日仏経済学会 - 名古屋市立大学経済学研究科

B U L L E T IN
第18 号
第五回日仏経済学 会 議 報 告
<経済的地域主義: ョ一ロッパとアジア〉
1
1996
日仏経済学会
−
‐
一
一
=
‐
‐
一
一
二
一
一
一
一
=
=
・
‐
一
・
‐
二
一
=
・
〃
ニ
ー
ー
ー
セ
ー
ニ
二
一
一
一
‐
ニ
ー
ー
‐‐
‐
'
一一
二
−
.
‐
.
.
.
‐.
..
『
薑
手
ユ
ー
垂
三
二
二
二
壷
1996
目 次
●巻頭言
「第五回日仏経済学会議報告」を特集するにあたって…・……・……………・………岡山隆….。………..………・・1
●特集第五回日仏経済学会議「経済的地域主義:ヨーロッパとアジア」(その1)
第1部アジアとヨーロッパにおける経済的地域形成の理論的意味
一九九○年代の経済的地域主義一経済統合理論における地域主義の位置付け…西川潤……・………………・・3
現代地域主義の諸相一アジア.ヨーロッパの地域形成とアメリカ…・………・…・清
鷲マ
ニノヒ・蝉・ベルニス………’’
水和言/訳
地域経済圏のインフラストラクチャー一日本と欧州の社会資本整備の論点……竹内佐和子……………………33
アジアにおける生産システムの形成?………j….:ツ・・…3.蠅兇・…………・………曹驚L窓マ戦ヴェ・………..……38
−生産システム概念に照らしたアジア地域経済圏の形成過程高橋美弥子/訳
第2部ヨーロッパ地域主義の動向
ヨーロッパ地中海地域における貿易と投資、および経済統合への展望……………美
驚内
・(
隠訳
"シーノ,ルネトブル52
香
力雪
/
欧
州
市
場
統
合
と
産
業
政
策
の
転
換
.
.
…
…
.
…
.
…
.
…
・
・
…
…
.
。
…
・
・
・
…
・
・
・
…
…
.
.
…
.
…
…
…
…
長
部
重
康
.
.
…
…
…
・
…
…
…
…
6
4
拡
大
E
U
か
、
ド
イ
ツ
経
済
圏
か
?
“
…
.
…
…
.
…
.
.
…
.
.
…
。
.
…
・
・
・
・
…
・
…
・
…
…
…
…
.
…
…
…
.
田
中
素
香
…
・
…
・
…
?
…
・
…
…
・
・
7
8
地域経済圏の形成過程における棚の役割”…………・…・…・…………・…………"斉藤正樹・大町慎浩/訳
暑茎急掛冥総曇燃…….…….…9』
一アジア太平洋と西欧
●追悼河野健二教授
河
野
健
二
教
授
略
歴
.
主
要
著
作
.
…
…
…
…
…
・
…
…
…
・
…
…
.
.
…
…
…
…
…
…
…
…
…
.
…
…
.
…
…
.
…
.
…
…
…
…
.
…
…
・
…
…
…
…
.
”
1
0
7
ー
追悼.-河野健二先雄…………………….……………………………………・………・坂本慶一…..…………・……108
●
1
9
9
4
年
度
大
会
報
告
ニュー咄ドニ元カナク民族独立運動………………….………………………"松島泰勝
…・…・……・….。…・110
ケネー再考一経済菫史とラランス革命史学を逆照射するケネー………¥"平田清明
..………・…・……・・111
一島唄経済における自立と共生の道
一
●書評
井
上
泰
夫
著
「
〈
世
紀
末
大
転
換
〉
を
読
む
」
有
斐
閣
,
1
9
9
6
年
“
…
…
…
…
・
…
…
…
…
…
…
山
田
鋭
夫
…
…
…
・
…
…
…
.
…
.
1
1
2
ミツ卿レ。ポー雲『臺奉圭華の世界史ルー……………………………………松島泰勝……………………uヨ
筆宝康之.勝俣誠訳,藤原書店,1996年
若森章孝著'し聿蒻湯元産毛套済学」晃洋書房,,996年…………大田一廣…………………116
●本の紹介
[
学
問
文
芸
共
和
国
一
遁
悼
平
田
清
明
」
,
「
創
造
の
会
」
編
巣
発
行
1
9
9
6
年
…
哩
二
…
…
.
…
…
…
…
…
…
…
…
…
…
…
…
…
'
'
@
●学会報告
119
■
活動報告
会計報告
会則
会員名簿
役員名簿
6
○0
◆9
●
●
●
●
●
●8
●G
C
G
●
●
●
●
●
●
●
●
早
め
●
●
●
●
●
●
■
●
a
●
。
■
●
●
●
●
●
●
●
○
●
日
G
8
●
●
●
Q
●
①
●
●
C
C
G
●
●
●
●
●
■
●
0
●
●
●
●
●
■
●
●
O
■
●
●
●
●
9
●
0
●
0
●
◆
p
●
。
●
●
●
0
口
●
●
合
●
■
●
c
●
●
●
●
D
0
0
o
U
B
Q
O
。
●
●
●
0
0
●
●
●
●
●
g
●
●
●
●
●
●
●
●
。
●
a
●
●
●
●
●
●
G
●
●
●
●
●
●
0
●
●
D
G
0
●
●
●
●
●
●
■
●
●
。
G
●
●
●
●
●
●
●
■
●
●
G
■
●
●
、
●
●
、
O
●
。
●
●
●
●
●
0
●
■
●
C
●
0
●
●
●
●
●
。
●
。
0
6
。
●
●
●
●
0
●
●
●
●
●
●
p
●
■●
C。
D●
●●
G
G
0
B
p
O
、
●
0
0
●
●●
●
。
●
●
●
●●
●、
。“
●
□
■
凸
■
●
●
、
●
●
●
●
●
●
●
●
●
、◆
●●
●●
●●
p
■
●
C
O
●
。
0
0
●
●
●
G
o
●
G
●
。
●
0
●
、
。。
●■
●●
●●
■
0
0
●
0
●
●
●
p
●
●
●
●
a
D
D
g
。
●
●
、
●
C●
Gg
●o
●●
●
■
。
●
●
●
●
。
●
●
。
、
●
・
●
●
●
■
●
・
■
旬
0●
0
●
■
●
●
●■
●●
●。
●
●
F
■
●
●
6
■
●
●
●
■
◆
●
●
●
●
e6
e0
o、
●■
O
●
G
●
■
0
●
●
o
g
D
●
□
●
●
●
、
●
B
G
●
●
■●
●●
G、
●●
●
●
●
●
◆
。
●
●
●
■
D
O
C
●
D
C
0
●
g
●
9
F
●0
■。
G●
●●
●
●
●
●
■
●
0
■
●
。
■
■
●●
●
●
●
●
●
●0
B■
●●
G
e
e
●
●
●
0
0
■
●
●
0
●
●
●
●
●
■
■
●
●
●
●
■
■
0
0
■
●
●
0
,
g
B
①
●
0
●
●
●
●
●
●0
●G
●口
●G
O
●
●
●
●
●
●
、
0
0
●
●
巳
p
■
G
●0
6■
0■
。●
●
●
●
●
●
B
●
●
0
■
●
●
●
●
●
●
●
●
●
0
●
e
■
。
●
●
●
●
●
■
●
●
■
●
■
●
o
G
0
●
●
●
●
●
●
●
●
。
●
●
■
●
■
●
●
●
●
●
●
●
●
。
●
●
G
Q
D●
D●
●■
●■
9
●
●
。
●
●
■
0
,
0
■
■
●
e
O
D
●
●
●
0
●
●
■
●
■
●
●
●
●
●
。
●
●
。
●
●
●
●
●
。
●
。
■
●
■
■
●
。
●
0
●
O
B
●
。
●
c
●
■
■
D
C
●
●
●
●
●
e
●
●
●
。
◆
●
■
e
■
U
■
●
Q
●
− − − − −
日仏経済学会BULLETIN第18号
121
123
124
’
1
129
照
− − − − J - - - -
●巻頭言
「第五回日仏経済学会議報告」を特集するにあたって
岡 山 隆
1990年代に入ると、ヨーロッパではマーストリヒト条約の締結によって15ケ国からなる拡大ヨーロッパの成立で、
新たな「諸地域からなるヨーロッパ(EuropedesR6gion)」という問題提起と地域主義が新展開を見せている。
そしてアジアでは、中国、東アジア、東南アジアなど顕著な工業化の進行につれて、局地的な地域経済圏が様々な
形で展開している。円経済圏と華人経済圏の動向と関連や多国籍企業のアジア太平洋地域での展開も人々の注目の的
になっている。
昨1995年、このような時点にあって、日仏会館の第七回日仏学術シンポジウムが日本で開催され、日仏経済学会は
その一環としての第五回日仏経済学会議をフランスの応用数理経済研究所と協力して開催することになった(10月25.
26日於早稲田大学国際会議場)。
日仏経済学会議は、1976年以来、経済計画、海外投資、政府開発援助、資本蓄積とレギユラシオンなどを主題とし
て開催されてきた。今回は「経済的地域主義」をテーマに、ヨーロッパとアジアにおける経済的地域主義の動向、そ
の理論的.政策的意味、世界秩序や多国籍企業の戦略に及ぼす影響などを検討した。フランスと日本またN田sの第
一線の研究者がヨーロッパとアジアでの地域主義の理論的検討を持ち寄ることによって、今日の世界的な地域主義の
分析に新しい視角が導入されることを期待した。その成果について、本誌「BULLETIN』は本号および次号で報告
論文集を特集する。
なお、今回の会議は二年来準備されたものだが、開催にあたっては障害もあった。当時フランス政府力哺太平洋で
行
っ
て
い
た
核
実
験
が
大
き
な
衝
撃
と
悲
し
み
を
与
え
て
い
た
こ
と
は
記
憶
に
新
し
い
。
そ
こ
で
、
今
回
の
会
議
は
こ
れ
を
延
期
し
て
、
現
在
の
日
仏
関
係
を
考
え
直
す
べ
き
だ
と
い
う
意
見
も
会
員
の
な
か
に
は
あ
っ
た
。
し
か
し
私
た
ち
は
、
こ
う
し
た
意
見
を
も
考
慮
し
た
上
で
、
な
お
か
っ
こ
の
会
議
を
開
催
す
る
こ
と
に
決
定
し
た
。
そ
れ
は
、
一
つ
に
は
、
私
た
ち
は
学
問
の
交
流
を
通
じ
て
日
仏
の
相
互
理
解、相互交流をはかっているのであり、このような学問の分野の交流は必ず日仏関係のエリよい方向への展開に繋が
る
だ
ろ
う
と
考
え
た
か
ら
で
あ
る
。
二
つ
に
は
、
フ
ラ
ン
ス
の
学
者
の
な
か
に
も
核
実
験
に
つ
い
て
は
賛
否
両
論
が
あ
る
と
思
わ
れ
、
こ
れ
ら
双
方
の
立
場
の
方
々
に
こ
の
際
日
本
に
来
て
い
た
だ
い
て
、
日
本
人
の
考
え
方
に
触
れ
て
い
た
だ
く
こ
と
も
ま
た
有
意
義
な
の
で
は
な
い
か
、
と
い
う
こ
と
で
あ
っ
た
。
こ
の
二
つ
の
理
由
に
よ
り
、
私
た
ち
は
第
五
回
日
仏
経
済
学
会
議
を
開
催
す
る
こ
と
に
決
定
し
た
。
会
議
の
開
催
に
あ
た
っ
て
は
、
日
仏
会
館
、
早
稲
田
大
学
、
日
仏
笹
川
財
団
な
ど
か
ら
ご
援
助
を
賜
っ
た
。
こ
の
場
を
借
り
て
あ
ら
た
めて厚く御礼申しあげる。
1996年8月1日
追記
1
9
9
6
年
8
月
1
0
日
、
河
野
健
二
先
生
が
亡
く
な
ら
れ
ま
し
た
。
ご
生
前
の
ご
厚
情
に
深
く
感
謝
す
る
と
と
も
に
、
理
事
と
し
て
、
会
長
と
し
て
の
ご
尽
力
を
は
じ
め
、
ご
功
績
を
偲
び
、
謹
ん
で
哀
悼
の
意
を
表
し
ま
す
。
1
9
9
6
年
8
月
1
2
日
先生の永年に亘る
日仏経済学会会長岡山隆
−1−
‐
琴 − −
− − − −
一一一
_
一 ・ 一 = − ー 一 一
−−−−−−−Z-ー−−一
ー
一
ー
一一
一
_
一
●特集/第五回日仏経済学会議「経済的地域主義:ヨーロッパとアジア」(その1)
一九九○年代の経済的地域主義
一経済統合理論における地域主義の位置付け−
早稲田大学西川潤
及びヨーロッパ原子力共同体=EURATOMと合体し
はじめに−国際経済秩序の変化と地域主義
て1968年以降ヨーロッパ共同体=EC、1992年2月のマー
今日、国際経済秩序は大きく転換している。一方では
企業の多国籍化とポーダーレス化がすすんでいる。それ
ストリヒト条約調印により93年1月からヨーロッパ連合=
EU)は、地域主義の典型的な事例として引かれる。
と共に、資本や情報、人の膨大な流れが起こり、人権や
EUは1957年のローマ条約により1958年に西欧6国
環境、民主化概念など、グローバル意識も進展した。他
方では、地域主義の流れが強まっている。ヨーロッパ連
(ベルギー、西ドイツ、フランス、イタリア、ルクセン
合(EU)は統合市場の形成からさらに外交・安全保障、
発足した。このEUがその後、イギリス、スペイン、ス
経済.通貨、社会の全面的統合へとすすみ出している。
ウェーデン等を加え、今日15国の大地域同盟となってい
これに対して、北米では北米自由貿易連合(NAFTA)、
ることは周知のとおりである。
ブルグ、オランダ)によりヨーロッパ経済共同体として
EUはもともと2つのねらいをもった。第1は、第2
またアジアでは様々な地域経済圏が発展を始めている。
ここでは、とりわけ経済的地域主義が、経済理論にい
次大戦後米ソの冷戦体制のただ中にあって、米ソ両者の
かなる影響を与えるかを、経済統合理論との関連で叙述
することにしたい。そのため、先ず第1に、ヨーロッパ
影響を排し、ヨーロッパとしてのアイデンティティを保
における地域主義の現況を眺め、経済統合理論との関連、
またそこで現れている地域主義概念自体の変化を考える
ロッパ共同市場を形成するという目的である。第2は、
つために、ヨーロッパ統合を行い、その基盤として、ヨー
長年の間、ヨーロッパの主要国はお互に抗争し、戦火を
交えてきた。第2次世界大戦の惨禍を経て、相互の争い
ことにする。
第2に、アジアでの多様な地域主義の現実がどのよう
なものか、そこでの共通性が見出されるかどうか、見出
されるとすればそれは何か、を検討し、アジアでの地域
主義が経済統合理論に何をもたらし得るか、をみること
を止め、平和裡にヨーロッパの発展をはかろうとするジャ
ン・モネらに代表されるヨーロッパ主義、ヨーロッパ統
合の思想が強まってきた。ヨーロッパ統合はこのような
ヨーロッパ主義の具現であると見ることができる。
EEC,次いでECはこのように当初から明確な政治
にしたい。
第3に、これらの点を分析した後、今日の地域主義が
どの程度、経済統合理論に合致するか、あるいは後者が
どの程度、前者を説明し得るかをしらべ、これらの検討
を通じて、今日世界的規模で各地に起こっている地域主
義を説明するための理論の基礎を整備することが、本論
的、歴史的目標をもって創設され、それ以降もこれらの
目的を追求しながら進展してきたといえる。1960年代に
発達した経済統合理論はかなりの程度、EECをモデル
として形成されたものだった。経済的にいえば、EEC
は1960-92年まで、共同市場の形成を追求して展開して
きたといえる。
の目的である。
共同市場の利益としては次の諸点が挙げられる。
第1に、約2億人という米ソに匹敵する大人口市場の
’ー九九○年代における地域主義-EUの例
形成による規模の利益があり、実際ヨーロッパ規模での
ヨーロッパ連合(当初ヨーロッパ経済共同体=EEC、
次いでEECがヨーロッパ石炭鉄鋼共同体=ECSC、
企業合併、多国籍企業の形成も行われた。第3国に対し
ては関税障壁を置きながら域内関税障壁を撤廃するやり
’
1
−3−
’
一 一 一
1
|
パ委員会の権限を強める。だが、この考え方は直ちにヨー
(イギリスは未参加)により、社会保障や労働条件を平
ASEANの場合には1967-75年までは政治的協力
ロッパ全域から「民主主義の欠如」(deficitofdemoc-
準化させていくことが考えられている。このように見る
の時期であり、この時期には主として2つの目標が追求
に貿易転換と共に、貿易創出効果もあった。また、域内
racy)という批判を浴び、92-93年におけるデンマーク
と、EUという地域主義は、単に経済統合にとどまらず、
された。第1は、独立後国境の未確定問題等相互の紛争
の資本や人材.労働力の自由移動が、経済活樹上に貢献
の国民投票以降はむしろ、ヨーロッパ委員会の権限を
政治的、社会的な面をもあわせたかなりの程度総合的な
が絶えなかった(1960年代のインドネシア対マレーシア、
したことも疑いを入れない。1987年のヨーロッパ統合議
議会や諸地域に委譲していく「権限委譲」
(subsidiarity)の問題がクローズアップされてきた。
上からの統合は確かに大きなカペにぶつかったが、視点
地域主義であり、そこで考えられている地域統合も、経
マレーシア対フリピン等)ことから、相互に話し合いを
済的、政治的、外交的、社会的な全面的統合の試みであ
もつ場が必要とされた事情がある。第2には、独立し
ることが判る。EUは今では、元の国民国家秩序に戻る
たこれらの中小国にとって、地域に影響力をもつ域外大
国との話し合いと取引のために域内諸国が集まることが
ASEANの主要な機能の一といえる。
方は、確かに域内企業に対して利益を与えたといえる。
第2に、このような地域共同市場の形成により、新た
定書により新たに92年末までに非関税障壁約300項目を
統合することを決め、そのほとんどを実現したことは、
この共同市場を単に関税障壁のみならず非関税障壁をも
を変えてみると、これもヨーロッパ規模での民主主義、
撤廃した市場として、著しく統合効果を高めることがで
地方分権が強まるという意味で、統合の前進ともいえよ
ことはあり得ないpomt-of-no-returnの地点に達してい
るものの、しかしながら同時にEU域内での各国の国益
きた、と考えられる。
う
。
対立がつねに出てきて、統合プログラムの前進を妨げて
第3に、共同体の形成は資本を呼び込んだ。EECと
いう大市場を目的とし、また、対第3国関税障壁を乗り
越えるために、1960年代にはアメリカ企業の対EEC投
資が大きく行われた。また、1980年代には日本の対EC
投資が激増した。これら世界主要経済からの資本や技術
の流入は、EEC、ECの経済成長に貢献したことは疑
いを入れない。
第4に、共同体の枠内で、後進地域開発基金や社会開
発基金が設けられ、後進地域・階級の発展への投資が行
われ、地域格差のある程度の是正と共に、市場の奥行き
を広げたことも、また無視しがたい共同市場のメリット
第2に、経済.通貨統合だが、これは3段階に分けて
いることもまた事実である。EUがめざすような地域統
1976-90年はASEAN進展の第2期であり、経済協
すすめられる。第1段階は現在のヨーロッパ通貨制度
(EMS)で、各国通貨の為替変動幅を原則として、5
合はさらにエラスムス計画等の教育プログラムがすすん
力力揃面に出た時期である。1975年にはインドシナ3国
でヨーロッパ市民意識が常識となる21世紀のこととなる
で共産主義勢力が政権をとり、ASEAN諸国にとって
%以内に抑え、通貨安定を図るo第2段階では93年1月、
だろう。
は経済的体質改善(resnience)が課題となった。76年
これに対して、アジアで今日進展している地域主義は
統
合
市
場
の
成
立
を
踏
ま
え
て
、
9
4
年
1
月
に
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
通
貨
機
関
(
E
M
I
)
を
設
立
し
、
加
盟
国
通
貨
の
変
動
幅
の
縮
小
、
かなりの程度異なる。
金
融
政
策
の
協
調
を
促
進
す
る
。
第
3
段
階
で
は
9
7
年
1
月
以
降
遅
く
と
も
9
9
年
1
月
ま
で
に
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
中
央
銀
行
を
設
立
し
、
2アジアの地域主義一さまざまな局地経済圏
だ
が
、
こ
の
経
済
・
通
貨
統
合
は
9
2
9
3
年
夏
の
通
貨
危
機
で
英
ポ
ン
ド
、
イ
タ
リ
ア
・
リ
ラ
が
E
M
S
の
為
替
相
場
安
定
制
度
ら
一
時
離
脱
し
、
9
6
年
現
在
ま
で
復
帰
で
き
て
い
な
い
こ
と
、
これらの諸点をみると、各国がばらばらにそれぞれの か
R
M
自
体
が
変
動
幅
1
5
%
と
い
う
状
態
に
追
い
込
ま
れ
た
こ
と
経
済
成
長
を
追
求
し
て
い
た
ケ
ー
ス
と
対
比
す
る
な
ら
ば
、
明
ら E
か
に
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
共
同
体
は
加
盟
各
国
に
利
益
を
与
え
た
と
い
う
ことができよう。
か
ら
、
大
き
な
困
難
に
直
面
し
て
い
る
。
イ
タ
リ
ア
.
リ
ラ
は
9
6
年
末
に
は
E
R
M
に
復
帰
す
る
と
い
わ
れ
る
が
、
こ
の
他
に
も
ギ
シ
ヤ
は
E
M
S
に
参
加
で
き
て
い
な
い
。
1
5
国
中
、
経
済
・
通
1
9
8
0
年
に
E
C
は
さ
ら
に
高
次
の
政
治
統
合
を
め
ざ
し
た
が
、 リ
統
合
の
第
3
段
階
へ
の
移
行
の
た
め
に
は
財
政
赤
字
幅
対
G
N
こ
の
時
に
は
加
盟
各
国
の
利
害
が
対
立
し
て
、
政
治
的
共
同
体
形 貨
比
3
%
に
抑
え
る
等
3
項
目
の
条
件
を
満
た
さ
な
け
れ
ば
な
ら
成
は
タ
ナ
上
げ
に
な
り
、
E
C
は
む
し
ろ
外
延
的
拡
大
の
方
向
に P
い
が
、
こ
の
条
件
を
満
た
し
て
い
る
の
は
9
6
年
9
月
現
在
ル
ク
む
か
っ
た
。
し
か
し
な
が
ら
、
1
9
8
7
9
2
年
の
市
場
統
合
を
経
て
、 な
ン
ブ
ル
ク
一
国
に
す
ぎ
な
い
。
E
M
I
は
発
足
し
た
も
の
の
、
9
3
年
か
ら
発
足
し
た
E
U
は
、
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
統
合
を
よ
り
高
次
の セ
段階に進めるものであった。
9
9
年
1
月
ま
で
の
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
中
央
銀
行
設
立
と
い
う
カ
レ
ン
ダ
ー
遅
れ
る
こ
と
が
見
越
さ
れ
て
い
る
。
す
な
わ
ち
、
マ
ー
ス
ト
リ
ヒ
ト
条
約
で
は
、
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
統
合 は
を
、
①
外
交
・
安
全
保
障
、
②
経
済
・
通
貨
、
③
社
会
、
の
3
面 第
3
に
、
社
会
統
合
が
あ
る
。
既
に
9
5
年
に
発
効
し
た
シ
エ
ン
で
さ
ら
に
推
進
す
る
こ
と
を
定
め
た
。
ケ
ン
協
定
(
1
0
国
参
加
)
で
は
、
加
盟
国
民
の
自
由
移
動
が
定
め
先
ず
第
1
の
外
交
・
安
全
保
障
統
合
は
、
経
済
.
通
貨
同
盟
の ら
れ
て
い
る
が
、
さ
ら
に
E
U
市
民
権
の
導
入
に
よ
り
、
国
籍
に
最
終
段
階
に
合
わ
せ
て
、
共
通
政
策
を
採
用
し
、
一
定
期
間
後
、 関
係
な
く
居
住
国
の
地
方
選
挙
で
立
候
補
.
投
票
が
で
き
る
公
民
共
通
防
衛
軍
の
創
設
に
至
る
。
そ
の
た
め
、
8
0
年
時
に
は
実
現
し 権
、
第
3
国
で
E
U
加
盟
国
の
外
交
公
館
に
保
護
を
求
め
る
こ
と
な
か
っ
た
E
C
委
員
会
の
場
で
の
多
鍬
制
を
綱
し
、
ヨ
ー
ロ
ッ が
で
き
る
外
交
保
護
権
、
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
議
会
へ
の
個
人
の
請
願
権
、
等
の
櫓
利
が
保
障
さ
れ
る
。
こ
の
ほ
か
に
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
社
会
憲
章
バリ島で開かれたASEAN首脳会議で採択された和親
条約(Concordat)により、ASEAN5国は経済協力
を推進することを決める。この時期の経済協力は3つの
柱から成った。第1は関税の相互引き下げ、互恵協定だ
が、これはナショナリズムの強く残る各国の利害が対立
単
一
通
貨
E
U
R
O
を
導
入
す
る
。
だったと考えられる。
|
必要と考えられた。この2つの政治的機能は、今日でも
アジアの制度的な地域協力機関としては、第2次大戦
し、あまりはかばかしい進展をみせなかった。第2はA
後、国連成立と共に発足した極東経済委員会(ECAF
SEAN工業補完計画(AICV)で、これは自動車工
E、後にアジア太平洋経済社会委員会=ESCAPと改
業などで指定産業の部品の域内流通については関税を免
名)があるが、ESCAPの場では1950年代に企てられ
たメコン河の共同開発くらいが主な地域開発プロジェク
トで、この計画もベトナム戦争で中断し、近年ようやく
除して、工業合弁を促進する計画である。これは一部の
多国籍企業にとっては都合のいい計画で、いくつかの企
再開した状態であり、地域政府の機関ではあっても、地
いる。しかし近年では、マレーシアのプロトンサガ、イ
業は実際、この計画を利用して部員の域内調達を進めて
域主義機関とは呼べないだろう。
ンドネシアのテモールのように、多国籍企業と組んで自
これに対して、アジア太平洋経済協力閣僚会議(AP
EC)と東南アジア諸国連合(ASEAN)は明白な地
域主義機関といえる。これらはいずれも1970年代半ば以
国車生産に踏み切る国が増えており、この場合には部品
降、展開することとなった。
際に、資本の50%を当該国が、残りの10%ずつを他
は自国、第3国調達がほとんどである。第3は、ASE
AN工業計画(AIP)で、これは域内大工業を設立する
4国が出資する計画で、インドネシアのアチェに設置さ
まず、ASEANからみよう。
ASEANは1967年にインドネシア、マレーシア、フィ
れたアンモニア日産1000トン、尿素肥料日産1725トンの
リピン、シンガポール、タイの5国によって創設され、
その後、ブルネイ、ヴェトナムを加えて現在7国、やが
てインドネシアの他の2国(カンボジア、ラオス)とミャ
ンマーを加えて'0国となるだろう。この地域の人口は3
億人で、アメリカ、ヨーロッパと肩を並べる大人口圏で
窒素肥料工場等がそれである。1988年にASEANはシ
ある。
協力による相互の友好協力関係の促進に力が置かれた。
ンガポールにこれら合弁工場への投資を促進するASE
AN金融公社(ASEANFinanceCorporation)を
設立した。
この時期の経済協力は、地域統合というよりは、地域
I
−5−
4
.
‐
4−−一一一一一J一一
1990年以降は、ASEANの第3期にあたり、この時
2003年までに5%以下とし、自由貿易地域を実現する目
にも注意を払いたい。ARFには、ASEANの他、
標力泣てられた。
アメリカ、日本、中国、ロシア、EUといった域外大国
が入っており、ヨーロッパ安全保障協力会議(CSCE)
凡 篁 ト 皿
インド
ヴィエトナム
オーストラリア、ニュージーランド
ンマーの加盟も日程に上っており,ASEAN10国体
能し始めている。ECSEの場でも経済協力が話し合わ
れるようになってきているが、ARFも将来的に経済
ロシア
アジア太平洋経済協力閣僚会議(Asia-PacificMmist
e
r
i
a
l
C
o
n
f
e
r
e
n
c
e
o
n
E
c
o
n
o
m
i
c
C
o
o
p
e
r
a
t
i
o
n
A
P
E
C
)
は、もともとオーストラリアの提唱によって1989年に発
足した地域協力機関である。
APECの場合にはEC/EUの地域主義への対抗と
して、アジア太平洋地域での協力体制を固める意向から
発足したが、近年ではアメリカの太平洋戦略実行機関と
とに目を向けておこう。
これらの地域経済圏は、上述の制度的協力体とは異な
り、多かれ少なかれ、近年のアジアにおける経済成長と
共に自然発生的に生成してきた経済圏である。こうした
経済圏の例としては、先ず、シンガポール、インドネシ
間で進行している「成長の三角」プロジクト、バタム島
(リアウ州)の共同開発計画である。これは、シンガポー
しての色彩が強まり、大国の引き回しに警戒的なASE
ルの土地が狭小で「成長の限界」問題が出てきたことか
AN諸国との間にむしろ溝が出てきている。
マレーシアのマハテール首相は1990年に東アジア経済
協力会議(East-AsianEconomicCaucus-EAEC)を
提案し、北米を除いた東アジア、東南アジア諸国から成
る経済協力体を提唱したが、これはまだ現割けるに至っ
ていない。しかしながら、1996年3月にバンコクで開か
れた初のアジア・ヨーロッパ会議(Asia-EuropeMeet-
ing-ASEM)で、EUと会談したアジア側10国(A
SEAN7国プラス日本、中国、韓国)がEAECメンバー
と重なり合っていることは注目に値する。EAECは今
後、政治的協力体として地域協力を展開する可能性もあ
の
華
人
資
本
が
出
資
し
て
開
発
公
社
を
設
立
し
、
一
大
工
業
団
地
を
設
け
て
シ
ン
ガ
ポ
ー
ル
経
由
で
世
界
に
輸
出
し
よ
う
と
す
る
計
画
で
あ
り
、
現
在
進
行
中
で
あ
る
。
こ
の
計
画
の
場
合
に
は
、
地
域
市
場
の
形
成
が
課
題
で
は
な
く
、
シ
ン
ガ
ポ
ー
ル
と
い
う
N
I
E
S
を
補
完
す
る
後
背
市
場
の
設
立
が
目
的
と
な
っ
て
お
り
、
主
眼
は
あ
く
ま
で
も
、
世
界
市
場
輸
出
に
向
け
ら
れ
て
い
る
た
め
に
、
貿
易
転
換
効
果
は
問
題
と
な
ら
な
い
。
ろう。
これらの地域協力体と並んで、ASEANが毎年、閣
1
1
’
!
ら
、
マ
ラ
ッ
カ
海
峡
の
対
岸
で
シ
ン
ガ
ポ
ー
ル
と
ほ
ぼ
同
じ
面
積
を
も
つ
バ
タ
ム
島
を
、
イ
ン
ド
ネ
シ
ア
側
が
土
地
を
提
供
し
、
シ
ン
ガ
ポ
ー
ル
、
イ
ン
ド
ネ
シ
ア
、
ジ
ョ
ホ
ー
ル
州
、
そ
し
て
台
湾
香
港
と
広
東
省
.
海
南
省
間
に
形
成
さ
れ
て
い
る
華
南
経
済
圏
も
似
た
よ
う
な
性
格
を
も
つ
。
華
南
経
済
圏
は
、
香
港
資
本
の
ダ
イ
ナ
ミ
ッ
ク
な
深
#
I
I
投
資
を
中
軸
と
し
て
近
年
高
い
経
済
成
長
を
マーシャル諸島
PacificEconomicCooperationCouncil(太平洋経済協力会蟻)
示し、有名になった。これは中国政府の自由貿易地域設
この他、かなりの程度自然発生的要素の強いタイの対
置政策によるものだが、事実上はやはり香港の対世界輸
出を補完するものといえよう。広東省という労働力豊富
ベトナム投資を中軸としたタイ・インドシナ経済圏、国
地域に支えられた工業補完地域の形成といえる。最近で
は海南省も深卦IIと同様の開発効果をめざしてインフラ整
した計画的要素の強い環日本海経済圏、ASEANによ
るフィリピン南部、東マレーシア、インドネシアのスラ
備をすすめている。
ベシ地域を結ぶ「東の三角」構想等いくつかの地域経済
連開発計画(UNDP)の図門江流域開発計画を主軸と
’
1
1
圏の考え方があるが、未だ実体を伴っているとは言い難
国際資本及び韓国の対天津、大連、山東半島投資と、
中国政府の開放政策に支えられた
い。これらの地域経済圏の特徴としては次の諸点を挙げ
黄渤海経済圏はやや発生の経緯が異なる。華南経済圏及
び上海・揚子江沿岸大都市を結ぶ長江経済圏に引き続い
ることができよう。
て黄渤海地域を繁栄させるのは中国政府の最重点政策で
場経済化に比例して、国境を越えて展開してきている。
第1には、これらの経済圏は近年におけるアジアの市
第2には、これらの経済圏はとりわけ、アジアNIE
あり、そのためこの地域の主要都市及び遼寧・山東両半
島が89年開放地域に指定されて、インフラ整備が急速に
S周辺に、アジアNIESの投資・貿易を中心に形成さ
すすんだ。また、韓国はシンガポール、香港と同じく低
れてきている。
賃金労働力を確保するために、とりわけ天津、山東半島
第3に、これらの経済圏は必ずしも国家ベースの経済
に投資を増やした。米日欧国際資本は主として天津、大
統合あるいは経済協力体ではなく、国、地方、都市等の
連に投資している。これらの外国投資を呼び水としてこ
間で締結された協定に従って、人・資本・技術・製品の
の地域の開放化、経済成長を一段とすすめ、経済の遅れ
自由往来が進行している。
た内陸部に波及させていくことが中国の政策であり、こ
第4に、従ってこれらの経済圏はとりたてて自由貿易
の意味では黄渤海経済圏は韓国というNIESに引っ張
地域とか共同市場といった経済統合をめざした機関では
られた自然発生的な要素と共に、中国政府の国策的要素
なく、それぞれの地域の経済成長、雇用創出が主要課題
の両方の要因を重ね備えている。
である。
−7−
−6−
ソロモン賭島、ヴァヌ ア ツ
トンガ、ナウル、キリバス
トゥヴァル、クック諸島
エウル、ミクロネシア連邦
1
1
アのリアウ州(スマトラ)、マレーシアのジヨホール州
AssociationofSouth-EastAsianNations(東南アジア賭国連合)
SEANPost-Minister旧IConferen"s(ASEAN拡大外相会溌)
ASEANPMC A
SEANRegionalForum(ASEAN地域フォーラム)
A R FA
sia-PacificEconomicCooperation(アジア太平洋経済協力)
APEG A
PECC
●印
後戻りすることはやはりあり得ないといってよいだろう。
さて、これら政府間の制度的地域協力体の他に、アジ
アでは今日、defactoな地域経済圏が進展しているこ
ASEAN
12
がっている諸中小国として、域外大国との間の取引力の
確保は常に主要な課題であり、その意味でASEANが
’
☆はオブザーバーとしての参加
PINの参加国:
パプア・ニューギニア
フィージー、西サモア
ペルー
一一一一一一一一==■±凸垂。。■●■■。●.◆の。■■p●◆●◆●●。⑧■●●■■。◆●●◆◆●■。■●●寺●●むゆ。◆◆■◆。
11111111︲q︲IIlllllトー111
し、ASEANの場合、東南アジアの戦略的地域にひろ
メキシコ、チリ
コロンビア
PIN(太平洋島喫国)(注2)
おきたい。
これらアジア太平洋地域における制度的諸協力体の参
加国を、図1に整理した。
香港、台湾
注注
でも政治的経済的地域協力の進展が目的といえる。しか
題に参画する唯一の制度的場であることに注意を払って
ミャンマー
所
務
事
共同市場の形成を目的としているわけではなく、あくま
ARFは、ヨーロッパ、ロシアがアジア太平洋地域の問
ラオス、カンボディア
央局
中務
N事
AC
の実現が指向されるようになったが、ASEANとして
協力を行う機関となる可能性は十分あろう。とりわけ、
パプア・ニューギニア
ECF
SEP
APS
☆☆☆
国の同盟体制、他方ではこの地域における自由貿易地域
11lj41︲Illlll
と同様に、地域の平和、安全保障を討議する場として機
この時期には従って、一方では東南アジアにおける諸
EU
日本、中国、韓国、アメリカ、カナダ
年にはベトナム加盟が実現し、ラオス、カンボジア、ミ
制がめざされている。
(96年8月現在)
||
gionalForum-ARF)として制度化されていること
CFS
が締結され、電子等15分野の域内関税を当初2008年、後
旺却一
1994年以降、ASEAN地域フォーラム(ASEANRe-
PECC
lPdj巳1Ifl0Ⅱ1111’1101︲−11︲l・’1144.1115︲■611−︸︲1.b0Ⅱ可︲Il41llI1︲
期には一方ではASEAN自由貿易地域(AFTA)協定
他方では、ASEANは外延的拡大に踏み切り、1995
図1.アジア太平洋における国際的枠組み
僚会議の後に、域外大国と話し合いを行うフォーラムが
− − − − −
■
これらの諸点を考えると、アジアの諸地域経済圏が、
十分説明することはできない。また、中心一周辺理論で
EU型の政治、経済統合を目標とした経済圏とはずいぶ
は、経済統合に伴う交易条件効果が周辺地域にマイナス
ん異なることが判る。
の影響を及ぼすことを主張しているが、今日のアジア地
それでは最後に、これら今日の経済圏が、経済統合論
にどのような意味をもっているかを考えることにしよう。
域でなぜ周辺地域が積極的に開放体制に参加していくの
か、そのダイナミズムを解明することができない。日本・
NES経済圏についてもそれがなぜグローバル規模の統
合ではなく。地域レベルの統合なのかを説明することも
3地域主義の現実と経済統合理論
必要だろう。
今日の経済統合理論は、1960年代にEEC統合を説明す
るものとして発達してきたものだが、近年では様々な地
域主義経済の形成を踏まえた「地域提携」(regional
=亨
TradeArea)が設けられ、加盟国の貿易関税及び数量
economicarrangements)の理論もしだいに出てきて
いる(『通商白書」平成8年版)。
統合の利益が得られるとのべた。自由貿易がある程度進
経済統合理論の先駆としては1930年代に形成された経
済ブロックを説明する理論がある。経済ブロックの理論
ス、その中でドイツ・マルクの覇権力轆立するケース、
また、競争促進効果とは、開放体制の採用により、市
場における競争効果がはたらき、企業の価格管理力が低
あるいはマルク、ポンド、フラン等主要通貨圏が分立す
下し製品価格の低下、技術革新の誘因が高まるなど、経
るケース、更にはより簿‘的な「大西洋から中央ヨーロッ
済ダイナミズムにプラスの作用が現れることを指す。
パまで」の大ヨーロッパへと変わっていくケース等、い
くつかのシナリオが考えられるが、近年では新たに、E
今日のアジアにおける諸地域経済圏の形成はかなりの
程度経済的にみればこれらの市場拡大、競争・革新促進
U内部で「民主主義の欠如」問題に対応するために、一
効果を基礎として展開しているといってもよいだろう。
方ではヨーロッパ議会の権力を強め、市民参加を促進し
また、アジアの場合には、世界経済の中における主要
ようとする動きが出てきている。他方では、これまでの
経済地域のブロック化現象に対抗した地域機関形成のダ
EU統合の過程の中で半ば自然発生的に形成されてきた
イナミズムと同時に、かなりの程度、内発的な市場成長
地方経済を結ぶ地域発展の動きがある。フランスを始め
力が近隣諸地域の間に経済地域化をすすめてきた面も無
としてヨーロッパ各地に地方分権、地方自治を強める動
視し難いといえる(Rivera-BatizandRomerl991)。
きが目立つが、これを土台として「諸地域から成るヨー
さらにアジア地域で展開している華人経済圏に至って
ロッパ」は結局のところ、垂直的統合でも水平的統合で
展すると、域内では貿易自由化が行われる一方、対外的
は、これを単に地域経済圏、または機能的経済圏のいず
もなく、むしろ、各地域の自主性、個性を重視した連邦
には第3国に対する共通関税が設置される関税同盟
れかに分類することもできず、世界市場を展望し、独自
体を形成していくものだろう。
では、貿易面で優位をもつ国の通貨が域内諸国に需要さ
(customsunion)が形成される。さらに、貿易に加え、
の生産・販売・生産要素調達力のネットワーク形成の優
目を転じてアジアに移すと、ここでの動きはましてや
れ、この国は資本輸出国となることによって基軸通貨が
加盟国間で資本・労働等生産要素の移動もなくしていく
位に立って、地域的な投資・貿易・人的移動を促進する
経済統合理論によってこれを説明することは難しい。こ
形成される事情を説明した。これは、単に経済ブロック
共同市場がその次の段階として考えられる。共同市場が
主体となっている第3の経済圏とこれを呼ぶこともでき
こでの地域主義の特徴は、国家を越えた諸地域間の局地
にとどまらず、金本位制の下でのポンド、第2次大戦後
ある程度進展すると、これを基礎として加盟国間での経
るだろう(朱炎1995)。
経済圏の形成、複数の経済圏の重なり、特定国の覇権を
の金為替本位制の下でのドル等の国際的に覇権を唱える
済政策の調整がはかられ、経済同盟(economicunion)
国の通貨圏についても妥当するもので、垂直統合的な覇
が発足する。さらに、高次の完全な経済統合(perfect
権通貨形成の理論といっても良い(西川1976)。
economicintegration)段階では経済政策が完全に統一
され、単一国家的共通政策が実施されていくのである。
排除した結び付き、同一国・地域の複数経済圏への参加、
半ば自然発生的な市場経済の進展、機能的な協力の重視、
結びに
アジア全体の流通を大きく動かしている華僑経済による
今日の世界で、経済的地域主義はさまざまな形で展開
調整、世界市場との密接な結び付き、等にある。これは、
すEUの場合には、共通通貨の価値は特定覇権国通貨に
これらははっきりと段階的に進展していくとのべられ
している。その主要な理由は今日までの超大国主導型の
従来の国家をベースとした垂直統合、水平統合の理論で
よって決まるのではなく、加盟国通貨の購買力平価の設
てはいないが、しかし恐らくは段階を踏んで統合を高次
IMF・ガットを通じる自由主義世界システム及び南北間
は必ずしも解けない動きである。ここから最近ではこれ
定上に決まってくるのであり、そのため加盟国の経済.
財政政策の共通化とスネークと呼ばれる加盟国通貨の一
化させていくものと考えられているだろう。EUの場合
には、自由貿易地域から発足したわけではないが、関税
の国際分業体制が急速に変化してきていることから、こ
らの動きを指して、地域統合とは区別し、「地域提携」
れへの必然的な対応として、地域主義が強まってきたこ
と呼ぶ人々も出てきている。ただし、アジア諸経済圏が
定幅での共同変動が必要とされるのであり、かっての経
済ブロック理論・覇権通貨理論ではこれを十分説明する
同盟一共同市場一経済同盟というステップはかなりの程
とに求められよう。しかしながら、これらの地域主義が
かかえている大きな発展課題は、近年の経済成長が市場
度、EUの進展に対応しているということができる。
どこでも一様に進展しているわけではない。むしろ、歴
経済、外国投資を基礎としているだけに、そこで進行し
史的・地政的条件により地域主義機関も多様であり、そ
ている「市場の誤り」の問題、即ち地域格差、貧富格差、
の進展にも難易の差がある。
環境破壊などの問題にどう取り組んでいくか、というこ
ことができない。ただし、EU通貨の中でも例えばマル
だが近年では、かなりの程度、制度的枠組みをもたな
クのヘケモニー的地位が共通通貨形成を阻害している点
い地域提携の事例が増えてきたことはアジアの事例から
の分析等については従来の覇権通貨論が妥当する面もあ
【
される経済統合理論は、複数国に自由貿易地域(Free
規制が撤廃され、貿易創出・貿易転換効果がはたらき、
だが、今日の地域経済圏で唯一共通通貨の設定をめざ
’
1960年代のベラ・バラツサ(Balassal962)に代表
加盟国の努力によって多少遅れながらも進んでいくケー
果を高める現象である。
。■■■■■■■■■■■U■■■■■■■■■a■佃■■■■■■。■■■q■■巳■l■■■■DlIIlIl
EUの場合にも、今日マーストリヒト条約が想定した
とである。この点では、先進的なEUの取り組みをも参
これら新しい地域経済圏は一つには、かつてヴアイナー
3つの統合日程はいずれも一人間の自由移動を除き一遅
考に市民の発展過程参加を実現していくことがアジア経
が関税同盟の理論(Vinerl950)で指摘したような貿
れているし、その中でむしろ、加盟国の国益の対立も目
済の課題だろう。アジアでは従来、経済社会の開発がか
易転換・貿易創出ばかりでなく、むしろ、グローバルな
立ってきている。EC=EUは統合の困難に際しては常に
なりの程度国家、企業にゆだねられてきた。日本の「政
経
済
進
展
の
中
で
、
新
た
に
市
場
拡
大
効
果
、
競
争
促
進
効
果
を
外延的拡大によってこの困難を打開してきたが、その結
官業体制」もその一つである。だが、今日の経済成長、
追求していることが指摘される。
果はますます超国籍権力の形成を難しくさせている。E
諸経済圏の形成の中で、発展過程の民主化、市民参加、
市
場
拡
大
効
果
と
は
、
国
境
を
越
え
る
市
場
拡
大
に
よ
り
、
環
境
の
経
済
が
存
在
す
る
産
業
の
生
産
拡
大
、
最
適
立
地
が
生
産
効
Uの将来については、マーストリヒト条約のシナリオが
地域分権を通じてより人間を中心においた発展が課題と
も知られる。
ろう。
また、ある市場経済システムの中で、中心一周辺関係
が必然的に形成され、景気循環等を通じて中心一周辺関
係が進展していくとする世界システム論、あるいは従属
経済論も今日のアジア地域での日本やNIES投資を媒体
とする経済圏の説明にある程度妥当しそうだが、EUの
ように地域格差を頼極的になくしていこうとする政策を
−9−
−
8−
− 菊 一 一 一 一 一 一 一 ■ ・ 一 一 一 一 一 串 卓 一 一 二 − 画 定 一 睾 一 壬 一 一 一 一 一 一 F 画 口 ・ ■ , ■ ロ ー ー ー ー シ ー
=
=
ー
‐
。
= ー 一
一 一 一 ー 一 一 号 一 一 ・ = ニ ー ロ ー ー ー ー
一 =
= = 京 = 言 −
一
一 雨 = ー
壼 宇 甲 叩 ■ 一 一 一 −
このように見てくると、ヨーロッパとアジアの地域主
義はその形態は大きく異なれ、両者がかかえている課題
には意外な共通点があることに気付く。それは、発展過
程の民主化、人権や環境や地域格差への配慮、個性やア
イデンティティを基礎とした地域社会の発展、そのため
の地方分権、等である。アジア諸国民はこれらの点で一
歩先行しているヨーロッパに学びつつ、いま半ば自然発
生 的にすすんでいる諸経済圏をより人間的な経済社会発
展圏に変えていく努力が必要である。
このような地域主
今日のグローバル
義の内部からの変革を通じて初めて、今日の'
社会への形成へと接続していくことになろう。
1962),TheTheoryofEcOnomicm塑里二
Balassa,B. (
tion,Anen&Unwin
R
i
v
e
r
a
B
a
t
i
z
a
n
d
R
o
m
e
r
(
1
9
9
1
)
,
"
E
c
o
n
o
m
i
c
l
n
t
e
-
g
r
a
t
i
o
n
a
n
d
E
n
d
o
g
e
n
o
u
s
G
r
o
w
t
h
,
'
'
聖
型
型
Z
JournalofEconomics,NolO6.
sue
Viner,J.(1950), TheCustomsUnion_IS
]
白日ⅡI■ⅡⅡⅡ日ⅡⅡ■■plpBq4dIIIⅡ■11日I日日■■■Iluj■1111111,0,1日●ⅡlIIlVlII●p︲︲JII●l卜︲11︲111110Ⅱ110口■616111’’1Ⅱ011Ⅱl41IIjbPl111︲jljlトー11111■
<参考文献>
なっていることもまた事実である。
●特集/第五回日仏経済学会議「経済的地域主義:ヨーロッパとアジア」(その1)
現代地域主義の諸相
一アジア・ヨーロッパの地域形成とアメリカー
グルノーブル大学ジェラール・ドゥ・ベルニス
るのを避けるためであろう。その協力関係がASPAC
「EMUは貨幣に関する、ヨーロッパ、日本、アメリ
(AsianandPacificComcn,1966-1973)、SEATO加
カの力関係を根本的に変える」、
盟国の「民間」グループ、ASEAN(1992年に限定自由
「アメリカの将来にとって決定的なのは、西半球、つ
C
a
r
n
e
g
i
e
E
n
d
o
w
m
e
n
t
f
o
r
l
n
t
e
r
n
a
t
i
o
n
a
l
P
e
a
c
e
貿易地域を創設)の政治的関係から始まったせよ、今で
まりヨーロッパではなくてアジアである」、
経済新
朱炎(1995)『華人ネットワークの秘密」東洋経
は経済的目的が優勢になり、主要になってきている。
「アメリカが世界の舞台の上でひどいハンディを負い
報社
西川潤(1976)「第三世界と日本』潮出版社
たくなければ、アメリカの向かうべきところはアジアで
実業家のインフォーマル・フォーラムであるPBEC
ある」(1)
(PacificBasmEconomiqueCouncil,1967)はラテ
hlP、︲︲・口Ⅱ411口口JlIB1・lI1lII!︲6︲’101.四・IllIⅡⅡ9︲■■︲10’q︲Ill1lII
ン.アメリカ諸国を含む二十カ国、400企業を集め、そ
のアカデミックな対であるPTDC(PacificTradeand
ヨーロッパ、太平洋アジアにおける地域形成は今に始
’
I︲︲︲1,011Ⅱ11.4︲トー4口︲1日vI︲111111J■900︲f卜jl9h6
’
1
まったことではない。「一なるヨーロッパ」という理念
DevelopmentConference)はラテン・アメリカ諸国抜
は最初、19世紀末の不確実性の時代に、ついで戦間期に
きで形成された。オーストラリアは1971年にSPF
再び現われたが、実現はしなかった。第二次大戦後、こ
(SouthPacificForum,14カ国)とともに台頭してき
の理念は制度化されたプロジェクトにそって、最初は政
た(SPFは対抗勢力として1982年にMalanesianSpeax廷
治的理由(独仏関係の再構築)によって、次に経済的理
headGroupeを生み出した)。オーストラリアはPECC
由によって現実化してきた。つまり、アメリカに匹敵す
を主催し、APEC(アジア太平洋協力会議、1989年)を
る経済空間を作ろうという意図にそって、1951年にCEC
提唱した。SPFはASEANが「共同市場」になるのをよ
A、1957年にCEE、1993年にUEが形成された。経済的
しとしないアメリカの影響下、日本の主導で作られた。
理由は1960年末の不確実、不安定な時期に強まり、CEE
APECの加盟国は以下のとおり。ASEAN,韓国、アメ
に次のような方向性を与えた。メンバーの拡大(1972年
リカ、カナダ、日本、オーストラリア、ニュー・ジーラ
の6カ国から1995年には15カ国に)、国民国家権力を越え
ンド、1991年には中国、台湾、香港、1993年にはメキシ
た権力の漸次的形成、統一貨幣導入。それに対して、戦
コ、パプア・ニューギニア、1994年に、チリが加盟。A
間期に生まれた大東亜共栄圏の理念はそのままの形で今
PECは間政府機関ながら、諮問機関であり、アメリカに
のアジア地域主義に至ったわけではない。1960年代末以
よって1992年に恒久的な機関になった。事務局はシンガ
降、太平洋諸国は多かれ少なかれ協力する必要を感じ、
ポールに設置され、シンガポールは「賢人会議」(今の
様々な活動を開始した。その目的、性質、領域は、論者、
ところはアメリカ人がC.F.Bergsten(2)力職長)にも参加
時期、参加国(参加希望国)に応じて多岐にわたる。例
している。このAPECに対して、Mahathir博士(3)は中
えば、対象となる地域は広大で不確定であり、中央太平
曽根が1988年に構想していたといわれるプロジェクト(4〉
洋の島・半島の外縁であったりする。しかしながら、そ
を、1990年から対置させている。そのプロジェクトは
の矛盾、少なくともその明らかな無秩序を越えて、そこ
EAEC(EastAsianEconomicCaucus、ASEAN、イ
には収散する動きが見受けられる。最近までは、それら
ンドシナ、中国、ビルマ、香港、台湾、韓国)と呼ばれ、
の国の関係を制度化しよう意図は稀であった。それはお
その目的は国際的な経済交渉、とくにウルグアイ・ラウ
そらく、その関係を柔軟なままで残すため、また日本の
ンドに影響を与えることにある(5)。ASEANは1992年に
不可避的な支配的地位を強めたり、それに従属したりす
向こう15年にわたる自由貿易地域の創出を提案し、日本
1
’
−11−
−10−
一
■
はこの計画を強力に後押ししている。この計画には経済
このことを如実に示している。他方で、ヨーロッパは共
閣僚問の協議が必要となる(6)。
通の対外.対内貿易政策を明らかに有している。この政
以上の歴史的な経緯の説明はアジア太平洋、ヨーロッ
策に関して、アメリカは非常に大人し〈している。とい
パの変化を理解するには十分ではない。それを分析する
うのは、この政策は、自由主義よりの国とそうでない国
には、次の重要な二つの観点が必要である。
の間に作られた妥協だからである。この政策に影響を与
合に応じて、妥協点が必要なこともあるし、細かい点は
1)国際的に支配的なナシオンnationとその他の孤
あまり重要でない場合もある)。
立したナシオンが並列している場合。この場合、前者は
何も恐れることなく、自分の権力を維持できる。支配的
アジア太平洋、ヨーロッパで進行中の地域形成プロセ
なナシオンは自らの構想を明らかにしている規則を命じ、
スに対するアメリカの態度を比較するために、前記のモ
それを遵守させる手段(罰則)をもっている。これは、
デルを使おう《12)。経済中心主義に陥るかもしれないが、
一方で、この地域形成のプロセスは、とりわけ、60年
えるには、UEの機関を通さなくてはいけない。進行中
まさにアメリカが国連という名目に隠れて、世界の警察
ここでは権勢的な政策('3>の裏に隠れている文化的側面、
代末からの不安定、不確実な時期に始まった(ヨーロッ
のアジアにおける協力関係が共通の貿易政策を避け、組
を認じていた(派兵と通商禁止がその時の手段である)
アメリカ衰退〈14)に関する議論には触れない。それは、こ
パのそれは、大戦に続く安定な時期に主として政治的な
織的になることをためらうなら、相互の貿易、投資はヨー
時のことである。アメリカは、自国の利益に沿った戦略
こでの問題にこれらの要素が関係ないからではなく、そ
理由で始まったが)。今まのでのところ、不確実性の時
ロッパよりも早く進展するだろう(9)。アジアとヨーロッ
を展開し、いくつかの国には具体的象徴的な鋤ロを課し、
の要素を取り扱う能力が自分にはないからである。
期(19世紀末、戦間期)に、新たな生産システムカ噺た
パに加えて、アメリカにとってのAIENAとInitiativeを
考慮に入れると、二極化世界が三極化世界に席を譲った
と言いたくなる。ここに、私が提起したい問題点がある。
三極化世界が抱える矛盾についてはすでに分析されて
他の二大国にはそのために金融することを要求した(11)o
それでもなお、「アメリカの態度」について語ること
アメリカは、メキシコでは、まったく同じ方法で金融管
は漠然としている。アメリカの政策は大統領に応じて
理のの警察としてふるまっている。
(レーガンからブッシュ、ブッシュからクリントンにわ
いる。この矛盾は、三極化世界が地球の全人口の半分に
かかわりないという意味で外部的である。また、三極の
支配的なナシオンの権力に対抗できるぐらいに強力な地
アメリカのオピニオンは問題に応じて、同意の度合いが
域グループが存在する場合。支配的なナシオンが、固有
ばらばらである。(例えばATFINAに関して、意見は国
経済空間をめぐる闘争が為替相場を不可避的に不安定に
の支配地域をもっていれば、このナシオンは権力を維持
会における談論のように分かれている)。この種の分析
しているという意味で内部的である。この不安定性は、
できる。アメリカにとっての、ATRNAとIhitiativeがそ
はここでは詳細にできないが、現在の様々な立場の意見
一般的な不確実性を増長し、ほぼ普遍的に目につく失業
れにあたる。アメリカは、相対的な権力の強化、生産シ
を粗描しておかなくてはいけない。
はその最も直接的な結果である。
ステムの拡大、他からのインプランテーションの制限を
アメリカの態度の相違は次の三つの要素の複雑な絡り
地域形成プロセスと世界化(グロバリゼーション)プ
ロセスの関係の性質に関しては確定的なことは未だいえ
行い、他国あるいは他グループに規則を守らせるために
合い一意識的にせよそうでないにせよ−によっている。
は外国商品、外国資本に対して国を閉ざすことも辞さな
各要素は、多かれ少なかれ、ここで問題になっている地
ない。後者から前者を導きだすことも、両者を対立させ
ることもできる。おそらく、違った仮説を立てなくては
い。現在の世界にはこのモデルが当てはまる。このモデ
域形成のプロセスに影響を与えることができる。
ならない。アメリカは今日、1930年代末に外務議会が決
2-1)国際的支配ナシオン(アメリカ)が、地域形成の
な社会的レギユラシオン手続きの中で再構築される前に、
旧生産システムが解体してきた事実を考えると、現代の
地域形成のプロセスは日本とドイツを中心とした新生産
システム構築、AT'FINAとInitiativeはアメリカにとっ
て、自らの生産システムの強化と理解できる(7)。
他方で、このプロセスは大部分“冷戦”時代に、“二
p =
重要かによって、その選択肢を分けることもできる(場
のである。様々な場合が考えられる。
極化された世界”の一方の陣営で進んできた。軍事的関
心が支配的なこの国際関係において、資本主義世界を
「防衛」することができたのはアメリカである。アメリ
カは、ヨーロッパ.アジアという社会主義国.陣営との
直接闘争の場にとって必要な軍事的防衛を、例外は除い
て、保証していたので、なんらかの不平不満はきかれた
ものの、アメリカは地域協力のプロセスをコントロール
することができた。1989年に起こった大変化(CSCE会
議、ベルリンの壁崩壊)によって、軍事的関心は経済的
関心に席を譲り、二極化世界は三極化世界に移行し、三
大大国の力関係の性質が変質した。日本とドイツはそれ
以降、自律的に経済政策を決定できるようになり(8)、こ
のことはアメリカを受け身にした。この二番目の観点か
ら、本論文において、アメリカのアジア.ヨーロッパの
地域形成に対する態度の違いを比較したい。
1
9
8
9
年
に
お
い
て
は
、
ア
ジ
ア
・
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
の
地
域
形
成
は
治
的
構
造
を
強
化
し
、
そ
の
後
に
経
済
的
な
構
造
を
形
成
し
よ
う
と
し
た
。
し
か
し
、
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
内
の
為
替
は
ド
ル
の
影
響
を
避
れて、世界化を完遂する責任は自らにあると感じている。
この文脈では、世界化は単純に、一般化された自由貿易
(公正な貿易も、それが有効な時には、そこには含まれ
達
し
て
い
な
か
っ
た
。
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
は
制
度
的
に
構
築
さ
れ
、
政
け
る
ト
ー
至
っ
て
い
な
い
。
貨
幣
は
未
だ
一
国
の
貨
幣
に
と
ど
ま
っ
て
い
る
。
ド
イ
ツ
が
こ
こ
数
か
月
、
将
来
の
「
統
一
貨
幣
」
を
コ
2)合法的リーダーシップの維持(15)(この内容はアメリ
プロセスにおいて、主要な役目を果たし、自由貿易の規
カの理想とする世界構築の構想によって決まる)
則を他国に課し、他国がアメリカの権力に逆らわないな
3)アメリカ経済の利益(最もダイナミックな経済ゾー
ら、このプロセスはアメリカを利する(この際、大西洋
ンと商品、生産的資本を貿易することを最重要視とする)。
岸諸国、アジア諸国は各々アメリカと結びつくことにな
配
的
経
済
に
な
っ
た
と
き
に
現
わ
れ
た
テ
ー
マ
で
あ
り
、
「
冷
戦
」
時の支配的な軍事力によって強化され、太平洋が大西洋
より重要になったことによってその方向を変えた(つま
り、世界の中心はもう以前から地中海を離れ、もはや大
西洋にもない)。アメリカは長い間保護主義的で、世界
同
じ
道
筋
を
た
ど
っ
て
こ
な
か
っ
た
こ
と
か
ら
、
同
じ
水
準
に
は
1)権勢一影響力モデル
ルには二つの型がある。
定した「世界を組織する」というテーマー地域形成でも
世界化でもない一の継承者、保護者として行動している
といえるだろう。このテーマは、アメリカが国際的に支
の他地域からの貿易には閉鎖的であった一方、そのイデ
オ
ロ
ギ
ー
に
う
ま
く
あ
う
一
種
の
救
世
主
待
望
論
(
1
0
)
に
後
押
し
さ
たって)変化し、彼らを取り巻く状況も異なっている。
2)国際的に支配的なナシオン、多数の孤立した国、
り、それら同士はアメリカを仲介として関連することに
以上の三つの点を各々みていこう。
なる)。
2-2)地域形成プロセスが自律的であり、国際的支配ナ
I権勢一影響力モデルと地域形成のプロセス
シオンがそれをもはや完全には制御できない場合、2−1
とは違った結果が生まれる。支配的ナシオンには、その
1989年、ヨーロッパと太平洋アジアは重要な類似点と
時の力関係に応じて、二つの選択肢がある。そのプロセ
相違点を提示した。一方で、大戦後多大な軍事費を払う
スを再度自分に有利なように引き寄せるか、そのプロセ
必要のなかった日本とドイツが経済的に強大になり、各々
スを多かれ少なかれ弱めることで自国に対する害を避け
のゾーンで支配的になり、アメリカに脅威とうつるよう
るのか、の二つである。また、その避けることができな
になった。他方で、太平洋アジアでようやく協調が始まっ
い地域形成が支配的ナシオンの成長にとってどれぐらい
たのに対して、ヨーロッパでは統一市場への道はすでに
る)として考えられている。
ン
ト
ロ
ー
ル
す
る
こ
と
に
一
層
熱
心
に
な
っ
て
き
て
い
る
こ
と
が
、
つまり、世界化とは世界をヒエラルキー化することな
−13−
−12−
1■
一 三 一 = = = = = ■ ' 一 ロ ー −
‐
= 一 ■ 一 一 ∼ 一 ■ ■ − − − − − − − 甲 一 ・ = = −
一 一
一 一
=幸
0
ー
一
一
−
−
●
一
_
一
一
一
一
−
−
−
−
= 一 三 ■ 犀 = 一 一 一 一 一 一
‐ 一 − − − − 一 一 一 一 一 三
■ロ■
開始されており、アメリカ、日本はこの統一市場への進
鎖を補うためにシンガポールと空・海軍施設使用に関す
展、つまり「ヨーロッパという砦」を懸念した。
る条約を結び、「協調のなかでの警戒」(16)という理念を
ドイツの立場をどうするのかという議論が、アメリカ
発表し、1995年には韓国における軍事力を強化し、日本
においてもソ連においてもNATOの将来についての議論
でのそれを維持し、その年三月にはミサイル搭載巡洋艦
のなかで重要な位置を占めていたが、本当の問題はヨー
を中国に向けた。こういう事実にもかかわらず、アメリ
ロッパにおけるアメリカの立場、ブッシュがむこう100
カの軍事的撤退は軍事費削減と本国における孤立主義の
年間の構想としてだした「新世界秩序」である。この計
高まりを生んでいる。さて、アジアにおいては紛争の種
画はドイツが「リーダーシップを握るパートナーとなれ
はつきない。例えば、中国は再軍備をはじめた。中国の
ば」強化されるだろう(ドイツはそのパートナーとはなっ
軍備はとても近代的とはいえないが、最近ロシアの潜水
ていないが)。軍事的側面以外で、OTANはアメリカに
用して、日本に圧力をかけ、日本がその政策を、とくに
める)(燭)。この拡大は、それ自体、自由貿易の発展とい
貿易政策を再転換させるようにすること力河能である(21)。
うよりも、とりわけ日本・ヨーロッパに対する挑戦であ
他方で、日本がこの地域で平和を保証する協力関係を
る。つまり、そこに参加するか、周辺化されるかという
作ることを目標にしているという事実が、アメリカの圧
選択をつきつけているのである。Volkerの提案はLavm
力の効果を減らしている、という意見もある。D.K.
