pdf file - 名古屋外国語大学

ISSN 1347-9911
名古屋外国語大学
外国語学部
紀
要
第 38 号
2010年 2月
目 次
論 文
歴史の教訓と異言語教育
大 谷 泰 照……( 1 )
中国国有企業改革の経路分析
俞 晓 军……( 27 )
The Impact of Teaching ASL to Japanese Hearing Students and
Their Attitude Change toward Deaf People
菊 地 俊 一……( 49 )
ハズとカネルのモダリティ的用法について
伊 藤 達 也……( 77 )
Discourse Analysis through Interpersonal Meaning
武藤ハンフリー 恵子……( 93 )
语义角色清单
余 求 真……(113)
テレビの中のフランスおよびフランス語圏
―放送翻訳に見る番組制作の傾向と学生の意識―
竹 本 江 梨……(123)
Three Types of NP Modifications in Korean and Japanese
高 橋 直 子……(147)
陳舜臣が複眼で見た日中関係
―過去、現在、そして未来―
曹 志 偉……(169)
天神の息子
塚 本 晃 久……(187)
研究ノート
イギリスに見る低炭素経済への歩み
浅 野 昌 子……(215)
NAGOYA UNIVERSITY OF FOREIGN STUDIES
Journal
of
School of Foreign Languages
No. 38
February 2010
CONTENTS
Articles
The Lessons the Twentieth Century Holds for Us
—Foreign Language Education in the 21st Century—............................ Yasuteru OTANI
中国国有企业改革的路径分析........................................................................... 俞晓军
The Impact of Teaching ASL to Japanese Hearing Students and
Their Attitude Change toward Deaf People..................................... Toshikazu KIKUCHI
Sur les emplois modaux de hazu et de kaneru en japonais............................ Tatsuya ITO
Discourse Analysis through Interpersonal Meaning............ Keiko MUTO-HUMPHREY
语义角色清单....................................................................................................... 余求真
France et francophonie à la télévision japonaise:
tendances observées lors des traductions de documentaires et
attitude des étudiants japonais face à ce média.......................................Eri TAKEMOTO
Three Types of NP Modifications in Korean and Japanese.............Naoko TAKAHASHI
Shunshin Chin considers the Japan-China relations from
a multicultural perspective—past, present, and future..................................Cao ZHIWEI
The Son of the Heavenly God...................................................... Akihisa TSUKAMOTO
Research Note
UK’s Road Map to a Low Carbon Economy.......................................... Masako ASANO
歴史の教訓と異言語教育
大 谷 泰 照
1.混迷の日本の異言語教育
本日は、日本の言語教育の現状をどうみるか、そして今後のわれわれの
言語教育は一体どうあるべきかという問題を、皆様とご一緒に考えるため
に、その素材を提供させていただきたいと思っております。
皆様はすでにお気づきのことと思いますが、わが国の戦後の歴史の中
で、言語教育が今日ほど激しく揺れ動いた時期は、かつてありませんでし
た。戦後最大の激動期です。あるいは、今後の進むべき方向が見えていな
いという意味では、混迷期と言っていいかもしれません。はたして外国語
教育が今後も存続できるのかという立場に立ちますならば、最大の危機的
状況と言ってよろしいと思います。そんな時期に、いまわれわれはいる、
ということを先ず最初に頭に置いて、お話に入ることにいたします。
なぜそれほどまでに混迷なのか、危機的なのかということであります
が、これは言うまでもありません。たとえば、大学のいわゆる第二外国語
は今日、それこそ危機的な状況にあります。古い国立大学でさえも、第二
外国語の単位数を削減したり、必修からはずすところが増えています。私
立大学では、第二外国語を必修にしておいては学生が卒業できないとか、
実用的必要がないなどの理由で、第二外国語はさらにいっそう簡単に必修
からはずされております。第二外国語をやらない大学がどんどん増えてい
るということであります。それでは、英語は大丈夫なのか。英語でさえも
履修単位数は次第に削減されております。平成 3 年の大学設置基準が改定
― 1 ―
になる前の単位数を今日もそのまま維持しているところは、国立大学でも
もはや完全に少数派です。私立大学では、より大胆に単位数の削減が進ん
でおります。いまや京都のある大手の私立大学のように、英語を1単位も履
修しなくても卒業できるところも出て参りました。要するに外国語をまっ
たくやらなくてもよろしいということであります。かつては、いやしくも
大学ならば、第一、第二外国語は、いずれも最低各 8 単位は必修と定めら
れていた時期がありましたが、いまや外国語はまったくやらなくても大学
を卒業できるという時代になりました。
中学校でも敗戦直後はおおむね 1 週間 6 時間、多いところは 7 時間の英語
の授業がありましたが、いまや大部分の中学校で週 3 時間です。これは、
明治以来ほぼ 140 年のわが国の外国語教育の歴史で最低の時間数でありま
す。母語で教育を行う世界の 83 か国の中でも、これほど外国語に力を入れ
ていない国はほとんどないと言っていい状況です。それに、今度は小学校
への英語教育の導入をめぐって、国論は文字通り賛否二分しました。文部
科学大臣が替わるたびに発言がぐらぐらと変わりました。ついに、2011 年
から、小学校 5 年生以上に英語教育を正課とすることになりましたが、そ
のための肝心の教員の養成はまったくなされていません。小学校で外国語
教育を始めるとなりますと、それは当然、中学・高校の外国語教育にも大
きく影響しますが、この先、この国の小学校から大学までの外国語教育は
どうなっていくのか。文字通り、行き先不透明な混迷の状態にあると言え
ます。
問題は、単にカリキュラムだけではありません。教員の問題も深刻です。
とくに英語の教員に対する不信が今日ほど強まった時期はかつてなかった
と言ってよろしいと思います。とりわけ大学です。石原慎太郎知事の首都
大学東京では、もう英語のカリキュラムの作成は英語の教員には任せな
い。学外の教育産業に依頼していると言います。すでに、いくつかの国立
大学では、入試問題でさえその大学の英語教員に作らせない。学外の大手
予備校に問題作成を外注するようになりました。英語の授業も英文学など
― 2 ―
をやっている教員に教えてもらっては困るというので、街の英会話学校に
出前授業を頼むところまであります。これほどまでに教員に対する信頼が
低下しています。
いや、不信どころではないと言うべきかもしれません。たとえば、例の
ベストセラー『国家の品格』を書いたお茶の水女子大学の藤原正彦教授
は、ことあるごとに、
「日本の英語教育は犯罪的である」と言っておりま
す。この会場には英語の先生方がたくさんお出でになりますが、この会場
はさしずめ犯罪者集団の集会場ということになります。私はしばらく滋賀
県立の学校におりました。その滋賀県の国松善次元知事は、ことあるごと
に「日本の英語教師は国賊的である」
、国を大きく裏切っていると言って
おりました。単にカリキュラムの問題だけでなく、教員に対する不信が大
きく、もう英語の教員には頼れないという。そんな英語教育は欠陥教育だ
と言われます。そうしますと、もうそんな英語の欠陥教育などはやらない
で、いっそのこと授業全体を英語でやってはどうか。シンガポール方式で
す。母語を使わないで英語でやろうということになります。英語の教育用
語化です。
2000年の小渕首相の時期に、ご存じの通り、英語をわが国の第二公用語に
することを検討しようという首相の諮問機関の報告書が出ました。この提
言は、一見、不発に終わったように見えるかも知れませんが、実はそうで
はありません。この英語第二公用語化論は、母語の代わりに英語で教える、
英語教育用語化論に火をつけました。一番よく知られているのが、群馬県
の太田市の例です。市自体が小学校、中学校、高校の一貫校をつくりまし
た。そこでは国語と社会以外はすべての教科を英語で教える、そんな学校
がすでに発足しています。小泉首相は、2005 年 1 月の施政方針演説で、こ
の学校を特に構造改革特区の「成果」であるとして取り上げました。こん
な風潮に乗り遅れてはならないというので、あちらこちらで幼稚園や小学
校から日本語を使わないで英語で教えるというところまで出始めました。
すると当然、それに対する強い反対論も出て参ります。まさに、かつてな
― 3 ―
い文字通りの混迷期と言ってよろしいと思います。
ここでちょっと考えておかなければならないのは、日本の教育の責任官
庁が、こんな状況をどう考えているのかということです。欠陥と言います
と、とかく原子力発電所を思い出します。日本には現在、稼働中の原子力
発電所が 17 か所に 55 基あります。これが時々事故を起こします。欠陥発
電所ということです。この責任官庁は経済産業省です。経済産業省は、原
子力発電所が事故を起こしますと、当然、先ず操業をストップさせ、事故
原因を究明します。その原因が判明すれば、それを公表します。そして欠
陥を完全に修復して、もはや安全と確認されるまでは操業の再開はさせな
い。これは当然のことです。原子力発電所の欠陥に対しては、経済産業省
はこういう処置をとります。
日本の英語教育も、残念ながら欠陥教育と指弾されることが少なくあり
ません。この欠陥教育と呼ばれ、時には「犯罪的」、「国賊的」とまで言わ
れる日本の英語教育ですが、これに対して、その責任官庁であります文部
科学省は、今日まで、ただの一度としてその原因究明に乗り出したことは
ありません。したがって、当然、欠陥の原因を公表したためしもありませ
ん。実に驚くべきことに、これがまったくないのです。ただ教員に、さら
にきめ細かい指導をするようにと督励するだけです。欠陥の原因も究明し
ないで、欠陥の修復はできません。どこに原因があるのかということを明
確にしなければ、原因療法はできません。その場限りの対症療法を繰り返
すばかりです。日本政府の同じお役所でも、経済産業省と文部科学省では
こんなに大きく姿勢が違います。
原子力発電所とは違って、教育の場合には、欠陥の原因の究明はやりに
くいのだろうと思われる人もあるかもしれませんが、そんなことはありま
せん。たとえば、アメリカでは 1983 年に、
『危機に立つ国家』(A Nation At
Risk)という有名な報告書が出ました。これはアメリカの教育が、国際的
にみても非常にレベルが低いということがはっきりしたものですから、そ
の原因を究明するために、アメリカの大統領が率先して全国的な詳細な調
― 4 ―
査を行い、その調査結果を報告書として出したものです。その調査ではっ
きりしましたことは、アメリカの教育は国際的にみても、授業時間数が少
なすぎる、宿題が少ない、クラスサイズが大きすぎる、などなど、さらに
は教員の待遇が劣悪であるなどという実態まで明らかになりました。欠陥
の原因を明らかにしたこの報告書は、そんな欠陥を修復して、アメリカの
教育を立て直すための大胆な政策の転換を行わない限り、アメリカの将来
はないと考えています。この報告書を受けて、まさに「国家が危機に立
つ」という厳しい危機感をもって、アメリカは国を挙げて教育の修復に取
り組み始めました。
2006 年にアメリカで調べてみました。アメリカの 50 の州のほとんどで、
小学校の 1、2、3 学年に関する限り、1 クラスが 20 名を超えるクラスはも
はやありません。最大で18名にまで縮小しました。片やイラク戦争をやり
ながらも、他方でアメリカはそこまで教育に力を入れています。日本の公
立小学校の学級編成基準は、実はいまだに 40 名ですが、今日国際的には、
クラスサイズは学校や自治体の教育的熱意を測る何よりのバロメーターと
考えられています。アメリカでは教育省が率先して欠陥の原因をきちんと
明らかにして、改善の成果をあげています。ところが、日本の場合はそれ
がありません。
「犯罪的」であり、
「国賊的」である教育を、そのまま野放
しにしています。しかし、われわれ教員は教育の責任ある当事者ですから、
文部科学省が動かなければ、われわれは自分の手で調査、点検する以外に
ありません。日本の教育はどこへ行こうとしているのか、日本の教育のど
こに問題があるのかということを、自分たちの手で明らかにする必要があ
るのではないかと考えております。
ただ 21 世紀の日本の異言語教育がどこに向かうのかということは、いく
らわれわれが 21 世紀の方に顔を向けて、目を凝らしてみても、当然、見
えてくるものではありません。それではどうすればいいか。これは大海の
真っ只中で、羅針盤を失った船がどうすればいいかということです。いま
自分がいる場所が、一体どこなのかということを、先ず明確にする必要が
― 5 ―
あります。いま東経何度、北緯何度にいるのか、そしてわれわれは一体ど
こに向かおうとしているのか、そのためにはどうすればよいのか、という
ことを明確にしなくてはなりません。やみくもに船を漕ぎさえすればよい
ということではありません。ただひたすら英語会話をやれば英語教育は向
上するという問題ではありません。われわれは、先ず欠陥の原因がどこに
あるのかということを点検する必要があります。
異言語教育を考える際の経度と緯度とは何でしょうか。それは、こんな
風に考えてみてはいかがでしょう。われわれは明治以来約 140 年の英語教
育の歴史をもっていますが、先ず歴史的に自らの外国語教育のありようを
点検してみる、歴史軸をきちんとわれわれは確かめる必要があると思いま
す。通時的な点検です。さらにいまひとつ、今日の世界の異言語教育は、
一体どう動いているのかという共時的な視点です。世界的な動向という国
際軸です。この歴史軸と国際軸という縦軸と横軸をきちんと確かめること
によって、はじめてわれわれの現在おかれた位置が、おぼろげながらも見
えて参ります。本日のお話は、この 2 つの視点から日本の言語教育のあり
ようを考えてみたいと思います。
2.日本人の言語・文化意識の変容
お手元のハンドアウトの表をご覧下さい。この表は、幕末から今日まで、
わが国が異言語・異文化に対してどういう姿勢をとってきたかということ
を、わかりやすい指標をあげて示したものです。表の上から下へ時間が流
れております。幕末以来今日まで、約 140 年です。これを見て、はっきり
わかりますことは、この 140 年ばかりの間、われわれの異言語や異文化に対
する理解度がどんどん上向いてきたわけではない、直線的、上昇的に推移
してきたわけでは決してないということです。われわれは過去の経験に学
んで、時代とともに異言語・異文化の理解が増進しているかというと、そ
うではないらしいということであります。むしろ逆に、回帰的、反復的な、
いわば一種の往復運動を、ほぼ 40 年の周期で繰り返しながら今日に至って
― 6 ―
いるという風にみるべきではないかと私は考えております。
表をご覧いただきますと、横に長い線が 4 本あります。その長い線と線
の間がほぼ 40 年です。それから、その 40 年の間に少し短い線がまた横に
一本通っております。これは 40 年の真ん中あたり、ほぼ 20 年ということで
す。その 40 年のうちの前半の 20 年ばかりは、どちらかと言いますと英語や
英語文化に対して一辺倒であった時期です。日本語や日本文化に自信を
失って、とにかく日本語を捨ててもいいから英語をという、いわば英語に
のめりこんだ「親英」の時期であります。それから 40 年の後半の 20 年は、
一転して英語に対する反発を強めて英語などよりも日本語、日本文化が一
番だという、いわば自信過剰の「反英」の時期です。われわれは、この 2
つの対立する極の間の往復運動を、幕末以来、少なくとも 3 回繰り返して
今日に至っているとみることができます。
こう見ていただきますと、一番上が幕末。これは「夷狄斬るべし」と外
国人に対する刃傷沙汰が絶えなかった攘夷運動の時代であります。日本人
が自分の力に過度の自信をもっていた時代で、その結果、薩英戦争、馬関
戦争を引き起こしました。しかし、その2つの戦争で欧米の実力をまざまざ
と見せつけられますと、とたんに、われわれのそれまでの自信が大きく崩
れて、一転、今度は明治の英語一辺倒に変わります。一辺倒も一辺倒、森
有礼などのように、日本語を「貧弱な言語」と考え、母語の日本語さえも
捨てて、英語を国語にしようとしたり、黒田清隆らのように、日本人を「劣
等な人種」と考え、日本人を欧米人と結婚させて人種の改造を図ろうとい
う意見さえ出てくることになります。欧米の文物にあこがれて、それを模
倣しようとする欧化主義の風潮の高まった鹿鳴館の時代です。
しかし、明治も 20 年代に入り、日本が国力をつけ、帝国憲法が公布され、
教育勅語が発布される頃から、それまでの英語教育奨励の方針は、井上毅
文相などの国語教育強化の方針に転じます。国家主義的傾向が強まり、つ
いには日清戦争、日露戦争の時代に入ります。その頃には、たとえば、東
大ではラフカディオ・ハーン(Lafcadio Hearn)に代えて、夏目漱石をその
― 7 ―
あとに据えたように、かつてのお雇い外国人教師を追い出そうとすること
になります。このように、明治の初めの 40 年は、その前半は欧化主義の
「親英」の時代、後半は国家主義の「反英」の時代と考えることができま
す。これが「親英」と「反英」の第一回目のほぼ 40 年のサイクルです。
大国相手の 2 つの戦争に勝利しますと、われわれの姿勢はまたもや大き
く変化します。今度は卑屈にはなりませんけれども少し度量が出て参りま
して、それまでの国粋主義的な、あるいは国家主義的な傾向が後退いたし
ます。明治 40 年を過ぎる頃から大正デモクラシーの時代にかけて、ふたた
び欧米に対する急接近の風潮が強まります。英語だけでなく、ドイツ語、
フランス語、ロシア語、さらに当時は支那語と申しましたが中国語の学
習・研究熱が高まり、翻訳が街にあふれるということになります。明治の
後半には外国人教師を追い出した日本が、ふたたび外国人教師を呼び戻し
ます。たとえば、ハロルド・E・パーマー(Harold E. Palmer)をロンドン
大学から招いて、文部省の英語教授研究所所長の要職に据えるという時期
です。
ところが昭和に入りますと、またまた風向きが変わって参りまして、藤
村作の英語教育排斥論など、英語に対する反発が強まります。神国思想な
ど、極度の国粋主義が支配的になり、ついには英米を敵として開戦するこ
とになります。幕末の「夷狄斬るべし」の攘夷運動さながらに、
「鬼畜米
英」「見敵必殺」をスローガンとする対英米戦争の時代です。明治 40 年頃
から昭和 20 年の敗戦までのほぼ 40 年間、その前半は「親英」的時代、後
半は「反英」的時代で、これを第 2 回目のサイクルとみることができます。
そして、昭和 20 年に日本は太平洋戦争に敗れますが、敗れたとたんに、
日本人はまたもや手のひらを返したように大きく急転します。たとえば、
戦時中は英語を
「敵性語」
と呼んで蔑んでいたにもかかわらず、敗戦の一夜
を境に、その直後に出た『日米会話手帳』は、日本人の 20 人に 1 人が買っ
たほどの空前の大ベストセラーとなり、
「一億総英語会話」と言われる英語
一辺倒の時期に入ります。尾崎行雄などのように、またぞろ日本語を捨て
― 8 ―
て、英語の国語化を説く知的指導者たちが現れることになります。明治の
初期に似た欧化主義の状況がふたたび出現いたします。
ところが、その戦後の日本も、昭和 40 年代に入り、われわれが経済的な
復興・成長を遂げるにつれて、またもや風向きが変わって参ります。次第
に自らの国力に過剰な自信をもつようになり、反英的な空気さえ強まるこ
とになります。たとえば、中学校の英語の授業時間数は、学習指導要領の
改正の度ごとに削減され、ついに昭和 52 年には、外国語教育を抑圧したあ
の戦時中をも下回って、明治以来最低レベルとも言える週 3 時間にまで縮
小されてしまいます。加藤周一などの知的指導者たちの間からさえ、
「日本
語で間にあわないことは、一つもない」
、すべての中学生に英語を教える
ことなど「正気の沙汰とは思えない」
「愚民政策のあらわれとしか考えら
れない」という声が出始めます。
「わが国では外国語の能力のないことは
事実としては全く不便を来たさない」と述べた外国語教育に関する自民党
平泉案まで出ました。そしてヴォーゲル(Ezra F. Vogel)の『ジャパン・ア
ズ・ナンバーワン』などが現れるに及んで、思い上がった日本人は、
「も
はや欧米に学ぶものなし」
「21 世紀は日本の世紀」などと本気で考えるよ
うになりました。中曽根康弘現職首相の「アメリカ人の知識水準」発言な
ど、自信過剰に陥った日本の政治的指導者たちの口から、次々と他民族蔑
視発言が飛び出すのが、ほぼ平成 3 年までと考えることができます。昭和
20 年から平成 3 年までの 40 数年、その前半は英語に急接近した卑屈で自信
喪失の時期、後半は英語に反発を強めた尊大で自信過剰の時期と考えるこ
とができます。第 3 回目の「親英」
「反英」のサイクルです。
ところが平成 3 年、バブルが突如崩壊しますと、一転して平成の大不況
がこの国を覆うことになります。まさかの銀行や証券会社や生命保険会社
が次々と倒産しました。あわてた政府は、大手 15 銀行に対して実に 12 兆円
を超える公的資金の注入にまで踏み切らざるを得なくなりました。平成11
年 8 月 1 日、アメリカの『ニューヨーク・タイムズ』紙は、「いまや日本の
経済の回復は不能である」とする特集を第 1 面に組みました。平成 13 年 3
― 9 ―
月、時の宮沢喜一財務大臣は、自ら国会で「国の財政は破局に近い」と答
弁するまでになりました。平成 14 年 2 月 16 日、イギリスの『エコノミスト』
誌は、これまた、
「日本経済の崩壊は時間の問題である」と報じました。
20世紀末のこんな得意の絶頂から奈落のどん底へのどんでん返しを体験
して、今日では「21 世紀は日本の世紀」などと本気で考える日本人は、さ
すがに少なくなりました。バブルの崩壊とともに、日本の政治家たちの他
民族蔑視発言も、ぴたりと鳴りをひそめました。いささか自信過剰気味で
あったわれわれは、いまや自信を大きく失ってしまいました。
こんな日本で、この数年、ふたたび目立ち始めましたのが英語に対する
異常なまでの急接近ぶりであります。英語の第二公用語化論が出てくるだ
けではありません。先に述べましたように、群馬県太田市などのように、
日本語でなく英語で教える学校をつくる自治体まで出始めました。日本語
を使わずに、英語だけで教える幼稚園や小学校が、日本の各地に現れ始め
ました。バブル崩壊以前には考えられもしなかったことです。
このような平成の英語第二公用語化論や英語教育用語化論は、日本人の
国際的姿勢が自信過剰の「反英」から、自信喪失の「親英」に転じたとたん
に浮上してくるという点で、明治以来、繰り返し現れた英語国語化論の場
合と軌を一にするものとみることができます。そして、日本人の対外姿勢
が「反英」から「親英」に急転する転換点となるのは、つねに異文化との
決定的な衝突としての「戦争」であったという点を見落としてはならない
と思います。薩英戦争、馬関戦争であり、日清戦争、日露戦争であり、第
二次大戦であり、さらに今回はプラザ合意という名の日米経済戦争におけ
る日本の「第二の敗戦」であります。平成大不況は、決して阪神・淡路大
震災のような天災ではなくて、日本人の異文化理解の欠如による日米経済
戦争の敗戦がもたらした立派な人災です。この自覚が、われわれには決定
的に欠落しています。こうして、いまわれわれは、第 4 回目の「親英」「反
英」のサイクルに足を踏み入れようとしていると考えることができます。
「歴史は繰り返さない、もし人が歴史に学ぶならば」と言われます。し
― 10 ―
かし、われわれは 3 たび同じ歴史を繰り返しながら、その自覚さえもない
ままに、さらにいま、4 回目のサイクルに足を踏み入れようとしています。
これは、日本語か、もしくは英語か、という一元的言語文化志向の繰り返
しです。いわば「点の思考」の反復です。わが国の異言語教育の問題を考
えるにあたっては、以上のような歴史的な視点をひとつ、しっかりと踏ま
えておくことが必要であると言わなければなりません。
3.アジアの「英語教育先進国」
英語第二公用語化論や英語教育用語化論が話題になりますと、われわれ
はそのお手本をとかく海外に求めがちであります。
たとえば、2000 年に小渕首相の諮問機関「21 世紀の日本の構想」懇談会
が、英語公用語化のお手本として白羽の矢を立てたのがシンガポールでし
た。河合隼雄懇談会座長は、自ら英語を第一公用語とするシンガポールを
訪問して、建国の父といわれるリー・クアンユー(Lee Kuan Yew)上級相
に面会して教えを乞い、それに触発されて、英語第二公用語化の提案に踏
み切ったと語っています。TOEFL でアジア最高の得点をあげるシンガポー
ルは、河合座長の目には、まさに理想の英語教育モデルと映ったようであ
ります。
シンガポールだけではありません。隣国韓国の近年の変貌ぶりは、まさ
に目を見張るものがあります。一時は世界最貧国といわれたこの国が、い
わゆる「漢江の奇跡」の急速な経済発展を成し遂げて、東京に次ぐアジア
2 回目のオリンピックをソウルで行うまでになりました。そんな韓国は、
TOEFL でも、かつては日本よりもはるかに低い得点しかあげていませんで
したが、いつの間にか日本を追い抜き、ますます点差を広げています。あわ
てた日本の英語教員たちの間では、韓国を日本が見倣うべき「英語教育先
進国」などと呼んで、韓国に対する関心が急速に高まりました。韓流ブー
ムは、単に『冬のソナタ』だけではないのです。日本から韓国へ英語教育
見学ツアーが繰り出し、韓国の英語教育の「成功ぶり」が喧伝されるよう
― 11 ―
になりました。
しかし、われわれは、ここでちょっと立ち止まって、われわれ自身のこ
れまでの姿を注意深く振り返ってみることが必要かもしれません。先ほど
お話しましたように、過去 140 年ばかりのわれわれの異言語・異文化に対
する意識の変容ぶりを思い出してみてください。かつて、自信過剰で尊大
に振舞った時代のわれわれには、諸外国の姿は、とかく過小に見えがちで
ありました。ところが、自信を喪失して卑屈にさえなった現在の日本人の
目には、諸外国の姿は、一転して、実態よりもひどく過大に映りがちです。
このことは、シンガポールや韓国の英語教育に対するわれわれの姿勢につ
いてもいえそうです。それらの国々の実態が、実際に「英語教育後進国」
の日本が見倣うべきすぐれた「英語教育先進国」のお手本といえるのかど
うかは、もう少し慎重な検討が必要ではないでしょうか。
河合座長が理想の英語教育モデルと考えたシンガポールでは、英語の教
育は 2 年間の幼稚園段階から始まります。それも、母語 4 に対して英語 6 の
割合で英語の指導が重視されます。小学校でも、1987 年以来、教育用語は
英語になりました。人口約300万人のシンガポールは、78%が中国系、14%
がマレー系、7 %がインド系でありますが、その教育を児童の母語ではな
くて、すべて英語で行うことにしました。これは、イギリスの植民地時代、
宗主国の大英帝国でさえも、ついになし得なかったことです。
このような国民全体の英語化を可能にしたのは、実は、民主的な先進国
では考えられないほどの人民行動党の強力な一党支配であります。シンガ
ポールは、1965 年の独立以来、人民行動党の一党独裁を背景にして、国家
による厳しい統制と、それによる国民の政治活動の極端な制限が大きな特
徴となっています。シンガポール憲法には、国民主権や男女平等の規定は
ありません。この国では、選挙に理由なく棄権すれば罰金が科されますし、
国民総背番号制で、投票用紙には個人番号が打たれていまして、為政者は
各有権者の投票行動を簡単に捕捉することができます。マスメディアの政
府批判は事実上不可能です。
― 12 ―
このようなシンガポールでは、たしかに政府が意図したとおり、英語に
堪能な国民は急増しました。もっとも、その英語はシングリッシュと呼ば
れるシンガポールなまりの強い英語で、首相自身が、わざわざ‘Speak Good
English’ 運動を提唱しなければならない現状ではあります。いまや、シン
ガポールの普通の書店は、事実上、英語書籍専門店となりまして、圧倒的
多数派である中国系国民の母語であるはずの中国語の書籍にお目にかかる
ことは非常に少なくなりました。そして、とりわけ若い世代の間では、お
互いを民族名ではなく、英語のファーストネームで、Jack や Bob や Anne や
Peggy などと呼び合うことが一般的になっています。シンガポール人は、
いまや「黄色いイギリス人」とさえ呼ばれて、シンガポールの脱アジア化、
あるいは過度の西欧化が新たな国民的問題にさえなり始めています。
さらに、そんなシンガポールでは、自らの母語そのものが怪しくなった
児童・生徒が急増して、今日の深刻な教育問題となっています。母語も英
語もいずれも不十分な落ちこぼれが、初等教育、中等教育でともに 30 %前
後という調査結果も出ています。とくに国民全体の78%を占める絶対多数
派の中国系国民の母語である中国語が、とりわけ若い中国系シンガポール
人には急速に読めなくなりつつあるという事実は、世界的に見ても、極め
て興味深い言語現象であると言えます。わが国の英語第二公用語化論は、
実は、このような国の実状に強く触発されて出て参りました。
最近は、韓国の大学などから外国語関係者を招いて、韓国の外国語教育
の現状を聴く機会がずいぶんと増えました。今から 20 年も前には、考えら
れもしなかったことです。そんな会では、日本人の司会者はたいてい「英
語教育先進国の韓国」などと紹介いたします。たしかに、韓国の政治家の
外国語教育に対する熱意は、日本の政治家の比ではありません。たとえば
朴正煕大統領は、今日よりもなお一層反日感情の強かった 1973 年に、大統
領権限で国民の反対を押し切って、あえて日本語を高等学校の外国語科目
に加えるという決断を下しました。金泳三大統領は、長年にわたる白熱の
論議の末、国論を二分しておりました小学校の英語教育導入を、1997 年か
― 13 ―
ら強行するという決断をいたしました。小学校 3 年生から、英語は正課と
して教えられるようになりました。韓国の歴代大統領の外国語教育に対す
る意気込みは、並々ならぬものがあります。
そんな韓国では、教育予算も日本とはずいぶん違います。日本の教育予
算は、1975 年には、国家予算の支出の 12.4 %でしたが、これがその後漸減
を続けて、2007年には6.4%になってしまいました。まさに半減です。教育
にはだんだんと力を入れなくなっていると言われても仕方がありません。
OECD 35か国の中で、日本の GDP に対する教育予算の割合は実に最低の35
位です。これに比べると韓国の教育予算は、2000 年で国家予算の 14.3 %で
すが、その後も増え続けて、2005 年には 20.9 %までになっています。
戦後の日本と韓国の外国語教育の推移を調べてみますと、たしかに、わ
が文部科学省(旧文部省)と韓国の教育人的資源部(旧文教部、教育部)の
外国語教育に対する意気込みの違いは歴然です。日本の中学校、高校の外
国語は、戦後半世紀以上にもわたって単なる選択科目に過ぎなかった(た
だし、高校では昭和 38 年から 47 年の間は必修科目)のに対して、韓国で
は、中学校でも高校でも、外国語は、戦後一貫して国民教育に必要不可欠
な必修科目として重視され続けてきました。わが国の中学校では、国の経
済大国化とともに外国語の授業時間数は次第に削減されてきましたが、少
なくとも、韓国では、国の経済的発展が進むにつれて、日本のように外国
語授業時間数を次第に削減するようなことはありませんでした。むしろ、
逆に、外国語教育は強化されてきました。高校では、英語以外に第二外国
語を必修として導入しましたし、中学校でも、英語以外に第二外国語を選
択必修として課しています。しかも、その外国語はアラビア語、ドイツ語、
フランス語、中国語、スペイン語、日本語、ロシア語の 7 言語にも及びま
す。先に述べましたように、小学校にも正課としての英語授業を導入しま
した。
これは要するに、韓国の高校卒業生は、小学校 3 学年以降 10 年間の英語
と、中学校 1 学年以降 6 年間の第二外国語を学ぶことができるのに対して、
― 14 ―
通常、日本の高校卒業生は、英語 1 言語のみを、それも 6 年間学ぶに過ぎま
せん。近い将来、外国語能力に関しては、日本の大学卒業生は、韓国の高
校卒業生にも劣るという時代が来ることは覚悟しておく必要があるでしょ
う。
こんな韓国は、たしかにわれわれが学ぶべき点を多くもっていることは
否定できません。ただしかし、これほどまでに意欲的に外国語教育に取り
組む韓国ですが、肝心の教科書の題材となりますと、今日の国際社会では
とても通用しそうもないものが多いことに驚かされます。異文化を謙虚に
学びあうというよりも、むしろ強烈な民族主義的主張に貫かれているもの
が少なくありません。たとえば、現在韓国で使われている教科書の中に
は、次のような記述が普通に出てきます。
In contrast with many other Asian countries, Korea has unique strengths
which give it the potential to grow to be the center of Asia.(高校 2 年)
この文は、アジアの他の多くの国々はだめだけれども、韓国はアジアの
中心となる能力を持った国であると言っています。こんな英語を韓国の生
徒は、日常、当然のこととして学校で教わっています。他国民との共存よ
りも、むしろ、ひとりアジアの盟主を目指すかのような一種の排他的な選
民意識が露骨です。
Among the world’s 50 or so writing systems, Hangul is clearly much better
than the rest.(高校 2 年)
これは、世界に 50 ばかりある表記システムの中で、ハングルがとびぬ
けて優れていると自賛しています。他の表記システムはだめだというので
す。このような民族的音節文字ハングルを賛美するあまりのハングル至上
主義からは、中国人にとっては中国文字が、ロシア人にとってはロシア文
字が、最高の言語表記法であることを認めようとする、いわゆる文化に対
する相対的な視点は生まれようがありません。
Korea is one of the most important countries in the world.(中学 3 年)
何の前提もなく、韓国は世界でもっとも重要な国の一つであるという教
― 15 ―
材からは、世界の 192 か国は、いずれ劣らず ‘important’ であるということ
も、ひいては世界の 65 億人の人間は、いずれも等しく ‘important’ であると
いう、いわゆる異文化理解のためのもっとも基本的な発想も育ちにくいと
言わなければなりません。世界の国は一つ残らず、そして世界中の人間は
一人残らず ‘important’ でないものはないはずです。それぞれに差異や特徴
はあっても、それらは等しく ‘important’ である。それを正確に理解させる
ことこそが外国語の教育の重要な目的のはずです。
われわれが
「英語教育先進国」
と呼ぶこの国の外国語教科書に、実はこれ
ほどまでに排他的民族主義的な題材が臆面もなく登場するという事実は、
わが国ではほとんど注意されることがありません。
しかし、忘れてならないことは、これは実は、戦前、戦中のわれわれ日
本人自身の姿でもあったということです。当時は、日本人だけが「神国の
民」であり、日本人だけが「天に代わりて不義を撃つ」ことができると思
い上がっていました。当時、ナチスもまた、自分たちアーリア人種の優秀
性を強調するのが常でした。強調しすぎるあまり、ついにあれほどのホロ
コーストを犯してしまいました。しかし、戦後の日本もドイツもともに、
戦争という実に高価な代償を払って、やっとこんな排他的自己中心性を克
服したはずです。われわれは、無自覚なままに 60 年前のわれわれの姿に再
び回帰することがあってはならないはずです。
4.世界大戦が戦後に遺した教訓
ヨーロッパを訪れるたびに、いつも痛感させられますことは、ヨーロッ
パには戦争の傷跡が日本よりもはるかに色濃く残っているということで
す。ヨーロッパ人の心の中に戦争の傷跡が深く刻まれているということで
す。たとえば、オックスフォードに行きましても、ケンブリッジに行きま
しても、イートンに行きましても、ハーローに行きましても、戦没者の追
悼碑や戦争の記念碑が必ず目につきます。ウェストミンスター寺院でも、
大英博物館でも、ロンドンの街角でも、地方都市の公園でもそうでありま
― 16 ―
す。
もちろん、戦禍をとどめる建造物の跡はいたるところにあります。コ
ヴェントリーに行きますと、ナチスに破壊された教会をそのまま残して、
その横に新しい教会ができています。ドーヴァーでも、リヴァプールでも
そうです。つとめて戦争の悲惨さを後世に伝えようとしています。
フランスでも、たとえば南フランスのオラドール村は、村全体がナチス
によって破壊しつくされ、村人は婦女子までも殺害されました。フランス
人は、その惨劇の跡をそのままに保存しようとしています。執念深いとい
えば執念深いですが、その戦禍を後世にまで伝えようという意志の強さに
は圧倒されます。戦勝国だけではありません。敗戦国のドイツに行きまし
てもそうです。旧東ドイツはもちろん、旧西ドイツでも同様の光景を見か
けます。よく知られているのはベルリンの目抜き通りのカイザー・ヴィル
ヘルム教会です。焼けて半壊した真っ黒い教会をそのままに残して、その
横に新しい教会を建てています。ハンブルクにあるザンクト・ニコライ教
会も、戦火で崩れたままの生々しい姿で永久保存されています。そしてド
イツの敗戦時に廃墟と化した街の模様を示すパネル写真が、いまも人目に
つく場所に掲げられています。
ひるがえって、わが日本はどうでしょう。たしかに日本にも、広島と長崎
には原爆の破壊の跡が残され、慰霊碑が建てられています。しかし、それ
以外に、たとえばこの名古屋の、あるいは大阪の、そして大東京の、一体
どこにあの戦争の悲惨さを後世に伝えるものが遺されているでしょうか。
ほとんど何もありません。たしかに、戦争の傷跡はヨーロッパにはいまも
非常に色濃く残っています。それはただ単に建造物に残っているだけでは
なくて、戦後のヨーロッパ人の生き方の中に残っていると考えられます。
第二次世界大戦が、戦後のわれわれに遺した最大の教訓の一つは、戦争の
再発を防ぐためには、人間同士の理解を深め合うこと、言い換えますと、
異文化理解の地道な努力を続けること以外には方法はないという、厳しい
反省であったと考えられます。戦争を回避するためには、それ以外の道は
― 17 ―
考えられません。即効的ではないけれども、そういう地道な努力を忍耐強
く続けるより他には手がないという考え方です。
そのような考え方は、実は様々な場面で具体的な形をとって現れていま
す。たとえば戦後は、戦前とは違って、それぞれの国が、自国の文化の対外
広報活動を積極的に行い、国々の間の相互理解の増進をはかることが、各
国のいわば国際的な責任と考えられるようになりました。戦前には、大使
館の広報部あたりが片手間にやっていたものが、戦後は各国が独立した専
門の対外広報機関を設置したり、その活動を強化するようになりました。
いま世界には、イギリスの対外広報機関のブリティッシュ・カウンスル
が 220 か所も置かれています。フランスのアリアンス・フランセーズが 223
か所、日本と同じ敗戦国ドイツも、ゲーテ・インスティトウートを世界の
144 か所にもっています。それらを通して、自分の国のありのままの姿を
世界の人々に理解してもらおうとしています。これらの対外広報機関の積
極的な活動は、過去の戦争の痛烈な反省の中から生まれたと言うことがで
きます。
ところが、さて日本はどうでしょうか。日本は、いま挙げましたような
国々よりも、はるかに国際相互理解のための努力が必要な国といってよい
かもしれません。特に対外貿易についても、戦後処理の問題についても、
歴史認識の問題についても、国際的に困難な立場に立たされることが少な
くありませんから、日本の立場を説明するための広報機関がとりわけ必要
なはずですが、それが一体いくつあるでしょうか。日本の対外広報のため
の専門機関である日本文化会館は、実は現在、世界中にわずか 3 か所に置
かれているに過ぎないのです。ケルンとローマとパリだけです。それ以外
に日本文化会館よりも小規模の日本文化センターが 7 か所あります。合わ
せても、わずかの 10 か所です。世界の「先進国」としては、とても信じ難
い実態です。ヨーロッパ諸国にくらべて、対外広報、ひいては国際的な相
互理解に対するわが国の熱意がいかに乏しいかをよく示しています。
― 18 ―
5.不戦共同体としての EU
戦後のヨーロッパで、戦争抑止の具体的な努力の結果がもっとも明瞭に
表れたものが EU、すなわちヨーロッパ連合の誕生です。この EU を日本で
は、アメリカ経済ブロックと日本経済ブロックに対抗するための第 3 の経
済ブロックと考える人々が目立ちます。わが外務省のホームページでさえ
も、EU を「経済的な統合を中心に発展してきた欧州共同体(EC)を基礎
に」して出来た組織であると述べています。しかし、これは事実誤認もは
なはだしいことです。残念なら、日本人の国際理解はこの程度のものなの
かもしれません。
そもそも、EU 誕生の由来とは何でしょうか。それは 19 世紀後半から 20
世紀半ばまでのほぼ 80 年間に、ヨーロッパの大国のドイツとフランスが、
実に 3 たび戦火を交え、憎みあい、殺し合ったことに由来します。普仏戦
争、第一次世界大戦、第二次世界大戦です。戦争によってそれらの国々の国
民が苦しむだけでなく、その近隣の、とくにベネルクス三国はそのたびに
大変な被害をこうむり続けました。このたび重なる戦争を、これ以上は何
としても避けたいというのがドイツ人、フランス人だけでなく、広くヨー
ロッパ人の切実な願いでありました。
その結果、彼らの英知が生み出したのが、1951 年のヨーロッパ石炭鉄鋼
共同体(ECSC)の設立でありました。これは、一見、経済産業共同体の
ように見えるかもしれませんが、けっしてそうではありません。実は、こ
れはヨーロッパの史上最初の不戦共同体であります。これを、われわれは、
はっきりと見極めておく必要があります。ドイツとフランスが戦争を始め
ようとしてもできないようにするには、どうすればいいか。それは戦争に
不可欠な資源の石炭と鉄鋼を、独、仏の思うがままにさせないことです。
ヨーロッパの国々で共同管理をすることによって、ドイツとフランスの 4
度目の対戦を、事実上、物理的にも不可能にしようとするものです。ドイ
ツとフランスの和解、ドイツとフランスの不戦共同体、そしてドイツとフ
ランスの主権の制限、これがヨーロッパ石炭鉄鋼共同体の狙いでありまし
― 19 ―
た。この ECSC は、その後発展しまして EEC、EC を経て、現在の EU にな
りました。この EU は、現在、加盟 27 か国、23 公用語、人口 4 億 9,000 万人
の統合「大ヨーロッパ」を実現しました。これは、疑いもなく悲惨な世界
大戦そのものの反省の中から生まれた戦争再発防止のための組織でありま
す。
この EU は、1992 年の EC の段階で、すでに市場統合を実現しています。
これは 20 世紀の前半までの尺度では、到底考えも及ばないことでありま
す。あれだけ憎みあい、殺しあったかつての不倶戴天の敵国同士が、統
合していまや一つの「国」を成そうとしています。とくに EU の中の 16 か
国は、長年にわたってそれぞれの国の威信の象徴であり、いわば各国の
「顔」とさえみなされてきたマルクやフランなどの個別通貨を放棄して、
ついに共通通貨ユーロの一本化さえ実現しました。フランスは、中世以来
600 年も続いた彼らの誇るフランを、EU 実現のためにあえて捨てる決断を
しました。さらに EU は、憎悪と狂気と破壊の歴史に終止符を打つために、
本来ならば到底可能であるはずもない加盟国間の司法の統合から、さらに
は政治統合までも視野に入れて動いています。いわばヨーロッパ合衆国構
想とも言えるものです。これは、人類何千年の歴史の中でも、かつて成し
得なかった、いわば壮大な革命的一大プロジェクトと考えることさえでき
ます。
リングァ計画は、そのヨーロッパ統合実現のための、いわば必要不可欠
な言語教育政策として、1989 年に EC の 12 か国が全会一致で可決したもの
であります。これは、統合ヨーロッパの全ての市民が、英語を母語とする
イギリス人、アイルランド人をも含めて、ハイスクール卒業までに、少な
くとも母語以外に、さらに 2 つの言語を身につけること、いわゆる「母語
+ 2 言語」を目指すものです。このような多元的言語文化志向は、日本人
の日本語か、それとも英語か、という単一言語文化志向の、いわば「点の
思考」をはるかに超えた「面の思考」と呼ぶことができます。これまた、
従来の発想では考えられもしなかった画期的な言語教育プログラムと言わ
― 20 ―
ざるを得ません。
最近では、よく ‘Victory of English’ ということが、さも当然のように言
われます。いまや英語の時代であり、英語ができなければ 21 世紀は生き残
れないと、とくに日本では考えられがちであります。しかし、少なくとも
教育の世界では、英語を唯一のリングァ・フランカとはみなさない動きも、
また目立って増大しているという事実を見落としてはなりません。政治・
経済的一極集中とは対照的な、言語・文化的多様性を積極的に認めようと
する新しい動きであります。それが、たとえばエラスムス計画やソクラテ
ス計画などに支えられて、EU 諸国間では、毎年数十万人の学生・生徒や教
員が、国境や言語的境界を越えて、お互いに相手の言語で学び、教えると
いう大規模な異文化間交流が実現しています。母語に加えて、さらに 2 つ
の言語を学ぼうとするリングァ・プログラムが支持される所以です。いま
や、経済的国境が消滅して、国境を越えて自由に通商ができ、自由に移住
さえできる EU としては当然のことです。
ヨーロッパでは、言語・文化の多様性こそがヨーロッパの豊かさの根源
であると考えるようになりました。多様性こそがヨーロッパの最大の財産
と考えるわけであります。ですから、それぞれの母語を捨てて、一様に英語
を学ぶというシンガポールのような状況は一般には考えられません。また
韓国のように、徒に言語や文化の「優秀性」を誇ったり、国際的序列にこ
だわるという、いわば縦の尺度ではなくて、ヨーロッパでは、むしろ、EU
はみなそれぞれに独特の特長をもった言語・文化の共同体であるという、
まさに横並びの尺度を貴重なものと考えるようになりました。したがっ
て、今日の EU の公用語は、加盟 27 か国で話される合計 23 の言語であって、
いわゆる「国際語」の英語でさえも EU の統一公用語にはなり得ません。
もっとも、そのうちでも EU の実際の日常言語(working language)は、た
しかに英語やフランス語が使われることが多いことは否定できませんが、
それでも英語は決して独占的な地位を占めることはできません。
長い間、言語に関しては、発展途上国は先進国のことばを学び、小国は
― 21 ―
大国のことばを学び、地方は中央のことばを学ぶということが至極当然の
ことと考えられてきました。
「ことばは低きに流れる」と信じて疑われま
せんでした。こんな言語教育的姿勢を、リングァ・プログラムははっきり
と否定したとみることができます。いまヨーロッパでは、言語は「垂直に
上から下へ流れる」ものではなく、むしろ「相互に水平に交流し合う」も
のであるという新しい考え方が国際的に、しかも公式に認められたという
ことを意味します。これは、実は、人類史の上で見落とすことのできない
画期的な出来事であることを忘れてはなりません。
かつてのあの大英帝国が、現在ではついに義務教育の11歳から16歳まで
の 5 年間、児童・生徒の全員に異言語の学習を必修とするまでになりまし
た。さらに、2002 年、イギリス教育技能省は、国家言語教育改革計画「外
国語の学習:全ての国民が、生涯を通して」
(The National Languages Strategy
for England ‘Languages for All : Languages for Life’)を発表して、遅くとも
2012 年までに、7 歳以上のすべての児童・生徒に少なくとも 1 外国語を学ば
せ、さらにそれを社会人にまで及ぼそうという思い切った政策を打ち出し
ました。
6.
