埼玉大学紀要 教育学部, 62(1):1-12(2013) ゆかたの着装体験を組み込んだ総合的な学習の時間の授業分析 扇澤美千子 茨城キリスト教大学生活科学部 川端博子 埼玉大学教育学部家政教育講座 加藤順子 埼玉大学教育学部附属中学校 薩本弥生 横浜国立大学教育人間科学部 斉藤秀子 山梨県立大学人間福祉学部 キーワード:ゆかたの着装、総合的な学習の時間、外部講師、日本文化 1.はじめに 現代は、技術の進歩や国際化・情報化の進展によってわたしたちの価値観も変化し、長い歴史 の中で培われてきた生活技術の伝承の機会が減り、古きよきものや自国の伝統文化への関心は低 くなっている。このような背景のもと、2006 年に教育基本法が改正され、前文には「伝統を継承 し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する」ことが明記された 1) 。そのことを受けて、音楽 科における和楽器、体育科における武道、国語科における伝統的な言語文化など日本文化を理解 する教育が各教科の題材として取り上げられるようになっている 2)。 われわれ研究チームでは、日本の「きもの」文化を次世代に伝承する家庭科の教育プログラム を開発することを目的として、中学校・高等学校の生徒を対象に、ゆかたの着装方法を学び、 「き もの」文化に対する理解を深める体験型の授業を 12 校で行い、実践報告にまとめた 3)。これらの 実践により、和服は、日常的に着られなくなってきているため今の生活に生かす点からのアプロ ーチが難しく、授業実施においては指導者側の準備(例えば和服の知識、着付け技能面の習得、 和服や帯の準備)や指導法(説明・着装・評価まで授業をどう運営するか)など課題も多く、家 庭科の少ない時間の中で和服の着装に時間を割くのが難しいことも大きな壁となっていることが 明らかとなっている。 また、これまでの実践報告から生徒たちが着装実習を楽しみ、きものの良さに気づいていくこ とも明らかになっており、さまざまな学習の機会に和服の着装を体感できないか、もっと手軽に できる授業構成はないかさらに検討する必要があると考えた。今回、総合的な学習の時間へ組み 込むことでより多くの学校で導入できる授業実践を目指して、①ゆかたを長く身につけてその良 さを感じることのできる題材設定、②着装指導においては、着付けをスムーズに行う対策として 外部講師の協力、③教材準備として業者によるゆかたの準備について検討した。 外部講師の位置づけについて国際理解教育実践事例集 4)では、教師の決めた指導案に沿って内 容を部分的に担う「補完型」、授業を依頼する「委託型」、教師と外部講師が双方の要望を組み込 みながら授業をつくる「協働型」に分類している。外部講師を導入した授業としては、外人講師 -1- を招く英会話、専門的なテーマでの授業を実施する理科等での実践報告 5) 、が良く知られている が、 「和服の着装」を扱ったものとしては NPO 法人和装教育国民推進会議の協力による実践 6)、下 野新聞に取り上げられた例 7)等がある。また、増渕の報告 8)によれば、総合的な学習の時間に家 庭科関連内容を結びつけた例としては、食文化、郷土料理や地域特産物、地域(高齢者、保育) との交流、環境問題等が題材としてあげられているが、衣生活領域についての事例は少なく、和 服の着装を含む「和を体感する」内容を扱った実践報告はほとんど見当たらない。 そこで、技術・家庭科と総合的な学習の時間をリンクさせた聾学校での授業実践 庭科において、「和」の生活文化を体験する授業 9) 、技術・家 10) を参考にしながら、家庭科の枠にとどまらな い総合的な学習の時間で実践できる内容を模索した。 「自国の文化を知ることはさまざまな文化を 尊重し世界の人々と共生するための基盤となる」と考え、和服の着用を通してわが国の衣生活文 化に触れ、良さを知ることを意図する授業を試みた。 本研究では、「和を味わう」をテーマに中学校の総合的な学習の時間にゆかたの着装を体験す るプログラムを実施し、着装指導については外部講師が説明する「補完型」の授業運営について 報告する。あわせて、着装実践の前後に生徒の和服に対する興味・関心、和服に対するイメージ 等を調査し、着装に伴う気持ちの変化、イメージの広がり等の分析をもとに、授業の効果につい て考察する。 2.授業実践について 2-1 生徒の実態 本研究では、埼玉大学教育学部附属中学校第 2 学年の総合的な学習の時間(生活文化講座:1 クラス男 3 名、女 26 名)において「ゆかたの着装を通して日本文化を知ろう」と題し、50 分授 業全 4 回にわたってゆかたの着装体験を含む体験的授業を実施した。選択制の講座のため女子が 多く、衣生活に対する興味・関心も全体に高いことが予想される。 事前調査において、女子は全員、男子は1名がゆかたまたはきものの着装経験があると回答し、 12 名は、きものと記述した。ゆかたの着付けの出来る人については祖母 5 名、母 6 名、祖母と母 4 名であった。クラスの半数が身近にゆかたの着付けの出来る人がいると答えたことになる。10 名(35%)の生徒は自分サイズのゆかたを所有していた。 2-2 授業内容 授業は 2012 年 7 月、2 週にわたり 2 時間続きで 2 回実施した。本研究は、自国文化の理解の入 り口として、 「ゆかたを着装する、お茶を味わう、俳句を詠む」を組み込んだ指導案を教師が作成 し、着装技能の指導では外部講師の協力を得て授業を構成した。リサイクルきものショップ 11)か ら派遣された講師 1 名が着付けを示範し、大学生アシスタントが着付けの補助に入った。生徒全 員が着装した状態で最後の 1 時間の授業を受けることができるように、ゆかたと帯は一人 1 枚と し、事前に生徒の人数、性別、身長を調査し、ゆかたのサイズ調整は業者に依頼した。今回、着 付けに必要な教材(ゆかた・帯・紐等)は無償で提供をうけた。 -2- 毎時間の指導の目標は、 (1)和服について知ろう (2)ゆかたの帯結び体験を通して和服にふれてみよう (3)ゆかたの着付け体験を通して和服のよさを味わおう (4)ゆかたを着て和を味わおう である。表 1 に授業内容を示す。 2-3 調査項目 1 時間目の最初に生徒の実態把握を目的に、和服(きもの・ゆかた)の着装経験の有無(1 項目) 和服を着た時の気持ち(7 項目)ゆかたの着付けの出来る人について(1 項目)所有(自分に合っ たサイズのゆかた)の有無(1 項目)ゆかたへの興味・関心(7 項目)について調査し、和服につ いてのイメージマップの記載をさせた。2 時間目には、それまでの授業で触れたゆかたや帯につ いての感想を自由記述でワークシート①に記載させた。さらに、4 時間目の着装を終えた時点で、 着付けの理解度と授業についての感想に関する質問を行うとともに、ゆかたを着た時の気持ちと ゆかたへの興味・関心について再調査した。着付けを体験した感想とゆかたで過ごして感じたこ との記載(ワークシート②)、イメージマップへの追記は記述式とした。 (1) 和服を着た時の気持ちとゆかたへの興味・関心 和服を着た時の気持ちについては、事前調査ではこれまでの経験を踏まえて「気持ちが高まっ た」 「優雅な気分だった」 「うれしかった」 「帯がきつかった」 「歩きにくかった」 「姿勢がよくなっ た」 「身のこなしが変化した」について、5.そう思う 4.ややそう思う 3.どちらでもない 2.あまりそう思わ ない 1.そう思わない、の5 段階からの回答を得た。 ゆかたへの興味・関心では、「着付け」「ゆかたの色・柄」「ゆかたと帯の色の組み合わせ」「帯 結びのアレンジ」「ゆかたの流行」「歴史」「TPO(マナー・ルール)」の 7 項目について、5.興 味がある 4.やや興味がある 3.どちらでもない 2.あまり興味はない 1.興味はない、の 5 段階から の回答を得た。 ゆかた着装実習終了後にも、ゆかたを着た時の気持ちと興味・関心について同様の内容を質問 した。 (2)イメージマップ作成と着装体験に関する感想 イメージマップについては教師が例を示して説明した後、着装実習前に和服(きもの・ゆかた) についてのイメージや知っている言葉を思いつくだけ記入させた。さらに、4時間の授業を終え てからそのシートに加筆させて生徒のイメージと知識の広がりを確認した。着装体験に関する感 想は、ワークシート①には「ゆかたをたたんで分かったこと・感じたこと」 「帯を結んで分かった こと・感じたこと」 「帯やゆかたに触れて感じたこと」について、ワークシート②には「ゆかたの 着付けを体験してみて分かったこと・感じたこと」 「ゆかたで過ごしてみて感じたこと」について 記入させた。 (3)着付けの理解度と授業の感想 学習後のアンケートとして、着付けの理解度「腰紐の結び方が理解できた(腰ひも)」「文庫結 びの結び方が理解できた(文庫結び)」(女子)「貝の口結びが理解できた(貝の口)」(男子)「お はしょりがうまくできた(おはしょり)」 (女子) 「たたみ方が理解できた(たたみ方)」 「一人でも -3- 表1 授業の展開 時間 学習内容 1 2 3 4 和服に ついて 知る。 ゆかた の帯結 び体験 を行 う。 ゆかた の着付 け体験 を行 う。 様々な 視点か ら「和」 を味わ う。 (1・2 時 被服室 3・4 時 集会室 2 年生女子 26 名、男子 3 名) ◆学習活動 ◇教師の働きかけ ○評価規準 ◆事前の質問紙調査とイメージマップの記載 ◆和服について理解する。 1. 和服の基礎的知識・歴史について知る。 2. 日本の伝統色、模様について知る。 ・伝統色・文様・色の名前・季節とのかかわりについて知る。 3. 和服と洋服の構成(平面構成と立体構成)を比較し、和服の形の特徴を知る。 4. 和服の一種である「ゆかた」について知る。 ・ゆかたのルーツ ・現代の色柄デザイン、ブランド 5. ゆかたの構成、男女の違いを知る。 ◆資料を見ながらゆかたをたたむ。 ◇休み時間に体育着に着替えるよう指示する。 ◆帯結びの方法について知る。 1. 帯について知る。 ・長さ、幅、表裏、男女の違い 2. 帯結びの仕方をプリントをもとに理解する。 ・貝の口、文庫結びの方法 3. ゲスト講師 2 名による帯結びの演示 ◆帯結びを体験する。 ・男子は貝の口、女子は文庫結びをする。 ◇2 人で協力して 1 本目が完成したら次の人が練習する。 ◇帯は前で結び、後ろに回転するよう指示する。 ◆自己評価、相互評価を行う。 ・結んだ帯の評価:良い結び方、そうでない結び方(報告書 P83)を知る。 ○帯結びを通して洋服とは異なる日本文化としての和服のよさに気づく。<関心・意 欲・態度> ◆本時の学習を振り返り、ワークシート①に記入する。 ◇次時は体育着に着替えるよう指示する。 ◆着付けの方法を知る。 1. 着付けの演示(モデルは事前に決めておく) ・ゆかたの着装に必要な小物・手順について知る。 ・ゲスト講師が説明しながら、女子、男子の順に着付けをしてみせる。女子は講師 自身、男子は教師がモデルとなる。教師が確認形式をとる。 2. 着装の良い例、悪い例の写真を見て参考にする。 ◆着付けの体験をする。 ・男子 3 人、女子 2 人でグループとなる。 ・生徒の身長に合うゆかたを配付する。一人が着装したら次の人が着る。 ・コーディネートを考えゆかたに合う帯を決めさせる。女子二人目は造り帯を使用 する。 ◆資料を見たり、TA にアドバイスを受けたりしながら帯結びを行う。 ◇全員で記念撮影を行うことを知らせ、撮影の隊形を指示する。 ◇次時は正座で着席して待つよう指示し、次時の学習内容を知らせる。 ◆ゆかたを着てお茶を味わう ・正座をしてお茶とお菓子を受け取る。 ・あいさつをしてお茶とお菓子を味わう。 ◆ゆかたの良さを俳句で表現する ・短冊型色紙を配布し、筆ペンで書かせる。 ・全員が書き終えたら発表させる。 ◆和服に関する 4 時間分の授業を振り返る。 ・感じたことや考えたことをワークシート②に記入する。 ○和を味わうという体験を通して洋服とは異なる日本文化としての和服のよさに気づ く。<関心・意欲・態度> ◆ゆかたのたたみ方を復習し、各自で畳む。その他の用具も全て片づける。 -4- 教材など プレゼンテー ションによ るスライド ワークシート ゆかた (各班 1 枚) 半幅帯、 角帯 講師 1 名 TA 4 名 プレゼンテー ションによ るスライド ゆかた・ 帯・小物 セット 女物 27、 男物 3 枚 プレゼンテー ションによ るスライド 講師 1 名 TA 10 名 ミニトレイ・お 茶・ミニど ら焼き 筆ペン、 短冊 ゆかたを着ることができる(着る) 」 「人にゆかたを着せることができる(着せる) 」について、5. そう思う 4.ややそう思う 3.どちらでもない 2.あまりそう思わない 1.そう思わない、の5 段階から回答を得 た。 和服への関心と授業の感想「和服に関心がもてた」「ゆかたを家で着てみたい」「もっと着付け が練習したい」「楽しかった」「難しかった」についても理解度と同様、5 段階の回答を得た。 3.結果と考察 3-1 ゆかたを着た時の気持ちと興味・関心 和服を着た時の気持ち 7 項目について平均値を図 1 にまとめた。授業の前後で比較すると体験 についての感想は着装直後の方が印象深くより強く感じているのがわかる。着装に対する肯定感 (うれしい、気持ちが高まる、姿勢がよくなる等)が高まる一方で、歩きにくさを感じてもいた。 しかし、帯のきつさは授業後も値が変わらず、帯結びが姿勢を良くしたり、姿勢の良さが身のこ なしを変化させたりにつながるというプラス面を体感したことが影響していると推察される。 また、興味・関心については全ての項目で、事前調査より事後調査の平均値が高くなっていた (図 2)。平成 23 年度の附属中の実践研究 12)における同様の設問と比較すると、今回の平均値は 「和服を着た時の気持ち」も「ゆかたへの興味・関心」についても事前から高い値を示し、対象 者が講座選択制の授業のため衣生活に対する興味・関心も高い傾向が示された。 事後にはさらに 平均値が高くなり、学習によって達成感や興味・関心の度合いを引き上げることができた。 そう思わない 1 2 3 4 ** 気持ちが高まった 優雅な気分だった ** うれしかった 帯がきつかった * 歩きにくかった * 姿勢が良くなった ** 身のこなしが変化した 事前調査 図1 3 4 興味がある 5 着付け(自分で着てみる) ゆかたの色・柄 ゆかたと帯の色の組み合わせ 帯結びのアレンジ ゆかたの流行 歴史 TPO(マナー・ルール) ** t 検定:有意確率 興味はない 1 2 そう思う 5 事後調査 ** 事前調査 事後調査 p < 0.01, p < 0.05 * 和服着用の感想 図2 ゆかたへの興味・関心 3-2 着付けの理解度と授業の感想 着装技能の理解度では「文庫結び」で 88.9%、 「たたみ方」で 67.8%の生徒が「ややそう思う」 「そう思う」と回答し、多くの生徒が着装技能について理解できたと認識していた(図 3)。帯結 びはゆかたの着装前時に練習し繰り返し実践したことで理解度が上がったとみなされる。 しかし、 「一人でゆかたを着ることができる」については 36.7%の生徒が、 「人にゆかたを着せ ることができる」には 36.7%の生徒が「ややそう思う」「そう思う」と回答し肯定度は半数を下 回った。一度の着付け体験ではゆかたの着装(自分で着ること、人に着せること)に対してあま り自信が持てないようである。 -5- 0% 50% 0% 100% 文庫結びの結び方が理解できた 和服に関心が持てた おはしょりがうまくできた ゆかたを家で着てみたい たたみ方が理解できた もっと着付けが練習したい 一人でもゆかたを着ることができる 楽しかった 人にゆかたを着せることができる 難しかった そう思わない どちらでもない そう思う 図3 そう思わない どちらでもない そう思う あまりそう思わない ややそう思う 着付けの理解度 図4 50% 100% あまりそう思わない ややそう思う 和服への関心と授業への感想 和服への関心と授業への感想については「和服について関心がもてた」で 93.1%、「ゆかたを 家で着てみたい」で 80%、 「もっと着付けの練習がしたい」で 80%、 「楽しかった」 「難しかった」 では全員が「ややそう思う」「そう思う」と回答していた(図 4)。着装の難しい面を実感しなが らも楽しいと感じていたことが分かる。生徒の和服に対する興味・関心が高い傾向は 3-1 でも述 べたが、授業後に 93.1%が「和服について関心が持てた」 、全員が「楽しかった」と回答したの は、4 時間の題材の中で、着装にとどまらす、お茶や和菓子を味わい、一句詠むという「和」を 体験する活動を取り入れた題材設定の成果といえよう。 4.自由記述からの分析 4-1 イメージの広がり 和服(きもの・ゆかた)についてのイメージマップは着装実習前に記入し(事前調査)、さらに、 4 時間目の授業を終えてからそのシートに加筆する形式(事後調査)でデータを収集した。事後調 査は授業終了後に提出させたことから対象人数が少なくなっているが、それぞれに記入された言 葉の総数、一人平均の語数等を表 2 に示した。イメージ語数は一人 5 語∼28 語に分布し、最も頻 度の高いのは 8 語数(6 名)で、平均すると 13.2 語となった。事後調査では 1 人平均 7.6 語が書き 加えられていた。清田の報告 13)では学習前のイメージマップに記述された言葉の数の平均は 8 個 とされていたのと比較しても生徒の興味・関心の高さがうかがわれる。表中の関心大グループ、 関心小グループは 3-1 で示した興味・関心(7 項目)の値をもとに総平均(3.95)を算出し、興 味・関心の個人平均が総平均より大きい場合を関心大グループ、小さい場合を関心小グループと 表2 対象人数 イメージマップへの記入語数について イメージ語総数 平均 事前 事前 事後 事後 語数 関心大 関心小 関心大 関心小 人 語数 事前調査 29 385 13.2 15.1 10.2 事後調査 18 137 7.6 8 7.7 -6- 6.8 9.6 30 25 系列1 事前 20 系列2 事後 15 10 5 お祭り 夏 暑い 花火 屋台 ゆかた きもの 柄 色 帯 平面 七五三 日本 独特・伝統 お茶 和菓子 歴史 茶道・華道 特別 旅館 昔 昔の人 和 古い 成人式 時代 神社 涼しい きれい 姿勢がよくなる 華やか 優雅 品が良い 気分が高まる うれしい 楽しい 大人っぽい おしゃれ 着付けが大変 動きにくい きつい 歩きにくい 重い 面倒くさい 堅苦しい 0 季節感 種類・色・柄 図5 伝統・文化・行事 好印象 負の印象 イメージマップ言葉の出現数(事前調査と事後調査の合計) した。興味・関心が高いグループではイメージマップに書き込まれる言葉の数が多い(15.1 語) が、事後調査に関しては興味関心が低いグループとの差は小さい。しかし、事後調査の言葉の数 を授業後に調査した興味・関心項目の総平均値をもとに関心が高いグループと低いグループで比 較すると、関心が高いグループでは 6.8 語、低いグループでは 9.6 語となり平均値が低いグルー プでよりイメージの広がりが認められた。 また、イメージマップに記述された言葉(事前+事後)について、出現頻度が多い(3 回以上) ものを整理すると図 5 のようになり、 「季節感」を表すお祭り・夏、和服の「種類・色・柄」とし てゆかた・きもの・柄、 「伝統・文化・行事」を表す七五三・日本・伝統・独特、 「好印象」とし ては涼しい・きれい、「負の印象」としては着付けが大変・動きにくい等があがっていた。 さらに、事前・事後それぞれに記述された言葉を項目ごとに分類し、その割合を算出したとこ ろ図 6 のようになった。事後にその割合が増えているのは色柄、構成、日本文化、好印象、着心 地に関する言葉であった。 事後に記入されたイメージの特徴としては、和服については柄・帯・平面、伝統・文化につい てはお茶・和菓子・俳句、好印象については涼しい・姿勢がよくなる、負の印象では動きにくい 等の表現が見受けられ、平面、姿勢がよくなるは事後調査のみに記述されていた。出現頻度は高 くなかったがコンパクトになる、サイズの調整が出来る、短歌といった表現もあった。これらは、 授業で習得したイメージと考えられ、授業や体験学習のもたらす影響が大きいことを示唆した結 果と言えよう。 4-2 着装体験に関する感想 着装体験に関する感想については、自由記述形式をとったので、句点を区切りに1文(1件) とし、長い文章の場合、接続助詞(…が、…ので等)の前後で内容が異なる時には文章を分けた。 -7- 0% 20% 40% 60% 80% 100% 事前調査 種類・色・柄 季節感 伝統・文化・行事 好印象 負の印象 事後調査 種類・色・柄 季節感 祭り 夏 和服 色柄 図6 伝統・文化・行事 構成 日本文化 イメージマップ 行事 歴史 言葉の出現率 好印象 その他 負の印象 好印象 気分 着付け 着心地 その他 (事前と事後の比較) さらに、文章に含まれる語句・表現をグルーピングし(例えば、 「ゆかたをたたんで分かったこと・ 感じたこと」では出来ばえと難易度、感想、たたみ方等) 、これらを肯定的な記述(+)と否定的 な記述(-)に分類した。その件数を以下にまとめた(表 3)。全体としては、肯定的な記述には たたむ・帯結び・触れる・体験に関する感想、たたみ方、ゆかたで過ごした時の精神面(高揚感) で多く、例えば、うまくできた、簡単、満足感、楽しいなど、否定的な記述にはたたむ・帯結び・ 体験の出来ばえと難易度、ゆかたで過ごした時の動作・着付けに関して、例えば、負の印象とし て難しい、面倒、大変などの表現がみられた。生徒の記述からは、たたみ方を学習することでゆ かたの平面構成や収納の利点についての気づき、帯結びを学習することで結び方の種類や帯の 幅・厚みの違いへの気づき、実物に触れることによる色・柄の豊富さ、素材の特性等への気づき がうかがえた。 5.和を味わう 4 時間目は全員が着装した状態で「お茶を味わう」と「俳句を詠む」を実施した。 「ゆかたの着 付けを体験して分かったこと・感じたこと」 「ゆかたで過ごして感じたこと」のワークシートの記 表3 ゆかたをたたんで分か ったこと・感じたこと 合計 着装体験に対する感想の記述件数 帯を結んで分かった こと・感じたこと 帯やゆかたに触れて感 じたこと ゆかたの着付けを体験 して分かったこと・感 じたこと ゆかたで過ごして 感じたこと 67 56 90 102 56 出来と難易度+ 4 出来と難易度+ 2 出来と難易度+ 1 出来と難易度+ 1 動作+ 19 出来と難易度− 9 出来と難易度− 15 出来と難易度− 1 出来と難易度− 24 動作− 35 感想+ 9 感想+ 25 感想+ 感想+ 33 精神面+ 24 感想− 3 感想− 7 感想− 9 精神面− 6 たたみ方+ 16 結び方 17 着付け 14 着付け+ 3 たたみ方− 1 9 着付け− 9 文化 6 構成・収納 布地について 帯の構成 1 構成 21 8 色柄素材 10 4 -8- 25 色柄 述は全体で 192 件で、1人当たり 6.4 件となった(表 3)。着付けを体験して着付けや帯結びの難 しさを実感する一方、高揚感や印象の変化、「優雅な気分」 「大人になったような気分」を楽しむ ことができたようである。また、ゆかたで過ごす体験を通して、正座や動く・歩くといった動作 が制約される窮屈さと同時に所作が整う・姿勢がよくなる等の和服のメリットも感じ取ることが できた。生徒が詠んだ俳句にも授業を通して体験したこと、感じたことが素直に表現されていた。 すずしげな ゆかた身につけ「和」を味わう ゆかた着て いつもと違う ゆかた着て こころに咲いた 和をまとい 涼と喜の中 きつくても 気分上々 大人気分 夏花火 歴史を想う 新体験 6.授業実践を終えて 写真 1 お茶を味わう 6-1 教師の感想 授業の進行や指示等は教師が、その流れの中で着装に関する示範は外部講師が行うというよう に役割を分担したが、反省点として事前打ち合わせをする時間が確保できなかったことが挙げら れる。教師の意図や示範のタイミング、生徒の実態等を事前に外部講師に伝えておくことでより スムーズに授業が展開できると考えられる。今回は 30 人の実践であったが、講師や学生アシスタ ントの協力があってこそ、時間内に着装することができた。全員に着装体験をさせたいという思 いからこのような形をとったが、生徒の人数や実態、教室形態に応じて形式を変えることが必要 である。公立中学校では、ゆかたや小物の購入・保管は難しいので、ゆかた等を確保できるレン タルシステムの利用価値は高いと考える。 総合的な時間の学習であり、技術・家庭科のねらいとは異なる内容と流れをどう組み立てるか が難しい問題であった。1 時間目は、日本文化に触れる機会が少ないという実態を踏まえ、写真 等を活用し、衣服以外の視点を含めて「和」の良さを生徒に伝え、生徒の興味・関心を引きつけ るように試みた。2・3 時間目は生徒に体験させたい思いで帯結びと着装を取り入れた。4 時間目 には、 「ゆかたを着る」に加えて、 「お茶や和菓子を味わい、一句詠む」という体験を取り入れた。 生徒はどの活動にも意欲的で楽しそうだったのが一番の成果であった。和服を着るのは難しい面 倒であるというネガティブな印象で終えるのではなく、楽しみながら味わうことで、和服のよさ ひいては日本文化のよさを改めて実感させることができたと感じている。 6-2 外部講師の感想 2 時間の家庭科の授業では、着付けで手一杯なことが多いが、今回、生徒たちは 4 時間で「歴 史」から「着用」して「和文化を味わう」までを体験し、より記憶に残る和文化を体感できたと 思う。帯結びは、文庫(女子)、貝の口(男子)、着付け全般が、資料及び DVD 3) でやり方が指定 されていたため、準備がしやすかった。e-learning の資料(先行研究 3)にて作成)も整備されて -9- いるので、生徒の振り返り学習にも役立つと思った。 今回は、学生アシスタントが大勢いたので生徒に 目が届き、短時間で着付けを行うことができた。生 徒の理解がとても早く、驚いた。ペアになり交替で 着付けたので、お互いに直し合ったり考えたりしな がら練習ができていた。着用後は男女ともにうれし そうな笑顔になっていたのが印象的であった。今後、 ゆかたレンタルに講師派遣を組み込んで、和服の普 及に尽力していきたい。 写真 2 ゆかたの着装実習 外部講師に依頼する場合、指導上の課題、授業をコーディネーターすることの負担感、レンタ ル費用など検討すべき点はあるが、教師も講師も生徒たちの高揚感、達成感を感じていた。また、 ゆかたの着装から日本文化に対する興味・関心へとイメージの広がりを確認することができ、着 装を含め「和」の体感を重視したことが、歴史や文化への興味・関心を高めることにつながり、 総合的な学習の時間の目標である自国文化の理解への入り口として、十分効果があったと考える。 7.まとめ 総合的な学習の時間に衣生活や衣生活文化の内容を結びつけた取り組みは少なく、和服の着装 を含む「和を体感する」内容を扱った実践報告はほとんど見当たらない。そこで、多くの学校で 導入できる授業実践を目指して、きものの準備と着付けの指導対策として外部講師の協力を得な がら、ゆかたを長く身につけ「和を味わう」をテーマにその良さを体感させる題材を設定した。 着装実践の前後に生徒の和服に対する興味・関心、和服に対するイメージ等について調査し、 着装に伴う気持ちの変化、イメージの広がり等の分析をもとに、授業の効果について考察した。 (1)和服を着た時の気持ちや和服に対する興味・関心が授業後により高まったのは、着装にとど まらす、和を体感するという視点を重視した活動を取り入れた題材設定の成果といえよう。多く の生徒が着装技能について理解できたと認識していたが、一度の着付け体験では自分で着ること、 人に着せることに対してあまり自信が持てないようであった。授業に対する感想や和服に対する 関心等については、着装の難しい面を実感しながらも楽しいと感じていた。 (2)和服のイメージマップには、事前に 1 人平均 13.2 語、事後には平均 7.6 語が書き加えられ ていた。事後に記入された言葉には、授業で学習した内容が盛り込まれた。着装体験に対する生 徒の記述からは、ゆかたの平面構成や収納の利点、帯の結び方の種類や幅・厚みの違い、実物に 触れることで色・柄の豊富さ、素材の特性等にも気づいたことが認められた。着付け体験やゆか たで過ごした感想の記述は1人当たり 6.4 件で、着付けや帯結びの難しさを実感する一方、高揚 感や印象の変化、「優雅な気分」「大人になったような気分」を楽しみ、動く・歩くといった動作 が制約される窮屈さと同時に所作が整う・姿勢がよくなる等の和服のメリットも感じ取っていた。 (3)ゆかたの着装実習には、ゆかた・小物の準備、着装指導等多くの課題があったが、ゆかたの -10- 準備の業者への依頼と外部講師の授業補助は教師の負担を軽減し、より広範な内容の授業を構成 するための対策の一つとして有効であった。今回の実践は、講師等の協力によって短時間で生徒 全員の着装が可能となり、ゆかたの着装を通した「和」の体験学習によって日本文化に触れ自国 の文化の理解へとつなげる総合的な学習の時間のプログラムとして位置づけることができた。 謝辞 本研究の参考にさせて頂いた先行研究の共同研究メンバー、大妻女子大学名誉教授呑山委佐子 先生、横浜国立大学教授堀内かおる先生、講師派遣及び教材(ゆかた・帯等)を提供頂きました (株)東京山喜たんす屋 和装教育支援担当 中村光宏様、曽根珠美様に心より感謝致します。 引用文献 1) 教育基本法 www.mext.go.jp/b_menu/kihon/houan.htm 2) 文部科学省 例えば、中学校学習指導要領解説 音楽、体育など 3)薩本弥生、川端博子、堀内かおる、扇澤美千子、斎藤秀子、呑山委佐子 「きもの」文化の伝 承と発信のための教育プログラムの開発 ‐「きもの」の着装を含む体験的学習と海外への発信文化ファッション研究機構・服飾拠点共同研究(20014) http//kimono-bunka.ynu.ac.jp/ 4)文部科学省 国際理解教育実践事例集 中学校・高等学校編(2008)p.132 5)たとえば、藤川大祐、塩田真吾、石川清香 (2009)千葉大学教育学部研究紀要 6)NPO 法人和装教育国民推進会議 57 中学校理科における外部講師を招いた授業の試み p.87∼92 http//wasoukyouiku.jp/ 7)下野新聞 「ゆかたの着付けに挑戦 文星付中で和装教育推進団体指導」2012.07.06 記載 8)増渕哲子 中学校家庭科と「総合的な学習の時間」の関連について‐全道中学校家庭科担当教 員調査から‐(2007)北海道教育大学紀要(教育科学編)58(1)p.127∼140 9)有友愛子 ゆかたの着装を通して日本文化にふれる取り組み -総合的な学習の時間と関連づ けた学習として-(2012)聴覚障害 聾教育研究会 67(5)p.29∼33 10)堀内かおる他 「和」の生活文化を体験する家庭分野の授業実践日本家庭科教育学会第 54 回 大会研究発表要旨集(2011)p.16∼17 11)(株)東京山喜たんす屋 和装教育支援 http://tansuya.jp/ 12)小林由美他 ゆかたの着装を題材とした教育プログラムの提案 日本家庭科教育学会第 55 回 大会研究発表要旨集(2012)p.34∼35 13)清田礼子 家庭科における伝統や文化を尊重する態度を育てる効果的な授業の在り方‐日本 の伝統的な和服のよさについて学ぶ学習を通して‐ 平成 22 年山梨県総合教育センター p.7 http://www.ypec.ed.jp/center/kenkyukaihatu/22/kiyou/h22kiyoucd/22kiyoupdf/kiyota.pdf#search=' (2012 年 11 月 12 日提出) (2013 年 -11- 1 月 11 日受理) The Analysis of the General Learning Classes Involving Wearing of Yukata OUGIZAWA, Michiko College of Life Science, Ibaraki Christian University KAWABATA, Hioroko Faculty of Education, Saitama University KATO, Jyunko The Junior High school affiliated to the faculty of education, Saitama University SATSUMOTO, Yayoi Faculty of Education and Human Sciences, Yokohama National University SAITOH, Hideko Faculty of Human and Social Services, Yamanashi Prefectural University Abstract In this study, we carried out a wearing of Yukata learning experience in the general learning classes at a junior high school. We analyzed the effects of learning "a taste of Japanese" involving wearing of Yukata. Although there were many tasks to solve before conducting the class, such as preparing the Yukata and arranging instructions for the wearing of Yukata, the visiting lecturer's participation was effective in decreasing the teacher's burden and time consumption, and helped constitute a more extensive lesson. It can be concluded that our efforts to incorporate activities that focused not only on the wearing of Yukata but also on “a taste of Japanese” experience led to the enhancement of interest towards kimono and feelings for wearing a kimono after the lesson. Through the experience of Yukata dressing, while they found it difficult to dress and knot the bows, the students seemed to have enjoyed the feelings of elation and the change of impression, and also felt that the restricted tightness of the Kimono in moving and walking brought about such benefits as elegant gestures and better postures. We think this study was also effective in carrying on the tradition of kimono culture to the future. Key Words: Wearing of Yukata, The general learning classes, Visiting lecturer, Japanese culture -12- J. Saitama Univ. Fac. Educ., 62(1):13-24 (2013) Effects of Instructional Methods to Teach Quadratic Functions Using Cross-Subject and Ordinary Events TAKAGAKI, Mayumi Faculty of Human Life Sciences, Jissen Women's University SHIMIZU, Makoto Faculty of Education, Saitama University Abstract In March 2009, the Course of Study for High Schools was announced. This revision has the goals of increasing the abilities to consider and express various events mathematically, appreciating values of mathematics and actively applying it. Moreover, a survey on the State of Implementation of High School Curriculum conducted in 2005 (National Institute for Educational Policy Research), emphasized the need to actively promote mathematical activities in ordinary and social life in general, so that the students can realize the roles that mathematics play and its utilities, as well as the significance of learning mathematics. Considering these trends, this study was intended to examine effects of instructional methods in which students could realize the significance of learning maximum and minimum values in quadratic functions through mathematical activities related to real life, taking the content about maximum and minimum values in quadratic functions as an example from the first year in high school. The descriptive analysis of pre-and post-tests conducted before and after the lessons that were performed. The results showed that mathematical abilities in examining changes and reactions and predicting unknown conditions were enhanced when the problem of quadratic functions of ordinary and familiar events in other subjects, such as contemporary society (social studies) and physics (science), were used as students apply maximum and minimum values in quadratic functions to cross-subject and ordinary events. Keywords:Quadratic functions,Mathematical activities,Cross-subject 1.Problem and Purpose In March 2009, a revision of the Course of Study for High Schools (hereafter New Course of 11Study) was announced. It provides that the purpose of high school math education is “through mathematical activities, to deepen systematic understanding of basic concepts and principles in math, develop the abilities to consider and express various events mathematically, and to cultivate a foundation for creativity, while nurturing attitudes to make judgments based on mathematical bases appreciating values of math and actively applying it.” Compared to the current Course of Study, as in those for elementary and junior high schools, it seems to aim to further improve mathematical activities by first mentioning “through mathematical activities.” -13- In addition, in the mathematics section of Survey of the State of Implementation of High School Curricula of 2007 (Ministry of Education, Culture, Sports, Science, and Technology), only about 30% of the respondents endorsed “Classes are taught using operational and experiential activities.” Similarly, “Classes are taught with the intention of relating to various events in real life” was endorsed only by approximately 30% of the respondents. These results are not quite consistent with the goals that are addressed in the Course of Study. In high school math education, active use of mathematical activities is needed for students to realize the roles that math plays and its utilities in ordinary events and societal life in general and to recognize the significance of learning math. It is necessary to review objectives of math education and lesson development (Miyama, 2009). Conventional textbooks do not deal with familiar materials from daily living and the society. In reality, however, functions are an abstract concept to be utilized in considering dynamic subject matters. It works effectively in grasping the relation of two quantities that are found in events not only in the realm of math but also in the real world (Arai, 2006; Iwasaki & Aiki, 2004). Such examples include the trajectory of water of fountains and the balls of home runs. Further, parabolas have characteristics to make parallel rays and radio waves parallel, and satellite dishes and flash lights are examples of their application. Learning quadratic functions is of great significance because parabolas and their characteristics are utilized in ordinary events and items, such as these, among other reasons (Hino, 2008; Nishimura & Nagasaki, 2008). Nevertheless, sections about maximum and minimum values of quadratic functions in the conventional textbooks do not include exercises that use ordinary materials. Understandably, mathematic consideration of matters, abilities to apply math, and usefulness in math do not increase as a result. Thus, this study was intended to examine effects of instructional methods to facilitate to consider maximum and minimum values in various ordinary events by using mathematical activities in teaching maximum and minimum values of quadratic functions, rather than following the instructional methods seen in conventional textbooks. 2. Method 2-1. Study Participants and Lesson Content A first-year class of 17 students of a private high school in Kanagawa Prefecture participated in the study. Out of those, two students who were absent from the classes were excluded from the analysis. Classes were conducted for seven hours in total on the unit of maximum and minimum values of quadratic functions in the high school first grade Math 1 as presented in TABLE 1. Incorporating contents from other subjects, such as contemporary society (social studies) and physics (science), into the lessons on quadratic functions, the purposes for the students were to: (1) recognize the utility of expressing changing quantities with quadratic functions through understanding the unit of maximum and minimum values of quadratic functions in the first year in high school, and (2) acquire to apply these. In addition, to examine changes in comprehension of concepts related to quadratic functions, pre-and post-tests were conducted. The post-test and explanation were conducted in the seventh class. -14- TABLE 1 Lesson Plans Determining Maximum and Minimum Points Using Graph Example: The Highest Temperatures of the Week Highest Temperature [°c] Monday, Tuesday, Wednesday, Thursday, Friday, Saturday, Sunday 26.5 24.3 24.7 21.5 19.9 22.2 24.0 <Teaching Objective> Recognize that presenting in a bar graph visually facilitates understanding on which day the day’s highest temperature was the highest and on which day it was the lowest. 1 ・ 2 h Example: Graphs Used in Class Maximum Minimum <Teaching Objective> Assuming a complex curve to be a graph, find its maximum and minimum points. 3・ 4h Maximum and Minimum Values in Quadratic Function Maximum and Minimum Values in Quadratic Function Example: Maximum の場合 Example: Maximum Maximum Minimum Minimum <Teaching Objective> <Teaching objective> By identifying where the vertex is located in relation to the domain By identifying where the vertex is located in relation to the domain of of definition, find the maximum and minimum points. definition, find the maximum and minimum points. Understand that in this example, the maximum point is the vertex, and the minimum point is . Understand that in this example, the maximum point is vertex, but the minimum point is nonexistent because is not included in the domain. Application of maximum and minimum values in a quadratic function Example: Trimetric throw of an object (Physics) Vertex (1, 5) Maximum <Teaching Objective> Understand that although quadratic functions that are dealt with in math are typically expressed in equations with y and x, maximum and minimum values can be calculated as long as the equation is quadratic even when other letters are used. Application of maximum and minimum values in quadratic functions Example: 5・ 6h Vertex (0, 500a) Maximum 〔Setting〕 The number of sales when a product is sold for \500 is ( at ). Sales and Profits of Products (Economics) The sales amount when the product is reduced % is [\]. 〔When the price is reduced at Sales per products; Number of sales: %〕 [\] <Teaching Objective> ① Express word problems in equations. ② Understand that although quadratic functions that are dealt with in math are typically expressed in equations with y and x, maximum and minimum values can be calculated as long as the equation is quadratic even when other letters are used. -15- 2-2.Pre- and Post-Tests The pre- and post-tests were conducted with the identical content and format to directly compare the changing conceptual understanding. It required about 30 minutes to complete the test. There were five questions using an identical function equation. The first question asked to determine the maximum and minimum values of the quadratic function 𝑦 = 2𝑥 2 + 4𝑥 + 2, and was a problem to identify maximum and minimum values of a quadratic function without a specific domain of definition (with the domain of all real numbers). It was also a problem to check the understanding of direction of opening, how to identify a vertex (confirmation of completion of a square), and rough shape of the graph. It was to check if the students understood that the vertex is the maximum point when the rough shape of the graph is open downward with no minimum value, and that the vertex is the minimum point when it is open upward with no maximum point based on the understanding of these three features. The second question asked to determine the maximum and minimum values of the quadratic function 𝑦 = −2𝑥 2 + 4𝑥 + 2 in the closed interval −2 ≤ 𝑥 ≤ 2, and was a problem to identify maximum and minimum values of a quadratic function with a specific domain of definition. It was also a problem to check the understanding of relative locations of a domain and the vertex (axis) in addition to direction of opening, how to identify a vertex (confirmation of completion of a square), and rough shape of the graph. It was to check if the students understood the point of the greatest y (maximum point) and the point of the smallest y (minimum point) within the given domain based on the understanding of these four features. The third question asked to determine the maximum and minimum values of the quadratic function 𝑦 = −2𝑥 2 + 4𝑥 + 2 in the closed interval 𝑎 ≤ 𝑥 ≤ 𝑎 + 2 (where 2 < 𝑎 ), and was a problem to identify maximum and minimum values of a quadratic function with a specific domain that include a letter. It was also a problem to check the understanding of solutions contingent on values of a letter in addition to direction of opening, how to identify a vertex (confirmation of completion of a square), rough shape of the graph, and relative locations of a domain and the vertex (axis). It was to check if the students understood that the point of the greatest y (maximum point) and the point of the smallest y (minimum point) within a given domain can be determined and that even when the domain included a letter, they can be determined by substituting the letter based on the understanding of these five features. The fourth question is an application of maximum value of a quadratic function concerning contemporary society (social studies). “Suppose you are selling a product whose list price is ¥20,000 (cost price ¥10,000). According to market research, the number of sales of this product will increase by 2% every percent by which the price is reduced. To maximize the profit, for what price do you want to sell this product?” In terms of mathematical understanding, it required the students to comprehend the word problem, generate a function equation on their own, and determine the maximum value of the quadratic function. Thus, it was to check if the students understood to set a letter as needed and to set a domain of definition in addition to direction of opening, how to identify a vertex (confirmation of completion of a square), rough shape of the graph, and relative locations of a domain and the vertex (axis). In terms of economic understanding, it is a problem that highlights “amount of sales ≠ profit.” Solving this problem helps to ascertain that the pricing for the maximum sales amount does not necessarily accord -16- with the pricing for the maximum profit. It translates to “annual sales ≠ annual profit” in the context of individual business, which should help students to realize that math is necessary in social realms such as economics and management. The fifth question is an application of maximum value of a quadratic function concerning physics (science). “Suppose you throw an object upward. The height of the object after t s from the location where it was thrown is given by the formula 𝑦 = 𝑣0 𝑡 − 4.9𝑡 2 [m] where 𝑣0 [m/s] is the acceleration of the object.” By using this formula, the problem asked to calculate the height of the highest point that the object achieves and the time lapses until the object strikes the ground for the first time when it is thrown at the initial velocity 19.6 m/s. This physics problem allows to determine the vertex, the height of the highest point, the time it is achieved, and the time it falls to the ground (height 0) for the first time by graphing the function equation, as well as examining the trajectory of the object. 3. Results and Discussion 3-1. Changes in the Level of Understanding of Quadratic Function Concepts The difference in the levels of understanding in the descriptive analysis of pre-and post-tests were analyzed to examine the change in degrees of understanding of maximum and minimum values in quadratic functions. What level of understanding the student had attained was determined comprehensively based on his or her entire response to Questions 1 to 5, instead of answers to individual questions. TABLE 2 displays the number of students for each understanding level in pre- and post-tests. In addition, TABLE 3 summarizes the assessment criteria for each understanding level and examples of correct and incorrect answers. TABLE 2 Change in Understanding Level of Concepts Proportion of number of students in each category in total number of students (%) in parentheses Level of Understanding of Quadratic Function Concepts Pre-test Post-test 0 10(66.7) 0( 0.0) Ⅰ 5(33.3) 1( 6.7) Ⅱ 0( 0.0) 5(33.3) Ⅲ 0( 0.0) 6(40.0) Ⅳ 0( 0.0) 3(20.0) Total 15(100.0) 15(100.0) Quantitative analyses based on TABLE 2 showed that the variance in the number of students in each understanding level in pre-test was significant (χ2 (4)=228.571,p<.01), many students falling into Level 0 (Level 0: 10 students (67%)). The variance in the number of students in each understanding level in post-test was also found significant (χ2 (4)=74.286,p<.01), many students falling into Level 3 (Level 3: 6 students (40%)). The variance in number of students in each understanding level between pre- and post-tests was analyzed with the number of students in pre-test as expected frequency. Because there was a cell with 0 for expected frequency (pre-test), descriptive analysis was performed after adding 0.5 to all the cells expediently, and the results showed a variance (χ2 (2)=229.361,p<.01). The observed values and the results of residual analyses demonstrated that in the pre-test, there were significantly greater numbers of -17- students in Levels 0 and 1, and in post-test, there were significantly greater numbers of students in Levels 2,3, and 4. Based on the above results, in the pre-test, the majority of students were in Level 0 in terms of the level of understanding on quadratic functions, whereas in the post-test, the numbers of students in Levels 2,3 and 4 increased, with a number of students achieving Level 3. TABLE 3 Analysis of Incorrect Answers of Learners 1 . Maximum and Minimum Values in Quadratic Functions (without Defined Domains) Problem Determine the maximum and minimum values of Level 0: Tranforming a quadratic equation by completing the square Students at this level cannot complete the square, or determine the direction of opening of the graph and the vertex. (Examle of Correct Answer) (Example of Incorrect Answer of Learners) To complete the square of the equation : To complete the square of the equation By transforming to the form : Therefore, the graph is open downward, and the [Analysis of Incorrect Answer] vertex is . , the following can be determined: ・the direction of opening of the graph from the value of ・vertex [Analysis of Incorrect Answer] Therefore, for For and and , the graph is open downward. , the coordinate of the vertex is . Because the student identified the common factor 2, it is clear that he/she understood that completion of the square is an application of factorization. But he/she did not understand that the equation must be factorized with the coefficient form of as a common factor to transform it to the . Level I: Drawing a Graph Based on a Quadratic Equation Students at this level can by competing the square, determine the direction of opening of the graph and the vertex, graph an equation, and find maximum and minimum points. ( Examle of Corre ct Answe r) ( Example of Incorrect Answer of Learners) For To complete the square of , The graph is a parabola that is open downward with the vertex : . Therefore, the graph is open upward with the vertex Therefore, the rough shape of the graph is as follows: . Vertex Maximum gar Therefore, maximum value: nonexistent; minimum value: 4( Based on the graph, the maximum point is the vertex, and for the graph ). [Analysis of Incorrect Answer] continues downward, a minimum point does not exist. Therefore, maximum value: 4 ( Because the student completed the square and graphed the equation, it is ); clear that he/she understood the procedures for solution. But he/she failed minimum value: nonexistent. to understand that when an equation is obtained after transformation in the form -18- , if , the graph is open downward. 2 . Maximum and Minimum Values in Quadratic Functions (with Domains Defined by Numbers) Problem Determine the maximum and minimum values of . Level II: Relative locations of a quadratic graph and a domain defined by numbers Students at this level can add a domain of definition correctly to the graph that has been drawn at Level I and locate maximum and minimum points. (Examle of Correct Answer) (Example of Incorrect Answer of Learners) For For the domain is defined as , The graph is a parabola that is open downward with the vertex . when , , , the vertex is located within the domain of definition. For Therefore, the rough shape of the graph is as follows: Therefore, Vertex ) minimum: -14( Maximum Minimum maximum: 2( ) [Analysis of Incorrect Answer] In this answer, the student simply substituted equation and in the judging from the definition of domain, instead of utilizing the visual information from the graph. This was presumably based Based on the graph, the maximum point is the vertex, and the minimum on the experience of solving problems to calculate the codomain (range) of point is y in “Direct and Inverse Proportion” and “Linear Function”from the first . When is substituted in , and second grades in junior high school which did not require graphing as they are monotonic increase or decrease. Therefore, maximum: 4( ) Minimum: -14( ) 3 . Maximum and Minimum Values in Quadratic Functions (with Domains Defined by Letters) Problem Determine the maximum and minimum values of when . Level III: Relative Locations of Quadratic Graphs and Domains Defined by Letters Students at this level can add a domain defined by a letter correctly to the graph that has been drawn at Level I and locate maximum and minimum points. (Examle of Correct Answer) (Example of Incorrect Answer of Learners) For , the graph is a parabola that is open downward with the vertex For , , when Because the domain is defined as . , . Therefore, for , the vertex is located to the left, outside of the domain. Therefore, the rough shape of the graph is as follows: (∵ Vertex Maximum Therefore, g Minimum Based on this graph, the maximum point is when point is when When maximum value: ( minimum value: ( ) ) [Analysis of Incorrect Answer] , and the minimum . is substituted in ) より Because the domain was defined by a letter instead of numbers, the student , was not able to examine relative locations of the vertex and the domain, and because the vertex was included within the domain in the previous problem, When is substituted in , he/she assumed that the vertex should be located outside of the domain in this problem. He/she substituted Therefore, maximum value: 取られる minimum value: ( ( ) and , and in based on the relation between these values, determined that the maximum value ) was when , and the minimum value was when . The results appear to be correct, but because his/her process does not always lead to correct answers, it was decided that he/she did not achieve Level III. -19- 4 . Maximum and Minimum Values in Quadratic Functions (Application to Other Subjects: Economics) Problem Suppose you are selling a product whose list price is ¥20,000 (cost price ¥10,000). will increase by 2% every percent by which the price is reduced. According to market research, the number of sales of this product To maximize the profit, for what price do you want to sell this product? Level IV: Applicaion of Knowlegde of Quadratic Function Students at this level can apply the knowledge of maximum and minimum values in quadratic functions to problems that include materials from other subjects. (Examle of Correct Answer) If the number of sales is the profit is (Example of Incorrect Answer of Learners) ( [\] when the price is reduced by For a price reduction at the profit is %, % decreases the profit per product by yielding the profit per product of increases the number of sales by of If the number of sales is )when the price is \20,000 and for a price reduction at [\], while it ( )when the price is \20,000 and [\] when the price is reduced by % decreases the sales per product by yielding the sales per product of , yielding the number of sales increases the number of sales by . of The following is the graph of this equation: %, [\], while it , yielding the number of sales . Therefore, . is maximum when Vertex Maximum [Analysis of Incorrect Answer] It is clear that the student understood that the reduction at the sales reduction of % yields [\] per product. If the problem asked about amount of sales, rather than profit, the answer of this student was correct, Based on this graph, is maximum when . and since he/she refers to “sales per product” in the response, it is likely Therefore, the profit will be maximum when the price is reduced by 0% that he/she misinterpreted the problem. in other words, when the products are sold for \20,000. 5 . Maximum and Minimum Values in Quadratic Functions (Application to Other Subjects: Physics) Problem Suppose you throw an object upward. The height of the object after t s based on the location at which it was thrown is given by the following formula where [m/s] is the acceleration of the object: By using this formula, determine the height of the highest point that the object achieves and the time until the object strikes the ground for the first time when it is thrown at the initial velocity 19.6 m/s. Level IV: Applicaion of Knowlegde of Quadratic Function Students at this level can apply the knowledge of maximum and minimum values in quadratic functions to problems that include materials from other subjects. (Examle of Correct Answer) For (Example of Incorrect Answer of Learners) For , , To complete the square of this equation: The following is the graph of this equation. The following is the graph of this equation; [Analysis of Incorrect Answer] Vertex Maximum The strategy of substituting from the problem is correct. However, there is no constant term in the equation was drawn to the common factor , and the student , factorizing the equation with the common factor, instead of completing the square. If he/she realizes that the highest point that the object achieves can be conceptualized as the maximum value of Based on the graph, is maximum when . Therefore, the height of the highest point is For the height of the ground is in m. m, substitute , and an equation is obtained. The solutions of this quadratic equation are For , . represents the moment when the object is thrown, it strikes the ground for the first time when . In other words, it takes 4 s until the object first strikes the ground. 取られる -20- , he/she will recognize the need to complete the square. 3-2. Analysis of Factors Causing Difference in Understanding Level The following is the results of a qualitative analysis based on responses (see TABLE 3). Students at Levels 0 and 1 are able to determine the direction of opening of a graph, transform the given equation by completing the square, and graph the equation. Common to the responses to the problems of the learners at these levels was failure in the process of completing the square. Specifically, while completion of the square involved first factoring out the coefficient of x 2 of the members x 2 and x 𝑏 to transform the given function 𝑎𝑥 2 + 𝑏𝑥 + 𝑐 to the form 𝑎 �x 2 + 𝑥� + 𝑐, the learners had factored 𝑎 out the given function −2𝑥 2 + 4𝑥 + 2 with the common factor -2, obtaining −𝑥 2 + 2𝑥 + 1, and then transformed it to – (𝑥 + 1)2 . This was presumably because they had had more experience in factorizing with a common factor than in completion of the square, and they reached incorrect answers as a result of using formulas such as 𝑥 2 + 2𝑎𝑥 + 𝑎2 = (𝑥 + 𝑎)2 . Students at Levels 1 and 2 are able to determine maximum and minimum values in quadratic functions when domains are defined by specific numbers. Common to the incorrect answers to the problem at these levels was attempting to calculate the minimum and maximum values of the given function by substituting the values from the given domains directly into the function equation. This was presumably based on the experience of solving problems to calculate codomain (range) of y in direct and inverse proportion and linear function in junior high school math which did not require graphing but substituting values from the domain of x. It is conceivable that inaccurate knowledge about functions, such as this, that had originated in junior high school math was the factor (Marubayashi & Kawakami, 2003). However, for the correct answers, the learners could identify the problem that the rough shapes of quadratic functions (open downward or upward) are different from those of linear functions (upward or downward slope), or monotonic increase or decrease, and the relative location of a vertex within the domain. Students at Levels 2 and 3 are able to determine maximum and minimum values in quadratic functions when domains are defined not by specific numbers but by letters representing variables. In this problem, for the incorrect answers, the relative locations of the vertex and the domain is of importance, and the fact that the vertex (1, 4) is located to the left of the domain 𝑎 ≤ 𝑥 ≤ 𝑎 + 2, based on the condition 2 < 𝑎, must be understood. However, based on the domain 𝑎 ≤ 𝑥 ≤ 𝑎 + 2 and the fact that the graph is open downward, learners commonly assumed that the maximum point was the vertex and the minimum point was either when 𝑥 = 𝑎 or 𝑥 = 𝑎 + 2. This was presumably because they failed to identify the location of the vertex relative to the domain based on the condition 2 < 𝑎, and instead, assumed that the vertex was located within the domain, leading to a judgment that vertex should mark the maximum point based on the rough shape of the graph (Inenaga, 2007). However, for the correct answers, the learners could identify the problem that the point of the greatest y (maximum point) and the point of the smallest y (minimum point) within a given domain can be determined and that even when the domain included a letter, they can be determined by substituting the letter. The results showed that it was effective to teach the solutions contingent on values of a letter in addition to direction of opening, how to identify a vertex (confirmation of completion of a square), rough shape of the graph, and relative locations of a domain and the vertex (axis). -21- Students at Levels 3 and 4 are able to apply maximum and minimum values in quadratic functions in daily situations. In the problem about profit (civics), learners were required to generate an equation to represent the word problem, defining the profit when the price was reduced by x % as y[¥] and the number of sales before reduction as a . Common to the incorrect answers, the learners at these levels was misinterpreting (20000 − 200𝑥)[¥] as the profit per product even when they understood the concept (price per product) 𝑥 (number of product) = (amount of sales) and that the profit decreases by 200𝑥[¥] when the price was reduced by x%. The amount (20000 − 200𝑥)[¥] is the amount of sales per product, instead of the profit per product. As Nakamura (2007) stated, this was likely due to the lack of abilities in comprehension and application in this type of problems, such as setting letters on their own, because classes tend to be given in the lecture format, in which the teacher explains example problems from the textbook and solve many exercise problems. The needs for teaching methods that cut across subjects, such as math and social studies, are valuable although the students do have experience in elementary school social studies in learning terms such as cost price, cost, and profit. However, for the correct answers, the learners could identify 𝑓(𝑥) is maximum when. 