「食肉学術フォーラム」委員会 第2回

「食肉学術フォーラム」委員会 第2回
平成 21 年9月7日(月)
於:乃木會館
「牛肉利用の歴史」-食文化との関連で-
二本松学院学院長/京都大学名誉教授 宮崎
昭
牛肉の魅力
日本獣医生命科学大学教授
西村敏英
牛肉のおいしさについて
日本獣医生命科学大学名誉教授 沖谷
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明紘
「牛肉利用の歴史」-食文化との関連で-
二本松学院学院長/京都大学名誉教授
宮崎 昭
みやざき あきら 昭和 36 年、京都大学農学部卒業後、京都大学の助手、助
教授、教授、評議員、学生部長、さらに大学院の農学研究科長、農学部長を歴
任。
平成 11 年京都大学副学長、
平成 13 年に京都大学名誉教授に就任。
その後、
放送大学の京都学習センター所長を務め、現在は、学校法人二本松学院の学院
長。農政審議会専門委員、畜産振興事業団評議員、文部省の農学視学委員、農
畜産業振興事業団の運営審議会会長、社団法人中央畜産会の理事等、 数多く
の公職に就く。専門分野は畜産資源学、国際畜産論で、昭和 51 年に日本畜産
学会賞を受賞。
日本人の食生活の大きな特徴
今日は、日本食肉研究会の会誌『食肉の科学』で連載しました「食肉利用の歴史」の中から、
牛肉に関するものについて、順を追ってお話ししたいと思います。
京都大学で国際畜産論の講義をしていた時、学生に「朝ご飯に何を食べた」と聞くと、
「食べ
ていません」
、
「パンと牛乳です」
、
「ハムエッグを食べました」などと答えが返ってきます。ご
飯を食べていなくても、
「朝ご飯」が自然な形で朝の食事を意味するようになっているところに、
日本人の食生活の大きな特徴があると学生たちに説明して、講義をスタートさせてきました。
われわれ日本人は米をつくって満足に食べられるように、長い年月努力してきました。もと
もとモンスーン地帯にある日本では、夏に雤がたくさん降り気温がかなり高くなるので、米づ
くりには大変ふさわしい地とされています。従って日本人は、とにかく利用できるところは全
部利用しようと、山を削って棚田をつくり、千枚田と呼ばれるまでに水田づくりに励みました。
それをつくった人たちの努力たるや本当にすごいと感心します。
以前読んだ本の中で、東畑精一先生が外国の学者に、日本の棚田を案内した時、
「これはピラ
ミッド以上のものだ」と言われた話が書かれていました。とにかく土地がフラットにできて、
水がちょっとでも手に入るところは、米をつくろうと努力をしてきたわけです。
米を中心に営まれていた日本の食生活
縄文時代、日本の国に住んでいた人は数十万人だろうと言われています。米が安定的につく
られるようになってから、ちょうど平安時代の初め頃から水田が整備されていくのですが、人
口が徐々に増えていきます。江戸の初めの頃になると 1000 万人を尐し超えたぐらいと統計的に
は言われています。それが、比較的平和だった江戸時代が終わり、明治の初めになると 3500 万
人ほどになって、昭和の初めになると 8000 万人になります。これも米をつくって食べてきたお
かげで、そこまで人口が伸びていったわけです。
人口増加に伴って水田がどうなったかというと、江戸の初めの頃にはもう 400 万 ha の水田が
ありました。それが昭和の初めになりますと 600 万 ha、それほど増えずに、1.5 倍にしかなっ
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ていない。生産性が非常によくなって、結局、多くの人口を養うことができるようになったわ
けです。その中で一番の関心事は米の耐冷性で、大変な努力をしてきました。北海道で初めて
水稲ができるようになったのが昭和 12 年(1937 年)
、私が生まれた年です。ところが、北海道
でできる米はおいしくなくて、とても食生活を楽しむどころではなかったらしいのですが、昭
和 63 年になって「きらら」が登場し、耐冷性と食味の点で非常に優れていたので、北海道の米
生産は発展し現在に至っています。
日本では、食生活において米を大変大事にしています。そのため、例えば「稔るほど頭を垂
れる稲穂かな」という表現にあるように、食生活の中心を占める米にちなんで、生活を描写す
る文化も育まれました。また、明治時代には外国の使節団に対して、日本人がこんな素晴らし
い能力を持っていることを見せつけようとする行事が盛んに行われました。その中で、第 19 代
横綱の常陸山が、米俵をみんなの前で持ち上げて、外国の人から「何であなた方はそんなに力
が強いのか!?」と聞かれると、
「日本でとれる米を十分食べているからだ」と言わせたらしいで
す。
ところが、今は焼肉が好きな力士が多い。もちろん、ちゃんこ鍋は必須のものとして食べる
のですが、千代の富士を育てた 52 代目の横綱北の富士は、この頃はもう、焼肉に連れて行くと
力士は際限なく食べるので、あとで懐具合が心配になると語っていました。そんなふうに時代
が変わってきたわけです。
モンスーン地帯の日本と畜産が盛んな地帯のヨーロッパ
日本では、米をつくるのに最低限必要な家畜、特に牛を飼う生活をしていました。農耕に使
う牛は、大事な農作業をやってくれるので、とにかく大切にされました。しかしその餌は、水
田の畦草を刈ってきたり、藁を与えたり、あるいは山の草だったりと、米づくりが中心のため
に、家畜のために十分な餌を生産しようという気持ちはなく、明治に至るまで、家畜のために
餌をつくっていたのは、ごく限られた地域だけだったと言われています。
それに比べて欧米では、日本よりかなり緯度の高いところにあって、夏が比較的涼しくて雤
も尐ない環境なので、麦をつくったところで十分実るとは限らない。そうすると、それを家畜
の餌にして畜産物を利用するしか生活の方法がなかったわけで、必然的に畜産に偏った生活を
していたわけです。肉をたくさん食べると頭数が減るので、一番いい食べ方としては、ミルク
をとる。ミルクを出すということは、子牛が生まれるということなので頭数も増える。人間が
それらを尐し横取りしながら生活を続けてきたのです。
「ミュンヘン、札幌、ミルウォーキー」の 3 都市は、おいしいビールの産地と昔から聞いて
いたので、その3つは同じ緯度にあるのかと思い調べると、札幌とミルウォーキーは北緯 43 度
で、ヨーロッパではマドリードあたりです。ミュンヘンは 48 度です。43 度のところでも南欧
と言われる地域ですから、いかにヨーロッパの国々は――もちろん、海流の影響がプラスに働
いている時はいいのですが、大変住みにくい農業環境下にあることがわかります。
欧米では米はほとんどつくらず、南のほうは小麦をつくり、もうちょっと北になると大麦、
エンバクをつくって、一番寒いところではライ麦しかできない。そんな生活を繰り返していた
のですが、植物育種学の取り組みで、かなり広いところまで(北まで)小麦ができる環境にな
ってきています。その辺が、日本のモンスーン地帯とヨーロッパの畜産の盛んな地帯の大きな
違いです。
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日本の「殺生禁断」
「肉食禁止」の歴史
日本人の肉食について考えると、日本には野生の動物が非常にたくさんいたので、つかまえ
た動物はすぐにさばいて食べていました。古墳の中の骨を調査した報告書には、哺乳類の骨が
60 種類も化石として残っていたと書かれていたそうです。だから、本当に豊かな自然の中に、
多くの動物がいたわけです。その中の9割がイノシシかシカの骨だったので、のちのち「シシ」
という言葉が、肉そのものになっていくわけです。鳥の骨は非常にやわらかくて化石になりに
くいので、出土品の中の調査報告にはありませんが、スズメはもちろんですが、とにかくツル
でも白鳥でもつかまえて、大小さまざまなものを食べ続けていたわけです。
そうした日本人の生活に、やがて朝鮮半島を通して渡来人が現れて、変化が生まれます。非
常に高い文化を持った人たちが日本へ伝えてくれたのが、肉食の食習慣でした。肉を食べる、
あるいは皮革をとって武具をつくる人たちが、どんどん入ってきました。その人たちに影響さ
れて、日本の社会で肉食が多くなります。
また一方では、特に農村を中心にして、飢饉、あるいは雤が降らなかった時の雤乞いのため
に牛をと畜して神様に供え、みんなで食べて元気のなかった体を癒す、そんなことがしばしば
行われるところがありました。ただし、牛ほど農作業を効率よくしてくれるものがほかになか
ったために、牛をと畜するのはよほど特別な理由がなければだめでした。
日本が朝廷を中心として国づくりを行っていく過程で、538 年に仏教が伝わり、
「憲法十七条」
が制定されて、聖徳太子が中心となって仏教国を立ち上げていきます。肉食の習慣は、国家財
産を減らす行為でもあり、特に牛の場合は日常の作業能率を下げるので、その習慣を抑制する
ために仏教の教えを利用し始めるわけです。
ちょうど 675 年(天武4年)にそのような詔が出ます。動物を、いわゆる乱獲につながるつ
かまえ方は禁止するということが前段に書いてあって、後段には、牛、馬、猿、犬、鶏は殺し
て食べてはいけないという「おふれ」が出ます。
ところが、その「おふれ」が出る前にも、642 年(皇極元年)に、農作業や運搬用に重要な
家畜を保護する理由から、牛や馬のと畜が禁止されます。農民が雤乞い祭りをする時にはと畜
の代わりに土牛をつくって供えなさいと、そんなことも行われていました。とにかく牛は殺さ
ないという動きが、だんだんと広がっていくわけですが、やはりおいしい牛肉はなかなか忘れ
られないので、何回も何回も、
「殺生禁断」
「肉食禁止」という類の「おふれ」が出ていること
からも、当時の日本人の宗教観と肉食の微妙な関係がうかがい知れます。
例えば聖武天皇の頃には、疫病が流行り社会が非常に不安になって、庶民の間で、今世は諦
めて来世に望みをかけようという気持ちがピュアな形で進んでいきます。ちょうど聖武天皇が
お亡くなりになった次の年くらい、大仏開眼の前の1年間は非常にきつい殺生禁断が出ました。
魚をとる漁師の人たちにも、家族の人数に応じてモミを与えるから1年間は漁をしてはいけな
いと、そんな禁止令が出された記録も残っています。もっとも、出されたのは限られた範囲、
目の届く範囲だけだと思いますが、国の方針としてこのような殺生禁断の布令が繰り返し出さ
れます。
日本は非常に豊かな自然に恵まれていたので、季節ごとに食べるものがたくさんあります。
山へ行くと大小さまざまな動物をつかまえることができ、特別に牛を食べなくても生活できる。
そんな生活の中で、上手に精進物が食生活の中心に置かれるようになります。鎌倉時代には道
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元と栄西の伝えた宗教が、禅林風の、いわば精進料理の親戚のようなものを中国から持ち込み、
室町時代になると、貴族階級の鳥や魚を使う料理が加わり、それらが渾然一体になって、江戸
の中頃には「日本料理」として完成していきます。だから、牛肉を食べることを特に望まなく
ても、人々は生活ができたのです。
日本人が米中心の生活をしていることは、渡来した宣教師などを通じて世界中に情報が流さ
れました。アダム・スミスは、
「米をつくっているところは麦をつくっているところよりも6倍
の穀物の収穫がある」と書き、モンテスキューは、
「米を食べているところは一定の面積にたく
さんの人が住める」と書いたりしています。そんなこともヨーロッパで知られるようになって
いきます。
禁止されていても食肉の習慣はあった
このように食肉は禁止されますが、時期によって――例えば武士階級では、大変荒々しい武
士は、農村部で牛を殺して食べることもしばしばあったと、鎌倉時代、室町時代あたりになる
と、そんな記録も残っています。京都の町の中には牛肉料理を扱う店もありました。
鎌倉時代からずっと時代が下がってくると、今度はキリシタンの影響が出てきます。キリス
ト教に影響された地域、特に九州全体は大変牛肉を食べました。宣教師たちが畿内に布教活動
をしたいと言い出した時、当時の仏教との争いで苦労していた織田信長は、仏教とのバランス
を考えてキリスト教の布教を認めます。そうすると、キリスト教に帰依するキリシタン大名が
現れてきます。例えば、高山右近は北条攻めで小田原へ行った時に、陣内で、蒲生氏郷、細川
忠興らを招いて牛肉を食べたとか、日頃から牛肉好きの人たちを集めて、宴会をしたというよ
うな話もあります。
ところが、キリスト教の力がだんだん強くなり、島原の乱が起こると、こんどは一転して、
徹底的にキリスト教は弾圧され、すべての人をお寺の檀家に組み入れるという、その後の日本
人の食生活だけでなく、生活全般に非常に大きな影響を及ぼす出来事も起こりました。江戸時
代になり鎖国をしていても、ヨーロッパのニュースは伝わってきます。江戸中期の儒医・香川
修徳は、
「邦人は野獣肉を食さぬ故に虚弱なり」と言い、栄養の面から食肉の重要性を説いてい
ます。日本一と評判の医者だったから、影響力がありました。後に野獣の肉を扱う店が東京(江
戸)を中心にして広がっていきます。
一方、京都でも、ちょうど彦根藩が唯一、牛のと殺を認められていて、大きな陣太鼓や武具
をつくったりする皮を量産していたので、その肉を随分食べていたという歴史があります。そ
の頃は冷蔵庫もないので、生の肉は味噌漬けにされ、代々将軍家へ「御養生肉」として献上さ
れていました。90 年ほどの間に記録に残っているだけで 35 回送ったといいます。京都の山科
に閑居した大石内蔵助もそれを食べ、堀部安兵衛の義父に、食べると元気が出ると贈っていま
す。冬牡丹とか、黒牡丹とか、牛肉をそういう隠語で呼びながら流行させていったわけです。
川柳の中に、
「冷え性で甘日ほど食ふ冬牡丹」
(柳多留)や「口どめのほころびてくる冬牡丹」
という句も詠まれています。
東京(江戸)では、ももんじ屋という、野生の動物の肉を扱う店が麹町あたりにいくつかで
きて、大繁盛します。その頃は、獣肉食は罪悪視されていたので、食べるための免罪符として
「薬喰い」という形も考え出されました。そうするとまた、川柳もそういうポイントを押えて、
「けだもの屋(ももんじ屋)藪医者ほどは口をきき」とか、
「祭にもけだものを出す麹町」と詠
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んでいます。それから、
「薬喰い隣の亭主箸持参」
、
「薬喰い人に語るな鹿ヶ谷」――鹿ヶ谷は京
都の大文字山の裾の地名ですが、そのあたりにはシシがたくさんいて、肉を食べていた地域で
す。そんな生活が、江戸の後期にはだんだんと広まっていきました。
1868 年の「戊辰の役」の時には、負傷した人たちが和泉橋の病院で肉を食べたという記録が
残っています。
「命が惜しくなければ食わなくてもいいけれども、惜しかったらこれを食べなさ
い」と、無理やり食べさせられたそうです。その1週間のメニューも残っています。結構たく
さんの肉が出ていて、そうなると、退院するときに「もう尐し牛肉を食べたいから、残しても
らえんか」と、そんなことを言う者まで出たという、笑える話も載っています。
開国・文明開化と「牛肉屋のススメ」
とにかく江戸の末期になると、表向きは盛んではなかったにしても、肉食は、庶民の日常の
食生活の中に入り込んでいきました。さまざまな調理法が考案され、食卓には確実に肉が入り
つつあったのは間違いありません。
そして文明開化の明治になって、
「牛鍋を食べましょう」の大合唱が起こります。その時代の
変化に対して柳田國男は、
「わが人民は、ある歴史家が想像したような、肉(シシ)を忘れた人
民ではなかった。……ただ、多くの人はシシを食べなくても生きられる術を知っていたに過ぎ
ない。新時代に教えられたことは、たくさん肉を食うべしということだった」
、そのようなこと
を書いています。
肉食が体のためにもいいと知られた江戸時代の終わり頃には、
1853 年にペリーがやってきて、
翌年に日米和親条約が締結されます。その時に、両国の間には、薪と食料、水と石炭などは、
アメリカ船の「求めに応じて給すべし」という約束がありまして、初めて要求された食料が牛
肉だったので、大騒動になったのです。
「牛肉を所望しておられること再三なることは、先ほど遣いが帰ってきて申すのでよく承っ
た。だけど、わが国の人民は、牛が人に代わって仕事をしてくれるので恩を感じて、その肉を
食べることは絶対しない。だから、五穀、魚、野菜など、当所が持っているものはことごとく
提供できるけれども、牛肉だけはご勘弁」
。その時の記録では、そう記されています。
片や条約に食料の供給を明記されている限り、牛肉の提供を要求するアメリカ側は、幕府に
圧力をかけます。力関係で、日本はだんだんと牛肉を提供せざるを得ないようになり、箱館に
限って牛肉が積めるようになります。箱館には、東北の南部地方からたくさん牛を連れてきて、
外国の黒船に提供する牧場がつくられますが、初めの頃は、
「黒船が停泊中には、放牧して牧野
にいる牛は全部隠しなさい」とか、
「荷物を引っ張らせている牛も見えないようにしなさい」と
か、随分苦労したようです。
そういう時代に、西洋事情に通じている人たちは、時代が開けるにしたがって、やはり日本
でも牛肉を食べるという話をする。その旗頭が福沢諭吉です。横浜に港が開けて、異人館が建
って、そこでコックの修業をしていた中川屋嘉兵衛が、領事館などが江戸につくられるように
なったので、江戸で牛肉の商い(卸し)を始めます。それで福沢諭吉に相談をしたら、「ぜひ、
しなさい」と勧められたので、嘉兵衛は、現在の新橋駅の近くに牛肉店を開いています。
「牛肉
屋のススメ」が、
『学問ノススメ』のまる5年前に口頭で出来上がっていた、そんなことも伝わ
っています。
そうなると、時代が変わったのだから牛肉を食べましょう、という風潮が広まっていって、
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明治2年になると、海軍食に牛肉が取り入れられます。明治4年になると、仮名垣魯文が『安
愚楽鍋』で、
「牛肉はたまらん、おいしいものだ」と書いています。
「ようやく国が開けてきた
から、そんな高級な食べ物が食べられるようになった。牛肉は、外国ではいわば大名のような
人たちが食べているものだ」というようなことを言っているのですが、ヨーロッパでは誰もが
食べていたはずのものです。牛肉に関する極めつけは、明治5年1月 24 日に 20 歳になられた
明治天皇の逸話で、天皇が宮中で牛肉を食べられる。それを『新聞雑誌』は、おそれ多くも過
去の陋習を破ろうと、天皇さんが肉を食べた、と伝えて、世の中すべてが「牛鍋を食わねば開
化不進奴(ひらけぬやつ)
」という風潮さえ生まれてきます。
時代が変わって急速に普及する肉食
この時代に肉といえば牛肉で、それは庶民の食べ物、牛鍋として普及していきます。そして
間もなく、西洋料理の材料として上流階級の人たちに嗜好されていきます。初めは大都市の料
理店で供され、やがて家庭料理となり、その後地方の小都市へと伝えられました。
しかし、農民たちの受け止め方は違っています。農業に従事していた社会主義者の片山潜は、
「子どもの頃から自分は農村に育ったので、牛の尻を追って作業もしたし、お金も儲けた。そ
れを思い出すと、
(牛を)食べろ、食べろと言われてもなかなか食べる気にはなれなかった」と
