11月 - 社会福祉法人 青十字サマリヤ会

札幌市南区藤野4条3丁目8番18号
社会福祉法人 青十字サマリヤ会
理 事 長
富 田 政 義
TEL 011-591-1921 FAX 011-591-8414
2015年11月発行
「モーリス・ユトリロの生涯」
青十字サマリヤ会 理事長
富田
政義
藝術の秋である。私の住む街に「黒い森美術館」
を勧められる。この間に自殺未遂を図っている。29
という一風変わった名の美術館がある。南ドイツ
歳の時にサノワの精神科医ルヴェルテガ医師と出
のシュワルツ・バルト地方の「黒い針葉樹の森」か
会い、対症療法で絵を描き続けることを勧められ
ら名付けたという美術館は名の通り森に囲まれた
る。彼は 40 歳になるまで 9 回の入退院を繰り返す
地に建っている。ここで小さな版画展が開かれて
が、絵筆を持ち続けた。
いた。洗練された調度品と広々とした空間、街の喧
母シュザンヌはユトリロより3歳年下の彼の友
噪から離れた世界、作品を鑑賞しながら心の安ら
人ユッテルと再婚し、彼はますます居場所がなく
ぎを得た。
なる。酒場で酔っては暴れて拘置所で朝を迎える
こともあったという。
私がユトリロの絵画出会ったのは中学生、半世
しかし、彼の絵画力は彼の人生を大きく変えて
紀前である。パリ郊外モンマルトルの街並みの構
ゆく、坂道、裏路地、教会など街角の風景を描き続
図と白壁の家々が印象に残っている。
ユトリロは 1883 年私生児として生まれる。今で
けた。ユトリロ 51 歳の時に裕福な未亡人リュシ
いう売れっ子モデルで女流画家でもあった母親シ
ー・ポーウェルと結婚。信仰を持ち洗礼も受けたと
ュザンヌは、体が弱くて情緒不安定であったユト
いう。そして、パリの郊外のル・ヴェジネに居を構
リロの育児をほとんど祖母一人に任せていた。
え、その後もいろいろとあったようであるが 71 歳
まで生きた。彼は画家として数多くの人に支えら
小学生のころから祖母と二人で母親の帰りを寂
れ、数千の絵画を描き続ける人生を終えた。
しく待ちながら過ごし、その頃から弱いワインの
味を覚えたといわれている。学校の帰りカフェで
ユトリロは描くことによって自分を表現すると
飲むようになり欠席が頻繁で学業の継続が難しく
いう能力を発揮した。すなわち彼のストレングス
なり中退する。20 歳の時には、パリで有名なサン・
(強み)が世界芸術の進展に役立ったことになる。
タンヌ精神病院にアルコール依存症の治療のため
アルコールや薬物、ギャンブルなどで職を失い、
友人や家庭を失い、最後には自分までも失うとい
に入院をしている。この時医師から絵を描くこと
1
う依存症。しかし、若くしてアルコール依存症と診
活かすことが重要である。青十字サマリヤ館は
断されたユトリロはヴェルテガ医師に会い、その
様々な依存症のため支えられることを必要として
助言や周囲の人々の大きな支えによって依存症か
いる人の回復、訓練の場(宿泊型自立訓練施設)で
らリカバリー(回復)できた。支える人がいること、
ある。
自分の持っている何らかのストレングス(強み)を
「一日の始まり」
青十字サマリヤ館 館長
齊藤
和夫
感謝のメッセージを受け止めなければならない。
青十字サマリヤ館スタッフ10名の朝は*「今
日を新たに」の朗読から始まる。今朝も「今日を新
現在のサマリヤ館スタッフは10名中、4名が
たに」AA(アルコホーリクス・アノニマス)メン
当事者で、4名が精神保健福祉士、1名が会計担当
バーのためのAAメンバーからの文書メッセージ
者、1名が生活支援員である。その他に調理員が5
に教えられる。混沌とした自己矛盾の塊のような
名いるが、それぞれの立場を尊重し日夜仕事をし
乾ききった自分に一筋の指針が示される。その時、
ている根底にも、依存症者の回復への思いがある。
この世界に生きるために最も大切なメッセージに
入館者や通所者それぞれの、その生きづらさか
包まれた気持ちになり、今日を新たに生きる希望
らの回復、解放を願い向き合うとき思うことは、
が湧いてくる。
我々自身が自分自身の回復や成長に謙虚に向き合
うことでもある。それは、人間性の回復であり人間
この「今日を新たに」の朗読は4月から始めてい
関係の回復でもある。
るが、自分に心がけていることがある。
