幸せな人生を奪い去る水銀アマルガムーメアリー・デービス著

幸せな人生を奪い去る
水銀アマルガム
メアリー・デービス著
歯科用アマルガム水銀症候群支援協会(DAMS)デ・モイン支部
献 辞
この本を優しい記憶の中のルイーズ・ハーベックに捧げます。
彼女の洞察力、指導力そして勇気がDAMSの設立に導きました。
ルイーズは1996年に肺炎で死亡しました。
彼女は今平和のうちにイエズスと彼女の子息ロバートと共にいます。
信仰の残滓
シェリー・V・ファーナー
病気により忘れられる美がある - この世界の全ての金でもこの美を買うことはで
きず、どんな力もこの美が授けることを強制できない。
この種類の美は受け入れられる重荷の幅を超える地上の疼痛と苦悩の試練を知ってい
る人々に与えられる。この美はあたかも火により試練を与えられ、今や人知を超える
叡智と平和の外観と共に現れて来た人々に属する。
この顔つきの美を見ることは天空のほんの一部を見ることであり-そしてイエズスと
の永遠のあっといわせるような美は本当に天国のものであろうと確実に知ることであ
る。
この本は著作権で保護されますが、本の目的は公衆の自覚を創り上げることです。
あなたがこの本のすべてまたは一部分を使用したければ、
メアリー・デービスにご連絡下さい。
電話。01-515-967-3663
幸せな人生を奪い去る水銀アマルガム
(原作題名 Solving the Puzzle of
Mystery Syndromes)
目
次
初めに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1
第1章
1.
2.
3.
4.
5.
6.
7.
科学的事実と研究・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2
水銀中毒の症状 ------------------------------------------------------2
科学的事実の概要 ----------------------------------------------------3
水 銀 --------------------------------------------------------------4
慢性水銀中毒 --------------------------------------------------------4
水銀過敏症(アレルギー) --------------------------------------------5
血液と尿の中の水銀の測定 --------------------------------------------6
科学的研究 ----------------------------------------------------------7
羊での研究 ---------------------------------------------------7
霊長類での研究 -----------------------------------------------8
人の母親の血と臍帯血の研究 -----------------------------------8
人の口、呼気、そして血液中の水銀濃度の研究 -------------------8
尿中の水銀に関する研究 ---------------------------------------8
人の検死解剖の研究 -------------------------------------------9
母乳中の水銀の研究 -------------------------------------------9
アルツハイマー病の研究 ---------------------------------------9
チュービンゲンの研究 -----------------------------------------9
水銀過敏症の研究 --------------------------------------------10
クアーズの研究 ----------------------------------------------10
アルツハイマー病とアマルガム(囲み) ------------------------12
第2章
患者が受けた悪影響についての報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・13
第3章
体
験
記 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・19
1. 高水準の口中水銀濃度
2. 慢性疲労症候群
3. 疲労・体重減少・記憶欠落
4. 片頭痛・アレルギー(多種類)
5. 多発性硬化症(MS)
タノ・ルセロ博士 ---------------19
レニー・J・モーサー
アイオワ歯科連合会長 --------20
リンダ・G・シェパード ----------21
シャリ・ペーサー ---------------24
メアリー・デービス -------------27
Ⅰ
6.
7.
8.
9.
10.
11.
12.
13.
14.
15.
16.
17.
18.
19.
20.
マリール・フェイヒー -----------28
キャロリン・スミス -------------30
フィル・マーチンソン -----------31
ジュード・セイス ---------------32
ダラス・パティー ---------------34
ダラス・パティー ---------------35
シンシア・グリーン -------------36
ミッチェル・ハンディ -----------38
マータ・ソネンブリック ---------39
エヴリン・ジャーガル -----------41
エヴリン・ウィルソン -----------43
サトゥ・アーレイ ---------------44
アンディ・ダッフィ -------------46
マージョリー・レンスグラフ -----49
ビューラ・ブレイク
(マーリーン・ブレイクの義母)--50
21. 慢性感染症
アリス・キトソン ---------------50
22. 子宮内膜症・アレルギー(多種類)他 ジョハンナ・ウォリンスキー -----51
23. 声帯の麻痺
アイヴァン・ブランド -----------52
24. 多発性硬化症
ジョーン・シドニー -------------54
25. クローン氏病(限局性回腸炎)
マーリン・ブレイク -------------56
26. 多発性硬化症(MS)
ルイーズ・ハーベック -----------58
27. 甲状腺機能亢進症・疲労
スチュアート・S・シェックナー
口腔外科医 ---------------64
28. がん
マイク・ハッチンソン -----------65
29. 筋萎縮性側索硬化症(ALS)
シンシア・ヒューズ -------------68
30. 硬皮症
スーザン・ソウィッキ -----------70
31. 筋肉の痙攣・多種類過敏症・疲労
ジュディ・オーエン -------------71
32. 化学物質過敏症・ポリープ
ジーン・M・グリフィン -----------74
33. 慢性疲労症候群
デービッド・サッターリー -------76
34. 人生の質の向上
バーバラ・J・ヘッガー ---------79
35. うつ病・疲労・頭痛・心悸亢進
ドン・ロウランス 口腔外科医 ---79
36. 多発性硬化症(MS)・子宮内膜症
メロディ・エバート -------------81
37. 多発性アレルギー
G・スコット・クロウサー --------82
38. アレルギー(多種類)・疲労・神経問題 M・エリザベス・カウフマン ------84
39. 中枢神経組織機能不全
ゴードン・アダムス・ジュニアー -87
40. 多発性硬化症(MS)
キャスリーン・ハーナー ---------90
41. 呼吸関連の問題
サンドラ・レデムスク -----------92
42. 痙攣性斜頸・発疹・感染症・不安感他 マリリン・キーファー -----------96
43.重症筋無力症
スチュアート・プレイマ ---------99
Ⅱ
多発性硬化症(MS)
頭痛
疲労・大腸炎
うつ病
多発性硬化症
多発性硬化症―3年後
多発性硬化症
狼瘡(皮膚結核)
消化不良・化学物質過敏症
不眠症・うつ病・流産
筋肉の痙攣・頭痛・うつ病
神経性食欲不振
麻 痺
副鼻腔の問題
感情的そして精神的障害
44. 頭痛・神経障害
45. 疲労・アレルギー(多種類)・めまい
46. 疲労・心悸亢進
47.
48.
49.
50.
第4章
1.
2.
3.
4.
第5章
1.
2.
3.
4.
5.
第6章
1.
2.
3.
4.
5.
第7章
ジョイス・ヴァン・ハアフテン --101
ボビー・ロイ ------------------103
ラルフ・ウッド・ウィルソン
鍼療法理学修士 -----------105
免疫機能低下・甲状腺機能低下
ロイ・B・カプシネル 医学博士 ---107
男性不妊症
ダグ・マイクワース ------------111
直流電気・頭痛と歯痛
ディクシー・C・
マクレイノルズ博士 ------112
歯科詰め物に起因する水銀のニッケルの中毒
ジーン・スター 看護師 -119
関係者の個人的体験記・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・126
根管治療のプライス
直流電気ショック
歯槽骨の空洞
骨髄炎
ハル・ハギンス 口腔外科医-----126
メアリー・ウォーカー ----------133
マーリーン・ブレイク ----------134
ロンダ・リン・マツクラウド ----135
回復への道のり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・139
妊娠前の注意事項 -----------------------------------------------139
利用可能な検査 -------------------------------------------------139
食事療法のガイドライン -----------------------------------------140
アマルガム除去の後 ---------------------------------------------140
ホメオパシー(同種療法) ---------------------------------------141
法律上の問題・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・142
歯科用アマルガムの廃棄物は有毒危険物である ---------------------142
カリフォルニア州における最初の歯科インフォ-ムド・コンセント法 --143
裁判所はカリフォルニア州の歯科医に警告板を掲示することを命じる -143
世界の政策 -----------------------------------------------------143
アマルガム製造業者の出している警告 -----------------------------145
マスメディアの報道・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・146
1. 歯科医の椅子での恐怖と嫌悪 -------------------------------------146
費 用 -----------------------------------------------------146
コンポジットの中には何が入っているか? ---------------------146
耐 久 性 -------------------------------------------------147
既存の詰め物を取り替えること -------------------------------148
科学は水銀の危険性を計る------------------------------------148
2. 水銀除去は恐怖を残す -------------------------------------------149
3. 医学雑誌の引用 -------------------------------------------------149
4. 男の死後近隣の人々は水銀の煙を恐れる ---------------------------150
Ⅲ
5.
6.
7.
8.
9.
水銀中毒の2人は再び病気に --------------------------------------151
詰めることと穿孔は「超強力な細菌」を繁殖させる -----------------151
カナダで暴露されたアマルガムの「隠蔽」--------------------------153
口の中の毒―1994年7月に放映された英国BBCのテレビ番組(要約) -----154
水銀を使用しない歯科医たち(一部)------------------------------156
アマルガムを選好する ----------------------------------------156
アレルギー反応 ----------------------------------------------156
第8章
水銀問題についての関連団体・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・157
第9章
結
第10章
論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・161
用語の解説・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・161
訳者代表後書・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・165
付録・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・171
1 ジストニア体験記 ------------------------------------------------171
2 パラジウムの問題 ------------------------------------------------176
確 認
著者は下記の組織と個人に感謝します。その助けなしにはこの本は出版できなかっ
たでしょう。
ボードゥイン財団―当財団の金融支援によりこの本(英語版)は低価額で利用可能
になりました。
サムとマイケル・ジフ博士―彼らの専門知識と安全な歯科の促進への揺るぎない献
身に対して。
国際DAMS―その広報から多数の個人的な体験記と記事を転載する許可に対して。
ハル・ハギンス、H.L.クイーンそして他の有能な専門家―この本の内容への貢献に
対して。
ジョイス・ヴァン・ハーフテン―編集援助に対して。
Ⅳ
初めに
この本は多くの不思議な健康問題に対する洞察を与えるように企てられた情報を集
録しています。一般に信じられていることと反対に、大部分の身体は理由なしには病
気になりません。最近まで、それらの理由の一つは神秘的なものとして残っていまし
た。しかしながら、多くの犠牲者達がその神秘を解明しています。彼らは彼らの口よ
り更に遠くを見る必要はありませんでした。これらの人々は彼らの「銀」のアマルガ
ムの詰め物から水銀が漏れ出すことに気付いたとき、
(そして、水銀は砒素よりも、鉛
よりももっと有毒です)その答はそんなに捉え所がないような状態に見えませんでし
た。それは常識でした。
160年以上もの間歯科用アマルガムの詰め物は歯に詰められた時に限り、その中の水
銀は「閉じ込められた」と信じられて来ました。数年前研究員達が水銀は絶えず口の
中で放出され、そして、咀嚼するとき、歯磨きするとき、そして、熱い飲み物を飲む
ときにはもっと多く放出されることを発見しました。最近の研究は水銀アマルガムと
免疫不全および神経科の障害の二つとの間に関連性があることを示しています。
この本は水銀アマルガムが慢性の健康上の機能障害に対して持つかもしれない役割
のさらなる研究と理解の必要性に読者の注意を向けます。これは医療上の助言として
は意図されていませんし、また、あなたの内科医の職務に取って代えることも意図さ
れていません。その目的は単に教育的なものです。
著者はDAMS(歯科アマルガム水銀症候群支援協会)を高く評価しています。DAMSは
銀のアマルガム歯科詰め物から出た水銀に慢性的に曝されることと関連付けられる健
康上の危険の可能性について公衆を教育することを目的とする草の根の非営利団体で
す。DAMSの概念はイリノイのダウナーズ・グローブのルイーズ・ハーベックに由来し
ています。ルイーズはアマルガム取り外しの後で多発性硬化症を克服しました。「健康
を意識する雑誌」の1985年発行分にルイーズの経験についての記事が掲載されました。
似たような経験を持つ何名かの人々がその記事を見て、ルイーズに連絡して来ました。
DAMSが生まれました。現在米国、カナダそして欧州にDAMSの支部がありあます。
著者とデ・モインのDAMSはできるだけ安い価格で皆さんにこの本(英語版)を提供
する努力をしました。この本を出版し遂げるため、私たちは毎年のガレージ・セール
とボードゥイン財団からの援助に加えてこの本の以前の版からの収益を使いました。
著者とデ・モインのDAMSは「銀の」アマルガムの歯科詰め物からの水銀がその苦痛
を引き起こすか激しくしたかも知れないことを知らずに病みそして死んで行った無数
の人々をおろそかにしたくありません。私たちは体験記を提供してくれた、そして、
何らかのやり方で他人を援助してくれたすべての人に感謝します。この本の中の大部
分の体験記は犠牲者自身が書きました。その多くはDAMS広報で出版されました、そし
て、私たちはDAMSがそれらを転載することを許可してくれたことに感謝します。これ
らの体験記は苦痛を持つ人々にとってすばらしい光の出所です。そして最後に私たち
は現在苦しんでいる犠牲者の皆さんに「希望がある」と言います。
幸せな人生を奪い去る水銀 - 1
第1章 科学的事実と研究
第1章
科学的事実と研究
1. 水銀中毒の症状
中枢神経系
怒りの発作―暴力的なそして不合理な態度を伴う、内気または臆病さ、運動失調、
落ちつきのなさ、簡単に困惑する、記憶の喪失(もの忘れを含む)
、協調不能、恐怖心、
虚脱か眠気、筋神経伝達機能不全(重症の筋神経の筋無力症に似ている)、筋肉の弱さ
(麻痺へ進行する)、懸念/神経質-しばしば呼吸の困難を伴う、心の落ち込み、刺激
への過度の反応、自殺願望、自信の喪失、自制心の欠如、失望、集中不可能、躁鬱病、
手・足・唇・まぶたまたは舌の震え、手・足・指・つま先または唇の麻痺とひりひり
感、ひきこもり、不安定な感情、不眠症、優柔不断、
頭、首、口腔疾患
息(不快な)、運動神経の病気(ALS)、壊疽(歯肉・口蓋・舌の)言語障害、口内炎、
視覚障害、視覚(薄暗い)
、歯槽骨の喪失、視野狭窄、組織着色(アマルガム、歯茎の
刺青)、唾液分泌(過度の)、多発性硬化症(MS)、難聴、歯がぐらつく、歯茎からの出
血、白板症、ひりひりする感覚のある燃えるような感じ(唇と顔の)、味覚障害、耳鳴
り、めまい(仮性/急性または慢性の)
、緑内障
胃腸に対する影響
胃腸の不調、憩室炎、結腸炎、食品に対する過敏性―特に牛乳と卵に対して、腹の
痙攣、慢性の下痢か便秘
心臓血管に対する影響
高血圧または低血圧、高血清トリグリセリド(原因不明の)
、高コレステロール(原
因不明の)
、心臓のリズム(異常な)
、心電図の上の特徴的所見(S-T部分の異常な変化、
正常より低く、そして、広げられたp波)
免疫に対する影響
エリテマトーデス(紅班性狼瘡)(LE)、癌、関節炎、感染(繰り返される感染、ウ
イルスとカビへの感染、カンジダか他の酵母菌に感染、ミクロバクテリア感染)、筋萎
縮性側索硬化症(ALS)、甲状腺機能不全、硬皮症、自己免疫不全
全身に対する影響
汗(頻繁な寝汗を伴う過度の発汗)、アレルギー、過敏症(原因不明の)、甲状腺障
害、G6-PD欠乏、食欲不振/体重減少の如何は問わず、腎臓感染、腎臓病(慢性の)、
腎不全(人工透析)、頭痛(慢性の)、体重の減少、低血糖症、低体温、疼痛を含む原
因不明の感覚の徴候、ネフローゼ症候群、皮膚炎(厳しい)、冷え性(冷たい、湿っぽ
い皮膚―特に、手と足)、貧血(原因不明の)、疲労、副腎の病気、麻痺(原因不明
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 2
の)、燃えるような感覚
サム・クイーンおよびベティ・クイーン著「慢性水銀毒性、地方特有の疾病
に対する新しい希望」の付録ハンドブックである「IV-C 水銀毒素排出手順、
患者に対する案内」から転載。
2. 科学的事実の概要
1. 水銀は非常に有毒であり、鉛、カドミウムまたは砒素よりもっと有毒です。ジ
メチル水銀と水銀蒸気は最も有毒な形態の水銀です。(水銀の原子記号はHgで
す。
)
2. 水銀蒸気の有毒性に対する最大許容限度は知られていません。いくつかの当局
はわずかの水銀蒸気に曝されることも完全に無害であると考えられないと言い
ます。
3. 歯科用アマルガム詰め物は大よそ50%が水銀です。1個の平均的な大きさのアマ
ルガムの詰め物は約780ミリグラムの水銀を含み、これは米国環境保護局
(EPA)の食事以外から摂取しても良い水銀の基準のl00年分以上を十分に超え
ています。
4. 水銀はアマルガムの中に「閉じ込められて」いません。アマルガムを詰めてい
る人は毎日恒常的に水銀に曝されます。咀嚼、歯磨き、熱い食品により水銀被
曝の量は大幅に増加します。その増加状態がこの刺激の前の水準まで「冷め
る」までに少なくとも90分かかります。
5. 水銀蒸気は非常に簡単に人の身体とその細胞に入ります。それはまた血脳関門
と胎盤の膜を簡単に通過します。平均的に人は毎日最低17,280回息をします。
取り入れた水銀の半分を身体が排出するのに30-70日を要します。
6. 人体の検視研究によれば歯科用アマルガムの水銀が患者の身体に入って、時と
ともに蓄積することを証明しています。
7. 水銀はホルモンと酵素に加えて脳と神経系、甲状腺、脳下垂体と副腎、心臓と
肺に損傷を与えることが知られています。水銀は免疫機能を非常に強力に抑制
し、胎児の脳と神経系に損傷を与えることが知られています。
8. 歯の中に詰められた場合たった一つのアマルガムでさえ電流を発生させること
が科学的に証明されています。これらの電流の健康に与える影響は今のところ
未知のものです。
9. 人における研究はまだ欠けていますが、実験により得られた証拠は害悪が益々
強要的になっていることを示唆しています。歯科用アマルガムからの水銀に患
者が曝されることは何年も前から知られているのに、それが使用された160年以
上の間に対照群を持つ、適切に管理された二重盲検法による生体適合性の研究
はなされていません。
10. アメリカ歯科医師会(ADA)、0SHA、および、EPAは歯科用アマルガムの廃棄物
は歯科医院の現業員、歯科医院、そして、環境に対して有毒な災厄をもたらす
と宣言しました。
幸せな人生を奪い去る水銀 - 3
第1章 科学的事実と研究
3. 水 銀
歯科と健康の事実ニュースレター
有毒性なしの歯科財団
大部分の人々は水銀が有毒だと知っていますが、それがどんなに有毒かということ
は認識していません。出版された研究は水銀は鉛、カドミウム、または砒素よりもっ
と有毒であることを示しています。
水銀はいくつかの形式で存在しています。それが単独で存在しているならば、それ
は「水銀元素」と呼ばれます。この範疇には水銀蒸気と水銀のイオン(電気的に充電
された粒子)に加えて液体の水銀を含みます。もしそれが塩素、フッ素、硫黄、また
は酸素のような他の様々な元素と結合すると、それは「無機水銀」と呼ばれます。そ
れが何らかの形の炭素を含む化合物と結合すると、それは「有機水銀」を呼ばれます。
それぞれの形態の水銀は異なった程度の有毒性を持っています。これはある形態の
水銀が身体とその細胞に入る容易さによって決まります。これは「吸収率」と呼ばれ
ます。水銀が一旦身体組織か体液に到達すると、すべての形態の水銀は殆んど同じ様
に有害な影響を及ぼします。最も有毒な水銀の形態はメチル水銀(魚と海産物に見出
される形態)と水銀蒸気(水銀アマルガム詰め物から放出される形態の一つ)です。
水銀のもう一つの重要な特徴は「体外排出半減期」とも呼ばれるその「体外排出
率」です。これは吸収した水銀の半分を体外排出するのに必要な時間です。すべての
形態の水銀に対しこれは平均30-70日であり、これは身体に吸収された量の半分を体外
排出するのに1ヵ月を要することを意味しています。明らかに、ある人が毎日何回も吸
収すると、個々の吸収量は非常に小さくても、長い間に水銀は身体にゆっくり蓄積さ
れるでしょう。
4. 慢性水銀中毒
水銀中毒には急性と慢性があります。急性中毒は短期間に大量の水銀を吸収するこ
とによって起こります。慢性中毒は長期間にわたって吸収する少量の水銀によって起
こります。身体が吸収した水銀の半分を体外排出するのに30-70日かかりますから、水
銀は時と共に身体に蓄積されます。アマルガムの詰め物を詰めている人は呼吸(一日
あたり少なくとも17,280回)する度に微量の水銀蒸気を吸収します。その上、一部の
放出された水銀は食べ物や飲み物と一緒に飲み込まれます。また一部は直接口と鼻の
組織に入ります。
現時点では歯科用アマルガムの詰め物から放出された水銀が何か知られた一般的な
病気の状態を引き起こすことを証明している対照群を持つ管理された研究の出版物は
ありません。水銀は歯肉炎、即ち歯茎の炎症と口の扁平苔癬を引き起こすことが出き
ることを示す出版された研究があります。
不幸にして、慢性水銀中毒を診断するための有効な検査方法はありません。血液、
尿、または毛髪中の水銀の濃度はそれだけでは有効な指標ではありません。現在慢性
の水銀被曝による損傷の最良の指標は、大部分の場合不幸にして進行がかなり進んで
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 4
いますが、臨床的に観察できる兆候と症状です。
慢性の水銀中毒は全身の組織に影響を及ぼし、多くの一般的な病気に似た病気を引
き起こします。多くの人々はアマルガム詰め物の除去の後にこれらの病気から回復し
ます(全然改善しない人もいます)。これは信じる人により臨床的証拠と呼ばれ、信じ
ない人により対照群を持って科学的に管理されていないと言われています。慢性的に
水銀に曝される事による最も一般的な兆候と症状は次のとおりです。
心理学的徴候:短気、心配性、うつ病、怒りの発作、自制心の喪失、神経質さ、内
気または臆病さ、自信の喪失、記憶の喪失
神経学的徴候:慢性的または頻繁な頭痛、めまい、言語障害、協調困難、小さい震
え
心血管の徴候:不整脈(早いか遅い)、虚弱なそして不規則な脈、血圧の変動、胸
の痛みまたは圧力
呼吸器の徴候:持続する咳、浅く不規則な息、気腫
その他の徴候:関節の痛み、筋肉の弱さ、疲労、貧血、アレルギー、味覚障害、過
度の唾液分泌、歯茎の出血、不快な息、歯のゆるみと骨喪失、過度の
汗、冷たくて湿っぽい皮膚、正常以下の体温、浮腫、腹の痙攣、大腸
炎、下痢
5. 水銀過敏症(アレルギー)
歯科の専門家の公式な立場は水銀に過敏(アレルギーなど)な人々だけがアマルガ
ムの詰め物を取り除いて貰うべきで、このような人々は人口の1%未満にすぎないとい
うことです。このパーセントを証明する文書は見出せません。その上、何が過敏症を
構成するかと、それがどの様に決定されるかに関して多くの混乱があります。
過敏症は有毒性と同じではありません。過敏症は免疫システムの反応についてのみ
言及されます。有毒性はすべての身体の細胞に与える有毒な影響です。
過敏症:「身体が体外の物質への過敏な免疫反応で反応する変化した反応の状態。」
この反応は抗体によって引き起こされ(B細胞)、ヒスタミンか他の物質の放出によっ
て皮膚の赤さを引き起こす即時性を持つことができ、また、移植拒絶や自己免疫病の
ような反応を引き起こす(T細胞によって引き起こされて)遅延性を持っています。
(ドーランドの医学事典)
パッチテスト:皮膚へのテストパッチの適用は即座に起きる過敏症を決定すること
ができるだけです。T細胞によって引き起こされる遅延性の過敏症の反応を見つけるた
めの検査方法はありません。
出版された研究:4836人の被験者を検査する水銀過敏症の流行に関する研究は5%か
らl4%の範囲を示しています。これらは様々な強さを持つ様々な異なった水銀の化合物
で行われました。
幸せな人生を奪い去る水銀 - 5
第1章 科学的事実と研究
過敏症の割合
14%
11%
5%
11.30%
6.70%
9.60%
8.00%
8.00%
著 者
発行年度 被験者数
アンダーウッド共著
1946
400
ジェラッシとベロバ
1969
240
北米接触皮膚炎グループ
1793
1,200
アール・ブラン
1975
1,000
ホワイトとブラント
1796
396
ネーベンフューラー共著
1983
1,538
モバチェン共著
1984
50
エバーソール共著
1984
12
ジェラッシとベロバによる研究は特に興味深いものでした。240人の被験者は4つの6
0人のグループで成り立っており、その内一つのグループはアマルガムの詰め物を詰め
ていませんでした(対照群)
。このグループの誰も水銀に対するアレルギー検査で陽性
の反応を示しませんでした。アマルガムを詰めている一つの60人のグループはアレル
ギー歴を持っており、その内26.6%は水銀に陽性の検査反応を示しました。アマルガ
ムを詰めている一つの60人のグループは他の病気を持っており、その内13%は水銀に
陽性の検査反応を示しました。アマルガムを詰めた4番目の60人のグループは病気かア
レルギーの記録がなく、その内8.3%は水銀に陽性の検査反応を示しました。5年未満
の間しかアマルガムの詰め物を詰めていなかった被験者の5.8%は水銀に陽性の検査
反応を示し、他方5年以上の期間アマルガムの詰め物を詰めていた被験者の22.52%が
水銀に陽性の検査反応を示しました。
6. 血液と尿の中の水銀の測定
銀の即ち水銀のアマルガムの詰め物は無害であると主張する最も一般的な根拠はア
マルガムを詰めた人々の血液と尿の中に見出される水銀の濃度が極端に高くないとい
うことです。尿中の水銀濃度は水銀の腎臓への蓄積を反映しているかもしれません。
その上、水銀は尿中への水銀の放出を妨げて腎臓に損害を与えます。この議論は水銀
に関する理解の欠如と科学研究に関する知識の欠如を示しています。
事実:血液と尿の中に見出される水銀の濃度は身体組織中の水銀量またはその水銀
の有毒な影響と一致するものではないことは科学文献において繰り返し証明されてい
ます。
このことは1960年以来知られています。
「このテーマを研究した研究者達は尿中への
水銀の排出と中毒の証拠との間には殆んど相関関係がないことは満場一致で合意して
います。」(LJ ゴールドウォーター、 AC ラッド、および MB ジェイコブス、 Arch.
Envir. Health. 1964.)
米国歯科健康協会およびアメリカ歯科医師会(ADA)でさえこのことを認めています。
「身体組織の中への水銀の移動は大きく異なっており、尿、血液、または、毛髪中の
濃度と有毒な影響の間にほとんど相関関係がないように見える。」(歯科における金属
の生体適合性についてのNIDR/ADAのワークショップ。アメリカ歯科医師会機関紙Vol.
109. 1984年9月)
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 6
人が水銀に曝されるとき、どのようにそれが身体に入るとしても、水銀は最初血液
の中に入ります。高濃度の水銀に曝されると、血中濃度は大変上昇するでしょう。低
濃度の水銀に曝されると、血中濃度はほんの一寸だけ上昇するでしょう。従って、血
中の水銀濃度は水銀に曝されていることを確かに反映します。
もし魚と海産物に見出される種類の水銀であるメチル水銀に曝されると、大部分の
水銀は赤血球に入り、そこに留まります。従って、血液中のメチル水銀の測定は身体
の中の量を示すかもしれません。
しかしながら、水銀蒸気は脂質(脂肪)で溶け、帯電していません。研究は血中水
銀が正確に測定される前に、水銀は血液から身体組織に急速に移動することを証明し
ています。これは水銀アマルガム詰め物が詰められている時起こるように、長い期間
少量の水銀蒸気に曝されるならば特によく当てはまります。
尿中の水銀は血中水銀を反映しており、従って身体に対する有毒性を決定するため
には効果はありません。その上、水銀は尿中への水銀の放出を妨げて腎臓に損傷を与
えます。尿水銀の診断検査は水銀と結びつく薬剤が身体に入れられる挑戦の後でのみ
有効になります。その後蓄積された水銀は尿に移されるでしょう。
7. 科学的研究
世界中に歯科用アマルガムの詰め物に関して数多くの研究があります。その結論は
水銀がアマルガム詰め物から本当に放出され、そして動物と人に病態生理学的影響を
及ぼすことを示しています。主な研究は次の通りです。
羊での研究
M.J.ヴィミー、Y. 高橋、および、F.L.ローシーダー共著「歯科用アマルガム詰め
物から放出された水銀の母親から胎児への移転」Am. J. Physiol. 258 (Regulatory
Integrative Comp. Physiol. 27): R939-R945 (1990).
概要: 人では歯科用アマルガムで治療された歯からの水銀蒸気の連続的放出は咀嚼の
後で長い時間にわたり著しく高められます。この調査はアマルガム、大人および胎児
の羊の身体組織の水銀のための時間コースの配分を確立します。全身麻酔の下で、5頭
の妊娠した雌ヒツジに放射性水銀(203Hg)を含む12本の咬合面のアマルガム詰め物が
妊娠112日目に歯に詰められました。血液、羊水、糞便および尿検体が16日間にわたり
1-3日間隔で集められました。アマルガムを詰めた(胎児の子羊では16-41日)後16-140
日から組織の標本の放射能は分析され、合計の水銀蓄積が計算されました。その結果
歯科用アマルガムからの水銀がアマルガムの歯の詰め物を詰めた後2日以内に母親と
胎児の血液そして羊水に現れることが示されました。この水銀の部分的な排泄はまた2
日以内に始まります。検査されたすべての組織は水銀の蓄積を示しました。大人のア
マルガムからの水銀の高い蓄積は腎臓および肝臓に発生しましたが、胎児ではアマル
ガム水銀の最も高い蓄積が肝臓および脳下垂体に現れました。胎盤は妊娠が末期にな
るに従って漸進的に水銀を蓄積し、分娩後のアマルガム水銀の母乳中の蓄積は新生児
への水銀被曝の潜在的源泉となります。アマルガム水銀の蓄積は妊娠期間が進むに従
って母親と胎児の組織でしっかりした状態に進展し、維持されることが結論付けられ
幸せな人生を奪い去る水銀 - 7
第1章 科学的事実と研究
ました。妊娠中の女性と子供に対する歯の治療用材料としての歯科用アマルガムの使
用は再検討されるべきです。
霊長類での研究
M.J.ヴィミー、F.L.ローシーダー共著による羊の研究に類似した研究が後に成長し
たオスの猿で実施されました。霊長類での研究の結果は羊での研究の結果によく似て
いました。アマルガムを詰めた28日後身体全体の状態は水銀集積が腎臓、胃腸管、そ
して顎において最高値を示しました。研究者達は歯科の専門家による銀のアマルガム
は安定的な治療材料であるとの主張は彼らの発見によって裏付けられないとの結論を
出しました。二つの研究はカナダのアルバータのカルガリー大学で実施されました。
人の母親の血と臍帯血の研究
カンツ、ピトキン、ボストロムおよびヒューズによるアメリカの産婦人科1982年の
機関紙で出版された研究は母親の血液と臍帯血中の水銀濃度は(出所に関連なく)妊
娠期間の間増加したことを示しました。それによると、
「水銀元素とその化合物に曝さ
れていることが知られていない57人の患者の最初の出産前の臨床の検査から出産まで
と、分娩後の入院中の全血液中の水銀濃度の変化が観察されました。病院から労働許
可が出た時と出産の時、全血液中の水銀は最初の出産前の検査時の10億分の0.79ppbと
比較して1.15ppbでした。これらの濃度は46%の増加と、胎盤の障壁を突破するその特
有の容易さが先に認識されている物質の母親の集積の重要な差異を表しています。先
天性欠損の歴史と同様に以前の死産は背景にある水銀濃度と重要な相関関係を見せま
した。」
人の口、呼気、そして血液中の水銀濃度の研究
J.E.エイブラハム(米国陸軍)、C.W.スベアー(アイオワ大学)、そして、C.W.フラ
ンク(EG & G、アイダホ)による1984年に出版された研究は口中の空気と血中水銀濃
度はアマルガム治療材の数と表面面積と正比例の関連性があることを示しました。ア
マルガムを詰めていない人々のグループはアマルガムを詰めている人々のグループに
比べて際立って低い濃度を示していました。質問書では彼らは水銀を外部の源泉から
殆んどまたは全然摂取していないことを示していました。
尿中の水銀に関する研究
アリゾナの大学のH・バスケン・アポシアン教授は人の水銀有害物質に対する歯のア
マルガムの影響力を決定するため研究(1992年にFASAB機関紙で出版された)を行いま
した。アマルガムを詰めている志願者と詰めていない志願者は経口で毒素排出剤
(DMPS)300mgを投与されました。DMPSによる管理によりアマルガムを詰めているグル
ープでは尿中への水銀の排出が際立って増加しました。この研究は「歯科用アマルガ
ムを詰めている人々の尿中に排出される水銀の3分の2は彼らのアマルガムから放出さ
れた水銀に由来するように見える」と述べています。
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 8
人の検死解剖の研究
M. ナイランダー、L. フライバーグ、そして、B. リンドによるスウェーデンの研究
はアマルガムの量と死体の脳と腎臓の水銀の間に相関関係を示しました。それは「ア
マルガム量と(人の)組織の中の水銀の蓄積との間の関連性の原因はアマルガム詰め
物からの水銀蒸気の放出である」と結論を出しました。
母乳中の水銀の研究
M.J. ヴィミー、D.E. フーパー、W.W. キング、F.L. ローシーダー、
「羊と人の母乳
中の母親の「銀の」歯の詰め物からの水銀:新生児の被曝の源」生物学的微量元素の
研究、56:143-52(1997)。
要約:放射性の水銀(Hg203)/銀の歯の詰め物(アマルガム)を新しく詰めた妊娠し
た羊を使って新生児の母乳からの水銀の摂取の試験を行いました。乳を分泌している
雌羊が養子の羊に授乳する交差的実験のデザインが採用されました。平行的な研究で
歯の歴史と水銀の母乳中の濃度の関係もまた検査されました。
動物の研究からの結果は、妊娠中、主要な胎児のアマルガムからの水銀の集積は肝
臓にあり、出生後新生児の子羊の腎臓が追加的アマルガムからの水銀を母乳から吸収
することを示しました。古いアマルガムの詰め物を詰めている母乳を分泌する女性達
では母乳と尿中に排出される水銀量は詰め物の数か口中の空気の水銀蒸気の濃度と関
連しました。
アマルガムの歯の詰め物から発生する水銀は胎盤を通って胎児に侵入し、乳房から
新生児によって摂取される母乳の中へ、そして最終的に新生児の身体組織の中へ移動
すると結論付けられました。最近設定された米国の成人に対する水銀被曝の最大許容
値の水準と比較されました。これらの発見によると妊娠したり、授乳中の人に「銀
の」歯の詰め物を詰めたり、取り除いたりすることは胎児と新生児を不必要な水銀被
曝の危険に曝すでしょう。
アルツハイマー病の研究
1995年3月10日ジョージア州アトランタでのFASAB年次会合においてF. L. ローシー
ダー、M.J. ヴィミー、J.C. ペンダーグラスそしてB. E. ヘイリーは彼らの研究「水
銀蒸気への被曝はラットの脳の中のチューブリンのGTPへの結合を阻害する:また、分
子の障害が人のアルツハイマー脳に存在する。」を発表しました。
この研究ではラットは多数のアマルガムを詰めている人と同様の濃度の水銀に曝さ
れました。その結果アルツハイマー病の脳に見出されるのと同程度の同じような神経
システムに影響を与える障害が見られました。
チュービンゲンの研究
アマルガム詰め物から唾液への水銀放出に関する世界最大規模の研究が1995年の夏
ドイツの環境と環境保護協会の主導により、チュービンゲン大学によって実施されま
した。17,500人の参加者の唾液中の水銀濃度はアマルガム詰め物の数に関係していま
した。研究参加者の大よそ43%は世界保健機構の最大許容値の一週間当りの摂取量の基
幸せな人生を奪い去る水銀 - 9
第1章 科学的事実と研究
準を超えていました。この研究は計測された水銀濃度と次の症候の間に重要な関係を
示しました。
1. 口 - 口腔:歯茎の出血、金属の味、そして、燃えるような舌
2. 中枢の神経系:集中困難、記憶障害、睡眠障害、率先力不足、そして、神経質さ
3. 胃腸管問題
水銀過敏症の研究
「国際アレルギー学」(1997年)に出版されたK.佐藤達によって行われた研究は、215
人の医学研修生に水銀過敏症に関係している要因を調査しました。25人の水銀過敏症
の被験者と44人の過敏症でない被験者の尿中の水銀の濃度が計測されました。その結
果は水銀に過敏な被験者では金属で治療された歯の数は対照群より際立って多いこと
を示しました。また、これら2つのグループの間には尿中の水銀濃度に大きな相違があ
りました。この結果は水銀過敏症は生存環境における水銀被曝に関連付けられ、皮膚
の症状は多分先述の要因と同様に関連することを示唆しています。水銀に過敏な人々
の数の多さは患者の1%未満が水銀に過敏であると主張する組織された歯科の立場を
支持しません。この研究の著者達は「もしアマルガムの使用が限定されたならば、水
銀過敏症の蔓延は少なくなると期待されるであろう」と述べています。
クアーズの研究
クアーズの研究は他の歯科材料がないときアマルガムが身体の化学状態に変化をも
たらすことができるかどうか決定する目的で実施されました。患者の血液はアマルガ
ムが取り除かれ、再充填され、再度取り除かれる間に4回検査されました。この検査は
24種類の血中の化学物質、赤血球、白血球、特異形態、リンパ細胞生存能力、T細胞サ
ブセット、ナチュラルキラー(NK)細胞、尿のプロフィリン、血液中と尿中の水銀、
血清歯科適合性を検査する本当に広範なものでした。参加者は13人の男性と18人の女
性で、3―10個のアマルガムを詰めている20―59才の人々でした。彼らには平均11.6個
のアマルガムが露出しており、根管、金、またはニッケルの歯冠、取り外し可能のブ
リッジ、または、歯列矯正器はありませんでした。アマルガム取り除きの手順は血液
検査のための断食、可能な場合ゴムのダムの使用、逐次的なアマルガムの除去、血清
適合できるコンポジット歯科材料、この過程での患者の防御そして免疫力の弱いとき
は避けることを要求していました。
発生した顕著な変化は次に記載します。
1. ヘモグロビンーアマルガム取り外しは赤血球の中のヘモグロビン汚染のた
めに生じた補償的増加の減少(正常状態に戻る傾向)を示唆しました。
2. 酸素化ヘモグロビンーアマルガムの過程でアマルガムが詰められたか、取
り外されたかどうかによって赤血球の酸素飽和に増加または減少を示しま
した。
3. ポルフィリンーこれは身体の2つの基本的なエネルギーのシステム(即ち
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 10
ATP形成のためのヘモグロビンとシトクローム酸化酵素の通り道)を供給す
るヘム合成のための化学の建築用ブロックです。すべての患者はこの重要な
建築用ブロックの尿中排出の低下を示し、幾人かの人は排出ゼロを達成しま
した。これは原因不明の慢性の疲労とポルフィリン症と歯のアマルガムの存
在の間の関連を示唆しています。
4. 白血球-多い白血球数はアマルガム取り外しにすぐに反応しましたが、少
ない白血球数は最適な水準に戻ることに抵抗的でした。この意味するところ
は非常に広範囲です。
5. コレステロールとクレアチンキナーゼ-これらは心臓のある状態をモニタ
ーする2つの化学物資です。それらは両方共アマルガム取り外しに顕著に反
応しました。
6. 血清蛋白―この分野は多分他の何にもまして、私たちの正常値の幅が広す
ぎることを示唆しており、そして、アマルガムの存在によって影響を与えら
れているかもしれません。
アドルフ・クアーズ財団とハル・ハギンス医師はこのクアーズの研究に対し感謝し
ます。
原著編集者注:
これはアマルガムの中の水銀の影響について出版された最近の調査研究の中の少数の見
本です。この調査研究をアメリカ歯科医師会(ADA)によって出版された次の対照群を持つ
科学的研究によって立証されていない個人的な経験談の声明と比較して下さい:
「私たちが持っている歯科用アマルガムの安全性についての最も強力な、そして、最も
説得的な証拠は米国において毎年1億超のアマルガムの詰め物が詰められている事実であ
ります。アマルガムは150年以上にわたって使用されているので、文字通り数十億のアマル
ガム詰め物が傷んだ歯の治療に成功裏に使用されて来ました。」
Journal of the American Dental Association (April, 1990)
幸せな人生を奪い去る水銀 - 11
第1章 科学的事実と研究
アルツハイマー病とアマルガム
アルツハイマー病は文明世界の痴呆症の最も一般的な形態です。それは65才以上の人の
10%に、そして、85才超の人の50%に影響を及ぼします。この病気の社会経済的な衝撃は
驚異的です。
最近までアルツハイマー病の犠牲者達の脳組織に微量元素の不均衡としての水銀は殆ん
ど無視されて来ました。ケンタッキー州、レキシントンのケンタッキー医療センター大学
にあるサンダース・ブラウン加齢センターでの調査は顕著な結果を生み出しました。アル
ツハイマー病の脳と年齢を対応させた対照群の脳の中の18の微量元素の包括的な器具を使
ったニューロン活性化分析研究の結果、水銀の高さが大脳皮質に見出されました。
最も一貫した変化は臭素と水銀の高さとルビジウムの枯渇です。欧州の調査はこの水銀
不均衡を確認しました。
ケンタッキー大学はまた水銀がアルツハイマー病において観察されたのと同様にラット
の脳組織におけるチューブリンの新陳代謝を変えることを示しました。結果はある種の水
銀の複合体がアルツハイマー病の原因の潜在的な源として考慮されなければならないこと
を示唆します。
アマルガム詰め物は蒸気として電気的腐食を通じてイオンの水銀と磨り減った粒子を連
続して放出します。多数の研究論文はこの水銀放出ーしばしばOSHA、EPAおよび世界保健機
構(WHO)によって設定されている労働者達のための最大許容値を超える濃度でーを文書に
しています。
例えば、非常に最近の研究は糞便中の水銀は尿中の水銀のおおよそ20倍であることを示
しています。平均的な数のアマルガムを詰めている人は24時間当り60マイクログラムの糞
便中の水銀の合計排出量を示しますが、これはWHOの食事からの最大許容水銀合計摂取量の
基準24時間当り45マイクログラムを超過しています。
DMPS(2,3ジメルカプト―1―プロパンスルフォン酸)の挑戦を利用している2つの研究は
口中のアマルガムの量に関連した尿中の水銀排出の重要な増加を示しました。一つの研究
は詰め物からの水銀の放出はアマルガム詰め物を詰めている被験者の水銀被曝の主要な源
であることを意味していると結論しました。
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 12
第2章 患者が受けた悪影響についての報告
患者に対する悪影響の報告書はアマルガムを取り外して貰うことになっていたか、つい最近
アマルガムを取り外して貰った患者を対象にした調査です。それはFDAのために歯科治療材料
の中の水銀の危険に関するデータを収集するよう企てた形式です。調査のコピーはまた有毒性
なしの歯科財団に送付されました。彼らは患者から集めたデータからこの報告書を取り纏めま
した。
悪影響を報告した患者の内訳は次の通りです。
女性
男性
合計人数
報告人数
534
228
762
平均年齢
45
46
40才以下の人の数
220
80
300
報告された症状の数
2,916
876
3,792
完全治癒
758
改善
2,812
変化なし
188
悪化
1人当りの症状数
34
5.5
3.8
5.0
報告された症状のうち、主なものの回復状態は次の通りです。
女性
うつ病
内完全治癒または改善した人
疲労
内完全治癒または改善した人
アレルギー
内完全治癒または改善した人
頭痛
内完全治癒または改善した人
記憶の欠落
内完全治癒または改善した人
多発性硬化症
内完全治癒または改善した人
男性
合計人数
135
46
181
135
46
181
257
68
325
245
65
310
166
54
220
148
48
196
179
53
232
171
51
222
84
25
109
80
22
102
32
10
42
25
8
33
割合
100.0%
95.4%
89.1%
95.7%
93.6%
78.6%
幸せな人生を奪い去る水銀 - 13
第2章 患者が受けた悪影響についての報告
多数の人が報告している水銀アマルガム除去後の症状の変化の詳細な統計は次の通り
です。
水銀アマルガム除去後の病状の変化(1)
多くの人が報告している病状
合 計 完全治癒
アレルギー
アレルギー
162
21
食物アレルギー
56
10
胃腸
胃腸の問題
54
8
胃の痛み
9
2
消化問題
36
4
過敏腸症候群
5
1
下痢
20
5
便秘症
19
7
食欲不振
10
1
大腸炎
11
2
膨満感
8
1
うつ病
うつ病
165
32
うつ病(自殺願望)
16
5
カンジダ症
38
7
神経・精神の問題
感情的な問題
30
8
簡単に怒る
16
2
記憶喪失
109
23
集中力の不足
61
10
神経質
45
8
短気
43
5
心配性
41
3
関節
関節(音を発する)
1
0
関節の腫れ
5
2
関節の中の拡大された骨
1
0
関節の痛み
57
14
関節炎
35
4
関節炎(リューマチ性) 6
1
関節炎(リューマチ性と乾癬性
1
0
関節硬化
6
3
関節問題
1
0
関節が熱く感じる
1
0
変形性関節症
3
0
椎間板と関節の変性病
1
0
筋肉の問題(1)
筋肉と関節の痛み
1
0
筋肉のギクシャク
1
1
筋肉の弱さ
34
3
筋肉の震え
15
1
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 14
改善
変化なし
悪 化
125
40
14
6
2
0
46
6
31
3
15
12
8
7
6
0
0
1
1
0
0
0
2
0
0
1
0
0
0
0
1
0
1
133
11
30
0
0
1
0
0
0
22
14
79
50
36
37
38
0
0
6
1
1
1
0
0
0
1
0
0
0
0
1
3
1
39
26
5
1
3
1
1
2
1
0
0
0
2
5
0
0
0
0
0
1
0
0
0
0
2
0
0
0
0
0
0
0
0
1
0
25
13
0
0
4
1
0
0
2
0
水銀アマルガム除去後の病状の変化(2)
多くの人が報告している病状
合 計 完全治癒
筋肉の問題(2)
筋肉の痙攣
7
2
筋肉硬化
2
1
筋肉痛
25
5
燃えるように感じる筋肉組織
1
1
筋膜の痛み障害
1
0
重症筋無力症
1
0
先天性の筋障害
1
0
味覚障害
72
31
目の問題
視野の喪失
2
0
視野の問題
60
10
緑内障
1
0
目の問題
18
4
心臓の問題
徐脈
1
0
頻脈
23
4
不整脈
22
1
心血管病
2
0
心臓のブロック
1
0
心臓の動悸
18
4
心臓病
1
1
頭痛
頭のきつさ
3
1
頭の違和感
1
0
頭痛
202
41
頭痛(片頭痛)
31
9
多発性硬化症
42
4
手足の問題
手と足の膨れ
1
0
手と足の冷え
14
3
手の活動の不自由
1
0
手足のしびれ
30
6
手足のしびれとひりひり感
10
2
手足の痛み
18
4
手足の電気の感覚
2
0
手足の痙攣
1
0
手足の腫れ
4
3
赤く水ぶくれになった手と足
1
1
虚弱(手足)
21
3
喉の問題
喉の過度の粘液
1
1
喉の痛み
32
5
喉頭炎
1
1
改善
変化なし 悪 化
5
0
19
0
1
1
1
41
0
1
1
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
2
42
1
14
0
8
0
0
0
0
0
0
0
17
19
2
0
13
0
1
2
1
0
1
1
0
0
0
0
0
0
0
0
1
1
151
21
29
1
0
10
1
7
0
0
0
0
2
1
11
1
22
6
13
2
0
1
0
14
0
0
0
2
2
1
0
1
0
0
3
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
1
0
27
0
0
0
0
0
0
0
幸せな人生を奪い去る水銀 - 15
第2章 患者が受けた悪影響についての報告
水銀アマルガム除去後の病状の変化(3)
合 計 完全治癒
多くの人が報告している病状
歯の問題
歯(ラジオ放送を受信する)
1
0
歯ぎしり
7
2
歯のぐらつき
1
1
歯の振動
1
1
歯の痛み
17
4
歯の変色
1
0
歯茎の問題
41
11
皮膚の問題
皮膚(油性の)
1
1
皮膚がむける赤い身体
1
1
皮膚の赤さ(発赤)
1
1
皮膚の燃える感じ
1
0
皮膚の問題
56
14
皮膚紅班量の増加
1
0
疲労
疲労
212
28
疲労(慢性)
113
20
エネルギー不足
91
11
不眠症
42
11
耳鳴り
40
5
めまい
60
9
免疫システム機能障害
32
6
リンパ節の腫れ
26
2
改善
変化なし 悪 化
1
5
0
0
12
0
30
0
0
0
0
1
1
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
1
38
1
0
0
0
0
3
0
0
0
0
0
1
0
174
88
77
30
29
50
24
23
9
4
2
1
5
1
1
0
1
1
1
0
1
0
1
1
その他多数の病気の症状が銀の詰め物(水銀アマルガム)を除去した後完治または
改善したという報告がありますが、それぞれの症状には少数の人が症状の変化を報告
しています。完治または改善が報告されている病気は次の通りです。
アルファベット
EBウイルス(ヘルペスウイルス群の)
、T4細胞数低下
ア行
アクネ、顎の問題(顎の緊張、顎の骨の感染、顎の痛み、顎関節症、顎関節部分の腫
れ)、脚の問題(脚の重さ、脚の中の這うような感覚、脚の麻痺、脚の痒い感じ、脚の
硬直、脚の痙攣、足に燃える感覚、足のしびれ、足裏のむずがゆさ、たれ足)
、汗の問
題(過度の汗、汗(攻撃的な)、汗不足)、アドレナリン過剰または不足、甘いものを
渇望する、アルコール依存状態、アルツハイマーの症状、意識喪失ー一時的、痛み
(痛みと感受性、痛みに耐える)、ウイルス病、腕の上の赤色斑、運動の問題(運動の
病気、運動機能障害、運動失調症、車椅子生活の運動障害、歩行困難、歩行不能、身
体のバランス問題、機敏性)
、嚥下困難、嘔吐、おでき
カ行
潰瘍、潰瘍(舌の、コラーゲン障害)、顔の問題( 顔、腕および脚の中のしびれ、顔
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 16
と目の慢性ブドウ球菌菌感染、顔のねじれ、顔のひきつり、顔の痛さ、顔の毛の成長、
顔色の悪さ、垂れ下がったまぶた、目の下の暗い隈、赤ら顔、頬の震え(若干の)
、肩
の痛み、肩筋肉の緊張、活動過多、過敏症(寒さ、金属器具、光・太陽そしてテレビ、
酸っぱい食べ物、接触に敏感な身体、薬物治療に耐えられない、紙)、癌(ホジキンリ
ンパ腫、リンパ腫)、考えの明瞭さ、感受性の増加、肝臓の問題(肝臓エリアでの充満、
肝臓痛、肝臓嚢胞、中毒性肝炎の徴候)
、感覚異常、乾癬、気管支炎、寄生虫感染、気
胞状の骨の喪失、吸収不全症候群、器用さの問題、強直性痙攣症、脅迫観念/強迫観
念、恐怖心、虚弱、協調の不足、
口の問題(燃える感じ、口と舌のしびれ、潰瘍、電気ショック、扁平苔癬、悪い味覚、
口内炎、粘膜の炎症、唇がひりひりする、唇が年中荒れている、下唇ひきつり)、首の
問題(首とあごのしびれ、首と背中の痛み、首筋肉の痙攣)、クローン氏病、毛髪の問
題(毛―乾いた、抜け毛、毛髪―油性)
、痙攣の問題(痙性―一部の筋肉が継続的に収
縮、痙攣―筋肉の収縮・こむらがえり、痙攣―神経電気性・癲癇性・熱性・ひきつけ、
痙攣―肩の間、痙攣―足と脚、痙攣―背中、痙攣性斜頚)
、形成異常母斑、血圧問題、
血管炎、血球数問題、血小板数低下と異常、リンパ球)
、恐怖症―病的、幻覚、健康の
低下、甲状腺の問題(甲状腺機能低下症、甲状腺亢進症)
、硬皮症、肛門掻痒症、声―
弱い、五感の障害、呼吸の問題(呼吸困難、呼吸不能、呼吸亢進、口呼吸)
、骨粗しょ
う症-左腰、高コレステロール、
サ行
叫ぶ発作、砂糖を渇望する、三叉神経痛痔、シェーグレン症候群、子宮内膜症、子宮
出血―非連続的、刺激への過大な反応、思考低下、思考分断、自信の不足、自信喪失、
姿勢、自尊心、舌の問題(しびれ、ふるえ、燃える感じ、地図状舌)、失見当、失神、
しびれ(しびれとひりひり感、しびれ感、左側の痛みとしびれ、体の左側のしびれ、
指のしびれ)
、自暴自棄とパニックになる感じ、お尻の痛み、支離滅裂、循環器問題、
衝動的なこと、食事中の多動―動作なしで食べられない、食道の痙攣、人格変化、神
経がひりひりする、部分的な神経の麻痺、神経質な緊張、神経障害、僧帽弁逸脱心臓、
腎臓の問題、狼瘡腎炎、靭帯問題、心理的な病気、水銀中毒、睡眠の問題(睡眠障害、
嗜眠症、慢性の昏睡―反応的)、ストレス適応、生活に関する見解、成長障害、性の問
題(性行為不能、性的な機能障害、性的衝動の喪失)
、精神異常、精神錯乱、精神的態
度、生理の問題(生理前症候群、無排卵)、積極的反核抗体検査、脊柱(調整不能)、
脊柱の痛み、背中の痛み、頭底の脊柱傷、咳、腺維筋炎、全身の燃える感じ、喘息、
前立腺炎、前立腺肥大、創造性の喪失
タ行
体温問題、体重の問題(減少、増加、肥満)、唾液過多、食べる問題、単純疱疹、単独
起立不可能、膣のカンジタ症、膣の痛み、膣炎(慢性)
、注意欠陥障害、聴覚問題、痛
風、爪問題、低塩酸症、鉄の欠乏、テニス肘、てんかん、体内の電気の感覚、改めら
れた電磁石のフィールド、糖尿病、糖尿病のインシュリンショック、低血糖症、頭皮
損傷(頻繁な発疹)
ナ行
内分泌の問題、におい問題、乳房の腫瘍―繊維質の、尿過少、尿の頻度、妊娠問題、
幸せな人生を奪い去る水銀 - 17
寝汗、寝たきり、眠気、脳腫瘍
ハ行
パーキンソン病、肺活量低下、肺気腫、吐き気、恥ずかしがり、発熱、鼻の問題(ポ
リープ、充血、鼻血―慢性、鼻水が出る感覚、左副鼻腔と左眼の緊張、副鼻腔の問題、
副鼻腔炎)、話し書く問題、腹の中の燃える感じ、腫れ-足、舌、目、頭側、左側の
頭・顔そして目の燃える感じ、冷え、筆記困難、腹部の痛み、ひざと肘問題、膝反射
運動の喪失、左足の音、貧血症、頻繁な病気、不安定感、不快な息、不快な性格、不
合理な態度、浮腫、不妊症、フォイルに触れるとショックを受ける、吹き出物、副腎
の機能低下、ふるえ、手足、身体の右側、経閉―時期尚早の、閉所恐怖症、偏屈な、
偏執症、膀胱の問題(膀胱炎、膀胱問題)
、
マ行
麻痺、満足感、味覚障害、耳と首の周りの感受性、耳の痛み、耳感染、耳充血、無感
動、虫歯、むずがゆさ、胸のきつさ、胸やけ、胸充血、胸の痛み、無力な感情、目の
問題(黄班変性、眼球の運動の喪失、視神経炎、白内障、左目の震え、左目の網膜の
出血、不任意の瞬き、ドライアイ、網膜出血)
、免疫の問題(風邪、インフルエンザ、
感染症)
ラ行
理解力の不足、リウマチの徴候、レイノード症候群、狼瘡(皮膚結核)、論理問題
ヤ行
優柔不断
これらの症状を持つ人々が水銀アマルガムの詰め物を除去した後の変化の要約は次
のとおりです。
完治した
改善した
変化なし
悪化した
報告症例数合計
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 18
症例数
279
860
64
14
1,217
割合
22.9%
70.7%
5.3%
1.2%
100.0%
第3章 体 験 記
1.高水準の口中水銀濃度
タノ・ルセロ博士
次の体験記はタノ・ルセロ博士-元OSHAの従業員、そして、現在アリ
ゾナ州スコッツデールでバイオエシックス医療センターの理事長-に
よって書かれました。
私は17年間労働安全衛生局(0SHA)に勤務していましたが、その間アメリカ歯科医
師会(ADA)程激しく銀アマルガムの有毒性の危険を認めることを否定する団体を見た
ことがありません。
現実として、
「銀の」アマルガムは構成分の過半が水銀である以上「水銀」アマルガ
ムと呼ばれるべきでしょう。確かに銀を詰めるというまやかしな表現は患者に「売
り」つけるには都合の良いものでした。ADA安全宣言は40年前には信じられたかもしれ
ません。しかし、今日の消費者達は当時より色々なことを知っており、真実を求めて
います。
この2l年間、私は化学毒物学の分野で最初は研究化学者、それから、分析化学者、
労働衛生研究者そして現在は内科医として働いて来ました。数年前連邦政府は私がこ
の仕事をしていて中毒になったとして、環境を変え、化学毒性を除去する包括的なプ
ログラム(サウナ療法等)の経費の支払いに同意し、さらに私の口の水銀レベルが高
いということで口のアマルガム詰め物を除去する費用までも負担しました。
私の異常な体験は私の口の水銀蒸気を検査して貰うためニューメキシコ州のアルバ
カーキーにあるウルフ博士の研究室に歩を進めた1987年に始まりました。私のことは
ロス・アラモス医療センターのジャクリーヌ・クロン医学博士から紹介して貰ってい
ました。私は連邦政府の化学者と労働衛生研究者として勤務している間に多くの神経
毒物質に曝されたとして彼女の治療を受けていました。
私はその時の訪問で歯科医に2つの事を期待していました。1つ目は私が25年前に詰
めて貰った詰め物が高濃度の水銀を出していないことでした。何故なら新しく作られ
た材料ほど何年も使われて来たものより当初の成分をたくさん放出するからです。2つ
目は私は米国の最大規模の企業を相手にする法廷で使うことができる機器をいつも使
っていましたから、本当のところ私は水銀濃度計測器がそんなに高度で、正確なもの
であると期待していませんでした。私はこの2点とも誤っていました。
私の口中水銀濃度はOSHAの50ug/cu.m.という基準のほとんど2倍の数値を示しまし
た。そして、その測定機器は私が病院、歯科診療所そして他の職場において検査に使
用してきた水銀蒸気分析器と同じ型式のモデルでした。OSHAの基準は週40時間1日当り
8時間勤務を前提としたものであり、もし私がOSHAの検査を受けていたならばOSHAの基
準を守っていないとして1,000ドルの罰金を伴う召喚状を受け取っていたでしょう。
ADAは他の金属と混ぜられたときアマルガムの詰め物が生物学的に不活発な物質に
幸せな人生を奪い去る水銀 - 19
第3章 体
験 記
なると主張しています。これは全く間違っています。水銀元素は歯の詰め物から放出
されているのでしょうか?この答は絶対にハイです。あなたが水銀蒸気を測定できる
時、空気中には水銀元素があります。
水銀に関するOSHAの公報2234は歯科医達と歯科技術者は水銀に曝される危険性の最
も高い職業の一つであると述べています。腎臓、肝臓、そして脳に及ぼすこの毒性に
ついては既に十分に報じられています。私たちはこれ以上のことを知る必要があるで
しょうか。
研究によれば水銀は口から吸い込まれ、吸収され、そして摂取されます。歯科用詰
め物から生ずる水銀レベルは有害なのでしょうか。私は有害であると思います。OSHA
法でさえそう言うでしょう。空気中の水銀濃度や骨や組織に吸収された水銀の蓄積そ
して摂取の水準を考慮する時、私はこれは健康にとって深刻な問題であると考えます。
事態をさらに悪くしているのは水銀は室温でも気化することです。そして吸い込むこ
とは摂取することよりもっと危険なのです。
あなたはアマルガムの詰め物を取り外す必要がありますか?私は歯科医達がこの質
問に答えようとすれば微妙な立場になることをよく知っています。私が口の中の空気
の水銀濃度がOSHAの基準の2倍であることを知った最初の反応は直ちに私の口中のア
マルガムの詰め物を取り外すことでした。既に殺虫剤、発癌物質、または他の神経毒
を持つ溶剤の重い負荷に加えてさらに私を水銀に曝すことを必要としませんでした。
私はある大会社の製薬部長に会ったことがあります。彼は彼の会社のテーブルの上
の鉛濃度が高いと指摘されて鉛を食べても安全だと主張しました。水銀を口の中に入
れても安全であると主張しているADAの見解とたいした違いはありません。私が見、経
験したものをあなたが見、経験した時この問題に対する答は自明でことでしょう。
2.慢性疲労症候群
レニー・J・モーサー、免許実践看護師、アイオワ歯科連合会長
3年にもわたる長い期間、私は自分をベッドに縛り付けてきた40を超える重い病気の
症状に苦しめられ続きました。症状は日ごとに悪化しました。私が経験したのは刺す
ような頭痛、思考の混乱、とりとめない言葉や日常会話で単語を思い出しにくいこと
を含む言語障害でした。私はまたさらに他のアルツハイマーに似た症状も経験しまし
た。例えば初めの4つの単語の意味を理解したまま5つ目の単語を読めず、またある硬
貨は何セントなのか分りませんでした。私は当然よく知っていたはずの周囲の環境を
正しく認識できなかったので、最初の頃は通院するのも苦痛でした。
私の中枢神経系は色々な臭いによって大きい影響を受けており、ペンキ、ガソリン、
ニス、ゴム等々の強い有毒な臭気に耐えることができませんでした。これらの臭いは
文字通り、主に頭痛と吐き気を引き起こしましたが、私のすべての症状を悪化させま
した。私の中枢神経系は音、光、そして特定の色によってさえ悪影響を受けました。
更にこれらが高いレベルになると症状は悪化し、トイレに一人で行くことさえできず、
食事のために座ることさえできない位でした。
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 20
筋肉、関節、そして骨の激しい痛みで私は動けなくなりました。私は筋肉の衰えで
歩行困難となり、かろうじて呼吸するために横隔膜を動かすことができるだけでした。
私の耳は痛み、耳鳴りは普通のこととなり、電話の呼び出し音、テレビの音声、また
は普通の会話さえ分らなくなりました。その後両耳の聴力の少なくとも30%を徐々に
失ったことを発見しました。私は耳栓をして耳を守りながら生活しないと完全に耳が
