5 戦略危機管理法

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戦略危機管理法
目的
• 組織戦略の枠組から戦略活動を通して予防危機管理の可能性を理解する。
• 戦略活動の長所と短所を認識する。
• 危機処理戦略の迅速かつ批判的な検討の必要性を知る。
主な用語と概念
• 組織戦略 Corporate strategy
• 競争優位 Competitive advantage
• 戦略活動 Strategic actions
• 危機処理戦略 Crisis handling strategies
5.1
組織戦略の枠組内の予防危機管理
市場における長期的な成功を望むのであれば、組織の成功・不成功の責任を担う者全員が、さま
ざまな組織戦略の側面に取り組まなければならない。それには、負の出来事が戦略にもたらす可能
性のある結果についてのタイムリーな分析も含まれる。
一般的な戦略の目的は、企業の長期的成功のための基盤を築くことである。競争優位は、顧客の
視点から考慮されなければならないのであるが、価値ある顧客利益を具体化し、それによって企業
あるいはその商品が永久かつ明白に競合他社から差別化されることにある。競争優位が戦略的に意
味あるものであるためには、次の 3 つの基本的必要事項が満たされていなければならない。
• 顧客に対して有力なパフォーマンスが提供されること
• 真に顧客に受け入れられていること
• 維持可能であること、つまり、競合者が真似ることが困難であること
基本形には次の 2 通りの競争優位がある。それは費用優位性と差別化優位性である。費用優位性
が、競争相手との比較において魅力的な低い価格を設けることで同等価値の商品に対する優位性を
発揮するのに対し、差別化優位性では、消費者の視点で高い価格が正当と評価されるような独自の
価値を創り出すことが必要となる。
(Porter 1998a)
競争優位、費用優位性、差別化優位性に基づきながら、活動の視点を考慮すると、次の 3 つの典
型的戦略が明らかになる。
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Crisis management in the tourism industry
• コストリーダーシップ戦略
• 差別化戦略
• 集中戦略
Porter(1998a) の指摘によれば、企業は他社との厳密な分離を維持すれば、コストリーダーシップ
戦略と差別化戦略を同時に成功裏に適用できる。分離に不可欠な要素は、消費者の認知である。
5.1.1
コストリーダーシップ
コストリーダーシップ戦略のもと、企業は、類似の標準的商品を競合相手よりも低価格で提供す
る。そのさい、商品の特性が、他社のそれと同一もしくは匹敵するものであることを消費者に認知
させることが重要である。
この戦略の基盤となるのは、競合他社よりも低価格で産出する企業能力である。その能力のもと
はさまざまであり、学習曲線効果 (learning curve effect)、特殊な選好条件、あるいはその企業に固
有な専門技術に基づく。この戦略を取るに際して、企業は、コストリーダーがその領域にただ一社
であること知っておかねばならない。
商品の不可避な類似性の結果として、互換性が生まれる。代用可能性は、負の出来事が起こると
かなり問題となるだろう。標準的な商品が何らかの負の出来事によって被害を被った場合、類似品
に対する価格優位性――比較可能性――は失われる。そして、影響を被ったものの代わりに、代替
商品が取って代わることになる。負の出来事によって個人の安全が脅かされた場合にも同じ結果が
起こる。このケースでは、リスクの認知が増大し、例えば観光商品は――ある一定の限界値を超え
た後に――もはや比較商品の対象とは見なされない。
何れの場合においても、比較可能な標準的商品の必要条件が満たさないので、価格優位性の効果
は消失する。この戦略を長期間維持し、商品を引き続き販売可能にするための唯一の方法は、価格
政策である。この手段は、低価格化によって好感度を保てる。しかしながら、経費の余裕は、所与
の費用構造によって制限される。低価格化の結果は、短中期間に収益の減退となる。(価格手段の適
)
用する限界は、別の結果ももたらす。それについては、7.3[p201]を参照。
