1.『人口ボーナス論からみた中国経済の現状と展望

1.『人口ボーナス論からみた中国経済の現状と展望
~人口構造変化からみた改革開放政策の課題~』
株式会社日本総合研究所
環太平洋戦略研究センター
主任研究員 大泉 啓一郎
【はじめに】
タイトルには「人口ボーナス論」という聞きなれない用語が使われています。詳しくは、
後にお話しますが、今日は、中国の人口構成の変化とそれが経済に及ぼす影響を皆様と一
緒に考えてみようと思っています。
近年、日本では少子高齢化・人口減少社会という言葉で象徴されるように人口が経済社
会に及ぼす影響についてさかんに議論されています。しかし、東アジアでも同じように少
子高齢化が進んでおり、とくに中国でその傾向が顕著であり、その経済社会に及ぼす影響
はわが国より深刻だという報告をいたします。
最初に中国の人口の変化について説明し、次いで、その人口構成の変化が経済発展にど
のような影響を与えるのか、とくに、これまでの中国の経済発展、中でも高成長は人口構
成の変化からみるとどのような特徴を持つのか、中国が今後も高成長を維持するための人
口的な制約要因は何か、などについてお話させていただきたいと考えています。そして、
最後に、20 年くらい先の将来に待ち構えている中国の高齢社会というのは、どれだけの厳
しいものであるのかということを説明したいと思っています。
【中国の人口動向】
まずは、中国の人口変化についてお話いたします。
国連人口推計によれば、2005 年の中国の人口は 13 億 1600 万人です。これは今後、2025
年に 14 億 4000 万人へ増加するものの、2030 年から 2040 年の間に中国人口はピークを向か
え、2050 年には 13 億 9000 万人に減少すると見込まれています。とくに「一人っ子政策」
による出生率の低下から 0 歳~14 歳の人口の割合が低い水準で推移するのに対し、医療や
栄養状態の改善により 65 歳以上の人口の社会に占める割合が急速に上昇していくことが見
込まれています。つまり中国でも「少子高齢化」が進んでいるということです。
中国の少子高齢化の特徴を、出生率と死亡率の変化から見てみましょう。
人口の変化は、基本的には出生率と死亡率の関係によって決定されます。移民も人口に
影響を与えますが、これはさほど大きくありません。中国の人口変化に影響を与えた政策
としては「大躍進」と「一人っ子政策」が重要です。
「大躍進」とは、毛沢東の指導の下、大衆動員による経済建設のことを言います。それ
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は、農家に対する過剰な取り立てを強制するものでした。また、流通制度が非効率であっ
たために、生じた食糧不足へ迅速に対処できず、2,000 万人に及ぶ餓死者を出したといわれ
ています。現実に 1959 年~61 年の間に死亡率が急上昇し、他方、出生率が急低下したこと
が認められます。「大躍進」のように死亡率の急上昇と、出生率の急低下の後には、出生率
が急速に高まるという自然の法則が働きます。中国の出生率は、1950 年以降低下の傾向に
ありましたが、大躍進直後の出生率はそれ以前の水準を超えて上昇したのです。
これについて、中国政府はどのように認識したでしょうか。1960 年代から 70 年代初めと
いえば、世界全体でこのままの勢いで人口増加が続けば、地球の資源がなくなってしまう
と危惧していた時代です。ローマクラブの『成長の限界』が出版された時期です。中国政
府も例外ではありませんでした。その結果打ち出されたのが、2 つの目の政策である「一人
っ子政策」です。子どもの数を強制的に減らすことこそが、中国を貧困から脱出させ、経
済発展につなげていく方法だと考えたのだと思います。
一般的には、
「一人っ子政策」が中国の出生率を低下させたと捉えられていますが、実際
には「一人っ子政策」以前から出生率は低下していましたから、「一人っ子政策」は、この
出生率の低下を加速させた政策でした。
このように中国では「大躍進」後の出生率の高まりと、「一人っ子政策」による急速な低
下により、大きなベビーブーム世代が形成されました。中国の人口構成は、この大きなベ
ビーブーム世代と、その子供である第二次ベビーブーム世代という2つのコブを持ってい
ます。
次に人口ピラミッドの変化をみてみましょう。
「一人っ子政策」を取る直前の 1975 年の人口ピラミッドは、裾の広い「富士山型」をし
ていました。他の開発途上国と同様に世代ごとに人口が増える「人口爆発型」ピラミッド
です。次に、2000 年の人口ピラミッドをみましょう。すでに 20 歳以下の子どもの数は減少
しています。ベビーブーム世代が 20 代、30 代のところにありますので、社会全体は若い世
代が牽引する、活気のあるものとなります。中国経済の躍進を伝えるテレビの光景は、こ
のような人口ピラミッドの世界です。
ところが、2025 年の人口ピラミッドはかなり歪なものになります。裾野が狭く、上層部
が大きい不安定なものです。裾野が狭いのは出生率の低下が著しいことを示しています。
たとえば、中国の合計特殊出生率、1 人の女性が生涯に出産する子どもの数ですが、現時点
で 1.8 に低下しています。2.1 を切ると人口はいずれ減少するとされていますが、冒頭で申
し上げたとおり中国の人口は 2030 年~40 年にピークを迎えることが予想されています。
国連の人口推計は、この出生率が 1.8 あたりで安定するとみています(中位推計)が、
