紀行文

鎌倉アルプス・祇園山トレッキング紀行
平成 27 年 5 月 9 日 #1
國見
昌宏
高校時代、日本史の年代記憶で「イイクニ(1192)造ろう、鎌倉幕府」と覚え
た人が多いと思います。高知学芸高校関東支部、今年 3 回目のトレッキングは
5 月 9 日、その鎌倉。#3岡田さんのリードによる天園ハイキングコース(建長
寺~半僧坊~天園峠~大平山~瑞泉寺~鎌倉宮~横浜国大付属小学校前)。
更に#20 松本君のリードによる祇園山ハイキングコース(東勝寺跡~屏風山~
祇園山山道~祇園山頂上見晴台~八雲神社~妙本院)の計 10km余です。
今日の天候は曇り、関東は昼前後に所々小雨との予報、気温 22 度だが湿度が
高い。参加者は男性7人、女性4人の 11 人の予定。
10 時、北鎌倉駅西口集合だがエントリーしていた一人が未到着、10 時 15 分
まで待って 10 人で出発。途中で国道 21 号線を折れて円覚寺入り口を左に見て
JR 横須賀線沿い、レストラン鎌倉五山~鎌倉学園の前から建長寺に。
建長寺は「巨福山建長興国禅寺」と号する鎌倉五山の第一位、五代執権北条
時頼が宋の蘭渓道隆を招いて開いた日本初の「禅専門道場」臨済宗建長寺派大
本山。建長寺の山号「巨福山」の額が架かる大きな総門を中に入ると、境内で
は散り遅れたボタンの花が迎えてくれる。山門、仏殿、法堂と大きな伽藍が立
ち並び、漆と金の唐門に至る。途中に中国から種を持ち帰ったと伝わる数本の
巨大な柏槙、ゴツゴツとした太い幹からパワーが伝わってくる。ネパール・ヒマ
ラヤまでトレッキングに行った岩崎君、早速カメラを取り出し撮影開始。
新緑の 鎌倉歩けば 風薫る (#3 岡崎君 作)
結跏趺坐 心静かに 牡丹花 (國見 作)
建長寺境内左脇の道を奥の半僧坊を目指して進む。周りの山の新緑、椎の花
が黄緑の彩を添えている。道路沿いに躑躅、コデマリ、ユキノシタ、シランが
咲いている。キアゲハが花や木々の間を舞い飛びます。道が狭くなり左右の崖
が見えてくると、崖の下に幾つもの洞穴が見えてくる。久常さん、平地の少な
い鎌倉で岩穴に墳墓 堂を作ったもので、これを「やぐら」と言うと教えてくれる。
(盆踊りの中心で太鼓を叩く「やぐら」しか知らなかったことが恥ずかしい)
13 世紀後半から 15 世紀前半に鎌倉にみられた横穴式墳墓で、鎌倉に二千~三千
基あるらしい。「やぐら」の語源は「谷戸倉」「谷津倉」あるいは、「岩倉」の方言と
も。中に五輪塔が安置されている洞穴もある。
道路右に「回春院」の矢印が見える、齢のせいか、なぜか気に懸かる。
僧坊に
緑あふれる
建長寺
1
(#3
岡崎君
作)
椎の花
香りて覆う
建長寺
(國見
作)
坂道が急に険しい登り坂になると、凡そ 200 段ある半僧坊へと続く石段。右
や左に幾重にも折れ曲がる。石段はモミジの若葉に覆われオゾン一杯、深呼吸
し喘ぎながら登る。茶木さんはこの険しい登り坂を、呼吸も乱さず軽々と登る。
更に上り坂が険しくなると、岩崖の上の至る所から人の背丈より大きい烏天狗
がこちらの様子を窺うかのように見下ろしている。やっと半僧坊に到着。半僧
坊は火防、厄除けなどのご利益があり、明治時代に静岡の方広寺(奥山半僧坊)
から建長寺の鎮守として勧請。烏天狗は半僧坊のお供で、火災を起こす天狗の
守護を受ければ火災に遭わないとか。お参りして西の展望台に立つがあいにく
の曇天、丹沢や富士山の眺望はかなわない。半僧坊から、鎖を伝って右の石段
を巻いて登ると、「勝上献展望台」(標高 145.1m)に辿り着く。この展望台から、
建長寺の境内を一望し、創建当時の面影を残す総門・三門・仏殿・法堂・方丈が一
直線に並ぶ壮大な伽藍配置を実感する。曇っていて由比ガ浜や鎌倉の町並みは
ぼんやりとしか見えない。ここに突然一人の中年夫人が闖入、沼津の人だそう