聞こえなくなるでしょう。
私は毎日熱と寒気に苦しめられ、朝は冷たい汗で目を覚ましました。後に私の身体
の広い範囲にわたって刺すような発疹が出ました。私は吐き気、消化不良、そして栄
養吸収不良を経験しました。喉の痛みは毎日のことでしたし、リンパ節の膨れと痛み
もそうでした。最も驚いた症状は私が実際に呼吸を止めるだろう睡眠時無呼吸(この
時私は本当に睡眠中に呼吸を止めます。
)、そして私の心臓が24時間の間に2,000回以上
瞬間的に止まる心室性期外収縮でした。この状態には恐ろしい胸の痛みと呼吸数の増
加が伴っていました。
私が歯のアマルガムの詰め物からの水銀の有毒性を突きとめるまで、私の症状はま
すます悪化し、私の日常生活は徐々に失われ続けました。ついに私は私の身体から熟
練した歯科医によってすべての水銀の詰め物を除去し、毒性を持たない詰め物に取り
替え、身体の組織から毒素を除去する一連の手続きを取ると決めました。その1年後、
私の健康は85%くらい回復しました。その後一年毎に私の健康は回復しました。私は私
を襲う繰り返し再発するカンジダ症の原因である私の免疫組織に問題を抱えて行くの
でしょう。私の甲状腺は水銀によって完全に破壊され、そして聴力もそうです。しか
し、私は活力に満ちた人として機能しており、私は今やこの水銀を主題にして多数の
聴衆に話をするために旅行することもできます。個人的には私は詰め物に起因する水
銀中毒の犠牲者250人以上を助けることに携わってきました。そして、州議会のロビイ
ストとして登録し、他の州とは異なる私の州の歯科関係の法律を改正するために私自
身の政治活動委員会を設立しました。全米で唯一私のアイオワ州は歯科医と患者の間
の会話を制限するアメリカ歯科医師会の倫理規定を認めている行政規則を持っていま
す。この5年間私は水銀詰め物が原因で私が苦しんだ苦痛を経験することから人々を救
うため私の人生を費やしてきました。これからも私は私の州と国で私たちが安全な歯
科医療の恩恵を受け、そして、歯科医達が免許を失う恐れなしに水銀を使用しない歯
科医療が行えるまで戦い続けるでしょう。最後にメアリー・デービスと神にこの怪物
と戦うための知識と勇気で私の命を救ってくれたことを感謝しています。
3.疲労・体重減少・記憶喪失
リンダ・G・シェパード
1989年4月1日に、私は率直に言って長期の1日6パックのマウンテン・デューを食べ
る習慣をやめました。私は完全にジャンクフードの中毒者になっており、めったに運
動をしませんでした。
それから私は更に健康的な生活様式に変えるように努めました。私は規則的に重量
幸せな人生を奪い去る水銀 - 21
第3章 体
験 記
挙げをし始め、体重は元に戻り始め、そして、適切に配分を考えた新鮮な果実、野菜、
ナッツともやしを食べ、蒸留水、または逆浸透水のみを飲む方向で努力していました。
私は洗剤の使用と化粧をやめ、できるだけ天然素材の衣類に切り替えました。
私のあらゆる努力にも拘らず、私は肉体的にも、精神的にも改善するどころか悪化
し始めました。家族、友達と知人達が私の菜食主義が原因であると非難し、そして何
人かの人は神経性食欲不振だと言いました。私の体重は115ポンド以上になったことは
ないのに、1991年8月に29歳で身長5フィート6インチで僅かに82ポンドしかありません
でした。私は以前の生活に戻ったところで問題をさらに悪化させるだけであろうと知
っていました。
私の主な心配は気力のなさ、体重の減少、記憶喪失、集中力の不足、文章を書いた
り単語を明瞭に発音する能力の低下、筋肉をつける能力の欠如、そして、急速に失わ
れる視力でした。このような私の状態は私の仕事を危険に曝しました。更には私が仕
事を終えて自分自身を引きずるように家に帰って、ベッドに這って行く前に髪の毛を
洗うだけの気力があるかどうか心配するまでになりました。
10月に、私は歯科用アマルガムの詰め物に起因する水銀中毒について読んで、私の
診断を確認してくれた栄養学者との面接予約を取りました。
検査の結果、とりわけ消化器系統、肺、咽頭、機能不全のリンパ腺、過剰な毒素に
より機能不全に陥った肝臓、そしてリンパ腺のシステムに障害があることが判明しま
した。彼は私が消化酵素を服用し、運動と健康な食事を続け、水銀アマルガムの詰め
物を取り替えることを考慮するように示唆しました。私は私の以前より健康的な生活
様式により蓄積された水銀のいくらかが体外排出されたと信じています。水銀が体内
を循環し始めて私の症状は悪化しました。私は仕事をそこそこにして水銀中毒に関す
るあらゆる資料を読み漁るのに限りなく時間を費やしました。
私はコロラド州のある検査機関を通じてなされた歯科材料の生体適合性検査を受け
て、詰め物の取り外し・取り替えを行っている地元の歯科医を訪れました。彼は歯冠
とブリッジを勧めました。私は勤務先の会社を通して医療保険が適用される歯科医達
に問い合わせることに決めました。1人の歯科医は詰め物を詰め替えましょう-しかし、
新しい水銀のアマルガムでと言いました。次の歯科医は私が依頼した順序で私に使用
可能な材料を使って取り替えましょうと言いました。彼は元の歯をできるだけ抜かず
に、単純に詰め物を取り替えることができるであろうと考えていました。3番目の歯科
医院には診察予約を求める電話をかけましたが、私の依頼する材料を持っていないこ
とが判明しました。彼らは1月の中頃に診察予約を変更する電話をかけてきましたが、
私が治療の前にその歯科医院が使用する材料の一覧表を求めたところ、彼らは他の患
者に使っている、私の強度反応一覧表に記載されている材料を使う計画になっている
ことが分りました。彼らは何とか私を説得しようとし、欺こうとし、また私の言う事
に全然注意を払いませんでした。
12月までに私の体重は100ポンドまで戻りました。私は栄養を付けるためにではなく、
体内に蓄積された水銀を体外排出するのを助けるためにビタミンCとミネラルの栄養
補助食品を摂り始めました。私は私が入っている医療保険の会社から来ている医師を
訪ねたところ、彼は初めから治療をやり直すことを求め、血液検査、胸部レントゲン、
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 22
CTスキャン、尿検査、そして他の検査を求めましたが、私はその要求をすべて断りま
した。彼は原因を探るより症状を治療する計画を立てていることを示しました。彼は
私が提示した水銀関係の情報を確かに読んではいましたが、彼はこの問題はもっと研
究される必要があると信じていると言い、彼の求めた各種検査を受けるよう私に迫り
ました。
2月の中ごろに、私は姉のかかりつけの歯科医院に行き、治療を受けている間姉のと
ころに滞在できないかを検討し始めました。私はウィスコンシン州のオー・クレアの
歯科医がこの問題について彼が持っていた文献を私の姉が送ってくれた後、彼にいく
つかの質問の手紙を書きました。彼は水銀を使用しない歯科を実践しており、何年に
もわたって水銀の除去・取り替えを続けていました。彼は私の手紙を受け取った日に
私に電話をかけてきました。私は彼に治療をしてもらうことに決心し、旅行の準備を
始めました。その時私の上司は人事委員会が私の雇用を継続するか否かを審査すると
言い、私が仕事を休んで直ちに、素晴らしくそして確実な健康回復を示すか、または、
仕事を辞めるか要求してきました。
私は仕事を休み病気休暇を取り、バッグに荷物を詰め、オクラホマ州タルサからウ
ィスコンシン州のオー・クレアへのバスに乗りました。私は日曜日に到着し、歯科医
の留守番電話に彼に会いたいとメッセージを残しました。ある患者が月曜日の診察予
約を取り消したので、彼は私の診察の段取りをしてくれました。この歯科医と彼のス
タッフは魔法と奇跡のマラソンの手配をし、実行しました。火曜日には右上顎部から
すべての水銀が取り外された後すぐに私の消化系統は大きくゴロゴロと音をたて、が
つがつした飢えを感じ、右親指の先から第一関節までの部分、人差し指そして中指と
右足のアーチに特別な感覚を感じました。反射法図表によれば、頭の部分は脳に対応
し、足のアーチは消化器系統に対応しています。
私は午後の大半眠りました。麻酔から醒めるにつれ、歯科医がしてくれた幾通りか
の作業を感じることができました。穴あけ、削り取り、切り落とし、充填等。私は圧
力を感じましたが、痛みは感じませんでした。これらの感覚は右上顎部にのみ感じま
したが、順序は不同でした。後に私は幻覚を見たような経験をしました。
水曜日に右下顎部からすべての水銀を取り外し、消化器系統のゴロゴロという音、
がつがつした空腹感、一過性の頭痛それに右手小指に刺激感を感じました。木曜日朝
左上顎部、午後左下顎部の治療を受けました。同じように私は消化器系統のゴロゴロ
という音、がつがつした空腹感と局部的頭痛を感じました。
私はこれまでずっと口呼吸をしていたのに、今は鼻呼吸をするようになりました。
私は肺、鼻、口、そして喉の痛みを感じることなしに冷気を吸い込むことができ、手
足が冷えることもなくなりました。私は気力が充実してくる思いがしました。夜も以
前の昏睡状態の睡眠ではなく、より自然に眠るようになりました。私はより快適に真
っ直ぐ座ることができ、夜過度に多量の唾液を出すこともなくなりました。
仕事に戻るとすぐ私は受け入れられる水準の仕事をこなし、特別企画では残業さえ
こなしました。過去1年間そうする力を持ち得なかったのに、私は重量挙げ機械の重量
を増やすこともできるようになっていました。
私は5才の頃から20才になるまで殆んど6ヵ月ごとに歯科医に通いました。そしてた
幸せな人生を奪い去る水銀 - 23
第3章 体
験 記
った一回の診察の時を除き、私の口にはいつも詰め物が詰められました。詰め物を除
去し、取り替える時には私はすべての残っていた臼歯と幾本かのその他の歯に大きい
詰め物を詰めていました。私の健康問題をすべて水銀のせいにできないことは知って
いますが、私は水銀が私の健康状態に主要な役割を演じていたと信じています。私の
多くの症状は見逃されるか、遺伝として片付けられていました。今にして思えば私の
祖母と母の二人とも水銀中毒に罹っていたと主張します。
大部分の歯科医達はまたフッ素を積極的に使っています。私の場合では、歯科医は
大きい詰め物をした歯をそのままにして、一見したところ健康な歯(4個の臼歯と私の
親知らず)を抜いてしまいました。歯科治療の多くは不健康な状態にある歯に更なる
損傷を与え、さもなければ健康な歯を台無しにしています。
私はお金と健康で歯のために支払いをしました。私の両親は最初の詰め物とブレー
ス(口の中に追加される金属)に対して支払いをし、私はそれらを取り外すために支
払いをしました。誰も水銀中毒に罹った人の人生の質と同じ人が水銀アマルガム詰め
物を詰めなかったと仮定した時の人生の質の違いの価値または程度を推し量ることは
できません。
私は健康の改善と解毒の証拠を見続けています。私はこの機会に私の治療をしてく
れた歯科医師、彼のスタッフ、また私のために診察の予約を変更してくれた彼らの患
者に感謝致します。私が治療を受けるためにウィスコンシン州に行くまで、私は歯科
医療関係者に対して恐れと不信感を持っていました。おそらく私は不健全な歯科医療
行為に対して恐れを持っていたのでしょう。継続する解毒のための健康な生活と時間
を持ち、私は水銀が破壊したもののいくばくかを取り戻すことができました。
私はまたウィスコンシン州滞在中に精神的な支援、交通の便、宿泊および食事の便
宜をはかってくれた私の姉とその婚約者に感謝します。また、他の家族たちと職場の
仲間たちに私がこれをやり遂げる間の彼らの忍耐と支援に感謝します。
4.片頭痛・アレルギー(多種類)
シャリ・ペーサー
子供のころ私は甘いものが大好きでした。私はたくさんのお菓子を食べ、その結果
口一杯に銀のアマルガムを詰めることになりました。最初の詰め物は12才の時に詰め
られました。十代を通じて私が頭痛、慢性の便秘、また消化不良を抱えていました。
私はこれらを単に成長過程につきものであると考えていました。私はまた口の中のも
のの味が分りませんでした。
20才になったとき、私は重い片頭痛に罹っていました。痛みがひどいため私は仕事
を辞めざるをえませんでした。私の医師はこれは多分片頭痛に罹っていた母親からの
遺伝だと私に言いました。彼女は年をとるに従って良くなっていきましたが、私はそ
れ程幸運ではありませんでした。
30才の時私は一本の歯を失いました。そしてそのためブリッジが必要でした。私は
その当時は知りませんでしたが、ブリッジにはニッケルが使われていました。私の頭
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 24
痛と全身的な健康は加速度的に悪化しました。私は疼痛と頭痛を抑えるため何回も処
方箋を出してもらいました。鎮痛剤は最初のうちはよく効きました。しかし、鎮痛剤
で気分が悪くなりました。多くの薬物治療は薬自身から生ずる頭痛を再生産します。
これが悪循環になり、どれが本来の頭痛で、どれが薬に起因する頭痛か区別できなく
なりました。吐き気、嘔吐、光感受性、怒りっぽさ、落ち込み、または疲労すべては
疼痛と共に来ました。私は精神的に肉体的に罠をかけられたように感じ、私の免疫機
能はどんどん弱くなって行きました。私はまた単核細胞症を発症しました。私の味覚
障害は段々と強くなりましたが、私はそれを水銀のせいだとは考えつきませんでした。
とうとう私はいくつかの新しいそして困った症状を発病しました。私は殆んどすべ
ての食べ物にアレルギー反応を示すようになりました。私は化学物質にも過敏となり、
香水、ガソリン、たばこの煙、新聞のインク、食べ物の臭いで気分が悪くなりました。
その他の説明のつかない症状は無意識のまばたき、不眠症と私の頭の左側、顔、そし
て目に燃えるような感覚が出てきたことでした。私は左肩、腕、また指に麻痺が出て
いました。
医師は私の血液と尿に異常を認めませんでした。もはや彼は処方箋を書く以外に私
を助けることができないと思い始めました。私は健康問題を自分自身で解決するため
毎日一人で向き合って行くしかありませんでした。私は日記を買い、まず最初に書い
たのは自分の健康を模索するということでした。実際のところそれが如何に正しかっ
たかはその時は知りませんでした。私はひどく落ち込んでいて、最後に笑ったのは何
時であったのかさえ思い出すことができませんでした。あなたは何か本当に面白いこ
とで大笑いする時、それがどんなに抑えきれない腹からの笑いであるかをご存知でし
ょう。私はまったく笑うことはありませんでした。私は笑いかけることもありません
でした。そのような反射はなくなっていました。私は病気であることに打ちのめされ
ていました。私は日常生活で頼りにならなかったので働きませんでした。私は金銭的
にひどく困っていなかったし、私と家族の間には何の問題もありませんでした。一体
何がこのストレスの原因なのでしょう?何故私の身体は私を裏切っていたのでしょう
か。
私は生体自己制御、体操(これは事態をもっと悪化させただけでした)を試み、私
の食事を非常に注意深く観察しました。何かを食べた直後、特にガムを噛んだ後に私
の症状は悪化しました。私は栄養士を訪ね、そこで玄米食とセロリなら耐えられるこ
とが分りました。私はそれ以外の食品を全く食べることができませんでした。私にと
って生活はますます限られたものになりました。ショッピングモールでは内装、清掃
用品、カーペット店等たくさんのもので気分が悪くなりました。私はもはや音楽さえ
楽しめませんでした。私は読むことも、集中することもできなくなりました。私の記
憶力は段々と悪くなり、話をすることも、考えることも苦痛となったので、私は長時
間会話することもできなくなりました。私の頭の中の燃える感じのため、私と外の世
界とが遮断されているように感じられました。それはちょうどテレビ画像に見る干渉
と静電気のようでした。それは私を狂気に駆り立てました。私の家族が私に苛立ちを
感じていたので、私は大半の時間病気であることを隠していました。私は病気である
ということが自分の自尊心まで奪い取ることを学びました。私が「感情的な問題」と
幸せな人生を奪い去る水銀 - 25
第3章 体
験 記
名付けようと考えた何物かには名前はありませんでした。私は自分に答をくれるよう
な魔法のような本やハーブを探すため健康食品店を歩き回りました。
その夏私はペイン・クリニックで診て貰いました。私は、マッサージ、生体自己制
御、そして適度の運動のような痛みをやわらげる医薬品以外の方法を学びました。私
は幾分かは成功しましたが、相変わらず食べ物、化学物質、およびストレスに対して
過敏でした。すぐに私の病気はまた悪化しました。
1990年の12月に私の夫がテレビ番組「60分」が銀のアマルガム歯科用詰め物につい
て放送をしているのを見ていました。彼は「あなたの病気の原因が何であるか分った
と思います。こちらに来て、この番組を見てご覧」と私に呼びかけました。私は夫と
一緒にその番組の残りを見ましたが、余りにも落胆し、気落ちしていたのでこの番組
についてはあまり考えませんでした。私の味覚障害は私が再考するきっかけとなりま
した。私は詰め物を詰めている人は皆味覚障害だと考えていました。
私たちは私を助けてくれるかもしれない歯科医を求めてあちこちに電話をし始めま
した。ついに私たちは一人の歯科医を探し当てましたが、彼は乗り気ではありません
でした。彼は1年前に患者の口から詰め物を除去したことで免許を停止されていたので
した。彼にとっては不幸な状態でした。それにも拘らずこの歯科医は私の健康を取り
戻す手助けをしてくれました。もっと正直に言えば、私は彼が私の命を救ってくれた
と信じています。1991年2月に私の口から最後のアマルガムが取り除かれました。
私の回復は非常にゆっくりしたものでした。それは私の日記が記録しています。日
ごとに症状が改善するといったものではありませんでした。とはいっても2ヵ月ごとに
は微妙な改善が感じられました。唯一の劇的な即効性の変化があったのは歯科医がニ
ッケル入りのブリッジを除去した時でした。私は静電気の感じが頭からなくなるのを
感じました。私の頭は即座にはっきりしたように感じました。私が日記で約1年前のこ
とを読み返すと、この1年間の変化は私を驚かせています。私の食欲は戻り、片頭痛は
消え、そして、私はストレスに前より上手に対処することができました。もはや私は
気持ちの落ち込みで苦しむこともなくなりました。私は身体から重しが取られたよう
に感じました。私は前に感じていたように毒に侵されているという感覚はありません。
燃えるような感覚、疲労、そしていらいらはすべて消え去りました。私の活力は戻り
ました。勿論私は疲れた時立ち止まって休まなければならないことは知っています。
私の人生は再び生きるに値するものとなりました。
私の回復にはビタミンの補充、DMSA(毒素排出剤)
、ジュース、マッサージ、大腸洗
浄そして同種療法(ホメオパシー)を採用しました。これらはすべて私の助けになり
ました。現在治療を始めて1年3ヵ月経過しています。私はすばらしい日々を過ごして
いますが、ゆり戻しが襲うこともあります。でもそれは段々と軽いものになってきて
います。
私は私が問題を解決するのを助けて下さったDAMSと人々のネットワークに感謝して
います。同様の経験をした誰かに話しかけることしか私の助けにならなかったことが
何回もありました。
私は、アメリカ歯科医師会が人の組織、脳そして身体に沁み込んだ水銀(毒)が病
気を引き起こすことを否定していることを信じることができません。彼らは根本的に
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 26
間違っています。彼らが銀のアマルガム歯科用詰め物の使用を認める以上、彼らは水
銀中毒を広げていることになります。
5.多発性硬化症(MS)
メアリー・デービス
私は28才の時多発性硬化症と診断されましたが、問題はそのずっと前に始まってい
ました。私は8才の時に眼鏡をかけ始めました。おそらくこれがそれから始まるトラブ
ルの最初の症状でした。それからの15年間私は主として感情的な問題として対処して
来ました。深いうつと極度の過敏症で入院もしました。しかし強力な療法の後でさえ、
私は良くなりませんでした。感情的な問題に加え、私は不眠症(私はこれが異常だと
は知りませんでした)と異常過敏性大腸を相手に取っ組みあっていました。
私はついにうつから脱け出しましたが、今度はいくつかの異常な問題に悩まされる
ことになりました。私の身体のあらゆる部分が痒くなりましたが、明らかな発疹はあ
りませんでした。これは丁度私がエアロビクス運動をしていた時期でしたが、私は関
係があるとは知りませんでした。
私がかゆみの薬を飲んでいましたが、その薬は私が眠る助けになり、その後数年間
は事態はかなり正常でした(と私は思っていました)
。私は(l2才の時から)いつも疲
れていましたが、私はそれまでに疲労には慣れていたので、私はそれが異常であると
考えませんでした。うつはなくなっていましたが、それは私が結婚し、産児制限ピル
を飲み始めた時になくなっていました。それ故私はうつがホルモンと関係しているの
ではないかと考えていました。
26才で私に多発性硬化症(MS)の最初の症状が現れました。その後(私はこの時点
ではまだMSと診断されていませんでした)、私は理解できない症状に苦しめられました。
脚の痛さ、極端な疲労、そして、活力不足は毎日のことでした。私の不眠問題は更に
悪化しましたが、もう一度書きますが、私は誰でも不眠になるものだと考えていまし
た。
私が長女を出産した7ヵ月後に私のMSは更に悪化しました。この時点で私はMSと診断
されました。MSに罹っていると言われて、多くのことが明らかになりました。うつや
不眠のような原因不明の問題がまだたくさんありましたが、MSに関係があるとは思い
ませんでした。
MSの診断から約1年後私が金属アレルギーであることを知っていたので、私は詰め物
を取り替えて貰いました。当初私は水銀問題については懐疑的でしたので、私の身体
に何が起っているのか分りませんでした。私は何を期待するのか本当に知らなかった
ので、自分の身体から毒素を排出することには無関心でした。幸いなことに私の歯科
医は水銀の問題に非常に豊富な知識を持っていたので、彼は私に歯科治療の前からず
っと各種ビタミンを飲み続けるように強く求めました。
私の詰め物の除去は3回にわたって行われました。最初の治療で一つの詰め物を取り
外し、キャップをかぶせました。その晩私はよく眠りました。私はあまりよく眠れた
幸せな人生を奪い去る水銀 - 27
第3章 体
験 記
のでうれしさにぞくぞくしました。そして、それが水銀アマルガムの詰め物を取り外
したおかげと知りましたが、その良い点はその程度のものだと考えていました。私の
治療の間に私は不思議な現象(ひりひりした感じ、めまいと金属の味)に気付きまし
たが、これらの影響は軽微なものでした。
すべての取り外しが終ったおおよそ1月後、私はホルモンのアンバランスになり、
様々な感染(酵母菌、膀胱炎、そして、細菌性)症にかかり、胃の調子は一層悪くな
りました。私はまた新しいアレルギーにも罹りましたが、これは発疹が出次第消して
もらえば良いだけでした。
大体この時点で私は以前ほど疲れないことに気付きました。私は以前よりもっと多
くのことをしましたが、私の脚はもはや痛みませんでした。私はこの期間を通じてよ
く眠れました。
私はアマルガム除去のおかげで私の健康が回復したことを納得しましたが、ビタミ
ン療法と解毒の重要性をまだ理解していませんでした。私はあまり気分が良かったの
で、夫と私は子供を生むことにしました。私は妊娠に問題はありませんでしたが、不
幸なことに妊娠11週目で2番目の子を自然流産しました。私が水銀の身体に及ぼす影響
を十分に確信していましたので、胎児の水銀濃度を検査して欲しいと依頼しました。
検査の結果水銀濃度は正常値の4倍の濃度を示していました。私は水銀とその他の重金
属が私が考えているよりもっと危険であることを認識しました。
この時点で私は水銀の問題をより深く調べようと決めました。私はすぐ毎日ビタミ
ンCを摂取し始めましたが、痒みが始まりました。今や私は水銀が皮膚を通って身体か
ら出て行こうとしていることを理解しました。私はビタミンCを飲み続け、それから私
が本当に良くなっていくのを実感しました。私の活力水準は過去20年間私が経験した
ことがない位に高まっていました。
今日現在私にはMSの症状は殆んどありません。ホルモンのアンバランスと同様に私
の異常過敏性大腸は劇的に良くなりました。私はよく眠ることができ、活力水準もか
つてなく高くなっています。脚の痛みと活力不足は過去の記憶になりました。私は毒
素を体外排出して、次の子供を出産しました。私の2番目の娘の出産3ヵ月後に3番目の
娘を妊娠しました。解毒は本当に有益でした。私は私の回復に手を貸してくれた人々
のために毎日神に感謝しています。私は私の体験記を読んだ人がその人自身の問題に
答を見出し、そして詰め物を取り替えて貰う気持ちになることだけを希望しています。
6.多発性硬化症(MS)
マリール・フェイヒー
もしあなたが最近の健康についての革命的進歩に関心をお持ちなら、多分あなたは
アマルガム詰め物と水銀中毒の間の相関関係について聞いたことがあるでしょう。そ
れがあなたとどんな関係があるのか知りませんが、私はそれが如何に私に悪影響を及
ぼしたかを知っています。
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 28
長年にわたる不健康と激しい神経痛、麻痺から視力、聴力、運動機能低下に至る一
連の症状をもとに私は多発性硬化症(MS)に罹っていると診断されました。この診断
は異なる地方からやって来た2人の専門医が血液検査、脊髄穿刺そしてその他の広範囲
にわたる検査の結果下されました。私は20才でした。
病気の経過の予測:私の余命は3年から9年でした。医師達は病状が進んでいたので、
回復の可能性は殆んどないという点で一致していました。私はしわがあるからといっ
て30回目の誕生日をひどく恐れる人々は少しばかだと決め付けることにしました。
子供を生むことも論外でした。最初私はベッドに横たわりながら従順な肢体不自由
者のように振舞っていました。私に何ができるでしょうか。この時点で私はベッドか
車椅子の生活を余儀なくされていました。私のハイヒールとスニーカーは使われない
でクローゼットにしまわれていました。
いつか小さい「なぜ」という疑問が私の頭の中で大きな叫びになって行きましたが、
鳴り響く「ノー」
(辛抱できない)という声で置きかえられました。私は手に入るあら
ゆる資料に目を通しました。食事療法、アレルギー、禅、積極的思考、工学(これは
冗談です)等々。私は初めて脊柱指圧療法師(カイロプラクター)に会いました。彼
は私に肉体、精神、そして霊魂を統合する総合的健康の考えを教えてくれました。今
や確固として前進しています。
その後病状は安定期に入りました。この時私は十分健康になり、挫折することもあ
りませんでした。車椅子はクローゼットに保管されており、私は新しい靴を買おうと
していました。しかし、医師の診察室以外のところに靴を履いて行けるほど元気にな
りたいと思いました。
とうとう私は水銀中毒がMSとその他の変形性(変性性)の病気と関係しているとい
う新しい情報を耳にしました。その毒は銀のアマルガム歯科用詰め物に含まれており、
身体組織に入ることができます。この症例の場合私の身体組織です。私は十分に単純
に思えた蛇毒治療法を除いてあらゆる治療を試みました。
まず、私は中毒検査を受けました。その結果ははっきりしたものでした。私は最初
の診察を受けました。私の治療は1月間(私は大きい詰め物を詰めていました)で終り
ました。何時間か後私はトラックにぶつけられたように感じました。
私は詰め物の除去の後積極的思考の訓練の一環として3週間にわたるここ数年間で
初めての旅行を計画しました。驚きの連続でした。私は飛行機に乗りました。旅行中
午前2-3時まで私はニューヨークを徒歩で歩き回りました。私のアレルギー反応はな
くなっていたので、私は何の反応(10ポンドの体重増加を除いて)もなしに何でも食
べたいものを食べました。最後に大事なことを、私は靴を5足買いました。
次の1年間に信じられない位回復しました。2年前の今日私は自然分娩で娘を生み、
ダイニングルームのテーブルで1時間後にピザを食べ、翌日洗濯をしました。いいえ。
私は奇跡の女性ではなく、感謝している女性です。
そして、ところで、私の誕生日を祝って下さい。私は丁度30才になりました。
幸せな人生を奪い去る水銀 - 29
第3章 体
験 記
7.頭 痛
キャロリン・スミス
私が小学校の時経験した頭痛は初めは「銀の」詰め物が詰められた後すぐに始まり
ました。続いて生理不順が起きました。私は自分の免疫機能が次第に低下したのは強
力な生物学的毒-水銀のせいにしています。
セラミックの歯冠に融合したニッケルを入れていることは中毒の原因としては限り
なく水銀に近いものかも知れません。アマルガムの詰め物の上に入れられた追加的な
金冠で私の口は私がここで表現できない程の精神的大破壊を創り上げる潜在的な電流
を持っていました。
1988年に私はアマルガムを取り替えて貰いました。当初は私の症状ははるかに悪か
ったのですが、2、3ヵ月後に私は良くなり始めました。しかしながら、私はアマルガム
に代る材料として使用されたコンポジット―ヘリオモラーにすぐ悪い反応を示しまし
た。
1989年にそのコンポジットはガラスのイオノマー、フギII(セラミックや金よりは
るかに割安)に取り替えられました。24時間以内に効果がありました。私の関節炎と
炎症は1ヵ月で治りました。
より良い健康を求めてきた私の40年を振り返ると、病気を引き起こしていた歯の中
の水銀の詰め物が唯一最大の要因であるということが私の結論です。私は健康問題の
いくつかの原因に気付いている幸運な人々の1人です。私は医療関係者の前には大きい
挑戦があると信じています。
私のような人々は何年にもわたって標準的な医療実務の裂け目に落ち込んでいます。
食べ物アレルギーと重金属中毒は私の親と私が1940年代と1950年代に答を求めていた
潜在的な健康問題として聞こえないだろうということは理解できますが、しかしこの
30年間で私たちは問題解決にどこまで本当に近づいてきたのでしょうか。
今私の関心はどんどん増えているアルツハイマー病と精神分裂病を含む治療不可能
の脳の病気に罹っているとされている人々が、必要もないのに、裂け目に落ち込んで
いることです。
私が金属、化学物質、食品アレルギー、そして酵母菌(カンジダ菌)の繁茂のよう
ないくつかの新しい分野を調べることによって救われることができるかも知れない
「治療不能」として診断された人々がいることを確信しています。
私は私の個人的体験記を読んでたった1人でも自分自身の健康問題への答を追い求
め、そして、見出すように力付けられることを希望しています。さらにより多くの医
師が環境問題に気付くようになるにつれて近い将来この情報が一般常識になることが
私の希望です。
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 30
8.疲労・大腸炎
フィル・マーチンソン
もしも私がかかりつけの医師のいうことを聞いていたら、私の(健康の諸問題と結
びつけられた)大腸は無くなり、水銀の有毒性問題を解決していなかったでしょう。
水銀中毒は認識するのが難しいものです。あなたはその臭いを嗅ぐこともなく、見
ることもなく、執拗なそして認識可能の症状に気付くこともありません。
私の症例では、私は病気の間ずっと慢性疲労を経験し、アマルガムの取り外しの重
大な過程を経験しました。
私の症状の原因は20人の医師、歯科医達、そして専門家達によっても特定されませ
んでした。
この問題に対する私の医師の解決方法は私の大腸を除去し、25,000ドル(外科手術
が複雑であればもっと多く)請求することでした。私の大腸を除去することは水銀の
有毒性問題を解決せず、単に症状を取り除くだけであったでしょう。
より多くの医師と歯科医達が正直にかつ知識を持って現在入手できる研究と調査を
見るに従って、願わくはより多くの人々が水銀の有毒性の危険と身体に及ぼす影響に
ついて知識を持つようになって欲しいものです。
私の初めての健康問題は歯の治療直後の1985年に始まりました。次の6ヵ月私は活力
水準が変化していることに気付きました。私はいつも非常に活発で、定期的に運動し
ていたのに、活力不足になり、運動をしようという気力もなくなっていることに気付
きました。私は胃に痛みを覚え、1985年の秋には大腸炎に罹りました。私は食事2時間
後に強い痛みを感じていました。
それからアマルガムの詰め物が壊れて、私はそれを飲み込んでしまいました。
12月に私は突然潰瘍性大腸炎に襲われました。私の体重は1月で205ポンドから155ポ
ンドまで減少しました。私は内部出血し、食べ物は大腸を通り過ぎていたにすぎませ
ん。
私は食事療法とストレスを治療してくれる医師にかかり、各種の症状は1986年3月ま
でになくなりました。次の18ヵ月以上の期間私の大腸炎は急にひどくなったり、また
治ったりしました。1987年11月に私の大腸炎は完全になくなり、私は完治したと考え
ました。
その後1988年3月に私はネバダの辰砂(水銀鉱石)鉱山を売却するよう依頼されまし
た。私は水銀鉱石の周りに存在した健康阻害要因に気付かないで、3時間にわたり地下
鉱山を見て回りました。それは私が鉱山の中で経験した最悪のものでした。その時点
では私はまだ水銀と病気を全然関連付けていず、鉱石見本を自分の事務所に持ち帰り
さえしました。
1988年4月に私の大腸炎は再発し、そして加速度的に悪化し始めました。私はどんど
ん弱くなり、週毎に体重が減少しました。7月に私は病院の救急処置室に入れられまし
た。私の血圧は70/60で、脱水状態でした。私には静脈点滴管が挿入され、胃腸科医は
私の大腸炎を薬(静脈点滴管でステロイドが点滴され、後にプレドニゾンとアズルフ
ィディン錠剤に替りました)で治療し始めました。私は輸血のために入院しました。
幸せな人生を奪い去る水銀 - 31
第3章 体
験 記
担当医は大腸を除去することを勧めてくれました。私の入院中、ある友人がハル・
ハギンス口腔外科医著「あなたの頭にある毒物」を1冊くれました。この本を読んで私
は私の症状の多くは水銀中毒の症状に合致していることを発見しました。私は大腸を
手術して貰うことをやめ、退院しました。私は尿、毛髪、そして、血液見本をハギン
スの診療所に送り、私の身体の化学的数値を基本的なミネラル栄養補助食品、消化促
進剤やビタミンCを使って正常な状態に戻し始めました。私はアマルガム除去に通じて
いて、経験もある地元の歯科医によるアマルガム除去を開始しました。さらに、生体
化学と栄養治療を専門とする地元の診療所を訪れました。
最初のアマルガム除去の治療を受けたその週の内に私の大腸は良くなりました。私
は除去を続けて貰いました。そして、2ヵ月が過ぎると私の活力は戻り、私の体重は50
ポンド増えました。
私の健康問題が私の大腸に関係していたことから、大腸に多量のビタミンCを投与す
ることも勧められました。これにはアスコルビン酸ナトリウムビタミンCが使われまし
た。
加えて、私は2週間にわたって毎朝ティースプーン一杯のビタミンCナトリウムを水
に入れて服用しました。私は大腸内の細菌を増やすため乳酸菌栄養補助食品を服用し
続けています。
今や私には大腸炎の症状はなく、疲労感もなく、水銀を「除去する」目的で全身の
バランスを保ち続けるため少量ではあるが良質の栄養補助食品を摂取しています。
今私の健康状態は肉体的にも精神的にもすばらしく良く、私の体重も元の正常な状
態に戻りました。私の活力水準は非常に高くなりました。私は水銀や他の毒素を身体
から排出する方法を探し求めています。私が服用するミネラルとビタミンの栄養補助
食品は毛髪分析から得られた最新の生体化学数値に基づいています。私はフィルター
でろ過した水を飲んでいます。
私はアマルガムを除去したいと考えている人にどんな治療でもそれを始める前にあ
ちこちで治療費用の見積りを求め、治療手順を理解し、色々の意見を聞いて、たくさ
んの質問をするように忠告します。
この問題を理解して、あなたを治療できる医師、歯科医達、そして栄養学者達は少
数ですがいます。
9.うつ病
ジュード・セイス
今年は奇跡が起った年でした。
あなた方の多くは私のうつ病問題についてご存知です。でも、あなた方の大多数は
それが20年以上前に発病し、1970年代の終りから集中的な治療を受け、そして、治療
と頻繁なそして過重な薬物治療にも拘わらず病状は悪化し続けたことはご存知ありま
せん。この春私の病状はもはや生き続ける理由が見出せない程悪化しました。この時
プロザックを2年近く服用した後私はそれが原因で恐ろしい経験をしました。それは即
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 32
座に市場から引き上げられるべきものです。それは最初の4ヵ月から5ヵ月の間は私に
とって非常に有効でしたが、その後私は非常に悪い状態に巻き込まれました。では、
奇跡に行きましょう。
私の愛する母のおかげで、私は全人的医学の医師(ハーブ、ビタミン等による自然
治癒を信じている)に診て貰いました。彼は私を一目見て私がアレルギーを持ってい
ると見抜きました。私はそれを信じることができませんでした。しかし、最後の手段
(そしてママを喜ばせるため)として、私は数週間にわたって血液、尿、および唾液
の検査を受けました。結果はショッキングなものでした。私は50種類を超えるアレル
ギー(食べ物、殺虫剤、そして食べ物の防腐剤)があり、体内に過剰な銅、鉛、そし
てアルミニウムがあり、歯の中の詰め物からの水銀中毒の悪い症状がありました。そ
してまた「直流電気の活動」
(私の口中の金属の混合物、特に水銀詰め物の部分に触れ
ている金の歯冠。私のうつ病は私の最初の金の歯冠が入れられた数日後に始まりまし
た。)によって引き起こされた身体的な問題がありました。しかも私はたった一つのセ
ラミックの歯冠のニッケルの基礎部分に対しアレルギー反応を示しました。
最初にしたことは私の健康を取り戻し、また有毒な金属を取り除くのを助けるため
に栄養補助食品(ハーブ、ビタミン等々)を摂り始めることでした。また、私がアレ
ルギー・リストにあるすべての原因食品や物質を避けることでした。(例:缶詰製品―
防腐剤!)
私はそれが役立つとは信じていませんでしたが、突然48時間以内に数年間経験した
ことのない程気持ちが良くなったことに完全にショックを受け、感嘆しました。私は
処方されていた鎮静剤といくつかの抗うつ剤の服用をやめました。数日以内に私は常
習性の高いプロザックの服用をゆっくりとやめるプログラムを始めました。即座に私
の体重は減り始め、自分の感じた内面的な喜びを抑えきれない位気持ちが良くなりま
した。私は飛び立つ思いでした。次の課題は私の歯からすべての金属を取り外し、美
しい白いセラミック(7個の歯冠を含む)と置き替えて貰うことでした。
これらの単純な治療の結果は奇跡以外の何物でもありません!私は「本物の私」を
取り戻し、これまでの人生で一番幸せです。私は覚えている限り以前よりも10倍の活
力を持っています。私は何事にも積極的かつ熱心な態度を取るようになり、何の努力
もなしに私は75ポンド痩せました(私は260ポンドにまで膨れ上っていました)。私は
ずっと苦しんでいた不眠症にも悩まされることがなくなりました。
私は私の人生がまさに始まったばかりのように感じています。私は未来には私にと
って驚くべきまた魔法のような経験が待っていることを確信し、私は喜びで一杯であ
り、かって夢見ることさえなかったような人生に興奮しています。私がこのように信
じられないような素晴らしいお知らせを皆さんと共有できることは何という喜びでし
ょう。皆さん方の何人かは長い間私の消息を聞いていませんでした。また残りの人は
私が良くないときに元気であると信じるように私は誘導していました。すべては過去
の話になりました。-宇宙を見なさい、ジュードは健康になって帰って来ました。時
間があれば私に手紙を書くか、電話をして下さい。私は皆さんに今私が感じている幸
福がもたらされることを願っています。
深い愛を込めて
幸せな人生を奪い去る水銀 - 33
第3章 体
験 記
10.多発性硬化症
ダラス・パティー
神経科医は単調に言いました。
「あなたは多発性硬化症(MS)に罹っています。治療
方法はないし、完治することもありません。」私はショックのため黙って座りこみまし
た。私の疑いは確認されてしまいました。私はあの日1987年4月15日のことー税金と多
発性硬化症をよく覚えています。
MSは生産的な未来を楽しみにしている32才にとってきつい診断でした。MSのことを
考えると、車椅子、回復期の病院、および墓石の光景が私の心にネオンのようにぱっ
と浮かんで私の将来を素早く暗くしました。私は神経科医の言葉「治療方法はないし、
治癒することもありません」を受け入れられませんでした。「愛、医療そして奇跡」の
著者バーニー・スピーゲル博士が指摘しているように「医師の言葉は患者を殺すこと
ができる」
。伝統的な医療専門家が私を助けることができないからといって、他の所で
も救いがないということにはなりませんでした。私は同種療法(ホメオパシー)の実
践者に診て貰いました。彼女が最初に私に言った事は私の口から私を中毒にしている
銀のアマルガム詰め物を取り外して貰うようにということでした。私は非常に懐疑的
でした。もしアマルガム詰め物が有毒ならば何故歯科医達が未だにそれを歯に詰める
のでしょうか。アメリカ歯科医師会、アメリカ医師会、連邦食品医薬品管理局、そし
てラルフ・ネーダーはそのようなものを絶対に認める筈がありません。認めているの
でしょうか。
バーバラは私の健康は詰め物が取り除かれるまで改善されないであろうと説明しま
した。彼女は私のために特別の同種療法(ホメオパシー)の準備をし、酵素とB-l2注
射とともに厳格なアレルギー性のない酵母菌の入っていない食事を摂らせました。
彼女は私に注射を打ち、私に大量の蒸留された水を飲むように求め、それからの全
般的な治療方針を提供してくれました。おかげで私の健康は安定したものの、改善は
とてもゆっくりしたものでした。私は偶然の一致とは信じていませんが、アマルガム
除去の後に著しく回復したMSの犠牲者の体験記に神が私の注意を向け続けていたよう
に思えました。
1987年12月にお告げがあり、私は水銀詰め物の脅威の毒牙から救ってくれるサン・
ディエゴの水銀を使用しない歯科医を見つけ出しました。彼は除去作業の間私が水銀
蒸気に曝されるのを最少にする特別な配慮をしてくれました。その後私は毒素排出治
療を受けました。しかし十分に予防手段を取っていたにも拘らず私は恐るべき副作用
を被りました。
私は重症の不眠症になり、インフルエンザのような症状に罹りました。私のMSの症
状は悪化しました。こんな肉体的そして感情的な悩みを引き起こしているのは水銀で
あると知っていましたが、私はアマルガム除去は失敗であったかもしれないと訝しく
思いました。私は正しく、それは水銀でした。アマルガム除去後2ヵ月以内に私は疑い
なく回復していることを実感しました。
回復過程にはこう着状態もありましたが、脳の中の水銀の半減期は2l-27年である
ことを考えると、私の身体の素晴らしい反応は驚ろくべきものでした。しかし私の顕
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 34
著な回復はアメリカ医師会、アメリカ歯科医師会、そして米国多発性硬化症協会によ
ると偽薬効果(訳者代表注:新薬の効果を試すとき、薬と偽薬を同程度の同じ病気の
複数の患者に使用し、回復の状態を比較する。この時偽薬を使用された患者も症状が
改善することがあり、これを偽薬効果と呼びます。
)にすぎないものと定義されていま
す。私は私の改善が奇跡に他ならないものであると個人的に思っています。実際に私
の健康の回復は原因と影響の単純な因果関係の例として容易に説明できます。口から
知られた毒を取り除いて、健康になったにすぎません。それは偽薬効果ではなく、純
粋な真理であり、誰もが知っていなければならない常識です。
もしあなたがアマルガムの詰め物を詰めているなら、それは水銀を50%含んでおり、
アマルガムはしばしば歯冠の下や根管の中に隠されていることを認識しなさい。それ
らの詰め物は1日に24時間、1週間に7日、1年に52週間そして来る年も、来る年もあな
たの口中に居座り、もし助けが来なければ、墓場まであなたについていくでしょう。
今行動することで将来深刻な慢性の健康の問題で悩むことがないかも知れません。そ
れはあなたの選択の問題です。よく調べて、健康を守りなさい。
11.多発性硬化症
-
3年後
ダラス・パティー
私は水銀から解放されて3周年を祝いました。言い換えると1991年2月10日に私はア
マルガムから開放されました。私の口から毒を取り出すことにより、当初私の多発性
硬化症の症状は悪化したけれども、私の健康は著しく改善しました。
私はEDTA の毒素排出治療に非常に良く反応し、私が経験していたMSの症状の多くは
緩和しました。不幸にして私の家庭医は水銀の有毒性とEDTAの使用にはかなり懐疑的
だったので、彼はそれが利き始めたと思えたちょうどその時治療を中断しました。そ
の結果私の改善は途中で止められ、私はその後数年間毒素排出治療を受けていません。
この前の9月に、私はアマルガム除去以来最初のMSの悪化を経験しました。私はMS悪
化の日々は遠い昔のことであると正直信じていましたので、ショックを受け、失望し
そして非常に落胆しました。私の病気が悪化したので私は神経科医に診て貰い、脊髄
液の検査を受けました。私が重金属を調べるため脳脊髄液の検査をお願いしました。
結果は驚くべきことでした。検査した研究所の報告書では脊髄液中の水銀濃度の正常
値は0.1MCG/DL未満であるのに、私の水銀濃度は1.3MCG/DLでした。これは正常最高値
の13倍あります。私は「歯科および健康の事実」1988年3月号でMS患者の脊髄液の水銀
濃度は健康な人々に比べて8倍以上高いという記事を読みました。しかも私の水銀濃度
は13倍も高かったのです。そして私は3年間「アマルガムを詰め」ていなかったのです。
水銀だけが私の脳で泳ぎ、身体の中を循環している唯一の毒素ではありません。私の
脊髄液中では砒素濃度は正常値に比べて22倍まで高められていることが明らかになり
ました。それは通常0.05MCG/DLであるのに、私の砒素濃度は1.1MCG/DLもありました。
私が具合悪いのも不思議ではありません。それなのに私の神経科医は私がそれを要求
していなかったならば絶対に重金属検査をしようとしなかったでしょう。私は脊髄液
幸せな人生を奪い去る水銀 - 35
第3章 体
験 記
検査をお勧めしません。それはあまりにきつい検査方法であり、却ってあなたをもっ
と悪くしてしまいます。もしあなたが慢性的に病気であり、そして医師が腰椎を穿孔
するよう求めるようであれば、もしあなたがアマルガムの詰め物を詰めているか、詰
めていたことがある時、または、殺虫剤が自由に使われる農業地域で生活している時
は脊髄液中にある重金属、特に水銀を調べて貰うために分析して貰うことは十分価値
があるはずです。
私はまた殺虫剤、殺菌剤、そして他の農業用化学的生物除去剤が私の脊髄液が検査
対象とした他の重金属と共に砒素および多分水銀の疑わしい出所として疑っています。
私はサン・ホアキン・バレーの農業の中心地に住んでいます。そこでは居住者達に必
須のかつての健康的な環境中の食物、水、空気そして土壌を汚染しながら収穫機、ヘ
リコプターそしてスプレー式水遣り機が静かな春を邪魔しています。
あなたが効果的に戦うことができるように、あなたが何と戦っているか知りなさい。
重金属は体外に排出できますが、医師は患者が適切な措置を取ることができる前にま
ずその存在に気付いていなければなりません。そしてそれに関して脊髄液、血液そし
て尿の中に存在する重金属その他のものは臓器や組織に既に蓄積しているもののほん
の一部でしかないことを心に留めておかなければなりません。
あなたが将来重金属を調べるため脊髄液の検査をして貰ったら、どうかその結果を
DAMSにお知らせ下さい。私たちは興味を持っていますし、私たちは協力します。
12.多発性硬化症
シンシア・グリーン
6年という長い恐怖と恐れの後では私の体験記を短くすることは殆んど不可能です。
始まりは8年前のひどい頭痛と背中の痛みでした。多くの医師に診察して貰ったのに救
いがなく、私は痛みに耐えて生活することを学びました。次に視覚が私を悩ませ始め
ました。すべてのものがかすんで見え、次第に視界が薄暗くなって来ました。
再び医師は「あなたは年を取ってきていますし、視力は通常年をとると変わるもの
です」と言いました。私はその時たった22才だったので笑いました。それから間もな
く私は子宮切除術を受けなければなりませんでしたし、その他の問題はまだ続いてい
ました。
私たちはまさに問題が本当に手に負えなくなった1985年にヒューストンからルイジ
アナ州の開かれた田舎に転居して来たところでした。私は自動車で家に帰ろうとして、
行き過ぎたり、後戻りしたりして帰宅していました。それから私は物事を思い出すの
が困難になっているのに気付きました。
1986年の11月に突然本当の悪夢が始まりました。私は両方の脚が弱くて歩くことが
できず、バランスの問題、低体温、胃の不調、厳しい記憶喪失、無意識状態、抜け毛、
わずかな尿、等々・・・を経験しました。
何千ドルもかかった、おびただしい種類の検査そして多くの医師による診察の後に
私はアジア風邪から多発性硬化症までのすべてに罹っていると言われました。MRI検査
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 36
で中枢神経系障害と共に脳の病変そして一方の目が盲目であることが明らかになりま
した。私は原因も治療方法も知られていないから家に帰って、病気と一緒に生きてい
くことを学ぶようにと言われました。
私は答がある筈だと固く思い定めました。この恐ろしい悪夢への答を見出すために
必要なものは時間、忍耐そして神様でしょう。
続いて呼吸問題が始まり、実際に私の呼吸は止まりそうでした。ある時私は救命救
急室に飛び込まなければなりませんでした。そして再び時々MSで死ぬ人がいると聞き
ました。
私は病気の症状がひどすぎてもはや車を運転することも、買物をすることもできま
せんでした。私は車椅子を押して貰うことを断り、4年半の間杖を使って歩いていまし
た。私はここで降参したら、シンシア・グリーンは最後だろうと感じました。私の夫
は買い物、掃除そしてすべての私たちの通常の家計関係の仕事をしました。私の2人の
男の子達が助けを必要とした問題を私は理解することさえできないので、彼らの宿題
を助けて貰うために彼らはママに頼ることさえできませんでした。言うまでもなく、
私は杖を使って歩くゾンビ(死体)でした。
しかし、神様ありがとうございます。テレビ番組「60分」は水銀/アマルガムの問題
を取り上げ、私は最後の10分間それを見ました。このテレビ番組は私が水銀中毒につ
いて近くの図書館ですべての本を調べるように促しました。得られた情報は信じられ
ないものでした。
私が見つけた資料のすべてを伝統的な医療を行う医師のところに持って行き、彼の
前に並べました。彼はすべての資料と私の症状を調べた後頭をかきながらこう言いま
した。「お互い冷静になりましょう。しかし私はあなたがここに役立つ資料を持って来
てくれたと信じています。
」彼は尿検査を行いました。私たちを驚かせたことには、私
に付きまとっていた悪夢は終りに近づいていました。本当の診断は歯科用アマルガム
から来た水銀中毒でした。
私はコロラド州のDAMSに連絡しました。シャーリー・ブラウンはアマルガム取り外
しと解毒の間ずっと非常によく助けてくれました。私は彼女がしてくれたすべてのこ
とに私の暖かい感謝を表わし始めることはできませんでした。
6年間の厳しい病気が終って、私は一人で運転ができるようになり、私は1日中買い
物をすることができ、それでも決して疲れることはありません。私は杖なしに自力で
歩き、会話を楽しむことができます。私は自分で家事をすることができます。私は毎
朝全く新しい恩寵の日を迎えるために起きています。そして最も重要なことは夫と2人
の男の子達は以前より良い妻と母親を取り戻しました。最後に私は健康であり、悪夢
は去って行ったと言うことができます。
このことを私は神様、DAMSそしてシャーリー・ブラウンに感謝しています。
今私はこの隠れた秘密について他の人に知らせることで私のできるすべてのことを
しています。私はDAMSの支部を設立しています。あなた方の組織の一部分になること
は名誉なことです。
あなた方は私の人生を取り返してくれました。また、戦うに価する原因を見つけて
くれました。6年間私の人生のために戦った後も私を信じてくれました。アマルガムが
幸せな人生を奪い去る水銀 - 37
第3章 体
験 記
禁止されることを確かにする私の戦いのことを考えてくれました。もう一度私は心の
底からあなた方に感謝します。そして私は非常に、非常に一生懸命働くことを約束し
ます。
追伸:私はMSと診断された40代の女性に会いました。彼女のアマルガムは取り除かれ
ました。彼女は解毒過程にあり、症状は改善しています。彼女は私の所からたった30
マイルの所に住んでおり、解毒が終ったならば彼女は一緒に人の助けになることをし
たいと言っています。
13.狼瘡(皮膚結核)
ミッチェル・ハンディ
1983年に私は全身性狼瘡と診断されました。私が以前11年間経験していた関節の痛
みは段々と悪くなっていて、私は胸痛と極端な疲労に苦しんでいました。
私は1985年にツーソンに引っ越しました。毎年夏が過ぎる度に私の病気はもっと悪
化しました。私の活力水準は落ち、私は上腕の強さを失ない始めました。私はもはや
ソフトボールもできず、フリスビーを投げることもできませんでした。
1989年2月に発疹が始まりました。その後数ヶ月も経たないうちに発疹は私の全身の
80%に及びました。私の内科医と皮膚科医は抗ヒスタミン剤、抗不安薬そしてコルチゾ
ンの注射の処方箋を出してくれました。でも、どの薬も何の効果もありませんでした。
発疹と共に、私は関節の痛み、極端な疲労、リンパ腺の腫れ、厳しい吐き気、痙攣
性の大腸炎または慢性の便秘、失禁、脚下部の痙攣、レイノード現象(四肢先端部の
麻痺または手足の冷え)
、胸痛、動悸、感染症なしの喉の痛み、赤い目、シェーグレン
症候群(乾いた目=ドライアイ)、血管炎(手の痛いただれと水泡)、胸膜炎、輝所恐
怖症にまでなった光感受性、口のただれ、極端な抜け毛、過度の汗、右後頭部の頭痛、
上腕の厳しい筋肉の弱さ、呼吸困難、歩行困難(左足制御不能)、時折の会話の不明瞭
さ、記憶喪失、失語症(単語が出ない)そしてうつ病に悩まされました。
失語症は非常に恐ろしいものでした。私は何かを見ることができ、それが何かを認
識し、でも口から単語を出すことができませんでした。私は当座預金の残高を適切に
管理することができず、買い物の一覧表を作ることもできませんでした。これらすべ
ての結果、私は1日に4時間から10時間位泣く程落ち込んだ状態になりました。私は全
然働きのない大人になりました。
1990年7月に私の口の右側の臼歯が壊れて、アマルガムを大きくさらすことになりま
した。5日後私は救急処置室に受け入れられました。私の腕は麻痺し、私は身を切られ
るような痛みを経験しました。この時点で私の医師は私の歯の何か、多分虫歯が原因
ではないかと疑いました。
私の子供達と私が義母の世話になっていた間に、私は彼女のかかりつけの歯科医に
診て貰いました。彼は粗いアマルガムを削り、また壊れた歯に臨時のキャップを取り
付けました。彼は私には悪い歯も虫歯もありませんと言いました。次の朝私は喉が膨
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 38
れて呼吸することができませんでした。私は寒い早朝の空気の中に連れ出され、鎮ま
り、呼吸することができました。氷水は腫れの縮小の助けになりました。
それから、1991年に私の血圧は上り始め、そして、私は腎臓の病気である狼瘡ネフ
ローゼに罹っていると言われました。尿検査をして貰ったら、腎臓疾患を示していま
した。私の医師と私は化学療法と透析について話し合いました。その時私たちは低タ
ンパク質食事療法を試みることに決めました。当初腎臓痛は楽になりましたが、3ヵ月
で再び私の腎臓は機能を失いました。
7月に私は図書館からアレルギーに関する2冊の本を借り出しました。どちらの本も
一つの章は水銀中毒について書いてありました。私は私の症状と本に記載されている
症状の間に類似性があると信じることはできませんでした。私は図書館に行き、水銀
中毒に関する本を借り出しました。その本を読み終えるまでに私は私が水銀中毒であ
ることに気付きました。私はエンプロイー・デンタル・サービスに電話をしたところ、
アマルガムを使用しない歯科医を勧めてくれました。私の健康状態はこの上なく悪か
ったのでこの歯科医はコロラド・スプリングスのハギンス診断センターに紹介してく
れ、同センターはここツーソンの歯科医を勧めてくれました。
私は5個のアマルガムの詰め物を詰めていました。2個は8月15日にそして残りの3個
は8月l9日に取り外されました。その後1ヵ月半以内に私が以前から毎日飲むよう処方
されていた7種類の薬はすべて不要になりました。その内の何種類かは私が何年も飲ん
でいた薬でした。それらはサルサレート(抗炎症剤)
、プレドニゾン・コルチゾン、プ
ラクェニル(抗マラリア剤)、タガメント(抗ヒスタミン剤)、ハイドロキシジン(抗
不安剤)、トラゾドン(抗うつ剤)
、カラン(高血圧)でした。
私の活力水準は信じられないほど高くなりました。私には何の痛みもありません。
私は夜眠ることができます。私の目はより良く感じます。死ぬかも知れないという感
じは取り除かれました。関節の痛み、腎臓の痛み、胸痛もなくなりました。これまで
ずっと100あった私の心拍数は今は76になりました。薬物治療中の私の血圧は145/95で
したが、今それは110/76になっています。私は子供達を抱き上げることができます。
私は数マイル歩くことができます。私の足裏の死んだ皮膚の分厚い層はなくなりまし
た。私はこの3年間で初めて太陽の輝く戸外に出ることができます。私はこの8年間で
初めて毎日の便通があります。そしてこの20年間で初めて私の手には痛みがありませ
ん。
私はアマルガムを取り外すことによって、より健康になることを望んでいました。
私はこれまでこんなに元気に感じるであろうとは夢にも思いませんでした。
14.消化不良・化学物質過敏症
マータ・ソネンブリック
親愛なるC先生
1987年2月に私の金の歯冠の上にあなたが新しいアマルガムを詰めたのは残酷な実
験でした。
それ以来私の人生は悪夢となりました。あなたは1984年に私の最初のアマルガムの
幸せな人生を奪い去る水銀 - 39
第3章 体
験 記
除去を必要とした水銀のパッチテストに対する私の恐怖の反応に十分気付いていた筈
です。その時私はアマルガム除去に特化した他の歯科医にかえていましたが、満足で
きない彼の治療を見て私は再び歯の治療のためあなたのところで治療を受けることに
しました。私はあなたが私の極端な水銀に対する過敏性について知っていたのであな
たを信用していました。私はあなたが私に告げないで更に多くのアマルガムを詰めた
とは信じられません。
3年間私は水銀が私の口の中で蒸発していることに気付きませんでした。そのアマル
ガムは貴金属に触れていたので、水銀はもっと揮発性になっていました。その結果私
の健康は完全に損なわれました。
あなたの残酷な治療を受けた数日後私はエル・カミノ病院に入院許可されました。
私の心臓は非常に早く脈打っていたので、脈拍数は数えることができませんでした。
私は激しく震え、吐き気を催し、そして頭の上に恐ろしい圧力を感じていました。今
私は私の反応が急性水銀中毒の教科書記載例であったと知っています。
内科医は病的興奮状態だとして私を簡単に片付けました。私が離婚手続き中である
と明らかにしてからは特にそうでした。
それから後は私の健康は着実に下り坂になりました。私はひどい不眠症に苦しみま
した。私は極端に弱いか、興奮していました。私は決定を下すことができませんでし
た。私は生と死のいずれかを選ぶことさえできませんでした。私は大部分の人々が耐
えられるよりももっと不快な症状を持っていましたが、誰も原因を導き出すことがで
きませんでした。私は無数の内科医に診て貰い、多くのお金を費やし、そして多くの
あいまいな診断を受けました。でも、何の救いもありませんでした。
いくつかの診断は次のとおりです:自己免疫不全、血管炎、橋本病甲状腺炎、神経
障害、栄養失調、吸収不良、消化不良そして筋肉の萎縮症。私はまた化学物質過敏症
にもなりました。
私は以前は丈夫な身体を持ち、いつも陽気で精力的でしたが、今や私には希望がな
く、心配性で、絶望しか感じられません。私が自殺を図らなかったのは奇跡でした。
1989年に私はシリコン・バレーからカリフォルニア州の最北部に転居しました。私
は新しい歯科医を見つけました。彼は下右の奥の2本の歯の上にアマルガムがあり、そ
の1本には側面にアマルガムの詰め物があると最初の診察のとき告知してくれました。
私は歯科医の椅子に泣き崩れました。私は歯の掃除をして貰っていた時のあなたと私
の会話を思い出しました。その時あなたは私のアマルガムについて知っていましたが、
私は知りませんでした。あなたは15番の歯が化膿しているように思えると指摘しまし
た。私は「私の健康が急に悪くなっているのは多分私の歯が原因ではありませんか」
と言いましたが、あなたはきっぱりと否定して言いました。「いいえ、そうではありま
せん!」
アマルガムが発見された次の日に私はあなたの歯科医院に電話し、1987年2月に30番
と31番の詰め物についてあなたに尋ねました。あなたの補助者はあなたがその時アマ
ルガムを詰めたことを確認しました。
C先生、私はあなたが詰めた詰め物のぎーぎー鳴る音をはっきりと覚えています。私
はあなたが私の水銀過敏症について知っており、長年にわたり私たちの家庭歯科医で
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 40
あったので私は疑いませんでした。あなたを信用したことが私の人生における最大の
間違いであったということが分りました。
私の健康と私の仕事の能力は完全に失われていました。私は経済的に破綻しました。
私は病院で看護師として働こうと試みましたが、化学物質過敏症のため病院は耐えら
れないものでした。私は全人的な健康管理で学位を得ようと試みましたが、高速道路
通勤時の石油化学製品の煙霧はあまりに圧倒的であり、私の新聞用紙への過敏性は私
を勉強することから遠ざけました。私の循環器は非常に危うくなり、さらに3本の臼歯
が化膿し、抜かなければならなくなりました。
私はあなたが患者の良く示され、文書化された過敏症をそのように厚かましく無視
できたのが信じられません。あなたは私の弁護士の問い合せへの解答の中で私の水銀
過敏症に十分気付いていると認めさえしました。私の口にアマルガムを詰めたことを
否定し、誰か他の歯科医がそれをしたとの主張は全く恥知らずのものです。私は深く
面目を失わされ、恥をかかされ、激怒させられています。あなたの行為は単に間違っ
ているのみならず、公然とした暴行です。
1998年 後日談:
事件から10年たった今も一見有能で分別のある家庭歯科医がそのようなことを私に
したことが理解できません。悪ふざけの裏には悪意があったのでしょうか。誰かが私
を傷つけたければ、水銀で中毒にさせることは確かに完璧な戦略でした。多分推理作
家はこの物語からいくつかの良いアイデアを得ることができるでしょう。
私の弁護士は訴訟への関心を失って、それを取り下げました。不幸にして、私は余
りにも病気が悪過ぎて、代りの弁護士を探す気力もありませんでした。
水銀の取替えから始まった健康問題は慢性のものでした。私は毎日大量の栄養補助
食品そして抗酸化剤を摂取することによって対処しています。しかしながら、私は水
銀を使用する歯科から生き残った私たちが力を合わせて、私たちの子供達とその子孫
たちの健康を損なう崇りを止めるだろうと楽観的です。
15.不眠症・うつ病・流産
エヴリン・ジャーガル
私の不可思議な病気(後に水銀中毒と確認されました)は私の歯に大きい銀のアマ
ルガムを詰めて貰った後17才の夏に始まりました。夏休みの間に私は2週間にわたり便
秘を経験しました。その時は旅行が原因であると思っていましたが、それは古典的な
「詰め物による腸の不調」と呼ばれる症状でした。
私が上級生になった頃多くの人々は私の石膏の様な顔色について話していました。
私は後にこの古典的な症状が「水銀の輝き」と言われることを知りました。私はまた
偽分裂病の挿話を体験しました。私が経験したただ一回のものでした。
21才の時に私は夜の外気と多くの食べ物にアレルギーがあると診断され、甲状腺の
障害の治療を受けました。私は25才で結婚しましたが、1年以内に最初の流産を経験し
幸せな人生を奪い去る水銀 - 41
第3章 体
験 記
ました。次の15年間に私は9回の流産と死産を経験しました。2回の妊娠中ずっとベッ
ドに横たわっていることによって、私は2人の正常出産の男の子達を持ちました。私は
2人の男の子達は奇跡であると考えています。
私の最初の息子が生まれた(7番目の妊娠)1年後に、私の体重が約50ポンド減り、
両方の肺に肺炎を患い、死にそうになりました。医師は何が悪いのか見出せず、私は
精神科医達にまわされました。
私の主要な症状は不眠症、厳しい記憶喪失、臨床的うつ病、そして全身の消耗でし
た。私の脚は麻痺していて、私は毎日「局部的」な頭痛を持っていました。私の脳は
機能せず、私は1年間話しませんでした。最後に私はショック療法を半分ほど受けまし
た。そして2年後私は多くの療法の後に良くなったと思われました。おしゃべりは楽し
かったのですが、私の健康状態は良くなりませんでした。9ヵ月後私はそれまでにない
程の病気になりました。その後小さい銀の詰め物が詰められた後私の人生の中で最も
奇怪な出来事が起こりました。私の体重は5週間で92ポンド増えました。私が既に自殺
願望でなかったとしても、この体重増加は私をそのようにしたでしょう。
医師たちは私に様々な事を言いました。
「あなたは怠惰だ」、「狂っている」
、「心気症
だ」。ある医師は何か私に問題があると知って座りこんで泣きました。しかし彼はそれ
が何だったか知りませんでした。私は医療センターに送られましたが、まだ答は得ら
れませんでした。
約10年間私は医師の診察を断りました。彼らは助けにはなりませんでした。これは
友達が私を代替医療を行う医師に紹介してくれたときに変わりました。全人的なアプ
ローチをすることによって、私はより良くなりましたが、健康にはなりませんでした。
しかし、ついに恐怖の症状が戻って来ました。私はめまいを経験し、明らかな理由
なしに転倒し、骨折し、浮いている感じがし、震えが激しく1杯の水を持ち上げること
さえできず、私は壁の中に歩いて行くことさえしました。私の体重は再び制御できな
い位増加しました。現在私は水銀が新陳代謝を破壊していたと知っています。2年間私