随筆の中に書いています。また、新潟県長岡の士族で役所勤めをしていた人が、ある時家に帰
って、今日は牛肉を食べよう、新しい時代は牛肉を食べなきゃならんと家族に言うと、そこの
おばあちゃんが「ご先祖様に申し訳ない」と仏壇に目張りをしたという話もあります。
1200 年の長い期間、仏教の「不殺生戒」の思想、特に江戸時代にはその影響を受けた「生類
憐みの令」などの布令によって、殺してはいけないという思想と、平安の初め頃に完成してい
った神道の「穢れ」の思想が、一部の人たちを除いて生活の隅々にまで浸透していた日本では、
食肉禁止でがんじがらめになっていた人たちにとって、時代が変わったから食べましょうとい
うのは、まさに大革命が起こったも同じです。
そのような状況では、牛鍋を食べさせる店は、かえって増えていきました。明治6年には、
浅草と神田の界隇だけで 74 軒の牛鍋屋ができています。明治 10 年には、東京中に 558 軒の牛
屋が開店し、どんどん広がります。関西でも、明治2年になると神戸の元町にすき焼き店が開
店し、全国的に都市を中心に肉食が盛んになって、やがて、それが農村部へ影響を及ぼしてい
くという形で、日本における牛肉の消費が広がっていくことになります。
明治の終わりから大正にかけては、日本の国が非常に豊かな時代で、洋食が一般の家庭の中
にも入ってきます。あるいは西洋一品料理の大衆的な洋食屋が、明治 30 年代には東京だけで
1500 軒もできていました。そこで提供される一品料理が一般の家庭に入ってきて、豊かな和洋
折衷のような洋食が広がっていくわけです。
大正になると、コロッケ、豚カツ、ライスカレー、これが家庭の定番になったと言われます。
帝国劇場で、ワイフもらってうれしかったが、
“♪今日も出てくるおかずはコロッケ~コロッケ
~”と、そんな歌も流行して、日本の社会は急速に西洋化、いや西洋かぶれしていくことにな
ります。
非常に豊かな大正時代ですが、関東大震災が起こって東京の肉食文化も大変な変化にさらさ
れます。東都復興のもと関西からどんどん応援がきます。新しい店ができて、その時代に牛鍋
という言葉も看板にはほとんどなくなって、
「すき焼き」が一般的な名前になります。そば屋が、
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今のような形の基本ができたのが、ちょうどこの頃だったとも言われています。
日清・日露戦争後に広まった「牛肉おいしい」
明治の初めに鍋で食べた牛肉は、スライスしたものではなくて、ぶつ切りの肉です。その肉
に、ザクとしてネギ、コンニャク、焼き豆腐を入れて味をつけて炊いていました。そうたくさ
んの牛がいたわけではありませんから、牛が不足すると馬の肉を出す。安物の牛鍋屋は馬の肉
を使っていると噂が立って、学生たちは牛鍋を食べる時に、生の肉を壁にぶつけて、くっつい
たら馬肉、落ちたら牛肉などと、そんな見分け方をしているという話も出ました。
それから、
「牛」の(字の)縦棒のとび出た部分を取ったら、干支でいう「午(うま)
」にな
るので、肉屋は、
「牛肉」をあえて「午肉」と間違わせて売ったりしました。そこで、牛肉を扱
う店は「肉」という字を赤い字で、馬肉を扱うところは黒い字で書きなさいという指導が、明
治 20 年頃に出されます。
日本中で肉食が楽しいと伝わったのは、明治 27 年の日清戦争、37 年から始まった日露戦争
で、戦地へ牛肉の大和煮の缶詰がたくさん送られるようになってからと言われています。全国
津々浦々から集まった兵士たちは、そこで初めてこんなおいしい食べ物に接して、戦後、国に
帰って「牛肉がおいしい」と広めたわけです。
昭和の幕開けとともに、金融恐慌が始まります。4 年には世界恐慌が発生し、特に大きな影響
を受けたのが農村で、大正時代から購入肥料の支出がかさんで生産費が高騰していた農家の経
済状況は一層悪化し、昭和の初めにかけて農業恐慌が起こります。そこで政府は、農家の収入
を何とか維持させるために、各戸に1頭、牛を飼うことを奨励します。餌代は近くの草で済み
能率よく働いてくれるし、婦女子で世話ができる。牛を1頭入れると、肥料もできる。最後に
は皮や肉が売れるからいいことばかりだと、有畜農業を奨励したわけです。そこで日本中にど
んどん牛が増えていきます。
日清・日露戦争の勝利で、朝鮮半島から、また青島からも牛が入ってくる、非常に豊かな時
代で、昭和の初めは、肉といえば牛肉を指す、最も一般的な食肉でした。しかし昭和 12 年の日
華事変以降は、肉は、それこそすべて軍部に供出させられ、一般の国民は配給が遅配・欠配に
なり、いよいよ大変という時に終戦になりました。
肉牛の減少で進んだ食肉の技術革新
それから後は、生活の中でいろいろ経験したことがそのとおり歴史になってきていると思い
ますが、一番注目されるのは、昭和 27 年頃まで和牛がものすごく増えますが、耕運機が発明さ
れ、火薬工場が平和産業の名のもとに化学肥料をつくり始めると、1年中牛を飼う必然性がな
いという議論が起こって、牛はどんどんと畜されます。その野上がり牛は、遠いところまで運
ぶ手段がなかったので、牛が飼育されていた地域のすぐ近くの都市でと畜されました。
だから昭和 30~35 年頃、京都では、土曜日か日曜日には必ずすき焼きを食べる、そういう風
習がずっと行われたのです。しかも京都で食べているすき焼きは、まず鍋を温めて、脂をしい
て肉を入れて、砂糖と醤油を加えて肉を色が変わったら全部食べる。あまり熱いので卵をくぐ
らせて食べる。それがひととおり空になったら、また肉を入れて残りの味で食べる。3回ぐら
いそれを繰り返し、それが済んでから野菜を入れて食べる食べ方でした。だから関西では膨大
な牛肉を食べていたわけです。
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そこで、気がつくと牛が急速に減っている。しかも牛肉の需要は増えている――昭和 30 年代
に入ると、使役の牛が減って従来の壮齢肥育牛の入手が困難になります。また肥育の収益を上
げるために、肥育期間を短縮した「若齢肥育」の牛が出回り始めます。今までは6歳ぐらい、
もっと上でも肉になっていたのが、産まれて1年半で牛肉にする技術が開発されます。あるい
は乳雄、ソーセージの原料にしていたようなものを肉にするためにどんどん技術開発が行われ
て、現在の生活に至っているわけです。
その間に、日本は輸入できるお金が増えたので、かなりたくさんの牛肉を輸入します。アメ
リカで牛肉を買うかオーストラリアで買うかが競争になり、アメリカは、日本向きに長期間肥
育して肉を送るようになりました。アメリカは、ヒレ、ロース、モモ肉などをボックスで日本
へ送り、残りは挽き肉にしてハンバーガーの材料にしていたため競争力が強かったのです。オ
ーストラリアは、部分肉を日本にある程度送ったら、残りは国内で売れなかったために、ある
ときオーストラリアからの輸入は減ったのですが、BSEの発生と同時に立場が逆転しました。
そんな状況もあります。
アメリカの経済学者と出会った時に、
「日本は生きた牛を霜降りにしようと思うから効率が大
変悪い。アメリカでは、死んだ後、混ぜてどんな霜降りでもできる」と聞きました。そのくら
い食生活に関する常識は、国によっても違うものだと思います。
ご清聴ありがとうございました。
〔質疑応答〕
藤巻 先生、どうもありがとうございました。それでは、ご質問、ご意見をどうぞ。
柴田 大変興味深いお話をありがとうございました。これは先生に直接うかがう質問なのかど
うか迷うところですけれど、日本では肉食禁止の思想が仏教の影響で出てきたという話ですが、
この辺はいくつか異論もあって、また、馬は戦争で消費されるから、牛を飼育している余裕が
なくなったという説もあります。それはともかくとして、
「仏教の影響である」というところが、
どういうことなのかと僕はときどき考えるのです。仏教が中国に伝わる――三蔵法師が伝えて
いくのですが、仏教のオリジンにも、三蔵法師が歩いたシルクロードにも、肉食禁止の思想は
ないように思うのです。むしろ、肉食を禁止したら大変なことになる。
一説によると、中国に入って道教の影響が仏教に付与されて――そのプロセスで肉食禁止の
思想が仏教に付与されて、朝鮮半島を経由して日本にも入ってくる。日本の神道も当然、道教
の影響を受けていると思いますが、先生がおっしゃったように神道も生臭いものを避けるのは、
途中、平安くらいに入ってくるわけです。その辺のことを、先生はどうお考えになっているの
かということが一つです。
それから調理形態の問題ですが、ジンギスカンは北海道・北見から生まれたという説もある
くらいで、大体、遊牧民族が脂を燃やしてしまうなんて無駄なことをするはずがない。先生は、
たたきのような、タルタルステーキ的な食べ方とお書きになっています。今の中国では、これ
は回族の料理になっていますが、火鍋、いわゆるしゃぶしゃぶ、これがモンゴルで結構多かっ
たのではないかと僕は想像しています。それは回族に固有のものではなくて、モンゴルにこれ
があった。いわゆるモンゴルの食べ方はたたきのようなものが一般的だったのか、それとも、
脂を湯通しして残してまた使う、そのような形が多かったのか。その2つをおうかがいいたし
ます。
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宮崎 まず、あとのほうからお話をします。私は 1990 年と 91 年に、モンゴルがペレストロイ
カの影響で、初めて外国から人を入れると決めた時に、大阪外国語大学モンゴル学科の先生た
ちと一緒に1カ月ほどモンゴルの調査をしました。その時に、出発に当たって学生たちは、
「先
生、本場のジンギスカンを食べるんですね」と言うから、そうかなあと思っていたら、モンゴ
ルでは焼いて食べるのは非常に稀なことだとわかりました。大きな金たらいのようなものに骨
つきの肉を放り込んで、塩味だけでそれをむさぼり食べる、その繰り返しをしていました。
だから、北海道で楽しめるジンギスカンとは全く印象が違うわけですが、脂を燃やしてしま
うというよりも、きちんと何から何まで利用しようとする精神が、今までずっと生きてきたの
だろうと思います。
柴田 しゃぶしゃぶは一般的ではないですか?
宮崎 私どもはバスを仕立てて、バス3台と食料を積んだトラック2台で、モンゴルの研究者
と日本からの研究者、外語大学の学生が一緒に移動していました。それで、食事を用意してく
れたのは首相官邸の元コックで、政変があって失業しているからと、ついてきてくれました。
合計3カ月間行動予定のところ、私は学校の仕事があったので1カ月で戻ったのですが、ほと
んどが、しゃぶしゃぶよりも、グラグラ煮たものを並べてプレートに乗せてもらう食べ方でし
た。けれど、部位によって、しゃぶしゃぶのような食べ方のほうがおいしいとしたら、やっぱ
りそれはあると思います。家庭でも食べているのではないでしょうか。それから、肉を油で揚
げることもやっています。油がたくさんある時には、肉を油で揚げて、後でまたパンのような
ものを揚げたりする、そんな生活をしていました。
初めのほうの仏教の影響については、確かに仏教だけの話ではありません。原始的な自然の
祖先の霊がその辺に浮かんでいる、そんな太古の時代の原始的な神道が、やがて道教の影響を
受けていろいろ体系化されたわけです。そのうち神道が宮中のお祭りに入っていった時に、最
澄や空海が延暦寺、東寺をつくるわけですが、国家宗教に仕立て上げられていきます。いわゆ
る後発の仏教が神道と手を組んで、特に比叡山延暦寺の場合は、延暦寺の山麓に日吉大社とい
うとても大きな神社があって、まさに神仏習合を行います。たぶん、そのような影響が長く伝
わっていって、
「食べてはいけない」のは、ただの不殺生戒とか、生類憐みだけではなくて、そ
こに大きく「穢れ」という言葉を組み込んで、日本でそのような思想が根づいたと思います。
高田 非常に面白かったのですが、禅宗のような場合には、一部の人は肉を食べません。例え
ば人間の歯を見ると、穀物をすりつぶす奥の歯とか野菜を食べる前の歯に比べて犬歯、肉を食
う歯は、全体の十何%。だから本来は肉なんて食べないようにできている、と言う人もいるわ
けです。人間の寿命が 40 歳くらいの時にはよかったのですが、今はとにかく抗生物質ができた
りして、長生きになり過ぎた。そうすると高齢を維持するために、本来の歯の構成よりも、は
るかに高栄養のものをとらなければいけなくなってきた。
ちょっと長くなりますが、ある時、理化学研究所でウンコの研究をしている辨野義己先生が、
肉を食べるとトリプトファンからスカトールなどができて、ウンコがくさくなって娘に嫌われ
るから、なるべく食べないほうがいいと言って聴衆を笑わせていました。その後、臨済宗の方
の話を聞いたら、妙心寺派に西片義保管長という方がおられて、その弟子が言うには、西片管
長の便所をきれいにしていたら、昔はくみ取りでしたから、においがあまり悪くない。たまた
ま途中で西片老師が帰ってきて、じゃあ雲水のほうの便所をくみ取りに行こうと言ったら、非
常にくさかったから、
「おまえら肉を食してるのではないか」
(笑)と言ったという話です。
87
ところが、彼は 80 歳くらいで車椅子の世話になり、すぐ亡くなられました。それで、私も禅
宗の人の寿命を調べると、80 歳くらいで亡くなる方が非常に多くて、長生きをしている人はあ
まりいないのです。天龍寺の関牧翁は、禅僧で長生きする奴はみんな愚僧だ、と言っています。
何を言いたいかというと、もともとは何であれ、われわれがこんなに寿命が長くなった場合に
は、本来の体の仕組みよりも、もっと高栄養の肉とか、たんぱく質、脂肪をとらざるを得なく
なったといつもいっているわけです。
それに対してもう一つ、お釈迦さまは 82 歳で亡くなっているわけです。修行が終わった後、
例の山羊の乳か何かを飲んで、それが大問題になった。それでお釈迦さまは仏教の宗派内では
異端児で、反対派が絶え間なくお釈迦さまを暗殺しようと思っていたわけです。そのようなこ
とから考えると、いま柴田先生がおっしゃったように、本来仏教は完全菜食を勧めるものでは
なくて、体を維持するために必要なものをとりなさいという宗教だったのが、大乗で伝播して
くる間に、しかも寿命が短かったから、極端な肉食排斥になった。
しかし、肉食排斥になっても、とにかく寿命が短かったからあまり問題にはならなかったも
のが、明治に入って寿命が延びてくると、必要もあって肉食になった。仏教の非常に激しい修
行をしている人は、高田の言うことは世を惑わすものだといっていつも非難されますが、その
原点を見ると、釈尊自身は、肉食とか、卵とか、ミルクをとることをそんなに排斥はしなかっ
たといつも説明しているのですが、私のこじつけでしょうか。
宮崎 私はそういうことまでは答える自信もありませんが、言われたことを、なるほど、なる
ほどと思いながら、聞かせていただきました。ただ、年を取ってもかくしゃくとした人は、や
はり肉が好きですね。数年前に、瀬戸内寂聴さんと聖路加病院の日野原重明さんが、2人合わ
せて何歳だというようなことで対談をしていらっしゃるのですが、瀬戸内さんは、自分が仏門
に入って肉をやめた時代があったが、その時自分は何にもいい作品が書けなかった。肉を食べ
るようになってから書けるようになったと話していました。
日野原先生も「私は牛肉が好きなんですよ」と。
「いや、先生は粗食の勧めをみんなに言って
おられるけれども」と言ったら、
「いや、私は一番好きなのはステーキで、言っていることと、
していることは別だよ」
(笑)というのがオチでした。高田先生がおっしゃったことで、ふと思
い出しました。答えにも何にもなりませんが、その辺のことは先生のご意見をもっともだと私
は思います。
上野川 非常に興味深くうかがいました。高田先生がウンコの話とおっしゃっていましたが、
腸内細菌の話だと思います。昨年の今頃でしょうか、
『サイエンス』に医学者(生物学者)で腸
内細菌を研究している人がいて、動物園の動物の腸内細菌が、草食と肉食、その中間食でパタ
ーンがどう違うかを調べた論文が掲載されました。
一つの結論は、草食群のほうが腸内細菌の種類が圧倒的に多く、肉食のほうが非常に尐ない。
肉食はお互いに食い合うわけです。そうすると食料がなくなってしまう。仕方がないから草食
(果実)のほうに移っていった。そうすると、肉食の場合は、自分自身の消化酵素で消化でき
るけれども、肉食でない場合には、食べて、そして腸内細菌を多様化して、いろいろなものを
消化しなければいけない。
その論理によると、やはり肉食ありきで――それは進化かどうかよくわからないのですが、
次に草食にシフトしたのではないか、そのような意見をおっしゃっていました。それは非常に
理屈に合うような感じがしなくもない。要するに環境に合わせるというか、生き残っていくた
88
めに、草食のほうに移ったということだと思うのです。
それから個人的な質問ですが、私も肉が大好きでいつも気になっているのは、例えば神戸牛
とか、宮崎牛、三田牛、米沢牛、山形牛などブランド牛がたくさんあります。それを食肉の歴
史から考えた場合に、どう解釈したらいいのでしょうか。そのようなブランドはいつ頃から定
着してきたのでしょうか。
それと同時に、今、地産地消、トレーサビリティなどなど、いろいろな議論があると思いま
すが、そういう難しい話はさておき、例えば宮崎牛、神戸牛とか、何々牛と言う場合に、各地
方ごとに独特な飼育法があるのか、もしかしたら飼料が尐し違っているのか。あるいは、遺伝
的に違いがあるのか。実際にわれわれが食べる時に、何々牛と書いてあるけれども、本当に差
があるのか(笑)
。そこまで言ってはいけないのでしょうが、先生はたぶんご専門でいらっしゃ
ると思うので、よろしくお願いします。
宮崎 その辺のことはぜひ聞いていただきたい部分です。今、日本にブランド牛は 281 種類い
ます。そのうちの 155 が和牛のブランドです。それこそ1つの県でいくつも持っている例があ
ります。そんなブランド牛がたくさんいますが、もとをただせば、
「近江牛」が日本で最初のブ
ランドなのです。牛肉を食べる時代になって、明治2年に滋賀県のある家畜商が、牛を1頭だ
け連れて東海道五十三次を歩いて横浜へ持っていくと、
「こんな素晴らしい牛はない」と評判に
なった。それから、明治の4、5年頃に、米屋も兹ねている家畜商の竹中久次という人が、ま
たまた牛を6、7頭連れて、東海道五十三次を 17、18 日間かけて届けています。それがルーテ
ィン化して、何回も往復して、何しろ近江の牛は素晴らしいと、まず東京で評判になります。
歩いて送った時代はそう長くはなかったのですが、明治 18 年に横浜へ行く神戸の港が開港し
ます。その数年前から、牛を船のデッキに積んで横浜へ送ることが盛んに行われていました。
近江の牛は神戸まで連れていかれて、あるいはまた、近隣の良い牛をみんなまとめて神戸から
送った。そうしたら横浜の外国人が、
「神戸ビーフは素晴らしい」と言って、その頃は生産地で
はなかったのですが、積み出し港の名で神戸ビーフがブランドになるわけです。
かわいそうに近江牛は、先に築いた地位を失ってしまいました。それから竹中久次は、明治
16 年に東京に肉屋とすき焼き屋を出します。と同時に「松喜屋」という店もそこにできます。
その松喜屋は、近江の家畜商、西居庄蔵という人から定期的に牛を送ってもらい、宮内省(庁)
御用達になっています。
上野川 そうすると、基本的に和牛は、先祖はみんな同じなのですか。
