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FAPA Archives: Talk Session 001
会場
横田大輔 × 川島崇志 × 赤石隆明 × 野崎歓
(フランス文学者/東京大学文学部教授)× 後藤繁雄
(編集者/京都造形芸術大学教授/G/P gallery ディレクター)
HILLSIDE TERRACE Photo Fair 代官山蔦屋3号館2階音楽フロア
後藤:司会を務めます後藤繁雄です。
よろしくお願いいた
いうが設定されており、SF的な背景、
ある種パラレルな日
します。私の隣にいらっしゃるのがフランス文学者の野崎
常がテーマになっているし、
いろいろなタイプの写真が登
歓さんです。
場するんです。
野崎:こんにちは。
ウエルベックは写真家ではありませんし、評論家でもなく
小説家ですが、時として小説家というのは評論家がたど
後藤:写真家の方が三名いらっしゃっています。
こちらか
り着けない、芸術家が現実においては未だに作っていな
ら、横田大輔さん、赤石隆明さん、川島崇志さんです。
こ
いような作品を提示する力があるんです。例えばリチャー
の面々で進めていきたいと思います。
お手元に
「漂流」
と
ド・パワーズという小説家もそうです。彼の作品で、
『舞踏
書いたフライヤーがあると思います。最初に少しご説明し
会へ向かう三人の農夫』
という有名な小説がありまして、
ますと、実は
「漂流」
というグループ展を東雲のTOLOT/
これは本のカバーにはアウグスト・ザンダーの写真を使用
heuristic SHINONOMEという場所にあるG/P+g3/ギャ
しています。一枚の写真から、架空の巨大なストーリーを
ラリーで、
この三人に加えて、
メディアアーティストの八木良
作っていくというかたちで、写真に予言的な力があること
太さんとで開催しています。
「漂流」
とはどんなものなのか、
を小説化しているものです。
また、W・G・ゼーバルトという
ということですが、
タイプが全く違う三人の作家にグループ
小説家がいます。彼は骨董市で見つけた他人のアルバム
展をやってもらうことを2012年に一度やっておりまして、
こ
からストーリーを作っていまして、小説のなかにファウンド・
の展示は二年ぶりです。今回はテーマを設定しました。
ア
フォトがたくさん出てくるというスタイルを一貫してやってい
ーティストみなさんに、
フランスの小説作家・ミシェル・ウエ
ます。
そういうような作家がいるんですね。
ですから、小説
ルベックの
『地図と領土』
という小説をベースに新作を作
家が、
いわゆる写真評論や学術的文章を超えて、
「来た
ってもらい衝突させる、
という試みです。
ここにいらっしゃ
るべき写真」
というものを予言してしまうことがありまして、
る野崎さんが、
日本でウエルベックの翻訳紹介をされた
そういった事例としてウエルベックの小説があると私は考
方です。
えます。
そして、
それをもとにキュレーションを行う、
というこ
とが面白いと思うわけです。精密な設計図を作って言い
筑摩書房から出版された
『地図と領土』
は、
あくまで小説
たいことを体現するタイプのキュレーターもいますが、私は
なんですけれども、
写真と絵画というテーマが様々に扱わ
とりあえず四人の作家には小説を読んでもらい、
自分なり
れていますし、
アートマーケットというものが前提になって
に解釈して作品を作ってそれを衝突させることをディレクシ
いて、非常に刺激的な内容です。物語の後半は2040年と
ョンとして考えました。
つまり、展覧会というものも、
ひとつ
HILLSIDE TERRACE Photo Fair - Talk session 001 p.01-02
登壇者
2014年9月5日
(金)20:15 – 21:45
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日時
「漂流」展示風景 Image courtesy G/P+g3/ギャラリー
の事件であると思っています。
ウエルベックを補助線にし
野崎:三人の写真家の方々の新作、今までの展示などを
ながら、
そこで語られている来たるべき写真の兆候という
見ておりまして、今日は楽しみにして来ました。同時に、
この
ものに、若い作家がインスパイアされて、
どういうものが出
企画の意義というのは、
実はここに来るまでなかなか分か
来上がってくるか。
ですから野崎さんや出展作家とミーテ
りにくかったんですよ。後藤さんとは本当に昔からのおつ
ィングをして仕上げるということは一切やっておりません。
きあい、
ただしまあお会いするのは5年に一度くらいでしょ
野崎さんと作家は、今日初めて会っています。野崎さんも
うか(笑)。
作家の作品を初めて見ているんです。
このほうがキュレー
ションとしては刺激的だし、
ものを作っていくことにおいて
私はフランス文学やフランス映画が専門で、
翻訳もいろい
は、良いことなのではないかという考えが私にありまして、
ろとやってきたんですけど、今、後藤さんがおっしゃってい
こんな乱暴な企画になっているということを理解していた
たトゥーサンとかギベールに関しての仕事を最初に手掛け
だけたらと思います
(笑)。
たのは、
だいたい25年くらい前なんです。
トゥーサンの
『浴
室』
が最初の翻訳なんですけれども。考えてみると今年で
みなさんにウエルベックの本『地図と領土』
を回しておき
はや、四半世紀という記念の年になりました。
だれかお祝
ます。
ドキュメントみたいないわゆるストレートフォトではな
いしてくれないかなと思っていたところです。
くて、
ちょっとコンセプチュアルな、頭脳プレーの入った写
真、
いわゆるコンテンポラリーアートの写真、
そのヒントが
後藤:これがお祝い。
この本に詰まっているので、
そういう写真を志向されるよ
うな方には是非読んでいただけたらと思います。
野崎:嬉しいです
(笑)。
そういうふうにやってきて、折々で
反応してくださるのが後藤繁雄さんというプロデューサー
最初にウエルベックの
『地図と領土』
について野崎さんに
であり、
キュレーターであり、
その他いろいろ目覚ましく活躍
話していただけたらと思います。
野崎さんは、
ジャン=フィリ
なさっている方なんですね。
そういった後藤さんの核には
ップ・トゥーサンとかエルヴェ・ギベールとか、
いわゆるフラ
どうやら、写真があるのかなと。
ンス系の、写真と関わり合いがある方の翻訳も今まで多く
て、結構写真について書いてらっしゃいますよね。
後藤:そうですね。
後藤:そうなんですか。
ックスがあるんですけれども、同時にいろんな作家と付き
ていて…。
合ったり、文学を読んだり、映画を観たりするなかで、現代
野崎:ええ。
その頃、後藤さんに初めてお会いして、後藤さ
の文化の根本は写真だなと思わざるを得ないですね。
な
野崎:そうですね、
ヨーロッパやアメリカでは評判が高いの
んから、
ギベールがらみの面白い企画を提案された記憶
ぜそう思わざるを得ないのかを今回考えたいな、
と個人
ですが、
日本での反応はしょせんこの程度か、
なんて思っ
があります。残念ながら実現には至りませんでしたが…。
的には思っているんです。
ていました。
ところがそこにきて、後藤さんのおかげで本に
後藤さんはアート、写真の世界を牽引していらっしゃいま
今日のひとつのテーマであるミシェル・ウエルベックは、今
究」
という意味では、古いものにも素晴らしい作品が読み
言ったように、後藤さんはぼくが訳したり書いたりしてきた
きれないほどありますから、
それだけやっていても一生は
本の非常に優れた理解者で、
頼りにしてきたんですけれ
写真家の方々が訳書から何を受け取ってくださったの
ども、
こういうコラボレーションは初めてですよね。書評が
か。
それを是非知りたいと思っています。今、後藤さんがご
いっぱい出て嬉しいとかそういうのはあるんです。
だいた
説明くださったように、
これは作品自体が、
またウエルベッ
い翻訳者というのは本当にアホですから、
これ[『地図と
クという人自身もそうなんですけれども、文学は文学であ
領土』]
は400字詰めの原稿用紙で800枚くらいかな。結
ってはいけない、要するに文学は文学にとどまっていては
構長いですよね。
なぜ[翻訳を]
やるのかというと、
さっき
文学の意味がないという考えなんですね。何か社会に訴
も言ったように、研究だけならば、
いわば絶対的な価値の
えかけるものがなければ、
あるいは文学が他の芸術に対