は家をめったに出ることができませんでした。
最後に幸運が私の上に輝きました。私はネバダ州ラスベガスの一人のヨーロッパの
医師に診て貰いました。そして同種療法(ホメオパシー)を行う診療所と彼の素晴ら
しい配慮により私は銀のアマルガム詰め物を取り除いて貰いました。私の大きい銀の
アマルガム詰め物を取り除いたその日に私は帰宅しベッドに入りました。翌朝私は午
前7時に起きて、一日中ハミングしながら段々と元気になりました。私の活力水準は高
揚しました。私の夫はこの変化を信じることができませんでした。彼は午後11時に私
を止めさせました。もちろんなじみのない、輝かしい活力の高揚は長続きしませんで
したが、次の6ヵ月で私の健康は徐々にほとんど普通の状態にまで改善しました。
私の最も強い悔恨は私の家族が、私が半分死んだような人生をさまよった35年間、
健康な妻と母を持っていなかったということです。私の息子は私が健康を回復する前
に家を出たので普通の母を持つことはどんなものか全然知りませんでした。親類の人
たちは私が怠けているか、または単に狂っていたと考えていました。
心の奥深く、私の真の核では、私の病気が引き起こした色々の損失に怒りが湧いて
きます。しかしながら、私は将来を見据え、過去を振り返らないことに決めています。
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 42
私はよく考え、自分にとって意味のある目標を立てます。今人生は甘く楽しいもので
す。そしてあの(病気の)残りさえなかったら、会話、会話も楽しいものでした。
16.筋肉の痙攣・頭痛・うつ病
エヴリン・ウィルソン
私は1989年1月に夫が多額の歯の治療費の保険金を貰ったことを素晴らしいことだ
と思いました。
私の歯科医は歯茎に沿って金のインレイの下に2つの大きい、新しい「銀のアマルガ
ム」詰め物を詰め、2つの大きい、古い銀の詰め物を取り除き、そして金の歯冠を取り
付けました。彼は他にいくつかの古い銀の詰め物を取り除いて、6つのコンポジットの
詰め物を詰めました。すべての治療は水銀汚染に対して何の防護措置も取らずに行わ
れました。
間もなく私は非常に疲労していると感じ始めました。私の夫と私は熱狂的な馬乗り
で、何年もの間若いアラブ種の馬を調教することを楽しみ、通常少なくとも1週間に
2度馬に乗りました。私は引退(約3年)まで同じペースを保つことができると思わず、
1週間に1回の乗馬に減らさないといけないと思いました。それさえ多すぎると見える
始まりでした。
それから、1989年4月下旬に私は交通事故に会い、首にけがを負いました。これは私
に激しい痛みを与え、治りませんでした。これが疲労、筋肉のきつさと痛み、
「トラウ
マ」の関節炎、顎関節症、ドライアイ、慢性の頭痛そして背中の痛みを悪化させまし
た。
1990年10月に顎関節症の治療の9ヵ月後に顎関節症専門家は噛み合わせ治療を行い
ました。これは2回にわたり歯の表面を削り、歯の噛み合わせを適切にするように行わ
れました。最初の治療は約45分そして第二回目の治療は約30分続きました。私は口に
15個の大きい銀の詰め物を詰めていましたが、水銀のような有毒な金属がこれらの詰
め物に50%も含まれていることは知りませんでした。
歯科医達は私に一回のうがいさえさせずに治療しました。そのようにして、私は水
銀を含んだ歯から削られたすべての破片を飲み込んでしまいました。
私はそれ以来下り坂を駆け降りるように健康を害しましたが、その原因については
何の手がかりもありませんでした。私には厳しい消耗、混乱状態が出て来て、考える
ことも集中することもできず、私の首は非常に痛く、顎も同じ状態でした。私には頭
痛、極端な身体の緊張そして慢性の筋肉の痙攣がありました。私は非常にいらいらし
やすく、時には気持ちが動揺しました。私には心配、うつ病、顔と他の筋肉のひきつ
り、脚の痙攣、そして、波になって上向きに「流れ出る」ようで夜には睡眠を妨げ、
私を狂気にする不可思議な胃腸の痙攣がありました。
私の目は非常に乾燥したので、朝目を開けるのに数分かかりました。私の体温は慢
性的に低く、私の手はいつも冷たく、そして時々麻痺しました。私の米国医師会型の
医師は私を精神センターに委ねました。
幸せな人生を奪い去る水銀 - 43
第3章 体
験 記
これらすべてのため私は1991年1月の中ごろに早期退職しました。1990年12月に私は
歯科用水銀に関するテレビ番組「60分」を見て、私はどうすれば良いのかを決めるた
めに情報を集め始めました。私は加速的に悪くなり、死にかけているのではないかと
感じました。
約2月間私は毎朝目覚めたことと、まだ生きていると分ったことに驚いていました。
私は効果は分りませんが水銀の詰め物を除去してもらう選択肢しかないと感じました。
1991年2月に、私の水銀詰め物がすべて取り除かれ、そして私は徐々に回復し始めま
した。
回復はこれまで非常に遅かったのですが、同種療法(ホメオパシー)の医師と栄養
学者に助けられ、私は多くのがっかりする後退を伴う遅く、漸進的な回復をしていま
す。私は治りにくいカンジダ症と吸収不良症候群に罹っています。私は何を食べるか
非常に気をつけ、有毒な空気を理由として私は殆んどの店そして建物を避けています。
(この問題に関するより詳細な情報はシェリー・ロジャーズ医学博士著「疲れか、毒
か」を読んで下さい。
)
私は水銀アマルガム問題の唯一の解決方法はDAMSグループが勝ち取ろうとしている
インフォームド・コンセント法であると感じています。現在時点でアメリカ歯科医師
会が水銀の詰め物を詰めるべきではない(訳者代表注:アレルギーや中毒のため)と
同意している全人口の1%の人々でさえ守られていません。どうして守られていないの
でしょうか。アメリカ歯科医師会が水銀中毒は起こらないと言っているだけで、何故
医師は私たちが水銀中毒にならないといまだに私たちに言い続けているのでしょうか。
何故医師は中毒に罹った人々に対する適切な治療を拒否し、その代り「あなたの頭の
中にすべての原因がある」と述べているのでしょうか。何故アメリカ食品医薬品管理
局は水銀の詰め物に反対する立場を取らず、その代りさらなる調査を勧めることによ
って待ちの一手を決め込んでいるのでしょうか。
歯科用水銀に不利な証拠は科学的にもまた経験的にも圧倒的にたくさん存在してい
ます。私はこの悲劇が早く是正されることを祈っています。私たちが病気でなくなり、
経験的なもの(科学的に解明されていないもの=水銀)がもとで死ぬこともなくなっ
たのはずっと前の筈でした。
17.神経性食欲不振
サトゥ・アーレイ
1987までにたった30才で私は死の淵に近づいていました。私の身体的、精神的健康
状態は最悪でした。
何年もの間私は様々な症状に苦しんでいました。私はものを見る時焦点を合わせる
のに問題がありました。目は痒く、砂が入っているように感じ、充血していました。
私の耳から液体の耳垢が流れ出て、私はパチパチ音やパチンという音を聞きました
(耳鳴り)
。私の医師は私の胸痛をストレスのせいにしていました。何回も喉の感染症
に罹った後で、遂に私の扁桃腺が取り除かれました。私にはまた胃にも問題がありま
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 44
した。1970年に私は神経性食欲不振に罹っていると診断されました。私はホルモン異
常のため3年間生理がありませんでした。パニックの発作と非常に強い心配性はいつも
ありました。私は病気のように感じるのが成長する普通の状態だと思っていました。
私はいつも医師に診て貰うこと、自助努力をすること、そして、健康食品の製品を
使うことを繰り返していました。私は断食、運動、特別食、ヨガ、瞑想さえ試みまし
た。そして私は絶望したとき、神様にもう一日生きることができるように助けを求め
てお祈りしましたが、症状は続きました。
1987年に私は極端に疲れきっていると感じ始めました。すべての筋肉が痛みました。
医師は私に関節の痛みに対して関節炎の薬を処方しました。
最初私は私を亡き骸のようにしたのは私の仕事、子供達、または夜間学校だと思っ
ていました。私は忘れっぽくなって、それからどもり始めました。時には私は私自身
の電話番号を忘れ、私がその前日に何をしたかも思い出せませんでした。次に私は癌
か何か命にかかわる病気に罹っていると考え始めました。私は仕事を辞めました。
翌年私は暗い部屋(光が私の目を煩わせました)でベッドの中で過ごしました。私
は触れられたり、動いたり、誰かに話すことを望みませんでした。私は「素晴らしい
母親」になろうとがんばって来たストレスによってそうなったと推理していましたが、
私は休息すればする程疲れました。私は手が震え、そして手足が時折ねじれることに
気付きました。私の社会的生活は恐ろしいものになり、私の結婚は排水管を滑り降り
ていました。
私は短気で、いらいらしやすくなって、些細な理由で切れてしまいました。私はい
つも他人とあらゆる物から距離を取る必要がありました。
私は夜たくさんよだれをたらし、歯茎が出血し、水泡ができたり、不快な息をした
りするにも拘わらず、私の優れない健康の理由が歯であることはまったく私には思い
浮かびませんでした。
それから1987年に私は慢性のうつ病に罹っていると診断され、
「会話療法」と共に抗
うつ剤と抗心配性剤を投与されました。忘れっぽさ、分離感、疲労そして体重減少は
うつ病の主要な症状であると言われました。私はこの診断を聞いて幾分かは救われま
した。少なくとも私は診断を受けました。私は米国には1000万人の人々がうつ病に罹
っており、それは治療可能であるから心配しないようにと言われました。私は私の全
人生、過去そして現在を分析して、ストレスの原因を導き出さなければなりませんで
した。
私には確かに落ち込む理由のリスト-未払いの医療費の請求書、無情な結婚、労働
不能、社会的な生活の欠如、逆転した家事-がありました。カウンセリング療法は何
千ドルもの費用がかかり、そしてさらなる混乱が引き起こされました。ある時私は療
法士に私の身体が酔っているように感じると言ったところ、私が落ち込んでいるのみ
ならず精神病に罹っていると言われました。私の状態は改善しませんでした。私のす
べての症状は悪化し、私はリストに朝の下痢を加えることができました。私は遅かれ
早かれ麻痺すると感じました。次に私は自殺願望になりました。私は私の状態を理性
的に取り扱うことができませんでした。そして私は経済的に医師の診察を受けること
ができませんでした。
幸せな人生を奪い去る水銀 - 45
第3章 体
験 記
私を助けてくれる物は何もありませんでした。私はいつも歯を良く手入れしており、
虫歯がないことを確かめていました。私は歯に合計11個のアマルガムの詰め物を詰め
ていました。多くの詰め物は単に輝いていなかったために、数度詰め替えられていま
した。それからこの悲惨な状態の中で私はアマルガム/水銀の有毒性についての記事
を貰いました。如何に水銀が人々の人生に影響を及ぼしていたかについてのいくつか
の物語が書かれていました。その後私は水銀の有毒性についてできるだけ探しました。
私の最初のステップはごみ入れに私のプロザックを投げ捨てることでした。何名かの
医師は私が水銀の有毒性を疑っていると説明した時私を断りました。4人の歯科医が私
のアマルガムを取り除くことを断りました。フィンランドの私の母を訪問している間
に私はすべてのアマルガムの詰め物をプラスチックとセラミックに取り替えて貰いま
した。この治療は大量の酸化防止剤を含む勧告された指針に厳密に従って行われまし
た。
この治療が終った後私は何年もの間で初めて心配がなくなりました。私の身体的な
症状は現在最低限であり、うつ病は治りました。現在歯の治療をしてからもう2年にな
り、私はもっと白い歯を持ち、毛髪の色は新しくなりました。
水銀の有毒性は非常に深刻な問題です。初めの段階では症状は非常に一般的であり、
人によって異なった種類の複数の症状を経験します。医師はこれまで慢性の水銀の有
毒性をよく知らず、診察の際その可能性を考慮しませんでした。病気の患者は遂には
水銀の有毒性の犠牲者にとっては正しい場所ではない精神科の病棟に入れられました。
もしあなたが慢性の水銀中毒に罹っているかもしれないと思うならば、もっと悪くな
るのを待ってはいけません。過去から現在までのあなたの症状すべてを書き留めなさ
い。何回も何回も考えなさい。もしあなたがそれであまりにも疲れ、疲労しても、ま
だ試みなさい。あなたの医師がそれを考慮しないのなら、他の医師を見出しなさい。
私は水銀の中毒に罹り、それを克服した人々に助けて貰いました。情報が欲しいと
きはDAMSのコーディネーター達に連絡しなさい。あなたは事実を知る権利を持ってい
ます。諦めてはいけません。
18.麻
痺
アンディ・ダッフィ
過去一年私の健康状態はかなり出来事の多いものでした。時には悪くなり、後には
改善しながら毎日良くなっています。
私の体験は1991年2月に実際に始まりました。その時1週間にわたり(そして15kメー
トルの競走を走った後2週間にわたり)私は脚の力と感覚を失い、腰から下が麻痺しま
した。3人の神経科医達に診て貰い、2回のMRI、CTスキャンそして脊髄穿刺を含む一連
の検査(すべては正常でした)を受けた病院での2週間の後私は何の病気にも罹ってい
ないとして退院させられました。医師は私に私が罹っていない病気を言うことができ
ましたが、彼らは私が確かに罹っていた病気は発見できませんでした。
次の数ヵ月間私は何とかうまく生きて行くことを試みることに費やしましたが、全
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 46
然良くなりませんでした。それから6月に私はいわゆる銀の詰め物から蒸発する水銀の
健康に与える悪影響の可能性についての段々大きくなる論争についての記事を読みま
した。私は心の中で思いました。「これが私が病気になったことと関連しているのでは
ないか?」何年にもわたって私は多数の詰め物、正確には25個を詰めていました。過
去、私が1991年2月に病気になるたった2月前の1990年12月に受けた歯科治療を含む数
回の歯科治療の後間もなく原因不明で病気に罹った事が何回もあることを思い出すこ
とができました。
私は情報を集め、本を読み、同じ道を通り抜けて来た人々と話をし、そして、この
ジグソーパズルにもっと多くのパーツ(断片)を加えるための検査をして貰うことに
よりこの問題を調査し始めました。でき上がった全体像は好奇心をそそると共に狼狽
させるものでした。
私は「銀の」詰め物は大部分が水銀(50%の水銀とたった28%の銀)であり、水銀が
絶えず詰め物から蒸発し、そして、何年か後には蓄積された水銀が健康、特に感覚神
経と免疫組織に影響を与えることを学びました。勉強をすればするほど、私は25個の
水銀の詰め物が私を病気にしていたのかもしれず、私が確実に知っている唯一の方法
はそれらを取り除いて貰って、何が起こるかを見ることだと余計に確信しました。
そのようにして1991年9月に私はコロラド・スプリングスの水銀の詰め物を注意深く
取り除くことを専門とする歯科医によって運営されている診療所に行きました。私は
25個すべてを取り除いて、生体適合する材料で置き替えて貰いました。
当初、そして数ヶ月の間私はもっともっと悪くなりました。私の以前からの症状が
すべて悪化し、いくつかの新しい症状が現れました。最も顕著なことは、私の言葉が
大幅に影響を受け、私は書くこともできず、私はひどい心の混乱「脳の霧」に苦しみ
ました。このように健康が悪化することは皮肉にも良い兆候でした。私の身体に蓄積
された水銀を投げ落としている兆候でした。あなたが定義するなら解毒でしょう。私
は2月に底を打つように見え、同種療法(ホメオパシー)、鍼療法、結腸の洗浄、ビタ
ミンCの大量服用、そして、自然食に重点をおいた健康志向の食事療法のような自然に
治癒する方法によってゆっくりとした、段階的な回復が始まりました。3月までに私は
トライアスロンの練習を始める程十分に良くなったと感じました。私は定期的に何歩
か走りながら4分の1マイルをゆっくり歩き始めました。最初は自転車も水泳も同じぐ
らい感動的なことでした。私がこれを書いている現在私は着々と3マイル走り、病気に
なる前よりも遠くへ、そして早く自転車で走りそして泳ぐようになりました。私は
1993年の4月に病気になって以来初めてレースに参加する計画を立てています。私はト
レーニングと競走に非常に用心深いアプローチを取っていますが、私の希望はいつか
アマルガム除去の前に私に可能であった最良の努力を超えることです。毒で一杯にな
った口により束縛されない今、私は青空が限界だと信じています。
先日誰かが私に「病気は贈り物だ」と言いました。私の最初の反応は「それは狂っ
ている。しばらくの間病気になって、そして、あなたがそれがどれ程の贈り物である
と考えるか見て御覧なさい」ということでした。だがそれを思案した後に私が思った
ところでは、「彼女は正しい」。私にとって病気は贈り物でした。病気それ自身ではな
く、もし私が病気になっていなければ多分起っていなかったであろう多くの良い事が
幸せな人生を奪い去る水銀 - 47
第3章 体
験 記
あったことです。これらすべての事に対し、私は本当に感謝しています。
後日談
私の健康状態は私がアマルガムを取り外して貰ってから着実に改善していました。
私には実際は怖いことでしたが、病気になることは私にこれまで起こったことの中で
本当に最良の事でした。
私は私の病気を人生の道における速度を低下させる障碍であったと見るようになり
ました。それは私の速度を低下させ(時にはそれは完全停止のように思えました)
、私
のいた道、それが導く場所、より良い生活に導く道をどうして選ぶことができるかを
考えさせました。私の今日の人生は私が病気であった時より良いだけではなく、私が
思いだせる限り、私が病気になる前のどの時よりも良いものです。次にこの一年間の
最大の出来事を書きます。4月に私は2年前病気になって以来最初のトライアスロンに
参加しました。この競技は1マイルの水泳、25マイルの自転車競技、そして6.2マイル
の競走から成っていました。私は以前このレースに3回参加しました。私の記録は2時
間48分、2時間47分と2時間43分でした。今年の私の記録は2時間32分でした。
5月から9月まで私は更に4回のトライアスロンに参加しました。毎回私は以前の最良
の記録を5-15%更新しました。それから10月に私はハーフ・アイアンマン・トライア
スロン(水泳1.2マイル、自転車56マイル、競走13.1マイル)を走ることにより私の回
復の重要な里程標の一つを通過しました。私は6年前の1987年にこの競技に参加しまし
た。私の記録は7時間26分でした。今年の記録は6時間15分で、1時間以上速いものでし
た。1年半前にはまだ杖をついて歩いていた者にしては悪くない成績です。
私はどのようにして健康を回復し、また私の身体を取り戻したのでしょうか。私の
歯から水銀の源を取り除くことと、私の身体から蓄積された水銀を洗い流す他に、私
は自然の自己治療方法を適用することを学び、野菜、果物そして穀物の自然食の健康
的な食事療法に変えました。もしあなたがあなたの身体に正しい食べ物と体内と体外
に健康な環境を与えるならば、例外なく奇跡の出現が決まりになる証明として、私は
微笑みながら生きています。
私の病気から生まれたたぶん最も大きい恩恵:今日私は夢の女性と婚約しました。
彼女の名前はシンディ・グランドです。彼女は私と同じようにより良い健康そして自
己改善に向けて同じ道筋を歩んでいます。彼女は私より速く走ることができ、私と一
緒に泳ぎ、私と自転車に乗って一緒に走れるトライアスロンの選手です。私のように、
彼女は船に乗ることがとても好きです。何にもまして彼女は中も外も美しいのです。
一つの事が明らかです。私は今一度病気を通り抜けるように願わないでしょうが、
私はもし結果として与えられる多くの素晴らしい恩恵について私が今知っていること
をその時知ったなら心臓がどきどきするでしょう。これらすべての事に対し私は本当
に感謝しています。
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 48
19.副鼻腔の問題
マージョリー・レンスグラフ
歯科用アマルガムの有毒性は本当のものです。私は実際に悪夢を切り抜けて生きて
来ました。
私はアマルガム詰め物のために厳しい水銀中毒に罹りました。私を襲った二つの最
も重い症状は口の中の燃えるような感覚とドライ・マウスでした。私は乾燥状態に対
処するために連続してガムを噛まなければなりませんでした。
私が患った他の症状は:乾いた鼻孔、副鼻腔問題、味覚変化、足とくるぶしの浮腫
と首のリンパ腺の腫れ。異常な症状は歯茎の上の青い刺青でした。もう一つの非常に
重要な問題は薬によって救われない厳しいうつ病でした。
私の健康を回復し、願わくはそれを維持しようという決心で私はたくさんの資料を
読み、国中の様々な組織の会員と話すことによって答を捜し続けました。
私の病気の原因が分った後に、私が必死に必要とした助けを得るまでに20人の歯科
医に診て貰いました。
私の解毒の計画表は栄養補助食品、EDTAによる毒素排出治療、厳格な食事療法、同
種療法(ホメオパシー)そして何回にも及ぶ結腸洗浄を含んでいました。私は一生懸
命解毒をし続けました。私の症状はうつ病、無感動、そしてドライマウスを除いてす
べて消えました。うつ病は確かに改善しましたが、問題であり続けました。
私はサム・クイーン著の「IV-C水銀解毒プログラム、患者のための指針」という本
で卵について読みました。生卵を食べるのは嫌なので、私は料理された卵を1日に4個
から6個食べ始めました。最後に、私は生卵を試みることに決めました。どうぞ私を信
じて下さい。これは効きました。
今日、私は私の健康問題を解決することを助けて下さった人達、特にサム・クイー
ンとサム・ジフに対する感謝で一杯です。
もしすべてのアマルガムを除去した後、無感動とうつ病を経験し続けるならば、私
は前述の本に述べられたところに従って生卵を食べることをお勧めします。生卵の利
点は危険をはるかに上回ります。実際のところ、この食養生は私には奇跡のように効
果がありました。
その後
3年前水銀が私の歯と歯茎から取り除かれた後に、私の健康はものすごく改善しまし
た。しかしながら、私は前歯に使用された金とセラミックのブリッジに違和感を持ち
続けました。私の唾液は減少し、私は口を楽にすることができませんでした。この状
況は私が殆んど理性を失う程悪化し続けました。
私は私たちのDAMSの会議で整骨療法医に会いました。彼は5年間痛かった歯の問題を
解決しました。彼は私の歯科医が私のブリッジの金属を切り取ることを示唆しました。
それはいくらかの救いになりましたが、ブリッジの中央部分が取り除かれた時に奇跡
が起こりました。私の唾液は増加し、そして今私はこの5年来で初めて口を楽にするこ
とができます。
幸せな人生を奪い去る水銀 - 49
第3章 体
験 記
多分私の経験は他の人を助けるでしょう。私の問題は電気と口の中央線をまたぐ金
属の他にもありました。上あご骨の運動を許さない非金属の堅いブリッジが主要な問
題だったのです。
ボーナスとして、私は何年もの間夢を見なかったのに、治療以来毎晩夢を見ていま
す。
私が一つの願いを持っているとすれば、私は私の医師と友人のように思慮深く、親
切心を持った人になりたいと望んでいます。彼らの助けと祈りが私の人生の特に恐怖
に満ちた時を通り抜けさせてくれました。私は非常に感謝しています。
20.感情的そして精神的障害
ビューラ・ブレイク(マーリーン・ブレイクの義母)
1992年8月私の義母は82才でした。過去数年の間メディケアと個人的に入った保険は
精神科の病院への何回かの30日間の診察に対し毎回平均l0,000ドル支払いました。
加えて、彼らは彼女が内科医院に毎週通院する費用と多くの薬物治療の費用を負担
しました。彼女の世話人として、言うまでもなく、私たちは何回もひどい経験をし、
彼女がものすごく負担になりました。
1988年3月に大きい銀のアマルガムを詰めた歯が壊れました。その詰め物はコンポジ
ットで置きかえられました。24時間以内に彼女の人格は変わり始めました。その違い
は余りにも劇的だったため、私たちは彼女の残りの2個のアマルガムの詰め物を取り替
えて貰うことに決めました。
彼女の歯の治療に500ドルもかかりませんでした。今彼女は1年に4回内科医に診て貰
う必要はありますが、薬は1日に一錠に減らされました。彼女の人生の質は向上し、そ
して、私たちの人生の質も同様です。
その500ドルの歯の治療費用は保険にもメディケアにも負担して貰えませんでした
が、それは保険会社と納税者の何万ドルものお金を節約しました。
21.慢性感染症
アリス・キトソン
4年もの間、アリス・キットソンは彼女自身の言う悪夢そのものから逃れるカギを求
めて、必死になって医師から医師へと渡り歩きました。
次から次へと感染症に罹り、若い彼女 -よちよち歩きの子もあるママ- の健康状態
は信じられないほど急降下しました。彼女は子供たちの世話もできなくなり、車の運
転もできず、仕事も辞めなければならなくなりました。36歳のアリスは、幾人かの医
師が示唆したように、これは全く「精神的なもの」の所為だと思い込んでいました。
しかし今は、彼女も彼女のかかりつけの医師も彼女の身体がごく少量の有毒な水銀
による中毒を起こしていたものと信じています。その水銀は彼女をはじめ1億から2億
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 50
人ものアメリカ人の口中の普通の虫歯の詰め物に含まれているのです。いわゆる銀ア
マルガムと称する詰め物は150年もの長きにわたって使用されていますが、これには
50%の水銀が含まれているのです。アリスは運転に自信が持てなくなり、職場への道
順さえも分らなくなったので、好きだったリハビリ施設のディレクターの仕事を辞め
なければならなかったのです。
「私は長椅子に横になっているばかりの無気力な人間だった」とアリスは言います。
幾人かの医師はストレスの所為にしましたが、彼女には副鼻腔炎があり、呼吸器の感
染症にたびたび罹ったため体力が衰えたのでした。「3年間も喉頭炎が続くなんて想像
できますか?」とアリスは言います。医師たちはアリスがエプスタイン・バーという
ヘルペス・ウイルスを持っているからだと考えていました。
抗生物質の連続投与はアリスの免疫力をさらに弱めました。彼女は全身を酵母菌に
よる感染症に侵され、85種類の食材を含む彼女の身辺にある殆んどのものにアレルギ
ー反応を引き起こしました。
アマルガムを取り除いた後、アリスは徐々に正常な生活を取り戻しつつあります。
彼女は再び運転ができるようになりましたが、まだ職場復帰は果たしていません。
彼女は香水やタバコの煙を避けなければなりませんが、もうアレルギーの注射はい
らなくなりました。彼女はいくつかの同種療法(ホメオパシー)が効果があることを
知りました。しかしまだ疲れ易い状態にあります。
「3年間、私は子供達に無気力ママであることを申し訳なく思っていました。私は以
前は悪い日やもっと悪い日ばかりだと言っていましたが、この頃は悪い日もあれば良
い日もあるのですよ。
」
22.子宮内膜症・アレルギー(多種類)
・頭痛
ジョハンナ・ウォリンスキー
無数の問題が私に子宮内膜症を発症させ、子宮摘出を余儀なくさせました。それか
ら身体の過敏性とアレルギーがひどくなりました。私には常に疲労感があり、長時間
の睡眠が必要でした。
私は1977年にやっと歯の治療をすることができました。18ヵ月にわたりいろんな処
方の治療を受けている間に、私は疲れきり、ぼんやりしてしまい、体重は減り、しば
しばパニック状態に陥りました。しかし、ジョン・ホプキンス病院では、それは私の
ビジネス経営の仕事に由来する極度の疲労だと言われました。彼らはまた、私の中枢
神経系に頭脳が機能障害を起こす化学物質があるとも言いました。彼らは私に抗うつ
剤を使用しましたが、私は良くなるどころか却って悪くなりました。
私はビジネスを売り払い2年間休養しましたが、その間には短い期間ですが体調が改
善された時期がありました。しかし、アレルギーと顎関節症は更にひどくなりました。
この時期に私は結婚しましたがストレスが増えて、臨床生態学者のいう「すべてのも
のに過剰に反応する体質者」になってしまいました。ということは、私はこの地球上
の殆んどすべての物に過敏であるということです。
私は実質的に無菌部屋で生活していましたし、基本的食事療法と殆んど変わらない
幸せな人生を奪い去る水銀 - 51
第3章 体
験 記
玄米食で我慢していました。私は極端に痩せ、弱くなり、殆んどいつも精神的に混乱
していました。
その後の5年間、夫と私は解決策を探しました。私はコロラド・スプリングスのハギ
ンス博士の実績を聞き、私の歯の銀のアマルガムを全部取り除いて貰おうと決心しま
した。1年足らず後に、この処置は学校を出たばかりの若い歯医者さんが慎重にやって
くれました。銀のアマルガムはコンポジットに取り替えられました。私は幾分良くな
ったように感じました。しかし、どんな金属も私の口中では問題があるということが
分るまで更に2年から3年かかりました。それで、私が7個すべての歯冠を一度に取り除
いて貰ったとき、私は歯医者さんの椅子に座っているうちに瞬く間に具合が良くなり
ました。まるで奇跡のように、私のずっと続いていた目の奥の頭痛がなくなったので
す。私は、非常に熱心な臨床生態学者の協力を得て、他の必要な治療を受けてよりよ
い健康を取り戻しました。私は今、私の口中のすべての金属が私の生命を脅かすもの
だったと確信しています。
23.声帯の麻痺
アイヴァン・ブランド
親愛なる医師と友人のみなさま
私は水銀が含まれている歯の詰め物は有害であると聞いたとき、多くの人々と同様、
その説に懐疑的でした。私には見たところでは固体である物質が水銀を放出させると
は思えませんでしたし、また広く一般に使用されている物質が有害であるとは信じら
れませんでした。もし皆さんが以前の私と同じようにお考えでしたら、私自身の個人
的体験を是非考慮してみてください。
3年から4年の間、私の声がだんだん弱くなって行く経験をしました。私は最初は気
管支炎か普通の風邪が声に影響しているのだろうと思いました。そのような状態は
時々改善されることがありましたが、だんだん悪い状態が例外でなく普通のことにな
ってしまいました。1997年にそのような症状が話すことにも実質的な妨げとなってき
て、私の心配は募りました。私はまた音域が低下していることにも気付きました。私
は訓練を積んだ歌手でしたがグループ以外では歌うことを諦めました。私は声帯にポ
リープか小結節でもできたのではないかと思い耳鼻咽喉科の医師を訪ねました。私は
「左声帯の顕著な真性の不全麻痺」と診断されました。この診断は私のためにビデオ
テープに撮ってありますが、私の素人目にも左の声帯が殆んど動かず、一方で右の声
帯がそれを補うように左の方に寄って動いているのがはっきり分りました。
この診断に引き続いて一連の診察、血液検査、CTスキャンを受けました。全身の神
経障害が神経科医によって発見されました。すべてのテストや診察が悪い結果を示し
ていました。私はこれ以上の処置はできないと言われ、言語療法士にかかるよう勧め
られました。私はこの話は断りました。私は自分の声の使い方について今更指導を受
ける必要を感じなかったからです。
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 52
私のこの症状は随分長く続いていましたので、私は他に原因があるに違いないと確
信していました。私はウイルスの感染が原因かもしれないが、もしそうなら治療法は
ないと聞きました。私はまたこの症状の原因は重金属の毒かもしれないとも聞きまし
たが、私は自分の職場や家庭の清潔な環境からしてそれはないだろうと思いました。
私はこれ以上の治療法はないという見解を受け入れることができませんでしたので、
他の原因の調査を始めました。私は以前に水銀の毒が麻痺や他の諸々の問題を起こし
ていると聞いていましたので、その「銀」歯アマルガム論争について調査を始めまし
た。私は見た目には固体の歯の詰め物から実際に水銀が漏れ出して、徐々に身体に蓄
積されて行くということを知りました。私は少なくともある人々には水銀が深刻な健
康破壊の原因になっていると確信するようになりました。この事実はなんと私の身近
なところに起こりました。私の姉妹の一人が病気にかかり頭痛、激痛、筋力低下、部
分的無感覚、震え、その他の症状が出たのです。彼女はメイヨー診療所を含む多くの
医師たちに診て貰いましたが、いずれの診断も処置も成功しませんでした。最後に、
彼女が歯の水銀アマルガムを除去したら彼女のひどい症状は殆んど消えてしまいまし
た。彼女のこの経験に加えて私の調査結果が私に最後の選択をさせました。それは歯
のアマルガム14個をすべて取り除くことでした。1997年10月、私のすべての歯の水銀
アマルガムは非金属物質に取り替えられました。私は、最初の診断以来このほかには
何の薬物治療も処置も受けませんでした。アマルガム除去2ヵ月後、私はメイヨーの、
今回の症状については前に診て貰っていない医師の診察を受ける予定を立てました。
この診察の後で、その医師が麻痺は見られなかったとコメントしたので驚きました。
彼に診て貰う前から私は声が力強くなってきたことに気付いてはいましたが、まだ水
銀中毒の可能性について懐疑的だったので、この報告を聞いてびっくりした訳です。
私は最初の診断が誤診だった可能性もあると思い、最初の診断を下した耳鼻咽喉科の
医師を再訪しようと決心しました。私が彼を再訪したとき、私は彼の診察に如何なる
先入観も与えたくなかったので、彼にはメイヨーの診断もアマルガムを取り除いたこ
とも言いませんでした。彼の最初のときの指示に従い、フォローアップ診察を受けに
来ましたと言っただけです。私は彼に私自身の眼で結果を見たいから喉頭鏡検査のビ
デオを撮って欲しいとお願いしました。喉頭鏡検査の後で、彼は殆んど正常に近い左
声帯を見て驚いたと言いました。私も自分自身でビデオを見て、容易に左声帯の正常
なことが分りました。左声帯が殆んど右と同じように動いていました。これは最初の
喉頭鏡検査の結果とは大きな違いでした。この時点で、私は彼に私が歯のアマルガム
を取り除いたこと、その他には何の治療も受けていないことを打ち明けました。彼は
歯の水銀アマルガムの影響についてはまだ論争があると指摘しました。にも拘らず彼
は私がアマルガム除去について話をしているとき非常に注意深く聞いてくれました。
この診察の結論として、彼は「あなたは私を信奉者に変えましたね」とコメントしま
した。私が、歯のアマルガム除去が私の症状の著しい改善の要因だったと最終的に確
信するに至ったのはこの時です。
上述のようなことは情況証拠にしか過ぎないという人がいるかも知れません。しか
し私はすべての事実を考慮に入れれば、たとえまだ確認されていない他の原因があっ
たとしても、それが原因である可能性は「私の左声帯の顕著な不全麻痺」の原因が水
幸せな人生を奪い去る水銀 - 53
第3章 体
験 記
銀アマルガムに発する水銀中毒である可能性に比べればはるかに弱いものであると確
信しています。
私の唯一つのあなた方へのお願いは、水銀アマルガムが人によっては深刻な神経障
害を引き起こす可能性があるということに偏見を持たないでほしいということです。
従来の医療検査で病因を明らかにできなかったら(私のケースのように)、可能性のあ
る原因として水銀アマルガムを考えてみてください。特にその患者が水銀が含まれて
いるアマルガムをいくつか持っている場合には。私は今日、多くの人々が水銀中毒に
よる深刻な、かつ身体能力を殺ぐような病気を持って暮らしていると思います。医療
界の主流におられるあなた方が彼らの難病の原因が水銀中毒である可能性があること
に留意されるだけでも、彼らの大きな助けとなり得ます。
ある人はアマルガム除去にはリスクが伴うと言うでしょう。しかし、そんな議論は
私や私の姉妹の一人のように耐えがたい状態から「彼女の人生を取り戻した」者にと
っては如何に空虚に聞こえるか想像してみてください。ある人々にとっては水銀アマ
ルガムを持ち続けるリスクが明らかに除去するリスクを上回っています。彼らの医師
の助けがなく、もし何の処置も取られないならば多くの人々が水銀の毒のために苦し
むことになるでしょう。
医師のみなさま、水銀中毒と同じ症状のあるあなた方の患者さんたちに、少なくと
も彼等の持っている銀アマルガムが病気の根源かも知れないと言っていただくことを
期待してもよろしいでしょうか?
24.多発性硬化症(MS)
ジョーン・シドニー
何週間もの雨と洪水が続いたあと、太陽が恥ずかしげに顔を出し、きらきらと輝い
てまた姿を隠しています。この小さな山村の窓から、私は霧が眼下のグルノーブルを
包み込んでゆくのを眺めています。今この時、私はここにいるだけで充分です。
私は「ル・ペロー」と呼ばれる小村に16年ぶりに帰ってきました。ここで奇跡は起
こったのでした。少しずつ、私は再び歩き始め、ジョッギングをし、スキーで15kmの
クロス・カントリーをしたのでした。
自然治癒ですって?多発性硬化症(MS)などあなたはご存じないでしょう。しかし、
フランスに滞在する今年、私はかつてないほど体調が良くなったと感じています。
7ヵ月前に、夫の安息年休暇を過ごすためにここに着いたとき、私は一人で医師の診
察台に上ることさえできませんでした。私は夫の首に腕をまわし、彼が「エレベータ
ー」代りに私を持ち上げてくれたのです。
車の乗降のときも夫が私の痙攣している脚を抱えて、急いで揺れ動く私を外に出し
てくれました。彼が家の掃除を全部やり、食料雑貨の買出しや私が予約しているお医
者さんへの送迎をしてくれました。その代り、私は料理をし、フランス式ディナー料
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 54
理の腕を上げるために、私たちの増え続けている仲間たちを招きました。
がっかりしたことには、フランスに来てから脂肪分の多いチーズ、申し分のないワ
イン、上品なソースがたっぷりかかった肉や魚のマルチ・コースの夕食を食べ過ぎ、
飲み過ぎて、かかりつけの医師から、もし私が不飽和多脂肪酸(冷間絞りのヴァージ
ンオイル)
、有機栽培穀物、果物、野菜、ナッツ類を豊富に摂取するクスミン式食事療
法をきっちり守っていたならもっと気分が良くなり、もっと自立できていたでしょう
にと言われたことでした。食事療法という犠牲を払う代償として、彼は何の保証もし
てくれませんでした。28年後に思うに、病気は安定するだろうということだけだった
と思います。
彼でさえ予言しませんでしたが、7ヵ月以内に私はここで一人で暮らしています。プ
ジョーを持っていて、これを運転し、週に2回午後に中学校の教壇に立っています。そ
して夫にもっとお金を送って欲しいと電話しています。
何が起こったかですって?多分それは全く偽薬の効果でしょう。ジェイン・ブロデ
ィはニューヨーク・タイムズ紙上でスティーブン・レインゴールド博士(多発性硬化
症協会の調査・医療プログラム担当の副会長)の言葉を引用しています。それは「多
発性硬化症には偽薬効果が強く出ます、非常に強くです。患者達は症状改善の希望を
持たせるようなものなら殆んど何にでも反応するのです」と言うのです。
私の症状改善はニューメキシコ州アルバカーキーのビル・ウォルフ博士のところで
アマルガムを除去して貰って間もなく始まりました。食事療法効果はほんのちょっぴ
りだったと思いますが、毎日私の腸が以前には無かったような動きをするのに気付き
ました。私は廃棄物を、全身を毒させずに、排出しているのです。
キャサリン・クスミン博士は癌、多発性硬化症、慢性多発性関節炎などの病気は現
代文明のもたらした変形的・変性的な病気という仮説を立てています。即ち私たちは
過去150年のうちに、不可欠であるビタミンやミネラルの乏しい精製に精製を重ねた食
品を導入することで、こっそりと深く私たちの食物を変えてしまったのです。クスミ
ン博士の40年にわたる調査が今日の精製された食品で育った世代が弱くなり続け変形
性・変性性疾病全般に罹りやすくなっていることを明らかに示しています。
フランスではクスミン博士の本は一般大衆には古典になっています。「多発性硬化症
は治る」、「あなたの身体を救いなさい」、「80才まで健啖で」などです。しかし現時点
で彼女の本はどれも英訳されていません。多分私が他の仕事で忙しいからでしょう。
信条は何かですって?私にとってそれはすべてのことが可能であると信じることで
す。
そして、私が窓から外の山々のパノラマと眼下に霧に包まれたグルノーブルを眺め
るとき、私の信念は強まります。私たちの日常生活から私たちは制限を設けます。私
たちは慣れ親しんだことから一歩外へ踏み出すことによってのみ、私たちはすべての
ことが可能であると認識し始めるのです。
幸せな人生を奪い去る水銀 - 55
第3章 体
験 記
原著編集者注記:
この体験記のご参考に、著者は彼女が完全回復をしたように暗示する積りはありませんでした。彼女の最後の症状
軽減は16年前でしたが、このことは編集者の不手際でこの本文の中では明らかになっておりません。この体験記が
書かれた時点では、彼女は顕著な症状改善を示していましたが決して「完治」した訳ではありません。彼女はまだ
動作の困難を経験しているけれども、病気は慢性的進行性になっていましたが、安定しています。彼女は症状は良
かったり悪かったりで改善は遅いと感じていますが、改善はしています。DAMSは編集の不手際でご迷惑をお掛
けしたことをお詫びします。
25.クローン氏病(限局性回腸炎)
マーリーン・ブレイク
1959年、19歳の時に私は毎月の生理が始まると同時に下痢をするようになりました。
下痢の発作は段々ひどくなりました。1984年まで、私は爆発的な液状便が1日に5回か
ら20回も出る、そんな日を少なくとも月に25日は経験していました。
1980年に私はクローン病と診断されました。私はクローン病について勉強し、私の
症状はクローン病には合致しないと医師に訴えました。彼は私に他の一連のひどく不
快な検査をし、炎症性腸疾患(IBD)だと告げました。
他の州に移り他の医師にかかり更に検査を受けました。私は自分の症状がクローン
病や炎症性腸疾患(IBD)と合致しないと信じていると言いましたので、私は今度は過
敏性腸症候群(IBS)と診断されました。「症候群」という語は大きな傘のような包括的
な語なので、私は異論を挟むことを諦め、苦痛と共存しながら生きて行かねばならな
いという現実を受け入れ始めました。医師たちはまた多発性硬化症や痙攣性斜頸の疑
いもあると考えていました。
私はクローン病、IBDやIBS用に通常に処方された薬物にひどく悪い副作用がありま
したので、結局は薬の助けを借りずに病気と向かい合わねばなりませんでした。私は
ストレスが原因かも知れないと言われましたが、私の日常生活を深く見直してみて、
私が持っているストレスは人前で「粗相」をするという大変現実的な恐れだけだとい
う結論に至りました。
私の体調は大変悪くなって、マネージメント・アナリストとしての職業を諦めねば
なりませんでした。私の人生への逆風は強烈でした。私は旅行にも行けず、夕食の招
待を受けることも恐れ、受けても楽屋裏で籠に一杯食料を詰め込んで貰い家に持ち帰
って食べました。言うならば私は「トイレの中」で暮らしていました。
それに加えて、私は極端な疲労、心臓の動悸、食道の痙攣、腎臓感染症、呼吸器感
染症、インフルエンザ、風邪、副鼻腔炎と花粉症、アレルギー、低体温、喉頭炎、脚
の筋力低下、筋肉の痙攣、しょっちゅう起きる鈍痛や疼痛、物忘れ、精神的混乱、意
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 56
の如く動かぬ身体などの症状に悩まされました。そして、うつ病がその醜い頭をもた
げてきました。私はいつも罪深いと思っていました。私の健康上の制約が夫と私を人
生の楽しみからも、殆んど何をすることからも遠ざけていました。私はこんな状態が
続けばついには夫を失うのではないかと恐れました。私自身が私と暮らすのが耐え難
いのに....まして彼は?
その後、1984年に私の娘がテレビのニュースでメリーランド州の小さなコミュニテ
ィのことを聞きました。そこでは地域中の人たちが病気に罹っていましたが、彼らはt
ついに彼らの水が水銀に汚染されていたことを知りました。その汚染が取り除かれる
と、地域の人々も健康を取り戻しました。伝えられた彼らの症状は私のものとよく似
ていました。そこで、私は水銀中毒に関する情報を政府印刷局、保健局、その他いく
つかの機関に請求しました。私がそれまでの人生の中で悩まされたすべての症状が水
銀中毒が引き起こす症状のリストに載っていました。でも、どうして私が水銀に冒さ
れたのでしょうか?
その後、1985年にアルバカーキーに転居してから私は歯の掃除をして貰いました。
その歯科医ビル・ウォルフ氏(当時は州でたった一人の水銀を使用しない歯科医でし
た)は私の口中には12個の銀アマルガム詰め物がありますと言い、これらのアマルガ
ムには重量で50%の水銀が含まれていることを説明している「患者さんへの手紙」を
くれました。信じられない!
私は水銀中毒の可能性について相談するために私の胃腸科の医師の診察予約を取り
ました。私が私の用件を話したとき、彼は立ち上がり私の周囲を歩き回りながら、
「そ
の歯医者はあなたのお金を狙っているだけですよ」と言いました。
この結果、私はもう誰一人はっきりと私の相談に乗ってくれないこと、私の生活は
文字通りトイレの中にあること、私の将来には事実上希望がないこと、何にもまして
私は「あの歯医者」が金儲けの方法を見つけたのだと知りました。もう少し調べた後
で(水銀問題に関する新発見はあまりありませんでしたが)私は失うべきものはお金
で、「あの歯医者」がその一部を取っても良いと決心しました。私は文献の中に、もし
あなたが水銀に過敏ならアマルガムは除去すべきであるという一般的テーマを見出し
ていました。数少ない診断のための検査の一つが水銀パッチテスト(お勧めしませ
ん)でした。水銀パッチテストを受けて20分後に、私の体温は下がり、血圧も下がり、
心拍数が落ち、質問に応じられなくなりました。その後48時間、私は大変落ち込んだ
状態で天井を見つめて過ごしました。私はアマルガムを除去する決心をしました。最
後のアマルガムが1985年12月6日に除去されました。私のすべての症状は直ちに止みま
した。その後2年間、私は次第に強さを取り戻しました。私は大人になってからの大半
が病気でしたので、感情的に「私は病気じゃない、健康なのだ!」と認識できるよう
になるまで暫らく時間がかかりました。
今1994年現在、私は53歳になりましたが私の20代のときよりずっと健康で活動的で
す。私の人生の質は素晴らしく、私の唯一の身体的制約は空洞(訳者代表注:歯を抜
いた後の空洞)によるものでこれは間もなく完全に治療されます。
私は正直に言います、私のこれまでの人生の90%にわたる健康問題は歯科の処置が
原因であったと。例えば、私は9歳の時に初めてアマルガムを詰めて貰いましたが、そ
幸せな人生を奪い去る水銀 - 57
第3章 体
験 記
のとき歯科医はお遊び用の水銀までくれました。
それから間もなく、私は喘息を発症しました。5年後にその歯が壊れ、抜歯されたら
喘息の発作は止まりました。
その後、年々続けて12個のアマルガムが詰められ、私は無数の、一見して無関係の
潜行性の肉体的、精神的、かつ情緒的問題を積み重ね始めましたが、アマルガム除去
後それらは消え去りました。
それから1990年に、私が大人になって初めて健康を楽しんでいたときに私は左の鼠
径部に痙攣と疼痛が出始めました。診断:骨関節炎、推奨:骨盤位置修正、処置:空
洞手術。
人々は至るところで毎日、私と同じような昨今の非科学的歯科処置によって引き起
こされた潜行性で進行性の健康問題に苦しんでいます。
一般大衆はいつまで歯科学の足許にじかに横たわっている荒廃に気付かずにおれる
のでしょうか?一般大衆は「歯科学における科学性」を要求しないで「歯科学の技
術」にいつまで寛容でいられるのでしょうか?
26.多発性硬化症(MS)
ルイーズ・ハーベック
歯のアマルガムの除去処置を受けるための励ましを求めている方々に、私の「地獄
歩き」の体験を提供します。それは私の、今はMSとしてよく知られている多発性硬化
症との闘いをお話しすることです。私は私の「病気」のために20年間もローラーコー
スターに乗っているような浮き沈みのある生活に耐えました。1985年にアマルガムを
除去した後、私は「回復者」になりました。私の顕著な「症状軽減」は自然治癒でも、
医師たちが私に信じ込ませようとした偽薬効果でもありません。自律神経の反応は、
これは誰も自分の意思や意識でコントロールできないものですが、正常に戻り、その
後ずっと正常を保っています。重要なことは、私だけがそうなったのではないという
ことです。私と同じような回復者が毎日増えているのです。
私の人生は5才のときに初めて水銀の詰め物を詰めたときからずっと軽い不快に悩
まされていました。殆んどの不快の訴えは貧血と過敏性甲状腺症を除いて、お医者さ
んたちから「成長期の痛み」だろうと片付けられました。その後10年ごとに詰め物は
増え、問題も増えました。しかし、便宜上、私の「地獄歩き」に関することだけをお
話しましょう。
私の旅路は疼痛と苦難で舗装されていたばかりでなく苦悩と絶望に満ちていました。
それは30代後半に始まりました。診断に先立つこと10年、あたかも焼き鏝で焼き付け
られたように私の記憶に残っています。それは誰にも経験して欲しくないものです。
頻繁に繰り返す「疲れの発作」は38歳の時に始まりました。それはすぐ厄介なもの
になりました。時には何日も続き、しばしば、とりわけ生理時には片頭痛を伴いまし
た。一時的な副鼻腔炎が慢性になり、私は身の回りのあらゆるものにアレルギーにな
りました。
40歳の時、視覚に問題を生じました。いつも明るい光の中にいると涙が出、目がう
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 58
ずくのです。光に対する過敏性を緩和するため色つきの二重焦点レンズが処方されま
した。しかし、この症状は続き私の会計士としての仕事を極度に困難にしました。な
んとかなっていた腰痛が激しくなり、鎮痛剤も効かなくなりました。時には、机に座
って仕事をしている間に疼痛で涙が頬を伝い落ちました。
46歳から47歳の時の二冬の間に数え切れないほどインフルエンザのような病気に罹
り、咳がずっと残り、時々めまいに襲われました。この2つの症状は内耳の感染症によ
るということでしたが、咳止め薬も抗生物質も効きませんでした。階段を下りると脚
に激しい痙攣を起こしましたし、それと慢性の腰痛とが重なって一度に数日間も私の
身体の自由を奪いました。疲労は私の不断の道連れとなりました。私の訴えは本当だ
ったのですが内科の医師たちは、彼らの医療が私を「問題」から救うことに失敗して
いましたので、私に心気症であるように思い込ませようとしました。
インフルエンザに罹り始めて2年目の冬、それは私の最初の「MS悪化」の前兆でした。
私は転び始めました、特にボウリングをするとき、デスクから立ち上がるとき、右回
りに動こうとする時にです。私は当惑を繕うために、しばしば「障害者を雇えばいい
わ!彼らを見ていれば面白いわよ」と言いました。この私のかつての弱い心から発し
た私の体調の悪化を軽く見ようと試みた言葉を読まれて傷ついた皆様にお詫び申し上
げます。それが私が悪い状態と付き合うやり方だったのです。
翌年の春のある朝、私が目覚めたとき、右の腕と手に異様な無感覚を覚えました。
それは私が頭を右に回しすぎたために鋭い痛みが背中の真ん中より少し上の部分に走
ったとき、脊髄中の神経が圧迫されて起こったと診断されました。X線検査では著し
い石灰沈着が見られました。これは多分、その10年前に自動車事故で受けたきつい鞭
打ち症によるものだと思います。しかし、近くの病院の外来患者として牽引治療、温
湿布、超音波治療を受け、無数の薬を使用したにも拘らず、私の症状は悪化しました。
私の右肘は触れただけで痛みました。私は眼を閉じたら、右の掌に何が置かれたか
分りませんでした。また、私の腕が横に、前後に、あるいは頭上に動かされたとき、
まるで身体に付いていないような感じで、それがどこの空間にあるのか言えませんで
した。
頭を前に曲げたり下げたりすると、両腕、両脚、そして背骨にひりひり、ちくちく
する感じが拡がりました。これはレールミット症候だと言われました。これは髄膜炎
の症状です。髄膜とは脳や脊髄帯を包んでいる薄い皮膜です。私は全身に震えを覚え、
両手は動かすと震えました。絶え間なく強い耳鳴りがしていて、ひどいめまいがして
不均衡感があり、遂に入院を余儀なくされました。
私は脊髄造影撮影、CTスキャン、背骨の穿刺、ピン刺しとその他の検査を受けまし
た。私はまるで人間針山みたいでした。しかし、私は少なくとも深刻な病に侵されて
いる者として認識されました。
診断:髄鞘脱落疾患、言い換えれば多発性硬化症
私はこのような診断が私が本当に病気であること、またずっと病気であったことを
証明してくれたようで、当時は不思議な救済感を覚えたことを思い出します。さて今
は、医師たちも遂に私の言うことを信じざるを得なくなったことでしょう。
私は副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)注射を連続して受けました。この重要な役割を
幸せな人生を奪い去る水銀 - 59
第3章 体
験 記
持つ脳下垂体ホルモンは副腎のステロイド生合成を促進するために投与されました。
しかし、その副作用は月面のようなあばた面、腹部の膨らみ、手足の腫れ、脂性の肌、
頭皮ににきびのようなできものができるなどで、かなりの体重増加も伴い、みじめな
私をより一層みじめにしました。
それまでは一夜の眠りから覚めたとき「野球のバットでぶちのめされた」ような感
じがして、ベッドから脱け出すことが辛かったのですが、今や拷問のようになりまし
た。私の手足は鉛のように重く、後頭部はとりわけ重く感じました。私の全身がまる
でベッドに押し付けられているように感じました。ある人達はこのような状態を鉄床
で押さえつけられたようだと説明しています。私の平衡感覚は立ち上がるとき非常に
不安定で助けを必要とし、歩くときは殆んどいつも酔っ払い船員のような歩きぶりで
した。私は身体を壁や家具に寄せて安定させたり、思いやり深く忍耐強い夫の助けの
手を借りたりしました。彼の助けがなければ私は耐えられなかったと思います。
3ヵ月の休暇のあと、私は無理して仕事に戻りました。私はMSには絶対負けないぞと
誓いました。幸い私の雇い主は同情的でしたので私はマイペースで、かなりの仕事量
を軽減したスケジュールで働くことができました。
その2年後、50才のときに2度目の「悪化」に見舞われました。半月のようなアーク灯
が私の周辺視野に現れました。それらは私の眼の下方からこめかみの方へ浮き上がっ
て行くようで、ほの暗い灯りの下や暗くした部屋の中で一番よく見えました。私の左
のまぶたは触れるだけで痛むようになりました。そして結膜炎を患っているときは私
の眼は更に明るい光に敏感になりました。次第に視力を失って行く私の左眼はレト
ロ・バルバー神経炎という視覚神経炎の一種と診断され、入院につながり、副作用の
多いACTHが更に増えました。決定的多発性硬化症という診断が下されました。
私の左眼は網膜上の暗点と言われるもののために3ヵ月の間見えませんでした。視力
はゆっくり回復しましたがマルカス・ガン反射といわれる反応が残りました。私の瞳
孔は明るい光に対して収縮する代りに拡がるのです。そしてこれは治らないだろうと
言われました。それは中枢神経が司る自律反応であり、自分ではコントロールできな
いのです。視力のかすみと文字がページから踊り出るような感じが私を悩ませました
ので、より強い二重焦点眼鏡が処方されました。私は結局仕事に戻りましたが、新し
い眼鏡も私の問題を解決してくれませんでした。
52才の時、私はまた入院しなければならなくなりました。その時は大変弱くなった
脚のためで、私の右脚は時々崩れ落ち、右足首が上らなくなったのです。縁石をまた
いだり、階段を上るときの大変な困難には狼狽させられました。私はもはや家の掃除
もできず、身体の麻痺した部分が増えました。またもやACTHと付き合い、同じ副作用
が起こりました。病気は軽くなったり悪くなったりしながら進行する型だと説明され
ました。
「軽くなったり」という言葉は、私のMSの場合はいつも私を当惑させます。私の苦
しみの全期間を通じて私は一度も「軽くなっている」と感じたことがないからです。
私はいつも病んでおり、毎日その前日より悪くなっていると感じていました。
「発作」
がある度にその症状は残り、私のずっと続いている病歴に加わりました。
重荷は増え続け、1日が過ぎるごとにより難しくなりましたが、私はいつも私の純粋
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 60
な意思で仕事に戻りました。少なくとも私はそれが生産的だと感じていましたし、家
事がおろそかになっても許されるだろうと思いました。私の夫は私の試練の期間を通
して、私にとっては聖人であり天の賜物でした。
第4回目の、そして最後の悪化が55才の時に起こりました。私の両脚の全体的感覚の
喪失で入院となり、ACTHとまた同じ副作用です。私は歩行運動失調になり、しばしば
躓き、長い距離は歩けなくなりました。筋肉と関節の慢性的痛み、寝汗、早朝の脚の
ひきつりとひどい疲労などで私は深く落ち込みました。私の眼も常に問題でした。
そのようなローラーコースターに乗っているような生活は恐ろしく、遂に仕事を永
久に辞めることになりました。私は最後には譲らざるを得ませんでした。MSが勝った
のです。これまでの色んな問題に加えて、私は今や、昼は嗜眠発作、夜は不眠症に悩
まされるようになりました。
「些細なこと」で大騒ぎをして泣き、かんしゃく玉を破裂
させては泣き、ユーモアを失いました。それでも私の愛する夫は慈悲深く許してくれ
ました。私はいつもまるで息切れしたように話すようになり、緊張すると咳が伴いま
した。散発的な膀胱のコントロール失敗を避ける高度の必要性、便秘にはすばやい浣
腸処置、これらは私が「真実の愛」と呼ぶ夫が処理してくれましたが、それは不面目
なことでした。私は歩くのが困難なだけでなくものすごく疲れるため、めったに外に
出かけませんでしたので、外出用の何か移動装置が欲しいと考えました。
死にたいという思いと死から逃れたいという思いが私の心にありましたけれども、
私は決して真剣に自殺を心に抱くことはありませんでした。そのような行為は易しい
ことだったでしょう。私の手中にあるダルメイン(誘眠剤)とヴァリウム(精神安定
剤)を全部一気に飲めば目的を達することができたでしょう。しかし、夫の愛、子供
たちや孫たちの心配、それと強い宗教上の信念が私をそのような衝動から護ってくれ
ました。その代りに、私は世捨て人になり、テレビ中毒、本物の「カウチポテト」に
なり、運命に身を任せました。
この時まで、1984年の春ですが私の処方箋に書かれていた薬には以下のものが含ま
れていました:ダルメインという誘眠剤、ヴァリウムという精神安定剤、筋肉を弛緩
させるリオラソルまたはバクロフェンという筋肉弛緩剤、高血圧の薬ダイアザイド、
貧血と神経再生用のベロッカという葉酸を含んだビタミンB12。
使っていた市販の薬品は以下のものでした:頭痛他の痛み止めにアスピリン、副鼻
腔炎と慢性の鼻のうっ血用のサインエイド、ボーナインというドラマミンよりも効力
があるというめまい用の薬、その他必要に応じて、尤もしょっちゅう必要でしたが、
無数の咳止めや風邪薬。
このような薬や薬物治療は、パラテジア(異常な皮膚の感覚)、身体の無感覚部分、
疲労、筋肉の弱さなどの症状を除いては、ただ一時的に症状を覆い隠してくれるだけ
でした。ただそれだけでも私には有り難かったのです。
この生き地獄は、アマルガムを除去したら変わりました‼
1985年9月9日、私はダン・ラザーのニュース番組でアマルガム論争の詳報を見まし
た。私は水銀中毒に関する本を地域の図書館から借りて来ました。すぐに、私の症状
が高濃度のメチル水銀が含まれている魚を食べた日本の水俣の人々のそれと同じだと
分りました。私はまた、水銀で処理された穀物の粉で作ったパンを食べて中毒を起こ
幸せな人生を奪い去る水銀 - 61
第3章 体
験 記
したイラクの人たちのことも読みました。彼等の神経系統の問題は私のそれと大変よ
く似ていました。中毒患者の多くは中毒を起こした食物を食べるのをやめた後で部分
的にあるいは全面的に健康を回復していました。このことは私に大きな意味がありま
した。毒物を取り除こう!私はまず第一にその毒が私の口中にあったことに仰天しま
した。どの歯科医も私に「銀」の詰め物の大部分が水銀ですよとは教えてくれません
でした。そんなことは化学の授業でも習いませんでした。
幸いにも、我が家のかかりつけの歯科医は論争があることを認め、私の奥歯の中心
に埋め込まれていた10個の咬合用詰め物を快く替えてくれました。彼はこの処置を3日
の間に2回の通院で麻酔を使わずにやってくれました。彼は新しいコンポジットを詰め
てくれましたが、金冠の歯1つはそのままでした。
私には直ちに回復の反応がありました。その週のうちに私の精神的落ち込みがなく
なりました!また、めまいもなくなりました!尾骨の痛みも消えました!何にもまし
て、疲労感が劇的に和らぎました!私は長時間立っていたり、確かな足どりで歩いた
りすることができました。20年間で一番良い状態だと感じました。私は一夜の眠りか
ら爽やかに目覚め、ベッドからたやすく離れることができました。筋肉と関節の痛み
や硬直は軽くなり、触覚は全身によみがえり始めました。私は元気付けられました。
しかし…….3週間後に、すべての症状が再び悪化するという惨めな2週間を経験し、
あの好転は偽薬効果だったのかと、パニックになりました。しかし、以前とは違って
宿命という思いはなく、私はアマルガム問題について相談をしたのに取り合ってくれ
なかった私の神経科医の助けを求めませんでした。私はなんとなくこの悪い時期は過
ぎ去って行くと思いましたし、事実そうなりました、そしてそれは私の人生に新しい
局面を印しました。
6週間以内に、私は南西部にドライブ旅行ができました、驚くべきことでした!以前
は10分乗っても尾骨に極度の痛みを起こしていたのに。私たちは何日もドライブしま
した。私はカールスバッド洞窟に歩いて入りました。そして、私のかかりつけのお医
者さんに、私のファイルに入れておいて貰おうと葉書を出しました。彼は私が最初の
アマルガム除去後、気分が良くなっているというコメントを書き入れてくれるでしょ
う。私はまた、グランドキャニオンの縁に沿って歩きました。夢が現実になりまし
た!
この旅行中のことでした、私のマルカス・ガン反射が正常に戻りました。私の左瞳
孔はもう明るい光で拡がらず、痛みもありませんでした。それは収縮し、私の両瞳孔
は、医師がちょっとした視神経検査として行う、揺れるフラッシュライトに同調した
反応を示しました。それ以来、正常を保っています。そしてこのことは、私にとって
は、不断に私の身体に水銀を注入していたアマルガムを取り除くことが私の健康体復
帰の決定的要素だったという、私が必要とした証拠のすべてでした。そして、ありが
たいことに、疲労感が全くなくなりました!
6ヵ月後には金の歯冠をやり直してもらいました。歯科の文献でアマルガムの核が入
っている可能性があると知ったからです。そしてそれはありました。この処置はその
直後に2週間にわたる不調をもたらしました。私の舌はひどく腫れあがり、食べること
も、飲むことも、話すことも困難でした。めまい、筋肉と関節の痛み、ひどい頭痛、
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 62
不眠症、首と鼠径部のリンパ腺の腫れと痛みが私を10日間ダウンさせました。また、
私は暖かい毛布にくるまっていても何ともならない悪寒が数時間も続くという経験を
しました。私の歯はガチガチ音を立て、もう一人の私がいるみたいでした。
この2週間がこの8年以上の間で最後の体調不良だったとご報告できることを嬉しく
思います。悲しいことには、私の神経科医だった方、シカゴの一流の開業医院のパー
トナーですが、が私のこの現象になんの興味も示さなかったことです。彼はニュー
ス・メディアで、私の回復は自然のもので、多発性硬化症の場合はしばしばあること
だと語りました。なんという、馬鹿な!
金の歯冠がアマルガム核なしのものに取り替えられてから、私は次のような健康の
回復を経験しました:スタミナの増強、硬直していた手足のキリキリ痛みもぐんと軽
くなり、殆んど正常になり、嗜眠発作はなくなり、不眠症は随分軽くなり、介助なし
に階段を上ることができ、腰痛と筋肉や関節の痛みは今や御しやすくなりました。私
は料理や買い物、軽い家事をやり始めました。幸いにも今や私は虫眼鏡なしで気持ち
良く何時間も本当に集中して読書ができました。もし字がかすんできたらビタミンC
が良く効きました。1500mg摂取するだけで私に魔法をかけてくれました。頭痛、副鼻
腔炎、走っている時のような心臓の動悸を伴う鼻のうっ血、膀胱炎と便秘の問題など
はすべて無くなりました。高血圧の薬や他の処方薬や市販の薬ももはや不要になりま
した。私は全身にエネルギーが充ち、この20年余りの間で初めてすっきりした気分に
なりました。それは奇跡でした。今でもそうだと思っています。
今日残っている多発性硬化症の症状は右の掌の軽い異常感覚だけです。「レールミッ
ト」症候は頭を前に曲げたり下げたりしたときに右手指に僅かに感じます。私はこれ
を私のバロメーターだと言っています。この症状は私が愚かにも水銀に汚染された内
陸の魚や海産物をたっぷり食べてしまった翌朝軽い「ショック」として現れるのです。
それは裸の電線やソケットに触れたときに感ずるショックと同種のものですが、ずっ
と軽いものです。そのほか、遅れて出てくる反応には、いらいらして怒りっぽくなる、
疲労、筋肉と関節の硬直、多分不均衡感や軽いめまいなどがあります。私は安い市場
で買う鶏肉や卵が同じ反応を引き起こすことを発見しました。私はそのような鶏が与
えられている餌に含まれている「魚粉」が大いに関係があると疑っています。私は屋
外で飼われた鶏と卵だけを、それがなければ代りに七面鳥を選ぼうと思います。七面
鳥には通常魚粉は与えられていません、与えると大きく育ちすぎて肉の味が変ってし
まうからです。少なくともこれは私の持論です。これは私のためになります!
また、私は最近はビタミンCをたくさん摂ります。それが酸化防止剤になって体内の
重金属を除去してくれるからです。私はビタミンA、Eとセレンを含んでいる複合酸化
防止剤を服用しています。
私の経験から、私の夫、子供たちとその妻たちは皆歯からアマルガムを取り除いて
貰いました。そして、いくつかの、多くはありませんが彼等の小さな健康問題が好転
しました。これはフロックではありません!私は彼等に変化が現れる前に予言したの
です。しかし、これは余談でした。
私の孫たちは誰も決して毒を彼らの歯に入れさせないと確信しています!私にとっ
て…「MS」はもう過去のことです!