宮崎 同じです。但馬で生まれた牛が、京都を通って滋賀へ行く。一方では、ミカンのある和
歌山で働いて松阪へ入る。松阪と近江は小さな山を隔てて近いです。加えて、日野の城主だっ
た蒲生氏郷は松坂城をつくるために派遣されて、職人も牛もたくさん連れていっているので、
あのあたりが大体、日本のブランド牛肉の中心です。
ちょうど同じ明治 16 年に、松田金兵衛が「和田金」という肉屋を松阪に開きます。44 年後
の昭和2年になって、和田金は東京へ出てくるのですが、和田金はお伊勢参りのお客さんにと
ても評判がよくて、東京へ出てきた頃にはすでに有名でした。そこで上手に宣伝をして、徳川
夢声との対談、いわゆる文化人の対談で、
「肉は、何といっても松阪だねぇ」などと言わせて、
今度は神戸ビーフも松阪に吹き飛ばされたというのが流れです。
野菜もブランド化するとよく売れるのではないかといろいろ工夫して、特徴のあるものをブ
ランドとして売っていますが、ブランド牛の場合は、やはり生き残りというか……、和牛の血
89
をたどると、ほとんどが但馬のあたり、中国山脈の地域に落ち着くんです。広島だったら、嵩
の大きな牛がいた、鳥取にも非常に大きな牛がいる、但馬の牛は小さい。それをそれぞれ県が
持ち帰って改良して、遺伝的には非常に近いものが、今、全国的に飼われている状況です。だ
から、ブランドの名前が違っても、内容的には非常によく似たものをみんなが食べているのが
実情と思います。
90
牛肉の魅力
日本獣医生命科学大学教授
西村敏英
にしむら としひで 1979 年、東京大学農学部農芸化学科卒業。同大学院
農芸化学専門課程修了。農学博士。1984 年、日本学術振興会奨励研究員を
経て、翌年、東京大学農学部助手に就任。1989 年から約 1 年間、アメリカ
の州立アリゾナ大学にて在外研究を行う。
1994 年、
広島大学助教授に就任。
教授、大学院教授を経て、2008 年に日本獣医生命科学大学応用生命科学部
教授に就任、現在に至る。著書に『最新畜産物利用学』
、
『タンパク質・ア
ミノ酸の科学』ほか多数。2003 年、日本家禽学会技術賞受賞、2004 年、
日本農芸化学会英文誌優秀論文賞受賞。
動物性食品の摂取量増大が日本の長寿を生み出した
昨年は、
「機能性から見た食肉の効能」というテーマでお話しさせていただきました。今回は
「牛肉の魅力」というテーマを頂戴しましたので、牛肉のよさをいろいろな観点からお話しさ
せていただきます。
図 1 は、日本人の平均寿命と動物性食品たんぱく質・脂肪の摂取量との関係を示したもので
す。明治 33 年(1900 年)頃、日本人の男女の平均寿命は 30 歳の半ばぐらいでした。その時
に酪農国のスウェーデンは既に 50 歳を超えていました。これだけ平均寿命に大きな違いがあ
りました。スウェーデンの平均寿命が、男女とも 70 歳を超えたのは 1951 年です。その頃、日
本の平均寿命は、ようやく男女とも 50 歳を超えたばかりでした。日本人の平均寿命が男女共
に 70 歳を超えたのは 1971 年で、スウェーデンに遅れること 20 年が経っていました。
しかし、その後、日本人の平均寿命は急激に延びていきました。それは、先ほど高田先生か
らもお話がございましたが、抗生物質の開発などの医療技術が発達したということもあります
が、戦後における動物性食品の摂取量の増大も、世界に例のない長寿国を生み出した理由の1
つであると思います。
最近発表されました日本人の平均寿命は、女性は、世界 1 位で 86.6 歳、男性は 4 位で 79.3
歳でした。参考までにお話ししますと、男性の1位は、アイスランドで 79.6 歳、香港とスイス
が 79.4 歳です。
日本は、
依然として男女とも非常に長寿だと言えるでしょう。現在の食生活は、
欧米化しており、牛肉を含めた食肉、乳・乳製品、卵の摂取量が増大しており、動物性たんぱ
く質や脂肪の摂取量が確実に増えました。これは、健康維持のためには極めて重要であると考
えられます。
牛肉にはさまざまな部位や品種が楽しめる多様性がある
私どもは「食肉化学」という授業で、20~21 歳の 73 名の学生を対象に肉の嗜好調査をしま
した。牛肉の好きな理由を聞いてみると、
「ジューシー」
、
「甘い香り」
、
「脂肪がおいしい」
、あ
るいは「部位や品種を楽しめる」と答えました。これらは、すべて牛肉の特徴になると思いま
91
す。これから、牛肉の魅力の1つである国産牛肉の種類と特徴について、お話しいたします。
国産牛肉は、大きく分けて3つに分類されます。黒毛和牛、乳用肥育牛、そして交雑牛です。
先ほど、黒毛和牛には、たくさんのブランドがあるというお話をいただきましたが、品種とし
ては黒毛和種という品種の牛になります。乳用肥育牛はホルスタイン種です。月齢の違いもあ
りますが、肉における一番の違いは脂肪交雑度です。脂肪交雑度が高いのが黒毛和牛の肉で、
低いのがホルスタイン種の肉です。値段は、黒毛和牛が高くて、乳用肥育牛のほうが安いとい
うことになります。これらの中間的な特徴を持つのが黒毛和種とホルスタイン種をかけあわせ
てつくった交雑種です(図2)
。
ここに示した写真の左が黒毛和牛の肉で、右が乳用肥育牛のものです。和牛肉は、脂肪由来
の甘い香りを持っています。後ほど、沖谷先生から詳しいお話をいただけると思います。それ
に加えて、ジューシーでやわらかいというのが黒毛和牛肉の特徴です。乳用肥育牛肉は、
「国産
若牛」という名前で売られていますが、焼いた時の香りが、脂肪の甘い香りとは違って、赤身
由来の焼き肉の特徴的な香りを持っています。また、うま味が強いというのも特徴です。これ
らの中間的な特徴を持つのが、ホルスタイン種の雌に黒毛和種の雄をかけあわせることによっ
てできる交雑牛の肉です。一番の目的は、脂肪交雑度を高めたいということです。値段的には
黒毛和牛肉よりも安いので、手に入りやすいと思います。牛肉の甘い香りとやわらかい肉を楽
しみたい時は、尐量でいいから黒毛和牛の肉を食べる。また、尐し、お肉をたくさん食べたい
時には、うま味が特徴の乳用肥育牛肉にしておこうとか、そうした牛肉の楽しみ方があるのも
1つの魅力ではないかと思います。
このように、
各種牛肉にどのような特徴があるかをきちんと消費者にわかっていただければ、
もっともっと牛肉の消費量が増えるのではないでしょうか。
必須アミノ酸のバランスが良い牛肉のたんぱく質
次に、食べ物として持っているさまざまな牛肉の機能について、その魅力をお話ししていき
ます。
食肉を含む食品が持っている機能としては、栄養素を供給する機能、おいしさを付与する機
能、病気を予防する機能があるというのは、皆さんご存じだと思います。牛肉は、栄養素とし
て、たんぱく質、脂質、ミネラルをたくさん含んでおり、栄養素を供給する機能として非常に
優れています(図3)
。
たんぱく質は、健康維持に極めて大切です。牛肉には、良質のたんぱく質が豊富に含まれて
おり、栄養素の供給源として、優れた食品です。脂質の供給にも役立っています。脂質は細胞
膜の構成要素であって、非常に大事な成分です。また、プロスタグランジン等のイコサノイド
(必須脂肪酸が代謝されてできる微量のホルモン様物質)の前駆体になるということで、われ
われは普段から脂質もとらないと健康の維持ができません。さらに、牛肉は、鉄、亜鉛などの
ミネラルも多く含まれています。
牛肉は、たんぱく質の重要な供給源であると同時に、そのたんぱく質が良質であることも特
徴です。
たんぱく質を摂取する場合には、
必須アミノ酸のバランスも考えなければなりません。
必須アミノ酸のバランスの良いたんぱく質をとることが大切です(図4)
。必須アミノ酸のバラ
ンスの良否を示す値がアミノ酸スコアですが、牛肉のたんぱく質が 100 で、小麦のたんぱく質
が 42 です。なぜ、必須アミノ酸のバランスが重要なのでしょうか。
92
私たちの体の中のたんぱく質は、常に代謝されて、新しいものにつくり変えられています。
そのときの原料として、食べ物由来のたんぱく質が利用されますので、原料となるアミノ酸を
食べ物で供給しなければいけません。アミノ酸スコアが 100 である牛肉たんぱく質では、含ま
れているすべての必須アミノ酸が、効率よく体たんぱく質の合成に使用されます。これに対し
て、42 である小麦たんぱく質では、一番低い値の必須アミノ酸の割合しか合成に使用できない
ことになるので、
たんぱく質の体たんぱく質への合成に利用される効率が極めて悪くなります。
牛肉のように、必須アミノ酸バランスの良いたんぱく質を摂取することは、健康を維持する
上で大変重要になります。
牛肉のおいしさは複雑な要素が絡み合っている
牛肉というのは、非常においしい。多くの人が好きな食べ物です。おいしさを決めている要
因というのはたくさんありますが、この中で素材に起因しているものとして、味・香り・食感・
色とか形というのがあります(図5)
。
最近、おいしさの代名詞のように使われる「こく」とは、何でしょうか。尐し説明させてい
ただきます。以前は、味に関して「こく」の概念を議論していたのですが、それではちょっと
説明がつかない。なぜかというと、例えばビールなどで「こく」があると言った時に、炭酸が
抜けたビールは「こく」を感じないと思います。そうすると、炭酸ガスで感じる食感というの
も「こく」に寄与する要因と考えてよいのではないかと思います。
つまり、
「こく」というのは、
「食べ物を口に入れた時、複数の感覚に対して、より多くの刺
激が与えられ、複雑さ、持続性並びに口の中での広がりを感じた時に認識できる現象」という
ことで、味覚だけで感じる刺激ではなくて、香り、さらに触覚による刺激も含めて、こくと考
えていいのではないか。
それでは、牛肉でおいしさを決めている要因は何でしょうか。牛肉の場合は、特に重要なの
が味・香り・食感だと思います。
こういった食材からくるおいしさの因子のほかに、例えば食べ慣れたものがおいしいという
食習慣、あるいは体調なども非常に重要です。
味の情報は舌の味蕾にある受容体で感知する
ここでちょっとしたテストをしてみたいと思います。先生方は、食べ物を食べる時、味と香
りを区別して食べていらっしゃいますか。あまり、そういうことはされないと思います。味は、
水に溶ける不揮発性のうま味成分によってもたらされます。一方、香りは、揮発性の香気成分
によってもたらされます。通常、食べ物を口の中に入れてしまうと、味と香りを同時に感じる
ので、区別できなくなります。
そこで、これから味と香りを区別する体験をしていただきます。沖谷先生のお話に役に立つ
のではないかと思います。先生方にお配りしているキャンディは、青リンゴ、レモン、巨峰、
イチゴのどれかですが、まず、鼻をつまんでキャンディを口の中に入れていただけますか。5
秒間、鼻をつまんだまま味わってください。恐らく、甘酸っぱい味を感じられるのではないか
と思います。これが「味」です。
では、鼻を開放してください。いかがでしょうか。味のほかに、果物特有の香りをお感じに
なられたでしょうか。鼻を開放したときに感じられた感覚が、
「香り」です。食べ物を口の中に
93
入れた時には、味と同時に香りも感じています。従って、口の中に入れた時の感覚は、風味と
呼ぶのが正しいということになります。コマーシャルなどで「味」と言っているのは、香りを
含んでいる場合が非常に多いです。最近、食品業界では、香りの重要性に気づいて、香りに対
する研究が盛んに行われています。味と香りを区別したい時は、鼻を閉じることによって簡単
にできます。
味の情報を受け取るのは、舌の上の有郭乳頭、葉状乳頭、茸状乳頭です。それぞれは、この
ような形をしていて、各乳頭には味蕾という構造があります(図6)
。味蕾というのは、蕾の形
をしているところから名づけられたものですが、その先端に受容体があります。うま味、苦味、
甘味、酸味、塩味を基本五味といいますが、それぞれのうま味物質が相互作用する受容体がわ
かってきました。ただ、塩味だけは、まだ受容体がきちっと確立していません。酸味も確立は
していないのですが、かなりの部分がわかってきました。
酸味については、ASIC というイオンチャネルのたんぱく質が酸味を受容する。あるいは、
PKD という温度感受性のたんぱく質受容体も、酸味を感じる候補として挙げられています。ま
だ決着はついていません。苦味に対しては、T2R と呼ばれるたんぱく質ファミリー群が、苦
味を受容するということがわかっています。実際にヒトの苦味受容体は 20 種類が知られてお
り、それぞれが違う苦味物質に対して反応します。甘味に対しては、T1R というファミリー
があり、その中の T1R2と T1R3のヘテロダイマー(異種の二量体)がスクロースなどの甘
味を受容します。
牛肉などで特徴的なうま味というのは、グルタミン酸を受容する T1R1と T1R3からなる
ヘテロダイマーが受容体として知られています。この受容体が発見されたことによって、うま
味が第5の基本味として認知されたわけです。2000 年のことです。いずれは、うま味の相乗効
果のメカニズムも分子レベルで解明されると思います(図7)
。
うま味や甘味など、味にはそれぞれ生理的な役割がある
基本五味の代表的な物質を記載しました(表1)
。近年、基本味には、それぞれ生理的な役割
があるといわれています。甘味はエネルギーを求めているシグナルです。山登りなどで疲れる
と甘いものが欲しくなるといわれていますが、それは生理的に体がエネルギーを必要としてい
るからです。うま味も、人間にとって好ましい味で、たんぱく質を求めているシグナルといわ
れています。また、塩味は、ミネラルを求めるシグナルだといわれています。
酸味と苦味は警戒させる味だといわれています。食べ物が古くなると発酵して酸味が出てき
ます。酸味は、食べ物が古くなったことを知らせるためのもので、私たちに警戒させるシグナ
ルであると考えられています。苦味というのは警告のシグナルです。植物の中で、アルカロイ
ド(窒素を含むアルカリ性の有機化合物)などの苦味物質は毒を有しているので、それをすぐ
吐き出せるように、生体防御のシステムとして備わっている味であるといわれています。
香りによって食べ物を連想したり区別することができる
私たちは香りを嗅ぐ時、鼻から思い切り空気を吸って、香り分子を空気と一緒に鼻の中に入
れています。口に食べ物を入れる前に、空気を吸って鼻で感じるにおいを Orthonasal aroma
(鼻先香)と呼びます。また、体験の中で、キャンディを口の中に入れた時にも香りを感じる
ことができましたが、これは、Retronasal aroma(口中香)と呼ばれています。
94
それでは、食べ物を口の中に入れて、なぜ香りを感じることができるのでしょうか。口の中
に入れた食材からも香気成分は出ています。その香気成分は、呼気、すなわち空気を吐き出す
時に、空気と一緒に鼻に逆流して、鼻腔の受容体と結合することになります(図8)
。鼻をつま
んだ時にキャンディの香りを感じなかったのは、キャンディから出ている香りが鼻腔に流れな
かったからです。風邪を引いて鼻が詰まって、口だけで息をしている時、何を食べてもおいし
くないというのは、食べ物の香りを感じられないからです。食べ物の香りは、おいしさに重要
であるということが、わかっていただけたと思います。
今までのお話でわかっていただけたと思いますが、
「香りは食べ物を連想させる」という役割
を果たしています。私たちが、肉を食べる時に、その種類を区別しているのも香りです。鼻を
つまんでしまえば何の肉を食べているかわからなくなります。私たちは、香りによって食べ物
の種類を区別したり、何であるかを同定しているのです(図9)
。
うま味、こく、まろやかさ、やわらかくジューシー、牛肉独特の香りがある
今、一般的な味と香りについてお話ししましたが、これから、牛肉のおいしさを付与する機
能についてご説明したいと思います。ここに、しゃぶしゃぶ、焼き肉、すき焼き、ステーキと、
牛肉の代表的な料理を並べました(図 10)
。やはり牛肉というのは、こくがあって非常におい
しい。味としてはやはりうま味が第一の特徴でしょう。さらに、こくやまろやかさといった、
うま味以外の複雑な味があることで、よりおいしく感じます。こういったものが牛肉の味では
重要だろうと思います。
香りについては、焼き肉の香りと、和牛独特の甘い香りというのもあります。牛肉の特徴的
な香りがあると、われわれはおいしいと思うわけです。食感も重要です。やはりやわらかくて
ジューシーな肉というのを、一般的にはおいしいと感じるだろうと思います。
特に赤身の肉というのは、と畜直後は死後硬直を起こして、筋線維が収縮して、パサパサし
た硬い肉になってしまいます。熟成することによって、収縮した線維がある程度伸びてきて、
ジューシーでやわらかくなる。ただ、黒毛和牛の肉に比べたら、それほどやわらかくはないと
思います。一方、霜降り牛肉はジューシーでやわらかい。BMS(牛脂肪交雑基準)ナンバーの
2番と 10 番の比較ですが、これだけ脂肪の交雑度が違うと、やわらかさやジューシーさが変
わってきます(図 11)
。
これは、共同研究をさせていただいている日本女子大の飯田文子先生からお借りしたデータ
です。黒毛和牛 38 頭のリブロースについて、粗脂肪含量と食感の関係を調べたものです。横
軸が粗脂肪の含量で、縦軸が官能検査によるやわらかさ、多汁性です。脂肪含量が多いものは
やわらかく、多汁性があることを示しています(図 12)
。
赤身由来の肉では、
焼いた時に独特の好ましい香りが出て、
おいしさをもたらしてくれます。
この香りは、ピラジンやアルデヒド類によるもので、アミノ酸と糖のメイラード反応で生じま
す。また、和牛肉の独特の香りとして、今日、沖谷先生からお話しいただける「和牛香」とい
う甘い香りがあります。これはラクトン系の化合物によるものだということが沖谷先生のグル
ープで明らかになっており、これが和牛のおいしさに寄与していると報告されております(図
13)
。
和牛は脂肪分 30~40%が最もうま味が強い
95
もう尐し味のお話をさせていただきますが、牛肉のおいしさに寄与している味は、うま味と
こく、まろやかさだと思います。これは、粗脂肪含量とうま味成分量との関係を見たものです
(図 14)
。粗脂肪含量が 30~35%、あるいは 35~40%で、イノシン酸とグルタミン酸を合計
したうま味成分量が最も多くなります。右側の図は、粗脂肪含量とうま味強度の関係を調べた
ものです。うま味強度は官能検査で調べたのですが、うま味強度が最も強いのが 30~40%の間
で、それよりも脂肪含量が多くなってくると、うま味成分の量が尐なくなるために、うま味は
弱くなっていきます。
和牛のうま味の強さは、粗脂肪含量が 30~35%、あるいは 35~40%ぐらいが一番強くなる
ことがわかりましたが、和牛らしい甘い香りは、どれぐらいの脂肪含量の時、最も強くなるの
かについては、非常に興味があるところだと思います。
味に複雑さを与えることによって、
「こく」が付与されて、肉がおいしくなるといわれていま
す。このフォーラムで、味の素株式会社の島さんという方がお話しされましたが、肉の中にあ
るクレアチンと糖の分解物であるメチルグリオキサールが反応することによって、特にスープ
ですが、厚みのある酸味を付与して、
「こく」のあるスープができると報告されています。ただ、
これが牛肉の中にあるかどうかというのはまだ調べた人がいません。焼いた時に実際にこうい
う物質ができるかどうかというのは、今後、調べる必要があると思います。
