駒澤大学 小林ゼミ 2006 年度 卒業論文 過去と現在から見る、これからの J リーグ 大友 徳也 1 1.序論 2.J リーグの現状 2.1.J リーグとは 2.2.J リーグの規模 3.J リーグの歩み 3.1.J リーグの発足まで 3.2.J リーグ開幕と J リーグバブル 3.3.J リーグの低迷期 3.4.J リーグの人気復活と J リーグ理念の浸透 4.J リーグの活動 4.1.J リーグの事業、研究・研修、育成 4.2.J リーグ百年構想 5.J クラブチームとホームタウン 5.1.ホームタウン 5.2.J クラブチームの地域への浸透 6.J リーグが抱える課題 6.1.J リーグ発足以前から J リーグ開幕当初の課題 6.2.近年の J リーグの課題 7.結論 文献一覧 1.序論 プロスポーツと言えば野球、ゴルフ、相撲が一般的であった日本において J リーグの誕生は大 きな衝撃を与えた。J リーグが開幕して今年で 14 年。開幕当初のバブルのような一時的な人気と は違う、本当の人気を得た J リーグが今後どのようになっていくのかを以下の 2~6 章を踏まえて 考察していく。 2 章では現在の J リーグについて述べ、3 章では J リーグ発足以前から近年までの歩みについ 1 おおとも のりや 駒澤大学経済学部経済学科 4 年 EK3137 これからの J リーグ(大友) て述べる。4 章では J リーグの活動、J リーグの行っている事業を述べていく。5 章ではクラブチ ームとホームタウンの結びつきについて述べていく。6 章では J リーグが抱える過去と近年の課 題について述べていく。 2.J リーグの現状 2.1.J リーグとは Jリーグ(正式名称 日本プロサッカーリーグ)は、財団法人日本サッカー協会 2 が主催、社団 法人日本プロサッカーリーグが主催・運営する日本のプロサッカーリーグである。日本のサッカ ーの水準向上及び普及促進、豊かなスポーツ文化の振興及び国民の心身の健全な発達に寄与、国 際社会における交流及び親善に貢献することを理念としている(Jリーグ公式ホームページより)。 活動方針として、以下の 6 点がある。 ① フェアで魅力的な試合を行うことで、地域の人々に夢と楽しみを提供する。 ② 自治体・ファン・サポーターの理解・協力を仰ぎながら、世界に誇れる、安全で快適なスタ ジアム環境を確立していく。 ③ 地域の人々に、J クラブ(J リーグに所属するクラブチーム)をより身近に感じていただくた め、クラブ施設を開放したり、選手や指導者が地域の人々と交流を深める場や機会をつくっ ていく。 ④ フットサルを家族や地域で楽しめるようなシステムを構築しながら普及していく。 ⑤ サッカーだけでなく、ほかの競技にも気軽に参加できるような機会を多くつくっていく。 ⑥ 障害を持つ人も一緒に楽しめるスポーツのシステムをつくっていく。 Jリーグが主催する大会としてJ1 リーグ、J2 リーグ、サントリーチャンピオンシップ、Jリー グヤマザキナビスコカップ、ゼロックス・スーパーカップ、JリーグJOMOオールスターサッカー、 J1・J2 入れ替え戦、Jサテライト 3 リーグ、Jユース 4 カップ、サンワバンクカップ(1994~1997 年)、天皇杯全日本サッカー選手権大会(2005 年から日本サッカー協会と共催)がある。 2.2.J リーグの規模 そもそもJリーグに所属するチームとはJ1・J2(2 部制に移行するまではJリーグ)に所属する チームのことである。Jリーグの下部リーグと考えられがちなJFL 5 はJリーグとは別個の存在であ り、財団法人日本サッカー協会が主催・運営するもので、社団法人日本プロサッカーリーグは主 2 日本国内におけるサッカー・フットサルの活動の振興を行う統括団体。プロ・アマの活動を一本化して管理。 3 第一種下部組織。二軍に相当。 4 第二種下部組織。高校生程度の年代の選手が所属。 5 日本フットボールリーグJapan Football Leagueの略称。日本サッカー協会が主催・運営。1999 年開始。Jリー グと都道府県リーグの間に位置するカテゴリー。1999 年以前からあった同名のサッカーリーグ(1992 年~1998 年 正式名称 ジャパンフットボールリーグ。これ以後、現在の日本フットボールリーグを新JFL、98 年までのジャ パンフットボールリーグを旧JFLとする)を継承する形でスタート。旧JFLはアマチュア、プロを問わない日本の 頂点に位置する全国リーグであったが、新JFLはアマチュアチーム(プロ契約している選手も存在するため、実 質的にはセミプロと言える)の最高峰リーグとしての性格が強い。2006 年現在の所属チーム数は 18 であるが、 下位 2 チームには地域リーグへの降格の可能性がある。降格については、翌シーズンからのJリーグへの昇格クラ ブの有無によって左右される面があり、そのレギュレーションはシーズンによって一致していない。 2 これからの J リーグ(大友) 催・運営に関与していない。 J リーグが開幕した 1993 年には 10 チームが J リーグに所属していたが、1994 年から 1996 年 まで 2 チームずつ、1997,1998 年にも 1 チームずつ増加し 18 チームとなる。