Philharmony June 2013 o n o m i h S a y u s Tat ©Naoya Yamaguchi (Studio Diva) 今月のマエストロ 下野竜也 下野竜也と「?」 「…」 「!」 文 沼野雄司 今 月 の マ エ ス ト ロ 下 野 竜 也 「?」から「…」へ 徒》を 20 世紀のカレル・フサの曲と 並べてしまう。「…大胆だな…」と 下野竜也という指揮者の最初の印 いう戸惑いと感心。 象は「?」である。 その後も、19 世紀のドイツ音楽 まずはブザンソンのコンクールで をラインベルガーの《オルガン協奏 優勝した時。鹿児島大学出身という 曲》とラフの《交響曲第 5 番》なん 珍しい経歴にまずは「え?」と思っ ていう珍しい曲で描き出したかと思 た(もちろん、その後に桐朋学園大 えば、19 世紀末の爛 熟した香りを 学の指揮教室に学んでいるとはい フンパーディンクやプフィッツナー え)。そして 2006 年に若くして読売 というラインナップで客席に伝えよ 日本交響楽団の「正指揮者」という うとする。なにしろ後者は N 響定 ポストを射止めた時には「ほう?」 期初登場の際のプログラムなのだか と感じた記憶がある。さらにはいつ ら、いい度胸だ(2007 年 12 月 B 定 もニコニコと柔和な顔をしながらも、 期) 。 「こんなことを考える人も珍し セミナーなどでは、相当に辛辣な言 い……」 。 葉を使って学生たちを「鍛える」様 そういえば東京都交響楽団とのオ 子を聞いて「へえ?」と思わされた ール・リムスキー・コルサコフ・プロ のだった。つまり、まだその頃には グラムでは、なんと、あえて代表曲 下野竜也という個性がどのような拠 の《シェエラザード》を外してしま り所を持っているのかがよく分から った( 「集客は大丈夫なのだろうか ず、なんだかピッタリした像を結ば ……」 ) 。一方で日本フィルハーモニ なかったというわけである。 ー交響楽団が長きにわたって委嘱 しかし、次第に、下野の印象は した邦人作品を集めた「日フィル・ 「…」へと移行していった。 シリーズ」特別演奏会では、戸田邦 何よりもそのプログラムのユニー 雄や山本直純のレアな楽曲を掘り起 クさ。そもそも読響の正指揮者就任 こしてみせる(「わざわざこれを選 第 1 回目の演奏会からして、アメリ ぶとは……」)。さらに同じく昨年の カの現代作曲家ジョン・コリリャー 東京シティ・フィルハーモニック管 ノの《交響曲第 1 番》をメインに据 弦楽団との演奏会も実に奇天烈な選 えた上で、その第 3 楽章がシャコン 曲だった。ハイドンとモーツァルト ヌの形式をとっているという理由で、 の《交響曲第 28 番》に、シェーン 齋藤秀雄編のバッハ《シャコンヌ》 ベルクの《ピアノ協奏曲》とベルク を曲目に入れてしまう。あるいは同 の《ルル組曲》を挟み込むというも じく読響とのドヴォルザーク・シリ の。つまりは新旧ウィーン楽派の共 ーズでは、自筆譜の検討まで含めて 演ということになる(「ずいぶん凝 周到な準備を行いながら、 《フス教 っているな……」)。 ういう風に聴かせたい!」という強 烈なメッセージがほとばしっている。 こうした、ある意味ではマニアッ その鮮やかな手腕には、「まったく クともいえる選曲は、ややもすれば 爽快だ!」と拍手を送りたくなるよ 頭でっかちな印象も与える気もする うな迫力と、そして「実に見事!」 のだが、しかし彼の演奏会の満足度 とため息をついてしまうような繊細 が高いのは、何よりも正確無比な棒 さがある。 と強い意志の力があるからだ。筆者 タクトの技術という面でいえば、 の場合、下野竜也との出会いの時点 変拍子と個性的なオーケストレーシ での「?」は、その個性を徐々に知 ョンに満ちた難解なスコアをすっき る内に「…」へと移行し、さらには りと整理した、アリベルト・ライマ その実力にすっかり得心した時点で、 ンの現代オペラ《メデア》(東京二 驚きの感嘆符「!」に変貌していっ 期会)は、昨年の白眉だった。オペ たのだった。 ラという、文字通り八面六臂で様々 そもそも、21 世紀の音楽状況の な指示を出さねばならない状況の中 中で、カリスマ的な指揮者は徐々に でも、この指揮者は決してひるむこ 居場所がなくなってきている。トス となく、いつものように淡々と仕事 カニーニやフルトヴェングラーの時 をこなしてしまう。あれだけわかり 代とは異なり、現在は指揮者が頭ご やすい棒で振られたら、オーケスト なしに楽員に解釈を押し付けるよう ラも余裕をもって各自の仕事がこな な雰囲気ではない。むしろオーケ せるに違いない。 ストラの楽員と協力しあいながら、 そしてもう一つ、今年に入ってか 「民主的」に音楽を作り出す共同作 らの仕事で印象に残っているのはヴ 業者としての指揮者が、おそらくは ィオラの今井信子の 70 歳記念コン 求められている。もちろんこれは悪 サートでの、都響との共演。ここで いことではないだろう。しかし一方 の下野は、「記念」という場を考え で、指揮者というのは舞台上でただ てあくまでも黒子に徹しながらも、 ひとり音を出さない特殊な職業であ しかし今井の繊細な表現にぴったり って、最終的には奏者と並列に語る と寄り添い、そこに柔らかく拮抗す ことなどできない。こうした中にあ って、下野は断固としてカリスマで あろうとしているように見える。 もちろん、彼が独裁者というわけ では、決してない。しかし、下野竜 也のプログラミング、そして何より その棒さばきからは、 「この曲をこ るという手練れの技を見せた。これ を聴いたとき、彼が単に技術だけで 押すようなやり方とは異なる次元に 到達していることを実感したのだっ た。 近年、下野の海外の仕事で目立つ のは、シリーズで録音が出ているチ Philharmony June 2013 そして「!」へ 今 月 の マ エ ス ト ロ 下 野 竜 也 ェコ・フィルハーモニー管弦楽団と ちなみに今回のプログラム、シュ の共演。しかしこの老舗オーケスト ーマンの《協奏曲》とホルストの ラ、もちろん深い味わいを持ってい 《惑星》と聞けば、なんだか彼にし るとはいえ、ディスクで聴く限りは ては「おとなしい」気がするけれど 万全の状態とはいえない。この指揮 も、よく見てみればそこには「バッ 者の可能性をより深く味わうために ハ(エルガー編)《幻想曲とフーガ は、もっと高性能なオーケストラと ハ短調》 」なんていうのが、ちゃっ 共演させてみたい。だからこそ、N かりと入っている。思わず微笑んで HK交響楽団との共演には期待して しまったのは筆者だけではないだろ しまう。2007 年、2009 年、2010 年 う。 と共演を重ねて、双方の呼吸も合っ (ぬまの・ゆうじ 桐朋学園大学准教授、音楽学) てきたはずだから、今回はなおさら。 プロフィール 鮮やかかつ正確無比な棒と、工夫 の凝らされたプログラミングによっ て、現在もっとも注目を集める指 揮者のひとり。1969 年鹿児島生ま れ。鹿児島大学教育学部を経て、桐 朋学園大学音楽学部附属指揮教室で 本格的に指揮法を学ぶ。その後、イ タリアのキジアーナ音楽院、ウィー ン国立音楽大学でも研鑽を積んだ。 1997 年から 1999 年までは大阪フィ ルハーモニー交響楽団指揮研究員と 客演を精力的にこなすなか、2006 年からは読売日本交響楽団の正指揮 者、2013 年 4 月より首席客演指揮 者に就任。ドヴォルザーク交響曲全 曲シリーズなどで高い評価を得ると ともに、様々な演奏会における知的 な曲目選択で、クラシック・ファン に新鮮な驚きを与えることになった。 N 響定期には 2007 年に初出演。ま た、現代音楽の演奏にも積極的で、 数々の初演をこなすとともに、大栗 して現場での経験を深め、1999 年 裕の作品集、コリリャーノの《交響 2000 年に東京国際音楽コンクール オペラのピットに入る機会も増えて 4 月に同団の定期演奏会でデビュー。 曲第 1 番》などをリリース。近年は 指揮部門で優勝、そして 2001 年に はブザンソン国際指揮者コンクール を制覇して、一躍内外に名をとどろ かせた。しかし、むしろその後の飛 躍は、こうした受賞歴など吹き飛ば すほどの迫力を持っている。海外の おり、團伊玖磨《夕鶴》(日生劇場)、 アリベルト・ライマン《メデア》(東 京二期会)といったオペラでは高い 評価を得た。現在、上野学園大学教 授。 (沼野雄司) Philharmony June 2013 g n u h C n u h W Myung ©Jean-Francois Leclercq 今月のマエストロ チョン・ミョンフン 音楽から常に熱気と ヒューマンなぬくもりが伝わる アジアのマエストロ 文 オヤマダアツシ 今 月 の マ エ ス ト ロ チ ョ ン ・ ミ ョ ン フ ン チ ョ ン・ミ ョ ン フ ン 指 揮、 ソ ウ ル・フィルハーモニー管弦楽団ほか によるマーラー《 交響 曲第 2 番「復 活」》のCDが手元にある。ブック レットには当然ながらマエストロの プロフィールが掲載されており、そ の冒頭にはフランスの有力紙『ル・ モンド』が“魂の指揮者”と評して いると書かれてある。このプロフィ ールは、おそらくはマネジメントに よる公式のものであるはずだが、チ ョン・ミョンフンを知る人であれば 「なるほど “ 魂の指揮者”とは言い 得て妙だな」と思うに違いない。情 熱に振り回されず一見すると冷静さ を失わない指揮姿だが、生まれる音 楽からは常に内面を焦がすような熱 気とヒューマンなぬくもりが伝わっ てくる。 東京の音楽ファンは幸福だろう。 そうしたマエストロの指揮に早くか ら接し(指揮者としてクローズアッ プされたのは、筆者の記憶によれ ば 1995 年にロンドンのフィルハー モニア管弦楽団と、また翌年にロン ドン交響楽団と来日した際だろう) 、 その後は国外オーケストラの来日公 演や、NHK交響楽団および東京フ ィルハーモニー交響楽団の指揮台に 立つ姿を、何度も見ることができた のだから。それはマエストロのキャ リアにおいても見事な上昇期であり、 円熟へと向かう名指揮者の成長過程 を、すぐ隣で見てきたということで ある。言うまでもなくその道は未来 へと続いており、私たちはさらに充 実した音楽を味わう可能性を与えら れているのだ。 