牛肉には酸味や甘味を抑制し、まろやかな味にする成分が含まれている
味に複雑さはあっても、バランスがうまくとれていないと、やはりおいしくありません。突
出した味が出てこないように、いろいろなバランスをとる成分も肉には含まれていることがわ
かってきました。例えば、肉を熟成することによってたんぱく質の分解が起こり、酸味を抑制
するペプチドが出てくることを突き止めました(図 15)
。最初は、豚肉で酸味抑制ペプチドを
見つけたのですが、牛肉の中にも酸味を抑制するペプチドがあることがわかってきています。
これは、牛肉を2週間熟成して、60℃、6時間で真空加熱をした時のものです(図 16)
。30
分後あたりからアミノ酸がたくさん出てくるのですが、この後ろにペプチドが出てきます。こ
のペプチドを単離した後、アミノ酸配列を決めて合成しました。このペプチドを酸味溶液に添
加すると、酸味が抑制されました。牛肉を熟成した時に生じるペプチドは、肉の味全体をまと
める役割をしているのではないかと考えています。酸味抑制ペプチドは、このようなアミノ酸
配列からなり、筋肉たんぱくのトロポニン T というたんぱくの分解物であることもわかってお
ります。
牛肉の「おいしさ」が、なぜ魅力かというと、私たちにおいしいものを食べた時の満足感を
与えてくれます。この満足感は、健康維持には薬以上の効果があるともいわれています。ただ、
おいしいものを食べ過ぎることは問題となります。おいしいものを尐量食べて満足感を得るこ
と、これは健康維持に非常に大切です。
アミノ酸はじめ牛肉には病気を予防する機能性成分が含まれている
病気を予防する牛肉の機能についてお話しさせていただきます。かつて、肉が生活習慣病を
引き起こす食品のようにいわれた時期がありました。その頃から、食肉の生体調節機能に関す
る研究を始めました。昨年は、食肉たんぱく質由来ペプチドの生体調節機能についてお話をさ
せていただきました。今回は、他の研究者の方々の報告を中心に、牛肉の生体調節機能に関す
96
る知見をご紹介します。
牛肉に含まれる病気を予防する機能成分として、アミノ酸、カルニチン、ヘム鉄、共役リノ
ール酸、オレイン酸が知られています(表2)
。アミノ酸には、
「体たんぱく質をつくる」
、
「機
能性たんぱくをつくる」
、
「ホルモンをつくる」などの役割があるだけではなく、病気を予防す
る生体調節機能のあることがわかってきました(表3)
。メカニズムまですべてフォローしてい
るわけではありませんが、いろいろな機能がわかっております。
まず、アミノ酸の一種であるタウリンの生体調節機能についてお話しさせていただきます。
タウリンの機能に関する研究は、ここに参加されている清水先生のグループで盛んになされて
おります。タウリンには、胆汁酸の分泋促進、血圧降下作用、あるいは肝機能向上作用が知ら
れています。かつて、魚に多いといわれていましたが、牛肉にもタウリンがたくさん含まれて
います。
次に、ロイシンとトリプトファンの機能について、お話しさせていただきます。動物性食品
にはトリプトファンが多く含まれています。トリプトファンからつくられるセロトニンの 90%
は小腸で、8%が血小板、残りの2%が脳の神経にあります。セロトニンは、脳で神経の伝達
物質として働いています。これが尐なくなると、うつ病などいろいろな脳の病気にかかわって
くるので、トリプトファンをとることは、脳の健康を維持する上で、非常に大切です(図 17)
。
今、
メタボ対策でダイエットをするのに一番いいのは、
運動をしながら筋肉を大きくしたり、
筋肉量の減尐を防ぐことだと思います。基礎代謝量が大きい筋肉量を増やせば、基礎代謝を上
げることができるので、太りにくい体をつくることができる。これを実践すれば、体重の増加
はかなり抑えられるのではないかと思います(図 18)
。筋肉量を増やしたり、その減尐を防ぐ
ために、ロイシンの摂取が、効果的だといわれています。
図 19 は、
宇都宮大学の吉澤先生のグループが精力的におやりになっている研究の成果です。
ロイシン摂取の1時間後には、筋肉のたんぱく質合成の速度が上がっていることが明らかにさ
れています。ロイシンが、たんぱく質の合成促進をするメカニズムは、まだ完全にはわかって
いないようですが、わかっている部分をお話しします。ここがリボソーマルの S6で、これが
メッセンジャーRNA(mRNA)です。mRNA とリボソームの6S が結合して翻訳が開始され
ますが、その過程を活性化するのがロイシンではないかと推察されています。具体的には、
TORC1 というリン酸化酵素複合体がロイシンによって刺激を受けると、S6K1 と 4E-BP1 が
リン酸化され、さらにリボソーマル S6たんぱく質のリン酸化と eIF4E(mRNA と結合してリ
ボソームと結合させる物質)のリン酸化が起きます。すると、リボソーマル S6たんぱく質と
mRNA の結合が促進されて、たんぱく質の合成が促進されます。
牛肉のたんぱく質には、ロイシンが多く含まれているので、運動の前後に牛肉を食べること
で、筋肉量を増加させることが期待できます。
牛肉に多く含まれるヘム鉄は吸収性が高く貧血予防に効果的
先ほど栄養素のところで鉄の話をしました。特に牛肉は鉄が多いと申し上げましたが、肉の
赤い色はミオグロビンという色素たんぱく質によります。その含量が多いと赤色が濃くなりま
す。牛肉よりもさらに鉄の含量が多いのが馬肉です。では、鉄の含量が多ければ貧血予防にな
るかというと、必ずしもそうではありません。肉のミオグロビンやレバーのヘモグロビンに含
まれる鉄は、ヘム鉄と呼ばれ、野菜に含まれている遊離鉄とは構造が異なっており、吸収され
97
やすいことがわかっています(図 20/図 21)
。
図 22 は、1990 年の『American Journal of Clinical Nutrition』のデータですが、ヘム鉄の
吸収性は、遊離鉄よりどれくらい高いのでしょうか。貧血でない男性、月経前の鉄欠乏ではな
い女性、鉄欠乏性の人を対象に、食事として遊離鉄(Nonheme)とヘム鉄(Heme)をとった時の
吸収率を比較しました。貧血でない男性の場合に、遊離鉄の吸収率は 2.5%で、極めて低いで
す。ヘム鉄では 20%に向上することから、7~8倍高くなります。鉄欠乏性の人では、鉄欠乏
により鉄吸収性が向上し、遊離鉄でも 22%まで吸収率が高くなります。ヘム鉄の吸収率は、2
倍以上の 47%まで上がります。
体の状態によって、
鉄の吸収率にはかなり違いがありそうだというのがわかります。
しかし、
体の状態がどのような場合でも、鉄の吸収性は、遊離鉄よりヘム鉄のほうが高く、2~10 倍高
くなります。その理由として、遊離鉄は、他の食事成分であるタンニンやリン酸に結合して吸
収されないことです。それに対してヘム鉄は、吸収阻害物質との結合を防ぐことによって吸収
が容易になります。牛肉の中に、消化されたペプチドと結合して吸収を促進させるものもある
という報告があります。今後、牛肉の鉄吸収促進ペプチドが解明されれば、さらに牛肉の魅力
が増えるのではないでしょうか。
カルニチンに脂肪燃焼促進作用があることがわかってきている
カルニチンという生理活性物質は、豚肉、鶏肉に比べ、牛肉に非常に多く含まれています。
マトンはさらに多いですが、われわれが通常よく食べている食肉の中では牛肉が最も多い(図
23)
。最近、カルニチンの脂肪燃焼促進作用のメカニズムがわかってきました。運動などでエ
ネルギーが必要になると、脂肪がリパーゼで分解されて脂肪酸(アシル)になります。それが
長鎖脂肪酸活性化酵素(LCAS)によって、アシル CoA に変化します。ミトコンドリア膜には
外膜と内膜がありますが、外膜を通過したアシル CoA がカルニチンパルミトイルトランスフェ
ラーゼ(CPT)で、カルニチンと結合することによってアシルカルニチンができます。アシル
カルニチンは、トランスロカーゼ(CACT)で内部に輸送されます。脂肪酸は、カルニチンと
結合していないと、ミトコンドリア内部には輸送されません。ミトコンドリア内に取り込まれ
たアシルカルニチンのカルニチン部分は、CPT で外されます。フリーとなったカルニチンは、
こちらの内膜からまた内膜・外膜の間に輸送されて、再利用されます。ミトコンドリア内でア
シル CoA になったものが、β酸化によってエネルギー生産に利用されます(図 24)
。
これは、カルニチン摂取によって脂肪燃焼が上昇するというデータです。18~30 歳の被験者
12 名に対して、1日3gのカルニチンを 10 日間摂取させ、脂肪燃焼量を測定しています。そ
の結果、カルニチンを摂取することによって、有意に脂肪燃焼が上がることがわかりました(図
25)
。藤巻先生が 1990 年代の中頃に、牛肉に抗疲労効果があると発表されましたが、カルニチ
ンが抗疲労効果とも関係してくるかもしれません。
牛肉の共役リノール酸の体脂肪低減、血圧上昇抑制機能
牛肉には脂肪が多く含まれており、ホルスタインでも 20%、和牛だと 40%ぐらいです。牛
肉の脂肪には、機能性成分として共役リノール酸(CLA)が多く存在しています。表4は、い
ろいろな食品中の共役リノール酸含量ですが、牛のもも肉には 2.9 ㎎/g fat です。それに対して
鶏肉、豚肉は非常に尐ない含量です。
98
なぜ牛肉に多いのでしょうか。反芻動物である牛や羊では、胃に存在する嫌気性細菌のイソ
メラーゼによって、飼料に含まれていたリノール酸が水素添加される時に、共役リノール酸が
できます。生成される共役リノール酸としては、9の位置に cis、11 の位置に trans という構
造の9cis、11trans の CLA と、もう1つは 10 の位置が trans で、12 が cis という 10trans、
12cis の CLA です。牛肉の場合には大体、CLA のうち約 75 %が9cis、11trans で、25%が
10trans、12cis になります。両者の CLA で、機能性に違いがあることが知られています(図
26)
。共役リノール酸が血圧を下げる効果があるといわれていますが、9cis、11trans の CLA
のほうが効果が高く、逆に 10trans、12cis の CLA は血圧を尐し上げるというデータがありま
す。この点については、今後、さらに検証しなければいけないと思います。
CLA には、それ以外にも、いろいろな作用が報告されています。最初に発見されたのが抗腫
瘍作用です。今一番注目されているのが、ヒト試験で体脂肪の低減効果があったという 2001
年のデータです。生活習慣病にとって CLA は非常に重要であると思います。CLA を投与しな
いプラセボ群ではほとんど体脂肪は変わらないけれども、1日 1.8gの CLA を投与することに
よって、12 週間で4%ぐらい体脂肪が低減したと報告されています(図 27)
。
牛肉には CLA がほかの食品に比べて多いので、体脂肪低減効果に寄与できる可能性がある
点で、1つの魅力といえるでしょう。海外では、CLA を強化した食品も製造されており、スペ
インでは市販されているようです。まだ日本では、ペットフードなどに利用されているだけで
すが、安全性などについてしっかり検証すれば、機能性食品になり得ると考えられます。
オレイン酸に認められるコレステロール低下作用
オレイン酸には、LDL-コレステロールの低下作用があります。飽和脂肪酸リッチなパーム
油、
オレイン酸がリッチなサンフラワー油並びにリノール酸リッチのサンフラワー油を調製し、
それぞれの摂取が、中性脂肪(TG)が高い人の LDL-コレステロール値に与える影響を調べ
たものです。その結果、オレイン酸リッチなサンフラワー油を摂取することによって、LDL-
コレステロールが有意に下がることが明らかとなりました(図 28)
。
また、オレイン酸の摂取が、LDL-コレステロールの酸化を抑制する効果が認められていま
す。LDL-コレステロールが多くなった時に、これが酸化されるとマクロファージによって分
解されて、動脈に蓄積して動脈硬化を引き起こします。LDL が酸化されやすいかどうかは、健
康維持において、非常に重要です。通常の食事、オレイン酸がリッチではないサンフラワー油、
オレイン酸リッチなサンフラワー油を含んだ食事をそれぞれウサギに食べさせた後、ウサギの
LDL-コレステロールの酸化されやすさを in vitro で調べました。その結果、オレイン酸リッ
チなサンフラワー油を含んだ食事をしたウサギの LDL は、酸化されにくいことがわかりまし
た(図 29)
。
オレイン酸摂取により、LDL-コレステロールの酸化が抑制される理由は、LDL-コレステ
ロールの構成脂肪酸が変化し、オレイン酸が増えることにより、酸化が抑制されたのだろうと
推察されていました。酸化が抑制されることによって、LDL-コレステロールのマクロファー
ジによる分解も抑制されるため、動脈硬化になりにくくなるようです。
さらに、2008 年の論文ですが、オレイン酸の食事をすることによって血圧を下げる効果もあ
ることが報告されています。食事は、脂肪無添加のもの、大豆油、オリーブオイル、バージン
オリーブオイルに多い純粋のトリオレインの 4 種類を摂取させた時に、最高血圧(収縮期血圧)
99
がどのように変化するかを調べました(図 30)
。ラットに、12 時間ごとに 14 日間、大豆油だ
と1kg 当たり2g、バージンオリーブオイルだと2g、トリオレインだと1gを与えました。
オレイン酸の摂取により、強い血圧降下作用が認められました。12 時間ごとに油をとること自
体、どうなのかとは思いますが、牛肉にはオレイン酸が多いですから、それを適度にとること
で、こういう効果も期待できるかもしれません。これまでもオリーブオイルが血圧を下げると
いう報告はありましたが、オレイン酸が血圧を下げる効果があるという直接証明は、この論文
が最初です。
◇
以上の内容をまとめますと、牛肉には、黒毛和牛肉、乳用肥育牛肉および交雑牛肉と多様性
があって、いろいろな食べ方ができます。食べ物の機能としては、良質なたんぱく質、ミネラ
ルを供給でき、栄養的に非常に優れています。また、何よりもおいしい。さらには、病気を予
防する機能もいろいろわかってきました(図 31)
。私自身、ペプチドの機能性をやってきてい
ますので、牛肉のペプチドの機能性についてもこれから調べてみたいと思っています。
おいしいから食べ過ぎるのが問題であって、牛肉を適量とって健康維持・増進を心がけるこ
とが大切であることを、これからも啓発していきたいと思っております。
[質疑応答]
藤巻 どうもありがとうございました。それでは、ご質問、ご意見がございましたらどうぞ。
柴田 大変包括的なお話をありがとうございました。1つ、2つ、細かい質問かもしれません
が、先ほど、うま味成分のグルタミン酸やイノシン酸が、脂肪含有量が多くなるに従ってある
レベルまで上がっていくというデータがありました。これはちょっと論理的にどうなのか。
というのは、これは肉の単位グラム当たりの値で出ています。脂肪が多い分、アミノ酸、プ
ロテインが尐ないはずです。そうすると、脂肪が多いという肉が持っているプロテインのアミ
ノ酸構成というのは違うのか、という問題が出てくるわけです。単純に計算して、もしアミノ
酸構成が一定だとすると、グルタミン酸もイノシン酸も尐なくなるはずで、うま味が上がると
いうのは、脂肪の中にもうま味がありますからそれはいいのですが、あのデータで言うと、ち
ょっとその辺がどうなのかと思うわけです。先生の実験ではないようですが、いかがでしょう
か。
西村 おっしゃるとおりで、このデータを見た時に私も非常に不思議に思っていました。1つ
考えられるのは、イノシン酸とグルタミン酸を合計していることです。それぞれがどうなって
いるかをきちんと見る必要があります。イノシン酸は、と畜後一旦増えて、その後だんだん減
尐していきます。グルタミン酸は、と畜後、どんどん増えていきます。これらが、脂肪含量の
違いで何らかの影響を受けると、このような現象が起こる可能性もあります。今後、検討する
必要があると思います。
柴田 それは尐なくとも論文にはなっていないんですね。
西村 まだなっていないです。
柴田 その辺ちょっと、ディスカッションがどうなっているのかですね。これだと、脂肪が多
いものはアミノ酸の増加速度が違うんだという論理になってしまうので。
西村 ただ、去年の2月、牛肉に関するシンポジウムで、ある先生が「和牛肉のほうがグルタ
ミン酸量が多い」ということを言われました。もしかしたら、脂肪交雑度が高いことでグルタ
100
ミン酸の増加が多い可能性もありますので、今後、調べてみたいと思います。
柴田 もう1つ、血圧低下作用ですけれど、オレイン酸が食品に含まれている範囲でこんなに
低下するのであれば、ある意味では、大変リスキーな話になってしまうわけですね。薬の場合
には、血圧を正常以下にすることはありますが、食品の場合には、低血圧を引き起こすほどの
量はとらないだろうし。そうすると、これをどのようにしてヒトにエクストラポレートできる
のか。これだと、オリーブ油を生で飲んだりすると低血圧を起こすことになりかねません。
西村 これは、米国の著名な雑誌『Proc. Natl. Acad. Sci. USA』の報告です。この雑誌は、か
なりしっかりしたジャーナルですので、信憑性は高いと思います。このような結果が得られた
理由として、細胞膜の構成脂肪酸がオレイン酸リッチになったためと書かれていました。
柴田 どんどんオレイン酸だけ単味で与えたりすると、
逆に危ないということにもなりますね。
西村 そういうことも言えるかと思います。要するに脂肪によって、栄養素の中で脂肪酸の構
成要素になるから、そういう意味では移行しやすいので、そこも気をつけなければいけないで
すね。やっぱり適量というのがあるかと思います。適量摂取で、血圧低下が適正内であれば、
いいのではないかと思います。人にとって、どれぐらいが適量であるかを、きちんと評価しな
ければいけないと思います。
松川 飯田先生のデータとして紹介されているところで、脂肪含量が増えると多汁性が増すと
いうのは、実は水分ではなくて、噛んだ時の脂肪の感触としてそう出るということですね。
西村 はい、そのように考えてください。特に融点が低いので、脂肪は体温で溶けるようなも
のがありますから、脂肪細胞の中に溶けた状態であって、噛んだらそれが溶けるので、すごく
やわらかく感じると考えていただいていいと思います。
吉川 必須アミノ酸のキャノンボールみたいな図がありますね(図4参照)
。バランスよく利用
できるというのはわかるけれども、例えば、その中のどれか1種類でも低いものがあった場合
に、ほかの必須アミノ酸の利用の律速が全部それに関連して、取り込みかどうかはわからない
んですが、下がってしまう理由というか、なぜそういう格好になるのか。
西村 必要な必須アミノ酸量というのは、体の中で体たんぱくを構成している必須アミノ酸バ
ランスになっていくので、体たんぱく質の合成には使われないという意味に考えてもらったら
いいと思います。最低限の必須アミノ酸量に相当するたんぱく質量しかできないと考えていた
だければいいと思います。ちょっとわかりにくいですね、すみません。
吉川 ああ、そういう意味ですか。全体としての意味はたぶん、すべて必須のものがバランス
がとれていれば一番いいのはよくわかるんですけれども。ひょっとして取り込み律速というの
は、最低限のものにいつも決められてしまうということではないわけですね?
