第 1 章 日本の国際観光の歴史的変遷と現状 第 1 節 アウトバウンドへの

第 1章
第 1節
日本の国際観光の歴史的変遷と現状
アウトバウンドへの取り組み
我が国の国際観光政策は従来、外貨獲得と国際間相互理解を二大目標として
外国人観光客誘致、受け入れ(インバウンド政策)に重点がおかれてきた。し
かし日本は高度経済成長を成し遂げ、国際収支も黒字基調になったことで外貨
獲得は至上の目標ではなくなり、日本製品の輸出拡大による経済貿易面の不均
衡問題の解消や、諸外国との国際間相互理解の増進、観光交流の拡大に重点が
移っていった。
その潮流の中で、日本人観光客の海外旅行を促進するさまざまな政策 3 が進
め ら れ て き た 。 結 果 旅 行 者 数 は 1997 年 に は 史 上 最 高 の 1680 万 人 、 2000 年 に
は 過 去 最 高 の 1700 万 人 を 記 録 し た 。し か し 2001 年 以 降 は ア メ リ カ 同 時 多 発 テ
ロ や イ ン ド ネ シ ア ・ バ リ 島 で の 爆 弾 テ ロ 、 SARS( 重 症 急 性 呼 吸 器 症 候 群 ) と
マ イ ナ ス 要 因 が 続 き 落 ち 込 み も 見 ら れ た 。そ れ で も 2004 年 に は 1683 万 人 と な
り 依 然 高 い 水 準 で 推 移 し て い る 。( 図 - 1 )
今 後 も 日 本 人 海 外 旅 行 者 数 は 順 調 に 伸 び て い く と 予 測 さ れ る 中 で JATA( 日
本 旅 行 業 協 会 ) の 新 町 光 示 会 長 は 新 た な 時 代 の テ ン ミ リ オ ン 計 画 と し て 20 ミ
リ オ ン 計 画 を 打 ち 出 し て い る 。2007 年 ま で に 日 本 人 海 外 旅 行 者 数 を 2000 万 人
にするというもので国土交通省など行政との連携で推進していくことを明言し
て い る 。 そ の た め に は 2001 年 か ら 続 い た 世 界 的 惨 事 の 影 響 で 下 降 気 味 で あ っ
た 海 外 旅 行 者 数 の 回 復 に か か っ て お り 、 過 去 最 高 数 を 記 録 し た 2000 年 レ ベ ル
に 早 期 に 近 づ け る こ と が 求 め ら れ て い る 。そ の 結 果 、20 ミ リ オ ン 計 画 も 現 実 味
を帯びてくると言えるだろう。
1
図-1 訪日外国人旅行者数及び日本人海外旅行者数の推移
千人
20000
15000
日本人海外
旅行者数
訪日外国人
旅行者数
10000
5000
19
75
19
80
19
85
19
90
19
95
20
00
20
01
20
02
20
03
20
04
0
年
出 典 : 観 光 白 書 2005 年 版 、 11 頁
第 2節
インバウンドへの取り組み
まずインバウンドはなぜ必要なのか。その理由は観光が今や世界最大の成長
産 業 と し て 注 目 さ れ て い る か ら で あ る 。WTO( 世 界 観 光 機 構 )の 推 計 で は 、世
界 で 年 間 7 億 人 の 人 々 が 国 外 旅 行 に 出 か け 、観 光 産 業 の 収 入 は 世 界 の GDPの 1
割を上回る 3 兆 5 千億ドルに達しようとしている 4 。しかし我が国のインバウ
ンド政策の歴史は浅い。図-1からみても海外から迎える観光客の数は、外国
へでかける日本人のわずか四分の一ほどで日本は世界的にみても「外国人の訪
れない国 5 」になってしまっている。訪日外国人旅行者(インバウンド)数の
伸び悩みの一因としては円高の影響があり、結果アウトバウンド数とインバウ
ンド数の格差は大幅に拡がっていった。では他の先進国のインバウンド状況は
どうなのか。スペインを例にとってみると日本のそれとは大きく異なる。観光
客 は 日 本 の 約 10 倍 、 国 際 観 光 収 入 の 面 で も 年 間 4 兆 円 に も 上 る 。 つ ま り 経 済
的には同じ先進国であるがスペインは観光先進国であり日本は観光後進国なの
である。
6
こ う し た 状 況 の 中 、 政 府 の 政 策 審 議 会 は 1995 年 に 「 今 後 の 観 光 政 策 の 基 本
的 方 向 に つ い て 」 を 答 申 し 、 こ れ を 受 け て 1996 年 、「 ウ ェ ル カ ム プ ラ ン 21 7 」
が 提 言 さ れ た 。 以 来 イ ン バ ウ ン ド 政 策 が 推 進 さ れ る よ う に な っ て い き 、 1997
2
年 に は 毎 年 200 万 人 ~ 300 万 人 台 で 推 移 し て い た 訪 日 外 国 人 観 光 客 が 初 の 400
万 人 台 に 到 達 す る と い う 成 果 を あ げ た 。 し か し 、 こ の 「 ウ ェ ル カ ム プ ラ ン 21」
の提言には日本の地域振興のために訪日観光振興を利用すると言う側面が強か
った。つまりインバウンド自体を伸ばそうという意識はこのころまだまだ乏し
かったのである。このような誤解を改善しながら、様々な改良を重ね、連携を
高めていくことで徐々にインバウンド政策を進めていった。 8 しかし同時に問
題も生まれてくる。外国人が街に増えることで外国人犯罪が増えるのではない
か と い う 懸 念 で あ る 。日 本 に お け る 外 国 人 犯 罪 は 年 々 増 加 の 一 途 を た ど り 2003
年 に は 2 万 7 千 件 に も の ぼ っ て い る か ら だ 。だ が 日 本 で 犯 罪 を 犯 す 外 国 人 の ほ
とんどは定着居住者(永住権を有する者等)であり、訪日観光に訪れた外国人
によるものはほとんどないというのが事実であった。
