Philharmony September 2013 t d e t s m o l B t r e Herb 今月のマエストロ ヘルベルト・ ブロムシュテット 頑固なまでの不変性と、 鮮度を失わない生命力とを 共存させる巨匠 文 山崎浩太郎 ©Martin U. K. Lengemann 今 月 の マ エ ス ト ロ ヘ ル ベ ル ト ・ ブ ロ ム シ ュ テ ッ ト 「ブロムシュテット氏の最初の定 いかなる反応を聴衆から引きだした 期演奏会のメインはチャイコフスキ かは、上に引用した、N響のかつて ーの『悲愴交響曲』であった。この、 の常務理事・事務長、長谷恭男氏の 有名な、ありふれた交響曲の指揮で、 著書に活写されているとおりである。 マエストロは驚くべき音楽性を日本 私も、この《悲愴》のことはよく の聴衆にアピールした。あの指揮棒 覚えている。客席で聴くことはでき による圧倒的な音の洪水、ピアニッ なかったが、当時通っていた大学の シモでの張りつめた音の美しさ。何 同期生でこれを聴いた幸運な男がい 度も聴き飽きたこの交響曲が、こん て、 「凄い演奏だったぞ」と、FM なに新鮮で、みずみずしく耳に響く 放送をエアチェックしたテープを聴 とは私は想像もしていなかった。フ かせてくれた。そして、なるほどと ィナーレの最後、コントラバスのH うなずくしかなかったことが記憶に の音が消え入る様に終った時、三千 ある。 人の聴衆は息をのみ、誰一人、咳を それまでブロムシュテットは、ド する人もなく、恐ろしい様な静寂が レスデン国立歌劇場管弦楽団(SK NHKホールに流れた。三十秒以上 D)の首席指揮者として、その存在 もたって、漸く人は眼ざめたかの様 を日本のオーケストラ好きにも知ら に、この名演に万雷の拍手をおくっ れていた。 た」 。 『斜めから見たマエストロたち』 (長谷恭男著、同成社) センセーションを巻き起こした N響との初共演 NHK交響楽団の現在の指揮者陣 初 来 日 は 1973 年、 日 本 に 初 め のなかでも、毎回の登場が熱く待ち てやってきたSKDの指揮者とし 望まれている 1 人が、ヘルベルト・ て、クルト・ザンデルリング、ジー ブロムシュテットである。 クフリート・クルツと分担して指揮 アメリカ生まれのこの指揮者が定 台に立ったときだった。その 2 年 期公演に初登場したのは 1981 年の 後にこの名門の首席指揮者に任命さ 11 月で、今から 32 年前のことにな れ、1978 年にともに再来日を果た る。その最初のプログラムは、ウェ し て い る。 そ し て 3 回 目 は、1981 ーバーの《歌劇「オベロン」序曲》 、 年 7 月のこのオーケストラの来日公 ドヴォルザークの《ヴァイオリン協 演(別の指揮者たちとオペラ公演を 奏曲》 (独奏は堀米ゆず子) 、そして 行ったあと、オーケストラだけが残 チャイコフスキーの《交響曲第 6 番 って演奏会をした)である。 「悲愴」 》だった。 その《悲愴》がいかなる演奏で、 この 3 回目の来日は、私も客席で 聴いた。その日のプログラムは、東 《英雄》という、古典派の二大交響 曲の組み合わせだった。当時のSK Dの美しい響きを活かした、整然と した演奏だったという記憶がある。 同時期に発売されていた、このオー ケストラを指揮してのベートーヴェ ンの交響曲全集のレコードと、当然 ながら印象は近いものだった。 そういうイメージがあったから、 その 4 か月後にN響を初めて指揮し てセンセーションを巻き起こすとは 夢にも思わず、驚かされたのである。 この最初の共演は、ブロムシュテ たら、31 年前のSKDとの来日公 演での同じ曲の演奏と頭の中でオー バーラップしてきて、びっくりした ことがある。 といっても、まるで同じというわ けではない。誠実な姿勢と端正な音 楽づくりに変わるところはなかった が、オーケストラは、近年のピリオ ド演奏のスタイルをとりいれて音の 減衰を早めに、跳ねるように演奏し、 そして、白熱するような生命力をも っていた。 変わるものと変わらぬもの。この 組み合わせこそ、ブロムシュテット の魅力なのだろう。 ットにとっても感激的なものであっ たらしい。演奏後に舞台袖に戻って くると長谷氏の手を握って「すばら しいオーケストラだ」と讃え、舞台 から引き上げる楽員全員に「ありが とう」と握手を求めたそうだ。 「こ んな風景を私は見たことがない」と 長谷氏は回想している。 N響への 2 回目の登場は 2 年後の 1983 年、そして 3 回目は 1985 年で、 翌年にN響の名誉指揮者に就任、以 後は毎年のように共演を重ねてきた。 前回の登場は 2 年前の 2011 年 9 月 のことだが、昨年秋にもバンベルク 交響楽団との来日公演を行っていた から、その共演を聴かれた方も多い ことだろう。 私もそのバンベルク響との演奏会 を聴いた。曲目はベートーヴェンの 《英雄》と《交響曲第 7 番》だった が、その前半の《英雄》を聴いてい ブラームスのロマンチシズムと、 古典性の共存 今回の定期公演では、ブラームス の 4 つの交響曲と《ヴァイオリン協 奏曲》などが、集中的に演奏される。 N響の公式サイトで、ブラームスに ついて語るブロムシュテットの映像 が公開されているが、そこではブラ ームスの魅力として、情感豊かなロ マンチシズムと、同一の基礎でつく られる古典性の共存をあげている。 ロマン派の時代そのものを生きた ブラームスには、非日常性への憧れ というロマンがあふれているが、同 時に、小さな動機を変形して全曲を 有機的に連結する、建築物のような 古典性もある。その共存が、確固た る統一性のもとでの多彩な変化を生 み出す。それはブラームスの特長で Philharmony September 2013 京文化会館での、モーツァルトの 《ジュピター》とベートーヴェンの 今 月 の マ エ ス ト ロ ヘ ル ベ ル ト ・ ブ ロ ム シ ュ テ ッ ト あると同時に、クラシック音楽その 形としては残らない。録音録画が可 ものの特長であると、ブロムシュテ 能とはいえ、その全容は、響いたそ ットは語っている。 の瞬間に消えていくものである。し しかしこれは、ブロムシュテット かしその代わりに、音楽演奏に完成 その人の特長でもあるのではないだ や終わりというものはない。 ろうか。それがこの人の音楽に、頑 日々、新たに生まれ続ける。86 固なまでの不変性と、いつまでも鮮 歳のブロムシュテットの演奏には、 度を失わない生命力との共存をもた 更新され続ける不変の生命力がある らしている。 のだ。 音楽演奏は、建築や絵画と違って、 (やまざき・こうたろう 演奏史譚) プロフィール 1927 年、スウェーデン人の両親 のもとにアメリカで生まれる。母国 のストックホルム王立音楽院とウプ サラ大学、ニューヨークのジュリア ード音楽院などで学ぶ。 1954 年、ストックホルム・フィル ハーモニー管弦楽団を指揮して指揮 者デビュー。同年からノールショピ ング交響楽団、オスロ・フィルハー モニー管弦楽団、デンマーク放送交 響楽団の首席指揮者を歴任。1975 年から 1985 年までは名門ドレスデ ン国立歌劇場管弦楽団(シュターツ の北ドイツ放送交響楽団、1998 年 から 2005 年までライプチヒ・ゲヴ ァントハウス管弦楽団、それぞれの 音楽監督を歴任した。 