1964年 - 東京科研

軌跡
∼今、50年を振り返る∼
ロゴマークの変遷
企業理念
株式会社
東京科研 は
お客様の満足を追 求し
人を大切にした働き甲 斐のある
会社を目指します
上のロゴマークは創立から 2013 年まで使用した。
デザインは、グラフィックデザイナーの勝井三雄氏である。
勝井三雄氏は当社創立当初オルガノの社員であった
勝井次雄氏
(オルガノ専務取締役退職)
のご令弟であり、
そのご縁でデザインを依頼した。
東京科研の英語頭文字 TK と水をイメージしたデザインである。
勝井三雄氏プロフィール
1931 年生まれ。味の素株式会社を経て 1961 年勝井デザ
イン事務所設立。
ビジュアルデザイン、主に情報をグラフィックデザインに
成立させる領域に関わる。大阪万博以来沖縄海洋博、つく
ば科学万博等、数々の万博 AD を手掛ける。毎日デザイン
賞、講談社出版文化賞、芸術選奨文部大臣賞、紫綬褒章や
ワルシャワポスタービエンナーレ、NYADC グランプリ他、
海外で多数受賞。JAGDA 理事、東京 ADC 会員、武蔵野
美術大学名誉教授。
現在のロゴマーク
創立 50 周年を機に
TK と社名を一体化した新ロゴマークを制定した。
ロゴマークの変遷
「誠意」
「熱意」
「 創 意 」をもって
1964 年 ∼ 2013 年
1
ごあいさつ
株式会社東京科研 代表取締役社長
押田 達也
株式会社東京科研 相談役
(前取締役会長)
熱海 隆一
私たち株式会社東京科研は 2014 年 8 月1日をもって創立 50 周年を迎えまし
当社は 1964 年に創立以来、2014 年で、50 年目を迎えました。
た。1964 年 8 月の創業以来、一貫して誠心誠意、水処理を中心とした技術と
これもひとえに、オルガノ株式会社をはじめとする関係各位のおかげと厚く
商品群をお客様にご提供してまいりました。まさにお客様とともに歩んだ 50 年と
御礼申し上げます。
この小冊子は半世紀にわたる当社成長の記録でありますが、こうして皆様と
奇しくも当社は、1964 年に第 18 回東京オリンピックが開催されてから、2020
社史を発刊するに至りましたこと、誠に光栄に存じます。
年の再開催決定までの間を生き抜いてきたことになります。思えばこの 50 年間
しかしながら、この 50 年の歳月を振り返ってみますと、その道筋は決して平
は、日米安保闘争の混乱が尾を引く時代に始まり、オイルショック、円高不況、
坦なものではありませんでした。
バブル経済の発生と崩壊、リーマンショック、東日本大震災の発生など、激動
幾多もの厳しい試練に見舞われる中、私たちを取り巻くステークホルダーの皆
の歳月であったと言えます。
様の長年に渡る温かいご支援のもと、諸先輩並びに社員が一丸となって鋭意
そんな最中、9 年間社長を務めさせていただきました。その間、決して順風
努力した結果、この難局を乗り越え、今日の東京科研があります。
満帆な時だけではありませんでしたが、社員が経営理念をよく理解し一致団結
この 50 年を振り返り、先人の歩んだ足跡をたどることは、未来に目を向けて
して業績向上に邁進してくれたことは誠に喜ばしい限りです。
更なる発展をとげるためにも大変意義深いことであると考えております。
当社の企業理念は
「誠意・熱意・創意をもってお客様の満足を追求し人を
この小冊子を読まれる社外の方々には、社会と業界の発展のために尽力し
大切にした働き甲斐のある会社を目指す」
ことであります。
てきた当社の歴史をご理解いただき、そこに潜む未来へのオンリーワン・パ
この理念の下、関係者の皆様の温かいご支援に感謝を申し上げるとともに、
ワーをご推察いただければ幸いでございます。
ご恩返しをするためにも、将来に渡り社会貢献を果たすべく成熟した企業を目
また、社員諸氏には、先人たちが当社の発展のためご努力してきた歴史と
指してまいります。
成果を胸に
「未来に向けて一層飛翔していただきたい」
と申し上げ、創立 50 周
今日の日本は創立当初と異なり、様々な要因が絡み合う複雑な社会構造と
年のご挨拶とさせていただきます。
なっており、多様化する市場に対し企業発展の選択肢は多岐にわたっていま
す。これからの企業成長に求められるのは盤石な経営基盤と未来を見据えた
経営戦略です。創立 50 周年を機に関係する方々のご支援を賜りながら、私た
ち東京科研は更なる飛躍を目指す所存です。
創業より50 年。その足跡を後世に伝える本史が皆様にご高覧頂ければ誠に
幸甚です。
最後に弊社を支えてくださったオルガノ株式会社並びに関係者各位に心より
御礼を申し上げ、ご挨拶とさせていただきます。
50
周年を迎えて
言えます。
創立
ごあいさつ
2
創立 50 周年を迎えて
3
祝 辞
オルガノ株式会社 代表取締役社長
内田 裕行
創立 50 周年、おめでとうございます。
御社は、1964 年の創立以来、経営幹部の方々や従業員の皆様のご努力に
祝 辞
4
水 五 訓
より、時代のニーズに応えた水処理装置、薬品さらには各種フィルターなどの販
売、高品質な技術サービスの提供やサポート体制の確立で多くのお客様の信
頼を勝ち得、水処理事業分野において確固たる地位を築き上げてこられまし
た。
1964 年当時、当社の本社は文京区本郷に在り、文京区湯島の御社とは地
5
理的にも近く、また御社の創業者である加田守治様は当社の専務取締役経験
者というご縁もあり、昼夜を問わず行き交い、顧客ニーズに適う装置設計、商
品ラインアップ拡充などに貴重なアドバイスをいただくとともに、良きビジネスパー
トナーとして、純水よりも高純度である 超純水 の有用性の普及 ・ 啓蒙に共に
努力してまいりました。
御社は、取扱い商品、お客様が多岐にわたるところから、迅速かつきめ細
かなメンテナンスやサポート体制の確立に逸早く尽力され、今や、関東一円に
広く販売 ・ サービス網を構築されておられます。これはお客様に絶大な安心感
をもたらす誠に強力な営業ツールであり、御社の卓越したマーケティング力と相
俟って、水処理業界における御社の存在感を高める大きな要因となっています。
水を基軸とした事業の歴史を引継ぎ、御社が今後とも益々ご発展されること
を祈念し、創立 50 周年によせるお祝いの言葉とさせていただきます。
水五訓は当社が水に携る仕事をしていることから山内昇三氏(2 代社長)が
社内に掲示したものである。出典は王陽明、黒田如水、頼山陽と諸説ある。
水が蒸発して雲となり雨に変じるというような後世の科学的知識が表現され
ており、江戸時代後期に蘭学が入ってきてから以降の作ではないかとの考え
もある。最近の調査では、昭和初年ごろ大野洪聲の作という説が有力である。
東京科研クロニクル
目 次
企業理念 ..................................................................................................... 0
ロゴマークの変遷 .....................................................................................
