2010 No.5 SEP - 公益社団法人 日本航空機操縦士協会

ISSN 0389-5254
2010 No.5 SEP
JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOCIATION
日本航空機操縦士協会のめざすもの
1. 私達の活動の目的は、 定款に定められた通り 「航空技術の向上を図り、 航空の安全確保
につとめ航空知識の普及と諸般の調査研究を行い、 もって我が国航空の健全な発展を促
進する」 ことです。
2. 私達は、 定款の目的を踏まえ、 将来のあるべき姿として 「安全で誰からも信頼され、 愛
される航空を実現する」 というビジョンを描いています。
3. 私達は、 目的・ビジョンを達成するために下記を基本的指針に掲げて活動して行きます。
航空の安全文化を構築する。 (組織と個人が安全を最優先する気風や習慣を育て、
社会全体で安全意識を高めて行くこと)
地球環境と航空の発展との調和を図る。
航空に携わるものどうしが心を通わせ共存共栄を図る。
第46期 (平成22年度) 重点施策
本協会は、 引き続き航空の安全に資する事業を推進し、 航空関係者の知識と能力を育
み、 大きな変化が顕在化してきた状況の下、 事業の公益性を一段と高め、 移行認定 (公
益認定) の手続きを進めます。 あわせて財政の安定化を図り、 事業に要するコストの効
率化を進めます。
本協会が行なっている事業は、 公共性を有していると判断できます。 操縦士としての
経験と知識を活かし、 日本の空の安全と発展に資するために活動を続けています。 安全
情報の提供、 制度の解説、 知識の普及は空の安全に役立っています。 行政との関わりは、
安全講習会の開催や、 安全関連検討会への委員の派遣、 専門書の監修依頼など多岐に亘っ
ています。 今後も公益社団法人の役割を担う事と考えます。
この様な環境を踏まえ、 私たちは航空機の運航と空中における豊富な経験と培った知
見を活かし、 次の事業を行ないます。
航空の安全文化の普及と啓発
安全対策 (制度と運用)
情報伝達と提供
技能習熟の支援
情報収集及び調査研究
その他、 本協会の運営に必要な事項
操縦士協会は会員を募集しています。
JAPAは公益法人として国土交通大臣の認可を受けた日本唯一の操縦士団体です。
目的
本協会は、 航空技術の向上を図り、 航空の安全確保につとめ航空知識の普及と諸般の調査研究を
行い、 もってわが国航空の健全な発展を促進することを目的としています。
協会の会員は、 下記のように分かれます。
正 会 員;協会の目的に賛同して入会された方で、 原則として操縦士技能証明をお持ちの方です。
賛助会員;協会の事業を賛助するため入会した個人または法人です。 個人賛助会員は、 満16歳以上の操
縦士技能証明を持たない方で、 法人賛助会員の資格は、 特に定めはありません。
正会員の会費;月
額 1,500円:協会運営費
個人賛助会員;月
額
1,500円:協会運営費
法人賛助会員:一口年額 50,000円:協会運営費
入会すると?
①協会機関誌 (AIM・PILOT誌など) の無償入手
②航空関連商品 (書籍等) の割引購入
③会員向け、 空港施設見学や講習会への参加
④協会契約割引施設の利用
お申し込みは別途 「入会申込書」 をお送り致しますので、 事務局までご連絡下さい。
皆様のご入会をお待ち致しております!
社団法人 日本航空機操縦士協会 JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOSIATION
TEL03-3501-0433 FAX03-3501-0435 E-Mail [email protected]
Home page URL http://www.japa.or.jp/
CONTENTS
No.322
4
2010 No.5 SEP
航空100年と空の安全を考える
副会長
8
54
小林
グアム
ゼネアビ紀行
その1
宏之
寄稿
59
あるパイロットのつぶやき
石原
達也
奥貫
博
GA:ジェネアビ情報
宇都宮航空連絡会
神谷
國夫
井上
節子
大好きな飛行機と共に
65
運航研究に触れた気象委員!
ENRI・JAXA見学会
14
航空史曼陀羅
航空気象委員会
その37. 戦闘隊パイロットの総本山
明野陸軍飛行学校
68
徳田
20
生かされない事故事例!
テストパイロットの考察
69
安全の分水領
運航・技術講座
連載・飛行力学物語
46
奥貫
博
開催予告
西日本支部だより
スカイ・レジャー・ジャパン 10イン福井
全日本曲技飛行競技会 開催案内
第32回 ATS シンポジウム開催のご案内
第5回 航空気象シンポジウム
アクシデント・インシデント概要
役立つ!
博
参加報告
2010-9-6
岩瀬 健祐
73
33
奥貫
コウノトリ但馬空港フェスティバル 10
第41回 ISASI 年次セミナー講演録
27
FAI ニュース
忠成
その8
柴田
眞
Aiming! Landing を制する必要条件! 必須条件!
蔵岡 賢治
79
Aviation Cafe
81
航空局通達
ロートルパイロット
82
JAPA 通信
駆出しパイロット
86
JAPA Aerial Photo Exhibition
湧井カレン
88
編集後記
オススメ!情報ボックス
書籍 & Goods 紹介
2マイルオンファイナル??
手形がついた霜柱?
Nature Calls
52
I Aviation
第2弾
―Hello from Guam―
第1回 Guam! Here I come
青木
美和
社団
法人
日本航空機操縦士協会
JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOCIATION
航空100年と
空の安全を考える
副会長
小
航空100年と最近の事故について
ライト兄弟の初飛行からわずか7年後の1910
年12月19日に、 徳川好敏大尉と日野熊蔵大尉が
代々木練兵場において、 日本における初飛行に
成功しました。 今年はそれからちょうど100年
目にあたり、 航空界、 当協会にとっても記念す
べき年でもあります。 ちなみに、 徳川大尉は、
日本航空機操縦士協会が発足した1957年に名誉
会長としても当協会にもその名を残して頂いて
おります。
人類の有史以来の夢であった 「大空を飛ぶ」
ということが実現されてから、 この1世紀余の
間に航空界は目覚しい発展を続け、 人やもの、
文化の交流に多大な貢献をしてきました。
しかし、 その輝かしい発展の裏では、 事故と
の戦いの歴史でもありました。 日本の航空界に
おいても、 例外ではなく、 幾多の事故、 尊い命
の犠牲のなかで、 今日まで歩んできました。
定期航空会社の運航に関しては、 1985年の日
航機の御巣鷹山事故以来25年間、 航空機による
死亡事故は起きていません。 しかし、 この間に
おいても小型機やヘリコプターの事故は続いて
おります。
特に今年の夏には、 小型機、 ヘリコプターに
よる事故がすでに4件も起こっています。
7月25日に埼玉県秩父市で、 救援活動中の防
災ヘリコプターが墜落してパイロットをふくめ
5名の方が亡くなりました。
その3日後の7月28日には、 新潟空港を発っ
て、 丘珠空港に向かっていた中日本航空の単発
小型機が青森県竜飛岬上空で消息を絶ち、 2日
後に機体と遺体が発見されました。
8月1日には、 長崎県の壱岐空港を発って、
4
2010 SEP
林
宏
之
熊本県にある個人所有のヘリポートに向かって
いた小型ヘリコプターが田んぼに墜落して、 操
縦士を含め2名が亡くなりました。
そして、 8月18日には、 海上保安庁のヘリコ
プターが瀬戸内海で墜落して、 5名が亡くなり
ました。 この4件の事故原因については、 現在
運輸安全委員会によって調査が行われています。
航空の発展は、 安全のうえに成り立つもので
あることは異論を挟む余地はありません。
航空100年を迎えるのを機に、 ここで今一度
「安全」 についてレビューし、 当協会としての
役割について考えてみたいと思います。
安全の定義
安全の定義に関しては、 各分野でいろいろな
定義がなされています。 航空界では ICOA が
次のように定義しています。
「安全とは、 継続的に危険要素を認識し、 リ
スクマネジメントを実行してゆくことによっ
て、 人的危害や財産への被害のリスクを軽
減し、 たとえ、 危害を被っても、 許容範囲
に維持している状態をいう (筆者訳)」
この定義を、 フライトに照らし合わせて意訳
してみると 「飛行には、 必ずリスクや危険要素
が伴う。 常にそのリスクや危険な要素を認識し
て、 リスクマネジメントを実行しながら、 たと
えどのようなことに遭遇しても、 最悪の事態を
避け、 安全を許容範囲内に収めて、 フライトを
完遂すること」 と言い換えることができます。
日本の空が抱えるリスクと危険要素
日本の空の特徴として、 地理的、 気象学的に
加え、 空域の視点からみても、 多くのリスクや
危険要素を抱えながらフライトをしているのだ
という現実を認識する必要があります。
地理的には、 国土の大部分が山岳地帯である
ことのリスクがあげられます。 気象学的には、
中緯度に位置する日本は、 季節の移り変わりは
もとより、 短時間内に気象が激しく変化するこ
ともあり、 フライト中に気象条件が急変するリ
スクがあります。 しかも、 最近は、 地球の温暖
化によって、 対流が変わり、 その結果として偏
西風が大きく蛇行したり、 今までの経験則では
説明がつかないような偏西風が吹いて、 予想外
の風や、 ゲリラ豪雨と呼ばれる、 急激な集中豪
雨に遭遇することも珍しくありません。
更に、 この狭い日本の空にあって、 様々な空
域が輻輳しており、 許容範囲の少ないなかでの
飛行を余儀なくされています。
このような、 日本の空の状況下で、 リスクや
危険要素を抱えながら、 民間航空会社の定期便、
事業用航空機、 自家用機、 滑空機、 そして自衛
隊機が、 それぞれ異なるミッションや目的で飛
んでいるということを常に認識する必要があり
ます。
リスクマネジメントはまず、 飛行に伴うリス
クや危険要素を認識することが出発点となりま
す。 リスクや危険要素を認識したら、 そのリス
クや危険な要素、 危険な状態と自機とが、 どの
くらいの関係位置にあるのか、 どの程度の許容
範囲内にあるかという把握ができていれば、 リ
スクや危険に近づくことはなく、 また万一近づ
いたとしても、 そこから離れる措置をとること
がきます。
自機とリスクや危険との距離や方向を把握す
るという意味では、 航法 (ナビゲーション) に
似ています。 従って、 パイロットにとっては、
リスクマネジメントは、 リスクナビゲーション
と捉えると、 分かりやすいかも知れません。
リスクマネジメント
リスクマネジメントとは、 「人間の活動にお
いて潜在し、 或いは顕在化したリスクに対する
①未然防止②被害局限対応③回復④事後処理・
再発防止の一連のマネジメント」 をいいます。
この一連のマネジメントで一番大切なのが未
然防止であることは言うまでもありません。
航空界では事後処理・再発防止の Reactive
Safety に対して、 Proactive Safety と呼んで、
重要視し、 積極的に取り組んでいることは、 ご
存知のとおりです。
ここでは、 パイロットにとって、 一連のマネ
ジメントにおける大切なポイントについての項
目や要点を列記してみます。
未然防止
①知識・技量の維持向上②定期的な教育・訓
練及び審査③基本・確認行為の徹底④マイナ
ス情報への感性 (危機意識、 リスク・危険の
予測) ⑤ヒヤリ・ハットなどの自発的報告制
度の充実⑥安全文化の構築
被害極限対応
①フライファースト②状況認識③緊急度と重
要度の峻別
回復
パイロットにとって、 「回復」 とは、 元の
状態、 正常な状態に回復することです。 緊急
事態に陥った場合でも、 どこかの空港に安全
に着陸すること (あるいは、 着地、 着水する
こと) です。
そのためには、 日頃の訓練に裏づけされた
「どんな事態に遭遇しても、 必ず着陸 (着地、
着水) するのだ」 という確信を持って、 冷静
に対応することが大切です。
事後処理・再発防止
事故やインシデントの場合は当然報告書の
提出が求められます。 例え、 事故・インシデ
ントには至らなく、 ヒヤリ・ハットの段階で
収まったとしても、 自発的な報告は、 事故防
止、 再発防止に貴重な資料となります。 自発
的報告制度の充実は、 特にヒューマンエラー
対策にとっても有効なものとなります。
事故・インシデント事例、 ヒヤリ・ハット
事例をもとにして、 当事者意識での事例研究
は、 リスクに対する感性を磨き、 飛行の安全
確保にとって大きく貢献してくれます。
ここで、 参考までに、 リスクマネジメント、
危機管理の原理原則を4つほどあげておきます。
2010 SEP
5
「愚直なまでに基本・確認の徹底」
「悲観的に準備して楽観的に対応」
「判断は複数の情報で判断を」
「決断に迷ったたら嫌われる決断を」
安全を支える4本の柱
安全は一般に、 ハードウェアー、 ソフトウェ
アー、 ヒューマン、 ソーシャルウェアーの4本
の柱によって支えられています。 しかもそのど
れもが完全なものはひとつもなく、 お互いの不
完全さを、 それぞれが補い合いながら、 安全を
確保する工夫が必要となります。
これを航空界に当てはめてみると次のように
分類されるのではないでしょうか。
ハードウェアー:機体、 機器類、 空港の施
設や航法援助施設など
ソフトウェアー:航空法・規程類・マニュ
アル・教育・訓練・審査など
ヒューマン:パイロットや整備士、 管制官
など人間の考え方、 行動、 習慣
ソーシャルリソース:安全情報、 事故イン
シデント、 ヒヤリハット情報などの情報及
び、 それらの情報共有のネットワークなど
この4本の柱のうち、 機体・機器類は日進月
歩の飛躍的な進歩を遂げています。 航空法や規
定類、 訓練・審査体系、 そして情報の共有ネッ
トワークもよく整備されてきています。 これら
の効果もあって、 機材や法規類などの不具合や
不備が原因の事故は減少しています。 しかし、
ヒューマンファクターが関与した事故やインシ
デントは、 依然として減る気配はなく、 同じよ
うな事故が繰り返されているのが現状でありま
す。
事故の要因の大部分にヒューマンファクター
が関与しており、 しかもそのうちの80%前後が
基本や確認行為の逸脱となっています。
こうしたデータからも、 ヒューマンファクター
の視点からの取り組みが、 事故防止の鍵を握っ
ていると言えます。 とりわけ、 基本・確認行為
の徹底の重要性が事故の度に指摘されています。
それゆえに、 安全確保のためのリスクマネジ
メント、 危機管理の原理原則の第一番には、
6
2010 SEP
「愚直なまでに基本・確認行為の徹底」 があげ
られます。
安全の土壌としての安全文化
安全を支える4本の柱は前項で確認しました。
その柱がしっかりと立つためには安全文化とい
う土壌が必要になります。
安全文化という言葉が公式に使用されたのは、
1986年に旧ソ連のチェルノブイリで起きた、 原
発事故の事故調査報告書と、 その勧告によるも
のです。 その後、 世界で大きな事故が起きる度
に、 安全文化の欠如が指摘され、 その構築の必
要性が求められています。
安全文化というと、 抽象的で、 捉え難く感じ
ますが、 安全に関する考え方、 行動の習慣と捉
えることによって、 実用的な施策として取り組
むことができます。
安全文化は 「安全を最優先する」 という基本
原則のもとに、 現場に携わる者にとってはいく
つかの具体的な構成要素が考えられます。
その例としては、 次のようなものがあります。
①報告の文化②柔軟の文化③学習の文化④謙虚
と自律の文化⑤ 「間」 の文化などがあります。
これらを習慣化することによって、 安全文化を
構築していくことができます。
報告の文化は最も具体的であって、 取り組み
やすい文化です。 悪い情報は放っておくと 「隠
れたがる、 隠したがる」 という性質をもってい
ます。 その貴重な情報はその組織だけのものに
なり他の組織でも同じようなことを繰り返す、
という傾向をもっています。 特にヒューマンエ
ラーなどは報告しにくいものです。
これを自発的に報告し、 みんなでその情報を
共有することによって、 危険に対する意識・感
性が高まります。
安全を確保するためには、 この世の中には、
完全なものはひとつも存在しない、 完全な人間
はひとりもいない、 という謙虚心と、 自己責任、
自助努力の自律心の構えなしには効果的なリス
クマネジメントは不可能です。
ヒューマンエラーを引き起こす要因のひとつ
に、 「ハリーアップ症候群」 というものがあり
ます。 時間のプレッシャーに負けてしまって、
急いで判断、 操作をしてしまい、 ついヒューマ
ンエラーを起こしてしまうという例は誰にもあ
ります。
そのようなときには、 ちょっと 「間」 をとっ
て判断、 操作をすれば、 かなりのヒューマンエ
ラーを防ぐことができるはずです。 逆に、 緊急
事態に遭遇した場合には、 迅速な対応が被害の
拡大を防止することができます。 こうした、 習
慣が 「間」 の文化となります。
安全に関する操縦士協会の役割
航空100年を迎えるにあたり、 航空の発展の
基盤となる 「安全」 についてレビューをしてき
ました。
ここからは、 日本の航空界における、 私たち
の協会が果たすべき役割を考えてみたいと思い
ます。
当協会には、 現在13の委員会と全国に6つの
支部があります。 その活動のなかで、 様々な角
度から飛行の安全について検討し、 対応がなさ
れています。
各委員会、 各支部では、 それぞれの分野で有
効な討議がなされています。 安全は4本の柱で
許容範囲内に支えられています。 そのなかの情
報の共有という視点からみると、 各委員会、 各
支部の有益な情報を PILOT 誌などを通じて協
会全体、 会員全員で共有することによって、 そ
の活動がより活きてきます。 また、 必要に応じ
て協会以外にも情報を発信して、 航空全体の安
全にも寄与してゆくことは、 大変意義のあるこ
とになります。
操縦士協会は、 航空安全講習会を全国で積極
的に実施してきています。 今年度も20数回の安
全講習会を実施、 計画中です。
この航空安全講習会の参加者は、 組織的かつ
定期的に安全教育・訓練を受けている航空会社
のパイロット以外の事業用、 ヘリコプター、 小
型機、 滑空機のパイロットが中心となっていま
す。
この夏のヘリコプター、 小型機による連続事
故を鑑みると、 操縦士協会が主催する、 航空安
全講習会のもつ役割の重要性が再認識されます。
そして、 当協会としても、 いままで以上に、 よ
り積極的に取り組んでゆく必要性が浮かび上がっ
てきます。
操 縦 士 協 会 事 務 所 に 設 置 さ れ て い る FTD
(フライト・トレーニング・ディバイス) を使
用して、 各種のフライトトレーニングを実施し
ています。 教官はいずれも、 大手航空会社で長
年機長として乗務してきたベテランが担当して
います。
この FTD を使っての訓練において、 操縦の
技量維持向上はもとより、 経験豊かなベテラン
パイロット教官から、 安全に対する考え方や取
り組む姿勢も自然に薫陶を受けることができま
す。
このように、 当協会 FTD は日本の空の安全
にも寄与しています。 FTD の有効性を積極的
にアピールして、 より多くのパイロットに活用
して頂けるように努めてまいります。
操縦士協会の新しい試みとして、 会員パイロッ
トによる全国各地での 「出前講座」 を計画して
います。 テーマは、 航空教室をはじめ、 講座を
担当して頂く会員の得意なテーマで実施してゆ
く予定です。
この講座の中では、 パイロットの安全確保の
取り組みにも言及することもありますので、 一
般の社会における安全対策にも活用されること
も期待できます。
この 「出前講座」 は社会貢献としての役割も
兼ねており、 協会の公益法人に向けての取り組
みという視点からも意義のある活動となります。
今回は、 航空100年を迎えるに際し、 空の安
全と当協会の役割について考えてみました。
会員の皆様の飛行の安全をお祈りいたしてお
ります。
2010 SEP
7
◎寄
稿
あるパイロットのつぶやき
―今も通用する操縦こと始め―
あの頃は若かった!
