2007シンポジウム in 京都

Copain 特別号
JAC
2007シンポジウム in 京都
動なる肉体、深奥への挑戦
誰もが人として生きていく中で、自らが持つ肉体の
可能性、才能を最大限に 発揮するために。
集え古都に!紅葉の京よりも燃え、
熱き精神で語り、飲み、思索し、学ぼう。
[日 時] 2007年11月3日(土)4日(日)
[場 所] 京都市左京区 京大会館
[パネラー] 甲野善紀氏、喜多尾浩代医学博士、關家良一氏、中塚祐文 D.C.
[講 師] 五十嵐由樹 D.C.、門田安弘 B.C.Sc.、他 RMIT 日本校講師
担当 JAC 西日本ブロック
甲野 善紀先生のプロフィール
1949 年東京生まれ。武術研究者。
1978 年自分自身が納得いく武術の研究をするため武術稽古研究会松聲館(しょうせいかん)を設立
(同会は 2003 年、発展的に解散)。
「踏ん張らない、捻らない、ためない」という従来のスポーツ運動論の枠にはまらない独自の身体操作論に
もとづき、人の身体の仕組みに逆らわず、負担を極力減らす術理、技法を探究する。
また日本に古くから伝わる「ナンバ歩き」いち早く紹介し世に広めた事でも有名。
フ人は生きている限り身体のどこかを動かしている。そして身体の動きの大半は、意識せずしての動作である。
意識していない身体の動かし方、あるいは意識していても固定概念に捕われた身体の動かし方をしている私
たちに、身体操作術をもってして眠っていた"可能性"を呼び起こそうとする甲野善紀を追ったドキュメンタリー映
画もある。
養老孟司氏が「強さや技術はもちろんだが、その立ち居振舞いの美しさに目を奪われた」と賛美した甲野善
紀の追求する身体操作術。
桑田真澄投手に指導をし、宇宙飛行士の野口聡一氏に宇宙での体の使い方を教え、桐朋高校バスケッ
トボール部をインターハイに導くなど様々な人、分野に応用されている。
また身体のプロフェッショナルに限らず、楽器演奏、舞踏、介護や日常生活の動作にも応用されている。
監督:藤井謙二郎談 現代っ子は、頭でっかちで身体性に欠ける。そんな類いのことは昔から散々言われてき
た。更に昨今の猛烈なインターネットの普及により、たとえ机の前で不動明王と化していても、膨大かつ多様な
情報がクリック一つで手に入ってしまうハイテク時代。頭と体あるいは知識と行動の肉離れは、誰もがふとあちら
こちらで感じていることだろう。
甲野さんの身体術は、見なきゃわかりません。本人を見るのがいちばんですが、それができなきゃ、映画館で見るし
かない。 養老孟司(解剖学者)
15 年前、甲野先生が『井桁崩しの原理』を発見なさった頃、その記述を読んで「これは演技論だ!」と夢中にな
った。だが俳優が演じる役柄は自己と他者との軋轢のなかにいることが多く、滞り、居着いた、「間違った身体」の
状態を模索することが多い。
その「間違った」状態に如何に「正しく」もっていくか…この作品にはその「矛盾した」「実践」のヒントが隠されている。
佐野史郎(俳優)
「武術を極めるにはあくまで技をつきつめる以外にない」という甲野さんの確かな指針が、ぼくにも「武蔵を描ききる
には、結局、自分の身体に耳を済ませるしかないんだ」という具体的なアプローチを気づかせてくれたのだと思いま
す。 井上雄彦(漫画家)
甲野善紀さんは声がいい。 人の声というより、川の流れる気配のような声です。 この人は、身体のうちに、大い
なる自然をひろげているのでしょう。 武田鉄矢(俳優・歌手)
甲野善紀 HP より抜粋
喜多尾 浩代先生のプロフィール
http://www.nsknet.or.jp/~kitao/index_j.html
大阪出身。 幼少の頃からモダンダンスを始めるが 徐々に逸脱。
医科学領域で博士となるが 徐々に疑憚。
1991 年より、求心的にソロ・ダンス・パフォーマンス活動とワークショップ
活動を開始。
筑波大学大学院でスポーツ医学を学んだ後、1994 年に 大阪市立大学において 臨床検査医学領域・予
防医学領域で 医学博士の学位を取得。
同時期にバイオ・ダイナミクス研究所において アプライド・キネシオジー・テクニックに出合い、自身のダンス経験
との融合によって 独自のメソッドに発展させ、Physiotherapist として Pina Baush & Tanztheater Wuppertal
の海外公演ツアーに参加した経験を有する。
1996 年 金沢においてコンテンポラリー・ダンス・ユニット Esqui:nouver(エスキー・ヌーバ)を結成。
