第35回 世界一の座を獲得した日本の音楽ビジネスの転換は可能か

WebCR2012/8
WebComputerReport
連載
IT新時代と
パラダイム・シフト
第35回
世界一の座を獲得した
日本の音楽ビジネスの転換は可能か
日本大学商学部
根本忠明
日 本 の 音 楽 ビ ジ ネ ス 市 場 が 、 初 め て 世 界 一 に な っ た 。手 放 し で 喜 べ な い の は 、 ク
ラ ウ ド 時 代 に 対 応 出 来 ず 、 長 期 低 落 傾 向 が 続 い て い る か ら で あ る 。こ れ に 歯 止 め が
か け ら れ る か ど う か を 占 う 上 で 、非 常 に 重 要 な 二 つ の 出 来 事 が 、今 年 起 こ っ て い る 。
一つ は、クラウ ド時代に対応 する音 楽配信への試 みのス タート 、もう一つは、世界
一厳 しい罰 則規定を盛り込ん だ改正 著作権法の成 立であ る。今回は、この 二つの 出
来事の関係と、今後の日本の音楽ビジネス市場の可能性について検討してみたい。
転換できるか日本の音楽配信のビジネス
日 本 の 音 楽 産 業 は 、 昨 年 の 2011 年 度 に 歴 史 的 快 挙 を 達 成 し た 。 日 本 レ コ ー ド 協
会 の 北 川 直 樹 会 長 は 、 今 年 2012 年 の 日 本 音 楽 制 作 者 連 盟 の 新 年 会 の 来 賓 挨 拶 で 、
次のように述べている。
「 今、日本の音楽産業を世 界に照らし合 わせて 見た時、これまで世界 1 位は米国
だったが、昨年の上半期(1~6月)はパッケージ、音楽配信共に日本が米国を初
めて 抜いて 1 位に なりま した。おそらく、年間を通じても日本 が米国を上回ると 思
い ま す 。 つ ま り 、 そ れ ほ ど 日 本 は 音 楽 大 国 に 成 長 し た と い う こ と で す 」。
残念ながら、これは必ずしも快挙とは呼べない話なのである。それは、従来型の
古いビジネスモデルによる成果であって、新しい時代にふさわしいビジネスモデル
への転換が出来ていないからである。
日 本 レ コ ー ド 協 会 の 「 日 本 の レ コ ー ド 産 業 2012」( 2012 年 3 月 29 日 発 表 ) に よ
れ ば 、 音 楽 パ ッ ケ ー ジ ( CD、 DVD な ど ) と 音 楽 配 信 ( ケ ー タ イ や ス マ ホ な ど ) と
の 合 計 に よ る 音 楽 コ ン テ ン ツ 全 体 の 売 り 上 げ は 、2007 年 を ピ ー ク に 下 が り 続 け て き
WebCR2012/8
37
WebComputerReport
WebCR2012/8
WebComputerReport
ている。
そ れ で も 、こ の 下 落 傾 向 を ど う に か 下 支 え で き た の は 、
「 着 う た フ ル 」な ど に よ る
音 楽 配 信 の 売 り 上 げ で あ っ た 。 こ の 売 り 上 げ も 前 年 比 で - 16.3% と 大 幅 な 減 少 と な
っ て お り 、 2009 年 を ピ ー ク に 下 が り 続 け て い る 。
世界一の音楽配信市場の座を獲得できたのは、アメリカに比べて音楽ビジネスの
売り上げの低落傾向を、下支え出来てきたからである。日本独自の i モード携帯に
代表されるケータイ向けの音楽配信サービスほかが、大きく貢献している。
日 本 で は 、「 着 う た 」 が 2002 年 12 月 、「 着 う た フ ル 」 が 2004 年 11 月 よ り 、 そ
れ ぞ れ 有 料 サ ー ビ ス を 開 始 し 、こ れ に よ る 売 り 上 げ は 順 調 に 伸 び 、ピ ー ク 時 の 2009
年 に は 910 億 円 に 達 し た の で あ る 。
日 本 の ケ ー タ イ 向 け の 音 楽 配 信 は 、「 着 う た フ ル 」 が 中 心 で 400 円 / 曲 で あ る の
に 対 し て 、ア メ リ カ の iTunes に 代 表 さ れ る 音 楽 配 信 は 、約 80 円 / 曲 で あ る 。つ ま
り、日本での音楽配信の利益率の異常な高さが貢献してきたといってよい。