「戦争の世紀」と「戦争修復の世紀」
EU 以外の「英語国」アメリカでも近年は、ほとんど大統領選挙の度ごと
に、異言語教育の強化が大きな問題として取り上げられるようになりまし
た。1999 年に発表された
『21 世紀の外国語学習基準』
(Standards for Foreign
Language Learning in the 21st Century)では、すべてのアメリカ国民が、英
語とさらに 1 言語(
「英語+ 1 言語」
)
、合計 2 言語の能力を身につけること
を、21 世紀のアメリカの言語基準とすることになりました。この二元的言
語文化志向は、日本人の「点の思考」を超えた「線の思考」と呼ぶことが
できます。
さらに、2006 年 1 月 5 日、ブッシュ大統領は「国家安全保障言語構想」
(‘National Security Language Initiative’)を発表しました。9・11 の同時テロ
― 22 ―
は、アメリカが異文化理解の努力を怠ってきたこともその一因であったと
いう反省に立って、この構想は、幼稚園から大学院レベルまで、外国語教
育をさらに強化する必要を訴えたものであります。とりわけ、従来、アメ
リカ国民の関心が薄かったアラビア語、中国語、ペルシャ語、ヒンドウー
語、日本語、朝鮮語、ロシア語、ウルドウー語の 8 言語を、あえて「重要
言語」に指定しています。ブッシュ大統領は、この構想の推進のために、
2006 年度だけで 1 億 1,400 万ドルの予算を計上しています。
かつては自分の言語を植民地に押しつけて、自らは異言語を学ぶことな
ど考えもしなかった欧米の旧宗主国が、いまや国を挙げて外国語教育に力
を入れています。
このように考えて参りますと、20 世紀とはどんな時代であったのかが、
いくらかはっきりとしてきます。われわれは、20 世紀といえば、異口同音
に「戦争の世紀」と呼んで、ほとんど疑うことがありません。しかし、は
たして本当にそうでしょうか。たしかに、20 世紀には 2 つの世界大戦があ
り、ベトナム戦争もありました。しかし、よく考えてみますと、人間同士
が殺しあう戦争は、ギリシア、ローマの昔から、人間の歴史とともに今日
まで、ほとんど絶え間なく続いてきました。かつてヨーロッパには 100 年
戦争もありましたし、中国には数百年にも及ぶ長い動乱の時代もありまし
た。とすれば、20 世紀が 19 世紀までと明確に区別されるのは、はたして単
に戦争があったという事実によるものかどうかは、もう少し慎重な検討が
必要であると思われます。
おそらく、20 世紀を 19 世紀までと区別するものは、けっして戦争そのも
のの存在ではないはずです。むしろ、戦争の反省に立った戦争修復に、かつ
てこれほどまでに人類が国際的に力を尽くそうとした世紀があったでしょ
うか。不戦共同体の建設に、人類がこれほどの熱意を示した世紀があった
でしょうか。そう考えますと、20 世紀は「戦争の世紀」というよりも、む
しろ 19 世紀までとは明確に区別される、そして、それは当然人類の歴史
にかつて例をみない「戦争修復の世紀」であったと考えるべきではないで
― 23 ―
しょうか。異言語・異文化に対して、そんな対照的な姿勢をとる「戦争」
の時代と「戦争修復」の時代。いわばその決定的な分水嶺となったのが、
20 世紀の 70 年代から 80 年代にかけてであったと考えることができます。
ヨーロッパにおける異言語学習は、少なくとも 19 世紀までは弱者、敗
者の側に課せられた条件でありました。しかし 21 世紀のヨーロッパでは、
異言語の学習は、新たな発想や情報の獲得であり、それは逆に自らの立場
を有利に導くための強者、勝者の条件であると考えられるようになりまし
た。このように、異言語学習の価値が、20 世紀を境にして大きく転換して
いるという重要な事実を見落としてはならないでしょう。
以上のように考えて参りますと、わが国の混迷を深める異言語教育のあ
り方を見通すために欠くことのできないのは、われわれがこれまで歩んで
きた道を改めて見直す歴史的な視点と、あわせて、広く世界の動向を正確
に見据えた国際的な視点であることが、はっきりと見えてくるはずです。
・本稿は、2009 年 6 月 6 日、名古屋外国語大学で行われた大学英語教育
学会(JACET)中部支部大会における講演「混迷を深める異言語教育
への提言」を、大幅に書き改めたものである。
〈表〉
日本人の言語・文化意識の変容の指標
攘夷運動:
「夷狄斬るべし」
文久3(1863)
薩英戦争
元治元(1864)
馬関戦争
明治元(1868)頃
5(1872)
英語異常ブーム
6(1873)
英語「国語化」論・日本人種改造論
16(1883)
鹿鳴館落成
― 24 ―
19(1886)
中学外国語時数 6-6-7
22(1889)
帝国憲法公布
26(1893)
国語教育強化論
27-28(1894-5)
35(1902)
37-38(1904-5)
日清戦争
ハーン、東大を追われる
日露戦争
明治 40(1907)頃
大正8(1919)
11(1922)
昭和2(1927)
中学外国語時数 6-7-7
パーマー、文部省英語教授研究所々長に就任
英語教育廃止論
6(1931)
中学外国語時数 5-5-6
15(1940)
陸軍関係学校、入試科目から外国語削除
16-20(1941-5)
18(1943)
太平洋戦争:
「鬼畜米英」
「見敵必殺」
中学外国語時数 4-4-4(選択)
昭和 20(1945)
敗戦
『日米會話手帳』空前のベストセラー
21(1946)
フランス語「国語化」論
22(1947)
義務教育に英語導入(
「1週6時間が理想的な時数であり、
1週4時間以下は効果が極めて減る」
)
25(1950)
英語「国語化」論
33(1958)
中学外国語時数「週最低3時間」
44(1969)
中学外国語時数「週標準3時間」
49(1974)
平泉案(
「わが国では外国語の能力のないことは事実としては
全く不便を来さない」
)
52(1977)
中学外国語時数週3時間
54(1979)
Japan as Number One
60(1985)
プラザ合意
61(1986)
中曾根首相「アメリカ人の知的水準」発言
平成元(1989)
中学外国語時数週3~4時間
平成3(1991)
バブル崩壊・平成大不況
9(1997)
銀行、証券会社、生命保険会社の倒産始まる
12(2000)
英語「第2公用語化」論・加藤学園へ JACET 賞
13(2001)
英語「教育言語化」論・宮沢財務相「国の財政破局近い」発言
15(2003)
文部科学省「英語が使える日本人」の育成のための行動計画
―作成:大谷泰照―
― 25 ―
中国国有企業改革の経路分析
俞 晓 军
キーワード:中国国有企業改革、歴史的経路依存性、初期条件、
制度的補完性、漸進式改革
1.はじめに
2008 年、中国は改革開放 30 周年という節目の年を迎えた。中国は、30
年間の改革開放の路線で、世界第三位の経済大国に躍進し、
「漸進式」改
革の成功例として国内外から高く評価されている。30 年の間、国有企業改
革は一貫して中国経済改革の中心課題として位置付けられてきた。1998年
には、中国政府は国有企業改革を金融改革、行政改革と並べて「3 大改革」
の一環として推進し、2000 年には、国有企業改革と「苦境脱却 3 年目標」
の実現を「政府活動における重点中の重点」とした(1)。長期間にわたって
推進されてきた中国の国有企業改革は、最近になって実を結びはじめてい
る。2008 年の『中国大企業集団競争力年度報告書』によれば、2007 年上位
百社先導的企業集団(百家领先企业集团)に、国有及び国家資本支配企業
集団 91 社が入り、前年度よりさらに 2 社が増えた。その優位性は、ただ量
だけではなく、その質を反映する先導指数(领先指数)でも、国有及び国
家資本支配企業集団には他の企業集団類型より 9 ポイント高く、88.87 点が
付けられている。同『報告書』は、国有及び国家資本支配企業集団の「独
り勝ち」と見ている(2)。また、世界範囲で見ても、2007 年の株式時価総額
― 27 ―
で評価された世界主要企業トップ 10 のうち、株式化された中国の国有企業
と国有銀行は半分の 5 社を占めている。第 1 位の座に中国石油天然ガス、第
4 位に中国移動、第 5 位に中国工商銀行、第 8 位に中国建設銀行、第 10 位に
中国石油化工がそれぞれランクインされている(3)。アメリカ発の金融危機
以降、中国の国有銀行の相対的な地位がさらに上昇し、2009 年 2 月の株式
時価総額で見た世界主要銀行のトップ 10 のうち、中国の国有銀行はそれぞ
れ、第 1 位、第 2 位、第 3 位と第 10 位を占めるようになった(4)。
中国国有企業は 30 年間一体どのような改革「経路」を経て、ここまで成
長できたのだろうか。そして、なぜこのような「経路」を辿ったのだろう
か。本稿では、先行研究の検討を踏まえ、比較制度分析の観点を研究の理
論的なフレームワークとして、この 2 つの問題の解答を求める。
2.先行研究レビュー及び本稿の研究方法
2-1.先行研究レビュー
中国国有企業改革は、中国の改革開放の歴史と同じく、長期間にわたっ
て行われてきたため、数え切れないほど多くの関連論文が発表された。一
方、国有企業改革の「経路」に関する研究は、2000 年になってからようや
く現れ、いまだにわずかな数しか発表されていない。以下、視角の多様性
の観点から 6 つの先行研究を取り上げる。
(1)李平と陳萍(2000)は、全国国有企業改革の一般的な経路と比較し
ながら、遼寧省国有企業改革における経路の特徴を分析している。全国国
有企業改革の経路に関して、両氏は以下のように分析する。改革の初期段
階において、政府は改革のリスクを軽減するために、まず民間部門を先駆
けて発展させ、国有企業改革は企業の所有権問題というコアの部分に触ら
ず、周辺部分のみに対して行われた。国有企業の根幹にかかわる所有権の
改革は、民間部門が大いに力を付けた 1990 年代の後半になってはじめて本
格的に始まった。両氏の論文は、遼寧省の国有企業改革の経路分析に焦点
― 28 ―
を合わせたものなので、全国国有企業改革の経路に関する上述の分析は、
非常に限定的、或いは概要的にしか行われていない。
(2)付永良(2003)は、まず経路依存理論を概観した上で、中国国有
企業改革経路に影響する要因として以下の 3 点を挙げている。①改革前の
企業所有権構造、②公司法などの法律、③人治社会の文化。氏は、それら
の要因が存在するため、国有企業の改革は、長い間、形式的な変化が現れ
たにすぎず、本質的な変革は、まだ引き起こされていないと指摘している。
しかし、氏の論文は、国有企業改革の「経路」そのものは分析の対象とし
てはおらず、国有企業改革の経路に影響する要因の析出に止まっている。
(3)王渝(2003)は、1978 年から 21 世紀初頭までの中国国有企業改革
を、企業自主権拡大の試み、経営請負責任制の導入、現代企業制度への転
換、の 3 段階に分けて考察した上で、中国の経済改革の特徴を「漸進的改
革」と見る。その「漸進的」という意味内容を以下の 4 点にまとめている。
①「私有化」絶対論をとらなかったこと、②農村改革という回り道をした
こと、③国民の生活を向上させ、支持を得たこと、④社会保障制度を急整
備し、社会安定を維持しながら改革を軌道に乗せたこと。しかし残念なが
ら、氏の言う「漸進的改革」の意味内容は、中国経済改革全体に関するも
のなので、国有企業改革の特徴とその意味内容に関しては、十分な検討を
経たものとは言いがたい。
(4)山内清(2004)は、1979~2003 年までの 25 年間の中国国有企業改
革を、7 段階に細かく分けて考察した上で、改革プロセスの特徴を「漸進
的改革」と考える。しかし、なぜ「漸進的」なのかに関しては、氏は、現
在の中国政府が採る国有企業改革政策は、樊綱の部門間所得移転理論(5)に
基づくものであり、他の学者の理論は、
「中国政府の政策として受け入れら
れていない」との解釈に止まっている。そのため、氏の論文では、より客
観的な理由の釈明は十分に示されていない。
(5)欧陽恩銭(2005)は、マルクスの「科学的社会主義」理論や、旧社
会主義諸国の公有制理論を「伝統的な公有制理論」と呼び、市場経済と結
― 29 ―
び付けた公有制理論を「現代公有制理論」と称している。氏は、長い間中
国国有企業改革が悪循環に陥った根本的な原因は、「伝統的な公有制理論」
の強い影響によるものであり、それはすなわち、
「政治的選好」上の経路依
存性の存在である、と主張している。しかし、先行研究(2)と同様、氏
の論文は国有企業改革の「経路」そのものの分析よりも、国有企業改革経
路への「影響要因」の析出に重点が置かれている。
(6)黄華(2005)は、今日まで行政主導のもとで推進されてきた国有企
業改革は、①国有企業の財産権改革、②民間企業と公平に競争できるよう
な環境整備、の 2 つの側面を巡って展開してきたと見ている。しかしなが
ら、行政主導のため、企業自身は改革の主体にはなっておらず、また「民
間企業と公平に競争できるような環境整備」に関しても、国内にのみ視野
が向けられ、WTO 加盟後のグローバルな競争環境を十分に考慮していな
い、と指摘する。そこで氏は、WTO の加盟を機に、WTO のルールに従っ
て国有企業改革の経路を探るべきである、と主張し、次のように提言して
いる。政府レベルにおいては、政府と国有企業の関係、国有企業に対する
政府の管理方式、政府条例の透明性など、WTO のルールに従って改革を推
進する。一方、企業レベルにおいては、国有企業行為の市場化、経営メカ
ニズムの市場化、運営方式の市場化の改革を進める。言うまでもなく、氏
の論文は、今日までの国有企業改革の経路を分析するよりも、これからの
国有企業改革のあるべき経路を探索することに重点が置かれている。
以上の先行研究は、目的や分析の手法が様々であり、中国国有企業改革
の経路分析に複数の視点を提供してくれた。今日の研究者は、これらの蓄
積の上に分析を加えていくことが可能となった。一方、管見によれば、国
有企業改革経路上の特徴とその形成要因の究明に主眼を置く本格的な研究
は、目下のところまだ行われていないと言えよう。
2-2.本稿の研究方法
以上の先行研究を踏まえ、本稿の冒頭に提起した 2 つの問題に答えるた
― 30 ―
めには、まず、より適切な、理論的枠組を明確にすることから研究を始め
たい。
国 有 企 業 改 革 の 本 質 は、 企 業 制 度 の 改 革 に ほ か な ら な い。 青 木 昌
彦(1995)は、計画経済から市場経済に移行する過程にある移行経済
(transitional economies)
に対して、新古典派的な処方箋は必ずしもうまく機
能しないことが明らかになって以降、
「比較制度分析」の観点が、単に異な
る市場経済を比較分析する際に有効であるばかりではなく、移行経済の直
面している諸問題の分析にも普遍的に有効である、と考えている。
「比較制度分析」には、
「歴史的経路依存性」
(historical path dependence)
という考え方がある。すなわち、
「比較制度分析が考える制度には自己拘束
性が存在するために、一度実現した制度は容易には変更されにくい。その
ため現状の制度体系の姿のかなりの部分は、その経済の歴史的条件により
(6)
規定されてしまう。これは典型的な歴史的経路依存性の考え方である」
。
経済制度はこのような「歴史的経路依存性」を有しており、それぞれの国
を取り巻く経済社会環境という「初期条件」の違いによって、複数の進化
的均衡が成立することもありうる。
「比較制度分析」には、
「制度的補完性」
(institutional complementarity)と
いうもう 1 つの考え方がある。すなわち、
「現実の経済に存在する複数の
制度の間には、一方の制度の存在・機能によって他方の制度がより強固な
ものになっているという関係が往々にして見られる。このように 1 つの経
済の中で一方の制度の存在が他方の制度の存在事由となっているような場
合、両者は制度的補完の関係にあると呼ぶ。
」(7)
「……経済全体を多様な制
度が相互に結びついた 1 つの体系として理解する態度こそ、比較制度分析
に要求される最も重要な分析視点である」(8)、という考え方である。
本稿では、以上の比較制度分析の観点を理論的なフレームワークとし
て、以下のように研究を進めたい。下記の 3. では、まず、中国国有企業改
革の「初期条件」を確認する。4. では、中国国有企業改革の歴史的変遷を
振り返ることによって、国有企業改革の「経路上の特徴」を明白にする。
― 31 ―
5. では、改革の「初期条件」と改革の「経路上の特徴」との関連性を検討
することにより、
「歴史的経路依存性」の有無を確認する。6. では、本稿の
結論と本研究から得られたインプリケーションについて述べる。
3.中国国有企業改革の初期条件
ここでの「初期条件」とは、国有企業改革の始点において、国有企業を
取り巻く企業内外の経済社会環境を指す。中国国有企業改革の主な初期条
件としては、以下の 3 点が考えられる。
3-1.初期条件 1:社会主義理念により設立された国有企業
周知の通り、国有企業はかつてその国の社会制度や発展の段階に関わら
ず、世界各国に普遍的に存在していた。各国政府は様々な理由を掲げて国
有企業を設立した。おおざっぱに言えば、それらの理由は、
「理論的な理
由」と「実践的な理由」に分類することができる。理論的な理由としては、
次の 2 点が挙げられる。①西側諸国では、主に市場経済の欠陥を補填する
ために国有企業を設立した。国有企業の進出する主要領域は、外部経済性
を有する商品の生産や、公共サービス部門などである。②社会主義諸国で
は、主にマルクス主義のいわゆる「科学的社会主義」理論に基づき、旧ソ
連の経済制度に倣って国有企業を設立した。国有企業は、社会主義諸国に
おいて国民経済のほぼ全領域に進出していた。一方、国有企業設立の実践
的な理由としては、次のように多種多様なものが挙げられている。①基幹
企業の管理を外国の所有者から奪取して設立されたもの、②独立や革命後
に国が企業を引き継いで設立されたもの、③民間部門の倒産後に国が企業
を引き継いで設立されたもの、④鉱山などの資源開発による収入を確保す
るために設立されたもの、⑤安全保障のために設立されたもの、⑥新産業
の創設のために設立されたもの、などである(9)。
中国の場合は、主にマルクス主義の「科学的社会主義」理論を根拠に(す
― 32 ―
なわち、社会主義経済制度の特徴を、計画経済、公的所有、按労分配と認
識している)
、旧ソ連の社会主義制度を現実のモデルとして、あらゆる領域
に国有企業を設立してきた。設立の形態としては、次の 4 つが挙げられる。
①革命時代の「解放区」
(共産党支配地域)で作り上げた軍事産業、②官僚
資本企業の没収によるもの(10)、③資本主義商工業に対する社会主義改造
(=公有化)によるもの、④国家の直接投資によるもの。中国では、1956
年末の「資本主義商工業に対する社会主義改造の基本完成」にともない、
高度に集中された計画経済体制が徐々に形成されていった。1957 年には、
公有企業(国有企業+集団企業)の工業生産額の比率は 72.8 %(53.8 %
+ 19.0 %)となっており、その社会商品小売総額比率は 78.5 %(37.2 %
+ 41.3 %)に達した。改革開放前の 1978 年には、同比率はそれぞれ 100 %
(77.6 %+ 22.4 %)と 97.9 %(54.6 %+ 43.3 %)にまで上った(11)。
3-2.初期条件 2:
「単位モデル」としての国有企業
改革開放前の中国国有企業の特徴は、しばしば「単位モデル」で表現さ
れている。
「単位」
としての国有企業は、経済活動のほかに、社会保障、社
会福祉、子供の教育、町の治安や衛生など、さまざまな機能を持っている。
食堂、浴場、幼稚園、商店、理髪店、学校、病院、映画館などのサービス
業は、大中型国有企業の中に包摂された。就職=就社は、従業員の生、老、
病、死など、生活のあらゆる側面を企業が全面的に面倒見てくれることを
意味する。従って、企業と従業員の間に一種の特殊な関係が形成されてい
た。すなわち、企業が従業員に対して全面的な責任を持つ反面、従業員の
生活は完全に企業に依存する。従業員が会社を辞めることは、ただ給料の
みならず、住宅、医療施設、教育施設など、あらゆる生活条件の喪失を意
味する(兪暁軍、1997a)
。
路風(1990)は、
「単位モデル」の特徴を以下の 3 点に要約している。①
諸機能の合一性。いかなる単位も、政治的・社会的および自己の専門的な
分業といった多くの機能を同時に有している。②生産要素主体間の非契約
― 33 ―
関係。政府と企業の間、企業と個人の間に、無限の責任関係、統制と依存
の関係が成り立っていた。③資源の非流動性。企業と国家との財産に対す
る関係は、一種の行政関係であり、企業自体が独立した財産権を有してい
るのではなかった。中央政府各産業省による「タテワリ構造」と地方政府
による各地域の「ヨコワリ構造」のもとでは、資産を流動させることがで
きなかった。
かつて、単位たる国有企業は、自社従業員の子女や地元市民の絶好な就
職先として政府に期待され、協力するように求められてきた。国有企業が
抱えていた余剰人員の規模は想像しがたいほど膨大なもので、しかも改革
開放以降の長い間、その規模はさらに膨れ上がる傾向があった(表 1)。
表 1 国有工業企業の余剰人員推移
年
従業員数
(万人)
余剰人員数
(万人)
余剰人員の
比率(%)
1980
3,334
966
29
1985
3,815
1,282
34
1990
4,365
2,124
49
1995
4,397
2,159
49
出典:赵建国『国有企业过剩就业分析』经济科学出版社 2002 年 pp.134-135。
3-3.初期条件 3:
「非効率総合症」を抱えている国有企業
国有企業の効率の悪さは、世界中の国々によく見られる現象である。中
国の国有企業は、国の経済成長や財政収入、労働者の生活保護及び就職協
力などに対して、大いに貢献してきたとは言え、一方、国から得られた多
大な資源と比べれば、国有企業による生産物の質と量は決して望ましい水
準に達したとは言えない。中国では、国有企業の非効率問題を「非効率総
合症」とまで称している研究者がいる。
「非効率総合症」は、①資源配置
の非効率、②組織の非効率、③変化への適応の非効率、の 3 点を指してい
る(胡汝银、1994)
。その病因については、次の 4 点が指摘されている。①
国有企業は「ソフト予算制限」によって保護されているため、経営努力に
― 34 ―
対するインセンティブの普遍的不足、モラル・リスクが広範囲に存在する。
②国有企業には経済、社会、政治など多種多様な目標が求められているゆ
え、コスト意識が低い。③国有企業は行政部門の下部組織に位置されてい
るため、いわゆる「政企不分」の弊害が生じ、経営者や従業員に十分なイ
ンセンティブを提供できない。④長すぎる「委託―代理」の連鎖により、
代理人に対する各層の委託人による監視・監査の効率低下を招いたのみな
らず、各層の代理人も十分な刺激を感じない(张维迎、1995)。
改革開放前は、国家の経済計画を遂行するために、政府は企業の生産活
動に必要なあらゆる経営資源と条件を提供するばかりでなく、各種の保護
も提供してきた。そのため、企業の効率や業績上の優劣を分別することも
できなかったし、競争心を引き出すこともできなかった。しかし、改革開
放以降、特に市場経済への移行に連れて、国有企業は、効率意識の強い外
資系企業や民間企業との熾烈な競争に強いられつつある。図1によれば、改
革開放以降国有工業企業の非効率性による業績の悪化は、一時的な改善が
見られたものの、長期的にはあまり進展が見られておらず、逆に事態がよ
り深刻になりつつあると言っても過言ではない。
図 1 国有工業企業の業績悪化状況
800
欠
損 600
金
額 400
40 赤
字
30
企
20 業
比
10 率
欠損金額
赤字企業比率
億 200
元
0
%
19
78
19
79
19
80
19
81
19
82
19
83
19
84
19
85
19
86
19
87
19
88
19
89
19
90
19
91
19
92
19
93
19
94
19
95
19
96
0
出典:郑海航『国有企业亏损研究』经济管理出版社 1998 年 p.33 により作成。
― 35 ―
4.中国国有企業改革の歴史的変遷
1978 年に改革開放政策に転換して以降、中国政府は一貫して国有企業改
革を中国経済改革の最重要課題の一つとして位置付けてきた。この30年間
の国有企業改革は、中心的課題や目標によって、以下の 4 段階に区分する
ことができる。
4-1.経営自主権の拡大と請負制の実施(1979~1992)
この段階では、
「市場経済」をまだ明言していないものの、伝統的な計画
経済に市場要素を加味しているので、
「計画的な商品経済」と称されてい
る。
「双軌制」
はこの段階の経済システムの二元的な性質をよく表現してい
る言葉である。この段階の国有企業改革は、さらに以下の 2 つの時期に細
分できる(兪暁軍、1997b)
。
(1)経営自主権拡大時期(1979~1984)
。この時期の国有企業改革の目
標は、
「拡権譲利」を通じて国有企業に活力を与えることである。ここでの
「拡権譲利」
とは、企業の自主的経営権限を拡大し、一部の利潤を政府から
企業に譲ることを言う。中国政府は、このような「拡権譲利」を実施する
ことによって、企業の権限、責任、利益の 3 点をセットにすることができ
ると考えている。国務院は、1979 年に「国営工業企業経営自主権の拡大に
関する若干の規定」
、
「国営企業利潤留成を施行することに関する規定」、財
政部は、1983 年に「国営企業利改税に関する試行方法」、1984 年に「国営企
業第二歩利改税に関する試行方法」を公布した。それらの条例を実施する
ことによって、国有企業は、商品の生産、販売、価格、原材料の購入、資
金の運用、労働賃金などに関する決定権を持つようになった。また、保留
される利潤は、企業の生産活動に投入できるのみならず、従業員の福祉や
ボーナスにも使うことができる。以上の改革を通じて、国有企業の自主経
営意識を形成させ、経営努力と企業自身の利益が無関係であった状況が、
ある程度改善できたと言えよう。
― 36 ―
(2)
請負経営制時期
(1984~1992)
。この時期より、農村部の経営請負制
の成功経験を都市部の国有企業改革に導入し始めた。上述の経営自主権を
拡大する政策がとられたものの、政府が国有企業の所有者であるため、企
業は依然として多くの行政部門からの干渉を受けなければならなかった。
したがって、この時期の国有企業改革の中心的な内容は、
「行政と企業の職
務・責任の分離、所有と経営の分離」を目的とする請負経営制の実行に転
換したことである。国務院は、1986 年に「全民所有制工業企業工場長(=
社長)工作条例」
、
「企業改革を深化し、活力を高めることに関する若干の
規定」、1988 年に「全民所有制工業企業請負経営責任制暫定条例」を公布
した。その後、中国人民代表大会は「中華人民共和国全民所有制工業企業
法」を公布し、政府と国有企業の関係や、国有企業の権利と責務を法律の
形で明確にした。それらの条例と法律によって、国有企業は次第に独立経
営実体として認められ、社長は企業の経営に対する責任がより明確になっ
たのと同時に、自主経営権も大幅に拡大された。請負経営制のもとで、政
府は国有企業の権利と責務を明確にさせ、企業の経営目標の達成度に応じ
て経済的な賞罰を行った。また、この時期から株式会社や企業集団など、
市場経済諸国においてよく見られる企業形態も、試験的に導入されるよう
になった。
請負経営制は、企業に経営努力のインセンティブを与え、企業の経営活
動に対する政府部門の干渉をある程度排除することができたと言えよう。
一方、国有企業の財産権の問題には触らなかったため、企業の投資や、資
産の処分、収益の配分、人事任免などに関わる重要な意思決定は、依然と
して、政府の管理部門の指示を仰がなければならなかった。また、請負経
営制のもとでは、利益に対しては、企業が「責任」を負うことができるも
のの、損失に対しては、結局企業の替わりに政府がその「責任」を負うこ
とになりかねないという問題点が露呈された。
― 37 ―
4-2.現代企業制度確立への試み(1993~1997)
1992 年初の鄧小平の「南巡談話」が発表されて以降、中国の経済改革の
方向は「社会主義市場経済」と明言されるようになった。1993 年共産党第
14 期 3 中全会で採択された「社会主義市場経済体制の確立に関する若干の
問題の決定」
(江泽民、1995)の中では、国有企業改革の方向性について、
現代企業制度の確立は、社会化大生産の発展と市場経済の必然的要求であ
り、わが国国有企業改革の方向を示すものである、と述べている。その後、
中国の国有企業改革は、
「現代企業制度の確立」に向かって展開し始めた
(兪暁軍、1997b)
。
1994 年、当時の国家経済貿易委員会と国家経済体制改革委員会共同主催
の「現代企業制度テスト工作会議」が開かれ、
「一部の国有大中型企業を選
定し、現代企業制度テストを行う案」
(以下「テスト案」と呼ぶ)をまとめ
た。このテスト案では、中央政府が自ら管轄している国有企業 100 社、国
有企業集団 56 社、国家資本支配株式会社 3 社、各省、直轄市、自治区など
の地方政府が、それぞれ管轄している国有企業から 2,000 社をテスト企業
として選定することを決定した。
テスト案の実施内容は、企業内部制度の立て直しと企業外部制度環境の
整備の両方を含む。企業内部制度の立て直しに関しては、
「四つの言葉」
、
「三法」
、
「両条例」に従って遂行される。
「四つの言葉」とは、前述した「社
会主義市場経済体制の確立に関する若干の問題の決定」に明記された現代
企業制度の基本特徴をあらわす「財産権を明瞭にすること、権限と責任を
明確にすること、行政と企業を分離すること、科学的管理を行うこと」を
指す。
「三法」とは、
「全民所有制工業企業法」
(1988)、「公司法」(1993)、
「労働法」
(1994)を指す。
「両条例」とは、
「全民所有制工業企業経営メカ
ニズム転換条例」
(1992)
、
「国有企業財産監督管理条例」(1994)を指す。
中国政府は当初、1997 年までに「テスト案」の実施を終え、その後「テ
スト案」の実施から得られた経験と教訓を踏まえ、「現代企業制度の確立」
に向けて、改革を全国に広げようと計画していた。しかし残念ながら、20
― 38 ―
年近く改革を積み重ねてきたにもかかわらず、1990 年代の後半から、国有
企業の多くは深刻な経営不振に陥り、政府の改革目標は、急転換を強いら
れることとなった。
4-3.苦境脱却 3 年目標(1998~2000)
1990 年代の後半に入ると、外部の競争環境が一変し、国有企業業績の急
速な悪化が続いた。1996 年の上半期、国有企業の 43.3 %が赤字(12)、1997
年には国有企業と政府過半出資の大中型工業企業の39.1%が赤字に陥った
ことが報告されている(13)。国有企業の業績悪化は、力を付けた民間企業
や、有力外資系企業の参入によるところが大きい。1998 年、多くの産業の
付加価値に占める外資部門の比率はすでに 20 %~40 %となっており、一部
の産業においては、同比率は 40 %を超えている
(表 2)。さらに、1997 年の
アジア金融危機を重ねて、国有企業を取り巻く外部環境の厳しさが一層ま
した。
表 2 1998 年各産業の付加価値に占める外資部門の比率 (%)
教育・スポーツ用品
革・
羽毛製品
電子通信
オフィス用品
アパレル・
繊維
化学繊維
家具
プラスチック
61.3
53.5
58.6
49.4
49.0
42.3
40.6
40.4
出典:陈朝阳、林玉妹『中国现代企业制度』中国发展出版社 2002 年 p.16。
このような厳しい現実の中で、中国政府は、国有企業改革の目標を、長
期的なものから、当面の業績改善に直結する短期的なものに切り替えた。
1998 年に就任した朱鎔基総理が、全人代で「3 年前後の時間をかけて、改
革、改組、改造と管理強化を通して、大多数の国有大中型赤字企業を苦境
から脱却させ」ることを目指す(14)、いわゆる「苦境脱却 3 年目標」を提
起し、それを政府の急務として 2000 年までに国有企業の大幅な業績改善を
図った。その後、国有企業における生産能力、人員、債務の「3 つの過剰」
を解消するために、国有企業各社は、大規模な破産、合併、人員削減(下
崗=一時帰休者)を余儀なくされた。
― 39 ―
人員削減に関しては、1998 年に、冶金工業省は 2000 年までの 3 年間に、
鉄鋼生産に従事する人員を当時の 130 万人から 80 万人に削減すると発表
し(15)、紡績総会も同期間中に 1,000 万の紡錘を減らすとともに、120 万人
の「一時帰休者」(16)を生み出さざるをえないと相次いで発表した(17)。表
3 によれば、国有部門の従業員数は、ピーク時の 1995 年の 10,960 万人から、
2003 年の 6,620 万人にまで減少した。その反面、登録ベースでの都市部失
業者数は年々増加傾向にあり、2003 年には 1993 年の約 2 倍、800 万人にま
で膨らんだ。
表 3 国有部門従業員数と都市部失業者数の推移 単位:10 万人
年
1993
1994
1995
1996
1997
1998
1999
2000
2001
2002
2003
国有部門従業員数
1092
1080
1096
1095
1077
881
834
788
741
692
662
42
48
52
55
57
57
58
60
68
77
80
都市部失業者数
出典:
『中国统计年鉴 1998』p.127、『中国统计年鉴 2002』p.117、『中国统计年鉴 2005』p.117、中国统计出版社。
注:①国有部門従業員数には、「契約工」は含まれていない。②都市部失業者数は、登録ベースの数である。
債務負担の軽減に関しては、債務の株式転換という新たな試みも実施し
始めた。2000 年まで、580 社の大中型企業に対して債務の株式転換を行っ
たが、その金額は 4,050 億元にのぼった。債務を株式に転換した企業の負
債比率は、70 %から 50 %以下に下がり、それによって軽減された利息負担
だけでも年間 200 億元に達した(18)。
社会的負担の軽減に関しては、従来大中型国有企業に附属していた小中
学校や病院などの社会機能を、地方政府に移管する措置を採った。
また、所有制度面の改革を目指す中小型国有企業の民営化、大型国有企
業の株式化と企業集団化などの進展も見せている。1999年における国家統
計局の追跡調査によると、対象国有企業 2,473 社のうち、81.5 %の 2,016
社が会社法に基づく会社制に改組した。2000 年国家重点国有企業 514 社の
うち、83.7 %の 430 社が会社制改革を行い、うち 282 社が投資主体の多元
化を実現した(19)。
大幅な業績改善を図った結果、
「苦境脱却 3 年目標」の最後の年である
― 40 ―
2000 年には、6,599 社の赤字企業のうち 72.7 %が赤字解消され、苦境脱却
対象企業は国有企業全体の 10.7 %にまで大幅に縮小した。また、14 の重点
業種の中では、12 業種が黒字を拡大し、石炭や軍事産業の純赤字も減少し
た。中国政府は、
「苦境脱却 3 年目標」を基本的に実現したと見ている(20)。
4-4.マクロレベルのグローバル戦略(2000~)
2000 年以降、国有企業を取り巻く環境には新たな変化が見られるように
なった。主に以下の3点である。①独占業種を除いて、ほとんどの分野に民
営企業が参入し、今日まで参入障壁に守られてきた国有企業の独占的な地
位はもはやなくなった。② WTO 加盟に象徴されるような対外開放のいっ
そうの進展により、国有企業は激烈な競争にさらされ、多くの企業は競争
優位性を失い、市場からの退出を迫られるようになった。③政府の役割が
公平で秩序のある市場環境の整備に移ったことから、国有企業はかつての
ように政府の補助・救済を期待することができなくなった(21)。
このような新しい環境の中で、中国政府は国有企業改革の中心的な課題
を、ミクロレベルでの個々の企業の収益性向上から、マクロレベルでのグ
ローバル戦略に転換しはじめた。共産党第 15 期 4 中全会で採択された「国
有企業改革と発展の若干の問題に関する中共中央の決定」
(1999)(22)や、
国務院の「国有資本と国有企業調整に関する指導意見」(2006)(23)には、
国有企業改革の新たな戦略構想が次のように明記されている。①軍事、電
力、石油化学、電気通信、石炭、航空輸送、港湾運輸の 7 業種は、中央国
有企業による絶対的な支配が求められ、外資や民間資本の参入が制限され
る。②国家の安全にかかわる業種、重要なインフラ、鉱山資源、公共財・
サービスを提供する業種、および基幹産業、ハイテク産業における重要企
業に国有資産を重点的に投入する。③業績改善の見込めない国有企業に対
しては、
「政策的破産」で対処する(2008 年まで)。④中央国有企業の数を
80~100 社に縮小する(2010 年まで)
。要するに、中国政府は、民間企業を
広範囲に発展させるとともに、国有企業に対しては、一般的な競争分野や
― 41 ―
中小企業からは手を引く一方で、国家の安全と国民経済に関わる重要な産
業においては、依然として国有企業に主導的な地位を確保させておこうと
しているのである。このような「選択と集中」
(有所为、有所不为)戦略を
実施することにより、2006 年の時点で中央政府が管轄する国有企業資産の
80 %以上が、軍事、エネルギー、交通、重大設備製造、重要鉱産物、資源
開発などの分野に集中し(24)、2000 年から 2007 年までの 8 年間、全従業員
に占める国有部門従業員の比率は70%から54%にまで大幅に縮小した(25)。
また、同期間中、工業部門における国有企業と国家資本支配株式会社の数
は、5.3 万社から 2.07 万社にまで大幅に減少した反面、総生産額は 4 万億
元から 3 倍の 12 万億元にまで急増した(26)。
『2007 中国工業発展報告』(27)は、第 10 次五カ年計画期間中(2001~2005)
の工業部門における国有企業及び国家支配株式会社の効率性について、業
績改善の理由としては、石油、天然ガスなどの独占・準独占産業に国有企
業が集中したことと、政府からの巨額の資金投入によるところが大きいと
指摘する。一方、全体としては国有企業を次のように高く評価している。
①国有企業が全体として実力を上げたため、国民経済に占める資産の比率
は年々下がっているものの、その主導的な役割は低下していない。②国民
経済に対する国有企業及び国家支配株式会社の貢献度は低下しているもの
の、その労働生産性は上がっている。③工業部門の国有企業及び国家支配
株式会社の経営業績が改善され、営利能力が上昇した。
5.中国国有企業改革の経路依存性
旧ソ連や東欧諸国で実施されたビッグバン型(急進式)の改革とは対照
的な中国経済改革の「漸進式」特徴は、すでに多くの研究者によって指摘
されている。4. で見てきたように、中国国有企業の改革も経済全体の改革
と同様に、
「漸進式」のアプローチをとっていることが分かった。この「漸
進式」
は、時間と空間の 2 つの軸に見られる。時間から見れば、30 年間を 4
― 42 ―
つの段階に分けて一歩、一歩改革を進めてきた。空間から見れば、新しい
改革案を実施する際に、まず少数のテスト企業を選定して試験的に行い、
その経験を得てから次第に全国に広げようと計画していた。そして、中国
国有企業改革の展開には、さらにもう 1 つの特徴が見られたことを、筆者
は主張したい。すなわち、
「民営化」は国有企業改革の唯一の方向展開では
なく、
「多種多様な形態」を取り入れている、という特徴である。以下、改
革の「初期条件」と改革「経路」上におけるこの 2 つの特徴との間に、一
体どのような関連性があるかについて検討する。
5-1.
「社会主義理念」と改革の「多種多様な形態」
1980 年代、多くの先進国や途上国において、経営不振と改革に対する
失望という理由により、国有企業の「民営化」ブームが起こった(Sunita
Kikeri, John Nellis, Mary Shirley, 1994)
。また、1990 年代になってからは、旧
ソ連や東欧諸国においても同様に、
「民営化」は国有企業改革の唯一の方
向展開になった(西村可明、1995)
。それに対して、中国の国有企業改革
では、「民営化」のほかに、国家独資企業、国家資本支配株式会社、国家
資本参加株式会社、請負経営、合併、政策的破産、大企業の集団化、中小
企業のリース経営や売却など、多種多様な形態を取り入れていた。このよ
うな特徴は、「初期条件 1」と関連していると考えられる。3-1. で述べたよ
うに、当初国有企業設立理由に関しては、西側諸国では主に市場メカニズ
ムの欠陥を補うことを理由にしているに対して、中国の場合は主に社会主
義理念によるところがその大きな理由となっている。また、改革開放以降
の社会経済制度に関しては、旧ソ連や東欧諸国では、「資本主義市場経済」
に移行するのに対して、中国の場合は 1992 年までは「計画的な商品経済」、
1992 年以降は「社会主義市場経済」に移行しようとしている。
中国政府は、民間企業の更なる発展を認める一方、公的部分の主導的な
役割を依然として維持することこそ、
「社会主義市場経済」の特徴であると
認識し、国有企業を市場競争の中で絶えず発展・成長させ、あくまでもそ
― 43 ―
れに国民経済における主導的な地位を確保させ続けようと考えている。故
に、中国国有企業改革は「民営化」のほかにも、公的所有形態や半公的所
有形態などを含む、多種多様な形態を呈しているのである。
「初期条件 1」
は、
「計画的な商品経済」時期であろうと、
「社会主義市場経済」時期であ
ろうと、ミクロレベルの企業業績改善時期であろうと、マクロレベルのグ
ローバル戦略時期であろうと関係なく、一貫して国有企業改革経路の形成
に重大な影響を与えていることが明白である。
5-2.
「単位モデル」と改革の「漸進式」
「比較制度分析」の観点によれば、多様な制度によって構成されている
経済体には「制度的補完性」の性質が存在する。
「制度的補完性が存在す
ると、ある制度要素を他の要素から独立に変更しようとしても、その有効
性は限られてくる」(28)。そのため、新たな社会経済システムを創出する
には、複数の制度改革間の整合性に充分注意しながら進めなければならな
い。
「社会主義市場経済」は、1 つの「制度体系」であり、
「現代企業制度」
はその「制度体系」の枠組の中に置かれ、関連諸制度を互いに補完しなが
ら構築していく必要性がある。具体的に言えば、国有企業が従来の経済活
動、社会保障、社会福祉、子供の教育、地域社会の治安、町の衛生など、
多種多様な機能を内包する「単位モデル」から脱却し、経済活動を中心と
する「企業モデル」に変貌することは、市場の育成、政府役割の転換、法
律や財政・金融制度の整備、年金や医療、失業を含む社会保障など、多く
の制度改革と関連している。それらの領域は互いに依存しながら、また相
互に制約しあう。もし各関連制度の改革・整備の進捗状況を充分に考慮に
入れず、一方的に国有企業改革を「独進」すれば、必ずしもよい結果が得
られないだろう。
5-3.
「非効率総合症」と改革の「漸進式」
国有企業改革による破産企業の不良債権処理、削減された大量の余剰人
― 44 ―
員の生活保障や再就職支援、学校や病院、年金などの企業内福祉の外部化
……、難題が山積し、どの問題の解決にも巨額の資金が必要とされる。し
かし、「非効率総合症」を抱えている国有企業自身は、赤字の拡大が続き
(図 1 参照)、改革のコストを負担する余裕がない。一方、政府の財政状況
も決して好ましくない。
「文革」
による国民経済の長期停滞は言うまでもな
く、改革開放初期段階における財政に対する非国有部門の貢献度は、まだ
極めて低い。したがって、
「非効率総合症」を抱えている国有企業の債務と
赤字の拡大は、直接政府の財政を圧迫している。前述の「テスト案」を実
施する時期を例にして見れば、1994 年度の財政赤字は 575 億元、国債や国
外借款などを計上した実質赤字は 1,750 億元に上る。1995 年度の財政赤字
は 582 億元、実質赤字は 2,131 億元に上り、過去最高となった(29)。このよ
うな極めて厳しい財政状況のもとで進められてきた国有企業改革は、徐々
に成長しつつある民間企業や外資系企業などの非国有部門による「所得増
分」を、国有企業改革のコストに補填するような、財政負担の比較的低い
「漸進式」の道を選んだのである。
6.おわりに
最後に、ごく簡略的ではあるが、本稿の結論とインプリケーションにつ
いて述べる。本稿の結論は以下の 3 点に要約することができる。
第 1 に、中国国有企業改革の主要な「初期条件」として、次の 3 つが確認
できた。①社会主義理念により設立された国有企業、②「単位モデル」と
しての国有企業、③「非効率総合症」を抱えている国有企業。
第 2 に、中国国有企業改革の歴史的変遷を振り返ることによって、国有
企業改革「経路」上の特徴として、次の 2 点が確認できた。①従来指摘さ
れてきた中国経済改革の「漸進式」特徴は、国有企業改革の「経路」にお
いても、時間と空間の 2 つの軸に見られた。②国有企業改革の「多種多様
な形態」の特徴についても明らかにした。
― 45 ―
第 3 に、中国国有企業改革の 3 つの「初期条件」と改革の「経路上の特
徴」との間に、次の関連性を解明した。初期条件 1 は、改革の「多種多様
な形態」に、初期条件 2 と 3 は、改革の「漸進式」に、それぞれ影響を及ぼ
している。よって、中国国有企業改革における「歴史的経路依存性」が存
在していることが分かった。
次に、本研究から得られたインプリケーションについても 2 点挙げてお
きたい。
第 1 に、歴史的初期条件は、その後の改革「経路」のすべてを決定づける
ほどのものではないものの、その持続的な影響力は決して無視できない。
いかなる改革を実行するにおいても、この点について十分に認識する必要
がある。
第 2 に、
「制度的補完性」は比較制度分析の極めて重要な観点ではある
が、しかし、それは必ずしも、初めに複数の制度を同時に改革する「ビッ
グバン式」
が、唯一無二の選択肢であることを意味しているわけではない。
「移行経済」
における国有企業の改革は、全世界範囲で見ても、見習うべき
成功の実例はまだなく、制度改革のもたらす効果の不確実性は極めて大き
い。そのため、もし初めに関連する複数の制度を同時に改革すれば、社会
的リスクが非常に高い。それに対して、
「漸進式」のアプローチは、PDCA
のサイクルに沿って、ステップ・アップすることで、各段階の改革効果を
確認しながら、制度間の補完作業を微調整することが可能となる。よって、
「漸進式」
の改革は、社会的リスクをより小さくするメリットを享受できる
と言えよう。
<注>
(1)
『
中国年鑑』創土社 2001、p.135。
(2)
『
2008 中国大企业集团竞争力年度报告』中国统计出版社 2008、p.21。また、先
導指数の範囲は、0~100 としている。先導指数の詳細は、同書 pp.55-58 を参
考されたい。
― 46 ―
(3)
『
中国年鑑』創土社 2008、p.155。
(4)
『
人民日报海外版』2009.2.9。
(5)樊綱の部門間所得移転理論は、次のように要約することができる。
「中国の
漸進的改革の特徴は、旧体制に対する改革が多くの障害によって実施が困難
な状況の下、旧体制の周辺で新体制あるいは新しい経済主体(市場価格や非
国有経済など)を育成、発展させ、新体制の成長と変化、体制を取り巻く環
境の改善を通じて旧体制を徐々に改善して行く点にある。
」樊綱著、関志雄
訳『中国未完の経済改革』岩波書店 2003、p.20。
(6)青木昌彦・奥野正寛(1996)『経済システムの比較制度分析』東京大学出版
社、p.35。
(7)同前掲(6)。
(8)同前掲(6)p.36。
(9)世界銀行『世界開発報告』1983、p.48。
(10)
中
国では、解放前の旧国有企業、および旧国家による部分的に投資を行われ
た企業を官僚資本企業と呼ぶ。
(11)
凌
星光(1996)『中国の経済改革と将来像』日本評論社 p.89。
(12)邹东涛等(2008)『中国改革开放 30 年』社会科学文献出版社 p.350。
(13)
同
前掲(1)。
(14)
同
前掲(1)。
(15)
『中国通信』1998.2.26。
(16)
「一時帰休者」は、企業との契約関係を維持しながら、生活費の受領や職業
訓練、再就職の斡旋を受けることができる。しかし、3 年間を経ても再就職
ができなければ、雇用関係が解除され、失業者となる。
(17)
『中国通信』1998.3.24。
(18)
邵
宁等(2002)『中国企业脱贫报告』经济管理出版社 pp.23-24。
(19)
同
前掲(1)p.136。
(20)
同
前掲(1)pp.135-136。
(21)
『中国年鑑』創土社
2004、p.132。
(22)
『中国年鑑』創土社
2000、pp.135-136。
(23)
『中国年鑑』創土社
2007、p.135、2008、p.156。
(24)
『中国企业管理年鉴』企业管理出版社
2007、p.144。
(25)
『中国统计年鉴』中国统计出版社
2008、p.121。
(26)
同
前掲(25)p.502。
― 47 ―
(27)
中
国社会科学院工业经济研究所『2007 中国工业发展报告』经济管理出版社
2007、pp.364-365。
(28)青木昌彦(1995)『経済システムの進化と多元性』東洋経済新報社、p.91。
(29)
『中国年鑑』創土社
1997、p.151。
<参考文献>
青木昌彦(1995)『経済システムの進化と多元性』東洋経済新報社。
青木昌彦・奥野正寛(1996)『経済システムの比較制度分析』東京大学出版社。
陈朝阳・林玉妹(2002)『中国现代企业制度』中国发展出版社。
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胡汝银(1994)『低效率经济学』上海人民出版社。
黄华(2005)「探索符合 WTO 规则的国企改革路径」『南方经济』No.01、pp36-38。
江泽民(1995)『坚定信心、明确任务、积极推进国有企业改革』人民出版社。
路風著、高久保豊訳(1990)「中国における『単位(Danwei)』―社会的組織の
一特殊形態」『慶応商学論集』第 1 期 pp.1-11。
刘彩云(2005)「关于国企改革路径选择的几点思考」『湖南有色金属』第 21 卷第 5
期 pp.62-64。
李平・陈萍(2000)「辽宁国企改革的路径分析」『战略与管理』5 月号 pp.101-105。
西村可明(1995)『社会主義から資本主義へ』日本評論社。
欧阳恩钱(2005)「现代公有制与国企改革的路径选择」『石家庄经济学院学报』
Vol.28 No.3、pp.289-292。
Sunita Kikeri, John Nellis, Mary Shirley (1994) “PRIVATIZATION: LESSONS FROM
MARKET ECONOMIES.” The World Bank Research Observer, vol.9, no.2, pp.241272。
王渝(2003)「中国国有企業改革の研究―漸進的改革の意義―」関東学院大学院
編『経済学研究科紀要』第 26 号 pp.57-87。
山内 清(2004)「樊綱の漸進的改革理論と中国国有企業改革」
『鶴岡工業高等専
門学校研究紀要』12 月号 pp.27-46。
张维迎(1995)「公有制经济中的委托人―代理人关系:理论分析和政策含义」『经
济研究』第 4 期 pp.10-20。
兪暁軍(1997a)「中国国有企業改革の新展開」『人間科学論究』第 5 号 pp.147-153。
兪暁軍(1997b)「『単位モデル』からの決別」『アジア経営研究』第 3 号 pp.50-60。
― 48 ―
The Impact of Teaching ASL to Japanese
Hearing Students and Their Attitude Change
toward Deaf People
Toshikazu KIKUCHI
A curriculum is more than a plan of learning, more than a pedagogical
theory; it is a philosophical commitment to a language and its people.
Robert M. Ingram, 1982
What is our commitment?
Introduction
In May 2007, the United Nations General Assembly, recognizing that
languages are essential to the identity of groups and individuals and to their
peaceful coexistence, proclaimed 2008 the International Year of Languages.
In a message of celebration of the occasion, Mr. Koichiro Matsuura, directorgeneral of UNESCO, said that languages constitute a strategic factor for
progress toward sustainable development and contribute to a harmonious
relationship between the global and the local context.
In reflection of the concept of the International Year of Languages, light
was also shed on sign languages for deaf people. The State of Georgia in the
U.S. identified the status of American Sign Language (ASL) in June 2007
as a language appropriate for a college preparatory diploma, consequently,
Georgia joined 45 other states in accepting ASL for inclusion in foreign/
modern language programs.1 In Japan, Her Imperial Highness Princess
― 49 ―
Akishinonomiya Kiko, sister-in-law of the Crown Prince, gave a speech
at the opening ceremony of the 26th National High School Signed Speech
Contest held in Tokyo in August 2009 in Japanese Sign Language, calling
for better understanding of deaf people and their language.
Just two years before the International Year of Languages, a committee
was organized under the Nakanishi Educational Foundation to set up a
new department launching in April 2008 at Nagoya University of Foreign
Studies (NUFS). The primary purpose of the new department was to develop
students to become English language teachers in Japanese junior and senior
high schools and the department was later named the Department of English
Language Teaching (DELT).
In response to my proposal of integrating ASL into the university curriculum, the Nakanishi Educational Foundation and the set-up committee
members accepted both plans for a NUFS ASL program and an intensive
summer program at Boston University in the U.S. for the new department. This overseas program was developed in cooperation with the Boston
University Center for English and Orientation Programs (CELOP) and the
Boston University School of Education. The program is unique in that an
ASL course is integrated into a regular English language course, which is
a first among the departments of English language teaching at Japanese
universities (Kikuchi, 2009).
Soon after the ASL course started at NUFS in 2008, our students became interested in linguistic differences between spoken English and ASL.
Furthermore, my colleagues as well as students learned that a simple sign
like “Thank you” could make a deaf person happy and smile and they
began to greet each other in sign on campus. In the practicum course
held at Boston University in 2008, our hearing students developed rapport
with an American deaf teacher and learned that a teacher could change his
― 50 ―
students with passionate teaching. A deaf teacher, hired at NUFS in 2009
for the first time since its foundation in 1988, also inspired us to see him
as a teacher, not a deaf person. It was exactly this empowerment of our
hearing students that lay at the heart of the implementation of ASL into
a hearing curriculum.
Besides our department, the ASL program became open to other departments in 2009 and was expanded to a group of potential flight attendants
consequently, 120 NUFS students are currently learning ASL. In the first
two chapters in this article, focus will be put on how our hearing students
have changed their attitude toward deaf people since they were exposed to
ASL. Several issues on ASL curriculum development for Japanese hearing students will be discussed in the third and fourth chapters. The word
hearing is used in this article as opposed to deaf, i.e. hearing students are
students who have normal physical conditions without medical problems
with their ears.
1. The Case of the 2008 DELT Students
1.1 Flow of the 2008 ASL program
The school year in Japan begins in April and ends the following March.
NUFS follows a two-semester system with a spring and a fall semester. In
the academic year of 2008, 47 freshmen entered our department. Of the
47, 45 students registered for ASL 1 (Introductory) and were divided into
two groups consisting of 22 and 23 respectively. Figure 1 shows the flow
of the 2008 ASL program for the students.
― 51 ―
Figure 1: Flow of ASL program for 2008 DELT students
45 DELT freshmen
Class
A
(22
freshmen)
Class B (23 freshmen)
2008 Spring semester ASL 1 (Introductory) ASL 1 (Introductory)
2008 Summer
Boston University Intensive Summer ASL Course
2008 Fall semester
ASL 2 (Intermediate) ASL 2 (Intermediate)
2009 Spring semester
ASL 3 (Advanced) ASL 3 (Advanced)
1.2 Outline for the 2008 ASL program
Mr. Danny Gong’s ASL 1 and ASL 2 were conducted based on the following schedule below.2 Grades were based on students’ weekly homework,
class work, quizzes and a final examination. Handouts were distributed in
class in place of a textbook. Mr. Emilio Insolera was the instructor for
ASL 3 beginning in 2009.3
ASL 1: Mr. Danny Gong
W1. Course Guidance, American Sign Language Alphabet and Greetings.
W2. Unit 1: Greetings
W3. Unit 2: Colors and Color sentences
W4. Unit 3: Farewells
W5. Unit 4: Review and Quiz
W6. Unit 5: Family and Family sentences
W7. Unit 6: People and People sentences
W8. Unit 7: Numbers and Number sentences
W9. Unit 8: Personal Pronouns
W10. Unit 9: Review and Midterm
W11. Unit 10: Days of the week and sentences
W12. Unit 11: Months and Temperature sentences
W13. Unit 12: Who, what, where, when, why and how
W14. Unit 13: Sentences and review
W15. Unit 14: Final Examination
― 52 ―
ASL 2: Mr. Danny Gong
W1. Guidance on Course Registration. Students will use American Sign Language
to introduce themselves. Also they will talk about their hobbies, likes and
dislikes and goals.
W2. Unit 1: Review of Basic ASL Vocabulary and Sentences.
W3. Unit 2: Office and Department sentences
W4. Unit 3: Professional workers and sentences
W5. Unit 4: Body Parts and sentences
W6. Unit 5: Review and Quiz
W7. Unit 6: Home and sentences
W8. Unit 7: Vehicles and sentences
W9. Unit 8: Animals and sentences
W10. Unit 9: Food and sentences
W11. Unit 10: Review and Midterm
W12. Unit 11: ASL videos and sentences
W13. Unit 12: ASL videos and sentences
W14. Unit 13: ASL videos and sentences
W15. Unit 14: Final Examination
ASL 3: Mr. Emilio Insolera
Outline: This course aims to develop students’ fundamental ASL’s daily communication skills. In addition to developing communication skills, we will bring
up topics related to Deaf Culture and Deaf Studies. Students will learn to make
group discussions via American Sign Language. The development of ASL communication skills from topics that range from daily life to Deaf culture and Deaf
studies will help them prepare for better social and professional integration in
the heart of the Sign Language community.
Schedule:
1. Guidance on Course Registration (class 1)
2. Topic 1 (class 2-3)
It focuses on the review of the previous ASL course. Its purpose is to help
them remember some signs and clean up minor phonological & morphological
errors. It focuses also on the introduction of some fundamental signs not
clearly introduced in the previous class (pronominal pronouns, possessive
pronouns, daily verbs).
3. Topic 2 (class 4-5)
It focuses on encouraging students to be able to identify similarities between
signs and explain their difference via American Sign Language. It focuses also
on the introduction of basic ASL compounds, ASL adverbs & prepositions.