これはかなり楽観的な見方ではないかと思います。むしろ合計特殊出生率が 1.35 まで下が
ると仮定した低位推計(少子化が早く進んだ場合の推計)の方が現実的なように思えます。
これを用いて 2025 年の人口ピラミッドを作成すると、さらに裾野の部分が狭くなります。
このようなピラミッドは、「つぼ型」と呼ばれますが、かなり不安定な「つぼ」です。
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中国の高齢化は少子化によって進みますが、高齢化する世代がベビーブーム世代である
ことが重要です。まだベビーブーム世代は若年から中年層にあり、高齢社会に移行するの
は 2025 年から 2030 年とまだまだ先のことです。しかし、日本の経験から明らかなように、
高齢化はあっという間に進展します。あの大阪での万国博覧会の時代に、このような高齢
化社会が来ると誰が考えたでしょうか。
【人口構成の変化と経済発展】
さて人口構成の変化と経済発展の関係を考えてみましょう。
経済発展の関係は、人口の変化の影響から3つの時期に分けられると考えます。
1つ目は、人口増加が著しく、経済発展にマイナスの効果をもたらす時期です。2 つ目は、
人口減少が著しく、人口の高齢化などから、経済発展にマイナスの効果を与える時期です。
近年になり、この 2 つの時期の間に、開発途上国の人口変化が経済発展にプラスに働く時
期があると言われるようになってきました。これを『人口ボーナス』といいます。今日の
タイトルにあります『人口ボーナス』です。現在の中国経済は人口爆発を終焉させ人口高
齢化に向かう間の『人口ボーナス』の時期にあるのです。
この 3 つの区分について詳しく説明したいと思います。
最初は人口爆発期の経済発展です。これは増える人口に生産が追いつかない。物をつく
ってもつくっても、稼いでも稼いでも、子どもの数が増えるため、一人当たりの収入が増
えない時期です。成人の所得は自分の消費と子供の養育費に回され、貯蓄ができにくい時
代でもあります。社会は貯蓄が低いため投資が困難であり、低所得にとどまらざるをえな
いという悪循環にはまりこみます。
これが、中国政府が「一人っ子政策」を始めた理由です。先ほど申し上げたように、「一
人っ子政策」というのは、出生率が低下した後に取られた政策で、少子化を加速させる効
果を持ちました。中国は、1970 年に人口爆発による経済停滞の状況を脱したと考えられま
す。それから改革開放政策のなかで高成長期に突入していくわけです。これが人口ボーナ
スの時期です。出生率の低下が人口の構成を変え、それが経済にプラスの効果を与える、
つまり人口構成の変化が経済成長というボーナスをもたらすということから、
「人口ボーナ
ス」と呼ばれます。海外では、「demographic dividend(=人口学的な配当)
」と表現され
ています。
ここで、人口ボーナスがどのようなプロセスで生じるのか説明しておきましょう。大き
くは以下の 3 つが考えられます。
1つ目の効果は、出生率の低下が労働投入量を増加させる、つまり、ベビーブーム世代
が労働年齢を迎え、社会に参入してくる。今まで親や社会の負担になっていた子どもたち
が自らの所得を得られるようになるということです。
2つ目の効果は、働く人はすべてを消費せずに、そのいくらかを貯蓄します。社会では、
この貯蓄が可能な労働人口が増えていくわけですから、国内の貯蓄率が上昇する可能性が
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でてきます。社会はその貯蓄を経済発展のための投資に回すことができるようになります。
第3に子どもの数が減ってくるので、社会が子どものためにできることが増えます。例
えば、小学校や中学校など初等教育を普及させる、あるいは子どもの健康維持・改善のた
めの医療サービスを提供できるようになります。
このような「人口ボーナス」の効果を活用することで、中国を含め東アジアは 1980 年以
降、高成長を維持してきたと考えられます。もちろん、東アジアの高成長には、政府の開
発戦略や外資による技術移転・資本移転など要因が強く働いていたわけですけれども、そ
れに適応するような人口構成が東アジアにあったということも見逃すことができないと思
います。とにかく、中国は、出生率を強制的に低下させることで、経済の停滞から抜けだ
すだけでなく、「世界の工場」と呼ばれるような、世界的にみて高成長を遂げた国となりま
した。
しかし、人口ボーナスもいつまでも続くものではありません。人口高齢化が進むに伴っ
て人口ボーナスとは逆のサイクルが動き始めます。つまり労働者が高齢者となるに伴って
収入が減り、社会を支える側から社会に支えられる側に移ります。その結果、貯蓄率が低
下します。貯蓄率というのは、社会の労働者の割合が減るということでも低下しますが、
高齢者が自らの貯蓄を取り崩す、あるいは年金に現役世代の所得を移転する年金制度を通
じても低下します。
人口構成と経済発展の関係を3つの時代区分により説明してきましたが、おそらく皆様
の最大の関心は、それでは中国の人口ボーナスがいつまで続くのかということにあるのだ
と思います。中国の経済成長はいつまで続くのかという話になると、北京オリンピックで
あるとか上海万博までだとか、いろいろいわれています。ここでは、人口構成の変化から
みるとどうなのか、ということを述べておきたいと思います。