幸せな人生を奪い去る水銀 - 63
第3章 体
験 記
27.甲状腺機能亢進症・疲労
スチュアート・S・シェックナー、口腔外科医
私は水銀に毒されています!歯科医として、私は長年にわたって水銀を扱ってきま
した。殆んどの人は「銀」の詰め物は50%が水銀だということを知りません。
私の場合は、最初の診断も、その結果取られる処置の両方とも難しかったという点
でアマルガム中毒問題の古典ともいうべきものです。内科医たちの水銀中毒を取り扱
う一般的知識不足のために、誰も適切に診断できず、処置されていない歯のアマルガ
ム中毒の犠牲者は数百万人に上ると思われます。
私が水銀に汚染されることは職業上のことだったので、私の内科医たちは私の病気
の根源を探る糸口として私の職業に注目すべきでした。労働安全衛生局は歯科におけ
る水銀の危険性を、中毒の症状や症状も示して、はっきりと指摘しています。
1973年に、私たち夫婦はフロリダの西岸に位置する白砂きらめくビーチを持つまさ
に楽園そのもののシエスタ・キーに引越しました。私は開業中の歯科医院を買い取り
ました。すべてが素晴らしかったです。私たちには最初の息子、美しい海上の我が家、
ボートもありました。私たちの夢がすべて実現しつつありました。
仕事場で水銀をこぼしたことがそんな夢を粉砕しました!1978年に、使用人の1人が
4分の3ポンドほどの水銀を私の歯科治療椅子の足元の粗毛のカーペット上にこぼしま
した。1ヵ月ほどのうちに、私は胸の典型的な震え、説明しがたい心配や胃腸の問題を
含むいくつかの奇妙な体調不良について医学的手当を探していました。私は私の内科
医に水銀がこぼれたことを話しました。彼は「水銀は忘れなさい」と言いましたが、
水銀には近寄らないようにという忠告はしてくれました。何ヵ月か過ぎて、私の症状
は雪ダルマ式に膨れ上がり始めました。これが信じられないような試練の始まりでし
た。私は「水銀のことは忘れ」、私の健康問題を水銀をこぼしたことに結びつけること
はしませんでした―結びつけたのはずっと後年のことです。
1982年に、私は甲状腺機能亢進症を患いました。薬物療法で甲状腺ホルモンのレベ
ルは正常に戻りましたが、体調は悪化を続けていました。常に体内に苦しい病的なか
きむしられるような震えがありました。それは、その症状を経験してみなければ、正
確に説明したり、理解したりするのは不可能です。
時が経つにつれて、症状リストは増え続けました:疲労、消化不良、不眠症、吐き
気、咳、口内炎、皮膚病、体重減、味覚障害、そして神経過敏などで、これらは無数
の症状のうちのいくつかに過ぎません。しかし、多くの不調の訴えに対して大抵の内
科医たちはいとも簡単に精神的な不全によるものと診断しています。水銀中毒の症状
は普通の医学文献に載っているのに殆んどの内科医は毒物学の勉強はしていません。
いつも変らず、本当に現実の症状に苦しんでいる患者達が「それはすべて精神的なも
のです」と言われます。
健康を回復する試みとして、私は歯科診療における水銀の問題の講習を受けました。
そこで、私はアマルガムの詰め物から放出される水銀が関係する健康の危険について
学びました。私はまた、
「私たち」歯科医が私たち患者に毒を盛っていることに気付き
ました。その時は、私もまたこの潜行性の毒の犠牲者だったとは殆んど認識していま
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 64
せんでした。水銀は私の健康と職業を破壊しつつあったのです。
1983年に私は健康が優れないので1ヵ月間歯科診療を休みました。私は栄養プログラ
ムに従って海岸を随分歩きました。養生法は私の体調を改善したかに見えました。し
かし、仕事に戻って3日したら、かつてないほど悪くなりました。1984年までに私は完
全に無能力になっていました。絶えず、私の最期のときのような感じがしていました。
頻脈、吐き気、そして消化不良が苦痛を更に重くしていました。
水銀に再汚染されることの明白な意味がアーカンサス医科大学毒物学教授ルイ・チ
ャン博士によって非常によく説明されていました。ある研究プロジェクトで致死量以
下の水銀が野ネズミに注入されました。このプロジェクトの途中で担当の学生が旅行
に出ました。彼は帰ってから、そのネズミたちはもう一度致死量以下の水銀注入を受
けました。そうするとネズミたちは短時間のうちに死んでしまいました。
1984年、即ち、水銀をこぼしてから6年後まで、私は病気と水銀中毒の可能性に関係
があると考えませんでした。仕事の休み時間に、私は慢性水銀中毒に関する文献を受
け取りました。私は1920年代のドイツの化学の第一人者であったアルフレッド・スト
ックの論文を読みました。私の症状をストック博士の水銀汚染と彼の奇妙な症状とに
関連付けてみると寒気が全身を走りました。
それ以来、私は多くの医師に診て貰っています。神経科医の一人は、私は脳の機能
不全(異常な脳波図によって確認された側頭葉機能不全)であると結論しました。彼
は水銀汚染と私が申し立てる問題との間に関係があると感じていました。
最近、免疫学者のマイケル・マッカン博士と私は「クリニカル・ファーマシー・ジ
ャーナル」誌に共著の論文を載せました。私たちの仮説は、自己免疫性の病気は個々
人の遺伝的体質によって、致死量以下の水銀汚染が引き金になり得るというものです。
影響を受け易い人にとっては、極く少量の水銀がその人の免疫システムをその人自身
に反する働きをさせるようにスイッチを切り替えてしまうことができるのです。それ
は敵をもはや判別できなくなった兵士が自分の仲間を攻撃してしまうのに似ています。
致死量以下の水銀汚染は実験動物の自己免疫性疾病の引き金になるという考えは、
その研究の中ではっきりと文書化されています。私はこの研究が人間の多発性硬化症
や甲状腺機能亢進症のような自己免疫性の病気の発病と進行の研究に応用されること
を願っています。
私は今日まだ全く無力です。しかし、水銀によって引き起こされる病気の深刻さを
呼びかけることによって、歯科医たちが将来水銀によって引き起こされる健康喪失を
防ぐカギとなる役割を果たしてくれることを希望しています。
28.がん
マイク・ハッチンソン
まだ1日も経っていません。アリゾナ州ツーソンのマイク・ハッチンソンは「彼の歯
医者さんたちは知っていて彼を殺しかけていたのですか?」という質問をしていませ
幸せな人生を奪い去る水銀 - 65
第3章 体
験 記
ん。
1993年4月の今日、彼は自分の居住地の病院にいて、また一連の長ったらしい検査を
受けています。それはもう慣れてしまった儀式のようなものですが、待ち望んでいた
ものではありません。今日の検査は14時間の絶食を求められ、7本の尿検体を採り、採
血のための19本の針刺しが行われただけでした。たった5時間の検査。彼の嫌いな日々
は、アリゾナ医科大学のスタッフがいつも午前8時に働き始め、彼の診療を終るのは晩
の6時かもしれず、タクシーに乗って家に帰るために彼を待たせているだけというよう
な日々です。
このようなことやマイクの健康状態に歯科医たちはどんな関係があるのでしょう
か?それはマイクが20年以上にわたって問い続けていることです。歯科医院に行った
後で、それが単に歯の掃除のためだけだったときも、いつも、すぐにではないがしば
しば何ヵ月か後に病気になるのを彼はずっと不思議に思っていました。彼はまた歯科
治療が多ければ多いほど病気もひどくなることに気付いていました。彼が一番困った
のは誰にそのことを言ったら良いのか分らなかったことでした。歯科医たちはそんな
ことは歯科治療とは関係がないと、払いのけたがりました。
しかしながら、1週間から2週間かけての病院行きの旅が増え続き、マイクと妻のデ
ニスは煩わしく思っていました。このような旅はいつも歯科治療を受けてから2、3ヵ
月後のことでした。歯科処置か歯科材料に、歯科医も内科医も気付いていない何らか
の問題があったのではないか?あるいはマイクが単にすべての歯科材料にアレルギー
を起こす体質だったのか?悪いことに、すべての検査が否定的結果を示していました。
マイクは心気症だったのか?それはすべて精神的なものだったのか?彼の17年連れ添
った妻、デニスでさえ分りませんでした。
マイクが確かだと思ったことはただ一つ、歯科医院に行ったら病気になるというこ
とでした。しかし何故?
今日、看護師がマイクの静脈の虚脱しない、隠れない、痛めないようなところを探
すべく調べている間に、彼は考えていました。
1986年の終りごろ、マイクは歯科医から、もし歯を安定させる処置をとらないと全
部の歯を失う危険性があるという説明を聞きました。その歯科医は彼には金ブリッジ
3個、数個の詰め物とピンが必要だと言いました。マイクにとってこれは全くのパニッ
クでした。しかし、歯科医から今は昔と違って、良い局所麻酔剤、痛みの少ない良い
製品があるから問題はないと重ねて保証されて、マイクは同意しました。
この治療を受けてから数ヵ月後、1986年12月、マイクは深く、暗く、険しい、自殺
的な滑り台に乗ってしまいました。そのようなものは、かつて見たこともないもので
した。
この滑り台には底がありませんでした。肉体的、情緒的苦痛は耐えられませんでし
た!マイクは自分が死ぬのではないかと恐れました。死は差し迫ったもののように感
じられたのです。再び彼は訝りました、何故?デニスはこの状態はこれまでのものよ
りずっと悪いことに気付きました。彼女はマイクを数人の医師の所へつれて行きまし
た。その医師たちはそれぞれ違った診断をしました。彼等の長年の家庭医はそれはう
つ病だと思いました。それで、たった40分の問診だけで身体の検査はせずに、
「それは
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 66
慢性的うつ病です」と宣告した精神科医に委ねました。彼は350mgの抗うつ剤(デシム
ペリン)と1800mgのリチウム、その他ではザネックスが処方されました。マイクはこ
れらの薬剤を1991年の終り頃にマイクはうつ病ではないと知らされるまで手離せませ
んでした。
この期間中、1986年から91年まで、マイクとデニスは読める限りの医学書を読みま
した。マイクの症状はずっと増え続けており、その数が100を超えたときには、ハッチ
ンソン夫婦はそのことを殆んど他人には話しませんでした、誰も信じてくれないでし
ょうから。それらの症状は不安から、困惑、うつ、怒り、不眠、重い頭痛、死にたい
という考え、眼のかすみ、高血圧、呼吸困難、低体温、胸の痛み、筋肉の痙攣、大腸
炎、便秘、関節炎、治癒の遅れ、にきび、何か分らない吹き出物、何故か分らない抜
け歯、喉の炎症、アレルギー、慢性的疲労、リンパ腺肥大など広汎でした。その数が
ほぼ100に達したとき彼らは数えることをやめました。
デニスには一つのことが大変はっきりしました。彼ら2人が読んだものからマイクは
臨床的にうつ病ではありえないということです。彼ら2人は歯科治療に注意を向けまし
た。最初に彼らを襲ったショックはマイクの銀の詰め物は銀ではなく52%が水銀だっ
たことです。水銀、どうして水銀なの?マイクは銀と金の詰め物の代金を払ったのに。
更に調べると、すぐにすべての銀の詰め物とかアマルガムには50%以上の水銀が含
まれていることが分りました。水銀、温度計のものと同じもの、は鉛や砒素よりも毒
性が強いのです。何故マイクはこのことを知らされていなかったのでしょうか?マイ
クの身体に毒物を詰めるのであれば何らかの形で彼の同意を必要とすべきだったので
はないでしょうか?殊に彼の歯科治療に対する悪い反応の記録があったことですし。
ハッチンソン夫婦のアメリカ歯科医師会への照会によって、水銀が150年以上もの間、
何の悪い影響の記録もなしに使われていたことが判明しました。
しかし、マイクは彼の症状が水銀中毒患者たちのそれといかに似ているかに注目し
ていました。彼は日本の水俣の水銀災害と大抵の図書館に備え付けの何百冊の毒物学
の本をあらゆる種類の症状に対する作戦基地に定めました。
ハッチソン夫婦は今や水銀が銀の詰め物に入っているという何千ページもの臨床証
拠で武装されていました。水銀は身体の中に洩れ入ることができたのか?もしそうな
らそれが身体や精神に与える影響はどんなものか?マイクは今や、コンピューターと
モデムを使って世界中から銀の詰め物中の水銀使用を非難する、信じ難いほど多くの
調査研究を見つけていました。これらの研究はかつてマイクがアメリカ歯科医師会、
アメリカ医師会、アメリカ食品医薬品管理局によって信じさせられていた挿話的な研
究ではありませんでした。これらの研究は悪評のない大学の臨床環境にある医師たち
によってなされたものでした。マイクが発見した詰め物の中の水銀に関する論争は
1820年代の初めにアメリカの歯科医師たち自身の間で始められています。水銀論争は
現実に口腔外科医の組織を壊滅させています。歯科医たちは1820年代において潜在的
問題があることを知っていたのです。何故歯科学の組織では水銀を含んでいる銀の詰
め物の悪影響を結論づける研究をしなかったのでしょうか?
1993年4月のこの日、マイクが退院する時に彼の頭の中に重くのしかかっている疑問
はこれです。何故、歯科医たちは彼等の患者の体内に彼らに知らせもせず、同意も取
幸せな人生を奪い去る水銀 - 67
第3章 体
験 記
らずに取り付ける有毒物についてもっと知っていないのか?マイクと彼の妻は、歯科
医や内科医たちの水銀と銀の詰め物問題に関する知識不足が原因で膨大な費用を払い
ました。
マイクは今、根管の頂上部の腫瘍のために社会保障局から100%の障害者と認定され
て生きています。彼はどの医師に対しても怒ってはいません。彼は彼らが知らなかっ
たのか、あるいは銀の詰め物の否定的レポートを信じないという選択をして診療した
のだと感じています。
マイクは彼が医師や歯科医あるいは一日中あの毒物と一緒に診察椅子の傍で働く助
手でないだけで幸せだと言います。マイクとデニス・ハッチソンは彼等の調査がすべ
ての人々に届くことが重要だと感じています。
29.筋萎縮性側索硬化症(ALS)
シンシア・ヒューズ
アマルガム詰め物に関するテレビ番組「60分」を見た後で、例え「成功しそうもな
い試み」であっても私は自分の詰め物を取り除くことを決意しました。何故なら、そ
の時点で私には失うものは何もなかったからです。私はALS(筋萎縮性側索硬化症)であ
ると診断され、哀弱していました。そして、検査の数ヵ月後の1990年9月にこの診断を
受け入れました。
病状がひどくなる前は、私はラスべガスで常勤のバーテンダーとして働いていまし
たが、ひどく疲れるようになりました。私は、家族のために無理をしても夕食を作る
ように努めました。夜にはしばしば何をしても大変疲れ、長椅子に倒れ込みました。
私はまだ29才だったのに、100才位に感じていました。
私の声は震え、そして言葉も混乱しました。上半身がコントロールできないほど震
え、その震えが止まりませんでした。
特別に長い色々の出来事の後に、私は神経科医に診て貰いました。
EEG(脳波図)、MRI(磁気共鳴画像装置)、脊髄の穿刺(タップ)、数種類の血液検査、
金属類に関する尿検査や筋電計の結果はすべて正常でした。しかし私はすべての調整
力とバランスを失っていましたし、ゆっくりしかしゃべれず、歩くことさえ困難でし
た。私の頭は回転していましたが、身体がついて行きませんでした。物を飲み込んだ
り、噛み砕いたりするのが困難で、物を食べていない時でも時々喉を詰まらせました。
私はクロノピン、プロザック、プレドニゾン、アマンタジンとシネメットを服用し
ていました。私は神経科医を受診するために、UCLAの医療センターに行きました。そ
して、その神経科医と私のかかりつけのラスべガスの神経科医は最終的に私を筋萎縮
性側索硬化症(ALS)であると診断しました。
そう診断されて、私は祈り、嘆き悲しみましたが、諦めはしませんでした。私には
私のことを心配してくれている夫や子供達、家族や友達がいましたから。
12月のある夜、母が私を呼び、テレビ番組「60分」を見るように言いました。何故
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 68
ならそれは、水銀詰め物に関する番組だったからです。私は懐疑的でした。というの
は、私はALS(筋萎縮性側索硬化症)であり、MS(多発性硬化症)や、関節炎や、その番組
で述べられているもののどれでもなかったからです。しかし、私はそれに関心を持ち
ました。
私は薬物治療に十分反応していませんでしたので、私の神経科医は発作を引き起こ
すリスクの高い薬物治療を勧めていました。そこで私は薬害リスクの前に水銀詰め物
を取り除いて貰う決心をしました。私は死にかけていたので、失うものは何もなかっ
たのです。
1991年1月25日に、私は一個の詰め物を取り除き、臼歯を抜いて貰いました。大きな
変化はありませんでしたが、私は少し良くなったように感じ、よく喋れるようにもな
りました。最も重要な変化は4個の詰め物が取り除かれた2回日の治療の後に生じまし
た。約4時間後、私は数ヵ月前に比べ、より早く、明確に喋れるようになりました。
脳から送られたメッセージに私の身体が反応することを実感できたことは、信じら
れない経験でした。
それはあまりに驚くべき、身震いするようなものでした。私はまさに思いつく限り
の知人と喋りたくて電話をかけました。私自身このことを信じることができませんで
したから。誰もが驚きました。
次の3週間で、残りの7つの詰め物(詰め物は合計13個)が取り除かれました。そして、
驚いたことに、私はさらに良くなったように感じました。アマルガム(水銀と他の金属
との合金)が、私の疾患(病気)の原因であったことは疑う余地がありません。アマルガ
ムを除去しなかったなら、私は2年以内に死に至っていたでしょう。
2月26日に私が神経科医を訪問した時、彼はALSの症状についてチェックし、症状が
なくなっていると、私に告げました。症状の減少や鎮静(薄らぎ)ではなく、なくなっ
ていると!
私は新たな寿命を与えられました。それはメロドラマ的に響くかもしれませんが、
また恐らく信じられないことですが、それは私の身に確かに起こったのです。私は大
変幸運にも、神から長い寿命を与えられたのだと感じました。私の子どもたちは母親
を、主人は妻をこの先も持つことができるのです。
ある種の食品を避けることと、適切な栄養補助食品が絶対必要なことだと強調しな
ければなりません。これほど決定的な回復をしたALS患者と全く接触を持ったことがな
かったので、私は主に試行錯誤から学びました。この出来事以来、私は多くの人々に
話しをし、KTNVー13(訳者代表注:テレビ放送局)のアリソン・マッカ―シーに感謝
しています。彼女はこの件でいくつもの素晴らしい貢献をしてくれました、
何故それがある者を助け、それ以外は助けないのか私には分りません。私が人に言
えるのは希望を持ちなさいということです。あらゆる道を探求しなさい。決して諦め
ないで! 最近、私は33歳の誕生日を祝いました。夫や家族、そして友人も私が31歳ま
で生きるとは思っていませんでした。私は自分が大変幸運だと感じますが、私が何故
二度目のチャンスを得、他の人たちは毎日死んで行くのか分らないため、罪深い気持
ちにもなります。
幸せな人生を奪い去る水銀 - 69
第3章 体
験 記
おそらく、私の体験記は誰かを助けるでしょう。それは本当に私が望んでいるすべ
てです。死に至る病気から来る痛みや欲求不満、絶望の記憶はこの先ずっと私の記憶
から消えることはないでしょう。もし私の体験記が誰かの助けになるとしたら、私が
苦しんできた肉体的、感情的な痛みは価値あるものになるでしょう。
30.硬皮症
スーザン・ソウィッキ
私は歯の処置に起因する医療ダメージで死ぬかもしれません。その恐ろしい所はア
マルガムの詰め物と根管治療を受けた歯に信頼できる歯の処置がアメリカの歯科医師
会と主流の歯科医たちによって絶対安全だと主張されていることです。
私には良い歯科医たちがいました。彼らの治療は標準か、それ以上でした。しかし
ながら、この歯科の標準がどの位安全であるかを問い質さなければなりません。
水銀合金に関する論争は1990年にテレビ番組「60分」で公然と表面化しました。不
運にも、根管論争はまだ表面化が始まったばかりです。
根管がある場合、アマルガム詰め物が取り除かれて水銀中毒が治るように、根管治
療された歯が抜かれても感染症は治らないかもしれません。
歯がなくなって長くたってから、人は根管から身体的かつ精神的な障害者にさえな
るかもしれません。1982年に私の根管治療された歯は口腔外科医によって抜歯されま
した。1983~1984年に、私は顎と頭の痛みに悩まされました。顎の疾患は後に頭蓋骨
や肋骨、脚にまで広がっていきました。口腔病理学者たちは切除された組織は古い銀
の詰め物の破片と健康な組織であったと報告しました。もっと後になって、黒ずんだ
柔らかい組織がアマルガムの刺青ではなく、病変した骨であったと、口腔外科医(かつ
て、べセスダにある軍隊の病理学協会(学会)の第一人者)によって発見されました。こ
のことは、電子顕微鏡ないしは金属のスぺクトル分析機によって確認されました。
私は顎には(伝染性の骨の病気の)骨髄炎、頭蓋骨には(遅行性癌の)硬皮症、心臓に
近い肋骨の炎症、そして脚には癌を患っています。
私の顎の骨髄炎のタイプは根管によって引き起こされ、更に悪化しました。メイヨ
ー・クリニックは20年前にこの種の顎の病気を発見していましたが、その情報は内科
と歯科の医学界では公表されませんでした。
1911年にロンドンのチャーリング・クロス病院の1人のイギリス人の医師が根管の危
険性を公にしました。その医師は、彼の患者にもっと快適であると感じてもらおうと、
根管、歯冠やブリッジを取り除きました。そして、その結果として、彼の患者は貧血
症、大腸炎、関節炎、腎臓病、その他の病気から治癒しました。そのニュースは、津
波のようにアメリカに押し寄せ、次の50年間は、歯科医たちは根管治療をする代りに
歯を抜き始めました。1960年に、保険は根管治療に対して支払を始めました。そして、
その処置は過去から幻のように戻ってきました。
三叉神経痛はさまざまな症状を伴う神経の病気ですが、
「痛み」の点で最も良く知ら
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 70
れています。三叉神経痛は「自殺病」とあだ名が付けられています。おそらく、原因
がはっきりせず、治療法はありません。1960年代の研究者は猫に根管治療を施し、三
叉神経痛を発症するかを観察しましたが、人々における治療の結果は大変入り組んで
おり、根管を犯人として選び出すことはできなかったと聞いたことがあります。しか
しながら、三又神経痛の治療法は根管の下部の骨を掃除するか、抜歯することです。
古い格言「真実は常に単純である」がこの問題に当てはまるかもしれないと思ってい
ます。
私が最初のアマルガムを詰めて貰い、学業成績が突然AからDに落ちてしまったのは
12歳の時でした。その後、歯に詰められたアマルガムは根管に置きかえられました。
現在、私の病気の状態は悪化し続けており、私の所属している健康維持協会は反応
しなくなり、私の痛みや苦しみの―因とさえなっています。私は怠慢(過失)と故意の
不真実表示に対し訴訟を提起しました。
いったいどれだけ多くの人々が根管治療した歯の結果に苦しみ、そして彼らの中の
何人が正しい診断と治療を得られたのでしようか。
31.筋肉の痙攣・多種類過敏症・疲労
ジュディ・オーエン
幸いにも、振り返ってみると、私の健康が悪化し始めて水銀が原因であることを疑
いもなく知った時が私の人生のどの時点であったかを正確に指摘することができます。
私は何時も何かしら苦痛を訴え、常に具合が悪く、疲れていたと思います。そして病
の部分があちらこちらに移動しました。何の関連もなく、様々な症状がありましたが、
医者はその症状をストレスや喚気亢進症によるもので、原因はすべて私の頭の中にあ
るといとも簡単に診断しました。確かに(詰め物は)私の頭の中にあります。
私は22才になった1976年までは詰め物はありませんでした。1976年に5個のアマルガ
ムを詰めて貰い、1979年に更に4個を詰めて貰いました。しかし、1987年の秋になって
始めて、私は9個の詰め物を取り除いてもらった時、正解を見つけました。
最初の5個の詰め物を詰めて貰って1年以内にふらふらしたり、気を失いかけたり、
疲れたりしたので、治療をして貰い始めました。最後の4個のアマルガムを1979年に詰
めて貰って間もなく、あらゆるものが束縛を脱しました(訳者代表注:いろんな病気が
発症してきた)。第一に全身を覆う発疹の治療を受けました。これは6日間続きました。
そして、原因は見つかりませんでした。1ヵ月後、私はめまい、ふらふらすること、エ
ネルギーの喪失、激しい動悸を伴う極端な疲労等の苦痛を訴えていました。すべての
検査は問題なしでした。そして私はストレスを避けるために懸命に働いたと話しまし
た。間もなく、1週間に3~4日の頭痛が始まりました。私の検眼士は私がカタログの中
の細かい印刷物を処理する仕事をしていたので、私に別の仕事を見つけるよう示唆し
ました。しかし、私はそうしませんでした。
1980年1月まで、私は再び同じ病の治療を受けていました。今回だけは、私は胸の痛
み、心臓の動悸を心配していました。私は過剰喚気症であったのかと質問しました。
幸せな人生を奪い去る水銀 - 71
第3章 体
験 記
しかし、いまだに回答はありませんでした。間もなく、私の人生を変えてしまうほど
の化学物質過敏症になってしまいました。私が行くところ、どこでも臭いが私を悩ま
せました。車の排気、店、香水、新聞等の印刷物が筋肉の痙攣と、何時聞もベッドに
倒れ込ませるようなひどい頭痛を引き起こしました。1987年までに、私はありとあら
ゆるものに対して反応する体質になりました。化学物質と多くの食品で私の気分はよ
くありませんでした。この年もまた背柱指圧療法師(カイロプラクター)が治療でき
ないような、理由の分らない背中の下部の痛みの病も出てきました。彼は私が腎臓を
患っているのではないかと推測していましたが、私たちには証明できませんでした。
4ヵ月後痛みは消えました。
1981年までに私は氷のような足の冷えを訴えていました。しかし、他方において、
私に吐き気を催させ、身体を弱らせるような暑い天候にももはや耐えることができま
せんでした。私は何週間も続くような風邪をひき、少しは良くなっても、また次の風
邪をひくようになりました。私の免疫力は大変低下していました。また、この年に私
は流産しました。
1983年に私は新しいコンタクトレンズをつけることに問題が起きました。しかし、
1984年まで私はコンタクトレンズをつけ続けていましたが、この年に私が後にチメロ
サル(訳者代表注:水銀を含む殺菌剤)を含んでいると知ったフレックス・ケアーと
いう溶液に対するアレルギー反応から私の目は殆んど閉じてしまうほど腫れ上がって
しまいました。1987年まで私はチメロサルが水銀を含んでいるとは知りませんでした。
この年に、理由もなくひどい筋肉の痙攣が起こりました。次の3年間にわたり私は脊柱
指圧療法に多くの時間を費やしました。
多くの日々、私は両側面に頭を回すことができませんでした。そして、私の首の靱
帯は常に結びつけられ、更に頭痛という問題が加わってきました。調整治療はほんの
短時間だけ効果がありました。8月に、私はまるでさざ波を立たせるような、脚から頭
部の方へ移動するひどい筋肉の痙攣を経験しました。痛みは大層ひどく、30分もの間
動くことができず、息をするのも信じられないほど困難でした。2週間もの間、私は無
力になり、痙攣で脊柱がバラバラになるほどに感じました。私の身体は調整治療に十
分応じられませんでした。それで、私はいつも脊柱指圧療法師にとっては挑戦でした。
私が再び医者に診て貰おうと決心するまでに、1981年から85年まで4年間が経過しま
した。私は心気症患者でないと知っていましたが、私はどこも悪いところはないと言
われるのに疲れ果てました。しかし、1985年には更なる恐怖が襲って来ました。私は
一度胸の痛みと心臓の動悸を経験していましたが、今回はもっと絶え間なく続き、か
つ、ひどいものでした。私の心臓は、眠ろうとしている時でさえ、1分間に140回も脈
打ちました。
私は心電図と心臓のストレス検査を受けましたが、その結果は再び私には問題なし
でしたが、もっと運動が必要でした。しかし、運動はさらなる痙攣を引き起こすので、
私は運動ができませんでした。私は記憶を失い始めていました。簡単な仕事を行うこ
と、議論に加わること、考え、話し、そして社交的であることにかなりの努力が要求
されました。私が運動に耐える力は減少し、1日に16~18時間眠っているのに、それで
もまだ疲れている程ひどい疲労感と頭痛は今や毎日のことでした。私は喉のひどい痛
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 72
みと共に、絶えず喉がむずむずする感じがしていました。私の喉のリンパ腺は絶えず
腫れ上がっていました。私は華氏96.2度の体温であると分っていてさえ、しばしば熱
があると感じていました。
1986年にパニックの発作が始まりました。私の視覚はぼんやりかすみ、物を落とし
たり、躓いたり、何もないのにピューと飛んだりしました。それから、顔面や耳の痛
みが始まりました。特に、横向きに横たわっている夜にひどい耳の痛みが始まりまし
た。耳にナイフを刺されたような、激しい痛みに目を覚まし、頭の向きを変えるのに
は両手で頭を支える必要がありました。私は再び痛みが生じると分っていたので、横
たわることを恐れました。間もなく、痛みは一日中私の顔面に広がりました。あたか
も顔が万力で粉々に砕かれたように感じられ、私は笑うことも、いかなる表情もでき
ませんでした。骨身にこたえる痛みが私の側頭部を走り、しばしば、あまりの痛さに
髪に触れることもできませんでした。私は口を開いたり、TMJ(顎関節症)の典型的なギ
シギシいう音を聞いたりすることに何の問題もありませんでしたが、硬い咬合治療副
子(スプリント)で治療されました。今や、私の顎はロックされ始め、気力でもって
のみ、食べるために口を開けることができました。もろい岩を砕くパチンという音と
共に、ギシギシという音が始まるでしよう。
私は脊柱指圧治療師により、筋筋膜疼痛症候群の専門家であるトム・ヘバート口腔
外科医に紹介して貰い、そこで一日中装着する柔らかい咬合治療副子(スプリント)
を作って貰いました。私はそれなしにはいられませんでしたが、それは全面的な解決
ではありませんでした。短期間の後に、スプリントのアマルガムと接触しているとこ
ろが黒くなっていきました。
詰め物の中の水銀の可能性を聞いて、私の地区の歯科医に尋ねました。彼は、はい、
水銀は含まれている、しかし、アメリカ歯科医師会は健康面での危険性はないと保証
しており、また、懐を肥やすために不正な請求をするやぶ医者も少なからずいると言
いました。彼はそれらを取り替えるでしょう。しかし、それは彼のより良い判断に反
していました。私は幸いにも健康問題に偏見のない専門家に問い続けました。彼はそ
の論争について伝え聞いたことがあり、私自身が判断をするために、私への情報を入
手しましょうと言いました。私は何が彼に働きかけたかはまったく分らないでしょう
が、数日後、彼は水銀中毒に関する3日間のセミナーのためにハギンス研究所に飛びま
した。すべてを読んだ後に私は私の健康が少なくとも50%戻ることに賭け、それを希望
しないといけないことを知りました。たとえ、水銀が私の問題の答でなかったとして
も、私は口の中の水銀を必要としませんでした。私は一歩一歩ハギンスの手順に従い
ました。私は完全な毛髪、血液、尿の分析、そして適合性検査を受けました。
エバート博士は電気に関する活動を検査するためにアマルガム計測器を購入しまし
た。多くはマイナス電位の高い数値を示していることを見出しました。私は、除去の
前の2週間、解毒のための栄養補助食品を摂り続け、厳格な食事療法を続けました。そ
の検査を通じて私の身体にはずっと水銀が貯まっていたことが分りました。1987年
11月の1ヵ月の間、1週間に1象限(上下左右に分けた4群の一つ)づつ除去しました。
奇跡は最初の除去の翌日に起こりました。夜に私の手が約1時間非常に硬直し、痙攣し
て目が覚めました。しかしながら、朝には顔面への圧迫もなく、頭痛もなしに目覚め
幸せな人生を奪い去る水銀 - 73
第3章 体
験 記
ました。私の心は晴れたと感じました。そして勿論、2年もの間家事をすることができ
なかったのですが、奇跡のように、浴室を清掃することさえでき、私はやり過ぎまし
た。その次の一週間以内に、私のスプリントはさらなる痛みを引き起こしているよう
に見えました。次の除去の後に、私は二度とスプリントをはめませんでした。そして
6年が経ちました。TMJ(顎関節症)の症状は消えました。
次の6ヵ月以上の間、インフルエンザのような症状を伴って、体調に多くの浮き沈み
がありましたが、それ以降は体調がもっと良い日々になりました。私は活性炭と共に、
食事療法や栄養補助食品にハギンス博士の示唆に従い続け、健康を90%ほど回復したと
感じました。私の免疫システムはより強くなり、化学物質にはまだ過敏ですが、それ
程ひどいものではなくなりました。私の回復期間はもっと少なくなりました。むずむ
ずしたり、燃えるような感覚は消え、体温は上り、パニック発作は決して再発しませ
んでした。筋肉痙攣はめったに起こらなくなり、私の脊柱指圧療法師は私が別人に処
置しているようであると言いました。瞼のひきつりも除去の後に消えました。そして
今は、いくつかの化学物質に曝された時にのみ再発します。この6年間、心臓の動悸や
胸の痛みもありませんでした。私は活動的な生活を続けることができ、また、再び笑
うことさえできました。私の記憶は大きく改善されました。私の視力もより良く改善
しましたが、もちろん、私の年齢相当であると私は言われていました。私はいまも食
事療法に気を配り、また栄養補助食品もいまだに摂っています。詰め物が私の人生の
うちのあまりにも貴重な数年を失わせる原因となったことは疑いありません。私は時
間と新しい設備の費用をかけてくれたエバート博士に感謝しています。そして、私に
生産的な人生における第二のチャンスを与えてくれたハギンス博士の処置手順に従う
ように力説してくれたエバート博士に感謝しています。私は彼を通じて局所麻酔剤に
異なったタイプがあることを学びました。第一のタイプは一日中私に吐き気を催させ
ました。その他のタイプは影響を残しませんでした。もしあなたに副作用があったな
らば、あなたの歯科医にはっきり告げましよう。
私の人生の最大の報酬の一つは私の体験談を話した後で、アマルガムを除去して、
人々が健康的な人生を取り戻すのを見ることでした。ごく僅かの人々が本当の心気症
の患者であると私は信じています。
32.化学物質過敏症・ポリープ
ジーン・M・グリフィン
私の問題は目、鼻、首のまわりの発疹と、ひりひりする感覚と共に1985年に始まり
ました。咽頭炎は8年間も続きました。それが水銀の毒性の影響によるものであると分
ったのは1992年の8月のことでした。
時々、私の喉は炎症を起こし、内側や外側に腫れあがり、しばしば喉は赤く、また
むずがゆくなりました。私は食べ物を飲み込むのにも骨が折れました。私は耳鼻咽喉
科の専門家によって、副鼻腔から17個のポリープを取って貰いました。印刷物はひど
い刺激物となりました。私は滑液包嚢炎、鼻孔の炎症、顔面の皮下で血管が蜘蛛の糸
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 74
のように這う症状になっていきました。私は絶えず金属の味を感じていました。しか
も、新しい詰め物を入れるために歯科医の治療を受けた後次第に悪化して行きました。
私は、今振り返って、なぜ正しい結論を引き出さなかったのかを訝っています。私は
泣き叫び、そして意気消沈していきました。私は皮膚病専門医とアレルギー専門医に
診て貰いましたが、私の健康上の問題は続きました。
私は4年間にわたり4ヵ月ごとに歯科医に治療に行きました。その間に歯科医は詰め
物をし、歯冠をかぶせ、ブリッジをはめました。私が彼の診察室を退去するたびに、
いつもの元気がないと感じる日々が続きました。時々、唇に風邪のときのびらんがで
き、噛むたびに悪化する、ひりひりする発疹が突発しました。
私は煙や犬の毛、石油に対してアレルギーになりました。私は首を左右に動かせま
せんでした。私の頭は支えるのには大変重いと感じました。私の首はいつも赤く、炎
症を起こして、むずむずし、また熱っぽかったのです。
私はビタミンCや、毒素排出治療によって良くなるだろうと考える医者を見つけまし
た。それらは多少救ってくれました。特に35gのビタミンCの静脈注射の後には。
1992年の4月に、私は再び歯科医の所に行きました。彼は私には詰め物が必要だと考
えました。その詰め物を詰めてから1時間以内に私は請求書のカーボン紙に猛烈に反応
しました。その反応で私の顔が腫れ上がり、鼻柱の左側の血管が膨れて大変痛む程強
烈でした。私の喉は相も変らず10倍も悪くなりました。各反応は増悪して行きました。
私は問題の原因を見つけたと確信したので、歯科医に電話しました。歯科医の反応は
信じられないものでした。彼は私がどこかよそに助けを求めた方が良いと考えました。
私の信頼する歯科医は私に言いました。彼の考えは正しいと。そして、私は彼を信じ
ました。治療できるのは歯科医術ではあり得ませんでした。そこで、更に4ヵ月の間、
私は歯科医術以外の治療法を探すことを試みました。
私はEDTAの毒素排出治療を私に施してくれた全体論的な医者を見つけました。彼は
何が進行しつつあるのか分りませんでした。しかし、私は彼が何か良い考えを持って
いるのではないかと思いました。
私は私自身で歯科医のところに戻り、彼が4月に詰めた詰め物が取り除かれるまでは
私は歯科医院から退去しないと曖昧な言い方で彼に告げることを決意しました。私は
彼が間に合わせの詰め物を詰めたことを確認しました。2日後に彼は残りの詰め物を取
り除きました。最後の詰め物が取り除かれた時に、私は数分内に信じられない排出感
を経験しました。発疹は消え始めました。私は素晴らしい解放感を感じました。その
時私は8年間の肉体的苦痛だった私の病が間もなく終るだろうと知りました。私はどん
な歯科治療の材料が私の歯に使用されても許容できるかを見つけなければなりません
でした。私はその時はまだ歯の中に水銀があったことは知りませんでした。
「インフォ
ームド・コンセント」についてはその程度でした。
私はコロラドにあるハル・ハギンス特殊症状センターと「すべてはあなたの頭の中
に」という彼が出版した本を見つけました。印刷物であるので、私はそれを読むこと
ができませんでしたが、彼らはテープと私が読める文献を送ってくれました。ハギン
ス博士に感謝。私は彼のセンターに生体適合性について血液検査を要望しました。
10日以内に38ページのレポートが私の選んだ歯科医に送られて来ました。私はマサチ
幸せな人生を奪い去る水銀 - 75
第3章 体
験 記
ューセッツ州ハノーバーの水銀を使用しない歯科医であるデービッド・ギャノン博士
を選びました。この情報により彼は私の歯に適合する樹脂を使うことができました。
私の他の歯科医がそのままにしておいた2つのブリッジの下のいくつかと、間に合わせ
の詰め物の下のいくつかの古い水銀の痕跡を彼は取り去りました。
私はそれ以来細胞からこの毒を除去するために鍼療法、ビタミンの大量服用、毒素
排出治療、高度の結腸洗浄、灸療法、吸角法、ハーブの解毒茶や、多くのビタミンや
ミネラルで治療しています。胸の左上部の痛みや、左腕の下部の痛みのために、私は
ストレス検査、EKG(心電図)、MRI(磁気共鳴画像診断)を受けました。心臓科医は何も
見つけることができませんでした(水銀はMRIでは映し出されません)。
信頼されている知的職業が如何に無神経でいられるのでしょうか?現在も私はこの
破壊的な有毒金属と結びつけて考えられるいくつかの問題を抱えています。しかし、
私は長い道のりをやって来ました。ギャノン博士や、彼と同じように水銀の蹂躙につ
いて腹蔵なく意見を述べることを恐れない人々に感謝します。
33.慢性疲労症候群
デービッド・サッターリー
今日は。私の名前はデービッド・サッターリーです。今年は私がやっと危険な、衰
弱するする病気:慢性疲労症候群を克服してから、私と家族にとって素晴らしい年であ
ったことが証明されました。
私は37才で、2人の子供達を連れて結婚しました。私は大工として働き、成人してか
らの人生はすべて建築分野において過ごしました。2年半と少し前、複合アパートメン
トを改造している間に、私は重い病気になりました。たった2~3時間働いただけで、
私は疲労し、吐き気を催すようになりました。それは頭の中にあるか、私が食べた何
かによるのかと、自分自身につぶやき、私は働き続けようとしました。もし、私がに
かわや密封剤、木材用染料やペイントに曝されていたら、私はもっと悪くなっていた
でしょう。遂に1989年2月に私は完全に仕事をやめなければならなくなりました。私の
顔や首、胸や腕は腫れ上がり、炎症を起こすようになりました。皮膚は絶えずむず痒
かったのです。度々、私は血が出るまで引っ掻きましたが、依然としてむず痒さは止
まりませんでした。私の目にはいつも黄色い目やにのようなものが流れ出ていました。
朝私の目は腫れ上がり、糊づけされたように開きませんでした。
痒みは夜になるといつももっと悪くなりました。眠れない時期もありました。何日
間も続いてうたた寝をする以外、殆んど休息を取ることができませんでした。睡眠不
足のため、私は非常に怒りっぽくなり、また、落ち込みました。眠気が来ても、それ
は一日を通して何時来るか分らない状態でした。やがて、寝ている間に悪寒と震えが
始まり、しばしば目を覚ましました。睡眠の後で目が覚めても寝る前よりももっと疲
れていました.
幼児期から私は皮膚の発疹と慢性的なアレルギーになっていました。私はほんの少
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 76
ししか効果のない、あるいは全く効果のない関節炎治療剤、抗ヒスタミン剤や神経薬
を貰うために、アレルギー専門医や皮膚病専門医に行きました。1989年3月の半ばごろ、
私は薬以外のものを求めて、ネバダ州リノにある同種療法(ホメオパシー)の医院に
行きました。彼らは私を発疹ウイルス、サイトメグロウイルス、ウイルス性肝炎、単
純庖疹、カンジダ症とひどい環境上のアレルギーであると診断しました。彼らの処置
計画は1ヵ月におよそ5OOドルの費用がかかりますが、私にはそのお金がありませんで
した。妻の助けを得て、私はウイルスと戦うため、自然の代替治療法を始めました。
これは病気を鈍くするのに役立ち、私はパートタイムでの仕事に復帰できました。私
は一週間働けるようになりましたが、回復するのにいつも一週間かかりました。言う
までもなく、これは私の家族と私にとって肉体的にも、精神的にも、また、金銭的に
も莫大な負担でした。私たちは、治療を続けるために、家に第二順位の抵当権を設定
しなければなりませんでした。もし、妻が働いていなければ、私たちは破産していた
でしょう。
その夏の後で、私は頭から足先まで悪い発疹や腫れ物に覆われました。再び通常の
医療手段を試みることを決心し、私たちはその地域で最高の免疫学者のところに行き、
一錠5ドルの処方薬プレドニゾンを得るために250ドル支払いました。これは発疹を鈍
らせる助けとなりましたが、真の問題に達するものではありませんでした。症状はい
まだに日替わりで浮き沈みする状態でした、
9月1日までに、私は再び準通常の基準で働き始めました。ハーブとビタミンを摂取
して、大変良い食事療法を実行することが助けとなりました。私は白い砂糖、白い小
麦粉、あるいは化学添加物は全く食べず、乳製品や精肉製品はほんの少ししか食べま
せんでした。特に牛肉は私を極めてむずがゆくしました。一杯のビールは私を3~4日
後戻りさせました。もちろん、アルコールは問題外でした。
1990年6月までに、夏の間中続けてこの地域の湖の一つの近くで改造工事で働きまし
た。病状は続いていましたが、多少はコントロールされていました。汗をかくと、皮
膚は炎症を起こし、痒くなり、ひりひりしました。週末には私は極度に疲れ、週末は
ずっとベッドやソファの上で過ごしました。仕事上の最後の作業は家を塗装すること
でした。私はその仕事を助けてもらうために、人を雇いましたが、それでもなお有毒
な化学物質に曝されていました。私たちは労働祝日の前の金曜日に仕事を終えました。
土曜日に私は再び具合が悪くなり、翌月はずっとベッドの中で過ごしました。
時には起きあがると、私はかなり良く感じましたが、シャワーを浴びるととても疲
れ、その日の残りの時間はベッドで過ごしました。たまに一日に3~4時間働きました
が、いつも悪戦苦闘でした。私はへとへとになって、むず痒く、そして肝臓や腎臓、
頭、関節、筋肉に痛みがありました。
1990年11月まで、物事は精神的にも身体的にも悪くなって行きました。私は常に落
ち込み、大層怒りっぽくなり、気力が無く、殆んど家の中に引きこもっていました。
私の気分は常に混迷していました。それはまるで誰かが私の生命力を燻すかのように
感じられました。1から10の等級があるとして、私はレベル2の水準で仕事をしている
と感じました。誰でも十分に長い間悪いと感じ続けた時、自殺は実行可能な選択肢と
なり始めます。
幸せな人生を奪い去る水銀 - 77
第3章 体
験 記
12月初旬に私たちは水銀中毒の可能性を調査し始めました。私たちは歯のアマルガ
ムに関するテレビ番組「60分」を見て十分幸運でした。次の水曜日私は水銀除去を専
門にしている歯科医に予約を入れました。私は彼を訪問する1時間程度のドライブで大
変疲れました。検査をしている15分の間、椅子に座っていることがやっとの状態でし
た。歯科医は彼が今まで見た中で最悪の症例の一つだと言いました。彼は水銀解毒の
処置計画を提案しました。それは処置を始めるまでに少なくとも2週間が必要で、その
後すべての重金属が身体から出てしまうまで、その処置を続けるべきだというもので
した。
私たちは3週間以内に詰め物の取り替えを始める予約をしました。私たちが帰ろうと
した時に、彼は私に水銀中毒の同種療法(ホメオパシー)解毒剤を1瓶渡して、これを
試してみて効果があるか見てみようと言いました。私は舌の下にそれを10滴たらし、
20分以内に別人のように感じました。私は妻の方を向いて、仕事に戻れる位気分がい
いと言いました。帰り道、私たちはクリスマスツリーを買いました。それは私が1時間
前にどう感じていたかを考えると記念すべき出来事でした。
1991年1月8日に、詰め物除去の第1回治療処置(訳者代表注:上下左右4箇所の奥歯
の列のいずれか1箇所)がありました。寝椅子の上で次の3~4日を過ごし、回復し、本
気で解毒を開始することは私の楽しみのアイデアではありませんでした。私は2日間本
当に妙な体臭がありました。私は一日に二度人浴しましたが、一時間以内に再び同じ
ように臭って来ました。疲労、頭痛、吐き気、むず痒さなどの古い症状のすべてが復
讐と共に戻って来ました。第二回治療処置は同じ効果を持っていましたが、その悪寒
は少しましでした。その間ずっと解毒のサイクルの間に私はより良くなって行くよう
に感じられました。1991年2月8日に最後の詰め物が取り除かれました。それから私は
仕事に戻り、一日を無駄にすることはありませんでした。
1991年5月中旬現在、私はまだ解毒のサイクルを続けています。しかし、その度に症
状はより穏やかに、また段々に離れて行きます。私の皮膚はここ数年で初めてほぼ正
常の状態になっています。そしてついに長い間失っていたエネルギーとスタミナを取
り戻しました。振り返ってみて、私は6年から8年間にわたり水銀の毒と闘ってきたこ
とを実感しています。
これらすべてのことが起こって以来、私は水銀の毒の研究を始め、同じような症状
と問題を抱えている多くの人たちを見つけました。しかし、一人ひとりが異なった診
断と症状を持っています。水銀中毒はこの国で私たちが持っている最も誤診された医
学上の問題なのでしょう。原因や治療法が知られていない多くの病気があります。今
こそ水銀問題を深刻に注視する時だと信じています。それはたくさんの医学的に不可
思議なことへの答となるでしょう。
水銀中毒の問題を抱えていると分った人たちに私はこの体験記のコピーを送ってい
ます。私たちはDAMS(歯科アマルガム水銀症候群支援協会)のミズーリ支部に職員を置
きました。DAMSは水銀中毒に毒されていた人々で作られた組織で、彼らは健康の探求
に十分勤勉で、詰め物を取り替えるのと同じ位単純な何かを試すことを望んでいまし
た。
どうぞ、他の人たちにあなたの経験を知らせることによって、彼らの健康を取り戻
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 78
すよう助けてあげて下さい。私と一緒に水銀中毒と歯のアマルガムに関して人々を教
育するためのDAMSの努力を支えて下さい。
34.人生の質の向上
バーバラ・J・ヘッガー
私の体験記は水銀論争における異なった視角からのものです。私が知る限り、私は
水銀に対するアレルギーを知らなかったし、如何なる病気との診断もされたことはあ
りませんでした。私の30年来の詰め物は取り替える必要があったので、口の中のひど
い金属の味を除くために、私はプラスチックのコンポジットにすることに決めました。
私が新しいコンポジットを詰めて以来、私はより良い質の人生を楽しみ、また私の
人生にすべて満足できる劇的な変化を認めたと本当に言うことができます。私の短期
的な記憶は、今は正常であり、頭痛は去り、そして皮膚はもっと健康的な輝きを持っ
ています。
数年前に水銀のアマルガムを詰められた歯は私の顎の中に絶えず続く痛みをもたら
しましたが、それが他のコンポジットに取り替えられた後は、痛みは鎮まりました。
私は申し分のない健康を享受していると思っていましたが、今、私は申し分ない健
康が意味するものをしっかりと実感しています。私は、水銀アマルガムの危険性につ
いて私に知らせてくれたことに対して、レニー・モーサーとメアリー・デービスに感
謝しています。
35.うつ病・疲労・頭痛・心悸亢進
ドン・ロウランス、口腔外科医
私は青年期であった年代からアマルガムの詰め物を詰めていました。私の両親は私
達が子供だった頃に歯科医へ行ったということを確認しました。彼等はまた私達がた
くさんのコーラを飲み、キャンデーを食べたということも確認しました。歯科医が詰
める虫歯に不足はありませんでした。
小学校では、私は読書することと、経験的知識に基づく言葉の連想が、私にとって
困難であるという学習障害がありました。私が何かについて考えたことと、言いたか
ったかことが決して調和しなかったのですが、越えられない問題ではありませんでし
た。高等学校では、私は、クラスのトップ10%以内で卒業するのに十分な成績でした。
しかし私は引きこもり、起床が困難でした。それは古典的なギリシャの運命論であり、
私が退屈していたからではないと信じることが好きでした。生活は霧の様でした。私
は活動していましたが、私の周りで何が起こっているか気付きませんでした。けれど
も、ともかくも私はなんとかやっていきました。
単科大学とその後の歯科大学で、私は季節に連動してうつ病の発作を起こし始めま
幸せな人生を奪い去る水銀 - 79
第3章 体
験 記
した。その発作は、葉っぱが落ち始める秋に起こり、葉っぱが出始める春に終る―余
りひどくではなく―まさに困り者でした。それはお父さんがクリスマスに大変愉快な
やつではなかったことを意味していました。
私の歯の経歴が始まったのにつれて、うつ病はより深く、より長くなりました。こ
の間に私はクリスチャンになりました。聖霊は私の態度を大きく変え、私の考えを向
けなおすことはできました。しかし、うつ病は相変わらず続いていました。祈りでは
それを取り去ることはできませんでした。しかし、神は同じような問題を持った人々
を私の生活の中に導くことによって、わたしの祈りに答えてくれました。
1987年までに、私のうつ病はもはや周期的ではなくなりました。それはもう1年中で
した。それは決して回復しませんでした。私はいらだち始めていましたが、夜に目を
覚ますような痛みを伴う心臓の動悸はありませんでした。朝には足、特にかかとが麻
痺してくるようになりました。私は、しばしば頭痛がして、集中することが難しくな
りました。私はこれは年齢に関連があり、それで運動を始めるべきと考えました。私
が運動を始めたとき(まさにほんの少しでさえ)、突然血圧が低下し、そして数日の間
疲れきっていました。私は心悸亢進(競走するような心臓の鼓動)に関する少なくと
も2つのエピソードを持っていました。しかし、すべての点において最悪であったこと
に、私はいつも疲れていました。私は睡眠を最も欲していました。昼食時に、1日の終
りに、早い就寝時間に、眠りたいと思いましたが、それは(睡眠は)決して十分では
ありませんでした。このことが私の家族に影響しなかったと信じてはなりません。そ
れは家族に影響を与えるには十分な時間でした。
1988年に、私は歯科医の会議に出席していました。そして2人の歯科医がコロラドの
歯科医(ハル・ハギンス博士))について話しているのをふと耳にしました。彼等はア
マルガムがあなたにとって悪いという無意味なことを教えていたと言っていました。
私が聞いたところでは、彼等は正確に私のものに匹敵する症状のリストを引用し、彼
はそれらが原因となると言いました。私は「嘘つきの歯科医」は誰だったかを見付け
出し、彼に会いに行きました。
その訪問の結果として、私は詰め物を取り除いてもらいました。私は特定のビタミ
ン群を摂取し始めました。そして、私の組織から水銀を取り除く毒素除去療法をして
もらいました。すぐには何も起こりませんでしたが、6週間以内に私はより良くなった
ことを疑いませんでした。多くの心の混乱状態と、決意をすることの困難さは最初の
3ヵ月以内に去りました。
(1989年の)クリスマスまでに3年間にわたる私のうつ病は晴
れました。私のスタミナは、徐々に改善しました。私の疲労は正常範囲内となりまし
た。動悸はなくなり、そして私の足の麻痺も消え去りました。1992年までに、私は
50ポンドのバックパックを背負えるようになり、標高2,500フィートの山のキャンプ場
にハイキングに行きました。私は人生の新しい貸与期間(寿命)を与えられました。
そして私のものは私特有の症例ではありません。
警告の一言。あなたの詰め物が偶然に取り去られ、そして栄養補給の援助なしだと
したら、あなたは今の状態よりももっと健康問題を引き起こすでしょう。はるかにも
っと。それが取り除かれたとしても残滓からあなたを守るために計画された国際口腔
薬学および毒物学学会において啓発された特定の手順書があります。アメリカ環境保
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 80
護局はアマルガムの屑を有毒な廃棄物であると看做していることを忘れないで。十分
に注意深くあれ。
36.多発性硬化症(MS)・子宮内膜症
メロディ・エバート
多発性硬化症と子宮内膜症は、私が30才のときに9個の水銀アマルガムを取り除いて
貰ったら、私にとって過去のものとなりました。25才の時に説明のつかない疲労が私
を悩ませ始め、終りのないずらりと並んだ症状が限りなく続きました。初めのうちは
症状のいくつかはまさに不快であったし、それはわたしの妄想ではないかと思いまし
た。
影響を受けたいくつかの領域は平衡感覚、思考、記憶、集中と水疱(頻発と急性)
でした。私の手はぶざまでした。そして、何回も明白な理由もなしに、私は転びまし
た。時々私の腕は弱々しく、また痛みました。あるときは私の脚、手首またはくるぶ
しも痛みました。また、うずき、麻痺、そして短時間の鋭い痛みが異なった部位に見
え隠れしました。私はしばしばいらいらし、また重い気分の動揺がありました。生理
痛が身を切られるほどの痛みをもたらしました。処方薬の鎮痛剤は役に立ちませんで
した。下痢とひどい痙攣が予告なしに襲って来ました。過去の10年間、私は癒すこと
の出来ない喉の渇きを覚え、絶えず水を飲んでいました。また私の両足の裏は極度に
厚いタコ(皮膚硬結)に覆われていました。
疲労が私の生活を支配するまでに徐々に悪化しました。私は治療法を探しませんで
したが、水銀論争を調査した後は、アマルガムを取り除いて貰わないということは狂
気の沙汰だと実感しました。9個のアマルガムのうち最初の4個が取り除かれ、そして、
私が歯科医の椅子から降りた後で、私は直ちに2つの変化に気付きました。私が思い出
すことができる初めてのことは、私はのどの渇きを覚えませんでした。また、気分は
非常に穏やかで、リラックスしました。2週間後、残りの5個のアマルガムが取り除か
れ、コンポジットに置きかえられました。疲労がただちに取り除かれ始めました。水
銀アマルガムを取り除いて1年後、私のエネルギーは殆んどすべて回復しました。私の
足の厚いタコは徐々に新しい皮膚に置きかえられていきました。その他のすべての症
状は大抵直ちに消えていきました。私の免疫システムはいまやもっと強くなり、私の
筋肉は以前のように硬直したり、きつい仕事から炎症を起こしたりしなくなりました。
私の健康上の問題に対するこの答えを私に導いてくれたことに対し神を称賛します。
また可能なら何時でも水銀の危険性について真実を広げるお手伝いをします。
幸せな人生を奪い去る水銀 - 81
第3章 体
験 記
37.多発性アレルギー
G・スコット・クロウサー、職業的エンジニア
歯科の専門用語で「銀」は水銀―50%、銀―35%、スズ―13%、銅―2%とごく微量
の亜鉛から成るアマルガムの婉曲語句です。歯科医は「銀」の詰め物として私たちの
歯にアマルガムを詰めます。すべてのアマルガムの金属はその金属間に共有結合のな
い陽イオンです。陽イオンの反発力は必然的に体内に水銀を放出します。水銀は単独
で最も有毒な金属です。水銀は超微量で人間の細胞に損傷を与えます。水銀の漏出と
それに続いて起こる病理学上の損傷はゆっくり、微妙に進行します。それで大部分の
健康上の問題は、アマルガムを最初に詰めてから後、数年たってから生じます。それ
故、ごく少数の人しか水銀の毒性と健康上の問題を結びつけません。幸いにも、私は
その関係を見つけ出し、水銀が私を殺す前にアマルガムを取り除きました。しかし、
もう少しで殺されるところでした。本当にもう少しの所であったため、忘れることが
できません。
アラスカのパルマーに住む子供として、私は常に強く、健康であると感じていまし
た。12才のとき、私は歯科医に行きました。そこで彼は4本の虫歯を発見し、穴を開け
て「銀」の詰め物を詰めました。19才で、私はオレゴン州コーヴァリスに移り住みま
した。そこはアラスカより花粉が多く、すぐ後にアレルギーと喘息が発病しました。
私が22才の時、カリフォルニア州のバークレーに移り住みました。そこはオレゴン
州より更に花粉が多かったのです。私がそこに着いた日に1~2分毎にくしゃみをし始
め、そしてそれが続きました。突然生じた重い喘息でぜいぜい息をすることを訓練し
て、私は発作を止めました。私は医者に行きました。彼は血液見本で実験検査を行い、
「あなたは複数のアレルギーを持っている」と結論付けました。彼は、アレルギーの
症状を抑制するために、いくつかの抗ヒスタミン剤を処方してくれました。
私が23才の時、アンカレッジのアレルギー科医は私が塵、花粉、かびのアレルギー
であると結論をくだしました。彼はこれらのアレルギーを治すために一連の薬を処方
しました。また喘息のぜいぜい息をするのを抑制するために、ベントリンや吸入剤を
処方しました。それから10年を経て、私は日用品や卵や他の多くの品物に対してもア
レルギーを発症しました。私の筋肉はさらに弱くなり、筋肉運動の調整が損なわれま
した。私の副鼻腔は充血し、慢性の頭痛はひどくなりました。この数年の間、私は悪
化した健康を治療するため多くの医者に受診しました。しばしば、私は長期の流感を
患っていました。医者は抗生物質の大量服用の処方によって治そうと試みました。そ
の医者達の誰一人として、私の健康問題がアマルガムの詰め物に関連しているとは言
いませんでした。
私が34才の時、ほぼ2ヵ月近く肺炎を患った後で、私は「代替医療」の医者を訪問し
ました。それまで私は8個のアマルガムの詰め物を詰めていました。私のアレルギーに
ついて聞いた後で医者は検査を行い、私の身体は水銀に曝された時に極度に弱いこと
を見つけました。彼は私にアマルガム詰め物を出来るだけ早く取り除くことを勧めま
した。私はアマルガムが私の優れない健康の一因となっており、それを取り除く費用
がそれに値するならチャンスであると考えました。それで、私は独特のアマルガム除
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 82
去を専門とする歯科医のところへ行きました。彼は最初にそれぞれのアマルガムが作
り出す電流を測定しました。アマルガムの金属は電気を作り出す電極のプラス・マイ
ナスの一対を作り上げます。その電流は、体内の自然な電流が3マイクロアンペアであ
るのに比べ、0.1から9.8マイクロアンペアの範囲にあります。2つの診療所を訪れる間
に、歯科医はアマルガムを取り除きました。最初に彼は私の口の右側のそれらを取り
除きました。筋肉の緊張、慢性的な頭痛、副鼻腔の充血は身体の右側では直ちに止ま
りました。しかし左側では残ったままでした。アマルガムが私の左側から取り除かれ
た後に、筋肉の緊張、慢性的頭痛、副鼻腔の充血は左側でも止まりました。これらの
問題は、多分電流によって引き起こされていました。
私は自分の経験について話しました。そして私に最初のアマルガムを詰めた歯科医
については噂を通じて明白に聞いていました。私が彼に電話し、私の歯科医療記録に
ついて尋ねた時、彼は直ちに防御的になり、そして、
「アマルガムは安全……、私は科
学者だ、私はそれらの事を知っている、
」と主張しました。多発性硬化症協会による研
究はアマルガムが安全であると結論しました。詰め物から水銀が漏れることは不可能
です。何故ならそれらは合金ですから。もし、宗教上の経験があなたをより健康にす
るなら、それは素晴らしい……。あなたにとって喜ばしい。あなたは、病気だ、ペテ
ン師だ。そして、おしゃべりだ」。歯科医はもう少し他の事も言って、電話を切りまし
た。
私は弱い筋肉をより強くする為に重量挙げのトレーニング・プログラムを始めまし
た。反復の回数と各運動の重さはうまく設定されていました。アマルガムが取り除か
れて4日後に、私は運動を努力せずに完了しました。今日私は3倍以上の重量で同じ運
動を行いました。喘息を引き起こすことと私の筋肉を弱めることに加えて、水銀はさ
らに私の免疫系や、中枢神経系を傷つけました。私はビタミン、ミネラル、副腎刺激
剤、DHEA(副腎皮質分泌の男性ホルモン作用を持つステロイド)
、テストステロンや乳
酸菌を摂取して、それらを改善していきました。私はこれらの栄養補助食品を摂取し
ないと、くしゃみが止まらないのです。
私の身体から水銀を取り除くため、私は4回のDMPS毒素排出治療に挑戦しました。私
は、毎日ビタミンCをとり、カリのお茶を飲みました。このことは私の身体をより軽く
感じさせ、また私の反射作用を早める効果がありました。また私は処方薬ダイフリュ
ーカンを飲んで血中のカンジダ菌を殺しました。
4年前、私はナンバドリパッドのアレルギー除去技術(NAET’S)と呼ばれる何か新
しい治療方法のことを聞きました。私は、もしそのNAETでアレルギーを取り除くこと
ができるなら、試す価値はあると考えました。
このアレルギー除去方法はデビ・ナンバドリパッド博士によって開発されました。
博士はアレルギーとNAETプロセスに関してこう説明しています。すなわち、アレルギ
ー反応は受け取ったメッセージの結果であり、中枢神経系により作用するもので、接
触した物質の固有の特性による結果ではない。中枢神経系は物質の力の領域を無視し
たり、拒絶したりする能力を持ち、また適合させる性質や反発する性質による体内に
おける物理学上、生理学上、心理学上の問題の大きな変化を作り出す能力を持ってい
る。アレルギーを除去するために、身体はその固有の機能(能力)を再訓練すること
幸せな人生を奪い去る水銀 - 83
第3章 体
験 記
を要求する。それにより神経系は体内における封鎖や不快さをもたらすことなしに拒
絶されたアイテムの存在を受け入れる。(参照:デビ・ナンブドリパッド博士著、「病
気にさよならと言おう」カリフォルニア州、ブエナパーク、デルタ出版社、1993年
刊)。NAETは中枢神経系を刺激し、エネルギーの封鎖を取り除き、身体をバランスのと
れた状態に導くので、鍼療法に似ています。NAETを行う手順は、単純で、非侵略的で
す。
1) 患者は手にアレルギー物質のガラスびんを持ち、胃の上に置く。
2) 患者の脊椎骨に沿った鍼療ポイントが反射銃で活性化される。
3) アレルギー物質のガラスびんを持っている間、20分間患者の小腸と肝臓の鍼療
ポイントに針を刺す。
4) 針が取り除かれた後に患者は25時間の間、アレルギー物質から少なくとも25フ
ィート離れている必要がある。
5) それで患者はアレルギーにさよならと言える。
NAETの従事者はカリフォルニア・ブエナパーク(714)523-0800のデビ・ナンブドリ
パッド博士診療所を通して知ることができます。
過去4年にわたって、私は100回を超えるNAETを行いました。歯のアマルガム水銀症
候群の影響に苦しむ患者にとって、次のNAET治療は特に重要です。
:水銀、銅、カンジ
ダ菌-そして、ラクトーゼ(乳糖)と一緒に水銀とカンジダ菌の結合、熱、弗化物、
脳の化学品、塵や花粉など。これらのNAET治療の結果として、エネルギーは私の体内
でより良く流れ、いくつかの不可思議な症候群(MS)の症状は消失しました。
G.スコット・クロウサーはアラスカのDAMSの協力者です。彼はプロのエンジニアで
す。彼の工学研究は1994年のアルフレッド・ノーベル賞受賞に導きました。
38.アレルギー(多種類)・疲労・神経学的諸問題
M・エリザベス・カウフマン
歯科医の認識は現在の地球上で利用できる治療と全体論的なヘルスケアーのほとん
どすべてのシステムにおいて大きく系列完成に欠けている部分であるというのが、私
の強い信念です。
私は個人的に私の人生の30年以上を費やして、厳しく追及し、調べ、軽減と判断の
健全性のための命がけの追求の中で役に立つ「健康療法へのあらゆる道を経験」しま
した。
医者や医療の専門家から、脊柱指圧療法師、鍼師、同種療法(ホメオパシー)
、自然
療法、心霊治療者、まじない師、レイキ実践者、薬草医、栄養学者、マッサージ療法
師、整体治療師やロルフィング式マッサージ師まで訪れました。私は結腸治療、花の
エッセンス、陰陽両極性バランス、長寿食、菜食主義者と果食主義者の食事療法、色
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 84
彩療法、催眠術、確信的な証言、視覚化、調停・・・・そしてもはや思い出せないほどの、
その他諸々の療法を行いました。
私に治療を終らせるものは何もありませんでしたし、私にとって何が本当に悪かっ
たのかを立証するものさえありませんでした。そして私の歯や、つやのない口につい
てさえ、私の歯の健康状態を尋ねる人は誰もいませんでした。せいぜい、私の症状の
一つまたはそれ以上からしばらくの気休めを得るのが常でした。
私は落ち込み、挫折し、神経質で、心配性で、怒りっぽく、困惑し、自殺したい位
でした。
私は耐え難い割れるような頭痛が何日も続きました。私は「何も無い」のに絶え間
なく泣きました。私は考えることもできませんでした。車に乗ることも苦痛でした。
私の体重は95ポンドでしたが、食欲はありませんでした。私の胸にはひどく痛む繊維
質の腫瘍があり、皮膚とくに顔面には赤い大きな嚢腫がありました。かろうじて回す
ことができる私の首は、その首を通して塩酸が滴ってきたように、深い内部で絶えず
燃えるように感じました。機能障害的な、環境的に敏感な、また慢性的に疲労したと
言うのは、私の健康の状態を(控えめに)述べるものとして、それまで知らなかった
言葉です。
15年ほど前に、これらの状況の真っ只中のどこかで、私は、「銀」の詰め物を取り除
くことを決意しました。私は失わねばならなかったものは何かと想像しました。その
上に、探求、精神発掘の視覚化と黙想が私の直感を発展させました。そして私は、歯
の周りに若干の「違和感」を感じることができました。これはDAMSが存在する前から
長い間ありました。アマルガムの解毒をする以前に、ないしは、私がアマルガムとは
何たるかを知る以前から長い間ありました。
私は「銀」の詰め物を取り除いて、プラスチックの詰め物に取り替えることにしぶ
しぶ同意してくれた歯科医を見付け出しました。彼は(そして、私も)私が狂ってい
ると思っていたことは、その時点では明らかでした。彼が最終的に同意する前に、私
があらゆる金属類に対してアレルギーであると彼に話すべきでした。私たちは約4週間
の間に一時に一象限(上下左右の四象限の一つ)ずつですべてのプロセスを行いまし
た。私は臼歯とブリッヂの下にたくさんの金属類を詰めていました。
彼が片側から金属を取り除くと、突然、エネルギーのものすごいシューという音が
私の全身からほとばしり出てくるのを感じました。私が今まで感じたこともなければ、
想像さえしなかったような。エネルギー!!その瞬間に私はこの歯の旅と金属の除去
で正しい路をたどっているとあらゆる疑念を越えて知りました。
最後の詰め物が取り除かれてから数週間以内に、私の首の焼けるような感じはなく
なりました。(私は誰の物語でもこの部分が好きです。)まさしく嚢腫と繊維質の腫瘍
は消え去りました!私はいつも泣いていませんでした。私の耳の中のバイブレーダー
のモーター音は静まりました。そして私は少し思考することさえできるようになりま
した。それ以降の数年、実際まさに今日まで着々と改善し続けました。
(治療の)椅子に座ったその日が私にとって新しい旅の始まりでした。「歯の真実」
と私はそれを呼びました。そして私はまだその上にいます。私は身体の平穏と歯の健
康との関係において何らかの手掛りを探し始めました。私はたくさん、たくさんの質
幸せな人生を奪い去る水銀 - 85
第3章 体
験 記
問をしました。私は、利用可能で代替できる歯科の材料を探求しました。私は、「専門
家」であると装って、歯科の研究所にさえ電話をかけ、彼らに問いただしました。そ
れは私が「銀」の詰め物は実際には50%が水銀であると知ったときでした。私は、カ
ナダで1人の歯科医を見つけました。彼は水銀の詰め物と慢性カンジダ症を結びつける
新しい研究を分担することを望んでいました。私は、顕微鏡でしか見えない非常に小
さな咬み合わせの重要性とそれが人の姿勢と筋肉組織のシステムに如何に影響を及ぼ
すのかを学び始めました。私は個々の歯と身体の他の部分との間の相助作用の関連性
を勉強し始めました。
私は最も博識な歯科医師数人を見つけました。多分、最大限に私を助けられたであ
ろうその人たちは私の諸々の質問のうちのいくつかに答えるのを恐れていました。特
に私の場合(水銀の詰め物)のような他の可能性のあるケースの病歴についての質問
や、「相互依存的な作用」の関連に関する質問については。1人の歯科医はそのことに
ついて私と話したくないときっぱりと言いました。何故なら、彼の医師免許を「アメ
リカ歯科医師会」によって取り消されたくなかったので。彼はこの種の物事について
の「ガイドライン」があると言いました。そして、歯科医達は歯以外については何も
議論したり、診断したりすることを許されていません。そこで彼等は実践においては
水銀の詰め物を使わなければならないのだと。
私は、過去15年にわたり、アマルガムを取り除いたことから生じた私の個人的な変
化について、文字通り数百人の人々に話してきました。私を知っている人々はその変
化を見ていました!最初にそれらを取り除いた歯科医もその変化を見ていました。い
くらかの人々に、私はそれ(水銀)が作用したという私の物語を話しました。そして
彼ら自身大変意味深い結果を経験しました。何人かの人は私がこれらすべてについて
取り付かれている(妄想している)と言いました。グルメレストランに食事に行き、
噛むたびに大気中に水銀の霧(蒸気)が放出されていることについて、議論し始める
ような人を彼等は誰も知りません。
真実は……水銀は地球の表面で人に知られた最も有害な物質の一つです。これには
すべての銀の詰め物の中の水銀も含んでいます。
全生活万博で5年前に、私がDAMS(歯科アマルガム水銀症候群支援協会)グループに出
会ったとき、私がアマルガムを詰めていたことを全く知らなかったことは、ちょうど
旧友に会うことのようなものでした。ほとんど私はノーと叫びました。これらの水銀
の詰め物について真実を広めており、そしてアマルガムを使用することにより起こっ
た苦しみや荒廃を終らせるためには何でもするという非営利の献身的な組織であるグ
ループが現実に存在していたことを見つけ出し、私は大喜びしました。あなた方は信
じることができると私は叫びました。
私の全人生はそれら水銀の詰め物によって傷つけられてきました。そして、まだ、
私の体験が多くの例に比して本当に穏やかであると知っています。私は最初に私の口
の中に水銀を詰めた歯科医に非常な怒りを持っていました。それでもまだ私は思いや
りある態度を学ぶことを熱心に試みています。これは彼等の誤りではなく、歯科医達
もまた実のところ被害者であると実感するようになりました。そして、多分あなたも。
私はたくさんの「歯の真実」について困難な道のりを学ばなければなりませんでし
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 86
た。最初のアマルガムを取り除いて以降、私は新しい歯冠をパラジウムから金にする
ため取り除かねばなりませんでした。歯は根管を理由として引き抜かれました。新し
いブリッジと歯冠は金属を「セラミック」にするために取り除かれました。TMJ療法、
歯根の削り取り:歯は歯周病を理由として引き抜かれました。歯槽骨空洞の治療、生
体適合した部分治療、そして私はまだ治療を続けています。
私は歯科の「上級化」と改良があるたびに、私の全体的な健康と活力と幸福が劇的
で、絶対的で、またまぎれもない改善を経験しました。10年来の慢性症状がこれらの
歯の変化によって、一夜にして「奇跡的に」消失しました。
この10年間で毒性なしの、環境に優しい、生体適合した、生物学上の歯科医術の歴
史的誕生の分野で多くの進歩がありました。歯の健康を得ることは今やより容易にな
りました。DAMSは広報誌、本、またはネットワークを持っていました。そこに私たち
にとって学ぶべきこれらすべての体験記があります。
(私の最初のプラスチック・コン
ポジットは10年以上もちました。
)幾人かの大変勇敢な、開拓者的な歯科医達がいまし
た。その人たちは真実を見ることを賛美し、それを実践することを恐れません。健全
な歯です!