9
このようにやっとスタートラインに立った日本のインバウンドは国際的に見
ても未だ低水準であり課題は多い。そこで、さらなる外国人観光客獲得のため
に 2003 年 、 官 民 一 体 と な っ た 外 客 誘 致 キ ャ ン ペ ー ン で あ る 「 ビ ジ ッ ト ・ ジ ャ
パン・キャンペーン」が開始された。
第 2章
第1節
ビジット・ジャパン・キャンペーンの現状
ビジット・ジャパン・キャンペーンの概要と効果
ビジット・ジャパン・キャンペーンは、観光立国の実現に向け、日本に訪れ
る 外 国 人 旅 行 者 を 2010 年 ま で に 倍 増 さ せ 1000 万 人 に す る こ と を 目 的 と し て 国 、
地 方 公 共 団 体 及 び 民 間 が 共 同 し て 取 り 組 む 戦 略 的 キ ャ ン ペ ー ン と し て 、平 成 15
年 4 月より展開されている。ビジット・ジャパン・キャンペーンにおいては、
官民一体になって海外の旅行会社に対する魅力的な訪日観光の商品造成支援や、
国 外 の 旅 行 関 係 者 の 商 談 会 の 設 置 、海 外 メ デ ィ ア を 活 用 し た CM 戦 略 等 の 広 告
戦略活動を中心に実施してきている。
ビ ジ ッ ト ・ ジ ャ パ ン ・ キ ャ ン ペ ー ン を 開 始 し た 2003 年 以 降 、 2004 年 の 訪 日
3
外 国 人 旅 行 者 数 は 、 前 年 比 17.8% 増 ( 約 92.6 万 人 増 ) の 613 万 人 と な り 、 過
去 最 高 で あ っ た 平 成 14 年 の 523.9 万 人 を 越 え 過 去 最 高 と な っ た 。
第2節
10
中国の高度経済発展と団体観光旅行解禁の影響
近 年 、 中 国 か ら の イ ン バ ウ ン ド 数 が 急 激 に 増 え て い る 。 2000 年 で は 35.1 万
人 で あ っ た 訪 日 中 国 人 数 が 、2004 年 で は 61.6 万 人 と 急 激 に 増 え 続 け て い る( 9 )。
特 に 、 観 光 客 と い う 枠 で 限 定 す る と 、 2000 年 は 4.5 万 人 で あ る が 、 2004 年 で
は 18.9 万 人 と 四 年 間 で 4 倍 以 上 増 え て い る
11
。そして、その時期は中国の高
度 経 済 成 長 期 に あ た る 。 ま た 、 日 本 が 2000 年 1 月 に 中 国 国 家 旅 遊 局 ( CNTA)
の渡航先国に承認され
12
、9 月から団体観光旅行者へのビザが発給されたこと
もあり、訪日中国人数の増加を後押ししている。
さ ら に 、図 - 2 を 見 る と わ か る よ う に 、訪 日 旅 行 者 数( イ ン バ ウ ン ド 数 )は 、
韓国、台湾、中国、香港のアジア 4 ヶ国と、アメリカを入れた 5 ヶ国で全体 の
約7割を占めていることがわかる。しかし、その 5 ヶ国の中で図の伸率の推移
から考えると、韓国、台湾、米国、香港が低迷している中、中国の伸びだけが
著 し い 。2003 年 は SARS の 影 響 で 各 国 落 ち 込 ん だ も の の 、翌 年 2004 年 に は 伸
率 97.6% と 中 国 だ け が 桁 外 れ な 伸 率 を 見 せ た の で あ る 。つ ま り 、訪 日 外 国 人 旅
行 者 数 を 613 万 人 と 過 去 最 高 に し 、成 功 し て い る よ う に み え る ビ ジ ッ ト ・ ジ ャ
パン・キャンペーンであるが、実際は中国の急速な経済成長と中国における日
本の団体観光旅行解禁が要因と言える。
4
図-2 国、地域別訪日外国人旅行者の割合
5%
2%
2%
4%
2%
韓国
台湾
中国
香港
タイ
シンガポール
その他アジア
米国
カナダ
イギリス
ドイツ
フランス
その他欧州
オーストラリア
3%
26%
13%
7%
1%
2%
18%
10%
5%
出 典 : JNTO 国 際 観 光 白 書 2004/2005 版 、 11 頁
図-3 訪日外国人数(観光客)の伸率推移
120
100
80
60
40
20
0
-20
-40
中国
台湾
韓国
香港
2000
2001
2002
2003
2004
アメリカ
出 典 : JNTO 国 際 観 光 白 書 2004/2005 版 、 205 頁 、 220 頁 、 232 頁 、 248
頁 、 317 頁
第3章
第1節
日本の観光資源
外国人が考える日本のイメージ
日本の観光資源についての理解には、訪日外国人とそれを受け入れる日本人
5
との間に大きなギャップが生じている。まず、外国人が考える日本のイメージ
を国際観光協会(JNTO)
13
による調査から見てみよう。
2002 年 の 初 夏 、日 韓 共 催 ワ ー ル ド カ ッ プ が 開 催 さ れ 、サ ッ カ ー フ ァ ン の み な
らず日本中を沸かせた。そして、世界中から集まってきた記者たちは「日本人
がこれほどまでにフレンドリーとは」とこぞって驚き、話題となった
14
。
国 際 観 光 協 会 ( J N T O) は こ の ワ ー ル ド カ ッ プ を 機 に 、 外 国 人 が 考 え る 日
本の印象について、訪日前と訪日後、それぞれを調査した
15
。
その結果、訪日前の印象については「近代的で工業化が進んだ国」と答えた
人 が 86% で 一 位 。そ の 次 に「 独 特 の 伝 統 と 文 化 を 持 っ た 国 」と 答 え た 人 が 81% 、
「 効 率 的 で 組 織 化 さ れ た 国 」が 78% 、
「 安 全 で 清 潔 な 国 」が 77% と 続 き 、
「人々
