ポスト・ドゥルーズの実在論をさぐる

ドゥルーズ没後 20 年が経ち、その存在論的な枠組みの影響下で、さまざまな思想
(speculative realism)と「新しい唯物論」
が生まれている。なかでも「思弁的実在論」
(new materialism)は、おおきな潮流になりつつある。ここでは、思弁的実在論に
焦点を絞ってくわしく見てみることにしたい。
そこで描かれるのは、怪奇的なモノたちが乱舞する世界だ。
思弁的実在論
2007 年 4 月、ロンドンのゴールドスミス・カレッジで、ワークショップが開催
された。参加者は 4 人―レイ・ブラシエ、イアン・ハミルトン・グラント、グレ
アム・ハーマン、クァンタン・メイヤスーである。
ワークショップのタイトルは、「思弁的実在論」である。いままさにおおきなもの
になりつつある思想潮流の発端は、この 4 人によるワークショップであった。この
ときの記録は、すべて雑誌『コラプス』第 3 号に収録されている。
思弁的実在論は、いわば諸勢力が集結した新党のようなものだ。「思弁的実在論」
という名称はブラシエによって考案されたが、この名称は、4 人のきわめて異なっ
た立場をたんにゆるく包括した総称にすぎない。したがって、思弁的実在論という
なにか確固とした体系が存在するわけではない。
4 人の共通点は、「相関主義」(correlationism)を問題視し、実在論的な立場を
とるという点にある。相関主義は、メイヤスーによる用語で、われわれがアクセス
できるのは、思考とモノの相関関係だけであるとする立場をさす。この立場に依拠
すると、人間の思考から独立したモノそのものについて語ることができなくなって
しまう。カント以降、近現代哲学は相関主義に依拠してきたが、これを乗り越えて
実在論的な哲学を展開しようというのが、彼ら 4 人に共通したモチベーションであ
り、いわばマニフェストだ。
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とはいえ、相関主義を乗り越えて、たんにカント以前の図式にもどるわけではない。
彼ら 4 人は、モノが、人間の知覚とは独立に、かつ人間が知覚するとおりに存在し
ているとする「素朴実在論」の立場をとらない。人間的認識の支配から解き放たれた
モノは、怪奇的な実在になる。常識的な見方からかけ離れたモノのあり方を、思弁の
力によって描き出そうというのが、思弁的実在論という名称に込められた意図である。
思弁的実在論のメンバーたちは、以上のようなモチベーションを共有する。だが、
そこからそれぞれどのような実在論的モデルを構築するかは、おのおのによって異な
る。ブラシエはニヒリズム的なモデルを、グラントは生気論的なモデルを描いている。
かたや、ハーマンは自らの立場を「オブジェクト指向哲学」(object-oriented
philosophy)と称し、メイヤスーは「思弁的唯物論」(speculative materialism)
と名づけている。
彼ら 4 人は、2009 年にふたたび、ブリストルにある西イングランド大学でワー
クショップを開催した。しかし、共通のモチベーションよりも、構築されたモデルの
ちがいが目立つこととなり、その後はおのおのの活動を展開している。思弁的実在論
という新党のオリジナル・メンバーたちは、いまやそこから離れ、それぞれ独自の道
を歩んでいるのだ。
ここではさらに、メイヤスーの思弁的唯物論と、ハーマンのオブジェクト指向哲学
を取り上げて、彼らの思想の一端をのぞいてみよう。
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メイヤスーの思弁的唯物論
キーワード
:カント、
相関主義、
偶然性
メイヤスーは、アラン・バディウの指導のもとで研究し、現在はパリ第一大学で
教鞭をとっている。彼の処女作『有限性のあと―偶然性の必然性についての試論』
が、ブラシエの英訳によって英米圏に紹介され、それが評判となって、ワークショッ
プ「思弁的実在論」が開催されることになった。
メイヤスーの思弁的唯物論が描くのは、相関主義を内部から打ち破り、そこから
かいま見られた、偶然性につらぬかれたモノの世界だ。
彼は、相関主義にかんして二重の態度をとる。一方で、相関主義の立場にたつと、
人間が生まれる以前のことがらについて語ることができなくなってしまう。それゆ
えに、相関主義を乗り越えることの必要性が主張される。しかし他方で、カント以
後に哲学をするわれわれは、相関主義を安易に捨て去ることはできない。思考から
独立したモノの存在を、けっきょくわれわれは思考しているのであって、相関主義
から抜け出すことはできないのだ。このようにメイヤスーは、相関主義の乗り越え
の必要性を主張すると同時に、その不可能性を主張していて、そのことが彼の哲学
の論証を複雑なものにしているように思われる。
ハーマンは『クァンタン・メイヤスー ―つくられつつある哲学』において、メ
イヤスーの哲学を詳細に考察している。そのなかでハーマンは、カント哲学の要素
として、つぎのふたつを挙げている。