𝑥 = 0 Thus, the profit will be maximum when the price is reduced by 0%, in other words, when the products are sold for ¥20,000. The results showed that it was effective to teach the word problem, generate a function equation on their own, and determine the maximum value of the quadratic function. Thus, the students could understand to set a letter as needed and to set a domain of definition in addition to direction of opening, how to identify a vertex (confirmation of completion of a square), rough shape of the graph, and relative locations of a domain and the vertex (axis). Therefore, students at Levels 3 are able to apply maximum and minimum values in quadratic functions to cross-subject and ordinary events. More students answered correctly the problem about throwing (science) than the problem about benefit partly because a quadratic equation was given in the problem. It appeared that some learners were confused because many of them had an understanding that quadratic functions were relational expression between 𝑦 and 𝑥, whereas in this problem, the equation included t instead of x as a variable. In this problem, the typical ways to determine the maximum value is to judge from the vertex in the graph, and to calculate the time lapses until the object hits the ground is to solve the quadratic equation 0 = 19.6𝑡 − 4.9𝑡 2 for the height of the ground can be expressed as 𝑦 = 0. Common to the incorrect answers to the problem of the learners at these levels was “For the highest point is 𝑡 = 2 and it should take 2 s as well to fall from the highest point to the ground, a total 4 s is the answer,” and “The solutions to the equation 0 = 19.6𝑡 − 4.9𝑡 2 are 𝑡 = 0, 4, and therefore, their middle point 𝑡 = 2 should signify the highest point, achieving the height 𝑦 = 19.6 × 2 − 4.9 × 22 = 19.6.” However, for the correct answers, the students realize that the highest point that the object achieves can be conceptualized as the maximum value of , they will recognize the need to complete the square. Therefore, the height of the highest point is 19.6m. For the height of the ground is 0m, substitute 𝑦 = 0 in 𝑦 = −4.9𝑡 2 + 19.6𝑡, and an equation 0 = −4.9𝑡 2 + 19.6𝑡 is obtained. The solutions of this quadratic equation are 𝑡 = 0, 4. For 𝑡 = 0 represents the moment when the object is thrown, it strikes the ground for the first time when 𝑡 = 4. Thus, the learners at these levels were able to determine the vertex, the height of the highest point, the time it is achieved, and the time it falls to the ground (height 0) for the first time by -22- graphing the function equation, as well as predicting the unknown trajectory of the object. The results showed that it was effective to teach the application of the rough shape of quadratic graphs, symmetric with respect to a vertical line through the vertex, and likely due to the factor that the problem could be approached with the basic knowledge about quadratic functions. Therefore, students at Levels 4 are able to apply maximum and minimum values in quadratic functions to cross-subject and ordinary events, moreover predict unknown conditions. 4. Conclusion and Future Issues As stated in the section of Problem and Purpose, a revision of the Course of Study for Schools was announced, and the Survey of the State of Implementation of High School Curricula of 2005 illustrated the problems in math education in Japan. Considering these problems and issues into account, classes based on this project assisted students in examining the changing values in functions through understanding maximum and minimum values in quadratic functions in the first grade in high school, using materials from other subjects, such as contemporary society (social studies) and physics (science), in the lessons on quadratic functions. In these classes, the objectives were for the students to, in addition to learning how to determine maximum and minimum values in functions, recognize the utility of expressing changing quantities using quadratic functions, and acquire abilities to apply them. Traditionally, there has not been much research conducted using daily situations and materials from other subjects in high school math education. More specifically, how the learners develop concepts after such classes has not been studied fully (Shimizu, 2006, 2007). In this respect, this study conducted an exploratory analysis from the aspect of conceptual understanding of quadratic functions in high school math. It was demonstrated that as a result of the implemented lessons in accordance with this project, many students advanced to higher conceptual levels, such as Levels 2,3 and 4, and especially many fell into Level 3. Future topics include the improvement of instructional methods, so that most students may attain at Level 4. It is so difficult to attain Level 4 (i.e., Learners apply maximum and minimum values to quadratic functions in daily situations, and predict unknown conditions.), that examination is needed in the future on measures to counteract this issue. Furthermore, there is a possibility of bias of using materials in math from other subjects, such as civics (contemporary society) and science (physics), for learners who think they are weak in these subjects, so the instructional methods of quadratic functions using cross-subject and ordinary events need to be explored to keep close collaboration between other subjects. References Arai, H.(2006).Teaching of functions using the prediction of cedar pollen counts. Journal of Japan Society of Mathematical Education. Mathematical education, 88,11-18. Hino, K.(2008).Attach Great Importance to Students' Progressing Functional Thinking. Journal of Japan Society of Mathematical Education, 90,39-45. Inenaga, Y.(2007).About the fall of the learning contents which I watched from a textbook "quadratic functions". Sasebo National College of Technology, 44, 69-76. -23- Iwasaki, M.,& Aiki, T. (2004).Report on class implementation aimed at free exploration of familiar events. 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Nisimura, K.,& Nagasaki, E.(2008).A study of significance of ability to connect mathematics and society and its teaching and learning. Journal of Japan Society of Mathematical Education. Mathematical education, 90,2-12. Shimizu, H.(2006).A lesson on applying linear functions in everyday situations: Analyzing natural gas bills. Journal of Japan Society of Mathematical Education. Mathematical education], 88,2-9. Shimizu, H.(2007). Teaching through the application of functions in everyday situations: Let's set the price of T-shirts to maximize the sales (practical study). Journal of Japan Society of Mathematical Education. Mathematical education, 89,10-18. (Received November 12, 2012) (Accepted January 11, 2013) -24- J. Saitama Univ. Fac. Educ., 62(1):25-35 (2013) Kindergarten Children’s and Teachers’ Cognitions of “ Mottainai ” and Their Socio-Moral Judgments about Environmental Deviancy SHUTO, Toshimoto Faculty of Education, Saitama University, Japan ERIGUNA OISCA Shanghai Japanese Kindergarten, China Abstract In the study, the cognition of "Mottainai" was defined as social cognition with "a sense of regret for wasting an object or resource whose intrinsic value is not utilized." Characteristics of environmental ethic norms of young children and factors in its development were investigated. Kindergarten teachers (n=161) and young children (n=51) participated in the study. Situations eliciting the participant's cognition of "Mottainai" and their judgments on the wrongness of environmental deviancy were investigated. The results revealed that the teachers and children tended to have cognition of "Mottainai" toward situations where a large amount of water, food, and paper were being used. The teachers did not try to be stringent regarding behaviors that were environmentally deviant, and were more forgiving about excessive use of materials in play settings. Children reasoned and judged antisocial behaviors and dangerous behaviors based on social domain concepts, whereas they judged environmentally deviant behaviors as not bad relative to others and could not interpret the behaviors as a norm deviancy. However, the results showed that many children interpreted water waste from an ecological perspective, suggestive of a fledgling sense of environmental ethics in the children. Key Words:Environmental Deviancy, Socil Cognition, Moral Judgment, Early Education 1. Background Wangari Muta Maathai (1940-2011) was the first Kenyan woman to receive the Nobel Peace Prize for her contribution to environmental conservation. She advocated using the Japanese word “mottainai” as a universal word to spread the concept of environmental conservation (Maathai, 2010). The word “mottainai” is a part of the Japanese religious and cultural heritage (Hirose, 2008). Maathai’s campaign led to many studies on factors associated with the establishment of mottainai as a universal word, by linking emotions and cognition associated with mottainai with the development of environment conscious behaviors (e.g., Kurokawa, 2010). In this study, we have defined mottainai as a social cognition associated with a sense of regret for wasting goods and materials, or resources, without utilizing their intrinsic value. Environmental moral standards of “taking good care of things” and “not being wasteful” are based on -25- the mottainai concept. Identifying the development of ethical norms related to the environmental is essential for planning and implementing environmental education for early childhood. Many contemporary Japanese kindergartens use picture books explaining environmental conservation during environmental education classes (Inoue, 2010). Research on moral judgments have demonstrated that prescriptive social norms are not verbally conveyed in one-direction from adults to children, but instead, that children cognitively construct social norms within social situations defined by adults and children (Shuto & Ninomiya, 2003; Turiel, 2002; Wainryb, 2006). Therefore, the environmental ethics of teachers and the environmental conservation approaches teachers take with children are critical elements in the daily learning environment of children that are developing the norms of environmental ethics and the capacity for appropriate behavior regulation. This study investigated situations that elicited the cognition of mottainai in kindergarten teachers and children and identified characteristics of their environmental ethical norms, by comparing their judgments about environmental deviance with judgments about social and moral deviance in situations that could be described as mottainai. We manipulated wasted materials and situations as situational variables that trigger environmental deviancy. Then, the characteristics of norms were analyzed by comparing judgments. 2. Study 1: Situations in which kindergarten teachers recognized Mottainai and teachers’ responses in these situations 2.1 Purpose To investigate characteristics of teachers’ cognitions regarding the word “Mottainai”, their responses to situations of mottainai, and their judgments regarding environmental deviancy. 2.2 Method Participants Female teachers (n = 161, mean age 29 years) working in 25 private kindergartens in the vicinity of Tokyo participated in the study. Procedures Questionnaires were distributed collectively to the participants at a regional training workshops held for kindergarten teachers. It took the participants approximately 30 minutes to complete the questionnaires. Questions A. Teachers’ cognition of the word “Mottainai” and their responses to children’s mottainai behaviors. The participants freely wrote about the situations where they felt mottainai in their everyday teaching. B. Characteristics of judgments about environmental deviancy. The teachers described 18 different types of deviant behaviors in children, consisting of 6 environmentally deviant behaviors (2 behaviors each related to wasting water, food, and paper. -26- Socially and morally deviant behaviors based on the social domain theory (Turiel, 2006) including: antisocial behaviors, violating kindergarten rules, violating social conventions, violating self-regulation, prosocial deviancy (not being kind to others), and self-interest. Participants rated their responses to each of the 18 deviant behaviors in on a scale of 1 to 5 such that 1 (No involvement or disregard) indicated that the behavior was not considered to be bad; 2 (Watching) indicated interest and watching how things will go rather than get directly involved; 3 (Mild involvement) indicated gentle involvement using words and gestures, giving gentle warnings and asking children about their feelings and thoughts, or teaching the rules; 4 (Slightly strict) indicated involvement such as reproving firmly, or scolding, and involvement until the problem is resolved; 5 (Strict involvement) indicated making the child change their behavior in the desirable direction forcefully, and rebuking. 2.3 Results and Discussion A. Cognition of mottainai by kindergarten teachers and their responses to children. In this study, 270 situations in which the teachers felt mottainai were categorized by the goods or material that was wasted. The situation that teachers most frequently felt mottainai was in art projects (33.6%), followed by those related to water (30.4%), food (20.9%), and using Kleenex and toilet paper (15.0%). The teachers’ involvement was grouped under 9 categories. More than 60% of teachers instructed the “ideal behavior” regardless of the goods or material that was being wasted. In the case of wasting water, teachers often explained the children, the potential impact of their behavior on nature and the environment, or made children think about ideal behaviors, and used the word “mottainai” most frequently. In the case of wasting food, teachers frequently empathized with the feelings of people that produced the food being wasted. In the situation with art projects and wasting Kleenex and toilet paper, the teachers’ most frequent response was setting an example for the children about the desirable behaviors. Table 1 Frequencies of situations that teachers felt "Mottainai" and teachers' involvements by mottainai situation Teachers' responses "Mottainai " situations n (%) Instruction of Making Instruction of Empathizing potential impact children think desirable with people that of behavior on about ideal behavior produced it nature behaviors Setting exemplary usage Using the word "mottainai " Food 53 ( 20.9) 33 ( 62.3) 4 ( 7.5) 12 ( 22.6) 10 ( 18.9) 6 ( 11.3) 1 ( 1.9) Water 77 ( 30.4) 48 ( 62.3) 16 ( 20.8) 27 ( 35.1) 0 ( 0.0) 8 ( 10.4) 13 ( 16.9) 38 ( 15.0) 21 ( 55.3) 2 ( 5.3) 3 ( 7.9) 0 ( 0.0) 11 ( 28.9) 3 ( 7.9) 85 ( 33.6) 56 ( 65.9) 1 ( 1.2) 17 ( 20.0) 0 ( 0.0) 23 ( 27.1) 0 ( 0.0) 253 (100.0) 158 ( 62.5) 23 ( 9.1) 59 ( 23.3) 10 ( 4.0) 48 ( 19.0) 17 ( 6.7) Kleenex and toilet paper Handiwork and its materials Total -27- B. Characteristics of environmentally deviant judgments The mean ratings were calculated for the six socially and morally deviant situations and the one environmentally deviant situation regarding food. The results of an analysis of variance (ANOVA) performed on the mean values of the seven situations indicated a significant difference between each situation (F(6,900)=513.71, p<.001). The teachers considered dealing most harshly with violations of self-regulation and anti-social behaviors, followed by kindergarten policy violations, social norm violations, and environmental deviancy. Teachers intended to approach a child that exhibited environmental deviancy with the same stringency, usually by “gently telling,” similarly to children that exhibited social conventional deviancy (Figure 1). Severity of involvement 0.0 1.0 2.0 3.0 4.0 Antisocial behavior Prosocial deviancy Violation of kindergarten rules Social norm violations Violation of self-regulation Personal preference Environmental deviancy 0:disregard 1:watching 2:mild involvement 3:slightly strict 4:strict involvement Figure 1 Teachers' judgments of severity of involvement by children's socio-moral behaviors 4.0 3.0 Everyday life Play setting 2.0 1.0 0.0 Water Paper Using too much Figure 2 Teachers' judgments of severity by materiales and settings -28- To assess how different goods and materials and the context of their use affected teachers’ responses to environmentally deviant behaviors of children, an ANOVA was performed with the rating-scale scores in 2 situations (everyday life and play settings) for environmental deviancy related to 2 materials (water and paper) × 2 two contexts (daily living and play). Results indicated that only the main effect of context was significant (F(1,154)=182.80, p<.001), indicating that teachers’ responses were more strict in relation to “using a lot of tissues for blowing one’s nose” and “keeping water running while brushing the teeth,” than when “using too much paper for pretend play” and when “using too much water for sandbox play.” These results suggest that teachers are stricter when materials and resources were wasted in daily life situations than when the same materials and resources were used in the context of play (Figure 2). 3. Study 2: Cognition of mottainai by kindergarten students and their socio-moral judgments regarding environmental deviancy 3.1 Purpose This study investigated children’s understanding about situations involving mottainai and identified characteristics of children’s ethical norms related to the environment by comparing their judgments about environmental deviancy and socio-moral deviancy. 3.2 Method Participants A total of 51 children (22 boys and 29 girls; mean age 5 years and 10 months) attending private kindergartens in the vicinity of Tokyo participated in the study. Materials We selected the following five situations from deviant situations used in Study 1: “antisocial behaviors,” “violation of kindergarten rules,” “violation of self-regulation,” “environmental deviation related to food,” and “environmental deviation related to water.” Participants were presented with two situations for each deviation. They were assigned into two groups. Each group was presented with a total of five situations consisting of one situation each for “antisocial,” “kindergarten rule violation,” and“self-regulation violation,” as well as two situations for environmental deviation related to water and food. The same situations were used for the two environmentally deviant behaviors to examine how the different contexts of wasting goods and materials affected children’s judgments. To ensure that the children understood each situation well, the questions were presented as a simple story with illustrations depicting the content (Figure 3). Procedures A. Characteristics of children’s judgment regarding the undesirability of environmentally deviant behaviors. The participants were interviewed individually. After establishing a rapport with the child, the interviewer gave general instructions and presented illustrations of five stories in a random order and slowly read the stories aloud to the child. After reading the five stories, the interviewer checked the children’s understanding of the story content. The interviewer initially asked the child -29- “Which of the five children in the stories did the worst act?” After the child chose an illustration in response to this question, the interviewer asked the child the reason for the decision. Then, the interviewer removed the illustration chosen by the child and asked the child again, “Which of the remaining four children did the worst act?” This process was repeated until all five illustrations were shown to the child. everiday life setting: "keeping water running while brushing the teeth" Figure3 play setting: "using too much water for sandbox play" Sample pictures - using too much water in everyday life and play settings B. Children’s cognition of mottainai After finished the interviews inquiring about judgments and establishing the reasons for these judgments, the children were asked about their cognition of mottainai. The interviewer asked whether they had ever heard of the word “Mottainai” and from those that responded in the affirmative, the interviewer inquired, “In which situations did you use the word?” and “Who used the word?” These interviews were conducted individually and lasted for approximately 15 minutes. 3.3 Results and Discussion A. Children’s cognition of mottainai Of the 38 children (74.5%) that had heard the word “Mottainai”, 17 responded that they used the word in situations associated with food, 10 responded that they used it with water, and 12 responded that their parents had used the word. Of the children that had heard of the word “mottainai”, approximately 30% to 40% responded that they did not know when it should be used, indicative of the ambiguous cognition held about this word by the children. B. Characteristics of environmental deviancy judgments Each story was assessed on the basis of its score, which ranged between 1 and 5, with 1 indicating a story judged as least deviant and 5 indicating one that was judged as most deviant. A 2 (groups) x 5 (stories) ANOVA indicated that the main effect of the story was significant (F(4,196)=28.65, p<.001) and that the children’s judgment of undesirability was ranked in the following order: “antisocial, self-regulation violation” > “violation of kindergarten rules” > “2 deviant environmental behaviors.” This result is similar to the results regarding kindergarten teachers’ -30- involvement (Figure 4). Unlike the results for teachers, the contextual differences (life vs. play or rice vs. side dishes) did not affect children’s judgments of environmental deviancy. Mean judgment of wrongness 1.0 2.0 3.0 4.0 5.0 Antisocial behavior Violation of kindergarten rules Violation of self-regulation Environmental deviancy (wasting water while brushing the teeth) Environmental deviancy (using too much water in sandbox) Figure 4 Children's judgments of wrongness about the socio-moral behaviors Analyzing the reasons for negative judgments revealed that approximately 90% of the children mentioned empathy with people affected by the deviancy, violation of rights and unfairness, as well as the undesirability of the action itself such as, “it is absolutely forbidden,” and “it is something that we are not supposed to do.” Regarding reasons for violating kindergarten rules, 57% mentioned causing problems to others, or being scolded by adults. As reasons for violation of self-regulation, 92% mentioned its negative impact on safety and health, and the undesirability of the deviant behavior itself. These findings suggest that children used moral concepts in judging antisocial deviancy, social conventions in judging violations of kindergarten rules, and prudence when judging violations of self-regulation. These finding are consistent with earlier research demonstrating that 5-year-olds had developed the concept of a basic social domain. In relation to environmental deviancy related to water, many participants mentioned environment related concerns such as, “there would not be enough water left in the future”. The reasons for this judgment varied with the context of water use; 16 (64%) mentioned environmental concerns over deviancy in daily-life situations, whereas 7 (28%) mentioned environmental-concerns over deviancy in play situations. However, only one participating child gave a reason for judgments about environmental concerns in a food-related situation. Many simply repeated the story, thought that the action of leaving food uneaten was bad, or showed some empathy with the person that prepared the food. These results show that young children judged environmental deviancy as being “less bad” than socio-moral deviancy. Moreover, they interpreted certain situations from an environmental perspective, depending on the goods and materials that were used, or was wasted. Similar to the results obtained with teachers, many children considered leftover food through empathy with the feelings of food producers, rather than from an environmental perspective, indicative of ethical norms in young children. -31- -32- 25 26 26 Environmental deviancy (using too much water in sandbox) Environmental deviancy (some leftover rice) Environmental deviancy (leftover dishes) * "no response" are not included. 25 Environmental deviancy (wasting water while brushing the teeth) 4 8 4 0 0 51 Violation of self-regulation 1 51 16 51 n Violation of kindergarten rules Antisocial behavior Socio-moral transfressions ( 15.4) ( 30.8) ( 16.0) ( 0.0) ( 0.0) ( 31.4) 8 3 4 7 7 5 ( 30.8) ( 11.5) ( 16.0) ( 28.0) ( 13.7) ( 9.8) ( 29.4) 0 0 1 0 0 0 8 ( 0.0) ( 0.0) ( 4.0) ( 0.0) ( 0.0) ( 1.0) 5 4 0 0 0 0 2 ( 19.2) ( 15.4) ( 0.0) ( 0.0) ( 0.0) 4 3 6 0 4 ( 15.4) ( 11.5) ( 24.0) ( 0.0) ( 7.8) ( 56.9) ( 3.9) 4 0 2 0 40 1 1 ( 15.4) ( 0.0) ( 8.0) ( 0.0) ( 78.4) ( 2.0) ( 2.0) 1 6 1 0 0 0 0 ( 3.9) ( 23.1) ( 4.0) ( 0.0) ( 0.0) ( 0.0) ( 0.0) Not bad Personal domain thinking Social order / Consequences to Social rule the actor Conventional domain thinking ( 0.0) 29 ( 45.1) Others' welfare / empathy ( 15.7) 23 Categorical Others' rights / wrong fairness ( 2.0) 15 Situational statement Moral domain thinking Justification categories Table 2 Frequencies of justification categories in each of socio-moral transgressions 0 1 7 16 0 0 0 ( 0.0) ( 3.8) ( 28.0) ( 64.0) ( 0.0) ( 0.0) ( 0.0) Environmental consciousness (%) 4. Conclusion Young children judged environmentally deviant behaviors, such as over using goods and materials and leaving food uneaten to be “less bad” than socially and morally deviant behaviors. Only a few children considered wasting water from an environmental perspective, however, almost no child considered “leaving food uneaten” from an environmental perspective. Many of the children knew the word “mottainai,” but they had little understanding of situations in which the word was used. This indicate that the children’s cognition of mottainai is at an early stage of development and not sufficiently strong to motivate environmentally conscious behavioral norms. It is suggested that further research be conducted on this issue using a wider sample of children. The characteristics of children’s judgments and the reasons for their judgments about mottainai nearly corresponded with the characteristics of teachers’ cognitions of mottainai and how they responded to such situations. Young children develop social cognitions in an environment created by the teachers. Further research is necessary on the quality of environment related moral standards of teachers that forms the basis of their responses. Antisocial behaviors are characterized by direct harm to others, whereas violations of self-regulation are characterized by direct harm to the self. Understanding these characteristics will promote the development of norms of morality and prudence. On the other hand, effects of deviant environmental behaviors are indirect, and targets of these behaviors, such as the self, humans, animals, the earth, or life after 10 years are unclear. Due to constraints imposed by cognitive development, children might have difficulties in understanding the effects of human-environmental interactions. Nevertheless, children could deduce a direct cause-and-effect relationship in situations related to water, such as wasting water when brushing the teeth, or using a large quantity of water in a sandbox. This was expressed in statements such as, “if the water is gone, then it is trouble for me,” and “flowers will die.” This suggests that the concept of water can be an effective medium for environmental education in early childhood. It is suggested that the concept of water be used as the theme of environmental education in the future. The teachers had different judgments about wasting water based on whether water was wasted in daily life, or play situations. Water is an essential part of sandbox play that makes it more fun. Water in sandbox play also helps in the mental development of children, by teaching them the nature of sand, as well as providing social experiences; such as more play opportunities in playgroups. Therefore, water adds dynamism to sandbox play, although this perspective contradicts the environmental conservation argument. However, clearly both perspectives have a certain degree of merit. Therefore, it may be important for teachers to adjust their opinions on the use of materials and wasting food, and establish kindergarten rules by working closely with children’s families. References Hirose, Y. (2008). Social Psychology on environmentally conscious behavior. Kyoto: Kitaohjishobou. (Japanese) -33- Inoue, M. (2010). Review of the research on environmental education during early childhood in the past 20 years. Enviromental Education, 19(1), 95-108. (Japanese) Kurokawa, M. (2012). The influence of Mottainai emotions on environmentally conscious behavior: The differences in prerequisites for their occurrence. Bulletin of Fukuoka University of Education, 61, Part IV(Education and Psychology), 27-35. (Japanese) Maathai, W. M. (2010). Replenishing the Earth: Spiritual Values for Healing Ourselves and the World. New York: Doubleday. Shuto, T. and Ninomiya, K. (2003). Development of Children's Moral Autonomy. Tokyo: Kazama Shobou. (Japanese) Turiel, E. (2002). The culture of morality: Social development, context, and conflict. Cambridge, England: Cambridge university press. Turiel, E. (2006). The development of morality. In W. Damon, Lerner, R. M., N. Eisenberg (Eds.), Handbook of Child Psychology, Volume 3, Social, Emotional, and Personality Development, 6th Edition, New York: Wiley, pp.789-857. Wainryb, C. (2006). Moral development in culture: Diversity, tolerance, and justice. In M. Killen & J. G. Smetana (Eds.), Handbook of moral development. Mashwah, NJ: Erlbaum, 211-240. Appendix Deviant Situations Presented to Children (Names in parenthesis are for situations shown to girls) Group A (N=25) A1- Antisocial violation, cutting into a line Some children are standing in line waiting for their turn to play on a slide. Jiro arrives there late, but doesn’t wait for his turn and cuts into the line when everyone is standing and waiting. A2- Violation of kindergarten rules (violations related to cleaning and organizing) Yuki (Yuri) has just arrived at the kindergarten and goes into a classroom. Then, Yuki (Yuri) goes running outside to play with a friend without putting his (her) bag in the proper place, leaving it on the floor. A3- Violation of self-regulation (dangerous play) Kento (Momoko) is climbing up and jumping down from the window frame. A4- Environmental deviation (wasting water while brushing the teeth) Taro (Hanako) is brushing his (her) teeth after lunch in the kindergarten. Although he (she) doesn’t use water while brushing, he (she) keeps the water running and does not turn off the water. A5- Environmental deviation (using too much water) Shota (Sakura) is playing in the sandbox. Shota pours water into the sandbox using a hose to make river. Group B (N=26) B1- Antisocial violation (breaking art works) Jiro’s (Kaori’s) friend is having fun building a rocket (castle) with milk cartons. Jiro (Kaori) looks at the rocket (castle) and tells the friend “It doesn’t look good” and “You are -34- not good at it,” then, stomps on the rocket (castle) and breaks it. B2- Violation of kindergarten rules (making the classroom dirty by not taking off shoes) Kento (Momoko) is playing in the kindergarten playground. Kento (Momoko) suddenly says, “Oops, I forgot my hat!” and comes into the classroom with his (her) outside shoes on to get his (her) hat. B3- Self-regulation violation (sanitary practice violation) Yuki (Yuri) finishes playing outside with friends and comes inside the classroom without washing his (her) hands and gargling. B4- Environmental deviation (leftovers) Taro (Hanako) is eating lunch at the kindergarten. Taro (Hanako) finishes eating but his/her plate has some leftover rice. B5- Environmental deviation (having strong food preferences) Shota (Sakura) is eating lunch at the kindergarten. Shota’s (Sakura’s) plate has some leftover food that he (she) dislikes. Correspondence concerning this article should be sent to: SHUTO, Toshimoto Department of Early Childhood Education and Care Faculty of Education, Saitama University Shimo-Ohkubo 255, Sakura-ku, Saitama 338-8570, Japan E-mail: [email protected] (Received November 12, 2012) (Accepted January 11, 2013) -35- -36- 埼玉大学紀要 教育学部, 62(1):37-44(2013) 養護教諭養成大学学生における看護に関する知識・技術の認識 ―現職養護教諭との認識の比較― 岩井法子 群馬県渋川市立渋川南小学校 中下富子 埼玉大学教育学部 佐光恵子 群馬大学医学部 久保田かおる 埼玉大学大学院教育学研究科修士課程 上原美子 筑波大学大学院人間総合科学研究科後期課程 キーワード:養護教諭養成大学学生、看護、養護教諭 1.序論 近年、都市化、少子高齢化、情報化、国際化などによる社会環境や生活環境の急激な変化は、 子どもの心身の健康にも大きな影響を与えており、学校生活においても生活習慣の乱れ、いじめ、 不登校、児童虐待などのメンタルヘルスに関する課題、アレルギー疾患、性の問題行動、薬物乱 用、感染症など新たな健康課題が顕在化している。同時に医療の進歩と小児の疾病構造の変化に 伴い、長期にわたり継続的な医療を受けながら、学校生活を送る子どもの数も増えてきている 1)。 平成 18 年度の保健室利用状況に関する調査報告書 2)によると、来室理由別利用状況では、 「けが や鼻血の手当」、「体調が悪い」、「なんとなく」の順で多く、養護教諭が対応した内容は「けがの 手当」、「問診・バイタルサインの確認」、「経過観察」、「健康相談活動」等が上位となっており、 養護教諭の看護の知識・技術が日常の保健室で求められていることがうかがえる。また、 「学校保 健安全法」(2009 年4月1日施行)3) において、養護教諭は健康相談又は児童生徒等の健康状態 の日常的な健康観察により、心身の状況を把握し、健康上の問題があると認めるときは必要な指 導を行うことと明記されている。このように多様化・深刻化した心身の問題を抱える児童生徒に 対応するために、学校での医療に通じた存在である養護教諭は適切に対応できる看護の知識・技 術が必要であり、その教育を養護教諭養成の中で行っていかなければならない 4)。養護教諭は救 命救急の生命のリングに繋ぐプレホスピタルケアの専門職でもあり、救急処置の判断能力等は大 学院教育においても期待されている 5)。 養護教諭の対応に関する先行研究では、救急処置については、日常的に経験している処置は自 信を持って行っている 6)が、緊急時の「判断」 ・「対応」には、9割以上の養護教諭が困難を感じ ており、特に生命に関わるものや障害を残す可能性のあるものにおいてその頻度が高いことが明 らかにされている 7)。また、根拠ある判断・行動には正しい知識や技術、正確な判断を身につけ ておく必要があることが示されている 8)9)。慢性疾患については、養護教諭が行った具体的な支援 は体調管理に関することが最も多いこと 10)や、糖尿病や重要な心疾患等のように、インシュリン 注射や安静の保持が必要な疾患を有する児童に十分関わっていることを述べている 11)。メンタル ヘルスについては、主として身体症状という形で表出され、そのような生徒は自分を見てくれる 人の存在を求めていることが明らかになっており 12)、養護教諭は救急処置、疾患のある子どもへ の対応、心の健康問題への対応とさまざまな専門的な知識や技術が必要となることが先行研究か -37- ら示された。 筆者らは現職養護教諭が必要と感じている看護の知識・技術についての調査を行い、心の健康 問題に対応するための知識・技術が必要とされていることや、いずれの看護に関する知識・技術 の項目においても現職養護教諭の研修ニーズが高いことを明らかにしている 13)。しかしながら、 学生の看護に関する知識・技術の認識について明らかにした研究はみられない。そこで本研究は、 養護教諭養成大学学生と現職養護教諭における看護に関する知識・技術の学習やその経験の認識 について把握することを目的とした。なお、本研究では、看護とは教育職員免許法における養護 教諭の免許取得に必要な科目、養護教諭養成におけるカリキュラム改革の提言 14)により示されて いる養護に関する科目としての「看護学(臨床実習及び救急処置を含む)」の内容とする。 2.方法 2-1 調査 A (1) 対象 a 市内の国公立小・中学校に勤務する現職養護教諭 76 名。 (2) 調査方法 a 市教育委員会の許可を得た後、学校長、養護教諭宛に調査に関する目的や方法を記載した依 頼文と調査票を郵送した。調査方法は無記名自記式質問紙調査法で、回答形式は選択式およ び自由記述式とした。調査票の郵送による返信を持って同意を得られたものとみなした。 (3) 調査内容 ①看護に関する知識・技術について 49 項目、②基本事項(年齢、勤務年数、勤務校、児童生徒 数、看護職免許の有無)である。①においては、職場での経験、及び、養護教諭養成大学での学 習の必要性について調査した。また、職場での経験については 2008 年度1年間に限定して調査 を行った。職場での経験の回答形式は「ほとんどない」、 「まれにある」、「よくある」、「非常によ くある」の4件法を用い、学習の必要性の回答形式は「必要でない」 、「やや必要でない」、「やや 必要である」 、「非常に必要である」の4件法を用いた。なお調査項目には、保健室利用状況に関 する調査報告書2)における「救急処置別保健室利用状況」、 「児童生徒の疾患罹患者数」、 「心の健 康に関する事項」、及び榎本ら 6)、福田ら 15)の研究における調査項目の一部を加えた。さらに、中 央教育審議会答申「子どもの心身の健康を守り、安全・安心を確保するために学校全体としての 取組を進めるための方策について」 (2008)1)、学校保健統計調査 16)、年齢階級・疾病分類別通院 者率、受療率 17)から、 「小児がん、難病等」、 「う歯」、 「視力低下」、 「感染症」、 「新興感染症」、 「HIV・ 性感染症」、 「薬物依存」 、「リスクマネージメント」を調査項目として加えた。 (4) 調査期間 2009 年 7 月∼8 月(2 ヶ月間) (5) 分析方法 分析には SPSS 15.0J を用い、質問項目ごとに単純集計を行った。 (6) 倫理的配慮 2008 年文部科学省及び厚生労働省の疫学研究に関する倫理指針に基づき、本研究における目的、 調査方法についての説明を行った。入手した情報は本研究目的以外には利用しないこと、個人の プライバシー保護に努める等の倫理的配慮を行った。調査 B も同様に倫理的配慮を実施した。 -38- 2-2 調査 B (1) 対象 b 大学養護教諭養成課程に在籍する3年生 22 名、4年生 30 名の計 52 名。 (2)調査方法 無記名自記式質問紙調査法を実施した。 (3)調査内容 看護に関する知識・技術について 49 項目について、将来自分が養護教諭として勤務する時に経 験するであろう可能性、及び、学びたい・さらに学びを深めたい項目について調査した。経験の 可能性の回答形式は「ほとんどないと思う」、 「まれにあると思う」、 「よくあると思う」、「非常に よくあると思う」の4件法を用い、学びたい項目の回答形式は「思わない」、「あまり思わない」、 「やや思う」 、 「非常に思う」の4件法を用いた。調査項目は調査 A と同様の項目を使用した。な お、調査対象とした 3・4 年生はすでに養護実習を終了している。 (4)調査期間 2011 年1月 (5)分析方法 分析には SPSS 15.0J を用い、質問項目ごとに単純集計を行った。 3.結果 3-1 対象者の属性(表 1、表 2) 対象学生は 52 名のうち、43 名から有効回答(有効回答率 82.7%)を得た。学年は3年生が 19 名(44.2%) 、4年生が 24 名(55.8%)であった(表 1)。 対象養護教諭は 76 名のうち 43 名の養護教諭から有効回答(有効回答率は 56.5%)を得た。養 護教諭 43 名の年齢は 40 代以上が9割であり、勤務経験年数は 21 年以上が 5 割を超えていた(表 2)。看護師免許は約 8 割が取得していた。 3-2 看護に関する知識や技術に対する認識について(表 3-1・2) 将来養護教諭として勤務する時に経験するであろうと学生が認識している項目は、 「非常によく あると思う」、「よくあると思う」と答えた人数を合計すると、「う歯」・「視力低下」(100.0%)、 「いじめ・不登校」 (97.7%)、 「胃腸症状」 ・ 「頭痛」 ・ 「発熱」 ・ 「かぜ」 ・ 「打撲・捻挫・脱臼」 ・ 「切 り傷・擦過症」・「感染症」(95.3%)の順に多かった。養護教諭が行う職場での経験では、「非常 によくある」と「よくある」と答えた人数を合計すると、 「頭痛」 ・ 「かぜ」 (95.3%)が最も多く、 「肥満」(93.0%)、「胃腸症状」・「切り傷・擦過傷」・「止血法」・「視力低下」(90.7%)の順に経 験していた。 学生がこれから学びたい・さらに学びを深めたい項目について、 「非常に思う」と答えた項目は、 「アレルギー」・「心臓病」・「腎臓病」(93.0%)、「頭部外傷」・「糖尿病」(90.7%)の順に多く、 全項目で 70%以上であった。養護教諭が養護教諭養成大学における学習の必要性について、 「非 常に必要である」と答えた項目は、 「熱中症」・「心肺蘇生法」・「食物アレルギー」・「救命救急法」 (83.7%)、 「頭部外傷」 ・ 「骨折」 (83.3%)、 「打撲・捻挫・脱臼」 ・ 「ぜん息」 ・ 「いじめ・不登校」・ -39- 「発達障害」 (81.4%)の順に多く、全 49 項目中、70%以上の養護教諭が「非常に必要である」 と答えた項目は 26 項目であった。 表 1 学生の所属 項目 学年 カテゴリ 3年 4年 計 人数 19 24 43 % 44.2 55.8 100.0 表 2 現職養護教諭の属性 項目 年齢 勤務年数 校種別 児童生徒数 看護職免許 カテゴリ 20代 30代 40代 50代以上 無回答 5年未満 5∼10年 11∼20年 21年以上 無回答 小学校 中学校 無回答 200人未満 200∼399人 400∼599人 600人以上 無回答 あり なし 無回答 人数 計 % 1 2 24 15 1 2 2 14 24 1 27 15 1 6 13 19 4 1 33 9 1 43 2.3 4.7 55.8 34.9 2.3 4.7 4.7 32.6 55.7 2.3 62.8 34.9 2.3 14.0 30.2 44.2 9.3 2.3 76.8 20.9 2.3 100.0 3-3 養護教諭養成大学学生と現職養護教諭との認識の違い 現場での経験の認識において、7割以上の学生が経験するであろうと認識しているにも関わら ず、現職養護教諭の経験が3割未満であった項目は、「歯科に関すること」、「性に関すること」、 「新興感染症」であった。学生、現職養護教諭ともに、学習の必要性は全 49 項目で7割以上を超 えていた。 4.考察 現職養護教諭が7割以上経験している「頭痛」、 「かぜ」等の看護の知識・技術 14 項目につい ては、ほぼ9割以上の学生が現場で経験するであろうと認識している項目であった。学生は養護 実習や保健室でのボランティア等により、現場で非常に必要とされている看護の知識・技術を認 識していると推察される。しかし、 「歯科に関すること」、 「性に関すること」、 「新興感染症」につ いては、学生と現職養護教諭で大きく認識の違いがあった。これは、現職養護教諭の経験は 2008 年度1年間での経験についての回答であり、学生は1年間に限らず今後養護教諭として勤務して -40- 表 3-1 看護に関する知識・技術(1) 項 目 胃腸症状 頭痛 発熱 かぜ 疲労 不定愁訴 アレルギー 過呼吸・ パニック 眼科に 関すること 耳鼻科に 関すること 歯科に 関すること 頭部外傷 骨折 打撲・捻挫・ 脱臼 火傷 切り傷・ 擦過症 熱中症 止血法 包帯法 副木などの 固定法 安楽と安全の 体位法 運搬法 心肺蘇生法 養護教諭n=43、現職養護教諭n=43 現場での経験 養護教諭養成大学での学習 学生 現職養護教諭 経験有 経験無 (予想) (予想) 経験有 経験無 41 95.3 41 95.3 41 95.3 41 95.3 38 88.4 38 88.4 37 86.0 24 55.8 33 76.7 29 69.0 33 78.6 33 76.7 21 48.8 41 95.3 24 55.8 41 95.3 29 67.4 40 93.0 27 62.8 17 39.5 25 58.1 13 30.2 5 11.6 2 4.7 2 4.7 2 4.7 2 4.7 5 11.6 5 11.6 6 14.0 19 44.2 10 23.3 13 31.0 9 21.4 10 23.3 22 51.2 2 4.7 19 44.2 2 4.7 14 32.6 3 7.0 16 37.2 26 60.5 18 41.9 30 69.8 38 88.4 39 90.7 41 95.3 36 85.7 41 95.3 35 81.4 32 74.4 14 32.6 6 14.0 21 48.8 10 23.3 12 27.9 23 53.5 12 27.9 38 88.4 6 14.0 39 90.7 9 20.9 39 90.7 14 32.6 7 16.3 10 23.3 2 4.8 1 2.3 4 9.3 2 4.7 6 14.3 2 4.7 8 18.6 11 25.6 29 67.4 37 86.0 22 51.2 33 76.7 31 72.1 20 46.5 31 72.1 5 11.6 37 86.0 4 9.3 34 79.1 4 9.3 29 67.4 36 83.7 33 76.7 40 95.2 42 97.7 上段は人数、下段は% -41- 学生 学びた 学びた いと思 いと思 う わない 43 0 100.0 0.0 43 0 100.0 0.0 43 0 100.0 0.0 42 1 97.7 2.3 43 0 100.0 0.0 43 0 100.0 0.0 43 0 100.0 0.0 41 2 95.3 4.7 43 0 100.0 0.0 43 0 100.0 0.0 43 0 100.0 0.0 43 0 100.0 0.0 43 0 100.0 0.0 43 0 100.0 0.0 41 2 95.3 4.7 42 1 97.7 2.3 41 2 95.3 4.7 41 2 95.3 4.7 43 0 100.0 0.0 43 0 100.0 0.0 43 0 100.0 0.0 42 1 97.7 2.3 43 0 100.0 0.0 現職養護教諭 必要 41 97.6 41 97.6 40 95.2 39 92.9 39 92.9 41 97.6 41 97.6 41 97.6 41 97.6 41 97.6 41 97.6 41 97.6 41 97.6 41 95.3 41 95.3 41 95.3 41 95.3 42 97.7 40 95.2 41 95.3 42 97.7 41 95.3 42 97.7 不要 1 2.4 1 2.4 2 4.8 3 7.1 3 7.1 1 2.4 1 2.4 1 2.4 1 2.4 1 2.4 1 2.4 1 2.4 1 2.4 2 4.7 2 4.7 2 4.7 2 4.7 1 2.3 2 4.8 2 4.7 1 2.3 2 4.7 1 2.3 表 3-2 看護に関する知識・技術(2) 項 目 現場での経験 学生 心臓病 腎臓病 糖尿病 ぜん息 アトピー性 皮膚炎 食物 アレルギー けいれん疾患 血液疾患 小児がん・ 難病等 う歯 肥満 視力低下 いじめ・ 不登校 児童虐待 摂食障害 睡眠障害 性に関する 問題 発達障害 感染症 新興感染症 HIV・ 性感染症 薬物依存 食中毒 滅菌や消毒法 救命救急法 リスク マネージメント 養護教諭n=43、現職養護教諭n=43 養護教諭養成大学での学習 現職養護教諭 経験有 (予想) 経験無 (予想) 経験有 経験無 13 30.2 13 30.2 12 27.9 36 83.7 40 93.0 34 79.1 21 48.8 6 14.0 5 11.6 43 100.0 40 93.0 43 100.0 42 97.7 19 44.2 20 46.5 23 53.5 35 81.4 33 76.7 41 95.3 32 74.4 8 18.6 4 9.3 24 55.8 40 93.0 22 51.2 23 53.5 30 69.8 30 69.8 31 72.1 7 16.3 3 7.0 9 20.9 22 51.2 37 86.0 38 88.4 0 0.0 3 7.0 0 0.0 1 2.3 24 55.8 23 53.5 20 46.5 8 18.6 10 23.3 2 4.7 11 25.6 35 81.4 39 90.7 19 44.2 3 7.0 21 48.8 20 46.5 18 41.9 18 41.9 6 14.0 27 62.8 31 72.1 19 44.2 13 30.2 2 4.7 3 7.1 37 86.0 40 93.0 39 90.7 30 69.8 7 16.3 4 9.3 8 18.6 12 27.9 29 67.4 38 88.4 4 9.3 1 2.3 2 4.7 2 4.7 30 69.8 8 18.6 10 26.3 25 58.1 25 58.1 37 86.0 16 37.2 12 27.9 24 55.8 30 69.8 41 95.3 39 92.9 6 14.0 3 7.0 4 9.3 13 30.2 36 83.7 39 90.7 35 81.4 31 72.1 14 32.6 5 11.6 39 90.7 42 97.7 41 95.3 41 95.3 13 30.2 35 81.4 28 73.7 上段は人数、下段は% -42- 学生 学びた 学びた いと思 いと思 う わない 43 0 100.0 0.0 43 0 100.0 0.0 43 0 100.0 0.0 43 0 100.0 0.0 43 0 100.0 0.0 43 0 100.0 0.0 43 0 100.0 0.0 42 1 97.7 2.3 42 1 97.7 2.3 43 0 100.0 0.0 42 1 97.7 2.3 42 1 97.7 2.3 43 0 100.0 0.0 43 0 100.0 0.0 43 0 100.0 0.0 43 0 100.0 0.0 43 0 100.0 0.0 43 0 100.0 0.0 43 0 100.0 0.0 43 0 100.0 0.0 42 0 100.0 0.0 42 0 100.0 0.0 42 0 100.0 0.0 41 1 97.6 2.4 42 0 100.0 0.0 42 0 100.0 0.0 現職養護教諭 必要 42 97.7 42 97.7 43 100.0 43 100.0 42 97.7 43 100.0 42 97.7 36 83.7 38 88.4 42 97.7 41 95.3 40 93.0 43 100.0 43 100.0 41 95.3 41 95.3 43 100.0 42 97.7 43 100.0 43 100.0 43 100.0 43 100.0 43 100.0 42 97.7 43 100.0 40 97.6 不要 1 2.3 1 2.3 0 0.0 0 0.0 1 2.3 0 0.0 1 2.3 7 16.3 5 11.6 1 2.3 2 4.7 3 7.0 0 0.0 0 0.0 2 4.7 2 4.7 0 0.0 1 2.3 0 0.0 0 0.0 0 0.0 0 0.0 0 0.0 1 2.3 0 0.0 1 2.4 いく中で経験するであろう全てについて回答しているため、学生が高い予想をしていると考えら れる。また、「性に関する問題」は、小・中学校に比べて高等学校で経験することが多いこと 2) から、対象である現職養護教諭は小・中学校での経験について回答しているのに対し、学生は高 等学校を含めた全ての校種について回答していると推察される。 学習の必要性について7割以上「非常に必要である」と答えた項目は、学生は 49 項目全てであ り、現職養護教諭は 26 項目であった。その中でも「心臓病」、「腎臓病」、「糖尿病」、「摂食障害」 はほぼ9割の学生がさらに学びを深めたいと思っているにも関わらず、 「非常に必要である」と答 えた現職養護教諭は6割であった。学校生活において管理が必要な疾患である「心臓病」、「腎臓 病」、「糖尿病」については、医師による学校生活管理指導表に基づく管理が求められている 18)。 主治医と養護教諭の関わりはほとんどが保護者を通しての関わりであり、保護者から病名や学校 生活上の制限・注意など学校生活に深くかかわるものに関して情報提供が行われている 11)19)。こ のように主治医や保護者との連携により、円滑に対応することが可能であることや、実際の経験 が「心臓病」 ・ 「腎臓病」4割、 「糖尿病」1割と多くないことから、現職養護教諭は他の項目の学 習の必要性を比較し、 「非常に必要である」と回答した人数がやや少なかったと考えられる。しか し、 「心臓病」、 「腎臓病」 、 「糖尿病」の児童生徒の日々の健康管理のみならず、これらは定期健康 診断において発見される疾病でもあることから、十分に学んでおく必要があると考える。 「摂食障 害」については、校種別の「摂食障害」の児童生徒がいる学校の割合は小学校で 8.3%、中学校で 37.9%、高等学校で 63.1%であり 2)、現職養護教諭の勤務校が小・中学校のため、あまり経験す ることがなく、必要性を感じていない可能性がある。 「摂食障害」は、発達段階が進むにつれて経 験する可能性が高くなることから、理解を深めておく必要があるといえる。 以上のことから、養護教諭養成大学学生は現職養護教諭よりもさまざまな看護の知識・技術を 学校現場で経験すると考え、学習の必要性を感じていた。福田ら 15)は、学校現場で経験すること が少ない項目も、必要が生じた時のために学習しておいた方がよいと考える現職養護教諭が多い ことを述べており、学校現場で少しでも経験する可能性のある看護の知識・技術については養成 教育の段階で十分に学んでおく必要がある。教育系、看護系、学際系等の養護教諭養成大学があ るなか、限られた時間で、看護に関する知識・技術が実際の学校現場においてどのように活かさ れるのかイメージできる教育内容や教育方法が求められていると考える。 5.結論 本研究により、学生における看護に関する知識・技術の認識について以下の知見が得られた。 1)現職養護教諭が7割以上経験している「頭痛」、 「かぜ」等の看護の知識・技術 14 項目について は、ほぼ 9 割以上の学生が現場で経験するであろうと認識している項目であった。2)学習の必要 性について7割以上「非常に必要である」と答えた項目は、学生は 49 項目全てであり、現職養護 教諭は 26 項目であった。その中でも「心臓病」、 「腎臓病」、 「糖尿病」、 「摂食障害」はほぼ 9 割の 学生が非常に学びを深めたいと思っていたが、 「非常に必要である」と答えた現職養護教諭は 6 割 であった。これらのことから、学生は現職養護教諭よりもさまざまな看護の知識・技術を学校現 場で経験すると考え、学習の必要性を感じていることが示された。 -43- 引用文献 1)文部科学省中央教育審議会答申:子どもの心身の健康を守り、安全・安心を確保するために学 校全体としての取組を進めるための方策について、2008 2)日本学校保健会:保健室利用状況に関する調査報告書(平成 18 年度調査)、2008 3)学校保健安全法、2009 年4月1日施行 4)永石喜代子、大野泰子、米田綾夏他:養護教諭養成教育の動向―質問紙調査からの検討 第1 報―、鈴鹿短期大学紀要、28、77-93、2008 5)鎌田尚子:専門職としての養護教諭の資質・力量と能力特性及び大学院教育、学校保健研究、 51(6)、390-394、2010 6)榎本麻里、茂野香おる、大谷眞千子他:学校における応急処置と心肺脳蘇生法(CPCR) (第 1 報)−養護教諭からみた救急体制の現状と CPCR の自信(人間科学編)−、千葉県立衛生短期 大学紀要、20(1)、45-52、2001 7)河本妙子、松枝睦美、三村由香里他:学校救急処置における養護教諭の役割−判例にみる職務 の分析から−、学校保健研究、50(4)、221-233、2008 8)武田和子、三村由香里、松枝睦美他:養護教諭の救急処置における困難と今後の課題−記録と 研修に着目して−、日本養護教諭教育学会誌、11(1)、33-43、2008 9)津村直子、能登山裕美:判断処置に困難を要した救急処置事例の検討―外科系の事例について ―、北海道教育大学紀要(教育科学編)、54(1)、199-206、2003 10)田村恭子、伊豆麻子、金泉志保美他:養護教諭が行う慢性疾患をもつ児童生徒への支援と連 携に関する現状と課題∼B市における調査から∼、小児保健研究、68(6)、708-716、2009 11)中下富子、佐光恵子:M市における慢性疾患を有する児童に対する養護教諭のかかわり、日 本養護教諭教育学会誌、8(1)、66-73、2005 12)櫻井聖子、青木紀久代:中学生のメンタルヘルスと心理的サポート源としての保健室∼保健 質頻回利用者とサポート源を持たない生徒のメンタルヘルス検討の試み∼、学校保健研究、47、 50-61、2005 13)岩井法子、佐光恵子、中下富子他:現職養護教諭が必要と感じている看護に関する知識・技 術、日本健康相談活動学会、6(1)、71-79、2011 14)日本教育大学協会全国養護教諭部門研究委員会:養護教諭養成におけるカリキュラム改革の 提言―モデル・コア・カリキュラムからとらえた教育職員免許法「養護に関する科目」の分析 をふまえて―、2010 15)福田博美、天野敦子、岡田加奈子他:教育学部養護教諭養成の看護系科目に対する卒業生の 学習ニーズ、学校保健研究、45(4)、331-342、2003 16)文部科学省:平成 20 年度学校保健統計調査、2008 17)厚生統計協会:国民衛生の動向、2008 18)采女智津江:新養護概説第5版、少年写真新聞社、78、2009 19)山田紀子、武智麻里、小田慈:慢性疾患を持つ児童・生徒の学校生活における医療と教育の 連携、小児保健研究、66(4)、537-544、2007 (2012 年 11 月 12 日提出) (2013 年 -44- 1 月 11 日受理) 埼玉大学紀要 教育学部, 62(1):45-54(2013) 肢体不自由特別支援学校における「準ずる教育課程」に対する一考察 ―「多様な教育の場」とするための課題提起― 児嶋芳郎 特定非営利活動法人発達保障研究センター・埼玉大学教育学部非常勤講師 細渕富夫 埼玉大学教育学部特別支援教育講座 キーワード:肢体不自由特別支援学校、「準ずる教育課程」、「多様な教育の場」 1.問題の所在 現在、学校現場に対する管理・統制が強くなったために、自主的な教育課程編成が困難とな り、創意工夫をした教育実践を行うことに難しさを感じる教員が増えているといわれる(たと えば、杉浦、2010)。 2009 年に文部科学省(以下、文科省)によって「告示」という形で出された特別支援学校小 学部・中学部学習指導要領(文部科学省、2009a)では、「第1章 程の編成」の「第1 総則」の「第2節 教育課 一般方針」に、 「各学校においては、教育基本法及び学校教育法その他の 法令並びにこの章以下に示すところに従い、児童又は生徒の人間としての調和のとれた育成を 目指し、その障害の状態及び発達の段階や特性等並びに地域や学校の実態を十分考慮して、適 切な教育課程を編成するものとして、これらに掲げる目標を達成するよう教育を行うものとす る」とし、『特別支援学校学習指導要領解説 総則等編(幼稚部・小学部・中学部)』(文部科学 省、2009b。以下、「解説 総則等編」)には、「学校において教育課程を編成するということは、 学校教育法(第 82 条の規定により特別支援学校に準用される第 37 条第4項)において、 『校長 は校務をつかさどり、所属職員を監督する。』と規定されていることから、学校の長たる校長が 責任者となって編成するということである。これは権限と責任の所在を示したものであり、学 校は組織体であるから、教育課程の編成作業は、当然ながら全教職員の協力の下に行わなけれ ばならない」と記されている。 また、その上で「学校の教育活動を進めるに当たっては、各学校において、児童又は生徒に 生きる力をはぐくむことを目指し、創意工夫を生かした特色ある教育活動を展開する中で、基 礎的・基本的な知識及び技能を確実に習得させ、これらを活用して課題を解決するために必要 な思考力、判断力、表現力その他の能力をはぐくむとともに、主体的に学習に取り組む態度を 養い、個性を生かす教育の充実に努めなければならない」と、文書上では、校長が責任者とな って、全教職員によって教育課程を編成することが示されており、またその教育課程の在り方 として、各学校の「創意工夫」「特色ある教育活動」を奨励している。 だが、上述のように、実際の実践現場が直面している状況は、この学習指導要領の記述とは 逆のものとなっており、看過できないものである。 