1
ごあいさつ(代表取締役社長)....................................................................... 2
創立 50 周年を迎えて(相談役)................................................................... 3
水五訓 ........................................................................................................
目 次
6
5
目 次 ........................................................................................................ 6
東京科研クロニクル
1964 年~1970 年 ............................................................................ 7
1971 年~1980 年 ............................................................................ 8
創業から
ピュアサービス合併まで
た加田氏は、メーカーとは別にユーザー
ニーズに迅速に対応する小回りの利く会
社を設立し、オルガノ製品の販売とサー
ビスの充実を目指そうとオルガノを退職
し当社を創立した。
株式会社東京科研は 1964 年 8 月 1 日に
創立当初は水処理薬品の販売とサービ
東京都文京区龍岡町 34(現在文京区湯島
スを営業の主体としていたが、翌年ピュ
4-4-8)にオルガノ株式会社代理店として
アサービス株式会社を合併し中小型純水
資本金 300 万円で産声を上げた。東京オ
機器類の販売とサービスをラインアップ
リンピック開催の年である。
に加え、現在の東京科研の基礎を築い
た。1965 年 2 月資本金 350 万円に増資。
1981 年~1990 年 .......................................................................... 10
1991 年~2003 年 .......................................................................... 11
1966 年には合併後手狭になった本社
2004 年~2014 年 .......................................................................... 12
を東京都文京区本郷 3-20-8 へ移転し業
容の拡大に備えた。
OB 座談会 ................................................................................................ 14
湯島・本郷界隈 ....................................................................................... 18
社内報「TK ライフ」................................................................................. 20
小型カートリッジ純水器の台頭
製品紹介 ................................................................................................... 22
1964 年 10 月 10 日東京オリンピック開催 同日付朝日新聞
売上高と社員数推移・歴代社長 ............................................................ 26
創業時の社長は日本オルガノ商会(現
イオン交換樹脂技術を使ったオルガノ
オルガノ株式会社)専務取締役であった
式無熱蒸留水製造装置は純水装置として
加田守治氏である。当時オルガノは創立
市場の認知度が急激に高まった。その知
19 年を経てイオン交換樹脂とともにオ
名度は大型、中型プラントの純水設備に
ルガノ式無熱蒸留水製造装置(純水製造
留まらず実験室レベルの小型純水市場に
装置)は予想を大きく上回る業績を示し、
も広がった。電気を熱源とする蒸留水製
高度経済成長と相まって奇跡的といわれ
造装置に比べてイオン交換樹脂による純
る発展期に入っていた。
水装置は熱源を使わず、蒸留水より高純
東京科研年表 ........................................................................................... 28
会社概要 ................................................................................................... 30
本社・拠点 ............................................................................................... 31
組織図 ......................................................................................................
32
編集後記 ................................................................................................... 33
しかし装置の販売が伸びる一方、アフ
度な純水を短時間に製造することが可能
ターサービスが追い付かない状況が起き
でラボ市場で高い評価を得た。その知名
東京科研クロニクル
祝 辞(オルガノ株式会社 内田代表取締役社長)............................................. 4
1964 年〜1970 年
てきた。このような状況に危機感を持っ
7
船舶事業への拡大
次ぐ原子力発電が重要視されていた。原
の市場分析を行い、工作機械への組込と
発の安全管理のため短時間に精度の高い
いう新たな市場を見出し開拓した。その
型・中型装置と同じように塩酸と苛性
1974 年 1 月 に 米 国 船 舶 用 水 処 理 剤
分析結果が得られるケメットが時代の
当時金型加工業界に導入が始まったワイ
ソーダによる樹脂再生が必要であった
メーカーであるブル&ロバーツ社と技術
ニーズに合った商品として販売を伸ばし
ヤーカット機への組込である。国内大手
が、再生済みの樹脂を充填した容器を交
提携し同社の日本総代理店となる。専任
た。尚、日本での商品名「ケメット ®」は
メーカーにターゲットを合わせ重点的に
換するカートリッジ純水器がオルガノか
部門の JBR 部を新設し船舶用缶内処理
当社が商標登録したものである。
営業展開した結果、4 大メーカーに E-5
ら発売され販売に拍車がかかった。当社
剤、試薬等の製造販売及び訪船テクニカ
型が採用された。その後 E-5 型販売中止
の主要取引先である国公私立大学、病
ルサービスを全国展開した。当時海運業
に伴いワイヤーカット用純水器としてモ
院、研究機関に次々と採用され当社の業
界は原油に始まる原料輸入と自動車、電
績の一翼を担う商品群として成長し現在
気製品等の加工貿易輸出が盛んで、当社
もその位置を占めている。
の船舶事業も順調に拡大していった。
度は
「純水」
=「オルガノ水」と言われるほ
どであった。小型純水装置も最初は大
自社分析室設置
1971 年 2 月資本金 500 万円に増資。順
関東一円に拡大する純水市場に対応す
船舶関係の企業は東京駅周辺に集中し
べく地域戦略の一環として 1976 年 10 月