1999 年に J1・J2 の 2 部制に移行。前年度に横浜フリューゲルスが消滅、そのあおりを受けて行われた J1 参入決定 戦でコンサドーレ札幌が敗れ J2 に降格したためこの年は J1 に 16 チーム、J2 に 10 チームが所 属していた。2000 年、2001 年に 1 チームずつ J2 に加盟し J2 が 12 チームとなる。そして 2005 年、J1 チームの増加が決定し J1 のチームが 18、J2 のチームが 12 となる。2006 年現在 J リー グに所属しているチーム数はディビジョン 1(J1)に 18 チーム、ディビジョン 2(J2)に 13 チ ームである。 また、これとは別にJリーグ準加盟クラブが存在する。Jリーグ準加盟クラブには将来構想委員 会で制定されたJリーグ準加盟制度により、Jリーグへの入会を目指し一定の基準を満たしたクラ ブが認定される。準加盟クラブは、JFL所属クラブだけではなく、地域リーグ 6 または都道府県リ ーグ 7 所属クラブも対象とされ、準加盟クラブのみにJ2 入会が認められる。基本的にはJFLクラ ブからJ2 に加盟する。JFL所属クラブは原則として年間成績上位 2 チームに、もしJリーグ入り の意思があり、ソフト面ハード面においてその基準を満たしていれば、そのチームはJリーグ理事 会の承認を得た上で翌年からJリーグに参加する事ができる。 参考として海外のプロサッカーリーグの規模についても触れておく。まずイタリアのプロサッ カーリーグであるレガ・カルチョはセリエ A(ディビジョン 1 に相当)に 20 チーム、セリエ A の下のセリエ B に 22 チーム、セリエ C1、C2 それぞれ 18 チームずつが所属している。次にイギ リスの一地域であるイングランドのプレミアリーグ(ディビジョン 1 に相当)には 20 チーム、そ の下のディビジョンとして存在する 3 つのディビジョンにそれぞれ 24 チームずつが所属している。 最後にスペインのプロサッカーリーグ、リーガ・エスパニョーラのディビジョン 1 には 20 チーム、 ディビジョン 2 には 22 チーム、ディビジョン 3 には 4 グループで各 20 チーム、ディビジョン 4 には 17 グループで各 20~22 チームが所属している。リーガ・エスパニョーラは特殊な構造で、 ディビジョン 2 の下のディビジョン 3,4 に当たるリーグはディビジョン 1、2 に昇格することが可 能であるがアマチュアリーグとして存在している。 3.J リーグの歩み 3.1.J リーグの発足まで Jリーグ発足までの日本サッカーを取り巻く環境は非常に劣悪であった。すでにJSL 8 があった 6 日本フットボールリーグと都道府県リーグの間に位置するカテゴリー。全国を 9 つのブロックに分けてリーグ 戦を展開。ここで所定の成績を収めると、全国地域リーグ全国決勝大会に進出することができ、この大会により 上位リーグへの昇格が争われる。 7 Jリーグ、日本フットボールリーグ、地域リーグの下に位置する社会人サッカーのリーグ戦のカテゴリー。殆ど の新規加盟チームは都道府県リーグの一番下のカテゴリーからスタートするのが慣例となっている。 (地域によっ ては市区町村リーグからスタートする場合もある)北海道は全道リーグが地域リーグ扱いとなるため、都道府県 リーグに相当するクラスとしては各ブロック単位(道東、道南、道北、道央)でのリーグ戦が挙げられる。近年 はJリーグ参加を目指すチームについては実力などを考慮して飛び級の形で上位カテゴリーに進出させる傾向も ある。最たる例としてFC琉球が 2003 年にチーム結成した時は沖縄県 3 部リーグだったが、2004 年には同 1 部リ ーグに 2 階級特進を果たしている。 8 日本サッカーリーグ(Japan Soccer League)。1965 年 6 月 6 日に日本サッカーのレベル高揚を目的に古河電工、 3 これからの J リーグ(大友) が、一試合の観客動員数は 1000~3000 人程であり、天皇杯全日本サッカー選手権大会等のカッ プ戦を含めても年間 20 万~30 万人程。サッカー日本代表の試合でも地方の小規模なスタジアム で開催し、それでも観客席はまばらな状況であった。社会人のトップクラスのチームでも練習設 備は貧弱で、試合会場のピッチは芝生が剥げ、冬になれば黄色く枯れ、雨が降れば水溜りができ るものが一般的であった。選手はごく一部を除きアマチュアで、普段は会社員としての仕事をし ており、サッカーに集中できる環境ではなかった。1965 年に始まった日本サッカーリーグは段階 的にチーム数を増やし、1985 年シーズンから 1991 年/92 年シーズンまでは 1 部に 12 チーム、2 部に 16 チームの 28 チームに膨れ上がった。しかし数々の改革を実行しながらも実力、運営とも にアマチュアリーグの域を抜け出せず、このため日本サッカーの競技レベルは長く低迷し、世界 の中では勿論、アジアでもトップから引き離されていた。 この状況を打破し人気と競技レベルの向上を図るべく「プロ化」を唱える声が大きくなってい った。