まず、このメッセージは自分と向き合うためで
このサマリヤ館に携わることにより自分の問題
あり、他の人に聞かせ、当てはめて他人を変えよう
に気づかせてもらい、なおも問題の深さが自分に
とするためではない事。さらに、毎日の朗読が惰性
あること認めざるおえないことを自覚する毎日で
的にならないようにすることである。もし、自分の
ある。
心がけから、外れてしまったとき、この大切なメッ
この朝の朗読「今日を新たに」が2015年4月
セージも無意味なもの、いや、害にもなってしまう
に始まり、私はとても良かったと思っている。スタ
のである。
ッフ10名それぞれの受け止め方があるが、お互
いを尊重し謙虚な思いを再認識させてもらえるこ
聞く耳を持ち、このAAのメンバーが命がけで
とは何と幸せなことかと、この時代にあって思う。
何度も何度も失敗をし、自ら体験した言葉には回
復を求める魂の叫びと根底に流れている仲間への
*「今日を新たに」はAAの書籍でご購入可能です。
2
「道、スタート」
やっちん
自分がお酒を飲みだしたのは、14歳の頃でし
救急車で病院に運ばれ、大ケガをしました。後から
た。父親もアルコール依存症だった為、家には常に
「アルコール性てんかん」だと聞かされ、こんな事
酒がありました。いたずらにビールを開けて飲ん
もあるのだ、と思いました。その時は二泊三日の入
でいました。最初は、なんでこんなまずい物を飲む
院となるのですが、酷い離脱に苦しめられました。
二日目の夜、自分は幻覚、幻聴というものを初め
のだろう、と不思議に思っていました。
高校生になると、大人の真似事を始めるようにな
て経験しました。精神科に送られ、自分は初めて精
りました。体育祭や文化祭の打ち上げだ、等と言い、
神科という病棟を経験しました。それからという
焼酎やウィスキー等、格好をつけて飲んでいまし
ものの、酒も止まらず、飲み続けていました。だん
た。その時から、二日酔いにもなり、学校を休んだ
だん会社も休みがちになり、上司に注意され、それ
りしていました。
でも酒を切る事は出来ませんでした。そのうち会
社もクビになり、いよいよ本格的な連続飲酒に入
本格的に飲み始めたのは、社会人になってからで
りました。
した。18歳で製作所に入り、職人を目指して頑張
っていました。そこの会社では、お酒の飲めない人
ひたすら飲み続けました。心配してくれる友人
はのけ者にされました。とにかく酒飲みの多い会
もいました。彼女もいました。しかし、そんな事は
社で、飲めない人は男じゃないとまで言われてい
お構いなしで飲み続け、最後は飲酒運転で事故を
ました。そこで自分は、必死にお酒を飲むようにな
起こし、精神病院へ入れられました。
りました。先輩たちに嫌われたくないという思い
それからは地獄でした。入院しては、もう飲まな
で、あれだけ美味しくないと思っていたビールを
い、と思うのですが、退院すると何ヶ月はとまって
なぜかとても美味しく感じられるようになりまし
いるのですが、何気なく手を出した一杯がまた連
た。飲み会は断った事はなかったです。そんな頃、
続飲酒に繋がり、また入院。仕事も何度か就いたの
地方に出て行った人が続々と帰ってきました。毎
ですが、やはり酒で、しかも同じようなパターンで
日のように飲みに行き、週末は会社の先輩に誘わ
辞めてしまいました。一杯からの連続飲酒で会社
れ、朝は毎日二日酔いでした。
にも行けなくなる、という事です。精神病院にも8
回入院しました。
ある日、会社の先輩に二日酔いで具合が悪いと言
うと、その先輩は「これ飲んでみろ。
」と焼酎を一
もうダメだと思っていた時、サマリヤ館の話が
杯くれました。無理矢理飲みはしましたが、それが
来ました。自分の出身は青森県の八戸という所で
最初の迎え酒でした。迎え酒を覚えた自分は、もう
す。なんで北海道まで?と最初は思いました。しか
怖いものはありませんでした。具合が悪かったら、
し、よく考えたら、断る理由などありませんでした。
まず飲めばいいとひたすら飲みました。友人たち
会社の人たち、友人、恋人、そして家族…たくさん
とも毎日のように深酒をし、会社へは二日酔いで
の人に迷惑をかけてきた人生をもう一度やり直そ
行き、常に酔っている感じでした。そのうち、夕方