ていたので、旧丸ビル内に丸の内事務所
に神奈川県横浜市中区山下町に神奈川出
を開設し業容の拡大を図ったのもこの時
張所、1978 年 5 月に千葉県千葉市新宿町
期である。
に千葉出張所、1979 年 9 月に茨城県土浦
簡易水質分析キット ケメット販売
デルチェンジした H-5 型は、販売台数を
順調に伸ばし、当社は全国オルガノ代理
店のなか第一位の売上実績を誇った。
地震災害時対応
非常用ろ過器
市下高津に筑波出張所を開設した。これ
1978 年 6 月に「大規模地震対策特別措
により東京を中心とした首都圏への営業
置法」が制定され、東海地震や首都直下
拡大が進んだ。
型地震に備え、国や地方自治体は災害対
さらに本社機能の集約とサービスセン
策に動き出した。当社は地震災害時には
ターの充実を目的とし 1980 年 4 月に東
被災した住民の飲料水確保が第一と考え
調に推移する純水装置部門と薬品部門の
JBR 部門が順調に推移するなか米国ケ
サービス強化のために、1972 年に本社
メトリックス社の簡易比色分析キット
京都文京区本郷 3-6-10 へ本社を移転し、
オルガノに可搬式飲料水ろ過器の開発を
を東京都文京区湯島 2-10-10 へ移転し、
「ケメット」の日本代理店権を取得し販売
従来の本社をサービスセンターとした。
提案し「非常用ろ過器」の商品名で発売さ
分析室を完備した。分析室ではボイラー
を開始した。ケメットは分析精度の高い
れた。当社はプロジェクトチームを組み
水、一般水の分析を自社で行いきめ細か
簡易・迅速な比色分析キットとして市場
東京 23 区役所の防災課を始め首都圏の
いサービスを提供した。これにより、清
の高い評価を得た。当初は船舶市場を想
缶剤、冷却水処理剤のアフターサービス
定していたが、次第に原子力発電所へと
が迅速に行え、さらに純水装置選定の原
その市場は拡大して行った。当時は増加
カートリッジ純水器 E-5 型は喫茶店向
たが、装置を営業車に積みデモンスト
水分析も外注することなく、受注までの
する電力需要を補うため、水力、火力に
けに開発され、純水で淹れたコーヒーは
レーションをしながら地道な営業を続け
喫茶店から加工機へ
リードタイムを大幅に縮小するメリット
「美味しい」と評判になり、当社も営業に
をもたらした。同年 11 月資本金を 1,200
力を入れ有名ホテルや喫茶店に広く採用
万円に増資。
された。また、E-5 型に充填されたイオ
地方自治体に営業展開をした。防災市場
ではオルガノの知名度が生かされなかっ
ン交換樹脂 MB-3 は色の変化で樹脂の寿
命が分かり、水質計が不要な簡便さが売
りとなり、手軽に使える純水器として当
社小型部門の得意分野であるラボ市場や
製造業に急速に浸透していった。
簡易水質分析キット
「ケメット」
当社は販売台数を伸ばしている E-5 型
非常用ろ過器
東京科研クロニクル
東京科研クロニクル
8
1971 年〜1980 年
首都圏の営業基盤強化
9
た結果、東京都練馬区 48 台の入札案件
さらに加速すべく本社・各拠点の整備を
また、高機能膜技術を積極的に取り入れ
を落札し、区内の小中学校全校に設置し
強化していった。1981 年に神奈川出張
RO 逆浸透装置オスモクリアシリーズ、
た。その実績を基に板橋区、江東区、荒
所を神奈川県横浜市旭区希望が丘へ移
UF 限 外 ろ 過 膜 を 組 み 込 ん だ 超 純 水 ユ
川区と数十台単位の入札案件を次々に落
転。1983 年 5 月にサービスセンターを東
ニット等、時代の要求する高い水質基準
札していった。全国の防災意識が高まる
京都文京区湯島 2-4-1 へ移転し業務の拡
を満たすべく中型装置は販売を拡大し
中、災害時に飲料水確保を必要とする大
大を図るとともに分析室を併設し設備の
た。中型部門の躍進は続き 1990 年 10 月
規模施設へ市場が拡大するなか、消防へ
充実を図った。業績の拡大に備え 1985
には中型分野の功績が認められオルガノ
の配備を啓蒙すべく消防資材を扱う商社
年 1 月に神奈川出張所を営業所に昇格
株式会社前田社長(当時)より表彰を受け
し、同年 6 月に千葉県千葉市新町 19-2 へ
た。
を通し消防署にデモンストレーションを
北地方に巡回営業したのもこの時期で
ジナイザーでオルガノが輸入総代理店と
横浜市瀬谷区二ツ橋町 583 へ神奈川営業
ある。その結果千台近い台数を納入し
して日本市場に投入した商品である。従
所を移転。同年 11 月には手狭になった
オルガノ代理店中群を抜く販売実績を
来の回転式ホモジナイザーに比べ手間の
本社を現在の本社所在地である東京都文
残した。
かかる滅菌作業が不要になり検査効率が
京区湯島 3-20-9 に移転した。東京を中
飛躍的に向上するものであった。当社は
心とした首都圏の市場ニーズに迅速に応
食品衛生検査機関を対象に重点的に営業
えるべく 1986 年 8 月に千葉出張所、筑
を行った。最初はデモを行うも販売には
波出張所をそれぞれ営業所に昇格した。
つながらなかったが、国立予防衛生研究
1987 年 2 月には筑波営業所を茨城県土
ミニクリアは、ラボ市場用に開発され
所(現国立感染症研究所)で高い評価を得
浦市下高津 1-19-39 へ移転。一方オルガ
た小型キャビネットタイプ純水装置で初
たことが追い風となり、都内の保健所を
ノではラボ用小型超純水装置ピューリッ
期型 DC-410 は洗浄用の流し台を装備し
皮切りに、食品微生物検査市場に徐々に
クシリーズを発売し、精密分析市場への
純水、高純水をボタン一つで採取できる
販売実績を伸ばし、遂には従来のホモジ
展開を図った。この市場は当社小型部門
画期的な商品であった。一方医療現場で
ナイザーを駆逐し食品微生物検査市場で
の得意分野であり、ユーザー、ディー
1997 年 10 月社員旅行 龍泉洞
は生化学検査機器の自動化が進み、血液
「ストマッカー法」と呼ばれ業界標準と
ラーへのキャンペーンやデモを徹底的に
1991 年には年商 20 億円を突破しそれ
ミニクリアの全国展開
千葉出張所を移転。同年 8 月に神奈川県
1991 年〜2003 年
資本整備と販売戦略の増強
11
自動分析装置の導入が進んでいた。オル
なった。当社は年間数百台を売り上げ、
行い、競合他社を押しのけ着々と実績を
に伴う企業体力の強化策として資本整備
ガノでは自動分析装置に特化したミニク
オルガノ代理店中トップの実績を残し
伸ばした。
を着実に進めた。1992 年 2 月資本金を
リ ア DC-500 シ リ ー ズ を 開 発 し、 大 手
た。ここで開拓した市場が後のエルメッ
1,500 万円に増資。同年 11 月には千葉県
メーカーの専用機種として採用された。
クス商品取り扱いに繋がってゆくことに
千葉市中央区南町 3-16-30 に土地を購入
当社は血液自動分析装置の国内市場 50%
なる。
以上を占めるメーカーの窓口代理店とし
てミニクリアを全国展開した。
ストマッカーの挑戦
ストマッカーは英国セワード社が特許
を持ち製造していた食品細菌検査用ホモ
1981 年〜1990 年
着々と進む
本社・拠点の環境整備
この時期当社は、順調に伸びる業績を
中型純水装置の世代交代
東京科研クロニクル
東京科研クロニクル
10
行い、販売台数を積み重ねていった。東
ストマッカー
し、千葉営業所を新築移転した。1993
年 4 月に東ソー株式会社と代理店契約を
中型純水装置は電子工業、自動車工業
締結し高速液体クロマトグラフィー
等の産業市場の拡大に伴い需要が堅調に
(HPLC)及びカラム等の関連商品の販売
伸びていった。中でも自動再生型純水装
を開始した。これはピューリックシリー
置 AMC は汎用シーケンサを採用し従来
ズで実績ができたラボ用超純水市場へ展
の全自動型に比べ低価格、省スペースを
開できる商品群であった。同年 7 月に拡
武器に当社の得意分野である大手・中小
大するつくば研究学園都市の先端ニーズ
の製造業に急速に納入実績を伸ばした。
に応える為、茨城県つくば市倉掛 838-3
に土地を購入し、筑波営業所を新築移転
した。名称もつくば市に合わせ「つくば
2008 年 5 月に西東京営業所を埼玉県所
営業所」と改名した。1994 年 2 月資本金