JSL参加チーム(特に古河・三菱・日立らの古株のチーム)からは常に「時期尚早」との 声が上がりその歩みは遅かったが、日本サッカー協会主導により「Jリーグ」の発足が決定。1991 年にJリーグ設立と初年度に参加する 10 チームが報道発表された。1992 年にはJリーグのプレ大 会として「92 Jリーグ ヤマザキナビスコカップ」が行われた。 3.2.J リーグ開幕と J リーグバブル 1993 年 5 月 15 日、華々しく開幕した J リーグはそれまでプロスポーツと言えば野球、相撲、 ゴルフくらいしか存在しなかった日本人に大きな衝撃を与えた。試合の模様は連日テレビで放映 され、当時は平日開催も多々あったもののスタジアムは多くの観客によって埋め尽くされた。J リーグ人気を支えた理由としてジーコ(鹿島)やリトバルスキー(市原)、レオナルド(鹿島)ら の世界的な名選手が日本に集まったことも大きい。今年始めて一般に公開された J リーグの収支 データを見ると、開幕した 1993 年から絶頂期を迎えた 1995 年までの 3 年間の収入は 100 億円前 後あり、J リーグに所属するチームの数が現在の半分以下にも関わらず J リーグが根付いてきた 近年の収入と 10 億円前後しか変わらない。しかし、1996 年からは急に減少していることからも 人気の転換期であったと言える。 また、J リーグは開幕当時から「企業に過度に依存しない経営」、 「地域住民や自治体との連携」 という考えを打ち立てており、当時の日本のスポーツ界においては極めて独特の存在であった。 94 年にはチームの正式名称から親会社の名前を外すことが決まった。 3.3.J リーグの低迷期 順調に発展しているように見えたJリーグだったが、この頃から人気の低下が始まる。1996 年 に加盟したアビスパ福岡と京都パープルサンガはチームのパフォーマンスがリーグの水準に達し ておらず、16 チーム中 15 位と 16 位に低迷した。この頃から「チーム数が多過ぎる」「レベルが 低い」との批判が発生。また、日本サッカー協会が力を入れていた 2002 FIFA 9 ワールドカップ 三菱重工、日立を中心とした、8 チームで発足した「社会人」サッカーリーグ。ただし当初は社会人以外の大学チ ームの参加も検討していた。そのため他競技の全国リーグのように「社会人リーグ」と言う名称を採用していな い。日本初のアマチュアの団体競技の全国リーグ。 9 国際サッカー連盟。フランス語のFédération Internationale de Football Associationの略。本部はスイスのチュ ーリッヒにある。国際サッカーの統括団体。 4 これからの J リーグ(大友) (以後W杯)の招致結果が、ファンの望んでいなかった日韓共催方式となり、一時的にサッカー 人気を低下させた。しかし、これは後の様々な要因によりW杯の開催が近づくにつれて人気は回 復していった。 J リーグが落ち込みを見せる中、J リーグは 1996 年に「百年構想」を発表する。この構想に異 を唱えた当時のヴェルディ川崎のオーナー渡辺恒雄はチームの運営から撤退し、日本テレビに株 式を譲渡した。さらに 1998 年には、横浜マリノスと横浜フリューゲルスの合併(事実上のフリ ューゲルス消滅)が発表される。横浜フリューゲルスという、当時の J リーグクラブの中では比 較的人気があり、成績も上位に定着しつつあったクラブの消滅は、J リーグの理念と日本社会の スポーツに対する考えとの乖離が生んだ悲劇といえよう。また横浜フリューゲルスの事実上の後 継として横浜 FC が発足したが、多くのファンはこの事件に失望してスタジアムに戻って来なか った。 このような深刻な危機を迎えた J リーグではあったが、フランス W 杯への日本代表の出場によ り観客動員数は緩やかながらも復調の兆しが見え始める。そして 1999 年には J リーグ参加を希 望するクラブの増加に応えるべく二部制を導入。これにより地方を中心に多くの J クラブチーム が全国各地に誕生することとなった。2000 年には人気復活の兆しを見せる。 3.4.J リーグの人気復活と J リーグ理念の浸透 日韓共催の W 杯を控えた 2001 年、長く低迷していた J リーグの観客動員数が大きく好転する。 特にアルビレックス新潟に代表される地方都市のクラブの台頭は顕著であった。メディア主導 だった発足当初の人気に対し、2001 年以降の人気回復は地域や地方都市のローカリズムに寄って 立つ比重が非常に大きい。本拠地をフランチャイズ(独占的商業地)ではなく「ホームタウン」 と呼ぶことに象徴されるとおり、地域住民に自分の街のクラブという意識を強く抱かせることで 熱狂的なファン層を増やし、リピーター効果によって観客数を押し上げた。また、かつてはごく 少数の企業等がクラブを保有したが、現在では複数のスポンサーに加え、自治体や地域の市民た ちでクラブを支える経営手法をとるクラブも多数生まれた。全国的な盛り上がりはないものの、 狭い地域や地方都市を基に着実に拡大していく J リーグの理念が少しずつ浸透し、実践されてき た結果と言える。また、従来は大都市でしか経営が成り立たないとされてきたプロスポーツが地 方でも成り立つことを証明し、J リーグ入りを目指すクラブが地方都市を中心に増加した。 