元 JAL 機長
前号に引き続き、 今回は軍隊編 (99式襲撃
機) の思い出話です。
善玉
推力
M中尉
悪玉 S曹長
揚力 抗力 重力のこと
●出会い
昭和19年3月、 航空機乗員養成所を卒業した
次の日に、 戦況が行き詰っていたせいか、 軍隊
に入隊させられた。 当時18歳。 私の飛行時間は
230時間。
連れて行かれたところは朝鮮平城軽爆隊、 機
種は99式襲撃機で射撃、 爆撃の習得であり、 軍
人としての教育であった。
99式襲撃機
その時、 素晴らしい人と憎たらしい人とに出
会った。
善玉M中尉は学徒出身で、 T大航空学部卒の
操縦士官であった。
見るからに理知的で、 厳しさの中に優しさが
あった。
悪玉S曹長は典型的ないじめ軍人で、 権力を
かさに脅しかける嫌な下士官であった。
8
2010 SEP
神谷
國夫
が、 そこで実践的で貴重な体験と指導を受け
ることになり、 いかに航空機乗員養成所の操縦
技術が、 きわめて初歩的なものだったのかを痛
感させられた。
いっぱしの操縦士、 とうぬぼれていた私に航
空力学を徹底して意識させたのが戦技であった。
恥ずかしながら、 揚力、 抵抗と言えば主翼だ
けと思っていたが、 昇降舵、 方向舵、 補助翼、
プロペラ全てが揚力、 抵抗の作用によるものと
知った。
もっと目に見えない空気のことを知りたい、
と痛感した。
●操舵による抵抗 (金魚運動) と形状
抵抗の話
科目編隊飛行の時、 S曹長の機体は決まって
スピンナーをつけず、 車輪カバーも外した飛行
機を使用した。
我々2番機、 3番機を務める飛行機は完全な
もの、 水平飛行時の編隊飛行はなんら違和感が
ないものの、 45度の急降下に移ると影響が如実
に現われる。
もうお分かりでしょう。
抵抗の大きい編隊長機に対し、 抵抗の少ない
私達僚機は三角形の隊形を保持できず、 編隊長
機の前に飛び出してしまう。
地上に降りるとS曹長の怒鳴り声 「貴様達は
軍人精神が足らんから、 編隊ひとつも出来ん」
と仁王面、 嫌なやつ。
M中尉はこれを丁寧に解説、 つまりスピンナー、
車輪カバーをしないと空気の流れが悪くなる、
そしてその渦がスピードを殺す。
車輪カバーを着けると着けないでは、 この飛
行機の場合、 巡航時で15キロメートルも違うこ
とになる。
飛行機には、 いっぱい抵抗が発生することを
記憶に留めよ。
では飛行中、 パイロットが操作して抵抗を変
化させる方法は?
この機でいえば
プロペラのピッチを最低にする
動翼、 すなわち昇降舵、 方向舵、 補助翼を
動かして過流を作って抵抗を増やす、 これ
を金魚運動と名づけた
操縦席のスライド扉を全開にする
スロットルを全閉にする。
私は編隊飛行で困ることがなくなり、 扉の開
閉を使って、 微妙に抵抗の増減に替えることも
出来るようになった。
編隊長機より遅れそうになったら扉を閉める、
前のめりになりそうになったら扉を開く。
面白い。
99式襲撃機は地上にある飛行機、 機甲部隊、
歩兵部隊の襲撃を主目的に作られた、 低空性能
を極端に重視した飛行機なので、 高度1m の
飛行から、 急降下爆撃の開始高度1000m の間
で軽快に飛翔した。
特に、 翼端失速を防ぐため、 固定スロットが
ついていた。
地面効果も知った、 誘導抵抗も知った。
トルク効果も。
●いよいよ戦技に移る。
1. 玉 (ボール) が中心でなければ、 弾は当た
らない。
2. 玉 (ボール) が中心から外れていれば、 弾
は当たらない。
1. 池に2メートル四方の的、 これを機銃で撃
つ、 照準器を覗いて的にあわせ、 発射ボタン
を押すと弾が出て、 的に当たると思いきや、
当たらない。
何故だ、 なぜだ。
重心の方向線と弾道線が一致しないからだ。
旋回計を見るとボールがセンターよりずれて
いる、 これを修正すれば当たるか、 と言えば
当たらない。
どうして? 的との距離が遠すぎた。
両翼の機銃より打ち出す弾は150メートルで
交差する、 遠くても近すぎても当たらない。
本当に飛行機を操ることは難しい。
が、 戦場で生き抜くためには、 早く戦技を習
得しなければならぬ。
2. またもS曹長が私の編隊長機になった。
今日は何をたくらんでいるのか、 単縦陣で飛
行場襲撃の課目、 長機の3メートル後方に位
置し、 照準眼鏡を覗いて真後ろにいることを
確認する。
一瞬、 計器盤をスキャンした。 異常なし。
前を見る、 あれ? 長機が左に移動している。
すぐ左にバンクして軸線に乗ろうとしたら、
長機は翼を水平にしたまま右に移動するでは
ないか。 一体どんな舵を使ったのか?
地上に降りて一言 「撃つことばかり考えて、
撃たれることも頭に入れろ。 馬鹿もん」
素直に教えてくれれば良いのに……後刻耳学
問。 方向舵を踏んで飛行機を水平のまま滑ら
すと、 弾は当たらないとか。
●荷重倍数、 惰性 (Gの現象)
地上標的の射撃基本姿勢は、 高度200メート
ルから降下角30度で接近、 100メートルで射撃
を開始し、 50メートルで離脱、 時速240キロメー
トル (秒速66メートル)。
そのままだと1.5秒で地上に激突、 アーメン
である。
この時間内で引き上げ舵を使うと、 飛行機に
は惰性という厄介な問題がついてくる、 2.5ト
ンの自重と秒速66メートル重心方向性が、 20メー
トルの高度ロスをもたらす。
実際に、 地上に激突した例があったとのこと。
これが急降下爆撃になると、 もつと厳しくな
2010 SEP
9
る。
高度1.100メートルより55度の降下角で500メー
トルまで降下したら爆弾を放すのだが、 降下中
に速度が付くと主翼に揚力が生じ、 機首を上げ
ようとする、 目標をキープするため、 操縦桿を
前に押す、 体が浮く、 下手をすると降下の角度
はもっと深くなる。
高度500メートル、 時速260キロメートルで爆
弾を落とし、 手を緩め上げ舵をとると飛行機は
上昇姿勢へと向かうが、 まだ沈む。
すごいGがかかって目の前が真っ暗になり、
何も見えない。
しばらくすると眼球の奥が白くなり、 物が見
えてくる。
Gが軽減したのだ。
無意識のうちにエンジンの回転を上げている。
エアーショウで、 ダイブした戦闘機が地上に激
突した話をたびたび聞く。 惰性の処理ばかりで
なく、 推力、 揚力、 抗力の実態を把握した舵が
適切でなかったのではと思う。 急激な上げ舵は
昇降舵の失速を促し、 機首は上がらなかったの
では?
そして、 推力がなければ上昇しないジェット
機では、 なおさら難しいだろう。
重力+惰性の処理を低高度で間違えると、
JAL のコンベア880の3件の事故のようになる
と……これは私見である。
剣道で言う見切り、 間合いが大切だ。
そしてタイムラグだ。
ジェット・エンジンは、 スロットルを入れて
もすぐには反応しない。
推力になるのに時間がかかる。
ジェット機は、 速度が増えること、 又は迎角
が増えなければ、 揚力増とならない。
●墜落 (水は堅い)
離陸して高度100メートルぐらいで一つしか
ないエンジンが止まった。
操縦していたのは同僚のH君、 私は後席での
見取り稽古?
練習機ではないので後席に操縦装置はない。
10
2010 SEP
彼は頭を押えて滑空に移ったが大同江の川の上
だ、 向こう岸が見えているものの川幅は広い、
水面が近づいてくる、 頭が上がる、 おもわず
“速度、 速度!”と怒鳴るが突然機首を下に、
左に傾き失速“があん”と両脚が機体から離れ
て飛んだ。
機体は水の中に潜る、 頭から水をかぶるがす
ぐ水面に浮かんだ。
飛行機が浮いている、 翼の上に上がって操縦
席を見る、 H君は何処で顔を打ったか血を流し
てぐったり、 手を貸して操縦席より出し、 翼の
上で助けを待った、 翼を破壊しなければ飛行機
は浮くことを知った。
またひっくり返らなければ生きながらえる。
たとえ15分や20分でも貴重な時間だ。
その後飛行機は沈んだ。
何日か後、 干潮時に飛行機は引き上げられ、
調査の結果パイロット・ミスと判明した。 離陸
に際しエンジン混合気レバーをリッチ位置にし
なかったため、 燃料不足による故障であった。
チェックリストがあったら防げたのに、 日本
陸軍には無かった。
地上への不時着は如何に? 自己機の失速速
度は知っておくべきだ。
ただ古い飛行機や、 翼が石や草やで変形して
いるものは、 意外と失速点が高いよ。
●もう一つの事故
またもやS曹長、 敵地攻撃のための低空によ
る接近、 大同江の堤防より低く川面の上1メー
トルで編隊飛行、 橋は飛び越え、 高圧線はくぐ
り、 丘陵地帯に入った、 当然敵からの目を避け
るため、 木の梢すれすれに飛ぶ。
いつでも上空に逃げられるように、 操縦桿を
緩めれば上げ舵になるようにトリムして私は飛
ぶ、 2番機は私、 3番機はN君、 緊張しながら
の飛行だ。
それこそ泥棒目、 トンボの目だ。 丘の稜線を
左旋回で越えたところに高圧線があった、 長機
はすぐ上昇に移った、 2番機の私は左旋回だっ
たので長機より高位置にいたし、 高圧線も視野
の中にあったからすぐ対応できたが、 3番機は
長機を右に見ての左旋回なので一瞬の遅れと高
圧線に気がつかなかったか、 左翼を電線に引っ
掛けた、 青白い放電の稲妻を振りまいて線が切
れ、 N君は斜面に滑り込んだ。 強運なのか、 怪
我もしないで生きていた。
が後日、 特攻隊で名誉の戦死をした。
地形を知り、 逃れる予知を計画の中に入れて
飛べ。
●夜の地形 (いつも飛行機より前におれ)
7月になって、 夜間飛行訓練になった。
現在のように、 完備された夜間照明は何処に
もない、 あるのは滑走路の両端に探照灯が中心
線を示すのと、 接地点の脇に簡易進入補助装置
で進入角度と接地操作の高度を示す照明だけだ。
薄暮飛行から4日目に完全夜間飛行に入った、
編隊長機が離陸、 2番機が続いて離陸、 3番機
の私は2番機の離陸を確かめてエンジンをいれ、
離陸を開始した。 尾輪式だから尻を上げないこ
とにはまん前が見えない、 昼や薄暮とはまるき
り感覚が違う、 まあとにかく離陸した。 が水平
線が無い、 計器がやけに明るい、 2番機を探す
が視野に入らない、 まあ集合地点へと機首を回
すと平城市街の灯りがいっぱい、 その時すでに
私の心理状態は不安と焦りで冷静さを欠いてい
たんだろう。
後席の同僚も長機、 2番機とも探しあぐねて
いる、 右へ左へポジションロス、 無線機も無い、
ADF など航法機器など無い軍用機、 頼みはわ
が目だけ、 高度200メートルでは地表の判定も
昼間のようには頭に入らない、 自分の思考より
飛行機のほうが早い、 後手後手に回った。
口惜しいが飛行場に帰る決断をする、 が、 飛
行場が何処か分からない……やっと気がついた、
高度を取った。
俯瞰が変わった。
黒い帯の大同江の川だ。
気持ちも落ち着いた。
飛行場の探証灯が灯台のように目に入る。
地上に降りてM中尉 「君らはいつも漠然と飛
んでいて、 一人で飛ぶことの心構えが無いから
地形への強い関心が養われていない、 それに羅
針盤と時間を見ないで飛行しているのだろう。
たとえば大同江河口から飛行場まで何度で、
何分かかるか地図上で計ったことがあるか?
与えられたことだけで命は守れないよ」 と。 常
時勉強、 先輩の言葉は貴重。
………………………………………………………
昭和19年7月の終わり、 戦局はさらに厳しく、
撤退に継ぐ撤退で敗戦の機運濃厚の時に予備伍
長で除隊になった。
戦局を考えれば奇跡的な命令だ。
M中尉、 S曹長、 どちらも貴重な操縦技術と
精神を与えてくれたことに感謝。
そして無事故郷に帰り、 8月半ばになって大
日本航空株式会社へ、 民間機の操縦士見習とし
て熊本訓練所に入社した。
続く。
2010 SEP
11
◎寄
稿
大好きな飛行機と共に
ある飛行機大好き家族のお話です
主婦
私の祖父が初めてアメリカに行ったのは今か
ら約60年前の昭和28年。 今ではその頃の話を直
接聞く事は出来なくなりましたが、 たくさんの
記録が写真で残されています。
その写真を保管している父も早くから海外へ
出向き、 渡航回数110回、 訪れた国は30カ国以
上、 仕事やプライベートで行った人です。 その
父も今年80歳になり 「海外へはもう無理になっ
てきたな」 と言いつつも、 今でも北海道や九州
へと飛行機で飛び回っております。
その父に初めて飛行機に乗せてもらったのは、
小学校5年の頃の宮崎への家族旅行でした。
父は私達を喜ばすため飛行機の席は1番前の
1番のシートをとってくれていて、 とってもド
キドキワクワクしたのを覚えています。
旅好きだった両親のお陰で、 その後もホンコ
ン、 シンガポール、 マレーシア、 ハワイなどに
連れて行ってもらい、 私の飛行機好きにエンジ
ンがかかったのかもしれません。
また、 父がオーストラリアに家を持っていた
飛行機大好きの一家です
12
2010 SEP
井上
節子
長女
次女
私
ので、 私が結婚してからは、 娘達も幾度となく
オーストラリアに連れて行ってくれました。
飛行機で旅する魅力も色々あると思うのです
が、 私としては CA さん達との出会いがいつも
楽しみでした。 子供たちは小さい時には素敵な
搭乗証明書や CA さん達のやさしい一言が書い
てある葉書などをいただき、 ロングフライトに
もかかわらず娘達はいつも楽しい空の旅を満喫
していました。
5年ほど前には沖縄へ家族で行った際、 機内
で娘が 「あの CA さん前にオーストラリアに行っ
た時に乗務されてた人じゃない?」 と私に言う
ので、 CA さんにその頃オーストラリア便に乗
務されてたか等聞くと、 よく行っていたと言う
事が判明! お名前だけ聞いて帰り、 家のアル
バムにはってある搭乗証明書のサインをみてみ
ると同じお名前が書かれてあり、 驚きやらうれ
しさやらで素敵な再会が沖縄の旅の締めくくり
となりました。
1回限りの出会いと思われがちな CA さん達
との出会いが、 又いつかこの様にして何年後か
に機上でバッタリという再会を楽しみにちょっ
ぴり昔のようにドキドキして乗り込むようにし
ています。
この投稿のきっかけとなった今年開催された
「夢は叶う」 「Yes I Can」 「航空業界を目指す
あなたに贈る先輩からのメッセージ」 に長女が
参加し、 そこでいただいた冊子の中に飛行機の
写真募集をみつけてくれ 「お母さん応募したら?」
がきっかけとなり私はこれに応募することとな
りました。
継いでくれたのか、 長女はグランドスタッフを
目指し来年大学へ進学希望只今猛勉強中! 次
女は飛行機の整備士になりたいと体力が必要だ
ろうからと、 今は中学でクラブ活動に励む毎日!