テーマの本質に迫ると同時に、身体感覚に潜む真実と向き合い、身体表現および空間演出によって、
『肉体的思考』をパフォーマンスに仕立てる試みに取り組んできた。
2002 年に 1 年間の海外における放浪的パフォーマンス活動を経て帰国し、女子美術大学に助教授として着
任。
アートにおける身体の重要性を説くと共に、パフォーマンスを通 して実践。虚構と現実 が共存する『せめぎ合
いの現場』に現象として存在する 身体ソノモノ に興味を持ち、『感覚・衝動・内観』を重視した脱観念的表
現形態に傾注して、身体をメディアとしたアートの可能性を探究している。
2003 年には第3回 INTERNATIONAL MONO DRAMA FESTIVAL: THESPIS(Germany) において、ディレ
クターからの奨励賞を、また、同年の第3回 INTERNATIONAL THEATER FESTIVAL: ONE MAN SHOW
(Moldova) では優秀作品賞を、ソロ作品『添い寝アルバイターの眠り』によって受賞。
2006 年4月からは Free な Position で、東京近郊を活動拠点にして『日常生活に沁み入る身体表現の
可能性』を 実験的アトリエワーク (気づきの Body Work〜発生型 Movement〜感覚体での Primitive
Creation〜街での浸透型 Performance) 等々によって探究し始める。
また、情報を受信発信する『身体』に 対する考察を深め、ボディ-コンディショニングなどのワークショップ や プ
ライベートセッションを実施すると共に、アーティストとのコラボレーションによる試論と実践、ソロならびにユニットに
よる身体パフォーマンスを 国内外の様々な環境において展開中。
ウルトラランナー
關家 良一
(せきや りょういち) 先生のプロフィール
http://homepage3.nifty.com/ryo-1/
1967 年 2 月 12 日生まれ(40 歳)。
身長:183cm 体重:67kg 靴のサイズ:30cm
神奈川県相模原市に在住。会社員。機械加工業に従事。
走友会「巨人軍団」に所属。走歴 13 年目(1992 年、25 歳の時にダイエット目的のため走り始める)。
フルマラソンのベスト 2 時間 35 分 36 秒(2003 年 第 51 回勝田全国マラソン大会)。
******* 主なウルトラマラソンの成績 *******
1994 年 6 月 サロマ湖 100km ウルトラマラソンで 100km 初完走(11 時間 08 分 46 秒)
1996 年 11 月 中国万里の長城 100km ウルトラマラソン完走(12 時間 55 分)。
1997 年 8 月 中国太原 100km マラソン完走(12 時間 37 分)。
1998 年 1 月 第 1 回宮古島 100km ウルトラマラソン、8 時間 37 分 46 秒で初優勝
1998 年 9 月 ギリシャ・スパルタスロン 246km 完走(33 時間 47 分)
1999 年 3 月 第 2 回宮古島 100km ウルトラマラソン、8 時間 33 分で大会 2 連覇
1999 年 4 月 さくら道 270km ウルトラマラソン、34 時間 01 分で 2 位
1999 年 6 月 第 1 回しまなみ海道 100km 遠足、8 時間 01 分 12 秒で優勝
2000 年 3 月 第 3 回宮古島 100km ウルトラマラソン、7 時間 57 分 30 秒で大会 3 連覇
2000 年 4 月 さくら道国際ネイチャーラン(250km)、27 時間 04 分で 3 位
2000 年 6 月 米国カリフォルニア州、WESTERN STATES 100MILE ENDURANCE RUN 完走
(21 時間 31 分 35 秒)
2001 年 3 月 台湾・2001 東呉国際ウルトラマラソン(24 時間走)246km で優勝
2001 年 4 月 さくら道国際ネイチャーラン(250km)、22 時間 45 分で優勝
2001 年 9 月 ギリシャ・スパルタスロン 25 時間 27 分 30 秒で 3 位入賞
2002 年 3 月 台湾・東呉国際ウルトラマラソン、トラックの 24 時間走で日本及びアジア記録を更新
(266.275km)
2002 年 9 月 ギリシャ・スパルタスロン、23 時間 47 分 54 秒で優勝
2003 年 10 月 オランダ・ウーデン 24 時間走世界選手権で 2 位入賞及びロードのアジア記録を更新
(267.223?)
