612号 - 日本歯科大学 生命歯学部

名が巣立つ
220
定 刻 午 前 十 時、司 会 の
表して、
中原 泉学長より、
栄えある卒業の証として
学士
(歯 学)
の学 位 記 を 授
与された。
つづいて学術優
秀 賞 十 三 名、皆 勤 賞 十 二
名、
精勤賞十九名、
学術奨
励 賞 十 名、臨 床 実 習 優 秀
賞三名の受賞者に対して
賞状等が授与された。
ついで大学院生命歯学
研究科委員の中原貴教授
より、大学院生命歯学研
究科博士課程修了生十六
名の氏名が呼びあげら
れ、 修 了 生 一 人 ひ と り
に、研究の成果を証する
博士(歯学)の学位記が授
与された。
つぎに中原学長と佐藤
鈴木洋一庶務部長が開式 田鶴子大学院生命歯学研
つづいて在学生を代表 表 し て
▷村上先生の﹁地球未来賞﹂受賞を特集した毎日新聞2013年3月6日号
(毎日新聞社許諾済み)
「毎 日 地 球 未 来 賞」 は、 毎 日 新 聞
社が創刊一四〇年記念事業として
二〇一一年に創設した。地球規模の
課題である食料や水、環境の問題解
決に取り組む個人や団体を顕彰して
いる。今年度はNPO法人「カラ=
西アフリカ農村自立協力会(代表理
事・村上一枝)」など三団体が受賞
し、大阪市内で表彰式と記念講演会
が行われた。
同NPO法人は、本学五十四回卒
の村上一枝先生が一九九二年に設立
し、砂漠化と疾病、貧困に苦しむ西
アフリカ・マリの農村で、地域住民
の自立を支援するための活動を続け
ている。毎日新聞では三月六日付け
紙 面 で、 今 回 の 未 来 賞 受 賞 を 特 集
し、村上先生の現地での活動を紹介
した。
終わりに祝電が披露さ 研 究 科 博 士 課 程 修 了 生 第四十四回歯科技工学科 住友雅人生命歯学部長と
NikolayIshkitiev 新潟生命歯学部
点呼に応え起立する卒業生たち(3月15日・新潟)
は、三月十五日に新潟生 授与された。
に短期大学士(歯科衛生
新潟短期大学の卒業式
つぎに中原学長と宮川 学)と短期大学士(歯科 は、須 貝 将 紀 短 大 事 務 部
掲)を述べた。
つづいて在学生を代表
された。
前十一時より、
新潟生命歯
ついで第四回専攻科歯 学部講堂で挙行された。
まず第二十八回歯科衛
て、歯科衛生学科卒業生 生二名に修了証書が授与
おわりに祝電が披露さ 全員に、東京都訪問介護 され、独立行政法人大学
東京短期大学
障害者(児)居宅介護従 り、学士(口腔保健学)の
ついで日本歯科衛生士
が報告された。
業者等二級課程の修了証 学位記が授与されたこと
そして専攻科歯科衛生
東京短期大学の卒業式 明書が授与された。
まず第四十回歯科衛生
ここで又賀学長が告辞
学)
の学位記が授与された。 生士長)より手渡された。
つぎに小口学長が告辞
教授より、新潟生命歯学 学科卒業生七十四名と、 (別掲)を述べ、来賓の (別掲)を述べた。
歯学研究科長の宮川行男
ついで大学院新潟生命 行された。
(口 腔 保 健 子会長(新潟病院歯科衛
し賞状等が授与された。 富士見ホールにおいて挙 機 構 よ り 学 士
優秀賞一名の受賞者に対 前十時より、生命歯学部 法人大学評価・学位授与 県歯科衛生士会の三富純
術奨励賞八名、臨床実習 の司会で、三月十二日午 学専攻修了生に独立行政 会からの表彰状が、新潟
賞四名、精勤賞二名、学 は、印出光宏短大事務長
て学術優秀賞八名、皆勤
記を授与された。つづけ
して学士(歯学)の学位
全員で校歌を斉唱した。 員二級課程および東京都 評 価・ 学 位 授 与 機 構 よ
り、栄えある卒業の証と れ、
が代表して、中原学長よ
られた。大竹由佳子さん が答辞を述べた。
九十名の氏名が呼びあげ 了生を代表して中島優君 た。各賞の表彰にあわせ の学位記と、専攻科修了
平 成 二 十 四 年 度 卒 業 生 竹由佳子さん、大学院修 名 に 修 了 証 が 授 与 さ れ 大学士(歯科衛生学科)
の新海航一教授により、 べ、卒業生を代表して大 科技工学専攻修了生十二 に、又賀泉学長から短期
式を宣した。クラス主任 君が先輩を送る送辞を述 名と第四十二回専攻科歯 生 学 科 卒 業 生 四 十 九 名
の羽下憲善庶務部長が開 して第五学年の中田文矢 科衛生学専攻修了生十二
定刻午前十一時、司会
催して挙行された。
学院第五十回修了式を併 研 究 科 長 が、 告 辞(別 技工学)の学位記が授与 長の司会で、