西村 ええ、
そうではないです。
もし小麦たんぱく質でちゃんとリジンを満たそうと思ったら、
それだけの量をとれば問題ないわけですが、それ以外のアミノ酸はどうなるかというと、例え
ばエネルギーに変わって脂肪に変わる可能性もあるということで、効率が非常に悪いと考えて
いただければいいと思います。
吉川 わかりました。
高田 さっきのn-3の脂肪酸の話ですが、n-6の脂肪酸は危険で、比較的あまりこういうと
ころでは話されなくて、n-3の脂肪酸の DHA とか、そういうものがどういう効果があるかと
いうことが表に出やすいわけです。私は、最近、尐なくとも現在までに発表されている、能う
限りという日本語もおかしいですけれども、メタアナリシスができている論文を集め得る限り
101
集めて、印税のかなりの部分を使っちゃったんですけれども、結論的に言うと、人間の場合、
n-3の脂肪酸が寿命を延ばすという効果は恐らくない。ただ、確定的なのは、例えばうつ病に
ついては明らかに DHA、EPA をとるといい、という結論です。
n-6のアラキドン酸については、さっき宮崎先生がおっしゃったけれども、サントリーがア
ラビタを出して、アラキドン酸というのは悪い可能性もあるから、恐る恐る広告を出して、様
子を見ているような感じです。では、結論的にどうか。尐なくとも現在まで出ている論文を調
べると、アラキドン酸から出ているアナンダマイドなどに対する受容体の抑制物質――CB1イ
ンヒビター、アンタゴニストを合成して、それで肥満の治療薬として使うと、最大の副作用が
うつ病と不安です。会社は結局、欧米では開発をやめているわけです。
ということは、牛肉の効能から言うと、n-6の脂肪酸も精神の健全を維持するために必要で、
それを抜いてレビューをする必要はないのではないか、というのが私のコメントなのですが、
いかがでしょうか。
西村 いいえ、意図的に抜いたわけではないのです。今回は、牛肉に多いオレイン酸と CLA
という特徴的な脂肪酸に絞ってお話させていただきました。今後、そういったものも含めて全
体を包括するようにはします。
五十嵐 味に関係するもので、アミノ酸の話と核酸、あれは分解物でフリーでしょう?
西村 フリーです。
五十嵐 ですから、当然、熟成中の反応でできてくるわけですよね。それが、脂肪含量が高く
なってくる、あるいは、ある条件のところで一番熟成が進むのかどうか、その辺はどうでしょ
うか。
西村 その点については、調べていません。こういう結果が出てきた時に、そういった代謝速
度、プロテオリシスの速度が違うかどうかというのは、今、調べているところです。
五十嵐 それから、n-3系ですけれども、最近、新しい知見が出てきて、あれから抗炎症作用
を持っている生理活性物質ができるという話が始まっています。これはハーバード大学でやっ
ていて、一緒に研究していた人が日本人で、最近、日本に帰ってきまして(東大の薬学にいる
有田さんという方ですが)
、それによるとn-3系の一番端っこ、メチル末端に近いところに水
酸基をつくるものができます。DHA と EPA なんですよ。それが抗炎症の作用を持っていると
いう話が始まっていて、たぶんそれが、今まであまりわかっていなかったn-3系の脂肪酸の生
理的な意味の1つになるのではないかと僕は考えています。
牛肉とは直接関係ないのだけれど、
そういうこともありますので、そういう話がいろいろたくさん始まっていることも頭に置いて
おいてください。
西村 わかりました。どうもありがとうございます。
宮崎 先ほど尐し、昭和 27 年以降 35 年までの間に、野上がりの牛がどんどん肉になったとい
う話をしましたけれども、昭和 30 年頃は、食肉全体の 52%が牛肉で、35%が豚肉で、鶏肉は
わずか 13%という時代でした。その頃、特に京都だけを例にとりますと、東京よりも5倍ほど
たくさんの牛肉を食べるという農水省の統計が出ていました。
ところがその後、牛が減ってきて、それまで一番安かった牛の値段が、豚と鶏とほぼ同じに
なって、その後、牛肉だけが急激に上がっていくんですね。これまでたくさん牛肉を食べ慣れ
た市民は、今度どうしたらいいかといったら、輸入肉を食べるしかない。ところが、その頃は
グレインフェッドの肉というのはほとんど入ってきておりませんし、しかもフローズンで入っ
102
てきたもので、ちっともおいしくない。
そうすると、京都大学の私の恩師の上坂先生などは、
「輸入牛肉をおいしく食べるためにはこ
うしたらいい」というようなことを市民向けに話されていました。
「輸入肉を買う時には必ずお
肉屋さんに、
『和牛の脂肪をください』と言いなさい。余っているからくれるから、それを持っ
て帰って一緒に炒めると結構おいしいのができますよ」ということが、京都で流行った時代が
ございました。さっき肉のおいしさの話でちょっと思い出したので、つけ足します。
西村 どうもありがとうございます。ちょうど私もそれを実践しています(笑)
。カレーをつく
る時に、4人家族なので、高い和牛肉を 400g買うというのは大変なので、300gまでは国産
の赤身の肉にして、100gぐらいを霜降り肉を使用しています。また、別の機会に、あるステ
ーキハウスで、和牛の脂肪の部分をもらいました。カレーをつくる時に、それを尐し添加する
ことでかなり香りが変わります。先生のおっしゃるように、尐しでもいいから、和牛肉の脂肪
を使用するのは、肉料理をおいしくする上で、すごくいい方法だと思います。どうもありがと
うございました。
上野川 特に牛肉に限った機能をほかの食品と比較した場合に、ここのところカルニチンとか
出てきていますが、例えばアミノ酸のいろいろな生理作用があると思います。その辺の包括的
な理解というのは、今まで随分と進んできました。一番やりにくかったからここまで来たと思
いますけれども、実際の食生活から得られるアミノ酸の機能や脂肪酸の機能がどういうものが
あるかというのは、そろそろ総括して生かしていきたいと思うわけですね。そのような視点か
ら先生はどう思われますか。
西村 もう尐し時間をかけてその点をきちっとまとめる必要があると思います。例えばオレイ
ン酸の量にしても、適切に摂取する量が、牛肉ではどれぐらいに相当するかとについて、きち
んと評価しなければいけないと思っております。
上野川 その集大成を先生にしていただければ、日本の牛の信頼性というのは飛躍的に高まる
んじゃないかと思います。
西村 文献を読んで同じようなことを思っていたのですが、時間的に足りなかったのでできま
せんでした。すみません。今後の課題とさせていただきます。
上野川 ぜひとも期待しておりますので、よろしくお願いいたします。
西村 ありがとうございます。
藤巻 うま味がたんぱく質を求めるシグナルであるということが書いてありましたね。ああい
うことはどれだけ権威があるのですか。何となくわかるのですけど、僕は、ああいうのは案外
いい加減に使っているのではないかと思うのですよ。あなたはどうですか。権威ある学会誌か
何かに出ていたとか、そういうこと?
西村 はい、ネスレ栄養科学会議が監修している建帛社の本に、大阪大学の山本隆先生が記述
しておられました。味覚の本来の役割は、体にとって摂取してよいものか、悪いものかを判断
することである。エネルギーのもとになるものは甘い味(糖の味)
、体の構成に必要なたんぱく
質のもとになるものはうま味(グルタミン酸の味)
、そして、体の働きに必要なミネラルは塩か
らい味で、いずれも快感を生じるというつながりが長い進化の過程で出来上がったのではない
かといわれています。私もそのように思っておりますので、今回、紹介させていただきました。
藤巻 どうもありがとうございました。
103
図1
日本人の平均寿命の推移と動物性食品タンパク質
の摂取量との関係
スウェーデン
戦後における動物性食品の摂
取量の増大が、世界に例の無
い長寿国を生み出した。
日本
日本人の平均寿命'2008年(:男性 79.29歳'4位(
'過去最長(
女性 86.05歳'1位(
'「食肉と健康」'光琳((1989)より引用(
図2
国産牛肉の種類と特徴
種類
黒毛和牛
月齢
肉の脂肪
交雑度
部位
栄養素
タンパク質'%( 脂質'%(
28~32
高い
サーロイン
12.8
42.5
乳用肥育牛 20~24
低い
サーロイン
18.4
20.2
・脂肪由来
の甘い香り
・ジューシー
で軟らかい
黒毛和牛'BMS10(
・赤身由来
の焼肉の香り
・うま味
乳用肥育牛
交雑牛は、乳用肥育牛♀ X 黒毛和牛♂で生産する。→脂肪交雑度を高める。
黒毛和牛と乳用肥育牛の肉の中間的な特徴を有する。
104
図3
栄養素を供給する機能
・細胞膜の
構成要素
・イコサノイド
の前躯体
・炭水化物
エネルギー源となるもの
・脂質
機能性タンパク質や血液、筋
肉、骨、毛髪などの身体機能
組織を作る働きをするもの。
・タンパク質
栄養素
・ビタミン類
タンパク質
が豊富
生体機能を制御するもの。
・ミネラル類
・食物繊維
非栄養素
鉄:血液成分
亜鉛:核酸やタンパク質の合成に
関わり、味覚を正常に保つ。
・機能性成分
など
図 4 アミノ酸スコア
必須アミノ酸のバランスも非常に良い!
Ile
牛肉
食パン
100
His
Leu
80
60
40
20
Val
42
0
牛肉は、良
質なタンパ
ク質の供給
源である。
<アミノ酸スコア>
必須アミノ酸のバラン
スの良否を示す値で、
タンパク質の質を決め
る。
Lys
牛肉タンパク質:100
小麦タンパク質:42
Met
Trp
Thr
42%分しか体
タンパク質の合
成に使われな
い。
Phe
105
図5
食べ物のおいしさを決めている要因
牛肉は、
こくがあ
り、おい
しい。
こく
味
'味覚(
風味
香り
食べ物の
素材に起因
する要因
'嗅覚(
食感'やわらかさ等(
温度
色・艶
形
咀嚼音
食べものを口に入れたとき、
複数の感覚に対して、より
多くの刺激が与えられ、複
雑さ、持続性並びに口の
中での広がりを感じたとき
に認識できる現象。
食味
'触覚(
おいしさ
'視聴覚(
食習慣、外部環境、食環境、体調など
図6
味の情報を受け取る仕組み
味をどのように感じているか?
味蕾
硬口蓋
軟口蓋
有郭乳頭
8-12個
葉状乳頭
舌縁部位にひだ状
に分布
茸状乳頭
舌全体に分布
106
味蕾の数
舌:5000個
その他:約2500個
舌の味蕾の約40%は
有郭乳頭にある
図7
味蕾と受容体の関係
・ASIC (Acid sensing ion channel)
・PKD1L3, PKD2L1 (Polycystic Kidney
Disease)
T2Rs 苦味物質の受容体タンパク質
T1R2 + T1R3: 甘味物質の受容体タンパク質
T1Rs
T1R1 + T1R3: アミノ酸の受容体タンパク質
うま味の相乗作用に関与
表1
食べ物に含まれる代表的な基本味成分
基本味
代表的な基本味成分
甘味
糖類、アミノ酸のグリシン'エネルギーを求めるシグナル(
塩味
食塩などの塩類'ミネラルを求めるシグナル(
酸味
乳酸、酢酸'未熟な味、警戒の味(
苦味
カフェイン、タンニン、フムロン、ペプチド'警告の味(
うま味
グルタミン酸ナトリウム'MSG(、イノシン酸
'タンパク質を求めるシグナル(
107
図8
香りの受容機構
香りをどのように感じているか?
Orthonasal
aroma
●●
●●
Retronasal aroma
●●
●●
におい成分が、呼気で鼻に逆流する。
図9
香りは食べ物を連想させる
<食べ物のキー化合物>
OCH3
'1(グレープ:
NH2
'アンスラニル酸メチル(
'2(パイナップル:
O
O
(カプロン酸アリル)
香りは食べ物の同定や識別の
役割を果たしている。
'3(バナナ:
O
O
'酢酸イソアミル(
108
図 10
おいしさを付与する機能
おいしい牛肉とは!
しゃぶしゃぶ
<香り>
焼き肉の香り
種特異的な香り
焼肉
'カルビ(
ステーキ
<味>
<食感>
うま味
こく
まろやか
軟らかさ
ジューシー
すき焼き
'写真:HPフリー百科事典『ウィキペディア'Wikipedia(』
図 11
軟らかくてジューシーな牛肉とは?
・熟成した牛肉
熟成
熟成が不十分な肉
'パサパサ、硬い(
熟成が十分な肉
'ジューシー、軟らかい(
・霜降り牛肉'脂肪交雑の入った牛肉(
BMS2
軟らかさ
ジューシー
109
BMS10
図 12
粗脂肪含量と食感との関係
試料:
黒毛和牛
38頭の
リブロース
7
8
7
多汁性
やわらかさ
6
5
6
5
4
3
20
回帰式 :
Y = 3.219018+0.066038X
30
40
回帰式 :
Y = 2.796802+0.079056X
4
3
50
20
粗脂肪含量(%)
30
40
50
粗脂肪含量(%)
粗脂肪含量が高くなると、
軟らかさと多汁性が増大する。
'飯田文子氏によるデータ(
図 13
牛肉のおいしさに寄与する香り
加熱による牛肉の香り:赤身由来
ステーキ様の香りが強い
アミノ酸と糖の
メイラード反応
N
N
ピラジン化合物
和牛香:すき焼きで
感じる甘い香り
動物種特異的な香り
牛肉の香り:メチオナール、ラクトン
豚肉の香り:各種カルボニル化合物、フェノール
O
O
O
γ‐ラクトン
鶏肉の香り:デカジエナール、ラクトン
O
δ‐ラクトン
'沖谷明紘氏らのデータ(
110
図 14
粗脂肪含量とうま味、うま味成分量との関係
* :p< 0.01
6
)
5
)
5
4
うま味
イノシン酸とグルタミン酸合計量
'μ mol/g meat(
試料: 38頭の黒毛和牛のリブロース
3
2
4
1
回帰式 :
Y = 0.083550+0.266909X-0.003545X2
0
25~30
30~35
35~40
40~
3
20
粗脂肪含量'%(
30
40
50
粗脂肪含量(%)
うま味の強度は、粗脂肪含量が
30-40%で最も強くなる。
'飯田文子氏によるデータ(
図 15
「まろやかさ」とは?