Students are also encouraged to make proper ASL sentences regarding their
daily life.
4. Topic 3 (class 6-7)
Introduction of elementary topics related to Deaf culture. Open questions and
group discussions. New daily Signs (from nouns to verbs).
― 53 ―
5. Topic 4 (class 8-9)
Expansion of elementary discussions related to Deaf in the media and Visual
Access. Global comparisons (Japan & USA). Students are encouraged to
develop ASL communication skills using correct sentences and appropriate
verbs, nouns, compounds, pronouns, adverbs and prepositions.
6. Topic 5 (class 10-11)
Review of new Signs learned from class 2 to 9.
7. Topic 6 (class 12-13)
Final examination
Assessment: 1. Attendance and participation (20%) 2. Writing assignments (50%)
3. Writing test (30%)
Textbook: (Instead of text books we provid ASL videos)
http://www.youtube.com/watch?v=Claf_2B2lJc
http://www.youtube.com/watch?v=VjweU2jCKfw
2008 Boston University Intensive Summer ASL Course: Mr. Bruce
Bucci
This course introduces students to American Sign Language (ASL) and deaf
culture, focusing on frequently used signs, basic rules of grammar, non-manual
aspects of ASL, introductory finger spelling, and some cultural features of the
Deaf community. Students concentrate on the development of basic expressive
and receptive skills in ASL. Students completing this course demonstrate the
following abilities: 1) Ability to use ASL in conversations with proper parameters
and distinguish linguistic concepts. 2) Awareness of cultural behaviors and issues
important to the Deaf community.
1.3 ASL 3 teacher Mr. Emilio Insolera’s comments
Several questions were asked to the ASL 3 teacher Mr. Emilio Insolera
regarding his students’ achievement after the course was completed in July
2009. Here are his comments.
Q1: Do you think your students had a good enough knowledge of ASL
to follow your signing? If no, what do you think the students should
have learned in the introductory and intermediate courses?
Some students were able to follow my signing only if expressed slowly and clearly.
Some other students weren’t. It was somehow difficult for me as a professor to
manage both groups with different ASL competency. Based on my observations,
― 54 ―
I believe they were a bit overwhelmed with several new signs introduced in the
introductory class. Since I started my first lessons, I realized that the students could
not understand basic signs like “Can”, “Cannot”, “Know”, “Don’t know”, “Study”,
basic pronouns (difference between personal pronouns and possessive pronouns),
and adverbs “A lot”, “Very” etc. I believe the professor from the introductory
class is excellent. It is just that the students are not really prepared to absorb lot
of signs at once. They actually need to undergo more practical exercises over the
same signs and to have more space with ASL expression.
Q2: What do you think was the most difficult items for the students
to learn in your advanced ASL class?
My class is exclusively visual. There is “no-sound” in the class since I never speak
with voice. I just use ASL and lot of writing on the blackboard. I recognize some
students’ effort in “listening” just with the eyes with no audio stimulation.
Q3: Did you notice any change in students’ attitude toward you as
class proceeded?
Yes, lot of them were starting to work harder and take it seriously, because ASL
was actually the only medium of communication between us. It is not like I am
“playing” to be the Deaf character - I am the real one, so, there are no moments
when they can give up and start speaking with me. They end up working harder
with their ASL expression and in the meantime I see their ASL skill improving.
Q4: What do you think is the significance of teaching ASL to Japanese
hearing students?
I believe it will benefit students for several reasons - what I have in mind right
now are the following:
1 - Learning ASL will help them have a broader perspective about the concept of
the language itself.
2 - ASL is now an universal language as well as it is English speaking.
3 - Career opportunities. One example: interpreting. How many hearing native
Japanese speakers can translate directly from ASL to Japanese speaking?
1.4 Results of a questionnaire for 2008 DELT freshmen
A questionnaire was given in Japanese to 35 DELT students who completed ASL3 in July 2009 to find out what impact the ASL program had
on the students. These students were the first students who completed our
department ASL program from ASL 1 to ASL 3. Nineteen out of the 35
DELT students were participants in the 2008 Boston University intensive
― 55 ―
summer ASL course.
Q1: Was the NUFS ASL program the first time for you to communicate
with a native ASL signer?
Yes 35 (100.0%)
No 0 (0.0%)
Q2: What image did you have of ASL and deaf people before taking
the ASL program at NUFS?
 ASL is a simplified version of English.  ASL is easier to learn than English.
 Half a year is enough to learn ASL perfectly.
 Deaf people all over the world use the same sign language.
 ASL is a language translated directly from spoken English.
 ASL is most related to England.
 Every English word must be signed in ASL.
 Even students with lower level of English can learn ASL easily.
 Learning ASL needs less energy for students than learning spoken English.
 Deaf people cannot write or read.
 Deaf people use only their hands to communicate with other people.
 There is no deaf teacher at the university level in Japan.
 Deaf people cannot use a telephone.
 Deaf parents cannot teach their hearing children.
 Deaf people have their own groups.
 Deaf children have deaf parents.
 Deaf people are disabled.
 It is hard for deaf people to find a job.
 There are few schools in Japan for deaf students.
 Deaf students stay at home all day without attending school.
 Captions on films were developed for hearing people, not for deaf people.
Q3: Do you feel you have come to develop a positive attitude toward
deaf people as the ASL program at NUFS proceeded?
Yes 29 (82.9%)
No 2 (5.7%)
Hard to decide 4 (11.4%)
Q4: Do you feel you have changed your image of ASL and deaf people
after taking the ASL program at NUFS?
Yes 30 (85.7%)
No 2 (5.7%)
Hard to decide 3 (8.6%)
Q5: Did you compare the difference between spoken English and
ASL?
Yes 28 (80.0%)
― 56 ―
No 7 (20.0%)
Q6: Do you think it is meaningful for Japanese hearing students to
learn ASL?
Yes 34 (97.1%)
No 1 (2.9%)
Q7: Did you come to have an interest in Japanese Sign Language?
Yes 29 (82.9%)
No 6 (17.1%)
Q8: Do you want to teach ASL to Japanese deaf students learning
English?
Yes 32 (91.4%)
No 3 (8.6%)
Q9: Do you think it is beneficial to NUFS students if NUFS ASL teachers are full-time teachers?
Yes 25 (71.4%)
No 2 (5.7%)
Hard to decide 8 (22.9%)
Q10: Did you use ASL outside of class?
Yes 23 (65.7%)
No 12 (34.3%)
Q11: What was beneficial to you in learning ASL?
 I became interested in deaf education in Japan.
 I developed a positive attitude toward deaf people.
 I learned a new means of communication.
 I learned the real meaning of communication in talking with Mr. Insolera in
ASL.
 I learned hearing people could understand deaf people.
 I became confident in communicating with deaf people.
 Mr. Insolera’s encouragement motivated me to study other subjects.
 I learned Mr. Insolera knew lots of things that I didn’t know.
 I learned deaf people could teach hearing people.
 I noticed how little I really knew about deaf world.
 Mr. Insolera’s video about his younger days touched me.
 Mr. Insolera’s way of thinking as a deaf person moved my heart.
 I learned English words through ASL.
 My long held prejudice against deaf people has disappeared.
 I learned communication could be made without sound.
 I learned being a deaf is not a bad thing.
 Hearing people should stop seeing deaf people as disabled.
 Whether or not deafness is a disability differs from country to country.
 It was amazing to know hands could convey such a huge amount of information.
 I didn’t know that ASL is a language.
― 57 ―
 I came to pay attention to the differences of languages: Japanese, Japanese
Sign Language, spoken English, and American Sign Language.
 It is fun to learn a new language.
 I got a glimpse of deaf culture and became interested in their social lives.
 It was good to learn the difference between JSL and ASL.
 Learning ASL made my eyes open to another new world.
 In communication it is important to have a strong desire to talk with one’s
partner. Mr. Insolera made me have a strong desire to talk with him, which
was unusual in other English classes.
 Knowing I could talk with deaf people in sign made me confident.
 There is much redundancy in spoken English.
 Learning ASL expanded my horizon seeing things with multi-cultural views.
 I came to see spoken English from a different viewpoint.
 I want to choose ASL as one of the topics for my graduation thesis.
 An encounter with a deaf teacher could change a student’s life.
 I learned any minority group had its own culture and pride.
 I came to use more facial expressions and gestures in speaking English.
 Encountering three ASL teachers, Mr. Gong, Mr. Insolera, and Mr. Bucci
enriched my life.
 I acquired one more means of communication in addition to Japanese and
English.
 Learning ASL made my English study fun.
 Each sign language has its own cultural difference.
 In some English classes, learning English means memorizing as many English
words as possible. Language practices in these classes are “dead”. In ASL
classes, on the contrary, we could make a difference in real life by using ASL
words and expressions.
 It may be hearing people’s arrogance toward deaf people that we are sorry
for them.
1.5 Discussion
It should be noted that students in our department living in this modern
age still had the same prejudice toward ASL as Helmer Myklebust, an expert
on deaf education in the middle of 1950s had. Myklebust (1957) thought
that the manual language used by deaf people lacked precision, subtlety,
and flexibility in comparison with spoken languages and concluded that
manual sign language must be viewed as inferior to verbal language.
Another surprising result revealed by the questionnaire was that a very
negative picture had been portrayed of deaf people among our department
― 58 ―
students. Our students had created a psychological border in their minds
without clear evidence; that is, they tended to see the world around them
only from two limited viewpoints, “good or bad”, “hearing or deaf”, and
“able or disable”. Hoffmeister (2008) claims that the creation of a border is
to create demarcations, designations, separations, or examples of differences
and that these border issues create the greatest conflict.
After taking the ASL program, 29 out of 35 students (82.9% of the total
number of students) considered themselves to have developed a positive
attitude toward deaf people. Furthermore, 30 out of 35 students (85.7% of
the total number of students) changed their image of ASL and deaf people.
It can be presumed that the ASL program had a tremendous positive impact
on the hearing students by the fact that 97.1% of the students who completed
the ASL program admitted the significance of learning ASL.
Without the ASL program, a glimpse of deaf people and their language
would not have been caught by our students and they would graduate
from the university with a negative attitude and prejudice toward deaf
people, leaving what Hoffmeister calls the greatest conflict unsolved. What
is important is that our students are would-be teachers. The significance
of integrating ASL into a hearing students’ curriculum lies right here in
empowering hearing students, especially would-be teachers, to pursue new
lines of thinking and new perspectives for people who might be viewed
as different.
What is more, 91.4% of the students came to pay attention to deaf
education in Japan and 82.9% of them became interested in Japanese Sign
Language. Without being exposed to ASL, this result could not have been
expected of the students. What I stressed at the set-up committee meetings
for the new department was teaching only spoken English was not sufficient
enough to develop good English language teachers. In Japan almost all of
― 59 ―
the hearing English language teachers spend their time teaching English
only to hearing students. Hearing Japanese English language teachers, in
my opinion, should share the pleasure and enjoyment of learning English
with deaf students in the same way hearing teachers do with their hearing
students. In this regard, the NUFS ASL program was successful in that
potential teachers’ attention was also turned to Japanese Sign Language
and deaf education in Japan. It is highly expected that Japanese hearing
ASL students wishing to become English language teachers in Japan will
contribute to English teaching in both hearing and deaf schools with their
multi-cultural views when they become teachers.
Careful analysis of Questions 3 and 4 provides that participants in the
2008 Boston program tend to consider themselves to have changed a lot.
Two encounters with deaf teachers during the ASL program, namely, Professor Bucci and Mr. Emilio, must have influenced the students’ way of
thinking. It turned out from the analysis of Q11 that these students also
tend to think of deaf people and their culture more deeply and profoundly
than those who did not participate in the Boston program.
In order to obtain more precise data, it is suggested that the questionnaire
should have adopted a five-point Likert scaling method, including such
items as Strongly disagree, Disagree, Neither disagree nor agree, Agree,
and Strongly agree, instead of the Yes or No choices.
In addition, it will be more effective to prepare two experimental groups
(a group of students who study only at NUFS and a group of students
who study at both NUFS and Boston University) and one control group (a
group of students who do not have any chance to learn ASL).
― 60 ―
2. The Case of the 2009 DELT Students
2.1 Flow of the 2009 ASL program
In the academic year of 2009, 43 freshmen entered our department.
Similar to the 2008 DELT freshmen, they showed a strong interest in ASL
although the course was one of many elective courses for them. Of the
43, 39 students registered for ASL 1 (Introductory) and were divided into
two groups consisting of 19 and 20 respectively.
Figure 2 indicates the flow of the ASL program for 2009 freshmen
registered for ASL 1. At the time of writing, 39 freshmen completed ASL
1 and 16 of them participated in the 2009 Boston University intensive
summer ASL course (Two students from other departments also participated,
thus, there were 18 participants in this summer course).
Figure 2: Flow of ASL program for 2009 freshmen
39 DELT freshmen
Class
A
(19
freshmen)
Class B (20 freshmen)
2009 Spring semester ASL 1 (Introductory) ASL 1 (Introductory)
2009 Summer
Boston University Intensive Summer ASL Course
2009 Fall semester
ASL 2 (Intermediate) ASL 2 (Intermediate)
2010 Spring semester
ASL 3 (Advanced) ASL 3 (Advanced)
2.2 Outline for ASL 1
The syllabus for ASL 1 in the academic year of 2009 was the same
as ASL 1 in the previous year except assessment and textbooks. Assess― 61 ―
ment was described clearly by the instructor and reference was made to
recommended books in reflection of the 2008 Boston University intensive
summer ASL course.
Assessment: Attendance and use of class time: 20% Homework assignments:
20% Group work: 20% Quiz: 20% Final: 20%
Textbook: Recommended Books and DVD (Purchase on the internet):
1. Signing Naturally Student Workbook: Level 1, Expanded Edition
2. The Complete Idiot’s Guide to Conversational Sign Language
Recommended ASL DVD (Purchase in class):
DeafJapan Basic ASL DVD (1~5)
2.3 The 2009 Boston University intensive summer ASL course
The 2nd intensive summer program was held at Boston University from
July 27 through August 14 in 2009. Based on the fact that the average
point to express participants’ satisfaction with the program was 4.8 out of
5.0, it can be concluded that the program ended with a great success as
the previous program held in 2008.
Professor Bruce Bucci from Boston University was the teacher of the
ASL course, the same as last year. None of the participants had ever
experienced communicating with a deaf native ASL signer. The class was
based on the textbook, Signing Naturally Level 1, published by Dawn Sign
Press. Professor Bucci always encouraged the students to communicate as
naturally as possible while extending our range of ASL vocabulary through
pair-work activities. He often took the students outside the classroom, for
example, to a convenience store, a bank, a fast food restaurant, a cafeteria,
a bookstore, Fenway Park, a subway station, a library, etc., while teaching signs related to objects we saw around us in real-life situations. He
showed us deaf people are, first and foremost, people who live ordinary
― 62 ―
lives and have a need to communicate in a variety of situations. He greeted
everyone he met on the street, from students and tourists to police officers
and construction workers. What was impressive was they all greeted him
back with a smile, although few knew ASL.
One day Professor Bucci invited his mother to his morning class which
was held at the lobby of the Boston University School of Education. Seeing
him sign what he was like when he was a boy and how he was raised by
his deaf parents, Professor Bucci’s mother signed to me with tears in her
eyes, “I’m proud of my son, and I’m also proud of you all. Thank you
for coming to Boston all the way from Japan to learn ASL. I’m sure your
students will become good teachers.” This was Professor Bucci’s first time
in his life to invite his mother to his class.
One of the most impressive classes during the program was a presentation
at Harvard University. The students made a presentation in English about
some historic places such as Massachusetts Hall, the Statue of John Harvard,
the Science Center, Memorial Hall, Memorial Church, and Widener Library.
As for ASL, the students made a presentation about themselves making
use of sign vocabulary learned during the course. The students observed
the sign presentation sitting on the steps leading to Widener Library’s main
entrance. Adding to tourists from all over the world, Harvard faculty and
staff curiously stopped by to see what was going on. Under this circumstance, the students kept signing one after another. As the coordinator of
the Boston program, I was really proud of the students.
At the completion ceremony, Professor Bucci stressed that hearing people
and deaf people were equal. Furthermore, he did not forget to turn our
attention to Japanese Sign Language and Japanese deaf people. Professor Bucci signed to us with respect as a closing remark, “You learned
ASL in Boston and made friends with deaf Americans at the pizza party,
― 63 ―
but when you go back to Japan, please make friends with Japanese deaf
people and learn their language so that you can help them. That is your
important job.”
2.4 Results of questionnaire
The following questions were asked in Japanese to the participants in
Professor Bucci’s ASL course on the last day of the course.
Q1: Did NUFS ASL 1 help you to communicate with Professor Bucci?
Yes 18 (100.0%)
No 0 (0.0%)
Q2: Did the Boston University intensive summer ASL course encourage
you to study ASL more in the fall semester at NUFS?
Yes 18 (100.0%)
No 0 (0.0%)
Q3: Do you feel you have developed a positive attitude toward deaf
people after taking the Boston University intensive summer ASL
course?
Yes 16 (88.9%)
No 1 (5.6%)
Hard to decide 1 (5.6%)
Q4: What was the most important lesson you learned from Professor
Bucci?
 People are equal. Hearing people should not look down on deaf people.
 Deaf people can do anything hearing people can do.
 People should respect each other even if they are in a minority group.
 Hearing people can communicate with deaf people as long as hearing people
have a desire to communicate with deaf people.
 ASL had a power than I had expected.
 Sign interpreter’s work is amazingly professional.
 Family is the most important unit in the world.
Q5: Do you feel you came to have an interest in Japanese Sign Language after taking the Boston University intensive summer ASL
course?
Yes 14 (77.8%)
No 2 (11.1%)
― 64 ―
Hard to decide 2 (11.1%)
2.5 Discussion
It can be summed up at this point that the 2009 Boston University intensive
summer ASL course was successful in that 88.9% of the participants came
to develop a positive attitude toward deaf people and that 77.8% of them
came to pay attention to Japanese Sign Language. It is worthy to note that
our students became able to construct two realities and have them running
in parallel with an open and inquiring mind toward deaf people.
Since the students who participated in Professor Bucci’s ASL course
were strongly motivated to learn ASL more, they will become leaders in
the NUFS ASL courses that follow and will encourage other students who
did not participate in Professor Bucci’s ASL course.
3. ASL Curriculum Development
In order to create a “Nagoya Model” of an ASL program for Japanese
hearing students, our current ASL program needs to be reassessed and
revised for better curriculum development. Due to space limitation, issues
in this chapter will be covered more deeply in a future paper.
3.1 Requisite courses for an ASL program
Ingram (1982), then President of American Sign Language Associates,
stating that the most fundamental goal of any ASL program should be the
development of communicative competence in ASL, suggests the following
courses at the bachelor’s level. These courses comprise the core of the ASL
curriculum and are prerequisite to more advanced elective courses.
1. ASL 101, 102 2. ASL 202, 202 3. ASL 211, 212 4. ASL 301, 302 5. ASL 321 6. ASL 331 Beginning ASL Intermediate ASL Fingerspelling Lab Advanced ASL Sign Language Structure
Deaf Culture ― 65 ―
3-4 sem. hrs.
3-4 sem. hrs.
1-2 sem. hrs.
3-4 sem. hrs.
3 sem. hrs.
3 sem. hrs.
each
each
each
each
A full program in ASL studies, according to Wilcox and Wilcox (1997),
should include courses on the linguistics of ASL, Deaf history, language
contact theories, ASL literature, fingerspelling theory and prediction strategies, and sociolinguistic and psycholinguistic aspects of ASL and deafness, in
addition to American Deaf culture and ASL second language instruction.
In light of these suggestions for requisite courses for an ASL program,
we should reassess whether or not the three ASL courses (ASL 1, 2, and
3) in our department are enough. Since our department is not offering
ASL interpreter-training programs in Japan, the ASL program we provide
does not necessarily meet the ASL standards for native signers. Even so,
we should aim to attain the goal of having our students reach an ASL
proficiency level which they can satisfy routine social demands and limited
work requirements. It should also be pointed out that each of the three ASL
courses our department is offering must have guidelines and benchmarks
for monitoring students’ ASL skills.
3.2 Course for language acquisition
Some students in our ASL program showed a keen interest in the difference in language and literacy acquisition of hearing and deaf babies, which
seems quite natural to would-be language teachers, but can be considered as
the most neglected area in departments responsible for developing language
teachers in Japan. It is suggested that a course for language acquisition
should be included in our ASL program.
We know that interactions between parents and their children during the
first three years of life build a critically important foundation in language
and literacy acquisition of children. In this respect, Bailes et al. (2009)
provide a promising result based on their longitudinal experiment that
deaf children who have had immediate access to ASL from birth reach
― 66 ―
developmental goals similar to those of hearing children. Morford and
Mayberry (2000) also indicate that deaf children who were exposed to
ASL earlier consistently outperformed deaf children who were exposed
to ASL at later ages, and they claim that development of research in the
field is necessary to lead us to a more adequate understanding of why early
exposure is particularly critical to language acquisition by sight.
3.3 Considerations for teaching ASL 1
In terms of curriculum development for an ASL program, an introductory
course (ASL 1) can be seen as the most important course because learners
must get accustomed to a situation where they must use their eyes to listen.
There are some important issues to be considered for ASL 1 teachers. One
of them is the use of Pidgin Sign English (PSE). Many hearing people who
start to learn a sign language actually use ASL signs in English word order.
Those who utter English words matched to every sign are using PSE. For
many hearing people, PSE is a convenient middle-ground between ASL and
English since ASL’s complicated grammar is ignored in favor of English
structure (Zinza, 2006). Figure 3 describes the situation of three types of
means of communication.
Figure 3
|----------------------------------|-------------------------------------|
ASL
Pidgin Sign English
English
According to Liddell (1982), using PSE as a tool or prerequisite for learning ASL should not be included in any Beginning ASL course. Alexander
(1982) also warns that when students begin to produce in ASL, they must
avoid mental sign searching for English words. Swanwick (2001) sees
― 67 ―
the use of PSE by hearing people as reflection of the limitations of their
signing abilities. There may be some benefits for hearing sign beginners to
use PSE, but consideration should be taken to the use of PSE as a stepping
stone toward mastery of ASL.
Next, for an ASL 1 teacher, it is important to know where his/her students
look while comprehending what the teacher is signing. Emmorey et al.
(2008), using an eye-tracking equipment, investigated where deaf native
signers and hearing beginning signers look while comprehending lectures
in ASL presented by a fluent signer. Results showed that hearing beginning
signers fixated on or near the signer’s mouth, whereas deaf native signers
tended to fixate on or near the eyes. It was also found that hearing beginning signers shifted gaze away from the signer’s face more frequently than
deaf native signers. As Emmorey and her colleagues predicted, hearing
beginning signers shifted fixation toward the hands when comprehending
complex linguistic structures that were conveyed by the signer, just as
readers fixate longer and backtrack over regions of difficult text.
Thirdly, regarding feedback from a teacher, Fourie (2000) studied how
efficiently a normal hearing adult could learn sign language vocabulary
from different media and found the subject learned it most efficiently from
a teacher followed by video, CD-ROM, and then book. Based on his experiment, Fourie concluded that providing feedback from a teacher with
a clear three-dimensional, close-up view of signs is crucial particularly in
the first stage of learning sign language vocabulary. This is an example
showing that no good material can replace a human teacher.
Lastly, focus should be put on simultaneous communication (SimCom).
SimCom is the attempt to produce each word in an utterance in both
spoken and sign. It is important to note that the signing performed while
speaking English is not American Sign Language. Tevenal and Villanueva
― 68 ―
(2009) studied the effects of SimCom on the message received by deaf,
hard of hearing, and hearing students. When information is being spoken
and signed at the same time, we tend to believe that SimCom is expressing
equivalent messages both vocally and manually. The result shows, however,
that 29 out of 38 deaf participants overestimated what they believed they
understood when receiving a message via SimCom, as did 6 of the 8 hard
of hearing participants and 16 of the 19 hearing participants. An ASL 1
teacher should be careful not to overuse SimCom.
3.4 Use of technology
According to Davila (2004), it took 38 years for radio to achieve 50
million users whereas it took the World Wide Web only 4 years to reach 50
million surfers. Looking to the future, we can predict that utilizing emerging
technologies is a challenge for 21st century educators, policy makers, and
governments to create better teaching and learning environments. In this
regard, the possibility of online TV communication through the Internet
between hearing and deaf students should be implemented into our ASL
program to expand the horizons of our students in Japan in the same
way as other foreign languages. Wilson and Wells (2009) also indicate,
based on their experiment to evaluate the efficacy of video conferencing
technology, that technology is regarded as an efficacious and cost-effective
option in delivering lectures to the deaf population. In terms of e-learning,
Reitsma (2008) provides a promising result on the efficacy of computerbased instruction of reading and spelling for deaf children.
Hellstrom (2006) introduces a European project called WISDOM, which
is pursing the possibility of wireless sign language communication for
deaf people through mobile terminals. What is provided by the WISDOM
mobile terminal is (1) real-time conversation in sign language, lipreading,
― 69 ―
writing, and speech, and (2) video relay service, forming a convenient
link between sign language users and voice telephone users by translating
between sign language and spoken language. It will be a big step toward
equal opportunities for communication between hearing and deaf people.
4. Future perspectives
In order to create a better ASL curriculum for Japanese hearing students,
a few proposals can be made.
4.1 Qualification for ASL teachers
As requirements for ASL teachers, Gibson (2006) suggests that they
should know (1) ASL linguistic structures, (2) metaphors and similes used
in ASL, (3) ASL number systems, (4) ASL literature, (5) ASL assessment,
(6) ASL curriculum and its framework, (7) first- and second-language acquisition and development, (8) ASL as a second/third language, (9) ASL
name signs, (10) first- and second-language teaching and methodologies,
and (11) Deaf ASL culture.
Regarding the evaluation of language teachers in the U.S., reference is
made by Jacobowitz (2007) that there are three organizations providing
national standards for ASL teachers: the National Association of the Deaf:
Education Section (NAD:ES), American Sign Language Teachers Association (ASLTA), and the Virginia Department of Education (VDE).
Since there is no national organization in Japan for the accreditation
of ASL teachers, there is an urgent need to establish training centers for
ASL teachers for Japanese hearing students and set standards for qualified
ASL teachers.
― 70 ―
4.2 Inclusion for deaf students
Regarding inclusion for deaf people in Japan, Osugi, executive director
of the head office of the Japanese Federation of the Deaf, argues that deaf
children who are included in an education system with hearing children have
no means of communication (Osugi, 2006). He stresses that the concept
of inclusion is still too immature in Japan, therefore, Japanese society is
not ready for it yet. Marschark et al. (2007) warn hearing educators that
we should not continue to send deaf students into settings in which they
are uncomfortable by virtue of helping deaf students to assimilate into
hearing society. Foster et al. (2003) state that educational inclusion for
deaf persons in the U.S. has historically been, and is currently, the source
of great controversy.
Admitting the trend against inclusion for deaf, I suggest to the university
administration to consider inclusion for deaf students. My current workplace,
Nagoya University of Foreign Studies, is one of seven universities of foreign
studies among 765 universities in Japan. At the time of writing, there is
no deaf student in the total population of 2,500 students in the university.
I wonder where deaf students wishing to become English language teachers study in Japan? Who protects their right to study foreign languages?
Japanese society may still be immature in terms of inclusion, but it may be
possible to change with the use of advanced technology and the help of sign
interpreters. In Japan, real-time captioning for deaf students at mainstream
schools is being piloted by a consortium made up of Tsukuba Institute of
Technology, Softbank Mobile, Gunma University, the University of Tokyo
and the non-profit organization Nagano Summarize Center. Deaf students in
classes use the “Mobile Type Remote Captioning System” to access their
teachers’ words by reading their mobile phone’s screen in real-time as a
substitute for note-takers sitting with students.4 It is also worth working
― 71 ―
on the task of inclusion in my workplace, where the first ASL program in
Japan was introduced for would-be teachers.
4.3 ASL textbooks for hearing students
Mr. Gong, one of the two ASL teachers at NUFS, recommended a series
of ASL textbook to our department students who registered for his ASL
1 in 2008. However, as the textbooks cost 8,600 yen (US$ 95) for Level
1, 9,600 yen (US$ 105) for Level 2, and 12,000 yen (US$ 132) for Level
3, the department did not have our students purchase the textbooks. As
textbooks and materials for Japanese ASL learners are quite scarce, there
is an urgent need to publish ASL textbooks with appropriate syllabi and
reasonable prices for Japanese ASL learners.
4.4 Employment of full-time ASL teachers
It is highly appreciated that NUFS hired a deaf ASL teacher for ASL
3 in the academic year of 2009 for the first time since its foundation.
As shown in the result of the questionnaire (see page 57), 25 out of 35
students who completed ASL 3 in 2009 strongly agreed that it would be
beneficial for them to have a full-time ASL teacher in the university. As the
two ASL teachers were part-time teachers, the students had an opportunity
to meet them only once a week on Friday. In response to students’ needs
for more frequent contact with an ASL teacher, the ASL teacher should be
a full-time teacher so that ASL becomes an integral part of the students’
language development.
4.5 Status of the ASL program
At the time of writing, Asia’s first-ever Deaflympics is being held in
Taiwan welcoming 5,000 athletes from 98 countries and territories. In
― 72 ―
preparation for the Deaflympics, Taipei Municipal University of Education
has held 92 sign language classes since 2008 and more than 1,200 student
volunteers enrolled with no knowledge of sign language. Furthermore, the
sign language learning craze has also spread to elementary school children,
and consequently people in Taiwan are actively learning sign language in
the hope of creating a barrier-free communication environment.
According to the Japanese Ministry of Education, Culture, Sports, Science
and Technology (MEXT)5, 161,300 applicants took an examination for
becoming teachers in Japanese public schools in 2007. Of these applicants,
24,850 (15.4%) passed the final examination and got jobs in elementary
schools, junior and senior high schools, and special schools in 2008. Although no data is provided with regard to the number of people who got a
job as an English language teacher, I have a suggestion to language policy
makers in Japan that a sign language course be implemented into any
department curriculum in Japan in charge of developing English language
teachers. In addition, an intensive ASL course should be prepared for every
new English language teacher in Japan as in-service teacher training to be
taken within three years after he/she starts to work. Of course, each course
in our department’s ASL program should be required rather than elective. In
the case of ASL 3 for the 2008 students, six students who were supposed
to go on to ASL 3 after completion of ASL 1 and ASL 2 were forced to
give up taking ASL 3 because another influential elective course intruded
into our department curriculum. It is regrettable that these students lost a
precious chance for empowerment which might have brought to them had
they taken the course as a required course.
Notes
1.http://www.councilnet.org/conf/general.htm
― 73 ―
2.Mr. Danny Gong, director of DeafJapan, is a hearing Chinese American who was born
and raised in New York City by his Deaf parents. ASL and English are his native
languages. He attended the Interpreter Training Projects La Guardia Community
College and received his Certificate in American Sign Language Interpretation in
2004.
3.Mr. Emilio Insolera is a deaf person, born in Buenos Aires, Argentina. After graduating from Gallaudet University in 2003, he went on to the University of Rome
and obtained a master’s degree in mass communication. He has an amazing talent
for languages: English, Italian, Spanish, Latin, ASL, Italian Sign Language, and
Argentine Sign Language. He is currently directing a movie titled Sign Gene.
4.The news appeared in an article in the September 9 Yomiuri Shimbun.
5.Available from http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/senkou/1217797.htm
Acknowledgements
I am deeply grateful to Mr. Danny Gong, Mr. Emilio Insolera, and Mr. Bruce
Bucci for their great contribution to our ASL program. Without their cooperation, the
NUFS ASL program would not have been so successful. I am particularly indebted
to Dr. Robert J. Hoffmeister of the Boston University Deaf Studies Program who
generously offered a number of resources that provided me considerable expertise
to add to my work. Without his invaluable encouragement and advice on my work,
my long awaited dream of establishing an ASL program in Japan would not have
come true.
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― 76 ―
ハズとカネルのモダリティ的用法について
伊 藤 達 也
この論文では、はじめに日本語のハズ(例「彼は来るハズだ」「彼が断る
ハズがない」
)とカネル(例「承諾しカネル」
「大変な事になりカネナイ」)
という二つの語彙単位のモダリティ的用法を記述する。次に「発話理論」
から発展した「構築主義意味論」
(Franckel & Paillard 2007)および Dufaye
(2009)
らによる英語のモダリティ研究を参考にしながら、何故このような
用法が可能かを考える。最後にモダリティのカテゴリー的特徴として「分
岐」の図式形式が召還されることを指摘し、この「分岐」の上に、ハズの
持つ「接近」およびカネルの持つ「両立」の図式形式が上書きされること
で意味が構築されることを示す。
1.ハズとカネルの記述
1.1.ハズ
まずハズという語彙単位の辞書による記述を『大辞林』の引用から見て
みる。
はず:①弓の両端の弦をかけるところ。弓筈。②弓弦からはずれないよう
に矢の末端につけるもの。矢筈。③相撲で、押し相撲の手の型の一。親指
を人差し指から離して広げ、相手の脇の下か腹にあてること。②に形が似
― 77 ―
ているから言う。「―に押す」④(矢の筈は、弓の弦と当然合致すると
いうことから)連体修飾語を受けて、形式名詞的に用いられる。ア.当然
そうなることの意を表す。
「これで電気がつく―だ」「この地図を見れば分
かる―だ」イ.これからの事柄についてその予定を表す。
「五時には終わ
る―だ」ウ.事柄についての確信、確認の意を表す。「君に頼んだ―だ」
―が合わぬ。予想や見込みがはずれる。
「人の妻となって―ず/浮・禁
短気」
―を合わす。①調子を合わせる。
「―する人のかしこさ/犬子集」②約
束を果たす。
[日葡]
現代日本語においてハズは、頻度の点では「に違いない」の意味を持つ
認識的モダリティのマーカーとしての使用(引用の分類では④)が多いが、
この記述から、語源的には弓矢の部分の名称であることが分かる。百科事
典の記述を見るとハズと呼ばれる部分は弓と矢の両方に存在しており、よ
り正確には弓筈(ゆみはず)は末筈(うらはず)と本筈(もとはず)に分か
れ、末筈は弓の上部の端、本筈は弓の下部の端の名称である。矢筈は矢羽
の後方に取り付けられた水牛の角やプラスティックでできた部分で英語で
は nock と呼ばれ、矢本体とは筈巻でつながれている。ちなみに英語の nock
は動詞としても使われ、意味は「矢を弓にかける」である。
③については、相撲の型の一つとして、ハズの名詞的な意味に込められ
た「引っ掛けること」からの連想で与えられた名称であると考えられる。
しかしこの辞書の分類で①、②(ないし③)の名詞としての意味と④のモ
ダリティ的意味とはかなりの隔たりがあるように思われる。したがって同
じ語彙であるハズの名詞としての意味とモダリティ・マーカーとしての意
味がどのように関連しているかを考察する必要があるが、その前にハズの
モダリティ的意味の特徴を記述しておくことが重要である。
― 78 ―
1.1.1.ハズのモダリティ的意味の記述
ハズがモダリティ的な意味で使用される場合、他のモダリティのマー
カー、例えば、
「に違いない」
、
「べき」などとどう違うだろうか?
「5 時に終わるはずだ」では、
「5 時に終わる」というまだ実現していな
い(未来に投影された)状態を発話主体が、ことの成り行きの当然の帰結
として予想していると考えられる。そのため「5 時に終わるはずだ」は「5
時に終わるに違いない」とパラフレーズが可能なのである。両者ともある
実現していない状況を発話主体が選択しているという共通点がある。当然
ながら使用している表現の違いにより、この未来予想の確実性の違いはそ
れぞれの表現で異なっている。
「はずだ」と「違いない」では、
「違いない」
の方が確実性が高いと思われる。
「5 時に終わらない」を 0 %、
「5 時に終わ
る」を 100 %、その中間の「5 時に終わるかもしれない」を 50 %とすると、
「筈だ」も「に違いない」もそれ以上の確実性を表している。あえて数字で
表すと「筈だ」は 80 %、
「に違いない」は 90 %くらいの確実性であろうか。
それに対して、
「5 時に終わるべきだ」では、主観的な確実性というより
も、義務的な読み方が強くなり、なりゆきで自然にそうなる「筈だ」より、
様々なつじつまを合わせてでも終わらせる「べき」だという解釈が支配的
となる。
「べき」では「5 時に終わる」というまだ実現していない状態を発
話主体が選択すると同時に、それ意外の可能性を強く排除している。その
ため義務的な意味が強く出ているのである 1。
否定を伴う場合は注意が必要で、
「5 時に終わる筈(が/は)ない」で
は、
「5 時に終わらない」を選択しているのである。したがって、この文の
パラフレーズは「5 時に終わらないに違いない」である。「筈」はこのよう
に、否定の作用域になりえない。否定がはたらくのは、
「終わる」に対し
てである。
「べからず(古語、文学的)
」
「べきではない(口語)」はともに
禁止の意味が強くなるが、この場合も「友人から借金をするべからず/べ
きではない」などのように、意味的には、否定は「べき」ではなく「借金
― 79 ―
をする」にかかると考えられる。したがって「友人から借金をするべきで
はない」は「友人から借金をしないべきである」を強めた形であり、英語
の must not に近い、禁止表現である。この場合も、
「べき」がまだ実現して
いないある状態の選択と同時に他の可能性の排除を行っている事が理解さ
れる。その点、ハズは他の可能性の排除まではいかず、まだ実現していな
い状態の選択だけを行っているのである。従ってハズには強い義務あるい
は(否定を伴って構築される)禁止という義務的(déontique)解釈は認め
にくく、認識的(épistémique)解釈が優先される。
「違いない」も選びとるオペレーションに関連づけられるが、形容詞「違
い」と否定「ない」から構成されていることからも分かるように、
「それ以
外」の否定というオペレーションを含んでいる。つまり、ハズと異なり、
「違いない」では、
「何かを選びとること」は「それ以外を排除すること」
から到達されている。
「違いない」に認められる確実性の高さは、この「そ
れ以外の排除」を含むことから来ている。ハズはこの排除を含まず、純粋
にある状態への「選択」がある。もし「選択」という言葉が、二者択一の
ように他方の排除を含んでしまう可能性を嫌うならば、ハズにだけ当ては
まる特徴としてある状態への主体による「接近/近づき」があると言い換
えることも出来る。要約すると、ベキは「排除」
、ニチガイナイは「選択」、
ハズは「接近」に関係づけられる。
1.1.2.ハズと accès(アクセ:接近)
モダリティのマーカーとしてのハズには、このように「まだ実現されて
いない状態」への accès(アクセ:接近/近づき)という図式形式を関連づ
けることができる 2。先の辞書の引用箇所からも、ハズはまた名詞として
「予想」
、
「見込み」の意味で使われた例がある事が示されている。ハズは発
話主体がある状態に心理的に接近/近づくことで、これが「予想や見込み
を立てること」という意味に結実する。
― 80 ―
この図式形式との関連を見た上で、名詞的な用法に戻ることができる。
「筈」は弓矢の部分としては、弦と弓をつなぐ箇所であり、また矢に弦を
引っ掛ける箇所でもあることを思い出そう。つまり、
「筈」という場所にお
いては、弓と弦という質的に異なった部分の間に accès(接近/近づき)が
発生している。この接近/近づきは固定的、ないし安定的なものではなく
仮設的、一時的なものであり、質的な他性が維持されたまま、接近/近づ
きをし、常に他性は解消されない。
「見込み」
「予想」の意味のハズにおいても、事実に対してではなく、仮
想された、あるいは、未来に投影された状態への、発話時点からの一時的
な「接近/近づき」をマークしていると考えられる。つまりそこで二つの
質的に異なる状態が、他性を維持したまま、発話時点において、一時的に
近づいているのである。この接近は、客観的な事実ではなく発話主体の力
によって実現している。また、
「違いない」
「べき」とは異なり、それ以外
の状態の強い排除(否定)を含まない、いわば弱い接近がある。したがっ
てあくまでも主体的な「見込み」
「予想」の意味であり、他者へとはたらき
かける「義務」
「禁止」などの意味が生じえないのである。
このように、形式的、抽象的な観点から見ると、名詞の「筈」と文法的
ハズとの間に共通点が見えてくる。一方が物の名称、他方が発話者の発話
内容への認識的な態度、と現れ方は違うものの、
「質的に異なるもの/こと
との間の接近」が常に観察されるのである。この図式が中核となり、発話
の具体的な局面において、言表の中で語彙単位と相互作用を行う語彙的文
脈である co-texte(コテクスト)の入力を得て意味が構築される 3。
すなわち、単独で用いられた場合、あるいは「矢」「弓」などの名詞的補
語がある場合、
「接近」という図式形式そのものが意味として現れる。それ
は「一時的な結びつき」
、
「引っかけること」あるいはそれを司る部分(弓
矢)
、その形式(相撲の型)なのである。それに対し、連体修飾語を伴って
使用される場合、この連体修飾語がコテクストとして機能し、この部分が
もたらす情報が、ハズが意味を構築する際に重要となる。「5 時に終わるは
― 81 ―
ずだ」では「5 時に終わる」がそれに当るが、この部分が、未だ実現され
ず、未来に投影された状態を導入し、そこへ発話時点から発話主体が一時
的な「接近/近づき」を築くのである。その図式が、発話時点においての
み有効な「予想、見込み」という意味として具体化するのである。
1.2.カネル
カネルに関しても『大辞林』の引用から見ていくことにする。
かねる:①二つ以上のはたらき・役割を併せもつ。「食堂と居間を―ねた部
屋」
「大は小を―ねる」
「趣味と実益を―ねた仕事」②本務の他に別の職務
を同時に務める。
「首相が外相を―ねる」③(多く「気をかねる」の形で)
遠慮する。気を遣う。はばかる。
「相手の気を―ねる」
「姑の手前を―ねる」
④将来の事まで予定する。
「千年を―ねて定めけむ奈良の都は/万 1047」
⑤長い年月または広い距離に及ぶ。
「あらたまの年月―ねてぬばたまの夢
に見えけり君が姿は/万 2956」
「桜咲く四方の山辺を―ぬるまに/山家
春」⑥(動詞の連用形について)ア.しようとしてもできない。‥‥するこ
とに堪えられない。
「引き受け―ねる」
「見るに見―ねて手伝う」イ.「‥‥
かねないの形で」その可能性があることを表す。‥‥するかもしれない。
‥‥しそうだ。
「放っておいたら自殺し―ねない」「そのまま出て行き―ね
ない」
①と②はカネルに一般的に関連づけられる「両立」という意味でまとめ
られるように思われる。問題は⑥のモダリティ的な助動詞的用法。意味的
には「できる」
「できない」にあたる用法と①②との関連である。しかも、
このことは多くの外国人の日本語学習者を混乱させているが、①②に場合
であれば、
「大は小を兼ねる」
「大は小を兼ねない」などのように、否定が接
続してもカネルという動詞の意味が否定されるだけだが、⑥のモダリティ
― 82 ―
的な用法の場合は、否定を伴ったときに、
「可能性がある」という肯定的な
意味に、また否定がない場合に「可能性がない」と否定的な意味になるの
である。したがってカネルのモダリティ的意味の考察には、必然的に否定
の操作についての考察も必要となるであろう。
③と④は古語の例であるが、カネルが予測という意味で使用された例と
して興味深い。⑥の「可能性」とは別の意味でのモダリティに関係する用
法であるが、
「気をかねて」の形でとあるように、熟語化していた可能性も
ある。また⑤も現代日本語では見られない用法だが、空間的広がりを表す
という意味で、「両立」からの連続性で意味を把握することもできる。こ
れらの用法については、本論の目的上、直接的な考察の対象からは外れる
が、図式形式の観点から説明できる可能性は排除されてはいない。そのた
めには、まず両立するという意味の支配的な本動詞のカネルがなぜ「不可
能性」の意味で、またその否定、カネナイが「可能性」の意味で使われる
のかを考察する事から始める。
1.2.1.カネナイ
「その仕事は引き受けかねる」という場合、引き受ける事が不可能だと
言っている訳だが、不可能性は主に発言の主体から来ている。主体はその
仕事が十分にできるにもかかわらず、主体の意思で実現を拒んでいるので
ある。カネルの場合、不可能性は客観的ではなく、あくまでも主体が主観
的に判断するのである。
他方「このまま放置すると重大な事故を引き起こしかねない」という場
合、
「可能性がある」という意味だが、主体的な介入はほとんど感じられな
い。主体が判断しているという様子さえなく、客観的なデータや歴史をも
とに予測されたことという解釈である。それに対し、
「引き起こすかもしれ
ない」の場合は、知覚動詞「知る」が含まれていることも関係して、主体
の介入、予想としての価値が強く感じられる。
― 83 ―
本質的に、本動詞としてのカネルのもつ「両立する」は、肯定的な意味
にもなりうるが、
「二足のわらじ」のように、どっち付かず、ひいては決定
不可能という意味まで行きうる。この「両立」の否定的な側面が、モダリ
ティ的用法では全面に出て来ているように思われる。本動詞的用法では、
「かねる」は「ファックスとコピー機をかねる」など二つの異なる機能が語
彙として現れ、その機能への両立という肯定的意味が表面化するが、
「この
仕事は引き受けかねる」という場合は、二つの異なることがらは語彙とし
て登場せず、
「両立」の持つ「
(決定)不可能」という局面が支配的になる
のである。
カネナイの場合、
「事故を引き起こしかねない」などのように、否定が
加わることで、英語の can, may のような可能性の意味が出てくる訳である
が、
「両立」+「否定」=「可能」がどのようなメカニズムで成立している
のだろうか。このプロセスを説明するために、いささかの迂回が必要とな
る。以下に紹介する「発話理論」のトポロジーを用いたモダリティ・マー
カーの記述が参考になると思われるからだ。
2.
「発話理論」におけるモダリティ論
2.1.定義と分類
「発話理論」と呼ばれる、フランスの言語学者 A. Culioli によって創始さ
れた言語学では、言語活動(langage:ランガージュ)において、個々の統
語規則が互いに独立して文の生成を司っていると考えるのではなく、述定
(prédication:プレディカション)ないし名詞や動詞の限定(détermination:
デテルミナション)という、首尾一貫した操作(opérations:オペラション)
が個々の現れとなって発現すると考える。したがって、アスペクト、テン
ス、モダリティは別個の文法項目としてではなく、ともに動詞限定の一種
として研究される。
― 84 ―
この理論では、モダリティは何よりもまず、分類の形をとった定義の対
象であった。Culioli は、1983-1984 年の DEA のセミネールにおいて、4 種類
のモダリティを区別した 4:
タイプ 1 のモダリティ:肯定のモダリティ(肯定、否定そして、肯定の
拒否である疑問)
タイプ 2 のモダリティ:可能性、不確定性、蓋然性、偽確定性のモダリ
ティ。しばしば認識的モダリティと呼ばれ、発話者はあらゆる述語関係に
関する判断を担う。
タイプ 3 のモダリティ:肯定的評価のモダリティ:良さ、望ましさ、被
害、後悔、等々。
タイプ 4 のモダリティ:このモダリティは、自分自身に関して、または
他の主体に関してにせよ、言表の主体に関係する。しばしば、根本的なモ
ダリティと呼ばれる。それが意味するのは、主体にとっての可能、能力、
許可、義務
(
「ねばならない」
)
、意志、等々。このモダリティは、述語関係
の内部に主体と述語の関係を築く。
この 4 分類を、Dufaye(2009: 20)にならって、モダリティ1(肯定/
疑問)、モダリティ2(認識的)
、モダリティ3(肯定的評価)
、モダリティ
4(義務的、物理的可能性)と要約することもできよう。実際に、発話理
論のモダリティ論は近年、L. Dufaye も教壇に立つパリ第七大学英語学科に
おいて発展してきた 5。そこでは英語の一連の法助動詞について「概念領域
に関する分岐(bifurcation)
」という概念を用いた説明がなされている(Cf.
Gilbert 1987, Deschamps 1998, 1999, Dufaye 2009)。彼らの主張を要約する
と、トポロジー的内部を(ntérieur)
I
、外部を E(xtérieur)、その間の境界を IE
で表した場合、例えば may に関して、I------IE------E という図式が成立する
という考えである 6。この表象は may が
「同 - 可能性」
「同 - 蓋然性」
「双方的
な可能性」のモダリティと解釈する見方と一致する。これに対し can や will
― 85 ―
は、I への「一方的な可能性」つまり一本の道筋だけがあると考えられる。
まとめると以下のようになる。
MAY : I ------IE------E
CAN/WILL : I------IE E
MAY は I と E の両方へ道が通じているが、CAN および WILL は一方しか
通じていない。このようなミニマルなパラメタを用いて複雑さを単純さに
還元する試みは言語学の様々な流派で80年代から90年代を通じて一般化し
た手法であった。問題は、例えば否定との組み合わせで得られる may not、
またとりわけこの用法の認識的意味の固有性を記述するのに有効ではない
ことである。また例えば Lions can / may be dangerous のように、may と can
がどちらでも使える場合もある。そのような場合、表現ごとの固有性はど
う表せばよいのだろうか。
これらの問題に直面して、他の概念が付け加えられる。すなわち、モダ
リティは常に分岐の図式を喚起するが、述定作用による「確定」の操作が
加わることにより、肯定文では I への道が「確定」され、否定文では E への
道が「確定」されると考えるのである。例えば以下のようである。(確定す
る道筋は実線で表示)
MAY : I―IE ------E
MAY NOT : I------IE―E
しかしながら英語の法助動詞には主要なものだけでも may, can, will,
shall, must などが存在する 7。それらすべてに分岐を用いてミニマルな図式
を関連づけるには、述定による一方の道の確定を加えても、パラメタが足
りない。そこで Deschamps(1999)では一つの仮説として Qnt, Qlt という
パラメターが導入されることになる。それにより例えば以下の表が得られ
― 86 ―
る 8。
1 WILL [Qnt : I------IE E / Qlt : I------IE
E]
2 CAN [Qnt : I------IE------E / Qlt : I------IE
E]
3 ?
[Qnt : I------IE---/---E / Qlt : I------IE
E]
4 ?
[Qnt : I------IE
E / Qlt : I------IE------E]
5 MAY [Qnt : I------IE------E / Qlt : I------IE------E]
6
7 SHALL [Qnt : I------IE
E / Qlt : I------IE---/---E]
8
9 MUST [Qnt : I------IE---/---E / Qlt : I------IE---/---E]
この表では、2 種類の分岐(量的分岐と質的分岐)と禁止(---/--- で表示)
も含み 9 種類の組み合わせが存在し、5 つの法助動詞を分類している。(?