ピアニストから指揮者への道 現在では多くの人が指揮者として 認識しているチョン・ミョンフンだ が、その名前が広く世界へ轟いたと き、彼はピアニストだった。1974 年に行われた第 5 回チャイコフスキ ー国際コンクール・ピアノ部門にお いて第 2 位を獲得した彼は、新世代 のホープとして音楽シーンへ躍り出 たのである(ちなみに第 1 位を獲得 したのはアンドレイ・ガヴリーロフ であり、アンドラーシュ・シフが 4 位に入賞している)。翌 1975 年には アンドレ・プレヴィンとロンドン交 響楽団のアジア・ツアーに同行して、 初の日本公演も行った。その際の公 演パンフレットを見ると、どことな く垢抜けない青年のポートレイト写 真に加え「ミュン・フュン・チョン」 という表記の名前が掲載され、今と なっては新鮮に映る。 しかしピアニストとして輝かしい キャリアを嘱望された彼は、その頃 すでにジュリアード音楽院で指揮を 学んでいたのだ。1978 年、折から ロサンゼルス・フィルハーモニー管 弦楽団の音楽監督を務めていたカル ロ・マリア・ジュリーニとの出会いが、 指揮者修業にさらなるエネルギーを 費やす大きな原動力となった。加え て、1984 年から 5 シーズンを音楽 監督・首席指揮者として過ごしたド イツのザールブリュッケン放送交響 かけて音楽を作り上げるというスキ ルを身につけたのである。この時期 には各地のオーケストラおよび歌劇 場からオファーが寄せられ、堅実に 階段を上っていく。充実した 30 代 は、その後に躍進するための確かな 劇場を巡る政治的な思惑に巻き込ま れる形で音楽監督を退任。しかしそ れもまた、マエストロのキャリアに 次のステップを用意するための合図 だったのかもしれない。 1997 年にはローマ聖チェチーリ ア国立アカデミー管弦楽団(首席指 土台となった。 揮者) 、2000 年にはパリを拠点とす パリ・オペラ座のポストから 道は開けた 弦楽団(音楽監督)というオーケス るフランス放送フィルハーモニー管 トラと結びつきを強め、来日公演や 1989 年(36 歳 ) 、彼の名前は一 CD録音などで日本の音楽ファンに 気に広く知られるようになった。パ も素晴らしい名演を届けてくれた。 リ・オペラ座の新しい劇場としてオ ープンしたバスティーユ歌劇場の、 5 度目となるN響との充実した共演 初代音楽監督に選ばれたのである。 NHK交響楽団と初めての共演を 同時期に名門レーベル「ドイツ・グ 果たしたのも、ちょうどこの頃だ。 ラモフォン」と契約を結び、このコ 1998 年 9 月に行われた定期公演で ンビのCDが次々に発売されること はヴェルディの《レクイエム》やチ となった(録音の多くは今でも現役 ャイコフスキーの《交響曲第 4 番》 盤として発売中だ) 。ストラヴィン ほか、メシアンやシチェドリンの作 スキーやベルリオーズなど色彩的な 品を。また 2000 年には樫本大進や レパートリーが絶賛され、ショスタ スミ・ジョーらをソリストに迎えた コーヴィチの問題作《ムツェンスク 特別公演を(マーラーの《交響曲第 のマクベス夫人》が話題となるなど、 1 番》ほか)。2008 年の 2 月定期では、 新時代を牽引する若きマエストロと マーラーの《交響曲第 9 番》とブル してはかなりの高評価を受けたと言 ックナーの《交響曲第 7 番》という ってよい。またオリヴィエ・メシア 大作にメシアンを組み合わせるとい 《トゥランガ ン夫妻の知 遇 を得て、 う、やや大胆なプログラムで。さら リラ交響曲》などメシアンの代表作 には 2011 年 2 月定期で、マーラー はもちろん、遺作のひとつとなった の《交響曲第 3 番》やベルリオーズ 《コンセール・ア・キャトル》の世界 の《幻想交響曲》などを指揮してい 初演と録音も任されるなど、巨匠作 る。5 回目の共演となる今回の定期 曲家の生涯を美しいフィナーレで飾 では、ロッシーニの名作《スターバ る役目を果たしている。こうした功 ト・マーテル》(Cプログラム)にお 績にもかかわらず、1994 年には歌 いて劇的かつ思索的な一面を聴かせ Philharmony June 2013 楽団の時代には、じっくりと時間を 今 月 の マ エ ス ト ロ チ ョ ン ・ ミ ョ ン フ ン てくれるだろうし、やはり得意とす ー管弦楽団で音楽監督を務め、アジ るマーラーの《交響曲第 5 番》 (B ア人としてのアイデンティティも自 プログラム)では、揺るぎない構築 らに問うマエストロ。NHK交響楽 性を全面に打ち出した壮麗な音楽を 団から引き出す音楽の魂は、いった 提示してくれるはずだ。 いどういった感動を与えてくれるだ 自らがリーダーとなって創設した ろうか。 アジア・フィルハーモニー管弦楽団 や、半世紀以上も韓国の音楽文化を (おやまだ・あつし 音楽ライター) 牽引してきたソウル・フィルハーモニ プロフィール その熱いパッションと、作曲家 楽団の音楽監督、そして 2012/2013 およびスコアへの誠実さで多くの シーズンより名門ドレスデン国立歌 フ ァ ン を も つ チ ョ ン・ミ ョ ン フ ン 劇場管弦楽団の首席客演指揮者を務 は、1953 年、韓国のソウル生まれ。 めている。 1974 年の第 5 回チャイコフスキー NHK交響楽団との初共演は 19 国際コンクール・ピアノ部門で第 2 98 年にさかのぼり、2000 年、2008 位を獲得し、一躍その名を世界へと 年、2011 年と客演。また 2001 年か 知らしめた。その後はジュリアー ら 2010 年まで東京フィルハーモニ ド音楽院で指揮を学び、欧米の有名 ー交響楽団のスペシャル・アーティ オーケストラや歌劇場へ次々に客演。 スティック・アドヴァイザーを務め 1989 年から 1994 年まで音楽監督を 務めたパリ・オペラ座(バスティー るなど、日本の聴衆と関係を深めて いる。ピアニストとしても姉 2 人 ユ歌劇場)での活動で、世界的に注 (チョン・キョンファ、チョン・ミョ 目を浴びている。 ンファ)とトリオを組むなど、現在 1997 ∼ 2005 年にはローマ聖チェ もなお室内楽奏者としてステージに チーリア国立アカデミー管弦楽団の 上がる。一方、オフステージでは料 首席指揮者を務め、同オーケストラ 理好きという一面もあり、その見事 との来日公演(3 回)も好評。2013 年現在、フランス放送フィルハーモ な腕前を、音楽誌の連載記事をまと めた書籍『幸せの食卓』で披露した。 ニー管弦楽団とソウル・フィルハー モニー管弦楽団、自らが創設に関わ ったアジア・フィルハーモニー管弦 (オヤマダアツシ) A 第 1757 回 NHKホール 6/8[土]開演 6:00pm 6/9[日]開演 3:00pm [指揮] 1757th Subscription Concert / NHK Hall 8th(Sat.) June, 6:00pm 9th(Sun.)June, 3:00pm 下野竜也 [conductor] Tatsuya Shimono [ピアノ] ネルソン・ゲルナー [piano] Nelson Goerner [女声合唱] [female chorus] (合唱指揮/水戸博之) (Hiroyuki Mito, chorus master) [コンサートマスター] [concertmaster] 東京混声合唱団* 堀 正文 Tokyo Philharmonic Chorus* Masafumi Hori バッハ(エルガー編) Johann Sebastian Bach(1685-1750)/ 幻想曲とフーガ ハ短調 BWV537(9 ) Edward Elgar(1857-1934) Fantasia and Fugue c minor BWV537 シューマン ピアノ協奏曲 イ短調 作品 54(31 ) Robert Schumann(1810-1856) Piano Concerto a minor op.54 Ⅰ アレグロ・アフェットゥオーソ Ⅱ 間奏曲:アンダンティーノ・グラツィオー ソ Ⅲ アレグロ・ヴィヴァーチェ Ⅰ Allegro affettuoso Ⅱ Intermezzo: Andantino grazioso Ⅲ Allegro vivace 休憩 Intermission ホルスト 組曲「惑星」作品 32 *(51 ) Gustav Holst(1874-1934) The Planets, suite op.32* Ⅰ 戦争の神、火星:アレグロ Ⅱ 平和の神、金星:アダージョ Ⅲ 翼を持った使いの神、 水星:ヴィヴァーチェ Ⅳ 快楽の神、木星:アレグロ・ジョコーソ Ⅴ 老年の神、土星:アダージョ Ⅵ 魔術の神、天王星:アレグロ Ⅶ 神秘の神、海王星:アンダンテ Ⅰ Mars, the Bringer of War : Allegro Ⅱ Venus, the Bringer of Peace : Adagio Ⅲ Mercury, the Winged Messenger : Vivace Ⅳ Ⅴ Ⅵ Ⅶ Jupiter, the Bringer of Jollity : Allegro giocoso Saturn, the Bringer of Old Age : Adagio Uranus, the Magician : Allegro Neptune, the Mystic : Andante Philharmony June 2013 Program Soloist Program A ©Keith Saunders ピアノ ネルソン・ゲルナー Nelson Goerner ネルソン・ゲルナーは、2004 年 11 月 ネーヴ音楽院に留学し、マリア・ティー のラフマニノフの《ピアノ協奏曲第 2 ポに師事した。1990 年、ジュネーヴ国 番》や 2009 年 5 月のブラームスの《ピ 際コンクールで第1位を獲得。以後、ソリ アノ協奏曲第 2 番》など、NHK 交響楽団 ストとして世界的に活躍するほかに、室内 定期公演への出演を重ね、別府アルゲリ 楽にも取り組み、これまでに、ヴァディ ッチ音楽祭へも登場するなど、すっかり ム・レーピン、ミッシャ・マイスキー、ステ 日本の音楽ファンにも親しまれている。 