現在はサンフランシスコ交響楽団 の桂冠指揮者、ライプチヒ・ゲヴァ ントハウス管弦楽団、デンマーク放 送交響楽団、スウェーデン放送交響 楽団、バンベルク交響楽団、そして NHK交響楽団の 5 つのオーケスト ラの名誉指揮者の地位にあり、ベル リン・フィルハーモニー管弦楽団、 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽 カペレ・ドレスデン)の首席指揮者 団など、世界各地のトップ・オーケ ベートーヴェンの交響曲全集など数 NHK交響楽団の演奏会には をつとめ、世界各地への演奏旅行や、 ストラに客演している。 多くのレコーディングにより、名声 を高めた。続いて 1985 年から 1995 年までサンフランシスコ交響楽団、 1996 年から 1998 年までハンブルク 1981 年に初登場。5 年後の 1986 年 に名誉指揮者の称号を贈られ、現在 まで継続的に客演を重ねている。 (山崎浩太郎) A 第 1761 回 NHKホール 9/21[土]開演 6:00pm 9/22[日]開演 3:00pm [指揮] 1761st Subscription Concert / NHK Hall 21st (Sat.) Sep, 6:00pm 22nd(Sun.)Sep, 3:00pm ヘルベルト・ブロムシュテット [conductor] Herbert Blomstedt [コンサートマスター] 篠崎史紀 [concertmaster] Fuminori Shinozaki ブラームス 交響曲 第 2 番 ニ長調 作品 73(46 ) Johannes Brahms (1833-1897) Symphony No.2 D major op.73 Ⅰ アレグロ・ノン・トロッポ Ⅱ アダージョ・ノン・トロッポ Ⅲ アレグレット・グラチオーソ (クワジ・アンダンティーノ) Ⅳ アレグロ・コン・スピーリト Ⅰ Allegro non troppo Ⅱ Adagio non troppo Ⅲ Allegretto grazioso (Quasi andantino) Ⅳ Allegro con spirito 休憩 Intermission ブラームス 交響曲 第 3 番 ヘ長調 作品 90(39 ) Johannes Brahms Symphony No.3 F major op.90 Ⅰ Ⅱ Ⅲ Ⅳ Ⅰ Ⅱ Ⅲ Ⅳ アレグロ・コン・ブリオ アンダンテ ポーコ・アレグレット アレグロ Allegro con brio Andante Poco allegretto Allegro Philharmony September 2013 Program Program Johannes Brahms 1833-1897 ブラームス 交響曲 第 2 番 ニ長調 作品 73 A 《交響曲第 1 番》の初演に続いて、 まだ《交響曲第 1 番》の 4 手ピアノ 用の編曲に従事していた 1877 年 6 月に、彼が夏の期間を過ごした避暑 地ペルチャッハで新しい交響曲《第 2 番》の作曲に取り掛かる。おそら くブラームスは《第 1 番》の作曲の 過程で次のこの作品の構想を抱いて いたと思われ、ペルチャッハに続い て 9 月 17 日から同月末まで過ごし たリヒテンタールで作曲を進め、9 月 24 日付でクララ・シューマンが 指揮者のヘルマン・レヴィに宛てた 手紙には、 「ブラームスは少なくと も頭の中ではニ長調の新しい交響曲 は出来上がっていて、第 1 楽章を書 きとめたところだ」と記されている。 その後 10 月 3 日に、第 1 楽章と第 4 楽章の一部を彼はクララに弾いて 聴かせており、この月に作品の全体 が完成された。そして 11 月に入る とこの新作交響曲の 4 手ピアノ用編 曲に取り掛かる。この作品ではシュ ーベルトの作品からの影響が注目さ れており、とくに遺作の《ピアノ・ ソナタ変ロ長調》 (D.960)とは、第 1 楽章の主題の動機や表現などの点 で関連性が見られる。 1877 年 11 月 22 日、 ブ ラ ー ム ス の友人で、彼の作品の楽譜出版を手 掛けるジムロックに戯れを込めてこ のように書き送る。「新作の交響曲 はとてもメランコリックなもので、 あなたには耐えられないほどだ。私 はこれまでこれほど悲嘆的で柔和な 作品を書いたことがない。スコアは 死亡通知の黒枠をつけて出版しなけ ればならない」。またアドルフ・シュ ブ リ ン ク に は 同 年 12 月 27 日 の 手 紙で、 「あなたはこれまでこの作品 以上の世界苦に苛まれたものを聴い たことがない。全楽章ヘ短調だ」と したためて、悲劇的な作品である旨 を予告する。これは彼一流の冗談で、 《交響曲第 1 番》の荘重な作風とは 対照的に、この新作の交響曲は自然 の大気をいっぱいに吸い込んだニ長 調ののびやかな作品であり、後述の ようにこの作品を聴いた人々は心か らの共感と理解を寄せたのである。 上述のように、ブラームスは 10 月 3 日に第 1 楽章と第 4 楽章の一部 をクララの前で演奏しているが、作 品の成立過程から見ると、第 1 楽章 を完成する前に第 2 楽章と第 3 楽章 に着手し、第 3 楽章が完成する前に 第 4 楽章が書かれ、4 つの楽章は近 接した時間の中で成立している。そ のために第 1 楽章の動機が他の楽章 でも用いられるなど、楽章相互の結 びつきが強い。 1877 年 12 月 30 日、 こ の 作 品 は 頭の 2 度音程の動機はその後の楽章 が、この作品に関する批評は、 《第 にも用いられてこの作品の統一性に 1 番》の重圧から解放された雰囲気 貢献している。 すら感じられる。それは作曲者ブラ 第 2 楽章 アダージョ・ノン・トロッ ームス自身も同様であったように思 ポ ロ長調 4/4 拍子。チェロが物憂 える。実際、 《第 1 番》の創作は彼 げな下行音階的な主題を提示し、そ にとっても大きな重圧であったので れにファゴットが上行音階的な動機 ある。ブラームスの擁護者で音楽 で応える。これはブラームスの表現 批評界の大御所のハンスリックは、 の個性をよく示している。第 2 主題 「《第 2 番交響曲》は、玄人、素人の は嬰へ長調で、シンコペーションを 別なく、聴く人の心に温かい陽光を 用いた優雅で落ち着いた楽想である。 降り注いでくれる……とにかく良い 第 3 楽章 アレグレット・グラチオー 音楽を聴きたいと願う、すべての人 ソ(クワジ・アンダンティーノ)ト たちのために書かれたといってよい 長調 3/4 拍子。きわめて短いながら、 曲である」と絶賛する。ハンスリッ ブラームスの持ち味が存分に発揮さ クによると、 《第 1 番》は「ファウ れている。オーボエが奏する 2 度音程 ストの苦悩を力強い形で表現した」 の動機を用いた主題は第 1 楽章の動 のに対して、 《第 2 番》は「大地に 機に由来する。3 拍目に前打音や 3 連 咲く優しい春の花のもとに舞い戻っ てきた」のである。 第 1 楽章 アレグロ・ノン・トロッポ ニ長調 3/4 拍子。チェロとコントラ バスによる 2 度音程の動機に導か れて、低弦楽器のイ音の上にホルン、 続いて木管楽器群が牧歌的で平明な 分散和音および音階的な主題を奏す る。その後、荘厳なトロンボーンの 吹奏の後にティンパニが奏する遠雷 を思わせる動機も印象的である。冒 符をもつ主題は剽軽な印象を与える。 第 4 楽章 アレグロ・コン・スピーリ ト ニ長調 2/2 拍子。弦楽器群がソ ット・ヴォーチェ(抑制された声) で流れるように主題を提示して開始 する。