我 が国独自のガラパゴス現象とも 呼べる 音楽配 信ビジネスが 、大き な転機を迎え
て い る 。 そ れ は 、「 ケ ー タ イ 」 か ら 「 ス マ ホ 」 へ と い う モ バ イ ル 端 末 の 移 行 で あ る 。
「着うたフル」に象徴されるクローズドな囲い込みが可能だったケータイ向けビジ
ネスそのものが、転換を迫られている。
それは、視聴者の利便性を無視した音楽コンテンツ視聴の不便さにある。音楽配
信サイトからパソコンにダウンロードした音楽コンテンツをケータイやスマホにコ
ピー しようとしても、機種の制約や コピー 制限の ために、コピ ー 出来 なかっ たり、
コピー回数が限られていたためである。
今年に入って、日本の携帯電話会社や音楽各社は、ようやく、これまでの音楽ビ
ジネ スの見直しを始めようとしてい る。例 えば、 ビクターエン タテイ ンメン ト、 エ
イベックス・グループ・ホールディングス、ワーナーミュージック・ジャパンなど
音楽各社は、音楽配信の楽曲のコピー制限を撤廃する計画を進めているという。
ま た、今 年に 入って 、定額 制やクラ ウド 型の音 楽配信サービスが、 相次いで始ま
っ て い る 。 ア ッ プ ル の 「 iTunes in the Cloud」 (2 月 )、 KDDI( au) の 「 う た パ ス 」
( 6 月 )、NTT ド コ モ の「 MUSIC ス ト ア セ レ ク シ ョ ン 」( 7 月 )、ソ ニ ー の「 Music
Unlimited」( 7 月 ) な ど な ど 。
ソ ニ ー の 「 Music Unlimited」 は 、 ク ラ ウ ド サ ー ビ ス を 利 用 し た 定 額 制 で あ り 、
月 1480 円 で あ る 。こ の サ ー ビ ス は 、さ ま ざ ま な 対 応 機 器 で 再 生 で き 、1500 万 曲 を
超えるといわれる楽曲も、大半は洋楽であり、邦楽はわずかに過ぎない。
音 楽 配 信 サ ー ビ ス で 先 行 す る ア ッ プ ル は 、2005 年 8 月 に 日 本 国 内 で サ ー ビ ス を 開
始 し て き た 。今 回 の 新 し い「 iTunes in the Cloud」で は 、iTunes Store で 購 入 し た
すべ ての曲を、いつでもどこでも、 登録 す る端末 に何度でもダ ウンロ ードで きる。
日本国内でも、今年に入ってネット時代に対応した音楽配信ビジネスが、ようや
くスタートしようとしているといってよい。しかし、これらの新しい試みは、欧米
WebCR2012/8
38
WebComputerReport
WebCR2012/8
WebComputerReport
に追従しているものが多い。過去に革新的な挑戦もあったが、日本の音楽ビジネス
市場の閉鎖性や裁判の判決に阻まれ、現在に至っているのが実情である。
改正著作権法の危険性
さて、我が国で、突然のようにクラウド時代に対応する音楽配信サービスが、一
斉にスタートした背景には、今夏に成立した改正著作権法による罰則規定の導入が
ある。両者は、いわばセットになっていると捉えなければならない。
今 年 2012 年 6 月 20 日 、こ れ ま で の 著 作 権 法 が 改 正 さ れ 、イ ン タ ー ネ ッ ト 上 の 動
画や音楽をダウンロードしただけで違法とされ、刑事罰も科される改正著作権法が
参 議 院 で 可 決 ・ 成 立 し た 。 こ の 10 月 1 日 か ら 実 施 さ れ る 。
こ の 改 正 著 作 権 法 で は 、違 法 ダ ウ ン ロ ー ド に 、 世 界 一 厳 し い 罰 則 が 適 用 さ れ る こ
と に な っ て い る 。 違 反 行 為 つ い て は 、 2 年 以 下 の 懲 役 ま た は 200 万 円 以 下 の 罰 金 を
科すというものである。
この法律改正を政治家に強く働きかけたのは、日本レコード業界である。前述の
ように、音楽コンテンツの売り上げの下降傾向が続いている主要な原因が、違法ダ
ウンロード(?)の放置であり、法的に厳しく処罰すべきと主張してきた。
し か し 、今 回 の 改 正 著 作 権 法 を 危 惧 す る 声 は 、非 常 に 強 い 。週 刊 朝 日 は 、「 あ な た
も犯罪者に!?
