ロンドンの老舗ホテル、サヴォイはぼくにとってレナード・バーンスタインのホテルです。10年 ほど前の1989年の12月、バーンスタインへのロング・インタビューのミッションを受けて、ぼ くはロンドンに来ていました。バーンスタインは、彼自身が長年気にかけながらも、上演を成功させ られずにいたこともあって、 「靴の中の小石」と呼んでいた自作「キャンディード」の演奏会形式によ る公演をおこなうためにロンドンに滞在していました。この公演をライヴ録音したものが、後にCD になって発売されています。 そのロング・インタビューの当日、約束の時間に、ぼくはサヴォイのロビーでマエストロを待って いました。やがて、見知らぬ外国の女性がぼくに近づいてきました。彼女の厳しい表情を見た途端、 ぼくはよくない知らせを覚悟しました。 「マエストロの風邪がとてもひどくて、せっかくだけれど、今 日のインタビューには応じられない」と、彼女はいいました。バーンスタインがひどい風邪をひいて いることは、「キャンディード」の演奏中にもマエストロ自身が口にしていたので、知っていました。 押し問答をして始まることでもないので、ぼくは潔くひきさがりました。そこに降りてきたバーン スタインが、遠路はるばるロンドンまでやってきて、目的をはたせずに落胆しているジャーナリスト を気の毒に思ってくれたのでしょう、 「 これから出かけるけれど、目的地につくまでの時間、車の中で、 少しだけはなしをしよう」といってくれました。バーンスタインは車の中でのぼくのいくつかの質問 に興味をもってくれたみたいで、それから後、3時間あまり、ぼくはバーンスタインのそばにいるこ とを許されました。とはいっても、まとまったはなしをきけるような状態ではなく、ロング・インタ ビューとしてまとめることはできませんでした。 ぼくはバーンスタインの隣に置かれた椅子に座って、バーンスタインをつぶさに観察することがで きました。そして、さまざまな人との対応で示された、バーンスタインのあまりの情の濃さと、過剰 と思えるサービス精神に感銘を受け、ことばもありませんでした。その頃、すでに彼の身体を深く虫 食んでいた病魔のせいでしょう、途中で、彼は何度も呼吸をつまらせて、辛そうでした。別れ際に、 ぼくは「どうぞ、お身体を大切になさって下さい」と心をこめていって、握手を求めました。バーン スタインはニコッと笑って、両手でぼくの手を握り返してくれたのですが、その時、バーンスタイン の目には涙が光っていました。 その一年後にバーンスタインは亡くなりました。それから後、ロンドンのサヴォイ・ホテルの前を 通りかかると、あの時のバーンスタインの涙が眼に浮かび、陽気ななかにも苦さの感じられる「キャ ンディード」の音楽がきこえてきます。
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