人口ボーナスという考え方は、15 歳~64 歳の生産年齢人口、つまり働くことが可能な人
口の割合に着目し、これが上昇する過程で経済成長が高まると考えています。ですから、
ここでは人口ボーナスの受けられる期間を、生産年齢人口の増加率が、人口増加率を上回
る期間としておきましょう。そうしますと、中国における人口ボーナスは 1965 年頃始まり、
2015 年には終わることになります。
日本では、人口ボーナスの始まりは 1950 年以前で確認できませんが、終わりは 1990 年
から 95 年頃とみなすことができます。バブル崩壊と重なります。我々の耳に高齢化や高齢
社会という言葉が定着し始めたのもこの時期です。日本と中国は、およそ 25 年のタイムラ
グがあることになります。
重要なのは、人口ボーナスの効果がなくなる時点の所得レベルです。日本の人口ボーナ
スの効果がなくなった時点を 1990 年としますと、その時の1人当たりGDPはおよそ
27,000 ドルでした。中国の1人当たりGDPは現在約 1,800 ドルです。為替レートなどい
ろいろな問題がありますが、人口ボーナスの期間があと 10 年ですので、人口ボーナスの終
わりには 5,000 ドルに達するのは困難でしょう。つまり、中国は所得水準が十分に高まら
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ないうちに人口ボーナスを終える可能性が高いのです。
【人口ボーナスと中国の経済発展】
人口ボーナスと中国の関係ももう少し細かくみておきましょう。ここでは、人口ボーナ
スを前半と後半にわけ、経済発展に寄与したのかという点を考えてみましょう。人口ボー
ナスの前半で注目していただきたいのは、ベビーブーム世代が労働人口の若い層にあると
いうことです。つまり、若者が多いため、労働集約的な産業が非常に強みを持つ人口構成
を有しているともいえます。日本では 1970 年、韓国や台湾では 1980 年がこれに該当しま
すが、これらの国において繊維や組立加工業を含む労働集約的工業の発達がこの時期の経
済成長を牽引しました。80 年代後半から日本企業やアジアNIES企業が中国や東南アジ
アに生産拠点を求めたのは、円高や現地通貨高による生産コストの上昇を回避するためで
したが、中国や東南アジアには労働集約的作業に耐えうる豊富な若年労働者が増える時期
にあったということは見逃せません。
人口ボーナスの前半では、労働年齢に達したベビーブーム世代をいかに工業部門が吸収
するかが政策課題になります。中国においても、人口ボーナスの前半に改革開放政策によ
り目覚しい工業発展が経済成長を牽引してきました。担い手は国営企業から民間企業、外
資企業へと多様化し、工業部門は 1978 年から一貫してGDPの 50%を生み出してきました。
ところが、就業面からみますと、工業部門を含む第2次産業の雇用吸収力は限定的でし
た。その就業人口の割合は、1970 年代の 17%から 1995 年の 23%までしか上昇しなかった
のです。サービス産業も同様でした。つまり、第1次産業の就業人口が高く、つまりベビ
ーブーム世代は工業部門に吸収されず、農業部門にとどまり続けたことを示します。
このことは、韓国のそれと比べてみると顕著です。韓国は人口ボーナスのなかで、2つ
の産業構造の変化を経験しました。1つは農業から工業に代わるという農工転換で、もう
一つはその後の、商業、金融などへシフト、産業のサービス化です。これはGDPの比率
だけでなく、就業構造の変化でも確認できます。しかし、中国では就業面では、サービス
化どころか農工転換さえ起こっていないのです。これは、中国では所得水準があまりにも
低い段階で出生率が低下し始めたため、人口ボーナスも早い段階で生じてしまったという
ことに起因しています。
【人口ボーナス後半から高齢社会の課題】
人口ボーナスの後半になると、生産年齢人口、つまり労働人口のなかでの高齢化が進展
していくという問題が出てきます。とくにベビーブーム世代が高齢化することは重要です。
なぜなら、私は今年 43 歳になりますが、中国のベビーブーム世代とほぼ同じ世代ですが、
現時点では、それなりの肉体労働なら何とかできる自信がありますが、10 年後はかなり困
難になると思われるからです。
先ほど申し上げたように、日本や韓国、台湾では、ベビーブーム世代が高齢者になる前
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に産業の構造転換が進みました。その結果、産業は労働集約的なものから知識集約的なも
のへと変化し、高齢者でも従事できる仕事が増えました。加えて、産業構造の変化の中で
日本や韓国、台湾のベビーブーム世代は、スキル、知識、経験を積み上げてきたという事
実があります。現在では、このことが高齢社会の負の影響を軽減する力となっています。
ところが伝統的農業に従事し続けている中国のベビーブーム世代にそのような経験やスキ
ルや知識が蓄えられているでしょうか。この点で労働者の高齢化は日本、韓国、台湾より
深刻なものとなると考えます。
現実に、中国では年齢が高まるにつれて、就業が困難になっています。男女ともに 65 歳
の前に急速に就業率が低下しており、この傾向は都市部で顕著です。つまり、都市部では
中高年の労働者が経済発展、産業構造の変化、職業のシフトに対応していない可能性があ
るということです。もちろん、雇用市場が小さいため、若者に中高年層が弾き出されてい