の部分は英語には語彙がない部分であり、6 と 8 の空白は原著でも空白で示
されている。
)
英語に比べ、フランス語はもう少し単純なパラメターで足りる。フラン
ス語では、非人称で使用される falloir を除外すると、devoir と pouvoir が主
要な法助動詞だが、devoir は排他性、pouvoir は両立性に関連づけられる。
いずれの場合も「分岐」の図式が前提とされる。図式化すると以下のよう
になる 9。
DEVOIR : I------IE---/---E
POUVOIR : I------IE------E
DEVOIR は IE から I と E への分岐があるものの、E への道が排除されてい
る。それに対し、POUVOIR では両方の道がつながっている。この事から、
DEVOIR が「ねばならない(義務)
」
「にちがいない(希望)
」という意味
― 87 ―
を、POUVOIR が「かもしれない」
「可能である」「(物理的に)出来る」を
意味する。
この図式が基本となるが、作り出される意味は発話の中での環境により
異なりうる。例えば、pouvoir は、文脈によって、
「できる」という意味に
なる場合もあれば、
「かねない」という意味になる場合もあり、あるいは
「かもしれない」という意味にもなるのである。しかしいずれの場合も、
I------IE------E という図式が根底にあり、I や E が何に当たるかに関して文脈
による特定化を得て、意味が構築されるのである。
3.カネナイの「分岐」による説明
3.1.カネナイと分岐の図式
ここで、日本語のカネナイに戻る事にする。以上見て来た、英語とフラ
ンス語のモダリティ表現の「分岐」による説明は、解決しないままであっ
た「両立」+「否定」=「可能」という式に光を投げかけた。つまり、
「両
立」は I------IE------E という「分岐」の図式に下支えされている。そしてこ
の分岐する二つの道は、語彙の意味「両立」によって強く確定されている。
したがって、これが単独では「同 - 可能性」ひいては「不可能性」を表す。
さらに、否定はこれに ---/--- という一方の道の排除の図式を与える。この結
果、I---/---IE------E という図式が得られる。カネナイの持つ、「望まない状
態への近づき」はこの E への道のみが確保されてしまう事から作り出され
ていると考えられる。E はトポロジー的外部であり、評価的には、悪い価
値、望ましくない価値に結びつけられる。
ちなみに、ハズに関連づけられるのは、同様の図式を用いるならば、I-----IE
E である。ここには、I への接近/近づきだけがある。I は主体が良
い評価を加える価値である。そこへの主体の力による接近をモダリティ・
マーカーとしてのハズは作り出しているのである。
― 88 ―
3.2.メタファー、文法化との違い
語彙の同一性と、意味の異なりという点において、メタファーと呼ばれ
ている転義、例えば、椅子の「脚」や「風前の灯」などへの連想が働くか
もしれない。しかしながら、メタファーは多義を生まないという点を意識
しよう。原義と転義において、語彙の「意味」は変化しない。注意すべき
は、メタファーは、語彙は文脈と相互作用をせずに、典型的な文脈の痕跡
を新たな文脈に持ち込むことで成立していることである。例えば「権力の
犬」という場合、文脈なしあるいはプロトタイプ的文脈の場合の「犬=飼
いならされた動物」がそこに持ち込まれ、
「権力の」は「犬」の意味に関与
しない。それに対し「犬死」あるいは、c’est bon pour le chien(文字通り:
犬にとって良い=無価値な)において、
「無価値なもの」という意味を「犬」
が担うことこそ多義の問題である。この場合、コテクストの「死」が「犬」
に与えられる意味に関係している。すなわちそこでは「死」や bon(良い)
という「価値」を導入する環境の存在が大きく影響している。
名詞としての「筈」はモダリティ的なハズに先行することから、文法化
による説明はもっともらしく思われる。しかし、単語の意味(の潜在性)
をその指示対照やそれが表すプロトタイプ的概念ではなく、図式形式とし
て表す視点は、歴史的順序や発展を超越したものである。つまり、「弓筈」
「弓筈」の「筈」にも接近/近づきは存在し、
「5 時に終わるはず」のハズに
も接近/近づきは存在すると考える視点なのである。意味の図式形式は、
始源から最も派生的な用法に至るまで常にすでに存在しているのである。
4.結論にかえて
ハズは、語源とされる名詞においてもモダリティのマーカーの際にも、
ある物や状態への「接近/近づき」という図式をマークし、他方カネルに
おいては、本動詞、助動詞という使用の違いを超えて、二つの異なる物、
― 89 ―
状態への道筋の確立としての「両立」をマークするという図式が観察され
た。
「発話行為の言語学」におけるトポロジーを応用したモダリティーの記
述は日本語の言語事実とも一致を見せる。モダリティは、
「発話者の心的
態度を表す」という、伝統的なモダリティの定義とは別に、形式的レベル
で「分岐」を常に召還するのである。
「分岐」の存在はモダリティというカ
テゴリーの共通スキーマとして、さまざまな出自を持つモダリティ・マー
カーの統語的アイデンティティとなりうると考えられる。
注意すべきは、
「分岐」I------IE------E という図式形式はモダリティの
「カテゴリー的図式形式」
であり、モダリティ表現に用いられる語彙は、そ
れ固有の「語彙的図式形式」をもち、カテゴリー的図式に上書きするとい
うことである。つまり、ハズは「一方への近づき」をカネルは「両方の道
筋の確定」を、モダリティーというカテゴリーが召還する「分岐」の図式
の上に付け加える。さらに、カネナイでは否定のオペレーション「一方の
道の排除」が加わることになる。その上で実際に使用される言表の中で、
他の語彙要素と組み合わされることで、これらの語彙単位は相互作用を経
て多様な意味が構築されるのである。
注
「
「べき」は話し手の主張、「はず」は対象に対する予想。
」
(森田良行『基礎日
1
本語』p. 1019)
Cf. accès という概念に関しては、Culioli(à paraître)を参照。図式形式(forme
2
schématique)に関しては、Franckel & Paillad(2007)を参照。
3
Co-texte に関しては、Victorri & Fuchs(1996)を参照。
4
Culioli(1985)
5
Deschamps(1998)
(1999)
, Gilbert(1987)
(2001)
(2003), Dufaye(2001)
(2006)
(2009)
6
普通は IE から I と E に伸びる V 字の分岐を用いて表すことが多いが、ここでは
― 90 ―
表記を簡略化して表示している。IE を中心に I と E に V 字型に道が伸びている図
式をイメージされたい。
7
網羅的であろうとするならば、could, might, should, would, ought to, need なども
加えなければならないだろう。また、助動詞だけでなく副詞や動詞などによって
もモダリティが表わされることは言うまでもない。
Deschamps(1999: 273)の Dufaye(2009: 133)による引用を簡略化して表示。Qnt :
8
quantité(量)、Qlt : qualité(質)を表すメタ言語概念。この論文の目的からは必
要ではないため、詳細には立ち入らない。
Gilbert(1987, 2001, 2003)を参考に作成。
9
参考文献
Bouscaren, J. (1993) Linguistique anglaise, Initiation à une grammaire de l’énonciation,
Ophrys.
Culioli, A. (1985) Séminaire de DEA, Paris VII.
Culioli, A. (1990-99) Pour une linguistique de l’énonciation, Tome I-III, Ophrys, Paris.
Culioli, A (à paraître) Pour une linguistique de l’énonciation, Tome IV, Accès, détour,
obstacle, Ophrys, Paris.
Deschamps, A. (1998) “Modalité et construction de la référence”, in Le Querler, Gilbert
(éds), La référence 1 : statut et processus, CERLICO, 11, Presses Universitaires de
Rennes.
Deschamps, A. (1999) “Essai de formalisation du système modal de l’anglais”, in
Bouscaren (éd ) Les opérations de détermination : quantification / qualification,
Ophrys, Paris.
Dufaye, L. (2001) Les modaux et la négation en anglais contemporain, Ophrys, Paris.
Dufaye, L. (2006) Pour en finir avec les auxiliaires de modalité, Ophrys, Paris.
Dufaye, L. (2009) Théorie de opérations énonciatives et modélisation, Ophrys, Paris.
Franckel, J.-J. & D. Paillard (2007) Grammaire des prépositions, Ophrys, Paris.
Gilbert, E. (1987) May, Must et Can et les opérations énonciatives, Cahiers de
Recherches, Tome 3, Ophrys, Paris.
Gilbert, E. (2001) « Vers une analyse unitaire des modalités ; May, must, can, will, shall »
in Bouscaren, Deschamps, Dufaye (éds), Modalité et opérations énonciatives,
― 91 ―
Cahiers de Recherche, Tome 8, Ophrys, Paris.
Gilbert, E. (2003) « Quantification, qualification et modalité », in Outtara (éd) Parcours
énonciatifs et parcours interprétatifs ; Théorie et applications, Ophrys, Paris.
Le Querler, Nicole (1996) Typologie des modalités, Presses Universitaires de Caen.
Victorri, B. & C. Fuchs (1996) La polysémie, construction dynamique du sens, Hermès,
Paris.
― 92 ―
Discourse Analysis through Interpersonal
Meaning
Keiko MUTO-HUMPHREY
1. Introduction
Communication is an interactive process by means of language; language
delivers messages from an interlocutor to others. Since communication is
available to exist among people, it is inevitably influenced by interlocutors.
Therefore, it is important to pay attention to how language makes meanings
in spoken or written discourse in terms of grammar and meanings. There
are many ways of determining functions of languages. One approach is
to consider grammar as ‘a set of rules which specify all the possible
grammatical structures of the language’ (Lock, 1996, p.1). Another approach
is focusing on the functions of grammatical structures, and their meanings
in the social context. The latter approach of grammatical analysis is called
functional; it is Systematic Functional Linguistics. Systemics focuses on
‘how the grammar of a language serves as a resource for making and
exchanging meanings’ (Lock, 1996, p.3). That is, it is concerned with the
grammatical patterns and lexical items used in text, as well as choices of
those items, focusing on ‘the development of grammatical systems as a
means for people to interact with each other’ (Martin et al., 1997, p.1).
Certain grammatical structures and certain words do not always make
the same meaning; ‘the same words can have a different communicative
― 93 ―
function in a different situation’ (Bloor & Bloor, 2004, p.10). That is,
meanings are influenced by the social situation. On the other hand, different
utterances can work with the same communicative function. According to
Bloor’s example;
a woman might tell her child to take off his shoes in a direct way
…
(Take your shoes off, Robin) or in a less direct way (Would you take your
shoes off please, Robin?) or in an extremely indirect way (You haven’t
taken your shoes off, Robin). In each case the function of directing the
child to take his shoes off is broadly similar even though the wording
and the tone convey different nuances (Bloor & Bloor, 2004, p.10).
Here, the three utterances deliver the same message with different
grammatical structures. The choice of grammatical structure should be
dependant on the situation in which the utterance was given. As a result,
it can be considered that social contexts decide words and grammatical
structures.
The aim of this paper is practicing a functional grammatical analysis of
text. Firstly, the major functions of the grammar of language will be discussed
in terms of Systemics in Section 2. In Section 3, an experimental analysis
of three types of text will be conducted. The result of the experiment will
be summarised in Section 4.
2. Literature Review
Halliday (2002) introduces three functional modes of meanings of language
from the point of the semantic system: (1) ideational (experiential and
logical); (2) interpersonal; and (3) textual. He states that they are ‘different
kinds of meaning potential that relate to the most general functions that
language has evolved to serve’ (Halliday, 2002, p.198).
― 94 ―
2.1 Ideational (experiential) meanings
Ideational meanings deal with the ways the language represents the
interlocutor’s experience: ‘how we talk about actions, happenings, feelings,
beliefs, situations, states, and so on, the people and things involved in them,
and the relevant circumstances of time, place, manner, and so on’ (Lock,
1996, p.9). That is, it focuses on how the text represents the external/internal
reality: a certain happening by a certain person at a certain situation in the
reality. Taking ‘Mike arrived at school at nine o’clock’ as an example, it
can be analysed that a man (i.e. Mike) represents his act (i.e. arrive) at
the past tense (i.e. ---ed) in a certain situation (i.e. place = school, time =
nine o’clock). Obviously, the interlocutor of the text represents his event
in the experiential world.
It is natural that the text’s subject is influenced by the situation where
an interlocutor and a listener/reader are, which means the social context.
Considering an actual situation where the sample text is used, it can be
supposed to be between Mike’s friends, between Mike’s teacher and his
classmate, or between Mike’s teachers, etc. In this case, it can be said
that the text was delivered in a casual conversation between people who
know Mike. As a result, it is necessary to consider the subject matter
of the text and the types of institutional context which a text operates,
such as scientific research, health reports, sports commentaries, friendly
conversations, political speeches, and interviews with teachers (White, 2000)
for ideational meanings.
2.2 Interpersonal meanings
Interpersonal meanings focus on the interactivity of the language, and
concern the ways in which we act upon one another through language. In
either spoken texts or written texts, an interlocutor expects to tell listeners/
― 95 ―
readers via text. This means that each text has a relationship between
providers of information and recipients of information. See the following
sentences as an example;
1. (Declaratives) Mike arrived at school at nine o’clock.
2. (Interrogatives) Did Mike arrive at school at nine o’clock?
or What time did Mike arrive at school?
or Where did Mike arrive at nine o’clock?
3. (Imperatives) Tell me when Make arrived at school.
In the declaratives, the information is provided from the interlocutor to
a listener/reader; the former is a provider of information and the latter
is a recipient of information. But in the interrogatives, we can see the
opposite movement of information; the interlocutor expects to receive
an answer (yes/no, at nine o’clock, or at school) from a listener/reader.
This shows that the former is a recipient of information, and the latter
is a (potential) provider of information. Finally, in the imperatives, the
interlocutor demands the information (or goods & services, according to
Halliday (White, 2000, p.7)) to a listener/reader; the former is a recipient
of information, and the latter is a provider of information/service, as in
the case of the interrogatives. The relationship between interlocutors and
listeners/readers is shown as follows;
Table 1: Relationship of Interlocutors and Listeners/Readers
Interlocutor
Listener/Reader
Declaratives
(Statement)
Provider of information
Recipient of information
Interrogatives
Recipient of information
Provider of information
Imperatives
(Demand)
Recipient of information/
Recipient of goods & services
Provider of information/
Provider of goods & services
― 96 ―
It is noteworthy that such relationships of interlocutors are, naturally,
influenced by the social situation, and as such, the interlocutors’ positions
will maintain some element of flexibility. Example 3 above, Tell me when
Mike arrived at school, can be replaced by (1) You should tell me when Mike
arrived at school, or (2) Would you tell me when Mike arrived at school?
etc. Sentence (1) demands the service more strongly by using the word
should rather than the original. On the other hand, sentence (2) represents
a very polite request by using the phrase Would you … ?, and the demand
of service is not so strong as the original. Although each sentence conveys
the same message, they show the difference in terms of the subtle nuance
behind the message. Moreover, sentence (1) carries a demanding message
by a declarative sentence, and sentence (2) does it through an interrogative
sentence. This means that the interlocutor of sentence (1) can become a
recipient of service. As a result, sentence forms sometimes work together
to make up for meanings.
Considering that the use of words in texts is strongly connected with
the interlocutor’s internal reality, it is important to pay attention even to
decorative words found in texts. For instance, when example 1 contains
the word probably, or the phrase I suppose, the certainty of the meaning
of the text will be reduced. On the other hand, when it has definitely, or I
know, the certainty will be increased. Such words, extending the meaning
of texts, are called modal verbs. The types of modality are various, and
the functions of modality are also various, depending on modal words/
phrases. A sample case of modality is shown as follows;
― 97 ―
Table 2: Types and function of modality
degree
probability
permission/obligation
frequency
low
could/may/might
possibly
can/may
it’s permitted that…
seldom
middle
will
perhaps
will
it’s required that…
sometimes
high
must
certainly
must/should/have to
it’s obligatory that…
usually
By using modal words/phrases, the interlocutor can decide his/her own
positioning in communication with a listener/reader. As a result, it can be
said that interlocutors can produce various levels of interactivity by the
choice of text forms, as well as vocabulary in the various social contexts.
That is, ‘politeness, formality, intimacy, the power relationship between
speaker and listener and the degree that the speaker indicated willingness
to negotiate the demand’ (White, 2000, p.9) can be created variously.
Moreover, it is significant to consider the social roles and relationships,
seen in the text, of an interlocutor and a listener/reader: ‘their relative social
status and power, their degree of intimacy, the degree to which they share
common knowledge, the degree to which they are in agreement or share a
sense of solidarity’ (White, 2000, p.20). It can be determined by:
• the use of more colloquial, casual or informal vocabulary, or of slang
terms.
• the use of more familiar terms of address such as first names, nicknames, pet names, etc.
• the use of reduced, abbreviated or elliptical forms of expression --conflations such as I’ll, what’ll, I’d’ve (I would have) etc; incomplete
clauses, etc.
(White, 2000, p.34)
― 98 ―
When the subject of the sample sentence Mike is replaced with Mr Smith,
the text will lose the intimacy it contains. It sounds more formal, as though
being spoken from a secretary to his/her boss. When arrived is replaced
with got to, the intimacy of the text will become stronger. When the text is
rewritten to He’ll arrive at school at nine o’clock, it sounds to be delivered
by a person who knows Mike in a casual way. As a result, it can be said
that the use of words creates the social role and relationship in a text.
2.3 Textual meanings
Textual meanings deal with ‘the way in which a stretch of language is
organized in relation to its context’ (Lock, 1996, p.10). See the example
of declaratives in section 2.2, Mike arrived at school at nine o’clock. The
same message can be delivered in other forms, such as: (1) He arrived
at school at nine o’clock; and (2) It was Mike who arrived at school at
nine o’clock. Although the core messages of the three sentences are the
same, the interlocutor of each sentence can express a different nuance to
listener/reader by using a different form. Replacing the subject Mike with
the pronoun he in (1), it can be seen that the interlocutor expects that the
listener/reader should already know who s/he is mentioning. In the case of
(2), the interlocutor puts a strong focus on the subject Mike as an actor of
the event. Hence, it is obvious that the way of expressing the interlocutor’s
experience decides the atmosphere of the three sentences.
3. Discussion
3.1 Texts for analysis
For the purpose of experimenting with the analysis of texts in terms
of functional grammar, three kinds of text will be used in this paper as
follows. For convenience, each sentence is numbered.
― 99 ―
Text 1:extracted from a short pictorial information book for young
children
1 Do you enjoy making sounds?
2 What sounds do these things make if you bang them?
3 What different sounds can you make with your body and your
voice? 4 Put your fingers on your throat as you talk or sing.
5 What can you feel?
6 Hold a ruler on the edge of a table. 7 Press down the end and
let go.
8 Can you hear a sound? 9 What do you see?
10 Whenever you hear a sound there is something moving.
11 This movement is called a vibration.
12 Try this with a rubber and see.
13 You can make musical sounds with rubber bands of different
sizes or if you pluck the strings of a guitar.
14 Strike a triangle with a beater.
15 Touch the triangle while it is ringing. 16 What can you feel?
17 When something stops vibrating ii [sic]the sound stops.
18 How does someone’s voice reach you?
19 The sound travels through the air as sound waves. 20 Throw
a stone in a pool of water.
21 Watch the waves spreading out.
22 Sound waves move through the air in a similar way.
(Webb, 1987)
Text 2:Parent child conversation: M = mother, C = a four-year-old
child
C: 1 How could birds die?
M:2 Like the one in the garden, are you thinking of? 3 Well, sometimes
birds die when they get very old, or maybe they get sick because they
got some disease, or maybe a cat got it. 4 Baby birds sometimes die
when they fall out the nest, or, in the winter --- if you were in a cold
place --- birds might die because they can’t get enough food.
― 100 ―
C:5 Yeh, but what happens if one bird falls out and then --- and when
it’s just about at the ground it flies?
M:6 Yes, well if it’s big enough to fly it’ll be all right. 7 And sometimes
birds fall out the nest but they don’t die… 8 But that didn’t look like
a baby bird; maybe there was something wrong with it; maybe a cat
killed it --- (hastily) I don’t think it was our cat.
C: 9 Perhaps it was on the ground and then a cat got it.
M:10 Yeah, it was probably pecking something on the ground … maybe
it was just a very old bird.
C: (referring to dead bird in garden) 11 But it looks as if it’s alive.
M: 12 Yeah, it does, doesn’t it?
C: 13 Perhaps its eye got blind.
M: 14 Could have been, but it definitely wasn’t alive.
(Martin et al., 1997, p.82)
Text 3: Classroom talk: extract from a sequence of lessons in an upper
primary science class. The class has recently watched a science film on
the topic of mechanical advantage.
Teacher: 1 Alright, a quick summary of what we have just seen. (teacher
writes the heading ‘Summary’ on the board.) 2 Quick.
Andrew: 3 Lever. (calls out to the teacher before he is ready.)
Teacher: 4 Hold on.
Daniel: 5 Seesaw. (another child calls out to the teacher.)
Teacher: 6 Right. 7 Just wait till we are all here. 8 Have you got enough
scrap paper on your desk please? 9 You’ll probably only need
two or three pieces. (children get organized.) 10 Right, you may
have to use the stand. (the teacher is waiting for the class to settle
before he begins.) 11 Steven and Brad, the sun is shining inside
(reminding the boys to tale their hats off inside). 12 Alright, thank
you. 13 Solved your problem? (gaining the attention of a child)
14 You’ll probably need to see that film tomorrow, as an extra, to
get you (pause) to get your ideas really sorted out. 15 Let’s have
a summary of what was the film basically about. 16 They seem
― 101 ―
to mention two basic machines. 17 Um, Andrew?
Andrew: 18 Levers. (pronounces the word with an American accent as
in the film)
Teacher: 19 It has an Australian pronunciation.
Simon: 20 Levers.
Teacher: 21 Yeah, leave her alone. (said as a joke and the class laughs)
22 Lever (writes on the board) and … (pause)
Brad: 23 An inclined plane.
Teacher: 24 An (pause) inclined plane. (the teacher repeats the word as
he writes it on the board and a child calls out) 25 Hold on, hold
on, now they extended these two basic machines, (pause) into five
separate machines. 26 In that movie they extended them out, they
extended out some of the machines. 27 They used the lever. 28
Hold on, hold on. (a child is calling out.)
Teacher: 29 Joanne?
Joanne: 30 Lever.
Teacher: 31 No, we’ve done a lever.
Brad: 32 Baseball bat.
Teacher: 33 Baseball bat. (pause) 34 Any bat really.
Joanne: 35 Flying Fox. (said very quietly)
Teacher: 36 Pardon, flying fox? (writes on the board)
Kane: 37 Clothesline.
Teacher: 38 And what with it?
Kane: 39 A wheel.
Teacher: 40 A wheel. (repeat out loud to the class and writes on the
board) 41 Yeah, no you’re right. 42 Clothesline. 43 That was a
… (interrupted) what did she use on the clothesline?
Several: 44 Pulley.
Teacher: 45 A pulley, which is a type of (pause) lever. 46 Except of course,
you’ve got also a what with it? 47 A (pause) wind (prompting
children) lass. 48 Anything else that wasn’t mentioned that possibly
uses the principles of a lever.
Steven: 49 Door handle.
― 102 ―
Teacher: 50 A door handle, good one, hey.
Teacher: 51 Yep. (writes on board) 52 Righto, let’s have a look at an
inclined plane one (pause) well actually that is a type of tool which
you have seen in action, come to think of it. 53 Maybe we can
get six uses of an inclined plane. 54 Um, Aranthi?
Aranthi: 55 Stairs.
Teacher: 56 Stairs, right. 57 Great answer. (writes on board)
(Martin et al., 1997, p.88 – p.89)
It is clear that the three texts show instructional or educational interactions
between adults and children, but the differences can be identified when they
are analysed in terms of Systemics. Analysis will focus on how interactions
are constructed, especially paying particular attention to interpersonal
meanings: such as (1) how the participants position themselves or are
permitted to position themselves interactively; (2) how the sorts of roles
and relationships are constructed by language choices; (3) how interlocutors
construct the learning process underway, and represent the subject matter
with which they are concerned.
3.2 Analysis
3.2.1 Interlocutors’ interactive positioning
Participants’ positions in each text can be determined by the direction
of information between interlocutors. Text 1 is written by an adult/a
teacher to explain about sounds to children; it supposes that a teacher is
teaching children. There is, however, just one participant here; it is a oneway dialogue. Although the interlocutor (a teacher) is talking to readers
(children) by mentioning you and your, there is not any response from
readers. Therefore, Text 1 cannot be interactive. The text contains eight
interrogatives (sentences 1, 2, 3, 5, 8, 9, 16, & 18), and eight imperatives
― 103 ―
(sentences 4, 6, 7, 12, 14, 15, 20, & 21). They are requesting invisible
readers to answer questions or act, as s/he demands. It is interesting that
the interlocutor of the text cannot become a recipient of information for
the interrogatives or imperatives. All that the interlocutor of the text can
do is to assume receiving response to develop the talk. On the other hand,
his/her own six declaratives work as the response to his/her interrogatives
and imperatives. S/he is answering to his/her own questions by him/herself:
sentences 8 & 9 are answered by sentence 10, sentence 16 is by sentence
17, and sentence 18 is by sentence 19. The same pattern can be found
between interrogatives and declaratives: sentence 13 responds to sentence
12, and sentence 22 responds to sentence 21. As a result, it can be said
that the interlocutor becomes a provider and recipient of information. In
this sense, we can say that the interlocutor can manage to make Text 1
interactive.
Text 2 is a to-and-fro conversation between an adult and a child about how
birds die; the mother is explaining about it to her child. All interrogatives
are from the child and most of mother’s sentences are declaratives, apart
from sentences 2 & 12. There are no imperatives here. In the first half, the
child provides simple questions to the mother, and the mother answers them.
Sentence 1 is answered by sentences 3 & 4, and sentence 5 is answered
by sentences 6, 7, & 8. Here is a basic relationship between a person
learning and a person teaching; the child is a recipient of information and
the mother is a provider of it. In the second half, however, the child begins
to use declaratives, and suggest possible causes of a bird’s death (sentences
9, 11 & 13). That is, the child becomes a provider of information. The
mother shows her agreement with the child’s idea, by repeating the child’s
phrase (sentence 10) and using a tag question (sentence 12), following
an interjection of agreement, Yeah. The past perfect tense, Could have
― 104 ―
been, in sentence 14, also shows the mother’s acceptance of the child’s
idea. Hence, it can be considered that their positions are reversed in the
second half; the child is a provider of information and the mother is a
recipient of it. It is, however, interesting that sentences 10 & 14 contain
instructional sentences, following ones with agreement. The mother, here,
provides extra information after receiving the child’s idea. This means that
in sentences 10 & 14, the mother has double positions, as a recipient and
provider of information.
Text 3 is also a to-and-fro conversation between an adult and children about
mechanical items. A teacher is telling several students, and each student is
telling the teacher; conversations are made from one person (a teacher) to
people (students), from a person (a student) to another person (a teacher),
or from people (students) to a person (a teacher). Hence, Text 3 can be
said to be very interactive. The teacher is not providing any explanation
to the children. The children are showing their ideas, and the teacher is
listening to them. Sentence 1 is an instructional demand/question, which is
given in the imperative form. Children tell a possible answer to the teacher
individually (sentences 3, 5, 18, 20, 23, 30, 32, 35, 37, 39, 44, 49, & 55).
This means that children are providers of information, and the teacher is
a recipient of it. On the other hand, the teacher’s utterances consist of all
three types of sentence forms; declaratives, interrogatives, and imperatives.
Some imperatives (sentences 1, 2, 15 & 52) are demanding and encouraging
children to find answers, and other imperatives (sentences 4, 7, 21, 25, &
28) are controlling children’s behaviour in the classroom. In both cases, the
teacher expects to get response from the children. Therefore, the teacher is
a recipient of information/service. In the same way, some interrogatives are
also encouraging children (sentences 17, 29, 38, 43, 46 & 54) and others
are demanding a service from children (sentences 8 & 13). Here also,
― 105 ―
the teacher is a recipient of information/service. Some declaratives of the
teacher’s utterance are instructional (sentences 9, 10, 14, 19, 25, 26 & 27).
Others, however, are functioning in a different way (sentences 22, 24, 31,
33, 40, 41, 42, 45, 47, 51, & 56). They are following children’s utterances
and giving an agreement with them. Most of the teacher’s utterances consist
of a noun or a noun phrase, which is repeated from children’s utterances.
In both cases, the teacher is a provider of information. Sentence 11 (the
sun is shining inside) is interesting in that it provides the information to
students, as well as demanding their service (which is to take their hats
off). This means that in sentence 11, the teacher is a provider and recipient
of information/service at the same time.
3.2.2 Roles and relationships according to by the language
choice
As analysed in section 3.2.1, the three texts stand on the basic relationship
between teacher and student/students: a person teaching and a person
learning. The interlocutor of Text 1 provides a solid answer to readers
(sentences 4, 17 & 22) after giving questions and demanding services.
All declaratives are affirming statements, and there are no words implying
ambiguity or possibility such as ‘probably’ or ‘maybe’. This shows that the
interlocutor has the authoritative power. His/her utterance has no colloquial,
casual, or informal vocabulary, and no abbreviated expressions. Each
sentence is represented in a proper grammatical structure. Hence, it can be
said that Text 1 is delivered in a very formal and firm style and, therefore,
it does not show any intimacy to readers. It is, however, noteworthy that the
vocabulary used here is not so difficult, and that children have no problem
understanding it. This represents the interlocutor’s intention to explain the
subject matter easily to children.
― 106 ―
In Text 2, intimacy can be determined between participants. There are
some colloquial words, such as Yeh in sentence 5 and Yeah in sentences
10 & 12, and abbreviated forms such as can’t (sentence 4), it’s (sentences
5, 6 &11), don’t (sentences 7 & 8), and wasn’t (sentence 14). When the
mother uses our, mentioning their cat in sentence 8, she shows that they
have some shared information, and brings the subject matter closer to her
child. The usage of sometimes (sentences 3, 4, & 7), maybe (sentences 3, 8
& 10), might (sentence 4), perhaps (sentences 9 & 13), probably (sentence
10) does not give high probability to her statements, and this means that
the mother tries to avoid any straight expression dealing with the death
of birds. On the other hand, the mother uses phrases representing high
certainty: I don’t think, in sentence 8, and definitely in sentence 14. These
are used when the mother needs to mention the fact to her child clearly.
We can see here the mother’s authority as a person teaching, though it is
not so strong as in Text 1.
Text 3 contains a stronger intimacy between participants than Text 1 and
Text 2. Like Text 2, some colloquial words can be identified here: Alright
in sentences 1 & 12, Righto in sentence 52, Um in sentences 17 & 54,
Yeah in sentences 21 & 41, and Yep in sentence 51. It is noteworthy that
they are mentioned by a teacher: children do not use such phrases. The
teacher also calls his students by their names. This indicates the teacher’s
relaxed attitude towards children. The abbreviated expression can be found
in the teacher’s utterance: you’ll in sentences 9, 14, and you’ve in sentence
46. This also shows his intimacy to children. Moreover, there are some
incomplete sentences, such as sentences 13 & 38. We can see the informality
in the teacher’s utterance. Also, we in sentences 7, 31 & 53 and let’s in
sentence in 15 & 52 represent the teacher’s intention to involve students
in his talk. On the other hand, students also show their familiarity towards
― 107 ―
their teacher. They are answering with a noun/noun phrase and omitting
verbs, which is an informal style. As a result, we can see that Text 3 has
a very casual atmosphere among its participants. Moreover, some words
carrying lower probability can be identified in the text; probably in sentences
9 & 14, and maybe in sentence 53. They are mentioned when the teacher
makes some statements to students. S/he offers a possibility about something
in which children must think. There are more words of lower probability
(seem in sentence 16 and possibly in sentence 48), and they are used when
the teacher gives a hint of a possible answer to the children. That is, by
using such words, s/he encourages children to think and find answers by
themselves. As a result, the usage of modal values represents the teacher’s
authority as a person teaching.
3.2.3 Constructing learning process and subject matter
As mentioned in Section 3.2.2, the interlocutor of Text 1 uses familiar
words for readers so that even children can understand. For the purpose
of introducing a scientific word vibration, s/he begins the discussion by
mentioning things around children. S/he makes children pay attention to
body, voice, and throat, at first and demands them to feel sounds (sentences
3 & 4). Then, s/he introduces the scientific word vibration. The interlocutor
repeats the process in sentences 6, 7, 8, 9, 10 & 11: mentioning familiar
things such as a ruler, requesting to feel it (hear and see), and then
introducing vibration again. The experiment with familiar things brings
scientific knowledge to children. The same process is used when sound waves
is introduced. Some familiar things such as a rubber band in sentence 12,
a triangle in sentence 14, a stone in sentence 20, are followed by feeling
(see in sentence 12, touch in sentence 15, and watch in sentence 21). Then,
the interlocutor provides the scientific fact about sound waves. In this way,
― 108 ―
a person teaching successfully introduces the subject matter, and children
will learn a scientific phenomenon through the experience.
The subject matter of Text 2 is the death of a bird, which the child
found in the garden. The text can be divided into two parts: discussion
about general birds in sentences 1 to 7, and discussion about a particular
bird in sentences 8 to 14. In the first half, the mother and her child are
talking about general causes of death among birds. The child asks the
mother about birds in sentence 1, and the mother tells the various possible
causes of birds’ death in sentences 3, 4, 6, & 7. This is a basic process of
teaching: asking a question and giving an answer. Since they are discussing
general cases in the present tense, the subject matter is not still introduced
into their discussion. In the second half, they begin to discuss a particular
bird, which died in their garden. The bird is expressed in pronouns: that
(sentence 8), it (sentences 8, 9, 10, 11, 12, &14) and its (sentence 13). Their
discussion is developed in the past tense. This shows that they are talking
about a historical fact in which a bird died in their garden. Moreover, the
child begins to participate in the discussion positively in the second half;
s/he becomes a provider of a possible answer. When the mother finally
declares that the bird in the garden is definitely dead in sentence 14, she
successfully tells the truth to her child as a person teaching. As a result,
the mother begins the discussion about the subject matter by introducing
general cases of birds’ death, and develops the discussion to the case of a
certain bird. The child gains knowledge of the birds’ death by participating
in the discussion gradually; changing his/her position from a recipient of
information to a provider of it.
Text 3 keeps the subject matter from the beginning to the end of the
discussion. The discussion about a film, which the class had just watched,
has been carried on since the teacher requests it in sentence 1. There is no
― 109 ―
utterance, in which the teacher gives scientific knowledge to children, and
the teacher keeps receiving information from children. S/he, however, shows
his agreement with children’s answers by repeating them orally, as well as
writing them on board. Pause is also used very effectively to express the
teacher’s message to children. S/he uses it to gain attention of children
(sentences 25 & 52), to encourage children to consider any possible answers
(sentences 22, 33, & 47), and to promote children to understand the answer
just mentioned (sentence 45). and/And in Sentences 22 & 38 work as a
guide word promoting children to answer. At the end of the text, the teacher
uses compliment expressions: good one in sentence 50 and Great answer
in sentence 57. It also shows the teacher’s encouragement to students. In
this way, the teacher helps children to find answers by themselves, instead
of providing solid information directly. S/he provides feedback to children
upon which they are expected to build knowledge by themselves. That is,
the process of autonomous learning can be seen in Text 3.
3.3 Result
As a result of the analysis above, we can identify some differences among
the three kinds of texts, though they all contain instructional or educative
interactions between adults and children: the relationship between a person
teaching and a person learning.
Text 1 is written in an authoritative style, having one participant in
discussion. All utterances are delivered one-way, and the interlocutor cannot
expect to get any response or feedback. S/he provides information after
requesting potential readers (children) to experiment with their familiar
things. There is essentially no difficult vocabulary and no colloquial phrases.
This produces formality in the context.
Text 2 is a to-and-fro dialogue between a mother and her child. At first,
― 110 ―
the mother provides possible answers to the child’s question. When the child
begins to suggest his/her opinions, the mother provides only her agreement
with them. Although the mother delivers a declarative statement when she
needs to make the child learn the fact, she uses vague expressions by using
modal values. The vocabulary is elementary, and colloquial phrases can
be identified. This shows the intimacy between the mother and her child,
and their close relationship.
Text 3 is also a to-and-fro dialogue, and it is developed between a person
and several people: a teacher and students. The teacher does not provide
concrete information, and he merely shows his agreement with answers
coming from children. Colloquial phrases can be determined and some
sentences are incomplete grammatically. This indicates the strong intimacy
among them. The teacher encourages children to find answers by providing
and introducing phrases and using pause effectively.
4. Conclusion
In this paper, three types of text were analysed. They all were instructional
interaction between a person teaching and a person learning. When they
are compared in terms of Semantics, however, some differences could be
determined. Firstly, a difference came from the positioning of participants in
texts; a one-way dialogue by an interlocutor in Text 1, a to-and-fro dialogue
between a person and another person in Text 2, and another to-and-fro
dialogue between a person and several people in Text 3. This difference
decided the interlocutor’s positions towards his/her readers/listeners, and it
influenced the grammatical structures of their utterances. Secondly, the usage
of vocabulary also produced a difference. Text 1 is more formal than Texts 2
& 3. Colloquial phrases and casual expressions were determined in Texts 2
& 3. Such wording, along with interjections, produced an intimacy in texts.
― 111 ―
Finally, there is a difference about how to construct the learning process
and subject matter. Although the three texts are teaching a certain matter
to children, the process of teaching/learning is very different in each text.
Text 1 was teaching technical knowledge after experimenting with familiar
things; Text 2 was teaching the universal fact by mentioning general facts at
first, and then a certain incident; Text 3 was teaching technical knowledge
by encouraging children to find answers by themselves.
Considering that language is a tool of communication in its spoken and
written forms, it should be a means of interaction among interlocutors;
information is delivered from one person to another in language. People
express their feelings, ideas, objective facts and so on, by carefully choosing
lexical items and grammatical structures. Hence, it is important to understand
that language is influenced by an interlocutor’s condition, and situation,
which means the social context. In terms of Systemics, an understanding
of the social context should help L2 learners to develop their understanding
of language.
References
Bloor, T. and Bloor, M. (2004). The Functional Analysis of English: A Hallidayan
Approach. 2nd ed. New York: Arnold.
Halliday, M. A. K. (2002). On Grammar. 2nd ed. London: Continuum.
Lock, G. (1996). Functional English Grammar: An introduction for second language
teachers. Cambridge: Cambridge University Press.
Martin, J. R., Matthiessen, C. M. I. M., and Painter, C. (1997). Working with Functional Grammar. London: Arnold.
Webb, A. (1987). Talk about Sound. London: Franklin Watts.
White, P. R. R. (2000). Functional Grammar. Birmingham: CELS.
― 112 ―
语义角色清单
余 求 真
论文提要 :
本文主要探讨了不同语法理论中语义角色的界定及分类,分析了当前语
义角色研究中存在的主要问题 :语义角色的性质、分类、提取、标志及层级
性问题。最后分析了语义角色句法配位所要解决的问题。
关键词 :语义角色
格
配价 题元
论元
语义角色在不同语法理论中有不同的名称,其在格语法中称为语义格,
在配价理论中称为动词的价,在题元理论中称为论元或题元。虽然各家名称
不同,在定义、提取、分类方面也存在一定的差别,但语义角色在本质上都
是揭示句子中核心动词和名词之间的语义关系。
一、不同语法理论体系下的语义角色分类
1.0 格语法理论
上个世纪六十年代美国语言学家菲尔墨(C.J.Fillmoere)提出格语法理
论。格语法中的“格”是指在基础结构中,和作谓语的定式动词有语义结构
关系的一个或几个名词。在菲尔墨看来,格关系是句子深层结构里的名词和
谓语动词之间的一种固定不变的语义结构关系,这种关系和具体语言中的表
层结构上的语法概念没有对应关系。
― 113 ―
菲尔墨从英语出发,提出了如下的格:
施事格、工具格、与格、使成格、
处所格、客体格、受益格、源点格、终点格、伴随格等。
格语法对汉语语法的分析也产生了深远影响。最早运用格语法理论研究
汉语的学者是李英哲,他在《汉语语法中格的调查研究》一文中,把汉语的
格分为九种 :施事格、工具格、与格、使役格、方位格、客体格、施役格、
永存格、伴随格。
孟琮等编纂的《动词用法词典》
(上海辞书出版社,1987),把名词宾语
按其与动词的格关系分为十四类 :受事、结果、对象、工具、方式、处所、
时间、目的、原因、致使、施事、同源、等同、杂类。
李临定(1986)《现代汉语句型》中划分了 21 个格 :施事、受事、结果、
对象、关涉、条件、范围、方面、工具、材料、方式、手段、依据、凭借、
原因、目的、时间、处所、起点、终点、方向。
鲁川、林杏光认为格系统是一棵树,上层是“句子的语义成分”,有主
体、客体、邻体、方式、根由、环境六种 ;下层是“格”,一共分为十八种。
其中主体包括施事、当事、系事 ;客体包括受事、结果、对象 ;邻体包括与
事、伴随、关涉;方式包括工具、凭借、样式;根由包括依据、原因、目的;
环境包括时间、处所、情况。
2.0 配价理论下的动词配价成分讨论
配价理论认为,在一个句子中,动词处于中心地位,动词的从属成分可
分为两类 :配角成分和说明成分。配角成分参与句子动词的行为,一般以名
词性成分出现,配角成分可以分成三种,分别相当于传统语法的主语、直接
宾语和间接宾语。说明成分用于说明动词发生的地点、时间、方式和方法。
价反映了动词对其他词项的支配能力,具有不同的支配能力的动词有不
同的价。
在确定价的数量问题上,语法学界主要的争论是,在什么样的句法框架
中提取价的指数,由介词引导的名词性成分要不要计入价的指数,用什么方
法来确定配价成分。
― 114 ―
袁毓林(1987)认为应当在动词出现的所有句法结构中,选取与之同现
的名词最多的结构,在这个句法结构中提取向的指数。
吴为章(1993)认为,动词的“配价”应当是无标记的名词性成分,在
结构中是动词直接关联的支配成分,由介词引进的有标记名词性成分不能称
为动词的
“价”
。依据吴的分类,动词的价有三类,相当于传统句法结构中的
主语、直接宾语和间接宾语。
张国宪依据价载体所带补足语的数量把价分为单价、双价和三价 ;依据
价载体对所带补足语的强制性程度把价分为必有价和可有价 ;依据补足语是
否有标记把价分为有标记价和无标记价 ;依据补足语的稳定程度把价分为静
态价和动态价。
3.0 题元理论下的论元角色
题元理论提倡借助数理逻辑的方法研究语义和解释语义与句法之间的匹
配关系。从数理逻辑中引进的术语“论元”相当于“价”的概念。
沈阳(1998)认为“题元是句法和意义的一种接口成分。义素分析或语
义特征分析最后往往陷入繁杂琐碎的境地,而题元理论通过某些语法手段把
数量有限的题元语法化。
在题元角色分类问题上,也碰到了类似语义格分类、动词配价划分的难
题。讨论题元分类有两种情况。一种是尽量往细分,如 Fillmore、Jackendoff、
Talmy 等。另一种倾向是尽可能把题元角色定得概括些,如 Dowty。
传统的观念认为题元角色是离散的、清晰的概念,这样处理的后果是题
元角色的数目难以确定。因为谓词的意义决定题元角色,谓词的意义又是十
分丰富、复杂的,用“施事、受事、感事、与事”等角色名称不能概括所有
动词的语义类别。
Dowty(1991)认为整个题元系统无法切割成一个个离散的角色,所以逐
个划分和定义题元从本质上看是没有意义的。由于最主要的题元特性是从动
词决定的名词所共有的语义特征中提取的,所以只需要把题元分成两大类,
并通过一些可以判定的要素来定义各种题元语义性质的值,也就可以有效地
― 115 ―
描述整个题元系统了。他把这两大类题元称为“典型施事”和“典型受事”。
二、语义角色研究存在的问题
在研究语义角色的句法配位之前,我们先要搞清楚以下几个问题 :
1、语义角色的性质
2、语义角色的分类
3、语义角色的提取
4、语义角色的形式标志
5、语义角色的层级性
1、语义角色的性质
鲁川认为现代汉语的“格”指的是“语义格”
。格关系指的是句子的表述
中心的谓词跟周围的体词之间的及物性关系。格范畴是跟句法密切相关的语
义范畴。
关于配价的性质,主要有三种观点 :
(1)配价是一种语义范畴 ;
(2)配
价是一种句法范畴 ;
(3)配价是一种“句法—语义”范畴。
吴玉章把“价”(
“向”
)列入语法范畴,认为它属于语法平面,是大多数
人的共识。袁毓林(1987)认为,
“向”是动词跟名词性成分发生句法、语义
联系而表现出来的一种性质,它表征着动词在一个句法结构中所能关联的名
词性成分的数量。
“向”
是一种建立在句法基础上的语法范畴,是动词的组合
功能的数量表征,当然也得承认,动词的“向”有相当的语义基础。
范晓(1991)认为动词的价分类属于语义平面,动词的价根据动词在一
个动核结构(或称述谓结构)中所联系的强制性的语义成分的数目决定的。
廖秋忠(1984)指出 :
“支配成分主要是语义即认知上的概念。”
2、语义角色的分类
格语法中对语义格的分类是尽量往细里分。孟琮把名词宾语按其与动词
― 116 ―
的格关系分为十四类:
受事、结果、对象、工具、方式、处所、时间、目的、
原因、致使、施事、同源、等同、杂类。
题元分类也有两种情况。一种是尽量往细分,如 Fillmore、Jackendoff、
Talmy 等。另一种倾向是尽可能把题元角色定得概括些。Dowty(1991)认为
整个题元系统无法切割成一个个离散的角色,所以逐个划分和定义题元从本
质上看是没有意义的。由于最主要的题元特性是从动词决定的名词所共有的
语义特征中提取的,所以只需要把题元分成两大类,并通过一些可以判定的
要素来定义各种题元语义性质的值,也就可以有效地描述整个题元系统了。
他把这两大类题元称为“原型施事”和“原型受事”。Dowty 实质上是把题元
角色作了二元划分,把原型施事和原型受事看做联系所有题元角色的两个极
点,从而构成一个非离散的连续统。Dowty 还归纳出了原型施事和原型受事
各自的语义特征。
语义角色本质上源自人们对由动词所激活的语义场景的认识,难免有一
定的模糊性,不容易用一种形式化的办法来严格定义。Dowty 采用原型理论,
把语义角色看作一个系统,原型施事、原型受事分别处于这个系统的两端,
也不失为解决语义角色划分的一个途径。
3、语义角色的提取
各家都试图在一定的框架内提取语义角色。
鲁川、林杏光在概括各类语义格关系时,严格遵守“格关系是句子核心
谓词跟周围体词的及物性关系”的定义。他们还认为汉语的格的形式标志是
介词和语序。
吴为章(1987)对决定动词向的必有成分作出了两项限制 :
(1)位置的
限制,必有成分是能够出现在主语或宾语位置上、跟动词发生显性的主谓或
述宾关系的成分 ;
(2)意义的限制,只有表示施事、与事、客体等及物性关
系的从属成分才能决定动词的向,而工具、方向等状语性的成分不参与决定
动词的向。吴为章(1993)认为,决定汉语动词的向的因素是在一个简单句
中与动词同现的必有成分。袁毓林(1987)认为应当在动词出现的所有句法
― 117 ―
结构中,选取与之同现的名词最多的结构,在这个句法结构中提取向的指数。
词汇功能语法则认为“配价”能力是词汇意义决定的,仅凭词汇意义就
可以预测和确定一个词语的配价。周国光(1994)认为,动词在静态状况下,
其词汇意义是稳定的,因此根据动词的词汇意义来确定动词的配价,既可以
稳妥地确定动词的价量,也能够确定动词的价质。吴为章(1996)认为仅凭
词汇意义预测配价存在问题,主要表现在两个方面 :有些“配价”不能从词
汇意义预测,而是句式带来的 ;而有些凭词汇意义可以预测的语义成分,在
语言事实中,通常倒不大出现。
其实确定题元有两个途径,一是只考虑句法选择,依靠一套句法程序来
确认,比如只有能直接受动词支配的名词才算题元等等 ;一种是只考虑语义
选择,即把能够出现在动词结构中与动词具有某种语义关系的名词都看作题
元。
4、语义角色的形式标志
鲁川、林杏光认为“汉语的格的形式标志是介词和语序。”
关于确定配价成分的测试方法,文炼、袁杰(1990)主张用省略法(即
消元测试)来确定汉语中动词的必有成分。例如:
我(明天)要(在砧板上)
(用这把刀)(替她)切肉。括号中的成分均可省略,剩下“我切肉”不能再
缩略了,因而动词“切”就要求由两个必有成分,是双向动词。范晓(1991)
尝试从形式上来给动词定价。
袁毓林(2003)考察了现代汉语动词常见的 17 种论元角色的语法表现,
从语法形式上界定不同的论元角色的一套语法指标。
各家都在努力寻找语义角色的形式标准。
5、语义角色的层级性
鲁川(1989)认为每个核心谓词都要求有若干个格,有些格是“必要格”,
有些格是“可选格”
。而他们给每个谓词列出的“格框架”,其实是该谓词的
“必要格”以及每个格的语义特征。但是鲁川没有明确怎样区分“必要格”和
― 118 ―
“可选格”
。
林杏光(1993)认为围绕着格的数量展开争论不是进一步深入研究现代
汉语格关系的关键所在。增加几个格或减少几个格并不能解决目前的纷争,
格的系统是应该有层次的。格系统的层次越高,格的数字就越少,格系统的
层次越低,格的数字就越多。鲁川、林杏光(1989)提出了一个比较完备的
格系统,整个格系统分四个层次。最高层次是“格”。第二层次是“角色”和
“情景”
。角色是人物,情景是人物活动的范围。第三层次分七类 :主体、客
体、邻体、系体、凭借、环境、根由。每一类下再分不同的格,总共 22 个格。
袁毓林(2002)认为,
“动词的各种论元角色可以根据其句法、语义特
点而聚合成不同层级的类,从而形成一个论元角色的层级体系。
”袁描述的
层级体系包括,论元包括一般论元和超级论元,一般论元下包括核心论元和
外围论元,核心论元是动词的必有论元,它们是构成基本的述谓结构必不可
少的成分。核心论元下又分可以作主语的施事、感事、致事、主事等主体论
元,可以作宾语的受事、与事、结果、对象、系事等客体论元。外围论元则
以作状语为主,主要包括工具、材料、方式等。
刘顺(2004)认为,根据格角色在句模结构中的必要性,可以分为强制
格和自由格。刘认为 :
“在一个语义结构中,有些语义角色的出现是强制性
的,有些语义角色的出现则是非强制性的,强制性出现的语义角色称为强制
格,非强制性语义角色称为自由格。
”
刘顺认为在现代汉语中,强制格主要有
主体格、客体格、与格 3 大类,每一大类下又可细分不同的小类 ;自由格主
要有时间格、处所格、工具格、材料格等 11 类。可以说,刘是依据不同的语
义格在句法结构中的地位来划分强制格和自由格的。在孤立句中采用删除的
办法来鉴别强制格和自由格。
我们可以看出,袁毓林和刘顺虽然对语义角色的层级划分上有些不同,
但是他们也有共同点 :一是认识到语义角色细分起来虽然名目繁多,但是不
同语义角色在句法结构中的重要性是不同的 ;二是他们都以语义角色在句法
结构中的地位来划分语义角色的层级,无论是刘顺所提出的强制性和非强制
性,还是袁毓林提出的核心和外围,本质上都是述谓结构中核心动词所控制
― 119 ―
的必不可少的语义角色。那么我们根据什么样的标准控制述谓结构的意义自
足的语义成分?还是需要进一步探讨的问题。
刘顺以句子的自足与否区分强制格和非强制格,在形式上可以在孤立句
中采取删除的办法来鉴定。即在孤立句中,某个名词性成分删除后影响句子
的自足,该成分是强制格,反之是自由格。
三、Dowty 原型理论及存在的问题
Dowty 提出原型施事和原型受事概念,有效解决传统题元角色理论存在
的问题。Dowty 提出一组语义特征,这些语义特征是谓词语义能够给它的论
元赋予的蕴涵,它们分别归入原型施事特征和原型受事特征。
Dowty 理论存在的问题。正如 Levin and Rappaport(1996)指出的那样,
Dowty 的原型角色理论最大的问题是没有解释和原型角色相联系的那些特征
的来源和本质,没有说明原型施事特征和原型受事特征之间的可能关系,没
有解释哪些蕴含特征的组合是可能的哪些是不可能的。
其次,Dowty 的论元选择原则集中讨论的是及物动词的论元选择,没有
包括其他动词的论元选择情况。
最后,Dowty 列出的原型施事和受事特征只是特征数目起决定作用,特
征本身并没有重要性上的差异。
Dowty 的原型理论从论元的句法选择角度入手,原型施事和原型受事概
念的提出有效地回避了传统语义角色理论存在的问题。但是 Dowty 理论也有
其局限性,语义特征来历不明,各特征之间缺乏层级性等。
我们的设想是先探讨影响动词句法实现的意义特征,找出动词的句法语
义原型 ;这些动词的原型意义又同时构成原型施事和原型受事的语义特征。
我们希望这样能把语义角色的蕴含和动词的句法意义结合起来(二者本来就
是有内在联系的),这样既分析了动词的句法意义,又探讨了动词句法意义的
句法表现。
吸收 Dowty 理论,并对 Dowty 归纳的语义特征作进一步分析探讨,在此
― 120 ―
基础上对传统语义角色的语义特征进行重新描述 ;并运用 Dowty 理论分析汉
语动词的句法语义配位特征(陈平做过示范,但还没有对汉语动词进行大规
模讨论);
运用动词的句法语义原型,重新描写原型施事和原型受事,并克服
Dowty 理论存在的问题找出这些语义特征的层级性,重新考察语义角色的句
法实现。
参考文献
专著类 :
高明乐,《题元角色的句法实现》,北京,中国社会科学出版社,2004。
李临定,《现代汉语句型》,北京,商务印书馆,1986 年。
李临定,《现代汉语动词》,北京,中国社会科学出版社,1990 年。
吕叔湘,《汉语语法分析问题》,北京,商务印书馆,1979 年。
论文类 :
陈平,“试论汉语中三种句子成分与语义成分的配位原则”
,
《中国语文》
,1994 年,
第 3 期 ,161-168。
程工,
“评《题元原型角色与论元选择》”,
《国外语言学》
,1995 年,第 3 期,29-33。
范晓,“动词的‘价’分类”,《语法研究和探索》,1991 年,第 5 期。
顾阳,“论元结构理论介绍”,《国外语言学》,1994 年,第 1 期。
李临定,“施事、受事和句法分析”,《语文研究》,1984 年,第 4 期,8-17。
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《现代外语》
,1997 年,第 4 期,
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“题元理论与汉语配价问题”,
《当代语言学》
,1998 年,第 3 期,1-21。
袁毓林,“论元角色的层级关系及语义特征”,《世界汉语教学》
,2002 年,第 3 期,
10-22。
袁毓林,
“论元结构和句式结构互动的动因、机制和条件”
,
《语言研究》
,2004 年第
12 期,1-10。
张国宪,“有关汉语配价的几个理论问题”,《汉语学习》
,1994 年,第 4 期。
― 121 ―
テレビの中のフランスおよびフランス語圏
―放送翻訳に見る番組制作の傾向と学生の意識―
竹 本 江 梨
1.はじめに
本稿では、日本のテレビメディアを通して伝えられる「フランス」およ
び「フランス語圏」情報を分析し、フランス語専攻の学生にとってテレビ
が有効な情報ツールとして認識・利用されているかどうかを考察する。
まず、フランス語から日本語への放送翻訳をデータとした分析を行う。
翻訳会社がテレビ局から受注した翻訳案件数およびその内容の統計をと
り、番組制作側が選択するフランス/フランス語圏情報の傾向を明らかに
する。次に、名古屋外国語大学外国語学部フランス語学科の学生を対象に
行ったアンケート結果を基に、学生とテレビとのかかわりを考え、
「情報
ツール」そして「知識教育のための視聴覚教材」としての、テレビの有効
性を検討する。
放送翻訳とは?
