 行 為 を 問わ な け れ ば な ら
な いと いう こ と で す 。 何 を 問う の か 。 「 国 家 の 行 為 が 合 法 的 な 国 家 の 行 動 と し て 正 当 で あ
る か ど う か 、 す な わ ち 、 そこ で 法 と 秩 序 と が 確 立 さ れ る 行 為 を 責 任 を も って な して い る か
ど う か 」で す 。 ボ ン ヘ ツ フ ァ ー は 三 三 年 一 月 以 来 の ヒ ト ラ ー 政 権 に 見 た の は 、 一 方 で 法 と
秩序の過少 、 他方 その 過剰で し た 。 彼に よれ ば、法と 秩 序 の過少は 「民衆の中 のある種 の
グ ル ー プ が 権 利 喪 失 の 状 態 に あ る 」 と こ ろ に 存 し 、 過 剰 は 国 家 が 教 会 の 宣 教 に 介 入 して く
る と こ ろ に あ り 、 具 体 的 に は 洗 礼 を 受 け て い る ユ ダヤ 人 を 強 制 的 に 教 会 か ら 排 除 す る と こ
ろ に 存 し ま す 。 そ して そ の 時 、 教 会 が 国 家 に 対 して 取 る べ き 行 動 の 可 能 性 は 三 つ あ る と い
い ま す 。 「 第 一 に 、 国 家 に 対 して 、 そ の 行 動 が 合 法 的 に 国 家 に ふ さ わ し い 性 格 を 持 っ て い
る か ど う か と いう 問 い 、す な わ ち 、 国 家 に そ の 国 家と し て の 責 任 を 目 覚 め さ せ る 問 い を 向
け る 。 第 二 に 、 教 会 は 、 国 家 の 行 動 の 犠 牲 者 へ の 奉 仕 を な す 。 教 会 は 、 共 同 体 秩 序 のす べ
て の 犠 牲 者 に 対 して 、 た と い そ の 共 同 体 が キ リ ス ト 教 会 の 言 葉 に 耳 を 傾 け な い と して も 無
制 限 の 義 務 を 負 って い る 。 『 す べ て の 人 に 対 し 善 き こ と を な せ 』 ( ロ マ 一 二 ・ 一 七 ) 。 こ
の 第 一 と 第 二 の 行 動 に お いて 、 教 会 は 、 自 由 な 仕 方 で 、 自 由 な 国 家 に 仕 え る の で あ り 、 法
秩 序 の 転 換 の 時 代 に お いて も 、 教 会 に は こ の 二 つ の 課 題 の 遂 行 の 回 避 は 許 さ れ な い の で あ
る 。 第 三 の 可 能 性 は 、 車 の 犠 牲 に な っ た 人 び と を 介 抱 す るだ け で な く 、 そ の 車 その も の を
阻 止す る こ と に あ る 。 そ の よう な 行 動 は 、 直 接 的 な 教 会 の 政 治 的 行 動 で あ ろ う し 、 そ の よ
う な 行 動 は 、 教 会 が 、 法 と 秩 序 を 建て る 機 能 を も は や 国 家が 果 た し て いな いと 見 る 時 に 、
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すなわち 、 秩序と法の 過少ある いは 過剰の事 態が 出現して いると 見る時にのみで きること
で あ り 、 ま た 求 め ら れ る こ と で あ る 」 。 か く て 彼 に お い て た だ た ん に ユ ダヤ 人 キ リ ス ト 者
の 取 り 扱 い が 問 題 に な っ た だ け で は あ り ま せ んで し た 。 一 般 の ユ ダ ヤ 人 に 対 す る 措 置 そ の
も の が 問 わ れ た ので す 。 そ の ユ ダ ヤ 人 と の 連 帯 へ と 動 い た ので す 。 彼 は は じ め か ら 「 体 制
の全面的悪質性と、それが戦争へと突き進むものであることを最初から確信していた」(テ
ー ト ) 一 人 で し た 。 そ して こ の 時 ボ ン ヘ ツ フ ァ ー が 上 げ た 第 三 の 可 能 性 は 、 後 に 一 九 三 九
年以降、彼自身が辿ることになった道を予示するものでした。
バルト――ユダヤ教神学者との出会い
ここでは二つのことを取り上げます。一つは、三三年に、非アーリア人排除に対してバル
ト は ど う い う 態 度 を と っ た か と い う こ と 、 も う 一 つ は 、 同 じ 頃 、 後 の イ スラ エ ル 神 学 の 萌
ハインツ・エドゥアルト・テートは、もし神学者を一人、一九三三年のナチズムに対
芽が生まれたことです。
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して 何ら の 共 感も いだ かな か っ た と いう 理 由 で あ げ る と す れ ば 、 そ れは カ ー ル ・バ ル トで
あると書いています(『ヒトラー政権の共犯者、犠牲者、反対者』)。
そ の バ ル ト は す で に 二〇 年 代 の 半 ば か ら フ ァ シ ズ ム 的 ‐ 民 族 的 国 家主 義 の 動 き に 反 対 し
反 ユ ダ ヤ 主 義 に も 反 対 を 表 明 して い ま し た が 、 三 三 年 、 ヒ ト ラ ー の 政 権 奪 取 以 後 も 、 不 思
議な 沈黙を つ づけて い ま し た。こ の 、当 時も っとも 著名で 、若 い世 代に影 響力 の 大き かっ
た 、 そ れ ゆ え に と く に 保 守 的 な ル タ ー 派 の 教 会 と 神 学 者 たち か ら は も っ と も 嫌 わ れ て い た
バ ル ト が ほ と ん ど は じ めて 直 接 に 発 言 し た の が 、 六 月 に 刊 行 さ れ た 『 今 日 の 神 学 的 実 存 』
です 。非 ア ーリ ア 人排 除に対す る 反 対がは っ き り 表明さ れます 。( こ れは ヒトラ ーにも 送
り つ け ら れ 、 そ の 後 の 教 会 闘 争 の いわ ば 進 軍 ラ ッ パ と な っ た も の ) 。こ の 冊 子 で バ ル ト が
し た の は 、 ナ チ と 呼 応 し 非 教 会 的 ・ 非 神 学 的 な 根 拠で 帝 国 教 会 な ら び に 帝 国 監 督 設 置 へ 動
く ド イ ツ 的 キ リ ス ト 者 に 対 す る 徹 底 批 判で し た 。 と は い え ド イ ツ 的 キ リ ス ト 者 そ の も の は
む しろ 取 る に 足 り な い も の と して 見 な さ れ て お り 、 批 判 の 矛 先 は じ つ は あ い ま い な 立 場 に
終 始 し 結 局 の と こ ろ 体 制 に 順 応す る 妥 協 的 な 青 年 宗 教 改 革 派 の 神 学 と 教 会 政 策 に 向 け ら れ
て い た ので す 。 す で に 取 り 上 げ た よ う に 、 な る ほ ど 彼 ら は た と え ば 教 会 か ら の 非 ア ー リ ア
人 の 排 除 に 反 対 して い な が ら 帝 国 教 会 と 帝 国 監 督 の 設 置 に 賛 成 す る な ど して い たわ け で す 。
論 文 の 終 わ り の ほ う で 、 バ ル ト が 青 年 宗 教 改 革 派 を 念 頭 に お いて 「 一 年 前 、 あ る い は 一 世
紀 前に 、 自 由 、法 、 精 神 と 呼 ば れ て い たも の はす べて ど こ へ行った ので あろう か 」と 記す
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と き 、 国 家 の 本 来 の 課 題 を 逸 脱 し つ つ あ る ヒ ト ラ ー 政 権 を 問わ な い 彼 ら へ の 痛 烈 な 批 判が
込 め ら れて い た ので す 。 バ ル ト が 政 治 的 リ ベ ラ リ ズ ム の 遺 産 を 受 け 継 ぐ 立 場 に い たこ と は
こ れ に よ っ て も 明 ら か で す 。 ( バ ル ト も 一 緒 に な って ヴ ァ イ マ ル に 銃 を 向 け て い た と い う
ショルダーの見解に反対)。
2 もう一つ、この時期、バルトのイスラエル神学――一つの契約の弧のもとに神の民と
して の イ ス ラ エ ル と の 連 帯 を 基 軸 と す る 神 学 ― ― が 、 幾 人 か の ユ ダ ヤ 教 哲 学 者 ・ 神 学 者 と
の出会いや交わりを通して生まれたことを申し上げます。ブーバーやローゼンツヴァイク、
レ オ ・ ベ ッ ク と い っ た ユ ダ ヤ 教 の 宗 教 革 新運 動 が 二 〇 年 代 の ほ と ん ど の 教 会 指 導 者 や 神 学
者によって注目されなかった(テート)中で、今日取り上げるバルトのハンス・ヨアヒム・
シ ェ プ ス と の 学 問 的 な 交 流は 貴重 で す 。 ( そ の 後 の ユ ダ ヤ 教神 学 者 ・ 哲 学 者 と の深 い 交 流
は 別 の 機 会 に ぜひ 取 り 上 げ た い ) 。 こ こ で の や り と り は 、 や が て 、 た と え ば 三 三 / 三 四 年
で も 、 三 三 年 三 月 の 重 要 な 講 演 「 神 学 の 公 理 と して の 第 一 戒 」 ( 「 シ ナ イ 契 約 の 意 味 は イ