ィーヴン・イッサーリス、マルタ・アルゲ 1969 年、アルゼンチンのサンペドロの リッチらと共演。今回はゲルナーが得意 生まれ。母国で、ホルへ・ガルッバ、フア とするロマン派音楽からその真髄という ン・カルロス・アラビアン、カルメン・ べきシューマンの《ピアノ協奏曲》が取 スカルチオーネなどに学ぶ。1986 年、ブエ り上げられるのが楽しみだ。 ノスアイレスでのフランツ・リスト国際 ピアノ・コンクールで優勝。そして、ジュ (山田治生) Chorus Philharmony June 2013 女声合唱 東京混声合唱団 Tokyo Philharmonic Chorus 「人生をかけて合唱音楽を職業に選ん 演、放送出演などに加えて海外公演も多 だ私たち」。サントリー音楽賞受賞記念 数行い、日本の合唱作品の海外への紹介 演奏会のプログラムに田中信昭が記した にも貢献。作曲委嘱活動は日本語の合唱 言葉である。日本でプロの合唱団として 作品がまだ少なかった創立当初からほぼ 存在しつづけたことへのさまざまな感慨 毎年つづけて、その数は 200 曲を超える。 がしのばれて実に含蓄がある。 近年では海外の作曲家にも委嘱するなど、 東京混声合唱団は 1956 年、東京藝術 創作の幅は多彩に広がっている。 大学声楽科の卒業生有志により創立。中 現在、指揮者陣は田中信昭、松原千振、 心メンバーの田中信昭が常任指揮者に就 大谷研二、山田和樹、松井慶太、伊藤翔 任、以後、日本における合唱音楽の発展 ほか。デュトワ指揮の N 響とは 2007 年以 をリードするかたちで実績を刻んできた。 来定期的に共演を重ねている。 年間 100 回を超える一般公演や子どもの ための催し、内外のオーケストラとの共 (関根礼子) Program Johann Sebastian Bach 1685-1750 / Edward Elgar バッハ(エルガー編) 1857-1934 幻想曲とフーガ ハ短調 BWV537 A エ ド ワ ー ド・エ ル ガ ー(1857 ∼ もしバッハが今の時代の楽器を用い 1934)はほぼ独学で作曲を学んだ。 ることができたなら、きっとこうし とはいえ、身近に音楽がなかったわ た豊潤で壮大で、華麗な世界を作り けではない。ピアノ調律師の父親は、 上げただろうということを示したか 英国西部の街ウスターで楽器店を営 った」と記している。20 世紀後半 む傍ら、ヴァイオリンやオルガンを に古楽復興運動が起こる前の典型的 弾いた。エルガーは物心がついた頃 な考え方ではあるが、エルガーにと から作曲に興味を持ち、ピアノやヴ っては近代的なオーケストラこそが ァイオリンを習得したが、家が貧し 「楽器の王」であり、オルガンの壮 かったため、大学進学もドイツ留学 麗な響きを保持しつつ、音色の多彩 も夢のまた夢であった。彼は父親の さを追求することが命題であった。 店を手伝いながらスコアを研究し、 幻想曲は、原曲の 6/4 拍子を 3/4 ヴァイオリンを教え、教会でオルガ 拍子に変えている以外は比較的忠実 ンを弾き、作曲に励んで徐々に成功 に編曲されているが、ハープのアル を手にしていったのである。 ペッジョやコーダの扱いなどにロマ J. S. バッハ(1685 ∼ 1750)のオル ンティックな趣向が感じられる。他 ガン曲《幻想曲とフーガ》BWV537 方、フーガはより自由かつ大胆にア はおそらくライプチヒ時代の作曲と レンジされ、小太鼓やシンバルを含 考えられている。エルガーのオーケ ストラ編曲は、晩年に手がけられた。 彼は友人宛ての手紙において、 「私 はこの曲を現代風に、大編成のオー ケストラのためにアレンジし…… 作曲年代:原曲:おそらく 1723 年以降。エルガ ーによる編曲版:フーガ:1921 年 4 月、幻想曲: 1922 年春 初演:原曲:不明。エルガーによる編曲版:フ ーガ:1921 年 10 月 27 日、ロンドン、クィー ンズ・ホール、ユージン・グーセンス指揮、幻 想曲とフーガ:1922 年 9 月 7 日、グロスター 大聖堂、編曲者自身の指揮によるロンドン交 響楽団 む打楽器群も加わって豪華絢爛な響 きとなっている。フーガは二重フー ガで、歯切れのよい第 1 主題に続い て半音階的な第 2 主題が展開される。 (後藤菜穂子) 楽器編成:フルート 2、ピッコロ 1、オーボエ 2、イングリッシュ・ホルン 1、クラリネット 2、バス・クラリネット 1、ファゴット 2、コ ントラファゴット 1、ホルン 4、トランペット 3、トロンボーン 3、テューバ 1、ティンパニ 1、 大太鼓、シンバル、小太鼓、トライアングル、 タンブリン、グロッケンシュピール、ハープ 2、 弦楽 1810-1856 シューマン ピアノ協奏曲 イ短調 作品 54 シューマンにとって、ピアノはい つも重要な表現手段だった。もとも とはピアニスト志望だったし、指の 故障でその夢を諦め、作曲家として 世に出てからも、ピアノの独奏曲を 書き続けていた。転機になったのは、 1840 年である。周知のように、こ の年はシューマンにとっての「歌曲 の年」 。この年に書かれた歌曲では、 ピアノは伴奏という役割を超え、彼 が捉えた詩のエッセンスを描いてい た。そしてその翌年が「交響曲の 年」 。管弦楽作品への意欲が高まり、 《交響曲第 1 番「春」 》や《序曲、ス ケルツォとフィナーレ》などを完成 させた。こうした管弦楽への情熱と、 彼にとって親しみのあるピアノの世 界とが融合して誕生したのが、 《ピ アノ協奏曲 イ短調》である。 シューマンがこの作品で目指した のは、ピアノをメインにし、オーケ ストラを従属的に扱う、当時の協奏 曲のスタイルではなかった。両者が 引きたて合いながらも、音色的に溶 け合うことが重要だった。作品の独 自性をいち早く認めたのが、ピアニ ストでもあったシューマンの妻クラ 作曲年代:1841 年 ( 第 1 楽章 )、1845 年 ( 第 2 ∼ 3 楽章 ) 初演:1845 年 12 月 4 日、ドレスデン、フェルデ ィナント・ヒラー指揮、クララ・シューマンの独奏 ラである。彼女は、自らのピアノで 試演をした後、「極めて繊細な方法 で、ピアノがオーケストラに編み込 まれている」と言い、作品を高く評 価したのだった。 第 1 楽章 アレグロ・アフェットゥオ ーソ イ短調 4/4 拍子。ソナタ形式。 最初にオーボエが奏でるド(C)− シ(H)− ラ(A)− ラ(A) と い う 旋律は、「クララの主題」。音名はシ ューマンの音楽評論に登場する架空 の女性「 キ ア ラ(Chiara)」 に 由 来 するが、この人物のモデルが妻ク ララなのだ。なお、この楽章は当初、 《幻想曲》と命名されていた。 第 2 楽章 アンダンティーノ・グラツ ィオーソ ヘ長調 2/4 拍子。3 部形式。 「インテルメッツォ」という副題を 持つ。第 2 楽章と第 3 楽章は続けて 演奏される。この移行部に、「クラ ラの主題」が登場する。 第 3 楽章 アレグロ・ヴィヴァーチェ イ長調 3/4 拍子。ソナタ形式。ピア ノとオーケストラの掛け合いがある 冒頭の華麗な序奏は、たび重なる推 敲の過程で加えられた。 (佐藤 英) 楽器編成:フルート 2、オーボエ 2、クラリネ ット 2、ファゴット 2、ホルン 2、トランペッ ト 2、ティンパニ 1、弦楽、ピアノ・ソロ Philharmony June 2013 Robert Schumann Program Gustav Holst 1874-1934 ホルスト 組曲「惑星」作品 32 A 「惑星を描写した標題音楽」のよ 導していたホルストの豊富な経験が うに誤解されるホルストの《惑星》 反映されている。 であるが、当初の原題は単に「大オ 第 1 曲〈戦争の神、火星〉は弦楽 ーケストラのための 7 つの曲」で 器群のコル・レーニョ(弓の木の部 あった。1912 年にシェーンベルク 分で弦を叩く)で始まり、金管群が の《5 つの小品》を聴き感銘を受け 低音で鬱然とした主題を奏でる。テ たホルストは、これまで書いてきた ノール・テューバの呼びかけにトラ 合唱作品や民謡を下敷きにした小曲 ンペットが呼応し、それを弦楽器群 とは異なる、本格的な管弦楽曲に取 が引き受けて繰り返し、オーケスト り組みたくなる。また元来インド思 ラは高潮していく。執拗に打ち鳴ら 想や神智学など神秘的なものに魅か される小太鼓とティンパニ、トラン れる傾向があり、1913 年頃からは ペットの雄叫びの間を、軍神マルス 占星学の本を読みふけっていた。や に率いられた軍勢がうねるように進 がてホルストは、人間の運命を司る んでいく。頂点で音楽は崩壊し、戦 星辰の「気(mood) 」を管弦楽で表 いがもたらす破滅を暗示する。世界 現しようと考える。そして作曲にあ 大戦勃発直前に作曲中だったため、 たりホルストが意識したのは、各変 ホルストが戦争を予言したと語られ 奏ごとに特定の人間の「気」を表現 ることがある。 したエルガーの《変奏曲「謎」》で 第 2 曲〈平和の神、金星〉は夜の あった。 《惑星》を構成する各曲に とばりを告げるホルンのソロで始ま はそれぞれの惑星に対応するローマ る。オーボエと弦楽器群の対話、チ 神話の神名と、星辰の性質の説明が ェロの独奏、ハープのアルペッジョ、 短い文で付された。作曲から初演 チェレスタのつぶやきは、愛の女神 の年代は第一次世界大戦(1914 ∼ ヴィーナスの官能的な誘惑ではなく、 1918)にほぼ重なる。 4 管編成の大オーケストラに多彩 な打楽器群が加わり、練達の作曲技 法が縦横に発揮される。管楽器とり わけ金管楽器が大活躍することには、 王立音楽大学でトロンボーンを専攻 した名手であり、長年管楽合奏を指 むしろ大理石の彫像のような清冽な 美を感じさせる。 第 3 曲〈翼を持った使いの神、水 星〉のマーキュリーとは神々の間を 往き来する伝令である。さまざまな 楽器が次々と交代しながら、あわた だしく駆け回る。 れは本来官能的なものではなく、祝 祭的な気分をさす。神々の長ユピテ ルに捧げられた、6 本のホルンが奏 でる雄渾な主題で始まる、湧き立つ ような祭と堂々たる頌歌ともとれる。 中間部のおおらかな民謡風の旋律に は 1920 年代に愛国的な歌詞が付け て歌われた。なお日本ではポピュラ ー歌手の平原綾香が同部分を歌って 大ヒットしている。 