が 親 切 で 好 感 の 持 て る 国 」 と 答 え た 人 は 63% で 最 下 位 8 位 と な っ た 。
しかし、訪日後の印象については「人々が親切で好感の持てる国」と答えた
人 が 86% と 大 幅 に 増 加 し 一 位 と な っ た 。「 安 全 で 清 潔 な 国 」 と 答 え た 人 も 同 じ
く 86% と な り 、「 近 代 的 で 工 業 化 が 進 ん だ 国 」 が 83% と 続 い た 。
この調査から、外国人が考える日本の印象が「近代的で工業化が進んだ国」
か ら 、「 親 切 で 好 感 の 持 て る 国 」 へ と 大 き く 変 化 し た と い う デ ー タ が 得 ら れ た 。
図-4 外国人が考える訪日前と訪日後の日本のイメージ
訪日前
63
81
78
77
76
68
67
訪日後
78
72
61
0
20
40
60
72
74
86
近代的で工業化が進んだ国
独特の伝統と文化を持った国
効率的で組織化された国
安全で清潔な国
人々が勤勉な国
自然が美しい国
生活水準・教育水準の高い国
人々が親切で好感の持てる国
83
86
86
80
100
%
出典:堀貞一郎『メイド・イン・ジャパンからウェルカム・ツー・ジャパンへ
― 観 光 立 国 が 日 本 を 救 う 』、 プ レ ジ デ ン ト 社 、 2002 年 、 255 頁
6
第 2節
日本人が考える日本の観光資源
このように、外国人が考える日本の印象は「近代的国」から「親切な国、好
感の持てる国」へと変わりつつあることがわかった。
そこで、受け入れ側の我々日本人はいったい、日本の観光資源を何に求める
の だ ろ う か 。2005 年 2 月 、国 土 交 通 省 が 国 土 交 通 行 政 イ ン タ ー ネ ッ ト モ ニ タ ー
に対しておこなった、観光立国を実現するための様々な施策に関するアンケー
ト調査
16
によって、それをみてみよう。
日 本 人 に 対 し 、ど の よ う な 観 光 資 源 を ア ピ ー ル す べ き か た ず ね た と こ ろ 、
「祭
り・古 典 芸 能・寺 社 仏 閣 等 日 本 の 伝 統・歴 史・文 化 」と 答 え た 人 が 最 も 多 く 83.2% 。
以 下「 和 食 等 の 食 文 化 」と 答 え た 人 が 74.1% 、
「 風 光 明 媚 な 自 然 景 観 」が 58.3%
と続いた。
図-5 日本人が考える日本の観光資源
21.3
19
0
20
48.7
43.8
42.3
34.3
40
58.3
60
祭・古典芸能・寺社等の伝統・歴史・文化
和食等の食文化
自然景観
日本人の清潔さ、安全性
先進的技術・施設
日本人のホスピタリティ
大相撲、武道等のスポーツ
音楽、映画、アニメ等の現代文化
近代的都市生活
83.2
74.1
80
100 %
出 典 : 観 光 白 書 2004 年 版 、 21 頁
こ の 調 査 か ら 見 て と れ る 問 題 は 、「 日 本 人 の ホ ス ピ タ リ テ ィ 」 と 答 え た 人 は
42.3% と 低 い 値 を 示 し た こ と で あ る 。 こ れ は 、 日 本 を 訪 れ る 外 国 人 が 持 つ 日 本
の印象が「親切な国、好感の持てる国」へと大きく変化しているなかで、受け
入れ側の我々日本人自身が自国の観光資源について理解していないということ
になる。
7
第4章
第 1節
根津「澤の屋」の具体的事例
「澤の屋」とは
前章で述べた事から、外国人にとって認められつつある日本人のホスピタリ
ティの高さを、日本人自身が改めて認識し直す事が必要不可欠である。では、
外国人に喜ばれているホスピタリティとは、何なのであろうか。私達は、多く
の外国人観光客に親しまれている事で有名な旅館「澤の屋」に注目する。
澤 の 屋 は 、 JR上 野 駅 か ら 徒 歩 30 分 , 地 下 鉄 根 津 駅 か ら 徒 歩 7 分 に 東 京 の 下
町,谷中にある小さな家族旅館である。一流ホテルのように豪華な客室,食事
がある訳でもなく、駅前にある訳でもない。それでも澤の屋には、現在までで
述 べ 11 万 人 以 上 、 毎 日 7 ヶ 国 か ら 8 ヶ 国 の お 客 様 が 訪 れ 、 常 に 90% 以 上 の 部
屋 稼 働 率 を 維 持 し 、 多 く の リ ピ ー タ ー を 獲 得 し て い る 。 17 澤 の 屋 に 泊 ま る 宿 泊
客 の 大 半 は エ ー ジ ェ ン ト を 経 由 し て い な い FIT( Free Individual traveler)
18
であるが、現行のビジット・ジャパン・キャンペーンを長期的に成功させる為
には、団体旅行客だけでなく個人旅行客も受け入れる宿を増やす事と、リピー
ターの獲得が重要である。それでは、外国人観光客はこの旅館の何に魅力を感
じているのであろうか。澤の屋創業から今に至るまでの歴史と訪日外国人への
もてなしから考察する。
第 2節
「澤の屋」の歴史
澤 の 屋 の 創 業 は 1949 年 。現 在 の 館 主 ,澤 功 氏 が 同 館 に 入 っ た 1960 年 代 は 地
方から東京への修学旅行全盛の時代で、多くの学生客で賑わっていた。しかし
当時の学生は第一次ベビーブーマー、いわゆる「団塊世代」
19
で、彼らが卒業
すると共にピークを過ぎ、それと共に、地方からの修学旅行先も東京一辺倒で
なく、多方面化していった。
8
そこで、澤の屋は商用旅館の道を選ぶが、高度経済成長に合わせるように、
都内にはビジネスホテルが林立。駅前という好立地に加え、バス・トイレ付き
の客室を整えるなど、昔ながらの家族旅館では到底太刀打ちできなかった。
1970 年 を 境 に 客 室 稼 働 率 も 徐 々 に 下 が り 、 1982 年 7 月 に は 3 日 間 も 宿 泊 客 ゼ
