第3章 シヴァ神

第3章
シヴァ神
シヴァ 神
イントロダクション
シヴァ神は大宇宙の消滅の責任をになう神格です。…(略)…破壊のあとから次の創造のサイクルがはじま
るまで、宇宙は文字通りシヴァ神のふところで眠るのです。生まれたものは必ず死を迎えます。あらゆる創造
物が消滅し破壊されねばなりません。…(略)…この崩壊をもたらすもの、破壊の背後にある力、それがシヴ
ァ神です。
シヴァ神はそれ以上の存在でもあります。宇宙の消滅は極限まですべてを消していき、最後には果てしない
虚空になります。果てしない虚空、万物が幾度でもくりかえし生じる根源、歴然とした無限の大宇宙、それが
シヴァ神です。ですから、シヴァは破壊の責任をになう神格といわれますが、創造すること、存続することに
もまた責任を負います。この意味においては、ブラフマーもヴィシュヌもシヴァ神であるといえましょう。
シヴァ神は白い雪の肌をしています。この白さは暗闇をも消しさる光、無知を払う知性を表します。シヴァ
神はまさに大宇宙の意識の化身です。…(略)…
シヴァ神はヨガとヨギの主です。座禅をくみ、深い瞑想に入り、セルフの至福の歓びに没入する姿でしばし
ば描かれます。ガンガー(ガンジス川)の水がその至福の象徴です。またジュナーナ(英知)の象徴でもあり
ます。ガンガーは浄化の作用をもたらす偉大なるものとして強く崇拝されており、そのガンガーに崇拝される
神は、いうまでもなく、浄化を行い力を授けるものの化身そのものといえます。
三日月は、月日が月の満ち欠けによって計算されることから時間を表します。王冠を戴くことで、全能であ
る「時間」さえも、シヴァ神にとっては飾りにすぎないことを示しています。死を象徴する毒をもったコブラ
がその御姿を飾ります。死の象徴で装飾されるこの神にだけ、死にいたらしめる毒ハラハラを世を救うために
飲み下すことができます。シヴァ神はムルテュンジャヤ、死の勝利者です。とぐろを巻いた蛇は大宇宙の時間
のらせんと、小宇宙の万物の根源的エネルギーの象徴でもあります。シヴァ神は時間とエネルギーの支配者と
いえます。
守りと攻撃に重要なトリシュラ(三叉檄)は、シヴァ神が至高の統治者であることを示します。手にしたダ
マルは文字、語法、言語を表します。万物の創造が生じた源、ロゴス=音を表してもいます。シヴァ神はその
手にダマルを持つことで、あらゆる芸術・科学を含めた全創造が、シヴァの意思、シヴァの御業によって起こ
りつづけてきたことを明らかにしています。
シヴァリンガムは、恩恵そのものである大宇宙の偉大なる神(マハーデーヴァ)の象徴です。
(スワミ・ハルシャーナンダ著
◇
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『ヒンドゥー教の神と女神』
57-66p)
◇
右上の挿絵は踊るシヴァ神、ナタラジャ、踊りの神です。上方右手にかかげられたダマル(太鼓)はナーダ
ー(音)、大宇宙の展開を表しています。あらゆる言葉、音楽、知識は音から生じました。三角形2つからな
るこの太鼓は、万物の創造のためには自然とエネルギーが結びつくことを物語ります。半月を描く形で上げら
れた左手には炎の舌が握られています。なぜシヴァ神は一方の手に創造という希望を握り、もう一方には破壊
という火炎を握るのでしょう。創造と破壊がシヴァ神の存在というものの二元性だからです。この二つは私た
ちの人生の二つの側面です。なぜなら生まれてきたことが確実なら、死を迎えることもまた確実だからです。
それでは、そこにある答えとはいったい何でしょう。守護と安らぎを与えるような美しい形をつくる前方の右
手はこう語りかけます。「ごらんなさい、神の恩寵はつねにあなたとともにあります」左手は道を指し示して
います。足もとを見つめる肉体を超えた先にある道です。…(略)…この手は象の鼻の形を表してもいます。
…(略)…象の鼻は識別します。たいへん重いものを持ちあげたり打ちこわすこともできれば、繊細なものを
扱いもします。どちらの使い方をするか二つに一つを選択できるのです。私たちも高次のものと低次のものを
より分け、識別しなければなりません。それを助けるため、鼻のある障害を払う象頭神ガネーシャが在りつづ
けてきました。
左足がひきあげられていますが、これは踊り手が足を上げるように、人も自らをひきあげ救済へとたどりつ
くことができることを示します。左足が上げられている間、右足は全身、つまり全宇宙のバランスを支えてお
り、固い地面ではなく、もがくこびとのような生きものを踏みつけています。このこびとは真理を虚偽で覆い
かくすアパスマラ・プルシャ、無知と忘れっぽさでなりたつものすべての化身です。ナタラジャのまわりには
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プラバーマンダラ、炎の輪がかかり、この世界の踊る踊りは輪の中心のセルフ(シヴァ神)からすべてはじま
り、そこから生じそこへと溶けこみ消失します。おそらくこれらのことがら全体が示すもっとも意義深い点と
は、孤高にして瞑想の師である苦行の神が、ヨギとして、芸術家として熱狂的な踊りと結びついていることで
しょう。踊り手は舞台の上では表現しようとするものになりきります。肉体、心、知性、魂、すべてのエネル
ギーが呼びさまされます。これは神への完全なる帰依です。踊りは、自らのすべてを神に差し出すヨギと共通
するのです。
これは劇的であざやかな対照性です。しかしナタラジャの表情をみてみると、静かで内側への没入を示す典
型的なものです。肉体は喧噪に満ちたこの世のように激しく動いていながら、シヴァ神そのものは動きに乱さ
れることなく、このうえなく美しく、限りある人の命と神であるセルフを描きだしています。
(ムリナリーニ V. サラバーイ著
R.S.ナザン編纂
『ヒンドゥー教の象徴性』
165-169p)