一方、特別支援学校に在籍する児童生徒の障害の重度・重複化、多様化がいわれている。 「解 説 総則等編」によれば、「重複障害者とは、当該学校に就学することになった障害以外に他の 障害を併せ有する児童生徒であり、視覚障害、聴覚障害、知的障害、肢体不自由及び病弱につ いて、原則的には学校教育法施行令第 22 条の3において規定している程度の障害を複数併せ有 -45- する者を指している」とされる。あわせて、 「第7節 重複障害者等に関する教育課程の取扱い」 には、 「学校教育法施行規則及び学習指導要領においては、児童生徒の障害の状態等に応じた教 育課程を編成することができるよう、教育課程の取扱いに関する各種の規定が設けられている。 各学校においては、児童生徒の障害の状態等に応じたより効果的な学習を行うことができるよ う、これらの規定を含め、教育課程の編成について工夫することが大切である」としている。 文科省が行った平成 23 年度学校基本調査(2012 年2月6日発表)によれば、平成 23 年度の 特別支援学校の在籍者数は 126,123 人であり、そのうち所属している特別支援学校が示してい る単独の障害のみがある児童生徒等が 88,231 人、障害が重複している児童生徒等が 37,892 人 となっている。障害が重複している児童生徒等が 3 割にのぼっている。また、肢体不自由の障 害のみを有している児童生徒等は 3,751 人であり、障害が重複している児童生徒等のうち肢体 不自由を併せ有している児童生徒等は 27,861 人となっている。障害が重複している児童生徒等 の7割強が肢体不自由の障害を併せ有していることがわかる。 現在は、上述のように、教育行政による、実践現場への管理・統制が強められ、とくに学習 指導要領に示された内容の厳守が求められている。しかし、それは本来は学習指導要領に示さ れている内容とは相反するものである。 本稿では、現在の特別支援学校、その中でも肢体不自由特別支援学校に焦点をあて、教育行 政による管理・統制が、教育課程編成においてどのような問題を顕在化させているのかを明ら かにすることを目的としている。あわせて、その問題を解消するための方法について、若干の 考察を加える。 2.学習指導要領の厳守が及ぼす影響 上述のように、現在の肢体不自由特別支援学校に通う児童生徒の多くは障害を併せ有し、そ の中でも知的障害を併せ有する児童生徒が多い。 学習指導要領第2章第1節第1には、 「視覚障害者、聴覚障害者、肢体不自由者又は病弱者で ある児童に対する教育を行う特別支援学校」の小学部の、 「各教科の目標、各学年の目標及び内 容並びに指導計画の作成と内容の取扱いについては、小学校学習指導要領第2章に示すものに 準ずるものとする」とあり、第2章第2節第1には中学部においては「中学校学習指導要領第 2章に示すものに準ずるものとする」とある。あわせて、第2章第7節第5には、 「児童又は生 徒の障害の状態により特に必要がある場合には」、「各教科及び外国語活動の目標及び内容に関 する事項の一部を取り扱わないことができる」、「各教科の各学年の目標及び内容の全部又は一 部を、当該学年の前各学年の目標及び内容の全部又は一部によって、替えることができる」、 「中 学部の各教科の目標及び内容に関する事項の全部又は一部を、当該各教科に相当する小学部の 各教科の目標及び内容に関する事項の全部又は一部によって、替えることができる」とされて いる。 また、学習指導要領第1章第2節第5の2には、 「視覚障害者、聴覚障害者、肢体不自由者又 は病弱者である児童又は生徒に対する教育を行う特別支援学校に就学する児童又は生徒のうち、 知的障害を併せ有する者については、各教科又は各教科の目標及び内容に関する事項の一部を、 当該各教科に相当する第2章第1節第2款若しくは第2節第2款に示す知的障害者である児童 又は生徒に対する教育を行う特別支援学校の各教科又は各教科の目標及び内容の一部によって、 -46- 替えることができる」とされている。 加えて、学習指導要領第1章第2節第5の3には、 「重複障害者のうち、障害の状態により特 に必要がある場合には、各教科、道徳、外国語活動若しくは特別活動の目標及び内容に関する 事項の一部又は各教科、外国語活動若しくは総合的な学習の時間に替えて、自立活動を主とし て指導を行うことができる」とされている。 このことから、肢体不自由特別支援学校には、3つの教育課程が並立する可能性がある。第 一が、小学校及び中学校の学年相応の各教科等の内容及び自立活動等の領域の内容によって編 成される、または各教科の目標・内容の一部を取り扱わなかったり、当該学年及び学部よりも 下の学年及び学部の目標・内容により編成する、「準ずる教育課程」。 第二が、知的障害特別支援学校の各教科等の目標及び内容の一部によって編成する「知的障 害を併せ有する児童生徒の教育課程」。 第三が、肢体不自由及び知的障害の程度がともに重度で、各教科の学習が著しく困難なため に、自立活動の内容を主として学習を進めることが効果的であると考えられる児童生徒のため の「自立活動を主とした教育課程」。 3つの教育課程が並立するのは肢体不自由特別支援学校だけのことではなく、上述のように 重複障害児が増えている現状においては、視覚障害、聴覚障害、病弱の各特別支援学校におい ても同様であろう。また、これは今回の特別支援学校学習指導要領の改訂によって生じた問題 でもない。しかし、現在の東京都立肢体不自由特別支援学校では、教育行政より上述の3つの 教育課程を明確に区分して編成することが求められ、しかも教育行政に提出した教育課程を厳 守することが求められている。 従前の実践現場では、児童生徒の知的発達などの段階を考慮し、児童生徒の人数や教員数を 加味して、各教科などの指導においては、いくつかのグループを編成して実践にあたってきた。 あわせて、そのグループは各教科などによって変更される柔軟性をもったものであった。 だが、教育課程が3つに明確に区分され、その厳守を求められると、各児童生徒は自分が学 ぶ教育課程にしばられてしまい、これまでのような柔軟な学習グループ編成が難しくなる。現 在の「義務標準法」は、学級数等に基づく教員配置を行っている。3つの教育課程の明確な区 分は、基礎的な学級をそれぞれの教育課程ごとに編制することとはリンクしていない。 実践現場においては、各教育課程の枠内でグループ編成の工夫は行われるであろうが、基本 的な教員数にしばられ、また各教育課程の枠の厳守によるしばりから、従来のような柔軟なグ ループ編成が困難となっている。また、適切な学習集団の規模を確保することも困難となる。 以下、「準ずる教育課程」に絞って、その状況を見てみる。 東京都教育委員会(2011)は、東京都立肢体不自由特別支援学校 16 校を対象に 2010 年度に 行った、 「準ずる教育課程」で学ぶ児童生徒の状況について報告している。そこでは、小学部段 階で「準ずる教育課程」で学んでいるのは 50 人(7.2%)であり、うち学年相当の学習をして いる児童が 19 人(2.7%)であった。また、中学部では 59 人(17.4%)であり、学年相当の学 習をしている生徒が 24 人(7.1%)であった。 東京都教育委員会(2011)は、「準ずる教育課程における課題」として、「集団規模における 課題」を挙げ、「いつも少人数の授業であり、教師と児童・生徒の一対一の指導が多い」、また 「学習内容における課題」として「少人数での授業で行なうため、児童・生徒の多様な意見や 考え方を交換し合う授業展開が難しい」と述べている。この課題の克服方法として、研究指定 -47- 校 3 校で試験的に取り組まれたのが、 「ICT ネットワークを利用し、遠隔会議システムを活用し た授業」である。今後、ICT ネットワークを活用した授業については、東京都立肢体不自由特 別支援学校 16 校へ拡大していくことが検討されている。しかし、この方法でほんとうに学び合 う関係が児童生徒の間にできるのであろうか、疑問がのこる。 東京都教育委員会が述べている「課題」は、そもそも少人数である「準ずる教育課程」の枠 内だけで教育活動を進めようとしているために起こっているのではないか。従来の、柔軟な学 習グループ編制を行うことによって解消することができるものではないか。 特定の教育課程の厳守を求めることの影響の一つを、ここに見ることができると考える。 3.「準ずる教育課程」の実際 東京都では、肢体不自由特別支援学校の「準ずる教育課程」に焦点があてられている。東京 都教育委員会は、 「東京都特別支援教育推進計画第二次実施計画」に基づいて「特別支援学校に おけるキャリア教育推進委員会」を立ち上げ、研究を進めている。そして、2011 年3月に『「肢 体不自由特別支援学校キャリア教育推進委員会」報告書』を発表している。この報告書では、 「肢体不自由特別支援学校の児童・生徒のキャリア教育とは」、「特別支援学校の卒業後の生活 を視野に入れ、 『自立と社会参加』を目指し、社会的自立や職業的自立」をする力を育てる教育 だとし、「準ずる教育課程を中心」に報告を行っている。 それでは、 「準ずる教育課程」では、実際にどのような教育課程が編成されているのか。ここ では、東京都立肢体不自由特別支援学校の中学部の教育課程について、各学校がホームページ で公表している週時程表を手がかりに見てみる。 まず、中学校の標準となる授業時間数を見てみる。学校教育法施行規則第 73 条の別表第2に は、各教科及び領域の標準となる授業時数が示されている(1単位時間は 50 分)。また、年間 は 35 週として計算するものとなっており、別表第2に示されている標準となる授業時間数をこ の 35 週で割り、1週単位の授業時間数にすると、国語:4、社会:3、数学:4、理科:3、 音楽:1.3、美術:1.3、保健体育:3、技術・家庭:3、外国語:4、道徳:1、総合的な学 習の時間:1.4、特別活動:1、合計:29 となる。 筆者は、東京都立肢体不自由特別支援学校中学部の5校の「準ずる教育課程」の週時程を調 べた。結果は表のようになった。実際の教育活動が、この週時程の通りになっているかどうか は明らかではないが、肢体不自由特別支援学校中学部には、特別支援学校独自の領域である「自 立活動」があるため、若干のちがいはあるものの、表の結果を見る限り、たしかに中学校の教 育課程に「準じて」いることがわかる。このことは、上述したように、学習指導要領には各学 校の「創意工夫」 「特色ある教育活動」が示されているが、それは文言上のものだけで、実際に は学習指導要領に沿った教育課程の編成を実践現場が行っているということであり、逆にそれ を教育行政が実践現場に求めているということであると考えられる。 4.「準ずる教育課程」を求める背景 以上のように、東京都立肢体不自由特別支援学校では、 「準ずる教育課程」の厳守が教育行政 より求められ、実践現場に対して少なくない影響を与えている。それにも関わらず、なぜ教育 -48- 表 東京都立肢体不自由特別支援学校中学部の5校の「準ずる教育課程」の週時程 国語 社会 数学 理科 音楽 美術 保体 技家 英語 道徳 総合 特活 自立 計 A校 4 3 3 4 1 1 2 2 3 1 1 1 2 28 B校 4 3 4 4 1 1 2 2 4 1 1 1 2 30 C校 4 3 4 3 1 1 3 2 4 1 1 1 1 29 D校 4 3 4 3 2 2 2 2 3 1 1 1 1 29 E校 3 4 4 4 1 0 2 2 3 1 1 2 2 29 ※「保体」は「保健体育」、「技家」は「技術・家庭」、「総合」は「総合的な学習の時間」、「特活」は「特別活動」、 「自立」は「自立活動」 行政は、「準ずる教育課程」の厳守を求めるのであろう。 筆者は、「職業的自立」「特色ある教育活動」という視点をその背景として指摘したい。 妹尾(2012)は、東京都教育委員会が策定した「東京都特別支援教育推進計画」においては、 特別支援教育の目的として「税金の払える障害者育成としての職業的な自立」を置いたと指摘 し、あわせて「人格の育成というよりも、将来の人材育成とい観点がより濃く打ち出され、そ のためのキャリア教育が言われ、人材育成路線に沿った特色ある学校づくり」が求められるよ うになったと述べている。 この「職業的自立」「特色ある教育活動」「キャリア教育」の流れに、肢体不自由特別支援学 校において「準ずる教育課程」の厳守を求める動きも位置づくのではないか。 文部科学省による学校基本調査では、特別支援学校高等部を卒業した肢体不自由児で大学等 の高等教育機関へ進学した者は、平成 19 年度 35 人、平成 20 年度 28 人、平成 21 年度 41 人、 平成 22 年度 39 人、平成 23 年度 40 人となっている。平成 23 年度に特別支援学校の高等部に在 籍していた肢体不自由の障害のみがある生徒は 1,516 人である。 学年別の数が出されていないため、ここでは形式的に1学年 500 人と考える。上述のように、 平成 23 年度の高等教育機関への進学者は 40 人であり、割合では8%となる。現在の一般の高 等教育機関への進学率は 53.5%であり、両者は大きく隔たっている。また、肢体不自由特別支 援学校高等部卒業者の就職率は 10.5%である。 このような状況において、大学等の高等教育機関への進学率を高めるための、また進学率の 高さを「特色ある教育活動」とするための、 「準ずる教育課程」の強調ではないかと、筆者は考 える。 5.教科の専門性の確保 しかし一方で、児童生徒や保護者において、 「準ずる教育課程」を要望する声もあるであろう。 その声に応えるためには、 「準ずる教育課程」の内実を充実させる必要がある。ここでは、中学 部に焦点をあてて一つの提起をしたい。 通常の中学校は教科担任制をとっている。各教科に応じた教員免許を有した教員が学習指導 にあたっているのである。 「準ずる教育課程」の厳守をいうのであれば、この各教科に応じた教 員免許を有した教員による教科担任を、肢体不自由特別支援学校中学部においても導入しなけ -49- ればならないであろう。通常の中学校において、各教科に応じた教員免許を有していない教員 が教科指導にあたるということはない。しかし、特別支援学校においては、それははなはだ疑 問である。 筆者は、教員免許の保有が、即教員の専門性の確保へとつながるという短絡的な考えはもた ない。だが、通常学校において認められないことが、特別支援学校において認められるという 事態は、必要な教員を確保することを教育行政が計画的に行っていないということであり、ま たそれは教育行政が、障害児に対する教育の質を確保することを、通常の教育よりも低位に位 置づけていることの証左であると考える。 知的障害のある子どもの教育においては、その障害ゆえに、各教科を厳密に区分するのでは なく、教科を横断するような形で学習内容を組織する方が、児童生徒の学習内容の理解を進め ることがあるであろう。しかし、 「準ずる教育課程」の厳守を言うのであれば、教育行政はその ための教育条件整備をしなければならない。 学校教育法等の改正によって、2007 年度から制度的背景をもってスタートした「特別支援教 育」制度では、特別支援学校には「センター的機能」など、自校に在籍する児童生徒への教育 活動に加え、新たな役割を果たすことが求められている。また、少子化傾向と反比例する形で、 特別支援学校に在籍する児童生徒の数は増加している。しかし、このことに対する教育条件整 備は追いついておらず、特別支援学校における教育環境は悪化している(たとえば、全日本教 職員組合障害児教育部常任委員会、2012)。 実態として、「平成 25 年度東京都公立学校教員採用候補者選考実施要綱」では、特別支援学 校の教員採用として、中学部については技術、中学部・高等部については国語、社会、数学、 理科、英語、保健体育が、小学部から高等部にわたっては音楽、美術、家庭という教科別の枠 組みがあるが、教科別の採用人数は示されていない。また、「平成 25 年度埼玉県公立小・中学 校等教員採用選考試験要項」には、 「中学校等教員」の枠組みの中で、 「特別支援学校(中学部) 教員」が示されているが、教科別の採用人数は示されていない。 教育行政は、自らの出した方針に対して、必要な教育環境整備に責任をもつ必要がある。 「準 ずる教育課程」を推進するのであれば、国語、社会、数学、理科、音楽、美術、保健体育、技 術・家庭、外国語の各教科に応じた教員を採用すべきであるし、各教科の専門性を有する教員 を配置するための、根本的な義務標準法の改正をする視点をもつ必要があるのではないか。 中央教育審議会初等中等教育分科会特別支援教育の在り方に関する特別委員会が 2012 年7 月に発表した「共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システム構築のための特別支援教 育の推進(報告)」 (中央教育審議会初等中等教育分科会、2012、以下、 「報告」)では、 「5.特 別支援教育を充実させるための教職員の専門性向上等」に、「(1)教職員の専門性の確保」が ある。そこには「①すべての教員が身に付けるべき基礎的な知識・技能」として、 「特別支援学 校の教員については、特別支援教育の専門性を更に高めるとともに、教科教育の専門性をもバ ランス良く身に付けることが重要である。特に中等教育においては、教科担任制であることに 留意する必要がある」と述べられている。 また、「(2)各教職員の専門性、養成・研修制度等の在り方」の「③特別支援学校教諭につ いての養成・研修」においては、 「特別支援学校教員の特別支援学校教諭免許状(当該障害種又 は自立教科の免許状)取得率は約7割となっており、特別支援学校における教育の質の向上の 観点から、取得率の向上による担当教員としての専門性を早急に担保することが必要である。 -50- このため、養成、採用においては、その取得について留意すべきである」と述べている。 ここで言及されているのは、特別支援教育に関する専門性のみである。教育行政は、特別支 援学校教員、特に中等教育段階に携わる教員には教科教育の専門性が必要であるとしているに も関わらず、養成や採用、また研修などの具体的な方策に対しては示していないのである。だ が、特別支援学校における教育の質を確保するための一つの側面として、教科教育の専門性の 向上の方策を検討する必要があるのではないかと考える。 6.「多様な教育の場」のための提起 肢体不自由特別支援学校に3つの教育課程が併存し、その明確な区分の厳守を求めることの 問題点について述べてきた。この問題の解決方法としては、特別支援学校の基本的教育条件整 備を抜本的に改善することが必要なことは明らかであるが、ここでは一つの方策として、筆者 の私案を提起したいと思う。 「報告」では、「1.共生社会の形成に向けて」の「(1)共生社会の形成に向けたインクル ーシブ教育システムの構築」において、 「共生社会の形成に向けて、障害者の権利に関する条約 に基づくインクルーシブ教育システムの理念が重要」であり、 「インクルーシブ教育システムに おいては、同じ場で共に学ぶことを追求するとともに、個別の教育的ニーズのある幼児児童生 徒に対して…その時点で教育的ニーズに最も的確に応える指導を提供できる、多様で柔軟な仕 組みを整備することが重要である」と、「多様な教育の場」を整備する必要性を述べている。 また、「4.多様な学びの場の整備と学校間連携等の推進」の「(2)学校間連携の推進」に は「特別支援学校を分校、分教室の形で、小・中・高等学校内や小・中・高等学校に隣接又は 併設して設置するなど、地域バランスを考慮して、都道府県内に特別支援学校を設置していく ことも方策の一つとして考えられる」と、 「多様な教育の場」の整備に向けた具体策を示してい る。 障害者権利条約第 24 条第 2 項は、障害者が障害を理由にして教育制度一般(general education system)から排除されないと規定しているが、清水(2011)は、特別支援学校のシ ステムが「教育制度一般」の外に位置づいているとし、それは就学システムが関係しており、 「学校教育法施行令(第 22 条の 3)に就学基準が存在し、その基準該当者が障害児の中から判 別されて、市町村の子どもから都道府県の子どもへと所管が変えられ、都道府県教育委員会が 就学すべき特別支援学校を指定することになっている…さらに、特別支援学校は都道府県が設 置義務を負い、通常の小・中学校の設置義務者が市町村であるのと異なっている。こうした就 学システムでの別の手続きと学校設置義務者の区別により、特別支援学校と通常学校という二 本分立の学校体系が成立している」と現状に対する問題を指摘する。 そして、特別支援学校のシステムが「教育制度一般」に「漸進的に包摂されるようにすると ともに、特別支援学校児童生徒の居住地域からの切り離しを漸進的に解消することを意図して、 学校設置義務者が都道府県と市町村に二分された制度を一元化すること」を提起している。ま た、現在すでに市立特別支援学校が、特別支援学校の全数の一割を超えていることを挙げ、自 身の提起の実現可能性へ言及している。 清水(2011)の提起は、都道府県立特別支援学校及び市立特別支援学校を、市立特別支援学 校へと一元化するというものである。しかし、現在設置されている特別支援学校は、都道府県 -51- 立と市立を合わせて 1,000 校(国立・私立を除く。うち市立特別支援学校は 123 校)である。 平成 24 年度に設置されている公立の中学校が 9,860 校であり、約 10 分の1程度となっている。 この数では、設置義務者を市町村に一元化したとしても、単純に中学校 10 校の校区を 1 ヵ所の 特別支援学校がカバーする形となる。 上述のように、「報告」では、「多様な教育の場」の整備の必要性が認められ、その具体策の 一つとして、 「特別支援学校を分校、分教室の形で、小・中・高等学校内や小・中・高等学校に 隣接又は併設して設置する」ことが提起されている。この形式であれば、上述のような学校数 の絶対的な不足は、ある程度解消されるであろう。だが、このままでは、小・中・高等学校内 や小・中・高等学校に隣接又は併設して設置される特別支援学校の設置義務者は都道府県であ り、両校間の連携が機敏に行われない危惧が生じる。 そこで筆者は、特別支援学校の設置義務者を市町村に一元化した上で、中学校の校舎内に、 市立特別支援学校中学部の分教室を設置するという形を提起したい。現在、分教室ではなく、 しかも小学部のことではあるが、2011 年に開校した長野県須佐市立須佐特別支援学校(小学部 のみ)は、市立小学校の校舎内に設置されており、筆者の提起は可能性のあるものだと考える。 筆者は、すべての特別支援学校に在籍する障害のある児童生徒を、この通常学校の校舎内に 設置する市立特別支援学校の分教室に在籍させるということは意図していない。現在の特別支 援学校は、設置主体を市町村に一元化しつつ、 「報告」が述べている、地域内の「教育資源の組 合せ(スクールクラスター)」の中核を担う機能をもちつつ、存続させる必要があると考える。 筆者の提起は、本稿でこれまで述べてきた、肢体不自由特別支援学校の「準ずる教育課程」 で学ぶ中学部の生徒を、生徒の状況を十分に吟味しながら、慎重にしかし柔軟に、通常の中学 校の校舎内に設置する市立特別支援学校の分教室に在籍させるというものである。これは、通 常の中学校の教員が、市立特別支援学校の生徒の各教科の指導を担うことを意図したものであ る。通常の中学校と特別支援学校の設置義務者が、同じ市町村となることで、教員の運用も柔 軟になるのではないか。当然、教員の担当時数は、特別支援学校の生徒を合算したものとする 根本的な変更は必要であるが、上述の各教科の専門性を担保するという利点があろう。 現在の特別支援学級は肢体不自由児を対象としている。そのため、上述のようなことは現行 制度のもとでも可能であるように思われる。しかし、 「特別支援教育資料(平成 23 年度)」によ れば(文部科学省初等中等教育局特別支援教育課、2012)、中学校に設置されている肢体不自由 特別支援学級は 705 学級であり、現在の肢体不自由特別支援学級だけでは、筆者の提起を充足 することはできないであろう。また、特別支援学級は1クラスの定員が8人であり、特別支援 学校の6人よりも教育条件が劣る。あわせて、特別支援学校特有の領域である「自立活動」の 指導も十分には行われないであろう。 また、高等部段階においては、現状の制度下でも、通常の高等学校の校舎内に肢体不自由特 別支援学校の分教室を設置することはできると考える。この場合、設置義務者は同じ都道府県 であることから、教員の運用を柔軟に行いさえすればいいだけである。現在すでに、神奈川県 立特別支援学校では、通常の高等学校へ分教室を設置している。それは、知的障害特別支援学 校高等部の在籍者数の増加に対する対策として行われているが、これを「多様な教育の場」の 一環として、肢体不自由特別支援学校にまで拡大することは、検討の余地があることだと考え る。 上述の筆者の提起を実現するためには、財政問題や制度面など多くの懸案を解消する必要が -52- あるが、ここでは一つ、通学保障という点を指摘しておく。現在の特別支援学校ではその学区 が広範囲にわたることもあり、スクールバスを運行して、児童生徒の通学保障を行っている。 これは、障害児の教育権を保障するための当然の手段であると考える。このスクールバスがあ ることで、特別支援学校を選択する児童生徒や保護者もいるであろう。しかし一方では、これ を学区が広範囲にわたるという基本的な教育条件整備を怠ることの免罪符に、教育行政がして いる側面もあるのではないか。また、児童生徒や保護者においては、スクールバスでの長時間 の通学に耐えられない、もしくはバス停までの送迎が困難であるという理由から、通常の小・ 中学校に通学するという、消極的な選択が行われている場合もあろう。 筆者の提起を実現するためには、まずもって、学校への通学保障の制度を整備し、通学を保 護者の責任としないことが必要であると考える。 7.おわりに 本稿では、「準ずる教育課程」の現状や、実践現場へ及ぼす影響、「準ずる教育課程」の厳守 を求める教育行政の姿勢の背景には、「職業的自立」「キャリア教育」に基づいた「特色ある教 育活動」があることについて述べた。加えて、一定の児童生徒や保護者には「準ずる教育課程」 を求める人々もおり、この思いを達成するためには、各教科の専門性を有した教員の確保が必 要であること、また通常の中学校の校舎内に肢体不自由特別支援学校の分教室を設置するとい う提起をした。 「報告」では、「1.共生社会の形成に向けて」の「(3)共生社会の形成に向けた今後の進 め方」として、施策を短期(「障害者の権利に関する条約」批准まで)と中長期(同条約批准後 の 10 年間程度)に整理し、短期的には「当面必要な環境整備の実施を図るとともに、『合理的 配慮』の充実のための取組が必要」、中長期的には「短期の施策の進捗状況を踏まえ、追加的な 環境整備点を検討していく必要がある」としている。その上で、 「条約の理念が目指す共生社会 の形成に向けてインクルーシブ教育システムを構築していくことを目指す」と述べている。 「準ずる教育課程」を、児童生徒や保護者が求める「多様な教育の場」の保障の一環ととら えた場合、その推進自体には一定の評価をすることができるであろうが、それが実践現場の柔 軟な教育活動を妨げる方向に作用している現状は看過することができない。また、インクルー シブ教育システムの構築が目指されている現在、 「準ずる教育課程」は逆に、障害のある児童生 徒を特別支援学校という枠の中に囲い込むような方向に作用することも考えられる。まずもっ て、「多様な教育の場」を保障するという、柔軟な発想に立った制度改革が必要であろう。 また、上述したように、教育課程の編成は本来実践現場自らが、児童生徒の状況や地域の実 態を加味して柔軟につくり出していくものである。しかし、現在は教育行政の示した方向の枠 の中で、なんとかやりくりするという状況である。 「多様な教育の場」をどうすれば児童生徒に 保障することができるのか、現在の制度の改革を視野に入れた、柔軟な発想を実践現場がもつ 必要もあるであろう。 筆者においては、本稿で提起したことの実現可能性の精査、そもそも児童生徒や保護者が真 に求める「多様な教育の場」とはどういったものであるのか、またそれには具体的にどのよう な制度改革が必要であるのか、また実践現場が柔軟な教育課程編成が可能となるための方策な どを、さらに検討していくという課題がのこされており、今後も研究を進めていきたい。 -53- 引用文献 中央教育審議会初等中等教育分科会特別支援教育の在り方に関する特別委員会(2012)共生社 会の形成に向けたインクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進(報告). ( http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/044/attach/1321669.htm 2012 年 9 月 2 日閲覧) 文部科学省(2009a)特別支援学校小学部・中学部学習指導要領.海文堂出版. 文部科学省(2009b)特別支援学校学習指導要領 総則等編(幼稚部・小学部・中学部).海文 堂出版. 文 部 科 学 省 ( 2012 ) 平 成 2 3 年 度 学 校 基 本 調 査 「 特 別 支 援 学 校 」. (http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?bid=000001037157&cycode=0 2012 年 9 月 15 日閲覧) 文 部 科 学 省 初 等 中 等 教 育 局 特 別 支 援 教 育 課 ( 2012 ) 特 別 支 援 教 育 資 料 ( 平 成 23 年 度 ). (http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/tokubetu/material/1322973.htm 2012 年 9 月 15 日閲覧) 妹尾豊広(2012)障害児学校の自閉症をめぐる課題と教育実践.奥住秀之・白石正久編著,自 閉症の理解と発達保障.全障研出版部,124. 清水貞夫(2011)特別支援教育制度からインクルーシブ教育の制度へ.障害者問題研究,39(1), 2-11. 杉浦洋一(2010)教員管理と学習指導要領.障害者問題研究,38(1),37-45. 東京都教育委員会(2011)平成 22 年度特別支援学校におけるキャリア教育推進委員会「肢体不 自 由 特 別 支 援 学 校 キ ャ リ ア 教 育 推 進 委 員 会 」 報 告 書 . (http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/buka/shidou/23tokushi_career.htm 2012 年 9 月 15 日閲覧) 全日本教職員組合障害児教育部常任委員会(2012)中教審初等中等教育分科会「特別支援教育 の在り方に関する特別委員会」報告「共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システム 構 築 の た め の 特 別 支 援 教 育 の 推 進 」 に 対 す る 見 解 . (http://www.zenkyo.biz/modules/senmonbu_torikumi/top.php?senmonbu_id=84 2012 年 9 月 2 日閲覧) (2012年 11月 12日提出) (2013年 1月 11日受理) -54- 埼玉大学紀要 教育学部, 62(1):55-69(2013) 1930 年代における地方教育会雑誌の特質 —茨城県教育会『茨城教育』の記事分析を通して— 山田恵吾 埼玉大学教育学部総合教育科学講座 キーワード:地方教育会、教育会雑誌、教員社会、専門性、自律性 1. はじめに 本稿は、1930 年代における地方教育会雑誌の特質を、誌面に見られる教員社会の専門性 と自律性の位相という観点から検討するものである。具体的には茨城県教育会機関誌『茨 城教育』の掲載記事の内容、編集体制、編集意図、茨城県学務当局との関係性を解明する。 近代日本の地方教育会の研究について、 「 各レベルの教育会の組織原理と関係性にどのよ うな特質があったかという点で、各県ごとの教育会形成の実態史研究は、今なお大きな史 料的欠落と研究の空白が横たわっている 1」と梶山雅史が指摘したのは、2007 年のことで あった。近年、梶山雅史編『近代日本教育会史研究』(学術出版会、2007 年)、同編『続・ 近代日本教育会史研究』(学術出版会、2010 年)などに結実する研究成果が示されている ことからもわかるように、中央・地方教育会の成立や組織、活動に関する実態解明が大き く進展しつつある。 本稿が検討対象とする府県教育会雑誌 2に関しても近年、梶山雅史・須田将司による府県 教育会雑誌の所蔵調査研究 3や近藤健一郎による第二次大戦前後の府県教育会雑誌の「休 刊」「復刊」の悉皆調査研究 4など、全国的な実態調査が進められてきている。また、府県 教育会の個別的な検討についても沖縄県教育会機関誌の調査研究 5、茨城県教育会機関誌の 表題総目録の作成 6など、着実な歩みが認められる。教育会雑誌は、「すべての府県教育会 がその事業として位置づけ、会の活動期間のほぼ全体にわたって刊行していたのみならず、 その他のさまざまな事業の実施状況等を知る史料としての価値も有 7」するとして、その可 能性が指摘されており、まずは史料活用のための基礎的作業が積み重ねられている段階に あるといってよい。 地方教育会雑誌は、当時の会員間の関係性や教育会組織の熟成度を知る重要な手がかり 88 である 。地方の学務当局から地域の個々の教員に至るまで、どのレベルでどの程度、教育 会の中に有機的な結びつきを認めうるか、雑誌の中に教員がお互いに自身の持つ教育の経 験を共有する社会としての基盤が、いつ、いかにして成立したのか、システムとしての教 育会成立の画期に筆者の問題意識がある。このような観点から、すでに 1900 年〜1920 年 代の茨城県教育会機関誌『茨城教育』の分析を通じて、教員社会のありようを解明した 9。 そこでは、1900 年から 1920 年において、広報誌的・啓蒙的な性格を持つ雑誌から小学校 教員による会員参加型の、教育研究誌へと変容していった点を指摘するとともに、教育実 践に関する情報を発信し、また受け止めるだけの教員側の教育研究への志向と教育課題を 共有しうる専門性が、教員社会に登場したことを明らかにした。 しかしながら、教員社会が専門性を媒介として結びつくことは、職能集団として自律する -55- 可能性を開くとともに、それとは反対に専門性を職務の小さな枠組みに収束させるならば、 行政当局の介入を容易に危険性をもたらす。すなわち教員社会の自律性をそぐ契機ともなり うるのである。 本稿では、11993300 年代を教員社会が置かれた重要な局面であると位置付け、このような問 題が『茨城教育』の誌面にどう現れているのか、記事内容の特質、編集側の認識、学務当局 の位置などの分析に基づいて検討する。 2.『茨城教育』の誌面構成と執筆者 (1)『茨城教育』の誌面構成 茨城県教育会は 1908 年、茨城教育協会(1884 年設立)を引き継ぐ形で設立された。機 関誌は『茨城教育協会雑誌』から『茨城教育』と一新されたが、巻号数は引き継がれて 287 号(1908 年 5 月)から刊行した。 『茨城教育協会雑誌』第 1 号(1884 年 3 月)は、①広報、②論説、③雑纂、④彙報を主た る記事欄とする 4 部構成であり、文部省や茨城県の法規類を掲載した①を巻頭に置く広報誌 的性格を持つものであった。同第 136 号(1895 年 7 月)に①の広報欄がなくなり、『茨城教 育』と誌名が変わった同第 287 号(1908 年 5 月)において、①論説、②研究、③雑録、④彙 報の 4 部構成で定着した。以後、1910 年代半ばからは①論説、②研究欄を拡充しながら、教 育研究誌としての性格を次第に強めていく。 固定化した誌面構成に変化がもたらされるのは、1920 年代後半であった。1926 年 12 月か ら「論説」欄がなくなり、巻頭言 1 点となる(1929 年 9 月(第 540 号)に例外的に「論説」 欄が設けられる)。以後、①研究、②雑録を主要欄とする構成がしばらく続く。 さらに 1930 年になると、誌面構成に大きな変化が現れる。同年 5 月に①研究、②雑録欄に 加えて、 「参観記」 「文芸」 「随筆」 「時事」 「彙報」といった文芸に関わる欄が設けられる。翌 6 月には「児童生活」、7 月には巻頭に「思潮」、他に「教材集」 「視察記」 「児童生活指導」 (「児 童生活」から変更) 「諸令」など、教育実践に関係の深い記事欄が設けられている。さらに 8 月には「想華」、12 月には「児童作品」などが加わり、多様な誌面構成となり、教育研究誌 に加えて文芸誌としての性格も帯びていく。 また、1930 年代に入ると、教育研究の特集記事が多く掲載されるようになる。誌面構成に みられる専門性の高まりもこの時期の特徴である。 (2)執筆者としての小学校教員の位置 次に『茨城教育』掲載記事に占める小学校教員の位置について検討する。まず、1908 年の 『茨城教育』刊行から 1940 年までの総記事数と小学校教員による執筆記事数およびその割合 について概観する。表 1 は 1908 年〜1940 年までの 6〜7 年毎に 5 つの期間に分けて示したも のである。1910 年代半ばから総記事数、小学校教員執筆者の割合が増加し、50%代を超えて 「研究」欄に占める割合も急増している。その後、1928 年〜1933 年の時期に 40%代に下がる 時期もあるものの、1930 年代半ば以降、総記事数、小学校教員執筆者ともに急増し、ふたた び執筆者の割合は 50%代に戻っている。記事執筆者の面で小学校教員が重要な位置を占めて -56- いたことがわかる。 表 1 『茨城教育』総記事数と小学校教員の執筆記事数およびその割合(1908 年〜1940 年) 小学校教員の執 時期 総記事数(A) 1909 年〜1914 年 645 217 (6 年分) (年平均 107.5) (年平均 36.2) 1915 年〜1920 年 937 513 (6 年分) (年平均 156.2) (年平均 85.5) 1921 年〜1927 年 825 458 (7 年分) (年平均 117.9) (年平均 65.4) 1928 年〜1933 年 987 413 (6 年分) (年平均 164.5) (年平均 68.8) 1934 年〜1940 年 1543 798 (7 年分) 筆記事数(B) B / A 33.6% 「研究」欄に占める小学校教員 記事の割合[()は記事数] 43.5% (100 / 230) 54.7% 64.3% (292 / 454) 55.5% 67.8% (271 / 400) 41.8% −− 51.7% −− (年平均 220.4) (年平均 114.0) [備考]茨城県教育会『茨城教育』、茨城県立歴史館『「茨城教育」表題総目録』(2005 年)をもとに作成した。 3.教育研究誌としての『茨城教育』 誌面構成における専門化と多様化、そして小学校教員執筆者の増加、定着の内実を記事内 容に即して検討する。 (1)特集号の刊行 『茨城教育』が、最初に特集号と銘打って刊行したのは、1915 年 11 月発行の「大礼記念 号」である。その後、1920 年 4 月に「教育改造号」を刊行してからは、間隔の空く時期もあ るが、1944 年 9 月に戦況悪化に伴い戦前最後の刊行となった「休刊記念号」に至るまで刊行 されている。特集号の表題一覧は、表 2 に示した通りである。25 年間で 35 回の特集号が刊 行されている。 1927 年の「ペスタロツチ記念号」刊行から 1937 年までの 10 年間は、毎年特集号が刊行さ れている。とりわけ 1929 年は 4 回、1932 年から 1935 年まで計 12 回の頻繁な特集号の刊行 が認められ、積極的に特集が組まれていることがうかがえる。 また 1920 年代の特集号は、新教育関連を除けば、 「 教育勅語御下賜」、 「 学制頒布五十周年」、 「関東聯合教育会」の開催などの記念行事に伴う刊行が多い。これに対して 1929 年からはそ うした記念行事に加えて、 「児童図書館」 「国史」 「実業補習教育」 「郷土精神」 「体育衛生」 「国 語」「実践体育保健」「科学教育」など各領域の教育内容に関わる特集が多くなっている。特 集号の刊行とその内容面での変化は、教育のより専門的な内容に踏み込んだ誌面構成が可能 となったことを示している。 -57- 表 2 『茨城教育』特集号表題一覧[1908 年 5 月〜1944 年 9 月] 刊行年月 巻号数 表題 1915(大正 4)年 11 月 臨時 大礼記念号 1920(大正 9)年 4 月 430 号 教育改造号 1920(大正 9)年 8 月 臨時 1920(大正 9)年 11 月 437 号 教育勅語御下賜記念 1921(大正 10)年 5 月 442 号 自由教育批判号 1922(大正 11)年 10 月 458 号 夏季休業施設記念号 1922(大正 11)年 11 月 459 号 学制頒布五十周年記念号 1924(大正 13)年 4 月 476 号 第十九回関東聯合教育会・茨城県教育改善案発表会記念号 1927(昭和 2)年 2 月 510 号 ペスタロツチ記念号 1928(昭和 3)年 11 月 531 号 御大礼記念号 1929(昭和 4)年 2 月 533 号 ペスタロツチ記念号 1929(昭和 4)年 5 月 536 号 児童図書館号 1929(昭和 4)年 6 月 537 号 勤労号 1929(昭和 4)年 12 月 543 号 行幸記念号 1930(昭和 5)年 10 月 臨時 1930(昭和 5)年 11 月 554 号 1931(昭和 6)年 5 月 臨時 1932(昭和 7)年 1 月 568 号 孔子祭記念号 1932(昭和 7)年 4 月 571 号 戦病殉死者慰霊号 1932(昭和 7)年 10 月 577 号 郷土精神号 1932(昭和 7)年 12 月 579 号 輝く農産漁村号 1933(昭和 8)年 7 月 586 号 体育衛生号 1933(昭和 8)年 11 月 590 号 鮮満視察郷軍慰問号 1934(昭和 9)年 3 月 594 号 梨本宮殿下御親閲記念号 1934(昭和 9)年 11 月 602 号 義人慰問号 1935(昭和 10)年 2 月 605 号 国語特輯号 1935(昭和 10)年 3 月 606 号 鮮満視察号 1935(昭和 10)年 5 月 608 号 大楠公六百年祭記念号 臨時号(茨城県小学校聯合教育研究会記事) 教育勅語渙発四十周年・令旨奉戴十周年記念号 国史号 実業補習教育号 -58- 1935(昭和 10)年 6 月 609 号 創立五十周年記念並会館落成祝賀号 1936(昭和 11)年 5 月 620 号 視察特輯号 1937(昭和 12)年 11 月 638 号 実践体育保健号 1940(昭和 15)年 11 月 674 号 紀元二千六百年・教育勅語渙発五十年記念 1941(昭和 16)年 6 月 681 号 科学教育特輯号 1943(昭和 18)年 9 月 708 号 女教員特輯号 1943(昭和 18)年 11 月 710 号 特輯科学教育の実践 1944(昭和 19)年 9 月 720 号 休刊記念号 [備考]茨城県教育会『茨城教育』、茨城県立歴史館『「茨城教育」表題総目録』(2005 年)をもとに作成した。 (2)特集記事欄の設定 特集号の刊行に加えて、変化する誌面構成の中にさまざまな特集欄が登場することも 1930 年代の特徴である。1931 年の誌面は前編・後編の 2 部構成となり、表 3 のように前編が特集 記事、後編が普通記事となった。 表 3 1931 年における「前編・後編」記事構成の内容 前編 後編 1931 年 3 月(第 558 号) 保健運動記事 普通記事 1931 年 4 月(第 559 号) 社会教育記事 普通記事 1931 年 5 月(臨時) 第 6 回全国実業補習教育大会 県内 1931 年 10 月(第 565 号) 普通記事 商業教育 [備考]茨城県教育会『茨城教育』、茨城県立歴史館『「茨城教育」表題総目録』(2005 年)をもとに作成した。 前編・後編に分けた誌面構成は、この年だけに見られるものである。その後は各号で特集 記事が多く組まれるようになるので過渡的な編集方法であったといえる。その後に展開する 特集記事欄の題目を示したのが、表 4『茨城教育』特集記事題目一覧である。 表からは、小学校教員による教育実践に関わる記事が多く掲載されていることがわかる。 さらに小学校の教育研究の特集記事が認められる。1931 年 2 月号掲載の「日立第二校の研究」 と、1935 年 7 月から 1935 年 10 月にかけて 4 号連続で掲載された「常磐校の研究」に注目す ると、前者は、国語、国史、理科についての 3 編の研究記事が、後者は、音楽、人格主義教 育、作法、教室環境、読方(2 編)、地理(2 編)、国史、手工(2 編)が掲載されている。後 者の常磐小学校(水戸市)は、この特集記事掲載の翌月以降も半年の間に童話、国史、読み 方、算術(2 編)、裁縫(2 編)を誌上で発表している。校内の複数教員による幅広い領域に わたる教育実践研究のありようを示すとともに、地方教育会雑誌がそうした学校における教 員間の実践研究の雰囲気を伝え、学校毎に教員相互に教育研究を促しつつあったことを示し ている。 上記の特集号の刊行や前後編で特集を組む試みなどと併せれば、1930 年代の『茨城教育』 -59- において特定のテーマを立てて編集する形が定着していることがわかる。また、そのテーマ も学校の教育実践を中心に幅広い領域にわたっている。このことは、編集側が、ある特定の テーマで記事を編集するだけの執筆者側の教育研究の一定の拡がりと深まりが期待可能なこ と、そして特定のテーマを受けとめうる成熟した読者としても期待していたことを示してい る。 表 4 『茨城教育』特集記事題目一覧 発行年 1931 年 特集記事 2 月−日立第二校の研究、6 月−郷土研究(4 編)、7 月−読み方に関する研究(4 編)、8 月−表現圏内(6 編う ち 4 編が小学校教員)、同月−青年訓練(4 編)、同月−学校衛生(3 編)、11 月−国語教育研究(4 編)、同月− 書方革新方案(2 編) 1932 年 2 月−児童唱歌劇(2 編)、3 月−郷土教育研究(5 編)、5 月−若い先生の声、8 月−映画教育、9 月−青少年指導 1933 年 4 月−師範新卒業者諸氏に寄す、6 月−算術(2 編) 1934 年 6 月−国語教育研究、7 月−綴方研究 1935 年 4 月−教科書研究、7〜10 月−常磐校の研究 1936 年 4 月−映画教育(2 編)、12 月−綴方研究(4 編) 1937 年 1938 年 7 月−新進校長特輯(11 編) 1939 年 1 月−教践への要望、6 月−新進校長特輯(11 編)、同月−農繁休業と教育対策(各小学校)、7 月−青年学校振 興策(5 編)、同月−集団勤労施設(各中等学校)、8 月−夏季鍛錬の状況(各小学校)、9 月−先輩を語る(2 編)、 10 月−小学校武道教育を論ず(2 編)、同月−運動会の施設経営(5 編)、同月−先輩を語る(2 編)、11 月−理 科学習特輯(5 編)、12 月−特輯・時局と女教員問題(18 編) 1940 年 1 月−新春の教育構想(2 編)、2 月−童話と児童劇、4 月−国民学校案の精神と新学年の経営(4 編)、同月−新 人の抱負、6 月−郷土を語る(3 編、以降、常設欄に)、10 月−青年学校教育実践報告書(2 編)、11 月−新人 の書(4 編) 1941 年 1 月−新春に題す、3 月−新校長の経営一年決算報告、4 月−新生国民学校の運営構想、同月−国民学校に期待 する−中等教育の立場から−、同月−礎石に立つ(8 編)、5 月−特集Ⅰ国民学校学校経営の実践指標(18 編)、 同月−特集Ⅱ学校経営運営上の諸問題を語る座談会、6 月−新校長抱負を語る(5 編) [備考]茨城県教育会『茨城教育』、茨城県立歴史館『「茨城教育」表題総目録』(2005 年)をもとに作成した。 4.編輯部の課題認識と紙面づくり 以上のような誌面の変化を、1930 年代初頭における編集体制の変化と編輯部の課題認識に 即して検討する。 『茨城教育』の編集は、創刊時から実質的に師範学校または同校附属小学校の教員が担当 してきた 10。1920 年 1 月からは茨城県師範学校附属小学校と茨城県女子師範学校附属小学校 の教員 2 名が編集委員となり、毎月交互に編集を担当した。1920 年代後半には師範学校附属 小学校からは加藤轍治が、女子師範学校附属小学校からは大瀧正寛が各月交代で担当してい る 11。 この体制が大きく変わるのは、1930 年 5 月号である。茨城県教育会の会則が改正され、教 -60- 育会に専任の主事を置くこととなった。主事には、清水恒太郎が就任し、 『茨城教育』の編集 も清水の業務となった 12。 1930 年 5 月以降、編輯室欄で原稿募集の意向を示したり、「寄稿歓迎」と題して原稿募集 の公告を掲載するなど、紙面づくりに方向性を与える姿勢を明確にしている。表 5 は 編輯室 のこうした姿勢が見られる 記事を示したものである。 表5 原稿募集記事一覧 刊行年月 1930(昭和 5)年 5 月 1930(昭和 5)年 8 月 1931(昭和 6)年 2 月 巻号 数 原稿募集の内容 「一般読者諸君に対しては、本誌に対する改良御意見なり御批評なり、どし〜 御申 出でを乞ふ。」 「論説、研究、調査、報道、文芸、雑録、等々々何でも宜しいから玉稿 548 号 御恵投を乞ふ。」 「今迄の誌面は殆ど小学校教育に関する事項で塡められた傾向がありましたが今後 は中等教育、実業補習教育、社会教育、家庭教育等に関する事項をも掲げたく更に又 体育及学校衛生方面の事項をも載せたく念願して居るところですから、此等の方面の 玉稿をも寄せられんことを希望いたします。従つて寄稿家の御顔ぶれも、小学校の先 551 号 生方のみならず、中等学校の先生及その他各方面の方々に範囲を拡めていたゞきたい ものであります。以上三項は、単に編輯子一己の希望では無く、本会の方針でもあり、 希望でもあります」 「体育運動に関する原稿 体育号の資料に供す。各郡教育会及各教育部会並町村教育 会等の予定行事若くは実施せる行事の状況に関する原稿・・・本会と相互連絡を密接 557 号 ならしめたし。中等学校教職員の手に成る原稿・・・近来此の種寄稿無きを遺憾とす。」 1933(昭和 8)年 2 月 「本誌は常に文芸記事に乏しく 誌面に温みと潤ひとが無いといふ批評があります 581 号 から 詩歌俳句随筆漫録何なりと御投稿下さる様切に希ひます」 1934(昭和 9)年 10 月 「教育振興特別寄稿大募集」「一、視学さんに対する希望 二、校長さんたちに望む 601 号 三、男教員の方々に申し上げます 四、後輩より先輩に」 1935(昭和 10)年 2 月 1936(昭和 11)年 2 月 1936(昭和 11)年 3 月 「算術、理科方面の御寄稿、比較的少うございます。どうぞ此の方面も特輯号を出し 得るまでに、盛に御投稿下さいませんか。」 「教育者の思想並研究の動向と申しませう か、最近相次で左記御寄稿を受けつゝあります。[中略]此の際斯うした方面の理論 605 号 及実際の御投稿も歓迎いたします。・信念と教育・信念を語る・宗教教育管見・祈り の教育・小学校に於ける「聖」の問題と其の実践的分野等々」 「文芸は編輯部に於て別に選者を置きません。来るもの拒まずで御座います。従つて 文芸家より御覧になりますれば兎角の御批評も御座いませうが、本誌は申す迄も無く 堅苦しい研究調査等が誌面に漂ふ空気の中に、一種のやはらか味とあたゝか味とを添 617 号 へることが出来ますればそれで結構と存じて居るのであります。」 「郡市教育会、部会 其の他の団体の事業など連載いたしたいと存じますから、御手数を煩します。」 618 号 「四月号原稿募集 題目「四月を語る」 輝く希望可なり。なつかしき思い出亦可な り。其の他新学年の劈頭「四月」に関することならば如何なる内容にても結構。」 -61- 「近時農村関係の御寄稿の絶えませぬことは、農業県を以て称せられる本県として、 而も全県下に経済更生運動の拍車の掛つて居る昨今として、まことに時所併せ得たる 「女先生方よりも、どし〜御寄せ下さいませ。ご遠慮なさつて居 1936(昭和 11)年 11 月 626 号 傾向と存じます。」 られる時世ではございませんからね。」 1937(昭和 12)年 2 月 1937(昭和 12)年 5 月 629 号 「今後は地方通信とでも申すものも大に歓迎致します。」 「寄稿歓迎 一、一般論説並に時事問題 一、教育並に学術上の研究調査 一、教授 訓練の計画、実施、体験感想 一、県内外各地に於ける主要なる教育記事 一、其の 632 号 他常識涵養上重要なる国防経済外交政治問題」 「新春に期待するの意味に於て、主張よく、研究よく、 「詩歌・俳句」 「随筆」 「小品」 1937(昭和 12)年 11 月 638 号 又よし。」 「どうか自由な境地で一切裃を脱いでの潤達、率直の文章や、余情豊かな詞藻を寄せ て欲しい。肩の凝らない然も無礼講の本欄でありたいと望んでいる。煙草を喫しなが 642 ら呵々と大笑する一面も欲しいし、怪しからんと義憤を感ずる一面も欲しいやうに思 1938(昭和 13)年 3 月 号 ふ。」 「寄稿について 一、教育及一般論説並に時事問題 一、教育其他学術上の研究調 643 査・施設・体験・感想 一、詩・歌・俳句・随筆其他文芸に関するもの 一、各地方 1938(昭和 13)年 4 月 号 に於ける主要なる教育記事 一、常識涵養・精神修養に関する記事」 「随筆想苑欄も相当の内容を示して有意義のものが多い。教育誌となるといづれも一 様に肩のこるやうなものが多いが、本誌は努めて本欄だけなりとも打寛いで読むこと 1938(昭和 13)年 5 月 644 の出来る内容を盛りたいと希望している。随筆よし、詩歌よし、不平よし、不満よし 号 率直なる意見の吐露を期待して止まない。」 [備考] 茨城県教育会『茨城教育』1930 年〜1938 年より作成。 1930 年 5 月号の編輯室欄(「卓上語」)には「一般読者諸君に対しては、本誌に対する改良 「論説、研究、調査、報道、文芸、雑録、 御意見なり御批評なり、どし〜御申出でを乞ふ。」 等々々何でも宜しいから玉稿御恵投を乞ふ。 13」など誌面充実の方針が認められる。また、 同年 9 月からは掲載記事に「目を通し、所感批評等を書くこと」となり、編集室による後記 には各論文についての感想が掲載されるようになった 14。責任ある編集体制が示されたとい ってよいだろう。すでに見たように『茨城教育』が文芸誌としての性格を加味するとともに、 誌面構成が多様化、流動化していく背景にまず、新たに就任した専任の編集担当者の姿勢が ある。 1929 年から増加する特集号の刊行については、専任の編集担当者就任以前の 1928 年 12 月 末に行われた「本誌改善についての協議」で「従来の一般的編輯を避けて各号に特色を持た せて、より力強いものにしようと云ふことに落ちた。而して二月はペスタロツチ号、三月は 新卒業生号、四月は新学年号、五月は児童図書館号、六月は勤労作業号、七月は夏季施設号、 「何れ 更に二月か三月に中等学校入学考査号の臨時増刊の予定 15」が決定されたことによる。 も学術又は実際についての権威ある教育家若くは其の方面に堪能なる士の執筆を請ふ筈。今 後の本誌は内容豊富にして而も特色を持ち真に刮目に値するであらう 16」と、教育会役員で 県視学と思われる人物が述べており、実際に刊行された特集号と対比しても概ね計画通りの -62- 刊行となっている。この編集方針に関しては、学務当局の関わりが認められる。後述するこ とにしたい。 以上のような特集号の刊行や特集欄の設定、原稿募集に見られる編集方針の明確化の背景 には、1910 年代半ばからの教育研究記事の増加による読みにくさによる読者離れがあった。 表中の 1933 年 2 月「常に文芸記事に乏しく誌面に温みと潤ひとが無い」ので「詩歌俳句随筆 漫録何なりと御投稿下さる様」、1936 年 2 月の「本誌は申す迄も無く堅苦しい研究調査等が 誌面に漂ふ空気の中に、一種のやはらか味とあたゝか味とを添へることが出来ますればそれ で結構」などの言葉には、教育研究誌として掲載記事が充実していく一方で、会員の読み物 として文芸記事の充実が必要との認識が示されている。編輯部の方針を明確にした原稿募集 を呼びかけるとともに、編集体制の見直しを行った。編集者と読者との間に緊張関係が現れ たともいえるが、それは両者がお互いに影響し合う関係性が成立したことを意味している。 他方、この時期の『茨城教育』は、誌代未納という事態が深刻化していた 17。編輯室の清 水恒太郎は1934年4月号でこの点について次のように会員に伝えている。 「茨城教育」興廃此の一年に在り。誌代未納多く経営上支障を来すとあつて、現在の如 き雑誌を廃し、ごく薄つぺらな新聞紙型に改めて、印刷及発送費をうんと軽減せしめて は如何との議昨年も起り、又今年も出づ。本会の経済が取れずとの所謂背に腹は替へら れずの窮策。顧れば本機関紙の内容を改善し、紙数を増加し、従つて定価引上げも止む を得ずとなし、一更新を図りしは昭和五年四月。爾来僅かに三四ヶ年にして、遂に改廃 の議起る。 「まあ九年度にはうんと誌代を整理して見て……」との事によりて、幸に低気 圧納まる。一葉落ちて天下の秋を知るとかや。 「茨教」の興廃此の一年に在り、各校一層 誌代払込に御努力を乞ふ。 18 1930 年頃からしばしば『茨城教育』を廃刊し、「ごく薄つぺらな新聞紙型」にして印刷費 や発送費の負担を軽減する「改廃」が議題に上っていた。同年、教育会総会では「茨城教育 誌代未納整理」が正式な議題として諮られ、 「県下多数の町村の内には、誌代未納の向もあり 旁整理上支障を生じ、曩に督促中の所更に係員を派遣して整理に着手したるを以て、若し未 納の町村に於いては当該学校長に於いて特に整理に御尽力をお願いする次第」と具体的な対 「整理」は、1936 年には「非常なる御手数を煩はし、御陰様にて着々好成 策に至っている 19。 績を収め」た。しかし、県教育会予算の「雑誌代徴収費」は翌 1937 年に 200 円、1938 年に 300 円が計上された。『茨城教育』の発行部数は毎号 800 部程度(1937 年時点)であったが、 1938 年度には新たに県下の 500 校に 1 部 35 銭で販売して 2100 円(12 ヶ月分)の収入を見込 んだ。販路拡大によって刊行の予算を確保し、雑誌の存続を図ろうとしたのである 20。誌代 未納問題は、19 30 年代を通しての一貫して課題であった。それだけにページ数が増大し、雑誌 印刷費も増えていく中で、編輯室としては誌代支払いに応じられるような読者獲得のための誌面 づくりが課題とされていたのである。 5.編集体制の転換と学務当局の位置 (1)「学務課便り」欄の新設 -63- 学務当局との関わりについて、誌面と編集体制の観点から明らかにする。この時期の『茨 城教育』の誌面における大きな変化は、学務課の執筆欄が新設されたことである。1927 年 1 月に「学務課ストーブ便り」が最初で、同年 7 月から「学務課便り」として常設欄となる。 以後、1930 年の一時期、「学務課放送 三の丸 マイクロホン」(「三の丸」は茨城県庁舎の 所在地)と名称が変更されるが、1942 年 5 月まで継続している。 学務課は 1928 年 5 月の時点で視学官 1 名と県視学 7 名を中心とする体制であり、同欄は 7 名の県視学が主に執筆していた。当初の記事の内容は、①教師の職務上の問題点を指摘し改 善を促すもの、②法制に関する情報と解説、③学務課員(視学)の日常の業務報告などに分 けられる。 たとえば、1927 年 1 月の「学務課ストーブ便り」は、①の教師の職務上の問題点を指摘し 改善を促すものの典型的な例である。「ストーブの辺りに集ふ課員中、第三列組の手を温め つゝ語り合ひしことを筆にして、便りの資料といたします」として、次のような 5 点を述べ ている。 一、職員の無自覚か校長の不見識か、校長会議の際には、児童の実力養成の第一歩とし て、各科に亘り実効性に富む教授案を必ず立案するやうにと呉れ〜も注意して置いた、 然るに依然としてお義理的に見える極簡単な略案を許容し、或は一部教科に対し全然立 案せずとも、校長は恬然として省みず、却つて「我が校従来の方針」でなどと弁護がま しい言葉を発する者がある。思ふに校長の権威微弱で、県の指示注意すら充分徹底せし むることが出来ぬかと、漫ろ其の境遇に哀れを催し、同時に其の識見を疑ひ[中略] 二、訓練に不関心な教師、日々の教授に充分の工夫を凝らし、児童をして学習に興味を 感じ余念なから占めたならば、教授に依つて幾多の訓練をなし得ることは勿論であるが、 それ以外、看護に依り、共同作業に依る有力な訓練の機会を逸して置いて、只々訓練を 云為するのは請取れぬ[中略] 三、自ら卑下する教師、鳥打帽を冠る教師、和服姿の教師、金釦の洋服を着て居る教師、 袴を穿かずに会合に出席する女教師等は茲一二ヶ月間に殆ど影を潜めて了つたが、其の 心理を考察すると恐らくは教師たることを自ら卑下し、他に愧づるの心情から出たので 無からうか。百般の職業中特に重要な任務を担ふ教育者が、そうした職業観を有つて居 るやうで、いかで真の国民教育が出来よう[中略] 四、教師の欠勤、教師の一日の欠勤が、担任学級の児童を如何に惨めな状態に在らしめ るかは言ふ迄もない、然るに教師の欠勤日数は一学校一ヶ年を通して統計した時に驚か さるゝものがある[中略] 五、凡てが本質的に、研究物や施設を見ても、また経営の実際を観察しても無駄と飾り とが未に混じて居るやうに見える。教育実際上の改善はこの点を省いて得た時間と労力 とを有益に使用することにあると思ふ[後略] 21 「学務課便り」欄の新設の背景としては、その前年の 1926 年 6 月に地方官官制が改正され、 郡役所(郡視学)が廃止されるとともに学務部が新設されたことが大きい。郡視学の廃止と ともに県視学が増員され、学務課は視学中心の陣容となった。学務当局と教員社会の一つの 接点である視学が県庁に集うことにより、継続的な記事執筆も読者の関心も期待し得た。 -64- さらに「学務課便り」欄の設置に加えて、学務当局の意向が『茨城教育』の誌面づくりに 直接反映するようになる。1931年2月、「特別原稿募集」広告を掲載しているが(表5参照)、 このうち「体育運動に関する原稿」の募集に関しては、学務課の意向を受け入れたものであ る。体育運動主事佐藤信一は、以下のように原稿募集の理由を述べている。 我が茨城教育も昨年以来号を重ねる毎に内容と態裁を改め躍然として其の声価を揚げて 来た事は誰しも認める所である。しかも近来の本誌には毎月編輯の中心が確立され計画 的に実質を整へつゝある事は読者の斉しく認むる所であらふ。然りながら本誌を通覧し て吾人の尚物足りなさを感ずる事がある。それは体育運動に関する記事の稀れなる点で、 本県の如く小学校体育に精進深き士の多き県にては、研究調査の発表評論、雑題の記事 の多かるべきであるとの予想に反する事夥しき物あり、他府県の教育雑誌で相当多くの 問題を発表しているのを見る時に本県に於ても毎号必ず一篇の体育文献は見出したきも のであると考へざるを得ないのである。体育上の問題は実に多い。教師指導上の問題、 児童、生徒の研究に於いて種目により説により、或は体験を語り、題目を提出だけでも 無尽蔵であらう。更に体育の諸問題に着眼するなれば材料は取捨に余りあらう。雑誌執 筆者の態度は自己の識見、体験、研究発表をし世に問ふの態度であるべきだと自分は思 ふ。執筆者は常に尖端に立ちリードする事のみを第一とせずとも可であると信ずる。雑 誌は恁うした人達の活舞台であつて欲しい。[後略。下線は引用者。] 22 ここで重要なことは、学務当局が示した原稿募集の意向を『茨城教育』の公式な編集方針 としていること、そして掲載する教育研究の方向性を明確に示していることである。学務当 局の意向が掲載されるとともに、県視学の仕事ぶりや考え方や読者である教員に見えるよう になる。この後、「社会教育課便り」「附属便り」も相次いで設けられていった。『茨城教育』 は、学務当局と教員社会とのより近い接点となりうるメディアとして位置付いていくことに なる。 (2)編集体制の強化と学務当局 1937年3月末日、同年4月号の刊行を最後に、7年間『茨城教育』の編集を担当してきた清水 恒太郎が「退職」した。これを機に編集体制は大きく変わっていく。まず、実質的に清水恒 太郎が単独で編集してきた体制をあらため、 「教育会同人」による編集体制とした。主事は宮 田福次郎となったが、今泉嘉広らが「教育会同人」として5月号から編集の任に当たった。 次に同年7月から編集会議を開催したことが挙げられる。特に山崎隆義教育会会長 23(茨城 県学務部長)、小田島副会長をはじめとする学務当局者を編集会議の主要なメンバーとし、実 際に学務当局が編集を主導したことは重要であった。 この編集体制の転換ともいいうる事態の背景には、先に述べたような教育雑誌としての『茨 城教育』廃刊の危機意識があった。以下に示した1937年6月号の「巻頭言」には、そのような 編集に携わるものとしての強い意識が明確に示されている。 「創業は易く守成は難し」と言ふことがあるがこの育て心こそ何より願はなければなら ない。 [中略]多くの読者に親まれ嗜欲を満たすに足る機関誌であるやうにとは吾人共に -65- 願ふ所であらう。然し之等の欲求を満たすには決して本誌を特立り存在たらしめてはな らない。他のものとする所に冷たき批判が湧き譏諷がある。吾自らのものとする所に愛 情と責任とが確かだ。別けて本県教育界の中堅としてはた動力として純粋なる教育精神 に燃え、新鮮にして旺盛なる研究意欲と強力なる実践力を持つ青年教師の層が動もする と本誌より離れ行き、又本県女教師各位がその天分顕揚の実蹟を言挙げせずに殆ど沈黙 裡にあつて他の啓培の由ないことを甚だ遺憾に思ふ。もとより県教育会の機関誌として 重みと気品との襟度は常に自戒しなければならぬ所であるが、研究にまれ、雑纂にまれ、 もつと切実な経験的な、或は真摯な教師生活の内面表白があつて然るべきと思ふ。斯く してこそ本県教育界の動向が反映され、教師各位が何を悩んでゐるかゞ明示され、そこ にお互いの限りなき共感を、或は純潔なる義憤を、或は深い内省を促されるのではない かと思ふ。お互の修養はお互純乎なる誠心の切磋琢磨に真実の光があるやうに思ふ。県 当局も本誌使命の重要性に一段の熱意を持たれ充分なる御指教御援助を頂いてゐること は感謝に堪へない。また本会も如上の考慮のもとに一層の実を挙ぐべく今回本部委員、 地方通信委員の委嘱を願つて、更に清新なる飛躍を企図している。冀くば会員各位の深 甚なる関心と熱誠なる賛助とを願つて止まない。 24 「巻頭言」において編集側の意向が直接表明されるということは、珍しいことである。そ こに編集担当者の危機感と、その背景に『茨城教育』の誌面に対する強い批判の存在がうか がえる。1930 年以前からたびたび現れた『茨城教育』の「新聞紙」化への圧力は、教育会の 財政問題にとどまらず、機関誌の内容面に対する批判も背景としていたのであろう。同年 3 月に清水恒太郎が「退職」した際には『茨城教育』が「小パンフレツト」になるとの話が「相 当広く伝えられ」ていた 25。 編輯室は、これまで以上に誌面づくりに学務当局を組み入れることでこの危機を乗り越え る道を選ぶことになる。すなわち「会員各位の真摯なる研究、貴重なる体験等が、高所の指 導に俟つて正しく生きて行かねばならないと考へてゐる。この意味から今月号より教育会同 人の編輯に依る許りではなく、会長山崎先生を中心として、学務課、社会教育課よりそれ 〜関係部面の先生方の御出席を願ひ部長室に月一回編輯会議と兼ねて教育座談会が開催さ れることになつた。これによつて本誌が従来より一層実質を備へ更に一段の向上が企図され るであらうと信じてゐる 26 」と、編集担当の今泉が述べているように、学務当局による「高 所の指導」によって『茨城教育』が編集されることとなったのである。 第1回の編集会議は、1937年7月30日に行われた。山崎会長(学務部長)、小田島副会長、田 中(社会教育課長)、照沼、芝沼、大津、一川、押野の各幹事(県視学)、湯澤主事補、宮田 主事と今泉嘉弘らによって「会員諸氏よりの原稿を前にして打寛いだ和やかな中」で行われ た 27。編集会議での「高所の指導」とは次のようなものであった。 発表用語の洗練されてゐないのに気付くと言ふことである。兎もすると内容の割合に表 現が難かしく、殊に自己流の新熟語の濫用が多いのである。これは最近の傾向として大 いに反省せねばならぬことであらう。又郷土的なもの、実際経験に即したもの等の生き た発表が少ないと言ふことである。理論的な抽象的なものに傾きがちで端的に表現した -66- 具体的な所謂血の通つたものが少ないのである。どうか此の方面にも留意して頂いて実 に即し、然も理論的根拠を持つたものをお願ひしたいと思ふ。更に本誌の目標として、 着実にして余裕があり、くだけて、読むに親しみ易く、更により高き教養への寄与を斉 すものでありたいといふことであつた。 28 用語や表現の難しさを反省すること、理論的・抽象的でものではなく実際の経験に基づい た具体的な内容とすること、など編集会議では記事内容に即して明確に批判が加えられてい る。学務当局を中心とする編集側の明確な意図を『茨城教育』に反映させようとしているこ とがわかる 29。実際に寄稿された記事に対して修正意見を加えられたかどうか、執筆者との やりとりや記事採用・編集の過程については詳らかにすることはできない。1938 年において も「従来茨城教育は逆行的な尻読みが多かつたとの譏りを受けたことを聞えてゐる。それは 先づ編輯後記から漸次初頁へ繰つて行つて、巻初研究論説に至つては粗読一過否読まずもが なに終ると言ふのがそれらしい。どうも是では合点が行かない 30」という状況であったこと を考えれば、急激に事態が改善された跡を認めることはできない。しかし、学務当局が『茨 城教育』の編集に関与し、その意図が『茨城教育』誌面に直接現れてきたことは 1930 年代の 一つの特徴であった。 6.おわりに 以上、1930 年代の『茨城教育』の誌面における教員社会の専門性と自律性のありように注 目しながらその特質を明らかにしてきた。 1910 年代半ばからの教育研究記事充実の志向を踏襲した『茨城教育』は、1930 年代に入る とさらに誌面充実を図った。具体的には、原稿募集によって編集方針を明確に示しながら、 また特集号の刊行や特集欄の設定などを行った。それによって教育研究誌として専門性の一 定の高まりが認められた。このことは、教育研究の成果を公表し、またそれを受容し、共有 しうる基盤が教員社会に形成していったことを物語っている。同時に教育研究の方向性を示 す編集者側と読者である教員社会との関係が構築されたことも意味している。 しかしながら、1930 年代の『茨城教育』には茨城県教育会の経営上の問題を背景とした廃 刊もしくは「新聞紙」化、 「小パンフレツト」化への圧力があった。読まれない誌面への批判 に応えるべき編集部の取り組みがあった。具体的には、誌面に「やはらか味とあたゝか味」 「温みと潤ひ」をもたらす文芸欄の充実、編輯部の方針を明確にした原稿募集を呼びかける とともに、編集体制の見直しを行った。編集者側と読者側の緊張関係の出現は、両者がお互 いに影響し合える一定の関係の成立でもあった。 そのような中で編集過程に学務当局が主導的な位置を占めるようになったことは特に重要 なことであった。1926 年学務部新設され、県庁所在地である水戸市に増員された県視学が集 まると、翌年はじめて「学務課便り」欄が設けられた。「社会教育課便り」「附属便り」も設 けられるなど、学務当局の意向伝達の性格も次第に強くなっていく。学務当局と教員社会を 結びつける媒介として地方教育会雑誌が機能し始めたことを示している。 1937 年にはそれまで編集担当者である教育会主事が編集の任に当たっていた体制を見直 し、 「教育会同人」を編集担当とするとともに、学務部長(県教育会会長)を中心とする学務 -67- 当局主導の編集会議が設けられることとなった。 この時期に編集側が『茨城教育』のあり方を唱えたものに、 「本県教育界の指導誌とし反映 誌として」という標語がある 31。県下の教育界を水準を示す専門誌としての志向は認められ る。しかしながら、教員社会を反映する鏡として考えたとき、その求心力の拠り所は教員社 会の自律性ではなく、学務当局との結び付きに求められたところに、1930 年代の地方教育会 雑誌の課題が、そこには端的に表現されているのである。 【註】 1 梶山雅史「教育会史研究へのいざない」(梶山雅史編『近代日本教育会史研究』学術出版会、2007 年、p.24)。 2 本稿では各教育会発行の機関誌を「地方教育会雑誌」と呼ぶことにする。 3 梶山雅史・須田将司「都道府県・旧植民地教育会雑誌 所蔵一覧」 (『東北大学大学院教育学研究科研究年 報』第 54 巻第 2 号、2006 年)。 4 近藤健一郎「アジア太平洋戦争下における府県教育会機関誌の『休刊』と敗戦直後におけるその『復刊』」 (全国地方教育史学会『地方教育史研究』第 33 号、2012 年)。 5 藤澤健一・近藤健一郎「解説」(復刻版『沖縄教育』解説・総目次・索引、不二出版、2009 年)。 6 茨城県立歴史館『「茨城教育」表題総目録』 (2005 年)、同『「茨城教育協会雑誌」表題総目録』 (2007 年)。 7 近藤前掲論文、p.106。 8 為藤五郎「中央地方教育雑誌の氾濫」(秋田県教育会『秋田教育』第 179 号、1936 年 4 月、p.7)。為藤は、 地方教育会雑誌に関して「機関雑誌の存在するそのことによつて、その教育団体の団結一層鞏固にしつゝあ ることの効果」を指摘し、教育会雑誌が会員相互の関係を規定することを示唆している。本稿では、さらに 教育会雑誌を教育会の状況そのものを映し出す鏡として捉える。 9 拙稿「地方教育会雑誌からみる教員社会─1900−1920 年の『茨城教育』 (茨城県教育会)の分析を通じて─」 (梶山雅史編『続・近代日本教育会史研究』学術出版会、2010 年)。 10 同上。 11 編輯室「卓上語」『茨城教育』第 548 号、1930 年 5 月、p.143。 12 『茨城教育』奥付の「発行兼編集人」は 1935 年 10 月まで小池幸太郎、同年 11 月から清水恒太郎となっ ている。 13 同上。 14 編輯室「卓上語」『茨城教育』第 552 号、1930 年 9 月、p.170。 15 「学務課便り」『茨城教育』第 532 号、1929 年 1 月、p.87。 16 同上。 17 この時期の寄稿数の大きさについては「毎月沢山玉稿を寄せられ[中略]十月号など、秋肥りにふつく -68- りと肥つて[中略]編輯子も調子に乗つて知らす識らず、頁数の嵩むを辞せざる態度に出て居りましたが、 つひ此の頃、会計係より『予算関係もありますから』との御注意を頂戴してしま」うほどであった(「卓上 語」『茨城教育』第 554 号、1930 年 11 月、p.105)。 18 清水恒太郎「県教育会記事」『茨城教育』第 595 号、1934 年 4 月、p.95。 19 「県教会記事」『茨城教育』第 598 号、1934 年 7 月、p.135。 20 1937 年度支出予算額雑誌費は 1200 円[雑誌印刷費 900 円、編輯諸費 100 円(内訳編輯委員会費、参考書、 写真代)、雑誌代徴収費 200 円]であったが、翌 1938 年度支出予算額雑誌費は 2697 円[雑誌印刷費 2097 円、編輯諸費 300 円(内訳編輯委員会費、参考書、写真代)、雑誌代徴収費 300 円]となっている。この増 額は、県下 500 校分への新規「雑誌発売額」2100 円を見込んでものであった(1937 年度「雑誌発売額」の 予算額は 400 円。『茨城教育』第 643 号、1938 年 4 月、pp.89-93)。 21 炭配り「学務課ストーブ便り」『茨城教育』第 509 号、1927 年 1 月、pp.51-53。 22 佐藤信一「体育運動に関する原稿歓迎」(『茨城教育』第 557 号、1931 年 2 月、pp.142-143。 23 この時期の茨城県教育会の役員に関しては、定款によって知事が「総裁」に、「会長」「副会長」は「理 事」5 名の中から互選によって選出することが決められていた。「理事」のうち 2 名は学務部長と学務課長 が推薦されることが決められており、慣例的に学務部長、学務課長がそれぞれ「会長」と「副会長」が就任 した(「茨城県教育会定款」『茨城教育』第 630 号、1937 年 3 月、p.140)。 24 「巻頭言『茨城教育』の志向」『茨城教育』第 633 号、1937 年 6 月、p.11。 25 「編輯後記」『茨城教育』第 632 号、1937 年 5 月、p.119。 26 「編輯室より」『茨城教育』第 635 号、1937 年 8 月、p.147。 27 同上、p.147。 28 同上。 29 1938 年も「宮田主事を中心とし、県官各位の御指導に俟つてその編輯陣容を十分ならしめ」たいとの今 泉の決意が示された(『茨城教育』第 640 号、1938 年 1 月、p.104)。 30 今泉生「編輯室より」『茨城教育』第 640 号、1938 年 1 月、p.104。 31 たとえば、『茨城教育』第 640 号、1938 年 1 月、第 643 号、1938 年 4 月など。 謝辞 本稿に関わる史料の調査・収集に際して、茨城県立歴史館史料閲覧室の係の方にたくさんのご配慮を賜り、 筑波大学附属中央図書館所蔵資料を活用させていただいた。この場を借りて心から御礼申し上げる。 (2012年 11月 12日提出) (2013年 1月 11日受理) -69- -70- 埼玉大学紀要 教育学部, 62(1):71-82(2013) 写真の中の「昭和初期郷土教育」 ー千葉県長生郡豊岡尋常高等小学校「我が校郷土教育施設経営の断面」 (1934 年)からー 山田恵吾 埼玉大学教育学部総合教育科学講座 キーワード:写真、昭和初期、郷土教育、教員社会、千葉県 1. はじめに 本稿は、千葉県長生郡豊岡尋常高等小学校が作成した写真帳「我が校郷土教育施設経営の断 面 」 ( 1934 年 、 茂 原 市 立 豊 岡 小 学 校 所 蔵 ) に 所 収 さ れ た 写 真 史 料 を 通 し て 「 昭 和 初 期 郷 土 教 育」の一側面を明らかにするものである。 「昭和初期郷土教育」に関しては、経済恐慌に伴う農村不況への対応として、①文部省主導 の愛国心の涵養を主眼としたものと、②郷土教育連盟を中心とした児童の社会認識力育成を通 じ て 社 会 改 革 を ね ら う も の 、 こ の 両 者 の 対 立 構 図 の 中 に 多 く の 蓄 積 を 認 め る こ と が で き る 1。 近 年 で は こ う し た 枠 組 み を 超 え て 、 民 俗 学 と の 関 連 性 に 注 目 し た 研 究 2や 師 範 学 校 の 『 総 合 郷 土 研 究 』 を 分 析 し た 研 究 3、 地 方 教 育 会 や 地 域 社 会 と の 関 係 性 か ら 分 析 し た 研 究 4な ど 、 多 様 な 側面から研究が進められている。 これら従来の研究蓄積は文書史料に基づくものである。郷土教育に関する写真史料は断片的 には存在するものの、組織的・継続的な郷土教育の取り組みの跡を示す写真史料となると、管 見の限り本稿が検討対象とする「我が校郷土教育施設経営の断面」が唯一のものとなる。まず は、この貴重史料の分類整理と内容紹介を本稿の第一の課題とする。 写真史料は文書史料を視覚的な側面から補う役割にとどまらず、文書によっては知り得ない 実践や取り組みの存在を明らかにする。 当然のことながら、写真は現実のすべてを映し出しているわけではない。写真は切り取られ た現実であるとともに、切り取ろうとした撮影者側のものの見方・意図を映し出すものであ る。つまり、写真には傾斜した「現実」を残そうとした撮影者の意図、言い換えれば、構図を 選定あるいは作成し、さらに写真帳として編集した教員たちの認識に迫る史料的な可能性があ る。 本稿では、そのような写真史料の性格を踏まえながら、第二の課題として、これまでの研究 では見えてこなかった「昭和初期郷土教育」の具体相を明らかにするとともに、写真に示され た学校の郷土教育への課題認識と取り組みを検討することとしたい。 2.豊岡尋常高等小学校と郷土教育 千葉県長生郡豊岡尋常高等小学校(以下「豊岡小学校」と記す)の郷土教育への取り組み は、千葉県教育百年史編さん委員会編『千葉県教育百年史』第二巻( 1974 年)によって研究 -71- の先鞭が付けられ、拙著『近代日本教員統制の展開 −千葉県学務当局と小学校教員社会の関係 史−』(学術出版会、2010 年)等 5 によって全体像が明らかにされているので、これらに依拠 しながらその概要についておさえておくことにしたい 6 。 豊岡小学校の郷土教育への取り組みは、千葉県学務当局の「教育の郷土化」施策への対応と して開始された。とりわけ、学務当局が県・郡教育会と共催で実施した千葉県郷土教育展覧会 は、1931(昭和6)年度から1933(昭和8)年度まで3年間、全県的に展開し、県下455校のすべ ての小学校・実業補修学校が出品・参加するなど、県下各校に郷土教育への取り組みを促す重 要な施策であった(1933年度。計1187点。個人出品含む)。 1931∼1932(昭和6∼7)年度は県下7会場で開催され、1933(昭和8)年度には県下10会場の 予選会を経て千葉市内で本会が開催された。豊岡小学校は、 1931(昭和6)年12月に開催された 第1回千葉県郷土教育展覧会に「労作による郷土的学習の実相」「郷土の副業」の 2点を出品、 翌1932(昭和7)年の第2回千葉県郷土教育展覧会には「労作体験を基調とせる我校郷土教育」 1 点を出品し、ともに「特選」に選ばれている。その継続的な取り組みの成果は、 1933(昭和8) 年12月の第3回千葉県郷土教育展覧会に「我が校郷土教育」として出品され、「特選」校に選出 された全県4校のうちの一つとなった 7 。 千葉県下の郷土教育は、他県と比して、学務当局の施策を中心として全県的に展開した点に 特徴を持つが、とりわけ豊岡小学校の取り組みはその施策へ積極的に呼応した事例として位置 付けることができる。 そ れ で は 学務当局による郷土教育施策のねらいは何であったのか。 1920年代前半において千 葉県師範学校附属小学校が展開した「自由教育」は県内外に広く普及していた。県内公立校へ の普及を問題視した学務当局は、まず1927(昭和2)年に「小学校教育改善要項」を制定し、 「自由教育」に代わる新たな教育実践のあり方を提示した。公立校でなされていた「自由教 育」の実践が、教授細目や授業案ひいては国定教科書を中心とする既存の教育内容を軽視す る、あるいはそうしかねない状況にあるとの認識に基づくものであった。その「小学校教育改 善要項」の基調とするところが「教育の郷土化」であった。土地の状況に立脚した着実な学校 経営・教育方法を促すことで、「自由教育」普及の問題状況の克服を企図したのである 8 。 さらに学務当局の「教育の郷土化」施策は、師範学校附属小学校を県下の教育研究の拠点と して、そこに教育方針の拠り所を見い出す傾向の強かったそれまでの小学校の教育実践・教育 研究のあり方を変えようとするものであった。つまり、各小学校が附属小学校の模倣ではなく 学務当局の方針の下で地域の状況に基づいた主体的な学校経営を展開していく状況を作り出す ことで教育実践の転換を図る施策であった。郷土教育展覧会の開催もそれまでの講習会・講演 会といった形式ではなく、県下すべての小学校の具体的な取り組み・実践を可視化させた点に 特徴があった。そこには、他校の取り組みを意識させることで改革を促進する効果もあった。 こ う し て 始 動 し た 学 務 当 局 の 「 教 育の郷土化」施策は、その後、1930(昭和5)年以降 の全国的な郷土教育隆盛の動向に乗じて、『教育の郷土化に就いて』の編纂(1931年)、そし て千葉県郷土教育展覧会へと展開していく。その結果、実質的に附小「自由教育」から郷土教 育への移行を図った学務当局の施策は成功した。1933(昭和8)年度に学務当局が選定した「特 選」4校の中に男女両師範学校附属小学校は入らず(「入選」 84校のうちの1校に選定)、「特 選」校がいずれも地域公立校であった点にその意図が明確に現れていた 9 。 -72- 以上のように豊岡小学校の郷土教育への取り組みは、1920年代後半から1930年代前半におけ る教育実践の転換と千葉県学務当局の教育施策の成果をうかがうことのできる一つの窓口とし て位置付けられるのである。 3.写真帳「我が校郷土教育施設経営の断面」について 現在、千葉県茂原市立豊岡小学校に所蔵されている( 2010 年 9 月時点)、「我が校郷土教 育施設経営の断面」(1934 年)は、写真 1 のように市販の写真アルバムを使用して作成され た全 25 ページの写真帳である。その内容の一覧を示せば、表 1(次頁)のようになる。主と して写真とその説明文から構成されている。それぞれ題名が付けられた 30 枚の写真(1 枚欠 損のため 29 枚が現存)は、多少の大きさの違いはあるが、ほぼ通常の郵便葉書と同じ大きさ で、1 ページ分の台紙に 1 枚ないし 2 枚貼付され、その下部または横部に説明文が付されてい る。 一例として写真 2 を示す。1 ページを使用して写真と説明文がある。写真 2「草刈実習」の ように、写真に児童、教員がともに写されていれば、表中の「写真」欄の「児童」・「教職 員」欄に「○」を付している。「草刈実習」の説明文は 250 字程度であり、「大」に分類して いる(「小」は 50 字程度以下のもの)。 写真帳作成の目的に関して同校は、「その[郷土教育の −引用者]施設や経営を永く記念す るために当時の実体を撮影したもの」であると同時に、「もち論この写真も当時の出品物であ つた」と「前書」で述べている。すなわち、活動内容の記録であり、かつ自校の活動を郷土教 育展覧会の審査者の評価に供するという目的を持つものであった。当然、写真帳を構成する写 真は、自校の取り組み・実践の経過や課題、問題点の抽出よりも、郷土教育展覧会において高 評価が期待できる内容・場面が選定、あるいは作成されることになる。 写 真 1「 我 が 校 郷 土 教 育 施 設 経 営 の 断 面 」 表 紙 写 真 2 内 容 の 一 例 ( 「 草 刈 実 習 」 史 料 番 号 9) -73- 表1 史料番号 写真帳「我が校郷土教育施設経営の断面」の内容一覧 題目 写真 分量 有無 説明文 備考 写真帳製作の主旨 児童 教職員 1 前書 2頁 無 − − − 2 鑑賞池 1頁 ○ × ○ ○(大) 3 校庭校舎と学級園の管理 1頁 欠 − − ○(大) 4 神饌田 1頁 ○ ○ ○ ○(大) 5 郷土教育展覧会 其の一 半頁 ○ × × ○(小) 1931 年校内展覧会 6 郷土教育展覧会 其の二 半頁 ○ × × ○(小) 1931 年校内展覧会 1931 年校内展覧会 写真が欠損。 7 同人の面影 半頁 ○ × ○ ○(小) 8 水稲初穂の奉献式 半頁 ○ ○ ○ ○(小) 9 草刈実習 1頁 ○ ○ ○ ○(大) 10 水田農業実習地 半頁 ○ ○ ○ ○(小) 11 児童の労作 半頁 ○ ○ ○ ○(小) 12 養鶏 1頁 ○ ○ ○ ○(大) 13 養兎 半頁 ○ ○ ○ ○(小) 14 学用品の分配 半頁 ○ ○ ○ ○(小) 15 共同園 1頁 ○ ○ ○ ○(小) 16 堆肥積込 半頁 ○ ○ ○ ○(小) 17 竹細工の実習 半頁 ○ ○ ○ ○(小) 18 体操 半頁 ○ ○ ○ ○(小) 19 精米実習 半頁 ○ ○ ○ ○(小) 20 富士見ヶ池 1頁 ○ ○ ○ ○(大) 21 開墾実習 半頁 ○ ○ ○ ○(小) 22 自由運動 半頁 ○ ○ ○ ○(小) 23 校歌の指導 1頁 ○ ○ ○ ○(小) 「校訓」も記載 24 郷土唱歌 1頁 無 − − − 校歌の歌詞 25 教材園 1頁 ○ ○ ○ ○(小) 26 水門実地踏査 半頁 ○ ○ ○ ○(小) 27 畑の実習 半頁 ○ ○ ○ ○(小) 28 郷土読本 1頁 ○ × ○ ○(大) 29 郷土室 1頁 ○ ○ ○ ○(大) -74- 30 郷土教育展覧会 1頁 ○ × ○ ○(大) 1933 年県展覧会 31 郷土教育展覧会 1頁 ○ × ○ ○(大) 1931 年県展覧会 32 郷土教育展覧会 1頁 ○ × ○ ○(大) 新聞記事切抜。1933 年 4.写真の中の「郷土教育」 ここでは写真資料の分類・整理によって、そこに映じた「郷土教育」の内実を明らかにする。 まず、29 枚の写真の内容を大別すると、①教育−学習活動、②郷土教育展覧会、③その他に分け ることができる。以下、この 3 点についてそれぞれ見ていくこととする。 (1)教育−学習活動 表 1 において「写真」欄の「児童」「教職員」の両欄ともに「○」が付された 21 枚と「鑑賞 池」(史料番号 2)の計 22 枚が、①の教育−学習活動に該当する。写真総数の 4 分の 3 以上を占 めていることから、教育−学習活動が同校の郷土教育の柱として明確に位置付けられていること がわかる。教育−学習活動に分類した写真は、さらに a.郷土教育施設を中心としたもの、b.児童 の体験・作業を中心としたものに分けられる。 まず、a.郷土教育施設を中心としたものに該当する 6 枚を示す。 写真 3 鑑 賞 池 ( 史 料 番 号 2) 写真 4 -75- 神 饌 田 ( 史 料 番 号 4) 写真 5 水 田 農 業 実 習 地 ( 史 料 番 号 10) 写真 6 写真 8 写真 7 富 士 見 ヶ 池 ( 史 料 番 号 20) 郷 土 室 ( 史 料 番 号 29) 教 材 園 ( 史 料 番 号 25) 郷土教育施設といっても、いずれも児童、教員の活動風景が重ねて写し出されている。そこに は、単に郷土教育施設の設置・整備といった問題を超えて、それを活用した実践が日常的な学校 教育の営みの中で展開していることを示そうとする姿勢がある。第 1 回郷土教育展覧会の際に学 務当局が、出品物の傾向として児童の教育活動上に位置付いていないことを指摘した 10 が、その 問題点に配慮し、応えるものとなっていることがわかる。 b は上の教育施設の活用とも関わるが、a に比して児童の体験性・活動性に主眼が置かれてい るものである。以下、8 枚の写真を取り上げる。 -76- 写真 9 開 墾 実 習 ( 史 料 番 号 21) 写 真 11 精 米 実 習 ( 史 料 番 号 19) 写 真 13 写 真 10 写 真 12 養 鶏 ( 史 料 番 号 12) 堆 肥 積 込 ( 史 料 番 号 16) 児 童 の 労 作 ( 史 料 番 号 11) 写 真 14 -77- 養 兎 ( 史 料 番 号 13) 写 真 15 学 用 品 の 分 配 ( 史 料 番 号 14) 写 真 16 水 門 の 実 地 踏 査 ( 史 料 番 号 26) 多くを占める農作業に関わる活動は、農村である豊岡村における児童の生活現実に深く関わっ ている。同様に豊岡村の副業であった養鶏の作業の風景も収められている。 以上のように、a、b はともに、児童が教員とともに活動している姿を写し出している。先に 述べたように、同校は児童と教師の共同作業による労作を郷土教育の一つの柱としており、千葉 県郷土教育展覧会には第 1 回、第 2 回ともに労作の研究成果を出品し、高い評価を受けている。 さらに写真に写し出された施設が児童と教師の共同作業によって建設されたことを示す説明文も 散見される。 たとえば、「養鶏」(史料番号 12)では「昭和 6 年 6 月初旬挿秧休業を利用して職員高等科 児童の共同労作で鶏舎を建築」、「養兎」(史料番号 13)では「養兎の小屋は職員児童が共同 に工作したもの」、「教材園」(史料番号 25)でも「昭和六年五月児童職員が共同作業で造営 したもの」などである。その意味で児童が教師とともに活動する様子は、同校の郷土教育の特徴 を印象付けるものとなっている。 (2)郷土教育展覧会 郷土教育展覧会に分類できる写真は 6 枚、全体の約 2 割に当たる。表 1 では史料番号 5〜7 (写真 17〜19)、同じく 30〜32(写真 20〜22)が該当する。 史料番号 5〜7 は、1931(昭和 6)年に豊岡小学校内で開催した展覧会の風景を撮影したもの である。史料番号 5(写真 17)が「郷土の副業」、同 6(写真 18)が「労作による郷土的学習の 実相」と題された展示であり、それぞれ同校が 1931(昭和 6)年に開催された第 1 回千葉県郷土 教育展覧会に出品した内容を示している。同 7(写真 19)は「郷土の副業」の展示物を背景にし た 9 名の教員の記念写真である。 -78- 写 真 17 郷 土 教 育 展 覧 会 ( 史 料 番 号 5) 写 真 19 写 真 18 郷 土 教 育 展 覧 会 ( 史 料 番 号 6) 郷 土 教 育 展 覧 会 ( 史 料 番 号 7) 一方、史料番号 30〜32(写真 20〜22)の写真のうち 31(写真 21)は、同校が 1931(昭和 6) 年の第 1 回千葉県郷土教育展覧会に出品し、会場校の長生郡茂原尋常高等小学校講堂に展示され た時のもので、説明文から校長深山隆が撮影した写真であることがわかる。内容は如上の 3 点の 写真と同様と思われる。これら第 1 回千葉県郷土教育展覧会への出品物は、長生・夷隅の 2 郡の 参加校の中で「特選」に選定されており、「本校の出品物は講堂のほぼ三分の一を占有してその 出品物の数量とその展覧会の趣旨に添つていた点では他にその比を見なかつた」との説明が写真 下部に付されている。 1932(昭和 7)年に夷隅郡御宿小学校を長生・夷隅郡の合同会場として開催された第 2 回千葉 県郷土教育展覧会においても「特選」に選ばれた同校は、翌 1933(昭和 8)年千葉市千葉高等小 学校を会場として開催された第 3 回千葉県郷土教育展覧会に出品し、三度「特選」に選ばれた。 「特選」に選定されたのは、千葉県下の全小学校のうち 4 校であった。史料番号 30(写真 20) は、第 3 回千葉県郷土教育展覧会で「特選」を得た当日の記念写真である。深山校長をはじめ全 職員と豊岡村の川崎村長が写真に収まっている。史料番号 32(写真 22)はこのときの賞状授与 式の様子が『朝日新聞(千葉版)』に掲載された時の記事の切り抜きである。 -79- 写 真 20 郷 土 教 育 展 覧 会 ( 史 料 番 号 31) 写 真 21 写 真 22 郷 土 教 育 展 覧 会 ( 史 料 番 号 30) 郷 土 教 育 展 覧 会 ( 史 料 番 号 32) (3)その他 ①教育−学習活動、②郷土教育展覧会に該当しない「郷土読本」(史料番号 28、写真 23) は、教員の「郷土読本」作製の様子を収めた写真である 11 。豊岡小学校では、この時期に尋常 科 1 年から高等科 2 年まで 8 学年のそれぞれに 1 冊の郷土読本、計 8 冊を編纂している(現 在、同校にはこのうちの 7 冊が所蔵されている。写真 24『豊岡郷土読本』はその 1 冊)。 写真に付された説明文には「印刷製本一切職員の手になり別に郷土読本教授指針を編さんして 之を教授細目に編入し読本科に連絡してその教材の補充材料取扱としてこの読本を使用した。 [中略]この写真は夜間郷土読本作製中の場面で編纂書冊を検閲する者印刷に従事する者書冊の わきクロースをつけるものこれを裁つ者等夫々の分担によつて進捗されている前通りには裁ちく ずか山と積まれている」とある。この写真は、郷土読本が教職員の手による献身的な共同作業に よって作成されたことを示すものであり、その様子を写した貴重な史料なのである。 -80- 写 真 23 郷 土 読 本 ( 史 料 番 号 28) 写 真 24『 豊 岡 郷 土 読 本 』 しかし、重要なのはその点に止まらない。問題はその姿勢が誰に向けられたものであったのか にある。 まず、写真の構図を見てみよう。写真は一方向から郷土読本作成に関わっているすべての教職 員の作業内容が収まるような構図がとられている。言い換えれば、狭い空間にひしめき合って行 う作業は効率が悪いことが推測される。また、写真中央部に鮮明に写る「豊岡郷土読本」「巻 一」などの張り紙の存在や高く積み上げられた製本済みと思われる読本も実際の作業の上では必 然性が低い。さらに中央位置の男女教員の嬉々として作業に取り組む様子も学校の姿勢を印象づ けるものとなっている。 そこには、千葉県郷土教育展覧会に意欲的に取り組んでいた豊岡小学校が、自前で郷土読本を 作製するという積極姿勢に加えて、教職員が一丸となって教育実践に取り組む姿を見せる、すな わち学務当局の教育施策を忠実に具体化する姿を見せるというねらいがあったことがわかる。 千葉県学務当局が展開した郷土教育施策は、「自由教育」から、それに代わる新たな実践を普 及させるとともに、附属小学校を中心とする教育実践のあり方を、学務当局が一元的に示す教育 方針に学校側が積極的に呼応する体制へと変えようとするものであったことは既に述べた 12 。 「昭和初期郷土教育」は、その転轍機の役割を持つが、この 1 枚の写真はそのような学校側の変 化を鮮明に映し出す史料である。 5.おわりに 写真帳「我が校郷土教育施設経営の断面」を通して、文書史料では捉えきれない郷土教育の具 体相を明らかにし、それに取り組む学校側の姿勢・課題認識を検討してきた。 千葉県郷土教育展覧会への出品物でもあった「我が校郷土教育施設経営の断面」は、そこに児 童と教員がともに活動している様子を写真に収めることで、同校の郷土教育の実践が地域社会や 学校生活の中に位置付いていることを示すものであった。同時に千葉県学務当局の方針を忠実に 具体化する学校側の姿勢もこの写真を通して示そうとした。 1920 年代後半から 1930 年代における教育実践の転換と、地方学務当局と教員社会の関係性の 変化を、これら写真史料はより鮮明に伝えてくれるのである。 -81- 註 1 たとえば、海老原治善『現代日本教育実践史』 ( 明 治 図 書 、 1975年 ) 、 影 山 清 四 郎 「 郷 土 教 育 運 動 」 ( 『 歴 史 公 論 』 第 83号 、 1982年 ) 。 2 伊藤純郎『増補 郷 土 教 育 運 動 の 研 究 』 ( 思 文 閣 出 版 、 2008年 ) 、 小 国 喜 弘 『 民 俗 学 運 動 と 学 校 教 育 ― 民 俗 の 発 見 と そ の 国 民 化 』 ( 東 京 大 学 出 版 会 、 2001年 ) が あ る 。 3 外 池 智 『 昭 和 初 期 に お け る 郷 土 教 育 の 施 策 と 実 践 に 関 す る 研 究 −『 総 合 郷 土 研 究 』 編 纂 の 師 範 学 校 を 事 例 と し て −』 ( NSK出 版 、 2004年 ) 、 斉 藤 太 郎 「 昭 和 前 期 郷 土 教 育 に お け る 郷 土 人 認 識 −茨 城 県 師 範 学 校 他 『 総 合 郷 土 研 究 』 ( 1939) の 県 民 性 論 覚 え 書 き −」 ( 『 筑 波 大 学 教 育 学 研 究 集 録 』 第 21集 、 1997年 ) 他 。 4 板 橋 孝 幸 「 昭 和 戦 前 期 秋 田 県 に お け る 郷 土 教 育 運 動 と 地 方 教 育 会 −農 村 の 小 学 校 を 重 視 し た 施 策 の 転 換 に 着 目 し て −」 ( 梶 山 雅 史 編 『 続 ・ 近 代 日 本 教 育 会 史 研 究 』 学 術 出 版 会 、 2010年 ) 。 5 こ の 他 に 拙 稿 「 昭 和 初 期 郷 土 教 育 に お け る カ リ キ ュ ラ ム 改 革 と そ の 意 義 −千 葉 県 長 生 郡 豊 岡 尋 常 高 等 小 学 校 の 事 例 を 通 じ て −」 ( 『 茨 城 大 学 教 育 学 部 紀 要 ( 教 育 科 学 ) 』 第 55号 、 2005年 ) が あ る 。 6 豊岡尋常高等小学校の郷土教育の取り組み・実践に関する史料には、次の①〜④がある。①「郷土教育実際 的 体 系 」 ( 1931年 ) は B5判 、 全 16ペ ー ジ 。 ② 豊 岡 尋 常 高 等 小 学 校 「 郷 土 教 育 直 接 指 導 体 系 」 ( 1931年 ) は B5 判 、 全 85ペ ー ジ 。 ③ 「 郷 土 教 育 に お け る 農 村 読 方 教 育 と し て の 実 際 」 は B5判 、 全 55ペ ー ジ 。 ④ 豊 岡 尋 常 高 等 小 学 校 「 我 が 校 郷 土 教 育 」 ( 1933年 ) は B5判 、 全 262 ペ ー ジ 。 い ず れ も 現 在 は 千 葉 県 文 書 館 に 所 蔵 ( 調 査 時 は千葉県総合教育センター所蔵)。 7 拙 著 『 近 代 日 本 教 員 統 制 の 展 開 −千 葉 県 学 務 当 局 と 小 学 校 教 員 社 会 の 関 係 史 −』 ( 学 術 出 版 会 、 2010年 ) 。 8 同上。 9 同上。 10 同上。 11 「郷土読本」の写真は、同上書の表紙カバーに使用している。 12 前掲『近代日本教員統制の展開』。 謝辞 「我が校郷土教育施設経営の断面」他の史料調査と閲覧、活用に際し、千葉県茂原市立豊岡小学校校長中村 一男先生にはご便宜をお図りいただいた。ここに感謝の意を記したい。 (2012年 11月 12日提出) (2013年 1月 11日受理) -82- 埼玉大学紀要 教育学部, 62(1):83-100(2013) 教育・保健・福祉に関するネットワーク −S県における学校と外部機関との連携に関する調査研究−(第Ⅰ報) 石戸教嗣 総合教育科学講座 馬場久志 教育心理カウンセリング講座 キーワード:連携、教育・保健・福祉、ネットワーク、不登校 1. 教育・保健・福祉に関するネットワークの現状と研究課題 石戸教嗣 1-1 問題の所在 本研究は、学校と学校外の専門諸機関との連携の実態に関する調査研究である。 近年、学校だけでは解決できない問題が多くなっている。それらは、つぎのような諸要因が 相互に絡み合うことで、学校内での指導・働きかけ・相談では対処できない問題となっている。 すなわち、それらは、家族の地域からの孤立化、家庭の経済的不安定化、それに伴う家族関係 の脆弱化、学校の地位の相対的低下などによって、子どもだけでなく保護者との対応にも困難 をもたらしていると考えられる。また、外からは問題がないように見える家族が、内部で深刻 な課題を抱えていて、学校側と家庭との認識にずれがある場合もある。だが、このような問題 に対応できる専門スタッフが配属されているのは稀である。これらの問題への対応に追われて、 教師の多忙化が加速されている。 このような状況において、多くの学校はその問題の解決に向けてさまざまな努力を重ねてい る。それは通例、つぎのような段階をたどる。まずは、担任教師が個別の面談、家庭訪問など さまざまな仕方で解決を試みる。だが、それで解決しないことが通例である。つぎのプロセス は、管理職に相談したり、養護教諭やスクールカウンセラーと相談する。そのつぎには、校務 分掌に沿ってそのケースに当たるチームが校内で作られ、子どもや家庭と対応する。そして、 それでも解決が図られないとき、学校はやむにやまれずに外部に助力を求める。その問題の特 殊性や、その時々に起こる事態への対応に追われ、校内で打つ手も尽き、接触を試みていると 思われる。 従来の日本型企業社会の基盤が失われた現在、これらの問題において子どもの福祉の弱体化 が顕著に示されている。