うと思い、サマリヤ館に入所する事を決めました。
になると手が震え、膝が笑い出し、汗が出て、吐き
入所にあたり、たくさんの人たちにサポートし
気がし、どうしようもない具合の悪さが襲ってき
てもらい、自分は恵まれていると心から感じまし
ました。でも一杯飲めば治るのだ、と会社から帰る
た。入所したばかりの頃はとても不安でしたが、良
なり、真っ先にコップを持つようになりました。
き先輩方に恵まれ、何とか一年が経ちました。ミー
何年かその繰り返しが続き、いよいよ精神的に
ティングやAA等の大切さも、何となく分かるよ
も体調も悪くなり、仕事中に倒れてしまいました。
うになり、今では充実した毎日を送る事が出来て
3
います。サマリヤ館に来るにあたり、後押ししてく
ないよう、
「今日一日」の積み重ねをし、あの地獄
れた先生やスタッフ、友人たち、そして家族にとて
のような日々に戻らないよう行動し、回復してい
も感謝しています。これからも断酒の道から外れ
きたいです。
「今日一日」
左党
今日一日、酒を飲まないでいる。
俺は裁かれる。誰に?裁くのは誰だ。
特に何もない。日々是淡と。
今日一日、禍福なく過ぎた。
今日一日、集会に行ってみた。
何事も無きを幸せと言うのか。
何も収穫がない?有るではないか。
欲深き俺は、まだ足りぬと思う。足るのを知れ。
反面教師という収穫が。
今日一日、生きている。
今日一日、過ぎれば時効成立だ。
とうに寿命は、過ぎてはいる。
逃げきれるか、何から?あの世の時効は無限だ
生かされた俺の使命は何だ。
ぞ。
今日一日、酒を呑みたい。とても強く。
今日一日、明日は判決の日だ。
出来ないのは、判っている。
命と酒の両取りはなし。特に動機もなく。
今日一日、傘も持たずに集会に行った。
今日一日、明日は出所だ。
帰りに雨に降られた。空さんのいじわる。
晴れか曇りかは知らぬが、罪は償ったようだ。
でも、ありがとう。洗われたような気がする。い
ビールでも飲みたいな。
ろいろと。
「サマリヤ会だよりに寄せて」
フジ
サマリヤ館に来て4ヶ月が過ぎ、やっと北海道ら
しています。たくさんの仲間が行動する事で、館内
しい、輝かしい夜道を仲間と共に歩く事が当たり前
がザワザワとして雰囲気になってしまった時にも、
になりました。長かったような短かったような、不
スタッフみんなで仲間をサポートしている事が伝わ
思議な感覚がします。ギャンブルにのめり込み、イ
ってくるからでしょうか。
ライラして落ち着かない夜を過ごしていた昨年末。
人が人を助けるという難しい仕事に力まず、謙虚
忘れていた事を思い出しながら、たくさんの人がサ
に行動する態度を見習う事で、これからも落ち着い
マリヤ館に来ては去っていった事を思うと、私がこ
た日々を過ごしていきたいと思っています。そして
の文章を書く事で、次の仲間にも引き継がれてい
サマリヤ会に協力する皆様がいる事を忘れずに、残
き、とてもゆったりとした時間の流れの中に、ほん
りの日々を過ごしていきたいと思います。
の少しの間だけでも居させてもらっている事に感謝
4
「人として」
福ちゃん
手を出すようになり、一年も満たないうちに、一度
自分は現在、3度目の施設に入館させてもらい、
アルコール、ギャンブルからの開放、また回復を願
目と同じ犯罪を起こし、二度目の矯正施設となっ
いながら生活させて頂いております。自分は一度
てしまいました。その時はさすがに自分の人生も
目の施設を退館後、マンションをお借りして一人
これ迄かと思い、出所したら自ら命を絶とうと決
暮らしを始めましたが、間もなくお酒やギャンブ
心しました。
ルに手を付けてしまい、二度の入院を繰り返しま
しかし、矯正施設で色々と考えぬいた末、今迄母
した。それを見かねて母親と相談した上で、二度目
親や施設のスタッフ、館長夫妻、そして一度目・二
の施設へ入館させてもらいました。
度目の入館の時に共に施設内で生活した仲間、ま
しかし、二度目の入館中に、やってはいけないギ
た、全道の仲間に助けられた事を思うと、自ら死を
ャンブルに手を付け、その事をミーティングや施
選ぶのは、自分勝手で無責任な行動だと思いまし
設のスタッフ等に正直に言えず、嘘をつく日々を
た。恥やプライドを捨て、もう一度仲間の所へ戻り、
送っていました。その事に対し、自分の中で罪悪感