それぞれに夢を持ち広い世界へ大好きな飛行機
と共に羽ばたいてほしいと願っています。 また
2人をこれからも応援しながら、 いつか長女に
チェックインカウンターから見送られ、 次女の
整備した飛行機に乗って、 素敵な再会を楽しみ
ながら旅をしたいと思っています。
伊丹空港近くの公園で撮った767
写真は、 子供とその友達親子と、 夏休みにお
昼を持って、 伊丹空港近くの公園に遊びに行っ
たときのものです。
すごくいいお天気で、 ANA の機体のブルー
と白と、 青空と白い雲のコントラストが最高に
美しく、 いい1枚が撮れました。
〈編集部注〉
この投稿は、 「夢は叶う」 「Yes I Can」 「航
空業界を目指すあなたに贈る先輩からのメッ
セージ」 にお子様が参加し、 そこで配布され
た冊子 (PILOT 誌) を見たことがきっかけ
になったものとのこと。
航空機の利用者からの投稿は初めてのこと
です。 PILOT 誌の編集委員として、 これほ
どうれしいことはありません。
いただきました原稿からは、 ご祖父様から
3代続く、 並ではない飛行機大好き家族のご
様子が、 搭乗機での CA との再開のエピソー
ド等と共にほのぼのと伺われます。 それにし
ても、 お父様の海外の渡航回数110回には驚
きました。
お気に入りの、 ユニバーサルスタジオジャパン塗装
の B767 (千歳空港にて)
この写真は、 春休みを利用し、 家族で知り合
いのいる北海道をめぐった帰りに、 千歳空港で、
お気に入りのユニバーサルスタジオジャパン塗
装の B767 をとったものです。 本当に、 家族で
飛行機が大好きです。
また、 二人のお子様は、 それぞれ、 グラン
ドスタッフ、 飛行機の整備士を目指し、 勉学、
あるいは体力づくり等にお励みになっている
とのこと。 また、 奥様は、 25年前には CA に
真剣になりたいと思っていたとのこと。
「夢は叶う」 「Yes I Can」 が、 ぜひ現実の
ものとなりますように、 応援をさせていただ
きたいと思います。
編集委員 奥貫
博
祖父、 父、 私の飛行機好き、 旅行好きを受け
2010 SEP
13
連
載
航
空
史
●
曼
●
陀
羅
その37. 戦闘隊パイロットの総本山
明野陸軍飛行学校
徳田
忠成
● 名門飛行学校の今昔
陸軍航空戦闘隊の総本山として偉容を誇り、
多くの名パイロットを輩出した名門、 明野陸軍
飛行学校について述べてみたい。 終戦時には廃
墟と化したツワモノどもの夢の跡は、 昭和30年、
その一部がヘリコプター訓練や航空科隊員教育
のため、 陸上自衛隊航空学校が浜松から移駐し
てよみがえった。
消失寸前だった明野のシンボル、 将校集会所
は立派に修復され、 戦時に建立された忠魂塔も、
元の位置から東に約30m 移され、 のちに結成
された明野忠魂塔顕彰会の人々によって維持管
理されている。 さらに関係者の尽力により、 昭
和37年10月7日には、 顕彰室および航空記念館
が開館した。 館内は飛行学校の歴史と共に、 加
藤建夫少将(37期、 後述) や南郷茂男少佐(51期)、
明野で編成された特攻八紘隊等々の貴重な遺品
が展示され、 往時を偲ばせている。
忠魂塔には、 第二次大戦で戦没、 殉職された
明野出身の戦闘隊員約一千名が祀られている。
そして今は、 地元在住の旧職員や、 陸上自衛隊
航空学校の隊員たちによって温かく見護られ、
毎年10月頃には、 恒例の慰霊祭が催される。
陸上自衛隊明野駐屯地は、 三重県唯一の飛行
場で、 天照大御神以来の皇室の菩提を祀る伊勢
皇大神宮の北西約10km に位置している。 東に
伊勢湾、 西には鈴鹿山系を、 そして南に伊勢志
摩国立公園を望む風光明媚の地である。
今は往時の1/10程度の敷地ながら、 陸上幕僚
監部直轄の研究本部、 および開発実験隊として
組織されている。 主にヘリコプターの飛行実験
隊として、 飛行機および航空装備品の実用試験
14
2010 SEP
陸軍明野飛行学校全
景 (上) と将校集会
所前の荒鷲の塔
(下)
がおこなわれてい
るが、 格納庫の一
部は、 川崎航空機
工業も利用してい
る。
●沿
革
日本陸軍は、 第
一次大戦後の大正8年1月、 フランスのフォー
ル大佐以下の飛行教官団を招聘し、 一年有余に
わたって教育を受けた。
その前の明治44年4月、 陸軍は埼玉県所沢に
飛行場を開設し、 大正8年4月、 同所に陸軍航
空学校を創立した。 ついで空中射撃の教育・研
究を主とする射撃班が静岡県浜名湖畔新居町に
新設された。 教官はフランス教官団のアントワー
プ・ペラン大尉であった。 まもなく訓練地不適
として代替地を探しもとめ、 9年3月、 三重県
度会郡明野原に移転したが、 これが明野陸軍飛
行学校の始まりである。 以来、 この地で終戦ま
での25年間、 不惜身命 および 見敵必殺
をモットーに、 血のにじむような空戦々技を磨
いたツワモノども誕生の地となって青史をかざっ
ている。
ほどなくして、 赤羽祐之工兵少佐を長とする
航空学校射撃班が移住してきた。 といっても、
甲種駆逐学生の将校4名、 下士官1名の計5名
でしかなかった。 教育内容は空中での機関銃の
取扱いと簡単な射撃であり、 期間も約1ヶ月と
短い。 同時に丙種火器学生の教育も実施された。
大正10年4月、 射撃班は航空学校分校に昇格、
大正13年5月16日、 軍令陸乙第7号によって、
明野陸軍飛行学校が独立、 初代校長は藤本恒治
砲兵大佐(13期) が就任した。 独立当初の教育
内容は、 戦闘機の教官ないし中隊長としての基
幹要員であり、 3ヶ月間の特殊射撃学生教育が
実施されるに止まっている。 具体的には空中戦
闘、 空中射撃 (布板的および吹き流し射撃)、
編隊飛行であった。 その後、 射撃に関する調査
研究の課題を掲げながら、 徐々に規模が拡大さ
れた。
大正14年5月、 ようやく航空関係者待望の航
空兵科が独立、 軍服の襟に空色のマーク (歩兵
は桜色、 砲兵は黄色) が着けられ、 飛行大隊は
飛行連隊に格上げされた。 時代と共に飛行学校
は拡大され、 各地に分校が設立された。 福島県
原町、 三重県北伊勢、 静岡県天竜および富士、
大阪府佐野、 滋賀県八日市、 香川県高松、 宮崎
県都城などである。 同時に、 整備員をはじめ、
地元農漁村出身の子弟が、 一般職員として続々
と勤務に就いた。
大正13年5月発令の陸軍飛行学校令 (軍令第
6号) の主要部分を列記する。
第1条
陸軍飛行学校ハ学生ニ航空ニ関スル諸般ノ学
術ヲ修得セシメ、 之ヲ各隊ニ普及シ、 常ニ是
等諸学術ノ調査研究ヲ行ヒ、 以テ航空教育ノ
進歩ヲ図リ且ツ航空ニ関スル兵器器材ノ研究
試験ヲ行ウ所トス
第2条
陸軍飛行学校ハ左ノ三個所ニ置ク
所沢 明野 下志津
第3条 各飛行学校ニ於テ教育及調査研究並試
験ヲ為スベキ科目ノ区分概ネ左ノ如シ
明野陸軍飛行学校 (注:所沢、 下志津は省略)
空中戦闘 空中射撃及火器ノ取扱ニ関スル諸
学術並是等ニ関スル兵器々材
その後、 数度の改訂があったが、 前記の学校
令が基本になって終戦直前まで続けられ、 この
間、 明野は戦闘隊パイロット養成のメッカとし
て育っていった。 したがって、 陸軍戦闘隊パイ
ロットは全員が明野の地を踏んだといってよく、
その権威と実力は全軍の認めるまでに成長した。
● フランス空軍の技術を習得
明野陸軍飛行学校独立後の初代校長は、 藤本
恒次郎砲兵大佐(13期) だったが、 規模の拡大
と共に第2代から少将クラスが新補され、 第14
代の今川一策少将(28期、 後述) まで続いた。
そして終戦直前の昭和20年7月18日、 組織改編
によって栄光の明野陸軍飛行学校は消滅した。
後に航空本部長に新補された堀丈夫中将(13期)
は第6代、 日本初飛行で有名な徳川好敏少将
(15期) は第7代である。
陸軍飛行学校令の主旨に則って、 明野では空
中戦闘、 空中射撃および火器に関する諸学術、
これらに関する兵器々材の調査研究がおこなわ
れた。
大正15年2月には、 フランスからド・フール
ノー中尉を招聘、 特殊飛行、 編隊飛行および空
中射撃 (布板的射撃および測上方吹流射撃) の
伝習教育が実施された。 これらの射撃訓練は、
基本的に戦後の航
空自衛隊でも受け
継がれている。 第
1回専修訓練生は
12名で、 機種は甲
式4型戦闘機が使
用された。 この機
体の原型は、 1918
年の第一次大戦終
了直前に完成した
フランスのニュー
第7代校長・徳川少将
ポ ー ル 29C1 型 戦
2010 SEP
15
闘機であり、 優れた運動性が高く評価された。
機体は中島飛行機が購入し、 600機を生産、 91
式戦闘機ができる昭和7年頃まで、 陸軍の主力
戦闘機として活躍している。
ド・フールノー中尉は、 主に編隊飛行を重点
的に訓練した。 編隊飛行に習熟することで、 そ
の微妙な操作を会得し、 自然と空中戦闘がうま
くなるという理屈である。 当時の欧米列強はこ
の考えが強かった。
次いで昭和2年11月から約5ヶ月間、 再びフ
ランスからド・レルミット少佐を招聘して、 伝
習教育が実施された。 第2回専修訓練生は19名
で、 使用機は同じ甲式4型戦闘機、 内容はより
高度な空中戦闘と教育訓練、 戦闘隊の戦法、 戦
闘部隊の用法および運用、 そして要地防空の方
法などが教育された。 それは戦闘機の重層配備
という新しい概念の教育、 さらには夜間の照明
射撃による攻撃も伝授され、 実験された。
これら一連のフランス空軍色の強い戦闘教育
が、 その後の日本陸軍航空の基礎となったこと
はいうまでもない。
教官要員射撃学生を甲種学生とし、 基本戦技
教育 (主に後上方接敵および射撃) の射撃課程
受講者の乙種学生、 それに召集による佐官・尉
官も加わった。 下士官学生、 下士官候補生 (少
年飛行兵)、 火器 (射撃) 学生も在籍し、 偵察
隊や爆撃隊の空中戦闘についても教育研究をし
ていたが、 昭和10年以降は戦闘機一本に絞られ
た。
以来、 ここで猛訓練に明け暮れた訓練生たち
は、 同じ土俵上の仲間として、 団結力や見敵必
殺の戦闘隊精神が自然に涵養され、 明野を心の
古里として巣立った。 そのほとんどがシナ事変
やノモンハン事件、 つづく太平洋戦争へと出陣
し、 赫々の武勲をたて、 多くの撃墜王や軍神が
生みだした。
終戦までの21年間に3,500名もの戦闘機パイ
ロットを第一線へ送り出し、 一千数百名のパイ
ロットが散華している。 元日航機長の牛島泰氏
(53期) や現在、 関東明野会々長をしておられ
る塚越朝紀氏(54期)、 それから八代武氏(56期)、
伊藤国輔氏 (々)、 藤本繁氏 (々) も明野出身
16
2010 SEP
である。 外国人教育では、 シナ事変前の中国空
軍パイロット教育 (2回、 12名) や、 ビルマ
(現・ミヤンマー) 空軍パイロット(10名)、 満
州国空軍パイロットも教育された。 彼等は戦後、
祖国へ帰り、 高位高官に登りつめた者が多い。
● 空戦研究発祥の地へ変貌
明野の基幹要員たちは、 フランス武官直伝の
諸々の課題を元に、 日夜、 研究討議が重ねられ
た。 航空兵操典 の前段階である 教練仮規
定戦闘隊の部 の編纂作業が最大の課題で、 各
中隊から中隊長ないし教官要員射撃学生が召集
されて、 検討が加えられた。 命を削るような何
十回もの模擬空戦など、 あらゆる角度から検討
が加えられ、 ようやく昭和9年に航空兵操典が
できあがった。
中隊戦術は青木武三大尉(27期、 13代明野陸
軍飛行学校長)、 戦闘は松村黄次郎大尉(32期、
終戦時の第一教導飛行隊長)、 射撃は原田潔大
尉(33期) が責任者となって、 教練仮規定に準
拠し、 空中戦技を中心に実験が繰り返された。
そして、 内容が加除訂正される毎日で、 最終的
なものは各部隊に持ち帰って、 浸透させる流れ
ができあがった。 実験開始当初は、 かならずしも
明野の教官の腕も自慢できなかったが、 91式戦
や92式戦が出てきて、 戦闘機の性能の向上と共
に、 名実共に自信のある内容に変貌していった。
空中戦闘では、 機眼および機動の要領や、 射
撃での突進の要領、 速度、 射距離等、 さらに後
上方から反復攻撃するときの離脱、 上昇要領、
第2撃の突進開始点の要領、 垂直面戦闘での反
撃の要領等が研究された。 この頃の基幹要員は、
陸士のトップ・クラスが多かったから、 ほとん
どが陸大受験資格をもっていたが、 それには目
もくれず、 空中戦士としての修練に邁進してい
たという。
このような張りつめた空気が漲っていた明野
飛行学校の空中戦技は、 めきめきと技倆が上達
していった。 とくに昭和7年から8年にかけて、
徳川少将が校長に新補されてからというもの、
彼の積極的な研究教育の指導方針によって、 教
育内容が充実していった。 クリスチャンの彼は人
格円満、 温厚篤実で、 しかも飛行機の生き字引
のような人だったから、 明野には活気が漲った。
空戦理論では前掲の3人、 空中戦技では岡部
貞(33期)、 寺西多美弥(36期)、 新藤常右衛門
(36期)、 加藤建夫(37期)、 宮澤太郎(37期) 各
大尉、 奥山清蔵 (少飛5期)、 佐藤主計中尉(38
期) ら錚々たる顔ぶれがそろい、 名実ともに戦
闘隊の総本山として、 その基盤ができあがって
いったのである。
調査研究部門では、 関係各国空軍の組織、 運
用、 指揮等に関する調査研究がなされた。 さら
に歴代陸軍主力戦闘機である91、 92、 95、 97各
式戦および1式戦 「隼」、 2式戦 「鍾馗」、 3式
戦 「飛燕」、 4式戦 「疾風」 の空戦性能ないし
火力等は、 明野で実地の研究検討をかさねて、
実戦の場へ送り出された。
外国製戦闘機の調査研究も徹底していた。 フ
ランスのドボアチン、 ドイツのメッサーシュミッ
ト Bf109 を購入して、 開発中の前掲の機体との
性能比較に使用された。 捕獲したソ連のイ−16、
アメリカのカーテス P-40 も研究対象になった。
シナ事変の長期化や日米関係の不穏な空気は、
必然的に教育量の増大を迫られるようになり、
各地に文教場が設立されたことは前掲した。
● 多くのエースを輩出
戦技の研究をかさねた猛訓練の成果は、 満州
事変、 次いでシナ事変、 ノモンハン事件、 太平
洋戦争で如何なく発揮された。 シナ事変では主
に95式戦が、 後半には97式戦が投入された。 昭
和14年5月から4ヶ月間続いたノモンハン事件
は、 陸軍航空にとって、 近代装備をした敵機と
の初めての空戦であったが、 緒戦での彼我の空
戦技術と錬度は、 はるかに日本軍パイロットが
優れていた。 基本の後上方攻撃を連続してかけ、
落ち葉拾いのように敵機を追いかけ、 最後は得
意の格闘戦に入り、 数的に優勢だったイ−15、
イ−16を完全に圧倒した。
陸軍航空エース・パイロットは、 主にシナ事
変からノモンハン事件で生まれており、 陸軍少
年飛行兵 (以降、 少飛) 1期生から4期生の活
躍が目立つ。 ちなみに昭和9年1月に創設され
矢吹曹長
上坊大尉
た陸軍少年飛行兵制度は、 欧米諸国に例をみな
いもので、 終戦までに約45,000人 (うち操縦要
員約13,000人) が教育を受けた。 とくに1期生
は全国1万人の応募の中から操縦要員70人が選
ばれるという難関中の難関だったが、 これにつ
いては機会をみて書いてみたい。
上坊良太郎大尉および矢吹智曹長は、 共に少
飛1期生で、 終戦まで戦い続けた。 上坊大尉は
76機、 平吹曹長は46機の撃墜記録がある。 ノモ
ンハン事件では、 全作戦期間をとおして約150
名の戦闘機パイロットがホロンバイルの空に散っ
たが、 中でも第11戦隊に所属し、“ノモンハン
の撃墜王”といわれた篠原弘道准尉は54機を撃
墜、 自らも撃墜された。 1日11機撃墜の陸軍記
録が残っている。 栃木県出身の26歳だった。
ところが相手に手の内を読まれてくると、 彼
等は正攻法を避けてゲリラ戦法で奇襲し、 一撃
離脱戦法を多用したから、 単機で深追いし、 敵
の餌食になることが増えてきた。 しかも、 陸軍
中央は戦闘機隊の充実強化をなおざりにしたか
ら、 犠牲者が多くなった。 そして兵力の寡少を
出動回数で補わざるをえず、 パイロットは連続
出撃を強いられ、 疲労困憊の状態で戦ったから、
ますます犠牲者が増えた。
くわえて泥縄式に、 明野を出たばかりで空戦
のノウハウを知らない新参者が、 着任するよう
になったから、 戦術の変更を余儀なくされた。
巴戦の苦手な経験の浅い彼らを補うべく、 単機
戦闘から中隊長ないし編隊長は攻撃、 僚機は長
機の援護に専念する戦法を徹底していった。 こ
2010 SEP
17
れが有名なロッテ戦法として、 その後の太平洋
戦争に活用されていった。
ロッテ (ROTTE) とはドイツ語で“組”を
意味する。 つまりドイツ空軍が編み出した戦法
で、 わざわざドイツから講師を呼んで教育を受
けている。 略述すると、 2機で最少単位の分隊、
2個分隊を1小隊として戦い、 2∼4機が帯の
ような流れのなかで空中戦をやる戦法である。
しかし、 相当の機数を必要とするロッテ戦法は、
なかなか徹底することができず、 最後はどうし
ても単機対単機の巴戦になるので、 両方の戦技
を磨く必要があったようだ。
太平洋戦争も劣勢の色濃くなった昭和18年8
月、 防空専門の教育期間として、 明野の分校が
茨城県常陸飛行場に設立された。 19年早々、 米
機動部隊のマーシャル群島への猛攻に屈して、
ラバウル方面の日本軍孤立、 絶対国防圏として
いたサイパン、 グアム、 テニアン島陥落、 いよ
いよ本土が直接戦場の様相を呈していた。 陸軍
航空本部は大幅な改編を断行、 19年6月に、 各
飛行学校は飛行訓練を制限、 作戦と補充教育と
いう矛盾した任務を課せられ、 明野飛行学校は
明野教導飛行師団に改編、 各分校も独立した。
次いでこの年9月22日、 大本営は比島方面捷
一号作戦を発動、 フィリピン方面での激戦が展
開された。 明野は第30戦闘飛行集団司令部およ
びその主力部隊として第200戦隊が編成された。
練達の教官や助教、 そして卒業したばかりの陸
士57期生までが第一線へかり出され、 怒濤の米
機動部隊へ立ち向かった。
さらに硫黄島の玉砕、 沖縄陥落と相次ぎ、 明
野教導飛行師団もついに本土決戦 (決号作戦)
の編成替えを強いられた。 最後の精鋭を募って
第20戦闘飛行集団を編成、 司令部を愛知県小牧
におき、 第111戦隊、 第112戦隊を基幹として、
本州中部、 近畿地方に展開した。 残余の者たち
で松村黄次郎大佐を隊長とする明野第1教導飛
行隊が編成され、 宇都宮教導飛行師団の隷下と
なったのが、 昭和20年7月18日であった。 以来、
栄光の明野陸軍飛行学校は永久に消え去り、 第
18
2010 SEP
20戦闘飛行集団もその威力を発揮することなく
終戦を迎えた。
● 加藤建夫少将のこと
軍歌 加藤隼戦闘隊 で有名な、 第64戦隊々
長、 加藤建夫中佐 (戦死後2階級特進、 少将)
についてふれる。
明野は加藤にとって第二の故郷といってよい。
屯田兵軍曹の次男として北海道旭川で生まれ育っ
た。 仙台幼年学校、 陸士37期、 航空兵少尉、 所
沢陸軍飛行学校教官などをへて、 昭和7年8月
から約4年間、 明野の教官として戦技に磨きを
かけた。 14年3月、 陸大専科を卒業、 人格高潔
で軍規にはとくに厳しく、 パイロットの腕も優
れた、 卓越した指揮官だった。 昭和14年の寺内
大将使節団の随員としてヨーロッパ出張のさい
も、 ドイツではいきなりメッサーシュミット
Me109を乗りこなして、 ドイツ空軍関係者をビッ
クリさせたエピソードがある。
加藤については、 97式戦の後継機として開発
され、 海軍のゼロ戦と対比される1式戦 「隼」
(キ43) を抜きにしては語れない。 中島飛行機
による1式戦の原型初飛行は13年12月12日で、
海軍のゼロ戦より4ヶ月も早い。 しかし、 正式
採用されたのは16年4月で、 逆にゼロ戦より遅
かった。 その理由は97戦に比べて3,000km にお
よぶ航続力や950馬力エンジン、 機関銃も12.7
mm (97戦は7.7mm) と強力になった。 しかも、
陸軍初の引っ込み脚という機体で、 ダイブ時の
高速が可能になった
ものの、 模擬空中戦
での格闘戦、 いわゆ
る巴戦になると旋回
性能に優れる97式戦
にどうしても勝てな
い、 という決定的な
欠点があった。
「後継機が97式戦
に勝てないようでは
どうしようもない」
と、 1式戦はすんで
加藤建夫少将
のところで、 お蔵入
1式戦闘機 「隼」 (キ43)
りになろうとしていた。 同じころの14年12月、
陸軍航空技術研究所から独立した陸軍飛行実験
部が新設された。 そして初代実験隊長に就いた
今川一策少佐は、 早速、 優秀な人材を集めると
同時に、 かねてから関心をよせていた1式戦の
再テストを手がけた。 彼は海軍のゼロ戦と同じ
ような仕様の1式戦の戦闘能力は、 その空戦技
術にあることを見抜き、 試験を繰り返して、 つ
いに1式戦の陸軍正式採用へと漕ぎつけた。
この頃、 第64戦隊々長として南シナの広東に
いた加藤は、 1式戦の第64戦隊配備が決まると、
持ち前のバイタリテイによって、 敵に勝つため
の空戦技術を徹底して研究したのである。 彼は
福生の実験部や中島飛行機太田工場、 明野を飛
び歩き、 文字通り東奔西走して、 あらゆる課題
について研究し、 改良改善に余念がなかった。
その徹底ぶりは全陸軍の話題になったほどだっ
たという。 とくに搭載無線器の改良に熱心だっ
た。 この努力による1式戦の改良型は、 その後
のビルマ戦線で花開いた。 結局、 1型、 型、
型と改良が加えられ、 総計5,751機 (中島飛
行機で3,187機、 立川飛行機と陸軍航空工廠で
2,564機) 生産されたのである。
余談ながら、 海軍のゼロ戦の存在は、 徹底し
た秘密主義によって、 戦後になってようやく巷
に知られるようになったが、 1式戦の存在はオー
プンだったから、 前線での活躍によって、 国民
の間で絶大な人気をはくした。
16年7月、 第64戦隊は南部仏印 (ベトナム南
部) へ転進した。 開戦と共に加藤は精力的に戦
い、 一度も出動を欠かしたことはなかった。 空
中では1式戦の性能を発揮すべく、 徹底したロッ
テ戦法で敵に立ち向かった。 対する敵戦闘機は
カーチス P40トマホーク、 ブリウスター・バッ
ファロー、 ホーカー・ハリケーンであった。 そ
の上、 加藤部隊独特のピストン戦法、 つまり一
日2度ないし3度の出撃をすることが普通で、
加藤式戦法 といわれ、 1日10時間以上の戦
闘が続いた。 英軍機は、 加藤戦隊の勇猛果敢な
攻撃に恐懼し、 とくに加藤部隊長機は Black
Arrow と言われて、 恐れられたという。 空
戦ではチームワークを徹底し、 「空の宮本武蔵
の時代はすぎた。 リヒトホーヘンの時代もすぎ
た。 個人で何機撃墜という時代ではない」 と、
いつも部下をいましめていた。 第64戦隊で約
250機を撃墜している。
加藤が南国特有のデング熱から回復して間も
ない昭和17年5月22日、 アキャブ北西90km、
アレサンヨウ沖10km のベンガル湾上空で、 英軽
爆撃機ブリストル・ブレニムに撃たれた。 この
軽爆は、 当時、 戦闘機よりも早いといわれた革
新的機体だった。 帰還不可能と知った加藤隊長
は、 反転して自爆の道を選んだ。 享年40歳であっ
た。 戦技の神様のような加藤だったが、 病によっ
て持ち前の闘志にスキがでたのかも知れない。
死後、 南方方面陸軍最高司令官・寺内寿一大
将から特別の感状が授与された。 賞詞の概略は
以下のようであった。
「その戦功は一に中佐の高邁な人格と卓越し
た指揮統帥および優秀な操縦技能に負うるもの
で、 その存在は実に航空部隊の至宝であり、 壮
烈な戦死の報に接し痛切極まりなし」
同時に、 加藤隊
長の抜群の戦功に
より2階級特進し
て陸軍少将に昇
進、 異例の陸軍葬
のあと、 陸軍々神
第1号として靖国
神社に祀られた。
(参考文献:「明野
陸軍飛行学校」 明
野忠魂塔顕彰会
編) 注:( ) 内の
ブリストル・ブレニム軽爆
期はすべて陸士。
2010 SEP
19
生かされない事故事例!