で、山歩きは好きだが蛇が嫌いと一人でしゃべりまくる。こちらから「蛇に言
わせると、この世で一番恐ろしい生き物は人間だ」と、混ぜ返す。
半僧坊の前で
急坂の 上に若葉と
若モミジ 烏天狗に
天狗像 (#3 岡崎君
由比ガ浜 (國見 作)
作)
「勝上献展望台」から上の稜線に登るが眺望が良くない。稜線道を 5 分ほど
歩くと、「かながわの景勝 50 選
鎌倉十王岩の展望」と書かれた石碑があるも
2
中年夫婦が睦まじく休憩中、オジャマ虫が嫌でそっと通り過ぎる。ここからは
道幅は狭いが比較的なだらかな稜線道、海からの潮風が心地よい。稜線道左右
の樹木は奥武蔵のそれと同じ大きさ、町近くの鎌倉の山とは思えない。時々鶯
の囀りが聞こえてくる。囀りをよく聞くと、上手にホーホケェキョーと鳴く鳥
とホーホケッまでしか言えない鳥、音程が低い、声質が硬い、音律が滑らかで
ない、声の澄み具合が良くない鳥などと微妙な差がある。囀りはオスがテリト
リーを示しペアを組むメスを呼ぶためと考えられるが、オスの囀りの上手下手
は、メスにペアの相手に選ばれるかどうかに影響する。若いオスは上手なオス
に弟子入りして囀りを習う必要があろう。頭上の椎の木で鳴く鶯も若いのか、
まだ上手ではない。誰かが「国見が塾を開き、若いオス鶯にメスにもてる囀り
を教育せよ」とからかう。鎌倉アルプスは自然が豊富で、数々の山野草のほか
に猪や狸などの動物、鷹の種類も生息しているという。
鴬の 声こだまする 鎌倉路 (#3 岡崎君 作)
鶯も 修行の日々か 今日の声 (國見 作)
稜線道の横に大きな岩が列をなしている。見ると所々に2m四方ほどの窪み
がある。これも建長寺奥の「やぐら」と同じ鎌倉時代の墳墓の跡と思われる。
道の脇では高さ2mほどのウツギが沢山の小さな白い花をつけている。岡田さ
んからウノハナとも呼ぶとの声。平均年齢 70 歳前後のグループが鶯の声の比較
や、草花の名前、「やぐら」について話しながら歩くと、他のグループが次々と
追い越してゆく。前方から 3 人組の若い白人男女が近づき「コンニチワ」と上
手な日本語で挨拶しながら過ぎ去ってゆく。横須賀の米軍基地に勤務する米兵
だろうか。ここは外人が来る鎌倉、奥武蔵とは違う。山道に所々青紫の花が落
ちている。藤の花です。見上げると喬木に絡まった藤蔓に沢山花をつけていて、
初夏を実感する。宮君が突然、中国主導の AIIB によって中央アジアに鉄道網が
整備された場合の、物流面から見た中国と独仏の利益について語りはじめる。
時々トレイルナンナーに出会う。衝突防止のため声をかけ道を譲ることに慣
れた。大きな岩山の横を抜けて稜線を歩くと蒟蒻に似た葉の、背の低い植物が
筒状の濃紫色の縞の花をつけている。岡田さんによるとウラシマソウ(浦島草)
で、筒状の花の中から長い糸状の芯(釣り糸)が伸びているのを見せてくれる。
暫らく進むと岡田さんが木陰で珍しい黄金色の花を咲かせているキンラン(金
蘭)を見つけました。エビネランに似ているが、明るい華やかさがある。
途中の道路標識、右に下ると「覚園寺」とある。そのまま真っ直ぐ進むと道路
脇に看板があり、横浜市で一番高い場所(159.4m)との説明がある。鎌倉アルプ
スは鎌倉市と思っていたのに、なぜ横浜市?稜線道がどちらの市の行政区画に
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入るかの差でしかない。横浜側を見下ろすと雲の中にビル群が、その中で容易
に横浜ランドマークタワーを確認できる。
すぐ先が天園峠の茶屋。道路左、木製の階段の先の小高い場所、天蓋の下に
幾つかのベンチが並んでいる。連休後のためか今日は休み。ちなみに、天園峠
の別名は「六国峠」。武蔵、相模、上総、下総、伊豆、駿河の六国が望めたこと
に由来する。遥か 50 年以上昔、学生の頃にここを訪れた記憶が微かに甦る。