エス・キリ スト 」と い う 命題が 出 る )、一二 月 一〇日ボ ン の大学 教 会で のロー マ 書一五 ・
五 ~ 一 三 に 関 す る 説 教 ( 「 イ エ ス ・ キ リ ス ト は ユ ダヤ 人 で あ っ た 」 と いう 重 要 な 命 題 が 出
る ) 、 そ し て 冬 学 期 の 旧 約 と 新約 の 関 係 ( 「 待 望 」 と 「 想 起 」 の 関 係 。 旧 約 廃 棄 の 否 定 )
に 関 す る 講 義 な ど ( バ ー ゼ ル へ の 転 任 後 、 よ う や く 三 八 年 に 『 教 会 教 義 学 』 第 二 巻 と して
出版)につながっていきます。
H ・ J ・ シ ェ プ ス は 一 九 〇 九 年 の 生 ま れ 一 九 八 〇 年 に 亡 く な っ た 高 名 な ユ ダ ヤ 教哲 学 者
で す 。 バ ル ト と の間 に 一 七 通 の 往 復 書 簡 が 残 さ れ て いま す 。 交 流 が は じま っ た のは ヴ ァ イ
マ ル 後 期( 二九 年 頃 ) か ら で す が 、当 時 バ ル ト は 四 四 歳 、ミ ュ ン ス タ ー か ら ボ ンに 移 る 時
期で す 。 シ ェ プ ス は ま だ 若 い 学 生 で し た 。 新 し い プ ロ テ ス タ ン ト 神 学 の 旗 手 と して 若 い 世
代 に 大 き な 影 響 を 与 え つ つ あ っ た バ ル ト に 、 学 生 時 代 に 同 盟 系 の ド イ ツ 青 年 運 動 に 加わ っ
て い た シ ェ プ ス が 交 流 を 求 め 雑 誌 を 送 っ たこ と が き っ か け だ っ た よ う で す 。こ の 文 通 、 あ
る い は バ ル ト と の 交 際 な ど は 、 三 八 年 に シ ェ プ ス が ス ウ ェ ー デ ン に 移 住 し たこ と と 戦 争 に
よ り 疎 遠 に な り 、戦 後 す ぐ ま た 何 回 か のや り と りが な さ れ ま し た 。 シ ェ プ スは 、戦 後 ド イ
ツ に 戻 っ た 数 少 な い ユ ダヤ 人 の 一 人 と して 、 エ ルラ ン ゲ ン 大 学 に ポ ス ト を 得て ( こ れ に は
バルトも協力)、活躍した人です。
を参考にせよ)。
E.Busch, Unter dem Bogen des einen Bundes
取り上げるのは、三三年二月一七日付けのバルトの書簡です(資料⑥)。少し分析的に読
んでみます(
手 紙 自 身 に よ れ ば 、 こ れ を 認 め る き っ か け と な っ た の は 、 ハ ン ス ・ ブリ ュ ー エ ル と シ ェ
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プスとのあいだの論争書をバルトが読み、その上にシェプスの本まで目を通して
(Jüdischer
、シェプスの立場に共鳴したことでした。ブリューエルはキリス
Glaube in dieser Zeit, 1932)
ト 教 の 立 場 に 立 っ た 反 ユ ダヤ 主 義 的 哲 学 者で 、 第 一 次 大 戦 前 後 の ド イ ツ 青 年 運 動 、 と く に
ワ ン ダ ー フ ォ ー ゲ ル で 有 名 に な っ た 人で す 。 対 論 の 中 で ブ リ ュ ー エ ル は バ ル ト へ の 批 判 も
差 し 挟 ん で お り 、 シ ェ プ ス が こ れ に 正 当 に 反 撃 を 加 え て い る こ と 、 そ して 何 よ り 、 《 キ リ
スト教》の発言者よりも、シナゴーグの発言者において、比較にならないほど良くイエス・
キ リ ス ト の 教 会 の 事 柄 が 保 持 さ れ て い る の を 見 る こ と を 喜 び と す る と バ ル ト は 書 いて い ま
す。
け れ ど も こ のこ と は シ ェ プ スが 自分 を 曲げ て キ リ ス ト 教 に 理 解 を 示 し キ リ ス ト 教 寄 り の
こ と を 展 開 して い た と い う こ と で は あ り ま せ ん 。 そ れ と は 全 く 逆 の こ と で す 。 第 二 段 落 に
それは明らかです。
あ な た に 私が 関 心 を いだ く の は 、 あ な た の 《 シ ナ イ ‐ 契 約 》で あ り 、 あ な た の シ ュ タ
インハイム〔シェプスに影響を与えたユダヤ教神学者、一七八九‐一八六六〕であり、
あ な た の ユ ダ ヤ 教 組 織 神 学 の 企て で あ り 、 あ な た の 全 く イ ス ラ エ ル 的 な 勢 い 、 意 欲 と
知識と能力です。
シ ナ イ 契 約 と い う の は 、 旧約 聖 書 の 出 エ ジ プ ト 記 か ら 民 数 記 に か け て 出て 来 る 、 モ ー セ を
介 して ヤ ー ウ ェ が イ ス ラ エ ル に 与 え た 掟 の こ と で す 。 ユ ダ ヤ 教 の 核 心 部 分 、 ま さ に 律 法 と
呼ばれるものです。そしてその上でバルトはこう続けています
キ リ ス ト 教 会 と 神 学 は 、 あ な たが 知 っ て お ら れ る よ う に 、 自 ら を シナ ゴ ー グ の 正 統 な
相 続 者 と み な して い ま す 。 そ れ 〔 キ リ ス ト 教 会 と 神 学 〕 は 、 《 シ ナ イ ‐ 契 約 》 が 《 廃
棄 さ れ た 》 と 見て い ま す 、 N B ( 注 意 せ よ ) 、 た し か に キ リ ス ト に お いて 廃 棄 さ れ た
.さ
.に
.そ
.れ
.ゆ
.え
.に
.ま
.た
.そ
.こ
.に
.お
.い
.て
.、それ〔キリスト教会と神学〕は今
と いう こ と 。 ま
日 も シ ナ ゴ ー グ と して ( 教 会 の 信 仰 に よ れ ば 、 そ れ 自 身 に お い て 不 可 能 な 仕 方 で ) 生
き て い る も の に 、 永 久 に ― ― 一 つ の 交 わ り に お いて 、 つ ま り 二 つ の 別 々 の 《 宗 教 》 間
では不可能な交わりにおいて――結びつけられるのです。(傍点、佐藤)
明 ら か な よ う に バ ル ト が 考 え て い る 結 び つ き は 逆 説 的 な も ので す 。 律 法 が 廃 棄 さ れ た 、 キ
リ ス ト に お い て 廃 棄 さ れ た と す る 、 ま さ に そ の 点で 「 二 つ の 別 々 の 《 宗 教 》 間 で は 不 可 能
な よ う な 交 わ り 」 が 成 立 す る と 言 っ て い ま す 。 つ いで に い え ば こ の ユ ダ ヤ 教 と キ リ ス ト 教
と を ま さ に 「 二 つ の 別 々 の 宗 教」 の 関 係 と 規 定 し た のは 彼 の 主 著『 信 仰 論 』 に お け る シュ
ラ イ ア マ ハ ー の 立 場 で す 〔こ れ に よ って キ リ ス ト 教 自 身 が 種 々 の 解 釈 の 可 能 性 に さ ら さ れ
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る こ と に な り 、 ま た ユ ダ ヤ 教 も 非 キ リ ス ト 教 諸 宗 教 に 対 す る よう に 取 り 扱 わ れ 、 比 較 宗 教
の 対 象 と な り 、 結 局 の と こ ろ 死 せ る 律法 宗 教 、 発 展 段 階 の 低 い 宗 教 と いう よう な 宗 教 史 学
派 の ア プ ロ ー チ に 道 を 拓 い た 〕 。 か くて 「 キ リ スト 教 会 と 神 学 は 、 シナ ゴ ー グ か ら 自ら の
相 続 し た も の が そ の 全 く の 独 自 性 に お いて く り 返 し 自 ら に は っ き り 分 か る よ う に さ せ ら れ
る と い う こ と 、 そ の こ と 以 上 に よ いこ と を 何 か 望 む こ と が で き る で し ょ う か 。 そ の こ と を
あ な た は 大 い な る 愛 と 力 と を も っ て な し た の で す 。 そ れ に 対 して キ リ ス ト 教 神 学 者 と して
ただ 感 謝 以 外 の 何 ご と も な す こ と が で き ま せ ん 」 と いう こ と に な ら ざ る を え な い 。 し か も
重 要 な こ と は バ ル ト が そ れ を 「 信 仰 の 領 域 」 で 起こ って い る こ と と して い る こ と で す 。 そ
の 場 合 の 信 仰 と い う の は 、 「 キ リ ス ト 教 信 仰 に お いて ど ん な 場 合 で も 共 に 肯 定 さ れ て い る
信 仰 」で す 。す で に こ こ に は 、 キ リ ス ト 教 の ユ ダヤ 教 と の 必 然 的 な 連 帯 と 対 話 の 道が 明 確
に見据えられていると言ってよいと思います。
手 紙 の 後 半 で バ ル ト は 、 三 つ の 問 い を 提 示 して い ま す が 、 そ れ も と く に 後 の 二 つ の 問 い