テストパイロットの考察
第41回 ISASI 年次セミナー講演録
2010-9-6
A Retired Test Pilots View on Flight Safety and Accident Investigation
元日本航空機長・JAPA 顧問
岩瀬
健祐
経緯:2010年9月6日∼10日、 第41回 ISASI (International Society of Air Safety Investigators) が札幌で開催されました。 その初日の Tutorial Session の講演論文の日本語訳に
説明を加え、 ISASI 事務局の許可を得て掲載します。 なお提出論文および PowerPoint
資料は JAPA 事務局に保管してあります。
1. はじめに
過去の事故やインシデントを見直してみると、
それらの90%以上が同種の事故やインシデント
の再発であると言わざるを得ません。 なぜ、 何
度も何度も起きるのでしょうか。 その再発の原
因の分類を試みて、 次の5つの主要な項目に分
けることができました。
事故やインシデント情報の不適切な取り扱い
異なった経験を持ったパイロットたちへの
新世代航空機の不十分な訓練
SOP からの逸脱
警戒心の欠如した自己満足の状態 (Complacency)
飛行安全に対する関心度の低い経営陣
皆様方の分類と私の分類の比較をすることを
お勧めします。 また、 次の質問に、 心の中で
YES または NO で答えてみてください。 (この
記事の中では、 L/L (Lessons Learned) は教
訓、 AIR (Accident Investigation Report)
は事故調査報告書、 PO (Personal Opinion)
は個人的意見の略です)
大部分の事故が同種事故の再発であるとい
う見方に賛成できますか。
20
2010 SEP
一人ひとりのパイロットが事故からの教訓
を見つけるべきだと思いますか。
パイロットは事故調査報告書の潜在的読者
だとお考えですか。
事故調査報告書は、 すべての運航関係の局
面をカバーしているとの自信がありますか。
ご自分の深く関与した事故調査の報告書に
満足していますか。
2. 事故やインシデントの教訓の活用
事故やインシデントの教訓は再発防止のため
の効果的な知識を校正するものであると確信し
ています。 社内の安全担当部門または国際的組
織は、 責任を持って事故やインシデントの情報
を要約する責任があります。 その中に重要な教
訓を包含すべきです。 選別され、 かつ要約され
た事故やインシデント情報は、 パイロットや他
の関係者たちにタイミング良く配布されるべき
です。
個々人の知識の入れ物には、 自分の経験のみ
ならず要約された事故等の情報が蓄積されるべ
きなのです。 そのような知識こそ、 これから先
の事故やインシデントの防止に活用することが
できるのです。 実際にそのような教訓を活用す
るためには、 フライトに対する正しい状況把握
の能力が必要です。 フライトを安全に完了させ
るためには、 エアマンシップ、 知識の深さや、
そこから得られる知恵が重要なのです。 洞察力
が基本的パイロット適性の一つである所以です。
また、 慎重さも必要です。 次の図は、 事故の再
発防止のためにどのように教訓を生かすかを示
す例です。
・上記エアマンシップの定義は一番判り易いものです。
・航空に関する諺も教訓の産物です。 (Low, low danger. Avoid tunnel vision. ……)
・教訓は簡単な見出し付きで要約されることが肝要です。
・また、 教訓は適切に次世代 (新人) に引き継がれることが必須です。
3. 満足させられる事故調査報告書はない
なぜか、 意図的または気付かずに、 いくつか
の運航面について述べられていない事故調査報
告書が多くみられます。 私が過去に読んだ事故
調査報告書のなかでは、 100%満足させられた
事故調査報告書はありません。 そのうちの4例
を下記に紹介します。 それぞれに対し、
①、 ②、 ③、 ④;事故調査報告書のなかで述
べられていない運航面の事項
L/L; 当該事故情報からみた教訓例
PO; 個人的見解
等を記してあります。
ANA B-727 東京湾墜落事故:
1966-2-4 (AR No.79; 1970-9-29)
この事故は、 最終的に事故調査報告書が公表
されるまでに4.5年かかりました。 臨時に任
命された事故調査委員の間で意見の食い違いが
みられ、 協調性が欠如した状態であったとの噂
が当時ありました。 臨時事故調査委員会に、 事
故調査報告書案が数回にわたり検討のために提
出されましたが、 最終報告書が公表される前に、
主要なメンバーの一人が辞任され、 この委員の
意見は最終報告書には載らなかったことが判っ
ています。
① 引き起こし操縦とそれに伴うG
② B-727 の急降下性能
③ No.3 の compressor stall と back fire
の可能性
2010 SEP
21
着陸灯のスイッチの位置、 フラップ・レ
バーとギア・レバーの位置
L/L: 事故調査にはその目的を認識した協力
が不可欠である。
L/L: パイロットは運航面についての意見を
強く主張しなければならない。
PO: 最終事故調査報告書の結論にある原因
の項で述べられている表現に、 非常に
失望している。“……原因は不明であ
る。”
機体はエルロンとラダーを最大に操舵
しても、 回復できない左へのロールに
陥ったとみられます。
④
PO: NTSB の事故調査報告書の appendix
にある、 DFDR の色々なデータの時間
経過のグラフは、 読むのが非常に困難
な状態です。 まるで、 わざとそのよう
に描かれたのかと邪推したくなります。
JAL 123便、 B-747 御巣鷹山墜落事故:
1985-8-12 (AR 62-2; 1987-6-19)
① OJT の副操縦士が、 エルロンとエレベー
タで機を操縦し続けた理由。
② 当該クルーのシステムの知識が実際の操
縦操作に生かされなかった理由。
③ B-747 シミュレーターのスピード・ブレー
キ・レバーの不正常な動き。
L/L: 非常に重要なシステムに関するクルー
の知識。
L/L: 重大な故障を抱えた機の操縦技量の必
要要件。
L/L: シミュレーターの品質が飛行安全に影
響を与える可能性。
PO: Time tunnel SHEL* model は、 色々
な教訓を見つけるのに役立つ (*see
Appendix)
PO: この機体は1979年に大阪で着陸時 tail
hit accident を起こしている。 この事
故の最大の原因は、 シミュレーターの
品質にあった。 上記③で述べた不具合
が、 F/E によるスポイラー操作の補
助の習慣を植え付けた。
機体はボーイング社によって修理され
たが、 1985年の123便の事故につなが
る重大な作業ミスが、 事故調査の過程
で判明した。
AA DC-10 OHR での離陸直後の墜落事故:
1979-5-25 (NTSB-AAR-79-17; Dec.21 1979)
① 機長による Takeover (操縦の引き継ぎ)
② Takeover 中の操舵の継続の重要性
③ なぜ機体が VR から V2+αまで加速し、
Wing level で高度約300ft まで上昇できた
のか、 その理論的説明 (VR は故障形態の
Vs より小さい)
L/L: Takeover の準備とタイミング
L/L: 操舵の継続の重要性
L/L: 整備作業の SOP からの逸脱
PO: DFDR のデータはラダーが1秒間だ
け中立に戻っていることを示しており、
ラダー操舵の継続が途切れたことが、
右への大きなサイド・スリップを発生
させ大きなロール・レイトへとつなが
り、 そのため、 左翼の迎え角は、 当該
故障形態での失速の迎え角を超えてし
まったと考えられます。 結果として、
22
2010 SEP
空中衝突寸前の事故 JAL B-400/DC-10:
2001-1-31 (AR 2002-5; 2002-7-12)
① DC-10 F/E へのインタビュー
② TCAS 表示の有効利用の可能性
③ JAL 706, MD-11 事故調査報告書では
示された、 3つ (重心・操縦室・後部客席)
の位置での垂直加速度の時間経過データの
比較
L/L: 警戒と見張り (See and avoid principle)
L/L: TCAS 表示の有効活用
PO: 大型輸送機は時間同調の3つのGメー
ターを設置すべきである。
PO: 事故解析では、 3軸の角加速度 p/q/r
も考慮すべきである。
PO: もしこの事故の情報が適切に処理され
ていれば、 2002-7-1にヨーロッパで発
生した空中衝突事故は防げたかもしれ
ない。
2つ目も DC-8 での例です。 1965年12月25
日、 SFO を離陸した JL 813便が離陸上昇中
No. 1 ENG が爆発し炎につつまれました。
油圧系統が一部故障し、 エルロンによる機の
操縦が非常に難しい中、 乗務員・管制官の適
切な援助を得て、 対岸の OAK に浅いバンク
での左旋回での Over Weight Landing に成
功しました。
4. 事象の連鎖の中の幸運な出来事
これから簡単に、 飛行の事象の連鎖の中で重
要な役割を演じた幸運な出来事を、 自身の経験
と他のフライトの例∼で紹介します。 勿
論その中に教訓を見つけることもできます。 通
常の安全なフライトにも、 事故予防に活用でき
る教訓があることを確信しています。
DC-8 での出来事です。 羽田 RWY15のベー
ス・レグへの旋回中に Ground Spoiler が出
るという経験をしました。 副操縦士が、 着陸
前 の 操 作 手 順 に 従 っ て 、 Spoiler Lever を
arm 位置に動かしたつもりが、 ほんの少し
arm 位置を超えるまで引っ張ってしまいま
した。 彼の操作に気が付き、 同時に沈みを感
じたので、 遅滞なく右手で Spoiler Lever を
stow 位置まで戻しました。 幸運にも私は、
1970年7月に発生した AC (エアーカナダ)
DC-8-63 の事故情報を読んでいたのです。 残
念ながら、 この出来事を報告しませんでした。
L/L: 情報は適切に処理され配布されるべき
である。
L/L: 通常と異なる事態はできるだけ早く報
告すべきである。
PO: 1972年の JAL DC-8 のモスクワ事故は
防げたかもしれないとの思いがあります。
F/E の Gear を出せば Flight Spoiler によっ
て Lateral Control が易しくなるとの助言も
非常に役立ったとのことです。 その後の事故
調査の過程で、 エンジン爆発の原因は、 エン
ジン工場での作業ミスにあることが判明しま
した。
L/L: 緊急時の乗務員間の連携と管制の援助
L/L: Overweight landing 時の留意点
L/L: Maintenance SOP の重要性
PO: CRM 訓練が始まるはるか以前に、 ある
種の CRM Skill が見られる事例である。
幸運の事例3番目は、 CV-880 での出来事
です。 HND から離陸した第一旋回で、 幸運
にも、 機長はエルロンの逆効きに気付きまし
た。 気象条件もよく、 SID も大きな旋回を
必要とせず、 安全に HND に引き返し事なき
を得ました。 エルロン・コントロール・ケー
ブルが、 逆に取り付けられていたことが判り
ました。
L/L: 操縦系統の整備作業後の舵面の動きの
点検
PO: 当該機長は素晴らしい判断と技量を示
2010 SEP
23
しました。
PO: 1998年に八尾空港で発生したセスナ
TU206F の事故は防げたかもしれない。
4番目は、 MEX 空港で発生した事例です。
B-747 が着陸前 short final で非常に強い下
降気流に突入しました。 機長は、 急激な高度
低下を防ぐためスラスト・レバーを最前方に
だし、 同時に失速警報が鳴るまで機首を引き
起こしました。 全てのエンジンの Over EGT
Light が点灯したにもかかわらず、 F/E は
レバーを引きもどす操作をしませんでした。
着陸復行はせず安全に Touch Down しまし
た。 機長は状況を管制塔に報告し、 後続の飛
行機も適切に対応できたとのことでした。
幸運にも、 この時のクルー全員が、 新しく導
入された失速からの回復操作の訓練をシミュ
レーターで受けていました。
L/L: 新しい訓練科目をタイミングよく定期
訓練に導入すること
L/L: クルーによる新方式訓練の正しい理解
PO: シミュレーター訓練が当該便の危機を
救った事例である。
5. パイロットは事故調査官に事実
をすべて話すでしょうか?
パイロットは事故調査官に事実をすべて話す
でしょうか? 答えは、 状況に応じて変わりま
す。 なぜ、 NO という答えがあるのでしょう。
これは、 法的責任を逃れるために情報を隠すと
いう委縮効果と呼ばれる人間の本質的な行動で
す。 特に制度的保障が欠けている日本では、 こ
の委縮効果は、 訴追の可能性に対する不安から
惹起するようです。
事故調査のためには、 このような事態が起こ
らないようにしなければなりません。 事故原因
を調査することと、 法的責任を調査することは、
区別されなければなりません。
制度的保障について、 関係者の間で率直に議
論されるべきです。 (参考文献15)
24
2010 SEP
6. 後悔! そして有益な情報?