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左上の挿絵はシヴァとパールヴァティです。パールヴァティはシヴァのエネルギーであり伴侶です。パール
ヴァティには大きく二つの側面があります。優しさ、そして恐ろしさです。パールヴァティ、ウマーとしては
挿絵にあるような優しさを象徴します。マハーデーヴァ(至高の神)とされるシヴァ神の、大宇宙の創造・維
持・破壊を生じさせる力の象徴でもあります。大宇宙の意識の象徴であることからは、「光、輝く者」の意の
ウマーと呼ばれます。またパールヴァティは霊的な英知の象徴でもあり、シヴァ神、神との合一はその英知に
よってなしとげられます。さらに別の概念として、半分女性、半分男性のアルダナーリーシュワラのシヴァ神
がいます。…(略)…最近の心理学では、本来どの男性も心の中に女性性をもち、どの女性にも内なる男性性
があることが明らかにされています。アニムスとアニマの原理です。自然の法則はひとりひとりをアルダナー
リーシュワラとして創造してきたのです。
(アンジャーニ K.R. シュリーヴァスターヴァ著
R.S.ナザン編纂
『ヒンドゥー教の象徴性』
217p)
シヴァ神のその他の側面、ハラハラ(毒)、サダシヴァリンガム(楕円のシヴァ神の象徴)、ダ
マル(太鼓)、トリシュラ(三叉檄)、トリ・ネトラ(3つの目)、ナンディ(雄牛)、バースマ
(聖灰、ヴィブーティ)、額にかかる月、シヴァ神の座る象の皮、タンタヴァの踊り、これらが次
に続くサイババの講話の中で説明されています。
どの人の旅も墓場にむかう旅です。毎日毎日、死の瞬間に近づいているのです。自分自身ためである、遂行
すべき責務を遅らせてはいけません。シャヴァ(死体)になる前に、あなた自身がシヴァ(神)であることを
知りなさい。それがさらなる死のくりかえしからあなたを救いだすでしょう。
(サティア・サイ・スピークス1
◇
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211p)
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誕生はカーマ(欲望)の結実であり、死はカーラ(時、時間の経過)の結実です。欲望の神はシヴァ神によ
り灰に帰します。時の神カーラ、もしくはヤマはシヴァ神に制圧されます。恐ろしく致命的なこの二つの影響
力からのがれるには、シヴァ(神)に深く帰依しなさい。
(サティア・サイ・スピークス7
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179p)
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善い行いをしても悪い行いをしても、その結実からのがれることはできません。私たちの祖先はそれを知り、
善なるもの、祝福を示すものを求めました。それがシヴァ神を崇拝することの意味です。シヴァラトリとはシ
ヴァ神に関連する夜のことですが、つまりは祝福された夜のことです。シヴァムとは祝福の意味です。シヴァ
原理はどんな状況であれ、不吉なものよこしまなものから完全に自由です。ラーマやクリシュナが人の姿で顕
れるときには、肉体をとることにともなう何らかの不浄さをそなえています。この世を救い、帰依者を守り、
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人類を向上させる目的で化身しながら、いつかは肉体を脱ぎすてなければなりません。そこからこれらのアヴ
ァターの名前の前には、その降臨の神聖さを示すため「シュリー」という敬称がつけられるのです。しかしシ
ヴァ神にその必要はありません。シヴァ、シャンカラとは、いつでも神聖なものです。シヴァ神とひとつであ
ると知ることは、永遠に到達するということです。
(サティア・サイ・スピークス16
◇
シヴァ神は平穏を示す至上の模範です!
◇
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30p)
◇
プラーナの描くシヴァ神の家族はふしぎな組み合わせをしていま
す。それでもなおそれぞれの家族が平和で調和して暮らせるよう、それぞれがたいへん穏やかで、かき乱され
ることがありません。シヴァ神は腕、首、頭、腰に蛇を巻いています。息子のひとり(スッブラマニヤム)は
蛇を攻撃するクジャクに乗ります。もうひとりの息子(ガネーシャ)は蛇のエサであるネズミに乗ります。こ
の息子はライオンの食欲を刺激する象の頭をしていますが、ライオンはシヴァ神の伴侶であり、左半身(アル
ダナーリーシュワラ)であるがゆえに決して分かつことのできないドゥルガー(パールヴァティ)の乗りもの
です。自然の摂理の中では、ライオンと牛は友好的にはなりえませんが、シヴァ神は牛を乗りものにします。
眉と眉の間(第三の目)には炎があり、頭には川(ガンガー)の水があります。両者は相反するものであるに
もかかわらずです。カイラサでの営みを円満で幸せなものにするためには、これら様々な要素がそれぞれがど
れほど愛情深く、協力的であらねばならないかを想像してごらんなさい。
(サティア・サイ・スピークス11
◇
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155p)
◇
シヴォーハム、私がシヴァ神である、ということに気づいたとき、あなたはありとあらゆる幸せ、ありとあ
らゆる祝福を手にすることができるでしょう。シヴァ神は遠い山脈の頂にいるのでも、どこか特別なところに
いるのでもありません。罪も功徳ももともと人の行いにあると聞いたことがあるはずです。シヴァ神も、想い、
言葉、行いの中にいます。なぜならシヴァ神はひとりひとりの奥底にあるエネルギー、力、知性だからです。
このエネルギー、力、知性のすべてはあなたの内にあります。外側に求める必要はありません。時間、空間、
因果の顕現である神は、あなたの内におわします。なぜ自分が弱く無力だなどと思うのですか?