そして、そのしわ寄せが学校に及んでいると考えられる。 他方で、日本の学校は、伝統的に子どもの生活全般と関わるという生活指導機関としての性 格を持ってきた。そのために、本来ならば福祉機関が対応すべき事柄にも学校が抱え込むこと にもつながっている。 日本の学校におけるこのような、そのケースごとのアドホックな連携活動は、欧米において 学校と専門機関との連携が恒常的なシステムとなっているのとは対照的である。また、それに 差し向ける予算・人員の規模の桁の違いがある。これに関しては、わが国の福祉システムの立 ち遅れ、特に「人生前半の社会保障」の立ち遅れが指摘されている。(広井 2009:62) 欧米において、子どもの福祉は、多様な分野の機関・組織が子どもを取り巻く形で相互に連 -83- 携する形で展開される。たとえば、(宮本 2004:116)は、「・・ソーシャルワーカー、カウンセ ラー、サイコロジストの間には、互いに近接の専門領域と共通する部分が多くあり、仕事のボ ーダーレス化が進んでいる。 ・・彼らは、学校全体を積極的に組み込んだ広範な組織的活動への 認識が高く、学校精神保健にかかわる学校教職員(school personel)としての共通意識が強い。」 と指摘している。これは、1980 年代以降の米国のソーシャルワークの分野において「ジェネラ リスト・アプローチ」の方向が提唱され、その考え方が浸透しているためであろう。すなわち、 子どもの問題に限らず、ソーシャルワーカーは、個別専門の枠にとらわれず、幅広い視野でも って、家庭・地域・組織との関わりの中で活動すべきという考え方である。(Gibbs, Locke and Lohmann 1990) そして、このような広い視野を共有することによって、子どもの福祉に関わる専門家同士が 連携し合うことも可能となる。それは、いわゆるマルチ・エージェンシー・ワーキング (multi-agency working)と呼ばれる連携関係である。 (図表 1-1 参照)これに対して、わが国 の現実は、子どもの問題を内部で処理できない学校が外部に支援を求めるということが「連携」 となっている。言いかえるならば、学校が子どもの問題を「発見」する場としてだけでなく、 その「解決」までの仕事も負わされている。学校が抱える困難は、その問題の多くは専門的知 見からの判断が必要であるにもかかわらず、もっぱら学校内部での対応が求められることに起 因している。 図表 1-1 マルチ・エージェンシー・ワークの一例 ( Willkin et al,2002,p.31) この現状に照らして、たしかに、マルチ・エージェンシー・ワーキングは、子どもの福祉を 充実させるうえで、また、問題を学校だけが抱え込まないためにも、目指すべき一つの方向で ある。しかし、欧米でもそうであるが、そのモデル通りにはいかないのが現実である。なぜな ら、一つひとつのケースは固有な独自性を持っているからである。ケースを連携のモデルに合 わせる場合、問題事象への対応は、組織間の関係のマニュアル化に沿ってなされる恐れがある。 「組織」から見るならば、子どもはその客体である。子どもがその組織に包摂されるか、あ るいは排除されるかは、組織が決定する。これは、 「連携」が組織間で作られるときも同じであ る。連携する組織において、子どもは「ニーズを持つ子ども」という存在となる。そのニーズ -84- の存在が確認されるとき、既定の手順に沿って、子どもは「処遇」されていく。もちろん、こ のような手続きにおいて、子どもの状況が改善されることは大いに期待できる。その過程で出 会う専門家の働きかけによって、保護者や子どもが心を開くこともあるだろう。だが、このよ うな組織志向的な連携だけを目指すならば、そこでは、問題を抱える子どもはいつまでも「客 体」であり続けるだろう。 また、別の観点から言うならば、そのような組織的連携によるケースの扱いにおいては、膨 大な時間・手間・金がかかるのも事実である。図表1-1 に示すように、欧米での専門機関会議 では、一つのケースを審議するために、10 数人の専門家が集まることもある。そこまでの充実 した体制はわが国では作ることができないのが現状であるが、そこでは、問題を抱える保護者 と子どもは、権限と知識において圧倒的な力を持つ専門家集団を前にして、かえって萎縮した り、弱者化する恐れがある。 われわれの問題意識は、ジェネラリスティック・アプローチとマルチ・エージェンシー・ワ ーキングを志向しつつも、本来のネットワーク的視点に立ち戻って「連携」を考察することに ある。どんなケースもそれ固有の条件から成っているため、予め問題の解決は見通しが立てに くい。ネットワーク的視点とは、そういう不確実さに対応する柔軟さを備えた連携を模索する ためである。 1-2 研究の関心と方法 これまでの「連携」研究は、いくつかのタイプに分けることができる。最も多いのは、 「特別 支援教育」の開始に伴い、コーディネーターが外部といかに連携するかについてのものである。 つぎに、虐待などの個別の問題について、学校が外部の専門機関との関係をいかに作っていく かに関する研究がある。 (これらには、教育の側からよりも、福祉・医療の側からの研究も含ま れる。)また、県などの地域を単位として、その地域全体を一つの教育ネットワークとしてとら えるアプローチもある。 本研究は、個々の学校がこれらの問題について連携を探索している側面に注目し、研究手法 としてもそれらの探索活動の実態を明らかにすることを狙った。したがって、個々の学校がい かなる組織を形成すべきかというモデル図を新たに付け加えるのではなく、日々流動的にそれ らの探索的な活動がいかになされているかを明らかにすることを研究の一つの方針とした。 実際に、 「連携」と言っても、その様態は、恒常的な組織間組織から、その問題事例において 一時的に模索されただけの関係、までを含み、さまざまである。また、そこに関わる人の役割 という次元でも、フォーマルな職務として連携が位置づいている場合から、その事例の緊急性 や特殊性のために職務規定にはない変則的な形で関わる場合もあるだろう。 したがって、本研究においては、 「連携」を教員・学校の日常的活動の視点からとらえるため に、あえて、広い範囲でとらえることとした。すなわち、一時的・例外的に形成された関係も 含めて「連携」と呼ぶことにした。 「ネットワーク」という概念は、フォーマルな組織となった「連携」を指す場合もあるが、 本来は、偶発的に作られる「つながり」を指す。それは、組織原理とは違う次元で作られる関 係を記述するための概念であり、そういう意味で、本研究は学校と外部機関とのネットワーク 関係を探るものである。 最初は不確定なネットワーク関係であったものが、経験を積み、そこにおいて成功例を重ね -85- るとき、その関係を組織として永続化させることになるのは、自然な流れであろう。したがっ て、本研究は、組織と組織の関係を整備し、それを包括する新しい組織を作ることを否定する ものではない。むしろ連携の充実した制度・組織を志向するものである。だが、それは、フォ ーマルな手続きと権限によって規定されるという意味で、新たな官僚的組織になる場合もある。 学校と外部機関の「連携」は、縦割り的な組織を横断するものでなければならないだろう。 これらのことから、本研究の問題関心は、フォーマルな学校組織が内部的な活動の限界に直 面したとき、どこまで外部に開かれ、外部と柔軟な関係を作ることができるかということにあ る。学校が外部に開かれると言うとき、以下の調査の結果の考察でも示されるように、学校の 上位機関である教育委員会は、単に指示を仰ぐ機関ではなくなる。ネットワークという視点か らは、学校にとって教育委員会は、類似事例についての情報を持ち、他の機関への仲介をとる ネットワークのハブ機関として位置づくことになる。これは、ネットワーク・ガバナンス研究 において、行政機関を官僚組織の統制機関としてではなく、ネットワークの運営に必要な管理 者的な役割(ネットワーク・マネジメント)を果たすアクターとしてとらえる見方と重なる。 (落合 2008) 本研究において、「外部」と呼ぶのは、いくつかの層から成っている。 まず、教育システム内部で、個々の学校から見て「外部」というレベルがある。このレベル での外部機関の代表的なものは、教育委員会である。また、地域の教育相談所もあるだろう。 第二レベルでの外部機関は、教育システム外部の公的な組織である。これには、たとえば、福 祉システムでの児童相談所、医療システムでの病院、法システムでの警察などがある。また、 地域の民生委員や児童委員もこれに含まれる。第三レベルの外部機関は、地域で活動するNP Oなどの任意団体である。 学校は公的組織であり、その活動には法的根拠が求められる。しかし、子どもはそういった 法的領域を超えた存在であり、これらの形式的領域区分を超えて関わることが求められる。実 際に、民生委員や児童委員は単に公的な活動範囲を超えて、問題を抱える他の家庭と生活ぐる みで関わっているケースも多い。このような事情は、教師も同様である。似たような問題の子 どもであっても、教師によっては、学校内の他の教師との協力を求めず(得られず)に、した がって外部機関との連携もなく、丸抱え的に関わっている場合が多い。 「連携」を組織志向からネットワーク志向への変化の文脈においてとらえるとき、それは日本 の教育の流れにおいては以下のように位置づけることができる。 日本の教育界で「連携」という語が公的に登場したのは、1970 年代における「学社連携」の 政策においてである。これは、それまで教員団体も含めて学校と地域の関係を「地域に根ざす 教育」として築いてきた流れを基盤としていた。これを第一段階とすると、第二段階は、1990 年代の「学社融合」の時期である。この第二段階の時期では、いわゆる「ゆとり教育」を進め るうえで、学校と地域の相互交流が重視された。 ところが、2000 年代に入って、「ゆとり教育」が「学力重視」に方向転換されることによっ て、 「学社融合」の動きは鈍くなる。同時に、この時期は、すでに述べたように、格差社会化が 進むことによって、新たな貧困が社会問題となり、それによって家庭の教育力が低下し、さま ざまな問題が発生した。他方で、地域の結束力の弱まりの中で、地域の社会関係資本としての 学校の役割は相対的に高まってきている。その中で、コミュニティ・スクール(地域学校運営 協議会)を導入する地域も増えてきている。このとき、現在は、学校が地域のネットワークの -86- 重要なハブとなるなかで、学校と外部機関との「連携」が模索されている段階としてとらえる ことができる。すなわち、この第三段階において、 「連携」は学校と教育システム外部とのネッ トワーク化の段階に入ったと考えられる。 1-3 調査と結果の概要 学校が模索している外部との「連携」について、ここまでその実態やいくつかの流れを検討 してきた。本研究は、以下に、本章を含む 8 つの章を通して、学校と外部機関との「連携」を より具体的な問題に沿って考察していく。それらが基づく調査は、以下に示すプロジェクトと して取り組まれたものである。 ・調査チーム:平成 20・21 年度埼玉大学教育学部「人間形成ネットワーク」の一環として、 「教 育・保健・福祉の連携・統合」という調査プロジェクト・チームが以下のメンバーによって構 成され、調査を行った。 石戸教嗣(総合教育科学講座)(代表)・戸賀沢亮子(埼玉県立富士見高等学校・本学部非常 勤講師) ・中下富子(学校保健講座) ・馬場久志(教育心理カウンセリング講座) ・坂西友秀(教 育心理カウンセリング講座)・宗澤忠雄(社会科教育講座)・山中冴子(特別支援教育講座) (50 音順) ・調査方針:上に述べた実態を視野に入れつつ、本研究がとった方法は、予め一定の枠組みで 定義した「連携」について尋ねるのではなく、 「学校だけで解決できない子どもの問題」として 各学校が抱えた事例をアンケートで収集し、聞き取るというものである。そして、収集された 各事例から、問題別にその解決のプロセスにおいていかなる連携が探られたかを考察するもの である。 ・調査の公表・まとめ 本調査は学校と外部機関との連携に関わる多岐の問題を対象としているため、第Ⅰ報∼第Ⅳ 報に分けて報告する。しかし、各章で扱うデータは共通であり、いずれも以下の「調査の概要」 で示すデータを基礎数としている。そのため、図表番号は、第Ⅰ報∼第Ⅳ報にまたがって、 「図 表*−**」という通し番号で表記する。 第Ⅰ報∼第Ⅳ報の 8 つの章は、本研究に参加したメンバーがそれぞれ専門とする問題別に本 調査のデータを考察したものである。したがって、8つの章の各論考は、各執筆者の独自な見 解に基づくものである。 ・調査の概要:本研究は、以下に示すアンケート調査とインタビュー調査から成る。 <アンケート調査> *調査対象:S県の公立小中学校の校長・教諭・養護教諭(なお、この調査は特定の地域の「連 携」の問題点・課題を探るものではなく、むしろ日本の学校が直面している課題としての連携 -87- を問題としている。そのため、以下の各報告では、調査対象となった県を固有名ではなく、S 県と表記する。ただし、連携の事例として特定の実践・組織を紹介する場合は、固有名称を用 いることがある。) *調査校の抽出:S県の人口上位の 6 市の小中学校から、小学校 75 校、中学校 75 校を無作為 に抽出。小学校教諭は 3 年1組・6年1組、中学校教諭は 2 年 1 組の担任に回答を依頼した。 *調査対象数: (図表 1-2) 図表 1-2 小学校 校長 75 調査対象数 教諭 150 養護教諭 75 計 300 中学校 75 75 75 225 計 150 225 150 525 人 *調査期間:2010 年 12 月∼2011 年 1 月 *調査方法:調査対象校の校長宛に、校長、教諭、養護教諭宛のアンケート依頼文と返信用封 筒を同封し、郵送した。 *回収数: 図表 1-3 (図表 1-3) アンケート回収数(校種職種とも不明 1 通、事例分類ができない回答 3 通を除く) 校長 教諭 養護教諭 小学校 42 79 中学校 35 33 不明 計 不明 計 31 0 152 (51%) 33 0 101 (44.4%) 1 0 0 1 2 78 112 64 1 255 (38.0%) (42.7%) (回収率) (50.7%) (回収率) (48.6%) (48.6%) *調査項目は以下の 2 つから成る。 項目A:過去 5 年間で、学校内だけで解決できないと感じた子どもの問題について ・あらかじめ提示した以下の 10 項目群から子どもの問題を「ある・ない」で選んでもらう。 (一 人の子どもの問題が多岐にわたる場合はすべての問題番号を選んでもらう。) ①不登校の子ども,②子どもの虐待,③特別支援教育の必要な子ども,④非行・いじめなどの問 題行動を持つ子ども,⑤学力の問題をもつ子ども,⑥保護者対応,⑦家庭の経済的問題をもつ子 ども,⑧外国人の親を持つ子ども,⑨保護者の病気が子どもに与える影響,⑩その他、学校だけで は解決できない子どもの問題 ・簡単にその問題内容を記述してもらう。 -88- 項目B: ① 上の各事例において、学校以外の機関・組織・人と関わったかどうかを「ある・ない」で 回答してもらい、「ある」の場合、連携先を以下のリストの中から挙げてもらう。 1 教育相談室,2 教育委員会,3 適応教室や通級教室,4 教育センター,5 児童相談所,6 家庭相談 室・子ども(児童)支援課,7病院・クリニック,8 医療センター,9福祉課,10 障害福祉課,11 福祉事務所,12 保健センター,13 保健所,14 警察,15 家庭裁判所,16 法務局,17 ハローワーク,18 就労支援センター,19 弁護士,20 スクールカウンセラー,21 スクールソーシャルワーカー,22 民 生委員,23 保護司,24 国際交流協会,25 地域の日本語教室,26 大学の相談機関,27 その他 ② 学校外の機関・組織・人と関わらなかった場合は、それによって困ったことを記述しても らう。 *回答事例数(図表 1-4) 総 669 事例(小学校 370 事例,中学校 294 事例,校種不明 5 事例) (なお、「問題がない」という回答は7人であった。) 図表 1-4 回答事例数 校長 教諭 養護教諭 不明 計 小学校 127 148 95 - 370 中学校 119 80 95 - 294 不明 - - - 5 5 計 246 228 190 5 669 *子どもの問題の内訳 (図表 1-5,1-6) ・学校だけで解決できないと感じた子どもの問題の内訳として、小中学校あわせて最も多かっ たのは、「不登校」245 事例(小学校 20.6%,中学校 25.8%)であった。続いて、「保護者対応」 143 事例(14.1%,12.1%)、 「被虐待」129 事例(14.1%,9.3%)、 「非行・いじめなどの問題行動」128 事例(8.6%,16.2%)、「特別支援教育が必要」126 事例(13.0%,10.0%)であった。 図表 1-5 小学 校 中学 校 校種 不明 計 子どもの問題の内訳(事例延数) 不登 校 被虐 待 特別 支援 教育 非行・い じめ 学力 問題 保護者 対応 家庭の経 済的問題 外国人の 親とのコ ミュニケ ーション 保護者 の病気 その他 計 124 85 78 52 45 85 57 26 29 21 602 119 43 46 75 24 56 40 16 19 24 462 2 1 2 1 - 2 1 - - 245 129 126 128 69 143 98 42 48 -89- 9 45 1073 事例 図表 1-6 子どもの問題の内訳(率) 小学 校 中学 校 不登 校 被虐 待 特別 支援 教育 非行・い じめ 学力 問題 保護者 対応 家庭の経 済的問題 外国人の 親とのコ ミュニケ ーション 保護者 の病気 その他 計 20.6 14.1 13 8.6 7.5 14.1 9.5 4.3 4.8 3.5 100% 25.8 9.3 10 16.2 5.2 12.1 8.7 3.5 4.1 5.2 100% *連携した機関 (図表 1-7、1-8) ・学校だけで解決できないと感じた子どもの問題があった場合、最も多かった連携先は、 「市 町村教育委員会」で、669 事例のうち、215 件(小学校 31.6%,中学校 33.3%)であった。続 いて、「教育相談室」193 件(30.5%,27.2%)、「児童相談所」172 件(25.9%,25.9%) 、「民生 委員・児童委員・主任児童委員」132 件(20.5%,19.0%)、「スクールカウンセラー」130 件 (14.9%,25.5%)であった。 図表 1-7 小学校 連携した機関(機関数) 教育委員 会 教育相談 室 児童相談 所(一時 保護所を 含む) 117 113 96 民生委 員・児童 委員・主 任児童委 員 76 スクール カウンセ ラー 55 教育支援 センター (適応指 導・通級 教室) 65 病院・ク リニック 警察 52 23 中学校 98 80 76 56 75 54 43 67 計 215 193 172 132 130 119 95 90 小学校 中学校 保健セン ター 家庭裁判 所 7 17 11 5 家庭児童 相談室・ 特別支援 支援課 学校 (子ど も・障害) 30 25 子育て支 援課 福祉課 33 21 19 20 11 9 17 5 10 16 52 41 41 34 24 22 21 21 医療セン ター 保護司 その他 (注) 計 スクール ソーシャ ルワーカ ー 20 13 3 49 831 0 5 10 35 706 20 18 13 84 1537 (その他に含まれる機関は、つぎのものを含む。 (県教育センター,障害福祉課,保健所,福祉事務所,法務局, ハローワーク,就労支援センター,弁護士,国際交流協会,地域日本語教室,保育所(園) ・幼稚園,フリースク ール,大学の相談機関,その他 NPO など) -90- 図表 1-8 連携した機関(率)(母数は小学校 370 事例 、中学校 294 事例、計 669 事例) 教育委員会 教育相談 室 児童相談 所(一時 保護所を 含む) 小学校 31.6% 30.5% 25.9% 民生委 員・児童 委員・主 任児童委 員 20.5% 14.9% 教育支援 センター (適応指 導・通級 教室) 17.6% 14.1% 6.2% 中学校 33.3% 27.2% 25.9% 19.0% 25.5% 18.4% 14.6% 22.8% 計 32.1% 28.8% 25.7% 19.7% 19.4% 17.8% 14.2% 13.5% 家庭児童 相談室・ 特別支援 支援課 学校 (子ど も・障害) 8.1% 6.8% 子育て支 援課 福祉課 8.9% 5.7% 6.5% 6.8% 3.7% 3.1% 7.8% 6.1% 6.1% 5.1% スクール ソーシャ ルワーカ ー 医療セン ター 保護司 その他 5.4% 3.5% 0.8% 13.2% 0.0% 1.7% 3.4% 11.9% 3.0% 2.7% 1.9% 12.6% スクール カウンセ ラー 病院・ク リニック 小学校 中学校 保健セン ター 家庭裁判 所 1.9% 4.6% 3.0% 1.4% 5.8% 1.7% 3.4% 5.4% 3.6% 3.3% 3.1% 3.1% 警察 *学校内では解決できないと感じたが、外部機関と連携しなかった事例(図表 1-9,1-10) ・小学校、中学校において、学校だけで解決できないと感じた子どもの問題のうち外部機関と連 携が取れなかった問題は、小学校では 13.8%、中学校では 9.5%であった。 図表 1-9 連携の有無 319 51 計(事例 数) 370 中学校 266 28 294 不明 4 1 5 計 589 80 669 小学校 あり なし 小学校 中学校 -91- あり なし 86.2% 13.8% 90.5% 9.5% 図表 1-10 学校内では解決できないと感じたが、外部機関と連携しなかった事例の問題別内訳 外国人の親 とのコミュ ニケーショ ン 7 不登 校 被虐 待 保護 者対 応 非 行・い じめ 特別支 援教育 学力 問題 家庭の経 済的問題 小学校 18 6 16 8 4 7 12 中学校 11 1 7 5 4 1 5 計 29 7 23 13 8 8 17 不登 校 被虐 待 保護 者対 応 非 行・い じめ 特別支 援教育 学力 問題 家庭の経 済的問題 小学校 14.5% 7.1% 18.8% 15.4% 5.1% 15.6% 21.1% 外国人の親 とのコミュ ニケーショ ン 26.9% 中学校 9.2% 2.3% 12.5% 6.7% 8.7% 4.2% 12.5% 18.8% 保護者 の病気 その 他 計(事例 数) 2 4 84 3 0 0 37 10 2 4 121 保護者 の病気 その 他 計 6.9% 19.0% 14.0% 0.0% 0.0% 8.0% <インタビュー調査> *対象者・対象数: アンケート調査においてインタビューに応じる意思があると回答した人 図表 1-11 小学 校 中学 校 計 インタビュー調査対象者 校長 教諭 養護教 諭 計 1 1 1 3 2 0 2 4 3 1 3 7人 *調査方法: 対象者と電話で訪問日・時間・場所を打合せ、約1時間の聞き取りを行った。 (そ の際、対象者の了解を得たうえで録音も行った。) *インタビュー調査期間:2011 年 1 月∼5 月 *本調査のデータについて:本調査で挙げられた事例は、校長・教諭・養護教諭が同一校の場合、 事例内容が重複している可能性がある。したがって、厳密には職種ごとの集計・分析をしなけれ ばならないが、集合体としての学校全体の傾向を把握するために事例を一括して考察する。この ような扱いにはつぎのような諸点も考慮した。すなわち、1)回答を求めたのは、過去 5 年間の事 例であり、同一校であっても回答者間の勤務年数の違いがあり、前任校の事例が多く含まれてい ること、2)実際の回答を見ても重複していると判断できる回答はさほどないと思われること、3) 仮に重複している事例があっても、職種の違いによって認識・理解が異なることが考えられる。 これらのことから、本論考では、職種にまたがって事例を見ていく。 また、小学校と中学校の抽出率の違い、校長・教諭・養護教諭の抽出率の違いによって、それ らの間の実数比較、率比較は厳密にはできない。したがって、本報告では、問題別に各事例の記 述内容を中心に考察する。数量的な考察を行う場合であっても、統計的有意性の有無よりも、問 題間あるいは問題内部での相対的な比較に意味があると思われる場合にとどめる。 -92- 引用文献 Atkinson、Anne Wilkin、Alison Stott、Paul Doherty、and Kay Kinder,Multi-agency Working:a detailed study,Mary,NFER,2002 落合 洋人「ネットワークマネジメントを基礎としたガバナンス概念の構築に向けて : ロッド・ ローズのガバナンス論の批判的考察から」『同志社政策科学研究』10(1),2008 宮本義信『アメリカの対人援助専門職-ソーシャルワーカーと関連職種の日米比較』ミネルヴァ書 房,2004 参考文献 Gibbs, P., Locke, B. and Lohman, R. ,Paradigm for the Generalist Continuum, in: Journal of Social Work Education, 3,1990 ハヤシザキ カズヒコ , 中島 葉子 , 山崎 香織 [他]「ニューカマーの子どもに関わる<連携・協 働>の地域比較研究--東海地域の外国人集住都市におけるマルチ・エージェンシー・ワークの事 例研究より」教育実践研究(福岡教育大学教育学部附属教育実践総合センター) (17), 2009 広井良典『グローバル定常型社会』岩波書店,2009 国立教育政策研究所生徒指導研究センター『学校と関係機関等との連携』東洋館出版社,2011 -93- 2.不登校問題をめぐる学校と外部機関の連携 馬場久志 2-1 調査結果に見られる連携の現状 (1) 調査結果の特徴 学校内だけで解決できないと感じた子どもの問題として、不登校の問題を選択肢の一つに設定 し、問題の内容特徴や、その問題に対する校外の連携先の有無などについて、小中学校の校長・ 教諭・養護教諭に尋ねる質問紙調査を実施した。その結果から、不登校問題に関わって少なくと も次の3点の特徴が読み取れる。 第一に、今回の調査回答のうち不登校に関わるものは特に多い。 問題の選択肢は、①不登校、②被虐待、③特別支援教育が必要、④非行・いじめなどの問題行 動、⑤学力の問題、⑥保護者対応、⑦家庭の経済的問題、⑧外国人の親とのコミュニケーション、 ⑨保護者の病気による子どもの学校生活への支障、⑩その他が設けられた。その結果、図表 2−1 にあるように、得られた全 669 事例のうち約 37%の 245 事例が、不登校の問題を含むとしている。 これは選択肢として用意された「その他」を除く 9 個の問題のうち最多である。うち不登校単独 の問題としたものが 122 事例、不登校を含む複数の問題を選択し複合的問題としたものが 123 事 例であった。学校内での児童生徒指導上の問題は多岐にわたるが、その中で「学校内だけでは解 決できない」問題として、不登校問題が強く認識されていることがわかる。 図表 2−1 問題の所在と連携先の有無 事例数 連携先あり 不登校を含む 245 215 30 (内訳)不登校のみ 122 105 17 123 110 13 424 373 51 669 588 81 不登校との複合 不登校を含まない 合 計 連携先なし 不登校の問題のみが単独に挙げられた回答事例については、内容の記述では「子どもの様子が 全くわからない」と接点のなさを述べたもの、 「5 年生のはじめは登校できた。しかし 5 月過ぎか らまた不登校」など経過を述べたもの、「登校したいのだが、いざとなるとできない。」など状況 を述べたものが多く見られる。複合的問題とした回答事例に比べると、子ども本人の問題を述べ たものが多い。 図表 2−2 に示されるように、不登校を含む複合的問題として回答された 123 事例において、同 時に挙げられた問題数は、2 個から 9 個にわたる。挙げられた問題の個数ごとに選択傾向を見る と、異なる特徴が見出される。図表 2−3 から図表 2−5 は、それぞれ不登校を含んで 2 個、3 個、 4∼6 個の問題を同時に挙げた回答について、不登校以外に選んだ問題の内訳を示したものである。 -94- 図表 2−2 問題選択数 2 3 4 5 6 回答数 68 33 13 5 3 8 9 計 1 123 選択された問題(不登校を含めた2問題に及ぶ事例) 図表 2−4 選択された問題(不登校を含めた 3 問題に及ぶ事例) 3 特別支援教育が必要 6 保護者対応 7 図表 2−3 上表の横軸は問題の番号 2 被虐待 不登校を含む問題選択数 4 非行・いじめなどの問題行動 7 家庭の経済的問題 5 学力の問題 8 外国人親とのコミュニケーション 9 保護者の病気による学校生活への支障 図表 2−5 縦軸は事例数 10 その他 選択された問題(不登校を含めた4∼6問題に及ぶ事例) 各図の比較からうかがえるように、不登校を含め2つの問題とする回答は3つ以上とは異なる 特徴をもち、保護者対応を挙げるものが多い。全 21 事例のうち 13 事例から得られた回答が、 「小 学校の不満から中学校への批判に変化」「祖父母が学校に対して批判的」「本校の指導を不満に思い」 「学校批判」 「保護者の考え方及び、苦情に対して苦慮」 「連絡も無視されてしまう」 「担任との問題で あるという保護者からの話」 「保護者の感情が不安定」 「親が学校との接触を拒否」 「保護者が学校に批 判的」「保護者が担任への不信」「学校に対する親の信頼度が低い」「家庭訪問も拒否」となっており、 -95- 保護者との関係不調が中心的問題になっている。 不登校を含めて3問題を選んだ回答は、多くが学力・保護者対応・家庭経済のいずれかを含む。 この3者がどれも含まれないという回答は 33 回答中の 6 回答に過ぎない。保護者の問題のうち家 庭の事情が中心的問題になっている。 4∼6 問題を選んだ回答には、学力問題がさらに顕著に指摘されている。問題選択数の多い複合 的問題の様相をもち、子どもの学びの生活が阻害されているという認識がうかがえる。 不登校への学校の認識には、学校と子ども・保護者の関係に焦点化されているものから家庭の 生活基盤に関わるものまでさまざまであるが、総じて保護者との関係が重要な部分を占めている といえる。 第二に、解決あるいは改善に至らなかったと推察される回答が多い。 本調査では問題の解決について直接問うてはいないが、 「登校したいのだが、いざとなるとでき ない。」 「4 月のときから休みがちだったが、5 年生のはじめは登校できた。しかし 5 月過ぎからま た不登校となった。」「親のために不登校が改善されない。 」「6 年生の半ばから休みがちとなり、 卒業まで欠席が続いた。 」「ぜんそくを理由に欠席することが多かった。学校としては、病気とい うことでどうすることもできなかった。」という回答がかなり多く、学校からの有効な支援が何な のか見いだせないまま推移している様子がうかがわれる。特に「親が学校との接触を拒否」 「母の 精神的不安定」「親の養育姿勢に問題」など保護者に問題の要因を求める見方が数多く見られる。 他方で、好転したことが記述上見られる回答は、3 事例程度である。 「全て保護者の今後の対応 について、相談し、共有していった。」は特別支援教育と学力の問題を併合した事例である。「少 しずつ保健室登校ができるようになったが、長期戦」という事例はスクールカウンセラーとの連 携が機能した。「適応教室に登校するようになった。本人は居心地がよさそうだった。」というも のもあり、これらは保護者との協調や子どもの気持ちの安定をとりあげているが、全 245 事例の 中での少数例である。 断っておかなければならないことは、不登校の問題で何をもって解決への方向とするかについ てである。短期的には子ども自身がさまざまの負の心身状態から解放されること、長期的には自 分らしい生き方を獲得することと言うべきであるから、登校状況を基準にして改善に向かったか 否かという記述を、子どもにとって望ましい事態の変化として単純に置き換えることはできない。 しかし少なくとも、学校の視点からも問題が解消されなかったととらえられていることは、子ど もや保護者にとっても事態が好転しないことであると言ってよいだろう。 第三に、連携先や連携の有無にいくつかの傾向が見られる 連携先の内訳については、図表 2−6 に示される通りである。連携先はさまざまであるが、事例 の半数近くで教育相談室との連携が挙げられている。スクールカウンセラーはおよそ三分の一の 事例で挙げられているに過ぎず、一般に想定されているほどには多くない。 事例ごとに挙げられた連携先の数は、図表 2−7 の通りである。不登校を含む問題については最 大 12 の連携先から連携先のない 30 事例まで分布している。 連携に関する一般的な予想として、問題が複合していると連携先が多いことが考えられる。本 調査結果においても、不登校に限らず連携先の挙がった全回答事例を対象に問題数と連携先数の 相関係数を算出すると、r=0.39 という高い相関係数が得られた。ただし必ずしも関連する問題 数との直線的な対応があるのではなく、連携先が 10 か所以上などかなり多い事例は特定の学校に 偏る様子も見られる。問題に規定されるというよりは、学校の考え方が連携数に反映しているこ -96- とも示唆される。 連携先にさまざまあることをふまえ、不登校問題について校外連携の特徴を見るときに、裏返 して連携先がないとする回答の傾向から示唆が得られる。図表 2−1 にあるように、不登校を含む 問題とされた 245 事例に対して、連携先のなかったものが 30 事例ある。不登校単独問題で 122 事例中 17 事例、不登校を含む複合的問題で 123 事例中 13 事例であった。これは、調査の全事例 において連携先のなかった他の諸問題の事例と比べて大きく異なるものではない。しかし、不登 校問題が学校だけで解決できない問題として強く意識されていると考えられることに鑑みると、 他の諸問題よりも連携先が求められてよいのであるから、連携先を見出すことに困難があると受 け止めてよいだろう。 特に、不登校の問題のみ回答されている事例及び不登校に「保護者対応」が加わり2問題が回 答されている事例で、連携先のないものが比較的多い。前者は 122 事例中の 17 事例で約 14%、 後者は 21 事例中の 5 事例で約 24%となっている。記述においても、例えば「本人に会えないと 支援の手がだせなかった。たぶん一度も会えないまま卒業していくと思う。」などの回答に支援へ の手詰まり感が見られる。 図表 2−6 不登校を含む事例の連携先(各事例につき複数回答) 不登校を含む事例数 245 事例(そのうち連携先を挙げたもの 215 事例) 教育相談室 111 中学校 13 教育委員会 68 小学校 11 スクールカウンセラー 66 保健センター 11 適応指導・通級教室など 61 スクールソーシャルワーカー 9 民生委員・児童委員等 51 医療センター 8 児童相談所等 49 フリースクール 7 病院・クリニック 34 特別支援学校 7 警察 23 家庭裁判所 6 子育て支援課 23 障害福祉課 5 家庭児童相談室など 16 福祉課 14 図表 2−7 その他 不登校を含む問題の連携先数 -97- 19 (2) 連携の現状 2012 年 9 月に発表された 2011 年度の全国の小中学校における不登校児童生徒数は、小学校 22,622 人(前年度より 159 人増加)、中学校 94,836 人(前年度より 2,592 人減少)の合計 117,458 人(前年度より 2,433 人減少)で、全児童生徒数に占める不登校児童生徒数の割合は、小学校 0.33% (前年度は 0.32%)、中学校 2.64% (前年度は 2.73%)である(文部科学省 2012 より) この数値は少々の増減はあっても大きく動いてはいない。中学校でも 3%足らずという統計上 の割合を考慮すると、統計への報告に至らない、あるいは他の問題に含められている不登校に類 する問題が多くあることがうかがわれる。『学校基本調査』 (文部科学省)における不登校児童生 徒は、 「何らかの心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因・背景により、登校しないあるいは したくともできない状況にあるため年間 30 日以上欠席した者のうち、病気や経済的な理由による 者を除いたもの」として認定される。これだけの要因や背景が並記されていることを見ても、不 登校問題が多くの問題と重なり合うことが推し量れるが、この定義で除外されている病気や経済 的な理由についても、不登校問題から切り離しがたい。心身の不調から医師の診断を受けて病気 欠席となることや、保護者の生活事情を背景とする登校困難の中には、不登校問題と見なすべき ものもある。そうしたさまざまの問題が混在する不登校問題は、学校にとって対応が一通りに確 立しない難しいものである。 本調査で、問題の所在を不登校単独(問題選択肢1)ととらえた回答には、教員に起因するもの やさまざまの理由から学校生活を拒否するものが含まれるとみられる。こうした事例では学校や 教員への不信感が強いことが多く、学校の対応の困難が推察される。このことから、学校と保護 者の関係が膠着し、結果として本調査回答に多く見られるように、保護者の否定的要因を挙げて 改善が困難と断言する傾向がある。 本来、こうした関係においてこそ校外の連携に期待されるが、 連携先を見出し得ない回答が約 14%と少なくはない。 保護者側に原因を求められる不登校について、経済・生活困難の問題と養育不十分ひいてはネ グレクトの問題は隣接する問題であるが、ネグレクトが想起される(問題選択肢2)となると多様 な連携のとり方が試みられるものの(面接調査からも専門機関だけでなく地域の人脈活用などが 挙げられている。)、生活困難の問題(問題選択肢7)とされるときには、連携が比較的低調となっ ている。例えば「子育てに無関心である。…食事をしていない様子であったので」と虐待と見な し、民生委員・子育て支援課・児童相談所へと動いた事例がある一方で、 「母に経済力がなく、本 人にあまりかまわない」と似たような状況でも、連携先はないという事例もある。学校が保護者 の養育に積極的に踏み込むか否かの判断に、虐待という観点が影響することが示唆される。 総じて不登校の問題については、連携のあり方は不十分であると言える。子どもとの関係もさ ることながら保護者との関係が不調ということを重大な特徴としてもち、実態把握と問題の本質 的理解ができず有効な手立てを講じられないという事例が散見される。以下に、この現状から留 意するべき点について論じる。 2−2 不登校問題における連携の留意点 (1) 不登校問題特有の難しさ 多くの場合、不登校は保護者と学校のコミュニケーション不調を伴う。それにはたいてい問題 の本質にも関わる原因があるのだが、この不調の克服を回避して校外との連携に委ねることによ り、事態をさらに悪化させたり、子どもと保護者を追い詰める状況を生む恐れがある。例えば、 -98- 連携先の回答で5番目に多い民生委員等への協力依頼は、場合によっては保護者を追い詰め、学 校への不信を助長しかねない。周囲への不信と自責の念にとらわれる保護者にとっては、支援の ネットワークが追及のネットワークになる危険性に留意しなければならない。 また学校へ子ども・保護者が求める救いのわかりにくさ(あるいは求めていない)という、不 登校問題の特殊な態様を考慮する必要がある。学校の働きかけに応えなかったり拒否する保護者 の対応は、働きかけを基準に見れば非協力に過ぎないが、保護者にとってそうした対応には保護 者の要望や何らかの考え、苦境にいるところをわかってもらいたい気持ちなどが潜在的に含まれ ていることがある。学校の価値観や規範を離れ、保護者の視点に立つことにより、保護者の求め や意思を受け止められるかもしれない。だが調査回答の記述を見る限り、学校教員にとってこの ことは容易ではない。 (2) 問題理解のための連携の必要 問題解決以前に、必要なのは問題への理解を深めるための連携である。本調査においては、多 くの回答が、解決への阻害要因を保護者のあり方に求めている。しかし保護者との接点がなかな かできないという多くの回答から見ると、学校から認識されている保護者の実態は必ずしも正確 なものではない。ここに問題理解の一つの課題があるだろう。当該児童生徒・保護者の個別問題 について理解するために、接点をもつ校内外の人的資源を活用することが求められる。また不登 校の問題については、その一般的理解についても十分ではなく、特に校外の多種の関係者から学 ぶことが必要である。校外の関係者においても考え方は一様ではなく、そのため一つの連携先に 固執することは好ましくない。 その上で、保護者を巻き込んだ連携モデルの構築が、不登校問題の多くの場合に必要なのでは ないだろうか。保護者自身を支援する関係と、子どもを一緒に守り育てる関係とを位置づけた二 重の連携が求められよう。学校の独りよがりでない連携形成のために、当事者から見た学校(校 外・校内)連携への評価を受け入れる構えがあると、有効な検証となるのではないだろうか。 (3) 担任教員を適切に支える連携の必要 学級の児童生徒が不登校になったことでの教員としての自問・自責、子ども・保護者への働き かけが届かない歯がゆさ、責任感が災いする不適切な対応による問題のこじれ、担任を追い詰め る雰囲気など、不登校問題に特有の担任教員のストレス状況がある。 一つの背景には、2003 年 5 月に文部科学省が初等中等教育局長名で発した「不登校への対応の 在り方について」という通知がある。これは、不登校問題は子どもの社会的自立の問題だと述べ、 問題には学校生活に起因するものもあるとする、従来より踏み込んだ積極的な考察がなされたも のではあるが、それと合わせて教員の「適時・適切」な対応を強調したものである。その結果、 次のような現象が見られるようになった。 「この通知により、この頃各地で強まっていた学校復帰 への圧力はますます強まることとなった。いわゆる『適時・適切な対応』というかけ声の下、と にかく家庭訪問なり電話なり働きかけたということが、担任教員の実績として求められる傾向が 生まれている。」 (馬場 2010) 担任教員が、せかされることなく子ども本人とも保護者とも時間 をかけて関係形成を図る猶予は、確保されなければならない。担任教員に見通しと安心をもたら す環境づくりとしての校内外の連携形成も必要である。 -99- 引用文献 文部科学省『児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査結果速報値』, 2012 馬場久志「不登校の子どもを守る」 『教育』第 772 号,国土社,2010 (2012 年 11 月 12 日提出) (2013 年 -100- 1 月 11 日受理) 埼玉大学紀要 教育学部, 62(1):101-116(2013) 教育・保健・福祉に関するネットワーク −S県における学校と外部機関との連携に関する調査研究−(第Ⅱ報) 宗澤忠雄 社会科教育講座 山中冴子 特別支援教育講座 キーワード:子ども虐待、複数機関連携、親密圏、特別支援教育、通常学級、障害 3.虐待問題をめぐる学校と外部機関の連携 宗澤忠雄 3-1 問題の所在 (1) 虐待防止体制の問題点 子ども虐待への取り組みは、2000 年児童虐待防止法の施行を画期とする。この法律によって、 虐待の法的定義が明確となり、早期発見や通告の起点となる子ども虐待の状況について、多くの 市民・支援関係者が共通認識をもてるようになり、従来よりも虐待対応の迅速かつ的確な初動が 可能となった。 04 年には、虐待対応のさらなる強化に向けた次のような同法の改正が行われている。①虐待の 定義が見直され、保護者以外の同居人による身体的・性的・心理的虐待の保護者による放置がネ グレクトに含まれ、子どもに対する著しい暴言・拒絶的対応と配偶者に対する暴力が心理的虐待 の範疇に加えられたこと、②虐待の早期発見の努力義務者として、従来からの個々の教職員に団 体としての学校を加えて明確化したこと、③「虐待を受けた」子どもだけでなく、 「受けたと思わ れる」子どもを通告義務の対象に加えて範囲を拡大したこと、である。 このようにみてくると、 虐待防止の取り組みがいかにも前進してきたかのような印象を持つが、 虐待対応件数は児童相談所における件数の統計がはじまった 1990 年から今日まで 55 倍以上の急 増をみせている(図表 3-1)。虐待対応が強化され精度を上げてきた成果は認められるとしても、 虐待防止の取り組みは有効に機能しないまま今日まで推移してきたというのが現実である。 図表 3-1 児童相談所における児童虐待対応件数の推移(厚生労働省) -101- このような事態が出来する第一の問題は、子ども虐待の発生関連要因に対応する虐待防止策を 講じることなく、「今ここで」発生した虐待への対応に終始する施策にとどまってきた点にある。 虐待防止法の現実は、いうなら「虐待対処法」である。虐待の発生関連要因に関する実態調査は 高齢者と障害者の領域で数回実施されてはいるが、子ども領域では実施されたことはない。子ど も虐待は、死亡事例の検証と児童相談所の対応ケースの範囲内での分析から実態に迫ろうとする 行政機関・児童相談所関係者の努力は認められるが、発生関連要因の解明が進められているとは 言い難い(宗澤 2012)。 そして、二つ目に、虐待防止に必要不可欠な「不適切な養育」(maltreatment)への取り組み の遅れが問題点として浮上する。子ども虐待は、グレーゾーンを含む裾野の広がりをもつ事象で あるため、 「不適切な養育」に着目して虐待の拡大を予防する重要性が指摘され、それに対応する 機関連携・ネットワークの指針も提示されている(図表 3-2)。しかし、虐待発生の構造的諸要因 が明らかにされてこなかったことに加え、わが国においては親権における懲戒権が虐待・不適切 な養育と「しつけ」の境界に不明瞭さを残してきた問題がある。そのため、不適切な養育は関係 当事者に認知されにくい上に、法的に虐待認定されないグレーゾーンへの支援は「不当な介入」 と受けとめられやすく、 適切な支援の実施はまことに困難な性格を帯びざるを得ない。こうして、 不適切な養育の広がりに対する有効な指針と手立てが明らかにならないまま、一般の子育て支援 サービスと子どもの教育に広く責任を持つ学校等に虐待防止の取り組みを委ねる事態が続いてき た。 図表 3-2 虐待・マルトリートメントとネットワーク(大阪府市町村児童家庭相談援助指針より) 第三に、虐待対応にかかわるインフラ整備の圧倒的な立ち遅れを指摘しなければならない。わ が国の児童相談所ワーカーの新規担当件数は、イギリスの同職種との対比で 20 倍、ドイツのそ れとの対比で 18 倍であり、劣悪きまわりない状況が放置されている。その結果、わが国の児童 相談所の福祉司・心理判定員の 6 割が「虐待燃え尽き症候群」にあると指摘されているのである (杉山 2004)。この間、わが国の児童福祉司は2倍に増員されたが、人口 5 万人当たり 1 人の児 童福祉司の配置に過ぎず(2011 年度)、今日なおイギリスやドイツの 10 倍ほどの新規ケースを 抱えているものとみることができる。また、家庭での養育が困難と判断された被虐待児童が入所 する乳児院・児童養護施設の最低基準にしても、戦災浮浪児対策を中心とする時代のものを踏襲 -102- したまま、虐待による後遺障害に苛まされる子どもたちへの必要十分なケアの実施体制にはほど 遠いのが現状である。 (2) 学校と児童相談所の連携における間隙 子ども虐待への対応は、子どもの安全確認のための立入調査権の行使、警察署への援助要請、 出頭要求・臨検捜索・児童福祉法 28 条措置などに関わる司法関与の請求等が絡むため、これら の手続きに関する法的権限を有する児童相談所の役割を抜きにネットワークを組み立てることが できない性格を持っている 1)。子どもの教育に広く責任を負う学校は、巨大な法的権限を持つ児 童相談所に対して、早期発見のための努力義務や通告の責務、虐待対応への協力義務(通告児童 の学校での安全確認、面会・通信制限、接近禁止命令等への協力)を負うものと位置づけられた 上で、子どものケアに取り組まねばならない。 ここで、児童相談所を要とする虐待対応システムのインフラ整備の立ち遅れと、不登校・特別 支援教育などの虐待以外の連携課題に多忙な学校の状況が交錯するならば、学校と児童相談所の 連携は困難をきわめるものとならざるを得ない。被虐待児童をめぐる課題認識の共有が進まない まま、児童相談所は学校の協力に不満を抱き、学校は圧倒的な法的権限を持つ児童相談所に虐待 対応を委ねてしまうようなギャップが生じやすい。 虐待対応の起点となる通告についてさえ、学校と児童相談所にとっての意味は著しく異なる。 児童相談所は必要に応じて親権者への対抗的な権限を有するのに対し、学校は虐待に絡む有効な 親権者への権限を持つわけではない。そこで、学校が行った通告に対して親権者がクレームをつ けてきた場合、学校は対応に苦慮しなければならないことが多い(川崎 2010)。学校が身体検査 や体育着・水着への着替えを通して虐待発見の手がかりを得やすいところに児童相談所は期待を 抱くが、学校は児童とその保護者との協力関係を維持しながら日常的な教育の営みを進めようと するところに課題意識を置いている。 このような学校と児童相談所の立ち位置の相違は、虐待の状態像の理解においてもギャップを 生じさせる。児童相談所の虐待対応は介入の緊急度によってプライオリティーを考慮するため、 身体的虐待と性的虐待への対応は迅速であるのに対し、今直ちに生命への危険性は小さいと判断 されがちなネグレクトや心理的虐待については、緊急性の高いケースに追われている現実も手伝 って後回しになりがちである。児童相談所のネグレクトへの対応方針は、介入保護によっては早 急な改善は望めないとアセスメントし、多様な支援を組み合わせて在宅生活の継続を優先する 2)。 しかし、学校は日常的な児童生徒への教育的関与を行っているために、慢性的な性格を帯びるネ グレクトや心理的虐待に対しても児童生徒の成長・発達を考慮する視点からは重大な問題と受け 止める傾向が強くなる。身体的虐待に関する通告に対しては、児童相談所が学校に足を運んでま で子どもの安全確認を実施するのに対し、学校側が早急な虐待対応の必要を感じるネグレクトや 心理的虐待のケースに対しては児童相談所の腰は重く、 「なかなか埒があかない」とのすれ違いは 常態化している。 不登校や特別支援教育における連携と異なり、子ども虐待に関する児童相談所と学校の連携に は法的な努力義務や責務があるため、自主性・自発性のある相互の緩やかな連携から徐々に課題 認識を共有し、支援ネットワークを充実させるための必要な「回り道」は省略されがちとなる。 学校は虐待発見の努力義務と通告の責務だけを果たし、児童相談所は緊急性の高いケースの安全 確認と保護を実施し、日常的支援については学校に委ねる役割分担に終始する。このようにして、 -103- 学校と児童相談所は法的責務としての連携協力は行うが、両者のギャップの狭間に置かれる子ど もたちは、支援の中でまことに客体化されやすい事態が続いているのである。 3-2 調査結果から見える連携の現状 (1) 校種別虐待ケース概要(図表 3-3、3-4) 全事例数 1,073 ケースの内、虐待は 129 ケース(12.0%)であり、学校から捕捉される子ども の問題としての比重はすこぶる高いことが分かる。小学校は 85/602 ケース(14.1%) 、中学校は 43/462 ケース(9.3%)と、小学校における子ども虐待問題はより深刻である(図表 3-3)。 図表 3-3 学校種別虐待ケースの状況 校種 事例数(%) 小学校 602(100.0) 85(14.1) 中学校 462(100.0) 43( 9.3) 9(100.0) 1(11.1) 1073(100.0) 129(12.0) 不 明 計 虐待ケース(%) また、学校が連携支援の必要を認めると回答した児童数でみた場合、虐待問題をもつ児童の割 合は、小学校で 85 人(23.0%)、中学校で 43 人(14.6%)と、連携支援の課題に占める虐待問題 の大きさを指摘できる(図表 3-4) 。 図表 3-4 学校種別被虐待児童数の状況 校種 児童数(%) 被虐待児童数(%) 小学校 370(100.0) 85(23.0) 中学校 294(100.0) 43(14.6) 5(100.0) 1(20.0) 669(100.0) 129(19.3) 不 明 計 (2)福祉機関との連携 図表 3-5 福祉機関との連携 連携先 福祉機関との連携 回答数(%) 児童相談所 103( 79.8) 111(86.0) 市町村、福祉事務所のみ 教育委員会等教育行政のみとの連携 8( 6.2) 5( 連携なし 3.9) 13( 10.1) 計 129(100.0) ①虐待対応の要となる福祉機関との連携(図表 3-5) 児童相談所との連携ケースは 103(79.8%)、児童相談所との連携はないが市町村の福祉担当課 -104- 等と連携するケースは 8(6.2)と、合計 111 ケース(86.0)が福祉機関と連携している。残りの 18 ケースは福祉機関との連携はなく、その内 13 ケースはまったく連携がみられない。なお、民 生委員児童委員・主任児童委員は、福祉の補助機関として児童虐待支援システムにおける「見守 り支援ネットワーク」に該当するため、他の福祉機関との連携がみられず、民生委員児童委員の みとの連携になっているケースについては、連携はないものと判断した。 児童生徒の虐待対応に必要不可欠な保健福祉機関との連携は、概ね進められつつあることを確 認できる。しかし、児童虐待防止法は「虐待と思われる」児童を発見した教職員・学校に対して、 児童相談所、福祉事務所および市町村のいずれかに通告義務のあることを明記しているため、一 部に福祉機関との連携のないケースが見受けられる点は課題が残るところである。 ②生活困難度の高さと複数機関連携(n=129) 複数の保健福祉機関と連携するケースは 48(37.2%)である。 「虐待」に「経済的困窮」または二つ以上の困難が重複する多問題家族(multi-problem family) のケースは、37(28.7)である。この中で複数の保健福祉機関と連携するケースは 25 と多問題家 族ケースの 2/3 に達している。生活困難度の高さと複数機関連携には明らかに関連の高さが認め られる。 (3)連携の現状 ①多問題家族における虐待対応の連携困難 子どもの虐待問題は、複数の生活困難が錯綜している家族の実態があるだけでなく、児童虐待 から派生する不登校や学力不振の問題が子どもに重複して確認されることが多い。このような複 数の問題に対して、形式的にはマルチ・エージェンシー・ワーキングの方向に進んではいるが、 支援の実態は「今ここで」噴出する困難にひとまず手当てするネットワークにとどまる傾向が強 い。問題の悪化をとどめるのがせいぜいであり、持久戦にはまりながら子ども支援への展望は必 ずしも拓かれてはいない。 とりわけ、多問題家族は長期間を経て累積し絡み合った困難を抱えているため、一般に、接近 困難性が高いことを指摘されてきた(小松 1985)。そこで、多くの学校は虐待ケースの保護者へ アプローチすること自体に困難を感じており、虐待対応の実際は連携先である福祉機関に委ねて しまう傾向が見受けられる。 このような困難の状態像に対しては、ネットワークの中で全体状況をアセスメントするマネジ メント機関を決めて役割分担を明確化し、関係機関が歩調を合わせていく必要がある。それは、 要保護児童対策地域協議会を通じた学校と福祉機関の連携の充実に今後の課題を示すものである。 ②虐待対応の時間的見通しのずれ 一時保護のような緊急時の介入を除くと、虐待ケースへの支援は、支援者と虐待関係者との信 頼を紡ぎ、親子関係の修復をはかるために、数年間に及ぶ長期戦を余儀なくされることが多い。 しかし、この時間的見通しのイメージは、児童相談所等の福祉機関と学校の間で共有されておら ず、両者の連携の歩調があわない要因となっている。学校は子どもの速やかな保護と立ち直りを 期待する観点から、児童相談所の虐待対応による即自的な問題解決を求める傾向が強く、学期・ 年度単位における問題改善への見通しを求めがちである。 -105- これに対しては、人事異動と虐待支援の長期性をふまえ、被虐待児童の子ども期全体への支援 について学校が見通せるように、児童に関する「校内カルテ」などの記録シートの活用が必要で ある。 ③早期発見と通告に関する学校の責務について 児童虐待防止法の改正によって、虐待の早期発見と通告の義務が個々の教職員にとどまらず。 団体としての学校にも明確化された点は、新たな問題状況を出来させている。 その一つは、校内連携組織において虐待の疑いがあると確認されたとしても、学校からの通告 は保護者との摩擦を高めるリスク要因であるため、児童相談所等への通告は校長等の管理職の姿 勢に左右されやすい傾向が生まれている問題である。この背後には、学校からの虐待通告は学校 しか知りえない情報にもとづく場合が多いため、たとえ児童相談所が通告元の守秘義務を果たし たとしても、学校が通告元であることを保護者に気づかれやすい点を心配する向きが存在する。 そこでもう一つは、学校は児童相談所への通告をためらいつつ事態をさらに見極めようとするの だが、校内での議論が堂々巡りをする一方で、親への働きかけは親権と家庭の内部問題という壁 に直面して、事態は一向に改善されないままいたずらに時間が過ぎてしまう点である。 このような問題に対しては、通告から虐待対応の初期段階に、児童相談所と学校(場合によっ ては警察署も含む)が保護者対応に関する綿密な協議を行いながら連携する必要がある。 ④虐待問題の捉え方の相違 介入の緊急度が明らかに高いケースとそうでないケースにおける児童相談所の対応の相違に、 学校は一貫して不満を抱いている。とくに、ネグレクトや心理的虐待の慢性化したケースにおい て、子どもの日常的な教育に責任を負う学校は苛立ちを高めがちである。 この点は、虐待防止のためのインフラ整備の遅れに起因するところが大きいため、当面はケー スごとの虐待の状態像に応じて、学校と児童相談所の役割分担と連携支援の方針を丁寧に確認し ていくことが望ましい。とくに、ネグレクトに対応する在宅支援サービスの種類と厚みについて は、福祉機関との間で共有しておくことが基本である。 ⑤児童虐待防止法施行以降の連携の広まりについて 虐待防止法の施行以降、虐待問題に関する学校の内部連携と医療保健福祉機関との外部連携は、 多くの課題を抱えてはいるが、着実な進展をみせてきた。とくに、連携の広まりによって支援関 係者の「顔の見える関係」が「他の教職員の支援と他機関の支援に関心を寄せる関係」へと発展 しつつある点は、重要な前進であると評価できる。 その一方で、虐待に関する連携支援の中で学校がどのような役割を果たすのかが明確になって いないために、学校の内部連携から外部連携につなぐまでに終始しており、外部連携から内部連 携にフィードバックすることによって学校が子ども支援を充実させるまでには至っていない。不 登校やいじめの対応は学校が中心とならざるを得ない問題認識と比較すると、虐待問題への対応 の主役は児童相談所等の福祉機関にあるとの構えに陥りやすい点は否定できない。ひとまずの虐 待対応のための連携から学校における子ども支援の充実をいかにはかるかが、今後の連携発展の 鍵である。 -106- 3-3 虐待支援の連携における学校の役割の再検討 今日の虐待をめぐる学校と福祉機関の連携支援の実態は、虐待被害の拡大から子どもを守るこ とが中心となっている。虐待防止のインフラ整備の立ち遅れや虐待の状態像に対する理解のずれ などに起因して、マルチ・エージェンシー・ワーキングへの努力は積み重ねられてきたものの、 虐待問題の全体構造性に対応する子ども支援が連携によって組み立てられるまでには至っていな い。 現状にみる連携は、虐待の被害からひとまず子どもを守ることにエネルギーが費やされ、虐待 の早期発見、通告および当面する子どもの保護・支援の3点に課題のウェイトが置かれる。この ような連携の中で、虐待支援における学校の役割と持ち場は、圧倒的な法的権限を有する児童相 談所の補完的役割にとどまりがちとなる 3) 。虐待支援に関する学校教育ならではの視点と役割が 見失われやすく、このことが連携の充実を阻む要因となっているのではないだろうか。虐待に関 する連携の中で、子どもの保護と生活支援は福祉機関が、医療ケアは医療保健機関がそれぞれに 負うべき役割とした整理した上で、学校はそれらの補完的役割にとどまらない持ち場と役割の明 確化が求められている。 虐待からの立ち直りの主体は子ども自身である。そこで、虐待対応の課題は虐待の被害から子 どもを守ることにとどまらず、子ども自身が親密圏を培う主体となるまでのエンパワメントを含 むものである。親子の分離が長期間に及ぶ場合はむろん、児童相談所が親子関係の継続と修復を 支援ターゲットに据える場合でも、子どもの成長・発達に必要不可欠な親密圏の剥奪状態・半剥 奪状態は長期にわたって継続する。つまり、一方では、子どもにとって最も身近な大人である親 が子どもの発達の根拠地としての役割を果たさず、他方では、虐待対応の中で子どもが客体とし て「保護」され、子ども同士の諸関係においても孤立を余儀なくされる。被虐待児童は、不慣れ な一時保護所や児童養護施設に回され、あるいは、緊張と不安の高い親子関係の下での暮らしを 強いられることとなり、将来的に「親密さを自ら培うことの困難」が後遺障害として残る事例は 枚挙に暇がない(テリーM.レヴィ、マイケル・オーランズ 2005)。 そこで、虐待問題の連携における学校の果たすべき役割は、次の三点にあると考える。 その一つは、子どもの成長・発達を保障する見地から「第二の親密圏づくり」に取り組む課題 についてである。虐待を被った子どもたちが、親とは別なところに発達の根拠地となる親密な大 人との関係を紡ぐことである。虐待にかかわる子ども支援の構想は、虐待の発生する家族を所与 の「親密圏」と前提するだけでは不十分である。親子関係の継続・修復を方針として「親元で暮 らす」ことや、親子分離を方針とする児童養護施設と里親委託だけでなく、 「暮らしを共にしない 親密圏」を新たに構想する必要があるのではないだろうか。つまり、形式上は「親と共に暮らし ている安心」をつなぎつつ、子どもが安心して親密な関係を継続できる親とは異なる大人とのパ ーソナルな関係を築くことによって、親を相対化しながら自分なりの親密圏を成長・発達の根拠 地にしていけるような支援である。たとえば、傷ついた被虐待児童へのアプローチの入り口に、 スクールカウンセラーやさわやか相談員等によるノンディレクティヴ・カウンリングを置きなが ら、子どもとの相性も見極めつつ継続的なパーソナル・アシスタントとなりうる大人との関係を つくるなどである。このパーソナル・アシスタントとしての大人には、学校関係者や地域住民を はじめ、被虐待経験のある自立した青年や学生の学校支援ボランティアをも含めて考慮すること が検討に値する。 もう一つは、児童福祉にかかわる既存の社会資源の役割と活用の方策を見直すことである。被 -107- 虐待の子どもたちの孤立を防ぐために地域の児童館・学童保育等の活用をはかることを、これま でのサービスの利用要件に囚われることなく再検討することが求められる。それは、学校教育の 立場から虐待問題に関わる地域のネットワーク改善と社会資源開発に迫る課題であり、要保護児 童対策地域協議会における学校の新しい役割として強調しておきたい。 最後に、PTAの役割の再検討である。地域社会の無縁化と孤立した子育ての困難が虐待発生 の土壌を構成していることはしばしば指摘されてきた(松本 2010)。地域社会のつながりを形成 する学校のハブとしての役割の増大を考慮すれば、地域の子育てを共有し、新たな子育て文化を 創出する拠点としての学校の役割は今後避けて通ることはできないであろう。これまでの虐待対 応の中では、保育所や学童保育所の父母会が見守り支援ネットワークの一員として登場すること はしばしば確認されてきたが、学校のPTAがこのような役割を果たす事例がほとんど見当たら ないのは何故であろうか。PTAが地域の一員として地域の子どもたちを見守り、 「第二の親密圏 づくり」への参加をはかり、究極の子育て困難である虐待の事象に抗して、親同士が新たな子育 て文化を創造する営みの拠点となることが、連携支援の一環として問われているのである。 以上のような、虐待支援に関する学校ならではの役割を明確にした連携が実現した度合いに応 じて、学校の内部連携と外部連携は相互発展的な循環をみせるようになり、子どもを主体とする 支援にふさわしい連携の姿が鮮明になっていくものと考える。 注 1)程度の軽い虐待で、保護者とのコミュニケーションに支障がないケースについては、児童相談所の法的権限行 使による介入を行わず、市町村・福祉事務所だけで対応するものもある。ただし、このようなケースの実数を確 認できる統計データはない。 2)山本恒雄「児童相談所からみた教育と福祉の連携」(岡本正子他編著『教員のための子ども虐待理解と対応』、 74‐99 頁、2009 年、生活書院)参照。このような主張は、虐待防止のためのインフラ整備の遅れを与件とすれば 理解できなくもないが、ネグレクト問題の特質に由来する見解としては疑問が残る。 3)児童相談所の虐待対応の補完的役割を学校が果たす傾きの強い見解は、岡本正子他編著の前掲書 2)にある。 引用文献 宗澤忠雄編著『障害者虐待−その理解と防止のために』中央法規出版, 2012 杉山登志郎「子ども虐待は、いま」 『そだちの科学』№2,2004 小松源助『多問題家族へのアプローチ』有斐閣,1985 川崎二三彦『子ども虐待ソーシャルワーク−転換点に立ち会う』明石書店, 2010 テリーM.レヴィ、マイケル・オーランズ『愛着障害と修復的愛着療法-児童虐待への対応』、ミネ ルヴァ書房,2005 松本伊智朗『子ども虐待と貧困』明石書店, 2010 参考文献 上野加代子編著『児童虐待のポリティクス』明石書店, 2006 「子どもが語る施設の暮らし」編集委員会編『子どもが語る施設の暮らし』明石書店, 1999 「子どもが語る施設の暮らし」編集委員会編『子どもが語る施設の暮らし第2巻』明石書店, 2003 -108- 4.障害のある児童生徒をめぐる学校と外部機関の連携 山中冴子 4-1 研究目的∼特別支援教育における連携とその展開から 特殊教育が特別支援教育に転換されたことにより、連携は特別支援教育施策において、これま で以上に重要なキーワードの一つとなった。特別支援教育の理念に長期にわたる支援の必要性が 明記されたことを踏まえ、学校と関係各所の連携が具体的な制度改革のもとに推進されている。 例えば学校では、関係各所との連携窓口となる特別支援教育コーディネーターの指名や、特別支 援教育コーディネーターをメンバーとした校内委員会の設置が進んでいる。これらは学校内部の 連携を強化し、障害のある児童生徒の教育を担任教員まかせにせず、学校全体でそのあり方を考 えていくための仕組みである。そして、これらの取り組みを土台として、学校は外部の連携機関 を模索していく。そして、このような取り組みは、障害のある児童生徒の「個別の指導計画」の 策定に直結する。加えて、学校がその他の機関とつながる際には、一貫した支援を提供すべく、 「個別の教育支援計画」の策定がなされる。 「個別の指導計画」や「個別の教育支援計画」のフォ ーマットは各地域で異なるが、支援の方向性、内容、そして成果を目に見える形で示す取り組み である。 以上の施策を受けて、今日、障害のある子ども個々に異なるニーズに即して、具体的な連携事 例が積み重ねられている。先行研究でよく指摘されるのは、特別支援教育コーディネーターが多 忙であることや、学校の支援ニーズに応えうる機関や専門家が各地に十分に配置されていないと いった、仕組みのあり方そのものに関するものである。また、特別支援教育の連携における仕組 みが円滑に機能するための要素として、校内体制整備における管理職のリーダーシップや教員間 の協力の必要性、学校、保護者、関係機関が連携の目的を統合及び共有することの必要性も指摘 されている。これらとは別に、特別支援教育の条件整備(特別支援教育コーディネーターの指名 や校内委員会の設置など)がもっとも整っているとされる小学校をのぞいた中学校以上の学校に おける発達障害のある生徒への対応が、大きな関心事となっている。例えば、中学校、高等学校 においては、LD 等発達障害の疑いの有無を判断するための体制も、特別な教育的支援を要する生 徒に対する校内支援体制も整っていないこと(岩手県)や、発達障害の生徒に焦点を当て、中学 校における進路指導と高等学校における進学に際する連携に課題があること(岡山県)などが明 らかにされている。このように、連携にかかわる学校内外の条件整備の課題を深く把握する努力 や、喫緊の課題として新たに浮上している中学校と高等学校の連携にかかわる課題の洗い出しな ど、様々な先行研究がある。 本調査の対象地域であるS県に関しては、特に学習障害をはじめとする発達障害の子どもたち を念頭に、連携のあり方が模索されてきた。例えば、平成 15・16 年度の 2 年間は、文部科学省か ら「特別支援教育推進体制モデル事業」の委嘱を受け、県内の複数の市を推進モデル地域とし、 LD、ADHD、高機能自閉症の児童生徒への支援体制の整備を進めた。連携に関しては、推進モデル 校を中心に心理学の専門家による巡回相談(児童生徒の観察と指導助言)、特別支援学校との連携 (児童生徒の実態把握と事例研究への支援、特別支援教育コーディネーターへの支援、個別の指 導計画作成の支援、教育相談及び学校コンサルテーションの実施) 、そして、その他の市教育委員 会の役割として、県教育委員会及び総合教育センターとの連絡調整、巡回相談員の派遣依頼、巡 -109- 回相談員に同行、盲・ろう・養護学校(現・特別支援学校)等との連絡調整、諸検査の実施・分 析などがなされたという。 また、連携が生じるための第一歩として担任教員の気づきが重要となるが、S県総合教育セン ターは、まずは教員が通常学級内の発達障害の疑いのある児童生徒に気づくためのスクリーニン グ表、そこで挙げられ児童生徒の学習面、社会性・行動面、現在の主訴、保護者の願い等のアセ スメント表、学習面に特化したチェック表、認知・行動評価表、支援の立案にかかわる指導法例 示ソフトと、気づきから実際の支援までの一連の資料を開発している。 しかし実際に、学校はどのような困難に直面したときに学校だけでは解決できないと判断する のか。具体的な連携先とはどこなのか。そして、連携を通して得られたメリットや困難に思われ た点とは何かといった連携の現実を捉えた調査は、S 県においては十分になされてはこなかった。 したがって、本稿ではまず、特別支援教育に関する連携の現状を、アンケート調査から全体的に 把握するとともに、必要な観点の抽出を試みる。続いて、実際の連携事例について、連携目的、 連携に関わった学内外の関係者、連携先、期待された成果、連携のメリットや困難であった点な どをインタビュー調査から把握し、アンケート調査から抽出された観点に絡めて考察する。以上 を以て、特別支援教育に関する連携の課題を明らかにしたい。 4-2 通常学級における連携∼担任教員が支えられることの大切さ 特別支援教育が開始される以前から、盲・ろう・養護学校(現・特別支援学校)において、連 携は必然であった。子どもたちは就学前から医療や福祉と関わりがあり、卒業を前に就労支援と つながる必要がある。障害のある子どものメッセージは、障害ゆえの様々な制約のために、常に わかりやすい形で発せられるとは限らない。特に重度の障害がある子どもの教育活動において、 「おむつ替えも教育だ」といわれた実践の事実は、連携の在り方を考えるうえでの重要な観点を 提供してくれる。おむつ替えは介助行為の一つではあるが、学校においては、例えば、障害のあ る子どものお尻の上げ方に自主性の育ちを「発見」するなど、重要な子ども把握の機会とされて きた。同様に、 「医療的ケア」においても、確かに医師や看護師など有資格者が行うべき行為はあ るが、それを医療関係者に丸投げすることには実践サイドから異論がある。 「自立活動」について も、言語聴覚士や作業療法士などの連携が模索されているが、教員とは異なる分野の専門家と何 を共有し、最終的な着地点(子どもの見方、自立活動の内容や展開の押さえなど)はどこになるの か、議論が続いている。それだけ障害のある子どもの学校教育には、福祉的行為や医療的行為が 当たり前のように存在しており、しかもそれらを単純に「福祉」だ、 「医療」だと線引きし、役割 分担できるようなものではない。だからといって、教員にすべてを任せておけばよい、というこ とにはもちろんならない。連携することで可能になる取り組みは、単なる役割分担としてではな く、子どもに適した教育を創りだす上で極めて重要な意味合いをもつものとして押さえられてき たし、そこでの教員としての関わりを積極的に肯定して実践を創出する努力が払われてきた。 特別支援教育は、特別支援学校や特別支援学級などの特別な場に限定されるものではなく、通 常学級も含め、子どものニーズがあれば提供されるべきものとされる。上記の特別支援学校によ くみられるような、教育とその他関連領域を積極的にかかわらせていく取り組みは、通常学級に おいては自明のことではない。そこで、先の S 県の総合教育センターによる事例集では、通常学 級の連携先として、医療機関、総合教育センター、特別支援学校、子どもが以前に在籍していた 幼稚園や学校が挙げられている。そして具体的な連携内容として、障害にかかわる診断や検査、 -110- 行動特性の把握とその対応、学習支援の在り方が主として紹介されている。つまり、通常学級が 障害のある子どもを受け止めるために外部機関を活用する上での主眼は、障害の把握、人間関係 の形成、学習支援であることがわかる。 外部連携を通じてこのような支援を行うということは、行動特性なども含めた子どもの中にあ る多様性と、それに対応するための手立ての多様性の双方を受け止めるキャパシティを、通常学 級において拡大させることを意味する。通常学級の担任教員には、障害のある児童生徒にかかわ る連携が自明のことではなかった「通常」の場における日々の実践において、外部機関との連携 から得られた知見をいかに返していくのかが問われている。そのような意味で、学内外の連携が 担任教員の困り感にどこまで寄り添えているかが、連携の在り方を考えるうえでは重要ではない だろうか。 4-3 アンケート調査にみる連携 (1) 特別支援教育にかかわる問題の複雑さ 本調査において、 「学校だけでは解決できないと感じた子どもの問題」として挙げられた事例の うち、特別支援教育にかかわるものは、小学校は 78 事例、中学校は 46 事例、校種不明が 2 事例 の合計 126 事例であった。校種不明の事例を除き、小学校、中学校ともに、「不登校」「被虐待」 「保護者対応」に続いて高い順位となっている。 更に、特別支援教育に関連した問題として多かったのは、小学校、中学校ともに「保護者対応」 「学力の問題」 「非行・いじめなどの問題」 「不登校」であった(図表 4-1)。特別支援教育におけ る問題は、 「学校だけでは解決できない」とされる順位の高い事柄が、複数絡みあって生じている ことがわかる。図表 4−1 の横軸にある「外国人の親」は「外国人の親とのコミュニケーション」、 「保護者の病気」は「保護者の病気による子どもの学校生活への支障」を略したものである。 35 30 25 20 15 10 5 0 小学校 中学校 ( 校 種 別 事 例 数 に お け る 割 合 % ) 図表 4-1 :特別支援教育が必要なケースに関連する問題の割合 (小学校 78 事例、中学校 46 事例) 小学校との連携先(回答数 2 を上回るもの)は、教育支援センター35 件、教育相談室 32 件、 -111- 教育委員会 30 件、病院・クリニック 22 件、スクールカウンセラー20 件、特別支援学校 20 件、 児童相談所 14 件、民生・児童委員・主任相談員 13 件、中学校 7 件、家庭児童相談室・支援課(子 ども・障害)6 件、子育て支援課 5 件、スクールソーシャルワーカー4 件であった。 中学校との連携先(回答数 2 を上回るもの)は、教育委員会 22 件、教育支援センター21 件、 教育相談室 19 件、スクールカウンセラー18 件、病院・クリニック 12 件、児童相談所 8 件、警察 6 件、特別支援学校 7 件、小学校 4 件であった。 連携先の選択理由については具体的に把握できないが、教育相談室や教育支援センターは、特 別支援教育から非行・いじめ対応と幅広い内容を網羅した取り組みを行っているため、大きな期 待が寄せられているのではないだろうか。また、教育委員会は、これらにつながるための手続き を担っていることもあり、必然的に件数が多くなっているものと考えられる。 (2) 小学校と中学校の相違点 「学校だけでは解決できないと感じた子どもの問題」として単独でも順位が高く、特別支援教 育との関係が深い「保護者対応」「学力の問題」 「非行・いじめなどの問題」「不登校」について、 小学校と中学校ではどのような違いがあるのだろうか。 もっとも目につくのは、中学校が挙げた「不登校」の数値が、小学校の 3 倍に迫るほど高くな っていることであろう。確かに中学校は、小学校に比べて学習が高度化し、高校入試を前に進路 に対するプレッシャーも増幅する。しかし、それにしては中学校の「学力の問題」の数値は小学 校に比べると低い。先のS県の総合教育センターによる資料からすれば、特別支援学校は「学力 の問題」に関する外部連携先と認識されても良いのだが、中学校で「特別支援学校」と連携先と 挙げたのは、わずか 7 事例にとどまっていた。 また、「非行・いじめなどの問題」は小学校の方が多く、「不登校」は中学校の方が多い。これ まで、いじめをはじめとする不適切な対応が不登校につながる可能性が指摘され続けてきたこと を考えると、小学校での「非行・いじめなどの問題」が蓄積されて、中学校での「不登校」につ ながっていることも推測される。 更に特徴的なのは、中学校になると「警察」と連携した事例が挙がることである。 「非行・いじ めなどの問題」との関係性が最もつ強い連携先と考えられるが、それだけ事態が深刻化したとい うことなのだろうか。 障害のある子どもの思春期は、障害のない場合以上に複雑で葛藤が多いものである。自分の障 害をいかに認識するのかを含め、自我の確立は容易ではない。したがって、小学校からどのよう な対応をされてきたのか、その中でどのような評価を得、自己を築いてきたのかが厳しく問われ るが、連携の観点からすれば、次の教育段階とのつながり、つまり、小学校と中学校の連携が、 障害のある児童生徒の育ちにとって重要な意味をもつと考えられる。しかし、双方の連携事例は 上記のように少ない。 (3) 保護者対応のむずかしさ 一方、小学校と中学校では、 「保護者対応」の困難に直面しているという共通点がある。特別支 援教育に関して連携ができなかったケースの概要についての自由記述回答は、小学校 5 事例、中 学校 3 事例であり、いずれも、保護者対応にかかわる問題が記されていた。これらから、保護者 が特別な支援を受容することに困難がある場合や教員との関係性が円滑でない場合には、外部機 -112- 関を紹介しても活用されない等、連携が機能しないことがわかる。 そもそも保護者対応とは、表面的に保護者の言い分に対応することではない。保護者が学校に 寄せる期待や要望には、これまでの子育て経験と、その中で形成されてきた親としてのアイデン ティティが大いにかかわっている。保護者からの要望の背景にあるものまで丁寧にくみ取り、障 害のある児童生徒を真ん中に、彼らの育ちを具体的に共有すること、そして、それを踏まえて、 教育の方向性を共に検討していくことこそ求められているといえる。とはいえ、保護者の子育て 経験や親としてのアイデンティティと深く関係するがゆえに、保護者からみた子どものニーズと 期待する成果が、学校のそれとは乖離している場合、このすり合わせは容易ではない。しかもそ の乖離は、子ども本人と教員の困り感双方を増幅させる。通常学級担任教員は、通常学級という 場所がその子どものニーズにどれだけ合致しているのかといった根本的な疑問をもちつつ、保護 者との共通理解や外部からの支援が十分得られない中で、日々の実践を模索していかねばならな い。 そこでおそらく重要となるのは、学内連携の在り方である。学校外で支援を得ることが難しく ても、学内で連携を強め、既存のリソースを確認及び活用していくといった取り組みが、担任教 員を支えることにつながるのではないだろうか。 4-4 (1) 小学校へのインタビュー調査より 3つの事例 筆者がインタビューを行ったのは、アンケート調査で特別支援教育における連携 3 事例を回答 した小学校の教員である。この小学校には、特別支援学級と通級指導教室(言語・難聴)がある。 自由学区のため、入学後の特別支援学級への転入可能性を考えて、同校を選択する保護者が少な くないという。 事例に上がった児童については、以下である。 児童1 ・広汎性発達障害 ・プライドが高く、集団が苦手 ・1 年次から他校通級の形で、発達障害・情緒障害通級指導教室へ ・3 年次から本学学級児童増、通級指導教室の担任変更がストレスに 児童2 ・自閉症 ・就学指導では特別支援学校判定だったが、通常学級に在籍 ・しばらくの間、通学には母付添 ・公文通い 児童3 ・広汎性発達障害の疑い ・1 年次は特別支援学級、2 年次から通常学級在籍 ・不登校、保健室登校を経験 -113- 児童1は通級指導教室を活用していたことからもわかるように、特別な支援を受容していた。 したがって、特別な教育の場にいかに円滑につなげていくかが焦点となった。 一方、児童2は、就学の判定で特別支援学校相当とされつつも、保護者が通常学級在籍にこだ わったケースである。保護者が本児を公文に通わせていることからも明らかだが、特別な支援を 提案することがかなり困難な状態であったという。したがって、通常学級内での学習支援をいか に充実させるかが課題とされた。 児童3は、一度経験した特別支援学級を出て、通常学級に籍を置いた例である。保護者に特別 な支援を受容する余地は認められず、児童本人は通常学級になじめずに不登校と保健室登校を経 験することとなった。したがって、不登校対応が求められた事例である。 学内連携としては、それぞれ、当時の担任教員、特別支援学級担任教員でもある特別支援教育 コーディネーターをはじめ、以前の担任教員や養護教諭も加わるなどして、対応にあたってきた。 各児童の連携に対するニーズや期待される成果は多様だが、学内連携のメンバーに大きな違いは ない。 学外連携先は、以下のとおりである。 児童1 教育相談室、障害を判定した医療センター、通学中の通級指導教室、 市の巡回指導、県内特別支援学校内相談室、県立特別支援学校分校の教員、 近隣学区の小学校の特別支援学級(体験入学) 児童2 教育相談室、市の巡回指導(年に 1 回)、県内特別支援学校内相談室 児童3 教育相談室、教育委員会、発達障害を診断できるクリニック 児童 1 は、保護者も特別支援教育を受容しているため、教育的ニーズの把握と在籍中の通常学 級並びに通級指導教室での学びの充実、さらには、次の場として選択される可能性のあった別の 小学校の特別支援学級と、見通しの立った連携が実現した。 児童2については、保護者が特別支援教育を受容することに困難があったため、複数の特別支 援教育の機関と連携することは叶わなかったが、県内特別支援学校内相談室から助言を得たとの ことであった。 児童3は障害の疑いがあるとは言え、不登校対応として教育相談室に連絡し、助言を仰いだと のことであった。 この小学校では体系的な連携システムをもっているわけではないが、①校長の特別支援教育に 対する深い理解、②子どものことをオープンに話すことのできる雰囲気、③特別支援学級の存在、 ④担任教員の積極的な情報収集と人脈、以上の 4 点により、学内外の連携が可能となっていると 考えられた。 -114- (2) アンケート調査から浮上した観点について 先のアンケート調査からは、①小学校と中学校との連携、②保護者対応、③学内連携のあり方 とその際に活用される既存のリソース、といった点が連携にかかわる論点として浮上したが、イ ンタビュー調査からは①と②が連携の課題として挙げられた。 まず、①小学校と中学校との連携についてであるが、十分ではないとの意見が聞かれた。中学 校の特別支援学級の体験入学の機会はあっても、実際に入学した後の連携はほぼ皆無であるとい う。このような実態は、障害のある生徒本人にとっても、小学校、中学校双方の担任教員にとっ ても好ましくないと考えられるが、体験入学といった取り組みもないような通常学級に進学する 際には、特に困難が予想される。 また、②の保護者対応については、保護者が特別支援教育に否定的であれば、第三者が介入す ることが困難になることがここでも指摘された。しかし、第三者による保護者のカウンセリング には効果があったという経験も語られたことから、外部連携は、特別な支援を検討する以前に、 保護者と子どもの姿を共有する段階から有効であることがわかる。 ③の学内連携や既存のリソースについて、インタビューでは連携の課題として挙げられること はなかった。同校におけるリソースとしては、特別支援学級担任教員と、不登校の支援をこれま でも行ってきた養護教諭の存在が挙げられ、更に彼らが通常学級担任教員と良好な関係にあった ことが円滑な学内連携を直接的に生み出したと言える。また間接的には、特別支援学校の勤務経 験がある校長が特別支援教育に対して深い理解を示していたことも、学内連携を促進させた。 同校では、特別支援学級担任教員兼特別支援教育コーディネーターの動きもさることながら、 担任教員の情報収集や人脈作りが外部連携に直結していることも少なくなかった。インタビュー では、通常学級担任教員が問題を 1 人で抱え込まずにすむ点が学内外の連携の最大のメリットと して挙げられたが、情報収集も人脈作りも、多忙な中での作業である上に、特別支援教育を専門 としているわけではないという意味で、連携先の選択及び決定が正当なものであったかどうかは わからないといった言葉も聞かれた。これについては、学校が積み重ねてきた外部機関との連携 事例が、学内連携の中でどのようなものとして理解され、共有されているのかが問われていると 考えられる。そのような意味で、学内の関係が良好で、児童についての様子を関係する教員間で 共有している同校においても、③については連携における課題として捉えうる部分があると言え よう。 4-5 おわりに 以上、障害のある児童生徒にかかわる連携について、アンケート調査並びにインタビュー調査 から検討してきた。 アンケート調査からは、①小学校と中学校との連携、②保護者対応、③学内連携のあり方とそ の際に活用される既存のリソースが、学校と外部機関との連携において問われるべきことが明ら かとなった。 インタビュー調査からは、上記 3 点の課題が改めて確認されると共に、先行研究でも指摘され ている通り、オープンに障害のある児童に関わる困難を話題にすることができ、既存のリソース とも言える関係者と円滑な関係を築くことが重要であることが示された。また学内連携において、 これまでの学外連携事例の蓄積に対する省察が不可避であることも明らかとなった。これは学外 連携のイメージを豊かにするとともに、それにかかわった学内の既存のリソースを掘り起こすこ -115- とにもつながる。通常学級担任教員を支えるという意味で、学外連携と担任教員による日々の実 践をつなぐ土台を形成する作業と言えよう。 今回の調査では、通常学級担任教員が学外連携から得た知見を日々の実践に返していく過程、 その成果及び困難については明らかにできなかった。また、特別支援学級等の有無が学内外の連 携にいかに影響を与えるのかについても、不明瞭である。これらは今後の課題としたい。 引用文献 岩田雅美・山崎由可里「和歌山県下の小中学校での特別支援教育における各種関係機関・専門機 関との連携の現状と課題」『和歌山大学教育学部紀要』第 61 集,2011 古井克憲「小学校教員からみた特別支援教育における『連携』−アンケート自由記述データの質 的分析から−」『和歌山大学教育学部教育実践総合センター紀要』No.21,2011 岩手県立総合教育センター『中学校・高等学校における特別支援教育校内体制の確立に関する研 究―既存の校内体制の活用・発展をとおして―(第 1 年次)』2006 岡山県教育センター『特別支援教育における中・高等学校連携に関する調査研究―中学校におけ る進路指導上の課題及び高等学校における支援上の課題―』第 284 号,2007 埼玉県教育委員会『平成 15・16 年度文部科学省委嘱 学校で特別支援教育を進めるために―特別 支援教育推進体制モデル事業(報告)―』2007 埼玉県教育委員会『「LD,ADHD、高機能自閉症」の児童生徒の理解と支援のために―特別支援教育 推進体制モデル事業(中間報告)―』2006 埼玉県立総合教育センター特別支援教育担当『特別支援教育の視点を生かした学級経営の在り方 に関する調査研究(1 か年研究)』2009 埼玉県立総合教育センター特別支援教育担当『特別支援教育の視点を生かした学級経営の在り方 に関する調査研究 「学級経営の工夫」事例集(小・中学校、高等学校)』2009 埼玉県立総合教育センター特別支援教育担当『一人一人の教育的ニーズに応じた支援の在り方に 関する調査研究』2004 参考文献 池添素「障害者の家族のいる家庭の支援」荒川智・越野和之、全障研研究推進委員会編『障害者 の人権と発達』,2007 山中冴子「特別支援教育の動向と教員の専門性」清水由紀編著『学校と子ども理解の心理学』金 子書房,2010 三木弘和『人間を大切にするしごと 特別支援教育時代の教師・子ども論』全障研出版部,2008 (2012 年 11 月 12 日提出) (2013 年 -116- 1 月 11 日受理) 埼玉大学紀要 教育学部, 62(1):117-128(2013) 教育・保健・福祉に関するネットワーク −S県における学校と外部機関との連携に関する調査研究−(第Ⅲ報) 戸賀沢亮子 埼玉県立富士見高等学校・本学部非常勤講師 石戸教嗣 総合教育科学講座 キーワード:非行、いじめ、発達しょうがい、ニューカマー、学習支援 5.非行・いじめなどの問題行動のある児童・生徒をめぐる学校と外部機関の連携 戸賀沢亮子 5-1 非行・いじめなどの問題行動の実態 近年、大きな社会問題となっている非行やいじめの問題は、依然として相当数に上り、複雑化、 多様化している。 少年法によれば、審判に付すべき少年非行の定義として、犯罪少年、虞犯少年、触法少年、要 保護児童とされる。S県においては、凶悪犯や粗暴犯等の刑法少年は減少傾向にあるが、万引き などの触法少年は増加傾向にある。しかしながら、S県の刑法少年の数は全国 4 番目である。ま た、少年非行の低年齢化、再非行化、集団化が問題となっている。 いじめ問題について、文部科学省は、2006年度より、「いじめ」とは、「当該児童生徒が、一 定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じて いるもの」と定義している。しかし、2010年度の「問題行動調査」結果において、いじめの実態 把握の取組について、いじめを認知した学校と認知していない学校との間で、依然としていじめ の実態把握のための取組に差が見られることから、学校がいじめを認知できていないケースがあ るのではないかと言及している。いじめの認知に関しては、従来から府県間の違いや調査時期の 違いが大きいことが指摘されている。S県について言えば、以前、いじめの出現率が全国平均の 19.5倍であるという数値が報告されたこともあるが(S県教育委員会 2007)、2011年度の文部科 学省の「問題行動調査」では全国平均の約1/3となっている。このことからも、いじめの実態把握 の困難さがうかがえる。 5-2 本調査で挙げられたケース 本調査において、非行・いじめなどの問題行動を、 「学校だけで解決できない子どもの問題」事 例として挙げられた中には、かなり深刻と思われるケースも含まれていた。 まず、数的に見るならば、非行・いじめなどの問題行動について言及されたケースは、合計で 128 ケースであった。全ケースに占める割合は、128/669 ケース=19.1%である。本調査において、 「学校だけで解決できない子どもの問題」として不登校についで多く回答されていた。校種別に 見ると、小学校:52/370 ケース=14.1%、中学校:75/294 ケース=25.5%であった。中学生において は、思春期の課題とからんで、問題が顕在化していくと考えられる。 回答の中には、加害者的ないじめの問題だけではなく、いじめの被害者が不登校などの問題に 陥ってしまったケースもあった -117- 「小学校の頃のいじめが原因(親、本人の意見)で、中学入学後、一度も登校していない。」(ケース No.49)。 つぎに、挙げられた 128 ケース(小学校 52 ケース、中学校 75 ケース、校種不明 1 ケース)と関 その他、具体的内容不明 外国人の親とのコミュニ ケーション 保護者の病気による子ど もの学校生活への支障 被虐待 特別支援教育が必要 家庭の経済問題 学力の問題 不登校 保護者対応 ) 全128 非行・いじめなどの問題行 動 問題の内容 ケース 連のある問題を分類すると、図表 5-1のようになった。 ( 小学校 52 17 14 17 18 13 9 4 2 1 中学校 75 17 17 10 7 6 5 1 1 0 不明 1 0 1 0 0 0 0 0 0 0 合計 128 35 31 27 20 19 14 5 3 1 図表 5-1 非行・いじめ等の問題行動と関連問題 これによると、小学校において、非行・いじめなどの問題行動と関連した問題として多かった のは、学力の問題及び保護者対応(32.7%)、不登校(26.9%)、特別支援が必要及び家庭の経済的 問題(25.0%) 、被虐待(17.3%)が、10%を超えていた。中学校において、非行・いじめなどの問題 行動と関連した問題として多かったのは、保護者対応及び不登校(22.7%)、学力の問題(13.3%) が、10%を超えていた。校種不明のケースは、不登校と関連があった。 非行・いじめなどの問題行動を単独回答したケースは、小学校:12/52 ケース(23.1%)、中学校: 40/75 ケース(53.3%)であったが、事例内容の記述には、他の問題が含まれているケースが多くあ り、非行・いじめなどの問題行動が単独の問題であるとは考えにくい。 非行・いじめなどの問題行動の背景には、被虐待や保護者・家庭の問題があり、結果、子ども の不登校や低学力の問題に結びついていることが考えられる。法務技官であった小栗によれば、 日本で調べても、アメリカで調べても、学業不振の子どもは非行化しやすいという。 (小栗 2010) 本調査でも、以下のような記述があった。 「兄による暴力、学力不振、この母子家庭に出入りする男性による虐待。近隣に住む実父の育児能力のなさ。 本人の万引き。実父の低収入。(実父が近所に住んでいたので、関わりを持っていた)」(ケース No.81) 「無計画の出産。非就労で経済困窮。ライフラインストップ。排便は、公園や学校ですませ、毎朝公園へ水く みに行かされる。家賃払えず、マンション追い出され、ビジネスホテルに宿泊。料金不払いで親逮捕。兄弟姉妹 は別々の児童相談所へ送られ、バラバラ。」(ケース No.142) 「子どもだけで、夜を過ごし、朝食を与えない。時には、夕食も与えない。家の中がゴミだらけで、躾も、学 習もしていない。非行行動がある。 」(ケース No.186) -118- また、子ども自身が抱える障がいに適切な手当てがなされず、非行・いじめなどの問題行動を 引き起こしているともケースもあった。 「発達障害の二次障害になってしまい、非行など問題行動がはじまる。保護者に協力、呼びかけ等行うが、解 決がなかなかできなかった。」(ケース No.90) 「4 年生から暴力行為が目立ち、アスペルガー的診断を受けた。気に入らないと、逃避、暴力を起こす。 」(ケ ース No.210) 児童精神科医の杉山は、ADHD という育てにくさがあった場合、そこに虐待が加えられたとき、 非行という問題行動に結びつくと述べている(図表 5-2)。 図表 5-2 ADHD と非行の依存度(杉山 2007) 虐待なし 虐待あり 計(平均年齢) 非行なし 36 名 62 名 98 名(7.5 歳) 非行あり 4名 71 名 75 名(11.5 歳) 計 40 名 133 名 175 名(9.3 歳) 2004 年の家庭裁判所における面接調査において、PDD(広汎性発達障がい)が疑われた事例は、 2.4%、ADHD が 5.7%、MR(Mental Retardation)2.2%という結果がある。本調査においても、非行・ いじめなどの問題行動と関連した問題として、小学校 25.0%、中学校 8.0%のケースに特別支援教 育が必要という結果がでている。2002 年に文部科学省が実施した「通常の学級に在籍する特別な 教育的支援を必要とする児童生徒に関する全国実態調査」の結果の小・中学校の通常の学級に在 籍する学習障害(LD)、注意欠陥多動性障害(ADHD)、高機能自閉症等により学習や行動の面で 特別な教育的支援を必要とする児童生徒数について、その可能性のある児童生徒が約6%程度の 割合であるが、本調査における非行・いじめ等の問題に関係した特別支援教育が必要な子どもの 割合は、文部科学省の調査を上回っている。子どもの何らかの障がいが、直ちに非行やいじめな どの問題行動に結びつくとは言えないが、二次障害としての問題行動ととらえることはできると 考えられる。 5-3 非行・いじめなどの問題行動に関して学校以外に関係した機関や組織・人と関係機関との連 携 非行・いじめなどの問題行動について、小学校では、84.6%が外部機関と連携しており、どこ とも連携していないのは 15.4%であった。中学校においては、93%が外部機関と連携しており、ど ことも連携していなかったのは 7%であった。 外部機関の連携先として、小学校では、外部機関と連携のあった 44 ケース中、教育委員会 29 件、児童相談所 20 件、民生・児童委員・主任相談員 18 件、教育相談室 17 件、スクールカウンセ ラー13 件、教育支援センター及び警察 10 件、病院・クリニック及び子育て支援課 9 件、中学校 8 件、特別支援学校及び家庭児童相談室支援課 7 件があげられ、事例の 10%を超えていた。中学校 では、外部機関と連携のあった 70 ケース中、警察 53 件、教育委員会 26 件、児童相談所 20 件、 -119- スクールカウンセラー15 件、家庭裁判所 15 件、民生・児童委員・主任相談員 13 件、教育相談室 13 件、保護司 10 件があげられ、事例の 10%を超えていた。 特に、中学校においては、非行・いじめなどの問題行動について外部機関と連携した 70 ケース 中、53 ケース(75.7%)が警察と連携しており、中学校における非行・いじめなどの問題行動の 深刻さを表している。家庭裁判所 15 件(21.4%)、保護司 10 件(14.3%)などにも、中学校の非行・ いじめ等の問題の深刻さが表れている。 連携内容として、次のような記述があった。 「暴力行為、万引き、喫煙等。」(ケース No.241) このケースでは、教育委員会や警察だけでなく、家庭裁判所、保護司とも学校は連携している。 「2 年、3 年で傷害事件を 2 度起こし、3 年の夏から静岡の短期少年院に入院し、1 月に退院した。」(ケース No.372) このケースでは、警察だけでなく、家庭裁判所とも学校は連携していた。 義務教育の場合、公立学校においては、「退学」ということがないため、警察に補導されたり、 自立支援施設や少年院に送致された後、また地域の学校へ戻ることとなり、社会更生も学校の課 題となることがある。 S県では、2002 年度より、学校・地域・警察との連携による、中学生を対象とした非行防止対 策の効率的に推進するため、スクールサポーター制度を導入した。スクールサポーターは、中学 校の要請に基づいて派遣され、生徒の非行や問題行動について、生徒指導の面から学校を支援す る活動を行う警察職員であり、主に退職警察官がその職についている。 また、本調査では、3 件と少なかったが、文化的背景(外国人親とのコミュニケーション)の 違いから、学校生活が上手くいかず、問題行動を起こす事例もあった。 「保護者が外国籍で言葉が通じず、理解がない状況で、本人の問題行動が続いた。日本語指導を継続的に実施 することで少しずつ回復してきた。」(ケース No.316) 「父親に逃げられて母子家庭が、他の児童のたまり場となり、様々な問題がおこる。」(ケース No.646) 年々、ニューカマー、移民、難民が増加傾向にあり、今後は、外国人の親を持つ子どもたちへ の対応が大きな課題となっていくと予想される。 本調査において、非行・いじめなどの問題行動に関して外部機関と連携のないケースも、小学 校 5 件(9.6%)、中学校 8 件(10.7%)あった。連携がなくて困った点として、保護者の非協力的な姿 勢が記述されていた。 5-4 今後の課題 非行・いじめなどの問題行動の背景には、家庭や保護者の問題、そして子ども自身の障がいが あることがわかった。したがって、子どもの非行・いじめなどの問題動については、図表 5-3 の ような原因・背景を考慮しながら、連携のあり方を考えていく必要がある。(なお、図表 5-3 は、 本調査を元に、戸賀沢が作成した。 ) さて、本調査でおこなった校長へのインタビュー調査において、小学校と中学校においては、 校内連携のあり方に差が見られた。 小学校では、比較的情報共有が少なく、組織対応が少ないことが上げられた。原因として、生 徒指導主任、教育相談担当、学年主任、特別支援コーディネーター等もすべて担任との兼務のた -120- め、他のクラスに手が回らず、組織として取り組みにくい状況があった。 中学校では、問題が大きくなりやすいこともあり、担任はすぐに学年主任へ相談し、学年主任 は学年会において、情報共有や話し合いを行い、方向性を出すことが可能であった。また、生徒 指導委員会・教育相談委員会が、週 1 回開かれ、学年代表、各主任、養護教諭などが常時情報共 有に努め、各委員会会議には管理職が参加していた。 非行・いじめなどの問題行動について、外部機関との連携なしの回答が、小学校 15.4%、中学 校 6.7%であったが、このような校内連携状況から、外部機関とも結びつきにくい小学校の状態が 推察される。 低学力 虐待 貧困 学校への姿勢 不登校 保護者の病 文化の違い その他 気・障がい 子の障がい いじめ加 害・被害 非行 〈複雑に絡み合う〉 図表5-3:非行・いじめなどの問題行動の原因・背景として考えられること(戸賀沢作成) 学校が外部機関と連携を要する問題は多様であり、その問題の性質によって連携のあり方が異 なる。 したがって、非行・いじめなどの問題行動について、問題行動そのものへのアプローチもさる ことながら、学校だけで解決しようとせず、問題行動の背景や原因へ働きかける多様な外部機関 との連携を念頭におく必要がある。そのためには、教育だけでなく、福祉、医療、保健等の専門 的な知識を持ち、学校と外部機関をコーディネートし、ネットワークを構築する職が必要となる。 