この主題の動機も第 1 楽章の 動機に由来する。その後、解き放た れたかのように非常に生気に れた 部分に入る。最後は力に満ちた勝利 の凱歌で作品を締めくくる。 (西原 稔) *今回の演奏では指揮者の意向により『新ブラームス全集』に基づくオーケストラ用演奏譜(ヘンレ/ ブライトコプフ版)を使用します。 作曲年代:1877 年 6 月∼ 10 月 初演:1877 年 12 月 30 日、ウィーン、楽友協会 大ホール、第 4 回フィルハーモニー演奏会、ハ ンス・リヒター指揮ウィーン・フィルハーモニー 管弦楽団 献呈:なし 楽器編成:フルート 2、オーボエ 2、クラリネ ット 2、ファゴット 2、ホルン 4、トランペッ ト 2、トロンボーン 3、テューバ 1、ティンパ ニ 1、弦楽 Philharmony September 2013 ハンス・リヒター指揮で初演された Program Johannes Brahms 1833-1897 ブラームス 交響曲 第 3 番 ヘ長調 作品 90 A 1883 年、 ブ ラ ー ム ス は 50 歳 を 迎えた。この 1883 年の夏をブラー ムスはライン河に面した美しい保 養地、ヴィースバーデンで過ごし た。ここでの休暇期間に作曲された 重要な作品がこの《交響曲第 3 番》 である。この作品の作曲過程で、ブ ラームスは友人のシュトックハウゼ ン主催の演奏会で 26 歳のコントラ ルト(現在のアルト)歌手のヘルミ ーネ・シュピースと出会う。この女 性の歌唱の素晴らしさと女性として の魅力にブラームスは心を揺さぶら れ、やがてシュピースを結婚の対象 として意識するようになる。しかし、 結婚まで踏み切ることはできなかっ た。1892 年、シュピースは 35 歳の 過を示す資料の少ない作品で、伝記 作家のカルベックは 1883 年夏には 完成したと推測している。この時期 に作品が一応、成立したのは間違い ないが、これは決定稿ではなく、そ の後さらに推敲が重ねられている。 ブラームスの常として、完成後、初 演を含めて多くの演奏の折に改訂を 重ね、初版が最終的な稿となる。こ の作品の作曲に当たっては、最初 の 2 曲の交響曲の他に、2 曲の《序 曲》や《ヴァイオリン協奏曲》およ び《ピアノ協奏曲第 2 番》の作曲の 経験が土台となっており、非常に熟 達した動機労作や対位法が駆使され ている。それだけではなく、その後 のブラームスの重要な表現手法とな 時、法律家と結婚するが、その翌年、 る、長調と短調の融合や、非常に自 ヴィースバーデンで急逝する。 由な転調、第 1 楽章の主題が第 4 楽 ヴィースバーデンからウィーンに 章の最後に再現するなど、いわゆる 戻 っ た 1883 年 10 月、 ド ヴ ォ ル ザ 循環主題的な手法など、随所に彼の ークがブラームスを訪問する。この 卓越した創作手法の数々を見ること 時ブラームスは高く評価するドヴォ ができる。作品は 1883 年 12 月 2 日、 ルザークの来訪に大いに喜び、ドヴ ウィーンにてハンス・リヒターの指 ォルザークの求めに応じて、この交 揮でウィーン・フィルハーモニー管 響曲の第 1 楽章と第 4 楽章をピア 弦楽団によって初演された。 ノで演奏して聴かせている。新作の 第 1 楽章 アレグロ・コン・ブリオ ヘ 交響曲を聴いたドヴォルザークは、 「前の 2 つの交響曲を凌 駕する」と の感想を述べている。 《交響曲第 3 番作品 90》は作曲経 長調 6/4 拍子。管楽器群による力強 い前奏に続いて、この動機を受けて 低音楽器がヘ̶変イ̶ヘ音という上 行の動機を奏し、それに対応してヴ 短調 3/8 拍子。ブラームスの個性と う下行動機を奏して、見事にシンメ も言えるメランコリックで深い叙情 トリックな作りを示している。この 性を湛えた表現は、この第 3 楽章に 冒頭部分は変イ音とイ音という半音 見事に集約されていると言っても過 関係をうまく使うことによってヘ長 言ではない。この楽章は 3 部形式で 調と変ニ長調の 2 つの調を自在に横 構成され、第 1 部でチェロによって 断する自由さを獲得している。これ 奏される主題が、第 3 部ではホルン はブラームスの新しい調感覚と動機 によって朗々と感動的に再現される。 手法を示している。第 1 楽章冒頭の 中間部は変イ長調で、夢想的な楽想 下行動機は、シューマンの《交響曲 である。 第 3 番》の第 1 楽章で登場する動機 第 4 楽章 アレグロ ヘ短調̶ヘ長調 と類似しており、その関連性が指摘 2/2 拍子。このフィナーレは面白い されている。 始まり方をする。第 3 楽章のハ短 第 2 楽章 アンダンテ ハ長調 4/4 拍 調の余韻を引き継いで、ハ音で開始 子。全体で 134 小節の比較的短い楽 するために、第 4 楽章は一瞬、ハ短 章であるがソナタ形式が土台になっ 調であるかの錯覚を与える。弦楽器 ている。まずクラリネットが主要主 群およびファゴットが同じ旋律を弱 題を奏し、ファゴットがそれを支え る。この楽章の主題は弦楽器群と管 楽器群が対話のように交代する形に なっている。クラリネットとファゴ ットが弱音で主題を奏すると、そっ と弦楽器群がそれに応える。 《交響 曲第 1 番》以来、ブラームスの交響 曲では管楽器が独特の役割を担って いる。 第 3 楽章 ポーコ・アレグレット ハ 音の抑制された音量で奏して、陰鬱 な雰囲気で始まる。この楽章ではハ 短調とハ長調、ヘ短調とヘ長調の陰 と陽の表現が効果的に用いられ、最 後は明朗なヘ長調で締めくくられる。 なお、楽章の最後の部分で、弦楽器 が第 1 楽章の冒頭の主題を静かに再 現して作品全体を締め括る。 (西原 稔) *今回の演奏では指揮者の意向により『新ブラームス全集』に基づくオーケストラ用演奏譜(ヘンレ/ ブライトコプフ版)を使用します。 作曲年代:1883 年夏 初演:1883 年 12 月 2 日、ウィーン、楽友協会大 ホール、第 2 回フィルハーモニー演奏会、ハン ス・リヒター指揮ウィーン・フィルハーモニー管 弦楽団 献呈:なし 楽器編成:フルート 2、オーボエ 2、クラリネ ット 2、ファゴット 2、コントラファゴット 1、ホルン 4、トランペット 2、トロンボーン 3、 ティンパニ 1、弦楽 Philharmony September 2013 ァイオリンがヘ̶ハ̶イ̶ヘ音とい Program Program B B 第 1760 回 サントリーホール 9/11[水]開演 7:00pm 9/12[木]開演 7:00pm [指揮] 1760th Subscription Concert / Suntory Hall 11th(Wed.)Sep, 7:00pm 12th(Thu.)Sep, 7:00pm ヘルベルト・ブロムシュテット [conductor] Herbert Blomstedt [コンサートマスター] 堀 正文 [concertmaster] Masafumi Hori ブラームス 大学祝典序曲 作品 80(11 ) Johannes Brahms (1833-1897) “Akademische Festouvertüre” op.80 ブラームス Johannes Brahms ハイドンの主題による変奏曲 作品 56a “Variationen über ein Thema von Haydn” (19 ) op.56a 休憩 Intermission ブラームス 交響曲 第 1 番 ハ短調 作品 68(48 ) Johannes Brahms Symphony No.1 c minor op.68 Ⅰ ウン・ポーコ・ソステヌート―アレグロ Ⅱ アンダンテ・ソステヌート Ⅲ ウン・ポーコ・アレグレット・エ・グラチオー ソ Ⅳ アダージョ―アレグロ・ノン・トロッポ、 マ・コン・ブリオ Ⅰ Un poco sostenuto – Allegro Ⅱ Andante sostenuto Ⅲ Un poco allegretto e grazioso Ⅳ Adagio – Allegro non troppo, ma con brio 1833-1897 ブラームス 大学祝典序曲 作品 80 ブラームスの作曲した演奏会用序 曲は 2 曲のみである。