消 費 増 税 よ り 怖 い 、 改 正 著 作 権 法 の 正 体 」( 2012 年 7 月 6 日 発
行)という皮肉を込めた見出しで、この改正著作権法について警告している。
保 守 的 傾 向 の 強 い 新 聞 社 の 社 説 を み て も 、懐 疑 的 な 論 調 が 目 立 つ 。例 え ば 、「 改 正
著作権法/拙速な罰則化は危うい」
( 高 知 新 聞 )、「 ネ ッ ト の 録 画 / 刑 罰 化 は 重 す ぎ な
い か 」( 京 都 新 聞 )、「 改 正 著 作 権 法
罰 則 で 健 全 化 進 む か 疑 問 」( 西 日 本 新 聞 )、「 著
作 権 法 / 利 用 者 の 声 を 、 も っ と 」( 朝 日 新 聞 )、「 ク ラ ウ ド 時 代 の 著 作 権 制 度 作 り を 」
(日経)などなど。
イ ン タ ー ネ ッ ト ユ ー ザ ー 協 会 ( MIAU) ( 6 月 4 日 ) と い っ た ネ ッ ト 関 係 団 体 だ
け で な く 、 東 京 弁 護 士 会 ( 6 月 19 日 ) や 日 本 弁 護 士 連 合 会 ( 6 月 21 日 ) と い っ た
法律の専門家団体も、抗議声明を出している。
法律の専門家である弁護士が、今回の改正法に大きく反対するのは、問題が多過
ぎ る か ら で あ る 。特 に 大 き な 問 題 点 に つ い て 、法 律 の 専 門 家 で あ る 弁 護 士 の 見 解 を 、
ここに紹介したい。
第一は、議員立法という誠におかしな手続きによるものであった点である。これ
について、日弁連の抗議声明は、
「特に、今回の著作権法改正案の審議については、その立法手続にも大きな問題が
あったと言わなければならない。すなわち、『違法ダウンロード刑罰化』の修正案
は、政府提案の著作権法改正案とは全く関連性のないものであり、これが修正動議
で 提 案 さ れ る こ と 自 体 、法 律 改 正 の 在 り 方 と し て 重 大 な 疑 義 が あ る 」と 述 べ て い る 。
WebCR2012/8
39
WebComputerReport
WebCR2012/8
WebComputerReport
第二に、国会審議のどさくさに紛れて、ほとんど議論もなされずに、可決してし
ま っ た 点 で あ る 。こ れ に つ い て 、日 弁 連 の 抗 議 声 明 は 、以 下 の よ う に 批 判 し て い る 。
「と りわけ、インターネットの利用 に関し て刑事 罰を科すとい う国民 生活に 重大な
影響を及ぼす可能性がある法律改正が、国民的な議論がほとんどなされないまま、
衆 参 両 院 に お い て 、わ ず か 1 週 間 足 ら ず で 審 議 さ れ て 可 決 さ れ た と い う こ と は あ ま
りにも拙速であった」。
このような改正著作権法によって、得をするのは音楽レコード業界などの音楽著
作権団体ではないといってよい。視聴者の利便性を無視し、ネット時代の潮流と大
きく 掛け離れた罰則規定で、音楽業 界の利 益が保 証されるはず がない からで ある。
それは、クラウド時代の音楽配信ビジネスに対して、法的に配慮した内容になっ
ていない点でも明らかである。今年 2 月にサービスを開始したアップルの新しい
「 iTunes in the Cloud」サ ー ビ ス も 、音 楽 市 場 の 低 迷 に 危 機 感 を 抱 い た 日 本 音 楽 著
作 権 協 会 ( JASRAC) の ア ッ プ ル 側 へ の 歩 み 寄 り で 、 可 能 に な っ た 。 こ れ を 見 て 、
日本の音楽各社が、クラウド型の音楽配信ビジネスに追従したのが実情である。
しかし、音楽権利者団体が違法ダウンロードとみなす行為に、厳しく対処する姿
勢は 、従来と全く変わっていない。 問題は 、この 違法ダウンロ ードへ の考え 方が、
欧米先進国とは大きく掛け離れ、実態と乖離している点にある。
音 楽団体 の政治力は 、非常 に強いものが ある。 政党に 働きかけて 改正著作権法を
成 立 さ せ た だ け で は な い 。 公 正 取 引 委 員 会 に よ る 日 本 音 楽 著 作 権 協 会 ( JASRAC)
へ の 「 独 占 禁 止 法 違 反 排 除 措 置 命 令 」 に 対 し て も 、 2012 年 6 月 に 撤 回 さ せ て い る 。
更 に 、 イ ン タ ー ネ ッ ト サ ー ビ ス プ ロ バ イ ダ ー ( ISP) に 対 し 、 違 法 音 楽 フ ァ イ ル
を チ ェ ッ ク す る 「 Fluzo-S」( 音 源 情 報 特 定 支 援 シ ス テ ム モ ジ ュ ー ル ) を 導 入 す る よ
う、強く働きかけ始めている。
こ の よ う に 、JASRAC を は じ め と す る 音 楽 権 利 者 団 体 は 、巨 大 な( ? )政 治 力 に
よ っ て 、従 来 型 の 音 楽 ビ ジ ネ ス の 利 権 を 維 持 し 、そ の 収 益 確 保 を 狙 お う と し て い る 。
この基本姿勢は、従来と変わっていないといってよい。
しかし、これによる弊害は少なくない。例えば、改正著作権法の立法化で、ひと
り密かに微笑んでいるのは、警察であろう。この種の問題に精通している壇俊光弁
護 士 は 、 次 の よ う に 危 惧 し て い る 。 ち な み に 、 壇 弁 護 士 は 、「 Winny 裁 判 」 で 開 発
者側の弁護人を勤めた人物である。
「違法ダウンロード刑罰化は適用範囲が論理破たんしており、また、警察による恣
意 的 運 用 の 危 険 性 が 高 い 。 ダ ウ ン ロ ー ド や DVD リ ッ ピ ン グ も 一 律 に 禁 止 さ れ る べ
き で は な く 、 ケ ー ス バ イ ケ ー ス で 違 法 と す る べ き で な い も の も あ る 。」
つ ま り 、 警 察 に よ る 著 作 権 法 を 口 実 に し た 別 件 捜 査 に 利 用 さ れ る 危 険 性 を 、危 惧
せざるを得ないのである。
( TadaakiNEMOTO )
WebCR2012/8
40
WebComputerReport