金蘭は 目立ちすぎだよ 吾みたく (#3 岡田さん・川柳)
山野草 蘊蓄聞くも 認知症 (#3 岡崎君・川柳)
山道で
竜宮の
何を釣るやら 浦島草 (#3 岡田さん)
夢や戻れと 浦島草 (國見 作)
天園峠の茶屋を過ぎて暫らくは下り坂、再び坂を登ると急に目の前がパッと
明るくなってきた。鎌倉市で一番高い大平山(159.2m)です。広い急な石崖を
足元に注意しながら下ると田舎の小学校の運動場ほどの広場がある。多くの人
が休憩中、コリー犬 2 頭を連れた若い夫婦と娘もいる。同じ年代のグループが
瑞泉寺方向から登ってきます。雲が薄く、明るくなってきた。我々も桜の木の
下で昼食休憩。菓子や果物を分け合うと、高知の小夏が好評です。すぐ傍に大
きな桑の木があり沢山の実をつけているが、まだ熟していない。少年の日、熟
した桑の実を食べて口の中を紫色にした頃を思い出す。空には鳶がゆっくり輪
を描いて舞っている。目の前のフェンスの向こうは鎌倉 CC のクラブハウス。寺
と関係があるのか、景観を考慮したのか、ビルの屋上に五重塔の天辺に見られ
るような相輪がある。
孤を描く 鳶や何見る 薫風に (國見 作)
桑の実や 少年の日の 遠い夢 (國見 作)
大平山を後に瑞泉寺に向かう。ゆったりした下り坂、途中の鎌倉 CC ティーグ
ランド横にトイレがあり小休止。少し坂を登ると再び緩やかな下り坂。道路脇
に沢山の山野草を植えて、一つ一つに標識を立てている。うまく育てと願う。
足元を見ると藤の花とは違う大きな花が落ちている。桐の花で、少し離れて
見上げると背の高い木の先に沢山の花が見えます。鶯の声を聴きながら歩くと、
チゴユリに似た若緑の可愛い植物があり、葉の陰に草緑色の花をつけている。
岡田さんがホウチャクソウ(宝鐸草)だろうと言う。フタリシズカも人知れず
二本の花軸を広げている。山道の左下が孟宗竹の林で、筍が大きく伸びている。
坂を下ると突然舗装路、瑞泉寺近くの民家の前でした。
君と見る 二人静や 鳶の声 (國見 作)
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瑞泉寺は山号を錦屏山、夢窓国師によって建立された。寺の入り口、石段の
下にこの寺を愛した文人の名前が刻まれている。谷川に沿う二つに分かれた石
段、右側竹林前の石段を登るとウツギの花が咲く山門、その横に「松陰吉田先生
留跡碑」が見える。境内には「男の顔は履歴書である」との大宅壮一の評論碑や
「いつぬれし松の根方ぞ春しぐれ」の久保田万太郎句碑などがあるという。
山門を入ったベンチ横ではガクアジサイが幾つか花弁を開き、その下で若い男
女が語り合っている。沢山の梅の古木の下ではムラサキツユクサやダイコンノ
ハナが紫の花をつけている。有名な水仙は既に茎を刈り取られている。
夢窓国師は本堂裏(北側)に庭園を作っている。説明書によると、高い岩崖を
正面とし大きな洞(天女洞)を彫って水月観の道場とし、東側には坐禅のための
窟(葆光窟)を穿つ。天女洞の前に貯清池と名付けた池を掘り、池の中央は掘り
残して島となす。池の西側に二つの橋が架かり、渡ると池の背後の山を辿る園
路に導かれる、とある。
紅葉ヶ谷対岸を見ると、山崖で大きな藤蔓が花を咲かせている。瑞泉寺の出
口でトイレ休憩、女性トイレにリュックを忘れていたと久常さんが急ぎ持ち帰
り、小学高学年の女児に渡す。久常さん「忘れた人に早ように渡さんといかん
と思い、急いで出て来たのでパンツの紐を結ばずに来た」とカラカラ笑う。
瑞泉寺山門に到着
紫に 白い十字の シャガの花 (#3 岡崎君・川柳)
谷越えて 届く藤の香 瑞泉寺 (國見 作)
アジサイの 僅かに咲ける 瑞泉寺 (國見 作)
鎌倉宮に向かう道路脇、アジサイの蕾はまだ小さく固い。鎌倉宮の謂れは、
次の通り。後醍醐天皇の第三皇子・大塔宮護良(モリナガ)親王は元弘の変に際し