1 つは、1879 年にブレスラウ大学から名誉博士号 を授与されたことへの返礼として 1880 年に作曲された《大学祝典序 曲》 。そして、それとは対照的な厳 粛な雰囲気の《悲劇的序曲》である。 ほぼ同じ時期に作曲されたこの 2 曲 の序曲にはさまざまな実験的な試み が見られる。 1880 年の夏、ブラームスは、オ ーストリアの避暑地バート・イシュ ルに初めて滞在した。この地でブラ ームスは上記の名誉博士号の授与式 のための返礼の作品の作曲に着手し た。作曲は速い筆で進められ、8 月 に着手して 9 月には完成を見ている。 初演が行われたのは授与式の折で、 1881 年 1 月 4 日、ブラームスの指 揮により、ブレスラウで行われた。 この作曲に当たり、ブラームスは大 学の学生生活を作品に取り入れるこ とを構想し、 《ドイツ学生のための 酒宴歌曲集》に収められた学生歌 4 曲( 〈われらは立派な校舎を建てた〉 作曲年代:1880 年夏 初演:1881 年 1 月 4 日、ブレスラウ、コンツェ ルトハウス・ホール、オーケストラ協会第 6 回 予約演奏会、作曲者自身の指揮によるブレスラ ウ・オーケストラ協会 献呈:なし 〈領邦君主〉 〈新入生の歌〉 〈喜びの 歌〉 )の旋律を、作品に織り込んだ。 作品では、第 63 小節からトランペ ットによって〈われらは立派な校舎 を建てた〉の旋律が厳かに演奏され、 第 129 小節には〈領邦君主〉の旋律 がヴァイオリンで奏される。続いて 第 157 小節から〈新入生の歌〉の 旋律が、ファゴットで軽快に始まる。 最後に〈喜びの歌〉の旋律が第 379 小節から示されて、音楽は壮麗な雰 囲気に包まれて結ばれる。 この作品は、オーケストレーショ ンの実験の場でもあった。とくに多 彩な打楽器の使用は注目され、この 作品ではティンパニをはじめ、大太 鼓、トライアングル、シンバルなど の打楽器が用いられている。ブラー ムスが、トライアングルを管弦楽曲 に使用したのは、この作品が初めて であり、これは 1885 年に完成した 《交響曲第 4 番》におけるトライア ングルの使用に、少なからず影響を 与えている。 (西原 稔) 楽器編成:フルート 2、ピッコロ 1、オーボエ 2、 クラリネット 2、ファゴット 2、コントラファ ゴット 1、ホルン 4、トランペット 3、トロン ボーン 3、テューバ 1、ティンパニ 1、大太鼓、 トライアングル、シンバル、弦楽 Philharmony September 2013 Johannes Brahms Program Johannes Brahms 1833-1897 ブラームス ハイドンの主題による変奏曲 作品 56a B 1870 年、ブラームスはハイドン 研 究 家 の カ ー ル・フ ェ ル デ ィ ナ ン ト・ポールを通して、ハイドン作曲 《ディヴェルティメント 変ロ長調》 (Hob.II-46)のなかの「聖アントニ ウスの賛歌」の旋律を知る(この作 品の真作者はハイドンではなくイグ ナーツ・プレイエル) 。ブラームスは この主題による変奏曲の構想をもち、 弦楽団の演奏で初演された。 まず「聖アントニウスの賛歌」の 主題がオーボエとファゴットで提示 される。この変奏曲は主題の音型の 変奏だけではなく、音色の変奏も注 目され、各変奏曲ではとくに管楽器 を効果的に用いた色彩感 れるオー ケストレーションが施される。たと えば第 6 変奏において、弦楽器の 2 台ピアノによる変奏曲を作曲する。 ピチカートの上でホルンとファゴッ その後、推敲を経て管弦楽版が編ま トが奏する主題は非常に表情に富ん れた。2 台ピアノ版は、ピアノのた でおり、第 7 変奏の優雅な雰囲気は、 めの一連の変奏曲の頂点に立つ作品 フルートと弦楽器の音色の融合によ であり、管弦楽版は《セレナード第 って生み出されている。注目すべき 2 番》以降の初めての管弦楽作品で、 は終曲で、冒頭のバスの定型の上 その後の《交響曲第 1 番》の作曲 に、これを 19 回繰り返して変奏す のいわば跳躍台の役割を担っている。 る。この《ハイドンの主題による変 この変奏曲で見せるオーケストレー 奏曲》は全体が変奏曲であるが、終 ション、とくに管楽器の用法や複合 曲それ自体が主題と変奏という構成 的な音色の手法などの点で以前の 2 になっている。このバス主題はパッ 曲の《セレナード》よりも遥かに熟 サカリア主題と類似し、《交響曲第 達している。作品は、1873 年 11 月 4 番》のフィナーレとも関連する。 2 日、ウィーンにてブラームスの指 揮、ウィーン・フィルハーモニー管 作曲年代:1873 年夏 初演:1873 年 11 月 2 日、ウィーン、楽友協会大 ホール、第 1 回フィルハーモニー演奏会、作曲 者自身の指揮によるウィーン・フィルハーモニー 管弦楽団 (西原 稔) 献呈:なし 楽器編成:フルート 2、ピッコロ 1、オーボエ 2、 クラリネット 2、ファゴット 2、コントラファ ゴット 1、ホルン 4、トランペット 2、ティン パニ 1、トライアングル、弦楽 1833-1897 ブラームス 交響曲 第 1 番 ハ短調 作品 68 《ドイツ・レクイエム》の完成によ って偉大な創作の道筋をつけ、3 曲 の弦楽四重奏曲、 《ピアノ四重奏曲 第 3 番》の完成をもって独自の作曲 語法を確立し、 《セレナード》以来、 14 年ぶりに取り組んだ管弦楽作品 《ハイドンの主題による変奏曲》の 後に残された課題は交響曲であった。 《第 1 番》の交響曲は最初の構想 から完成までに約 20 年以上の年月 を要した。ブラームスは 1855 年に ハ短調の交響曲の構想をもち、2 台 のピアノ用のソナタをもとに交響曲 に仕立てる試みを行った。その後、 1862 年にクララ・シューマンに交響 曲の第 1 楽章を送り、それをピアノ で弾いて聴かせており、クララは 7 月 1 日付の手紙でヨアヒムに次のよ うに書き送っている。 「ヨハネスが 少し前に私に最初の交響曲の第 1 楽 章を送ってきました。どんなに驚い たことか。それは次のように大胆に 始まります」 。クララはこの文章に 冒頭部分の譜例を添えているが、そ こには序奏はなく、フォルテでハ音 が鳴らされた後、現在のアレグロの 部分から始まっている。続けてクラ ラはこう記す。 「それはちょっと難 しいのですが、私はすぐに馴染みま した。楽章は素晴らしい美しさに満 ち、モティーフは見事に扱われてい て、ますます巨匠らしさが彼の身に ついてきたようです。すべてがとて も興味深いやり方で織り上げられて います」。しかし序奏部分を欠く第 1 楽章は完成稿における偉大でモニ ュメンタルな性格からは程遠い。 