つい最近、私はこれらの歯科医たちの1人に歯を抜いて貰いました。いくつかのタイ
プのレーザー器具が引き抜く箇所で使われ、その後ただちに私の顔の経絡、頭や喉、
そしてリンパにも同様に使われました。それから、数種類の同種療法(ホメオパシ
ー)の注射がその箇所に行われ、アキュスコープ機による処置が続けられました。私
は家庭での追跡検査のために、同種療法(ホメオパシー)
、薬草、ビタミンとアロエベ
ラの袋を受け取りました。それは少しも痛みを感じさせませんでした!療法実行中ま
たは実行後も一度も痛み、腫れ、ショックや精神的衝撃はありませんでした。治療は
迅速でした。私は一粒のアスピリンも飲む必要はありませんでした。今や、これは進
歩です。
それで、ここで歯について知ることは、まさに今がその時です。私たちは歯がどう
なっているのか、そして、何が歯の中に施されるかを知る権利を絶対持たねばなりま
せん。私たちは選択肢に何があるのかを知る権利を絶対持たねばなりません。そして、
私たちは選択の自由を絶対に持つべきです。そして、私たちはこれを得るために何で
もやるべきです。それを要求しましょう。それは私たち次第です!そして私たちがこ
こにいる限り、すべての人の全体の健康と幸福にとって、歯が持っている真に重要な
役割に関して広まった認識を至る所で眼に見えるように広めましょう。いくつかの真
の肯定的な、健康的な、内容の充実した進歩が今ここに。私たちが本当に利用するこ
とができるものが。
39.中枢神経組織機能不全
ゴードン・アダムス・ジュニアー
1987年10月5日のことでした。私の歯科医(ある緊急の治療のため診療のスケジュー
ルが遅れていたのですが)が私を強要して水銀を含んだアマルガムを二つの小さい虫
幸せな人生を奪い去る水銀 - 87
第3章 体
験 記
歯の穴に詰めました。その結果、私のそれまでの日常生活は完全に破壊されてしまい
ました。そこで私の健康を回復するための解決方法を数年間無駄に探し求めた後、ま
た、3年間の大きい医療センターでの良い結果を生まなかった諸治療の後で、私はある
医師に紹介して貰ったおかげで、ある程度健康を回復することができました。彼は私
の不健康の理由はまず第一に歯科医による水銀を使用した治療によるものだと信じて
いました。
私の父は歯科医であったため、その家庭環境のため水銀被曝を受けるようになった
のかもしれないのですが、私は数年の間に12個ものアマルガムを詰められていました。
私の医師は私の歯科医に前から話をしており、歯科医はこれ以上アマルガムを使用し
ないという私の治療計画に協力することに同意しました。ですから私の歯科医が2本の
新しい虫歯をドリルで削って穴を開けて後、私が歯科医にコンポジットを詰めること
に同意していたことを思い起こさせたとき彼が立腹したのには大変驚きました。
彼はコンポジットはその2本の歯の詰め物としては不適当で(両方共小臼歯にあり、
1個は穴が深いため)
、「歯を殺してしまうだろう」と言いました。彼は助手を一人呼び
入れました。その助手はコンポジットが原因で高価な根管治療をする必要が出てくる
であろうと確認しました。私が金の詰め物を要請すると、その歯科医は激怒して私の
かかりつけの医師の診断は「とんでもない扇情主義」であり、私の心配している病状
は「純粋なヒステリー」に間違いないと言いました。
彼は私に完全にむかついている様子でした。そして私の目の前にいることが何の理
由もなしに何となくいたたまれない思いをしているかのように振舞いました。私はこ
の虐待的な態度には狼狽しました。そしてこの圧力の下で降参し、アマルガムを詰め
ることを許してしまいました。その詰め物が詰められた後、その歯科医は不安そうで、
その場を取り繕う言葉を探して、もし私が不満になればその詰め物を替えましょうと
提案しました。それから彼は信じられないほど明白に言い切りました。「ゴードンさん、
心配しなくてもいいですよ。アメリカ歯科医師会は何か問題があること知っており、
その問題の解決に取り組んでいるのだから」。
ほんの数分前までは彼は何の問題もないと―即ち危険性は全くないと―そしてこれ
は全くの悪ふざけで猛烈に主張していたのに。アマルガムを詰めた後30分ぐらいで、
私は今までになかった頭のてっぺんの中央線の左側部分の頭痛になりました。私の思
考力は鈍り、ぼんやりしてきました。そして、方角が分らなくなりました。目の焦点
が合わせにくくなり、サングラスを掛けているのに私の目は太陽のまぶしい光に過剰
反応しました。私が家に帰り着いた時、強力で執拗な絶望感、即ちそれまで経験した
ことがない不思議な感覚、に襲われました。それはものすごく強制的な力であり、そ
の時私がいくら考えても、確かに、全く思い当たらない力でした。
私はこの症状の原因は心理的なものであるとは信じることができませんでした。私
はそれが化学物質が原因であると完全に確信していました。約2時間後にはこの執拗な
身体の重さは過ぎ去り、私は眠りにつきました。目覚めると頭痛はなくなっていまし
た。でも、私は肉体的に衰弱感を覚えました。肩が凝って、思考は霧の中の如く朦朧
として、私は誰かに私の知能指数が30ポイント削り取られたような感じがしました。
私の脳のある区画がもはや働かなくなっているかのように、集中することもできず、
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 88
一連の思考を続けることもできず、普通の一般に知られている名前や表現を思い出す
ことができませんでした。視野が狭くなって来たので、私はものを見るために切れ目
を入れたバケツを頭に被っているかのように感じました。繊細な知覚神経はすべてブ
ロックされ、周囲のものや、他人の存在から孤立しているように感じました。その翌
日、私は手を動かすとき異常な痙攣性の急な動きと、すべての筋肉が動いている間震
えが止まらないことに気付き始めました。加えて、私は筋肉に力を入れ続けることが
できず、そして歩行はよろよろとよろめき、歩幅は一定でなく、バランスを欠いてい
ました。
今や私は目の筋肉がぴくぴく動くだけでなく、しばしば言葉、数字、文字を間違え、
方向が分らず、視覚が混乱し、それに伴う諸混乱の症状を覚えました。重要な記憶喪
失があり、直前の物忘れが大層激しく、多分20パーセントの語彙を喪失しました。私
は両手の感覚を失い、思考と会話に際し外見上電気の遮断のように急にぷつんと切れ
ることを経験しました。それには通常不思議な頭痛が伴っていました。1987年10月5日
に2個の虫歯の治療のためアマルガムを詰める前にはこんな症状は全然ありませんで
した。私の日常生活は生き地獄になりました。私は熟練したコンサート・ピアニスト
で、私の記憶、運動能力、また視覚能力は私の生活を築いている個人的な強さの分野
でした。クラシック音楽教育への私の20年の投資は壊滅しました。私のモーツァルト、
ベートーベン、ショパンおよびラフマニノフを演奏する才能が消え去ってしまいまし
た。これは私が苦労して勝ち取った非常に貴重な私の財産でした。45年間の私の全生
活が消え去ってしまいました。言うまでもなく私の経済的基盤もまた消え去ってしま
いました。
1987年11月私は水銀中毒の治療を始めました。5年間にわたって、私は一連の41 IV
毒素排出治療を受け、1988年に防護措置を取った手順ですべてのアマルガムが適切に
取り除かれました。その水銀を使用しない歯科医は深い虫歯の中には底に遮断物がな
く、アマルガムは露出した神経の上に直接詰められていたと私に告げました。このこ
とはアマルガムから放出された水銀蒸気が神経通路を通って直接私の脳に届く手段を
提供したのは明らかです。アマルガムを完全に取り除いた現在では私の健康は徐々に
改善して来ましたが、私は、特にストレスがかかると、容易に混乱し、方向感覚を失
ってしまうハンディキャップを持っています。私の筋肉とその調整力は今でも正常で
はなく、私の甲状腺は銃撃され、そして私の腎臓は問題をかかえています。私は私の
墓標の適切な墓碑銘は、
「心配するな、ゴードンさん。アメリカ歯科医師会は何か問題
があると知っている。だから彼らは問題解決に取り組んでいる。」と書かれるべきであ
るとしばしば考えました。果たして私はアメリカ歯科医師会の救助部から連絡を貰え
るでしょうか。私に必要なのは何でしょうか。それは新しい神経系です。でも誰が私
にこれを返すことができるでしょうか。
環境、化学物質そして食べ物に対してさえ起こる過敏な反応(アレルギー等)が広
く認識されている時代にあって、私が既に証明されている神経毒素を避けることを誠
実に試みている医療従事者の医院に入ることができ、そしてその時、明白な敵意と欺
きであると私が考えているもので治療されているなんて私には信じられないことです。
歯科治療に起因する水銀中毒の発生が如何に稀だといっても、私たちの関心事はプロ
幸せな人生を奪い去る水銀 - 89
第3章 体
験 記
意識、礼儀、そして尊敬をもって取り扱われる価値があります。
私は、安全であると信じ、無邪気に私の口の中にアマルガムを詰めた古い世代の歯
科医達の罪を問いません。しかしアマルガムを、特にアマルガム過敏症の人に、相変
わらず使い続ける正当な理由は私にはどうしても見出すことができません。
40.多発性硬化症(MS)
キャスリーン・ハーナー
私はきらきら光る銀のボールを私の手から次の学生の待ち受けている手のひらにこ
ぼれ落したときぞっと身震いしました。7年生担当の理科の先生はそれが毒だと私たち
に警告していたのです。もしそれがそんなに毒であるとしたら、何故私たち全員の気
分が悪くならなかったのか不思議に思いました。私のクラスの学生は何故毒を手から
手へ回していたのでしょうか。
私は直観的にその毒を恐れていました。温度計が落ちて、銀色の球がころころと台
所の床を転がった時、私は水銀の毒とはどんなものだろうかと思いました。私は腹ば
いになって、水銀の球の裂片をつまみ上げて投げ捨てるために探していたとき、私は
「それはきっと恐ろしいことに違いない」と思った覚えがあります。中学生の頃私は
既に急性水銀中毒に罹っていたとは少しも知りませんでした。その通り、水銀中毒は
とても怖いものでした。
1953年12月のある日曜日の朝のこと、私はひざにけがをしました。それは非常に大
きく、深い傷でした。その3週間前に私は4才の誕生日を祝っていました。私の父はマ
ーキュロクローム(2%の水銀)の瓶全部をその傷に注いだのです。その時は私は救わ
れました。マーキュロクロームはヨーチンのようにしみませんでした。数日後私はデ
ンバーの小児科病院に入院しました。私は歩くことができず、膝は赤く腫れていまし
た。私は右のお尻の痛みのために脚を持ち上げることができませんでした。私の手は
大変硬くなって痛かったので、私はクレヨンを持ち上げられなかったし、本のページ
をめくることもできませんでした。私の両親に言わせると、私は非常にいらいらして
いて、非協力的でした。
医師たちはもちろん誤診しました。彼らはマーキュロクロームは安全だと言いまし
た。私はリウマチ熱、リウマチ性関節炎、そして、その他多くの体調不良と診断され
ました。彼らは私がもう二度と歩けないだろうと私の親に告げました。しかし数ヵ月
後私は本当に歩きました。私が再び歩き始めてからの診断では私の前の症状はペニシ
リンに対する過敏反応であったとされました。
(私はその秋、早々と、肺炎にかかり、
大量のペニシリン注射の治療を受けていました。)
実際、その不思議な病気の原因が何だったのか誰も知りませんでした。小学校時代、
私の脚とくるぶしはいつも痛く、それで身体のバランスがひどく悪かったのです。中
学生のとき、私は最初の水銀の詰め物を詰めました。それは非常に小さいもので、ま
だ虫歯にはなっていませんでした。……本当に虫歯予防のための処置でした。
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 90
私は中学校時代を通じてひどいうつ状態と奮闘しましたが、その状態のいくつかは
疑いもなく他の状況に起因していたのでしょう。私のバランスのなさは自宅では勿論、
体操の時間でも、いじめと冗談の源となっていました。私の脚とくるぶしはいつも痛
みました。
それから不思議な病気は中学校を卒業した年の秋に再び現れました。私の胸が痛み、
そして非常に重苦しく感じました。心臓科医は心臓にも肺にも病気はないと私の母に
保証しました。数ヵ月後私は非常に疲れてベッドから出ることができませんでした。
私は数日間学校を休んだ後、父の知人の医師ブローダ・バーンズ博士の診察を受けま
した。私の疲労感と胸部の痛みの症状を聞くと彼はすぐ哺乳瓶位の大きさの注射器を
持って来て、私のすぐ傍に座り、私の静脈に金色の液体を注射し始めました。
「これは
ビタミンCです、」と彼は説明し、私の静脈に注射しながらライナス・ポーリング博士
の成し遂げた業績について次の30分間詳細に説明しました。私はポーリング博士やビ
タミンCのことはあまり知りませんでしたが、その時の効果を忘れませんでした。2日
後私は大変元気になり、活力に満ちて学校に戻りました。私の娘が生まれた後、例の
不思議な病気が戻ってきました。娘が生まれない内に家を塗り終えました。激しい疲
労感が戻って来ました。また数ヵ月間微熱が続きました。「大丈夫ですよ、」と医者は
私に言いました。息子を妊娠中に私の視覚に異常が出ました。
「それは妊娠中毒症です。
私たちは赤ん坊の中絶をしなければなりません」と医者は言いました。私は明らかに
高血圧ではなかったので、3度の入院治療をしたにも拘らず、その医者の勧めを無視す
る道を選びました。今日まで、何故私が妊娠中毒症と診断されたのか理解できません。
私はその診断を確認するための尿検査も血液検査も決して受けませんでした。また私
の血圧は決して高くなかったのです。現在、この息子は米海兵隊員です。
その息子の誕生後、私はずっと気分が良く、病抜けの期間を味わいました。私の
第3子は正常な妊娠で生まれました。しかしながら、私はこの男子誕生の4ヵ月後出血
のために子宮切除術を受けました。その頃私には筋肉の弱さから感覚の変化まで不思
議な症状がありました。私はまた外科手術の後水銀の詰め物、第2番目と第3番目を詰
めました。
私はある神経科医を受診しました。その神経科医は診察室を出る時ドアをバタンと
音をたてて閉めました。彼は私が精神錯乱だと言いました。彼は「あなた自身を把握
しなさい。精神科医に診察して貰いなさい」と示唆しました。どうして私の身体の左
側が精神錯乱によって麻痺するのでしょうか。私は落ち込み、怯えました。私は彼が
私のカルテに「おそらく多発性硬化症(MS)
」と書いているのを知りました。何故彼は
私にそのことを伝えなかったのでしょう。
この治療の数年後1982年に遂に私は多発性硬化症(MS)と診断されました。私はほ
っとしました。少なくとも私はそれ以上これらの多くの症状を引き起こしたかどで非
難されることはなくなりました。私を診断した神経科医は、心身状態に忠実に言えば、
他の神経科医とは異なった状態での診察でしたが、正に彼らと同様に全くいやな、む
かつくような人でした。彼はまた誤診したのです。彼は物が二重に見えるのは私が脳
卒中を患っているからで、今後重い脳卒中を起こして、2年以内に亡くなってしまうで
しょうと言いました。
幸せな人生を奪い去る水銀 - 91
第3章 体
験 記
彼の診察室はたくさんの猛烈に怖そうな鰐で飾られていました。診察室と病院の看
護師はその神経科医の態度を謝罪しました。その神経科医は私が彼の質問にゆっくり
答えたり、彼が好まなかったやり方で答えたりした時大声で私に向って叫んだのです。
1985年6月に私は4番目の詰め物の治療が必要になりました。私は「アマルガムかコ
ンポジットか」の選択を許されました。私はコンポジットを要求しました。私は水銀
についての論争と多発性硬化症(MS)との関連性について全然知識を持っていません
でした。しかしその歯科医はそれを知っていました。彼はまた私が多発性硬化症
(MS)に罹っていることを知っていました。コンポジットを入れながら彼は私に「ア
マルガムが余りにも汚れている(訳者代表注:危険である)と思い悩むのは無駄な心
配ですよ」と声をかけました。(彼らは醜い!)私が彼の診察室を去るとき彼は「とこ
ろで、私はアマルガムを少量詰めて、その上にコンポジットを詰めましたよ。だから
あなたは以前よりもっと綺麗な歯並びになるでしょう。何故ならあなたは虚栄心が高
く容貌を気にしているようだから」と言いました。私は3時間以内に、かつて経験した
ことがない、ひどい多発性硬化症(MS)の症状を経験しました。私は現在もそのアマ
ルガム治療に起因する各種の症状に悩んでいます。
私たちが歯科医の診察室を去った後、気分が悪くなってもその歯科医を呼ぶことを
知らないのは不幸なことです。私自身のような水銀中毒の経験を持っている人は初め
から水銀の詰め物を詰めて貰うべきではなかったのです。歯科医と医師は私たちの症
状についてあまり良く理解していないのが実態です。
1990年10月に私はニューズウィークで「中毒性の歯」についての記事を読みました。
私は遂にその関連性を見つけました。水銀はマーキュロクロームの中に、水銀はペン
キの中に、水銀はアマルガムの中に含まれていました。水銀は毒です。水銀により私
は病気になりました。水銀中毒は恐るべきものです。
私の3個の水銀アマルガムの詰め物は1990年11月に取り除かれました。すると直ちに
私の気分は良くなりました。それらの除去治療の3日後私の歩行が回復して来ました。
6ヵ月以内に身体の衰弱感、視覚の問題、または大部分の知覚上の障害がなくなりまし
た。(私は今でも身体のバランスが悪いのですが。)私が水銀に触れると、それが蒸気
であれ、チメロサル(殺菌剤)であれ、魚であれ、直ちに病気になります。私はこれ
まで水銀を避けることが本当に、本当に難しかったのです。しかし少なくともこれ
(訳者代表注:水銀中毒による病気)は、今や不思議な訳の分らない病気ではないの
です。私は今後二度と神経科医に診て貰いたくありません。
41.呼吸関連の問題
サンドラ・レデムスク
私は殆んど全部有機農法によって栽培された食べ物を食べ、健康的な生活を送り、
田舎に居住し、広範囲にわたる健康に悪影響をもたらす環境内の化学物質と電磁場に
曝されるのを減らしたり、取り除いたりしてきたのですが、長年同じ疑問を自問自答
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 92
し続けました。「私は何故完全に元気だと感じないのでしょうか。」私は健康に優れて
いるように思われました。まれにしか風邪をひかないし、インフルエンザにも罹りま
せん。でも何となく、もっと気分が良くなっても良さそうなものだと思っていました。
1993年3月、私は鼻で呼吸することが困難になったことと、食べ物、木が燃えるとき
に出る煙、カビ、ガスストーブから出る排ガス、自動車やトラックの排気ガスへの過
敏症がひどくなっていくことが心配になりました。それで私はアレルギー科医(医学
博士)に診てもらいました。頭のX線で重症の副鼻腔炎が見つかり、血液検査では白血
球数が低すぎる異常が見つかりました。私は一般的なアレルゲンを確定するためアレ
ルギー検査を受けましたが、重大な反応症状はありませんでした。その後1ヵ月にわた
って数種類の抗生物質を処方して貰いましたが、段々と強力な抗生物質が処方されま
した。私の容態は少し快方に向かうように思われましたが、最後の抗生物質治療を受
けた後、私はこれらの抗生物質が問題をもっと解決してもよさそうなものだと思いま
したが、一向に完治しませんでした。私の保険はこの医療費を支払ってくれない上、
私にはこの高額の治療費を支払う余力がなかったので、そのアレルギー科医に診察し
て貰うことをやめました。
1994年6月の暑く、湿度の高い天気が長い間続いた時が、副鼻腔炎、喉の痛み、咳、
そして、疲労の包囲攻撃を受ける始まりであるように思えました。ビタミンとハーブ
と静養による家庭療養に専念した数週間は余り役立たないように思えました。私の身
体がこの「病気の虫」をやっつける能力を持っていないことを心配して、自然派の健
康分野の人々の助けを求めました。私はただ病気の症状を治療するためだけに対症療
法の健康管理システムの薬品や抗生物質のバンドエイドを使いたくなかったので、私
はこの選択をしました。もし私が問題の根本的な原因が何かを知ることができれば、
私の身体は自己回復できる筈だと感じていました。
数ヵ月のプロによる自然派のヘルスケアーを受けていた期間中、私の病状は数週間
は和らぎ、それから数週間は悪化しました。私は病気であるか、そうでなければ何か
身体的のまたは化学物質のストレスにほんの少しでも曝されると病気になると感じる
一つのパターンが現れてくるように思われました。私の病気抵抗力は衰えていたし、
一旦病気になると健康を回復する能力がなくなっていました。1994年11月の検査では
私の腸内に善玉細菌は現れず、私の消化器系統は有機食品や健康補助食品を効果的に
活用することができないことが判明しました。粉末の乳酸菌と消化酵素と共に栄養補
助食品を摂ると、多少役立つように思われました。それと同時に私の環境の中に疑わ
しい要素がないかを調べ続けました。
私はグラフィック・アーティストとして働いていたので、1994年1月に私の仕事を全
部コンピューター化していました。ですから、その時は一日中コンピューター・モニ
ターの前で働いていました。私のコンピューター・コンサルタントは私が電磁波の磁
場を心配していることを知っていて、私のモニターは既にスウェーデンの基準に適合
していましたが、彼は1995年5月に21インチのモニターに取り付ける新しい安全装備を
勧めてくれました。そのモニターの後部に取り付けられた金属の帯と前面にあるアー
スを取った透明な板が電磁波の放射を70%減らすとのことでした。
私がその新しい安全装備を取り付けた2日後、新しい人間に生まれ変わったように感
幸せな人生を奪い去る水銀 - 93
第3章 体
験 記
じました。精力に満ち、気分が落ち着き、快活で、そして、私の仕事でストレスの多
い締め切り期限間近の仕事の業務処理が可能になりました。今では私は以前の私の病
気はコンピューター・モニターと何らかの関連性があったことを知っています。私は
問題の手がかりや、パターン、情報、そして、分析と相関性を探求し続けていたので、
テレビでシャーロック・ホームズの番組を見ていたことを嬉しく思いました。彼は私
の指導者になりました。
1ヵ月後、私が経験した嬉しい変化は薄れ始めました。病気のあのパターンは他の症
状が強くなりながら戻って来ました。うつ、希望のなさ、記憶力と集中力の喪失、頭
痛、疲労、苛立ち、叫ぶ発作、皮膚病、消化障害、不眠症、筋肉の弱化、スタミナ-
喪失、化学物質過敏症、食物と環境物質へのアレルギー。私はらせん状に体力が低下
するような感覚を覚え、決して回復しないであろうと感じていました。1995年10月の
私のコンピューターから離れた2週間のキャンプ休暇の期間中、私の気分は上々でした。
帰宅して、自宅で一夜眠り、目覚めたときまたもや病気になっていました。私は2週間
私のコンピューターを使って仕事をしていなかったので、この状況には全くまごつい
てしまいました。何か他の要因が私に影響を及ぼしていたのです。
1995年11月にたまたまある重要な情報が出てきました。
「あなたのコンピューターは
あなたのアマルガムの詰め物を溶解しているかもしれない」と有毒性なしの歯科医療
財団発行の1994年9月号の「歯科と健康の治療例」のマット・ハンソン博士のニュース
レターの中の記事です。この記事は私が発見した最初の確固とした科学的証拠で、私
の病気の原因を説明するのに役立ちました。ハンソン博士は「電気に対する『アレル
ギー』とコンピューターのモニター(VDU)の悪影響が急速に一般化する現象がありま
す。国際VDU会議での発表は低出力の電磁場の生物学的影響を生み出す2つのメカニズ
ムが働いていることを示唆しました。その最初のメカニズムは非同形の、刻々と変化
する磁場により誘導される電流によって引き起こされた歯の中のアマルガム歯科用詰
め物の電気分解です。2番目のメカニズムは外部の電磁場と身体の組織のフリー・ラジ
カル(活性酸素)産出の間の連結です。
」と指摘しました。
少量の水銀が私の水銀アマルガム歯科用詰め物から絶えず漏れ出ているとは知って
いたのですが、ハンソン博士の情報は私のコンピューター・モニターから出る電磁場
が原因となり私の水銀アマルガム歯科用詰め物の中の水銀が正常な速度よりもっと速
く溶解していると指摘しているように思われました。私は私の歯科用詰め物からより
多く出てくる水銀によって急速に中毒症状を示すようになりました。私の各種の症状
はすべて水銀中毒の症状のリストに出ていました。今日まで最大の支援者であった私
の姉を除いて、私が話しかけた大部分の人々は私が歯科用の水銀アマルガム詰め物か
ら水銀中毒を起こしていると信じてくれませんでした。私が医学博士号も他の上級の
歯科学の資格証明も持っていなかったので、人々は私がどのようにして自己診断でき
たのか質問して来ました。毛髪検査で高水準の水銀が確認されました。そして私は
「公認ヘルスケアー専門家」による私の症状の診断を待つ積りはないと心に決めまし
た。私の姉の援助があって、私は入手できる限りのあらゆる情報を集めて、読み始め
ました。私は読解と記憶に困難をきわめていたので、私の姉の擁護は恩恵でした。
私の電磁場被曝とそれに起因して発生する、より多量の水銀被曝を減らすため、私
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 94
はコンピューター・モニターの使用を中止しました。そして、液晶画面(他の異なるモ
ニター技術)がついたマッキントッシュ・パワーブックを買いました。2週間で私の容
態は快方に向かいました。私が全般的に電磁場に曝されることを減らすのが重要であ
るということが明白になりました。私は私の寝室の壁に電気のメーターと家全体の配
電盤が収容されているのを発見しました。この並外れた電磁場に曝されることは私が
長期休暇から戻った後病気になった理由を説明する一助になりました。
私の次に取った処置は毒の源、即ち水銀アマルガムの詰め物を取り除くことでした。
私は有毒性なしの歯科医療財団が提供しているリストから選んで歯科医達と面談し始
めました。私は有毒性なしの歯科医療の経験を持ち、水銀の諸問題点を理解しており、
水銀アマルガムを取り除く安全な治療手順をわきまえ、血液の生体適合性検査結果を
使用する気持ちを持ち、コンポジットを理解し、そして長年の歯科修復治療の経験を
持っていた歯科医を選びました。1996年1月に私は水銀アマルガムの詰め物(l4個)を
上下左右順番に(四分の一づつ)取り除いて貰い、生体適合性のあるコンポジットを
詰めて貰いました。この取り除きには何の健康への悪影響もありませんでした。私の
健康はこれまで着実に上り調子でした。除去3ヵ月後うつ、叫ぶ発作、いらいら感、絶
望感、頭痛、そして不眠症は解消しました。
他の症状は時の経過と共に軽減しています。でも35年間も水銀に攻撃された後です
から、私の身体がすぐに健康を回復するなどと期待できません。障害は分子レベルで
始まり、細胞のレベルに進行し、引き続いて身体全体の組織に影響を及ぼして、その
結果、微妙にバランスを保っているたくさんの組織を混乱に陥れました。私は10才か
ら14才の頃の最初のアマルガムの詰め物治療の後いくつかの病気の症状、手の震え、
生理不順、記憶と集中力の諸問題等が始まったことを今ではよく知っています。私が
作った病気の経過表によって、私は各種症状と水銀アマルガムの詰め物を詰めること、
取り除くこと、そして、新しい詰め物を詰めることを見て、相互に関連付けることが
できました。私の病気の回復における重要な要素はアマルガム除去治療の2ヵ月前から
始められ、これから以後もなお続いていく栄養補助食品と特別栄養食品によるジフさ
んの水銀除去治療計画でした。この除去治療計画に加えて、私が実行している有機全
粉食品を食べて、健康的な生活をおくってきたことが私の回復力を高めたのでした。
また私は免疫力を向上させる色々な方法を見つけるための、そして、アマルガム詰め
物が原因で起きる水銀中毒によって引き起こされたその他の身体全体にわたる障害を
治すための情報を引き続き集めています。
水銀アマルガム除去の9ヵ月後、私はまだ一般的な不安感と疲労を感じる期間を経験
していたので、自然療法の内科医(N.D.)に助けを求めました。彼は私の病歴を再検
討した後で、
「あなたは健康に良い食品と栄養補助食品を摂っているから、馬のように
健康な筈です」と言いました。私の消化器系はまだバランスを崩していることが明ら
かになりました。そのため私は食事や栄養補助食品を有効に活用することができない
でいました。
彼が勧めてくれた検査で副腎機能障害、非常に低い血圧そして赤血球と白血球の低
数値が明らかになりました。私の免疫機能と副腎や消化器系を強化するために特別の
栄養補助食品を追加したことは有益でした。
幸せな人生を奪い去る水銀 - 95
第3章 体
験 記
私は歯科用アマルガム治療の経験をして、人生が一変してしまいました。私は政府
が私の健康を保護してくれるであろうなどとはもはや信じていません。大部分のヘル
スケアーの職業的専門家たちは水銀アマルガムが原因となって起きる水銀中毒を健康
問題の分析に際して配慮すべきだという生化学上の厳しい意味合いに気付いていない
ことを知りました。私は歯科用水銀アマルガムに関する情報を広めることにその生涯
をかけて貢献してきた人達(ジフ夫妻、ハギンス、DAMS)に厚く感謝いたします。こ
の情報がなかったら私は今でもまだ病気であり、その病気の原因を探し求めていたこ
とでしょう。私の人生を私に戻して下さったことに対して感謝いたします。
42.痙攣性斜頸・発疹・感染症・不安感・震えと痙攣
マリリン・キーファー、登録看護師
私は1987年3月に初めて典型的な微量の水銀による中毒ではないかと思いました。私
は医師の指示で対金属反応検査を受けるためにある歯科医院に行きました。その歯科
医のところで私はパトリック・ストーテベッカー医博の「歯のアマルガムによる水銀
中毒―脳を冒す危険要素」というオレンジ色の表紙の本を取り上げました。
私はページをめくったのも気がつきませんでした。すべての言葉が「それは私のこ
とだ!」と思われました。79ページに「前頭葉の中毒による刺激性病変によって生じ
る臨床上の症状は第一に運動筋肉に現れる―最初期の現象は普通は頭と眼が逆方向に
向くことである」
、とありました。これは痙攣性の斜頸だ!私は何か本当に素晴らしい
ことに向っているような気がしました!それは私が約2年前から罹っている痛くて焼
印を押すような痙攣性斜頸の謎を説明していました。この診療所で震えながら、痙攣
しながら座っているとき、私は何か、探偵が遂に殺人の凶器を見つける糸口を発見し
たような気分になりました。
この本は色々の症状について書いていました―激しい疲労、情緒不安定、引っ込み
思案、発疹、衰弱をもたらす頭痛、どもり、感染症、肺の問題、不眠、頻脈、アレル
ギー、免疫の問題、痙攣、震え、視覚の変化、変形性椎間板症、筋肉弱化、骨格の痛
み、過敏性大腸症、記憶力の衰えによる多くの精神的倒錯を伴う対薬物反応、神経質、
集中不能、希望を失う、気分の揺れ、心配事、うつなどです。私はこれらの症状の全
領域にわたって経験していました。まさに多分、私が相談している医師が私の歯が容
疑者であると疑っていたことは正しかったのです。
その親切な歯科医は私の口の中を調べ、全部の歯を一本一本軽い電気ショックを与
えて検査しました。私は口中の金属部分に強い反応を示しました。6ヵ月前に入れた小
さなマリランド・ブリッジが私の健康問題を悪化させているように思われました。そ
の歯科医はそれをできるだけ早く除去するよう勧めてくれました。彼はまた、私には
一つも根管がなかったのは幸いだったと言いました。もしあったら、私はより多くの
問題を抱える可能性があったでしょうと。
そのブリッジは私の右下顎に入っていました。そして私の頭は左側にひきつってい
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 96
ました。また、歯科医は私の見えている水銀アマルガムをすべて取り除くことを勧め
ました。私はそれをかかりつけの歯科医がブリッジを取り除いた後で、長い日時をか
けて1回に4分の1づつ実行しました。この処置は銀の詰め物を取り除くための適切な臨
床試験計画表による訓練を受けた、豊富な知識を持つ歯科医にやってもらうことが極
めて重要です。この処置法は今は私がやって貰ったときよりもより完成され、より要
領よく、水銀の汚染も極小化されています。
ブリッジが取り除かれたその日に私はすぐ救われた感じを受けました。そして更に
私の口中から歯の金属を取り除いて貰うのが待てなくなりました。すべての眼に見え
ている歯の金属を取り除いた後でも私はまだ口中にできる炎症性の突起に反応してい
ました。この時、その新しい歯科医は、
「私はあなたの金の歯冠の下も調べなければな
りませんね。多分そこにも水銀があると思いますよ」と言いました。彼はそれを実行
しました。そして彼が疑ったように私の金の歯冠を被せた歯5本のすべてに水銀の核が
ありました。私は治療椅子の上で何時間も痛い目にあいました。処置を厄介にしたの
は私が自分の頭をコントロールできなかったからです。私は激しい痙攣で首を左側に
ねじまげられました。私の気の毒な歯科医は、ある時、もし彼が左利きだったらやり
易かっただろうとコメントしました。もし私がそれほど悪いと感じていなかったら、
私は口中を全部やり直すことに同意しなかったと思います。事実上、口はアマルガム
の貯蔵庫でした。しかし、発疹や頭痛、うつが殆んど直ちに止まったとき、私は正し
いことをしたのだと分りました。(各種研究結果が水銀に被せた金は水銀の流出を促進
することを明らかにしています)
歯科医が金の歯冠を取り外したとき、保険の関係で彼はそれらがいつ入れられたも
のか知る必要がありました。その日付が分った後で、私は登録看護師として私自身の
病歴作成にとりかかりました。それは歯の治療処置によって私が厳しい健康被害を受
けた証拠でした。私は自分の病気 ―慢性の季節性アレルギー、頭痛、発疹、感染症、
2回の肺炎― に、私の口中の歯の治療を始めるまではかなり上手に対処していました。
金の歯冠を一つ加えるごとに私の健康は急降下し、私の情緒に影響が出て来たのもそ
れからでした。私はコントロールできずに発作的に泣き叫び、気分が揺れ、うつにな
り、いつも不安で、記憶力の減退から神経質になるという状態でした。私の免疫シス
テムはおかしくなり、身体の左側だけにブドウ球菌に感染したことを裏付ける腫物が
できました。この苦痛は2年間続きました。私は免疫不全研究所へ送られました。同時
に私の骨格システムが壊れました。私は変形性椎間板症および関節症と診断され、そ
の後直腸からの出血で入院しました。5番目の金の歯冠を取り付けた後、私は頭の震え、
後頭部の上の方に刺すような痛みが出るようになり、ついに首の痙攣が私の頭を左側
に引き寄せてしまいました。混合金属のマリランド・ブリッジの更なる追加が私を重
金属中毒病床の入口に追いやったのでした。この時点で私の症状が開業医によって臨
床的に認識されました。それで、私はこの特別な歯科医の門を叩いた訳です。私の免
疫システムは大変弱くなっていましたが、生体適合性検査で私の身体が受け入れられ
る物質はごく限られていることが分りました。私の神経系統の障害はブドウ球菌感染
の後で起こりました。連鎖球菌やブドウ球菌のような口中のバクテリアが存在すると
ころでは歯の水銀がメチル水銀に変り得るということを一つの研究が明らかにしてい
幸せな人生を奪い去る水銀 - 97
第3章 体
験 記
ます。メチル水銀は1950年代半ばに日本の水俣を彼等の魚場である湾内に廃棄された
メチル水銀化合物によって引き起こされた神経系統の障害によって荒廃させた代物で
す。
職業看護師として、私は第一に代替療法の価値を学びました。何故ならそれが私の
回復に必要であり、利用したからです。伝統的な内科医たちは私を失望させました。
彼らは水銀中毒という診断を認めることを拒みました。そして、殆んど助けにならず、
私に「精神的なもの」と思い込ませようとしました。そのため私は代りの治療方法を
探さねばならなかったのです。私は脊柱指圧療法に通い、薬草療法を実行し、栄養補
給剤を摂りました。私の歯から金属が取り除かれた後、一人の臨床生態学者(水銀や
その他の重金属、毒素の影響に詳しい)がビタミンや食事療法、栄養補助食品、私の
体内にまだ残っている金属や化学物質を取り除くための血清で解毒するなど、私を最
もよく助けてくれました。私の激しい首の痙攣は徐々に軽くなりました。私は関節炎
や変形性椎間板症の治療のために従来の薬品と理学療法に加えて、鍼療法、マッサー
ジ、祈祷と多分に精神的な助けを受けました。(6年後の現在でも、私は解毒するとき
に、まだ前頭部の痛みが歯根部の鋭い痛みを伴って起こります)
神の恩寵とお助けによってのみ、私は健康の迷路から最善の回復への道を辿ること
ができました。それはすべてその価値がありました!今日、私は「薔薇の匂いをか
ぐ」余裕のある新しい人間です。私は社会保険上の障害者のため、看護師の仕事を辞
めねばなりませんでした。私はまだ石油製品、煙、コロン水などに対して問題があり
ます。私の自律神経システムは永久的損傷を受けました。私は身体の震え―ローギヤ
ーでアイドリング中の車のような―があります。そしてほんの僅かな情緒的興奮や刺
激で私の頭は震えたり、引っ張られたりします。私には関節炎と変形性椎間板症の痛
みがあり、頭脳は永久的に作り替えられてしまいました。しかし、振り返ってみると、
原因を発見しそれを入念に取り除くということは私の身の上に起こった最善のことで
した。と言いますのはこの経験を通して、私がかつて看護学校で学んだのと同じほど、
あるいはそれ以上のものを学んだからです。私はこのことが私の身に起こったのはき
っと私がプロとして私の経験談を語ることで他の同病の人々に彼等の不可解な病気の
あり得べき原因について啓発する責任を持っていたからだと思います。
1989年3月23日、私はこの案件を、情報を知らされず、疑うことを知らない歯科患者
達を啓発する期待をこめて、裁判に持ち込みました。その後、ミシガン州DAMS(歯科
水銀アマルガム症候群支援協会)がミシガン州の6000人の署名簿を毒性金属、特に水
銀とニッケル、が私たちの口中に取り付けられている事実を「知る権利」を求めてわ
が州選出の上院議員ジョン・ケリー氏の事務所に提出しました。ケリー議員はミシガ
ン州リンカーン・パークのある住宅で歯科材料の溶解による蒸気を吸って4人が死亡し
た事件(1989年8月)の後で現行健康法規の修正案を作成しました。しかし、その仮修
正案はその後彼の事務所内で凍結されてしまいました。
裁判所の調停人たちがアメリカ歯科医師会と私のかかりつけ歯科医は私の損害に対
して同等に責任があると宣告した後、アメリカ歯科医師会は手続き上の問題で除外さ
れました。
(私は本件が提出されるまで、代表者になっていませんでした。私が代表に
なってから、結局はその除外は確定しました。
)残った部分の訴え、私の歯科医に対す
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 98
る部分、は1993年7月20日の巡回裁判所にかけられました。私は$6,000の裁定を受け
ました。しかし、それは私にとっては見せかけの正義に過ぎませんでした。私は歯科
に関わり合いのある社会はそれを決して忘れないだろうと思います。この12月の裁定
に続く1月に、ミシガン州の歯科医は初めて歯科医師免許を取り消されることなく、内
科医と協力して銀アマルガムを除去することを許されました。私は今ミシガン州が歯
科医療におけるインフォームド・コンセントを必要とする2番目の州になることを希望
しています。カリフォルニアが1993年1月1日に最初の州になっています。
この法制化は私たち皆にとって重要です。とりわけ妊婦には水銀が胎盤壁を通過す
ることが研究によって明らかになっていますので重要です。絶対に必要でない限り、
妊婦は妊娠期間中は歯科治療を受けるべきでありません、次の世代に余分な重荷を負
わせることを防ぐために。歯科医は私たちに口中にどんな材料が入れられるか知らせ
る義務を負うべきです。
私は私が接することのできたすべての知識についてただ神に感謝します。素晴らし
い、才気溢れる、誠実で協力的な友人たちに医学的にも法律的にも私の進歩を助けて
頂いたこと、また一般社会に情報を提供することを助けて頂いたことに感謝します。
43.重症筋無力症
スチュアート・プレイマ
ハーイ!私はスチュアート・プレイマです。24歳です。今年は私と私の家族にとっ
て、4年前に私が重症筋無力症の疑いありと診断されたことを思えば、素晴らしい年に
なりました。
私は1991年に高校を卒業しました。その高校では私は重量挙げの選手のトップクラ
スの一人でした。私は完璧な健康体でした。
私の問題は1994年11月に始まりました。私は食物の嚥下が困難になり、舌に菌類が
生えました。嚥下が悪くなり続けたので、私はすぐにかかりつけの医師に行きました。
彼は何か分らずに困って、私にバリウムを飲ませました。彼は菌類は多分喫煙による
ものだろうと言いました。私の母はこの診たてに満足せず、私を耳鼻咽喉科の専門医
に連れて行き、検査を受けさせました。私は喉頭癌ではないかと心配しましたが、検
査ではどこも悪くないと分り、その医師はカフェインの摂り過ぎが原因と言い、私は
菌類用の口内洗滌薬を貰いました。でも何も改善されませんでした。それで私たちは
別の咽喉専門医に行きました。彼はただ私に私の舌のためにマアロックスを飲めと言
っただけでした。彼は私をバリウムを飲むために病院に送りました。しかし、何も分
りませんでした。すべて異常なしでした。
しばらく後で、私の問題は1993年9月19日に起こした自動車事故の連鎖反応かもしれ
ないと思い、行きつけの脊柱指圧療法師の所に行きました。私は何回か治療を受けま
したが効果はありませんでした。彼は私に神経科医のことを話しました。その神経科
医で私は重症筋無力症の疑いがあると診断されました。次の1年と2ヵ月の間、私はプ
幸せな人生を奪い去る水銀 - 99
第3章 体
験 記
ロザック(抗うつ剤)とプレドニソンに頼りました。それは最初は効いていたように
見えたのですが、すぐ私は落ち込んでしまい疲れてしまいました。遂に私は私自身で
これは効かないと決め、母や神経科医には言わずにプロザックとプレドニソンの服用
をやめました。薬物治療は冗談みたいなものでした!それでも、私は何とか働き続け
ていました。
私の嚥下障害は更に悪くなりました。私の食道は麻痺したようでパンや肉を嚥下す
ることが殆んどできませんでした。私が少しも良くならないので、私の神経科医は心
配して、更に検査を受けさせようとアイオワ州へ送ろうとしていました。彼は多分胸
腺を取り除くことを話していましたが、その前に更なる検査を望んだのです。
その間に、私の母の叔母が州外から休暇で我が家にやって来て、私の症状を聞きま
した。彼女はそれは水銀中毒のように思われると言って、彼女の脊柱指圧療法師に電
話しました。思い返せば、1994年7月17日に歯の詰め物をいくつか詰めて貰いましたが、
その後何か違和感がありました。実際、詰め物を詰めて貰ってから2ヵ月後、私の下り
坂は始まったのでした。私は、その歯科医が詰め物をしたとき、彼が助手にどうやる
のかと聞いていたので、何かいつもと違うことを試みようとしているのかなと思った
ことを覚えています。私たちはその歯科医に電話して詰め物には何が使われたかを質
問しました。彼は詰め物が問題になる人は稀ではあるが、もし私たちが望むなら詰め
物を取り除いて上げますと言いました。
私は行きつけの脊柱指圧療法師のところへ行き、私の毛髪を分析に出して貰いまし
た。その報告書を受け取りましたが私たちは大したことは分らないと思いました。私
の母は大変落胆しました。その後のある日曜日、私が殆んど夕食を食べられなかった
とき、母は彼女の友人で、健康問題を抱えていたけれどもアマルガムを除去した後で
良くなったという人に電話をかけました。その友人は毛髪の検査は必ずしも何かを明
らかにするものではないと言い、私たちに水銀を使用しない歯科医のことを話してく
れました。その歯科医は水銀の除去中に患者が水銀の蒸気を吸い込まないように、特
殊な装置と全く水銀汚染のない建物を持っていました。数日内に私は予約を取り、治
療を受けるため143マイルを走りました。私たちは彼に毛髪検査の結果を示し、彼は私
の腫れあがった歯茎を調べ、私の詰め物の錆を見せてくれました。私は一日ですべて
の詰め物を除去し、コンポジットに替えて貰って帰宅しました。
殆んどすぐに私は何がしかの改善に気付きました。菌類は全く消えて、私はきれい
なピンク色の舌を取り戻しました。私の嚥下もまた改善し始めました。一週間後に私
は神経科医に予約をしました。私たちは彼に私たちが実行したことを話しました。彼
は驚きました。そして彼は私の舌を見て「おめでとう」と言いました。それから、私
にもうここへ来る必要はないと言いました。
今、1年半が過ぎました。私はずっと改善を続けています。私はもう薬を飲んでいま
せん。このまま残りの人生を歩んで行けます。私には間もなく結婚しようと計画して
いる素晴らしい恋人がおり、好きな仕事もあります。私たちは毎日神に祈りが聞き入
れられたこと、そして私の問題の原因を発見する手助けをしてくれた適切な方々に私
たちを導いてくれたことを感謝しています。
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 100
44.頭痛・神経障害
ジョイス・ヴァン・ハアフテン
アマルガムに対する私の体験は私がまだ随分若いときに始まりました。私の歯は虫
歯になりやすく大臼歯も空洞センターの仲間に加わりました。その空洞部分には直ち
にアマルガムが埋められました。その結果、私は普通の人たちよりもたくさんアマル
ガムを持つことになり、そのうちのいくつかは大変大きいものでした。今だから言え
ることですが、私は水銀中毒の症状は何年も前に表面化していたのだと思います。私
は時々説明できないような疲労を覚え、集中することが難しくなっていました。しか
し私は自分自身に、ただ、年のせいだ、働きすぎだと言い聞かせていました。
しかし、1991年私が45才の時に、私は右側の顔と頭にきつい神経痛のような痛みを
経験し始めました。それから、いつも右側全体の頭痛も頻発しました。私がどんな治
療を試みても痛みは去ってくれませんでした。
その後の3年間、私はCTスキャン、頭のMRI,首のMRI,脳波検査、血液検査、ホルモ
ンチェックなどを含む多数の検査を受けました。しかし、問題があると分ったのは首
の椎間板だけで、それは頭痛の原因ではないと考えられました。私は神経ブロック、
熱療法、冷療法、異なる種類の薬物療法を受けましたが、いずれも助けにはなりませ
んでした。その時期に医師たちが処方してくれたいくつかの薬は却って私の気分を悪
くさせましたので、最後の苦しい数ヵ月間はイブプロフェンだけを服用していました。
私はまた休養、栄養補助食品、食事療法の変更、ウォーキング養生、首の延伸、脊柱
指圧などを試みました。しかしどれも役に立ちませんでした。
その期間に私はデ・モインのマーシー・ペイン・センターで3週間を過ごしました。
そこで私が既に知っていたことをバイオ・フィードバック・マシンで確認しました。
痛みはストレスとは関係ありませんでした。マーシーの人たちは私が痛みにどう対処
すればいいかを学ぶことを助けてくれましたが、痛みを軽くすることはできませんで
した。彼らは新しい頭痛を専門にしている神経科医を薦めてくれ、私を家へ送り返し
ました。
私はひどい状態が続いていました。私は集中できませんでした。記憶を失って困惑
し、説明しがたい不安に駆られました。私はまた疲労、筋肉の痙攣、筋肉のひきつり、
うずき、手足と顔の右側の部分的無感覚などを含む多くの症状に気付き始めていまし
た。私は生活をできるだけ正常に保つように試みましたが、それは大変難しいことで
した。私の新しい神経科医は誠実に私を助けてくれましたが、彼女は私の問題に対す
る解答を持ち合わせず、私は何をすべきか分りませんでした。
1993年の11月に転機がやって来ました。大変大きい大臼歯のアマルガムが壊れ、代
りにまた大きなアマルガムが入れられた時のことです。当時私はこの処置に関連付け
ませんでしたが、数日後に私は脚の上部に神経痛のような痛みを感じるようになりま
した。それは大変ひどかったので、私は助けなしには椅子から立ち上がれませんでし
た。同時に私は震えを経験し始めました、特に夕方に。そうなって、遂に私は全身に
神経障害を起こしていることを認識しました。そして私の多くの症状は多分すべて関
連していると。私は私たちの農場で有毒な化学物質に曝されなかったかどうか考えま
幸せな人生を奪い去る水銀 - 101
第3章 体
験 記
した。冬の間は化学物質は使わないのでそんなことはあり得ないと分っていたのです
が。
その後、神の恵みで私はラジオで何かアマルガムの良くない面を聞いたことを覚え
ていました。(WHOのジャン・マイケルソンとデ・モインの歯科水銀アマルガム症候群
支援協会(DAMS)の人たちとの会話をほんの少し小耳に挟んでいたのですが、このほ
んの一寸の情報が私の人生を変えました)
。私はラジオ局に電話した後、デ・モインの
DAMSから情報を得て、アマルガムは水銀を含んでおり、私の症状は水銀中毒のそれと
一致することを知りました。しかし、これは私が自分の口の中を覗いて歯茎にアマル
ガムが「刺青」を入れているのを見るまでは確かにそうだとは思いませんでした。退
色して灰色になった歯茎は歯科医たちが明言していたように水銀や他の金属類はアマ
ルガムの中に「閉じ込められ」てはいなかったという反論を許さない証拠でした。
1994年の1月、水銀を使用しない歯科医にコンタクトして、私のすべてのアマルガム
をコンポジットに取り替えて貰いました。私はその除去中に毒素除去剤として経口
DMSAを与えられました。そのとき同時に5本の根管も抜いて貰いました。私のアマルガ
ム除去のしばらく後で、私の歯科医は水銀問題で歯科医免許を失いました。しかし私
は彼の処置のお陰で少しずつ改善し始めました。その後2ヵ月にわたって全般的に良く
なったと感じましたし、頭痛と忘れっぽさを除いて、他のすべての症状が消えました。
頭痛はなくならないのではと疑い始めたちょうどその時、これも消え去りました。こ
の3年間で初めて痛みがなく、枕に頭をのせた時の圧力も大丈夫でした!私は私の眼が
光に過敏でなく、それほど多くの睡眠も必要としないことに気付き驚きました。
アマルガムを取り除いてから4年が過ぎました。私は最近のことをよく忘れることと、
私の頭脳が情報処理を適切にやってないと感じることを除いては、非常に好調です。
私は再び穀物貯蔵所の頂上に穀物をチェックするために上っていますし、アイオワ・
ステート・フェアでは弓形鋸と女子横引鋸競技に勝ちました。私はアマルガムの除去
が私が快方に向った唯一の理由だと信じています。私は何か他の可能性も見落とさな
いようにずっと気を付けています。
私は私の回復に力を貸してくださった皆様と、ずっと私を支えてくれた素晴らしい
夫、家族、そして友人たちに感謝しています。私の夫は、私の病気が最悪だった時期
に、私の世話をするために郡の警官の仕事を辞めようかと考えたと後日話してくれま
した。何にもまして、私は私の命を司る神に感謝しています。
大抵の歯科患者と同様に私はアマルガムが水銀を含んでいること、その水銀は神経
系やその他の病気の原因になるかもしれないということを聞いていませんでした。沈
黙することによって歯科医たちは、その積りは無くとも、アマルガムを病気に関連付
けることのできるすべての情報が流れることを効果的に妨げているのです。それに加
えて、かすかな変化に気付くまでに慢性的に水銀に触れること、その触れている年数
が問題です。その結果、原因と結果、アマルガムと病気の間の関係を立証することを
難しくしてきました。しかし、アマルガムから漏れ出る水銀が危険な水準に達するこ
と、その水銀が生命を脅かすということを立証することは難しくありません。
私は反アマルガム活動家になりました。水銀を人の口中に詰めるということは現代
医学の最大の誤りの一つだと信じているからです。私はまた歯科患者はアマルガムに
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 102
関する事実を知る権利があり、歯科医はそれを患者に知らせる義務があると信じてい
ます。殊に、喫緊なことは妊娠中の女性に警告する必要性です。引き続いて明らかに
なる研究によって歯科産業はアマルガムの危険性についての無知を弁明することが急
速に難しくなって来ています。この問題は非常に複雑であり、広汎にわたりますが、
今やすべての利害関係者が一緒に討議に参加して解決策を探求する時期です。そのこ
とが一般大衆の最大の関心事です。
45.疲労・アレルギー(多種類)
・めまい
ボビー・ロイ
私が1990年12月16日のテレビ番組「60分」を見たとき、それが私の人生を完全にそ
して永久に変えることになろうとは殆んど知りませんでした。この番組の話題の一つ
は「あなたの口中に毒がありますか?」というものでした。この話題は大概の人がそ
の口中に持っている「安全」と考えられている銀の歯の詰め物は実際には50%が水銀
で、これはよく知られている命に関わるような砒素や鉛よりも毒性の強い毒物である
ことを明らかにしていました。
私は座って、この話に聞き入っていて、びっくり仰天しました。被害を受けたと思
われる人の数の多さはまさに巨大な怪物のような災難に見えました。私は38歳でした
が、5歳のときから定期的に歯科医通いをし、その間に12個の歯に鉛や砒素よりも毒性
が強い物質を詰め込んでいたのでした。それは殆んど理解を超えていました。
私の健康は過去16年の間着実に衰えつつありました。私がかかった医師たちの誰一
人として私の継続的な健康悪化の原因を究明できませんでした。私は煙草は吸わず、
殆んど酒も飲まず、どんな種類の薬も飲まず、そして健康に良い食事療法を試みてい
ました。健康的ライフスタイルを志向するすべての試みも私の体調改善に役立たず、
私の身体と心はバラバラになって落ち込み続けました。年から年中、私は鏡に向って、
病んでやつれた顔を見、生気のない落ち窪んだ眼が私を見返しているのを見ながら、
「私に何が起こっているのかしら?私はどうなっているのかしら?」と問いかけまし
た。私には何の解決の糸口もありませんでした。
それまではそうでした。しかし番組が進行するにつれて、私が必要としている糸口
を見つけたかもしれないと興奮を抑えがたい思いでした。番組が終るまでには、私は
それを調べようと決心しました。
私が要望して手に入れたその番組を要約した印刷物の中に、追加情報を求める先と
してDAMSという組織の住所が載っていました。DAMSは歯科アマルガム水銀症候群支援
協会の略称です。DAMSは詰め物で病気になった人たち、詰め物を除去して改善したり、
多様な病気から完全に回復したりした人たちから成る組織です。彼らはその時も、こ
の非道について多くの人々に情報を送り、警告を発することに献身していました。私
はこの素晴らしいグループが私の生命を、そして、水銀中毒の致命的な症状に苦しむ
多くの人たちの生命を救ってくれると信じます。
私はDAMSからこの問題に関する入手が難しい情報を得ることができました。水銀中
幸せな人生を奪い去る水銀 - 103
第3章 体
験 記
毒の症状について読んでいるうちに、私の健康衰退問題の答を見出したような気分に
なり始めました。症状のいくつかは次のようなものでした:疲労、頭痛、急なそして
不規則な心拍、胸の痛み、アレルギー、吐き気、消化不良、不安、忘れっぽさ、発疹、
浮動性のめまい、うつ、関節炎、不眠、興奮、胃腸の不調、震え、弱気、どもり、喉
の痛み、甲状腺の障害などです。私自身の症状は上記のもの全部を含みさらにあと何
ダースもありました。
さらに多くを読み、調べ、DAMSの同じような経験をした人たちと話をした上で、私
は私の詰め物を取り除いて貰おうと決心しました。私が知ったショッキングな情報が
一つありました。環境保護局がアマルガム(虫歯を埋めたあとで残ったもの)の屑や
廃棄物は有毒な危険物であると認め、法律により通常の埋立地に廃棄することが禁じ
られていると言うのです。また、アメリカ歯科医師会は歯科医師たちにその材料を取
り扱うときは「ノン・タッチ」(訳者代表注:直接触れず、吸わない)技術を使うよう
に、またスクラップは密閉した容器に液体に浸して貯蔵するようにと、注意を促して
います。私は絶対に中毒を起こすような毒物を口の中に入れたいとは思いませんでし
た。それらは排除されないといけません。
最初に大きな詰め物を一つ取り除いただけで、私ははっきり改善に気付きました。
この最初の詰め物の除去から2週間後の劇的変化は、3年間にわたり1日24時間悩まされ
ていた喉の痛みが消えたことです。それは消えた後再発することはありませんでした。
今や、私が何故長年にわたって病気だったのかが分りました。あとに残された詰め物
が約1年半の間に取り外されるにつれて、私のいろいろな症状は改善を続けるか、消滅
しました。私は狂喜しました。この人体を苦しめる実に不快な毒物による途方もない
苦難から救われた経験、これは言葉には尽くせない神の恩寵でした。
16年の間、私の病気の進行に連れて、私はより重い病人になり、より多くの症状が
出て来ました。最後の数年間は私はもう絶望的な病人でした。この間、私は死がしば
しば私の周りに付きまとっているのを感じました。私には家庭があり、夫がおり、世
話をしなければならない幼い息子がいました。私が今ぞっとするのは、どのようにし
て生きるための最も基本的な毎日の仕事だけでもなんとかやれたのか、私には分らな
いのです。幾度も何日間も髪を梳かさず、顔も洗わずということがありました。この
ことには特にあわてさせられ、混乱させられました。私にとって外見はいつも大事な
ことでしたから。しょっちゅう起こる激しい心臓の痛みのために私はベッドに休むと
き左側を下にすることはできませんでした。私は極端に熱に弱くなりました。暑い夏
の日に郵便箱までたった50ヤード外を歩いただけで、私はまるで危険水準までオーバ
ーヒートしたような感じが残りました。どんなに暑くなっても、私は汗が出ませんで
した。朝方は、例外なく、早くそして不規則な心臓の鼓動が私を眠りから揺り起こし
ました。不合理で、間断なく、過剰な神経のエネルギーに対処しようと試みることで、
私は殆んど気が狂いそうでした。しつこく私を苦しめる全身の痛みを和らげるために、
私は一日中規則的にアスピリンを飲んでいました。めまいはいつものことでした。毎
日が殆んど忍耐の限度を超えるような感情的、精神的、肉体的な痛みが一杯の悪夢の
ような日々でした。夜も悪夢ばかり見て、救いにはなりませんでした。1時間か2時間
ごとに眼が覚めて、悲運、絶望、困惑、そして耐え難い心の動揺を感じました。不眠
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 104
は情け容赦なく私の苦しみを助長しました。あるときには、たとえば身体を動かしす
ぎたとか、熱い食べ物や飲み物をとったようなときは、いつもより多量の水銀が私の
全身をかけめぐりました。そのような時は、全く恐ろしいものでした。私はまるで窒
息させられて、ゆっくりと消え去って行くような感じでした。私はあと1時間も生きて
いられるだろうかと思いました。今にして思えば、私はきっと中毒性のショックを受
けていたのだと思います。私の身体は唯このいつもより多い水銀の重荷を扱いかねた
のでした。
私の試練の期間中でも最も大変だったときに耐え続けられたのは、生きようという
鉄の意志と私の世話を必要とする息子の存在でした。水銀が私の病気の原因だと知っ
たとき、私は他の人々にこの恐ろしい事実を知らせようという熱い願望を持ちました。
誰かがこのようなこの世の地獄に耐えねばならぬ事態を防ぐ期待を込めて。しかし、
今までの私のことを考えると、今ここに座りこの体験記を書いているという事実は奇
跡以外の何ものでもありません。これは大きな勝利だと感じています。
アメリカ歯科医師会とその歯科医療専門家のチームは詰め物から放出される水銀は
微量で全く無害であると主張し続けています。詰め物は私にとって、また私と同様に
詰め物に本当は何が入っているのか全く知らなかったために悲劇的な運命に遭わされ
た多くの人たちにとっては、無害なんていうものではありませんでした。この問題に
関する本当の専門家はこの恐怖の生活の体験者です。何年間も、毎日アマルガムに起
因する慢性の水銀中毒による破壊的、侵略的な症状や病気を持ちながらどうして生き
ていられたのか、また、どうしてこの問題の専門家にならずにおられましょうか?私
たちは傾聴して貰うべき人間なのです。
アメリカ歯科医師会の主たる関心事は、もしこの詰め物の危険性に関する情報が公
開されたときの歯科関連職業が蒙るであろう損害のことのように思われます。彼らが
第一に優先すべきは人々の福祉であるべきです。疑いなく、この極めて価値ある情報
は苦しみを和らげ、止めさせそして数えきれないほど多くの人々の生活を救い、改善
できるのです。これはずっとずっと以前に周知されてしかるべき価値があることでし
た。私は、もしこのような事実を20年前に知っていたならば、私自身の生活はどんな
に違っていただろうかと考えると大変悲しくなります。人々は自分自身のことを考え
る必要があります、常識を働かせる必要があります。どうして水銀のような危険な毒
物が口の中に詰め込まれて、身体の中に洩れ出し、しかもそれにも拘わらず健康の障
害にならないなんてことがありましょうか?明らかにそんなことは単純にあり得ない
ことです。
46.疲労・心悸亢進
ラルフ・ウッド・ウィルソン、自然療法医、鍼療法理学修士
私が健康を失う過程において起こった各種の不快な事を公開するについてはいささ
か困惑を感じます。不平不満の人として捨て去られる危険を冒すことは難しいことで
す。
幸せな人生を奪い去る水銀 - 105
第3章 体
験 記
私が医学校へ入学する準備が整っていた時に、私は最初に当時まだ知られていなか
った健康上の重圧を受けました。私は結局医学校を諦め、個人的な癒しの旅に出まし
た。現在、私は自然健康科学のバスティア大学から自然療法理学士を、鍼療法大学か
ら理学修士を得る訓練を修了することができました。私の健康探求において、私は、
人々は自分たちの生活の中で何が起こっているのかを理解するまでは、自らの知識と
頼りになるヘルスケア・プロバイダー(訳者代表注:健康管理助言者)を求め続ける
必要があると確信するに至りました。私は長い旅をしました、そしてまだその途中で
す。私は大変弱くて、郵便局までの3ブロックを歩くことさえできない時期がありまし
た。その時期には、私の皮膚には艶がなく、いつも疲れていて、集中することが難し
く、大豆醗酵食品を食べると脚がむくみました。
効き目のあるものを求めて、私は他人に聞いたことをあれこれ試してみました。私
はカンジダ・アルビカンス・イースト菌が体内で繁茂することについて読みました。
私はいくつかの異なった検査を受けたところ、その菌が私の皮膚に、爪の下に、胃液
中に、腸内に、そして暗部顕微鏡検査によって血液中にも発見されました。イースト
菌に対する処置は効きました。しかし、イースト菌を殺すために何ヵ月も薬やハーブ
を服用した後、結局私は更に虚弱になったように感じ、食事療法をやめると「こわ
れ」易くなりました。
その頃、私は良心協会(エイブラム・ホッファー博士の業績と国際矯正分子薬協会
の支持者たち)の集会に出席していました。ある集会で、私はシアトルの口腔外科医
ポール・ルービン氏のいろいろの金属中毒症状を持った人たちが、彼等の水銀アマル
ガムを取り除いた後、どのようにいろいろなレベルの症状軽減があったかという話を
聞きました。ついに私も私のアマルガムを取り除き始めることができました。私はア
マルガムの除去が私の健康回復の開始点だったと信じています。私がそれ以前にやっ
たことは単にストレスがかかり制限された身体機能に対処することを助けるだけのこ
とでした。
病気における水銀アマルガムとその他の歯からの要因を知ることは、私の人生の早
い時期に起こったことについて私の心の平安をもたらしました。それは私にとっては
非常に大切なことでしたし、他の人たちの助けにもなります。私は、心臓の動悸、顎
の硬直、自分の身体や心かと疑うような極端な不安などの原因がそこにあったと理解
できました。振り返ってみると、私はいくつかのアマルガム詰め物を詰めて貰った後、
1ヵ月以内に心拍がとび始めたことを認識していました。この症状は15年間もアマルガ
ムが全部取り除かれるまで続きました。
私は根管を埋めていた歯を1本抜いて貰いました。その歯は何年かの間に数回先端が
虫歯になりましたので、私はその歯を口中に持っているのは有害かもしれないと感じ
たのです。その歯を抜いた後、私はあまり厳格でない食事療法をすることができるよ
うになり、私の活力は劇的に向上しました。
そのほかに私が取った手段には栄養補助食品、野菜ジュース、その他の食事療法を
試したことも含まれていました。私は少しですが毒素除去処置を受けました。私はナ
イアシンを摂ってサウナに入り、体操をし、マッサージと温冷パックをし、その後で
結腸の洗浄をするということを続けたところ、これが大変助けになることが分りまし
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 106
た。
振り返ってみて、私の最も重要な歯の処置の一つはNICO「空洞」手術でした。私は
この手術を数箇所の抜歯孔にやってもらいました。ワシントン州レイク・スティーブ
ンスのマイケル・ラマルシェ博士がNICO手術をしています。彼は私の顎から取り外し
た物質を、壊死退化した細胞がそのまま何年も留まっていたことを発見したジェラル
ド・ブウコ博士の実験研究室へ送りました。術跡をきれいにして貰ったら、私の活力
レベルは更に改善されました。
私の考えでは、どんな歯科治療を受けようか、どれを最初にやって貰おうかと考え
ている人たちにとって、一番経済的で有効なものはこのNICO手術だと思います。それ
は比較的早く済み、水銀に曝されることもなく、多くの方々が力強さの感覚が相当増
大した経験を持っています。殊に大変弱い人には、これは水銀除去のストレスを経験
する前に踏むべきステップだと思います。私が歯科医たちにNICO除去処置の結果につ
いて尋ねたところ、全員が保証はないけれども、何人かの患者たちが身体のどこか他
の部分で問題の改善が見られたと言っています。この改善には、弱い腕に動きが戻っ
たとか、発作が止まったとか、活力向上その他が含まれています。
私はまた、精神的、感情的な側面での癒しの価値も評価しています。霊的ないしは
美的要素が大変重要な場合に価値があります。同時に、私たちは歯科に関する問題の
「大きな」領域を清算します。私たちはいかに身体に気をつけるか(体操、神経の訓
練、もちろん食事療法と衛生も)、心と気力に気をつけるかに注目する必要があります。
私は患者を治療する際にしばしば栄養と理学療法と同時に同種療法(ホメオパシ
ー)を勧めています。もし、同種療法(ホメオパシー)理論が病気の進行と健康回復
をどのように説明しているかをお知りになりたければ、インターネットで次のウェブ
サイトをご覧ください。
www.homeopathy.com/heilkunst.Homeopathy
これが私に人の健康と病気を理解する上で最も包括的な枠組みを与えてくれました。
私は人がその人自身の人生をコントロールする力を再取得するプログラムの一環とし
てこれをお奨めします。家庭内同種療法(ホメオパシー)のための本やテープ、必需
品などの情報は同種療法(ホメオパシー)教育サービス(Homeopathic Educational
Services)(1-800-359-9051 )へどうぞ。
旅は続いています。信念を持ちましょう。屈することなくやりましょう。
47.免疫機能低下・甲状腺機能低下
ロイ・B・カプシネル、医学博士
考えは創造する。すべての考えは祈りである。神はすべての祈りに答えてくれる!