は 、 い ま 申 し 上 げ た 、 ま さ に 逆 説 的 な 結 び つ き と いう こ と を 、 少 し 具 体 的 に 示 し たも の に
す ぎ な い と 言 え ま す 。 た と え ば 二 番 目 の 内 容 的 な 問 いで す 。 バ ル ト は そ こ で 《 シ ナ イ ‐ 契
約 》 の 分 析 に お いて 旧 約 聖 書 の 内 在 的 ( 非 ‐ キ リ ス ト 教 的 ) 理 解 に と っ て も 欠 か せ な い 概
念 ( ア ブラ ハ ム 契 約 の 更 新 、 犠 牲 、 神 の 名 ) が 後 退 し て い る 、 い や 全 く 欠 如 し て い る と 指
摘 して い ま す 。 し か し そ れ は 、 そ れ ら が 取 り 上 げ ら れ る べ き で あ っ た と い う こ と で は あ り
ま せ ん 。 そ う で は な く て 、 そ の こ と に お いて 内 在 的 な ( ユ ダ ヤ 的 な ) 旧 約 理 解 が き わ めて
印 象 深 いも の と な っ た と いう こ と で す 。 バ ル ト の 第 三 の 問 い は 、 逆 説 的 な 結 び つ き と いう
事態をいっそう際立たせています。
あ な た に と って 、 以 下 の こ と は 明 ら か な ので し ょ う か 、 啓 示 、 選 び 、 律 法 、 恵 み 、 赦
し 、 回 心 と い っ た 諸 概 念 は 、 ま さ に あ な た が そ れ ら を そこ で 提 示 して い る 解 釈 の 中 で
衝 撃 を 与 え つ つ ま さ に パ ウ ロ が 律 法 と 律 法 に よ る 義 と 呼 び 、 キ リ ス ト と ユ ダヤ 人 と の
間 の 境 界 と して 示 し た も の を 示 して いる と いう こ と で す 。 ど う して 愚 か な ブリ ュ ー エ
ル は 、 あ な た が キ リ ス ト に 過 分 に 栄 誉 を 表 し 、 自 分 の ユ ダ ヤ 教 に は 全 く 確 信 を も って
い な い な ど と 非 難 す る こ と が で き る ので し ょ う か 。 ・ ・ ・ そ う で す 、 事 情 が そ う で あ
るなら、キリストは十字架に付けられるほかなかったということです。
し か し バ ル ト に よ れ ば 、 こ の 点こ そ 、 「 組 織 神 学 的 デ ィ ス カ ッ シ ョ ン を 開 始 す る そ の ポ イ
ン ト 」 に ほ か な ら な い ので す 。 ユ ダヤ 教が キ リ ス ト 教 を 必 要 と し な い 、 そ の と こ ろ で キ リ
ス ト 教 は キ リ ス ト 教で あ る た め に 、 シ ナ ゴ ー グ を 必 要 と し て い る 、 そ こ か ら 自 ら を 分 離 し
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な い と い う こ と 。 こ れ が バ ル ト が こ こ で 示 し た 方 向 性で す 。 そ れ ゆ え 教 会 と 神 学 が シ ナ ゴ
ー グから相続 したも の が 何かが 、こ のような 形で 、ユ ダヤ 教自身の アイデンティ ティを 強
調 す る シ ェ プ ス ら の 仕 事 か ら つ き つ け ら れ る と いう こ と に 、 バ ル ト は ただ 感 謝 す る ほ か な
かったのです。
まとめ
本来も っ と 大きな 文 脈の中で 捕 らえなけれ ばならな い 問題です 、 今日はかな り細かなこ
と を 申 し 上 げ て し ま っ た よう で す 。 最 後 に 短 く そ れ に 触 れて 終わ り ま す 。 キ リ ス ト 教 の 歴
史は、少し粗雑な言い方だが、ほとんどそのはじめから宗教的な意味での反ユダヤ主義(「キ
リスト教的=教会的反ユダヤ主義」 Antijudaismus
)に捕らえられてきたといって過言ではあ
り ま せ ん 。 ド イ ツ 近 代 の プ ロ テ ス タ ン テ ィ ズ ムで は す で に 述 べ た よ う に シ ュ ラ イ ア マ ハ ー
の 認 識が 支 配 して き ま し た 。 彼 は ユ ダヤ 教と キリ スト 教 の 関 係 を キ リ ス ト 教と 他 の宗 教と
の 関 係 と 同 じ と し ま し た 。 や が て そこ か ら ユ ダヤ 教 は 硬 直 し た 律 法 宗 教 と して 否 定 的 に 見
ら れ つ づ け た ので す 。 む ろ ん こ う し た 宗 教 的 な 反 ユ ダヤ 主 義 と 一 九 世 紀 の イ デ オ ロ ギ ー 的
伝 統 に 立 っ て い る ( 例 え ば ゴ ビ ノ ー 伯 『 人 種 不 平 等 論 』 ) ナ チ 的 な 「 人 種 論 的 反 ユ ダヤ 主
義」 (Rasse-Antisemitismus)
とは厳密に区別しなければなりませんが、三三年以降、ユダヤ人
を 価 値 の 劣 っ た も の と み る と い う 点で 共 鳴 し た と い う こ と は 否 定 で き ま せ ん ( テ ー ト ) 。
ま た ヴ ァ イ マ ル 期 の 民 族 性 の 神 学 は ド イ ツ 民 族 の 良 風 美 俗 を 守 る と いう 保 守 的 意 識 を キ リ
ス ト 者 たち に 植 え 付 け 、 同 化 し た ユ ダ ヤ 人 た ち の 近 代 性 を 国 家 的 手 段 で 制 限 さ れ る こ と を
容 認 さ せ た ので す 。 ド イ ツ 的 キ リ ス ト 者 に し て も 、 教 会 的 中 道 を 取 っ た 青 年 宗 教 改 革 派 に
して も 、 ナ チ の 暴 力 的 な 反 ユ ダヤ 主 義 に 対 抗 す る に は す で に 自 ら も 同 じ よ う な と こ ろ に い
た の で す 。 そ う し た 中 で 、 ボ ン ヘ ッ フ ァ ー に お いて 、 た ん に ユ ダ ヤ 人 キ リ ス ト 者 だ け で な
く 、 社 会 の 中 で 追 い 詰 め ら れ て い る ユ ダ ヤ 人 へ の 援 助 の 決 意 が は っ き り して い た と い う こ
と(学生時代以来の友人や親戚にユダヤ系の人がいたというようなことを差し引いても)、
ま た バ ル ト に お いて 、 イ ス ラ エ ル と の 連 帯 の 神 学 が 嵐 の 只 中 で 模 索 さ れ は じ め た と い う こ
と は 、 や は り 刮 目 す べ き こ と で あ り 、 六 〇 〇 万 人 の ユ ダ ヤ 人 の 犠 牲 に 対 して 教 会 が い く つ
か の 特 記す べ き 例 外 は あ る も の の 、 そ の 有 効 な 闘 い を な し え な っ た こ と の 罪 責 と と も に 、
今 日 の そ し て 将 来 の キ リ ス ト 教 を 考 え る 上 で 考 慮 さ れ る べ き 歴 史 的 事 実で あ る こ と は た し
かです。
(〇八年一〇月二五日)
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資料
① ドイツ的キリスト者信仰運動基本方針(三二年五月)
この基本方針は、教会の新秩序への道程と目標を、すべての信仰あるドイツ人に示そ
う と す る も ので あ る 。こ の 基 本 方 針 は 信 仰 告 白で あ ろ う と し た り そ れ に 代 わ ろ う と す
る も ので は な い 、 ま た 福 音 主 義 教 会 の 信 仰 の 基 礎 を 揺 さ ぶ ろ う と す る も ので も な い 。
これらは一つの生活信条である。
われわれは《ドイツ福音主義教会連盟》に集められた二九の教会を一つの福音主義帝
国教会に統合するために闘い、以下の呼びかけと目標のもとに前進する・・・
《ドイツ的キリスト者》のリストは今までのような意味における教会政治的な党派で
あ ろ う と は し な い 。 そ れ は ド イ ツ 的 人 種 の す べて の 福 音 主 義 キ リ ス ト 者 に よ り 頼む 。
教 会 に お いて も 、 議 会 主 義 の 時 代 は 去 っ た 。 教 会 政 治 的 な 諸 党 派 は 教 会 の 民 を 代 表 す
る い かな る 宗 教的 信 任 状 をも た な い し 、 一 つ の 教 会 の 民 にな ろ う とす る 高 い 目標 に 対
立 す る 。 わ れ わ れ は 、わ れ わ れ の 民 族 のす べて の 信 仰 の 力 の 表 現 で あ る 生 け る 民 族 教
会を欲する。
われわれは積極的キリスト教の地盤に立つ。われわれはドイツ的なルター‐精神と英
雄的な敬虔に一致する肯定的な人種適合的なキリスト‐信仰を告白する。
われわれは再び起こってきたドイツ的生命感情をわれわれの教会において効果あらし
め 、 わ れわ れ の 教 会 を 生 け る 力 に あ ふ れ る も の に し た い 。 ド イ ツ の 自 由 と 将 来 を め ぐ
る 運 命 的 な 闘 い に お いて 教 会 は そ の 指 導 に お いて あ ま り に も 弱 体 で あ る こ と を 自 ら 露