沢市東所沢 2-51-1 へ移転した。中型純
を 2,000 万円に増資。同年 4 月株式会社
水市場は一般製造業の景気回復とともに
エルメックスと代理店契約を締結し食品
引合い、受注状況も順調に推移していた
微生物検査キットと機器類の販売を開始
が、2008 年 9 月に起きたリーマンショッ
した。エルメックスの商品はストマッ
クを境に、景気は一気に減速していっ
カーによって開拓した食品検査市場に浸
た。一般製造業が低迷する中、日本薬局
CONTOC が受賞した ACC 顕彰
透していった。特に発色酵素基質を使っ
方に定められている常水、精製水、注射
された姉妹機の UNITOC とともに、市
た大腸菌群・E.coli 検出キットは従来法
用水が使用される医薬品市場に新たな基
場ニーズに合致した導入を確実に増やす
ことができた。
だと 72 時間かかる検査が 24 時間と 1/3
中型純水設備
盤市場とし営業展開を進めた。その中
の時間で可能になる画期的な検査方法
中型部門は業績の拡大に伴い社内に技
で、日本薬局方第 16 改正にあわせ TOC
この 10 年は取引先の海外進出による
で、迅速さが求められる食品の品質管理
術部を新設し、本格的に電子産業・EL
と導電率を同時に計測・記録することが
産 業 空 洞 化、2008 年 9 月 の リ ー マ ン
に続々と採用された。その後開発された
グレード薬品メーカー・自動車メーカー
できる可搬式理化学的モニタリングユ
ショック、2011 年 3 月 11 日の東日本大
拭き取り検査キット ST シリーズは食中
等への展開を強めた。これにより大手半
ニット CONTOC(コントック)を開発、
震災等の逆風の中、業績向上は困難を極
毒菌の拭き取り検査の業界標準となり食
導体メーカー向け純水設備 150t/h(内 60t
特許出願した。
めた。しかし当社は企業理念である「誠
品工場の品質検査部門や保健所等の公的
超純水 ) 納入を筆頭に純水・超純水設備
同年 11 月には当社の品質管理を維持
意」
「熱意」
「創意」をもって着実かつ未来
機関で採用された。東ソーとエルメック
を先端企業中心に多数納入し現在のプラ
すべく ISO9001 の認証を取得し、運用
を見据えた経営方針の下、役員・社員一
ス商品を合わせ年間 2 億円以上の売り上
ント営業の礎を築いた。
を開始した。これにより当社の品質は著
丸となり会社を支え発展してきた。
げを達成し現在に至っている。1997 年 2
この期間はバブル経済崩壊をきっかけ
月資本金を 2,500 万円に増資。1998 年 2
に日本の景気は急速に減速したが、当社
月に資本金を 3,000 万円に増資。1999 年
しく向上し現在に至る。
1964 年 8 月に資本金 300 万円、社員数
順調に販売を伸ばす CONTOC は 2012
名で湯島に産声を上げた当社は、オルガ
は将来を見据え資本の増強、拠点整備、
年 1 月特許(特許 NO.4905813 号)を取得
ノ代理店として様々な分野で水処理技術
2 月に資本金を 3,500 万円に増資。東京
地域戦略、取扱商品の多角化に取り組ん
し翌 2013 年 1 月に朝日中小企業経営情
を中心にお客様と一緒に歩み続け、資本
都西域と埼玉地区の営業基盤強化のため
だ。その施策は現在の当社の確固たる基
報センター(朝日信用金庫設立の一般財
金 4,840 万円、社員数 70 名を数える企業
東京都昭島市東町 4-1-5 に西東京営業所
盤を築いた。
団法人)から ACC 顕彰を受賞した。これ
へ と 発 展 し 2014 年 8 月 1 日 に 満 50 周 年
を開設した。これにより東京を中心とす
は開発背景・動機・独自性・市場性・販
を迎えた。これは東京科研半世紀の歴史
る首都圏の拠点整備が確固たるものと
売ビジョンに加えて、新商品開発・創意
である。
なった。2001 年 2 月資本金を 4,000 万円
に増資。同年定款を一部改正して決算期
を 7 月 決 算 か ら 3 月 決 算 に 変 更 し た。
2002 年 10 月資本金を 4,400 万円に増資。
2003 年 10 月 に 資 本 金 を 4,840 万 円 に 増
資。
2004 年〜2014 年
工夫でチャレンジする姿勢が認められて
の受賞であった。CONTOC は後に開発
ISO 取得と
医製薬分野への進出
2006 年 10 月には業務の全体最適化を
目的に ERP システムを導入し運用を開
始した。これによりコンピュータによる
業務効率化が一気に加速した。日本経済
がバブル崩壊から立ち直る中、拡大する
ISO9001 認証マーク、認定シンボル
東京科研クロニクル
東京科研クロニクル
12
埼玉地域のニーズに迅速に応えるべく
中型市場の業績拡大
13
司 会:今日はお忙しいところお時間を
増 山:私は最初薬品だったけど、次第
割いて頂きありがとうございま
に中型純水機を担当するように
す。 当 社 は 今 年 2014 年 8 月 で
なりました。
満 50 周年を迎えます。それを
記念し社史を発行することにな
小山田:科研の科は科学を示しているの
は、我々の大先輩として創立当
では。扱っていた商品が科学的
初から関わっていらっしゃる方
なものだったからだと思います。
も多いので、そのあたりのお話
司 会:創立後本社を数カ所移転してい
その前に、ここに創立10 周年記
増 山:オルガノの戸田工場建設に携
す。本日お集まりの皆さんが写っ
ています。今から40 年前になり
わった人と加田さんが知り合い
で、龍岡町(現 : 湯島 4 丁目)に
ますが、当時がしのばれますね。
小さい事務所を構えたのが始ま
待した記念旅行でかなりの大人
数になっているね。
小 野:写真を見ると当たり前だけと皆
さん若いね。(笑)
【OB 出席者】
荒牧 実 氏:第 1 期入社、理事退職
増山喜久雄 氏:第 1 期入社、理事退職
小山田 茂 氏:第 3 期入社、7 代 代表取締役社長退職
小野 義信 氏:第 8 期入社、専務取締役退職
(以下敬称略)
2013 年 12 月 4 日
本社会議室にて
りです。
荒 牧:その後、本郷 3 丁目に移転した
が、前が八百屋だったことを覚
えています。
小 野:あの事務所はウナギの寝床のよ
荒 牧:懐かしい人たちが写っていますね。
うに狭くて、社員一人一人に机
小山田:顔を見ていると名前を思い出し
がなく、樹脂ドラムに座って窓
ますね。
司 会:さて、創立当初はどのような会
社だったのでしょうか。
増 山:当社はオルガノを退職した加田
ガラスを机替わりに日報を書い
た覚えがあります。そんな状態
だから間もなく湯島 2 丁目の広
い事務所に移転しました。で
さんが薬品から始めた会社で、
も、広くなったのはよかったけ
その後ピュアサービスを合併し
れど木造 2 階建ての仕舞屋のよ
て機器も扱うようになった会社
うな社屋でね。たしか屋根裏が
です。オルガノから薬品担当の
倉庫になっていてあまり重くな
人が 5 人移籍してきて専門に営
い商品や部品が置いてありまし
業していました。
た。当時は宿直があって、男子
荒 牧:最初はボイラーの清缶剤や冷却
創立 10 周年熱海旅行
感じだったのでしょう。
念熱海旅行の記念写真がありま
増 山:これはオルガノと関東三英を招
OB座談会
ますが、当時の事務所はどんな
社員が交代で泊まりました。当
水処理剤がメインでした。その
番は夜ひとりになるのが嫌で、
後小型機器や中型装置の扱いが
酒で仲間を誘ったものです。
増えてきました。E-5 を喫茶店
増 山:あの頃はいろいろ苦労がありま
に販売したのが小型機器の始ま
した。排水のろ過材としてバナ
りでした。
ナの木の皮を乾燥したものを試
OB 座談会
OB 座談会
14
ですか。
りました。本日お集まりの皆様
から伺います。
写真左から:増山 喜久雄 氏、荒牧 実 氏、小山田 茂 氏、小野 義信 氏
司 会:東京科研の社名の由来をご存知
15
小山田:電電公社から樹脂再生の注文が
増 山:最初住んでいる地区ごとに担当
なる水処理とは全く関係のない
どんどん入ってきて忙しかっ
を決められ営業したね。小野さん
オルガノが取り扱いを辞めるこ
商品も扱ったことがあったね。
た。離れ小島からも樹脂再生の
が非常用ろ過器の担当だった?