価格優位性は概して高い関連市場占有率に依拠するので、価格優位性を長期的に維持できるのか
どうかが問題となる。変化が悪循環の効果を招きうるのだ。市場占有率が縮小し、価格優位性が消
失すると、次には価格政策が制限される。悪循環の効果は、最終的に、コストリーダーシップ戦略
が維持不可能となり、根本的な変更を余儀なくされる段階に至る。
このケースで危機予防策がいかに重要であるかは、対処危機管理の枠組における活動がきわめて
状況に左右されやすく、その活動の実施に限界があることからも明かである。危機予防策は、負の
出来事の発生を防御し、また、そのような出来事を適時に終息させるために適用されなければなら
ない。
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5.1 組織戦略の枠組内の予防危機管理
5.1.2
差別化
差別化戦略で企業がめざすのは、割高な価格をつけても容認されるというやり方で、商品の独自
性を通して自社を競合相手から差別化させることにある。観光産業では、差別化戦略は非常に重要
である。なぜなら、その商品の大半は互換可能であり、客観的な差異という観点から改良の余地が
ほとんどないからである。コストリーダーシップ戦略とは対照的に、同じ事業分野において数社が、
差別化戦略を用いることができる。
差別化は、商品の有形的と無形的の両面から達成可能である。決定的なことは、当該事業分野の
できるだけ多くの顧客がその差異をユニークで重要なものと認知することである。それによっての
み、企業は、差別化に要する超過支出を上回る長期的に平均を越える利益を達成することができる。
商用旅行市場では有形的差別化の側面が重要な位置を占めるが、観光旅行部門では無形的差別化
が非常に大切である。的確な無形的差別化は、経験価値戦略を開発し推進していくことで成し遂げ
られる。この戦略は、競合商品に勝って、ユニークで他との違いが明らかな持続的優位性を伴うイ
メージを商品に与える。こうした差別化戦略と広報活動の間には、明確な線引きがなされなければ
ならない。差別化戦略は、通常、総合的品質管理戦略において推進されるが、広報活動は経験価値
戦略とは対照的に「固有の選好対象としての企業」を構築しないのだ(Konert 1968; Kroeber-Riel
1992)。
経験価値戦略が妥当性をもつためには、ターゲットとなるグループが望ましいとする価値、ライ
フスタイル、体験が考慮に入れられなければならない。Kroeber-Riel(1993a)によれば、体験プロ
フィールが、以下の点で確認されなければならない。
• 心理学的に妥当であるか
• 企業哲学と齟齬がないか
• ターゲット・グループに長期間アピールし、生活スタイルの流行を維持できるか
• 競合相手と比べて有利な立場を実現できるか
• 宣伝広告を通じてだけでなく、広範囲に伝えることができるか
イメージ・プロフィールは、長期的な継続のもとでのみ創出され確立されるので、経験価値戦略
は、単に長期的なだけでなく、将来を視野に入れて展開されなければならない。このことは、経験
価値戦略を展開するために、将来の社会的動向について真摯な議論がなされなければならないこと
を意味する。
今まで考慮されなかったのは、経験志向に基づく位置づけの矛盾から、さらには、将来に想定し
うる負の出来事の視点から、耐久性や自由度が要求されることである。経験プロフィールの構想や
評価にさえ、他と比べて起こりそうで脅威ともなりそうな事件について検討することは重要である。
それは、予防危機管理にきわめて有効である。
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Crisis management in the tourism industry
事例 28 リヒテンシュタイン公国の経験価値戦略
160 平方キロメートルの国土に、人口僅か 34,000 人というリヒテンシュタイン公国のイメージ
は、スイスとオーストリアという 2 つの大きな隣国に挟まれていることで、数十年に渡り悪影響を
受けてきた。80 年ほど前までこの国の人びとは農業に頼って暮らしていたが、金融だけがリヒテン
シュタインのイメージを多角経営化させ、その名をヨーロッパの国境を超越して知らしめてきた。