三月十四日午
命歯学部講堂において大
新潟短期大学
られ、修了生一人ひとり 呼びあげられ、小口春久 を述べた。
川 宏 樹 君、 修 了 生 を 代 れ、
全員で校歌を斉唱した。 十七名の氏名が呼びあげ 卒業生三十五名の氏名が 羽村章附属病院長が祝辞
を 宣 し た。ま ず ク ラ ス 主 究科長が、告辞(別掲)を べ、卒業生を代表して石
村上一枝先生“地球未来賞大賞”
に、研究の成果を証する 学長から栄えある卒業の
士見ホールにおいて、大 平 成 二 十 四 年 度 卒 業 生
月十三日に生命歯学部富 任 の 砂 田 勝 久 教 授 よ り、 述べた。
回大学院修了式を併催
本学のシンボルマーク
☆平成生まれの卒業生☆ 学院第五十回修了式を併 一三〇名の氏 名が呼 びあ して第五学年の川﨑正宗 (ニコライ イシュキティ
生命歯学部の部は、三 催して挙行された。
卒業生に告辞を述べる中原学長(3月13日・東京)
新 潟 生 命 歯 学 部 の 部 博士(歯学)の学位記が 証として、各学科の代表
生命歯学部
50
げられ、
小口莉奈さんが代 君が先輩を送る送辞を述 エフ)
君が答辞を述べた。
第
東京短期大学と新潟短期大学の卒業式も挙行された︒
れ︑三十三名に博士︵歯学︶の学位記が授与された︒また︑
した︒あわせて日本歯科大学大学院第五十回修了式が催さ
旬両学部において挙行し︑二二〇名の学士︵歯学︶を送り出
日本歯科大学第一〇二回卒業式︵学位記授与式︶は︑三月中
卒業証書番号№二〇三〇二号に
両学部
卒業式を挙行
第102回
第612号
日 本 歯 科 大 学 新 聞
2013年(平成25年)3月30日
(1)
問題は、後者の来たく
る。つまり、治 療を要 す 到来し、高齢者や高齢有
私 は、昭 和 四 十 年 る人の三十九パーセント 病者が急増している。在
定期的に来院する人と 療を受けたくても受けら
卒業生代表答辞(上・新潟 ,下・東京)
ろうか、とその先生は疑
そこで私は、本 棚にあ
だ。 昔 か ら、 大 企 業 を 発展しているからだ。今 ルでなければ、合格させ
ふ く め て 企 業 の 寿 命 は、 後、さまざまな変化のス られない状況である。必
まり、三十年たつと周囲 は三十年どころか、二十 高くなり、合格した学位
三十年と言われてきた。
つ ピードが早まって、変化 然的に論文審査の水準も
環境も人々のニーズも自 年位で世の中が変わって 論文も審査の過程でさら
に磨かれたよいものと
したがって、常にアン なった。
分自身も変化する。その いくかもしれない。
変化に対応できない企業
努力の結晶である学位
今 か ら 三 十 年 後 に は、 中がどのように変化して 論 文 は い ず れ も 質 の 高
は潰れる、という意味だ。 テナを高くたてて、世の
諸君は五十過ぎアラフィ いくか、歯科医療がどの い、今後の歯科医学・医
としての寿命は尽きてい 見極め、その変化に的確 といえるものだった。六
フだから、まだ歯科医師 ように変化していくかを 療の発展に必ず貢献する
ない。諸君の在学六年間 に専門的対応をしていく 割の論文が一流の国際誌
への掲載を予定してい
終わりに、日本歯科大 て、うち四編は掲載が決
で修得した知識技術が、 ことが必要不可欠だ。
業したその日から、在学 永久背番号をつけて、社 実際に掲載されるだろう
全国の歯科大学・歯学
私 が 諸 君 に 言 い た い 中に得たものは少しづつ 会の荒波に乗りだしてい と確信している。
摂食・嚥下・誤嚥性肺炎・ よいだろう。間違いなく 化し深化していく。
部のなかで唯一本学のみ
今月(三月)の『日本歯 ガ ン・ 大 規 模 災 害 救 護・ 疾病構造の変化と患者国
日)
日・
昨 日 ま で の み な さ ん そのレベルの高い環境が
は、無から生まれた大海 結果的に大学院生の研究
を形成する、最初の水の 成果となってあらわれて
大学院修了後は実際の
一滴となる貴重な経験を いるということだ。
みなさんのなかにはそ されてきた。これからも
地には珍しいほどの大量 る大きな河川となる。
の積雪があった。しかし
が一流の国際誌を擁し、
科 評 論』 で は、「患 者 さ 胃ろう・周術期等、さま 民 の ニ ー ズ の 高 ま り が、 ことは、変化に対応しな 変化していく。歯科医学 く卒業生諸君の健闘を祈
生命歯学研究科長