るのかもしれません。とにかく、一般的に高齢者とされる 65 歳になる以前に、就業率が急
速に低下している点は見逃してはなりません。
日本では生産年齢人口の比率は既に減少していますが、65 歳以上の方でも頑強な身体を
維持し、就職機会にアクセスできる方がたくさんいます。この人たちは実質的には生産年
齢人口と何ら変わりはありません。しかし反対に 50 歳でありながら、身体の状況が悪かっ
たり、職に対応できる能力がなくなったりしてしまえば、生産年齢人口としての資格を失
っているといえます。これは高齢化の前倒しといえましょう。中国の労働人口の高齢化は、
ベビーブーム世代の生産性を高める措置がないと、今後高齢化の前倒しのような状況が起
きる可能性があります。
もう少しこの問題を考え続けましょう。高齢化や人口減少社会の解決策は個人個人が生
産性を高めることにあると言われます。それには経済や知識の蓄積に対する機会や努力の
あり方が大きく影響を及ぼします。ここでは、最終学歴を生産性の指標としてみましょう。
中国では、今、労働生産性を高めるために教育制度の高度化が国家プロジェクトになって
います。その結果大学や大学院の卒業生が徐々に増えています。でもその水準は、日本に
は遠く及びません。中国の問題は、小学校あるいは中学校を最終学歴とする比率が加齢と
ともに上昇し、ベビーブーム世代では中学校を最終学歴とする人が多くなっていることで
す。次に農林水産業の就業人口割合を年齢別に見ると、日本に比べて圧倒的に多いという
特徴がありますが、これも加齢とともに上昇し、ベビーブーム世代の人口の半分以上が農
林水産業に従事しています。
つまり中国のベビーブーム世代は教育機会に恵まれないまま、その後も農業に従事し、
農村にとどまり続けていることが分かります。私は中国の農村に行ったことはありません
が、このようなベビーブーム世代の農村の滞留が、貧富の格差を生み出す原因の一つにな
っているのではないかと思っています。ですから、中国政府がなすべき政策の一つはこの
ベビーブーム世代の生産性を向上させるような教育・研修政策といえます。
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【高齢社会と経済発展】
さて、中国の「人口ボーナス」から「高齢化」に話を移しましょう。ここでは中国の高
齢化の抱える問題が大きいことを知っていただくために、ライフサイクル仮説モデルとい
うものを使わせていただきます。
このライフサイクル仮説モデルは人間が生まれてから死ぬまでの間に、人がどのように
所得、消費を配分するかを考えたものです。
たとえば、所得は、ある年齢に達するまで得ることができません。他方、消費は、生ま
れた時点から発生します。ですから、生まれてから勤労期に至るまでの間、消費と所得に
ギャップが生まれます。これは基本的には親や社会が負担をします。やがて勤労期を迎え
ますと所得が上昇し、消費を上回るようになります。この一部を子どもの養育や他の家族
の扶養に充てますが、残りを将来の退職後の消費ために貯蓄ができるようになります。や
がて歳を重ねるにつれて所得が低下に向かい、再び消費を下回るようになります。そうす
ると、幼年期と同様に、所得と消費のギャップが生じます。これを自らの貯蓄で補います
が、それでも不足する場合は、家族や社会がこれを埋め合わせしていくわけです。社会が
埋め合わせしていく方法として年金制度があります。
これを社会に当てはめるとどうなるでしょうか。少子高齢社会は、子供の側の消費と所
得のギャップよりも高齢者の所得と消費のギャップが大きいことが特徴となります。一般
的に開発途上国では子どもの消費と所得のギャップが大きく、これを社会が埋め合わせら
れず、子どもの生命が危機にさらされるケースがあります。アフリカなどはその典型でし
ょう。国際社会は、子供を救うためにさまざまな支援を講じてきました。それとは逆に開
発途上国の高齢社会は、高齢者の消費と所得のギャップが大きくなるのです。
高齢社会では、これを埋め合わせる仕組みが必要となります。これについて、我が国に
おいてもいかに世代で配分するかが議論になっていますが、中国や東南アジアではさらに
深刻なものとならざるをえません。なぜなら日本の場合には高齢者が勤労期に自らが貯め
た貯蓄を取り崩すということができます。しかし、中国の多くのベビーブーム世代が将来
のために貯蓄を行う余裕などないからです。そうすると、将来的に生じる高齢者の所得と
消費のギャップを埋めるのは社会全体の負担となります。つまり現役世代の所得を移転す
る以外にないということです。社会が負担できない場合、高齢者の生命が危機にさらされ
るという深刻な問題に発展するかもしれません。これは中国だけでなく、多くの開発途上
国で今後起こりうる問題です。
もう1つ重要なのは、高齢者の高齢化が今後進むということです。一般的には高齢者は
65 歳以上と定義されていますが、65 歳を超えても、健康でかつ所得を得る能力も高い人が
多いというが現実があります。そこで、高齢者を前期と後期に分けようという見方が広ま
っています。たとえば 65 歳から 74 歳を前期高齢者、75 歳以上を後期高齢者と区分しよう
というわけです。それは、前期高齢者には積極的に社会に貢献していただき、自らの努力
で克服できるものはしていただくという考え方です。他方、後期高齢者は、残念ながら加
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齢のため就業機会へのアクセスが困難になったり、物理的に行動範囲が狭くなったりする