2008 年より、文部科学省では、「問題を抱えた児童生徒に対し、当該児童・生徒が置かれた環 境へ働き掛けたり、関係機関等とのネットワークを活用したりするなど、多様な支援方法を用い て、課題解決への対応を図っていく」とし、スクールソーシャルワーカーの活用事業を開始した。 さらに、文部科学省は、大津のいじめ自殺事件(2012)をうけ、いじめ問題で学校や児童生徒を 支援する専門家の組織を全国 200 地域に専門組織を設置することを柱とする総合的ないじめ対策 を発表した。 これらの事業が充実し、非行・いじめなどの問題行動がみられる児童生徒の問題解決が図られ ることは、個の子どもの問題解決だけではなく、学校全体が、落ち着いた環境と充実した教育に -121- つながるであろう。そのためには、子どもの問題について、校内においても、外部機関との連携 を構築しようという管理職・担任・養護教諭等教員全体の意識改革が不可欠である。 しかし、他方では、47 都道府県教育委員会のうち、10 教育委員会が地元警察との新たな連絡会 議を立ち上げ、いじめ対応に悩む学校が早めに警察と対処していく方針が打ち出されたとの報道 があった。(朝日新聞 2012/11/2) 。これは、非行やいじめに効果のある方針なのだろうか。 今回のインタビュー調査に協力してくださったある中学校の校長の取組を紹介する(下線部は 戸賀沢)。 下手に警察使っちゃうと、逆効果になっちゃうんで。ほんとにがんがん暴れて、ドアがんがん蹴っ 飛ばしているときに、対教師やっちゃったときも、あそこで 110 番するかなっていうことが何回もあ ったんですよ。だけど、僕たちはしなかった。それを、補導に変えてもらって、「承知補導」って言 うんだけど、警察に連絡したら、「一番効果のあるやり方を教えてくれ」って言ったら、「じゃあ承知 補導どうかなあ」って言うから、次の日の朝の職員集会でそれを提案したら、 「警察に被害届出しませ ん」と。「事件にはしません」と。「本人にきつい注意してもらいます、それはやります」、っていう ことが 3 回あったんですよ。あの時 110 番したら、即効性はあったかもしれないけど、「警察に言っ たな」ってことになって、反感、反抗するかっていうんで。そこらへんはもう信頼関係ですから、 「俺 はおまえら警察に売らない」ってずっと言い続けたんです。「だけど悪いことしたんだから」って警 察に行ってもらって。そのかわりその親も、一所懸命フォローしましたし、カウンセラー呼んで親の 面談いれたりね。ま、お母さん、自分の悩みもね。だから、ほんとにお母さんからしょっちゅう電話 あったしね。お母さん、子どもが来たらしょっちゅうここに座っててくれてね。すごい協力的になっ た。校長も教頭も先生方も、落ち着いてくれるっていう状況も、まあ、その子も今給食の間際に来る んだけど、教室に入れないから、ここに食べに来てくれる。二人で馬鹿な話しながらね。 「どうする?」 って言うと、「帰る」って。前は、帰んないでふらふらして、悪い仲間引っ張ってきて、屋上上っち ゃたりして、タバコすったりしてたんだけど、もうしなくなったですね。 関係機関の協力は求めるけど、変えられるのは学校ですね。心はね。関係機関は、心まではなかな か、成長させてくれない。処理はしてくれるけど。 引用文献 S 県警察『少年非行白書 平成 24 年度』2012 文部科学省『平成 22 年度児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査』2010,2012 S 県教育委員会『いじめに関する実態調査結果報告書の概要』2007 小栗正幸『発達障害児の思春期と二次障害予防のシナリオ』ぎょうせい,2010 杉山登志郎『子ども虐待という第四の発達障害』学習研究社,2007 藤川洋子『発達障害と少年非行・司法面接の実際』金剛出版,2008 文部科学省『通常の学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する全国実態調 査』,2002 S 県警察本部長『S 県警察スクールサポーター運用要綱』,2002 -122- 文部科学省『スクールソーシャルワーカーの活用事業』,2008 埼玉新聞 2012 年 9 月 6 日「いじめ対策」 朝日新聞 2012 年 11 月 2 日「いじめ早めに警察と対処」,2012 参考文献 全国児童自立支援施設協議会『非行問題』NO.214,2008 全国児童自立支援施設協議会『非行問題』NO.217,2011 橋本和明『発達障害と思春期・青年期∼生きにくさへの理解と支援』明石書店,2010 土井隆義「ある「暴力事件」をめぐる記述のミクロポリティクス」中川伸俊・北澤毅・土井隆義 編『社会構築主義のスペクトラム』,ナカシヤ出版,2005 杉山登志郎『子ども虐待という第四の発達障害』学習研究社,2007, -123- 6.外国につながりがある児童・生徒をめぐる学校と外部機関の連携 石戸教嗣 6-1 ニューカマーの子どもの実態 「外国につながりがある子ども」、いわゆるニューカマーの子どもをめぐる問題が学校現場で顕 在化したのは、南米日系人の移民の来日が容易になった平成元年の入管法の改正以降である。 S県において外国人の 学齢期の児童生徒の正確な数は把握されていないが、2010 年外国人登録者数(年齢別)から推 測すると、実数で約 7000 人にのぼると思われる。これは、同年同県の小中学校に在籍する全児童 生徒数の 1.2%になる。ただし、これには地域差があり、本調査が対象とした地域はいずれも外国 人登録者の比率が県平均より高い市部であり、外国人児童生徒の率も県平均より高くなると思わ れる。 なお、S県において「日本語指導が必要な児童生徒」の数は毎年約 1000 人である。来日後の学 校での日本語指導のやり方は市によって異なるが、おおよそ約 6 か月の取り出し授業の後は、普 通の児童生徒として通常学級で授業を受けていると思われる。 このとき、実際には、学習についていくだけの日本語能力がついていないにもかかわらず、学 校・教師は、彼らが日常言語をこなすことで、学校生活に支障がないと判断することがある。さ らに、実際には十分な言語能力がないために、引っ込み思案になったり、あるいは友達から何か 言われても、 言い返すことができないために、いじめの対象になるケースが多いのが現実である。 このように、一見して適応がなされているように思われる場合であっても、ニューカマーの子 どもへの支援は長期にわたって継続してなされる必要がある。 6-2 本調査で挙げられた事例 ニューカマーの子どもが入学・転入するとき、そこには日本人の子どもとは違う面があるのは やむをえない。しかし、本調査において、 「学校だけで解決できない子どもの問題」事例として挙 げられた中には、その通常のレベルを超えて、かなり深刻と思われるケースも含まれている。 まず、数的に見るならば、ニューカマーの子どもについて言及された事例は全部で 42 ケースで ある。これは全事例に占める比率で言うと、42/669(ケース)=6.3%となる。この 6.3%という 率は、ニューカマーの子どもが全児童生徒数に占める割合が 1.2%であるのを考慮するならば、 やはり高いと思われる。ニューカマーの子どもは、学校で問題を顕在化させるリスクが高い存在 であるという認識を持つ必要がある。 校種別で見ると、小学校が 26 ケース、中学校が 16 ケースである。これは、全回答ケースを母 数にした割合で見ると、小学校は 26/370=7.0%,中学校は 16/294=5.4%となる。小学校において問 題が顕在化する率が高いのは、小学生の場合、保護者とのコミュニケーションが多くなるからで あろう。 挙げられた 42 ケースについてその問題の内容を、小学校・中学校別に分類すると、図表 6-1 のようになる。 これによると、ニューカマーの子どもの問題の半数弱の 20 ケースが、日本語能力が不十分であ ることによるコミュニケーションの困難さとなっている。そのうち、7ケースは、親が日本語を -124- 理解できないために、家庭への連絡がとれないことを挙げている。この7ケースのうち6ケース が小学校であるように、子どもが自立していない小学校において親とのコミュニケーションがで きないことの問題が大きい。子どもが日本社会に適応していくうえで、子ども本人の日本語指導 と同時に、親の日本語指導も並行して進める必要があると思われる。 図表 6-1 ニューカマーの子どもに関する内容別問題 (1ケースで重複する内容を含む) 小学 校 中学 校 問題の内容(全 42 ケース) 計 コミュニケーションの困難 さ 虐待 20 13 7 5 4 1 経済問題 5 2 3 子どもに障害 4 1 3 就学意識の低さ 3 2 1 家庭解体 2 1 1 文化の違い 2 1 1 不登校 学力 1 1 1 0 1 0 その他、具体的内容不明 5 2 3 ニューカマーの子どもについては、日本語による意志疎通ができないことが最大の問題である ことは予想されたことではあるが、同時に深刻であるのは、虐待と関わっているケースが多いこ とである。これは、ニューカマーの子どもの多くは、連れ子として渡日することが多いためであ ろう。すなわち、外国人の母親が国際結婚で来日してから、母国にいる子どもを来日させ、養父 と一緒に暮らす場合が多い。この場合、コミュニケーションがとりにくいことが父子関係を悪化 させることがある。つぎの事例のように、実の父親でないことが、父子関係をぎくしゃくしたも のにさせている場合もある。 「母親が外国人のため、コミュニケーションがとりにくい。本人の身体にあざがあり、母の再婚相手で ある父親から暴力を受けていると本人が話した。」(ケース No.520) 外国人は、就労の困難さや不安定な職業に就く可能性が日本人よりも高い。そのため、経済的 問題を抱えている家庭もかなりある。 また、 「障害」と重複しているケースの指摘もある。この場合は、障害によってもたらされる適 応困難性は、異文化状況に置かれることによる緊張によっていっそう深刻なものとなる。 「生徒に発達障害(高機能自閉症か)があるが、親は障害を受容できない。特に、父親は、母(フィリ ピン人)の甘やかしと責める。医療機関等で診断を受けさせ、適切な教育が必要と、教育相談部で働 きかけたが、困難であった。」(ケース No.484) 逆に、ニューカマーの子どもが適応に失敗している場合、支援者の側がその問題行動を ADHD、 多動症などの障害に起因すると疑う場合もある。 「聾」といった明白な障害がある場合は別として、 多動など発達障害の症状を示したとき、それが異文化状況に置かれたことによって引き起こされ -125- ているのか、それとも本来的に発達障害に起因しているのか、あるいは、親と引き離されたこと による心理精神的疾患なのかが見分けにくいのも事実である。 6-3 問題への対応 挙げられた 42 ケースのうち、解決がなされたと述べている例は1ケースにとどまる。また、連 携先を挙げた事例は、日本語教室が1ケースで挙げられただけである。ニューカマーの子どもの 問題については、相談できる外部機関がほとんどないという現状が見てとれる。 ニューカマーの子どもの問題が未解決のままになる蓋然性が高いことは、 「学校内では解決でき ないと感じたが、外部機関と連携しなかった事例の問題」 (図表 1-10(第Ⅰ報))において、小学 校は 26.9%,中学校は 18.8%が連携がとれなかったと回答していることからも分かる。ニューカマ ーの子どもの問題の未連携率は、全体平均の約2倍であって、それ以外のすべての問題よりもは るかに高い。 その結果、学校の姿勢としては、子どもが自然に適応するのを待つということになる。また、 日本人の親と違い、子どもを就学させる義務を持たない外国人の保護者の場合、学校に対して希 望を伝えることにも消極的になる。あるいは、学校とコミュニケーションがとりにくいため、手 をこまねいていることが多い。また、家庭事情が複雑であったり、来日した背景が不透明であっ たりする場合は、学校も家庭に踏み込みにくい。その結果、適応できる子どもも一部はいるもの の、すでに述べたように、多くは、特に学力面で課題を抱える存在となっている。 6-4 今後の課題 学校が外部機関と連携を要する問題は多様であり、その問題の性質によって連携のあり方が異 なる。ニューカマーの子どもの場合、つぎのような点を考慮しながら、連携のあり方を考えてい く必要がある。 まず、日本においてニューカマーの受け入れはまだ日が浅く、その受け入れの公的な専門機関 が存在していない。これは、国として移民についての政策が存在しないことが遠因としてある。 そうしたとき、場合によっては、不就学の子どもがいても、誰もその存在を知らない、あるいは 知っていても黙認・放置されるということも起こる。1) したがって、ニューカマーの子どもの存在自体について、何らかの形でその情報を集約できる 機関あるいは組織が求められる。集住地域では、ニューカマー同士の横のネットワークがその役 割を果たしている場合もある。だが、本調査の対象となった都市型散在地域では、それも期待で きない。さらに、保護者の在住資格が不安定な場合、保護者がそういう組織に自発的に足を運ぶ ことは期待できない。 こうしたとき、ニューカマーの子どもについての情報集約は、地域の日本語教室が互いに情報 交換することによるインフォーマルな形をとることになる。あるいは、各地域において日本語教 室の代表となっているキーパーソン同士のつながりの中で情報を積み上げていくというのが現状 である。 各学校に派遣されている日本語指導員が学校に対してアドバイスを与え、効果を挙げる場合も あるが、本調査で 42 ケースのうちわずか1例だけが日本語指導員が介在して問題が解決できたと 述べている。ここから言えることは、日本語指導員の位置づけをもっと強化することも検討すべ きであると思われる。すなわち、単に日本語を教えるという役割に限定せずに、その学区におけ -126- る不就学あるいは不登校の外国人の子どもとも接触する、あるいは教育状況を把握するという役 割もありうる。これは、日本語指導員が学校の正規の職員ではなく、学校と外部の接点に立つと いう立場を生かすものであり、 「多文化ソーシャルワーカー」(石河 2003)あるいは「エスニック・ ソーシャルワーカー」(内海・横沢 2008)的な活動を期待するものである。2) ただし、このとき、プライバシー上の問題もあり、日本語指導員が知りえた情報は教育委員会 に報告するのではなく、各学校の内部資料にとどめるべきあろう。また、報告義務を課すのでは ない、ゆるやかな情報の把握にとどめるべきである。さらに、日ごろから地域の日本語教室と連 絡がある各国際交流協会をハブにして情報を共有することもありうる。その情報の活用の仕方は、 主に地域の日本語教室を紹介することになるだろう。 このような情報共有の一例として、また、学校の連携先として、地域の日本語・学習支援教室 の一つの事例を紹介する。それは、筆者が代表として、埼玉大学教育学部と埼玉県国際交流協会 の共催という形で運営している「多文化共生広場」である。 同広場での支援は学生ボランティアが主体となされ、それに日本語指導のベテランがアドバイ ザーとして関わっている。 (同広場への参加は、本学部の「学校フィールドスタディB」としても 履修できる。 )このような協働体制によって、同広場は外国人の子どもにとって単に日本語学習の 場としてではなく、学校の教科の学習の場ともなり、また居場所としての意味を持っている。ま た、ほとんどが教員志望である参加学生にとっては、多文化問題に理解をもつ教員として育って いく場にもなっている。 同広場に通ってくる子どもの保護者が同広場の存在を知るには、つぎのようにいくつかのルー トがある。1)最も多いのは、各学校またそこに派遣されている日本語指導員からの紹介という 場合である。 (実際に通うかどうかは、保護者の判断になる。)これは、各学校の日本語指導員に 対しては、同広場を後援しているS市教委が各学校に同広場のチラシを毎年配布し、その存在を 周知させてくれていることも与かっている。2)国際交流協会や他の日本語教室からの紹介とい う場合や、3)また、夏に開催される外国人の子どものための高校進学ガイダンスへの参加が契 機になる場合もある。 同広場の日本語指導アドバイザーは、それまでの経験を通じて各学校の日本語指導員、あるい は他の地域の日本語教室の指導員とも面識があり、各学校にいる子どもたちについての情報を積 極的に共有し合っている。 このようにして、同広場は、単に外国人の子どもへの日本語・学習支援の場としてだけではな く、支援をトータルにとらえることで、今後の地域における学校・教育委員会・日本語/学習支 援教室の連携についての一つのモデルを提供していると思われる。 ネットワークという視点からとらえるならば、散在型地域であるS市におけるニューカマーの 子どもへの支援ネットワークは、集住型地域とは違って必ずしも「地域に根ざす」教室ではない。 もともと、同地域におけるニューカマーの子どもは、集住型地域と異なり、同国人間の日常的な ネットワークを作りにくい。大宮という交通条件が良い立地から、片道 30 分ほど電車で遠方から 通ってくる子どもも多い。彼らは週に1回顔を会わせるのが普通である。そういう意味で、同広 場は、地域の「社会関係資本」 (言いかえると、結束型のネットワーク)というよりも、外国につ ながりのある子どもにとって「弱い紐帯」 (グラノヴェッター)のネットワークである。この「弱 い紐帯」のゆえに、顔を見せなくなる子どももいる。だが、同広場で同じ状況にある子どもたち 同士が同じ場で活動することは、彼らにとって支えになっていると思われる。 -127- S市におけるこのような特性によって、日本語教室間の関係も「ゆるやかな横のネットワーク」 的関係となる。また、すでに述べたように、国際交流協会は、それらの横のネットワークにとっ て、全体を俯瞰するハブとしての位置づけとなるだろう。図表 6-2 は、これらのネットワーク関 係を図示したものである。 図表 6-2 散在型地域におけるニューカマー支援ネットワーク 注 1) 外国人の子どもの不就学の実態ははっきりと把握されていない。(殿村 2008)は、そういう非把握あるいは不 就学児童生徒が全国で約 27000 人に上ると推定している。 2)S県では、平成 20 年度から新たに外国人住民と県や市町村などとの橋渡しをする「埼玉県多文化共生キーパー ソン」を 170 人に委嘱する事業を開始している。 ) 謝辞 この報告の執筆にあたって、「多文化共生広場」の発足から関わっている市民アドバイザーの方々、とりわけ 山尾三枝子氏から貴重な意見をいただいた。記して感謝申し上げます。 引用文献 石河久美子『異文化間ソーシャルワーク−多文化共生社会をめざす新しい社会福祉実践』川島書 店,2003 内海由美子・横沢由実「日本語指導が必要な外国人児童生徒散在地域における支援のあり方につ いて―「日本語学習支援ネットワーク会議 07 in YAMAGATA」の開催から見えてきたこと―」 『山 形大学留学生教育と研究』第1号.2008 殿村琴子「外国人子女の「不就学」問題について」『Life Design Report(第一生命)』2008/7-8 (2012 年 11 月 12 日提出) (2013 年 -128- 1 月 11 日受理) 埼玉大学紀要 教育学部, 62(1):129-145(2013) 教育・保健・福祉に関するネットワーク −S県における学校と外部機関との連携に関する調査研究−(第Ⅳ報) 中下富子 学校保健講座 坂西友秀 教育心理カウンセリング講座 キーワード:連携、ネットワーク、子ども 7.インタビュー調査から見える学内と外部関係機関との連携の実態と課題 中下富子 7-1 研究目的 近年、社会環境や生活環境の急激な変化は子どもたちの心身の健康に大きな影響を与え、いじ め、不登校などのメンタルへルスに関する問題、性の問題行動、薬物乱用などの健康課題が深刻 化している。さらに、事件・事故の多発に伴う子どものケア、発達障害のある子どもへの支援、 児童虐待などの心身の健康に関する問題が生じている。これらの複雑・多様化した現代的な健康 課題は、学校のみで解決することは困難であるため、社会全体での取り組みが必要であり、学校、 家庭、地域社会と連携していくことが重要である(文部科学省 2008) 。このような子どもたちの 心のケアについては、平成 21 年 4 月 1 日施行となった学校保健安全法に位置づけられている。 子どもの課題解決を図るために、留目は、校長がリーダーシップを発揮し学校内や地域社会に おける組織体制づくりを進め、教員集団の醸成や養護教諭の人材マネジメント、協働組織の創造 などの必要性を述べている(留目 2012)。また、亀崎らは、地域ネットワークづくりにかかわる 養護教諭の支援方法を明らかにしており(亀崎ら 2011)、校長や養護教諭のマネジメントによる 支援の推進が期待されている。さらに、子どもに最も身近な存在である担任などの校内関係者が、 問題を抱える子どもに対して、どのように外部関係者、関係機関と連携して支援しているのか明 らかにする必要があると考えた。そこで、本研究の目的は、解決が困難な問題を抱える子どもを 支援するための、校内関係者による外部関係者、関係機関との連携について実証的に明らかにす ることである。 7-2 研究方法 (1) 対象 S県内における人口上位6市の小学校 75 校、中学校 75 校を無作為に抽出し、調査への協力を 依頼し、同意の得られた小・中学校の校長、教諭、養護教諭とした。 (2) データ収集方法 半構成的面接法によるインタビュー調査を実施した。 (3) データ収集内容 ① 過去5年以内に支援した子どもの支援事例、 ② その子どもに支援するために連携した校内外関係者、 ③ 校内関係者との連携による支援内容、 -129- ④ 外部関係者との連携による支援内容、 ⑤ 支援事例の展開 インタビュー内容は対象者の了解を得て、IC レコーダーに録音した。 (4) データ収集期間 平成 23 年 1 月∼5 月(5 か月間) (5) 分析方法 対象者の語りから、支援事例に対する①校内関係者各々による支援内容、②外部関係者各々に よる支援内容を抽出し支援データとした。支援データの類似した意味内容のものを集めて分類し、 サブカテゴリを命名した。同様にサブカテゴリの類似したものを集めて分類し、カテゴリを命名 した。次に時系列にサブカテゴリを整理し、支援の局面として整理、分類を行った。 (6) 倫理的配慮 事前に校長に研究の趣旨、研究結果の公表、匿名性の保証等について文書で説明を行った。ま た本人及び校長の同意が得られた対象者に対し、調査当日、研究目的、調査協力の自由やプライ バシー保護等を記した文書を用いて口頭で説明し、同意書による同意を得た。 7-3 結果と考察 (1) 対象者と支援事例の概要 対象者の 7 名は、校長 3 名(小学校 1、中学校 2)、担任教諭1名(小学校1)、養護教諭 3 名(小 学校 1、中学校 2)であった(図表 7-1)。校内のみならず、校外関係者、関係機関との連携によ る支援事例は 19(A∼S)例であり、学校種では小学校 10 例、中学校9例であった(図表 7-1)。 支援事例の子どもや家族の問題は、虐待(8 例)、発達障害・知的障害(5 例)、不登校(4 例) 、 家庭の経済的問題(4 例)、外国人保護者(3 例) 、精神疾患(1 例)、保護者の病気(1 例)などで あった。 外部関係者との連携やネットワークによる支援が必要となる子どもの問題は虐待、発達障害・ 知的障害、不登校などが主にあげられた。また、不登校・虐待・家庭の経済的問題・家族の病気 などの問題が重複している特徴がみられた。 不登校において、事例 A では家族員が精神疾患をかかえており、子どもがネグレクト、不登校 となっている。事例 I では家族員の精神疾患や失業で、家事を子どもが押し付けられ不登校状態 となっている。事例 J においても家族員が精神疾患で、子どもの学校生活に支障をきたしている。 また、子どもの問題で最も多くあげられているのは、その疑いを含め虐待が 8 例(ネグレクト 6 例、身体的虐待 2 例)であった。事例 A・I は家族員の精神疾患や経済的問題、事例 M は保護者が 外国人、事例 K は家族員が病気で外国人であり経済的問題も生じていた。つまり支援事例から、 外部関係者との連携による支援が必要となる子どもの不登校・虐待などの問題は、家庭の経済的 問題・家族の病気など、家族員の健康状態や生活状況が大きな影響を及ぼしていると考えられる。 -130- 図表7−1 支援事例の概要 面接対象者 支援事例 対象者 職種 学校種 事例 1 養護教諭 小学校 A 不登校、ネグレクト、 保護者の病気 保護者が精神疾患をかかえており、発育の遅れがみられ、ネグレクトにより不 登校となっている子どもへの支援事例 B 乱暴、身体的虐待の疑い 身体的虐待が疑われ、他者に対して殴る、蹴るなどの乱暴をはたらく子どもへ の支援事例 C 家出、身体的虐待 身体的虐待が疑われ、家出をして警察に保護された子どもへの支援事例 D 発達障害、外国人保護者、 保護者の病気 保護者が精神疾患をかかえており、発達障害があり対応が難しい子どもへの支 援事例 E ネグレクト ネグレクトで栄養面、衛生面に問題が生じている子どもへの支援事例 F 発達障害、外国人保護者 外国人の保護者で、発達障害があり対応が難しい子どもへの支援事例 2 養護教諭 中学校 問題 支援課題 3 校長 中学校 G 家出、ネグレクト ネグレクトで、学校には登校しているが家出を繰り返している子どもへの支援 事例 4 養護教諭 中学校 H 精神疾患 精神疾患をかかえる卒業生への支援事例 I 不登校、ネグレクト、 家庭の経済的問題 保護者が失業、精神疾患をかかえ、家事を押し付けられ不登校となっている子 どもへの支援事例 J 保護者の病気 保護者が精神疾患をかかえており、学校生活に支障をきたしている子どもへの 支援事例 K ネグレクトの疑い、家庭の経 外国籍の保護者が病気になり、家庭、学校生活ともに支障をきたしている子ど 済的問題、保護者の病気 もへの支援事例 L いじめ、不登校 M ネグレクト、家庭の経済的問 保護者が外国人で、ネグレクトにより、不登校となった子どもへの支援事例 題、外国人保護者 N 外国人保護者 日本語が全く話せない状態で転校してきた子どもへの支援事例 O 不登校 不登校で、保護者が学校からの連絡を拒否している子どもへの支援事例 P 給食費未納 給食費の未納が長期間に及んでいる子どもへの支援事例 Q 障害 知的障害があり、特別支援学級への編入を検討している子どもへの支援事例 R 障害 障害があり、特別支援学級への編入を検討している子どもへの支援事例 S 障害の疑い 障害の疑いがあり、対応が難しい子どもへの支援事例 5 6 7 校長 校長 担任 計7名 小学校 中学校 小学校 友人とのトラブルがきっかけで不登校となった子どもへの支援事例 19事例 -131- (2) 支援にあたって連携した校内外の関係者、関係機関 各支援事例における関係者、関係機関を図表 7-2 に示した。校内の関係者では、担任、養護教 諭、校長、教頭、教務主任、全教職員、学年教員、スクールカウンセラー、相談員、特別支援コ ーディネーター、教育相談主任があげられた。19 事例からの校内関係者としては子どもに近い立 場にいる担任が 17 件と最も多く、次いで校長、養護教諭の 12 件となっている。事例 D・Q・R・S のように発達障害や知的障害の事例では特別支援コーディネーター4件、事例 A・B・D・J のよう に保護者が精神疾患をかかえている事例にはスクールカウンセラーとの連携が多くみられた。校 内組織としては企画委員会、教育相談委員会、生徒指導委員会があげられ、事例 A・I・J・O の 不登校や、事例 G の家出の事例では教育相談委員会と連携した支援が行われていた。 図表 7-2 連携した校内関係者、関係組織及び外部関係者、関係機関 校 内 校 外 関係者 担 養 校 教 教 学 全 ス 任 護 長 頭 務 年 職 ク 主 教 員 | 教 ル 任 員 諭 カ ウ ン セ ラ | 事 例 A ● ◎ B ● ◎ C ● D ● ● ◎ ● ● ◎ ● E ● ◎ ● F ● ◎ ● G ● ◎ ● ● ● ● 相 特 教 談 別 育 員 支 相 援 談 コ 主 | 任 デ ィ ネ | タ | 関係組織 企 教 生 ソ 画 育 徒 | 委 相 指 シ 員 談 導 ャ 会 委 委 ル ワ 員 員 | 会 会 カ | 関係者 近 所 の 人 教 市 保 児 福 保 保 育 役 育 童 祉 健 健 委 所 所 相 事 セ 所 談 務 ン 員 所 所 タ 会 | ● ● 支 援 教 育 臨 床 究 ● ● ● 家 警 医 精 小 国 庭 察 院 神 児 際 児 署 科 医 交 童 医 療 流 支 院 セ 会 援 ン セ タ ン | タ | ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● I ● ◎ J ● ◎ K ● ◎ L ● ◎ M ● ◎ N ● ◎ O ● ◎ P ● Q ◎ ● ● ● R S ◎ ● ● ● ◎ ● 件数 別 研 ◎ H 特 ン タ ● ● 教 育 相 談 室 ・ 所 セ ● ● 巡 他 臨 精 日 回 校 床 神 本 指 心 保 語 導 理 健 指 士 相 導 談 者 員 | ● ● 関係機関 自 他 民 児 特 通 治 家 生 童 別 級 会 族 委 委 支 指 員 員 援 導 役 学 教 員 校 室 教 員 ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ◎ 17 12 12 ● ● ● ● ● ● 1 1 3 4 2 4 ● 1 1 5 2 2 2 1 1 8 3 4 1 2 2 1 1 1 3 ● ● ● ● ● 4 ● ● ● 6 ● 6 1 6 1 1 3 2 1 1 1 ◎はインタビュー対象者、 ●は連携した関係者、関係組織、関係機関 また、外部関係者では、近所の人、民生委員、児童委員、自治会役員、ソーシャルワーカー、 臨床心理士、精神保健相談員、日本語指導教師、他家族があげられている。連携した校外の関係 機関としては教育相談室・所、教育委員会、特別支援学校、他小学校、他中学校、通級指導教室、 巡回指導、特別支援教育臨床研究センターなどの教育機関、児童相談所、児童福祉事務所、家庭 児童支援センター、保育所などの福祉機関、市役所、警察署などの行政機関、保健センターや保 健所などの保健機関、医院、精神科医院、小児医療センターなどの医療機関、その他として国際 交流協会があげられ、教育機関、福祉機関、行政機関、保健機関、医療機関と多岐にわたってい る。 -132- 2 1 1 図表 7-3-1 支援の局面 A 問題の 認識と明確化 連携カテゴリ一覧(1) カテゴリ サブカテゴリ 件数 子どもや家族の問題に気付く 子どもの問題に気付く。 子どもの問題の背景にある家族員の問題に気付く。 家族の問題に気付く。 3 子どもや家族の状況、思いを把握する 子どもの状況を把握する。 子どもの学校生活の状況を把握する。 子どもの家庭生活の状況を把握する。 子どもの受診状況を把握する。 家族員の子どもへの接し方を把握する。 家族員の子どもに対する思いを把握する。 家族の子どもの就学についての考えを把握する。 家族の状況を把握する。 疾患のある家族員の状況を把握する。 9 子どもや家族に支援するための連携の 必要性を認識する 子どもの問題への支援方針について校内関係者で検討する。 必要性を認識する子どもの問題について関係機関との行動連携の必要性を 認識する。 家族の問題について行政機関による組織的な対応の必要性を認識する。 3 担任が家庭と連絡をとり、校内関係者で情報を共有する。 担任や学年教員が家族と連絡をとり、校内関係者で情報を共有する。 担任と校内関係者で子どもや家族の情報 担任と養護教諭で子どもの情報を共有する。 を共有する 担任と養護教諭で家族の情報を共有する。 担任と養護教諭で受診状況を共有する。 5 特別支援学級担任と養護教諭で子どもの情報を共有する。 特別支援コーディネーターと校内関係者で子どもの情報を共有する。 校内関係者同士で子どもや家族の情報を 教育相談主任と養護教諭で日常的に子どもと家族員の情報を共有する。 共有する 相談員と養護教諭で日常的に子どもの情報を共有する。 相談員と校内関係者で子どもの問題を共有する。 スクールカウンセラーと養護教諭で子どもの情報を共有する。 6 管理職が子どもと連絡をとり、校内関係者で情報を共有する。 校内委員会と校内関係者で子どもの思いを共有する。 管理職と校内委員会で子どもの情報を共有する。 3 全教職員での担任の指導方法を共有する。全教職員で支援する。 全教職員で担任の指導方法による子どもの変容を共有する。 3 教職員で子どもへの理解を深める機会を 持つ 校内教職員を対象に研修会を開催し、子どもへの理解を深める。 臨床心理士を講師に子どもへの支援方法について研修会を実施する。 2 校外関係機関、関係者と情報を共有する 保健機関と情報を共有する。 福祉機関と情報を共有する。 行政機関と情報を共有する。 教育機関と情報を共有する。 他校特別支援学級教員と情報を共有する。 福祉機関、行政機関と情報を共有する。 管理職と福祉機関とで情報を共有する。 地域関係者から子どもと家族の情報を共有する。 近隣小・中学校と情報交換する。 子どもを支援している他家族と情報を共有する。 10 関係機関、関係者から情報を収集する 保健機関から家族員の情報を収集する。 福祉機関から家族の情報を収集する。 管理職が行政機関、地域関係者から家族の情報を収集する。 管理職が他家族から情報を収集する。 転校後の子どもと家族について情報交換をする。 5 校内組織体制のもとに子どもや家族の情 報を共有する B 校内外ネット 全教職員で情報を共有し、支援する ワークによる情報 共有 -133- 15 (12.7%) 34 (28.8%) 図表 7-3-2 支援の局面 カテゴリ 担任と校内関係者で子どもや家族を支援 する C校内外ネットワー クによる支援の実 施 件数 サブカテゴリ 担任との協働により、保健室で子どもを支援する。 担任、養護教諭、相談員で家族員の情報を共有し、支援方針を話し合う。 担任、特別支援コーディネーター、養護教諭で支援方針を話し合う。 3 校内関係者で同一方針のもとに家族員を支援する。 学年教員の支援体制のもとに支援する。 校内関係者同士で子どもや家族を支援す 校内関係者で疾患のある家族員を支援する。 る 校内関係者で家族を支援する。 特別支援学級の支援体制のもとに支援する。 12 校内委員会で支援方法について話し合う。 校内組織体制のもとに子どもや家族を支援 校内委員会で支援方針を共有する。 校内委員会で支援方針に基づいた具体策を考える。 する 校内委員会で家族員への支援方針を話し合う。 5 管理職、担任で継続的に支援方針を話し合う。 管理職のマネジメントのもとに子どもや家族 家族員からの連絡によって、管理職、担任で子どもと家族の情報を共有し、支 援方針を話し合う。 を支援する 管理職、学年教員で支援方針を話し合う。 8 管理職が関係機関に専門教員の紹介を促す。 管理職のマネジメントのもとに関係機関に 管理職が子どもの問題について福祉機関に協働を促す。 管理職のマネジメントのもとに福祉機関に協働を促す。 協働を促す 管理職が教育機関に協働を促す。管理職が保健機関に協働 7 福祉機関と支援方針を話し合う。関係機関と支援方針を話し合う。 関係機関、関係者との協働のもとに支援す 他校特別支援学校教員と情報を共有し、 支援体制を整備する。 管理職が関係機関との協働をマネジメントする。 る 管理職、福祉機関、行政機関とで子どもの問題について分析する。 9 管理職が関係機関からの情報を校内関係者にフィードバックする。 校内外の関係者同士で子どもへの支援内 管理職に校内委員会での協議内容をフィードバックする。 特別支援学校教員による助言を全教員にフィードバックする。 容について共有する 行政機関関係者による情報や助言を校内関係者にフィードバックする。 4 関係機関、関係者が支援する 教育機関関係者が子どもの状況を把握する。 福祉機関関係者が子どもと面談する。 行政機関関係者が継続的に子どもの状況を把握する。 福祉機関関係者が子どもの問題を発見し、支援する。 支援を評価する 担任による子どもへの支援を評価する。 特別支援学級での子どもへの支援を評価する。 校内の支援体制による家族員への支援を評価する。 学校内外の支援体制による子どもへの支援を評価する。 9 支援の成果を確認する 子どもは地域機関で定期的に語学を勉強する機会を得ている。 学校が子どもと家族とのつながりを形成する。 2 D支援の評価 4 連携カテゴリ一覧(2) 10 118 20 (3) 校内外の関係者による支援内容 対象者が支援した 19 支援事例から、校内外の関係者による支援内容を分析した結果、183 件の 連携データが抽出され、118 項目のサブカテゴリ、20 項目のカテゴリに分類できた。さらに4つ -134- 58 (49.2%) 11 (9.3%) の支援の局面に整理された。4つの支援の局面は、 【A問題の把握と明確化】、 【B校内外ネットワ ークによる情報共有】、 【C校内外ネットワークによる支援の実施】、 【D支援の評価】であった(図 表 7-3)。以下に、それぞれを構成する局面ごとに述べる。なお、支援の局面を【 を< >、サブカテゴリを[ 】、カテゴリ ]で示した。 まず、支援の局面【A問題の把握と明確化】は<子どもの問題に気づく>や<子どもの問題の 背景にある家族員の問題に気づく>、<家族の問題に気づく>ことであり、そのために<子ども や家族の状況や思いを把握する>ことにより、<子どもや家族に支援するための連携の必要性を 認識する>ことであった(図表 7-3-1)。その内容は、不登校や家出の子どもの家庭生活の様子、 いじめ、発達障害や暴力行為が頻繁にある子どもの学校生活の様子、虐待が疑われる子どもの健 康状態などを把握し、[子どもの問題について関係機関との連携の必要性を認識する]。また病気 や外国人、給食費未納などの保護者の状況や、それに伴う家庭の経済状態を把握し、 [家族の問 題について行政機関による組織的な対応の必要性を認識する]ことであった。【A問題の把握と明 確化】は、子どもの問題に気づくとともに、その背景にある家族員や家族の問題に気づき、問題 解決に向けて支援するための連携の必要性を認識することであった。少年の問題行動等に関する 調査研究協力者会議報告書では、学校内ですべての問題を解決しようとする抱え込み意識を捨て、 周囲の人々や関係者と協同し事に当たる姿勢に転換するよう提言しており(文部科学省 2001)、 連携の重要性を認識することが必須となると考える。 次に局面【B校内外のネットワークによる情報共有】では、子どもの状況について[担任が家庭 と連絡をとる]ことにより、<担任と校内関係者で子どもや家族の情報を共有する>。<校内組織 体制のもとに子どもや家族の情報を共有する>といった特別支援コーディネーターや教育相談主 任、スウールカウンセラー、養護教諭などの校内関係者同士によって子どもと家族の情報を共有 する。また、管理職と企画委員会や教育相談委員会、生徒指導委員会などの校内支援体制のネッ トワークにより情報を共有することであった。さらに保健機関、福祉機関、行政機関、教育機関 などからの<校外関係機関、関係者と情報を共有する>ことであり、事例 L のように不登校で保 護者と連絡がとれないことから、近所の人々や、民生委員、児童委員、自治会役員などに[管理職 が行政関係者、地域関係者から家族の情報を収集する]。事例 M ではネグレクトで、外国人の母親 について[福祉機関と家族の情報を共有する]ことであった。また、事例 F では、発達障害の子ど もへの対応のために、[全教職員を対象に研修会を開催し、子どもへの理解を深める]ことであっ た。つまり、 【B校内外のネットワークによる情報共有】は、子どもの問題に支援するために校内 外関係者、関係機関との連携やネットワークによって、子どもや家族の情報を収集し共有する特 徴がみられた。このように子どもや家族について、学校以外の多職種の関係者による情報共有は、 相互に支援に対する意欲を高め、支援への糸口を見出し、具体的な支援方法を検討する上で重要 となると考える。 局面【C校内外のネットワークによる支援の実施】は連携カテゴリ 118 件中、58 件と最も多い。 <担任と校内関係者で子どもや家族を支援する>、<校内関係者同士で子どもや家族を支援する >、<校内組織体制のもとに子どもや家族を支援する>などであった。事例 C では家出により警 察に補導され[行政機関と子どもの情報を共有する]、事例 K のように母親が死亡により、児童相 -135- 談所に引き取られ[福祉機関との協働のもとに支援する]。事例 E では、虐待への通告を[管理職の マネジメントのもとに福祉機関に協働を促す]、さらに虐待における警察への通報について市役所 のアドバイスから[行政機関からの情報や助言を校内関係者にフィードバックする]ことであった。 事例 H では保健室に訪れる卒業生に養護教諭は精神疾患があることに気づき、保健所に<保健機 関に協働を促す>ことで早期に対応を可能とした。 さらに直接的に<関係機関、関係者が子どもや家族を支援する>ことも含まれた。事例 A では、 教育事務所に所属しているソーシャルワーカーが民生委員に働きかけるといった[教育機関から 行政機関に家族への支援のための協働を促す]ことで家族の生活保護が認められ、精神疾患のある 母親に対して[臨床心理士が家族員と定期的に面談する]。事例 J では保健センターの保健師がマ ネジメントして養護教諭や精神保健相談員、保健所職員など[関係機関で家族員への支援について 情報を共有し話し合う]ことであった。つまり、校内外関係者、関係機関との連携やネットワーク によって子どもや家族に支援を実施する特徴がみられた。校内外関係者、関係機関との連携やネ ットワークによる支援が養育上の困難をかかえる母親自身のエンパワーメント(empowerment)を 高めるとともに、家族の子どもへのケア能力の向上を図るためにも必要であると考える(中下 2008)、(西田 2010)。 局面【D支援の評価】は[校内外の支援体制による子どもへの支援を評価する]、[保健機関、医 療機関、教育機関、福祉機関との協働による子どもと家族への支援を評価する]などといった校内 外関係者によって<支援を評価する>。事例 H で、精神疾患のある卒業生に[保健機関との協働に よる支援を評価する]。事例 G では虐待により家出をした子どもを保護できる家族員とをつなぎ、 [学校が子どもと家族とのつながりを形成する] など支援の成果を確認することであった。濱田は、 親が子どもの障害を通して、子どもと向き合っていくなかで、家族のなかの子どもと社会をつな ぐようになると述べているように、学校が子どもと家族とのつながりを形成できるように支援し ていくことが重要となると考える(濱田 2009)。支援事例では、外部機関との連携により、事例 N では日本語教室に通学するなどのように短期的な目標には到達しているが、その後の生活におい ても継続的に支援が必要となる。また、事例 G・I の虐待や、事例 J、事例 D・F・Q・R・S の障害 のある子どもへの支援は成長発達に伴った中長期的な継続した支援が必要である。本研究におい て、子どもへの外部機関である保健機関、福祉機関、行政機関、教育機関やその関係者との連携・ ネットワークによる情報共有と支援の方法が確認された。そのマネジメントとして担任や管理職 などの校内関係者、校内組織体制のもとに、校内の分掌や、特別支援コーディネーター、養護教 諭、スクールカウンセラーなど専門性を生かした連携・ネットワークが円滑に推進される必要が ある。事例 H の精神疾患への支援において、感染症対策で保健所との対応により、保健所の機能 を理解することで、保健所との連携による事例Hへの支援がスムースに進んでいった。清水は、 子どもの精神保健は医療、保健、福祉、教育などが重ねり合う上に初めて成立するものであり、 関与しうるすべての職種の連携が求められると述べている(清水 2010)。すなわち、日常的に関 係者、関係機関相互の機能を理解し、つながり合うことが連携・ネットワークによる子どもへの より適切な支援となると考える。また、関係者、関係機関が円滑に連携を推進するためには、互 いに意思疎通を図り、自らの役割を果たしつつ、ネットワークとして一体的に対応を行う行動連 -136- 携が必要であり(文部科学省 2001) 、専門職としてのコンピテンス(competence)を明確にし、 共有する必要がある(武見ら 2008) 。 7-4 結語 学校において問題を抱える子どもを支援するための、校内及び外部関係者との連携について、 S県内小・中学校において同意の得られた校長、教諭、養護教諭を対象に半構造的面接法による インタビュー調査を実施し、質的帰納的に分析を行った結果、次の知見が得られた。 校内及び外部関係者との連携による支援が必要となる子どもの問題は被虐待、発達障害・知的 障害、不登校などであり、不登校・被虐待・家庭の経済的問題のように問題が重複する特徴がみ られた。 また、このような子どもへの校内及び外部関係者、関係機関による支援は、 【問題の把握と明確 化】、【校内外ネットワークによる情報共有】、 【校内外ネットワークによる支援の実施】、【支援の 評価】の4つの局面に整理された。すなわち、校内関係者は、子どもの問題を把握、明確化し、 連携やネットワークによって情報を共有、支援するとともに、教育・福祉・行政・保健・医療機 関などの外部関係者との連携やネットワークによって情報を共有し、支援、評価する特徴がみら れた。 引用文献 文部科学省:中央教育審議会答申「子どもの心身の健康を守り、安全・安心を確保するための学 校全体としての取組を進めるための方策について」2008 学校保健安全法,2009 留目宏美「学校保健を重視した学校経営に対する認識―公立高等学校校長ヘのインタビュー」 『学 校保健研究』53,2012 亀崎路子、宮崎美砂子「子どもの健康課題の解決に向けた地域ネットワークづくりに関わる熟練 養護教諭の実践方法の特徴」『千葉大学看護学部学会誌』17(1),2011 文部科学省『少年の問題行動等に関する調査研究協力者会議報告書』2001 中下富子、佐藤由美、大野絢子他「養護教諭が行った支援行為とその意図」 『思春期学』26(2),2008 西田みゆき「養育上の困難を抱える母親の empowerment の概念分析」『日本看護科学学会誌』 30(2),2010 濱田裕子「障害のある子どもと社会をつなぐ家族のプロセス」 『日本看護科学学会誌』29(4),2009 清水将之『子どもの精神医学ハンドブック』[第2版],日本評論社,2010 武見ゆかり「第 54 回日本学校保健学会記録シンポジウムⅡ,ヘルシースクールにおけるネットワ ークづくり」 『学校保健研究』49,2008 -137- 8 学校と地域の連携の課題と可能性 坂西友秀 8-1 学校内で解決できない子どもの問題 今、学校内だけで子どもの問題を解決することはますます困難になってきている。家庭の経済 格差は拡大し、子どもの教育にも影響を及ぼしている。背景には、若者の就職難や期限付き採用 の拡大、雇用の不安定化も一つの深刻な要因として存在する(子どもの貧困白書編集委員会編 2009)。学校教育は、福祉との関わりを抜きに考えることは難しい。幼児・児童の虐待、不登校な ど、子どもを巡る問題は、家庭の経済的・福祉的問題と深く関わる場合が多い。その一方で、再 び「いじめ」による残酷な加害行為が頻発している。常軌を逸した「いじめ」が生徒を自殺に追 い詰め、社会を揺るがす事態になっている(坂西 2011)。加害生徒は告訴され(フジテレビ系(FNN) 2012/7/17)、刑事事件にまで発展する様相を呈している(読売新聞 2012/7/11)。 家庭・地域の問題が複雑に絡む児童・生徒の問題に学校が関与するには、大きな限界がある。 「教師は生徒の家庭にはなかなか踏み込めない。個人情報の管理が厳しく、生徒の親の年齢も職 種も知らない。…こうした状況を打開するために文部科学省は…スクールソーシャルワーカーの 活用を促した」(朝日新聞 2011/1/8)。教育の枠を超えて、医療、福祉、労働(就労)、犯罪(警 察)、法律など、子どもの生活の社会的広がりを視野に入れた、各種の機関・行政・施設の相互 の連絡・協力を作り出す試みが行われている。各種組織・機関の関わりを調整し、子どもの問題 を解決する道筋を探す、これがスクールソーシャルワーカーの役割である。 ここでは、学校は、子どもの問題にどのように対処できると考えているのかを、調査結果を基 に明らかにし、さらに学校と諸組織・機関との連携の必要性と実現可能性について検討する。図 表 1-5(第Ⅰ報)は、「学校内だけでは解決できない」と教師が感じる子どもの問題を、小学校と 中学校について集計したものである。小学校では、「保護者対応」、「被虐待」、「特別支援教 育」、「非行・いじめなどの問題行動」、「家庭の経済的問題」が、それぞれ 50 事例以上ずつ上 げられている。中学校では、「非行・いじめなどの問題行動」、「保護者対応」、「特別支援教 育」、「被虐待」が、75 事例から 43 事例あげられている。小学校の事例が多いのは、中学校よ り小学校で調査票の送付数が多く、かつ回答率が高かったことを反映している。いずれにせよ、 小学校、中学校とも教師が学校内で処理・対応できないと感じる出来事が日常的に生じている。 現在、学校は、諸機関への相談とそこからの対応・協力が必要であることを強く認識しているこ とを示す結果である。 8-2 校種別・職種別各種機関との連携 小学校と中学校では、相談する機関に違いはあるのか。その頻度や連携数に差異はあるのか。 調査に対する回答者が誰であったのか(「校長」・「教諭」・「養護教諭」)。これらの点を、 学校別、回答者の違い(校長・教諭・養護教諭)を考慮して、回答件数(報告事例数)で図示し た(図表 8-1,図表 8-2)。図表 8-1 は、小学校と中学校別に連携した機関をその事例件数で整理 -138- したものである。全回答数が、中学校に比べ小学校で多いことが、小学校の事例数の多さに反映 している。 小学校と中学校が連携した機関数の全体的な分布は、ほぼ同じ傾向を示している。小学校・中 学校とも共通して 1 から 2 機関への相談・連携がもっとも多く、次いで 3 から 5 の機関への相談・ 連携となっている。第 3 位は、「どこにも相談・連携を求めていない」になっている。少数だが 10 から 16 もの機関に連携を求めるケースも見られる。今回の調査で報告された事例は、いずれ も簡単には解決しない事例だと考えられる。深刻な事例は小学校・中学校ともに外部機関に連携 を「求める」ケースが「求めない」ケースを上回り、連携の必要性が強く認識されていることを 示す。 250 195 192 200 10∼16機関 150 6∼ 9機関 106 104 3∼ 5機関 100 61 1∼ 2機関 50 7 31 12 2 0 10 小学校 0機関 中学校 校種 図表 8-1 学校種別連携機関数と職種別連携機関数 この結果から、子どもに問題が発生したとき、小中学校は、何らかの形で各種機関に応援を求 め連携を模索していることが明らかになった。図表 8-1 は、S県内の小中学校全体の連携事例の 比率ではない点で、一般化はできない。その限界を踏まえつつ、すでに小学校段階で、3 から 5 以上の機関と連携を求めている実態があることに注目したい。 次に、職の違いと各種機関への連携要請の関係を見てみよう。調査への回答者では、連携機 関数が多い事例では校長先生、連携数の少ない事例では教諭・養護の先生が多くなっている(図 表 8-2)。 例えば、「3∼5 機関」以上の連携機関の多い事例の件数では、校長・教諭・養護教諭それぞれ の報告時例数は 136 件,50 件,54 件で、校長が報告した事例がもっとも多い。一方、校種別・職 種別に回答者数を整理すると、小学校では校長 42 人、教諭 79 人、養護教諭 31 人に、中学校では 三者がほぼ同数でそれぞれ 35 人, 33 人, 33 人になっている。小中学校を合計すると回答者数は、 校長 77 人、教諭 112 人、養護教諭 64 人である。この回答者数からすれば、3∼5 以上の機関と学 校が関わる連携数の多い事例を上げる件数は、教諭が最も多く、校長、養護教諭の順になるのが -139- 自然である。しかるに、校長の報告する事例数が、教諭・養護教諭の報告件数の 2 倍以上になっ ている。これにより、連携機関数の多い事例は、校長からの報告が多くなると判断できる。 対して 1∼2 以下の連携機関数では、教諭と養護教諭からの報告事例が多くなっていることがわ かる(図表 8-2)。この結果から考察できることは、学校外の機関との連携・協力・調整には、一 般教員の裁量では難しい事柄が多く、管理職としての権限や決定権をもつ校長が関与しなければ ならない、ということである。子どもの問題に対して学校組織としてどのように対応するのか、 教員集団として普段に検討することが必要である。 140 130 116 120 114 96 100 10∼16機関 80 60 46 55 40 20 5 15 校長 3∼ 5機関 21 15 3 4 1 3 0 6∼ 9機関 47 教諭 1∼ 2機関 0機関 養護教諭 回答者職種 図表 8-2 校種別・職種別回答者数 8-3 問題別に見た連携の必要度の高い諸機関 連携の必要性は子どもの問題とどのように関わるのか、学校はどのような機関に協力を求める のか、このような問いを基軸に学校と各種機関の連携の実態を図表 8-3 に整理した。黄色と水色 に色分けした部分が、10%以上の回答者が連携を求めた機関である。黄色は小学校を、水色は中 学校を表す。問題により支援を求める機関に違いがあるが、共通点もある。10 種類の「子どもの 問題」を小学校・中学校に分けると、合計 20 の問題項目になる。例えば、虐待・小学校、虐待・ 中学校、不登校・小学校、不登校・中学校、等は、それぞれ独立した問題項目になる。ここでは、 50%以上の問題項目(全 20 項目中 10 項目以上)が関与している(連携している)機関を抽出し (図表 8-3 で一つの列で黄色か水色のいずれかに着色したセルが合計 10 個以上ある機関)、共通 性の高い連携機関とした。「教育相談室」を例にとろう。この機関の列を見ると、「不登校」か ら「その他」まで小学校・中学校すべての問題項目(20 項目)が黄色か青色に色づけされている。 同様に、「病院・クリニック」の列を見ると、黄色または青色のセルは全部で 14 個ある。よって、 これらの機関は、いずれも全問題項目 20 個のうち 10 個以上(50%以上)と強い連携がある、と 判断するのである。 -140- 「教育相談」「教育委員会」「教育支援センター」「児童相談所」「子育て支援課」「病院・ クリニック」「警察」「スクールカウンセラー」「民生委員・児童委員・主任児童委員」は、ど のような問題でも連携の必要度が高い。これらの機関は、学校から児童・生徒の問題に深く関わ るものと認識され、支援機関としての役割を期待されている。連携を円滑に進めるためには、各 機関間の情報の共有や相互の連絡・協力体制を新たに作り出すことが早急に求められる。 図表8-3 子どもの問題内容と各種連携機関(回答者の10%以上があげた連携先) 民生 保 委員・ 護 児童 委員・ 士 スクー ス 教育 特 児 家庭 家庭 子育 病院・ 医療 福 障害 保健 福祉 教育 教育 ルカ クー 警 支援 別 童 児童 子どもの問 裁判 て支 クリ セン 祉 福祉 セン 事務 相談 委員 ウンセ ル 察 セン 支 相 相談 題 所 援課 ニック ター 課 課 ター 所 室 会 ラー ソー ター 援 談 室・ 不登校 小学校(124) 62 33 27 21 13 19 26 中学校(119) 49 35 34 27 15 19 40 被虐待 小学校(85) 14 27 64 13 8 9 中学校(42) 11 20 36 6 8 7 7 11 特支援 小学校78) 31 30 35 20 14 22 8 20 中学校(46) 19 19 21 7 6 12 17 非行 小学校52) 17 29 10 7 20 7 9 9 9 13 中学校(75) 13 26 20 53 15 15 学力 小学校(45) 16 18 7 7 12 8 6 10 6 10 中学校(24) 10 11 8 5 8 7 経済 小学校(57) 9 18 8 23 10 6 8 14 8 中学校(40) 9 13 13 5 4 7 7 外国人親意 思疎通 小学校(26) 3 11 3 6 中学校(16) 保護者対応 小学校(85) 中学校(56) 病気 小学校(24) 中学校(19) その他 小学校(21) 中学校(24) 2 8 27 19 40 22 8 7 9 5 7 7 7 6 2 5 9 10 2 3 2 5 9 7 2 9 5 2 地 保育 小 中 域 所・ 学 学 日 幼稚 校 校 本 園 23 26 32 18 13 18 3 10 8 11 5 27 17 5 5 2 13 10 23 13 13 国 際 交 流 3 5 15 8 10 3 9 2 3 6 12 3 3 16 13 11 13 23 9 5 6 3 3 12 8 4 4 1 4 10 2 2 4 次に、小学校と中学校の連携の違いと共通性を見てみよう。小学生の「不登校」「特別支援」 「非行」「学力」「経済」「保護者対応」「病気」「その他」の問題では、「病院クリニック」 との連携が求められている。在籍する子どもの特徴も発達障害、ADHD 、LD 、適応障害、等多 様化する一方で、対応も一様には行かない。教育的対応にとどまらず、医学的な診断・処方の必 要性も増し、一教員の判断・対応を超えているものも少なくない。不登校や虐待も社会・経済的 な側面からの対処は必要であるが、子どもの栄養状態や心身の受傷に深刻な事例もある。生命に 関わる場合など警察や専門的な医療機関に援助を求めざるを得ない事例も増えていると推測され る。医療機関との連携は、中学校でも小学校と類似の傾向を示している。民生委員との連携が校 種を問わす多いことは、見落としやすい特徴である。民生委員の重要性が示されたことは、児童・ -141- 生徒の問題は、彼らが居住する地域社会と密接に関わることを表す。 小学校では、「学力」の問題で連携機関数が 12 と多くなっている。「学力」問題が、単に子ど もの学習や理解の問題を超え、各種の問題が絡み合っていることを示唆している。小学校と中学 校に共通して大きな特徴をもつ「子どもの問題」は、「病気」である。連携する機関数が多く、 それぞれ 14 機関と 10 機関に連携を求めている。 小学生の「被虐待」「非行」、中学生の「不登校」「被虐待」「非行」「学力」「経済」等で は、「警察」との連携を学校は望むことが特筆すべき点である。小学生といえども家庭の深刻な 事情などが関与し、例えば「家出」などの場合、捜索は学校の守備範囲を超える。児童・生徒の 受ける虐待も暴行・傷害として犯罪行為にあたる場合、学校の対応能力には限界がある。こうし た事案では、学校は「警察」に頼らざるを得ない、こうした事情が垣間見える結果だ。「警察」 との連携は、とりわけ中学校に特徴的な点といえよう。連携機関数 8 で全連携の 50%未満である が、中学校入学後に非行や触法行為が著しく増加すると従来から指摘されている傾向を裏づける ものである。 子どもは、親に依存し、親・家庭の生活は、社会的・経済的状態に大きく左右される。連携を 必要とする事例が教育現場で多くなりつつあるとすれば、子どもの生活基盤である家庭や地域の 崩壊が今までに無く深く進行していることを警告しているといえよう。 8-4 連携の課題と可能性 連携機関の数が 10 以上に及ぶ事例を整理したものが図表 8-4 だ。9 事例中 7 事例は、明確に親 の問題が絡んでいる。親子共に病気や障害を抱え、精神的・身体的な苦労が大きいと推察できる。 加えて、経済的な逼迫、生活上の困窮や社会的孤立など諸問題が輻輳し、家族を全面的に支えな ければ事態は改善しないケースが多い。 明らかなことは、S県内の多くの学校が、各種の機関と連携しなければ解決できない「子ども の問題」を抱えていることだ。しかし、学校と社会機関相互の連携を促進するには、いくつか課 題がある。①教育委員会、病院、児童自立支援施設、警察、児童相談所、等、管轄・所管が異る 機関の間の連絡・調整、②個々の教員の判断ではなく、学校ないしは教育委員会による組織的・ 行政的体制の整備、③民生委員・自治会など地域住民の協力を得るための経路の確立、④親や家 族を含めた子どもに対する対処・対応・ケアに関する情報の集約と総合的検討及び方針を実施す る主体(個人ないし組織)の確立、⑤多機関にまたがる一連の活動を支える財政基盤の確立、等々。 現状は。個々の教師の人的な繋がりや努力により、臨機応変に学校外の機関と連携が図られ、対 応している学校がほとんどであろう。多くの機関との連携を要する子どもには不登校のケースも 少なくない。連携を担う専門的な組織・集団の設置がなければ、個々の学校に任せていたのでは 実効のある異種の社会機関の相互協力関係を築くことは難しい。 私たちの生活そのものが、社会的基盤を失い、地域社会の人間関係も失われるとき、親はもち ろん子どもの生活も本質的には完全に個別化してしまう。生活のすべてが「一人ひとり」に任さ れ、子どもの存在基盤そのものが脅かされる。地域社会の連携と人間関係のあるコミュニティの 存在を前提に成り立ってきた学校教育は、子どもが抱える「生活全体」の問題に対処できないこ -142- とは明らかだ。個々ばらばらになりつつある地域社会と住民・親・子どもを、さらに集団・組織・ 機関を有機的に結びつけ、解決の道を探るスクールソーシャルワーカーの仲介・橋渡し無しには、 学校教育は維持できない時代ではないかと思う。 図表8-4 連携機関数の多い(5機関から16機関)事例の問題内容 事 例 問題 3,4,5 1 ,6,7, 9 1,2,3 2 ,4,5, 6,7,8 1,3,4 3 ,6 4 1 1,2,5 5 ,6,7, 6 1,2,4 連携先 1,2,3,5,7,8,9, 11,12, 15,16,21,22,23,24, 29 1,2,3,5,6,7,9,11,2 1, 24,29,30 1,2,3,6,9,10,17,21 , 24,28,29 1,6,7,8,10,11,12,2 1, 22,24,29 1,2,3,6,7,9,11,12, 15,21,22 1,2,3,6,8,16,17,21 , 24,25 連携先数 関わった問題の内容 16 発達障害あり。両親ともうつ病。離婚。経済の困窮。生活保護への 手続き。発達障害児と健常児とのかかわり。行方不明数回あり。 12 解決できない問題をもつ児童が、最近特に多いようです。その都 度、対応してもらう組織等にお願いしています。 11 11 11 10 全て保護者の今後の対応について、相談し、共有していった。 不登校、保護者自身も不登校であったたけ、危機感がない。オート ロックのマンション在住のため、近所の人も関わりに限界がある。 体が異常に小さい。家の中が乱雑。母子家庭。母がうつ病と腰の病 気など。 親が食事を作らない。家の中の掃除をしない。(親がうつ的症 状。)子どもの非行に親があまり問題意識をもたない。(親も経験 してきている) 学級の中には、自閉傾向や自己中心的傾向等児童がおり、問題が複 合する。 顔や体に青あざ、階段から落ちたと本人は言う。くり返されてい た。本人の家出、警察に保護される。 親の問題が子供に影響し、子供が不登校になっている。親の生いた ちの問題、行動、考えが、子供に影響を与えている。 1,2,3,5,8,10,21, 10 22,24,29 1,2,3,6,11,12,16,2 8 2,6,7 10 1, 22,24 1,2,3,6,8,16,17,21 9 1,2,4 10 , 24,25 子どもの問題 ①不登校 ②被虐待 ③特別支援教育が必要 ④非行・いじめなどの問題行動 ⑤学力の問題 ⑥保護者対応 ⑦家庭の経済的問題 ⑧外国人の親とのコミュニケーション ⑨保護者の病気 による子どもの学校生活への支障 ⑩その他 7 3,4,6 ,7 連携機関 1 教育相談室 2 教育委員会 3 教育支援センター(適応指導・通級教室) 4 県教育センター 5 特別支援 学校 6 児童相談所(一時保護所を含む) 7 家庭児童相談室・支援課(子ども・障害) 8 子育て支援課 9病 院・ク リニック 10医療センター 11 福祉課 12 障害福祉課 13保健所 14 保健センター 15 福祉事務所 16 警察 8-5 まとめにかえて 子どもの問題に関する各種機関の連携については、フィンランドの学校事情と各種の機関連携 が有益な示唆を与えてくれる。ヘルシンキ市内から車で高速道路を利用して約 1 時間の郊外にあ る就学前学校・小学校・中学校を訪問した。日本とフィンランドの学校の現状を比較することは できるが、いずれが優れているか判断することは困難だ。学校制度や自治体の行政、国と自治体 の関係など、社会全体のあり方が、両国では全く異なるからだ。例えば、小学 2 年生の授業を参 観していた時、1 年生のクラスにはだれもいなかった。 「1 年生の授業はまだ始まっていないので、 これから登校してきます」とのことだった。先生もそれぞれの学年の授業の開始に合わせて出勤 するので、「登校」はまちまちである(図表 8-5)。中学校の数学の先生は、「週の担当時間数は 決まっているが、曜日によってはお昼過ぎに授業が終われば帰宅する」と説明してくれた。校長 先生は、立候補制で、教員免許を持つ人であれば有資格者になり、信任・選任されれば終身校長 を務める。校長先生も何時間かは授業を担当する。このわずかな例だけでも、学校教育や教育行 政が日本とは全く事なることがわかる。 児童・生徒の問題が起きた時点で、学校が教育委員会や教育相談室に個別に連絡をとり、連携 を探る、これが日本の一般的な姿ではないだろうか。各種の組織や機関が日常的に学校運営に関 わり、情報交換をする場が設けられているわけではない。平時はそれぞれの組織・機関は、独立 -143- に機能し活動している。フィンランドでは、この点が日本と大きく異なり、普段から教会や警察、 母子相談センター、医療機関等々が、学校運営に関わる仕組みが作られているのである。訪問し たある学校には、進路指導員、心理カウンセラー、精神科医(言語治療士、運動療法士、児童精 神科医とチームを組む場合がある)、常駐ないしは週 1 回程度の割合で巡回し、学校の状態や子 どもたちの状態を把握し、生徒一人一人の問題に対応する。「必要な場合には、学校外の青少年 指導員、母子相談室、警察、児童相談所、等にいつでも連絡が取れる」と校長先生は語っていた。 学区内には、家庭の経済状態が大きく異なる地域があり、こうした格差が子どもの問題に反映す ることがあるとも話していた。 図表 8-5 職員室で談笑する先生(2012 年) 図表 8-6 共用体育館で指導員と遊ぶ子(2012 年) 地域と学校の関係では、母子相談室、教会、警察等の関係者が会する定期的な会合があり、意 見交換をしている。また、幼稚園から小学校に上がる前には、両者の接続を無理なく行うために 1 年間のプレスクールが設置されている。そこでは、子どもの心身の状態や行動が記録される。 記録は、小学校生活がスムーズに行くように小学校の先生に送られ、引き継がれる。プレスクー ルに通うことは義務ではないが、食堂は小学校と共通に利用し、困難なく自然に小学校に慣れる ように物理的・空間的にも工夫がこらされている(図表 8-6)。 学校は地域・社会が協同で作るもので、家庭の問題や放課後の子どもの活動は、家庭や自治体 がやるべき仕事、対応すべきものとして、校長・教員は認識している。教師は「教える事に専念 する教育の専門家」であり、個々の教員の自由・裁量の幅は大きい。職能給制度であり、新任教 員もベテラン教員も給与に差は無い。各種の職能集団が学校を維持、運営しているため、各種機 関との連携がなければ学校が成り立たない仕組みになっている。文部科学省、教育委員会、校長、 副校長等、上下の行政関係と職階制が強い日本の学校は、それぞれが閉じられた組織として校長 を中心に運営される傾向が強い。日本の学校システムは、各種の組織や機関が対等に連携して学 校を維持・運営する仕組みにはなっていない。「縦割り行政」の中で、日本の学校がもつこの基 本的な特徴を認識して、諸機関との連携作りを工夫することが最大の課題である。 -144- 引用文献 子どもの貧困白書編集委員会編『子どもの貧困白書』明石書店,2009 坂西友秀「わが国におけるいじめの諸相」『現代のエスプリ』No. 525,ぎょうせい,2011 「滋賀・いじめ自殺訴訟 同級生側『じゃれ合っていただけ』」 (フジテレビ系(FNN) 7 月 17 日(火)18 時 2 分配信) 「いじめ自殺、中学と市教委を捜索…滋賀県警」(読売新聞 2012 年 7 月 11 日(水)19 時 21 分 配信) 「学校と社会 橋渡し」(朝日新聞 2011 年 1 月 8 日) (2012 年 11 月 12 日提出) (2013 年 -145- 1 月 11 日受理) -146- 埼玉大学紀要 教育学部, 62(1):147-157(2013) はじめに ﹁徐霞客遊記﹂訳注稿 西南遊記篇︵其二︶ 埼玉 大学教 育学 部国 語教 育講 座 ︱︱﹁浙遊日記﹂︵後半︶ 薄井 俊二 : 入る。 州 地 級 市 常 山 県 ︶で 再 上 陸 し 、 轎 で 西 に 進 ん で 、 十 六 日 に 江 西 省 に の洞窟を探索する。下山後、船に乗り、新安江を遡る。常山県 ︵衢 た金華三洞を探索。蘭渓県に入って洞源寺に泊。十一日には蘭渓 キー ワー ド 徐 霞客 、徐 宏 祖 、 遊 記 、 浙 江 本稿は、明代の徐宏祖 ︵一五八六∼一六四一年︶による﹁徐霞客遊 記﹂ の 訳注 で ある 。 同書の巻二以降は、崇禎九年 ︵一六三六︶から同十三年 ︵一六三九︶ にかけて、中国西南部をほぼ踏破した旅の記録であり、 ﹁西南遊記﹂ 訳注 十月九日︵承前︶ とも称される。本稿ではその中から、第二巻﹁浙遊日記﹂の後半 部分 ︵ 崇 禎九 [ 一 六三六 ] 年 十月 九日 の 途 中か ら 、同 十六 日 ま で︶を訳 出 この寺︵鹿田寺︶はその来歴は古いが、後に宦官達によってだ んだんと食い物にされてしまった。しかし金華府知事の張朝瑞 ︹海 する。 紙幅の関係で、口語訳と簡単な語注のみとする。詳細な注釈は、 州の人︺が、殿宇を創建し、石の羊の群れを保全した。屠赤水の手 にな る ﹁遊 紀 ﹂が あ り、 殿 宇の 中 の石 碑 に刻 ま れ て い る 。 と一緒に、二里東に進み山橋を渡る。山橋を東に下ると、二つの 。 九月九日、静聞とともに故郷の江陰を出発した徐霞客は、十月 峯に挟まれているところに出た。小川がその中から流れ出ている。 ︵1 ︶ 別途インターネット上で公開する予定である。 行程を記した地図は、前稿に掲載 私がそこに到着したのは、已に午後であった。聞いてみると、 七日に浙江省金華府蘭渓に至る。翌八日には金華府城に泊まり、 峯の石はすべて切れ切れになっていて、空へ飛び出し、小川に向 闘鶏巌がその東にあるとのことだった。そこですぐさま、静聞君 九日に北山 ︵金 華山︶に登る ︵ 本稿は、この途 中から ︶ 。先ず山中の鹿 かって走っているかのようであり、その形は鶏のトサカが怒起し 概要 田寺を訪ね、そこに泊。十日に、浙江を訪ねた目的の一つであっ -147- らも山の頭から水を出して谷をなしていると。西玉壺からの水は、 は裏水源を経て蘭渓の北に出る。東玉壺の水は、南に下るものは ているのに似ている。渓流がその下へと走り流れ落ちていて、こ 闘鶏巌から東に数里下ると、赤松宮である 。ここを下ると金華 赤松宮を経て金華府城に出、東に下るものは義烏県に出、北に下 南に下るものは棋盤石を経て三洞に浸潤していき、北に下るもの 府城の東門へと連なる道である。思うに芙蓉峯の東の谷に位置す るものは浦江県に出る。おおむねここが、金華府の分水嶺である れもまた一景勝である。 るのだろう。 闘鶏巌の上に、趙という姓の樵夫が住んでいた。彼は北山の頂 ているものを、今は三望尖と称している。飾って言う場合は、金 玉壺は昔は盤泉とも呼ばれていた。その上に先が分かれて聳え とい う 。 を指さして、﹁北山の頂に碁盤石がある。石の後ろに﹃西玉壺﹄が 星峯とするが、総称すれば北山である。やっと峯の先端に至れば、 ば、一筋の水が残光を受けて光り、滔々と水を湛えて姿を一定に あり、石から水がそこに注いでいる。日照りの時にその水を取っ 時に日は已に傾いているが、静聞君とともに急いで草むらを掻 していないものが見える。思うに衢江が西から流れてきてひとた ち ょ う ど 落 日 が 深 い 川 に 沈 むと こ ろ で あ っ た 。 峯 の 下 を 眺 め や れ き分けて登る。しばらく登ると、不意に呼びかける声が聞こえた。 び曲がっているところが、そこなのであろう。 て雨 乞 いを す れ ば 、 と て も 霊 験 が あ る ﹂ と い う 。 趙樵 夫 が 、私 た ち が 間違 っ て西寄 りに なって いる のを 見て、 東を 石の前に平らな台がある。後ろには岩が積み重なって聳えている。 まっすぐに約二里ばかりで、やっと石の群れのあたりに着く。 が別物であることを覚るものであった 。思うに下界の世界はこせ は 人 を骨 髄 か ら洗 浄 する も のであ り、私 たち 二人 は、身 体と 影と は消え去り、紺碧の世界は洗ったかのようだ。まことにこの玉壺 夕陽は已に沈み、次いで月が輝いてくる。天地の間の全ての音 その中に一間ほどの小屋があり、仙人 の塑像が彫られている。こ こせしていて、誰がこのような清らかな光りの輝きを理解してい 指さ し て深 い 草む ら の中 を 誘 導 し て い る の で あ ろ う 。 れがこの山の主である。塑像の後ろの石室の下に盆ほどの水たま ようか。仮に高殿に登って長く吟じたり、うま酒を用意して大江 道を窮め尽くしていって、塵埃にまみれた世俗世界から遠く離れ りがある。おそらくこれが雨乞いの水であろう。そうしてその上 時に太陽は沈もうとしていた。そこで︵急いで︶その流れを遡 ることが、天と地との間ほどもあることとは、比べものにならな を眺めたりしたとしても、われわれがこうして万山の絶頂を踏み、 って再び進むと、門のように石が並んでいるところがあり、そこ いのである。たとえ山の精霊や怪獣が、群れをなして近づいて来 に方には小川があって、清らかに山頂から下っている。 から水が注ぎ出でていた。門の上流にさらに浅く平坦な溝があっ たとしても、恐るるに足りない。ましてや静寂の中、万物が動か ない中で、天空・宇宙とともに遊ぶのであれば、その愉しみはま た。これこそが西玉壺であろう。 聞くところによると、ここから東にさらに東玉壺があり、どち -148- たとないものである。 であるが、一里ほどで、尖った岩が峯の頂で突出しているのがあ き る ︵ こ れ は 昨 日 の 道 ︶。︵ 今日 は ︶ 石 の 辺 り か ら 峯 を 越 え て 北 に った。その石の辺りから北山に沿って東に行けば、玉壺に到達で しばらく彷徨し、やがて二里下り、盤石に至る。 行く。そこが朝真洞である。 洞の入り口は高い峯の上にあり、西に向かって高く曲がってい さらに草藪の中を二里下り、闘鶏巌に至る。趙樵夫が私たちの 声を聞きつけ、戸を開けて出てきた。そして﹁自分がこの山に住 さらにまた西に一里上って山橋に至り、さらに西に二里で鹿田 て来たのかは分からない。これを問えば、双龍洞の外に住んでい ている。あの秦を避けた桃源郷の人々かと疑うが、どこからやっ る。下は深い谷に臨み、その谷の中には住居がぐるっと取り巻い 寺に至る。寺僧の瑞峯と従聞が、私たちが中々帰ってこないので、 る人達だという。 んで か ら 、 あ な た 方 の よ う な 方 は い ま せ ん で し た よ ﹂ と 言 う 。 二手に分かれて遠くから呼びかけてくれている。その声が、谷を 震わ せ てい た 。 思うに、北山は玉壺から西に伸び、その中頃の支脈はここで一 旦終わる。その後さらにまた一支脈を生み、西に進んで蘭渓まで 鹿田寺に入り、入浴して就寝する。 [ 注]張朝瑞⋮ 一五三六∼ 一六○三。字は子禎、淮安海州の人。隆慶二 塢となり、第二の層が廻って講堂塢となり、第三の層が廻って玲 後 に 生じ た支脈 が幾層か をなし ており、第 一の 層が廻って 龍洞 走る。 屠赤水⋮屠隆︵一五四二∼一六○ 年︵一 五六八︶ の進士。万暦十 六年︵一五八八︶に山を切り開いて鹿田 寺への道を整備し、寺を再建した。 五︶。字は緯真、あるいは長卿、浙江鄞の人。万暦五年︵一五七七︶の進 今の赤 松山にあ る赤松 道院。こ こではその存在を示しただけで、実際に 境である。その第二層が廻って白杭となり、第三の層が廻って水 玲瓏巌の西は、また廻って紐杭となるが、ここは蘭渓県の東の 瓏 巌 塢 と な る 。 金 華 府 の 境 域 は こ こ で 終 わ り で あ る。 衢江⋮衢州から東に流れ、蘭渓で北上 赤松 宮⋮ は赴か なか ったのでは ないか。 源洞となる。ここに至って、高い崖や深い谷といったダイナミッ 士。家が貧しく、売文で生活をした。﹁明史﹂巻二八八本伝。 す る金 華江と 合流して 富春 江とな る。 クな地形も終わりとなる。 さてその後に生じた支脈だが、層をなして中頃の支脈を取り巻 いている。そこで中頃の支脈は西で止められて、どっと下へ崩れ 鶏が時を告げるころ起きて朝食を摂る。空には已に曙光 がさしている。鹿田寺の僧の瑞峯が私たちのために数本の松明を 落ちていくことになる。陥った第一層に朝真洞が口を開ける。そ 十日 用意してくれて、寺僧の従聞に担がせて同行するよう手配してく の洞窟は高いところにあって、洞底も乾いている。陥った第二層 に冰壺洞が窪んでいる。この洞窟は縦に奥深く、滝がその中に懸 れた。 朱荘の後ろから西に一里行き、北に山路を登る。道は甚だ険峻 -149- は変化に富んで幻影的で、水が水平に流れている。これがいわゆ かっている。陥った第三層に双龍洞が穴を開いている。この洞窟 脇室程度である。右側に縦穴がある。覗いてみるが底が見えない。 みると少しで行き止まり。上の洞はくねくねしていたが、これも 内洞を出ると、左側にまた二つの洞がある。下の洞は、入って 内洞の最深部なのだろうと思われる。 る﹁ 金 華三 洞 ﹂で あ る。 三洞ともいずれも口を西に向け、重なりあうように層をなして 朝真洞を出て、ついで石が突出している峯頭から南に下る。 いる。それぞれの距離は一里ばかりであるが、山の勢いが険峻な ため、俯瞰して一度に目に収めることはできない。しかし洞を流 一里ほどで、西北に曲がり、また一里ほどで冰壺洞に出る。思 冰壺洞の洞口は、空に向かってくちばしを開いたようである。 うに朝真洞から下ってくる第二層の山である。 れる 水 は、 上 の洞 か ら下 の 洞へ 、 層を な して 下 っ て い る 。 中頃起きる支脈が尽きたところで、南へ下る支脈が生じていて 白望山となる。その東の楊家山ともども、北山の前にび並んでい 先 ず 洞 に 杖 を 投 げ 入 れ 、 つ いで 松 明 を 紐 で つ る し て 下 ろ す が 、 水 いる 。 松 明を 手 に し て深 く 入って いく と、左 側に 脇部 屋のよ うな 朝真洞の門口は広く開けており、その内は次第に下に下がって そ ろ と 進 む と 、 洞 の 中 央 に 、一 筋 の 滝 が 空 か ら 落 ち て い る と こ ろ と忽 ち 、 轟々 た る 水 音が 聞 こえた 。そ こで松 明を 手に 取り、 そろ かけ、虚空の中を通るようにして、洞の咽喉に入っていく。する る。 鹿 田の 門 を な し て い る 。 小 さ な 穴 が あ る 。 そ の ま ま にく ね く ね と 進 む 。 穴 の 行 き 止 ま り に があった。︹氷の花か玉のかけらのような水しぶきが上がり、暗黒の中で銀 の流れる音を聞くばかりで底は見えない。そこで岩の隙間に手を 水がしたたり落ちているところがある。けれども岩の隙間の底部 白 の 輝 き を 見 せ て い る 。︺そ の 滝 の 水 は 石 の 中 に 注 い で い る が 、 そ の そこから下へ天光が差し込み、あたかも半月のようである。ほの とても高い所にあり、そこに円い隙間が空いているのであろう。 の光が天から下っているところがあった。思うに、洞窟の天井は のである﹂と 。︺一門は南向きで、一門は西向きである。どちらも外 に向かっている門は、万暦年間に、水の流れが崖の石を押し倒してできたも は二つ の門が ある 。︹瑞 峯が言う ﹁この洞は 初め は門は一つ であった。南 冰壺洞を出て、真っ直ぐ一里ばかり下ると、双龍洞である。洞 い こ と は 朝 真 洞 よ り も 勝 っ てい る が、 屈 曲ぶ り は 及ば な い。 再び松明を手にして、四方を探索した。洞窟として縦方向に深 後どこへ流れていくのかは分からない。 は 乾 いて い る 。水 が どこ へ 流れて いって いる のか は分か らな い。 脇室の穴を戻り、洞窟本体を底まで探求しようとする。そこは 巨大な岩石が高低様々に聳えていて、上を振り仰げば益々高くな り、下を見やればどんどん深くなっている。石の隙間を登ったり 暗い中でその光に出会うと、美しい真珠や宝石でできている灯火 洞である。中は大きく広々としていて、大きな建物が高く聳え、 降ったりしていて、再び巨大な脇室に出た。 すると忽然と、一筋 を見るようである。 -150- 鍾乳石が垂れ下がり、様々な不思議な景観をなしている。これが な感じは全く無い。しかし内部には石の柱がくねくねと曲がり、 四方に門を開いているかのようである。小さな部屋や脇室のよう なく、水はその中から流れ出している。私は口でその水を受けて ている小さな穴がある。その大きさは指を入れられるくらいしか うとう進めなくなった。この洞の側面の石の辺りに水が流れ出し る。流れを遡って更に進むと、洞がだんだん低くなっていて、と みたが、甘く冷たいことが得も言われぬものであった。おおよそ ﹁双龍﹂の名の由来である。 内部にとても古い石碑が二つある。立っている方には﹁双龍洞﹂ 者の姓名を記さない。きっと、近代のものではないのであろう。 れている。どちらも燥筆によって飛白体で書かれているが、揮毫 は外洞には二つの門があって、内洞には重なる帳が垂れ下がると で、冰壺洞は滝がもたらす﹁無数の珠玉﹂が特異な光景、双龍洞 まとめると、朝真洞は﹁一つの隙間から天光が注ぐ﹂のが奇勝 内洞 の 広 さ 深 さ は 外 洞 よ り も 勝 る も の で あ っ た 。 流水が洞の後ろから内門を通って西に出て、外洞を経由して流 い う 、 水 陸 を 兼 ね て い て 、 暗さ と 明 る さ の 両 方 に お い て 不 思 議 な の三字が刻まれ、横たわっている方には﹁冰壺洞﹂の三字が刻ま れ 去 る 。 う つ む い て 、 水 が 出て い る と こ ろ を じ っ と 見 た と こ ろ 、 光景 を 現出 し てい る もの で ある 。 その ま ま東 へ 曲が る 。双 龍 洞か ら 五里 の 地 で あ る 。 一つ越える。その山嶺の西側には窪地 がある。北から中へ入り、 かくして鹿田寺の瑞峯・従聞の二人に別れを告げ、西に山嶺を た が 、 御 礼 に 杭州 で 購入 し た傘 を 一張 り 進呈 し た 。 炊 い て 食 事 の 用 意 を し て い てく れ た 。 彼 女 の 好 意 に 感 謝 し て 頂 い 双龍洞を出ると、太陽が既に中天に昇っていた。潘姥が黄粱を 岩がその上を覆っていて、わずかに一尺五寸ほどの隙間しかない。 まさしく洞庭山の左の裾野の丘と同じで、地面に這いつくばるよ うに し な いと 、 中 に 入れ な い。た だ洞 庭山の 場合 は、 地面が 土で あっ た が、 こ こ双 龍 洞で は 下 が 水 で あ る の が 異 な っ て い る 。 瑞峯が私のために潘姥の家から浴盆を借りてくれた。︹この姥は洞 口に住んでいる。︺姥が茶菓でもてなしてくれる。 そこで、衣を脱いで盆の中に置き、裸で水の中に伏して入り、 盆を手で押して狭い口を入る。隘路を五六丈ばかり進むと、たち は幻想的で、宝玉で作られた柱や旗竿のようで、洞の中に縦横に の左側からは鍾乳石が垂れ下がっている。その色はつややかで形 ており、大きさは数十丈、薄さは僅かに数寸しかない。その石板 一 枚 の 平 ら な 石 板 が 洞 の 中に 置 か れ て い る 。 地 面 か ら 数 尺 離 れ 今は観音菩薩の塑像がその中にある。思うにここは、北山の後ろ さわしい場所である。その昔、劉孝標が払子を揮った所である。 ては双龍洞には及ばない。そこに居住したり休んだりするのにふ していて清潔であり、その高さは双龍洞に勝るが、幽冥さにおい り、ひとつは西北に、もうひとつは西南に向 かっている。広々と さ ら に 山 を 半 里 上 る と 講 堂 洞 で あ る 。 こ の 洞 に も二 つ の 門 が あ 並んで立っている。その石板の下の方は、門を開き隙間を空けて の支脈で南に下がるうちの第一嶺が、その南に向かって金華三洞 まちぐーんと広がっている 。 いるように分かれていて、曲がりくねり、表面は冷たく輝いてい -151- 下ると窪地がぐぐっと迫ってくる。その窪地ではさらさらと水が 越えると、北山の後ろの支脈が南に下る、第二の層である。嶺を ︵その涸れた︶川底を渡り、ふたたび西に向かって第二の山嶺を 登って講堂洞まで水を汲みに行く。 を流れる小川は涸れ果てていて一筋もなく、村人はわざわざ山を 山嶺の下の盆地の人々は石灰を作るのを生業としている。そこ をめぐり、また北に開いてこの講堂洞を形成しているのであろう。 ﹁水源﹂と言ったり 、﹁上洞﹂と言ったりする。そこで洞源寺と水 である。このあたりは総称して﹁水源﹂という。だから同じ寺を 洞 であ る 。︺上に あるの が上洞 、︹ 一名 白雲 洞で あ る 。︺真ん中 が紫雲洞 もそもこの地にも三洞がある。下にあるのが水源洞で、︹一名は湧雪 が、正面から登る道は、一旦山を下りた麓の洞の傍らにある。そ この山嶺から脇道の小道を通って上れば僅かに一里ばかりである 第五の層である。洞源寺はその山嶺の後ろの高い峯の北にある。 山嶺上の小道から寺に至ることができる、だから先ほど﹁五里﹂ 源洞とは異なる場所にあるのである。 進み、再び山嶺に沿って北に上ると、石橋が口をあけたようなと と 言 っ た の だ 。 そ し て 水 源 洞ま で 嶺 を 下 り 、 そ こ か ら 再 び 上 る こ 流れる小川が北から流れ込んでいる。またその小川を渉って西に こ ろ が あ っ て 、 水 が 湧 き 出 して い る 。 こ こ が 北 山 後 支 脈 の 南 下 し とも で きる 、 だか ら 別の 人 は﹁ 十 数里 ﹂ とい っ た の だ 。 時に真っ暗となり山道も分からなくなった。しかも道を尋ねら た第三の層である。外側は狭まっていて、内側は曲がりくねって いる。ここは玲瓏巌と名づけられており、講堂洞から約六里であ 杭である。ここもまた民家が数十軒ある。さらにまた山嶺を︵西 を一 つ越え れば 、蘭 渓県と の境 界であ る 。山嶺を 南に︶下れば紐 と て 、こ こ に は及 ば ない だ ろう。 ここか ら転 じて 西に進 み、 山嶺 然と一つの郷村世界を形成している。あの陶淵明が描いた桃源郷 この山嶺に隣接する窪地には、民家がたくさん並んでおり、自 ころ、粉挽き小屋であった。そこの住人が言うには﹁この地は水 る内に、かすかな灯火が遙かに見えた。速やかにそこに走ったと あって、小道が複雑に入り組んでいる 。ちょうどうろうろしてい 行 き 着か ず 、 石灰 を 焼く か まどが 眼前に いっ ぱい 見える ばか りで 説得してその小道を進むことにした。しかししばらくしても寺に る 。 し ば ら く す る と 西 へ 分 かれ 、 下 る 小 道 が あ っ た 。 私 は 静 聞 を れる 地 元 の人 も 見 あ たら な い。そ こで 大きめ の道 に沿 って山 を下 に︶一つ越えたところを思山祠と言う。つまりそこが、北山後支 源という所である。この窪地から北に行って 洪橋を渡り、右の尾 る。 南 下 の 第 四 の 層 で あ る 。 玲 瓏 巌 か ら は 西 に 六 里 く ら い で ある 。 ある人は﹁十里﹂と言い、またある人は﹁五里﹂という。[速やか この時、太陽が沈もうとしていた。洞源寺への路を尋ねると、 ころがその人は﹁月が昼のように明るく、この山の小道には分か くのが難しいだろうと思って、小屋に泊めてもらおうとした。と 根道に従って三里上れば上洞寺である﹂と。深夜であり、行き着 ( に山嶺を下り、]小川に沿って南に五里進むと、暮れに白坑に至っ れ道もない。行くのに支障はありません﹂と言う。そこで初めて、 洞源寺は北山第五の層の北側にあることが分かった。 た。ここも村人は多く、石灰作りを生業としていた。 さらにまた西に進み石塔嶺を越えると、そこが北山後支南下の -152- 趙相國⋮趙志皐︵一五二四∼一六○一︶。字は汝邁、蘭渓 の人。 隆慶二年︵一五 六八︶の 進士。蘭渓の東南十五里の霊洞山に秘書 も 称され た。 四里であった。橋を渡って北に向かい、尾根道を踏みしめて一里 楼・三山斎 ・六虚堂な どを建て、賓客と景勝の地を詠じ、南京に赴任す そこで渓流を遡り、西北に進んで洪橋に至る。白坑からおよそ ほど上り、東に曲がって更に一里ほど進み、漸く洞源寺に行き着 黎明に起きると 、︵昨夜会話した︶僧は既に出立してい る 際に 、詩を刻 して残 した という 。 十一 日 いた。無理を頼んで投宿する。 寺に﹁霊洞﹂について話す僧侶が宿泊していた。そこで趙相国 に﹁六洞霊山﹂に関する刻石があるのを思い出した。それはここ 私は寺の前殿を過ぎ、黄貞父の碑を読んだ。そこでいわゆる﹁六 た。 [注]従聞⋮もと靜聞。しかし彼は徐霞客共々訪問者である。瑞聞が﹁同 洞﹂とは、金華の﹁三洞﹂とこの山の﹁三洞﹂とをあわせて、 ﹁六 ﹂ のこ と だろ う か。 し かし は っき り しな い うち に 寝 て し ま う 。 行する よう﹂さ せたとあるから には、ここは寺僧の従聞の方がふさわし 水 は四散し て伏流する。今 は、双龍洞とつながっている。 から入 ると、内部に小 さな穴から注ぐ瀧がある。滝壺はなく、落下した 燭の美 称だが、 ここでは訳のよ うに解した。 う。 い。 双龍洞⋮洞 冰壺洞⋮縦穴で、狭い口 宝石でできている灯火⋮もと﹁宝炬﹂。蝋 とても高い⋮もと﹁千丈﹂。ここは、実数ではなく、とても高いこ 朝真洞⋮道教の 真人がこ こで修行をしていたことからの命名とい る よ りも 、 遙 かに 霊 妙な 働 きをす るもの では ない か。そ こで 朝食 きた。自然︵偶然?︶がもたらす成果は、人があれこれと作為す こ に あ こ が れ て い た の だ が 、今 思 い が け ず そ れ に 出 会 う こ と が で で称 さ れ る﹁ 霊 洞 山 房﹂ と はここ のこ とであ ろう 。私 は久し くこ 高く聳える楼閣がある。趙相国の﹁霊洞山房集﹂や﹁六虚堂記﹂ 前殿を出ると、趙相国の祠がちょうどその前に当たっている。 とし た もの だ と 知 っ た 。 口 の両側に龍頭 に似た鍾乳 石があることからの命名。内外洞からなり、 を待たずに、静聞とともに、寺の後ろから石畳を踏んで北に登り、 と をい っている のであ ろう 。 外洞は 広々とし た空間 をなし、 その奥に内洞への入り口がある。入り口 先ず白雲洞を尋ねることにする。︹洞は寺の北二里にある。︺ 燥筆⋮墨を あまりつけない書き方。 飛白⋮書法のひと はとて も狭 く、水が湛 えられていることから、小舟に横たわってでない と入れない。 劉孝標⋮劉峻︵四六二∼五二一︶。山東の人、 省︶の 別名。ま た太湖 中にある 山。この洞庭がどれを指すのかは不詳。 まりに狭いために疑惑の念がぬぐえない。すると突然一人の樵夫 落ち込んでいる。これこそあの白雲洞ではないかと思ったが、あ 草藪を掻き分けながら下ると、深い洞が一つあり、漆黒の闇へと でいて突然ぐるっとまわりながら下り、鉢型に窪みを作っている。 一 里 で 山 嶺 の 頂 に 達 す る 。そ こ を 越 え て 北 に 進 む 。 嶺 は へ こ ん 孝標は字。金華を隠棲の地と定めると、彼を慕って多くの人士が参集し、 一応訳 のご とく解 した。 洞源寺⋮ 洞庭 ⋮洞 庭は湖南省北部の大湖。また太湖︵浙江 大 きな天然洞を 課堂として講学 した。それが講堂洞である。 が洞の上を通り過ぎた。仰ぎ見て彼に質問した。すると﹁白雲洞 つで、かすれ書き。 宋太平 興国八年︵九八 三︶創建 と伝える。上洞寺・棲真教院・棲真寺と -153- 洞門は西に向いている。洞口は高いところ にあり、上下とも平 に至る。今度はこれを渡らず、橋の左側の民居の後ろを半里行き、 二つの山に挟まれる間に、ぐるっと廻って 一大窪地を形成して らで整っている。其の間に四五本の鍾乳石の垂れ下がった柱があ はさらに北にあります。これは洞の窓です﹂と言う。そこで再び いる。広さは百丈に近づき、深さも数十丈あり、螺旋状に下って り、門や窓を開いたようになっていて、洞の内と外とを二つの層 紫雲洞に上る。 いる。[もし水がそこに湛えられていれば、仙遊県の鯉湖と同じだ。] に区切っている。[玉の窓や緑の旗竿のような石が洞内にはどこに 上り、北に向かう。しかしその間、水は全くない。 しかるにここは水が無い。私が見てきたところで、四方を頂に囲 でもある。洞は広くまた奥深く、岩石の表面も十分に美しい。] が、松明が無いのでやむなく引き返す。 洞の北の隅にまた奥深い洞がある。曲がりくねって深いようだ まれていて、しかもそこに水が注ぐ裂け目が無い窪地は、ここだ けである。 また下り、左への分かれ道沿って、西へ山の狭間へと転ずれば、 に東へ進む。山の石が半分程削られていて、掘削されたような絶 洞から下って︵洪橋へ戻り、今度は︶この橋を渡り、渓流沿い ︵白雲洞︶は洞門が北を向き、門の頂部分に横様に裂けた石が懸 壁をなしている。その麓は石灰焼きのための柴が積まれ、道を縦 そこ が 白雲 洞 で あ る 。 かっていて梁のようになっている。洞の中から仰ぎ見れば、ぐっ 洞門は南向きで、ちょうど小川の上を跨ぐようである。洞口に 横に ふ さ いで い る 。 ここ が 昨夜、 道を 尋ねる こと がで きなか った 洞に入り、左に曲がり、だんだんと下っていくとだんだん暗く は 鍾 乳石 が 乱 れ下 が って い るが、 その中 の一 柱は 、下か ら上 につ と曲 が っ た様 は 、 天 台山 寒 巌山に あっ た﹁鵲 橋﹂ が空 に横た わっ な る 。高 く 聳 える 門 があ り 、内側 はとて も深 い様 子で、 門の 外に ながっていて、手に持って持ち上げたみたいである。[その上には 所で あ ろう 。 石の 梁 を渡 る と 、 水 源 洞 は そ の 傍 ら に あ る 。 は 石 の 屏 風 と 遙か に 対 峙 し て い る 。︵ そ こ を 通 り 過ぎ て 直 進 し 、︶ 透き通るような美しい鍾乳石がおびただしい数で下がっており、 てい る のと 同 じ景 色 であ る 。 暗黒の闇の中を杖で地面を探りながら数十歩行くと、洞窟内はだ さらにまた一つの小さな洞が開いている。幻想的で蜃気楼のよう 洞の内部は上下二層に分かれている。下層は小川の水が流れ出 んだん広くなっている。しかし灯火が無く、あたりを見渡しても 先ほどスルーした高く聳える門に入る。はじめは暗黒の闇しか見 てくるところであるが、洞内では川は涸れていた。しかし洞を数 な景観をなしている。] えなかったが、ここに至って光線が安定すると、歴歴として色々 歩でると、小川にあふれ出るばかりの水がある。思うに、洞内の 何も見えない。そこで歩みを返して引き返す。途中まで引き返し、 なものが見えてくる。そこで更に門と対峙していた石屏風の所を 水は、水碓によって洞の側面に引き出されているのであろう。 洞の上層は洞門から石畳を踏んで上る。奥に入るに従って次第 廻って洞を出、山嶺を越えて寺に帰る。 朝食後、寺を出発し、元の道をたどって西に下る。二里で洪橋 -154- に下っていく。下りきると無限の広がりの場所に来たような感じ がした。とても遠くで滝の音が聞こえる。しかし明かりが無いの 地を出る。 西南に十五里行って、蘭渓県の南門に達した。 るに、金華において四つの洞を、蘭渓においても同じく四つの洞 り 、[ 古 老 の よう な 奇 幻 な 石 の様 を 眺 め る 。] こ の 二 日 間 を 振 り 返 洞を出て、洞口の[柱を持ち上げたようなところの内側に]座 い。するとそこへ北からやってくる小舟があった。すぐさまそれ ていて待機をしている状態であった。しかし援軍は中々到着しな 府軍の援軍が北に向かっているところであり、船は借りあげられ 立てて用意をさせ、急いで食べて乗船を探し求めた。この時、政 で、 奥 を窮 め るこ と はで き ない 。 を尋ねることができた。この地では六洞をもって、霊妙さを集め に乗り込むと、布を運ぶ運搬船だった。船頭は出発するつもりは 宿屋に入る。顧従僕はまだ食事の用意をしていなかった。せき たものだとしてきたわけだが、私は八洞の景勝を極め尽くしたの な か っ た よ う だ が 、 そ こ へ 船を 徴 発 し に 来 た 人 が や っ て き た 。 そ こで船頭は竿を刺して出発し、五里進んで、横山頭 ︵横山村︶で停 であ る 。こ こ で 洞 の 優 劣 を 評 価 せ ず に は お れ な い 。 双龍洞が第一位、水源洞が第二位、講堂洞が第三位、紫霞洞が が で きる し 、 暗い 方 は水 洞 と陸洞 とに分 かれ てい た。洞 の中 には 開き、左は明るく右は暗い。明るい方は色鮮やかな霞を見ること 県 の 山 を 加 え る な ら ば 、 洞 山が あ る 。 こ こ は 二 つ の 洞 口 が 並 ん で 窗が 第 八 位、 こ れ が 金華 八 洞につ いて の順位 であ る。 これに 新城 の九鯉湖。﹁徐霞客遊記﹂巻一に﹁遊九鯉湖日記﹂がある。 呵 ・無底・漏斗 の六つの洞 だとされている。 洞 ⋮徐霞客 はかく言うが、 今では、蘭渓にある、涌雪・紫霞・白雲・呵 万暦二 十六年︵一五九 八︶の進士。書法家としても高名であった。 [注]黄貞父⋮黄汝亨︵一五五八∼一六二四︶。貞父は字で、銭塘の人。 泊した。 仙人の耕地に穀物が繁茂しているかの ようで、畦が重なり波紋が 山の寒巌山にある景勝のひとつ。﹁徐霞客遊記﹂巻一﹁遊天台山日記﹂に 第四位、朝真洞が第五位、冰壺洞が第六位、白雲洞が第七位、洞 平らに広がり、宝玉のような扉が次々と続き、狭い門が分かれ立 記 述が ある。 鵲 橋⋮天 台 十二日 水碓⋮ 水力 を用い て穀物を 碓づ く道 具。 仙遊鯉湖⋮福建省仙遊県 六 って洞穴が曲がりくねる。この洞山の洞窟の余剰部分でもってし によって金華八洞の中に位置づけてみれば、双龍洞と水源洞の間 二 十 里行 く と、 衢 江 の 南 岸が青 草坑で ある 。︹こ こは 湯溪 県 ︵ 金華 ても、洞窗の魅力の不足を補完できるものが あるほどだ。この点 に相当するものであり、他の第三位以下の洞の及ぶところではな 市 婺 城 区 内 ︶ に 属 す 。︺そ の 時 既 に 太 陽 は 中 天 に 昇 っ て い た 。 川 の 水 黎明に出発する。 い。しばらくあれこれと品評をし、やがて静聞と一緒に洞源から が極端に少なくなり、船は重くて喫水が低く、中々進まなくなっ た。 離れた。 昨夜来、道を尋ねた水車小屋を通り過ぎ、西の山嶺に従って窪 -155- さ ら に 十 五 里 で 裘 家 堰 ︵ 蘭 渓 市 裘 家 村 ︶に 至 る 。 船 頭 が 卸 船 を 捜 し、それと一緒に停泊する。この夜、小雨が降った。東の風がと ても 強 い。 けではなかったことが分かった。 川面は清らかで月は白く輝き、水と空とが一体となって一つの 世界をなしている。もろもろの憂いや雑念が、さっぱりと洗い流 されるのを感じた。我が身一身と村落の樹木や炊ぎの煙とが渾然 と溶け合って、全体で大きな水晶の球となったかのようだ。その 表面には僅かの隙間もなく、いささかの不純物もなくて、眼前の 朝が明けると、空の雲も散開した。船頭は船室一室分 の布を取り出して卸船に渡す。風がやがて次第に航行によいもの 全て の 景物 は 軽や か に飛 翔 する か のよ う であ っ た 。 十三日 にな っ てき た 。 ︵そこで出帆し︶二十里で胡鎮 ︵龍遊県湖鎮︶に至る。 払暁に連続して二つの灘を遡る。政府軍の援軍は既に 撤 収 し て お り 、 貨 物 を 載 せ た船 が 湧 く よ う に し て 下 っ て く る 。 し 十五日 か に 午 後 に 入 っ た く ら い で あっ た 。 別 の 卸 船 を 待 つ こ と に な り 、 かし灘の口が狭く混み合って、上りも下りも焦ってひしめいてい さらにまた二十里で龍遊県 ︵衢州地級市龍遊県︶に至る。日はわず ここ で 停泊 す る。 る。先には船を得るのが難しかったのに、ここでは船が多すぎて 困難に陥っている。旅行の困難さとはこのようなものだ。 ︵やっと抜け出し︶十里行って樟樹潭 ︵衢州市衢江区樟潭鎮︶を通過 朝が明けると、この船に乗船していたものたちは、船 足 が あ ま り に 遅 い の で 、 み んな し て 船 賃 を 払 い 戻 さ せ 、 陸 に 上 が し、鶏鳴山に至る。風を受けすいすいと軽やかに流れを遡ってい 十四日 って行ってしまった。おかげで船の重量は軽くなり、また船内も く。 十 五 里 で 衢 州 府 城 に 至 る 。 正 午 に な ろ う と し て いた 。 広 々 とな っ た 。だ か ら船 足 が遅い とは言 って も不 快では ない ので ある。早朝からの霧は既に晴れ、四周 の山々が遠望される。ただ 浮き橋をくぐり、さらに南に三里進み、西へ折れて常山渓口に であ る 。 や赤い楓の葉が次々と現れ、ゆっくり眺めて楽しむ暇がないほど さ ら に ま た 二 里 で 花 椒 山 を通 り 過 ぎ る 。 両 岸 に は 緑 な す 橘 の 木 入 る 。 風 が 良 好 で 帆 を 高 く 揚げ る 。 し、風が次第に少しずつ逆風となってきて、帆を操るのに苦労し て 浅 瀬 に 乗 り 上 げ な い の が 精一 杯 であ る 。 四 十五里 進んで 、安仁 ︵ 衢 州地 級市 衢 州 区安 仁鎮 ︶で ある 。︹ここが 龍游県と西安県の境界である。︺ さらに十里進んで、楊村に泊まることになる 。︹ここは衢州からな また五里進むと黄埠街 ︵航埠︶である。果実がなる橘の木が千本 さ ら にま た 十里 で 、北 に 曲が る 。 この日はトータルで五十五里進んだ。先に行っていた船に追い ほどもあって、どの家でも籠に果実をどっさり盛っている。橘の お二十五里の地である。︺ ついて一緒に停泊する。そこで船足が遅れていたのはわれわれだ -156- 実を売ろうという船が、川いっぱいに並んでいる。私はちょっと 上陸して橘の実を買おうと思ったが、船頭は風向きがよいことを 優先 さ せ、 再 びさ っ さと 帆 を揚 げ て西 に 出発 し て し ま っ た 。 ︵﹁浙遊日記﹂了︶ ( ( 二 〇 一 二 年 十一 月 十 二 日 提 出 五 里 で日 が 没し た 。 ︵さらに︶月明かりに乗じて十里進み、溝溪灘のほとりで停泊と 一 月 十 一 日 受理 二〇一三年 朝日が鮮やかに明るい。東風が益々強くなる。朝起き なった。︹この西は常山県の境域となる。︺ 十六日 ると、焦堰を通り過ぎた。山は廻り川は曲がって、すでに常山の 境 内 に 入 っ て い る 。 西 安 県 には 山 に 橘 が 多 く 生 え て い る が 、 常 山 県には山が多い。西安県の草木は明るくつややかで、常山県では 山の樹木が黒っぽく色彩豊かでない。 流れを四十五里遡り、昼過ぎに常山県に至る。