さらに 2002 FIFA W 杯が日韓共催という形で開催され、世界のスター選手や世界最高峰のプ レーを目の当たりにしたこと、W 杯開催に向けて全国各地に建てられた巨大スタジアムにより、 これまで入り切れなかった観客も観戦出来るようになったことも大きい。また二部制の導入によ り J1 と J2 との入れ替えが行われることから、J1 下位チームの動向にも注目が集まるとともに J2 にもかつての代表選手が所属することが多くなり、さらにサッカー日本代表の試合が国民的関 心事となったこともあげられる。 これらの事象は、J リーグ発足当時から目指してきた事柄が、10 年以上の時間を掛けてようや く形となってきた、と各方面で分析されている。 4.J リーグの活動 5 これからの J リーグ(大友) 4.1. J リーグの事業、研究・研修、育成 まず事業についてである。J リーグが行っている事業として試合のテレビ放送、商品、映像・ 静止画・公式試合の記録の管理、J-STATS OPT(J リーグ公認の新データシステム)がある。試 合のテレビ放送はできる限り全ての試合を生放送、露出と放送権料収入をバランスよく最大化と いう考えの下で行われている。商品化事業は 1999 年以降、日本サッカー協会と協力し、J リーグ・ クラブチーム・日本代表のプロパティを使用して展開している。映像・静止画・記録の管理はそ れぞれ J リーグ映像株式会社、J リーグフォト株式会社、J リーグデータセンターが行っており、 J リーグ映像株式会社は公式試合の映像を一元的に保存・管理しスポーツニュースをはじめ CM や企画番組等、国内外を問わず公式試合の映像を提供・販売。また、その映像を利用して少年た ちの指導や指導者・審判のレベルアップにも役立てている。J リーグフォトは報道及び商業利用 への写真の貸し出し業務、肖像を使ったオフィシャル商品(カレンダー・選手カード等)の制作・ 販売を行うほか、選手・監督等の肖像を利用した不当な商業利用の乱用を防止し、肖像権を保護 する活動を行う。J リーグデータセンターは各スタジアムで記録員がノートパソコンで記録して、 送ってくるデータを集計処理し、速報や結果を全国に配信している。J-STATS OPTA はイギリス の Optaindex 社が開発したシステムを公認し、そのシステムにより試合中の選手のプレーをデー タベース化して集計・編集された数値によりその選手のプレーを客観的に図る指標を作るもので ある。これはゲームソフトやサッカー専門誌などに利用されている。 研究・研修に関してはセキュリティ研究会とゼネラルマネージャー講座がある。セキュリティ 研究会は各クラブの運営担当や、クラブの自主警備をサポートする警備会社の担当者等で構成さ れ、安全で快適なスタジアム環境の構築を図るものである。ゼネラルマネージャー講座はクラブ 経営者の育成・強化に取り組むものである。クラブ経営者は、ミッション・ビジョンを策定し、 クラブをピッチ内外の成功へと導く重責を担っている。そのためクラブ経営者の育成・強化は重 要である。 育成に関しては選手・指導者・審判の育成、選手の教育、引退後のキャリアサポートがある。 選手の育成部門として J リーグアカデミーと各クラブの下部組織がある。J リーグアカデミーは 子供たちに「スポーツ」と「人間教育」を通じて、心身の健康な発達を促すことを目的とした「日 本型育成システムの確立」である。活動拠点は J クラブに設置される育成センターである。下部 組織は J リーグの各クラブが持つトップ・サテライトチーム、ユースチーム、ジュニアユースチ ーム、ジュニアチームである。各チームの指導者はクラブの育成・強化方針に基づき、それぞれ の年代にあった指導を行っていき、年代ごとにチームを完成させるのではなく、最終目標は日本 を代表する選手となるような一貫した指導システムでの育成である。将来的には J リーグアカデ ミーと J クラブの下部組織を融合し万全な育成体制を整えていく方針である。指導者、審判の育 成は両者とも資格の取得が必要となるため、資格取得のための講習会が行われている。審判の場 合は資格取得後も常にレベルアップが求められるため、J リーグレフェリーサポートシステム (JRSS)というインターネットを利用した情報配信を行い、レベルアップを促している。選手の 教育として、社会人たるプロ選手としての自覚を促進、アマチュアからプロへの円滑なキャリア 移行の支援、選手の行動や言動の一つ一つが J リーグブランドを作っていく事への理解の 3 点を 目的とした新人研修が行われる。また、2003 年からは J リーグが社会貢献活動への参加を選手に 義務付けている。キャリアサポートでは合同トライアウトの開催や、引退又は契約更新できなか った選手からの進路相談、受け入れ企業の情報提供、語学研修やパソコン講座の開催、インター 6 これからの J リーグ(大友) ンシップ、就学支援金の支給など多岐に渡る支援を行っている。 4.2.J リーグ百年構想 J リーグ百年構想とは 1996 年に J リーグが発表した「J リーグ百年構想~スポーツで、もっと、 幸せな国へ。 