に比べれば大人しい。アメリカ、つまり「世界でもっと
Nantoによると「多くのアメリカ人が、日本およびア
も富み強い国」のリーダシップのもとに三極の協調体制
ジア諸国による経済的圧力が旧ソ連の軍事的圧力に代わっ
を作る、という案である(お)。
て、アメリカの厚生をおびやかしはじめた、と感じてい
しかし、すべてのアメリカ人が太平洋アジアとヨーロッ
る」(愛)。これは、アメリカ商務省の明らかな見解であり
パを同様に論じているわけではない。BergstenとNol2n
(特に、日本航空産業の基礎になりえるFSXに関しての)、
dは日本のアメリカに対する差別を非難し、日本をアメ
艦等を購買し、空母の建造を計画し、軍事的活動を多様
A.C.Albrecht(23)が特に危倶している点である。Bergsten
リカにとってもっとも危険な競争相手とみなしている。
ヨーロッパの事件に関する監督権を与えることによって、
化しようとしている('7)。中国は台湾と衝突し、ミャンマー
とNolandによると、「旧ソ連の瓦解によって核戦争の脅
他方で、太平洋全体の責任を担う国として日本とアメリ
大西洋同盟におけるアメリカのリーダーシップを成文化
からインド洋の基地を手に入れようとし(インドはこの
威が減ったので、日本がアメリカの軍事の傘を必要とす
カの協調(G-2)を示唆し、ヨーロッパはもしそこに
した。たしかに、アメリカはカナダと同様に、欧州安全
ことを懸念している)、南シナ海の大部分に自国の領土
る度合いも減り、アメリカの圧力が日本に行使する強制
入りたいと思えば参加してもよい、という態度をとって
保障協力会議のメンバー国で、この会議を制度化するこ
権(スプラトリィ島('8)とナッナ島('9))を主張している。
力も減少し、アメリカと日本の軍事的協定のもつ意味も
いる。「日本とアメリカの協調(多くの場合、UEの参加
軽減した。(中略)
も求められる)を必要とする進歩が重要であり、より健
あるいは、北方領土をめぐる日ソの衝突、北朝鮮の核
とも受け入れた。しかし、この会議の目的は東西協調の
発展であり、分裂よりも統合を選ぶ。つまり、抑圧的な
軍備の脅威、冷戦後のアジア地域の軍備競争等々・
しかし、昔の習慣から抜けきれず、アメリカは日本と
全な雰囲気を作るだろう。理想的には、構築中のUEと
監督者としてしばしば現われるアメリカはこの会議には
こういうことから、最弱国の中のいくつかの国は、ア
の関係の色々な場面で昔ながらの見下ろした態度をとり
日本は新たな三極構造の中でアメリカのリーダシップを
無用なのだ。アメリカは当初、イギリスからの了解をと
続けている。桐喝によって日本に影響を与える効果は少
保つために、アメリカと協力するのが望ましい。しかし、
りつけたうえで、「欧州防衛」の軸に独仏を据える案(19
メリカの力だけがこの地域に平衡と安定をもたらすと考
えている。こういうことを思っているのは、それらの国
なくなった。努力によって日本と協調し、説得によって
実際問題として、ヨーロッパ統一ははっきりせず、少な
90年末)を失敗させようとしたが、最終的には1994年6
だけではない、YoujiKoikeによると「冷戦後、世界は
その協調を勝ちえることが必要である」(24)o彼らによる
くとも中期においてはその経済的結果はまったく予想で
月にクリントンはこの原則を受け入れた。しかしながら、
結論は次のように唐突である。「アメリカと日本は、過
きないので、アメリカと日本が"G-2リーダシップ”
ヨーロッパは自分の地域での紛争一イスラエル.パレス
前より不安定だ。アジアでは大国の勢力均衡は未だ一
時的なものでしかない。したがって、日本とアメリカが、
去のアメリカだけによるリーダーシップに代わる、世界
を行使しなくてはならない」(")。
チナ問題、ユーゴスラヴイア戦争−を自力で解決できな
経済問題を解決するためにだけ尽力するのは、望ましい
経済に対する両国共同の新しいリーダーシップを必要と
ここでは、前記の論者のヨーロッパとアジア太平洋の
かったこともあって、OTANは旧ワルシャワ条約機構加
ことではない」(")。
している。この共同のリーダーシップは統一の途上にあ
地域形成プロセスに関する意見については論じなかった
るヨーロッパと協力して作ることが望ましい。しかし、
が、この二つの間には性質と構造に関して二つの相違が
もしヨーロッパがまだその用意ができていないなら、日
ある。
米両国でそのリーダーシップを構築しなくてはならない」
一方で、地域形成プロセスの性質が異なる。確かに、
どちらにおいても、力関係がその地域において支配的な
アメリカでは、こういう新しい状況をどういうふうに
盟国を西欧の安全保障体制に組み込むために、大西洋だ
けではなくヨーロッパ全般にわたる安全保障を組織する
利用するのかについての議論が始まっている。
ための恒久的フォーラムに変質した(例えば、平和のた
一方で、最大の軍事的.敵対的ライバルがいなくなっ
めのパートナーシップ、あるいは、北大西洋協力理事会)。
たいま、日本がアメリカの軍事的支援を必要としている
これ拡大CEEへの道であり、いくつかの加盟国(例えば
度合いは、アメリカが日本のそれを当てにするよりも強
い、という意見がある。この前提のもとに(北方領土問
題、あるいは中国、北朝鮮の脅威があるので)、日本が
アメリカのこの地域からの軍事的撤退にたいしてもつ危
倶を利用するという戦略がある。この危倶に、日本が金
融面でアメリカの経済的困難に影響を受けるいうことを
フランス)が求めているCEEの深化とは逆方向である。
冷戦末の同時期、アジアの地域形成プロセスがヨーロッ
パほど進んでなかったとはいえ、アメリカは日本のアメ
リカからの独立の意志をヨーロッパのそれと同じぐらい
恐れた。アジアにおけるアメリカの存在を正当化してい
たのは安全保障の必要性、つまり、有事の際の軍事的カ
付け加えることができる。日本はアメリカに多額のポー
ウアーの保証である。冷戦終末後、アメリカはこの地域
トフオリオ投資を行なっているからである。少なくとも、
か
ら
軍
事
的
撤
退
を
は
じ
め
た
(
ス
デ
ツ
ク
湾
基
地
の
閉
鎖
の
後
、
アメリカが日本の資金引き上げのリスクにさらされてい
,
9
9
0
年
に
は
1
3
7
0
0
0
人
で
あ
っ
た
人
員
を
1
9
9
2
年
に
は
3
5
0
0
0
人
に
減
ら
し
た
)
。
ア
メ
リ
カ
は
1
9
9
2
年
に
フ
ィ
リ
ピ
ン
基
地
の
閉
るのと同様に、日本も投資の実現が困難になるリスクに
さらされている。したがって、こういう日本の危倶を利
(p.243)。この意見は何回も繰り返されるだろう。
経済とそれに適応しようとする経済、あるいはそこから
Ⅱ合法的リーダシップの維持。構築
利益を引き出そうとする経済を結びつけている。しかし、
ヨーロッパにおいては、地域形成プロセスはまず規則と
世界経済におけるアメリカのリーダシップ構築の条件
期限が与えられて、経済的秩序においてよりも政治的秩
を考える場合、経済的脅迫や圧力について分析するにや
序において先に制度化される。対内・対外貿易に直接に
ぶさかではない。Lavinによると、このリーダシッ
関わる規則と期限は、その条件、前以て決められた期日
プはアメリカ(事実上、自由貿易の行なわれる共同市場
に適用されている。貨幣に関しては、規則と期限は実現
の重心)の利益とその「寛大」さを結びつけるものであ
のための条件・費用を熟考する前にたてられたために、
るが、それでもなお彼はALENAをラテンアメリカにま
尊重されたためしがなく、その適用に関する議論が条文
で拡大しようと提案する(世界貿易のほぼ三分の一を占
のインクが乾く前にまた起こるほどである。厳密な意味
−15−
−14−
==.一一=’一一−一ーーーー=ー面亨マーーー些凹今一画一口■一一一二一一一一一・一一一一・一一−一一一一茜T−
−−
− P−
F 弓■
‘▲言
▼マ
ー ー一
三=
−
−
一
一
一一一一
ー
、
ロ
での生産に関しては、貿易の影に隠れて間接的に論じら
年代の軍事的拡大よりも有効である)形成しようとして
れているだけである(28)oアジアにおいては、地域形成プ
ロセスは制度化を恐れ、経済的ダイナミックに基づいて
いる。貿易は工業化の手段であり(必要な機械を購買す
ることなしには工業化できない)対外直接投資と密接に
関連しており、貿易の方向性も日本からその地域の遅れ
た国へと、決まっているわけではない(濁)。さて、この地
域でアメリカは大戦後のように支配的な経済ではないに
せよ、経済的に無視できる存在ではなく、この具体的な
経済ダイナミックに参加し、アメリカの企業はできるか
ぎり弱体化(これは企業撤退によって激化する)に抗し
いるのではないかと恐れているので、アメリカはこの内
ている(鋤)。
他方で、この二つの地域形成プロセスは、特にアメリ
カの立場という観点から、非常に異なった構造を生み出
した。アメリカはヨーロッパの制度の中には入りこめな
かったが、APECに入りこめた(APECの賢人会議の議
長はアメリカ人である)。確かに、アジアの様々な協力
機構の中でAPECは最大であるが、今までのところ、そ
の加盟国の多様性、各々の利益が合致しないこと、多国
間主義に内在的な困難によって、問題が競争力、環境、
ハイテク産業の育成に及ぶや否や、APECの効率は限ら
れてきた。また、確かに、アメリカは自分の意志を外か
(表1参照)。しかし、この増加傾向が加速しているよう
している(たとえその成立には困難や不確実性が付きま
には見えないことは除けておいても、ある貨幣がある地
とうことをアメリカは知っているにせよ)。UMEはアメ
域で用いられるようになるのは、その貨幣が同様に国際
リカの利益を損なう。なぜなら、アメリカの成長がだん
的支払い手段になった場合に限られる。
的矛盾に付け込むことができる。つまり、日本の影響を
制限し、アジア諸国に信頼感をあたえ、アメリカの影響
を拡大する顧客層を作りだす」。最後に、BergstenとNo
landが即座に指摘していることだが、太平洋アジア諸国
はたとえ実際に日本のダイナミックを恐れているにせよ、
Eはアメリカとヨーロッパの力関係を変質させ、三極世
だんヨーロッパへの輸出に依存してきているのに、UM
表1円の国際化
界の三極の協調を一層困難にするからである。UME
(%)198019851991
が一糸乱れず進展してはいない。遅れている国は、最
日本の輸入額(円支払い)2.47.315.6
どんな形であれ、アメリカの支配下に入ることはまった
終的にはブンデスバンクの(将来的にはヨーロッパ中央
日本の輸出額(円支払い)29.439.339.4
く考えていない")。
銀行の)指導者が進んでいる国に突き付ける要求に従わ
円の準備高4.48.09.9
このような状況を背景に、アメリカの二つの地域形成
プロセスに対する態度の相違を貨幣と投資の側面から分
ざるをえないだろう。しかし、このこともアメリカを安
ユ ー ロ 円 1 . 2 3 . 7 4 . 9
心させるものではない。最近、ドイツの指導者が「UM
出所:inKwan,C.H.,1995,&o"o77zicj>zteた
Eがいったん成立したら、我々はマーストリヒの基準を
dmerzdtmcei7ztノZeAsjq-Rzc"c7Zio",Routledge,
適応しなくてはならない」と主張した。アメリカはこの
Londres,p.159.
析しよう。
1.ドル/エキュ/円
主張から、ヨーロッパがマーストリヒ条約の実現に関し
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
は
エ
キ
ユ
を
ド
ル
に
替
わ
る
べ
き
国
際
支
払
い
手
段
と
し
て
、
し
ば
し
ば
提
示
す
る
。
ア
メ
リ
カ
が
恐
れ
て
い
る
の
てためらいを増しているのだとは考えなかった。アメリ
それにもかかわらず、争いが起きているのは円とドル
カは不安感を増しただけだった。なぜなら、アメリカは
の間である。アメリカはヨーロッパよりもアジアに興味
まだ貨幣に関する抽象的な概念に縛られていて、「貨幣
をもっている。太平洋アジアはアメリカを阻む制度をもっ
の
あ
る
い
は
一
地
域
の
貨
幣
が
国
際
支
払
い
手
段
に
な
り
え
る
の
が成立するのは本当の生産システムができてからだ」と
ていないので、アメリカはヨーロッパの対するよりも日
いうことを理解できないからである(33)oあるアメリカの
本に強い圧力を掛けることができる。アメリカは、素早
際
収
支
が
赤
字
で
あ
る
こ
と
(
貿
易
赤
字
、
私
的
資
本
の
流
出
、
研究者は、UMEの実現をベルリンの壁崩壊になぞらえ
く行動を起こし、アジア諸国との協調がアメリカ抜きに
て、次にように言っている。「UMEが実現したら、ドル
成立することを妨げなくてはならない。そういう事態を
支配の世界、戦後以来ワシントンが率いてきた国際通貨
アジア諸国も望んでいないことを知っていながらも、ア
体制が、終末を迎える。準備貨幣が一つだけの時代が終
メリカにとってはこのシナリオはもっとも危倶すべきも
わる。アメリカはヨーロッパに利子率、為替、つまり貨
のである。アメリカがUMEに対してもっている懸念は
幣.金融政策関して協調するように強要できなくなる」
ここでも当てはまるだろう(輸出の減少、合法的リーダ
(鋼)。彼らは不平を言うが、この動きに抗する方法がな
シップを形成する協調体制を作る際の困難)。円高の加
が
そ
の
こ
と
で
は
な
い
こ
と
は
ま
っ
た
く
明
ら
か
で
あ
る
。
一
国
は
、
そ
れ
が
豊
富
で
あ
り
一
そ
の
貨
幣
を
発
行
し
て
い
る
国
の
国
あ
る
い
は
公
的
移
転
)
一
、
支
払
い
手
段
と
し
て
他
国
か
ら
受
け
入
れ
ら
れ
る
場
合
だ
け
で
あ
る
。
ド
ル
の
重
要
性
は
、
そ
れ
が
世
的
に
受
け
入
れ
ら
れ
、
欲
っ
せ
ら
れ
て
い
る
と
い
う
と
こ
ろ
に
ら強権的に押しつけることはもはやできない。それでも 界
拠
し
て
い
る
。
エ
キ
ュ
が
他
国
へ
の
貸
し
付
け
を
通
じ
て
豊
富
なお、アメリカは国際的支配経済であり、APEC内の制 依
に
な
る
こ
と
は
想
像
で
き
る
が
、
そ
れ
に
加
え
て
、
エ
キ
ユ
は
支
度的な地位を通じて、APECの効率性を上げ、その内部
払
い
手
段
と
し
て
受
け
入
れ
ら
れ
ね
ば
ら
ず
、
ド
ル
と
即
座
に
交
でパートナーシップを作り、世界経済のリーダシップを
換
さ
れ
て
は
な
ら
な
い
。
ま
た
、
ア
メ
リ
カ
は
円
が
ド
ル
に
取
っ
と
る
こ
と
が
で
き
る
。
こ
の
意
味
で
、
L
a
v
i
n
は
次
の
よ
う
に
示 て
替
わ
る
こ
と
を
恐
れ
る
理
由
も
な
い
。
日
本
は
、
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
唆
す
る
:
「
ク
リ
ン
ト
ン
は
、
A
P
E
C
を
縮
小
版
O
E
C
D
に
す
る が
エ
キ
ユ
に
つ
い
て
考
え
て
い
る
よ
う
に
円
を
ド
ル
に
と
っ
て
替
よ
り
も
、
加
盟
国
の
様
々
な
グ
ル
ー
プ
間
に
非
差
別
的
な
通
商
協 え
た
い
と
は
思
っ
て
い
な
い
。
日
本
の
貿
易
黒
字
を
考
え
る
と
、
定
を
結
ぶ
こ
と
を
通
じ
て
自
由
貿
易
を
建
設
す
る
方
向
に
A
P
E
C援
助
に
割
か
れ
て
い
る
額
が
比
較
的
豊
富
な
こ
と
を
考
え
て
も
、
を
導
か
な
く
て
は
な
ら
な
い
だ
ろ
う
。
た
と
え
、
こ
の
案
が
全
員 円
が
国
際
支
払
い
手
段
に
な
る
と
は
考
え
ら
れ
な
い
。
日
本
の
生
一
致
で
受
け
れ
ら
れ
な
い
に
せ
よ
」
(
3
1
)
。
産
.
金
融
資
本
の
流
出
は
借
り
て
い
る
資
本
に
見
合
う
も
の
で
し
実
際
'
二
は
、
複
合
的
な
戦
略
、
い
わ
ば
、
三
重
の
引
き
金
が
現 か
な
い
。
だ
か
ら
、
円
が
ア
ジ
ア
諸
国
の
外
貨
準
備
で
ド
ル
よ
り
使
わ
れ
て
い
な
い
こ
と
は
、
日
本
の
こ
の
地
域
に
対
す
る
影
響
在
進
行
中
で
あ
る
。
第
一
に
、
「
世
界
で
も
っ
と
も
早
く
成
長
し も
て
い
る
地
域
(
西
太
平
洋
、
東
ア
ジ
ア
)
に
お
い
て
、
徐
々
に
経
済
が
日
本
の
通
商
・
投
資
ブ
ロ
ッ
ク
に
引
き
寄
せ
ら
れ
て
き
て
い
る
」
が
、
A
P
E
C
に
お
け
る
ア
メ
リ
カ
の
存
在
が
日
本
の
影
響
を
コ
ン
ト
ロ
ー
ル
し
て
い
る
。
第
二
に
、
「
こ
れ
ら
諸
国
は
、
日
本
UME(欧州通貨制度)のもたらす効果については危倶
が
新
た
に
『
大
東
亜
共
栄
圏
」
を
平
和
的
な
貿
易
を
通
じ
て
(
3
0
を
評
価
す
る
際
の
指
標
に
は
な
ら
な
い
。
同
様
に
、
た
と
え
ば
、
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
で
は
マ
ル
ク
は
第
一
の
支
払
い
準
備
貨
幣
で
は
な
い
。
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
は
エ
キ
ユ
が
ド
ル
に
替
わ
る
こ
と
を
夢
見
て
い
る
。
アメリカはこの夢に関しては放っておくだろうが、
速は(図1参照)、日本の輸出を困難にし、この地域に
いことを知っている。
とにかく、今のところ、アメリカは「円ブロック」の
おける日本の地位を弱体化する手段であった。実際には、
形成、あるいはいわゆる円の「国際化」を懸念する必要
円高の加速は日本経済を窮地に追い込んだが、アジアに
はない。この傾向は、確かに日本のこの地域における交
おける経済的紐帯を強める結果にもなった。つまり、円
易上の重要性から考えても進展するが、円の国際化を邪
高とともに、日本企業はアジアの生産基地を増大し、真
魔する二つの制約条件(エキュの場合よりも強い)があ
の水平的分業を設置し、1993年以降、日本の東南アジア
る。一つには、アジアの研究者がよく言っているように、
に対する経常収支はアメリカとのそれを越え、日本企業
アジアは円を政治的な理由から受け入れることができな
はアジア諸国からアメリカに向かって輸出した。こうい
い。二つ目には、円はエキュと比べても豊富に出回って
う事態はアジア諸国と日本が協調しようという政治的意
いる通貨ではない。これはヨーロッパよりも日本の貿易
志をもっていたからではなく、当該諸国の成長の条件を
黒字が安定して、強いことによる。この二つの理由は円
なす具体的な経済的事実から生まれたのである。
がこの地域で出回りはじめていることとは矛盾しない
17−
二 一 一 一 一 句 一 一 一 F − d ■ ■ 凸 一 一 四 辛 宇
一
一 一 = 、 一 一 一 − 一 一 一 巳 マ ▼ 言 ■ ■ 一 一 一 ヨ ー ー = 一 宅 二 一 一 一 四 口 。 。 -
、
’一
一
F一
0
00
.
3
252
m
︸11■9。00︲,︲一’・もりlⅡ’000−日111
画一。
/
ノ
/
/p∼。.。=。
。/、、ロ/"
150
100
50十
’
’○ト①↑
−1↑
︲ぬ
,α
・の
︲ト
?‘わ
‘、寸
.︲N
0
・・の
一手の①
I
図1名目実効為替レート
制裁-TradeAct(1974),OmnibusTradeandCom-
関係を作るだろう。しかし、日本を含めてアジア諸国は
p
e
t
i
t
i
v
e
n
e
s
s
A
c
t
(
1
9
8
8
)
の
s
u
p
e
r
3
0
1
あ
る
い
は
数
量
的
「この新しい協定に参加する以外に選択肢はなくなるだ
交渉(「管理貿易」)に関して談論が起こっている。国際
ろう」(燭)。またぞろ、脅迫が顔をだしている。
貿易の基礎的な規則としてGATTの規則の世界的な受け
上記の立場は共通ではない。様々な懸念が表明されて
入れが主張されている一方で、これらはGATTの規則を
尊重しない方法である。ここでは日本に関するこの問題
いる。一つはアジア諸国の反応に対してである。アメリ
を深く論じない(")o
クラブ」、最悪の場合には「白人クラブ」として映るだ
カとヨーロッパだけの協調関係はアジアには、「金持ち
ろう。アメリカがヨーロッパとアジアに同時にしかし、
減少し、軍事支出が削減されている今、アメリカの成長
は輸出にかかっている。このことが、両地域の地域形成
プロセスに対するアメリカの政策の根本的な基準をなし
こういう状況のなかで、もし、欧米のパートナーシップ
相が言うように自分たちだけの通商ブロックを形成する
はアメリカに困難をもたらす。それに対して、アジアに
ている。しかしながら、アメリカの態度は各地域が制度
だろう(これこそがアメリカが特に恐れていることであ
対してはアメリカは介入できる。つまり、アメリカは自
分たちぬきにアジアがまとまることを望んでいない。特
的にどれぐらい構造化しているのか、アメリカがその地
る)。他方で、アメリカがヨーロッパを警戒していない
域の内側から参加し得るのかどうかによって、明らかに
わけではない。アメリカは次のように感じている。UE
異なっている。
はゲームの規則を変更しつつある。農業、ある種のサー
。
←
ー
I
│
’
一一円一一o−−ドル一一一エキユー12(1)
’
(1)非加霊の新実工業諸国との比(出所:ECo7zom,ieEz"Op6e""e,n.59,1995,tab.59)。
アメリカの態度を無視して議論を勧めるわけにはいかな
に、そこにはもはや支配的な役割をはたすことができる
強力な力(例えば日本)がある以上、アメリカは介入し
い。アメリカの態度は彼らの世界的リーダシップについ
たがっている。
では問題にしていない。しかしながら、それらに対する
とも活動的なアジア諸国との間に短期間においては緊張
個別に交渉をもつことは、二枚舌のように見えるだろう。
Nの寸u,《、ト。。。9'-<、!②寸哩,
の
←
それを推進する経済諸力、その諸力間関係の性質はここ
」(訂)。しかし、アメリカにおいてでさえ、日本に対する
メリカとの間に貿易「摩擦」を生んでいる。国内需要が
N”寸ゆの1−”のロ
ー
”
アジアとヨーロッパにおける現実の地域形成プロセス、
も参加しようとするだろうし、国際貿易においてもっ
アジア・ヨーロッパで進行中の地域形成プロセスはア
l ● ■ 凸 4 ■ ■ + 凸 ■ 凸 ■ 、 』
、
。・6、0ロ,ロ。ロⅡ一一『一一一 _B
2.貿易と直接投資
問題は、自国の脆弱な経済的パフォーマンスなのである
がうまくいかなかったら、アジア諸国はマレーシアの首
ヴィス部門、技術研究に関して、アメリカを排除しよう
アメリカとヨーロッパの間には、多様な摩擦力起こり、
部分的で熱心な交渉が行なわれた。その交渉は様々な主
として、『アンフェアに」行動しつつある。Patterson
ての考え方によって決まる。しかし、この大国が自国の
日米の貿易紛争を無視するわけにはいかない。この紛
題に関しての「口論」になってしまった(圏)(ヨーロッパ
の次の意見はいつも受け入れられている。「UEの行動は
利益、行動形態を決めるときだけにせよ、アメリカは他
争は地域全体に対して間接的な効果をもたざるをえない。
は一応自由主義を標梼しながらも、ブリュッセルはメン
国際貿易システムにとって、深刻な問題を生み出し脅
バー国固有の利益に関心を持って、これら矛盾する利益
威を与えつつある。意思決定プロセスは遅滞しがちで、
を調整するために絶え間なく命令を下している(鋤)。しか
予想がつきにくく、保護主義的な色合いを帯びている。
しこのことは、UEとATENA間に自由貿易協定の構想
」(44)。FinancialTimesのM.Wolfは1989年に次のように
を進行させる妨げにはならなかった(41)。自由貿易推進
書いた。「UEの交渉プロセスの一つの結果として、内部
ぎり、一国モデルには無縁の問題を生み出す。なぜなら、
アメリカはこの地域の国々との関係が、自国の日本に対
する態度に依存するであろうことを知っている。アメリ
カは構造的赤字(弱)を日本の工業部門の「閉鎖性」(依然
としてこの閉鎖性はアメリカのそれよりも強い)に帰し
て、日本に新たな政策を課したがっている。日本の黒字
派は次のようにその可能性と利点を強調する。ウルグア
の衝突を外部化することがある。例えば、イタリア政府
国家は国境に介入するからである。国際貿易は基礎的な
が関税による「保護」によるのではないことは解ってい
イ・ラウンドでは、もはやUE-ALENA間の多くの関税
によるイタリア鉄鋼業に対する助成金によって、ドイツ
経済単位、環境的な要素、それらの発展の度合いを関連
る◎頑強な制裁派であるドーンブッシュは次のようにいっ
を引き下げることが約束された。UE-ALENA間で係争
の鉄鋼業が痛手を受けた場合、自然な解答として、その
づける生産構造、力関係に大きく依存している。これら
中の衝突(それは農業、ハイテク産業、ウルグアイ・ラ
助成金の制限と外国に対してより保護主義的な方策をと
ウンドで取り扱われなかった工業部門、文化的サーヴィ
の様々な点に関して、アジアとヨーロッパの地域形成プ
ロセスはまったく異なっており、それに対するアメリカ
ている。「日本を閉鎖的にするメカニズムは明らかでは
ない。関税障壁も割り当て額もない。しかし、閉鎖的経
済の定義がなんであるにせよ、日本は閉鎖的である」(鰯)。
ることが提示される」(絹)。1994年には、もはやためらい
スに関する)も、無視できるものではないにせよ、新国
なく、「section301を適用できなかったのは、かつての
アメリカが抱えている困難を日本の社会=生産構造の
際貿易機関(WTO)内(“)で新たに多国間で議論するよ
の態度も同じではない。
盟友と衝突したくなかったからだ」、と言うほどだった。
りはUE-ALENA間で協定を結ぶほうが簡単に解決でき
世界の変化にヨーロッパがついていけなくても、アメ
るだろう。UE-ALENA間では貿易量は直接投資と同様
リカはアジアと新たな関係を作るための努力の歩調をそ
ほぼ均衡し、生産構造は類似しているので競争がその構
れに合わせて遅らせるわけにはいかない。時間力混りな
造をより効率的にするだろう。このまとまりは世界経済
いうえに、アジアは急速に変化していくからだ。明らか
において支配的になるので(世界全体の生産量.貿易の
なことは、アジア・ヨーロッパの地域形成プロセスを同
40から50%を占める)、ラテン.アメリカ諸国はすぐ、に
じ視角、概念から比較すると(それがこの論文の目的で
国の性質を考慮して態度を決めている。貨幣的な問題が、
貨幣と国家権力が密接に関係していることから、地域形
成プロセスの制度的な側面で大きな重要性をもっている
一方で、国際貿易は、我々の世界が計画経済ではないか
国際貿易は部分的に制度的枠組み(ゲームの規則、枠
組みの構造、ペルーによって作られた概念を再考する必
要がある)に依存している。ヨーロッパがまとまりとし
て存在している一方で、太平洋アジアはまとまりとして
はまだ存在していない(そうなるかもしれないが)。ア
メリカの態度の違いは、アジア・ヨーロッパの現実の違
いによる。アメリカが介入できないヨーロッパの制度化
性質のせいにすることもできるだろう。というのは、構
造の中にはいいものも悪いものもあり、国際的支配経済
は自分にとって都合のよいものをもちあげるからだ。例
えば、ドーンブッシュは「日本の貯蓄率の法外な高水準」
を告発している。彼はもっと興味深いことも言っている。
「もちろん、日本が開かれることがアメリカで『日本問
題』と呼ばれている問題の万能薬ではない。我々の真の
−19−
−18−
■
二辞
﹄一
一石
一
一
幸
一
つ
一
白
一一
一
一再
室、
’一
一一
一
一
一
、
一
一
=一一・・・
一
’一
一一
凸
一一
一
一
一
一
﹀
一
一
一
戸
一
画
一
一
q
一
ー
一
一
一
一
一
一
一
一
・
.
一
・
一 一
=
=
=
ヨ
一
一
一
一
− ー ・ 口 − − − 口 ' 一 = 一 一 司
一
]
一-一
.一一=一
ー
----.一一
‐
− −
−
1
’
はなぃが)、アメリカの両地域に対する態度の相違を作
AIENAと太平洋アジアの関係は生産構造の相違、そ
り出すのは、両地域の地域形成プロセスの相違であるこ
の地域のおける諸国の関係の性質の相違によって、上
とがわかる。つまり、生産構造の相違が国際貿易を条件
記のような親近性があるとは言えない。太平洋アジア諸
付けているのである。しかし、アメリカの論者が、「日
国が自らの発展モデルに採用したのは西洋ではなく、日
本は他のOECD諸国と違う」《総)ということを強調する場
本なのである。日本モデルが本質的に発展とキャッチ・
合は、両地域の地域形成プロセスを区別する二つの本質
アップのために効率的なモデルとして特徴づけられてい
的な事実を倭小化しがちであり、「アメリカは両地域と
同じ関係をもてない」ということを協調するためである。
ることを西川が強調するとき、そのことがよく理解でき
る。日本をモデルにすることは、その成功が生み出した
その二つの事実とは、日本はアジア諸国にとってのモデ
新たな欲求に応えるためにそのモデルを今日、再考し、
ルである(「雁行形態」論は部分的にしかあてはまらな
新たに方向付ける必要があることを意味している(")。明
らかに、アジアの他の国々は、現在の日本の発展段階が
抱えている困難よりも、キャッチ.アップのための条件
の方に腐心している。アジア諸国は、Sautterが日本か
い)ということと、アジア諸国の関係は、世界の他地域
における関係(南北関係、北一北関係)と異なっている、
ん頂点に達したのち、1992年に1980年の水準にもどった。
きる。下の表はその地域の二大国(アメリカと日本)の
アメリカから各グループへの輸出はゆっくりと増加し、
投資量(これは昔から各国で一番多いというわけではな
アメリカへの輸出を若干上回っている。
い)の他にアジア諸国間の投資の緊密な錯綜構造を示し
一日本への輸出は減り、日本からの輸入は急速に増加し
ている。この錯綜関係は古くからあり、1960年代以降、
つつある(1980年にはアメリカからの輸入のほぼ二倍で
日本が国内的な理由によってその活動の一部をアジア諸
あった)。
国に下請けに出したときから始まった。それは、日本が
貿易量と海外直接投資がどのように結びついているの
収益の低い部門からより興味深い部門(たとえばより汚
かをみれば、「成長の三角形」の現実をよりよく理解で
染の少ない)へ資本を移転させようして、計画的にアジ
表2アジアにおける相互投資
∼から
∼ へ
3
(
0
,
5
7
)
1
(
4
7
)
3(5.4)7(1.8)4(4.4)
1
(
1
.
8
)
3
(
0
.
2
2
)
7
(
0
.
0
4
)
10(#)1(0.39)
4(0.07)1(0.43)
1
(
6
.
1
)
5
(
0
.
0
8
)
5
(
0
.
3
5
)
7(1.41)4(2.06)5(1.52)
を違えながら、政官財システム、「系列」(⑲)、「談合」(韓
国ではchaebol)、「日本式」の様々な生産方法を使用し
(
0
.
6
4
)
9.ニュージーランド 2
10.フィリピン
融市場に大きく依拠しているので資本価格の不安定性、
株主の利益、株式の公開買い付けから影響を受ける(株
式の公開買い付けの危険性はドイツにおいていちばん少
ない。ドイツでは銀行部門が強大であり銀行と工業の結
びつきも強いからである)。企業は一つの職に集中して
いて、部門ごとに独立いる。例外としては、生産のロジッ
地域形成プロセスのとって、もっとも決定的なのは、生
ク
を
越
え
た
コ
ン
グ
ロ
マ
リ
ッ
ト
、
一
般
商
業
部
門
を
欠
い
た
国
際
カ
ル
テ
ル
が
あ
る
。
社
会
構
造
に
つ
い
て
は
、
「
社
会
契
約
」
が
存
続
し
て
い
る
国
も
い
く
つ
か
あ
る
が
、
そ
れ
ら
は
規
制
緩
和
や
労
働
法
の
見
直
し
(
そ
れ
は
い
つ
も
労
働
一
般
に
、
つ
ま
り
、
システム、国家の役割(だんだん工業に多額の金融する
だけの役割になってきたが)などが共通点としてある。
もちろん、ここでも、アングローサクソン・モデル、ド
イツ・モデル、そして多分、「公共部門」を一時的にせ
よ保持しているフランス・モデルを区別しなくてはなら
ないが。
I|
出
が
非
常
に
増
加
し
た
(
2
5
か
ら
5
0
%
)
。
例
外
的
に
、
A
S
E
A
N
内
で
の
輸
出
は
常
に
低
い
比
率
で
と
ど
ま
っ
て
い
る
(
1
8
%
)
。
−
グ
ル
ー
プ
全
体
の
ア
メ
リ
カ
へ
の
輸
出
は
、
1
9
8
6
年
に
い
っ
た
-20-
1
0
(
0
.
5
8
)
5
(
0
.
1
6
)
6
(
3
.
1
4
)
2
(
0
.
1
3
)
1
(
9
.
6
)
4(0.1)9(0.01)11(0.01)3(0.12)
8
(
2
.
4
5
)
13.ヴェトナム
1
1
(
0
.
0
5
)
2
(
0
.
5
5
)
4(0.36)6(0.27)5(0.33)
9
(
0
.
1
2
)
69
8.84.40.0156.4
4.1
6.5
2.4
1.オーストラリア
6(5.9)1(65)7(2.5)2(57)
2.中国
3.香港
6
(
0
.
1
2
)
2(6)8(1.2)6(2.7)
2(1.48)7(0.09)5(0.2)
4.台湾
5.勧告
4
(
0
.
1
7
)
9
(
0
.
0
2
)
2(0.29)6(0.09)7(0.03)
2(0.31)5(0.06)8(0.03)
6.インドネシア
1
|
’
あるいは自グループ内での輸出量の比率の変化を1980年
か
ら
1
9
9
2
年
ま
で
お
っ
て
み
る
と
次
の
事
実
が
わ
か
る
。
−各経済グループ(その下部グループも含めて)内の輸
8
(
0
.
0
8
)
12(#)
1 0 1 1 1 2 1 3 1 4 1 5 1 6
APEC全体を指すが、このアジア諸国の輸出量(その国
分析はすでに、NayaとIboshi(m)が日本・アジア諸
国・アメリカからなる「成長の三角形」という名で呼ん
賃
金
、
労
働
時
間
等
に
伸
縮
的
効
果
を
も
た
ら
す
)
に
よ
っ
て
完 だ事態を示している。この分析は、この地域でどのよう
全に骨抜きにされている。以上の親近性によって、AL に物量が錯綜し、相互に調整され、自律的な成長を産み
E
N
A
と
U
E
間
で
の
相
互
的
な
投
資
(
交
差
投
資
)
が
容
易
に
な だしているのかを説明している。各経済グループの輸出
る。それ以外にも、低い貯蓄率、相対的に伝統的な育成 量に占める、他グループからのあるいは他グループへの、
6(0.02)5(0.04)
4(0.28)13(0.02)6(0.11)
7
(
4
.
8
)
9
(
2
.
1
9
)
1
0
(
0
.
0
1
)
合計
間大西洋貿易(10.2%)を上回っている。アジア諸国、
この用語は、東アジアの発展途上国(中国、ASEAN、
への、その国からの、それらの国同士での)についての
2
(
0
.
3
)
9
(
0
.
7
)
12.タイ
11.シンガポール(1)
産的投資と貿易の入り組んだ構造である。1993年には、
「虎」)あるいは、それに日本を加えた全体、あるいは
4
(
0
.
1
7
)
1
2
(
0
.
0
2
)
6
(
0
.
0
7
)
1(1.15)7(0.16)2(0.7)
9
7.日本
11(0.04)6(1.51)8(1.12)3(3.1)
8(0.06)1(1.6)2(0.5)4(0.12)
8.マレーシア
4(0.43)3(0.5)6(0.26)9(0.04)
9.ニュージーランド
3(0.48)7(0.03)1(0.95)
10.フィリピン
7(0.06)8(0.06)1(1.07)11(0.02)10(0.04)
11.シンガポール(1)
12.タイ
2(8.1)3(5.1)
1(0.17)7(0.03)5(0.04)
1(0.6)10(0.11)7(0.22)
13.ヴェトナム
合計
1
1
’
5
(
3
.
8
)
0.0413.150.2085.35.965.4
4.8
17
18
合計
4
(
2
0
)
209.3
1
0
(
0
.
2
5
)
9
(
0
.
0
6
)
9
(
0
.
3
2
)
4
(
0
.
5
)
75.7
5
9
(
0
.
0
2
)
6
(
0
.
0
6
)
5
(
0
.
0
9
)
3
(
0
.
2
5
)
1
2
(
0
.
0
3
)
7
(
0
.
0
7
)
9
(
1
.
1
)
3
(
0
.
1
6
)
1
0
(
0
.
0
4
)
1
1
(
0
.
0
4
)
22.1
52
88
●● 22
23
8.マレーシア
親近性(ここから部門間の国際貿易が盛んになる)と資
本構造の親近性、社会構造の親近性によって特徴づけら
れる。生産・資本構造については、両地域とも、多かれ
少なかれ大規模な企業がその主役であり、その企業は金
けではなく学校も」(縄)を取り入れ、少しずつニュアンス
2
(
3
.
4
7
)
9
(
0
.
0
3
)
8
(
0
.
0
7
)
10(#)
3
(
3
7
)
8
43
●●
11
6.インドネシア
7.日本
東アジアの貿易量は世界貿易量の,1.8%を占め、これは
7
2.中国
3.香港
ら引き出した規則、「国家だけではなく企業も、貯蓄だ
このほとんど制度化されていないアジア諸国において、
6
5
(
1
1
)
’
ている。
5
8
(
1
.
6
)
8
(
0
.
0
3
)
アメリカとUE、事実上はALENAとUE(いずれも発
展度の異なった国を内包している)の関係は生産構造の
4
1.オーストラリア
4.台湾
5.勧告
ということである。
3
2
1
9
(
0
.
0
5
)
6
(
0
.
0
4
)
4
(
5
.
0
4
)
8
(
0
.
0
3
)
38.8
0.7
8
(
0
.
1
5
)
3
(
0
.
5
)
3.6
0.72
28.1
註列は投資国を示す。列の1から13までの数字は行のそれにも対応する。14から18までの数字はこの地域外からの
投資国を占めす。14アメリカ、15ドイツ、16イギリス、17フランス、18他のヨーロッパ諸国。
−最初の数字はその投資国の投資先におけるランクを示す。()内の数字はその投資額。単位は10億アメリカドル、
#は1万ドル以下の投資額を示す。
一行の総計は、ここに載っている投資額の総計を越える。なぜなら、小額の投資は無視しているからである。
−シンガポールに関しては、ASEANの国別の統計ではない。ASEANは全体で31.7億ドルをシンガポールに1992年
に投資した。故に、シンガポールにとって五番目の投資者である。
出
所
:
F
Q
F
政
z
s
t
e
r
7
z
R
e
U
t
e
u
ノ
,
v
o
l
.
1
5
8
,
n
o
4
1
,
1
9
9
5
/
1
0
/
1
2
.
−21−
一
一一一一卓1−
111
アに進出する前のことである。このような下請け企業か
本・技術力をもたない。シンガポールは1986年から1991
ら、アジア諸国は、韓国コングロマリット(例えば今や
年にかけてジョホーレ・バールに多額の投資を行ない、
どこにでもあるユンダイ、サムソン、ラッキー・ゴール
地下鉄はそこまで通じ、シンガポールとバッタムの間は
ド.スター)の一部としてにせよ、あるいは台湾の専門
架橋された。シンガポールはスマトラ島から水を引き、
化した小企業としてにせよ、重要な生産者になってきた。
シンガポールの公企業はインドネシア企業と協力してバツ
それらは、ハイテクにアクセスできる、あるいはアクセ
タムに工業用地を作り、1990年から、およそ30の企業が
スしており、もはや大企業といってよい。そして、今度
そこに定着することを決定した。
日本でも九州において同様のプロセスが見受けられる。
各々の投資にはそれ固有の理由があるにせよ、親近性
まず、トヨタと日産がそこに進出し、ついでマツダ、本
田が山口県に腰を据えた。それに百以上の下請け企業が
続いた。工業が農業を活性化した(例えば、香港・アメ
(地理的な、つまり文化的な)は、NayaとIboshiが(仕
事のの実務に関する)「私的障壁」と呼ぶものを乗り越
1
§固の投資内訳(1993-94星
インドネシアは経済的戦略的理由から、パッタム島
(シンガポール海峡のすぐ南)に投資したがっていた。
マレーシアは、ジヨホーレ・バール(マレーシア半島の
南)に発展の極を作るためにジヨホーレ地方に投資を誘
オーストラリア
オーストラリア
2
香港
オーストラリア
インドネシア
中国
オーストラリア
中国
シンガポール
3
ニュージーランド
インドネシア
マレーシア
ヴェトナム
インドネシア
インドネシア
中国
4
フィリピン
シンガポール
ヴェトナム
マレーシア
フィリピン
ニュージーランド
香港
5
韓国
ヴェトナム
フィリピン
日本
ヴェトナム
マレーシア
インドネシア
表4日本の投資先(投資額によるランク付け)
年、国シンガポール中国香港インドネシア
93-94
5
6
7
8
9
0
1
2
2
3
5
3
1
4
5
5
1
6
6
1
8
8
7
6
2
3
1
2
1
1
1
2
3
1
5
4
4
5
3
1
1
彦︸
びつける基地になっている。
シンガポール
ン
を起こしながらも、大西洋岸の様々に異なった地方を結
インドネシア
リ
ア
メ
リ
カ
は
1
9
9
4
年
(
1
9
9
3
1
9
9
4
)
に
8
5
0
億
ド
ル
を
A
P
E
C
に
投
1
9
の
地
方
は
1
%
以
下
に
す
ぎ
な
い
)
(
趣
)
。
こ
こ
に
は
華
僑
経
済
網 資
した。しかし、そのうち、オーストラリア以外のアジ
の効率性をみることができる(園)。なかでも、オースト ア
諸国に対する投資は200億ドルである。この数字は日
ラリアにおける華僑のインプランテーションは当然摩擦 本
のそれとほぼ同額である。この投資額の内訳も両国で
中国
フ
その差が表れるのはアジアに対する投資額ではない。
中国
イ89999999
ついて仮説を立ててみよう。
オーストラリア
タ
987年にかけて、中国において海外投資によって金融さ
れている「計画」の65.3%、9.6%を占めている(他の
地方は2.7%以下の計画しか請け負ってなく、その内の
1
8
8
8
8
8
9
9
9
うに評価すれば、世界で,3番目の工業力をもっていると
交差投資は、下部一地域に無視できない影響を与えて いえる(韓国が12番目)。
いる。渡辺によると、「中国のいくつかの沿岸地域(グ
アジアにおけるアメリカの投資と日本の投資の差はど
アンドンやフジアン)は香港あるいは台湾に統合されて こ
にあるのか。その差を明らかにしながら、アメリカが
いて、その逆ではない」(副)。これらの地域は、1979から1 なぜ対ヨーロッパと対アジアでその態度を変えるのかに
日本
ィ98723246
生じるのである。三つの例を挙げよう。
シンガポール
鯛32356888
すなわち、地域の成長はある交点、発展の極を媒介に
マレーシア
今ン
い込む一方で、九州は韓国でソフト.ウェアを販売した。
九州に、五大コンピューター.メーカーが隣り合わせに
設立された。中国もこの動きに無関心ではなくウーハン
の大学が九州と提携した。九州を独立国家を評価するよ
韓国
’
ダーウオー・グループは日本のソフト.ウェア市場に食
親近性はそれを内部化している)。
台湾
ア
にある(例えば、売買に掛かる費用のことを考えると、
香港
−77864534
山で韓国と九州の関係についてのセミナーが開かれた。
中国
マ
に対抗、あるいはそれと区別されるもので、「公的障壁」
が下がる傾向にある一方で、「私的障壁」は上がる傾向
順位、国名
レ
リカに輸出されている「黒牛」の飼育)。1992年には釜
はその例である。
代につれて、アジア諸国がその発展度を変えてきている
’
えるのに非常に役立つ。この「私的障壁」は「公的障壁」
アメリカの投資先に近年ヴェトナムが表れてきているの
館54667677
はそれらの国々がその地域に投資する必要を感じだした。
ことと結びついている(例えば、「雁行形鯛のように)。
争の対象ではない。これらを偶然の一致と考えるわけに
はいかない。日本のアジア諸国に対する投資はその内訳
をここ数十年で非常に変化させてきた。この変化は、時
5 6 7 8 9
2 3 4
出
所
:
本
論
文
の
表
2
及
び
、
前
掲
書
K
u
ノ
“
、
&
O
"
O
m
i
C
l
i
l
t
e
J
"
e
7
@
d
a
"
C
e
…
,
t
a
b
.
3
1
.
p
.
4
5
(
訳
註
:
順
位
が
重
複
し
て
いるのは、投資額がほとんど異ならない場合である)。
I
アメリカと日本の相違は、私が思うに、二つの現象の
絡み合いのなかに見いだすことができる。一つは、「雁
行形態」に関してであり、もう一つは日米の行動様式の
相違、及び日米に対するアジア諸国の思惑の相違、であ
る。「雁行形態」論は1962年以降、産業構造の変化につ
的な水準は、「新規参入者」が旧式な生産者から賃金効
果を通じて競争力を奪い、他の遅れた国に追い出せば追
い出すほど、急速に進む。このことは別に不思議なこと
ではない。
このような発展様式は今日、とくに太平洋アジア、そ
いて、赤松によって提示されてきた考え方である。同様
して少なくとも部分的にはラテン・アメリカにおいてみ
の構想として、「S字カーブ」と「プロダクト・サイク
られる。この様式はヨーロッパにとっては過去のもので
ル」論(Vernon)がある。山沢はそれを使って、投資
あり(UEの最初の拡大期における南欧諸国にさえ当て
ほぼ同じである。第一に、シンガポール。続いて、中国、
が実現され、労働の質の向上、生産方法あるいは労働編
はまるとはいえない)、アフリカのサハラ諸国にもほと
香港という順番になっている。日本が他のアジア諸国
(行動形態が特殊な中国を除く)と投資形態において似
成の高度化が生み出されるにつれて、産業がある国から
んどあてはまらない。したがって、これはもはやヨーロッ
他の国に移転していくことを説明している。ある意味で、
パの問題ではなくラテン・アメリカ、アジアの問題であ
すべての発展のプロセスは段階的に進んでいくといえる。
り、日米はそれぞれ異なった方法でそれに対処している。
投資が少なくとも部分的にせよ「外」から成される場合、
Hufbauer(他)は日米の企業の行動に相違点を見いだ
技術移転がその受け入れ国により複雑な生産過程を使用
している《")。受け入れ国が企業にとって開放的であるか
できるようにするので、Amsdenがいうように、「新規
どうかということは企業にとって決定的だが、地球の上
参入者」がもっている有利な点が表れる。生産性の平均
にはまだ工業化していない地域がたくさん残っているの
通っているのは、投資先にインドネシア(五番目)をあ
げている点だけである。東アジアだけを考えると、他の
アジア諸国ではインドネシアは投資先として一番目か二
致したがっていた。これは、都市国家シンガポールにとっ
番目(中国の前か後)である。シンガポールに投資して
ては、自らの地位を高め、国淵上を推進するいい機会だっ
い
る
の
は
マ
レ
ー
シ
ア
と
香
港
だ
け
(
香
港
に
と
っ
て
は
三
番
目
た。シンガポールは資本・強大な潜在的技術力がありな
の
投
資
先
で
し
か
な
い
)
。
明
ら
か
に
、
フ
ィ
リ
ピ
ン
は
ア
メ
リ
がら、土地が足りない。インドネシアとマレーシアは資
カ
資
本
と
日
本
資
本
に
と
っ
て
も
は
や
(
あ
る
い
は
い
ま
だ
)
観
−23−
−22−
_−−−−−−−−−−−−−−℃?」− m■■m−−
一 一 一
I・■fFJ1.J
︲.・・ず1.F狸JIb8rll0r
1111
ギリス資本は徐々に自らの生産システムから離れ、1945
や銀行の委員会が工業に非友好的な活動を禁じ、望まし
年には、イギリスは逆説的にも自国資本が脆弱なことか
ば、外国に拠点を作りたい企業は受け入れ国が提供する
資本の政治的比重の重い国一例えば、二大政党のいず
れかを支持・金融している企業間のバランスが部門別に
くない輸入を国境で食い止めているからである。その上
ら、大陸よりも非常に多くの部門を国有化せざるをえな
有利な点、その度合いを計りにかけることができる。日
ほぼ同等な場合一、政府はもっとも強大ないくつかの経
に、ドイツと日本の行動には類似点がある。その類似し
くなった。ついで、イギリスは「帝国」を維持するだけ
米企業の行動はむしろ地域形成に積極的である。日本企
済グループの利益にあからさまに反対するマクロ経済的
た行動の中に、新たな秩序を再建した資本主義(もし今
のレギユラシオン様式の危機を脱することができればの
決定を成すことはできない。アメリカにおいて、アメリ
の資源を供給できなくなり(1967年)、遂には、自国内
カの多国籍企業がアメリカの赤字を累積的に増やしてい
ることは、誰も無視しえない。直接的には、多国籍企業
に海外資本を誘致することでしか、生き残った生産活動
で、その外の点では企業の方が有利である。言い換えれ
業はもうすでに自分たちが地場を固めているところに行
きたがる。相違は以下のところにある。日本(あるいは
スウェーデン)の海外直接投資は投資国の輸出をのばし、
話だが)の最初の未来図を見る人もいる(ルーズヴエル
は輸出を減らし、受け入れ国の低廉な労働力を利用して
言うまでもなく、今日のアメリカ資本はかつてのイギ
生産した安価な財によって輸入を増加させる。間接的に
リス資本と同じ状態にはない。特に、アメリカ資本は外
アメリカは、しかし、ドイツと日本に同じように対処す
るわけではない。日本は制度化されていない地域を支配
は、それら多国籍企業は同じ部門のアメリカ企業に厳し
い戦いを挑み、破壊する。このことは、多国籍企業から
国資本との合併を必要としていない。しかし、アメリカ
資本が現在、拠点を海外に移すことで利潤率を維持しよ
し、ドイツはブリュッセルの影に隠れている。
アメリカへの輸入をまた増加させる。しかし、アメリカ
うとしているのは事実である(金融資本もアメリカを離
以外の世界がこの赤字を受け入れる限り、つまり、ドル
れている。このことから1994年末には、メキシコの危機
を国際支払い手段として受け入れ(要求)し、アメリカ
が起こった。これは始まりにしかすぎないだろう(錨)。ア
の赤字が世界の需要を支えている限り、アメリカはこの
メリカの生産資本はもはや、非公式な帝国-ALENA-
赤字に耐えていける。他方で、この赤字は絶え間なく流
にだけ進出してすますことはできない(プッシュがAL
動性を増大させ、投資機会が少なくなるとその流動性は
ENAをラテン・アメリカまで拡大しようとしたのは偶
金融市場でのみ「活動する」ことも事実である。このこ
然ではない。このモンロー・ドクトリンのかつての夢を
とは、世界経済の不安定性(利子率と為替に関して)を
実現しようとする意図は後継者にも受け継がれている)。
持続させ、生産システム全体を不安定にする。国際的支
アメリカ資本は、おそらく、また今となっては、とりわ
配経済は他の経済にはまったく無関心である。支配経済
け、支配的な立場を行使できる他の地域(たとえ、異なっ
の変化に適応すべきなのは他の経済なのだ。その際も、
た政治的な条件が問題になるにせよ)に進出しなくては
もちろん他の経済のとる適応方法が、支配的経済の企業
ならないだろう。その地域において、被る困難を補償す
を侵害しないという条件のもとにおいてだが。
るだけの利潤を得ることができる、ことが条件である。
Ⅲ、ダイナミズムの比較
1
9
9
3
年
6
月
7
日
、
早
稲
田
大
学
に
お
い
て
、
ク
リ
ン
ト
ン
大
統
を
破
っ
て
し
ま
う
か
も
し
れ
な
い
か
ら
で
あ
る
。
そ
れ
は
ま
さ
に
、 領は次のように宣言した。「アメリカはアジアの成長に
「
成
長
の
三
角
形
」
で
あ
り
、
他
の
経
済
グ
ル
ー
プ
よ
り
広
範
囲 おいて平等の権利を有するパートナーになる用意がある」。
I
彼は、新たな太平洋共同体を創設するときが来ており、
APECはそのためのフォーラムであると、認めている。
話
を
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
に
戻
そ
う
。
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
が
特
定
の
ア
メ
リ
カ
企
業
を
必
要
と
し
て
い
る
に
せ
よ
、
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
の
成
長
は
そ 驚くにはあたらない。1970年には、アメリカの東アジア
の
こ
と
に
依
存
し
て
い
な
い
。
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
は
大
幅
な
独
立
性
を との貿易量はラテン.アメリカとの貿易量よりも少なかっ
保
っ
て
い
る
。
ド
イ
ツ
の
技
術
・
生
産
能
力
は
、
い
く
つ
か
の
限 た。1992年には、前者は後者の三倍にのぼった。太平洋
ら
れ
た
部
門
を
除
い
て
、
他
の
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
諸
国
の
必
要
を
十
分 全体の貿易量と大西洋全体のそれとを比べるなら、後者
1
に
満
た
し
て
い
る
。
ド
イ
ツ
が
公
式
に
他
国
よ
り
「
開
放
的
」
な は依然して前者より多額だが、その差は減少する傾向に
の
は
、
中
央
国
家
が
最
低
限
の
権
力
し
か
も
た
ず
、
私
的
な
協
会 ある。
(
%
)
一
一
一
唖一細一叫一峠一細一印
-
一
-
5
6
.
8
-
-
5
9
.
2
48.5
3
9
.
8
1970
1985
1993
32.2
45.3
14.8
11.9
15.9
6.6
9.9
6.0
10.4
10.6
27.2
-
2
5
.
7
-
1
2
.
4
-
1
5
.
2
I
世界貿易量に占める比率
-
-
-
4.8
1992
-
-
45.8
資本はその場所を簡単な基準に照らして選ぶ。拠点を作
分は海外に拠点を移さないかぎり、十分な利潤率を得る
る自由、商業の自由、地場の労働力が十分な技術をもっ
ことができない。資本にとって、自国経済の矛盾がそれ
ていること、経済がダイナミックに動いていること。こ
によって深まることは重要ではない。クリントン大統領
れら基準を満たすの場所が、ヨーロッパではなく(日本
は、選挙演説の中で、工業を再編成するためにアメリカ
でもなく)、発展途中のアジアであることは議論の余地
経済を保護することを提案した。しかし、彼は、もはや
がない。
40.2
海外に拠点を移している、あるいは移しつつあるアメリ
アメリカ資本とアメリカ政府は、お互いの観点の相違
カ資本の大部分の利益に、すぐに服さねばならなかった。
(あるいは対立?)−「衰退」という観念がその相違を
このような現象を歴史の中に置きなおしてみよう。な
隠蔽している−,そして、その相違が政策決定における
ぜなら、アメリカ経済の現在の変化は戦間期の危機にお
矛盾を作り出すことに必ずしも意識的ではない。そこか
けるイギリス経済の変化を想起させるからである(笛)。
ら、ヨーロッパ・アジアの地域形成プロセスに関してい
かつての国際的支配経済の資本は互いに補完的な二重
かなる政策を実行するべきなのかについて、アメリカで
の戦略をとった。オタワ会議(1932年)の前においてさ
激論が起こるのである。しかしこの激論においても、ア
え、イギリス資本は帝国のなかに内向すると同時に、ア
メリカの下に世界を階層化することは必要なのだ、とい
メリカ資本と合併することによって国際化を計った。イ
う考え方については、決して触れられることがない。
-ー一」__∼・曇・」
出所:19
卯
y朋性
6
2
,
7
0
,
8
5
年
に
関
し
て
は
、
、
i
f
i
i
T
h
。
P
"
"
。
B
・
・
.
i
。
。
h
J
R
Z
Z
Z
Zm,inMorley,
.
,
T
h
e
P
u
c
"
c
B
上
z
s
s
i
"
:
N
e
u
ノ
m
α
"
e
7
2
g
g
e
s
j
b
『
〃
Z
e
[
ル
z
i
t
e
d
S
t
Q
t
e
s
,
N
e
w
Y
o
r
k
,
1
9
8
6
,
p
.
1
1
;92,93年'二閥
て
は
、
勘
@
c
y
c
J
q
p
a
e
t
メ
i
a
B
戒
α
"
j
c
q
,
B
o
o
h
q
f
t
ノ
t
e
y
e
q
F
,
1
9
9
5
,
p
.
7
5
6
.
(
こ
の
二
つ
の
資
料
の
同
展 については、
ed
し
現在のアメリカ経済の状況では、アメリカ資本の大部
一
一
1985
I|
イナミズムの比較
世界GMPに占める比率
1962
を維持できなくなってしまう。
トは1932年7月のディスクールが戦後の社会的レギユラ
シオン手続きを示していたとは実際知らなかった)。
な
い
の
も
理
解
で
き
る
。
な
ぜ
な
ら
、
こ
の
制
裁
は
両
国
の
均
衡
に及ぶが、完結している三角形である。
’|
|
アメリカ(あるいはドイツ)のそれは投資国の輸出を減
らす。少なくともアジアの受け入れ国は、日米という生
産資本の大供給国がどこでうまく競り合うのかを見極め
ている。つまり、アメリカは彼らにとってますます大市
場となり、日本は技術を高める手段なのだ。これは、補
完
的
な
行
動
を
し
て
い
る
日
米
を
利
用
す
る
有
効
な
方
法
で
あ
る
。
ま
た
、
受
け
入
れ
国
が
ア
メ
リ
カ
の
対
日
制
裁
を
受
け
入
れ
ら
れ
’
!
私 ,ま確信がない)。
−25−
−24−
一
|
:
:
l
l
│!
I
則
I
アメリカの現在、及び未来の経済的利益がアジアにあ
結論
配経済に関する分析に大きく依拠している。その分
ることに納得するアメリカ人は、APECにおけるアメリ
カの影響力を保持・拡大するために日本とのG-2を指向
示された確実な事実に関して成すべき結論はほとんど
する。これは論理的な帰結である。彼らはよく次のよ
ない。アタリのように、「ヨーロッパは相変わらず世界
うに考える。「大西洋の絆にしがみつくものは、過去の
の中心である」とは思わないにせよ、世界が地中海から
過ぎ去った議論を蒸し返すだけである。例えば、文化共
同体、戦後の世界経済を作ったのはアメリカとヨーロッ
太平洋に移ったという言い方は単純なように思える。過
去の二つのレギュラシオン様式の危機(19世紀末と戦間
期)には、国際的支配経済が問題となった。この経済は、
パ諸国の緊密な関係である、という思い出である」。討
論を制限するために、彼らは次にように妥協する。「も
し、ヨーロッパが決心し、分別のある行動をするのなら、
G-2はG-3に移行するだろう。ただし、日米によってす
でに決められている規則をヨーロッパが尊重するという
条件付きだが」。彼らがこの尊大さを示し、妥協点を提
示したあとには、二つの補完的な問題に関して攻撃的に
なるしか道は残っていない。一方で、彼らは政府のため
らいを告発し、遅れがどういう致命的な結果をもたらす
のかを強調する。「政治的決定にとってもっとも足りな
いのは時間である。なぜなら、アジアの運命の扉はすぐ
にしまってしまうからだ」("・他方で、彼らはアメリカ
の要求を拒否し、アジアにおけるアメリカの決定を遅
らせる日本を批判する。日本に要求をのませるために、
他国に日本に厳しい制裁を以て臨むように懇願し、軍事
保
護
の
傘
を
完
全
に
取
り
除
く
と
ま
で
い
う
。
ア
メ
リ
カ
で
優
勢
な
考
え
方
は
自
由
主
義
的
な
イ
デ
オ
ロ
ギ
ー
か
ら
、
と
い
う
よ
り
も
、
利
害
か
ら
、
む
し
ろ
次
の
よ
う
な
支
配
的
経
済
に
と
っ
て
は
自
然
な
考
え
方
−
外
務
評
議
会
の
活
動
の
な
か
に
見
い
だ
せ
る
−
(12)ここでの議論は、フランソワ・ペルーの国際的支
註
41 1 1 1 1 1 1
1
1
|
くなると後継者と合併しようとまでして、戦った。アメ
リカは,9世紀末に世界の舞台にでた。その頃、イギリス
はもうアメリカ.ドイツに対してのリードが縮まってく
’
’
と協調し、危険と思えばその協調を妨げるというこ
ん
"
,
p
p
.
3
2
3
9
,
p
.
3
6
,
p
.
3
8
.
とをもう知っていた。これは、R、D.Hormatsが
"MakmgRegionalismeSafe''(GlobcZlSsuesin
(2)Bergsten氏がアメリカCom-petitivenessPolicy
Tサロンzsitio",n.10,sept.,1994,2ソロ血aJzdtheWb7m
(3)マレーシア、インドネシア政府は、諸国間の発展
度の格差を考えるとAPECの制度化はASEANを弱体
歴o"omy)という示唆的なタイトルの論文で明らか
化し、侵害という理由から、その制度化には反対し
展途上で形式的には国家主導型の経済を世界経済に
ている。
統合する有効な手段であるが、保護主義を潜在的に
にしている観点である。彼によると「地域形成は発
含んでいる」。彼の結論は明らかである。「この動き
は既存の制度が世界的に拡大する市場に適応するこ
とを要求し、地域、サブ地域、ネーションの政策を
開放市場に結びつける。今、ここで手をこまねいて
加しないならこの計画は流れてしまうだろう。
(6)TheWee〃〃J叩α凡Djgest,1992年11月2日、p、21.
いると、21世紀に向かって、豊饒で安定した秩序を
(7)この観点は第四回日仏経済会議(ラフレイ、1992
年)で、私がとった立場であり、そこではその立場
構築する機会を逸することになるだろう」。
(13)「権勢puissance」についての定義をTrame(pp.
325-326)の前掲書から借りよう。「資源を変形する力、
の背景をなす概念が明らかにされた。
’
を安定化させるのに十分ではないことに皆が気付きはじ
め
た
1
9
7
0
年
代
の
終
わ
り
か
ら
、
繰
り
返
さ
れ
て
き
た
。
こ
の
るからである。この「協調」はほとんど進んでいない。
復
帰
以
降
の
、
ア
メ
リ
カ
の
三
極
委
員
会
離
れ
は
複
雑
で
分
析
し によって得られる。それが、本会議の重要な課題であり、
に
く
い
。
そ
こ
に
は
、
ア
メ
リ
カ
国
内
政
治
の
駆
け
引
き
が
あ
っ
西
川
教
授
が
率
先
し
て
こ
の
課
題
を
提
起
し
た
理
由
で
あ
る
と
思
た
。
三
極
委
員
会
は
も
と
も
と
民
主
党
が
開
い
た
も
の
だ
か
ら
だ
。 われる。この課題に取り組むことは、今何が賭けられて
こ
の
三
極
委
員
会
力
泄
界
の
力
関
係
の
よ
り
深
い
変
化
に
対
応
し
い
る
の
か
を
よ
く
理
解
し
、
解
決
法
を
見
付
け
る
唯
一
の
方
法
で
ていたとは、その時すぐにはわからなかった。
あるに連いない。本稿を終えるにわたって、西川教渡に
andAsia?'',Z淵eCb血、bねq/Wb測dBus"zess’
(5)日本はこの計画を後押ししているが、どの国も参
唱
え
る
人
は
多
い
。
こ
の
呪
文
は
、
伸
縮
為
替
相
場
が
国
際
関
係
ま
た
、
「
良
い
こ
と
」
は
そ
の
時
々
の
状
況
に
よ
る
。
三
極
委 この事実は、なぜ「協調」が進まないのかについて考え
員
会
は
、
太
平
洋
と
大
西
洋
を
結
び
つ
け
る
必
要
性
が
あ
る
と
ア るなら、余計にはっきりわかる。その答えはもちろん、
メ
リ
カ
が
意
識
す
る
こ
と
に
よ
っ
て
、
成
立
し
て
き
た
。
共
和
党 もっとも強力な力の間の利害衝突、矛盾を分析すること
ルーは支配的経済が自らの強化のためには他の経済
E
Q
s
t
e
m
E
c
o
7
z
o
m
i
c
R
e
"
i
e
l
"
,
2
0
/
8
,
p
p
、
1
8
1
9
.
のだ。
を
示
し
て
い
る
。
「
ア
メ
リ
カ
に
と
っ
て
良
い
こ
と
は
残
り
の
国 「協調」はあらゆるデイスクールの中で望まれている。
に
と
っ
て
も
良
い
」
で
あ
る
。
こ
の
言
説
は
、
他
国
に
と
っ
て
良 なぜなら、皆が「リップ.サーヴィス」を必要としてい
いこととは何かをたやすく説明している
WilltheEUisolateitselffromNorthAmerica
(
4
)
R
o
w
l
y
,
A
.
(
1
9
9
2
)
,
.
4
C
h
e
e
r
e
d
o
n
b
y
J
a
p
a
n
'
'
,
F
q
r
ペルーの言うように、「闘争=協力」、「紛争=協同」な
この闘争が「システムに及ぶ危機」に達するのではな
い
か
、
と
恐
れ
、
「
経
済
政
策
の
協
調
」
と
い
う
呪
文
を
熱
心
'
二
析は30年以上経った後今日でも色槌せていない。ペ
Councilのプレジデントであることは興味深い。
’
後継者が目的を果たせないように邪魔したり、劣勢が濃
るのを感じていた。日本は戦間期の危機の時期に経済的
に強力になり、国際的支配経済に「否」が言えるように
なった。一つ確かのことは、世界の不安定性、そこから
生じる不確実性はそれらが生み出す経済的帰結とともに、
三極の力関係が安定しないかぎり持続する、ということ
である。各種の地位もその戦い如何によって決まる。こ
の種の戦いは常に複合的な側面をもっている。それは、
(
1
)
A
h
o
,
C
.
M
.
,
1
9
9
4
、
@
!
<
F
o
r
t
r
e
s
s
e
E
u
r
o
p
e
>
,
’
I卜凸911041111
一 _
−
集団的な意思決定を方向付ける能力、国際的秩序の
(8)西ドイツは常にかなり独立した東欧政策をとって
いた。このことが東西統一を容易にしたといえる。
紐帯を維持する能力」。この秩序は国際的支配経済に
(9)StefanBaronは次のようにいっている。「APEC
固有の権力を維持することによって成立することを
の18加盟国は世界で最も大きな経済・貿易ブロック
付け加えておきたい。参照文献:Nye,.J、,Jr.
を形成している。これらの国は貿易の三分の二をAP
(
1
9
9
0
)
,
B
o
z
"
z
d
"
た
α
d
:
Z
W
e
C
h
Q
J
z
g
i
r
E
N
a
t
z
"
e
q
f
EC内で行なっている。確かにAPECは三つの大陸に
Americα〃勘I"er・,BasicBooks,NexYork;
及び、各国の発展度はバラバラだが、これらの国は、
B
a
l
t
h
a
z
a
r
,
L
,
(
1
9
9
0
)
,
“
L
e
a
d
e
r
s
h
i
p
o
u
p
a
r
t
n
e
r
s
h
i
p
?
30年の協力を経て形成されたUE諸国よりも相互
Lanouvellepolitiqueam6ricaine'',E""es
依存的である」(Wir・tscノtq/mノo",Disseldorf,
j
i
z
t
e
m
a
t
i
o
凡
α
J
e
s
,
2
1
(
4
)
,
d
6
c
e
m
b
r
e
;
o
u
V
a
l
l
a
d
e
o
,
22/1/95).
A.(1993),JeXXI's.seaambFicqm,La
(10)例えば、Hoffmann,St.,1971,Gzj"Uere"城雄,
Seuil,Paris,Touraine,では「自由主義的救世主待
1
D
6
c
o
u
v
e
r
t
e
,
P
a
r
i
s
.
(14)Kennedy,P.M.(1989),Naiss(mceetD&cJ加咋s
望論」と言われ、M.,1995,Lebo"leuerseme7zt
Gm凡止sRJjssaFzceS;tmrtS/bFT7CatjOfZS6cO7ZO-
dumo7zde;G&Opo"tiqueduXX・s,では「右翼的普
、町zjeesetcon/Zitsm"虻α"℃sewzt"I500et"00,
遍主義」と呼ばれている。
Payot,Paris;Joxe,A.(1990),LeCycJe止地
4
1
(11)このことをZ.Ladiは「補食」という言葉で呼ん
dissuasjo";&sQi*str""iec""que,La
でいる。“Del'h6g6monieAlapr6dation?
D6couverte,Paris;Kennedy,P.M.(1994),
Hypoh6sessurlatransformationdel'6conomie
Pr印α花rleXXIcs,OdielJacob,Paris;E.N.
am6ricaine",LeQzんie溶血CERIjn・1,1991.
Luttwak(1993),ZWeE>z"ngerFdAmerica凡
I
S
M
E
A
を
代
表
し
て
感
謝
の
念
を
表
し
た
い
。
−27−
−26−
−
D花α77z,SimonandSchuster,NexYork.
−
(21)!0CooperationorConfrontationinUS-JaPan
(15)Touraine、前掲書、p.326
T
r
a
d
e
?
S
o
m
e
G
e
n
e
r
a
l
E
q
u
i
l
l
b
r
i
u
m
E
s
t
i
m
a
t
e
s
'
,
,
(16)「協調のなかでの警戒」とはアメリカがアジア諸国
Irvine,DeptofEconomics,universityof
に対してした提案で、アメリカとの軍事関係・条約
C
a
l
i
f
o
r
n
i
a
I
r
v
i
n
e
,
m
e
m
e
o
g
r
a
p
h
e
d
,
M
a
r
c
h
(
i
n
の形成を意味している。今までのところ、この提案
B
e
r
g
s
t
e
n
,
に対する反応は、私の知る限りない。
R
e
c
o
"
c
j
"
a
6
J
e
D
W
b
r
e
r
z
c
e
s
,
I
n
s
t
i
t
u
t
F
o
r
l
n
t
e
r
n
a
-
(17)1995年6月・7月の台湾沖へのミサイル発射の他に、
C.F.,Noland,M.,
(
1
9
9
3
)
,
せいなのかについて、アメリカで議論を呼んでいる。
の相互依存関係について語ることになる。
BergstenとNolandは、Dornbuschのように分析して
いない。彼らによると「日本の現在の貿易黒字は過
去のそれとは本質的に異なっている。過去、例えば1
(31)しかしながら、日本はこの地域にとってアメリカ
980年代半ばに最高額を記録した際においても、日本
のミサイル発射についても注意しなくてはいけない
よりも発展のモーターであるように思える(この
の黒字は世界的にみれば、他の黒字国(ドイツ、他
bridge,MA,MITPresse.