大学院研究科長 告辞
ん は 医 院 の 外 に い る ― ざまな疾患や治療に関わ 否応なしに私どもの役割 い者は滅 びるということ という学問は、日々進展・ る。(3月
先月、文芸春秋社の文
〈待 つ〉医 療 か ら 外 に〈出 る共通語となった。
る〉医 療 へ」 と 題 し て 特
集 を 組 ん だ。 そ こ で は、 春 新 書 か ら『歯 は 磨 く
地域包括ケアシステムに だ け で い い の か』 と い
お け る 歯 科 医 師 の 役 割、 う本が出た。著者は医療
地域で歯科が期待される ジ ャ ー ナ リ ス ト だ が、本
理由、訪問歯科診療への の帯には「口の中はキケ
今年度大学院を修了さ 経つと春の訪れとともに 次の後継者を助ける科学 なったときを忘れずに歯 も多いと思う。その場合
ち、加齢に伴う口腔機能 磨かない人ほどガンにな 歯周治療学、歯や歯列の 枝先から、一滴づつポト の方は大河の荒川をめざ る、科学する、すぐれた サーチマインドは専門家
説 か れ て い る。 す な わ い人はボケやすい」「歯を 再生医学、抗加齢医学、 らかな若葉のつく木々の もしれない。が、殆んど 鮮な水の一滴を供給でき 知識や技術、さらにはリ
る多職種連携の必要性が た。見出しには、「歯がな れたみなさんの研究は、 消え、やがてうす緑の柔 研究者になる方もあるか 科臨床の場でも、また新 も大学院生時代に培った
この深い雪はあと一月も の水源付近にとどまり、 どうか最初の水の一滴と 研究活動からは離れる方
取組み、歯科医療におけ ン が い っ ぱ い」 と あ っ
佐藤田鶴子
15
問を呈していた。
る平 成 十 年
(一九 九 八)に
出版された広辞苑第五版
を引いてみた。初 版 と全
く同じで、
「初老は四十歳
た。男 性の平 均寿 命八十
の異 称」と 解 説 してあっ
歳 という現 代 なので、私
れた。
は広 辞 苑のズサンさに呆
DVD―ROM版の電
13
載されているが、初老の 師実働数九万人となり、 ども、来院しない患者が 医療、介護、福祉を有機 本以上残っている高齢者 体の変化をみる研究、歯 再び地表に湧き出し、そ る。つまり歯科臨床の場
宮川行男
新潟生命歯学研究科長
解説は変わらなかった。 三十年ほどでムシ歯の洪 いる、と言いたい。この 的に連携した地域包括ケ は転びにくい」「歯周病の 科麻酔薬の効果判定、歯 れらが集まって小さな流 で活躍することと思う。
この小さな渓流はかな
潜在患者を掘りおこす努 ア・システムの構築が急 妊婦は早産しやすい」「歯 科用材料の分析、など歯 れとなる。
ところが今度は患者さ 力をすべきだと、私は声 がれているのだ。在宅の 磨きでインフルエンザが 科 医 学 の 広 範 囲 に わ た
念のため、手元の「現 水はすっかり収まった。
代新国語辞典」の小型版
患者さんを多職種で連携 防 げ る」 と 注 意 書 き さ る。それぞれに貴重なも りの速さで小さな岩にぶ
(3月
方は、飛躍的に成長し大
この四年間でみなさん
までもない。
日) なものであることは言う
に衣替え
Odontology
し、 現 在 は イ ン パ ク ト きな成果をあげられた。
ファクターも付与されて 指 導 教 授 を は じ め と し
え助力、協力等がなかっ
博士号を授与された学 いる一流の国際誌となっ て周囲の方々の指導や教
の
Odontology
大学院四年間の研鑽の 前は専門学会誌に受理さ パーセント台で、掲載さ は到達できなかったはず
一方でみなさんが、無 やがて川となっていく。 表する義務があるが、以 投稿論文の採択率は二十 たならば、到底ここまで
ていくと確信している。 くつもの渓流が集まって 位論文は、一年以内に公 て い る。
者へ」と読者に発破を掛 場にフィードバックされ けながら流れくだり、い
ただし、潜在患者四割 して支えていくことが求 れ、「この本を持って歯医 ので、将来必ずや臨床の つかり、大きな岩石を避
を引くと、初老は「中年 んという水嵩
(みずかさ) 高に訴えている。
か ら 老 年 に な る 年 ご ろ。 が大幅に減り、私どもは
高齢者や有病者に対す けている。
もと四十歳の別称。現在 歯科医師過剰という現実 強のうち、歯科医院に来 められている。
で は 六 十 歳 前 後 を 指 す」 に直面している。たかだ られるけれど来ないとい