とになったとき、当社が手を上
結局うまくいかなかったけれ
ど。(笑)
小山田:話は変わるけど「治水会」
(注)の
命名は私の案が採用されまし
た。当時名前を公募していたの
注文が来たのを覚えています。
小 野:飛び込み営業を続け、日報を上
司 会:今からみると羨ましい話です
げていたら、いつの間にか専任
が、樹脂再生をはじめ当時の小
型の様子をお聞かせ下さい。
小 野:当時は E-5 が売れ筋でしたね。
担当にされていましたね。
(笑)
司 会:最初は苦労しましたね。
げて業務を引き継いだんです。
荒 牧:その時、ボイラー用水分析テス
トキットを、大手海運会社に全
面的に採用されました。
小 野:デモ機を車に乗せ防災課回りを
司 会:分析キットというとケメットが
で応募したんです。名前の由来
小型カートリッジ純水機として
しました。でも、練馬区で 48台
ありましたね。これも船舶向け
としては、創立者の加田守治さ
大学や病院のあらゆるところで
受注を皮切りに、その後板橋区、
に販売していたのでしょうか。
んの
「治」の字と
「水」をかけて
使ってもらっていた。小型再生
台東区、江東区など順調に売れ
「水を治める会」という意味合い
型純水器 MA 型の前処理として
ました。また、消防ルートへも
で
「治水会」としました。会で釣
再生の手間が省けることを売り
展開し全国区での販売に繋がっ
りに行ったのを覚えています。
にしました。その後 G-10 が発
て全部で千台近く納入したかな。
みんなで釣りに行って、ワカサギ
売され、カートリッジ純水器は
小山田:インドネシアでも営業しまし
ラー水分析で酸素を測る便利な
一匹なんてこともあったね。
(笑)
徐々に G- シリーズへと置き換
た。確か空軍だったと思います
商品でした。それを地上に展開
荒 牧:一匹ってことはなかったけど、
わっていく訳だけど、E-5 はワ
が水が悪すぎて結局仕事になり
したのが当社でした。
確かにあまり釣れなかった。あ
イヤーカット機への組込へと
ませんでした。(笑)
と泊りがけで伊豆に行ったこと
移っていきました。
もあったね。
荒 牧:ワイヤーカット用にはかなり売
小 野:そうそう。伊豆の松崎に川釣り
に行って民宿に一泊したりね。
あの頃は結構みんなで釣りに
れたね。樹脂も使い捨てなので
ドラム単位でよく売れた。
小 野:E-5が製造中止となったのでワイ
司 会:中型はどのようなお客様がメイ
ンだったのでしょうか。
荒 牧:そうそう、ケメットがあった
ね。あれも良く売れた。
小山田:年間で 1,000 万円の利益を上げ
ことがありました。船のボイ
司 会:ケメットが売れた理由はなんで
すか。
小山田:当時の分析方法で酸素を測ると
増 山:慶応大学病院の人工透析室に軟
1時間かかっていたのが数秒でで
水器を入れました。当時 RO が
きてしまうところでしょうね。ほ
まだなかったので透析用水には
かにない商品で、画期的でした。
ヤーカット専用としてH-5をオ
軟水でした。中型純水は C 型、
ルガノに開発してもらい、多い
E 型、D 型がメインで、電子工
したね。苦労も多かったけれど。
とき 月200 台 は 売 れ まし た ね。
業・製薬会社によく行きまし
小 野:そう。いろいろなことがあった
小山田:薬品営業と機器営業とで分かれ
それが 10 年ぐらい続いたかな。
た。その後 HM・AM・AMC が
けど、水処理の仕事は面白かっ
ていたと思います。機器の中で
司 会:非常用ろ過器もかなり売れまし
開発されました。
たです。
小型中型の担当があって、それ
たが、苦労話などをお聞かせく
ぞれが営業していました。
ださい。
行ったね。
司 会:当時の会社組織はどうなってい
たのでしょうか。
司 会:船舶関係はどのような経緯で取
り扱うようになったのでしょうか。
荒 牧:創立当初はいろいろな取り組みを
司 会:さて、皆さんの貴重なお話で創
立から黎明期の当社の歩みが分
小 野:非常用ろ過器は当社がオルガノ
小山田:船舶のボイラー水処理剤として
かってきました。いろいろな御
中型専門に営業していました。
に提案して開発した商品でし
米国ブル&ロバーツ社の製品を
苦労があったと思います。東京
荒 牧:僕は新しいものをよく手掛けて
た。まず、東京の区役所に飛び
オルガノが扱ったのが始まりで
科研も 50 年という節目を迎え
いました。その中でも変わった
込み営業しました。防災課に営
す。船は世界各国の港に寄港す
ました。OB の皆さんが築いた
売り先は電電公社
( 現 NTT)
。
業するのだけど、業界が違う為
るので、どこの国でも同じサプ
当社をさらに発展させるよう役
交換機のバッテリー補充液用に
オルガノの知名度がほとんどな
ライを受けることが必要だった
員・社員一同頑張ります。
小型のカートリッジ純水器を
く、まずオルガノの会社説明か
のね。そのため世界的にメジャー
売っていました。
ら入ったことを覚えています。
なブルの製品が良いということ
増 山:私は薬品から中型に移行して、
(注)当社の社員親睦会で全役員・社員の会費と会社の補助金で運営されている。
本日はどうもありがとうござい
ました。
OB 座談会
OB 座談会
16
になったと思います。その後、
したり、ドライバーズテスター
17
湯 島・本 郷 界 隈
東京都 ◉ 文京区
1965 年(昭和 40 年)4 月 1 日、住居表示実施。従前の湯島一丁目から四丁目に五丁目のほぼ全部、湯島新花町・
湯島切通坂町・湯島両門町・湯島三組町・湯島梅園町・湯島天神町一丁目∼三丁目・湯島同朋町・湯島切通町・
妻恋町・龍岡町をあわせた町域を新たな湯島一丁目から湯島四丁目に再編して現行の「湯島」となった。湯島
五丁目の一部と湯島六丁目の全部は本郷に併合された。(ウィキペディアより)
当社は創業から現在に至るまで湯島・
で温泉が出たから」
「湯島天神付近で温泉
メージと一致しているとして、両区の区
湯島、本郷地区は東京大学、東京医科
本郷を根拠地として社業を営んできま
が沸いていたから」などの説があります
議会で採択されました。その名の通り明
歯科大学、順天堂大学など研究・医療機
した。
が、はっきりとしたことは分かっていま
治より夏目漱石や森鷗外、宮沢賢治、
関があり、理化学機器・医療機器産業が
ここでは湯島・本郷とはどのような地
せん。湯島天神の創建は古墳時代の 458
口一葉、金田一京助等の著名な文人・学
発展してきました。
域なのかを紹介します。
年といわれていて、学問の神様として知
者などが居を構えていました。
られる菅原道真公を祀っているため、受
聖堂、湯島天満宮(通称:湯島天神)、春
験シーズンには多くの受験生が合格祈願
1955 年にオルガノは本郷の菊富士ホ
日局の墓所がある麟祥院、東京医科歯科
に訪れます。
テル跡地(当時菊坂町)に東京研究所を開
大学などがあります。