こくには、
ハーモニー
も重要
突出した味が無い、バランスのとれた呈味特性
バランスの
とれていない味
=おいしくない味
まろやかな味
'おいしさに重要(
・酸味抑制:スクロースなどの糖類、ペプチドなど
・苦味抑制:糖類、ペプチド、リン脂質'レシチン(など
111
牛肉や豚肉で
酸味を抑制し、
まろやかさを付
与するペプチド
を見出した。
図 16
牛肉に存在する酸味抑制ペプチドの単離
2 週間熟成、60℃、 6 時間加熱
吸光度 220 nm
25%
MW 1734
APPPPAEVPEVHEEVH
保持時間'分(
牛肉由来酸味抑制ペプチド:APPPPAEVPEVHEEVH
トロポニンT由来
表2
病気を予防する機能成分
・アミノ酸'タンパク質(
・カルニチン→脂肪燃焼促進作用
・ヘム鉄→貧血予防効果
・共役リノール酸'CLA(→抗ガン作用、体脂肪減少
・オレイン酸→LDL-コレステロールの減少および
酸化抑制効果、血圧降下作用
112
表3
アミノ酸の多様な生体調節機能
アミノ酸
生体調節機能
Leu, Val, Ile
運動時のエネルギー源。タンパク質の合成促進、
Lys
分解抑制。肝機能の向上。
成長促進。集中力を高める。肝機能の向上。
Met
Phe
脂質代謝の改善。血中ヒスタミン濃度の低下。
脳機能の向上。うつ症状の改善。
Thr
Trp
脂肪肝の予防。
脳機能の向上。うつ症状の改善。 不眠症の改善。
His
Arg
酸化ストレスの軽減。
成長ホルモン分泌。血管拡張。高アンモニア血症治療。
Asp
Gln
肝機能改善
免疫能改善。肝障害抑制。アルコール代謝促進
Gly
Tau
睡眠改善。
胆汁酸分泌促進。血圧降下作用。肝機能の向上。
'食品機能性の科学、pp.415,産業技術サービスセンター (2008))
図 17
セロトニンの生合成と役割
<セロトニン>
L-トリプトファン
90%は小腸に、8%は血
小板に存在する。残りの
2%のセロトニンは中枢神
経系にあり、これらが人間
の精神活動に大きく影響
している。
トリプトファン5‘-モノオキシゲナーゼ
芳香族-L-アミノ酸カルボキシラーゼ
セロトニンの不足
は、うつ病などの
脳の病気を引き起
こす1つの要因とさ
れている。
セロトニン'5HT)
113
図 18
運動とタンパク質摂取による
太りにくい体つくり
筋肉
運動
タンパク質
'ロイシン(
筋肉を大きくする
筋肉は基礎代謝エネル
ギーの40%を消費する
太りにくい体
図 19
ロイシンによるタンパク質合成促進作用
ロイシン
摂取の1
時間後に
合成が促
進された。
ロイシンが、 TORC1
を刺激するメカニズ
ムはわかっていない。
インスリンの関わる
系ではない。
:リン酸化による
活性化
S6のリン酸化
TORC1への刺激を介
して、S6K1や4E-BP1
のリン酸化を促進し、
翻訳開始に関わる活
性型eIF4Eを増加させ、
合成を促進する。
増加
'吉澤史昭、アミノ酸研究、1+9 (2007)(
114
図 20
ヘム鉄による鉄欠乏性貧血の予防
<食肉の色:ミオグロビン>
表2 畜種別にみたロース肉のミオグロビン含量と赤色度合
畜種
ミオグロビン含量'%(
赤色度合
豚
0-06
淡赤色
羊
0-25
牛
0-50
馬
0-80
濃赤色
'Hamm, R., Fleishwirtshaft, 55, 1975から引用)
ミオグロビン含量の高いものほど、ヘム鉄が多い。
図 21 肉の色とミオグロビンの構造
ミオグロビン
肉の色
'天然の色素タンパク質(
豚肉ロース
牛肉ロース
淡い
濃い
ミオグロビン少ない
ミオグロビン多い
<ミオグロビンの構造>
鉄
ヘム鉄
115
図 22
遊離鉄とヘム鉄の吸収性の比較
2.5
吸収率の増大
'遊離鉄(
22
20
'ヘム鉄(
47
(Cook, J.D., Am. J. Clin. Nutr.,51, 301 (1990))
図 23
各種食品中のカルニチン含量
カルニチン含量'mg/可食部100g(
140
131
カルニチン: (CH3) 3N+-CH2-CH(OH)-CH2-COO-
120
100
80
70
60
33
40
17
20
0
3.4
牛肉 豚肉
鶏肉
4.5
0
牛乳 マグロ サンマ
'多田らの文献より引用した。(
116
0
0
野菜'ホウレンソウ、ニンジン
ジャガイモ(
図 24
カルニチンによる脂肪酸のミトコンドリアへの取り込み
β-酸化
による
エネルギ
ー生産
LCAS:長鎖脂肪酸活性化酵素;
脂肪
CPT: カルニチンパルミトイルトランスフェラーゼ;
CACT: カルニチンアシルカルニチントランスロカーゼ→内膜を通す。
'王堂&井上、栄養ー評価と治療、26, 55 (2009)(
図 25
18-30歳の被験者12名
に対して、3g/dayのカル
ニチンを10日間摂取させ
た。ラベルした遊離脂肪
酸を経口摂取し、燃焼量
を呼気で測定した。
脂肪燃焼量
に有意差が
認められた。
117
表4
食品中の共役リノール酸'CLA(含量
豚肉:
0.6mg/g fat
図 26
牛肉中の
CLAの内、
約75%は、
9cis,11trans
型である。
118
図 27
ヒト試験による体脂肪低減効果
CLAには、
抗ガン作用、
動脈硬化予防、
体脂肪減少、
血圧上昇抑制
などの様々な
機能が報告さ
れている。
低減
最も注目されている機能
'Thom et al., J. Int. Med. Res., 29, 392 (2001))
図 28
オレイン酸のLDL-コレステロール低下作用
(Mattson & Grundy, J. Lipid Res., 26, 194 (1985))
119
図 29
オレイン酸のLDL-コレステロール酸化抑制作用
LDL-Cの酸化
LDL-Cのマクロファージ
による分解
■:cont.
■:cont.
▲:sunflower oil
●:oleate-rich
oil
▲:sunflower oil
●:oleate-rich
oil
抑制
抑制
・各食事を摂取した兎のLDLを用い、5μ MのCu2+で酸化させた。
(Parthasarathy et al, Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 87, 3894 (1990))
図 30
オレイン酸の血圧降下作用
オレイン酸
は、細胞膜
のOAレベ
ルを上昇し、
膜構造を変
えることで、
血圧降下を
引き起こす。
'対照群(
'大豆油(
'オリーブ油(
'トリオレイン(
(Teres et al, Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 105, 13811 (2008))
120
図 31
<牛肉の魅力>
・栄養素の供給→良質タンパク質、ミネラル
・おいしさの付与→うま味、特有の香り
・病気の予防→生体機能調節作用
・脳の機能維持、・太りにくい体作り、
適量摂って、
健康維持・増進!!
・脂肪燃焼促進作用、・鉄欠乏性貧血予防
・LDL,コレステロール低下、酸化抑制作用
・血圧降下作用・体脂肪減少作用
121
牛肉のおいしさについて
日本獣医生命科学大学名誉教授
沖谷 明紘
おきたに あきひろ 昭和 43 年より東京大学助手、日本獣医畜産大学助教
授・同教授を歴任。この間、日本食肉研究会会長、厚労省薬事・食品衛生審
議会臨時委員、農林水産省農林物資規格調査会会長、社団法人食肉科学技術
研究所理事などさまざまな公職に就く。平成 18 年、日本獣医生命科学大学
名誉教授に就任。食肉の風味形成に関する研究で、日本栄養・食糧学会賞受
賞。食品科学、食肉科学の専門分野で活躍中。著書(共著)に『肉の科学』
、
『畜産食品の事典』
、
『食品学各論』などがある。
肉のおいしさにはどんな構成要素があるか?
はじめに、牛肉のおいしさの構成要素についてお話しすることにいたしましょう。そのあと
に話は尐々飛びますが、昨今、真空調理という調理法がはやっています。食材を真空パックし
て低温で長時間調理すると、たんぱく質がやわらかく仕上がるので、特に肉料理で重宝されて
います。どうしてやわらかくなるのか、研究を進めていますので、その途中経過についてもお
話ししたいと思います。
牛肉のおいしさの構成要素は、口に入れる前と入れた後の双方にあります。口に入れた後、
目をつむって噛んでわかるおいしさには、食感(テクスチャー)
、味、香りがあります。私たち
はいろいろな肉を食べますが、まず、その肉が牛肉か豚肉かをどうやって判定しているかとい
うことについて注目しました。
「味で判断している」
という考えはずっと以前からありましたが、
調べているうちに肉のおいしさが味だけでは判定できないことや、香りの情報と味の情報を識
別してやらなければならないことに気づいたのです。
そこで、食肉の種類の判定にも香りの貢献があるのではないかということで、研究を始めま
した。その結果は以下のとおりです。なお、この研究は牛、豚、鶏、ラム、合鴨で行いました
が、学生が順次変わるので都合6年くらいかけて行いました。まず、学生に食肉の種類の識別
判定ができるようトレーニングをします。識別判定ができるようになったら、鼻孔を開けて行
います。さらに目隠しして鼻をつまんで判定してもらいます。
肉片で行ったケースですが、鼻をつまんでやると、正解率は表1のとおりでした。鶏の正解
率がかなり高い理由は、鶏の食感がほかの肉に比べてかなり特徴的であるからです。一方、鼻
を開けてやると、肉片だと正解率は非常に高くなります(表2)
。豚の正解率が悪いのは、いま
の日本の豚に特色がないということを示しています。ほかの肉に比べて、香りからの情報が非
常に弱いわけです。
これらをまとめたのが表3です。味はスープとしてもとれるので、鼻をつまんでスープを判
定してもらいましたが、こちらは全然当たりませんでした。ですから、味には肉種を決める特
徴的な決め手がないということがいえると思います。スープは鼻を開けても、浮いた脂を抜い
た状態だと、まだそれほど正解率は上がってきません。ただ、ラムだけはスープに香りがつい
たようでした。一番正解率が高かったのは、鼻を開けて肉片でやったものです。従って、畜種
122
の識別に寄与するのは香りがメジャーである。次に食感。テクスチャー(食感)と香りでわれ
われは判断しているということが明らかになったわけです。加えて、味の貢献は意外に尐ない
ということが結論でした。
なぜ味では識別できないのでしょう。表4はスープですが、熟成してスープを官能評価した
ところ、確かに豚肉と鶏肉は熟成すると肉様のうま味が強くなります。一方、牛肉は貯蔵前に
4日熟成したものを手に入れましたが、さらに追加熟成をしても、有意差がない状態でした。
このスープのアミノ酸組成を見ますと、図1のような状態で、鶏肉が上の部分です。熟成後に
熟成前よりも有意差があったものは、スター(*)印をつけてあります。鶏肉はかなりスター
印がついて、熟成するとおいしい。死後2日くらいで肉のうま味が強くなるということです。
豚肉も熟成するとうま味が強くなります。同じ順序でアミノ酸を並べてありますが、アミノ酸
のパターンは非常によく似ています。
一方、こちらは牛です(図2)
。牛は、先ほどの結果どおり、熟成してもあまり差がありませ
ん。従って、死後4日までの間に遊離アミノ酸の増加現象は終わってしまったのではないか―
―他の文献のデータなどを見ると、そのように判断されます。しかしパターンは非常に似てい
るので、このアミノ酸パターンでメジャーアミノ酸を組み合わせると、肉様の味、すなわちう
ま味がある。イノシン酸を加えると、かなりのうま味液ができるというので、既にパテントを
どこかが取っているという状態です。
結論としてわれわれは、味物質には畜種間の差がないということで、香りの重要さを認識し
たわけです。
黒毛和牛のおいしさの秘密とは何か
次に、黒毛和種の肉のおいしさについてお話ししましょう。先ほども出ましたが、黒毛和牛
のおいしさは「和牛香」と命名した香りにあります。
牛肉は、わが国ではこのように分類されています(表5)
。和牛は上から4種類、遺伝子が固
定された純血種の4種です。一番食べられているのは黒毛和種で、脂肪交雑が非常に多い。褐
毛和種もかなり脂肪交雑が入っていますが、流通量は非常に尐ない。その下の2種は農水省の
委員会が決めた和牛品種間同士の交雑種で、これも和牛肉ということになっています。その他
の国産牛肉には、乳用種の肉、乳用種と和種の交雑種、あるいは外国品種との交雑種。外国種
でも、国内での飼養期間が長いものと、行政的な分類ではなっています。
牛肉の嗜好調査の結果は表6のとおり、国産牛肉が非常に好まれています。輸入牛肉は、売
れているものの仕方なく食べているという側面があるでしょう。理由は、調査の結果でも「価
格が安いから」と出ています。
「おいしいから」というのは二の次です。
さらに、味についての調査では和牛肉が圧倒的に「おいしい」と出ており、
「おいしくない」
と言う人はほとんどいません(表7)
。これは全国 2000 世帯を定点観測したデータです。和牛
以外の国産牛肉、乳雄(ホルスタイン種の雄)などでも、4分の1の人がおいしいと言ってい
ます。それに比べて輸入牛肉は、おいしいと言う人はほとんどいない。食べ方にもよると思い
ますが、おいしくないとはっきり言っている。これは味について言っているわけですが、味と
香りの識別がこのアンケートではなされていません。鼻をつまんで鼻を開けるという調査だけ
でも簡単にできるので、これからのアンケートでは、味と香りについても行うといいと思って
います。
123
次に、味と香りを識別しながらではどうなのか実験を行ってみました。結論は、和牛特有の
香りがある――「和牛香(Wagyu beef aroma)
」という名前をつけましたが、黒毛和種特有の香
りが好まれるということがわかりました。ちなみに、和牛香とはサシ、すなわち交雑脂肪の入
った霜降り牛肉を含気熟成し、100℃以下での湯中加熱、つまり煮てから口中で噛んだ時に、口
から鼻に抜けて感じられる甘くコクのある和牛肉特有の香りのことです。この実験について詳
しくお話ししましょう。
検体数は尐ないですが(表 8)
、和牛と輸入牛肉をすき焼き程度にボイルし、目隠しして鼻を
閉じた人に食べてもらいます。味だけでどちらが好きかと聞くと、和牛と輸入牛肉に有意差は
ありません。輸入牛肉はカンザスのアンガス牛を使いました。ところが鼻を開けてやってみる
と、和牛肉が圧倒的においしい、好ましいと出たのです。これはこのあと 100 検体以上行いま
したが、圧倒的に鼻を開けると和牛がおいしいと出ました。議論した結果、煮てから口中で噛
んだ時に、口から鼻に抜ける甘くコクのある特有の香りがおいしさを決定づけている要因だと
結論づけました。そして、それに和牛香という名前を付け、英語では Wagyu beef aroma と呼ぶ
ことを提案したのです。
和牛香の生成条件とは
3番目に、和牛香の生成条件についてお話をしたいと思います。
実験の条件ですが、まず 40℃、60℃、80℃、100℃でパティを2分間くらい加熱し、その後
で官能テストを行いました(図3)
。和牛香が一番強く出るのは 80℃です。100℃は、オープ
ンでやると香りが抜けてしまうのですけが、真空パックしてやると、80℃にかなり近い香りが
残ります。普通、すき焼きはあまり高い温度でやらないし、しゃぶしゃぶも肉が白くなった程
度ですぐあげて食べます。これらは、従来から有名なすき焼き屋さんやしゃぶしゃぶ屋さんが
勧めている食べ方で、それがまさに理に適っているということです。
脂肪交雑と、酸素あり・なしの実験では、脂肪交雑が一番いい「脂肪交雑等級5」を手に入
れ、これらの日数、熟成します(表9)
。肉片を含気熟成で行うものと、凍結貯蔵にして解凍し
てから食べるものでは、5日間くらいの熟成からはっきり差が出てきて、11 日間熟成では圧倒
的な差が出ます。実際に売られている脂肪交雑等級5の和牛は1カ月以上熟成されており、長
い時は3カ月ぐらい含気熟成を行っています。ただスーパーに出ている和牛はそこまでやって
いないので、見た感じほどおいしくない。従って、すき焼き屋さんで食べるとすごくおいしい
と感じられるのは、熟成期間のせいだということもわかってきました。スーパーがいつ真空を
破ってくれるか期待しているのですが、シェルフライフの問題があってバイヤーがなかなか言
うことを聞いてくれない状態です。
一方、脂肪交雑等級が低いものは安い和牛肉として出ていますが、5日くらいの熟成では差
が出てきません。しかし、1、2カ月やると確実に出てきます。今、市販されている和牛は、
すべて和牛香がします。強弱はありますが、必ずします。すなわち、和牛香が強く出る生成条
件は、サシ(交雑脂肪)がよく入った霜降り牛肉を、含気熟成、すなわち空気に触れさせて熟
成するのがベストです。これを、英語では dry aging と呼んでいます。dry aging というのは、
最近また言われるようになった言葉です。
これに対して真空熟成(vacuum aging)、あるいは dry
に対して wet aging という言葉がありますが、vacuum aging(wet aging)がシェルフライフ
を延ばすために、アメリカやオーストラリア、日本では圧倒的に使われている。しかし、脂肪
124
交雑の入った牛肉は wet aging にすると、潜在している香りがちゃんと出てこないというのが
結論です。
さらに、微生物が関係しているかどうかということについてお話しましょう(表 10)
。この
実験では、抗菌スペクトルが広いクロラムフェニコールに浸漬した肉を貯蔵し、口に入れてか
らすぐ吐き出してもらいました。すると、処理したものと処理していないものでは、熟成した
後は差がありませんでした。ですから、恐らく微生物は関係していないのではないかと考えて
おります。
和牛香の構成成分を化学的に解明する
4番目に、和牛香の構成成分が、化学的にどういう物質であるかについて、これまでにわか
っている範囲でお話ししましょう。
まず、香気成分を取り出して調べてみることにしました。しかし、これまでにもさまざまな
グループがいろいろな手段で行いましたが、肉から抽出したもので口の中に入れて和牛の香り
がするサンプリングがなかなかできず、この実験には3~4年かかりました。溶媒抽出などが
一切ダメだったので、最終的には煮て出てくる香りを水蒸気蒸留でとらえ、それを濃縮すると
いう方法になりました。しかし、あまり長くやるとほかのにおいがものすごく出てくるので、
水蒸気蒸留も短い時間で行いました。具体的には、600gの肉を 20gに分けて 30 回、30 分の抽
出を行い、つかまえることができたのです(図 4)
。
ガスマス、ガスクロといろいろ行いましたが、図 5 は Gas Chromatography とにおい嗅ぎ法を
行った時のものです。サンプルを注入し、分離されてから2つに分けてチャートをとるやり方
と、鼻で嗅ぐというやり方を行います。サンプルをだんだん薄めていって、どこで香りが嗅げ
なくなるかという希釈倍数も、
それぞれの香り物質について決めました。
和牛と豪州産の差は、
大きく出ました(表 11)
。溶出時間が遅いラクトン系のところ、和牛でラクトンが非常に多い
ということがわかりました。ほかのピークも和牛のほうがかなり多かった。
一番多かったのはγ-ノナラクトンで、1024 倍に薄めてもまだ香る。これをさらに4倍に薄
めるとにおいはなくなってしまいますが、
それくらい強い香りで、
ココナッツの香りもします。
ミルクの香りのしないものが一番多く、γ-デカラクトン、δ-デカラクトン、δ-ウンデカラク
トン、γ-ドデカラクトン、このあたりのラクトンが多いということもわかりました。2番目に
多いのが桃様、ココナッツ様で、その後にミルク様の香りのラクトンが出てくる。ミルク様の
ラクトンというのは、
「乳臭い」と言われるにおいですが、和牛肉はほとんど乳臭くない。後で
出てきますが、乳牛肉を熟成した時に出てくるのはちょっと乳臭いにおい。恐らくラクトン類
のバランスが違っていると考えています。他に重要なのが脂っぽい香り(脂肪様香気)で、ジ
アセチル、アセトイン、ノネナール、このあたりのものはバター様の香りがします。これは輸
入牛肉にも相当量あります。ラクトン類が特に品種特異性を決めているものなのではないかと
思っています。
牛肉をおいしく食べるポイントは熟成香にあり
5番目に熟成香の種類についてお話ししましょう。和牛香は和牛肉を熟成した時に出てくる
香りですが、牛肉を熟成した時に生成するほかの香りもあります。例えばと畜4日目の乳牛の
肉を0℃で 20 日間、dry aging します。もう一方は、凍結貯蔵して2日前に解凍してやります。
125
そうすると、0℃で貯蔵したもので、これは加熱しないで生肉を鼻先で嗅ぎますが、乳臭い甘