1862 年にクララの前で演奏して 以降、1876 年までこの交響曲の創 作の進 をうかがわせる資料はない。 1868 年にクララの誕生日のために ブラームスはスイスからお祝いの手 紙に添えて、アルペンホルンの旋律 を記す。その旋律はその後、第 4 楽章 の第 2 主題に採り入れられ、交響曲 に崇高な気品を与えているが、1868 年の時期はまだ交響曲との結びつき はなかったと見られる。その後も、交 響曲の作曲がブラームスの脳裏から 離れることはなく、さらに出版人の フリッツ・ジムロックからも「交響 曲のことを忘れないように」との催 促を受けていた。ブラームスの逡巡 は、ベートーヴェンの伝統の継承も さることながら、19 世紀後半にお ける交響曲創作の意義にあったと思 われる。作曲の最終段階で第 1 楽章 に序奏が付加されて、この交響曲全 体の性格が決定された。この作品の 独自性の 1 つは、重々しいティンパ ニを伴う重厚な書法を駆使した序奏 部分にあると言っても過言ではない。 Philharmony September 2013 Johannes Brahms Program ブラームスが《第 1 番》に本格的 に取り組むのは 1876 年に至ってか らで、同年 10 月、ブラームスはヨ アヒムとジムロックへの手紙で同年 B 11 月 4 日の初演を約束する。作品 を書き上げると彼はピアノでクララ の前で全楽章を弾いて聴かせる。そ れについてクララは日記に「10 日、 ヨハネスが彼の交響曲全部を私に弾 いて聴かせてくれました。私は悲し み、打ちのめされたことを隠すこと が出来ません」と記している。作品 は 1876 年 11 月 4 日、 デ ッ ソ フ 指 揮でカールスルーエにて初演された が、この時の楽譜は最終稿ではな い。ブラームスは初演後にパート譜 を回収し、更に推敲を重ねていった が、初演稿のパート譜の一部に回収 漏れがあり、図らずも今日初演稿を 垣間見ることができる。つまり、第 2 楽章のヴァイオリンとヴィオラの パート譜が発見され、このパート譜 をもとに初演時の響きが再現されて いる。復元された初演稿はその響き や作品構成も完成稿とは異なる。 打がこの交響曲の性格を決定してい る。続いてアレグロの主部に入り、 主要主題が提示される。楽章はソナ タ形式で構成され、主題の動機が入 念に展開される。第 1 楽章は同じく 序奏をもつ第 4 楽章とシンメトリッ クな構成となっている。 第 2 楽章 アンダンテ・ソステヌート ホ長調 3/4 拍子。初演稿はABAC Aの 5 部分で構成されていたが、初 演後指揮者のデッソフの意見および 彼の推敲を経て、出版譜ではABA の構成に改変された。 第 3 楽章 ウン・ポーコ・アレグレッ ト・エ・グラチオーソ 変イ長調 2/4 拍子。優美な楽章で、間奏曲として の性格をもっている。彼の友人の指 揮者ヘルマン・レヴィはこの楽章と 第 2 楽章を「セレナードか組曲向 き」と述べている。 第 4 楽章 序奏 アダージョ̶主部 ア レグロ・ノン・トロッポ、マ・コン・ブ リオ ハ短調(ハ長調)4/4 拍子。序 奏に続いて、主部はハ長調で素朴で 堂々とした主題が提示される。ハ短 第 1 楽章 序奏 ウン・ポーコ・ソステ 調の第 1 楽章に始まり、ハ長調で 拍子。壮大な序奏で開始する。宿命 ベートーヴェンの《交響曲第 5 番》 ヌート̶主部 アレグロ ハ短調 6/8 的な印象を醸し出すティンパニの連 フィナーレを締め括るという手法は、 を継承している。 (西原 稔) *今回の演奏では指揮者の意向により『新ブラームス全集』に基づくオーケストラ用演奏譜(ヘンレ/ ブライトコプフ版)を使用します。 作曲年代:1855 年、1862 年、1868 年、1876 年 初演:1876 年 11 月 4 日、第 1 回予約演奏会、オ ットー・デッソフ指揮カールスルーエ宮廷管弦楽 団 献呈:なし 楽器編成:フルート 2、オーボエ 2、クラリネ ット 2、ファゴット 2、コントラファゴット 1、ホルン 4、トランペット 2、トロンボーン 3、 ティンパニ 1、弦楽 C 第 1762 回 NHKホール 9/27[金]開演 7:00pm 9/28[土]開演 3:00pm [指揮] 1762nd Subscription Concert / NHK Hall 27th(Fri.)Sep, 7:00pm 28th(Sat.)Sep, 3:00pm ヘルベルト・ブロムシュテット [conductor] Herbert Blomstedt [ヴァイオリン] [violin] [コンサートマスター] [concertmaster] フランク・ペーター・ツィンマーマン Frank Peter Zimmermann 堀 正文 Masafumi Hori ブラームス Johannes Brahms (1833-1897) ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品 77 Violin Concerto D major op.77 (38 ) Ⅰ アレグロ・ノン・トロッポ Ⅱ アダージョ Ⅲ アレグロ・ジョコーソ、マ・ノン・トロッ ポ・ヴィヴァーチェ Ⅰ Allegro non troppo Ⅱ Adagio Ⅲ Allegro giocoso, ma non troppo vivace 休憩 Intermission ブラームス 交響曲 第 4 番 ホ短調 作品 98(41 ) Johannes Brahms Symphony No.4 e minor op.98 Ⅰ Ⅱ Ⅲ Ⅳ Ⅰ Ⅱ Ⅲ Ⅳ アレグロ・ノン・トロッポ アンダンテ・モデラート アレグロ・ジョコーソ アレグロ・エネルジコ・エ・パッショナート Allegro non troppo Andante moderato Allegro giocoso Allegro energico e passionato Philharmony September 2013 Program Soloist Program C ©Franz Hamm ヴァイオリン フランク・ペーター・ツィンマーマン Frank Peter Zimmermann 現代を代表するヴァイオリンの名手。 1983 年、ケルン放送交響楽団の来日公 数多い録音と度重なる来日によって日本 演のソリストとして初来日する。 の音楽ファンにとってもお馴染みである。 2010/2011 年シーズンにバイエルン放 NHK交響楽団との共演は今回が 9 度 送交響楽団の、2011/2012 年シーズンに 目。なかでもウォルフガング・サヴァリ はニューヨーク・フィルハーモニックの ッシュの指揮による 2001 年のヒンデミ アーティスト・イン・レジデンスを務め、 ットの《協奏曲》と 2004 年のブリテン 協奏曲だけでなく、室内楽なども含めて の《協奏曲》の演奏は特筆されよう。 幅広くそれらの楽団と交流。また最近で 1965 年、ドイツのデュイスブルク生 は、2011 年 11 月、息子のセルゲ・ツィ まれ。5 歳のとき、ヴァイオリニストの ンマーマンのN響デビュー(ベートーヴ 母親から楽器の手解きを受け、フォルク ェンの《ヴァイオリン協奏曲》)も話題 ヴァング音楽院やベルリン芸術大学で学 となった。 ぶ。