私は、 自分の経験したことを全て、 声を大に
して報告しなかったことを非常に残念に思って
います。 もし、 適切に報告していれば、 その後
発生したいくつかの事故を防げたのではと感じ
ています。 これから、 定期便や試験飛行で体験
した二つの事例を紹介します。
DC-8 で Base Leg への旋回中に Ground
Spoiler が開いた事例は、 前述の4−で紹
介しています。 もし、 この事例の情報が正式
に報告されておれば、 1972年モスクワで発生
した事故は防げたのではないかと残念でなり
ません。
DC-8 で、 最大機首上げのトリム状態のま
ま、 失速からの回復操作で最大出力を出す飛
行試験を実施したことがあります。 Elevator
を一杯に押しても、 機首が上がり続けて再度
失速警報が鳴りました。 推力を減らしバンク
をつけることで初めて機首を下げることがで
きました。 この事例も社内の一部関係者のみ
に伝わりました。
(PILOT 誌2009 MAR 参照)
1994 年 に 名 古 屋 で 発 生 し た China Air の
A-300 の事故は、 まさにこのDC-8 の状況に
酷似しており、 情報の発信がうまくいってい
ればと後悔しています。
次の3つの例も参考までに紹介します。 しか
し、 将来同様な状況に陥った時の事故予防に役
立つと確信しています。 (以下の3つの事例の
詳細は、 PILOT 誌2009 MAR 参照)
B-727 で、 オーバ−ホール後の耐空証明取
得の試験飛行時の出来事です。 離陸ローテー
ションで失速警報が作動し離陸断念をしまし
た。 整備地区に引き返し、 点検の結果、 再度
離陸をしたところ同じことが発生し、 1日に
2度同一滑走路の同じ地点で離陸断念をした
経験があります。 整備で詳細な点検を実施し
たところ、 フラップの PositionTransducer
の配線が120°
ずれていたことが判明しました。
B-727で、
失速警報よりバッフェトが早い
という事象が ANA のB-727 のオーバーホー
ル後の耐空証明試験で発生し、 JAL の機体
ではどうかとの JCAB からの問い合わせで、
ちょうどオーバーホールを終えた機体で試験
飛行を実施した。 同様の現象が発生し、
Complete Stall では左に傾き、 最大60度を
超える Wing Drop が発生しました。 ステッ
プ・バイ・ステップの整備作業を実施し、 そ
の都度飛行試験で確認をしていきました。
最終的に巡航形態での翼の前縁の Erosion
(浸蝕) が原因と判り、 前縁をきれいに仕上
げ、 結果的に6回目の飛行試験で問題は解決
できました。 (1971/7/1∼7/16)
左右の Erosion の度合いによっては、 右へ
の Wing Drop も起こりえます。
DC-10 の予備エンジン輸送形態での失速
試験で、 左への Wing Drop を体験しました。
機体の損傷および同乗者の負傷もありません
でした。 DFDR のデータでは、 最大バンク
角は72度、 回復時の引き起こしGは1.6を記
録していました。
多くの教訓が得られた事例でした。
7. 皆さまへのさらなる質問です
私は、 今回のセミナーのテーマである“Investigating ASIA in mind”(事故調査は ASIA
を念頭に―Accurate:正確性、 Speedy:迅速
性、 Independent:独立性、 Authentic:信頼
性) には大いに賛同するものですが、 もし科学
的な調査に固執しすぎると時間がかかりすぎる
ことになります。 事故調査報告書は、 類似の事
故予防のためには時間的に遅れることなく発表
されるべきだと考えています。
再び、 皆様に次のような質問を準備しました。
皆様は事故調査を通じてどのような教訓を
得られていますか。
特定の事故について事故調査のコストを調
べたことがありますか。
事故調査の年間コストの統計データをお持
ちですか。
事故調査の予算は十分だと思っていますか。
事故やインシデントに関する費用対効果分
析モデルをお持ちですか。
8. 結論
事故率を減らす最善の道は、 同種事故の再発
を防ぐことにあります。
……………………………………………………………………………………………………………………
参考文献:
Human Factors in Flight; (Capt. Frank
Hawkins, KLM)
ICAO APM (Accident Prevention Manual); (ICAO)
ICAO Human Factors Digests; (ICAO)
Operator s Flight Safety Handbook;
(GAIN committee)
Implementing the Global Aviation
Safety Roadmap; (ICAO, IATA, FSF,
IFALPA, BOEING, AIRBUS, ACI, canso,
States and the Industry)
List of accidents and incidents involving
commercial aircraft; (Wikipedia)
Accident Investigation Report; (NTSBAAR-79-17)
航空機事故調査報告書;(運輸省航空局;
1970-9-25)
Accident Investigation Report; (JCAB,
1970-9-25)
「最後の30秒」;(山名 正夫)
Last 30 Seconds; (Prof. Masao Yamana)
「ヒューマン・ファクター ガイドブック」;
(日本航空 技術研究所)
Human Factors Guidebook; (JAL, Engineering Research and Development)
「 PILOT 」 ; ( 日 本 航 空 機 操 縦 士 協 会 :
JAPA;Japan Aircraft Pilot Association)
2010 SEP
25
「安全月報」;(海上自衛隊)
Monthly Report of Flight Safety ;
(JMSDF: Japan Maritime Self Defense
Force)
航空事故調査報告書62-2;(航空事故調査
委員会:1987-2)
Aviation Accident Investigation Report;
(AAIC; Aircraft Accidents Investigation
Commission)
航空事故調査報告書2002-5;(航空・鉄道
事故調査委員会)
Aviation Accident Investigation Report;
(ARAIC; Aircraft and Railways Accidents
Investigation Commission)
「事故調査における情報の取り扱いを巡って
∼日米の航空事故調査を素材に∼」
社会技
術研究論文集 Vol. 1, p.188∼197, Oct. 2003
(服部 健吾;当時東京大学博士課程)
The Management of Information in Accident Investigations ∼A Research Based on
Accident Investigations in Japan and the
United States∼
Flight SafetyMagazines; (JAL Flight
Operations)
Appendices;
1. タイムトンネル SHEL モデル
このモデルをどのように利用するかはあなた
次第です。 もし同種の事故やインシデントを歴
史的に調べる場合や、 特定の機材の履歴を調査
する必要がある時など、 このタイムトンネル
SHEL モデルは大いに役立ちます。 (下図は、
参考文献10番目の、 日本航空技術研究所発刊の
「ヒューマン・ファクター ガイドブック」 に
掲載されたモデルを、 筆者が時間軸を変えたも
のです。
2. 航空の安全を促進するための個人的提言
制度保障 (Due process of law) について
関係者が率直に議論すべきである。
緊急出動の戦闘機で、 航空機の被害状況を
チェックするための明確な指針を確立すること。
安全担当者は LOSA や FOQA の結果に基
づいて将来起こるかもしれない事故をリスト・
26
2010 SEP
アップし対応策を作ること。
事故やインシデント情報は、 適切に処理し
できるだけ早く関係者に配布できるよう準備
すべきである。
事故調査にあたっては、 運航面に対してもっ
と注意を払うべきである。
GAIN はより効果的な情報の配布のため
に再構築すべきである。
新人キャプテンに対し、 特別メニューの飛
行安全訓練を義務付けること。
事故調査を完了するための経費が保障され
るべきである。
航空運送のための機体には、 操縦室、 重心
位置近傍、 後部客室の三か所に時間を同調さ
せた3つのGメーターの設置を義務付けるべ
きである。
より効果的な事故調査のために、 DFDR
の記録すべきパラメター、 記録頻度、 割り当
て時間等について、 見直しをすべきである。
事故調査のためにシミュレーターをより効
果的に活用すべきである。
パイロットや客室乗務員に対し、 乱気流や
パイロットによる急激な操舵による3軸の加
速度や角加速度の影響について、 上手に知ら
しめるべきである。
パイロットはブーム・マイクの目的を今一
度思い出すべきである。
“安全の分水領”
アクシデント・インシデント概要
フライト・セイフティ・ファウンデーション(FSF) 2010年5月号より
訳
佐藤
裕
ここに示す文書は、 読者の皆さんが飛行中に遭遇するかもしれない困難な状態を切り抜ける何ら
かの手助けになれば、 と思い掲載し続けています。
なお、 この文書は各国の運輸安全委員会の発行した正式な報告書をもとに、 まとめてあります
:FSF 編集部
ジェット
インターセクション付近で危うく衝突しそうに。
ボンバルディア CRJ200、 ピラタス PC-12:
損傷なし、 負傷者無し。
2009年5月29日の朝、 合衆国ノースカロライ
ナ州シャーロットにあるダグラス国際空港は
VMC に包まれていた。
管制官は乗客46名を乗せた CRJ200 のフラ
イト・クルーに、 ランウェイ 18L に進入し、
離陸許可を待つように、 と伝える。
ランウェイのアプローチ・エンドから2,500
フィート (762m) ほど離れているインターセ
クションAには、 ランウェイ 18L から離陸し
ようと、 3名の乗る PC-12 単発ターボプロッ
プ航空機がホールドしている。
NTSB (合衆国運輸安全委員会) の報告書に
よると、 グランドを担当していた管制官は、 ロー
カル・エリアを担当する管制官に、 PC-12 のパ
イロットはインターセクションからの離陸を求
めている、 と告げたという。
グランドの管制官は手順どおり、 フライト・
プログレス・ストリップにこの注意書きをし、
そして赤線で囲んでいた。
報告書によると、 管制官は、 グランド担当管
制官の伝言を確認しなかったうえ、 フライト・
プログレス・ストリップにも目を通さなかった
ば か り か 、 空 港 の ASDE (Airport Surface
Detection Equipment) ディスプレイで PC-12
航空機の位置も確かめない、 その上ランウェイ
を良く見て、 他の航空機がいないか確認せず、
CRJ のクルーに離陸を許可した4秒ほど後、
PC12 航空機のクルーに、 インターセクション
からの離陸を許可してしまう。
PC-12 が ラ ン ウ ェ イ 上 に 進 入 し た と き 、
ASDE は“Warning, Runway 18L occupied”
との警報音声を発した。
ローカル担当の管制官は CRJ のクルーに
“離陸許可をキャンセルする”と送信。
CRJ 航空機のクルーは、 前方に PC-12 航空
機を発見し、 1,600フィート (488m) ほど滑走
し、 速度も約85ノットに加速していたが離陸中
断操作を行っていた。
“事態を確認した PC-12 のパイロットはラ
ンウェイの左側に機体を寄せた”と報告書。
CRJ のキャプテンは事故調査官に、 機体は
ランウェイのセンターライン上、 PC-12 の後方
3フィート (1m) で停止、 と話している。
PC-12 航空機が“センターラインを外し、 左
側に停止していたので”衝突せずに済んだ、 と
も話したという。
2010 SEP
27
強い横風の中、 着陸しようとしていた航
空機は翼端をこすってしまう。
エアバス A320-211:小破、 負傷者無し。
2008年3月1日の午後、 ドイツのミュンヘン
からハンブルグに向かおうとしていたこの乗客
132名を乗せた定期便は、 フリージング・レイ
ンの影響で、 出発が2時間ほど遅れている。
巡航中、 クルーはハンブルグの ATIS を聞
き、 風向風速280度23ノット、 ガスト37ノット
であることを知る。
そしてクルーはランウェイ23に ILS で、 着
陸するクリアランスを受けた。
ILS アプローチを開始したとクルーが送信す
ると、 管制官から風向風速は300度33ノット、
ガスト47ノット、 の情報が入った。 これは
A320 の横風制限“33ノット、 ガスト38ノット”
を超えていたばかりか、 実証された着陸時の最
大横風の値も上回っていたため、 ゴー・アラウ
ンドが“妥当だったのであろう”とドイツ連邦
航空機事故調査委員会の報告書は書いている。
風の状態が気になった管制官は、 ランウェイ
33ローカライザー・アプローチへの誘導を伝え
るが、 キャプテンはとりあえずランウェイ23へ
の着陸を試みる、 と応答した。
操縦を担当していたコーパイロットは、 高度
940フィート付近でオートパイロットおよびオー
トスロットルを解除し、 ウイング・レベルでク
ラブを取る。 横風でのアプローチ・テクニック
でスレッシュホールドを通過し、 その後左ラダー、
サイドスティックを右に操作し、 強い右横風を
受けながら機体をランウェイのセンターライン
に合わせようとした。
A320 航空機は左に4度バンクを取った姿勢
で左メイン・ランディング・ギアから接地して、
バウンドしてしまう。 コーパイロットはサイド
スティックを右一杯に操作し、 右ラダーを踏む
が機体は左に23度バンクしてしまう。
機体は再び左メイン・ランディング・ギアか
ら接地し、 左主翼の翼端をランウェイにこすり
つけ、 2度目のバウンドをしてしまった。
クルーはゴー・アラウンドし、 その後は何事
28
2010 SEP
も無くランウェイ33に着陸した。
この機体は左主翼の先端部、 アウトボード・
リーディングエッジ・スラット及びスラット・
ガイド・レールに軽い損傷を受けたという。
火災原因はブレーキのオーバーヒートに。
ゲイツ・リアジェット55:中破、 負傷者無し。
リアジェット機が80ノット近くまで加速した
とき、 管制官はフライト・クルーに“エンジン
から煙が噴き出ている”と伝える。
操縦を担当していなかったキャプテンは離陸
の中断 (RTO:Reject Takeoff) を指示し、
ファースト・オフィサーもブレーキ及びスラス
ト・リバーサーを操作し、 合衆国ワイオミング
州 キ ャ ス パ ー に あ る 空 港 の 10,165 フ ィ ー ト
(3,098m) あるランウェイ上に停止した。
滑走路を出た後、 両エンジンのパワー・チェッ
クを行うが、 特に異常は見られない。
もう一度離陸しよう決めたキャプテンは滑走
路に戻るクリアランスを要求する。
2009年3月17日に発行された NTSB (合衆
国運輸安全委員会) の報告書によると、 2回目
の離陸は RTO した5分ほど後に行われている。
キャプテンは事故調査官に対し、 80ノット以
上に加速し、 まだ V1 には達していなかったが
大きな音が聞こえ、 この後機体も機首を右に、
そしてすぐ左に向きを変えたが、 かなり激しい
勢いで左を向いてしまった、 と話している。
クルーは再度 RTO を行い、 エンド近くで滑
走路を出た。
報告書によると、 機体を調査した結果、 左メ
イン・ランディング・ギア及び2本あるタイヤ
のうち1本はバースト、 ギア、 タイヤとも火災
による損傷を受けていたという。
始めに RTO した段階で、 キャプテンは航空
機の離陸重量が20,772ポンド (9,422kg) あり、
この状態での最大ブレーキ荷重 (Maximum
Brake Energy Weight) を472ポンド (214kg)
上回っていたことに気付かなかった、 とも報告
書は書いている。
フライト・マニュアルには、 最大ブレーキ荷
重以上で RTO した場合、 高エネルギー停止後
の点検 (High-Energy-Stop Inspection) を実
施しなければならない、 と記してある。
ターボプロップ
まで誘導され……問題も無く着陸した。
誘導路までタクシーした航空機の所有者は、
救急隊員の待つ場所でエンジンを停止させた。
緊急救命措置の間、 パイロットの心拍数は異
常で、 措置の甲斐もなく死亡してしまう。
医学調査官はパイロットの死亡原因を“高血
圧および心臓発作”と判定している。
心臓発作を起こしたパイロット、 操縦不能に。
ビーチ B200 キングエアー:損傷なし、 1名死亡。
エンジンの不調、 夜間のアプローチを困難に。
フェアチャイルド・メトロライナー:小破、 負傷者無し。
2009年4月12日の午後、 合衆国フロリダ州マ
ルコ・アイランドを離陸したキングエアーは指
示された高度14,000フィートまで上昇している
最中、 高度約6,000フィートを通過した時、 前
方の座席に座っていた同乗者は、 パイロットが
頭を下げ、 前かがみに倒れ、 しかも両手をだら
んと下げてしまっている状態に気付く。
航空機の所有者で、 単発機のプライベート・
パイロット・サーティフィケイトを持っている
この同乗者は、 何とかパイロットの意識を戻そ
うとしたが、 戻らなかった。
マイアミ・エアー・ルート・トラフィック・
コントロール・センター (ARTCC) にエマー
ジェンシーを宣告したこの同乗者は、 パイロッ
トが操縦不能な状態に陥ってしまったこと、 そ
して自分自身ある程度 B200 航空機に慣れてい
る、 とも伝える。
4名が搭乗しているこの航空機は北方向に向
け、 VMC の中を17,300フィートまで上昇した。
“他のマイアミ ARTCC の管制官はこの航
空機所有者に、 オートパイロットの解除方法、
降下し機首方位を変える方法を詳しく伝えた”
と NTSB の報告書。
センターの管制官はキングエアー機をフォー
ト・メイヤーにあるノースウェスト・フロリダ
国際空港へ誘導し、 途中でランディング・ギア、
フラップ、 パワー・レバーそして速度の調整方
法を熟知しているフォート・メイヤー・アプロー
チの管制官にハンドオフする。
この航空機はランウェイ06のファイナル・ア
プローチコース上15ノーティカル・マイル地点
2009年3月30日の夜、 パイロット2名、 医療
担当者3名の乗るメトロライナーは患者を収容
するため、 ニュージーランドのオークランドか
らニュー・プリマスへと向かう。
目的地空港のタワーはすでに業務を終了して
いたが、 救急医療関係者は航空機が到着する前
にランウェイ・ライトを点灯するよう、 空港当
局と調整していた。
精密進入用のインディケーターが設置されて
いたが、 なぜかこれは点灯していなかった。
“両パイロットはビジュアル・アプローチを
行うが、 航空機の運航会社では、 管制の行われ
ていない空港で、 かつアプローチ・スロープ・
インディケーターの点灯していない状態でこの
アプローチを行うことを、 原則的にではあるが
禁止していた”とニュージーランド運輸事故調
査委員会 (New Zealand Transport Accident
Investigation Commission) の報告書。
ランディング・チェックリストに従って操作
をしている最中、 スピード/rpm を“High”
位置にしたにもかかわらず、 エンジン回転数は
100%に増加せず97%に留まっている状態に気
付いたパイロットは気を取られてしまい、 他の
ことにも配分しなければならない注意力が散漫
な状態になってしまう。
“空港の近くでベース・ターンし、 しかも大
きな降下率になってしまったため、 対地接近警
報装置が作動し始めてしまう。
ファイナル・アプローチへの進入も遅れてし
まったため、 パイロットはこの進入経路のまま
アプローチすると、 ランウェイ・エンド近くに
2010 SEP
29
接地してしまう、 と2人のパイロットは判断し
たようだ”とも書いている。
機長、 操縦していたパイロット (PF) とも
に、 エンジン出力を増加させた際、 機体が右に
ロールしてしまったため、 ゴー・アラウンドす
るよりもアプローチし続けよう、 と判断する。
ゴー・アラウンド・パワーにした場合、 メト
ロライナーは操縦不能な状態に陥る可能性があ
る、 と考えたためだと言う。
“PF は左ラダーを一杯に踏み込み続け、 エ
ルロンを左に一杯操作し、 機体の方向を維持し
ようとしたが、 滑走路のスレッシュホールドか
ら 60m (197フィート) の位置にある滑走路末
端灯にメイン・ランディング・ギアをぶつけ、
滑走路の左側に飛び出してしまった。
負傷者は出ず、 タイヤを損傷しただけで、 特
に機体の破損は無かった”とも書いている。
そして報告書は“両パイロットが運航会社の
定めている通り計器進入をしていたなら、 アプ
ローチはより安定した状態でおこなえたはずで、
この間に、 ある程度時間をかけてエンジン回転
数が不調となった原因を突き止めることが出来
たのかもしれない”と書いている。
なぜエンジンが不調になってしまったのか、
整備士はその原因を突き止められなかった。
このインシデントの起こる数日前、 整備士は
機体の燃料バイパス・システムの不具合を修理
していて、 この作業が右エンジンの不調を招い
た可能性もある、 と報告書は触れている。
“燃料のバイパス・システムがニュー・プリ
マスで発生したエンジン不調に関連している、
とは考えられない”とも書いている。
しかしこの航空機の運航会社は念のため、 右
側エンジン用フューエル・コントロール・ユニッ
ト及びプロペラ・ガバナーを交換した。
無視された赤色のギア・ライト。
ソカタ TBM700C1:中破、 負傷者無し。
2008年3月27日の朝、 イングランドのビギン
ヒルからチャネル・アイランドのアルデニーま
でプライベート・フライトへ向かったパイロッ
30
2010 SEP
トは緑色のノーズ・ランディング・ギア・ライ
トと赤色のランディング・ギア警報灯が点灯し
ていることに気づく。 ギアの上げ下げ操作を繰
り返したが、 警報灯は消えない。
“ギアを下げたまま目的地に向かおう、 と
POH (Pilot Operating Handbook) を開き、
速度制限を確かめた”とイギリス航空事故調査
委員会の報告書は書く。
アルデニー空港にアプローチする際、 ギア下
げ操作をすると緑色のライト3つが点灯したた
め、 ランディング・ギアは下げ位置になり、 ロッ
クされたもの、 と信じてしまうが赤色の警報灯
は点灯し続けている。
“緑色のライトが3つ点灯したといえ、 赤色
の警報灯が点灯し続けているということは、 ギ
アがロックされていないことを示している。
赤色の警報灯が点灯し続け、 ギアはロックさ
れていない状態に気付いているにもかかわらず、
このパイロットはプロシージャーどおりハンド・
ポンプを操作し、 手動でギアを下げる操作を行っ
ていない”と報告書。
着陸中、 速度40ノット近くまで減速したとき、
ノーズ・ギアは折れてしまう。
TBM700 はランウェイを飛び出してしまい、
タクシーウェイの上で停止。
機体を調査した結果、 ノーズ・ギアのアクチュ
エーターに汚れが発見され、 この汚れがノーズ・
ギアのダウン位置にロックするメカニズムの動
きを妨げてしたものと思われる。 なお、 このア
クチュエーターはランディング・ギア・コント
ロール・ユニットに、 ノーズ・ギアが上げ位置、
そして下げ位置にロックされていることを示す
信号を送る、 と報告書は書いている。
ピストン航空機
間違ってしまった暗算。
パイパー・ナバホ:損傷なし、 負傷者無し。
2009年5月21日の午後、 社有機を整備するの
で、 整備士をキャンベラからニュー・サウスウェー
ルズのアルバニーまで連れて行ってくれないか?