「本郷」は東京大学があることで知られ
設しました。菊富士ホテルは大正から昭
ていますが、東京のみならず全国各地に
和にかけて谷崎潤一郎、坂口安吾、竹久
存在する地名です。本郷とは「一番早く
夢二をはじめ、多くの文学者、文化人が
人々が住み着いた場所」という意味だそ
宿泊したことで有名でしたが東京大空襲
うです。文京区本郷はもともと湯島の中
で焼失してしまいました。1890 年から
に含まれていたため「湯島本郷」といい、
三年間樋口一葉もここ菊坂町で暮らして
そ の 後 湯 島 が 省 略 さ れ て「 本 郷 」と
いました。このあたりの家屋は戦災を免
なったようです。
れ当時を偲ぶ佇まいを残しており、一葉
文京区は 1947 年小石川区と本郷区が
が使った井戸が今でも残っています。
18
湯島・本郷界隈
湯島・本郷界隈
「湯島」
は文京区の南東部に位置し、湯島
19
合併してできました。区の名称は『文京
(ふみのみやこ)』の名が 文教の府 のイ
口一葉旧居跡に残る「一葉の井戸」
当社が扱う純水装置もこうした研究・
医療機関には必要不可欠な商品です。販
文京区
[bunkyo-ku]
売・メンテナンス・消耗品の供給などに
本郷
迅速に対応できるよう、この地に本社を
[hongou]
湯島本郷界隈名所江戸百景 昌平橋 歌川広重 作
文京ふるさと歴史館提供
置き営業してきました。
湯島
[yushima]
地名の歴史は古く、平安時代中期に作
ら、最先端の科学・医療研究を発展し続
ける、ここ湯島・本郷はまさに文教の府
られた辞書
「和名類聚抄」に豊島郡湯島郷
との記載がありその由来は昔、
「この地
歴史・文化の香りを色濃く残しなが
湯島本郷界隈江都名所 湯しま天満宮 歌川広重 作
文京ふるさと歴史館提供
にふさわしい場所と言えます。
社内報
「TK ライフ」
1987 年 1 月から 1988 年 8 月まで社内報である TK ライフを定期刊行
していた。
内容は趣味や旅行記、回顧録、和歌、俳句、クイズ、小説など社員
の自由投稿をはじめ、新商品案内、営業情報など業務に関連した記事
や会社の連絡事項など様々な情報が掲載され「社員の広場」的な内容で
あった。
制作は編集委員が集まった原稿を基にワープロとコピー機を駆使し
いたが、13 号以降間隔が長くなり 1988 年 8 月発刊の第 14 号を最後に
廃刊となった。
当時は今日のような PC 環境が整っておらず、OS も Windows はま
だ無く MS-DOS 上のワープロソフト一太郎やワープロ専用機で文書
作成し、写真やイラストをコピー機で張り付けて制作していた。カ
ラープリンタやカラーコピー機は一般には高価で手の届かない高嶺の
花の時代で、制作はモノクロ印刷であった。
社内報﹁TK ライフ﹂
社内報﹁TK ライフ﹂
20
「手作り」で発刊していた。第 1 号から第 12 号までは、毎月発刊して
21
製品紹介
ピュアライト PRO シリーズ
キャビネットタイプ
超純水製造装置ωシリーズ
キャビネットタイプ
超純水製造装置 FP
ユニットタイプ超純水装置オルトリア
全自動型純水装置
AMC-D シリーズ
UC シリーズ
製品紹介
製品紹介
スーパーデサリナー SDA シリーズ
22
23
2 段 RO 膜ユニットRDシリーズとの
組み合わせ例
電気脱塩式純水装置
オルフェーヴシリーズ
タッチパネル画面
膜ろ過装置
オルファイン LM シリーズ
SDA-0040
SDA-0080
SDA-0200
カートリッジ純水器 G シリーズ
デスクトップタイプ
純水製造装置メガユニティ
メイン画面
EY-4000 標準仕様
EY-4000オプション(キャビネット)仕様
トレンドグラフ画面
UF 水製造装置(UFW シリーズ)
ヴァルート脱水機
蒸留水供給装置 WFID シリーズ
ES シリーズ
冷却水系薬剤濃度自動制御装置
オルチェイサーⅣ
太陽電池式自動薬注ユニット
エコフィーダ SORA
微酸性電解水 オルプラス
製品紹介
製品紹介
特許第 4905813
可搬式 導電率 ・ TOC モニタリングユニット
CONTOC
24
25
東ソー
高速 GPC システム
可搬式 TOC モニタリングユニット
UNITOC
高速 GPC 用高分離・高性能カラム
WFI 製造装置(DWV シリーズ)
ピュアスチーム発生装置(PSV シリーズ)
エルメックス 自動秤量分注装置
精製水製造装置 PWG シリーズ
拭き取り検査キット
滅菌希釈液
売上高と社員数推移
30
30 30
80
80 80
社員数
(役員含む)
社員数
社員数
(役員含む)
(役員含む)
売上(億円)
売上
売上
(億円)
(億円)
70
70 70
25
25 25
20
20 20
15
15 15
40
40 40
社員数(人)
社員数(人)
社員数(人)
年商(億円)
年商(億円)
年商(億円)
50
50 50
売上高と社員数推移・歴代社長
売上高と社員数推移・歴代社長
60
60 60
30
30 30
10
10 10
27
20
20 20
55
5
10
10 10
2 2代代 2 代
3 3代代 3 代
4 4代代 4 代
5 5代代 5 代
6 6代代 6 代
7 7代代 7 代
8 8代代 8 代
9 9代代 9 代
加田
加田こう
加田
こう こう
山内
山内昇三
山内
昇三 昇三
鶴岡
鶴岡 浩
鶴岡
浩 浩
山内
山内昇三
山内
昇三 昇三
福村
福村貞三
福村
貞三 貞三
小山田
小山田
小山田
茂茂 茂
熱海
熱海隆一
熱海
隆一 隆一
押田
押田達也
押田
達也 達也
2014
2014
2014
2013
2013
2013
2012
2009
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2010
2010
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2010
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2012
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1985
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1970
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1973
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1968
1967
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1969
1968
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1970