ので、社会全体が保護していこうという考え方です。
中国の人口推計をみますと、高齢化率は 2005 年で 7.6%、2020 年で 11.9%へ上昇していま
すが、当分の間、前期高齢者が多い状況が続きます。ところが 2020 年を過ぎますと後期高
齢者が急増します。後期高齢者の介護負担は、前期高齢者の医療負担に比べ格段に高く、
高齢社会の負担が高齢者人口比率の伸び以上に高まります。
このような高齢社会に中国はどのように対処していくのでしょうか。ここでは、近年の
社会保障制度整備の動きをみておきましょう。
2002 年 3 月に国務院において、
「弱勢群体(社会的弱者)」という概念が提示されました。
同年 11 月の中国共産党第 16 回全国代表大会では、江沢民総書記(当時)が社会保障制度
を国家の長期的な安定のために必要な制度だと位置づけました。これは 2004 年 3 月制定の
憲法において明文化されました。第 14 条で「経済の発展水準に合うような社会保障制度を
構築する」、第 33 条では「国家は、人権を尊重し、保障する」となっています。
注目されるのは、中国政府がどのような理由から社会保障制度整備を行おうとしている
かだと思います。社会保障制度構築の議論をみていますと、人口構成の変化というよりも、
都市と地方の所得格差を改善する一つの手段として社会保障制度への期待があるように思
えます。中国にも社会保障制度はありますが、それは都市部の公務員、軍人、民間企業を
対象としたもので、人口の大半を占める自営業や大方の農家にはありません。今回の 2006
年 3 月の全人代で、「農村を区別しない制度」としてこれを広めるというような見解が示さ
れ、全国民を対象とした社会保障制度整備に動き出したと捉えることができましょう。
わが国の経験からも明らかなように、手厚い社会保障制度は後の少子高齢化のなかで財
政負担を急増させます。そして中国の高齢化のスピードは日本よりも速くなると予想され
ているのです。例えば、日本では高齢化率が 7%から 14%になるのに 24 年を必要としまし
た。24 年というのは世界で類を見ない速さです。フランスでは 100 年以上かかっています。
スウェーデンでは 70 年から 80 年、イギリス、ドイツも 40 年かかっています。そこを日本
は 24 年で通りすぎてしまった。しかし中国の場合さらに 22 年と短くなります。
中国政府がどのような社会保障制度を構築するのかは中国の経済を長期展望する上で重
要です。日本よりも経済規模が小さい段階で高齢化を迎えるため、財政能力が小さいなか
で高齢化に対峙していかなければなりません。中国にはインフラ整備や人材育成など、他
にもやらなければならない仕事というのは多いのです。社会保障制度をほかの財政支出と
どう調整するのかは注視しなければなりません。
今後、中国の社会保障制度整備がどのようになされていくかについて、注視すべきポイ
ントは2つあると思います。第1は、所得格差の低い方にある農村を納得できるような給
付水準はどこにあるかということです。これが高過ぎると、その後の政府負担は高齢化に
よって急増します。第2は、公務員や国営企業従業員に整備されている厚遇された年金制
度を見直しが図られるかどうかです。この年金制度自体はすでに持続性がないといわれて
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います。これを見直さず、公務員、国営企業への給付水準に応じて農民向けの社会保障制
度が作られると、とんでもないことになります。ですから、まず公務員や国営企業従業員
に対する年金制度を見直し(給付引き下げ)を行い、後に全国民を対象とした社会保障制
度をつくっていくべきであると私は思います。しかし、中国政府は公務員や国有企業従業
員向けの年金制度の見直しをしないまま、社会保障制度の拡大に突入していくかもしれま
せん。経済リスクよりも政治リスクの回避を優先することは他の国でもよく見られること
です。そして短期的な政治リスクの回避は後に経済リスクとなって現れ、新しい政治リス
クになるという悪循環もあります。
【最後に】
今日は「人口ボーナス論から見た中国経済の現状と展望」という話をしました。人口構
成の変化からみると、中国の高度成長期もそんなに長くないのではないかと思います。そ
して、現段階から高齢社会を見据えた政策を実施していかないと将来的には身動きがとれ
なくなってしまうというように悲観的にさえ捉えることができるということです。人口構
成の変化は、いずれの国の経済社会を展望する上で大切だということを繰り返し、ここで
私からの話を一旦終わらせていただきたいと思います。ありがとうございました。
【質疑応答】
Q:
日本経済の場合、人口ボーナスをどのように実証するのか、ボーナスとは一体何ぞ
や、というのが1つ目の質問です。低成長に転換したときとか、団塊世代の失われた
10 年にまさに人口ボーナスがあったのではないかと思うわけです。
あと1つは、中国の問題ですが、中国というのは発展途上国ですから、経済がどん
どん成長していけば富が増えて、合計特殊出生率がむしろ上がっていくのではないか
と思うわけです。中国は明らかに自分の世代よりも子どもや孫の世代の方が豊かな生
活ができるという確信が持てるわけです。だから特殊出生率は上がるのではないかと
思う。これは発展途上国だからそうだと思うのですが。その2つの点、いかがでしょ
うか。
A:
ありがとうございました。非常に重要なご指摘だと思っております。
まずは人口ボーナスの効果についてですが、ボーナスというのは頑張った者しか貰
えない、ということであります。出生率が下がればどこの国も高い経済発展を遂げら
れるわけではなく、人口ボーナスを享受できる政策が必要だということです。ですか
ら先ほど述べましたように人口ボーナスの前期には若者が多いという労働集約的産業
の有利な環境が存在し、それを生かすような、たとえば労働集約的な外資企業を誘致
するなどの政策が有効となります。
日本の例で言いますと、1960-1970 年は生産年齢人口が高まり人口ボーナスの効果が
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最も現れやすかった時期であったと思います。日本でさえ人口ボーナスをしっかり享
受できなかったとも考えられます。
「大学は出たけれども」というようなことが言われ
たのがこの時期だと思います。人口ボーナスを活かすだけの政策がなかったし、国際
環境が伴っていなかったというのが、この時期の日本であったと思います。人口ボー
ナスは新しい考え方であり、実証分析が今後、必要になると思います。
2 つ目のご質問である開発途上国で所得が伸びていくと今後、出生率は底を打つのか、
という問題です。これまでの経験則から申し上げると、韓国、台湾、シンガポール、
香港はそうではありませんでした。この4つの国・地域の出生率は日本よりも低い水
準にあります。日本の出生率は 1.28 と低水準にありますが、韓国では 1.16、香港では
0.96 とさらに低い水準にあります。また開発途上国である中国の出生率が 1.8、タイ
は 1.9 の水準にまで低下しています。中国のケースは詳細を見ないといけませんが、
農村においても子どもの数が減ってきていると思います。
これについて、私がタイで見聞きしたことを紹介します。農村のお父さん、お母さ
んが、今、どういう気持ちで子どもを想っているかと言いますと、「私の職業(農業)
を継がせたくはありません。少しでも安定的な給料がもらえるよう、町で事務職に就
いて将来暮らしてほしいと思います」。これが親心であります。そのために必要なのは
小学校であれば中学校、中学校であれば高校、というようなより高い教育機会であり
ます。しかし残念ながら、彼らの所得は多くの子供を高校に行かせられるような水準
ではありません。ですから、彼らは子どもの数を減らすことでしか対応策がないとい
うのが現状のようです。
Q:
ありがとうございました。後ほどで結構ですから渡辺理事長にぜひ、先ほど出まし
た全人代の今回の発言というのが、中国の経済の一つのエポックになるのではないか、
と私は感じるのですが先生はどうお考えになるか教えていただけませんか。
渡辺理事長:
せっかくですから言わせてもらいますと、所得水準が上がると親が持つ子どもの数
がだんだん減っていくという、そういう経済学の考え方があるわけです。例えば、今、
親が2人子どもを持っているとする。3人目を生むか生まないかを親が決定するわけ
ですが、その時、所得水準が低いと3人目を生もうとする。高くなると2人で我慢し
ようという考え方があります。
では、親がどういう時に3人目を生むか。3人目の子どもが親にもたらす効用と不
効用とを比べてみて、効用が大きければ「生みましょう」
、不効用が大きければ「やめ
ましょう。2人で我慢しましょう」となる。効用と不効用が等しい時、どうしようか
と悩む、という話です。
効用とは何かというと、いや、費用を先にしましょうか。費用の効果がいろいろあ
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るわけです。子どもにはいろいろお金がかかります。直接費用、特に都市化して地価
が上がっている社会で、子どもに1部屋を与えるなんてことになると費用がものすご
くかかります。それから間接費用もものすごくかかる。これはちょっと面倒なのであ
まり説明しませんが、機会費用というのがありまして、子どもが生まれていなければ
得たであろう所得、これを犠牲にしているわけです。そういう間接費用もあります。
効用は何かというと、これはいろいろある。可愛いからというのもあるし、子ども
をたくさん生めば、子どもがたくさん稼いで親にお金を持ってきてくれるという効用
もあるし、それからたくさん子どもがいれば将来の自分の老後が安定的だというふう
な安全保障的な意味もある。
この効用と不効用を比べるわけです。効用というのは、これは utility といいます
からこれをUで書きます。これはどんどん下がってきます。それはそうです。豊かな
社会になれば子どもに稼いでもらおうなんて思わないし、第一、高度技術社会になる
と子どもが働く場所なんてありません。先ほど、老人が非常に豊かだという話があり
ましたが、子どもに老後を保障してもらおうなんていう考え方もない。それが社会保
障に代わるということもある。ともかくUのラインは下がってきます。
不効用の方が上がってくるというわけです。これは右上がり。要するに豊かな社会
なら子どもにお金がかかる。教育にもお金がかかる。間接的にもかかってくる。そう
すると、所得水準が低い社会においては、3人目の子どもが両親にもたらす効用の方
が大きければ、ここでは生みましょうということになる。ここを超えると今度は2人
になる。2人で我慢しよう、ということになる。つまり、所得水準が増えるにしたが
って生む子どもの数が減っていくという一般的な仮説があるわけです。