戦略が効果的であるという条件のもとではあるが)。
のヨーロッパ諸国、韓国のようなアジアのいくつか
(32)先の二つの引用は,P.Kennedy(1993),OdileJa-
の国)の一つだった。アメリカはほとんどいつも赤
(
2
2
)
N
a
n
t
o
,
D
.
K
.
,
(
1
9
9
0
)
,
"
A
s
i
a
n
_
p
a
c
i
f
i
c
E
c
o
n
o
m
i
c
C
o
o
P
r
a
t
i
o
n
a
n
d
U
S
_
J
a
p
a
n
R
e
l
a
t
i
o
n
g
,
i
n
H
a
r
d
t
'
cob,Paris,1994,p.178から。この点に関しては多
字国であり、その赤字額は大体他国の黒字額と対応
J
.
P
.
K
i
m
.
Y
.
C
.
&
o
7
z
o
刀
z
i
c
C
o
o
p
e
7
・
c
z
t
t
o
凡
加
オ
ノ
Z
e
数の参考文献がある。Cronm,R・P.,(1990),"Ja-
していた。その時は、『アメリカの問題」が国際的不
A
s
j
a
刀
弓
洗
倣
R
e
g
j
o
"
,
W
e
s
t
v
i
e
w
P
r
e
s
s
,
B
o
u
l
d
e
r
,
pan'sExpandingRoleandlnfluenceintheAsia-
均衡問題の中心を占めていた。しかしながら、今日、
p
p
.
4
6
6
8
,
p
.
4
6
.
PacifcRegionlmplicationsforUSInterestsand
日本はG7のなかで唯一の黒字国であり、80年代には
Polcy'',Co71g7essio〃αJReseα7℃/2錠『"ice,Wash-
黒字国だったドイツ、他のヨーロッパ諸国、韓国は
ington,D.C.;Sega1,G.(1990),Re""た蝿tノZe
赤字国になってしまっている。『日本の問題』が明ら
比ci/Mc,ClarendonPresse,Oxford,p.365;
かに問題の中心を占めている」、前掲書、p.20。
島
の
立
場
に
関
し
て
、
A
S
E
A
N
の
「
安
全
保
障
フ
ォ
ー
ラ
(
2
4
)
前
掲
書
、
p
p
.
2
3
4
2
3
5
(
B
e
r
g
s
t
e
n
は
A
P
E
C
の
「
賢
人
ム
」
(
1
9
9
4
年
7
月
)
は
二
つ
に
別
れ
た
。
国
際
海
上
法
に
基
会
議
」
の
議
長
で
も
あ
る
)
。
づ
い
た
イ
ン
ド
ネ
シ
ア
の
提
案
(
D
O
U
G
H
N
U
T
F
O
R
(
2
5
)
L
a
v
i
n
,
F
.
L
.
,
(
1
9
9
3
)
,
#
@
C
l
i
n
t
o
n
a
n
d
T
r
a
d
e
'
'
'
"
g
M
U
L
A
)
は
中
国
に
よ
っ
て
退
け
ら
れ
た
。
中
国
は
相
互
M
z
加
刀
a
j
j
i
z
t
e
r
e
s
t
,
S
u
m
m
e
r
,
p
p
.
2
9
3
9
.
p
.
3
4
.
8/5/90;"TheyenBlock'',ZソteECO7ZO77ZiSt,
て少ないサービスを輸入している、この度合いは財
15/7/89;"JapanBuildsaNewPowerBase'',
の輸入において強まる)。
1960 61-70
欧12(1) 18.9
Petrelli,G.,Uri,P.,のレポートStmォ葱epoz"、
'及"℃pe、P.U.F.,(1976)で強調されているのは、1
973年以降、SME形成という第二段階に進んでおら
ある。今回は、SME形成が純粋に制度的であった
成という第三段階はいつもどおり先送りされている。
(34)Aho,C.M.,(1994),"FortressEurope…"1前
掲論文、p、35。
(35)BergstenとNo]nndによると、「日本は自国の生産
扱うことができるが生産を思いのままにすることは
量と雇用を他国を犠牲にして確保している。他国の
できないという、支配的経済の主張によっている。
所
有
権
を
主
張
し
て
い
る
。
W
a
n
a
n
d
i
氏
に
よ
る
と
(
C
8
I
S
、
(
2
9
)
一
方
で
、
食
料
自
給
を
維
持
す
る
の
に
必
要
な
地
場
産
業
イ
ン
ド
ネ
シ
ア
戦
略
研
究
セ
ン
タ
ー
)
、
「
中
国
は
お
そ
ら
く
貿易赤字は、日本の黒字の増加に見合ってふえていっ
22.6
27.6
24.8
85
29.4
29.4
4.7
6.8
8.7
8.3
10.8
10.5
日本
10.2
9.5
10
14.3
11.5
12.3
11.1
8.9
12.1
12.5
12.1
米
日本
欧12(2)
注(1)統一ドイツを含むEEC12カ国。共同体内およ
び共同体外の輸入。それゆえこの数字は(きわめて高く)
他と比較できない。
注(2)サービスを除いた財の共同体外の輸入。したがっ
て比率は「財・サービス」全体のそれよりも小さい。
を
発
展
さ
せ
る
た
め
に
あ
る
商
品
に
関
税
を
か
け
、
必
要
不
可
欠
な
機
械
を
輸
入
す
る
の
に
い
る
外
貨
を
獲
得
す
る
た
め
この表から三つのことが言える。1974年に日本の輸入
(
3
6
)
D
o
r
n
b
u
s
c
h
,
R
、
,
(
1
9
9
2
)
,
"
U
S
J
a
p
a
n
R
e
l
a
t
i
o
n
s
/GNP比があがったのは、石油価格の上昇による。
a
t
t
h
e
C
r
o
s
s
r
o
a
d
s
'
'
,
C
b
I
z
"
7
z
6
j
(
z
J
O
I
"
7
z
(
z
Z
Q
f
W
o
7
J
d
日本はエネルギーを他国に依存しているので、この
−29−
’
−28−
一 ・ ■ ■ ' 一 F ー わ . − 一 一 口 _ = 一 − − − 画 ・ − − − ◆ 今 申 ・ 口 - - . - , − ‐
−
84
4.4
欧12(1)
ている」、前掲書、p.5。(太字、筆者)
は
結
局
、
為
替
シ
ス
テ
ム
を
編
成
す
る
こ
と
に
な
る
)
。
他
力
‐ ‐ 震
71-80
19.1
に
輸
出
を
促
進
す
る
た
め
に
工
業
に
助
成
金
を
だ
す
(
こ
オ
仏
(20)日本経済新聞、95年1月14日。
. .
74
欧12(2) 9.8
ことからこの第二段階は通過したが、統一通貨の形
(
'
9
)
ボ
ル
ネ
オ
と
マ
レ
ー
シ
ア
の
間
に
、
イ
ン
ド
ネ
シ
ア
所
有
は
や
指
摘
し
て
い
る
)
は
、
貿
易
(
つ
ま
り
貨
幣
)
は
取
り
の
世
界
最
大
の
天
然
カ
ス
の
鉱
脈
が
あ
る
。
中
国
は
こ
の
鉱
一
73
米
ず、1979,1982年にもそれに成功しなかったことで
p
.
3
0
2
.
す
る
重
商
主
義
的
理
念
(
こ
の
こ
と
を
ミ
ル
は
1
8
4
8
年
に
も
危
険
で
は
な
い
が
、
わ
れ
わ
れ
に
挑
戦
状
を
突
き
付
け
て
い
る」(ル・モンド、5/Ⅲ/95)。
ビス輸入額の対GNP比である(日本は他国と比較し
−
済
の
そ
れ
で
あ
る
。
つ
ま
り
、
危
機
の
時
代
に
い
つ
も
進
行
脈
を
自
分
の
勢
力
範
囲
図
に
含
め
、
ヴ
ェ
ト
ー
ナ
ム
も
そ
の
GainingLaborandMarkets",ⅣeuノYbrh"77zes,
(33)Cairncoss,A.,Giersch,H.,LamfalussyA.,
度
(
シ
ン
ガ
ポ
ー
ル
・
マ
レ
ー
シ
ア
.
イ
ン
ド
ネ
シ
ア
三
国
(
2
7
)
前
掲
書
、
B
e
r
g
s
t
e
n
,
C
.
F
.
,
N
o
l
a
n
d
,
M
.
,
p
.
2
3
4
に
よ
っ
て
運
営
さ
れ
る
海
峡
議
会
の
設
定
)
と
同
様
の
態
度
(
2
8
)
こ
の
生
産
よ
り
も
貿
易
を
選
好
す
る
態
度
は
。
支
配
的
経
を
と
る
こ
と
を
主
張
し
て
い
る
。
こ
の
問
題
は
、
中
国
の
ミ
ス
チ
ー
フ
暗
礁
へ
の
干
渉
の
あ
と
先
鋭
化
し
て
き
て
い
る
。
(38)彼らの態度は少し驚きである。次の表は財・サー
肥一獅一皿一油一卵
日
本
が
1
9
6
8
年
に
マ
ラ
ッ
カ
海
峡
問
題
に
対
し
て
下
し
た
態
J.Steingold,"JapanbuildsEastAsiaLinks,
Bz4si"eSsWee",20/3/1989.
鶚襄篭、三驚
−
後に例をだそう。結局は、貿易と生産(投資と技術)
リクスーがこの傾向と事実を明らかに示している。
メ
リ
カ
)
に
石
油
採
掘
権
を
与
え
、
そ
の
利
益
の
保
護
を
約
t
i
o
n
i
n
t
h
e
A
s
i
a
n
P
a
c
i
f
i
q
u
e
R
e
g
i
o
n
:
T
h
e
S
o
u
t
h
e
s
t
束
し
た
。
し
か
し
、
ヴ
ェ
ト
ナ
ム
は
こ
の
地
域
の
所
有
権
を
A
s
i
a
D
i
m
e
n
s
i
o
n
'
'
i
n
H
a
r
d
t
,
J
.
P
.
K
i
m
.
Y
.
C
・
E
C
o
主
張
し
、
中
国
の
一
方
的
な
決
定
を
受
け
入
れ
な
か
っ
た
。
刀
o
m
i
c
C
b
q
p
e
F
r
z
t
Z
o
〃
m
t
ノ
z
e
A
S
"
7
2
P
℃
城
C
尻
窄
j
o
7
z
,
ス
プ
ラ
ト
リ
イ
(
ヴ
ェ
ト
ナ
ム
語
で
は
、
チ
ユ
・
シ
ン
)
諸
W
e
s
t
v
i
e
w
P
r
e
s
s
,
B
o
u
l
d
e
r
,
p
p
.
1
0
9
1
2
2
,
p
.
1
1
2
・
−
(37)アメリカ経済の問題が他国のせいなかのか自分の
(30)アジア開発経済研究所の研究−特に地域貿易マト
こ
の
ゾ
ー
ン
に
関
し
て
ク
レ
ス
ト
ー
ン
・
エ
ネ
ル
ギ
ー
(
ア
(
2
3
)
A
l
b
r
e
c
h
t
,
A
.
C
,
(
1
9
9
0
)
,
"
E
c
o
n
o
m
i
c
C
o
o
p
6
r
a
-
ダ
〆
26から。
B
h
a
g
w
a
t
i
,
J
.
,
(
1
9
8
8
)
P
r
o
r
e
c
t
i
o
7
z
I
z
i
s
刀
z
e
,
C
a
m
-
日本に向かうタンカー、カルゴの少なくとも一部は
通過しなければならない通過点でもある。中国は、
一
ニ
ノ
畠
ニ
デ
の外国からの直接投資と、アジア諸国からそのゾー
ンへの投資を組み合わせる。以上の点については、
t
i
o
n
a
l
E
c
o
n
o
m
i
c
s
,
W
a
s
h
i
n
g
t
o
n
D
C
,
p
、
1
5
)
,
同
様
に
、
(18)この諸島は、日本が1951年に主権を放棄して以来、
どこにも属していなかった。この島は資源豊富で、
シー
BzJsi7zess,summer,pp.22-29.上記の引用はp.24,p.
同8月、ハイナン沿岸天然ガスプラット.フォームへ
(
F
"
E
上
z
s
r
e
7
7
z
&
o
J
z
o
I
7
z
i
c
R
e
u
i
e
z
u
,
5
o
c
t
,
,
1
9
9
5
)
.
一
画
一
・
一
・
・
一
一
で、もし有用なら、研究所・企業間の協調ゾーンへ
P−
1
点(農業、サーヴィス、等々)について、この協定
l'ONUDI(IndustrieetD6veloppementdansle
ですみやかな解決が得られるとは期待できない。
Monde,m/376,Vieme,1991).
石油ショックをアメリカやヨーロッパよりもてひど
はない。ウルグライ.ラウンドのBlairHouse協定
く受けた。1984年まで、日本の比率はアメリカの比
について、J.Lesourneは次のように話してくれた。
率を上回っている。明らかに、1985年の失速は円高
「これは、ル.モンドに発表しようとしたんだが。あ
による(このことは同時期、ヨーロッパの比率が低
る日、付録つきのテクストを受けとって読んだんだ
nityasaThreattotheSystem'',inCline,W、,
AffairsandTrade,Canberra.グルノーブル大学、
下し、アメリカのそれが上昇したことからもわかる)。
が、経済学者である私が全く理解できなかった。そ
ed.,ZサロdePo"Cymthel980s,Instituteforln-
F)R1TJTRSが博士論文を準備中。
やや円安になった1988年から1990年にかけて日本の
比率が上昇したのには注目すべきである。1990年か
こにはこのように書かれていた。「親愛なるフランク。
ternationalEconomics,Washington,pp、223-242.
らの再度の円高、その加速がまた日本の比率を下げ
た(同じことがヨーロッパにも当てはまる)。また、
もし、アメリカの在外子会社がアメリカの構造的赤
字の原因なら、この赤字力噴易の自由化によっての
み
解
消
さ
れ
る
と
は
思
え
な
い
(
M
a
t
a
l
o
n
i
,
R
.
,
1
9
9
3
,
"
U
S
M
u
l
t
m
a
t
i
o
n
a
l
C
o
m
p
a
n
i
e
s
:
O
p
e
r
a
t
i
o
n
s
m
1
9
9
1
"
,
&
"
・
U
e
y
q
f
Q
"
7
F
7
Z
t
Z
J
S
i
7
2
e
S
S
,
j
U
l
y
,
P
P
、
4
0
5
8
)
。
最
後
に
、
1
9
9
2
年
に
ア
メ
リ
カ
の
対
日
貿
易
赤
字
は
4
9
4
億
ド
ル
に
、
対
「
亜
細
亜
の
虎
」
、
A
S
E
A
N
、
中
国
に
対
す
下
げ
(
ア
メ
リ
カ
は
一
つ
一
つ
の
生
産
物
に
対
し
て
議
論
し
た
が
っ
た
)
、
農
業
助
成
金
、
助
成
金
の
一
般
的
な
引
き
下
峨
知
的
所
有
権
の
保
護
、
サ
ー
ウ
イ
ス
、
文
化
的
作
品
。
一
方
で
、
二
国
間
で
の
交
渉
も
多
か
っ
た
。
ア
メ
リ
カ
が
要
請
し
た
も
の
と
し
て
は
、
ラ
ジ
オ
・
テ
レ
ウ
ィ
市
場
、
日
本
車
(
国
内
生
産
あ
る
い
は
海
外
生
産
に
応
じ
て
)
、
製
品
の
標
準
化
、
蒸
留
酒
、
ワ
イ
ン
、
鉄
鋼
の
助
成
金
と
そ
の
輸
入
の
削
減
、
食
肉
、
採
油
植
物
、
家
畜
飼
料
、
小
麦
、
モ
ロ
コ
シ
に
関
す
る
衛
生
基
準
、
造
船
へ
の
補
助
金
に
つ
い
て
。
U
E
が
要
請
し
た
も
の
と
し
て
は
、
ア
メ
リ
カ
の
制
裁
手
続
き
と
s
e
c
t
i
o
n
3
0
1
、
海
外
直
接
投
資
、
税
関
.
港
湾
に
お
け
る
ア
メ
リ
カ
の
関
税
、
自
動
車
、
桃
、
ワ
イ
ン
、
ビ
ー
ル
等
に
関
し
て
。
こ
う
い
う
交
渉
が
困
難
な
の
は
、
行
政
・
政
治
上
の
構
造
の
差
異
に
も
よ
っ
て
い
た
。
−30−
(44)Patterson,G.,1983,"TheEuropeanCommu-
ラム小麦については1986.1.2日の往復書簡の付録3 4
を適応すること。ただ、数量の計算については、
六カ月前からではなく、四ヵ月前からの数字を基礎
に行なうこと』。自由主義は全く複雑な道を通ってき
(53)cf.,Backman,M.,1995,OverseaChmeseBusi-
nessNetworksmAsia,DepartmentofForeign
(54)Hufbauer,G.,Lakdawalla,D.,Malam,A.,
(45)Wolf,M.,1989,1992:GJobcll""cQtio7zsQf
1994,"DetermmationofDirectForeignInvest-
tノteCOmmz"zity'sPmgmmme/brmmpletirgMe
mentanditsConnectiontoTrade",[加画乳D
j"temaJMa戒et,LehrmanlnstitutePolicyPa-
R
e
u
i
e
l
"
,
p
p
.
3
9
5
1
.
per,SeriesontheUnitedStatesmtheglobal
economy,n・1,NewYork,pp.27-28.
(55)本稿でこの点を発展させることはできないが、詳
細に関しては以下を参照されたいFarnetti,R・’
て
い
る
」
(
,
@
L
'
o
u
v
e
r
t
u
r
e
d
e
s
6
c
h
a
n
g
e
s
,
d
e
l
a
(
4
6
)
B
e
r
g
s
t
e
n
,
C
、
F
.
,
S
t
e
r
n
,
P
.
,
1
9
9
3
,
!
0
A
N
e
w
V
i
s
i
o
n
r
6
f
l
e
x
i
o
n
t
h
6
o
r
i
q
u
e
d
l
a
d
6
c
i
s
i
o
n
p
o
l
i
t
i
q
u
e
'
'
'
forUnitedStates-JapanEconomicRelationS',in
Colin,Paris;Hannah,L・,1983,ZWeRiSeqfthe
HarnessTheRismga"z:Marzagmgcノ"a凡'sRise
COpor@te&oFzomy,Methuen;Pastr6,O.,1979,
asaaobqjmuノer・,AnAspenStrategyGroup
L@strut¥ie"emα〃o"q""sG7℃z"esFWzα,z‐
N
O
型
U
e
a
u
妬
A
"
e
c
t
s
"
s
&
ノ
X
m
g
e
s
l
i
z
t
e
m
a
"
o
n
α
泓
蕗
,
E
d
.
,
d
e
l
'
E
p
a
r
g
n
e
,
P
a
r
i
s
,
p
p
.
1
5
3
2
,
p
、
3
0
)
。
た
(
G
.
H
u
f
b
a
u
e
r
、
1
9
8
9
、
T
W
e
F
>
℃
e
Z
Y
z
z
d
e
p
e
b
a
t
e
:
R
"
o
F
t
q
/
t
ノ
i
e
"
ノ
e
r
z
t
i
e
"
"
7
z
t
叫
び
F
i
"
z
d
r
b
s
"
F
b
"
e
o
"
t
ノ
t
e
F
"
t
凹
形
q
f
A
m
e
7
.
j
c
a
凡
z
ソ
ロ
d
e
P
り
"
〃
’
P
r
i
o
r
i
t
y
P
r
e
s
s
P
u
b
l
i
c
a
t
i
o
n
s
,
N
e
w
Y
o
r
k
,
p
p
・
1
4
9
1
5
4
)
。
J
.
A
.
B
a
k
e
r
Ⅲ
と
J
.
D
e
l
o
r
s
の
間
の
間
大
西
洋
新
憲章に関する議論もこのような協定を含んでいる。
1
9
9
4
年
、
S
t
.
E
i
z
e
n
s
t
a
t
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
駐
在
ア
メ
リ
カ
大
使
は
、
U
E
A
L
E
N
A
間
に
自
由
貿
易
地
域
を
作
る
こ
と
は
欧
米
間
に
新
し
い
タ
イ
プ
の
関
係
を
基
礎
付
け
る
こ
と
に
な
る
だ
ろ
う
、
と
発
言
し
た
。
同
様
の
構
想
が
カ
ナ
ダ
の
首
相
、
ア
メ
リ
カ
駐
在
の
U
E
使
節
団
団
長
に
よ
っ
て
も
明
ら
か
に
苔
烈
た
。
ま
た
、
最
近
、
T
、
J
.
D
u
e
s
t
e
r
b
e
r
g
は
こ
の
協
定
の
条
件
を
分
析
し
た
(
D
U
e
S
t
e
r
b
I
「
"
p
r
。
S
p
e
C
t
f
。
r
¥
UEMFTAFre。ffarA"-.W""
i
h
g
t
o
"
Q
I
L
(
z
r
t
e
r
l
y
,
S
p
r
i
n
g
,
1
8
,
2
,
p
p
.
7
1
8
2
)
。
(
4
2
)
O
M
C
の
何
人
か
の
責
任
者
は
こ
の
よ
う
な
協
定
を
受
け
入
る
の
に
、
た
め
ら
い
な
く
い
く
つ
か
の
留
保
条
件
を
付
け
(
4
0
)
一
つ
例
を
挙
げ
よ
う
。
「
チ
ョ
コ
レ
ー
ト
」
を
定
義
す
る
の れ
い
る
。
こ
の
協
定
は
加
盟
国
に
複
雑
な
影
響
、
と
き
'
二
は
.‐。ー”勘定は加盟国に複雑な影響
に
、
少
な
く
と
も
6
カ
月
に
及
ぶ
、
専
門
家
・
官
僚
の
会
合
が て
繰
り
返
さ
れ
た
。
だ
か
ら
と
い
っ
て
、
U
E
を
皮
肉
る
わ
け
で
(43)これはSirLeonBrittanの立場でもある。
我々が同意した点について確認しておきます。デユ
(
4
1
)
こ
の
協
定
が
最
初
に
提
案
さ
れ
た
の
は
、
1
9
7
0
年
代
に
遡
る
そ
れ
は
4
2
9
億
ド
ル
に
の
ぼ
っ
た
(
資
料
、
前
掲
書
、
&
o
- る
。
G
・
H
u
f
b
a
u
e
r
は
1
9
8
9
年
、
ウ
ル
グ
ア
イ
・
ラ
ウ
ン
ド
の
7
z
o
m
i
c
"
z
t
e
F
"
e
7
z
"
n
c
e
…
,
p
3
3
)
、
で
は
な
ぜ
、
対
日
赤
プロセスに従い、OECDを自由貿易・自由投資地域
字
だ
け
を
問
題
に
す
る
の
か
?
こ
の
点
に
つ
い
て
は
あ
と
で
にすることでこのプロセスを完遂することを示唆し
論じたい。
(
3
9
)
1
9
9
1
年
以
降
主
要
な
案
件
と
な
っ
て
い
る
も
の
だ
け
を
列
挙
し
よ
う
。
ウ
ル
グ
ア
イ
・
ラ
ウ
ン
ド
で
は
、
関
税
引
き
’
不利な効果を与える可能性があるからで
ウ
ル
グ
ア
イ
・
ラ
ウ
ン
ド
で
同
意
で
き
な
か
つ
」,
甲'
Report,Aspenlnstitute,Cambridge,MA.
(47)Nishikawa,J.,1995,.@Lemod61ede
d6veloppementauJapon,Examend'unemteractionEconomiqueetSociale'',P.U.G.,1995.
(48)Sautter,Ch.,1987,LesDefzts血匪a7zt:Je
Jqpo"&Z(zCbrzqubte血MorzW,OlivierUrban,
Paris.
1
9
9
4
,
L
2
a
o
7
z
o
m
i
e
B
r
f
t
Q
J
z
i
q
U
e
"
I
8
汚
な
凡
C
s
ノ
O
Z
"
君
,
α
e
r
q
s
,
E
c
o
n
o
m
i
c
a
,
P
a
r
i
s
;
S
c
i
e
g
f
l
i
e
d
,
A
・
,
1
9
3
1
,
L
Q
Q
・
j
s
e
B
F
・
i
t
a
7
z
j
9
z
J
e
Q
z
L
X
X
。
s
i
b
c
l
e
,
C
o
l
m
,
P
a
r
i
s
,
r
6
6
d
i
t
i
o
n
,
1
9
7
5
.
(56)FMIの理事長は1995年3月、「10カ国が似たような
危機にみまわれている」と言った。5月にはその数は、
40カ国に増えた。
(57)Aho,前掲書、p、38。
(49)この点に関しては、特に次の博士論文で論じられ
ている。Figuere,C.,1993,LesGroupes
multisectorielsjaponais:unfacteurdecoh
rencedesstructuresproductivesnationales?,
Th6se,Grenoble.
(50)Naya,S.F.,Iboshi,P.I.,1994,"APostUrguayAgendaforAPEC:PromotmgConvergenceofNorthAmericanandAsianViews'',in
ChiaSiowYue,6d.,APm,"α"e7gesQJzd"port"""es,ISEAS,pp.54-93.この段落の情報はこ
の文献によっている。
(51)Watanabe,T.,!,TheFormationofaSelf-
SupportingCycleofStructuralTransformation
inEastAsia'',J"QFzReuieuノqfj>atematio"J
A〃n"s,Summer.
(52)tableaun.47,p.94,rapportl991/92de
訳/清水和巳
ー
■一一
−
●特集/第五回日仏経済学会議「経済的地域主義:ヨーロッパとアジア」(その1)
一BELIOGRApm頂
地域経済圏のインフラストラクチャー
A
h
o
,
C
M
.
(
1
9
9
4
)
,
.
"
F
o
r
t
r
e
s
s
E
u
r
o
p
c
'
'
,
W
i
i
l
l
t
h
e
E
U
i
s
o
l
a
t
c
i
t
s
c
l
f
6
o
m
N
o
r
t
h
A
m
e
r
i
哩
麺
d
Asia?.,meCD肋776わ.ん"、α/qが殉r〃B"s加箆易圃11994,PP,3289.
A
l
b
r
e
c
h
t
,
.
A
.
C
・
(
1
9
9
0
)
,
"
E
c
o
n
o
m
i
c
C
o
o
p
c
r
a
t
i
o
n
i
n
t
h
e
A
s
i
a
・
P
a
C
m
c
R
e
g
i
o
n
:
T
1
1
e
S
o
u
t
h
c
a
s
t
A
s
i
a
D
i
m
c
n
s
i
o
p
"
m
H
a
g
。
J
P
.
e
t
P
m
Y
.
C
,
c
d
s
(
1
9
9
0
)
,
p
p
.
1
0
9
.
1
2
2
−日本と欧州の社会資本整備の論点一
B
a
c
k
m
a
n
M
.
(
1
9
9
5
)
,
O
w
F
w
"
C
ル
ル
7
"
ど
β
”
"
"
r
雄
r
M
℃
戒
y
伽
別
J
m
,
D
e
p
a
n
m
e
n
t
o
f
F
o
r
e
i
g
n
A
f
f
k
i
r
S
a
n
d
T
a
d
e
,
C
a
n
b
e
r
r
a
.
B
a
l
t
】
画
"
F
b
L
.
.
(
1
9
?
9
)
p
.
W
L
W
d
e
r
"
p
o
u
P
a
m
l
e
r
s
h
i
p
?
L
a
n
o
u
v
e
l
l
e
p
o
l
i
l
i
q
u
e
a
m
e
i
i
c
a
i
n
e
"
,
師
ィ
曲
s
〃た、α"り"",21(4),d@cembrc.
長銀総合研究所竹内佐和子
B
e
r
g
s
t
e
n
p
C
.
F
.
o
N
o
l
a
n
d
,
M
.
(
1
9
9
3
)
,
R
E
c
o
"
c
M
a
6
"
、
D
妖
花
"
│
c
"
I
n
s
t
i
t
u
t
e
F
o
r
I
n
i
e
m
2
f
i
c
n
a
l
Economics,WashingtonDC.
B
e
r
g
s
t
c
n
p
C
F
.
:
F
!
c
m
,
B
.
(
1
2
2
3
)
,
"
4
N
e
W
y
i
s
i
o
i
l
i
b
r
P
n
i
l
e
d
S
t
a
i
c
s
J
a
p
a
n
E
c
o
n
o
m
i
c
R
e
l
a
t
i
o
n
s
"
,
i
n
〃
位
ア
7
7
"
s
7
乃
e
R
i
s
か
暦
&
"
7
:
A
f
7
W
加
9
.
…
*
R
k
F
“
α
G
ん
6
α
I
P
o
w
"
A
n
A
s
p
e
n
S
t
r
a
t
e
g
y
G
r
o
u
p
R
e
p
O
r
t
,
A
s
p
e
n
l
n
s
t
i
t
u
t
e
,
C
a
m
b
r
i
d
g
e
,
M
A
B
h
a
g
w
a
t
L
J
.
(
1
9
8
8
)
狩
り
花
c
"
。
"
"
i
s
7
7
7
,
C
a
m
b
r
i
d
g
g
M
ヘ
ハ
n
T
P
r
e
s
s
,
という大きな経済の枠組みからではなく、もっと狭い
1.はじめに
C
a
i
m
c
r
o
s
2
&
g
i
c
r
s
c
h
,
H
.
,
L
a
m
f
a
l
u
s
s
M
A
.
,
P
e
t
r
c
I
K
,
G
、
,
U
i
f
,
P
.
(
1
9
7
6
)
,
"
。
"
加
"
o
"
F
JEw"e,PUF,Paris.
「地域経済」の枠組みの中でとらえなおしてみてはどう
gWMMMWWWgWg"dInPuWccmthe"".Paci6cRcgon
l
m
p
m
“
t
i
o
n
s
f
b
r
U
S
I
n
t
e
r
e
s
t
s
a
n
S
P
o
U
"
,
d
o
C
u
m
e
n
t
d
u
C
b
"
8
7
渥
錘
加
泣
I
R
E
s
e
m
℃
灼
碇
r
W
"
,
WashingtoILD.C.
最近、パサージュ(Passage,Arcade)について書か
かという視点である。そういった視点から、日本と欧州
れた本をいくつか読んだ。パサージユとは、光を取り込
で起こっている変化の方向を改めて追いながら、今後の
F
a
m
e
t
t
i
,
R
(
1
9
9
4
)
,
L
唾
D
"
o
耐
た
β
耐
、
"
ゅ
e
生
ノ
8
方
向
"
"
ノ
り
z
"
b
C
o
l
i
q
P
a
r
i
s
.
んだ街路のことで、ビルの間に鉄骨作りのガラスの屋根
インフラ整備の枠組みについて再検討することが本稿の
H
a
n
n
a
h
,
L
.
(
1
9
8
3
)
,
乃
e
f
i
s
W
"
e
"
"
p
晦
圧
o
"
o
"
以
M
e
t
h
u
e
n
.
を据え付けたり、建物の回廊部分にガラス構造の屋根を
目的である。
D
o
m
b
u
s
c
h
,
R
(
1
9
9
2
)
,
m
U
S
・
J
a
P
a
n
R
c
I
a
t
i
o
n
s
皿
t
h
e
C
r
o
s
s
r
o
a
d
s
廓
,
C
b
ノ
"
7
6
"
、
ノ
b
l
"
7
7
q
ノ
ヅ
恥
r
〃
B
“
"
】
"
s
i
S
u
m
m
e
r
j
p
p
.
2
2
2
9
.
g
W
W
M
;
M
9
5
u
m
W
W
W
W
.
N
A
F
T
A
F
r
e
e
T
r
a
d
e
A
g
r
e
e
m
e
n
!
"
,
乃
g
W
b
s
内
j
"
g
わ
"
Q
"
Q
7
”
"
'
M
y
b
S
p
r
i
n
9
,
1
8
,
2
,
P
p
.
7
1
8
2
.
廻
騒
剛
劉
:
竺
壁
唾
W
鞭
彦
呼
な
J
靭
晒
府
討〃流聯溌蝋喧""“
”
で
j
c
肋
ノ
色
s
P
ノ
唖
イ
c
"
l
埴
S
J
z
"
"
α
た
$
?
,
T
T
I
@
s
e
,
G
r
e
n
b
b
i
e
.
H
B
r
d
t
,
.
J
.
P
,
K
m
,
Y
.
C
,
d
s
.
(
1
9
9
0
)
,
&
d
h
o
耐
た
Q
"
e
殖
"
b
"
伽
妨
e
4
s
b
R
T
c
M
c
R
g
g
f
o
"
,
W
c
s
t
v
i
cw
P
r
e
s
s
,i
Bo
u
l
d
e
r
.e
設けて、そこを歩行者優先の空間として活用する手法の
H
o
伍
刀
a
m
L
S
t
.
(
1
9
7
1
)
,
G
画
"
h
E
r
e
"
リ
フ
゙
'
@
"
,
S
e
u
i
l
,
P
a
l
i
s
.
g
g
F
a
i
&
R
P
.
I
I
g
9
4
)
m
M
"
n
g
R
m
i
o
n
j
i
s
m
S
"
m
i
G
"
6
α
"
忠
S
m
′
“
伽
"
m
t
s
i
"
O
f
T
"
n
O
1
O
,
s
c
p
t
.
1
9
9
4
,
n
o
s
p
f
c
i
a
l
刀
趣
企
《
、
(
z
ル
E
〃
物
湿
睦
o
"
o
J
7
I
M
P
P
.
3
4
3
9
.
H
u
l
b
a
u
"
G
,
(
1
9
8
9
)
,
耐
W
g
_
Z
r
t
"
。
"
M
o
"
咋
加
e
"
旋
肪
c
セ
ノ
血
り
,
励
慰
、
s
*
F
b
"
o
"
伽
R
"
Z
"
で
J
X
m
e
"
"
7
7
7
M
"
"
飢
P
r
i
o
r
i
t
y
P
r
e
s
S
P
u
b
l
i
c
a
l
i
o
n
s
,
N
a
M
Y
6
f
f
;
p
p
.
1
4
9
・
1
5
4
.
2.日本と欧米の比較論
ことである。
パリでは、19世紀前半にパサージュの建設が盛んにな
り、その後取り壊されたものも多いが、一部ギャラリー
戦後、日本では道路や鉄道網などの社会資本整備が
に形を変えて、文化的な活動やショッピング空間として
「欧米に比べて遅れている」と指摘され、「欧米並み」と
今でも活用されている。ミラノ中心街に残る美しい鉄骨
いうものさしが目標の設定に頻繁に用いられてきた。し
作りのガラス屋根はその代表的なものである。
かし、実際には日本が指標として参考にした欧米諸国の
このパサージュは、単に人が通りすぎるための場所で
はなく、そこに集まる人たちのためにさまざまな社会的
整備手法は国によってさまざまであり、また今日大きく
変化しようとしている。
その変化要因の一つは地域統合の進展である。計画手
コミニケーションの場を提供し、時にはその街で起こる
=
法や社会資本に対するニーズは、もはや国内要因だけで
歴史的事件が記憶に刻まれていく舞台となった。
パサージュに限らず、街中の市場(いちば)や広場な
ど、街の一部の空間をパブリックな空間として利用する
なく、国際的要因によって大きく影響を受けるようになっ
ている。
手法はヨーロッパでは幅広く利用されている。こういう
EU統合の進展によって国境を超えた人と物の流れが
街の「共有」空間を作り出す努力は、やがて都市計画手
加速化し、国際的な運輸網に対するニーズは拡大し、外
国資本の導入はインフラ部門に及んでいる。鉄道網や道
路網など国際輸送サービスの財源や運賃は2国間の調整
だけでは十分ではなく、ヨーロッパレベルでの統一的な
法にも多く取り入れられ、地域のインフラストラクチャー
整備の基本思想にもつながっている。
日本でも、阪神淡路大震災をきっかけにして防災を考
慮した街作りに関心が高まり、コミュニティー活動の意
規準を必要としている。
義が見直され、また高齢化社会の目前にして限られた財
このようなインフラの地域統合化の動きはアジアでも
政資金を社会資本にどう振り向けるかという議論がさか
同様である。アジア各国では、電力等のエネルギー開発、
んである。
上下水道の整備など大規模プロジェクトが予定され、先
日本と欧州の社会資本整備の発達をながめると、歴史
進国はこの地域のインフラ整備のノウハウや資金需要に
的経緯の違いを反映してプロセスにはかなりの違いがあ
注目している。他方、人の動きに関してもアジア地域の
るが、環境保護や住民参加意識の最近の高まりを見ると、
国際旅客等の輸送網に対するニーズは、この地域の経済
その底辺にはいくつかの共通の問題意識力現受けられる。
成長率を上回る比率で(2010年まで7,8%)伸びると
その一つは、社会資本の整備の目標を、「国民経済」
予測されている。
−33−
−32−
− 一 四 ■ − −
P 一 一 .
ー
−
ー . - 声 一 再 一 。 ■ ー
一 一 回
ヨ
= マ ー ー ー ー ニ 一 一 一 一 - 一 一 一 口 ・ − − −
ー 甲 - - コ 一 一 一 一 三 』
.=.一一詞一一=-一−
ー
一
I
第二に、インフラの財源に話を移すと、欧州先進国に
今日こういった産業重視の体制に修正を加える動きが
おいては福祉国家を目指して社会保障移転が拡大し、そ
出てきている。インフラ計画の策定権限を中央政府から
の結果財政赤字の累積額が急速に増大している。各国の
地方の市町村に委譲しようという分権の動きや、地域住
公的支出の規模を国民総生産比で比べると、米国63.0%、
民の福祉の重視といった視点がそれである。国道43号線
英国63.0%、ドイツ62.5%、フランス59。5%、日本88.9 沿いの住民が騒音公害の補償を求めた訴訟で国が道路計
%に達している(1995年の数字)。
こういった財政赤字の削減方法は各国ごとに違いがあ
るが、福祉の切り下げ力洪通課題として浮上している。
画の欠陥を一部認めたことは、その端緒を示すものであ
る
。
し
か
し
実
際
に
は
、
社
会
保
障
支
出
の
削
減
は
困
難
で
あ
り
、
他
の社会インフラ(道路、鉄道整備など)整備コストが圧
迫される傾向や、公的債務の増大による利子率の上昇に
よるクラウデイング・アウト現象が懸念されている。
こ
う
い
っ
た
歳
出
の
削
減
と
は
別
に
、
イ
ン
フ
ラ
の
整
備
主
体
を
公
的
部
門
か
ら
私
的
部
門
へ
と
移
行
す
る
動
き
が
数
年
前
か
ら
本
3‘問題の範囲
以上のような問題に対してどのように論点を設定した
らいいのだろうか。まず第1に、公共支出の経済的波及
る。つまり、地方自治体によっては地方の計画の自由度
は地方財源の規模に依存するから「財源がなければ計画
はできない」と主張する。この議論のポイントは地方自
治体が自主財源を大きくしたいというニーズからスター
トする。しかし他方では、自主財源よりも国からの補助
金や地方交付税の拡大を望む地方自治体があり、統一的
英国はこの2つとは分権の意味は異なるが、ウェールズ、
な分権の議論にはなりにくい。
方が市民の要求に沿ったきめ細かい政策を展開できるは
住民の側から見れば、財源よりも効率的な支出の方が
大事である。これには、税やプロジェクト費用の使い途
を、住民が第3者機関を通じて監視する仕組みが必要で
あり、それなくしては分権化の意味が薄れてしまう。
第4に、土地利用方法の変更などについては、ドイツ
ずだという発想である。
で用いられている環境への影響調査が有効である。この
方式は、環境への生態的な影響と自然景観の維持という
法案が成立した。
視点を同時に扱う。
の計画能力、実施能力の格差が大きいために、十分では
第5に、行政サービスと民間サービスの統合である。
例えば、福祉サービスの領域では、料金制(受益者負担
方式)が機能すれば民間企業による営業がある程度可能
だが、その場合行政の援助分をどの程度にするかという
ないといわれる。唯一、大パリ圏イール・ド・フランス
効果をどう定義するかという課題がある。経済波及効果
は、投資額に対する民間需要の大きさや、雇用創出数を
格
化
し
て
い
る
。
英
国
で
は
、
サ
ッ
チ
ャ
ー
政
権
以
来
イ
ン
フ
ラ 数字で示したものである。しかし、この数字にはいくつ
部
門
の
民
営
化
が
進
行
し
て
い
る
。
欧
州
諸
国
の
中
で
、
英
国
は かの欠陥がある。
財
政
規
模
の
抑
制
に
「
比
較
的
」
成
功
し
、
政
府
の
役
割
を
限
定
す
る
「
小
さ
な
政
府
」
政
策
に
早
く
か
ら
転
換
し
た
。
フ
ラ
ン
ス
で
も
国
営
系
企
業
を
中
心
と
し
た
従
来
の
経
済
体
制
の
改
革
が
本
格
化
し
、
国
営
企
業
2
1
社
の
民
営
化
プ
ラ
ン
な
ど
鉄
鋼
や
通
信
な
ど
基
幹
産
業
部
門
で
民
間
資
本
の
導
入
力
端
極
的
に
行
わ
れ
て
い
る
。
第1に大規模公共事業プロジェクトが引き起こす経済
効果は、工事後の賃貸収入や料金収入の低下の影響で低
下傾向にあるばかりでなく、建築物が完成したあとのメ
ンテナンス費用が、後に地方自治体の財政負担となって
ヨーロッパにおける地方分権の背景を知るためにはか
なり歴史を遡らねばならないが、今日に引き戻してその
特徴を言えば、「市民のための民主主義の実現」という
ことになるだろう。つまり、中央政府よりも地方政府の
フランスでも、ドゴール大統領の時代に、中央集権型
制度をどう分権化すべきかという問題が提起され、DA
TAR(国土整備開発局)などの活動を経て、1983年に
ミッテラン政権の下で22の地方を受け皿とする地方分権
ただ、分権の成果については、市町村ごとにインフラ
地方では分権のモデルが進行し、シェマ・ディレクター
など基本計画の作成や地方と中央の契約に基ずく分権が
実現している。
日本では地方分権の議論と並行して、インフラの財源
バランスの問題がある。
住民にはね返ってくる可能性が高い。
こういった公共事業の効果については、工事期間中の
第
三
に
、
イ
ン
フ
ラ
施
設
や
運
営
に
対
す
る
住
民
の
関
心
を
反
民
間
需
要
の
大
き
さ
、
つ
ま
り
直
接
的
な
経
済
効
果
だ
け
で
な
く
、
映
し
て
、
住
民
参
加
の
手
法
や
環
境
影
響
調
査
な
ど
が
広
く
用
い
工
事
終
了
後
の
地
域
経
済
へ
の
メ
リ
ッ
ト
を
中
長
期
的
に
追
跡
す
ら
れ
る
よ
う
に
な
っ
て
い
る
。
ま
た
行
政
シ
ス
テ
ム
の
面
で
も
、
る
調
査
が
必
要
で
あ
る
。
ま
た
、
新
た
な
土
地
利
用
計
画
や
新
規
イ
ン
フ
ラ
計
画
は
住
民
の
ニ
ー
ズ
に
近
い
と
こ
ろ
で
策
定
さ
れ
る
事
業
の
影
響
を
、
市
町
村
レ
ベ
ル
の
評
価
に
結
び
つ
け
る
手
法
が
べ
き
だ
と
す
る
地
方
分
権
の
プ
ロ
セ
ス
が
進
行
し
て
い
る
。
欠如している。
日
本
で
は
、
高
度
成
長
期
を
通
じ
て
交
通
イ
ン
フ
ラ
の
整
備
の 第2に、地元住民の暮らしの接点が不明瞭のままIニメ
高速道路料金や上下水道料金、電気、ガス、国際空港
をどう分担するかという議論が進行している。分担基準
など公共サービスの多くのものは、利用者による負担を
の一つは、あるインフラ事業への投資メリットが、地域
基本とする形にすでに移行しているが、利用者負担の割
住民に限定される場合には地方の自主財源でまかない、
合が大きすぎると不満が高まり、また財政投融資ないし
限定できない場合には国の財源を用い、直接ユーザーが
は民間からの融資が大きすぎると利子支払分が経営を圧
メリットを享受する場合にば利用者負担となっている。
迫する。利用者負担と一般財源の比率の変更が必要なケー
インフラの性質によって、3つの財源を組み合わせ比率
スがすでに出てきている。
を決め、必要な場合にはその比率を変更するとういうの
がそのルールである。
例えば、複数の県にまたぱる一級河川の場合には国が
4.財源分担の議論と地方分権
緊
急
性
が
叫
ば
れ
、
予
算
配
分
の
面
で
も
道
路
や
空
港
な
ど
で
は
ダ
ー
ト
し
て
し
ま
う
ケ
ー
ス
に
対
し
て
は
、
地
域
住
民
へ
の
情
報
特
別
会
計
制
度
が
導
入
さ
れ
、
ま
た
景
気
対
策
と
し
て
公
共
支
出
開
示
と
住
民
に
よ
る
直
接
投
票
、
情
報
ネ
ッ
ト
ワ
ー
ク
を
使
っ
た
が
上
積
み
さ
れ
る
な
ど
公
共
事
業
の
拡
大
策
が
積
極
的
に
押
し
進
自
治
体
と
住
民
と
の
間
の
コ
ミ
ニ
ケ
ー
シ
ョ
ン
方
法
の
開
発
を
並
め
ら
れ
た
。
そ
の
結
果
、
中
央
官
庁
が
イ
ン
フ
ラ
の
整
備
手
法
、
行
さ
せ
る
こ
と
が
必
要
で
あ
る
。
計
画
に
関
し
て
決
定
的
な
役
割
を
は
た
す
よ
う
な
仕
組
み
が
出
来
50%、地方が50%、地下鉄は国が25.2%、地方48%,利
欧州諸国のなかでも地方分権のプロセスは歴史的にか
なり違いがあるが、特に従来の中央集権的だと言われて
用者負担が26.8%(社債の発行を通じて)、地方空港は
国67%、地方33%といった形になっている。
ただし、こういった枠組みに入らない問題も出てきて
きたフランスでは、地方分権的スタイルへの移行が80年
いる。道路整備などについては騒音問題や環境問題に対
代以降進展した。
ま
た
住
民
側
は
イ
ン
フ
ラ
の
計
画
内
容
に
つ
い
て
反
対
意
見
を
述
べ
る
だ
け
で
な
く
、
プ
ロ
ジ
ェ
ク
ト
の
公
益
性
を
維
持
す
る
目
あがった。
スコットランドなど幾つかの地域から成っている。
こ
う
い
っ
た
方
法
が
戦
後
の
日
本
経
済
の
成
長
や
社
会
ニ
ー
ズ
的
で
、
法
律
家
や
環
境
専
門
家
と
も
連
携
し
て
プ
ロ
ジ
ェ
ク
ト
の
に
効
率
良
く
対
応
し
て
き
た
こ
と
は
事
実
だ
が
、
反
面
、
官
庁
と
効
果
を
長
期
的
に
監
視
す
る
委
員
会
の
形
を
整
え
る
方
法
も
あ
る
。
業
界
の
間
の
閉
鎖
的
な
関
係
を
前
提
に
計
画
が
決
め
ら
れ
る
た
め
、
こ
の
方
式
は
フ
ラ
ン
ス
で
採
用
さ
れ
て
い
る
(
L
E
S
O
B
S
E
I
I
=
住
民
福
祉
や
生
活
環
境
の
快
適
性
を
追
求
す
る
努
力
が
不
足
し
が
V
T
O
I
R
E
S
)
。
監
視
期
間
は
1
0
年
で
あ
る
。
日本では「地域」や「地方」の活性化の議論がここ数
処するための社会的コストを誰が負担するかという新た
年主流になったが、その議論とは裏腹に経済の一極集中
な問題がある。この場合、自動車のドライバーなど便益
化はいっこうに止まらない。欧州では伝統的に「地域」
を受ける人がさらにコストを負担する考え方、あるいは
が経済運営の極めて重要な軸である。フランスには22の
幹線道路の歩道整備に地域住民がコストを負担するケー
地域(REGION)があり、ドイツには16の州(LNDER)、
スが検討されている。
ちだった。
第
3
に
、
地
方
自
治
体
の
政
策
策
定
能
力
と
財
源
の
関
係
で
あ
−35−
−34−
で 雫 ■ ■ ■
ロ
呈一一一一一一一一一一
ー
ヨ
ー
l
一 一
』
−
−
-
ー
ー
‐
垣一℃一一画卒和■三一函一一一.一一勺P一一ー一ロマ臣マ戸回一=一一冗臣==一一壼嵐声戸車イーー記ロー可I■==
’一
|
:
|
鳶
測
馴
1
.
:
.
:
Ⅱ
ヨ:
’
また国の予算の配分については各省庁間でシェアにつ
気汚染、水質の低下など環境の悪化が懸念されている。
公共支出の乗数効果をめぐっては、建設省と通産省が対
環境規準の国際的調整の分野では、日本とアジア地域と
立している(情報関連の公共支出の方が公共事業の乗数
効果の方がより高いという主張)。また道路(国道)の
の調整に日本が積極的に参加することが必要になるだろ
う
。
方は特定財源という特別会計制度によって整備され、高
速道路は有料道路料金と財政投融資を基礎とした運営が
6.資本調達の民営化
されているが、これらの仕組みゆえに予算配分は硬直的
になりやすい。
5.環境問題と住民参加
ド
イ
ツ
で
は
、
環
境
保
護
と
い
う
テ
ー
マ
は
イ
ン
フ
ラ
の
計
画
プ
ロ
セ
ス
で
ま
す
ま
す
重
要
と
な
っ
て
い
る
。
道
路
と
鉄
道
整
備
の
ど
ち
ら
を
優
先
さ
せ
る
か
を
決
定
す
る
際
に
も
、
環
境
負
荷
を
下
げ
る
に
は
鉄
道
の
方
が
有
効
だ
と
い
う
視
点
か
ら
鉄
道
整
備
が
優先される場合もある。
分権化のプロセスが進むにつれて自治体が行政サービ
スの事業主体になるケースが増えているが、さらに一歩
進んだ形として民間企業に行政サービスの運営そのもの
を委託する方法もある。ゴミ処理や水道事業、地域発電
..。..﹃’1.11.....1..。..・・.。.・Ⅱ・・111.1111・・.■■■■月・・・.1列IⅥ屯I刑.・・.川11咽..。.・・・。.11咽.刈咀川畑咽.1.・・・・・・・・・・・・.・・・・・・・・・・司咀刑11111
いて少なからず混乱が見られる。道路と情報関連支出の
国際的に見ると、近年アジアの集積が進んだ地域で大
ニーズは拡大するが、そのマネジメントについて政府は
現するには日本のような「規制緩和論」一辺倒の議論で
いくつかの規制を必要とする。
は不十分で「公共の利益」に沿った新しい私企業の経営
まず第1に、環境基準や品質基準についての規制、第
2に、料金の設定については、公共サービスが消費者の
理念とスタイルを考えなければならない。欧州で規制緩
和の理論が議論の主流になりにくい理由はそこにある。
準「公共」サービスへの私企業の社会貢献こそ力吟求
利益を保証しているかどうかを判断し、必要な場合には
仲介する責任、第3に、インフラ設備の長期的なメンテ
められていることであり、そういう企業主体の「進化」
ナンスの枠組みを作り、長期的な安全を保証する役割で
を社会資本整備計画の前提に置くことができるかどうか
ある。
が地域インフラ部門の発展の鍵である。
第3の長期的なメンテナンスの問題はあまり議論が進
i
l
|
§
■■
・I
1
|:
:
I
l
i
|
:
参考資料
んでいない。納税者ないしは利用者の最大限の利益を確
1「21世紀の社会資本整備のあり方について」報告書、
保するためには、政府、自治体、建設業者、運営主体、
長銀総合研究所、平成7年。
そして利用者の間で、十分な情報開示とコミニケーショ
2G.L・MCILIWINE,(、SOMEFACTSOFPOTEN-
ンが図られなければならないだろう。
■│
などの分野では、民間企業が自治体と契約を結んで、住
民に直接サービスを提供するケースが増えている。
最近、アジア地域でこういった民間資本を活用したイ
:
│
l
’
_
|'|
以上の視点は「官」と「民」の関係が徐々に変わりつ
つあり、今後この両者の混合型のマネジメントがいっそ
TIALFRAMEWORKFORSOCIALINFRA-
STRUCTUREDEVELOPMENT'',MARCH,1995.
I
’
う増えることを意味している。ただ、その型の経営を実
ンフラ開発の必要性が高まってきている。この背景には、
アジア諸国はインフラ開発を政府や自治体が独自で行う
通
常
、
建
設
プ
ロ
ジ
ェ
ク
ト
の
ス
タ
ー
ト
に
際
し
て
は
、
①
経 には財源やインフラの管理.運営ノウハウが十分ではな
済
的
イ
ン
パ
ク
ト
、
②
環
境
に
対
す
る
イ
ン
パ
ク
ト
、
③
地
域
開
発
へ
の
影
響
、
④
他
の
イ
ン
フ
ラ
と
の
接
点
(
例
え
ば
国
際
空
港
いという事情がある。
こ
の
タ
イ
プ
の
事
業
は
B
O
T
(
B
U
I
L
D
_
O
p
E
R
T
E
T
R
N
S
へ
の
ア
ク
セ
ス
の
改
善
、
他
の
輸
送
網
と
の
接
続
な
ど
)
な
ど
の F
E
R
)
、
P
I
P
(
P
R
I
V
T
E
I
N
F
R
S
T
R
U
C
T
U
R
E
P
R
O
J
E
C
T
)
点
か
ら
検
討
さ
れ
る
が
、
特
に
環
境
へ
の
負
荷
の
程
度
は
ま
す
ま
す重要になっている。
環
境
へ
の
イ
ン
パ
ク
ト
調
査
に
お
い
て
は
、
以
下
の
ポ
イ
ン
ト
が考慮される。
a
)
自
然
、
景
観
に
対
す
る
脅
威
は
ど
の
程
度
回
避
さ
れ
て
い
るか。
b
)
自
然
、
景
観
の
被
害
に
対
す
る
補
償
な
い
し
対
応
策
が
と
ら
れ
て
い
る
か
ど
う
か
。
c
)
自
然
、
環
境
保
護
の
ニ
ー
ズ
は
建
設
プ
ロ
ジ
ェ
ク
ト
の
ニ
ー
ズ
に
優
先
し
て
い
る
か
ど
う
か
。
d
)
十
分
な
代
償
や
被
害
の
最
少
化
が
図
ら
れ
な
い
場
合
、
プ
ロ
ジ
ェ
ク
ト
を
見
送
り
に
で
き
る
か
ど
う
か
。
ねらいがある。
インフラの開発資金の不足を補う方策としては、第一
に
自
治
体
が
地
方
債
を
発
行
す
る
と
い
う
方
法
、
第
2
に
自
治
体
の
行
政
サ
ー
ビ
ス
事
業
を
初
期
投
資
の
段
階
か
ら
計
画
で
き
る
民
間
企
業
を
探
し
て
資
本
投
資
さ
せ
る
方
法
が
あ
る
。
ア
ジ
ア
諸
国
で
は
後
者
の
イ
ン
フ
ラ
整
備
の
手
法
に
関
心
力
喋
ま
っ
て
い
る
が
日
本
企
業
の
多
く
は
現
地
と
の
合
弁
は
試
行
錯
誤
の
段
階
だ
と
見
’
’
1
1
ている。
ま
た
、
ア
ジ
ア
の
途
上
国
だ
け
で
は
な
く
、
日
本
国
内
で
も
イ
ンフラが未発達な分野があり、従来の枠を超えた民間ぺ一
ス
の
取
り
組
ふ
が
で
き
な
い
か
と
い
う
声
が
あ
る
。
下
水
道
整
傭
|
も
そ
の
−
つ
で
あ
る
。
日
本
の
下
水
道
の
普
及
率
は
5
0
%
で
あ
り
、
他
の
先
進
国
と
く
ら
べ
て
も
か
な
り
低
く
(
英
国
9
6
%
、
米
国
7
3
%
、
カ
ナ
ダ
7
0
%
)
、
ま
た
地
域
格
差
が
依
然
と
し
て
大
き
V
3
(
東
京
9
4
%
、
大
阪
7
1
%
、
徳
島
9
%
)
。
ま
た
高
齢
化
社
会
'
二
直
面
し
て
、
福
祉
サ
ー
ビ
ス
へ
の
ニ
ー
ズ
が
増
大
し
て
い
る
。
−36−
こ
う
い
っ
た
私
企
業
に
よ
る
「
準
」
公
的
サ
ー
ビ
ス
に
対
す
る
’
以
上
の
よ
う
な
方
法
は
旧
西
ド
イ
ツ
で
用
い
ら
れ
て
き
た
手
法
だ
が
、
環
境
汚
染
が
激
し
い
と
言
わ
れ
て
い
る
東
ド
イ
ツ
地
域
に
ど
の
よ
う
に
適
用
さ
れ
る
か
が
注
目
さ
れ
る
。
日
本
で
は
、
環
境
影
響
調
査
や
環
境
監
査
と
い
っ
た
手
法
の
本
格
的
な
採
用
は
こ
れ
か
ら
で
あ
り
、
日
本
、
米
国
、
欧
州
、
ア
ジ
ア
の
環
境
規
準
の
相
互
調
整
も
緊
急
の
課
題
に
な
り
つ
つ
あ
る
。
と呼ばれるが、民間資本を公的な事業で活用することに
−37−
一
一J
言
●特集/第五回日仏経済学会議「経済的地域主義:ヨーロッパとアジア」(その1)
一 一 一
アジアにおける生産システムの形成?
−生産システム概念に照らしたアジア地域経済圏の形成過程一
グルノーブル第2大学ジャック・カルヴエ
経済学の研究が資本主義の構造的進化に影響を受吐て
いることは今更指摘するまでもない。大戦間期の危機の
時代は停滞に関する理論(これはシステムがついに「定
常状態」論にいう停滞に行き着いたと説明する)と「ケ
インズ革命」(これはシステムが陥った難局から脱出す
ることを明示的に企図した)が同時に開花した。戦後は
成長理論およびそれから派生した開発理論が発展した。
そして、ローマクラブが「成長の停止」を要求し、いわ
ば
そ
う
す
る
こ
と
で
、
悪
化
す
る
将
来
に
難
I
に
対
決
し
た
の
は
、
第
一
次
「
石
油
シ
ョ
ッ
ク
」
以
前
の
こ
と
で
あ
り
な
が
ら
も
、
シ
ス
テムの最初の動揺(インフレーションと失業の昂進、ブ
レトンウツズ体制の終焉)の後でもあった。
■
一二一
−
今
日
の
最
も
重
要
な
議
論
は
こ
の
論
理
の
中
に
存
在
し
て
い
る
。
そ
の
場
合
、
最
も
重
要
な
議
論
と
は
、
世
界
的
規
模
で
の
経
済
の
構
造
化
の
諸
問
題
に
取
り
組
む
こ
と
、
こ
れ
で
あ
る
。
こ
う
し
た
問
題
に
つ
い
て
は
1
9
7
0
∼
1
9
8
0
年
の
期
間
に
す
で
に
提
示
さ
れ
語
ら
れ
て
き
た
が
、
社
会
主
義
経
済
の
消
滅
(
ソ
連
と
そ
の
衛
星
諸
国
の
場
合
は
急
激
で
あ
り
、
ア
ジ
ア
の
社
会
主
義
諸
国
の
場
合
は
漸
進
的
で
あ
る
が
不
可
避
で
あ
る
)
に
よ
っ
て
差
し
迫
っ
た
も
の
になっている。
マレーシアがイニシアチブをとるEAEC[東アジア経
なっている。ポスト共産主義世界については一般にかな
済会議]といった一種の反APECの下位集団を有してい
り扱いにくいので進展がもう少しはっきりするまで脇に
る(3))ほとんど形成できていないのである。
世界経済という考え方に回帰しているように思われる。
析対象になることもある(とはいえ実際のところあまり
る。つまり経済空間に対する理論的アプローチの不在で
私は世界化について述べるつもりはない。なぜならこ
れはこの会議の主題ではないからである。しかしながら、
これに関して次のことを注意しておこう。この概念に
信頼のおけない統計をもとに評価されているので、一部
ある。認識論的観点からはこの欠陥は特に示唆的である。
の者はこれらのパフォーマンスの現実性についてあまり
なぜなら、空間という一つの対象について「理論をつく
信じていない(2))。
る」(地域化や、同じ事であるがグローバル化について
「
グ
ロ
ー
バ
ル
化
g
l
o
b
a
l
i
s
a
t
i
o
n
」
と
い
う
新
し
い
名
前
を
つ
け
たからといって、それで一つの新しい思想が作られたわ
けではないということである。それはすでにA.スミス
やD・リカードの文献に現れており、他方でF・リスト
では、3つの「地域」は何を基準に選ばれているのか?