認められている作品は山ほどあるわけなので、
そういうも
して何かを訴えかけなければならない、
という思いが非常
のにどっぷり浸っている充実感ってすごいわけですよね。
に強い。
というのも、
フランス文学は一種、
エリート主義を
でも僕のなかで、若い頃にフランス文学とか世界の文学
きわめてきたところがあるので、
いまやあまりに自己完結し
とかを学んで、
まったく正体不明のまま手に取って読んで、
てしまったきらいがないわけではない。
もっと文学を、文学
どかんときた衝撃みたいなものを自分でも仕掛けたいな、
の外に開いていくべきではないかというのが、
ウエルベッ
というのが常にあるんですよ。
つまり、今正体は分からな
クが常に全身から発しているメッセージでして、
それがすご
いけれども、
ものすごく迫力のあるものを日本の読者に読
く面白いと思いながら、僕にできるのは翻訳することだけ
んでもらえるようにしたい。翻訳の仕事自体は地味で、静
なので、
それを訳しています。
面白い。
というわけでジャン・ルノワールをはじめ、
いろい
ろと映画にも手を出すことになってしまって…。
後藤:ジャン・ルノワールという映画監督は、
オーギュスト・
ルノワールの息子ですね。
「漂流」展示風景 Image courtesy G/P+g3/ギャラリー
クリチュールでデビューしていて、今では模倣された部分も
あり一般化していますけれども、
トゥーサンの小説を読ん
でいただくと徹底的な断片性、一ページくらいでふっと切
れて次に行く、
ページとページの間に位分けがある、
ある
いは、白く飛んでいる部分がある。
そういう断片のエクリチ
ュールが25年くらい前にはとても新鮮で、後藤さんはすぐ
それに反応してくださった。
それからギベール、当時この人
は期待されながらエイズに罹ってしまった。
すごい美貌の
野崎:次男坊ですね。
後藤:素晴らしい監督ですが、野崎さんが訳されたその
本も素晴らしいんですよ。
それとルノワールの孫も、写真家
なんですよね。
野崎:息子さんにはお会いしたことがありますが、
お孫さ
んのことは知らなかった。
若い作家でしたけれども。
後藤:写真をやっていたんですよ。
後藤:フーコーの愛人だった。
野崎:そうですね。
ミシェル・フーコーとかロラン・バルトが
生きていた頃に彼らと親しく付き合い、熱気をはらんでい
たパリの文化人サークルの赤裸々なあり様を、
やはり断片
的なエクリチュールで書いた。
トゥーサンも自分で写真を撮
って、写真展をよくやったりしているんですが、
ギベールも
写真をいっぱい撮っていて。
そもそもル・モンド紙の写真
批評家としてデビューした人だし。
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0世紀になると映画というものがでてきまして、
これがまた
HILLSIDE TERRACE Photo Fair - Talk session 001 p.03-04
すが、僕はどちらかといえば文字の人間なんですね。
「研
優に過ぎてしまう。
19世紀の小説を愛好していますが、
2
野崎:それで今言っていたトゥーサンも非常に写真的なエ
とどまらない、
こういう企画が実現してしまった。本当に初
めてのことです。
かなものです。何枚も何枚もひたすら訳すだけなんだけれ
ども、訳している間はめちゃくちゃ高揚しているんですよ。
つまり、近年のフランスでもこれほど面白いものは読んだ
後藤:最初、野崎さんがウエルベックの翻訳をされたのは
『素粒子』
ですか。
試しがないし、
きっとこれを出したら、
日本のあらゆるベス
トセラーは全部吹っ飛んでしまう、みんな驚愕してこれを
野崎:そうですね、2000年くらいですか。
『素粒子』
は文庫
野崎:そうなんですか。
そこにもまた、写真につながる道が
争って読むだろう、
と思って訳しているんです。毎回そうな
にもなっています。
あったんですね。
でも僕は写真に関してはコンプレックス
んですよ(笑)。
ところがもちろんそうはならず、
毎回、
翻訳出
しかなくて、
これまでの人生で成功した写真ってないんで
した後はちょっとがっくりきてしまうわけです。
す。
どんな写真を撮っても、全部失敗という(笑)。
だから才
能の問題って一番知りたいんですよ。
つまり文章とか音楽
の小説を紹介していただいてもいいですか。
後藤:なるほど。
だとプロとアマの違いは結構あるんです。
まあ文章はそう
でもないかもしれないけれど、音楽なんかだと如実に感じ
野崎:ウエルベックは、現代のヨーロッパの閉塞というもの
野崎:あれ、
おかしいな、
という感じで
(笑)。
るところはありますよね。写真もその差はすごく大きいと思
っています。写真は撮るほうにも撮られるほうにもコンプレ
後藤:これはすごい小説ですよね。
『素粒子』
やいくつか
と、
ヨーロッパ文明がどうにもならないデッドロックへ乗り
上げているのではないかという意識が非常に強い人なん
後藤:でも、
フランスでこの本はゴンクール賞を貰ったりし
ですね。
どうやって突破していけばいいのかということを
死にもの狂いで考えている人ですけれど、同時に、
そのな
男がダメなんだ、
と。女はダメじゃない。男はひょっとしたら
かでSF的なアイディアとか、
プログラミング的な記号を出し
要らないかもしれない、
という。男が持っている欲望の荒
てきたりとか、実在の政治家や芸能人をいきなり小説の
々しさとか、権力志向とか、
そういうものに絶望していると
なかに出してきたりとか、
いろいろなことを盛り込んでいま
ころがある。
すね。我々に問いかけている。破天荒な小説を書いてい
る人なんですね。
でも小説の文章のスタイルは基本的に、
後藤:そうですね。
非常に読みやすい。
ベックのなかで唯一立ち上がってくるものがあるとすると、
アートとか、
あるいは科学とか、
それから純粋な知の領域
野崎:
「デタッチメント」
と言われますけれども、
フランスに
ですね。
ウエルベックの小説のなかでも、
そういうところで
一時期あったような、
ストーリーとか登場人物をすべて放
は意外と女性を排除するといったところがあります。
ある
棄して破壊するような方向から、
もうちょっと読者としっか
いは、女性にはクリエイターの理解者、保護者役が期待さ
り物語を立ち上げていこう、
ということに戻ってきた、
そう
れているというか。男は唯一文化に人生を投じることで許
いった感じですね。
されるのかな、
という。
その辺りも、三人の写真家にうかが
ってみたい。
後藤:
『素粒子』
は、登場人物が非常に、何というか、
しが
ない、
しょぼいキャラクターで、
ヌーディスト・ビーチのような、
後藤:
『素粒子』
を読んだ時にびっくりしました。
それは世
いわゆる人間の欲望が生み出した資本主義の風景とい
紀末、
あるいは世の中的には9・11のような雰囲気のなか
った、
そういう設定が多いですよね。
で、低温で、
しょぼくてしがない光景で、
でもどこか近未来
的で、
すごく衛生的、
そういう風景をウエルベックが書いて
野崎:ええ。彼自身がそういうところにどっぷりはまってい
いたことにおどろいたわけです。
キリスト教やイスラム教と
たということもあるんでしょうけれども、
ウエルベックの面
は全然違う、近未来的な生命哲学のような新興宗教まで
白さのひとつがエロスだったということは間違いないです
描いたSF。
それが現実と地続きであり、
パラレルになって
ね。
でも今までのフランス文学の伝統だとエロスとかアム
いる。
ちょうどその頃、
ドイツのベッヒャー系の写真家たち
ールというのは人間を解放して救いを与えるものだった
がランドスケープ・フォトにおいて低温だったり、画像を合
んですが、
ウエルベックだと
「なんかダメだわ」
ということが
成したりして、現実なんだけど現実とパラレルな関係のも
多いわけですよね。
のを提示することをやっていたので、反応しちゃったんで
す。写真が予知的に感じているものと小説が知っている
後藤:寒々しい。
センスが、
ウエルベックの作品のなかに入っていたんです
ね。
その後もウエルベックは、東南アジアの売春ツアーを
野崎:もういい加減いい歳になってくると、
そんなことを言
テーマにしたりとか、毎回えぐい。
そうこうして、
どうしている
っていても全然幸せじゃないじゃないか、昔のみんなが
のかなと思っていた時に、
ウエルベックは映画を撮ったり、
真面目だった、慣習にしばられていたカトリックの時代の
写真を撮ったりしていると解説にちょっとだけ書かれてい