ロの日が続いた。そんな旅館経営自体が危ぶまれている時、東京新宿で外国人
客を受け入れていた矢島旅館(現在は廃業)の館主に外国人受け入れを勧めら
れた。しかし、現在も多くの旅館の館主が外国人客受け入れに難色を示してい
るのと同様、澤氏も当初は外国人客受け入れに随分と悩んだという。言語力不
足による外国語対応への不安、和式旅館である事、文化・習慣の違いへの対応
な ど 、次 々 と 不 安 要 素 が 浮 か ん だ 。し か し 、実 際 に 矢 島 旅 館 を 見 学 し て み る と 、
外国人客で賑わう館内の様子に新鮮な驚きを覚え、更には自分達と同じ和式旅
館 で 、 館 主 の 英 語 も つ た な い 。「 こ れ な ら 自 分 達 に も で き る か も し れ な い 」 と 、
外国人客を積極的に受け入れている宿泊施設の集まりであるジャパニーズ・イ
ン ・ グ ル ー プ ( JIG)
20
に加盟し、澤の屋は外国人客受入の会員旅館となり、
外国人客の受入を始める事となった。
表1は、澤の屋の宿泊者数の推移である。下表にあるように、外国人客を初
め て 受 け 入 れ た 1982 年 は 230 人 の 宿 泊 実 績 で あ っ た が 、 翌 年 に は 3158 人 ま
で 急 増 、 3 年 目 に は 4154 人 で 客 室 稼 働 率 は 90% を 超 え た 。 そ の 後 も 安 定 し た
宿泊者数と部屋稼働率を保ち、倒産寸前であった澤の屋は日本を代表する外客
受入施設となった。倒れかかった下町の小さな旅館を、積極的に外国人旅行者
を受け入れる事によって再生するとともに、全国各地で外国人旅行者の待遇方
法などを説明して、宿泊施設が外国人旅行者を受け入れる際に抱く危惧を扶拭
する事につとめ、外国人旅行者の受入促進の啓蒙を図り、国際交流に貢献して
いる澤の屋の館主,澤功氏は、国から「観光のカリスマ」
21
と 称 さ れ 、 1993
年 か ら 1998 年 に JIG会 長 、現 在 も 日 本 観 光 旅 館 連 盟 副 会 長 、東 京 支 部 局 長 、東
京観光財団理事など公職を多数務めている。それでは澤の屋で実際におこなわ
れている取り組みについて、次節で紹介しようと思う。
9
(表1)澤の屋の年間宿泊者人数と部屋稼働率
外国人数(人) 日本人数(人) 合計(人)
1982年
1983年
1984年
1985年
1986年
1987年
1988年
1989年
1990年
1991年
1992年
1993年
1994年
1995年
1996年
1997年
1998年
1999年
2000年
2001年
2002年
2003年
2004年
230
3158
4154
4578
4342
4446
4519
5314
5697
6177
6429
6127
5741
5064
5264
5315
5701
5641
5387
5249
5282
5009
5554
3964
2297
2009
1958
1893
1649
1438
1254
1093
761
576
820
1008
1005
896
1024
873
973
923
1077
1290
1290
815
4194
5455
6163
6536
6235
6095
5957
6568
6790
6938
7005
6947
6749
6069
6160
6339
6574
6614
6310
6326
6572
6299
6369
年平均
稼働率(%)
64.8
82.2
90.7
91.2
90.1
88.4
87.2
92.1
93.3
94.8
94.7
95.1
93.8
88
92
92.6
92.9
94
93.4
92.9
95.1
92.5
93.4
出典:澤功「旅館業としてのインバウンドの振興」
第3節
文化・習慣の違いと「情報提供」
第 2 節 の 表 1 に よ る と 、澤 の 屋 は 部 屋 稼 働 率 が 常 に 90% を 超 え 、多 く の 訪 日 外
国 人 に 親 し ま れ て い る 事 が わ か る 。「 サ ー ビ ス 」 と い う こ と に 対 す る 考 え 方 は 、
日 本 と 外 国 で は 異 な っ て い る 。 22 外 国 人 観 光 客 の 受 け 入 れ に 関 し て 、 一 見 全 て
が順調に進んだように見えるが、受け入れ当初は、言葉の面や文化や習慣の違
い等、様々な問題に直面したという。
外 国 人 客 を 受 け 入 れ 始 め た 当 初 の 宿 泊 料 金 は 、 1 泊 2 食 付 7500 円 で 提 供 し
ていたが、旅館で夕食を食べない外国人が多いことがわかり、泊食分離をしな
け れ ば い け な く な っ た 。 そ こ で 、 室 料 4100 円 、 夕 食 2500 円 、 朝 食 900 円 と
表 示 し た と こ ろ 、室 料 4100 円 で は 高 過 ぎ て 予 約 が 入 ら ず 3600 円 に 値 下 げ し た 。
す る と 今 度 は 、「 夕 食 代 2500 円 は 高 い 」「 こ れ は 食 べ ら れ な い か ら 値 段 を 引 い
て く れ 」な ど の 苦 情 が 出 た 上 、食 べ る 人 が 1 日 に 1 人 か 2 人 と な っ て し ま っ た
た め 、夕 食 の 提 供 を や め B& B( ベ ッ ド & ブ レ ッ ク フ ァ ス ト )方 式
23
を採る事と
なった。その代わりに、近所の飲食店などに協力を要請し、外国人客受け入れ
10
の了承を得て、英文メニューを作ってもらい、外食をする外国人に利用してい
ただいているという。
24
澤の屋の客室にはお茶セットが用意しているが、飲み方の説明をしていなか
ったため、様々の問題が起こった。茶殻を洗面所に捨てられて、詰まったこと