の理論である)ことに至らしめるからである。空間はこ
当然、地理的な基盤においてである。まず「明白な」地
れまで理論的に定義されてこなかった、つまり、概念な
理的な分類からはじめ、次にこの分類の内部におきてい
き理論であった。これはなんらかの発展に値する。
によってあいいまいながらも非難されていた。グローバ
ル化とは根本的には市場と資本の普遍性の思想である。
その意味では、現実の動きを分析した結果というよりも
一つの規範なのである。なるほど、世界貿易の発展と企
業の多国籍化がグローバル化を主張する者になにがしか
の
論
拠
を
与
え
て
い
る
こ
と
は
真
実
で
あ
る
。
し
か
し
何
人
か
が
それを望んでいたり、恐れていたほど早くは現実が来な
か
っ
た
の
も
ま
た
真
実
な
の
で
あ
る
。
例
え
ば
、
1
9
7
0
年
代
初
め、フイラデイルフイアのワートン経営研究所でH.パー
ること(資本、商品、労働、通商協定、等々の動き)を
本質的に、経済理論は空間と時間の外で構築されてい
分析するという手順がとられる。このやり方は、本質的
るといってよい。時間が分析に導入され、徐々に概念化
に相異なる2つの系列の問題を引き起こす。
されるようになったのは、経済の現実の機能の時間的側
一方では、地理的な分類はそれほど明白なものではな
面が明確になった時代、つまり戦後の成長期である。成
いことである。アメリカについてはほぼこれで事足りる
長を考えるのならば時間を考えざるをえない。しかしな
が、ヨーロッパでは難しくなる(欧州連合諸国のみにつ
がら空間はいまだその栄誉に浴していない。「空間の経
いて考察すべきであろうか?とはいえ、欧州連合が拡大
するに連れて、その加盟国も変化する。それとも欧州自
済学者」はこれまで周辺的な存在であった。空間に関し
由貿易連合諸国も加えるべきか?また、東ヨーロッパ、
た。つまり、まず、(政治的に、地理的に、歴史的に、
さらにロシアは?トルコ、イスラエル、モロッコは言う
等々)「くつべつに」に与えられている空間からはじめ、
までもない)。そしてアジアはさらに難しい(中国の問
題に加えて、インド亜大陸の問題がある。さらに一般的
次に、その内部に起きたこと.を分析し、適切な経済的実
ては、支配的な経済学的手法は常に経験的なものであっ
体をさがすことが問題であるという公準を(ほとんど無
意識に)たてるのである。これまで選択された空間は一
よ
そ
1
6
%
を
支
配
し
、
上
位
3
0
0
企
業
が
2
5
%
を
支
配
し
て
い
る
と
い
う
計
算
に
な
っ
た
。
こ
れ
は
大
き
な
割
合
で
あ
る
が
、
全
には、政治.経済体制、発展水準や規模、等々からみた
この地域の諸国の不均質性の問題がある。それに加えて
制度の分類が可変的である問題がある)。そして太洋州
(つまりオーストラリア、ニュージーランドの両国)は
いうまでもない。この地域は確かにアジアではない、が
体的支配というには程遠い。
非常に離れているわけでもないからである。
ることである。しかしこのことはそれほど口うるさくい
このように分類が決定的なものでないために、「太平
洋圏」というめんどうなものが、さらには生みだされて
しまった。一般にこの太平洋圏は、経済的観点からも
われず、それに人々は満足してきた。実際、この問題は
提示されてこなかった。
(合衆国の影響力ということだけでは、そこに一つの論
件が変化したため、そこが弱点となっている。もはやア
理を見出すのは困難である。合衆国は「太平洋諸国」で
プリオリに適切な空間的分割はない。根本的にいって、
もあれば「大西洋諸国」でもある)、地政学的観点から
問題は、いかなる経済的空間が適切であるか、もしくは
も(この圏はAPEC[アジア太平洋経済協力閣僚会議]
適切になるかを知ることである。空間はもはや操作の対
さ
ら
に
検
討
し
な
け
れ
ば
な
ら
な
い
の
は
、
そ
れ
ら
が
ど
ん
な
企
業
で
あ
り
、
ど
ん
な
生
産
手
段
で
あ
る
か
、
と
い
う
こ
と
で
あ
る
。
同
じ
結
果
(
さ
ら
に
は
1
9
7
0
年
に
予
測
さ
れ
た
結
果
も
)
は
、
単
一
国
籍
企
業
が
活
動
し
て
い
る
国
民
経
済
の
枠
内
で
も
得
ら
オ
ル
−38−
一
浪費された10年へ、アフリカはますます分析の対象外と
分析で見受けられてきたものと同じ欠陥を再生産してい
一
般
に
、
地
域
化
を
視
座
と
す
る
分
析
の
出
発
点
に
は
、
世
界
一
APECは少なくとも興味深い特色として、その内部に、
がその最近の商業的、経済的パフォーマンスゆえに、分
係
は
ど
ん
な
の
も
の
で
あ
る
か
、
こ
れ
を
知
る
こ
と
で
あ
る
。
s
a
t
i
o
n
の
対
立
に
議
論
が
集
中
し
て
い
る
の
で
あ
る
。
今
日
、
多 関
は
こ
の
側
面
か
ら
地
域
化
の
問
題
に
取
り
組
も
う
と
思
う
。
く
の
人
々
が
、
国
民
経
済
を
基
礎
に
し
て
構
造
化
さ
れ
た
一
つ
の 私
−
櫛造化されているという公準がある。失われた10年から
他方では、このような手法は現在まで「国民」経済の
る
。
問
題
は
、
ど
こ
に
お
い
て
こ
れ
ら
の
企
業
と
こ
れ
ら
の
生
産
段
が
地
域
化
さ
れ
る
か
、
そ
し
て
こ
れ
ら
が
取
り
結
ん
で
v
。
る
早
い
話
が
、
世
界
化
m
o
n
d
i
a
l
i
s
a
t
i
o
n
/
地
域
化
r
6
g
i
o
n
a
l
i
- 手
一 一 =
という形であいまいにしか制度化されていない。そして
おいておく。ただ中国のみ(しかも南部の沿岸地域のみ)
ル
ミ
ユ
タ
ー
は
、
1
9
8
5
年
に
は
2
0
0
か
ら
3
0
0
の
企
業
が
単
独
で
非
共
産
主
義
世
界
の
生
産
手
段
の
お
よ
そ
8
0
%
を
支
配
し
て
い
る
と
予
測
し
て
い
た
。
と
こ
ろ
が
、
B
・
エ
モ
ー
が
最
近
こ
の
予
測
を
こ
れ
ら
の
諸
議
論
力
撮
も
重
要
な
の
は
、
そ
れ
が
将
来
の
世
界 再
検
討
し
た
と
こ
ろ
、
上
位
,
0
0
企
業
が
世
界
の
生
産
手
段
の
お
が
進
む
方
向
(
そ
れ
は
経
済
だ
け
に
関
係
し
て
い
る
わ
け
で
は
な
い
)
を
指
し
示
し
て
い
る
か
ら
で
あ
り
、
根
本
的
に
不
確
実
な
状
況
に
お
い
て
諸
主
体
の
戦
略
を
醸
成
し
て
い
る
か
ら
で
あ
る
。
最
も
重
要
で
あ
る
と
は
い
え
、
し
か
し
こ
の
問
題
は
間
違
っ
て
設
定
さ
れ
る
場
合
が
多
い
。
正
確
さ
を
は
か
る
た
め
に
は
、
概
念
づ
く
り
と
い
う
一
つ
の
困
難
に
し
ば
し
ば
悩
ま
さ
れ
る
。
こ
の
困
難
を
乗
り
越
え
る
試
み
は
、
こ
の
会
議
の
少
な
か
ら
ぬ
功
績
と
な
る
で
あ
ろ
う
。
と
り
わ
け
地
域
化
と
い
う
概
念
づ
く
り
が
そ
う
で
ある。
経済は、アメリカ、ヨーロッパ、アジアの三極を基盤に
を与えてきた。国民経済の分析にはもちろんいくつかの
問題が生じている。たとえばルクセンブルグ、もしくは
オランダでさえ、合衆国と同じ資格で「国民経済」であ
今日でも、手法は同じままである。しかし、問題の与
−39−
− − − ロ ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー 一 一 一 一 一 一 − = 一 一 一 = ー − 1 口 。 一 一 向 − − − . 一 − 一 一 一 画 − = − ■ − 三 一 一 印 ・ = = −
P
守
一 一 一
般に国民国家であり、これが「国民経済」の分析に根拠
J
■■■■一一一一一一一一一−−−−−−−−−
’:
|
’
’
象ではなくなり、徐々に分析の第一与件になる。つまりらだ。)は生産過程であるというのが我々の公準である。
産業間における資本の配分の問題。これは生産栂調整手続きは生産過程を運営することの間接的な結果
’
1
1
造を決定するであろう。
「空間の報復」(‘》である。こうして経済的分析のために空生産過程とは、価値増殖の制約下にある一つの労働過
間を概念化する義務が課せられるのである。それはちよ程である。一定の価値を投下して労働過程の諸要素(労
・資本家と賃労働者間の所得の再分配の問題。これ
ことに由来している。簡単な例を挙げよう。与えられた
は資本家が生産に従事する能力と誘因を決定する
条件の下で、何らかの商品を選び、その商品の一定量が
であろう。
当該の生産過程の運営を可能にするのに必要かつ十分で
うど成長期に時間を概念化せねばならなくなった場合と働手段、労働対象、労働力)を活用することによって、
その投下価値よりも大きな価値を得、次に拡大された基
同様である。
したがって、世界的な規模での資本主義の領域的構造盤でこの活動を繰り返すことが資本主義的な経済活動の
化を概念を通して考えること力呵能になるには、空間の基礎である。
理論を作ること力唾要である。これは大きな企てであり、生産過程がその本来の機能を維持するには、絶えず以
である。このことは生産諸過程が結びついているという
我々は、グルノーブル派レギュラシオン理論の枠組み
あるとする。資本家が意思決定の際、個別の期待の他に
で、これら2つの問題が経済法則、つまり利潤に関する
参照するものがなければ(言い換えると、古典的な見方
諸法則によって規制されていることを考察することにな
のように、唯一の利用できるシグナルカ浦場によって資
ろう。言い換えれば、我々はこれらの問題が空間的時間
本家たちに送り出されるシグナルであるならば)、非常
的諸状況に応じて行き当たりばったりに規制されている
に多くの資本家が当該の商品の生産を決定することが起
時間がかかるであろう。私はここでこの企てに何らかの下の2つの条件を満たさねばならない。
かたちで参加しようと思う。そこでまず第一に、生産シ・労働過程の諸要素が質と量において自由に処分で
ステムの概念を提示し、第二に、この概念により構造的きなければならない。
という考えを拒否するのである。この利潤に関する諸法
こりうる。従ってその商品の全体的な生産は全体の欲望
則がいわば資本主義経済を根本的に動かしている背最を
を数量的に越えてしまい、満足できる諸条件では価値増
危機の解釈がいかに可能になるかを提示し、最後に、、生産物の販売によって、投下した価値を上回る価
構成している。
殖されない可能性がある。つまりこの商品の生産に投下
「アジア」経済の地域化の問題を検討する。
値が実現されなければならない。
基本的要素である限り、当然、一つの特殊な生産過程
1.生産システムという概念が社会的生産の全体を包含するわけではない。(一つの
「
生
産
シ
ス
テ
ム
s
y
s
t
6
m
e
p
r
o
d
u
c
t
i
f
」
と
い
う
表
現
は
幾
特
殊
な
生
産
過
程
は
自
ら
が
機
能
す
る
た
め
に
必
要
な
諸
要
素
の
度
と
な
く
使
わ
れ
て
き
た
が
そ
れ
は
し
ば
し
ば
直
観
的
な
意
味
で
全
体
を
そ
れ
自
身
で
生
産
し
て
い
な
い
)
。
各
々
の
生
産
過
程
は
し
か
な
か
っ
た
。
特
に
1
9
7
0
年
代
の
構
造
主
義
の
終
焉
の
後
を
継
他
の
生
産
諸
過
程
と
関
係
を
も
つ
こ
と
で
し
か
機
能
し
得
な
い
。
い
で
、
い
た
る
と
こ
ろ
で
「
シ
ス
テ
ム
」
と
い
う
言
葉
が
見
受
け
生
産
シ
ス
テ
ム
と
は
し
た
が
っ
て
、
機
能
し
再
生
産
さ
れ
る
こ
と
ら
れ
た
。
私
は
こ
こ
で
こ
の
概
念
を
、
グ
ル
ノ
ー
ブ
ル
派
レ
ギ
ュ
が
可
能
で
あ
る
生
産
諸
過
程
の
総
体
で
あ
る
。
ラ
シ
オ
ン
理
論
に
よ
っ
て
与
え
ら
れ
た
意
味
で
厳
密
に
使
用
す
こ
の
見
方
に
よ
れ
ば
、
生
産
シ
ス
テ
ム
の
存
在
諸
条
件
は
、
そ
る
(
5
)
。
の構成要素である全ての生産過程の機能の所産である。
票琴謝寧ろテム」という表現をそれが示唆と后璽I藁墓臓差蟇蟇鰭看垂要求( =
的
な
性
格
を
帯
び
る
よ
う
に
な
る
ま
で
高
め
た
。
第
一
に
、
生
産
の
時
間
内
で
最
大
限
可
能
な
価
値
増
殖
)
に
よ
っ
て
、
各
生
産
過
シ
ス
テ
ム
は
「
生
産
す
る
」
、
つ
ま
り
過
剰
生
産
を
生
み
出
し
う
程
は
「
勝
手
に
」
で
は
な
く
、
総
体
の
再
生
産
の
諸
要
求
に
応
じ
る
一
総
体
で
あ
る
。
第
二
に
、
一
つ
の
「
シ
ス
テ
ム
」
の
特
性
を
て
機
能
す
る
に
至
ら
ね
ば
な
ら
な
い
こ
と
に
な
る
。
こ
の
総
体
の
保
持
し
て
い
る
一
総
体
で
あ
る
。
そ
し
て
こ
の
観
点
か
ら
す
れ
ば
、
再
生
産
の
諸
要
求
は
各
々
の
過
程
力
職
能
す
る
諸
条
件
を
グ
ロ
ー
定
義
が
ど
の
よ
う
な
形
を
と
っ
て
も
(
ゴ
ド
リ
エ
、
レ
ヴ
ィ
ー
ス
バ
ル
な
水
準
に
移
し
替
え
た
も
の
で
あ
る
。
そ
れ
ゆ
え
、
こ
の
グ
ト
ロ
ー
ス
、
ピ
ア
ジ
エ
、
ペ
ル
ー
、
フ
ォ
レ
ス
タ
ー
…
)
、
シ
ス
ロ
ー
パ
ル
な
水
準
で
は
以
下
の
こ
と
が
必
要
と
な
る
。
テ
ム
の
観
念
は
自
己
調
整
さ
れ
る
全
体
性
と
い
う
観
念
へ
帰
着
す
、
物
理
的
な
意
味
で
の
生
産
構
造
(
こ
れ
は
労
働
過
程
か
ら
る
。
こ
の
自
己
調
整
さ
れ
る
全
体
性
が
い
か
に
し
て
過
剰
生
産
を
「
生
じ
る
」
)
は
諸
労
働
過
程
の
諸
条
件
が
再
構
成
で
き
る
生み出しうるのか。
ようなものでなけれぱならない。
も
し
、
あ
ら
か
じ
め
で
き
あ
が
っ
た
全
体
性
(
国
民
経
済
、
世
・
投
下
価
値
に
も
た
ら
さ
れ
る
、
価
値
増
殖
後
の
純
生
産
物
界
経
済
、
な
ど
…
)
が
ア
・
プ
リ
オ
リ
に
与
え
ら
れ
て
い
る
こ
と
(
利
潤
率
)
は
、
労
働
過
程
を
活
用
す
る
者
(
資
本
家
)
が
再
を
、
前
に
挙
げ
た
理
由
で
拒
否
す
る
な
ら
ば
、
我
々
は
基
本
的
な
ぴ
生
産
活
動
を
繰
り
返
す
こ
と
を
可
能
に
し
、
ま
た
彼
ら
諸
要
素
か
ら
出
発
し
、
そ
れ
ら
が
−
つ
の
生
産
シ
ス
テ
ム
を
ど
の
に
そ
の
誘
因
を
与
え
る
の
に
十
分
な
も
の
で
な
け
れ
ば
か
よ
う
な
理
由
で
、
そ
し
て
い
か
に
し
て
形
成
し
て
い
る
か
を
検
討
らない。
せ
ね
ば
な
ら
な
い
。
こ
れ
ら
の
基
本
的
な
諸
要
素
(
経
済
活
動
の 我
々
は
経
済
思
想
史
全
体
を
貫
ら
ぬ
く
2
つ
の
古
い
「
問
題
」
諸
要
素
で
あ
る
。
な
ぜ
な
ら
こ
れ
が
討
議
さ
れ
る
こ
と
で
あ
る
か
を
再
び
見
出
す
こ
と
に
な
る
。
−40−
だからといって、これは、天上的、外在的な法則、つ
された労働の一部分は社会的な有効性が立証されない可
まり上からあるいは外部から押しつけられる法則ではな
能性がある。これにより資本家たちは退出するか他の生
い。我々はここで、分析上、微妙であり、かつ決定的な
産に移るかせざるをえないだろう。この例において、資
点に至った。2つの考察の間に明らかな矛盾があるので
本の産業間調整の手続きは諸資本の競争である。「純粋」
ある。
市場の場合、この手続きはむき出しの冷厳な諸形態(破
・一方では、利潤に関する諸法則は各々の生産過程
産、欠乏等々…)をとる。不完全市場の場合には、この
に押しつけられる。というのは、これら諸法則が
手続きは別の諸形態をとる。寡占企業間の協定、行政の
生産過程の存在条件を決定的に規制しているから
責任で行われる「指令的な」計画化等々…。かくして調
である(もし労働過程の一つないし複数の要素が
整手続きは常に次の意味で、生産諸過程を運営すること
利用できなければ、または販売が損失を生むもの
の(間接的な)結果なのである。すなわち、調整手続きは
であれば、生産過程は機能しない。ロシアではい
かなる利潤法則も資本の産業間配分を規制しない
ことが明白であり、ロシアの企業の指導者たちは
生産諸過程がとる形態(規模、諸要素の接合様式、諸要
それが重大な問題であることを把握している)。こ
の意味で、諸法則は外的なものとして現れる。し
かしこれは幻想にしかすぎない。というのは資本
主義は分権化されたシステムであるので、政治的、
経済的、あるいは他のいかなる「審級」もこの問
いうことである。
ある。あとに続く議論にとって中心となる論点は(これ
題を引き受けることはないのである。
がなければ簡単にさっさと古き良き「見えざる手」に分
・他方では、利潤に関する諸法則は生産過程の運営
から直接生じ得ない。なぜなら生産過程の運営は
いわば「内部使用」であるからだ。つまり資本家
は最大限の価値増殖を求めるのであって、利潤法
則を「作」ろうとしているわけではない。
この矛盾の止揚は、調整手続きと調整様式の概念の中
に見つけることができる。
素の性格、価値増殖の様式、等々)から、したがって生
産諸過程が相互の間で保持しうる諸関係から生じる、と
したがって調整手続きは「失われた環」であり、個人
と全体のつながりであり、個人の行動の意図せざる産物
であり、かつ全体から由来しているように見えるもので
析をゆだねてしまうしかない)、調整手続きは生産諸過
程とその相互連関が取る形態に依存しているという点で
ある。
さて、これらの諸形態は進化し、このことが資本主義
の動態的諸側面のうちの一つをなす。それら諸形態は進
化し、そうすることで、歴史的な表現を持つのである。
与えられた時に、あたえられた「場所」で、生産過程と
’
「
i
I
■I
ⅡⅡⅡlⅡⅡⅡlIIIIiI4ll6■1ⅡJ1IIIIlllll
■■
#
/
(
)
'
:
'
,,f
;
患
.
,
1
,
|
I|
|
’
その相互連関は、ある特定の布置形態(たとえば「小規
’
かになる。ある生産システムのほかの生産システムへの
’
1
模」で「多数」の生産過程、もしくは「大規模」で「少
移行は、深刻な危機を経て行われる。つまりこの危機の
’
じめまで(ベル・エポック)に、競争的形態の調整様式
からきた生産過程を十分に支えられ、統括することがで
を基盤にした構造的安定の局面を経験した。これは、企
きるくらいしっかりとしたものである限りでしかない。
業の規模の拡大(我々の用語では生産過程の諸形態の進
よそからきた生産諸過程はそれ力堀しておらず、関係を
化)が競争の働きを妨げ、同時に外部(植民地)を構成
もたないこれら調整諸手続を不安定にする。この侵入は
している「安全のパルプ」が植民地的拡張の終焉と10月
限界を超えると危機を引き起こすことにつながり、今度
革命後の資本主義的市場の縮小にあいまって無効になっ
は、衰弱するか破壊されるかしたシステムはますます抵
数」の生産過程)をあらわし、その布置形態にはある特
中で、一つの新しい調整様式を設置する賭けがおこなわ
定の調整諸手続きの布置形態が対応する。そして一つの
れ、古い生産様式は、調整手続きの相対的硬直性と生産
調整様式を構成しているのはまさにこの調整諸手続きの
過程の諸形態の抗しがたい進化との矛盾のために不適切
束なのである。したがって調整様式とはこの種の分析の
なものになる。調整諸様式とそれに伴う生産諸システム
たと思われるまでの期間である。構造的危機はかくして
抗できなくなるために、侵入力溶易になる。経済の「機
中心的概念なのであり、これ力性産システムの規定を可
の継起によって資本主義の歴史は分節化され、かくして
能麻揮の空間」、つまり生産諸過程が、総体的一貫性を
能にする。つまり生産諸過程の総体は、同じ調整様式に
(両大戦期間の大危機のように)際だって深刻なものと
内生的な基礎において時代区分化が可能となるのである。
なり、暴力的な帰結を伴うようになった。国民的生産シ
構築せずに機能しようとする空間は、このように過去の
このように構成することで、生産システムの概念によっ
ステムはケインズ主義的雰囲気の中、国家の介入をもっ
生産システム空間とは切り離されている。
て世界経済の空間的分割を行うことが可能となり、した
がって地域化(もしくはグローバル化)を視座とする分析
に概念的基礎を与えることが可能となる。ただちにこの
問題に取り組む前に、なぜ今日この問題がこのように
て再編成される。そしてそれに続く構造的安定期はとり
内部一外部の危機の場合において、経済学と政治学の
わけ長く持続した(栄光の30年間)。生産システムの動
弁証法は明らかにますます複雑になっている。19世紀の
国民国家内の生産システムの場合、一般的にこれら2つ
(空間の報復)設定されているかを知るために、構造的危
態はさらに、諸企業の発展を誘発し、それによって最後
にはとうとう、この企業固有の空間は国民的空間を越え
(多国籍企業)、そしていまだ終息していない新しい構造
機の概念を分析するのがよかろう。
的危機を引き起こすことになったのである。
た。しかしながらドイツとイタリアの場合においては、
包摂されている、というのがそれである。
別の角度から説明するために、(同一の生産システム
に属している)全体として、同じ調整手続きの媒介によっ
て2つの利潤法則に関与する生産諸過程を分類しよう。
この定義群からは恐らく2つの結果を引き出しうる。
空間的側面:一つの生産システム空間は、同一の生産
様式に包摂されている生産諸過程の総体を地理的空間上
へ写像したものとして定義できる。
I
理論的観点からすれば、一つの世界的生産システム、
世界的空間の全体性を覆う一つのシステムが存在すると
アプリオリに仮定する理由は全くない。
言い換えると、同じ調整手続きが世界経済を構成する
あらゆる生産諸過程をアプリオリに仮定する理由は全く
な
い
。
こ
の
水
準
で
は
、
純
粋
な
理
論
的
回
答
は
存
在
し
な
い
。
こ
の
理
由
付
け
は
経
験
的
研
究
に
よ
っ
て
し
か
追
求
さ
れ
得
な
い
。
従って調整手続きを画定することで現実の生産システム
を出現させ、その空間を規定しなければならない。この
ステムは同じ政治権力を復興し、移行は穏やかに行われ
この過程が苦難の中で展開されたことを注記した方が良
いだろう。アメリカでは南北統一のため戦争にまで陥っ
が区別されよう。
2.構造的危機と空間の再編成
この理論的装置において、危機(大危機、構造的危機)
第一の場合。「内部の危機」。これは調整の障害が生産
た。近代の国民国家は実際、この生産システム空間と政
は生産システムの危機として規定できる。危機とは一つ
システム内部で発生し(機構が自ら機能麻蝉する)、危
機の解決が、同一の、もしくはほぼ同一の空間的基盤に
てなされる場合としよう。この場合、政治権力が行使さ
れる同一の空間にて、生産システムが解体し、新しい生
産システムが形成される。従って、この空間は実際のと
ころ区切り直されることはなく、それがある意味で危機
の脱出に好都合となる。たとえば、大まかに見ても少な
治権力の空間との適応過程においてしか自己形成を終え
くとも世界資本主義に関わる点においては、同一の地政
後ろに戻ることは考えられ得ないのである。
の調整様式の庇護の下に再生産される生産諸過程の一総
体の能力を再審に付すものである。したがって危機は、
システムの動態の影響下で調整様式が崩壊することを意
味している。すなわちこの時点で、もはや生産諸過程は
強
固
に
凝
結
す
る
と
い
う
よ
う
な
こ
と
は
な
く
、
む
な
し
く
無
秩
序
と
矛
盾
の
中
で
揺
れ
動
く
し
か
な
い
の
で
あ
る
。
同
時
に
危
機
作
業
は
部
分
的
に
G
R
R
E
C
(
資
本
主
義
経
済
の
レ
ギ
ュ
ラ
シ
オ は
、
新
し
い
調
整
様
式
の
探
求
で
あ
り
、
多
少
な
り
と
も
自
覚
的
、
ン
に
関
す
る
研
究
グ
ル
ー
プ
)
に
よ
り
行
わ
れ
て
き
た
が
、
そ
こ 組
織
的
に
探
求
さ
れ
る
が
、
そ
の
結
果
は
あ
ら
か
じ
め
決
ま
っ
て
に
お
い
て
は
、
一
つ
の
世
界
的
生
産
シ
ス
テ
ム
で
は
な
く
、
複
数 い
な
い
。
つ
ま
り
、
本
質
的
に
危
機
は
不
確
実
性
の
激
発
な
の
で
の
生
産
シ
ス
テ
ム
に
「
分
断
さ
れ
」
「
細
分
化
さ
れ
た
」
−
つ
の ある。
世界的空間が描かれているのである。
定
期
と
の
歴
考えを明確にするために、危機と構造的 安
時
間
的
側
面
:
調
整
諸
手
続
き
は
不
動
で
は
な
く
(
動
態
的
で
)
、
そ
れ
ら
諸
手
続
き
力
輔
成
し
て
い
る
構
造
(
調
整
様
式
)
は
常
に
変
化
し
て
い
る
。
生
産
シ
ス
テ
ム
は
ゆ
え
に
時
と
と
も
に
進
化
し
な
ければならない。
理論的観点から、この図式に沿って2つの異なる場合
の水準の間に全単射は存在しない。つまり多くの生産シ
どない(すべての場合を論じることはもはやないが)。
つまり生産過程は非常に国際化されているため、もはや
従って、もし経済的一貫性が再形成されねばならない
済がますます無秩序に陥る可能性は非常にあるし、社会
主義経済の崩壊によってもこの心配はほとんどくい止め
られるものではなかった)、この一貫性は超国家的(地
域的もしくは世界的)水準でしかなりたちえないだろう。
この水準にて調整様式をおくことはもはや単純なことで
はないし、諸国家の存在により、これはさらに複雑なも
点での)満足なやり方ではそれが属している生産システ
のになるであろう。つまり「市場」(つまり経済の自発
ム空間上では機能しなくなる。従って生産過程は別の生
的な進行、調整諸手続きの模索的かつ無意識の追求)は、
産システムに投下されることになる。この別の生産シス
テムがもちこたえうるのは、自らの調整諸手続きがよそ
諸国家にその「論理」を押し付けて広まっているのか?
そしてそうならば、どの(諸)空間においてか?以上の疑
−43−
−1
−42−
ステムである。経済が国民的領域に戻る可能性はほとん
空間において、国家介入の創出という形で見出されたの
る。ますます多くの生産過程が、もはや(価値増殖の観
、
空間の拡大という打撃により崩壊している国民的生産シ
としても(これは確実なことではない。なぜなら世界経
第二の場合。「内部一外部の危機」。調整様式の設定の
失敗により、それを構成する諸手続きの陳腐化と生産シ
ステム空間からの生産過程の越境が同時に引き起こされ
そ
こ
で
は
も
は
や
、
進
化
は
純
粋
な
理
輪
に
お
い
て
決
定
さ
れ
う
る
の
で
は
な
く
、
経
験
的
な
研
究
に
よ
っ
て
こ
そ
、
調
整
諸
手 構造的危機を引き起こした。この危機は地 域
的
な
生
産
シ
続
き
の
歴
史
的
運
動
は
画
定
さ
れ
う
る
の
で
あ
る
。
こ
の
よ
う
に
こ
の
と
き
'
二
し
て
歴
史
を
再
構
築
す
れ
ば
、
諸
生
産
シ
ス
テ
ム
が
時
を
通
し
て ステムの終焉をはっきりとさせた。つまり
継起し、そのたびに固有の空間が再編成されるのが明ら 空間の再編成があったのである。
2
0
世
紀
の
I
ま
国民的生産システムは19世紀の終わりか ら
政治権力を行使する場として存続してきた国家と、企業
学的切断を基盤にして戦間期の大恐慌から脱出している。
解決は、広い意味で以前の構造的安定期の時代と同一の
である。
史について簡単に素描し、思い切って図式 化しよう。
り
、
高
価
で
資本主義は、まず、輸送手段が時間がか か
域
の
生
産
シ
あった時代に、たいていは国民国家内の諸 地
発
展
が
ま
き
ステムを基盤にして確立された。輸送手段 の
と
い
う
必
の
に19世紀の最後の3分の1の時代に、大恐 慌
ていない。今日、状況は次の新しい観点にある。それは
一−==一一‘-‐一一一
問にたいして、私は地域化の考察を通してこれから答え
がくりかえされてゆく。現実においては、常に大量の
得たか。この問題の解答は(諸)生産システムにてアジ
「労働の貯蔵」が存在するので(インドネシアがそうであ
ア諸経済が構造化したか否かの分析にある。それには設
’
るし、だんだんと中国もそうなりつつあるし、将来のベ
備財産業(生産システムの自律的再生産の必要条件)に
下
トナムもそうなるだろう)、非常に低い賃金支払いは労
特別の注意を払う必要が伴われるだろう。
今日、世界経済が無構造化する中、特にアジア経済の
ることにしよう。.
場合、上記のような事は全くありえない(すくなくとも、
欧州連合のみに関すれば、ヨーロッパの場合の方がやや
3.生産システムと地域化
容易である)。統計的装置は統一されておらず、多くの
’
1
必要な情報を集められなかったので、私はこの点を深
働の再生産に両立しないとははっきりといえないのであ
私は生産システムの概念を空間を概念化できる理論的
国にとって不十分である。過剰や不足が発生するが、そ
道具として明示的に提示した。そのまま、それは2つの
の構造的性格は明らかではない。さらに、しばしばアジ
かくしてここにこの利潤法則がアジアの空間に機能す
アの場合、多くの国がその発展共醗を輸出に頼っており、
るという立脚点がある。それにもかかわらず、この機能
・全体的には、アジア経済は外部の販路を必要とし
は一時的といえよう。つまり、ここでは、この地域の人
ている。APEC内のアジア諸経済を考察すると(7)、
口の大部分がいつまでも悲惨な生活条件におかれつづけ、
その外国貿易は年間1000億ドルを超えていること
かつ、このことが社会的爆発を引き起こさないと想定し
がわかる(1992年には1150億ドル)。これは巨大な
ている。
額である(外国市場の閉鎖の場合、この市場規模
方法で利用できる。
・同一のシステムに属している生産過程をアプリオ
リな切り分けではない形で再分類することで的確
な空間を編成する方法。
・政治的、地理的、歴史的、等々…によってアプリ
オリに与えられた諸空間の一貫性をいわば検証す
る方法。(たとえば太平洋沿岸の諸国で一つの生産
このことは問題をあいまいにさせるのに一役かつている。
唯一確かな事は、資本の産業間配分がアジアの水準でも
(たとえば制度によって)、世界的な水準でも(「世界サ
ミット」、中央銀行、nIFはこれまでこの役割を果たす
ことに熱心でなかったのである)意識的に組織化きれて
’
’|
1
’
’
いない事である。
システムができているか?)資本家と賃労働者間の所得分配を規制する法則があれ
そ
れ
は
さ
て
お
き
、
提
示
さ
れ
た
諸
定
義
は
特
別
に
抽
象
的
ぱ
、
も
う
少
し
先
に
進
む
こ
と
が
可
能
に
あ
る
。
こ
の
場
合
2
つ
な
性
格
な
の
で
誰
も
理
解
で
き
ま
い
。
こ
れ
は
し
か
し
当
然
で
あ
の
条
件
が
満
た
さ
れ
ね
ば
な
ら
な
い
。
る
。
経
済
空
間
の
理
論
は
構
築
中
の
た
め
、
い
ま
だ
確
固
と
し
た
、
利
潤
率
は
蓄
積
を
増
大
さ
せ
る
た
め
、
蓄
穣
の
増
大
を
誘
発
操作的な性格を持っていないのである。
生産物のアプソープションの問題に関しては輸出主導
に匹敵した規模で補完する国内販路を見いだすこ
型成長戦略によって特徴づけられる。この戦略はいくつ
とが問題となることがわかる)と同時に少ない額
かの生産物にとっての販路を外国に見つけること、及び
でもある(4∼5兆ドルである地域全体のGDPから
自国で生産しないものを輸入することを明らかに意味し
比べると)。
、構造的には、同じ国家集団では、日本の存在と、
より小さい割合であるが、韓国と台湾の存在によっ
的な不均衡がある。
し
か
し
な
が
ら
、
以
上
の
概
念
を
基
礎
と
し
て
行
わ
れ
う
る
経
・
賃
金
は
生
産
物
を
吸
収
し
、
賃
労
働
の
再
生
産
を
保
証
す
る
蕊
これは複雑な理論的問題を生む。たとえ恋意的であれ、
て、次のように考えることができる。すなわち設
輸出部門が異常肥大し、輸入部門が萎縮している経済に
て、一つの生産システムを形成しうるであろうか?それ
備財産業は設備財に対する需要があれば蓄積の自
律性を確固なものにすることができるであろう
は実際のところ、貿易の潮流の突発的な変化をこの経済
(もっとも、現在のところ、特に脱地域化の文脈に
が許容できる程度による。この突発的な変化の例として、
貿易相手諸国の強力な保護主義的政策があげられる。
おいては、上記の3カ国がそのほかの国への設備財
の供給を大部分請け負っている)。これらの経済の
フレキシビリティが高いものであるほど、それは
この場合、経済はその国内の需要に対応して輸出部門
を急速に再転換できるのか?もしできるならばこの経済
は首尾一貫した生産可能な基盤を持つし、生産システム
し
て
次
に
2
階
の
判
定
条
件
を
使
用
す
る
こ
と
で
問
題
に
取
り
組
分
か
ら
な
い
。
そ
の
代
わ
り
に
背
理
法
で
論
ず
る
こ
と
は
可
能
で
3−1利潤諸法則
しよう。
ている。したがって生産構造と社会的需要構造との恋意
するために十分でなければならない。
むことにしよう。
化しなかった。そこで2点の注意だけにとどめることに
る
。
あ
る
。
も
し
十
分
で
な
か
っ
た
ら
、
資
本
蓄
積
は
(
十
分
に
は
)
存
在
し
な
く
な
る
。
最
近
1
5
年
、
大
部
分
の
ア
ジ
ア
地
域
経
済
の
貯
蓄
率
、
投
資
率
、
成
長
率
が
高
い
こ
と
を
確
認
す
れ
ば
、
利
潤
資
本
の
産
業
間
配
分
の
法
則
か
ら
は
じ
め
れ
ば
、
そ
こ
か
ら
重
率
が
「
十
分
」
で
あ
る
こ
と
が
推
論
で
き
る
。
要
な
諸
結
論
を
演
鐸
す
る
事
は
現
時
点
で
は
困
難
で
あ
る
事
が
た
し
か
し
こ
れ
ら
の
条
件
が
満
た
さ
れ
な
か
っ
た
ら
、
つ
ま
り
第
だ
ち
に
わ
か
る
だ
ろ
う
。
国
民
経
済
の
枠
組
み
に
お
い
て
は
、
分
2
条
件
を
満
た
さ
ぬ
よ
う
な
賃
金
を
押
し
下
げ
る
圧
力
に
よ
っ
て
析
は
進
展
し
え
た
か
も
し
れ
な
い
。
こ
の
経
済
は
相
対
的
に
閉
じ
も
利
潤
率
が
十
分
で
な
か
っ
た
ら
ど
う
な
る
の
か
?
利潤法則に関して要約すると、状況はきわめて不透明
と呼ぶことができる。もしできないのならばその経済は
であるように見える。この水準では、慎重にではある
より広い生産システムの部分となることしかできない。
私は問題が学術的な話だけではないことを主張したい。
長所をあげつらうことが重要なのではなく、考察してい
が、実質的に一つの「アジアの生産システム」という概
る経済が外的なショックにどれほど抵抗できるかを評価
し、それによって明らかになる弱点を実際に改善するこ
て
い
て
、
そ
の
国
内
的
な
生
産
は
国
内
的
な
需
要
に
対
応
し
な
け
ま
ず
、
賃
労
働
者
の
再
生
産
の
問
題
を
検
討
し
よ
う
。
現
状
は
とか重要なのである。地理上の大ブロックという保護主
義的内向化説(欧州連合、NAFTAも含めた、もしくは
NAFTAなしの合衆国)は未来予測の研究(‘)と両立しな
ス
で
は
指
令
的
計
画
で
あ
り
、
日
本
で
は
、
通
産
省
の
行
動
で
あ
非
常
に
低
い
賃
金
か
ら
出
発
す
る
。
つ
ぎ
に
、
成
長
と
と
も
に
、
る
)
は
十
分
明
示
的
で
あ
っ
た
。
他
方
で
、
統
計
的
装
置
に
よ
り
、
労
働
が
不
足
し
、
賃
金
が
上
昇
し
(
ま
ず
日
本
で
、
次
に
ア
ジ
ア
こ
の
た
め
に
作
ら
れ
た
わ
け
で
は
な
い
と
は
い
え
、
十
分
な
近
似
の
四
つ
の
小
龍
地
帯
で
)
、
そ
の
結
果
、
非
常
に
低
い
賃
金
の
国
を
持
っ
て
こ
れ
ら
の
標
定
を
実
施
す
る
事
が
で
き
た
。
へ
の
産
業
の
移
動
が
引
き
起
こ
さ
れ
る
。
そ
し
て
こ
の
よ
う
な
形
いものではなく、一般的にはその研究の一部をなしてい
れ
ば
な
ら
な
か
っ
た
。
欠
乏
や
過
剰
は
簡
単
に
見
当
が
つ
く
し
、
こ
の
点
を
強
調
す
る
の
に
十
分
な
形
で
あ
る
。
こ
の
地
帯
の
す
べ
そ
れ
ら
を
避
け
る
た
め
の
調
整
諸
手
続
き
(
た
と
え
ば
、
フ
ラ
ン
て
の
国
で
は
、
最
初
、
(
社
会
保
障
の
欠
如
を
考
慮
し
な
く
て
も
)
あてはまる。
る。アジア諸経済、もしくはアジア諸経済を再分類した
もののいくつかが如何になにがしかのショックに抵抗し
念に矛盾するものはないと言うことができる。今度は、
2階の判定条件によって、先に進みうるかどうかを検討
するのがよいであろう。
3−22階の判定条件
2階の判定条件という言葉で私が言いたいのは、一つ
の不確定な生産システムという構造を中心に分析しなく
ても、どの程度でそのような構造が存在するかを示すこ
とができる条件のことである。
−45−
−44−
I
続けて私は3つのタイプの表示事項を次の順序で検討
一
ー 一
=
蕊
1
1
しよう。経済諸関係の強さ、諸経済の補完性、制度的か
つ社会的水準、である。
’
!
欧州連合と比較することは重要である。域内貿易の割
1
|
合は半分であるが浸透率は2倍である。この二つの判定
3−2−1経済諸関係の強さ
−つの生産システムの存在は必然的に強力な経済諸関
い。
さらに、形成中の一つの生産システム(そのもっとも
良い例がアジア経済の場合である)は諸関係を強化して
ゆかねばならない。これにより、ますます生産諸過程が
相関していることが明らかになる。
アジア経済にとってそれはどういう意味なのだろうか?
わたしはこの問題を、まず外国貿易から、次に外国への
直接投資から取り組もうと思う。
外
国
貿
易
で
は
、
私
は
地
政
学
的
基
盤
と
し
て
A
P
E
C
の
ア
ジ
ア
諸
国
を
取
り
上
げ
る
。
だ
だ
し
、
最
近
に
な
っ
て
加
盟
し
た
中
国
は
、
統
計
が
あ
ま
り
あ
て
に
で
き
な
い
の
で
除
く
(
8
)
。
ば
な
ら
な
い
。
そ
う
な
る
と
1
9
8
0
年
に
は
1
0
カ
国
の
域
内
へ
の
輸
出
は
そ
の
全
体
の
輸
出
の
3
5
%
を
占
め
て
い
る
。
1
9
9
2
年
に
は
こ
非常に開かれている国もあれば(香港、シンガポール、
1
中国、ベトナム)、輸出向きの投資か、技術移転しか簡
このように対外直接投資の分析は一つのアジアの生産
単に受け入れないような、選別的な国もある(タイ、マ
システムの形成の正の符号を示している。しかしながら、
レーシア)。また、投資の流入に対してさまざまな制限
まだ考察すべきこと力職っている。
とができる。
シアなどの第一投資地域である、等々。
|
|
しかし、考察対象の,0ヵ国は単に地理的に統合されて
いるのみで(APECは1989年に創立されたばかりである)、
」
特定の制度的連関はないという反論も当然でてくるであ
1
1
ろう。
実際は、すこし以前から、唯一組織されたものが存在
を設けている、規制的な国もある(韓国、台湾、インド
、この現象が最近のものであること。
ネシア、日本)。この態度の違いは粗固定資本形成にお
、経済的比重がともかく小さいシンガポールと香港、
ける対外直接投資が占める大きさに反映することになる。
及びより小さな程度ではマレーシアを別として、
これ以外の地域は、対外直接投資は粗資本形成の
粗固定資本形成に対する対外直接投資の割合
している。ASEANである(9)。しかし(少なくても発足時
は)何よりもまず政治的であったこの組織は経済にはわ
ずかしか影響を与えていない。ここで興味深いこととし
わずかな部分しか占めていない。
(
%
)
、対外直接投資はある意味では貿易の統合の欠如と
1981-19851986-1990
I
て、ASEAN内の貿易は16年にわたって加盟国全部の貿
13.6
18.1
3
3
.
9
3.2
5
.
9
10.8
10.6
韓国
0.5
1
.
3
台湾
1.5
3.5
言い換えれば、「対外直接投資の判定符号」がどんな
日本
0.1
0
.
1
に正であっても、それが決定的であるとはとても言えな
タイ
マレーシア
たことを注記しよう。従ってASEANに所属しているグ
ループである6カ国は我々がさきに分析した'0カ国のグ
’
保護主義のメダルの裏側である。すなわちそれは
6.5
香港
シンガポール
易のうちの18%を占め、この割合は増加する傾向はなかっ
関税その他の保護障壁を避けるのに役立つ。
、域外(合衆国、欧州連合)は対外直接投資の40%を
供給している。
ここにおける我々の興味の対象である、生産システム
を視座とする分析にとっては、対外直接投資の投資元で
ある地域を考察することは決定的である。全体的にみる
と、「急速に発展しつつあるアジア諸地域」(香港、シン
現
在
(
1
9
9
2
年
と
1
9
9
3
年
)
、
ア
ジ
ア
(
日
本
を
除
く
)
は
西
ヨ
ー
ロッパについで2番目の対外直接投資受け入れ地域になっ
ガポール、韓国、台湾、インドネシア、マレーシア、タ
イ、中国、ベトナム)に対しての投資元である地域は以
て
い
る
。
こ
れ
は
合
衆
国
や
他
の
開
発
諸
地
域
よ
り
も
(
そ
し
て
いのである。
3−2−2経済の補完性
アジア経済は非常に不均質である。それは次の表にお
ける、APEC内のアジア経済に関するもっとも基本的な
指標で確認できる(u)。
APEC内のアジア経済:1991年における基本的な指標
下の通りである(フローでの受入率)。
日本よりもずっと)上位である。
名目GDP人口一人当たりGDP
急速に発展しつつあるアジア諸地域に対する投資元である遡或
(フローでの受入率)
対外直接投資の受取高
速
く
増
加
し
た
わ
け
で
は
な
い
と
い
う
こ
と
だ
。
欧
州
連
合
で
お
き
た
の
と
は
対
照
的
に
「
地
域
的
偏
り
」
は
存
在
し
な
い
。
欧
州
連
合
で
は
域
内
貿
易
が
貿
易
総
額
の
2
/
3
を
占
め
て
い
る
の
で
あ
る
。
そ
し
て
こ
の
割
合
は
上
昇
傾
向
に
あ
る
と
考
え
ら
れ
る
。
こ
の
よ
う
に
1
0
カ
国
の
経
済
は
世
界
経
済
全
体
と
の
強
力
な
経
いことになる。
ネシアへの第一投資地域であり、台湾はベトナムやマレー
アジア諸国の外国投資に対する態度は一様ではない。
’
の
割
合
は
安
定
的
で
3
4
%
の
ま
ま
で
あ
る
。
言
い
換
え
れ
ば
こ
れ
ら
1
0
カ
国
に
と
っ
て
域
内
貿
易
は
世
界
の
他
の
地
域
の
貿
易
ほ
ど
済
諸
関
係
を
維
持
し
、
内
部
に
の
み
特
化
し
て
い
な
い
。
他
方
、
開
放
率
は
上
昇
し
て
い
る
。
輸
入
浸
透
率
(
G
D
P
に
対
す
る
輸
入
)
は
欧
州
連
合
が
約
8
%
に
対
し
、
約
1
6
%
で
あ
る
。
さ
て
輸
入
浸
透
率
は
構
造
的
脆
弱
性
の
指
標
で
あ
る
。
そ
れ
力
塙
い
ほ
ど
、
当
該
の
経
済
が
生
産
シ
ス
テ
ム
を
構
成
し
て
い
る
と
は
考
え
に
く
NICSに向けられる。香港は中国、台湾、タイ、インド
国よりも生産システムを「弱く」形成していると言うこ
1
9
8
0
年
に
域
内
貿
易
は
お
よ
そ
8
9
0
0
億
ド
ル
で
あ
り
、
1
9
9
2
年 との関係よりも明らかに(,/5ほど)弱いものになってい
に
は
お
よ
そ
2
兆
5
9
0
順
ド
ル
で
あ
る
。
お
よ
そ
4
0
兆
ド
ル
で
あ る。
る
こ
の
地
域
の
G
D
P
に
対
し
て
は
、
こ
れ
は
、
わ
ず
か
約
6
%
で さて、対外直接投資はどうであろうか?(10)
しかない。
は
1
0
カ
国
の
貿
易
全
体
の
増
加
に
比
し
た
&
の
,
ァ
粕
斗
"
坐
ェ
,
‐
一
星
却
=
.
'
雫
V
ノ
噌
加
に
比
し
た
も
の
に
相
対
化
さ
れ
ね
%になっている。
’
|
ループに比して後退している。この域内での関係は域外
そ
の
う
え
、
絶
対
的
に
は
高
い
成
長
を
示
し
て
い
る
が
、
こ
れ
は主として第一世代のNICSから来ており、第二世代の
条件によれば、考察対象の10カ国は確実に欧州連合の諸
係によって明らかになる。逆になんら関係を持たない2
つの経済は一つの生産システムを構成することができな
にある。アジアの割合は1989年の6%から1993年には27
(10億USドル)(100万人)(USドル)
ブルネイ
中国
合衆国
西ヨーロ
香港
インドネシア
1
9
8
5
年
か
ら
1
9
8
9
年
に
か
け
て
こ
の
割
合
は
減
少
し
、
投
資
は
大
量
に
欧
州
連
合
に
流
入
し
た
。
1
9
8
9
年
以
後
、
ア
ジ
ア
の
成
長
は
5.8
14047
123.8
187.8
659
3125.4
123.9
25221
日本
11.8
マレーシア
47.9
18.3
2613
フィリピン
50.9
62.9
810
シンガポール
37.5
2.8
13600
韓国
284.1
43.3
6564
台湾
174.3
20.6
8460
タイ
93.3
56.9
1408
格差はヨーロッパにおいて確認されているものよりは
るかに大きい。(ドイツの国民総生産はルクセンブルグ
−47−
−46−
363
81.5
合衆国
「急速に発展しつつあるアジア」の内部では、フロー
急
激
で
あ
っ
た
が
、
他
方
で
投
資
の
世
界
的
フ
ロ
ー
は
滞
る
傾
向
1122.4
19.5
この結果は非常に興味深い。考察対象諸国が受け入れ
ている対外直接投資の60.8%がそれら自身からもし<は
日本から来ているのであることを示しているのである。
これははっきりとした統合の指標であり、また、日本の
特別な役割が明らかになっている。
こ
の
地
域
が
重
要
に
な
っ
た
の
は
最
近
で
あ
る
。
1
9
8
6
年
ま
で
、
ア
ジ
ア
は
対
外
直
接
投
資
の
5
1
0
%
し
か
占
め
て
い
な
か
っ
た
。
12891
407.7
21
日本
対外宿種
0.26
日本
欧州連合
OECD以
3.3
副ゲ鞠蝿許虹凸
聯
|
,
I
.
■.『
』
「
’
I
のそれの「わずか」175倍しか上回っておらず、デンマー
平的分業の場合はそうである。もしこの分業が部
クの一人当たり国民総生産はギリシヤのそれの「わずか」
門内であればいわずもがなである。代わりに、同
4倍しか示されていない)。このように不均質性が非常に
質性はもしそれ力瀧争と同義であれば負の符号と
強いことから、一つの生産システムの形成が不可能であ
なりうる。
ることと結論づけねばならないのだろうか。
’
このようにアジア経済の場合、一つの生産システムの
否。なぜならこの概念の定義が少しも構成要素の一様
形成という意味で経済の階層化が進行することが考えら
性を意味していないからだ。生産システムの分析におい
れうる。しかし階層化はまた、不均等をも意味し、この
ことは制度的かつ社会的水準に重大な影響を与える。
て、グルノーブル派レギユラシオン理論は「中心圏」と
「衛星圏」の概念を提示している。これは一つの生産シ
ステム内の諸領域の階層化を説明するためである。この
階層化のために植民地主義的もしくは新植民地主義的帝
国の政治権力は国民的生産システムと捉えられてきたの
である。
この場合、前面に出てきているのは、諸利潤法則力職
能
す
る
条
件
に
対
応
し
て
構
成
さ
れ
て
い
る
補
完
性
な
の
で
あ
る
。
アジア経済の場合、以下の補完的諸要素を考察すること
ができる。
.
同
時
に
先
進
諸
国
の
所
得
の
増
大
は
、
消
費
財
産
業
に
ま
す
ま
す
大
き
な
販
路
を
与
え
、
輸
出
代
替
と
い
う
言
葉
で
の
検
討
が
可
能
に
な
る
。
理
騰
的
観
点
で
は
、
一
つ
の
生
産
シ
ス
テ
ム
の
存
在
や
形
成
に
つ
い
て
論
ず
る
に
は
、
不
均
質
性
が
、
慎
重
に
扱
う
べ
き
2
階
の
判
定
条
件
で
あ
る
。
・
不
均
質
性
は
、
補
完
性
が
可
能
に
な
る
よ
う
な
階
層
化
を
事
実
上
反
映
し
て
い
れ
ば
、
正
の
符
号
と
な
り
う
る
。
、
同
質
性
は
同
様
に
水
平
的
補
完
性
と
組
み
合
わ
さ
れ
る
限
り
正
の
符
号
と
な
り
う
る
。
た
と
え
ば
構
成
諸
国
間
の
水
いう意味で強く推し進められた協定は1977年に採択され
それらの効果が目に見えなくなればなるほど、そ
たPTA(特恵的貿易合意)となった。この協定は諸国家
の重要性を増すのである。
によって指定された生産物のリストに対する域内貿易に
労働移動、特に熟練労働の移動が増大しつつある。
特恵枠(10%から5%)を用意している。実際には、この
一般的にこれは外国への直接投資に結びついてい
協定は、すでに貿易が自由化されている生産物やその地
る。かくしてここでは日本が支配的な役割を果た
域で通常取り引きされていない生産物をリストに登記す
している。労働の移動は技術移転の担い手であり、
るといったさまざまな抜け道によって回避されている。
ネットワークを配置することを可能にする。パン・
例えばASEAN諸国はフィリピンに除雪機を、インドネ
アン.フォン(皿》は「三角型」の労働移動に関心を
シアに原子炉を自由に輸出できる。
ルはまさに一つの「経済的失敗」としてASEANが統合手
ている。また、シンガポールのホテルの支配人は
段を持っていなかったと結論している。しかしながら実
ムの発生と存在に関する適切な2階の判定条件とみなす
中国における西側資本のホテルチェーンによって
際には1992年にAFTA(ASEAN自由貿易領域)という自
ことができるであろう(このことから逆に、今日、ユー
雇用されている。
ゴスラビアの生産システムは存在しないとはっきり断言
できる)。そうなるのは、同じ利潤法則への、より一般
的には同じ経済法則への「包摂」が同じ価値体系と行動
・
最
後
発
諸
国
に
は
「
労
働
予
備
軍
」
が
存
在
し
、
そ
の
お
ある。
資本、日本的組織の諸様式をもたらしているし、
ピンの技術労働者はタイにある日本の工場で働い
「社会」という言葉で、各国の国民が、近隣諸国との
た
っ
て
低
い
ま
ま
に
し
て
お
く
こ
と
が
可
能
に
な
る
の
で
全体的に保護主義である。ASEAN域内貿易の自由化と
以上のすべての理由によって、』.R・シャポニエー
’
最
先
進
諸
国
は
重
要
な
工
業
的
基
盤
を
も
っ
て
い
る
。
特
に
日
本
は
そ
う
で
あ
る
が
、
そ
れ
だ
け
で
な
く
台
湾
、
韓
低
い
状
態
に
維
持
し
た
り
、
ま
た
は
さ
ら
に
長
期
間
に
わ
て、統合者の役割を果たしている。現地化は技術、
持ち、同様に現象を記述している。例えばフィリ
とともにこの一貫性を強化する手段になる限りである。
この観点からは、アジアー太平洋地域は少しもヨーロッ
パに「遅れて」は見えない。
か
げ
で
賃
労
働
者
の
再
生
産
の
問
題
を
長
期
的
に
回
避
す
る
こ
と
が
可
能
に
な
る
。
言
い
換
え
る
と
賃
金
を
非
常
に
国はその内部諸国間においてと同様に外部に対しても、
3−2−3制度的かつ社会的水準
我々はここで確実に東南アジアと東アジアにおける地
域化の最大の弱点に到達する。
社会的かつ制度的一貫性はおそらく一つの生産システ
・重要な石油エネルギーの資源を保有している国
(
イ
ン
ド
ネ
シ
ア
、
マ
レ
ー
シ
ア
、
ブ
ル
ネ
イ
)
と
重
要
な のシステムを創出する限りであり、また同様に、共通の
農
業
資
源
を
保
有
し
て
い
る
国
(
イ
ン
ド
ネ
シ
ア
、
マ
レ
ー 諸制度が設置され、それが経済的一貫性のしるしとなる
シア、タイ)。
国
も
重
要
な
工
業
的
基
盤
を
も
っ
て
い
る
。
CS、次に圏全体における自らの経済的進出によっ
由貿易圏の建設の決定により経済協力は再燃しているこ
最後に華人の役割に言及せねばならない。華人は
とを注記しなければならないだろう。しかしたとえこれ
中国の海外投資において主要な役割を果たしてい
が自発的な協力の兆候であっても、この決定によりなす
るのみならず('3)、東南アジアの他の地域の経済に
対しても同様に重要な役割を果たしている。その
べきことがすべてをはっきりした一方で、それをゆっく
経済的影響、その遍在、そのダイナミスムは、と
りわけ日本のような他の要素と結びついて一種の
アジア太平洋的経済文化の「るつぼ」を形成する
に予定されている)、しかも部分的(どの協定にも個別的
一貫性の要素はこれまでのところ決定的影響は行使で
きていない。この欠陥は制度的水準で再び見出される。
この点で、状況は、ほぼ40年来経済関係の制度化が追求
されてきたヨーロッパと非常に強い対照をなす。アジア
においてはただASEANとAPECという2つの地域的集
は考えている。この水準では、考察対象の地域圏の不均
質性は、歴史的、政治的、イデオロギー的、経済的観点
からみると高まっている。日本は自らの過去の帝国主義
と現在の経済権力という脅威がある。中国はその巨大な
人口の脅威がある。小国は大国を信用しておらず、大国
団が見出されるだけである。
A
S
E
A
N
(
1
5
》
は
1
9
6
7
年
に
創
設
さ
れ
た
。
し
か
し
そ
の
当
初
の
目的は何よりも政治的秩序であった(共産主義と「ベトナ
ムの脅威」とへの対抗)。加盟諸国が経済協力を促進する
は小国に対し、汲々としている。全体に帰属しようとい
うはっきりした考えは存在しないようである。これは、
と
決
定
し
た
の
は
よ
う
や
く
1
9
7
6
年
に
な
っ
て
か
ら
の
こ
と
で
あ
るし、これも不首尾に終わった。自発的な統合の諸計画
(
1
9
8
0
年
の
A
S
E
A
N
産
業
計
画
、
1
9
8
1
年
の
A
S
E
A
N
産
業
補
完
、
1
9
8
3
年
の
A
S
E
A
N
産
業
合
併
)
は
非
常
に
貧
弱
な
結
果
を
示
し
ている。そのうえこの協定によっても加盟諸国の関税政
策
は
一
致
し
得
な
か
っ
た
。
輸
出
志
向
と
は
い
え
、
A
S
E
A
N
諸
ヨーロッパとは対照的である。そこでは、一方では変革
と戦争がアジアよりも殺裁的であったにもかかわらず、
ヨーロッパ的人権思想が現れはじめている。
それにもかかわらずアジアの状況は完全に分裂してお
ら
ず
、
幾
つ
か
の
数
の
要
素
が
一
貫
性
と
い
う
言
葉
を
支
え
て
V
3
る
。
第一に、日本は、たとえ脅威であっても、まずNI
な往来は定められていない)であるということも認めら
れているのである。
ASEANの外部には1989年以後APEC(アジア太平洋経
役割を果たしている('‘)。
協力の必要性や利益を悟ることができるようになると私
りした形でしか進められず(自由貿易圏の設立は15年後
済協力)が存在している。この集団は、上記のアジア諸
国に加えてオセアニア諸国(オーストラリア、ニュージー
ランド、パプアニューギニア)やアメリカ大陸の諸国(メ
キシコ、カナダ、合衆国)も含んでいるため、非常に大
きな構想となっている。事実上、これは正確な意味での
国際的組織というよりもむしろ国際会議であり、この組
織の結びつき力稀薄であることは、偶然の結果ではない。
というのも、一部の加盟国は明白に組織の強化に反対し
て組織内の組織であるEAEC(東アジア経済会議)を創っ
たのである。この組織内組織の目的は、APECの組織強
化の試みに異議を唱えることであるのが明らかであった。
他方でAPECは、その結成からわずかしかたっていない
という点でも成果を生み出すところまではいっていない。
確かなことは、APECはASEAN同様、私が指摘した
いくつかの要素をもつ民間部門によって実行される経済
−49−
−48−
|
I
r
舟
潮
I
統合を、制度的水準であらわしたものだということであ
る。しかしこれは以下のような外観を呈している。
註
.この経済統合は非常に堅固な諸制度を創出するのに
(
1
)
B
U
l
E
M
M
O
T
T
,
'
'
M
u
l
t
i
n
a
t
i
o
n
a
l
s
,
B
a
c
k
i
n
F
a
s
h
i
o
n
"
,
Z
h
g
_
E
g
g
l
U
Z
,
2
7
m
a
r
s
l
9
9
3
十分な強さを持つに至っていない。
.それどころか、制度化の弱点は経済統合を強化する
4.結論
’
とりあげてみよう。+は正の符号であり、−は負の符号
であり、=は中立的な符号もしくは、現時点では評価が
販路
外国への直接投資
経済の補完性
branche'',Economielnternaionale,n。571er
trimestrel994.
(14)GuyFAURE,''Lemodele6onomiquejaponais:
unavenircontest6",Pouvoir,n。71,1994.
はブルネイがこれら5カ国に加わった。
(15)ASEANについては次の文献を参照。Jean-
を
使
用
し
た
。
:
M
r
・
T
E
R
S
E
N
,
'
'
L
'
i
n
v
e
s
t
i
s
s
e
m
e
n
t
d
i
-
RaphaelCHAPONNERE,"L'ASEAN:ェもuussite
r
e
c
t
e
t
r
a
n
g
e
r
d
a
n
s
l
e
s
p
a
y
s
d
'
A
s
i
e
d
e
l
'
E
s
t
,
p
l
a
c
e
politique,6chec6conomique?",Economie
Intemationale,n。57,1ertrimestrel994.
−
(16)IppeiYAMAZAWA,"Echangesetmvestisse-
(11)ここで挙げられている数字は次の文献からとって
きたものである。』.』・SHOTT,上記注8引用文献参照。
「擁護者」であるところからもますます明白である。
(
4
)
J
a
c
q
u
e
s
C
A
L
V
E
T
,
'
'
U
n
d
6
a
t
u
n
i
l
a
t
e
r
a
l
'
一十十一
外国貿易
==
ン、シンガポール、タイが加盟していた。1984年に
l
9
9
5
.
の欠如は、上記の二人の著者が明らかにAPECの
+
(13)EricBOrlEⅡ』LER,"attirerunoiseausurla
d
e
l
a
f
r
a
n
c
e
'
'
,
L
e
s
n
o
t
e
s
b
l
e
u
s
e
d
e
B
e
r
c
y
,
j
a
n
v
i
e
r
聖迦辿9n.57,1ertrimestrel994.この実体
資本の配分
ded6veloppementdel'OECD,1993.
(10)この箇所に関しては、フランス経済金融省の研究
一
難しいという符号である。
所得の分配
,n。2392,5octobrel994.
i
n
v
e
s
t
i
s
s
e
m
e
n
t
s
d
a
n
s
l
a
z
o
n
e
A
s
i
e
P
a
c
i
f
i
q
u
e
'
'
,
e
t
J
e
f
f
r
e
y
J
・
S
C
O
T
T
,
'
'
L
'
i
n
t
6
g
r
a
t
i
o
n
6
o
n
o
m
i
q
u
e
d
e
l
a
z
o
n
e
A
s
i
e
P
a
c
i
f
i
q
u
e
'
'
,
d
a
n
s EconomielnterZ
みよう。このために先に使われたいくつかの判定条件を
r
6
g
i
o
n
A
s
i
e
P
a
c
i
f
i
q
u
e
'
'
,
E
c
o
n
o
m
i
e
_
I
n
t
e
r
n
a
t
i
o
n
a
l
e
,
され、最初はインドネシア、マレーシア、フィリピ
(3)APECの経済的実体の欠如に関しては次の文献を
参照oIppeiYAMAZAWA,@,Echangeset
考えをまとめるために、東アジアと東南アジアの生産
システムの確立を強めたり弱めたりする諸要素を調べて
demaind'oeuvreenAsieduPacifique",Centre
’
I
JD」eesuconornif
J.SHOTT,''L'int6gration6conomiquedela
(9)ASEAN(東南アジア諸国連合)は1967年に設立
● ”
対する障壁、外部に対する共通の立場の欠如、等々)。
(12)PANGENGFONG,"R6gionalisationetflux
n。57,lertrimestrel994.
(
2
)
C
h
r
i
s
t
o
p
h
e
r
L
I
N
G
L
E
e
t
K
u
r
t
W
I
C
K
M
A
N
,
'
'
L
'
6
o
n
o
m
i
e
c
h
i
n
o
i
s
e
e
s
t
e
l
l
e
u
n
t
i
g
r
e
d
e
p
a
p
i
e
r
'
'
,
迦
聖
且
些
並
(
B
o
n
n
)
,
n
。
7
,
1
9
9
4
,
r
e
p
r
i
s
d
a
n
s
のに障壁を作っている(商品貿易と労働力の移動に
(8)次の文献の図表から予測は可能となる。Jeffrey
mentsdanslazoneAsie-Pacifique",Economie
−
I
n
t
e
r
n
a
t
i
o
n
a
l
e
,
n
。
5
7
,
1
e
r
t
r
i
m
e
s
t
r
e
l
9
9
4
.
2
0
一
−
訳/高橋美弥子
l
'
e
s
p
a
c
e
6
c
o
n
o
m
i
q
u
e
'
'
,
i
n
R
6
n
a
t
o
D
I
R
U
Z
Z
A
e
t
J
a
c
q
u
e
F
O
N
T
A
N
E
L
(
e
d
.
)
,Dixd6batsen6onO哩旦
聖
2
匹
,
G
r
e
n
o
b
l
e
,
P
r
(
聖塑
哩2
1
』
§
,
Gr
e
n
o
b
l
,
P
r
e
sseUniversitairesde
経済の補完性+EFEH5ml994
社会的一貫性
社
的
一貫性(5)特に次の文献を参照。GRREC,Criseet
経済会
的諸
制度
経
済
的
諸
制
度
R
6
g
u
l
a
t
i
o
n
,
r
e
c
u
e
i
l
d
e
t
e
x
t
e
s
,
2
v
o
l
u
m
e
s
'
U
n
i
v
e
r
s
i
t
6
P
i
e
r
r
e
_
M
e
n
d
6
s
F
r
a
n
c
e
,
G
r
e
n
o
b
l
e
,
1
9
8
3
'
対
照
的
に
み
え
る
結
果
は
2
つ
の
考
察
か
ら
説
明
で
き
る
。
1
9
8
9
,
e
t
R
・
D
I
R
U
Z
Z
A
,
'
'
T
h
6
o
r
i
e
d
e
s
s
y
s
t
b
m
e
s
・
経
験
的
次
元
の
考
察
。
つ
ま
り
現
実
の
状
況
が
上
記
の
結
p
r
o
d
u
c
t
i
f
s
e
t
r
e
c
o
m
p
o
s
i
t
i
o
n
d
e
l
'
6
o
n
o
m
i
e
果
に
反
映
し
て
い
る
。
す
で
に
存
在
す
る
あ
る
種
の
要
素
m
o
n
d
i
a
l
e
3
.
A
型
且
L
辿
堅
,
D
6
c
e
m
b
r
e
l
9
9
4
.
に
よ
り
生
産
シ
ス
テ
ム
が
形
成
さ
れ
よ
う
と
し
て
い
る
が
、
(
6
)
こ
れ
に
は
、
例
え
ば
、
オ
ラ
ン
ダ
中
央
計
画
局
の
未
来
予
こ
の
動
き
が
可
逆
的
か
否
か
に
つ
い
て
は
何
と
も
い
え
な
測
研
究
に
取
り
上
げ
ら
れ
て
い
る
4
つ
の
シ
ナ
リ
オ
の
う
ち
の
1つがあげられる。研究者たちにとって危機のシナリ
・
認
識
論
的
次
元
の
考
察
。
つ
ま
り
使
用
さ
れ
て
い
る
理
請
オ
こ
そ
が
重
要
な
の
で
あ
る
。
次
の
文
献
を
参
照
。
G
e
o
r
g
e
s
確
立
さ
れ
て
い
な
い
。
が
現
実
の
状
況
を
完
全
に
解
読
す
る
に
は
不
十
分
に
し
か
G
E
L
A
I
F
F
,
B
e
n
G
E
U
R
T
S
,
A
n
d
r
6
d
e
J
O
N
G
,
G
e
r
r
i
t
い◎
い
ず
れ
に
せ
よ
、
こ
の
研
究
の
目
的
は
著
し
く
複
雑
な
問
題
に ZALM,''Lesgrandestendancesdel'6conomie
m
o
n
d
i
a
l
e
'
'
,
d
a
n
s
亙
迦
型
堅
D
n
.
1
9
8
,
m
a
i
l
9
9
5
e
t
対
し
て
決
定
的
な
解
答
を
与
え
る
こ
と
で
は
な
く
、
理
請
的
基
礎
'
'
Q
u
a
t
r
e
s
c
6
n
a
r
i
o
s
d
e
l
'
E
c
o
n
o
m
i
e
m
o
n
d
i
a
l
e
'
'
,
d
a
n
s
の
上
で
、
世
界
経
済
の
空
間
的
再
編
成
と
い
う
問
題
提
起
を
可
能
旦
迦
辿
睦
,
n
。
1
9
9
,
j
u
i
n
l
9
9
5
.
に
す
る
諸
概
念
の
提
示
に
あ
る
。
そ
の
意
味
で
、
こ
の
問
題
を
前
(
7
)
す
な
わ
ち
、
ブ
ル
ネ
イ
、
中
国
、
香
港
、
イ
ン
ド
ネ
シ
ア
、
日
本
、
マ
レ
ー
シ
ア
、
フ
ィ
リ
ピ
ン
、
シ
ン
ガ
ポ
ー
ル
、
韓
進
さ
せ
ら
れ
た
な
ら
ぱ
と
望
ん
で
い
る
。
国
、
台
湾
、
タ
イ
を
指
す
。
−51−
-50’
ソ
−
一
_−−−ーー一一一
●特集/第五回日仏経済学会議「経済的地域主義:ヨーロッパとアジア」(その1)
一一
エクスマルセイュ大学ルネ。トブル
いるけれど、一人当たり国内総生産および、UNDP(国
ポ
ー
ト
か
ら
も
ヒ
ン
ト
を
得
て
い
る
。
し
か
し
な
が
ら
こ
の
2
つ
の
地
域
の
客
観
的
条
件
に
は
大
き
な
違
い
が
あ
り
、
統
合
の
形
式
お
よ
び
プ
ロ
ジ
ェ
ク
ト
に
つ
い
て
も
、
同
様
に
か
な
り
の
隔
た
り
がある。
実
際
、
こ
の
1
0
年
の
間
、
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
ー
地
中
海
地
域
諸
国
の
間
で
は
純
格
差
が
大
き
く
な
っ
て
い
る
の
に
、
ア
ジ
ア
ー
太
平
洋
で
は
ま
す
ま
す
格
差
を
縮
め
て
い
る
の
で
あ
る
。
こ
の
現
象
は
購
買
力
平
価
で
は
か
っ
た
一
人
当
た
り
国
内
総
生
産
、
人
的
資
本
の
蓄
積
、
あ
る
い
は
輸
出
に
占
め
る
工
業
製
品
の
割
合
の
変
化
を
分
析
す
る
こ
と
で
確
認
で
き
る
。
反
対
に
、
地
中
海
地
域
に
お
い
て
は
こ
の
1
0
年
の
間
に
、
地
中
海
諸
国
の
国
内
総
生
産
合
計
に
占
め
る
非
E
U
諸
国
の
国
内
総
生
産
部
分
は
低
下
し
て
お
り
、
地
中
海
地
域
の
人
口
に
占
め
る
E
U
以
外
の
諸
国
の
部
分
の
成
長
が
か
な
り
強
い
こ
と
を
見
て
と
れ
る
(
付
録
1
)
。
こ
の
点
は
、
多
く
の
国
に
お
け
る
不
況
、
あ
る
い
は
−
人
当
た
り
の
実
質
国
内
総
生
産
の
低
下
に
表
現
さ
れ
て
い
る
。
加
え
て
、
こ
こ
に
は
工
業
諸
国
と
低
所
得
国
と
の
対
立
が
存
在
す
る
が
、
こ
れ
は
ア
ジ
ア
ー
太
平
洋
地
域
に
は
無
い
も
の
で
あ
る
。
ま
た
発
展
段
階
の
ば
ら
つ
き
が
存
在
す
る
が
、
地
域
的
な
特
化
に
と
っ
て
こ
れ
は
好
ま
し
い
。
と
こ
ろ
が
、
地
中
海
地
域
に
お
い
て
は
、
い
か
な
る
国
も
ア
ジ
ア
ー
太
平
洋
地
域
に
於
け
る
4
つ
の
新
興
工
業
国
に
あ
た
る
機
能
を
果
た
し
て
い
な
い
。
ト
ル
コ
は
、
こ
の
地
域
で
も
っ
と
も
発
展
し
た
非
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
国
と
考
え
ら
れ
て
一地中海北東地域(旧ユーゴスラビア、アルバニア、ト
いが見られる。全体的な収支の改善は地中海EU諸国の
ルコ、キプロス、マルタ)。つまり、ヨーロッパ南東の
カバー率により説明される。というのは地中海EU諸国
端にある地域である。ここは中位の発展段階にある。
のカバー率が87.5%から99.2%へ推移しているのに対し、
分析は4段階で進む。まず第1に、近年
マグレブは悪化(1019%から82.1%へ)しているほか、
(1985∼1993)の商業貿易の研究によって、ヨーロツパー
マシュレクやイスラエルははるかに小さいまま(44.6%
地中海圏の統合の過程の上でのばらつきを検討する。第
から51.7%へ)なのである。
能と、場合によってはありうる動態的な補完関係をみき
より劣っている。
客観的条件に加えて、統合の形式もアジアー太平洋地
域とヨーロッパー地中海圏とでは極端に違っている。地
中海諸国との政治的統一はまったく問題になってないの
2)地中海EU諸国の外国貿易
わめる。第3に投資フローを検討することで、EU諸国の
貿易額を示した表(付録2)を分析すると、フロー
資本のうち地中海地域の非EU諸国へ向かう部分を計測
する。第4に、EUのRFIEMプロジェクトを採用する場合
が地中海EU諸国に特に集中していることが明瞭である
(1993年では輸入の80%、輸出の86%)。この状況はマグ
レブを犠牲にしつつ顕著になる傾向さえ見せている。
の費用や困難に関して考察する。
に、EUは、実際、新しい加盟国の参加や、ドイツの統
一によってヨーロッパ共同体が拡大したときに採用され
し
た
も
の
と
な
っ
て
お
り
、
同
じ
く
ア
ジ
ア
太
平
洋
諸
国
を
経
済
政
策
と
協
力
の
一
つ
の
モ
デ
ル
と
し
て
提
示
し
た
世
界
銀
行
の
レ
さまざまな国家グループのカバー率の変化にも同じ違
2に、特化を分析することによって、さまざまな国の機
連開発計画)の人間開発指標はタイやマレーシアのそれ
の構築を提案している。自由貿易はこの地域の政治的安
定
に
貢
献
す
る
に
違
い
な
い
と
い
う
わ
け
だ
(
1
)
。
こ
の
プ
ロ
ジ
ェ
ク
ト
は
ア
ジ
ア
ー
太
平
洋
地
域
に
お
け
る
経
済
統
合
を
強
く
意
識
諸国の不況が観察される。
になる可能性を持っているからである。
モントペリエ大学ジャン.パスカル.バッシーノ
地中海の政策の枠組みで、ヨーロッパ連合(EU)は、
自由貿易に基づくヨーロツパー地中海経済圏(EEEM)
一
ルを加えることになろう。地理的に近く、補完的な関係
ヨーロッパ地中海地域における貿易と投資、および経済統合への展望
序
ー
地中海EU諸国はこの地域全体への入り口として特徴
づけられる。地中海諸国全体に対して、貿易の主要な相
1.地中海における貿易の進展
手国はフランスであれ、イタリアであれ、たいていの場
た制度的アプローチによく似た方法を取ろうとしている。
つまり自由貿易の2国間および多国間協定はEUによる大
取引量を確認すれば、フローがどの地域に集中し、ま
た、諸国がどの程度統合過程に関与しているかを評価で
規模な描造的公的援助をともなっているのだ(5年間で
70億エキュ)。これは1995年に決定され、インフラスト
きるに違いない。このようにするのは、諸地域間にあり
うる従属状態を明らかにするためである。この地域のヒ
エラルキーの変化を観察するためには、この分析を動態
ラクチャーおよび工業企業の近代化に向けられている。
状況は、この地域においては実際のところ逆である。
経済統合の実現は、実際、およそ25年間かかっており、
的に行うことが重要である3.