自分の過去を清算しなければと思い、出所して約
を溜めてしまい、自分を見失ってしまいました。つ
3ヶ月の入院後、このようなどうしようもない自
いにはギャンブルのお金欲しさから犯罪に手を染
分でも三度目の施設に入館させて頂きました。
めるようになり、とうとう逮捕され、矯正施設に入
この文章を書いている頃は、施設での生活が3
ってしまいました。矯正施設に入った時は、後悔の
ヶ月程となります。日々大変な思いですが、今回が
念で一杯になり、たまりませんでした。
最後のチャンスと思い、仲間と共に回復の道を歩
それから2年の刑期を終え、札幌市内にある母
んで行こうと思っています。それ以上に、病気から
親の自宅にて、これからどうするか相談しながら
の回復だけではなく、一人の人間として回復して
生活していましたが、間もなくしてギャンブルに
いきたく願っています。
「生き方を変える」
リュウ
初めまして。アスペルガー症候群でギャンブル
実家から追い出されてホームレスとなっても、
依存症のリュウです。24歳でパチンコを打ち始
頭の中からギャンブルは消えませんでした。追い
め、現在42歳になります。
出した両親を逆恨みし、今にみていろよ、と復讐心
を膨らませました。このような生活を34歳の頃
ギャンブル依存症が私をどんどん支配する様に
まで続けました。
なり、生活はパチンコ屋に行く事が中心となりま
した。-金が無くなると、自分のCDを売って金を
35歳の時、サマリヤ館とは別の中間施設に繋
作り、ギャンブルをする。自分の物が無くなると、
がり、自助グループに通う事でこの期間はギャン
家族の物を売り、金を作りパチンコを打つ。仕事中
ブルを止める事が出来ましたが、ミーティングに
は打てないので、終わってからパチンコを打ちに
行くのが段々嫌になり、通うのをやめた途端にス
行く。嘘をつく。借金を作る-悪い事をしていると
リップしました。ついにはお金もなくなり、ホーム
いう感覚は全くありませんでした。
レス状態に戻りました。
5
「一生の問題を一度に片付けないほうが良い
37歳の時にサマリヤ館に繋がりましたが、便
よ。
」
りにしていたスタッフが突然辞めてしまう事や、
仲間の死などがきっかけで死に対する恐れがきっ
「今日一日やめる努力をすればいいんだよ。」
かけで、退館するに至りました。その後病院に入院
「知らない事は恥ではなく、聞かない事が恥だ
よ。
」
しましたが、退院後にスリップして、ギャンブルが
「第一の事は第一に。
」
止まらなくなりました。
「寂しいならミーティング会場に行けばいいの
病気は進行し、39歳で犯罪までする様になり、
だよ。」
パチンコやインターネットカフェ、ゲームセンタ
…等々、自分の考えにはない教えをたくさん与
ーが中心の生活となりました。そして、42歳の頃
えて頂きました。
には窃盗罪で起訴されて、今年の6月19日に裁
最後になりますが、私のわがままや病気の為に
判にかけられ、懲役1年6ヶ月、執行猶予3年とな
傷つけた人々に謝罪出来る機会が来た時に、スリ
りました。
ップしていない自分でいられるよう、一日一日を
自分にかけられた様々な言葉が今は思い出され
大切に過ごしていきます。
ます。
「サマリヤ館に入って」
Y・M
私にとって秘密となり、恥となり、自分以外の誰に
入館して2ヶ月と20日が過ぎました。丁度一
年前の今頃、茫然と押入れの天井を眺めながら、汚
も、決して知られてはならないものとなりました。
れた布団に包まっていた自分に、現在の自分の居
私は幼い頃から、自分の不安や恐怖に対して、関
場所や心境は想像し得るものだったろうか、と思
心をもっていたように思います。
「反省」とせず「関
います。家財道具の一切ないアパートで、カーテン
心」とするのは、私の心の在り方がそうだった、と
がなかった為、布団は半分押し入れに入れて -
思うからです。私自身を酒や薬物に向かわせた最
つまり、頭を押し入れに突っ込んだ形で私は寝て
初のものは何だったのか、考えればいくつもの出
いました。
来事、理由付けが出来そうですが、実際、私は嫌と
現在お世話になっている依存症の専門病棟のあ
いう程それらの事を考え続けてきました。ある時
る病院に初めての入院をし、様々な人たちと触れ
は自分、ある時は他の誰か、何かの出来事などに原