い香りがします。昔、肉屋さんに入るとプーンと甘い香りがしましたが、あの香りそのもので
す。しかし、現在スーパーなどではすべてパックしてかなり温度が低い状態で売っていますの
で、ほとんどこの香りは出ていません。時折、牛肉ばかり扱っているお店で切れっ端の脂がそ
のあたりにこびりついていたりすると、お店自身が甘い香りがしますが、まさしくその香りで
す。
この香りはバクテリアの作用で出てくることもわかりました。そこで、この香りに
conditioned raw beef aroma(生牛肉熟成香)という名前をつけました。すなわち、微生物が
赤肉と脂肪が共在しているところで働くと、酸素を要求して出てくる。ほかにあるかもしれま
せんが、ここでは1種類の菌だけを単離しました。Brochothrix thermosphacta、牛肉の常在菌
です。アセプティックじゃない条件で扱っているといっぱいついている菌で、低温細菌で、通
性嫌気性の、何も悪いことをしない菌です。また、赤身成分も必要です。原料は、一価の不飽
和脂肪酸、オレイン酸とパルミトレン酸をソースにして、酸素のある条件で働いて、乳臭い甘
い香りを出します。これはラクトンだと思いますが、まだ物質をとっていないので、今は「生
牛肉熟成香」と言っています。しかし、加熱すると飛散してしまいます。
このように、香りには2つのタイプがあります。一つは鼻先で感ずる香り(orthonasal aroma)
。
これは生肉の香りですが、鼻先香という名前を勝手に提案しています。もう一つは、口の中に
入れてよく噛んで出てくる香りです。呼気と一緒に出てくる香りで、retronasal aroma。英語
は 1 つしかないのですが、日本語はどうするか決まっていません。いろいろ提案されており、
私たちは口中香と提案し、咀嚼香と言っている人もいます。香水とかトイレタリーは全部鼻先
香で、官能も全部鼻先でやります。しかし食品の場合は、鼻先で香るものもありますが、多く
は口に入れて判定する。フレーバーリストは後者で、パフューマーは前者という具合です。で
すから、すき焼きのにおいはいくらクンクンやっても、特に冷めたすき焼き牛肉は全く香りが
しません。ところが、口の中に入れて噛んでいると甘い香りが出てきます。
牛肉には、和牛以外にも熟成することによっておいしい口中香が出てくるものがあります。
ということで、熟成香の種類について、私の考えているところを提案したいと思います。表 12
は香りの分類です。香りは生鮮香気と加熱香気に大きく分かれており、牛肉熟成香は生鮮香気
です。加熱香気にはいくつかの分類法があると思いますが、すき焼きとかしゃぶしゃぶはボイ
ル肉香気、焼肉などはロースト肉香気、そして動物種特異臭もあります。和牛香もボイル肉香
気であり、品種特異臭でもありますから、もう尐し分類を複雑にしなければならないと思って
います。
香りは牛肉のおいしさには欠かすことができません。例えば、粗くサシが入っているホルス
タインの雄を 20 日間熟成し、味だけで判定すると差がない。しかし、鼻を開けて判定すると、
dry aging したもののほうが香りはいいという判定が出ます。事実、消費者が「今日の国産牛
肉はわりと牛肉らしい」と判定するのは、この香りのあるものです。しかし、中には香りの全
くしないものもあります。乳牛肉はほとんどが真空保存で、熟成するとすぐ市場に出すので、
ほとんど甘い香りがしない。そういうものも大量に出ています。今日はいいが、明日はダメと、
当たりはずれがあるのです。それに比べ、和牛は百発百中良い香りがします。
また、生牛肉熟成香の生成では、赤身と脂身で微生物が働いて出てくる。この場合、酸素も
必要です。今申し上げた乳牛の香りも煮て出てくる香りで、煮牛肉熟成香という分類にしたら
126
どうかと提案しています。この場合、80℃くらいの加熱で酸素が必要です。サシの脂肪が大事
と言っていますが、粗いサシでも構わない。サシの必要度についてはまだわかっていないので
す。ちなみに、真っ白に見えるぐらいサシを入れなくても、十分、和牛香が出てくることもわ
かっています。
表 13 は、それらを分類して提案した「まとめ」です。生牛肉熟成香は甘いミルク臭に似た香
りで、鼻先で嗅いで感知できますが、加熱で揮散します。しかし、タルタルステーキなら味わ
うことができます。熟成によって生成します。
この香りが何の役に立つかというと、和牛を dry aging したかしないかという判定は食べて
みればできますが、
肉を傷つけなくてもこの香りがしているかどうかということでわかります。
今は0℃で熟成していますが、0℃だとほとんどにおわないので、尐し室温に置いて嗅いでみ
る。すると、和牛は甘い香りがナマでします。それが生牛肉熟成香です。恐らく、プロの熟成
屋さんの判定はこの方法でやっていると思いますが、何で行っているかは絶対に教えてくれま
せん。しかし私どもは、恐らく香りでやっていると判断しています。
一方、煮牛肉熟成香ですが、ホルスタインの雄を熟成すると、やはり牛肉特有の甘い香りが
します(ちょっと乳臭いですが)
。乳牛香という仮の名前をつけておきました。甘く脂っぽい香
りで、加熱肉を噛んで感知する。生肉にはないが、煮ると生成する。加熱で揮散しにくい。熟
成によって生成。加熱で1回出ると、肉の中にとどまり、冷めても、噛むと出てきます。です
から、高級な和牛でつくったしぐれ煮は、冷たいまま食べますが、噛んでいると和牛特有の香
りが出てきます。安い輸入牛でつくったしぐれ煮は、いくら噛んでも香りが出てきません。値
段が4倍くらい違うのですぐわかりますが、そういうことです。しぐれ煮のつくり方でも、80℃
以上に加熱しないということを、浅草の「今半」から漏れ聞きました。
また、焼牛肉熟成香は、輸入牛肉でもいろいろな牛肉で共通ですが、香ばしい香り、100 ℃
以上で焼いた焙焼臭。これは鼻先でも口中でも感知できる。焼くと生成しますが、揮散しやす
いので、1回焼いた焼肉はその時の香りでおしまい。もとの香りにしたい時には、もう一回焼
き直ししなければなりません。これはピラジン系の香りです。
それから、ほとんど口に入ることはないですが、長期熟成した高級和牛は、発酵生ハムに似
た香りがします。甘い香りが減って、パルマハムの香りに非常に近い。ちょっと味噌臭いので
すが、そういう香りがします。この研究は誰もまだやっていません。まあ、やる必要もないか
もしれませんね。6カ月くらい置いても、霜降りのよく入った締まりのいい肉は、腐らない。
カビが生えて脱水していくということですが、そういう特殊なものもあります。
肉の調理に非常に効果的な真空調理
最後に、
「牛肉の真空調理によるおいしさの発現」についてお話ししたいと思います。
真空調理というのは、フランスで提案されました。TGV(新幹線)でフォアグラ料理を出
す際、フォアグラがすごくカスカスになるのが問題でした。その調理法をジョルジュ・プラリ
ューという人が工夫して、真空パックして低温で加熱するという方法を見つけました(図 6)
。
彼は包装材については特許を取りましたが、調理方法については特許を取らず、
「使っていい」
と言ったので、世界中に広まりました。日本では服部栄養学校が導入し、一生懸命講習して、
今、ホテルの料理でかなり使われています。富士急ハイランドのハイランドリゾートホテルの
レストランは、前は全部真空調理の料理でした(現在はどうか知りませんが)
。
127
肉の調理には非常に効果的で、硬くならないので保水性の高いものができる。植物性のもの
だと、もっと温度の高いところでやらなければなりません。セルロースとかペクチンに対する
作用は、もっと高い温度が必要です。一番効果があるのは、魚も含め、肉です。62℃(ヤケド
する温度)以上のところ。ですが、68℃以上は上げてはなりません。
われわれもいろいろ試してみました。イカ、タコ、アワビ、エビ、牛肉、豚肉。その結果、
真空調理で一番差がわかったのはイカです。イカは普通の調理をするとすごく硬くなる。あの
硬さもおいしさの一つですが、年寄りは食べられない。何とかやわらかくできないかというこ
とが随分言われてきたので、これを追求しました。図 7 のようにイカの外套膜を切り抜き、脱
気密封して恒温槽で加熱をし、官能検査と物性測定をしました。
いろいろな温度によって違いがありますが(表 14)
、60℃で1時間加熱すると非常にやわら
かいものができます。これが点数は最も良かった。80℃ではすぐ煮えてしまいますが、硬い。
レファレンスとして、80℃、1時間のものを使って比較しました(表 15)
。55℃でも4時間く
らい加熱すればちゃんと煮えますが、時間が長過ぎるということで、60℃でやりました。
出来上がりは、歯切れのいい刺身みたいな感じでした。レオメーターで測ります。環状筋に
対して、それを切断するような形で刃を当てたものと、平行に当てた場合の破断強度を測って
みると、筋線維を横断して切った場合は、60℃と 80℃であまり差がありませんでした。しかし、
環状筋に平行に切ると、差が出て、3分の1くらいの値で、60℃が小さいということになりま
した。これが、やわらかく感じる理由の一つだと考えています。
イカの筋肉を詳しく調べます(図 8)
。日本人はイカを一番たくさん食べる国民で、非常によ
く調べられています。外套膜を開いてやると、環状筋Aは、こういう形で輪になっています。
それに対して直角に走っている放尃状筋、これは短い。刃が当たってやわらかく感じたという
ことは環状筋筋線維に平行ということなので、ミオシンとアクチンの結合に何か変化があるの
ではないかというふうに考えました。
図 9 のように、肉片を各種温度で貯蔵したものをホモジナイズして――0.2MKCl、中性バッ
ファーでホモジナイズし、遠心して上清とホールをSDSポリアクリルアミド電気泳動で分析
するという方法でやってみました。0.2Mを使ったのは、生体の状況に近い条件だから。0.2M
KCl の状況だと、アクチンとミオシンがくっついた状態のアクトミオシンは沈殿します。筋肉
中ではゲル状になった形で存在しているわけですが、0.2Mの時に、ミオシン、アクチンは各々
単独状態では溶けてきます。ということで、この差を利用したわけです。
先ほどの 60℃で1時間加熱したイカをホモジネートにして、0.2MKCl 中で遠心し、上清を電
気泳動にかけました(図 10)
。その結果、上清にアクチンが大量に出てきていることがわかり
ました。80℃でやったものについてはほとんど出ていないということで、60℃でアクチンが遊
離した状態で存在している。ミオシンは恐らく、熱凝固して沈殿のほうに行っている。
経時変化を見ていくと(図 11)
、dは2分でもうアクチンが出てきてしまう。1時間加熱し
ても2時間加熱しても、遊離状態でいる。ミオシンとアクチンが完全に分かれた状態で、つま
り太いフィラメントと細いフィラメントが分かれた状態になっているということです。それが
やわらかさの一つの原因だと思います。80℃では、最初のほうはアクチンがちょっと出ます。
80℃でやる時もゆっくりやればいいのでしょうが、80℃のお湯にすぐ入れてしまうので、80℃
になる前にちょっとステージがあって出てくるわけですが、さらに加熱すると 80℃では沈殿し
てしまいます。
128
では、畜肉ではどうかということで図 9 の方法でやりましたが、アクチンは出てきませんで
した。普通の骨格筋は、アクチンフィラメント、ミオシンフィラメントはZ線で保持されてい
ます。ところが、軟体動物のイカやホタテ貝にはZ線がありません。0.2MKCl で抽出する図 9
の方法で、ホタテ貝でやってもちゃんとアクチンは出てきました。Z線のある、なしが両者の
違いの原因かということで、牛肉に対してZ線を溶かす条件、0.6Mの NaCl を含むアルカリ性
のバッファーで、これは Weber-Edsall 溶液という、アクトミオシンを抽出する溶液ですが、こ
れを使いました。
KCl はSDS電気泳動を妨害するので、NaCl に変えてやって、1回、Weber-Edsall を用いオ
ーバーナイトでZ線を溶かして、それに水を加えて 0.2Mにします。それで遠心して、上清を
電気泳動にかけました。そうしたら、5分間加熱でアクチンが出てきました。65℃でやってみ
ました。60℃でやるともっと出ると思うのですが、食品衛生法を意識し、65℃でやりました。
それが、80℃ではほとんど出てこないということでした。豚、鶏でも同様です。
そこで、なぜアクチンが遊離するのかということについて調べました。結論は、イカの場合
はAMP、畜肉の場合はIMPが、アクトミオシンを解離させるのが原因だということがわか
りました。イカ筋肉のホモジネートで同じような実験をやると、先ほどは肉片でやったのです
が、ホモジネートでも現象は再現できる。ただ、ホモジネートにすると autolysis がかなり起
こります。このホモジネートを使って分画しました。筋原線維画分と、低分子の筋漿画分と、
高分子の筋漿画分。それをそれぞれ混ぜて、60℃で加熱して、遊離しているアクチンの量で、
どちらの組み合わせでアクチンが遊離するかを調べたら、筋原線維画分と低分子筋漿画分を 30
分加熱した時にアクチンが大量に出てくることがわかり、低分子の筋漿画分が作用因子という
ことでした。
さらに、筋漿画分を分画するということをやらないで次に進みました。アクトミオシン系に
親和性のあるものは、ATP関連のものが一番有名なので、ATPの分解物で死後にわりとた
まるものを用いました。一次的に蓄積するのは、イカ、貝、軟体動物ではAMP。それが畜肉
でIMPというのは既にわかっている、非常に有名な事実であります。イカ筋肉で筋原線維画
分にダイレクトにATP、AMP、IMPを入れてやりました(図 12)
。c、dはATPです。
ATPで解離することは既にわかっている事実です。2mMと8mMです。eとfはAMP、g
とhはIMPです。死後、IMPの蓄積の最大値が8mMということで、そのくらいの濃度でち
ゃんとアクチンを遊離させる。2mMでも遊離させるということがわかりました。
では、低温ではどうかということで、牛のアクトミオシンを使ってAMP、IMPを入れて
やると(図 13)
、eとfがそうですが、アクチンとミオシンが分かれた状態で 0.2MKCl 中に遊
離してきます。ですから、アクトミオシンになっていない、解離した状態で存在しているとい
うことになります。IMP、AMPを透析して除いてやると、何も出てこない。アクトミオシ
ンになって沈殿します。ですから、0℃では、IMPがある、ないでアクチンとミオシンの解
離と結合は可逆的な反応である。ちなみに、
(普通、肉にはないのですが)GMPでも同じこと
が起こることがわかりました。UMPやCMPでは起こらないので、プリンヌクレオチド一リ
ン酸のみに特異的な反応であるということがわかりました。
IMP や GMP は食肉軟化剤として使用可能
この事実から、次のようなことが示唆されるのではないかと思っています。
129
真空調理で、低温加熱によって調製される食肉がソフトな仕上がりになっているのは、IM
PまたはAMPによるアクトミオシンの解離反応――これは不可逆的な解離反応ですが、それ
が一つの理由になっている。コラーゲンのゼラチン化、あるいはたんぱくの加熱変性度が、80℃
より 60℃が低いということも理由であろうと思っています。
食肉の熟成中に、IMPやAMPが一時的にたまってきますが、死後硬直で生成したアクト
ミオシンを解離した状態にして、収縮した筋原線維を弛緩させたり軟化させさせたりする作用
があるのではないか。これについては、最後にもう尐し詳しくお話しします。
かまぼこの製造工程で、水さらしをするとコシの強いかまぼこができますが、ヌクレオチド
を除く(だからうま味が減るわけですが)ことが理由の一つではないか。IMPとかを残して
おくと、加熱した時に「戻り現象」といって、ゲルができない現象が起こる。戻り現象の原因
の一つは、ヌクレオチドにあるのではないかと思っています。
ハム・ソーセージの製造工程で、ピロリン酸塩を多用していますが、代替としてIMPある
いはGMPが採用できる可能性が示されました。事実、低食塩濃度でIMPを8mMくらい入れ
ますと、アクトミオシンの抽出度が高くなる。ミオシン、アクチンも抽出度が高くなる。すな
わちピロリン酸の代わりをするということがわかってきました。
それから、精肉にIMP、GMPを食肉軟化剤として使えるのではないか。和牛はそれをや
る必要はないのですが、輸入牛肉等で長期熟成に耐えないような肉、長期間熟成できないよう
な締まりの悪い牛肉の場合は、軟化剤としてこれを調味液に加えてやるということができるの
ではないか。もう既にやっている焼肉屋さんがあるかもしれませんが、われわれは特許を取る
意思は全くなく、全部公開しますので、どうぞ試していただきたいと思っています。
最後は死後硬直の解除の話です。死後硬直が起こるメカニズムは既にわかっております。A
TPの消失に伴って筋線維が収縮し、硬直アクトミオシンが形成されるからです。硬直解除、
つまり解硬(やわらかくなる現象)については、関与する現象はわかっていますけれども、何
が原因なのか結論は出ていません。アクトミオシン中のアクチンとミオシンの結合力が弱化し
ているということは事実です。収縮したものをまた弛緩させるということです。
原因についてはまだ論争が続いていますが(図 14)
、Ca イオン単独の説、これは有名な説で
す。カルパイン説は、カルシウムで活性化される中性プロテアーゼが原因とする。カテプシン
説は酸性で働くプロテアーゼ群が原因とする。われわれは一部、この説にデータを提供してい
ますが、さらに、イノシン酸(IMP)説を提案したいと思っています。実証実験はこれから
だと思います。論争はさらにややこしくなりますが、IMPは明確にアクトミオシンをアクチ
ンとミオシンに解離させたので、この説を提案したいと思っています。
〔質疑応答〕
藤巻 どうもありがとうございました。ご質問、あるいはご意見がございましたらどうぞ。
西村 興味深いお話をありがとうございました。
いくつか質問させていただきたいと思います。
一つは、
香りについてです。
交雑牛でも同じように和牛香は出ると考えていいと思うのですが、
脂肪交雑あるいは粗脂肪の含量で、どれくらいあれば和牛香が出るのでしょう。というのは、
輸入牛肉でも出るということは、脂肪がある程度あれば出ると考えていいのでしょうか。
沖谷 そのとおりです。黒毛和牛の脂肪含量の減尐を随分提案しているのですが、農水省はや
らないですね。とにかく和牛はサシが入っていなければならない、ということをずっと勧めて
130
きたので、今さら品種改良で方向転換できないと。しかしもう限界で、あまりにもひど過ぎる
のでいい加減やめたいと言っている人もいる。20%くらいで十分出ます。
それから、交雑も出ますが、香りの質が違います。やっぱり乳臭いですね。今は牛の個体識
別番号がついていますから問題ないですが、以前は、わりと高級な焼肉屋さんも交雑牛を出し
ていました。しかし、毎日扱って食べているシェフはすぐわかるわけです。それで随分トラブ
ルが起こったのですが、証拠がないので、ババをつかまされたと怒っていました。今は遺伝子
もわかるしトレースもできるので、その類の話は一切なくなりました。ですが、故意でやる。
この間、变々苑がやりましたね。高級焼肉屋なのに全くけしからんと思います。しかし、その
肉だけ食べているとわからないですね。
西村 さきほど、ラクトンにミルク様とココナッツ様がありましたが、あのバランスが輸入牛
と交雑牛と黒毛和種で変わってきて、バラエティが出てくると考えてよろしいですか。
沖谷 そうじゃないかと思うのですが、交雑牛は調べていない。あの実験はものすごいエネル
ギーがいるし、大変な実験なので。
西村 後半、最後にイノシン酸説を出されたところで、例えば鶏肉で熟成をした時に――北大
の高橋先生がやられている、ブレンダーにかけた時にZ線の部分で切れやすくなるという現象
がありました。そうするとイノシン酸説になると。Z線のところじゃなくて、むしろアクチン、
ミオシンの解離ですから、ああいう現象は説明できなくなるような気もするのですが。
沖谷 Z線は生肉の状態では切れていません。ブレンダーをかけた時に切れるほどに弱くなっ
ているだけです。食べる時も、あんなにブレンダーをかけることはしないですよね。硬直した
肉を熟成させると、蓄積してくるIMPが作用して、硬直体のアクトミオシンの形が弛緩型の
アクトミオシンに戻る、一回アクチンとミオシン結合が切れて、そういうことが起こると考え
ているわけです。
西村 熟成した肉で、アクトミオシンをとった時に熟成が進んでいないものと進んだもので、
IMPによるアクトミオシンの解離に差は出ますか。
沖谷 IMPの反応は1~2分で終わります。入れた瞬間ではありませんが。
西村 差はないわけですね?