少々オーバーながら、
れないという人の二種類 年代のムシ歯の洪水につ 歯口腔と全身疾患との関 から仕上げた研究は、歯
とあった。まことに時代 か三十年で、驚くばかり う人、来たいけれど来ら る口腔ケアは、昭和四十
歯 科 医 師 が 過 剰 だ と がある。私が述べた潜在 ぐ 第 二 の 洪 水 で あ る と 連が説かれており、この 科医学や歯科臨床のなか 成果として生まれた水滴 れなくても、日本歯科大 れるのが困難な、とても だ。築いた人間関係を宝
の変化を反映した明快な の変わり様だ。
13
審査する側としても、 に得たことを今後の人生
(3月
日)
学位論文は最低でも専門 の糧としていただきたい。
その『歯学』は、英文 学会誌に受理されるレベ
淀 み な い 流 れ が つ く ら げ道があった。
今年は日本列島の山間 れ、やがて大海に流れい
(二〇〇〇)
に改訂されて か?。昨年の日本歯科医 ている。こうした患者さ 器官が、近年にわかに注 に は と て も 考 え ら れ な しれない。
いる。天下の広辞苑のお 師会のアンケート調査に んの掘りおこしには、努 目をあつめ、口腔ケアの かった。患者国民の歯科
15
十 年 も 早 い 平 成 十 二 年 本 当 に 過 剰 な の だ ろ う に来ないという人を指し 身近だが疎外されていた ンに並ぶとは、三十年前 い大きさであったのかも 導者によって集められ、 には掲載できるという逃
は、 広 辞 苑 最 新 版 よ り 騒がれているが、果して 患者は前者の来られるの 言ってよい。口腔という ような本が書店やアマゾ では大海の一滴に過ぎな は、それぞれの歯学の指 学歯学会発行の『歯学』 質の高い雑誌となった。 とし、大学院で苦労の末
解説で、この学研の辞典
誌
辞苑第六版の最新版が搭 歯学部は二十九校、
歯科医 たと感じるだろう。けれ 患 者 さ ん を 対 象 と し て、 をもろくする」「歯が二十 の自律神経反応などの生 地中にしみ込み、そして め、 つ い に は 大 海 に 至 ることを期待している。 非常に大切であり、有用
(二〇〇七)
に出された広 いた。その後、歯科大学・ だから、患者さんは減っ 低下や機能障害を有する りやすい」「歯周病は血管 形態学的分析、ストレス リポトリと地上に落ちて し、 い く つ も 流 れ を 集 歯科医師として活躍され である歯科医師にとって
子辞書には平成十九年
中原泉学長「…常にアンテナを高く立てて,
変化に的確に対応することが必要不可欠だ」
何歳ぐらいかを指すのだ が洪水のようにあふれて も う 治 す と こ ろ は な い、 られている。
だ。今の時代の初老とは ず だった。まさにムシ歯 の 歯・ 口 腔 は キ レ イ で、 的対応をすることが求め た。 今 で は 口 腔 ケ ア は、 わってきていると言って もの専門的な対応を多様 る人はいないだろう。卒 学第一〇二回卒業という 定しており、他の多くも
家督を譲って隠居した年 歯科医師総数は三万足ら 化している。来院する人 私どもは、積極的に専門 必要性が再認識されてき 医 師 へ の イ メ ー ジ が 変 を広げるとともに、私ど 一生通用すると思ってい
四十歳は、むかし武士が 歯 学 部 は 九 校 に 過 ぎ ず、 全く来院しない人に二極 れ な い 患 者 さ ん に 対 し、
②四十歳の異称とあった。 し た。当 時 は 歯 科 大 学・
に 本 学 を 卒 業 は歯科医院に来ていない。 宅や病院において歯科診
①老境に入りかけた年頃、(一九 六 五)
葉を引いた。すると、
初版で「初老」という言 驚いた。
還 暦 近 く に な っ た 彼 は、 二十歳も若返ったことに セ ン ト に と ど ま っ て い 上類のない超高齢社会が
に 生 ま れ た 先 生 が い る。 を 表 わ す 概 念 や 定 義 が、 治療中の人は、十六パー で、わが国には、人類史
昭 和 三 十 年(一 九 五 五) 間 の ジ ェ ネ レ ー シ ョ ン と答 えている。そのうち ても来られない患者さん
「広 辞 苑」 の 初 版 が 出 た ら、半世紀足らずで、人 トが歯口腔に異常がある
私 の 後 輩 で、 辞 典 の 粗 末 さ も さ る こ と な が よれば、五十五パーセン 力しなければならない。
中 原 泉 学長 卒業告辞