このプロセスに加速がかかったのは近年になってのこと
である。制度化は事後的に起こっており、しかも拘束力
E
E
E
M
に
お
け
る
の
経
済
統
合
の
見
通
し
を
よ
り
よ
く
評
価
す
る
た
め
に
、
わ
れ
わ
れ
は
こ
こ
,
0
年
間
の
地
中
海
の
貿
易
と
没
資
の分析を示す。これら諸国は4つのグループに区別苔奴
る
輸
出
額
の
比
率
]
が
8
4
%
か
ら
9
1
.
7
%
へ
変
化
し
て
い
る
た
め
る
。
−
欧
州
連
合
の
地
中
海
諸
国
(
地
中
海
E
U
諸
国
)
、
即
ち
ス
ペ
イ
ン
、
フ
ラ
ン
ス
、
イ
タ
リ
ア
、
ギ
リ
シ
ヤ
。
地
中
海
の
富
裕
国
の
こ
と
で
あ
る
が
、
多
く
の
地
域
で
は
、
一
人
当
た
り
所
得
が
明
ら
か
に
E
U
の
平
均
よ
り
劣
っ
て
い
る
。
一
マ
グ
レ
ブ
地
域
(
モ
ロ
ッ
コ
、
ア
ル
ジ
ェ
リ
ア
、
チ
ュ
ニ
ス
)
−
マ
シ
ユ
レ
ク
地
域
(
エ
ジ
プ
ト
、
リ
ビ
ア
、
レ
バ
ノ
ン
、
シ
'
ノ
である。
こ
う
し
た
貿
易
の
発
展
は
ど
こ
で
も
一
様
に
広
が
っ
て
い
る
わ
け
で
は
な
い
。
全
体
的
な
成
長
は
主
と
し
て
地
中
海
E
U
諸
国
の
貿易の伸び、および、より小さい程度でだがイスラエル
の
貿
易
の
伸
び
に
よ
る
も
の
で
あ
る
。
反
対
に
、
マ
グ
レ
ブ
地
域
の
地
位
低
下
と
、
マ
シ
ュ
レ
ク
地
域
お
よ
び
地
中
海
北
東
地
域
の
ア
、
ヨ
ル
ダ
ン
、
パ
レ
ス
チ
ナ
自
治
区
)
。
こ
こ
に
、
イ
ス
ヲ
エ
相手として、フランスをしのいでいる。その代わりフラ
ンスは、マグレブ地域との貿易ではイタリアをわずかに
しのいで首位にある。
地中海EU諸国の別の特徴は、これら諸国間の貿易関
れらラテンの弓状地域諸国の統合に対応しており、この
1
9
8
5
∼
1
9
9
3
年
の
期
間
、
地
中
海
諸
国
間
の
貿
易
は
、
世
界
貿
易の成長よりは確かに劣るものであったものの、持続的
に成長していた。現在のUSドルで測って、輸出は2倍
に
な
っ
た
(
1
9
8
5
年
の
2
5
6
0
億
か
ら
1
9
9
3
年
の
5
2
0
0
億
ド
ル
へ
)
・
輸
出
よ
り
は
弱
い
が
、
輸
入
も
増
え
て
い
る
(
1
9
8
5
年
の
3
0
0
0
億
か
ら
1
9
9
3
年
の
5
6
5
0
億
ド
ル
へ
)
。
赤
字
構
造
は
続
い
て
い
る
も
のの、純額では減少している。カバー率[輸入額に対す
門での協定採択の遅れが示している通りである(2)。
マシュレク諸国、イスラエルおよび地中海地域のと貿易
係の強さである。現在のところ地中海の経済統合は、こ
’)全体的な方向
はほとんどなかった。個々の協定は市場の保護撤廃を前
提としていなかったし、採用されたスケジュールが実際
には強制的な性格を持っていないことは、農業や繊維部
合、収支はほぼ均衡している。イタリアは多くの場合、
ことからもヨーロツパー地中海地域統合の展望の中でヨー
ロッパ統合の動態がもつ本質的な役割が明らかである。
スペインはこの点で極端な例となっている。その地中海
における貿易は90%以上がフランスおよびイタリアとの
間で行われているのである。
フランスとイタリアについては、地中海全体の中で、
地中海EU諸国との貿易がそれぞれ75%および70%をし
めている。ギリシヤはこの貿易の動きから少々離れてい
るように見える。EUおよび地中海EU諸国とのこの国の
商取引はわずかに伸びているに過ぎない。ギリシャが相
対的に孤立しているという点は、マグレブやトルコとの
貿易が著しく小さいことからもはっきりしている。
−53−
−52−
一 一 一 一 ■ ■ ■ ー ‐ - −
= = = = 一 一 一 =
「
−
一一==’−−−−
』 −
Q
.一一=一一一一−一一=・一=一一一
■■
−
■■
■
一 ‐ −
一
−
−
■ ■ ‐ 一
-
3)その他のこの地域の諸国にとっての地中海貿易の重
一
一
一
-
一
一
一
一 ニ ー ニ
Ⅱ貿易のもとでの特化とさまざまな国の相対的
要性の違い,
地位
地中海EU諸国にとって、マグレブ諸国との貿易が決
定的な意味を持たないとしても、マグレブ地域諸国にとっ
分析は10の部門に分けて行われるが、そうすることに
ては著しい重要性を持っているのである。研究対象となっ
より2国間貿易の中での特化と、様々な国の機能と可能
ている10年の間、マグレブ諸国のEU諸国に対するカバー
な動態的補完関係を明確にすることができる4。
率は純額で増加しているが、それは基本的に地中海EU
諸国との貿易が大きくなったことによっている。ほかの
1)地中海地域のEU参加国
地中海諸国に対するカバー率は大きくなく、モロッコや
トルコに向かうフローは小さいことを物語っている。
フランスおよびイタリアにとって、貿易とは、より発
展の劣った諸国との部門間で行われるものと、工業諸国
あるいはトルコやイスラエルといった水平的な関係にあ
る国との部門内で行われるものとがある。フランスの比
モロッコ、アルジェリア、チュニスについて見ると、
EUとりわけ、地中海EU諸国との取引が貿易の圧倒的な
部分をしめている。地中海EU諸国との貿易はおよそ40 較優位は当然、ハイテク生産に由来する。イタリアは地
ないし50%をしめており、EUとの貿易はおよそ60%を 中海地域の技術の普及においてはほとんどフランスと同
占めている。つまり地中海西方は地中海北岸諸国との間 じ役割であり、産業部門ごと、領域ごとの機能の役割を
の貿易によって支配されているのだ。この貿易は南北間
のフローで補完されているとはいえ、これは副次的な重
要性しか持たない。マグレブ諸国にとって実際に重要な
割り振る役を果たしている。さらに、フランスの輸出は
マグレブに向けられているが、イタリアの輸出は地中海
こ
と
は
、
統
合
の
動
き
で
は
な
く
、
悪
化
し
つ
つ
あ
る
従
属
状
態
スペインの貿易も同じような性格を持っており、この
なのである。
アジアへ向けられている。
国は地中海における技術普及の3つ目の柱をなしている
地
中
海
東
側
で
は
、
エ
ジ
プ
ト
、
イ
ス
ラ
エ
ル
、
ト
ル
コ
だ
け のだが、フランスやイタリアとの比較では副次的な重要
が
注
目
に
足
る
フ
ロ
ー
を
提
供
し
て
い
る
。
し
か
も
、
こ
れ
は
か 性しか持たない。工業製品の輸出力溺いせいで、ギリシヤ
な
り
の
増
加
を
見
せ
て
い
る
。
シ
リ
ア
は
依
然
と
し
て
閉
ざ
さ
れ は他の地中海EU諸国のような役割を持つことはできな
た
国
で
あ
っ
た
が
、
こ
の
時
期
の
最
後
に
は
何
が
し
か
の
開
放
の かったが、設備財やあまり高度化されていない中間財を
兆
候
を
示
し
は
じ
め
て
は
い
た
。
こ
の
動
き
に
反
し
て
地
政
学
的
な
状
況
は
ユ
ー
ゴ
ス
ラ
ビ
ア
の
貿
易
の
崩
壊
あ
る
い
は
リ
ビ
ア
や
ヨ
ル
ダ
ン
の
貿
易
の
停
滞
を
も
た
ら
し
て
い
る
。
理
に
よ
る
統
合
は
、
西
側
の
方
が
東
側
よ
り
う
ま
く
い
っ
て
い
る
のである。
−
−
それがなければ、これらの国は地中海地域のなかで、技
るものである。
術普及に関して、トルコ以上の役割を、つまりアジアー
太平洋地域における韓国のような役割を果たすことがで
3)マシュレク諸国およびイスラエル
エジプトはマシュレク地域の中ではもっとも人口の多
的低さにより、実際、これらの国は、中間技術の設備財
同様に、労働力も豊富で、とりわけ、綿を繊維へ加工す
や家電製品にはかなりの比較優位を持っている。
成長している。とりわけマルタの場合がそうであり、日
間貿易をマグレブ諸国よりは多様に発展させてきている。
同様に、設備財の輸入も多様化しているが、それはトル
本産あるいは韓国産の設備財を地中海の南岸地域へ輸出
している5。これら二つの国は、あらゆる差異を考慮す
コやとりわけイスラエルからの輸入力撮近進んでいるこ
ると、アジアー太平洋地域におけるシンガポールや香港
と似たような立場にある。
とからも分かる。
なぜイスラエルをマシュレク地域といっしょに分析で
きるかといえば、イスラエルの貿易がこの期間中にEU Ⅲ地中海地域の投資の動向
に向きを変えたからである。その場合、南の諸国よりド
イツカ蓮要な相手国である。イスラエルの貿易は地中海
地域EU諸国と同じ特徴を持っている。地中海EU諸国と
の貿易は、部門内のものであるが、トルコを含む他の諸
国とは部門間が中心である。この点から、イスラエルの
地中海地域の投資の分析においては、開発援助と直接
投資を結び付けるのが望ましいように思える。というの
も、地中海非EU諸国については、その総額が世界的な
比較を行えるからである(6)。公的開発援助は多くの場合、
インフラストラクチャーや人的資本に対する投資と結び
潜在的役割を確認することができる。その役割は、EU
つくのであるが、そうした援助はさらに、短・中期的な
からマシュレク地域への技術普及を仲介することである。
収益を求めての産業プロジェクトに基づいておこなわれ
シリア、ヨルダン、レバノンは、基本的に、部門間の
る民間企業の直接投資の補完的な機能も果たしているの
2)マグレブ諸国
4)地中海北東地域の他の国々
輸出は農産物や海産物、繊維製品であり、輸入は設備財
や
そ
の
他
工
業
製
品
で
あ
る
。
し
か
し
こ
の
期
間
中
、
と
り
わ
け
チ
エ
ニ
ジ
ア
の
場
合
は
、
繊
維
.
衣
類
関
連
の
部
門
内
貿
易
が
メ
ペ
イ
ン
や
イ
タ
リ
ア
と
行
わ
れ
て
い
る
の
を
見
る
こ
と
が
で
き
る
。
こ
れ
は
賃
金
幾
用
と
結
び
つ
い
た
比
較
優
位
の
重
要
性
を
例
証
す
マルタおよびキプロスの貿易は再輸出に立脚し、強く
るための費用が安くつく。EUおよびイスラエルへの輸
出はこの商品で占められている。そして、この国は部門
輸入することから工業化に取り組んでいる。
や不在地主生産制に対応している。
モロッコとチェニジアは主に部門間貿易を行っている。
きたであろう。人的資本の水準および、賃金費用の相対
い国であり、石油や綿のような自然資源を持っている。
貿易を行っているが、シリアについてみると、アルジェ
リアによく似た、化石燃料分野での比較優位を持ってい
る。比較劣位については、アルジェリアの場合に他の分
野で見られたような目立つものではない。
エ
ジ
プ
ト
、
ト
ル
コ
、
イ
ス
ラ
エ
ル
の
外
国
貿
易
は
共
通
の
特 マグレブ諸国の状況は全く対照的である。アルジェリ
徴
を
示
し
て
い
る
。
地
理
的
な
近
さ
に
も
か
か
わ
ら
ず
、
こ
れ
ら アは特化が極めて進んでいる。実際、アルジェリアは石
諸
国
の
間
で
は
関
係
が
ほ
と
ん
ど
結
ば
れ
て
い
な
い
。
さ
ら
に
興 油地代を得ているが、これは1993年の輸出の80%を占め
味
あ
る
こ
と
に
、
地
中
海
地
域
諸
国
と
の
貿
易
は
大
き
な
部
分
を ている。様々な種類の工業製品や農産品が大量に輸入苔
占
め
る
こ
と
が
な
く
、
E
U
諸
国
と
の
貿
易
の
中
で
も
地
中
海
E
U れていることは比較劣位の反映であり、極端な対外依存
諸
国
の
割
合
は
そ
れ
ほ
ど
大
き
く
な
い
。
こ
う
し
て
、
地
中
海
の
西
方
と
東
方
の
断
絶
が
は
っ
き
り
す
る
。
地
中
海
貿
易
と
い
う
論
=
トルコは食料品輸出国と工業製品輸出国の中間的な立
場にある。工業製品とは繊維製品や家電製品および、中
間技術的な設備財である。トルコも程度は小さいが、技
術の普及に貢献している。すべての新興工業国と同じく、
トルコも設備財および化学製品については主として工業
国からの輸入に大きく依存している。この経済は各国の
全体的な動きの中に参入する必要性を明瞭に感じ取って
いる。
旧ユーゴスラビア諸国は地中海EU諸国やトルコに対
して、かなり多様な貿易を行っていた。政治的危機や軍
事的抗争により、分断され小さくなってしまったものの、
である。
1)地中海地域の開発援助
地中海地域での全援助(贈与および借款)は、この時
期
に
一
定
の
成
長
を
示
し
た
(
1
9
8
4
年
に
1
1
3
億
6
5
0
0
万
ド
ル
、
1993年に182億9000万ドル)が、年によって大きく変動
している。以前より、主要な受け入れ国はイスラエルと
トルコ、エジプトである。贈与は地中海への開発援助の
半分弱であり、受益者は同じ3国と、マグレブでは主と
してモロッコである。
贈与および借款は幾つかの国では国民総生産のかなり
の部分を占めている。とりわけヨルダンとイスラエル
(この時期の平均で、それぞれ13.6%および14%)、それ
よりは少ないがエジプト、モロッコ、チエニジア、トル
コ(5%、5.7%、4%、3%)である。国の開発レベルと
受け入れる援助の額との間には相関関係はない。その点
−55−
−54−
’
−一一一一一一一-----1■一一一一
− − , − 宙 一 一 一 一 一 一 一
0
一 一 一 一 一 一 一 一 三 三 一 一
h
、
− − −
g 一
−
は割り当ての基準が合衆国の戦略地政学的な配慮および
通商政策により大きく決められていることから明らかで
ある。
に対しても支配的であり、その援助額はこの時期の援助
総額の50%、贈与の半分以上になっている。この地域に
対する合衆国の大規模な介入は大部分の国にとっては利
益となったが、しかし、経済的手段を持って地中海政治
を
先
導
す
べ
く
E
U
の
圏
外
へ
離
脱
す
る
恐
れ
の
あ
る
国
に
対
し
ては、援助を拒絶しがちであった(付録3)。
石
油
王
国
に
諸
問
題
が
発
生
し
、
こ
の
時
期
、
こ
れ
ら
の
国
か
ら
の
援
助
が
か
な
り
減
少
し
、
全
体
の
9
.
4
%
か
ら
3
.
7
%
へ
変
化
し
た
。
国
際
機
関
お
よ
び
日
本
の
援
助
は
相
対
的
に
小
さ
い
の
で
こ
れ
ら
を
別
と
す
る
と
、
援
助
の
ほ
と
ん
ど
は
借
款
の
み
か
ら
な
っ
て
い
る
。
こ
の
援
助
は
は
っ
き
り
と
通
商
政
策
に
基
づ
い
て
お
り
、
結
果
的
に
ほ
と
ん
ど
ト
ル
コ
に
集
中
し
て
い
た
。
そ
の
外
の
援
助
は
、
全
体
の
約
4
分
の
1
で
あ
る
が
、
ほ
と
ん
ど
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
諸
国
、
つ
ま
り
E
U
お
よ
び
そ
の
加
盟
国
に
よ
り
も
一変4
’
'
,
一
一一一=一
一一一一三二三一一一
2)直接投資の変化
投資フローの分析が対象とするのは、ヨーロッパ主要
国発から、地中海EU諸国および地中海非EU諸国へ向
その上、合衆国の二国間援助が、贈与に対しても借款
■
−
−
−
‐
−
−
‐
一
産
一
−
た
ら
さ
れ
て
い
る
。
今
日
に
い
た
る
ま
で
、
重
要
な
の
は
、
借
款
及
び
贈
与
の
両
方
に
つ
い
て
フ
ラ
ン
ス
、
特
に
借
款
に
つ
い
て
は
イ
タ
リ
ア
で
あ
る
。
こ
れ
ら
二
つ
の
国
に
よ
る
援
助
分
担
が
示
し
て
い
る
と
お
り
、
援
助
は
明
確
に
政
治
的
ヴ
ィ
ジ
ョ
ン
の
中
に
位
置
づ
け
ら
れ
て
お
り
、
商
業
的
ヴ
ィ
ジ
ョ
ン
か
ら
の
み
な
さ
れ
た
わ
け
で
は
な
い
。
ド
イ
ツ
も
同
じ
よ
う
に
介
入
し
て
は
い
る
も
の
の
、
日
本
と
似
た
よ
う
な
ス
タ
イ
ル
で
行
っ
て
お
り
、
日
本
の
援
助
を
わ
ず
か
に
上
回
る
だ
け
で
あ
る
。
E
U
の
他
の
国
は
、
そ
こ
に
イ
ギ
リ
ス
も
含
む
と
し
て
も
、
シ
ン
ボ
ル
的
な
役
割
し
か
な
い
。
し
た
が
っ
て
合
衆
国
か
ら
距
離
を
取
り
続
け
る
と
い
う
こ
と
は
、
地
中
海
援
助
の
崩
壊
と
い
う
結
果
に
つ
な
が
り
か
ね
な
い
の
だ
。
フ
ラ
ン
ス
や
イ
タ
リ
ア
で
は
こ
れ
を
補
う
役
割
を
果
た
す
こ
と
は
ま
っ
た
く
で
き
な
い
の
で
あ
る
。
さ
ら
に
、
E
U
は
7
0
億
エ
キ
ュ
を
新
し
い
開
発
プ
ロ
グ
ラ
ム
に
割
り
当
て
る
つ
も
り
で
い
た
が
、
こ
れ
は
ア
メ
リ
カ
の
援
助
の
一
部
分
に
あ
た
る
に
過
ぎ
な
い
。
も
っ
と
も
、
次
の
こ
と
に
は
留
意
し
て
お
こ
う
。
対
立
が
平
和
的
に
解
決
し
た
と
し
た
ら
、
も
っ
と
も
ア
メ
リ
カ
の
援
助
か
ら
利
益
を
受
け
て
い
る
2
国
、
イ
ス
ラ
エ
ル
と
ト
ル
コ
は
、
援
助
の
縮
小
.
さ
ら
に
は
廃
止
に
さ
え
に
容
易
に
耐
え
る
こ
と
が
で
き
る
で
あ
ろ
う
。
かうフローである。
貿易の場合と同様に、非EU諸国へのフローは、地中
海EU諸国向けの投資のかなり小さい部分にしかならな
い。その中で、ラテンの弓状地帯の3国、つまりフラン
ス、イタリア、スペインへの投資は中心的な地位を占め、
ギリシヤへは相対的にわずかしか向かわない。
この期間、もっとも注目に値する現象のひとつは、フ
ランスのスペイン向け投資の拡張(1987年の5億ドル、’
993年の430億ドル)である。スペインは第一の投資先で
あり、全体の20%を占めている。こうしてフランスは、
イギリスとドイツを追い越して、スペインへの第1番目
の投資国となった。イタリアへの投資の成長はそれほど
大きくなく、フローでみると、1993年は輸入額の半分に
しかならない。これに対し、イタリアはフランスおよび
スペインに大きく投資している(それぞれに年平均で8.
5億[ドル]および4.5億)。純額では成長しているもの
の、スペインからフランス、イタリアへ向けてのフロー
はそれに匹敵する水準に達していない。
これらのフローに加えて、ドイツから大量の投資がイ
タリアおよびスペインへは向かっている。それぞれ年平
均57および35億ドルである。フランスへ向けられている
フローは年平均約80億に達しているが、フランスからド
イツへの投資を若干下回っている。
イギリス発のフローは反対に減ってきている。イタリ
アやスペインへの投資は、常に大きく、大体、フランス
からの投資撤退をほぼ相殺している。
こうした現象は、この地域の非EU諸国においてもや
はり見られる。連合王国を特徴づけるのは、投資全体の
極端な小ささと同時に、エジプトのような伝統的な絆の
ある国からの大量の投資撤退である。マグレブについて
は
、
チ
エ
ニ
ジ
ア
の
み
が
9
0
年
代
初
頭
に
イ
ギ
リ
ス
か
ら
の
幾
ば
く
か
の
投
資
に
よ
り
利
益
を
得
た
。
ド
イ
ツ
は
、
イ
ギ
リ
ス
よ
り
は
積
極
的
に
介
入
し
て
い
る
が
、
再
統
一
と
中
央
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
の
政
変
以
来
、
同
地
域
へ
の
関
心
が
薄
め
て
い
る
よ
う
に
見
え
る
。
チ
ェ
ニ
ジ
ア
や
モ
ロ
ッ
コ
へ
の
ご
く
わ
ず
か
な
フ
ロ
ー
は
、
ア
ル
ジ
ェ
リ
ア
か
ら
の
大
量
の
投
資
撤
一一−−−一
貿易自由化を斬新的に進めようとするものだが、それは
退の埋め合わせにはならない。
リビア、エジプトと、もう少し小さい程度でシリアは
農産物と工業製品の貿易を同時に考慮しなければならな
ドイツの特権的な投資先になっている(それぞれ、年平
い。これは技術・科学協力プログラムと結びついた公的
均3.5,4.3,2.6億ドル)。これは恐らく大部分石油プロ
援助を含んでいる。この3つの面の適用には多くの問題
ジェクトと結びついている。これらのフローは部分的に
が存在しているが、それも地中海地域における貿易と投
トルコで行われた投資引き上げを補うものであろう。ト
資の客観的条件のゆえである。
ルコとの伝統的な結びつきを考えるとそれは驚くべきこ
とである(年間およそ5億ドル)。これはトルコ経済の国
際競争力にたいしてドイツの企業が抱いている疑念をあ
らわしているのかもしれない。反対に、注目すべきこと
に、マルタやキプロスへのフローは、これらの国の大き
さを考えると桁外れに大きなものが90年代初頭から始まっ
た(1993年にそれぞれ1.70,4.23億ドル)。これはこれ
らの国の発展政策の成功の印となっている。
イタリアはフランスやドイツと同じ資力を持っていな
い。この時期に純額でフローは増えているのにも関わら
ずである。とはいってもこの地域全体に投資を行う意志
はある。チェニジア、リビア、マルタはその中でも伝統
的つながりを持つ第1の主要地域である。ここにトルコ
やエジプト、モロッコ、イスラエルを加えるべきであろ
う。といっても規則的なフローは小さなものである。
フランスはこの地域の多くの国に対し、より大きな資
力と伝統的結びつきを持っている。これはドイツ発のフ
ローとほぼ同じ大きさになっている。フランスの投資は
特に、モロッコ、リビア、エジプト、トルコへ向けられ
て
い
る
(
そ
れ
ぞ
れ
1
,
3
.
2
,
2
.
3
5
,
1
.
2
7
億
ド
ル
)
。
同
様
に
し
てマルタやキプロスへのフローの成長が見られ、その大
きさはこれらの国の大きさに応じて大きくなっている
(
年
平
均
1
2
5
0
,
3
0
0
0
万
ド
ル
)
。
こ
の
傾
向
は
、
8
0
年
代
の
イ
ス
ラ
エ
ル
、
9
0
年
代
の
ア
ル
ジ
ェ
リ
ア
か
ら
の
投
資
引
き
上
げ
と
は
対照的である。チェニジアヘ向けられるフローの減少
(
1
9
8
8
年
以
前
は
7
0
0
0
万
ド
ル
で
あ
っ
た
の
に
対
し
、
1
9
8
9
年
以
来
年
平
均
1
2
5
0
万
ド
ル
)
は
、
こ
の
国
に
対
す
る
投
資
国
が
フ
ラ
ンスからイタリアに代わったことを示している。
WEUによるEEEMプロジェクトに結びついた
統合の展望
E
U
の
プ
ロ
ジ
ェ
ク
ト
は
、
E
E
E
M
内
に
相
互
主
義
に
基
づ
く
1)EUプロジェクトの社会的費用および経済的費用に
まつわる不確実性
農産物および農産食品の貿易の自由化について、比較
優位の原則を採用すれば、直ちにに南北貿易に基づく特
化という結論になるだろう。地中海の生産物(果物、野
菜類、オリーブ油)あるいは漁業生産物・水産物といっ
たEUにとっての必需品はますます南岸地域によっても
たらされるであろうし、南岸地域はその代わりに、ヨー
ロッパ北部の生産物(穀物、牛肉、乳製品)を輸入する
であろう。
しかしながらその結果これら二つの地域で社会的費用
は極端に大きなものになるであろう。地中海北岸地域で
は農業と漁業はほとんど消失し、南岸側では穀物農業と
粗放畜産業の崩壊とそれに続く大量の離村が生じて、北
岸側への移民を生じさせるであろう。EUは、穀物農業
近代化および粗放畜産業に対し、公的援助を行っている
が、これにより南岸の農村地域の人口の安定と食料生産
の増加力河能になっている。この地域全体にとって、援
助は、公的であれ私的であれ、よりよい資源配分に貢献
できるように思われる。
EEEM内部での工業製品の自由貿易は不可避的に、南
岸地域諸国の比較優位を圧倒的に高めることになる。そ
れは賃金費用の安さによるものである。政治的に不安定
なために、これらの国々に対してヨーロッパ企業は、自
由貿易地域にさえ、投資を渋っており、この地域におけ
る唯一の比較優位製品、即ち、移民のEUに対する大量
輸出に拍車をかけざるをえなくなっている。
南北間の移民流出の加速を避けるために検討されてい
る方法のひとつは、いくつかの工業生産物に対しては相
互
主
義
条
項
を
適
用
外
に
す
る
こ
と
で
あ
ろ
う
。
繊
維
、
衣
類
、
皮
製
品
、
そ
の
他
の
手
工
業
品
が
こ
れ
に
あ
た
る
。
こ
れ
ら
の
新
製
品
が
第
3
国
か
ら
の
輸
入
に
代
替
す
る
こ
と
が
考
え
ら
れ
る
。
−57−
−56−
一 一 ■ = ロ ー ロ R ■ ■ ■ 由 ■ ■ ■
ー..‐‐
‐.‐
− −
一
F
最もよい場合、つまり、ヨーロッパ企業力浦岸地域への
けの輸出をはじめる可能性がある。
いは東ヨーロッパ諸国に対する政策から切り離すことは
プ別の援助の配分の詳細な分析についてはTeboul,
1995参照。
新規投資に十分な信頼を持っていると想定される場合で
イスラエルは明らかに、マシュレク地域ともっとも関
難しいように思われる。反対に、この2つの地域の結び
も、開放が投資の流出を招きEU内の大量の雇用喪失を
係がある中継地であると思われる。しかし、これらの国々
つきによって、これらの経済の補完関係の価値がより高
引き起こすであろう。EU諸国の経済が持つ失業吸収の
の平和的妥協に向けて、EUは何の仲介手段も行使しよ
いものになるであろう。
能力は限られており、これらの国が、いまだ存続してい
うとしておらず、これはアメリカによって推し進められ
るかなりの手工業部門を放棄すると考えることはできな
ている。政治的問題のためにパレスチナ人は分相応の役
いのである。
対する構造的援助が、長期化してしまうリスクがかなり
ある。EU周辺部への構造的援助の経験が示唆している
のは、インフラストラクチャーの水準および、企業の技
術水準へ向けられたプログラムはまったく不安定な結果
になる(たとえば、ギリシヤの場合)か、あるいは一時
的なものになってしまうであろう、ということである。
技術の吸収能力、人的資本の蓄積、保健衛生システム
の
改
良
、
輸
送
・
電
信
の
イ
ン
フ
ラ
ス
ト
ラ
ク
チ
ャ
ー
の
改
良
に
つ
い
て
発
展
を
確
実
な
も
の
に
す
る
た
め
に
は
、
援
助
の
長
期
化
力
泌
要
で
あ
る
。
さ
ら
に
、
こ
の
部
門
の
公
的
投
資
の
利
潤
率
が
減
少
し
て
い
る
こ
と
を
考
慮
す
る
と
、
こ
れ
ら
の
援
助
を
増
額
す
る
こ
と
も
必
要
で
あ
る
よ
う
に
思
え
る
。
人
口
の
成
長
圧
力
に
よ
っ
て
、
地
中
海
非
E
U
諸
国
に
対
す
る
公
的
な
開
発
援
助
の
必
要
性
が
さ
ら
に
増
加
せ
ざ
る
を
え
な
い
7
・
こ
れ
ら
の
こ
と
は
、
長
期
■鱸臆鑿蹴壼纈鰯’
て
い
る
た
め
に
、
困
難
に
な
っ
て
い
る
よ
う
に
見
え
る
。
2
)
地
中
海
地
域
の
技
術
普
及
に
お
け
る
E
U
の
中
継
ぎ
の
必
要
性
ヨ
ー
ロ
ツ
パ
ー
地
中
海
地
域
の
経
済
統
合
の
展
望
と
ア
ジ
ア
ー
太
平
洋
地
域
の
統
合
の
動
き
を
比
較
し
て
み
る
と
、
韓
国
や
台
湾
に
あ
た
る
鎖
の
環
が
ぬ
け
て
い
る
が
、
そ
の
こ
と
が
E
E
E
M
の
プ
ロ
ジ
ェ
ク
ト
の
成
功
に
対
し
て
一
時
的
に
足
か
せ
に
な
っ
て
い
る
。
中
間
技
術
の
設
備
財
お
よ
び
消
費
財
の
供
給
国
の
存
在
は
、
工
業
化
さ
れ
て
い
な
い
国
々
の
技
術
水
準
を
高
め
る
為
に
は
基
本
的
な
条件
で
あ
る
。
中
間
技
術
財
の
供
給
国
は
、
新
興
工
業
国
や
E
E
E
M
内
部
の
ア
ジ
ア
ー
太
平
洋
発
展
途
上
国
の
輸
出
と
直
接
に
競
合
し
て
い
る
が
、
そ
の
後
に
は
、
現
地
パ
ー
ト
ナ
ー
お
よ
び
E
U
企
業
と
生
産
子
会
社
を
南
岸
地
域
に
設
立
し
、
現
地
市
場
へ
の
供
給
と
、
第
3
国
向
結論
A
l
l
a
i
s
M
.
,
1
9
9
4
,
C
O
"
z
6
a
t
s
P
o
u
r
r
E
t
J
r
O
p
e
,
1
9
9
2
1
9
9
4
,
地中海非EU地域諸国および、中央ヨーロッパ、東ヨー
パレスチナ人がこの20年間に行なった注目すべき人的資
ロッパの間の貿易を多角化し、フローを大きくするよう
な政策が採られれば、これらの地域のEUに対するの従
属関係が弱まり、経済統合に貢献する可能性があると思
われる。この意味することは、市場へアクセスする為の
本の蓄積にもかかわらずである。
トルコは地中海地域の新興工業国のモデルとして世界
銀行に認められているが、実際には西側の飾り物として
モデル化されているに過ぎない。さらに、この国の優先
新たな流通ルートの開設を促すということであり、それ
がない場合には、アジアー太平洋地域の新興工業諸国お
よび発展途上諸国によってますますキャツチアツプされ
目標は,トルコ語圏中央アジア諸国の結束に道を拓くで
ある。たとえ費用がどれほどかかってもそれを重視する。
この国は、トルコ語圏の政治的かつ経済的統一を願って
この方向は、さらに、EUの経済をつき動かし、EUの
ハイテク製品のために新しい市場を開かせることになる
から逸脱させている。投資能力を使いきっており(ソビ
エトの解体以来の5つの共和国への経済援助は、400万
ドル)、すでにクルド紛争の費用によってかなりの額
だろう。そうなると、ギリシギリシャやイタリア、より
小さい程度ではあるがフランスやスペインは、中央ヨー
ロッパあるいはバルカン地域と地中海非地EU域諸国と
(国家予算の3分の1.700万ドル)が差し引かれている。
EUのプログラムに旧ユーゴ諸国が含まれていないこ
とは、その地域の政治的.軍事的危機によって客観的に
正当化さ れはするが、長期的にみると不吉な結果を招き
E
d
i
t
i
o
n
s
C
l
6
m
e
n
t
J
u
g
l
e
r
.
B
e
n
s
i
d
o
u
n
l
.
&
C
h
e
v
a
l
i
e
r
A
.
,
1
9
9
4
,
L
e
s
6
c
加
刀
g
e
s
c
o
m
m
e
m
i
a
"
"
e
Z
"
.
O
刀
z
6
d
i
t
e
F
m
7
z
e
e
7
z
s
,
E
c
o
n
o
m
i
e
h
l
t
e
r
n
a
t
i
o
n
a
l
e
,
n
。
5
8
.
B
e
s
s
o
n
F
.
&
V
i
l
l
a
P
.
,
1
9
9
4
,
C
7
.
o
i
s
s
α
"
c
e
e
t
"
6
c
i
α
"
z
α
範
o
〃
,
d
o
c
u
m
e
n
t
d
e
t
r
a
v
a
i
l
C
E
P
H
,
n
o
9
4
1
2
C
o
r
t
e
s
O
&
J
e
a
n
S
.
,
1
9
9
4
,
C
b
m
m
e
ノ
℃
e
m
r
e
m
f
z
t
i
o
7
z
G
Z
,
e
"
噸
j
o
i
e
t
s
q
"
7
F
s
,
d
o
c
u
m
m
e
n
t
d
e
t
r
a
v
a
n
C
E
P
H
,
n
.
9
4
0
8
.
るであろう。
いる。さしあたり、この政策は次の点でトルコを地中海
かねない
(7)Reiffers,1995.
BIBLIOGRAPHIE
割を果たすことがもはやできなくなってしまっている。
他にも、一時的と考えられている地中海非EU諸国に
■
一
−
の間の再分配という伝統的な役割を再び担うことになる。
E
s
w
a
r
a
n
M
.
&
K
o
t
w
a
l
A
.
,
1
9
9
3
,
E
x
p
o
r
t
Z
E
d
d
e
U
e
J
q
p
r
7
z
e
7
z
t
,
J
o
u
r
n
a
l
o
f
D
e
v
e
l
o
p
m
e
n
t
E
c
o
n
o
m
i
c
s
n
o
4
1
.
G
l
a
i
n
s
M
.
,
1
9
9
2
,
L
e
s
"
o
座
U
e
"
e
S
C
O
7
Z
d
"
O
7
Z
S
C
"
J
C
Z
C
O
"
α
"
γ
z
(
"
z
c
e
f
z
z
j
s
e
m
d
e
J
(
z
O
E
E
,
i
n
"
L
'
i
n
t
6
g
r
a
t
i
o
n
6
c
o
n
o
m
i
q
u
e
e
n
E
u
r
o
p
e
e
t
A
m
6
r
i
q
u
e
d
u
N
o
r
d
'
'
,
s
o
u
s
l
a
d
i
r
e
c
t
i
o
n
d
e
B
e
r
t
i
n
G
.
e
t
R
a
y
n
a
u
d
A
.
,
E
d
i
t
i
o
n
s
●
〃
C
l
6
m
e
n
t
J
u
g
l
a
r
.
G
u
i
l
l
a
u
m
o
n
t
P
.
,
1
9
9
4
,
P
b
"
加
型
e
d
'
o
"
ひ
e
"
z
"
、
e
e
t
c
r
o
i
s
s
a
r
z
c
e
@
c
o
J
Z
0
m
,
“
e
:
L
e
s
.
a
"
セ
t
s
d
e
l
a
c
m
i
s
s
a
7
z
c
e
e
t
註
〃
e
。この地域では事実上クロアチアとスロベニア
d
e
j
'
i
7
z
s
u
t
a
b
"
"
6
d
e
s
e
a
Z
p
o
7
オ
α
〃
o
7
z
S
,
R
e
v
e
n
u
e
がひとつ
のマルク圏に統合されており、これらの国とド
イッ、オ
ーストリア、北部EU諸国との貿易によってそ
の生産機構が再編成されている。セルビアも同じ方向で
生き延び
ることができるだろうが、長期的な平和力轆立
(
1
)
U
n
i
o
n
E
u
r
o
p
6
e
n
n
e
,
1
9
9
4
参
照
。
d
'
E
c
o
n
o
m
i
e
d
u
D
6
v
e
l
o
p
e
m
e
n
t
,
m
a
r
s
.
(
2
)
Y
a
m
a
z
a
w
a
,
1
9
9
4
.
H
e
r
z
o
g
C
.
&
L
a
f
a
y
G
.
,
1
9
8
9
,
C
b
7
7
z
F
7
z
e
γ
℃
e
i
n
t
e
F
7
z
(
z
(3)データあるいはより細かい分析について、特にP t
i
o
7
z
a
l
,
〃
伽
"
s
a
U
α
〃
t
(
z
g
e
s
a
C
q
z
j
j
s
,
C
E
P
n
,
MUEとEUとの貿易関係の強さとその進展に関して Economlca.
は
地
中
海
研
究
所
の
研
究
レ
ポ
ー
ト
を
参
照
せ
よ
(
T
e
b
o
u
l
, L
a
f
a
y
G
.
,
1
9
7
9
,
D
y
r
z
(
z
7
7
z
"
e
d
e
J
t
z
S
p
&
c
i
a
"
s
q
t
i
o
r
z
●
甲
されれば のことである。
これらの国々は、しかしながら、ここ何十年かの間Iこ
1
9
9
5
)
。
加
オ
g
"
α
加
凡
a
J
e
,
E
c
o
n
o
m
l
c
a
.
人的資本を蓄積してきたし、あるいは地中海地域の南側
および東側にたいしては伝統的に開放されていた。それ
(
4
)
国
ご
と
の
あ
る
い
は
部
門
ご
と
の
特
化
の
指
標
の
測
定
に L
a
n
g
h
a
m
m
e
r
R
.
J
.
,
1
9
9
2
,
T
W
i
e
d
e
u
e
Z
q
p
p
j
"
g
c
o
z
"
z
t
"
e
s
ゆえ、フランス.イタリアとトルコの中間の技術水準に
(
5
)
こ
れ
は
、
ス
エ
ズ
を
通
じ
て
ア
ジ
ア
と
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
を
結 ies,n.2,june.
ん
で
い
る
海
路
上
に
位
置
し
て
い
る
こ
と
に
よ
る
。
こ
こ
を L
l
o
y
d
P
.
L
.
,
1
9
9
2
,
R
6
j
o
凡
α
"
s
α
れ
O
I
Z
e
t
c
O
"
a
m
,
e
7
℃
e
コンテナ船がよく通過する。キプロスにとっては、 7
泌
o
"
d
j
a
l
,
R
e
v
e
n
u
e
E
c
o
n
o
m
i
q
u
e
d
e
l
'
0
C
D
E
,
n
.
1
8
,
む
し
ろ
、
そ
れ
ほ
ど
高
度
化
さ
れ
て
い
な
い
財
、
例
え
ば
家 printemps.
つ
い
て
は
T
e
b
o
u
l
,
1
9
9
5
を
参
照
せ
よ
。
あ
る
国
と
し
て
、
E
E
E
M
の
発
展
途
上
国
の
経
済
状
況
が
特
に
必
要としている水準の技術をひろめる役割を果たす能力を
持ってぃ る
。
このこ
とは、おそらく中央ヨーロッパ諸国、さらには
的には旧社会主義諸国の全体に当てはまる。地
中海諸国
に対するEU諸国の政策を中央ョ−ロツパある
電製品の再輸出が重要である。
より一般
α
"
d
7
n
e
g
i
o
7
z
a
"
s
7
7
z
,
j
o
u
r
n
a
l
o
f
O
o
m
m
o
n
M
a
r
m
e
t
S
t
u
d
●
(
6
)
地
中
海
地
域
の
二
国
間
の
経
常
収
支
お
よ
び
、
計
画
タ
イ
O
E
C
D
,
1
9
9
3
,
D
e
"
C
r
o
i
S
S
α
"
C
e
p
O
Z
J
S
e
e
p
a
7
、
j
e
s
−59−
■
−58−
一==ー一一毎.一一=‐
罫一一一F一画、。
、
=
−
−
0
6
C
/
Z
(
Z
7
Z
g
e
S
C
Z
Z
J
"
6
C
/
Z
I
Z
7
Z
g
e
S
P
O
U
S
S
6
S
P
(
Z
7
・
j
g
C
r
O
i
S
S
(
Z
7
Z
C
e
.
T
e
c
h
o
u
l
R
,
1
9
9
5
,
A
7
z
c
z
j
y
s
e
d
e
s
7
e
Z
(
z
t
Z
o
"
s
6
c
o
7
z
o
7
7
z
i
9
z
z
9
s
R
e
i
f
f
e
r
s
J
L
.
,
1
9
9
5
,
L
'
E
t
"
℃
M
n
g
/
D
r
e
6
,
Z
"
Z
e
C
O
7
Z
U
e
ア
弓
一
et伽α刀cibrese"MMteノァ[z"6eirapportde
g
e
7
Z
C
e
d
'
j
7
Z
t
@
r
f
t
S
,
Communicationau
A
n
n
e
X
c
l
:
E
v
o
l
u
l
i
o
n
d
c
l
a
p
a
r
(
d
c
s
d
i
l
W
r
e
i
l
t
s
g
r
o
u
P
e
s
d
C
・
p
a
y
S
d
a
n
S
l
a
p
o
l
)
1
1
1
a
l
i
o
n
e
l
l
c
P
I
B
〃
Porum
I0旧ldelaMedilCITan6c"
RecherchepourL'InstitutdelaM6diterran6e;
〃
EconomiquedelaM6diterran6e''Zonedelibre
M
a
r
s
e
i
l
l
e
,
I
n
s
t
i
t
u
t
d
e
l
a
M
6
d
i
t
e
r
r
a
n
n
6
e
.
6changeTunisie-UnionEurop6enne",Tunis,26-27
U
n
i
o
n
E
u
r
o
p
d
e
n
n
e
,
1
9
9
4
,
R
e
r
l
/
b
r
c
e
"
z
e
凡
オ
d
e
j
c
P
O
"
"
"
e
7
7
Z
"
t
e
m
Z
7
Z
6
e
"
"
e
d
e
j
'
U
>
Z
i
O
"
E
Z
J
r
O
p
b
e
r
m
e
・
・
6
t
(
z
6
"
s
s
e
m
e
"
t
d
'
z
"
z
p
p
"
t
e
7
z
(
z
r
i
(
z
r
e
z
"
℃
雌
d
"
e
r
/
r
m
6
e
"
,
〃
夕
avril.
〃
RobsonP.,1993,T7Ze7zeuノァセgjO7Zα"sma7zdtノte
deUelOppmgcoz"zt7・ies,JournalofCommonMarket
〃
C
o
m
m
u
n
i
c
a
t
i
o
n
d
e
l
a
C
o
m
m
i
s
s
i
o
n
a
u
C
o
n
s
e
i
l
e
t
a
u
Studies,n。3,September.
P
a
r
l
e
m
e
n
t
,
E
s
s
e
n
,
o
c
t
o
b
r
e
.
R
o
d
r
i
k
D
.
,
1
9
9
4
,
K
i
7
z
g
K
K
o
7
z
g
7
7
z
e
e
t
s
G
o
(
Z
z
j
"
α
f
t
h
e
U
n
i
o
n
e
u
r
o
p
6
e
n
n
e
,
1
9
9
5
,
D
7
"
Z
P
r
f
s
i
d
e
"
c
y
C
b
7
z
c
I
z
z
ク
W
o
7
Z
d
B
Q
7
z
た
a
7
z
d
r
/
Z
e
E
上
z
s
t
A
s
z
Q
7
z
M
i
m
c
J
e
,
C
E
P
R
, s
Z
o
"
,
C
a
n
n
e
s
,
2
6
2
7
j
u
n
e
.
DiscussionPaperno994,april.
Y
a
m
a
z
a
w
a
1
.
,
1
9
9
4
,
E
d
a
n
g
e
s
e
t
i
n
v
e
s
t
i
s
s
e
m
e
n
t
s
d
a
n
s
R
o
l
l
e
t
P
.
,
1
9
9
0
,
節
を
c
i
α
"
s
α
加
刀
i
"
t
e
ノ
7
Z
q
"
O
7
Z
(
Z
J
e
e
t l
a
z
o
n
e
A
s
i
e
P
a
c
i
f
i
q
u
e
;
E
c
o
n
o
m
i
e
l
n
t
e
r
n
a
t
i
o
n
a
l
e
'
加
蝿
m
t
Z
o
7
z
e
z
"
・
q
p
6
e
7
z
7
z
e
,
E
c
o
n
o
m
i
c
a
.
n。57
S
a
u
t
t
e
r
C
h
.
,
1
9
9
4
,
L
e
s
p
7
t
c
e
p
t
e
s
血
必
U
e
Z
Q
p
p
e
m
e
"
t
Q
s
j
a
吻
迦
e
,
E
c
o
n
o
m
i
e
I
n
t
e
r
n
a
t
i
o
n
a
l
e
,
n
。
5
7
訳/香内力
一一
=
−
−
−−
一
伝藏励玩励』一一一‐−−− ‐
︾餌
一
一
■ⅡI凸UHHIIⅡⅡ6■11日ⅡⅡOD01■1914﹃
一
− − −
ー
。
−
一 一 寺 二
一
●
一一二一一
__一一■■一
_ ■ _ - D 一
−61−
−60−
=ー可司
‐
−
ー =
、
一一
ー‐
‐ー‐
一.一‐雫一一∼‐高弓壼声一・
I
︾ごCコユ①含℃やい︶.。
“ 唾 1 画 I 4 I T I 6
。 I 1
=
琴3
0
け0。●一
了8●■EII
08
可滋
、
、
1
1
、
O I T O
C
;
1⑫
48
8
p
mI魂
Z4
’
聖
C l . … 6
’。
11
1=!43万
|、、渥’
−
雪1s
−
函1了014コき
−
・一一一・.ー
1,画
28”
|
蟇
ト
逗47
110
−
1s猛
11
■lB8U︽■■
︾
5了廻77
l
︾一
竺
竺
1
1
I
l
堅型
i
…
’
0
1
1
{
凸U0Ged■■巳
’’0011111111112
03日l■09111●09619I
鋒
1”1
#
蕊
鞍
寸垂
19記
も
1…
鴬
抄
IIJ
1零
ー り
鍛嬢鰯篭謬溌鶴篭織鯵癖鰯罪鋸譲溌
1”8
;
可舞7
蕊蕊黛鐡餌蕊
?…
需瞬溌罐麗嬢溶環謬霧露蕊審舞琴淫識鑑鰯羅灘嬬
T率
蟻蕊埣鍵琴
戸円珂ロ
擢譲繧建鐙
滋翠筆拝謹
1零
驚
鍔工
寒
匡《
蒋
溌瀧職、裁識
悪
巻蕊︾鐵謹
蕊
露
3
8■宮口・も■宮口■■■●。o●■▼●■。▲▽■巾車■。△■v口▽■■ロ■ロ■0,■■■▽。
−,●,11●ii・・・・。●・入。.・・・!・・・︲一午軸.︲・・ふ.!“11︲,一・1.1釦iiII−.
Jd9.0■02Ⅱ■▲g△日日?■Pl08D◆。。●︸●凸
I
シ言扁〆③弾○﹃侭言①典勢昌三ざ二号毒迂①富ユいく①ざ雲滿ヨ⑳昌呂×ご妙謂gか島急電雲局①易.
凸■■台■■0日
1,画I
︾呼呼︾“︾砿︽
唖
唖
了
1
1
1
1
I
の妙z写姥I“た<azm"ず土〃
一
。。
垂 1
一
o
唾壷垂蚕
壷11童包、
S垂
6庭I
0
理塞ゞ一
,"0f9,51"
3聖
■
|…
…1,,sl…i酒'3s,│,唾41…!zTz。
i
g粟
司
︶!.︾
画函︾
垂“壷
率躯面
牽郵塞
郵郵恥
●
●
”1イ
−
謹
Wmp
331両
1“1;=窪
0
0
…
ヨ
壷 I ガ ゴ 恋
主裳勇
垂
j
z
a
s
"
│
…
3
1畢 i … | =
!…│"zzi…:… ’
I…‘“21↑乖’
哩
甘涯48
1
率
。
函唖詞
雲
尋
刃早邑■■Qザ
雪
■■■■Pb今﹂
1
7
0■■且■FGGa
理
電氾
jBI80il
岬一画
︽:癖
小一蜘一;畢
。:。,‘‘ゞ‘!。’。’
B
8
“l’飢
二
]
二
異
F
壽
円
二
罫
函 諏 I 垂
8 # 。
“
“
l Z
Z I
l D
。!“
=
11︾垂
が一︲’刺
一。l︾
“一韮
一
癖閏ウ01昶電I理17
…
。
=
… 1 …
Z 1 塁 : …
,
…
!
、
105
… I 8 曇 6
S一
諏・1蛇911…
Hg
S
。l。1"1,"l。i。ssl
ol。l""i、,;。l=│
f1画I“
4釦
呼一
…
1421璽唾【
メ
雪︲l咽
”
…
1
e
#
Z18
、
7
コ
1
4,elo=!"!
”
,zi=
唾一睡
3
⑮
1
。
礎
一:J
3両
8
元
77『S:28蚕7
… I
1
蚕I’156ざ
U
評
ロ7
‘幻
函了
了
S7Ds8IDJ
:
z1。12zlz;。
蕗 7 1 滝
ST4
1 = “ I …
孝
二
舅
二
二
舅
⑥
1雲
1⑥
。 ’ 、
蕪
宛
O
O 』 4
$
0
。l,1_,
1
海 1 1
9
壁 画
31程
。,oloi
ololo
。
2 4 函 ; … §
I
③
4
⑨
牽 3
’
、
0
塁制
g
。
■−5口●
陣︾
6
:
I率
6
︾一
11の函−1
|雲『4”
e,;_zl,│"1㎡"i…}毒‘
…
⑥ I ロ
…
zHq
壼信予言
1eIBI
。l。l"l。i。
盛 I S f
“
1“I79
笥逗
⑧ 2 。 『 Z
⑨
=フ
s . Z
3
I
M
51
麺
●巳、●
|小
f=『…
1
ロ ” 1 重 1 … I ”
垂1
ロ加I8“,ssI”al”』−|勾麺l"i=,3
垂112“ロア
7131"=4
芯
:
勇
二
薑
j
唖一睡
函
…
8
=
⑥二
!
二
… 『 Z
10i、
▲■令■■Q5p
…
婚却
1
U
31
ls"
ざ
0
0 1 ・ 廻 麺 I “ 鯛
I
SflO7
'1
画 i 聖 。 =
置
S
●
lZ,
F 0
1
垂 I 2 4
8
アニコ奥。凶ごpsooユ男のggm隅g−3ご畠唾昌登一言弓呂恩呂営琶o巳ご国史画くg−E・里冨号
9
一睡一
﹀7
|
。l"うび錘431
1
…
= I @
⑨
垂 I =
…
’
︾一・封一
s4│。│"12。,1,=:,"
3
j
I
:
』
丑 …
S
︽
②
函
…
“ I ー
一
8
9
一
一
’
﹄
=置堂筐
一 口
ー
陸
角
一
!一
I
’
一 ノ
ー
|
’
|
’
一
●特集/第五回日仏経済学会議「経済的地域主義:ヨーロッパとアジア」(その1)
一
れた。
図2ハイテク製品の輸出(1971∼90)
6−4−2−
(
%
)
(
%
)
欧州市場統合と産業政策の転換
法政大学長部重康
30
アメリカ
介入主義に彩られてきた。それはフランス、イタリアな
どのデイリジスム(国家指導主義)の伝統を誇るラテン
系諸国にとどまらない。古典派経済学の祖国イギリスに
おいても、ケインズ主義の影響下に大規模な国有化や計
フランス
第1章ネオ.リベラリズムの産業政策への転換
国際競争力の育成も始まった。とりわけ広大な裾野産業
を有する自動車や、先端産業の中核となったエレクトロ
第1節産業政策から市場統合へ
EUにおいてもダヴイニオン副委員長が1984年にESP
ク以降、ヨーロッパは日、米に比較して、経済パフォー
RIT計画(情報技術開発戦略計画)を始動させ、これ
マンスや国際競争力の面でいちじるしく実力を低下させ
まで非関税障壁で細分化されてきた欧州市場を飛び越し
(図1)、「ユーロペシミズム」に苦しんだ。このペシミ
てアメリカ、アジアの巨大市場への進出につとめてきた
ズムからの脱却を目指して、EUの域内各国は多かれ少
欧州企業の相互間に、初の研究開発協力を促す契機となっ
なかれ介入主義的な産業政策の立案を試みたが、これに
た。1990年には292大企業、386中小企業、184大学、109
つづいて欧州委員会も80年代半ば以降、EU規模での産
業政策の策定を開始した。
研究機関が参加し、エレクトロニクス、テレコム、新素
材、バイオ、環境などの分野で495のプロジェクトが進
この介入主義的産業政策には、2つの姿をとった。す
なわち第1は、石炭、鉄鋼、造船、繊維などの斜陽産業
められてきた。その後EUは多数の研究開発計画を開始
し、1983∼89年には総計920プロジェクトに達した
を対象とする合理化政策である。当初は補助金拡大や輸
入制限といった各国による保護措置が主流であったが、
生産過剰と競争の歪みが深刻化するにつれ欧州委員会が
乗り出した。そして生産削減をも含む合理政策の採用に
踏み切り、国家援助みに対する厳しい規制がおこなわれ
(表1)。
るにいたった。
第2に、こうした後ろ向きの政策を越えた、積極的な
図1ECの枠組計画の予算配分(1987∼98)
4.0
3.5
3.0
|
2.5
’
2.0
1971737577798183858789
ハイテク製」W!の貿勤輸出/愉入の比率
1971737577798183858789
こうした研究開発計画の増大にともない、重複投資の
回避と「全般的な戦略的立場」からの調整との必要から、
たサッチャー首相でさえ、情報技術産業の研究開発は戦
世界卿IIにおける主要国の比率
〔
出
所
)
O
E
C
D
(
F
y
,
'
'
'
、
'
'
'
;
"
J
a
n
,
9
3
,
p
、
2
1
)
略的重要性をもつ、として膨大な国家予算を投じ、従来
れていなかったのだが、SEAにおいてはじめてEUの
以上に強力な英国企業支援策を遂行したのである。
活動領域として正式に認知された。すなわち「共同体の
それどころか、この指針の立案者、バンゲマン副委員
目的は、欧州産業の科学技術的基盤を強化し、国際的水
長の指摘するところでは、自由貿易派の代表とみなされ
準でより競争力を高めるよう助成することである」(第1
ているドイツにおいてさえ、「産業政策に関する理論と
30F条)とされたのである。これを受けてEU予算にお
実際との間には、他のどの国にも劣らぬ完全な不一致が
ける研究開発支出の比率も、1988∼92年に26%から3.9
存在している」。西ドイツの戦後復興が市場経済への完
%へと拡大した。その後7カ年の中期財政計画(いわゆ
壁な結合なしには不可能であった事情から、産業政策を
るドロール・パッケージⅡ)において、欧州産業の競争
口にするのはタブーとなった。だが実際には、そうとは
力強化をはかるべく、90年代末までに5%に引き上げる
ことが決まり、いまや農業と地域開発とにつぐ第3の支
出項目に躍り出るにいたった。
明示せずに、連邦ととくに州段階とで、積極的政策が採
用されてきた。「考えられうる産業政策のなかで最悪な
のは、ひとが口を拭って推しすすめているものである。
あらたな政策スタンスは、この戦後ヨーロッパに深く
第2節産業政策のガイドライン
EUは1990年11月に「産業政策のガイドライン」を採
染み込んだ部門別介入主義からの脱却をめざそう、とい
すでに84年には「枠組事業計画」(FramewarkPro-
択した。これはEU成立以来一貫して介入主義によって
gramme」とよばれる5カ年の中期計画が策定きれ、現
主導されてきた伝統的産業政策からの、180度の転換を
ガイドラインは、競争力の強化を狙っている。競争力
在95∼98年の第3次計画が実施中である(図2)。
域内各国はこの研究開発の欧州協力を弾みにして、
いみするものに他ならない。
正式な名称は「開かれた競争的環境における産業政策一
とは「大規模なグローバルな挑戦へ、とくに世界の主要
「92年末市場統合」に取り組むことになり、1986年に単
一欧州議定書(SEA)が結ばれた。非関税障壁を取り
除き、欧州大市場を誕生させようとものであり、予定通
共同体のアプローチのためのガイドライン」(Industrial
p
o
l
i
c
y
i
n
a
n
。
p
e
n
a
n
d
c
o
m
p
e
t
i
t
i
v
e
e
n
v
i
r
o
n
m
e
n
t
-
てますます左右される」ようになった。それゆえ一方
G
u
i
d
e
l
i
n
e
s
f
o
r
a
C
o
m
m
u
n
i
t
y
a
p
p
r
o
a
c
h
)
で
あ
る
が
、
産業政策担当委員バンケマンが策定にあたったため、バ
ンケマン.レポートとも呼ばれる。かれはEC入りする
きだ」ということになるが、他方では、「行政当局の役
産業政策や科学技術政策は従来ローマ条約では規定ざ
1.5
表1欧州の技術開発計画の個別研究数(1983∼89)
1.0
一
叶 直
0.5
バイオ技術
燗報技術
一一一一㈹伽犯的心
BRIDGE
ー 学
0.0
画化がすすめられた。その後民営化と規制緩和の旗を振っ
いささか偽善の匂いがする」。
り93年1月から実施の運びとなった。
BAP
BRITE
4 1 5 0く
EURAM
ESPRIT
RACE
E(JREKA
躍
劉
1
9
8
7
・
9
1
m
1
9
9
0
・
9
4
E
.
'
的
5
.
9
8
0
−1−,,、│,、,..'''.'.'.,,01
ニクスにおいては、主要国が力をそそいでいる。
オイルショック、とくに1979∼8岬の第2次オイルショッ
戦後ヨーロッパにおける産業政策は、多かれ少なかれ
動
ALL
(%)
〔
川
所
〕
E
C
.
S
で
応
"
“
。
”
ィ
嘩
加
ひ
j
噸
y
加
戯
"
”
2
,
1
9
9
2
他
ょ
I
)
作
1
度
−
折素材
個別研究
その他
合肘一
一
33
89
:
67
│
)
_
4
0
0
47
24
180
(
2
0
)
59
(
6
)
〔
出
所
]
M
E
R
I
T
C
A
T
I
:
H
a
g
e
d
o
o
r
n
9
3
,
p
.
3
7
6
−64−
2
8
イ
O
2
0
u型
前にはドイツの連邦経済相をつとめ、強固な自由貿易論
者で自由民主党のリーダーであった。
EUの産業政策の基本的なスタンスは、「開かれた競
う点にある。
なパートナーとの競争へ、立ち向かいうる能力にによっ
では、「産業競争力の主たる責任は、企業自身にあるべ
割は、なによりも技術革新のための触媒役と開拓者とに
ある」とされる。公権力は従って、「産業の、とくに科
学技術の、長期的な枠組を準備しなければならない」。
それによって「市場の諸力による最適資源配分が強化さ
れ、構造調整が早まる」からである。
争的環境」の整備をつうじて、産業の競争力を強化する
点にある、とされた。そして産業部門別アプローチは
「必然的に構造調整を遅れさせる危険をともない、それ
るよう提言した。
ゆえ将来雇用喪失を生じさせる」として、明確に退けら
競争的市場のなかで、産業の変化に対する絶えざる対応
ガイドラインは「結論」として、以下の行動を採用す
まず理事会に対して一「EUの産業政策は、開かれた
−65−
’
1
|
量
を促進するものでなければならない」としたうえで、自
福利厚生費の圧縮など、従来タブー視されてきた点にま
性と部品、コンピュータ、家電、通信などの主要部門の
トレーニングスタッフや、コンピュータ支援の通信機器・
由貿易、市場競争、企業イニシアティブ、地域・部門別
で踏み込んだ改革をすすめなければ、欧州の競争力改善
特性が分析され、日米に対する欧州の劣位がしめされる。
サービスを使用し販売する企業の生産・経営スタッフな
産業等に関する部門を越えた「水平措置」を採用すべき
は不可能だ、との厳しい認識が背景にある。
ついで第2部「国際的コンテキスト」では、この欧州電
どの養成である。
である。
第2に、先端産業の育成を、初のEUによる大型公共
子産業の劣位をもたらした要因が、主として米、日との
④域外関係一通商政策力瀧争力の向上に資すべきであ
つぎにEUと加盟国とに対して−以下の3点を求める。
投資によって実現しようとねらった点である。この欧州
比較を中心に需給構造、情報技術と電子メーカー間の水
る。ウルグアイ・ラウンドの多国間交渉で、満足ゆく結
①「資本集約投資に大きく影響する補助金規制」をつ
規模でのインフラ投資は、21世紀までに総額6千億EC
平統合の欠如、「前競争段階」での研究開発(R&D)
論を期待する。公正な競争条件と域外国市場へのアクセ
Uにのぼろうというものであり、これにより雇用創出と
費の乏しさ、政府の介入がもたらす競争条件の不平等な
スとの確保につとめる。必要とあれば、2国間措置や、
競争力向上との同時実現をめざす。
どの各側面から考察される。
関税規制、通商上の手段に訴える。また国際協力プログ
うじる「域内市場の機能改善」。
②国際投資の促進、不公正貿易の監視、国際協力、競
争国の市場開放などにより、世界市場の機能改善をはか
そして終章の「共同体のアプローチ」において、問題
「欧州横断ネットワーク」(TNP-TransEuropean
ラムを開始する。
③マクロ経済の枠組維持、緊急開発努力、中小企業重
ルギー輸送、通信の3つの分野を含み、西欧のみならず
解決のためにはEUならびに域内諸国が以下の整合的な
政策パッケージを採用すべきだ、と提言される。すなわ
視、低開発地域の引き上げ、環境保護、人的資源の開発、
汎欧ネットワークの構築などにより、「民間のイニシア
ティブと投資とに好ましい環境建設をめざす、積極的調
中東欧(とくにエネルギー向け)や北アフリカの近隣諸
ち冒頭で、競争力の回復にたぃする企業のイニシアチブ
導入時のエレクトロニクス開発の組み込み、とくに中小
国とも接続をはかる。計画の当事者は域内政府だが、E
の重要性が、こう強調される。「エレクトロニクス.情
企業など関係者のあいだでの対話の拡大、などである。
整政策を追求する」。
クトの調整にあたり、フィジビリテイースタデイーを実
ガイドラインに沿って、91年には電子、バイオ、繊佳.