2004 年 7 月 フジ TV 系・トリビアの泉で郵便局と競争し、215?まで先行する
2004 年 10 月 チェコ共和国・ブルノ 24 時間走世界選手権で優勝及びロード 24 時間走のアジア記録を
再更新(269.085km)
2005 年 2 月 フィンランド・K-シティマーケット 12 時間走 144.327?を走り優勝
2005 年 3 月 台湾・東呉国際ウルトラマラソン(24 時間走) 264.41km を走り、大会4年ぶりの優勝
2006 年 2 月 台湾・24 時間走世界大会 in 台北で 2 年ぶり 2 度目の優勝及び 24 時間走のアジア記録
を再更新(272.936?)
以上 ホームページから抜粋
第八回シンポジウムの記録 記録者:半澤孝志 2007.11.3~4
甲野先生の発言から
小さな声で、ポツポツとしゃべる。肩を落として力の入らない自然体である。
忍者とか武道家はこのような人を言うのだろうか。
剣の達人は、肩を落としてあごを引いた姿勢であって、現在の剣道の姿勢は、明治になって西
洋文化が入ってきたことから、肩をすぼめていては恥ずかしいと言う理由で替えられたそうな。
どのような切り口で記録すれば良いだろうか。とにかく、市販の本に載らないことを記録する。
鎧(ヨロイ)を持てばとても重い、しかし、抱くと軽くなり、着ればもっと軽くなる。
力を分散する体裁きを目指している。スポーツ、介護、日常の生活そのものが対象である。
人間は、立つこと、バランスを取ることに大きなパワーを使っている。谷にかかった幅 50cm の
丸太の上を渡るとき、ダンボールだけでも横に張ってあげると視覚の情報が消えて楽になる。
見る、聞く、触る、風の匂い、、、五感を働かせている。当たり前のことであるが、極限状態で
初めて気づく。
当たり前のことを、当たり前として磨いていくのであって、常に満足することがない。
だから、スランプもない。目標を作ってしまうと満足するが、それで終わってしまう。
人間は、これをして、次にこれをして、、、と言う動作をしていない。同時進行が出来る。
とっさのときに、反射的に、無意識に、、、と言うのを磨いている。
科学について
ロボット工学の学者やAI(人工知能)の研究者と話しをしたときのこと。
「人工知能にも身体が必要だ」という発言があった。つまり、ロボットを作る場合に何もない
ところからプログラミングが出来ない。手足があり、身体があることで、こう動かせというプ
ログラムが書けると言うことです。手足という制限があって初めてロジックが書ける、つまり
科学的に論理立てていけると言うのです。
人工知能においても、何もないところで知識構築は、全てのものに対して途方もないものにな
ってしまい発散してしまうということです。
科学とは、制限(条件)の中で論理だてているために、その制限が崩れたときには、何の意味
も持たない。
人間にとって当たり前のことが、論理付けできないでいる。科学的に立証することは、不可能
なことのほうが多いかもしれない。
人間は、もっと自分の中の全てのものを、使い切るべく考えないといけない。
桑田投手との話。
ある日の話の中で、牽制球の動作を見ることがあって、遅いと感じたままに言ったところ、取
り巻きの者が言うには、桑田投手の牽制は早いんだそうだ。しかし、二十分ほど考えてやって
みてもらったら明らかに早くなった。しかし、プロの世界では、あまり早すぎるとボークを取
られるために、使えないと言う。同時進行する身体の動きについての話です。
大学野球で何度かやってもらったが、ボークに取られなかったのだが、、、と悔しそうに話され