(2)
第612号
日 本 歯 科 大 学 新 聞
2013年(平成25年)3月30日
小口春久
詩だと思う。
マザー・テレサは、思
」
be happy and Be You
「親 切 で あ れ、強 く あ
れども心づかいは見える もその反響は実に無限で 顔で傷ついた心が癒され
、
あ な たの 笑
たしかに心は見えないけ く、簡単なものであって なたであれ」
幸せであれ、
そ して あ
見 えないのであろうか、 い や り の あ る 言 葉 は 短 れ、
東京短大学長 告辞
学長
東京短期大学
諸君の門出にあたり一 のだ、それは積極的な人 あると言っている。美し る、あ な た の 笑 顔 に ま た
言申し上げたい。東日本 に対する行為だから、同 い 心 か ら は 美 し い 言 葉 会 い た く な る。わ れ わ れ
大震災からすでに二年が じように胸の中の思いは が、やさしい心からはや 教職員はこれからもずっ
経過した。みなさんのな 見えない、けれど思いや さしい言葉が語られる。 と君たちにエールを送り
かには大震災のあと余震 りは誰にでも見える、そ 医療人の仲間入りをされ つ づ け る。卒 業 後 も 東 京
におののきながら、本学 れも積極的な行為なのだ るみなさん、美しい心と 短 大 に 来 て、す て き な 笑
で不安な一夜をすごした から、温かい心が温かい やさしい心を忘れずに、 顔 で 大 い に 語 ら い あ お
方も少なくないだろう。 行 為になり、やさしい思 医療や予防活動を、行政 う。夢 と 勇 気 と 高 い 倫 理
きたい。
(3月 日) 位は歯科衛生士だった。 る。日本歯科医学会には
歯科衛生士を突破口とし 四十二の分科会があり、
東京 帰宅困難者対応訓練
機関の寸断により五十万 れ訓練も実施された。訓
人が帰宅困難になると予 練 で は、 用 意 さ れ た マ
想されている。また、大 ニュアルにしたがい、受
規模災害が発生した際に 入れ準備、受入れ人員管
は、迅速な公的救助は望 理、水や携帯トイレなど
めず、帰宅困難者が救出 の物資提供を行った。そ
や救助活動の重要な担い し て 起 震 車 の 中 で、「激
手となることが期待され 震」の揺れも体感した。
ている。
今回の防災訓練は、千
代田区と富士見・飯田橋
駅周辺地区帰宅困難者対
策地域協力会の主催によ
るもので、JR飯田橋駅
近くの東京区政会館など
を会場に実施された。
午前十時から麹町消防
東京都千代田区では、 教 職 員 と 学 生 が ボ ラ ン 署の指導により負傷者の
「もしも」のときのために
年間の伸び率から、今後
附属病院長
く、今後も復興作業が続
いていく。ぜひとも君た
ちの力、直接的間接的な
力が復興に必要であるこ
とを忘れないでほしい。
日本歯科大学東京短期
学長
又賀 泉
た 職 業であるということ ついては 歯 科 衛 生士は、
だ。みなさんは歯科 衛生 歯科医師と併行して仕事
また診 療 補 助も一番 大
士の資 格を取得すること をしていくことになる。
になるが、国が認めた 資
在宅往 診ケアあるいは口
格というのは非 常に大き きな仕 事である。そして
い。
昨 年の十 月一日、私 は 腔ケアは、医科側が歯科
新 潟 短 大 の 学 長 に 就 任 医療従事者に求めている
し、昨 秋の登院 式のとき ことだ。全身 疾 患の患者
に、歯科衛生士の社 会的 さんの口腔 ケアについて
歯 科 医 院の先 生と一緒に
地位はどんどん向上して も、これから勤 務 される
いると述べた。
現 行 の 歯 科 衛 生 士 法 頑 張ってもらいたい。歯
第二条「予 防 処 置の実 施 科衛生士の地位があがる
で」は、
「歯科医師の直接 ことは、同 時に医 療 職と
の指 導の下に」との文 言 しての責 任を問われるの
卒 業 は一つの区 切 りで
がある。しかし現 在厚 生 で、勉強を続けてほしい。
家 試 験に落ちていないの 労働省においてその条文
「直 し か な い。 歯 科 衛 生 士
で、本日 卒 業の四十九人 の見直しが検討され、
れ、
「歯科医師と緊密な連 二十七日以 降は、自 分で
の方は確実に合格される 接」という文言が削 除さ の資 格を持つことになる
歯科衛生士国家試験の と信じている。
歯科医師と同じように 携を 確 保」した上で、歯 こう だと思ったことを 信