衣服、自動車、テレコム、宇宙航空、環境などの各分野
施する。だが各国の財政難から、いまだ大型予算への合
る。
Network)とよばれるこのインフラ建設は、運輸、エネ
別政策コミュニケがつぎつぎと発表された。
報産業の競争力回復のために採られるべき措置は、企業
自身がイニシアティブを発揮して自己の責任をはたすか
否かに、..また単一欧州市場のもたらす新たなチャンス
を最大限利用し得るか否かに、かかっている」。それゆ
え、「補完性原則(subsidiarity)を適用しつつ、電子
産業への好ましい環境整備を助けることが、ECと加盟
Uは触媒役として全体の基本計画の採択や各国プロジェ
意は成っていない。
1995年2月には卿ト│委員会がホスト役となり、ブリュッ
セルで情報化社会をテーマにG7の閣僚会議が開かれた。
第3節競争力強化の産業政策
題点などが討議されたが、同時に途上国における情報社
へ
向
か
う
挑
戦
と
方
法
」
(
G
r
o
u
w
t
h
,
c
o
m
p
e
t
i
t
i
v
n
e
s
s
,
会実現への援助が約束された。
包括的規制の枠組や情報ネットワーク、社会的文化的問
第2章エレクトロニクスをめぐる攻防
事会はこれにもとづき、12月のブリュッセル・サミット
においてEU経済再生のための短中期戦略を採択し、さ
第1節エレクトロニクス・コミュニケ
らに94年12月のエツセン・サミットにおいて、行動計画
を策定した。
この中期戦略は自由主義のガイドラインに沿ったもの
だが、91年以降ヨーロッパの不況入りに伴ってふたたび
増大に転じた失業問題の解決が課題になった点に特色が
ある。21世紀までに1500万人の雇用を創出するため成長
を高める必要があり、それを可能にする欧州産業の国際
競争力の引き上げに取り組まなければならないとされた。
「産業政策のガイドライン」にそって、91年には矢継
ぎ早に各産業部門別の政策コミュニケが発表きれたこと
はすでに指摘した。なかでもエレクトロニクス・コミュ
抑制、労働の柔軟化(規制の緩和)、企業内労働再編、
フランスの自由主義的理論月刊誌、FzJrz"・jbZesは1991
年12月号で欧州エレクトロニクスの特集を組んだ。前節
のEUコミュニケを多くの図表を含めて掲載し、それに
対する2人の専門家によるコメントをのせている。
1)公的セクターの強調
第1は、コンピュータのインターコネクション技術の
調整を助けるために以下の5つの行動を採用するよう、
開発会社、SPGA社長ドウートウルモンの批判である。
提言する。
かつてECに勤務し、RACE計画(軍事通信)の立案
①需要一行政当局間のコンピュータ化された通信網の
に当ったことがある。政府、民間を通じて国際協力事業
早急な構築と、情報システムの相互操作性の達成。コン
ピュータ化された電気通信機器の助けによる、遠距離学
習、運輸、公衆衛生、環境の分野でのインフラの近代化、
ないしあらたな創出。汎欧高品位テレビ.サービスの開
に経験が深い。以下にかれのコメントのポイントを紹介
発
。
んど変わっていないことがわかる。この間EUでおこな
しよう。
日、米に比して、欧州市場の細分化はいちじるしい。
こうした構造的弱点を分析すると、事態は10年前とほと
②技術一研究開発の第2世代の開始。前競争的段階の
われたESPRIT等の巨大プロジェクトは、結局失敗に
ニケは、部門別の最初の適用例であっただけではなく、
計画からより市場に密接な計画までを含む。目標を絞り、
終わったことはあきらかである。欧州委員会はケームの
先端部門の中核産業を対象としていることから、注引二
野心的な目的を掲げ、ユーザーとの間に密接な協力関係
を保ち、より高度な研究に結びつく訓練の機会を提供し、
国際協力に途を開くものとする。ソフトウエアー、コン
ピュータ支援の工作機械、マイクロ・エレクトロニクス、
規則が変わったとし、今後は「天は自ら助けるものを、
値しよう。
このコミュニケは「欧州エレクトロニクス。情報技術
産業一ゲームの状態、賭けられた問題、行動のための提
この戦略の特色は、以下の2点にある。すなわち第1 言
」と題され、「ヨーロッパ電子産業が欧州市場と世界
に、ヨーロッパが戦後一貫して追求してきた福祉国家の
市場とにおいて、より競争力を高める」よう促すことが
根幹に、はじめて切り込もうとしたことである。賃上げ
第2節EUエレクトロニクス政策への批判
コミュニケはこうして、世界市場をめざす企業の構造
e
m
p
l
o
y
m
e
n
t
:
t
h
e
c
h
a
l
l
a
n
g
e
s
a
n
d
w
a
y
s
f
o
r
w
a
r
d
i
n
t
o
the21stcentury)と題する白書が発表された。欧州理
(ハードとソフト)規格の統合、構造政策(地域開発)
国政府との役目である」。公的資金を投じる部門別産業
政策が、ここに明確に否定された。
ここではプライバシーや個人情報、競争政策などを含む
1993年11月に欧州連合(EU)発足した。これを受け
て12月に欧州委員会から「成長、競争力、雇用-21世紀
⑤企業環境一融資制度の改善、規格化の加速、製品
その周辺機器、スーパー・コンピュータ、通信などが対
象
と
な
る
。
③職業訓練一多面的な訓練のスピードアップ。対象は、
目的だ、としている。
助く」を原則にすべきだという。公権力の役割は、企業
に対する明確で予測可能な見通しと環境との提供に留め
るべきだ、と委員会は主張する。
だが「電子情報産業の変貌をうながす、他の決定的局
面のカギを握っている」のは公権力なのである。通信規
制、公共調達、また公共サービス用コンピュータ開発な
まず第1部「欧州産業の現状」では、電子産業の重要
−67−
−66
’
−−−−−−−‐--マーーデーーー輯一手や奇声寺==ー=ニー言一一==ーー・声ローーーー’ーー
b
どの欧州委員会が言及している分野以外にも、企業では
化の決定的要件であったことがわかる。
言へ。「これは公共調達ではなく、主としてスペックの
たと答えたうえで、問題は、「エレクトロニクスにおけ
確立とモデル計画との問題であるから、この段階では欧
るく競争的市場>とは、何か」だとする。
なく公共部門が主導する領域が存在している。たとえば、
軍事研究の比重は下がり、政府補助金も低下傾向にあ
EU全域での政府間協力方式を作成したり、共同テレマ
る。エアバス型の大規模計画は航空機製造という特殊な
テイック(ビデオテックス)実施のためにスペックを統
性格をもつ市場にしか適合しない。こうして「エレクト
②技術面一「第2世代の研究開発の開始」の提言へ。
一したり、共同購入の基準や手順を採用したりすること
ロニクス産業の発展において国家がはたしうる唯一可能
「計画決定から資金支出まで、現在2∼3年かかる。こ
媒」だとされた。「だがこれは、すばらしき自由主義、
である。
な役割は、欧州企業力競争的環境のなかで事業を遂行で
の過程を短縮すべきである」。
という天使の世界のはなしである」。実際には、「エレク
ドゥートウルモンは、こうしてレッセフェールの政策
きるようにすることである」。人的資源の育成や資本コ
トロニクス、コンピュータ、通信などは、本質的に国家、
スタンスを批判し、政府のはたす独自な役割を強調した。
スト大幅引下げ、共同研究の援助、研究・企業間の良好
作動法則に従わねばならず、戦略的な集団的選択を含ま
州系企業が優先さるべきである」。
90年11月の「産業政策のガイドライン」では、行政の
役割が、「競争的」市場に必要な諸条件をうみだす「蝕
2)自由主義の不徹底
ある。高品位テレビをめぐる論争が示すように、ハード
もう1人の批判者、仏計画庁付属予測国際情報センター、
のメーカー、ソフトの制作者、消費者の間で利害が複雑
フカン産業構造部長は、これとはまったく逆の自由主義
に絡みあう。こうした現状においては、欧州委員会が勝
③職業訓練一「多面的な訓練」の提言へ。「欧州には
リーダー的なユーザーが決定的に欠けている。..、コン
ピュータの可能性を最大限利用するように、欧州市場の
全般的発展を促すしステム専門家等を養成すべきだ」。
④域外関係一「公正な競争条件と域外市場へのアクセ
ス」の提言へ。「委員会はより厳しい姿勢を取るべきで
の立場から、委員会の報告は、あやまった現状認識に基
利戦略をたてうる能力はない。結局「欧州のエレクトロ
あり、今日、日米間でおこなわれているのと同様な2カ
ねばならない」。「こうした指示に従わぬかぎり、すでに
づいていると批判する。
ニクスメーカーが頼れるのは、自分だけであろう」。
国間協議の開始にも跨踏すべきではない。...ただ半導
体への輸入高関税や、メモリーへの敷居価格導入には反
対であり、むしろJESSI計画型の積極的行動や、メー
始まっており、かつダヴイニオン子爵が1983年にES-
カー・ユーザー間の垂直協力が好ましい」。
⑤企業環境一「米、とくに日の企業に比べて、賃金コ
ストや労働時間の面で、欧州の企業環境は厳しい。多国
きない」。だが、「まだ遅すぎはしない。欠けているのは、
な関係拡大、規制の明断化と実効化等が長期的な政策で
まず最初に、現状分析は不十分だとする。第1に、E
Uコミュニケは、電子情報産業が「新技術の伝播をつう
じて1国のインフラストラクチャーを形成する」と主張
Futuribles誌は、この91年12月号の特集に引き続き、
するが、橋や、道路、鉄道と違い、これらの産業は国土
92年2月号で欧州エレクトロニクスに関する3つの論稿
立地の制約からは一切自由である。また製品面でも、投
を掲載し、「フォーラム」と銘打った。このうち「EU
資面でも、すべての産業のなかでもっとも国際化してい
産業政策の豹変」にもっとも激しい批判を叩きつけたの
るといえる。
3)激しい保護主義の主張
は、ある仏電子工業グループ会長ブイエによる「欧州電
第2に、「生産組織の競争力、という点で重要な役割
を演じる」との判断を下している。これは、各国が強力
な電子産業を持たねばならぬとの主張に聞こえるが、そ
れは誤りである。競争力強化の条件とは、ユーザーがエ
レクトロニクス製品を自ら作ったり、国内メーカーから
高
い
も
の
を
買
う
こ
と
で
充
た
さ
れ
る
の
で
は
な
い
。
逆
に
、
ど
こ
か
ら
で
も
安
く
買
う
こ
と
が
可
能
な
こ
と
で
あ
る
、
と
著
者
は
主
張
す
る
。
事
実
、
欧
州
の
半
導
体
価
格
は
、
日
、
米
よ
り
3
∼
40%も高い。
コ
ミ
ュ
ニ
ケ
で
は
日
本
市
場
の
閉
鎖
性
が
説
か
れ
て
い
る
が
、
欧
州
メ
ー
カ
ー
が
域
内
市
場
の
需
要
を
満
足
さ
せ
ら
れ
な
い
で
い
る
と
き
、
ど
う
し
て
遠
い
外
国
市
場
で
成
功
で
き
よ
う
か
、
と
か
れ
は
E
U
に
残
る
保
護
主
義
体
質
を
鋭
く
批
判
す
る
。
欧
州
委
員
会
に
よ
る
日
、
米
の
分
析
は
、
表
面
的
に
す
ぎ
る
の
で
あ
る
。
日
、
米
で
は
、
7
0
年
代
、
8
0
年
代
を
と
お
し
て
、
国
内
メ
ー
カ
ー
間
で
厳
し
い
競
争
が
展
開
さ
れ
、
メ
ー
カ
ー
相
互
間
の
浮
沈
は
激
し
か
っ
た
。
研
究
開
発
努
力
と
な
ら
ん
で
、
生
産
ノ
ウ
ハ
ウ
と
製
品
、
生
産
プ
ロ
セ
ス
と
に
関
す
る
絶
え
間
な
い
改
善
こ
を
が
、
競
争
力
強
子産業一ヨーロッパの至上命令」と題する論文であり、
これは企業の年次活動報告の一部であった。
かれは、「エレクトロニクス・情報産業と、またわず
か数年のあいだにコストの25%をエレクトロニクスが占
めるにいたった自動車産業とにおいて、ほとんどの企業
がくユーロ虐殺>に倒れる寸前である。...この戦いに
目をそらしてはならない」と呼びかける。そして「欧州
大市場の建設を急いで成就させねばならない。ただしあ
らたな規制緩和は、すべて優先的にヨーロッパ人の利益
に資するように準備されねばならない」。こう激しい保
護主義措置の採用を主張するのである。
またフランス第1のコンピュータ.メーカーであるブ
ル社のロレンツ会長が寄稿した論文は、保護主義的基調
には変わりがないものの、これよりずつと穏やかな表現
が使われている。「エレクトロニクス‘コミュニケ」の
5つの提言に対しては、具体的に以下のコメントを加え
ている。
研究機関、産業間の強力な相互作用によって生まれたも
のである。とくにアメリカではそうであり、日本でも
MITIの役割が大きく、.、韓国でも同様であった」。
それゆえ「産業政策とは、世界産業システムの具体的
PRITを始動させてその回避を願った、われわれのエレ
クトロニクス産業のゆるやかな死を止めさせることはで
明確な方向性を定めて、すばらしい潜在能力を動員する
政治的意思を、すなわち世界の産業界の現実を認識した、
籍企業の経営への従業員代表等の社会面での拘束を強め
る
指
令
は
避
け
る
べ
き
だ
」
。
総局(研究)のおこなったこの提言を超えて、エレクト
このほか、欧州企業の資格付与は「EC資本が過半数
ロニクス時代が始まる21世紀の産業ヨーロッパの建設の
ひとつの意思なのである」。そして結論として、「第13
以上のぱあいに限るべきだ」とし、また、日、米の輸入
開放度の大きな格差からして、「ECにおける競争入札
のばあいは、市場開放の均衡達成までの過渡期の措置と
し
て
.
.
.
、
欧
州
企
業
に
優
先
権
が
与
え
ら
れ
る
べ
き
で
あ
る
」
。
このように、欧州保護の主張を明確にしている。
ために結集しよう」と呼びかけている。
この批判に答えてフカン次長は、「国家(あるいは欧
州諸国家)の積極的介入を正当化する基準は何か」を問
いたい、として自分は以下の2つのぱあいに限られると
考える、と主張した。すなわち第1に、「独占が存在す
るぱあいであるが、たとえば家電ではどうだろう。わた
4)介入主義をめぐる論争
しくしの応えは、否である」。そして、日本の6大企業、
最後に、介入主義の視点に立ったアンベール教授によ
る先のフルカン報告への批判と、それへの返答とを紹介
欧州2企業、韓国3企業と台湾、さらに将来には中国の
企業が、ひしめきあっている、と続ける。
し
よ
う
。
第2に、「市場参入のために必要な投資規模が巨額に
アンベール教授も「政府の責任者が、余りにしばしば
ス
タ
ー
リ
ン
主
義
的
解
決
を
夢
見
て
い
る
の
は
事
実
だ
」
と
認
め
る
。
だ
が
、
「
と
く
に
フ
ラ
ン
ス
に
お
い
て
は
、
時
を
わ
き
ま
え
ぬ
介
入
の
試
み
が
い
く
つ
か
み
ら
れ
た
こ
と
が
事
実
に
せ
よ
、
過
去
1
5
年
に
わ
た
り
、
フ
ラ
ン
ス
や
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
の
政
府
が
く
市
場
の競争的ケーム>を抑えつけようとしたことがあっただ
ろ
う
か
」
と
自
問
す
る
。
そ
し
て
、
そ
の
よ
う
な
事
実
は
は
な
か
つ
のぼるぱあいであるが、.、航空機製造、鉄道、電気通信
と違い、..半導体はそうとは言えない。」1例として、
かれは独Siemnsの例を挙げる。「次世代超集積メモリー
のキー分野での遅れを取り戻せたにもかかうわらず、同
社会長によれば、欧州での生産を維持する手段がないと
いう」。問題は資金ではない、というのである。
そのうえで、高品位テレビ(HDTV)の欧州規格であ
①需要面一「情報システムの相互操作性の達成」の提
−69−
−68−
睦
一
ヨーーーー■■−−=
一 = ・ =
一
一
「
産一一一一一、一一=△_
I
るD2Macの懸念される状態が指摘される。「第1段階
な生活水準と社会保障とを持ち、かつ市場を全般的に開
おいては、将来ヨーロッパが関税障壁ないし、反ダンピ
階に整理して、その呼称を近隣欧州諸国と等しくする」
が目標基準の決定だが、それにつづき、有効な協調行動
放しているヨーロッパに対しては均衡を欠いており、し
ング措置を行使することにより十分の保護をおこない、
というのである。その理由は、理工系の資格がアメリカ
の方式が決定されねばならない。」だが企業間の協調行
ばしば不正である」。
かつ機敏な意思決定を下しうるようにせねばならない」
では4種、ドイツでは5種であるのに、フランスでは16
と、明確な保護主義の採用を主張する。
種の多くにのぼっているからである。これを受けて91年
動がなければ「公的な行動の信頼性が失われ、公的資金
が浪費され、公的介入の正当性は失われる。」そして
部品部門一「日本の支配は、短期間にヨーロッパの半
第2に、部品産業では、「欧州再構築と大西洋間協力
の秋以降、フランスでは大学ジュニア過程の改革がはじ
とが至上命令だ」と躯い、明確に日本外しを宣言した点
まった。だがこれを産学共同路線の強化と批判する学生
導体産業の完全な消滅をうながす危険がある」。
以下のように結論づける。「企業が介入の必要性を明確
に支持する時にしか、国家は介入すべきではない。その
日の業者が参入しているヨーロッパにおいて、とくに厳
に注目される。
の反対運動が激化した経緯があり、その実現は容易では
際、他の産業資金を減らす、というコストがかかってい
しい。...しかも欧州産の製品は技術的に支配されてい
る
。
」
「
欧
州
3
大
メ
ー
カ
ー
、
P
h
i
l
i
p
s
、
S
i
e
m
e
n
s
、
S
G
S
Thomsonがそれぞれ孤立していては、各企業ともに未
来はない。技術と製品とをより早く入手して規模の経済
アメリカ企
の利益を受けるには、欧州の再構築・集中とア
メリカ企
なかろう。
ると知るべきである。」
コンピュータ部門一「コンピュータ産業の危機は、米、
電気通信部門一「ヨーロッパが市場開放しているのに
第3節フランスのエレクトロニクス緊急戦略
対して、日本と北米市場は実質的に閉ざされたままであ
フランスでは1991年5月にクレッソン内閣が誕生し、
る。..、アメリカはByAmericanActで政府調達を保
これまでの自由主義的色彩の強い政策スタンスが放棄さ
れ、ふたたび伝統的なデイリジスム(国家指導主義)へ
謹している。…実効ある相互性こそ、世界的競争にお
の回帰を強めた。そして91年7月には400ページにのぼ
業政策によってのみそれに到達しうる。」
る大部な「エレクトロニクスのための緊急戦略」が発
表されたのである。
ける機会の平等を保証するキー要素であり、決然たる産
家電部門一「ヨーロッパとアメリカへアジアが激しい
州問題の各省にまたがる専門家と、民間からの研究者や
進出をみせているが、それに対する相互性は存在してい
ない。日本と韓国とは完全に閉鎖された市場である。..、
これまで家電と半導体とにおいてはうまく機能してきた
日本のくドミノ戦略>が、他の電子部門に適用されるの
エコノミスト、経営者とがほぼ半々づつ、合計150人が
を阻止するために、ことなった部門間の連帯を最大限確
8グループにわかれ、検討にあたったという。「産業政
策の豹変」と戦略産業再興の至上命令への、フランスの
激しい危機意識が結晶化されたものといえる。
この報告書の特色の第1は、フランス1国の状況をと
立せねばならない。」
この報告は、12カ月ををかけて、官民の総力をあげて
まとめられたものである。工業、国防、郵電、研究、欧
研究開発一「研究速度は日本によって規定され、IC
は3年ごとに世代交替を迫られる。」
報告書は、結論として、欧州委員会に対して以下の4
らえるのではなく、ヨーロッパを対象とし、広くEU内 つの行動を採用するよう提言している。
の専門家からヒヤリングをおこなったことである。第2
まず第1に、「域外市場へのより開放され、均衡のと
に「緊急性」を強調して、すべての当事者に対して「力 れた、相互的なアクセス」の確保が誼たわれる。「大衆
強い対応」をうながしている点である。それゆえ第3に、 消費財産業においては、一国的な問題解決はありえない。」
「とりわけ日本によって、技術変化の加速が強いられた’
からだ、として日本力螺的であることを隠さない。し
かも日本は「社会システムが、我々のそれ以上に、競争
力に恩恵を与えている」国だと指摘し、社会保障の貧し
さを武器に不公正輸出にはげむ日本への批判をにじませ
ているのである。
この報告が日本をターケツトにしているだけに、以下
のように、各章の随所に対日批判力混開されている。
総論一「日本市場は完全に閉じられており、米市場は
保護されている。それゆえ日、米との競争条件は、高度
−70
このため欧州産業は「消滅するか、さもなくぱ欧州市場
の過半を抑えたうえで、今日閉鎖されている米、日の2
大市場に大きく進出するかして、行動基盤を広げざるを
えない。」報告はこうして「東南アジア諸国から相互主
義にのっとった措置を獲得するまでは、かれらが単一市
場の建設から直ちに利益を得るのを避けさせねばならな
い」とする。そして「GATTや欧州規模での関税、数
量割当て、反ダンピング関税、一般特恵制度などの改定
をはかることにより、欧州市場における欧州系企業の利
益を擁護すべきであり…コンピュータと電子部品とに
さて以上が1991年7月に欧州委員会にフランスカ鵜出
した「緊急戦墹の概要であるが、その基調は強力な保
護主義の主張にあった。一方では、日本を標的に市場開
には少数資
業グループとの間の大型協定、それに将来的に
は少数資
本
の
参
加
受
け
入
れ
が
不
可
欠
で
あ
る
。
」
功金を与え
「欧州部品は、その購入者に対して補償補助
金を与え
ることにより、販売を促進すべきだ」とのユニニークな提
ークな提
言をしている。欧州は域外企業との競争可能なな生産規模
生産規模
放の要求と輸入規制の強化とをすすめ、他方で域内製品
の購入促進のため補償金導入や域内企業の集中強化など
をはかる。注目すべき点は、日本包囲網の構築をねらっ
て、欧州再構築と欧米同盟とを促した点である。
ト面では構
水準を達成したが、社会制度の違いからコスト面
では構
或内企業に
造
的
に
格
差
力
職
る
。
こ
れ
を
補
助
金
で
補
償
し
て
域
内
企
業
に
である。現
よ
る
欧
州
部
品
の
購
入
を
促
進
し
よ
う
、
と
い
う
の
で
あ
る
。
現
'し
、
輸
入品
在
欧
州
の
部
品
市
場
規
模
は
、
欧
州
製
品
が
2
9
億
ド
ル
、
輸
入
品
とかけると
7
4
.
8
億
ド
ル
で
あ
り
、
欧
州
系
に
3
0
%
の
補
償
率
を
か
け
る
と
ご
ルほ
にぼ
ほぼ
8
.
7
億
ド
ル
と
な
り
、
現
在
の
輸
入
関
税
額
、
8
.
4
億
ド
ル
に
と全部品へ
見
合
っ
て
い
る
。
さ
ら
に
ア
ク
テ
ィ
ブ
と
パ
ッ
シ
ブ
と
全
部
品
へ
ですむ。農
こ
の
原
則
を
拡
大
す
れ
ば
、
補
償
率
は
わ
ず
か
9
%
で
す
む
。
農
きれている
産
物
の
域
内
優
先
の
た
め
に
不
足
払
い
制
度
も
採
用
さ
れ
て
い
る
肩だ、とい
が
、
こ
れ
に
か
か
る
費
用
と
く
ら
べ
て
も
わ
ず
か
な
額
だ
、
と
い
強
第3章介入主義政策の脆弱性
∼ −−
第1節規模の経済の評価逆転
80年代初頭、第2次オイルショックからの脱却をめざ
して、ミッテランのフランスを先頭に大陸諸国は介入主
義
的
(
(
i
n
t
e
r
v
e
n
t
i
o
n
i
s
t
)
、
主
意
主
義
的
(
(
v
o
l
u
n
t
a
r
i
s
t
)
)
な
政策スタンスを強めつつあったが、これとは逆に、アン
グロサクソン諸国ではレーガノミックスやサッチャーイ
ズムカ澄場し、ここからネオリベラリズムの風力泄界に
向けて吹きはじめた。
つ
の
で
あ
る
。
コッパの卓
信
な
ど
の
戦
略
部
門
に
お
け
る
、
フ
ラ
ン
ス
や
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
の
卓
ト」の実
越
し
た
地
位
を
守
る
た
め
に
、
「
大
規
模
プ
ロ
ジ
ェ
ク
ト
」
の
実
7)への欧
施
を
提
言
す
る
。
と
り
わ
け
高
品
位
テ
レ
ビ
(
H
D
T
V
)
へ
の
欧
州
協
力
の
確
立
力
蓮
視
さ
れ
て
お
り
、
フ
ラ
ン
ス
は
H
D
T
V
の
にふれて介入主義へ訴えるものの、次第にネオリベラリ
ズム的スタンスへの接近を余儀なくされた。「競争的ディ
スインフレ戦略」が採用されてすでに1昨以上になるが、
それはフランの平価維持を至上命令に、規制緩和や競争
§差をうめ
刺激につとめる、というものである。そのうえ80年代後
半に始まった世界的な好景気と、それを追い風に膨らん
果用をしや
だ1992年末市場統合への期待とによって、欧州に伝統的
な介入主義への傾きは次第に消えつつあった。
HDTVの
開
発
で
の
欧
州
の
成
功
を
、
日
、
米
と
の
先
端
技
術
格
差
を
う
め
§の世界支
る
た
の
戦
略
的
目
標
と
み
な
し
て
い
る
。
N
H
K
規
格
の
世
界
支
配
を
阻
止
す
べ
く
、
フ
ラ
ン
ス
エ
業
省
が
欧
州
規
格
の
採
用
を
し
ゃ
に
む
に
推
進
し
た
こ
と
か
ら
あ
き
ら
か
で
あ
ろ
う
。
ヨーロッパ経済研究のレベルにおいても、このネオリ
ラ
リ
ズ
ム
の
影
響
力
が
強
ま
り
、
規
模
の
経
済
へ
の
評
価
が
逆
最
後
の
第
4
に
、
「
教
育
訓
練
」
の
改
革
が
躯
わ
れ
て
い
る
が
、 ベ
転
す
る
に
い
た
る
。
7
0
年
代
初
め
ま
で
の
欧
州
経
済
の
発
展
と
、
,
、「
る。
「電
呈
こ
で
は
や
や
特
殊
フ
ラ
ン
ス
的
問
題
に
傾
斜
し
て
い
る
。
電
イ
ル
シ
ョ
ッ
ク
以
降
の
介
入
主
義
的
産
業
政
策
と
に
助
け
れ
ら
『を、4段
子
、
情
報
、
電
気
通
信
の
各
分
野
に
お
け
る
職
業
教
育
を
、
4
段 オ
ているが、
−71−
ー ■ 一
ー
一 -
’
「ミッテランの実験」失敗後のフランスは、なお折り
竜、電気通
第
3
に
、
宇
宙
、
軍
事
エ
レ
ク
ト
ロ
ニ
ク
ス
、
環
境
、
電
気
通
岩
’
■
G〃一
一
勺﹃
−
■ ■ −
贋
ンスの外交官がAlcatelの売り込みのために東欧諸国
ない。
「それゆえ産業主権の問への解答は、簡単にはみつか
でロビー活動を展開するが、そのたびごとに、ドイツ、
イタリア、あるいはスペインで雇用が創出され、ベルギー
らない」としながらも、最後にコーアン教授は、「産業
とドイツの技術能力が引き上げられる。フランス人が期
グループと国民国家との論理は乖離する傾向にある」と
待できるのは、いつの日か株式配当にあずかれることで
の事実を強調する。「産業グループはグローバルな競争
しかない。」
世界のなかでの生き残りを模索し、.、国民国家は地域的
またThomsonの高品位テレビ(HDTV)の開発は、
政府の補助金なしには成功はおぼつかない。だが「フラ
囲い(EU)や国際的囲い(GATTやIMF)の内で
一国的利益の弁護人となる」からである。
ンスの納税者の金が、アメリカのSarnoffとドイツの
Villmgenのセンターでの研究を支援し、ドイツ、イタ
第4章経済のソフト化とグローバル化
リア、東南アジアからの工作機械購入に資金を供与し、
−
−
協
力
と
が
欠
か
せ
な
く
な
っ
た
。
固
定
的
な
目
標
設
定
と
閉
鎖
的
プ
(
半
導
体
)
と
は
違
う
」
と
指
摘
し
、
ど
の
産
業
も
、
ど
の
財
な
組
織
櫛
造
と
を
特
徴
と
す
る
介
入
主
義
で
は
、
研
究
開
発
の
急
も
、
十
把
一
絡
げ
に
あ
つ
か
う
新
産
業
政
策
の
ス
タ
ン
ス
を
批
判
する。製品や工程にイノヴェーションをもたらす同時に、
激な変容への機敏な対応は困難である。
さ
ら
に
第
3
に
、
研
究
費
を
負
担
す
る
納
税
者
に
対
し
て
正
当
部
門
を
こ
え
た
波
及
効
果
が
大
き
く
、
水
平
補
完
度
力
塙
ぃ
技
術
に
利
益
は
還
元
さ
れ
る
の
か
、
と
い
う
難
問
が
生
じ
る
。
事
業
の
が
、
キ
ー
・
テ
ク
ノ
ロ
ジ
ー
で
あ
る
。
も
し
こ
の
開
発
に
遅
れ
を
多
国
籍
化
に
よ
り
、
開
発
利
益
の
享
受
も
国
境
を
越
え
る
。
ま
た
と
れ
ば
、
1
9
世
紀
の
産
業
革
命
で
脱
落
し
た
イ
ン
ド
や
中
国
と
同
事
業
の
多
角
化
と
技
術
.
部
品
の
水
平
的
補
完
性
増
大
と
で
、
開
様
に
、
2
1
世
紀
の
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
は
没
落
の
途
を
た
ど
る
で
あ
ろ
う
。
発
利
益
を
社
会
的
な
も
の
と
私
的
な
も
の
と
に
判
別
す
る
の
が
ま
ハ
イ
テ
ク
製
品
の
供
給
が
外
資
に
よ
っ
て
独
占
さ
れ
る
恐
れ
が
すます困難になってきた。あれば、戦略貿易理論にもとづき、輸入規制と頼極的産
こ
う
し
て
産
業
政
策
は
、
部
門
別
介
入
主
義
か
ら
の
脱
皮
を
せ
業
政
策
と
に
訴
え
、
域
内
生
産
を
興
す
べ
き
だ
。
そ
の
さ
い
外
資
ま
ら
れ
る
。
対
象
の
多
様
化
、
包
括
的
基
礎
的
技
術
へ
の
傾
斜
、
の
進
出
を
無
条
件
に
認
め
れ
ば
、
や
が
て
技
術
植
民
地
に
お
と
し
目
的
設
定
や
実
施
方
法
の
ソ
フ
ト
化
や
開
放
化
、
企
業
環
境
整
備
め
ら
れ
る
危
険
が
あ
る
。
最
先
端
技
術
は
移
転
さ
れ
ず
に
本
国
に
の
必
要
、
国
際
協
調
の
重
視
、
市
場
メ
カ
ニ
ズ
ム
の
尊
重
、
な
ど
温
存
さ
れ
、
工
場
進
出
は
ロ
ー
テ
ク
技
術
の
移
植
に
と
ど
ま
る
か
日本製半導体をもちいてテレビを作るために使われてい
第1節部門別介入政策への疑念
る。…Thomsonの利益は、本当にフランスの国益と一
EUの産業政策は、90年代に入ってからネオリベラリ
致するのだろうか」と深刻な疑問を呈さざるをえないの
ズムの基調に大きく転換した。それは一方では、従来
である。
の部門別介入主義政策が、有効性を失ってきたからであ
が要請されるであろう。自由主義的、水平的、マクロ的、らである。
研
究
開
発
の
変
質
に
つ
い
て
は
、
ネ
オ
リ
ベ
ラ
リ
ス
ト
と
は
異
あるいは開放的、競争的な政策スタンスと呼ぶことがで
る。
き
る
。
これに答えるために、著者はゴーリスムとサッチャー
リズムとの2つの国家観を比較する。まずゴーリスムに
一方では、産業部門という概念が次第にいみを失って
おいては、「資本の国籍のみが重要である。.、国家は、、
きた。まず第1に、生産過程、とくに製造業におけるそ
民族系といわれる企業グループのセールスマンであり、
れが大きく変質した。付加価値に占める加工工程の割合
外国の投資家や乗っ取り人から国家の牧場を守る監視人
が小さくなり、逆に各種サービスの占める比重が飛躍的
である。..この介入モデルは、企業=世襲財産、所有=
に増大した。
権力、企業利益=国家利益という3重の同一化に基盤を
もつ。」
第2に、このソフト化の波は、技術や製品の産業部門
をこえた汎用性のいちじるしい増大として現れている。
サッチャーリズムでは「真に重要なものは、属地性の
部門別垂直性が崩れて、いわば重層的な水平性、あるい
基準のみである。雇用創出の質、研究センターの立地、
は水平的補完性とでも呼ばれる側面が拡大しているので
競争強化による消費者利益など、自国の領土で高付加価
ある。水平的補完性がもっとも大きい部品や素材などの
値を生む諸活動を発展させるものであれば、すべてが高
中間財部門は、付加価値を急激に高め、広範なユーザー
く評価され、資本の国籍は二義的なものとみなされる。」
をかかえる下流部門との結びつきを強化している。
そして外資を、地場資本を活性化させる点で追加利益が
第3に、これらの変化を受けて、同一産業部門内での
ある、と評価する。
企業の同質性が崩れてきた。規模の格差がますます拡大
とはいえサッチャーといえども、防衛産業は「主権財」
に数えるべきだ、との立場をとっている。さらに「消費
したばかりでない。海外事業の増大、多国籍化の進展、
そして何よりも事業の多角化がいちじるしいからである。
者は王様だ、とかく最終手段>としての市場、とかといっ
こうして産業部門が、従来のような明確な姿をとらなく
た考え方に全面的にくみするものでもない」とし、外資
なったのである。
によるブリティッシュ・レーランド(自動車)などの買
収にブレーキをかけた事実もある。他方かえってフラン
他方では、介入の正当性が失われてきた。第1に、研
究や技術開発のライフサイクルが短くなり、将来の方向
スにおいて、工作機械(独、米)、製紙(北欧)、医療機
が不確実になってきた。
器(米)などの分野で外資の進出がすすんだように、2
それゆえ第2に、研究開発や生産、マーケティングを
めぐる企業間のグローバル規模での熾烈な競争と大胆な
つのモデルは、実際には理論通り機能しているわけでは
h一一一.ー=_=…-------r-−−−−−−−
な
っ
た
側
面
が
強
調
さ
れ
る
。
す
な
わ
ち
、
研
究
開
発
費
の
巨
額
化
、
開
発
利
益
の
巨
大
化
、
規
模
の
経
済
の
復
活
、
新
規
参
入
の
困
難
な
ど
で
あ
り
、
介
入
主
義
的
産
業
政
策
で
の
対
応
が
不
可
欠
第2節ドイツにおける対日脅威論の台頭
欧州産業政策が「自由主義への豹変」を余儀なくされだ、と説く。
て
い
く
な
か
で
、
介
入
主
義
の
本
家
で
あ
る
フ
ラ
ン
ス
が
激
し
く
さ
て
ザ
イ
ツ
は
「
わ
れ
わ
れ
の
経
済
政
策
を
基
礎
づ
け
る
古
典
反
発
し
た
こ
と
は
す
で
に
み
た
。
ま
た
4
カ
月
に
わ
た
り
日
本
製
派
の
静
態
理
論
は
、
今
日
の
世
界
経
済
の
深
刻
な
現
実
と
は
何
ら
ビ
デ
オ
の
通
関
制
限
を
し
た
8
2
年
の
「
ポ
ワ
チ
ェ
の
戦
い
」
に
み
係
わ
り
が
な
い
」
と
切
り
捨
て
る
。
さ
ら
に
ポ
ト
ガ
ル
が
ワ
イ
ン
る
よ
う
に
、
フ
ラ
ン
ス
が
激
し
い
対
日
批
判
に
出
て
も
さ
ほ
ど
鷲
を
、
イ
ギ
リ
ス
が
毛
織
物
を
、
と
各
国
が
比
較
優
位
の
財
を
輸
出
ぐ
ま
い
。
だ
が
戦
後
一
貫
し
て
自
由
主
義
を
標
傍
し
て
き
た
ド
イ
し
あ
う
こ
と
で
、
各
国
国
民
の
厚
生
は
高
ま
る
、
と
し
た
リ
カ
ー
ツ
に
お
い
て
も
、
9
1
年
以
降
、
政
府
高
官
の
ロ
か
ら
、
激
し
い
対
ド
の
貿
易
理
論
を
槍
玉
に
あ
げ
る
の
で
あ
る
。
農
産
物
と
工
業
品
日
脅
威
論
と
い
う
形
を
と
っ
た
E
U
産
業
政
策
の
「
敗
北
主
義
的
と
の
間
の
産
業
間
貿
易
の
時
代
に
は
い
ざ
知
ら
ず
、
第
2
次
大
戦
豹
変
」
へ
の
批
判
が
飛
び
出
し
た
こ
と
に
注
目
せ
ざ
る
を
え
な
い
。
後
は
、
工
業
品
の
水
平
貿
易
に
よ
る
産
業
内
貿
易
の
時
代
を
む
か
欧
州
産
業
の
競
争
力
改
善
が
容
易
な
ら
ざ
る
も
の
で
あ
る
こ
と
カ
ミ
え
た
。
も
は
や
比
較
優
位
な
ど
は
存
在
し
な
い
、
と
拒
否
す
る
の
で
あ
る
。
そ
し
て
シ
ュ
ン
ペ
ー
タ
ー
の
ダ
イ
ナ
ミ
ッ
ク
・
ア
プ
ロ
ー
澪
呈の事実からうかがわれよう。
現
在
ド
イ
ツ
の
駐
伊
大
使
で
あ
り
、
当
時
外
務
省
の
ナ
ン
バ
ー
チ
の
採
用
が
必
要
だ
、
と
力
説
し
て
い
る
。
2
,
企
画
局
長
の
要
職
に
あ
っ
た
コ
ン
ラ
ッ
ド
。
、
ザ
イ
ツ
が
そ
の
人
で
あ
る
。
,
8
年
の
長
期
に
わ
た
り
外
相
の
椅
子
に
あ
っ
た
ゲ
ン
シ
ヤ
ー
の
知
恵
袋
を
つ
と
め
て
き
た
政
府
高
官
が
、
各
地
の
経
済
セ
ミ
ナ
ー
で
の
講
演
や
著
作
を
通
じ
て
、
激
し
い
反
日
キ
ャ
ン
ペ
ー
結び
イ
ギ
リ
ス
で
興
っ
た
古
典
派
経
済
学
は
、
結
局
先
進
国
の
経
済
ン
を
展
開
し
た
の
で
あ
る
。
と
り
わ
け
9
2
年
に
発
表
き
れ
て
、
そ
的
優
位
を
正
当
化
し
、
固
定
化
す
る
理
論
に
す
ぎ
な
い
。
こ
う
し
の
後
ペ
ー
パ
ー
バ
ッ
ク
版
も
で
た
『
日
米
の
挑
戦
』
が
、
体
系
的
た
批
判
は
、
’
9
世
紀
以
来
、
大
陸
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
の
後
発
諸
国
か
ら
を
日
本
脅
威
論
や
「
産
業
政
策
の
豹
変
」
非
難
を
展
開
し
て
い
る
。
幾
度
と
な
く
繰
り
返
さ
れ
て
き
た
。
フ
リ
ー
ド
リ
ツ
ヒ
・
リ
ス
ト
出
発
点
は
、
ハ
イ
テ
ク
技
術
の
戦
略
性
に
あ
る
。
ザ
イ
ツ
は
、
は
、
ド
イ
ツ
の
後
進
性
か
ら
の
脱
却
の
た
め
に
、
保
護
関
税
を
敷
チ
ッ
プ
と
い
っ
て
も
「
ポ
テ
ト
チ
ッ
プ
と
コ
ピ
ュ
ー
タ
ー
用
チ
ッ
い
て
国
民
経
済
力
の
育
成
に
励
む
べ
き
だ
、
と
説
い
た
。
リ
カ
ー
−75−
一 一
−74−
一 一 ‐
ー
|
’|
■■一一
’一
一
−
■
ドの比較優位の理論も、もともと工業化した先進国と、Supplement3.
t
e
c
h
n
o
l
o
g
i
e
I
n
d
,
,
s
t
r
i
e
n
K
a
m
p
f
e
n
u
m
s
U
b
e
r
l
e
b
e
n
.
(
1
9
9
2
b
)
,
D
o
w
e
n
e
e
d
a
S
t
r
a
t
e
g
i
c
H
i
g
h
T
e
c
h
n
o
-
農業から脱却できない後進国との不平等な関係を固定化-(1993),Growth,competitivness,employment;
するものであり、地理的決定論に過ぎない、と非難されthechallentesandwaysforwordintothe21thcenてきた。
l
o
g
y
P
o
l
i
c
y
,
i
n
I
n
t
e
r
e
c
。
n
。
m
i
c
s
,
M
a
y
/
J
u
n
e
.
S
h
a
r
p
,
M
r
g
a
r
e
t
&
p
a
v
i
t
t
,
K
e
i
t
h
(
1
9
9
3
)
,
T
e
c
h
n
o
l
o
g
y
P
o
l
i
c
y
i
n
t
h
e
l
9
9
0
s
,
i
n
J
o
u
r
n
a
l
o
f
c
o
m
m
o
n
M
a
r
k
e
t
S
t
u
d
i
e
s
,
J
u
n
e
.
tury,indo.6.
産業政策をめぐるネオリベラリズムと介入主義との対-(1994),Anindustrialcompetitivenesspolicy
抗は、景気が変動し、経済の不均等発展がすすむ以上、fortheEU,1ndo.3.
絶えず繰り返されるものであろう。「ドイツの豹変」とFrance(1991),France-CommissariatG6n6raldu
は
、
ポ
ス
ト
冷
戦
期
の
不
況
を
通
じ
て
急
速
に
拡
大
し
た
空
洞
化
P
l
a
n
,
U
n
e
S
t
r
a
t
e
g
i
e
d
'
U
r
g
e
n
c
e
p
o
u
r
l
'
E
l
e
c
t
r
o
n
i
q
u
e
.
によって説明されよう。アメリカでも、「戦略的貿易政Fourquin,Michel(1991),Led6batpourune
策
」
や
多
か
れ
少
な
か
れ
主
意
的
、
介
入
的
産
業
政
策
の
採
用
カ
ミ
p
o
l
i
t
i
q
u
e
i
n
d
u
s
t
r
i
e
n
e
e
u
r
o
p
6
e
n
,
i
n
F
u
t
u
r
i
b
l
e
s
,
d
6
c
.
クリントン政権によって主張されてきた。
Geroski,PaulA.&Jaquemin,Alexis(1988),In-
だ
が
問
題
は
、
す
で
に
み
た
よ
う
に
、
ハ
イ
テ
ク
技
術
開
発
の
d
u
s
t
r
i
a
l
c
h
a
n
g
e
,
b
a
r
r
i
e
r
s
t
o
m
o
b
i
l
i
t
y
,
a
n
d
E
u
r
o
p
e
a
n
性
格
が
大
き
く
変
貌
し
た
と
き
、
従
来
型
の
介
入
主
義
で
は
成
功
i
n
d
u
s
t
r
i
a
l
p
o
l
i
c
y
,
i
n
E
u
r
o
p
e
a
n
E
c
o
n
o
m
i
c
R
e
v
i
e
w
,
n
o
.
は約束されないことである。
3
2
(
r
e
p
r
i
n
t
e
d
i
n
A
.
J
a
c
q
u
e
m
i
n
&
A
n
d
r
6
S
a
p
i
r
e
d
'
,
T
h
e
E
u
r
o
p
e
a
n
l
n
t
e
r
n
a
l
M
a
r
k
e
t
,
1
9
8
9
)
.
参考文献Hagedoorn,John&Schakenraad,Jos(1993),A
長
部
重
康
(
1
9
9
2
)
,
「
欧
州
エ
レ
ク
ロ
ト
ニ
ク
ス
の
生
き
残
り
C
o
m
p
a
r
i
s
o
n
o
f
P
r
i
v
a
t
e
a
n
d
S
u
b
s
i
d
i
z
e
d
R
&
D
P
a
r
t
戦略一ドイツの変身とフランス・デイリジスム」(「証券
経済」,10月号)。
−(1994),「90年代のEC産業政策一ネオリベラリズ
ムと介入主義との攻防」(同上,8月号)
n
e
r
s
h
i
p
s
i
n
t
h
e
E
u
r
o
p
e
a
n
I
n
f
o
r
m
a
t
i
o
n
t
e
c
h
n
o
l
o
g
y
i
n
d
u
s
t
r
y
,
i
n
J
o
u
n
a
l
o
f
C
o
m
m
o
n
m
a
r
k
e
t
S
t
u
d
i
e
s
,
S
e
P
・
Humbert,Marc(1992),Pourunev6ritable
p
o
l
i
t
i
q
u
e
i
n
d
u
s
t
r
i
e
l
l
e
e
u
r
o
p
b
e
n
n
e
,
i
n
F
u
t
u
r
i
b
l
e
s
,
f
6
b
・
’
B
a
n
g
e
m
a
n
n
,
M
a
r
t
i
n
(
1
9
9
2
)
,
P
o
u
r
u
n
e
p
o
l
i
t
i
q
u
e
H
u
s
s
o
n
,
J
.
P
.
e
t
Y
e
v
e
s
A
n
d
r
6
P
e
r
e
z
,
Y
.
A
.
(
1
9
9
3
)
,
〃
i
n
d
u
s
t
r
i
e
l
l
e
e
u
r
o
p
6
e
n
n
e
,
i
n
R
e
v
u
e
d
u
M
a
r
c
h
6
C
o
m
m
u
n
e
t
d
e
l
'
U
n
i
o
n
E
e
u
r
o
p
6
e
n
n
e
,
m
a
i
.
L
'
A
p
r
6
s
l
9
9
3
:
N
o
u
v
e
n
e
D
o
n
n
e
s
u
r
l
'
E
c
h
i
q
u
i
e
r
グ
〃
I
n
d
u
s
t
r
i
e
l
E
u
r
o
p
6
e
n
.
(
1
9
9
3
)
,
M
e
e
t
i
n
g
t
h
e
C
h
a
l
l
e
n
g
e
.
B
o
u
y
e
r
,
J
a
c
q
u
e
s
(
1
9
9
2
)
,
I
n
d
u
s
t
r
i
e
6
1
e
c
t
r
o
n
i
q
u
e
〃
e
u
r
o
p
e
e
n
n
e
,
i
n
F
u
t
u
r
i
b
l
e
s
,
f
6
b
.
C
o
h
e
n
,
E
l
i
e
(
1
9
9
2
)
,
L
e
C
o
l
b
e
r
t
i
s
m
e
"
h
i
g
h
t
e
c
h
'
1
d
'
O
u
t
r
e
m
o
n
t
,
P
a
t
r
i
c
e
(
1
9
9
1
)
,
L
e
M
a
r
c
h
6
m
o
n
d
e
a
l
d
e
l
'
6
1
e
c
t
r
o
n
i
q
u
e
e
t
d
e
l
'
e
n
f
o
r
m
a
t
i
q
u
e
,
i
n
F
u
t
u
r
i
b
l
e
s
,
l
e
c
t
i
v
e
a
s
s
i
s
t
a
n
c
e
f
o
r
k
e
y
i
n
d
u
s
t
r
i
e
s
,
i
n
l
n
t
e
r
economics,May/June.
K
u
r
g
m
a
n
,
P
a
u
l
R
.
(
1
9
8
6
)
,
S
t
r
a
t
e
g
i
c
T
r
a
d
e
P
o
l
i
c
y
a
n
d
N
e
w
l
n
t
e
r
n
a
t
i
o
n
a
l
E
c
o
n
o
m
i
c
s
.
L
a
f
a
y
,
G
6
r
a
r
d
e
t
U
n
a
K
e
s
e
n
c
i
,
D
e
n
i
z
(
1
9
9
3
)
'
d6c.
E
c
o
n
o
m
i
s
t
(
1
9
9
3
)
,
E
u
r
o
p
e
'
s
t
e
c
h
n
o
l
o
g
y
p
o
l
i
c
y
,
9
匿尋∼‐
K
e
l
l
e
r
,
D
i
e
t
m
a
r
(
1
9
9
2
)
,
S
h
o
u
l
d
E
u
r
o
p
e
p
r
o
v
i
d
e
s
e
-
R
e
p
e
n
s
e
r
l
'
E
u
r
o
p
e
.
L
o
r
e
n
t
z
,
F
r
a
n
c
i
s
(
1
9
9
2
)
,
I
n
f
o
r
m
a
t
i
q
u
e
:
q
u
e
l
l
e
s
Jan.;(1994),29Jan
c
h
a
n
c
e
s
p
o
u
r
l
'
E
u
r
o
p
e
?
,
i
n
F
u
t
u
r
i
b
l
e
s
,
f
6
b
・
E
U
(
1
9
9
1
)
,
E
u
r
o
p
e
a
n
i
n
d
u
s
t
r
i
a
l
p
o
l
i
c
y
f
o
r
t
h
e
P
e
t
e
r
s
o
n
,
J
o
h
n
(
1
9
9
1
)
,
T
e
c
h
n
o
l
o
g
y
p
o
l
i
c
y
i
n
1
9
9
0
s
(
I
n
d
u
s
t
r
i
a
l
p
o
l
i
c
y
i
n
a
n
o
p
e
n
a
n
d
c
o
m
p
e
t
i
t
i
v
e
E
u
r
o
p
e
:
e
x
p
l
a
i
n
i
n
g
t
h
e
F
r
a
m
e
w
o
r
k
P
r
o
g
r
a
m
m
e
a
n
d
e
n
v
i
r
o
n
m
e
n
t
:
g
u
i
d
l
i
n
e
s
f
o
r
a
C
o
m
m
u
n
i
t
y
a
p
p
r
o
a
c
h
j
E
u
r
e
k
a
i
n
t
h
e
o
r
y
a
n
d
p
r
a
c
t
i
c
e
,
i
n
J
o
u
n
a
l
o
f
C
o
m
-
T
h
e
E
u
r
o
p
e
a
n
e
l
e
c
t
r
o
n
i
c
s
a
n
d
i
n
f
o
r
m
a
t
i
o
n
t
e
c
h
n
o
l
_
m
o
n
M
a
r
k
e
t
S
t
u
d
i
e
s
,
M
a
r
c
h
.
o
g
y
i
n
d
u
s
t
r
y
?
s
t
a
t
e
o
f
P
l
a
y
,
i
s
s
u
e
s
a
t
s
t
a
k
e
a
n
d
S
e
i
t
Z
, Konrad
p
r
o
p
o
s
a
l
s
f
o
r
a
c
t
i
o
n
,
e
t
c
.
)
i
n
B
U
l
l
e
t
i
n
o
f
E
O
(
1
9
9
2
a
)
,
D1e
j
a
p
a
n
i
s
c
h
-
a
m
e
r
i
k
a
n
i
s
c
h
e
H
e
r
a
u
s
f
o
r
d
e
r
u
n
g
:
D
e
u
t
s
c
h
l
R
n
d
s
H
o
c
h
−77−
−76−
△
一
一
一
一
1
一回′
■■.一一宝
一 田
一一一一一
’
│
,
一
’一
一一一
一
I
’
パ化」の傾向が強まったといえる。証券投資においても
完全にマイナーだった事実が示すように、EMS内部の
ではない。つまりEC統合やロンドン金融市場あっての
EU加盟さらに21世紀初頭と予想されている中欧諸国の
1980年代後半以降EC域内投資が著増し、またドイツ統
為替安定の操作は主としてマルクに立脚するようになり、
EU加盟、つまりEU拡大による「ドイツ経済圏」の拡
一後はそれまでEC最大の純資本輸出国であったドイツ
ドル依存を離脱したことは明らかである。
の経常収支が赤字となり、ドイツ政府が財政赤字のファ
さらにその後EMS諸通貨およびEMSにリンクした
イナンスを外資流入に頼ったために新たな証券投資の流
北欧諸通貨の間の為替相場安定と上述した市場統合によ
ドイツ.マルクの基軸通貨化、為替媒介通貨化なのであ
る。この点は米国一国の経済力・金融力に依存している
ドルとの大きな違いというべきであろう(もっとも米ド
ルの場合にもユーロ市場への依存は重要なファクターで
れが生じたりしたが、一般にEC域内の高金利諸国(イ
るEC域内のクロスボーダーの証券取引の著増(それは
あり、マルクとの共通点も見られるが、マルクの場合は
タリア、スペイン、英国)への流入が顕著であり、「北
巨額の外国為替取引を伴う)を背景にしてマルクの取引
はるかにEC統合およびヨーロッパ緒市場への依存度が
東グループ」や「西南グループ」へのグループ化傾向よ
きコストが低下し、1990年ころ、相場の不安定性のゆえ
高
い
)
。
りも金利格差、為替安定度のような一般的な条件が投資
に取引きコストの上昇していたドルを排除して、マルク
の方向を決めるのに規定的に作用した。これは機関投資
家が証券投資の主役となり、合理的期待にもとづいて投
資戦略を実践している以上当然の傾向というべきであっ
が西欧の直物市場で為替媒介通貨の地位についた。資金
金融面においても、グループ化よりは「ヨーロッパ化」
市場である先物市場では依然ドルの支配力薪いているが
の傾向のほうがが顕著であったといえる。
て、市場統合は証券投資においてもECを単一市場に転
化するように作用したといえるのである3)。
大傾向である。第2に1992年9月のEMS危機以降通貨
統合の分野に見受けられる一種のグループイ噸向である。
順次検討しておこう。
(1)EU拡大による「ドイツ経済圏」の拡大傾向
1995年初めにEUは旧EFTA3カ国を加えてEU1
5となり、人口で5%、GDPで6.5%を追加した。こ
れら3カ国はその貿易依存関係および自由貿易志向の双
このように少なくとも市場統合の時期までは、通貨面、
方
で
「
北
東
グ
ル
ー
プ
」
あ
る
い
は
「
ド
イ
ツ
経
済
圏
」
に
所
属
するとみなすことができる。表4が示すように、EFT
A
全
体
の
ド
イ
ツ
へ
の
貿
易
依
存
度
は
き
わ
め
て
高
い
。
ド
イ
ツ
の
E
F
T
A
へ
の
輸
出
額
は
フ
ラ
ン
ス
の
4
倍
以
上
、
輸
入
も
約
3
倍
、
E
U
1
2
の
対
E
F
T
A
輸
出
入
に
占
め
る
ド
イ
ツ
の
シ
ェ
ア
は
そ
れ
ぞ
れ
4
5
%
、
3
5
%
に
も
達
し
、
近
年
輸
入
に
占
め
る
シ
ェ
外国為替相場の変動に直接に関係する直物市場でのマル
クの為替媒介通貨化は、市場レベルでもマルク通貨圏の
形成によってドルの排除が進展したことを物語ってい
3・ドイツ統一後の新しい動向
一ポスト市場統合時代の「ドイツ経済圏」化傾向一
る4)o
(3)外国為替取引とEMS(欧州通貨制度)
EMSにおける参加通貨の為替相場の安定は、EMS
介通貨化を検討してみると、ドイツのみの経済力による
前年比
輸出
1.1%
6
,
5
0
4
3
1
1
.
3
%
1
2
,
6
5
5
5
0
,
7
3
9
-1.2%
4
0
,
1
2
5
9.9%
1
1
,
6
5
3
5
0
,
4
5
6
4
8
,
4
4
4
-0.6%
4
1
,
4
6
6
3.3%
1
1
,
9
5
7
-4.0%
4
0
,
6
8
0
-1.9%
1
2
,
4
8
4
11.3%
45.715
1
2
.
4
%
13,936
一
輸入
一
前年比
一
%%
60
3
37
3
%%
12
64
5
4
11.3%
行のマルク取引き網の形成がマルク取り引きを有利とし、
結局はドルとのコスト競争によって決まる為替媒介通貨
化におけるマルクの優位をもたらした。決してフランク
フルトのドイツの銀行の活躍によるのではない。また外
ヨーロッパ共産主義の崩壊後EUと中東欧(旧ソ連を
−82−
− − − − − −
●
フランス
前年比
輸入
一
2.6%
1
3
,
6
6
8
1
3
,
1
1
3
1
3
,
2
4
3
4
.
3
%
1
2
,
5
1
5
11.6%
13,609
3
.
3
%
-7.9%
12.6%
11.0%
■
輸
入
に
お
い
て
1
3
%
か
ら
9
%
に
低
下
し
て
お
り
、
ド
イ
ツ
の
シ
ェ
上昇と対照的である。
含
む
)
と
の
貿
易
は
急
激
に
伸
び
た
が
、
そ
こ
で
は
ド
イ
ツ
が
断 ア次
に21世紀初頭のEU加盟の候補である中欧諸国との
然
第
’
の
経
済
パ
ワ
ー
で
あ
る
。
E
U
統
言
渦
の
資
料
に
よ
っ
て
、
ド
イ
ツ
と
フ
ラ
ン
ス
の
実
績
を
比
較
し
て
み
よ
う
(
表
5
)
。
ド 貿易動向を見てみよう。EU加盟については旧ソ連の諸
イ
ツ
は
輸
出
で
は
E
U
1
2
の
5
0
%
以
上
、
輸
入
で
は
シ
ェ
ア
を
9
0 共和国を除く中東欧諸国はいずれも、1996年3月に始ま
年
の
3
6
%
か
ら
9
4
年
の
4
7
%
に
引
き
上
げ
、
輸
出
入
と
も
単
独
で るマーストリヒト条約条約改正に関するEU諸国政府間
議
の
終
了
(
1
9
9
7
年
前
半
と
予
想
さ
れ
て
い
る
)
か
ら
半
年
後
過
半
を
占
め
る
時
期
も
遠
く
な
い
と
思
わ
れ
る
。
そ
れ
に
引
き
換 会
え
フ
ラ
ン
ス
は
輸
出
入
と
も
に
,
0
%
を
切
っ
て
い
る
。
と
り
わ
け に、マルタ、キプロスとともにEU加盟交渉を開始でき
−83−
一
11
1
1
.
7
%
出
所
)
E
u
r
o
s
t
a
t
,
乃
α
此
S
t
q
t
i
s
t
Z
c
s
よ
り
作
成
ECレベルの金融自由化プロジェクトによるものであり、
これまたドイツ一国の経済力.金融力.政策によるもの
一
型z−L言幾万国羅毒堂蛍函
替取引ではロンドンがフランクフルトと桁違いの取引量
を誇るなど、世界最大のロンドン市場における諸外為銀
欧の「ドルからの自立」はEMSによってまず制度レベ
ルで実現したといえる。当然のことながら、ドルは今日
までEMS諸国の対外的な為替相場の操作や時にはEM
国為替市場におけるマルク取引きの著増をもたらしたE
S諸国の為替相場介入に使用されているが、1992年9月
C域内の証券クロスボーダー取引きも、市場統合という
や93年7月のEMS危機の際に数千億マルクにのぼる巨
額の介入がほとんどすべてマルクによってなされドルが
輸出
5
1
,
3
5
4
53,928
三川則
のではなく、ECあるいは西欧全体の経済力がドイツの
それとうまく結合してマルクをドル排除のプレイヤーに
押し上げていることが分かる。たとえばマルクの外国為
ドイツ
−■
パ通貨圏」という性格をも帯びている。マルクの為替媒
単位:100万ECU
一
均均一
たEMS(欧州通貨制度)は80年代半ばに至ってEC諸
国の為替相場の安定に成功した。EMSでは1980年代後
半から明確にドイツ・マルクが基軸通貨となり、EMS
参加国の為替相場の運営の基準、準備通貨、介入通貨と
して大規模に使用されるようになった。従来は準備通貨、
介入通貨として主としてドルが使用されてきたので、西
貨建てのユーロ起債が可能になったように、「ヨーロッ
表4独仏両国のEFTAとの貿易(1999二幽
−1
動を放置するものであったので、ECではすでに1970年
代から「ドルからの自立」をスローガンにして地域的為
替相場圏形成の試みがなされてきた。1979年に創設され
うに、EMSの成功は、一方でマルクの基軸通貨化、為
替媒介通貨化をもたらし、西欧を「マルク通貨圏」に転
化したといえるが、他方ではEC周辺国を含めて自国通
%%
%%
%%
比%
1
1
0
5%
7
年1
1
0
5
7
EMSに参加し為替相場が安定したことによる。このよ
64158
前一
替市場において直接取引のない通貨の間の取引を媒介す
る通貨のことであって、為替媒介通貨自身はすべての通
貨と直接に取り引きされていなければならない。戦後は
ドルが西欧を含めてグローバルに為替媒介通貨として使
用されてきたが、米国のドル相場政策が相場の大幅な変
はるかに低いシェアしかあげていない。
部
分
的
に
損
な
わ
れ
て
き
て
い
る
。
第
1
に
E
F
T
A
3
カ
国
の
%%%%%
39636
3 7 2 4 11
いエスクード債などが発行されえたのは、ポルトガルが
ア
は
高
ま
っ
て
い
る
。
フ
ラ
ン
ス
は
輸
出
入
と
も
1
0
%
を
若
干
越
え
る
だ
け
で
、
E
U
貿
易
に
フ
ラ
ン
ス
が
占
め
る
シ
ェ
ア
よ
り
も
に
し
て
「
グ
ル
ー
プ
化
」
よ
り
も
E
C
化
、
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
化
の
傾
向
が
強
く
前
面
に
現
れ
て
い
た
が
、
こ
の
傾
向
は
ド
イ
ツ
統
一
後
%%%%%
39394
1
9312
1
cuITency)となった。為替媒介通貨とは、銀行間外国為
EC12カ国時代のEC経済においては市場統合をバネ
%%%%%
12603
11
041
一一一1
参加国が自国通貨建てでユーロ市場において証券発行を
行うことを可能にした。従来であれば投資家力輔入しな
一叩帥岫州仙
墹叩明明均一
1990年代に入って北欧諸国を含む西欧諸国の外国為替
市場においてドイツ・マルクが為替媒介通貨(vehicle
I
I
−
一
弓I
.一」
’
一
’
表5独仏両国の中東欧諸国との貿易
−
ドイッ
一
フランス
5.9%
−
輸入
前年比
1990
15,425
29.9%
11,370
24.8%
19 9 1
1
8
,
5
3
3
2
0
.
1
%
1
5
,
8
9
5
3
9
.
8
%
1992
1
8
,
5
3
3
0%
1
7
,
1
4
0
7.8%
19 9 3
2
2
,
0
5
0
1
9
.
0
%
9941 25,027
1
8
,
3
4
8
7.0%
1
3
.
5
%
2
2
,
9
4
8
24.8%
輸出前年比
’
2
,
5
9
7
-19.0%
輸入
4
,
1
6
4
2
.
5
%
-10.8%
3
,
7
1
5
289%
4,007
7.9%
3
,
9
2
7
4
.
9
%
4
,
0
6
1
1
.
3
%
4
,
0
0
2
1.9%
ノ
4,475
10.2%
'
蝿
今,耳平写
L_一
%%
22
98
12
15.4%
︾唖一
ツが旧ソ連に完全にとって替わった。1988年これら3国
鰯固
ポーランド、ハンガリー3カ国の貿易においては、ドイ
n
輸入11%を占めるにすぎなくなっている。CEECs4
もその重要性が増している5)。
上から分かるように、旧EFTA諸国および21世紀初
頭とみられる中欧諸国へのEUの拡大によって「ドイツ
は紛れもなく「ドイツ経済圏」に所属している。これら
経済圏」は今後さらに人口面、経済力の面で強まると予
の国の経済成長率はEU諸国より高い。したがって今後
EUの貿易に占める中東欧諸国のシェアは高まるはずで
ある。中東欧からのドイツの輸入の顕著な伸びはドイツ
企業が製造子会社や合弁企業をとくに中欧に配置し、輸
入を増やしていることによる部分がかなり大きいと思わ
想される
を占めており、ロシアはもっとも高いハンガリーで輸出
15%、輸入22%、もっとも低いポーランドでは輸出7%、
■UK
mNL
争
力
を
高
め
た
。
消
費
者
物
価
、
輸
出
物
価
、
賃
金
コ
ス
ト
の
い
ず
れ
で
測
っ
て
も
、
フ
ラ
ン
ス
の
価
格
面
で
の
国
際
競
争
力
を
示
す
実
質
実
効
為
替
相
場
は
8
7
年
か
ら
9
2
年
半
ば
ま
で
着
実
に
切
り
通
貨
統
合
計
画
を
主
導
す
る
こ
と
が
で
き
た
。
ミ
ッ
テ
ラ
ン
政
権
は
、
保
革
共
存
政
権
時
代
の
8
8
年
2
月
に
フ
ラ
ン
ス
大
蔵
省
力
覗
案
し
た
通
貨
統
合
計
画
を
堅
持
し
て
E
C
の
通
貨
統
合
計
画
の
進
展
を
主
導
し
た
。
周
知
の
よ
う
に
、
8
8
年
6
月
「
ド
ロ
ー
ル
委
員
通
貨
統
合
プ
ラ
ン
は
、
内
容
的
に
は
ド
イ
ツ
連
銀
の
要
求
を
大
幅
に
取
り
入
れ
て
は
い
る
も
の
の
、
ま
さ
に
フ
ラ
ン
ス
が
主
導
し
て
実
現
さ
せ
た
も
の
で
あ
る
。
第
1
次
ミ
ッ
テ
ラ
ン
政
権
の
緊
縮
政
に
よ
る
る
物
価
上
昇
率
の
西
ド
イ
ツ
へ
の
収
敬
と
い
う
成
果
を
間で失敗が明らかとなった。当時フランス社会党の内部 策
か
さ
ず
通
貨
統
合
提
案
に
結
び
付
け
た
フ
ラ
ン
ス
の
政
治
手
腕
にはEMSを離脱して成長政策を維持すべきであるとの す
先見性は高く評価されてよい。
離
脱
論
が
強
ま
っ
た
が
、
ミ
ッ
テ
ラ
ン
大
統
領
は
残
留
を
決
断
し
、 とだ
が1992年9月のEMS危機によってイタリアと英国
1
9
8
3
年
3
月
の
フ
ラ
ン
切
り
下
げ
を
契
機
に
厳
し
い
緊
縮
政
策
に
がEMSを離脱して大きく為替相場を切り下げ、その後
よって、失業率の上昇を甘受しながら物価上昇率を西ド
EMSに残留したスペイン、ポルトガルも為替平価を数
イツ並みに引き下げた。これによってEMSは安定し、
次にわたって切り下げた。これによって、(1)フランス
市
場
統
合
の
成
功
と
通
貨
統
合
計
画
の
順
調
な
進
展
を
支
え
た
。 の実質実効為替相場は実効相場(市場相場の加重平均値)
第
2
次
ミ
ッ
テ
ラ
ン
政
権
は
こ
の
E
M
S
安
定
の
成
果
を
収
種
し
、価格競争力はほぼ87年しベ
次ミッテラン政権は成立直後「社会主義政澗に挑戦し、
大企業の国有化、最低賃金の引き上げやケインズ主義に
よる景気刺激政策に乗り出したが、景気刺激政策は短期
は70億ドルに達しているが、ドイツのシェアはそれぞれ
31%、25%を占めている。また金融取引においてもこれ
らの国のユーロ市場でのシンジケートローンではドイツ
の銀行が主幹事を担当してアレンジしている。
また政府レベルではドイツはこれらの国と友好条約を
個別に結んで、第2次大戦中の侵略の補償やドイツ系住
民の権利保証問題に一応の決着をつけ、経済ベースの支
とともに大きく跳ね上がり
た
。
援を約束している。
第1にフランスは為替平価変更を拒否してEMSに
このようにドイツはすでに中欧3カ国とすでに密接な
「
擬
似
通
貨
同
盟
」
と
い
わ
れ
る
よ
う
な
為
替
相
場
の
安
定
を
も
関係を築き上げており、これらの国の経済成長にとって
たらしたが、それは物価上昇率の低いフランスの輸出競
なくてはならない国となっている。またドイツから見て
ルにもどった。(2)イタリ ア、スペイン、ポルトガルと
いう「西南グループ」諸国 と、ドイツ、ベネルックス、
プ」との格差と条件が大き
デンマークなど「北東グル −
−85−
−84−
L
I
下
が
っ
て
い
る
(
図
3
を
参
照
)
。
第
2
に
フ
ラ
ン
ス
は
E
U
の
(2)通貨統合領域でのバランスの喪失
通貨統合の分野ではフランスの思惑力噴徹したのは、
」
が
E
C
に
設
置
さ
れ
て
通
貨
統
合
計
画
の
具
体
案
作
り
を
行
1
9
8
8
年
第
2
次
ミ
ッ
テ
ラ
ン
政
権
が
成
立
し
て
か
ら
1
9
9
2
年
9
月 会
い、最終的にマーストリヒト条約に盛り込まれた。この
の通貨危機までであったといえよう。周知のように第1
資はチエコ、ポーランド、ハンガリーに集中しているが、
1990-93年の累計はチェコで20.5億ドル、ハンガリーで
ランスは3位で8%である。ついでにいえば、チエコ、
y
きく59%にも達する。やはりイタリアが2位で12%、フ
唖仙唖
3位で9%である。輸入ではドイツのシェアはさらに大
■自国
3%を占めている。次いでイタリアが15%、フランスは
一
E
_
o
t
h
e
r
s
EU統計では先進諸国に区分されている)とスロバキア
が加わる可能性もある。もっともこれら諸国のEU加盟 れる。
の時期については具体的にはなにも決まっておらず、E
またドイツの直接投資においても中東欧のウェイトは
U構成国の「東への拡大」に対する積極性もバラバラで
最近上昇している。西側諸国による中東欧諸国の直接投
ある。EUとの所得格差も大きいので、加盟までにはな
おかなり長期を要するとみた方がいいであろう。
それはともかく、EU加盟に経済水準の点でもっとも
近いと見られるポーランド、チェコ、ハンガリー、スロ
ベニア4カ国をCEECs4(中東欧4カ国)として一
括し、これら諸国とEU各国の貿易シェアを捉えてみよ
う(1994年、図1,2)。まず輸出ではドイツが単独で5
KL
UN
ぼ同程度であったが、1993年にはドイツがほぼその程度
□Ⅲ
95年12月段階の加盟申請国はチェコおよび旧ソ連の共和
国を除く中東欧8カ国一バルト海3国を含む−とキプロス、
配守山
皿[U
の輸出に占めるソ連のウェイトは25∼30%、輸入でもほ
蹄、
ることになった(95年12月のEU首脳会談の決定。なお
搦囲
■Germany
EItaly
ア(旧ユーゴスラビア最北の共和国で工業化水準力塙く、
’
5
三
いって第1候補であることは疑いない。これにスロベニ
59.2%
_ _ 一
出
所
)
E
u
r
o
s
t
a
t
,
Z
y
r
z
d
e
S
t
f
z
t
i
s
t
i
c
s
よ
り
作
成
マルタ、トルコの11カ国である。チェコも96年には加盟
を申請すると予定されている)。しかしEUがどの国と
加盟交渉を開始するかは、欧州委員会の報告をもとに閣
僚理事会が決定することになっている。しかし中欧のポー
ランド、チエコ、ハンガリーが市場経済化の進展度から
53.1%
6
13.3%
9.1%
注
)
4
aS
’
6.0%
一
1
1
.