合い、学び、お世話になった職員の方々に心配され
因を求めてみたりしました。記憶を何度も辿り、ど
ながら、昨年5月に退院した4ヶ月後の事です。私
れ程の筋立てを思いついたのかわかりません。私
のがらんどうの部屋は、一番安い値段の食パンの
にとって、その過程は辛く、とめどもないものでし
空袋、フィルターしか残っていない煙草の吸殻、2
た。現在もそれは続いていますが、それがなぜ止ま
00ml 入りの焼酎の空瓶、そして潰れた日本酒の
らないのか、今の私にはわかりません。そういう過
紙パック等が散らばり放題でした。その荒廃、空虚
程を多くの人が経験する事なのかどうかもわかり
さはまさに当時の自分の内面を見るかのようでし
ません。私にとって必要であるかどうかもわかり
た。
ません。私の過去は、私の記憶の中にあり、その記
10代の頃から始まった飲酒、20代半ばから
憶は私が感じ得たものの集まりに過ぎないと思う
加わった様々な薬物の使用によって、私は自分の
と、過去だけをみて考える事は、自分の殻の内側を
人生にたくさんの汚点と空白を作ってきました。
手探りしているようなものかもしれません。もと
始まりの原因は何だったにせよ、これらの依存は
より、アルコールと薬物を断たない状態では、日々
6
ます。後悔、罪悪感、恐れ、そういうものの中で身
の過ちを重ねていく事を止められませんでした。
動きのとれなくなった自分に、居場所を与えても
出会う人を悉く傷つけるような私を助けて下さ
らっています。
ったのは、紛れもないその人たちでした。私が体を
私は、自分の殻の存在を知らなかった人間だと、
壊し、心が病みきっていた時に助けてくれたのは、
私が迷惑と害を垂れ流してきた私の周囲の人、私
仲間との生活の中で思い始めています。現在も、何
のいる社会であり、世界でした。
も知らないし、分からないままのように思います。
病院では、治療を受ける事が出来、多くの人から
今、もし何か得たものがあるとすれば、それは、自
多くの助言を頂きました。私は長い年月をかけて、
分は今までの生き方では生きていけない、と思い
自分を孤独の中に追い詰めていました。アルコー
始めた事だと思います。今までの生き方とは、自分
ルと薬物は、酔いや快楽だけではなく、苦痛、恐怖
が感じられないもの、気付けないもの、そういうも
にも満ちていました。私は孤独の中で、私自身をが
のがあるのだ、という事にすら気付けない生き方
んじがらめにしていました。
の事だと思います。私は、自分の事ばかり考えてき
ました。今は、自分以外の誰かを思いやれる、共感
再使用と入退院を繰り返す私は、それでもサマ
できる心が欲しいです。
リヤ館からの生き直しの機会を与えてもらえてい
「再出発を決意して」
トシ
私は3年前、サマリヤ館に入館した事があります。
ギャンブル依存症のトシです。私は今、通所とい
う形で入所させてもらっています。早いもので、通
そしてそのお陰で、別居しても、離婚されても止ま
所してからもう少しで3ヶ月が過ぎようとしてい
らなかったギャンブルを2年半止めさせてもらい
ます。
ました。この感覚は今も生きています。スリップし
実は、今年の2月末にスリップしました。自分で
た時、かなり危なかったけれど、もう一度やり直し
も何故スリップしたのかよくわからないのが、本
たいと思ったのも、サマリヤ館の仲間やGAの仲
当のところですが、
「パチンコ屋」に吸い込まれる
間、そして多くの支援者の贈り物と思っています。
ように入り、打ってしまいました。一度始まると止
今、通所して3ヶ月が過ぎようとしています。年
まりません。早く仲間に正直に話し、また再出発し
齢も高くなり、体の疲れも感じていますが、心は
たい気持ちはもっていましたが、結局のところ、話
日々仲間と共に行動し、今までにはなかった回復
す事は出来ませんでした。眠れない日々が続き、心
の兆しを少しは感じられるようになりました。
も体もおかしくなっている事に危機感はもちまし
この回復を確かなものにする為に ① 正直に自
たが、使う金が無くなるまで、ズルズルとやってし
分を語り、正直に生きる ② 仲間の声や支援者の
まいました。前にも同じような経験をした事があ
声を心で聞けるようにする ③ 自分の回復は仲間