テレビで外国人の記者会見やインタビューが放送される場合、それに
は必ず日本語の字幕が付けられているか、または吹き替えや V.O.(Voice
Over:原語をごく小音量で残したまま、訳語をかぶせて録音したもの)
で、一般の視聴者も問題なく内容を理解できるようになっている。その基
となる翻訳は「放送翻訳」または「ビデオ翻訳」と呼ばれ、多くの場合、テ
レビ局が翻訳会社に対して翻訳者の派遣あるいは在宅作業として発注し、
翻訳会社は素材の内容その他の条件から適任と思われる翻訳者に作業を委
― 123 ―
託する。基本作業は、録画された素材から原語の発言内容をすべて聞き取
り、翻訳することである。その際、画面に表示される「タイムコード(い
つ発言されたかを時・分・秒で示したもの)
」をセンテンスごとに明記する
(表 1)
。
表 1 放送翻訳の一例
06:07:43
0746
0749
0754
0757
0802
0805
A:いろいろなシーズンのものですよ。
これは新作のバスケシューズです。素材が新しいんです。
2年前のシーズンで発表したジーンズに、昨シーズンのシャツ、
ネクタイは新しいもので、ジャケットは4シーズン前のものです。
以前から持っていると新しいものを組み合わせるのが、大好きなんです。
着こなしとは、そういうことです。
愛着のあるものを着る、ということですね。
0807
Q:自分が着ていて、気持ちのいいものを着る、ということですか?
2.テレビメディアの外国関連情報:先行研究における共通の問題点
テレビメディアによる外国関連情報を扱った先行研究には、共通した問
題点が見られる。それはデータ収集の難しさである。小玉(2008)はテレ
ビ局が「著作権」を理由に放送後の番組内容の提供を拒むことが多く、そ
のため、データは研究者自身が独自に録画したものに限られ、結果的に特
定の番組分析にならざるを得ないと指摘している。実際、先行研究の対象
の多くはいわゆる
「報道番組」
、つまりニュース番組である。一つの報道番
組の内容は多岐にわたるものの、山本(2007)によると、そのうち「ソフ
トニュース」
(スポーツ、文化、話題、気象、PR など」)(注 1)に焦点をあ
てた先行研究はない。つまり、分析対象の多くは「ハードニュース」
(政
治、経済、社会、重大な事件 / 事故など)ということになる。
しかし、ソフトニュースあるいはそれに準ずる趣旨の情報は、報道番組
内に限らず、幅広い番組層で放送されている。その中には NHK の『世界遺
産への招待状』のように、あるテーマを特化した番組もあれば、関西テレ
― 124 ―
ビ・フジテレビ共同制作のバラエティ番組『SMAP × SMAP』にアラン・ド
ロン(フランスの国民的俳優)がゲストとして招かれ、ブイヤベース(マ
ルセイユの郷土料理)を注文するといった内容もある(2007 年 10 月 8 日放
送)。言い換えれば、ソフトニュースやそれに準ずる情報は、報道番組以
外で取り扱われることが多く、
「録画」という方法では網羅できないため、
先に述べたデータ収集の問題に直面し、研究しにくい対象となっていると
考えられる。
この問題は、テレビメディアによるフランス/フランス語圏情報の分析
を試みる場合においても、大きな支障となる。というのは、EU の主要国
であり、国連安保理常任理事国でもあるフランスの発言や動向がハード
ニュースとして伝えられるのは珍しくないが、そればかりではなく、ソフ
トニュースやそれに準ずる情報においても、フランスおよび他のフランス
語圏地域はたびたびテレビに登場するからである。そこで、今回は視点を
変えたテレビメディア情報研究のデータ収集を試みた。つまり、放送され
た番組ではなく、番組制作段階でのデータを収集する方法である。
3.放送翻訳案件の受注数およびその内容の分析
① データの概要:
今回、テレビ局から放送翻訳の受注を請け負っている民間の翻訳会社
4 社より(注 2)
、2006 年 7 月から 2009 年 6 月まで 3 年間のデータ提供を受け
た。各社のデータを総合すると、NHK および民放テレビ局の各番組まで幅
広い受注データがそろう。しかし、残念ながら、今回の試みも「データ収
集の壁」を完全に乗り越えることはできなかった。というのも、NHK の主
な報道番組から発注される放送翻訳案件が、このデータには含まれていな
いのである。つまり、総合テレビの『ニュース 7』や『ニュースウオッチ
9』
、または『海外ネットワーク』や BS1 の『きょうの世界』など、外国関
連情報を多く取り扱っている番組のデータは入手不可能であった(注 3)
。
よって、データの多くは民放テレビ局から受注した案件になるが、NHK の
― 125 ―
ドキュメンタリー/教養、芸術関連の番組なども一部データに含まれてい
る。また、今回の分析では各テレビ局の特徴に焦点をあてたものではなく、
総合的な視点に立つものであるため、局ごとの集計は行わない。
② 放送翻訳案件の総合受注数:
2006 年 7 月から 2009 年 6 月までの 3 年間、翻訳会社 4 社が受注したフラン
ス語翻訳(仏→日)案件総合数は 686 件であり、1 年 365 日の日割り計算に
すると、約 1.5 日に 1 件の割合である。この案件数を同じ期間内の英語およ
び中国語の案件数と比較してみる(図 1)
。
図 1 2006 年 7 月~2009 月 6 月の案件数:英語・仏語・中国の比較
フランス語の翻訳案件数を 1 とした場合、英語は約 7.6 倍である。英語の
案件数には様々な国の情報が含まれるが、そのうちの多くをアメリカ関連
の報道が占めることは想像に難くない。実際、報道番組でアメリカの大統
領の顔を見ない日があるだろうか。
それに対して、中国語の案件数はフランス語の約 1.7 倍である。東アジア
地域の国際情勢に大きな影響を与える中国政府の動きや、世界的な注目を
集める中国の経済情報がハードニュースとして日常的に取り上げられてい
― 126 ―
る一方で、フランス/フランス語圏地域の政治・経済情報がテレビメディ
アを通して伝えられるのは、サミットのような国際会議が開かれた場合や
大きなストライキなど労働問題が起こった場合に限られていることを考え
ると、
「1.7 倍」は意外に少ない数字と言えるかもしれない。これは、先に
述べたように、フランス/フランス語圏地域関連の情報はハードニュース
以外のもの、つまり多くのソフトニュース的な話題が含まれていることを
示唆している。この仮定を検証するためにはフランス語翻訳案件数を内容
ごとに分類していく必要があるが、テレビメディアによって伝達される情
報数およびその内容は、時の話題や情勢によって大きく左右されるため、
前説として、フランス語翻訳案件数の期間別推移について触れておく。
③ フランス語翻訳案件数:期間別推移
図 2 は 2006 年 7 月から 2009 年 6 月まで 3 年間のフランス語翻訳案件数を 1
年ごとに区切り、示したものである。これを見ると明らかなように、期間 I
と期間 II では案件数にそれほど差がない。それぞれの期間の主要な情報と
しては、I では 2006 年 6 月から 7 月にかけて行われた FIFA ワールドカップ
ドイツ大会でフランスチームが決勝まで進出したこと、そして 2007 年 5 月
図 2 フランス語翻訳案件数の期間別推移
I. 2006 年 7 月~2007 年 6 月:249 件
II. 2007 年 7 月~2008 年 6 月:254 件
III. 2008 年 7 月~2009 年 6 月:183 件
3
2
1
I : 249件
II : 254件
III : 183件
― 127 ―
の大統領選でサルコジ大統領が就任したことなどが挙げられる。また II で
は、2007 年 11 月に発行された『ミシュランガイド東京 日本語版 2008』関
連の情報、北京オリンピック開催前の 2008 年 4 月に、チベット問題に絡ん
でフランスや世界各地で激しい抗議活動が起きたことなどが挙げられる。
それに比べて、期間 III は前年比で約 3 割の急激な落ち込みを示してい
る。これは伝えるべき情報が減少したのでない。減少したのは「テレビ広
告費」である。電通の発表によると(注 4)
、2008 年のテレビ広告費は 1 兆
9,092 億円で前年比の 4.4 %減である。内訳は、
「番組広告」が 8,656 億(前年
比 2.3 %減)
、番組と番組の間に流す「スポット広告費」が 1 兆 435 億円(前
年比 6.9 %)
であり、特に 2008 年後半はアメリカのサブプライムローン問題
に端を発する世界同時不況の影響があったことを指摘している。
また、ある民放テレビ局の公開 IR 情報によると(注 5)、2009 年 2 月か
ら 6 月までの広告セールスは前年比の 10 %から 20 %減と二桁の減少を記録
している。これらの減収を受け、テレビ局は大幅な経費削減を迫られるこ
ととなり、
「放送翻訳案件数」もその余波を受けたのである。テレビ局は
翻訳の発注を減らすため、できる限り翻訳をしなくても済む、あるいは翻
訳作業を短く済ませられる番組制作に一時転換した。つまり、外国関連情
報、特に緊急性や重要性の低いソフトニュースは削減され、ハードニュー
スでさえも、発言者本人(例:サルコジ大統領)の肉声に字幕を付けたり
V.O. にする代わりに、発言者の姿が確認できる映像(例:記者会見)とと
もにアナウンサーやナレーターが
「サルコジ大統領が○○と発表しました」
と間接引用を用いた原稿を読み上げる形式の伝達が増えたのである。萩原
(2007, p. 8)は「…テレビにおける外国関連報道は、新聞以上に大きな変
動を示す可能性が高く、情報流通の偏りや報道内容の歪みが顕在化する可
能性も高いように思われる」とし、小玉(2008)もジャーナリズムは多く
の場合、商業的な活動であり、経済面から見て効率的な作業を目指すため、
その取材システムの中に報道の偏りが内包されていることを指摘している
(注 6)
。
― 128 ―
上記のような状況を踏まえた上で、以下ではフランス語翻訳案件の内容
分類を試みる。
④ フランス語翻訳案件:内容分類の複雑さ
これまで、テレビメディアによる外国関連情報を「ハードニュース」「ソ
フトニュース」という 2 つのカテゴリーで見てきたが、686 件のフランス語
翻訳案件の内容を検討するには、さらに細かい分類が必要となる。
また、内容を 1 つ 1 つ見ていくと「ハード/ソフト」という二極的な区分
けが不都合と考えられる情報も出てくる。2007 年 9 月にベルギーで起きた
殺人事件がその一例である。この事件は被害者の遺体のそばに「WATASHI
WA KIRA DESS」
とローマ字書きした 2 枚のメモがあったことから、現地の
メディアが日本の人気マンガ『デスノート』の主人公の別名「キラ」を指す
のではないか、マンガに触発された猟奇殺人ではないか、と報じ、日本で
も「デスノート殺人事件」として報道された。この場合、「人が殺された」
という客観的な事実以上に、
「日本のマンガが引き起こしたのか?」という
話題性に焦点が当てられているため、
「殺人事件の報道→ハードニュース」
という当てはめ方には違和感がある。そういった点を踏まえ、新たに次の
9 つの分類を試みた。
A)
政治・経済・社会問題・大きな事故・災害・テロなど
B)
事件・イベントなど、単発的な話題として取り上げられるもの
C)
音楽・映画・演劇などエンターテイメント的な要素のもの
D)
美術・文学など
E)
旅行・文化(歴史も含む)
・生活などの現地情報
F)
料理・ワインなど、飲食関連
G)
スポーツ(競馬も含む)
H)
ファッション・美容
I)
ゴシップ
― 129 ―
翻訳案件の中には、少数ながら、上記の分類の 2 つにまたがるものもあ
る。たとえば、2007 年 10 月、パリのオルセー美術館に忍び込んだ若者グ
ループによって、モネの絵画が毀損される事件が起きたが、これは普遍的
な意味で「事件」であると同時に、
「美術作品の毀損」という話題でもあ
るため、上記の B)と D)に当てはまると考える。また、2008 年 2 月には
フランスのサルコジ大統領が再婚したが、政治問題とは関係がなく、再婚
相手である元スーパーモデルの女性や前妻の話が取りざたされるなど、そ
の内容から鑑みて I)と判断した。分類の判断は、テレビ局から翻訳会社に
示された録画素材の見出し的な概略(例:
「スイスの時計産業関連インタ
ビュー」
)を基に、伝達される内容の焦点を判断基準とする。
⑤ フランス語翻訳案件:内容分類
図 3 は 3 年間の案件総数を内容別および件数の多い順に示したものであ
り、図 4 はその内容別案件数が 3 年間でどう推移しているかを 1 年ごとに表
している。案件総数が最初に提示した 686 件よりも多いのは、前述のとお
り、1 つの情報がいくつかの内容分類にわたってカウントされる場合があ
るためである。
3 年間の総数(図 3)では、政治・経済・災害・テロなどのいわゆるハー
ドニュース的な情報が最も多い。これは報道番組の数の多さや放送回数の
頻繁さ(例:毎日定時に放送される)によるものだと思われる。興味深い
のは、先ほど図 2 で見たように、期間 III(2008 年 7 月~2009 年 6 月)では
経済的な理由から全体的な翻訳案件数そのものが減少し、図 4 でもほとん
どの内容で案件数が減っているのに対し、政治・経済は前年 II(2007 年 7
月~2008 年 6 月)を上回り、高い案件数を保っている点である。皮肉なこ
とに、これはその世界経済危機への対策として重要な国際会議が何度も行
われ、その動向にメディアが注目したことが一因だと考えられる。
総数で 2 位を占めたのは、スポーツである。とりわけ、図 4 を見ると期
間 I(2006 年 7 月~2007 年 6 月)が突出していることがわかる。これは先ほ
― 130 ―
図 3 3 年間のフランス語翻訳案件総数:内容別
図 4 3 年間のフランス語翻訳案件数推移:内容順位別
ど述べたように、FIFA ワールドカップドイツ大会決勝戦のフランス対イタ
リアが大きく取り上げられたためだ。しかし、実は注目を集めたのは華麗
なプレーではなく、フランス代表のジダン選手がイタリアのマテラッツィ
選手の暴言に腹を立て、頭突きをした、という出来事であった。ジダン選
― 131 ―
手は退場となり、世界中がこのニュースに飛びついたが、これはサッカー
の試合の最中に起こったものであり、またサッカー界での人種差別や暴言
が以前から問題視されていることから、この出来事は「スポーツ」の分類
とし、
「ゴシップ」や「事件(傷害、殺人、盗難など)」とは判断しなかっ
た。また、ワールドカップ以外でも、フランス国籍のサッカー選手が各国
のプロリーグで活躍しているため、スポーツ番組で試合後のインタビュー
なども翻訳案件としてよく扱われている。
総数の 3 位以下は、案件数そのものは多くないが、ソフトニュース的情報
が多岐にわたることがうかがえる。音楽・映画などのエンターテイメント
的な情報では、カンヌ映画祭、東京フランス映画祭など、特に映画情報が
毎年定期的にテレビメディアを通じて伝えられており、文化・旅行などの
内容では、世界遺産の紹介番組のみならず、フランス各地の旅行情報を特
集した番組もよく制作されている。ファッションについては、テレビより
も雑誌を媒体にしての情報流通が盛んだが、民放の BS 放送でファッショ
ンに特化した番組があるため、翻訳案件数は安定している。また、2008 年 6
月にデザイナーのイブ・サンローランが逝去したため、期間 III の案件数が
伸びている。飲食関連で期間 II が突出しているのは、前述のとおり、2007
年 11 月の『ミシュランガイド東京 日本語版』発行が注目を集めたためで
ある。有名シェフや、元ミシュランガイドの覆面調査官だった人物などの
インタビューがいくつも翻訳されている。
政治・経済・社会問題・テロ・災害などハードニュースと呼ばれる内容の
翻訳案件数に対し、他をすべてソフトニュース的な情報と位置づけると、
その対比は次のとおりである(図 5)
。
ソフトニュース的な情報はハードニュースの約 1.9 倍である。前述のと
おり、「ハード/ソフト」という二元的な分類では割り切れない部分はあ
るが、それを差し引いても「フランス/フランス語圏関連情報はソフト
ニュース的な内容が重要な位置を占める」と言えるだろう。言い換えれ
ば、テレビメディアを通じて構築されているこの地域のイメージは、ソフ
― 132 ―
トニュース的情報への依存が強いということになる。そして、この地域に
限定した観察ではあるが、ソフトニュースの中にネガティブな情報は稀で
ある。
図 5 フランス語翻訳案件数の対比:ハードニュース/ソフトニュース
ハード
ニュース
232 件 34%
ソフト
ニュース
450 件 66%
⑥ フランス語翻訳案件:地域別分類
放送翻訳案件に関する分析として、最後に地域別の分類を試みたい。し
かし、これも複雑な要素を見極め、何を判断基準とするかを明確にしなけ
ればならない。判断の基準は「何を訳すために、フランス語翻訳者が必要
とされているか」という点である。たとえば、
「日本のホテルで料理長を
務めているフランス人シェフのインタビュー」の場合、場所は日本である
が、発言者はフランス人でフランス料理の話をしているため、地域分類は
「フランス」となる。また、モナコでの F1 関連の仕事をしているフランス
人スタッフは、その話の内容から「モナコ」
「フランス」と 2 つの地域にカ
ウントした。また、アフリカと海外領土(注 7)はそれぞれ単体として扱
い、詳細は後述する(表 3)
。情報不足、あるいは判断が極めて困難な場合
は「不明」とする。
図 6 および表 2 で明らかなように、3 年間で日本のテレビ局が発注したフ
ランス語の翻訳案件は、圧倒的にフランス本土関連の情報である。つまり、
他のフランス語圏地域の情報は、ほとんど日本人視聴者に対して発信され
ていない。アフリカが 2 位に入っているのは一見、意外な結果かもしれな
いが、これは複数の国を 1 つにまとめたためである。
― 133 ―
図 6 フランス語翻訳案件数の対比:地域別分類
モナコ 1%
カナダ 2%
ベルギー
2%
スイス 2%
アフリカ
4%
海外領土 不明 12%
1%
フランス
76%
表 2 フランス語翻訳案件数:地域別分類
地域
案件数
フランス アフリカ
531
27
スイス
ベルギー カナダ
16
15
モナコ 海外領土 ハイチ
11
6
5
1
不明
82
表 3 フランス海外領土およびアフリカの内訳
海外領土
ニューカレドニア
タヒチ
案件数
4
1
アフリカ
コンゴ民主共和国
ガボン
コートジボワール
3
セネガル
案件数
7
3
アフリカ
ブルキナファソ
ベナン
マダガスカル
モロッコ
ソマリア
3
不明
案件数
1
1
1
1
1
6
データを収集した 3 年間のうち、アフリカは 9 つの国に不明情報 6 件を足
しても 27 件であり、各国の内訳を見ても非常に少ないことが分かる。もち
ろん、フランス語圏でありながら登場していない国も多い。ソマリアはフ
ランス語圏ではないが、1件だけ例外的な案件があった。アフリカ関連情報
の内容は食糧危機、環境問題などハードニュース的なものが主である。海
外領土についても、3 年間で 5 件という非常に低い数となっており、ニュー
カレドニアは鉱物資源の問題、タヒチは旅行番組であった。
確かに、一般の日本人にとってフランス語圏地域は馴染みの薄い場所で
― 134 ―
ある。逆にそれだからこそ、テレビメディアが情報を伝える価値も必要性
もあるはずだが、先に述べたように、テレビメディアの情報流通システム
が経済活動的な影響を色濃く反映する現在、一体、誰のための情報が語ら
れているのであろうか?
⑦ 放送翻訳案件の分析結果に関する留意点
まとめに入る前に、本稿におけるデータの量的・内容的分析についての
留意点をあらためて確認しておきたい。本稿の分析対象は、あくまで番組
制作段階での翻訳案件数とその内容であり、実際に放送された情報数とは
異なる。番組制作において必要と判断され、翻訳されても、実際の放送に
は使用されない場合があるためだが、その主な理由は次のとおりである。
1)他の重大ニュースが入り、予定が変更になる。
2)翻訳された内容が、番組制作側が求めていたものと異なる。
1)については、萩原(2007, p. 7)が次のように指摘している:
「どの国
のニュースが多く伝えられるかは(中略)偶然性に左右される部分が少な
くない。国内で重大事件が発生すれば、その日の海外報道の比重は、必然
的に低下する」これは私自身も何度か経験したことがある。2008 年 10 月、
ある報道番組の発注で、金融危機対策に関するサルコジ大統領の発言を翻
訳していたが、作業の最中、ロス疑惑の三浦和義元社長が自殺したという
速報が飛び込んできた。テレビ局は騒然となり、結果的に海外報道は大幅
に縮小され、サルコジ大統領の発言は使用されなかった。
しかし、問題はむしろ 2)の理由である。番組制作側に「こういう発言が
あったら使いたい」という意向が先にあるということは、伝達するイメー
ジをすでに番組制作側が構築しているということであり、その意向にそぐ
わない「現実」は視聴者には伝えられないということになる。とはいえ、
視聴者自身が「現実」を見たいと思っているかどうか。それも非常に微妙
― 135 ―
な問題であり、
「娯楽」であると同時に「情報ツール」でもあるテレビへの
メディア・リテラシーが問われるところである。
⑧ 放送翻訳案件:内容分析のまとめ
ここまで、主にフランス語翻訳案件数とその内容を基に、日本のテレビ
メディアを通して伝えられるフランスおよびフランス語圏地域関連情報の
分析を試みてきた。以下にポイントをまとめたい。
◦ フランス語の翻訳案件数は 3 年間の総数で 686 件。1 日平均で換算する
と約 1.5 日に 1 件の割合であり、英語翻訳の案件数はその 7.6 倍である。
◦ テレビメディアによる情報流通は、テレビ局の経済状況に左右される
ため、不況下では原語のいかんにかかわらず、テレビ局が発注する翻
訳案件数が減少する。そのため、結果的に放送される外国関連情報の
数も減少し、内容の密度も影響を受ける。
◦ 外国関連情報全体を
「ハードニュース/ソフトニュース」という二元的
な分類にまとめるのは難しいが、フランス語の翻訳案件の内容はソフ
トニュース的な情報が多くを占め、ジャンルも多岐にわたっている。
◦ そのため、テレビメディアが構築しているフランス/フランス語圏の
イメージ(特にフランス)は、それらのソフトニュース的情報に大き
く依存している。
◦ フランス/フランス語圏関連情報のうち、少なくとも 76 %をフランス
本土の情報が占める。その他の地域関連情報は希少といえる。
こうしてみると、フランス/フランス語圏関連情報は緊急性・重要性が
高い「必然的」情報よりも、番組制作側の意図を強く反映した「選択的」
情報が多く伝達されていると考えられる。もちろん、どんなメディアでも
制作側の意図が反映されていない情報流通はありえないが、ハードニュー
ス的な内容から離れれば離れるほどその傾向が強く、また地域性に大きな
― 136 ―
偏りが見られることも、番組制作側の選択によるものである。ただし、当
然ながら視聴者の気に入るもの、求めているものを伝達することが現在の
大前提となっているため、
「情報伝達の偏り」の原因が番組制作側のみにあ
るとは言えず、また、意図的情報を盛り込んだ番組制作を一概に否定する
ことも、一面的な見方ではないだろうか。
「意図的かどうか」ということよ
り、「何が意図されているか」が肝要である。
しかし、フランス/フランス語圏関連の情報に限って言えば、
「視聴者が
興味を示すとわかっている旧知の情報」をただ更新しているだけのような
番組制作から、
「視聴者の興味を新たに開拓する情報」を伝達する番組制作
へと、もう少しシフトしてもいいのではないだろうか。パリを紹介する旅
番組で、毎回新しい穴場的カフェが登場しても、もうそれは「新しい」と
はいえない。カフェの映像が1つ増えただけであり、インターネットやガイ
ドブックにも同じような情報は山積みである。それよりも、産業界がアジ
アやアフリカといった新しい市場の開拓を試みているのと同じように、テ
レビ局も視点を変えた話題や未知の地域情報を、テレビの利を生かした新
鮮な映像とともに取り入れ、視聴者の新たな興味を開拓するイニシアティ
ブをとることで、将来的な 1 つの可能性が見いだせるのではないだろうか。
4.学生とテレビ
テレビで見るフランス/フランス語圏地域関連情報について、フランス
語専攻の学生の意識を探るため、2009 年 9 月に名古屋外国語大学外国語学
部フランス語学科の学生を対象にアンケート調査を行った。調査は質問紙
を配布し、その場で記入・回収する形で行い、有効回答は 215 件である(そ
のうち 13 件が性別記入漏れ)
。回答者の男女比は 23 %と 77 %で、女子学生
が男子学生の約 3.3 倍である。学年別では、1 年生が 33 %と最も多く、2 年
生と 3 年生がそれぞれ 23 %、4 年生が 21 %である。以下、結果を示す図は全
学年の総合回答数とする。
― 137 ―
① テレビの視聴時間とジャンルの傾向
若者のテレビ離れが叫ばれて久しいが、実際に学生は週にどのくらいテ
レビを見ているのだろうか。アンケート調査では次のような結果が出た。
全学年では、図 7 のとおり A:
「週 7 時間」の回答が最も多く、各学年別
の集計でもほぼ同様だった
(4 年生女子では B の回答が多少上回ったが、大
差はない)
。A と B を合わせると 68 %、つまり 7 割近い学生のテレビ視聴時
間は毎日平均 2 時間以下ということになる。それでは、その視聴時間に何
を見ているのであろうか。学生が好んで見る番組のジャンルを探るため、
アンケートに「主にどんな番組を見るか、3 つ選べ」という問いを設けた。
ある程度の基準を定めるため「3 つ」と限定したが、1 つのジャンルしか見
ない学生、逆に幅広い番組を見ている学生などもおり、「何を見ているか」
を探るのが調査の目的であるため、3 つ以上/以下の回答もカウントした。
全体の結果は図 8 のとおりである。
学年別の目立った特徴は見られない。男女比では、男子学生の上位 3 つ
は 1 位「報道」2 位「お笑い」3 位「バラエティ」であったが、女子学生は
「バラエティ」「報道」
「お笑い」の順であった。また、男子学生は 5 位が
「スポーツ」で旅行番組は最下位であるのに対し、女子学生では「旅行番
組」が 7 位、
「スポーツ」は 8 位であった。
この結果を先ほどのフランス語翻訳案件の内容分析と関連させて考察す
ると、報道番組の視聴傾向が高いということは、少なくともハードニュー
ス的な情報には触れているということである。また、アンケート調査で、
94 %の学生がカナダのケベック州や北アフリカ・西アフリカ諸国などに
もフランス語圏があることを知っているという結果が出ていることから、
「アフリカの食糧危機」
などのニュースがあった場合にも、報道されている
地域が「フランス語圏である可能性」を認識していると考えられる。
しかし、ソフトニュース的な情報についてはどうだろうか。全体の上
位 3、4、5 位を占める「お笑い」
「ドラマ」
「歌番組」でフランス/フラン
ス語圏関連の情報を得ることはまずない。1 位の「バラエティ」でも、ク
― 138 ―
図 7 週のテレビ視聴時間(録画も含む)
A:7 時間以下 B:7~14 時間 C:14~21 時間 D:21~28 時間 E:28 時間以上
E:7%
D:8%
C:17%
A:41%
B:27%
図 8 ジャンル別 視聴の傾向
イズ番組など非常に番組範囲が限られ、さらにその中でフランス/フラン
ス語圏関連の情報が流される確率はかなり低い。言い換えれば、前述の放
送案件内容の分析で「フランス/フランス語圏地域のイメージは、ソフト
ニュース的情報への依存が強い」と結論付けたが、学生には情報そのもの
― 139 ―
があまり届いていないということになる。もちろん、報道番組内でもソフ
トニュースは流されるが、それを考慮してもこの地域関連の情報伝達は非
常に少ないといえる。
② テレビで見るフランス/フランス語圏関連情報への興味
上記のように、学生にとって、偶然に任せていてはテレビメディアを通
じてフランス/フランス語圏地域の情報を得ることは難しい。それでは、
もし学生が事前に「フランス/フランス語圏関連の番組が放送される」と
知っていたら、実際にその番組を見るだろうか?「新聞・雑誌・インター
ネットなどのテレビ欄でフランスやフランス語圏に関する番組を見つけた
ら、それを見ますか?」という設問(四択)の回答結果は、図 9 のとおり
である。全体では「おそらく見る」が 50 %、
「見る」が 24 %と、興味を示
している学生が 7 割以上を占める。学年別では 4 年生の女子の「おそらく見
る」と「見る」が僅差だが、他の学年は総合結果と同様の傾向である。
しかし、男女比にはかなり差が見られる(図 10)。女子学生は 8 割近くが
「おそらく見る」または「見る」と回答しているのに対して、男子学生は 6
割強にとどまり、逆に「見ない」は 1 割以上である。それでは、
「あまり見
ない」
「見ない」学生は、なぜ見ないのか?
表 4 にある 4 つの選択肢のうち、
「番組を見ない」=「興味がない」を選
んだ学生は 3 割程度で、他は「興味はあるものの、実際に見るには至って
いない」ことがわかる。つまり、多くの学生はテレビメディアによるフラ
ンス/フランス語圏情報に興味はあるが、その情報を「自ら進んで取り入
れているかどうか」という点で個人差が出ている、といえるだろう。
また、図 9 で「おそらく見る」
「見る」と答えた学生に「自分が普段イ
メージしているフランスと、テレビで見るフランス情報は同じか」という
問いを設け、
「同じ」
「だいたい同じ」
「少し違う」「違う」の四択にしたと
ころ、
「だいたい同じ」が 8 割を占め、
「同じ」と答えた学生と合わせると、
9 割近くになる。
― 140 ―
図 9 フランス/フランス語圏に関する番組を視聴するか?
見ない
12 件 6%
あまり見ない
43 件 20%
おそらく見る
108件 50%
見る
52 件 24%
図 10 フランス/フランス語圏に関する番組への興味:男女比
1:女子学生の回答率 2:男子学生の回答率
見ない 13%
2
おそらく見る 36%
見る 25.5%
あまり見ない
25.5%
見ない 3%
1
おそらく見る 56%
見る 22%
あまり見ない
19%
表 4 フランス/フランス語圏関連の番組を見ない理由
番組を見ない理由
件数
%
見ようと思うが、忘れてしまう。
23
42
興味がない。
17
31
時間がない
11
20
その他
4
7
― 141 ―
しかし、フランス語専攻の学生と、そうではない学生が抱くフランスの
イメージとは違うと考えられる。萩原(2007)が 2006 年 5 月に首都圏の 13
大学で行った調査によると、フランスは「おしゃれで」「豊かで」「文化が
豊かで」「先進的な」国としてとらえられ、また「歴史が古い」
「自由な」
という項目も半数近い学生に選択されている。逆に「弱い」「貧しい」「危
険な」といったネガティブな項目は非常に数値が低い。この調査はフラン
ス語専攻の学生に限って行われたものではないため、日本の若者のフラン
スに対する一般的なイメージを示唆しているといえる。
それに比べて、フランス語専攻の学生はこうした一般的なイメージに加
え、大学の講義や海外研修による知識を得ており、格差や人種問題などフ
ランス社会の複雑さにも触れている。また、前述のとおり、学生の「報
道番組」の視聴傾向は高く、ハードニュースの中で語られるフランス情報
は必ずしもポジティブなものではない。そういった点を考慮すると、フラ
ンス語専攻学生と非専攻の学生とでは、フランスに対するイメージその
ものが異なると考えられ、また実際にそうでなければならないのである
(注 8)
。
平林(2008, p. 9)は「フランスは(中略)輝いている。実態以上に輝い
て見えると言ってもよい」と指摘し、その輝きはフランスの強い発信力に
よるものだという。フランス語学専攻の学生が、その発信力に惑わされな
いメディア・リテラシーを身につけることは非常に重要である。なぜなら、
メディア・リテラシーとは情報の「受信力」
「
(批判的)思考力」「発信力」
(小玉、2008)であり、まさに外国語運用能力に通じるものだからである。
5.まとめ:
「テレビ的教養」の活用
アンケート調査によると、学生にとって、大学はテレビ以外でフランス
/フランス語圏関連の情報を得るための、最も大きな情報源となっている
(表 5)
。2 位のインターネットは有効な情報ツールではあるが、まず、ユー
ザー自身に具体的な「関心事」があり、その情報を検索し、選び出してい
― 142 ―
表 5 テレビ以外の情報源(複数回答あり)
情報源
件数
%
大学
139
50
インターネット
82
30
雑誌
34
12
新聞
13
5
その他
8
3
表 6 テレビ以外の情報源から充分な情報を得ているか?
充分な情報を得ているか?
件数
%
あまり充分とはいえない。
105
49
だいたい得ている。
66
31
充分ではない。
37
17
充分得ている。
7
3
くという限定的な使い方に終始する。つまり「もっとフランス/フランス
語圏のことを知りたい」という漠然とした興味には向いていない。その点
では、あらゆるジャンルを網羅しているテレビメディアの情報は幅広い話
題を提供しており、フランス/フランス語圏関連のテレビ番組に対して学
生の興味が高いことを考慮しても、テレビ映像を通じた情報を講義や大学
カリキュラムに積極的に取り入れることを推奨したい。ハードニュースば
かりでなく、ソフトニュース的な情報にも学ぶことは多い(注 9)
。佐藤
(2008)は「エンター・エデュケーション」
「テレビ的教養」という言葉を
用い、テレビが娯楽でありながら、世間や社会、さらに世界を学ぶツール
として活用できることを示唆している。佐藤によると「テレビ的教養は最
良の教養ではないだろう。しかし、より良い興論 public opinion を生み出す
公共圏への入場券として、それは必要な最低限の教養である」(2008,
p. 290)
アンケート調査で「テレビ以外の情報源から、内容的/量的に充分な情
報を得ているか?」
(表 6)という問いの後、最後に 1 問、選択肢ではなく
― 143 ―
自由記入の問いを設けた:
「今後、テレビで見たいと思うフランスやフラ
ンス語圏の情報は何ですか?」
空欄が多いのではと予想していたが、7 割の
学生が、実にいろいろな回答を示してくれた:フランスの文化、生活、習
慣、歴史、政治、経済、社会問題、教育制度、若者文化、仕事、映画、音
楽、観光、料理、スポーツ、建築、伝統産業、環境、宗教、地方、フラン
スとその他のフランス語圏の生活の違い、フランス語圏地域の文化、日本
とのかかわり、日本人はどう思われているか、など、本稿に書ききれない
ほどである。そしてそのうちのいくつかは、すでにテレビを通じて紹介さ
れているが、学生がタイミングよく視聴できたかどうかは不明である。そ
れを大学が少しでもフォローできるシステムがあってもいいのではないだ
ろうか。
視聴覚教材といえば、穴埋め問題やディクテーション、内容質問などの
練習問題を連想しがちだが、学生の興味を受け止め、「知識」「思考力(あ
る話題についてどう思うか)
」そして「発信力(自分の意見を述べる)」を
高める素材として、テレビメディア情報の活用を考えていきたい。
注
1
山本(2007)によると、「ソフトニュースについての共通に受け入れられて
いる定義は存在しない(Baum, 2002)」
2
入手したデータは企業の守秘義務にかかわるため、翻訳会社 4 社の名称等は
公表しない。
3
NHK は翻訳案件の大半を子会社である「NHK グローバルメディアサービス・
バイリンガルセンター」に発注している。今回、論文の主旨を提示してデー
タ提供の協力を求めたが、バイリンガルセンターは「過去の伝票を 1 枚ずつ
チェックするには人手不足」という理由で、協力は得られなかった。また、
NHK には情報開示の仕組みがあるが、
「放送番組編集の自由を確保する観点
等から」放送番組に関する資料は一切、開示の求めの対象外としている。
※http://www.nhk.or.jp/koukai/
― 144 ―
4
電通のデータ
※http://www.dentsu.co.jp/marketing/adex/adex2008/_media2.html
5
公開 IR 情報 ※ http://www.ntv.co.jp/ir/data/irinfo.html
6
太文字は引用者による。
7
現在、フランスの海外領土には 4 つの海外県かつ地域圏、6 つの海外自治体、
ニューカレドニア(独自の位置づけ)そして仏領南北極地方がある。
8 「自分が普段イメージしているフランスと、テレビで見るフランス情報は同
じか」という設問に「少し違う」と答えた学生の中には、
「
(テレビのイメー
ジが現実よりも)美化されている」といった回答が過半数であった。
9
大坪(2004)は『ここがヘンだよ日本人』というバラエティ番組の分析の一
環として大学生調査を行い、番組の視聴経験が増すにつれて知識面への効果
が表れるのは、すでによく知られている国々(例:中国、韓国など)よりも、
基礎的な知識が乏しい地域(例:アフリカ)だとしている。
※ URL は 2009 年 9 月 28 日の段階のものである。
参考文献
大坪寛子(2004)「番組の視聴効果とその持続性」萩原滋、国広陽子編『テレビ
と外国イメージ― メディア・ステレオタイピング研究』勁草書房、pp.
122-144.
小玉美意子(2008)「はじめに」小玉美意子編『テレビニュースの解剖学―
映
像時代のメディア・リテラシー』新曜社、pp. 7-11.
佐藤卓己(2008)『テレビ的教養』NTT 出版
萩原滋(2007)「大学生のメディア利用と外国認識」慶応義塾大学 メディア・
コミュニケーション研究所 紀要 No. 56、pp. 5-33.
萩原滋(2007)「序章」萩原滋編著『テレビニュースの世界像― 外国関連報
道が構築するリアリティ』勁草書房、pp. 1-20.
平林博(2008)『フランスに学ぶ国家ブランド』朝日新書
山本明(2007)「ソフトニュースが伝える外国像」萩原滋編著『テレビニュース
の世界像― 外国関連報道が構築するリアリティ』勁草書房、pp. 49-68.
― 145 ―
Three Types of NP Modifications in
Korean and Japanese
Naoko TAKAHASHI
1. Introduction1, 2, 3
Teramura (1969) argues that there are two types of clausal noun phrase
(NP) modifications in Japanese. One type is the case in which a modifying
clause contains an NP element idential to the NP in the matrix sentence.
Teramura calls this relation between the modifying clause and the modified
NP in this construction an “inner relationship.” The examples below are
from Teramura (1969:64):
(1) hitoride sanma-o yak-u
otoko
alone saury-Acc grill-Pres man
‘the man who grills saury alone’
(= Teramura’s (1))
(2) tanuki-ga
kitune-ni kik-asa-ta
hanasi
raccoon.dog-Nom fox-Dat listen-Cause-Past story
‘the story to which the raccoon dog made a fox listen’
(= Teramura’s (2))
(3) kare-ga Tookyoo-e it-ta
tosi
he-Nom Tokyo-to go-Past year
‘the year when he went to Tokyo’
(= Teramura’s (3))
The clauses, hirotide sanma-o yak-u in (1), tanuki-ga kitune-ni kik-ase-ta
in (2), and kare-ga Tookyoo-e it-ta in (3), modify the NPs, otoko, hanasi,
and tosi, respectively. These modifying clauses are generally called relative
clauses.
― 147 ―
The other type is the case in which a modifying clause does not contain
an NP element identical to the NP in the matrix sentence: Teramura terms
this an “outer relationship”:
(4) sanma-o yai-tei-ru
nioi
(= Teramura’s (4))
saury-Acc grill-Prog-Pres smell
‘[literally] the smell that someone is grilling saury’
(5) yama-de
ki-no
eda-ga
hajike-ru
oto
mountain-at tree-Poss branch-Nomcrack.open-Pressound
‘the sound of a tree branch cracking’
(= Teramura’s (31))
(6) sore-wa mazui to-iu
iken
that-Top bad such that idea
‘the idea that it is bad’
(= Teramura’s (15))
(7) kare-ga koros-are-ta kekka
he-Nom kill-Pass-Past result
‘the result that he was killed’
(= Teramura’s (8))
(8) otoko-ga hitori-de sanma-o yak-u
si
(= Teramura’s (5))
man-Nom alone saury-Acc grill-Pres poem
‘[literally] the smell that someone is grilling saury’
(9) tanuki-ga
kitune-o bakasi-ta
hanasi (= Teramura’s (6))
raccoon.dog-Nom fox-Acc deceive-Past story
‘[literally] the story that the raccoon deceived the fox’
Teramura claims that these two types of modifying clauses, which have
either an inner relationship or an outer relationship, are syntactically and
semantically different.
Moreover, Teramura divides the outer relationship type into two
subcategories. One is the case of conceptualized NP modifications, such as in
examples (4) and (5), in which the modifying clauses can be conceptualized
as the NP objects with some kinds of perception. This type of modifying
clause is called a “pseudo relative clause.”4 The other is the one in which
the content of the modifying clause can be viewed as an expression of its
NP head. The NPs and modifying clauses in (6), (7), (8), and (9), show
examples of this. These modifying clauses are treated as “noun complement
― 148 ―
clauses” in this paper.
These three types of NP modifications, relative clauses, pseudo relative
clauses, and noun complement clauses, are also observed in Korean. The
following examples are from Lee (2000:1-2):
(10) an NP with a relative clause
[nay-ka _ mek-un]sakwa
I-Nom _ eat-Adn apple
‘the apple I ate’
(= Lee’s (1a))
(11) an NP with a pseudo relative clause
[pap-i
tha-nun] naymsay
rice-Nom burn-Adn smell
‘the smell of rice burning’
(= Lee’s (1b))
(12) an NP with a noun complement clause
[nay-ka sakwa-lul mek-un]sasil
I-Nom apple-Acc eat-Adnfact
‘the fact that I ate an apple’
(= Lee’s (1c))
This paper will examine these three types of NP modifications in Korean
and Japanese comparing their syntactic and semantic properties based on
the fact that these languages have similar modifying structures. Section
2 will summarize the analysis by Teramura (1969) with respect to these
clauses. In Section 3, we will review the argument by Lee (2000) against
Cha (1998), and Kim (1998), and Lee, Hyo Snag (1998) along with the
Korean data. Section 4 will apply Lee’s analysis to the semantically identical
data in Japanese and find out whether or not there are any similarities or
differences regarding NP modifications between these two languages. This
paper will show that Lee’s analysis (2000) is not quite applicable to these
three constructions in Japanese. It will conclude that the three types of
modifying clauses in Japanese have to be distinguished both syntactically
and semantically, whereas Lee argues that pseudo relative clauses can be
treated the same as noun complement clauses in Korean.
― 149 ―
2. NP modifications in Japanese
This section will take a close look at some differences in syntactic and
semantic properties among the three types of NP modifications in Japanese.
As Teramura (1969) and Inoue (1976) point out, a pseudo clause and
a noun complement clause cannot be simply treated as relative clauses.
They argue that all of them are similar in the way that their clauses are
subordinated to NP heads. However, pseudo relative clauses and noun
complement clauses differ from relative clauses in the respect that we
cannot find identical NPs in their modifying clauses to match with their NP
heads. As mentioned previously, regarding relative clauses, Teramura calls
the relationship between an NP head and its modifying clause an “inner
relationship,” where the NP head is related to an NP inside of its relative
clause. For instance, the NPs in (1) to (3) above are generally considered
to be derived from the following sentences, respectively:
(1)’ Otoko-ga hitoride sanma-o yak-u.
man-Nom alone saury-Acc grill-Pres
‘A man grills saury alone.’
(= Teramura’s (1’))
(2)’ Tanuki-ga
kitune-ni (sono) hanasi-o kik-asa-ta.
raccoon.dog-Nom fox-Dat (the) story-Acc listen-Cause-Past
‘A raccoon dog made a fox listen to the story.’ (= Teramura’s (2’))
(3)’ Sono tosi-ni kare-ga Tookyoo-e it-ta.
that year-in he-Nom Tokyo-to go-Past
‘He went to Tokyo that year.’
(= Teramura’s (3’))
Also, it is important to mention that the case markers, such as the
nominative case marker ga and the accusative case marker o, are deleted
after the derivation. From a semantic perspective, the modifying clauses
can be viewed as a kind of explanation or predication of the NPs that they
modify (Teramura 1969).
Recall that the pseudo relative clause construction and the noun
complement clause construction have different syntactic structures from
― 150 ―
normal relative clauses. As mentioned previously, the modifying sentence
does not contain the same NP as the modified NP underlyingly.
The semantic difference between a pseudo relative clause and a noun
complement clause also has to be considered. As mentioned earlier, the
modifying clause can be viewed as the object of perception in a pseudo
relative clause. NPs appearing in this construction are characterized by a
quality associated with physical perception (Teramura 1969). For instance,
nioi ‘smell’ in (4) and oto ‘sound’ in (5) denote physical perceptions
produced by the fact of grilling saury in (4) and the event of a tree branch
cracking in (5). I repeat examples (4) and (5) below:
(4) sanma-o yai-tei-ru
nioi
saury-Acc grill-Prog-Pres smell
‘[literally] the smell that someone is grilling saury’
(5) yama-de
ki-no
eda-ga
hajike-ru
oto
mountain-at tree-Poss branch-Nom crack.open-Pres sound
‘the sound of a tree branch cracking’
On the other hand, in a noun complement clause the modifying clause
can be viewed as an expression of the content of its NP head. According
to Teramura, the nouns in noun complement clauses can be semantically
categorized into three groups: 1) nouns associated with a fact or an event
(e.g., kekka ‘result,’ jijitu ‘fact,’ nyusu ‘news,’ dekigoto ‘event,’ jiken
‘accident,’ sawagi ‘uproar,’ rekisi ‘history,’ kako ‘past,’ yume ‘dream,’ and
kuse ‘habit’), such as in example in (7); 2) nouns related to some kinds of
statements (e.g., hanasi ‘story,’ si ‘poem,’ kotoba ‘words,’ rakugo ‘comic
storytelling,’ iitutae ‘legend,’ densetu ‘legend,’ sirase ‘news,’ henji ‘response,’
tegami ‘letter,’ yakusoku ‘promise,’ and monogatari ‘tale’) as in examples in
(8) and (9); 3) nouns connected with some kinds of psychological activities
(e.g., iken ‘opinion,’ kangae ‘idea,’ shuchoo ‘opinion,’ keturon ‘conclusion,’
katei ‘assumption,’ zentei ‘presupposition,’ ki ‘intention,’ kimoti ‘feeling,’
― 151 ―
atama ‘idea,’ kokoro ‘heart,’ nozomi ‘wish,’ kiboo ‘hope’) as in example in
(6). In addition, the nouns, koto ‘thing,’ mono ‘thing,’ and tokoro ‘place’
can belong to the first group.
One of the syntactic differences between a pseudo relative clause and
a noun complement clause in Japanese is whether or not the insertion of
to-iu ‘such that’ or ‘is said’ is obligatory (Teramura 1969). According to
Teramura, to-iu ‘such that’ cannot be inserted in a pseudo relative clause;
however, it can be either optional or obligatory in a noun complement
clause. For instance, it is impossible to insert to-iu ‘such that’ between
the NP heads and their modifying clauses in (4) and (5):
(4)’ *sanma-o yai-tei-ru
to-iu
nioi
saury-Acc grill-Prog-Pres such that smell
‘[literally] the smell that someone is grilling saury’
(5)’ *yama-de ki-no
eda-ga
hajike-ru
to-iu
oto
mountain-attree-Possbranch-Nomcrack.open-Pres such that sound
‘[literally] the sound of a tree branch cracking’
On the other hand, to-iu ‘such that’ is obligatory in (6), and the insertion
is optional in (7), (8), and (9):
(6) sore-wa mazui to-iu
iken
that-Top bad such that idea
‘the idea that it is bad’
(6)’ *sore-wa mazui iken
that-Topbad idea
‘[literally] the idea that it is bad’
(7)’ kare-ga koros-are-ta [to-iu] kekka
he-Nom kill-Pass-Past such that result
‘[literally] the result that he was killed.’
(8)’ otoko-ga hitori-de sanma-o yak-u
[to-iu] si
man-Nom alone
saury-Acc grill-Press such that poem
‘[literally] the smell that someone is grilling saury’
(9)’ tanuki-ga
kitune-o bakasi-ta
[to-iu] hanasi
raccoon.dog-Nom fox-Acc deceive-Past such that story
‘[literally] the story that the raccoon deceived the fox’
― 152 ―
Thus, the three types of NP modifications in Japanese are syntactically
and semantically different from each other.
3. Analysis in Lee (2000)
Lee (2000) compares the three types of modifying clauses, relative clauses,
pseudo relative clauses, and noun complement clauses in Korean. The
examples are repeated below:
(10) [nay-ka _ mek-un]sakwa
I-Nom _ eat-Adn apple
‘the apple I ate’
Relative clause
(= Lee’s (1a))
(11) [pap-i
tha-nun] naymsay
rice-Nom burn-Adn smell
‘the smell of rice burning’
Pseudo relative clause
(= Lee’s (1b))
(12) [nay-ka sakwa-lul mek-un]sasil Noun complement clause
I-Nom apple-Acceat-Adn fact
(= Lee’s (1c))
‘the fact that I ate an apple’
According to Lee, relative clauses in Korean are also distinguished from
pseudo relative clauses and noun complement clauses by the existence
of a gap in their modifying clauses. She also argues that the difference
between pseudo relative clauses and noun complement clauses is based on
the relationship between the NP heads and their complement clauses. For
instance, in (12), the relationship between the NP sasil ‘the fact’ and its
complement clause nay-ka sakwa-lul mek-un ‘I ate an apple’ is appositional;
“I ate an apple” is “a fact”. In contrast, in (11), the complement clause
pap-i tha-nun ‘the rice is burning’ is not appositional; “the rice is burning”
is not “a smell.” Rather, the complement clause is the source of the NP
naymsay ‘the smell.’
