書式6 助成番号 08‐042 松下幸之助記念財団 研究助成 研究報告 (データ送信) 【氏名】 藤 井 崇 【所属】(助成決定時) ドイツ・ハイデルベルク大学大学院 古代史・碑文学ゼミナール 【研究題目】 キプロス島におけるローマ皇帝の宗教化と儀礼化をめぐる碑文学的研究:支配者崇拝とキプロスの地域的文 脈 【研究の目的】(400字程度) 本研究の目的は、地中海第三の島キプロスを対象に、キプロスがローマ帝国の支配下にあった1世紀から3 世紀に時間軸を設定して、ギリシア語金石文を主要史料としながら、島でおこなわれたローマ皇帝の神格化、 その崇拝と儀礼の実態、そしてこの皇帝崇拝を通じて醸成されたローマ帝国とキプロス島民との関係のあり 方を考察することを目的としている。帝国の他の属州と同じく属州キプロスにおいても、初代皇帝アウグス トゥス以降、皇帝やその親族が神格化され崇拝の対象となった。キプロスでは、皇帝にたいする立像の建立、 神殿の奉献、皇帝にちなんだ暦の導入などが確認される。皇帝崇拝という形でのローマの影響力は、キプロ ス島民の生活に深く入り込み、その一方で、キプロス島民も皇帝崇拝の神官職を名誉ある職務ととらえ、皇 帝像や神殿の建立を自らの社会的名声を高める行為として積極的におこなうことで、ローマ支配という現実 を巧みに受け入れていたと予想される。 【研究の内容・方法】(800字程度) 本研究の主要部分は、申請者がハイデルベルク大学(ドイツ)哲学部に2010年1月に提出し、2010年4月に 審査を終えた博士論文 Imperial Cult and Imperial Representation in Roman Cyprus (『ローマ時代のキプロスに おける皇帝崇拝と皇帝の表象』)である。本博士論文の本論部分は以下の三つの部分から構成されている。 Part 1: The Emperor in the Wide Spectrum of Imperial Representation: Man and God (Ch. 1: Emperors Represented in the Greek Language; Ch. 2: Imperial Statues; Ch. 3: Status of the Emperor in the Civic Landscape; Ch. 4: A Cypriot Oath of Allegiance to Tiberius) Part 2: The Imperial Cult as an Amalgam of Religion and Politics (Ch. 5: Communication through the Imperial Cult; Ch. 6: The Imperial Cult in the Socio-Political Framework of Cyprus) Part 3: The Emperor in the Life of the Cypriots (Ch. 7: Festivals; Ch. 8: Emperors and Time)。以下、各部の内容と研 究方法を簡単に解説したい。 まず第一部「多様な皇帝表象における皇帝の位置:人と神のあいだ」では、帝国を統治する皇帝が、属州 キプロスで時に死すべき人間として、時に崇拝すべき神として、キプロス社会の宗教的文脈およびその時々 のキプロス人の意図に応じてさまざまに表象されていた実態を明らかにした。具体的には、皇帝に付与され た称号やエピセット(第一章)、皇帝の立像(第二章)、皇帝への奉献物(第三章)、皇帝への宣誓儀礼(第 四章)が分析の対象となった。次の第二部「宗教と政治のアマルガムとしての皇帝崇拝」では、皇帝崇拝を 通じたキプロス人とローマ皇帝(および帝国政府)との政治的なつながり(第五章)ならびに皇帝崇拝がキ プロス島内の政治に与えた影響(第六章)を考察した。最後の第三部「キプロス人の生活における皇帝」で は、キプロス人の日常生活におけるローマ皇帝の表象および崇拝を、皇帝を称える祭礼(第七章)および暦・ カレンダー(第八章)に注目して分析した。 本研究の主要史料は、キプロス島出土のギリシア語銘文であるが、そのうち本研究に特に関係するもの(約 110銘文)を、博士論文末尾に翻訳・解説とともにAppendixとしてまとめた。 【結論・考察】(400字程度) 本研究で得られた結論は、各部ごとに以下のようにまとめることができる。ローマ皇帝がキプロス島にお いて単独の神として崇拝された例は比較的少なく、神格化された場合でも、島の伝統的な神々との習合がお こなわれたり、島の神々の下位に位置する神格として崇拝されることが多かった。皇帝の名前につけられた 称号・エピセットの工夫や皇帝像の設置方法、伝統神との習合を通じて、キプロス人は自分たちの宗教的伝 統や社会的要請に応じて、ローマ皇帝を時に神、時に人間、時に神と人間の間の存在して、ある程度自由に 表現することができたといえる(第一部)。ローマ時代に地政学的重要性を失ったキプロスにおいて、皇帝 崇拝を通じた属州と皇帝との直接的な政治的関係は、他属州と比較した場合、希薄だったと考えられる。キ プロスにおける皇帝崇拝は、帝国中央部における政治動向とは基本的に無関係に、あくまでもキプロスの地 域的枠組みのなかでおこなわれていた。しかし、その一方で、皇帝崇拝は島の内部の都市行政には深く関わ っており、これは都市のエリートが就任した皇帝崇拝の神官職にもっとも端的に見て取ることができる(第 二部)。皇帝(の表象)は、キプロス人の生活にさまざまな形で浸透した。たとえば伝統神に奉納されてい た祭礼に皇帝が取り込まれたり、人間生活の基本となる時間の枠組み(暦・カレンダー)に皇帝が影響をあ たえるといった事実が確認される。これらは皇帝崇拝と直接の関係はないものの、キプロスにおける皇帝の 表象の多様性を示す事例として、無視できないものである(第三部)。
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