ほうが幸せだったのではないか、
ということになってきた。
て、
でもそのような作品は見たことないなあと思っていた。
ウエルベックの作品にはとりわけ、男たちへのきびしい批
そうしたら
『地図と領土』
がどーんと翻訳されて出たから
判があります。西洋では男が上になってきたわけですが、
読んでみたら、世紀末の光景とは違った感じが出てきて
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後藤:そうですね、
なんかクールな…。
HILLSIDE TERRACE Photo Fair - Talk session 001 p.05-06
野崎:ただ、
男はダメなんですけれども、
男についてウエル
「漂流」展示風景 Image courtesy G/P+g3/ギャラリー
いる。
いわゆる新世紀の光景です。
おまけにその光景を、
思議なタイトルですけど、主人公としてジェド・マルタンとい
アートシーンから書いている。
『地図と領土』
は、
なんとジ
う写真家が登場します。彼は、最初は、人間の営みのなか
ェフ・クーンズとダミアン・ハーストが論争しているシーンか
の道具、物の写真を撮っているんですね。
たとえば金物
ら始まるんですね。僕はびっくりしてしまって。
ウエルベック
屋さん、
つまり鍋とか、
そういうものを売っているお店です
はこんなにもコンテンポラリーアートのことを知っていたん
ね。
そういう金物屋さんの品物を一点一点写真で撮って、
だな、
と。
それも、写真に基づいて、職業シリーズという絵
その作品を芸術大学の卒業制作として提出する。
その頃
画を主人公のジェド・マルタンが描いていくシーンから始
からかなり世捨て人風で、
ある時ふとしたきっかけから地
まるんですね。
いわゆるアート・マーケットとか、現代アート
図を写真に撮り始めるんです。
それはミシュランの地図で
のなかで写真がどういうふうに位置づけられるかというこ
す。
ミシュランといえばレストランガイドを皆さん思い浮かべ
とを、
ウエルベックはよく知って書いている。驚愕じゃない
ると思うのですけれど、
もともとタイヤ工場で、今では大手
ですか。矛盾にあふれた資本主義の光景のひとつとして
メーカーなんですけれど、
自動車の発展とともにレストラン
アートシーンをとりあげたわけですね。少し主人公や全体
ガイドや地図を発行するようになった。
ミシュランの地図は
の構成のお話をしていただけますか。
フランスの全部の県にあって、色とりどりで綺麗なんです
ね。主人公はふとしたことでその地図の写真を撮り、
その
野崎:さっきの続きで言うと、
ウエルベックのなかで、男に
後、芸術家として大成功するというのが始まりです。
何ができるのかという問いになると、最終的には文化的
創造ということになっていくと思うんですね。
さっきの後藤
後藤:地図を撮るのですね。風景を撮るのではなくて、
コ
さんの話につなげて言うと、
アートシーンになっていくわ
ンビニとかで売られている地図を買って、
それを撮るんで
けですよね。小説の題材としては、文壇よりもアートの世界
すよ。
それでアート作品にしようと。
のほうが面白いんでしょうね。
よりダイナミックで、
グローバ
ルな動きを掴めるんでしょう。
『地図と領土』
というのは不
野崎:そうですね。
その辺が、読んだ時もそうですけど、訳
す時は我ながら不思議なことだと思いました。
ミシュラン
野崎:そう。
それはやっぱり、小説ならではというか、
ミシェ
いうレンズなのか、
とかね。
それを使っていったい何がで
なアプリケーションを使いながら自分が作った写真から
の地図を写真に撮って、
それを引き延ばして展覧会をや
ル・ウエルベックという作家が登場するわけですね。
きるのかとか、全く分からない。
だからその辺を是非うか
動画作品を作る。
だからぱーっと読むと、世紀末・新世紀
がいたいですね。
の、人間中心的な王道フランス文学を違うかたちでやって
るわけですよね。
そうすると人々は感嘆して観に来る。
後藤:これは面白くて、
ジェドが展覧会をやっている時に、
後藤:そして大成功する。
いるんですけれども、写真とか現代アートというものの価
解説を書いてくれというオーダーをウエルベックにするわ
後藤:僭越ながら補足しますけれども、
ジェドは
『地図と領
値づけとか作り方というものが子細に書かれている。
ウエ
けですよ。長い解説なんですよね。
土』
という名の展覧会をやるんです。最初、
ミシュランの地
ルベック自身も写真をやっているし。
いろいろばらしちゃい
図を撮るんですね。金物屋さんの撮影の時はおじいちゃ
ましたけれども、
そういう小説なんです。
野崎:とりわけ一枚の写真の前で超美女が感激のあまり
野崎:ジェド・マルタンという芸術家をギャラリーも全力を
んのボックスカメラを使います。次に、
デジタルカメラで地
とがジェドという芸術家のしたことです。
そこからいくつか
挙げてプッシュするわけですよ。
カタログの論考を誰に書
図を撮るんです。
ミシュランが地図のキャンペーンをやる
のステップを経て芸術家の人生を全うしていくんですが、
いてもらうのか。
それでウエルベックを選ぶというのは当
第二段階では写真を捨てて、今度は筆を取り、
さっき後藤
然あり得るチョイスですよね。
フランスで今一番有名な作
さんがおっしゃっていたように、
いろいろな人々の肖像画
家の一人ですからね。
僕の知るかぎりカタログに文章を書
を描いていきます。
肖像画というのは写真と共に滅びたと
いたことはないですけど。
したっけ…。
後藤:川島君から教えてもらったのですが、
あるようです
ね。
後藤:ビル・ゲイツ。
野崎:本当ですか。
それは知りませんでした!まあストーリ
野崎:そう、
ジョブズとビル・ゲイツのシーンとか。
ーはそういう感じで、訳していてフランス文学のなかにあ
る天才伝説的なものを引き継いでいる、
という点では非
後藤:これも写真に基づいて油絵を描くという設定になっ
常によく分かる。
バルザックがその原型ですけれども、
常人
ているわけですよね。
には理解できない能力を持った人間が、孤独のなかで力
を尽していくという、
そういうパターンなんですね。
そういう
野崎:それが第二弾ですね。
意味ではウエルベックはフランス文学のど真ん中の伝統
を受け継いでいる、
ということが一つ言えます。
でも、
さっ
後藤:これが大成功してアート・マーケットでブレイクして、
き後藤さんがおっしゃっていたように、
それを世界のマー
作品が破格の値段になる。
ケティングの部分を含めて徹底的に書いているという点
は他には無いなあと思いますね。
いろいろ訳していて後ろ
野崎:名声も何もなかったジェドをギャラリストが見つけ
めたいところがあったのは、
ウエルベックの文章自体はと
て、
自分のところで専属契約を結ぶ。
ビル・ゲイツを描いた
てもしっくりとよく分かる文章なのでそういうふうに訳すし
らビル・ゲイツ本人からオファーが入るとかね
(笑)。
それで
かないわけですけれども、
カメラとかが出てくるわけです。
最後には、終末のビデオみたいなものを撮るという、大きく
そのなかで、
いろいろな固有名詞が出てくるんですけれど
分けて三段階の舞台ですね。
も、
さっき言ったようにカメラって僕苦手なものですから、
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思われているジャンルですが、
スティーブ・ジョブズと誰で
HILLSIDE TERRACE Photo Fair - Talk session 001 p.07-08
つっ立っている。
そんなことあるのかなと
(笑)。
そういうこ
時にアーティストをキャスティングしたいと考えた。
それで、
ジェドを経済的に支援して展覧会をやらせた時に、
ロシア
生まれのプレスの女の人がものすごくやり手で、
アート業
界の評論家とか大物とかを全員呼んでしまって、売り出す
んですよ。
それでうまく行くかなあと思ったんだけれども、
ち
ょっと違うなあと本人が思って、
それから絵画に移るんで
すけれど、
ベースは写真なんですね。
それで、
ギャラリーが
付いていよいよ絵画展をやる時に、
彼はカタログに掲載す
るテキストを発注したいと思って、
ウエルベックのところに
わざわざ行くんですよ。何回も行くんです。
その時にウエル
ベックのポートレイトを撮るんですが、
その撮り方とかも非
常に面白くて、
いわゆる絵画にするために写真をどうやっ
て撮るかというディテールを、結構書いている。現代アート