a. 思考せずになにかを思考することはできないのだから、〈人間‐世界〉関係
が哲学の中心に置かれる(⇒〈人間‐世界〉関係の特権化)。
b. あらゆる認識は有限であり、権利上、実在を把握することは不可能である
(⇒認識の有限性)。
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カントによれば、われわれがアクセスできるのは、われわれに現象しているかぎ
りでのモノだけである(a)。そうした現象としてのモノは、人間の認識のしかたに
したがったかたちでのみ存在する。とはいえカントは、この現象としてあらわれて
いるモノの背後に、ほんとうのモノそのものが存在することを否定しない。だが、
人間の有限な認識によって、それを把握することはできないのだ(b)。
ハーマンによれば、メイヤスーは a を肯定し、b を否定している(ハーマン自身は
反対に a を否定し、b を肯定)。メイヤスーはあくまでも、人間と世界、思考とモノの
相関関係の枠内で哲学をする(a の肯定)。だが、彼はその枠内から、認識の有限性
を超え出て、モノそのものにアクセスできる道を切り開こうとする(b の否定)。そ
の論証過程はひじょうに複雑であるが、簡略化すれば、メイヤスーはつぎのような
筋道をたどっているように思われる。
われわれは、思考とモノの相関関係の外部を思考することはできない。この相関
関係という事実そのものは、ただ受け入れて記述することができるだけであって、
それを説明して、べつの原理へと還元することはできない。つまり、それは偶然的
なものである。思考は、この「偶然性の必然性」(『有限性のあと』の副題は「偶然性の
必然性についての試論」)を把握する。そして、この偶然性が成り立つためには、偶然
的なモノそのものが存在しなければならない。
こうしてメイヤスーは、モノそのものの実在を、相関関係の内部から導き出す。
彼の思弁的唯物論が描くのは、モノたちがどんな法則にもしたがわずに乱舞する世
界だ。いま成立している自然法則も、つぎの瞬間には成り立たなくなっているかも
しれない。衝突するふたつのビリヤードボールは、これまでとはまったくべつのし
かたで飛んで行くかもしれない。世界は、そうした絶対的な偶然性につらぬかれて
いる。メイヤスーの思弁的唯物論において、モノたちはあらゆる法から解放される
のだ。
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ハーマンのオブジェクト指向哲学
キーワード
:ラヴクラフト、
怪奇的オブジェクト、
退隠
ハーマンは、アルフォンソ・リンギスの指導のもとでハイデガーを中心に研究し、
現在、エジプトのカイロ・アメリカン大学で教授をつとめている。ひじょうに多作な
哲学者で、すでに 10 冊をこえる著作を出版している。また、世界中のさまざまなと
ころで発表をおこなっていて、「Graham Harman」と検索すると、YouTube
でもその発表のようすを見ることができる。彼のスタイルは、さまざまな哲学者の考
え方をクリアに整理して、いくつもの軸を提示し、その図式のなかで自分自身の哲学
を示すというものだ。文章も読みやすく、議論がクリアなのが特徴である。
ハーマンのオブジェクト指向哲学が描くのは、怪奇的なモノたちであふれ、どこま
でも断片化した世界だ。
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ポスト・ドゥルーズの実在論 相関図
カント
ドゥルーズ
1925-1995
ライプニッツ
1646-1716
1724-1804
ベルクソン
ホワイトヘッド
1859-1941
1861-1947
ハイデガー
バディウ
1889-1976
1937-
セール
ラトゥール
1930-
1947-
プリゴジン
1917-2003
レヴィ
1956-
デランダ
ハーマン
メイヤスー
1952-
新しい唯物論
1954オブジェクト指向
思弁的実在論
グラント
1949-
シャヴィロ
1968-
1967-
スタンジェール
存在論
ブラシエ
ブライアント
1965-
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オブジェクト指向哲学(以下、OOP)は、オブジェクト、つまり個体的存在者を究
極的なものと考える。OOP にとって、ダイアモンドやロープ、中性子、軍隊、モン
スター、言語など、あらゆるスケールの、あらゆるタイプのものがオブジェクトである。
それらは、なににも還元されない、そのものとしての個体性をもっている。OOP が
描く世界において、人間は認識主観として中心に位置を占めない。あらゆる存在者が、
個体的なものとして平等にあつかわれるのだ。この脱人間中心主義は、OOP がホワ
イトヘッドやラトゥールから受け継いだ側面である。
しかし、ハーマンはこのようにホワイトヘッドやラトゥールを脱人間中心主義とい
う点で評価しつつも、彼らが関係主義におちいっているという点を批判する。