14 歳でルツェルン音楽祭に出演し、 (山田治生) 1833-1897 ブラームス ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品 77 ブラームスが《ヴァイオリン協奏 曲》の構想をもつのは 1878 年 8 月 で、同年 8 月 21 日付けのヨアヒム 宛ての手紙のなかで「4 楽章」の構 想が述べられ、独奏声部の一部がヨ アヒムに送付される。彼は《ピア ノ協奏曲第 2 番》の作曲を中断し て《ヴァイオリン協奏曲》の創作に 専念し、同年の秋にアダージョ楽章 とスケルツォ楽章を書き進める。4 楽章構成の協奏曲の構想は変更され、 スケルツォ楽章は破棄されたが、4 楽章の協奏曲の構想は同時に進めて いた《ピアノ協奏曲》で実現するこ とになる。作品は同年の 12 月下旬 には一応の完成を見、1879 年元旦 にブラームスの指揮で初演された。 作曲の最初の段階からブラームス はヨアヒムにさまざまな指示を仰ぎ、 スコアの完成後も独奏パートについ て彼の添削を受けている。自筆譜の ヴァイオリン独奏パートにはヨアヒ ムの筆跡で、赤インクで細かに添削 が施されている。作品はヨアヒムに 作曲年代:1878 年 8 月∼ 12 月 初演:1879 年 1 月 1 日、ライプチヒ、ライプチ ヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団第 11 回予約演奏 会、作曲者自身の指揮、ヨーゼフ・ヨアヒムの独 奏 捧げられた。 第 1 楽章 アレグロ・ノン・トロッポ ニ長調 3/4 拍子。おおらかで牧歌風 の主題がオーケストラによって提示 され、その後独奏ヴァイオリンが分 散和音を華麗に奏し、のびやかに主 題を再提示する。なおブラームス自 身はカデンツァを作曲しておらず、 ヨアヒム他がこれを手掛けている。 第 2 楽章 アダージョ ヘ長調 2/4 拍 子。オーボエが奏する物悲しい主題 で開始し、独奏ヴァイオリンがその 主題を受け継ぐ。3 部形式で構成さ れ、中間部はコロラトゥーラを思わ せる独奏ヴァイオリンが美しい。 第 3 楽 章 ア レ グ ロ・ジ ョ コ ー ソ、 マ・ノン・トロッポ・ヴィヴァーチェ ニ長調 2/4 拍子。独奏ヴァイオリン がハンガリー舞曲を思わせるエネル ギッシュな主題で開始する。この楽 想はブルッフの《ヴァイオリン協奏 曲ト短調》からの影響が指摘されて いる。 (西原 稔) 献呈:ヨーゼフ・ヨアヒム 楽器編成:フルート 2、オーボエ 2、クラリネ ット 2、ファゴット 2、ホルン 4、トランペッ ト 2、ティンパニ 1、弦楽、ヴァイオリン・ソ ロ Philharmony September 2013 Johannes Brahms Program Johannes Brahms 1833-1897 ブラームス 交響曲 第 4 番 ホ短調 作品 98 C 3 曲の交響曲を完成させたブラー でしょう」 。ブラームスはこの交響 ムスは 1884 年、夏の期間を過ごし 曲を桜桃になぞらえて、作品は必ず たミュルツツーシュラークにおいて しも耳障りが良くないことと、作品 新しい交響曲の作曲に着手する。彼 は広く人々の理解と共鳴を得られな はこの年に第 1 楽章と第 2 楽章の作 いのではないかという懸念を述べる。 曲を行い、翌 1885 年に第 3 楽章と この交響曲では第 1 楽章と第 4 楽 第 4 楽章を完成させた。1885 年の 章が作品全体の枠組みを形成してい 作曲では先に第 4 楽章を手掛け、フ る。第 1 楽章の第 1 主題の音を ィナーレの楽想に合わせる形で第 3 と、ロ、ト、ホ、ハ、イ、嬰ヘ、嬰 楽章が書かれた。この《第 4 番》の ニ、ロ音と 3 度ずつ下行する進行を 作曲に当たってブラームスはこれま もつ。3 度音程は古典派においては での 3 曲とは全く異なる創作態度で 調和あるきわめて安定した音響を提 臨んだ。この作品によってブラーム 供したが、ブラームスのこの作品に スは明確に後期様式の入り口に立つ あって下行 3 度は逆に、さすらうよ ことになる。 ブラームスはこの作品の作曲時に 深いメランコリーの精神状態にあっ たと見られる。作品がほぼ仕上がっ た 1885 年 8 月 29 日、 ブ ラ ー ム ス はエリーザベト・フォン・ヘルツォ ーゲンベルクにこの新しい交響曲 についてこのように述べる。 「この る うな不安定さを醸し出す。この語法 は晩年の作品ではさらに徹底して用 いられ、独特な厭世的な音調を生み 出す。 第 4 楽章ではバッハの《カンター タ第 150 番「主よ、あなたを求めま す」 》の終曲の「シャコンヌ」の主 題を借用している。ブラームスはバ 地(ミュルツツーシュラーク)では ッハ研究家のシュピッタとの交流を 桜 桃 は甘くなく、食べられないの 通してこの作品の写しを手に入れた。 です。あなたはこれが気に入られ シャコンヌはバッソ・オスティナー ても、お食べにならないでしょう」 。 ト(執拗低音)の 1 つで、バス定型 また、指揮者のビューローに対して を反復しながら変奏する手法である。 も、「私が恐れているのは、この作 交響曲の第 4 楽章ではブラームスは 品が当地の気候にあっていないこと この主題をバスではなく、上声部に です。当地の桜桃は甘くならないの 置いている。 です。貴殿はそれをご賞味されない 《交響曲 第 4 番 》は 1885 年 10 月 めるマイニンゲン大公の宮廷楽団で ブラームスの指揮により初演された。 ブラームスの予想に反して、マイニ ンゲンでの初演は大成功で、大公の 所望で繰り返し演奏されたほどであ った。1885 年の『新音楽新聞』は 「マイニンゲンの宮廷楽団の新たな 勝利」と評して、この初演の成功を 報じた。ブラームスにとってこれま で 1 つの障壁であったライプチヒで の評価も上々で、彼は何度もカーテ ンコールを受けた。 第 1 楽章 アレグロ・ノン・トロッポ ホ短調 2/2 拍子。溜息のように 3 度 下行と 6 度上行を繰り返しながら、 静かに下行する主題は感動的で、後 期のブラームスの個性がもっともよ く発揮されている。この楽章はソナ タ形式を土台としているが、展開部 は第 1 主題の変奏となっており、第 1 主題がさまざまに形を変えて表現 される。 で、宿命的な印象を与える。その後、 ホ長調の柔和な調でこの主題が再提 示される。後期のブラームスの特徴 である長調と短調の揺れ動きが表現 されている。 第 3 楽章 アレグロ・ジョコーソ ハ 長調 2/4 拍子。ハ長調の明朗な調で あるが、曲想表示にある「ジョコー ソ」というよりも、スケルツォ風で ある。下行音階の動機で開始し、ト ライアングルが高揚感を盛り上げて いる。 第 4 楽 章 ア レ グ ロ・エ ネ ル ジ コ・ エ・パッショナート ホ短調 3/4 拍子。 一般に「パッサカリア」と呼ばれる が、楽譜ではこの表記は用いられて いない。バッハの「シャコンヌ」の 主題をもとに全部で 30 の変奏が繰 り広げられる。この楽章は主題およ び第 1 変奏から第 11 変奏(提示部)、 第 12 変奏から第 15 変奏(展開部 1)、 第 16 変奏から第 23 変奏(展開部 2)、 第 24 変奏から第 30 変奏(再現部)、 第 2 楽章 アンダンテ・モデラート ホ そしてコーダという構成になってお 主題を奏すると、オーボエとファゴ 大きくソナタ形式的にまとめあげて 長調 6/8 拍子。ホルンがフォルテで ット、さらにフルートにこの主題が 受け継がれる。調号はホ長調である が、この開始の主題はフリギア旋法 り、ブラームスはこれらの変奏曲を いる。