もあったという。お茶パックに替えれば問題が解決するところだが、日本の伝
統的な体験をもらいたいとそのままにし、その代わりに、イラスト入りの「お
茶の飲み方」を茶盆の中に入れている。
25
コーヒーと紅茶は、食堂でのセルフサービスで飲めるようになっている。イ
ンスタントコーヒーを嫌がる日本人に対して、外国人は「好きな味で飲めるか
ら」と喜んでいる。
26
また、トイレやお風呂においても、文化・習慣の違いから様々な問題がおき
た。和式トイレでは、金隠しに座って用を足す客がいて、汚されたこともある
という。そこで、金隠しに向かって座って用を足しているイラストを貼るなど
の工夫をしている。入浴でも、国によって大きな習慣の違いある。中国人はた
とえ肉親でも他の人が使ったお湯に入ることは抵抗あり、一度入ったバスタブ
の湯は流すのが礼儀だそうだ。そのため、共同風呂であるにもかかわらず栓を
抜 か れ 、次 の 人 が 入 れ る 状 態 に す る の に 2 時 間 近 く か か る と い う ト ラ ブ ル も あ
ったという。また、欧米人は共同風呂の観念がないというだけでなく、バスタ
ブは体を洗う容器でしかないという考えの人が多いため、お湯を汚されるとい
う問題もおきた。さらに、イランではトイレで紙を使わず、代わりに水を使う
習慣があるため、お風呂場で用を足されたこともあるという。これらの習慣は
どうすることもできないが、日本の風呂の入り方を知ってもらいたいと、ジャ
パニーズ・イン・グループのパンフレットでは、イラスト入りで日本式入浴法
を紹介している。
27
寝 具 に 関 し て は 、時 差 の 関 係 で す ぐ に 寝 た い と 言 う 客 が 少 な く な か っ た た め 、
午 後 8 時 に 各 部 屋 い っ せ い に 敷 い て い た 布 団 を 、掃 除 が 終 わ っ た 時 点 で 予 約 の
人数分の布団を敷いておくようにしている。
28
さらに、以前、澤の屋に宿泊したニューヨーク・タイムスの記者が書いた記
11
事から、外国人は日本旅館の門限と掃除の時間に困っていることがわかったと
い う 。 そ こ で 、 澤 の 屋 で は 門 限 が 午 後 11 時 に 指 定 し て あ る が 、 チ ェ ッ ク イ ン
の際門限をきちんと説明し、門限を過ぎて帰ってくる予定の人には玄関の鍵を
貸し、出入り自由な状態にしている。また、部屋の掃除の時間に関しては、客
の要望に合わせて掃除をし、1 日中部屋にいたいという客には、掃除はしてい
ない。
29
澤の屋では、宿泊客の 9 割が外客になるにしたがって、このように文化・習
慣の違いに対応するために、日本人客に対する従来の接遇と設備を変えざるを
得なくなり、様々な工夫をしてきている。その中でも、外国人に特に喜ばれて
いることをいくつか紹介する。
ひ と つ は 、 コ イ ン ラ ン ド リ ー の 設 置 で あ る 。 滞 在 の 外 国 人 客 の 「洗 濯 し た い 」
という要望からコインランドリーを設置し、業務用の洗剤を買ってきて無料で
提供している。
30
その他には、英字新聞のジャパニーズタイムズをとって食堂で読んでもらっ
たり、東京のイベント情報や美術館、観光施設などのパンフレットできるだけ
集めて、情報コーナーの棚を作っている。
31
そして最も外国人客に喜ばれているものは、宿泊客がチェックインする際に
渡している地下鉄路線図と澤の屋オリジナルマップである。このマップは、谷
中、根津周辺を日本語と英語で紹介した地図で、澤の屋に訪れる外国人はこの
マップをもとに近辺の町歩きをすることで、日本人がどんなものを食べどんな
暮らしをしているのかを探索しながら、町の人々と触れ合うようになった。神
社 や 寺 院 、美 術 館 、学 校 な ど も し っ か り 描 か れ て お り 、宿 泊 客 の 必 要 に 応 じ て 、
そば屋、やきとり屋、喫茶店、クリーニング屋、銭湯、骨董屋などが記されて
いる。宿泊客が見てきたこと体験してきたことを聞いて書き加えていき充実し
たものとなっていった、いわば澤の屋と外国人の共同制作と言える。
32
12
第4節
地域でのもてなし
澤の屋が外客を受け入れるようになった頃、近所のクリーニング屋、文房具
屋、骨董屋、郵便局など、町の人々に戸惑いはあったが、それぞれが知恵を絞
って対応し始めた。
郵便局では、英文でイラスト入りの絵葉書の書き方を作り、紹介するように
なり、骨董屋では、よく聞かれる品物の説明文を英文で紹介している。近所の
飲食店「田吾作」では、写真入の英文メニュー作り、かまめし屋の「松好」で
は、看板に「ウェルカム・トゥ・マツヨシ」と横文字をいれてくれたという。
また、澤の屋までの道をよく聞かれるという駅前の本屋では、英会話の勉強を
始め、さらに店に澤の屋のオリジナルマップを置いてくれるという。
33
このように、はじめは戸惑っていた町の人々が、澤の屋が要求したわけでも
なく、自然に町の中に受け入れ始めた。
また澤の屋では、宿泊客にお祭などの町の行事に関する情報を欠かさず提供
しており、外国人が祭のみこしを一緒に担いだり、太鼓の音に誘われて盆踊り
の輪に加わるのも毎年のこととなっている。
みどりの日には、町のもちつき大会に参加し餅つきを体験したり、夏の夜に
近所で行われる自由参加のストリート・パーティーでは、ほとんどの外客が参
加 し 話 し の 輪 を 広 げ て い る 。10 月 に 行 わ れ る 大 円 寺 の 菊 祭 り は 、明 治 末 か ら 途
絶 え て い た 団 子 坂 の 菊 人 形 を 、 近 所 の す し 屋 と 町 の 人 々 が 力 を 合 わ せ て 16 年
前から復活させたもので、日本の美しい伝統として毎年熱心に見に行くように
すすめているという。
34