あなたは自分自身を癒す力を持ち、管理することができる!!!
1990年の爽やかな秋の日のスウェーデン、ストックホルムの地下鉄入口の場面を想
い描いてください。私は60才になりますが国際会議「キャンペーン・フォー・ザ・ア
幸せな人生を奪い去る水銀 - 107
第3章 体
験 記
ース」に出席して講演するためイェーテボリ行きの列車に乗りました。ここで一抱え
の荷物を持ち上げたり下ろしたりして電車で鉄道駅へ行き、間もなく私はこれまで経
験したことのない苦しい痛みに襲われました。イェーテボリでは私のホステスが私に
マッサージ療法を施してくれました。カナダの友達は私に足反射療法を施してくれ、
スウェーデン北部出身の治療者は全人的な治療を施してくれました。最後に私は救急
車で近くの病院に連れて行かれ、3日間ベッドでの休養と痛みを和らげるための薬物治
療を受けました。X線は腰椎の脊椎骨4と5(L4、5)が椎間板ヘルニアになっていること
を明らかにしました。フロリダの家に戻るとすぐに私のカナダの友人が飛んで来て、
私と共に1ヵ月を過ごしました。その間彼は私を確かに手術から救った足反射療法をし
てくれました!私の部分的な廃疾は3ヵ月続きました。個人的トレーナーとのショウト
カン空手のフィットネス・プログラムやボディビル、夏には栄養代謝のプログラムを
通じて私は自分自身を治すことができました。しかしポール・ハーベイが言う様に
「さあ物語の残りのために!」
私の人生を振り返りましょうー最初は16才の頃までリンカーン通りのマイアミビー
チの歯科医の光景を思い浮かべてください。私の例では彼は歯番号19(左下奥)に対
する根管治療を行いました。彼は本当は抜歯を助言しました。しかし私はどの歯でも
死んでいようが生きていようが残しておく価値があると考えていました。この歯はL45に関係した鍼灸経絡上にあります。はい、私は54年後の椎間板ヘルニアを自分自身で
準備し、それを発病させました。私が最近の10年間に知った様にそれぞれの歯は鍼灸
の経絡にあり、それぞれの経絡は様々な気管、組織に関連しています。歯とその周辺
の組織にかかわる一つの問題は身体の遠くの場所にある病気を照らし出す焦点のはず
です。しかしそれらはこのエネルギー線上または経絡上にあります。
さて、グラスターにおける私の幼児期を振り返ってみましょう。少年時代はよく言
ったものです。
「僕のお母さんは料理が上手だ。」実際彼女はそうでした。
(彼女は98才
で1996年7月31日に亡くなりました!神様のご加護がありますように!彼女が私の母
であったことに対し感謝します!)1930年を思い出しましょう。ちょうど地球が汚染
され始めた頃です。たいていの食物は新鮮でその地方の農場で作られていました。私
は殺菌された牛乳に対してアレルギーがあったので生の牛乳を飲みました。私たちは
家族みんなでテーブルを囲んで3回の食事を摂りました。昼食が主な食事でした。母は
りんごとブルーベリーそしてオレンジケーキで満足していました。私はアイスクリー
ムが好きでしばしば食べました。誰が食べなかったでしょうか?今日誰が食べないで
しょう?私の食事は基本的には健全だったけれども精製された砂糖で高カロリーのも
のでした。私はまた父のひっきりなしの喫煙と母の毎日の香水に曝され、私はそれら
に過敏であることを知っていました。これらの毒素の使用を管理する術を持っていま
せんでした。次に有名なボストンの歯列矯正医に関することに入りましょう。歯列矯
正器の2年の予定は私の父がそれらを取り除くと主張するまで約4年になりました。何
と苦痛に満ちた、トラウマ的経験だったのでしょう。その時私は歯列矯正器が発癌性
のニッケルを含んでいることを知りませんでした。
(ハル・ハギンス医師は一人の子供
が歯列矯正器を装着後ニッケルの有毒性が免疫システムを機能不全にし4日で死んだ
事を話してくれました。
)私は身体の経絡をまたぐ金属が「電気的に身体の左右を結び
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 108
付ける」ことを知りました。
脳の半球のエネルギーが損なわれ不均衡は記憶、集中、均衡、調整、エネルギーを
ある程度困難にする結果をもたらします。恐らく歯列矯正器は私の教育期間を通じて
学習することを困難にした要素でした。それらが取り除かれた時16個の虫歯がありま
した。私はそこを離れて水銀アマルガム詰め物を詰めるため他の卓越したボストンの
歯科医を訪ねました。ここで私は13才で私の免疫機能と甲状腺を含む身体全体を損な
う事になりました。5才になる前に私は少しのアマルガム詰め物を詰めていました。そ
して私が思い出す事ができる限り、寒いマサチューセッツの気候に耐えられず、頻繁
に風邪を引き、喉の痛みで苦しんでいました。私は今私の幼児期に甲状腺機能低下症
であったことを知っています。水銀アマルガムの詰め物が主役を演じました。
幸い1943年に私の両親はフロリダ州マイアミビーチに転居しました。私はもはやこ
の理想的な亜熱帯気候の中で風邪に耐えていくこともありませんでした。私はマイア
ミビーチ高校で抜きん出ていましたが、ニューイングランドの根拠地から離れて不幸
でした。それではボストンの私立進学校と1949年のあるマサチューセッツ州のメドフ
ォードのタフツ大学での学士号を取った後の医師訓練期間時代を振り返りましょう。
初め私はエンジニアになりたかったのですが、数学が非常に苦手だったので医学部に
決めました。私は医学部に必要な良い成績を上げる為に懸命に長時間勉強しなくては
なりませんでした。私は1955年にマイアミ大学に入り、1959年に卒業しました。1953
年―1955年まで私はフォートノックス・アーミー・メディカル研究所(AMRL)で米国
の軍隊に勤務しました。
1959年から1960年まで、マーティン・アーミー・ホスピタルに戻って、交替制のイ
ンターンを終えた後マイアミの隣のホランデールで家庭医療を始めました。そこで
11年過ごした後、この小さな共同体がより大きなデイドとブロウア郡の広がるアスフ
ァルトジャングルの一部となったので、1971年にオーランドへと移住しました。3年余
り私はいろいろな病院で救急医療を行いました。最後に私は昼間12時間のERシフト
と私のすべての人生を通じて苦しめられた慢性の頭痛に付随する疲れの為に殆んど動
けないほどになりました。
幸運にも私の叔父ハロルド・I・コーエン医師がマサチューセッツ州のリンから来訪
していました。そこでは彼は有名な内科医で地域社会の最初の産婦人科医でした。彼
の妻は彼を低血糖の診察に連れて行きました。彼自身が治った時彼は栄養専門家にな
り、他の人を低血糖症や低血糖から助けました。叔父オーランドは私にぶどう糖負荷
試験を受けるように勧めてくれました。栄養学の解釈の標準によればそれは低血糖症
を示しました。私はグラスターでの子供時代の母の甘い物好きと貧しい食事及び私の
全生涯を通しての生き方がそれを引き起こし始めたのだと確信しています。私は今
「南フロリダではCATSを避けよ、」を教えています。これはカフェイン、アルコールそ
してたばこを避け、塩と脂肪を程々にすることを意味します。私はこの食事療法授業
を適用し、更に少しのビタミンとミネラルを加え始めたことにより健康を回復し始め
ました。2-3ヵ月で私はずっと健康に感じてきました。私はまたアドレナル・コーテッ
クス・エクストラクト(ACE)の注射を週1度受けました。注射の翌日激しい頭痛がし
ましたが、副腎の働きでエネルギーが吹き上がるのを感じました。私はラベルを見る
幸せな人生を奪い去る水銀 - 109
第3章 体
験 記
ことは殆んどありませんでしたがチメロサルを見て、その中に水銀の保存剤が入って
いることに気付きました。
私は救命救急の仕事を辞めて栄養にかかわる仕事をしている内科医に短期間関係を
持った後メイトランドで私個人の医院を開業し、その後オビエドに移りました。1980
年代初期私はウイリアム・クルック医師からカンジダ症について、そして当時仕事上
関係があった地元の歯科医マイケル・ジフとJ、B、ハーディから水銀アマルガムの
毒性について話を聞き始めました。私はカンジダ症に関するアラバマ州バーミンガム
での会議と先程述べたマイケル・ジフとJ、B、ハーディ、即ち、主たる講演者の招
待で水銀アマルガムの毒性に関するオーランドにおけるフロリダ一般歯科学会の会議
に出席しました。ああ、私はここで得たすべての知識に興奮しました!私はそれを私
自身、患者および友人を救うために適用し始めました。次に私はコロラド州コロラ
ド・スプリングスでハル・ハギンス口腔外科医による5回のセミナー又はワークショッ
プに出席しました。私はこれまでに27,000部販売した「水銀アマルガムの毒性に対す
る患者への指針」と題する小冊子を書きました。私は15年以上の間私が編集し出版し
た雑誌「ヘルス・コンスシャスネス」の中に特別の雑誌を取り入れました。それは
「水銀最新版」と名付けられ、この分野での著名な国際的貢献者たちの寄稿で50回以
上発行しました。
さて、次のステップの1つは私の詰め物を除去しコンポジットと、それが見た目に合
わない時には、歯冠と取り替えてもらう事でした。私がホノルルにいるサム・ウォン
グ・ジュニアー口腔外科医と話した時、彼は私に歯冠の下にいくつかのアマルガムが
詰められており、その歯冠とその下のアマルガムを取り除き、取り替えをする様に勧
めました。私はメインランドに戻るとすぐにその通りにしました。彼はまた19番の歯
を抜く様にと言いました。ハルは抜歯だけではなく周辺の構成物と骨の壊死または死
んだ物質や破片すべての除去を勧めました。ジェームス・ハリソン口腔外科医はフロ
リダ州レイクワースの自分の病院でこの手術をしました。うまく歯を抜くのに1時間半
かかりました。それから彼は金属を取り除くために金属が含浸した骨を砕かなくては
なりませんでした。次はアロエベラ濃縮液による洗浄でした。数ヵ月経って彼はブリ
ッジを取り付けました。私がその手術をする勇気を奮い起こすのにサムが私にこの手
術をする様に言ってから約3年かかりました。子供時代の歯科医に対する恐怖から!
私の考えは変性的・変形的な病気と伝染病には多くの原因があるということです。
「カイロプラティック・エコノミクス」に1983年に私が書いた共通の原因はたくさん
あり、今日まで増えています。ここに主要なものを挙げます。
1.
2.
3.
4.
5.
6.
7.
カンジダ症
水銀アマルガム有毒性と電気
甲状腺機能不全
多種類のアレルギー
B-6利用問題
消化障害
中毒性大腸症候群
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 110
8.
9.
10.
11.
ミネラルの不均衡と有毒重金属
血糖メタボリック障害―低血糖症、インスリン不全、真正糖尿病
微妙なエネルギー妨害―電磁石、静電気、有害な地球放射線
寄生虫
私は「医師は汝自身と患者を治せ」の中で、私自身と患者のために、私はこれら全
てに共通する要因を考慮に入れてきました。これらの共通因子は表面にあり、しばし
ば病気の兆候や症状として現れます。兆候と症状は病気になったり、元気になったり
するのにはその下に隠されている理由かまたはもっと深いところに理由があることを
私たちに語ってくれます。ここに全人的な健康管理が考え、情緒、感情を取り扱うと
き入る所があります。
結論はPMA即ち肯定的な精神的態度を持つことを学ぶことが最も大切なことです。思
考を制御することが鍵です。初めに述べたように、考えは創造的な事をし、すべての
考えは祈りであり、そして神はすべての祈りに応えてくれます。否定的感情である憎
しみ、怒り、嫉妬、恐怖そして後悔を解き放ち、それぞれの否定的考えを無条件の愛、
受容、許しそして喜びの考えに入れ替えることを始めましょう。
私の体験記は単に概観であり、読者にすべてのレベルでの癒しのための完全な実務
的な指針を与える本に拡張されようとしています。神があなたの生活をすべての局面
で、特にあなたの健康をたくさん祝福してくれます様に。
愛、光そして喜び
ロイ・B・カプシネル医学博士
48.男性不妊症
ダグ・マイクワース
子供の頃ある歯科医に診て貰いましたが、彼は詰め物をする時ノボカインを使用し
ませんでした。それは非常に痛かったのでその後13年間歯科医には行きませんでした。
1983年に私は17個のアマルガムの詰め物を一日で詰められました。私の健康問題は
その1年後歯科医が根管の上に金の歯冠を取り付けた時に本当に始まりました。
その後私は目の問題を持ち始めました。私は網膜の炎症である扁平部炎と診断され
ました。私は何千もの白血球が目に浮いているのを見ます。それらは小さなドーナッ
ツの様に見えます。
1988年私の目は正しく見えていなかったので、医師は私が多発性硬化症に関連し得
る視神経炎に罹っているのでMRI検査を受けるように提案しました。私がもし万一多発
性硬化症に罹っているとすればいずれにしろ彼らは私の為に何もできることはないの
でMRI検査を受けないことにしました。
1990年12月16日に私はアマルガムの詰め物についてのテレビ番組「60分」を見まし
幸せな人生を奪い去る水銀 - 111
第3章 体
験 記
た。そこで私は水銀を使用しない歯科医を見つけるためにDAMSに接触しました。私の
新しい歯科医がアマルガムの詰め物を除去するのにおよそ3ヵ月かかりました。
私の目はまだ良くなっていません。しかしある一つの非常に重大なことが起こりま
した。私の妻のナンシーがアマルガム除去後2ヵ月で妊娠しました。私たちは5年間ず
っと子供をもうけることを試み続けましたが失敗していました。私の精子の数と運動
性が低過ぎたのでした。
私は精液テストのために泌尿科医の所に行きました。結果は精子と運動性の値は標
準に近いことを示しました。私は泌尿科医にサム・ジフが著した「不妊症と先天性奇
形」から不妊症に関する章のコピーをあげました。彼はこの本を書いた人は誰か知ら
ないし、アマルガムの詰め物が不妊症と何らかの関係があるという証明は何もないと
言いました。でも、私の妻は可愛らしい女の赤ん坊を産みましたよ。
私はいくつかの異なった解毒のプログラムをやり終えましたが、私の目にはあまり
変化はありません。私はその後MRI検査を受け多発性硬化症と診断されました。しかし、
私の小さい子は非常に健康で、正常なので、ナンシーは私たちの二番目の子供の誕生
を1993年6月4日に予定しています。
49.直流電気・頭痛と歯痛
ディクシー・クラムナー・マクレイノルズ
博士
1986年夏、29番の歯が悪くなりました。その歯はたばこの煙(私はたばこを吸わな
い)、一酸化炭素の煙、家庭の化学物質、建物の中の新しいカーペットによってしばし
ば悪化しました。このような臭いと関係がありそうに思えたので、私はそれが膿瘍に
なった歯だったとは思いませんでした。それからある8月の暑い日に私の夫が家にペン
キを塗っていました。そのペンキは無臭でしたが私の歯と顎は激しく鼓動し始め、頭
の上の発疹は燃え始めました。その発疹はその悪い歯と同じ側にあり10セント硬貨の
大きさでした。
私は歯科医(歯科医#1)に診察して貰い、検査とX線写真では歯痛の原因を見つけ
ることができませんでした。彼は私を歯内療法学者に送りました。その歯内療法学者
(歯科医#2)は検査をしましたが、何も分りませんでした。私には口の端から首まで
伸びる青い線がありました。加えて私は微熱と左右の顎下腺節炎がありました。彼は
私に処方箋を与えて、予定を変更する様に言いました。
二週間後私の顔の上の青い線はなくなりましたが、痛みと鼓動は顎下腺節炎と共に
存在していました。歯科医#2はX線には写らなかったが歯が折れているのではないか
と疑っていました。彼は私に口腔外科医(歯科医#3)に行く様に言いました。歯科医
#3は歯槽に化膿したものがあると言って、その歯を抜きました。私はタイレノールと
Eーマイシンの処方箋を受け取りました。翌週の再診日、私は極度に弱りそして疲れて
いて、両側の顎下腺節炎はまだありました。歯痛(私の顎の中で深くずきんずきんと
痛む)と共に私の頭の焼けるような発疹はその歯が抜歯されたにも拘わらず続いてい
ました。歯科医#3は問題は歯ではなかったと言って私に医師に診て貰うように勧めま
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 112
した。
私はこの歯痛、リンパ腺の膨れ、微熱、そして、今や面積が大きくなり50セント硬
貨位の大きさの燃えるような感覚を持ち続けました。1986年から1989年まで私はいく
つかの臨時のブリッジを使用しました。問題の場所は適切に癒えず、歯痛は続いてい
ました。以前通り、たばこの煙と一酸化炭素の臭気は私の状態を悪化させました。
ブリッジの下で圧力が高まり、そして最終的に急に外れてしまいました。ブリッジ
の人工歯の下に肉芽があり、そしてそこにあいまいな特定できない痛みがありました
ので私は歯科医#3に行きました。歯科医#3は肉芽を切除して生体組織検査見本を取
りました。その見本はミズーリ州のカンザスシティ大学の歯学部の病理学部門に送ら
れました。診断は炎症性線維上皮性増殖でした。
私は私自身を知的で、責任感のある、目配りのある、そして、健康な人間であると
誇りに思っています。私はいわゆる専門家に完全に愛想をつかしました。私自身の調
査で、私はコロラド州のコロラド・スプリングスの一人の歯科医、似たような状況で
人々の助けになっていたハル・ハギンスの名前にたどりつきました。
1989年12月にハギンス・クリニックでマカドゥー博士が臨時の歯茎のキャップを取
り除きました。血がほとばしり出て、その患部はおびただしく出血しました。ハギン
ス博士は私がすべての水銀の詰め物を取り除いて貰い、どの材料が私の生理機能に悪
影響を及ぼさないかを決めるために生体適合性検査を受けることを勧めました。
ハギンス・クリニックは行った処置(それは掻爬としてゆっくり回転している歯科
用の切削工具を使って患部を健康な骨に至るまできれいにして、その結果新しく、健
康な骨が形成することを許すことです)を歯科医#1に知らせるための手紙を書きまし
た。彼は私が水銀のアマルガム詰め物を詰めるべきでない事実と安全であるだろう代
替材料のリストを示している血清適合性検査のコピーを受け取りました。歯科医#1は
彼が「私と全人的医療的に治療」する積りであるという手紙を私に書きました。彼は
マカドゥー博士の示唆どおりブリッジを作りました。
さかのぼると、私の歯科医#1に緊急診察のために行った1年後私の右上部顎の治療
した歯の下に深い虫歯ができました。私は歯科医#1に今度は水銀のアマルガムを詰め
て欲しくないと話しました。彼は金を使うことができるが高価になりますよと言って、
患部を臨時のアルミニウムのキャップで覆いました。私の口の中の直流電気は耐え難
いものでした。
私たちはカリフォルニアに行っていました。私は私の口の中の電流を計ることがで
きるドイツ製の器具を持っている歯科医について読んでいました。そしてその歯科医
が私に何をすべきか言ってくれることを希望していました。私はデービッド・エッグ
ルストン歯科外科学博士の診察予約を取りました。彼はもはやその器具を持っていま
せんでした-連邦食品医薬品管理局とその関係者がそれを持ち去っていました。しかし
ながら、彼は私の口中の直流電気の電流を確かに計りました、そして、その針は振り
切れました。
彼はこの電流の値を彼の仲間の何人かに見て貰いたいので、私がどれぐらい長くカ
リフォルニアに滞在するかを尋ねました。彼はこんなに高い電流値を見たことがあり
ませんでした。
幸せな人生を奪い去る水銀 - 113
第3章 体
験 記
私はその日の午後飛行機に乗って帰ることになっていたので、私たちは再び会うこ
とはありませんでした。エッグルストン博士は残りの水銀のアマルガムを金かコンポ
ジットに詰め替えて貰う事を勧めました
カンザスシティに帰ってから、歯科医#1は金を使って治療を続けました。私は左上
顎にあるアマルガムの真向かいの右上顎に金を詰めていました。その直流電気は続き
ました。私がこれらの詰め物に舌を置いた時しばしばそれらは実際に熱くなっていま
した。
1992年5月に私は歯科医#1に歯を掃除して貰っている時、私は彼に左上顎にあった
残りの水銀のアマルガムを取り除くための予定を立てて欲しいと話しました。私は歯
茎が出血していると言うと、彼は「あなたは初期の歯肉炎に罹っています。あなたは
もっと丁寧にブラッシングして、歯間をフロスしなければいけません」と言いました。
私は侮辱されました。私は口腔衛生に関しては多くの時間を取り、注意を払っていま
す。私は天然のフッ素を含まない練り歯磨きと共に、清潔にするために過酸化水素と
重曹を使っています。私は塩水か糖化チモリンを使ってうがいをしています。私は非
常に早く蓄積するように思えた歯石の沈着を緩和する試みのためにりんご酢と蒸留水
を飲む期間を設けていました。私はゲルマニウムが出血を止めることを発見しました。
1992年10月8日残りの水銀のアマルガムの詰め物を取り替えて貰いに行きました。治
療が終り、私が椅子から降りようとしていた時、歯科医が言いました。「私はあなたが
口中の異なった種類の金属による多すぎる問題を持たないことを望みます。
」私は「そ
れはどういう意味ですか」と尋ねました。彼は「銀はあなたの他の詰め物にある金と
反応を起こすかもしれません」と言いました。私は呆然となり、「あなたは私の口の奥
の方に銀のアマルガムを詰めなかったでしょうね」と言いました。彼は「いいえ、私
は入れました。私はドイツでの講習会からまさに帰って来たところですが、そこでこ
の問題が議論されました。水銀アマルガムには何も悪いことはないということが決定
されました。それらは安全であり、そして、その上私は歯科医であり、何が最良であ
るかを知っています」と言いました。私は応答しました。
「私の身体にはそうではなく、
あなたはそれを使うべきではありませんでした。」(後に私がこの会話をデービッド・
ケネディ博士に報告した時、彼は講習会に出席していたドイツのデュッセルドルフの
同僚に電話をかけました。同僚はこの問題は講習会の発表の間全く議論されなかった
と述べました。従って歯科医#1がそれを議論したとすれば、それは会場の廊下での会
話か、私的な会話で議論されたのでしょう。)私たちは受付区域でもっと熱い会話を交
わしました。彼はアシスタントにFDAとADAが水銀のアマルガム詰め物を守る記事を持
ってくるように頼みました。
私は彼に彼らが何を言っていても構いませんと言いました。彼らの「意見」は私に
とって何の意味もありません。私は何が私にとって最良であるかを決定します。私は
彼に何故彼が以前と同じ詰め物を詰めず、何故私が水銀の詰め物を望まないし、詰め
て貰ってはいけないことが記録になかったのかを尋ねました。彼は「私は水銀のアマ
ルガムは費用効率が高いのでそれを使いました。しかしもしあなたがそれについて強
くこれを感じ、まだ麻痺しているなら、もう一度来て下されば、私はそれを取り出し、
金と置き替えましょうと言いました。私は彼に「あなたに私の身体に触れさせること
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 114
はありません」と言い、そこを去りました。(翌日私は彼から「誤解」していたことを
謝罪し、もし私が彼を再訪すれば治療をやり直しましょうとの手紙を受け取りました。
家に帰る途中私は寒気を感じ、叫びました。「私は非常に腹を立てているぞ!」私は
比較になるようなものがないと知っていますが、暴行されたように、完全に犯された
ように感じました。私はどうすることもできませんでした。私は専門家として彼を信
用していました。彼は私の願いと他の歯科医たちの勧告に反して故意に私の身体に毒
を入れました。
午後から夕方になるに従って、私の身体の状態が段々と悪くなりました。私は身を
切られるような頭痛、胃痛、寒気、熱、吐き気そして直流電気からくるショックを与
える口の痛みで苦しみました。私は起こったことに動揺したため、自分自身で体調を
崩しているのではないかと考えました。その後2週間にわたり私の身体は不調でした。
私の喉はぴりぴりし、いつもの頭の左側が焼けるように痛く、私の身体の左側全部が
痛み、そして、私の筋肉は一寸触れても痛い状態でした。金属の味は非常に著しく、
ずっと続きました。私は8日間口を閉じることができませんでした。私の首はこわばっ
ており、私の身体は左側へ引かれているように感じられました。それほどの緊張があ
りました。生体自己制御の臨床医は顔の筋肉に過度の緊張があることに気付きました。
私は一時的に多量の汗をかく発作を持っていて、手首は金の腕時計の下で黒く燻され
た状態になりました。私はハギンス・クリニックからの情報とロイ・カプシネル医学
博士の出版物「健康の自覚」を詳しく吟味し始めました。
私はDAMSについての情報を発見して、現在の会長であるマーリーン・ブレイクに電
話をかけました。私は何が起こったかを彼女に話し、私の症状について彼女に告げま
した。私は口から水銀アマルガムを取り出す必要がありますが、私は問題を理解し、
治療中私を保護する歯科医を見出す必要がありました。私は私の症状が古い詰め物を
削り出し、その後再び詰める間に水銀蒸気を吸い込むことによって引き起こされるの
ではないかと疑い始めていました。
私は削り取る処理からの残りものに加えて、材料の塊を飲み込んでいたことを知っ
ていました。歯科医と彼のアシスタントの双方はマスクを付けていたけれども、私に
は全く何の保護措置も取ってくれませんでした。国際口腔薬学および毒物学学会
(IAOMT)の会員である歯科医たちによって使われている手順がすべての歯科医院で守
られることができるし、守られなければなりません。
私が接触することができるミズーリ州にDAMSの組織があるかどうかを特に知るため
に私がマーリーン・ブレイクに電話をかけました。彼女はまたこの分野で仕事をして
いるケンタッキー州レキシントンの弁護士であるロバート・リーブスを紹介してくれ
ました。ボブ・リーブスは水銀を使用しない歯科のために働いている国中の歯科医た
ち、医者と科学者たちに接触させました。次の2週間にわたり、私の夫と私は何回もこ
れまで発生したことを関係付けました。そして、私は何をすべきかの忠告を与えられ
ました。「手はじめに身体から毒素を排出して、攻撃的な歯科材料を適切に取り除いて
貰いなさい。
」私は私の身体から毒素を排出して貰うことが絶対に必要であると言われ
ました。そしてアポシアン博士とアリゾナ大学の他の人々による最近の研究はDMPSと
DMSAが最も効果的な手順であるように見えると示唆していました。加えて、それにグ
幸せな人生を奪い去る水銀 - 115
第3章 体
験 記
ルタチオン、ビタミンC、亜鉛、セレン、Bの複合体、そしてマグネシウムを追加的に
摂取することが適切な方法です。それに加えて、私は乳酸菌を摂りました。
私はDMPSとDMSAに関する入手できる研究の印刷物を読み、そしてDMSAに決めました。
出版物がDMPSは脳と神経系が水銀によって影響されている人々によって使われるべき
ではないことを示唆していましたからこの決定がなされました。しかしながら、私は
私の脳の「燃焼する発疹」が私の歯と口に起こっていたものに直接関係していること
に確信を持っていました。それが私の脳ですから、何が進んでいるのかを学び、理解
することは私の責任です。DMPSは簡単に脳に入りますが、水銀を取り出した後にそれ
はしばしば脳から積荷(水銀)と共に退出するときにトラブルを起こします。痙攣や
卒中になる可能性があります。これは私が進んで行う選択ではありませんでした。
DMSAは脳から退出できる強みを持っているのみならず、有機水銀を運ぶのに何の問題
もありません。数人の専門家からコロラド・スプリングスのクリフォード・コンサル
ティング・アンド・リサーチ・ラブスによる血清の適合性の検査を受けるように示唆
されていました。検査を受け、私が水銀に反応することが実証されました。
私が望んだものは解決と大失敗になっていた健康を取り戻す旅の初めであろうこと
でした。私を治療してくれる歯科医または医師を擁護すると、私は彼らが治療するこ
とに慣れている種類の患者ではありません。私は質問をします。大部分の歯科医や医
師は患者が彼らの問題に少しだけ理解しているとき防御的になります。私は健康産業
従業者であり、私は単に他の従業者たちが私と同様の倫理と標準を守ることを期待し
ています。
これらの要素の両方が私が行ったウイチタの「全人的な診療所」では全部欠けてい
ました。EDTAが人の組織から水銀を体外排出するためには効果的ではないとその診療
所のスタッフによって確立され、認められているのに、その診療所は信頼して救いを
求めて来る人々にEDTAによる毒素排出療法を現在も使用しています。水銀パッチが私
の腕に貼られた後すぐに、私は心配をし始めました。私は彼らが約束していたとおり
に診療所がDMSAを持っていないことに起因すると考えられる神経質でいらいらする感
じがしていました。半時間以内に私の頭は爆発しました。私は方向を見失うように感
じ、私の口は乾き、唾が全然出ませんでした。そして私の胃のところが非常に気分が
悪くなりました。
次の週私はDMSAのためにその診療所(車で3.5時間の距離)を再訪問しました。そし
て私は私が正しく、DMSAを飲む必要があることを彼らは確認しました。彼らはそれが
どこにあるか突き止めていましたが、それを入手するためのどんな手段も取っていま
せんでした。腹立たしい遭遇の後に、スタッフの医者は叫びました。「待ちなさい!待
っていなさい。私は単なる家庭健康の医者です。私はあなたの病気について何も知り
ません。私は何をするべきか知りません。
」神様、与えると約束してくれた約束を期待
する無学の信じている人々をお助け下さい。
私はその診療所の薬局が調合することができないDMSAの処方箋を持ってそこを去り
ました。それからそれをカンザス大学医学部薬局に持って行きました。私は患者では
なかったので、そこではそれを出してくれませんでした。
カンザス大学医学部のある医者は水銀アマルガムが人の身体に有害な影響をもたら
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 116
すことができたという考えを嘲笑しました。私はカンザス大学医学部からほんの6ブロ
ックのところに住んでいます。彼らは多分私を助ける準備をしていましたが、私はそ
の薬を入手することができませんでした。何かが非常に間違っています!
それから私は処方箋に従って薬を出すことができるコロラド・スプリングスの薬局
を見つけました。それはたった2個の錠剤のためのものでした。その処方された用量は
最初の5日間は8時間ごとにそして次のl4日間は12時間ごとに500mgのカプセル5個を飲
む筈でした。再びその診療所の医者が手がかりを持っていなかった事実の証拠となっ
ています。
私の頭痛が消え、そして、私の身体が安定した時、私は水銀パッチ検査がハル・ハ
ギンスの本「それは全てあなたの頭にある」でどのように管理されるべきであるかに
出会いました。私は気絶しそうになり、そして怒りました。その診療所は何の事前注
意措置も取らず、基本的な手順にも従っていませんでした。
敏感な人での水銀パッチ検査は24時間以内に水銀に関係する症状を悪化させるでし
ょう。過敏な患者は1時間以内に反応するでしょう。従って、その理由ですべての患者
は病院に留め置かれ、パッチの適用の後に1時間の間観察されます。1時間以内に反応
があればテストは終ります。そのパッチは取り除かれ、反応は中和され、そして、通
常20分以内に悪化は終ります。また、パッチを貼る前に、患者の血圧、脈、または体
温が記録されます。1時間毎にこれらの観察が繰り返されます。もし次のいずれかを患
者が経験すれば、反応があることが示唆されます。1.血圧が10ポイント以上上昇また
は下降する。 2.心拍数が10ポイント以上増加または減少する。 3.体温が華氏0.5
度以上上昇または下降する。
(私は寒気を感じ、非常に冷たかった。
)
これらの観察はその人が水銀被曝に対し全身性の反応を経験しているかもしれない
ことを示唆しています。しかしながら、最も重要な反応は、片頭痛、被刺激性、また
は、これまで患者が持っていた慢性の症状が悪くなること等の急性症状を生み出すも
のです。これらは通常パッチの取り去りと反応の中和の後数分以内に止まります。
加えて、その診療所はそれが必要なくなるまで24時間の尿収集を行いますが、私は
研究所の血液検査の結果を受け取ったことはありません。その診療所は300ドルの入会
金を請求し、たくさんの痛みと不便を私にもたらしました。また、私の現在ある状況
に意味のない検査をし、水銀有毒性の治療の知識を殆んど持っていませんでした。
(私
は692.82ドルの請求書の支払いを止めています。
)
ウイチタの出来事の後に、事態は白紙に戻りました。ボストンからの物理学者は私
がまだ水銀アマルガムを詰めており、それを適切に取り除く歯科医を見出すことがで
きるまでそれは残るでしょうから、私が咀嚼する時の水銀漏出に対する防御のために
患部を歯科医に「蓋って」貰うべきだということを示唆しました。私たちは歯の診察
予約日の1ヵ月前にシンガポールへ発つ予定になっていたことから、私はカンザスシテ
ィの病院の歯科診療所で患部を蓋って貰いました。
私はシカゴのIAOMT歯科医に私を紹介してくれるウィスコンシンのIAOMT歯科医から
電話を受けました。シカゴがカンザスシティに最も近い歯科医院であったので、私は
シカゴの歯科医に電話をして、私の現状を話しました。彼はDMSAと静脈注射のビタミ
ンCを使って私の身体を解毒する予定の歯科医院整骨療法医と共同作業をするであろ
幸せな人生を奪い去る水銀 - 117
第3章 体
験 記
うと言いました。
歯科医#4は私を検査し、その後私たちはこれからの手順を話し合いました。私は整
骨療法医に会い、DMSAの処方箋を貰い、カンザスシティに戻って薬物治療を始めるこ
とになっていました。その歯科医と整骨療法医は彼らのスケジュールを調整して、私
のところに診察日時の計画を知らせることになっていました。その週は過ぎ去ってし
まったのに、私はシカゴの歯科医から全く連絡を貰いませんでした。その時はもうク
リスマスでしたので、私は新年になるまで何もないだろう推定していました。その新
年の直後に私はその歯科医に電話をかけ、なぜ彼が私に連絡をしてくれないのか尋ね
ました。彼は「私はあなたがそれをやり抜きたかったと思いませんでした」と答えま
した。本当は彼は私がそう望んでいると知っていました。症状が重症でないなら、ど
うして人は航空券、ホテル等々に対してお金を使おうとするのですか。
いずれにしても、その歯科医は私が私の残っている水銀アマルガムのみならず、カ
ンザスシティで歯科医#1が入れた新しいそして非常に高価な金の詰物を含むすべて
の詰め物を取り除いて貰うことを示唆しました。彼の根本的理由は多分いくらかの水
銀の残余がすべての詰め物の下にまだあるということでした。理論上、私は彼が多分
正しかったと信じています。しかしながら、私は今回私が痛みを感じていて、左側の
上顎部にある残りの3個の水銀のアマルガム詰め物にだけ興味を持っていました。私は
何回もシカゴへ飛んで行かなくて良いように1回の診察ですべての治療をして欲しい
と望んでいました。彼は1回の診察では無理ですと言いました。私は私たちが連続した
何日かにわたる1回の旅行で済ませることができるかどうか尋ねました。彼はそれは整
骨療法医と時間の調整ができるかどうかにかかっていますと言いました。私は午後に
整骨療法医に会いました。彼は私の首、肩、前腕が堅くこっていることに気付いて、
私の肩と肘に関していくつかの他の調整に加えて頚部の調整を行いました。彼は私の
肘が「ずれている」と言いました。骨障害性のたわ言か。
彼は私にDMSAに対して2枚の処方箋をくれました。そして私たちは静脈内のビタミン
Cの療法であろう将来の治療について話し合いました。整骨療法医によって私に与えら
れた緩和調整は助けになり、短期間いくらかの痛みと固さが緩和されました。しかし
ながら、私の左の肩と腕はもっと動かなくなり、私は「五十肩症候群」に近かったと
恐れました。2月に水銀アマルガムが取り除かれた後に、私は私の自己治療が余り効果
的ではなかったのでカイロプラクターの所に行きました。二頭筋腱が溝からすべって
いたということが発見されました。私はX線検査を受け、彼は私がいくつかの運動に
2ポンドと3ポンドの重りを使うことを示唆しました。私はこれらの同じ運動をし続け
て、再び十分に動作ができるようになりました。私は水銀のアマルガムを取り除いて
貰った後の運動が好結果を生んだと信じています。
私はシカゴの歯科医の所に行きたくなかったので、私はサンディエゴのデービッ
ド・ケネディ口腔外科医の1993年2月17日の診察予約を取り、不必要な有毒な水銀の蒸
気から私を保護するIAOMTの手順を守って残りの水銀のアマルガムが1回の治療で取り
除かれました。水銀アマルガムが取り除かれたので、私の口の中でショックを感じる
痛みも焼けるようなまた燃えるような衝撃もありませんでした。私の耳のブンブン鳴
ること(耳鳴り)に加えて左側頭痛、首のこり、肩の痛みが緩和されました。一般的
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 118
に症状が良くなる効果がありました。しかしながら、まもなく1994年になる時まだ私
は29番の歯茎とその奥の2本の歯に深く、鈍い痛みを感じていました。
悪い時には歯茎は深く紫がかった赤い色になる炎症がひどくなりました。歯茎は触
れるとひりひり痛く、そのため私は柔らかい毛の歯ブラシを使います。また、私が歯
茎の歯の際に青い線の水銀の「刺青」を持っていたのはこれらの2本の歯の患部でした。
それは慢性水銀中毒の指標または刻印でした。私がカンザスシティの歯科医#1に青い
線が何だったのか尋ねた時、彼は「なんでもありませんよ」と言いました。IAOMTから
の歯科医たちは二人共これに気付いていました。
私の頭の上の発疹は大きい関心事です。それは今や私の手のひらの大きさです。そ
れは燃えるような感覚以上のものです。時々私の脳が膨らむように感じます。私はま
だ左右対称のリンパ節症炎に罹っており、そして、時折一般的な疲労に加えて微熱が
出ました。カンザスシティの歯科医たちは全員私の頭と私の歯の問題の間には何の関
係もないと言いました。私はそれを全く信じていません。私は多分口の中の感染、恐
らく連鎖球菌が私の脳の中にいると心配しています。私はこの問題を理解するであろ
う良い医師を知らなかったので医師に診て貰いませんでした。私の顎が病巣であると
私は信じていますが、どうしたら良いのか知りません。たぶん同種療法(ホメオパシ
ー)による治療か、神経の療法が良いのかも知れません。
保険会社ブルー・クロス・ブルー・シールド社(BEBS)はこの何れに対しても支払
いをしないでしょう。たとえ私がウイチタの診療所の重金属中毒であるとの診察を受
けていたとしても、BEBSは水銀アマルガムを取り除く医療上の必然性に対する証拠は
ないと述べました。
1993年9月に、私は水銀が私の健康にとって有害であることを十分に認識しながら私
の願望に反して私の身体に水銀を入れた不正療法と同様に暴行と殴打のために歯科医
#1に対して訴訟を提起しました。このすべての情報は歯科医たちからの手紙、私の歯
の記録そして血清適合性の検査で証拠書類として作成されています。
私は多発性硬化症(MS)、筋萎縮性側索硬化症(ALS)、狼瘡および関節炎の確定的な
医療上の診断を受け、水銀アマルガム詰め物の取り外しの後医者によってその診断が
逆になった人々からの連絡を貰いたいと思っています。
50.歯科用詰め物に起因する水銀とニッケルの中毒
ジーン・スター、看護師
アラスカに住んでいた時、私は(銀の)アマルガムの歯科用詰め物が健康を害する
要因である私の体験談を何百回も話しました。10年後の今日助けを求めて電話がなる
度にすぐに涙が流れます。断定的である、攻撃的である、または医療行為を行ってい
ると訴えられるようにさえ聞こえることなしに、如何にして私は医療専門家一般に関
する私の感情を皆さんに話すことができるでしょうか。
どのようにして水銀歯科用詰め物が私の人生を殆んど台無しにしてしまったかにつ
幸せな人生を奪い去る水銀 - 119
第3章 体
験 記
いての私の医療体験談をお話しする前に、1977年からの私の最近の看護師としての評
価を書かせて下さい。
それは「指示を理解して従うことができる、非常に効率的、精力的、物事をして貰
うことを熱望、執行の能力、陽気、仕事が早い人の熟練、良い印象を与える、快活、
殆んどいつも職務の必要条件を超える結果の達成、良い判断、真の知覚が鋭敏、誠実、
面倒見が良い、指導者の立場へのすばらしい候補者」と私を評価しています。この時
点で私はこの病院の看護監督になるように頼まれました。すべての上述の評価はすぐ
抜本的に変わってしまうでしょう。
1978年12月から1979年1月にかけて私は幅広く歯を治療して貰いました。1ドルで私
たちの歯の保険は新しい問題の面倒を見ることに加えて私の古い水銀の歯科用詰め物
を更新する費用を支払うでしょう。古い銀の詰め物(アマルガム)は新しい金とニッ
ケルの歯冠に取り替えられました。私の最初の症状(1979-1983)の一群はすぐに現れ
ました。私は無礼になり、社会から引き始め、落ち着きをなくし、精神的に遅く、落
ち込んで、
「爆発しそうに」感じました。小さな毎日の問題が私のいらいらの原因とな
り、そして私は身体的、感情的そして精神的に疲れ果てているように感じました。私
の記憶力は悪くなり疲労感、四肢の先端のひりひりする感覚、病的恐怖症、首と顎の
痛み、消化の問題、不規則な心拍、目の問題、ホルモンの変化、慢性の貧血、皮膚の
発疹、リンパ腺の腫れ、不眠症と悪化した読書障害を持っていました。このリストは
決して終ることがないように思えました。私の2番目の症状(1984-1985)の一群はも
っと厳しく怖いものでした。医者の夥しい診察とその後更に続く私の健康の悪化の後
医療関係者に対する私の信頼は低下しました。私は感情的に非常に緊張していたので、
狂ってしまうのではないかと感じました。犬の鳴き声、電話の呼び出し音等最も小さ
い雑音でも感情的な反応をもたらすでしょう。最初に私の身体の中で跳び上がり、そ
れから私は涙ぐみ、続いて吐き気が襲って来ました。いつも同じ順序でした。1日に20
回から30回叫びたい発作に襲われることは私にとって珍しくありませんでした。私の
恐怖症は悪くなりました。誰かがドアをノックした時、私は部屋に走りこみ、クロー
ゼットに身を隠しました。私は人生の全てを怖がり、死を待ち望んでいました。私の
中枢神経系は疲れ果て、身体の中では本当にたくさんのことが起こりました。そのた
め私は軌跡を残すため記録をつけなければなりませんでした。
私の口は「スターウォーズ」のように感じ始めました。私がこれを数多くの歯科医
たちに話した時彼らは理解しませんでした。私の口の中の活動は非常に活発であった
ため、私の心は何時でも爆発するように感じました。私の筋肉は極端に弱くなり、私
は物を落とし始め、そして私の脚と腕は力が尽きていました。混乱は私が私たちの子
供や友達の名前を思い出せない程になりました。食料雑貨店での日常の買い物から家
に帰ることは冒険でした。私は台所で夥しい小火を出し始めました。私は外をさまよ
うためにだけ夕食を始めようとしました。私の心は早く悪化して行きました。私が考
えることができる瞬間を持ったとき、私の考えは何度も私を襲いました。私は「私が
家に帰る道を見出すことができなくなるまでに、または、私たちの男の子たちや結婚
20年の夫を認識することができなくなるまでにどの位の期間があるのだろうか?」と
訝っていました。買物の間、私の考えは「神様、私が商品を取り上げ、支払の前に店
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 120
外にさまよい出て、万引きのために逮捕されるまでにどの位の時間があるのでしょう
か」と言うことでした。私の夫が法執行官であるので、これは絶えず私の心の中にあ
りました。私は何という当惑の種だったのでしょう。慢性疲労は私が数時間の休みを
取る前にたった数フィート掃除機をかけることができるだけになりました。服を着る
のに十分なエネルギーを私がかき集めることができない状態で時々数週間過ぎて行き
ました。私は言葉を終らせることに困難を覚えました。時には私の言葉は逆の意味に
なり、また他の時には私はメッセージを伝えるためにジェスチャーを演じなければな
らないでしょう。私は鋭い、ちくちくする、刺し通すような、燃えるような型の痛み
を首と肩に感じ始めました。そしてそれは段々と腕と胸に広がって行きました。
私は顔面をEAV(ヴォル氏発明の電気鍼)で検査して貰いました、その目盛は100を
示していました。私の歯科用詰め物がアマルガメーターと呼ばれる器具で検査されま
した。アースが私の舌の下に置かれ、それから各歯はプラスまたはマイナスを測るた
め探針で触れられました。歯科用詰め物からのマイナスの値はあってはなりません。
私の口の中のすべての重金属のため、私の電気の合計値はマイナス342になりました。
マイナスの値、または、電流は私が双方とも経験している多発性硬化症のように筋肉
の神経科の問題、そして、また感情的な問題と密接に関連しています。
冠状動脈と神経整形外科の看護師として、私は多くの医療上の理由のために歯科用
アマルガムから出た合計値に人より余計に興味を持つ傾向があります。私の累積電圧
は胸痛を引き起こすのに十分に高く、また私のTMJ(側頭下顎骨関節)と頚部を引っ張
り出し、ずれさせていました。私は私の環椎とTMJ関節を元の位置に戻して貰う予約を
取りましたが、たった1時間後には再び痛みが始まり、関節はずれました。私の3番目
の症状の一群は2個のアマルガムの間の金の歯冠の根管治療の後24時間以内にやって
来ました。私は激しい胸痛で心臓と呼吸の苦痛発作に襲われました。私の心臓は1分当
たり約20のPVC(時期尚早の心室の収縮)を示していました。私の首と肩の焼けるよう
な痛みはさらに私の腕と胸を下に向って放射状に広がっていきました。私の脈拍数は
1分当たり160回を超える回数でした。
私の口の中の活動は非常に圧倒的でそしてTMJスプリント(訳者代表注:咬合治療に
用いられる装置)についてアンカレッジ・タイムズ紙の記事を読んで、私はその時最
もそれに近いことをしました。私はNFLフットボールの口ガードをスポーツ用品店に行
って、買いました。私が口ガードを入れた時即座に、焼けるような痛みはそれが現れ
た逆の順序で消えました。
私は金属の詰め物によって引き起こされた電気の活動を遮断していました。私が口
からガードを取り出すとすぐ症状が再現しました。私は口ガードでそのように良い結
果を得ましたので、TMJスプリントに耐え得るかどうかを調べました。そして2ヵ月間
私は再び殆んど人間であると感じました。今私は過去を振り返ることができ、そのTMJ
スプリントが症状を緩和していたが、原因を取り除くことはなかったことを認めるこ
とができます。TMJスプリントからの救いは大よそ2ヵ月間続きました。それから電流
はスプリントを通して来始め、胸痛と呼吸の悩みがもっと厳しくなって再発しました。
息をするたびにそれが私の最後だろうと感じました。私は浅く呼吸するため自分自身
を訓練しなければなりませんでした。夜完全に疲れ果てて、私は眠りに落ち、もっと
幸せな人生を奪い去る水銀 - 121
第3章 体
験 記
深い息をするでしょうが、私が呼吸をしていないと気付かないほど混乱して目覚める
だけでした。私はベッドから飛び起き窓際に走って行きました。しかし人は呼吸が止
まった時新鮮な空気を吸うために喘ぐのでしょうか。人生が何という悪夢になってい
るのでしょう。この恐ろしい状況は真夜中に全く常態になっていました。これは多分
私の口の中の水銀蒸気のためであったのでしょう。私が眠っている時、身体は頻繁に
急に動こうとしました。神様、私はあとどの位辛抱できるのでしょうか。
私の頭の中の電気の活動は非常に活発でしたので、私の頭は容易に爆発しそうな火
山のように感じられました。私たちの口に日常的に使われる水銀やニッケルのような
重金属は私の身体の化学状態を変えてしまっただけでなく、私が身体を守ることがで
きない程私の免疫組織を弱めてしまいました。私の全電磁気のシステムが危険なほど
に変えられてしまいました。
台所のごみを空にすることのような6才の子供ができる単純な仕事をすることがで
きませんでした。私はどうすれば良いのか分りませんでした。私はもはや家庭の面倒
を見ることができなくなったので涙があふれ出ました。私の目と脳は単純に一緒に働
いていませんでした。私はごみ箱が一杯であることを見て、気付くことはできました
が、私の脳は私がどのようにしてそれを空にするかを関連付けることができませんで
した。
私が奮い起こすことのできる1オンスのエネルギー全て、そして、すべての考えは、
私が思うことができる時は私が持ちこたえ続けることになっていたならば浅く呼吸す
ることに向けられなければなりませんでした。これだけでも疲れ果てることでした。
私は眠りに落ちたとき、私の潜在意識が浅い呼吸を続けるように訓練されるよう自分
自身を文字通り洗脳しなければなりませんでした。死は常に私の意識にありました。
私は死ぬことに何の問題もありませんでした。今や私は約1年にわたり死にたいと祈っ
ていました。私は死なないかもしれませんが、その代り気分高揚薬、鎮静剤、鎮痛剤、
または抗うつ剤で精神科病棟に入ってしまうことになったかもしれないと考えて恐怖
を感じました。一つの考えが私の心の奥深くにありました。私が生き残ることができ
れば、私は医療関係者の治療から離れて生きて行きましょう。
もしあなたが永遠をどこで過ごすか知っているならば死は平和的で美しいものにな
ります。そして私はそれを知っています。しかし、多分私の家族のために死について
何かがありますので、それを五分五分と呼ぶ前に私はもう一つの戦法を試みるべきで
あると感じました。私は最後の手段としてハル・ハギンス博士と面会するためにコロ
ラド・スプリングスへ行きました。私はもはや浅い呼吸を保つことさえできない段階
に近づいていました。私は回復への道を出発するか、戻って来ないかのどちらかでし
ょう。旅行は悪夢でした。空港は無数の化学物質、たばこの煙、そして雑音で健康を
害する要因ばかりでした。私は私自身の家を管理することさえできない時にコロラ
ド・スプリングスへ単独で旅行し、ソルトレークシティで乗り換えようとしていまし
た。
私たちの面会で、私はハギンス博士を「失礼ですが、私は死にかけています。私は
長時間辛抱できません。もしあなたが何かをする積りなら、あなたはそれを早くして
くれるのが最善です」と言ってさえぎりました。私は心の中で思いました。
「神様、私
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 122
は内面で非常に激しています、私がこれらの歯科医たちを一掃しないようにお助け下
さい。」
その夜私のホテルで私の口の中のアマルガムによる刺青の写真が撮られました。歯
科医療でのもう一つの大きい誤りがありました。私はハギンス博士に間違ったモーテ
ルの名前と正しい部屋の番号を告げていました。少なくとも私は少しの働いている灰
色の細胞を持っていました。脳細胞は一旦死ぬと、身体の残りと違って、それらは永
久に再生されません。
1985年7月1日は何という1日であったのでしょう!私はその日のことを決して忘れ
ないでしょう。私の寿命は少し延びました。私は全身麻酔の下で7本の歯を除いてすべ
ての歯を抜いて貰いました。あなたはこれを読んでも、パニックにならないで下さい。
歯を抜くことはアマルガム取り外しのために勧められた手順ではありませんが、私は
何の疑いもなくこれが私の命を救ったと心から信じています。または、これが私がど
こかの精神科の病棟に永久的な住宅を持つことから多分遠ざけたのでしょう。
最後の一片の水銀が私の口から取り出された瞬間に私の身体全体が急に動きました。
そして静脈内のチューブが取り除かれた時、即座に私はこの長い年月の間で初めて生
きていると感じました。胸痛と燃えるような感覚は無くなり、私の目と脳は繋がりま
した。私は見てそして同時に考えることができました。生きていること、考えること、
深く息をすること、これはなんと信じられない体験だったのか言葉では適切に表現す
ることができません。……オー、人生は何と貴重なものでしょう……そしてもう一度
考えることも!