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楠木正成らとともに後醍醐天皇を援けて吉野、熊野等で鎌倉幕府討幕運動の中
心として活躍した。鎌倉幕府の滅亡後、親王は征夷大将軍となるも、これを快
く思わない足利尊氏と対立を深めて捕らえられ、鎌倉で足利直義のもと東光寺
(現鎌倉宮)裏の土牢に幽閉された。その後、北条高時の遺児・時行が鎌倉へ乱入
する中先代の乱で、足利直義が背走する時に直義の命により、その家来の淵辺
義博によって護良親王は殺められた。
明治天皇は明治 2 年(1869 年)に、建武の中興に尽すも若くして命を奪われた
親王の遺志を後世に伝えるため宮の創建を命じ、鎌倉宮の社名が下賜された。
土牢
親王の
苦難の日々や
ユキノシタ
(國見
作)
鎌倉宮を後に二階建ての永福寺跡が町名に残る二階堂前を経て町を歩く。左
の家に平山と表札がある。岡田さんによると、かの平山郁夫画伯の実家とのこ
と。鎌倉の人家はどこか上品で一軒一軒に個性があり、貧乏たらしくない。
清泉小学校を経て横浜国大付属小学校前を過ぎた鎌倉八幡宮入り口で岡田さん
案内の天園ハイキングコースを終了。
松本君の案内で祇園山ハイキングコースに向かうため、まず東勝寺跡を目指
す。途中の路上で茶木さんが道に落ちていた 11 円を見つけた。皆が、これを拾
って次の神社のお賽銭にあげようと言う。
東勝寺跡の手前、滑川に架かる東勝寺橋。松本君によると、この橋は上路式
鉄筋コンクリートアーチ橋で、関東大震災における復興期の典型とのこと。
橋の袂に鎌倉町青年団による青砥藤綱旧蹟の碑があり「太平記に拠れば、藤綱
は北条時宗・貞時の二代に仕えて裁判官になった人で、ある夜の出仕時に誤って
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銭十文を滑川に堕すと、五十文の松明を購い、水中を照らして銭を捜しついに
之を得た。人々は小利大損と之を嘲ると藤綱は、十文は小なりといえども之を
失えば天下の貨を損ぜん。五十文は我に損なりといえども人に益すと言う」と
の有名な故事を刻んでいると松本君の説明。
橋を真っ直ぐ進み舗装道路の尽きた坂の左が東勝寺跡。上から観光人力車のお
兄ちゃんが緋毛氈の上にお客さん・若いカップルを乗せて下ってきた。結構絵に
なる姿でした。
東勝寺は鎌倉幕府の三代執権・北条泰時が創建した寺院で、元弘 3 年(1333)5
月 22 日、新田義貞らの鎌倉攻めの時、北条高時が一族郎党 870 名余りと最後を
遂げた鎌倉幕府滅亡の地。この寺で起こった惨劇が鎌倉時代から南北朝時代(室
町時代)への変化の境目。霊感に強い人は、この地に北条一族の怨念が漂ってい
ると感じるかもしれない。葛西ヶ谷中央支谷と呼ばれる結構な敷地、久常さん
が冗談に「お金があるので宅地として購入したい」と言う、秋元さんも「お金
があれば・・・」と言うが、国指定史跡では如何ともし難い。
奥の山裾を左奥に入った先に北条高時らが腹を切ったと伝えられる「腹切り
やぐら」があり、路上から合掌。
腹切りやぐら
鎌倉の
幕府の最後
羊歯若葉
(國見
作)
ここからが約1kmの祇園山ハイキングコース。コース入口からややきつい
階段状の坂を登ると、左に住宅を見て足元の悪い細い道が続き稜線道へ。何度
か小さな山を登り下り、屏風山へのアップダウンを繰り返す。途中の左手にチ
ラホラ民家が見えフェンスが張ってある。妙本寺への分岐を直進し祇園山の山
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頂を目指す。巨大な桜の木、三本の根元が合体した木があり、その先には一本
の大木がある。緩やかな道を進むと八雲神社との分岐、直進すると山頂展望台。
ここから眼下に鎌倉の市街、沖に由比ガ浜の海岸、右に稲村ガ崎が目に入る。