人は野心と
それをはたしたいという熱望にのたうちまわります。しかし、まず自分がどこにいて、どこにたどりつこうと
しているのかをみてみなさい。無茶で無駄な努力を重ねていると分かるでしょう。
(サティア・サイ・スピークス
◇
◇
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出典不明)
◇
誰もがみななくした何かを探し求めています。人生は、前回ここにいたとき失ってしまった平安と歓びを取
りもどすために授けられたチャンスです。今回それを回復できればふたたび戻る必要はありません。しかし、
その価値もそれを保ちつづける方法も分からずなくしてしまうのです。もしも「私はシヴァ神、永遠不滅、私
は至福の源泉」というシヴォーハムの意識の中にとどまったなら、このうえなく満ちたりていられるでしょう。
しかし自らの価値をこのように正しく認めて真の自分を認識するかわりに、人は自分の無力さ、無能さ、貧弱
さ、もろさを嘆きはじめます。これこそ救済されねばならない人の悲劇的な結末です。
(サティア・サイ・スピークス5
◇
◇
◇
302p)
◇
ウパニシャッドは、雷がダ、ダ、ダ、の教えを授けているといいます。…(略)…怪物にはダーヤ(慈しみ)、
神にはダマ(自己コントロール)、人にはダルマを教えています。さて、人はこの3つの部分―――怪物・神・
人―――からなりたちます。ですからこの3つを全部実践しなければなりません。ダーヤ(すべてに優しくす
ること)、ダマ(自らの心と五感を治めること)、ダルマ(油断せずに正しい道を進むこと)の3つです。こ
れが天空から聞こえる雷の音の教えです。
(サティア・サイ・スピークス5
59
80p)
1.シヴァ-パールヴァティとアルダナーリーシュワラ
ヴィシュヌプラーナ、シヴァプラーナ両方に、パールヴァティがもっとも美しい女神として描かれています。
自分の魅力が無類のものだと気づいていたパールヴァティは、妻としてシヴァ神を勝ちとりたいと望みました。
しかしどんな努力も無駄に終わりました。この体験から教えを学びとり、エゴを脱ぎすて厳しい苦行をはじめ
ました。暑さ、寒さ、雨風の厳しさに身をさらし、苦行が肉体を衰弱させるがままにまかせました。心はただ
シヴァ神のことだけに集中していました。エゴを完全に手放したのをみて、シヴァ神はパールヴァティを自ら
の半身(アルダナーリーシュワラ)として受け入れることを承知しました。
この逸話にこめられた意義とは何でしょう。自然はパールヴァティの象徴です。他に例をみない美しさです。
その魅力を誇りに思うがゆえ、あらゆる人をひきつけようとします。それに成功すればするほどエゴも成長し
ます。自然の子どもである人もまた、エゴを発達させ利己心に満ちた一生を送ろうとします。知識や肉体的な
強さ、地位や権力、容姿の美しさその他の能力をもとに、エゴはふくれあがります。学識さえも人を神からひ
きはなします。このようなうぬぼれに満ちた人には決して神を理解することができません。うぬぼれのない人
だけが神を知る魂になれます。ヴァールミーキ、ナンダ、クチェラ、サバリ、ヴィドゥラ、ハヌマーンらは、
神を知りながら家柄も富も学識も鼻にかけることのなかった帰依者の模範です。彼らの最高の資質とはエゴが
まったくなかったことです。たとえばハヌマーンはたくみな武術と知性にもかかわらず、喜んで自らをラーマ
の召使いと称しました。
この世でなしとげられたこと、手に入れたものは、はかなく一時的なものにすぎません。これらにとりつか
れ、あおられると、しまいには自ら破滅を招いてしまいます。「私が行う」という考えを捨て、神のみを行い
主とみなしなさい。神が授ける者であり、それを受けとる者であり、さらには授けられたものもまた神なので
す。
(サナタナ・サラティ
◇
◇
◇
1991年
2月号
31p)
◇
科学と工学のこの時代にこそ、アルダナーリーシュワラ(男性原理・女性原理の統合したシヴァ神)の観念
にこめられた意味を理解するよう努めなさい。これまでそれを説明しようと試みた科学者は誰もいません。古
代の聖者たちのアルダナーリーシュワラの観念と、原子に関する現代科学の概念の類似性を考えてみなさい。
聖者たちの抱いた観念の中には、今日なお通用するに十分なものがたくさんあります。あらゆるものが原子(サ
ンスクリット語ではアヌ)からなりたち、どの原子にも陽子と電子があります。この電子はサンスクリット語
では原子のヴェーバガ(左半身)と記されます。ヴェーバガとは女性原理を表し、ダナバガ(右半身)が男性
原理を表します。2つの要素がひとつになり、あらゆるものの物質的基礎を構成します。このひとつに結びつ
けるプロセスが、男性の姿と女性の姿が結びついたアルダナーリーシュワラの観念として表されています。「ア
ルダナーリーシュワラ」とは半分男性、半分女性という意味です。電子が女性性を象徴し、陽子が男性性を象
徴します。この2つがひとつになって原子が構成されるのです。大宇宙のありとあらゆる創造物は原子からな
りたちます。そこから太古の聖者たちは全宇宙をアルダナーリーシュワラ原理の顕現であるとみなしたのです。
(サナタナ・サラティ
◇
◇
◇
1991年
10月号
260p)
◇
神は遍在、これが真理です。深遠なる探求の末、リシたちは神があらゆる創造の源であることを見いだしま
した。リシはジャガット(宇宙)を種にたとえました。種はかならず皮に包まれています。種子と種皮が組に
なって種を発芽させます。それと同じで、この大宇宙では内なる種子が神、外側の種皮が自然(プラクリティ)
です。大宇宙は神と自然の一体性を如実に物語っています。人が神に救いを求めるときにも、神は守護の覆い
を与えてくれます。帰依者
(ダサトワム)からの信頼と、神(ダイヴァトワム)の守護が結びついて、神の御業がなしとげられます。こ
のことは「*シヴァ
シャクティ
アートマカ
スワルーパム=シヴァとシャクティの合一」としても描かれま
す。(*Shiva-Shakti-Atmaka-Swarupam)
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このように、大宇宙は神と切りはなせません。神とともにあるものです。科学者たちが、物質はエネルギー
である、エネルギーは物質である、というとき、これと同じことを彼らの言葉で述べているにすぎません。
(サイババ講話集1
◇
◇
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57p)
◇
シヴァ-シャクティとはジャダ(活動性のない物質)とチット(意識)の結合です。電線と電流の組み合わ
せがファンやストーブ、電球やラジオを活動させるようなものです。シヴァ-シャクティはすべての内に存在
します。私の中にだけあるのではありません。顕わにされた能力と力量に差があるだけです。ホタルには光る
能力があり光を発します。オイルランプ、電球、ガス灯、月、太陽―――どれも光を発します。それが共通す
る資質です。
(サティア・サイ・スピークス3
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◇
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31p)
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シヴァ神の家族の中で、シヴァがエネルギー、パールヴァティが自然(プラクリティ)の象徴であることを
理解しなさい。ガナパティとスッブラマニアがプッディ(知性)とシッディ(成就)を象徴します。それぞれ