としての写真がどういう感じになっているか、
というのを明
「漂流」展示風景 Image courtesy G/P+g3/ギャラリー
らかに知った書き方になっているわけです。
それが本当
それでアーティストに
「読んだら?」
という話を今年の春に
に分かって書いているのか、分かっていないのかは分か
しました。最初に相談したのは赤石君で、
「こういう本があ
りませんけれど、
そういうところがいっぱいあるんですね。
るんだけど読まない?」
と言ったら
「面白い!」
と言って読
それで、実際に小説を読まれると面白いと思うんですが、
んでくれた。
それで、川島君にも読んでもらった。
では、川
先に言ってしまうと、
ウエルベックは殺されるんですよ。小
島君がどのようにウエルベックを読んだかということにつ
説のなかで。
いて話してもらいます。川島君がどういう作家かということ
を少し紹介したほうがいいですね。
このチラシは今、東雲
野崎:それ、言わないことにしましょうよ
(笑)。
でやっている
『漂流』展のものなんですけれども、
これが
川島君の作品です。
自分の作風なども含めながらどういう
(会場笑)
ふうに読んだかを話してもらえますか。
ウエルベックの書いているいろいろなディテールはいった
後藤:もう一つの特徴は作家本人が物語に出てくること
い何の意味を持つんだと、一生懸命ネットで探して、
これ
後藤:いや、
そういうふうに言っても、買うと思う。絶対読み
川島:僕は今まで、
いろいろな小説を読んでインスパイア
ですよね。
のことだろうとカタカナ表記をしますけれども。
ネットが無
たいでしょう。
そうすると、
またそれに関係する写真が出て
されて作品を作ることが多くて、
これまではずっと存在し
かったら絶対訳せなかったです。
でもそれがいったいどう
くる。
それで何だかんだやって、最後にジェドがいろいろ
ない人とか、
存在しない場所とか、
そういうものを主軸にし
ラを動かして定点的に淡々と撮り、今度は、縦軸上にその
それで撮ったものを、最終的にガラスに焼き付けます。
さら
一番惹かれるものがありました。
この小説自体は1975年
場所に生えている草を抜いて、大きなカメラのなかに投
にフレーミングするときに前後に少し隙間を作ってあって、
後藤:これが川島君の作品集『New coast, and a frag-
にジェド・マルタンというアーティストが生まれて2040年に
げ入れていって、
そこでフォトグラムを作る。言葉で説明す
展示する空間によって照明が当たると影が後ろに落ちる
ment over a woman.』
です、会場のみなさんに回します
死ぬまでのことを書いたもので、晩年に作るとされる作品
るのは難しいのですが、
フォトグラムが作れるようにしてあ
ように作ってあります。
ネガ像というのは影ですから、影を
ね。
は、2040年に作られたという設定なんですね。要は近未
る大きなカメラを使って、
フォトグラムをそのまま作る。
その
撮ったものにまた光を当てて影を落とす。
ややこしいです
来なんですけれども、機材などに関して細々した描写がし
フォトグラムと普通にデジカメで撮ったもの300枚くらいの
が、
つまりは影の影みたいなことなんですね。裏の裏とい
川島:回っている作品は、実質的な僕のデビュー作といっ
てあって、
そういったところを調べていくと、実は2040年の
写真のなかから、90枚を任意にピックアップして、型落ち
うか。書かれた文章はそういったこの作品に関しての裏
ても過言ではないのですが、今回の出品した作品ではな
ところだけが間違えているんですよ。存在しえないレンズ
のパソコンとソフトウェアを使って、
自動合成、
自動演算を
の裏、僕なりの仮説みたいな事を自分なりに書いていま
いので、簡単に説明します。僕は出身が宮城県で、
このシ
があるんです。
主人公のジェドは、
最初に金属部品みたい
する。素材は全て一緒で、毎回できあがってくる画像は実
す。
この
『地図と領土』
を読んだ時に、過去からずっと始ま
リーズは震災の時に流れ出た
「家族アルバム」
が制作の
なものを撮っているのですが、
その時にはリンホフと呼ば
は違っていて、
全ては実際のところただのエラー画像な
っていって、
いろいろなものが段々新しい何かに飲み込ま
始まりです。以後たまたま持ち主にお会いすることができ
れている4x5inchの大きなフィルムを使う、大判カメラを使
んです。
カメラの中がよく不可侵な領域とかブラックボック
れていく、
といったことを感じました。
ウエルベックは、
どん
て、
その持ち主にインタビューにでてきたことや、写真に写
って撮影をしていて、
その次に地図の作品を撮る時には、
スとか言われますが、
パソコンの中で行われる演算処理
なに強い言葉を発しても、物語を読み進めていくうちに、
る場所、少し脱線した話とか、
そういうようなところを、断
ベターライトというスキャナーみたいになっている古いデジ
も私にとっては一種の不可侵な領域とかブラックボックス
物語という大きなものに回収されてしまう、
ということをす
片的にまとめた作品ですね。写真集の編集は、
アントニ
タルカメラ、最初のデジタルカメラみたいなものを使って撮
なんです。
つまり写真的な構造に近いんですね。実際皆さ
ごく考えている人なのではないかな、
と思って。
オ・タブッキという作家の
「島とクジラ、女を巡る断片」
とい
影をしています。
さらにこの本のなかに出てくるミシェル・
う小説の構成からインスピレーションを受けています。
こ
ウエルベック本人が「つい最近買ったんだよ」
と出してくる
の小説はある島についての様々な物事を、断片的な物語
のは、
サムスンという韓国のメーカーのカメラです。
ネットな
を集積するという手法でまとめた作品で、各々は断片的
んかで調べると、
どの機材も、物語中の設定の時期あた
な話なのですが、一冊を読み終えると、
その島全体の輪
りに販売されているカメラで、
その辺りまで周到に調べら
郭が見えてくるようになっているんですね。震災みたいな
れて作られている。
しかし、最後に作られる作品、今度は
一言ではくくる事、結論づける事のできない不条理も部
ある場所を一日中ずっとビデオカメラを回しっぱなしに撮
分的にとらえるのではなくて、
その事象の全体をとらえる
って、
コンピューターのなかで自動合成していくという作品
事が重要なんじゃないかなってこの時思ったんです。
その
なんですが、
そこでは基本的には1200ミリの、F1.7の、今
為には、
タブッキの手法はとても有効で、一番見える物が
だったら望遠鏡よりもはるかに規格が大きくなってしまうよ
あるんじゃないかなと。
うな無理のあるレンズが使われているんです。
ウエルベッ
クなりにすごく考えた結果なのでしょうけれど、
でも実際は
今回のシリーズの話にもどりますが、
『地図と領土』
とい
今の光学設計では実現はかなり難しいんですね。
そのつ
う作品を読んだ時には、出てくるいろいろなカメラだった
じつまが合わない部分にやっぱり自分は惹かれるところ
り、
ジェド・マルタンという主人公の制作したとされる作品
がありました。
が、本当にできるのかどうかというところを見ていました。
HILLSIDE TERRACE Photo Fair - Talk session 001 p.09-10
かも交えて複合的に考えた時に、晩年に作られた作品に
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て作品をずっと作り続けてきたわけですが…。
んが使っているデジタルカメラなんかの構造もそうなって
いるし。
自動の合成処理には、型落ちのパソコンを使って
野崎:いやあ、
びっくりしました。
もし、川島さんの制作プロ
いるので、一枚できあがるのにだいたい8時間ぐらいかか
セスのようなことがこの本のなかに書かれていたら、
自分
るし、機械も弱くて遅いので、
ずっと待っていなきゃいけな
にはとても訳せなかっただろうなと思います。
とすると川島
い。
それを何十回も繰り返していくうちに、
たまに上手くいく
さんの作品は、
ある意味で文章を埋め込んだような作品
ことがあって、
そのたまに上手くいったものを、作品として
なんですね。
提示する。
そんなふうにして作ったのが今回の作品です。
川島:そうですね。
この重ねたものの一番下のところのレ
後藤:川島くんの展示にはテキストを引用した白い作品も
イヤーに、
「地図は領土よりも興味深い」
という、
ジェド・マ
ありますよね。
ルタンの最初の展覧会のタイトルが書いてある。僕はそれ