7
%
シェア(%)
│
i
:
前年比
一一
輸出前年比
1
一
図2EC12のCEECs4への輸入(1994年)
図1EC12のCEECs4への輸出(1994年)
100万ECU
単位
■
一一
画
詞
一
I
一 一 一 一 一 ー
■■
F−
l■■
−
Ⅱ
てこにドイツの譲歩を引き出すというような方向性であ
する道である。高い失業率にもかかわらず通貨統合を追
る。この方向性はシラク大統領のポリネシアでの水爆実
求し、EUの中核諸国とともにECUあるいは「ユーロ」
験という企てにその姿をかいまみさせたが、この種の政
という名の事実上のマルクを使用する通貨圏のメンバー
治ケームは、米国とロシアの動向・対応を反映しながら、
となり、ドルに対抗するヨーロッパ通貨の力を借りてフ
EU統合の背後で今後とも続けられよう。
ランス経済を強化する。つまり通貨統合の力をフランス
図4フランスの経営収支の構成(1981-1994)
80
60
40
第3は「ドイツ経済圏」に対抗しうるような「ラテン
の力に転換するという既存の統合路線である。このケー
経済圏」の拡張である。フランスあるいは「西南グルー
スでは、地中海のみでなく中東欧においてもフランスの
プ」の経済力を強化して「ドイツ経済圏」あるいは「北
競争力を引き上げ、市場を確保するといった経済面での
東グループ」とバランスをとるための材料はほとんど見
フランス国家の行動も必要となろう。フランスの失業率
−20
当たらないが、EUの地中海政策の展開の中にその萌芽
は高く、図3のように実質為替相場も上昇しているが、
−40
を見ることができよう。1995年11月バルセロナで開催さ
その不利な条件の下で1992年から貿易収支が大きく黒字
れたEU・地中海会議は、EU15と地中海12カ国・地域
化し、経常収支もそれとともに改善している。したがっ
(イスラエル、PLOを含む)が2010年までにサービス、
てドイツとともに進むこの路線が国際収支面から脅かさ
農業を含む自由貿易圏を形成する、地中海諸国の経済の
れることはないと考えられる。
テイクオフを支援するためにEUは1999年までにEU財
現在フランスが選択しているのは、第2から第4まで
政から約60億ドルを支援する、そのために両地域が定
を組み合わせる方向であって、通貨統合を放棄する第1
期的にEU、産業界レベルで協議をもつ、などを確認し
の道ではない。もともと1988年2月に保革共存政権下の
た。今後政府レベル、民間レベルの経済開発会議が定期
フランス大蔵省が提案した通貨統合案は、ドイツ連邦銀
的に開催され、地中海地域の総合的な経済発展を目指す
行の頑なな物価安定一点張りの政策を欧州中央銀行を形
ことになっている。会議の開催にリーダーシップをとっ
成することによって覆すところにあったといわれている。
たのはスペイン、フランス、イタリアなどEUの地中海
しかし通貨統合はそのような操作主義的な意図だけで実
諸国であった。「バルセロナ宣言」には、移民の送還に
現できるものではない。それは金融政策を連邦化し、単
は移民の流出国が責任を負う、など、現在EU、とくに
一通貨という共同性を通貨統合参加国の国民に与える企
てである。独仏の不戦体制構築を政治的目的として開始
フランスやスペインが流出先となっている移民・難民問
済発展にならって、地中海諸国の経済成長を自由貿易圏
極限まで強める必要性はフランスの各界のエリートによっ
の形成と経済援助によって実現しようというのであり、
て確信されているように思われる6)。
その正否は今後のEUの「北東」と「西南」のバランス
に大きな影響を与えると予想される。ただしドイツ近隣
(3)ドイツの対応について
の中欧諸国に比べると経済発展の水準は低く、さまざま
ドイツでもコール首相が2月初めルーバンの聴衆に向
に複雑な問題をかかえている地域だけに、期待されてい
かって21世紀の「ヨーロッパでの不戦」のためには、欧
るような21世紀初頭の経済テイクオフが現実におきる
州統合の一段の進展が不可欠であると演説した。先にも
述べたように、もしドイツがマーストリヒト条約の通貨
統合の4条件を厳しく解釈してしまえば、現在ルクセソ
かどうかは、なお今後の推移を見てみなければならない。
第4はドイツとともに既存の統合路線に積極的に参加
-60
−80
−100
120
一 十 一 ト ー 声 − 1
19811
1
9
8
5
1
9
8
6
1
9
8
7
」
9
8
8
」
g
a
g
翌
里
翌
里
哩
皇
雪
1
9
9
4
彗二署諏豐三三蓋誌三一姜壷一
出
所
)
B
a
n
q
u
e
d
e
F
r
a
n
c
e
,
R
q
p
p
o
7
.
t
E
"
e
7
・
c
i
c
e
,
1
9
9
4
,
p
.
9
2
.
プ
ル
ク
の
み
が
通
貨
統
合
の
適
格
国
で
あ
る
事
実
が
示
す
よ
う
に
、
釈
し
て
、
フ
ラ
ン
ス
な
ど
コ
ア
諸
国
と
と
も
に
単
一
通
貨
領
域
を
形
成
す
る
弾
力
性
が
ド
イ
ツ
政
府
に
要
求
さ
れ
て
い
る
と
い
え
よ
通
貨
統
合
の
延
期
は
間
違
い
な
い
。
ド
イ
ツ
経
済
は
「
ド
イ
ツ
統
一
不
況
」
か
ら
9
4
年
に
は
回
復
に
う
(
弾
力
的
解
釈
は
マ
ー
ス
ト
リ
ヒ
ト
条
約
第
1
0
4
c
条
に
よ
っ
て
向
か
い
、
2
%
台
後
半
の
成
長
を
と
げ
、
9
5
年
前
半
期
に
も
成
長
可
能
で
あ
る
)
。
つ
ま
り
今
後
の
通
貨
統
合
の
過
程
で
フ
ラ
ン
ス
を
続
け
た
が
、
9
5
年
前
半
の
ド
ル
に
対
す
る
マ
ル
ク
高
騰
の
影
響
が
ド
イ
ツ
と
と
も
に
単
一
通
貨
領
域
の
ス
タ
ー
ト
を
き
る
こ
と
が
を
受
け
て
9
5
年
後
半
か
ら
急
激
に
設
備
投
資
が
減
少
し
、
消
費
も
で
き
る
か
ど
う
か
が
、
E
U
の
今
後
の
グ
ル
ー
プ
化
の
動
向
に
関
伸
び
な
か
っ
た
た
め
に
、
一
転
し
て
再
び
景
気
後
退
に
陥
り
、
9
6
す
る
き
わ
め
て
大
き
な
分
岐
点
と
な
り
う
る
。
仏
独
が
と
も
に
単
年
初
め
に
は
失
業
率
が
,
0
%
に
達
す
る
の
は
時
間
の
問
題
と
信
じ
一
通
貨
圏
に
進
む
こ
と
が
で
き
れ
ば
、
他
の
「
西
南
グ
ル
ー
プ
」
ら
れ
る
と
こ
ろ
ま
で
き
て
い
る
。
ダ
イ
ム
ラ
ー
.
ベ
ン
ツ
、
グ
ル
諸
国
も
そ
の
後
を
追
っ
て
単
一
通
貨
圏
に
参
加
で
き
る
展
望
が
出
、
/
デ
イ
ツ
ヒ
な
ど
大
企
業
が
生
産
拠
点
の
移
転
や
大
量
解
雇
を
発
る
。
し
か
し
も
し
フ
ラ
ン
ス
が
単
一
通
貨
圏
か
ら
通
貨
統
合
の
表
す
る
な
ど
、
決
し
て
明
る
い
展
望
を
経
済
に
抱
く
こ
と
の
で
き
「
4
条
件
」
な
ど
を
理
由
に
排
除
さ
れ
る
よ
う
な
こ
と
が
あ
れ
ば
、
る
状
態
に
は
な
い
。
そ
こ
で
通
貨
統
合
が
延
期
と
な
り
、
も
し
フ
「
西
南
グ
ル
ー
プ
」
と
「
北
東
グ
ル
ー
プ
」
の
分
離
が
顕
在
化
す
ラ
ン
ス
が
ド
イ
ツ
と
た
も
と
を
分
か
っ
て
「
西
南
グ
ル
ー
プ
」
と
る
可
能
性
は
残
さ
れ
て
い
る
と
考
え
た
方
が
よ
い
と
思
わ
れ
る
。
、
の
為
替
相
場
同
盟
に
走
っ
た
り
、
そ
こ
ま
で
い
か
な
く
て
も
こ
れ
そ
の
意
味
で
仏
独
を
「
中
核
の
中
核
」
と
捉
え
、
そ
の
密
接
な
強
ら
の
国
と
と
も
に
マ
ル
ク
に
対
し
て
大
幅
な
為
替
切
り
下
げ
を
行
調
の
み
が
グ
ル
ー
プ
化
を
阻
止
で
き
る
と
し
た
「
シ
ヨ
イ
プ
レ
ー
フ
な
ど
の
行
為
に
出
れ
ば
、
ド
イ
ツ
の
輸
出
は
さ
ら
に
打
撃
を
被
ラ
ー
マ
ー
ス
・
ペ
イ
パ
ー
」
の
指
摘
は
重
み
を
も
っ
て
い
る
。
池
り
、
企
業
の
長
期
期
待
の
悪
化
と
と
も
に
不
況
か
ら
の
脱
出
は
ま
蕊
礫
室
雛
震
繊
雇
r
X
X
"
"
b
p
u
/
。
,
"
"
W
"
・
"
・
・
h
"
"
#
。
.
"
…
.
h
"
"
"
.
"
層
“
U
e
b
e
r
l
e
g
u
n
g
e
n
z
u
r
e
u
r
o
p
a
e
i
s
c
h
e
n
P
o
l
i
t
i
k
’
’
.
し
た
が
っ
て
マ
ー
ス
ト
リ
ヒ
ト
条
約
の
財
政
条
項
を
弾
力
的
に
解
−89−
一 一 妻 ー
−88−
■ロー
一 一 ‐
11
るまい。北米自由貿易協定がメキシコを加え、さらに米
州自由貿易圏が構想されているように、またアジアの経
された欧州統合を完成にもたらすだけの巨大な企てであ
る。通貨統合にはドイツ統一の後に追加的な意義が付与
された。欧州中央銀行にドイツを取り込み、その「一人
歩き」、つまりEUを離れて中東欧地域で独自の「ドイ
ツ圏」が形成されるのを阻止するという意義である。そ
して今日にいたっても、通貨統合によって独仏の協力を
0
11
題という直近の重要問題も盛り込まれているが、やはり
中長期的に地中海諸国の経済発展(「テイクオフ」)をは
かることによって、「ドイツ経済圏」の一方的な拡張の
対抗錘とするという意図が隠されていると見て間違いあ
20
一
』■■■
一
●特集/
貨化・為替媒介通貨化と「欧州通貨圏」」、「証券研究」
September1994.
2)市場統合期のE.C域内直接投資については、田中素
第110号所収、1994年および同「ドルを駆逐して発展
地域経済圏の形成過程における技術の役割
香「EC市場統合と海外直接投資」、Outlook(国際
するマルク通貨圏」、世界経済評論、1994年10月、所
一アジア太平洋と西欧一
大学日米関係研究所)第19号、1993年、所収。
収を参照。
3)市場統合期のEC域内証券投資については、岩田健
治「欧州の金融統合」日本経済評論社、1996年、を参
照。
ツと東欧経済」東銀経済四季報1996年、所収。
6)EMSからEUの通貨統合の現段階までの展開につ
4)マルクの為替媒介通貨化については、井上伊知郎
「欧州の国際通貨、アジアの国際通貨」1994年、日本
レンヌ大学マルク・アンベール
5)茂木克明・篠田孝夫・佐久間浩司「統一後5年のドイ
いては、田中素香編著「EMS(剛卜│通貨制度)一ヨー
ロッパ統合の焦点一」有斐閣、1996年、を参照。
経済評論社および田中素香「ドイツ・マルクの基軸通
要約合は、経済主体の間だけでな
く
、
政
治
主
体
の
間
の
非
公
式
の
合
意
か
ら
生
じ
う
る
。
こ
う
し
た
産
業
統
合
の
過
程
の
中
心
に
経
済
統
合
を
論
じ
る
際
、
た
い
て
い
技
術
は
中
心
的
な
問
題
と
あ
る
も
の
が
、
技
術
で
あ
り
、
技
術
変
化
で
あ
り
、
技
術
習
得
で
は
な
ら
な
い
。
主
流
派
の
経
済
理
論
で
は
、
世
界
は
n
個
の
国
民
あ
る
。
こ
こ
で
は
重
要
に
な
る
の
は
、
関
税
よ
り
も
、
対
外
直
接
経
済
か
ら
な
り
、
そ
れ
ら
は
多
か
れ
少
な
か
れ
自
由
に
取
引
が
行
投
資
と
技
術
移
転
で
あ
る
。
た
し
か
に
E
C
は
、
こ
の
よ
う
な
産
わ
れ
る
n
個
の
市
場
で
あ
る
と
考
え
ら
れ
て
い
る
。
つ
ま
り
こ
の
業
統
合
の
一
部
の
要
素
を
享
受
し
て
は
い
る
。
と
く
に
、
E
C
計
枠
組
み
で
は
、
経
済
統
合
は
個
々
の
経
済
を
幾
つ
か
の
グ
ル
ー
プ
画
の
副
産
物
で
あ
る
欧
州
情
報
技
術
研
究
開
発
戦
略
計
画
(
エ
ス
に
集
計
す
る
過
程
以
上
の
も
の
で
は
な
い
。
ま
た
そ
う
し
て
で
き
プ
リ
)
、
あ
る
い
は
E
C
計
画
で
は
な
い
が
欧
州
先
端
技
術
協
同
開
た
k
個
の
グ
ル
ー
プ
(
k
<
n
)
が
資
源
配
分
の
歪
み
に
よ
っ
て
他
発
計
画
(
ユ
ー
レ
カ
)
が
そ
う
で
あ
る
。
し
か
し
こ
の
種
の
統
合
の
グ
ル
ー
プ
や
世
界
全
体
に
福
祉
の
低
下
を
も
た
ら
す
こ
と
は
ま
は
実
は
、
主
に
ア
ジ
ア
太
平
洋
で
経
験
さ
れ
て
い
る
も
の
な
の
だ
。
ず
あ
り
え
な
い
。
あ
る
と
す
れ
ば
、
経
済
の
間
に
完
全
な
自
由
貿
こ
の
「
生
産
統
合
」
の
過
程
に
お
い
て
は
、
日
本
の
多
国
籍
企
業
易
が
な
い
か
ら
で
あ
り
、
ま
た
統
合
の
過
程
が
グ
ル
ー
プ
内
に
自
が
、
ま
た
範
囲
は
よ
り
狭
い
が
中
国
の
ビ
ジ
ネ
ス
・
ネ
ツ
ト
ワ
ー
詞
本
稿
は
、
第
’
節
で
、
こ
う
し
た
統
合
が
「
交
易
統
合
」
で
あ
ば
、
い
か
な
る
情
報
、
分
析
で
も
歓
迎
す
る
。
幸 一
ることを論じる。欧州共同体(EC)は世界における交
易統合の最良の例である。しかしながら、このような統はじめに
合過程の結果は、地域間貿易を高めるものでなければな
らない。このような結果の利益、そしてこのように国際
地
域
統
合
と
は
、
統
合
の
様
々
な
形
態
を
カ
ヴ
ァ
ー
す
る
一
般
的
に
困
難
な
過
程
の
利
益
は
、
経
済
成
長
の
点
か
ら
見
て
、
す
べ
的
表
現
で
あ
る
が
、
そ
れ
ら
の
形
態
に
は
し
ば
し
ば
次
の
よ
う
な
て
の
加
盟
国
に
顕
著
な
成
果
を
与
え
る
そ
の
能
力
に
あ
る
。
逆
説
名
称
が
与
え
ら
れ
て
い
る
。
域
外
諸
国
と
の
関
係
に
つ
い
て
共
通
的
で
あ
る
が
、
ア
ジ
ア
太
平
洋
は
こ
の
よ
う
な
過
程
を
も
た
な
い
の
規
則
を
定
め
る
こ
と
な
く
、
グ
ル
ー
プ
内
の
通
商
を
自
由
化
す
に
も
か
か
わ
ら
ず
、
地
域
間
貿
易
の
相
対
的
重
要
性
の
点
で
西
欧
る
自
里
亘
塁
型
壷
。
逆
に
域
外
諸
国
と
の
関
係
に
つ
い
て
共
通
の
に
き
わ
め
て
近
く
、
世
界
の
地
域
間
貿
易
で
世
界
一
の
域
外
輸
出
規
則
を
定
め
、
共
通
の
対
外
関
税
に
よ
っ
て
一
種
の
共
通
通
商
政
地
域
に
さ
え
な
っ
て
い
る
。
し
か
も
、
ア
ジ
ア
太
平
洋
の
経
済
成
策
を
採
用
す
る
盟
塾
回
里
。
関
税
同
盟
を
こ
え
て
、
商
品
だ
け
で
な
く
資
本
や
労
働
の
生
産
要
素
の
自
由
な
移
動
を
目
的
と
す
る
韮
長は群を抜いている。
第
Ⅱ
節
で
は
、
経
済
統
合
に
対
す
る
も
う
一
つ
別
の
考
察
方
法
回
重
塗
。
欧
州
連
合
(
欧
州
同
盟
)
の
よ
う
に
、
単
一
通
貨
を
目
へ
目
を
転
ず
る
。
わ
れ
わ
れ
異
端
派
は
、
資
源
配
分
を
扱
う
代
わ
標
と
す
る
廷
童
回
望
。
こ
の
経
済
同
盟
は
、
財
政
・
通
貨
政
策
を
り
に
、
資
源
創
造
の
過
程
に
注
目
す
る
。
そ
こ
で
分
析
す
べ
き
は
、
統
一
し
経
済
政
策
全
体
を
強
力
に
調
整
す
る
こ
と
に
よ
り
可
能
に
「
生
産
統
合
」
で
あ
る
。
す
な
わ
ち
一
国
だ
け
で
な
く
地
域
を
基
な
る
。
あ
る
い
は
経
済
同
盟
が
こ
れ
を
可
能
に
す
る
。
と
こ
ろ
で
、
礎
と
し
た
生
産
組
織
で
あ
る
。
こ
れ
は
貿
易
障
壁
の
全
般
的
な
縮
こ
れ
ら
の
形
態
に
は
ど
こ
に
も
技
術
と
い
う
言
葉
は
見
あ
た
ら
な
減
や
公
式
の
政
治
的
合
意
を
要
請
す
る
も
の
で
は
な
い
。
こ
の
統
ぃ
。
と
い
う
の
は
、
こ
こ
で
考
え
ら
れ
て
い
る
経
済
と
は
、
財
の
−91−
−90−
■ ロ ー マ = ー =
一=一一一一‐一−−−−。
一
一回一弾琴畠二.
庁腓rllllllI恥■,llkIlⅢ厩ⅡⅡ11
由
貿
易
を
も
た
ら
し
、
グ
ル
ー
プ
間
に
は
も
た
ら
さ
な
い
た
め
で
ク
が
、
き
わ
め
て
重
要
な
役
割
を
果
た
し
て
い
る
よ
う
だ
。
し
か
あ
る
。
そ
れ
ゆ
え
、
統
合
の
過
程
は
、
通
商
政
策
に
つ
い
て
の
グ
し
な
が
ら
、
こ
の
過
程
が
ど
こ
ま
で
進
展
し
て
い
る
か
に
つ
い
て
ル
ー
プ
内
各
国
経
済
間
の
政
治
的
合
意
の
結
果
な
の
だ
。
は
、
は
っ
き
り
し
て
い
な
い
。
こ
の
問
題
に
関
す
る
も
の
で
あ
れ
一
総輸出割合 総輸入割合
域外製品
西 欧
44
27.6
31.9
アジア
26.3
28.3
35.6
北 米
16.8
22.9
22.0
世界全体
3641
1804
1288
アジア19
71-1980198
1-1990199319931981-19901974-1980欧雨『
本 4
4.3 . 4 一 一 一 一
日
香 港 9 . 3
7.2
0.11.32.22.2ドイツ
5.40.72.02.5ベルギー
韓国9.09.9
5.2
2.62.11.6デンマーク
シ ン ガ ポ ー ル
9.7 7 . 9 6 . 3 −
ム
9 . 3 8,
.5
且湾 5
1.03.02.1スペイン
9
1.42.42.6フランス
中 国 7 . 9
1
0 . 1 −
10.1
1.5
1.53.4ギリシヤ
インドネシア7.75.5
6.7
4.0
マレーシア7.86.0
8.4
1.5
フィリピン6.01.0
11
.
0.
タ 7
イ
.
9 7 . オ
8 7 . 6ラ
0.8
出所:Paribas,1995,表1
3.64.7アイルランド
2.23.8イタリア
6
一
2.02.4 ダ
ン
2.7
3.4ポルトガル
亜’27109
1
英
国
■■■
−
ァ「
’
書、1993年=EU条約)を通して、ヨーロッパが真剣に
っ科学技術の研究開発の努力」を奨励すると規定してい
検討してきたのは、財・サービス‘資本といった諸市場
る。ヨーロッパのレベルでの調査研究および技術につい
の統合、つまりそれらの自由な流通であり、また人・労
て多少とも幅をもって計画された行動に関心がもたれた
働者.観光者の自由な往来だけである。欧州機構には、
のは、欧州建設の初めにさかのぼる。1951年パリで調印
「統合された」経済総体の政府力蝶持すべき行動手段に
された欧州石炭鉄鋼共同体(CECA)条約は第55条で
匹敵するものは与えられていない。その成長にもかかわ
「最高当局は科学技術と経済の研究を促進しなければな
らず、共同体の予算は各加盟国予算の5%に達せず、ま
らない」と規定していた。これは石炭と鉄鋼に関連する
た共同体の域内総生産(PIB)の12.5%以下である(2)。
力、公共財、情報の遍在といった諸種の市場の失敗を是
ものだが、1957年の条約で創設をみた欧州原子力共同体
(EURATOM)は、核資源エネルギーを民間向けに管理
することを目的とするものであった。より広範な調整行
動が生まれるのは、もう少し後になってからである。19
正することにかかわる政策決定の形態」)をほとんど持
71年、西欧19ケ国によって、「科学・技術研究分野での
ち合わせていない。しかし、これは受け入れ可能な別の
欧州協力(COST)」が設置された(現在は25ケ国で、
政治的選択肢が存在しないがゆえに、欧州建設がとらざ
中.東欧諸国も同じように一部行動に参加することがで
るをえない進路であるように見える(Majone,1992,p.
きる)。COSTが行動を開始するには、少なくとも5ケ国
132)。この意味で、ヨーロッパの調和・統一・標準化の
が関係していなければならず、これ以外の国も望めば、
過程は、こうした全体の一つの構成要素をなす。さらに
その後参加することができる。その目的は、各分野の研
注意すべきは、まさにこの標準化に関して、資源創造の
究について各国プログラムを調整することである。共同
過程および技術へのその影響は、無視しえない、という
で調達された資金(ささやかなもので1994年は800万エ
ことである。しかしこれについては、ここでは論じない。
キュ)は、調整、シンポジウムの運営、報告書作成に関
そのうえ欧州機構は、一連の「独立した規制機関」を設
置することで確保される「規制」能力(「外部性、独占
=
EU成立に至るまで進められた関税障壁の縮減となら
するものだけである。1974年、欧州理事会(1月)は、
‐
’
’
んで、ヨーロッパの制度的な実体は、共通農業政策に主
COST以上に重要な協力の基礎を規定し、「科学.技術
として割当てられる予算のそれである。この予算政策は
研究委員会(CREST)」の創設を決定した。しかし、共
本来的に再配分的で、とくに不利な立場にある地域のた
同体が産業支援を見据えた研究政策の諸要素を据えるこ
めの種々の構造基金によって補完され、全体で予算の四
とになるのは、ダブリンでの欧州理事会(1974年11月)
分の三がこれに割り当てられている。既に規模を縮小さ
の後である。これにはダビニョン元EC副委員長のテコ
れたことを思い起こせば、この予算はとるに足らないも
入れがあった。これは市場による資源配分の過程を乱さ
のだ。エスプリのように国際的に強い「ブランド.イメー
ないとの考えを保持しつつ行われる。それは市場の自由
ジ」のある計画を含め、研究政策は予算面でごくわずか
である。エスプリの予算は研究予算全体の15%でしかな
な機能環境を監視する者の怒りを委員会内部に招かなし、
ようにするためであるが(ローマ条約85条違反を監視す
る競争政策担当欧州委員と欧州委員会第四総局)、委員
らはこの機会に、互いに協力するヨーロッパ企業を支援
することを可能とするために、前競争的研究というアイ
デアを思いついている。ダビニョン元副委員長は以下の
ような支援策を打ち上げた。共同体の負担する援助総額
は、少なくとも異なる2加盟国の少なくとも2企業が情
く、研究予算そのものも共同体予算の3.5%でしかない。
共同体予算が加盟国予算の5%に達していないことを改
めて思い起こしてもらいたい。
しかし、EU条約(1993年)は、欧州共同体が技術の
重要性を認めたことを明確に示している。条約の130f条
は「共同体は共同体産業の科学的および技術的基盤を強
化し、その国際競争力の発展を促進するという目的を持
報技術分野で共同で進めようとしている全ての研究プロ
ジェクトに対し、当該企業が割り当てたものと同額とす
っ」と規定している。さらにこれを達成するために、共
一
同体は企業、研究センター、大学に対し「高度な質を持
幽 一 一
る、というものだ。元副委員長はまず初めに、同分野の
−96
一
卓
P
二
国
一
画
_
一
一
一
一
一
一
= 一 一 ・ ・ 一 ・ ・ 壹 二 言 = ‐
』
表8JESSIの顕著な成果
暫定値
分野
予算(100万ECU)
プロジェクト数
提出|予約
1 4 2
.データベース
1 1 3
実行額|当初予算
実 験 的 応 用 : . シ ス テ ム エ 学 ’ 3 0 1 6
・ 射 出 技 術 1 8 8
.配分システムとデータベース127
. 人 間 工 学 / 安 全 1 1 3
. ユ ー ロ ス タ ツ ト 2 5 8
2.構成部品とサブシステムのための技術
’181144190175
、 ケ イ 素 の 方 法 7 2
.調整("パツケージング")174
. 備 品 3 8 1 1
・概念の手段と道具(システム・レベル・デザイン)5218
. 平 面 図 9 3
・ マ イ ク ロ シ ス テ ム 2 3 5
. 基 本 職 務 と 学 術 的 支 援 3 5 1
3.マルチメディア。システム(MS)90204338
. マ ル チ メ デ ィ ア 技 術 5 4 1 3
・パイロット・システム
3 6 7
5.オープン・マイクロプロセッサー・システム・イニシヤテイブ(OMI)’52127163159
・技術
29116
・ シ ス テ ム 統 合 1 5 8
. 配 分 と 増 感 8 3
7.企業プロセスのための技術(TBP)74212022
.実験的一企業のよりよい実践6620
・技術の配分と移転
8.生産での統合
8 1 1
88125153148
・ 技 術 2 1 7
.バーチャル企業での理論計算295
. 生 産 で の 知 能 2 6 8
.必要性の定義付け:使用者への案内125
合計
2段階の手続き:4.長期的研究
626*’178*拳’307***’280
12112115
*㈲随措置に対等蔦鶚臺講鴇議鍜手:捌要鶚鍋。
**付随措置に対する3件の要請と予備的助成金に対する5件の要請を追加。
***付随措置に52万ECU,予備的助成金132万ECUを追加
術
1 2 1 3 5
機器と素材
一
ヨ
ー
欧
州
出
身
の
セ
ミ
コ
ン
ダ
ク
タ
ー
生
産
者
間
の
技
術
的
協
力
一
A
S
M
L
は
現
在
、
写
真
中
継
機
の
供
給
業
者
と
し
て
は
世
界
’
の創設3位。シェア(市場占有率)は14%
一一一一−一一一一一一一一一一一一一一一・
1 . ソ フ ト ウ ェ ア 技 術 ( S T ) 1 4 1 4 1
. シ ス テ ム エ 学 2 0 4
.配分システム
技
一
シ
ユ
ル
ベ
ル
ジ
ェ
A
T
E
は
複
合
超
L
S
I
の
テ
ス
タ
ー
を
提
案
薑
螺
諒
哩
蓋
雲
霧
藤
獅
w
ラ
ー
リ
ー
で
の
、
競
争
可
能
な
欧
州
資
源
の
創
成
一
リ
ッ
カ
ー
は
2
0
0
,
1
片
の
主
要
供
給
業
者
と
な
っ
た
ー
小
環
境
適
用
の
お
か
げ
、
1
0
0
の
階
層
で
作
業
を
す
る
セ
ミ
コ
ー
A
S
T
は
急
速
に
高
温
に
な
る
オ
ー
プ
ン
の
重
要
な
供
給
業
者
ンダクター生産工場
−
M
C
M
_
D
タ
イ
プ
の
マ
ル
チ
半
導
体
モ
ジ
ュ
ー
ル
の
開
発
一
エ
リ
プ
ソ
メ
ー
ト
ル
・
プ
ラ
ズ
マ
・
モ
ジ
ュ
ー
ル
の
世
界
市
場シェアは32%に達した
になった
∼産業化されたマルチ半導体モジュール
一複合面を持つ欧州の実現
実 行
一DABの高度回線
−GSMとATMの高度回線
ーディジタルTVのための開発
∼JESSI共通枠組みは最初の開かれた枠組みである
ーアナログと自由混成の回線のトップダウン開発の道
具
∼設計中のCEMの問題を扱うことが可能な道具
−PMEのためのJessica計画
一
長期的研究
一一一一一一一一一一一一一一一一
、25脾mの技術
一
ア
デ
ク
ア
ト
(
A
d
e
q
u
a
t
)
計
画
の
枠
内
で
の
O
的に多数の段階での実行可能性
一パッケージ計画
一
コ
ワ
ン
(
C
o
i
n
)
計
画
の
枠
内
で
の
C
V
D
に
よ
る
銅
の
相
互
連
結の実現
考すれば、下記のようなマトリックスを作ることができ
ては、Humbert,1995参照)。「共同市場の外では、ヨー
の生産ネットワークを示した地図(図2)によって説明
ロッパ企業は、相手国からヨーロッパ的なものとして受
されよう。しかし、ヨーロッパの政治的・行政的な櫛築
けとめられているが、実際には、加盟国企業にとどまっ
の深化が生産統合に対して大きな関わりがあるかどうか
ヨーロッパの経験について、最適な方法は(a)と
ている場合がほとんどなのだ」(Buigues,1991,p.44)。
はほとんど明らかではない。Abbeglen(1994)はアジ
(b)であったように思われる。ある意味で、エスプリ
国境を超えた合併・買収の強力な動きがあることは確か
アにおけるトヨタの活動図を提示した。図には記されて
計画はタイプ(a)と考えることができる。というのは、
である。しかし多くの研究によると、1980年代における
はいないが、これには同様のことが示されている(図3)。
ブリュッセルでの行政機関によって中継される政治主体
この動きは、ヨーロッパにおいては、同一国の諸企業で
図4アジア太平洋地域
る(表9)。
が「統合」作業の決定者であったからだ。このタイプ
図2欧州でのフォード。フェスタ牛産ネットワーク
あれ、共同体加盟国企業と非加盟国の企業とであれ、よ
(a)は、より一般的には経済通貨同盟につながる古典
り多く、アメリカに関係していた。この現象は一般的に
朧撫;
みられるものであり、つい最近まで頻繁に、ヨーロッパ
華邑一‘‘三-4鐸空
I
大陸に設置された最もヨーロッパ的な企業(要するに、
ENFIELD
In郡fum6ntz.f凹Clと
的な政治的タイプである。これに反してユーレカ計画は、
I
e
l
h
政治的決定によって、経済主体が生産統合へのワンステッ
wOYer9aU903・pIug3
坐足オーー雪空室、錨
F愁冤。
BASILDON
Radialor3ow醜
プとなる取り決めを結ぶことに道が開かれる限りにおい
pump””mbIV
enqinDcDmDon
所属が特定の国よりも共同体であることがはっきりして
壷
WULFRATH
│
:
:
:
撚
熱
"
催
恥"ノAg牙ombノv
COLOGNE
Dio−c“rwpnl
onQ1ne色ompDr
ノ
ご
ノ
昇
ノ
/
e
n
9
i
n
“
1
1
‘
3
.
1
.
5
1
.
fou
u
n
n
d
d
J
『
Y
Y
pp
ro
rd
o
u
d
c
u
t
“
i
g
pn
o
Q
1
1
C
c
n
的
9
i
i
n
n
o
O
c
C
a錘ing
g
旦
g
畠
聖
『
o
I
I
o
n
,
i
n
o
s
預一f・・z詫堕一ざ唾』gここ
SAARLOUIS
Fm訂JA”。'ZT型X
ノ
BodYpanol3・
/
りながら公式化されることはない。ヨーロッパ内部の枠
内には、統合に協力する公的主体間の非公式な取り決め
厩顯
伊
一.=己ら…島ロ
=
0
。
f
L
い一
C−
N−
I
F
唾A
恥極
一
しかしながら、共同体内部では多国籍企業は、企業間
の取引や、それに結びつきうる部門間の売買関係を強化
帥、
3
ひ
、
0
1
3
.
i
1
.
0
.
1
.
1
1
であるタイプ(c)の合意はない。
アジアの経験はこれとは逆に、マトリックスの二段目
念
図3ASEANでのトヨタの生産ネットワーク
一一
−
−
’
のラインに基づいている。まずタイプ(c)の方式をみ
duCtio1
E』
出所:Abbeglen,1994,pp.2,59,83
ると、ヨーロッパにはこの方式に対応するものはなく、
アジアの場合もヨーロッパの場合も、さらに多くの他の
またある意味では、欧州建設の明示的な政治過程の対極
例によって示すことができる(日本企業の指導下にある
に位置するものですらある。Perrault(1987)が示した
諸種の下位領域については図4の地図を参照)。
のは、ASEAN内に見られるように")、いくつかの商業
−
m
・
"
蝿
・−
1
…
,
…
“
ThaiIand
的合意とならんで、アジアにおけるこうした非公式な取
ThePhiliPpi!鹿⑱
−
一
2)アジアの教訓
論
は
以
前
に
G
r
e
e
n
w
a
y
(
1
9
8
8
,
p
.
6
8
)
が
得
た
結
論
を
こ
え
る
も
の
で
は
な
い
。
グ
リ
ー
ナ
ウ
エ
イ
に
よ
れ
ば
、
「
欧
州
連
合
が
産
業
問
、
企
業
間
の
取
引
の
成
長
と
結
び
つ
い
て
き
た
も
の
で
あ
る
こ
と
は
、
証
拠
が
示
唆
し
て
い
る
。
し
か
し
な
が
ら
、
つ
き
つ
め
て
い
え
ば
、
こ
う
し
た
成
長
が
統
合
が
存
在
し
な
い
場
合
よ
り
も
大
き
な
も
の
か
ど
う
か
に
つ
い
て
は
、
確
信
は
も
て
な
い
」
。
よ
り
強
力
な
地
域
的
生
産
統
合
に
つ
い
て
は
、
D
i
c
k
e
n
(
1
9
8
6
)
の提示した、ヨーロッパにおけるフォード・フイェスタ
り、それは個々単独の市場関係よりも緊密な諸関係であ
trimDfDduC1ion
ないことにも、注意を払わねばならない。
(
1
9
9
5
)
に
よ
れ
ば
、
「
子
会
社
間
の
統
合
の
度
合
い
は
、
欧
州
共
同
体
に
設
置
さ
れ
た
子
会
社
の
レ
ベ
ル
で
は
、
他
の
場
合
よ
り
も
顕
著
で
あ
る
」
と
指
摘
し
た
。
同
氏
に
よ
れ
ば
、
こ
れ
は
「
地
域
経
済
の
統
合
と
多
国
籍
企
業
の
戦
略
の
関
係
に
つ
い
て
の
仮
説
」
を
強
化
す
る
も
の
で
あ
る
(
p
.
3
8
8
)
。
し
か
し
な
が
ら
、
そ
の
結
残るとはいえ)「ネットワーク」と命名しうる関係であ
fuel1回nkBo
ノ
ノ
のうえ、ヨーロッパ企業の法的規定は相変わらず存在し
す
る
こ
と
に
よ
っ
て
、
目
に
見
え
る
形
で
統
合
を
進
め
る
点
で
、
無
視
し
え
な
い
役
割
を
果
た
し
て
い
る
。
1
9
5
7
年
か
ら
1
9
8
9
年
の
ア
メ
リ
カ
系
多
国
籍
企
業
間
の
交
流
を
研
究
し
た
D
e
G
h
e
l
i
i
n
c
k
る。制度的取り決めとは、いいかえれば、(不正確さが
c
“
I
n
g
9
.
9
0
回
「
&
1吋Ⅶ畑悶
雛職“
展させる可能性のあるタイプ(d)の間接的効果を有す
蕊
騨勇
DAGENHAM
噂f
僻:蝋鮴
BodYmnOIg.
とユーレカ計画は双方とも、制度的取り決めを大きく発
了rpnzmI”ODnp8
0n91nOCOmpOnC
.-仏‐軍睾塞-鈷錘&…一
いわれている。それでも欧州間の直接投資の動きは古く
■君睡
いるということだが)はアメリカ系資本の企業だったと
からのもので、無視しえないものだが、しかし、一国的
性格を強く帯びる本社をもとに中央集権化された諸企業
によって、地理的距離が接近している(共同体人口の最
大部分はブリュッセルから2000キロ以内に存在し、重要
な工業製品は直径1500キロ圏内で生産されている)。そ
て、タイプ(b)であるように思われる。エスプリ計画
。
・
95
’
出
所
:
A
b
b
e
g
l
e
n
,
1
9
9
4
,
p
.
2
2
0
り決めの重要性である。1985年に日本企業の子会社が従
産業統合を通じて地理的に近い諸国は一つの全体に組
業員の半分を外国で雇用していた地域には、関税障壁を
織され、投資.商品の交換、技術の普及.創造によって
その産業成長が可能になる。そこにはいくつかの道があ
縮減する一般的取り決めの要求はなかった。この点につ
り、それらを継続的に、あるいは選択的に、辿ることが
で
き
る
。
G
r
e
g
e
r
s
e
n
(
e
t
.
a
1
.
)
(
1
9
9
4
,
p
.
1
6
9
1
)
の
考
え
を
推
EAN各国政府が国内的理由から、ある程度制限的な政
表9地域生産統合の方式
日本の投資家がASEAN諸国が採用する制限的措置の大
組織の形態
篝
非
公
式
鶚
な
制
鴬
度
的
取
急
り
決
め
鵲
中心となる主体|
政治主体|経済主体|
いて日本の通産省の言い分が聞き入れられたのだ。「AS
策を取らざるをえないことは理解できる。しかしながら、
部分を同地域での事業活動にとって障害になると考えて
いることもまた事実である。この意味で、ASEAN各国
(。)│(b'│ 政措置府をが取自ら国なのい産こ業と政が策望をま実れ施るす」る(過5程)。でこ過の度柔に軟制性限は的、な
(
。
)
’
(
‘
’
’ Petri(1994,p409)など、多くの人によって確認され
(
a
)
(
b
)
(
c
)
(
d
)
-100-
101−
ト
b
l
四一==弓.−.−..,
.一
一 一 画 申 ■ 一 両 ■
. =
−
坐
−
日本がリーダーの役割を果たしていることは明らかで
EUが見据えているのは、依然として交易統合であり、
ジヨナルな協力においてこそ、最も持続的な政策革新は
建と台湾を包含するアモイ経済特区である。北東、東南
あたかも、標準的な国際経済論が貿易しか知らないのと
あるが、日本に対する関係国の貿易赤字は生産統合と飛
現れるのだ。東南アジア各国政府は、一国的な貿易障壁
アジアでいくつかの新たな提案が実現に向け動いている。
同様だ。一国の飛躍的な産業発展を進める目的でこの取
躍的な産業発展が進めば解消されるはずである。Lii
を緩和し、輸送手段や他のインフラストラクチャー開発
成長の三角地帯は、地域の実際的な政策アプローチに適
に向けた協力計画を採用することで、互いに近接しつつ
ている。というのは、複雑かつ抽象的な合意を必要と
も異なる国々に存在する補完的な生産センターを結びつ
ず、特に旧社会主義国家を含め、様々な経済構造を通
ける新たな手段を見いだした。最も効果を挙げている例
て実現し得るからである」。
り決めが促進しようと望むのは、直接投資と技術の普及(1994)が示したように、赤字は日本の投資と結びつい
である。一国的な飛躍的発展は、雁行発展論ているが、それだからといって、受け入れ国はこの投資
(Akamatsu,1961)が展望した方向を辿るものである。を断るべきではない。「受け入れ国はむしろ、日本の海
アジア太平洋での工業的.商業的統合は進展している外直接投資(FDI)−これは比搬資優位を有する−
が、多くの観察結果によれば、それは、ASEAN主要国を、産業発展でキヤツチアツプを加速し、二国間の技術
(マレーシア、タイ、インドネシア、フィリピン)と中的格差を低減させる機会として活用すべきである。技術
国における日本とNES(台湾、韓国、香港、シンガポーでのキヤツチアツプ過程で“後発国はより早く進む”と
ル)の直接投資に大きく支えられている。これらの諸国いう議論は、FDIの受け入れを奨励し、それとともに技
へのアメリカの投資は過去支配的だったが、1993年には術面での国際統合に加わることを奨励するはずである」
タイプ(c)のこの非公式な政治的取り決めは、交 易
が、中国の広東と香港とを橋渡しするシンセン自由貿易
特区であり、またシンガポール、マレーシア、インドネ
統合を唯一の目的としていないことは明らかだ。逆に
表10ASEAN(シンガポールを除く)と中国への主要な投資国
I■■
年 中 国
|米国
7 3 6 5 3 6
673
1989284
A
S
E
A
N
4
ケ
国
へ
の
全
投
資
の
8
.
6
%
に
し
か
過
ぎ
ず
(
表
1
0
)
、
(
1
9
9
4
,
p
.
2
0
1
)
。
550
1990456
3 4 8 1 1 9 1 3 1
1 5 3 6 9 5 9
1091
2 7 6 1 6 6 8 3
1131
1992
9 2 3 2 2 3 6 2
1233
1993
る
(
6
)
o
4 4 5 2 1 4 8 8
1141171330
1381
一一一一一■一一一一一一一一一一一一
一
−
−
−
−
一秘
2637
2
−6
−3
−7
−2 5 3 1 7 5
−
− −
−
一
1457
−
−
4409
世界合計
3194
2302
釜
三
三
二
一
驚
一一一一回一一一ー一一一一一一一一一一
2255
2298
−一一一一一一一一一一一一一一一
−−−−
804
│シャープ
Z泄_一
8031
一一一一一一一一一一一一一
4988
一 一 一
」│|||
|||||
1 rn司
lllll
ll×|||
×llIll
lllll
II|||
|||||
5
’
5 1 5 1 3 1 99 1 1 1
凡例
’
I応用エンジニアリング
I
’
11
Ⅲソフトウエア.エンジニアリング
Ⅳ製品開発
15
V一般的技術開発
−−週一
NESIC=日本電気システム建設
8
nlc設計
’
11
』
−103−
-102-
’ 、 更
一 … 一 一 画 − . − = −
ー
一‘。.一一−−−−−−−−−-一一一
蛸羽
−
949
は
8
ヵ
国
(
ド
イ
ツ
、
フ
ラ
ン
ス
、
英
国
、
イ
タ
リ
ア
、
オ
ラ
ン
ダ
、
ノ
ル
ウ
ェ
ー
、
デ
ン
マ
ー
ク
、
ス
ウ
ェ
ー
デ
ン
)
の
統
計
を
含
ん
で
い
る
。
N
m
S
は
韓
国
、
香
港
、
シ
ン
カ
ポ
ー
ル
、
台
湾
(
こ
の
う
ち
シ
ン
ガ
ポ
ー
ル
だ
け
が
A
S
E
A
N
加
盟
国
で
、
同
国
の
1
9
9
3
年
の
外
国
か
ら
の
投
資
額
は
1
9
億
5
1
0
0
万
ド
ル
)
。
デ
ー
タ
が
な
い
の
は
、
使
用
し
た
資
料
に
そ
れ
が
記
録
さ
れ
て
い
な
か
っ
た
と
い
う
こ
と
で
あ
っ
て
、
実
質
価
値
が
零
と
い
う
こ
と
で
は
な
い
。
lll,lllllIlllxlIlIl×|lIlII
,IllllllllllIlllIlI×lII|×|l
llllllllllllllllll×|lllll
lllllI|×|’|│×||||||Illl×||×l
llIll
lll||×|||,’’’’’’’’’’’’’’’
2
1
1
1
1
6
1
1
’’51
11
11112111111111111211
1
1
6
1
1
1
1314121
世
U
国別合計’'
- - -
出
所
:
G
a
n
a
n
t
=
D
r
y
s
d
a
l
e
(
1
9
9
4
,
p
.
2
7
7
;
1
9
8
9
年
ま
で
)
と
T
a
k
e
u
c
h
i
(
1
9
9
5
,
p
3
6
!
1
9
8
9
年
以
降
)
に
よ
る
公
式
統
計
。
マ
レ
ー
シ
ア
の
す
べ
て
の
統
計
、
フ
ィ
リ
ピ
ン
の
1
9
8
9
年
以
降
の
す
べ
て
の
統
計
は
、
製
造
業
分
野
の
み
に
つ
い
て
の
も
の
。
欧
州
×
×|×lll××||×
NESIC
295
=−−−V4り’5321424
亜
_一
−
×
× ×
×
|,lllll,llll,│×lll,lIlll
ll×|||,lllllllllllllllll
||×llll×│×||llllllllllI×ll
llllllllllllllllllllllll
N E C
10022一
×
’
メ ル コ
二一一一一一一・一一一一一一一一一一=−−‐
4719
−一一一一一一一一一一一一一一一
−lll’lll’|’|’’||||’|’×
×
| × ’ × ×
松 下
型一計一坐一
818167
1863473
−
−
= 一 一 一 一 ‐ −
×
日本ビクター
三菱商事
半
×
lllllll
コ事CCプ|K
− −
lll×||,
1 1 ’
I
×
日 立
“評池岬垰窄迎
19871620
−
−
−
−
−
−
‐
L
l
9
8
8
2
1
2
9
一
Ll9882123
'
I
n
l
m
l
m
l
l
l
」 IInlmllvIv
叩
ⅢIIvIvIIInlm
,│
湾|夕イ
1 Ⅲ│wlvIIInlmlwIv
Ⅱ川Ⅲ川、川川川川111
−
3524
マレーシア| シンガポール’台
1割一−1牌Illlい、
−
- - - 一
国|香
国而
−
1993
−
3045
965
港
韓祁
−
24746796
769993158
2241657306
929531210
150230872
83627041
17223638
1588607141
11971335323
25981100M
l9821015-6g
264634269
760
中而
1992
3281
ワーン|ン一オ一通
1991
114988348
9 1 7 6 7 1 2 6
53228429
6 一脚一”一祁一弛一唖叩繩弛一一獅班蝿辨
0
−2−2−11葺2−6−
7
2
1989356
1990503
表,,東アジアにおける日本のエレクトロニクス分野のR&D活動
- - 一
|河一︾︾|︾|澤
1988515
431
|’
1992
思われない。少なくとも70年代末まで、アナリストたち
11
1991
これにタイして日本とNIESはそれぞれ28%と26%。ま按術移転と、この地域における樹行移転に関する日本
たヨーロッパそのものも,3%と、アメリカを抜いてい企業の行動の現実に関しては、一致した評価があるとは
1987220
NIES
172
6 7 2 2 0 4 1 5 3
1993
日 本
タイ
1988236
1991
欧 州
、
単位 =100万ドル
インドネシアマレーシアフィリピン
1987263
11
シアを結ぶ「成長の三角地帯」であり、さらに中国の福
つせし
ている。ペトリは以下のように書いている。「サブ・リー
言 ■
’
− ‐
11︲
一
一 三 一 一 一 - 一 一 口 −
I
は次のように見ていた。日本企業は高水準の技術を要す
業的な統合は、ヨーロッパの結果を羨む必要など全くな
れは1996年1月1日に設置する最初の一連の削減措置
る労働については現地人を雇用せず、また実際に進出国
いほどのダイナミズムと水準に達しているようだ。もち
がまだ合意されていないためだ。
で研究開発を行わなかったために、ノウハウと知識の移
ろん、この推論はより正確かつ完全な統計で補わねばな
転はほとんど行われなかった。Chewetal.(1992)は
らない。我々がとくに知りたいのは、海外つまりアジア
これに関してASEAN諸国の裏切られた思いをたっぷり
でのR&D研究所の設置の役割について、また日本の研
流れの配分は以下の通り。単位=100万ドル。
(
5
)
J
o
u
r
n
a
l
o
f
J
a
p
a
n
e
s
e
T
r
a
d
e
a
n
d
l
n
d
u
s
t
r
y
,
N
o
5
,
一
正確なところはどうなのか?事態は技術普及にとって
てているか、ということである。同様に、より産業的で
より有利な方向に進展したと見る研究もある。まず、多
大企業の多い(?)日本のネットワークと、より金融的
くの日本企業は、相次ぐ円高に促されてアジアへの直接
で小企業の多い(?)中国のネットワークとの相互関係
投資を増加させ、地域的な地理的空間上で統合された生
を知りたい。ここで取り上げたテーマ以外にも問題は多
産を開始した。Tokugawa(1992)は、ソニーや三井倉
数あるが、そのなかでもとくにこの二つの問題は十分に
庫の例を挙げて、日本経済が成長するアジアに目を向け
韓 国
−
−
香 港
_
1993
論じることができなかった。
166
346
一
48
1 9 9 2 44
“
19931460
− _ 一 一 一
1989158
19911057
1992563
−
(1)Lafay=Herzog(1989,p.56)は西ヨーロッパ、
(日本を除く)アジアそして日本について、それぞれ
台湾8件、22件が韓国向けだ。日本企業が源泉となって
の(域内・域外の)貿易総量に対する域外輸出の割
地域的な技術習得が進んでいることは明らかだ。とくに
合をパーセントで計算した。彼らが示そうとしたの
エレクトロニクス分野が際だっているようだ。ET、nest
は、ヨーロッパの地位低下であり、またその国際的
(1994a,1994b)は、日本のエレクトロニクス産業のネッ
トワークが地域的に分散して発展していることを示して
いる。表11に見られるように、これには当該地域の国々
パフォーマンスに関してョ−ロッパ域内の輸出を含
下していることだ。1967年から1987年まで、ヨーロッ
にR&Dの研究所が設置されていることが含まれる。
パは15.3%から13.8%に低下し、他方アジアは4.3%
台 湾
−
一
1993131
フィリピンタイ
1 8 1 7 1
4 5 4 9
4 3 2 8
1 2 2 3 2
1 3 3 5 6 2
8 3 4 0
1 3 3 3 6
I
8 1 2 5
2 4 4 0 7
3 6 2 3
5 4 8 2
3 9 2 3 3
1 4 9 8 6 8
1 2 5 7 2
9 2 9 1
1331
出
所
:
1
9
8
9
年
は
Y
n
a
g
i
n
a
r
a
,
1
9
9
5
,
p
.
7
0
(
マ
レ
ー
シ
ア
に
関
す
る
数
字
は
疑
問
)
。
5 2 1 7
それ以外の年の出所は表10と同じ。
訳/斉藤正樹・大町慎浩
めた通常のデータと比較してヨーロッパの地位が低
アジアにおける地域的な産業統合は、日本のリーダー
から7.9%に、日本は4.8%から9.9%に上昇した。つ
シップに多くを負っているようだが、中国系の個人的、
まり1967年には、ヨーロッパは日本とアジアの統合
家族的ネットワークの活力に負う面もある。5000万人を
を考慮せずとも域外貿易でアジアと日本の合計を上
1
9
9
4
)
、
極
め
て
重
要
に
思
わ
れ
る
(
H
a
m
i
l
t
o
n
,
1
9
9
1
参
照
)
。
384
一
注
ことがわかる。このうちの53件はハイテク分野(世界全
体では348件)で、内訳はASEAN向けが8件、中国9件、
超える中国人が中国本土外のアジアで生活している。半
数は台湾、香港、シンガポールで、残りの大部分はASE
AN各国◎技術の普及に微妙な違いが生まれるとしても
(
P
e
r
r
a
u
l
t
,
1
9
9
4
)
、
中
国
人
の
役
割
は
企
業
の
活
力
に
と
っ
て
も
、
活
動
資
金
の
調
達
に
と
っ
て
も
(
L
o
u
l
e
r
g
u
e
e
t
H
a
t
e
m
,
一
1991
シンガポール
術移転(世界全体に向けたものは2000件近く)があった
■
一
一
1989
ている多くの例を示した。日本貿易振興会の資料を見る
と、1989年に500件の共同開発事業ないしアジア向け技
一
ア
1989466
1991301
1992617
1993661
1
98
940
7
−
−
一
1991278
19921018
’’一一1ll1ll3l5l2
究所との連携について、日本企業はどのような計画をた
マ’
− 年 イ ン インドネシア
ドネンZ
シ998025’849796848
−
2焔1
−1
122
4 9477682
1
9
8
6
,
p
.
1
8
,
P
e
r
r
a
u
l
t
(
1
9
8
7
,
p
.
2
)
か
ら
の
引
用
。
レ
と伝えている。
(6)ここ数年間のN函SからASEAN諸国向けの投資の
■
回っていたのに、1987年にヨーロッパは抜かれたと
いうことだ。しかしこれはアジアと日本の統合が考
慮されていないことによる。ヨーロッパは現在、ア
ジアと日本との貿易を除いても、追い越されている。
(2)1995年で1.21%
(3)1994年。EU予算で常に最大の支出項目は共通農業
政策である。1994年は歳出予算の52%。
結論
アジア地域について我々が持っている情報は確かに不
完全なものである。それでも、フォーマルな構造は比較
的弱くても、アジアにおいては、商業的のみならず、産
(4)ASEANは今日なお、2000年を展望した(1992年
時点で、目標は2008年)自由貿易地帯創設の作業に
手こずっている(1995年7月のベトナムの加盟は問題
解決に寄与せず、かえってインドネシアとフィリピ
ンの立場を保護主義的に強化したことは確かだ)。こ
-104-
−105−
−
1M画一■■曲四画■、皿印
一 一.ン『 一‐
−
−
ー
‐
−
_
_
_
一
−
−
−
−
−
−
.
−
−
=
−
_
_
−
−
−
−
−
コ
一
一
一
一
−
一
一
一
一
一
====ー一一一一一一‐−
●追悼河野健二教授
一一
’
REFERENCES
A
W
g
l
e
n
.
、
j
p
・
(
1
9
M
)
,
s
e
a
d
i
a
n
g
g
・
m
d
W
E
A
q
a
n
a
s
H
7
8
"
e
w
w
J
幻
伽
鈍
j
s
b
j
亙
ノ
“
、
灼
偲
N
e
w
d
Y
b
I
k
m
G
P
e
I
T
a
u
n
,
J
.
L
(
1
9
8
7
)
,
。
L
耐
勾
r
a
i
i
O
n
i
r
政
』
s
I
I
i
e
p
o
e
t
l
t
g
b
n
a
1
O
d
e
S
p
a
y
s
d
o
r
A
S
E
A
N
_
:
U
n
E
J
Y
g
g
W
m
i
n
a
c
h
o
v
6
d
a
n
s
d
e
s
6
"
n
o
m
i
e
s
l
r
a
g
n
z
n
t
6
e
s
・
,
C
a
h
j
9
届
d
E
b
o
”
m
j
B
ハ
イ
b
n
d
a
b
。
n
。
1
,
p
p
.
"
1
0
3
,
A
k
a
m
a
t
里
』
.
.
K
・
(
1
9
5
1
)
,
q
A
1
h
e
Q
"
o
l
u
n
b
a
l
a
M
e
d
g
m
w
t
h
i
n
i
h
e
w
o
閃
酵
o
n
o
m
戎
恥
ハ
術
f
s
c
h
a
伽
冒
7
“
P
⑧
『
T
a
l
j
h
,
J
.
L
(
1
9
9
4
)
,
.
T
m
n
p
e
l
a
I
加
『
t
m
j
t
j
o
n
p
o
r
o
c
i
l
:
o
n
t
m
p
r
c
n
o
u
I
s
s
a
n
s
l
n
d
l
l
或
加
d
a
”
ReePrB=・
r
6
1
"
t
m
n
i
m
」
e
e
n
A
S
i
O
。
,
i
n
B
6
r
a
u
d
e
t
P
e
r
r
a
u
l
t
(
d
i
r
.
>
,
動
幽
即
m
J
1
e
u
暦
伽
7
7
淘
盾
・
M
b
ノ
フ
゙
曲
,
M
3
E
c
イ
ト
Aノゴ7M86,2pp.195-217・
Neuvo&LBJ“e一国i胸n3dOrO㎡enl。pp、153-1餌.
B
a
a
s
s
a
,
B
.
(
1
9
6
1
)
,
7
7
7
0
l
h
e
o
l
y
o
f
e
"
n
O
m
彪
伽
物
危
地
瓜
H
o
m
e
w
W
,
i
r
w
m
.
P
e
t
(
。
P
人
(
1
W
l
毎
T
r
a
d
i
"
W
H
h
t
h
o
j
n
a
m
o
s
:
E
a
s
t
A
s
i
a
n
I
n
f
o
㎡
…
耐
n
n
e
n
a
m
A
m
o
r
t
a
n
i
n
l
o
r
o
s
I
s
・
,
DMGITborbpp、407.41Z
g
g
l
"
F
R
a
s
B
.
(
d
i
r
b
)
(
1
9
7
9
,
且
"
"
e
a
n
E
"
n
o
m
階
伽
”
届
ぬ
何
0
A
m
s
l
e
r
a
a
m
,
N
o
j
十
H
o
U
a
I
画
.
B
麺
r
漣
減
0
P
.
,
C
C
M
財
噌
,
K
'
e
t
S
u
g
d
e
n
,
R
・
(
W
s
)
(
1
9
9
4
)
,
E
t
"
叩
⑧
ち
‘
e
c
c
”
m
鯵
d
2
g
施
噌
歩
A
n
a
〃
雰
均
c
f
P
o
m
f
r
G
L
R
・
(
1
9
3
8
)
,
u
7
0
q
"
浬
ノ
掘
吻
j
伽
⑥
c
o
n
c
m
応
S
c
ノ
m
q
加
伽
a
l
D
〃
伽
1
o
m
a
"
n
a
j
旋
曲
P
C
脆
灼
島
BuigueS,R(1991),.L";勇y弓』哩哩『回唱鈍濯g9Ex哩幽_壁旦堅、雪聖空竣幽_哩勢
R
a
m
s
t
e
t
i
e
n
E
・
(
e
O
(
1
"
1
)
,
D
妬
α
拘
緬
柳
〃
7
v
e
s
"
"
!
"
A
s
畑
巻
"
I
E
I
m
i
W
G
c
o
n
o
m
l
b
s
a
n
d
s
坑
ノ
α
U
毎
ノ
afordOBasnBI2劇伽叫
m
“
冥
産
ノ
S
b
a
f
m
y
a
m
a
g
e
n
壺
わ
r
l
h
e
7
9
9
"
b
L
c
f
財
o
n
,
R
o
U
M
e
d
g
e
.
"arWO伽功OAS野砲”J"わ",BCulderbWesIneWPresS.
鍼師“暁LscasdeIaFra唾8etderAI輌己師e3C日ノ加鱈E画面7]々ugs酎mon‘i畠ル“bn.38,
pp.3a45・
R
o
b
S
O
n
,
P
.
(
1
9
8
0
)
。
7
7
1
0
E
画
"
。
m
応
s
o
ノ
M
e
m
a
比
"
a
ノ
〃
”
届
脆
"
'
,
L
c
n
d
O
n
,
G
C
o
I
p
o
N
I
o
n
a
n
d
L
U
I
T
v
i
n
・
c
h
e
w
.
S
.
B
.
.
C
h
e
w
.
R
.
j
e
t
C
h
a
P
,
E
K
(
1
9
9
2
)
,
.
T
P
P
W
W
y
i
j
a
n
s
i
o
r
f
r
o
m
J
a
P
a
n
i
o
A
S
E
A
N
:
t
r
o
1
U
s
画
面
卯
9
$
1
0
g
O
m
◇n
就
型
S
和
ね
岬耐岬
m
故河野健二教授
︾Z
戯
I
■
◆
■
n
u
a
岬
■
C
r
9
e
河野健二教授略歴
aM
評
極
岬燭P
酔
唖
皿
函一
︾一一
郵
m銅m・咋就
恥吻阻糎耐
郵、l
“”応
琴泡
鎚n
恥
恥
銅
,榊
H趣唾伽
幽
趣狗
か函
城ni
呼恥
u
d
n
・伯
,
鵬
暉酎
m皿
猷“
嫡趣伯
戟
屍wnや
榧吋
吋即銅
︾
“
窄函
r
b
郵 諏 施 叩 ri a C 画 亜 N
呼却
A。
輌蕊”y
、
e
m
畝
函
、。
伽d耐如
唖馴”
わ
翠姉e、
“凹率
試
a
伽歯
、雌
階卵︲。1曲“
C咽園・0
蜘
叫
師
、孵邸
句a醜
面
岬︽︾岬︾
e
m
p
■
壁御・函︲“
p姉ぢ10 h n
a
皿唯。
、 肋 睡・岬錘
嫡
−︾函︾一
由伽
q
徳島県に生まれる
1937年3月
第三高等学校卒業
1940年3月
京都帝国大学経済学部卒業
1947年5月
京都大学助教授(人文科学研究所)
1970年4月
HBHbJR.G.、帥"x。D.(1984),"画い,カブ“s〃ねノP。”and“、g“nmam応c血"#堀Tb『◎砥o。CdEcヨ
1975年8月
パルム.アカデミック勲章オフイシェ級
1960年4月
1968年4月
HoIWIの”,CemmofAslanSUld陰・
〆
E“”、蝿』a就錘I8L
麺1s11.
H
u
n
b
e
r
t
。
M
・
(
1
Z
a
f
L
m
m
p
a
"
"
g
r
a
i
P
m
a
r
c
h
d
s
u
r
r
e
l
e
c
I
I
D
I
M
m
j
e
a
,
,
o
p
@
e
n
n
o
・
,
"
m
n
x
j
n
t
a
i
m
n
劃
』
“
N
C
叩
0
画
1
9
9
3
.
r
O
n
t
r
e
p
庵
e
d
a
n
s
l
⑧
m
a
I
噂
h
6
u
n
I
q
u
e
・
c
P
a
『
f
s
‘
C
E
D
E
C
E
,
麺
p
、
I
1988年11月
京都市生涯学習総合センター所長
1996年8月
逝去
H
U
I
T
m
e
l
t
o
M
│
・
(
e
d
.
)
(
1
9
9
3
)
,
L
H
ノ
坪
⑧
危
“
日
欧
、
ロ
オ
a
U
b
n
s
m
o
r
“
ね
s
b
P
a
n
s
,
E
c
o
n
o
m
に
a
.
︾圭一
gU
︲C型蜘
︾唖
︻
似
○
伽
幽輌
唾
◎
唖
“
酎
唖
姉
姻
“
印
岫
宙
︾
︾
岬恥雑
嘩,
師叩
弱︾
函函
唖画燭
伽姉
1
g
“
睡心
銅9
。、d
肺
w
即
梱
o的S
u
“︾晒伽m
州
岬鯛燃鰄縦裡嚇
搬︾縦鯛
的.
師
州M
郡
a岬,
︾︾
︾鋤
R
劃司。
1
︲睡,A
吋︾唖︾“︾︾神州函〆
b
︲
銅
轆
︾
M
L
a
f
a
y
.
_
G
、
,
H
e
I
z
o
9
,
G
・
(
1
9
8
9
)
,
C
o
m
m
e
m
e
i
T
f
e
m
a
d
b
n
a
l
:
胞
痂
由
S
a
m
n
W
e
S
a
c
々
雄
,
P
a
I
i
s
,
E
“
n
c
I
丁
廼
.
9
露
「プルードン研究」(岩波書店,1974年)
「フランス・ブルジョワ社会の成立」(岩波書店,1977
年
)
『ヨーロッパ・1930年代』(岩波書店,1980年)
*資料集
「資料フランス初期社会主義』(編,平凡社,1979年)
Mブロック「フランス農村史の基本性格』(共訳,創
*主要著作.論文は、『近代を問う」全三巻(第一巻
「
フ
ラ
ン
ス
革
命
の
思
想
と
行
動
」
,
第
二
巻
「
資
本
主
義
批
判
の
立
場
j
,
第
三
巻
「
日
本
の
近
代
と
知
識
人
」
)
,
岩
波
書
店
’
1995年に収められている。
文社,1959年)
H.ルフェーヴル『パリ・コミユーン」上.下,(共訳,
岩波書店,1968年)
F.フュレ,Mオズーフ「フランス革命事典』(共訳,み
すず書房,1995年)
蝿
副
翠
秘a,⑧鈎0
r ,2
岬︲ 姻
姉
色
n
函
姉
い︾郡伽酷
1
︽
H︾
●
,●n
1
由
O
、
eず
B
6
剛
恥・班
︾
Rn
r
o
E
a咽
.、 伽 ・ 1 峰 ・ 却 咋
邸
酪
岬
日
吋,
︽麹
︾
噸
︾露
︾胸a
︾
拙い
威函
噸卵蠅
旧〃
2
褐
u 航的鰄
興
Aが揮
加 鰔刈
呼恥
釦
0
3
姉醜”
、
妃⑧ 。 n
9恥
、
尼d
0
郵., ︾蝿銅︾鋤郵呼剖
釦叩
m的n
醜
、、北狗
画1
■
●
O
●毛
鯛
1
j
2
唾。v圏淵鯛職雛辨郷蝿…塩‘・moWshthe"ia・P…唖1On・0A"J1
店
,
1
9
7
0
年
)
*翻訳
b
e
h
w
b
u
r
o
f
m
m
s
。
,
i
n
B
i
a
n
c
h
i
,
e
t
a
L
(
e
d
4
,
o
p
.
C
n
.
,
p
j
、
1
1
1
1
3
5
.
K
c
r
f
p
n
e
n
0
P
・
(
1
9
9
4
)
,
J
"
a
J
T
a
n
d
n
o
P
a
c
〃
た
縮
。
飽
曲
a
m
a
。
L
o
m
o
n
.
R
O
u
t
l
e
d
g
O
.
「世界資本主義の歴史構造」(飯沼二郎と共編,岩波書
「資料フランス革命』(編,岩波書店,1989年)
主要著作
K
a
t
s
o
u
l
a
e
c
s
4
Y
、
:
g
W
W
i
&
!
1
9
M
)
,
.
e
U
m
P
q
a
l
,
C
o
m
m
u
n
i
W
R
&
D
s
u
p
p
o
i
t
.
E
H
e
c
i
3
o
n
i
h
e
c
o
o
p
e
r
g
i
i
v
e
*人文科学研究所で主宰した共同研究の報告書(編著)
「世界資本主義の形成」(飯沼二郎と共編岩波書店,
璽
H
u
n
m
e
r
l
,
M
.
{
1
9
8
2
)
,
・
世
i
n
d
u
s
t
r
i
e
6
!
e
c
t
m
n
i
"
」
e
m
o
I
M
a
1
e
.