が姿形をとりながら、彼らはみなでひとつです。5本の手の指は同じではなく、長さも形も違います。しかし
作業をするときにはひとつになって最大限の力を発揮します。もしも全部が同じ長さだったら効果的に機能す
ることはできないでしょう。そこが神の創造にまつわる秘密のひとつです。
(サナタナ・サラティ
1993年
9月号
297p)
2.シャンカラ
聖者たちは、シヴァ神もまた加護を求める人々の守り主であることを見いだしました。そこからシャンカラ
―――保護と恩寵を授ける者―――と呼ばれます。シヴァ神の意思(サンカルパ)と恩寵は、何の制約も受け
ず、何ものにも、どんな状況、条件にも左右されることはありません。この神がスワヤンブー(自ら創られし
者)と呼ばれるゆえんです。聖者たちは、シヴァ神が人々の保護と救済のため、ダルマを守るためにいつでも
自由に化身することのできる神であると考えました。この超越的威力の面から、ダルマ(正義による統治)が
危機に陥り、善良なる人々に保護が必要になったときには必ず化身する神、サンバーヴァと形容されます。
(サイババ講話集1
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52p)
◇
シャンカラは2つの言葉、シャムとカラからなりたちます。シャムとは何でしょう。シャムとは空気のよう
にいたるところにあるものです。空気は至福に満ちています。シャンカラとはこの至福を万物にもたらす者の
ことです。永続する至福=ニッティヤーナンダ、至上にして最高の至福=ブラフマーナンダ、あらゆる種類の
至福がシャンカラによって授けられます。
(サナタナ・サラティ
1995年
3月号
60p)
3.サンバーシヴァ
シヴァ神はサンバーシヴァ(サ・アンバ・シヴァ)と呼ばれます。アンバとは母、シヴァとは父を意味し、
サはサティア、サルヴァヴィヤピ(遍在)、サルヴァジュナ(全知)、サクシャトカーラ(覚醒者)を示しま
す。
(サティア・サイ・スピークス9
61
25p)
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「サンバ・サダーシヴァ」、
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サ+アンバ+サダーシヴァとは大宇宙の母なる神、父なる神の結びつきを表
します。サンバーシヴァはシヴァ-シャクティの象徴です。世界は移り変わりゆくものであっても、シヴァ原
理は不変です。この母なる神、父なる神の結びつきと同じことが、サイ・ババという名前に示されています。
(サティア・サイ・スピークス16
31p)
4.サダシヴァリンガム
リンガムとは、ジャガット(この世)がラーヤ(消滅)するところ=リーヤテ、ジャガットが行きつくとこ
ろ=ガミヤテ、の意味です。リンガムをよくみてみると、3層からなる土台が3つのグナ(原始的資質)を表
し、その上にあるリンガムは一生のゴールを象徴します。リンガムとは「象徴」のことで、創造を象徴し、3
つのグナの活動の結実を象徴し、リンガムに意味と価値を与えるブラーフマン(至高の実在)を象徴します。
(サティア・サイ・スピークス1
◇
◇
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113p)
◇
リンガムは、始まりがなく終わりもなく無限であるものの象徴、しるし、説明にすぎません。顔も手足も、
前も後ろも、始まりも終わりもありません。その形はニラーカーラ(無形の神)の想像図のようです。実際リ
ンガムにはリーヤテ(あらゆる名、姿の溶けこむところ)、ガミヤテ(あらゆる名、姿が目指し成就にいたる
ところ)の意味があります。遍在、全知、全能を象徴するのにもっともふさわしいシンボルといえましょう。
万物がそこに含まれ、万物がそこからはじまります。リンガムからシャンガム(大宇宙)が生じ、シャンガム
からサンガム(共同、参加、活動)が起こり、サンガムの結果、人はリンガム(属性をもたないアートマ)を
真に理解します。始まりのないものから始まりのないものへとつながる輪の完成です!
これがリンゴーダヴ
ァム(リンガムの物質化)の教えです。アートマの宿るリンガシャリーラ(肉体)は、この滞在者のまとう一
時的な衣にすぎません。魂は何度も衣装を変えてきました、その実在は永久不変のものであっても!
(サティア・サイ・スピークス11
◇
◇
◇
86p)
◇
あなた方は私の肉体からリンガムが出現することから、シヴァラトリを偉大な行事、神聖なお祭りだと考え
ます。このリンガムは、今日シヴァ神の化身から出現しました。シャストラ(太古の経典)はリンガムの偉大
さをおしはかろうとしたブラフマーもヴィシュヌも、その試みには成功しなかったと記しています。浅薄な学
者たちは今日がシヴァ神の生まれた日だといいます。サット・チット・アーナンダ・スワルーパにあたかも始
まりや終わりがあるかのようです。ある人々は、この日をシヴァ神がタパス(苦行)をはじめた日だといい、
またある人々はタパスを終えた日だといいます。これは神の顔をのぞき見たり、召使いか奴隷のようにまとわ
りつこうと、神を人間のレベルにひきずりおろそうとするものです。神に親しむとは神を格下げすることでな
く、自らを外面的にも内面的にも高めることにあります。人の卑劣さから、低次の欲望や通俗的な野心を神の
せいにしてしまってはいけません。
神は全能、全知、遍在です。このような広大にして無限なる原理を崇拝するのに、人は24時間の内ほんの
数分をついやし、偶像、肖像、写真を前にたった1分使うだけです。実にばかげています。まったく無意味な
ことです。
呼吸をつづけているかぎり、意識のあるかぎり、神を崇拝しなさい。ただただ神のみを想い、その指揮をく
みとること、それを行動に移すことに心を定めなさい。それが帰依の意味するところです。神にあなたを差し
出しなさい。
(サティア・サイ・スピークス11
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◇
◇
62
79-80p)
サダシヴァリンガムは、祝福そのものであるアートマの象徴です。アートマは二元的な相も観念も超越し、
あらゆるもの、あらゆるところに遍在します。時の制約もおよびません。サダ(つねに)、シヴァム(恩恵、
祝福)です。
(サティア・サイ・スピークス2
◇
◇
◇
95p)
◇
今日のこの日に、私から出現したアートマリンガム(霊魂、魂)、ジョーティリンガム(姿をとった光)に
想いをよせなさい。リンガムがあなた方ひとりひとりの内にあることを確信しなさい。リンガムはシャヴァ(肉
体という殻)に宿るシヴァ神のしるしだからです。アートマリンガムのヴィジョンを意識の奥深くに招きいれ、
神の高みにまでひきあげなさい。
(サティア・サイ・スピークス5
◇
◇
◇
53p)
◇
OMが神を音で象徴するように、リンガムは神の形を象徴します。しかし形にすぎません。何もかもがマーヤ
ー(幻想)であり、それを理解するにはマーヤーとかかわらなければなりません。それ以外、マーヤー・シャ
クティ(幻惑の力)を真に理解する方法はありません。卵の中には命が宿っているように、大宇宙には神が宿
っています。卵全部でニワトリになるように、この世のすべてが神です。私はサルヴァブータ・アンタールア
ートマ(あらゆるものの奥底にある魂)という言い方よりも、サルヴァンタリヤミ(内なる万物の統治者)と
いういう言い方の方が好きです。万物がこのリンガムの内にあるのであって、それぞれの内にリンガムがある
のではありません。違いますか?