」というスローガンの下、「地域に根ざしたスポーツクラブ」を核としたスポーツ文 化振興への取り組みである(J リーグ公式ホームページより)。文部科学省の「スポーツ振興基本 計画」 (2000 年)に含まれている「総合型スポーツクラブ」や「生涯スポーツ社会」は、J リーグ が目指す地域に根ざしたスポーツクラブであり、J リーグが追い求めるスポーツライフそのもの である。J リーグの理念に沿って「スポーツ振興基本計画」が策定されたわけではないが、J リー グの理念とこの国が進むべき方向は同じである。 この件に関して触れておきたいのが西ドイツ(当時)の「ゴールデンプラン」である。30 数年 前、西ドイツに遠征したサッカー日本代表チームは、当地の日本とは比較にならないほど整った スポーツ環境に衝撃を受けた。その「衝撃」の正体がゴールデンプランである。これはドイツ・ オリンピック委員会が作成したスポーツ施設建設 15 年計画のことで 1960 年から実施され、それ ぞれの「まち」の規模に応じて、子どもの遊び場、スポーツ広場、アリーナ、プールなどのスポ ーツ施設が整備された。このように、ドイツでは、民間スポーツ団体がリーダーシップを発揮し てスポーツライフを支える基盤づくりを行ない、それを政府や地方公共団体が財政面で支えてき たのである。ゴールデンプランが J リーグ百年構想に与えた影響は計り知れない。 百年構想の一事業として日本全国に天然芝を普及させようという動きがある。スポーツや散歩、 ピクニックを楽しめるように芝ひろばを全国各地につくりたいという J リーグのメッセージはど んどん広まっている。公営、民営を問わず芝生のグラウンドのあるスポーツ施設が増え、校庭や 園庭の芝生化も増えてきている。また、J クラブチームもサッカーだけではなくサッカー以外の 競技のイベントを開催するなどして「地域に根ざしたスポーツクラブ」となっている。 百年構想の目標には、将来的に全国に 100 の J クラブチームをつくるというものがある。これ に関して、2006 年春の『福井新聞』に各都道府県に 1 つ以上の J クラブチームを作る構想の記事 が記載されている。 現在、J リーグが開幕して 14 年。ここまでは J リーグ百年構想は着々と実を結んできている。 しかし、百年構想はまだまだこれからなのである。 5.J クラブチームとホームタウン 5.1.ホームタウン Jリーグでは、Jクラブチームの本拠地として定めた特定の市区町村を「ホームタウン」と呼び、 「クラブと地域社会が一体となって実現する、スポーツが生活に溶け込み、人々が健康と生活の 楽しみを享受することができる町」と定義している。Jクラブチームはそれぞれのホームタウンに おいて、 「地域社会と一体となったクラブづくり(社会貢献活動を含む)を行い、サッカーをはじ めとするスポーツの普及および振興に努めなければならない」 (Jリーグ規約第 21 条)ことになっ ている。試合の開催などの興行活動を独占的に行うことのできる営業権又は興行権の意味合いが 7 これからの J リーグ(大友) 強いプロ野球のフランチャイズ 10 とはまったく異なるものである。また、プロ野球のフランチャ イズが都道府県単位であることも異なる。ただし、Jリーグでも 1999 年からホームタウンと同一 都道府県の複数の市区町村をまたいだり、本拠地となる都道府県全域をカバーすることができる 「広域ホームタウン」制度が認められた。鹿島アントラーズのみJリーグ発足当初の 1992 年から 特例としてこれが認められていた。2006 年現在、モンテディオ山形、ザスパ草津、FC東京、東 京ヴェルディ 1969、ヴァンフォーレ甲府、徳島ヴォルティス、愛媛FC、大分トリニータの 7 チ ームが広域ホームタウン制度を利用している。やむを得ずホームタウンを移転する場合は、実施 する 1 年前までにJリーグの理事会、実行委員会の承認を得なければならない。過去に移転したチ ームとしてヴェルディが川崎から東京に移した例がある。 1994 年に企業に依存しない経営を目指し、チームの正式名称から親会社の名前を外すことが決 まったことで J クラブチームの呼称は「地域名+愛称」となった。これは J クラブチームとホー ムタウンとの強いつながりを示すものであるとともに、同じプロスポーツであるプロ野球との大 きな違いを生み出した。 5.2.J クラブチームの地域への浸透 2006 年現在、J リーグが開幕して 14 年、この間に J リーグ及び J クラブチームの置かれる状 況は大きく変わった。開幕した 1993 年の J リーグ人気は現在の J リーグ人気と比べても遜色は 無いが両者の持つ意味合いは別であると言える。開幕当時の人気は、それまで日本人には馴染み の無かったサッカーというスポーツが支えていたと考えられる。これに対し、現在の人気は J リ ーグが開幕してから一貫して「地域の人々に夢と楽しみを提供する」 、「地域の人々に J クラブを より身近に感じていただくため、クラブ施設を開放したり、選手や指導者が地域の人々と交流を 深める場や機会をつくる」という活動を行ってきたことによると考えられる。 「J クラブチームの地域への浸透」の例として川崎フロンターレを挙げる。