1969
歴
歴代
代
歴社
社
代長
長
社 長
初代創業者
初代創業者
初代創業者
加田
加田守治
加田
守治 守治
1965
1965
1964
1966
1966
1965
00
0
00
0
44 014
44 96949
66 969
88 96989
00 909
22 97929
44 949
66 97969
88 989
00 909
00 98909
22 99929
22 929
44 949
44 98949
66 99969
66 969
88 080
88 98989
00 00000
22 020
44 00040
66 060
88 00080
00 000
22 001
12
1
66
66
77
77
88
99
88
99
88
00
00
00
11
事業年
事業年
事業年
99
2
11
1 11 66 19161
1 11 77 19171
1 11 77 19171
1 11 77 19171
1 11 88 19181
1 11 99 19191
1 11 88 19181
1 11 99 19292
1 11 99 19191
2 22 00 20202
2 22 00 20202
2 22 11 20212
2220
)) 込)
込込
見見
((
(見
▲
▲ ▲
決算期変更
決算期変更
決算期変更
1964
1964
26
東京科研年表
西暦
1964 年
元号
昭和 39 年
当社の動き
世の中の動き
社長
8 月 東京都文京区龍岡町 34(現在の湯島 10 月10日 東 京オリンピック 加田守治
4-4-8)
にオルガノ株式会社代理店とし
開催
て製品販売及びアフターサービスを目的
として資本金 300 万円で設立
事業期
23 期
西暦
1986 年
元号
昭和 61 年
当社の動き
世の中の動き
8 月 千 葉及び筑波出張所を営業所に昇 バブル景気はじまる
格、それぞれ千葉営業所、筑波営業
所と改称
2期
1965 年
昭和 40 年
2 月 ピュアサービス株式会社を合併、資本 いざなぎ景気はじまる
金 350 万円に増資。東京都文京区駒
込に巣鴨営業所開設
24 期
1987 年
昭和 62 年
2 月 茨城県土浦市下高津 1-19-39に筑波 4 月 国 鉄が分割・民営化。
営業所を移転
JRグループ発足
3期
1966 年
昭和 41 年
3 月 東 京都文京区本郷 3-20-8に本社移 日本の人口 1 億人突破
転
25 期
1988 年
昭和 63 年
26 期
1989 年
平成元年
4期
1967 年
昭和 42 年
10 月 ツイッギー来日。ミニス
カートブーム到来
27 期
1990 年
平成 2 年
5期
1968 年
昭和 43 年
1 月 千 葉県千葉市都町に千葉営業所を 10 月 川 端 康 成ノーベル文
開設
学賞受賞
28 期
1991 年
平成 3 年
29 期
1992 年
平成 4 年
2 月 資本金を1,500 万円に増資
3 月 東 海道新幹線で、「の
11 月 千葉県千葉市中央区南町 3-16-30に
ぞみ」
が運転開始
千葉営業所を新築移転
30 期
1993 年
平成 5 年
4 月 東 ソー 株 式 会 社と代 理 店 契 約し 8 月 東 京 都 港 区 にレイン
ボーブリッジが開通
HPLC 関連商品を販売開始
7 月 茨 城県つくば市倉掛 838-3につくば
営業所を新築移転
31 期
1994 年
平成 6 年
2 月 資本金を2,000 万円に増資
6 月 オウム真理教によって松
4 月 株 式会社エルメックスと代理店契約し
本サリン事件発生
食品微生物検査キット並びに機器類
の販売を開始
32 期
1995 年
平成 7 年
33 期
1996 年
平成 8 年
34 期
1997 年
平成 9 年
2 月 資本金を2,500 万円に増資
4 月 消 費 税 率 が 3% か ら
5%に
35 期
1998 年
平成 10 年
2 月 資本金を3,000 万円に増資
2 月 長野冬季オリンピック開催
36 期
1999 年
平成 11 年
2 月 資 本金を3,500 万円に増資 東京都 10 月 世界の人口が 60 億人
昭島市東町 4-1-5に西東京営業所を
突破
開設
1 月 安田講堂事件
6期
1969 年
昭和 44 年
7期
1970 年
昭和 45 年
8期
1971 年
昭和 46 年
2 月 資本金を500 万円に増資
9期
1972 年
昭和 47 年
8 月 東京都文京区湯島 2-10-10に本社移 2 月 浅間山荘事件
転、巣鴨・千葉営業所を本社に集約 2 月 札幌冬期オリンピック開催
11 月 資本金を1,200 万円に増資
9 月 日中国交正常化
10 期
1973 年
昭和 48 年
11 期
1974 年
昭和 49 年
3 月 大阪万博開催
6 月 沖縄返還協定調印
ニクソンショック
2 月 為替変動相場制移行
第一次オイルショック
1 月 米 国ブル&ロバーツ社と技術提携し、 4 月 東 京 国 立 博 物 館でモ 山内昇三
同社の日本総代理店の契約をし、船舶
ナ・リザ展開催
用缶内処理剤、試薬等の製造、販売
及び訪船テクニカルサービス等を開始
9 月 天皇が史上初めてアメリ
カ合衆国を公式訪問
12 期
1975 年
昭和 50 年
13 期
1976 年
昭和 51 年
14 期
1977 年
昭和 52 年
9 月 巨 人王貞治 756ホーム
ラン世界記録達成
15 期
1978 年
昭和 53 年
5 月 千葉県千葉市新宿町 1に千葉出張所 5 月 新 東京国際空港(現成
を開設
田国際空港)開港
16 期
1979 年
昭和 54 年
9 月 茨城県土浦市下高津に筑波出張所を 6 月 東京サミット開催
開設
17 期
1980 年
昭和 55 年
4 月 東 京 都 文 京 区 本 郷 3-6-1に本 社 移 第二次オイルショック
転、従来の本社をサービスセンター兼
倉庫とする
18 期
1981 年
昭和 56 年
加田こう
10 月 神奈川県横浜市中区山下町に神奈川 2 月 ロッキード事件
主張所を開設
7 月 神奈川県横浜市旭区希望ヶ丘に神奈 7 月 チャールズ皇太子、ダイ
川出張所を移転
アナ妃と結婚
12 月 映 画「E.T.」が 日 本 で
公開。史上最高の興
行収入記録
社長
福村貞三
3 月 東京ドームが完成
10 月 全国労働衛生週間表彰受賞
1 月 昭 和天皇崩御 元号を
平成に改元
4 月 消費税 3%導入
1 月 第 1 回 大 学 入 試 セン
ター試験実施
バブル崩壊
東京科研年表
東京科研年表
28
事業期
1期
1 月 阪神淡路大震災発生
4 月 東京ビッグサイト開場
29
37 期
2000 年
平成 12 年
12 月 ホームページ立ち上げ