In addition, Lee criticizes the analyses by Cha (1998), Kim (1998), and
Lee, Hyo Sang (1998) regarding the three types of NP modifications in
Korean. Cha argues that pseudo relative clauses behave differently from
― 153 ―
noun complement clauses in some grammatical structures, such as in
unbounded dependency constructions, extraction, alternative forms, causative
causativization, negation, and concessive expressions. For instance, Cha
discusses that both relative clauses and pseudo relative clauses are allowed in
an unbounded dependency construction in Korean whereas noun complement
clauses are not. The following example illustrates this (Lee 2000):
(13) [John-i
nuc-ess-ta-ko]
Susie-ka mit-nun]
sasil
John-Nom late-Past-Dec-Com Susie-Nom believe-Adn fact
‘the fact that Susie believes that John was late’
(=Lee’s (2))
Cha’s claim is that sasil ‘the fact’ is not about “John’s being late” but
rather about “Susie’s believing that John is late.” Regarding this analysis,
Lee shows a counterexample. She argues that an unbounded dependency
construction is still allowed within a noun complement clause, such as
follows:
(14) [[John-i ton-ul
hwumchi-ess-ta-ko] Mary-ka (=Lee’s (3))
John-Nom money-Acc steal-Past-Dec-Com Mary-Nom
mit-ci-an-awass-ten
[somwun]-i sasil-lo
believe-not-Past.Imperf rumor-Nomfact-as
palk-hi-e-ci-ess-ta
reveal-Cause-Passive-Dec
‘the rumor that Mary did not believe that John had stolen money was
proved to be true’
Lee also argues that Kim’s data (1998) is irrelevant to his own claim;
pseudo relative clauses have to be treated as noun complement clauses
rather than relative clauses in Korean. Kim utilizes the pronominal ending,
types of NP heads, coordination with kuliko ‘and,’ optionality, stacking
(coordination of clauses), topic markes, and indirect complement clause
to examine the claim. However, Lee says that Kim’s data is not strong
enough to support his own claim since many pragmatically biased sentences
are found in Kim’s examples.
Furthermore, Lee (2000) attacks Lee, Hyo Sang’s observation (1998)
― 154 ―
that noun complement clauses are the same as relative clauses based on
the finiteness of the clauses. First, Lee, Hyo Sang (1998) demonstrates
that neither a relative clause nor a pseudo relative clause can be a finite
clause. However, along with the following counterexamples, Lee (2000)
explains that it is not the case that non-finite sentences are not possible in
either relative clauses nor pseudo relative clauses although the meanings
of the finite sentences and non-finite sentences can be distinguished (Lee
2000:14-15):
(15)
Relative clause
[haksayng-tul-i cohaha-n-ta]-nun chayk
student-Pl-Nom ike-Pres-Dec-Adnbook
‘the book that the students like’
(16)
Pseudo relative clause
[pap-i
tha-n-ta]-nun
naymsay-nun alkoponi (=Lee’s (30a))
rice-Nom burn-Pres-Dec-Adn smell-Top
after.checking
ttek-i
tha-nun naymsay-i-ess-ta.
rice.cake-Nomburn-Adnsmell-Nom-Past-Dec
‘the smell of burning rice is proved to be the smell of
burning the rice cake.’
(=Lee’s (29a))
Second, Lee (2000) provides her analyses to support her argument that
pseudo relative clauses can be analyzed as noun complement clauses rather
than relative clauses. Lee utilizes gaps, resumptive pronouns, pseudocleft sentences, quantifier scope ambiguity, and negative polarity items as
evidence.
Since both Korean and Japanese have similar constructions regarding
the three types of NP modifications, the next section will compare Lee’s
data in Korean with semantically identical data in Japanese. We will
discuss whether or not Lee’s analysis is applicable to the Japanese data
and whether it is possible to see the same syntactic and semantic behaviors
in these two languages.
― 155 ―
4. Application of Lee’s (2000) analysis to Japanese data
In this section, we will apply Lee’s analysis (2000) regarding the three
constructions to Japanese data and examine whether the Japanese data
shows the same behaviors as the Korean data in Lee’s analysis such that
pseudo relative clauses are actually noun complement clauses rather than
relative clauses.
4.1 Gaps
Lee argues that the existence of a gap clearly distinguishes relative clauses
from the other two types, pseudo relative clauses and noun complement
clauses. She explains that the NP heads of relative clauses are regarded
as the same arguments that can fill the gaps in their pronominal clauses.
On the other hand, the NP heads in pseudo relative clauses or in noun
complement clauses cannot be arguments in their pronominal clauses (Lee
2000:16):
(17) a. Relative clause
(=Lee’s (31a))
b. Pseudo relative clause
[John-i __ sa-n]
chayk
John-Nom__ buy-Adn book
‘the book that John bought’
[sayngsen-i tha-num] naymsay
fish-Nom burn-Adn smell
‘the smell of fish burning’
(=Lee’s (31b))
c. Noun complement clause
[John-i
sayngsen-ul tha-i.wu-n]
sasil
John-Nom finish-Acc burn-Cause-Adn fact
‘the fact that John burned the fish’
(=Lee’s (31c))
When we compare the Korean examples with the semantically identical
Japanese data, we have the same result:
― 156 ―
(18) a. Relative clause
b. Pseudo relative clause
[John-ga __ kat-ta] hon
John-Nom __ buy-Past book
‘the book that John bought’
[sakana-o yak-u] nioi
fish-Acc grill-Pre smell
‘the smell of grilling fish’
c. Noun complement clause
[John-ga sakana-o kogasi-ta] jijitu
John-Nom finish-Acc burn-Past fact
‘the fact that John burned the fish’
In (18b) and (18c), neither of the NP heads, nioi ‘smell’ nor jijitu ‘fact’
can be arguments in the modifying clauses, sakana-o yak-u ‘grilling fish’
or John-ga sakana-o kogasi-ta ‘John burned the fish,’ respectively.
4.2 Resumptive pronouns
Lee shows that the gaps in the relative clauses can be filled with resumptive
pronouns whereas we cannot fill the pseudo relative clauses or the noun
complement clauses with resumptive pronouns since there are not missing
elements in the pseudo relative clauses or the noun complement clauses
(2000:16):
(19) Relative clause
[John-i
kukes-ulo sakwa-lul kkak-un] khal
(=Lee’s (32))
John-Nom with-that apple-Nom peel-Adn knife
‘[literally] the knife with which John is peeling the apple with it’
Regarding this analysis, Japanese seems to work in the same way:
(20) Relative clause
[John-ga sore-de/o-tukatte ringo-o
mui-ta] naihu
John-Nom that-with
apple-Nom peel-Past knife
‘[literally] the knife with which John is peeling the apple with it’
― 157 ―
With respect to this analysis, we need to look at the data closely. The
relative clause with the resumptive pronoun in (20) is grammatical. However,
it is not always the case that all of the gaps can be filled with resumptive
pronouns in Japanese:
(21) a. ?? [sono hito [kare]]-gahitori-de sannma-o yak-u] otoko
that man [he]-Nom alone saury-Acc grill-Pres man
‘the man who (the man [he]) grills saury alone (= ill-formed in
English)’
b. ?[tanuki-ga
sore-o kitune-ni kik-ase-ta]
hanasi
raccoon.dog-Nom that-Acc fox-Dat listen-Cause-Past story
‘the story to which the raccoon dog made a fox listen (to it)
(= ill-formed in English)’
c. ?? [sono tosi-ni kare-ga Tokyoo-ni i-tta] tosi
the year-in he-NomTokyo-Dat go-Past year
‘the year when he went to Tokyo (in the year) (= ill-formed in
English)’
As shown in (21), the relative clauses are marginally grammatical. Therefore,
it might not be reliable to adopt this analysis to distinguish relative clauses
from the other two types.5
4.3 Pseudo-cleft sentences
Lee (2000) argues that relative clauses are distinguished from the other
types, pseudo relative clauses and noun complement clauses, in terms of
pseudo-cleft sentences in Korean. Lee claims that pseudo-cleft sentences
are derived from relative clauses, but not from pseudo relative clauses or
noun complement clauses as shown below (Lee 2000:16):
(22) a. Relative clause
[[John-i
Mary-eykey cwun-n] kes-un] sakwa-ita.
John-Nom Mary-Dat given-Adn thing-Adn apple-be.Dec
‘It is an apple that John gave to Mary.’
(=Lee’s (33a))
― 158 ―
b. Pseudo relative clause
*[[Mary-ka kwup-nun] kes-un] naymsay-ita(=Lee’s (33b))
Mary-Nom grill-Adn thing-Adn smell-be.Dec
‘[literally] It is the smell that Mary is grilling.’
c. Noun complement clause
*[[Mary-ka cha-lul sa-n]
kes-un] sosik-ita
Mary-Nom Car-Acc buy-Adn thing-Adn news-be.Dec
‘[literally] It is the news that Mary bought a car.’
(=Lee’s (33c))
The closest expression in Japanese to kes-un ~ ita in Korean may be
no-wa ~ da ‘it is ~ such that.’ The Japanese data with ‘no-wa ~ da’ in
pseudo-cleft sentences would be as follows:
(23) a. Relative clause
[[John-ga Mary-ni age-ta] no-wa] ringo-da.
John-Nom Mary-Dat give-Past such that apple-Particle
‘It is an apple that John gave to Mary.’
b. Pseudo relative clause
*[[Mary-ga sakana-o yak-u] no-wa] nioi-da
Mary-Nom fish-Acc grill-Pres such that smell-Particle
‘[literally] It is the smell that Mary is grilling fish.’
c. Noun complement clause
[[Mary-ga kuruma-o kat-ta] no-wa] jijitu-da
Mary-Nom car-Acc buy-Past such that fact-Particle
‘It is a fact that Mary bought a car.’
As we can see, concerning the grammaticality of the sentences above,
both (23a) and (23c) are well-formed whereas (23b) is not. Thus, it seems
that the construction with no-wa ~ da in Japanese distinguishes pseudo
relative clauses from relative clauses and noun complement clauses, rather
than distinguishing relative clauses from pseudo relative clauses and noun
complement clauses. Hence, this diagnosis with pseudo-cleft sentences is
not a dependable test for proving that relative clauses differ from pseudo
relative clauses and noun complement clauses in Japanese.
― 159 ―
4.4 Negative polarity items
Next, Lee utilizes negative polarity items to distinguish relative clauses
from the other two types of NP modifications in Korean (Lee 2000:17-18).
Lee says that the grammaticality of the sentences is different when negative
polarity items, such as amwuto ‘anyone’ and amwukesto ‘anything,’ do
not have their licensing negative words, such as an(h)- or mos- ‘not,’ in
the same clauses in Korean:
(24) Relative clause
a. *Na-nun [amwuto coaha-nun] yenghwa-lul po-ci anh-nunta.
I-Top anyone like-Adn movie-Acc watch not-Dec
‘[literally] I do not watch any movies nobody likes.’
(=Lee’s (34a))
b. *[Amwukesto mek-nun] John-un yakha-ci anh-ta.
anything
eat-Adn John-Top be.weak not-Dec
‘[literally] John, who eats anything, is not weak.’(=Lee’s (34b))
(25) Pseudo relative clause
a.
Na-nun [amwukesto cinaka-n] huncek-ul palkyenha-l
I-Top anything
pass-Adn trace-Acc find
swu eps-ess-ta.
cannot-Past-Dec
‘I could not find any trace of anything having passed by.’
(=Lee’s (35a))
b.
Na-nun [amwukesto tha-nun] naymsay-lul
I-Top anything
burn-Adn smell-Acc
math-ci mos hay-ss-ta.
smell cannot-Past-Dec
‘I could not smell anything burning.’
(26) a.
Noun complement clause
Na-nun [amwuto kekiey ka-nun] sasil-ul yongnapha-l
I-Top anyone there go-Adn fact-Acc accept
swu eps-ta.
cannot-Dec
‘I cannot accept the fact that nobody is going there.’
(=Lee’s (36a))
― 160 ―
(=Lee’s (35b))
b.
Na-nun [Mary-ka amwuto salangha-yss-ten] kyenghem-i
I-Top Mary-Nom anybody love-Past-Adn expeience
epki-lul palan-ta.
not.be-Acc with-Dec
‘I wish Mary had not had any experience of loving anybody.’
(=Lee’s (36b))
However, this diagnosis is not applicable to the Japanese data. If we construct
the three types of modifying clauses with the negative polarity items, such as
nanimo ‘(not) anything’ and daremo ‘(not) anyone’ in Japanese, we cannot
see the difference between relative clauses and the other two types:
(27) Relative clause
a. *Watasi-wa [daremo sukina] eiga-wa mi-na-i.
I-Top
anyone like
movie-Top watch-not-Pres
‘[literally] I do not watch any movies nobody likes.’
a’.
Watasi-wa [daremo suki-de-wa-na-i]
eiga-wa
I-Top
anyone like-Copula-Top-not-Pres movie-Top
mi-na-i.
watch-not-Pres
‘I do not watch any movies nobody likes.’
b. *[Nanimotabe-tei-ru] John-wa yowaku-na-i.
anything eat-Prog-Pre John-Top weak-not-Pres
‘[literally] John, who eats anything, is not weak.’
b’. ?[Nanimotabe-tei-na-i]
John-wa yowaku-na-i.
anything eat-Prog-not-Pres John-Top weak-not-Pres
‘John, who does not eat anything, is not weak.’
(28) Pseudo relative clause
a.
Watasi-wa [[nanimo/dokomo toor-u] miti]-o
I-top
anything/any.place pass-Prestrace-Acc
mituker-are-na-katta.
find-can-not-Past
‘I could find any trace of anything having passed by.’
b.
Watasi-wa [nanimo/dokomo koge-ru] nioi]-o
I-Top
anything
burn-Pres smell-Acc
kag-e-na-katta.
smell-can-not-Past
‘I could not smell anything burning.’
― 161 ―
(29) a. Noun complement clause
*Watasi-wa [daremo soko-ni ik-u] jijitu]o
I-Top
anyone there-to go-Pres fact-Acc
ukeire-rare-na-i.
accept-can-not-Pres
‘[literally] I cannot accept the fact that nobody is going there.’
a’.
Watasi-wa [[daremo soko-ni ika-na-i] (to iu)
jijitu] o
I-Top
anyone there-to go-not-Pres (such that) fact-Acc
ukeire-rare-na-i.
accept-can-not-Pres
‘I cannot accept the fact that nobody is going there.’
The negative polarity items are licensed by the negative words in (28a)
and (28b), but not in (27a), (27b), and (29a). It seems that the scopes in
negative polarity items between Korean and Japanese are different. As
shown in the Japanese data above, only the sentences with pseudo relative
clauses are well-formed. Thus, we can see that pseudo relative clauses
are distinguished from the other two types with respect to the negative
polarity items.
4.5 Quantifier scope ambiguity
Finally, Lee (2000) uses quantifier scope ambiguity to show the difference
between the three types of modifying clauses in Korean (2000:19):
(30) Relative clause
Motunhaksayng-tul-un [etten kyoswunim-i sa-si-n]
every student-Pl-Top a
professor-Nom buy-Hon-Adn
say cha-lul tha-poko-siph-ehayss-ta.
(=Lee’s (37))
new car-Acc get.in-want-Past-Dec
‘Every student wanted to get in the new car that the professor
bought.’
(31) Pseudo relative clause
Motunhaksayng-tul-un [etten kyoswunim-i kanguiha-si-num]
every student-Pl-Top a
professor-Nom teach-Hon-Adn
mosup-ul hwungnaynay-ess-ta
(=Lee’s (38))
― 162 ―
gesture-Acc mimic-Past-Dec
‘Every student mimicked a/the professor’s teaching gesture.’
(32) Noun complement clause
Motunhaksayng-tul-un [etten kyoswunim-i cha-lul sa-sin]
every student-Pl-Top a
professor-Nom car-Acc buy-Hon
sosik-ul tul-ess-ta.
(=Lee’s (39))
news-Acc hear-Past-Dec
‘Every student heard the news that a/the professor bought a car.’
Lee argues that only one reading is possible in (30) while two readings
are possible in both (31) and (32). The two readings in (31) are; (i) there
is a particular professor whose teaching gesture every student mimicked;
and (ii) every student has his or her own professor whose way of teaching
he or she mimicked. The two readings for (32) are; (i) there is a particular
professor who bought a car and every student heard the news; and (ii)
every student heard the news that a professor bought a car but they may
not have heard this news of the same professor.
Comparing this case with the Japanese data, we cannot see a clear
difference between relative clauses and the other two types.
(33) Relative clause
a. Gakusei minna-ga [aru sensei-ga
kat-ta] atarasii kuruma-ni
student every-noma teacher-Nom buy-Past new
car-Dat
nori-tagat-ta.
get.in-want-Past
‘Every student wanted to get in the new car that a professor had
bought.’
b.
Minna-ga
[dareka-ga
kat-ta] atarasii kuruma-ni
everyone-nom someone-Nom buy-Past new
car-Dat
nori-tagat-ta.
get.in-want-Past
‘Everyone wanted to get in the new car that someone had bought.’
In (33a), only one reading is possible; there is a particular teacher who
bought a car and everyone desired to get in his/her car; the NP aru sensei-ga
‘a professor’ scopes over the other NP gakusei minna-ga ‘every student.’
― 163 ―
On the other hand, two readings are possible in (33b). One is that there
is a particular person who bought a car and everyone desired to get in his/
her car; the NP dareka-ga ‘someone’ scopes over the other NP minna-ga
‘everyone.’ The other reading is that everyone wanted to get in any new
car, no matter who had bought it; the NP minna-ga ‘everyone’ scopes over
the other NP dareka-ga ‘someone.’
Second, it can be assumed that the one reading is more natural than the
other reading although there are two possible readings in the following
pseudo relative clauses:
(34) Pseudo relative clause
a.
Gakusei minna-ga [arusensei-ga
osie-ru] mane-o
student every-Noma professor-Nom teach-Presmimicry-Acc
si-ta.
do-Past
‘Every student mimicked a/the professor’s teaching gesture.’
b.
Minna-ga
[dareka-ga
hanas-u] mane-o
si-ta.
everyone-Nom someone-Nom talk-Presmimicry-Acc do-Past
‘Every student mimicked someone’s teaching gesture.’
In (34a), two readings are possible. One is that there is a particular teacher
and everyone tried to mimic his/her teaching gesture; the NP aru sensei-ga
‘a professor’ scopes over the other NP gakusei minna-ga ‘every student.’
However, it is more natural to have the other reading that every student has
his or her own teacher whose way of teaching he or she mimicked; the NP
gakusei minna-ga ‘every student’ scopes over the other NP aru sensei-ga ‘a
professor.’ Also, in (34b), the following reading is more natural; everyone
knows someone whose way of talking he or she mimicked; the NP minna-ga
‘everyone’ scopes over the other NP dareka-ga ‘someone’.
Third, let us look at the quantifier scope ambiguity in noun complement
clauses:
― 164 ―
(35) Noun complement clause
a.
Gakusei minn-ga [aru sensei-ga kuruma-o kat-ta] nyuusu-o
student every-Nom a eacher-Nom car-Acc buy-Past news-Acc
kii-ta.
hear-Past
‘Every student heard the news that the professor had bought a car.’
b.
Minna-ga [dareka-ga
kuruma-o kat-ta] nyusu-o kii-ta.
every-Nom someone-Nom car-Acc buy-Past news-Acc hear-Past
‘Everyone heard the news that someone had bought a car.’
The interpretation of the sentence in (35a) is not ambiguous. There is a
particular teacher who bought a car and every student heard the news; the
NP aru-sensei-ga ‘a professor’ scopes over the other NP gakusei-minna-ga
‘every student.’ On the other hand, the readings of (35b) can be ambiguous
where it is more natural to have the reading “there is a particular person who
bought a car and everyone heard the news” (the NP dareka-ga ‘someone’
scopes over the other NP minna-ga ‘everyone’) than the other reading
“everyone heard the news that someone had bought a car but they may not
all have the news about the same person” (the NP minna-ga ‘everyone’
scopes over the other NP dareka-ga ‘someone’).
The following chart shows the summary of this section:
Korean
Japanese
Relative
clauses
Pseudo
relative
clauses
Noun
complement
clauses
Relative
clauses
Pseudo
relative
clauses
Noun
complement
clauses
Gaps
yes
no
no
yes
no
no
Resumptive
pronouns
yes
no
no
yes/no
no
no
Pseudo
cleft
sentences
yes
no
no
yes
no
yes
Negative
polarity
items
no
yes
yes
no
yes
no
Quantifier
scope
ambiguity
no
yes
yes
yes/no
yes
yes/no
― 165 ―
Thus, although Lee (2000) shows a close relationship between pseudo
relative clauses and noun complement clauses in Korean by adopting the
five diagnoses above, we cannot obtain all the same results in Japanese.
Based on Lee’s diagnoses, the three types of modifying clauses in Japanese
are distinct from each other.
5. Conclusion
This paper has examined the three types of NP modifications-relative
clauses, pseudo relative clauses, and noun complement clauses in both
Korean and Japanese. It has compared data between the two languages
based on Lee’s analysis (2000). This paper concludes that the three types
of NP modifications in Korean behave differently from those in Japanese.
Whereas Lee claims that pseudo relative clauses can be treated as noun
complement clauses in Korean, these two types of NP modifications are
different in Japanese.
Notes
1. I am grateful to Dr. John Haig at the University of Hawaii at Manoa for giving
me many important comments for this paper. Moreover, I thank Professor Paul
Crane at the Nagoya University of Foreign Studies for his editorial help with this
paper. Needless to say, all the mistakes and shortcomings in this paper are mine.
2. The following shows the list of abbreviations.
Nom = nominative case marker
Acc = accusative case marker
Dat = dative case marker
Poss = possessive case marker
Top = topic marker
Adn = adnominal Dec = declarative
Com = complementizer
Hon = honorific
Pl = plural marker
Pres = present tense
Past = past tense
Prog = progressive form
Imperf = imperfect
Pass = passive form
Cause = causative form
3. Both Teramura (1969) and Lee (2000) utilize the term “noun” to discuss the
― 166 ―
elements which are modified by clauses in the three types of constructions. However,
this paper adopts the term “NP” instead of “noun” since the expression “NP” is
syntactically more relevant when we consider the structures. In addition, I adjusted
some of the English translations of the data in Lee for this paper.
4. Besides noun phrases involving perceptual events, Teramura (1969) and Inoue
(1976) discuss other types of NP heads in pseudo relative clauses. The heads show
some positions, such as soba ‘by/near,’ mukoo ‘over there,’ ue ‘top/above,’ and sita
‘under.’ Examples are shown below:
(1) Gakusei-ga demo-o
si-tei-ru
soba-o keikan-ga
student-Nom demonstration-Acc do-Prog-Pres by-Acc policeman-Nom
toot-ta.
pass-Past
‘The policemen passed the place where students were having a demonstration.’
(Inoue 1976:193)
(2) Hon-ga
ni-san
satu
tun-dea-ru
ue-ni shorui-ga
book-Nom two-three Counter pile-State-Pres top-on document-Nom
not-tei-ta.
be-Prog-Past
‘Documents are on a pile of two or three books.’
(Inoue: 1976:193)
5. John Haig (personal communication) points out that the equivalent Korean may
be marginal. Some consideration needs to be given to why resumptive pronouns
can be used in (20). He adds that the resumptive pronoun argument and the gap
argument could be really one. If there is no gap, obviously there is no place to put
a resumptive pronoun.
References
Cha, John-Yul. 1998. Relative clause or noun complement clause: the diagnoses.
ICKL proceedings, 73-82.
Inoue, Kazuko. 1976. Henkei bunpo to nihon-go. Vol.1. Tokyo: Taishukan.
Kim, John-Bok.
1998.
On the mixed properties of pseudo relative clause
constructions. ICKL proceedings, 83-93.
Lee, Hyo Sang. 1998. The structure of noun-complementation in Korean from a
typological point of view. ICKL proceedings, 94-103.
Lee, Sunyoung. 2000. Pseudo-relative clause in Korean. Working Paper in the
Department of Linguistics. University of Hawaii at Manoa.
― 167 ―
Teramura, Hideo. 1969. The syntax of noun modification in Japanese. Journal
newsletter of the Association of Teachers of Japanese, 64-74.
― 168 ―
陳舜臣が複眼で見た日中関係
―過去、現在、そして未来―
曹 志 偉
1.はじめに
陳舜臣(1924~)は神戸で生まれ育った作家である。陳氏は中国古典を
引用し、歴史を鑑に日中関係を見つめてきた。その作品の中で古代から近
代までの日中文化交流の歴史に触れ、その過程と意義について述べた。
勿論、今日の日中関係は、昔の狭い枠の中に留まるのではなく、世界の
歴史の流れの中で、新しい隣人関係を構築する段階に直面している。
このような情勢の中で、変化しているのは中国だけでなく、同様に日本
もそうである。日中関係を改善するためには、新しい方法で対応する必要
がある。筆者は陳舜臣の論述の視角が独特なもので、参考とする価値があ
ると思う。
古代の日中関係を論述する時、人々はよく「一衣帯水」と表現する。
果たして、この言葉で両国の関係を正しくとらえることが出来るのだろ
うか。近代の日中関係を語るには、アヘン戦争が一つのキーワードであ
る。この戦争が日中関係にどう影響を及ぼしていたのか。現代の日中関
係は「近くて遠い国」と表現されているが、それはどう改善していくの
か。日中関係の未来に向けて、何を目指して構築すべきなのか。現在、日中
両国をめぐって、多くの分野において様々な相違と摩擦が存在している。
本論では陳舜臣の論述をクローズアップしながら検討してみたい。
― 169 ―
2.問題への視角
陳舜臣は日本と中国の二重文化背景を持つ作家といえる。陳氏は日本の
中国歴史小説において、指折りの作家といえよう。小説だけでなく、歴史
研究、エッセイなどの著述も多数ある。その作品数は 170 部余りにも上る。
またインドやアラブ諸国の文化領域に造詣が深く、絵画・宗教・詩詞にも
詳しい。それらの能力を駆使して、陳氏は常に複眼で日本、中国、そして
世界の移り変わりを凝視している。
2.1.二重文化作家の複眼
陳舜臣の代表作に歴史小説『阿片戦争』
(1967)がある。これはアヘン戦
争を再現した著作である。評論家奈良本辰也も「複眼」という言葉で、作
者の歴史観を表現した(陳舜臣編『Who is 陳舜臣?(阿片戦争)』集英社、
2003 年)
。この複眼には、おそらく三つの意味合いが含まれている。一、多
義かつ多次元の視点で歴史を認識する。二、その観点は日本作家と違い、
また中国作家とも違う。三、アヘン戦争は中国の近現代史に影響を与えた
だけではなく、日本とアジアにも波紋を及ばした。そのため陳氏は複眼で、
アヘン戦争は一つの時代を象徴しており、単純な歴史事件ではないと認識
している。陳氏は次のように述べた。
一人の日本育ちの中国人が、物心ついたころから中国と日本のこと
を、つねに考えねばならなかったことから、それについていくばくか
の蓄積があると思い、他人にもそれを知ってもらいたいのである。日
本と中国の相互理解に、すこしでも役に立てばと思って。1
陳舜臣の日中関係の論述には、両国の歴史や文化への深い体得があり、
さらに比較的客観的な目で時代を見極めている。それは文化・国境を越え
る視角から、その相違を認識した上で、交流に至る方法を見出そうとして
いるものである。一人の中国通として、陳氏は分かりづらい中国の歴史を
― 170 ―
通俗的な言葉で、読者に提供することができる。これは二重文化作家の揺
ぎない地位と役割の表れだろう。そして多元文化体験により、陳氏の複眼
の能力が養われた。
2.2.一貫として主張した日中交流と関係改善
四十数年前、日中交流は現在のように盛んに行われていなく、マスコミ
もそんなに発達していなかった。この状態の中で、陳舜臣は半世紀に亘り、
文学創作の筆を握り、一貫とした主張―日中交流と相互理解を貫いてき
た。これは二つの文化が平等で、互いに足りない部分を補うという認識に
よるものである。勿論、この目的は日中交流と関係改善を促進するためで
ある。陳氏は次のように述べた。
日本と中国とのあいだに横たわる海は、長江などにくらべて、はる
かにひろいものである。しかし、それとて文化の交流を阻害してきた
のではない。両国の友好は、ひろい海をも“一衣帯水”にしなければ
ならないのである。2
これは「一衣帯水」が簡単なものではなく、広い海を隔て、濛々と立ち
こめる霧のような障害物が存在することを示唆する。いかにして、広い海
を両国に繋がる「一衣帯水」の帯にするかが何よりも重要な問題であろう。
日中両国は文化交流の長い歴史を持っている。今日まで互いに学びあい影
響しあいながら、各自の文化発展に至ったことは、歴史であり事実でもあ
る。文化の自由交流を通し、異なる意識を共有してこそ、両国文化交流の
架け橋を構築することができる。そのため、真の意味での相互理解は、広
汎な文化認知の上で築き上げるべきである。即ち、各自の文化差異を認め
て尊重した上で、友好関係を築き上げることである。陳氏は次のように述
べた。
― 171 ―
…海外に在住する中国系の人間として、日本人に中国のことを、よ
りよく知ってもらいたいという願望をいつも心に抱いていた。これは
願望というより、私の本能だといってもよい。3
文化交流にあたっては、ただ知るだけでなく、深めなければならない。
そして、相手の立場に立って考えることが必要である。陳舜臣は戦争を体
験し、自らの目で日中両国の半世紀に亘る歴史の変遷、文化の移り変わり
を体験してきた。そして、これらの貴重な体験を文学で再現した。
陳舜臣のエッセイ『日本人と中国人』
(1971)
、
『日本的中国的』(1972)、
『日本語と中国語』
(陳謙臣共著 1972)は、日中文化比較論の三部作といえ
よう。当時日中両国民は外交の関係で長い歴史を持つ文化交流が中断し、
近くて遠い存在になってしまった。その著述は隣国を理解するための有益
な読み物となった。これらの作品は分かり易い言葉で、文化をテーマに描
いたものである。作家は日中両国が仲むつまじく付き合い、相互理解でき
るように、自分の作品を通して、日本人が中国、中国文化に対する隔たり、
誤解と無理解を少しでも減らすことを願っている。
陳舜臣は『日本人と中国人』のまえがきに「日中の友好のうえにしか、
この本の作者には安住の場所がない」4 と記した。一人の文化人としての
率直さと切なる思いが非常に印象的である。このような言葉から、当時の
日本社会の政治的空気、そして本人の日中交流に対する期待が読み取れ
る。
3.日中交流と衝突の過去
過去の長い交流史において、日本は中国と向き合う中で先手をとってい
る。これは日本人の中国に対する確かな認識と研究に関係する。さらに日
本が素早く西洋に目を向け、その文化を吸収したことにもよる。文化の角
度から見れば、日本は高度な中国文明を取り入れてきたが、中国は日本か
らの影響を殆ど受けていなかったようにみえる。相互理解と文化認識にお
― 172 ―
いて、古代では日本の中国への理解は、中国の日本への理解よりも深いよ
うに思える。近代に入り、大勢の中国人が日本へ留学し、そのような状況
はある程度改善した。しかし、中国の日本への研究は、依然として多くの
空白を残したまま、日本への認識の甘さや誤解がしばしば目に付く。
3.1.古代から近代にかけての一方的な交流
日本は古代から中国文化を取り入れてきた。また典籍のみでなく、交流
使節も派遣して現地で勉強させたこともある。日本人は長い間中国に関心
を持ち、その積み重ねの結果、日本の漢学研究は世界に注目されるように
なった。中国に関する様々な研究は、政治制度から文化習俗、そして古典
文学から自然風物まで幅広い分野に及ぶものであった。
それに対して、中国人の日本に対する理解と研究は、現在は昔と比べて
大分改善されてはいるが、まだ十分とは言えない。その意味で、古代から
近代にかけての日中交流は殆ど一方的な交流だと言っても過言ではない。
中国史書において、古代日本が最初に登場したのは『魏志倭人伝』とさ
れる。この史書の中で日本人についての記述は
「人性酒を嗜む、一夫多妻、
婦人淫ならず、嫉妬せず。盗賊すくなしなど」である。その後、
『漢書』地
理志の中に「楽浪海中に倭人有り、分かれて百余り国をなす」という記事
もある。これらは中国史書の日本に対する最初の記述である。
日中の間には広い海という越え難い相互認識の溝が存在している。また
閉鎖的な古代では、相手の存在すら感じることができない。日本は中国の
隋・唐時代に交流使節を派遣したことがあるが、これも一方的な交流とし
か言えないだろう。要するに、明治維新以前の両国の交流は、主として、
文物や伝聞を通じてしか行われていない。顔を見ながら、相手の呼吸を感
じる交流は極めて少ないようだ。
このような背景を踏まえて、陳舜臣はこの時期の日中関係がどちらにし
ても、脅威の存在ではなく、また「一衣帯水」のような関係でもないと
語っている。当時の日本は、中国を理想の存在だと認識し、中国から先進
― 173 ―
的な文化を取り入れるだけに過ぎない。その一方で中国は、日本を一つの
隣国、あるいは朝貢国として取り扱う程度に止まっていた。それは双方に
利害関係がなく、衝突もない時代だった。
陳舜臣がこのように中国の日本に対する認識問題を語っているのは、明
治維新以前までは、中国では日本を紹介する専門書籍が存在しなかったか
らである。明治の初期、清末日本に駐在した公使・黄遵憲によって、やっ
と『日本国志』という著書が書かれた。これ以前には日本正史類の書籍が
なかったようだ。
陳舜臣は日本の明治維新以前に、日本は中国文化を吸収すると同時に、
中国に対して比較的客観的に理解・認識していたと述べている。しかし、
明治維新以後、日本が国家体制の近代化を実現し西洋に接近し、中国から
だんだん遠のいていった。他の角度からすれば、日本が西洋思想を取り入
れたことは、意識上でも文化上でも、中国が西洋先進的思想を吸収するこ
とに、積極的な役割を果たした。この点も無視してはならない。
3.2.日中交流関係の転換期
アヘン戦争については、歴史研究にせよ、文学作品にせよ、殆どがこの
事件を中国近代史の始まりとしている。アヘン戦争から、中国は重苦しい
歴史時期に突入する。しかし、陳舜臣はアヘン戦争がイギリスと中国間の
戦争だけでなく、西洋と東アジアとの劇的な邂逅だととらえている。日中
両国はこの歴史時期において相互関係を変化させたと指摘した。陳氏は次
のように述べた。
産業革命で溢れた西方のエネルギーが、怒濤のように東方へおしよ
せたとき、中国は一敗地にまみれ、ながいあいだ呻吟せねばならな
かった。それなのに、日本は明治維新によって、難局を一応切り抜け
ることができた。マーケットとして中国のほうが大きく、日本は後ま
わしにされ、そのため先例を知る時間的余裕を与えられたという幸運
― 174 ―
があった。5
アヘン戦争は中国で勃発し、日本とは直接関連がないように見えるが、
日中両国が近代社会に入る軌跡から判断すると、それなりの内在的な繋が
りがある。日中両国の古代から形成された文化交流の関係は、近代社会に
入る玄関口で相違が芽生え、物別れのきっかけとなった。日本は、アヘン
戦争前は主に中国の文化を吸収したが、明治維新を通して近代国家を誕生
させた。その後、次第に日中の文化交流は変化し始めた。その時の日本は、
すでに中国文化を模倣する対象としないどころか、かえって、後進と立ち
遅れの象徴として認識し始めた。日中文化関係における変化は長い過程が
あるが、アヘン戦争がこの変化を促す一つの要因となる。
アヘン戦争後、日本は社会体制を維新する歩調を速めた。しかし、中国は
依然として清朝の封建的体制を維持しようと努める。日中両国はその後、
対抗する時期に入り、戦争状態に突入する。
明治維新後、日本は「富国強兵」と「脱亜入欧」を目標とし、先進文明
を取り入れる目差しを西洋に向けて、短期間で封建社会から近代社会まで
の転換を完成させた。その成功の要因は多数あるが、アヘン戦争が日本へ
の警告的役割を果たしたことは否定できない。アヘン戦争は日中交流の歴
史の分岐点で、変化の転換期でもある。
この転換期において、中国は香港の割譲から国土台湾の喪失まで、百年
の屈辱と苦難の歴史に陥る。日本は中国の失敗を踏まず、
「脱亜入欧」への
道を歩み始めた。アヘン戦争で中国は負け、日本はその経験を参考に難関
を乗り越えた。中国はアヘン戦争からどのような教訓を汲み取るべきなの
か。筆者としては、アヘン戦争は中国の運命を決める戦争だけでなく、日
本への影響について、再吟味する必要があると思われる。
日本はアヘン戦争を通して、西洋列強と接触する貴重な経験を汲み取っ
ていた。そのため、日本は西洋列強との衝突が遅かれ早かれ起きる問題だ
と認識した。当時の日本は社会体制だけでなく、経済規模から見ても、西
― 175 ―
洋列強と対抗する実力がないので、体制を変革し国力を強くしなければ
ならない危機感が強まった。そこで、アヘン戦争の十数年後の嘉永六年
(1853)に、日本は「黒船事件」を平和的に解決した。当時、アメリカの
軍人ペリーは東インド艦隊を率いて浦賀に来航し、江戸幕府に門戸開放を
迫った。翌年、日本はアメリカと不平等ではあったが、和親条約を結ぶこ
とで、危機を回避した。同じ歴史時期において、中国と日本は同じような
事件が起きたが、その結果は全然違う。中国側はアヘン戦争に負けて、領
土を割譲するという屈辱を味わった。その一方、日本側はそれに備えて、
全面戦争の危機を避けた。両国の境遇の差は甚だしい。
陳舜臣には現代の人々に歴史上の各自の国がおかれた国際環境を認識さ
せる意図がある。これはアジア、もっと正確に言えば、中国と日本のこの
重大な歴史の時期での位置づけ、および「役柄」の相互転換を背景に、そ
の時の歴史を解読する。
筆者はアヘン戦争勃発が物理的なもので、エネルギーを限界まで蓄積す
ると、爆発しなければならない性質のものと認識する。アヘン戦争は中国
近代社会の始まりであり、日中に対していずれも計り知れない影響を及ぼ
した。
4.隣人関係の現在
三十年前に陳舜臣は「隣人論」と「求同存異論」を提唱した。前者は、
日中両国が互いの隣人であることは変えられない事実であり、永遠の隣人
を理解するため、たゆまぬ交流と意思疎通を行う必要性を強調した。後者
では、異を認めた上で、包容的な精神で接することを主張した。
4.1.引越しできぬ隣人
日中両国がアジアで隣り合うことは地理的、運命的なものである。双方
が好きかどうか、あるいは認めるかどうかに関わらず、変えられない事実
である。そのため、大事なのはどのように付き合うかという問題である。
― 176 ―
双方が互いに理解し合ってこそ、平和に付き合えるのだ。陳舜臣は次のよ
うに語った。
日本と中国は、引越しできない関係だ。しかし、私は両国はまだ、
お互いの本当の姿をよく知らないじゃないかと思っている。私自身も
両国のための相互交流へ、ささやかな使命感がある。なにしろ日本と
中国が仲良くすれば、世界の半分がうまくいくのだから。6
陳舜臣が述べようとすることは、一、日中両国がどのようにしてその近
隣関係と向き合うべきなのか。二、友好を達成するために、互いにもっと理
解する必要がある。三、日中友好は世界の平和と安定のためでもある。そ
れを実現するのは自分の使命であると理解していることだ。長期にわたっ
て、日中両国は相互認識の上で、大きな隔たりが存在しており、誤解を引
き起こしてきた。それに対して、陳氏は更に次のように述べた。
隣人と仲良くしたいのであれば、私たちは基本的な一つの原則を忘
れてはならない。―隣人と自分とは違うものである、自分の頭のな
かで、勝手に隣人のイメージをつくってはならない、ということであ
る。他人のイメージを勝手につくりあげるから、相手がそのイメージ
と違うといって、腹を立てたりするのだ。…地理的位置はどうしょう
もなく、日中両国は永遠に隣人たるべく運命づけられている。7
上述からも、陳舜臣の相互理解を提唱する信念がいかに強いかが窺え
る。日中関係が停滞状態に陥った時も、陳氏はそれを改善する方法とルー
トを模索していた。日中両国は永遠に隣人であるので、相互理解こそが最
も重要であり、しかしそれは最も困難でもある。
この意味で、日本人と中国人が似て異なる所は、無意識的に誤解を招く
可能性がある。もちろん日本が中国を誤解するだけでなく、中国も日本を
― 177 ―
誤解している。いずれも自分が相手を知っているつもりで、実際はそうで
はないことがよく起きている。
陳舜臣は「この忘れることにかけては、日本人が中国人よりも、いやた
いていの国の人間よりもすぐれているようだ」8 という例を上げながら説明
した。陳氏は中国人が罵言として使用する「忘八」は恥知らずで忠孝礼儀
知らずの意味であるとした。そこからも、中国人は「忘却」が最も嫌いな
ことがうかがえる。それに対して、日本人は「忘却」という言葉への理解
が驚くほど異なる。なぜなら、日本人は「忘却」が一つの美徳だととらえ
ているようだ。何もかも忘れないのではきりがないので、
「忘却」によっ
て、人々は身軽になると感じているようだ。このように「忘却」という言
葉に対して、日中二つの民族に明らかな差異が存在する。
人々は自分の思い込みで、中国と日本をとらえ、これが中国あるいは日
本だと結論づける。このような先入観は誤解を招くもととなる。相手の文
化及び性格を理解する時、異なる一方に偏った想像や思惑に基づき、自分
が相手と違うことをはじめて認識する。しかし、陳氏は日中の相似から説
くことなく、異質文化の伝統を認め合った上で、双方の認識を共にするこ
とも大事だと指摘した。
筆者は日本と中国はいずれも各自の伝統と文化を持つ国であり、価値観
が異なり、物の考え方も違う。日中両国の隣り合う地理的な位置は永遠に
変えられないので、双方が差異を縮めることが有効な方法の一つである。
4.2.
「求同存異」の提唱
日中関係論の特徴を陳舜臣は、同じように見える文化に差異を見出すこ
とであるとしている。陳氏は小異を残して大同につくことを提唱した。日
本文化と密接な関係にある文化には、古代、近現代を問わず中国が挙げら
れる。今日、両国の文化は一方的な流れを主流とする交流史に別れを告げ、
さらに頻繁に、深く相互作用していく過程を歩み始めた。双方に多くの共
通点があるが、似通っているようで実はまったく違うものである。
― 178 ―
戦後、日本経済が飛躍的な発展を遂げたが、日中両国の文化交流の乏し
い状態が国交を回復する以前はずっと続いた。1971 年に、陳舜臣の『日本
人と中国人』は当時ベストセラーとなった。戦後の日本が中国を理解する
空白を補い、日本人の目を中国へと向けさせた。日本人が適切に中国を認
識するきっかけを作ったと評価したい。
陳舜臣は「同文同種」という認識の危険性を指摘した上で、
「血統」を基
準とする日本と、
「人情」を元とする中国との差異を見出した。さらに陳氏
は友隣関係を再建するため、相互の差異を認めた上で、交流を重ねて行う
ことを主張した。当時、この観点は日本人の中国文化への「同文同種」と
いう認識を正すだけでなく、日本人が自己を認識する鏡ともなった。その
ため、尾崎秀樹は「日本人の誤った中国認識、特に“同文同種”観をする
どく衝いた点で、これまでの類書にはない内容のものであった。その意味
では、日本人の中国認識を正すと同時に、深く反省をうながす警告の書で
もあった」9 と評論した。
陳舜臣は『日本人と中国人』中で、中国の典故を引用しながら、通俗的
な言葉で両国の文化根源を述べた。陳氏はまず「唇歯輔車」の関係にあっ
た日中の歴史を振り返り、
「同文同種」という見方は一方的に偏ったもの
で、小異を残して大同につくことは、隣人関係を処理する基礎だと指摘し
た。陳氏は実を取って名を捨てるのか、また名を捨てて、実をとるのかと
いう「名と実」を例に、日中文化の対比を分析した。集団効率を重視する
日本人は「名と実」を前に、迷わず後者を取る。しかし、
「名誉と面子」を
大事にする中国人は前者を選ぶのだと説明した。また、陳氏は普段の小さ
な生活習慣を例に挙げて、二つの民族の違う習慣を説明した。
洗顔のとき、日本人はタオルを顔にあてて、タオルをうごかす。中
国人はタオルを固定させて、顔のほうを動かす。―これは、例外の
少なくない習性であるが、やはり性格の差というものがあらわれてい
るようだ。10
― 179 ―
この生活による実例は分かりやすく、同じようにみえる文化も実はまっ
たく異なるものであることの理解・認識に役立つ。
地理を見る限り、日本は、広い海を天然の障壁として、上古から大陸と
隔絶した状態の中で生息している。それゆえ、大和を中心とした少数民族
の少ない状況が形成された。一方、中国は広い国土を持つ大陸の国家で、
多民族多言語によって、文化の多様性が生まれた。
尾崎秀樹は陳舜臣氏の「この言語の二重生活は、日本にあって日本の外
側から見る複眼の眼を養い、日本と中国の文化を相対的にとらえる発想を
生み出すもとともなった」11 と述べた。筆者はこの評論が適切なものだと
思う。
5.日中関係の未来
現在、日中両国の交流も多様化の成り行きを呈している。そして、両国
は「友好」関係の枠を越え、
「全方位による交流」という時代に突入してい
る。将来、日中両国は、相互理解を深めた上で、共通した基盤を持つ「世
界の中の日本と中国」という時代に進んでいくことが期待される。日中関
係の未来図はどのようになるのだろうか。
5.1.日中友好は世界平和に繋がる
今、世界情勢が変化する中で、アジアはますます注目されるという見方
がある。その期待は主に日中両国の肩にかかると思われる。それに対して、
陳舜臣は次のように語った。
日中両国の友好と信頼関係の維持は、もはや両国のためではなく、
ひろがったアジア圏のためにも、ひいては地球のためにも必須のもの
となった。12
両国の友好維持は選択ではなく、与えたられた使命である。陳氏の見解
― 180 ―
では、隣国関係を考える時、
「国」という狭い視野を越え、「地球」規模の
枠組みで世界を見つめる必要性がある。勿論、今日の日中関係は二十世紀
七十年代と比べると、より複雑なもので、単純な文化理解の問題ではなく
なった。しかし、文化交流はやはり一つの有効的な方法である。
筆者は歴史の尊重は大事だが、それよりもいかにして歴史認識の差異を
縮めるかが両国にとって、大切なことだと考える。日中両国は未来に向け
て、各自の「小異」を捨てなければならなく、また世界の中での信頼関係
の構築は、両国の使命であり、世界平和への貢献にも繋がる。
世界情勢を観察すれば、いかなる問題の発生もその当事国だけではな
い。アジアでの衝突も瞬時に世界を渦に巻き込むことになる。そのため日
中両国は、アジアの二強という責任を自覚し、地域経済圏の形成を促進す
るために重要な使命がある。陳氏は自分の責任について次のように述べ
た。
日本と中国の間には、かつて共通したものがあったのに、だんだん
となくなってきた。そのために、私のできることのひとつとして、小
説家としての立場を利用しようと。そして、日本と中国の歴史の接点
というものを、作品を通して皆に分かってもらおう。13
陳舜臣は歴史、文化、そして日常生活の角度から、人々が忘れがちになっ
た日本と中国のあり方を探索している。これらの論述は日本人が中国を眺
める窓口となっている。また、中国人が隣国日本を見直すきっかけとなる。
陳氏の視線はいつも日本文化の外から、その現実を見つめている。
5.2.国境を越えた未来の予測
今日、長い交流史を持つ日中両国は、二十一世紀の朝日を浴びながら、
新しい時代に向けて、確実に歩み出そうとしている。その意味で、両国民
は日中関係の現状を受け止めて、交流を強め相互不理解による問題を解決
― 181 ―
して、未来に向けて新しい時代を構築しなくてはならない。
日本が「古くて新しい大国」中国とどう付き合うべきか。それに対して、
様々な対策が議論されているが、やはり文化交流が大事だと主張したい。
陳舜臣は有名な学者白川静氏の言葉で「世という字は、草木の枝葉が分か
れて新芽が出ている形とする」と引用して、中国で起きた巨大な変化に触
れた。
猛烈なスピードで中国は変貌し、新芽は私たちを幻惑させている。
今こそ私たちは平静な目で、これを世界歴史の流れとしてとらえなけ
ればならないと思う。日中間の問題は、狭い観点から脱却することが、
これからますます必要になると思う。14
中国はかつてない速度で変化している。例えば、文化の価値観、道徳規
範、審美意識等である。それらの変貌により生み出された目新しい「新
芽」と「幻惑」は、日本にとって理解しづらいどころか、まったく共鳴で
きないことがあるに違いない。しかし、このような「新芽」と「幻惑」を
自国の物差しで計るのではなく、長い目で冷静に対処することが、変革し
つつある中国を理解する第一歩であろう。中国も日本に対する古い観念か
ら脱却して、新しい視線で隣国と付き合う必要がある。陳舜臣は中国の二
十一世紀の変化について以下のように予測した。
よく中国人は変り身が早いなんて言いますが、五千年の歴史の中で
何度も王朝や権力機構が代わってきた国ですから、人民は対応して
ゆくためには変り身を早くしなければ生きていけなかったんですよ。
そうした国民の習性みたいなものは現代でも変わっていないでしょ
う。15
激変する中国は昔の価値観から脱却しつつあり、自国の価値観を変えよ
― 182 ―
うとする分岐点に立っている。中国が新しい時代を進むことは、歴史の必
然であり、社会的進化でもある。また中国はよりよい民主化のために、経
済を発展しなくてはいけない。そのため、民主化と経済発展は中国にとっ
て、解決しなければならない複雑な問題だろう。どうバランスをとるのか
は、今後中国の重要な課題である。そのほか、陳氏は世界情勢についても
このように述べた。
これまでの一千年の変化は、これからの二、三十年で起こるでしょ
う。…ユーロという単一通貨をつくって、国家の拘束力が薄れている。
アジアにも EU のような地域連合ができるとすれば、一番に要求され
るのは、軍事的な国際貢献ではなく、近隣諸国と友好関係を築ける力。
それが二十一世紀の知恵ではないでしょうか。16
陳舜臣は EU のやり方に賛成していて、近い将来アジアもヨーロッパの
ように、次第に国家の影響力が弱まり、地域規模の協力関係が誕生すると
している。そのため、アジアの日本と中国は、世界の枠組みの中で日中関
係を考えなければならない。また世界の視野から両国の問題を処理して、
狭い政治問題や経済利益にこだわってはならない。さらに、未来の国家の
形を語る時に、陳氏は次ぎのように予測した。
私は、
「国」というものに対する思いが以前と違ってきて、世界主義
的な考えをとるようになってきたのです。…私の思いの変化からいえ
ば、中国は、解体するんですよ。中国というのは、何に対する中国か
といことですね。そういう意味では、中国だけではなく、日本も解体
だと思いますね。要するに、十九世紀、二十世紀的な国家、民族国家
は、解体するんじゃないですか、今世紀で…。17
以上は一つの予測あるいは理想にすぎないかもしれない。実際、本世紀
― 183 ―
末に民族国家が消えるのは不可能である。民族と文化を越えることは世界
の人々に平等とゆとりの生活空間を与え、民主と自由を獲得させ、民族の
優越感を無くすことである。これは民主主義の理想世界である。陳氏が尊
崇する世界主義からみれば、民主主義は基礎であり、民主主義をやり遂げ
た上で、世界主義を追い求めることが崇高な目標であろう。
6.おわりに
陳舜臣は日中文化交流の実践者である。陳氏は多元文化の立場に立っ
て、日中関係をめぐる独自の見解を述べてきた。これらの見解は日中両国
への特別な感情や思考が凝集されている。
2009 年は日中国交正常化 37 周年にあたる。しかし、現在の日中関係を
「友好」
で定義するのは単純すぎるのではないだろうか。パートナーの関係
構築には、両国民間の交流や友好的雰囲気も不可欠である。「友好」という
言葉は理解しやすいが、現実の難しい局面をどう乗り切るのかが問われて
いる。
周知のように、日中間に存在する大きな問題は、決して個人的な力では
解決できない。陳舜臣の「複眼」による問題のとらえ方、そしてこれを克
服するための「隣人論」
、
「求同存異論」などの論述は、人々に新たな参考
とすべき考えを与えるのではないだろうか。
現在、世界は激動の時代に突入している。昔の歴史認識、文化価値、政
治理念も疑問視されつつある。そのため、国家、民族、文化を越えて共有
できる新しい価値観が生まれつつある。その地球規模の変革の渦の中で、
日本、中国、アジア、世界という過去の狭い視野での国と国、国と地域、
地域と世界などの対応関係を越えて、人類の多元文化共存の社会が到来し
ている。そこで、問われる日中関係はどのようなものなのか。それに対し
て、陳舜臣は我々に独特な視角を提供したのではないか。
― 184 ―
注
1
陳舜臣『日本人と中国人』集英社文庫、1984 年、pp. 5。
2
陳舜臣『弥縫録』中央公論新社、2005 年、pp.316-317。
3
曹志偉『日本文壇で活躍する作家・陳舜臣の文学世界』中国天津人民出版社、
2008 年、(陳舜臣氏が書いた中国読者へのメッセージより)
。
4
陳舜臣『日本人と中国人』集英社文庫、1984 年、pp.5。
5
陳舜臣『阿片戦争・下』株式会社講談社、1996 年、pp.120。
6
陳舜臣『陳舜臣対談録 歴史に未来を観る』株式会社集英社、2004 年、pp.178。
7
陳舜臣『日本的中国的』祥伝社、1998 年、pp.61-63。
8
陳舜臣『日本的中国的』祥伝社、1998 年、pp.16。
9
陳舜臣『日本人と中国人(解説・尾崎秀樹)』集英社文庫、1984 年、pp.224。
10 陳舜臣『日本人と中国人』集英社文庫、1984 年、pp.205。
11 陳舜臣『日本人と中国人(解説・尾崎秀樹)』集英社文庫、1984 年、pp.228。
12 陳舜臣『史林有声(日中両国の任務)』NTT 出版株式会社、2003 年、pp.79。
13 陳舜臣編『Who is 陳舜臣?(小説十八史略)』株式会社集英社、2003 年、
pp.214。
14 陳舜臣『龍鳳のくに―中国王朝興亡の源流をたどる』朝日新聞社、2005 年、
pp.259-260。
15 陳舜臣「この人と」毎日新聞・夕刊、1992 年 12 月 21 日。
16 陳舜臣「時空を翔ける」産経新聞・夕刊、2000 年 6 月 5 日。
17 陳舜臣編『Who is 陳舜臣?(桃源郷)』集英社、2003 年、pp.107。
― 185 ―
天神の息子
塚 本 晃 久
本稿で紹介する民話はトンガ王国に伝わるもので、いずれも天の神 ― 太
陽あるいはタンガロア(Tangaloa)― と地上の女性との間に生まれた子供を
テーマとしている。太陽はポリネシアの広い地域で神と見なされることが
あったものの、重要視されることは少なかったようで、それに言及する話
は多くない
(Craig 2004)
。一方、タンガロアはポリネシアの神々の中でも最
も重要な神で、多くの話が伝わっているが、ライター(Reiter 1907:438448, 1933-1934:355-362)の話によると、トンガ王国では、タンガロアと
いうのは五人の兄弟神を指し、主島であるトンガタプ(Tongatapu)島の南
東に位置するッエウア(‘Eua)島 1 と最初の人間の創造に係ったとされてい
る。
原文として掲げたテキストは、MD に記録した録音を基に、無駄な繰
り返しを省き、明らかな言い誤りを正し、場合によっては、論理関係を明
確にするための書き直しを行って作成したものである。訳は原文と比べれ
ば、センテンス間の対応関係が分かるようなものにしてある。話のタイト
ルとしては、天の神と地上の女性との間に生まれた子供の名前 ― すなわ
ち、シシマタッイラッアー(Sisimata‘ila‘ā)2 とッアホッエイトゥ(‘Aho‘eitu)3
― を採用した。
テキストを編集するにあたっては、ッアーカタ・フィーナウ(‘Ākata
Fı̄nau)さん(女性、1962 年 6 月 22 日生まれ、ニウアフォッオウ[Niuafo‘ou]
島マタッアホ[Mata‘aho]村出身)とロセ・バーバラ・マッウ(Lose Barbara
― 187 ―
Ma‘u)さん(女性、1979 年 11 月 7 日生まれ、ト ン ガタプ島 ン ゲレッイア
[Ngele‘ia]村出身)が手伝って下さった。また、トンガに滞在する際は、
いつもマーノア・マッウ(Mānoa Ma‘u)さん御一家が日常生活の全般にわ
たってお世話をして下さる。語り手の方々はもとより、協力して下さった
方々すべてに深く感謝したい。
「シシマタッイラッアー」
ギフォード(Gifford 1924:111-119)にハッアパイ・グループ(Ha‘apai
Group)のッウイハ(‘Uiha)島フェレメア(Felemea)村 4 に関する類話が 3
篇、ハッアパイ・グループのトヌメア(Tonumea)島 5 あるいはケレフェシ
ア(Kelefesia)島 6 に関する類話が 3 篇収められている。フェレメア村には、
話のテーマとなっているシシマタッイラッアーとトゥッイ・トンガ(Tu‘i
Tonga)7 の娘ファタフェヒ(Fatafehi)の子孫がいるとされ、代々、ファカ
トウイオ(Fakatouio)の名前を受け継いでいる。
第1話
語り手:レタ・ハヴェア・カミ(Leta Havea Kami)、女性、1965 年 8 月 2 日
生まれ、トンガタプ(Tongatapu)島コロモトゥッア(Kolomotu‘a)村出身。
2000 年、米国の平和部隊(Peace Corps)の通訳として数日間ニウアフォッ
オウ島に滞在。
記録日・記録地:2000 年 8 月 8 日、ニウアフォッオウ島ッエーシア(‘Ēsia)
村の政府代表官(fakafofonga pule‘anga)の官舎にて
原文:
Ko e fo‘i talanoa eni kia Sisimata‘ila‘ā. Pehē na‘e ‘i ai e fefine ‘i Tonga na‘e fa‘a
manako ke ‘alu ‘o sio ki he hopo ‘a e la‘aá pea na‘e ‘alu ‘o tokoto ‘i he ngaahi
‘ulumaká ‘o siosio pē ki tahi ‘i he likú. Na‘e tokoto ta‘e vala pē ka ko e sisi pē na‘á
― 188 ―
ne vala ‘akí. Pea ko e talanoá, na‘e hoko ‘i Niutōua. Na‘e ‘alu pē ‘o tokoto pea hopo
hake ‘a e laaá ‘o sio mai ki ai. Na‘á ne fai pē, fai pē, ‘ohovale pē kuo feitama. Pea
pehē ko ‘ene feitama ki he la‘aá. Pea nofo ai pē mo ‘ene ki‘i tamasi‘í. Ko e tamasi‘i
faka‘ofo‘ofa mo kaukaua mo lahi. Na‘á ne ‘eke ma‘u pē ki he‘ene fa‘eé pe ko fē
‘ene tamaí. Tala ange ‘e he‘ene fa‘eé ko ‘ene tamaí, ko e la‘aá. Tala ange ‘e he
tamasi‘í: “‘Oku ou fie ‘alu ‘o fekumi ki ai.” Tala ange leva ‘e he fa‘eé: “Kuo pau ke
ke ‘alu ki he feitu‘u ko ē na‘á ku fa‘a tokoto aí. Pea ko ho‘o sio pē ki he ‘alu hake
‘a e la‘aá peá ke hanga leva ‘o lı̄ atu e kupengá. Ko ‘ene ‘asi pē ‘a e huelo ‘o e la‘aá
peá ke lı̄ atu leva ke ke ma‘u koe.”