大 学 では、一人 もま だ 国 国 家 資格とは、国が認め 今後、予防処置の業務に
(3月 日)
科を維持するため誇りを ぶわけにはいかないもし は 国 家 試 験 を 受 験 し 合 実 施 する、というように の道を進んでいた だきた
業、よき大学、よき専攻 で、一〇 〇 パ ー セン ト 喜 歯科衛生士、歯科技工士 石除去などの予防処置を じて、勇 気 をもって自 分
り を 持 ち、 よ り よ い 職 発 表は三月二十七日なの
大学に在籍したという誇
新潟短期大学
新潟短大学長 告辞
う。 今 な お 復 興 に は 遠
て忘れがたい思い出だろ
校生だった君たちにとっ
した君たち、それから在
おこった。入学を間近に
の昨日、東日本大震災が
薄れ忘れていく。二年前
てその思い出はだんだん
う。でも時がたつにつれ
んの思い出があったと思
学生生活では、たくさ
羽村 章
大規模地震が発生した 行われ、学生ボランティ テレビ局の取材をうける
本日卒業された方たち もある。そういう学会に 帰宅困難者対応訓練を実
どういう職種の雇用が多 には、これから開けた世 入会して精進していただ 施し、本学生命歯学部の とき、千代田区では交通 アによる帰宅困難者受入 本学ボランティア
を見ていると、過去十五 要とされていくのだろう。 の方々が入会できる学会 三月十一日に防災訓練と ティアとして参加した。 救助、搬送、救護訓練が
集を組んだ。ランキング て、歯科界がこれから必 歯科衛生士、歯科技工士
生を歩んでいっていただ
当時、報道された宮澤章 いがやさしい行為になる や教育活動を行っていた 観をもってこれからの人
二 の 詩、
「行 為 の 意 味」 とき、心も思いも初めて だきたい。
Be kind, be strong,
来賓祝辞
住友雅人
れても答えようがない、 やり」はだれにでも見え う週刊 誌で、一昨 年の夏 任 研 究 者 が 発 表 し て い 修、生涯学習の職種であ
自分にも他人にも心は見 る、と言っている。医療 「十年後に食える仕事、 た。十五位に医 師、その り、日々ますます勉強し
『週 刊 東 洋 経 済』 と い くなるかを第一生命の主 界がある。そして生涯研 きたい。
生命歯学部長
を紹介したい。宮澤章二 美しく生きる、それは人 「
宮 澤 さ ん は、
「こ こ
さんは詩人であり、作詞 と人が生きることだ」
家である。クリスマスソ
い け れ ど 「こ こ ろ づ か
ングのジングルベルの訳 ろ」 は だ れ に も 見 え な
者としても有名だ。
「思い」
「あなたの心はどんなか い」は見える。
医療人としての研鑽を誓う東京短大卒業生
忘 れ な い で い た だ き た れない。しかし新 潟 短 期 格してその資 格を得る。 改正される動きがある。 い。
い。
14
たちですか。と人に聞か は見えないけれど「思い
12
えないけれども、本当に 現場に通ずる含蓄のある 食えない仕事」という特 上に看 護 師があり、第一 て い く こ と が 必 要 に な
クラス主任による卒業生点呼(上・東京短大 ,下・新潟短大)
警視庁マスコット“ピーポくん”と東京消防庁
マスコット“キュータ君”と一緒に記念撮影
歯科衛生士の未来を語る又賀新潟短大学長
第612号
日 本 歯 科 大 学 新 聞
2013年(平成25年)3月30日
(3)
平成二十四年度卒業生
西川正幸
機能性咬合治療学
内田喜昭
咬合形態機能矯正学
瀬戸宗嗣
機能性咬合治療学
古館絵麻
増田 藍
宮尾知佐
山口真未
山田拓也
吉田哲也
岡田英恵
多田卓矢
橋本綾乃
阿部大樹
齋藤芳秀
鳥海貴裕
湊 健太郎
山﨑 彩
千葉太郎
大邊強史
北村 厚
髙橋和聖
羽尾直仁
宮田幸昇
山﨑 亮
本間英明
松村 憲
宮田 佳代子
山下 紗智子
吉澤 れりあ
渡會侑子
小原 直
永井 渉
廣岡 沙由梨
伊藤一成
杉 友希
丹羽慶嗣
宮前 翔太郎
下地竜也
溝越泰雄
大村 収
鈴木絢子
西本朋代
保科岳史
八木祐丞
安部祐策
小坂井
竜也
秋谷勇介
荒井俊輔
五十嵐正樹
石川宏樹
市島茉莉
伊東 紗弥香
岩渕 信
植松俊樹
原 あゆみ
遠藤雅徳
太田 佐絵子
岡谷 篤
鎌田 明日香
茅野友李
川島雅裕
岸本千紘
軍司 さおり
黄田華恵
小坂真央
小松勇輝
久我憲央 羽田朝己 一三〇名は次の通り。
原澤法子 保母宏基 相沢光延
三木雄斗 米山直也 阿部 彩由美