しかし、その評判には郵便会社の楽園や税金天国という世評が付いて回り、疑わしい特徴もあった。
終に 2000 年には、リヒテンシュタインがマネー・ロンダリン
グの中心地となっていたことに OECD が着目した。このこと
は、観光産業だけでなく、すべての経済領域や国民の自己認
識にとっても、望ましくなかった。それが頂点に達したのは、
皇太子が法律拒否権と裁判官選任権を勝ち取った後の、かな
り感情的な対立であった。
変化の必要なことが明白になった。2001 年、政府は、それ
らの申し立てに焦点を当てるだけでなく、より多くの海外か
らの投資、企業、観光客を誘致するための基盤を用意するこ
「イメージ・リヒテンシュタイ
とを決定した。2002 年 3 月、
ン財団グループ」
(Image Liechtenstein Foundation Group)が
設立された。首相が議長を務め、政府、国家機関、主要な商業
組合などの代表から組織される。メンバーは、リヒテンシュ
タインに対する国内外のイメージ評価からはじめ、2003 年 5
月、明らかにされた弱点を克服するための提案書が提出された。
そこでは、特にインターネットにおけるリヒテンシュタインの表現を抜本的に改善すること、
そして、ベルンとウィーンに加え、ブリュッセル、ベルリン、ニューヨーク、ワシントン D.C. な
ど在外使節団を 2 つから 8 つに増やことが提案された。そしてまた、特に推奨されたのは、リヒ
テンシュタインの新しい位置づけを開発し、ブランドとして立ち上げることであった。
そのために、2003 年 11 月、国際コンテストが開催され、国際ブランド化のコンサルタント会社
ウォルフ.オーリンズ社 (Wolff Olins) が優勝した。同社は、広く知られたキャンペーン“I Love
New York”を制作した会社でもあり、リヒテンシュタインの将来イメージを創り上げるための
各要素を体系的に開発した。その制作手法は知られていないが、国は差別化戦略とシンボルを開
発した。そのシンボルは、既存の公的エンブレムに置き替えるものではなく、むしろ補完するも
のである。
2004 年 9 月 20 日、首相は、世界に向けたキャンペーンを、まずロンドンで公式に立ち上げた。
リヒテンシュタインの取り組みは注目に値する事例であり、それは、観光地がそのイメージを
大切にするだけでなく、位置づけをゼロから評価し、経験価値戦略を通じて計画を立て、最終的
に新たなイメージを構築するというものであった。
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5.1 組織戦略の枠組内の予防危機管理
さらに考慮すべき点は、観光地は月並みな標語や風評に強く影響されるということである。この
ことは、イメージ・プロフィールを概念的に展開するさいには、特に考慮されなければならない。
地域イメージの派生的効果によって、どんな事件の影響も受けたことがない観光地が、間接的に地
域イメージのあおりを受けてしまうこともある。実際、通常時の地域イメージを独立して位置づけ
ておくには経費の増加を伴うが、その努力はある危機に抵抗する際に報われる。その実践に際して、
観光地イメージの特質は、観光資源市場がある地域全体のイメージに責任を担いながら、持続的な
独立の位置づけが達成されるように包括され、分析され、最終的に変更されなければならない。
事例 29 エジプトとその沿岸観光地
エジプトは、新しい商品として海岸休暇商品を開発する際、戦略危機管理の側面からの検討を
重視しなかったが、その決定は、危機管理の観点から、結果としてよかったことがその後のなり
ゆきから明らかになった。
1992 / 1993 年のさまざまなテロリスト攻撃によって、エジプト全体が負のイメージに覆われ
た。しかし、さまざまな観光資源市場の消費者は、海岸観光地である「シナイ半島」と「紅海」
をエジプトのイメージに結びつけなかった。こうした 2 つの商品の分離は、戦略的に計画された
わけではないが、イメージに関する限りどちらも相互に独立しており、観光地と旅行会社はすぐ
にそれを認識して利用した。
それ以来、シナイ半島と紅海は、エジプトと切り離して売り出されてきた。エジプトとそれら
海岸観光地を結びつけるテキストや写真の情報は、すべて広告から排除されたのである。