るのに情けない話です。これが依存症という病気
の回復があって初めて成り立っている事を一時も
です。それでも、全く情けない話です。この病気の
忘れてはならない これらを強く心に誓っていま
しつこさと根の深さに改めて驚いています。でも、
す。
この病気の怖さを、本当の怖さを初めて知った感
覚になりました。
7
「人に惚れて」
青十字サマリヤ館
生活支援員
宮崎
寿一
はじめまして。今年の 6 月 22 日より宿泊型訓練施
ました。なぜならば、どちらかというと孤独を好み、
設「青十字サマリヤ会」で生活支援員をしておりま
人前に出ることには消極的であった自分が対人援
す、精神保健福祉士の「宮崎 寿一」と申します。
助を生業とすることができたのは、この「出会い」
私がこの地に住み始めて 35 年。医療・福祉分野
がもたらした新たな人々との関わりと、多様な価
に身を置いてから 20 年という、様々な意味での節
値観や考え方に触れることができたこと。そして、
目である今、サマリヤ会との出会いに運命を感じ
人間に対する興味や関心がもてたからです。
相手を理解するには相手に自らをも理解しても
ずにはいられません。まだ自分が小学生だった頃、
夕方になると怖い顔をしたオジサン達が何人かで
らわなければなりませんが、初対面であったり関
歩いているのをよく見かけたものですが、住み慣
係が希薄であったりするうちは、なかなか自分の
れたこの地で自分がサマリヤの職員になるとは、
ことをさらけだすにはとても勇気がいることです。
当時は勿論のこと、働き始める今日まで想像した
ですが、出会った瞬間が正に新たな人間関係の築
こともありませんでした。
きとなるスタートライン。
「目の前にいる人はどん
な考えをもっているのか」・「どのような価値観を
精神保健領域での職業経験が最も長く、16 年間
札幌市内の精神科病院で勤務しておりましたが、
もってどのように生きてきたのか」そう考えると、
病院という性質上もあってか一般的な精神疾患を
相手に対し人という意味において興味津々です。
はじめ、アルコールや薬物・ギャンブルに問題を抱
好きな物・好きな事をもっとよく知りたいと思う
える方との関わりは決して少なくなく、性別や年
のはある意味必然。つまり、人に惚れれば人をもっ
齢・家族背景や生活環境なども異なり、同じアディ
と知りたいと思うようになるというわけです。
仕事においてもプライベートにおいても、これ
クションであっても、解決すべき課題は正に人そ
からもっと多くの人との出会いがあることと思い
れぞれであったことを今よく思い出します。
ます。それらの一つ一つを大切にしながら、そして、
今回自分がサマリヤ会にお世話になるまでの間
を振り返ってみると、これまで実に多くの人々と
その出会い全てが貴重な出会いとなるよう、より
の「出会い」がありました。そしてその「出会い」
一層人への興味・関心を持ち続けていたいと願う、
が自分にとっての最大の財産であることに気付き
とある暑い日の午後でした。
「ただ今 チャレンジ中」
ふじの共同作業所
生活支援員
中田
ゆかり
性職員の採用までの1~2ヶ月ということで勤め
就活中、先も見えない状況で自分の意志や目的、
できること・今までしてきたこと、プラスすべき知
はじめましたが、幸いなことに今も勤めさせてい
識や力の必要…など振り返りや考える日々を過ご
ただいております。
宮崎さんがサマリヤ館とカンパニーで就業され、
している時にアルバイトのお話がありました。男
8
私はふじの共同作業所に変わり、早く業務を覚え
ーのミーティングも傍聴させていただき、はじめ
雰囲気にも慣れるように勤めている最中です。
(私
て知る世界で、始め話を理解することができませ
なりに…)
んでした。何度か参加する中で、毎日毎日過去を振
以前、保育士をしていた時は、子供の成長を促す
り返り、語るミーティングにいることが辛く感じ
一人として、子供の「今、必要なこと」に応えたり、
ることがありました。私なら何を話すのだろうか
発達段階に合わせ少し先を見通して準備したり見
と。触れたくないような嫌な自分や恥ずかしいこ
守ったりしていました。一人一人が安心して遊び、
と、辛い体験など突きつけられたら話せるだろう
人としての生きる力を身につけ、自分を出しなが
か?!