歯を抜いてから1時間の中に、私は華氏l00度の気候の中をジョギングしに行きまし
た。典型的なアラスカ人ですので、私は華氏100度の気候ではジョギングしません。ま
さに私は溶融状態でした。私が経験したこのエネルギーの型は私の電磁石の詰め物が
大いに変えられたことにより引き起こされました。何という控え目な表現でしょう。
私の歯の金属の詰め物はずっと私の電気のシステムをショートさせていました。私は
非常に素晴らしく感じていましたので、全身麻酔薬を眠って振り払うためにモーテル
に戻ることは考えもしませんでした………けれども買い物は………次の日は一日中郵
便に費やされました。
私は歯があった場所は勿論私の口の中に少量の水銀の刺青を持っていました。水銀
が私の詰め物から出て来て私の唾液と混ざった時、それは私の脳にとって100倍有毒な
ものになりました。私がそんなに多くの神経科の問題を持ったことに何の不思議もあ
りません。水銀は神経毒素として知られています。すべての細胞、組織、臓器、また
は私のすべての血流は完全に毒を盛られていました。
口の外科手術の後24時間で大体縦8インチ横10インチの青い斑点が、有毒な水銀が私
の身体から文字通り溶け出ている私の左側に現れました。水銀は私の口に入れられま
したが、しかし身体の側面から私の外に出て来ていました。そして水銀はそのままで
有毒で、致命的であるので、私の関心は入口と出口の間にある少数の重要な臓器に向
いていました。私のT細胞値の検査が歯を抜く前とその6日後に行われました。
幸せな人生を奪い去る水銀 - 123
第3章 体
T-11
T-4
T-8
B-1
験 記
1985年7月11日
40%
15%
26%
9%
1985年7月17日
78%
56%
26%
18%
私のT細胞は「エイズ」で死の床にいる患者と同様の状態にありました。たった一つ
の違いは私のT細胞は私の歯科用詰め物から出た水銀ニッケル中毒によって打ちのめ
されていました。
私の歯を抜き、脊柱指圧療法師(カイロプラクター)から2回の施術を受けた後私の
環椎と顎関節は適切な位置に留まり、痛みがなくなりました。コロラド・スプリング
スから家に帰った後、私はすぐ1日に10マイル歩き始め、氷点下の気温の中で冬の数ヵ
月間続けました。
私の口からすべての歯科用アマルガムと「ニッケル―金」の歯冠を取り外して貰っ
たことは多分私の腕から静脈点滴が取り外された瞬間に私の健康をおおよそ80%改善
しました。私の健康はアマルガムを取り除いた後に劇的に改善しました。しかしなが
ら、私はたくさんのことを成し遂げる必要がありました。私の首と肩筋肉は非常に長
い間痛かったので、私はそれらが上に絞め上げているのに気付きました。電気の(焼
けるような)痛みが鎮まったのに、そこは凝ったままでした。私の最愛の夫、グレン
はマッサージ教室で勉強し、私にマッサージを施すための特別の台を作りました。次
の2年は首と肩が柔らかくなるよう訓練するためマッサージと首の運動に費やされま
した。
回復の最も難しい分野はどうやって自分自身が「考える」ことを訓練するか学ぶこ
とでした。私は困惑した時考えることができませんでした。私は生きているだけでし
た。アマルガム取り外しの後、たとえ私がもっと機敏だったとしても、いまだに私は
台所で小火を出し、戸外をさまよいそして買物の後どこに車を駐車したかを考えてい
ることに気付きました。私は単純に「オーケー、今ストーブに火がついているから、
台所に留まりなさい」と考える時間を取っていなかったのです。私は車から離れる前
にどこにそれを駐車したかを良く見て覚えていなければなりませんでした。
アマルガムを取り外した(1989年)後の4年間私は時々命を脅かす厳しい反応をし続
けました。私の血圧は240/l20で、私の鼠径部に腫瘍を発見しました。化学物質と食
べ物に対するアレルギー、そして臭いが私の大きい心配の種であり続けています。公
共建築物の中の不快な空気を呼吸したため私は激しく震え、安全に家まで運転できる
ようになるまでこの反応が止まるのを車の中で1時間から2時間座って待っていること
も珍しくありませんでした。1989年2月に私はサンディエゴ・カウンティーの健康研究
所に行って、新鮮な空気の中で大概戸外で過ごし、断食を通して身体を解毒しました。
10日間蒸留水で断食している間に私の血圧は半分に下がり、そして私の腫瘍は溶けて
しまいました。他の症状が沈静化した後に、私は主として新鮮な果実と生野菜とナッ
ツを食べました。結果は素晴らしいものでした。
私は歯科用詰め物から永久的な脳障害を受けていると確認するための神経科の精密
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 124
検査を受ける必要はありません。健康研究所にいる間に私はどうやって公衆電話を使
うか、市内バスを使うか、乗り換えの仕方を尋ね、健康研究所に安全に帰るかを学び
ました。どうやって考えるかを学ぶことはこのアマルガムの全部の悪夢を通じて最も
大きい障害でした。私は一分間1800回転の電気ジューサーに私の指先を触れ、削って
しまいました。欲求不満、怒り、または悲痛は言うに及びませんが、これら全てが非
常に苦痛に満ちた、高くついた厳しい試練でした。
私の水銀中毒によるもう一つの恐怖は経済的な問題でした。経済的に私たちはどう
やって何年もの辛苦を埋め合わせることができるのでしょうか。私たちにはできない
でしょう。1979年に医療費の請求書が来た結果、私たちは財産を売りました。私は
15年間私の専門の職業に就いて働くことができませんでした。私たちはアラスカの家
を担保に借金をしなければならず、その結果家の支払いが50%増加してしまいました。
保険会社はあなたを束縛する医療行為に対して支払いをする方法を持っています。最
初の処方箋による薬が2番目の薬を、最初の外科手術が2番目の外科手術を必要とさせ
るように見え、そして、この循環が継続します。保険会社は私がキャンセルした子宮
切除術や神経科と精神科の精密検査に対しては質問をしないで支払いをするでしょう。
しかし保険会社は口から原因である金属を取り除くこと、または自然衛生断食療法を
受けに行くことのように私の健康を取り戻した治療に支払いをするでしょうか。いい
え、私はそのようには思いません。
20年間社会保険料を支払っていたので、私はその権利を持っていると考えて、申請
書を提出しました。私が精神科の評価または歯科用詰め物が原因として起こる水銀中
毒を信じなかった内科医に身を預けたくなかったので、私は却下されました。今私が
生きているのは症状が命を脅かすようになった後私はすべての医療の勧告と治療を拒
否したからであることに私の心の中では何の疑いも持っていません。
そして今やもっと肯定的な回想を書きます。私はダイヤモンズによる「命を生きる
健康に対する気まぐれ」という本を読みました。私はその本に非常に感銘を受けまし
たので、彼らが通学した場所を見つけるためにダイヤモンズに手紙を書きました。リ
ンが私の手紙に返事を書いた人で、私のように看護師であって、完全に能力を失い、
私たちの健康のための職業を続ける希望を無くしました。彼女はテキサス州のオース
チン郊外の生命科学研究所の自然衛生家庭学習コースについての情報を話してくれ、
ジョン・ティルデン著の「説明された妊娠中毒症」という本を読むように促しました。
私が先に述べたように、健康は健康な生活を送ること、および、免疫システムを抑
圧する物質を避けることからやって来ます。私は自然衛生をエデンの園へ戻る神様の
健康増進計画と見ています。もし危害の原因が取り除かれるならば、私たちの身体に
は自己回復能力があります。身体は決して、決して自分自身を傷つけません。危害を
引き起こすのは症状が介在するからです。健康増進は自分ですることです。
幸せな人生を奪い去る水銀 - 125
第4章 関係者の個人的体験記
第4章
関係者の個人的体験記
過去25年の間ハル・A・ハギンス博士は専門家と素人のグループに1,000日以上講義し、
600回を超えるラジオ、テレビ、または印刷メディアのインタビューを受け、50以上の論
文を発表し、歯科矯正ジャーナルを編集し、そして2冊の本を出版しました。その合間に
彼はアメリカや彼が講義した10ヵ国もの多数の国の歯科医達を揺るがせた仰天するような
調査を発見しました。卒業後30年近くなって、彼は1989年に彼が卒業したコロラド大学で
理学修士課程に入りました。そこでの彼の研究は歯科用詰め物の存在のために多くの人々
の免疫が抑制されているという発見に導きました。これは他の有毒な金属に加えて銀―水
銀の詰め物と根管に詰め物のある歯は単に私たちがそれらを使ったというだけで安全であ
るという160年来の仮定に挑戦しました。
1. 根管治療のプライス
ハル・ハギンス、口腔外科医、理学修士
「ハギンス博士、この人がジーニー(119ページの体験記参照)です。彼女は暖かい
私たちのコロラドの春を楽しむために丁度今飛んで来たところです。アラスカの親類
です、」と私の看護師は窓から私たちの軽い春の降雪をちらりと見ながら付け加えまし
た。
ジーニー、彼女の介助者、そして私はこれから始まる血液検査を症状と比較する2時
間の診察を予期しながら診察椅子に座りこの言葉にくすくす笑いをしました。2分程書
類をめくった後私はジーニーをちらりと見て、「あなたに2、3の個人的な質問をしても
構いませんか」と言いました。
「構いませんから、すぐ先に進めて下さい」とあふれる涙とすすり泣きが部屋に立
ち込める中で彼女は答えました。
「私は何か言いましたか?」私は赤くなるのを感じながらジーニーの介護者に尋ね
ました。彼女は私を誤解したのでしょうか。私は不注意にも彼女を侮辱したのでしょ
うか。どこからこんなに涙が出て来るのでしょうか。
笑うように彼女の介助者は答えました。
「いいえ、これが私たちがここにいる理由な
のです。殆んど何でもこの反応をもたらします。それについて心配はいりません。
」そ
れについて心配はいりません?いずれにしてもあなたは私がどんな種類の人間と思い
ますか。私がジーニーを振り返って見ましたが、彼女もまたまだ涙が顔を流れ落ちて
いるのに笑っていました。
それは私にとって新しく学ぶ経験の最初のものでした。私はそれまで10年以上の間
銀―水銀詰め物の中の水銀と他の金属から重金属中毒にかかっている患者を治療して
きましたが、私をこんなに緊張させたことはありませんでした。
10分後ジーニーの介助者が私を鎮めてくれ、そしてジーニーは泣き止みました。彼
らは両方共まだ笑っていましたが、私はこの北のユーモアにまだ関係したことはあり
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 126
ませんでした。私の顔は焼かれたアラスカのように感じました。
ジーニーは以前大病院の重い責任を持つ地位にある正看護師でした。緊張は彼女に
とって毎日の経験でした。エネルギーは1日24時間待機状態にありました。何かが噛み
付くまで、彼女はいつも危機状況に見事に対応していました。彼女にはエネルギーが
残されていず、すり切れた感情、支える夫、そして1人の友達―今日の介助者しか残さ
れていません。この友達が彼女の問題が彼女の「銀」の詰め物の中の水銀に関係して
いるかどうかを見てもらうためにコロラド・スプリングスに彼女を連れて来ました。
2年間ジーニーは休息を取るために座ることなしに、10フィート以上歩くことができま
せんでした。彼女はいつも極度の疲労を経験していました。最もかすかな雑音が彼女
の頭には銅鑼の音のように響きました。彼女は助けなしに入浴や着替えさえすること
ができませんでした。食事の準備は問題外でした。
私は詰め物から出て来た水銀によって引き起こされた感情的な問題の症例をいくつ
か見ていましたけれども、ジーニーの化学状態、症状、または病歴はこれらとの関連
性を示していませんでした。病歴上問題の襲来に当てはまったのはたった一つのこと
だけでした。
ジーニーは色々の病気になる前に一つの根管を持っていました。実際それは上の5番
目の歯の根管でした。私が私の助言者メルビン・ページ博士が15年前に根管治療を行
うときに忠告してくれたことを覚えていたので、懸念の陰が私に忍び寄りました。
「い
つか」彼は優しく言いました。「あなたは根管治療について真実を学ぶでしょう。」
「あなたは私たちが今日適用可能な殺菌の近代技術を持っていなかった前世紀に根
管治療を学んだのでしょう、メル」と私は防御しました。
ジーニーを見ると、彼の親切な、そして物分りの良い祖父のように私に与えていた
印象が私の心に現れました。今が彼が予言していた「いつか」でしょうか。私は私た
ちは全て自身の学び方を持っていると考えています。幾人かは早く、幾人かは遅く。
私は何百もの根管の詰め物を詰めて来ました。人々にとって根管治療は悪いという
考えは私の理解を超えていました。症状と化学状態との取っ組みあいの2時間後に、私
には根管が詰められた歯が最重要な容疑者であることが明らかになりました。それを
認める準備ができていないので、私は翌日まで彼女の化学状態を研究するのに更に時
間をかける必要があると言いました。
私は殆んど睡眠のトラブルを抱えていませんが、その夜不眠症について学びました。
赤い目の気難しい遺棄物のように感じながら、翌朝私はジーニーと向いあいました。
私は化学状態が私に語っていることについて話し始めたのにどのように彼女にニュ
ースを流すかをまだ導き出していませんでした。ついに、私は記録(それを私はずっ
と感情を隠すために使用していました)を脇に置き、そして彼女を正視しました。私
は涙の洪水に備えていましたが、他のやり方を知りませんでした。
「あなたは私の歯を全部抜かないのですか」と彼女が尋ねました。私は口もきけな
いほど驚かされました。でも涙は出ませんでした。この空騒ぎと面倒、不眠の夜、そ
して彼女が実際に私が彼女にとってトラウマだろうと思ったものを楽しみにしていま
した。彼女の上の歯を全て抜いてしまうのに多くの他の言い訳がありましたが、しか
し私は心の中でもし根管が原因でなければ、彼女は無駄に歯を犠牲にすることになる
幸せな人生を奪い去る水銀 - 127
第4章 関係者の個人的体験記
だろうと知っていました。
ジーニーの上の歯は全身麻酔の下で全て抜かれ、彼女は頭に3個の枕を置いて寝て、
2日間安静にするようにという明快な指示を受けてモーテルへ送り返されました。その
夜10時に私はジーニーの介助者から電話を受けました。私は最も悪いことを予期しま
した。「あなたはここに来ることができますか」と彼女は尋ねました。
「ジーニーは今日の午後3時以後一時間毎にモーテルの周りをジョギングしていまし
たが、私には彼女を止めることができません。私はあなたがここに来て、彼女を平手
打ちする必要があると思います。」ジーニーの免疫感応検査値は1週間で2倍になりまし
た。もう一度私は根管がそれほど免疫システムを抑制する(免疫力を低下させる)こ
とを考え驚きました。
「先生、ビデオカメラを持って、階段を降りて来て下さい。
」数ヵ月後職場に入ろう
としたときジョージが呼びかけました。ジョージは8年間電気カートに乗っており、一
歩も歩くことができません。彼の顔の上の決心と悪戯なにやにや笑いは私に予定を忘
れて、言われた通りにするのが最も良いと言っていました。
脚の強さの不足の代償として合理的に強いジョージの腕は彼のカートの手すりで緊
張していました。そしてそれから彼の脚が引継ぎ、彼の一杯の高さへ彼を押し上げま
した。これは彼が過去8年間世界を見ることがなかった高さでした。私は幸せで、実際
に大得意にさせられましたが、ジーニーの時と同じようには、口もきけないほどには
驚かされませんでした。その時までに私は根管とともに歯が抜かれた時起こる驚くべ
き事を見ることに慣れて来ていました。
私は根管治療をすることによって何ブッシェルもの歯を救った事実によって煩わさ
れています。私は多分退役兵士がどこかの戦争で殺した人々について思うのと同じ感
じがしているのでしょう。私はもう一度口もきけないほど驚いています。何故なら私
は私が見つけた物語をもっと、もっとたくさん話す幾冊かの古い出版物を見つけたか
らです。多分私はあなたに新しく発見された材料を使用することによって私の良心を
なだめることができるでしょう。多分、あなたの身体は根管があれば健康な状態でな
くなる身体なのでしょう。
いずれにしても根管とは何でしょうか。それは歯に命を与える動脈、静脈、リンパ
管、そして神経を収容する歯の中心の部分です。歯は死ぬ時、腐敗した内容物は取り
除かれます。そしてその空間を詰める殺菌済の物質で置きかえられます。
どんな原因で歯は死ぬのでしょうか。虫歯が多分最も大きい原因です。虫歯の細菌
が象牙質の小管(歯の象牙質の中の小さい溝)を通って歯髄に滑り込むとき、それら
は内容物を壊滅させ、死んだ歯を残します。歯への強打は歯を殺すことができます。
力一杯噛むことも歯を殺すことができます。
身体の他のすべての部分では、何かが死ぬと、それは取り除かれます。悪い虫垂か
扁桃腺は防腐処置をされていません。私たちは剥製製作者を呼ばないで、傷ついた組
織を取り除きます。分解するのがはるかに遅い歯は150年以上にわたり様々な殺菌され
ている材料で詰められてきました。それらは私たちにとって良いものであるという仮
定で身体の中にそのまま残されました。
何人かの人々ではそれは何年もの間長持ちし、全くといって良いほどトラブルをも
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 128
たらさず、人々が噛むための能力を与え、ブリッジに支台を提供します。機械的には
それらは良い成績を持っています。
コロラド大学で理学修士課程をまさに終えて、私は、根管を持っていた、抜かれた
歯の骨生体組織検査をする考えが浮かび、まだ研究する態勢にありました。再び、私
は複数の発見によって衝撃を受けました。
「リンパ細胞の浸入」は自己免疫の病気の細
胞が出現する状態を述べる学術用語です。傷跡組織と一緒にこれらの小さい細胞は根
管を持つ歯の周りに浸入していました。これは自己免疫の病気として知られた変性的
(または変形的)な病気を発病させる要因の潜在的な源泉を提供しています。あなた
はそれらが関節炎、糖尿病、多発性硬化症、狼瘡、てんかん、そして、今日最も馴染
み深いエイズと呼ばれるのを聞いたことがあるかもしれません。
この発見の一寸後に過去の本が出て来ましました。一人の引退しようとしていた歯
科医が2年前のある会議で私に私が持っていないといけないと彼が思う本を持ってい
ると言いました。2年後それが私のところに届きました。私はその出来事を忘れていま
した。数ヵ月後私は偶々その本をめくっていて、「インカの失った宝」に遭遇しました。
たとえ日付は何十年も古くても、そのデータは私の研究の何年も前を進んでいました。
全く新しい考え方が私の目の前に開きました。
「新しい真実は受入れ準備ができた心にのみ来る」とその本の著者ウェストン・プラ
イス博士は注意を喚起しました。「新しい真実は新しい感覚である。何故ならそれで私
たちは以前は感じられなかったものを見つけることができるからです。
」良い忠告です。
幸運にも患者と顕微鏡の下で私自身の目で色々なものを見る私の経験は彼が言って
いたことを私が受け入れる準備をさせていました。
プライスは人と動物の結合した実験の世界からやって来ました。彼は人のためにも
っと健康な世界を提供する意志を持って人の反応を動物と比較しました。彼が使った
動物は一般的に害獣と考えられていたので、彼には動物の権利の問題はありませんで
した。これらの害獣は毒素に対して人と非常によく似た反応を示しました。
これらの動物の一匹の皮膚の下に埋め込まれた人の歯は埋め込まれた後1年後も最
も小さい反応(顕微鏡的にさえ)も起こしませんでした。根管が詰められた歯は安全
でないと疑って、プライスは腎臓病の患者から抜かれた根管が詰められた歯を動物の
皮膚の下に埋め込みました。48時間でその動物は死にました。彼はその歯の小断片を
取って、他の動物にそれを埋め込みました。2週間でそれは元の患者が罹っていたのと
同じ腎臓病でまた死にました。その後の検査では彼は顕微鏡の下で人の病気の組織と
動物の病気の組織とを区別することは難しいと報告しました。
彼はその歯の同様の小断片を取って、連続して30匹の動物にそれを埋め込みました。
約2週以内にその全てが死にました。全て同じ腎臓病で死んだのです。偶然に、元の患
者は抜歯の後回復しました。
プライスは素晴らしく重要な発見であるように見えた何かに躓きました。彼はアメ
リカ歯科医師会の研究責任者であり、根管が詰められた歯と1ダース以上の変性的な病
気との関連性についての発見に関する多くの論文を出版しました。彼は医療と歯の刊
行物に発表し、何百もの医療と歯の会議に発表者として現れました。
プライスは彼が心臓病、腎臓病、関節炎を何百人の患者から何千匹の動物に何度も
幸せな人生を奪い去る水銀 - 129
第4章 関係者の個人的体験記
移すことができることを示しました。彼はすべての科学的反論に答えました。がしか
し、何らかの理由で彼の研究は忘れ去られました。今日変性的な病気が増加している
ことに照らして、たぶん今やこれらの研究を再検討すべき時です。
人と動物を使って実験し、何千もの観察を記録した10年以上の期間の後にプライス
は彼が集めていた奇怪な事実から絵を書き始めました。彼は抜かれた歯の髄質管を殺
菌して、それを従来の封をする材料(今日まだ多くが使用されている)で詰め、そし
て細菌培養基にそれらを入れることを記録しています。もし根管を詰める材料が良け
れば、そのように置かれた歯の空洞が再感染せずに何ヵ月も生き残るべきです。これ
らの詰められた、抜かれた歯の髄質室を開封したところ、彼はそのように処理された
千本の歯の中でたった0.1%だけが3日間以上殺菌済のままで残っていたことを発見し
ました。
これらの細菌はどこからやって来、そしてどんな種類の細菌でしょうか。別の1,000
本の歯が研究され、プライスは歯に隠れていた10種類の異なった連鎖球菌の菌株を分
離しそして特定しました。それらはどこに隠れていたのでしょうか。はい、本当にそ
れらは隠れていました。連鎖球菌は象牙質の小管と呼ばれる所に隠れていました。こ
れらは髄質室からセメント質即ち骨に接続する歯の外側の大部分まで通る象牙質の中
の小さい通路です。
1本の根のある歯の中にはこれらの小管が3マイルあります。これは何百万もの細菌
が生きて行くのに対して広大なスペースを提供します。プライスとこれらの発見を信
じたくなかったアメリカ歯科医師会(ADA)の会員によって口中の連鎖球菌の産出物は
特に有毒ではないと注をつけられています。
ペリー・ハウ博士は、1920年の出版物では、動物にこれらの細菌を人に換算すれば1
パイント注入して、そして悪影響がないことを実際に示すところまで行きました。今
日までこれは私が見たプライスの研究に反駁するたった1つの研究です。
続いてプライスは身体の免疫力が下った時、身体が死んだ歯に対して全くと言って
良いほど免疫反応を示さず、何か「硬化性骨炎」と呼ばれるものが出現することを見
出しました。これは歯を検疫する他の試みである追加の骨の層です。この骨の層は免
疫反応と同じぐらい効果的ではなく、歯の内部から出る毒素が身体の中へ沁み出るこ
とを許します。私たちが既に観察して来たように、その毒素は住み場所を探している
比較的組織に特有なものです。根管に詰められた歯の断片の一匹の動物から他の動物
への移植が夫々の動物に同様の病気を生み出したことを思い出してください。プライ
スはこの現象を「組織の局所限定化」と呼びました。
不幸にして、これらの発見が意味することは歯がX線で見て痛んでいると見える(そ
れは骨が溶けている時と膿が出て来ている時)時、身体は根管によって危険に曝され
ないということを意味します。これは歯科医たちに教えられていることとまさに正反
対のことです。X線では全て乱されていないように見える時、私たちは影響を受けやす
い人々の神経系や内部臓器に対する攻撃があることを示唆することができます。
偏見なく、質問をする心を持つ必要について話しなさい。これは理由を超えて歯に
ついての考えを伸ばします。ページ博士が根管治療の危険性の可能性について私に話
してくれた時から私が最終的にこの問題に直面する勇気を獲得するのに15年かかりま
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 130
した。私はプライス博士がこれを歯科と医学の世界に提示した時入り込んだに違いな
い問題に関係できると思います。アメリカ歯科医師会の研究責任者である彼の信用を
傷つけることは難しいものでした。しかし、彼の発見の含蓄に照らして、個人的に彼
を信じ、自分自身の良心と妥協を試みることは困難でした。彼の40年にわたる十分文
書化された研究は事実を無視することを難しくしていました。
プライスの発見によって打撃を蒙った他の基準は痛みと穏やかな不快感もまた身体
が根管に詰められた歯によって作られた毒素と首尾良く戦って、確認している印であ
ると言うことです。痛みが去った時、プライスは影響を及ぼされるかもしれない標的
となる臓器を探し始めました。
誰が根管治療に耐えられ、誰が耐えられないかに関してプライスは途方も無い研究
をしました。それは何年もかかり、また1,200人の患者と140,000個の証拠を含んでい
ました。この巨大な調査の結果、彼は各種病気について遺伝学的な素因を決定するこ
とができ、同じ起源からやって来がちになったそれらの病気を分類することさえでき
ました。彼はこの主題に関してだけでいくつかの章を書きました。根管治療に関して
すべての資料を実際的なものにまとめるため、私は私たちが病気の感受性によって分
類した彼の3つの基本的な人々のグループを見ることを示唆するでしょう。
プライスはこれらの1,200人の患者は
1) 遺伝的に抵抗力を持つ―先祖が変性的な病気(関節炎、糖尿病、多発性硬
化症等)に殆んど罹っていない歴史がある家系の人々は根管を詰められた
歯の中の微生物によって作られた毒素に対し高い抵抗力を持っていました。
これらの人々は1番目のグループを構成しました。
2) 後天的感受性―初めは遺伝的に抵抗力を持っていたが大手術、事故、また
は彼らの自然免疫力を低下させる妥協的な生活様式で生きている人々は2
番目のグループを構成しました。
3) 遺伝的に感受性がある―彼らの親、祖父母、兄弟、または姉妹が変性的な
病気の問題を持っていた遺伝的な家系から出ているなら、彼らは根管治療
が行われた時「遠い場所」にある問題の第一の標的でした。これが3番目
のグループでした。
と分類できることを見出しました。
影響を受けやすい分類に変わってしまう他の道があります。これはあなたが耐えら
れる限界を超えるか、負担がかかり過ぎる状態によって起こります。プライスはいく
つかの環境状態が人の抵抗力を低下させることができることを見出しました。私たち
は一般的に喫煙、薬、アルコール、または太りすぎがストレスの要因であることに気
付いています。私たちは長期間の冷えが免疫力低下をもたらすことを知らないかもし
れません。私たちはまた私たちが思うよりはるかに多く悲しみと懸念によって悪影響
を受けますが、プライスが他の何物にもまして女性の身体から来る抵抗力低下要因と
して確認した2つの主要なストレス要因はインフルエンザと妊娠です。
妊娠は完全に正常な状態です。問題は妊娠した女性の身体は大きいプロジェクトで
幸せな人生を奪い去る水銀 - 131
第4章 関係者の個人的体験記
忙しく、もう一つの主要なストレス要因を必要としないということです。彼の示唆は
あなたが素晴らしい家系の出身者であっても、妊娠中は根管治療を受けてはいけない
ということです。彼はまた口に根管が詰められた歯を持って妊娠状態に入るべきでは
ないと感じました。彼はこれらの毒素のたった百万分の数グラムで実験動物が死んで
しまうといつも警告していました。
私は多くの人々の心の中の大きい質問が「これらの毒素は胎盤の障壁を通り抜ける
か」であると想像します。これはもっともな質問です。プライスの仕事はそれは通り
抜けるということを示しています。たぶん現在の歯科の研究か、あなたの産科医が知
っています。個人的に私の関心はこれまでいつも母親に向っていました。この加えら
れたストレス要因は彼女に何をしますか。
この全ては他の問題を持ち出します。コロラド・スプリングスのコロラド大学での
私の研究からの最近の発見は歯が抜かれる時歯科医が歯を、歯全体を(望むべくは)
、
そして歯だけを抜くことを示しました。さて、私たちは他の真実へ広がらなければな
らないかもしれません。真実では、根管を伴う歯は中側に加えて歯の周り全てが感染
しています。
赤ん坊が生まれた後でまさに後産が取り除かれなければならないように、歯槽は感
染した骨が再び患者を感染させることがないようにきれいにされるべきです。それは
簡単な手順と2分の時間だけを必要としますが、もし古い骨が歯科用のドリルできれい
にされないと、自己免疫の細胞は活発なままで残り、骨は完全に詰まりません。
X線で発見するのは極端に難しいのですが、大きい「歯槽骨の空洞」は何年もの間隠
れて残ることができます。私たちがきれいにしたいくつかの歯槽骨の空洞は3立方セン
チメートルを超える大きさのあご骨の穴です。現在私たちはこれらの歯槽骨の空洞の
中の異常な細胞構造を特定して、そこに存在しているそれらの目的を決定するように
試みています。
この情報に反応するのに2つの方法があります。あなたは古い慢性の問題の原因を見
つけることが嬉しいかもしれません、または、あなたはもう一つの心配事を持つこと
を残念に思うかもしれません。心配はあなたを過負荷に追い込むストレス要因である
ことを思い出してください。どうしてより少ないストレスとより良い健康を選択しな
いのですか。
個人的に私はウェストン・プライス博士に重要性の大きい論題に私の心を開いてく
れたことを長い間遅れた感謝の心を持っています。私は初めてこの概念を読んでいる
歯科医たちに感情移入をします。私は私の心を開いて新しい真実を試験するのに18年
以上かかった事を覚えており、最近このことを知った歯科医たちは私より新しい真実
をもっと受け入れ易いかもしれないことを希望しています。プライス博士が彼の根管
調査を1895年に始めたので、私は彼が彼の時間から100年先を進んでいると思います。
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 132
2.直流電気ショック
メアリー・ウォーカー
直流電気のショックについては殆んど知られていません。この言葉だけでも私が犠
牲者になるまで私には馴染みがありませんでした。私は精神的にそして身体的にこの
経験が気力を奪うほどであると言うことができるだけです。
私の口は私がポップコーンの核を噛むまでは健康でした。結果は抜歯でした。治癒
する段階が終った時私がブリッジを考えることが示唆されました。私は通常のチャン
ネルの経済力を持っていないと知っていたので、私は歯科学校で患者になりました。
担当する学生が割り当てられてすぐ、私は歯の古い詰め物を詰め替えるように勧め
られました。しかし私は私がそこに行ったのはブリッジのためであることを明確にし
ていたと思っていました。私はそれが標準的な手順であると言われましたので、「は
い」と言いました。私の詰め物はたくさんのアマルガムを必要とする位非常に深く、
非常に大きいものでした。私の記録は最終的には金のブリッジであろうと示していま
した。私はセラミックのブリッジは同じぐらいは強くありませんと言われました。
金のブリッジが私の口に入れられた瞬間私は問題があると知りました。私の上下の
歯が接触するとカーペットの上を歩いたり、電灯のスイッチを触ったりした時と同じ
ショックがありました。「これは何?」私は叫びました。「まあ、それは時々起こりま
すが、時が経てば消えるでしょう」と学生の仕事を見渡しながら歯科医が言いました。
これは可能性として私に全く説明されていませんでした。先生と学生の両方共この副
作用を避けるためにコンポジットの詰め物を使用することを無視したように思えまし
た。
私はその後その歯科学校を何回か訪問し、私が専門家であると考えた誰彼となく何
ができるのかを尋ねまわりました。誰も「応急策」を持っていませんでした。私は新
しい詰め物に詰め替えるか、金のブリッジを取り外すことができました。私は彼らが
私は偏執症で誇張して言っていると考えていると感じていました。
私は睡眠を奪われ、せいぜい2時間しか中断されずに眠ることができませんでした。
上下にある金属の間の磁力は私の口を堅く結ぶ磁石のように行動しました。私の口は
すっかり乾いて、私は絶えず水を飲む必要がありました。それから、私は翌日歯が痛
むので眠るのが怖くなりました。それでも口ガードはそれを直すでしょう。しかし、
私の口の中にこの異物が入って、私の顎は更に硬く固まりました。間もなく、潰瘍と
火傷したような感覚で非常にひりひりと痛い口になりました。私は絶えず金属の味を
味わいました。私が話をする時私の歯はお互いの上で食いしばり、文章の途中で私を
止めました。寒い気候では私の歯はコントロールできないほどカチカチなりました。
私は話すことに傷つき、引っ込み症になって行くのを認識しました。夜には口ガー
ドは嫌な物(それにも金属が入っていました)になりました。なぜこれが進んだ現代
の技術の1日で私に起こってしまったのでしょうか?
これらすべての最終章は中毒と直流電気のショックから私の身体は非常に悪くなり、
専門家によってあの金のブリッジを取り外して貰い、食いしばりのため5本の臼歯を失
い、今噛む能力を持っていないということです。このようにして、私は義歯に直面し
幸せな人生を奪い去る水銀 - 133
第4章 関係者の個人的体験記
ます;部分的な義歯床は私の身体組織と適合しない金属を含んでいます。私はまた胃
潰瘍の原因となるヘリコバクター・ピロリ-菌と戦っています。
なぜ私はこれを書いたのでしょうか。私はこの問題のさらなる研究がなされるべき
であり、また口の中の状態について学生、歯科医、そして患者の間でもっと多くの話
し合いが行われるべきであると本当に感じています。私の症例では何が適当な材料で
あるかを見るための検査が実施されなかったのが不運でした。患者の幸福はいつも真
っ先に考慮されなければなりません。何らかの歯科治療が始まる前に、患者は質問を
するべきです。私たち全てが医療上の手順についてより良く情報を与えられる必要が
あります。
私は悪夢の人生を生きたと知っているだけです。
3.歯槽骨の空洞
マーリーン・ブレイク
アマルガムをすべて正しく取り替え、適切な毒素排出治療を受けても、なお期待
された良好な反応の出ない患者が周期的に出てくる。これは、歯槽骨の空洞と呼
ばれるものが原因であると説明することができ、マーリーン・ブレイクが本章で
詳細に説明する。この歯槽骨の空洞はあなたが今までに歯を抜いたことがあるな
ら、忘れてはならないことである。
1970年の春、フロリダ州のジャクソンヴィル近くのバックマン橋が崩壊しました。
技術者が橋の中空の杭に封をする前に、それを河の水で満たしていたのです。嫌気性
のバクテリアが杭の内層の段ボール紙に繁殖し、杭を破壊し、橋の一部を陥落させる
に十分なメタンを生成していたのです。
歯と骨の間の「内層の段ボール紙」は歯周靭帯と呼ばれる結合組織の層です。歯を
抜いたときに歯周靭帯が除去されないと、骨は再生されず、骨では残された空間を充
填しません。穴は骨の薄い層とゴム質の層で治りますが、決して固い骨で埋められる
のではありません。その結果、嫌気性バクテリアに満たされた穴が残ります。歯科医
が摘出部を正しく掻き出し、洗浄をしなかった場合、まさにフロリダの橋のように嫌
気性バクテリアが歯周靭帯やその内層に繁殖し、免疫組織にストレスを与え、そして
実際にその不運な人の組織の一部を破壊するでしょう。
この状態は歯槽骨の空洞化として知られ、結局は歯、あご骨、顔、頭、首、さらに
背中や足までの痛みの原因となり、何年間も存在し続けることがあり得ます。微量の
歯の物質が象牙質組織を通して歯髄に運ばれ、慢性の顔面痛症候群、全身的神経痛、
アレルギー症、関節炎症の状態を引き起こすことがありえます。
この歯槽骨の空洞は通常歯のX線診断手続きによって発見されるとは限りません。し
かし歯槽骨の空洞の有無、その場所を判断する方法は存在します。その方法は1976年
E.ラトナー博士によって開発されました。口腔外科医はエピネフリンを含まない局
部麻酔薬を下あごの骨に直接注射します――局部痛み止め。問題の一般的症候群が防
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 134
げた場合、次のステップは歯槽骨の空洞を探しあて、スピードの遅い歯科用の錐でこ
れをきれいにし、正しく洗い流すことです。治療の経過は迅速であり、さらに色々の
同種の医薬品の注射により加速されます。
それは、慢性の痛みを治癒するための最低45分の歯科治療法であり、何年間も薬を
飲むより確かにより良い方法です。
Journal of Dental Researchの1976年度版でラトナー博士は歯槽骨の空洞を外科的
に掻き出す方法(掻爬)で25人の患者の中16人の痛みを完全に取り除くことができ、
6人が著しく改善し、3人は変化がなかったとの報告をしました。このような頭蓋内の
手術に頼らずに、当時の既存の医療慣行に従っていれば、これらの患者の誰一人も助
けられなかったことを考えればこの結果は素晴らしいものです。
1976年から1984年の間に治療不可能で、従来の医療方法では良い反応を示さないと
考えられている三叉神経痛、非定型顔面神経痛の患者についての8つの独立した研究で、
この歯槽骨の空洞の掻き出しを取り扱っています。患者は計450人で、歯槽骨の空洞は
547ありました。歯槽骨の空洞掻き出しの後、322人は痛みがなくなり、99名が著しく
改善し、32名は改善がありませんでした。患者の殆んど94%が著しい改善か、痛みが完
全に消えたことを経験しました。これらの研究は首の慢性的な痛みに焦点を合わせた
ものでしたが、身体の他の部分についても同様であるかも知れません。
私は37年前にアマルガム詰め物が拡大し、歯が割れてしまったので、大臼歯を抜い
て貰いました。過去4年間私は足を引きずり、左のお尻に慢性的な痛みを経験していま
した。足の引きずりとお尻の痛みは私の働く能力をすごく制限しました。お尻を取り
替えない限り、今日の既存の医療方法では実際的な解決策がないので、歯槽骨の空洞
の外科手術は大いに魅力的となりました。1993年4月23日私は一つの歯槽骨の空洞を掻
き出してもらいました。4月24日ここ数年間96.2度から97度であった私の体温は98度に
まで上りました。今ではうつぶせの姿勢から足を上げ、手を使わずに足を上げて車に
乗り込むことができます。私はまだ治癒の過程にあります、しかし実際に痛みが消え、
足の引きずりも一時的になくなることがあると発表できることは大いに嬉しいことで
す。もう一度ベリー・ダンスができるかも知れません。
4.骨髄炎
ロンダ・リン・マックラウド
私が始めて歯根管治療を受けたのは、1985年の1月でした。私の左上の顎骨の処置中
に、ファイル(歯科用道具)の先端が砕け落ちました。医者は私にこのことでいかな
る危害も起きないだろうと言いました。私は彼の知識と経験を信じました。歯科のX線
写真では私の右下の顎骨に未知の損傷が写っていました。正式に損傷だとは診断され
なかったそれは以後定期的に再点検され、毎年口全体のパノラマX線写真でその後の変
化が注意深く検査されることになりました。
それまで素晴らしかった私の健康は次第に悪化していきました。子供の頃の古い銀
幸せな人生を奪い去る水銀 - 135
第4章 関係者の個人的体験記
の詰め物を金と交換してくれたこの歯科医に通い続けました。最初に現れた症状は頭
の上の小さな赤い痛みのある発疹でした。次に髪の毛が抜け落ちました。内分泌科専
門医で受けた血液検査では高いANA(抗核抗体)値を示しました。この専門医は問題を
甲状腺機能低下と悪性貧血による円形脱毛症と診断しました。毎日シントロイド錠を
飲み、毎週B-12の注射を受けるよう処方されました。症状は続き、疲労感、筋肉痛と
刺激過敏感を伴って悪化しました。
次に伝染病専門医は私を狼瘡と誤診しました。私はこの時点――治療の堂々巡りを
経験するこれまでの五年間――で挫折感を味わい、感情面で絶望していました。私に
与えられた如何なる経口抗生物質も改善の助けにならなかったので、怒りに動機付け
られて、何らかの治療、或いは痛みの改善方法を探し出すことになりました。気分が
非常に悪く、ベッドから起き上がれない日々もありました。大きな赤い発疹が頭のほ
とんど全部を覆いました。髪の毛が少なくなり、カツラを被らなければなりませんで
した。痛みは頭から足の先まで全身にわたっていました。私は泣きながら、手と膝で
浴室に這って行きました。家族は私の健康が段々と悪化していくのを絶望的に見守る
ほかありませんでした。
両親の金銭的な援助とその愛情に勇気付けられて、私は健康回復の道を探し続ける
ことができました。スクリップス、ローマリンダ、UCLAを含め、数多くの医療機関を
訪ねましたが、解決策は得られませんでした。
最後に、たまたま交通事故である整骨医に行ったとき、皮膚科医を紹介しくれまし
たが、その医者が私の頭に感染した赤い発疹について生体組織検査を行ってくれまし
た。感染性ぶどう状菌が身体のどこかで生じていることが検出されましたが、彼は抗
菌軟膏を使って原則的な治療方法をとるほかなかったのです。
私の生理も不規則となり、ますます痛みと痙攣を伴うようになりました。骨盤の磁
気共鳴映像(MRI)は異常を示し、子宮を摘出しました。子宮を摘出しても、この不可解
な医学的難問題に起因する症状は消えませんでした。この時には私は幾度も絶望的と
なり、自殺を考えるようになり始めました。
健康が悪化していく原因を考えている時、私が毎年受けている歯の検査のことが閃
きました。歯科医は今回も顎の全体写真を撮りました。下部の損傷には変化はありま
せんでしたが、今回は生体組織検査を行いました。UCLAから返されてきた結果は正常
でした。歯根管治療はその損傷のすぐ上の歯で行われていました。あらゆる経口抗生
物質も長期的な効果を何一つもたらさないので、骨の感染症はさらに進行していくか
も知れないと医者は告げました。
私は歯についてのこの最新情報を持って、再び整骨医を訪れました。彼はセント・
ジュード病院で全身X線(骨走査)を取って貰うよう処方しました。感染の中心点が顎
のX線写真上に現れました。直ちに口腔外科医を紹介され、さらにパノラマ全歯写真を
とり、私の顎の損傷部分に骨髄炎があると診断されました。この口腔外科医のところ
で、ファイルが砕け落ちた部分を検査するよう依頼したところ、確かに瘻(ろう)虫歯
の中まで腫れていました。二週間以内に手術が行われました。手術のあと、他の感染
病医の処方によって十週間の間抗生物質の静脈注射を受けました。腫れは続きました。
上の歯根管の歯は抜かれましたが、それでも腫れは続きました。しばらくして、下の
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 136
歯根管の歯も抜かれました。それでも症状は続きました。
8月のある日、プライス・クラブの中を歩いていた時、「予防による新医療」という
本が私の目を引きました。暗闇の中のろうそくの火のように私の心の中で希望の煌め
きの火花が散るのを感じました。ページを繰っていく内に多くの選択肢があることを
知りました。私は生物学的歯科学の章を見つけ、正に9ページにDAMSを発見しました。
その日に彼らに電話してニュースレターを注文しました。
数日後最初のニュースレターを受け取りました。私は朝の三時までかかってそれを
読みました。私と同じ問題を経験した人を見つけて非常に興奮しました。喜びに押し
つぶされました。その人、スーザン・サウィッキに電話をして、すぐに友達になりま
した。私たちは健康を求めて骨髄炎の道を一緒に旅をしながら失敗と成功を分かち合
いました。
しばらくの間、私には成功より失敗の方が多くありました。しかし今度は内分泌科
医が神経科医を紹介してくれました。神経科医は感染が脳にまで広がっていないかを
調べるため、脳の磁気共鳴映像(MRI)をとるよう命じました。MRIの結果は脳の下垂体
部分が通常の四倍速く機能していることを示唆していました。内分泌科医は脳の当該
部分を医薬的に抑止するための経口処方薬を飲むよう勧めました。神経科医は私が精
神科医に行く必要があると言いました。勿論、私は後戻りをしませんでした。
一時間半精神科医と面談したあと、私は診療性うつ病と診断されました。
「こんな経
験をして、うつ病にならない人っているだろうか」と、私は彼の診察室を出るときに
思いました。次の2年間、毎週この精神科医を訪ねることが情緒的な困難さを和らげる
のに役立ちました。
赤紫の発疹は大きくなり、頬骨、顎の骨と耳の発疹はもはや隠すことができません
でした。私の内耳の中に虫が這い回り、発疹が破壊するのではないかと感じました。
破壊と言えば、映画「破壊」が映画館でヒットしていて、皮膚侵食細菌がタイム誌の
表紙を飾っていました。ある日、母親と小さな息子が私と同じエレベーターに乗るの
を嫌がっていたのを思い出します。彼女の目は恐怖に満ちていましたが、彼女を責め
ることはできませんでした。私が自分の子供と一緒なら同じことをしたでしょう。私
を見るとき人々に恐怖が拡がりました。それはただ私自身の内なる恐怖が彼らの目に
反映したものでしょうか。私はハンセン病患者のように自分を隔離し、すべての人か
ら隠れました。この時にできたのはただ祈り、そして泣くことだけでした。
2月のある夜、神が私をただ連れ去ってくれることを祈りながら泣き寝入ってしまい
ました。私がイエス・キリストと共にいるという最も輝かしい光景を目にしました。
彼の私に対するお告げは「愛と許しを与え、そして受け入れよ」でした。3日後私は再
び生きることへの明確な目的と理由を悟って目覚めたのを覚えています。
2、3週間後再生の御神託をはっきりした行動に移しました。私は店に行き、愛する
人々のためにカードを買い、サインをして送りました。私は予告なく医者に車でかけ
つけました。彼は私を見て驚きました。
「私は神の恵みによって生きています」と私は
彼に言いました。
私が望むのはただ他の人々と同じように正常な生活をする機会を取り戻すことです。
私は泣きながら彼に抱きつきました。その日巨大な重荷が私から取り上げられたのを
幸せな人生を奪い去る水銀 - 137
第4章 関係者の個人的体験記
感じました。その後訴訟を取り下げることを決心しました。彼が故意にファイルを破
損したり、損傷だと早期に診断することを怠った訳ではないからです。許すことは私
が治癒するために学ぶ必要のある教訓でした。
私は「予防による新医療」の本を読み続け、薬草を見出しました。私は母の勧めに
従って、免疫機能を高めるための「ビーアライブ女王蜂」花粉とセルテック青緑藻を
摂り始めました。私の身体と情緒は改善しました。
発疹は治り始め、毛髪、眉毛と睫毛は殆んど元通りに生え揃いました。気分が少し
良くなり、地域の教会、ガーデン・グローヴのクリスタル聖堂でボランティアを始め
ました。自殺危機防止の24時間ホットラインである「新しい希望」に参加しました。
私はきっと電話の相手の人々の考えをよく理解し、共感することができるでしょう。
私はこの仕事をいつまでできるか確信がなかったし、人々を怖れさせたくなかったの
で、夜の12時から朝4時までの交代時間で働きました。
ジョージ・マイニング博士著の「歯根管隠蔽の暴露」と言う本を読むように勧めら
れました。私はこの本を読んで、この素晴らしい医者を訪ねてオジャイに行きました。
彼は動作学を使って、私の顎骨の感染を見つけました。望みは強くなり続けました。
次にしたことは歯全体のパノラマX線写真をネバダ州リノに住む口腔外科医、クリスト
ファー・ハッサル博士に送って診察を受けることでした。
顎骨の手術のため、二度ネバダ州リノに旅行する必要がありました。1月父が同行し
てくれた一度目の旅のとき、ハッサル博士は歯に関連する身体の部分が載っている一
枚の紙を私に示しました。私の場合問題の箇所は甲状腺に直接関係している歯でした。
3月13日、二回目の手術に向かうため母の家に行く途中、私は教会に立ち寄り、祈り、
私の命を神、イエス・キリストと精霊に捧げました。私が祈りの塔の外を歩いている
とき、頭上に実に荘厳な虹がかかっていました。私の身体のすべての細胞が踊り、皮
膚は至福の喜びにうずうずしました。次の日私がリノにいるとき、地方紙、オレン
ジ・カウンティ・レジスターにその写真が掲載されました。全てが偉大であることを
忘れない為、この写真を私の部屋のマントルの上に置いています。私は愛されていま
す。二回の手術は成功し、その後サン・ベルナジノにある高圧酸素研究所で40回の高
圧酸素治療を受けました。
私は薬草を摂り続けました。免疫組織のために「ビーアライブ女王蜂」花粉、全般
的な回復のためにセルテック青緑藻、血液清浄化のためにパウダルコ、強い骨を作る
ためにカルシウム、甲状腺のために海藻灰、ギンコと複合ビタミン剤を摂取しました。
これは私には有効でしたが、決して他の人にも効果があると勧めているのではありま
せん。私は薬草と治療についての本を読んで、健康のためにちょっと個人的な責任を
取っただけです。治療は私にとって継続的な過程であり、最近定期的にマッサージを
受けるようになりました。
予防というのは最近私の好きな言葉です。3ヵ月毎に歯の清掃をするようになってか
ら歯に問題は起こっていません。
最近甲状腺機能が再び低下し始め、血液検査数値も高くなってきたので、ハントン
海岸のビーチ脊柱指圧療法(カイロプラティック)病院のガリー・ヘキシマ博士のと
ころに通い始めました。三週間すると甲状腺は安定化し、血液検査数値も正常に戻り
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 138
ました。医者からは何の説明もありませんでした。脊柱指圧療法のX線では首の神経が
甲状腺と係っている処で背骨が不完全脱臼していることが示されていました。それで
私は脊柱指圧療法師に通い続けています。
35万ドルの治療費を支払い、人との良好な関係を築けず、多くの損失を蒙りました
が、それでも私は恵まれています。医療上の悪夢のすべてを経験しましたが、今では
ちょっとした発疹の傷跡を除いて何事も起ったことがなかったかのように外から見え、
また気分もそのように感じるのです。私の髪の毛はすべて元通りに生え揃い、何とか
大学教育を受けられるようになり(一度授業中に静脈注射を受けましたが)
、教会のボ
ランティアとしての職を得、それをほぼ2年近くも続けており、何にもまして、神、娘
そして両親との素晴らしい関係を享受しています。かつて、損失、自暴自棄、無力、
絶望と憂鬱に覆われた私の周りには、今は、新しい希望、信仰、慈善、健康、感謝と
愛に満ちています。
第5章
回復への道のり
1. 妊娠前の注意事項
アマルガム詰め物から連続して放出されている水銀は出産障害の原因となることか
あり得ます。あなたが詰め物を直ちに取り除いて、今後の水銀との接触を回避したい
と欲したとしても、もしあなたが妊娠していたり、妊娠しているかも知れないと考え
ていたりする場合には決して詰め物を取り除いて貰ってはいけません。胎児が母親の
血液中の水銀により大きな危険に曝されるからです。アマルガム詰め物が取り除かれ
る時、水銀の大波が血流中に放出されます。アマルガムを充填した歯を抜くことさえ
危険であり、避けなければなりません。女性は妊娠の少なくとも一年前にアマルガム
の詰め物を取り除いて貰うべきであり、知識のある医者か歯科医とその危険について
相談すべきです。
2.利用可能な検査
今のところ、慢性の水銀中毒を正確に診断する単一の検査方法はありません。有益
で、水銀中毒の兆候を示しうるいくつかの検査は存在します。
連続多チャンネル自動分析器と全血球検査値の血液検査は水銀がどのように身体の
種々の部分に影響するかを決定するのに役立ちます。例えば、水銀は赤血球と結合し、
その酸素を運ぶ能力を損なって、疲労の一因となり得ます。血液中の水銀濃度を常時
検査することは、日常的には行われていません。それは血液に水銀が新たに入ってき
たとき、血液は比較的短時間に(5分以内に)その水銀の大部分を排除することができ
るからです。
アマルガム除去処置を受ける前の生体適合性検査は重要なものです。多くの人がア
マルガム以外の歯科用材料に対して不適合の反応を示します。検査はあなたが水銀中
幸せな人生を奪い去る水銀 - 139
第5章 回復への道のり
毒になっているかどうかを判断するものではなく、あなたの身体固有の化学状態にと
って、アマルガムの代りに使うのにどんな材料が安全であるかを判断するものです。
3.食事療法のガイドライン
あなたの身体を解毒するのを助ける一つの方法は適切な食事と栄養です。人は各々
異なるので、すべての人のために一つの食事療法を勧めるのは不可能です。しかし、
有益な指針(ガイドライン)は存在します。またBio-Probe, INCが出版した本があり、
その本ではあなたの身体から水銀を除去するのに役立つ最も有益なビタミンや栄養補
助食品を詳細に説明しています。
4.アマルガム除去の後
解毒の過程を歩んでいるとき、いくつかの症状、或いは全てが悪化しがちであること
を忘れてはなりません。たとえ、それがぎょっとさせることであり、あなたがより悪
い状態に戻っているかのように感じたとしても、それはあなたの身体が毒素を排除し
ていることの良い証拠なのです。
発 汗
1972年10月のナショナル・ジオグラフィック(National Geographic)の論文「水銀と
ゆるやかな死」によると、頭痛や震えといった水銀中毒の症状を見せ始めたスペイン
の水銀鉱山の労働者は「浜辺」に送られました。浜辺とは円形の小道の印を付けた非
常に暑い部屋のことです。労働者は裸になりぐるぐると歩き廻って水銀を汗で流し出
しました。論文は続いて「吸い込まれた水銀の一部はこの方法で排出され得る、しか
し大部分は身体のたんぱく質と結合し何ヵ月も留まっている。
」と述べています。
薬 品(毒素排出剤)
薬品、毒素排出剤は重金属の解毒のために利用できますが、これは良く訓練され、
経験を積んだ専門医によってのみ投与されるべきものです。詳しい情報はバイオプロ
ーブ社(Bio-Probe, Inc.)から入手できる「歯科の水銀の解毒」(”Dental Mercury
Detox”)を読んでください。
薬 草
薬草は身体を解毒する安全で自然な方法です。重金属の解毒のためによく勧められ
る薬草はクロレラ(Chlorella pyrenoidosa)、コリアンダー(中国パセリ(Chinese
parsley)または香菜とも呼ばれます)、そして、粉末の状態で購入できる大麦
(Hordeum vulgare)ジュース等です。ニンニクとキャベツ、ブロッコリー、カリフラワ
ー、メキャベツのようなアブラナ科の野菜もまた大いに推奨されています。これらは
身体を修復するのに必要な栄養素を供給するからです。
毒素排出剤としてのアスパラガス
テネシー州のDAMSのコーディネーターがアスパラガスを食べた後にいやな臭いがす
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 140
ることから、最近彼女の医者、ドナルド・C・トンプソン哲学博士・医学博士にアスパ
ラガスと尿のメルカプタン(mercaptan)との間に何か関係があるのかと質問しました。
トンプソン博士は国際毒素排出素材研究財団の総裁であるマルチン・ルビン博士に連
絡しましたが、ルビン博士は一つの参考事項としてバージス出版会社の1963年刊行の
トレボー・ロビンソン著、「植物の有機的構成物質」278ページを見つけることができ
たのみです。
マーチン・ルビン博士は「アスパラガスから出る尿の臭いは多分この植物に存在す
る2.3.ジチオイソブチレン酸によるものであろう。それは水銀に対する非常に優れた
毒素排出素材であろう。
」と述べています。
メルカプタン(mercaptan)の辞書の定義は「水銀を捕捉する」(seizing mercury)の
意味です。
5.ホメオパシー(同種療法)
健康についてのある専門家によると、同種療法(ホメオパシー)的治療法は今日多
くの医者が用いている複雑で高価な治療法に取って代る驚嘆すべき代替療法です。こ
れらの専門家によると、これらは安全であり、効果的であると証明されています。同
種療法(ホメオパシー)的治療は少量が服用されるときに「毒を以って毒を制す」
(“like cures like”)の原則で機能するものです。身体の治癒エネルギーを促進し、
身体の回復過程を加速します。その治療法がもたらす苦痛はそれぞれの金属が身体自
体の化学反応の中で果たす多くの役割を反映しているに過ぎません。健康に対し伝統
的な方法で取り組むことは予防医学に頼ろうとする私たちの社会の要請に対する現実
的な解決策です。
ジェス・クリフォード氏からのハイライト
1993年5月のIAOMT科学シンポジウムで水銀についての指導的研究者であるジェス・
クリフォード氏が、アマルガム詰め物の危険について講演している。次に述べるのは、
そのハイライトのいくつかである。
* 毒素は累積的に身体に満ちていき(身体積荷現象)、非常に広範囲に拡散するので、
私たちは何が起こっているのかほとんど気付かないほどです。更に身体に入ったあと、
心臓、肝臓、筋肉、肺、腎臓など種々の器官の細胞組織に侵入しますが、特に神経組織
と特殊な親和力を持っています。毒素が脳と脊柱の中に入り結合するにつれて、人は徐
々に認識する力とものごとを系統立てる力を失い始めます。
* 6時間の睡眠後身体は多くの毒素が溜っている脂肪組織から自身のための栄養分を
摂取します。かくして、人は夜の間に非常に多量の毒素を摂ることがたびたび起こりま
す。そんな訳で人々はよく朝になって疲れきっていると感じるのです。
* 中毒の最終段階ではあなたは日付、電話番号、郵便番号そしてあなたが昨日したこ
とを忘れ始めます。この段階では水銀、カドミウム、アルミニウムなどの金属が今まで
の反応感度を増幅することから、あなたのアレルギー症状が悪化します。白血球数の高
数値と腫れ(時には局部的発熱を伴う)は毒に冒されていることを示すもう一つの兆候で
あり、また、異なった金属間の直流発電反応によって口腔内の電気的活性が急激に増大
することも同様です。その他の症状としては関節痛、筋肉痛、怒りっぽいこと、神経過
敏、うつ病、情緒不安定があり、また突然のまたは頻繁な排尿、無感覚、きりきりする
痛み、痙攣、震えなどもそうです。視力と聴力の減退も同じく問題となるでしょう。
幸せな人生を奪い去る水銀 - 141
ジェス・クリフォード氏からのハイライトーつづき
* 水銀は多くの人に困難な問題を投げかけますが、一定の症状パターンはなく、神経
組織、胃腸の部分や関節に症状が出ることもあります。
* 患者から毒素を取り除くため、ある医者は発汗技術を用います。このとき毒素が再
吸収されるのを防ぐため、毎回事後に必ずシャワーを浴びます。ある場合には、高単位
のビタミンCの静脈注射が歯科治療で使われた有毒金属の悪影響を取り消す効果的な毒
素排出薬剤として作用することを見出すでしょう。
第6章
法律上の問題
1.歯科用アマルガムの廃棄物は有毒危険物である
詰め物を作るため歯科用アマルガムの金属が合金化された時その全てが使われる訳
ではありません。殆んど毎回未使用の材料が残ります。OSHA、 環境保護庁(EPA)、 米
国歯科医師会(ADA)はこの「アマルガムの廃棄物」は有毒の要廃棄処理危険物であると
考えています。
米国歯科医師会(ADA)は歯科用アマルガムの取り扱いとアマルガムの廃棄物の処分
に関して歯科関係者に厳格な勧告を公表しています。ADA歯科用材料、器具、及び装置
に関する審議会:歯科用水銀衛生に関する勧告、米国歯科医師会会報109:617-9.1984.
1.「すべてのアマルガム廃棄物」は回収され、厳重に密封された容器に貯蔵され
なければならない。この廃棄物はX線または写真用定着液剤のような硫化物液
剤で保護されなければならない。
2.アマルガム取り扱いの非接触技術が使われなければならない。水銀に曝された
皮膚は洗浄しなければならない。前以ってカプセルに入れられた合金を使わな
ければならない。古い歯の治療部を除去したり、新しい歯の治療をしたりする
時には水スプレーと高圧吸引器を使わなければならない。吸引装置は濾紙、濾
過器或いは不用物除去装置を通さなければならない。アマルガム粉塵を吸うの
を避けるためマスクを使わなければならない。
OSHAは歯科用アマルガムを危険物質として分類しています。余った材料は物質安全
データ・シートに従って処分されなければなりません。
(OSHA「危険物」規則施行を開
始、ADAニュース.19(15): I. August 1, 1988)
。
環境保護庁(EPA)は歯科用アマルガムの処理場を汚染したとして、58人の歯科医に罰
金を課し、またその金属回収業者と四社の歯科関係納入業者を罰しました。
原著編集者注:歯科用アマルガムが何故歯科従事者に対して、また歯科診療室において
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 142
そして環境に対して有毒危険物になり得るのかという説明は、一切なされていません。
さらに、患者の歯の中に詰められた時には何故完全に無害であり得るかの説明も無いの
です。
2.カリフォルニア州における最初の歯科インフォームド・コンセント法
カリフォルニア州上院議員ダイアン・ワトソンにより提出された上院法案934が1993年
1月1日に発効しました。この法律によりカリフォルニア州歯科検査委員会はいろいろ
の歯科用の修復材料についてその危険と効用を記述し、比較した印刷物(事実記述書、
fact sheet)を発行し、頒布し、その情報を更新するよう命じています。
この法律の本文で「この法律は虫歯に詰めるための物質のみならず、歯を矯正する
物質をも含め、歯の治療の終了後も患者の口腔中に残留する構造物や装置の全てに適
用される。
」と述べています。
3.裁判所はカリフォルニア州の歯科医に警告板を掲示することを命じる
1990年7月1日カリフォルニア州は水銀を生殖危害の原因になると認める化学物質の
リストに載せました。その結果歯科用アマルガムについて消費者への警告が必要とさ
れることになりました。
裁判所は提案65を支持し、今やアマルガムを使用したり、除去したりするカリフォ
ルニア州の歯科医院は次のような警告を掲示することが必要となりました。
警告:当歯科医院は出産障害その他の生殖危害の原因になるとカリフォルニ
ア州が認める化学物質である水銀を含み、またあなたをその水銀に曝すこと
となるアマルガム充填材料を使用している。詳細についてはあなたの歯科医
に相談しなさい。
しかし、提案65は従業員10人以上の医院にしか適用されないので、この警告の有効
性についてなおいくらかの疑問が残ります。従業員が10人未満の歯科医院では患者に
警告するのにそれほど意を用いないことも大いに考えられます。
DAMS ニュースレター 1996年 春と夏
4.世界の政策
市民の健康を守る目的からいくつかの国ではアマルガム修復物の使用を制限したり、
段階的に禁止したりする手段を取っています。
* スウェーデンは1994年アマルガム詰め物の完全禁止に向けての行動予定表を公表
しました。この詰め物は子供および18才までの青少年に対しては1995年7月1日迄に使
用禁止され、大人においては1997年迄に禁止されます。
幸せな人生を奪い去る水銀 - 143
第6章 法律上の問題
スウェーデンの社会福祉健康局は「アマルガムは毒物学上の見地から適切な歯科用
物質が開発されれば使用を中止すべき、承認することのできない詰め物材料である。
歯科詰め物のアマルガム使用を排除する為の第一段階として胎児への水銀危害を防ぐ
ため、妊婦に対してのアマルガム使用をことごとく中止する。」と結論しています。
1998年にスウェーデンは以後アマルガムの充填に対しては国の保健機構は支払いを
行わないと発表しました。
*ドイツは、数年間アマルガムの使用を制限した後、唾液への水銀の放出について世
界で最も大規模な研究を開始しました。17,500人の参加者を巻き込んだこの研究はチ
ュービンゲン大学で行われ、アマルガム詰め物からの水銀蓄積の増加を明確に立証し
ました。この結果、ドイツの環境及び環境保全協会はアマルガム詰め物の完全な禁止
を要求しています。
*フィンランド、オーストリア、デンマークとノルウェーはアマルガムの使用を制限
する措置を取っています。
*スイスのチューリッヒにある歯科学校は歯科用アマルガムの授業をカリキュラムか
ら除外すると発表しました。質問に対し、校長は今ではより優れた材料が利用できる
のでこの措置が取られたのであると述べました。
*カナダはアマルガムの使用を制限し、歯科医に次のような対策を講ずるよう勧告し
ています。
1.子供の乳歯を修復する時、材料の機械的な特性が適合している場合、
水銀以外の充填材料を考慮しなければならない。
2.可能な場合、妊婦についてはアマルガム詰め物を歯に充填したり、
歯から除去したりしてはならない。
3.腎臓傷害のある患者にアマルガムを充填してはならない。
4.アマルガムを充填し、除去するとき、歯科医は患者と歯科医の水銀
蒸気への被曝を最小限にし、アマルガム廃棄物が都市の下水施設に
流入しないような技術と設備を使用しなければならない。
5.歯科医は水銀に対しアレルギー性過敏症の患者にはアマルガムの使
用を避けるよう忠告しなければならない。アマルガムに対し過敏症
を呈した患者については内科医が勧めた場合、既存のアマルガムは
除去されなければならない。
6.新しいアマルガム詰め物は歯列矯正器のような口腔中の既存の金属
装置に接触して詰めてはならない。
7.歯科医は歯の充填に用いる材料に関して熟知した上での選択をする
のに十分な情報をその物質や適当な代替物質の危険性及び有効性に
ついての情報を含めて患者に提供しなければならない。
8.歯科医はどのような材料でも、それを使用する治療を拒否する患者
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 144
の権利を認めなければならない。
*英国では1997年12月に臨床上合理的な場合、妊娠中のアマルガムの充填や除去は避
けるのが賢明であろうと歯科医に警告しています。
5.アマルガム製造業者の出している警告
歯科用アマルガムの主要製造業者であるデンツプライ・コークは、そのアマルガム
製品ディスパースアロイ、メグアロイとユニソンについてインターネット・サイトで
次のような警告を載せています。
禁 忌
アマルガムの使用は、次の場合に禁忌を示す(ので使用してはならない)。
―異なった金属修復材と近接または咬合するとき
―重大な腎臓不全のある患者のとき
―アマルガムに対し既知のアレルギーのある患者のとき
―他の物質の下のまたは歯内療法の詰め物のためのとき
―鋳造歯冠の充填材料としてのとき
―6歳以下の子供のとき
―妊婦のとき
副作用/警告
この製品はカリフォルニア州が出産障害その他の生殖障害を引き起こすと認めてい
る水銀を含有する。使用の前にこの品目についてのMSDS情報と製品使用説明書を読ん
で下さい。
水銀に曝されることは皮膚、目、呼吸器官系、粘液皮膜に過敏症を起こさせること
がある。個々のケースでは過敏症反応、アレルギー、電気化学的原因の局所反応が観
察されている。電気化学的作用が原因で粘膜の扁平苔癬が生じることがあります。
水銀はまた皮膚過敏症の原因、肺の過敏症の原因、腎臓毒素、神経毒素になること
があります。
アマルガム修復物の充填または除去の後では血液と尿における水銀の濃度が一時的
に上昇します。
アマルガム合金製造中に絞り出された水銀と取り外されたアマルガムは他の金属修
復物と接触した場合には合金化或いは直流電気起電の効果を生ぜしめます。もしこの
兆候が持続する場合はアマルガムを他の材料と取り替えなければなりません。
臨床的に容認されるアマルガムの除去は、特に妊産婦の場合、水銀被曝を最小限に
する為に避けなければならなりません。
一人の患者のためのアマルガム修復物の数は最小限に留めなくてはなりません。
歯科従事者による水銀蒸気の吸入はアマルガムを適切に取り扱うこと、マスクの使
用と十分な換気によって避けることができます。
皮膚に直接触れることを避け、安全眼鏡をかけ、手袋を着用すること。
アマルガム屑は密封された容器に保管すること。廃棄に関する規則を遵守すること。
幸せな人生を奪い去る水銀 - 145
第7章
マスメディアの報道
原著編者注: インターネット上のこの警告は製造業者の警告は無視したり
否定したりできないが故にアマルガム論争での重要な進展でした。この警告は
またアマルガムは安全であり、これと矛盾する声明は詐欺行為と不実表示を構
成すると主張している連邦政府諸官庁、米国歯科医師会と州政府委員会の立場
と矛盾しています。
反アマルガム活動家がこの警告を米国歯科医師会に指摘したすぐ後にそれはインタ
ーネット・サイトから消えてしまいました。
第7章
マスメディアの報道
「歯科医の椅子での恐怖と嫌悪」は「自然的な健康」誌の 7 月/8月号に掲載された一文であ
る。それは非常に大きな反響を呼んだので、ここで読者のために再録することは有益であろ
うと我々は感じた。この文章を執筆しかつ再掲載することを許可してくれたトム・モント氏
に感謝します。
水銀詰め物によって引き起こされる健康の危険性に関心を持って、私は無害な代替物
を探し始めた。
1.歯科医の椅子での恐怖と嫌悪
アマルガムとして知られる標準的な銀の詰め物は約50%の水銀を含みます。残りは
銀、銅、亜鉛と錫の混合物です。水銀を含む詰め物はここ150年間使われてきました。
これは米国歯科医師会(ADA)がアマルガムは安全であることを証明するときに指摘す
る事実です。アメリカ人の85%以上がアマルガムの詰め物を詰めており、また毎年2億
件以上の修復治療医療が行なわれ、その大部分が水銀を含んだものです。
費 用
詰め物の費用は関連する歯の表面の数、歯科医と地理的な場所によって異なります
が、平均的なアマルガム詰め物は通常55ドルから110ドルです。金の詰め物は歯の表面
一つについて500ドルから700ドル、セラミックの歯冠は800ドル程度です。利用可能な
すべての材料の中で金が最も長持ちし且つ生体適応性が高く、身体に殆んど害を与え
ません。平均的なコンポジット詰め物は85ドルから175ドルするでしょう。
コンポジットの中には何が入っているか?