新庄洋崇 杉本邦彦 荒木智美
石井淳也 金井拓実 石井義昌
(第二〇一七二号まで) 伊豆麻未
井出美穂
☆学術優秀賞受賞者
大竹 由佳子 古館絵麻 今村佳浩
根津 新 渡會侑子 上原 直
須藤久実 金子陽祐 薄井 直
片山愛奈 小玉裕樹 宇留野央有克
大石 健太郎
☆皆勤賞受賞者
五十嵐
久郎 金山正太 岡 勇気
栗林理夢 渡會侑子 小口莉奈
☆精勤賞受賞者
亀岡 亮
後田和子 後藤新平 河越優佳
川嶋優花
☆臨床実習優秀賞受賞者
城戸 文
須藤久実
小泉 喜代子
幸田隆史
日本歯科大学第一〇二
回卒業生〈生命歯学部〉
小室 敦
是恒秀一
近藤 学
阪 奈津子
指輪 茜
宍倉正恭
正東脩平
芹澤 健太郎
高須賀 力
竹内照美
田中香子
塚原理央
中島優子
新妻瑛紀
能勢 なつみ
服部旭威
肥田 智香子
平賀智豊
福山 完
藤田千紘
古川裕美
本学生命歯学部長の住友雅人教
授と、新潟生命歯学部長の小倉英
古目谷沙織
木幡 雅
阪 光太郎
佐々木秀人
佐藤 遼
島﨑 美奈子
関谷美貴
相田治希
高橋彬文
竹田 敦
田中優香
富永 央
中野 遼太郎
西村梨沙
野田将弘
東 美里
平井 菜緒子
福江幸佑
伏見 紗奈恵
藤田 美也子
古畑 梓
星 彩子
松田英恵
松本康佑
丸谷優麿
宮山和也
村田卓也
弥郡 ありさ
山科 浩一朗
横井 希
吉見浩平
渡辺知枝
大塚 傑
仲澤 裕次郎
岡村 研太郎
鈴木麻友
林 昌平
秋庭 悠
遠刕貴博
大林美穂
片岡賢士
米野貴彦
本間憲二
松野 翠
間宮 徹
三森春香
三好 健太郎
森田 真央香
安田佑理
山本早織
好岡夢貴
渡邊慧子
荒川 彩
柴田顕光
藤井 美弥子
小松佐保
塚本惠太
愛川理浩 鈴木聡史 永島貴裕
井本泰樹 福嶋惟人 三堀賢太
大歳泰佑 小笠仁嗣 秋山昌士
岡 由佳子 (第二〇三〇二号まで)
川本 沙也華 ☆学術優秀賞受賞者
小山実香 小口莉奈
平賀智豊
石川宏樹
横井 希
川島雅裕
小松勇輝
☆皆勤賞受賞者
原 あゆみ
小口莉奈
宍倉正恭
関谷美貴
田中香子
伏見 紗奈恵
古畑 梓
☆精勤賞受賞者
指輪 茜
島﨑 美奈子
相田治希
塚原理央
古川裕美
(獨協医科大学医学部主任教授・口腔外科)
1. 有病者歯科医療と医療連携
目 次
2. 基礎疾患およびリスクを有す
る患者の管理と医療連携
3. 有病者口腔ケアに関わる医療
連携
(獨協医科大学医学部教授・口腔外科)
は、次の通り。
〈生命歯学部〉
遥
三代紗季
恩田裕香
一年=中山竣太郎 阿久津汐里
井上真帆 大橋未来
黒山かれん 田中利沙
中澤美和 望月 茜
横田いづみ 横山美世子
二年=西牧麻由里 赤羽由美子
岩田良子 神山 玲
久保田麻莉 後藤達哉
小畠廉史 平野萌香
松岡 毅 三浦大貴
三年=本多聡志 小木曽令実
小澤藍加 小松本 諭
菅原規江 竹ノ下茉奈美
山井綾子
松尾恭子
藤田
宮下大志
四年=花谷佳菜子
小川紗衣香
落合柚香
小森太郎
森竹宣之
内田順平
木幡
雅
◆B5 判 ◆128 頁
◆2 色・カラー
◆定価:本体 2,800 円+税
〒113-0033 東京都文京区本郷 1-4-6
TEL.03-5684-6811 FAX.03-5684-6812
大竹汐里
一年=大村里沙
渡部圭将
姫乃
後藤弘一
関
宜孝
二年=山本雄大
沖
阿久津里沙
三年=鈴木翔平
城井友幸
永田量子
四年=竹内寿志
小出勝典
阿部侑加
五年=金子千紘
新
高坂典子
根津
山口真未
遠藤蓉子
野辺 典
坪井佑奈
服部陽一
本村仁美
蟻川祐未
須藤久実
関谷聡士
岡江啓太
古館絵麻
渡會侑子
次▼以降九号に高知の織田
十七年十月登録の青山千代
名▼歯科医籍第一号は明治
月までの登録者一五三〇八
籍録』をみると、昭和三年九
▼ 昭 和 五 年 刊 行 の『歯 科 医
六年=大竹由佳子
小坂井絢子
向井亮平
豊嶋啓汰
横井康乃
土屋健太郎
小林彩利
坪﨑健斗
奥山飛鳥
中尾優希
〈新潟生命歯学部〉
平井菜緒子
川上紗和子 木下 遼
黒澤秀一 松村嘉子
真室仁美 山本紗友理
六年=川島雅裕 五十嵐正樹
石川宏樹 原あゆみ
黄田華恵 小松勇輝
関谷美貴
平賀智豊
4. 有病者歯科医療における医療
連携の実際
登録者は十七万台に達した 中 原 市 五 郎 の 名 が あ る ▲
▼ところで今年の歯科医籍 第 八 十 六 号 に 本 学 創 立 者
と本籍が官報で公告された 安常重、二十二年五月登録