呈 して し ま っ た 。 教 会 は こ れ ま で 神 に 逆 ら う マ ル ク ス 主 義 と 中 央 党 に 対 す る 決 定 的 な
闘 い を 呼 び か け ず 、む しろ こ れ ら 〔 神 に 逆 ら う 〕 諸 力 の 政 党 と 教 会 条 約 を 結 んで し ま
っ た 。 わ れ わ れ が 欲 す る の は 、 わ れ わ れ の 民 族 の 存 在 と 非 存 在 を め ぐ る 決 戦 に お いて
先 頭 に 立 って 戦 う こ と で あ る 。 教 会 は 解 放 闘 争 か ら 離 れ て い る こ と は 許 さ れ な い し 、
まして逃げることは許されない。
わ れ わ れ は 教 会 条 約 ( 政 治 条 項 ) の 修 正 を 求 め 、 宗 教と 民 族 に 敵 対 す る マ ル ク ス 主 義
と そのあらゆる色 合いをもっ たキリ スト 教的‐社会的エピゴー ネンに対す る 闘いを求
め る 。 わ れ わ れ は こ の 教 会 条 約 に は 神 と 教 会 の 使 命 に 対 す る 冒 険 的 な 信 頼 が な いこ と
に 気 が つ い た 。 神 の 国 へ の 道 は 、 闘 争 、 十 字 架 、 犠 牲 に よ る の で あ って 、 誤 っ た 平 和
によるのではない。
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われわれは人種、民族性、国民において神からわれわれに与えられ委ねられた生活の
諸 秩 序 を 見 る 、 そ し て こ れ ら 諸 秩 序 の 保 持 の た め 配 慮 す る こ と が わ れ わ れ に と って 神
の 律 法 で あ る 。 そこ か ら して 人 種 混 合 は 反 対 さ れ な け れ ば な ら な い 。 ド イ ツ の 外 国 伝
道 は 、 そ の 経 験 を 基 礎 と して 「 な ん じ の 人 種 を 純 粋 に 保 持 せ よ 」 と 呼 び か け 、 ま た キ
リスト信仰は人種を破壊せず、むしろこれを深化し聖化すると語る。
われわれは正しく理解された内国伝道に生ける行為‐キリスト教を見る。しかしわれ
わ れ の理 解に よれば 、 それは た んな る 同 情で はなく 、 神 の意 志に 対す る 服従 とキリ ス
ト の 十 字 架 の 死 に 対 す る 感 謝 に 根 差 して い る 。 た ん な る 同 情 は 《 慈 善 》 で あ り 、 そ れ
は良心の やま しさ対 の思 い上が りとな り 、 民 族を 弱体 化させる。わ れわ れは 助けを 必
要 と す る 人 び と に に 対 す る キ リ ス ト 教 的 義 務 と 愛 に つ いて 何 事 か を 知 っ て い る 。 し か
し 役 立 た な い 者 や 劣 等な 者 か ら 民 族 を 守 る こ と も 要 求 す る 。 内 国 伝 道 は わ れ わ れ の 民
族 の 退 化 〔 変 種 〕 を 助 け る よ う な こ と は 許 さ れ な い 。 内 国 伝 道 は そ の 他 の 点 に お いて
経 済的な 冒険を避け な け れ ばな らな し、小 商 人にな り 下が って し まうこ とは 許されな
い。
われわれはユダヤ人伝道にわれわれの民族性に対する重大な危険を見る。それはわれ
わ れ の 民 族 の 身 体 に 異 質 の 血 を 導 入す る 扉 と な る 。 ユ ダヤ 人 伝 道 は 外 国 伝 道 と な ら ぶ
存 在 理 由 を も たな い 。 わ れ わ れ は ド イ ツ に お け る ユ ダヤ 人 伝 道 を 、 ユ ダヤ 人が 市 民 権
を持ち、それによって人種を隠したり、交婚の危険があるかぎり拒否する。
われわれは民族性に根差す一つの福音主義教会を欲し、キリスト教的世界市民性の精
神 を 拒否 す る 。わ れ わ れ はこ の 精 神 か ら 生 じ た平 和 主 義 、 国 際 主 義 、 フリ ー メ ー ソ ン
な ど の 悪 し き 現 象 を 、 神 に よ っ て 命 じ ら れ た 民 族 的 使 命 へ の 信 仰 に お いて 克 服 す る 。
福音主義教職者たちのフリーメーソンへの加入はゆるされない。 (拙訳)
K.Kupisch(hrsg.), Quellen zur Geschichte des deutschen Protestantismus 1871 - 1945.
② 福音主義教会の新建設のための青年宗教改革運動の叫び(三三年五月九日)
神によってわれわれに与えられたドイツ国民の新しい日はわれわれ福音主義教会に、新し
い 形 成 を 呼 び か け て い る 。わ れ わ れ は 青 年 宗 教 改 革 運 動 の 構 成 員 と し て 全 権 を 与 え ら れ た
教 会 指 導 者 たち 、 D ・ カ プ ラ ー 、 D ・ マ ラ ー レ ン ス 、 D ・ ヘ ッ セ の 、 な ら び に 帝 国 宰 相 の
信任の厚いミュラー牧師の後ろ盾である。
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来るべき決断にさいしては唯一ただ教会の本質に基づいてだけ行動されることを、わ
れわれは要求する。
ド イツ 国 民 の 福 音 主 義 教 会 の 新 建 設 は 可 能 な 限 りす み や か に 遂 行 さ れ るこ と を わ れ わ
れ は 要 求 す る 。 教 会 の 指 導 と 組 織 構 成 は も っ ぱ ら 新 し い 〔 教 会 〕 憲 法 に し た が って 形
成 さ れ な け れ ばな ら な い 。 予 備 選 挙 は 、 時 代 遅 れ の 民 主 主 義 的 な 誤 りと し て こ れ をわ
れわれは拒否する。
帝国監督の指名は、ただちに、しかも現在の指導部によって行われなければならない。
われわれは全権をもって行動する霊的な教会指導を欲する。このことは教会〔員〕の
協 力 を 排 除 す る も の で は な い 、 む しろ そ れ を 内 包 す る 。 礼 拝 へ の 、 ま た 教 会 の 仕 事 へ
の生ける参与は、教会的組織構成のために選ばれた人びとの視点を提供する。
宣 教 へ の 召 命 を 受 け た 人 び と が い っ そう よ い 教 育 を 受 け ら れ る よ う に わ れ わ れ は 欲す
る。宣教の恣意は、確固とした教えの権威によって廃棄されなければならない。
役職、組織構成の高齢化が若い力が、とくに前線世代の人がもっと強力に入って行く
ことができるようにすることで克服されることをわれわれは願う。
われわれは聖霊への信仰を告白する、それゆえ根本的に非アーリア人を教会から排除
す る こ と を 拒 否 す る 。 と い う の も そ う し た 排 除 は 国 家 と 教 会 の 取 り 違 え に 基 づ いて い
るからである。国家は裁かなければならず、教会は救わなければならない。
教 会は 今 日 の 人 間 に 対 し 現 行 の 個 々 の 信 仰 告 白 に 基 づ き 福 音 の 答 え を 、 人 種 、 民 族 、
国 家 に し た が って 与 え な け れ ば な ら な い 。 ド イ ツ 国 民 の 福 音 主 義 教 会 が 目 的 同 盟 〔 的
団 体 〕 以 上 の も の で あ ろ う と す る と き 必 要 と す る 新 し い 信 仰 告 白 は 、 そこ か ら 生 ま れ
て来るであろう。
われわれは教会に新に押し入ろうとして追求される自由主義的神学の試みと戦う。
われわれは国家に、民族の内的建設のための教会の課題に一致する影響が、新聞やラ
ジオを通して教会に与えられるように要求する。
われわれは、福音主義教会が、新しいドイツ国家に対する喜ばしい然りにおいて、神
か ら 教 会 に 与 え ら れ た 使 命 を 、 一 切 の 政 治 的 影 響 か ら の 自 由 に お いて 果 た し 、 同 時 に 、
分かちがたい奉仕においてドイツ民族に結びつけられることを要求する。
教会の体制の改革はわれわれにとって重要であればあるほど、しかしわれわれは、神
の 前 に お け る 民 族 の 生 活 は そ の 中 心 点 を 祈 り の 中 に 、 教 会 の 仕 事 の 中 に も つ と いう こ
とを告白する。
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わ れ わ れ は み な 、 同 じ 思 いと 同 じ 信 仰 を も ち つ つ 、わ れ わ れ と 共 に 集わ れ る よう に と 呼
びかける・・・
デ ル ネ 、 ヤ コ ー ビ 、 キ ュ ン ネ ー ト 、 リ ル エ 、 カ ー ル ・ リ ッ タ ー 、 シ ュ テ ー リ ン 、ラ イ ト
(拙訳)
ミ ュラ ー 、 ゲオ ル ク ・ シ ュ ル ツ 、 シ ュラ イナ ー 、 ハ イ ム 、 ゲ ル ナ ン ト 、 ヴ ェ ン トラ ン ト 、
ダネンバウム、アンナ・パルゼン。
K.Kupisch(hrsg.), Quellen zur Geschichte des deutschen Protestantismus 1871 - 1945.