コンポジット詰め物はプラスチック樹脂と水晶のような種々の硬質材料の何らかを
含んでいます。樹脂は水晶を固定する基盤、あるいは結合材のような役割を果たしま
す。フロリダ州ウェスト・パームビーチに住むコンポジット詰め物を専ら使用する歯
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 146
科医、ジェームズ・ハリソン博士は「水晶と樹脂との関係はバケツの中の砂と水のよ
うなものです。バケツの中に砂―これが水晶である―で満たして、水―これが樹脂で
ある―を加えます。水の一部は上表面を覆います。詰め物の場合には、それが固くて
密度が高くなるように、できる限り多くの水晶を歯の中に詰め込みます。樹脂が水晶
を結合し、固定するのです」と述べています。
コンポジットの全てが同じではありません。さらに良質なコンポジットは水晶或い
は沸石や雲母に似た粉末鉱石のような結晶構造の物質、あるいはジルコニウムまた硬
質クリスタルガラスから形成されます。最も広く使われている樹脂は硬質で安定的な
プラスチックを形成するBis-GMA或いはポリマーです。
「しかしいくつかの会社では詰め物がX線写真に現れるようにコンポジットの中に酸
化アルミニウムやバリウムを混入しています」とアニタ・カリミアン博士は述べてい
ます。彼女は産業危険の専攻分野での哲学博士号を持ち、水銀詰め物に反対する全国
的消費者活動グループ、歯科用アマルガム水銀症候群支援協会 (DAMS)の国際連絡担当
です。アルミニウムはアルツハイマー病を引き起こす可能性があるものと指摘されて
おり、研究の結果はある種の金属は免疫機能を低下させることがあることを証明して
います。水銀を使用しない多くの歯科医は自分の使用するコンポジットについてより
好みをしますが、患者は金属の有毒な影響を避けるためにアルミニウム、バリウムそ
の他の金属を含有しないコンポジットを要求すべきですとカリミアン博士は述べてい
ます。
水銀の議論について皮肉なことの一つはアマルガム賛成派の歯科医がコンポジット
物質は有害であるかも知れないと主張していることです。連邦健康機構とFDAは反対の
ことを述べています。即ち、調査ではコンポジットは無害であると証明していると述
べています。
フロリダ州オーランド在住の歯科医で、水銀詰め物の代替物の指導的擁護者である
マイケル・ジフ博士はコンポジットは分子の長い連鎖で作られており、その連鎖は本
質的に大き過ぎて口腔内の細胞や消化器官系によって吸収されることはないと指摘し
ています。研究によるとコンポジットから出てくる破片は大便を通して体外に排泄さ
れることが証明されています。
耐 久 性
伝統的な歯科医はまたコンポジット詰め物は長持ちせず、アマルガム詰め物よりず
っと早く破損してしまうと主張します。しかし調査ではコンポジットは良く長持ちす
ることを証明されています。しかもアマルガム詰め物の寿命の方が長いとは限りませ
ん。ADAは平均的なアマルガムは約8年半持ちこたえると述べています。多くの歯科関
連保険会社は詰めた後3年以内にアマルガム詰め物を取り替えた場合にも保険金を支
払っています。米国歯科医師会の機関紙に公表された研究では5年後アマルガム詰め物
とコンポジット詰め物ともに同じような摩滅度と強度を呈していることを証明してい
ます。ジフ博士はコンポジット詰め物は―正しく充填された場合―アマルガムと同じ
ように少なくとも7年は持ちこたえると言っています。ある一流大学歯科学部の歯科医
はさらに強く耐久性に優れ、取り扱い易い新しいコンポジットが毎年開発されている
幸せな人生を奪い去る水銀 - 147
第7章
マスメディアの報道
と話しています。言い換えれば、アマルガムとコンポジットの間に耐久性の開きがあ
ったとしても、それはどんどん縮小しています。
既存の詰め物を取り替えること
初めからコンポジット詰め物を詰めて貰うことと、今あるアマルガムをコンポジッ
トのような他の詰め物材料に取り替えて貰うこととは全く別のことです。今日ではこ
のような処置を支持する歯科医は殆んどいません。
既存の水銀詰め物を除去すべきか否かは、主として、患者の健康、必要な費用、そ
してこの仕事を適正に行うことのできる歯科医が利用できるかどうかにかかっていま
す。アマルガムを除去することは血液中に水銀を放出することになり、詰め物をその
まま残しておくよりももっと重大な悪影響をもたらすでしょう。
あなたがどうしてもアマルガムを除去して貰うなら、水銀の放出を軽減する方法が
あり、水銀を使用しない歯科医によって広く採用されています。アマルガム詰め物を
除去する歯科医は患者が歯から放出される水銀蒸気を吸い込まないように、患者の鼻
の上に酸素マスクまたは圧縮空気マスクを被せなければなりません。また歯科医はゴ
ムのダムで歯を隔離しなければなりません。冷水を歯にかけるとき、高圧吸水管を使
わなければなりません。水銀が皮膚に触れないように、患者の全身を覆わなければな
りません。患者のために保護眼鏡も推奨されます。歯科医診療室は換気を良くしなけ
ればなりません。一部の歯科医は水銀蒸気を室内から吸い出して、蒸気と分子を捕捉
する濾過装置に導く強力な換気装置を設置しています。水銀詰め物は砕いてはいけま
せん、それは水銀を粉末と蒸気に変え、血流に混入し易くするだけです。そうではな
く、大きな塊に切断し、断片として除去されなければなりません。
経験的な証拠は科学的な証明とは認められませんが、水銀アマルガムを除去して深
刻な病気が治った人々のケースが数多く記録に留められています。
最低限、水銀を使用しない歯科医は将来の歯科医療にはアマルガム詰め物を避ける
べしと勧めています。ケネディ博士はこの選択をずばり表現しています: 「もし私が
脳、腎臓や免疫組織に害を与えるような非常に有害な物質を口の中に詰めるか、有害
な物質よりも早期に取り替えねばならないが比較的安全な物質を詰めるかの選択をす
るとき、私は常により安全な詰め物を選ぶであろう。
」
科学は水銀の危険性を計る
世界保健機構(WHO)が食品(魚を含む)、空気、水とアマルガム詰め物から人が受ける
水銀被曝を比較したとき、WHOの科学者は人体組織への唯一の遥かに大きい水銀の出所
は歯科用アマルガムであると結論付けました。如何なる研究も水銀の「安全最大」被
曝許容量が存在することを証明していません。少なくとも一定の人口の中では被曝の
程度に拘わらず症状が生じることが知られています。
これらの研究は一定の方向を指し示していますが、科学者は最終的な証明を得てい
ません。何よりもまず、血液および尿の検査では身体内の水銀の量は正確に検出され
ないからです。一旦血流内に入った水銀は細胞組織と脂肪細胞に取り込まれ、血液中
には検出されないでしょう。この捕らえ難さの故に、科学者はアマルガムが脳、腎臓
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 148
その他の器官にある水銀の源泉であるかどうかを確定的に認知することができないの
です。加えて、アマルガムと特定の病気との因果関係が証明されていません。
ドイツは水銀の悪影響の故に通常タイプのアマルガム詰め物を禁止し、スウェーデ
ンはアマルガムの除去を望む市民に政府援助を用意しました。
2.水銀除去は恐怖を残す
ジャック・スタインバーグの論文の抜粋
ニュー・ヨーク・タイムズ紙に深謝
環境保護庁(Environmental Protection Agency(EPA))はニューヨーク洲ライ・ブル
ックの緑に囲まれた住宅地を掘り出すのに、この二年間で殆んど220万ドルを支出した。
水銀で汚染された土、トラック79台分を運び出したのである。汚染した人物は過去
20年間にわたり、家の後の車庫にある仮実験室で水銀を取り扱っていた79才の薬剤師
であるとEPAは確信している。
この改善策―九ヤードの深さの土地と化学者の車庫を掘り起こす―は環境浄化が如
何に破壊的なものであるかを明らかにしている。
水銀は如何に少量であっても、それが飲み込まれたり、吸い込まれたりすると、ゆ
くゆくは脳障害や筋肉制御能力の喪失を引き起こしうると科学者は言っている。例え
ば、もしピンの頭より小さい水銀の塵一つを含んだ土が寝室に持ち込まれ、それが蒸
発すると、部屋の空気はそこで寝る子供にとって危険なものとなる。
この薬剤師は水銀を注意深く取り扱っていたが、20年程前に事故があり、うっかり
して、約100ポンド、つまり4分の3ガロンの水銀を車庫の基礎にある小さな穴から漏ら
してしまったことを思い出したと言っている。
この事件で薬剤師が何年間も車庫の中で密かに従事していた作業が隣人たちの生活
を混乱させ、恐らくその健康を危険に落とし入れたことに薬剤師の隣人たちは憤慨し
ている。
3.医学雑誌の引用
1987年に100人以上の歯科医と歯科技術者が水銀中毒のために精神病院に送り込ま
れた。その最も一般的な症状は精神病的行動の進展である。
ベスト・ウェイズ (Bestways) 1988年8月号
銀アマルガムの歯科用詰め物を調製する際に歯科医および歯科技術者が水銀を大量
に使用するのを理由として、OSHAは歯科産業を危険な産業と位置付けている。
ベスト・ウェイズ (Bestways) 1988年8月号
1987年米国歯科医師会のダン・ランガン博士とピー・エル・ファン博士はアマルガ
幸せな人生を奪い去る水銀 - 149
第7章
マスメディアの報道
ム歯科詰め物を一つ持っている人々の血液内にある水銀の量を測定した。平均的な結
果は血液1グラムにつき0.7ナノグラムの水銀であった。これは21兆個の分子のアミノ
酸システインを破壊するのに十分な量の水銀である。システインの一分子を破壊する
と、脳の神経細胞の一つを破壊することになる。脳の神経細胞21兆個が壊れるとなん
らかの精神病的行動の証拠となるものを引き起こすのは可能であろう。
ベスト・ウェイズ (Bestways) 1988年8月号
1983年チャールズ・アール・アダムス医学博士とその他の学者は水銀に曝されると、
筋萎縮性側索硬化症(ALS or Lou Gehrigs)に似た症状を引き起こすと報告している。
「水銀中毒というのは、新しい前方角細胞に機能障害のある人の場合のみならず、説
明のできない慢性の神経病質、ふるえ、運動失調症、錯乱とうつ病を含むあらゆる種
類の精神病的病状のある人々の場合においても、また検討されねばならないものであ
る」と彼らは結論づけている。
JAMA 1983年8月5日
250巻 第5号
あなたが口の中に銀詰め物をしている場合、アルミフォイルを噛むと非常に痛いの
はなぜか?銀は化学者が言うところの正の基準還元電位を有する。それは銀が他の金
属から電子を引き寄せることを意味する。あなたの弱い酸性の唾液が触媒の働きをし
て、フォイルから詰め物への電子の流れを作る。自然の電池が創られ、あなたの歯の
神経を通る電流がはっきりと不快な感覚をもたらすのである。
長寿雑誌 (Longevity Magazine) 1991年4月号
シコルスキー氏その他によるポーランドの研究は歯科関係者の間では高い頻度で先
天的な奇形児が生まれることを明らかにしている。歯科従業者のうち水銀に曝された
グループでは117件の妊娠で5.1%に相当する5件の脊柱の水腫があり、1件の心房内欠
陥があった。対照グループでは63件の妊娠で、奇形は1例もなかった。
ラース・フライバーグ医学博士、哲学博士
4.男の死後近隣の人々は水銀の煙を恐れる
この記事は1989年8月19日にデトロイト・フリー・プレスに掲載されました。
その後間もなく当時家に居た残りの3人の人々もまた亡くなりました。
リンカーン・パーク警察署長ドミニク・ロズリーによれば水銀中毒の明らかな犠牲
者ドナルド・ネイグル(68才)はハーパー・グレース病院で死亡した。ネイグルの家
で蒸気に曝された他の3人の人々はデトロイト病院で危篤状態になっていた。
ロズリーと隣人によればその蒸気はネイグルの義理の息子テーラーに住むポール・
スチュアート(41才)が銀を取り出すため小さな溶解用の鍋で金属の粉を溶かしてい
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 150
るとき、ネイグルの家の地階から出て来た。煙は明らかに家の至る所に充満し、そこ
にいた4人の人々を中毒にした。スチュアート、彼の妻サンドラ(40才)、そしてサン
ドラ・スチュアートの祖母テレサ・ハウプト(88才)は人工呼吸装置を使っており、
危篤状態であるとロズリーは言った。ネイグルは、サンドラ・スチュアートの父であ
った。
5.水銀中毒の2人は再び病気に
ナッシュビル・テネシー・タイムズ・デイリー、1996年11月16日号からの記事
寝室でいくらかの水銀を落とした時中毒になった2人のフランクリン郡の子供たち
は病院に再収容された。そして彼らの父親は彼らの腕も脚も動かすことができないと
言った。
メリッサとランディ・メジャーズは火曜日にシロ(3才)とシーナ(13才)を2人が
腕と脚の自由を失った時ヴァンダービルト大学医療センターへ連れて行った。
「彼らは
今自分で食べることさえできませんから、私たちが食べさせなければなりません」と
ランディ・メジャーは言った。ヴァンダービルトでは医者はすべての種類の検査を行
っているが、それが実際に水銀中毒か、または、彼らが受けている薬物治療が原因で
あるかどうかを導き出すことができない。
メジャーズの16才の娘シャノンもまた水銀中毒の症状を示しており、そして今経過
が観察されている。
この家族の問題は伝えられるところではトゥラホマの歯科医院の改装を手伝った十
代の隣人が4オンス以下の水銀が入っている小びんを発見した昨年の7月に始まった。
メジャーズの子供たちは彼らの寝室で彼らの手に水銀を注ぎ、その金属の幾分かが
カーペットの上にこぼれたときそれがビーズのようになっているのを見ていた。誰か
がその金属を掃除機で掃除することを試みたが、その結果それが広がり、有毒な煙霧
を発する原因になった。
環境保護局はウィンチェスターにある家族の家庭を無害化する為には推定2ヵ月の
作業で、少なくとも50,000ドルが費やされるだろうと推定している。
6.詰めることと穿孔は「超強力な細菌」を繁殖させる
科学通信員ロバート・マシューズの下記の記事がサンデイ・テレグラフ
(ロンドン)、1997年9月24日号、17ページに掲載されました。
(サンデー・テレグラフは英国の全国紙の一つで、最も尊敬されている新
聞の一つです。
)
70年代の水銀アマルガムで「穴を空けて、詰める」歯科医たちの間の流行は抗生物
質に免疫がある危険で超強力な細菌を生んでいたかもしれないと主導的な微生物学者
幸せな人生を奪い去る水銀 - 151
第7章
マスメディアの報道
たちは言っている。彼らはこの問題の広がりを見出すため何千人もの患者から取られ
た見本を研究していて、もしこの脅威が確認されるならば水銀の詰め物は中止される
べきであろうと言っている。
歯の痛んだ部分を削り取り、そこに水銀アマルガムを詰める歯科医の傾向は70年代
後半にそのピークに到達し、1977年には3,200万本以上の詰め物が詰められた。広く広
がったフッ化物塗布の到来とともにこれは少なくとも50パーセント減少した。
詰め物への大部分の関心は水銀中毒の潜在的な危険性にこれまで焦点を当てており、
いくつかの国々ではその使用を禁止している。現在、ロンドン大学ローン・ロウバリ
ー教授が率いたチームは詰め物が現代医学が直面している最も深刻な脅威の一つとし
て広く看做されている細菌の抗生物質への耐性の引き金を引く助けになっているかも
しれないと信じている。
これらのいわゆる超強力な細菌には細菌性の肺炎と髄膜炎の原因となる連鎖球菌、
結核を引き起こすマイコバクテリア、そして、命にかかわる敗血症性ショックの原因
であるぶどう球菌を含んでいる。このような超強力な細菌はペニシリンのような多く
の一般的な抗生物質を使った治療に対し耐性を持っていて、医者はすべての治療の効
果がなくなるのも単に時間の問題かもしれないことを恐れている。
細菌がその抗生物質に対する耐性を他の細菌に伝えるに従って超強力な細菌の数は
増加している。この歯科用詰め物との関連性は細菌に抗生物質に対する耐性を与えて
いる遺伝子は水銀を含む致命的な重金属に対する耐性を与えている遺伝子の場所とし
ばしば細菌の遺伝学的な設計図の同じ場所にあるという事実に由来している。
結果として、口中の比較的高濃度の水銀により殺菌されずに生き残った細菌は抗生
物質へも耐性を持つようになる可能性がある。ロウバリー教授は「水銀アマルガムの
使用と抗生物質に対する耐性との間に関連性があるとすれば、この意味するところは
途方も無く大きい」と言った。
ロウバリー教授によれば一つの直ちに直面する問題は歯科医たちが口中の感染と戦
う能力を持つ抗生物質が殆んどなくなるだろうということであろう。しかし彼はもっ
と深刻な問題がありうると言っている。
「いくつかの口中のバクテリアは心臓に影響を
及ぼす心内膜炎のような非常に深刻な影響を及ぼすことができます、」と彼は言った。
「抗生物質に耐性を持つ細菌の内臓の中への進入によりまた正常な内臓の微生物叢に
抗生物質の耐性が広がってしまう結果になるのかもしれません。」
これまで詰め物と抗生物質に対する耐性の関連性の動物研究だけしか行われていな
い。しかしながら、これらの研究はよりたくさんの詰め物が抗生物質に対する耐性を
もつ細菌の蔓延を増加させることを裏付けている。
ロウバリー教授とロンドンのイーストマン歯科研究所の同僚たちは初めての人によ
る研究を始めた。
「もし歯科用アマルガムと細菌の抗生物質に対する耐性の関連性が確
立されるならば、歯科用アマルガムの使用を妨げるか、限定することが必要になるか
もしれません。
」
「私たちは今私たちが知っている量の水銀を詰めている広範囲な年齢の患者から取
られた6,000個の分離株を研究しています。私たちがしようと計画していることは水銀
の量と分離株中の細菌の抗生物質に対する耐性と毒性との間に関連性があるかどうか
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 152
を確かめることです。
」。
7.カナダで暴露されたアマルガムの「隠蔽」
ピエール・ラローズ著、バイオープローブ・ニュースレター、1997年3月号から転載
「デクヴェルト(Decouverte)」は発見に当たるフランス語の単語です。それはカナ
ダの放送会社のフランス語放送網の尊敬される新しい番組です。「デクヴェルト
(Decouverte)
」の使命は隠蔽されているかも知れない科学的問題を「発見すること」
となっています。昨1996年10月「デクヴェルト(Decouverte)
」はこの問題についての
カナダ健康部の方針文書の出版に続いてアマルガムの健康に対する危険性に関する
16分間の報告番組を放送しました。この放送はアマルガム賛成の立場に非常に不利だ
ったため、それはケベック州のいたる所の歯科医院に公衆の絶叫を引き出しました。
次の週ケベックの歯科医師会は州中の主要な新聞に歯科の患者に歯科用アマルガムの
「完全な安全性と生体適合性」を再保証する反駁声明を出しました。
1997年2月23日、「デクヴェルト(Decouverte)」はアマルガムに関する2番目の報告
番組を放映しました。今回はカナダ健康部がこの材料の潜在的危険性についてカナダ
人に知らせることに失敗したことを明らかにしました。1976年以来医学者たちによる
4つのカナダ健康部報告書はこれらの危険性について警告して来ました。やっと1996年
になってカナダ健康部は歯科医たちがある範疇の患者にアマルガムの使用を規制する
ことを勧めるというアマルガムに関する立場の声明を公表しました。この番組は司会
者のシャルル・ティセイルが視聴者にカナダの歯科患者のグループが今週カナダ健康
部、カナダ歯科医師会およびアマルガム製造者たちに対してアマルガムの潜在的副作
用について彼らに知らせる点で失敗したかどで共同訴訟を提起する彼らの意向を発表
したと知らせることから始まりました。カナダの法律によれば1982年以来30日を超え
る期間人体内に埋め込まれることになっているすべての医療の器具についてはそれら
の安全性と生体適合性を証明するため発売前の研究を済ませなければなりません。カ
ナダ歯科医師会長は彼の前任者たちと歯科産業は政府にこの法律から「血と接触する
ようにならない」歯科治療材料を除外するようロビー活動をしていたことを認めまし
た。「デクヴェルト(Decouverte)」はこれはこれらの研究を完遂するために必要な資
金を持たない小さいアマルガムの製造者たちを守ることになっていたという情報を得
ました。
ケベック歯科医師会会長は「デクヴェルト(Decouverte)」によるインタビューと彼
の見解を説明する招請を断りました。
幸せな人生を奪い去る水銀 - 153
第7章
マスメディアの報道
8.口の中の毒
イギリスのテレビで1994年7月7日に放映された
BBCのドキュメンタリー番組の速記録
要 約
1. 金属の詰め物の中の半分は水銀で、私たちが噛み、ブラシをかけまたは歯をきし
ませるといつもいくらかの水銀が蒸気として放出され、私たちはそれを吸い込む。
2. リサイクルのために一旦取り外された詰め物は、何年もの間私たちの口の中に詰
められていたのに、突然危険な毒として取り扱われる。
3. 英国歯科医師会は歯科用水銀アマルガムの安全性に何の疑念も持っていないが、
それに対しアレルギー反応を示す人もまれにいる。英国歯科医師会はその安全性
に疑問を提起する研究は無視する。
4. 金属の詰め物について研究している人は家族にそれを詰めさせない。
5. 誰も水銀には安全な水準があることを実際に提示したことはない。
6. 10年前に詰められたアマルガムの詰め物の電子顕微鏡写真には黒い穴があり、そ
れは水銀があった場所である。この詰め物の大体40%はわずか10年の間に蒸発し
た。
7. 羊の歯に詰め物を詰めると、胃、肝臓、腎臓、横行結腸に水銀が入り込み、少量
の水銀が腎臓に損傷を与える。猿でも同様の結果になる
8. 身体の中の水銀の少なくとも3分の2は歯科用詰め物から出て来たことが示されて
いる。
9. 幼い子供たちの口に今日詰めている歯科用アマルガムから出る量の水銀が彼らの
学習能力および作業能力に影響をもたらすほど有害であるかもしれない。
10.歯科用アマルガムから出た水銀が脳に入り込み、詰め物の数が多ければ多いほど
それはたくさん蓄積することが霊安所の遺体の検査から発見されている。また、
この毒のいくらかは40年間にもわたって頭蓋骨に留まることも発見されている。
11.脳の中に存在する低濃度の水銀が普通の細胞死を引き起こし、これがアルツハイ
マー病に似た痴呆に導くことがあるだろうという可能性を否定できない。
12.水銀により手で非常に小さい物を動かす能力と関連する機能の喪失、即ち、手先
の器用さの問題、他の種類の本当に別個の機能の問題、即ち、集中不能がアメリ
カの歯科医たちの間で微かなしかし危険な水銀中毒の兆候を示している。その意
味は水銀が歯科の技術者たちに非常に明確な中枢神経障害を引き起こしている。
歯科医たちと患者の間の身体内の水銀濃度の差異は既に安心できないほど接近し
ている。
13.リバプール・コンプリヘンシブ学校の子供たちは平均して各人2つの詰め物を詰め
ている。刺激をしなくてもいくらかの水銀蒸気が詰め物から放出されている。詰
め物を咀嚼、ブラシかけそして摺りあわせを再現するためこすったとき、疑いな
く詰め物から水銀蒸気がたくさん漏れ始め、そして水銀蒸気検出器の針が振り切
れてその目盛を越える。詰め物の数が多いほど蒸気の量が多くなる。
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 154
13.米国当局の勧告している1日当り10マイクログラムの最大の安全水銀被曝許容量は
歯科用アマルガムの一日当り1から29マイクログラムの水銀蒸気の蒸発により、
何人かの人々は詰め物があるだけで水銀の安全限度を超えている。
14.危機に瀕しているのは幼い子供たちだけではなく、これから生まれる胎児でさえ
その母親のアマルガムから彼らの脳に水銀の汚染を受けている。赤ん坊と胎児た
ちの脳の検査により、蓄積された水銀が胎盤を通って彼らのちっぽけな頭蓋骨に
移ることが発見されている。
15.スウェーデンは議会がアマルガムの使用を禁止した世界で最初の国である。
16.ドイツではアマルガムは腎臓に問題を持っている患者には禁止され、子供たちと
妊娠した女性たちには十分に注意して使用するよう勧告されています。オースト
リアは2006年までに水銀のアマルガムを禁止する計画を立てている。
17.歯科用アマルガムの世界中で最も大きい製造者たちの1つであるドイツのデグッサ
はアマルガム事業を中止することを決めている。それに代って、現在既に広く前
歯に使われているプラスチックの代替品であるコンポジットを作ることに集中し
ている。
18.英国の健康省はテレビ局のインタビューの希望に反し、カメラの前で話すことを
断った。
19.古い詰め物を新しくするために人々が水銀を取り扱って働く暗い場所の中で、歯
科医たちはこの揮発性の金属を非常に注意深く取り扱う。しかし歯科医たちと彼
らの患者に情報を与え続ける責任を負わせられた人々は人へのアマルガムの危害
の最終的な証明がないと主張することによりこれらの現実を否定している。しか
し、科学では証明の不在は不在の証明ではない。危険を引き受ける人たちに尋ね
てみるべきである。
環境の中の水銀
6 トンのごみの中のまさに一つの水銀電池は連邦政府基準によって規定された固形廃棄物
に対する許容限度を超えてしまいます。比較して、一つの平均的大きさのアマルガム詰め
物は補聴器の電池と同じ位の量の水銀を含んでいます。これは小さい量のように響くかも
しれませんが、水銀電池や詰め物の材料が免許を受けた水銀リサイクリング処理設備に持
ち込まれないと、それは最終的に焼却炉に投入されることになるかもしれません。
自治体のごみ焼却設備は水銀を熱することによって 200 マイル( 320 km)先まで飛ん
でいくことが可能な蒸気の状態の水銀に変化させてしまい、その結果、絶対無毒にできな
い水銀を拡散します。典型的に雨の中に見出される非常に低い濃度の水銀は劇的な汚染を
引き起こすことができます。米国環境保護局によればごみ焼却設備のための水銀排出許容
値はありません。
幸せな人生を奪い去る水銀 - 155
第7章
マスメディアの報道
デ・モイン・メトロごみ当局による次の広告は、
1999 年4 月11 日にデ・モイン・レジスターに掲載されました
あなたの古い使用済みの水銀を如何に取り扱いますか(その広告は古いマーキュリー
車を示す)。
もしあなたの事業が照明、歯科用アマルガム、または計測器のような水銀を含む製品
を使っているなら、あなたはそれらが使用済みになった時それらを適切に処理すること
を確かめて下さい。
なぜこれが重要なのでしょうか。たったティースプーン半分の水銀が 18 平方マイルの
湖を汚染します。そして水銀が一旦環境の中に入れば、人々、動物そして植物の生命に
非常に有毒になります。
燃やされたか。それらを外に出すか。
ボンジュラントの都市ごみ当局の地域収集所は事業者が水銀を含む製品を適切に処分す
る手助けをするでしょう。ですから、それらをゴミ箱に入れないで、責任をもって処分
して下さい。皆のためです。
9. 水銀を使用しない歯科医たち(一部)
アマルガムを選好する
典型的に、成人は彼らの口に約10個の銀の詰め物を詰めている。ADAによれば、全体
で毎年2億個超が口に詰められる。それぞれのアマルガムは約1グラムあり、その半分
が水銀であることを考慮すると、毎年110トン超の水銀が現在銀の詰め物の中に使われ
ている。
アレルギー反応
様々な研究を引用する水銀反対の活動家たちによれば、アレルギーの反応は多発性
硬化症(MS)からルー・ゲーリッグ病、脳性麻痺までの原因になっている。アメリカ
歯科医師会(ADA)と米国MS協会は確固とした科学的データの不足を理由として水銀中
毒がMSの原因であるという主張を退けている。彼らはそれが証明されていないのにア
マルガムの取り外しのために何千ドルも差し出すことから治療が無性にほしくてたま
らないMSの犠牲者たちを守りたいのである。彼らはまた適切な医学知識を持っていな
い歯科医たちが拡散しつつある未証明の医療上の主張をすることを阻止したいのであ
る。
アマルガム反対の共同体に流布されている何百もの奇跡的な治療の話を考慮すると、
様々な不可思議な(訳者代表注:原因不明の)症状で苦しんでいる人々がアマルガム
の取り外しを求めるだろう危険性は確かに現実性を帯びている。1990年12月16日に放
映されたCBSの特別番組「60分」は多くの水銀の危険性を論じて、すばらしい治癒の話
を含んでいた。12月17日にADA、歯科学校、そして歯科医院に全国の怯え、怒った患者
から電話が殺到した。
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 156
「私はADAがアマルガム反対運動は手に負えなくなっており、何人かのより著名なリ
ーダーたちの首を切る時が来たと決心したと思います。
」と14個の詰め物を取り外して
貰ってその後結腸炎から回復した後アマルガム反対運動の欠かすことのできない一員
になったハーバード法科学校の卒業生キップ・サリバンは言う。
第8章 水銀問題についての関連団体
水銀を使用しない歯科と関連する論点に関する情報に関して次の組織、機関、また
は企業が接触可能であるかもしれません。著者は個人的に下記に記載されたすべての
人々と組織に関する知識を持っている訳ではありません。これらの参考資料は読者の
皆さんのために情報を提供することを目的としています。
DENTAL AMALGAM MERCURY SYNDROME (DAMS)
Pc Box 64397
Virginia Beach, VA 23467
1 -800-311-6265
DAMS(歯科アマルガム水銀症候群支援協会)はアマルガム詰め物と関連した健康を
害する要因について一般の人々に知らせる強い義務を感じている歯科用水銀の犠牲者
たちを支援する高く推薦される団体です。DAMSに関係する献身的な個人の大部分は犠
牲者たちとボランティアです。水銀を使用しない歯科医の一覧表を含む基本的な情報
集が入手可能です。DAMSはまた四半期毎にニュースレターを出版しています。
INTERNATIONAL ACADEMY OF ORAL MEDICINE AND TOXICOLOGY (IAOMT)
Pc Box 608531
Orlando, FL 32860-8531
407-298-2450
IAOMT(国際口腔薬学及び毒物学学会)は水銀を使用しない歯科医および水銀を詰め
ていない人になりたいと考えている人々に優れた教育機会を提供しています。IAOMTは
歯科用アマルガムはADAが皆が信じることを好んでいる良性の歯科用材料ではないこ
とを示す最近の多くの科学的研究に対する資金を助け、触媒となりました。その上
IAOMTは歯科医、歯科従事者、そして患者を守る治療と手順の基準に関して何かをして
います。入会にはLAOMTに連絡してください。
AMERICAN ACADEMY OF ENVIRONMENTAL MEDICINE (AAEM)
Pc Box CN 1001 -8001
New Hope, PA 18938
AAEM(米国環境医学学会)は空気、食べ物、そして水に含まれている生物学的と化
学的物質に曝されることによって引き起こされた病気の認識、治療、および防止を目
的として設立されています。AAEM会員は人が、すばらしい適応性を持っているが、し
幸せな人生を奪い去る水銀 - 157
第8章 水銀問題についての関連団体
ばしば敵対的な環境と戦うために奮闘しなければならないと認識しています。環境医
学は初動および専門医学分野と基本的な科学の双方から引き出された概念を統合した
ものです。病気の因果関係を発見することは内科医に真実の治癒に帰着することがで
きる治療手順を主導することを許します。
AMERICAN COLLEGE OF ADVANCEMENT IN MEDICINE (ACAM)
PO Box 3427
Laguna Hills, CA 92654
アメリカ医学進歩大学は代替医療または補完的医学を実践する医者の協会です。彼
らの大多数はまた身体から毒素を排出するために使用される毒素排出療法を実践しま
す。
THE ENVIRIONMENTAL DENTAL ASSOCIATION
PO Box 2184
Rancho Santa Fe, CA 92067
619-586-7626
FAX 619-756-7843
環境歯科連合は一般的な情報と世界中の水銀を使用しない歯科医たちの一覧表を提
供しています。
CLIFFORD CONSULTING AND RESEARCH
2275-J Waynoka Road
Colorado Springs, CO 80915
719-550-0008
クリフォード・コンサルティング・アンド・リサーチはクリフォード材料反応検査
を行っている研究所です。この検査は様々な歯科用材料への患者の適合性を確定する
ので、アマルガム取り外しの前に検査を受けられることが勧められます。
BIO-PROBE, INC.
PO Box 608010
Orlando, FL 32860-8010
Information: 407-290-9670
Orders Only: 1-800-282-9670
24-hour Fax: 407-299-4149
バイオ・プローブ社は栄養関連の製品そしてアマルガムとそれに関連した毒素排出
療法を含む問題に関する多数の本と教育材料を提供しています。カタログを請求して
下さい。バイオプローブ社は水銀・アマルガムの論点と他の重金属の口中への使用、
それらの潜在的な有毒性、そして、栄養摂取への影響に関連する最新の科学的研究を
読者に知らせ続ける隔月のニュースレターを出版しています。
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 158
INSTITUTE FOR HEALTH REALITIES
PO Box 49308
Colorado Springs, CO 80949-9308
719-598-4968
健康の真実研究所は教育の材料、患者と医者との相談そして栄養補助食品を提供し
ています。
PEAK ENERGY PERFORMANCE
4680 Edison Ave., Suite A
Colorado Springs, CO 80915
1-800-331-2303
FAX 719-572-8081
ピーク・エナジー・パフォーマンスはその研究所での血清適合性(生体適合性)検
査、各種相談、教育材料等を含む幅広いサービスの提供を申し出ています。
HAL A. HUGGINS
5080 List Drive
Colorado Springs, CO 80919
719-522-0566
FAX 719-548-8220
歯科医療を実践する彼の免許がコロラド州の歯科委員会によって取り消されたこと
から、ハル・ハギンスは報復の恐れなしに自由に講義し、著述することができます。
彼の最新の業績に関する情報を求めるには彼の事務所に照会して下さい。
FOUNDATION FOR TOXIC-FREE DENTISTRY
PO Box 608010
Orlando, FL 32860-8010
あなたの地域の水銀を使用しない歯科医への紹介を必要とするなら、住所氏名を記
載し、切手を貼った返信用封筒を有毒性なしの歯科財団に送って下さい。
インターネットのサイト
アマルガムと関連した話題についての情報はコンピューターによってアクセスでき
ます。いくつかの良いホームページを下記に挙げます。その内のいくつかはまた他の
ホームページへのリンクを提供しています。
http://www.vimy-dentistry.com/ (Dr. Vimy's Page)
http://emporium.turnpike.net/I:)/PDHA/health.html (IAOMT's web page)
http://home.so1.no/reiersol/amalgam.html (Recent amalgam research)
http://vest.gu.se/~hesse/MercuryPage.html (Mercury Page)
http://www.tiac.net/users/mgold/dental/dental.html (Gold's Page)
幸せな人生を奪い去る水銀 - 159
第8章 水銀問題についての関連団体
http://www.bioprobe.com (Bio-Probe - books on amalgam)
http://www.hugnet.com (Hal Huggins' website)
http://www.algonet.so/~leif/AmFAQigr.html (Amalgam FAQ)
http://alt.venus.co.uk/hypermail/markthomas/4355.html (Amalgam FAIQ)
http://ourworld.compuserve.com/homepages/pcsol (UK amalgam page - provides a
wide range of information and also provides links to many other websites)
http://www.amalgam.org (DAMS and Consumers for Dental Choice website)
http://www.altcorp.com (Scientific Information)
国際DAMS刊行物
重金属についての書籍
次の本がDAMSで入手可能です。
The Hazards of Sliver/'Mercury Dental Fillings, Ziff & Ziff
$5.25
Dental Mercury Detox, Ziff & Ziff
$5.25
Chronic Mercury Toxicity, New Hope Against an Endemic Disease, Queen $40
The IV-C Mercury Tox Program, A Guide for the Doctor, H.L. Queen $13
The IV-C Mercury Tox Program, A Guide for the Patient, H.L. Queen $10
Infertility & Birth Defects, Ziff & Ziff
$17
Beating Alzheimer's, Tom Warren
$15
Toxic Metal Syndrome, Casdorph & Walker
$17
The Complete Guide to Mercury Toxicity from Dental Fillings, Taylor $17
How to Save Your Teeth, D. Kennedy
$17
It's All In Your Head, H. Huggins
$14
Say Goodbye to Illness, Nambudripad
$22
Root Canal Cover-up, G. Meinig
$23
What Your Doctor May Not Tell You About Menopause, Lee
$15
Tooth Truth, Jerome
$22
The Mercury in Your Mouth, Quick Sliver Associates
$17
Detoxification, H. Huggins
$10
Protocol for Amalgam Removal and Dental Revision, H. Huggins
$10
DAMSの会員には10%の割引が適用されます。
ご注文はDAMS, INC., PO Box 64397, Virginia Beach, VA 23467-4397
電話 1-800-311-6265まで。MastercardまたはVISA使用可。
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 160
第9章
結
論
この本に記載されたすべての臨床と科学証拠に照らして、あなたは「何故水銀アマ
ルガムが未だに詰められているのか」と尋ねるかもしれません。答えは複雑なもので
す。いくつかのそれらしい理由は:無知、無感動、変化への恐れ、面子を失わない願
望、保険会社の側の費用への恐れ、良心的な歯科医たちが彼らが患者を傷つけていた
かもしれないと考えさえする消極性、そして、訴訟への恐れ。
一方で、アメリカでは水銀は店頭市場医薬品には全然含まれていません。そして今
ペンキ、電池、そして医療用品を含む多くの他の製品に水銀は使用されていません。
加えて、水銀アマルガムを下水道に流し、または、埋め立て地に投入することを阻む
法律が実施されています。水銀の唯一の安全な場所が口の中であると思えます。
多くの国々が水銀アマルガムの使用を禁止し、または制限しています。
この本が前に述べた点で読者のみなさんの助けになって、「ミステリー症候群」(原
因不明の病気)で苦しんでいる人々に何が起っているのかの理解、方向性、そして希
望を与えたということが私たちの希望です。
第10章 用語の解説
アルファベット
ALS - 筋萎縮性側索硬化症 - 筋肉と脊髄の変質。
B細胞 - 胸腺から独立したリンパ細胞で、胸腺を通り過ぎないでまたは胸腺により
影響されないで組織に移動する。Bリンパ球は体液性の抗体を総合する
プラズマ細胞へと成熟する。
G6-PD(ブドウ糖-6リン酸塩脱水素酵素)欠乏症 - 炭水化物新陳代謝の中の中間物。
この酵素は赤血球の完全な姿を維持するためにNADPHとともに機能する。
P波 - 普通の心電図は心房と心室の活動に起因する偏りを示す。最初の偏り、また
は、P波は心房の刺激による。QRS偏りは心室の刺激(脱分極)による。
T波は心室(再分極)の回復による。
T細胞 - 腫瘍細胞を殺す能力を持っている白血球。
ア行
アマルガム - 水銀の混合物で、一般的に歯科では「銀の」詰物と言われる。
運動失調症 - 筋肉の調整の欠如。
壊疽 - 普通の裏打ちの粘膜が無いこと。
エプスタイン-バー - (EBV)伝染性単核症を引き起こすヘルペスウィルス。
黄班部変性 - 通常網膜下のそして網膜中の出血とそれに続く網膜の傷跡と関連す
幸せな人生を奪い去る水銀 - 161
第10章 用語の解説
る中央視力の痛みのない喪失を含む。
カ行
カタル - 薄膜の炎症。
カンジダ - かびの一種。
乾癬 - 赤みがかった、銀のような斑点を伴う慢性の皮膚の病気。
揮発性の - 空気にさらされると常温で急速に蒸発する。
吸収不全 - 栄養物を吸収することができないこと。
急性の - 早く重大な局面を迎えること。水銀中毒に関連して短期間に大量の水銀
に被曝すること。
強直性痙攣症 - 通常痙攣、ひきつけ、筋肉のピクピク、そして、手首とくるぶし
関節の鋭い屈曲により特徴付けられるカルシウム新陳代謝における異
常によって引き起こされた状態。
筋筋膜疼痛症候群 - 顎関節疼痛機能不全症候群として一般的に知られている。こ
れは明らかに欠陥のあるまたは転位させられた額関節によって引き起
こされる、筋膜の疼痛そして下顎の機能不全によって特徴づけられた異
常状態である。
筋障害 - 筋肉の弱さ、衰え、そして、筋肉の組織の中の組織学的変化によって特
徴づけられた骨格筋肉の異常状態。
筋肉痛 - 筋肉の疼痛。
クローン病 - 通常回腸、結腸、または両方に影響を及ぼしている、起源の知られ
ていない慢性の炎症性の大腸の病気。
憩室炎 - 腸の嚢の炎症。
痙攣性の斜頸 - 首のけいれん。
血液脳関門 - 中枢神経系と周囲の神経膠の薄膜組織の毛細管の壁から成っている
血液と中枢神経系を分離する関門。
抗核抗体検査 - 細菌、毒素、組織細胞または異タンパク質のような抗原は多くの
病気の誘発要因である。それらは身体に抗原と戦う抗体を作るように誘
導する。ある稀で独特の病気では身体の免疫組織は患者自身の身体の部
分への抗体を作る。これは抗核抗体と呼ばれ、全身の狼瘡エリテマトー
デス(SLE.)の患者に殆んど一般的に見出される
口腔扁平苔癬 - 頻発する炎症性発疹。頬粘膜、舌縁、歯のない場所の粘膜が症候
性の病気と定義される青味かかった白い線形の損傷を示す。糜爛性の形
態では痛い頻発する口の壊疽を含んで起こるかもしれない。
甲状腺機能亢進症 - 甲状腺の活動過多。
甲状腺機能不全 - 甲状腺の活動が低すぎること。
口内炎 - 口の粘膜の炎症。
硬皮症 - 色変化を伴う非常に堅い斑点によって描かれた皮膚の病気。
肛門掻痒症 - 肛門のかゆみ。
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 162
サ行
酸化 - 酸素と結合すること。
三叉神経痛 - 厳しい痛みによって特徴づけられた5番目の頭蓋の神経の炎症。
子宮内膜症 - 通常子宮の内膜を構成する細胞があるべきでない場所に存在するこ
と。
自己免疫異常 - 人が自分自身の組織を攻撃する抗体を作る一連の病気。
視神経炎 - 目に伝達経路を供給する主要な神経の炎症と変質。
歯槽 - 歯が生えているあごの部分。
重症筋無力症 - 筋肉―特に患者に飲み込むことを許す筋肉―の衰えに関連する深
刻な慢性の衰弱させる病気。
失語症 - 筋道の通った話す能力の欠如。
シェーグレン症候群 - 通常中年の女性に起こっている、そして、耳の近くの腺の
肥大、慢性多発性関節炎、そして、口腔乾燥症(ドライマウス)と関連
している。
食道の痙攣 - 食べ物の通り道の痙攣。
徐脈 - 異常に遅い心臓の鼓動。
神経学の - 神経系に付随する。
生体適合性 - 物質を受け入れる身体の能力。
腺筋炎症 - 普通の筋肉の機能にしばしば干渉する繊維質の組織の形成を伴う筋肉
の炎症。
全身性 - 部分的状態とは対照的に身体全体を含むこと。
先天性の - 生まれた時から存在する。
前立腺炎 - 前立腺の炎症。
タ行
大腸炎 - 大腸の炎症。
地図上舌 - 表面の細胞が厚くなるために持ち上った部分のある舌。
胎盤の膜組織 - 以前は胎盤関門と呼んだ。胎盤の主要な機能は母親の血液から胎
児の血液に栄養分を移転することと、胎児から母親への排泄物を移転す
ることである。胎盤の膜組織の第一の能力はこの過程を管理することで
ある。
多発性硬化症 - 神経端末を囲む脂肪組織の変性。
沈降率 - 赤血球沈降速度は新鮮なクエン酸処理した、または、他の方法で処理さ
れた血液の柱の中で単位時間当たりの赤血球の沈殿の程度の表現であ
る。それは非特定のスクリーニング検査ではないが、感染、炎症、また
は、悪性腫瘍に際して高められる。
痛風 - 血中の過大な尿酸によって引き起こされる関節炎または炎症。
低血糖症 - 血液中の糖分が低すぎること。
低塩酸症 - 胃液の中の塩酸が少なすぎること。
毒素排出剤 - 金属と結びつき体外排出を容易にする薬品。
幸せな人生を奪い去る水銀 - 163
トリグリセリド
- すべての人々に存在する脂肪酸化合物。
ナ行
ネフローゼ症候群 -
腎臓の病気。
ハ行
パーキンソン病 - リズミカルな震えを含む神経の病気。
歯ぎしり - 歯の擦りあわせ。
パラアステシア - 燃えている、ひりひりする感覚
ヒスタミン - アレルギーの反応において放出される白い水晶ような物質。
頻脈 - 速い心拍。
副腎 - 腎臓の頂上にある2つの分泌臓器のどちらか。副腎は人の健康に必須の各種
ホルモンを分泌する。
浮腫 - 身体の様々な臓器、歯槽骨の空洞、または組織の中の液体の異常な蓄積。
膀胱炎 - 膀胱の炎症。
マ行
慢性の
-
長い期間継続すること。不変の。水銀中毒に関連して長期間にわたる一
回あたりは少量の服用。
無機の - 有機の起源でないこと。化学ではこの言葉は炭化水素と化合していない
物質を表す。
無排卵 - 排卵しないこと。
メチル水銀 - 最も一般的なアルキル水銀。それは殺菌剤として広く使われて、種
子としてではなくパンを焼くために使われたメチル水銀で処理された
種用の穀物を不注意に使用したため起った大規模な人の中毒事件に関
係している。微生物は無機水銀をメチル水銀にかえる、その化合物はプ
ランクトン藻によってその時吸収され、そして食物連鎖経由で魚に蓄積
する。
ラ行
緑内障 - 高くなった眼球の圧力と関連した盲目になるかもしれない目の病気。
臨床の証明 - 内科医によって観察された変化。
レイノー症候群 - 指、つま先そして鼻の頭の血管の慢性的狭窄。
ヤ行
有機の
-
有機物の構造またはその部分に影響する、または、それを変えること。
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 164
訳者代表後書
2006年2月にテレビ番組「アンビリーバボー」を見て、私の心臓病(頻脈、心房細動、
心悸亢進)は口の中の水銀アマルガムが原因ではないかと疑い、記録を調べた所、心
臓発作のため救急車で緊急入院した2000年2月の3ヵ月前にある歯科医院が健全な8本
の奥歯(1999年9月にある大病院の人間ドックでの歯科検診で虫歯はないという診断書
があります)に患者である私の同意なしに穴を開け、水銀アマルガムを詰めていまし
た。早速全ての水銀アマルガムを取り外して貰いました。まもなく脈拍の異常は認め
られなくなり、 6年間悩まされた頻脈、口内炎、厳しい疲労感、その他加齢性と言わ
れている各種症状が消失しました。最近私は幼少の頃田舎者の両親が歯の治療の後死
んだり、大病に罹ったりする人がいると言っていたことを思い出しました。当時は抗
生物質がなくて身体の中に細菌が入り、不幸にも敗血症で死亡することがありました
が、もしかしたら水銀アマルガムにより色々の原因不明の病気に罹って難儀する人々
を見たり、聞いたりしていたのかもしれません。
私は英語のインターネット(数百万のサイトがあります。)を調べていて、水銀アマ
ルガムの怖さを知り愕然としました。水銀アマルガムによる病気のため人生を狂わさ
れたのみならず、命まで落とした犠牲者が数知れずいることが私の英語能力でも理解
することが出来ました。その中に多発性硬化症(MS)から人生を取り戻したメアリー・
デービスさんが出版した犠牲者の体験記の本を発見し、了解を得た上で翻訳しました。
1人で翻訳すると1年以上の歳月がかかり出版が遅れるので、数人の知人に協力して貰
って、手分けして翻訳しました。そのお陰で短い期間で翻訳が終りました。翻訳者に
は医学についての知識は殆んど無く、英語力も英語の本を翻訳することを業としてい
る人と比べるべくもなく、当然訳本は完璧ではありません。しかし、水銀アマルガム
の怖さと、その犠牲者の皆さんの回復の道筋を示しているという点で大きい価値があ
ると信じています。
もしこの本の体験記にあるように多くの人の、車椅子生活を余儀なくされたり、時
には寝たきりになったり、死に至ることのある病気が水銀アマルガムを取り除くこと
により、快方に向かい、時には全快することがあるとすれば、現在これらの病気で困
っている犠牲者が口の中の水銀アマルガムを注意深く取り除いて貰い、他方、新しく
水銀アマルガムを詰める人を無くすことにより、近い将来わが国の医療費が劇的に減
少し、健康保険会計が一挙に健全化し、年金会計の障害年金受給者が激減し、介護保
険会計が健全化し、水銀が口の中にあれば将来障害者年金に依存して生活する可能性
のある人が数多く健康な状態で収入を得て税金を納め、結果的に高齢化社会の財政的
に困難な問題がある程度解決される可能性を秘めています。国の財政が困難な折柄、
安い水銀により犠牲者と国が高い医療費や生活維持の負担を強いられ、犠牲者の人生
を破滅に追い込み、命まで奪う現在の馬鹿げた状態が早く解消されることを心から願
望しています。水銀アマルガムに代替できる詰め物の材料は妥当な金額で入手可能な
のです。
幸せな人生を奪い去る水銀 - 165
訳者代表後書
英語のインターネットのホームページの要約
日本では無害とされている無機水銀は、無機水銀中毒を引き起こすのみならず、口
中および腸中の細菌や酵母菌によりメチル水銀(水俣病の原因物質)等の有機水銀に
変えられ、結果的に人体は有機水銀の悪影響を受け、各種の重症の、致命的な病気が
誘発されることになります。本文中に触れられているように、水銀に耐性を持った口
中および腸中の細菌や酵母菌は複数の抗生物質に対する耐性力を持つことが研究によ
り明らかにされています。
水銀はどのように健康に悪影響を与えるか
水銀アマルガムは健康下記の過程を経て悪影響を与えます。
1. 水銀との接触によるアレルギー(赤チン(マーキュロクロム)による発疹、
皮膚、体内のアレルギー性の炎症、急性水銀中毒―本文中にあり)
2.水銀が蒸発して血液中に入った段階で及ぼす影響
3.血液中の水銀が脳、肝臓、腎臓その他の臓器に入ってから及ぼす影響
4.口中の水銀が他の金属と反応し、水銀電池となり、流れる電流が神経系統
に及ぼす影響(水銀、銀、ニッケル、亜鉛等詰め物に使われる金属の多く
は電池の材料です。)
5.口中の水銀と他の金属の混合物であるアマルガムがアンテナの役割を果た
し、受けた電波が身体に流れる影響(口の中からラジオ放送が聞こえる例
も報告されています。
)
6.体内に蓄積された水銀が蛍光灯電球の中の水銀蒸気のように電流を通すこ
とによる影響
水銀の影響は水銀アマルガムを取り付けて直ちに出るものと、10~30年経ってから
出るものとがあり、水銀を入れて数年間何の問題もなく生活している人が、その後命
を落とす可能性のあるほどの悪影響を受けることもあります。また水銀アマルガムを
取り外しても、病気や症状が直ちに治癒または軽快する場合と、長期間苦痛が続く場
合とがあります。不幸にも身体に生じた変形(例えば変形性関節症)はたとえ水銀が
体外に排出されても元に戻ることはないと考えられます。
水銀が原因の病気と症状
水銀中毒は本文2ページの一覧表に記載されている病気の他下記の病気の原因とな
る場合があります。(一部重複あり)
1. 全身病
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 166
アジソン病・慢性副腎皮質機能低下症、アルツハイマー氏病、化学物質過敏症、
環境病、カンジダ症・酵母菌感染症候群、関節炎、強直性脊椎炎、膠原病、腺
維筋痛症(慢性疲労症候群疾病対策センターにより決定された11の症状のうち
8つはよく知られた水銀中毒の症状です。
)、重症筋無力症、内分泌障害、パーキ
ンソン氏病、慢性疲労症候群、リウマチ
2. 神経科・内科
異常な精神医学の行動、怒り・怒りの発作・怒りの爆発、意志疎通の困難、う
つ病(鬱病)
、内気、エネルギーの不足、学習障害、過敏症(心理的な妨害また
はMad Hatter氏病)、身体中の麻痺およびうずき、気分が変わる、強迫性障害、
境界パーソナリティ障害、緊張性頭痛、筋肉のうずき、幻覚、甲状腺問題、叫
ぶ発作、坐骨神経痛、三叉神経痛、小心、少年非行および犯罪、自律神経失調
症、神経質、神経伝導速度の低下、心配性、髄鞘脱落、睡眠障害、頭痛(慢性
か頻繁な)、精神錯乱、精神障害、生命・趣味等に対する興味の欠除、体重減少、
短気、知性の低下、注意の欠如・注意欠陥症候群・多動障害、注意持続期間の
短縮、中枢神経系の機能障害、手・足・唇のしびれ感/うずき、低酸素症=酸素
の欠乏、低体温、敵意および執拗な脅迫的な行動、統合失調症、疼痛(複数の
部位の)、疼痛の感じ易さ、読書障害、認知症、眠気、橋本病、発達障害、パニ
ック発作、反射機能障害、反復性のある運動(不本意な)
、引きこもり、疲労―
赤血球の酸素運搬作用が阻害される、貧血症、不安感、不機嫌、浮腫=腫れ、偏
執狂、片頭痛、無感動、無気力
3. 耳鼻咽喉科
咽頭炎、鼻炎、副鼻腔炎
4. 歯科・口腔外科
金属の味、口または喉の燃えるような感覚、歯肉炎=歯茎の炎症、組織の黒い色
素形成、歯茎の肥大、歯茎の縁に沿った青い線、味覚異常
5. 胃腸科
胃炎、過食および肥満、過敏性腸症候群、クロン氏病、消化不良・消化障害、
食欲低下、大腸炎、吐き気、腹部のけいれん、膨慢感および余分なガス、余分
な渇き
6. 循環器病
アテローム性動脈硬化(動脈の硬化病変)
、冠状心臓病、血圧の変化、血液凝固
プロセスの加速、心臓および循環の麻痺による血圧の低下および死、心臓の動
悸、遅脈、頻脈、胸の疼痛か圧力
7. 呼吸器科
気腫、呼吸(浅いまたは不規則な)
、咳(長引く)
幸せな人生を奪い去る水銀 - 167
訳者代表後書
8.免疫異常
喘息、白血球の活動を抑制、慢性関節リウマチ、免疫力の低下、リンパ節症
(特に頚部)
9. 皮膚科
硬皮症、掌蹠膿胞症、湿疹、皮膚アレルギー、皮膚炎、皮膚発疹(特に顔、頭
部および首のまわりアレルギー)
、狼瘡
10. 泌尿器科
性機能低下症、尿道問題、頻尿
11.
女性特有の病
脱毛、不妊症、流産、奇形児の出産
13.
幼小児に与える影響
肢端疼痛症―水銀を含むベビーパウダーによる子供の病気、自閉症、特発性拡
張心筋症、発達障害
女性と難病・奇病
多くの原因不明の病気、例えば、多発性硬化症、リウマチ(1896年にH.シェフィー
ルドという人が水銀との関連性を指摘している)、若年性緑内障、うつ病等は男性に比
べて女性の患者の方がはるかに多いとされているようですが、もしこれらの病気が水
銀に起因するものとすれば、女性は甘いものが好きでよく歯科医に見て貰うので口中
の水銀の数が多い、身体が男性に比べて小さい、水銀を体外に排出する能力が低い、
妊娠する等の要因があるからではないでしょうか。
女性と水銀との関係で深刻なことは、本文の体験記にあるように子宮を失う可能性
があったり、水銀による自己免疫異常により不妊症(本文中には男性不妊症も水銀が
関係していた可能性を示唆しています。
)が増え、流産、奇形児の出産が増えるとされ
ていることです。その上、妊娠中の女性の体内に蓄積された水銀は胎児の身体に高濃
度の水銀を押し付け、出産後は母乳を通じて幼児の体内に水銀が入り続けることが各
種研究で明らかになっています。母親から貰った水銀と各種予防注射の保存剤(チメ
ロサル)から来る水銀のため、幼児の身体には時には耐えられないほどの水銀の負荷
がかかります。ある幼児は推奨されている全ての予防注射を受けた結果、毛髪検査に
より通常の水準の20倍の水銀濃度があると判定されました。
(予防注射にはエチル水銀
が使用されているとのことです。)一般的に予防注射の結果として、水銀に対して敏感
な胎児や幼児は不幸にも小児ぜんそく、アトピー性皮膚炎、発達障害、自閉症、肢端
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 168
疼痛症、特発性拡張心筋症、その他精神的、運動能力的、肉体的症状により、その家
族と共に苦悩に満ちた人生を送らざるを得なくなることもありえます。
英国では予防接種を受けた乳児の割合が自閉症を恐れる両親の意志により1998年の
90%から2004年の80%に低下したとされています。
特にお母様方にお願いしたいことは、お子さんたちの口に絶対に水銀アマルガムを
詰めて貰わないようにして下さいということです。脳が水銀により乗っ取られ、お子
さんたちが精神的に水銀脳人間になり、うつ病(最近小中学生のうつ病の増加が問題
になっています。)、精神分裂病、無気力、ひきこもり、きれる、自制心の欠如、過度
の疲労、多種アレルギー、化学物質過敏症等々各種水銀中毒症状で一生を棒に振った
り、この本の体験者のように困難な状態を経験させられることがあるかもしれません。
水銀による学習能力の低下、運動能力の低下、その他各種精神的・肉体的病気等によ
り、お子さんたちの本来の能力に見合った学校教育や職業教育を受けられず、本人や
ご家族にとって不本意で不幸な人生を余儀なくされるのみならず、自制心の欠如から
犯罪を犯すこともあると報告されています。
水銀と心臓病
水銀が血液中に入ると、赤血球の中の酸素が結合すべき特定の場所に水銀が優先的
に結合し、赤血球1個当りの酸素運搬能力が低下します。このため身体中に酸素を十分
に送るため、心臓の脈拍は大幅に増加します。以前テレビ番組で道行く人々の脈拍数
を検査したのを見ましたが、多くの人が1分間当り80回(これ以上は心不全と言われて
いました。
)を超えていました。検査の結果他に原因がなければ、この原因は水銀アマ
ルガムである可能性があります。心拍数の増加(頻脈症)と不整脈は水銀アマルガム
の取り外しの後70~90%の患者において改善乃至完治することが報告されています。
(Ziff, S. and Ziff, M. (1993) Dentistry Without Mercury(水銀なしの歯科医療)
Orlando, Florida: Bio-Probe, Inc.)
水銀と心臓病についての関連性がインターネットで報告されています。
(www.yourhealthbase.com)
水銀は心臓病につながっている。
イタリア、ローマ発. ローマのカトリック教大学の医学の研究者は鬱血性心不全
(特発性の膨張し心筋症またはIDCM(突発性心筋症))の患者は彼らの心臓の組織の中
に水銀そしてアンチモンの濃度が非常に高くなっていると報告する。彼らはIDCMの患
者の左心室から取った生研見本と心臓弁膜の不調か全然心臓病の無い患者の微量の元
素の濃度を比較した。IDCMの患者に対照群に比べて22,000倍の水銀の蓄積があった。
アンチモンの蓄積は12,000倍高く、銀、金、クロムおよびヒ素の水準はまた非常に高
くなっていた。 ホルター(Holter)心電計の監視ではすべてのIDCMの患者に頻繁な異
所性の(早期の)鼓動および13人の患者のうち6人の心室の頻脈を明らかにした。患者の
だれにも微量元素への職業的被曝はなかった。カルガリー大学の研究者は歯科治療用
充填材が水銀の最もありうる源泉であることを指摘する。
幸せな人生を奪い去る水銀 - 169
訳者代表後書
Frustaci, Andrea, et al. Marked elevation of myocardial trace elements in
idiopathic dilated cardiomyopathy compared with secondary cardiac dysfunction.
Journal of the American College of Cardiology, Vol. 33, May 1999, pp. 1578-83
[32 references]
Lorscheider, Fritz and Vimy, Murray. Mercury and idiopathic dilated
cardiomyopathy. Journal of the American College of Cardiology, Vol. 35, March 1,
2000, p. 819 (letter to the editor)
わが国の難病
わが国でも上記の病気や症状以外に多くの人が原因不明の病気で苦しんでいます。
その中には本文に書かれているようなことが原因である可能性が疑われる病気も多い
と思われます。
終わりに
一般的には水銀アマルガムにより悪影響を受ける人は100人中2~3人と言われてい
るようですが、これは水銀アマルガムを虫歯に詰めた後間髪を入れずに現れる、直接
的に因果関係が認められる症状を示す人の割合であり、前述の各種症状に悩む人を入
れるとほぼ100%の人が水銀アマルガムの悪影響を受けているのではないでしょうか。
上記症状や病気の一部に罹ると、人生が台無しになり、経済的な困難に見舞われ、人
の助けなしには生きていけないこともありえます。読者のみなさんが賢明な選択をさ
れ、健康な、人に迷惑をかけない、人の世話にならない、そして、自立した生活を十
分に楽しみながら長生きされるようお祈りしております。
この本をアメリカで出版されたメアリー・デービスさん、体験記を書かれた犠牲者
の皆様、ジストニアの体験記の転載を許可してくれたローリー・ラモスさん、翻訳をし
て下さった皆様に心から感謝しています。
訳者代表
平成2008年 3月 3日
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 170
田中
信男
付録
1
ジストニア体験記
ローリー・ラモス
ローリーは人並み優れた健康を誇っていましたが、
1998-99年の冬の間に彼女は座ることもままならない程
背中の筋肉の調子が悪くなり始めました。遂にこの筋肉
の痙攣は彼女の背骨を湾曲させ始める位に悪化しました。
その後一年半でローリーの背骨は真直の状態であったの
に中心から13 cm以上湾曲してしまいました。片側の彼女
の一番下の肋骨は彼女の腰骨の下に入らざるをえず、ま
た彼女の頭部はほとんど彼女の肩の上に横たわっていま
した。
私達には何が起こっているのか分りませんでしたし、
私達が診て貰った多数の医者も同様でした。ローリーの
状態が悪くなっているので整骨療法家に診て貰ったとこ
ろ、ある処理を試みた上、家に帰り、ヨガをするように
と言いました。この後ま
もなく私は彼女の背骨に
沿ってまっすぐな物を当
て、彼女の背骨が中心からずれていることを発見しま
した。
1999年の3月にローリーはX線写真を取って貰い、彼
女が20度にのぼる左の胸部の背骨側彎症を患っている
ことを確認しました。
この時点で私達は理学療法士に診て貰い始めまし
た。3回の診察の間に彼が次の点を観察しました:右側
に傾き姿勢を垂直に保つために足をひきずる、肩は内
部の力で回っている、右側の筋肉痙攣、頚部背骨の側
面転移、左の胸郭の小さい肋骨のこぶの出現、呼吸す
るために首の筋肉を使って胸を持ち上げる、そして前
方の骨盤の傾きの増加。彼はローリーの状態が彼が診
た他の脊柱側彎症の患者の症状と一致していないとい
って、専門家に見て貰うよう勧めてくれました。
幸せな人生を奪い去る水銀 - 171
ローリーの背骨のMRIはこのように急速な背柱側彎
症の進行を引き起こす原因を示さず、私達の新しい整
形外科医は症状の悪化を見続けました。6月までにロー
リーの湾曲は更に10度も増加し、彼女の身長は1イン
チ以上も縮んでしまいました。簡単な仕事も苦痛にな
り、ローリーは何かにもたれなければそれさえ不可能
になりました。
私達はこの州のこの地域のほとんどあらゆる専門家
に診て貰いましたが、そのどれも何の助けにもなりま
せんでした。医者たちは私達が他の所に行く必要があ
り、どこにでも行きたい所に行くための手筈を整える
手助けをしましょうと言いました。旅行が非常に困難
だったので、私達は最も成功の可能性の高い所に行く
ことにしました。私達の調査ではメイヨー診療所は神
経学および神経外科の両方でトップクラスに評価されていました。
私はメイヨーへの訪問により良い結果が出ることを希望していました。担当医はロ
ーリーの状態が非常に複雑かつ稀であると考えました。多数の医者の診察と検査の結
果、結論は彼女が斜頸および二次的神経筋の背柱側彎症を伴う頚部、胸部、腰部ジス
トニアを患っていること、そして「病因は不明」ということでした。これらすべては
彼女の筋肉が奇妙な事をしており、それにより彼女の背骨が動いているが、彼らには
その原因が分らないということを婉曲に表現していたに過ぎません。彼らは私達にド
ーパミンの処方箋を出しました。彼らはそれが彼女の頭脳からの神経系信号の伝達を
助けるかもしれないと考えました。その薬はひどい副作用を引き起こしました。その
うちの一つはうつでした。更に筋肉の収縮が悪化してしま
いました。
2000年11月1日に撮影されたX線は左側に13.5cmの湾曲
を示していました。ローリーの胸郭は彼女の左の腸骨の頂
上と接触しており、彼女はまた臨床的に捻じれていまし
た。
親類の紹介によって私達は私達に希望を与えてくれた
ワシントン州中央部の医者を見つけました。ローリーには
金属が詰められた歯が合計20本(その内15本はアマルガム
でした)あり、また、この状態が始まった時彼女は4ヵ月間
開いたまま放置されてから、アマルガムで密封された根管
を持っていた事実があることから、彼は彼女の健康不調が
水銀の存在によって悪影響を受けた神経電気化学の結果
であるかもしれないこと確信しました。
水銀のアマルガムの歯科詰物は普通50%の水銀および
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 172
銀、銅、錫および亜鉛の様々な組合せでできいます。世界保健機構(WHO)は細胞を殺さ
ず、そして、身体の諸活動に害を及ぼさない水銀の最大許容量は人間に対しては存在
しないと表明しています。水銀は歯科医院に納入された時は有毒な物質であり、歯科
詰物は歯科医院を出て行くときは有毒廃棄物です。それにも拘らず水銀はあなたの口
の中に詰められたとき詰物の中の水銀は完全に安全であると主張されています。水銀
蒸気はアマルガムの歯科詰物から絶え間なく蒸発し、それを詰めている人の歯、顎、
身体、呼吸、血液および頭脳に入り込みます。ローリーが7才のとき最初の詰物が詰め
られました。長年にわたり彼女が咀嚼し、歯をすり合わせ、熱い食べ物や飲み物を食
べたり、飲んだりする度に、水銀アマルガムの混合物からの水銀蒸気の蒸発が多くな
り、彼女の口、肺、胃腸管、血流、脳および組織に入りました。
次の数ヵ月にわたって私達はローリーのアマルガムを取り除いて貰いました。これ
は水銀アマルガムの取り外しの経験ある歯科医によって実施されました。ローリーが
取り外しの過程の間に更に多くの水銀蒸気を吸わないよう十分に注意する必要があり
ました。取り外しの殆んど全てを行った歯科医はまた水銀蒸気および電流のテストを
行いました。金属の混合物は口中に電流を作り出し、水銀の蒸発を高める直流電気を
引き起こすことができます。両方のテストは非常に高い値を示しました。
私達は現在DMPSの毒素排出作用によって解毒の最中です。処置の間私達はずっと重
金属の存在を調べるため毎月尿検査をしています。検査により銅の濃度が正常値のお
よそ15倍(銅はアマルガム詰物のもう一つの原料です)あり、そして、高水準の水銀濃
度があることが判明しています。水銀の毒性はまた腎臓の銅の濃度を増加させること
が発見されました。重金属は銅を高水準に保つメタルロチオネイン(metallothionein、
小さいシステインに富んだ金属と結びついた蛋白質)の形成を引き起こします。メイ
ヨーが診断を下したジストニアは他の有毒な物質と同様中枢神経系の中の銅の蓄積に
つながっていました。
これまでの処置の肯定的な結果は私達が文書化のために使用した一連のX線写真の
2番目の撮影をした2001年6月に証明されました。ずっとこの症例を見守って来、X線を
測定している整形外科医はローリーの背骨が13.5cm中心からずれていたのに、7.5 cm
になっていることを確認しました。彼はまた背骨のねじれが真直ぐになったことも確
認しました。
幸せな人生を奪い去る水銀 - 173
近況: ローリー は2002年3月に別のX線写真を撮影してもらいま
した。彼女の背骨はまっすぐになり続け、今は4.8cmだけ中心か
ら離れています。
ローリーの2003年3月のX線写真。 背骨は
3.2cm中心から離れています。
ローリーは2004年1月のDMPSによる毒素排
出治療を停止しました。
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 174
2006年3月のローリー
電子メール: [email protected]
英文は下記のサイトで読むことができます。
http://www.toxicmetals.info/case_laurie.htm
幸せな人生を奪い去る水銀 - 175
付録 2
歯科用パラジウムの毒性
付録 2 歯科用パラジウムの毒性
歯科用ブリッジや歯冠に使用されるパラジウム合金は身体に無害な金属と考えられ
ていましたが、英語のインターネットのサイトによれば、パラジウム合金も一部の
人 々 に 重 大 な 健 康 被 害 を 及 ぼ す と さ れ て い ま す。
(http://www.geocities.com/ResearchTriangle/2888/palladium.html 参照。以下この
サイトに書かれていることを要約します。
)
体験記により記載されている症状
ベーチェット病
MS(多発性硬化症) 車椅子生活
粘膜の炎症
神経組織問題 潰瘍 歯茎の出血
口の中の痺れ感と青白さ
重症の胃腸問題
尿道の問題
カンジダ症
目の炎症
外国での取り組み
ドイツ健康省は1993年以後歯科医にパラジウムと銅の合金を使用しないように警告
しています。特にニッケルに対しアレルギー反応を示す人々はパラジウムにより悪影
響を受ける可能性があるとされています。
スイスではパラジウム入りの歯科用合金は使用禁止になっています。
パラジウムによる健康被害は上記サイトによれば次のとおりとなっています。
パラジウムの中毒
1. 研究室での試験は次の中毒症状を示しています。
クレアチンキナーゼ、アルドラーゼ、アルカライト・フォスパターゼ、カーボ
ン・アンヒドラーゼ、トリプシン、キモトリプシン等の重要な酵素の妨害
骨や軟骨のようなコラーゲンの生成の妨害- DNA の中のチミジンの妨害
各種組織への蓄積-ニッケルに対しアレルギー反応を示す人々のアレルギー
反応
2. 初期の中毒症状
唾液の過剰分泌
歯痛と顎痛
燃えるような舌
口の中の冷たい感じ
-金属の味
首のリンパ節の痛さと腫れ
歯の周りの粘液を分泌する膜組織の剥離
喉のカビのような膜とヒリヒリする喉
3. 時間をおいて出る中毒症状
歯の死
肉芽腫
死んだ組織の膿胞 歯茎の腫れ
4. 初期の全身組織性中毒症状
極端な神経質 極端な疲労
めまい
片頭痛
幸せな人生を奪 い去 る水銀 - 176
混乱 記憶喪失
目が燃える感じ
アレルギー
免疫不全
身体に出る燃える感じの水疱
5. 時間をおいて出る全身組織性中毒症状
顔の神経痛
顔面麻痺
舌、唇、目の周囲の筋肉の痙攣
副鼻腔炎
気管支炎
理由なしの肺の病気
夜間呼吸困難 胃腸、肝臓、膀胱、腎臓の問題
体重減少
関節痛、筋肉痛筋肉の痙攣と弱さ
耳鳴り 視覚障害
うつ病
不眠症
多汗 心悸亢進
集中困難
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幸せな人生を奪い去る水銀アマルガム
平成 20 年 3 月 3 日発行
-原因不明の病気が完治・改善した患者の体験記-
著
者 メアリー・デービス
訳
者 田
中
信 男
他
発行者 http://www.nomercurymouth.com
〒 663-8111 兵庫県西宮市二見町 12-22-302
℡ 0798-66-0600
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