秋元さんが「稲村ガ崎名将が・・・」とハミング。
JR 横須賀線の列車音が足元に響き、潮の香が届く。頭上の大木に藤蔓が絡み
沢山の花を咲かせている。ポツリと一つ雨粒が落ちてきた、ここで心配してい
た雨か。しかし、雨にはならず一同ホッとする。
祇園山展望台
山藤の 花ずっしりと 祇園山 (#3 岡田さん)
潮の香の 届く高台 藤の花 (國見 作)
祇園山を後に八雲神社に下る。この神社は古くは祇園天王社と称し明治維新
に八雲神社と改称されたとのこと。由緒によると永保年中(1081~1084)、新羅
三郎義光が奥州の安倍貞任を征伐するため下向の途中、鎌倉に疫病が流行して
いるのを見て、京都の祇園社を勧請したと伝えている。ここでお参りして茶木
さんは拾った 11 円を賽銭箱に入れる。神社前を右折して常栄寺(通称ぼたもち
寺)の前を通り、妙本寺の総門を入って小休憩。この寺で汗になった上衣を着替
え打ち上げ会場へ。先に帰る女性2人は鎌倉駅に直行。
陽を浴びて 若葉もみじも 緑映え (#3 岡崎君 作)
今日の打ち上げは、鎌倉駅すぐ近く、小町ビルの「仕立て屋」。この名は衣服
の仕立てではなく、野菜など素材の味を美味しく仕立てることに由来すると言
う。祇園山に行った 6 人が到着すると、鎌倉八幡宮へ行った 2 人が既に到着。
8人で直ちに乾杯。心配した天気も雨になることなく、事故や怪我もなく終了
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出来たことに感謝。地魚刺身の盛り合わせ、野菜サラダ、トマトのオリーブ添
え、イカの丸焼き、冷奴、お握り・お茶漬け。ジョッキ、黒霧島のお湯割りが次々
と続く。宮君、学生時代に東京大丸でアルバイト、そこで埼玉育ちの現在の夫
人と出会った経緯と、土佐人の大酒飲み・太言壮語に夫人が愛想をつかしたこと
を語り、一段と盛り上がる。貧乏県高知なのに、土佐改良文旦や小夏などの成
果をよその県に譲り金儲けが下手と悲憤慷慨、東京高知県人会で高知から来た
赤いリボンを付けたエライ人が大酒を飲み、空気がドローンとしていたことな
どに話が及ぶ。
曇り初夏
暑さボッチリ
鎌倉路
(#3
岡崎君
作)
{備考}(1)鎌倉の護りについて
今日歩いて感じたこと。天園コースは、鎌倉幕府の北側を守る険しい山の要崖、
敵は多くの兵を一挙に鎌倉に侵入させることは出来ない。要崖の手前、山中、
出口の狭いところで少人数の敵を各個に撃破出来る場所を作れる。祇園山コー
スはその東南の要崖と思われる。東勝寺から見た場合、滑川が堀で人馬が一挙
に渡れない。祇園山一帯は東勝寺の後背地、高台を利用して監視をすれば敵の
侵入を遠くから発見できるし、防ぐことが出来る。今日歩いた稜線の小さい高
台で物見をした昔の武士の日々が偲ばれる。中国人は北京を護るため人力で万
里の長城を築いたが、日本人はそれに勝る天然の要崖となる土地を探した。
{備考}(2)ご存知ですか?護良親王の兄と高知の縁
鎌倉宮の祭神・護良親王の兄で後醍醐天皇の皇子(第一・第二の説あり)尊良
(たかよし・たかなが)親王、母は歌道家 藤原為世の女 為子。元弘の乱で 1332
年(元弘 2)3 月土佐へ配流されたが九州へ渡り肥前の江串氏に擁されて挙兵。
鎮西探題の陥落後大宰府に入り帰洛。35 年(建武 2)11 月には鎌倉に反した足利
尊氏討伐の軍を進めた。36 年(延元 1∥建武 3)10 月新田義貞らとともに越前に
赴き金崎城に拠って北陸経営に尽力したが,翌年 3 月落城の際に自害。
尊良親王が高知の幡多に到着した際、地元で親身にお世話をした人が有井川
正司。その末裔が四万十町の東家(國見の妻・希京の実家)で、親王から家紋とし
て皇室の御紋・菊花御紋を菱で囲った「菱に菊花紋」を使うことを許されたと
伝えられ、今に続いている。有井川は高知県幡多郡黒潮町、「磯釣りと温泉の井