同じ意味で、神はすべての内にあるというよりも、すべてが神の内にある
といったほうがよいでしょう。
(サティア・サイ・スピークス1
◇
◇
◇
114p)
◇
サダシヴァリンガムとは、つねにシヴァ神のスワルーパ(姿)でありつづける人物をさします。どこにいて
も、昼でも夜でも、喜びの中でも悲しみの中でも、いつでもシヴァム=幸福・祝福・恩恵である人です。アー
ナンダが呼吸であり、力の原動力であり、ふるまいそのものであり、内にも外にも表された人のことです。サ
ダ―――いつでも、永遠に、シヴァム―――祝福です。そこには、この国の工場でつくられた貴重な紙を無駄
に使うパンディットや学者たちがふけったような、議論の余地も、知性のはりあい、競いあいの余地もありま
せん。サダシヴァリンガムを意識に植えつけなさい。この内なる神の恩寵により、すべてがひとつひとつあな
たに明かされていくでしょう。
(サティア・サイ・スピークス2
87p)
5.ジュナーナの体現者
「ハート」を表すフリダヤという言葉があります。フルディ(ハートの中)のアヤム(神)という意味です。
つまりハートとは、全身に血を送りこむ器官のみならず、神の座る椅子、シヴァ神のおわす祭壇、英知の光の
ともるランプのあるところでもあります。
(サティア・サイ・スピークス1
◇
◇
◇
113p)
◇
シヴァ神は、繁栄に欠かせないあらゆる資源の宝庫、イシュワラとしても知られています。もっとも偉大な
資源がジュナーナ(英知)です。ジュナーナには3つの種類があるといわれます。ジーヴァプラジュナ(個別
化された神性に関するもの)、イシュワラプラジュナ(神の姿形の顕現に関するもの)、そしてアートマプラ
ジュナ(一過性の特定の個の根源である普遍的実在に関するもの)です。
63
(サティア・サイ・スピークス
◇
◇
◇
出典箇所不明)
◇
バクティ(献身)が進むにつれ、ジーヴァはシヴァ神に変えられていきます。むしろジーヴァがシヴァ神で
あることを知り、ジーヴァという概念自体が消失していきます。自分をジーヴァであると思いこむのはアジュ
ナーナ(無知)です。自らがシヴァ神であると知ること、それがジュナーナ(英知)です。
汚れてしまった白い服をまたもとの白い状態に戻すには、水に浸し、洗剤につけ、熱を加え、板に打ちつけ
ます。こびりついたアジュナーナという汚れを落とし、純粋なサット・チット・アーナンダ・アートマ(存在・
意識・至福)にするときにも、汚れのないふるまいや行いという水、ブラーフマンという石けん(内省)、ジ
ャパム(御名の念唱)やディヤーナム(瞑想)という水、帰依という板、どれも不可欠です。そうしてはじめ
てアートマが根源ブラーフマン意識に光り輝きます。
(ジュナーナ・バヒーニ
◇
◇
◇
33p)
◇
シヴァラトリは、霊性の道を求める人たちのため、マヘーシュワラ(破壊の神シヴァ神)がリンガムの姿を
とる日です。マヘーシュワラに見いだすべきもの、それがジュナーナ(霊性の英知)です。「*ジュナーナム
マヘーシュワラ
ディーチチェド=人の内にひそむ神を顕わにするもの、それがジュナーナ」英知こそ、あら
ゆるタパス(苦行)、ヨガ、ヤジナ(捧げものをする宗教儀式)が最終的にたどりつくものです。世俗の快楽
を追い求めても、その歓び、いえ歓びのかけらさえ手にすることはできません。夢の中でコブラにかまれたら、
治すには目を覚ます、それしかありません。「目覚めること」とはジュナーナを獲得することです。このジュ
ナーナ(知性)は、全能なる者の栄華と威力をたえまなくディヤーナ(瞑想)することにより授けられます。
(*Jnanam Maheswara dhichched)
(サティア・サイ・スピークス5
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54p)
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シヴァラトリという言葉には、人の二元性、そして人に課せられた低次のもの高次のものを識別する責務が
示唆されています。「シヴァ」とはジュナーナ(高次の英知、すべてを統治する普遍的ヴィジョン)を意味し、
永続するもの、時間を超えるもの、恩恵を授けるもの、神聖なるもの、祝福の意味でもあります。そして続く
「ラトリ」とは、無知の暗闇、俗っぽい快楽を追う盲目さ、五感の快楽のいたずらにまどわされる様を表しま
す。はかないものや過ぎゆくもの、有害なもの、不吉なもの、冒涜的なことの意味でもあります。つまり、シ
ヴァラトリの教えとは、シヴァとラトリ、プラーナ(生命エネルギー)とその具現、デーヒ(内に宿る魂)と
デーハ(肉体)、霊性と物質、クシェトラジュナとクシェトラを識別するということです。ギータの中でヴィ
バーガ・ヨガ(物質と霊性を識別するヨガ)と呼ばれるものです。
たんなる言葉の響きにつられ、食事を抜いて断食と呼び、眠りを避けて祝日前夜の徹夜と呼びたいがために、
人々はこの聖なる祝日のくる日を丸一年待ちわびます。断食とはサンスクリット語でウパヴァサといい、食事
を抜くことなどよりはるかに重要なことを意味するのです。ウパ=近く、ヴァサ=住む、つまりともに近くで
暮らすことです。誰とですか?
誰の近くですか?