とパイロットは頼まれる。
ナバホ機に280リットル (74gal) 燃料を補給
すれば、 53分ほどのフライトには十分だ、 とパ
イロットは判断する。
“アルバニーへのフライトは、 25ノットの追
い風により、 計画よりも早く到着することが出
来た”と ATSB (オーストラリア運輸安全委
員会) の報告書。
整備作業は1時間ほどで終了する。
ナバホ機の燃料容量計は、 160リットル (42
gal) ほど燃料が残っていることを指示している。
この燃料で戻れるか、 暗算をしたパイロット
は十分だ、 と判断してしまう。
しかしこのパイロットが暗算した燃料消費率
は、 より少ないいつも飛んでいるビーチ・ダッ
チェス航空機の消費率であった。
キャンベラまで後半分、 という地点でパイロッ
トは燃料容量計の指示が気になり始める。
“この航空機は後どのくらいの時間飛行でき
るのか、 改めて計算しなおしたパイロットは、
残っている燃料ではキャンベラまで飛ぶことも
アルバニーへ戻ることも出来ない、 と判断した。
残り半分のフライトのうち、 その半分は不時
着が不可能な地形の上空を飛行しなければなら
ない、 とも判断した”と事故報告書。 そしてこ
のパイロットはキャンベラの南西 50km (27
nm) の原野に着陸。
“航空機の損傷、 乗員の負傷は報告されてい
ない”と報告書は書いている。
トレーニングはランウェイ逸脱で終了を。
パイパー・セネカ:中破、 負傷者無し。
2008年5月31日、 合衆国ルイジアナ州プラケ
マインにある2,600フィート (792m) のストリッ
プから離陸しようと滑走を開始し、 40ノット近
くまで加速したとき、 インストラクター・パイ
ロットは左エンジンのスロットルをアイドル位
置にし、 模擬片発訓練を行う。
NTSB の事故報告書によると、 芝のストリッ
プは露でウェット状態だったため、 離陸を中断
しようと右エンジンのスロットルもアイドル位
置にし、 ブレーキを操作したがステューデント・
パイロットは航空機の方向を保つことが出来な
かった。 セネカ機は滑り、 ストリップを飛び出
し、 ぬかるみに突っ込んでしまう。
“航空機の左主翼は前方に曲がり、 後縁部は
胴体から1.5インチ (3.8cm) ほど離れ、 前縁は
胴体にめり込んでいた”と報告書。
失速した水上機、 稜線に衝突を。
グラマン G21 グース:大破、 5名死亡、
1名重傷、 1名軽傷。
2008年8月3日、 この水上機は木材会社にチャー
ターされ、 その会社の従業員をカナダ、 ブリティッ
シュ・コロンビア州のポート・ハーディからチャ
ミス・ベイまで輸送していた。
ポート・ハーディの天候は視程20マイル (32
km)、 オーバーキャスト1,000フィート、 そし
てチャミス・ベイは“日差しがあり、 視程も良
い”状態であった、 とカナダ運輸安全委員会
(Transportation Safety Board of Canada)
の報告書は書いている。
しかし、 飛行経路上37ノーティカル・マイル
(69km) にある山の稜線は雲に覆われていた。
パイロットそして航空機とも、 計器飛行を行
う承認を受けていない。
チャミス・ベイに到着せず、 行方不明となっ
たグース航空機の捜索が開始された。
そしてポート・ハーディから14ノーティカル・
マイル (26km) 程離れたアリス・レイクの近
く、 深い森に覆われた急な斜面、 標高1,860フィー
ト地点に墜落している同機が発見される。
事故調査の結果原因は、 2,000フィートほど
の稜線を飛び越そうと上昇したパイロットは機
体を失速させてしまい、 樹木のてっぺんに衝突
したのではないか、 と推定されている。
救助された2名は、 水上機の後部近くに座っ
ていたため、 墜落した機体が炎に包まれる前に
脱出できた、 と話したという。
2010 SEP
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ヘリコプター
離陸時、 テイルローターをタワーにぶつけてしまう。
シコルスキー S-76A:大破、 2名重傷。
2008年5月29日、 合衆国ミシガン州グランド・
ラピッヅにある病院の屋上ヘリパッドから、 プ
ロフィシエンシー・チェックを受けるため垂直
上昇を開始したが、 監視カメラのビデオテープ
の映像、 そして目撃者の証言どおり、 後方に60
フィート (18m) ほど移動してしまう。
高度40フィートほど上昇したヘリコプターは、
テイルローターをラジオ局のタワーにぶつけて
しまった。 機首が右に振れてしまったため、 パ
イロットはヘリパッドに着陸しようとしたが、
メインローター・ブレードをタワーの支持構造
物にぶつけてしまう。
“この後ヘリコプターは真っ直ぐに降下し、
病院の屋上に墜落した”と NTSB の報告書。
パイロットと連邦航空局の試験官は、 同機が
炎に包まれる前に機外へ逃れたという。
ウエザー・ブリーフィングを受けていなかった。
ベル430:大破、 4名死亡。
2008年3月8日午後、 フライト・クルーは乗
客2名を乗せてチャーター・フライトを行うた
め、 インドのハイドラバッドからジャグダルプー
ルへ向かおうと離陸したが、 ウエザー・ブリー
フィングを受けていなかった。
“しかし離陸直後、 クルーは悪天候に遭遇し
てしまった”とインド民間航空局は公表。
430ヘリコプターは周辺の最低安全高度以下
に降下してしまい、 離陸し他27分後、 丘に激突
してしまう。
ヘリコプターは激突時の衝撃、 及びこの後発
生した火災で焼失した。
不意に動いてしまったフューエル・レバー。
ユーロコプター AS350-B2:中破、 4名死亡、 1名重傷。
2008年4月15日の朝、 このパイロットは合衆
32
2010 SEP
国アラスカ州チカルーン近くの辺ぴな現場に電
話技術者を送り込もうとしていた。
当初2人の技術者を搭乗させていたが、 途中
ハイウェイのレスト・エリアに着陸し、 ここで
さらに技術者2名、 そして自分の息子を前方の
乗客用座席に乗せる。
“目的地はこのレスト・エリアから谷間をは
さんだ反対側2.5マイル (4.0km) ほど離れた
位置にある”と NTSB の報告書。
目撃者の話によると、 当時の気象状態は視程
2マイル (3,200m)、 小雪であったと言い、 レ
スト・エリアを離陸したヘリコプターは谷間に
向かい急降下していった、 という。
“この目撃者は、 急降下して行き、 何か変だ
なと感じていたが、 ヘリコプターは谷間の中に
消え去り、 墜落する場面は目撃できなかった”
とも事故報告書は書いている。
その日の昼過ぎ、 このヘリコプターは行方不
明になってことが分かり、 捜索が開始される。
翌朝、 谷の中に墜落しているヘリコプターが
発見される。 前席に座っていたパイロットの息
子は頭部に負傷を負い、 低体温症に陥っている
状態で救助されている。
事故調査官は、 墜落前にエンジンが過回転し、
エンジン内部が破損していた事実を突き止める。
報告書はエンジンが過回転してしまった原因
について、 キャビン前方に床面に設置されてい
るフューエル・コントロール・レバーに全席に
座っていた乗客の足か、 近くに置いたバック・
パックが当たり、 不意にエマージェンシー位置
になってしまったためと推定している。
“製造会社によると、 フューエル・フロー・
レバーを前方のエマージェンシー位置にしてし
まうと、 エンジンは数秒の間に過回転してしま
う”と事故報告書。
エンジンが停止してしまったヘリコプターは、
ほぼ垂直に降下したと思われる。
“急峻で平地の無い谷間、 しかも低空で飛行
していたヘリコプターにとって、 うまくオート
ローテーション着陸することは無理であった”
と事故報告書は結んでいる。
我々パイロットは飛行機の Manual に従って運航しています。 しかし、 それ以外に先輩・同輩
に加え後輩からの 「技術の伝承」 で培われた部分が大きいのも否定できません。 一人前の刀鍛冶
になるのは、 少なくとも5年はかかります。 炎に照らされた鉄の色合いなどを見て判断する名工
の一挙一投足から、 技術を盗む 「技術の伝承」 で一人前になります。
この新企画は、 刀鍛冶とまではいきませんが、 「技術の伝承」 「技術の研究」 を目指す読者のサ
ロンのコーナーです。 運航の現場などからお寄せ頂くお役立ち情報や知識を集約したコラムです。
皆様からの 「技術に関する情報」 等々、 その他有益な投稿をお待ちします。
から移し、 2つの連載 「飛行力学物語」
さて、 新コラムの Maiden Article は旧 Aviation Cafe
柴田 眞著、 「飛行機の機能を知る! 知って使いこなす!」 蔵岡 賢治著、 の両氏に登場願い
ました。
編集委員会
連載・飛行力学物語
その8
徳川大尉と Piaggio P180 Avanti (後編)
JAXA 風洞技術開発センター
国産旅客機チーム客員
柴田
眞
前編は日本の航空100年にちなんだ昔話、 とくに航空の初期における徳川大尉の業績について紹
介しました。 後編ではまず、 徳川大尉と時間的には後先になりますが、 ライト兄弟についても言及
しておきたいと思います。 ライト兄弟はノースカロライナ州キティホークで、 1903年12月17日に初
の動力飛行をすることに成功しました。 その機体は推進式プロペラ (Pusher-Propeller) を持つカ
ナード、 すなわち先尾翼機でした。
コントロール・カナードと揚力カナード
図4にカナード機の縦の釣合いを示しました。 重心が後方にあり縦静安定が不安定な状態では、
カナードはほとんど揚力を出す必要がありません。 このときカナードは操縦のみに用いられるので、
コントロール・カナードと呼ばれます。 1903年のライト機、 最近ではたとえば前進翼のグラマン
X-29が、 その状態で飛行しています。 いっぽう重心を前方にすると、 縦静安定を安定にすること
ができます。 この状態ではトリムをとるために、 カナードは揚力を出す必要があり、 揚力カナード
と呼ばれます。 技術的に高度で、 高価でもある安定増強装置、 SAS (Stability Augmentation
System) を装備しない場合は、 この揚力カナードにしないと不安定で飛ばしにくい機体となりま
す。 揚力カナードは、 水平尾翼のように下向きではなく上向きの揚力を出しますから、 その意味で
は効率がよいように思われるかもしれません。 しかし小さいカナードではなく大きな主翼で揚力を
2010 SEP
33
図4
コントロール・カナードと揚力カナード
出すほうが、 全体の誘導抗力が小さくなる場合もあるので、 その得失は実際のところケース・バイ・
ケースなのです。 SAS を装備する高性能な機体が、 コントロール・カナードにする理由は、 そこ
のところ、 すなわちカナードに揚力を持たさないほうが全機の誘導抗力が小さくなる飛行状態が多
いからと考えられます。
ライト兄弟は安定性よりも操縦性を重視していました。 したがって初期の機体は、 ずいぶん不安
定な機体に仕上げました。 同乗者が撮影した映像が残っていて、 それにはタービュレンスを受ける
と、 カナードが上げ下げの最大舵角の間をバタバタと操舵される状況が記録されているそうです。
X-29ではコンピュータがすることを人間がやっていたわけですから、 ずいぶん操縦が難しい機体
だったことでしょう。 ライト兄弟はそのあと機体を改良していく過程で、 安定性と操縦性のバラン
スも見直し、 重心を前に出すなどして、 コントロール・カナードを揚力カナードに近づけていきま
した。 なお余談ですが、 わが国もライト機を1機だけ輸入したことがあります。 その1910年型ライ
ト式改造複葉機は、 水平尾翼が追加されていたようです。 すなわち初飛行から7年後のモデルは、
3LSC (Three Lifting Surface Configuration) 化されていたわけです。 明治末年の所沢の空を飛
んでいたのは、 ファルマン機、 会式機にこのライト機を加えて、 3LSC 機が主流でした。 いまでは
少し想像しにくい光景です。
3LSC 機の縦の釣合い、 静安定
さて 3LSC 機の縦の釣合いや静安定は、 三つの揚力面の相互干渉を省略しても、 かなり複雑で説
明も難しくなってしまいます。 それでやや乱暴なのですが、 主翼と前方翼をひとつの揚力面とみな
し、 それに水平尾翼がついていると考えたら、 判りやすいかと思います。 主翼と前方翼をひとつの
揚力面で考える、 すなわち両者の面積重心に双方の面積の和が存在すると考え、 それを仮想主翼の
空力中心と表現して Piaggio P180 Avanti の平面図に記入したのが図5です。 この図をみると、
この P180機が何故 3LSC になったのかすぐ判ります。 この機体の後部与圧隔壁は主翼の桁位置と
一致していて、 その結果、 客室を1名分 (左右で2名) 長くすることを実現しました。 じつは客室
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2010 SEP
図5
平面図
Piaggio P180 Avanti
と主翼の桁あるいは箱梁 (はこばり、 box beam のことです) との干渉は、 ビジネス機の全機レイ
アウト設計における大きな課題です。 大多数の機体では主翼の上に客室を載せていて、 それぞれに
工夫し上手く線図をまとめてはいるものの、 どうしても中胴下面のふくらみが目立ちます。 3LSC
機にして主翼取付け位置を後退させ、 それをなくした P180機がキュートに見える理由のひとつで
しょう。
Piaggio P180 Avanti
Piaggio P180では、 前方翼は操縦に用いません。 ただ図5の平面図から判るように、 前方翼の
後縁には舵面があり、 これは主翼のフラップと連動して後縁下げに動き、 前方翼の揚力を増加させ
て縦のトリムをとります。 ふつうの巡航時には 3LSC 機でも、 水平尾翼は下向きの力を出していま
すが、 フラップを下げたときに前方翼の舵面を働かせることで、 水平尾翼のダウンロードをそれほ
ど増やす必要がないことになります。 ふつうの飛行機では、 フラップによる頭下げモーメントを打
ち消すため、 水平尾翼が大きな下向きの力を出さなければなりません。 これがせっかく増やした最
大揚力係数の一部を打消してしまうことは、 設計の課題としてよく知られています。 また図6の側
面図に示すように、 3LSC 機の重心位置は主翼より前方にあり、 主翼に燃料を搭載する場合、 重心
の移動量が大きくなり、 それに対応した設計上の配慮が必要になります。 これはカナード機でも同
じで、 ビーチの有名なスターシップ機では、 主翼付根前縁を大きく張出し、 その中を燃料タンクに
して、 重心移動量を抑えました。
少し話がそれますが、 本機は図5や6にみるように後胴下部に大きなフィンを持っています。 今
年の1月26日に初飛行した航空自衛隊の川崎 XC-2も、 写真を見ると後胴に細長いフィンがついて
いますし、 リアジェット60なども大きなものを取付けているので、 とくに珍しいものではありませ
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図6
側面図
Piaggio P180 Avanti
ん。 P180の場合ですが、 ディープストールや高迎角時の方向安定の改善に役立つといわれていま
す。 重心と垂直尾翼の距離が短くなる 3LSC 機にとって、 この場所のフィンはきわめて強い味方の
ようです。
Pusher-Propeller とオープンローター
Piaggio P180は PT-6A ターボプロップ双発で、 主翼から後方に向けてエンジンを取付けた
Pusher-Propeller 方式の機体です。 この方式を採用した理由は、 プロペラ回転面を機体後部にし
て、 静かなキャビンを実現するためです。 ビジネスジェットなみの性能を、 ターボプロップの経済
性で実現する、 これが P180の基本的な目標ですが、 その一環と考えてよいでしょう。 なお
Piaggio 社は、 Pusher-Propeller 方式を1957年に初飛行した汎用機 P166ですでに採用しています。
これはレシプロエンジン双発の高翼機でした。
しばしば Pusher-Propeller 方式の音響特性は、 最近研究が盛んになってきたオープンローター
機と類似点が多いといわれます。 オープンローターも pusher 案が大勢を占めているからでしょう
が、 主翼の後流がエンジン回転面を通ることも、 また場合によっては、 エンジン排気がプロペラの
回転面を通して流れる形態案があることも、 その理由のひとつかもしれません。 図7はナポリ大学
と Piaggio 社の共同研究で実施した音源試験の一例です。 この試験で得られた音源特性を、 別に
作成した飛行径路と音の伝播を計算するソフトの入力として用い、 全機としての環境騒音を予測し
ているようです。 なお同図には比較のため、 JT-15D ターボファン双発のジェットビジネス機のあ
る音源試験の例も記入しておきました。 両機の dB (A) はたまたま同レベルですが、 PusherPropeller の場合は、 ターボファン機に比べ機体の前方で厳しく後方が静かになることが判ります。
オープンローター機の場合も、 ローター回転面で発生した音は主に左右に拡がり、 前後にはあまり
伝播しないようなので、 飛び去ったあと急に静かになる機体が実現するかもしれません。
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図7
エンジン運転音の放射パターン比較
水平尾翼、 カナード、 3LSC、 その優劣について
ふつうの水平尾翼をもつ機体、 カナード機、 そして 3LSC 機、 その優劣は?という質問を受ける
ことがあります。 一般論としては、 残念ながら答えられない質問です。 なぜなら具体的な設計目標
が与えられて初めて、 それぞれの形態の優劣が出てくるからです。 優劣は、 性能のような数値的な
ものだけではありません。 一例として Piaggio P180を取上げたのは、 「ビジネスジェットなみの性
能を、 ターボプロップの経済性で実現する」 という基本目標を、 3LSC を採用することにより、 見
事にまとめている機体だと思うからです。
昔話のところで、 アンリー・ファルマン機、 会式一号機などが登場しました。 重心位置と縦静安
定の関係も正確には理解されてなかった時代の飛行機ですから、 現代の知識であれこれ言うのは避
けるべきでしょう。 そして試行錯誤の中から、 チョンマゲと称された前方昇降舵がいつしか消え、
ふつうの水平尾翼をもつ形態に自然に移行していきました。 それからの飛行機の発達をみれば、 こ
の形態が基本的に優れたものであったことは、 あえて言うまでもないでしょう。 しかし、 ボーイン
グもエアバスも遠目では区別がつかなくなってきた旅客機の分野では、 ある種の閉塞感みたいなも
のがあります。 独創的な Piaggio P180は、 事業としても健闘しているようですが、 技術的には閉
塞感を打ち破る勇気を与えてくれる機体といってよいでしょう。 また将来の機体形態につながる可
能性を秘めていると、 このところ評価されてきました。
なおカナード機や 3LSC 機を設計しようとすると、 ふつうの水平尾翼機に比べて手間がかかりま
す。 揚力面の相互干渉が複雑なので、 空力計算のケース数が増えるだけでなく、 それ以上に風洞試
験のケース数が増加することを覚悟しなければなりません。 それらを乗り越えて、 わが国も独自の
新形態機を開発し、 飛躍的な性能向上を実現したいものです。
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おわりに
日本の航空100年にことよせて、 水平尾翼、 カナード、 3LSC の基本について復習してみました。
本稿では水平尾翼機、 カナード機、 3LSC 機を比較するにあたり、 縦トリムと静安定の基本に話を
限定し、 失速特性については言及しませんでした。 この3者の失速特性の比較は、 重要かつ興味深
い話題ですが、 それだけに大部になるので別の機会にまとめることにしたいと思います。 また縦ト
リムや静安定に関しても、 空力中心の移動をともなう超音速機の場合は、 少し別の議論が必要でしょ
う。 後編で参考にした主な資料は次のとおりです。
参考資料4:Aircraft Design: A Conceptual Approach, D. P. Raymer, AIAA Education Series,
Second Edition, 1992
参考資料5:「ライト・フライアー号の謎」、 鈴木真二、 技報堂出版、 2002
参考資料6:AIAA-84-2508 The Aerodynamics of Three-Surface Airplanes , E. R. Kendall,
Gates Learjet Corp., Wichita, KS
参考資料7:AIAA 2005-2984 Measurements and Predictions of Community Noise of a
Pusher-Propeller General Aviation Aircraft , F. Marulo et al., 26th AIAA
Aeroacoustics Conference, Monterey, California.
(H22. 8. 3記)
柴田
1941年
1965年
同年
眞氏のプロフィール
東京に生まれる
京都大学大学院修士課程修了
当時の川崎航空機、 現在の川崎重工に入社
P-2J 対潜哨戒機の開発担当
1977年
新中等練習機 XT-4 の社内研究・開発担当
T-4 の量産設計を担当
1997年
日本航空機開発協会 (JADC) にて超音速機担当
川崎重工を退社し通信放送機構、 航空宇宙技術振興財団へ
2005年
現職 宇宙航空研究開発機構 (JAXA) 客員
風洞技術開発センターおよび国産旅客機チーム担当
子供のころからヒコーキが大好き、 とご本人のコメントです。
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飛行機の機能を知る!
Aiming!
知って使いこなす!
Landing を制する必要条件!
必須条件!