ら周りの人との繋り方を体験から学んでいけるよ
いように感情に防御柵を作っているのか?明日に
うに育み援助するように心掛けてきました。
繋がるための話しなのだろうか?相互の関係がギ
そして…なぜ淡々と話せるのか?傷つかな
私の保育士としての理想は、子供が喜怒哀楽を
クシャクしないのかと不思議に思いました。後か
すなおに表現できる場所・不安や恐れを抱えた時
ら当事者スタッフにミーティングについて、自分
の安全地帯であり、アンパンマンやショクパンマ
のことを話し仲間の話を聞く意味を教えていただ
ンがダメージを受けたら戻ってくるパン工場のジ
き少し理解できました。
ャムおじさんやバタコさんのような存在になりた
ふじの共同作業所ではまだ名前を覚えられてい
いと思っていました。元気になったら力をつけた
ないかもしれませんが、
“これから”利用されてい
ら、勇気を持って飛び出して、いろいろなことに取
る方々と日々の仕事を通して、またしっかりお話
り組めるように応援したいと…。
を伺って、じっくりとかかわり信頼関係を築いて
いきたいと思います。これまでと異なる職種のた
このような畑ちがいの私がサマリヤ館において、
1~2ヶ月という不確定な雇用期間で何を学び何
め仕事はまだまだで、様々なことを指導して頂い
ができるのか?どのような関わりを持てば良いの
ております。ミーティングでも感じたように自分
かわからないけれど、短期間でも意味があり、貴重
の弱さを認めること、でもどうしようもない部分
な時間・チャレンジする機会が与えられていると
も含めて自分の存在の形を知り、役割や分をわき
思ってスタートしました。しかし、計画の立てられ
まえて、与えられていることを周りの人のために
ない毎日を過ごして、千恵子さんに「何かすること
用いて誠実に勤めたいと思います。宜しくお願い
ありませんか?」とよく尋ねていました。カンパニ
致します。
平成26年度決算報告(2014年4月1日~2015年3月31日)
① サービス事業活動収入
法人全体
サマリヤ・カンパニー
ふじの共同作業所
青十字サマリヤ館
本部
26年度決算
25年度決算
¥0
¥10,000,000
¥20,000,000
¥30,000,000
¥40,000,000
¥50,000,000
② サービス事業活動支出
法人全体
26年度決算
サマリヤ・カンパニー
ふじの共同作業所
青十字サマリヤ館
25年度決算
本部
¥0
¥10,000,000
¥20,000,000
¥30,000,000
9
¥40,000,000
¥50,000,000
第23回
サマリヤ館セミナーのご案内
(アルコール・薬物・ギャンブル依存症者の社会復帰回復訓練中間施設)
錦秋の候、益々御健勝のこととお喜び申し上げます。
皆様には日頃ひとかたならぬお世話になり、御支援をいただきまして厚く御礼申し上げます。
多くの方々の支えにより、このサマリヤ館セミナーも今回で23回目を迎えることが出来ました。
1978年11月に青十字サマリヤ館が藤野に開設されてから37年間、入館者と共に歩んだ一日一日の
積み重ねによって、今日のサマリヤ館が在ることを思いますと、日々の歩みの大切さが思い知らされます。
今回のテーマ「今日一日」は、在館者の方に考えていただき決まりました。在館されている一人一人が自
ら依存症を認め、自らこのサマリヤ館で回復への道を歩んでいる姿や退館され地域で暮らしている方々の様
子、そのような人たちの話を聞いていただければきっと大きな励ましや慰めが得られると思います。
お誘い合わせの上、是非ご出席くださいますよう御案内申し上げます。
【 お問合せ先 青十字サマリヤ館 TEL011-591-1921 】
2015年9月30日
札幌市南区藤野4条3丁目8番18号
社会福祉法人 青十字サマリヤ会
理事長 富 田
日
時
2015年11月23日(月曜日)勤労感謝の日
AM10:00~PM3:30
場
所
かでる2・7
(受付 AM9:30~ 参加費
無料)
大会議室 4階
札幌市中央区北2条西7丁目 TEL
011-231-4111
テーマ 「今日一日」
*お弁当の予約を申し受けます。
11月14日(土)迄にお申込下さい。1 個 500 円です。
当日受付で代金をお支払い下さい。引換券をお渡します。
【申し込み先】青十字サマリヤ会
(TEL 011-591-1921/FAX 011-591-8414)
【会場案内図】
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政 義
第23回 サマリヤ館セミナー プログラム
テーマ
9:30
『
今日一日
』
受付開始
10:00
開会の挨拶
理事長
富田政義
10:10
在館者の話・退館者の話
12:00
昼食
(スライド:青十字サマリヤ館)
1:00
関係者のお話し
医療法人こぶし
院長
芦沢
植苗病院
健
先生
2:00
休憩
2:15
在館者の話・退館者の話
3:15
3:30