③ 牧師師緊急同盟誓約(ニーメラー作成、三三年一〇月)
私 は み 言 葉 の 役 者 と し て 、 聖 書と 聖 書 の 真 実 な 解 明 と し て の 宗 教 改 革 の 信 仰 告 白 だ け
に拘束されて自分の職務を遂行することを誓約する。
私は、どのような犠牲を払っても、この信仰告白の立場に加えられるあらゆる侵害に
抗議する。
私は、この信仰告白の立場を守ろうとして迫害される人びとのために、可能なかぎり
責任を負うことを誓約する。
(雨宮栄一訳)
私はこの誓約を行うことによって、アーリア条項のキリスト教会内への適用は、信仰
告白の侵害であることを証する。
④ ボンヘッファー「若い世代における指導者と個人」(三三年二月一日)より
「 ・ ・ ・ 人 間 、 と り わ け 青 年 は 、 彼 が 自 分 を 、 十 分 に 成 熟 し 、 強 力 で あ り 、 責 任 を 負う こ
と が で き る と は 感 じ な い 時 に 、 一 人 の 指 導 者 に 自 分 を 支 配す る 権 威 を 与 え 、 そ の 権 威 に よ
って 、 場 違 い の 要 求 を 実 現 し よ う と す る 願 い を 持 つ で あ ろ う 。 指 導 者 は 、 自 分 の 権 威 に は
こ の よう な 明 確な 限界 付け が あ る と いうこ と を 、 責 任 を も つて 自覚 しな け れ は な らな いで
あ ろ う 。 も し 彼 が 自 分 の 機 能 を 、 そ の 事 柄 に お いて そ の よ う に 基 礎 づ け ら れ て い る の と は
違 っ た 風 に 理 解す る な ら ば 、 そ し て ま た 彼 が 、 被 指 導 者 に 対 して 、 常 に く り 返 して 、 彼 に
与 え ら れて い る 課 題 の 限 界 と 、 そ の 特 別 な 責 任 と に つ い て 明 確 に 示 さ な い と し た ら 、 も し
のイメージは誤導者
(Führer)
のイメー
(Verführer)
彼 が 、 い つ も 被 指 導 者 が そ れ を 期 待す る よ う に 、 彼 を 彼 ら の 偶 像 に 仕 立て 上 げ よう と す る
願いに屈してしまったら――その時、指導者
ジ に す り 変 わ る 。 彼 は 、 被 指 導 者 に 対 して だ け で な く 、 自 分 自 身 に 対 して も 、 罪 を 犯 す よ
う な 行 動 を す る こ と に な る ので あ る 。 真 の 指 導 者 は 、 ど ん な 時 に も 、 幻 想 を 打 ち 破 る こ と
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がで きなけ ればならな い。そのこ とがまさに 、真の指導 者の責任と その真の目標に属す る
こ と で あ る 。 彼 は 、 被 指 導 者 を 、 指 導 者 の 人 間 的 な 権 威 か ら 連 れ 去 って 、 秩 序 と 職 務 と の
真正の権威を承認するように導くのである。指導者は被指導者が、生の秩序・父親・教師・
裁 判 官 ・ 国 家 に 対 す る 責 任 を 負う よう に 導 か な け れ ば な ら な い 。 彼 は 、 自分 自 身 が 魅 力 と
な り 、 偶 像 と な る こ と 、 す な わ ち 、 被 指 導 者 に と って の 究 極 の 権 威 と な る こ と を 、 根 本 的
に 拒否しな け ればな ら な い。全く 非 陶酔的に 彼は 自ら の 課 題の中 に とどまらな け ればな ら
ない」。
「 ・ ・ ・ 現 代 の恐 る べ き 危 険は 、 わ れわ れが 、 指 導 者 あ る いは 職 務 の 権 威 を 求 め る 叫 び 声
に つ ら れて 、 人 間 は 究 極 の 権 威 の 前 に お け る 一 人 の 個 人 で あ る こ と を 忘 れて し ま う こ と で
あ り 、 こ こ で 人 間 を 乱 暴 に 扱 う 人 は 皆 、 永 遠 の 律 法 を 傷 つ け 、 つ い に は 彼 を 押 し つ ぶ して
し ま う よ う な 超 人 間 的 な 責 任 を 自 分 に 課 す る こ と に な る の で あ る 。 『 神 の 前で 人 間 は 一 人
の 個 人 に な る 』 と いう 永 遠 の 律法 は 、 そ れ が 侵 害 さ れ 、 曲げ ら れ る と こ ろ で は 、 恐 る べ き
復 讐 と な っ て 現わ れ る 。 そこ で 指 導 者 は 、 職 務 を 指 し 、 し か し 指 導 者 と 職 務 と は 、 そ の 前
で は 帝 国 も 国 家 も 究 極 以 前 の 権 威 で あ る と こ ろ の 、 究 極 の 権 威 そ れ 自 身 を 指す の で あ る 。
自分 自身を 偶 像化す る 指導者と 職 務とは 、神 と 、神 の 前で 一人とな る個人とを あ ざけ り、
自ら を ほ ろ ぼさな け れ ばな ら な い 。 究 極 以 前 の 権 威と 究 極 の 権 威 に 対す る 奉 仕 の 場 所 に 自
分をおく指導者のみが、真実を見いだすことができるのである」。
(森野善右衛門訳)
⑤ ボンヘツファー「ユダヤ人問題に対する教会」(三三年四月下旬)
「 ・ ・ ・ 教 会 は 、こ の 国 家 に よ っ て な さ れ た 措 置 を 、 ど う 評 価 す る の か 、 そ し て そ のこ と
の 結 果 と し て 、 教 会 は 何 を な す べ きで あ ろ う か 。こ れ が 一 つ の 問 題 で あ る 。 も う 一 つ の 問
題 は 、 教 会 の 中 に い る 、 洗 礼 を 受 け た ユ ダヤ 人 に 対 して 、 教 会 は ど う いう 態 度 を と る べ き
で あ ろ う か 、 と いう こ と で あ る 。 こ の 二 つ の 問 題 は 、 正 し い 教 会 概 念 か ら の み 答 え が 与 え
られうるのである」。
「 ・ ・ ・ 国 家 の 行 為 が 、 合 法 的 な 国 家 の 行 動 と して 正 当 で あ る か ど う か 、 す な わ ち 、 そこ
で 法 と 秩 序 と が ― ― 法 喪 失 と 無 秩 序で は な く て ― ― 確 立 さ れ る 行 為 を 責 任 を も って な して
いるかどうかを、常にくり返し国家に問うことができるし、また問うべきである」。
「 ・ ・ ・ 第 一 に 、 国 家 に 対 して 、 そ の 行 動 が 合 法 的 に 国 家 に ふ さ わ し い 性 格 を 持 って い る
か ど う か と い う 問 い 、 す な わ ち 、 国 家 に そ の 国 家 と して の 責 任 を 目 覚 め さ せ る 問 い を 向 け
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る 。 第 二 に 、 教 会 は 、 国 家 の 行 動 の 犠 牲 者 へ の 奉 仕 を な す 。 教 会 は 、 共 同 体 秩 序 のす べて
の 犠 牲 者 に 対 して 、 た と い そ の 共 同 体 が キ リ ス ト 教 会 の 言 葉 に 耳 を 傾 け な い と して も 、 無
制限の義務を負っている。『すべての人に対して善きことをなせ』(ローマ一二・一七)。