籍、歯科医籍登録者の氏名 信福、二十八号に長崎の光
五年=渡邊美穂
大山 豪
興地麗子
学 学 術 奨 励 生(九 十 八 名)
平成二十四年度日本歯科大
学術奨励生
基礎疾患やリスクを有する患者の歯科治療の管理と、
医療連携の流れの基本がわかりやすくまとめました。
秋谷勇介
加藤景子 上井達絵
井出美穂
宇留野央有克
黄田華恵 〈歯鏡〉▼本年三月発表の医
小松勇輝 師国家試験、歯科医師国家
富永 央 試験合格者の何割かは平成
肥田 智香子 生まれである▼厚労省が公
福山 完 表したのは、各試験会場で
藤田 美也子 の受験者番号▼かつては医
☆臨床実習優秀賞受賞者
相沢光延
伊豆麻未
植松俊樹
軍司 さおり
小坂真央
是恒秀一
中島優子
平井 菜緒子
藤田千紘
弥郡 ありさ
(日本歯科大学准教授・附属病院口腔外科)
平井 菜緒子
関谷美貴
黄田華恵
肥田 智香子
五十嵐正樹
森田 真央香
有病者歯科マニュアル
原 あゆみ
“医療連携”に役立つ
小坂真央 平賀智豊
関谷美貴
録/コラム
付
大 学 院
第 回修了生
大学院生命歯学研究科
修了生十六名、新潟生命
要
未有希
顎口腔全身関連治療学
学
夫教授は、選択定年により三月末
日をもって退職した。両教授の最
終記念講義が三月下旬に東京と新
潟で行われた。
住友生命歯学部長の最終記念講
義「玄人はだしと素人ブーツ」は
三月二十五日午後五時半より、
九段
ホールで行われた。住友教授は、
昭
和四十四年 本 学 卒 業
(第 五 十 八 回
卒)
、大 学 院 歯 学 研 究 科 修 了。歯
科 麻 酔 学 講 座 を 主 宰 し、平 成二十
年より生命歯学部長を務めた。
小倉新潟生命歯学部長の最終記
念 講 義「
My
lecture
and presen」は、三月二十七
tation in English
日午後五時より、アイヴイホール
で 行 わ れ た。 小 倉 教 授 は、 昭 和
四 十 三 年 本 学 卒 業(第 五 十 七 回
卒)、大学院歯学研究科修了。歯科
理 工 学 講 座 を 主 宰 し、平 成 二 十 年
両学部長の最終記念講義には教
より新潟生命歯学部長を務めた。
職員、大学院生、学生、同門会員
等、多数の関係者が聴講した。
(日本歯科大学教授・附属病院口腔外科)
編集:白川正順
石垣佳希
今井 裕
川又 均
川上
顎口腔全身関連治療学
佐久間
顎口腔全身関連治療学
102
医学情報社
歯学研究科修了生十七名
は次の通り。
〈生命歯学研究科〉
NIKOLAY ISHIKITIEV
衛 生 学
大
記念講義に聞き入る参加者たち,終了後に中原学長から記念品を手渡される住友教授
50
補綴学Ⅱ
原田光佑
赤泊圭太
小児歯科学 甲田 彩理沙
硬組織機能治療学
補綴学Ⅱ
松 田 浩一郎
新谷明宏 口腔外科学 宮澤敦子
硬組織機能治療学
口腔外科学 倉治真夏
山田理絵
歯周病学
中田智之
歯周機能治療学
小児歯科学 中村侑子
山下亜希
保 存 学
小川 信太郎 (甲第一〇七〇号まで)
麻 酔 学
杉本直哉
麻 酔 学
殿岡蓉子
麻 酔 学
佐々木瑠衣 第 回卒業生
麻 酔 学
久保田和利
保 存 学
天野亮子 日本歯科大学第一〇二
矯 正 学
木本晶子 回卒業生〈新潟生命歯学
歯周病学
高橋亮一 部〉九十名は次の通り。
(甲第一〇五三号まで) 阿部 遼 天笠翔平
〈新潟生命歯学研究科〉 五十嵐久郎 池 嘉子
後田和子 内沼茂樹
硬組織粘膜比較形態学
竹澤 康二郎 大竹 由佳子 岡江啓太
岡峯愛海 小口修矢
歯周機能治療学
坪川瑞樹 片山愛奈 金山正太
金子陽祐 加羽澤紗花
歯周機能治療学
SUPHASIRIROJ WIROJ鎌田 麻由子 菊地 由利佳
咬合形態機能矯正学
金 龍門 串田 茉莉奈
寺嶋縁里 熊谷聡子 栗林理夢
黒瀬隆文 高坂典子
咬合形態機能矯正学
長峯康博 小玉裕樹 小林大介
後藤新平 酒井彩花
咬合形態機能矯正学
CHINVIPAS NETRPORN澤田雅貴 篠原隆介
白瀬美香 須藤久実
咬合形態機能矯正学
矢島 絵理子 髙田真吾 田中佑来
寺嶋賢一 名嘉真武輝
機能性咬合治療学
中島 優 新島綾子 根津 新
萩原 泉 古川丈博
生命歯学部長の最終講義
@TKY//住友教授
@NGT//小倉教授
(4)
第612号
日 本 歯 科 大 学 新 聞
2013年(平成25年)3月30日
学会発表の留意事項を英語で講義する小倉教授 ,記念品を手に関係者一同で記念撮影