第 5 曲〈老年の神、土星〉は農耕 の神サトゥルヌス。大地に根を張っ た老賢者である。導入部でハープと フルートが刻む和声は時の経過を示 す時計の振子である。続くほの暗い トロンボーンの旋律は埋葬の音楽で あるエクアール(元来はオーストリ アのカトリック教会で埋葬に際して 奏せられたトロンボ−ン四重奏によ る短い楽曲。ベートーヴェンやブル ックナーも作品を残している)を思 わせる。ベルが打ち鳴らされ、近づ く死への恐怖が喚起されるが、音楽 はやがて静謐さを取り戻し、諦念の 作曲年代:1914 ∼ 1916 年 初演: 非公式初演:1918 年 9 月 29 日、ロンドン、エー ドリアン・ボールト指揮ニュー・クィーンズ・ホー ル管弦楽団 公式初演:1920 年 11 月 15 日、ロンドン、アル バート・コーツ指揮ロンドン交響楽団 中に消えていく。全曲中でホルスト 自身が最も気にいっていた曲である。 第 6 曲〈魔術の神、天王星〉は、 次々とわざを繰り出す熟練の手品師 ウラヌスのマジック・ショーを見る ようである。「ホルストの楽器」ト ロンボーンがショーの始まりを告げ、 ファゴットのおどけたような動きは デュカスの《魔法使いの弟子》を連 想させる。懐かしげな旋律が散りば められているのは、英国民謡を愛し たホルストらしい。 第 7 曲〈神秘の神、海王星〉の 「Mystic」の訳は「神秘主義者」よ りも「隠者」がふさわしい。瞑想的 なフルートで始まる音楽はピアノか らピアニッシモに終始し、チェレス タが文字通り星屑を撒き散らす。や がて舞台裏の女声合唱がアカペラで 加わり、遠ざかって消え入るように 終る。 ちなみに小惑星第 3590 番は国際 天文学協会によって「ホルスト」と 命名されている。 (等松春夫) 楽器編成:フルート 4(ピッコロ 2、アルト・フ ルート 1)、オーボエ 3(バス・オーボエ 1)、イ ングリッシュ・ホルン 1、クラリネット 3、バ ス・クラリネット 1、ファゴット 3、コントラ ファゴット 1、ホルン 6、トランペット 4、ト ロンボーン 3、テューバ 1、テノール・テュー バ 1、ティンパニ 2、大太鼓、シンバル、小太 鼓、トライアングル、タンブリン、タムタム、 鐘、シロフォン、グロッケンシュピール、ハ ープ 2、チェレスタ 1、オルガン 1、弦楽、女 声合唱(舞台裏) Philharmony June 2013 第 4 曲〈快楽の神、木星〉での 「快楽」の原語は「Jollity」だが、こ Program Program B B 第 1759 回 サントリーホール 6/19[水]開演 7:00pm 6/20[木]開演 7:00pm [指揮] 1759th Subscription Concert / Suntory Hall 19th(Wed.)June, 7:00pm 20th(Thu.) June, 7:00pm チョン・ミョンフン [conductor] Myung-Whun Chung [ピアノ] [piano] [コンサートマスター] [concertmaster] チョ・ソンジン 篠崎史紀 Seong-Jin Cho Fuminori Shinozaki モーツァルト ピアノ協奏曲 第 21番 ハ長調 K.467 (27 ) Wolfgang Amadeus Mozart(1756-1791) Piano Concerto No.21 C major K.467 Ⅰ アレグロ Ⅱ アンダンテ Ⅲ アレグロ・ヴィヴァーチェ・アッサイ Ⅰ Allegro Ⅱ Andante Ⅲ Allegro vivace assai 休憩 Intermission マーラー Gustav Mahler(1860-1911) Symphony No.5 c-sharp minor Ⅰ 葬送行進曲:規則正しい歩みで厳格に、 葬列のように Ⅱ 嵐のように激して、 非常に大きな激しさで Ⅲ スケルツォ:力強く、速すぎずに Ⅳ アダジェット:きわめてゆっくりと Ⅴ ロンド・フィナーレ:アレグロ Ⅰ Trauermarch: In gemessenem Schritt, Streng. Wie ein Kondukt Ⅱ Stürmisch bewegt, mit größter Vehemenz 交響曲 第 5番 嬰ハ短調(70 ) Ⅲ Scherzo: Kräftig, nicht zu schnell Ⅳ Adagietto: Sehr langsam Ⅴ Rondo–Finale: Allegro Soloist Philharmony June 2013 ピアノ チョ・ソンジン Seong-Jin Cho 2009 年 11 月、浜松国際ピアノコンク でショパンの《ピアノ協奏曲第 1 番》 ールに 15 歳(史上最年少)で優勝を飾 を弾いて NHK 交響楽団と初共演した。 り、2011 年のチャイコフスキー国際コ 2011 年 3 月のチョン・ミョンフン指揮チ ンクールで第 3 位に入賞し、若くして国 ェコ・フィルハーモニー管弦楽団の来日 際的に注目されているチョ・ソンジンは、 公演のソリストを務める。2012 年 6 月 1994 年、ソウル生まれ。6 歳のときに にミハイル・プレトニョフ指揮ロシア・ 音楽教室でピアノを始め、9 歳から本格 ナショナル管弦楽団、同年 11 月にはワ 的に学び、10 歳で初リサイタルをひら レリー・ゲルギエフ指揮マリインスキー いたという驚くべき才能。ソウル芸術高 劇場管弦楽団などと共演。この 4 月には、 校を経て、現在はパリ国立高等音楽院で ソウルでロリン・マゼール指揮ミュンヘ 学んでいる。 ン・フィルハーモニー管弦楽団とも共演 2009 年 12 月にチョン・ミョンフン& している。今回は彼が尊敬すると語るチ ソウル・フィルハーモニー管弦楽団と共 ョン・ミョンフンとともにモーツァルト 演。2010 年 7 月 に は、N 響「 夏 」2010 を奏でる。 (山田治生) Program Wolfgang Amadeus Mozart モーツァルト 1756-1791 ピアノ協奏曲 第 21 番 ハ長調 K.467 B ウィーン時代のモーツァルトは、 鍵盤楽器の名手としても広く知られ た存在であった。彼の演奏会での呼 び物は彼が独奏を担当するピアノ協 奏曲であり、この時期に成立した 17 曲のピアノ協奏曲( 『旧モーツァ ルト全集』の通し番号で第 11 番か ら第 27 番)は、そのほとんどがモ ーツァルト自身の技巧を想定して作 曲された。K.467 は同時期の K.466 (《第 20 番ニ短調》 )からほぼ 1 か月 後、「1785 年 3 月 9 日付」で『自作 品目録』へ記入されている。 これらのピアノ協奏曲は独奏パー トの華やかな技巧もさることながら、 オーケストラの充実した「伴奏」も 特筆すべき特徴である。18 世紀後 半における鍵盤楽器独奏のための協 奏曲は、主に出版を意図して書かれ た場合、弦楽器のみの簡素な伴奏を 付けることが圧倒的に多かった。そ れは愛好家たちが気軽に演奏できる ように配慮した結果でもあった。オ ーケストラに多くの管楽器が使われ ていたとしても、主役たるピアノ独 作曲年代:具体的な作曲期間は不明だが、 『自作 品目録』での日付は 1785 年 3 月 9 日 初演:不明。ただし成立直後に、モーツァルト 独奏で初演された可能性は高い 初版:1800 年、ライプツィヒのブライトコプ フ・ウント・ヘルテル社 奏の存在感を薄めるような書法は好 まれなかった。また著名な鍵盤楽 器奏者が作曲・出版した協奏曲でも、 独奏パートに本人の高度な技巧が反 映することは稀で、自らの技巧を隠 匿するかのように平易に書かれるこ とも多かった。だが、モーツァルト の協奏曲は、作曲者自身の演奏技巧 を反映しているだけでなく、時に主 役以上に活躍することもあるオーケ ストラの扱いによって、当時として は特異とさえ言える音楽となってい るのである。 なお、第 1 楽章と第 3 楽章にはカ デンツァおよびアインガング(独奏 楽器による導入)の挿入が求められ る個所があるが、作曲者の作は現存 しない。 第 1 楽章 アレグロ ハ長調 4/4 拍子。 リトルネルロ形式。 第 2 楽章 アンダンテ ヘ長調 2/2 拍 子。リトルネルロ形式。 第 3 楽章 ア レ グ ロ・ヴ ィ ヴ ァ ー チ ェ・アッサイ ハ長調 2/4 拍子。ロン ド形式。 (安田和信) 楽器編成:フルート 1、オーボエ 2、ファゴッ ト 2、ホルン 2、トランペット 2、ティンパニ 1、 弦楽、ピアノ・ソロ 1860-1911 マーラー 交響曲 第 5 番 嬰ハ短調 マーラーの交響曲作曲の流れの中 で、この《第 5 番》はきわめて特異 な画期的な意義のある曲である。 どのような形であれ「標題」的な ものと関わっていないし、テキス ト(歌詞)をまったく持っていない。 そのため、マーラーとしては初めて の純粋に器楽的な音楽といわれるこ とも多い。だが、それ以上に重要で、 《第 1 番》から《第 4 番》までの交 響曲とは決定的に違っているところ が《第 5 番》にはある。そしてそれ は、この作品以降マーラーにとって 当たり前のことになっていくのだが。 作曲に取り掛かる前に、オリジナ ルな形で、交響曲の全体が初めから 終わりまで頭の中で出来上がってい るということが、どうやらこの《第 5 番》において初めてマーラーに起 こったのである。もちろん全楽章の、 それも細部までが克明に浮かんでい たわけではないかもしれない。だが、 ともかく、 《第 4 番》までとはまっ たく違う形で全体が構想されるよう になったのだ。 《第 5 番》以前のマーラーは交響 曲の作曲において、すでに作曲して あった独立した曲に手を加えたり展 番》 。第 1 楽章は《葬礼》というタ イトルを与えられていた単独の「交 響詩」に手を加えたものであり、第 3 楽章は《こどもの不思議な角笛》 歌曲の 1 曲〈魚に説教するパドヴ ァの聖アントニオ〉に基づいている。 そして、第 4 楽章は、《角笛》歌曲 の 1 曲〈原光〉である。また、《第 4 番》の場合は、交響曲として作曲 する何年も前に作曲した《角笛》歌 曲〈天上の生活〉に手を加えたもの を第 4 楽章に据えて、そこに向かっ てうまく収束していくように前の 3 つの楽章を作曲した。 