こ の よ う に 、澤 の 屋 で は 地 元 の 人 々 が よ く 利 用 す る 店 、食 堂 を 外 客 に 紹 介 し 、
行 事 が あ る 日 に は 、自 由 に そ れ に 参 加 で き る 手 助 け を し 、
「 情 報 提 供 」に よ っ て
外国人旅行者と町の人々との交流の橋渡しの役目を果たしている。
13
( 表 2) 澤 の 屋 周 辺 地 図
出典:澤功氏から頂いた宿泊者に配布している地図
14
第 5章
結論
~「澤の屋」からの考察
これらの事例から、澤の屋では「情報提供」が最も外国人観光客に喜ばれて
いるとわかる。そして、この「情報提供」が、外国人旅行者と地域との結びつ
きをも強めている。これは立派な澤の屋流の「ホスピタリティ
35
」である。手
作りの地図を通して、お客さんと日本文化、お客さんと町の人々の橋渡しを可
能 に す る 、「 お も て な し 」 を し て い る の で あ る 。 我 々 は こ れ を 「 澤 の 屋 モ デ ル 」
と定義する。
そして、澤の屋の宿泊客にも注目したい。国別で見るとアメリカが最も多く
次 い で 香 港 、オ ー ス ト ラ リ ア 、ヨ ー ロ ッ パ 諸 国 と 続 い て い る 。
( 表 3)こ の 結 果
を見ると現在の日本のインバウンドとは大きく異なることがわかる。今の日本
のインバウンドでは東アジア勢に対して欧米諸国は比率が少ない。欧米諸国が
少ないのは個人旅行が主流であることが言える。澤の屋ではこういった個人旅
行客のニーズに応えることができているのである。
( 表 3) 澤 の 屋 宿 泊 外 国 人 客
国籍別順位
年号
1991年
1992年
1993年
1994年
1995年
1996年
1997年
国数
1位
2位
3位
46ヶ国
アメリカ
香港
イギリス
49ヶ国
アメリカ
香港
オーストラリア
46ヶ国
アメリカ
香港
オーストラリア
48ヶ国
アメリカ
香港
オーストラリア
42ヶ国
アメリカ
オーストラリア
香港
44ヶ国
アメリカ
香港
オーストラリア
42ヶ国
アメリカ
オーストラリア
香港
4位
5位
6位
7位
カナダ
オーストラリア
フランス
ドイツ
イギリス
カナダ
フランス
ドイツ
イギリス
フランス
カナダ
ドイツ
イギリス
ドイツ
カナダ
フランス
イギリス
ドイツ
フランス
カナダ
フランス
ドイツ
イギリス
カナダ
イギリス
フランス
ドイツ
カナダ
8位
韓国
韓国
韓国
台湾
台湾
台湾
韓国
9位
台湾
ニュージーランド
スイス
韓国
韓国
韓国
台湾
10位
オランダ
スイス
ニュージーランド
スイス
スイス
オランダ
シンガポール
出典:澤功「外国人観光客受入セミナー参考資料」
表 3 を見ると、最近は韓国、台湾などアジアからの個人旅行客も増えてき て
い る 。 韓 国 は 1989 年 末 ま で 観 光 目 的 の 外 国 旅 行 は 認 め ら れ て い な か っ た 。 し
かし、その後の国際収支の初の黒字転換、民主化の進展、ソウル五輪開催など
国際社会での韓国の地位向上等を背景として、段階的な外国旅行開放策がとら
15
れ る よ う に な り 、1998 年 に 完 全 自 由 化 さ れ た 。そ の 結 果 、外 国 旅 行 者 数 は 対 前
年 比 67.3% 増 と い う 爆 発 的 な 増 加 ぶ り を 示 し た 。そ れ と 同 様 に 、現 在 は 団 体 旅
行 し か 認 め ら れ て い な い 中 国 も 急 速 な 経 済 成 長 や 2008 年 の 北 京 五 輪 の 開 催 な
どを考えると、近い将来自由な旅行が可能になると我々は考える。するとその
時、中国は個人旅行客のビッグマーケットになるのではないだろうか。それら
から澤の屋のような宿がもっと増えるべきだと我々は考える。例えば鎌倉や、
京都などの観光地
36
である。どちらも歴史があり、日本らしさを味わえる町で
あ る こ と に 加 え て 、外 国 人 観 光 客 に は 人 気 の 場 所 だ 。だ か ら こ そ 、
「澤の屋モデ
ル」の宿が成り立つだろう。他にも、ユースホステル
リゾートホテル
39
37
やビジネスホテル
38
、
も「 澤 の 屋 モ デ ル 」を 取 り 入 れ る こ と が で き る の で は な い か 。
澤の屋とまったく同じ事をするのではなく、その土地に合わせたやり方がある
だろう。美しい自然があれば、自転車を貸し出してサイクリングを楽しんでも
らったり、方言のある地方なら日本語の多様性を知ってもらえるだろう。年中
行事や祭りなどの催事も地方によってやり方がまったく異なる場合もあり興味
深いのではないか。こういった情報が、町の人との交流の橋渡しとなるのであ
る。又、旅行代理店は澤の屋のような個人旅行者を受け入れる宿にも目を向け
ることでビジネスチャンスを得られるのではないか。
こうして「澤の屋モデル」が全国に広まることにより、例え有名な観光地で
はなくても充分に日本を楽しんでもらえるのである。その結果、日本が外国人
にとってまた来たいと思える国になり、リピーターを獲得することで長期的な
観 光 客 数 の 増 加 が 見 込 め る で あ ろ う 。今 、
「 澤 の 屋 モ デ ル 」の 普 及 が こ れ か ら の
日本の観光立国化の鍵を握っている。
最後に、本稿を作成するにあたり快くインタビューに応じて下さった澤の屋
旅 館 館 主 の 澤 功 氏 、並 び に 協 力 し て く だ さ っ た 方 々 に 深 く 感 謝 の 意 を 示 し た い 。
16
【脚注】
1
ここでは日本人が海外旅行することをいう。
2
ここでは外国人が日本を訪れることをいう。
3
国 土 交 通 省 編 『 観 光 白 書 2005 年 版 』、 独 立 行 政 法 人 国 立 印 刷 局 、 10 頁