︵このようにたく さん 進 めた の も︶ 風 のお か げ で あ る 。 ) ) こ こ で上 陸 し 、 常 山 県 の 東 門 で 担 夫 を 捜 し 求 め て 傭 う 。 県 城 を一 里 ばか り で通 り 抜け て 西門 か ら出 る 。 十里進むと辛家鋪である。山の小道は寂しげで、一軒の農家も 無い 。 さ ら に 五 里 で 寂 れ た 数 軒 の 小 屋 が あ っ た 。 太 陽 はも う 西 に 沈 ん でいる。前途に泊まるところがないのではと 考え、そのままそこ 西南 遊 記 篇︵其一︶ ︱﹁浙遊 日記 ﹂︵前半 ︶﹂ に泊めてもらうことにする。︹この地は十五里という。︺ 注 ︵ 1 ︶﹁﹃徐 霞客 遊 記 ﹄訳注 稿 ﹃埼玉大学紀要︵教育学部︶﹄第六一巻第二号。 -157- -158- 埼玉大学紀要 教育学部, 62(1):159-173(2013) はじめに 埼玉大学教育学部国語教育講座 ︱︱盛唐︵下︶ 天台山の詩歌︵其八︶ 薄井俊二 ︻ ︼瓊臺 本 ﹂︶ 巻 八 李白 ☆ 天 台 勝 蹟 録 巻 三 ︵﹁ 勝 蹟 録 ﹂︶、 周 本 、 許 尚 枢 ﹃ 天 台 山 詩 聯 選 注 ﹄︵﹁ 許 瓊台 キーワード:天台山、天台集、漢詩、仏教文学、道教文学 本稿は、天台山に関わる詩歌について検討を加えることを通 ︵1︶ 。今回は、盛唐期の詩として、後 して、当時の人々の天台山に対するイメージとその変遷を考察 しようとするものである 世の仮託ではないかとされる李白の作品二点、皇甫曾の作品と 山 中 亦 有 人 行 路 碧 玉 連 環 八 面 山 飛 騰 直 欲 天 台 去 龍 樓 鳳 閣 不 肯 住 青衣我に約す 山中に亦た人の行く路有り 碧玉連環 飛騰して直ちに天台に去らんとす 龍樓鳳閣 ■本文と訓訳 青 衣 約 我 游 瓊 臺 琪木に花芳しく される一点、杜甫の作品一点を取り上げる。また楊山人に関わ る高適の作品一点も検討する。最後に盛唐時代の天台山の詩に 琪 木 花 芳 九 葉 開 天風香を飄はせて 肯へて住かず ついて概観する。 天 風 飄 香 不 點 地 千片萬片 天台山の詩︵其八︶︱︱盛唐︵下︶ ・ 周 栄 初 選 ﹃ 天 台 山 詩 選 ﹄︵ 天 台 県 文 化 局 、 一 九 七 九 ︶︵﹁ 周 本 ﹂︶ も 参 照 九 塵埃を絶つ 地に點せず 九葉開く 瓊臺に游ぶを 八面の山 テキストとした。 千 片 萬 片 絶 塵 埃 我の來るは正に重九の後に當り ●凡例 ・その他はこれまでと同じ。 我 來 正 當 重 九 後 -159- 53 と ○ 龍 蛇 ⋮ 躍 動 す る 草 書 体 の 筆 勢 を た と え る 。 李 白 ﹁ 草 書 歌 行 ﹂︵﹁ 李 太 白 物の名。紫微と同じ場合も。紫微なら道教の宮殿名によくつけられる。 明朝袖を拂ひて紫薇を出で 全集﹂巻八︶に﹁怳怳如聞神鬼驚,時時只見龍蛇走﹂とある。許本は、 嘯 きて煙霞を把り、倶に抖擻す うそぶ 明 朝 拂 袖 出 紫 薇 壁上に龍蛇して空を自ら走らん 嘯 把 煙 霞 倶 抖 擻 壁 上 龍 蛇 空 自 走 世俗への別れの言葉を壁に揮毫したとする。 ■口語訳 ■文字の異同と校勘 *勝蹟録を底本とする。ただ、この詩は李白全集などには見えず、仮託 高く飛んで真っ直ぐ天台山へこそ行きたいのだ 天子や皇太子の宮殿でも行こうとはしない [嘯]周本・ ではないかとされる。 [人行]周本・許本作行人。 天台山は碧の宝玉が連なり、八方を囲まれており 青い衣の神仙が瓊台に遊ぶことを約束してくれた [薇]周本・許本作微。 [閣]周本・許本作闕。 許本作笑。 ○龍樓⋮皇太子の居所、朝廷。○鳳閣⋮華麗は楼閣で、多くは皇宮内の そこでは玉の樹木に花が九代にもわたって開き続けている その山中には人が行く路も通っている 楼 閣 を 指 す 。 謝 靈 運 ﹁ 擬 魏 太 子 鄴 中 集 詩 ・ 平 原 侯 植 ﹂︵﹁ 文 選 ﹂ 巻 三 十 ︶ 風がその香りを漂わせて、地面に落ちることもなく ■語注 に ﹁ 朝 遊 登 鳳 閣 、日 暮 集 華 沼 ﹂ と あ る 。周 本 ら の ご と く ﹁ 鳳 闕 ﹂な ら ば 、 千万もの香りで満たされ、汚れた世俗の塵などひとつぶもない った 私がここ天台山瓊台に来たのは、ちょうど重陽の節句の後であ 皇 宮 ・ 朝 廷 の 意 。 晋 王 嘉 ﹁ 拾 遺 記 ・ 魏 ﹂︵﹁ 漢 魏 叢 書 ﹂︶ に ﹁ 青 槐 夾 道 多 塵埃、龍樓鳳闕望崔嵬﹂とある。○碧玉⋮豊かな自然の樹木の緑をいう とも、神話的な碧の宝玉をいうとも取れる。○八面山⋮許本は百丈坑の こ と を 描 写 す る と い う が 、証 拠 が あ る わ け で は な い 。○ 青 衣 ⋮ 青 衣 神 か 。 煩悩や汚れを払って行く 嘯きながら、芳香をただよわせる霞を手に取り、神仙とともに 琪木⋮琪は美玉。琪樹なら仙境の玉樹で、孫綽﹁游天台山賦﹂に﹁建木 明朝には決然と紫微宮を出 民に養蚕を教えたという蠶桑氏の別名で、青い衣を着ていたという。○ 滅景於千尋、琪樹璀璨而垂珠﹂とあってより、天台山に強く結びついた 壁に草書で別れの言葉を書き付けて、大空へ自ら足を運んでい ■解説 こう 表現。○九葉⋮九代。○天風⋮風。○重九⋮九月九日、重陽の節句。こ の日は高い山に登って遊ぶのが習俗であった。○抖擻⋮もちあげてふり はらう。仏教用語では、煩悩や汚れを振り払う、頭陀行のこと。ここで はその意味か。○拂袖⋮許本は決然とした動作の様という。○紫薇⋮植 -160- 天 溶 溶 雲は濛濛たり 天は溶溶たり しかし、具体性に乏しく、他の山のことだとしても違和感はな があり、天台山を意識したものであることは間違いなかろう。 韻 か ら も 三 部 構 成 で あ る こ と が わ か る 。﹁ 天 台 ﹂﹁ 琪 木 ﹂ の 語 ・ 開 ・ 埃 ﹂ で 、 上 平 十 灰 。﹁ 後 ・ 擻 ・ 走 ﹂ で 、 上 声 二 十 五 有 。 錦 策 倒 掛 虬 枝 松 金 瓜 半 熟 蛇 護 樹 天 人 蹴 踏 奔 象 龍 五 百 眞 仙 隱 蹤 跡 天 風 吹 落 桃 花 紅 仙 源 流 水 隔 凡 世 方 廣 宛 在 虚 無 中 海 霧 掩 袂 赤 城 曉 半 天 仙 樂 聞 笙 鏞 瓊 臺 銀 闕 照 初 日 玉 京 石 扇 開 玲 瓏 台 山 星 斗 手 可 摘 錦策倒掛す 金瓜半熟す 五百の眞仙は蹤跡を隱し 仙源流水 方廣 海霧 宛も虚無の中に在り 袂を掩ふ 半天に仙樂 瓊臺銀闕 玉京石扇 蛇 天人蹴踏し象龍を奔らす 天風 虬枝の松 初日に照らされ 玲瓏と開く 台山星斗手づから摘むべく 韻 字 は 、﹁ 住 ・ 路 ﹂ で 、 去 声 七 遇 、﹁ 去 ﹂ で 、 去 声 六 御 。﹁ 臺 雲 濛 濛 天風 ︼夢遊天台山 不詳である。 ︻ ☆勝蹟録巻一 夢に天台山に遊ぶ 我が夢を吹き 李白 赤城の曉 凡世に隔たり 桃花紅 松 頭 瀑 布 灑 飛 雪 下に兀坐せる龐眉の翁有り 松頭の瀑布 飛雪を 灑 ぐ 吹き落とす 護るの樹 下 有 兀 坐 龐 眉 翁 心は空 そそ 心 空 意 定 神 氣 秀 半肩の白髪に雙睛瞳 ■本文と訓訳 一日 台山は四萬八千丈 半 肩 白 髪 雙 睛 瞳 再び天台の東に上るを夢む 笙鏞を聞く 天 風 一 日 吹 我 夢 我 い 。ま た 李 白 の 作 品 か ど う か も 決 め 手 に な る よ う な 記 述 は な く 、 我 夢 再 上 天 台 東 台 山 四 萬 八 千 丈 上に玉平の府有り 既 非 桐 柏 仙 又た閭丘公に非ず 既に桐柏仙に非ず 神氣秀で 上 有 玉 平 之 府 乃ち瑤天と通ず 又 非 閭 丘 公 定公の我が手を招き 乃ち知る むか 乃 知 定 公 招 我 手 我を 邀 へて共に摩尼の宮に入るを 意は定 乃 與 瑤 天 通 長橋一道 絶壑を度る 長 橋 一 道 度 絶 壑 猶 如 虹 霓 隱 隱 盤 晴 空 わだか 猶ほ虹霓の隱隱として晴空に 盤 まるがごとし 邀 我 共 入 摩 尼 宮 -161- 54 甘 露 洗 我 身 靈液 甘露 我が胸に 澆 ぐ 我が身を洗い る白玉京の門。仙人や天帝の居所。梁元帝﹁揚州梁安寺碑﹂に﹁白珪玄 帝の居所。あるいは仙都。○玲瓏⋮玉の清らかな音。○銀闕⋮天上にあ 我に天台の寶訣を授く 乘馬飛半天而墜﹂とある。○鏞⋮大鐘。○海霧⋮天台山は海からは遠い 中 空 。﹁ 南 史 ﹂ 梁 武 帝 紀 下 に ﹁ 及 崔 慧 景 之 逼 、 長 沙 宣 武 王 入 援 、 至 城 、 夢 そそ 靈 液 澆 我 胸 授 我 天 台 之 寶 訣 以て手を八極に 揮 ふべく 所に位置する。しかし、最高峰の華頂峯は望海尖とも称され、海が見え 璧、餞瑤池之上。銀闕金宮、出瀛州之下﹂とある。○半天⋮空の中程。 可 以 揮 手 兮 八 極 眞に造化と無窮に流る 情 未 終 言 未 盡 獨鶴の一聲 情 言 方廣に現る 我が夢を驚かす 未だ終らず 未だ盡きず ⋮方広寺には五百羅漢の説話が伝わるが、ここでは真仙としている。道 いる様。○方廣⋮天台山中の方広寺。○仙源⋮仙人の居所。○五百眞仙 袂⋮袂で被うこと。ここでは霧が赤城山に照る暁を被ってぼやけさせて 台山が海の霧に被われるという表現は、もはやありきたりである。○掩 ふる 眞 與 造 化 流 無 窮 獨 鶴 一 聲 驚 我 夢 古より活佛 るとされる。雲海を見下ろした経験と重ね合わせているのだろうが、天 自 古 活 佛 現 方 廣 仏習合の現れであろうか。○象龍⋮彫刻の龍、あるいは龍に似た馬︵漢 白月 づち、小型の龍。○兀坐⋮一人で端座する。○龐眉⋮太い眉。歳を経て 天姥の東に掛かれり 白 月 掛 在 天 姥 東 ■文字の異同と校勘 いることを表す。○桐柏仙⋮王子晋のことか。○閭丘公⋮閭丘方遠のこ 代 の 馬 の 名 ︶。 こ こ で は 象 と 龍 と と っ た 。 ○ 金 瓜 ⋮ 植 物 の 名 か 。 ○ 虬 ⋮ み なし 溶其不可量兮、情澹澹其若淵﹂とある。○濛濛⋮乱れ満ちる様。漢枚乘 ○ 溶 溶 ⋮ 広 々 と し た 様 。 劉 向 ﹁ 楚 辞 ・ 九 嘆 ・ 愍 命 ﹂︵﹁ 楚 辞 ﹂︶ に ﹁﹁ 心 溶 ■語注 不明。○天姥⋮天台山の西隣にある名山。 存続した。明代に弾圧され、ほぼ消滅した。李白とマニ教との関わりは 教とされたが、その後も明教と呼ばれ、道教や仏教の一部のような形で ササン朝ペルシャから伝播してきた宗教で、唐代に流行。武宗により禁 と か 。天 台 山 玉 霄 宮 で 修 行 し た 道 士 。○ 定 公 ⋮ 不 詳 。○ 摩 尼 ⋮ マ ニ 教 か 。 ﹁梁王菟園賦﹂に﹁羽蓋繇起,被以紅沫,濛濛若雨委雪﹂とある。○四 天、華燭光開錦繡筵﹂とある。○隱隱⋮隠れていて、不分明な様。劉宋 の仙境をいう例もある。明鄭真﹁奉呈同知錢相公詩﹂に﹁散花仙侶下瑤 里﹂とある。○玉平⋮不詳。○遙天⋮天空の美称。元代以降では、天上 風が吹いて私の夢を吹き散らす 雲は乱れ満ちる 天はひろびろと ■口語訳 萬八千丈⋮﹁真誥﹂に﹁桐柏山、高一万八千丈、其山八重、周回八百餘 鮑照﹁還都道中詩﹂に﹁隱隱日沒岫、瑟瑟風發谷﹂とある。 ○玉京⋮天 -162- 私は再び天台山の東に昇るのを夢に見ている その心は空、意識は定であり、精神気息が秀で その上には玉平府がある 閭丘公でもありえない もとより王子晋様であるはずはなく 白髪が肩の半ばにかかっており、双眼は清らかだ そこから天上の仙境とつながっているのだ そうこうしているうちに覚った、定公が私の手を引いて 天台山は高さが四万八千丈 長い橋が一本、絶壁を渡っており 私をマニ教の宮に迎え入れようとされているのだと そして私に天台の宝たる秘訣を授けてくれた 霊液が私の心に注いで汚れを払った 甘露が我が身を洗い清め ちょうど、虹がぼんやりと晴れた空に蟠っているかのよう 天台山からは北斗星が手でつかめるほどであり 天台山の瓊台と天界の銀闕とが初日に並び照らされて かくして四方八方の天の果てまで飛び去ることができ 仙界の門の石の扉が開く美しい音が聞こえる 中空には仙界の音楽が鳴り、笙や鏞の音が聞こえる その言葉が未だ言い終わらず 造物主とともに無窮の時間に流れることができることとなる 方広寺も、なにもない虚無の空間にあるかのようだ 気持ちも引き続いているうちに 立ちこめる海霧が赤城山を照らす暁を霞ませ 清らかな水の流れる仙境は塵世からかけ離れており 鶴の一声で夢から覚めた 天台・赤城山・方広・桐柏仙など、明らかに天台山を詠んだ が、上平二冬の韻。両者は通韻であろう。 ・ 窮 ・ 終 ・ 夢 ・ 東 ﹂ が 、 上 平 一 東 の 韻 で 、﹁ 鏞 ・ 龍 ・ 松 ・ 胸 ﹂ 韻字は﹁濛・夢・東・通・空・瓏・中・紅・翁・瞳・公・宮 ■解説 白く輝く月が、天姥山の東に懸かっていた そういえば、方広寺には生き仏が現れるという 吹く風が赤い桃の花びらを散り落としている ここには五百もの仙人が隠棲し 神人が象や龍を駆使して飛び回っている 蛇が守護する樹木に、金の瓜が半ば熟してまとわりつき みずちが形成する松に、錦の策を逆さまにして架ける 松の先端に瀑布の水が飛ぶ雪のように注いでる その下に、眉の長い翁が一人で端座している -163- も の で あ る 。し か し 、実 際 の 登 攀 で は な く 、夢 で の 遊 覧 で あ る 。 海潮を逐ふ ■文字の異同と校勘 餘音 山﹂の詩がある。この詩はそれを踏まえたものか。夢で天台山 * 皇甫曾詩集を底本とする。異同は無いが、劉長卿関係資料とは異同が 餘 音 逐 海 潮 に遊び、楽しんでいたところ、一人の神仙に摩尼宮に招かれ、 ある。 天台山への夢の遊覧と神秘体験について、李白には﹁夢遊天姥 作者自身も清められた。と、そこで目が覚めた、というもので ○少微上人⋮不詳。○迢迢⋮道のりが遠い様。○松門⋮天台山の国清寺 [寺]劉長卿集作路。 [梁]劉長卿作橋。 少微上人の東南遊するを送る へは松林を抜けていく。○瀑布雪⋮天台山で最も有名な石梁瀑布を指す そこをただ一人で向かわれるが、道のりは果てしがない 天台山の石梁は中々人が行き出さないところ ■口語訳 だろうが、ここでの雪とは飛沫ではないか。 皇甫曾 ■語注 ある。マニ教との関わりも含め、李白の手になるかどうかを判 ︼送少微上人東南遊 断する決め手はない。 ︻ ☆周本、許本巻五に一聯 ★ 天 台 山 方 外 志︵ 以 下﹁ 方 外 志 ﹂︶、全 唐 詩 巻 二 一 ○ 、古 今 図 書 集 成︵ 以 下 ﹁ 古 今 ﹂︶ 巻 一 二 五 、 皇 甫 曾 詩 集 ︵ 四 部 叢 刊 三 編 ﹁ 唐 皇 甫 冉 詩 集 ﹂ 附録︶ 劉長卿詩集巻一 食べ物をもらおうにも山中に人家は少なく 獨 往 更 迢 迢 石 梁 人 不 到 鐘を尋ねて 食を乞はんとするも 獨り往き 石梁 自ら掃き 更に迢迢たり 到らず 石梁飛瀑では、飛沫が消えない雪のように飛び散っている 国清寺の門前をなす松並木は、きれいに風に払われており 鐘の音を頼りに遙かな山寺へと進む 乞 食 山 家 少 風 消え難し ■本文と訓訳 尋 鐘 野 寺 遙 松門 雪 人 松 門 風 自 掃 瀑布 清梵を聞く 野寺遙かなり 韻 字 は 、﹁ 迢 ・ 遙 ・ 消 ・ 潮 ﹂ で 、 下 平 二 蕭 の 韻 。 五 言 律 詩 。 ■解説 その途切れない声は海の潮の音を追っているかのよう 秋の夜、僧侶達の唱える清らかな念仏の声が聞こえる 瀑 布 雪 難 消 秋夜 山家少なく 秋 夜 聞 清 梵 撰者の皇甫曾︵七二三∼七八五?︶は、字は孝常、皇甫冉の -164- 55 巻﹂があり、今は﹁皇甫曾詩集﹂として兄の詩集に附載されて の 進 士 で 、 諸 官 を 歴 任 し た 。 兄 と 並 ん で 詩 名 を あ げ た 。﹁ 集 一 弟。唐の潤州丹陽︵江蘇省鎮江︶の人。天宝十二年︵七五三︶ 此 生 隨 萬 物 王 喬 鶴 不 群 范 蠡 舟 偏 小 老 去 恨 空 聞 何れの處にか塵氛を出さん 此の生 王喬 范蠡 鶴 舟 群がらず 偏へに小にして 老い去りて空しく聞くを恨む 萬物に隨ふ いる。 何 處 出 塵 氛 天台山へ向かう人を送るもの。その中で、天台山を描写する ■文字の異同と校勘 が、国清寺の松並木や石梁飛瀑などの有名な形勝を描く。実体 験に基づく、写実的なものではなく、手にしている情報をもと 杜詩詳注を底本とする。 に 収 録 。劉 長 卿 は 生 没 年 不 詳 。開 元 二 十 一 年︵ 七 三 三 ︶の 進 士 。 ○方丈⋮東海の神山の一つ。孫綽﹁遊天台山賦序﹂に﹁渉海則有方丈蓬 ■語注 [ 老 去 ] 全 唐 詩 一 作 身 老 。[ 處 ] 全 唐 詩 作 路 。 に想像したものだろう。 この詩は、全唐詩巻一四七の、劉長卿﹁送少微上人遊天台﹂ 至徳年間︵七五六∼七五八︶の在官は確認できる。その後左遷 莱、登陸則有四明天台﹂を踏まえた表現。○范蠡舟偏小⋮范蠡は春秋越 私は俗世にあって長く絵を眺めてきたが -165- の 詩 に 酷 似 し て い る 。同 詩 は 劉 長 卿 の 詩 集︵﹁ 四 部 叢 刊 ﹂初 編 ︶ さ れ る な ど し て 、 河 北 の 隨 州 刺 史 で 終 わ る 。﹁ 劉 長 卿 集 ﹂ 十 巻 ﹁王喬控鶴以冲天﹂とある。 扁舟、浮於江湖﹂と表現する。○王喬⋮王子晋。孫綽﹁遊天台山賦﹂に えて、商人として成功した。国を去るところを﹁史記﹂貨殖列伝は﹁乗 の名臣。宿敵の呉を破った後、政治家をやめて国を去り、名を朱公と変 三首︵其の二︶ ︼觀 李 固 請 司 馬 弟 山 水 圖 三 首 ︵ 其 二 ︶ がある。 ︻ 李固、司馬弟に請ふの山水圖を觀る 渾 て水に連なり 年老いてしまい、これら仙山を実見できないことを恨むばかり 杜甫 ■口語訳 方丈山は四面を水で囲まれ 方丈 總じて雲に映ず 天台山はその姿を雲に映している 方 丈 渾 連 水 天台 范蠡は小さな舟を浮かべ ■本文と訓訳 天 台 總 映 雲 人間にて長く畫を見る 王喬はたった一羽の鶴に乗っている 人 間 長 見 畫 すべ ★全唐詩巻二二六、杜詩詳注巻十四 56 彼らは万物の変化のままに自然にしており 汚れた塵埃とは全く無縁である ■本文と訓訳 ややもす 嵩陽に到らざること 動 れば 韻字は﹁雲・聞・群・氛﹂で、上平十二文の韻。五言律詩。 三 十 六 峰 猶 眼 前 一 二 故 人 不 復 見 舊 時 心 事 已 徒 然 夷門は二月柳條の色 三十六峰猶ほ眼前にあり 一二の故人復た見えず 舊時の心事 不 到 嵩 陽 動 十 年 杜甫︵七一二∼七七○︶については略す。 夷 門 二 月 柳 條 色 流鶯數聲し涙 十年 あるその弟の山水図について、杜甫の題を請うたのに応えたも 流 鶯 數 聲 涙 沾 臆 井を鑿ち田を耕やし 已に徒然たり のだという。蜀滞在中︵七五九∼七六五︶の作か。三首からな 鑿 井 耕 田 不 我 招 知る君の此を以て帝力を忘るるを ■解説 り、第一首は作詩の経緯と蓬莱が描かれていることを歌い、第 知 君 以 此 忘 帝 力 山人好く嵩陽の路に去る 杜詩詳注によれば、蜀人の李固が、司馬の官を務めたことの 二首が画中の風景と人物、第三首が画中の山水と景物を描く。 山 人 好 去 嵩 陽 路 惟だ余は眷眷として長く相ひ憶ふ ■文字の異同と校勘 我を招かず 臆を沾す その第二首。 惟 余 眷 眷 長 相 憶 その絵に方丈山・天台山や范蠡・王喬が描かれているので、 もよかろう。山水画を見て、孫綽の﹁遊天台山賦﹂や范蠡を連 題 に つ い て 、 全 唐 詩 一 作 別 楊 山 人 。[ 時 ] 全 唐 詩 一 作 家 。 そのことを述べたと解する意見があるが、必ずしも宗でなくと 想してこのように述べたとも解せよう。いずれにせよ孫綽の賦 ■語注 に触れつつ天台山に関することを歌っていることには違いがな い。手慣れていると言えるが、素材や表現においては、ややあ 封︶をも指した。○鑿井耕田、忘帝力⋮尭帝の治世があまりにもすばら 国時代魏の都城の東門。夷山の上にあったからの呼称。のち、大梁︵開 る 。 こ の う ち 、﹁ 少 室 山 三 十 六 峯 ﹂ の 呼 称 が 速 く か ら 見 え る 。 ○ 夷 門 ⋮ 戦 それだけである状況。○三十六峯⋮嵩山は太室山と少室山の二山からな ○嵩陽⋮いまの登封。嵩山の麓のまち。○動⋮たちまち。○徒然⋮ただ 高適 楊山人の嵩陽に歸るを送る りきたりであろう。 [ 参 考 ]送 楊 山 人 歸 嵩 陽 ★全唐詩巻二一三 しく平穏なので、老人が﹁鑿井而飲、耕田而食、帝力何有於我哉﹂と言 っ た と い う︵ 皇 甫 謐﹁ 帝 王 世 紀 ﹂︶。も と は 政 治 の す ば ら し さ を 表 し た が 、 -166- の ち に 隠 居 し て 世 事 に 関 わ ら な い こ と を﹁ 忘 帝 力 ﹂と 言 う よ う に な っ た 。 嵩山﹂の詩があり 四 四 ︶、 大 梁 ︵ 今 の 開 封 ︶ で の 作 と す る 。 李 白 に ﹁ 送 楊 山 人 帰 ︵3︶ 、やはり天宝三年か四年の作という説が 高適﹁酬龐十兵曹﹂にも﹁耕耘忘帝力﹂とある。 ある。 考察∼盛唐期の天台山と文学 ■口語訳 嵩陽に戻らなくなってあっという間に十年たった ①はじめに︱これまでの振り返り 方を考えた。 ったのかについて考察した ︵4︶ 。その折には、次の三つのあり 台山をどのように、またどのようなものとしてとらえ、詩を作 稿者はかつて、盛唐時代までを区切りとして、詩人達が、天 昔の、嵩山に隠遁したいと思っていた気持ちで今はいっぱいだ 幾人かの知人にはもう会えなくなり 少室山の三十六峯が目の前にありありと浮かぶ ここ開封の二月、柳の枝は色づき初め あなたは自給自足の生活に向かわれ、私を招こうとはしない C﹁自らがそこを訪れる山﹂の三者である。そして天台山の場 そ こ を 訪 れ る 人 が い る こ と を 前 提 と し た 実 体 性 を 帯 び た 山 ﹂、 即 ち 、 A ﹁ 遠 く か ら 思 い や る 山 ﹂、 B ﹁ 自 ら は 訪 れ な い が 、 ここから本格的に隠遁されるおつもりなのが分かる 合、Aでは﹁神山﹂や仙境と等しく、Bでは﹁道観などがある 飛ぶ鶯たちの声を聞けば、涙が胸を潤す 山人はすばらしくも嵩陽への道に旅立たれた 道教修養の場﹂であり、Cでは﹁詩人自らが山中を遊行﹂する そして東晋孫綽の﹁遊天台山賦﹂以降、天台山を題材とする ﹁道教修養の場﹂であったとした。 私はここで恋々と思い慕うばかりである ■解説 ︵四部叢刊︶がある。旧唐書巻一一一、新唐書巻一四三本伝。 史・節度使などを歴任して、渤海侯で終わった。高常侍集八巻 夫、また仲武。長く在野にあったが、玄宗朝の末に任官し、刺 高 適 ︵ 七 ○ 四 ∼ 七 六 五 ︶ ︵ 2 ︶は 、 渤 海 ︵ 河 北 省 ︶ の 人 。 字 は 達 で、入声十三職の韻。 現前の人物の隠棲先という確かな実体性を帯びたものであっ 詩人達の詩作群であった。そこでの天台山は、司馬承禎という が登場した。それが初唐期・睿宗朝の、司馬承禎と彼を見送る Bタイプの、天台山を﹁人間が訪れることを前提とする﹂もの て唐代に入ると、相変わらずAタイプは作られ続けるものの、 から思いやる神仙の山﹂という域をでるものはなかった。そし 詩歌が数多く作られていたが、六朝時代にはAタイプの﹁遠く この詩は、宋州︵今の河南省商丘あたり︶で流浪していたと た。また、孫綽の賦を踏まえた表現も見られたが、司馬承禎に 韻 字 は﹁ 年 ・ 然 ・ 前 ﹂で 、下 平 一 先 の 韻 。 ﹁色・臆・力・憶﹂ き の 作 で あ ろ う 。劉 開 揚﹃ 高 適 詩 集 編 年 箋 註 ﹄は 、天 宝 三 年︵ 七 -167- 日月 金銀の臺 照耀す 関 わ り の 深 い ﹁ 白 雲 ﹂﹁ 琴 ﹂ な ど 、 そ れ ま で に な い 物 象 が 登 場 風を馬となし 紛紛として來り下る 鸞は車を迴らし 列すること麻の如し ︼と同様のものである。こうした神山・仙境としての天台 またBタイプのものでは、盛唐期では楊山人に関わっての試 山像は、その後も作られ続けていくのである。 ︻ の入り口と捉えているものだといえる。その点でいえば、右の ものと捉えているか、という点でいえば、仙境、あるいは仙境 価を得ているものだが、この詩も、天台山系の山をどのような 分である。李白の想像力の飛躍ぶりを表すものだとして高い評 これは、天姥山の洞窟の奥に広がる別天地、仙境を描いた部 神僊の人 虎は瑟を鼓し 雲中の君は 霓を裳となし 。 ︵5︶ するなど、表現の面でも新しいものが見られるようになってい た。ここまでが前稿である ②盛唐期にも継続するABタイプ 獨り怪しむ阮郎の歸るを 瓊樓に羽衣を試みる 雲鶴待ちて將に飛ばんとす 笙歌して翠微を訪ぬ ︶ 子 容﹁ 送 蘇 倩 遊 天 台 ﹂が あ る 。 ︼︵ 6張 盛唐期に入っても、AB両タイプの詩は作られ続ける。 滄海を尋ね Aタイプとしては、 ︻ 靈異 水鷗 迎へて共に狎れ な 琪樹に仙果を嘗め 遙に知る神女の問ふを これは天台山へ向かう人を送る詩だが、笙・鶴といった王子 晋 伝 説 の 小 道 具 が あ り 、 孫 綽 の 賦 に 見 ら れ る ﹁ 琪 樹 ﹂﹁ 瓊 楼 ﹂ 作 が あ る 。︻ ︼李白﹁送 という語に類似する言葉が用いられている。天台山で仙女と出 楊山人歸天台﹂の二つである。この楊道士と楊山人とは同一人 39 それは孟浩然に始まり、李白へと継承される。 天台山を訪問・遊行し、その体験をもとに作られた詩である。 く。しかし、盛唐期になって初めて登場したのが、詩人自らが こうしたBタイプの詩歌も、やはり後世でも作られ続けてい その山に帰って行くのを見送る詩である。 かとされる。この二つの詩は、天台山を住まいとする道士が、 物で、徳宗時代に宰相をつとめた楊炎の父である楊播ではない ︼ 張 九 齡 ﹁ 送 楊 道 士 往 天 台 ﹂ と 、︻ 逢ったという阮肇︵阮郎︶も登場するなど、仙境としての天台 浩蕩として底を見ず 22 -168- 23 23 ︼﹁ 夢 で 天 姥 山 に 遊 ぶ の 詩 ﹂ で は 次 の よ う に 山像が表されている。 石扉 また李白の︻ 言う。 洞天 青冥 訇然として中に開く 46 ③孟浩然と天台山 。そして孟浩然の詩の中には、彼が ︵7︶ 孟浩然の天台山入りについて、加藤国安氏は開元十八年︵七 三○︶のこととされる 既に早く發し 日に已に遠く 亦た宵に濟る 坐 く翳を成す やうや 吾も亦た此より逝かん 群木 行行として艫枻に任す 漁浦 ︼﹁ 將 適 天 台 留 別 臨 安 李 主 簿 ﹂ に は 次 の よ う に あ る 。 確かに天台山を訪れたことを確認できるものがいくつか見られ る。 ︻ 定山 故林 丹邱に在り 泛泛として波瀾に隨ひ 羽人 るなど、天台山への道のりが、快適な自然の中にあることは表 現されている。これから訪れる、未だ見ぬ天台山に対する期待 ︼﹁ 舟 中 曉 望 ﹂ は 、 天 台 山 へ 向 か う 船 旅 の 途 上 の 作 で あ 感が込められているものと言える。 ︻ 青山 水國 遙かなり り、まもなく赤城山に至ろうという、明け方の場面を描く。 席を挂けて東南に望めば 來往 風潮に接す 利渉を爭ひ 舳艫 天台に石橋を訪ねんとす 疑ふらくは是れ赤城の標か 我に問ふ今何くに去ると 坐 く看る霞色の曉 やうやく た表現ではある。しかし実際に彼の地を訪ねてみると、赤城山 赤城山が天台山の標識であるというのは、孫綽の賦に見られ 詩中の定山と漁浦は天台山へ向かう途上の、富春江沿いの地名 はまさしく天台山の入り口に聳える特徴的な景観をなしてお まか 風帆に 信 せ 夕宿 雲島に 逗 まる とど ︼﹁ 宿 天 台 桐 柏 觀 ﹂ は 、﹁ 天 台 山 中 の 道 観 で あ る 、 桐 柏 海汎 観に宿泊して﹂という題のものである。 ︻ にしての感動を描いたものだと見ることができる。 か、あるいは暁の霞の中に浮かび上がる赤城山を、目の当たり 将に目の前に現れようとしていることへの期待を歌ったもの は、話には聞いており、想像し、あこがれていた赤城山が、今 だ が 、 左 に 掲 げ た 、 謝 霊 運 ﹁ 富 春 渚 ﹂︵﹁ 文 選 ﹂ 巻 二 六 ︶ に 見 え 赤亭にて淹薄すること無し 旦に富春の郭に及ぶ り、見る人にインパクトを与えるものである。この孟浩然の詩 宵に漁浦の潭を済り はるか 定山は雲霧に 緬 にして ︼の詩の最後の聯に、孫綽の賦にある﹁丹邱の羽人﹂が たりと波にまかせて進んだ先にある、木陰をなす川筋の先にあ 詩ではまだ具体的なイメージは表出されていない。しかしゆっ ものとなっている。訪問先である天台山自体については、この 登場しはする。しかし孟浩然自らがそこへ赴くことを宣言する ︻ る も の で 、同 じ 地 を 通 っ た 謝 霊 運 を 意 識 し た も の と な っ て い る 。 こ れ は 、こ れ か ら 天 台 山 へ 向 か お う と し て い る 時 の 作 で あ る 。 28 29 -169- 27 27 緬 に尋ぬ滄洲の趣 はるか と 蘿を捫り亦た苔を踐み やす 垂れ 陰に息み桐柏に憩ふ 鶴唳きて清露 ここ よ 近くに愛す赤城の好きを や 棹を輟めて窮討を恣にす 秀を采りて芝草を弄ぶ 早し 此より煩惱を去らん 鷄鳴きて信潮 願はくは 言 に纓紱を解き ④李白と天台山 最後に李白の詩を検討する。李白には天台山に関わる詩が十 七点ほど確認できるが、その内容から四種類に分けられる。ア ﹁ 李 白 自 身 が 天 台 山 を 訪 れ た こ と を 契 機 と す る も の ﹂、 イ ﹁ 李 白 以 外 の 人 間 が 天 台 山 を 訪 れ る こ と に 関 わ る も の ﹂、 ウ ﹁ 神 山 と し て の 天 台 山 を 詠 う も の ﹂、 エ ﹁ 山 岳 を 描 く 絵 画 に 関 わ る も 彼の長生の道 學ばんかな の﹂である。 玄蹤に二老を得ん 吾が遠遊の意 高歩して四明を凌ぎ 紛たるかな 空しく浩浩たり が描かれていることから、内容上はウと同様と考えられる。こ 雲濤 内容は、遙か遠くからようやく天台山に到着したことから歌 れらは、天台山を描いた詩のAタイプで、六朝期以来の山岳観 三山を望めば い始め、隠者や神仙に思いをはせながら山中を遊行する様を歌 を引き継ぐものである。イは、天台山を描いた詩のBタイプの 日夕 う。自らの天台山体験を踏まえながら、山中で思い巡らした様 ものであり、初唐期以来のものを受け継いだものだが、魏万と われる。この点は後述する。 。 ︵8︶ 獨り往き いた 溟渤に 泛 ぶ うか ここでは先ず、アの﹁李白自身が天台山を訪れたことを契機 とするもの﹂を検討する いた ︼同友人舟行遊台越作 海月を拾ふ ︻ 楚臣 席を 挂 げて おとな 前跡を 訪 ひ かか てその体験を元にした詩を作っていることも間違いなかろう。 沙を懷にして瀟湘を去り われ 予 攀づべからず 此より眞骨を錬らんことを 浮雲の没するがごとし 謝客 ここに至って、天台山は、想像して描く山から、そこを実見し 蹇 江楓に 傷 み て詩歌を作る対象へと移っていったのである。そして孟浩然は 古人 ここ 窮髮に 造 らんとす 天台山を、道士が道教の修養をしている場所、更には孟浩然自 願はくは 言 に倒景を弄し ああ 身も、そこでの山中遊行や道士訪問などを通して、道教的な精 蓬壺に超忽を望まん -170- このうち、エは、結局のところ﹁神仙の山﹂としての天台山 々 な 思 い を 述 べ 、﹁ 煩 悩 を 去 る こ と ﹂、﹁ 長 生 の 道 を 学 ぶ こ と ﹂ ︼﹁ 尋 天 台 山 ﹂ が あ る 。 ︼については、それまでにない性格が伺 いう人物を送る詩︻ ︼﹁ 寄 天 台 道 士 ﹂、︻ ︼﹁ 越 中 逢 天 台 太 一 子 ﹂ が あ り 、 同 じ 人 物 と の 関 わ り を 示 このほか、天台山において太乙という道士と交わる詩として を歌っている。 ︻ す詩として︻ 44 華頂に絶溟を窺ひ し、そこに宿泊して山中遊行を行ったことは間違いない。そし 以上孟浩然の詩を検討してきたが、彼が確かに天台山を訪問 32 神修養を行いうる場所としているのである。 35 31 30 や 緑芳の歇むを 但だ怪しむ わた 知らず 此より魏闕に謝せん 青春の 度 るを 空しく釣鼇の心を持ち 台山の入り口に門のように立ち、高殿のように聳える巌の上に は仙境を照らす月が架かっているとする。天台山と想像上の仙 境とを重ね合わせているが、実物の天台山を眺めた経験を踏ま と い う 表 現 は 、 孫 綽 の 賦 に あ る 、﹁ 天 台 山 は 、 そ の 姿 を 海 の 中 原 を 、謝 客 は 謝 霊 運 を 表 す 。ま た﹁ 逆 さ ま の 景 勝 を も て あ そ ぶ ﹂ が、それは実際の海ではなく、眼下に広がる雲海を見てのこと 歌う。華頂峯からは海が見えるとは、しばしば言われることだ 中頃の六句は天台山からの、おそらくは華頂峯からの眺望を えたものと言えるのではないか。 に逆さまに隠している﹂とする表現と通じている。また華頂峯 ではないか。李白は、雲海を見下ろすうちに、大空から大海を ﹁舟に乗って台越の地に遊ぶ﹂という題のもので、楚臣は屈 から大海を伺うとあれば、ここでの訪問先は、天台山というこ 溟渤を見る 滄島の月 直下に や 歇まず 巨鼇没せん 何ぞ翕忽たる 心 金骨を錬る ︻ 三千里 出でて つと ︼﹁ 舟 中 暁 望 ﹂ と 類 似 し て 赤城の霞 青龍と 五内に金沙發す 輝を分かち 剏 に起つ 瓊液を嚥めば の 紅光散じ ︼早望海霞邊 四明 日 一餐 何の待つ所ぞ 白虎の車 山を振り返っている場面であろう。赤城山を掩う霞のつぶは、 早朝に天台山・赤城山を出発し、四明山に向かいつつ、赤城 首を舉ぐるは 雪崖を照らす おり、孟浩然を意識して作られたものかもしれない。 なおこの詩の題は、孟浩然の詩︻ 仙界へのぼっていくことを夢想するのが最後の六句であろう。 見下ろす、鳳凰になった気持ちになっている。そしてそのまま 華頂 ︼天台曉望︵題桐柏觀︶ 四明に隣し やど 樓は 棲 す 神怪 波動きて 遠く登りて覽れば 赤城の霞 百越に高し とになろう。 ︻ 天台 しる 門は 標 す よ 高きに憑り ひるがえ 大鵬 翻 り 爭ひて洶湧し 雲垂れて 風潮 道を好みて はて 倪 無く 跡 藥を服し 奇を觀て 珠實を摘み 千春 よ 條に攀じて 羽翰を生じ 蓬闕に臥せんことを 安んぞ得ん 以上三つの詩を検討してきたが、これらはいずれも李白が天 朝日を浴びてきらきらと輝いており、仙薬となるのである。 台山関係の詩を集めた詩集では﹁桐柏観﹂という題になってい 台山を訪れ、山中を遊行し、また山頂などから彼方を遠望した -171- 28 る。初めの四句は天台山を概説するが、霞をまとう赤城山が天 李 白 の 詩 集 で は ﹁ 天 台 山 の 明 け 方 の 眺 め ﹂、 宋 代 ・ 明 代 の 天 37 36 を期待しているかと言えば、いずれも人を神仙へと変化させる 経験を踏まえているものと思われる。そして天台山に李白が何 が訪れたときに作った作品のような、遊仙的な雰囲気はあまり を鑑賞に堪える名山として描いている。ただし、先の李白自身 れに懸かる明月、風や渓流の音などを駆使して描写し、天台山 ︼の 詩 で は﹁ 眞 骨 を 錬 る ﹂、 ︻ が身が変化できるとしているのである。ここでは天台山は、道 である。 ⑤まとめ 次に李白の天台山の詩のうち、イ﹁李白以外の人間が天台山 神山として捉えられていた。そこを訪問しての詩作は殆どなさ 台 山 は 、遠 く か ら 思 い 、想 像 す る 存 在 で あ り 、神 仙 が 棲 む 仙 境 、 以上、検討してきたことをまとめると、六朝時代までは、天 を訪れることに関わるもの﹂の中の一首を取り上げる。それは れず、山岳の姿も曖昧模糊としたものに留まっていた。それが ﹁︻ 五 十 六 言 の 序 文 と 百 二 十 句︵ 五 言 ︶か ら な る 長 大 な 詩 篇 で あ る 。 って、中原から呉越を遍歴した様を描く。おそらく自らの遊歴 つ。そして、中間部分の第二段から第五段は、魏万が李白を追 が、第一段と第六段だけをつなげても、送別の詩として成り立 全体として、魏万が王屋山に帰るのを見送る送別の詩なのだ 道教修養の場、また山中遊行の場として描かれるようになるの うになると、個別の山としての姿がより明らかになる。そして 李白が、実際にそこを訪れ、そこでの体験に基づく詩を作るよ しての性格を表すようになる。そして更に、盛唐期の孟浩然と 実の山岳として捉えられるようになる。更に道教の修養の場と を活発化させ、詩人たちとも交わることにより、天台山像は現 経験を踏まえつつ、魏万がそれをなぞっているであろうと想像 である。 てのものであると想定されているが、実は李白の記憶から呼び 起こされたものである。 そして、呉越の名勝を順々にたどりつつ紹介しており、さな ︵1︶本稿は同趣旨の訳注の八本目で、先立つものは次の通り。 第五八巻第一号 二 ○ ○ 九 年 。﹁ 同 ︵ 其 三 ︶ ︱ ︱ 六 朝 以 前 ︵ 下 ︶﹂﹃ 同 ﹄ 二 ○ ○ 九 年 。﹁ 同 ︵ 其 二 ︶ ︱ ︱ 六 朝 以 前 ︵ 中 ︶﹂﹃ 同 ﹄ ﹁ 天 台 山 の 詩 歌 ︵ 其 一 ︶ ︱ ︱ 六 朝 以 前 ︵ 上 ︶﹂﹃ 埼 玉 大 学 紀 要 教 育 学 部 ﹄ その中で、第三段の後半で天台山を登場させている。国清寺 第五八巻第二号 が ら 、﹁ 呉 越 旅 遊 大 観 ﹂ と で も い う べ き も の と な っ て い る 。 注 し、同じ道を歩ませている。その間の叙景は、魏万の目を通し 訳注では詩を内容から六段に分けた。 唐代に入り、司馬承禎など天台山を拠点とする道士などが活動 ︼ 送 王 屋 山 人 魏 萬 還 王 屋 ︹ 并 序 ︺﹂ で あ る 。 こ の 詩 は 、 教的な修養の場として捉えられている。 感じられないものとなっている。遊歴の対象としての天台山像 ︼の 詩 で は﹁ 金 ことである。 ︻ ︼の詩では﹁五内に金沙が発生する﹂とあっ 36 た。天台山中での様々な修養により、仙境へ昇れる存在に、我 骨 を 錬 る ﹂、︻ 37 35 ・華頂峯・石梁飛瀑などの景勝地をあげていき、聳える峯やそ -172- 44 第五九号第二号 二 ○ 一 ○ 年 。﹁ 同 ︵ 其 四 ︶ ︱ ︱ 初 唐 ﹂﹃ 同 ﹄ 第 六 ○ 巻 第 二 ○ 一 一 年 。﹁ 同 ︵ 其 五 ︶ ︱ ︱ 盛 唐 ︵ 上 ︶﹂﹃ 同 ﹄ 第 六 一 巻 第 一 号 二○一二年。 二 ○ 一 一 年 。﹁ 同 ︵ 其 七 ︶ ︱ ︱ 盛 唐 ︵ 中 の 下 ︶﹂﹃ 同 ﹄ 第 六 十 一 巻 第 二 二 ○ 一 一 年 。﹁ 同 ︵ 其 六 ︶ ︱ ︱ 盛 唐 ︵ 中 の 上 ︶﹂﹃ 同 ﹄ 第 六 一 巻 第 一 号 一号 号 ︼送楊山人歸天台。 ︵ 2 ︶高 適 の 経 歴 は 、劉 開 揚﹃ 高 適 詩 集 編 年 箋 注 ﹄ ︵ 一 九 八 一 、中 華 書 局 ︶ による。 ︵ 3 ︶︻ ︵ 4 ︶ 日 本 中 国 学 会 第 六 十 三 回 大 会 ︵ 二 ○ 一 一 年 十 月 九 日 、 九 州 大 学 ︶。 ︼の番号は、拙稿で検討した詩歌のうち、唐代の作品 ︵ 5 ︶ 拙 稿 ﹁ 天 台 山 の 詩 歌 ︵ 其 四 ︶ ︱ ︱ 初 唐 ﹂。 ︵6︶本稿中︻ の通し番号。 ︵ 7 ︶加 藤 国 安﹁ 孟 浩 然 と 天 台 山 ︱ 霊 山 で の 至 高 体 験 ﹂ ﹃東洋古典學研究﹄ 第 十 八 号 ︵ 二 ○ ○ 四 年 ︶。 ︵8︶李白の天台山訪問については、天宝元年︵七四二︶と同六年︵七 四七︶の二つの説がある。あるいは二度とも訪れたのかもしれない。 一月 十一日受理 二〇一二年 十一月 十二日提出 ( ( 二〇一三年 -173- 39 ) ) -174- 埼玉大学紀要 教育学部, 62(1):175-190(2013) 中学校英語教科書における文法記述と語彙導入の問題点 ——Sunshine English Course の場合—— 牛江一裕 埼玉大学教育学部英語教育講座 キーワード:文法、語彙、中学校英語教科書 1.はじめに 外国語の学習においてはどのような内容をどのような順序で学習するかということが重要であ り、入門期においてはその重要性はより一層顕著である。内容とその配列がしっかり考えられた 教材を用いれば、学習が効果的・効率的に進むことが期待できるが、それらが不適切な教材を用 いれば非効率的であったり、学習者に混乱を引き起こしてしまったりする。また、とくに口語表 現などとの関係で同じような意味を表しうる複数の表現の可能性がある場合に、それらの用法に ついて適切な指導が行われなければ、ある状況では不適切な表現をそうとは知らず用いてしまっ たりすることにもなりかねない。 教科書での教材の配列を決定するにあたってはさまざまな要因が考慮されなければならないし、 実際考慮されてきているであろうことは疑いない。その中で文法事項の配列については「基本的 なものから発展的で高度なものへと順次配列する」という原則を立てることは意見の一致すると ころであろう。 「基本的なものから」ということの別の言い方として、まずあるものを学んでおけ ば、次に新しいことを学びやすい、そのような配列と言ってもよい。適切に配列された教材は学 ぶ生徒の側だけではなく、教える側にとっても使いやすく教えやすいはずである。ただし、何が 基本的で、何がより高度か、ということが十分明確にされなければ、ただ直感に基づくのみで何 ら客観的な基準に基づいて配列が決められていないという事態に陥ってしまう。直感に基づくこ とが必ずしも悪いとは限らないし、直感に頼らざるを得ない場合もある。しかし、その直感が本 当に正しいかどうかはできる限りしっかりと検証されるべきであり、それができる可能性を示し ている言語理論も発展しつつある。もちろん教科書における文法項目の配列は、直感だけでなく これまでの長い年月にわたる積み重ねの中で経験に基づいて決められてきている部分も多いわけ だが、それ以外の外部からの要因に拠っている部分もないわけではない。 そのような観点から考えてみた時、現行の中学校英語教科書における文法事項の説明、および 文法項目と語彙の導入順序・配列には多くの問題が含まれているように思える。本稿では配列順 序に関する原理的な方針を提示することまではできないが、教科書作成に際して考慮すべきポイ ントについて、文法項目の記述と配列を中心に 2009 年度版中学校外国語科用教科書 Sunshine English Course(以下 SEC)を具体的に取り上げ、検討する。 2.関係節と接触節 関係代名詞を用いた(1)のような関係節構文に対して、関係代名詞のない(2)のような構文は接触 節(contact clause)と呼ばれる。 -175- (1) a. b. (2) a. The dictionary that I use every day is very old. My father loves the car which he bought from his friend. (SEC 3:92)2 The dictionary I use every day is very old. b. My father loves the car he bought from his friend. c. Is there anything you want that you have not? (Jespersen, MEG) 1998 年度版中学校学習指導要領では関係節と接触節を別の構文とし、接触節の方を先に導入する べきであるとしていた。さらに、関係代名詞は理解の段階にとどめるという条件が付けられてい た。馬場(2005)は「2002 年度版までは、接触節を関係節よりも前に導入していたのは Horizon だ けであった。これに対して 2006 年度版では、Total 以外のすべての教科書が接触節を先に導入す るよう切り替えた。この変化は、1998 年度版の学習指導要領において、接触節が関係節とは異な る概念として明示され、関係代名詞については「理解の段階にとどめる」という歯止め条項が付 されたことによることは明らかである。」と述べている。 この点について、開隆堂出版編集部(2005)は教科書に関する Q&A の中で次のように述べてい る。 『中学校学習指導要領(平成 10 年 12 月)解説−外国語編−』の「接触節については、先行詞に よる使い分けが必要ないなど、学習上の負担が比較的少ないと考えられ、関係代名詞節とは別 のものとして考えることとする。」に依拠しています。英語では後置修飾構造が重要であり、語、 句による後置修飾の延長上の、節による後置修飾を「接触節」として提示しております。接触 .............................. 節による修飾節の導入は、あくまでも修飾構造の付加の仕組みが、日本語の前置修飾とは逆に ................... なるという、修飾節に関する基本的な理解を容易にするためにあります。見た目は関係代名詞 (目的格)の省略とまったく同じですが、 「省略」という概念は省略されたものを補って考える という複雑なプロセスをとります。 「接触節」はもともとそこには何もなく、修飾節が語に後ろ から接触して修飾しているだけ、という考え方です。 関係代名詞が学習指導要領で「理解の段階にとどめる」事項とされていること、接触節がコ ミュニケーションを図る上できわめて重要な表現形式であることからもこのような配列にして あります。(傍点筆者) 2006 年度版中学校学習指導要領において、関係する部分は次のように変更された。すなわち、 ........ 2 内容 (4) 言語材料の取扱い ウの一部として「語順や修飾関係などにおける日本語との違いに .... .............. 留意して指導すること。 」およびエとして「英語の特質を理解させるために,関連のある文法事項 はまとまりをもって整理するなど,効果的な指導ができるよう工夫すること」という文言が追加 された。 (傍点筆者)そして、1998 年度版にあった「… (ウ)のb(関係代名詞、筆者注)について は、理解の段階にとどめること。 」は削られた。さらに、 『中学校学習指導要領解説−外国語編—』 では「関係代名詞については、主格の that, which, who 及び目的格の that, which の制限的用法 を指導する。また、接触節については、関係代名詞とあわせて指導することも考えられる。」と述 べられている。また、開隆堂教科書の平成 24 年度版 Q&A では「平成 18 年度版と比較して、文 構造・文法事項の配列や扱いは変わりましたか。」という問いに対して、 「… 3 年では、接触節の 扱いが学習上わかりにくいという先生方の声にこたえ、接触節の扱いを廃止して、関係代名詞目 -176- 的格の省略だけにしました。」と答えている。 開隆堂の 2006 年度版教科書の Q&A では英語と日本語の修飾構造は前か後かの違いだけと読め るのに対して、新指導要領では英語と日本語では修飾関係の性質が異なるとしているように読め る。2006 年度版教科書 Q&A の記述は contact clause と名付けた Jespersen などの考え方を取っ ていると言えるが、ゼロ関係詞と見るかなど接触節の言語学的な扱い方はともかく、先行詞後の 関係節中で欠けている要素に対応する明示された要素、つまり関係代名詞がないことで、中学校 教員から扱いにくいという声があがったのだと思われる。 接触節と関係節のどちらを先に導入したほうがよいかという点については、関係代名詞が明示 されているものをまず導入し、それがしっかりと生徒に定着した段階で接触節を関係代名詞の省 略として扱うのが指導上は実際的なのではないか。関係詞が明示されていれば、それが関係節内 で本来必要なはずの要素が欠けており、その部分の役割を関係詞が果たしているのだと説明する ことができる。そうでないと、動詞の目的語など節内に存在しなければならないはずの要素が表 面上存在してはならないことの説明が難しくなる。接触節を最初に導入するとした場合は、たと えば他動詞の目的語が関係節内に存在してはならないことをどのように説明するのか。関係詞が 明示されていれば、本来必要な目的語の役割を関係詞が担い、それが関係節内で前置されている と説明できる。関係詞が使われるか使われないかということは、修飾要素が後ろにも来られる英 語などの言語と主要部が最後に来る日本語などの言語との大きな違いであり、そこをこそ理解さ せる必要がある。そのことから英語などでは Wh 疑問文において Wh 要素が文頭に移動するが、 日本語などではもとの場所にとどまるという性質にも繋がっていることが理解されよう。 関係代名詞を理解の段階にとどめるという歯止めは、旧指導要領でのオーラル・コミュニケー ション偏重の傾向と結びついて述べられていた具体的な内容のひとつであった。1998 年度版学習 指導要領では「第 1 目標 聞くことや話すことなどの実践的コミュニケーション能力の基礎を養 う。」とされていたが、2008 年度版では「聞くこと、話すこと、読むこと、書くことなどのコミ ュニケーション能力の基礎を養う。 」と変更され、オーラル偏重から軌道修正されてバランスを取 る方向に向かったことになる。開隆堂新教科書 Q&A では「先生方の声にこたえ」とあり、本当 にそうであったとしたらたいへん喜ばしいことだが、もし学習指導要領の文言がそのままであっ たなら、現場の教員から扱いにくいという声がどれだけあがろうとも、上に示したような教科書 での変更は行われなかったのではないか。 その変更自体は改善であり歓迎すべきことだが、学習指導要領での記述が変更されるたびに教 科書の文法項目配列が大きく変わるという事態が実際に起こっているということでもある。1998 年度版でのように文法項目を大きく変更するのであれば、接触節を先に導入した方が生徒は理解 しやすく効果的であるということを示す実証研究に基づいて行われるべきである。そのような研 究結果が実際にあるのならよいが、指導要領作成者の個人的な考え、あるいは印象により、文法 事項の導入順序が決定されるのみならず、教える内容まで変更が加えられ、その結果として教科 書の内容が大きく変更されるという事態が起こっているとしたら、たいへん残念なことである。 そのようなことが再び起こることは避けられなければならないが、そもそも指導要領という形で 言語材料・文法事項の細部まで規定する必要があるのか、というより根本的なところから考え直 すべきことであろう。3 文法事項の細部の例として、(イ)文構造の中の次の記載を挙げることができる。 -177- d [主語+動詞+間接目的語+直接目的語]のうち, (a) 主語+動詞+間接目的語+名詞/代名詞 (b) 主語+動詞+間接目的語+ how(など)to 不定詞 そして『指導要領解説』では「主語+動詞+間接目的語+代名詞」の例として次の文が挙げられ ている。 (3) a. I will show her that. b. I can teach him that. c. I won't tell them this. 代名詞は旧情報を表し、原則的には新情報を伝える役割を担う形を後ろに置くので、代名詞が直 接目的語として現れる(4a)の形は非常にまれである。そして、間接目的語の部分には代名詞とい う条件は付けられていないが、間接目的語として一般の名詞句が現れる(4b)などは容認されない。 (4) a. Give me it. b. *Give the boy it. (3)の例文では直示的な that, this が用いられており、やや特殊な場合で it などと同列に扱うのは 適切ではない。 「以下に示す言語材料の中から…適宜用いて」とあるので必ず用いなければならな いというわけではないにせよ、二重目的語構文の直接目的語が代名詞で出てくるような非常にま れなケースを中学校で学習すべき文法事項に入れるのは望ましいこととは思えない。 3.文法記述の問題点 3-1 There 構文における there SEC2 の PROGRAM5-1 でいわゆる存在文、There 構文が導入されている。その文法的な説明 として「英語の仕組み 3」(p.78)では「be 動詞のあとに続く語句が主語で、単数の場合は There is 〜., 複数の場合は There are 〜.となります。」とある。しかし「be 動詞の後に続く語句が主語」 という説明は完全な間違いであり、文頭の there が文法上主語として働いていることは明らかで ある。たとえば John is a college student, isn't he? となるように、付加疑問文においては主節の 主語に対応する代名詞が付加疑問文中に現れるが、There 構文に付加疑問文が付いた場合、(5a) のように there が代名詞の位置に現れる。また、(5b)で示されているように、疑問文においては there が is/are と倒置する。したがって文法的には there が主語として働いていることは疑う余 地がない。 (5) a. There is a book on the table, isn’t there? b. Is there a book on the table? c. There is a book there. d. There it is. 大学生のなかには、There構文というのはA book is thereからthereが主語のa bookと入れ替わ ったもの、つまりthereはもともと場所を表す副詞で前に出たものだ、と中学校・高等学校で習っ -178- たという人もいるようである。その場合thereは主語ではないということになるが、それも成り立 たない。そもそもThere構文の主語のthere自体は場所を表しているわけではないので、場所を表 す要素として前置詞句が通常必要である。そして(5c)のように、下線で示した副詞のthereが主語 のthereとは別に場所を表す要素として現れることができるが、場所を二重に表しているわけでは ない。また、副詞のthereは強勢を伴って(5d)のように前に出ることがあるが、その場合倒置して is itの順になることはない。There goes our busのようなthereが前置され主語が動詞の後ろに回 る表現はあるが、There構文とはまったく別の構文であり、存在を表しているわけではない。 そもそも副詞は主語として現れることはない。ただ、問題としているthereは英和辞典ではまず 間違いなく副詞と表示されているので、教科書執筆者だけの責任ではないとも言える。しかしこ れがどうして副詞とされているのかまったく不明である。 では副詞でないとするとthereの品詞はなにかと言えば、一番近いのは代名詞であろう。実際、 たとえば-COBUILDやOxford系の辞書のいくつかでは、pronounと表示している。また、Aarts (2012)でもThere構文のthereは代名詞とされている。(5a)のように付加疑問文の主語として出て くるというのも、代名詞と考えれば符合する。もちろん普通の人称代名詞などとは性質は同じで はない。ただbe動詞の後ろに現れる名詞句と関係しているという点は代名詞的と言えるだろう。 代名詞はいわゆる先行詞によってそれが指示するものが決められるが、thereの場合もそれと結び ついた名詞句の性質により数などが決められるという点で共通性があるからである。 3-2 時制 SEC (3:24)の「英語のしくみ 1」では次のような説明がある。 「現在・過去・未来の表現」 1.現在時制 現在を中心に過去から未来にわたり動作や状態がある程度、続いていることを 表します。 I am a soccer fan. My brother plays baseball after school.(ふだん習慣的に行っていること) 2.過去時制 過去のある一時点での動作や状態を表します。 I was in the school band last year. I went to a museum three days ago. I watched TV this morning. 3.未来の表現 これから起こることやあらかじめ考えていたことを表します。 It will rain tomorrow. I am going to visit my uncle next Sunday. ここでの現在時制・過去時制はそれぞれ動詞の単純現在形・単純過去形を意味しているようであ る。時制(tense)という用語を現在完了時制というように使う文法書もないわけではないが、時制 という用語の一般的な使い方とは異なる。現在完了形を現在完了時制と表現するのもそれはそれ で首尾一貫したやり方とも言えるかもしれないが、SEC では現在完了など他の形に対しては時制 という用語は使われていない。したがって上の引用部分での「時制」が何を意味しているのか甚 だ曖昧である。 -179- 基本的には英語には現在時制・過去時制の二つの時制があり、フランス語などとは異なり未来 時制がない。つまり動詞の変化形として未来の時を表す特別な形は存在しない。3.の未来を表 す表現として用いられる will や am going to の am は時制としては現在時制なのである。そのこ とが承知されているからこそ「未来の表現」としているのであろうが、そうであれば引用部での 現在時制・過去時制という表記はおかしいということになる。次の例文からわかるように、現在 時制が現在のことだけを表すわけではないし、過去時制が過去のことだけを表すわけでもない。 (6) a. b. (7) a. b. The sun rises tomorrow at 6.10. Please bring the washing in if it rains. I thought the course started next week. If he said that, she wouldn’t believe him. (6)では現在時制が未来の時を表している。また(7)では動詞の形としては過去時制であるが、過去 のことを表しているわけではない。単純現在、単純過去の基本的な用法のみを問題にしているの であるから(6)や(7)の例は無関係だとも言えるが、それでも will が時制を持っていることを理解 しなければ、つまり、will が現在時制であるということを認識させなければ、will と would の関 係を将来説明することができなくなる。また、なぜ法助動詞は to 不定詞として to will do のよう な形で現れ得ないのか、あるいは意味的にはまったくおかしくないのに He will can do it のよう に法助動詞を二つ続けられないのはなぜか。これらの場合の will は現在時制であり、法助動詞は 時制を持った形しかないので原形が要求される場所には現れることができない、と説明すること ができるわけだが、will などが現在時制であるとしなければ、そのような説明ができなくなって しまう。 3-3 比較級 比較級の構文は SEC (2:84)での PROGRAM 9 で導入されるが、次にあげる Basic Dialog が最 初に出てくる。 (8) A: Is Japan smaller than Finland? B: No, it isn’t. Japan is larger than Finland. A: How about the U.K.? B: The U.K. is smaller than Japan. 単純な文ではあるが、比較級は意味に注意する必要がある。 (9)のaとbでは前提が違うということはよく知られている。(9b)ではJohn is shortという前提が あるが、(9a)ではBill is tallという前提はなくてtallは背の高さというニュートラルな意味、無標 の表現として用いられている。 (9) a. b. John is as tall as Bill. Bill is as short as John. (10)のような比較級の場合も、人によっても違いがあり同等比較の時ほどはっきりしていないに せよ、同様の前提の違いが見られるので、(8a)はいつでも(8b)に書き換えが可能というわけではな -180- い。 (10) a. b. John is taller than Bill. Bill is shorter than John. (10b)では John is short という前提があるので、たとえば John が 180cm の身長があるとしたら 一般的には short とは言えないので、おかしな文ということになる。180cm の身長が short とみ なされるような状況、たとえば NBA の選手同士を比較しているのであればおかしくないかもし れないが。中学校の授業などで安易に(10)の a から b に書き換えられるとするのは、場合によっ ては間違いになることがあるため、生徒に不自然な文で練習させることにならないよう注意する 必要がある。Parrot (2010:85)は次のように述べている。 Coursebook examples also sometimes suggest that we use comparatives to compare anything with anything, and exercises involve transforming sentences like China is larger than India to India is smaller than China. In fact, the second of these sentences is very unlikely as neither country is small. Coursebook examples such as China is larger than Switzerland are even more unnatural as we don’t generally compare things at the opposite end of a scale. これらのことを考えると、比較級の導入の際最初に出てくる形として(8)のように small を用い た有標(marked)の表現を用いるのは好ましくないと言えるだろう。まずは無標の tall などを用い た形で比較級構文の定着を図り、その後に有標の short などを使う状況に注意を促しつつ提示す るのがよいと思われる。 以上、教科書の文法記述および構文導入に際しての問題点の例を指摘した。 4.オーラル・コミュニケーション偏重の影響 上述のようにオーラル偏重が学習指導要領の上では是正されたとはいえ、実際の教科書の内容 としてはオーラル偏重の影響が新教科書でも色濃く残っていると言わざるを得ない。そして、そ のことが入門期の学習内容としては問題が多い。 4-1 縮約形 まず、本文はもとより Writing のセクションに至るまで一貫して縮約形が多用されていること が挙げられる。SEC (1:24)で 1 年生の最初の PROGRAM 2 における「おぼえよう!」で Hi, I am, Saki. Oh, you are Saki. I’m Tom.と提示されるが、その後の本文の会話ではすべて I’m, you’re と いう縮約形が用いられている。母語話者間の会話においては縮約形が用いられるのが普通である としても、英語の入門期に最初から縮約形で押し通さなければいけないのであろうか。I am, you are が主語+動詞の形であるということがしっかり定着してからであれば、それが縮約した形であ ることを理解するのは容易であろう。しかし I’m, you’re を成り立たせている要素を分析的にしっ かり理解せずに形式だけを未分化のまま覚えてしまっては、その後の学習がうまく進まない。従 来から、be 動詞を先に導入し、その後で一般動詞を導入すると、一般動詞の前に不必要な be 動 詞を付けてしまうという誤りが多く見られるとの指摘がある。最初から縮約形での練習ばかり行 い、あたかもそれらが一つの要素であるかのように感じさせてしまっていることが、その原因の -181- 一つとなっている可能性がある。最初の導入後も本文ではほとんどの場合に縮約形が用いられて いる。SEC (1:114)では How is という形を練習することなく How's the weather today?という文 が出てきているが、そこまで徹底して縮約形を使わせる必要性があるとは思えない。 英語を母語として獲得する場合と似たプロセスを通して外国語としての英語学習を進めるべき だという考えが根底にあるのかもしれない。しかし、実質的に中学校段階で始める英語の学習を 母語獲得と同一視することはできない。英語を母語として獲得する場合の順序と外国語として習 得する場合に適切な順序とは必ずしも一致しない。たとえば、英語を第一言語として獲得する場 合、関係節は存在文の中で現れるものがまず獲得される。しかしその関係節は McCawley (1981) が示したように、大人の文法における基本的な制限的関係節とはさまざまな点で異なる特徴を持 っている。しかもその特徴は McCawley が指摘するまで気づかれなかったほど微妙な「特殊さ」 である。英語の母語習得と関係節の拡張については牛江(2007)を参照のこと。外国語の場合は母 語の場合と異なり、学習者が臨界期に近づきつつある段階で、知的能力のうえでも発達したレベ ルにあるのだから、学習内容としてただ覚えるだけではない分析的な要素が必要であろう。 4-2 定型表現 もうひとつの影響の現れとして、口語で用いられる定型化した表現が多く導入されているとい うことがある。よく引き合いに出される例として For here or to go?があり、SEC (2:52)にも現れ ている。これに代表される口語定型表現がいくつも会話練習のために出てくるのだが、最大の問 題点はこれらの表現にはまったく発展性がないということである。つまり、主語や目的語や動詞 などを他の表現と部分的に入れ替えることにより多様な内容を表現できるようになるという可能 性が皆無である。入門期の学習ではこの発展性が非常に重要であり、特定の場面でのみ用いられ 応用の利かない決まった言い回し・表現形式を多く覚えさせることは、かえって英語という教科 を暗記中心のものにしてしまう恐れがある。 何か新しい表現を覚えた場合、それと既習のものとを組み合わせてこれまでにはできなかった ことが表現できるようになる、ということが言語学習においてとくに大事であり、より興味の深 まるところであるのに、これまで一度も聞いたことも言ったこともない文を新しく作り出すこと ができるという言語の最も顕著な特性である創造性(creativity)が、そこではまったく発揮できな い。また、それを学んでおくことによって後々他の表現が学びやすくなるということも基本的に はない。また、定型表現にはその用法に注意を要するものが少なくない。 SEC で用いられているそのような定型表現の例を挙げてみる。 How come? (2:19) why と同義の口語表現として用いられるが、両者で微妙にニュアンスの異なる場合もある。 COBUILD4 が語義として“You ask ‘How come?’ or ‘How so?’ when you are surprised by something and are asking why it happened or was said; an informal expression.”と示している ように、相手の言ったことに対して驚きを表したり、why では(場合によっては相手を責めるよ うに聞こえるため)直接的になりすぎるような場面で使われたりする場合もある。このような使 い方の違いまで含めて教えることが入門期に可能であるとも、また適切であるとも思えない。日 本語でも英語でも相手や状況に応じて複数のレジスターを使い分けているわけだが、それが理解 できるより高度な段階に至ってから学ぶべきものであろう。まずは適用範囲の広い中立的な表現 -182- からしっかりと身につけさせるべきである。 What's up? (2:26) SEC 巻末資料の「単語と熟語」では「どうしたの?」という語義が与えられているが、当該箇所 の会話中ではそういう意味では使われているとは限らない。 (11) Becky: Hello? Maki : Hello, Becky? This is Maki. Becky: Oh, hi, Maki. What’s up? 「どうしたの?」という語義が間違いというわけではないが、その意味合いは場合によって異な る。COBUILD に“If you say to someone ‘What’s up?’ or if you tell them what’s up, you are asking them or telling them what is wrong or what is worrying them.”とあるような意味の場合 もあれば、What’s new?と同義でアメリカ英語での「よっ、どうしてる?」にあたるような、How are you?とも微妙に異なり Nothing much などと答える場合もある。また、What’s up?と言われ たのに対して What’s up?と返すような純粋にたんなる挨拶として用いられる場合さえある。 How about〜? (1:39) / What about 〜? (1:83) 巻末資料ではいずれも「〜はどうですか?」という語義が与えられている。同じ意味で入れ替え て使うことが可能な場合もあるが、そうではない場合もある。 (12) Mother: What are you going to do this afternoon? Daughter: I’m going to go play basketball. Mother: What about your homework? この場合日本語では「どうするの」あるいは「どうなってるの」という感じだが、ここでの What about は How about に置き換えることはできない。そのようなことまで指導しているとも思えず、 完全に同じであると生徒が捉えてしまいかねない導入の仕方は問題である。 〜, you know? (3:29) 巻末資料では「〜だよね」となっているが、この表現も場合によってさまざまな意味合いで用い られ、どのような意味での「〜だよね」なのかが問題となる。 (13) Lisa: We can do more than those 3 Rs, you know? Takeshi: Really? What can we do? 語義として単に「だよね」だけを与えるのではどのような状況において用いることができるのか 理解できない。 Help yourself. (2:95) 再帰代名詞はこの箇所で始めて出てくる。(2:118)の次の文でようやく themselves が出てくる。 (14) People around the world sent pictures of themselves. 文法事項として重要な再帰代名詞を I saw myself in the mirror 等の一般的な文でではなく、定型 表現の中で初めて導入し「ご自由にどうぞ」という語義を与えているが、それでは再帰代名詞の -183- 用法を理解させることに繋がらないのではないか。 Guess what! (2:19) I guess という形で動詞が出てくるのは(3:34)になってからである。その前に Take a guess という 定型句が(3:8)で出てきている。巻末資料では guess「推測する、言い当てる」 、I guess「〜と思う。」、 Take a guess「当ててください。」となっているが、Guess what!は「あのねえ。」が与えられてい る。 「推測」という意味とは無関係であるかのように guess を定型句でまず導入していることにな る。しかも「ちょっと聞いてよ」というような日本語が当たるわけだが、「あのねえ。」だけを見 れば、相手に何か文句を言っているようにも取られかねない。 Just kidding. (1:63) 現在進行形の初出は(1:92)であるが、それより前に進行形とはまったく無関係な形で「ほんの冗談 です」が出てきていることになる。 その他にも次のような表現を挙げることができる。 No problem. (2:34) That’s it! (2:87) That’s for sure. (3:27) 口語的定型表現は便利に使える場合もあるが、用法が複雑であり、表す意味範囲も広いことが 多くあるので難しい。また、略式である場合はあくまでインフォーマルな口語で用いられ、どの ような場面でも用いてよいわけではない。したがって、略式表現はフォーマル・インフォーマル などのレジスターがちゃんと理解し使い分けができる段階になってから憶えさせるべきであろう。 使い分けができなければ、改まった場面においても非常に口語的な表現を使ってしまいかねない。 そういう意味では、口語的な表現を入門期に多く導入するのではなく、汎用性のある中立的な表 現をまずしっかり使えるように練習させるべきであり、口語的な表現を憶えさせるのはその後で 十分である。そして、基本的な単語の意味や文法項目が出てくる前に、それらと結びつけること なく無関係な形で、ただ会話中で使うことだけを目的に定型表現を多く導入することは、英語の 全体的理解という観点から見てマイナス面が多いのではないか。 4-3 省略表現 前節の内容とも関係するところがあるが、もうひとつの影響として省略した表現が多用されて いるということを指摘することができる。省略されていない形がしっかり理解されていればよい のだが、十分な準備が行われないうちに唐突に省略形が出てくることもしばしばであり、表面的 な形だけを覚えてしまうのではないかという懸念を感じる。いくつか例を挙げる。 What a waste! (3:27) この what には「なんという」という意味が示され、形容詞とされている。辞書的な意味として はそういうものになるが、such との関連で what の用法を教えなければ What a waste!にのみと どまり他への応用が利かない。 How lucky! (3:31) 巻末資料で「なんて幸運なんでしょう」とわざわざ意味が与えられている。感嘆文からの省略と いうとらえ方をしていないのかもしれないが、それでは他の場合に応用が利かない。 -184- If not (3:51) 2 学年で条件節は出てきているが、省略した形が突然出てきて、 「そうでなければ」と語義が与え られている。 (Do we have to buy a cake for her?) No, we don't have to. (2:30) don’t have to「〜する必要はない」という表現自体が始めて出てくる箇所であり、どうしても省 略した形にしなければならない場合でもない。まずは省略しない形で定着を図るべきである。同 様の例として need to がある。 (15) For example, many people use plastic bags from stores, but they don’t really need to. (3:29) We need to recycle more という文が(3:27)に出てはいるが、(15)では to 以下が省略されているの みならず、否定文で don’t と need の間に副詞が入るという複雑な形になっている。 その他にも Speaking のセクションでは Yes, let’s. (2:34)、I'm afraid not. (2:34)、Why not? (2:35)など省略表現が満載である。Why not? には「そうしようよ。」という語義が与えられてお り、前節の定型表現として挙げることもできる。 5.語彙とのその意味の導入 文法項目だけでなく、語彙についても基本的なものから発展的なものへと配列するのが効果的 であろう。その観点からも SEC は問題があると言わざるを得ない。 5-1 意味の導入順序 まず、次の文を見てみよう。 (16) In 1931, she made up her mind to become a nun and took the name Teresa. (3:95) (17) Even today, children beat the fields with wara-deppo, or a gun made of straw, in order to drive away small animals doing harm to the field. (3:71) (18) The project will help people learn about the differences in the world from children’s points of view. (3:79) 太字部分の表現の中で(16)の mind、(17)の drive、(18)の view はそれぞれその箇所が初出である。 mind には「心、精神」という訳語が示されているが、その基本的な意味において最初に単独で出 てくるのではなく、連語の一部として出てくる。そしてその箇所で make up her mind「決心す る」と示されているのはまだしも、巻末資料の「単語と熟語」一覧においても make up her mind という見出し語で「決心する」となっている。この書き方では her の部分が主語との対応で置き 換わるということがわからない。view についても巻末資料で「眺め、意見」と訳語が示されてい るが、たとえば a fine view of the lake などとして最初に出てくるのではなく point of view「観 点、意見」として出てくる。drive は「追いやる」、drive away は「追い払う」と訳語が付けられ ているが、drive…from [out of]でも「追い払う」という意味であるからどのように違うのか判然 としない。 -185- 単語はできるだけ基本的な意味で用いられている場合をまず示し、その基本的な意味から拡 張・派生した意味で用いられている場合は後に回すべきである。同様に連語・熟語の一部となっ ているような場合についても、最初にそれで導入するのは学習者の負担を増大させることに繋が る可能性があるので、できるだけ避けるべきであろう。基本的な意味をまず理解し、それが意味 的拡張によって関連しつつも少しずつ違った意味で用いられるという関係を理解することができ れば、英語でも日本語でも同じようなプロセスが働いているということもわかってくるはずであ る。 別の例として have の場合を見てみよう。 (19) a. I have a question, Ms. Wood. (1:33) b. Do you have a cat? (1:37) c. What do you have for breakfast? (1:38) d. Sometimes we have a recycling day. (1:39) e. I have a brother. (1:40) f. How many CDs do you have? (1:42) (19)では have が使われている文を出現順に並べてあるが、 「(物理的に)<物を>持っている、所 有している」という最も基本的な意味で用いられている文(19f)が出てくるのは最後になっている。 巻末資料での語義も「持っている,〜がある[いる]」が最初に書かれており、次に「飼う、飼っ ている」、最後に「食べる、とる」となっている。具体的な物を所有しているという基本的な意味 から、抽象的なものへ、性質・属性などへ、友人・親類など関係を表すものへ、というような順 序がまったく考えられていない。ことに(19d)は What do you usually do on Sunday?に対する答 えとして、I usually play basketball.に続けて出てくる。動作を表す動詞ではない have を用いた 文で答えること自体疑問であり、この文での have の意味を混乱なく理解させるのは容易ではな いと思えるのだが、問題は生じていないのだろうか。 5-2 用法の導入 助動詞 will には 意志を表す用法(意志未来)と予測・予言を表す用法(単純未来)があるが、 その導入時の例文の示し方に問題がある。 (2:20)において(The phone is ringing.) I will answer it.という文が示され、 「「〜しようと思う」 と今この時点で決めたことを言う時は<will+動詞の原形>の形を使います。」との説明がある。と ころが(2:22-23)では練習問題として次のような文が並べられている。 (20) a. 空港で写真を撮ろうかな。 I will take some pictures at Sakura Airport. b. わくわくするだろうな。 I will be excited. c. とても疲れるだろうな。 I will be tired. d. いくつか博物館に行こうかな。 I will visit some museums. e. 昼ご飯は空港で食べようかな。 I will have [eat] lunch at the airport. この中で(b, c)は予測であって、意志未来ではなく単純未来の用法である。しかし、巻末資料では (2:24)の Will it be sunny tomorrow?等での will に対して初めて「〜でしょう」という訳が与えら -186- れているのである。これでは(20)の文はすべて意志未来の用法だと誤解されてもまったく不思議 ではない。このような配慮を欠いた例文の配列をしてはならない。 また、「〜しようかな」という言い回しも誤解を招きやすい。「やっぱり〜しようかな」という ような場合は意志を表していると取ることが可能だが、 「どうしようかな。〜しようかな」という ニュアンスの場合は「〜しようと思う」と同じと言えるであろうか。「〜しようかな」には I’m thinking of …, I wonder if I should …, I think …などの表現が場面に応じて対応するだろう。あ るいは、will を用いるなら文頭に maybe をつけるのも一つの方法である。(20)のようにすべての 文が「な」で終わる形になっていては、学習者はますます意志未来と単純未来の区別がつけにく くなってしまう。 疑問文における anything は次の文で導入されている。 (21) Are you going to do anything else? (2:21) 肯定文での anything はずっと早く出てきており、否定文での例は遅く出てくる。 (22) a. b. I can read anything. (1:99) He said that he didn’t learn anything. (2:45) これらの anything の用法は巻末資料で「(肯定文で)何でも」、 「 (疑問文で)何か」、 「 (否定文で) 何も」と分けて書かれているように用法が異なり、学習者には新しい項目である。それを導入す る際に単純な形でではなく(21)の else が付加された形のものを用いている。しかも、SEC2 の巻 末資料では anything else は別立てで「ほかに何か」と語義が与えられている。このような導入 の仕方は学習者に余計な負担をかけることに繋がり、適切であるとは思えない。 最後に、一般に教科書や英和辞典では範疇と機能の区別が曖昧になっているということを指摘 しておきたい。SEC1 の巻末資料では day は「日」とされ名詞と表記されている。その後 every day (1:76)、these days (1:85)が出てくるが、名詞としての day の後ろに並べられている。SEC2 およ び SEC3 では all day (2:10)、some day (2:64)、in the old days (2:103)が同じく名詞の day の後 ろに並べられている。一方、yesterday (1:102)は副詞と表記され、the day before yesterday (3:31) はその後ろに配置されている。ちなみに today については副詞(1:76)と名詞 Today is my birthday (2:68)が併記されており、tomorrow についても同様である。このような表記の仕方をしていては、 学習者に混乱を生じさせるのではないか。 文法的に言えば、the day before yesterday あるいは these days は冠詞や指示詞が使われてい ることからわかるとおり全体として名詞句であり、これらを副詞(adverb)とするのは範疇(品詞) と機能を区別していないことになる。名詞を中心としたまとまりである名詞句が全体として副詞 的な(adverbial)機能を果たしているのである。その意味では yesterday や today も名詞(句)が 副詞的に働いていると言える。ただし、ここではそのような文法的範疇にこだわって教えるべき だと主張しているのではない。一方(day)では名詞と扱いながら他方(yesterday)では副詞と 扱う、さらには両方を並べて表記する場合(yesterday)まで別に存在するという提示の仕方は問 題があると言っているのである。今のままでは学習者に混乱を招く恐れがあるので注意しなけれ ばならないし、よりわかりやすい表記を工夫する必要があるだろう。一般的には副詞は主語とし て働くことはないが、yesterday や the day before yesterday、あるいは last year なども主語と して現れることがある。これらの時を表す表現すべてに対して(上述のように副詞ではないのだ -187- が)名詞と副詞として併記するのでは一般性を捉えていないことになる。 6.おわりに 本稿では教材配列について「基本的なものから発展的なものへ」と配列するという一般原則か ら考えた場合の、中学校英語教科書における問題点を具体的に検討し、改善の方向性を示唆した。 主なポイントとしては次のようなことを挙げることができる。 ① 文法事項の説明自体に誤りが見られる場合があり、説明を改めるべきであること。 ② 文法事項の導入に際して無標の表現を用いて導入すべきであること。 ③ 後に続く文法項目が学習しやすくなるような配列にするべきであること。 ④ 口語重視で定型表現や省略表現を初めから使用するのではなく、汎用性の高い表現をまず 修得させるべきであること。 ⑤ 語彙の導入に際して基本的な意味で用いられている場合から導入すべきであること ⑥ 新出項目については連語や修飾語が付加した複雑な形でではなく、単純な形で導入し、新 出部分に集中して注意を向けさせるべきであること。 これらの観点を取り入れた形でさらに検討が加えられることにより、学習者にとって学びやす く、教員にとって教えやすい、高い学習効果が期待できるよりよい教科書が今後編まれることを 期待したい。 注 1. 梶田(1982-83)、大室(2005)などを参照のこと。 2. コロンの前の数字は学年を、後ろの数字はページを示す。 3. 新学習指導要領に「指導計画の作成と内容の取扱い」の3として「第1章総則の第1の2及び第3章道徳の第 1に示す道徳教育の目標に基づき,道徳の時間などとの関連を考慮しながら,第3章道徳の第2に示す内容に ついて,外国語科の特質に応じて適切な指導をすること。」という条項が入ったことも大きな問題点である。 江利川(2008)を参照のこと。 4. Collins COBUILD English Dictionary, HarperCollins Publishers. 引用文献 Aarts, Bas (2012) Oxford Modern English Grammar. Oxford University Press. 馬場哲生 (2009) 「中学校英語検定教科書における文法項目の配列順序」『東京学芸大学紀要 人 文社会科学系Ⅰ』60, 209-220. 江利川春雄 (2008)「新学習指導要領の危うさ」『英語教育』57:3, 41, 大修館. 開隆堂出版編集部 (2005)『英語教育』Vol.57-2. 開隆堂. 梶田優 (1982-4)「英語教育と今後の生成文法」『学校新聞』837.2-5, 841.2-6, 846.2-6, 850.2-7, 853.2-7, 857.2-6. -188- McCawley, James (1981) “The Syntax and Semantics of English Relative Clauses.” Lingua 53, 99-149. 大室剛志 (2005)「構文の基本形と変種―文法事項の配列順序への示唆―」『国際開発研究フォー ラム』29, 91-105. 名古屋大学. Parrot, Martin (2010) Grammar for English Language Teachers, Second edition. Cambridge University Press. 牛江一裕(2007)「擬似関係節とその関連構文」『英語語法文法研究』14, 37-51.英語語法文法学会. (2012 年 11 月 12 日提出) (2013 年 -189- 1 月 11 日受理) Problems of Grammatical Descriptions and Vocabulary in Junior High School English Textbooks: The Case of Sunshine English Course USHIE, Kazuhiro Faculty of Education, Saitama University Abstract The purpose of this paper is to examine some of the current government-approved English textbooks used in junior high schools, and to point out several problems concerning grammatical descriptions and vocabulary from the viewpoint that the presentation order of educational materials should be from basic to advanced. As an exemplar of English school textbooks, Sunshine English Course is closely analyzed. Grammatical items including contact clauses, There construction, comparative construction and tenses are concretely discussed. Also discussed are problems concerning the introduction of new vocabulary, especially the introduction of fixed expressions, contracted forms, and basic word meanings. Key Words: grammatical description, vocabulary, junior high school English textbooks -190- 埼玉大学紀要 教育学部, 62(1):191-201(2013) 中学校英語検定教科書における文法・語彙項目の導入時の問題点 ―疑問詞 what、不定詞の名詞用法、未来表現― 及川賢 埼玉大学教育学部英語教育講座 キーワード:中学校、英語、検定教科書、配列、順序 1.はじめに 中学校における英語指導では検定教科書が主たる教材となっているが、教科書内の文法項目や 語彙項目の導入順序や導入に使われる素材について具体的に論じられることは少ない。本論では、 重要文法・語彙項目のうち、疑問詞what、不定詞の名詞用法、未来表現の3つを取り上げ、その問 題点を検証しながら、改善策を提案する。 2.背景及び目的 中学校英語検定教科書における文法項目の配列を論じたものに馬場(2009)がある。馬場は当 時使用されていた平成18年版中学校英語検定教科書(全6種)の現状に基づき、一般動詞とbe動詞 の提示順序、過去時制と未来表現の導入時期、受動態と現在完了形の導入時期、現在完了形3用法 の導入順序、関係節と接触節の提示順序の5つについて、それぞれの問題点を指摘し、改善案を提 示している。 神本(1997)は大学で使用されている「やり直し英文法」と呼ばれる種類の教材の文法配列を 検討するため、大学生98名を対象に学生の自己能力評価アンケートと学生の英文法能力理解度テ ストを実施した。自己能力評価アンケートの結果、難しいと感じている項目は、関係副詞、仮定 法過去完了、分詞構文、前置詞、現在分詞で、易しいと感じている項目は、現在進行形、受動態、 過去進行形、助動詞、比較、であることが分かった。また理解度テストの結果を正解率の低かっ た順に並べると、過去分詞、分詞構文、動名詞、現在分詞、関係副詞、現在完了、過去進行形、 仮定法過去、過去完了、仮定法過去完了、関係代名詞、接続詞・不定詞(同順位)、受動態・助 動詞(同順位)、話法・現在進行形(同順位)、未来進行形・前置詞(同順位)、比較、となっ た。また、自分ではできると思っているのに実際にはできていない文法項目として、動名詞、現 在完了、過去進行形、過去分詞、現在進行形、過去完了、不定詞、現在分詞、助動詞(アンケー トと理解度テストの順位の差が大きい順)、理解度テストで順位そのものが低い文法項目として、 過去分詞、動名詞、分詞構文、関係副詞、現在分詞、現在完了、仮定法過去、過去完了、仮定法 過去完了、不定詞(正解率が低い順)となる。神本は理解度が低い項目の原因として、1)英語 の言語形式が同じでその用法が何通りかある場合(-ing形や過去分詞)と、2)文法項目の基本的 言語形式は規則的であってもその項目に用法が何種類かある場合(完了形や仮定法)を挙げてい る。また、神本(1998)はこの調査をもとに-ing形と-ed形を中心にさらに調査を行っているが、 いずれも配列に関する実証研究として貴重である。 しかし、中学校検定教科書の導入順序等に関する研究は概してその数が少ない。その原因は、 -191- 文法・語彙項目の導入順序等を決定するのは教科書の編集に携わるものに限られており、その是 非を論じても、それが反映されるかどうかわからないという現実があり、導入順序等については 受け身的にならざるを得ないのが現状である。そのため、導入順序等に対する興味・関心が研究 に結びつくことは少ないのでないだろうか。 また、馬場(2009)の以下の指摘も指導順序等に関する研究の少なさの原因として有力である。 1) 現在の言語材料配列について、教科書の使用者である教員の多くが、「それなりに良い もの」と捉えている可能性がある。 2) 1958 年度版から 1977 年度版まで続いた言語材料の学年指定がいまだに英語教科書作成 者や英語教員の意識に根強く残っている。 3) 移行措置に対する配慮。言語材料の配列が他社と大きく異なると、教科書の新規採用に 影響がでるため、大きく変えることは不利となる。 しかし、現在多くの教科書で採用されている導入順序や項目が経験則に基づいている以上、改 善すべき問題が含まれている可能性は否定できないだろう。本論は「疑問詞what」「不定詞の名 詞用法」「未来表現」の3項目を取り上げ、それぞれの問題点を指摘し、改善案を提案することを 目的とする。 本論で取り上げる文部科学省検定済教科書(以下「教科書」)は以下の6種である。なお、特に 断りがない場合、本論での「教科書」は英語の教科書を指す。また、「課」に相当する表現はLesson、 Unit、Programの3つがあるが、本論では「課」で統一する。 COLUMBUS 21 ENGLISH COURSE(東後勝明他著、光村図書出版)→Columbus NEW CROWN ENGLISH SERIES(高橋貞雄他著、株式会社 三省堂)→Crown NEW HORIZON English Course(笠島準一他著、東京書籍株式会社)→Horizon ONE WORLD English Course(松本茂他著、教育出版株式会社)→World SUNSHIE ENGLISH COURSE(松畑煕一他著、開隆堂出版株式会社)→Sunshine TOTAL ENGLISH NEW EDITION(矢田裕士他著、学校図書株式会社)→Total (ABC 順、矢印の右は本論中の略称) 3.文法・語彙項目の導入順序の検討 3-1 疑問詞 what (1)現状と問題点 疑問詞whatは現在の中学校検定教科書では「代名詞」としての用法と「形容詞」としての用法 が区別されている。代名詞として使用する場合、whatが単独で名詞句を構成する(例:What do you like?)が、形容詞の場合は直後に名詞が続く形になる(例:What sport do you like?)。 中学校で問題となるのが、後者の形容詞としての用法である。具体的には、以下のような英文 を産出する学習者が多いという点である。 *What do you like sport? -192- 正しい英文はWhat sport do you like?なので、sportをwhatから切り離している点が誤りである。こ の種の誤りは実は中学生のみでなく、高校生、大学生、社会人にも見られる。まったく通じない というレベルの誤りではないが、指導においては正すべき誤りである。 (2)原因 この種の誤りが発生する原因の一つが代名詞としてのwhatと形容詞としてのwhatの導入順序だ と思われる。平成24年4月より使用されている教科書を確認すると、すべてが代名詞としての用法 を先に導入し、しばらくしてから形容詞としてのwhatが導入されている(2つの用法間の時間的差 異は教科書により異なる)。具体的には以下の通りである。 Columbus p. 33: What’s this? (p. 54: What do you think of Tina?) p. 47: What kind of pet do you want? Crown p. 27: What is this? (p. 36: What do you have in your hand?) p. 37: What music do you play? Horizon p. 36: What’s this? (p. 41: What do you have for breakfast?) p. 62: What time is it in Tokyo? (参考)p. 65: Mei, what foreign language do you study? World p. 28: What is this? (p. 42: What do you have in your hand?) p. 42: What subject do you like? Sunshine p. 38: What do you study on Monday afternoon? p. 108: What color do you want? Total p. 27: What do you read? p. 36: What sports do you like? 各教科書の巻末にある単語リストはwhatの用法として代名詞と形容詞の両者を掲載し、その初 出ページも示している。その数字に従って検索した各用法の初出文が上記のリストである。ただ し、HorizonのWhat time is it in Tokyo? (p. 62) は決まり文句(formulaic)としての意識が高いと思 われるので、参考として、Mei, what foreign language do you study? (p. 65) も挙げた。また、形容詞 whatはHorizonのWhat timeの例を除き、すべて一般動詞とともに使用されているので(Horizonも その直後に一般動詞を使用した文が使われている)、代名詞whatの初出がbe動詞による場合は、 一般動詞による初出文も併せてリストに加えてある。 このリストから、各社とも代名詞としてのwhatが先に導入されていることが確認できる。ただ し、各社ごとにその導入の時期や項目には違いがある。Crown及びWorldは代名詞whatのほうが先 に導入されているものの、be動詞とともに使用されている形であり、一般動詞を使った代名詞what の文は形容詞whatとほぼ同時期に導入されている。Columbusも同様に代名詞whatのほうが先に導 入されているものの、こちらもbe動詞とともに使用されている形であり、しかも、一般動詞を使 -193- った代名詞whatの文は形容詞whatよりも後に出てくる。HorizonとTotalは代名詞whatが先に導入さ れ、10∼20ページを置いて形容詞whatが導入される。Sunshineがその間隔が最も大きく、70ページ の開きがある。 (3)提案 この2つの用法の導入順序として、筆者は現状と逆の順序を提案する。すなわち、形容詞とし ての用法(例:What sport do you like?)を先に導入し、一定期間の後に代名詞としての用法(例: What do you like?)を導入するというものである。この順序の変更には以下の2つの利点が考えら れる。 ①非文の回避 上述の通り、英語学習者の中には*What do you like sport?という非文を産出する学習者が少なか らず存在する。この原因は、生徒の多くが先に導入された代名詞whatの文を分析的に捉えること なく、what do you∼?という「かたまり」として覚えるためだ、と推測できる。特に英語学習の初 期段階であれば、口頭作業などを通じて、これらの文を何度も繰り返し練習する可能性が高い。 そのため、whatの後ろにsportなどの名詞(句)を挿入する作業は多く学習者にとって困難となり、 What do you like?というかたまりを分解できず、行き場を失ったsportがそのかたまりの後ろに置か れることとなる。 形容詞whatを先に導入する場合でも、学習者はまずこれらの表現をかたまりで覚える可能性が 高い。その意味では、現在の教科書の導入順序と同じ困難点が考えられるが、形容詞whatの導入 を先に行う場合、whatと後続の名詞(句)を切り離す練習が取られる可能性がある。例えば、What sport do you like? であれば、sportを他の名詞に入れ替える練習を行う可能性が高い。sportをfood、 subject、colorなどに入れ替えるパターン・プラクティスやそれらの英文を実際に使ってのコミュ ニケーション活動などを通して、学習者はwhatとそれに続く名詞が常にひとつのかたまりではな いことを意識的あるいは無意識的に学ぶのではないだろうか。 もちろん、多くの学習者が形容詞whatの文に多量に触れることで誤りを回避できる可能性はあ る。What time do you get up? という時間を尋ねる表現で *What do you get up time? という誤りは ほとんど見られないのは、What time∼? の表現に触れる機会が多いためだと思われる。しかし、 限られた授業時間内では触れることができる英語の量や練習量に限界があるため、導入順序の工 夫などで誤りを少しでも回避することを求めるべきであろう。 ②導入場面の自然さ 入門期の場合、代名詞whatよりも形容詞whatのほうが自然な場面を作り出せる可能性が高い。 例として、What do you like?とWhat sport do you like?で比較してみよう。What sport do you like? で 始まる対話文はその1文で話題がスポーツであることがわかる。一方、What do you like?で始まる 対話文は、それ1文では話題が不明確である。その文の前に何が話題になっているかを示す説明な どが必要となる。例えば、”I like sports. I like tennis. What do you like?” のように、少なくとも1∼ 2文を挿入する必要がある。 しかし、教科書で1ページに盛り込むことができる英文の量には限りがある。