そのような《第 4 番》までの作曲 とはまったく違った形で生み出され たのが《第 5 番》である。作曲を始 める時点ですでに頭の中では全体が 出来ているのだから、ほぼ 1 年(実 質的には 3、4 か月)で書き上げる ということが可能であったのだろう。 また、そのような形で作曲されたの で、この曲以前の 4 曲に比べると、 全体が非常に緊密な構造の音楽にな っていて、マーラーの音楽にあまり 馴染みのない人にとっても比較的親 しみやすい曲になっている。 ところで、この交響曲を初めて聴 開したりしていくつかの楽章を作り、 く人は、冒頭のトランペットの「パ りを必ずしていた。例えば、 《第 2 一瞬、意識と無意識の境目のあたり それらを嵌め込んだり組み合わせた パパ・パーン」が鳴り響いたときに、 Philharmony June 2013 Gustav Mahler Program で「おや」と思うのではないだろう か。あるいは、 「ぎょっとする」と 言ったほうが近いかもしれない。と いうのも、ほんの一瞬ではあるが、 B あの有名な、あまりにも有名な曲が 始まったかとの思いが心をよぎるの である。あの有名な曲とは、メンデ ルスゾーンの《夏の夜の夢》の〈結 婚行進曲〉 。 もちろん、輝かしく晴れやかなメ ンデルスゾーンの曲とは対照的に、 マーラーのこの曲の冒頭は暗く重々 しい。だが、音の動きはあまりにも 似ている。これは果たして他人の空 似か。単なる偶然なのか。 曲は 5 つの楽章から成る。 第 1 楽章 葬送行進曲。規則正しい 歩みで厳格に、葬列のように。嬰ハ 短調 2/2 拍子。ヴァイオリンとチェ ロのしめやかな主題を中心とした主 部と、対照的な激しい動きの 2 つの トリオでできている。暗く重々しい 音楽であり、次の楽章への序奏のよ うな役割も持っている。 第 2 楽章 嵐のように激して、非常 に大きな激しさで。イ短調 2/2 拍子。 対照的な性格の 2 つの主題を中心と して展開していく自由なソナタ形式 作曲年代:1901 年 7 月∼ 1902 年 8 月 初演:1904 年 10 月 18 日、ケルン、作曲者自 身の指揮による による。前楽章の悲痛な調子を受け 継ぎ、それをさらに激しいものにし ているが、途中から希望や憧れを感 じさせる部分も出てくる。 第 3 楽章 スケルツォ。力強く、速 すぎずに。ニ長調 3/4 拍子。きわめ て自由な形式によるスケルツォ。か なり皮肉っぽい調子になるところも あれば、ウィンナ・ワルツのような 優雅な表情を見せるところもある。 ホルンのソロの活躍が目立つ。 第 4 楽章 アダジェット。きわめて ゆっくりと。ヘ長調 4/4 拍子。ハー プと弦楽合奏だけで演奏されると ても叙情的な楽章。映画、ドラマ、 CM などでよく使われているこの楽 章は、昔から単独でもよく演奏され ている。 第 5 楽章 ロンド・フィナーレ:アレ グロ。ニ長調 2/2 拍子。「ロンド」 という言葉にふさわしい明るさや軽 やかさを持ってはいるが、ロンド形 式とは言えないような自由な展開に なっている。対位法的な扱いを効果 的に交えながら、輝かしく壮大に盛 り上がっていく。 (前島良雄) 楽器編成:フルート 4(ピッコロ 2)、オーボエ 3(イングリッシュ・ホルン 1)、クラリネット 3(Es クラリネット 1、バス・クラリネット 1)、 ファゴット 3(コントラファゴット 1)、ホル ン 6、トランペット 4、トロンボーン 3、テュ ーバ 1、ティンパニ 1、大太鼓、シンバル、小 太鼓、タムタム、ムチ、トライアングル、グ ロッケンシュピール、ハープ 1、弦楽 C 1758th Subscription Concert / NHK Hall 14th(Fri.)June, 7:00pm 15th(Sat.)June, 3:00pm 第 1758 回 NHKホール 6/14[金]開演 7:00pm 6/15[土]開演 3:00pm [指揮] チョン・ミョンフン [conductor] Myung-Whun Chung [ソプラノ] ソ・ソニョン [soprano] Sunyoung Seo [ソプラノ] [soprano] [テノール] [tenor] [バス] [bass] 山下牧子 カン・ヨセフ パク・ジョンミン [合唱] 東京混声合唱団 Makiko Yamashita Yosep Kang Jongmin Park [chorus] Tokyo Philharmonic Chorus (Keita Matsui, chorus master) (合唱指揮/松井慶太) [コンサートマスター] 堀 正文 [concertmaster] Masafumi Hori ベートーヴェン 交響曲 第 2 番 ニ長調 作品 36(32 ) Ludwig van Beethoven(1770-1827) Symphony No.2 D major op.36 Ⅰ Ⅱ Ⅲ Ⅳ Ⅰ Ⅱ Ⅲ Ⅳ アダージョ−アレグロ・コン・ブリオ ラルゲット スケルツォ:アレグロ アレグロ・モルト Adagio ‒ Allegro con brio Larghetto Scherzo: Allegro Allegro molto 休憩 Intermission ロッシーニ スターバト・マーテル(60 ) Gioachino Rossini(1792-1868) Stabat Mater Ⅰ Ⅱ Ⅲ Ⅳ Ⅴ Ⅰ Ⅱ Ⅲ Ⅳ Ⅴ Ⅵ Ⅶ Ⅵ Ⅶ Ⅷ Ⅸ Ⅹ 序奏:悲しみの聖母はたたずみ アリア:悲しみに沈むその魂を 二重唱:誰か涙を流さない者があろうか アリア:人々の罪のために レチタティーヴォ:愛の泉である 聖母よ 四重唱:おお聖母よ カヴァティーナ:キリストの死に思いを めぐらしたまえ アリア:裁きの日にわれを守りたまえ 四重唱:肉体は死んで朽ちはてるとも 終曲:とこしえにわたり Introduction: Stabat Mater dolorosa Aria: Cujus animam gementem Duetto: Quis est homo Aria: Pro peccatis suae gentis Coro e recitative: Eja Mater fons amoris Quartetto: Sancta Mater istud agas Cavatina: Fac ut portem Christi mortem Ⅷ Aria e coro: Inflammatus et accensus Ⅸ Quartetto: Quando corpus morietur Ⅹ Finale: In sempiterna saecula Philharmony June 2013 Program Soloist Program C ソプラノ ソ・ソニョン Sunyoung Seo 国立ソウル芸術大学、デュッセルドル 生》のサルー、ドヴォルザーク《ルサル フのロベルト・シューマン音楽院で学び、 カ》のルサルカを演じた。2011 年にはデ 2011/2012 シーズンにはバーゼル歌劇場 ュッセルドルフでロッシーニの本作のソ のオペラ・スタジオで研鑽を積む。 ロを歌った。 2010 年代に入って、オペラでの躍進 2011 年の第 14 回チャイコフスキー国 が目立ち、2010 年にはシューマン音楽 際コンクールでの第 1 位で広く注目を集 院でモーツァルト《フィガロの結婚》の める。2011 年マリア・カラス・グランプリ 伯爵夫人、韓国の高陽アラムヌリ芸術セ と 2010 年フランシスコ・ヴィニャス国際 ンターでプッチーニ《ボエーム》のミミ、 声楽コンクールで 1 等賞、2009 年ミュン 2011 年にはシューマン音楽院でプッチー ヘン国際音楽コンクールでは第 2 位を受 ニ《修道女アンジェリカ》のアンジェリ 賞している。NHK 交響楽団とは初共演。 カ、バーゼル歌劇場ではビゼー《カルメ ン》のミカエラ、ファリャ《はかない人 (青澤隆明) Soloist Philharmony June 2013 ソプラノ 山下牧子 Makiko Yamashita 香川県出身。広島大学教育学部、東京 来、東京二期会、日生劇場、新国立劇場 藝術大学大学院に学ぶ。二期会オペラス で活躍する。二期会公演のモーツァルト タジオのマスタークラスを優秀賞を受け 《コシ・ファン・トゥッテ》ドラベルラ、ヘ て修了。第 10 回奏楽堂日本歌曲コンク ンデル《ジュリアス・シーザー》のタイト ール、第 70 回日本音楽コンクール声楽 ル・ロールなどで好評を得る。新国立劇 オペラ・アリア部門入選。第 1 回東京音 場ではビゼー《カルメン》のメルセデス、 楽コンクール声楽部門で第 1 位、第 72 シュトラウス《サロメ》のヘロディアス 回と第 73 回の日本音楽コンクールで第 の小姓、B. A. ツィンマーマン《軍人たち》 3 位を得ている。1997 年に藝大定期での のシャルロッテ、ベルク《ヴォツェック》 モーツァルト《皇帝ティトゥスの慈悲》 のマルグレートなど幅広い役柄を歌った。 アンニオ役でオペラ・デビュー。2002 年 古楽団体との共演も含めて、数多くのコ に日生劇場オペラ教室《カルメン》 (日 ンサートに出演。二期会会員。NHK 交響 本語版)のタイトル・ロールを歌い、以 楽団とは初共演となる。 (青澤隆明) Soloist Program C テノール カン・ヨセフ Yosep Kang 韓国出身。ソウル、ザルツブルク、ベル 笛》 、 《ドン・ジョヴァンニ》 、ヴェルディ リンで声楽を学ぶ。2000 年のヴィオッテ 《リゴレット》 、 《椿姫》 、ドニゼッティ ィ国際声楽コンクール、2002 年ザルツブ 《ルチア》などのレパートリーで活躍す ルク・モーツァルト国際コンクール、2003 る。リヨン歌劇場でのヤナーチェク《マ 年フランシスコ・ヴィニャス国際コンク クロプロス事件》 、中国の国立芸術セン ール、2004 年フェルッチョ・タリアヴィ ターや韓国国立歌劇場でのプッチーニ《ボ ーニ国際声楽コンクールなどの国際コン エーム》にも出演。コンサート歌手として クールに入賞。2001 年に、R. シュトラウ は、リリング、ティーレマン、チョン・ミ ス《ばらの騎士》の歌手役でケルン歌劇 ョンフンらの指揮者と共演。