ノ岬」で売り出し中の土佐くろしお鉄道中村線有井川駅(無人)に、今もその名を
残している。
有井川正司こと有井三郎左衛門豊高は、親王が帰京する際、正司を伴にと促
されたが老齢を理由に断り、その後正司の喪報が親王に届くと多くの五輪石を
送られたという。
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参加者の感想 (紙面の都合で文章の一部を勝手に修文させて頂きました)
#1 岡村 圭祐 君
鎌倉アルプス・トレッキング参加の皆様、ご一緒させていただき、お世話にな
りました。当日は天気も良く、快適な一日でした。標高は高くはないものの、
最初の登りの階段は急でこの先どうなることかと思いましたが、後は比較的な
だらかな尾根道で、清涼な山の空気と景色を満喫しました。全員無事の下山で
何よりでした。またの機会に、元気でお会いしましょう。ありがとうございま
した。
#3 宮 悠司 君(トレッキング全般リーダー)
無事故での里山トレッキング、皆様ご苦労様でした!
(1)天気予報
「曇り・降水量ゼロ」を信じて GO-SIGN を出しましたが、もうひとつ気になる
問題は箱根・水蒸気爆発の影響でした。もし規模が大きくなり噴石が飛んでくる
事態が発生していれば「トレック中止」もしくは「高麗駅集合に変更」等があ
るかなと考えておりましたが、大事無くてほっとしました。トレック途中に傘
を使用する機会はありませんでしたが、電車に乗って埼玉の自宅が近くなると
雨になっていました。
(2)建長寺経由で@¥300 支払うべきか、それとも明月院ルートか?
10 年以上前でしたか、かみさんと建長寺経由で回りました。その時かみさん
から出た質問が「入口から真っ直ぐ進んで墓地から登るのに@¥300 払うの?」
でした。確かに言えてる。誰かが「¥300 払わずにトレックする方法はある」と
教えてくれたので、建長寺の手前を左折し登ってゆくと紫陽花で有名な明月院
があり、これを左に見て延々と登り右方向に進むと建長寺ルートと合流するが、
これが長くてきつい!
結論:明月院ルートが断然よい、と断言する人が多数いる訳ではない。
(3)沼津のおばさん
最初の展望台で休んでいるところへ飛び込んできた沼津から一人で来たおば
さん、箱根を避けて鎌倉アルプスにチャレンジの由だが、我々の輪に参入する
と同時にまるで身内であるかの如くズンベラ喋り始めた・・・。沼津にもアルプス
があるとか・・・信用してもらえたのは有難いが・・・こんなタイプが「なんとか詐
欺」に引っ掛かるんじゃないかと他人事ながら少し心配に・・・。
(4)相当量の雨の後の足場は要注意
かつて建長寺ルートと明月院ルートの両方を回りましたが、今回帰宅してか
みさんから言われて思い出しました。当時、雨がそこそこ降ったあとのトレッ
クだったので足場の悪い場所ではスリップ警戒で多くのトレッカーが苦労して
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いました。低山で短い距離のコースですが、濡れた足場は要注意であること、
皆さん TAKE NOTE 願います。奥穂高のようなきっちり階段状に整備されていな
い所が気になります。
(5)打ち上げ「仕立て屋」での話題
A)ムッキーちゃん
会話は弾んで土佐の付加価値がテーマに。「ぶんたん」等の柑橘類の皮むき
機の革命児「ムッキーちゃん」を大津にいる妹が送ってきたので、さすが高知
人もついに考えて知恵とアイデアを絞り抜いて便利な機器を作ったか、ちくと
付加価値が上がるぜよ、と喜び爆発して機器の裏側を見たら「大分県(有)も
もや」と書いちゅうぜよ!何をしゆうぜよ、高知人は!美味しいぶんたんの栽
培方法を九州人に酒一杯で教え、ムッキーちゃんまで作ってもろうて、さらに
買う方まで協力するがかよ!!