J クラブチームの川 崎フロンターレは『地域に密着した市民クラブを作り上げ、スポーツの普及活動やプロサッカー 事業によって、健康都市作り、地域の活性化・川崎市のイメージアップ等地域社会への貢献を目 指す。市民がスポーツを「する」、 「観る」、 「携わる」、 「語り合う」ことが日常的に行われること、 つまり、スポーツというものが日常生活の一部になっているような環境を作り上げることによっ て、物質的な豊かさとは違った意味で、人々はより豊かな生活を送ることができるようになると 考え、その実現にあたって、私たちは、多くの市民の皆さまに川崎フロンターレを理解して頂き、 トップチームを強化し、更なるスポーツの普及・振興を図っていく』というヴィジョンの下、市 民クラブの確立、トップチームの強化、若手の育成、スポーツ振興活動を行っている。川崎市も 市立の小中学校に川崎フロンターレを応援する看板の設置、商店街にチームのフラッグの設置、 駅や体育館などでポスターや試合結果を掲示など多岐に渡る活動を行っている。このように J ク ラブチームからホームタウンへという活動だけでなく、ホームタウンから J クラブチームへとい う活動も行われており地域への浸透がうかがえる。 10 地域保護権。プロ野球に代表される各チームの都道府県保護権をいう。1952 年に制定。該当都道府県ではそれ を本拠地とするチームの公式戦を優先的に全試合の半数以上を主催すること(これを専用球場といっている)が 義務付けられており、他チームが公式戦を開催したり、催しを実施する場合は当該チームの許諾を得なくてはな らない。 8 これからの J リーグ(大友) 6.J リーグが抱える課題 6.1.J リーグ発足以前から J リーグ開幕当初の課題 Jリーグ発足以前に課題だったのが何よりもプロ化することであった。先にも論じたとおり競技 レベルの向上を望めるような環境はなく、社会人のトップクラスのチームでも練習設備は貧弱で、 試合会場のピッチは芝生が剥げ、冬になれば黄色く枯れ、雨が降れば水溜りができるものが一般 的であった。さらに選手はごく一部を除きアマチュアで、普段は会社員としての仕事をしており、 サッカーに集中できる環境ではなかった。Jリーグが存在する現在は解消されているが、当時は深 刻な課題であった。しかし、まだ完全なプロ化がなされていない日本の女子サッカーリーグ「な でしこリーグ 11 」はスタジアムに関しては問題ないものの、選手は普段は別の仕事をしている場 合が多いため旧JSLと同様の状況と言える。 上記の他に旧 JSL 時代に解決できなかった課題として観客動員数、国内サッカーの知名度、ス タジアムの充実、日本サッカーのレベルアップ、地方チームの充実、企業の業績に左右される体 質、現役引退後の職の確保、下部組織の充実などの点が上げられていた。しかし J リーグの誕生 によりスタジアムの整備が進み、観客動員数・知名度・日本サッカーのレベルがアップ。地方に も多数のチームが誕生、ユースチームという育成部門も整備された。さらに引退した選手の就職 サポートも充実。旧 JSL 時代の課題はほとんど克服したと言える。ただし、J リーグ発足後に出 資会社の経営不振のため横浜フリューゲルスが消滅するなど、企業の業績に左右される体質は克 服したとは言い難い。 J リーグ開幕直後に課題となったのは選手の年俸である。この時期は選手の年俸が国際市場価 格と比較して異常なほど高騰していた。これがクラブ経営を圧迫する一因となった。しかしこれ についても現在は克服されつつあると言える。 以上のように過去の課題を総括すると、J リーグ発足以前の課題は日本人にサッカーを普及さ せることであったと言える。この時期の課題はサッカーが普及していないがために生まれたと言 える。これらの課題は先にも述べてあるとおり、J リーグの発足により解決の方向へ向かってい った。これに対し J リーグ発足後の課題はクラブ経営に関することである。経営の課題に関して は現在も解決できたとは言えない。 6.2.近年の J リーグの課題 まず、2006 FIFA W杯やアテネ五輪での惨敗に象徴されるJリーグのレベル低下が問題視されて いる。かつてアジアのクラブによるカップ戦で、Jリーグ勢は上位進出の常連であったが、AFC 12 チャンピオンズリーグ 13 となってからは全て 1 次リーグで敗退している。A3 チャンピオンズカッ プ 14 でも自国開催であった第 1 回大会を除いて優勝から遠ざかっている。その背景には外国人選 11 日本女子サッカーリーグ。女子サッカーのトップリーグ。選手の年齢層は中学生から社会人までと幅広い。選 手のほぼ全員がアマチュア選手である。 12 アジアサッカー連盟 Asian Football Confederationの略。FIFAの傘下にある大陸連盟で、アジアにおけるサ ッカーの運営・管理・普及活動を行う。本部はマレーシアのクアラルンプール。 13 アジア各国の国内リーグ及びカップ戦などにより出場権を得たチームにより争われる。 14 日本、中国、韓国の 3 カ国それぞれの国内リーグの優勝クラブにより争われる。 9 これからの J リーグ(大友) 手の質の低下とJクラブの複数化、空洞化などがある。