こ の 第 一 と 第 二 の 行 動 に お いて 、 休 会 は 、 自 由 な 仕 方 で 、 自 由 な 国 家 に 仕 え る の で あ り 、
法 秩 序 の 転 換 の 時 代 に お いて も 、 教 会 は こ の 二 値 の 課 題 を 遂 行 す る こ と を 会 費 す る こ と は
許 さ れ な い ので あ る 。 第 三 の 可 能 性 は 、 車 の 犠 牲 に な っ た 人 び と を 介 抱 す る だ け で な く 、
そ の 車 そ の も の を 阻 止 す るこ と に あ る 。 そ の よ う な 行動 は 、 直 接 的 な 教 会 の 政 治 的 行 動 で
あ ろ う し 、 そ の よ う な 行 動 は 、 教 会 が 、 法 と 秩 序 を 建 て る 機 能 を も は や 国 家 が 果 た して い
な い と 見 る 時 に 、 す な わ ち 、 秩 序 と 法 の 過 少 あ る い は 過 剰 の 事 態 が 出 現 して い る と 見 る 時
に の みで き る こ と で あ り 、 ま た 求 め ら れ る こ と で あ る 。 こ の 領 邦 の 場 合 に 教 会 は 、 国 家 の
存在が、したがってまたその固有の実存が、おびやかされているのを見る。過少の状態は、
国 民 の あ る 種 の グ ル ー プ が 権 利 喪 失 の 状 態 に あ る 時 に 存 在 し 、 過 剰 の 状 態 は 、 国 家が 教 会
と そ の 宣 教 の 本 質 を 侵 害 し た 場 合 、す な わ ち 、わ れ わ れ の 教 会 の 交 わ り か ら 洗 礼 を 受 け い
に直
(status confessionis)
る ユ ダヤ 人 を 強制 的 に 閉 め 出 し 、 ユ ダヤ 人に 対す る 伝 道 が 禁 止 さ れ る と いう よ う な こ と が
起こるところに存在する。ここでキリスト教会は、信仰告白の事態
面 し 、 こ こ で 国 家は 、 自 分 を 否 認 す る 行 為 に 直 面 す る 。 権 力 に よ っ て 教 会 を 強 制 的 に 自 分
に 服 従 せ し め よ う と す る 国 家 は 、 そ の 最 も 忠 実な 奉 仕 者 を 失 う ので あ る 。 し か し こ の 、 場
合 に よ って は 既 存 の 国 家 と の 闘 争 の 事 態 を 生 ぜ し め る 教 会 の 第 三 の 行 動 は 、 た だ 国 家 の 究
極 的 な 承 認 の 逆 説 的 に 表 現 に す ぎ な い ので あ り 、 ま さ に 教 会 自 身 は こ こ で 、 国 家 を 、 自 分
自身に対して国家として守り、保持する責任が与えられていることを知っているのである。
ユ ダ ヤ 人 問 題 に お いて 、 教 会 に は 、 今 日 、 最 初 の 第 一 と 第 二 の 可 能 性 が 、 目 下 の 義 務 づ け
コ ン ツ ィ ー ル
られた要請となる。これに対して、第三の、教会の直接的な政治行動の必然性は、そ
(森野訳)
の時々に《福音主義的な 教会会議》によって決断されるべきであり、したがってあらかじ
め決議論的に構成されえないことである」。
⑥ バルトのハンス・ヨアヒム・シェプス宛書簡 三三年二月一七日付け
敬愛するシェプスさん!
プ ロ レ ゴメ ナ
昨晩、ブリューエルとあなたの論争のことを知り、大変こころ動かされ――本当はとう
の昔にそうしていなければならなかったのですが――あなたの『 序 説 』も今日全部読んだ
と こ ろ で す 。 そ う し た こ と が 起こ って 私 が 結 局 し た い と 願 って い る の は 挨 拶 と 感 謝 を 表 す
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こ と で す 。 じ っ さ い 前 か ら 私 は そ う す べ き だ っ た ので す が 。 基 本 的 に 私 の 言 い う る こ と は
た だ 、 お 気 の 毒 に と い う こ と だ け で す 。 読 ん で いて 私 は イ エ ス の 言 葉 を く り か え し 思 わ な
いわけにはいきませんでした。「聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。
おそらく彼らはそれを足で踏みつけ、向きなおってあなたがたにかみついてくるであろう」。
最 初 の こ と を あ な た は や って 、 二 番 目 の こ と が あ な た に 襲 い か か っ た ので す 。 ブリ ュ ー エ
ル は 、 あ な た が 彼 と 語 り た い と 思 っ て い る 問 題 を め ぐ っ て の 対 話 相 手で は あ り ま せ ん 。 私
は す べ て の 文 章 か ら 、 彼 に つ いて 、 次 の よ う な 印 象 を も ち ま し た 、 あ き れ る ほ ど た く さ ん
の 霊 を 消 費 して 宗 教 的 な も の を 宗 教 的 で な い 仕 方 で 裁 く こ と が 彼 に と って 楽 し み に な って
いるのだと 。 そして そ う し たこ と を 欲し、ま たそれがで き る 人はだ れも 、( 私があな たに
つ いて そ う い う 印 象 を も っ た よ う に ) 神 の も の を 神 に 正 直 に 返 し た い と 考 え て い る よ う な
人 に 対 し て 、 容 易 に 、 ま た そ れ 相 応 に 、 対 話 テ ク ニ ッ ク の 点で 優 位 な 状 況 に あ る の で す 。
も し 私 が あ な た の 立 場 な ら 、 本 来 こ ん な 遊 び に 関 わ るこ と は な か っ た こ と で し ょう に 。 し
か し 今 や 起 こ っ たこ と は こ う で す 。 《 ハ ン ザ 同 盟 出 版 社 》 が そ の 悪 名 高 い 《 信 仰 》 を も っ
て 広 範な 大 騒 ぎ を と も な う ヴ ァ ル プ ル ギ ス の 夜 を 大 き な も の に し た と いう こ と で す し 、 私
に 残 って い る の は た だ 、 あ な た に 申 し 上 げ る こ と で す 、 つ ま り 自 明 な こ と を 、 こ の 対 立 の
中 で 私 は 、 《 キ リ ス ト 教 》 の 発 言 者 よ り も 、 シ ナ ゴ ー グ の 発 言 者 に お いて 、 比 較 に な ら な
い ほ ど 良 く イエ ス ・ キ リ スト の 教 会 の 事 柄 が 保 持 さ れ て いる の を 見 る と い う 自 明 な こ と を
申 し 上 げ る こ と で あ り 、こ の 同 時 代 人が つ い で に 私 に も 栄 誉 を 帰 し た の の し り の 言 葉 に 対
して あ な た が そ れ に 応 じ た プ ロ テ ス ト を 行 な っ た と い う こ と 、 そ れ に 対 して 手 を 握 る こ と
であり、しかしまたそのために感謝することだけです。
彼 が 考 え 欲 して い る こ と は 、 そ も そ も 世 俗 的 か つ 一 時 的 な 事 柄 に す ぎ ま せ ん 。 あ な
し か し ブ リ ュ ー エ ル は 根 本 的 に 私 の 興 味 を 引 く も ので は あ り ま せ ん 。 栄 え あ れ 、 栄 え あ
れ!