筆者は中学校英語 の検定教科書(Total)の編集に携わっているが、入門期の対話教材はある程度短いものにする必 要があり、使用する英文は厳選する必要がある。これまでも何度かWhat do you like? タイプより も What sport do you like? タイプの方が自然だという場面に出会っている。 -194- ③形容詞 what は小学校ですでに触れている 平成23年4月から小学校5、6年生は外国語活動が必修となっている。「外国語」となっているも のの、現行の小学校学習指導要領(平成20年3月告示)に「英語を取り扱うことを原則とする」(第 4章 外国語活動 第3 指導計画の作成と内容の取扱い 1(1))とあるように、英語が対象 となっている。外国語活動は「教科」ではないため教科用図書(教科書)は存在しないが、文部 科学省が発行したHi, friends! 1及びHi, friends! 2を採用している小学校が非常に多い。そのHi, friends! 1のLesson 5にWhat do you like?とともにWhat animal/color/fruit/sport do you like?が使われて いる。また筆者は小学校の外国語活動を参観させていただく機会が多いが、「What+名詞」を使 った活動は何度も目にしている。小学校の外国語活動は英語の習得や定着が目的ではないので、 中学校入学時点でこれらの表現が身に付いているということにはならないが、これらを使った表 現に小学生の多くが触れているという事実を考えれば、中学校で形容詞whatを先に導入しても生 徒の混乱を招く恐れは小さいと見ていいだろう。 以上の 3 点から、中学校では代名詞 what よりも形容詞 what の方を先に導入し、生徒がある 程度習熟してから代名詞 what を導入するほうが適切だと考えらえる。現時点では、全種が代名 詞 what から導入しているが、一般動詞だけで見た場合、すでに形容詞 what から導入している 例も見られるので、混乱は少ないと見てよいだろう。さらに、この 2 つの用法の順序を変えた 導入方法で実際に導入を行い、その効果を客観的に検証する必要もあるだろう。 3-2 不定詞の名詞用法の導入 (1)問題点 不定詞の用法は伝統的に「名詞用法」「形容詞用法」「副詞用法」の3つに分類されており、Crown を除くすべての教科書がこれらを別のセクションで導入している(Crownは副詞用法と形容詞用 法を同じページで導入)。導入の順序は教科書ごとに異なり、平成24年版の場合以下の2種類が存 在する。Horizonのみが名詞用法と副詞用法の順序が他社と逆になっている。 名詞用法→副詞用法→形容詞用法:Columbus、Crown、World、Sunshine、Total 副詞用法→名詞用法→形容詞用法:Horizon 問題として考えらえるのが、名詞用法のほとんどがwantと伴に導入されている点である(例:I want to use English in my future job.(Horizon))。より具体的には、wantを使った不定詞は「want to∼=∼したい」として指導されることが多いと思われる点である。不定詞の名詞用法であるこ とを意識した日本語訳にすれば、「∼することが欲しい」や「∼することを欲する」になるはず だが、どちらも日本語として不自然、あるいは古めかしい表現であるため、より自然な日本語で ある「∼したい」と訳されるのであろう。 各社の巻末の単語リストのwantの項を確認すると、want to∼を連語として提示しているところ が6種中4種ある。 Columbus want to∼ ∼したい -195- Crown (∼することを)望む、∼したい(to∼はwantの目的語) Horizon 【want toでの説明はない】 World 〔want to∼で〕∼したい Sunshine 【want toでの説明はない】 Total want to∼ ∼したい また、小学校の外国語活動で使用されることが多い文部科学省の『英語ノート2』やHi, friends! 2でもそれぞれの最後に将来の夢を語る課が用意されており、want to∼が使われている。 このため、多くの学習者が「want + 不定詞の名詞用法」ではなく「want to+動詞の原形」と捉 えている可能性は否定できない。特に、上で述べたように、不定詞は名詞用法から入る教科書が ほとんどであることを鑑みると、不定詞は「to+動詞の原形」という形式を習得すべき時期に、 その構造が捉えにくいwantによる名詞用法は避けるべきではないだろうか。 (2)現状 各教科書(平成24年度版)の現状を確認してみよう。取り上げたのは各教科書が不定詞の名詞 用法の導入ページで使用している英文である。いわゆる目標文として提示されている英文と本文 中で実際に使われている英文が異なる場合もあるので、教科書ごとに両者を列挙する。 Columbus 目標文:I wanted to play the sanshin. 本文: I wanted to play the sanshin myself. Crown 目標文:Amy wants to read the book. 本文:I want to go to a farm. I want to work in a department store. Horizon 目標文:I want to use English in my future job. 本文:I want to use English in my future job. Oh, what do you want to be? I want to be a computer programmer in the United States. I’m not sure, but I want to work in Japan. World 目標文:I want to show you around Asakusa. 本文:I want to show you around Asakusa. Sunshine 目標文:I want to be a doctor. Do you want to help sick people? 本文:Do you like to play with children? I want to be a nursery school teacher in the future. I would like to take care of children. Total 目標文:I like to use computers. 本文:So I want to go to a pastry shop for career experience. I need to think about it. このリストからもわかるようにTotal以外のすべてが目標文にwantを使っている。本文でも4種 -196- (Columbus、Crown、Horizon、World)がwantのみの文を提示している。want以外の動詞等を使用 している教科書が2種あり、Sunshineはlikeとwould likeを、目標文でlikeを使っているTotalはwant のほかにneedを使っている。 全体的に見て、やはり名詞用法はwantを使って導入されている場合が多いと言えるだろう。 (3)提案 不定詞の名詞用法の導入時にはwantを使用しないことを提案する。理由はこれまでに述べたと おり、不定詞の構造理解上好ましくないからである。 具体的な代案として以下の2つが考えられる。 ①want以外の動詞を使う 既にTotalが目標文として、またSunshineが本文でlikeを使っている。また、Totalは本文にneedも 使用している。これらはwantに比べ、「動詞+不定詞」の形が捉えやすい。例えば「like+不定詞」 は「like=好きだ」「不定詞=∼すること」として英語を日本語にそのまま置き換えても「∼する ことが好きだ」という自然な日本語になる(needも同様に「∼することが必要だ」)。 ただし、「like+不定詞」には注意を要する。likeは目的語としてing形と不定詞の両者を取るこ とができるが、この2つは意味上の違いがあることが指摘されている。江川(1991、p. 369)は以 下のように述べている。 平生の好き嫌いを表すには動名詞のほうが好まれるのは、動名詞はすでに経験済みの事柄 または現在経験中の事柄を表すからである(中略)。これに対して不定詞は未来において 経験する可能性のある事柄を表す(後略) 例えば、I like playing tennis.はテニスという競技に対して(少なくともその時点で)恒常的に好意 を抱いているのに対し、I like to play tennis.はこれから先にテニスをしたいという希望を表すこと がある。その意味では、このlike toはwant toに近い。江川が指摘の「好まれる」という表現が使わ れているように、この区別が常に適応されるわけではないが、使用にあたっては注意が必要だろ う。 be動詞を主動詞として使うことも考えられる。例えば、以下の英文であれば、to以下を「∼す ること」と捉えやすい。 My job is to teach English to high school students.(私の仕事は高校生に英語を教えることです。) あるいは、不定詞句を主語とすることも可能である。 To teach English to high school students is my job.(高校生に英語を教えることが私の仕事です。) また、Totalで使われているneedも有用である。 I need to think about it.(私はそれについて考えることが必要だ。) -197- ②「want to∼」を連語として扱わない ここまで、教科書や学校現場で「want to∼」 を連語とし、「∼したい」という日本語訳を当て はめているという前提に論を進めてきたが、「want to∼」を連語とすることそのものを排除する という案も考えられる。 実際に、HorizonとSunshineはwant to∼を連語として捉えていないことが本章の「(1)問題点」で 明らかになっている。また、Crownもwantに「∼したい」という日本語訳を与えているものの、「(to ∼はwantの目的語)」という注釈を加え、wantと不定詞を切り離そうという試みが見られる。 不定詞の名詞用法の導入にwantを使用することの問題点を挙げてきたが、現状ではほとんどの 教科書がwantのみを使用しており、大きな偏りが見られる。今後の改善が必要であろう。 3-3 未来表現 未来表現の導入に関しては次の2点を考える必要がある。 ○過去形と未来表現のどちらを先に導入すべきか ○未来表現の導入にはwillとbe going toのどちらを用いるべきか 英語で未来を表す表現はwill、be going toのほかにshallやbe –ing、現在形を使った表現、be about toなどが考えらえるが、本論では中学校で扱うwillとbe going toに絞って検討する。また、「未来」 に関する文法用語に「未来形」があり、平成18年度版ではSunshineが使用していた。しかし、英語 に「未来形」があるかどうかは議論の分かれるところであり(中原、2008、p.363)、また、現行 版ではすべての教科書から「未来形」が消えたため、本論では「未来表現」を用いる。 (1)過去形と未来表現のどちらを先に導入すべきか 現行版の教科書は、すべて過去形が1年生で導入され、未来表現は2年生となっている。過去形 の導入時期を見るとすべて最後の課になっている(最後の1課を使っている教科書と最後の2課 を連続で使っている教科書がある)。一方、未来表現はすべて2年生の早い時期に導入されている。 すなわち、すべての教科書で、過去形の方が未来表現より先に導入されている。 過去形の学習における困難点として考えられるのが、不規則動詞の存在である。不規則動詞の 数は動詞全体でみれば決して多くはないが、英語の場合、基本的な語彙の中に不規則なものが多 く、早い段階で例外の学習を迫られる。これが原因で英語に苦手意識を持つ、あるいは増す学習 者も少なくないだろう。 各教科書の過去形の導入に関する現状を確認しよう。 Columbus 第10課(規則動詞のみ):visited, phoned, enjoyed, missed, 第11課(不規則動詞が加わる):ate, went, had, saw, took, thought, Crown 第9課(規則動詞と不規則動詞):played, visited, enjoyed, talked, went, ate, had, made, swam, bought, saw, fell, explained, came, ran, said, clapped, asked, learned, Horizon 第11課(規則動詞と不規則動詞):walked, enjoyed, played, watched, used, wanted, tried, studied, went, got, saw, called, had, came, cooked, stayed, -198- World 第9課(規則動詞のみ):talked, played, lived, studied, arrived, visited, watched, stayed, pitched, used, dreamed, listened, 第10課(不規則動詞が加わる):came, took, went, ate, saw, got, was, were, had, met, taught Sunshine 第10課(規則動詞のみ):visited, lived, arrived, looked, learned enjoyed, missed 第11課(不規則動詞が加わる):had、saw, went, stood, Total 第9課(規則動詞と不規則動詞):played, arrived, walked, visited, listened, cleaned, went, saw Columbus、World、Sunshineは規則動詞先に導入し、課を改めて不規則動詞を導入している。Crown、 Horizon、Totalは同じ課で規則動詞と不規則動詞を導入しているが、セクションは改めている。平 成18年度版ではSunshineとTotalが不規則変化動詞を2年生に配置していたが、今回の版では全教科 書が1年次に不規則動詞が入るようになり、導入時の学習負担が増えたと言える。 未来表現の場合、特にwillを未来表現の導入で使用する場合、基本的には動詞の前に挿入すると いうルールのみであり、主語や後続の動詞による活用等はないので、過去形よりも入りやすいだ ろう。また、すべての教科書で1年次に助動詞canを導入しているので、疑問文や否定文への変換 も初めてのケースではなくなる。今後はこの2つの導入順序についてさらなる検討が必要である。 (2)未来表現の導入としてwillとbe going toのどちらを用いるべきか 現行版では、willを先に導入している教科書が2種(Crown、Total)、be going toを先に導入して いる教科書が4種(Columbus、Horizon、World、Sunshine)である。それぞれの利点及び欠点を検 討してみよう。 ①be going toを先に導入する利点 ○すべて既習単語である:be動詞(am, are, is)は未来表現の導入時点ですべて既習であるため、新 たな単語の学習という負担がない。一方、willで導入を行うと、新しい単語(=will)の学習が必要 となる。 ○疑問文・否定文への変換がこれまでと変わらない:be動詞を使用するため、疑問文・否定文の作 り方はすでに中学1年生の1学期に学習済みである。新たな規則を学習する必要がない。一方、will の疑問文及び否定文の操作は、基本的にはbe動詞と同じである。また、中学校1年生次に助動詞の canを学習しているため、十分類推が働くと思われる。難点として考えられるのは、否定形のwon’t (=will not)が全く新しい形であり、will notからの類推が難しいと感じる学習者もいると思われ る。また、主語がyouの場合の疑問文は依頼の意味を表す場合が多くなるので、機械的な練習が必 要な場合、主語が三人称の単語などを使う必要がある。 ② willを先に導入する利点 ○他の項目との混同が少ない:be going toの場合、形が進行形(特に現在進行形)とよく似ている ため、2つの混同が考えられる。一方willは同じ機能で類似する単語が他にないので、その種の混 同はない。 ○主語による使い分けがない:willは主語が三単現の場合でも形が変わることがない。一方、be going -199- toはbe動詞を主語に合わせて変える必要がある。be動詞の変化についてはすでに1年生次に学習済 みであるが、習熟していない生徒が少なくないと考えられるので、未来表現という概念の導入と 同時にbe動詞の変化にも注意を払わなければならないという困難がある。 willとbe going toの利点及び欠点を検討してきたが、これまでに論じてきた疑問詞whatや不定詞 の名詞用法に比べ、明確な優劣はないので、本論でどちらか一方を先に導入すべきであろうとい う提案は避けるが、教科書編集者は導入順序を決定する上で上記の点を考慮に入れて決定すべき であろう。 4.おわりに 本論では中学校英語検定教科書に出現する重要文法・語彙項目の提示順序等について検討して きた。具体的には疑問詞what、不定詞の名詞用法、未来表現である。疑問詞whatは形容詞として の用法を先に導入するほうが、*What do you like sport?という種類の誤りを減らせる等の利点があ ることを指摘した。不定詞の名詞用法に関しては、wantを主動詞とする例文が多く使われている ことの問題点を指摘し、want以外の動詞で導入することを提案した。未来表現については、おも にwillとbe going toそれぞれの利点・欠点を確認し、導入順序決定における留意点を列挙した。 本論は主に現在使用されている中学校英語検定教科書をデータとして使用し、論を展開してき たが、今後は実証的な検証が必要である。例えば、代名詞whatを先に導入する被験者グループと 形容詞whatを先に導入する被験者グループでは、*What do you like sport?という種類の誤りの発生 率に実際に有意差があるのかどうかを検証する必要がある。 謝辞 本論の着想にあたっては、東京学芸大学附属国際教育中等学校の雨宮真一先生と埼玉大学教育学部卒業生の川 津佳之君からヒントをいただいた。記して感謝したい。 引用文献 ―改訂第三版―』金子書房 江川泰一郎(1991)『英文解説 神本忠光(1997)「大学での『やり直し英文法』の授業における文法項目配列―予備調査―」 『熊本学園大学 文学・言語学論集』第4巻 第1号、pp. 19-38 神本忠光(1998)「大学での『やり直し英文法』の授業における文法項目配列―-ing形と-ed形を 文学・言語学論集』第5巻 第1号、pp. 93-111 中心に―」『熊本学園大学 中原道喜(2008)『新マスター英文法』(聖文新社) 馬場哲生(2009)「中学校英語検定教科書における文法項目の配列順序 課題―」『東京学芸大学紀要 ―問題の所在と今後の 人文社会学系Ⅰ』60、pp. 209-220 (2012年 11月 12日提出) (2013年 -200- 1月 11日受理) Issues Involved in Introduction of Grammatical or Lexical Items in EFL Textbooks in Japan OIKAWA, Ken Faculty of Education, Saitama University Abstract The purpose of the present research is to analyze and discuss issues involved in introduction of several grammatical and lexical items in the authorized textbooks of English for junior high school students. The focus is on the following three linguistic items; presentation order of interrogative pronoun what and interrogative adjective what, infinitives that function as nouns often follow a verb want, and presentation order of future expressions will and be going to. Key Words: junior high school, English, authorized textbook, presentation order -201- -202- 埼玉大学紀要 教育学部, 62(1):203-214(2013) N.カルドアとマネタリズム 1) 木村雄一 キーワード: 埼玉大学教育学部社会科教育講座 カルドア、マネタリズム、フリードマン、社会民主主義、自由主義 1. はじめに 「100 年に一度の津波」と呼ばれるほど世界経済に甚大な影響を与えた 2008 年秋のリーマン・ ショックやサブ・プライムローンの問題、ギリシャを発端とする EU の経済危機から数年が経つ が、未だ世界経済は混沌とした状況が続いている。財政政策と並んで、経済政策の両輪の一つ である金融政策の是非を巡って、FRB(連邦準備制度)や ECU(欧州中央銀行)の「最後の貸し 手」としての「中央銀行」の役割の意義が問われている。日本においても、バブル経済の崩壊 以降「喪われた 20 年」と呼ばれるほどの、長いデフレーションが続き、それに対峙する日本銀 行の金融政策が「調整インフレ」や「リフレーション」の論客から問われている。新聞紙上や ニュースにおいて「量的緩和政策が実施された」 「低金利政策が実施された」としばしば言われ るように、今日の不況の争点は「貨幣が重要である(Money matters.) 」といって差し支えない であろう。 「貨幣」を巡る論争は、いわゆる「貨幣数量説、M(貨幣量)×V(流通速度)=P(物価)× T(取引量)」を巡る論争と言い換えてもよく、経済学の歴史をひもとけば、古くは 19 世紀の「銀 行学派」対「通貨学派」まで、さらに言えば、アダム・スミスやフランソワ・ケネーらの経済 学の生誕の時代よりもずっと以前まで遡ることができる(Schumpeter 1954)。「貨幣数量説」を 簡潔に説明すれば、貨幣供給量の増大は、一時的に雇用量や産出量を増大させることはあって も、長期的には物価の上昇につながるだけである、という考え方である。世界経済が混乱した 1930 年代に、ケインズが「基本方程式」を論じて、貨幣数量説とは別の、投資と貯蓄の接近法 を論じた一方で、ハイエクやミーゼスが「貨幣の中立性」の問題を立て貨幣供給量を論じた点 は、「銀行学派」と「通貨学派」の再来であった(Hicks 1976)。こうした 30 年代に展開された 貨幣理論—貨幣数量説や貨幣の流動性は、現在でも多くの経済学者によって、「外生説」と「内 生説」、マネタリズムやポスト・マネタリズムとして言及がなされる(堀家 1988,服部 2008, 翁 2011)。 こうした「貨幣数量説」を巡る数多の論争のうち、近年では、ミルトン・フリードマン(Milton Friedman,1912—2006)とニコラス・カルドア(Nicholas Kaldor, 1908-1986)両者の論争ほど 熾烈なものはないだろう。 フリードマンは、言わずと知れた「新自由主義の闘志」として、民間の経済活動に対する「政 府の干渉」を極力排して、「選択の自由」を生涯訴えたアメリカの経済学者である。「シカゴ学 派」2)のリーダーとして、 「小さな政府」を主張し、 「ニュー・マネタリズム」の唱道者としてそ の名を高めた。1976 年にノーベル経済学賞も受賞しており、今日の新古典派経済学者や金融理 論家に大きな影響を与えている。他方、カルドアは、もともと 30 年代の LSE(London School of Economics and Political Science)でライオネル・ロビンズや F. A. ハイエクなどの自由主義 -203- 経済学者の影響を受けた人物であるものの 3)、 「ケインズ革命」の波にのまれ、第二次世界大戦 後は、ジョーン・ロビンソンや P. スラッファ、R. カーンらと「ケンブリッジ学派」を守った 経済学の巨匠である 4) 。ミュルダールらと国連の仕事を協同し、開発経済政策や税制改革にも 深く関与し、さらにイギリス労働党の政策アドヴァイザーをつとめたブレインであった。 フリードマンの仕事が脚光を浴びたのは、スタグフレーションによって、ケインズ政策の有 効性が問われた 60 年代後半から 70 年代である。 「経済学の第二の危機」と呼ばれたこの時代は、 「フリードマナイト(the Friedmanites)」と呼ばれるほど世界的に「マネタリズム」の勢いが 強くなり、ついに 1980 年代に「新自由主義(ニュー・リベラリズム) 」が主役として登壇した。 1989 年の「ベルリンの壁」の崩壊後における 90 年代の「市場主義」の席巻は、フリードマンの 影響を示す格好の事例であった。しかしながら翻って今日の経済社会を見るならば、経済格差 や弱肉強食、マネーゲームの顛末による世界不況の真只中で、ケインズやマルクスに再び注目 が集まっている(Skidelsky 2009)。 本稿では、以上をふまえて、カルドアのマネタリズム批判に焦点を当て、カルドアの金融理 論と政策、両者の論争の意義を明らかにすることを目的とする。カルドアに関する多くの先行 研究では、金融政策の立場として「内生説」・「外生説」という二分法を示した上で、カルドア こそ「内生説」の重要な論客であると論じられる(King 2009, Targetti 1992)。しかしながら カルドアのマネタリズムに対する主張は、カルドアの理論や政策の全体を考えるならば、その ような区分だけで示すほど単純ではない。というのは、カルドアが、フリードマンの考えも部 分的にあり得ることを認めた上で、信用貨幣の役割を考慮すれば、マネタリズムの考えるほど 金融政策は単純ではないということ、つまり、貨幣の供給量を増やせば、民間の企業に任せて おけばよいという、カルドアから見れば過度の「自由主義」を批判する点にあったからである 5) 。なお本稿は、カルドア自らの政策ヴィジョンを表明した「急進的な社会民主主義(a progressive social democracy)」6)の全体像を捉えるための手がかりとしての一試論でもある。 2. カルドアとフリードマンの論争 2−1 フリードマンのマネタリズム フリードマンといえば、「マネタリズム」や「X%ルール」と呼ばれるように、貨幣理論家と してのイメージを脳裡に思い浮かべるが、そもそも彼は貨幣理論家として出発したわけではな い。戦前のシカゴ学派の二大巨頭であるフランク・H・ナイトとジェイコブ・ヴァイナー、そし てロイド・ミンツから「貨幣数量説」を学んだことは間違いないが、その当時のフリードマン にとって「貨幣数量説」はそれほど重要な意味を持っていなかったという(Steindle 2004, 根 井 2009, p.7)。シカゴ大学で、新古典派の価格理論の基礎を徹底的に学んだ後、コロンビア大 学でハロルド・ホテリングやウエズリー・ミッチェルから数理統計学や統計データの整理法に 影響を受け、その後シカゴ大学に復帰した。フリードマンが「マネタリズム」と呼ばれる研究 を開始したのは、やや驚くことにシカゴ大学復帰後であった。1950 年代の初頭から「貨幣・金 融研究会」をスタートさせ、その数十年後、1963 年にアンナ・シュワルツとの共著である『米 国金融史』(Friedman and Schwartz 2008)を発表し、「貨幣ストック」の統計データを整理し た上で、中央銀行の貨幣供給量の変動が景気の浮き沈みに大きな影響を与えている点を論じた。 フリードマンの「マネタリズム」を訳すならば「貨幣主義」と書ける。語尾に「主義」と書 -204- かれると、フリードマンこそ「貨幣は重要である」と論じた経済学者であるとの印象を受け取 るが、実際は「貨幣数量説」の焼き直しでありレトリックに過ぎない 7) 。フリードマンのマネ タリズム(「貨幣数量説」)をかいつまんでいえば、貨幣供給量の変化は、一時的に産出量や雇 用量に影響を与えることはあっても、長期的には、物価を変化させることだけになるという理 論構成である。たとえば、貨幣供給量の増大は、物価を上昇させるが、それは長期においてで あって短期ではない。貨幣が実物経済にまったく影響を与えず物価だけに影響を与えることを 「貨幣の中立性」とよぶ。これは、フリードマンの「自然失業率」が存在している状態、すな わち完全雇用が成立している状況である。 こうしたフリードマンの理論が成り立つには、貨幣の流通速度が安定的であるということが 前提である。フリードマンは、貨幣の流通速度が安定していることを膨大かつ詳細な統計デー タに示した上で、経済安定のためには中央銀行が貨幣供給量を一定率で増やす「X パーセント・ ルール」を採用すれば良いことを主張したのである。このことは裏を返せば、貨幣を「X パーセ ント・ルール」に従って増大させれば所得が増加するということ、すなわち中央当局や中央銀 行による市場への裁量的な介入政策は不必要であるという「小さな政府」を意味する。当時の 主要な経済問題の一つであったインフレーションをも「X パーセント・ルール」によって制御す ることができると論じたのである。 こうしたフリードマンの理論が展開された当初、学界ではフリードマンのマネタリズムは孤 独な戦いであったことに留意すべきである。というのは、戦後のコンセンサスとして、世界の 主流は「福祉国家」「混合経済」であって、アメリカの学界は P. サミュエルソンらの「新古典 派総合」の圧倒的な影響下にあったからである(根井 2009)。しかしながら、経済停滞とイン フレの問題が深刻化していく中で、為替相場は変動相場制へ移行し、有効な財政・金融政策を 打ち出せない中で、 「自然失業率仮説」が登場し、 「新自由主義」の時代が到来したのである 8)。 このように、マネタリズム 9)は「貨幣は重要である」という教義は、 「小さな政府」と表裏一体 であった。 マネタリズムの方法論は、いわゆる新古典派経済学の非現実的な仮定の上に成り立つ完全競 争モデルが想定され、価格の伸縮や情報の完全性など均衡経済学である。経済学者の間では、 たとえばオックスフォード経済調査のフルコスト原則のように、仮説の現実的妥当性こそ重要 であると考える立場もあるが、フリードマンの『実証経済学の方法と展開』(1953 年)によれば、 経済理論は、仮説の現実的妥当性とは無関係に、ただそれが正確な予測を可能にするかどうか によって判断する、と主張している。この方法論争の是非について批判を展開した経済学者の 一人こそ、次に触れるカルドアの批判の一つである。 2-2 カルドアのマネタリズム批判 カルドアは、1970 年 3 月 12 日にロンドン大学(UCL)で「ニュー・マネタリズム批判」と題 する講演を行った。その講演には、ジョーン・ロビンソンやフランク・ハーンなど数多くの名 だたる経済学者たちが一同に介した。カルドアは、当時影響力を与えたフリードマンのマネタ リズムに批判の口火を次のように切った(Kaldor 1970)10)。 (1) 名目 GNP、名目物価水準とその変化率、名目賃金の水準とその変化率のような「貨 幣変数」を決定する際には、貨幣だけが重要である。反対に、財政政策、租税、労 -205- 働組合の行動などの貨幣以外の変数は無関係である。 (2) 貨幣をいじくり回すことによって一時的にこれらの実質諸変数(唯一の実質利子率、 唯一の均衡実質賃金、唯一の均衡実質失業水準)をかえることはできる。しかしそ の後、異常に高い利子率や異常な高失業率など逆の変化が不可避的に生じる。この 部分は、フォン・ミーゼスやハイエクの理論を連想させるが、ハイエク流のトラン スミッション・メカニズムの巧妙さや生産構造において貨幣が引き起こすゆがみと いった点を見落としている。11) (3) 貨幣供給量だけが名目支出や所得や価格を決定するとはいえ、それは不幸にも不安 定なタイム・ラグを伴う。理由はわからない。 (4) 貨幣供給量を制御することは貨幣変数を統制する唯一の強力な手段であるとしても、 貨幣供給を変化させることによって景気循環を打ち消すような積極的安定化政策を 遂行することを中央銀行に望むのは無理である。(Kaldor 1970, pp.5-6; 邦訳 pp.36-38, 引用者が該当箇所を要約している) カルドアはさらに続ける。 「貨幣供給量の増加が物価と所得を上昇させる」という論は、安定 的な貨幣需要関数が想定され、しかも人々が自分の実質所得の一定割合を貨幣の形態で保有す ることが想定されている。それは、一見すると、膨大で緻密な時系列データによって示されて いるように思われるが、フリードマンの時系列のデータの取り方そのものに問題がある。とい うのは、可変的な「ラグ」の存在に関する全体の疑問がけっして確証されていないからである。 それゆえ、安定的な貨幣需要関数が存在するということを論じることはできないのではないか と(Ibid.)。 こうしてカルドアは次のように述べる。 「私にはフリードマンの結論は逆に読まなければなら ないことが、突然わかりはじめてきた。すなわち、その因果関係は Y から M へと進まねばなら ないのであって、M から Y ではない。私はそのことについて時間をかけて考えれば考えるほど、 商品—貨幣経済に基礎を置く貨幣価値理論は、信用—貨幣経済に適用し得ないといっそう確信し た」(Kaldor 1982, p.22; 邦訳 p.72, 下線は引用者による)。 「古典派の二分法」としての世界観が成立し得ない状況、すなわち信用—貨幣経済における貨 幣の流動性を重要な問題として論じたのが J. M. ケインズであったが、カルドアもまたケイン ズの考えを受け継いでいる。そもそもカルドアは、1930 年代の論文でヒックスの IS-LM 曲線や ほぼ水平の貨幣供給曲線を用いて、流動性のケースを先駆けて論じている 12)(Kaldor 1937, 1939, King 2009)。30 年代にケインズとハイエクが論争したのと同じように、フリードマンが貨幣の 役割を重視する通貨学派とすれば、カルドアは信用経済を重視する銀行学派の構図が成り立つ のである。しかしながら、カルドアのフリードマン批判はこれにつきることなく、興味深い貨 幣理論や政策となって現れる。次節で検討しよう。 3. カルドアの貨幣理論・政策とその思想 3−1 カルドアの内生説 カルドアの批判は、いわゆる「通貨学派」と「銀行学派」の立場で捉えれば、 「銀行学派」に 立つ。フリードマンがカルドアをこの研究領域においては「新参者」と述べたが、それは的確 な指摘ではない。確かに実証主義という点からカルドアは新参者であるかもしれないが、先述 -206- したように、カルドアは貨幣理論や政策についての論文を 30 年代の LSE 時代に執筆をし、そも そも彼が影響を受けたケインズ理論は「生産の貨幣理論」である。貨幣の流動性を論じたケイ ンズの理論こそ重要であることをカルドアは理論の土台としながらも、カルドアはフリードマ ンの復活を許したのはケインズの貨幣に関する取り扱いが原因であると述べる。ケインズが示 した解決法は「貨幣数量説の修正であって、その放棄ではなかった」 (Ibid., p.21; 邦訳 69 ペ ージ)。ケインズの流動性選好は、M=L(Y, r)もしくは M=k (r) Y であるが、これは、フィッ シャーの記号を用いれば、D=Y=MV(r)である。この式は、実物的要因に対する貨幣的要因の調整 がすべて「流通速度」V の変化を通じて行われることを示す。この式によって、フリードマンは M と Y の強い相関関係を発見し、歴史的な時系列に手を加えることによって、「マネタリズム」 を論じた、とカルドアは論じた(Ibid.)。 カルドアは、ケインズの『一般理論』の限界の一つとして 13) 、貨幣供給が外生的に与えられ る点を指摘して、図1を用いてカルドアは次のように述べた。 「信用貨幣経済の場合には、貨幣供給曲線を垂直的にではなく水平的に描くのが適切であろう。 金融政策は所与の貨幣ストック量によってではなく、所与の利子率によって表される。そして 貨幣存在量は需要—所得 Y の関数としての貨幣需要 D(Y)のこと―によって決定されるであろう。 貨幣需要はこれまでと同じように所得とともに変動するであろうし、また中央銀行の利子率― 昔の公定歩合、現在の MLR—は、信用を制限または拡張する手段として、上方あるいは下方に変 更されるかもしれない。しかし、このことはいつでも、またつねに、貨幣ストックが需要によ って決定され、また利子率が中央銀行によって決定されるという事実を変更するものではない」 (Ibid, p.24; 邦訳 p.74, 下線は引用者による) 。 図1 r D(Y) M すなわちカルドアは、M と Y の間に相関関係が見られたとしても、それは M が取引の必要に応 じて弾力的に変化した結果である。貨幣供給量は需要に対して消極的に調整されると論じてい る 14)。カルドアはさらに続ける。もっとも貨幣の定義は、M1, M2, M3 と書けるが、もっとも広 義の定義である M3 でも、中央当局が所得の増大と完全な一致となるように貨幣を増大させるこ とは不可能である。くわえて、ここで定義された M3 以外にも多くの貯蓄性預金があることを想 起するならば、貨幣供給曲線は水平線として描ける、すなわち貨幣需要こそ貨幣供給を決定づ ける、と(Ibid.)。こうしてカルドアは、内生的な貨幣供給理論を論じたのである。 -207- 3−2「均衡経済学」批判と経済学方法論の相違 カルドアは、イギリスのサッチャー政権の採用した経済政策「インフレーションの抑制をな ににもまして優先する」という見解が「マネタリズム」によって正当化されている、と述べた (Kaldor 1982)。この文言は、サッチャー政権でのマネタリストの金融政策を批判的に考察し た「大蔵および内務委員会への証言」 (1980 年 7 月)に始まる「イギリスの金融政策」で触れら れたものであるが、フリードマンとカルドアの経済学方法論の相違を理解するための重要な文 書であるため、以下に紹介する。 カルドアによれば、 「マネタリスト」の見解を基礎づけるモデルは、架空の経済に適用しうる ワルラスの一般均衡モデルである、という 15) 。いうまでもなく、ワルラス・モデルは、自己調 整的、価格の伸縮性、完全雇用、完全情報というミクロ経済学で扱われる市場均衡・市場清算 の経済学であるが、マネタリストがワルラス・モデルに追随する点は以下の三点である。第一 に、全ての市場が清算されると仮定していること、第二に、商品—貨幣経済の機能と信用—貨幣 経済の機能に重要な相違がないと仮定していること、第三に、貨幣供給の制御によってインフ レ率を緩和できると仮定していること、である(Ibid., p.45; 邦訳 pp.108-109)。カルドアは、 それぞれの仮定について、第一に、需要インフレとコスト・インフレの重要な相違が説明でき ないこと、第二に、信用—貨幣経済において、貨幣量の増加はそれに相応する公衆の貨幣保有欲 求によって調和されること、第三に、信用—貨幣経済において、貨幣供給は外生的に決定されな いこと、と批判する。 ここで重要な点は、カルドアがマネタリストの「貨幣数量説」が、ワルラスの「一般均衡理 論」という「非現実的」な世界の域をでていないことを指摘している点である 16)。カルドアは、 均衡経済学の誤りについて、「『均衡経済学』に由来する思考習慣には,経済学を『科学』とし て発展させる際に重要な障害となるような強烈な誘因力がある。なおここでの『科学』という 用語は, 『経験的』に推論された仮定に基づいて,それらについていずれも検証可能であるよう な一群の定理を意味する」(Kaldor 1972, p.176; 邦訳 249 ページ)と述べ、その現実の市場と かけ離れた仮定を設ける方法論を指弾したのである。 しかしながら、フリードマンは、先述したように、たとえ前提が間違っていても将来の予測 が出来れば問題はないとし、 「科学」という用語をカルドアとは別の意味、すなわちアプリオリ に仮定できるという意味での「科学」を考えている。仮定の現実性は問題でなく、推測した仮 定から仮説を構築すればよいという主張である。フリードマンは、実証経済学と規範経済学を 分離しつつも規範経済学のための実証経済学の研究に没頭し 17) 、彼の掲げるマネタリズムの時 系列的な実証を目指したのである。 第一次世界大戦後のドイツのハイパー・インフレーションの現実を目前にし、経済学者にな ることを決めたカルドアにとって(Kaldor 1986)、「仮定の非現実性」や「黒板経済学」を認め ることはできなかった。仮定の現実性はまったく問題としないフリードマンの経済学と、もと もとアプリオリな経済学研究から出発しつつも、現実の社会問題を考えていくうちにそうした 思考から徐々に離れたカルドア。両者の経済学の方法論は、全く相容れないものであった。 -208- 3—3 「価値判断」 以上のように、カルドアによるフリードマンのマネタリズム批判を理論・方法論上の相違と して把握しつつも、両者の論争はもう一歩踏み込んだ場所に存在する。それは、両者の志向す る経済社会の相違、すなわち、価値判断の問題である。 そもそもフリードマンは、理論を道具のように用いて実証経済学と規範経済学を区別すると 論じたものの、多くの啓発的な書物に書かれているように、「選択の自由」「市場メカニズム」 こそ経済発展に対して望ましいという徹底的な「自由主義」者である。いわば、フリードマン の「実証主義」は、フリードマンの「自由主義」の実践としての「実証経済学」と述べても良 いだろう。 フリードマンは、自由の闘志である。ローズとの共著『選択の自由』 (Friedman-Friedman 1980) という書名が語るように、たとえば、教育問題についても、学校を自由に選ぶクーポン制とし ての教育バウチャー制度を論じて、公立学校の民営化を主張したり、あるいは、ケインズ型福 祉国家の批判をして自由な市場を論じたり、フリードマンの主張は首尾一貫した自由主義であ る。 他方、カルドアは、効率、分配と公平といった社会問題をとらえ、新厚生経済学では労働者 階級や社会的弱者の人たちへの「補償」を論じた経済学者である。労働者への賃金の補助、ナ チスからの避難者の救出、投資家階級の没落を狙った「総合消費税」の提案など、戦後の労働 党の政策アドヴァイザーの活躍を見れば、カルドアの「社会民主主義」の方向性を理解するこ とができる(もちろんこの言葉そのものは多義性を有する)。ケインズのケンブリッジを戦後も 守るカルドアがここに存在した。カルドアは、 「労働者階級の生活水準に対する挑戦にすぎない」 (Keynes, 1938)という言葉を引きつつ、マネタリズムの政策の帰結を次のように述べる。「思 うに、労働市場を20世紀の売り手市場から19世紀の買い手市場―それは工場規律、賃金要 求およびストライキ癖に対して有益な効果をもつ―に転換するのに成功したことにある。しか し、その代償に失われた産出高、失われた社会的団結、さらに失業者とりわけ若年層の失業者 のいいようのない窮状の点から見ておそるべきものになっている」(Kaldor 1982, p.xii; 邦訳 p.6) このように両者の価値判断の域まで足を進めるならば、カルドアのマネタリズム批判は、単 なる内生説・外生説、貨幣数量説の批判にとどまるのではなく、両者の価値判断の衝突が本論 争の根底に存在すること、もう少し言えば、両者が目指す社会像の衝突がマネタリズム論争に 反映されているのである。 4. 結びにかえて カルドアによるフリードマン批判は、それぞれ銀行学派と通貨学派の観点から「貨幣数量説」 という歴史的にもっとも普及した方程式を巡る論争であった。すなわち、信用貨幣経済におい ては、貨幣量が所得を決めるのではなく、所得こそ貨幣量を決めるという、いわば、カルドア は内生的な立場に立った。また、カルドアとフリードマンの論争は、まったく相容れない立場 であったのは、彼らの方法論上の相違であった。カルドアは、経験科学としての仮定を重視す る一方で、フリードマンは実証主義者といえども予測さえ可能であれば仮定は非現実でもかま -209- わないという立場であった。しかしながら、両者の論争をさらにすすめてみたならば、 「自由主 義」対「社会民主主義」という両者の社会ヴィジョンとも言うべき経済観の衝突であった 18)。 今日の情報化社会の状況においては金融市場も進化しているため、当時カルドアが批判した マネタリズムを再検討する意義はほとんどないと論じる者もいるだろう。しかしながら、この 論争は、歴史上何度も繰り返されており、そもそも中央当局による貨幣のコントロールによっ てデフレを脱却するという発想は新しいものではない。そうした中で、筆者が最後に述べてお きたいことは、カルドアの批判の主眼は、中央当局が貨幣のコントロールによる金融政策を行 えばインフレを回避できる、というような「単純な科学」批判にあったことである。 カルドアによるマネタリズム批判は、単に内生説や外生説といった二分法のどちらかに立つ というよりは、市場の不完全性や失業者の存在、所得格差の是正といった現実の複雑な問題を 解決することはそう単純ではないことを説いている。その意味でも、カルドアのマネタリズム 批判は、フリードマンや均衡経済学の「安直」なモデルに対する警鐘であったと同時に、そう した「安直」なモデルが依拠している極端な「自由主義」に対する批判が隠されている。現代 の様々な経済学者が論争を繰り広げているが、経済理論に依拠した価値判断を検討することも 現代経済学を考えるにあたって重要な論点である。 注 1)本研究は、科学研究費補助金「ニコラス・カルドアの経済思想――社会民主主義のヴィジョン」 (若手研究 B: 23730205)の助成を受けている。 2)両大戦間期にナイトやヴァイナーがいわゆるシカゴ学派を形成したが、彼らは自由至上主義者ではなかった。 むしろ福祉国家的な視点も有していた。それゆえ、シカゴ学派を市場主義と捉えるのは誤りで、事実上フリー ドマニアンと捉えてよい(根井 2009)。 3)カルドアは、ハイエク批判を展開した重要な経済学者であったが、裏を返せば、オーストリア学派の弟子と してハイエクの跡を継ぐ人物であった。カルドアこそ、ハイエクの貨幣理論を熟知していたと述べても過言で はない。 4)カルドアはノーベル経済学賞の候補者になったが、残念ながら受賞には至らなかった。初期カルドアの理論 的貢献について、筆者はノーベル賞に値する業績であると考えているが、この点は別の機会に論ずる。 5)この点については、Thirlwall(1987)の研究書が丁寧である。戦後のカルドアの伝記については、Turner (1993)が詳しい。 6)この言葉は、カルドアの中国における講演の一部で使われた(Kaldor 1957)。Targetti(1992)は、カルド アの「社会民主主義」について言及しているものの、彼の示す「社会民主主義」がどのようなものかについて は、研究の余地がある。 7)もちろんマネタリストだけが貨幣を考えていたわけではない。ケインズが自らの理論を「生産の貨幣理論」 と述べたように、ケインズもまた「貨幣は重要である」と捉えていた(根井 2009)。 8)ハイエクは「貨幣の中立性」、すなわち貨幣利子率と自然利子率が等しくなる状況を論じた上で、中央銀行 が貨幣利子率と自然利子率が一致するように貨幣供給量をコントロールすることは困難であるから、中央銀行 は市場へ介入をすべきでないと論じた。ハイエクとフリードマンの考えはこの点で袂を分かつ(ハイエクは「貨 幣発行自由化論」を論じている)。 9)フリードマンによれば、「マネタリズムの中心的命題」は以下の通りである。1.貨幣量の増加率と名目所 得の成長率との間には、正確ではないが、整合的な関係が存在する、2.貨幣増加が所得に影響するのに時間 を要する。3.貨幣増加率の変化は、6ヶ月から9ヶ月のタイム・ラグをもって、名目所得の増加率に影響す る。4.名目所得の増加の変化は初めに実質産出高において、最後にほとんどすべて物価において見られる。 5.物価への影響は、名目所得への影響の後約6ヶ月後に起こる。それゆえ、貨幣増加の変化とインフレーシ ョン率の変化との間の総タイム・ラグは 12 ヶ月から 18 ヶ月となる。6.その関係はタイム・ラグを認めてい るけれども、完全からはほど遠い。7.5年から 10 年ほどの短期では、貨幣的変化はおもに産出高に影響する。 10 年を越えると、貨幣的変化は物価にだけ影響する。他方、長期では、産出高は企業心、発明の才、節約のよ うな実物要因にだけ依存するから、産出高は影響を受けないままである。8. 「インフレーションは常に、また どこでも一つの貨幣現象である」、9.政府支出はインフレ的であるかもしれないし、ないかもしれない。政府 -210- が貨幣を創造することによって、つまり貨幣を発行したり、銀行預金を創造したりして、資金調達するならば、 インフレ的になるだろう。10.貨幣増加率の増大は他の資産との関連で保有される現金の量を増加させる。 現金残高を減らそうとするにつれて、資産価格は上昇し、利子率は低下する傾向があるだろう。これは新しい 資産の生産に対する支出を促す。またこれは現存の資産よりむしろ経常のサービスに対する支出を促す。それ ゆえ、資産表への最初の衝撃は所得と支出への効果に転換される。11.貨幣増大は最初に利子率を低下させ る、しかし支出と価格インフレーションが増加するので、最終的に利子率を上昇させる傾向があるローンへの 需要の上昇を生む。これは、マネタリスト達がなぜ、利子率が貨幣政策に対して高めに誘導されると主張して いるかを説明している。さらに、物価の上昇(下落)は実質利子率と名目利子率との差異を生み、それが経済 の実物部門を混乱させる(Friedman 1977)。 10)当時の論争がどれほどのものかについては新飯田氏による以下のエピソードが興味深い。「1970 年9月、 イギリスのケンブリッジ大学で第二回計量経済学の世界会議の一会場で開かれた貨幣理論に関するシンポジウ ムが開かれた。会場は、ハーンのしかいのもとで、ニュー・マネタリズムのフリードマン、ややニュー・マネ タリズムに同情的であるハリー・ジョンソンに対して、カルドアと J・トービンが真っ向から対立するという役 者も超一流の熱気のこもったものであった」(新飯田 1972 年, p.152)。 11)「今日では、ミーゼス−ハイエク学派の業績を知る者はほとんどいない。しかし、不幸にも私はハイエク教 授の初期の信奉者であったし、彼の書物の一冊を翻訳したことさえあるほどの年寄りである。一冊の本を、特 にドイツ語から翻訳しなければならないということほど、一つの議論を把握させるものはない」(Kaldor 1970, p.5; 邦訳 37 ページ)。 12)カルドアがもともと貨幣理論家ではなかったということは各研究者によって指摘されているが、1930 年代 にすでに啓発的な貨幣理論の論文を書いている(Kaldor 1937, 1939)。 13)カルドアは、ケインズが、不完全競争市場すなわち逆 L 字型の費用曲線を取り入れなかったことを批判し ている。晩年のカルドアは、不完全競争と有効需要の接合を目指した。 14)ラドクリフ委員会の見解によれば、利子率 r は貨幣当局によって決定され、貨幣数量は流動性に対する公 衆の欲求によって決定される。 15)フランク・ハーンがこの問題を「マネタリストの非常識な主張」のうちで整理している(1981)。ハーンは 一般均衡理論の研究者として名高いが、LSE 時代にカルドアの教えを受けており、主流派経済学に批判的な面も 持っている。 16)もっともフリードマン自身は、自らの実証主義の方法は、マーシャル的な実証経済学を強調したものであ るという(Friedman 1953; 馬渡 1990)。 17)フリードマンの妻ローズは、夫の経済学方法論を以下のように証言する。 「理論を単なる数学的、形式的な 砂上の楼閣としてではなく、分析の原動力とし、それを実際問題の探求に応用し、経験によって掘り起こされ たデータを、仮説の当否の判定や理論構造の数量的特質の研究に利用したり、実証経済学を規範経済学から分 離し、改めて規範経済学に対する実証経済学の重要性を強調したりすることーミルトンが追求して止まなかっ たこれらすべての主題は『専門職の所得』の中にはっきりとその萌芽が認められます」 (ローズ・フリードマン 1980 年)。 18)本稿では幾つか不十分な論点が生ずる。たとえば、初期カルドアの金融政策、戦後のカルドアの実証の是 非、くわえて、労働党の政策アドヴァイザーとしての顔を検討する必要があろう。経済学の方法論争として多 くの論点が散在しているが、これらの点については、別の機会に譲りたい。 参考文献 江頭進(2006)「M. フリードマン――形而上学から実証的政策科学へー」橋 本努編著『経済思想⑧20世紀の経済学の諸潮流』日本経済評論社。 翁邦雄(2011)『ポスト・マネタリズムの金融政策』日本経済新聞出版社。 金子邦彦(1989)『現代マネタリズムの二つの潮流――フリードマンとブルンナ ー=メルツァー』東洋経済新報社。 ローズ・フリードマン(1981)『ミルトン・フリードマン――わが友、わが夫』 (鶴岡厚生訳)東洋経済新報社。 堀家文吉郎(1988)『貨幣数量説の研究』東洋経済新報社。 根井雅弘(1989)『現代イギリス経済学の群像――正統から異端へ』岩波書店。 ――(2009) 『市場主義のたそがれ――新自由主義の光と影』中公新書。 -211- 西山千明(1976)『マネタリズム――通貨と日本経済』東洋経済新報社。 吉野正和(2009)『フリードマンの貨幣数量説』学文社。 服部茂幸(1996)『所得分配と経済成長』千倉書房。 ――(2008) 『金融政策の誤算――日本の経験とサブプライム問題』NTT 出版。 廣瀬弘毅(1999) 「カルドアとサッチャーの経済的帰結」西沢保・服部正治・栗田啓子編著『経 済政策思想史』有斐閣。 馬渡尚憲(1990)『経済学のメソドロジー――スミスからフリードマンまで』日本評論社。 Ebenstein, L.(2007)Milton Friedman: A biography. 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Kaldor on Monetarism KIMURA, Yuichi Faculty of Education, Saitama University Abstract This paper deals with N. Kaldor on Monetarism from the viewpoint of Kaldor’s theory, his policy and his thought. According to some previous studies, Kaldor criticized Friedman’s monetarism, the revival of beliefs in the quantity theory of money, because a theory of the value of money based on a commodity-money economy is not applicable to a credit- money economy from the point of Kaldor’s theory and policy. However, what seems to be lacking is that they don’t deal with their battles which depends on their own social visions or their economic thoughts. Therefore, the purpose of this paper shows that Kaldor’s critique of Friedman was the battle between Kaldor’s vision of a social democracy and Friedman’s Laissez-faire. Key words: N. Kaldor, Monetarism, Friedman, a social democracy, Laissez- faire -214- 埼玉大学紀要 教育学部, 62(1):215-226(2013) 平 尾 貴 四 男 によるフランス音 楽 受 容 ――異文化理解と伝統の創造―― 神月朋子 埼玉大学教育学部音楽教育講座 キーワード:平尾貴四男、フランス音楽、近代日本音楽、異文化体験 1 .は じ め に ― ― 研 究 の 対 象 と 目 的 本 研 究 は 、 1931 年 か ら 35 年 に か け て フ ラ ン ス に 留 学 し た 平 尾 貴 四 男 に 関 す る 資 料を分析し、昭和戦前期までの日本の芸術音楽に対するフランス音楽の影響の一端 を考察しつつ、音楽における異文化体験について一例を示すものである1。 明治以降の洋楽受容に関する研究は、アメリカやドイツを中心に近年著しく発展 している。これらの研究は、各国の音楽が日本化されて、日本の近代国家と社会、 文 化 の 形 成 に 深 く 関 与 し た こ と を 指 摘 し て い る ( 西 原 2000, 奥 中 2008)。 こ れ に 対 して、フランス音楽との関連に関しては質量ともに充分とは言えない。先行研究の 多 く は 事 実 関 係 の 調 査 と 整 理 、そ の 特 徴 の 研 究 を 積 み 重 ね て い る が( 笠 羽 1987, 1988、 佐 野 2010)、 他 方 、 フ ラ ン ス 音 楽 受 容 の 特 徴 で あ る 作 曲 技 法 習 得 の 意 義 を 限 定 し た り、アンチ・ドイツ音楽の拠点として否定的に扱ったりするにとどまり、その意義 を発展的にとらえる課題が残されている2。フランスに関わる邦人作曲家研究を洋 楽受容史に位置づける研究も少ないのが現状である。 本研究の特色と独創的な点は、従来の断片的な研究とは異なり、フランス留学し た作曲家平尾貴四男に関する資料を幅広く収集し、その詳細に踏み込んで分析し、 異文化体験の根源について考察を行なうことにある。とりわけ平尾がフランスで何 をどのように学び、対峙したのかを明らかにすることはまだ行われていない。 今回は上記の点を踏まえて、平尾に関する資料をもとに、音楽における異文化体 験 に つ い て 取 り 上 げ た い 。 彼 は 30 年 代 に パ リ に 留 学 し 、 世 界 の 音 楽 を 鳥 瞰 し つ つ 、 自己の自然な民族性から生まれる、論理性と抒情性をもった音楽を創作しようとし た。その一部を明らかにし、戦前から戦後にかけての日本の作曲界への影響を考察 する。 2 .明 治 期 か ら 昭 和 戦 前 期 ま で の 日 仏 間 の 音 楽 関 係 テーマを論じるにあたってその前提となる条件、すなわち明治期から昭和戦前期 までの日仏間の関係を概観する。まず音楽関係を整理し、ついで政治的・経済的・ 芸 術 全 般 上 の 関 係 を 簡 潔 に 扱 う 。近 代 国 家 の 形 成 を 急 ぎ 、植 民 地 化 を 免 れ た 日 本 は 、 近代化のモデルを欧米各国に求めることができた。ここでは、フランス音楽に関し て簡潔にまとめたい。 最初期の関わりは、来日フランス人によるものと、渡仏留学生によるものに分け -215- ら れ る 。来 日 フ ラ ン ス 人 に 関 し て は 、1879 年 に 長 崎 に 赴 任 し た 宣 教 師 ル ・ マ レ シ ャルと、2 度のフランス軍事顧問団を通じて行なわれた。顧問団は幕府や明治政府 の 要 請 に よ る も の で 、こ の 時 点 で は 日 仏 間 で 制 度 上 の 関 係 が 結 ば れ て い た と 言 え る 。 最 初 の 顧 問 団 で は ラ ッ パ 伍 長 の ギ ュ デ ィ ッ ク が 1867− 68 年 に 横 浜 で 陸 軍 ラ ッ パ の 指 導 を 行 い 、第 二 次 顧 問 団 で は 1872 年 に ギ ュ ス タ ー ヴ・シ ャ ル ル・ダ グ ロ ン が 来 日 し 、陸 軍 の 吹 奏 楽 全 般 を 指 導 し た 。次 い で 1884 年 に は シ ャ ル ル・ル ル ー が 指 導 者 と して迎えられた。彼は作曲や和声も教え、作曲家大沼哲を誕生させた。大沼も弟子 をとり、平尾など日本人作曲家の誕生に貢献した。 演 奏 家 も 来 日 す る よ う に な り 、特 に ア ン リ = ジ ル マ ル シ ェ ッ ク ス は 1925 年 以 降 4 度来日し、その演奏と言説によって日本の演奏会や作曲界に大きな影響をもたらし た(白石 2011)。 彼 が 日 仏 間 の 精 神 や 音 楽 の 類 似 性 を 次 の よ う に 指 摘 し た こ と は 、 興味深い。 日本はどうしてもフランスの音楽が理解される筈なのです。何故ならエスプリ が 大 変 似 通 っ て い る 。フ ラ ン ス は 本 来 レ ア リ ス ト で す 。そ し て イ デ ア リ ス ト で す 。 独逸はそうではありません。本質的に違います。日本はフランスと同じくレアリ ス ト で イ デ ア リ ス ト で す ( 松 平 1931:14)。 このほかアメリカ人ピアニストのルドルフ・ロイターや藤原義江、新交響楽団、 陸軍軍楽隊などによって、ドビュッシーやラヴェルの作品が取り上げられた(笠羽 1987、 1988)。 日 本 人 留 学 生 は 、1920 年 代 以 降 目 立 つ よ う に な る 。作 曲 家 志 望 者 が フ ラ ン ス に 留 学することが増え、パリ音楽院には小松耕輔や池内友次郎が、エコール・ノルマル には宅孝二が、スコラ・カントルムには大沼哲や平尾貴四男が留学した。 他にフランス音楽の普及に貢献した媒体としてレコードや書籍があり、特に雑誌 『音楽新潮』は同時代のフランス音楽紹介に力を入れた。ほぼ毎号で関連記事を掲 載し、特集も組んだ。そのもとは『ラ・ルヴュ・ミュジカル』で、記事の翻訳や要 約を掲載していた3。 こうしてフランス音楽が広まると、留学せずに国内でフランス的作曲法を取り入 れる作曲家も現れる。大沼の弟子の菅原明朗や、フランスロック人組をモデルとし た 石 田 一 郎 ら の 「 独 立 音 楽 協 会 」、 松 平 頼 則 な ど で あ る 。 こうして、フランス音楽は次第に日本の近代音楽に浸透してきたように見える。 しかし、当時の西洋音楽の中心であった東京音楽学校は、フランス人教師としてノ エル・ペーリのみを迎えており、その後は外国人教師をドイツ系の音楽家で固めて いく。また、当時演奏会の中心もドイツ音楽、特にベートーヴェンの器楽曲であっ た(西原 2000、 三 浦 1999)。 以上のことから、明治初期から東京音楽学校が設立されるまでは、軍楽隊などの 公的機関がフランス音楽を取り入れていたが、次第にドイツの器楽曲に重点が置か れるようになったことが分かる。近代国家形成に必要な軍隊、とりわけエッケルト を指導者として迎えた海軍が整備され、国内の教員養成、のちに演奏家養成を行っ -216- た東京音楽学校の外国人教師をドイツ人で満たすと、フランス音楽はいわば外れも のとなる。そして、公的行事や軍楽隊で演奏され続けたものの、基本的には個人レ ベルで広まっていくことになる。 本研究はこうした現状を踏まえて、作曲家平尾貴四男について取り上げ、当時の 音楽界の状況やそれに対する意義を考察したい4。 3 .平 尾 貴 四 男 と 当 時 の フ ラ ン ス 留 学 平尾貴四男は、こうしてフランスの文化や音楽がある程度日本に浸透した中でフ ランス音楽に触れるようになる。以下で、その経緯の概略をたどる。 ( 1) 経 歴 の 概 略 平 尾 は 1907 年 、 東 京 に 生 ま れ た 。 裕 福 な 家 庭 環 境 で 育 ち 、 慶 応 大 学 に 進 学 す る 。 在学中に野村光一の音楽史を聴講、作曲を志す。ピアノを東京音楽学校教師のシャ ルル・ラウトルップらに、和声学を弘田龍太郎に、音楽理論を大沼哲に学んだ。大 学 卒 業 後 の 31 年 に フ ラ ン ス に 渡 り 、パ リ の ス コ ラ・カ ン ト ル ム に 入 学 、ダ ン デ ィ の 甥であり高弟のギュイ・ド・リオンクールに作曲を学ぶ。同校で和声学を修了した の ち 、35 年 に リ オ ン ク ー ル が 創 設 し た エ コ ー ル ・ セ ザ ー ル ・ フ ラ ン ク に 転 校 し 、対 位 法 課 程 と フ ー ガ 課 程 を 修 了 す る 。 36 年 に 帰 国 、 留 学 中 の 作 品 《 古 代 讃 歌 》 が 第 1 回法人作品コンクールに入選し、作曲家としてデビューした。その後日本現代作曲 家 連 盟 の 委 員 な ど に 就 任 す る 。48 年 に 安 部 幸 明 や 高 田 三 郎 、貴 島 清 彦 と 作 曲 家 グ ル ー プ 「 地 人 会 」 を 結 成 し た 。 50 年 に 国 立 音 楽 大 学 教 授 に 着 任 し た が 、 53 年 、 46 歳 で早世した。 家族は能楽や長唄、歌舞伎など日本の伝統音楽を観賞したが、貴四男はそれらも 耳にしつつ、家にあったピアノやレコードを通して次第に西洋音楽に傾倒していっ た。東西の音楽に早くから触れたことは、のちの創作に影響することになる。 ( 2) フ ラ ン ス を 選 ん だ 理 由 こうして平尾はフランス留学したが、それを可能にした条件や環境は、当時の作 曲専攻のフランス留学生の大半に共通していた。 まず、東京音楽学校とほぼ無関係ということである。ドイツ音楽を優位に置く考 え方は、唯一の官立音楽学校を中心に広まったが、こうした価値観をもたない者に は、この序列関係はむしろ反発を招くものだったと言えよう。 次に、富裕層の子弟が大半を占めたことである。多くの場合、官費で留学するの は、東京音楽学校出身者がドイツやアメリカに留学する場合であった。これは、音 楽 以 外 の 多 く の 分 野 で も 見 ら れ る 現 象 で あ っ た( 渡 邊 1995: 2-3、 6-8)。こ の た め 、 私費で他の国に留学するのは、裕福な者にのみ可能だったのである。 また、自由に音楽を聴いたり、個人的な師弟関係を持ったりしたことを通じて、彼 らはフランス音楽に対してネガティヴなイメージを持つことなく、その特徴と個性 に惹かれ、結果として当地に留学することを選んだと言えるだろう。彼らは個人の -217- レベルで主体的にフランス音楽に魅了され、自己との内面的な共通点を見いだして いった。 こ の 個 人 的・内 的 関 係 と は 何 だ ろ う か 。19 世 紀 以 降 の ベ ー ト ー ヴ ェ ン を 中 心 と す るドイツ音楽観には、人類愛や理想主義、堅固な構造などが込められていた。これ は日本だけでなく、ヨーロッパ全体での共通理解でもあった。平尾も次のように述 べている。 彼 [ベ ー ト ー ヴ ェ ン ]の 偉 大 な の は 斯 く の 如 く 音 の 世 界 と そ れ が 表 現 す る 世 界 と の間の矛盾や間隙を示すことなく此の二つの世界が内面的に固く結びついている 所である。単なる音の遊戯である音楽に飽き足らず、より深遠広大な世界を認識 したばかりでなく、音楽的な素材をそのより大なる世界に適応する様に拡大発展 さ せ た ( 平 尾 1939a: 88) 5 。 フランス音楽には、このような過剰に重い思想は重ねられなかった。例えばドビ ュッシーについては、自然さや自由さ、アール・ヌーヴォー的な自然描写が多く指 摘されている。 『 音 楽 新 潮 』の 編 集 主 幹 で あ っ た 柿 沼 太 郎 は「 ド グ マ に と ら わ れ ず に 表わすべき感情に従って率直に、また自然に発展していくドビュッシー独特の音楽 が 創 造 さ れ た 」( 柿 沼 1928: 13) と 述 べ て い る 。 同 時 代 の フ ラ ン ス 音 楽 は 軽 さ や 華 やかさ、はかなさ、簡潔さ、簡潔さ、明快さ、自然とのつながりをもつとされ、新 しい音楽のイメージをもたらして各個人の音楽観と関係を作り出していった。それ は 、19 世 紀 ド イ ツ 音 楽 か ら は 得 ら れ な か っ た 新 し い 音 楽 像 だ っ た と 言 え よ う 。し か も、この音楽像は単に軽くはかないだけではなかった。フランスでは感覚と意識が 表裏一体であり、それらはともに静態的ではなく動態的なのである。自然について も 「〈 自 然 〉 を 前 に し て 、 フ ラ ン ス の 美 意 識 の 精 妙 さ は 、 空 気 と 水 と 葉 の 戯 れ を [感 覚 と 意 識 に よ っ て 同 時 に ]と ら え る バ ラ ン ス の 良 さ に あ る 」( 饗 庭 1992:12) の だ 。 これを肯定的にみるのがドイツとは異なる新しいモダニズムという見方であり、否 定的にみるのが軽薄で低俗、思想性の薄い音楽というドイツ的観点の音楽観と言え るだろう。 また、当時扱われていたフランス音楽がフォーレやダンディ、ラヴェル、ドビュ ッシーなど近代フランス音楽だったことも、古典中心のドイツ音楽導入と違う特徴 で あ る 。フ ラ ン ス に 関 し て 近 代 の 状 況 を 参 照 す る こ と は 音 楽 以 外 の 分 野 で も 見 ら れ 、 当 時 の フ ラ ン ス 文 化 に 対 す る 共 通 理 解 だ っ た と 言 え る( 渡 邊 前 掲 書:4, 9, 16)。 『音 楽新潮』の編集主幹であった柿沼太郎は「独逸以外には研究にまた演奏に価する音 楽 が 存 在 し な い が 如 き 考 え に 慣 ら さ れ て い る 。… … け れ ど も … … 芸 術 に 国 境 は な い 。 … … 独 逸 以 外 の 音 楽 を も 、 ど し ど し 受 け 容 れ る だ け の 雅 量 を 持 つ べ き だ 」 (柿 沼 1930: 11)と 述 べ て い る 。 こ の 場 合 、 ド イ ツ 以 外 の 音 楽 と は フ ラ ン ス 音 楽 を 指 す 。 そ して当時の若い作曲家たちの中には、こうした動向に敏感に反応するものも少なく なかった6。それは、アンチ・ドイツ音楽という消極的な理由だけでなく、同時代 音楽の動向を探って日本の近代芸術音楽を創造するという、積極的かつ重要な動機 があったことは明らかであろう。 -218- 4 .フ ラ ン ス で 得 た も の ( 1) 音 楽 院 で 得 た こ と こうした日本でのフランスのイメージに囲まれてからフランスに渡り、平尾が学 んだことは 3 つある。1 つは緻密なメソッドによる作曲教育であった。これについ て、池内友次郎の弟子である別宮貞雄の言葉を引用したい。 これらの勉強のメトードが、たいへん組織だてられてあり、……そのような職 人芸をもった玄人でなければ、芸術家とみなさない。……メトードの根本はあく ま で 長 短 調 と 機 能 和 声 に あ る 。… … 19 世 紀 の 段 階 で は 、フ ラ ン ス は ド イ ツ の 後 塵 を拝していた。そのためある種の後進国意識からメトードがかえって確立したの だ と 思 う ( 別 宮 1971: 118-119)。 そしてこうした「フランス音楽の流れを、本格的に日本にみちびき入れたのは、 何 と い っ て も 、 池 内 友 次 郎 ( 1906― ― ) 平 尾 貴 四 男 ( 1907− 1953) の 二 人 で あ る 」 と述べている。 もう 1 つ学んだのは、職人芸を重視する一方で、ドイツの和声学と異なって厳密 さや機能を重視するだけなく、響きや表現の美しさも大事にすることであった。例 を 2 つ 挙 げ た い 。1 つ は 、平 尾 が 翻 訳 し た テ オ ド ー ル・デ ュ ボ ワ の『 和 声 学 』 ( 1921) の「序」である。 無益な理論的展開は、学習者の頭脳を混乱させ、その注意を基本的な要点から そらすものとして、我々はすべてこれを本書から遠ざけた。然しながら、分析的 精神および芸術的理性と感情とを発揚させることは余さず収めた。一言にして言 えば、吾々の目的は、衒学者の書ではなく芸術家の書を作るにあったのである。 ……同時に、理論的説明においては、明確と単純と厳密とを求め、音楽的例証に お い て は 、 明 快 と 音 楽 感 情 の 発 展 と を 目 標 と し た ( 平 尾 ( Dubois) 1942: ペ ー ジ 番 号 な し )。 つまり当時のフランスの和声学は、厳密さを追求しつつ、無味乾燥な機能だけを 習得するのではなく、豊かな音楽表現や芸術性も深めることを同時に求めたと言え よう。 もう 1 つの例は、平尾がリオンクールの授業で受けた印象である。スコラ・カン トルムのソルフェージュの試験で、リオンクールが書き取りの試験問題を演奏した 時のことを次のように述べている。 そういう旋律を弾くのさえ極めて音楽的な表現を以てするのに、私は唯驚嘆し た。……講義のために必要な古今の大曲を弾奏解剖してその真髄を会得せしめる 術を知って居られる。響きのよい声で古来の名曲を歌い且つ奏でられる時、しば しば音楽の最も高い表現に迄達して聴く者に深い感銘を与えられる事も珍しくな -219- い。……こういう音楽的雰囲気に浸り得た事は私の得難い幸福であった事を今更 染染と思うのである(平尾 1936a: 63)。 ここから明らかなように、やはりフランスの授業において、無味乾燥な技術の習 得は行われず、技術と芸術が融合した音楽的表現を学んだのであった。それが可能 だったのは、いわば機能和声後進国のフランスにおいてこそであったと言えるだろ う。 3 番目に会得したことは、スコラ・カントルムで教会旋法を学び、調性と異なる 世界を知ったことである。彼はアルベール・ベルトランから教会旋法による対位法 を学び、以下のように述べている。 コンセルヴァトワール流の和声学を学んだ者には是は全くよい清涼剤である。 窮屈な短長両旋法の殻の中で身動きのできなくなった感情を全く新鮮で自由な広 野に開放して呉れるのである。……和声学的のコンビネーゾンは複雑に見えなが ら実は千変一律であるのに対位法は外見素朴で単純でありながら実に興味の深い 組合せを無尽蔵に持っている。そしてもしそれが近代旋法について練習されると 和声的基礎が単純で制限されている為、生命のないフォルミュールの連続となる のに中世期の旋法に於いてなされると各の旋律は生気に満ちた曲線となり如何に 掘ってもつきない発見探求が可能となるのである(平尾 1936b: 184-185)。 こ う し て 平 尾 は 、ド イ ツ と は 違 う モ ダ ニ ズ ム を フ ラ ン ス で 体 得 す る こ と が で き た 。 そ れ は 彼 の 言 う 「 フ ラ ン ス 的 教 養 の も た ら し た 明 快 性 、 慎 重 さ 及 び 柔 軟 性 」( 平 尾 1938b: 59) に 満 ち た 音 楽 表 現 で あ り 、 留 学 に よ っ て 初 め て 体 験 で き た 世 界 で あ っ た と言えよう。 ( 2) パ リ の 文 化 的 状 況 か ら 得 た こ と 音楽院の他に着目すべきなのは、パリの文化的状況である。平尾が留学したのは 1930 年 代 前 半 、す な わ ち 世 界 恐 慌 が 起 こ り 、次 第 に 戦 争 の 影 が 広 ま っ て い た も の の 、 文 化 的 狂 乱 の 時 代 と さ れ た 1920 年 代 の パ リ の 遺 産 も 残 っ て い る 時 期 で あ っ た 。す な わち、ロシア・バレエ団やスウェーデン・バレエ団、パリのアメリカ人など、先進 的な文化や人々がさまざまな地域から集まっていた。またジャポニスムを始めとす る異国趣味や植民地主義、パリ万博の影響で、アジアやアフリカ、オセアニアなど 諸民族の音楽も鳴り響いていた。 平尾もこの傾向と関わりを持った。ベルトランの自宅レッスンで、彼が生前親交 のあったフォーレの作品を演奏した後、モロッコの音楽が話題になったり、また別 の 日 に は 、わ ざ わ ざ ア ラ ブ 音 楽 を 聴 く た め に 再 度 自 宅 に 招 か れ た り し た の で あ る( 平 尾 1936b: 185-186)。 こ れ は 、 平 尾 が フ ラ ン ス 近 代 音 楽 と ア ラ ブ 音 楽 を 同 列 に 置 く 環境にいたことを意味すると考えるべきであり、同時に、彼自身も開かれた態度で 興味を持ったのである。 またパリの路上音楽家にも興味を持ち、感想を述べている。そこからうかがえる -220- のは、芸術音楽だけではなく、民族性や演奏者の日常生活から浮かび出る音楽、 あるいは今日でいう世界音楽(諸民族の古今東西の音楽)にも興味を持っていたこ とである。そこには、芸術音楽がそうしたところに根を持っていることをよく理解 していたことを見て取れるだろう。彼は後年座談会で「音楽は象牙の塔に立て籠る べきではない、大衆性のない音楽は、音楽として価値がないといへるわけですね」 (山根他 1943: 42) と 述 べ て い る 。 こ う し た 考 え の も と 、 パ リ で 以 下 の 路 上 観 察 が行われた。 街上に投げ出された音楽の失業者に……歌とヴァイオリンが一番多いようであ るが、中にはブルターニュの風俗に装った男女がその土地の民謡をうたつたり、 トロンペットやコルネット、クラリネットを持ち出して小さなバンドを組織して いるのもある。……私の印象に深く残った辻音楽師は、マドレーヌ寺院の近くで よく弾いている盲目の手風琴弾きである。……自分の奏でるメロディーに聞き惚 れて、心持ち首を前に突き出して恍惚として弾いて居る有様は何か純粋なものを 感じさせる(平尾 1936 c: 34-35)。 さらに戦後に出版した作曲教本『私たちの作曲』では、以下のコラムを書いてい る。 ちがった民族の音楽はすぐにききわけられるようなそれぞれのかわった美しさ を も っ て い ま す 。し か し 国 々 の 間 に 交 通 が あ る と 、風 俗 習 慣 や さ ま ざ ま の 芸 術 は 、 互に入り交っていきます。国ぐにの音楽もいつまでもおなじではなくて、外国の 音楽のえいきょうを受けてかわってゆきます。外国からとり入れられた音楽は、 ながいあいだにその土地がらや人の気しょうに合うようにかわっていって、その 国 の 音 楽 と な る の で す 。私 た ち も 、世 界 中 の 国 ぐ に の 音 楽 を き い て 、そ の 美 し さ 、 おもしろさ、力強さを味わい、……私たちの心もちにあう音楽を作りあげ、そだ てあげてゆきたいと思います(平尾 1952b: 15)。 こ の 著 書 で は こ の コ ラ ム を 始 め と し て 計 14 の コ ラ ム を 設 け 、ヨ ー ロ ッ パ 各 国 や ア ジア、日本の音楽の特徴を平易に紹介している。ここから明らかなのは、平尾は日 仏の音楽の二者選択やフランス礼讃という枠を超えて世界音楽の視点を認識し、そ れらの交流から伝統が創造されることを強く意識していたことである。これは、彼 の視野の広さを示す事実であると同時に、当時のパリ留学でこそ具体的に体験でき たことと言えるだろう。 すなわち、引用による折衷ではなく、日仏の音楽の特徴を分析的にとらえて普遍 的に融合した人間的なもの、普遍的なものの表現と言えるだろう。ドビュッシー作 品を詳細に分析した雑誌記事もいくつか残している8。日本の伝統音楽とフランス 近代音楽を詳細に分析し、それをもとに自己表現を突き詰めた平尾を始めとするフ ランス派は、広い意味での民族派による芸術音楽創造を根源で支えたと言えるだろ う。なお、民族性とは客観的な根拠を持つ純粋な集団ではなく、集団の共同記憶か -221- らなりたつ、虚構による現象とここでは定義したい。民族同一性を規定するのは記 憶 で あ り 、 こ の 記 憶 は ま た 忘 却 や 歪 曲 と 不 可 分 な 関 係 に あ る (小 坂 井 2002:ⅱ -ⅲ )。 5 .終 わ り に ― ― 戦 後 の 音 楽 活 動 に 向 け て 、 お よ び 今 後 の 研 究 課 題 伝統の創造や異文化の融合は、古今東西の芸能や音楽で行われてきた自然な行為 である。日本の伝統音楽も、過去にはユーラシア大陸の伝統芸能、特に中国大陸や 朝 鮮 半 島 の 影 響 を 受 け て 日 本 化 し て き た が 、鎖 国 に よ っ て ほ ぼ 途 絶 え た 。そ の 結 果 、 明治以降の洋楽受容では融合作用自体は認識され、世界の音楽や伝統芸能の世界で 自然に行われてきた動態的な交流と変貌という大きな流れに、日本の伝統音楽や芸 術音楽が合流し、今日の世界音楽に加わった。しかし具体的な方法については、歴 史的・地理的な隔たりゆえ、戦前を中心に困難な模索が続いた。その解決策の 1 つ と し て 、当 時 多 く の 分 野 で モ デ ル と さ れ た 新 興 先 進 国 ド イ ツ の 音 楽 が 取 り 入 れ ら れ 、 国策としての日本の洋楽受容の柱となったのである。 こうした中にあって平尾の仕事は、近代フランス音楽という、近代日本国家がモ デルとしたドイツと異なるもう 1 つのモデルを日本にもたらし、それとは異なるモ ダニズムによる創作をなしたことに意義がある。それは、日仏のみならず世界のさ まざまなジャンルの音楽を吸収しつつ、その内奥にある人間の普遍性を表したこと と言えよう。この点では、近代ロシア音楽を参照してドイツと異なるモダニズムを 模索した山田耕筰と同じ仕事を行ったと考えられる。それによって、東西の異質性 と融合性、音楽のあり方や表現について 1 つのあり方を示した。とりわけ世界音楽 に目を向けたことは、今日の多元的文化主義の先駆けとして特筆すべきであろう。 大 橋 に よ れ ば 、20 世 紀 に 入 っ て ヨ ー ロ ッ パ は 相 対 化 さ れ 、世 界 は「 諸 世 界 の [諸 世 界 か ら 成 り 立 つ ]世 界 」 8 と な っ た 。 そ し て 、 ヨ ー ロ ッ パ 自 体 も 諸 民 族 の 自 立 の 意 識 を強め、 「 諸 ヨ ー ロ ッ パ か ら な る ヨ ー ロ ッ パ 」と な っ た と 言 え よ う 。こ れ に な ら っ て 言えば、明治以降今日に至る近代日本芸術音楽においては、ヨーロッパ音楽を取り 入 れ た「 諸 近 代 音 楽 の 1 つ と し て の 近 代 音 楽 」と し て 、 「1 階の日本伝統文化と 2 階 のヨーロッパ文化」9を行き来しつつ、新たな伝統を創造しようとしてきた。そし て、こうした平尾らによる仕事を土台として初めて、洋楽導入からほぼ 1 世紀を経 た 1960 年 代 半 ば に 、武 満 徹 に よ っ て 、国 際 的 に 評 価 さ れ る 日 本 人 作 曲 家 と い う 成 果 が開花したと言うべきであろう。 平尾自身は早世したため、こうした作品や思想を大きく展開できなかったが、作 品や教育活動を通して戦後の音楽界に与えた影響は少なくないと考えられる。今後 さ ら に そ の 創 作 と 思 想 の 解 明 を 進 め 、果 た し た 役 割 を よ り 詳 し く 考 察 し た い 。ま た 、 今回深く取り上げることのできなかった、音楽における日本的なもの、動態的音楽 民族学の動向、音楽や他分野における日仏の芸術の関連や比較といった問題につい ても、今後の研究課題としたい。 -222- (1)本 研 究 は 、日 本 音 楽 学 会 第 62 回 全 国 大 会( 2011 年 11 月 )の 発 表 に よ る 。ま た 、 日 本 学 術 振 興 会 科 学 研 究 費 補 助 金 ( 基 盤 C)( 平 成 22− 24 年 度 )、 ロ ー ム ・ ミ ュ ージックファンデーション、および花王・芸術・科学財団の研究助成(ともに 平 成 22 年 度 ) を 受 け て い る 。 (2) 特 に 岡 田 は 、 「 当 初 よ り 日 本 に お け る フ ラ ン ス 音 楽 受 容 は 、こ の ド イ ツ 中 心 主 義 に対する反動という性格を強く帯びており、それは『フランス音楽それ自体』と いうよりも、 『 ド イ ツ 音 楽 に 対 す る フ ラ ン ス 音 楽 』の 受 容 だ っ た と す ら 言 え る 」 (岡 田 、 2006: 265)、「 総 じ て 彼 ら [戦 前 日 本 の フ ラ ン ス 楽 派 ]は 皆 、 西 洋 音 楽 の 歴 史 そ のもの――その総本山ともいうべきドイツ音楽――との真っ向からの対決を、巧 妙に避けて回っていたという印象を禁じえないのだ。……同じ西欧の中からどこ か別の権威を探し出してきて、それを錦の御旗に掲げざるをえないジレンマと言 っ て も い い 」( 前 掲 書 : 379) と 述 べ て お り 、 フ ラ ン ス 音 楽 受 容 を 肯 定 的 ・ 生 産 的 にとらえていないように考えられる。 (3) 松 平 は 秋 山 邦 晴 と の イ ン タ ビ ュ ー で 、 次 の よ う に 証 言 し て い る 。「『 音 楽 新 潮 』 の源はフランスの音楽雑誌『ルヴュ・ミュジカル』なんです。主としてこの雑誌 の 記 事 を 日 本 語 に 訳 し て 『 音 楽 新 潮 』 に 掲 載 し て い た の で す 」 (松 平 、 秋 山 , 1992: 142)。 (4) こ れ に 関 す る 論 文 と し て 以 下 の 拙 著 も 参 照 さ れ た い( 神 月 2009、 2010、2011)。 (5) 彼 は フ ラ ン ス 音 楽 へ の ベ ー ト ー ヴ ェ ン の 影 響 と 意 義 も 認 識 し て い た ( 平 尾 、 1938c)。 (6) 「 ぼ く に し て も 清 瀬 [保 二 ]く ん に し て も 、柿 沼 さ ん の と こ ろ へ い っ て 新 知 識 を 仕 入 れ て き た わ け 」( 松 平 、 秋 山 1992:142)。 (7) 平 尾 の 以 下 の 文 献 を 参 照 。 1937、 1939b、 1939c、 1940、 1942、 1948b、 1948c。 (8) 大 橋 (9) 前 掲 書 2009: 196。 200。 参考文献 饗庭孝男 1992 「近代フランスの美意識――現象学的な接近」 財団『ポリフォーン 特集:フランス音楽』 今橋映子 1993 『異都憧憬 今橋映子 1998 『パリ・貧困と街路の詩学』 石田一志 2005 『モダニズム変奏曲』 宇佐美斉編 2006 日本人のパリ』 サントリー音楽 vol.10:25。 東京:柏書房。 東京:都市出版。 東京:朔北社。 『 日 仏 交 感 の 近 代 ― ― 文 学・美 術・音 楽 』 京 都:京 都 大 学 学 術 出 版会。 大橋良介 岡田 暁生 2009 2006 『日本的なもの、ヨーロッパ的なもの』 東京:講談社。 「ドイツ音楽からの脱出?――戦前日本におけるフランス音楽受容 の 幾 つ か の モ ー ド 」( 宇 佐 美 2006: 364-381) 奥中康人 2008 『国家と音楽 伊澤修二がめざした日本近代』 柿沼太郎 1928 「初期のドビュッシイの作品に就て」 -223- 東京:春秋社 十字屋楽器店『音楽新潮』 第 5 巻 第 4 号 : 10-13。 1930 柿沼太郎 十 字 屋 楽 器 店『 音 楽 新 潮 』 「フォーレの器楽曲に就て」 第 7巻 第 3 号 : 11-15。 1987 笠羽映子 「 日 本 と ド ビ ュ ッ シ ー ― ― 明 治・大 正 期 を 中 心 に ― ― 」 第 23 号 : 88-115。 比較文学研究室『比較文学研究』 1988 笠羽映子 早稲田大学 「日本とラヴェル――西洋音楽の受容をめぐる一考察――」 早稲田 第 24 号 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等を開始している。質問箱は閲覧数や質問回数が最盛期を過ぎたが、その他のサービスは利用者 がまだ少ない。そこで、多くの人に知ってもらい、また利用してもらうために本報告で紹介する。 今、学校では理科離れ 18) が進んでいる。その要因として、幼いときの理科的な感動体験が失 われつつあること、ゆとり教育が終わり授業時間が増加したにもかかわらず、教員のスキルが低 下して実験の失敗や事故を恐れ、学校における理科実験が減少し、児童・生徒が薬品や器具に触 れる体験が減少していること等が挙げられる。さらに、理科離れを解決するためには、児童・生 徒に理科に対する興味・関心をもってもらう必要があり、教員は理科の面白さが子供達に伝わる ような授業をつくっていく必要がある。しかし、現在は児童・生徒だけでなく、教員の理科離れ も進んでいると言われている。中学校や高校は専科教員がいるので、教員の理科離れは主に小学 校で問題になっている。ただし、中学校の理科教員も授業前後の準備・片付けの時間不足、備品 19) や消耗品の不足(自費購入の経験のある教員が7割)等の問題を抱えている 。 理科(化学)の面白さは実験を通して伝えられることが多い。そこで、理科離れを少しでも減 らすために、学校で少しでも多く理科(化学)実験を行ってもらうことが肝要である。本研究室 で開発しているホームページでは、理科を苦手にしている教員の手助けとなる様に、また水溶液 の調製時間の軽減や効率的な実験準備を可能とするために、化学系実験の基礎である水溶液の作 3∼14) り方(濃度計算と調製方法)等 の自動サービスを行っている。 高校生等の中には、酸・塩基滴定や酸化・還元滴定中の濃度変化、体積変化、pHジャンプや 電極電位の急激な変化の現象をあまり理解していない者もおり、それらについて質問箱でも複数 回答している。そこで、前報等 15∼17) では酸・塩基滴定や酸化・還元滴定をシミュレートするプ ログラムを開発し、濃度と滴定曲線(pHや電極電位)の計算方法を解説し、ホームページで公 開した。本報告では、次に利用度の高いと思われるヨウ素滴定(酸化・還元滴定の一種)をシミ ュレートするプログラムを開発し、ホームページで公開することにした。コンピュータに弱い人 でも何の予備知識もなしに、いつでも必要なときに使用できる。さらにダウンロードサービスも 開始しているので、圧縮ファイルをダウンロードして解凍すれば、このプログラムはパソコンの 中だけ(オフライン)でも実行できる。 -227- 20) 2.滴定曲線(電極電位)の計算方法 21) 「溶液の作り方(濃度計算と調製方法) 」 22) のメニューから「酸化・還元滴定(ヨウ素滴定) 」 をクリックすると「Java Applet プログラムを呼び出すためのhtmファイル 22) が呼び出され る。そこに、下記のような滴定曲線(電極電位)の計算方法の解説を載せている。なお、濃度と 電極電位から求めた反応の平衡定数がかなり大きい(後述の式(16))ので、当量点以外では簡単 のために全て完全に反応すると仮定して、滴定曲線を計算している。 2-1 反応式 ヨウ素I2−ヨウ化カリウムKI(過剰)水溶液中のヨウ素をチオ硫酸ナトリウムNa2S2O3標準溶 O 液で直接(または間接)滴定する場合に関係する半反応、標準電極電位E および電極電位Eは 2− (1) S4O6 + 2e − 2− → 2S2O3 − − 、 (2) E − O 1 =+0.08V、 E1=E O O 2− 1 +(0.059/2)log([S4O6 O − − 2− ]/[S2O3 2 ] ) 2 (3) I3 + 2e → 3I 、 (4) E 2=+0.536V、 E2=E 2+(0.059/2)log([I3 ]/[I ] ) − 上の式(4)では、1個のヨウ素分子I2が2個のヨウ化物イオンI に実質的に変化すると考えて、 対数の中身の分母をヨウ化物イオン濃度の2乗にしている。式(1)の左右を反転して式(3)に加え ると、滴定中のイオン反応式が求まる。 − 2− (5) I3 + 2S2O3 − 2− → 3I + S4O6 間接滴定における滴定前の第1段階のイオン反応式は − (6) 2MnO4 + − + 16H + 10I → 2Mn − + (7) ClO + 2H + 2I 2+ (9) 2Cu + 4I − − 2+ + 8H2O + 5I2 − → Cl + H2O + I2、 (8) H2O2 + 2H + − + 2I → 2H2O + I2 → Cu2I2 + I2 − 生じたヨウ素分子I2はそのままでは水に溶け難いが、水中に過剰に存在するヨウ化物イオンI と − 結合して、水に溶け易い三ヨウ化物イオンI3 に変化する。 − − (10) I2 + I → I3 2-2 酸化・還元電位 当量点以前ではチオ硫酸イオンがほぼ全て反応し、式(2)の濃度が[S2O3 2− ]≒0になるため、式 (4)を用いて酸化・還元電位Eを計算する。さらに、当量点においては次の濃度関係が成り立つ。 − 2− − − − − − − (11) 2[I3 ]=[S2O3 ]≒0、 (12) [I ]=[I ]0+3([I3 ]0-[I3 ])≒[I ]0+3[I3 ]0 -228- 2− 2− 2− 2− (13) [S4O6 ]=([S2O3 ]0-[S2O3 ])/2≒[S2O3 ]0/2 ここで下付き文字0は、滴定液を一度に添加した直後で酸化・還元反応がまだ起こっていないと 仮定したときの仮想的な初濃度を表す。なお、一度に添加しても少しずつ滴下しても、その添加 (滴下)量が同じならば、計算の上では同じ状態になる。 式(4)を2倍して式(2)に加え、3で除して式(11)∼(13)を代入すると、当量点(E1=E2=E)に おける酸化・還元電位Eが求まる。 2− − 2 2− 2 − 4 (14) E=(0.08+2×0.536)/3+(0.059/6)log([S4O6 ][I3 ] /[S2O3 ] [I ] ) 2− − 4 =+0.384+(0.059/6)log([S4O6 ]/4[I ] ) − 2− − 4 =+0.384+(0.059/6)log{[S2O3 ]0/8([I ]0+3[I3 ]0) } 2-3 平衡定数 式(2)から式(4)を引き、式(5)の平衡定数Kを求める。 2− − 2 2− 2 − (15) 0=E1-E2=0.08-0.536+(0.059/2)log([S4O6 ][I ] /[S2O3 ] [I3 ]) =-0.456+0.0295log K 2− − 2 2− (16) log K=log([S4O6 ][I ] /[S2O3 2 15 − ] [I3 ])=15.46、 K=2.88×10 2-4 計算方法(直接滴定I2-KI系) 滴定前のヨウ素−ヨウ化カリウム水溶液の体積をVS(L)とし、その溶液中の三ヨウ化物イオン − − の濃度を[I3 ]S(mol/L)、ヨウ化物イオンの濃度を[I ]S(mol/L)とする。希釈水の体積をVW(L)、 2− デンプン指示薬の体積をVD(L)とし、チオ硫酸ナトリウム溶液の濃度と体積をそれぞれ[S2O3 ]R (mol/L)、VR(L)とすると、滴下後の体積V(L)は (17) V=VS+VW+VR+VD 滴下直後で酸化・還元反応がまだ起こっていないと仮定したときの仮想的な初濃度はそれぞれ − − − − 2− 2− (18) [I3 ]0=[I3 ]SVS/V、 (19) [I ]0=[I ]SVS/V、 (20) [S2O3 ]0=[S2O3 ]RVR/V 上の式(18)∼(20)を式(14)に代入すれば当量点における電極電位Eが求まる。 当量点より前の滴定途中の各イオン濃度は 2− 2− 2− (11) [S2O3 ]=0、 (13) [S4O6 ]=[S2O3 ]0/2 − − 2− − − 2− (21) [I3 ]=[I3 ]0-[S4O6 ]、 (22) [I ]=[I ]0+3[S4O6 ] 上の式(21)、(22)を式(4)に代入すれば電極電位Eが求まる。 -229- 2-5 計算方法(間接滴定KMnO4、Ca(OCl)Cl、NaClO、H2O2系) 酸化剤の当量数、濃度と体積をそれぞれEX(eq/mol)、[Ox]X(mol/L)、VX(L)と、ヨウ化カリウ ム水溶液の濃度と体積を[KI]K(mol/L)、VK(L)と、酸(硫酸や酢酸等)の体積をVH(L)とする。希 釈水とデンプン指示薬を除いて混合すると、式(6)(または式(7)∼(9)のどれか1つ)と式(10) − − の第1段階の反応が起こる。反応終了後の体積VS(L)と濃度[I3 ]S(mol/L)、[I ]S(mol/L)は − − − (23) VS=VX+VK+VH、 (24) [I3 ]S=EX[Ox]XVX/2VS、 (25) [I ]S=[KI]KVK/VS-3[I3 ]S 上の式(23)∼(25)を式(17)∼(20)に代入すれば電極電位Eや各イオンの濃度を同様に計算できる。 2-6 計算方法(間接滴定CuSO4系) − 上の酸化剤と異なり、ヨウ化銅(I)Cu2I2の沈殿を生じるので、[I ]Sの式が式(25)と異なる。 − − (26) [I ]S=[KI]KVK/VS-5[I3 ]S 上の式(23)、(24)、(26)を式(17)∼(20)に代入すれば、電極電位Eや各イオンの濃度を同様に計 算できる。 3.滴定曲線の計算例 硫酸H2SO4酸性でヨウ化カリウムKIを過マンガン酸カリウムKMnO4で酸化し、生じた褐色の三ヨ − ウ化物イオンI3 を無色のチオ硫酸ナトリウムNa2S2O3標準溶液で滴定(過マンガン酸カリウムを チオ硫酸ナトリウムで間接滴定)したときの滴定曲線を図1に示す。前報の滴定 図1 過マンガン酸カリウム−チオ硫酸ナトリウム系 -230- 15∼17) では当量 点以後も計算したが、ヨウ素滴定ではデンプン指示薬を入れた被滴定液が無色になってあまり意 23) 味がないので、当量点以後は計算していない。標準電極電位は化学便覧の値 を使用した。上 − 3 − 側右端部では、滴定にともなう三ヨウ化物イオンの濃度[I ](■)とヨウ化物イオン濃度[I ] 2− (□)の減少、テトラチオン酸イオン濃度[S4O6 ](○)の増加を示している(縦軸の拡大・縮 小が可能)。また、下側の表には滴定にともなう各化学種の濃度変化を示している。 さらし粉(次亜塩素酸カルシウムCa(OCl)Cl)をチオ硫酸ナトリウムNa2S2O3標準溶液で間接滴 定したときの滴定曲線を図2に、さらに次亜塩素酸ナトリウムNaClOの間接滴定曲線を図3に、 過酸化水素H2O2の間接滴定曲線を図4に、硫酸銅CuSO4の間接滴定曲線を図5に示す。また、三 図2 さらし粉−チオ硫酸ナトリウム系 図3 次亜塩素酸ナトリウム−チオ硫酸ナトリウム系 図4 過酸化水素−チオ硫酸ナトリウム系 図5 硫酸銅−チオ硫酸ナトリウム系 図6 三ヨウ化物イオン−チオ硫酸ナトリウム系 図7 滴定曲線の比較 赤線:過マンガン酸カリウム−チオ硫酸ナトリウム系 黒線:さらし粉−チオ硫酸ナトリウム -231- 図8 デンプン指示薬を添加する前の状態 図9 デンプン指示薬を添加した後の状態 図10 硫酸銅−チオ硫酸ナトリウム系 図11 硫酸銅−チオ硫酸ナトリウム系 デンプン指示薬を添加する前の状態 デンプン指示薬を添加した後の状態 − ヨウ化物イオンI3 (I2+KI)をチオ硫酸ナトリウムNa2S2O3標準溶液で直接滴定したときの滴定 曲線を図6に示す。当量点における滴下量が同じになる様にしたため、各化学種の濃度が少し異 なるだけで、図1∼図6の滴定曲線はほとんど同じである。このプログラムでは4本の滴定曲線 を記憶でき、実行中の滴定曲線と合わせて、同時に5本を表示(比較)することができる。図7 には、過マンガン酸カリウム−チオ硫酸ナトリウム系(記憶した赤色曲線)とさらし粉−チオ硫 酸ナトリウム系(実行中の黒色曲線)の滴定曲線を同時に表示して比較している。ただし、これ らの滴定曲線がほとんど重なるため、さらし粉−チオ硫酸ナトリウム系に希釈水を添加して被滴 定液の濃度を変え、滴定曲線を意識的にずらしている。 図8にデンプン指示薬を添加する前でプログラムを一時停止した状態(褐色の溶液)を示す。 − 実際の滴定実験ではもう少し後で、三ヨウ化物イオンI3 による色が黄色になったところでデン プン指示薬を添加する。デンプンの添加が早いと、らせん構造に取り込まれなかったヨウ素分子 2− I2がデンプンに吸着して暗色を呈し、このヨウ素分子とチオ硫酸イオンS2O3 の反応が遅くなり、 チオ硫酸ナトリウム溶液を過剰に滴下する恐れが生じると言われている。図9にデンプン指示薬 を添加した後で、ヨウ素−デンプン反応の紫色が消える直前の状態を示す。また、銅(Ⅱ)イオン 2+ − − Cu を含む溶液にヨウ化物イオンI を添加すると、ヨウ素分子I2(または三ヨウ化物イオンI3 ) 以外にヨウ化銅(Ⅰ)Cu2I2の淡黄白色沈殿を生じる。デンプン指示薬を添加する前の状態(コー ヒー牛乳の様に見える)を図10に、デンプン指示薬を添加した後の状態を図11に示す。 -232- 4.色見本とRGB値 図12 ヨウ素−デンプン反応の写真 図13 ヨウ素−デンプン反応の写真 ろ過していないデンプン指示薬を使用した場合 ろ紙でろ過したデンプン指示薬を使用した場合 図12と図13にヨウ素−デンプン反応の写真を示す。一番上の褐色や黄色の写真はデンプン指示 薬を添加する前の状態である。サツマイモから取り出した粗製のデンプンを水に入れ、加熱して デンプン指示薬を調製し、これを添加してチオ硫酸ナトリウム標準液で滴定していくと、ヨウ素 −デンプン反応の色が緑色→青色→紫色へと変化した。ただし、乳鉢で粉砕した程度の粗製のデ ンプンを使用した指示薬では、図12の様にデンプンが粒状(塩析?)になって現れる。そこで、 デンプン指示薬をろ紙でろ過して使用したら、図13の様に粒状になるのを防ぐことができた。し かし、ろ過によりデンプンの凝集粒子が除去されるため、濃度が小さくなるので、指示薬を多量 に加える必要が生じた。小・中学校の理科の教科書ではヨウ素デンプン反応の色が青紫色と書か れいる。しかし、化学薬品の可溶性デンプン(希酸で加熱処理してデンプン鎖の長さ(グルコー スの重合度)を小さくした物)を用いると、ヨウ素デンプン反応の色が黒紫色∼褐色にしかなら ない。そこで、サツマイモデンプン指示薬を添加して実験したところ、上図の青色と紫色の中間 に青紫色を確認できた。化学薬品の可溶性デンプンとの色の違いは、デンプン鎖の長さやデンプ ン中のアミロースとアミロペクチンの割合の違いが原因であると思われる。 − 図14にヨウ素分子濃度[I2](三ヨウ化物イオン濃度[I3 ])によるRGB値の変化を示す。濃 度が小さくなるにつれて、R値はしだいに大きくなるが、G値とB値は最後に急に大きくなって -233- 図14 三ヨウ化物イオンのRGB値の濃度変化 図15 ヨウ素−デンプン反応のRGB値の濃度変化 化学薬品の可溶性デンプンを使用した場合 図16 ヨウ素−デンプン反応のRGB値の濃度変化 図17 ヨウ素−デンプン反応のRGB値の濃度変化 サツマイモからの粗製デンプンを使用した場合 ジャガイモからの粗製デンプンを使用した場合 点線はデンプン濃度が小さいときの値 色が消失している。シミュレーションでは溶液が黄色(ヨウ素分子濃度が約0.2 mmol/L)になっ たところで、デンプン指示薬を添加している。