バッハ、モ 場にデビュー。ベルリン、バイエルン、シ ーツァルト、ヴェルディ、ロッシーニの本 ュトゥットガルト、ハノーファーの各州 作などで成功を収め、ベートーヴェンの《交 立歌劇場で躍進。現在はベルリン・ドイ 響曲第 9 番》は 2007 年にNHK交響楽団 ツ・オペラを拠点として、モーツァルト《 魔 との初共演でも歌った。 (青澤隆明) Soloist Philharmony June 2013 バス パク・ジョンミン Jongmin Park ソウル生まれ。韓国国立芸術大学で の騎士長役などを演じてきた。2011 年 学び、在学中からイタリア・オペラで頭 にはプッチーニ《ボエーム》のコルリー 角を現す。2007 年にスカラ座アカデミ ネ役で、ウィーン国立歌劇場にデビュ ー に 選 ば れ て 参 加 し、 ミ レ ッ ラ・フ レ ー。 コンサート・ソリストとしても広 ーニ、ルチアーナ・セーラ、ルイージ・ く活躍し、チョン・ミョンフンの指揮で アルバ、レナート・ブルソンらの指導を ベートーヴェンの《ミサ曲 ハ長調》や 受け、ミラノ・スカラ座で研鑽を積んだ。 《交響曲第 9 番》などに出演。2011 年の 2010/2011 シーズンから、ハンブルク 第 14 回チャイコフスキー国際コンクー 州立歌劇場のメンバーとして、ヴェルデ ルで男声総合の第 1 位、ドミンゴ・オペ ィ《リゴレット》のスパラフチレ、《ア ラリア・コンクールでのワーグナー特別 イーダ》のエジプト王、プッチーニ《ト 賞やニルソン賞など多くの受賞歴をもつ。 スカ》の教会の番人、《蝶々夫人》の僧 NHK交響楽団とは初共演。 侶、モーツァルト《ドン・ジョヴァンニ》 (青澤隆明) *東京混声合唱団(合唱)のプロフィールは 13 ページ参照 Program Ludwig van Beethoven ベートーヴェン 1770-1827 交響曲 第 2 番 ニ長調 作品 36 C 本作が本格的に作曲されたのは、 1804 年 3 月に出版されたパート譜 1802 年、ルートヴィヒ・ファン・ベ が信頼できる最古の資料となる。 ートーヴェンが 5 年あまりにわたる 第 1 楽 章 序 奏 部: ア ダ ー ジ ョ ニ 難聴に悩み、快復への希望を絶たれ 長 調 3/4 拍 子 ― 主 部: ア レ グ ロ・ て「ハイリゲンシュタットの遺書」 コン・ブリオ 4/4 拍子。ソナタ形式。 を書いた年だ。同じ場所、同じ時期 序奏部の構想には時間を要し、当初 に書かれたとは思えないその堂々と は 4/4 拍子が企図されていた。興味 した曲調は、人々を驚嘆させてきた。 深いことにその主要主題も、初期の 「私の芸術だけが私を引きとめた」 スケッチ帳では次作である《エロイ という自身の手紙の一節が語るよう カ交響曲》の主題に近いものだった。 に、ベートーヴェンは、現実ではけ 第 2 楽章 ラルゲット イ長調 3/8 拍 っして得ることのできないものを芸 子。ソナタ形式。「純粋無垢な幸福 術世界に託したのかもしれない。 の描写」とベルリオーズに言わしめ 関係するスケッチは、1800 年に た無比の叙情性を誇る。 までさかのぼる。また、1802 年初 第 3 楽章 スケルツォ:アレグロ ニ めにはフィナーレの詳細な草稿が別 長調 3/4 拍子。前交響曲の「メヌエ のスケッチ帳に書きとめられている。 ット」に代わり、得意の創作領域が 同時期に《三重協奏曲》なども作曲 当ジャンルにおいても切り拓かれた。 していたベートーヴェンは、ちかく 第 4 楽章 アレグロ・モルト ニ長調 慈善音楽会の開催を期待していたよ 2/2 拍子。ロンド・ソナタ形式。当 うだが、これはそのあと 1 年も経っ 時、 「騒々しい」といった批判を招 てから、開かれた。曲目は、本作と いたことからも分かるように、冒頭 《第 1 交響曲》、《ピアノ協奏曲第 3 主題に聴かれる劇的な対比法は、明 番》、《オラトリオ「かんらん山のキ らかに当時の交響曲の規範を超えて リスト」 》という長大なオール・ベー いる。 トーヴェン・プログラムであった。 *各楽章の速度表記は、ベーレンライタ なお、自筆譜は消失しており、 作曲年代:1802 年 初演:1803 年 4 月 5 日、アン・デア・ウィーン劇 場にて、作曲者自身の指揮 ー版に従った。 (西田紘子) 楽器編成:フルート 2、オーボエ 2、クラリネ ット 2、ファゴット 2、ホルン 2、トランペッ ト 2、ティンパニ 1、弦楽 ロッシーニ 1792-1868 スターバト・マーテル 「本当の基 督教はもう疾 うの昔に マーテル》はその 2 年後、スペイン 亡びてしまって、ただ幽かな余響の を旅行した際にマドリードの司祭フ ようなものが、わずかに、こういう ランシスコ・フェルナンデス・バレー 音楽の中に生き残っているのではな ラ(またはバレーリャ)から依頼さ いか」─これは大正 12 年(1923 れ、 「非公開で初演し、楽譜を公に 年)1 月、東京音楽学校(東京藝術 しない」との約束で引き受けた作品 大学の前身)の演奏会でロッシーニ である。体調をくずしたロッシーニ の《スターバト・マーテル》を聴い は半数の楽曲を G. タドリーニに委 た寺田寅彦の感想である。 ね、その初演は 1833 年にマドリー 1842 年 1 月 7 日にパリのイタリ ドで行われた。だがバレーラの死後、 ア劇場で正式初演されたこの作品は、 楽譜がパリの出版社に転売されたと 「ハイドンの《天地創造》パリ初演 知ったロッシーニは出版差し止めの 以後、これほど厳かで壮大、美しく 訴訟を起こし、タドリーニの楽曲を 活力に富み、聴衆を感動させた音楽 すべて自分の新曲と差し替えた。こ はなかった」と絶賛されたが、 「世 れが現在演奏される第 2 稿である。 俗的で官能的」との批判的論調もあ 十字架に磔にされた息子の傍らで った。これに対し、 「芸術における 嘆き悲しむ母マリアの心情をうたう 真のキリスト教の特徴とは、やせ細 ラテン語テキストは 13 世紀に起源 り蒼ざめた外観ではなく、ある種の をもつが、作者については諸説あっ 内的情熱のほとばしりにある。それ て確定しない。18 世紀にはペルゴ ゆえ、ロッシーニの《スターバト・ レージの作品が流布し、近代にもド マーテル》は、メンデルスゾーンの ヴォルザークやプーランクが付曲し 《聖パウロ》よりも遥かにキリスト ているが、ロッシーニの《スターバ 教的である」と擁護したのが詩人ハ ト・マーテル》はペルゴレージと並 イネだった。 ぶ傑作としてつとに知られる。全体 《セビリアの理髪師》で名高い 19 は次の 10 曲からなる。 世紀イタリアのオペラ作曲家ロッ 第 1 曲 序奏。管弦楽の前奏に続い シーニは、1829 年にパリで初演し て合唱がソット・ヴォーチェ(弱声) た《ウィリアム・テル(ギヨーム・ で「悲しみの聖母はたたずみ」と歌 テル) 》を最後に 37 歳の若さでオ いだし、ソリストの四重唱を挟んで ペラの筆を折った。 《スターバト・ 高揚する。アンダンティーノ・モデ Philharmony June 2013 Gioachino Rossini Program C ラート ト短調 6/8 拍子。 2/4 拍子。 第 2 曲 テノールのアリア。 「悲しみ 第 7 曲 第 2 ソプラノのカヴァティ 行進曲風の伴奏で華やかに歌われる。 ソロ、ファゴット重奏を交えた色彩 カデンツァで最高音が 3 点変ニに達 的な前奏を経て、伸びやかな旋律で し、オペラ的とも評されるが、旋律 「キリストの死に思いをめぐらした には装飾的な要素が絶無である。ア まえ」と歌う。アンダンテ・グラツ レグレット・マエストーソ 変イ長調、 ィオーソ ホ長調 6/8 拍子。 4/4 拍子。 第 8 曲 第 1 ソプラノ独唱と合唱に に沈むその魂を」の歌詞とは裏腹に、 第 3 曲 ソプラノの二重唱「誰か涙 ーナ。ホルン重奏、クラリネット・ よるアリア「裁きの日にわれを守り を流さない者があろうか」 。繊細な たまえ」 。金管楽器の強奏が最後の 女声ハーモニーにベルカントの魅力 審判を暗示するドラマティックなハ を凝縮した、ゆったりとしたテンポ 短調の前半部と、イエス・キリスト のデュオ。ラルゴ ホ長調 4/4 拍子。 に呼びかけるハ長調の後半部からな 第 4 曲 バスのアリア「人々の罪の る。アンダンテ・マエストーソ ハ短 ために」 。劇的な前奏に続く歌唱旋 調 ̶ ハ長調 4/4 拍子。 律は、付点音符のリズムに特徴があ 第 9 曲 無伴奏の四重唱(または合 る。長調に転じての、伸びやかなメ ロディも魅力的。アレグレット・マ エストーソ イ短調 ―イ長調 3/4 拍子。 唱) 。半音階の下降旋律で「肉体は 死んで朽ちはてるとも」と静謐に歌 われ、フォルティッシモの上向旋律 第 5 曲 無伴奏の合唱とバス独唱の がアクセントをなす。アンダンテ 聖母よ」の歌詞がテンポと調性の変 第 10 曲 終曲。最初に力強く「アー レチタティーヴォ。 「愛の泉である 化を織り込んで歌われ、最後の音に クレッシェンド∼ディミヌエンドの 強弱法が適用される。アンダンテ・ モッソ ニ短調 4/4 拍子。 第 6 曲 四重唱「おお聖母よ」 。弾む ようなリズムの伴奏でテノールが歌 う旋律に基づく軽快なアンサンブル。 アレグレット・モデラート 変イ長調 作曲年代:1831 ∼ 1832 年(第 1 稿) 、 1841 年(第 2 稿) 初演:1842 年 1 月 7 日、パリ、ジョヴァンニ・ タドリーニ指揮(第 2 稿・決定版) ト短調 4/4 拍子。 メン」と唱和し、「とこしえにわた り」の歌詞による厳格な対位法の二 重フーガとなる。やがて第 1 曲の冒 頭部が再帰するが、フーガ主題を用 いた終結部に転じて興奮が頂点に達 する。アレグロ ト短調 4/4 拍子。 (水谷彰良) 楽器編成:フルート 2、オーボエ 2、クラリネ ット 2、ファゴット 2、ホルン 4、トランペッ ト 2、トロンボーン 3、ティンパニ 1、弦楽、 ソプラノ・ソロ 2、テノール・ソロ、バス・ソロ、 合唱 Rossini スターバト・マーテル 歌詞対訳 Stabat Mater 対訳:今谷和徳 Translation: Kazunori Imatani 1 Introduction 1 序奏:悲しみの聖母はたたずみ Stabat Mater dolorosa juxta crucem lacrimosa, dum pendebat Filius. 