た に 私 が 関 心 を いだ く の は 、 あ な た の 《 シ ナ イ ‐ 契 約 》 で あ り 、 あ な た の シ ュ タ イ ン ハ イ
ム 〔 シ ェ プ ス に 影 響 を 与 え た ユ ダ ヤ 教 神 学 者 、 一 七 八 九 ‐ 一 八 六 六 〕で あ り 、 あ な た の ユ
ダヤ教組織神学の企てであり、あなたの全くイスラエル的な勢い、意欲と知識と能力です。
アウフゲホーベン
キリスト教会と神学は、あなたが知っておられるように、自らをシナゴーグの正統な相続
者とみなしています。それ〔キリスト教会と神学〕は、《シナイ‐契約》が《 廃 棄 され
た》と見ています、NB(注意せよ)、たしかにキリストにおいて廃棄されたということ。
ま さ に そ れ ゆ え に 、 ま た そ こ に お いて 、 キ リ ス ト 教 会 と 神 学 は 、 今 日 も シ ナ ゴ ー グ と し て
( 教 会 の 信 仰 に よ れ ば 、 そ れ 自 身 に お いて 不 可 能 な 仕 方 で ) 生 き て い る も の に 、 永 久 に ―
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― 一 つ の 交 わ り に お い て 、 つ ま り 二 つ の 別 々 の 《 宗 教 》 間 で は 不 可 能 な 交 わ り に お いて ―
― 結 び つ け ら れ る ので す 。 そ して キ リ ス ト 教 会 と 神 学 は 、 シ ナ ゴ ー グ か ら 自 ら の 相 続 し た
も の が そ の 全 く の 独 自 性 に お いて く り 返 し 自 ら に は っ き り 分 か る よ う に さ せ ら れ る と い う
こ と 、 そ の こ と 以 上 に よ いこ と を 何 か 望 む こ と が で き る で し ょ う か 。 そ の こ と を あ な た は
大 い な る 愛 と 力 と を も って な し た ので す 。 そ れ に 対 して キ リ ス ト 教 神 学 者 と し て た だ 感 謝
以外の何ごともなすことができません、たとえあなたの再発見の意味が抽象的に(つまり、
シ ナ ゴ ー グ が 教 会 に お いて 止 揚 さ れ て い る と い う こ と を 度 外 視 し た 場 合 ) ど ん な に 重 要 だ
と して も 。 あ な た の 問 題 は 信 仰 の 領 域 で 起こ って い る こ と で す ( こ の 場 合 の 信 仰 と い う の
は 、キリ ス ト 教的 信 仰で は あ りま せ んが 、し かしキリ ス ト 教的 信 仰 の中に 取 り 上げられれ
ば 、 キ リ ス ト 教 信 仰 に お いて ど ん な 場 合 で も 共 に 肯 定 さ れ て い る 信 仰 、 そ の 信 仰 の 領 域 で
起こ って い る こ と で す ) 。 そ れ ゆ え 私 は 、 あ な た の 問 題 に こ こ ろ か ら 参 与 し 、 あ な た の 行
為 に つ いて い く ( そ れ が 私 の こ こ ろ か ら の 願 い ) こ と 以 外 の 何 も す る こ と が で き な い の で
す 。 ま さ に そ れ ゆ え に 私 の 望 ん だ こ と は 、 あ な た は こ の あ な た の 問 題 を 最 初 に ブリ ュ ー エ
ルのように人との対話の対象としなければよかったのにということであったのです。
も し 私 た ち が も う い っ ぺ ん お 会 い し ゆ っ く り 話 しす る 機 会 が あ れ ば 、 あ な た の も の を 読
ん で いて こ こ ろ 動 か さ れ た 三 つ の 問 題 な い し 問 題 群 を あ な た に 提 示 す る こ と を お 許 し い た
だ き た いと 思 い ま す 。 私が 気 に か か る の は ま ず 第 一 に 形 式 的 な 問 題 で す 。す な わ ち 、 あ な
たが も しプ ロ テス タ ン ト の神 学 者 な ら 、 私は ― ―む ろ ん 控 エメ ニ― ― ブルト マ ン の一 人の
学 生 と して 語 り か け る こ と で し ょ う 。 聞 き 逃 し 得 な い ほ ど 強 調 し し つ 、 あ な た は ( マ ー ル
ブ ル ク で 、 ブ レ ス ラ ウ で も 、 チ ュ ー リ ヒ で も 、 あ な た に よ って 選 ば れ た 術 語 の 中 で は と り
分 け マ ー ル ブ ル クで 流 布 して い る ) 人 間 学 的 な 《 実 存 論 化 》 の 教 説 、 す な わ ち 、 啓 示 そ の
ものの神学的認識の決定的源泉としての、《今日》啓示を問う人間の教説を用いています。
こ う し た 教 説 を 私 は 拒 否 し ま す 。 な ぜ な ら 私 は こ う 考 え る か らで す 。 人 は ど ん な も ので あ
れ こ う し た 《 前 理 解 》 ― ― 非 ‐ 理 想 主 義 的 な そ れ 、 そ の よ う な 前 理 解 に 立 って 、 圧 倒 的 に
否定的な 前符号ととも に、トマス的な 問題の 見取り図の 更 新によってなるほど深 められた
人 間 認 識 に 至 る と して も 、 啓 示 に は 突 き 進 む こ と は な い 、 と い う の も 啓 示 は た だ す べて の
組 織 的 な 前 理 解 を 斥 け る 釈 義 の 道 の 上で 認 識 可 能と な る の だ か ら 、 そ の よう に 考 え る か ら
で す 。 そ し て い ま 私 を 捕 ら えて い る 問 いは こ う で す 。す な わ ち 、こ う し た 教 説 へ の あ な た
の 関 与 は あ な た の 神 学 を 思 い が け な く も 傷 つ け る こ と に な って い る の で は な い か ( そ れ を
福 音 主 義 的 に 片 付 け る こ と に つ い て あ な た は 聞 く 耳 を も って い る ) 、 そ れ と も 、 そ の 教 説
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は ユ ダヤ 神 学 と して の あ な た の 神 学 に と って 固 有 の も の な の か ど う か ( な ぜ な ら そ れ は ま
さに認識論であって、あなたが先に提示した、堕罪、原罪、堕落後の神との似像性と義認、
し か し お そ ら く と り 分 け 三 位 一 体 の ユ ダヤ 的 抹 殺 と い っ た も の の ユ ダヤ 的 教 説 に 一 致 し た
も の だ か ら ) と いう も ので あ る 。 私 は 後 者 だ と 推 測 し ま す 。 し か し 私 は 、 あ な た 自 身 か ら
見 て そ れ に つ いて 何 が 言 わ れ る べ き か 、 知 り た い の で す 。 ― ― 私 の も う 一 つ の 問 い は 内 容
的 な も ので す 。 あ な た の 本 の 第 四 章で 提 示 さ れ て い る 《 シ ナ イ ‐ 契 約 》 の 分 析 を 検 討 し て
驚 く の は 、 三 つ ( と 私 に は 思わ れ る ) の 、 旧 約 聖 書 の 内 在的 ( 非 ‐ キリ スト 教 的 ) 理 解に
律 法 の 概 念 の 背 後 で ほ と ん ど 消 え か か っ て い る 契 約 の 概 念 、 な い し ア ブラ ハ
と って も 欠 か せ な い 概 念 が 後 退 し て い る 、 い や 全 く 欠 如 して い る こ と で す 。 そ の 三 つ の 概
念とは 、1
ム 契 約 の 更 新 の 概 念 ( こ の ア ブラ ハ ム 契 約 の 概 念 に つ い て は 、 そ れ を 私 な ら 、 《 シ ナ イ ‐
第 二 に 、 犠 牲 の 概 念 の 欠 如で す 。 犠 牲 の 設 定 と 秩 序 と は 少な く と も 同 様
契 約 》 の 分 析 に さ い し て は 、 逆 に 律 法 の 概 念 の 前 に 、 そ して そ の 上 に 位 置 づ け る こ と で し
ょう )で す 。 2
に 本 質 的 に ト ー ラ ー に 属 し ま す 。 た し か に 犠 牲 は 《 決 断 》 を 求 め る 《 律法 》 と は 何 の 関 係
不 思 議 な 仕 方で エ ル サ レ ム に 住 ま い 、 一 般 に あ ら ゆ る 種 類 の 機 能( あ な た の 《 仲 保 者
もないのだけれども。あなたの場合、アロンは、幕屋は、神殿はどこにあるのでしょうか。
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概 念 の 拒 否 》 は 、 こ れ ら の 諸 機 能 を 、 少 な く と も い さ さ か 複 雑 に し か ね な い も ので す ) を
も って い る 神 の 名 の 概 念 の 欠 如 。 も し 私 が こ こ で 当 然 旧 約 聖 書 の 《 キ リ ス ト 教 的 》 解 釈 に
と って 決 定 的 な 諸 概 念 を 問 う と き 、 あ な た が そ れ ら の 諸 概 念 を こ の 解 釈 に お い て 、 と い う
こ と で は な い と して も 、 本 来 そ れ ら を あ な た の 叙 述 の 中 に 取 り 上 げ る 、 あ る い は も っ と 強