さて、先ほどの質問の中で、中国、あるいはその他の開発途上国の中で所得水準が
高まっていけば、もっと合計特殊出生率が上がっていくのではないかとのことですが、
私はやはり大泉さんの考え方とかなり近いです。その原因のひとつには教育の問題が
あると思います。アジアは教育が爆発の時期にあります。しかも教育のレベルが上が
ってきて、教育にはとてもお金がかかるようになってきている。つまり、このコスト
がうんと高くなってきている。すると、さらに低い所得水準のところでも生む子ども
の数を少なくしてしまうということになる。そういう意味で、一人当たりの子どもの
費用がとても上がってきているということが1つの大きな原因となっていると思いま
す。
それからアジアでも、低い所得水準の国を含めて技術水準がものすごく高まってき
て、要するに農村地域がどんどん少なくなってきている。子どもが労働できる場とい
うのが、低い所得水準の国にも少なくなってきている。つまり、子どもが所得を稼ぐ
機会というのも少なくなってきている。したがって効用もまた今までのようなわけに
はいかない、ということになり、結局私はこういう単純なモデルですが、これ以上出
生率は上がらないのではないかと思います。
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中国の場合、中位推計と低位推計があって、低位推計の方が現実味がありうると大
泉さんがおっしゃっていましたが、私はそうではないかなと思います。
中国はあと5~6年後に一人っ子政策を完全に廃止しようという意見が出始めてい
ます。なぜそのような意見が出ているのかというと、これを廃止しても人口、つまり
出生率は上がらないだろうという想定があるからという説明が僕らには合理的に響く
わけです。そういう意味で合計特殊出生率は底を打ってまた上がる、底を打ってまた
上がる、と日本の厚生労働省の人口動態調査はすべて今まで誤っていたわけです。そ
れと同じ過ちを中国もやっているのではないだろうか、とこれは直感ですがそう思い
ます。もしそうであるとすると、先ほど大泉さんがおっしゃったように、失業保険や
年金、医療保険というようなものを国民に簡易保険というような形でユニバーサルな、
普遍的な社会保障制度としてつくっていった場合、中国はパンクするという意見では
大泉さんとだいたい同じ考え方です。ですから、もっとミクロ的なというか、自助的
な村落共同体を中心にできあがってきた、あるいは町民の血縁や地縁社会の中で相互
補助し合うような、自助自衛型のミクロ的な社会保障のあり方というものを編み出し
ていかないといけないのではないかと思います。それがどういうものであるのか、な
かなか具体像が浮かばない。そんなところで一緒に悩んでいるところです。大きく言
えば、アメリカ型の市場メカニズムに任せてやるやり方がありましょう。それから、
ヨーロッパの一国家に典型的に見られるような、ユニバーサル型の社会保障システム
もあるでしょう。
どちらかというと、大きく分ければ日本は地方自治体を中心にした社会保障にある。
日本型のものをもっとミクロ化して、世界に合うような、あるいは中国の農村の実状
に合うような、いずれにせよ今までのものにはない、しかしどちらかというと日本の
それに近いような保障のあり方をつくりだしていくという考え方が正しいのではない
かと思います。そういう意味では大泉さんの考え方と近い考え方で中国を見ています。
Q:
大泉さんが考えたようなシナリオでいった場合、中国の人口構造が変化し、社会保
障制度を導入する、それが中国が渡る危うい橋であるという、それが持続的ではない
というような受け止め方をしました。そうだとすると、社会保障を導入した場合、他
の国でカバーすることができるのか。特に心配をしているのが、日本などはよくOD
Aなどといったもので供与したりしているわけですが、そういった部分で他の国がカ
バーできるのか、または他の国への影響はないか、ということについて何か展望があ
れば教えていただきたいと思います。
A:
高齢化問題というのは基本的に自国政府が自らの責任の下で実施すものだと私は思
っています。中国の高齢化問題についても、中国の問題であるという基本路線を日本
はしっかり持っておいてほしいと思います。
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したがって、今後の中国の農村において、高齢者はかなり厳しい生活になる可能性
がありますが、基本的にはそれを見据えて事前の策を準備するのは中国政府にほかな
りません。ただし、高齢化問題は、東アジア全体に進展している問題です。かつ、こ
の問題については、いずれの国も特効薬を見出していないということ、さらにこれは
政府の問題というよりも、住んでいる家族あるいは地域の問題であることを考えます
と、市民レベルにおいても知識や知恵というものは今のうちからどんどん交流してい
くべきであると考えます。中国でも高齢者対策に成功している地域があるかも知れな
い、そういう知恵も日本も受け入れることを考えて、双方向の情報交流にODAを使
ってもらえないかと思います。
Q:
労働力が高齢化するから生産力が先々鈍化するという話が一つあったと思うのです
が、さらに外資や新しい技術が中国に入ってくれば、そういう生産力の低下を補える
ような気もしなくもないのですが、いかがでしょうか。
A: 基本的には中国に外資が流入することは生産性の向上に役立つと思います。しかし、