閉会の挨拶
終了
院長 芦沢 健(あしざわ たけし)
所属学会:
日本精神神経学会、日本アルコール・薬物医学会、日本アルコール精神
医学会、日本アルコール関連問題学会、日本森田療法学会
メッセージ:
趣味と言えるほどのめり込んでいるものは、ありません。生き物が好き
です。今はネコ 2 匹、陸亀 1 匹を飼っています。かつて犬、ミニウサギも飼っていました。たまにゆっく
り水泳をしています。たまに手際の悪い料理を作っていますが、家族の評判は悪くはありません。
( 植苗病院ホームページより )
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献品・献金・青十字サマリヤ館の建て替え寄附金
いつも当会の活動をご支援下さり、誠にありがとうございます(あいうえお順・敬称略)
2014 年 8 月 1 日~2015 年 9 月 30 日現在
【団体】
旭山病院 5-2 病棟有志・厚別福音キリスト教会・石狩栄光教会・植苗病院・恵庭福音キリスト教会・渡島総合振興局渡島保健所・カトリック真駒内教会・
北広島福音キリスト教会・救世軍札幌小隊・倶知安福音キリスト教会・グレースコミュニティ・栄福音キリスト教会・札幌大学女子短期大学・
札幌ナザレン教会・札幌羊ヶ丘教会・札幌平和の福音教会・札幌保護観察所B班・札幌南福音キリスト教会・三番通福音キリスト教会・
砂川福音キリスト教会・滝川保健所 有志・デイケアクリニック ほっとステーション・東栄福音キリスト教会・道立精神保健福祉センター・
豊平区役所 保健福祉課 有志長野病院・日本キリスト教会 小樽シオン教会・日本キリスト教会 札幌北一条教会・日本キリスト教会 伊達教会・
日本キリスト教会 苫小牧教会・日本キリスト教会 札幌手稲前田伝道所・日本キリスト教団 岩見沢教会・日本キリスト教会 北見教会・
日本キリスト教団
真駒内教会・日本メノナイト 標茶キリスト教会・日本メノナイト白石キリスト教会・日本メノナイト 富良野のぞみキリスト教会・
函館市役所 障害保健福祉課 精神保健担当 有志・平岡福音キリスト教会・深川地域保健室(深川保健所)
・藤野福音キリスト教会・北海道共同募金会・
北海道室蘭保健所・幌向小羊教会・緑ヶ丘病院地域連携室・ミネルバ病院
【個人】
浅井孝敏・浅井礼二・芦澤健・有賀学御母堂・有馬滋・飯田勝彦・池川貞・岩瀬洋子・植松誠・宇都宮前館長ご息女・遠藤稔・大崎良子・小倉敬一・
小田島・尾上・角本修一・加藤久美子・金子弘 / 千枝子・鴨田典子・川口かおり・川村敏明・河村由紀・川本・菊池紀子・木村美香・熊谷トキ・
倉地みち子・源・越山涼子・小向逸蔵・齋藤利和・嵯城昌二・佐藤末吉・佐藤公博 / 幸子・齊藤和夫・齊藤千恵子・齊藤翼・佐伯綾子・佐々木信一・
笹森ノブ・澤本俊雄・鹿野真澄 / 晴美・渋谷敬子・須貝禎子・鈴木保夫・相馬剛・相馬のぞみ・相馬ゆりか・高橋信義・武田聡人・田辺等・谷井広樹・
谷口和弥・丹羽和彦・対馬隆行・土田宏暢・とおる・鴇田典子・富田政義・中條達也・中村貞・中村民保子・中村恵・西岡和賜・根井博 / 悦子・橋本菊次郎・
長谷川直実・平瀬マサ子・廣田洋子・福島光子・福冨律・藤井豊子・深山奈美子・細川亜希子・町田紀美子・宮下和之 / 陽子・武藤忠司・ムネ・
村上由彦・村瀬俊夫・山口俊郎・山内政俊・山谷ゆかり・横内悟・横山登志子・米田憲司・ロバート・カニンガム・若杉久恵
再始動
– 2年後の建て替えを目指して –
青十字サマリヤ館は、1978 年(昭和 53 年)にアルコール依存症者の社会復帰施設として国内外
の寄附金によって建てられました。開設から 37 年、その間に 300 名以上のアルコール・薬物依存
症者の方々が全国から社会復帰されるために入館されて来ました。このように微力ながらも民間の
社会復帰施設として運営を続けられたことは、多くの皆様の温かい支えがあったからこそと思いま
す。しかしながら、近年、青十字サマリヤ館の老朽化による施設の傷みが酷く、加えて建物自体の
耐震強度不足のため、このままでは入館者の安全な居住生活を守ることができない状況にあります。
今後、引き続き社会復帰施設として推進していくために、下記の方法で皆様からの尊い寄附金の協
力をお願いしたいと思います。宜しくお願い申し上げます。
方法:現金書留または下記の口座までお申込み下さい。お近くの方はぜひ施設見学も兼ねてご持参下さい。お待ちしています。
ゆうちょ口座 02780-6-23513
加盟者名 社会福祉法人 青十字サマリヤ会(青十字サマリヤ館 建替寄附金)とご明記下さい。
※当会への年間 2,000 円以上の寄附金は所得税法及び法人税法の定めにより、税額控除の適用を受けることができます。
累計1,000万円を突破致しました。
*皆様から頂きました建替募金のご寄付が
引き続きのご支援を何卒よろしくお願い致します。
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