く 配 慮 す べ き だ っ た と い う こ と を 言 い た い の で な いこ と は 言 う ま で も な いこ と で す 。 い ず
れ に せ よ 、 内 在 的 な ( ユ ダ ヤ 的 な ) 旧 約 理 解 が わ れ わ れ に と って 全 く 印 象 深 い も の と な る
と き に ( そ う いう こ と を 言 い た い ので は あ り ま せ ん ) 。 ― ― 私 の 第 三 の 問 い は 、 私 が あ な
たと組織神学的なディスカッションを開始するそのポイントを示すことになります。私は、
あ な た が 七 四 頁 か ら と 七 九 頁 か ら で 提 示 して い る こ と を 、 あ な た の 、 な い し ユ ダ ヤ 的 立 場
の 核 心 と し て 理 解 し ま す が 、 そ れ は お そ ら く 正 当 な こ と で し ょ う 。 あ な た に と って 、 以 下
のことは明らかなのでしょうか、啓示、選び、律法、恵み、赦し、回心といった諸概念は、
ま さ に あ な た が そ れ ら を そこ で 提 示 して い る 解 釈 の 中 で 、 衝 撃 を 与 え つ つ 、 ま さ に パ ウ ロ
が 律 法 と 律 法 に よ る 義 と 呼 び 、 キ リ ス ト と ユ ダヤ 人 と の 間 の 境 界 と して 示 し た も の を 示 し
て い る と い う こ と は 明 ら か な ので し ょ う か 。 ど う して 、 愚 か な ブ リ ュ ー エ ル は 、 あ な た が
キ リ ス ト に 過 分 に 栄 誉 を あ ら わ し 、 自 分 の ユ ダヤ 教 に は 全 く 確 信 を も って いな いな ど と 非
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難す るこ と が で き る の で し ょう か 。 私が あ な た の 本 当 に 感 銘深 い 、 ま さ に あ な た の ハ イ デ
ガ ー 的 な 用 語 に よ って う す き み わ る い 仕 方 で 具 体 的 に な って い る 律 法 賛 美 を 、 失 礼 な が ら
《 イ ス ラ エ ル を 巡 る 争 い 》 の 中 の 非 常 に 良 く な い 五 四 頁 以 下 を 背 景 に して 読 ん だ 後 で 、 ロ
ー マ 書 九 ~ 一 一 を 今 日 ほ ど よ く 理 解 し たこ と は こ れ ま で 一 度 も な か っ た と 思 い ま す 。 そ う
で す 、 事 情 が そう で あ る な ら 、 キ リ ス ト は 十 字 架 に 付 け ら れ る ほ か な か っ たと いう こ と で
す 。 私 が あ な た に 次 の よ う に 言 っ た と して も 、 た し か に 奇 妙 な 響 き が し ま す が 、 あ な た は
私 を 正 し く 理 解 して く れ る こ と と 思 い ま す 。 す な わ ち 、 私 は ま さ に 、 あ な た が そ れ を そ の
よ う に 明 確 に 仕 上 げ た と いう こ と 、 そ の こ と で あ な た を 高く 評 価 す る し 、 そ の こ と を メ ン
デ ル ス ゾ ー ン の 規 律 の ユ ダ ヤ 教 か ら の 本 当 の 転 換 の し る し と 見 る と 言 って も 、 で す 。 ユ ダ
ヤ 教 の 組 織 神 学 は 《 こ の 時 代 に お いて 》 も 、 い や ま さ に こ の 時 代 に お いて 、 言 う ま で も な
く 、 イ エ ス は 十 字 架 に 付 け ら れ な け れ ば な か っ た と いう 証 明 に お い て 頂 点 に 達 す る に 違 い
あ り ま せ ん 。 ただ 私 は 、 ま さ に 、 あ な たが あ な た の あ の 部 分 で の 詳 論 の 反 ‐ キ リ ス ト 教 的
射 程 を 全 く 意 識 して お ら れ な い 、 あ る い は そ れ ほ ど 鋭 く ( 本 来 あ な た が 意 識 し て お く べ き
だ っ た ほ ど に ) 意 識 し て お ら れ な い と い う 印 象 を も って い る と い う こ と は あ り ま す 。 そ れ
と も 私 は 思 い 違 い を し て い る ので し ょ う か 。 そ う で な い と し た ら 、 私 は あ な た に 前 も っ て
き っ と こ う 言 う こ と が で き る と 信 じて い ま す 、 あ な た は あ な た が 事 柄 を 実 際 的 に 取 り 扱 っ
た そ の エ ネ ル ギ ー に も か か わ ら ず 、 き っ と 反 ‐ キ リ ス ト 教 的 な 非 寛 容 の 方 向 に お いて も 自
ら を 展 開 し て い く 、 そ して そ の 時 そ の 非 寛 容 は 私 の 見 方 で は あ な た に 非 常 に 合 っ た も の で
す。
も う 一 つ 副 次 的 な ポ イ ン ト 。 あ な たが ホ ー エ ン フ リ ー ト ベ ル ガ ー 行 進 と そ れ に 関 連 す る
こ と に 言 及 す る と こ ろ で 、あ な た は 私 に と っ て そ れ ほ ど 正当 に 信 頼 に 足 る も の で は あ り ま
せ ん 。 そ の 理 由 は 、 ユ ダ ヤ 人 は よ い プ ロ イ セ ン 人で は な い と い う ブ リ ュ ー エ ル の 愚 に も つ
か な い 考 え に 私 が 同 意 して い る か ら と い う の で は 決 して あ り ま せ ん 。 そ う で は な く 私 は 次
の よ う に 信 じて い る か ら で す 。 す な わ ち 、 あ な た が あ の 箇 所 が 証 し し て い る よ う な パ ト ス
を長いことふりまくには、あなたはあまりに神学者でありすぎると。
不 思 議 な こ と で す が 、 近 頃 、 私 も 、 ま だ あ な た の も の を 読 む 前だ っ た ので す が 、 い ま ま
で 知ら な か っ た シ ュ タ イ ン ハ イ ム に 出 会 っ た こ とで す 。 それ は 、 『 日 記と 手 紙 に よ る ア ウ
ク ス ト ・ ト ヴ ェ ス タ ン 』 ( ゲ オ ル ク ・ ハ イ ン リ ヒ 、 一 八 八 九 年 ) と いう 本 で す 。こ の ト ヴ
ェ ス タ ン と い う 人 は 、 ベ ル リ ン の シ ュ ラ イ ア マ ハ ー の 後 継 者で 、 シ ュ タ イ ン ハ イ ム と 昵 懇
の な か で し た 。 彼 の 手 紙 や 彼 に つ いて の 色 ん な 情 報 ほ そ の 本 か ら あ な た も 得 る こ と が で き
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ます。
こ こ ま で に して お き ま し ょ う 。 私 たち は は じ め か ら 公 開 の 往 復 書 簡 な ど を 目 指 そ う と し
て い る わ け で は あ り ま せ ん 。 そ う で は な いで し ょ う か 。 私 は と う て い ブ リ ュ ー エ ル さ ん の
カ ー ル ・ バ ルト
よう に は い き ま せ ん 。 で も あ な た か ら 聞 く こ と は い つ も 私 の 喜 びで す 。 ま た い つ か 個 人 的
にゆっくりお会いできるなら、それはきっと素晴らしいことです。
あな たの
(拙訳)
G.Lease, Der Briefwechsel zwischen Karl Barth und Hans-Joachim Schoeps(1929-1946), in :
Menora. Jahrbuch für deutsch-jüdische Geschichte 1991.
⑧ バルトのマルクヴァァルト宛書簡(一九六七年)
「 私 は 現 実 の ユ ダヤ 人 ( ユ ダヤ 人 キ リ ス ト 者 の 場 合 も ! ) と 個 人 的 に 会 う と き 、 私 の 考
フ
ィ
ロ
ゼ
ミ
ー
ト
えうるかぎりですが、いつも全く非合理なある反感のようなものをグッと我慢しなければ
なりませんでした、そのかぎり私は《 親ユダヤ主義者》でははっきりないのです――もち
私 の 言 いう る の は た だ こ う し た 私 の い
ろ ん 私 の あ ら ゆ る 前 提 か ら して た だ ち に 我 慢 し 、 発 言 に さ い して は 完 全 に 隠 さ な け れ ば な
ら な か っ た ので す 。 あ あ 何 と いう こ と で し ょ う !
わ ば ア レ ル ギ ー 反 応 の こ と だ け で す 。 し か し じ っ さ い そ う で あ っ た し 、 そ れ は 事 実な ので
す 。 幸 運 な こ と に 、こ う し た 忌 ま わ し い 本 能 は 私 の 息 子 たち に は 、 ま た 私 よ り も す ぐ れ た
(拙訳)
他 の 人 び と に は ・ ・ ・ 全 く 無 関 係 だ と いう こ と で す 。 し か し ま さ に こ う し た 本 能も 私 の イ
スラエル論を遅らせる要因として作用したかも知れません」。
Karl Barth, Briefe 1961-1968, GA, V, S.420-421.
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