これが意味するのは、経験価値戦略と経験プロフィールが最初から、よほど重大な出来事による
難局が起こらない限り損なわれないように企画されなければならないことである。負の出来事の結
果として、危機的状況がたとえ完全に排除できないとしても、影響を受けやすいコンセプトを適時
に除外できる。
残された強調すべき点として、負の出来事の視点から、慎重でよく練られた経験価値戦略計画が
必要とするのは、とりわけ長期的であることだ。無形的差別化開発のための投資は重要であり、企
業は中長期的に投資をしてはじめて、高利潤形態の収益を得られる。開発された経験価値戦略と構
築されたイメージ・プロフィールは、短期間には変更できない。同様に、破壊され悪影響を被ったイ
メージ・プロフィールは、投資のかなりの損失を意味する。観光市場には互換可能な利益をもつ商
品が増えてきており、その市場は無形的差別化にますます依存している。それゆえに、この種の予
防策がより重要になりつつあるのだ。
5.1.3
集中戦略
集中戦略は、狭い市場セグメント[区分]に焦点を当て、そのセグメントの中で、費用優位性あ
るいは差別化の何れかを達成しようとする。費用優位性のヴァリエーションの基盤となるのは異な
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Crisis management in the tourism industry
る原価態様※ であるが、差異化では特別な顧客ニーズの存在が必要である。そのセグメントに構成
的な魅力が十分ある場合には、それぞれにターゲット・セグメントが異なる限り、差別化戦略と同
様に、数社が集中戦略をかけることができる。
旅行会社にとって典型的なのは、供給市場――観光地――のセグメント、あるいは販売市場のセ
グメントへの集中である。観光地の視点でみた場合の集中戦略とは、ある顧客セグメントの選択に
関連する。
集中戦略は、費用と差別化の優位性に回帰するので、前述の所見はここでもまた当てはまる。し
かしながら、この場合には、特別なセグメントへの集中が伴う事実もある。セグメントの選択への
依存は、行動の自由度をかなり制限する。
事例 30 集中戦略のリスク
集中戦略のリスクの事例として、ドイツの旅行会社「オフトライゼン」
(OFT Reisen)のケー
スを示す。この旅行会社は、エジプト向けの教育ツアーに特化していた。それゆえ、顧客セグメ
ントと目的地の開発にかなり依存する状況があった。
1997 年の襲撃事件の結果、年間 3 万人以上であった送客数が 1 万人にまで落ち込んだ。また、
その期間の総売上高は、3,160 万ユーロから 1,060 万ユーロに減少した。この結果は、他の顧客
セグメントに重点を移すことで緩和された。純然たる海浜観光客のシェアが 20%から 82%に伸
び、それまで通常 80%のシェアを占めた学生観光客に置き換わった。
しかし、それらのツアーの開発の結果として、旅行会社は幾分か独立性を放棄せざるを得な
かった。
集中戦略は負の出来事によるリスクを伴うにもかかわらず、消費の個性化への対応策としてかな
り重要になってきている。それらの開発を危機管理の枠組における方策として導入するためには、
国際的規模で適用することが推奨される。セグメントの細分化も国際的になされるので、異文化間
のターゲット・グループができるのだ。それらのグループは、同様なニーズの構造を示し、同様な
方法でそのニーズが喚起される。また、負の出来事が国や文化の相違によっても異なって判断され
ると考えるなら、複数の異なる反応の可能性があることは明白である。それには、適切な国際的活
動能力が求められる。もし、国際的活動能力がまだ備わっていないなら、その能力が予防危機管理
策となりうる。
最後に強調しなければならないのは、特に集中戦略のヴァリエーションにおいて、警告の度合い
は、市場の基盤がどれくらい小規模かによって強化されなければならない、ということである。観
光産業のように影響を受けやすい領域で警告がなされないと、予測できない負の出来事によって、
事業活動が断念される可能性はかなり高い。
※ 営業や操業の変動が原価発生額を増減させる状況
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