B767 機長(元)
蔵岡
賢治
Landing を語る時、 Runway の一点を我々は Aiming、 ここではそれを Path Aiming と仮称し、
そこに対し Path を作っています。 しかし、 Path は一点だけ見ていては判りません。 つまり、 ある
平面に対する角度が Path と言え、 Runway に近づきながらその Path を判断しなければなりません。
この稿では、 Approach から Landing、 Flare までを新たな視点でチョット詳しく考えてみます。
〈視野と Aiming〉
図−①
Landing では Aiming (Path Aiming) を判断する時は、 Runway の見え方
が重要と言われている。 この時 Pilot の目にどう写るだろうか?
我々Pilot が受ける視力検査で、 視力1.0の分解能は、 図−①、 網膜の中心視力
が約1分幅 (1/60度≒0.02度) で、 動いている時の動体視力は更に狭まる。
そんな中、 Landing で Aiming に対する Visual の Path の掴み方は?
ここでチョット試してみよう。 左右いずれかの目の前に指で10円玉程度の大き
さの丸を作り、 離れた所の小さな点に目を近づけていくと、 その接近の度合いは、
小さな点の広がりだけとなり、 接近の角度も判り難いのではないだろうか?
確かに、 両手の指で大きな丸を作ると接近の度合いや角度も判り易くなります。
つまり中心視野のみでは、 その物体が大きくなる事のみで接近を掴まざるを得
ず、 接近の度合いは掴み難いが、 中心視野の外周を含めた大きな視野で見れば接
近の度合いも判り易くなります。 Path Aiming に対する接近の度合いや Path
の判断は一点を見るのではなく、 その外周も見よ!と言う事ですね!
Approach での Aiming に対する Visual Path は、 比較対象できるものがある
程、 攫み易くなる。 つまり Aiming を凝視する中心視野だけでなく、 その外周の
動きが必要と言える。 「Aiming!」 「Aiming!」 と言われ続けると Aiming のみを
凝視し周辺への意識が薄れる。 言うならば 「Path! Aiming!」 の繰返しだろう。
中心視野では文字が判別できるが、 その外周での文字の判別は難い。 試しに一
点を見つめ、 視線を動かさず視野外周の文字が読めるだろうか?
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視野外周では文字の判別はできませんが、 物体の動きは掴めますね。 Visual
Path を判別する際は、 網膜の中心で Aiming を見つつ、 視野外周にも気を配る必
要があり、 航空身体検査で視野を測定するのは、 病気以外にこの意味もありますね。
自動車でも、 例えば、 年をとり視野が狭くなると、 物体の動きが掴み難く事故
を起こす可能性も増える、 とも言われています。 Pilot にとって視野は重要ですね。
Approach や Landing では飛行機の動きで動体視力は狭まり、 Aiming を見る
視線の外周は動きを主に掴んでいる。 通称言われる Flare の 沈み は、 網膜中
心の外側、 つまり、 網膜中心外視力と下方視野の部分で感じる。
近くを見ず 遠くを見ろ! の意味はここにある。 しかし、 単に 遠くを見ろ!
では漠然とし戸惑いも生む。 目標もなく 沈み だけにしか対応していない。
ここで Flare の視点目標を3000ft Marking とすると、 視点を遠くに移す事に
なり、 3000ft Marking を網膜中心で見ながら、 手前の Marking の比較で機の
進み具合や動きを網膜中心の外側下方で把握し、 沈み を感じつつ、 Touch
Down Point も意識した Flare になる。
さて、 Runway に近づくに従い、 その見え方はどう変わるのだろうか?
遠くから 「Aiming!」 「Aiming!」 と言われても、 1000ft の Touch Down
Marking は小さ過ぎてハッキリとは見えない。 その Marking を認識できるの
は200ft 付近からだ。 後述の図に表すが、 それ以前は Runway または3000ft ま
での Marking や夜間の Touch Down Zone Light 等の形からしか Path は判断
できない。 Runway の見え方は刻一刻と変化し、 見え方は一定ではない。
見え方を変えるな!と言われますが、 実際は接近するに従い変わりますね。
見え方が変わると Path の判断も難しいですね! どうすれば良いのですか?
我々が受ける Touch & Go 訓練は、 Landing の Flare の練習に加え、 Path を
維持する Runway の見え方を掴むための意味もあると思います。
Approach では、 Runway の見え方の変化を掴む事が重要だ。 Runway に近
づくに従い、 Aiming の前後で、 接近の度合いと見え方が異なる。
グラフ−①を見れば、 Path Aiming 前の Threshold の見え方は、 HAT 200ft
までは徐々に、 HAT 100ft では8度下方に、 急激に手前と横に広がる。
Aiming 以遠、 例えば3000ft 付近の見え方は、 図−②、 Threshold の急拡大と
比較して、 3度の Aiming との角度差はゆっくりと1度程度上方になり、 相対
的に縮小していく。 相似形の拡大でもなく、 見え方を一定にしろ!とは言えない
のだ。
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すると200ft 付近までは、 Runway や3000ft までの形の変移を掴み、 その
Image と実際を比較しながら Path を守り、 200ft 付近から徐々にハッキリと見
えてきた Path Aiming を目指す、 ですね。
200ft 付近までの Runway 等の見え方の変移を教えて下さい。
グラフ−①
図−③
図−②
図−④
RWY SHAPE
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Runway の見え方は、 全機種同じで、 図−③Threshold を基準に考えれば良い。
Threshold に衝立を立て、 機の高度毎に Runway の各部を投影すれば見え方
が作図できる。 但し、 水平線は地球湾曲の影響で無限大の距離にはならない。
例えば、 HAT 500ft では、 3000m の Runway End は、 Threshold 500ft の高
さに対し1.58度下方の271ft、 つまり、 200ft Runway 幅の1.35倍の高さに見える。
HAT 200ft では、 Runway End は158ft、 200ft 幅の約0.8倍の高さで、 水平線の
高さ198ft の約80%となり、 Path Aiming から約1度上方に見える。
HAT 毎に Runway の形を書くと図−④の様になる。 実際の大きさとは異なる
が、 比率は合っているので、 3倍程度に拡大コピーして形に慣れ親しんで欲しい。
Threshold に衝立を立て見え方を考えたり、 Aiming が境界で、 その前後で広
がり方が異なるなど、 新たな視点ですね。 そう言う事は考えてもいませんでした。
200ft 付近までは、 Aiming のみでなく、 Runway や Touch Down Zone の形
の変化で Path を判断する。 図−④は Image を掴むのに使えそうです。
次第に拡大する Runway の見え方には慣れ親しんだ方が良い。 ILS Approach
で Localizer と Glideslope ばかり、 或いは PAPI だけ見て、 Runway の見え方
に重きを置かない傾向もある。 Standard Callout、 例えば1000ft・500ft・300ft
等々、 その時々でしっかりと目に焼き付けた方が良い。 訓練時間が短い時は尚更、
通常運航で掴む事が望まれる。 Runway の長さで見え方が変わるので、 長さが
変わらない3000ft Marking までを主に見ると良い。
Runway の形の変化を掴むと同時に、 3度 Path を維持する方法も考えてみよう。
図−⑤、 Aiming に向けた Eye Path3 度と Down Vision との角度、 つまり、
Glare shield などの上端と Path Aiming までの角度、 仮称 Reference Angle は、
Down Vision Reference の物標に関らず一定である。 Down Vision Reference
の中では、 前述、 視野の下方に Runway の幅や形の広がりが見られる。
3例の Sample 写真を見て欲しい。 HAT 200ft 付近から Path Aiming がハッ
キリ見えてくる。 これ以降 Ground Effect や Up Down Draft に遭遇した場合、
Path Maintain が重要だ。 この Reference Angle の幅が狭くなる時は、 Pitch
Up や Path から高くなる時で、 幅が広くなる時は Pitch Down や Path から低
くなる時である。 Reference Angle を一定 にするのも一つの方法だ。
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図−⑤
またまた新たな視点ですねー! でも Path が重要な Landing には必要かつ必
須条件ですね。 写真も Eye Height で見れば全機種同じですか。 Reference Angle
の幅が変わる初動を見つければ Path を維持できる。 Path から外れた時は、 そ
の幅を変えて Path に戻り元の幅を維持する、 ですか! Path Aiming と Glare
shield などの間近な Reference との関係も Path を維持する為に必要ですね。
前述、 Path Aiming のみ見ても Path は判らない。 Touch Down Zone がある
から Path が判る。 Glare shield 等の Reference の向うに Path Aiming を見て
Touch Down Zone の見え方を目に焼付ければ、 Path も判り易く判断は早いだ
ろう。
200ft 以下の Short Final も同じなのだ。 飛行機の操縦に Reference は必要だ。
Approach Pitch は○度、 Landing は△度、 と理論値に拘らず、 実際の Reference から得た情報を利用すれば最も状況に合った Control と言える。
理論値は理論値、 実際は実際、 なのだ。
次は、 Landing について述べ、 Flare の Aiming を考える。
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〈Landing Flare の円運動解析〉
図−⑥
円運動模式図
Landing の Flare についてチョット考える。 航空力学では Flare を円運動と
して捉えている。 図−⑥は機種に関らず、 Flare 開始高度で考えれば応用できる。
B767 は、 通常 Auto Callout の“30”から Flare の Phase に入る。 その円運
動の半径Rは、 Path3度から0度の高度差が30ft なので、 30ft=R−Rcos3.0度
から、 R=21890ft、 円弧の長さは1146ft になる。
従って、 速度135kts では、 Flare G は0.074G=2.38ft/sec2、 所要時間は5秒、
角速度は0.6度/sec になる。 つまり、 それ以下の Flare G を Constant にかける
と、 半径と高度差が大きく、 円運動の Flare では30ft 以内に収まらない。
0.074G では丁度30ft 降下するのでチョット間違うと間に合わず、 強いショッ
クの Landing になったり、 大きな Flare G をかけると高い所で沈みが止まる
High Flare になる恐れもあります。 従って、 135kts、 0.8G (>0.74G) で計算す
ると、 半径20150ft、 30ft からの降下高度が28ft、 約5秒、 となり適当な余裕が
あります。
“30”から Flare の円運動開始後、 3∼4秒付近から120fpm (2ft/sec) また
はそれ以下にすれば良いですね。
B767 の通常の Flare 開始は“30”からで、 3秒間の Initial Flare、 その進み
具合で Second Flare を行い、 6∼7秒で Touch Down と言われている。
Pilot が、 Flare 中に 「機が前方に進みだした」 と感じるのはどれ位の Descent
Rate だろうか? 実機訓練の教官時代の経験では、 殆どの人が、 実際は降下し
ていても、 3度の Descent Rate の約半分200∼300fpm (5ft/sec) になった時に
感じ、 Thrust を絞っている。 円運動の図−⑥では1.2度、 5ft 付近である。
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Touchdown の Shock は、 速度と降下率のベクトルで決まる。 Auto-Land は
速度に関わらず約120fpm (2ft/sec) 付近で Touchdown するので時に Shock が
ある。
Manual Control で降下率を更に小さくするため、 前方に見える3000ft Marking を目標 (Flare Aiming) に機を進めれば、 200∼300fpm の降下率から、 120
fpm またはそれ以下にできるだろう。
降下率が小さく、 Touch Down 直前の浮上がりや沈みを感じない1G から、 僅
かな下方 G で 「もうすぐ着く!」 の Pants Pressure を感じた事はないだろうか?
「もうすぐ着く!」 の Pants Pressure は私も経験があります。 Nice Landing
の時、 Pants あたりから伝わる何かムズムズする様な微妙な下方Gですか?
3000ft Marking は、 Path Aiming とは異なり、 Initial Flare 後の機を進ませ
る目標の Aiming として網膜中心で捉えつつ、 中心外視力や下方視野で Marking を捉え、 機の進み具合や Runway に接近する 「沈み」 を感じる事もできま
すね。
我々は、 Flare 中にそのGがどれ位か?は判らない。 しかし、 通常の Landing
で、 多くの Pilot は、 Flare をグイッと“G”が大きい1秒で行っていないと思う。
機種に関らず Initial Flare の3秒は、 円運動でも適当な Timing だろう。 そ
の間機の進み具合を見る。 そして進み具合で、 Second Flare の Pitch Control
で適当な Descent Rate にして Touch Down させるのが Landing ではないだろ
うか?
Landing を制するのは、 この稿で書いた 「Path Aiming」 や 「Flare Aiming」
等の Aiming と言っても過言ではない。 気象状況等々の外的条件の中で、 Aiming が重要なのは殆どの Pilot が同意するだろう。
その Aiming に如何に Control するか?は個々人の Technique にかかってい
る。 この稿は、 その一例をあげている。 刻々変化する気象条件等、 外的条件の中
で、 常に通用する Landing はどうしたら良いのか?を考え研究して欲しい。
Landing は Path で決まる!とも言われています。 ILS の3度 Path は慣れ親しんだ Path です。
Pilot になる初期訓練から辞める時まで、 Path を如何にして守るか? そして、 Path や Flare
の Aiming に向けどの様に飛ぶか?は、 常に Pilot 人生についてまわる生涯の研究課題かも知れま
せん。
その課題に一石を投じ、 お役に立てれば幸いです。
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航空に携わる方々の、 チョットした一コマなどを紹介する、 皆さまからの投稿で成り立つ、
Cafe
で気楽に読める様な投稿コーナーです。 日常的な事ごとや思い出など、 色々なジャンルの
読物をお寄せ下さい。
は、 「技術の伝承」 「技術の研究」 を目指す読者のサロンのコー
なお、 かねての Aviation Cafe
ナーとしてきましたが、 今後、 内容の充実を考慮し、 それらを 「再発見! そんな技! 役立つ
技術・運航講座」 に移設します。
2 マイル オン ファイナル??
ある新米パイロットの大汗
ロートルパイロット
東京都の調布飛行場には、 昔も今も航法援助
施設が設置されていない。 推測航法で近くまで
来て、 地文航法で滑走路にたどり着くことが必
要 な の で あ る 。 も ち ろ ん SVFR (Special
VFR) なども無い。
それでも、 飛行場の北側は、 エアワークやホ
ンダエアポート、 龍ヶ崎飛行場での離着陸訓練
の往復の機会が多いので、 大体の土地カンは出
来ていたのだが、 問題は南側であった。
北からの進入は荒川、 南からの進入では多摩
川が良い目標になった。 しかし、 関東平野特有
の、 低高度のスモッグによる低視程には、 皆泣
かされたものだ。
調布の場合、 操縦練習は北側へ行き、 晴れて
免許を取得して遊びに行くのは、 伊豆諸島等々
南側に行くことが多かった。 また、 関西方面か
らの帰りも、 伊豆半島を越え、 相模湾から上陸
して北上となることが多かった。
調布飛行場では、 多摩川の南側、 読売ランド
の読売タワーが、 視程5Km の目印であった。
従って、 南からの進入では、 多摩川の上まで来
て、 滑走路が見えれば、 それは調布飛行場へた
どり着いたと言うことであった。
調布のクラブルームでは、 「厚木の海軍機が、
ものすごい勢いでかぶさってきて、 危うくぶつ
けられる所だった」 などと武勇伝を語るものも
いたが、 大体、 アプローチのコースに立ち入る
方が悪いのである。
また、 上空1500∼2000Ft からの視程は、 地
上よりもはるかに悪く感じるもので、 また関東
平野は、 どこを見ても同じような地形に見える
ので、 神経を使った。
厚木の管制圏の東側を通るか、 西側を通るか
は、 雲高と視程等で判断をした。 西側は、 伊豆
半島越えからのコースでは、 近道になるのだが、
丹沢の山が近く、 また多摩丘陵に入ると、 地点
の評定が難しく苦労をした。
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2010 SEP
そのような状況で、 大体小田原あたりまでは、
きちんと推測航法で来るのだが、 その先は地形
の参照による有視界地文航法となることが多かっ
た。
「ヤレヤレこれで後は降りるだけ」。 視程が
悪い航法から開放され、 鼻歌気分で進入を継続
した。 そろそろ2マイルオンファイナルだ。
「調布タワー JA○○○○、 2マイルオンファ
イナル」。
当時、 既に完成していた東名高速の上をたどっ
て帰ることができれば楽なのだが、 それは、 厚
木の管制圏の中央を南西から北東に横切ること
になるので、 無理というものであった。
その結果、 適当にフラフラと 「多摩川まで行
けば何とかなる」 となるのであった。
さて、 その日、 チェロキーに乗るAクンとB
クンは、 雲の低い伊豆半島を何とか通過し、 海
沿いに小田原まで着いてから、 視程の悪い調布
を目指していた。
視程が悪いとはいえ、 それは低層のヘイズに
よるものなので、 雲高は問題無く、 高度を上げ
ればかえって視界がよいような状況だったので、
厚木管制圏の西側を通過することにした。
厚木管制圏の西側真横を通過するあたりまで
は何ら問題は無かったのだが、 徐々に高度を下
げてみると、 視程が極端に悪くなった。 とにか
くぼんやりとしていて何も見えない。
「ここまで来れば、 あと10分で多摩川が見え
るはずだから」 と、 何はともあれそのまま進む
ことにした。 実は視程が悪いのは、 東風でスモッ
グが流されてきたことによるものなのだが、 も
う風のことなど忘れてしまっている。
そのまま進むことしばし、 遠くに川が見えて
きた。 多摩川である。 目を凝らし、 川の北3マ
イルにある飛行場を捜す。
見えた、 正面やや左手にあった。 早速コンタ
クトである。 「調布タワー JA○○○○、 5マ
イルサウス、 リクエストランディング」。 トラ
フィックは無く、 風は真横の弱い東風だったの
で、 RWY35にストレートインを要求した。
一方、 タワーは目を凝らしたが、 まだ機影が
見えない。 いくら有視界気象条件ギリギリとは
いえ、 管制塔から2マイルオンファイナルの機
体が見えないというのはどうみてもおかしい。
そこで、 タワーは念を入れたボイスを発した。
「エ∼JA○○○○、 現在位置はRWY35の
2マイルオンファイナルですか?」
「その通りです、 RWY インサイト」。
何を聞いてるのだろう、 と管制塔を見ると、
その前に駐機している機体が目に入った。
B君はのん気に、 「調布にもあんな大きな機
体が降りられるんだー」。
「エッ? なに、 あのデカイあれは?」
「エッ? 米軍の輸送機じゃない?」
「エエッ?? ……ゲッ。 調布じゃないのっ?」
「ゴ・ゴーアラウンド。 パワー! パワー!」
当時の立川飛行場はまだ返還前で、 米軍が運
用していたから、 日本語で行われていた交信に
は我れ関せずであったのだろうが、 いきなり滑
走路上をゴーアラウンドして行くチェロキーに
は、 さぞ驚いたことであろう。
幸い、 機関銃弾や、 ミサイルは飛んでこなかっ
たので、 チェロキーは無事であったが、 パイロッ
トは肝を冷やした。
立川基地から改めて中央線をたどり、 国分寺
駅経由でトボトボと調布へ飛んできたチェロキー
のパイロットが、 こってり絞られたのはいうま
でもない。
古き良き時代のお話でした。
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手形がついた霜柱?