がすごい耳に残ったというか目に残ったというか、
でも文
川島:白いのは、真ん中のガラスの作品のことですね。
ガ
章を読んでいると、消えていっちゃう気がして、結局最後
ラスにテキストをプリントした作品なんですけれども、
この
『
に残るのは、世界を説明したいということなのではないか
地図と領土』
のなかの文章から、
自分なりに解釈して、少
と思いました。
「世界を説明したいだけなのです」
とマルタ
し改訳して書いたテキストです。
これは実はただのテキスト
ンが死に際のところで言うのですけど、僕は、
その言葉が
ではなく、文字の影を撮った写真をプリントしているので
最後の最後に全部を回収して持っていっちゃった気がし
実は結構試したんです。
だいたい全部試しています。今回
それで、僕が今回作った作品というのは、小説の中の実
すが、
その撮り方は実は特殊で、
どちらかというと行為自
て、
その世界をすべて説明する方法を自分でやってみよう
の作品に取りかかるにあたって、
ウエルベックが考えてい
現不可能なところをできるだけ再現していきながら、
自分
体とか、環境によって見え方が変わるみたいなところに結
と。
ただ単純に撮るということだけではなくて、草を抜いて
ることや、
さっき野崎さんがおっしゃっていたような、
ウエ
なりの解釈とか、
ウエルベックという人間に対する仮説を
構意味があるので、実際の物を前にしないと、説明が難し
撮ってみたり、
それを混ぜて演算に入れて出てきてしまっ
ルベックという人間に対して僕なりの仮説みたいなもの
含めて、
コンピューターの自動処理で
「重ねていく」
という
いんですが、少し説明するとですね、引き延ばし機という
た映像を出してみたり、
そういうことが僕が『地図と領土』
を立てて、言葉、文学というものに対して、
ウエルベックが
プロセスを使って作品を作ろうと考えました。
写真を引き伸ばす機械の中に文字を撮ったネガを入れ
で思ったことです。
思っていることが一番現れている作品はどれか?というこ
とや、
これまでの自分自身の制作の文脈との整合性なん
て、露光をして、
それを改めて上から撮影するんですよ。大
撮影は、
ある一つの場所で、横軸上に50センチずつカメ
型カメラを使うとそういったことが可能なんですけれども、
野崎:今のお話は本当に面白くて、
この一枚一枚のなか
として、
さらに展示したものを別の場所で展示して、
それを
ろ僕は、
自分の作品を増幅させて、何度も変化させていく
またさらに撮影したり、
自分の作った写真を布にプリント
ことを繰り返しやっている作家です。
し直したりして、
それで大量のクッションを作って…。
野崎:画家の方に赤石さんの作品を描いていただいてい
後藤:これがクッションの作品ですね。説明すると、
もとも
る。
それをまた撮る、
というのは非常に不思議なプロセス
とパワーストーンを解体したものを撮影して、
それを写真
ですね。
どうして画家の方に描いてもらったんですか。
に、小説のストーリー全体を封じ込めようとしている、
とい
いくことによってさらに進路を得ていくといったことは、
こ
う意識を感じます。
の作品ではすごく重要なことだと思っています。
川島:そうですね。
野崎:今のご説明も作品の一部になるわけなんですね
(
笑)。
この小説のなかでも先ほどおっしゃっていたような、
野崎:でも同時に、
これをちょっと見るだけでは、単にきれ
意味を埋め込むことを行っているんですよね。
ジェドとい
いな緑と、光と、
そういう印象を受けるだけで、
そこまで読
う主人公が、最初にどこにでも売っているフランスの地図
み解くのは大変ですよね。
を撮るんですけれども、
その一部は彼が幼年時代を過ご
した場所のイメージなんですね。
これは文学的なテーマと
川島:そうですね、
そこは結構、僕のパフォーマンスみたい
しては非常に単純で分かりやすいのですが、
おばあさん
なところもあるのかなと思いますね。例えば、作品に対し
の家があったところの地図を撮っている。
だから写真の
て、
こういう場所で撮影した作品ですと、作品の目の前で
上では非常にクールに見えて、
あるいは表面的に見える
僕が説明するといったことももちろん重要だし、逆にウエ
んだけれども、裏にはそうしたいわば実存的なメッセージ
ルベックが写真に対して抱いているもの、最後に近未来と
が描き込まれているんですよね。
それはあまり強調されて
いう設定で示唆しているものをアートや写真の教科書と
はないですけど。逆に言うとそういう部分まで作品のテー
して読み込んでいくと、近未来的なものが示唆しているか
マにしてしまうというのはすごいですね。
たちというのは、言葉では説明不可能に近いような、
「私
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「漂流」展示風景 Image courtesy G/P+g3/ギャラリー
HILLSIDE TERRACE Photo Fair - Talk session 001 p.11-12
作品にもするし、
コンクリートで立体作品にもしたり、
そして
またそれを撮影してと、写真を増幅させていく作家なんで
赤石:そうですね、束見本というのを知らなかったのです
す。今からみなさんに回しますけれども、赤石君の作品の
が、
それをもらった時に、
これはキャンバスだなとぱっと思
フローチャートがあります。
自分の作品がどういうふうに、
い
って。僕はそもそも自分の作品のなかに、
自分以外の人
わゆるアップデートされていったのかという地図ですね。
によるもの、例えば友人の作品を撮影して、
それを自分の
今回の作品は、赤石くんの写真集の全てページを二名の
作品にしてしまうようなことをしているので、
だったら今回
画家に書かせて、絵画化されたものをもう一回赤石くん自
は、僕の作品を誰かに預けて、
その人に僕の作品を作っ
分が撮影する、
ということをしています。
てもらおうと。
で、
それをもう一回撮り直そうと。今回は、
自
分の作品で、何かを作ってもらうということをしようと思い
赤石:
『UNBROKEN ROOM』
という写真集を作った時
ました。
に束見本というものをいただいたんですね。束見本は本
と作る場合、大抵作ることになるそうですが、
ページ数や
野崎:そういうやり方もあるんですね。写真と絵画の関係
体裁なんかは全て同じなんですけれど、本の内容は一切
というと、
さっき後藤さんが紹介していたように、
タブロー
印刷されていなくて、空の状態だけのものです。
そこで、二
を描く時にモデルを使うのではなくて写真を使うのが19
人の画家に僕の写真集を渡して、
それぞれの画家のテイ
世紀までで、
ジェドもそうしているわけだけど、
それをもう一
ストでそのまま束見本に
[『UNBROKEN ROOM』
の全て
回写真で撮るのが面白いなあと。他にもそういう例はある
のページを]描いていただいた。
それを僕が再撮影した、
んですか。
という作品です。僕も最初は
『地図と領土』
を読んで、
お話
しいただいたように、地図の写真を何枚か撮ってみたん
後藤:そうですね、
いわゆる現代アートというものを考える
ですよ。立体地図のようなものを使ってみたりしたんです
と、
自己表現ではなくて、
ある種自分ではないもの、他者と
けれど、
やっぱり作品としてはちょっと難しいかなと。
そうい
いうものをどういうふうに扱うかというのが非常に重要な
うことがあったので、
むしろ自分の領域に入れてしまおう
んですね。
だから他人が撮ったものとか、
そういうものを
と。今回出しているもののうち、真ん中の大きい作品はダ
素材にして作品を作っているというのは、
コンテンポラリー
イアグラムを撮影したものです。
インデックスを撮影したも
アートの場合には常套手段なんですね。
ですから、彼み
のもあります。写真集の最後についているインデックスを
たいに自分と他者の領域を曖昧にしていく、
そういうトリッ
は世界を説明したい」
と言いながらも、超難解な絵柄が
後藤:はい。
それでは次に、赤石君、感想を聞かせてくだ
画家さんが描いてくれたものを、撮影したものです。一番
キーな部分も生まれる。
それから、赤石君もよく言っていま
出てきているだけの作品なんじゃないかな、
という僕なり
さい。
では自分の作品を紹介するとともにウエルベックに
左のものは見えにくいんですけれども、
画家の方が描いて
すけれども、写真なんだろうか、写真じゃないのだろうかと
の仮説を立てています。
だから、
いかに難解であるかとい
ついてお聞かせください。