ホワイトヘッドは、存在者はそれ自体で存在するのではなく、他の存在者との関係
性によって存在するのだと考える。彼は有機体をモデルにして、哲学体系を構築した。
どんな生きものも、他の生きものたちと、かかわりあうことによって存在しているだ
ろう。こうした有機体のあり方に依拠したホワイトヘッド哲学の世界においては、他
の存在者とどのように関係するかが、この存在者がどういったものであるかを決定す
る。つまり、存在者の個体性に対して、関係性が先行するのだ。
これに対してハーマンは、関係性に還元されない個体性を強調する。関係性に先立っ
て、まず個体的な存在者が存在するのだ。個体的存在者たちは、おたがいの直接的な
関係から覆い隠されている。ハーマンはこうしたあり方を、ハイデガーの「退隠」
という概念によって表現する。個体的存在者は、それに触れようとする、
(withdrawal)
こちら側のアクセスから、どこまでも退いて隠れてしまう。それゆえ、個体的存在者
と直接的に関係しようとはたらきかけても、それはつねに挫折せざるをえない。ただ
むこう側から発せられる表面的な性質を媒介にして、間接的に関係することしかでき
ないのだ。
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ハーマンのオブジェクト指向哲学
ハーマンはこうした退隠する個体的存在者のあり方を、ラヴクラフトの怪奇小説に
登場する邪神と結びつける。ラヴクラフトの小説では、恐ろしい邪神に遭遇した語り
手が、それをたどたどしく語り出す。邪神は、いわば異世界の存在であって、遭遇者
との直接的な関係から退いてしまう。邪神は、遭遇者に対してありありと現前したり
はしない。恐ろしく、不気味なテイストをとおして、ただその存在を暗示するだけで
ある。
ホワイトヘッド哲学の世界が、つながりあった有機体たちで満たされていたのに対
して、OOP の世界は、怪奇的なオブジェクトたちによって分断されている。怪奇的
なオブジェクトたちは、邪神のようにその本体がどこまでも退き、表面的な性質を媒
介にして、ただ暗示的なしかたでのみかかわりあっているのだ。
ハーマンがよくもちいるものに、木綿と火の例がある(イスラム哲学の機会原因論で
よく取り上げられる例だ)。相関主義の哲学では、木綿の燃焼というできごとを認識す
る人間の主観が必要であった。しかし、ハーマンは相関主義を否定し、人間をその特
権的な地位から追放する(OOP のホワイトヘッド的側面)。木綿と火は、人間の認識主
観なしに、それらだけで関係しあう。
だが、OOP が描くのは、あらゆるモノが強烈な個体性をもち、怪奇的なオブジェ
クトとなる世界だ。この怪奇的なオブジェクトたちは、現前的な世界の背後へと退き
さがる(OOP のハイデガー的側面)。それゆえ、木綿と火は、おたがいに十全に汲みつ
くされることのない余剰を、背後に隠しもっている。それらは、ただ燃焼にかかわる
部分的な性質のみを媒介にして、間接的にかかわりあっているにすぎない。OOP が
描くのは、怪奇的なオブジェクトたちによって、どこまでも全体化をはばまれ、徹底
的に断片化された世界だ。
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ブックリスト
ドゥルーズの著作
・ドゥルーズ『差異と反復』(河出文庫
上・下、河出書房新社、2007 年)
・ドゥルーズ『意味の論理学』(河出文庫
上・下、河出書房新社、2007 年)
・ドゥルーズ『襞―ライプニッツとバロック』(河出書房新社、1998 年)
ドゥルーズ研究・解説
・バディウ『ドゥルーズ―存在の喧騒』(河出書房新社、1998 年)
・千葉雅也『動きすぎてはいけない―ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』
(河出書房新社、2013 年)
・西川アサキ『魂と体、脳―計算機とドゥルーズで考える心身問題』
(講談社選書メチエ、講談社、2011 年)
・岡本裕一朗『フランス現代思想史―構造主義からデリダ以後へ』
(中公新書、中央公論新社、2015 年)
思弁的実在論
・Graham Harman,
(ハーマン『クアドラプル・オブジェクト』, Zero Books, 2011)
ハーマンの「オブジェクト指向哲学」のエッセンスが、体系的に示された本。86 時間 34 分
で書きあげられた渾身の一冊。
・Graham Harman,
(ハーマン『クァンタン・メイヤスー ―つくられつつある哲学』, Edinburgh University Press, 2015)
ハーマンによるメイヤスー論。強い相関主義を突きつめることによってメイヤスーの「思弁
的唯物論」の立場へといたり、また弱い相関主義を突きつめることによってハーマンの「オ
ブジェクト指向哲学」の立場へといたることが示される。
・Graham Harman,
(ハーマン『怪奇実在論―ラヴクラフトと哲学』, Zero Books, 2012)
ハーマンによるラヴクラフト論。ラヴクラフトの怪奇小説に登場する邪神たちを、ハーマン
の「オブジェクト指向哲学」の観点から考察。