38 期
2001 年
平成 13 年
2 月 資 本金を4,000 万円に増資 会計年 3月 ユニバーサル・スタジ 小山田茂
度を変更し4 月1日から翌年 3 月31日
オ・ジャパンが大阪市
迄とする
にオープン
12 月31日 20 世紀最終日
39 期
2002 年
平成 14 年
10 月 資本金を4,400 万円に増資
1 月 ユーロ通貨の流通開始
40 期
2003 年
平成 15 年
10 月 資本金を4,840 万円に増資
4 月 六本木ヒルズ開業
41 期
2004 年
平成 16 年
42 期
2005 年
平成 17 年
43 期
2006 年
平成 18 年
44 期
熱海隆一
10 月 新潟県中越地震発生
2 月 京都議定書発効
10 月 販売管理システム導入
3 月 第 1 回 ワールド・ベー
スボール・クラシックが
開幕
19 期
1982 年
昭和 57 年
20 期
1983 年
昭和 58 年
5 月 東 京都文京区湯島 2-4-1にサービス 4 月 東 京ディズニーランド開 鶴岡 浩
センターを移転し、機能の拡大を図る
園
と同時に、分析室を拡充併設し水質
分析や試薬製造を行う
2007 年
平成 19 年
45 期
2008 年
平成 20 年
5 月 埼 玉県所沢市東所沢 2-51-1に西東 7 月 洞爺湖サミット開催
京営業所を移転
9 月 リーマンショック
46 期
2009 年
平成 21 年
21 期
1984 年
昭和 59 年
8 月 スペースシャトル
「ディス 山内昇三
カバリー」初の打ち上げ
に成功
9 月 製 薬向け理化学的モニタリングユニッ 4 月 厚 生労働大臣新型イン
トCONTOCを開発し販売開始
フルエンザ発生宣言
(パ
11 月 ISO9001 認証取得
ンデミック2009H1N1)
22 期
1985 年
昭和 60 年
47 期
2010 年
平成 22 年
6 月 小 惑星探査機
「はやぶ
さ」
地球帰還
48 期
2011 年
平成 23 年
3 月 3.11東日本大震災発生
49 期
2012 年
平成 24 年
50 期
2013 年
平成 25 年
1 月 CONTOC ACC ※顕彰受賞
9 月 2020 年東京オリンピッ 押田達也
ク開催決定
51 期
2014 年
平成 26 年
8 月1日 創立 50 周年
4 月 消費税率 5%から8%
1 月 神奈川出張所を営業所に昇格、神奈 6 月 神戸淡路鳴門自動車道
川営業所と改称
の大鳴門橋が開通
6 月 千葉県千葉市新町 19-12に千葉出張
所を移転
8 月 神奈川県横浜市瀬谷区二ッ橋町 538
に神奈川営業所を移転
11 月 東 京都文京区湯島 3-20-9に本社を
移転
7 月 新潟県中越沖地震発生
5 月 東京スカイツリー開業
※ ACC:朝日中小企業経営情報センター
会社概要
本社・拠点
■商 号 株式会社東京科研(英語名 TOKYOKAKEN CO.,LTD.)
つくば営業所
■本社所在地 〒 113-0034 東京都文京区湯島 3 丁目 20 番 9 号
茨城県つくば市倉掛838-3
代表電話 03-3831-9904 FAX 03-3831-9552
本社
東京都文京区湯島3-20-9
http://www.tokyokaken.co.jp
サテライトセンター
東京都文京区湯島 2-4-1
流通センター
東京都文京区湯島 2-2-8
■代 表 者 押田 達也
■設 立 1964 年(昭和 39 年)8 月 1 日
■資 本 金 振込資本金 48,400 千円
西東京営業所
埼玉県所沢市東所沢 2-51-1
■決 算 期 3 月 31 日(年 1 回)
■営 業 所 神奈川、千葉、つくば、西東京
本社・拠点
会社概要
30
阿見倉庫
茨城県稲敷郡阿見町上長 274-5
■従 業 員 数 63 名(平成 26 年 6 月現在・役員含まず)
■役 員 代表取締役社長 押田 達也
専 務 取 締 役 戸澤 淳
常 務 取 締 役 堀内 勝己
取
締
役 松下 浩二
取
締
役 有田 毅
監
査
役 成瀬 闊海
監
査
役 湯浅 聡人 事業目的
1.
2.
神奈川営業所
本社変遷
写真は 2014 年現在
移転 3
オルガノ株式会社製品の販売及びアフターサービス
純水、超純水、排水処理装置の計画、設計、製作、施工及び販売
ならびに、これらのメンテナンス業務
3. 各種水処理装置、科学機器類の販売及びメンテナンス
4. イオン交換樹脂、水処理薬品、工業薬品の販売
5. 液体クロマトグラフィー及びクロマト用カラム・消耗品の販売
6. 食品微生物検査キット及び検査機器の販売
千葉営業所
神奈川県横浜市瀬谷区二ツ
橋町 538
移転 2
千葉県千葉市中央区南町 3-1630
移転 1
創業
現在
31
組織図
品質管理責任者
編集後記
技術本部
情報管理室
情報管理責任者
品質保証室
技術部
安全衛生責任者
1グループ
株主総会
監査役
2グループ
システム委員会
不適合再発防止委員会
管理本部
経営管理部
取締役会
総務企画G
写真左から:篠沢、佐瀬、堀内、有田
経理財務G
組織図
流通センター
相談役
平成 26 年 8 月に迎える会社創立 50 周年の記念として「株式会社東
京科研 50 年史」を刊行することとなり、平成 25 年 9 月 20 日に「記念
購買管理部
誌編集委員会」が設置されました。
営業本部
32
阿見倉庫
昭和 39 年 8 月 1 日に東京都文京区龍岡町に産声を上げた創業の心
機器営業部
R&D営業G
意気を次世代へ伝えるとともに、今日に至るまでの歴史を振り返
R&D営業CSG
り、その歩みをまとめることをコンセプトにスタートしました。し
サテライトC
かし、作業を進める私たちの前に、資料不足という壁が立ちふさが
プラント営業部
プラント営業G
ファーマ営業G
薬品営業G
神奈川(営)
千葉(営)
り、編集は予想以上に困難なものとなりました。それにもかかわら
ず、本誌を刊行することができましたのも、資料不足を補うための
取材に快く応じてくださった OB の方々を始め社内外の関係者各位
のご協力と、素人集団の私どもを支え、励まして下さったオルガノ
アクティ株式会社の皆様、社史編纂に経験豊富な凸版印刷株式会社
の関係者の方々のご支援の賜物と存じ、ここに改めてお礼を申し上
げる次第です。
つくば(営)
編集委員 堀内 勝己 西東京(営)
有田 毅 業務G
佐瀬 恭代 篠沢 英孝 軌跡 ~今、50 年を振り返る~
2014 年 8月発行
発 行:株式会社 東京科研
〒113-0034
東京都文京区湯島 3-20-9
編 集:東京科研 50 年記念誌編集委員会
本社営業本部
本社管理本部
編集後記
社長
本社技術本部
制 作:オルガノアクティ株式会社
凸版印刷
(株)
年史センター
印刷製本:凸版印刷株式会社
33