D
e
r
a
g
e
d
e
r
a
c
i
e
f
h
r
a
g
g
d
e
r
6
I
e
a
『
o
n
n
」
8
・
,
"mJZiqUemChノa焔曲灼"Dmvo!・承VII。n'.13,",409422
1986年7月
京都大学名誉教授
京都市立芸術大学長
1980年4月
Huang。D.S.0etTu。J.H・(19"),・Onthefeasm"oimnom"""ertbninEaaAsU:
Pe""WeSfmmtmdeCmanonandtmdedWefSbnocqbumajo/E函J】mお伽ogmtb",no9,"・
(岩波書店)が近刊の予定である。
1
9
6
7
年
)
HaJTF,NGq(1984),MppWedgenemlequpb血manahsBoismaI叩ene“mmIeswHhe““何回“Cf
…陶画画iITPelfed"何中etn幻、3A"酒j掴"壁“mbRe焔跳n。滴,101elo32
A画畑n。117,”・S4e561
Hammon,G・(1"1),B婚伽BSS妬MDJ鱈an‘…、。、贈“V…77釦f駒屋封aI泡SoUfhga劃A聖b
■
1916年11月
京都大学教授(教養部)
同人文科学研究所に配置換
京都大学人文科学研究所長
chame:aSSeSSmentOfr"jmar冠newf画戒efs。Stra"UIg,pp、167罪17“・
1
甥
""ratbn・,mmITxmEtbnaEUNETIC"nferefro,。gohJfonaW=ぬ何画Oイt“1m鞠腫』
1
1
G
r
e
g
創
郵
,
n
,
B
.
0
J
o
h
n
s
o
n
,
B
.
,
e
t
K
I
獄
e
n
s
8
n
。
A
.
(
1
9
9
4
)
,
u
N
a
t
i
"
o
n
a
l
s
y
H
e
I
T
B
o
f
m
回
誠
b
n
a
“
国
【
叩
e
a
n
●
gailaam"EWaspec色。、klDunnmg,Rob"n("s),op、cnppp.51d70.
世
G
m
e
n
a
w
a
y
b
D
.
(
1
9
8
8
)
,
Q
I
n
b
a
・
I
I
n
j
W
y
b
a
d
e
,
M
r
a
m
I
I
r
m
b
a
d
e
a
M
E
U
I
U
p
e
a
n
鰔
的
7
面
i
わ
、
:
酎
娩
『
定
O
,
一睡咋
騨閣尻彪馳胞施仏Pyn由le,HaJperE由』Ca伽、a1.
Ghem*E.de(1995),、臓的庖加n6conom陣』⑧臆gbnaie""mmef℃a賊mFf汀me。0"mmnmlhn
ewJOUmeesAFSE"rLP1IT1@grallOn"nOmnUeeU的藤enne。Nanlegpppb380-388・
耐 睡岬岬
動1沁,
吟訓
恥Ⅷ
Gamant,R.0etDfysda1e,P.("3,)(19"),As陶姥非WbnaZISmRea鋤専駒鰄隣73a”19ノ
1
細郷︾︾
恥︾岬︽︾,姉
0
eIectrDr鱈侃『ms1WP海‘N鮒.1"5,BIie,Bemeley..
凸
劃
Ⅷ
EmaD.(19Mb),℃aITierSofregionahation:thBEaaASanpf"JdbnnetwOIkSCiJapam"
函鋤倒加岼釦
0
些,星』亨公も a■壷,■
J
a
p
a
h
e
s
e
e
l
e
c
t
r
c
n
t
s
f
i
m
s
q
,
I
s
s
u
e
p
a
p
e
I
I
B
r
i
e
,
B
e
I
煙
!
e
y
b
3
7
p
.
︾s咋艶可
−D−−−p−△ロー丙
E同琶t.D.(19"a),・鹿cirWnw"mpetitivapre理"eaT118Ea"ASianpfmjdbnnetWikSOi
J
DUnrilg。J・、etRobson,P.(")(1988),Ahj肋7a胸、aノand胸8日"”e""mmmMoxわ『。,Ba望I
岬岫呼睡
D
画
く
e
n
,
P
(
1
9
8
S
)
.
G
b
b
g
ノ
s
h
擁
〃
1
d
U
s
雄
ノ
m
a
n
g
e
m
a
f
z
"
力
“
"
f
吟
D
“
L
◎
函
c
n
。
a
m
O
r
a
n
d
R
o
w
b
”
P
U
F
.
恥︾岬︾︾蝿
"
I
T
B
M
u
s
t
r
y
s
i
m
l
l
a
t
b
n
s
'
。
‘
且
"
叩
g
a
n
"
"
o
m
b
R
B
W
b
雌
n
。
3
2
p
p
、
1
5
0
1
1
5
2
5
.
D
e
m
n
J
a
y
,
M
人
,
L
e
m
O
i
n
e
,
E
,
e
t
M
e
r
w
e
L
P
.
(
1
9
"
)
,
L
W
m
o
m
j
p
"
ノ
耐
!
"
庖
施
イ
7
e
<
"
叩
尭
w
M
g
,
P
a
l
i
S
,
’
ず︲聴函 叩 一 Ⅲ 鍾
叩鮴叩
1祇加
︾”癖 図 N ︾ 醜
玲肌一U
S
n
U
h
v
A
o
"
V
e
n
a
b
l
e
S
,
A
J
.
(
1
9
8
8
)
,
℃
o
m
P
l
e
t
I
I
W
1
h
o
i
n
i
e
m
a
l
m
a
l
k
e
l
h
U
l
q
E
U
p
E
p
a
n
C
o
I
T
M
I
M
j
n
m
y
卸卸知
沌施和
p
I
D
s
p
e
"
。
m
T
b
鞄
j
n
a
g
a
(
e
d
・
)
o
p
.
C
、
.
,
"
.
1
1
1
1
3
4
.
*未収録の主要著作
『
フ
ラ
ン
ス
革
命
小
史
」
(
岩
波
書
店
,
1
9
5
9
年
)
*その他
「
現
代
の
認
識
」
(
朝
日
新
聞
社
,
1
9
7
4
年
)
『
芸
大
好
日
』
(
思
文
閣
出
版
,
1
9
9
2
年
)
「
京
の
あ
か
ね
雲
j
(
淡
交
社
,
1
9
9
5
年
)
「
西
洋
経
済
史
j
(
岩
波
全
書
,
1
9
8
0
年
)
『
フ
ラ
ン
ス
現
代
史
』
(
山
川
出
版
社
,
1
9
7
7
年
)
『現代史の幕あけ』(岩波新書,1982年)
『経済学j(ミネルヴァ書店,1986年)
(
写
真
提
供
,
略
歴
・
著
作
目
録
作
成
:
阪
上
孝
会
員
)
なお、未収録の著作を集めた『歴史を読む」全二巻
−107−
−106−
−
−
−
一
一
一
一
一
一
一
一
一
一
一
一
一
一
一
一
一
−
−
‘
一
一
−
−
−
−
.
−
.
−
一
一
・
一
.
−
一
一
−
一
一
一
=
ー
二 一 一
一−−−−一一画画
bO
− − − − − − − −
●追悼河野健二教授
二=−一−−
一
追悼−河野健二先生
福井県立大学坂本慶一
日仏経済学会会員(前会長)の河野健二先生は、1996年
用され、日本部に配属された。翌月、人文研の創立記念
8月10日、すい臓ガンのため京都市の病院でお亡くなり
の日に、日本部.西洋部.東方合同の「近代化」に関す
になった。79歳であった。告別式は8月12日に京都市左
るシンポジウムが開催された。各部から一人ずつ代表者
京区岡崎の寺院でしめやかに執り行われた。敬愛する先
が出て、日本の近代化、西欧の近代化、中国の近代化に
達を失った悲しみ、絶望的な喪失感が、今もなお深く胸
ついて報告があった。西洋部を代表して報告された河野
の中を漂い続ける。河野先生はもうこの世にはいらっしゃ
先生の学問に直接触れたのはそれが初めてだった。その
らないのだ。
前年に出版された『絶対主義の構造jによって先生の名
8月10日(土)午後4時、外出先から帰宅して一枚の
お人柄にも引かれた。
分担執筆などで、引き続き過分のご指導をいただいた。
人文研に長く在職された方々に比べて、先生との私との
先生は阪上氏らとの対談を次の言葉で締めくくってお
関係はそれほど深くはないが、それにもかかわらず私は
られるが、そこに先生の晩年の心境の一端力窺われるよ
先生から学問的に、また人格的に多くの影響を受けてい
うに思われる。「私は「認識の上ではペシミスト、生活
る。私は先生の人間的、学問的特徴を、要約すれば次の
の上ではオプテイミス」と言えるかも知れません。何
ように理解している。私が影響を受けたのは、あるいは、
しろ幸運に恵まれてきましたから・・・」(『近代を問
少なくともそうありたいと憧れたのもまた次の諸点であ
う」第Ⅲ巻付録)。河野先生は幸せな生涯を送られた方
る。すなわち、スマートで折り目正しいライフスタイル
で、柔軟な思考方法、明蜥な論理と文体、事実を冷静に
見据える客観的態度、事象の大局的認識と問題について
の総合的判断、人間への深い愛情と社会の動向について
の洞察力、自由への強い志向などがそれである。謙虚な
なのだと思う。
最後に、先生力揃記の句と共に残された次の二句を紹
介して、ご冥福をお祈りしたい。
「待つこころただに咲き散る花なれど」
「大文字の一朶の花となりゆくか」
■940
■■■日
分■■▼。D■411
ウ卜。
■■■●■
0口■■PlB﹄■U■
peo皇v抑4脾。
①■
一
− − 一 − ロ . 己 一
i手I
『
0
齢
.
’
O
F
I
“ワ芙
晦ミ
# 夏
衿八
6 1 . &
o
■
ザ3
つこか
八
縞
凶
師︾と
河野健
、
:
:
"
i
i
l
:
I
、
;"
;
;
;
;
J
;
'
k
'
│
!
'
1
:
!
r
I卜
。.尋,
.α‘
‘,J
;‘k.
,'1‘I‘!『
!
;
’
.&宗,│".'・;}":,!!''1i
■
I
声丸凡ン
‘..
’良
き‐
: ぐ!
↑ ー、
寂 I。
卜’’
1県
,
。
:
f
、
.
ロ
.‐二,、‘」!I、
! ‘ 宝 ,キ
‐ゥ−
.:『卜,E
侭
岸
0●9○
b8■。△Ⅱりむ
■■
1
Q8Qも巳。
1
一■■■■■■■
0。▲■■の、0Ⅱ
i6B号今?
v▲Q■UBI4
OU1bb■89
J8.Bひ●
11
一
講
●
甲
*
!
I
4
1
;
O
'・§卜1掌,営息’〃0.1&
■
一
1996年8月7円河野健一先生辞世句:、
“!零0,0。
。
?
」
6 : , I 。 卜
.
叫
一
船
I
I
L
I
(資料提供:京都市生涯学習総合センター)
て思い起こしている。
1958年に農学部に移ってから、先生との接触は少なく
なったが、出口研究室を媒介に、あるいは先生の編箸の
、−−−−−−−▲
1
1
ト
−108−
。▲GI.●0■8■
私は1951年10月に京都大学人文科学研究所の助手に採
qO口輪a。◆r9D
告別式に車椅子で来られた事情についてもまったく知ら
ずにいたのだった。
Ⅳ■■一口■■■g・
芯
9946K?、
た。先生の奥様が数年前に交通事故に遭われ、そのため
l帥11翌
いて、まったく情報を得ることのないままに過ごしてい
●。﹄P■■・1
に疎くなっており、その時に感じた先生の健康状態につ
△0■■■、︽■■日二■■q
た。私は数年来、福井市に住んでいたために京都の事情
巾日■U且
じられた。あの日が先生にお会いした最後となってしまっ
唯
.
!
’
■日日■■。■心■6“
の肩のあたりが痩せて、どことなく元気がないように感
i
!
I
I
..’L
や?●︲りり
しておられたのか」と今にして思う。あの時とは、今年
の3月2日の三橋時雄先生(農史・京大名誉教授)の告
別式のことである。久しぶりにお目にかかった河野先生
ランス革命の共同研究を始めていたし、日本部では留学
中に現代社会班が改組され、明治維新と米騒動の二つの
研究班が組織されていた。そうした中で、私は自分の研
究テーマを孤独に追い求めていた。私の研究にもっとも
興味を示されたのは河野先生であった。先生は私の立場
を見兼ねたのであろうか、西洋部の研究会でフランス革
命期の農業問題について発表の機会をつくって下さった
り、経済学部の出口勇蔵先生(経済学史)の研究会に連
れていって下さった。また、マルク・ブロックの「フラ
ンス農村史の基本性格」の共訳者の一人に加えていただ
いた。当時の先生のご配慮を、今、深い感謝の念をもっ
!
‘
;
,
・
鋤
,
.
D
・
I
↑
9限り,
j
lI
スで先生の計報に接した。「あのとき、やはり体調を崩
i
!
l
i
l
:
いのかとふさぎ込んだ。それから2時間後のNHKのニュー
ゞ:階lIIIll卜●IIII−
これは辞世の句ではないか!と直感し、そんなにお悪
学から帰り、産業革命期のフランスの社会経済思想をテー
マとしていた1956年頃からである。当時、西洋部ではフ
、I0P
.9●、。●U
■9今●■﹄Ⅱ4
「深渕を前にたじろぐ蛙かな」1996.8.7河野健二
1
‘1
.5F■●。
p
↑一
河野先生との親しい接触は、私が2年間のベルギー留
’
11
f
0■■、■巴G
Q11
pq■FrlT■b包
■I■■■号BU
bqD●Hd
Ij
り■89仏
■Ⅱ自
与夕■■■■
I1
voP.︲
1
▼9で■
けの余裕も学力もなかったのである。
,今◆
でさらに悟然とした。そこにはこう書かれていたのであ
G
あった。「河野先生が入院!」と麓きながら、末尾を読ん
た。当時、私は農村社会の近代化をテーマとする現代社
会班に属していたために、西洋部の研究会へ顔を出すだ
。■■■
生からくれぐれもよろしくのことでした、という内容で
1
の念は強まったが、しかし、先生との親しい接触はなかっ
rv0
だいた本(私家版の随想集)は病院にお届けしたが、先
■▲B■ザ■
た。当時、先生は35歳と推定されるが、半白髪のせいも
あってか、すでに大家の風をなしていた。先生への畏敬
4口a
河野先生は先月中旬から入院中であること、お贈りいた
■■
を務める京都市生涯学習総合センターの参事の方からで、
■、
生の報告がソフトで淡々としていたことが印象的であっ
■■0
f0■
申
いる。不審に思って本文を見たところ、河野先生が所長
004■←
内容は封建制より資本制への移行の問題であったが、先
る。
’
はすでに知っていたので、憧瞭のまなざしで拝聴した。
はがきを受け取った。差出人は「河野健二代」となって
一●
’
−109−
1
−J
●1994年度大会報告(1994年11月26日於早稲田大学)
−
’
’
●1994年度大会報告(1994年11月26日於早稲田大学)
ケネー生誕三百年
ニューカレドニアのカナク民族独立運動
ケネー再考
一島喚経済における自立と共生の道一
一経済学史とフランス革命史学を逆照射するケネーー
早稲田大学松島泰勝
鹿児島経済大学平田清明
本報告ではニューカレドニアの先住民族であるカナク
離している。しかしカナク人は西欧人の三分の一しか給
人が独立運動を行なうようになった政治経済的、文化的
料をえておらず、また住宅環境.電気の普及率.教育水
要因について論じた。1853年にニューカレドニアを領有
準・職業的階層等、様々な点でカナク人と西欧人との間
したフランス政府による統治・開発政策とは全く異なる
に格差が生じていた。さらに開発にともなう環境問題も
形でカナク人が生活し、生産活動をしていたことについ
深刻化している。ニッケル開発はさらに多くの移民を島
てまず論じた。つまりカナク人は土地、住宅・集会所と
に流入させたので、全人口に占めるカナク人の比率が低
してのカーズに対するコスモロジーをもち、また28の言
下したうえに、1970年代半ばから生じたニッケル不況に
語が使い、自らの文化と結びついた経済発展の様式を保
おいてもカナク人は合理化の対象となり失業問題が顕在
持していた。経済的合理性を追求するのではなく、共同
化した。
性を重んじ、環境と調和した生き方を求めるがゆえに、
I
−スミスによる歪曲とジヤコバン史学によ
ている。伝統的漁業技術も実践され、また伝統技術を若
いう文化祭を契機に活発になった。80年代に運動は武力
者に継承させるための学校もある。独立派のFLNKS
化し、多くの犠牲が生じた。島内の混乱に終止符を打つ
は協同組合運動を活発に行ない、中間搾取を回避して物
ために1988年に独立派、反独立派、フランス政府との間
価高を抑え、商品の入手を容易にするとともに、カナク
にマテイニヨン合意が締結され、カナク人と西欧人との
人による生産業の育成に役だっている。
経済格差を埋めるための政策力覗示された。
によりカナク人の人口数が激減した。
フランス政府のニューカレドニア領有の最大の理由は
豊富な鉱物資源の存在であり、それが開発の対象となっ
た。特にニッケルは世界有数の埋蔵量であり、ソシエテ.
ル.ニッケルという大企業が設立され、それにともない
商業も発達したが、西欧人の家族経営企業によって独占
されている。ニッケル産業を中心とした経済成長により、
同島の一人当り国民総生産も増大し、1982年においてそ
れは8200ドルであり、フイジーの1562ドルを大きく引き
一「市民諸階級」の「社会」と「国家」
2.社会契約の措定
3.転換期のアンビバレンス
たる「経済科学」の政策理念
4.基本的政策命題
一レッセ.フェールを前提する土地単一税
1.主権国家・国民国家・行政国家(三権分立批判)
2.啓蒙の普遍化一一エリート行政職教育と国民教育
Ⅲ基礎範晴
3.フイジオクラシーの準拠する“自然”開発(「農」
「工」「商」譜調の社会発展)
1.前払の定義
-6COnOmieanimale→(6conomiemorale<=
2.原前払の定義
s
o
c
i
a
l
e
>
)
→
6
c
o
n
o
m
i
e
p
o
l
i
t
i
q
u
e
註1スミスによるケネー基礎範鳴「avance」
4.「人間」の自然権と「市民」の社会権一両者の
接点としての「所有・権利」
の抹殺
−リプロ・ライト(reproductiverights)とし
註2フイジオクラシーの価値概念
一時間規定の基礎
ら、カナク人は近代的なものを全て拒否するのではなく、
3.生産的労働概念の基礎視座
それを伝統的生きたかと調和した形で導入しようとする。
ての自然・社会権
Ⅶ結語にかえて−「経済表」とフランス革命
しかし近代的なものを取り込む主体はあくまでカナク人
Ⅳ「癬済表」の理論的核心=意義
自身であり、それには独自のペースと方法がある。ニュー
カレドニアにおけるカナク人の独立運動の過程は、「経
1
.
済が社会の中に埋め込めれた」世界を現代において持続
的に展開させる方法を学ぶうえで非常に示唆的であると
「表」の発展(原表→略表→範式)の理論的意義
(これは故平田清明会員が大会報告時に配布されたレジュメの
一部である…事務局)
註1部門間流通一ボードー問題
2
.
いえる。
範式における社会的総生産過程の構造的展開
註2“スミス(v+m)のドグマ”をめぐって
「表」の(価値)価格論
−111−
-110-
‐
− − − −
Ⅵ政治経済学の統治理念一一「統治の普遍科学」
ー“封建的外観と資本主義的本質”
を拭い去ることで、近代的なものを相対化できた。だか
−
一「表」の計数に秘められた現実批判
1.等価交換の社会とその国家
会に戻す自己覚醒の運動でもあった。「メラネシア2000」
という文化祭により自己の文化や生き方に対する劣等感
W ■ ■ 申 一 一 = 一 ヨ ー ー ー
3.高金利抑制論を通じての公債政策批判
4.時論としての土地単一税
3
-一一-一一一一一
一イギリスぴいきのイギリス批判
Ⅱ「経済表」の時空間
以上のようなカナク人の生き方の対極にあるのが、フ
カナク人の抵抗運動や独立派の政治経済的、文化的実
ランス政府による支配と開発の論理であった。カナク人 践はカナク人の伝統的生き方を守るためのものであると
を共有地から本島内陸部や東海岸地帯に追い出し、1878 同時に、一度、社会から切り離された経済活動を再び社
年と1917年における抵抗運動を武力弾圧し、徹底的な同
化政策を行なった。また島外から持ち込まれた病気や酒
による社会的纏まりの破壊、人頭税の賦課、強制労働等
2.モンテスキュー批判に寄せての英植民帝国批判
■■■■■■ロ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■日日ⅡOIII︲IIlllllllI
破するために独立運動が1975年の「メラネシア2000」と
1.「商業政策」批判の力点変更一一「表」と外国貿易
る埋没を越えて
以上のような先住民族カナク人に対する差別状況を打
サブシステンス部門がカナク人居住区では広範に存在し
V「経済表」の時論的意義
スミスとルソーの狭間を越えて
_‐‐‐一一画一…一一や---
=
口
●一
− ‐ ‐ ■ ■ ロ ■ ■ ■ −
−
●書評
●書評
一
﹃﹃﹃
井上泰夫『<世紀末大転換>を読む』有斐閣,1996年
シェル・ボー著『資本主義の世界史1500-1995』
筆宝康之。勝俣誠訳,藤原書店,1996年
早稲田大学松島泰勝
名古屋大学山田鋭夫
アグリエッタの古典的著作「資本主義のレギユラシオ
氏によれば、レギュラシオン理論は時と所をかまわず賃
ン理論』(邦訳名)の出版をもってレギュラシオン理論
労働関係を聖別する理論ではない。レギユラシオン理論
の生誕とみるならば、今年をもってレギユラシオン理論
が指摘する制度諸形態(賃労働関係、競争関係、通貨・
は満20年を迎える。またこの理論の日本への本格的紹介
金融システム、国家、国際体制)の間には、特定のヒエ
の出発点をレギュラシオン的著作が最初に邦訳された年
ラルキー関係が存在し、しかもそれは時代(ないしは発
とするならば、それは1987年のリピエツツ『奇跡と幻渤
展様式)ごとに変化しうるものなのである。具体的にい
(若森・井上訳)であるから、いつの間にか10年近い歳
えば、あのフォーデイズム時代には賃労働関係のありか
月が流れたことになる。そして今年、日本人レギュラシ
たこそが金融システムや国際体制を規定していたのであ
オニストによる本格的な研究が世に問われるようになっ
り、したがってフォーディズム論にあっては賃労働関係
た。井上氏によるこの書物しかり、若森章孝「レギュラ
を重視することは不可欠であった。だがしかし、国際化
シオンの政治経済学』(晃洋書房,1996年)しかり、そ
や地域的経済統合の進んだ現代のアフター・フオーデイ
してさらに、複数の力作が近々出版されようとしている。
ズムの分析にあっては、むしろ通貨.金融関係や国際体
この間、日本でもレギユラシオン理論はさまざまな穀
制の方が各国の賃労働関係に変容を迫っているのであり、
誉褒賤にさらされてきた。とくにこの理論に対する不満
そうであるからには今日、金融や国際体制の分析がもつ
としては、それは欧米中心の分析であって日本やアジア
と前面に出されなければならないという。レギユラシオ
の経験を説明できないのでないか、賃労働関係の分析に
ン理論の新しい発展に向けての重要な方法的提言である。
本書の目的として著者は次のように述べている。「本
書はひとつのつよい確信から生まれた。資本主義の発達
基本矛盾として次のものがある。①資本と労働との間の
矛盾、労使間階級矛盾。②資本家相互間の矛盾。③一国
的な資本主義相互の国家間対立・矛盾。④支配的資本主
義とそれに支配され従属する周辺諸国家・諸民族.諸地
域との対抗や矛盾。19世紀末の不況は①と③が主な原因
が世界各地のさまざまな社会に引き起こした激しい変動
と大混乱、それらを分析せずに現代という時代を理解す
ることはできない一という確信がそれである。本書はま
であった。しかし資本主義は新しい時代に自らを適応さ
た、この資本主義の世界経済史の発展を多次元において せ、自己を変形することでこの危機に対応して世界的な
把握しようとする配慮から生まれた。経済と政治とイデ 支配形態を確立した。19世紀後半までの一国資本主義は
オ
ロ
ギ
ー
の
次
元
、
国
内
/
国
際
/
世
界
の
次
元
、
解
放
と
糾
旺
、
.・・・・■●
国外周辺部から利潤を吸い上げたシステムであるが、20
破
壊
と
創
造
…
な
ど
の
次
元
が
そ
れ
で
あ
る
。
」
(
'
9
ペ
ー
ジ
) 世紀の帝国主義はこれら外部資源の存在は重要ではない。
5
0
0
年
と
い
う
長
期
の
歴
史
を
分
析
対
象
と
し
て
現
代
資
本
主
義 帝国主義とは一国資本主義が世界的なスケールで機能し
の
複
雑
な
構
造
の
形
成
過
程
を
解
明
す
る
こ
と
を
論
述
の
目
的
と 発展するシステムをいうが、産業資本と銀行資本力湘互
している。多くの学問領域を網羅して多面的な観点から
資本主義の実相を白日の下に晒し、個別的に研究されて
いる問題群相互の関係を明らかにし、国内経済と世界経
済との対応関係の考察に重点おいた形で書き進められて
いる。
に浸透したり、世界戦略では国家が外交政策を支持した
り、艦隊・武器.軍隊を大規模に自らの勢力固めに利用
する体制である。
第三部「資本主義の世界的勝利と大転換」は第六章
「
資
本
主
義
の
「
大
躍
進
」
(
1
9
4
5
1
9
7
8
)
」
、
第
七
章
「
2
0
世
紀
いのでないか、一国分析に偏っていて国際関係や世界経
の国際分業とは、工業製品(先進国)一一次産品(途上国)
済が説明できないのではないか、といったものが挙げら
という、いわば伝統的な構図である。そこに1970年代以
本書の構成と簡単な内容は以下の通りである。第一部
「
金
銀
か
ら
資
本
へ
」
は
第
一
章
「
資
本
主
義
へ
の
長
期
の
歩
み
」
、
第
二
章
「
三
つ
の
革
命
の
世
紀
(
'
8
世
紀
)
」
、
第
三
章
「
産
業
資
本
主
義
の
抗
し
難
い
興
隆
(
1
8
0
0
1
8
7
0
年
代
初
頭
)
」
と
か
ら
れよう。井上氏の新著はこうした問題点を真正面から受
降、先進国フオーデイズムの危機とともに、フオーデイ
な
っ
て
い
る
。
資
本
主
義
の
初
期
過
程
に
お
い
て
特
徴
的
な
の
は
、
けとめつつ、レギユラシオン理論の新たな地平を開こう
ズム的諸工程のうち非熟練・単純工程が海外移転され、
とする。
NIES諸国を中心に周辺部フォーデイズムが形成され
国
家
的
枠
組
み
に
お
い
て
ブ
ル
ジ
ョ
ワ
が
資
本
を
形
成
し
、
国
際 国々において帝国主義的ヒエラルキーを形成した。各国
的
規
模
で
利
潤
を
渡
得
し
た
と
い
う
こ
と
で
あ
る
。
つ
ま
り
資
本 は独自の法律、伝統、異なった力関係を有するが、様々
主
義
の
形
成
期
に
お
い
て
も
国
家
の
役
割
が
重
要
で
あ
っ
た
の
で な国別、文化的、宗教的特殊性によって、さらに多様化
あ
り
、
世
界
的
規
模
で
労
働
力
や
資
源
が
収
奪
さ
れ
て
い
た
の
で した中で、複数でありながら唯一の、分裂していても一
あ
る
。
商
人
資
本
主
義
、
マ
ニ
ュ
フ
ァ
ク
チ
ユ
ア
資
本
主
義
、
産 つの構造をもつ資本主義が作り上げられた。多様性の中
業
資
本
主
義
と
時
代
を
経
る
に
し
た
が
っ
て
国
家
は
資
本
蓄
積
を でその統一性を保つことができるのは無数の経済的結び
促
す
一
方
で
、
植
民
地
獲
得
に
も
政
策
的
、
軍
事
的
に
支
援
し
て つき、軍事的結びつき等の関係網があるからであるが、
比重を置きすぎて最近の金融関係にまで眼が届いていな
本書は「第1部アメリカ・フォーディズムの残照」
「第Ⅱ部EUの制度的胎動」「第Ⅲ部日本.アジアの
急波動」の8部からなることからも分かるように、今日
の世界経済を構成する3つの極に分析の焦点を合わせる。
こうして、まさに「世界」を見据えながら「世紀末大転
換」の諸相に迫ろうとする。以下では、レギュラシオン
理論の新しい挑戦にとって重要と思われる2点にしぼろ
う
。
第1はレギュラシオン理論における制度諸形態の内的
関係の問題である。さきに、レギユラシオン理論は賃労
働関係の分析に偏っているとの批判を紹介したが、井上
第2にリピエッツ経由の「第3の国際分業」論。第1
たが、これを第2の国際分業という。ところが近年の動
きは、それらのうえに新たに第3の分業が重なってきた
という。これはヨーロッパでもアジアでも見られるが、
いわば製品棲み分け型の水平貿易である。同じカメラな
らカメラでも、各国が高級品(あるいは高付加価値製品)
と標準品(低付加価値製品)に特化する形で生産し、相
互に貿易する形であろう。さて、こうした新しい分業カミ
21世紀に向かってどのような国際レジームを要請するこ
とになるか。著者とともに考えたい。
お
り
、
世
界
シ
ス
テ
ム
の
従
属
関
係
が
強
固
に
な
っ
た
。
後、資本主義は「大躍進」じ、世界は次のような階層に
分化した。①支配的帝国主義国、②中継補完帝国主義、
③特定拠点国.地域、④その他の周辺諸国であるが、こ
のシステムは多国籍企業を通じて五つの大陸の百以上の
そ
の
統
一
的
関
係
網
が
世
界
的
な
不
平
等
を
生
ん
で
い
る
。
第
二
部
「
帝
国
主
義
と
両
大
戦
の
時
代
一
諸
国
資
本
主
義
か
ら 第
七
章
で
ボ
ー
は
現
代
資
本
主
義
を
説
明
す
る
独
自
の
認
識
概
各
国
/
世
界
資
本
主
義
へ
」
は
第
四
章
「
大
不
況
か
ら
第
一
次
世 念
を
提
示
し
て
い
る
。
そ
れ
は
「
階
層
化
し
た
一
国
/
世
界
シ
ス
界
大
戦
へ
(
1
8
7
3
1
9
1
4
年
)
」
、
第
五
章
「
両
大
戦
と
革
命
の
時 テ
ム
1
L
e
S
y
s
"
%
a
'
M
・
n
d
i
a
'
H
i
6
"
6
(
$
代
(
1
9
1
4
1
9
4
5
年
)
」
か
ら
な
る
。
資
本
主
義
的
危
機
の
四
大
−113−
−112−
/
一 一 一 一
末一世界史の大転換期か」とからなる。第二次世界大戦
一一一一-−−−‐_一--‐
一
一
_
_
_
.
一
.
一
一
一
_
_
一
一
日
■
一
=
=
一
=
=
一
=
国
一
一
一
一
一
一 一 炉 一
亜
一一
’
ケ
●書評
’
規範の拘束性と脱拘束化とを同一のシステムにおいてい
かに処理できるかという、近代思想史の難問とおなじよ
若森章孝著『レギュラシオンの政治経済学』晃洋書房,1996年
うなプロブレマティックをはらんでいる。そこに、制度
実質上、レギュラシオン派の社会運動論の提言となって
いるといってよい。そして、この国家論を含む「社会的
レギュラシオン」の展開が本書の独自性であろう。
形成論の根本問題が発生すると思われる。
4
阪南大学大田一廣
3
形成と社会秩序の動態的編成という「社会的レギユラシ
1
レギュラシオン・アプローチの理論的な創始者たるM・
オン」の次元を発見しようと試みる。それは、レギユラ
アグリエツタが、「資本主義的生産様式の再生産」はい
シオンの社会統合論的な解読といわばオープン・システ
かにして可能かと問い、その可能性の条件として資本主
ムとしてのく実践的レギュラシオン>の展開の試みであ
義社会の制度的構造に注意を喚起したのは『レギュラシ
るといえよう。
オンと資本主義の危樹1976年(邦訳『資本主義のレギュ
さて、本書は、第一部「レギュラシオンによる社会=
ラシオン理論」)においてであった。それからすでに20
歴史認識の回復」と第二部「レギュラシオン理論の挑糊
年が経ったことになるが、この間のく89年〉の経験はソ
とから成っている。第一部では、20世紀を「フオーデイ
ヴィエト・システムそのものを瓦解させることによって、
ズムの世紀」と規定し、この「フォーデイズム」の特性
現存社会主義とそのイデオロギーだけではなく、同時に
と構造に関するレギュラシオン・アプローチの議論が詳
近代社会そのものの制度的構造を根本から再審に付すべ
細に分析される。その場合、いくつかの概念規定や用法
きことをわれわれに迫っていたといってよい。それは戦
の乱れを別にすれば、基本的な論点のひとつは、社会秩
後世界を支えた価値や規範、認識の技法や学の構造だけ
序と制度形成に関して、事態の再生産と事態のレギユラ
ではなく、フランス革命以来の、近代学問理念と方法、
シオンとはどの点で異なるかという問題であろう。著者
啓蒙の理念や生活世界の日常的構造などをも根本から反
によれば、「レギュラシオン理論」は、「行為主体」の規
省すべきことを要請していると思われる。まさにわれわ
範的被拘束性やシステム内の分散的な意思決定といった
行為主体論の媒介によって、硬直した伝統的な再生産概
念(=「構造主義的マルクス主義」の再生産概念)を端
的に克服しえたと評価する。著者の表現によれば、レギユ
ラシオン様式は「特定の制度諸形態.諸手続きのもとで
れは『ヨーロッパ諸学の危機』(フツサール)の時代に
立ち合っているわけである。そして、近代社会の制度的
構造とは、アグリエッタによれば、資本主義的生産様式
のレギュラシオンそのことの謂いであり、この資本主義
のレギュラシオンを分析することは近代社会の「再生産」
はいかにして可能かを理論的に、それゆえ方法的に問う
ことに連なるはずである。
選択と期待を個人的・集団的なさまざまな行為主体の行
為関連を通じて、生産と社会的需要が調節される動態的
プロセス」であるからである。だが、この「動態的プロ
なくなってから久しい〉−これは本書の「序言」雰頭
セス」と蓄積体制や賃労働関係などの「構造形態」は著
者のいうように「行為主体」にとっての内面と外面の関
係なのだろうか。それらは一個同一の制度的事態とみた
方が、実態に近いのではないか。むしろ端的にいえば、
の言葉である。この言説は本書全体の性格、というより
実体的な「不変項」としての賃労働関係はそれ自体とし
も著者の理論的な狙いを端的に物語っている。では、経
ては存在せず、歴史的世界のレギュラシオン.プロセス
済学に「社会」や「歴史」の契機を取り込むことは、ど
において具体的に知覚されるとみた方が、レギュラシオ
ン・アプローチに相応しい。アグリェッタが苦心したの
2
〈経済学が「社会」や「歴史」という言葉を連想させ
のような事態だろうか、そしてそれはいかにして可能か
一_一本書はこのような初発におけるレギュラシオン・ア
プ
ロ
ー
チ
の
く
根
源
的
な
問
い
>
を
掘
り
起
こ
し
、
そ
こ
に
制
度
第二部では、レギュラシオン理論において十分に論じ
られていない国家論が主題的に論じられる。その場合、
「制度化された妥協」というレギュラシオン理論の一般
的な国家規定では、「調整する要因としての国家」像に
とどまり、国家それ自体が「調整の対象」となりうると
いう認識を欠落させるものとして「制度化された妥協」
命
題
が
疑
問
と
さ
れ
る
。
ジ
ェ
ソ
ッ
プ
の
「
国
家
の
二
重
性
」
論
やB.テレのく租税国家論>(租税の徴収と支出の回路
が賃労働者の政治的秩序への吸収システムとなっている
こ
と
)
の
問
題
提
起
を
受
け
て
、
多
様
な
「
社
会
的
妥
協
」
を
包
摂しうる国家論の構築力蓮要な課題とされる。とくに、
「政治的権利(政治的能力)を貨幣的権利に転化するこ
とによって賃労働者層を政治的秩序に統合し、この統合
に
も
と
づ
い
て
主
権
と
正
統
性
[
正
当
性
]
を
再
生
産
す
る
国
家
の有機的循環」論というテレの国家論を踏襲しながら、
著
者
は
政
治
的
秩
序
と
経
済
的
秩
序
と
の
適
応
過
程
を
「
社
会
的
レギュラシオン」と規定して、これが新たな「社会的妥
協」の主題となると主張する。その場合、<フォーデイ
ズム型国家>の危機という事態においては「社会的妥協」
に
お
け
る
制
度
的
制
約
と
い
わ
ば
運
動
論
的
な
戦
略
構
想
と
を
リ
ン
ク
で
き
る
か
ど
う
か
が
ポ
イ
ン
ト
と
な
る
だ
ろ
う
。
こ
れ
は
、
経済的レギュラシオン・政治的レギュラシオン・社会
的レギュラシオンから成るレギュラシオンの総体が、歴
史的世界におけるく実践的レギユラシオン>に直結する
かどうか一一これは、理論的に問われねばならないこと
である。その場合、「制度の社会経済学」を標袴する本
書には、制度形成とゲームのルールづくりとがほとんど
同義に理解されている節があるが、これは問題だろう。
これは、再生産の動態化の条件に、社会契約論的なく行
為主体>論を組みこむことに起因すると思われる。近代
市民社会を契約と合意によって形成される政治社会とみ
なす発想はホツブズ以来の、ヨーロッパ精神の伝統であ
るが、ホッブズには暴力を内在させた政治社会は最終的
には契約や合意によっては克服できないという厳しい認
定があったことも、想起されるべきだろう。むしろ契約
や合意の及ばぬ匿名のインステイテューションの拘束性、
たんなる合法性を越えた制度の構造的なく超越性>の発
見こそ、その後の近代思想史の隠された歩みだった可能
性もあるからである。そして、近代社会の制度的構造を
経験的に知覚できるような公共の言語で語ろうとすると
き、それはおそらく貨幣的秩序を措いてほかにないだろ
う。もはやわれわれは貨幣の呪縛から逃れられない地平
にたっているからである。
は、歴史的世界に内在的な構造=形態の論理の発見だっ
たと思われる。しかし、この論点は、社会秩序における
−117−
-116-
一一一一一一一:一一
− − . − − − − − − −
戸 一 ワ ー
−
一一一二一一一一一一一−−−一一一一一一・ー一一
一・一ー
マーー
一−
●学会報告
●本の紹介
’4
1995年-96年活動報告
『学問文芸共和国追悼平田清明』
「創造の会」事務局編集・発行,1996年
■総会
故平田清明会員の一周忌にあたる本年3月1日、平田
〈Ⅳ巴里往還〉恩愛のしるしに。フランスと日本。
ゼミの同窓会である「創造の会」から追悼文集「学問文
情熱、寛容、繊細のひと。日本での幸福な時間。ある賢
芸共和国追悼平田清明」が自費出版された。寄稿者は、
人。日本との絆。芸術を共に楽しむ。
故人が学長を務めた鹿児島経済大学関係者をはじめ、学
<V回想一ゼミナール生〉早過ぎるお別れ。半
会などの知己友人、フランスの友人、ゼミナール生。計
世紀の繋がり。若さと情熱一さいしよの平田ゼミ。今
94編にのぼる。ほかに故人生前の心裡を伝える三つの文
にして先生を必要とする。平田家でのゼミナール。いま、
書、各紙誌に掲載された追悼論稿、弔辞・弔電、故人略
私に残る先生。ホットケーキの味わい方。三月一日の日
年譜を収める。四六判で四百頁を超える立派な文集であ
記。懐かしき思い出を胸に抱いて。ゼミナール幹事の仕
る。以下、弔電をのぞく各文章の表題を掲げる。
事。千本松原。鏡とお墓。三十年後の卒業論文。内田・
平田対談のことなど。イエスのような。よく苦しんだね。
1995年10月21日(土)於早稲田大学3号館第一会議室
10月25-26日に開催される第5回日仏経済学会議について討議。
■講演会
1995年10月21日(土)於早稲田大学3号館第一会議室
1
9
9
5
年
度
会
員
総
会
の
終
了
後
、
C
h
r
i
s
t
i
a
n
S
a
u
t
t
e
r
氏
(
社
会
科
学
高
等
研
究
院
現
代
日
本
研
究
所
)
を
講
師
と
し
講
演
会
を
開
催
。
論
題
は
、
'
I
L
e
s
r
e
,
a
t
i
。
n
s
6
c
。
n
。
m
i
q
u
e
s
F
r
a
n
c
。
_
J
a
p
o
n
a
i
s
e
s
:
6
t
a
t
e
t
p
e
r
s
p
e
c
t
i
v
e
"
。
■国際会識
1
9
9
5
年
1
0
月
2
5
日
(
水
)
2
6
日
(
木
)
於
早
稲
田
大
学
国
際
会
議
場
魅せられた『創造」と恩師の約束。私にのこる言葉。山
社会科学概論授業内容。
をフランスの応用数理経済学研究所(ISMEA)
第
5
回
日
仏
経
済
学
会
議
「
経
済
的
地
域
主
義
:
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
と
ア
ジ
ア
」
を
フ
ラ
ン
ス
の
応
用
数
理
経
済
学
研
究
所
(
I
│
荘で。非日常的な日常性一煙草と平田先生。大学人と
と共催。
〈Ⅱ所縁−鹿児島経済大学〉回想。不思議な縁。
外国語教育の改革。平田学長が明るいとき。《commer-
しての平田先生。苦い思い出。卒論の思い出。六六年二
<プログラム>
<I誠実を胸に刻む〉叙述プラン。入学式告辞。
cialconege》への見果てぬ夢。視野広大な社会経済思
想家。誠実さと勇猛さと。学問と薩歴を愛した人。来年
から学長補佐を。国際交流と組合と右足首。サンドイッ
チと皿うどん。
〈Ⅲ旧雨今雨>ユニークな河上肇論。平田君を想
う。「宗教と経済」のテーマを共にして。商大予科時代
の思い出から。若気の至り一交友の記録。面倒見のよ
かった男。学風を偲んで。『夕鶴」にまつわる回想。平
田さんのおもかげも不思議に幸せな人。軽井沢追分の日々。
「ゴボレル」ような笑顔。『竹取物語」の里にて。「血は
あらそえぬ」。心に残る思い出。我学不厭而教不倦也。
遺された共同の礎石。初めての学会報告。経済理論学会
をつうじて。『経済科学の創造」についての個人的回想。
輝いていた瞳。神奈川大学経済学部時代。希望の理論と
しての発展を。〈熱情>のひと、平田清明さん。神奈川
大学の教学改革。「交通」「所有」範簿ふたたび。過去.
現在.未来−わたしの中の平田さん。一九八四年のパ
リ。平田さんの薩摩ぴいき。青春の思い出とともに。よ
みがえる三つの出会い。学部研究会と学問的姿勢。社会
空間論の展開へ。本当の学問を教えてくれた。竹林とパ
リ
と
。
『
神
奈
川
大
学
評
論
」
の
こ
と
。
@
l
D
a
s
B
i
i
r
g
e
r
'
'
に
つ
月十一日の「出会い」。御釈迦様の手のひらの孫悟空。
歓迎挨拶岡山隆
ある日のゼミナール。講演謝礼五百円。散歩、飛騨高山
へ。京都で過ごした半年。「さらば、ロスチャイルド」。
開会挨拶G・ドゥ・ベルニス
川の流れのように。宝暦治水。握手の味。世界市場と情
報スーパーハイウェイ。度々の日帰り旅行。フランス語
を勉強してください。出会い。講義=経済哲学の思い出。
〈Ⅵ記銅1)−追悼の論稿〉「市民社会」理論で
時代画す。愛した京都の自然。市民社会論の正しさ。市
民社会を真に生きたく対話〉の人。師を送る。鹿経大の
改革途上で逝った故平田学長。故平田清明教授を悼む。
「破壊的な観察」の人。平田清明先生のご逝去を悼む。
「古典と現代」探究した生涯。平田清明会員を悼む。平
田清明とフランス。永遠に学問の灯かがやけ。平田清明
さんを偲ぶ。
〈Ⅶ記鋪2)一弔辞・弔電〉教学改革の途を拓く。
一枚の原稿用紙。日仏の学術交流。圧倒的な精神力。鹿
児島の招きを喜んで下さった。教育研究と私学経営の調
和
。
希
望
を
語
る
地
へ
。
京
都
大
学
先
見
の
改
革
。
知
の
相
互
交
流
に
応
え
る
学
生
。
生
者
の
あ
ら
ん
か
ぎ
り
死
者
は
生
き
ん
。
いて。学問への姿勢。
本
書
に
つ
い
て
の
問
い
合
わ
せ
は
、
「
創
造
の
会
」
事
務
局
〒
1
6
7
東
京
都
杉
並
区
上
井
草
1
1
3
1
8
浅
井
和
弘
気
付
第
1
部
ア
ジ
ア
と
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
に
お
け
る
経
済
的
地
域
形
成
の
理
銭
的
意
味
西
川
潤
「
1
9
9
0
年
代
の
経
済
的
地
域
主
義
:
経
済
統
合
理
論
に
お
け
る
地
域
主
義
の
位
置
づ
け
」
G
・
ド
ウ
.
ベ
ル
ニ
ス
「
現
代
の
地
域
主
義
の
諸
相
:
ア
ジ
ア
、
欧
州
の
地
域
主
義
と
ア
メ
リ
カ
」
竹内佐和子「地域経済圏のインフラストラクチュア」
J
.
カ
ル
ヴ
エ
「
ア
ジ
ア
と
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
に
お
け
る
地
域
経
済
圏
形
成
の
過
程
:
生
産
シ
ス
テ
ム
理
論
の
見
地
か
ら
」
第2部ヨーロッパ地域主義の動向
J
・
P
.
バ
ツ
シ
ー
ノ
「
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
地
中
海
空
間
に
お
け
る
貿
易
、
投
資
お
よ
び
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
統
合
の
展
望
」
長
部
重
康
「
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
単
一
市
場
と
産
業
政
策
の
転
換
」
田
中
素
香
「
拡
大
E
U
か
、
ド
イ
ツ
経
済
圏
か
?
」
M
.
ア
ン
ベ
ー
ル
「
地
域
経
済
圏
の
形
成
過
程
に
お
け
る
技
術
の
役
割
:
ア
ジ
ア
太
平
洋
と
西
欧
」
第3部産業国際化と金融グローバル化
R
・
ラ
ン
ト
ネ
ル
「
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
に
お
け
る
産
業
構
造
の
変
化
」
長
谷
川
信
次
「
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
に
お
け
る
日
本
多
国
籍
企
業
戦
略
」
S
.
ゥ
イ
ッ
カ
ム
「
地
域
競
争
力
、
産
業
分
散
お
よ
び
中
企
業
」
浜
田
文
雅
「
財
政
赤
字
失
業
の
相
関
関
係
」
第4部アジアの経済的地域主義
徐照彦「円経済圏と華人経済圏」
凌
星
光
「
ア
ジ
ア
に
お
け
る
地
域
経
済
圏
形
成
へ
の
中
国
の
対
応
」
第
5
部
パ
ネ
ル
討
論
「
世
界
経
済
と
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
、
ア
ジ
ア
の
地
域
主
義
」
(
T
E
L
O
3
3
3
9
0
5
2
3
9
)
ま
で
。
−118−
-119-
lllll
1993年度会計報告
(
1
9
9
3
年
4
月
1
日
1
9
9
4
年
3
月
3
1
日
)
■討論会
1995年10月27日(金)於鎌倉・光明寺
ローヌ・アルプ地方企業開発国際局駐日代表Jean-MichelMollier氏を講師とし、前記国際会議参加者と、日仏
間の企業誘致に関する現状、問題点、今後の展望について討論会を開催。
《支出》
《収入〉
■出版
「
B
U
L
L
E
T
I
N
」
第
1
7
号
「
特
集
:
第
四
回
日
仏
経
済
学
会
議
く
資
本
蓄
積
と
調
整
様
式
:
日
仏
比
較
>
2
」
を
発
行
。
■その他
9
3
6
,
6
5
4
大会関係費
8
3
,
4
6
4
前期繰越
2
9
1
,
9
4
0
通信費
6
2
,
3
0
2
会費(郵便振替分)
2
4
,
0
0
0
事務費
7
,
6
1
7
1
0
,
0
0
0
Bulletml5号
4
9
,
6
0
0
翻訳料
会費(大会当日納入分)
会員数は1995年8月末現在で138名。
懇親会費
早大大会・懇親会補助金
3
7
,
0
0
0
1
9
,
7
9
9
利子収入
4
1
2
,
0
0
0
小計
6
0
2
,
3
8
3
《資産》
手元現金
普通預金残高
定期預金残高
1
,
0
9
6
1
3
,
6
8
2
4
3
8
,
7
1
2
更振替
名潅参
と珊帥,〃・煙ス#、&栴弁鐙孟-し
な苛祁蕗荷逼農頓‘す…、c二〃邪'り鯵に
正応心刷子L左。
1
1
会計監査レ
-120-
-121-
1
9l1ll9L1b1LlLq︲︲tbI40I
鉾
Ⅲ
│
喜
一
−噂
唾”
、
’
一
−
−
−
−
−
.
−
−
−
−
−
−
−
−
−
一
・
‘
・
■
d
I
’
1
’
1
日仏経済学会会則
1994年度会計報告
1
’
(1994年4月1日-1995年3月31日)
第
1
条
本
会
は
、
日
仏
経
済
学
会
(
l
a
S
o
c
i
6
t
6
f
r
a
n
c
o
j
a
p
o
n
a
i
s
e
d
e
s
S
c
i
e
n
c
e
s
E
c
o
n
o
m
i
q
u
e
s
)
と
称
し
、
こ
れ
を
日
仏
第
2
条
本
会
は
、
同
一
の
目
的
を
有
す
る
フ
ラ
ン
ス
の
諸
機
関
と
の
協
力
の
も
と
に
、
日
仏
間
の
経
済
学
の
交
流
を
促
進
す
る
こ
と
会館に設ける。
<収入〉
を目的とする。
《支出》
第
3
条
本
会
は
、
前
条
の
目
的
を
達
成
す
る
た
め
に
、
次
の
事
業
を
行
な
う
。
前期繰越
7
2
9
,
6
1
0
大会関係費
8
1
,
7
0
9
会費(郵便振替分)
2
2
8
,
5
2
0
通信費
60,340
会費(大会当日納入分)
2
0
,
0
0
0
事務費
1
0
,
5
9
1
懇親会費
2
0
,
0
0
0
Bulletinl6号
早大大会・懇親会補助金
4
9
,
6
0
0
翻訳料
利子収入
348,000
36,000
イ
)
フ
ラ
ン
ス
の
経
済
学
者
を
日
本
に
受
け
入
れ
、
ま
た
、
日
本
の
経
済
学
者
を
フ
ラ
ン
ス
に
派
遣
す
る
こ
と
に
つ
き
斡
旋
.
協
力
し
、
並
び
に
両
国
間
に
お
け
る
経
済
学
研
究
者
の
交
換
を
助
成
す
る
こ
と
。
ロ
)
フ
ラ
ン
ス
の
重
要
な
経
済
学
文
献
の
日
本
語
訳
を
促
進
し
、
必
要
に
応
じ
て
こ
れ
を
援
助
す
る
こ
と
。
ハ
)
日
本
の
重
要
な
経
済
学
文
献
の
う
.
ラ
ン
ス
語
訳
を
促
進
し
、
必
要
に
応
じ
て
こ
れ
を
援
助
す
る
こ
と
。
二
)
刊
行
物
、
特
に
主
要
な
経
済
学
ま
た
は
経
済
学
誌
を
通
じ
て
、
日
仏
両
国
に
お
け
る
経
済
学
説
並
び
に
経
済
の
動
向
に関する相互の理解を深めること。
ホ
)
両
国
相
互
の
経
済
並
び
に
経
済
学
文
献
の
整
備
、
特
に
両
国
の
ビ
プ
リ
オ
テ
ク
の
整
備
に
関
し
、
適
切
な
措
置
を
講
ず
る
こ
と
に
努
め
、
か
つ
、
こ
れ
を
促
進
す
る
こ
と
。
1
,
3
9
3
へ
)
そ
の
他
本
会
の
目
的
に
適
す
る
事
業
。
496
計
1
,
0
4
9
,
1
2
3
第
4
条
本
会
の
事
務
所
を
、
東
京
都
千
代
田
区
神
田
駿
河
台
2
丁
目
3
番
地
日
仏
会
館
内
に
置
く
。
第
5
条
本
会
は
、
次
に
定
め
る
会
員
を
も
っ
て
こ
れ
を
構
成
す
る
。
イ
)
正
会
員
:
本
会
の
事
業
に
実
際
に
参
加
協
力
す
る
者
。
ロ
)
賛
助
会
員
:
本
会
に
対
し
、
精
神
的
ま
た
は
物
質
的
な
支
持
を
与
え
る
者
の
中
か
ら
選
ば
れ
た
者
。
ハ
)
名
誉
会
員
:
日
仏
両
国
間
の
経
済
学
の
交
流
に
特
に
寄
与
し
た
者
の
中
か
ら
選
ば
れ
た
者
。
第
6
条
本
会
の
目
的
に
賛
同
す
る
も
の
は
、
正
会
員
と
な
る
こ
と
を
求
め
る
こ
と
が
で
き
る
。
こ
の
請
求
は
、
正
会
員
1
名
の
推
薦
に
よ
り
、
理
事
会
の
承
認
を
経
な
け
れ
ば
な
ら
な
い
。
名
誉
会
員
ま
た
は
賛
助
会
員
の
資
格
は
、
理
事
会
が
こ
れ
を
与
え
る
。
但
し
、
そ
の
資
格
は
、
本
人
の
同
意
が
な
け
れ
ば
確
定
し
な
い
。
《資産〉
第7条会費は、次のように定める。
手元現金
普通預金残高
定期預金残高
イ)正会員年額6,000円(院生会員4,000円)
ロ)賛助会員自然人の場合年額5,000円
法人の場合年額5,000円以上
5
8
,
2
2
0
1
3
,
3
9
6
ハ)名誉会員は会費を納めることを要しない。
第
8
条
会
員
に
重
大
な
義
務
違
反
が
あ
る
場
合
に
は
、
理
事
会
の
決
定
に
よ
っ
て
、
こ
の
者
を
本
会
か
ら
除
名
す
る
こ
と
が
で
き
る
。
こ
の
者
の
異
議
が
あ
る
と
き
は
、
こ
の
決
定
は
総
会
の
承
認
を
得
な
け
れ
ば
な
ら
な
い
。
第
9
条
会
長
は
、
理
事
会
に
お
い
て
理
事
の
中
か
ら
互
選
さ
れ
、
本
会
の
事
業
を
統
率
し
、
本
会
を
代
表
す
る
。
2
0
0
,
4
2
5
会計監査
-122-
聡
龍Ⅷ鳴一鐙
”
第
1
0
条
理
事
会
は
、
若
干
の
理
事
を
も
っ
て
構
成
さ
れ
、
総
会
に
よ
り
選
挙
さ
れ
る
。
理
事
会
は
、
本
会
の
業
務
を
執
行
す
る
。
理
事の任期は2年とする。
2
会
計
監
査
の
た
め
に
、
監
査
役
を
設
け
る
こ
と
が
で
き
る
。
監
査
役
は
、
総
会
に
よ
り
選
任
さ
れ
る
。
第
1
1
条
会
長
は
、
名
誉
会
員
の
な
か
か
ら
顧
問
を
委
嘱
す
る
こ
と
が
で
き
る
。
顧
問
は
、
会
長
の
請
求
に
よ
り
、
理
事
会
に
対
し
て
意
見
を
述
べ
る
こ
と
を
職
務
と
す
る
。
第
1
2
条
会
長
は
、
本
会
の
発
展
の
た
め
に
特
に
功
労
の
あ
っ
た
者
に
、
総
会
の
識
を
経
て
、
名
誉
会
長
の
称
号
を
お
く
る
こ
と
が
で
第
1
3
条
総
会
は
、
正
会
員
の
全
員
を
も
っ
て
構
成
す
る
。
正
式
に
召
集
さ
れ
た
会
員
の
3
分
の
1
が
出
席
し
、
ま
た
は
、
代
理
さ
れ
て
い
る
と
き
は
、
総
会
は
有
効
に
決
議
す
る
こ
と
が
で
き
る
。
総
会
は
少
な
く
と
も
年
1
回
召
集
さ
れ
、
理
事
会
の
報
告
を
聞
き
、
必
要
な
場
合
に
は
理
事
を
選
挙
し
、
本
会
の
事
業
に
つ
い
て
決
議
す
る
。
第
1
4
条
こ
の
会
則
は
、
出
席
者
お
よ
び
代
理
さ
れ
て
い
る
会
員
の
3
分
の
2
の
多
数
で
、
総
会
が
こ
れ
を
変
更
す
る
こ
と
が
で
き
る
。
きる。
−123−
.
.
.
.
一
一
.
一
・
一
一
・
‐
一
・
・
一
0
■
■
■
■
d
投稿規程
1.本『BULLETIN』への投稿は、原則として会員によるものとする。
2.論文の投稿分量は、原則として200字詰原稿用紙80枚以内とする(図表等を含む)。
3.使用言語は、日本語・仏語のいずれでもよい。
4.タイプまたはワード・プロセッサーによって作成された完成原稿であるものとする。原稿とともにフロッピーディ
スクを送付されたい。文書はできる限り、MS-DOSフォーマットで初期化したフロッピーディスクに書込まれ
たぃ。文書名は、半角8文字のあとに、ピリオド「.」と拡張子「TXT」を入力すること。
<例BULIETIN.TXT>
5.別紙に仏語での表題を書き添えること。
6.投稿論文の掲載可否は、編集委員会にて決定する。
1
9
9
6
年
1
0
月
3
0
日
発 行
代表者
編集責任者
日仏経済学会
岡山隆
西 川 潤
一
-130-
両 一 一 ・ 三 一 一 幸 五 一 竃 一 一 一 、 ー
= ー ー
==▽雪
ー 一 再 一 ● q 一 一 面
− ー
‐ー‐==
e
『
リ
Q
−
一 一 ,
=
=
p
P
1
邑
一
ー
N
N
}
A
I
BULLETINDELASOCIETEFRANCO-JAPONAISEDESSCIENCESECONOMIQUES ‘
Ⅲ
octobrel996No18
何1−
ilIIl
’
SOMMAIRE
|l
PREFACE
OKAYAMA,Takashi………………………・…………………..…・……………・…・……………。………….…………….………
一
SPECIAL
I
M
5
e
C
o
n
f
e
r
e
n
c
e
F
r
a
n
c
o
J
a
p
o
n
a
i
s
e
d
'
E
c
o
n
o
m
i
e
<
R
6
g
i
o
n
a
l
i
s
m
e
e
c
o
n
o
m
i
q
u
e
:
e
n
A
s
i
e
e
t
e
n
E
u
r
ope> 1
‐
e
’
一
T
i
t
l
e
l
・
R
6
g
i
o
n
a
l
i
s
a
t
i
o
n
6
c
o
n
o
m
i
q
u
e
e
n
A
s
i
e
e
t
e
nE
u
r
o
p
d
r
m
g
n
i
f
i
c
a
t
i
o
n
t
h
6
o
r
i
q
u
e
〃
11
31
N
I
S
H
K
A
W
A
,
J
u
n
:
R
6
g
i
o
n
a
l
i
s
m
e
6
c
o
n
o
m
i
q
u
e
d
a
n
s
l
e
s
a
n
n
d
e
s
l
9
9
0
:
s
e
s
r
6
a
l
i
t
6
s
e
t
l
a
t
h
6
o
r
i
e
〃
d
'
i
n
t
6
g
r
a
t
i
o
n
6
c
o
n
o
m
i
q
u
e
・
…
.
…
…
・
…
…
.
.
…
…
…
…
…
…
…
…
…
.
.
.
.
.
…
…
.
…
…
…
…
…
…
…
.
…
…
・
…
…
…
…
…
…
・
1
且
”
噌
壁
r
g
r
d
4
e
:
年
号
"
o
n
a
l
i
s
a
t
i
o
n
s
a
s
i
a
t
i
q
u
e
e
t
e
u
"
・
p
d
e
n
n
e
e
t
l
e
s
E
t
a
t
s
U
n
i
s
d
'
A
m
6
r
i
q
u
e
d
u
N
o
r
d
・
…
。
…
〃
T
A
K
E
U
C
m
,
S
a
w
a
k
o
:
L
'
m
f
r
a
s
t
r
u
c
t
u
r
e
d
'
u
n
e
z
o
n
e
6
c
o
n
o
m
i
q
u
e
r
6
g
i
o
n
a
l
e
・
…
…
・
…
…
.
…
…
…
…
.
…
…
…
…
…
…
…
…
…
・
〃
33
d
l
a
l
u
m
i
6
r
e
d
u
c
o
n
c
e
p
t
d
e
s
y
s
t
@
m
e
p
r
o
d
u
c
t
i
f
…
・
…
…
…
…
.
…
…
.
…
…
…
…
…
…
…
…
“
…
…
…
…
…
…
…
…
…
T
i
t
l
e
n
.
L
e
r
6
g
i
o
n
a
l
i
s
m
e
e
n
E
u
r
o
p
e
B
A
S
S
I
N
O
,
J
"
a
s
9
a
l
e
i
T
E
B
P
U
L
,
R
e
n
6
:
"
a
n
g
e
s
,
i
n
v
e
s
t
%
n
t
s
e
t
p
@
r
s
p
e
c
t
i
v
e
s
d
'
i
n
t
6
g
r
a
t
i
o
o
〃
e
c
o
n
o
m
i
q
u
e
d
a
n
s
l
'
e
s
p
a
c
e
e
u
r
o
m
6
d
i
t
e
r
r
a
6
e
n
・
…
…
…
・
…
・
…
…
…
…
・
…
…
・
…
…
…
…
…
…
…
…
…
…
…
…
…
38
I60i8H四曲
C
A
L
V
E
T
,
J
a
p
"
:
V
E
F
s
U
J
s
y
s
t
6
m
e
p
r
o
d
u
c
.
f
a
s
i
a
t
i
q
u
e
?
:
l
e
p
r
o
c
e
s
s
u
s
d
e
r
6
g
i
o
n
a
l
i
s
a
t
i
o
n
a
s
i
a
t
i
q
u
o
Z
52
9
W
,
S
h
=
y
a
s
E
P
2
m
a
F
c
h
6
"
q
U
e
e
u
r
o
p
.
e
n
e
t
l
a
t
r
a
n
s
f
o
r
m
a
t
i
o
n
d
e
l
a
p
o
l
i
t
i
q
u
e
he
l
l
o
…
…
…
・
…
・
〃
64
T
A
N
A
K
A
,
S
o
k
o
:
E
U
6
1
a
r
g
i
e
e
t
/
o
u
l
a
z
o
n
e
e
c
o
n
o
m
l
q
u
e
a
l
l
e
m
a
n
d
e
?
.
…
…
…
・
…
…
…
…
…
…
.
.
…
・
…
…
・
…
…
…
・
…
.
〃
78
H
U
M
B
E
R
T
,
¥
a
F
R
:
L
e
¥
6
1
e
q
g
l
a
t
e
c
h
n
o
l
o
g
i
e
d
a
n
s
l
e
p
r
o
c
e
s
s
u
s
d
e
r
6
g
i
o
n
a
l
i
s
a
t
i
o
n
e
n
A
s
i
e
d
l
P
a
c
i
f
i
q
u
e
e
t
e
n
E
u
r
o
p
e
O
c
c
i
d
e
n
t
a
l
・
…
・
‘
…
…
…
…
…
…
…
…
…
…
.
…
…
…
…
…
.
…
…
…
.
…
…
.
…
…
…
…
…
.
91
一
1
E
N
H
O
M
M
A
G
E
A
U
F
E
U
P
R
O
F
E
S
S
E
U
R
K
E
N
J
I
K
A
W
A
N
O
70
8
0
11
Necrologie
■●
■
●
●●
●
●
心
●●
●
■
●●
●
Q
●
●
●
●
。◆
●
D
C
●
C
●
●
●
●
■
色
■●
■
●
●
●
●
●
●
旬
。
●
●
●
●
●
●
●
■●
●
●
●●
●
●
●
■
識
ロ
−
I
0
11
1
1
1
●
●●
●
●
●
●
G
B
e
●
■
■
●
■
●●
●
●
■
●
●
●●
●
●
●
●
●
●
●
●
●■
■
●
●
●
●
●
●
。
I
咽
一
1
1996………….…….・112
6
36
1
11
1
●
●
●
●八割︾
●■
、
●
G
D
o
●
●
●
Q
●●
0
●
●
■
●
■
●
●
●
■●
■
●
●
●
●
●
■
●
、
●
、
●
、
●
①
●
●。
●
●
■
●
●●
−
PRESENTATIONDULIVRE
L
a
卸
皿
b
"
q
u
e
d
e
Z
α
〃
t
t
e
r
、
q
t
Z
"
℃
f
c
o
m
,
7
7
z
,
6
m
,
o
m
t
i
o
n
d
e
K
i
y
o
a
ノ
b
i
H
i
q
t
a
,
8
6
z
6
n
o
k
a
i
(
6
d
.
)
,
1
9
9
6
…
…
…
…
…
…
・
…
…
…
.
.
1
1
8
−−
ニーーー害=一二
ー 一 −
’
●
G。
0O
.a
■
"
:
x
;
:
;
"
:
"
'
:
:
I
"
:
"
:
"
"
"
"
"
"
"
雨
凧
応
L
g
r
零
p
6
識
&
“
a
c
t
i
v
i
t
§
s
d
e
l
a
8
0
c
i
雄
F
r
a
n
c
o
J
a
p
o
n
a
l
”
d
e
s
S
c
i
“
C
o
8
n
c
o
n
o
m
i
q
u
e
s
e
n
l
9
9
4
1
9
9
5
…
,
‘
…
…
.
…
…
.
.
.
‘
:
:
X
M
:
.
:
.
:
:
"
"
;
W
"
"
"
"
"
:
…
.
.
…
…
…
…
,
…
…
…
…
…
…
…
.
…
.
…
…
.
.
.
。
.
.
.
・
D
1
1
9
"
z
w
i
"
"
;
:
.
"
;
W
i
X
…
‘
.
.
…
"
'
"
'
・
"
m
・
m
,
。
m
i
q
i
R
M
:
"
"
"
"
"
:
。
Z
M
…
…
。
.
…
…
.
'
.
m
o
o
“
卿
q
U
e
8
(
a
o
鮭
1
9
9
6
)
,
‘
…
、
.
…
,
‘
.
,
.
‘
…
,
…
…
‘
…
、
,
…
.
、
.
…
.
…
.
.
.
−
1
N
L
a
l
i
s
t
e
d
e
s
m
e
m
b
r
e
s
d
e
l
a
S
o
o
i
“
恥
、
‘
o
J
a
P
o
n
a
i
s
o
d
e
s
S
o
i
e
n
o
e
s
m
o
o
n
o
m
i
q
u
e
s
(
a
o
i
t
l
9
9
6
)
。
。
…
…
…
…
…
.
.
…
.
.
.
.
“
L
a
l
i
s
t
e
d
e
s
m
e
m
b
r
e
8
d
u
O
”
8
6
i
l
d
I
a
d
m
i
n
i
9
伽
t
i
o
n
d
e
l
a
8
o
c
i
6
t
6
F
r
a
n
c
o
J
a
p
o
n
a
1
s
e
d
e
s
S
c
i
e
n
c
e
s
1
2
1
1
2
3
1
2
4
○
●e■O●oaDD合DDG●●。
− − − −
,
,
1
2
9
‐
一
▲
=
▲
凸
心
.
.
。
●
◆
.
■
・
・
p
0
D
g
■●●●、●●●。●DgG0DQ●
『
!