・Quentin Meillassoux,
(メイヤスー『有限性のあと―偶然性の必然性についての試論』, Seuil, 2012)
カント以降の近現代哲学を「相関主義」と特徴づける。相関主義を乗り越えて、絶対的な偶
然性につらぬかれたモノの世界を描き出す。
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・Quentin Meillassoux,
(メイヤスー『〈数〉とセイレーン―マラルメ『賽の一振り』の解読』, Fayard, 2011)
メイヤスーによるマラルメ論。数と偶然性をキーワードに、マラルメの『賽の一振り』を読解。
・Ray Brassier,
(ブラシエ『解き放たれた虚無―啓蒙と消滅』, Palgrave Macmillan, 2010)
・Iain Hamilton Grant,
(グラント『シェリング以後の自然哲学』, Bloomsbury Academic, 2008)
思弁的実在論関連
・
(『思弁的転回―大陸唯物論と実在論』, Lightning Source Inc, 2013)
思弁的転回の論文集。「言語論的転回」に対して「思弁的転回」を主張し、唯物論的・実在論
的な立場を表明。ハーマンやメイヤスーの論文を収録。
・
(『コラプス II ―思弁的実在論』, Urbanomic, 2007)
雑誌『コラプス』の思弁的実在論特集。ブラシエ、メイヤスー、ハーマンの論文を収録。
・
(『コラプス III ―知られざるドゥルーズ[+思弁的実在論]』, Urbanomic, 2007)
雑誌『コラプス』の思弁的実在論特集。2007 年のワークショップ「思弁的実在論」の記録
を収録。
・Peter Gratton,
(グラトン『思弁的実在論―問題と展望』, Bloomsbury Academic, 2014)
思弁的実在論の初の解説本。思弁的唯物論のオリジナル・メンバー(メイヤスー、ハーマン、
グラント、ブラシエ)の考え方について、詳細に考察。
・Levi R. Bryant,
(ブライアント『存在地図制作―機械とメディアの存在論』, Edinburgh University Press, 2014)
「オブジェクト指向存在論」(OOO)の立場をとるブライアントの最新の著作。存在者がア
ウトプットとインプットをとおしてダイナミックにかかわりあう「マシン指向哲学」を構想。
・Steven Shaviro,
(シャビロ『事物の宇宙―思弁的実在論について』, Univ Of Minnesota Press, 2014)
ホワイトヘッドとドゥルーズの研究者、シャビロの最新作。ホワイトヘッドを思弁的実在論
の観点から読解。
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・『現代思想 2013 年 1 月号 現代思想の総展望 2013』(青土社、2012 年)
・『現代思想 2014 年 1 月号 現代思想の転回 2014 ポスト・ポスト構造主義へ』
(青土社、2013 年)
・『現代思想 2015 年 1 月号 現代思想の新展開 2015 思弁的実在論と新しい唯物論』
(青土社、2014 年)
・『現代思想 2015 年6月号 新しい唯物論』(青土社、2015 年)
・ライプニッツ『モナドロジー・形而上学叙説』(中央公論新社、2005 年)
・パーキンズ『知の教科書 ライプニッツ』(講談社、2015 年)
・ベルクソン『物質と記憶』(白水社、2011 年)
・中村昇『ベルクソン―時間と空間の哲学』(講談社選書メチエ、講談社、2014 年)
・ホワイトヘッド『過程と実在』(松籟社、1984 年)
・中村昇『ホワイトヘッドの哲学』(講談社選書メチエ、講談社、2007 年)
・ラトゥール『虚構の「近代」―科学人類学は警告する』(新評論、2008 年)
・ラヴクラフト『ラヴクラフト全集2』(東京創元社、1991 年)
その他、ポスト・ドゥルーズの実在論
・Manuel DeLanda,
(デランダ『強度的科学と潜在的哲学』, Bloomsbury Academic, 2013)
・セール『干渉―ヘルメス2』(法政大学出版局、1987 年)
・清水高志『ミシェル・セール―普遍学からアクター・ネットワークまで』
(白水社、2013 年)
・レヴィ『ポストメディア人類学に向けて―集合的知性』(水声社、2015 年)
・プリゴジン&スタンジェール『混沌からの秩序』(みすず書房、1987 年)
・郡司ペギオ幸夫『いきものとなまものの哲学』(青土社、2014 年)
・近藤和敬『数学的経験の哲学―エピステモロジーの冒険』(青土社、2013 年)
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紀伊國屋書店 新宿南店ブックフェア
「ポスト・ドゥルーズの実在論をさぐる」
ディレクター : 飯盛元章(中央大学大学院文学研究科哲学専博士後期課程)
絵・イラスト : まりーな
デザイン : STUDIO PEPOKATOM / pepoka.com