た。
もう一つ、桑田投手がイチロー選手に「何か特別なことをしているの」と聞いたとき、イチロ
ー選手は、「特別なことは何もしていないです。何も特別なことをしていないことが特別なんで
す」と答えたと言う。
(イチローは初動負荷理論(鳥取の小山先生)などを取り入れたトレーニングで有名なのだが、そ
れが当たり前のことなのだ。)
ドイツのダンスチームの話。
世界的なダンスチームが日本に来たときの話。準備運動を誰一人しないのである。体を大切に
するために、アップしないのだそうです。(逆にとらえれば、体が出来上がっているから、しな
いのだと考える。顔を洗うときに準備体操しますか、、、ということだと考える。)
筋トレについて。
ボディビルでも、スポーツにおける筋トレは、部分強化に主眼が置かれ、組織論的な強化が忘
れられている。あちらを立てればこちらがたたずで、俺が俺がという筋肉の集まりを作っても
お互いを傷つけあうだけである。体全体に負荷が散るような方法を考えることが大事だ。
予測を裏切ることについて。
対人スポーツにおいて、相手はこう来ると予測できると、身構えられて、より強固なディフェ
ンスを受けてしまう。相手の予測を裏切ることに、力が入らない・抜けるポイントがある。
膝を痛めない歩き方について。
かかとから歩かない方法を薦めている。足の裏全体で着地するようにすると、膝へのショック
は少ない。「一本歯の下駄」なども体全体のバランスを調整するのに役立つ。
喜多尾先生の発言から
写真からギラギラした人を想像していたが、気さくな、とっても小さい人だった。
エンターテイメントとパフォーマンスの違いについて。ダンスに関して
エンターテイメントは、観衆に感動をさせるための全てのテクニックを駆使するものである。
失敗するとテクニックのつぎはぎになる。テクニックに追われて表現が出来ない。
パフォーマンスは、自分の内側を追及して溢れ出てくるものを表現する。
自分が表現しきれない場合は、単なる自己満足に終り、感動が得られない。アートにならない。
科学の話。免疫学について。
医学博士として、免疫細胞学を専攻していた。メタボリックであっても動脈硬化にならないこ
との研究。アスピリンで改善する研究。
科学的にデータを出すため、標準値を設けて、それ以外が異常という論文に疑問を持った。
異常値こそに意味があるのではないか。
異常値がどうして出てきたかを解析すること、異常値でも病気でない人のメカニズムを追及で
きれば、感動があったはずだが、人間的に出来なかった。
今は、自身の細胞が求めることをやりたいと、感動を求めてパフォーマンス活動をしている。
熱中しているとき、身体から沸きあがってくるもの(オーラまでいかなくても)、そのパワー、
エネルギーが美しいと感じている。
アートの世界では、異常値が天才として扱われる。標準値では、並みの芸術家となる。
点数はつけられない。おぉーという感動が評価になる。
誰にも予想が出来ないことが感動を呼ぶ。
日常にあって予想できることで感動を呼ぶのは大変である。死んでから評価される。
死んでからを待てないので、その場で評価されるパフォーマンスの厳しさが逆に楽しい。
最近、本屋さんを観察していると、「アーティストのなり方」など HOW TO ものがあふれている。
自分の中に溢れ出てくるものに自信が持てない、何かにおびえている傾向かもしれない。
人から教わって出来るものは、並みのものであり、概念を超えた感動にはなり得ない。
関谷先生の発言から
180cm の小生が見上げるように感じるくらい、大きな人に見えた。足は、とにかく大きかった。