それは都市部の発展についてという限定的なものではないでしょうか。問題は、外資
の導入の効果が国全体にどのような形で広がっていくかですね。都市部とその周辺で
は好循環がしばらくは続くのではないかと思っておりますが、それが地方に波及して
いくのか、むしろ高度な技術が周辺に広まるような地方に受け皿があるのか、そのこ
とが非常に気になります。
中国全体を考えると、持続的な成長を維持するためには、やはり人口比率の高いベ
ビーブーム世代の生産性向上が大切だと思います。放置しておくと、地方と都市部の
所得格差が広がってしまうという問題がある。さらに年齢別にも所得格差が広がって
しまうという問題が今後出てくるのではないか、それが新しい社会不安を高める原因
にならないかと私は危惧しています。
Q:
2006 年 3 月の全人代で農村を区別しない制度というのを打ち出したということで、
これをすることによって農村と都市部の差がなくなり、ここから中国が変わっていけ
るのかということを考えていて、大泉先生のお話は、それは無理だという結論に聞こ
えるのですが、中国としてはそこをやっていかないと大きな暴動になる可能性も秘め
ているということなのでしょうか。
A:
基本的にはその通りです。ですから、簡単に言えば、短期的な政治的リスクを回避
することで、将来の経済的リスクを抱え込むということです。それがさらに新しい政
治不安の原因になるのではないでしょうか。
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渡辺理事長:
大泉先生が話してくださったような社会保障の枠組みをつくっていかなければいけ
ないという認識は中枢部の中にはあるのですが、実際には農村にはほとんど何もやっ
ていないというのが現実だと思います。このように何度も声明を出したり、総書記が
発言するというのは「共産党も決して農村のことを見落としているわけではないよ」
という政治的な格好をつけるためにやっているに過ぎない。実際に見て、農村を含め
た社会保障システムなんてことはありえない、中国の力量でできるはずもない、とい
うのが率直な話です。
中国には戸籍制度があります。身分制度と言っていい戸籍制度で、ワークパーミッ
トをもらって農村から都市に移住してくる、あるいは不法で移住してくる、これを民
工と言っていますが、その数がどれくらいかといわれるのですが、統計はないわけで
す。一時期まで1億人と言われたのですが、2~3日前に産経新聞に中国のある研究
所の数字というのが出ていました。オリジナルにはまだあたっていないのですが、こ
れによると2億人を超えているといいます。膨大な数の農民が都市に押し寄せて来て
いる。だから中国の発展都市というのはものすごく労働供給圧力が強い。強い圧力の
下にさらされている。彼らは農民戸籍の人々ですから、都市に住んでいても都市住民
が享受している社会保障の一切を享受できないという構造にあります。
それを少しずつなんとかしようということで、例えば失業保険だと民工のうち、数
パーセントくらいは失業保険に入っているという話は聞いたことはありますが、所詮
数パーセントです。今話しているのは、農村からワークパーミットをもらって都市に
移住してきた人さえも社会保障制度の恩恵に数パーセントしかあずからせてもらえな
いという現状を見て、あの膨大な農村の全域に社会保障ネットワークが張れるなどと
いう能力があるとは、私は思わない。
それからもう1つ言いますと、中国の農民が国をそんなに信用しているか。地方政
府をそんなに信用しているか。やはりトラストというか信頼関係がなければ社会保障
制度というのは成り立たないわけです。年金なんていうのは、今、払い込んで、いず
れ歳を取ればそれを受け取る。そういうことは国家や自治体に対する深い信頼があっ
て初めて成り立つ制度だと思うわけです。日本人は払えばもらえるという考え方があ
ります。中国人にもそういう考え方があるかというと、ないと私は思います。国家、
あるいは地方政府など権力に対する個々人のものの考え方というのは、我々の社会に
対する考え方とは大きく違う。そういう財政的制約や文化的なDNAみたいなものを
考えると、私は農村地域を巻き込んだ社会保障制度が中国で成り立つというふうには、
率直に言って到底考えられない。にもかかわらず、中国政府がそう言っているという
ことは、「ちゃんと眺めているよ」というアピールだと、だからそう長く効くものじゃ
ないと思います。
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A:
加えるならば、社会保障制度の整備が政治的な取引で使われる場合は大変だという
ことです。政治リスクを回避するために中央政府は地方政府に、あるいは都市部が周
辺に取引として社会保障制度の構築をした場合には、信頼関係もない上に社会保障制
度がのってしまうことになる。これは最悪のケースだと私は思います。
今言われたように、民工をどう扱うか。これは都市部の社会問題でもあります。上
海ではもう高齢化率が 17%を超えている。ところが上海の財政が破綻しないのは、お
そらく高齢者に対する年金制度が整備されておらず、さらに民工のための社会保障制
度を整備していないからだと思われます。ですから見通しも持たず政治リスクの回避
の手段として社会保障制度の構築が使われるのが、最悪の選択だと考えています。
(平成 18 年 4 月 27 日開催)
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