沖谷 はい。
一応 16 時間と書いたのは初期の実験結果なのです。
時間を変えてやっていったら、
入れて1分くらいで完了することがわかりました。
西村 原料のほうの肉が熟成されているか、熟成されていないか。アクトミオシンをとったと
きに、肉が熟成されていないのか、したのかというので違いがあると。
沖谷 ここでは売っている肉(熟成された牛肉)しか使ってないですね。殺したての牛肉は手
に入りません。検査を受けなければならないし、アクトミオシンをとる時はウォッシュアウト
します。IMPはみんな流してしまっています。アクチンとミオシンが1回離れた状態で、売
っている時はなっているのに、われわれがアクトミオシンを調製する時にIMPをウォッシュ
アウトしますから、またくっつく。それでまた入れると、また分かれる。だから、買ってきた
肉をそのままホモジネートして回せばアクチンが尐し出るかもしれないけれども、生肉をその
ままホモジネートできないし、遠心しても上清が出てこないので。まあ、10 万Gでもかければ
あるいは出てくるかもしれませんが。でも、出てきたアクチンも沈殿してしまいますね。あと
は想像するしかないわけですが、恐らく分かれていると。
西村 アクトミオシンのIMPによる解離に、元のアクトミオシンの構造の変化、揺らぎみた
131
いものが起こしやすくしているとか、そういうことも考えられそうな気がしたので、例えば熟
成してない肉で、すぐにIMPを入れた時にやわらかくなれば、すごいと思うので、その辺の、
熟成度が違う肉でイノシン酸がアクトミオシンの解離にどうかかわっているか。まあ、次の段
階だと思いますが。
沖谷 アクトミオシンがIMPで分かれるのは、熟成に無関係で完全な独立した現象だと考え
ています。ATPに対する感受性で、藤巻先生と荒川先生が一緒になされた、と畜直後の家兎
肉のアクトミオシンは解離させるのにかなりのATPが必要だけれども、だんだん熟成した肉
からとったアクトミオシンは、尐ないATPで解離するという有名な実験結果があるんです。
その時は 0.6MKCl 中でやっているんです。あの実験結果についても、今のデータを入れてさ
らにメカニズムを明らかにしていきたいと思っています。
五十嵐 牛肉の特有香についてお聞きしたいと思います。ラクトン系は、水酸化がどこかで起
きていなければいけないので、量は非常に尐なくていいわけでしょう。だから、何か酵素反応
が起きて(酸素が入るから当然そうですね)
、オキシキゲナーゼが働いてどこかに OH 基が入っ
て、そしてラクトンを最終的につくるということなのでしょうか。
沖谷 あれは生牛肉熟成香。
五十嵐 加熱の場合もいろいろなものがあるから、何が原因かわからないけれども、リノール
酸とかオレイン酸とか、みんな関係するのではないかと思うわけですね。ああいうものがある
と、生体ではいろいろな酵素がありますから、そういうものが働く。まだ見つかっていない酵
素がたくさんあると思うのです。そういうものが原因で、ああいう加熱臭がいずれ生じるとい
うように思うのですが、いかがでしょうか。
沖谷 熟成した時にハイドロキシ化するケースは、
ほとんど確率は尐ないと思います。
だから、
生きている時にハイドロキシ酸の脂肪を持っている。それを熟成して酸素に触れさせるという
のは、さらに反応を進める時に、空気中の酸素そのものじゃなくて、肉に吸着したオキシヘモ
グロビンとか、オキシミオグロビン――いったんオキシ化したヘム色素を持つ肉じゃないとい
い香りが出ないです。ですから、切り立ての肉をすぐすき焼きに出すのはダメ。切って、ブル
ーミングさせて、バーッと赤い色になった肉を加熱する。
どうも酸素は、どこかにくっついてると思うんですね。それと脂肪っぽいにおいとの関係も
全然わからない。本当に微量だと思うんです。だから、脂肪のケミストリーをやっている人の
力を借りたいと思っています。ハイドロキシ酸の分離はすごく難しいということも、調べたら
わかって、あのゴミみたいな量は、とてもじゃないけどクロマトでできるような量ではない。
五十嵐 最近はガスマスでやることでわかってきました。
沖谷 それでやると、機械がずうっと使いっぱなしで(笑)
。やってみたいと思います。
松川 和牛とほかの品種を比べると、実際にと畜する月齢はかなり違うと思いますが、エージ
ファクターはあまり考えなくて比較しても構わないのですか。
沖谷 自分でそういうサンプルが採れればいいのですが、実際に市販されているものの検体数
を増やしてやるしかない。今はトレースできますので、何カ月のものか、いつと畜したものか
わかるので、
それがすごく実験をやりやすくしてくれている原因です。
月齢によって違います。
若い牛のほうが香りの出方が弱いかもしれない。生体内でのハイドロキシ化が尐ない。年取っ
たものほど、二次代謝物といいますか、本来必要のないものが増えている可能性はあると思い
ますが、それはやってみたいと思います。ありがとうございます。
132
上野川 真空調理と低温加熱、そこで起こっている物性の変化というか、熟成というか、従来
言われる死後に起こる変化と同じと考えてよろしいわけですか。
沖谷 真空調理で得た知見は、ですね。
上野川 解硬因子の1、2、3番目の話と4番目の話が、もしかしたら同じ現象を、違う因子
で説明しているかもしれないと理解してよろしいですか。
沖谷 4番目のかかわっている部分と同様にして、Ca イオン説だけがアクチンとミオシンの結
合の弱化を説明していますけれども、カルパイン説とカテプシン説は、アクチン、ミオシンの
結合の弱化を直接説明できていません。主として、Z線の脆弱化というところだけを説明して
いる。ですから、これだけでは不完全で、カルパイン説あるいはカテプシン説だけで解硬を説
明するのは不完全。Ca イオン説、カルシウムは全部説明しているんです、北大の高橋先生の説
ですけれども。
上野川 今のような特殊な条件を設定することによって初めて、イノシン酸が関与する現象が
見られたと理解してよろしいわけですか。
沖谷 真空調理という特殊な条件で見つかったけれども、低温でもそういう現象が起こるし、
実際の畜肉では、IMPは8mMとか4mMなんですね。ですから、低温で置いても可逆的に分
かれた状態になっているのではないか。硬直した肉を熟成するとなんかグニャグニャッとなっ
ちゃいますよね。それは、Z線が弱くなってそうなるとは思えないですね。
133
【表1】
【表2】
134
【表3】
【表4】
135
【図1】
【図2】熟成前後での牛肉、豚肉のスープ中の遊離アミノ酸含量
136
【表5】
品種による牛肉の分類
黒毛和種'和牛(の肉
褐毛和種'和牛(の肉
日本短角種'和牛(の肉
無角和種'和牛(の肉
和牛品種間交雑種'F1)の肉
上記F1と和牛の交雑種の肉
和牛肉
国産牛肉
乳用種の肉
乳用種和牛間交雑種の肉
外国種和牛間交雑種の肉
国内での飼養期間が最も長い
その他の品種の肉
その他の
国産牛肉
牛肉
国外での飼養期間が最も長い
すべての品種の肉
輸入牛肉
【表6】
消費者の国産牛肉と輸入牛肉の好み
調査
年月
回答世帯数
好むと回答した割合(%)
国産牛肉
輸入牛肉
どちらとも
いえない
無回答
1997年
12月
2000
85.8
2.4
11.6
0.3
1998年
12月
2000
85.8
3.3
10.9
0.1
1999年
12月
2000
84.9
3.0
10.4
1.7
2000年
12月
2000
82.0
2.5
14.0
1.5
((財)日本食肉消費総合センター季節別食肉消費動向調査第40回と第44回より)
137
【表7】
消費者の各牛肉の味に対する評価
味についての回答(%)
牛肉の種類 回答世帯数
おいしい
ふつう
おいしくない
無回答
2000
82.4
16.1
0.5
1.1
和牛肉以外の 2000
国産牛肉
26.0
69.7
2.2
2.1
2.6
54.3
36.1
7.2
和牛肉
輸入牛肉
2000
1998 年12月調査((財)日本食肉消費総合センター季節別食肉消費動向調査
より)
【表8】
138
【図3】
【表9】
139
【表 10】
【図4】和牛香の抽出法
140
【図5】
【表 11】
141
【表 12】
【表 13】
和牛香
乳牛香 など
142
【図6】
真空調理での加熱温度帯
143
【図7】
真空調理によるソフトタイプ
煮イカの調製と特性
《方法》
恒温槽
脱気密封包装
3×3cm
試料:スルメイカ
加熱
官能検査
・硬さを5段階で
官能評価
物性測定
・クリープメーター
【表 14】
各種温度で加熱したスルメイカ外套膜
の官能評価による軟らかさの順位
(℃)
加熱時間
2min
5min
10min
30min
1hr
2hr
4hr
6hr
50℃
,
,
,
,
生
生
4
4
55℃
,
,
,
,
生
生
4
4
60℃
生
生
生
2
4
4
4
3
80℃
1
1
1
2
3
3
3
3
煮えたものの食感を示す試料の軟らかさを4段階の点数
で示し+軟らかいものを4点とし硬いものを1点とした。生
は煮えたものの食感を示さないもの+,は測定しなかっ
たことを示す。
144
【表 15】
60℃および80℃で1時間加熱した
スルメイカ外套膜の破断強度'N(
ブレイド面の方向
加熱温度
60℃
80℃
検定
環状筋筋線維に直角
30±6.8
36±6.2
n.s.
環状筋筋線維に平行
8.3±1.9
25±3.2
***
測定値は平均値±標準偏差'n=8(。
)))は危険率0.1%で有意差あり。
【図8】
スルメイカ外套膜筋の構造
内臓側
環状筋'A(
放射状筋'B(
第1+2)層
内臓側の皮
表側
Aの核
Bの核
腹開きして皮をはいだ時の
筋肉の走向
色素胞
核
線維性
第1,2,3,4)層 結合組織
Bの断面
表側の皮 ')チューニック(
145
Aの断面
田中武夫'1958(
【図9】
各種肉類の貯蔵後の抽出方法
ホモジナイズ
冷却
恒温槽
肉片・挽肉
貯蔵
ホモジネート
遠心分離
10,000rpm×20min
19倍量のA液'0.2M KCl+
20mM Tris,HCl buffer
'pH7.2(+5mM EDTA(
上清・ホール
NT-buffer'0.1M NaCl+
10mM Tris,HCl buffer
'pH7.2( (・Tracking dye
SDS‐PAGE
SDS‐PAGE用試料
生筋肉148μ gに由来する量
【図 10】
1時間加熱したスルメイカ外套膜肉片の
ホモジネートとその遠心上清のSDS,PAGE
ミオシン重鎖→
Mr (K)
←67
←45
アクチン→
←25
←12.5
a b c d
e f g h
a+ウシ骨格筋筋原線維;b+60℃加熱遠心上清;c+80℃加熱遠心上清;d+未加熱遠心
上清;e+60℃加熱ホールホモジネート;f+80℃加熱ホールホモジネート;g+未加熱ホー
ルホモジネート;h+分子量マーカー
146
【図 11】
スルメイカ挽肉における60℃加熱
での経時変化のSDS,PAGE
Mr (K)
ミオシン重鎖→
←97
←67
アクチン→
←45
←29
←20.1
a b c d e
f g h i j
a+未加熱ホールホモジネート;b+60分加熱ホールホモジネート;c~i+遠心上清 (c+未
加熱;d+2分加熱;e+5分加熱;f+10分加熱;g+30分加熱;h+1時間加熱;i+2時間加
熱);j+分子量マーカー-
【図 12】
イカ筋原線維画分にATP、AMPおよびIMPを
加えて60℃で30分加熱したときのSDS,PAGE
Mr (K)
←97
←67
アクチン→
←45
←25
a b c d e
f g h i
←12.5
a+筋原線維画分のみ未加熱;b+筋原線維のみ加熱;c+筋原線維画分と2mM
ATP;d+筋原線維画分と8mM ATP;e+筋原線維画分と2mM AMP;f+筋原線維画
分と8mM AMP;g+筋原線維画分と2mM IMP;h+筋原線維画分と8mM IMP;i+分
子量マーカー
147
【図 13】
ウシアクトミオシンにATPとATP関連物質を加え
て、0℃で16時間貯蔵したときのSDS,PAGE
ミオシン重鎖→
Mr (K)
←97
←67
アクチン→
←45
←29
a b c d e f g h i
←20.1
a+AMのみのホール;b+AMのみ;c+AM*ATP;d+AM*ADP;e+AM*AMP;
f+AM*IMP;g+AM*アデノシン;h+AM*イノシン;i+分子量マーカー
【図 14】
解硬因子
1. Caイオン説・・・10-4M Ca2*で効果最大
1( Z線の脆弱化
2( パラトロポミオシンがアクチンとミオシンの結合を弱化
3( α -コネクチンの分解
2. カルパイン説
1( Z線の脆弱化
2( トロポニンTの分解
3( α -コネクチンの分解
3. カテプシン説
1( Z線の脆弱化
2( トロポニンTの分解
3( α -コネクチンの分解
4- イノシン酸'IMP(説
148