かつてのJリーグには、各国のナショナル チームの代表級選手が所属していたが、現在は比較的年俸の安いブラジル人選手や韓国人選手が 多数を占めている。また登録枠も 99 年に 5 から 3 に削減され、ベストの状態でなくとも出場さ せられるケースが増えた。さらに日本代表の主力級選手もこぞってJリーグから欧州のサッカーク ラブへ移籍し、Jリーグの空洞化は年々加速している。さらに優勝争いをしていたクラブが翌年に は降格争いに加わるなど、各クラブの実力の平坦化が顕著になっている。オシム日本代表監督は、 重要なポジションを外国人が占めているため日本人の重要なプレーヤーが育たないと問題視して いる。この手の問題は日本国内だけではなく、海外でも議論されている。スペイン代表もW杯の ような大きな大会で満足の行く結果を残せておらず、国内リーグに外国人選手が日本以上に在籍 していることが原因であると議論されている。 上記の問題が原因の一つとして考えられる課題として、海外のサッカーは見るが J リーグは見 ないという人をどうやって J リーグに振り向かせるかというものがある。 テレビ放映権についても課題が出て来た。これまでは NHK の BS1 が中継媒体のメインとなっ ており民放ででも人気のあるチームの試合を視聴することができたが、2007 年から中継媒体のメ インが SKY ParfecTV!に移行することが決まり、人気のあるチームの試合の中継を独占される可 能性が出てきている。これにより視聴可能世帯数が激減することは否めず、J リーグ離れにつな がるのではと懸念される。J リーグの公式ホームページにはテレビ放送の基本的な考えとして、 「露 出と放送権料収入をバランスよく最大化する」とあるが矛盾していると言える。 サポーターの暴徒化も近年目立っている。本来、自分の贔屓のチームを応援するはずのサポー ターが敗戦の腹いせに選手のバスを取り囲んだり、スタジアムの器物を破損させたり、相手チー ムのサポーターとトラブルを起こす事件が頻発している。こうした行為は他のスポーツではあま り見られない傾向である。このような態度は、欧州ではフーリガンと呼ばれて社会問題化してい る。彼らはクラブにとって重要な顧客であり、応援組織の中核を成す存在でもあるが、一般客を 遠ざける要因にもなり、J リーグはその対応に頭を悩ませている。 過去から引きずっている企業の業績に左右される体質も近年は別の課題を生み出している。消 費者金融やパチンコ業界のスポンサーが増えている。2005 年には大分トリニータが経営危機に陥 り、ユニフォームに載せるスポンサーにパチンコチェーン店のマルハンを迎え入れた。J リーグ はこの措置を特例として認めたが、翌年のリーグスポンサーにパチンコ機器メーカーの平和が名 を連ね、事実上の解禁措置であることが明らかになった。しかし、国民の心身の健全な発達に寄 与することを理念として掲げていることを考えると問題なしとは言い難い。 以上のように近年の課題は、今後の J リーグの発展に悪影響を与える可能性を秘めたものばか りである。企業の業績に左右される体質は現在も解決できておらず、今後もクラブチームの消滅 や縮小が起こりうると考えられる。また、人材の流出は J リーグのレベル低下に、外国人選手に よる特定のポジションの独占はそのポジションの選手が育たないという弊害を生んでいる。 7.結論 J リーグが開幕して 10 余年。J リーグの人気は開幕当初は一時的なものであったが、低迷期を 乗り越えて現在では本物になったと言える。開幕したころは 10 チームしかなかった J クラブチー ムは、現在では J2 も含め 31 チームまで増え、大成功を収めている。地域密着という、J リーグ 10 これからの J リーグ(大友) が発足するまで日本のプロスポーツには存在しなかった考えを広めた功績は非常に大きく、J リ ーグを日本国民に浸透させ、地域住民だけでなく地方自治体も巻き込んで地域総出でチームを応 援するという地盤を作った。また、2005 年 11 月に開幕した日本初のプロバスケットボールリー グである bj リーグに多大な影響を与えたと言える(bj リーグの誕生の経緯や理念は、J リーグの それと似ている)。J リーグ百年構想が発案され、J リーグが今後ますます発展していくことを願 うところである。しかし、過去から現在まで引きずっている課題や、様々な要因による J リーグ のレベル低下などを克服していかなければ J リーグの発展は滞ってしまう恐れがある。 まず、過去から引きずる課題として、企業の業績に左右される体質がある。横浜フリューゲル スの消滅や、親会社の経営不振により近年まで認められていなかったパチンコ業界や消費者金融 のスポンサーが 2005 年から事実上解禁された。だが、これによるイメージダウンや青少年への 悪影響が懸念される。資本主義社会である日本においてこの課題は解決するのが不可能なのかも しれない。しかし、ヨーロッパの強豪チーム、FC バルセロナの資金集めの方法がこの課題を解決 に導く糸口となるかもしれない。FC バルセロナは 05/06 シーズンまで(06/07 シーズンはユニセ フのロゴが入っているが、これは資金を得ているのではなく寄付している)ユニフォームにスポ ンサーの名前を入れてこなかった。