‘Alu leva e tamasi‘í ‘o fai e fo‘i me‘a ko iá pea lı̄ atu e kupengá pea vela ia
‘o ‘osi he ‘oku fu‘u vela ‘a e la‘aá. Foki mai e tamasi‘í ‘o tala ange ki he‘ene fa‘eé
kuo vela e kupengá pea ‘ikai ma‘u e la‘aá, na‘e ‘alu pē ‘a e la‘aá ia. Tala ange ‘e
he‘ene fa‘eé: “‘Oku ‘i ai e fale ‘oku mohe ai e la‘aá. Taimi ko ē ‘oku ‘alu ai ke toó,
‘oku ‘alu ‘o mohe he fale ko iá. Kuo pau ke ke ‘alu ‘o feinga ki he fale ko iá. Te u
‘oatu mo ha kupenga ‘e taha ke ke ‘alu mo ia. Ko ‘ene hū atu pē ki he falé peá ke
kupenga‘i leva.”
‘Alu atu e tamasi‘í, ‘oku ‘i ai e fefine ia ‘oku nofo he falé. Tala ange ‘e he
fefiné: “He ‘ikai te ke ma‘u ‘e koe ‘a e la‘aá he ‘oku ‘ikai toe ngofua ke ha‘u ha taha
ia, ko ha taha kakano. Tapu koe ke ke hū mai ki heni.” Tala ange ‘e he tamasi‘í: “Ko
e me‘á na‘e fekau ‘e he‘eku fa‘eé.” Tala ange ‘e he fefiné: “Ho‘o fa‘eé?” Tali ‘e he
tamasi‘í: “‘Io.” “‘Io, ‘a ia ‘okú ke konga la‘ā, toe konga tangata? Sai pē ka te u vakai
pē heni. Ko e hā ‘a e me‘a na‘e tala atu ‘e ho‘o fa‘eé?” “Na‘á ne tala mai ke u ha‘u
mo e kupenga.” Tala ange ‘e he fefiné: “Kapau ‘e vela ho kupengá, he ‘ikai pē te ke
ma‘u ‘e koe ‘a e la‘aá.” Ko ‘ene hū mai pē ‘a e la‘aá, na‘e lı̄ atu ‘e he tamasi‘í hono
kupengá. Pea toe vela ia.
Na‘e loto mamahi peá ne toe foki ki he‘ene fa‘eé. Na‘e hanga ‘e he‘ene
fa‘eé ‘o ‘oange ‘a e sisi. Ko e sisi ia na‘á ne tui he‘ene fa‘a tokoto ‘o sio ki he la‘aá.
Tala ange ‘e he‘ene fa‘eé: “‘Alu mo eni he na‘á ku tui pea ha‘u ‘a e la‘aá kiate au
― 189 ―
ka na‘e ‘ikai te u vela ai. Ko e sisi ko ení, ‘oku ou tui, te ne malu‘i koe ke ke hao.”
‘Alu leva e tamasi‘í ‘o toe feinga atu he mamalu ‘a e po‘ulí, he toe foki ko ē
‘a e la‘aá ki hono falé. Ko ‘ene hū atu pē la‘aá, kuo lı̄ atu leva ‘a e sisí. Pehē mai ‘e
he la‘aá: “‘Ei, ko hai eni?” Peá ne tala ange: “Ko au Sisimata‘ila‘ā.” Pea ‘ohovale
e la‘aá he‘ene a‘u atú. Na‘á na fe‘ohofaki fiefia he kuó na fetaulaki, ‘a e tamaí mo
hono fohá.
訳:
シシマタッイラッアーの話。太陽が出てくるのを見に行くのが好きな女が
トンガにいて、島の裏側で岩の上に横になり、海をながめるのでした。服
は着ず、シシだけを身に着けて横になるのでした。この話はニウトーウア 8
で起ったものです。女は出かけて行って横になり、太陽が昇ってきてそれ
を見ていました。そうすることを繰り返していると、思いがけなくも身ご
もってしまいました。太陽の子供を身ごもったのだと思いました。そして、
生まれた男の子と一緒に暮らしていました。奇麗で、たくましく、大きな
子でした。男の子はお母さんにいつもお父さんはどこかと尋ねました。お
母さんは、お父さんは太陽だと言いました。男の子は言いました:
「お父
さんを探しに行きたい。
」お母さんは言いました:「私がよく横になってい
たところに行きなさい。それで、太陽が昇ってくるのを見たら、網を投げ
るのよ。太陽の光が現われたら、太陽がかかるように網を投げなさい。」
男の子は出かけて行って、言われたことをしましたが、網を投げる
と、太陽はあまりにも熱かったので、焼けてなくなってしまいました。男
の子は帰って来て、網は焼けて太陽は捕まえられなかった…太陽はそのま
ま行ってしまったとお母さんに言いました。お母さんは言いました:
「太
陽が寝る家があるのよ。沈んで行く時はその家に行って寝るのよ。その家
に行って試してみなけりゃいけないでしょう。あなたが持って行くよう
に、もうひとつ網をあげるわ。太陽がその家に入ったら、網で捕まえるの
よ。」
― 190 ―
男の子が行くと、その家には女の人が住んでいました。女の人は言
いました:「あなたは太陽を捕まえられないわ。だって、生身の人は誰も
来ることが許されていないもの。あなたがここに入ることは御法度よ。」
男の子は言いました:
「僕のお母さんがそうしろって言ったんだ。」女の人
は言いました:「あなたのお母さん?」男の子は答えました:「そうだ。」
「ということは、あなたは半分太陽で、半分人間ってこと?いいわ。ここ
でどうなるか見てみましょう。お母さんは何を言ったの?」
「網を持って
来るように言ったんだ。
」女の人は言いました:「もし網が燃えちゃった
ら、あなたは太陽を捕まえられないってことよ。
」太陽が入ってくると、
男の子はまた網を投げました。すると、また燃えてしまいました。
男の子はがっかりして、またお母さんのところに帰りました。お母
さんはシシをあげました。いつも横になって太陽を見ていた時に編んだシ
シです。お母さんは言いました:
「これを持って行きなさい。というのも、
それを編んでいたら、太陽が私のところに来ても、私は熱くなかったのだ
から。このシシは私が編んだものだけど、あなたの身に何も起こらないよ
うにあなたを守ってくれるわ。
」
日が暮れる頃、太陽がまた家に入ってしまう時に、男の子は出掛け
て行って、もう一度、試してみました。太陽が入ってしまう時、男の子は
シシを投げました。太陽は言いました:
「エイ、誰だ。」男の子は言いま
した:「シシマタッイラッアーだ。
」太陽はその子が来たのに驚きました。
お父さんと息子が会えたというわけで、二人は嬉しくてお互いに向かって
走って行きました。
第2話
語り手:シンダレラ・マッアシ(Sindalela Ma‘asi)、女性、1949 年 5 月 14 日
生まれ、トンガタプ島ヴァイニー(Vainı̄)村出身。ヴァヴァッウ(Vava‘u)
島ネイアフ(Neiafu)のタラウ(Talau)地区に在住。お母さんはハッアパ
イ・グループのハッアノ(Ha‘ano)島の出身、お父さんは同じくハッアパ
― 191 ―
イ・グループのパンガイ(Pangai)島コウロ(Koulo)地区の出身。
記録日・記録地:1995 年 ヴァヴァッウ島ネイアフのタラウ地区にあるマウ
ミ・フィシッイアフィ(Maumi Fisi‘iafi)さん、ならびに、フォトゥ・フィ
シッイアフィ(Fotu Fisi‘iafi)さん夫妻の自宅にて
原文:
Ko e ki‘i talanoa eni fekau‘aki mo e kolo ko eni ko Felemea. Ne ‘i ai e ta‘ahine
faka‘ofo‘ofa ‘aupito na‘e ‘i Felemea. Na‘e nofo pē ia he likú. Pea tokua ko e
ta‘ahine ko ení, ko e ta‘ahine talavou ‘aupito. Pea ko ‘ene pongipongi kotoa pē,
te‘eki ai ke hopo hake ‘a e la‘aá, kuo kakau ia ki he fu‘u maka ‘oku tu‘u ‘i he
moaná. Ko ‘ene kaukaú ia. Pea ko ‘ene kakau ko ē ki aí, ko e toki hopo hake ko ē
la‘aá. Pehē tokua ne hopo hake e la‘aá he ‘aho ‘e taha, sio hifo e la‘aá ki he tokoto
hake ‘a e ta‘ahiné he fu‘u funga maká. Faka‘ofo‘ofa‘ia e la‘aá ‘i ai. Pea ‘ao‘aofia
leva tokua kae ‘alu hifo e la‘aá ‘o talanoa mo e ta‘ahiné, ‘o fai pehē ai pē ia ‘o tu‘o
lahi. ‘Ohovale pē, kuo tu‘itu‘ia e ta‘ahiné ia ‘o feitama. Pea feitama ko ē ta‘ahiné ‘o
fā‘ele hifo ko e tamasi‘i tangata. Peá ne hanga leva ‘o fakahingoa ko Sı̄sı̄mataela‘ā
ko e ‘uhingá foki ko ‘ene fā‘ele ki he la‘aá. Pea nofo ai pē fefiné ni mo ‘ene tamá ‘o
fu‘u tangata. Ko e tamasi‘i talavou ‘aupito.
Pehē na‘e folau mai ‘a e vaka ia e Tu‘i Tongá mei Tonga, takai mai he ‘otu
motu Ha‘apaí ka na‘e ‘i ai e ‘ofefine ‘o e Tu‘i Tongá ai. Ha‘u e ‘ofefine ‘o e Tu‘i
Tongá ‘o manako he tamasi‘í. Pea nau afe leva ki ‘uta. Afe atu ko ē ki aí ‘o ‘ilo‘i ko
e tamasi‘í pē mo ‘ene fa‘eé. Pea loto leva e Tu‘i Tongá ke ‘ave ki‘i tamasi‘í ki Tonga
ke mali mo ‘ene ta‘ahiné. Pea tala ange leva ‘e he fa‘ē ko ení ki he‘ene tamasi‘í:
“‘Alu ‘ahengihengi ‘o talitali he fu‘u maká ko e ‘uhingá ke ha‘u ho‘o tamaí ‘i
he‘ene hopo ko ē e la‘aá peá ke tala ki ai ho fonongá, ko ho‘o tamaí ia.” ‘Alu e
tamasi‘i ‘o nofo ‘o talitali. Pea ko ‘ene makape pē, hopo hake pē e la‘aá, kuo fakahā
leva ‘e he tamasi‘í hono fonongá. Hanga leva tokua he la‘aá ‘o ‘ange e fo‘i kofukofu
‘e ua ki he tamasi‘í. Peá ne tala ange leva: “Ko e fo‘i kofukofu ‘e tahá, ko Monū, ko
― 192 ―
e fo‘i kofukofu ‘e tahá, ko Mala. Pea ko ‘ene ‘alu atú pē ko ē, teu pē ko ē kātoangá
ke fai e ta‘ané peá ke hanga leva ‘o fukefuke ‘a Monū pea te ke ‘ilo pē hono leleí.
‘Oua ‘aupito na‘á ke fakakaukau ke ke ala kia Mala. Ko ‘ene ‘osi ko ē e kātoangá,
ko ē ‘a e kātoanga malí, peá ke toki fakaava leva ‘a Mala.” Pea ‘ikai foki te ne toe
fakahā ‘e ia pe ko e hā hono ‘uhingá. Ka ko ‘etau ‘atamai fie‘iló foki. Ha‘u leva e
tamasi‘í ‘oku tāla‘a pē pe ko e hā. ‘Alu ki he malí mo e ki‘i kofukofu valevale ‘e ua.
Tau ‘osi ‘ilo ai pē ‘a e mali faka–Tongá, fele ‘a e koloa mo e me‘a.
Ha‘u ko ē tamasi‘í pē, heka pē he vaká ‘o ‘alu mo e ki‘i kofukofú pē ‘e ua.
‘Alu atu pē ko ē e tamasi‘í. Ne mu‘omu‘a pē ‘a e Tu‘i Tongá mo ‘ene kau folaú kae
tala ange pē ‘e he tamasi‘í ‘e toki ‘alu atu. ‘Alu ko ē e tamasi‘i ko eé he vahá, kuo
fie ‘ilo ia kia Mala, ‘ikai mu‘a ke ‘ai ‘a Monū ‘oku ngali saí. Hanga ‘e ia ‘o fakaava.
Ko ‘ene fakaavaava, mani, kuo hako pea kovi ‘aupito ‘a e tahí. Fakavavevave hono
tapuni‘i ‘o tuku. Pea ‘osi pea ‘alu ai pē. Ko ‘ene tau atu pē ‘o ‘alu atú, kuo siosiofi
foki ‘ene ki‘i ‘alu atu, faka‘ofa, ‘oku ‘ikai ke ‘i ai ha koloa, ‘ikai ke ‘i ai ha kakai ‘e
‘alu atu mo ia, hala ‘ata‘atā. Ko e fo‘i sinó pē eni. Ko e hā hono ‘aonga fu‘u tangata
talavou, faka‘ofa mo‘oni, ‘oku hala ‘ata‘atā, masiva, ‘ikai ha‘ane me‘a. ‘Alu pē ko ē
tamasi‘í pea ne teu pē ko ē kātoangá ki he ‘aho ‘e tahá, hanga leva ‘e he tamasi‘í ‘o
fakaava hake e ki‘i kofukofu ko eé, ‘a Monū. Pea ko ‘ene fakaava ko eé, kuo hangē
ha haá e kakaí, ko e puaká, ko e koloá. ‘Ohovale fu‘u kakai ko ē ‘a e Tu‘i Tongá
he‘enau sio pe na‘e ‘i fe‘ia e fu‘u kakai, ko ē na‘e ‘alu ange toko taha pē tamasií. Ko
Monū ia ē. Fai ai pē kātoangá, ‘osi. ‘Osi pē foki ko iá, toki hanga leva ‘e he tamasi‘í
‘o fakaava hake ‘a Mala. Ha‘u ‘a e havili mo e ngaahi ‘ū me‘a mo e fanga tēvolo mo
e ‘ū me‘a ko ia, ‘ave veve mo e me‘a, hiko ma‘a, pea nofo ai pē tamasi‘í ia ai. Pea ko
e tupu‘anga tokua ia ‘o e hingoa ko Felemeá, ko e pehē ‘e he Tu‘i Tongá ko e fele ‘a
e me‘a. Pea ‘ikai foki ke ‘ilo ko hai e hingoa ‘o e kolo ko eé ‘o e tamasi‘í. Pea ui ai
pē, pehē ko e tupu‘anga ia ‘o e hingoa Felemeá, ko e tō meí he fele ko ē ‘a e me‘a ‘a
e māna‘ia ko eni ko Sı̄sı̄mataela‘aá he‘ene malí he ko e ‘uhingá foki ko ‘ene tamaí,
e la‘aá. ‘Oku tau tui pē, mahalo ko e mo‘oni pē, mahalo ko e ‘otua mo e tangata ‘a e
― 193 ―
tamai ‘a e tamasi‘í. Pea ko hono ‘uhinga ia ‘o Felemeá, ko ‘eku ki‘i ma‘u vaivai pē
ia ki ai.
訳:
これはフェレメア村についてのお話です。フェレメアに大変きれいな女の
子がいました。島の裏側に住んでいました。この女の子ですが、大変きれ
いな女の子だったという話です。毎朝、太陽がまだ昇っていない時に、こ
の女の子は大海原にある岩まで泳いで行くのでした。そうすることが、沐
浴だったのです。そこに泳いで行くと、太陽が昇るのでした。ある日、太
陽は昇って、女の子が岩の上に横になっているのを見たそうです。太陽は
その美しさに魅せられました。すると、曇り、太陽は降りて行って、岩の
上で女の子とお話をするのでした。何度もそんなことがありました。突然、
女の子はお腹に子供が出来ました。お腹に子供が出来て、男の子を生みま
した。そして、太陽の子供であったということで、シーシーマタエラッアー
と名付けました。女は子供と一緒に暮らし、子供は大きくなりました。本
当に見目麗しい男の子でした。
トゥッイ・トンガの舟がトンガから来て、ハッアパイの島々を巡り
ましたが、トゥッイ・トンガには娘がいました。トゥッイ・トンガの娘は
やってきて、その男の子が好きになりました。一行は陸(おか)に上がり
ました。そこに寄ると、その男の子とお母さんが見つかりました。トゥッ
イ・トン ガは、娘と結婚するように、その男の子をトンガ 9 に連れて行き
たいと望みました。すると、お母さんは息子に言いました:
「あしたの朝
早く出掛けて行って、太陽が昇るのを岩で待ちなさい。そして、太陽にお
前が旅立つことをお話しなさい。お前のお父さんよ。
」男の子は行って、
待っていました。太陽が姿を現し、昇ると、男の子は旅立つことを明か
しました。すると、太陽は男の子に包みをふたつ渡したそうです。太陽
は言いました:「一方の包みはモヌー10、もう一方はマラ 11 だ。お前が行っ
て、結婚のお祝いの用意をしている時に、モヌーを開けなさい。きっと
― 194 ―
役に立つことが分かるから。マラに触ろうなどと考えてはいけないぞ。お
祝い・ ・ ・結婚のお祝いが終わったら、マラを開けなさい。
」太陽は理
由は明かしませんでした。けれども、私たちは、なにかと知りたがるも
のです。男の子は帰って来ましたが、一体、何なんだろうと不審に思っ
ていました。小さな包みをふたつ持って結婚式に行きました。トンガの
結婚式といえば、誰でも物がなんだかんだと沢山あるのを知っています。
男の子はやって来て舟に乗り、包みをふたつ持って行きました。男
の子は行きました。トゥッイ・トンガとその舟人たちは先を行きましたが、
男の子は後から付いて行くと言いました。何もない大海原を行きました
が、男の子はマラのことを知りたいと思いました。モヌーの方なら良かっ
たでしょうに・・・。マラを開けてみました。ちょっと開けてみると、何
と、風が起こり、海が大荒れになりました。大急ぎで閉じ、そのままにし
ておきました。その後、またずっと行きました。着いて、歩いて行くと、
皆がじろじろと見ました。可哀想な姿でした。全く財産を持たず、お付き
の人々もいず、何もありませんでした。体があるだけでした。見目麗しい
男も何の役に立つでしょうか?本当に可哀想でした。何もなく、貧しく
て、何も持っていなかったのです。男の子は行き、翌日のお祝いの準備を
しましたが、男の子はモヌーの包みを開けました。開けると、人も豚も
財産も例えようのない凄まじさで現れました。トゥッイ・トンガの配下の
人々はたいそう驚きました。男の子はひとりだったのに、一体どこにそん
なに大勢の人がいたのだろうかと・ ・ ・。それがモヌーでした。お祝い
をし、それが終わりました。終わると、男の子はマラを開けました。する
と、風その他が起こり、テーヴォロ 12 その他が現れ、ゴミその他を運び去っ
て、きれいに掃除しましたが、男の子はそのままそこに残っていました。
フェレメアという名前の起源ですが、物がどっさりある 13 というトゥッイ・
トンガの言葉です。男の子が来た村の名前は分かりません。それで、今で
もそのままその名前で呼ばれているのですが、フェレメアという名前の起
源はシーシーマタエラッアーという美男子の結婚式の時に物がどっさりと
― 195 ―
あったことに由来します。なにしろ、太陽がお父さんでしたから・ ・ ・。
私たちは、これは本当の話かな、男の子のお父さんは半分神様だったのか
なと思っています。これがフェレメアの意味です。私がそれについて持っ
ているささやかな知識です。
「ッアホッエイトゥ」
ライターが発表した神話集(Reiter 1907, 1917-1918, 1933-1934)に同様の
話 14(1933-1934:355-362)が収められているが、この話が今日までに多
くの研究書に引用され、また、議論されてきた。本稿の話は、この話と比
較すると、いくつかの点で興味深い差異を示す。
本稿の第 1 話は、トゥッイ・トンガの起源とも、実在する特定の土
地とも結び付けられることなく語られている。また、登場するッエイトゥマ
トゥプアも ‘otua「神」ではなく、tēvolo「テーヴォロ」とされている。こ
れに対して、本稿の第 2 話はライターの話と同様に、トンガタプ島のポプ
ア村 15 周辺にまつわる話として語られ、トゥッイ・トンガの起源を説明し
ている。この話はライターの話と比べると、いくつかの付帯情況に関する
言及を欠き、かなり短いものになっているが、その一方で、ッイラヘヴァ
(‘Ilaheva)の暮らしぶりを説明するにあっては、具体的な地名を含むなど
してより詳しいものになっている。
本稿の第 1 話の語り手は、話に登場するッイラヘヴァとは関係のない
地域の出身者である。この語り手が語ったものは、実在する土地とは関係
のない純粋に「架空の話」として発達してきた話であると考えられる。そ
れに対し、第 2 話の語り手はッイラヘヴァが住んでいたとされる場所の近隣
― ホウマケリカオ(Houmakelikao)村 16 ― で生まれ、育った者である。こ
の語り手は、土地の人々が自分たちの土地にちなんで実際に起こったとさ
れる出来事についての「実話」
(あるいは、それに近いもの)として語り継
いできた話を語ったと考えられる。特にッイラヘヴァの暮らしていた場所
― 196 ―
は、語り手が生まれ、育ち、そして、今も生活している環境の中に実在す
るものであり、強い親近感があったはずである。このようなことを考慮す
ると、それぞれの話の間に認められる差異の基本的な部分は、話の語り継
がれてきた環境を基に生じたものであると推定することが出来る。
なお、ッイラヘヴァが住んでいたとされる場所の周辺に住む人々の
多くが今日でも第 2 話と同様の話を知っている。ッアナ・フィーナウ(‘Ana
Fı̄nau)さん(女性、生年月日は不明、2009 年 3 月 22 日の調査の時点で 86
才とのこと、ヴァヴァッウ島ネイアフのタラウ地区出身、第二次大戦の
頃、トンガタプ島コロヴァイ[Kolovai]村に移り、結婚して同島ヌクヌク
[Nukunuku]村に住んだ後、1980 年頃からパータン ガタ[Pātangata]に在
住)
は、第二次大戦の時に来たアメリカ兵 17 がヌクッアロハの埠頭からパー
タンガタ 18 の方を見ると、人がずらっと並んで立っているのが見えたとい
う噂を聞いたけれど、その時、並んで立っていた人たちというのは、きっ
とテーヴォロだったのだろうと語っていた。このような発言は、一般には
キリスト教化したと言われているトンガ人の実際の宗教観、ならびに、噂
に係った人々がこの話に対して抱いている意識を暗示するものと考えられ
る。
第1話
語り手:スリエティ・コロ(Sulieti Kolo)
、女性、1948 年 8 月 10 日生まれ、
ハッアパイ・グループ(Ha‘apai Group)ッウイハ(‘Uiha)島出身。1968 年
以来、ニウアフォッオウ島ペータニ(Pētani)村に在住。
記録日・記録地:2001 年 9 月 7 日、ニウアフォッオウ島ペータニ村の集会
所にて、さらに同年 9 月 15 日に補足
原文:
Ko ‘eku talanoa. Ko e pehē tokua na‘e ‘i ai ‘a e tupu‘i tēvolo ko Tangaloa–
‘Eitumatupua. Pea na‘e nofo ia ‘i langi pea manako ia ‘i he ta‘ahine ko hono hingoá,
― 197 ―
ko Va‘epopua pea hifo mai ia ‘o na nonofo. Pea na‘e feitama ‘a e fefiné ni ‘o fā‘ele‘i
‘a e tamasi‘i pea fakahingoa ia ko ‘Aho‘eitu. Pea faifai pea kuo lahi ‘a e tamasi‘í
ia, ‘a ‘Aho‘eitu. Na‘e ‘i ai ‘a e ‘aho ‘e taha na‘á ne ‘eke ange ki he‘ene fa‘eé: “‘E
Va‘epopua, ko fē ‘eku tamaí?” Tala ange leva ‘e Va‘epopua: “Ko ho‘o tamaí, ‘oku
nofo ia ‘i langi.” Pea fakamahino ange e halá ke ‘alu ki ai. ‘Alu leva e tamasi‘í ia.
‘Alu atu pē e tamasi‘í ia, ‘oku ‘ikai ke ‘i ai ‘ene tamaí ‘ana ia, ‘okú ne
lolotonga ‘i he‘ene ngoue‘angá, ka ko hono fanga tokoua pē ‘ona ia, na‘a nau nofo
ai. Hanga leva ‘e nautolu ia ‘o tāmate‘i e tamasi‘í ni pea nau hanga leva ‘o ‘ave ‘o
fufuu‘i. Ka na‘e ha‘u leva ‘a ‘ene tamaí ‘o tala ange: “Namu tafatafa mei maama.”
Pea nau tala ange: “‘Ikai.” Pea toe ‘eke ange ‘e he‘enau tamaí pe na‘e ‘i ai ha taha
na‘e fou mai heni, he ‘oku namu tafatafa mei maama. Tala ange ‘e nautolu ia:
“‘Ikai.” Fai pē ‘enau fāingá pea tala ange leva ‘e he‘enau tamaí, ‘e Tangaloa: “‘Ikai,
‘oku mou loi. Na‘e ‘i ai e toko taha ia na‘e ha‘u ki heni.” Pea nau tala ange na‘a nau
hanga ‘o tāmate‘i pea fekau leva ke nau ō ‘o tānaki mai hono ‘ū kongokongá.
‘Omai leva ‘a e fu‘u kumete ‘o fekau ke nau lua ki ai. Pea nau ō leva ‘o
‘omai ‘a e nonú pea mo e hoí ‘o palu ki ai. Ko hono ‘uhinga ia ‘oku faito‘o ‘aki ai
‘a e nonú mo e hoí, ko e fo‘i tu‘utu‘uni ko eni ‘a e tupu‘i tēvoló. Pea hoko leva ‘o
kakato hono sinó pea nagungaue hake leva e tamasi‘í, kuo mo‘ui leva peá ne tu‘u
leva ki ‘olunga koe‘uhí ko e ngāue ko ia na‘e fekau ‘e Tangaloa–‘Eitumatupua ki
he‘ene fānaú ke nau ō ‘o fai kia ‘Aho‘eitú. Ko ia pē.
訳:
私のお話。タンガロア・ッエイトゥマトゥプアという名前のテ−ヴォロがい
ました。空に住んでいましたが、ヴァッエポプア 19 という名前の女の子が
好きになり、降りてきて一緒にひとときを過ごしました。そうしていると、
女はお腹が大きくなって男の子を生み、その男の子をッアホッエイトゥと
名付けました。やがて、その男の子ッアホッエイトゥは大きくなりました。
ある日、男の子がお母さんに尋ねました:
「お母さん、お父さんはどこに
― 198 ―
いるの?」ヴァッエポプアは言いました:
「お父さんは空にいるのよ。」そ
して、そこに行くための道を教えました。男の子は出掛けて行きました。
男の子が行くと、お父さんはいませんでした。畑に行っているとこ
ろだったのです。お兄さんたちしかいませんでした。お兄さんたちは、こ
の男の子を殺して隠してしまいました。すると、お父さんが帰って来て、
言いました:
「生身の人間の匂いがするぞ。
」お兄さんたちは言いました:
「そんなことはないよ。
」お父さんは、また生身の人間の匂いがするけれ
ど、誰か来なかったかと尋ねました。お兄さんたちは言いました:
「そんな
ことはないよ。
」お兄さんたちは一生懸命に応えましたが、お父さんのタン
ガロアは言いました:
「そんなことはない。お前たちは嘘をついている。
誰かここに来た者がいるはずだ。
」お兄さんたちが男の子を殺したと言
うと、タ ン ガロアは男の子の体の切れはしを集めて来いと命じました。
クメテ 20 を持って来て子供たちにそこに吐き出す 21 ように命じまし
た。子供たちはノヌ 22 とホイ 23 を持って来て汁を絞り出し、そこにかけま
した。ノヌとホイで手当をするのは、テーヴォロの指図によるものでした。
体は繋がって完全になり、男の子はゆっくりと起き上がりました。男の子
は生き返って立ち上がりました。タンガロア・ッエイトゥマトゥプアが子供
たちに行うように命じた処置のおかげでした。それだけです。
第2話
語り手:クラッイトアファ・ハヴィリ(Kula–‘i–Toafa Havili)、男性、1930
年 3 月 11 日生まれ、トンガタプ島マッウファンガ(Ma‘ufanga)村出身。同
村の酋長ファカファヌア(Fakafanua)のマタープレ(matāpule)24 を勤め
てきた。
記録日・記録地:2007 年 9 月 25 日、トンガタプ島ホウマケリカオ村の語り
手の自宅にて
― 199 ―
原文:
Ko au Kula. Pea ko e motu‘a au ‘a Fakafanua, ‘a ia ko e hou‘eiki ia ‘o Ma‘ufangá.
Ko ‘eku fakamatala eni fekau‘aki mo e hisitōlia ‘o Tongá. ‘I he senituli hivá, ta‘u
nima noá, ko e kamata‘anga ia e hiki ‘o e hisitōlia ‘o Tongá, ‘a ia, ko e tu‘i ko ē na‘e
tamai ki langi pea fa‘ē ‘i māmani, ‘a ‘Aho‘eitu. Ko ‘Aho‘eitú, tokua ko ‘ene fa‘eé
ko ‘Ilaheva. Pea na‘e le‘ohi ia ‘i he ‘api ko Siumafua‘utá, ko e konga kelekele ko
iá ‘oku tu‘u ‘i Ma‘ufanga, ‘i he feitu‘u ko eni ‘oku ‘i ai ‘a Pātangatá. Ko e ‘uhinga
ia e lea Pātangatá, na‘e ‘aa‘i pē ‘aki e tangatá ko hono le‘ohi ‘a e ta‘ahiné. Pea
‘ohovale pē kuo feitama e ta‘ahiné ia. Pea ko e fehu‘í pe ko e feitama kia hai. Pea ko
e tali ki aí, ko e feitama ki he siana na‘e hifo he fu‘u toá mei langi, ‘a ia ‘oku pehē
he fakakaukau ko e fu‘u ‘otua ko Tangaloa, tokua na‘e nofo pē ia ‘i langi pea hifo
ia he fu‘u toá ki he ta‘ahiné ‘o ne hanga ai ‘o fanau‘i ‘a e ‘uluaki tu‘i ‘o Tongá, ‘a
‘Aho‘eitu. Pea na‘e nofonofo ‘a ‘Aho‘eitu ‘o ‘alu hake ‘o fu‘u lahi. Ko hono feitu‘u
na‘e tauhi ai iá, ‘oku ui ia ko Fine‘upepe, ‘a ia ko Fine‘upē ia. Ko e feitu‘u ko ia
‘oku ui ko ē ko Fine‘ūpeé, ko e feitu‘u ia ‘oku nofo ai ‘a Pita Uona mo Papiloa. Na‘e
nofo ai e ta‘ahiné pea mo ‘ene tamá pea ‘i ai e ‘aho, ne fekau ‘e he ta‘ahiné ‘a ‘ene
tamá, ‘a ‘Aho‘eitu, ke ‘alu ki langi ‘o a‘u ki he‘ene tamaí.
Pea ‘alu hake leva ‘a e tamá ‘o ‘alu ki langi. Tokua na‘e ‘alu haké, ‘oku fai
e sika ‘i langi. Pea fai e sika ko iá he ‘ulu toá. ‘Oku ui e sika ko ia na‘e faí ko e sika
‘ulu toa. Pea kau ai e ki‘i tamá. Pea na‘e fakahā ange ‘e Tangaloa: “Ko ho‘omou
tehina ena.” Ko e fānau ‘a Tangaloa ‘e toko fā ‘i he taimi ko iá pea toko nima ‘aki
e ki‘i tamá. Tokua ko hono talanoá, na‘á ne hanga leva ‘o sika ‘ene siká ‘o laka ia
he sika ko ē e fānau ‘e fā ‘i langí. Pea meheka ai e kau tamá ‘o nau hanga leva ‘o
fakapoongi. Fakapoongi ia tokua ‘o lı̄ ki he vao hoi. Tokua ko e me‘a ia ‘oku ‘ikai
ke kai ai e ‘ufi ko ē ko e hoi koe‘uhí ko e lı̄ ki ai ‘a ‘Aho‘eitú. Pea ko e hoí ia ‘oku
kona ‘o ka kai koe‘uhí ko e lı̄ ki ai ‘a ‘Aho‘eitú. Pea faifai pea ‘ilo ‘e Tangaloa peá
ne fekau leva ke nau fakamo‘ui. Na‘a nau hanga leva ‘o tā e nonú ‘o ‘ai he tāno‘á
‘o tānaki mai e ki‘i tamá ki ai, he na‘a nau hanga ‘e kinautolu ‘o tu‘utut‘u ‘a e ki‘i
― 200 ―
tangatá. Na‘a nau hanga leva ‘o tautau ia he ‘aho ‘e tolu ‘o toe mo‘ui e ki‘i tamá.
Mo‘ui ko iá pea fekau leva ‘e he‘enau tamaí he ‘aho ‘e taha ke nau ō mai ‘o ō ki
māmani. “Te mou ō ki māmani pea te ke ‘alu koe, ‘e ‘Aho‘eitu, ‘o tu‘i.” Pea ha‘u
leva ‘a Molofaha mo Māliepō. Ko Molofahá, ko ia ‘a e matāpule to‘omata‘u ‘o e
tu‘í. Pea ko Māliepō, ko ia e Lauakí mo ‘ene fānaú, ‘a e kau Ma‘u. “‘Alu koe, ‘e
Māliepō. ‘O ka hoko ha faingata‘a ‘i he fale ‘o e tu‘í pea ko ho‘o me‘a ia ‘e faí, ‘alu
koe ‘o ngaahi. Pea ko koe, Molofaha, ka hoko ha fakame‘ite pe ko ha kātoanga peá
ke fai fatongia koe ai.”
Pea ko ia ‘enau tuku talá ‘o ‘ai leva e si‘í ‘o tu‘i. Ko e me‘a eni ‘o e senituli
hono hivá, ta‘u nima noá, ‘a ē na‘e kamata ai e hiki hisitōlia ‘o Tongá. Pea fai mai
leva ‘o a‘u mai ‘a e tuku fakaholo mei ai e fale e tu‘í ‘i Kauhala‘uta, ‘i Hifofua, ‘i
Kauhalalalo. Pea hake e lotú he kuonga ‘o e tu‘i ‘uluakí, Tupou ‘Uluaki, hake ‘o tali
‘e Tupou ‘Uluaki ‘o talu mei ai ‘a e lotu ‘a e fonuá ni ‘o a‘u mai ki he ‘ahó ni. Pea
ko ia ‘a e hisitōlia ‘o e fonua ko eni ki honau tu‘í. Mālō.