二十五歳のとき、打ち上げのビール目的で草野球チームに入っていた。
お腹のでっぱりが気になりだして、ダイエットでマラソントレーニングに目覚める。
始めた頃、(熱心な)性格も手伝いマラソンのエリートランナーのタイム・三時間をきることを
目標にやっていたが、記録も伸びず怪我ばかりしていた。
早く走れないので、「24hr でどれだけ走れるか」というウルトラマラソンを目指す。
そこでNECの佐々木監督を知る。浅井えり子選手のご主人。L・S・D理論との出会い。
「ゆっくり走れば、早くなる」。
LSDとは、Long Slow Distance ながく・ゆっくり・距離 を踏むことを意味する。
有酸素運動のトレーニング方法の代名詞。ゆっくり走ることで、怪我をしなくなった。
長く続けることで、体が出来てきた。体が出来るとフルマラソンが 3hr を切ることが出来た。
当初 100km マラソンの記録が 12hr48m から 8hr37m と一年で記録が伸びたために、続けている。
關谷式トレーニングの実際
マラソン調整 三ヶ月前 500 ~ 600km/月 週末に 70~80km 走る
二ヶ月前 800 ~ 1000km/月 一ヶ月前 スピードを上げていくトレーニング
・夜間練習はしない。 ・雨、炎天下の練習はしない。 ・レースの距離は走らない。
・三十キロ走るぞと決めていても、途中できつくなったらやめて、また次の日に続ける。
自分は、体が硬いのでゆっくり走ることで、故障しなくなった。
常に十五時間くらい走ると疲れが出てきて、眠たくなる。そのときは寝る。
五分間。すっきりした。走って、まだだめだ。もう二分横になる。よし行くぞ。という世界。
關谷氏の言葉 「ゆっくり走れば、世界が見える」
甲野先生の話
人間にはタイプがある。苦労したからと言って実を結ぶものでもない。
大富豪のご令嬢が、倒産して四畳半のアパート住まいになったとき、手の届くところに全てが
あるので、楽しくてしょうがないと言ったとか。
マージャンの代打ち師・桜井章一は過酷なまでに自分を追い詰めて、追い詰められた中に感性
を磨いたと言う。二十年間無敗の中で、三十人の女性と出会い、その中でも出会った中で一番
悲惨な人と結婚した。翌日何十億も動く代打ちに朝まで飲んで出て行ったという。
牌が配られた時点で揃っていたことが五度もあったとか、、、それくらいの感性を磨くとは、
誰にも論理立てて説明できない。並べる指が牌を覚えているとしか言えない。
科学的なトレーニングは、データの取りやすい部分トレーニングになりやすい。腹筋百回、、、
人の意見で体を作って、操縦する人の意見(生理学的神経学的要求)に合うわけがない。
プロになればなるほど、自分の体を操縦する自分がいるという。客観的な管理がなされている。
中塚先生の話
人には、生理学的に「見たい人」「話したい人」「触りたい人」のタイプがあるそうです。
見たい人に、いくらしゃべりかけても、話したい人に、いくら見せてあげても満足しない。
甲野先生の話
人間には、矛盾した能力がある。矛盾を矛盾としてとらえられる不思議な生きものです。
感覚とは、矛盾だらけかもしれない。あの人が出来るから私も出来るかもしれないが、出来な
いかもしれない。
身体からほとばしることが感性であって、練習することは感性を否定していることで、枠には
めていることである。そんな感覚を持っている。
書籍 「古武術で毎日がラクラク」祥伝社発行 \1,260「古武術 介護入門」
医学書院発行 \3,150「古武術 for sports」スキージャーナル社 \1,890 その他多数あり
Copain 特別号