このチームは世界中に多くのファンがおり、ファンがクラブ の会員となり、その会費でチームを運営しているからである。実際には歴史が浅く、世界的な知 名度の低い日本のクラブチームがこれほど多くのファンを世界中で獲得するのは今のところ不可 能であるが、この方法を模範とするべきではないかと思う。 次に、J リーグのレベル低下についてである。この原因として外国人選手に関する問題とトッ ププレーヤーの海外流出が挙げられる。まず、外国人選手に関する問題には、外国人選手による ポジションの独占と、J リーグ開幕当初のように世界のトッププレーヤーを獲得しなくなってき たことの 2 点が挙げられる。前者に関して日本代表監督であるオシム氏らが苦言を呈している。J リーグでは特にフォワードに外国人選手を据えることが多く、近年の J リーグ得点王は外国人選 手でばかりで争われており、日本人フォワードのレベルは伸び悩んでいると言える。これは日本 代表チームの弱点として得点力不足が挙げられることからも明らかである。実際、日本人のフォ ワードを起用するよりも日本人選手よりテクニックのある外国人選手を起用する方が結果を期待 できるため、日本人のフォワードは出場機会を得られず成長しにくい環境であるということであ る。選手が成長しなければチームの強化、リーグのレベルアップは図れない。 後者の問題であるが、近年の J クラブチームはコストの安い無名の外国人選手を獲得すること が多い。これはクラブ経営者にとっては好都合だが、現場の選手としては世界のトッププレーヤ ーから学ぶ機会が失われ個人のレベルアップを阻んでいる。さらに近年日本にやってくる外国人 選手の中には日本である程度稼げればいいという考えで自分勝手なスタンドプレーをする者も少 なくない。これではチームを強くするどころかチームの弱体化に拍車をかけるだけである。歴史 が浅く実力的には発展途上のリーグに世界の超一流選手を集めるのは困難ではあるが、体力的に ピークを過ぎた一流プレーヤーを獲得するなどしていけば、いずれ状況は変わるかもしれない。 次に、日本のトッププレーヤーの海外流出についてである。これは日本サッカーのレベルアッ プ、個人のレベルアップにつながるという良い面ばかりがクローズアップされるが、J リーグの レベルアップに繋がっているとは一概に言えない。海外移籍を希望する選手はチームの要であり J リーグを代表する選手である場合が多い。そんな選手がチームから去ればチームの大幅な戦力 ダウンは否めず、さらに J リーグの魅力も半減する事態になりかねない。これは、一昔前には選 11 これからの J リーグ(大友) 手が口にすることなど皆無に等しかった海外移籍を近年では誰もが口にするようになり、さらに レベルが急速に向上した日本サッカー界に海外のクラブチームが注目するようになった今、あり えない話ではなくなった。選手の海外移籍により日本サッカーはさらにレベルアップできるかも しれないが、トッププレーヤーを“輸出”してばかりでトッププレーヤーの“輸入”ができてい ない今の状況を見ると、J リーグがレガ・カルチョやプレミアリーグの下部リーグのように思え てならない。ただ、海外のリーグで近年母国での引退を希望してキャリアの終盤に母国のクラブ チームに移籍する選手が増えてきた。これらの選手の多くはクラブチーム及び代表チームで活躍 したスター選手であり、母国への帰還の理由が母国での引退だけでなく、後進の指導でもあるこ とが多い。日本でもこのようなことが起こるのであれば J リーグの未来もそう悲観するものでは ないと考えられる。 以上のように J リーグは開幕当時には考えられなかった課題が出てきている。しかし、低迷期 を乗り越え J リーグを日本に根付かせ、全国各地に J クラブチーム及び準加盟クラブチームを作 っている現状、プロ化などの数え切れないほどの課題を解決してきた実績から判断すれば新しく 出てきた課題も解決して、これからも発展し続けていくと私は考えている。 文献一覧 1. 牛木素吉郎『J リーグのある暮らし サポーターズ・アイ』中央公論事業出、2003 年 2. 糀正勝『Jリーグのスポーツ革命―ドイツに学ぶ、サッカービジネス成功の秘密』ほんの木、 1994 年 3. 佐野毅彦、町田光『Jリーグの挑戦とNFLの軌跡 スポーツ文化の創造とブランド・マネジメ ント』ベースボール・マガジン社、2006 年 4. 辻谷秋人『サッカーがやってきた ザスパ草津という実験』日本放送出版協会、2005 年 5. 広瀬一郎『「J リーグ」のマネジメント―「百年構想」の「制度設計」はいかにして創造され たか』東洋経済新報社、2004 年 6. 渡辺保『現代スポーツ産業論 スポーツビジネスの歴史的展開とマネジメントを中心に』同 友館、2004 年 7. 川崎フロンターレ公式ホームページ http://www.frontale.co.jp/ 8. bj リーグ公式ホームページ http://www.j-league.or.jp/ 9. J リーグ公式ホームページ http://www.j-league.or.jp/ 12
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