コーダでは第 1 楽章の下行 3 度の動機が再び用いられて、作品を 締め括る。 (西原 稔) *今回の演奏では指揮者の意向により『新ブラームス全集』に基づくオーケストラ用演奏譜(ヘンレ/ ブライトコプフ版)を使用します。 作曲年代:1884 年夏(第 1、第 2 楽章) 、1885 年 夏(第 3、第 4 楽章) 初演:1885 年 10 月 25 日、マイニンゲン、マイ ニンゲン宮廷管弦楽団第 3 回予約演奏会、作曲 者自身の指揮 献呈:なし 楽器編成:フルート 2(ピッコロ 1)、オーボエ 2、 クラリネット 2、ファゴット 2、コントラファ ゴット 1、ホルン 4、トランペット 2、トロン ボーン 3、ティンパニ 1、トライアングル、弦楽 Philharmony September 2013 25 日、ビューローが指揮者をつと 名 曲 の 深 層 を 探 る シリーズ 名曲の深層を探る 第 10 回 シェーンベルクによる ブラームスの作品分析 文 上野大輔 ヨハネス・ブラームス(1833 ∼ 1897)の音楽に、どのようなイメ ージを持たれるであろうか。ブラー ムスは、交響詩や楽劇といった類の 作品を書いていない。また彼の交響 曲の規模は、オーケストラの編成が 拡大する傾向にあったロマン派の時 代に、どちらかというと古典派のそ れを超えるものではなかった。彼の 交響曲をもって保守的で反動的であ ると評価されても致し方ないところ であろう。もちろんこのような見方 が彼の音楽を正しく評価していない ことは、今日ではよく知られている が、ブラームスの音楽の魅力の一面 ヨハネス・ブラームス であるともいえるだろう。 ブラームスを保守的で反動的であ 今度はエッセイとして発表した。こ るとするこの見方にいち早く異を唱 のエッセイによって、ブラームスの えた人物がいた。20 世紀に活躍す 音楽史上の位置づけが大きく転換す るウィーン生まれの作曲家 A. シェ ることになる。それは、19 世紀末 ーンベルク(1874 ∼ 1951)である。 の音楽史に繰り返し記述されてきた、 シェーンベルクは、1933 年にブラ ワーグナーとブラームスとをそれぞ ームスの生誕 100 年を記念して企画 れ革新派と保守派と位置づける見方 されたラジオの講演で「進歩主義者 を解消するものであり、ブラームス ブラームス」と題してブラームスに の音楽にいかに革新的な音楽語法が ついて語った。そして亡命先のアメ 隠されているかを立証し、新しいブ リカで内容を補充して、ブラームス ラームス像を示したのである。同時 の没後 50 年を記念する 1947 年に、 にブラームス研究において、様式研 を明らかにする可能性を示唆するも のであった。ブラームス研究者と して知られている W. フリッシュも、 シェーンベルクのこのエッセイを参 考に研究をおこなっている。 このエッセイだけでなく他のエ ち一方では、優美さ、コントラスト、 多様性、論理、一貫性を、他方では、 特徴、雰囲気、表現、あらゆること に必要とされる差異化を提供するこ とであり、従って、音楽作品の楽想 を彫琢することである」 まずはこの引用にある「基本形」 ッセイにおいても、さらに『和声 から明らかにしていきたい。彼は従 学』 (1911) 、 『和声の構造的諸機能』 来のモティーフ(動機)の考え方を (1954) 、 『作曲の基礎技法』 (1967) より細分化し、モティーフに代わっ といったその他の理論的な著作にお て「基本形」という概念を用いたの いても、シェーンベルクは繰り返し である。彼によれば「基本形」は ブラームスに言及する。各々の著作 「楽曲全体において常に繰り返し現 で記述されるブラームス論は断片的 れる形であり、派生した形が還元さ で、ある一面からしか語られてい れる形」のことなのである。楽曲と ない。しかし断片的な論を集めて整 は、 「基本形」の変化から成立する 理していくと、彼のブラームス論は、 とシェーンベルクは考える。彼のい シェーンベルクが理想とした音楽の う変化とは、「多様性」などを生み 本質へとつながり、彼によるブラー 出しながら、「基本形」が楽曲を通 ムスの作品の分析はブラームスの音 して、成長していくような変化であ 楽の革新性を暴くことになるのであ った。また「派生した形が還元され る。そしてシェーンベルクがブラー る形」と述べているように、楽曲の ムスの音楽の本質として見いだした 各部分が決して際限なく好き勝手な のが、 「発展的変奏法」と「浮遊和音」 と名付けた概念であった。 「発展的変奏」という概念は、す でに 1933 年のラジオ講演で論じら れている。さらにシェーンベルクは この概念について、さまざまな著作 やエッセイの中でも論じている。そ のなかでも 1950 年にバッハについ て書かれたエッセイにおいて、この 概念を次のように簡潔に説明した。 「この『発展的変奏』とは、基本形 の特徴がすべての主題の構成を創造 することを意味している──すなわ アルノルト・シェーンベルク Philharmony September 2013 究の側面から彼の作品創作プロセス 名 曲 の 深 層 を 探 る 譜例 1 ブラームス《交響曲第 4 番》第 4 楽章の終わりの部分(第 233 小節∼) 譜例 2 譜例 1 を完全 5 度上に 移し替えたもの (嬰 ヘ音 が重複している。点線 は 筆者による加筆) 譜例 3 ブラームス《交響曲第 4 番》第 1 楽章の第 1 主題 (第 4 楽章の視点 から分析 されているため、4 拍子 の主題 は 4 分休符を省略した 3 拍子で示 されている) 方向に展開するのではなく、各部分 は、曲の冒頭に提示された「基本 形」との関連性を決して失ってはな らないのである。 「進歩主義者ブラ ームス」のエッセイでシェーンベル クは、上記のようなブラームスの作 品の分析譜を示し、この概念を説明 している。 上に示したのは、ブラームスの 《交響曲第 4 番》からの譜例で、シ ェーンベルクの「基本形」という考 え方をもっとも端的に示した分析図 である。譜例 1 は、第 4 楽章の終わ りの部分(第 233 小節)からはじ まる 3 度の下行音形である。それを 完全 5 度上に移し替えたものを譜例 2、第 4 楽章の終わり部分の音形と 第 1 楽章の第 1 主題との関連性を譜 例 3 で示した。この分析から、我々 は「基本形」と「発展的変奏法」と いうシェーンベルクの独創的な考え 方を知ることができる。つまり、こ の場合の第 4 楽章の音形(譜例 1) と第 1 楽章の主題の関係は、「3 度 音程」というきわめて単純な形に還 元することができるのである。2 つ の旋律はどちらも「3 度音程」とい う「基本形」から発展的に変奏させ られた音形なのである。 「浮遊和音」の概念は、1911 年に 出版された『和声学』やアメリカに 亡命してから一般大学での講義をも とにして書かれた『和声の構造的諸 機能』 (1954 年、シェーンベルクの 死後に出版された)に見ることがで きる。前者では譜例がなく概念的な 説明にとどまっているが、後者では、 多くの譜例を用いて「浮遊和音」の 具体的な説明がされている。ここで もブラームスの譜例を用いて、シェ ーンベルクは説明するのである。 シェーンベルクは、ブラームスの 《交響曲第3番》第 1 楽章の展開部 として第 70 ∼ 124 小節までを示し て詳細に和声分析をおこなっている。 