図15に化学薬品の可溶性デンプンを、図16にサツ マイモからの粗製デンプンを、図17にジャガイモからの粗製デンプンを使用した場合のRGB値 の変化を示す。ヨウ素分子濃度が0.1 mmol/L付近でヨウ素−デンプン反応の色が急に消失してい る。 Java Applet プログラムを呼び出すためのhtmファイル 22) − に、三ヨウ化物イオンI3 とヨウ素 −デンプン反応の色見本とRGB値(表1、表2)を載せている。三角フラスコに入れた試料の 後ろから光を当ててデジタルカメラで撮影し、画像処理して決定した。滴定にともなって、三ヨ − ウ化物イオンI3 とヨウ素−デンプン反応の色が複雑に変化するのをシミュレートするために、 色の違いを区別できる濃度と写真を適当に採用している。すなわち、試料の厚みによって色の濃 さやRGB値が変化するので、表中の値は単なる参考である。表1の右半分には3種類のデンプ ンを用いた場合のヨウ素−デンプン反応の色の平均的な値を示す。この表1のRGB値をシミュ レーションの溶液等の色として使用した。表2にはそれぞれのデンプンによる個別の色を示す。 図12や図13の写真では緑色や青色を視認できるが、これらの画像の一部を切り取って画像処理ソ フトで明暗のムラを平均化すると、色が見かけじょう少し暗くなって見える。この原因は、明暗 のムラがある画像では明るい部分が目立っているためと思われる。それゆえ、表2では緑色や青 色が暗くなって分かり難くなっている。 -234- 表1 三ヨウ化物イオンとヨウ素−デンプン反応のRGB値 全てのヨウ素−デンプン反応の平均的な値 表2 ヨウ素−デンプン反応のRGB値 デンプンの種類による違い -235- 5.利用者の操作方法 Java Applet プログラムを呼び出すためのhtmファイル 22) に、表3の様な詳しい操作方法(コ マンドボタンとその内容の説明)を載せている。 表3 コマンドボタンとその内容の説明 6.使用したソフトウェア 開発に使用したOSはMicrosoft社のWindows XP Professionalである。さらに、Microsoft社の Windows 98 Second Edition、2000 Professional、XP home edition、Vista Home Premium、7 Professionalで動作確認を行っている。Java Appletは多くの書籍 24∼29) を参考にしてBorland社 30) のJBuilder 6 Professional、2005 Developerで作成し、フリーソフトウェアFFFTP 1.98 サーバーにアップロードした。HTMLファイルはIBM社のホームページ・ビルダー 15 等で 31、32) 、また 33) はマクロメディア(株)のDreamweaver MX で編集・作成した。 7.おわりに 教育学部のサーバーだけでなく、学外のサーバーにもシミュレーションプログラムを載せてサ -236- 1) ービスを開始した 。学校の授業や自由研究等でも利用できると思われる。今後はさらに、シミ ュレーションの種類を増やし、少しずつサービスを充実していく。 謝辞 本研究は科学研究費(基盤研究(B)、課題番号21300288)の助成を受けたものである。 参考文献等(URLは全て2012年11月7日時点) 1) http://www.saitama-u.ac.jp/ashida/, http://rikadaisuki.edu.saitama-u.ac.jp/~chem1/ http://park.saitama-u.ac.jp/~ashida-sci-edu/、http://www.geocities.jp/ashidabk1/ http://www7.tok2.com/home/ashidabk3/ 2) 例えば、http://www.saitama-u.ac.jp/ashida/cgi-bin/ques-box.cgi 3) 芦田実ほか『溶液の濃度計算と調製方法のインターネットによる自動サービス −塩化ナトリ ウム水溶液−』化学教育ジャーナル(CEJ)、第7巻第1号(通巻12号)、採録番号7-5(2003)。 URL http://chem.sci.utsunomiya-u.ac.jp/cejrnl.html(以下同様) 4) 芦田実ほか『溶液の濃度計算と調製方法のインターネットによる自動サービス −酢酸水溶液、 塩酸、アンモニア水、水酸化ナトリウム水溶液−』化学教育ジャーナル(CEJ)、第8巻第1号(通 巻14号)、採録番号8-3(2004) 5) Minoru Ashida, et al., Automatic Services of Calculating Data and for the Preparation of Solutions by Using Internet: - Nitric Acid Aqueous Solution and Sulfuric Acid Aqueous Solution-, The Chemical Education Journal (CEJ), Vol.9, No.2 (Serial No. 17), Registration No. 9-14(2007) 6) 芦田実ほか『溶液の濃度計算と調製方法のインターネットによる自動サービス −固体無水物 の溶解度−』化学教育ジャーナル(CEJ)、第10巻第1号(通巻18号)、採録番号10-2(2007) 7) 芦田実ほか『溶液の濃度計算と調製方法のインターネットによる自動サービス − 二酸化炭 素と石灰水 −』化学教育ジャーナル(CEJ)、第10巻第1号(通巻18号)、採録番号10-3(2007) 8) 芦田実ほか『溶液の濃度計算と調製方法のインターネットによる自動サービス −シュウ酸水 溶液およびシュウ酸ナトリウム水溶液−』化学教育ジャーナル(CEJ)、第11巻第1号(通巻20号)、 採録番号11-4(2008) 9) 芦田実ほか『溶液の濃度計算と調製方法のインターネットによる自動サービス −塩化カリウ ム水溶液および塩化アンモニウム水溶液−』化学教育ジャーナル(CEJ)、第12巻第2号(通巻23 号)、採録番号12-8(2009) 10) 芦田実ほか『溶液の濃度計算と調製方法のインターネットによる自動サービス −炭酸水素 ナトリウム水溶液および炭酸ナトリウム水溶液−』化学教育ジャーナル(CEJ)、第12巻第2号(通 巻23号)、採録番号12-9(2009) 11) 芦田実ほか『溶液の濃度計算と調製方法のインターネットによる自動サービス −ミョウバ ンとその関連物質の溶解度−』化学教育ジャーナル(CEJ)、第12巻第2号(通巻23号)、採録番号 12-10(2009) 12) 芦田実ほか『過酸化水素水の濃度計算・調製方法と酸素発生に関するWeb自動サービス』埼 -237- 玉大学紀要教育学部、第60巻第2号、181-191頁(2011) 13) 芦田実『水酸化カリウム水溶液の濃度計算・調製方法に関するWeb自動サービス』埼玉大学 紀要教育学部、第61巻第1号、201-214頁(2012) 14) 芦田実ほか『pH緩衝液の濃度計算と調製方法の自動サービス −Webによる理科教員への遠 隔支援−』埼玉大学教育学部附属教育実践総合センター紀要、第11号、79-86(2012) 15) 芦田実ほか『定量分析シミュレーションのインターネットによる自動サービス −酸・塩基 滴定−』化学教育ジャーナル(CEJ)、第10巻第1号(通巻18号)、採録番号10-4(2007) 16) 芦田実ほか『定量分析シミュレーションのインターネットによる自動サービス −混合滴定 −』化学教育ジャーナル(CEJ)、第11巻第1号(通巻20号)、採録番号11-5(2008) 17) 芦田実ほか『定量分析シミュレーションのインターネットによる自動サービス −酸化・還 元滴定−』化学教育ジャーナル(CEJ)、第11巻第1号(通巻20号)、採録番号11-6(2008) 18) 増田貴司『 「理科離れ」解消のために何が必要か』TBR産業経済の論点、東レ経営研究所 (2007) 19)『平成20年度中学校理科教師実態調査集計結果』科学技術振興機構理科教育支援センター・ 国立教育政策研究所教育課程研究センター(2008) 20) 分析化学研究会編著『分析化学の理論と計算 修正版』216-220、230-235頁、廣川書店(1998) 21) http://www.saitama-u.ac.jp/ashida/cgi-bin/calgramc.cgi 22) http://www.saitama-u.ac.jp/ashida/calcgrap/AppletT05.htm 23) 日本化学会編『改訂4版化学便覧基礎編Ⅱ』465-468頁、丸善(株)(1993) 24) 高橋和也ほか『Java逆引き大全500の極意』(株)秀和システム(2002) 25) 田中秀治『Jbuilder5で入門!Javaプログラミング』ソーテック社(2001) 26) 松浦健一郎、司ゆき『はじめてのJBuilder6』ソフトバンク(株)(2002) 27) 赤間世紀『Java2による数値計算』技報堂出版(株)(1999) 28) 青野雅樹『Javaで学ぶコンピュータグラフィックス』(株)オーム社(2002) 29) 中山茂『Java2グラフィックスプログラミング入門』技報堂出版(株)(2000) 30) http://www2.biglobe.ne.jp/~sota/ 31)『ホームページ・ビルダー2001ユーザーズ・ガイド』日本アイ・ビー・エム(株)(2006) 32) アンク『HTMLタグ辞典』翔泳社(2000) 33)『Dreamweaver MXファーストステップガイド』マクロメディア(株)(2002) (2012年 11月 12日提出) (2013年 1月 11日受理) -238- Automatic Service of the Simulation of Iodometric Titrations by Using Internet ASHIDA, Minoru Faculty of Education, Saitama University SUZUKI, Takahiro Graduate School of Education, Saitama University ETOU, Daimon Kawaguchi Municipal Kamine Junior High School Abstract Dislike of science is now spreading over students and even teachers in Japanese elementary schools. It seems that interest in science (chemistry) may often be generated through experiments. Therefore, we started an automatic service in the homepage of our chemical laboratory on how to prepare aqueous solutions (calculating concentrations and preparation methods) and on simulations of quantitative anaylsys which are the bases of some chemical experiment, in order to reduce dislike of science. Even a person who has no background in computers can use it anytime when it is necessary. Furthermore, we started a download service, so you can carry out this program even in a PC (offline) if you download a compressed file and extract it. On previous reports, we discussed about acid-base titrations and redox titrations, and already started service in the homepage. In this report, we have developed the program for the simulation of iodometric titrations. Key Words:Quantitative analysis, Iodometric titration, Calculating concentration, Remote aid -239- -240- 埼玉大学紀要 教育学部, 62(1):241-248(2013) 交差共鳴を用いたレーザーの発振周波数制御 上敷領 大向 兵頭 近藤 静香 隆三 政春 一史 蓮田市立黒浜西小学校 埼玉大学教育学部理科教育講座 独立行政法人情報通信研究機構 埼玉大学教育学部理科教育講座 キーワード:レーザー、飽和分光、交差共鳴、周波数安定化、ルビジウム 1.はじめに 近年、レーザーの狭帯域化及び波長可変化技術の進展と相俟ってレーザー光と原子の相互作用 が詳細に研究されるようになり、今や光を用いて原子の内的・外的自由度を操作する技術が実現 しつつある。光を用いて非接触かつ非破壊的に原子の量子状態を制御する技術の確立は、原子の 高いデコヒーレンス能力を活かして量子情報処理や量子コンピューティングなど次世代の高度情 報処理への展開が大いに期待されており、その実現が強く望まれているところである。当該研究 を遂行する上では、光と原子の相互作用時間を十分に確保し、再現性のよいデータを得るために、 光源となるレーザーの発振周波数を長時間にわたって所望の周波数値に安定して維持させる技術 の開発と整備が差し迫った重要な課題となっている。 従来はレーザーの発振周波数を安定化するために原子の共鳴吸収信号を用いる方法が一般的で あった。1) 原子を異なるエネルギー準位間で遷移させるために照射する光の周波数は原子の種類 ごとに厳密に決まっており、それを周波数安定化の参照信号として利用する方法である。この方 法は、原子の共鳴周波数が外的な環境(温度の変化や機械的な振動)の影響を受けずに一定であ るために高い安定度が得られ、レーザー分光実験で観測対象となる原子遷移の共鳴周波数に一致 した発振周波数を得られるなどのメリットがある。しかし、共鳴信号の信号強度が弱いために実 験機器の配置や電子回路の設計に多大な調整作業を強いられ、安定化したレーザーの発振周波数 が原子の共鳴周波数付近だけに限られてチューナビリティが低いなどの改善すべき課題も残され ている。そこで我々は、レーザーの発振周波数安定化において、多準位系の原子の吸収スペクト ルに観測される交差共鳴信号を参照信号として利用する新しい試みを行った。交差共鳴信号は、 ある周波数の光が原子に照射されたときに異なる複数のエネルギー準位への光励起が同時に生じ て観測される信号であり、一般に共鳴信号よりも強く観測される。2) そのため、この交差共鳴信 号を使えば信号検出や電子回路による演算処理を比較的簡単に行うことができる。検出信号の S/ N 比も高いので、結果としてレーザーの発振周波数安定度も向上することが見込まれる。さらに、 交差共鳴信号の強度が大きい分、そこから一定の電圧を減算して得られる周波数のロッキング・ ポイントも広い範囲で設定できるので、安定化した発振周波数のチューナビリティも今までより 格段に広がると期待される。また我々は、原子の光吸収信号と参照共振器を併用した、簡便で汎 用性に優れたレーザーの発振周波数制御技術の開発に取り組んでおり、この中で高安定なチュー ナビリティの高い発振周波数制御が要請されているので、今回の交差共鳴を用いた発振周波数安 定化の確立は上記の研究達成に重要であるといえる。 -241- 2.交差共鳴スペクトルの測定 まず、レーザーの発振周波数安定化のための参照信号となる交差共鳴信号を検出する実験を行 った。本実験では、光源の発振波長と原子の共鳴波長のマッチングの観点から、観測対象となる 原子をルビジウム(Rb)、レーザー光源を波長 780 nm 帯の外部共振器型半導体レーザー(ECL D)とした。Rbはアルカリ金属で飽和蒸気圧が高く(300 K において 1 × 10-6 Torr)、Rb原子を 封入したガラスセルに光を通すことにより室温でRb原子の吸収スペクトルを観測できる。また、 Rbは古くから分光学研究で測定対象となった原子種であり、今までに蓄積された分光データを活 用できる。3, 4) 現在明らかになっているRb原子のエネルギー構造を図1 に示す。Rbには2種類の 同位体があり、基底状態が 5S1/2 、励起状態が 5P3/2 という分光学的記号で表される状態となる。 核スピンのため、2つの同位体とも基底状態は2つ、励起状態は4つの超微細構造準位に分裂してい る。本研究では存在比が大きな85Rbを使い、5S1/2 ( F = 3 ) から 5P3/2 ( F’ = 2, 3, 4 ) への3つ の準位への遷移(共鳴波長 780.245 nm)に関する交差共鳴スペクトルを測定した。ECLDはLDチ ップからの出力光を回折格子で光フィードバックさせた狭帯域・周波数可変のレーザー光源で、 小型・低消費電力であることに加え、注入電流で高速の周波数制御が可能であるという特徴を持 つ。5, 6) F ’ = 3 276 MHz F ’ = 4 120 MHz 3 63 MHz 2 29 MHz 1 励起状態 2 1 0 157 MHz 72 MHz F = 2 F = 3 6.8 GHz 3.0 GHz 基底状態 2 1 85 87 Rb (72 %) Rb (28 %) 図1 ルビジウム原子のエネルギー構造 交差共鳴信号測定のための実験配置を図2に示す。図中の実線は光ビームの経路を、点線は電気 信号の経路を表している。ECLDはNew Focus 社製 TLB-6000 を使用した。ECLDの注入電流は 57 mA とし、そのときの出力は 3 mW であった。発振スペクトル線幅は100 ms あたり300kHz 以下であり、連続周波数掃引幅は 75 GHz にも達するのでRbの吸収スペクトルの周波数領域をカ バーできる。ECLDからの出力光をアイソレーターに通した後、ウェッジ基板を使って3本のビー ムに分割した。1本はそのまま波長計に入れてECLDの発振波長をモニターするために使用し、残 りの2本はルビジウムのセルに対向させて入射させ、飽和分光の実験配置とした。7) これら2本の 光ビームはNDフィルターによって光強度を独立に調節できるようにした。また、片方の光ビーム は光チョッパーで周波数 1.5 kHzの強度変調をかけた。無変調の光がRbセルを透過した光強度を フォトダイオードで検出した。ECLDの発振周波数をRbの共鳴周波数近辺で掃引し、セル内のRb 原子が対向する2つのレーザー光と同時に相互作用したとき得られる飽和吸収信号をロックイン 増幅器で位相敏感検波を行った。これにより、原子の熱運動に伴うドップラー広がりを除き、自 然幅8) の広がりで吸収スペクトルを測定することを試みた。 -242- 半導体レーザー ウェッジ基板 波長計 アイソレーター 光チョッパー NDフィルター ロックイン増幅器 NDフィルター フォトダイオード Rb セル レコーダー 図2 交差共鳴スペクトル測定実験配置 実験結果は図3の通りであった。横軸はレーザー光の周波数、縦軸は飽和吸収強度を表す。図中 にはファブリーペロー干渉計を用いて得た100 MHz の周波数幅を参考のため記入した。入射レー ザー光強度は2つのレーザー光とも 0.36 mW/cm2 とした。図3の結果では6個の吸収ピークが観測 された。まず超微細構造準位間の共鳴吸収ピークを特定するため100 MHz の周波数幅と各吸収ピ ーク間の幅を対応させると、6個のピークのうち①と③の間隔が約60 MHz、③と⑥の間隔が120 MHz になることがわかった。図1に示した85Rb原子のエネルギー構造と合わせて考えると、①の ピークは85Rbの基底状態 2S1/2 ( F = 3 ) から励起状態 2P3/2 ( F ’= 2 ) 、③のピークは同じく 励起状態 2P3/2 ( F ’= 3 )、⑥のピークは励起状態 2P3/2 ( F ’= 4 ) への遷移に伴う共鳴吸収 ピークであることが確認できた。 absorption (arb. units) 1 エネルギー 100 MHz ⑤ 0.8 微細構造準位 1 ドップラーシフト 0.6 ② 0.4 0.2 ③ ④ ドップラーシフト 微細構造準位 2 ① ⑥ 00 レーザー光のエネルギー 基底状態 Frequency 図3 Rb原子の飽和吸収スペクトル 図4 交差共鳴の原理図 図3で観測された①、③、⑥以外の吸収ピーク,すなわち②,④,⑤のピークが,交差共鳴によ る吸収ピークと考えられる。交差共鳴とは複数のエネルギー準位が関与する光吸収現象である。 本研究で測定対象としている遷移(基底状態がひとつの準位で励起状態が複数の超微細構造準位 であるエネルギー構造)について考えると、図4のように入射光のエネルギーが原子の基底状態か ら励起状態の2つの微細構造準位のちょうど中間までに相当するエネルギーを持ち、原子の熱運動 によるドップラーシフト量が2つの微細構造準位間の半分のエネルギーに相当するとき、原子は対 -243- 向する2つのレーザー光と異なる2つの微細構造準位を通じて共鳴する。このとき原子は2つのレー ザー光と相互作用したことになるので光吸収強度は飽和効果が生じ、出力信号として検出される。 このように考えると、交差共鳴のピークはスペクトル上で原子の超微細構造間の遷移によるピー クのちょうど中間の周波数で出現することになるが、図3の結果を見ると②のピークが①と③のピ ークの中間に、④が①と⑥の中間に、⑤は③と⑥の中間にそれぞれ位置していることが確認でき る。実際にこの条件を満たす原子の速度を求めると②のピークでは 25 m/s 、④は71 m/s 、⑤は 47 m/s であり、室温(300 K)におけるRb原子の熱速度分布幅(680 m/s )の中にあった。こ れらより、②、④、⑤のピークが交差共鳴のピークであると結論できた。交差共鳴の信号は、Rb の超微細構造準位間の共鳴吸収信号よりも大きく観測されており、特に⑤のピークは観測された 信号の中で最も大きい。 もっとも大きな交差共鳴ピーク⑤のピークの半値全幅を求めたところ約12 MHz であった。当 該遷移の自然幅は 6 MHz になることが知られている9) が、今回得られた半値全幅は自然幅より も6 MHz 広くなった。この差を生じた主な原因として、2本の対向するレーザー光経路の重なり の不完全さによって生じた残留ドップラー幅が考えられる。レーザー光の波長をλ,2つのレーザ ー光経路のずれをθ、それとほぼ垂直方向に進む原子の速度をv とすれば、残留ドップラー幅 (Δν)は ν v sinθ λ で与えられる。前述のRb原子の熱速度分布幅の半分に相当する速度(340 m/s)を持つ原子を考え ると、2つの対向するレーザー光経路が 0.8 °ずれるだけで6 MHzの残留ドップラー幅が生じる と見積もられる。実際の光学配置は、観測している信号を見ながら手探りで最適な条件を決定し ているので、この程度のずれが生じる可能性は十分にあると推測される。実験で得られた交差共 鳴信号の12 MHz という半値全幅でも原子の自然幅に匹敵する値であり、レーザーの周波数制御 用参照信号として十分な性能を有すると考えられる。 3.半導体レーザーの発振周波数安定化 今回制御対象となるECLDの、フリーランニング時における発振周波数安定度をまず測定した。 そのための実験配置を図5(a)に示す。LD発振周波数のずれは波長計では直接測定できないので、 原子の吸収による透過光強度の変化を利用した。ECLDの出力光をアイソレーターに通したあとガ ラス基板にあてて、透過光と反射光の2つのビームに分割した。透過光は波長計に入れてECLDの 発振波長をモニターした。反射光はNDフィルターを通したあとRbセルに入射した。Rbセルを透 過した光はフォトダイオードで受けて電気信号に変換し、その信号をレコーダーに入力して記録 した。ECLDの発振周波数をあらかじめ原子の共鳴周波数付近に合わせて原子による光吸収を生じ させ、時間とともにどのように透過光強度が変化するかを測定して、その変化量をRb原子の線形 吸収スペクトルに支配的なドップラー広がりと対応させてECLDの発振周波数のドリフト量を見 積もった。最初 100 秒間の発振周波数のドリフトを測定し、その後 30 分ごとに同様の測定を行 い、最初の測定から2時間後まで続けた。 図5 (b) はRb原子の5S1/2 ( F = 3 ) から 5P3/2 ( F ’ = 2, 3, 4 )への遷移の線形吸収であり、こ -244- のスペクトルのFWHMは 870 MHz である。図5 (c) はRbセルにフリーランのECLD出力光を入射 させたときの透過光強度の時間変化である。横軸は測定時間で、縦軸は透過率を表している。最 初に合わせたECLDの発振周波数は透過率 70 % となる周波数であったが、時間経過と共にECL Dの発振周波数がドリフトし、100 秒後には 80 % まで増大した。これを図5 (a) の吸収スペクト ルと対応させると、この100 秒間の透過率の変化は周波数に換算して54 MHz の変化に相当する ことがわかった。また、2時間後にはこの周波数ドリフトは 258 MHz に達した。超高分解能のレ ーザー分光用光源としては1 MHz 以下の発振周波数安定度が求められるため、このレーザー光源 の現状の性能は不十分であるといえる。 半導体レーザー ガラス基板 波長計 アイソレーター Rb セル レコーダー NDフィルター フォトダイオード ( a ) 80 100 Transmission (%) Transmission (%) 100 870 MHz 60 40 20 80 60 40 20 0 0 0 Frequency 20 40 60 80 100 Time (s) ( c ) ( b ) 図5 レーザー発振周波数ドリフト測定結果 (a) 実験配置 (b) Rb原子の線形透過スペクトル (c) フリーラン光源による透過光強度測定結果 ECLD の発振周波数を安定化するための実験配置を図 6 (a) に示す。交差共鳴信号検出のための実験装 置(図 2 )に加え、ECLD の発振周波数を設定値に集束させるための手段としてサーボ回路を用いた。 サーボ回路は減算回路、増幅回路、積分回路、加算回路から構成されている。具体的な実験手順は次の通 りである。まず、ECLD の発振周波数を掃引して図 3 のスペクトルを得て、それを減算回路に入力して適 切な電圧値を差し引き、発振周波数制御のロッキング・ポイントを設定した。本実験では図 6 (b) の点線 の丸印で示した箇所をロッキング・ポイントとなるようにした。 次に ECLD の発振周波数の掃引をやめて、 マニュアルで微調整してロッキング・ポイント付近の周波数に近づけ、サーボ回路からの出力を ECLD の 注入電流にフィードバックさせた。このときサーボ回路に含まれている増幅回路の増幅率と積分回路の時 定数を適切に調整し、ロックイン増幅器からの出力信号強度が図 6 (b) のロッキング・ポイントのそれに -245- 保たれるような条件を見つけ出し、維持させた。ECLD の発振周波数が安定化されたか否かは、その ECLD で観測された交差共鳴信号強度から評価した。この実験結果を図 6 (c) に示す。横軸は時間(秒)、縦軸 はロックイン増幅器からの出力を表している。発振周波数を安定化すると同時に出力値のモニターを開始 した。ECLD の発振周波数がドリフトすれば、それに応じて観測している交差共鳴信号の強度も変化する はずだが、図 6 (c) の結果は時間の経過に関わらず一定の出力値が得られていることを示している。レー ザーの安定度を評価するために使用した信号も、 図 6 で使用した信号のほうが図 5 で使用したそれよりも 遥かに狭いスペクトルである。これらの事実から、本実験の結果、ECLD の発振周波数を高い精度で安定 化に成功したことがわかった。発振周波数の安定度を、図 6 (c) の信号のピーク間強度と図 6 (b) の交差共 鳴ピーク信号強度及びその半値全幅から見積もったところ、0.4 MHz という値を得た。この値は、フリー ラン時の発振周波数ドリフトと比べておよそ 100 分の 1 にまで改善されていることがわかる。本実験の結 果、観測対象となる Rb 原子の吸収スペクトルの持つ自然幅の 10 分の 1 にまで光源の安定化を達成でき、 超高分解能分光用光源として相応しい性能を有するレーザー光源に改良できたと結論できる。 ウェッジ基板 半導体レーザー 波長計 光チョッパー アイソレーター NDフィルター ロックイン 増幅器 NDフィルター フォトダイオード Rb セル レコーダー サーボ回路 1.01 0.8 0.8 ロッキング・ポイント 0.6 0.6 0.4 0.4 12 MHz 0.2 0.2 Absorptiom (arb. units) Absorptiom (arb. units) ( a ) 1.01 0.8 0.8 0.6 0.6 0.4 0.4 0.2 0.2 00 00 00 Frequency 20 20 60 60 40 40 80 80 100 100 Time ( s ) ( b ) ( c ) 図6 レーザー発振周波数制御結果 (a) レーザー発振周波数安定化実験配置 スペクトル上のロッキングポイント (b) Rb原子の飽和吸収 (c) 制御レーザー光源による交差共鳴信号強度測定結果 -246- 4.まとめ 飽和吸収スペクトルに現れる交差共鳴信号を用い、半導体レーザーの発振周波数を安定化させた。Rb 原子の 5S1/2 ( F = 3 ) から 5P3/2 ( F ’ = 2, 3, 4 ) への遷移に現れる交差共鳴を観測し、半値全幅が 14 MHz の交差共鳴スペクトルを観測した。この交差共鳴信号を参照信号として用い、サーボ回路に よるフィードバックを半導体レーザーに施した結果、フリーラン時では 100 秒間において 54 MHz の周波 数ドリフトであったが、0.4 MHz にまで発振周波数を安定化することができた。この値は原子の自然幅の 10 分の 1 以下の値であり、安定化されたレーザー光源は超高分解能分光用光源として十分な性能を備え ると考えられる。交差共鳴信号は通常のエネルギー準位間の共鳴信号よりも大きな強度を持ち、本研究で 用いたサーボ回路の中でロッキング・ポイントを設定できる周波数幅も広がるので、安定化レーザーの周 波数チューナビリティも向上すると期待される。 謝辞 本研究は科学研究費補助金基盤研究 (C)(課題番号 22500800)の援助を受けて行われた。ここに謝意を表する。 参考文献 1) H. Tsuchida, M. Ohtsu, T. Tako, N. Kuramochi, N. Oura : Jpn. J. Appl. Phys. 21 (1982) pp.L561 L563. 2) W. Demtroeder : “ Laser Spectroscopy Volume 2” (Springer, 2008) pp.93 - 98. 3) J. R. Beacham, K. L. Andrew : J. Opt. Soc. Am. 61 (1971) pp.231 - 235. 4) B. Sheehy, S-Q. Shang, R. Watts, S. Hatamian, H. Metcalf : J. Opt. Soc. Am. B 6 (1989) pp.2165 2170. 5) 陳軍、山本将史:「光とレーザー」(オーム社 2006)pp.141 - 144. 6) C. Wieman, L. Hollberg : Rev. Sci. Instrum. 62 (1991) pp.1 - 20. 7) 櫛田孝司:「量子光学」(朝倉書店 1981)pp.76 - 79. 8) 大道寺英弘、中原武利:「原子スペクトル 測定とその応用」(学会出版センター 1996)pp.21 - 24. 9) H. Metcalf, P. Straten : “ Laser Cooling and Trapping” (Springer 1999) p274. (2012年 11月 12日提出) (2013年 1月 11日受理) -247- Frequency Control of a Laser Using the Cross-Over Resonance KAMISHIKIRYO, Shizuka Kurohama-Nishi Primary School OHMUKAI, Ryuzo Faculty of Education, Saitama University HYODO, Masaharu National Institute of Information and Communications Technology KONDO, Hitoshi Faculty of Education, Saitama University Abstract We used a novel approach to stabilize the 780-nm laser frequency by using the cross-over resonance of Rb atoms. The signal intensity of the cross-over resonance is generally larger than that of the resonance between atomic energy levels. Therefore, laser frequency control using the cross-over resonance is expected to achieve better stabilization and a wider tuning range, compared with the conventional one. The observed cross-over signal obtained from the saturation absorption spectrum has a line width of 12 MHz, which is attributed to the natural line width of atomic transition and the residual Doppler broadening due to the misalignment of the counter-propagating laser beams. As a result of our frequency control, the stability was improved to approximately 0.4 MHz for 100 s, though the free-running laser drifted almost 54 MHz. The resultant laser is applicable as a light source to be used in the high-resolution spectroscopy of Rb atoms. Key Words:laser, saturation spectroscopy, cross-over resonance, frequency stabilization, rubidium -248- J. Saitama Univ. Fac. Educ., 62(1):249-266 (2013) On A Class of Historical Superprocesses in The Dynkin Sense DÔKU, Isamu Faculty of Education, Saitama University Abstract We study a class of historical superprocesses in the Dynkin sense. This class is closely related to a group of superprocesses, namely, measure-valued branching Markov processes, which are associated with stable random measure. Then we prove the existence theorem for the class of historical superprocesses in Dynkin’s sense. Key Words : Dynkin’s historical superprocess, measure-valued Markov process, superprocess, stable random measure, existence. 1. Introduction The purpose of this paper is to investigate a class of historical superprocesses in Dynkin’s sense. This class is closely related to another class of superprocesses, namely, measure-valued branching Markov processes, which are associated with stable random measure. Then it is proven that the class of historical superprocesses in Dynkin’s sense exists under some suitable conditions. Now we shall begin with introducing a fundamental relationship between superprocess and its associated historical superprocess. 1.1 Superprocess with Branching Rate Functional In this subsection we shall introduce the so-called superprocess with branching rate functional, which forms a general class of measure-valued branching Markov processes with diffusion as a underlying spatial motion. We write the integral of ∫ measurable function f with respect to measure µ as ⟨µ, f ⟩ = f dµ. For simplicity, MF = MF (Rd ) is the space of finite measures on Rd . Define a second order elliptic differential operator L = 12 ∇ · a∇ + b · ∇, and a = (aij ) is positive definite and we assume that aij , bi ∈ C 1,ε = C 1,ε (Rd ). Here the space C 1,ε indicates the totality of all Hölder continuous functions with index ε (0 < ε 6 1), allowing their first order derivatives to be locally Hölder continuous. Ξ = {ξ, Πs,a , s ≥ 0, a ∈ Rd } indicates a corresponding L-diffusion. Moreover, CAF stands for continuous additive functional in Probability Theory. -249- Definition 1. (A Locally Admissible Class of CAF; cf. Dynkin (1994), [17]) A continuous additive functional K is said to be in the Dynkin class with index q and we write K ∈ Kq , (some q > 0) if (a) ∫ t sup Πs,a ϕp (ξr )K(dr) → 0, (r0 ≥ 0) as s → r0 , t → r0 ; (1) a∈Rd s (b) each N , ∃cN > 0 : ∫ t Πs,a ϕp (ξr )K(dr) 6 cN |t − s|q ϕp (a), (for 0 6 s 6 t 6 N, a ∈ Rd ). (2) s When we write Cb as the set of bounded continuous functions on Rd , then Cb+ is the set of positive members g in Cb . The process X = {X, Ps,µ , s ≥ 0, µ ∈ MF } is said to be a superprocess (or superdiffusion) with branching rate functional K or simply (L, K, µ)-superprocess if X = {Xt } is a continous MF -valued time-inhomogeneous Markov process with Laplace transition functional Ps,µ e−⟨Xt ,φ⟩ = e−⟨µ,v(s,t)⟩ , 0 6 s 6 t, µ ∈ MF , φ ∈ Cb+ . (3) Here the function v is uniquely determined by the following log-Laplace equation ∫ t Πs,a φ(ξt ) = v(s, a) + Πs,a v 2 (r, ξr )K(dr), 0 6 s 6 t, a ∈ Rd . (4) s 1.2 Associated Historical Superprocess The historical superprocess was initially studied by E.B. Dynkin (1991) [15],[16], see also Dawson-Perkins (1991) [5]. C = C(R+ , Rd ) denotes the space of continuous paths on Rd with topology of uniform convergence on compact subsets of R+ . To each w ∈ C and t > 0, we write wt ∈ C as the stopped path of w. We denote by Ct the totality of all these paths stopped at time t. To every w ∈ C we associate the corresponding stopped path trajectory w̃ defined by w̃t = wt for t ≥ 0. The image of L-diffusion w under the map : w 7→ w̃ is called the L-diffusion path process. Moreover, we define s ˆ · C× R ≡ R+ ×C = {(s, w) : s ∈ R+ , w ∈ C } (5) ˆ · ˆ · and we denote by M (C× R ) ≡ M (R+ ×C ) the set of measures η on R+ ×C which are finite, if restricted to a finite time interval. Let K be a positive CAF of ξ. X̃ = {X̃, P̃s,µ , s ≥ 0, µ ∈ MF (Cs )} is said to be a Dynkin’s historical superprocess (cf. -250- Dynkin (1991), [16]) if X̃ = {X̃t } is a time-inhomogeneous Markov process with state X̃t ∈ MF (Ct ), t ≥ s, with Laplace transition functional P̃s,µ e−⟨X̃t ,φ⟩ = e−⟨µ,v(s,t)⟩ , 0 6 s 6 t, µ ∈ MF (Cs ), φ ∈ Cb+ (C), (6) where the function v is uniquely determined by the log-Laplace type equation ∫ t ˜ Π̃s,ws φ(ξt ) = v(s, ws ) + Π̃s,ws v 2 (r, ξ˜r )K̃(dr), 0 6 s 6 t, ws ∈ Cs . (7) s We call this class of process an associted historical superprocess in Dynkin’s sense in this article. 2. Examples of Measure-Valued Processes 2.1 Dawson-Watanabe Superprocess X = {Xt ; t ≥ 0} is said to be the Dawson-Watanabe superprocess (cf. Watanabe (1968), [29], Dawson (1975), [1]) if {Xt } is a Markov process taking values in the space MF (Rd ) of finite measures on Rd , satisfying the following martingale problem (MP): i.e., there exists a probability measure P ∈ P(MF (Rd )) on the sapce MF (Rd ) such that for all φ ∈ Dom(∆) ∫ t 1 Mt (φ) ≡ ⟨Xt , φ⟩ − ⟨X0 , φ⟩ − ⟨Xs , ∆φ⟩ds (8) 2 0 is a P-martingale and its quadratic variation process is given by ∫ t ⟨M (φ)⟩t = γ ⟨Xs , φ2 ⟩ds. (9) 0 Or equivalently, the Laplace transition functional of {Xt } is given by Ee−⟨Xt ,φ⟩ = e−⟨X0 ,u(t)⟩ , for φ ∈ Cb+ (Rd ) ∩ Dom(∆), (10) where u(t, x) is the unique positive solution of evolution equation ∂u 1 1 = ∆u − γu2 , ∂t 2 2 u(0, x) = φ(x). (11) The Dawson-Watanabe superprocess Xt inherits the branching property from the approximating branching Brownian motions (cf. Dawson (1993), [2]). Namely, Pt (·, ν1 + ν2 ) = Pt (·, ν1 ) ∗ Pt (·, ν2 ), (12) where Pt (·, µ) denotes the transition probability with the initial data µ. The branching property extends in the obvious way to initial measures of the form ν1 + · · · + νn . Conversely, for any integer n, the distribution of the superprocess -251- started from initial measure µ is written as that of the sum of n independent copies of the superprocesses each started from µ/n. This implies that the DawsonWatanabe superprocess is infinitely divisible. The following proposition is well known. The statement is the analogue of the classical Lévy-Khintchine formula (cf. Sato (1999), [28]: Theorem 8.1, p.37), that characterizes the possible characteristic functions of infinitely divisible distributions on Rd , in the measure-valued setting. Theorem 2. (Canonical Representation Theorem) Let (E, E) be a Polish space, and X be infinitely divisible Random measure on (E, E). Then there exist measures ∫ Xd ∈ MF (E) and m ∈ M (MF (E)), m ̸= 0 such that for ∀φ ∈ Cb (E), {1 − e−⟨ν,φ⟩ }m(dν) < ∞ and ∫ −⟨X,φ⟩ − log E[e ] = ⟨Xd , φ⟩ + {1 − e−⟨ν,φ⟩ }m(dν). (13) If m({0}) = 0, then Xd and m are unique. (cf. Etheridge (2000), [20]: Theorem 1.28, p.18) It is natural to ask whether we can construct other processes in MF (Rd ) (i.e. superprocesses) with infinitely divisible distributions. As a matter of fact, using the above canonical representation formula as a starting point, we can construct a more general superprocess. To keep the notation as simple as possible, we restrict our plan to time homogeneous Markov processes satisfying two conditions: (i) branching property; (ii) infinite divisibility. Let us denote by Y = {Yt } a time homogeneous Markov process. We have Eµ [e−⟨Yt ,φ⟩ ] = e−⟨µ,Vt φ⟩ . (14) This operator Vt satisfies the property Vt+s = Vt ◦ Vs . Comparing the formula (13) and Eq.(14), we can write with the uniqueness of the canonical representation, ∫ ∫ ⟨µ, Vt φ⟩ = φ(y)Yd (µ, t, dy) + (1 − e−⟨ν,φ⟩ )m(µ, t, dν), (15) Rd MF (Rd ) where we put for simplicity ∫ Yd (µ, t, dy) = Yd (x, t, dy)µ(dx), ∫ m(µ.t, dν) = m(x, t, dν)µ(dx). Moreover, we can derive an important relation from (15) ∫ Vt φ(x) = Eδx [⟨Yt , φ⟩] + (1 − e−⟨ν,φ⟩ − ⟨ν, φ⟩)m(x, t, dν). -252- (16) When we denote by Pt the linear semigroup associated with Vt , then we have ∂Pt φ Pt φ(x) = Eδx [⟨Yt , φ⟩], (x) = Aφ(x). (17) ∂t x=0 Under the integrable condition on m ∫ 1 ⟨ν, 1⟩ ∧ ⟨ν, 1⟩2 m(x, t, dν) 6 C, t (∃C > 0), ∀t < 1 (18) and some proper measurability on the kernel n(x, dθ), a measure on (0, ∞) satis∫∞ fying 0 θ ∧ θ2 n(x, dθ) < ∞, the compactness argument (e.g. Le Gall (1999) [31]) allows us to obtain v(t, x) = Vt φ(x) satisfying ∂v (t, x) = Av − b(x)v − c(x)v 2 ∂t ∫ ∞ + (1 − e−θv(t,x) − θv(t, x))n(x, dθ). (19) 0 Here A is the generator of a Feller semigroup, c ≥ 0 and b are bounded measurable functions, and n : (0, ∞) → (0, ∞) is a kernel satisfying the integrability condition, where required is uniformity with respect to the parameter x. Note that the corresponding martingale problem has a unique solution. For the rigorous treatment, see e.g. Fitzsimmons (1988) [21] and ElKaroui-Roelly (1991) [19]. Moreover, the time inhomogeneous case is treated by Dynkin, Kuznetsov and Skorokhod (1994) [18]. 2.2 Stable Superprocess Let α be a parameter such that (0 < α 6 2). X = {Xt ; t ≥ 0} is called an α-stable superprocess on Rd with branching of index 1+β ∈ (1, 2) (cf. Fleischmann (1988), [22]) if X is a finite measure-valued stochastic process and the log-Laplace equation appearing in the characterization of X is given by ∂u = ∆α u + au − bu1+β , ∂t (20) where a ∈ R, b > 0 are any fixed constants, and ∆α = −(−∆)α/2 is fractional Laplacian. The underlying spatial motion of superprocess X is described by a symmetric α-stable motion in Rd with index α ∈ (0, 2]. Especially when α = 2, then it just corresponds to the Brownian motion. While, its continuous-state branching mechanism desribed by v 7→ Ψ(v) = −av + bv 1+β , v≥0 belongs to the domain of attraction of a stable law of index 1 + β ∈ (1, 2]. The branching is critical if a = 0. See also Mytnik-Perkins (2003), [26]. -253- 2.3 Measure-Valued Diffusions The operator L is defined by L= d d ∑ ∂ 1∑ ∂2 + bi aij 2 i,j=1 ∂xi ∂xj ∂xi i=1 on Rd . (21) The coefficient a(x) = {aij (x)} is positive definite, and aij , bi ∈ C ε (Rd ) with ε ∈ (0, 1]. We suppose the following assumptions: (A.1) the martingale problem (MP) for L is well-posed; (A.2) the diffusion process {Yt } on Rd corresponding to L is conservative; (A.3) {Tt } is C0 -preserving. Here C0 (Rd ) = {f ∈ C(Rd ) : lim|x|→∞ f (x) = 0}, and {Tt } is the semigroup corresponding to the L-diffusion Yt . We shall explain briefly below the construction of measure-valued diffusions. (n) Each n ∈ N, consider Nn -particles with each of mass n1 , starting at points xi ∈ Rd (i = 1, 2, . . . , Nn ). They are performing independent branching diffusions according to the operator L with branching rate cn, (c > 0) and branching distribution (n) {pk }∞ k=1 , where ∞ ∑ γ (n) k · pk = 1 + , (γ > 0) n k=0 and ∞ ∑ (n) (k − 1)2 pk = m + o(1), (m > 0), (n → ∞). k=0 (n) N (t) n Let Nn (t) be the number of particles alive at time t, and {xi }i=1 positions. Define an MF (Rd )-valued process Xn (t) by Nn (t) 1 ∑ Xn (t) = δ (n) . n i=1 xi (t) be their (22) ∫ ⟨µ, f ⟩ means the integration of f relative to measure µ, i.e., put α = cm and β = cγ. f (x)µ(dx). We Rd Theorem 3. (Roelly-Coppoletta (1986), [30]) If n 1∑ Xn (0) = δ (n) n i=1 xi N ⇒ µ ∈ MF (Rd ), (23) then Xn (·) converges weakly to an MF (Rd )-valued process, which can be uniquely characterized as the solution to the following martingale problem (MP): the process -254- Xt ∈ MF (Rd ) satisfies X0 = µ, a.s. for ∀f ∈ Cc2 (Rd ) ∫ t ∫ t Mt (f ) ≡ ⟨Xt , f ⟩ − ⟨X0 , f ⟩ − ⟨Xs , Lf ⟩ds − β ⟨Xs , f ⟩ds 0 (24) 0 is a martingale with increasing process ∫ ⟨M (f )⟩t = 2α t ⟨Xs , f 2 ⟩ds. (25) 0 d Such a process X = {Xt ; t ≥ 0} = {Xt , t ≥ 0; Pα,β µ , µ ∈ MF (R )} is called a measure-valued diffusion with papameters {α, β, L}, or {α, β, L}-superprocess. The next is the alternative characterization of measure-valued diffusion via the log-Laplace equation. The MF (Rd )-valued diffusion X = {Xt } with parameters (α, β, L) is characterized by the log-Laplace equation: { } ∫ t Eµ exp −⟨Xt , g⟩ − ⟨Xs , ψ⟩ds = e−⟨µ,u(t)⟩ for ∀g ≥ 0, ψ ∈ Cc2 (Rd ) (26) 0 where u ≡ u(x, t) ∈ C 2,1 (Rd ×[0, ∞)) is the unique positive solution of the evolution equation : ∂t u = Lu + βu − αu2 + ψ, u(·, 0) = g(·), (x, t) ∈ Rd × [0, ∞) (27) u(·, t) ∈ C0 (Rd ). Remark 4. (a) The existence of a classical solution u to the log-Laplace equation follows from the method of semigroups by Pazy (1983) [27]. (b) For the nonnegativity of the solution u, the type of argument provided by Iscoe (1986) [24] is used. (c) The uniqueness yields from the parabolic maximum principle in a standard way, see e.g. Lieberman (1996) [25]. 3. Superprocess Related to Random Measure Suppose that p > d, and let ϕp (x) = (1 + |x|2 )−p/2 be the reference function. C = C(Rd ) denotes the space of continuous functions on Rd , and define Cp = {f ∈ C : |f | 6 Cf · ϕp , ∃Cf > 0}. (28) We denote by Mp = Mp (Rd ) the set of non-negative measures µ on Rd , satisfying ∫ ⟨µ, ϕp ⟩ = ϕp (x)µ(dx) < ∞. (29) -255- It is called the space of p-tempered measures. When Ξ = {ξt , Πs,a , s ≥ 0, a ∈ Rd } is an L-diffusion, then we define the continuous additive functional Kη of ξ by (∫ ) Kη = ⟨η, δx (ξr )⟩dr = δX (ξr )η(dx) dr for η ∈ Mp (30) or equivalently, we define ∫ ∫ t K[s, t] ≡ Kη [s, t] = dr η(dx)δx (ξr ), η ∈ Mp . (31) s Then X η = {Xtη ; t ≥ 0} is said to be a measure-valued diffusion with branching rate functional Kη if for the initial measure µ ∈ MF , X satisfies the Laplace functional of the form η Pηs,µ e−⟨Xt ,φ⟩ = e−⟨µ,v(s)⟩ , (φ ∈ Cb+ ), where the function v ≥ 0 is uniquely determined by ∫ t Πs,a φ(ξt ) = v(s, a) + Πs,a v 2 (r, ξr )Kη (dr), (0 < s 6 t, a ∈ Rd ). (32) (33) s Assume that d = 1 and 0 < ν < 1. Let λ ≡ λ(dx) be the Lebesgue measure on R, and let (γ, P) be the stable random measure on R with Laplace functional { ∫ } −⟨γ,φ⟩ ν Pe = exp − φ (x)λ(dx) , φ ∈ Cb+ . (34) Note that P-a.a ω realization, γ(ω) ∈ Mp under the condition p > ν −1 . We consider a positive CAF Kγ of ξ for P-a.a. ω. So that, thanks to Dynkin’s general formalism for superprocess with branching rate functional (see Section 1), there exists an (L, Kγ , µ)-superprocess X γ when we adopt a p-tempered measure γ for CAF Kη in (30) instead of η, as far as Kγ = Kγ (ω; dr) may lie in the class Kq for some q > 0. Namely, we can get: Theorem 5. Let Kγ ∈ Kq . For µ ∈ MF with compact support, there exists an (L, Kγ , µ)-superprocess with branching rate functional Kγ , i.e., P − a.a.ω, ∃ Xγ = {X γ , Pγs,µ , s ≥ 0, µ ∈ MF }. Example 6. For d = 1, a = 1 and b = 0, X γ is a stable catalytic SBM. This was initially constructed and investigated by Dawson-Fleischmann-Mueller (2000) [3]. 4. Historical Superprocess Related to Random Measure -256- Since the initial measure µ has compact support, according to Dawson-LiMueller : Ann. Probab. 23 (1995) [4], X γ has the compact support property, with the result that the range R(X) of X γ is compact. We are going to work with historical superprocesses. As a matter of fact, for the sake of convenient criterion, we put the superprocess X γ lifted up to the historical superprocess setting X̃tγ (dw). For a path w ∈ C = C(R+ , R), we consider the stopped path w·t ∈ C defined by wst = wt∧s , (s ≥ 0), cf. E.B. Dynkin: Probab. Theory Relat. Fields 90 (1991) [16]. Then we can show the existence of the corresponding historical superprocess in the Dynkin sense, namely, we can prove that ∃ {X̃ γ , P̃γs,µ , s ≥ 0, µ ∈ MF (Cs )}. Theorem 7. (Main Result) Let Kγ be a positive CAF of ξ lying in the Dynkin class Kq . Then there exists a historical superprocess in the Dynkin sense X̃γ = {X̃ γ , P̃γs,µ , s ≥ 0, µ ∈ MF (Cs )}. In fact, X̃γ = {X̃ γ , P̃γs,µ , s ≥ 0, µ ∈ MF (Cs )} is a time-inhomogeneous Markov process with state X̃tγ ∈ MF (Ct ), t ≥ s, with Laplace transition functional { } P̃γs,µ exp −⟨X̃tγ , φ⟩ = e−⟨µ,v(s,t)⟩ , 0 6 s 6 t, µ ∈ MF (Cs ), φ ∈ Cb+ (C), (35) where the function v is uniquely determined by the log-Laplace type equation ∫ t ˜ Π̃s,ws φ(ξt ) = v(s, ws ) + Π̃s,ws v 2 (r, ξ˜r )K̃γ (ω; dr), 0 6 s 6 t, ws ∈ Cs . (36) s Remark 8. There is another important key point, i.e., decomposition of initial ∑ measures. Suppose that the initial measure has a finite deconposition µ = i µi . If we can show finite time extinction for each initial measure X0γ = µi , then the branching property implies finite time extinction for X0γ = µ. Therefore it is very useful that the stable random measure γ admits a representation of sum of discrete points. 5. Proof of Main Result Roughly speaking, in order to prove our principal result Theorem 7, we need to apply Theorem 5 (the existence theorem for superprocess related to stable random measure) to historical process. 5.1 Reformulation In this subsection for convenience we shall adopt some notation and terminology from Dynkin (1991) : Ann. Probab. 19 (1991) [15]. Let (Et , Bt ) be a measurable space that describes the state space of the underlying process ξ at time t (which can usually be imbedded isomorphically into a compact metrizable -257- space C), and Ê be the global state space given by the set of pairs t ∈ R+ and x ∈ Et . The symbol B(Ê) denotes the σ-algebra in Ê, generated by functions f : Ê → R. Note that Ê(I) = {(r, x) : r ∈ I, x ∈ Er } ∈ B(Ê) for every interval I. The sample space W is a set of paths (or trajectories) ξt (w) = wt for each w ∈ W . Furthermore, F(I) is the σ-algebra generated by ξt (w) for t ∈ I. Let w(I) denote the restriction of w ∈ W to I, and W (I) be the image of W under this mapping. Especially when F ◦ (I) is the σ-algebra in W (I) generated by ξt , t ∈ I, then B ∈ F ◦ (I) is equivalent to the inverse image of B under the mapping w 7→ w(I) belongs to F(I). Let r < t < u. Suppose that w1 ∈ W [r, t] and w2 ∈ W [t, u]. Then we write w = w1 ∨ w2 if ws = ws1 for s ∈ [r, t] and if ws = ws2 for s ∈ [t, u]. Moreover, Ξ̃ = (ξ6t , FΞ̃ (I), Π̃r,w(6r) ) = (ξ(−∞, t], FΞ̃ (I), Π̃r,w(−∞,r] ) is the historical process for ξ = (ξt , F(I), Πr,a ). Under those circumstances, it suffices to prove the following assertion Theorem 9 in order to prove the main result Theorem 7. Thorem 9. Let Ξ̃ be a historical process, K̃γ = K̃γ (ω) be its CAF associated to stable random measure γ with properties: (a) For every q > 0, r < t and x ∈ Er , Π̃r,x(6r) eqK̃γ (ω;(r,t)) < ∞. (b) For every t0 < t, there exists a positive constant C such that Π̃r,x(6r) K̃γ (ω; (r, t)) 6 C holds for r ∈ [t0 , t), x ∈ Er . Put ψ t (x, z) = bt (x)z 2 = 1 × z 2 . Then there exists a Markov process γ M γ = (Mtγ , G(I), Pr,µ ) ∗ ) = (W, F ∗ (−∞, t]) on the space M6t = MF (Ct ) of all finite measures on (W, F6t ∗ of σ-algebra, such that for every t ∈ R+ and with the universal completion F6t ∗ φ ∈ F6t , γ Pr,µ exp {−⟨Mtγ , φ⟩} = e−⟨µ,v(r,·)⟩ , 0 6 r 6 t, µ ∈ M6r , (37) where v r (w6r ) = v(r, w(−∞, r]) is a progressive function determined uniquely by the equations ∫ t r v (x6r ) + Π̃r,x(6r) ψ s (ξ6s , v s (ξ6s ))K̃γ (ω; ds) = Π̃r,x(6r) φ(ξ6t ) for r 6 t (38) r r v (x6r ) = 0 for r > t. -258- 5.2 Key Lemma First of all we define some spaces which are used later. Let H be the cone of all bounded functions f ∈ B with the topology of bounded convergence, where we say that a sequence {fn } of B-measurable functions converges boundedly to f as n tends to infinity, if fn → f pointwise and if fn are uniformly bounded. In addition, we define Hc = H ∩ {f : 0 6 f 6 c}. In order to prove Theorem 5 we need the following key lemma (Lemma 10), which plays an important role in the succeeding subsection. Based upon the discussion on approximation in terms of branching particle systems (cf. §2, Chapter 3, pp.45–52 in Dynkin (1994) [17]), we suppose that the function vtr (β, x) satisfies ∫ t r vt (β, x) + Πr,x ψβs (ξs , vts (β, ξs ))Kγ (ω; ds) = Πr,x Fβ (ξt ) (39) r with Fβ (x) = β1 (1 − e−βf (x) ). Lemma 10. (Key Lemma) Let Kγ be the CAF of the underlying L-diffusion ξ as stated in Theorem 5. For β > 0, we assume that ψβt (x, z) converges to ψ t (x, z) uniformly on the set (t, x) ∈ Ê, z ∈ [0, c] for every c ∈ (0, ∞). Then the function vtr (β, x) given by (39) converges uniformly on every set r ∈ [t0 , t) and f ∈ Hc to the unique solution v r (x) of the following integral equation ∫ t r v (x) + Πr,x ψ s (ξs , v s (ξs ))Kγ (ω; ds) = Πr,x f (ξt ) for r 6 t (40) r r v (x) = 0 for r > t. Example 11. We give a typical example for ψβt (x, z) to converge to ψ t (x, z) uniformly on the set. ψβt (x, z) = } bt (x) {(1 − βz)k − 1 + kβz β −2 k(k − 1) ∫ 1/β + (e−uz − 1 + zu)nt (x, du) 0 ∫ ∞ 1 t 2 ψ (x, z) = b (x)z + (e−uz − 1 + zu)nt (x, du) 2 0 t where b (x) is a bounded progressive function and nt (x, du) is a kernel from (Ê, B∗ (Ê)) to (0, +∞) such that ∫ 1 ∫ ∞ 2 t u · n (x, du) and u · nt (x, du) and t 0 1 -259- are bounded functions on Ê and ∫∞ N u·nt (x, du) → 0 uniformly in (t, x) as N → ∞. Proof of Lemma 10. We have 0 6 vtr (β, x) 6 Πr,x f (ξt ) 6 c (41) for all f ∈ Hc . By virtue of the assumption, for every ε > 0 there exists a positive constant β0 such that |ψβs (x, z) − ψ s (x, z)| 6 ε (42) holds for all β ∈ I0 = (0, β0 ), (s, x) ∈ Ê and z ∈ [0, c]. Since the function ψ t (x, z) is locally Lipschitz in z uniformly in (t, x), it is obvious to see that there exists a constant Kc > 0 such that |ψ t (x, z1 ) − ψ t (x, z2 )| 6 Kc |z1 − z2 | (43) for all z1 , z2 ∈ [0, c] and (t, x) ∈ Ê. On this account, a simple computation with (42) and (43) leads to |ψβs (x, vts (β, y)) − ψβs 1 (x, vts (β1 , y))| (44) 6 |ψβs (x, vts (β, y)) − ψ s (x, vts (β, y))| + |ψ s (x, vts (β, y)) − ψ s (x, vts (β1 , y))| + |ψ s (x, vts (β1 , y)) − ψβs 1 (x, vts (β1 , y))| 6 2ε + Kc |vts (β, y) − vts (β1 , y)| for all β, β1 ∈ (0, β0 ), f ∈ Hc and all (s, x), (s, y) ∈ Ê. We deduce from (39), (41) and properties of Kγ that |vtr (β, x) − vtr (β1 , x)| 6 ∥Fβ − Fβ1 ∥ + 2εC1 ∫ t + C2 · Πr,x |vts (β, x) − vts (β1 , x)| · Kγ (ω; ds) (45) r holds for ∃C1 , C2 > 0. So that, the generalized Gronwall inequality applied to (45) allows us to obtain |vtr (β, x) − vtr (β1 , x)| 6 (∥Fβ − Fβ1 ∥ + 2εC1 )Πr,x eC2 ·Kγ (ω;(r,t)) . (46) We may apply an elementary inequality to get ∥Fβ − Fβ1 ∥ 6 ∥Fβ − f ∥ + ∥f − Fβ1 ∥ 6 (β + β1 )∥f ∥2 /2, (47) paying attention to the fact that |Fβ (x) − f (x)| 6 21 βc2 with 0 6 f (x) 6 c for all x. Since ψβs (x, vts (β, x)) converges to ψ s (x, v s (x)) uniformly on the set of s ∈ [r, t] -260- and x ∈ Es , passage to the limit β → 0 in (39) is legitimate so as to derive the integral equation (40). Lastly the uniqueness of the solution v r (x) for (40) yields again from the generalized Gronwall inequality. 5.3 Proof of Theorem 5 For every probability measure M on MF (E) (i.e. M ∈ P(MF (E)) ), the formula ∫ LM (f ) = e−⟨ν,f ⟩ M (dν), f ∈H (48) MF (E) defines a continuous functional on H, which is called the Laplace functional of the measure M . We denote by πµ the Poisson random measure on (Ê, B(Ê)) with intensity µ, and notice that ∫ e⟨ν,f ⟩ πµ (dν) = exp{⟨µ, ef − 1⟩} ∫ holds, where ⟨η, v⟩ = Ê v(r, x)η(dr, dx). Based upon the existence argument for superprocess (cf. §4, Chapter 3 of Dynkin (1994) [17]), the formula Qβπη/β exp{−⟨βYt , f ⟩} = e−⟨η,v t (β)⟩ (49) with β > 0 and a counting measure Yt , means that LMβ (f ) = exp{−⟨η, v t (β)⟩} (50) where Mt = MF (Et ), and Mβ (·) is a probability measure on (Mt , B(Mt )) = (MF (Et ), B(MF (Et ))), that is to say, Mβ ∈ P(Mt ), which is defined by Mβ (C) = Qβπη/β ({βYt ∈ C}), ∀C ∈ B(Mt ). (51) Let η be an admissible measure on Ê, concentrated on Ê≥t0 and satisfying that η(Ê6t ) < ∞ for all t > 0. We write such a measure as η ∈ M(Ê). Then by the key lemma (Lemma 10) a uniform convergence ⟨η, v t (β)⟩ → ⟨η, v t ⟩ on each set Hc is induced naturally. On the other hand, a general theory on Laplace functionals (cf. e.g. §3.4, Chapter 3, pp.50–51 in Dynkin (1994) [17]) guarantees that, if LMn (f ) → L(f ) uniformly on each set Hc , then the limit L is the Laplace functional of a probability measure. According to this argument, there exists a probability measure P(η; t, ·) on (Mt , B(Mt )) such that ∫ e−⟨ν,f ⟩ P(η; t, dν) = e−⟨η,v⟩ . (52) -261- For an arbitrary η ∈ M(Ê), we consider restrictions ηn of η to Ê[n, n + 1), namely, ηn = η Ê[n, n + 1), and we write P(η; t, ·) for ∀ η ∈ M(Ê) as the convolution of measures P(ηn ; t, ·). Since the formula (52) is valid for ηn , it is also true for η ∈ M(Ê). Hence it follows by Fatou’s lemma that ∫ ∫ 1 (1 − e−λ⟨ν,1⟩ )P(η; t, dν) ⟨ν, 1⟩P(η; t, dν) 6 lim (53) λ↓0 λ 6 η(Ê6t ) < ∞ and therefore it turns out that the measure P(η; t, ·) is concentrated on Mt . Take a measure µ ∈ Mr , and let ηr be the image of µ under the mapping τ : x 7→ (r, x) from Er to (Ê, B(Ê)). While we write the transition probability as P̂(r, µ; t, ·) = P(Xtγ ∈ (·)|Xrγ = µ). On this account, the formula P̂(r, µ; t, ·) = P̂(r, τ −1 (ηr ); t, ·) = P(ηr ; t, ·) (54) determines a Markov transition function P̂ by virtue of the well-known argument seen e.g. in the proof of Theorem 3.1 in Dynkin, E.B. : Trans. Amer. Math. Soc. 314 (1989), pp.255–282. Thus we attain that Theorem 5 (insisting the existence theorem for superprocess X γ = {Xtγ } related to stable random measure γ(ω)) holds for any Markov process X γ with this transition function P̂. 5.4 Proof of Theorem 9 As stated in the assertion of Theorem 9, set ψ = ψ t (x, z) as special branching γ mechanism. The historical superprocess M γ = (Mtγ , G(I), Pr,µ ) with parameters γ (Ξ̃, K̃γ , ψ) can be obtained from the superprocess X with the almost same parameters (Ξ, Kγ , ψ) by the direct construction. First of all we define the finitedimensional distributions of the random measure Mtγ as µt1 t2 ···tn (A1 ×A2 ×· · ·×An ) = Mtγ ({w(t1 ) ∈ A1 , w(t2 ) ∈ A2 , . . . , w(tn ) ∈ An }) (55) for time partition ∆ = {tk } with t1 < t2 < · · · < tn 6 t and A1 ∈ Bt1 , A2 ∈ Bt2 , . . . , An ∈ Btn . Actually, this µt1 ···tn determines uniquely the probability distribution on B(Et1 × · · · × Etn ). To this end we replace Xtγ1 by its restriction X̂tγ1 (= Xtγ1 A1 ) to A1 and run the superprocess during the time interval [t1 , t2 ] starting from X̂tγ1 . Moreover we can proceed analogously until getting a Z ∈ Mt and then take Z(Et ) as the value for (55). Then we construct a measure Mtγ on M6t by applying the Kolmogorov extension theorem to the family (55) {µt1 ···tn }. Indeed, if {µt1 ···tn } satisfies the consistency condition: µt1 ···tk−1 tk+1 ···tn (A1 × · · · × Ak−1 × Ǎk × Ak+1 × · · · × An ) (56) = µt1 ···tk−1 tk tk+1 ···tn (A1 × · · · × Ak−1 × Etk × Ak+1 × · · · × An ) -262- for k = 1, 2, . . . , n and Ak ∈ Btk (k = 1, 2, . . . , n), where the symbol ∨ means exclusion of the number or item crowned with ∨ from the set N = {1, 2, . . . , n}, then the Kolmogorov extension theorem guarantees that there exists a unique probability measure P on (Ω̂, B(Ω̂)) such that the finite-dimensional distribution of Mtγ ∈ M6t is equal to {µt1 ···tn }. Here Ω̂ is given by Ω̂ = (M6t )[0,∞) = {ω|ω(·) : [0, ∞) → M6t }. (57) It is said that the historical superprocess can be obtained from branching particle systems (= BPS), however it cannot be obtained from BPS by the limit procedure (cf. e.g. §1.2 in Dynkin (1991) [15]) applied to the Markov process Y = {Yt (·)} indicating the number of particles alive at time t in a set (·). As a matter of fact, it can be obtained from BPS by the limit procedure applied to the special process Y = {Yt }. In fact, as a function of t, Yt is a measure-valued process in functional spaces W6t = W (−∞, t] (called historical path space). Moreover, note that the complete picture of a branching particle system is given not by the process Yt but by the random tree composed of the paths of all particles. We sgall give below a rough sketch about construction of Yt . Now let us pick up a particle < P > at time t at a point z. Its genealogy can be represented by a scheme (r, x) → (s1 , y1 ) → (s2 , y2 ) → · · · → (sk , yk ) → (t, z). (58) The rabels (si , yi ) indicates the birth time and birth place of the particle < P > and its ancestors, and the label (r, x) refers to the immigration time and place of the first member of the family. An arrow a from (s, y) to (s′ , y ′ ) corresponds to a path w ∈ W6t which we call the historical path for < P > , and note that we usually set wt = ∂ for t < r with an extra state ∂. The historical paths of all particles which are alive at time t form a configuration in W6t which can also be described by an integer-valued measure Yt on W6t . In this way, as a function of t, Yt is constructed as a measure-valued process in functional space W6t . Lastly some comments on progressivity of transition probablity should be mentinoed. Indeed, a natural question is to ask whether that kind of progressivity for the underlying Markov process Ξ = {ξ} implies an analogous condition for the historical process Ξ̃. Here the condition in question is as follows. Condition. (TPP) The transition probabilities are progressive, i.e. the function f t (x) = 1{t<u} Πt,x (ξu ∈ B) is progressive for every u ∈ R+ and B ∈ Bu . -263- Take a set B = {w : w(t1 ) ∈ A1 , . . . , w(tn ) ∈ An } with t1 < t2 < · · · < tn = u. Then it is easy to see from the progressivity of ξ that 1{t<u} Π̃t,x(6t) (ξ6u ∈ B) = Πt,xt (w(t1 ) ∈ A1 , · · · , w(tn ) ∈ An ), = 1A1 (xt1 ) · Πt1 ,xt1 (w(t2 ) ∈ A2 , · · · , w(tn ) ∈ An ), t < t1 (59) t ∈ [t1 , t2 ) = ········· = 1A1 (xt1 ) · · · 1Ai (xti ) · Πti ,xti (w(ti+1 ) ∈ Ai+1 , · · · , w(tn ) ∈ An ), t ∈ [ti , ti+1 ) = ········· = 0, t ≥ u. Therfore, the condition (TPP) is satisfied even for the historical process Ξ̃ as far as it may be valid for the underlying process ξ. Acknowledgements This work is supported in part by Japan MEXT Grant-in Aids SR(C) 24540114 and also by ISM Coop. Res. 23-CR-5006. References 1. Dawson, D.A. : Stochastic evolution equations and related measure processes. J. Multivariate Anal. 5 (1975), 1–52. 2. 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