「 海 外 旅 行 倍 増 計 画 (テ ン ミ リ オ ン 計 画 )」が 1987 年 に 始 ま り 5 ヵ 年 で 旅 行 者
を 1000 万 人 に 伸 ば す こ と を 目 標 と し た 。 1990 年 に は 1100 万 人 を 越 え た 。
そ の 後 1991 年 に 「 観 光 交 流 拡 大 計 画 (Two Way Tourism 21)」 が 策 定 さ れ 海
外旅行の質的向上に重点が置かれていった。
4
財 団 法 人 社 会 経 済 生 産 性 本 部 『 レ ジ ャ ー 白 書 2004 年 版 』、 文 栄 社 、 86 頁
5
堀 貞一 郎『メイ ド・イン・ジ ャパン から ウェル カム・ツー・ジ ャパン へ ― 観
光 立 国 が 日 本 を 救 う 』、 プ レ ジ デ ン ト 社 、 2002 年 、 10 頁
額 賀 信『 観 光 革 命 ― ス ペ イ ン に 学 ぶ 地 域 活 性 化 』、日 刊 工 業 新 聞 社 、2004 年 、
174- 176 頁
6
7
国 土 交 通 省 編 『 観 光 白 書 2005 年 版 』、 独 立 行 政 法 人 国 立 印 刷 局 、 10 頁
訪 日 観 光 交 流 倍 増 計 画 。 外 国 人 旅 行 者 を 2005 年 ま で に 700 万 人 に 増 や す 計
画。
8
同 上 書 、 10 頁
2000 年 に「 新 ウ ェ ル カ ム プ ラ ン 21」が 策 定 。2007 年 ま で に 800 万 人 の 訪 日
を 目 標 と し た 。 2002 年 は 「 訪 日 ツ ー リ ズ ム 元 年 」 と さ れ る 。
9
法務省法務総合研究所編『犯罪白書
2000 年 版 』、 大 蔵 省 印 刷 局 、 72- 73
頁
国 土 交 通 省『 観 光 白 書 2005 年 版 』、独 立 行 政 法 人 国 立 印 刷 局 、2005、TOPICS2
-3 頁
10
国 際 観 光 振 興 会 『 JNTO国 際 観 光 白 書 2004/2005 年 版 』、 国 際 観 光 サ ー ビ ス
セ ン タ ー 、 2005 年 、 224- 234 頁
11
12
中国では「中国公民出国旅遊管理弁法」により、外国旅行の渡航先は限ら
れていて、中国政府の承認を得なければならない。
13
14
堀貞一郎『メイド・イン・ジャパンからウェルカム・ツー・ジャパンへ―
観 光 立 国 が 日 本 を 救 う 』、 プ レ ジ デ ン ト 社 、 2002 年 、 254 頁
15
同上
16
国土交通省編『観光白書
頁
2004 年 版 』、 独 立 行 政 法 人 国 立 印 刷 局 、 18- 23
17
17
澤功氏から頂いた資料『旅館業としてのインバウンドの振興―澤の屋の取
り組みから』45項を参照。
18
全てが手配されているツアーとは違い、飛行機のチケット、ホテル、空港
とホテル間の移動、観光、食事の手配を全て自分で行う個人旅行者のこと。
戦 後 の ベ ビ ー ブ ー ム に 誕 生 し た 、現 在 50 代 半 ば を 迎 え る 世 代 の 人 々 。団 塊
世 代 に は 、 1946 年 ~ 1950 年 に 生 ま れ た 世 代 と 、 1947 年 ~ 49 年 に 生 ま れ た 世
代という捉え方がある。
19
20
訪日外国人客を家族的な宿泊施設で泊まっていただく為に結成したグルー
プ。国際親善・国際交流の一端を担っている。
21
従来型の個性のない観光地が低迷する中、各観光地の魅力を高めるために
は 、観 光 振 興 を 成 功 に 導 い た 人 々 の た ぐ い ま れ な 努 力 に 学 ぶ こ と が 極 め て 効 果
が 高 い と 考 え ら れ る 。そ の た め 、
「『 観 光 カ リ ス マ 百 選 』選 定 委 員 会 」を 設 立 し 、
その先達となる人々を『観光カリスマ百選』として選定。
22
澤功氏から頂いた資料『外国人観光客受入セミナー参考資料』2 頁を参照。
23
ベッド&ブレックファストを略してB&B。イギリス発祥の呼び
名だが、欧米では朝食つきの民宿を総称してこう呼ぶことが多い。
24
澤 功 氏 に 行 っ た イ ン タ ビ ュ ー ( 2005 年 7 月 7 日 午 後 1 時 30 分 頃 ) - 1
澤 功 氏 か ら 頂 い た 資 料 『 外 国 人 観 光 客 受 入 セ ミ ナ ー 参 考 資 料 』 18 頁 を 参 照 。
25
同上インタビュー-2
同 上 書 26 頁 を 参 照 。
26
同上インタビュー-3
同 上 書 27 頁 を 参 照 。
27
同上インタビュー-4
澤 功 『 澤 の 屋 は 外 国 人 宿 』、 TOTO 出 版 、 1992 年 、 36- 53 頁
28
同上インタビュー-5
澤 功 氏 か ら 頂 い た 資 料 『 外 国 人 観 光 客 受 入 セ ミ ナ ー 参 考 資 料 』 19 頁 を 参 照 。
29
同上インタビュー-6
同 上 書 20 頁 を 参 照 。
30
同上インタビュー-7
同 上 書 20 頁 を 参 照 。
31
同上インタビュー-8
同 上 書 20 頁 を 参 照 。
32
同上インタビュー-9
18
澤 功 『 澤 の 屋 は 外 国 人 宿 』、 TOTO 出 版 、 1992 年 、 160- 162 頁
33
同 上 イ ン タ ビ ュ ー ( 2005 年 10 月 4 日 午 後 2 時 頃 ) - 10
澤 功 氏 か ら 頂 い た 資 料 『 外 国 人 観 光 客 受 入 セ ミ ナ ー 参 考 資 料 』 30 頁 を 参 照 。
34
同 上 イ ン タ ビ ュ ー - 11