くれたフローチャートを僕が自分のスタジオの3x4メートル
いうのを、
自分にも問いかけながら進んでいくという、
そう
くらいの壁に描き直してさらに撮影して、
というものになっ
いう作家の態度なのかなと思います。
うか、
キャッチーなビジュアルで近づいてみるとすごく気持
ち悪い、写実的な、写真的な作りになっていたりとか、
そう
赤石:僕が作ったものは基本的には写真作品ですが、写
ています。
ウエルベックがやっていた地図の撮影を、
フロー
いう仕掛けがあることによって、
そして、作家がしゃべって
真作品を展示して、展示した場所を撮影して、
それを作品
チャートの撮影と言う形で変容させています。結局のとこ
赤石:僕は美大の絵画科を出たので、
もともとは絵を描い
ていて、
それから写真に転向したので、絵画に対する歪ん
野崎:それが同時に系図にまでなってしまうというわけで
る画像と元は同じフィルムなんです。
そっちは額装される、
最初から最終的なものの状態が基本の形として用意され
だ思いというか、
自分は描けないから、
いや、描けないと
すから、同時に巨大な意味があるわけですよね。
いやあ、
壁に掛けることを想定して画像を処理、調整しているんで
る時に、今度は
『地図と領土』
の最後じゃないですけれど
いうか、絵画をやめてしまったのだということに対して、
な
面白いなあ。
すが、
こっちはおおよそそのままのフィルムシートをスキャ
も、崩壊していくプロセスがあると思うんです。例えばここ
ニングして出力している。
フィルムというものは、薄いシート
にあるコップですが、
これは誰が見てもコップだとわかり
後藤:さて、三人目にいきます。横田君ですけれども、一番
のなかに撮影した当時の映像を記録させる、
それはある
ます。逆に言えば、
それはコップというものの日常的な機
野崎:じゃあちょっと
『地図と領土』
のジェドに似ています
大きい作品です。
では説明してください。普段はどういうこ
種実態を持たない映像として、私たちの頭の中にある記
能などのその使用用途や意味などを見ていて、
その形状
ね、
キャリアとしては。
とをやっていますか。
憶のようなもので、写真における記憶という扱いです。
そ
に対して意識的に目を向けるということができない状態と
の記憶的なイメージを、
ぺらぺらな紙の上に、光を通して
してあると思います。仮にこのコップが割れ、通常の用途
んとかして付き合っていきたいという想いがありますね。
横田:この作品はちょっと特殊なんですけれども、普段は
転写させるというものが通常の写真行為です。
しかしその
として使用できなくなった時、改めてそこに形状や素材な
ら入って肖像画に移って、
かなりオーソドックスな使い古さ
デジタルカメラで撮った写真、
スナップショットというんで
ような映像の転写としての写真行為があると同時に
「ボデ
ど、
そのものの存在を強く意識することになります。
そのよう
れたテーマをずっと続けていって、最後は自分のお城とい
すか、
それをパソコンに読み込んで、出力する前にパソコ
ィ」、
その写真の肉となる物質も同時に存在しています。人
なことが崩壊していくプロセスのなかで起こるという。
うか、広大な土地を買って、
そこに引きこもるんですけれ
ンでいじったりいじらなかったり、
それはちょっとランダム
ども、
その時に業者を呼んで、一本大きな道を通しますよ
なんですけれど、
それをインクジェットで出力して、
フィルム
ね。
その行為がランドアート的だなとすごく思いました。広
のカメラで再度複写します。
そして現像するんですが、
その
大な敷地で作品を作るということが、最終的には自分が
時に熱湯を使用するので、溶剤であったり、保護シートで
地図の一部になるというか、
自分の領土の中で地図を敷
あったりが熱によって溶け出してマテリアル感が強まってく
くということになるというか。
その広大さのなかで自分の
るという状態になって、
それをスキャナーに読み込んで、今
力で場所を作るというのが、一番気になったところです。
度はまた最初に撮影した画像とスキャンした画像を、
パソ
野崎:将来はそういうふうに。
ムから読み取れる画像は粒子も荒いしその上ゴミが多く
はいりこんでいたりするので、画像が非常に不鮮明な状
赤石:土地がないとできないですよね。
態なんですね。
なので元となる撮影した被写体の象の輪
郭を保つために、複写した画像の上に元のデジタルカメ
後藤:やるかもしれないね。
ラで撮影した写真を重ねるという工程を複数回行い、
イメ
ージを作っています。
その時のテーマというか自分がイメー
野崎:じゃあ、赤石さんの作品は常に増えていくわけです
ジして作っていることは、撮影した当時の情報は写真とし
よね。
て残るわけですけれども、同時に経験として自分の記憶
の中にも残っているわけです。
しかしその二つのずれはど
赤石:そうですね。
まだ全てを見せてはいないんですけど、
うしても起こってきて、時間経過とともにそれは大きく変化
どんどん増えていって、
もう半分くらい自分でコントロール
していきます。記憶は常に僕のなかでは更新されているん
できないようになってきているので、一種家系図というか、
系統史的な感じもありますよね。
後藤:意味があるかないか、
という問題がありますよね。
は外界を目で見て頭の中の記憶と接続させて理解しま
すが、
そこには頭の中のイメージと同時に現場における自
後藤:これは非常に面白いところですよ。
身の身体があって…そのように写真においても意識と身
体、双方を同時に両立させていく必要性があるなと最近
野崎:たまらないですね
(笑)。
お三方それぞれがそういう
感じたんです。撮影時はフィジカルなんですけれど、
写真の
ことを考えてくださっていると思うのですけれども、今、横
製作時において、
その紙の上のイメージには近づきたくて
田さんのおっしゃったことはウエルベック自身の立ててい
も近づけないという距離感があるんです。
そこでのフラス
る問題と見事につながっていますよね。
つまり、
ウエルベッ
トレーションというのがずっとあって、
自分としては溝を埋
クの小説のなかには、写真に対する苛立ちがものすごく
めていく行為というものが製作を続けていく上で必要な
現れていると思うんです。世の中に安易な写真が溢れて
のではないかと思って、一つの形として今回、写真におけ
いるということ。
それにも関わらず今の世の中では写真家
る肉としてのフィルムを作品として提示できないかなと思っ
がアーティストとして祭り上げられている。
それに対する苦
たんです。
々しさというか、
いったん写真を壊したいという気持ちが
ある。
そういう意味では写真家にとって嫌味な小説では
野崎:これを実際に拝見すると、
圧倒的な印象を受けます
あると思うんですけれども、
それだからこそ、写真家の人
よね。
ちょっとこわいというか(笑)。肉ということに関してさ
たちがそれをバネにして作品を作ったということにびっくり
らにうかがいたいですね。
したんですよ。冒頭から
「写真家なんかつまらない」
という
ところが出てきますよね。横田さんがおっしゃったように、
横田:はい。例えばなんですけれど、写真というものは、年
あまりに見事に機能してしまう、
というところなのかなと思
々機能が発達して、
その機能に迎合するように、
シャッター
いますけれど。三方ともある意味で作家ということや写真
ですけど、写真の記録はその状態がおおよそ保たれてい
を押せば写る、
そして写したデータをプリンターで印刷す
を壊す、
ということが逆に創作のモチーフになっているの
るので、
その互いのずれを埋める作業といいますか、
自分
れば仕上がる、
というようなものになっていると思うんです
かなあと。
の記憶側のヴィジョンをその写真に含ませるという思いで
が、本来なんでもものを作る上では、組み立てる作業って
普段は作っています。
どうしても必要なわけです。
だけど、
それが今、無くなって
後藤:面白いなあと僕も思うのは、
こういうような作品を作
いる。簡易化されて、
自動生成されていくものとして、瞬間
ってくれというオーダーは僕からはないんですよ。
ですか
今回の作品《Matter》
に関して、素材となるものや製作の
に写真は仕上がる。
そういうところに実体の無さというも
らそれぞれの人が、
自分のスタイルに引き寄せながらやっ
工程は一緒なんですよ。
ここにある写真集に使用してい
のがあると思うんです。
その組み立てる行為が無くなって
ている。横田くんの場合は、今までも写真のイメージとか、