神とともに神の近くで暮らすことです。ウパヴァサとは
ナマスマラナ(神の臆念)をすることで、たえまなくとぎれることなく神の中で暮らすことです。それが真の
断食(*fast)、神にしっかり(*fast)よりそいつづけるということです。(*印同音異義語
(サティア・サイ・スピークス9
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訳者注)
17-18p)
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ジュナーナリンガムは、「私」という幻想の最後のなごりが消えさったジュナーナ(霊的英知)への到達を
象徴します。たとえ「我想う」という感覚が消失しても、あなたは純粋にして完全、すべてにして永遠不滅の
アートマです。そのときあなたはアートマリンガムを最高の状態で象徴します。
あなた方の誰もが、アートマ(無限の意識)のすさまじいシャクティ(力)を内に秘めています。それをひ
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き出すことのできる人もいれば、ただ内にあることを知るだけの人、それを活用する方法も存在することさえ
知らない人もいます。着実なサーダナを通じ、すべてはやがてやってきます。…(略)…
家が居住可能であることを証明するとき、技術者は土台の試験をします。神も信仰が強く本物であるか、土
台を検査します。シヴァ神の帰依者であったシルトンダールも、ジャンガマ(苦行者)の姿をかりたシヴァ神
のテストを受けました。世俗に何の執着もないことを証明したとき、シヴァ神は自らを明かしてこういいまし
た。「あなたのセルフを私として崇拝しなさい」するとシルトンダールは求めました。「あなたが万物に内在
する神であることをどうか私に示してください。私が真にあなたであることを体験したなら、私は私を神とし
て崇拝することができましょう」シヴァが祝福を授けると、あらゆるものが光になって見えました。このヴィ
ジョンはマーヤーの中での彼の人生最後を飾るものとなりました。音もなく言葉もなく、光になって神の光と
溶けあいました。さらに体が光のすじになり、はるかなる宇宙へと昇りつめていきました。
(サティア・サイ・スピークス2
101p)
6.ハラハラ(毒)
今日、毒が人の食事です。目は毒を見て喜び、口からは毒を吐き、毒が論じられると耳が動き、毒の巣窟へ
と足をむけ、心は他人の心に毒を盛ろうと夢中です。ハラハラ(原始の海の攪拌から生じた恐ろしい毒)で世
が破滅の危機に陥ったときのシヴァ神のように、毒を飲みこみ破壊からのがれさせることができるのはたった
ひとり、神だけです。飲んだ毒でのどが青くなったシヴァ神を瞑想しなさい。あなたを害する力を消しさりま
す。あなたの内のあらゆる毒を持ってきて私に捧げ、私からは健康と幸せ、神そのものを得ていくよう、私は
あなたに求めています。
(サティア・サイ・スピークス8
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51p)
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デーヴァとアスラ(天界の存在と悪魔たち)が乳海を攪拌したとき、カマデヌ(繁栄の牛)、カルパタル(願
ったものを授ける木)、富の女神、インドラの4本牙の象、そしてハラハラ(もっとも危険な猛毒)が出現し
ました。それと同じで、人の心も毎日善と悪でかきまわされ、善いものも悪いものも発します。悪いものは心
が五感の快楽にむかって流れだし、貪欲、羨望、欲望、傲慢の沼へと迷いこんで生じます。
(サティア・サイ・スピークス1
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163p)
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シヴァ神のことをお話ししましょう。海から致命的な打撃を与える毒ハラハラが出現したとき、地上のもの
は瞬時にして壊滅の危機にさらされました。シヴァ神がその毒を飲み、世界を救おうと申し出ました。それ以
来、毒のしみこんだシヴァ神ののどのあたりは青く染まりました。他に仕え、助け、救う意欲をもちなさい。
そのためにはサハナ(芯の強さ、落ち着き)を養いなさい。さもなくば、人生は赤アリの群がる木陰で眠るよ
うなみじめさです。いらだち、怒り、憎しみ、おごりにうち負かされてしまったら、他に達成したことの何が
役に立つというのでしょう。心という大空には、神の御名を星のように、アートマを知ることからわきあがる
自信を満月の月のように、明るく輝かせなさい。
しかしシヴァ神ののどの奥には焼けつくような毒がひそんでいます。このことが人に教えていることは、反
社会的で毒気に満ちた憎しみや、他と争いあう強欲さなどの資質や傾向は、あなたの内だけにおさめておきな
さいということです。
(サティア・サイ・スピークス7
41p)
7.慈愛と恩恵の体現者
神の恩寵は海のように広大です。サーダナ(霊性修行)、ジャパム(神の御名の念唱)、ディヤーナ(瞑想)、
そして規律正しく徳を養うことにより、この恩寵は真理という雲になりってプレマ(愛)の雨をふりそそぎま
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す。するとアーナンダ(至福)をかきあつめ、川になって洪水のようにそそぎこみ、神の恩寵という海にふた
たび戻ります。プレマが人を包みこむとき、それをダーヤ(慈愛)と呼びます。それは同情というより共感で
す。人の幸せに幸せを感じ、人の不幸を悲しみます。
(サティア・サイ・スピークス1
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46-47p)
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シヴァ神のことをとりあげましょう。情け容赦なく世界を滅ぼす毒を、のどの奥に隠しました。額には全世
界に祝福を授ける静かで穏やかな慰めの月があります。それをあなたに教えています。自ら迎えた心のならず
者たちを抑えておけないからといって、なぜ人に不幸を与えるのですか?
(サティア・サイ・スピークス2
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198p)
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数々の儀式により、ルドラが静まり、恩恵であり慈悲であるシヴァ神になりました。神はあらゆるグナ(資
質)を超越します。神にはアグラーハ(怒り)がありません。完全なる愛の体現者です。神はグナに内在して
も、グナが神なのではありません。神が認めていない行いをすべて捨てさることのできるくらい、神を強く愛
しなさい。悪い行いを恐れなさい。人を憎むことを恐れなさい。神の恩寵を失うことを恐れなさい。
(サティア・サイ・スピークス8
65p)
8.祝福の体現者(マンガラム)
シヴァ神の夜(シヴァラトリ)とは、マンガラ=祝福が授けられる夜のことです。このマンガラはマハー、
偉大でかぎりがありません。マハー=限りない祝福は神の源泉からのみ授けられるものであり、世俗の業績や
勝利で手に入れることはできません。マンガラは不変の3原則、サティアム・シヴァム・スンダラムに従いま