澤 功 『 澤 の 屋 は 外 国 人 宿 』、 TOTO 出 版 、 1992 年 、 166- 183 頁
日 本 ホ テ ル 経 営 学 会 編 著 『【 改 訂 】 最 新 ホ テ ル 用 語 事 典 』、 柴 田 書 店 、 1995
年 、 223 頁
顧客に対する親切なもてなしの意味である。
35
36
澤 功 氏 か ら 頂 い た 資 料 『 都 道 府 県 別 訪 日 外 客 訪 問 率 ( 複 数 回 答 )』
外 国 人 旅 行 客 の 15・ 8% が 神 奈 川 県 ( 鎌 倉 )、 15.2% が 京 都 に 行 っ て い る 。
37
日 本 ホ テ ル 経 営 学 会 編 著 『【 改 訂 】 最 新 ホ テ ル 用 語 事 典 』、 柴 田 書 店 、 1995
年 、 245 頁
健全な旅行を通じて青少年の育成を図ろうという運動のための国際的な低廉
宿泊施設。
38
同 上 書 、 192 頁
和製英語で、商用者用のホテル。
39
同 上 書 、 254 頁
観光ホテル。立地条件によるホテルの分類基準で、観光地、保養地に立地す
るホテル。
【参考文献】
1
国土交通省編『観光白書
2005 年 版 』、 独 立 行 政 法 人 国 立 印 刷 局
2
国 際 観 光 振 興 会『 JNTO 国 際 観 光 白 書 2004/2005 年 版 』、国 際 観 光 サ ー ビ ス
セ ン タ ー ( ITCJ)、 2005 年
3
財 団 法 人 社 会 経 済 生 産 性 本 部 『 レ ジ ャ ー 白 書 2004 年 版 』、 文 栄 社
4
堀貞一郎『メイド・イン・ジャパンからウェルカム・ツー・ジャパンへ―
観 光 立 国 が 日 本 を 救 う 』、 プ レ ジ デ ン ト 社 、 2002 年
5
額 賀 信 『 観 光 革 命 ― ス ペ イ ン に 学 ぶ 地 域 活 性 化 』、 日 刊 工 業 新 聞 社 、 2004
年
6
法務省法務総合研究所編『犯罪白書
7
国 際 観 光 振 興 会『 JNTO 国 際 観 光 白 書 2004/2005 年 版 』、国 際 観 光 サ ー ビ ス
2000 年 版 』、 大 蔵 省 印 刷 局
19
セ ン タ ー ( ITCJ)、 2005 年
8
澤 功 『 澤 の 屋 は 外 国 人 宿 』、 TOTO 出 版 、 1992 年
9
日 本 ホ テ ル 経 営 学 会 『【 改 訂 】 最 新 ホ テ ル 用 語 辞 典 』、 柴 田 書 店 、 1995 年
10 岡 本 義 温 、 小 林 弘 二 、 廣 岡 裕 一 編 著 『 変 化 す る 旅 行 ビ ジ ネ ス ― 個 性 化 時 代
の 観 光 を に な う ハ ブ 産 業 』、 文 理 閣 、 2003 年
11 王 文 亮 著 『 中 国 の WTO 加 盟 と 国 際 観 光 業 ~ 日 中 観 光 交 流 の 新 時 代 へ ~ 』、
日 本 僑 報 、 2002 年
12 日 本 観 光 協 会 編『 観 光 レ ク リ エ ー シ ョ ン 将 来 動 向 予 測 』、日 本 観 光 協 会 、1988
年
13 安 達 政 治 著『 ツ ー リ ズ ム ビ ジ ネ ス ― 日 本 と 世 界 の 旅 行 産 業 』、創 成 社 、2002
年
14 国 際 観 光 振 興 会 編 著 『 訪 日 外 国 人 旅 行 の 経 済 波 及 効 果 に 関 す る 基 礎 調 査 報
告 書 』、 国 際 観 光 サ ー ビ ス セ ン タ ー 、 2003 年
15 中 瀬 昭 『 観 光 産 業 論 の こ こ ろ み ― 旅 行 商 品 論 と ホ ス ピ タ リ テ ィ ー 論 』、南 窓
社 、 2003 年
16 長 谷 政 弘 『 新 し い 観 光 振 興 ― 発 想 と 戦 略 』、 同 文 舘 出 版 株 式 会 社 、 2003 年
17 松 本 達 也 『 国 際 観 光 入 門 』、 高 文 堂 出 版 社 、 1993 年
18 日 本 交 通 公 社 調 査 部 編 『 観 光 読 本 』、 東 洋 経 済 新 報 社 、 1994 年
19 石 原 直 『 ホ テ ル ・ 旅 館 の 情 報 シ ス テ ム 』、 中 央 経 済 社 、 1997 年
20 富 田 昭 次 『 ホ テ ル と 日 本 近 代 』、 青 弓 社 、 2003 年
21 大 矢 野 英 次 編 著 『 観 光 と コ ン ベ ン シ ョ ン 』、 同 文 舘 出 版 株 式 会 社 、 1999 年
22 徳 久 球 雄、塚 本 珪 一、朝 水 宗 彦 編 著『 地 球・観 光・文 化 』、嵯 峨 野 書 院 、2001
年
23 山 下 徹 『 京 都 観 光 学 』、 法 律 文 化 社 、 2000 年
24 王 分 亮 『 中 国 観 光 業 詳 説 』、 日 本 僑 報 社 、 2001 年
25 山 下 徹 『 観 光 の 京 都 論 』、 学 文 社 、 2002 年
26 国 土 交 通 省 総 合 政 策 局 監 修 、 観 光 ま ち づ く り 研 究 会 編 著 『 新 た な 観 光 ま ち
づ く り の 挑 戦 』、 ぎ ょ う せ い 、 2001 年
27 井 口 貢 『 ま ち づ く り ・ 観 光 と 地 域 文 化 の 創 造 』 学 文 社 、 2005 年
20
28 今 西 珠 美 『 旅 行 企 業 の 国 際 経 営 』、 晃 洋 書 房 、 2001 年
29 ト ラ ベ ル ジ ャ ー ナ ル 出 版 事 業 部『 旅 行 ビ ジ ネ ス 入 門 』、壮 光 舎 印 刷 株 式 会 社 、
2002 年
30 飯 島 好 彦 『 サ ー ビ ス ・ マ ネ ー ジ メ ン ト 研 究 - わ が 国 の ホ テ ル 業 を め ぐ っ て
- 』、 文 眞 堂 、 2001 年
21