意味がないことを増殖させていくことで、表現の残留とい
うものを超えていると。
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コン上ですり合わせる。
なぜかというと、熱現像したフィル
HILLSIDE TERRACE Photo Fair - Talk session 001 p.13-14
赤石:僕が思ったのは、
ジェドがはじめは静物の写真か
カタストロフィみたいなものを、破壊と再生が瞬時に連続
実現していくための経済的基盤というか、
さっき横田さん
それを使いながらやろうかなと。今後どうなんですかね
(
を得るためのモチベーションを持つというのは悪いもの
してイメージを生成していくというやり方をしているわけで
がおっしゃったみたいに、写真家として機能すれば自活し
笑)。
どうなってしまうんだろう、
というところはありますけれ
ではないと思います。金額に見合った作品であったり、
ニ
す。今回は立体作品だと本人が言っていたのが面白かっ
ていけると思うんですよね。
そこに二つの対照的な道があ
ども…。
ジェドはかなり裕福な家庭で育ったんですよね。
ーズか何かは分からないですけれど、
そういう現在の状
たなあと。
だから、情報で異質化した空間のなかでエクト
ると思うんですけれども、皆さんどういうふうに思っている
若いうちに名声を得て、経済的な不満は無いなかで、
どう
況に対応できる作品を作らなければいけない状況が得ら
プラズムのように異形のものを写すというような点に表れ
のか聞きたいんです。
レベルを落としてしまって申し訳ない
やって作品を作るかということの純度をどんどん上げてい
れるという、
それも一つの良い制作理由になるかなあと。
ていると思う。
ウエルベックの小説を終わりまで読むと、消
んですけれど
(笑)。
って、誰とも会わず、絵画を描き続けていったと。幸福にも
ただ、
やっぱり今後が保証されているものではないという
滅ということは彼にとって結構大きなことで、簡単に言う
不安もありながら。
時からずっと考えていると思うんですよね。
いわゆる、人
ストレートに勉強する大学だったので、終わったら広告系
間がいなくなった世界というもの、
それへの衝動、
トラウマ
に行く人もいたんですけれど、
どちらかというと自分のやり
というか、偏執が強いんですね。消滅の有り様というか、
たいことと、考えていることを形にしていくには、
自分で作
そういうところが横田くんの作品とは強くシンクロしていく
品を作っていくほうが自由度が高い。
もちろんコマーシャ
んだなと。
ルみたいなこともたまにやるんですけれど、
それも面白そ
うというのが大前提としてあるので、
ルーティーンとしてで
野崎:おっしゃるとおりで、本当に川島さんの作品とつな
はなく、
自由にやっています。
ある日ばっと辞めて、作品作
がっているわけですよね。
つまり、消滅した後植物だけは
ることに徹しよう、
と感じる時がありましたね。
残る、
という。
ウエルベックの世界観であると思うんですよ
ね。
あの、後藤さん、時間はそんなにないんじゃないかと
野崎:そういう点でジェドと共感するところがありました
思うんですけれど、
もう一つだけ皆さんに聞きたいことが
か。
あるんですよ。
川島:そうですね。彼自身のアーティストとしての生涯には
後藤:はい、全然いいですよ。
共感するところがすごくあるし、
そこまですごい速さでわっ
といくわけではないけれども、彼自身が日々抱えている悶
野崎:今日はやっぱりうかがわないと分からないことがす
ごく出てきて、語りって重要だなと思いましたね。川島さん
々としたところというのも、共感できるようなところがあっ
て、絶えず孤独でやっているというのも。
がおっしゃるように、語るということも作品の一部として面
白いと思うんですよね。
そういうコンセプト的な、抽象度の
後藤:赤石君、
どうですか。
高い思考をもたらしてくれると同時に、
さっき後藤さんが
野崎:横田さんは写真の仕事はするんですか?
HILLSIDE TERRACE Photo Fair - Talk session 001 p.15-16
川島:経済的な基盤というのは、僕の出た大学は写真を
FAPA Archives
と人間が消滅してしまった世界というものを、
『素粒子』
の
横田:しないですね。作品以外のことはしないです。
野崎:プロデューサーとしての後藤さんは、
かなり自由にや
ってもらっているわけですね。
後藤:そうです。
野崎:依頼、
という感じではないんですね。
後藤:ないですね。
野崎:完全に自分のモチベーションだけなんですね。
横田:そうですね。仕事になると、写真を使っているという
「漂流」展示風景 Image courtesy G/P+g3/ギャラリー
意味で同じじゃないですか。
もし僕が仕事をするなら他の
ことをしたいなあと。写真は別にして。せっかく製作するな
思えますね。
ただ、切断があって、
ある一定の期間で作品
ら自身で楽しめる部分が少しでもある作業であったほう
を量産し、一気に止めてしまう。
そして、
がらっと変わること
がいいと思っています。
おっしゃっていたような、
アート業界を巡る、
どんなふうに
赤石:そうですね、僕は絵画科だったので、絵画科の学
で、何か一つ作家としての厚みが増していく。
つくらない期
値段が付いていくかなど、
そういう話もものすごく面白い
生というのは、
ほとんど破滅的というか、基本的に大学で
ですよね。
それを三人にうかがってみたいんですよ。
つま
は卒業した後のことは一切教えてくれないので、本当に
り、
ジェドという天才写真家が生まれるには彼は一度コマ
続けていきたいという学生は助手とか大学に残って仕事
ーシャル的なものというか、
自分が学校を出た後食べてい
しながらやるとか、
日雇いをやりながらやるとか、
そのなか
横田:僕は、基本として仕事をしたくないっていうモチベー
有名なのは谷川俊太郎さんですけど、谷川さんの書く詩
くために、商業写真、商品写真を撮りますよね。
それで、
あ
でいつか芽が出るんじゃないかと。僕もその一人なんで
ションがあったんで、
そういう意味では、今、一応それを全
はすべて注文原稿だっていうんですね。
いわば自発的な
る日、辞めちゃうわけですよね。
これはロマンチックという
すけれど。僕も写真の勉強は一切していなくて、独学で、
うしているんですが(笑)。
お金に関して言えばなかなか難
作品としてのポエジーではないわけです。
ところが逆に、
か、小説の主人公だからできたことかなという感じもする
誰も教えてくれないなかで写真を始めて、最初は、
やっぱ
しいところがありますよね。
たまに入ったとしてもそれは自
写真のようにいくらでも注文次第で撮れそうなメディアを
んですが。
今日、皆さんがおっしゃったようなコンセプトを
りデジタルカメラは誰でも撮れるというところがあるので、
動的に出て行くので。
でも、僕は、
自身の作品製作にお金
選びながら、
ここまでのことをできるというのはすごいもの
間にどのように成長や変容することを受け入れるかが重
野崎:いやあ、今日は文学者の話を聞いたような気がしま
要なのかなと思います。
すね。
いまどき、
こんなに純度の高い文学者はなかなかい
ない、
という。
この前何かで読んだら、
日本の詩人で一番
だなと思いますね。
後藤:なんというか、写真家の現実という話が非常に良
川島:実際に写真のために書いたのか、
『プラットフォー
かったです。
というのは、小説の機能というのは何かとい
ム』
のなかの文章をそのまま併用しているのか、書き換え
川島:写真集には、仕事という意識が少しありますね。作
うお話で、我々の世界とパラレルな、
モデルみたいなもの
ているのかどうかは分からないのですが、
トーマス・ルフと
品であれ、人と関わった上での制作は自由であるとはい
を提示できる小説というのが、一番スリリングなわけです
いう写真家の
『Nudes(ヌーズ)』
という作品があるんです
えリミットがあり、
やりとりがある、
という意味では仕事に近
よね。
ウエルベックという人はそういうことを提示し得る素
が、実はウエルベックがこれに文章を書いているんです。
い感覚です。
晴らしい作家だとあらためて思いました。
それをたまたま知った時、
その辺がいろいろ気になってし
まって調べてみると、実はこのルフの経歴がジェド・マルタ
それから、今回みたいな展覧会を企画することは、
コマー
ンに近く、
ちょうどこの
『Nudes』
の文章を書かれた頃にル
ことですね。本となると。