悲しみに沈めるみ母は涙にくれて、 2 Aria 2 アリア:悲しみに沈むその魂を Cujus animam gementem, contristatam et dolentem, pertransivit gladius. 嘆き悲しみ、 O quam tristis et afflicta fuit illa benedicta, Mater, Mater unigeniti! おお、神のひとり子の Quae maerebat et dolebat, et tremebat cum videbat nati poenas inclyti. 尊きみ子の苦しみを 3 Duetto 3 二重唱:誰か涙を流さない者があろうか Quis est homo qui non fleret, Christi Matrem si videret in tanto supplicio? これほどまで嘆きたまえる Quis non posset contristari, piam Matrem contemplari dolentem cum Filio? み子とともに苦しみたまえる Quis est homo qui non fleret, Christi Matrem si videret, in tanto supplicio? これほどまで嘆きたまえる Quis non posset contristari, piam Matrem contemplari dolentem, dolentem cum Filio? み子とともに苦しみたまえる 4 Aria 4 アリア:人々の罪のために Pro peccatis suae gentis, その人々の罪のために み子が掛かりたまえる 十字架のもとにたたずみたまいぬ。 苦しめるみ子の魂を 剣が貫きたり。 祝福されしみ母は いかに悲しく打ち砕かれたまいしか。 見たまいて嘆き悲しみ、 うち震えたまいぬ。 キリストのみ母を見て 泣かざる者は誰か。 慈悲深きみ母を眺めて 悲しまざる者は誰か。 キリストのみ母を見て 泣かざる者は誰か。 慈悲深きみ母を眺めて 悲しまざる者は誰か。 Philharmony June 2013 ロッシーニ A Program vidit Jesum in tormentis, et flagellis subditum. 拷問と鞭に身を委ねたまいし Vidit suum dulcem natum moriendo desolatum, dum emisit spiritum. また瀕死のうちに見捨てられ 5 Coro e recitative 5 レチタティーヴォ:愛の泉である聖母よ Eja Mater, fons amoris, me sentire vim doloris fac, ut tecum lugeam. 愛の泉なるみ母よ、 Fac ut ardeat cor meum in amando Christum Deum, ut sibi complaceam. わが心がそのみ心にかなうべく 6 Quartetto 6 四重唱:おお聖母よ Sancta Mater, istud agas, crucifixi fige plagas, cordi meo valide. 聖なるみ母よ、十字架に Tui nati vulnerati, tam dignati pro me pati, poenas mecum divide. わがためにかく傷つけられ、 Fac me vere tecum flere, crucifixo condolere, donec ego vixero. わが命のある限り、 Juxta crucem tecum stare, te libenter sociare in planctu desidero. われは御身とともに十字架のもとに立ち、 Virgo virginum praeclara, mihi jam non sis amara, fac me tecum plangere. 乙女の中のすぐれたる乙女よ、 7 Cavatina 7 カヴァティーナ:キリストの死に思いを めぐらしたまえ Fac ut portem Christi mortem, passionis fac consortem, et plagas recolere. イエスをみ母は見たまいぬ。 息絶えたまいし 愛するみ子を見たまいぬ。 御身とともに嘆くよう われに悲しみを感じさせたまえ。 神なるキリストを愛する火で 燃え立たんよう、なしたまえ。 釘づけされたもうみ子の傷を わが心に深く刻みたまえ。 苦しみたまいし御身がみ子の 苦痛をわれにも分かちたまえ。 十字架につけられたまいしみ子に対し、 御身とともにわれにまことの涙を流させ、苦悩 させたまえ。 御身とともに嘆かんことを 熱望す。 われに辛くあたりたもうことなく、 御身とともにわれを泣かしめたまえ。 われにキリストの死を負わしめ、 御受難をともにし、 その傷を再び得さしめたまえ。 み子の御傷をもってわれを傷つけ、 8 Aria e coro 8 アリア:裁きの日にわれを守りたまえ Inflammatus et accensus per te, Virgo, sim defensus in die judicii. おお乙女よ、審判の日に Fac me cruce custodiri, morte Christi praemuniri, confoveri gratia. 十字架によりてわれを守り、 Inflammatus et accensus per te, Virgo, sim defensus in die judicii. おお乙女よ、審判の日に Fac me cruce custodiri, morte Christi praemuniri, confoveri gratia. 十字架によりてわれを守り、 9 Quartetto 9 四重唱:肉体は死んで朽ちはてるとも Quando corpus morietur, fac ut animae donetur Paradisi gloria. 肉体が死する時 10 Finale 10 終曲:とこしえにわたり Amen. In sempiterna saecula. アーメン。 その十字架と愛をもって われを酔わしめたまえ。 火をつけられ、熱せらるるわれを 御身によりて守らしめたまえ。 キリストの死によりて前を固め、 恩恵によりて慈しみたまえ。 火をつけられ、熱せらるるわれを 御身によりて守らしめたまえ。 キリストの死によりて前を固め、 恩恵によりて慈しみたまえ。 魂が天国の栄光に 捧げらるるよう、なしたまえ。 とこしえにわたり。 Philharmony June 2013 Fac me plagis vulnerari, cruce hac inebriari ob amorem Filii. 名 曲 の 深 層 を 探 る シリーズ 名曲の深層を探る 第 9 回 イギリスのオカルト、 あるいは「心霊」への関心 文 高橋宣也 ミュージカル『マイ・フェア・レ いう人の心は、時に科学が推し進め ディ』の原作『ピグマリオン』で有 る唯物的な世界観への忌避へと傾き、 名なイギリスの劇作家ジョージ・バ 霊媒や交霊会(セアンス)が多数出 ーナード・ショーは、辛辣な社会批 現することとなった。そのあり方は 評でも一世を風靡したものだが、芝 千差万別で、怪しげな奇術まがいの 居『傷心の家』の序文で第一次世 ものが横行する一方で、懐疑的な態 界大戦直後の 1919 年にこう書いて 度を保持しながらも科学的検証によ いる。 「この時代は、テーブル叩き、 って神秘現象を説明しようという 物質化交霊会、千里眼、手相術、水 人々も現れた(このあたりの事情は 晶占いなどに耽る風潮があった。そ ジャネット・オッペンハイム『英国 の様と言ったら、世界の歴史の中で 心霊主義の抬頭』 〔和田芳久訳〕に も、奈落の底へと流されていったこ 詳しい) 。 の半世紀ほど、占い師、占星術師、 こうした心霊主義には、いわゆる 民間治療家が栄えた時代はなかった 知識人の多くも関心を寄せ、法律家、 のではなかろうか」 。19 世紀のヨー 聖職者、大学教授、文学者などが関 ロッパは、近代科学的な知見が大き わった。研究会も色々とできたが、 く前進する一方で、従来の自然への 中でも 1882 年設立の心霊研究協会 信頼やキリスト教的価値観の基盤が (The Society for Psychical Research) 揺らぐ時代でもあった。 隠されたもの=オカルトへの関心 が有力だった。この会は当時勢力を 揮 っていたマダム・ブラヴァツキ は人の歴史とともに古いが、19 世 ーのサークルが唱えた霊的現象の 紀の後半になると、霊というものに 証左なるものの詐欺性を暴く報告書 科学的にアプローチしようとする動 を出して、交霊会や霊媒といったも きが高まり、心霊主義、スピリチュ のにつきまとう欺瞞に対して警鐘を アリズムが一種の流行となった。キ 鳴らした。 リスト教の担い手としての教会体制 作家のコナン・ドイル(1859 ∼ や旧来の教義は力を失いつつあっ 1930)も、一時期この心霊研究協会 たが、真理の希求、 「信じたい」と に所属していた。ドイルはもちろん Philharmony June 2013 シャーロック・ホームズのシリーズ で高名だが、後半生は「心霊主義の パウロ」とまで呼ばれるほどに執筆 や講演活動を行い、心霊主義の唱道 に力を注いでいたのである。ホーム ズと言えば、不可解なミステリーに 対して冷徹な推理の道筋を鮮やかに 示して見せる、合理的な観察と推論 の鑑のような探偵だ。その生みの親 が、科学では説明し難い心霊現象に 関心を持っていたとは、およそイメ ージと相いれないように見える。し かしドイルは若いときから超常現象 に興味があり、懐疑心を持ちつつも、 関連書物を読み漁っていた。そして コナン・ドイル 霊媒師や研究家との交流を通じて心 霊主義への傾倒を深め、後にはホー ムズ物で入る収入をすべてつぎ込ん で、晩年まで心霊思想の普及に努め た。これこそが自分の最も重要な活 動だと考えていたのだ。 