す。
シャンタム
シヴァム
それはあらゆる御姿
それはあらゆる御名
唯一なるもの
それが
それが
サット・チット・アーナンダ
サティアム・シヴァム・スンダラム
(サティア・サイ・スピークス15
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207p)
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神の神秘のかなたを探求し、人は神をシヴァ神と呼びました。シヴァとは3つのグナ(サトワ・ラジャス・
タマス)から自由な者を意味します。3つの資質を超えています。資質のない者が呼ばれるように、シヴァ神
もスッダ・サトワと呼ばれます。シヴァ神は汚れのない純粋なサトワの資質です。祝福(マンガラ)の原理の
象徴です。つまりグナが存在するうちは不浄なものも存在し、グナが存在しなくなってはじめて祝福が姿を顕
すということです。シヴァ神は祝福の体現(マンガラ・スワルーパ)です。
(サナタナ・サラティ
1991年
143p)
9.トリ・ネトラ(トリヤムバガム)―――3つの目
シヴァ神の3つの目は過去・現在・未来をあらわにする目です。シヴァ神だけがこの3つすべてをそなえて
います。
(サティア・サイ・スピークス1
66
113p)
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シヴァ神はトリヤムバガム、3つの目の者と賞賛されます。3つの目は現在のみならず、過去も未来も見抜
くことができると考えられます。しかし欲望、活動、知性という、いわば3つの衝動の象徴でもあり、この渇
きが人を動かし運命を決定します。この衝動は、万物を神という一家の家族にします。愛と敬意をもって万物
に奉仕する人は、その核心とつながり自らを救うことができます。自らのハートにまつられた神の肖像、神の
姿を、万物の内にもはっきり認めることができるでしょう。
(サティア・サイ・スピークス10
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242-243p)
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3つの目をもつシヴァ神は、過去・現在・未来を見つめることができます。かつて10才の少年にあったと
しましょう。少年のそのときの姿を思い出すことはできても、今の姿や10年後の姿を見ることはできません。
しかし過去・現在・未来を見通す3つの目を手に入れたなら、あなたはどれをも見ることができます。時間と
空間を治める者になるのです。
(サティア・サイ・スピークス3
16p)
10.三叉檄トリシュラ、ダマル
ヴァイラーギヤ(無執着)、バクティ(献身、帰依)、そしてこの2つが導く先のジュナーナ(至高者の認
識)―――この3つがシヴァ神の手に握られたトリシュラに象徴されています。ヴァイラーギヤとバクティを
通じてジュナーナを養いなさい。そのときあなたは自らをシヴァ・スワルーパとして認識するでしょう。シヴ
ァ・タトワ(シヴァ神の本質)を顕わにするには、マインドをジュナーナの炎にくべ、溶かしてなくしてしま
いなさい(*ジュナーナグニ
ダグダ
カルマナム)。(*Jnanagni dagdha karmanam)
(サティア・サイ・スピークス7
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128p)
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人々はシヴァ神が片手にダマル(太鼓)をもち、片手にトリシュラをもつと考え、そのような御姿を与えて
います。…(略)…ダマルは音の象徴、トリシュラはトリ・カーラ、過去・現在・未来の象徴です。…(略)
…シヴァ神がその手に握るもの、それは音、そして時間です。
(サマーシャワー・イン・ブリンダヴァン
1972年
175p)
11.イシュワラ
この神格にはイシュワラという別名が与えられました。つまりこの神を、無限でつきることのない富の所有
者と考えたのです。富とは何でしょう。健康は富のひとつです。物質的豊かさも富のひとつです。知性、美徳、
英知も、この富(イシュワリヤム、アイシュワリヤム)という言葉に含まれます。イシュワラがありとあらゆ
る富の体現者であるという真理を認識したからです。
(出典不明)
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シヴァ神は永遠、全能、遍在であり、偉大なるもの輝かしいものすべて―――神性を示す6つのしるし=ア
イシュワリヤ、ダルマ、名声、犠牲心、英知、信頼―――を所有すると考えられました。そしてこのことから
イシュワラという別名が与えられました。イシュワラとはありとあらゆるすべての富を授けられた者のことで
す。
(サティア・サイ・スピークス1
67
52p)
12.ナンディ(雄牛)
シャストラや経典の中にある記述には、どれにも深い意味があります。シヴァ神には人の世界でいう雄牛が
います。雄牛は4本足、サティア(真理)・ダルマ(徳)、シャンティ(平安)・プレマ(愛)でしっかり立
っていることの象徴です。
(サティア・サイ・スピークス9
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14p)
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イシュワラ(シヴァ神)の寺院では、その前にナンディ(雄牛)がいるのを見かけるでしょう。ここに秘め
られた意義とは何でしょう。よく言われるのが、ナンディはイシュワラのヴァハーナム(乗りもの)だという
答えです。まるでもっとよい乗りものに乗るのを許されていないかのようです。この解釈は誤りです。正しく
は、リンガムが神(イシュワラ)を象徴するように、ナンディ(雄牛)はジーヴァ(個々の魂)の象徴です。
ナンディのように、人もプラクリティ(俗世)に背をむけて、すべての関心をイシュワラ(神)だけにむけな
ければなりません。
この象徴にはいくつか別の意味もあります。たとえば、イシュワラとナンディの間には誰もふみいることが
できません。ナンディの両耳の間からイシュワラの象を見るしかありません。ここにこめられた考えとは、両
耳をイシュワラのことを聴くために使い、両目をイシュワラを見るためだけに使うサーダナを通じて、雄牛に
ひそむ獣性が神性に変えられ、イシュワラと溶けあい、ナンデーシュワラ(雄牛の神)と呼ばれるというもの
です。これが象徴的に教えることは、人もまたナンディの模範に続き、神と溶けあう努力をしなければならな
いということです。
(サナタナ・サラティ
◇
◇
◇
1992年
7月号
153p)
◇
ナンディ(雄牛)は人にある低次の資質です。しかし神の乗りものになったときには、神殿のまん前に置か
れ、神に授けられた崇拝の一部を授かります。価値と意味が与えられるのは神に協力しているときだけです。
心(マインド)も光に照らされ、歓び、平安、静けさを感じることができます。内なるアートマ(神)の本質
である歓び、平安、静けさが心に映しだされるからです。
(サティア・サイ・スピークス7
217p)
13.シヴァ神の体のバースマ(聖灰)
バースマ(聖灰)を与えられると、人によってはスワミは与えた人にシャイヴァテ(シヴァ神の帰依者)に