シャルギャラリーとしては変わっていると思うんですよね。
フが発表したのがこの
『Machines (マシーンズ)』
という作
いわゆるコマーシャルという、作品を売ろうとしているギャ
品で、被写体が本当に金属の機械とか、
まさにこの
『地図
ラリーがこういう形式の展示をすることはないわけです
ようがないでしょうか(笑)。野崎さん、
どうですか今日は。
よ。私はそのことに関して疑問をすごく持っているわけで
それぞれの話を聞いたり、写真を見たりして。
感想みたい
すね。資本主義として最先端のものを作ることが、
コンテ
なものを最後にいただければ。
ンポラリーアートにおいて重要だと僕は思っているので、
反対に商品としては難解かもしれないけれども、実験性
野崎:さっき展示を見た時は、写真って本当に平面性に
の高いものを、
いわゆる本質的に意味あるものをプロデ
賭けたメディアだなあと思ったんです。横田さんの作品は
ュースすることが、
ちょっと時間を置いてみた時に非常に
平面じゃないけれども、作品を見る時間というのは、瞬間
重要であるということをすごく思っているのです。
これはウ
で見ようと思えばできてしまいますよね。
つまり平面をさっ
エルベックの教えでもあるわけです。近未来まで客観化し
となでて終わりということになりかねない。
でも今日のお
て、現在を判断することをしているわけですから、重要だ
話をうかがって、
そこにものすごく凝縮されたものがあると
なあと。
ある種野心的な、実験的なキュレーションをやっ
知ると、全然違った体験になりますよね。
やはり見る方法
ていくことが結果的に一番重要なのではないかと思いま
が問われてるし、
そこにも写真の可能性があると思いまし
す。
ですから、
ウエルベックを補助線に今回展覧会を企画
たね。
それからウエルベックの小説についても、
自分の読
しました。
これは趣味でやっているわけではありません。
み方はダメだったということが分かりました。写真家が主
結局どういうふうに現実と関わり、現実を作るか、
というこ
人公の小説を訳しながら、僕は最終的にはそれを、
ウエ
との一番有効なやり方としてウエルベックを活用している
ルベックという文学者のメタファーとして読んでたんです
というか、補助線として活用しながら近づければなあと。
ね。
でも
『地図と領土』
の描き出しているのは、
まさに写真
そういうことをお話ししておきたいなと思いました。今後も
家の現実なんですね。
安部公房などモチーフにして、
やってみたいです。
後藤:面白い。
さて、会場のみなさんからの質問がなければこれで終了
ということにしたいのですが、何かあるでしょうか。無いで
野崎:そういうことがちょっと分かりました。
すか。
あ、最後に一つだけいいですか。今日ウエルベック
が写真について書いたものを川島くんが持ってきている
後藤:それはすごく重要なことですね。
んです。
それについて最後に話していただきたいと思いま
す。
野崎:後藤さんのおかげで。
FAPA Archives
後藤:会場のみなさんから何か質問はありますか。
質問し
HILLSIDE TERRACE Photo Fair - Talk session 001 p.17-18
野崎:つまり、
自分一人でやっているわけではないという
と領土』
に出てくるものと同じなんですね。
ルフはマニピュ
レーションというか、新しい技術を使っていていますが、
も
ともとはベッヒャースクール出身で、
フィルムなど昔の王道
的な写真の中にいた人なんです。
なのに、
どんどんどんど
ん異型化していって、最終的に最新の技術を使うようにな
る。実はここが引用元だったりするんじゃないかというの
はあります。
野崎:川島さん、ぜひフランス文学会で発表してください
(
笑)。
それは全然読んだことがなかったです。
後藤:ということで、皆さん長時間ありがとうございました。
野崎歓さんありがとうございました。
また、
ご一緒させてく
ださい。
野崎:どうもありがとうございました。
Fin.
スピーカー紹介
川島崇志(写真家)
1985年、
宮城県生まれ。2011年東京工芸大学大学院芸術学研究科メディアアート専攻写真領域修了。2011年アートアワード東京・審
査員賞、TOKYO FRONTLINE PHOTO AWARD 2012・グランプリ等受賞歴多数。2013年3月、東京・G/P galleryにて個展『New
coast, and a fragment over a woman(新しい岸、女を巡る断片)』
を開催し、限定写真集『New coast, and a fragment over a woman』
を出版。
赤石隆明(写真家)
1985年、
静岡生まれ。東京造形大学大学院造形研究科美術研究領域卒業。主な展示に
「Hyperplasia」(2010、g3/ gallery、東京)、
「camaboco」
(2010、東京造形大学、東京)「Carpet and Photograph」(2009、3番 gallery、東京)。受賞歴に
「TOKYO FRONTLINE
PHOTO AWARD」(2011、
3331 Arts Chiyoda、
東京)、
「キヤノン写真新世紀」(2010、東京都写真美術館、東京)にて佳作(佐内正史
選)。2013年9月、G/P galleryにて個展を開催し、同名写真集『UNBROKEN ROOM』
を出版。2014年には木村伊兵衛賞にノミネート
されるなど、注目を集めている。
野崎歓(フランス文学者、翻訳家、映画・文芸評論)
1959年新潟県生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。同大学院中途退学。著書に
『ジャン・ルノワール越境する映画』
(サントリー学芸
賞受賞、青土社、2001年)
『谷崎潤一郎と異国の言語』
、
(人文書院、2003年)、
『赤ちゃん教育』
(講談社エッセイ賞受賞、青土社、2005
年)、
『異邦の香り-ネルヴァル
『東方紀行』論』
(2010年講談社、
読売文学賞受賞)、
『フランス文学と愛』
(講談社、2013年)、
『翻訳教
育』
(河出書房新社、2014年)
など。現在、東京大学大学院人文社会系研究科教授。
後藤繁雄(編集者、
アートプロデューサー、京都造形芸術大学教授)
書籍編集、
インタビュー、広告制作・商品開発・展覧会企画など、
ジャンルを超えて幅広く活動。
「独特編集」
をモットーに写真集『TOKYO LOVE』
(ナン・ゴールティン×荒木経惟)
をはじめ、蜷川実花、篠山紀信から若手写真家まで、
また坂本龍一などのアートブック
も数多く制作。2002年京都造形芸術大学教授に就任。2003年にASP学科(アートプロデュース)
を立ち上げ、学科長に就任(2008年ま
で)。
また海外のアートフェアの調査を毎年行うとともに、G/Pギャラリーなどを立ち上げ積極的に海外のアートフェアにも出展(2014年、
アムステルダムのフォトフェアUNSEENにて、港千尋と共同キュレイションで展覧会『anima on photo』
を開催)。
また、篠山紀信の全国大
型美術館巡回展のプロデュースも担当している。
また、aatmを小山登美夫とともにプロデュースし、
日本の若手アーティストの発掘・育成
を自らの使命として、精力的に行っている。
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横田大輔(写真家)
1983年、
埼玉県生まれ。
日本写真芸術専門学校卒業。2008年、
キャノン新世紀佳作、
エプソンカラーイメージコンテスト写真部門特
選。2010年、
第2回写真「1_WALL」展グランプリ。国内外での個展、
グループ展の他、Unseen Photo FairやParis Photoなど 海外のア
ートフェアにも参加。2013年2月にG/P gallleryにて個展「site / cloud」
を開催、同名の写真集を出版。2013年9月アムステルダムで開催
されたUnseen Photo Fairにおいて
「The Outset | Unseen Exhibition Fund」初の受賞者となり、2014年5月 にはFoam美術館にて初
の海外での個展が開催された。
HILLSIDE TERRACE Photo Fair - Talk session 001 p.19
左から右へ:横田大輔、川島崇志、赤石隆明、野崎歓(フランス文学者/東京大学文学部教授)、後藤繁雄(編集者/京都造形芸術大学教授/G/P gallery ディレクター)