ヘ長調で始まり、さまざまな転調を 経由してヘ長調にたどり着く部分で ある。シェーンベルクの分析によれ ば、転調のプロセスは、ヘ長調(第 70 小節)→変ニ長調(第 77 小節) →イ長調(第 88 小節)→ニ長調(第 93 小節)→ト長調(第 94 小節)→ 変ホ長調(第 101 小節)→ヘ長調 (第 120 小節)である。上の譜例で はシェーンベルクの分析の一部(第 97 ∼ 100 小節)を示した。譜例に あるようにこの部分は、ト長調であ る の だ が、 第 98 ∼ 99 小 節 ま で の 和声進行についてシェーンベルクは 「浮遊和音」と示している。バスの 半音階的進行によって生まれる和音 調への転調をするわけでもなく、調 性が確定しない状態を持続させるの である。「浮遊和音」とはこのよう な使い方をいう。 シェーンベルクの音楽理論に関す る著述に多数見られるブラームス論 は、我々に興味深い視点を与えてく れる。シェーンベルクはブラームス の音楽作品の中に過去の巨匠ともつ ながる作曲手法を見出したのである。 これは、ブラームスの保守的な側面 を強調するかのようにも見えるが、 シェーンベルクはむしろ、これまで にあえて顕在化されることのなかっ たブラームスの音楽に内在する伝統 性に焦点を当てることで、作品に隠 されていた巧みな旋律構造や響きの 技術を明らかにし、ブラームスの音 楽の「革新性」を主張したのである。 そして、19 世紀の音楽史研究に新 しいブラームス像を提供することに なったのである。 の連結は、明確な「主和音」を鳴り 響かせることを回避し、つまり別な (うえの・だいすけ 音楽学。東海大学非常勤講師) Philharmony September 2013 譜例 4 ブラームス《交響曲第 3 番》第 1 楽章(第 97 ∼ 100 小節) A *10月定期公演の聴きどころ* Program 10 月の定期公演は英国の名匠、ロ ジ ャ ー・ノ リ ン ト ン に よ る「 ベ ー トーヴェン・シリーズ」の第 4 弾。 2011 年 4 月の定期公演、昨年 4 月の 定期公演と 12 月の「第 9」公演に続 く今回は、 《交響曲第 5 番「運命」 》 、 《第 6 番「田園」 》などを取り上げる。 最新の研究成果を基にした作曲家在 世当時の奏法に独自の解釈を織り込 んだノリントンのアプローチは、毎 回、新鮮な感動と驚きをもたらして くれる。 《運命》 《田園》というクラ シック音楽の代名詞と言っても過言 ではない名曲であっても、きっと新 たな魅力を体感させてくれるに違い くる。 また、医師から歌手に転向した異 色の経歴の持ち主であるギルクリス トの独唱にも注目したい。ベートー ヴェンの《交響曲第 8 番》につい てノリントンは、かつて筆者の取材 に対して「単なる古典回帰ではなく、 古典的な形式の中に素晴らしいウィ ットを盛り込んでいる交響曲」と説 明していたが、この言葉通りウィッ トに富んだ軽妙洒脱な演奏が期待さ れる。 作品の革新性に大胆なスポットを 当てた演奏となるか ない。 Bプロはベートーヴェンの作品の ウィットに富んだ 軽妙洒脱な演奏に期待 イフィゲニア」序曲》を置いている 前にグルックの《歌劇「アウリスの ことがポイント。ワーグナーの編曲 Aプログラムは《 「エグモント」 版で演奏されるが、ノリントンは現 序曲》と《交響曲第 8 番》という 代におけるバロックや古典派作品の ベートーヴェンの作品の間にブリテ 演奏スタイルにワーグナーが及ぼし ンの《夜想曲》 、 《歌劇「ピーター・ た影響について独自の見解を持って グライムズ」から「4 つの海の間奏 おり、彼自身が実際の音楽としてそ 曲」 》を演奏する。ノリントンは毎 れをどう処理するのか興味は尽きな 回、いずれかのプログラムで英国の い。 《ピアノ協奏曲第 2 番》のソリ 作曲家の作品を取り上げているが、 ストは、米国出身のピアニストであ テノール独唱に小編成のオーケスト り、フォルテピアノ奏者、そしてモ ラが美しいオブリガートを付ける ーツァルトの研究者としても活躍す 《夜想曲》 、フル編成のオーケストラ るロバート・レヴィン。ノリントン が活躍する《ピーター・グライムズ》 と同じくピリオド奏法と呼ばれる作 の取り合わせには、この作曲家が持 曲家在世当時のスタイルを基にした つ多様な魅力を日本の音楽ファンに 演奏で知られる名手だけに、ノリン 紹介したいとの意気込みが伝わって トン流を完全にものにしたN響との 曲「レオノーレ」第 3 番》を置いて 広げられることになるだろう。メイ いるところにも、こうしたイメージ ン・プログラムの《田園》について をプログラム全体で表現しようとの ノリントンは「ヴィヴァルディの 彼の意図が感じられる。そして、こ 《四季》以降、これほど巧みに描写 のCプロで演奏される 3 曲すべてが に徹した音楽はなかった。自分自身 C(ド)の音を主音とする調で書か の作品にすらその類似性を見出せな れた作品であることにも着目したい。 いほどの革新性こそ、ベートーヴェ これは、 《運命》の第 4 楽章で到達 ンの偉大さの所以である」と語って いる。作品に内在する革新的側面に するハ長調(C-dur)の響きを一層際 立たせ、この作品が持つ劇的側面を 大胆にスポットを当てた演奏になり 強調しようとの狙いが窺えるのと同 そうだ。 時に、ノリントンならではのユーモ C (ド)の音を主音とする オール・ベートーヴェン・プロ アの精神も感じられる。 《ピアノ協 奏曲第 3 番》のソリストとしてドイ ツのヴィルトゥオーゾ・ピアニスト、 Cプロはオール・ベートーヴェン。 ラルス・フォークトが登場すること メイン・プログラムの《交響曲第 5 も楽しみである。Bプロのレヴィン 番》のイメージに関してノリント との聴き比べは現代におけるピアノ ンは「 《歌劇「フィデリオ」 》と同じ 演奏の最先端の一端に触れる絶好の く救済の物語のような音楽」と語っ 機会にもなるはずだ。 ているが、この日の第1曲目に《序 (宮嶋 極) *10月の定期公演* ◉ 10/19(土)6:00pm、10/20(日)3:00pm (Aプロ)NHKホール 指揮:ロジャー・ノリントン テノール:ジェームズ・ギルクリスト* ベートーヴェン/「エグモント」序曲 ブリテン/夜想曲 作品 60 * ブリテン/歌劇「ピーター・グライムズ」から「4 つの海の間奏曲」作品 33a ベートーヴェン/交響曲 第 8 番 ヘ長調 作品 93 ◉ 10/9(水)7:00pm、10/10(木)7:00pm (Bプロ)サントリーホール 指揮:ロジャー・ノリントン ピアノ:ロバート・レヴィン グルック(ワーグナー編)/歌劇「アウリスのイフィゲニア」序曲 ベートーヴェン/ピアノ協奏曲 第 2 番 変ロ長調 作品 19 ベートーヴェン/交響曲 第 6 番 ヘ長調 作品 68「田園」 ◉ 10/25(金)7:00pm、10/26(土)3:00pm (Cプロ)NHKホール 指揮:ロジャー・ノリントン ピアノ:ラルス・フォークト ベートーヴェン/序曲「レオノーレ」第 3 番 作品 72 ベートーヴェン/ピアノ協奏曲 第 3 番 ハ短調 作品 37 ベートーヴェン/交響曲 第 5 番 ハ短調 作品 67「運命」 Philharmony September 2013 間で生き生きとした掛け合いが繰り
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