なるようすすめているのだろうかと頭を悩ませます。灰はそれ以上に壊すことのできない根本物質を象徴しま
す。万物は灰になりますが、灰はどれだけ燃やそうと灰のままでありつづけるからです。また灰は帰依、自己
犠牲、あらゆるカルマの結実を灰にまで燃やしつくして無効にするジュナーナの象徴でもあります。あなたも
また神であることに気づくよう、私はあなたの額にイシュワラのしるしをつけるのです。あなたが誰であるか
という大切なウパデシュ(教え)です。また灰は、肉体がいつでも一握りの灰に帰するものであると思い出さ
せることでしょう。灰は無執着の教えでもあるのです。
(サティア・サイ・スピークス7
87p)
14.ヒマラヤに住むシヴァ神
プラーナ(神々の伝承物語)によれば、シヴァ神はヒマラヤに住んでいます。この記述に秘められた意味は、
シヴァ神は雪(ヒマ)のように純粋、純白、冷静なハート、ヒマラヤの山々のようにどっしりと不動(アチャ
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ル)のハートに宿るということです。
(サティア・サイ・スピークス13
44p)
15.額の三日月
シヴァ神の額には三日月があります。やわらかい月の光が神を巡礼する道を照らし、旅の苦労が少しでも軽
くなるようにとのことです。シヴァ神は歓び、平安をふりそそぎます。
(サティア・サイ・スピークス11
319p)
16.シヴァ神の座る象の皮
シヴァ神の座る象の皮は、象のような猛々しい原始的な資質の象徴です。シヴァ神は恩寵によってそれをう
ち砕き、無力で害のないものにしてしまいます。事実シヴァ神はそれらの資質をひきさき、いわば皮をはぎ、
その効力を消しさります。シヴァ神の4つの顔は、シャンタム(平安)、ルドラム(激しさ)、マンガラム(祝
福)、ウトサハム(決断力)を象徴します。リンガムを崇拝するときには、これらシヴァ神の秘める数多くの
側面とその意義を理解しておきなさい。
(サティア・サイ・スピークス1
113p)
17.タンタヴァの踊り
シヴァ神、パラマプルシャであり永遠にして絶対的実在は、プラクリティ(自然)を魅了したいという欲望
から、タンタヴァの踊りを踊ります。この踊りは物質的な被創造物を魅了するという神の計画であり、ラーマ
(愉しさ、歓びを与える者)やクリシュナ(魅了する者)らの行った神の御業も、人々を神にひきよせるため
のものです。その目的は、人々を正し浄化するため、信仰を強固にし、奉仕というサーダナに導くためです。
それにより歓びに溶け、忘我の境地に溶けこむことができるのです。タンタヴァの踊りはあまりにも激しく、
その動きの発する熱でシヴァ神の体は炎につつまれます。それを鎮めなだめるため、シヴァ神の妻パールヴァ
ティはシヴァ神の頭にガンジス川をのせ、巻いた髪に三日月をおき、冷たい白檀の粉を体に塗り、両手に風を、
足には冷血動物の蛇を巻きつけ、自らがヒマラヤ(万年雪のつもる山々)の娘となってシヴァ神の膝に座りシ
ヴァ神の一部になりました。シヴァ神が目覚めると、山々とあらゆる創造物が狂喜し、プルシャとプラクリテ
ィがともに踊りを踊ります。プラーナによればこれがシヴァラトリの日に起こることです。
この神話の重要性は、神を喜ばせ恩寵を勝ちとりなさいとの教えを秘めてることです。
(サティア・サイ・スピークス14
4-5p)
18.シヴァ神
聖者たちは、神性原理は万物の内にも外にも存在し、間接的にも直接的にも体験しうるものだと信じて、人
類のためにさらなる苦行を追求しました。まばゆいばかりに輝く聖なる神はこの世の暗闇を超越するという真
理を体験し、すべての人々もまたこれを求め体験するよう呼びかけました。輝くプルシャは完全なる無私であ
り、光そのもの、あらゆる祝福の具現であり、属性がありません。そうしてそれが3つのグナ(サトワ・ラジ
ャス・タマス)を超えた汚れのない完全に純粋なる者、「シヴァ」と呼ばれるようになりました。
(サイババ講話集1
◇
◇
◇
52p)
◇
シヴァラトリのこの日、シヴァ・サイ(ババ)を前に、シヴァ神を万物の内なる力として見いだす決意をし
なさい。呼吸のたびに、今この瞬間にも「ソーハム=私は神」と宣言しています。あなただけではありません。
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呼吸する生きものすべて、命あるものすべて、存在するものすべてが神です。あなたは長いことこの事実に気
づかずにいました。今この場からそれを確信しなさい。呼吸をみつめ壮大なる真理を瞑想するうち、私(サ)
と神(アハム)が別のものだという感覚が消えてなくなるまで両者はゆっくりと近づいていき、ソーハムから
オームへ、原始音であり神の原始形態であるプラナヴァへと変わっていきます。オームはスワスワルーパ、相
対的現実の背後にある絶対的実在です。
(サティア・サイ・スピークス9
16p)
まとめ
シヴァ神は永遠不滅、神性の源、内なる至福の源泉です。人の肉体もあらゆる創造物も、物質(ジ
ャダ)と意識エネルギー(チッタ)の結びつき、シヴァ-パールヴァティ(シヴァ-シャクティ)
からなりたちます。アルダナーリーシュワラは、物質の基本的構成である、男性原理と女性原理(ア
ニマとアニムス、原子においては電子と陽子)の結合を意味し、それがシヴァとパールヴァティの
関係にこめられた意義のひとつです。
人の肉体の内にも外にもシャンカラ―――空気のように遍在、至福そのもの、保護と恩恵を授け
る者―――がおわします。
人はリンガムの中に在り、リンガムから生じ、リンガムそのものです。リンガムはあらゆる名、
あらゆる姿が出現しまた溶けこんでいく意識エネルギー(シヴァ神)です。リンガムは恩恵、祝福、
至福、永遠です。
シヴァ神を瞑想することで、人はジュナーナ―――すべてを統合する普遍的英知、永遠なるもの
―――にたどりつきます。
ハラハラは、反社会的で悪意に満ちた憎しみや、他と争いあう強欲さなど、否定的なものの象徴
です。この毒を制御し、瞑想を通じて消失させていくことで、英知(ジュナーナ)とリンガムの知
性を獲得することができます。それにより慈愛と奉仕という神の姿があらわにされることでしょう。
シヴァ神の額の月は、冷やし鎮める人の内なる神意識であり、すべてに恩恵と祝福を授けます。
神である人には、過去・現在・未来を体験し、時間と空間を治める能力があります(トリシュラ、
三叉檄)。またオームの化身であると認識する能力もそなえています。オームとは、「肉体-心」
の組み合わせである私たちのみならず、全宇宙をもたえず創造し維持し破壊しつづける、原始的な
意識エネルギーです。
アートマ、つまりシヴァ意識の中で安定した生を営み、真理、正義、平安、愛が自らの資質にな
ったとき、人はナンディ(雄牛)を乗りものとし、荒々しい獣性を克服することができます。
人の肉体を含む形ある物質すべての行きつくところは灰であり、私たちが純粋な意識であると真
に悟ったとき、無執着そのものであるシヴァ神になることができます。それがシヴァ神の体に塗ら
れれた灰の意味するところです。
自らの神性をシヴァ神として臆念すべきです。シヴァ神をたたえる賛歌に聴きいり、マントラ「オ
ーム・ナマ・シヴァーヤ」を唱え、シヴァ神のあらゆる側面、持ちものなどをつねに想うことで、
自らがシヴァ神であると認識できるでしょう。
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