訳:
私はクラです。私はファカファヌアの人間ですが、ファカファヌアという
のはマッウファンガ 25 の酋長です。これはトンガの歴史に関する私の話で
す。西暦 9 世紀の 50 年はトンガの歴史の記録の始まりですが、それは空に
父親、地上に母親を持つ王ッアホッエイトゥのことです。ッアホッエイトゥ
ですが、お母さんはッイラヘヴァであったと言われています。ッイラヘヴァ
は、シウマフアッウタ 26 という地所に守られていましたが、その地所とい
うのは、パータンガタがあるマッウファンガにありました。パータンガタと
いう言葉の意味は、その女の子を人間が柵のように取り囲んで守っていた
ということです。ひょっこりと、女の子はお腹に子供が出来ました。誰の
子供かと尋ねました。答えですが、人々の考えるところによると、タンガロ
アの神様であろうということでした。タンガロアは空に住んでいて、トア 27
の木を伝って女の子のところに下りてきて、トンガの最初の王ッアホッエ
― 201 ―
イトゥを生んだと言われています。ッアホッエイトゥは日々を過ごし、育っ
て大きくなりましたが、ッアホッエイトゥが育てられた場所はフィネッウ
ペペ 28 と呼ばれています。すなわち、フィネッウーペー29 のことです。フィ
ネッウーペーと呼ばれる場所はピーター・ウォーナー30 とパピロア 31 が住
んでいるところです。女の子と息子はそこで暮らしていましたが、ある日、
女の子が息子のッアホッエイトゥにお父さんに会うために空に行くように
言いました。
それで、息子は空に行きました。行くと、空ではシカ 32 をしていた
そうです。トアの茂みでシカをしていました。そこでおこなっていたシカ
をシカ・ッウル・トア 33 と言います。そして、その子も参加しました。タン
ガロアは言いました:
「それはお前たちの弟だぞ。」その時、タンガロアに
は 4 人の子供があって 34、その男の子を含めると 5 人でした。話によると、
その子はシカを投げましたが、他の 4 人の子供のシカより遠くに飛びまし
た。そして、子供たちは妬み、その子を殺してしまいました。殺してホイ
の茂みに投げ捨てたというのです。ホイというヤム芋は食べませんが、そ
れはッアホッエイトゥをそこに投げ捨てたからだと言われています。ッア
ホッエイトゥを投げ捨てたために、食べると中毒を起こすようになったの
です。やがて、タンガロアはそのことを知り、子供たちにその子を生き返
らせるように命じました。子供たちはノヌの実を集めてきてターノッア 35
に入れ、男の子の体も集めてきてその中に入れました。というのも、子供
たちは男の子を切り刻んでしまったからです。そして、それをそこに三日
にわって吊るしておくと、男の子は生き返りました。生き返ると、ある日、
父親は子供たちに人間の世界に来るように命じました。
「人間の世界に行
きなさい。お前、ッアホッエイトゥは王になりなさい。」モロファハとマー
リエポーも来ました。モロファハですが、それが王の右側のマタープレで
す。そして、マーリエポーですが、マーリエポーとその一族のマッウがラ
ウアキとなりました。
「マーリエポー、行きなさい。もし王の家で問題が
あったら、お前の役目はそれを処理することだ。そして、モロファハ、お
― 202 ―
前だが、もし娯楽あるいは会議があったら、お前がそこで務めを果たすの
だ。」36
それが別れの言葉で、末っ子が王に定められたのです。それは西暦
9 世紀の 50 年のことですが、その時にトンガの歴史の記録が始まりました。
そして、それからカウハラッウタ、ヒフォフア、カウハララロ 37 で王の家
がずっと継承されてきたのです。そして、最初の王トゥポウ 1 世 38 の時に
キリスト教が伝わり、トゥポウ 1 世に受け入れられ、その時から今まで信
仰されています。それが、王に関するこの国の歴史です。有り難う。
注:
1. 地図Ⅰ参照。
2. sisi「シシ(花や葉で作ったベルトのような飾り。腰に巻いて使う。
)
」+
mata‘i「〜の目、〜の顔」+ la‘ā「太陽」=「太陽の目のシシ、太陽の顔の
シシ」。本稿で紹介する 2 篇の話のうち、第 2 話では、これとは少し異なる名
前 ― Sı̄sı̄mataela‘ā ― が使われている。この名前も後半部は、mata「目、顔」
+ e「特定冠詞」+ la‘ā「太陽」=「太陽の目、太陽の顔」と解釈すること
が出来る。
3. ‘aho「日」(?)+ ‘eitu「霊的な存在の一種」。‘eitu という形態素はポリネシ
ア祖語の ‘aitu に由来し、何らかの霊的な存在を意味したことは明らかであ
るが、トンガ語では ‘Aho‘eitu、および、その父親の ‘Eitumatupua という固有
名詞、ならびに tangilau‘aitu「嘆く」(tangi「泣く」
、lau「唱える」
)という語
にしか現れないため、正確な意味を知ることは不可能である。いずれにせ
よ、その名前からしても、本稿で紹介する話の内容からしても、ッアホッエ
イトゥ(ならびに、その子孫)を単なる人間ではなく、神的な要素を持つ存
在としていることが理解できる。
4. ハッアパイ・グループ中央部のッウイハ島南部に位置する村。地図Ⅱ参照。
5. ハッアパイ・グループ南部の小島。地図Ⅱ参照。
6. ハッアパイ・グループ南部の小島。地図Ⅱ参照。
7. tu‘i「王」+ Tonga「トンガ」=「トンガ王」
8. トンガタプ島東北部に位置する村。地図Ⅲ参照。
9. 主島トンガタプのこと。
― 203 ―
サモア
ウヴェア島(仏領)
ツ
フトゥナ島(仏領)
15°
ニウアフォッオウ島
ニウアトプタプ島
フィージー
ヴァヴァッウ島
トンガ王国
ハッアパイ・グループ
20°
トンガタプ島
エウア島
ツ
180°
175°
地図Ⅰ:トンガ王国
ロジャーズ(Rogers)1989:8 に基づいて作成
10. monū「幸運、幸福」
11. mala「不運、不幸」
12. < 英語 devil。霊的な存在の一種。死者の霊魂で、日常生活の中で実際に姿
を現し、さまざまな現象を引き起こすとされているほか、数多くの民話に登
― 204 ―
場して超人的な行為を行う。
13. Felemea という地名を fele「どっさりある」+ me‘a「物」=「物がどっさり
ある」と分解して解釈している。
14. トンガ語のテキストと仏語訳を含むが、ギフォード(Gifford 1924:25-29)
に英語訳 ― ベアトリス・シャーリー・ベイカー(Beatrice Shirley Baker)によ
る ― が収録されている。ライター(Reiter 1907:230)ならびにギフォード
(Gifford 1924:25 脚注)の説明によると、ライターが発表する 60 年ほど前に、
カトリック教会の最初の宣教師のひとりがターウファプロトゥ(Taufapulotu
[Tāufapulotu])という名前のトンガ人から記録した話で、最初、1907 年にカ
トリック教会の雑誌 Koe Fafagu に発表されたとのこと。ライターはカトリッ
ク教会の宣教師であった。一方、ウェズレー教会の宣教師であったコロコッ
ト(Collocott 1924:279-283)も、同様の話 ― 英語訳のみ ― を発表してい
る。コロコット(Collocott 1924:275)によると、この話はウェズレー教会
の宣教師 J. E. ムールトン(Moulton)― 1865 年から 1880 年までトンガ王国
で活躍、トゥポウ・カレッジ(Tupou College)の創立者 ― の勧めに従って、
やはりウェズレー教会の牧師デイヴィド・トンガ(David Tonga)がトンガ語
で執筆し、Tupou College Magazine ― 出版年には言及していない ― に発表
したものに基づいているとのことであるが、ライターの話と比べると、話の
終わりに何人かのトゥッイ・トンガに関する逸話が付け足してあることを除
けば、全体的にいくらか簡略化されているものの、モチーフの内容・配列が
完全に一致するので、実際にはライターの話に基づいていると考えられる。
15. トンガタプ島北部の、海とラグーンに挟まれた地帯の東部に位置する村。ラ
グーンに面している。地図Ⅲ参照。
16. 注 15 のポプア村の西側に位置する村。地図Ⅲ参照。
17. 第二次世界大戦中は、アメリカ兵がトンガ王国に駐留した。
18. pā「柵、垣根、囲み」+ tangata「人間」=「人間の柵、人間で出来た柵」
。
この地名の由来については、第 2 話を参照。トンガタプ島北部の、海とラグー
ンに挟まれた地帯の東北端に位置する場所。地図Ⅲ参照。1970年代までは人
の住まない薮地であった。
19. Va‘e「足、傍ら」+ Popua「ポプア(注 15 参照)」=「ポプア村の傍ら」
。ラ
ザーフォード(Rutherford 1977:27-28)によると、ヴァッエポプアという名
前について次のような話が伝わっている:「ニウアトプタプ(Niuatoputapu)
(トンガ王国北東端の離島、地図Ⅰ参照)の酋長セケトッア(Seketo‘a)に
― 205 ―
カオ島
ハッアノ島
トフア島
フォア島
リフカ島
フェレメア村
ウオレヴァ島
ウイハ島
ツ
ノムカ島
トヌメア島
ケレフェシア島
地図Ⅱ:ハッアパイ・グループ
トンガ観光局(The Tonga Visitors Bureau)の地図に基づいて作成
イラヘヴァ(‘Ilaheva)という名前の美しい娘がいた。セケトッアは娘がニ
ッ
ウアトプタプ、ニウアフォッオウ、あるいはサモアの男と結婚することを望
まなかったので、舟を用意して家臣たちに南の方へ連れていかせた。・・・
― 206 ―
パータンガタ
ニウトーウア村
シウマフアッウタ
フィネッウペペ
ポプア村
ホウマケリカオ村
ヌクッアロファ
ヒヒフォ
ペア村
ホウマ村
ペレハケ
マッウファンガ
地図Ⅲ:トンガタプ島
ギフォード(Gifford)1923:26 に基づいて作成
舟がトンガタプ島に着くと、ッイラヘヴァはポプア村の傍らに残り、家臣たち
は帰っていった。ッイラヘヴァは怖かったので、ポプア村の外の薮に住んだ
が、毎日、ひとけのない時間に海岸に出て食べ物を探した。村人たちはそれ
を見かけ、その娘のことをヴァッエポプアとよぶようになった。
」
20. 木材をくり貫いて作った器。
21.「吐き出す」と言っていることから、語り手は兄弟たちがッアホッエイトゥを
食べてしまったことを知っていたと伺い知ることが出来る。ライター
(Reiter
1933:355-362)の話では、兄弟たちがッアホッエイトゥを切り裂いて食べた
ことを明言している。本稿の話の語り手がこのことに言及しなかったのは、
今日のトンガ人の文化観・倫理観に起因する心理的な抵抗があったためと考
えられる。第 2 話も参照。
22.「ヤエヤマアオキ」Morinda citrifolia Linnaeus. アカネ科の常緑低木。樹皮なら
びに根は染料の材料になる。葉の煎じ液が、霊障と考えられる病気の治療に
用いられるほか、さまざまな部分が薬用になる。長さ4 cm ほどの実は食用に
なるが、食料難の時以外はあまり食べることがない。
23.「ニガカシュウ」Dioscorea bulbifera Linnaeus. ヤマノイモ科の多年生つる草。
フィスラー(Whistler 1991:47)によると、hoi kula「赤いホイ」とよばれる
ものと hoi hina「白いホイ」とよばれるものがあるが、これらは同一種の植
― 207 ―
物の異なる生長段階のものである可能性が高い。前者は有毒であるが、後者
は食用になる。しかし、地上に出来るむかごも、地下に出来る芋も長時間を
かけて調理しなければならないので、食糧難の時以外はあまり食べることが
ない。
24. 酋長の付き人。酋長の補佐役・代弁者。仕える酋長のもとでカヴァの宴が行
われると、それを取り仕切る。その他の具体的な職務は様々であったが、一
般人より高い身分であるとされ、伝統に通じていることが要求される。男性
が世襲的に受け継ぐ地位。
25. 注 15 と注 16 のポプア村とホウマケリカオ村の西側に位置する村。地図Ⅲ参
照。
26. 注 18 のパータンガタの西側に位置する場所。隆起して、小山を成している。
地図Ⅲ参照。
27.「トキワギョリュウ」Casuarina equisetifolia Linnaeus. 大きいものは30 m 以上
の高さになるモクマオウ科の常緑高木。堅い木材が建築材、ならびに、さま
ざまな木製品の材料になる。また、樹皮が薬用になるほか、褐色の染料を作
るのにも使われる。
28. 注 26 のシウマフアッウタの南西に位置する場所。地図Ⅲ参照。
29. fine「女」+ ‘ūpē「子守り歌」=「子守り歌の女」
30. トンガ王国在住の西洋人。
31. トンガ王国在住の西洋人。
32. 紐を巻き付けた 150〜200 cm の細い棒を手にして数歩の助走をし、紐の片は
しを握ったまま、棒が回転するように投げて棒の飛距離を競う遊び。男の子
が行う。
33. sika「シカ(注 32 参照)」+ ‘ulu「木立」+ toa「トア(注 27 参照)
」=「ト
アの木立のシカ」
34. ライター(Reiter 1933:355-362)の話によると、空にはタンガロア・ッエイ
トゥマトゥプアの子供が 5 人いたとされている。注 36 ならびに注 37 も参照。
35. 注 20 のクメテと同じような木の器であるが、縁に縄を結びつけて吊るすこ
とが出来るようにしたもの。
36. ライター(Reiter 1933:355-362)の話では、タンガロア・ッエイトゥマトゥプア
、マタケヘ
(Matakehe)、
には、ッアホッエイトゥの他に、タラファレ(Talafale)
マ ー リ エ ポ ー(Maliepo[Māliepō])、 ト ゥ ッ イ・ ロ ロ コ(Tuiloloko[Tu‘i
Loloko])、トゥッイ・フォラハ(Tuifolaha[Tu‘i Folaha])の 5 人の兄弟がい
― 208 ―
たとされている。そして、この 5 人を地上に差し向けるにあたって、タンガ
ロア・ッエイトゥマトゥプアはタラファレに次のように言った:「下界に赴
け・ ・ ・しかし、お前はトゥッイ・トンガとはならない。というのも、お前
は殺しに手を染めたからだ。お前は行って、トゥッイ・ファレウア
(Tuifaleua
[Tu‘i Faleua]
[tu‘i「王」+ fale「家」+ ua「2」=「第 2 の家の王」
]
)の名
を名乗れ。マーリエポーとマタケヘはトゥッイ・トンガを守りに行く。そし
て、トゥッイ・ロロコとトゥッイ・フォラハは指揮を執りに行く。トゥッ
イ・トンガの葬儀が行われる時には、お前たちはそれが天の王、すなわち、
ッ
エイトゥマトゥプアの葬儀であるかのように執り行え。
」このようにして、
タラファレの子孫は、もしトゥッイ・トンガの家系が途絶えるようなことが
あったら、その後を継ぐ役目を担い、他の 4 人、ならびに、その子孫 ― ファ
レファー(Falefā[fale「家」+ fā「4」=「よっつの家」
]
)とよばれている
― はトゥッイ・トン ガに仕えるようになったとされている。ボット(Bott
1982:97-98)によると、第 23 代目のトゥッイ・トンガであったタカラウア
(Takalaua)の時にファレファーは再編成され、マーリエポーは、新たに作ら
れたトゥッイ・ハッアタカラウア(Tu‘i Ha‘atakalaua)
(注 37 参照)のもとに
送られ、トゥッイ・ロロコの一族は、新たなもうひとつのグループとともに、
それぞれファレ・ッオ・トゥッイロロコ(Fale ‘o Tu‘iloloko[fale「家」+ ‘o
「〜の」+ Tu‘iloloko「トゥッイロロコ(= ロロコ王)
」=「トゥッイ・ロロ
コの家」])とファレ・ッオ・トゥッイマタハウ(Fale ‘o Tu‘imatahau「トゥッ
イ・マタハウの家」)を成して右側の家となり、新たなふたつのグループで
あるファレ・ッオ・トゥッイタラウ(Fale ‘o Tu‘italau「トゥッイ・タラウの
家」)とファレ・ッオ・トゥッイッアマナヴェ(Fale ‘o Tu‘i‘amanave「トゥッ
イ・ッアマナヴェの家」)が左側の家となった。カヴァの宴では、右側の家の
者はトゥッイ・トンガの右側に、左側の家の者は左側に座った。そして、そ
れぞれの家が特定の役割を担っていた。トゥッイ・トンガの政治的な権力は、
新たに出来たトゥッイ・ハッアタカラウアならびにトゥッイ・カノクポル
(Tu‘i Kanokupolu)(注 37 参照)の勢力に押されて衰え、その地位は第 39 代
目トゥッイ・トンガであったラウフィリトンガ(Laufilitonga)が死去した後、
1875 年に正式に廃止されたため、これらの家も勢力を弱めたが、現在まで存
続している。トゥッイ・ハッアタカラウアのもとに送られたマーリエポーの
後継者は、その後、さらにトゥッイ・カノクポルのもとに移って、ラウアキ
(Lauaki)と名乗るようになり、同王の左側のマタープレとして継承されてい
― 209 ―
る。タラファレの後継者は一旦は衰亡したが、子孫がトンガタプ島東部のペ
レハケ(Pelehake)とよばれる場所(地図Ⅲ参照)に残り、トゥッイ・カノ
クポルの創設以後、有力な権力者との婚姻を通して勢力を復活させ、トゥッ
イ・ペレハケ(Tu‘i Pelehake)として存続している。マタケヘの後継者は第
23 代目のトゥッイ・トンガのタカラウアの時代までに滅びてしまったと考え
られている。トゥッイ・フォラハに関しては情報が全くない。なお、モロ
ファハというのは、モトゥッアプアカ(Motu‘apuaka)ともよばれ、トゥッ
イ・カノクポルの右側のマタープレである。ファレファーとは関係なく、サ
モア人のキリ(Kili)の子孫であるとされている。本稿の話では、ライター
(Reiter 1933:355-362)の話のファレファーがトゥッイ・カノクポルの左右
のマタープレに置き換えられていることになる。これは現在の情況に合わせ
て話が語り変えられたことを示唆する。しかし、話の先の方では、天のタン
ガロア・ッエイトゥマトゥプアのもとには 4 人の子供がいたとしながら、そ
のうちのふたりの説明しかしていないことから、完全な語り変えにはなって
いない。
37. 第 24 代 目 の ト ゥ ッ イ・ ト ン ガ で あ っ た カ ウ ッ ウ ル フ ォ ヌ ア・ フ ェ カ イ
(Kau‘ulufonua Fekai)は、新たな地位 ― トゥッイ・ハッアタカラウア ― を
創設し、弟のモッウンガーモトゥッア(Mo‘ungāmotu‘a)をその地位に任命
した。以来、宗教的な役割と世俗的な役割が分割され、トゥッイ・トンガが
宗教的な役割、トゥッイ・ハッアタカラウアが世俗的な役割を担うように
なったとされている。しばらくして、第 6 代のトゥッイ・ハッアタカラウア
であったモッウンガートンガ(Mo‘ungātonga)は、自分の権力が充分に行き届
(地図Ⅲ参照)― を管轄さ
かない地域 ― トンガタプ島のヒヒフォ(Hihifo)
せるために、さらに新たな地位 ― トゥッイ・カノクポル ― を創設し、息
子のンガタ(Ngata)をその地位に任命した。このような地位の分岐にとも
なって、トゥッイ・トン ガ、ならびに、それに近い家系をカウハラッウタ
(Kauhala‘uta[kau「横、脇」+ hala「道」+ ‘uta「内陸」=「道の山側」
]
)
、
そして、その他、すなわち、トゥッイ・ハッアタカラウアとトゥッイ・カノ
クポル、ならびに、そのふたつに由来する家系をカウハララロ(Kauhalalalo
[kau「横、脇」+ hala「道」+ lalo「下」=「道の低い側」
]
)とよぶように
なった。しかし、そのうちに、トゥッイ・カノクポルが勢力を増したために、
カウハララロはもっぱらトゥッイ・カノクポル、ならびに、それに由来する
家系を指すようになり、トゥッイ・ハッアタカラウア、ならびに、それに近
― 210 ―
い家系は特別なよび方をされなくなったとされている。本稿のヒフォフア
(Hifofua)が何であるか詳細は不明であるが、上のような情況から判断して、
本稿の話の語り手はおそらくカウハラッウタをトゥッイ・トンガの系譜、ヒ
フォフアをトゥッイ・ハッアタカラウアの系譜、カウハララロをトゥッイ・
カノクポルの系譜の意味で使っていると考えられる。
38. 第 19 代のトゥッイ・カノクポルであったジョージ・ターウファッアーハウ・
トゥポウ(George Tāufa‘āhau Tupou)1 世のこと。第 18 代のトゥッイ・カノク
ポルであったトゥポウ・ファレトゥイパパイ(Tupou Faletuipapai)― 別名ア
レアモトゥッア(Aleamotu‘a)― が 1830 年 1 月 18 日にウェズレー(Wesley)
教会においてキリスト教徒になったのに続いて、1831 年 8 月 7 日にキリスト
教の洗礼を受けた。それに先立って、イギリスの国王ジョージ(George)3
世に対するあこがれから、その名前を自分に付けた。当時はハッアパイ・グ
ループの酋長でしかなかったが、ヴァヴァッウ・グループの支配者であった
フィーナウ・ッウルカーララ(Fı̄nau ‘Ulukālala)4 世にキリスト教徒になるよ
うに説得して協力関係を結び、1833 年にフィーナウ・ッウルカーララ 4 世が
死んだ後は、ヴァヴァッウ・グループの支配権をも得た。その後、1835 年
からは、自分に対する反対勢力がまだ多く残っていたトンガタプ島で熾烈な
戦いを繰り広げた。戦いは有利に展開し、1840 年には事態は鎮静化したが、
この頃、到着したカトリック教会の宣教師が敵対勢力に加勢したため、事態
はまた紛糾し始めた。1852 年にはカトリック教会が後ろ盾する勢力がホウ
マ(Houma)村(地図Ⅲ参照)とペア(Pea)村(地図Ⅲ参照)に立てこもっ
たが、同年 7 月と 8 月にこれらの陣営を崩壊させて、政治的な統一を果たし
た。ウェズレー教会の宣教師に助けられて、1839 年に初めての法典を発表
し、その後、いくつかの段階を経て、1875 年には憲法 ― 基本的にそのまま
の形で今日まで受け継がれている ― を制定し、今日の立憲君主国の基礎を
作った。1893 年 2 月に 96 才の年齢で死亡。
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FAKAMĀLŌ
‘Oku ou fie ‘oange ‘eku loto hounga lahi ki he kakai na‘a nau tokoni mai ke fa‘u ‘a e ngāue
ko ení kae tautefito ki he kakai na‘a nau fai ‘a e ‘ū fanangá — ko honau hingoá, ‘oku ‘asi
‘i he fakamatala taki taha — peá mo ‘Ākata Fı̄nau mo Lose Barbara Ma‘u, ‘a ia na‘á na
fakamatala‘i mai ‘a e ‘ū me‘a na‘e mahinongata‘á peá mo e fāmili ‘o Mānoa Ma‘ú, ‘a ia
‘oku nau tauhi lelei au ‘i he‘eku nofo ‘i Tonga.
― 213 ―
[研究ノート]
イギリスに見る低炭素経済への歩み
浅 野 昌 子
1. はじめに
気候変動問題は21世紀に我々が直面する最大の問題である。気候変動に
関する政府間パネル(IPCC: Intergovernmental Panel on Climate Change)(1)
の第四次評価報告書(2)
(2007 年 11 月)で発表されているように、急速に進
行中の気候変動は、人為的原因によるものであることが、積み重ねられた
科学的知見によって明確になってきた。気候変動は、集中豪雨、台風の大
型化、干ばつ、生態系の破壊などを引き起こすとされ、地球規模の早急な
対策が必要なのである。
2007 年度のノーベル・平和賞が気候変動問題に取り組んだアル・ゴア氏
(Al Gore)と IPCC に授与されたことからも、気候変動の問題はもはや安全
保障の課題としてとらえられるようになっていることは明らかである。
2009年7月にイタリアのラクイラで開催された G8 先進国首脳会議におい
て、気温の上昇を、2020 年までに産業革命前のレベルから 2 ℃以内(すで
に 0.74 ℃上昇)に抑制するということ、そして温室効果ガスの長期的な削
減目標として、2050 年までに世界全体で 50 %、先進国を中心とする工業国
で 80 %の削減を目指すことに合意した。そして 2009 年 12 月にコペンハー
ゲンで開催予定の気候変動枠組み条約第 15 回締約国会議、COP(3)15 にお
いてさらなる進展が期待されている。
温室効果ガスの中で人間の諸活動と密接に結びついているのが二酸化炭
素であり、二酸化炭素の排出量削減を、
「気候変動プログラム(UK Climate
― 215 ―
(4)
Change Programme)
」
として取り組んでいるのがイギリスである。2008 年
には「気候変動法(Climate Change Act)
」と「エネルギー法(Energy Act)
」
を制定し、削減目標は法的拘束力があるものになった。中期目標として、
2020 年までに二酸化炭素の排出量を 1990 年比で 26 %削減すること、そし
て長期目標として 2050 年までに温室効果ガスの排出量を 1990 年比で 80 %
削減すると設定し、カーボン・バジェット(炭素予算)という形で炭素排
出量を管理し、低炭素経済への移行を促すことをめざしている。
2009 年 2 月、イギリスのエネルギー・気候変動省(Department of Energy
and Climate Change: DECC)
は2007年の温室効果ガス排出量を発表した。そ
の発表によると、2007 年のイギリスの温室効果ガス排出量は、6 億 3,660 万
トンであり、2006 年の 6 億 4,790 万トンから 1.7 %減少している。1990 年比
では、21.7 %の削減であり、イギリスの京都議定書での削減義務は 12.5 %
であり、この義務を大幅にクリアする結果となっている。温室効果ガス排
出量の内 85 %を占める二酸化炭素排出量は 5 億 4,260 万トンで、2006 年の 5
億 5,110 万トンから 1.5 %の削減(5)となっている。
イギリスは燃料転換によって大幅な排出量削減ができているという意見
が多いが、このように、気候変動対策に取り組み、着実にその成果を出し
ている。そこで、気候変動政策の今までの成果をもとに、さらに低炭素経
済、低炭素社会へ向けて基礎固めをしていることを検証することがこのレ
ポートの目的である。
2. 国際社会とイギリスの動き
酸性雨に苦しんだスウェーデンの提唱で1972年にストックホルムで開催
された「国際連合人間環境会議」を契機として地球環境に関する国際会議
も定期的に開催されるようになり、21 世紀初頭の現在、かなりの進展を見
せている。気候変動に関しては、1997 年に京都で開催された気候変動枠組
み条約第三回締約国会議(COP3)が重要な会議となっている。このときに
議決された「京都議定書」(6)が国際社会の中で気候変動に対する取り組み
― 216 ―
の基本となった。アメリカのブッシュ(George W. Bush)元大統領が批准を
頑なに拒否するなど、当初は発効が危ぶまれたが、2005 年に発効し、京都
議定書に批准している日本も、1990 年比で温室効果ガスの 6 %削減を 2008
年から 2012 年の間(第一約束期間)で達成することが課せられている。
しかし、世界の現状はどうであろうか。気候変動に起因すると考えられ
る自然災害は日本を含め、世界各地でみられるようになってきた。南太平
洋のツバル(Tuvalu)のような小さな島国は海面の上昇で水没の危機にあ
り、国の存続にかかわる問題となっている。しかし、2008 年のアメリカの
リーマンショックに始まる経済危機が世界全般に波及し、環境問題よりも
経済危機の脱却が主眼となった国際社会の現状がある。
そんな中、オバマ(Barack Obama)米大統領が繰り返し述べている、環
境政策と経済政策の両立をめざした「グリーン・ニューディール」(7)政策
のように、経済の立て直しは「環境」がキーワードとなってきている。今
後の推移に注目したい。
2009 年 8 月現在、日本も「世界全体の温室効果ガス排出量を現状に比し
て 2050 年までに半減する」という長期目標を国際的に共有することを提
案している。経済活動が活発化するほど、排出量が増える二酸化炭素であ
るが、経済とこの二酸化炭素排出問題のジレンマを解決する方策は「低炭
素経済」を中心とする社会を目指すことである。経済活性化のために、グ
リーン家電エコポイント、エコカー減税・補助金、住宅用太陽光発電補助
金制度などの対策がとられているが、二酸化炭素の排出量は削減どころか
増え続けている日本社会が低炭素社会になるには程遠い感がある。
しかしイギリスは、経済危機の状況下でも気候変動に対しては積極的な
姿勢をとりつづけている。温室効果ガス、特に二酸化炭素の排出削減には
「低炭素社会」の実現が不可欠であるとして、イギリス政府は 2009 年 7 月
15 日に、低炭素社会への移行を確実にするために、今後の低炭素社会へ移
行していく戦略を発表した。それが、
「英国低炭素移行計画(The UK Low
Carbon Transition Plan)
」である。もちろんこれはイギリスの「気候変動法
― 217 ―
(Climate Change Act 2008)
」で法律として設定したイギリス独自の目標値の
達成という目的と、EU や国際社会の気候変動に向けた目標の達成を盛り
込んだものである。また、低炭素社会の構築に必要なエネルギー政策も重
視され、再生可能エネルギー利用の目標も EU 指令に照らし合わせて戦略
化されている。2009 年現在、イギリスの目標値は、温室効果ガスの排出量
を 1990 年比で 2020 年までに 34 %削減すること、そして 2050 年までに 80 %
削減することであり、再生可能エネルギーに関しては最終エネルギー消費
量に占める再生可能エネルギーの比率を2020年までに15%にすることであ
る。この移行計画に関しては後述する。
3. ヨーロッパとイギリス
3.1 EU(欧州連合)と環境政策
イギリスはもちろん EU の一員としての顔もあり、EU の環境政策に準拠
することも、もちろん課せられている。ここで、ヨーロッパ、つまり EU の
厳しい環境政策について、そしてその理由について考察してみる。
環境汚染に苦しんだ歴史にそのひとつの理由がある。スウェーデンのス
バンテ・オーデン(Svante Oden)が酸性雨を解明したのが 1968 年であっ
たが、それまでにも、イギリスの工業化の進展によりマンチェスターなど
では被害が生じていた。1940年代からスカンジナビア半島では針葉樹林が
立ち枯れしたり、湖沼で魚類が絶滅したりという被害が生じ始めていて、
これを解明したのがオーデンであった。ドイツのシュワルツワルト(黒い
森)の針葉樹も深刻な被害を受けていた。イギリスやドイツなどの工業国
が発生させるばい煙の大気汚染物質が酸性雨となってスカンジナビア半島
で降雨してくることが解明された。自国の産業に起因する公害問題だけで
なく、国際河川も多く、一国の河川、大気の汚染はすぐに他国に影響を及
ぼすことから、ヨーロッパ全体での環境対策の必要性が認識されるように
なっていった。
もうひとつの理由は、環境政策の推進役であり、環境先進国と定評があ
― 218 ―
る北欧諸国の存在がある。北欧諸国は、酸性雨の被害から世界で初めての
環境問題の国際会議
「国際連合人間環境会議」
の開催でイニシアティブをと
り、
「長距離越境性の大気汚染」問題の解決に向けて積極的に働きかけた。
これが「長距離越境大気汚染条約(Convention on Long-Range Transboundary
Air Pollution)(8)」の成立につながっていった。それ以後、北欧諸国は越境
汚染の問題だけでなく、自国の環境問題にも積極的に取り組み、環境先進
国家としての地位を確かなものにしてきた経緯がある。これら北欧諸国を
中心とする環境先進国のイニシアティブとリーダーシップでヨーロッパ全
体の環境政策の充実が図られるようになった。
また、EU は、拡大、深化をつづけ、2004 年 5 月 1 日には東欧諸国を含む
10ヶ国
(エストニア、ラトヴィア、リトアニア、チェコ、ハンガリー、ポー
ランド、スロバキア、スロベニア、キプロス、マルタ)の新規加盟国を迎
え入れた。2007年1月1日にはさらにブルガリアとルーマニアが EU に加盟
し、総加盟国は 27ヶ国になった。環境問題を重要視する EU は、新規加盟
国に対しても、コペンハーゲン基準(9)と呼ばれる厳しい基準の達成を課
し、さらに援助の手も差し伸べた。これらが功を奏し、ベルリンの壁が崩
壊するまで社会主義体制の計画経済のもと、生産のみが考慮され、環境保
全が全く顧みられなかった東欧諸国も、環境問題を克服しつつある。国境
を越える環境問題の対処法は EU の環境政策が好例となっている。
3.2 ヨーロッパの中のイギリス
イギリスは産業革命時代から自国だけでなく、周辺ヨーロッパ諸国に対
し公害の原因を作ってきた歴史があり、
「ヨーロッパの汚い国(dirty man of
Europe)
」と揶揄されたこともあった。家庭用燃料、蒸気機関、発電所など
に石炭を大量に使用していたイギリスは大気汚染に苦しんできた。スモッ
グという言葉の発祥地となったように、霧の発生しやすいロンドンは、霧
とばい煙が重なる悪条件でロンドンスモッグ事件を引き起こし、多くの犠
牲者を出したこともあった。このような大気汚染は、大気浄化法(Clean Air
― 219 ―
Act)などの法整備と、さらに天然ガスへの燃料転換で解決していった。
イギリスが欧州連合、EU(EC)に加盟したのは 1973 年であり、サッ
チャー(Margaret Thatcher)政権時代は社会政策に対する見解の相違から、
EU と距離を置く姿勢を示していた。しかし、メージャー(John Major)首
相、そしてブレア(Tony Blair)首相と政権交代に伴って、ヨーロッパへの
姿勢は変貌をとげていった。特にブレア首相はヨーロッパの中のイギリス
というスタンスをとり、しかもそのヨーロッパでのリーダーシップをめざ
した。厳しい環境政策をとる EU の中で、さらに厳しい基準、目標を設定し
て、ヨーロッパ、そして世界の環境先進国として成長することをめざす姿
勢を示した。ブレア首相のあとを引き継いだブラウン(Gordon Brown)首
相もこの流れを踏襲している。
環境基準の厳しい EU の中で、イギリスは環境汚染国から環境政策の推
進国へと成長しつづけている。イギリスと EU はともに影響しあいながら
環境政策を発展させてきたと言っても過言ではない。
4. 低炭素経済重視の国際社会
イギリスの低炭素経済に基づく低炭素社会を目標とした気候変動政策に
取り組んでいることはすでに述べたが、この動きはイギリスだけではな
い。特に、2008 年から 2009 年にかけて、EU やアメリカでも、低炭素社会、
低炭素経済への取り組みがスタートした、まさに「低炭素元年」となった。
象徴的なできごとは以下の三つである。
(1)2008 年 1 月 23 日、欧州委員会は、ヨーロッパを低炭素経済に移行させ
るため、そしてエネルギー安全保障をすすめるために、気候変動と取り組
み、再生可能エネルギーを推進する、
「気候変動とエネルギー包括法案
(Climate Action and Renewable Energy Package)
」を提出した。この案は 2008
年 12 月 17 日に欧州議会で可決された。この法案は、2020 年までに達成す
べき目標として①温室効果ガスの排出を少なくとも 1990 年比で 20 %削減
する、② EU 内のエネルギー消費の 20 %を再生可能エネルギーでまかなう、
― 220 ―
③エネルギー効率を 20 %向上させる、の三つが主な内容である。なお、こ
れに加え、他の先進国の動向により、さらに 30 %の削減も視野に入れてい
る。EU 排出量取引制度の改定(キャップ・アンド・トレード(10)方式の見
直し)
、そして排出量取引対象外の部門における加盟国の排出削減努力、二
酸化炭素の回収・貯留なども合意に至っている。
(2)アメリカではオバマ大統領が誕生し、排出量削減に消極的なアメリカ
が一転して、
「グリーン・ニューディール」を呼びかけるなど温室効果ガス
削減に向けて歩み出した。
(3)イギリスでは、気候変動法(Climate Change Act)が制定され、世界で
初めて法的拘束力がある削減目標(2050 年に 80 %削減)が設定された。
2008年はアメリカのリーマンショックに端を発する金融危機が世界経済
に大きな影響を及ぼしたことで、環境政策より経済政策が重視されること
が懸念されたが、オバマ大統領のグリーン・ニューディールに代表される
ように、環境政策、とくに気候変動政策を景気回復と連動させる動きがア
メリカ、そして EU、イギリスで起きている。
5. 国際社会におけるイギリスのリーダーシップ
1997 年の総選挙で勝利を治め労働党政権が誕生したが、労働党はこの選
挙のマニフェスト段階から二酸化炭素排出の削減目標を 20 %と設定し、環
境政策を重視することも公約していた。ブレア政権は当初から気候変動政
策を中心とする環境政策に取り組み、イギリスはまさに国際社会の気候変
動政策のけん引役となってきている。以下の五項目にまとめる。
(1)2005年の G8 主要先進国首脳会議、グレンイーグルズサミットの議長国
として
2005 年はイギリスがサミットの議長国であり、いち早く「気候変動」と
「アフリカ問題」
を主要議題と設定し、世界が気候変動問題に真剣に取り組
むこと、そして解決には先進国のリーダーシップが必要であることを訴え
た。発展途上国は京都議定書では温室効果ガスの削減義務を負っていない
― 221 ―
が、経済発展に伴い排出量が激増しているブラジル、中国、インド、メキ
シコ、及び南アフリカの首脳を招待し、国際社会全体の問題として取り組
むべき道筋をつけた。京都議定書に批准することを拒否したアメリカや新
興工業国を含めた国際社会としての対話の場を作ることを提案し、
「気候
変動、クリーンエネルギー及び持続可能な開発に関する対話」会合を継続
的に持つことをとりまとめたことはこのサミットの大きな成果である。
(2)
「気候変動、クリーンエネルギー及び持続可能な開発に関する対話」に
おいて
2005 年 10 月 31 日、11 月 1 日にグレンイーグルズサミットで決定した G8
各国と主要新興工業国が一同に会し、気候変動への取り組みを議論する会
合の第一回は、グレンイーグルズサミットの議長国であったイギリスが主
催し、ロンドンで開催された。この会合で、気候変動政策は経済政策やエ
ネルギー政策と合わせて検討していくことが再認識された。なお、
「低炭素
経済への移行」が技術協力やクリーンエネルギー技術への投資拡大という
議題の一つとして議論された。
(3)国連において
グレンイーグルズサミット以降、気候変動に関して国際社会のリーダー
シップを発揮しつづけるイギリスは、2007 年 4 月 17 日に国連安全保障理事
会で初めて気候変動問題を安全保障と位置づけ、マーガレット・ベケット
(Margaret Beckett)外務大臣が議長となり、気候安全保障を議題とした。
ベケット大臣は気候変動が洪水、干ばつ、飢餓などをもたらし、そのこと
が結局は移民や紛争につながってくることから、相互依存の進む国際社会
での安全保障の問題であると訴えた。水没の危機にある島しょ諸国の理解
が得られたが、アフリカ諸国などは深刻な環境問題を抱えているにもかか
わらず、経済発展に力点を置きたい状況は変わらず、同意までいかなかっ
た。しかし、国連という場で「気候変動」という新たな安全保障問題を提
起したことは意義がある。
(4)コペンハーゲンへの道(The Road to Copenhagen : The Road to Copen― 222 ―
hagen-The UK Government’s case for an ambitious international agreement on
climate change by Department of Energy and Climate Change, June 2009)
2009 年 12 月に気候変動枠組み条約第 15 回締約国会議、COP15 がコペン
ハーゲンで開催される予定である。この会議を京都議定書の次を決定する
重要な会議と位置づけ、政府としての見解を「コペンハーゲンへの道(The
Road to Copenhagen)
」として発表している。特にイギリス国民に気候変動
問題の国際交渉におけるイギリスの立場、指針を知らせたい旨は述べられ
ているが、サマリー部分は外国語の翻訳もあることから、国際社会に対す
る発信ともとれるものである。
この文書で、今までの科学的知見に基づき、将来的に気候変動のリスク
を最小限にするために、地球の気温上昇を産業革命前と比べて 2 ℃以内に
抑えなければならないという観点から、気候変動に対する取り組みを国際
社会で広めようとしている。
第一部は気候変動に対する取り組みの必要性が述べられている。気候変
動による環境、安全保障、経済などへの悪影響などがその理由であり、国
際的な合意だけでなく、早急に足並みのそろった行動が必要であるとして
いる。しかし、気候変動への取り組みはチャンスにつながるとのべている。
イギリスは低炭素技術やグリーン産業におけるイノベーションを経済回復
に生かそうとしていることを力説している。
第二部は、イギリスが求めている国際的な合意のモデルについてであ
り、これは地球とイギリスの未来のためとしている。以下に要約する。
①地球の平均気温の上昇は 2 ℃以内に抑えること。そのために、世界の
排出量を 2050 年までに 1990 年比で少なくとも 50 %削減する道筋を定
めること。
②先進国は排出量を2050年までに少なくとも80%削減するための法的拘
束力のある目標を定めること。
③発 展途上国は低炭素開発の道を歩むために先進国のサポートを受け
て、行動を起こすこと。
― 223 ―
④森林は生物多様性からも、二酸化炭素の吸収源としても重要な資源で
あるが、森林伐採はどどまるところを知らない状況である。熱帯地域
の森林伐採を少なくとも 50 %削減することを目標とし、そのための資
金調達などの合意が必要である。
⑤排出削減には炭素市場の有効的に利用するべきである。イギリスは国
内排出量取引、EU の排出量取引で二酸化炭素排出削減に取り組んで
きた経緯があり、国際炭素市場の開発を支援している。
⑥技術の開発は気候変動に耐えられるインフラストラクチャーの建設な
どにも重要であり、発展途上国の技術支援で世界中に環境技術を広め
る必要性がある。
第三部は、イギリスが国際的コミットメントの遂行のために国内政策に
おいてどのように取り組んでいるかについてまとめられている。イギリス
は 2009 年 6 月の段階で、1990 年以降の取り組みによって、温室効果ガス排
出量は 20 %削減できていて、京都議定書による削減目標の 12.5 %をはるか
に上回っている。さらに 2008 年には排出量を 2020 年までに 34 %、2050 年
までに 80 %削減するという目標を達成するために、カーボン・バジェット
(炭素会計)
を気候変動法のもと、法的拘束力を持たせることで、産業界と
社会に対して進むべき方向性を示唆している。
産業界が長期的に低炭素経済への投資ができる環境づくりをすること
や、一般家庭を含め、エネルギー効率を高めていくことと、再生可能エネ
ルギー使用を 2020 年までに 15 %にする目標もまとめられている。
(5)世界経済フォーラムにて
ブレア首相は在任中、ヨーロッパ、そして国際社会のリーダーシップを
とることを目標とし、国際社会でイニシアティブをとり、特に気候変動政
策の牽引役となってきた。ブレア首相の後任のブラウン首相もこの流れを
引き継いでいる。2009年1月30日、ブラウン首相はダボス会議と言われる、
世界経済フォーラム(the World Economic Forum)において、スターン(Sir
Nicholas Stern)やアル・ゴアが警告しているように、気候変動に関しては
― 224 ―
一刻の猶予もない状況であり、すぐにとりかかると少ないコストで対策が
できること、世界が経済危機だからといって、このまま放置することはで
きないことを力説し、以下の三項目の必要性を訴えた。
①短期、中期の期間で雇用創出と経済活性化を図ること、
②石油と化石燃料への依存度を減らすことによってエネルギー安全保障
を高めること、
③温室効果ガスの排出削減
また、発展途上国への援助と国際協力の重要性、そしてコペンハーゲ
ンで予定されている気候変動枠組み条約締約国会議の成功に向けて産業
界、経済学者らのタスクフォースを創設することを提案した。このタスク
フォースの目標は、
①世界炭素市場の創設
②エネルギー効率を高めるために国際的な生産技術の基準を導入する
③再生可能エネルギー、原子力、二酸化炭素の回収・貯留など対する投
資の促進
④新しい技術に対する研究開発の促進
⑤低炭素技術とそれに関する投資は先進国でだけでなく、発展途上国で
も可能であることを確かにする
の以上五つであるが、まさに低炭素社会のグローバル化をめざしたものに
なっている。
この呼びかけに答え、
「低炭素経済繁栄タスクフォース(the Task Force on
Low-Carbon Economic Prosperity)
」が 2009 年 3 月、ロンドンに誕生した。50
以上の民間企業、30 人に以上の専門家、専門機関などが集まることになっ
た。このタスクフォースの仕事はまず、短期的に見て環境関連のグリーン
ビジネスで多数の雇用を創出すること、そして長期的には経済成長が持続
可能で、低炭素の道を歩むようにすることであり、今後の気候変動や経済
の国際会議での貢献が期待されている。
― 225 ―
6. 低炭素社会への軌跡
イギリスの気候変動への取り組みの歴史が、すなわち低炭素社会をめざ
すとりくみにつながってきている。この歩みはサッチャー政権時代にさか
のぼることができる。環境政策に乗り気ではなかったサッチャーも地球環
境の危機が国際イシューになるにつれて、意識を変えていく。サッチャー
の場合は科学者(化学者)の立場としてオゾン層の破壊や地球温暖化につ
いては関心を持たざるを得なかったとも言えるが。ここでは、気候変動政
策に重点を置いたブレア首相時代を中心にその軌跡をたどる。
① 2005 年グレンイーグルズ G8 先進国サミット以前
2003 年  2 月 ---- エ ネルギー白書「エネルギーの未来-低炭素社
会の設立(Our Energy Future: creating a low carbon
economy)
」発表
②グレンイーグルズサミット以後
・2006 年 10 月 ---- スターン・レビュー(Stern Review)公表
・2008 年  5 月 ---- 低炭素経済へ向けて-環境イノベーションと技術
の可能性を開く(Building a Low Carbon Economy -
unlocking innovation and skills)発表
・2008 年 11 月 ---- 気候変動法(Climate Change Act)成立
・2009 年  5 月 ---- カーボン・バジェット(Carbon Budget)発表
・2009 年  7 月 ---- 低 炭 素 移 行 計 画(The UK’s Low Carbon Transition
Plan)発表
・2009 年  7 月 ---- 低炭素産業戦略(Low Carbon Industrial Strategy)発
表
・2010 年  4 月 ---- 炭素削減コミットメント
(Carbon Reduction Commitment)
、つまりイギリス独自の炭素排出量取引制度
の開始予定
以上のように、特に 2008 年から、
「低炭素」社会をイギリスは目指して
いるという決意がうかがえる政策の発表が相次いでいる。
― 226 ―
イギリスは気候変動法のもと、新たにカーボン・バジェット(炭素予算)
を開始する予定である。カーボン・バジェットとは、特定期間(5 年間)
に排出できる温室効果ガスの総量の上限であり、財政予算を発表するとき
に、3 つのバジェット、15 年分の発表を政府に対し義務づけている。それ
ぞれ 2008 年から 2012 年、2013 年から 2017 年、2018 年から 22 年の 15 年分が
2009年度の財政予算を発表するときに公表され、2022年までに1990年比で
22 %削減、2017 年までに 28 %削減、2022 年までに 34 %削減となっている。
7. スターン・レビュー(Stern Review)と国際社会
(1)イギリスの科学・イノベーション政策
1997 年の総選挙のマニフェストは教育にも力点が置かれていたが、ブレ
ア政権は誕生以来、教育政策の一環として科学技術政策の充実も図った。
この技術、イノベーションが環境政策にももちろん生かされている。ブ
レア政権は 2004 年、
「科学イノベーション投資フレームワーク(Science &
innovation investment framework 2004-2014)
」
を発表し、以降この政策に従っ
て科学技術の振興が図られている。2007 年 6 月のブラウン政権が誕生した
時は、
「イノベーション・大学・技能省(Department for Innovation, Universities
and Skills)
」が設立され、科学・イノベーション政策を推進することになっ
た。さらにブラウン政権は 2008 年にエネルギー政策と気候変動政策を包
括的に取り扱うために、エネルギー気候変動省(Department of Energy and
Climate Change)も創設している。
イギリスの財務省は、イギリスの経済全体に対する責任を有し、経済的
見地から政策のレビューを依頼し、専門家の研究を政策に生かしている。
それがインディペンデント・レビューであり、スターン・レビューもこの
一例である。
(2)スターン・レビュー
イギリス政府は、気候変動をテーマとした 2005 年 7 月の G8 サミットの結
― 227 ―
果を踏まえ、国際的に効果的な行動を起こすためには、気候変動問題の経
済的影響、すなわち経済的リスク、対策コストの包括的な理解を広める必
要があるとして、財務省は 2005 年 7 月に、元世界銀行のチーフエコノミス
トであったスターン(Sir Nicholas Stern)に対し、
「気候変動の経済学」につ
いて、レビューを依頼した。スターン・レビューは「スターン・レビュー、
気候変動の経済学(The Stern Review of the Economics of the Climate Change)
」
として 2006 年 10 月 30 日に提出された。スターン・レビューは、気候変動
の経済学の知見を提供し理解を進める意図で研究された。おもな経済学的
レビューは以下の三項目に代表される。
①気候変動に対する対策を講じなかった場合のリスクと費用の総額は、現
在および将来における世界の GDP の少なくとも 5 %に達する。
②より広範囲のリスクや影響を考慮に入れれば、損失額は少なくとも GDP
の 20 %に達する可能性がある。
③温室効果ガスの排出量を削減するなど対策を講じた場合の費用は、世界
の GDP の1%程度で済む。これは二酸化炭素換算500~550ppm での安定化
に伴う年間コストが GDP のおよそ 1 %と予測されるということであり、低
炭素社会にシフトするにはコストを負担する必要がある。
また、政策を策定するには、炭素価格、技術政策、行動変化に係る障壁
の三要素が必須であり、炭素価格は、炭素税、排出量取引、排出量規制を
通じて設定するとしている。
そして一国のみの対策、政策にとどまらず、国際協調の必要性と、気候
変動に対して脆弱な最貧国に対する援助の必要性も指摘している。
(3)スターン・レビューとイギリス
スターン・レビューはイギリスのみならず、国際社会に波紋を投げかけ
たことは確かである。日本も環境省をはじめ、翻訳に乗り出し、環境問題、
環境政策の研究者の研究課題として取り上げられるようになった。地球温
暖化、そして気候変動に関しては、地球に深刻な影響を与えるということ
― 228 ―
は周知の事実となったが、具体的な損失はいかほどかが漠然としていた中
で、コストは生じるものの、早急な対策コストは損失コストをはるかに下
回ることを具体的な数値で示したことが今後の国際社会の判断基準、そし
てポスト2012年と言われる京都議定書のあとの国際社会の枠組みづくりの
基礎づくりとなったといえる。一歩踏み込んだ分析でイギリスがいち早く
低炭素経済、低炭素社会へ歩みだすことになった。
8. 「低炭素経済革命」のイギリス
イギリス政府は、2009 年 7 月 15 日、2020 年までの低炭素経済への移行経
路を定めたものとして、低炭素移行計画(The UK’s Low Carbon Transition
Plan)
を公表した。2020 年までに排出量を 1990 年比レベルから 34 %削減す
るという目標を「カーボン・バジェット(温室効果ガスの排出量の上限)」
の枠組みのもとで達成するための計画である。エネルギー供給、家庭や職
場、交通手段などあらゆる分野で変革をすすめるものだが、低炭素経済に
移行することで新たにクリーン・エネルギー産業をけん引するチャンスを
期待できるとしている。低炭素経済への移行にはコストを伴うが、社会的
弱者に対する支援も考慮されている。
この白書の最初に“Five point plan(五つの重要な計画)”として気候変動
政策に取り組むためのイギリスの計画として五項目をあげている。ここに
紹介する。
① 差し迫った危険から市民を守ること
気温が最も高かった年の上位10年がすべて1990年以降に記録されるな
ど、イギリスでもすでに気候変動が起きている。政府は 1997 年から洪水
防止対策の支出を二倍以上に増やし、NHS において熱波計画(heat wave
plan)を作成し、海岸浸食によって影響を受けた地域を支援している。
② 将来に備えること
今後排出量削減のために何をしようとも、過去の排出が原因となる、
ある程度の気候変動の影響を避けることは不可避である。政府は気象局
― 229 ―
から発表される「気候予測」を利用して、気候が変動する将来の計画立
案に役立てる。たとえば意思決定に気候リスクの要因を考慮すること
は、家屋やインフラの建設方法を変え、水の管理を向上させ、農作業を
調整していくことを意味する。
③ 気候変動に関する新たな国際的合意によって将来の深刻な気候変動
を抑制すること
世界の気温上昇を二度以内に抑えて、気候変動の最も危険な影響を避
けるために、政府は2009年12月にコペンハーゲンで気候変動に関する新
たな国際的な合意に達するよう、国際的な取り組みのリーダーとなって
いる。この合意では、今後 10 年間で世界の二酸化炭素排出量の減少を確
実なものにし、2050 年までに 1990 年比で少なくとも 50 %以下にする必
要がある。
④ 低炭素なイギリスを構築すること
世界の排出量を削減していく上で我々の役割を果たすために、イギリ
スは低炭素国になる必要がある。2008 年の気候変動法のもとで、イギリ
スは世界で初めて法的拘束力のある「カーボン・バジェット」を定め、
エネルギー効率向上および再生可能エネルギー、原子力、二酸化炭素回
収・貯留(11)などのクリーン・エネルギー技術への投資によって、2020
年までにイギリスの二酸化炭素排出量を 34 %、2050 年までには少なくと
も 80 %削減することをめざしている。
⑤ 個人、地域、企業が、それぞれの役割を果たせるように支援するこ
と
それぞれの排出量を減らすことから相応の計画を立てることまで、気候
変動対策においては、すべての人が何らかの役割を担っている。政府は
「ACT on CO2」情報キャンペーン(12)を土台として、家屋の断熱やエネル
ギー効率向上に向けた融資プログラムをはじめ、個人、地域、企業への広
範囲な支援を提供している。
以上の項目の目標達成のための主な具体的目標値は以下のようなもので
― 230 ―
ある。
発電:2020 年までに、低炭素源による電力供給を 40 %とする。2050 年
までに発電に起因する炭素をゼロにする。原子力発電も考慮に入れられて
いる。
住宅・コミュニティ:住宅の省エネと小規模な再生可能エネルギーの導
入により、2020 年までに家庭からの排出量を 2008 年比で 29 %削減する。
職場、雇用:2020 年までに職場の省エネを通して、年間排出量を 2008 年
比で 13 %削減し、2050 年までにオフィス、工場、学校、病院などの排出を
ほぼゼロとする。
運輸:イギリスの運輸エネルギーの 10 %を持続可能な再生可能エネル
ギーによって供給する。
イギリスを洋上風力発電、海洋エネルギー、低炭素での建築、超低炭素
自動車などの低炭素部門におけるグリーン製造のグローバル・センターと
するという経済的目標も述べられている。
この白書は 2020 年までの総合的な低炭素転換計画であり、省庁に割り当
てたカーボン・バジェット、電力発電の低炭素化、家庭からの排出量削減の
ためのエネルギー効率化への取り組み、洋上風力発電や海洋エネルギーへ
の投資、自動車の排出削減への取り組みなど総合的なロードマップとなっ
ている。
なお、移行計画は、産業界向けて環境に配慮した経済成長についての「低
炭素産業計画(Low Carbon Industrial Strategy)
」
、再生可能エネルギーにつ
いての「再生可能エネルギー計画(Renewable Energy Strategy)」、運輸部門
の温室効果ガス削減についての「低炭素運輸:よりグリーンな未来(Low
Carbon Transport: A Greener Future)
」があわせて公表され、包括的なものに
なっている。
9. むすびにかえて
本稿は、
「低炭素」をキーワードとして、最新のイギリスの動向に焦点を
― 231 ―
あてている。しかし、イギリスは、サッチャー首相が地球温暖化やオゾン
層破壊について関心を示し、国連総会などの場で環境問題についてスピー
チするようになって以来、環境問題の中でも特に気候変動問題に取り組ん
できた歴史があることを忘れてはいけない。特に 1997 年の労働党政権誕
生により、二酸化炭素削減に向けての政策を中心に急速な進展を見せてい
る。
本稿では具体的な内容にふれなかったが、ブレア政権が 2001 年に開始し
た気候変動プログラムは、気候変動税(Climate Change Levy)という環境
税、排出量取引、政府と二酸化炭素排出量削減について協定を結ぶ自主協
定制度、の三つの経済的手法をミックスしたポリシーミックスとなってい
る。この政策は企業の排出削減を求めるものであり、環境税の導入による
企業負担の増大を避けるため、税収入は社会保険料の軽減になるなどの対
策がとられている。排出権取引を EU に先駆けて行うなど、斬新な面を見
せている。
「低炭素」
をキーワードとした社会、国づくりを、そして国際社会づくり
を目標とするイギリスの姿勢は各種白書から理解できる。しかし、人間の
経済活動すべてに起因する二酸化炭素に関しては、今までの技術、生活様
式は逆に「高炭素」であるから、目標としてかかげる 80 %削減には、政府
の規制や法整備、税金などだけでは限界がある。まず低炭素技術の開発と
生活様式の転換が必要であろう。
また、「低炭素」社会の構築のために、エネルギー政策と気候変動政策
を切り離しては統一した政策がとりにくい。そこでブラウン政権は省庁を
再編し、2008 年 10 月にエネルギー・気候変動省(Department of Energy and
Climate Change)を創設し、エネルギー政策ではエネルギー効率の向上と再
生可能エネルギーに力点がおかれている。
産業界の排出削減に対しては気候変動プログラムで2001年以降取り組ん
できたが、今後の削減は家庭部門の対策の如何にかかっているのが実状で
ある。イギリスのエネルギー・気候変動省が、2010 年に二酸化炭素排出量
― 232 ―
を 10 %削減するキャンペーン「10:10」を策定していることが 2009 年 9 月
1 日に発表されている。冬の厳しいイギリスはもともと、
「燃料貧困」の問
題が深刻であった。このキャンペーンは、低所得者層が多く住む地域で、
約 9 万世帯を対象にエネルギー効率を高めるための家屋改修を支援するプ
ログラムなどにとりかかるというものである。また、家庭だけでなく、企
業、省庁に対しても二酸化炭素を大幅に削減する取り組みも計画されてい
る。
イギリスは特に国民の環境意識が高く、ナショナルトラストのような環
境保全活動の組織もあり、環境 NGO の活動も盛んであり、環境教育、環境
情報を充実させることで生活意識も「低炭素」に向けて変化していくにち
がいない。
とりわけ、カーボン・バジェットという形で、炭素収支の管理を世界に
先駆けて始めたことは画期的である。この取り組みの効果がどうあらわれ
るかに期待したい。
今後もイギリスの「低炭素」への取り組みに注目していきたいと考えて
いる。
(注)
(1) 気候変動に関する政府間パネル、IPCC は、世界気象機関(WMO)及び国
連環境計画(UNEP)により 1988 年に設立された国連の組織であり、各国政
府から推薦された科学者が気候変動の科学的な評価をし、そこから得られた
科学的知見を政策決定者及び一般社会に広める役割を担っている。
(2) IPCC 第四次評価報告書では地球温暖化は人類の活動に起因するものであ
り、早急かつ大規模な取り組みが必要であるとしている。
(3)
Conference of the Parties のこと、つまり締約国会議のことである。国際条約
の加盟国の最高意思決定機関である。
(4) 2000 年に発表された気候変動プログラムである。イギリスの京都議定書に
よる温室効果ガス 12.5 %削減、そして 2010 年までに 1990 年比で 20 %削減する
というイギリスの国内目標の達成のために、気候変動税、気候変動協定、排出
― 233 ―
権取引という産業界に削減努力を促す経済的手法のポリシーミックスとなっ
ている。
(5) 2009 年 2 月発表のデータ(イギリス大使館 HP より)
(h ttp://ukinjapan.fco.gov.uk/ja/working-with-japan/energy-climate-changeemissions-2007)
(6) 1997年12月に京都で開催された気候変動枠組み条約の第三回締約国会議で
議決された議定書で温室効果ガスを2008年から2012年の間に各国別の目標値
に基づき、削減することを決定した。
(7) オバマ米大統領が打ち出した、経済政策で、ルーズベルト大統領が公共投
資で経済恐慌の経済対策としたように、環境投資で経済危機を打開する政策。
(8) 国連欧州経済委員会(Economic Commission for Europe)による越境大気汚
染に関する国際条約 1979 年締結、1983 年発効。
(9) 1993年6月にコペンハーゲンで開催された欧州理事会で決定された EU の新
規加盟国に対する加盟基準であり、地理的(ヨーロッパ)
、政治的・法的(法
治国家、民主主義)、経済的(市場経済)な基準が定められ、EC 法(アキ・
コミュノテール)の受容も加盟基準となっている。
(10) 政府が総排出量(排出枠)を定め、それを個々の主体に排出枠として配分
し、個々の主体間の排出枠の取引を認める制度。
(11) 二酸化炭素を人為的に集め、地中、水中などに封じこめること。
(12) 個人が取り組める二酸化炭素排出削減手法を提示しているイギリス政府
のウェブサイト。個人や住宅の削減努力の具体的手法を提示することが目的
である。
参考文献
日本経済新聞社編『イギリス経済 再生の真実』(日本経済新聞社、2007 年)
。
鈴木嘉彦『持続可能社会のつくり方』(日科技連出版社、2006 年)
。
H. シュミット『ヨーロッパの自己主張 21 世紀への展望』
(シュプリンガー・
フェアラーク、2007 年)。
金子勝、アンドリュー・デウィット『環境エネルギー革命』
(アスペクト、2007
年)。
茅洋一編著『低炭素エコノミー』(日本経済新聞社、2008 年)
。
ジェフリー・サックス(野中邦子訳)『地球全体を幸福にする経済学 過密化す
る世界とグローバル・ゴール』(早川書房、2009 年)
。
― 234 ―
寺西俊一編『新しい環境経済政策』(東洋経済新聞社、2003 年)
。
天野明弘『排出取引』(中央公論新社、2009 年)。
三木優編著『グリーン・ニューディール これから起こる変化と伸びるビジネス』
(近代セールス社、2009 年)
高尾克樹『キャップ・アンド・トレード 排出権取引を中心とした環境保護の政
策科学』(有斐閣、2008 年)
福田耕治編『EU とグローバル・ガバナンス』(早稲田大学出版部、2009 年)
西岡秀三「低炭素社会の実現に向けて」(『予防時報』237 号、2009 年春号)
参考資料
“Our Energy Future - creating a low carbon economy”
(http://www.berr.gov.uk/files/file10719.pdf)
“The Economics of Climate Change”
(http://www.env.go.jp/press/file_view.php?sereal=9176&hou_id=8046)
“Building a Low Carbon Economy - unlocking innovation and skills”
(http://www.eauc.org.uk/building_a_low_carbon_economy_unlocking_innovation)
“UK Low Carbon Transition Plan”
(http://www.decc.gov.uk/en/content/cms/pub;ocatopms/llan/lc_trans_plan)
“Low Carbon Industrial Strategy”
(http://www.berrr.gov.uk/file52002.pdf)
“Low Carbon Transport: A Greener Future”
(http://www.dft.gov.uk/pgr/sustainable/carbonreduction/low-carbon.pdf)
駐日英国大使館公式ウェブサイト
(http://ukinjapan.fco.gov.uk/ja/)
(以上、ウェブサイト、使用データ等は、2009 年 9 月現在のものである)
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外国語学部 紀要 第38号
発 行 2010年 2 月 1 日
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