へんしも道州制を実現して高知の名前を消して松山か高松の子分になって付
加価値創造のノウハウを勉強してもらうしかないぜよ!!!刺激がのうなった
地域は知恵もアイデアものうなって、ちゃがまりゆうがや!!!
B)高知県人会
錦糸町のホテルに行ってみたら村長さん、町長さん、市長さん他政治家達が
ヤアヤアと歓談しながら飲みまくりよったぜよ!近くにいたホテルの営業マン
が「こんなに元気なエネルギーで酒を飲めるのは高知県人だけだ!」と呟くの
を聞いて次回からの欠席を決めたぜよ。こんなエネルギーがあるなら、何故そ
れを赤字財政解消に回さんがぜよ!!!
#3 岡田 美奈子 さん(天園コース担当)
5 月 9 日の鎌倉天園トレッキングへのご参加ありがとうございました。皆様の
ご協力を得て、無事にトレッキングを終えることができてほっとしています。
五月晴れとはいかなかったですが、穏やかな天候で、何よりでした。コースへ
人家が迫っているし、深い山ではないので、草花は期待していなかったですが
ホウチャクソウ(宝鐸草)、ウラシマソウ(浦島草)、キンラン(金蘭)など
の珍しい花を見ることができました。浦島草は「釣り糸」がはっきり残ってい
て、名前の由来を見て頂くことができて良かったです。「祇園山コース」は、
小町通りの喧騒が嘘のように静かなコースでした。祇園山では、山藤が見事で
した。東勝寺跡で、青砥藤綱にまつわる故事を松本さんが披露してくれました
が「ほんまかいな」という面白い話でした。松本さん、入念な下調べに感心い
たしました。今回のトレッキングが、皆様の健康維持に一役買うことが出来た
なら、望外の喜びです。また、ご一緒できることを願っています。
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#3 岡崎 恭久 君
5月9日の鎌倉の天園コースのハイキング みなさんお疲れ様でした。
天園コース、非常にいいコースでした。建長寺は2~3回立ち寄った事があり
ましたが、北に抜けての天園コースは初めてでした。高度はないものの急坂や
石段、枯葉を踏みしめての足に優しい山道も有り、鶯の囀り、初夏の山野草も
たくさん見られ(花の名前は岡田さん、久常さん,国見先輩に教えられるばかり
でしたし聞いてもすぐ忘れる認知症の始まり症候群でしたが・・・)、また、知人
を誘って歩きたいコースでした。天候にも恵まれましたが、暑すぎず、爽やか
な初夏の季節に初めての鎌倉のトレッキングを企画案内してもらい、ネームバ
リューも有り、期待大でしたが期待に背かず充分満足の一日となりました。
#20 松本 直人 君(祇園山コース担当)
鎌倉アルプス山行ご参加の皆様、土曜日はお世話になり皆さんありがとうござ
いました。懸案の天気も日中はまずまず問題なく、快適なトレッキングでした。
祇園山ハイキングコースは、距離は短いながら、それなりに自然が満喫できる
コースで個人的にはお薦めです。(鎌倉宮方面から鎌倉駅へ人ごみを避ける迂回
路としても散歩がてら良いように思います) 時間の関係で今躑躅のきれいな
安養寺など見どころをゆっくり回れなかったのは少し残念でした。
尚、当日の写真と報告を「学芸関東支部」のフェイスブックに掲載したところ、
さっそく反応があり、以前から日曜トレッキングに興味を示されていた、濱口
典子さん(24 期?)から「日曜トレッキング☆彡参加したいです!(*^^*)」と
のコメントがありました。
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