マダム・ブラヴァツキー(1831 ∼ 1891)は、1875 年にニューヨー クで神智学協会を設立し、神智学の 運動を世界的に展開した大物のオカ ルティストである。神秘的な体験に よって神の本質に触れるという神智 学は、ネオプラトニズムなど様々な H. P. ブラヴァツキー 形で古くからあるものではあったが、 彼女はインド哲学を自己流に典拠と して、 説得力のある(ように見える) 体系を形作った。それは心霊研究協 会によって手痛い打撃を受けるわけ だが、しかし彼女の運動によって神 智学の裾野は広がった。彼女の影響 を受けた人は数多く、音楽では作曲 家のスクリャービンが代表的である。 20 世紀前半を代表する詩人の一 人、アイルランドの W. B. イェイツ (1865 ∼ 1939) も、 神 智 学 に 接 触 していた。彼はオカルトに深い関心 名 曲 の 深 層 を 探 る を抱き(妻は自動筆記をするような を創造力の源泉とするとともに、東 人だった)、神秘主義的発想による 洋の文化にも目を開かれることがあ 独特な歴史観を『ヴィジョン』とい った。世紀末からのジャポニスムの う書物にまとめている。劇作家でも 一つの表れとして、能楽が西洋の文 あった彼は、1930 年の『窓ガラス 化にインパクトを与えたという側面 に書かれた文字』でセアンスを扱い、 がある。その大きな成果が、イェイ 参加者の一人に「コナン・ドイルの ツの芝居『鷹の井戸』 (1916)だった。 突飛な本を覗いてみましたが、どう 能楽の様式美や、題材となる超自然 も納得いかないんです」などと言わ との交感に、彼は自分の世界と通じ せながら、過去の人物と交霊する霊 るものを感じ取って、それをアイル 媒師の振る舞いを胡散臭いようにも、 ランド伝説のモティーフで幽玄の舞 真正であるようにも取れるような描 台としたのだ。彼に能の知識を伝え き方をしている。 たのは、フェノロサの著作を知って イェイツはアイルランド独立運動 いた詩人のエズラ・パウンド、それ に携わるなかで、民族の神話や伝説 に舞踊家の伊藤道郎だった。 W. B. イェイツ ホルスト(1874 ∼ 1934)につなが ってくる。伊藤はロンドンでの公 演のためにホルストに曲を依頼し、 1915 年に《日本組曲》が書かれる こととなったのである。これは全体 でも 10 分程度のささやかな作品だ が、 〈桜の木の下の踊り〉には子守 歌「ねんねんころりよ」が出てくる し、 〈操り人形の踊り〉には当時作 曲中だった《組曲「惑星」 》の〈水星〉 に共通する音楽語法が聴かれる。 ホルストも時代の子らしく、占星術 やインドの哲学、神話に強く惹かれ、 サンスクリット語にも取り組み、 『マ ハーバーラタ』に材を取ったオペラ 《サーヴィトリー》 (1908)を書い たりしている。またホルストの父親 が再婚した女性は、神智学の信奉者 だった。このあたりもホルストの感 性の形成に影響したに違いない。 こういった諸々の事例をひとまと めにすることなど不可能だが、まず は科学万能主義への警戒心があった とは言えるだろう。1914 年に始ま って破格のスケールの大量殺戮が行 われた第一次世界大戦は、その不安 が現実となったものに他ならない。 《惑星》の〈戦争の神、火星〉は開 戦と前後しての作曲だが、そこには 大戦に投入された兵器の非情な歩み が予言的に書き込まれている。 《惑 星》のプランは占星術に則っている 他に共通する特徴としては、反リ アリズム、インドや日本といった非 西洋の思想や文化への関心といった ことが指摘できよう。またこの時代 は、フロイトが精神分析を創始し、 無意識という領域が開拓される時で もあった。科学と非科学が分離して いきそうだからこそ、両者の断絶を 防いで融合させる道が様々に模索さ れたのだ。そうした気運と、音楽と いう芸術が結びつかないはずがない。 例えばドイツのルドルフ・シュタイ ナーは神智学を経て、科学と心霊主 義をより実践的に融合した人智学を 打ち立てたが、これは鍛錬の手段と して音楽と舞踊の力を重視している。 指揮者のブルーノ・ワルターは真摯 な人智学信者だった。また、先に挙 げたスクリャービンの他にも、若き 日に薔薇十字団と接点のあったサテ ィーやドビュッシー、クリスチャン・ サイエンスに帰依したプロコフィエ フなど、音楽と神秘主義との縁は深 い。 既成の宗教が弱体化しても、人間 は何かの拠りどころを求める。それ 「真 は科学か、跋 するプチ宗教か、 理」にダイレクトに触れんとする心 霊主義か。私たちの時代、これは先 鋭化する一方の問題だ。そして音楽 がそこで担い得る役割は、相当に重 い。 が、ホルストはただ現実逃避的に星 空やホロスコープを眺めていたわけ ではない。 (たかはし・のぶや 慶應義塾大学准教授、 近代イギリス文学) Philharmony June 2013 伊藤道郎の名前で、話は作曲家の A Program * 2013/14 シーズンの聴きどころ* 来シーズンの公演日程をじっくり と眺めながら、どれを聴こうかと あれこれ悩む。コンサート通いでも っとも胸が高鳴るのがこの瞬間かも しれない。9 月の開幕を前にN響の 2013/14 シーズンの聴きどころを展 11 月はネルロ・サンティと大活躍 中の若手トゥガン・ソヒエフが招か れる。サンティは演奏会形式で《歌 劇「シモン・ボッカネグラ」 》を披露 する。ヴェルディ・イヤーのハイラ イトとなるか。ソヒエフはすべてロ 望してみよう。 シア音楽で、チャイコフスキー、プ 巨匠ブロムシュテットの オール・ブラームス・プロで開幕 ラフマニノフ他をとりあげる。濃厚 ロコフィエフ、ショスタコーヴィチ、 でスケールの大きな演奏を期待した まず 9 月の指揮者はヘルベルト・ い。 ムすべてでオール・ブラームス・プ する。ベートーヴェンの《交響曲第 ロが組まれた。4 つの交響曲をはじ 7 番》といった古典から、ショスタ め、フランク・ペーター・ツィンマー コーヴィチの《交響曲第 15 番》や マンの独奏による《ヴァイオリン協 デュティユーの《チェロ協奏曲「遥 奏曲》他が演奏される。客席からひ かなる遠い世界」 》 (ゴーティエ・カ ときわ深い敬愛を集める巨匠のこと、 プソンが独奏)といった 20 世紀音 今回もまた記憶に残る名演が生まれ 楽まで、多彩な曲目が並ぶ。プーラ ブロムシュテット。3 つのプログラ るのではないか。 10 月はロジャー・ノリントンが登 12 月はシャルル・デュトワが指揮 ンク《グロリア》&ベルリオーズ 《テ・デウム》の合唱プロは、これら 場、昨シーズンに続いてベートー 2 曲の真価を伝えてくれる貴重な機 ヴェン・シリーズを聴かせてくれる。 会となるだろう。 メイン・プログラムとしてそれぞれ 1 月はファビオ・ルイージとアレク 《第 8 番》 、 《第 6 番「田園」 》 、 《第 5 番「運命」 》の 3 つの交響曲が置か サンドル・ヴェデルニコフの 2 人の 指揮者が登場する。ルイージのオル れた。トレードマークの「ピュア・ フ《カトゥリ・カルミナ》&《カル トーン」をベースに、即興性を感じ ミナ・ブラーナ》の意欲的な選曲が させる才気煥発としたノリントン流 うれしい。ヴェデルニコフはチャイ ベートーヴェンが実現するはず。協 コフスキー・プロ。熱演が聴けそう 奏曲のソリストにロバート・レヴィ だ。 ンとラルス・フォークトの名がある のも楽しみ。 2 月は尾高忠明、ネヴィル・マリ ナーが指揮台に立つ。尾高忠明はシ 薬籠中のレパートリー。 せず、 《四つの伝説》をメインに配 5 月は 3 人の指揮者がそれぞれに 置した選曲が興味深い。 《ヴァイオ 個性を発揮する。新世代の旗手ガエ リン協奏曲》では中国の新星ワン・ タノ・デスピノーサはマティアス・ゲ ジジョンが独奏を務める。マリナー ルネのバリトンとともにワーグナー はモーツァルト・プロとドヴォルザ 他を聴かせる。広上淳一によるマー ーク・プロで練達の棒を振る。 ラーの《交響曲第 4 番》 、ヘスス・ロ ネーメ・ヤルヴィが R.シュトラウスの珍しい作品を指揮 4 月はマレク・ヤノフスキとネー ペス・コボスによるファリャ《三角 帽子》は、ともにオーケストラを聴 く醍醐味を伝えてくれるダイナミズ ムあふれた快演になりそうだ。 メ・ヤルヴィの両ベテランが招かれ 6 月はウラディーミル・アシュケ 作、 《交響曲第 5 番》を指揮。録音 英国情緒あふれるエルガーの《交響 る。ヤノフスキはブルックナーの傑 ナージ。ロシア・北欧音楽に加えて、 でも好評を博するヤノフスキのブル 曲第 1 番》や、壮麗な R. シュトラ ックナーが聴けるのは大きな喜びだ。 ウスの《アルプス交響曲》でシーズ また、ネーメ・ヤルヴィが R. シュト ンの掉尾を飾る。 ラウスの《バレエ音楽「ヨセフの伝 巨匠から新鋭まで「今聴きたい」 説」 》や、スヴェンセンの《交響曲 指揮者とソリストの名前が並んだ来 第 2 番》といった珍しい作品をとり シーズン。例年にも増して充実した あげるのも注目される。シベリウス 一年となってくれることだろう。 の《交響曲第 2 番》はヤルヴィ自家 (飯尾洋一) *9月の定期公演* ◉ 9/21(土)6:00pm、9/22(日)3:00pm (Aプロ)NHKホール 指揮:ヘルベルト・ブロムシュテット ブラームス/交響曲 第 2 番 ニ長調 作品 73 ブラームス/交響曲 第 3 番 ヘ長調 作品 90 ◉ 9/11(水)7:00pm、9/12(木)7:00pm (Bプロ)サントリーホール 指揮:ヘルベルト・ブロムシュテット ブラームス/大学祝典序曲 作品 80 ブラームス/ハイドンの主題による変奏曲 作品 56a ブラームス/交響曲 第 1 番 ハ短調 作品 68 ◉ 9/27(金)7:00pm、9/28(土)3:00pm (Cプロ)NHKホール 指揮:ヘルベルト・ブロムシュテット ヴァイオリン:フランク・ペーター・ツィンマーマン ブラームス/ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品 77 ブラームス/交響曲 第 4 番 ホ短調 作品 98 Philharmony June 2013 ベリウス・プロだが、交響曲を演奏
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