駆出しパイロット
パイロットになる訓練が始まったのは凍てつ
く様な寒さと寒風が感じられる季節であった。
共同生活では、 一部屋に二段ベッドが並び、
そこに二十五人が寝ていた。
集合日に、 そこに集まった二十歳前半の若者
たちは、 つい先日までの大学生活から抜け出た、
皮ジャンや当時流行の髪型をした、 とてもパイ
ロットを目指しているとは言い難い出で立ちだっ
た。 それでも高い競争率をくぐり抜けたパイロッ
ト訓練生たちであった。
パイロットの基礎知識の学習、 基礎体力をつ
ける体育等で疲れ果て、 皆がぐっすりと夢も見
ずに寝静まっていた。
そして、 パイロット訓練生としての集団生活
が、 先ずは、 飛行訓練とはほど遠い地上での基
礎訓練課程から始まった。
ラッパで起床、 ラッパで食事、 生活の全ての
合図がラッパで始まりラッパで終わる、 時間さ
え気にしない大学時代とは隔絶された集団生活
であった。
育った環境も異なり、 考え方もバラバラな大
学生活から抜け出た者たちが、 一か所に集まり、
寝食を共にし、 ラッパで行動を規律されるのだ。
基礎訓練課程とは言え、 指導監督する者たち
には、 パイロットと言う目標に向けさせるのは
並大抵の事ではなかっただろう。
しかしながら、 生活がラッパで規制されてい
ても、 ラッパとラッパの間は、 訓練生同士勝手
気ままに時間を過ごしていたのだ。
ラッパが鳴っても学生気分抜けやらぬ者もい
て兵隊生活で言われる 「五分前精神」 など、 何
処吹く風の輩たちで共同生活がなされていたの
だ。
その日は、 訓練開始間もない時期で、 訓練生
同士、 お互い素性も掴んでいない頃であった。
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2010 SEP
眠りこけていた漆黒の闇から夢の中に引き戻
され、 かすかなラッパの音が遠くに響いた。
その音は次第に大きく、 頭の中に響いて来た
のである。
「何だろう?」 途端に廊下の明りが点き、
「非常呼集!」 「非常呼集!」 の叫び声が響いて
来た。
ハッとの思いで起き上り、 廊下からの薄明か
りの中で、 訓練用の制服を着る。 頭は眠ってい
るのでボタンつけがまどろっこしい。
そして、 宿舎から運動場に飛び出した。 ドア
を開けたとたん、 ベッドで感じていた毛布の温
もりを吹き飛ばすほどの寒気を感じたのだ。 ま
さに凍てつく寒風を感じたのだ。
「整列!」 「整列!」 の声と共に、 眠気を携
えた訓練生はダラダラと整列し始めたのである。
その整列が最も遅かったのは、 学生気分抜け
やらぬ我々パイロット訓練生であった。
「各隊! 番号!
ぎ早に号令が下る。
人数を報告せよ!」 矢継
「1」 「2」 「3」 …… 「24」 ?
「もう一
回!」
「1」 「2」 「3」 …… 「24」 ? 皆が顔を見
合わせ列を見回す。 「誰だ居ないのは?」
最後は 「24」、 つまり、 一人満たないのだ。
人数が合った隊は、 適宜、 「○○隊、 総数□
□名、 異常無し!」 の報告があちらこちらから
聞こえてくる。
しかし、 パイロット訓練生と言われた我が隊
からは、 その報告はできなかった。
報告が終わった隊は、 順次解散となり、 あの
温かい毛布のベッドに帰っていく。
「誰か、 探して来い!」 の一喝に、 一人が宿
舎に飛んで行き、 やがて、 キョトンとその場に
合わない顔をした一人を連れて帰って来た。
「お前らー! たるんどる!!!」
その声でキョトンとした一人も事の重大さが
判ったらしく縮み上がった。
寒風吹きすさぶ中に、 同期二十四人だけを屋
外に立たせていたのだ。
「申し訳ありませんでした!」 の彼の声も、
未だ素性の判らない者同士の中では空虚さを漂
わせ、 寒さの中に皆の静かな怒りさえ感じられ
た。
「お前らの共同責任だー!」
「全員、 腕立て伏せー!」
折しも、 その日はとりわけ寒気が押し寄せた
日である。 腕立て伏せを躊躇させるかの様に、
眼下の地面には、 土を浮上がらせた霜柱がいた
る所に立っていたのだ。 整列した足元も、 その
中にめり込んでいる。
再び 「全員、 腕立て伏せー!
訓練生たちは、 ゆるゆると、 その霜柱の中に
手をついた。 その手は霜柱の中に、 指の間から
も霜柱が立ち上がり、 まるで手形を付ける様に
埋もれたのである。
「一回!」 「二回!」 …… 「二十回!」 最後
まで腕立て伏せが出来ない者は、 霜柱の中にへ
たり込む。 腕立て伏せが出来た者でも、 その手
の感覚は無くなっていた。
「解散!」
ゆるゆるとベッドの温かさにもどる全員が、
学生気分から抜け出すには十分な大き過ぎる程
のショックであった。
しかし、 そのショックも、 夢からやがて漆黒
の闇に投げ込まれ寝入ったのである。
起床ラッパと共に飛び起き運動場に出た目に
は、 昨夜つけた手形は後型も無くなっていた。
この後の非常呼集は? 勿論、 我が二十五人
の仲間が最も早く集合する様になったのは言う
までもない。 まとまりを得たのである。
一人遅れたのは何故だったか?
皆が寝静まった頃、 公衆電話でガールフレン
ドとの楽しいひと時の会話に熱中していたのだ。
未だ学生気分抜けやらぬころの訓練生活の逸
話である。
二十回!」
2010 SEP
49
Nature Calls
湧井
大型機では経験しない苦労の種に Nature
Calls がある。 「出モノ腫れ物、 ところ嫌わず」
とうたわれる生理現象。 ビジネス機より小さな
単発機やヘリコプタにトイレの装備はない。 せ
いぜい小のためのリリーフチューブが用意され
ている程度だろう。 たかだか3時間ほどしか飛
ばないのだから Pre flight で心すべきことな
のだろうが、 Take below でどこかに降りて用
を足したご記憶がありませんか?
ビロウな話と疎んずるなかれ。 飛行安全に関
わる大事なお話なのです。
● 小の部
まあ乾いてしまえば、 絵空事とうそぶいてい
ることもできるのだろうが、 飛行中に始末でき
るに越したことはない。 サイドバイサイドの操
縦席でリリーフチューブを使うことの心理的圧
力は悲しいものです。 まさか異性の同僚の横で
は出来ないことだが同性であったとて、 そいつ
の視線が気になる。 「こんまいのう」 などと思
われるのが心配なのはほんとうにコンマイから
なのだろう。 同僚のほうとて、 ソレを見ないよ
うにはしているものの、 「そいつが余計な気配
りをするんじゃないか」 と気遣うのだ。
カレン
する、 漏れないようにと、 ジョウゴにきっ
ちりはめ込むのは危険 (この項は手順には
書かれていない、 経験則である)
①を無視すると前回利用者のものが凍ってい
て自分のモノが逆流する。
②を無視するとジョウゴから先に流れず、 戻っ
てくる。 天に向かってツバするたとえ。
③を無視すると圧力差でジョウゴにシュッと
吸い込まれ取れなくなる、 旅客機のトイレで用
済み後にフラッシュバルブを操作した時のあの
シュパッというエネルギーを想像あれ。 6.5psi
の差圧に耐えて、 これをはぎ取らねばならない。
取れたとしても負圧で膨張し……
まあコンマイ問題は解決するだろうが。
お客に女性が加わることになると、 用意する
ものも増えるのだ。 女性用のリリーフキットを
載せます。 ちゃんと市販されているのでご心配
なく、 どっちが前だろうか?などと余計な気遣
いはしなくてよろしい。 最後尾の席にちゃんと
カーテンがあるか、 preflight で調べておく心
配りも大切だ。
● 大の部
小型ビジネス機では客室の後ろの壁に遠慮が
ちに埋め込んであるリリーフチューブだが、 与
圧中や高高度での飛行中には手順に沿って正し
く使わないと失敗する。 多くのあわて者が使用
手順を読まずに実行して手を汚すのだ。
① まず Heater を ON にする
② グリップのレバーをしっかり握り、 チュー
ブの弁を開にする。 シューという外気と通
じた音まで確かめるのは優等生
③ ジョウゴとモノの間に少し隙間を開けてか
ら 「始めチョロチョロ……」 の要領で開始
50
2010 SEP
私が乗っていた戦術輸送機や、 海洋哨戒機で
は長時間飛ぶので旅客機と同じトイレ・コンパー
トメントがあって小には茶筒状のカートリッジ、
(この茶筒カートリッジの開口部分はアメリカ
の設計なのでかなり高い位置にあり、 短躯の日
本人には苦労があったようだ)
大にはケミカルコンテナが装備されていた。
従って大も特に問題はなかったのだが、 飛行
機は新品の商品でもあり、 これらを顧客に納入
する以前に汚すことは禁じられていたのだ。
だから自然と誰もが使わない。 工場には空港
にあるようなサニタリーサービスのシステムも
機材もなかったのだ。 特に大は使ったものが着
陸後ただちに使用前状態に復旧させると言うルー
ルがあり、 たとえ古手の先任機長でも、 偉い工
場長でも自らがコンテナーごとトイレに持ち込
んで、 身から出たものと再会し、 たわしで洗い
清めるという民主主義が浸透していた。
でも小型機やヘリコプタでは小のような笑い
話では済まないのが大の部だ。
前夜に安い赤提灯で怪しいものを食べた翌日
のフライトなどで経験する事象である。 まあ、
脂汗と括約筋を最大限働かせて予防着陸をする
以外に手立てはない。 As soon as practicable
で助かる段階で早めの決断をすること。 As
soon as possible になったらコトは serious だ。
断じて言うが以下は我が身に起こったことで
はない、 ある同僚が経験した事件である。
山間部の送電線工事現場での話。
大型ヘリで資材を運んでいるとき、 前夜の赤
提灯でよほどの悪いものを食べたのか、 左席の
同僚が悲鳴を上げた。 「漏れそー」 と。
あわてて資材を降ろし as soon as possible
のヘリポートに着陸した。 眼隠しとなる林の茂
みは広大だ、 その中に駆け込んで用を足した彼
は数分して晴れやかな表情で戻ってきた。
この大型ヘリの DOC (直接運航費) は当時
1時間70万円だったと記憶している。 アイドリ
ングの待ち料金、 数分の営業損失は7万円に相
当する。 1回7万円の有料トイレはどこにある
だろう? ジョルジュ・サンクかペニンシュラ
ホテルくらいだろうか。
ところで操縦席に戻った彼が背中に手をやり、
ぬく
「なんか温いな!」 と言う。 見ると彼の飛行
服の襟から何やら黄色いものが……
我らの飛行服は jump suite、 つまりツナギ
と言うものだ。 慌てて降ろしたツナギは十分下
がっていなくて襟の部分が受け皿になっていた
という、 まことに尾籠で品ない事件でありまし
た。
それ以降は、 ツナギは必ず脛 (すね) の下ま
で降ろしてから開始するように全員が心がけて
いました。
完
2010 SEP
51
連
載
I Aviation
第2弾
―Hello from Guam―
第1回 “Guam! Here I come”
Trend Vector Aviation International
Guam Departure, Life Guard NXXXXX,
Two thousand for niner thousand runway
heading.っと。
私は慌しくサイパン空港を離陸し、 タワーの
指示で、 グアム Departure にコンタクトして
いた。 もちろんコールサインは 「ライフガード」
緊急専用救急ジェット (日本ではドクタージェッ
トの名で知られている) の仕事で、 私はグアム
から緊急患者をピックアップしにサイパンに来
ていた。 そしてたった今、 救急車で病院から輸
送されてきた患者を乗せ、 患者受け入れ施設の
あるマニラ、 フィリピンに向けて離陸したとこ
ろだった。
サイパンには設備の整った病院がない。 緊急
患者だけは政府が全額負担するとあって、 サイ
パンの人達は安心して海外の病院、 主にマニラ
の病院へと輸送されていく。 私の仕事は患者、
それに医者と看護師、 並びに患者の付き添い家
族を安全に目的地の空港まで運ぶ事だ。
輸送中は患者の状態はもちろん専属医師達が
意を尽くして安静にさせる。 私達は彼らの仕事
には一切口を挟まない。 コックピットの中はパ
イロットの仕事、 キャビンの中は専属医師達の
領分。 お互いのプロフェッションを完璧にこな
す事が Team Work の最低条件。 この部分は
Air Ambulance も Airline で働いていた時の
Cabin attendant との関係と同じだ。
当直になると24時間 On call で待機してなけ
れ ば な ら ず 、 On call の 日 は お 酒 も Scuba
52
2010 SEP
青木
美和
Diving も出来ない。 それに加え、 緊急患者の
輸送の電話が入ったら出来るだけ短時間で離陸
をしなければならない。 ほとんどのフライトは
海外になるため、 International フライトプラ
ンを File し、 Landing 許可を目的地の空港か
ら取らなければならない。 それらは会社側で準
備をしてくれるとしても、 私たちには Flight
Plan, Weight and Balance, Runway analysis,
Weather そして Fueling とやる事が山ほどあ
る。 ほとんどの仕事はキャプテンと私で分担し
て行うが、 それでも、 緊急患者を目の前にして
寸分の時間も無駄に出来ない為、 テキパキと仕
事に取り掛かる。 プリフライトまでやっとたど
り着いたところで Estimated Departure を無
視して、 救急車が格納庫に到着してしまい、 あ
たふたする事も多々ある。
「患者がもう到着している、 すぐに飛び立っ
てもらえないか」 と Estimated Departure タ
イムを無視してプレッシャーをかけてくるマネー
ジメント側。 「Flight Plan を File した時刻に
ならないと Clearnace は出ないんだ。 Landing
Slot に合わせるように離陸しなければならない。
気持ちはわかるが Estimate Departure Time
に合わせて患者を空港まで連れてきてくれるよ
うに配慮してくれ!」 と応じるキャプテン。
私たちには当たり前の事なのだが、 病院側は
あまりピンとこないのか、 このオペレーション
を始めた頃は、 何度かプリフライト中に口論に
なって時間を無駄にしていたそうだ。 私がこの
Team に参加した今では 「口論している暇もな
い」 と言う現実が、 経験を重ねるうちにわかっ
てきたようだ。
さっき交通事故で正面衝突してしまったティー
ンネージャーの娘の横で泣きながら付き添って
いる母親を目前にして、 私はキャプテンと目を
合わせ、 暗黙の了解で飛行準備を急がせる。 通
常の8時間どころか、 2時間前の通告で出発は
出来るか?と頼まれる事もあった。 出来るだけ
早く、 そしてミスの無いように Pre Flight を
進めないといけないのがこの世界の常である。
この仕事には常に緊迫間と慌しさが付いてま
わるが、 やりがいのある仕事には違いない。 こ
の仕事では一般に言われているパイロットの仕
事以外にいろんなことを学んだ。 経験豊かにな
るのは確かだ。
グアムに引っ越してこの仕事を始めてもう1
年が経った。 毎日を忙しくしていると本当に一
年はあっという間に過ぎてしまう。
そう、 私はこの土地 Guam に Seattle から
2009年の春に引っ越してきた。
Aviation の仕事を始めて10年が過ぎていた。
まさか Air Ambulance の仕事に携わるとは思っ
ていなかった私。 グアムに来てすぐに、 この
Air Ambulance と言う仕事をさせていただく
事になった。 Westwind II と言うイスラエル製
のジェット機。 とても面白い姿をした飛行機に
興味を惹かれ軽い気持ちではじめた仕事。 Air
Ambulance という仕事がどれだけ大変なのか
を知らずに始めてしまったのが本音である。
(笑)
この連載では皆様に、 あまり日本では知られ
ていない Air Ambulance の仕事の現場を紹介
していきたいと思います。 私の Guam 発 Air
Ambulance 奮闘記。 これから始まる連載を“I
love Aviation!”第2弾“Hello from Guam”
にさせていただきます。 私は常に Aviation か
らいろんな事を学び、 そして今の自分がありま
す。 常夏の島グアムを拠点にこのマリアナ諸島
上空と太平洋の空を飛びながら、 連載を通じて
皆様に私の経験談をお届けしますのでよろしく
お願いします。
アメリカ大陸の空でしか飛んだ事のなかった
私がグアムからマニラまで初フライト! その
経験の様子を次回にお伝えしましょう。 お楽し
みに!
また、 皆様からのご意見、 感想をいただけた
ら幸いです。 こちらの E-mail まで
[email protected] お便りをお寄せください。
楽しみにしています。
執筆者
青木美和氏のプロファイル
アメリカで活躍するスーパーウーマン機長。
本誌バックナンバーの連載 「I Aviation
アメリカの空から」 をご記憶でしょう。
愛知県豊橋出
身。 高校卒業
後、 米国東部に
ある大学の ESL
で英語を学んだ
後、 航空学を学
べるワシントン
州グリーンリ
バーコミュニティーカレッジで1年勉強。 そ
の後セントラルワシントン大学航空学科プロ
フェッショナルパイロットコースに転入。 航
空学で学士、 工業エンジニアリングで修士号
を同大学から取得。 卒業と同時に同大学の操
縦教官になる。 7年間教官を務め、 その間、
ビジネスジェットのパイロットとして
Cessna Encore を飛ばす。 その後、 ホライゾ
ン航空の副操縦士として CRJ 700 に乗務。
2009年春よりグアムに移動、 トレンドベクター
エビエーションの次席操縦教官として日本人
顧客を中心にフライトを教える傍ら、 Air
Ambulance のパイロットとして Westwind II
のフライトデッキでご活躍中。 太平洋はご自
分の庭のようだと。
編集委員会
2010 SEP
53
連
載
グアム
ゼネアビ紀行
その1
ビジネス航空ジャーナリスト
石原
達也
インフラの拡充と法整備が後手にまわっている我が国ではビジネス・メリットを生かしきれな
いドクター・ジェットによる Evacuation (救急医療搬送) ビジネス。 1、 2の企業でまだ小規
模な展開しか見られない分野だが、 Guam に本社を置く米国系企業で活躍中の日本人スーパーウー
マン、 青木美和氏を航空ジャーナリストが取材しました。 著者の初めての操縦体験記と併せ、 2
回の連載でお届けします。
編集委員会
PILOT 誌でもおなじみの青木美和パイロッ
つて
トの伝 を頼って、 グアムのビジネス航空会社
ACI と、 その Air Ambulance 事業、 およびト
レンドベクターエビエーションインターナショ
ナル社のセスナ体験操縦事業を取材してきた。
ACI はビジネスジェットのリース、 販売、
チャーター運航、 メンテナンス、 運用マネジメ
ント、 格納庫提供などを手がけている。
5月24∼26日の3日間かけて取材したが、 次
の3点が強く印象に残った。
①
日本企業が使うビジネスジェットが、 日本
に運航整備体制が整わないばかりにグアム
に保管され、 フライトのたびに日本に迎え
に行かなければならないという、 日本の情
けなさ
② Air Ambulance が受益者負担のビジネス
として確立されていること
③ 航空機がいかに安全な乗り物か
①
ACI (Aviation Concepts, Inc)
ACI はグアムのビジネスジェット運用マネ
ジメント会社。 ビジネスジェットの代理店を手
がける日本の商社が、 「日本国内では運航整備
拠点や経験豊富なスタッフの確保が難しく、 運
航・整備にかかる費用が欧米に比べ割高である
ため維持が容易ではない」 (櫻井洋平 ACI 副社
54
2010 SEP
グアム国際空港にある ACI の格納庫。 手前と奥が
グローバル・エクスプレス、 真ん中が Air Ambulance 用機材の Westwind 。 ACI は09年10月、 航
空輸送事業者に対する安全監査業務の世界大手
ARG/US からプラチナ認定を受けるなど、 成長を
つづけている
長) ため、 グアムを拠点に、 ビジネスジェット
の運航・整備・管理会社 Share Jet を、 ACI
との共同出資で設立したことから、 日本のジェッ
ト機オーナーとの関係が始まった。
08年8月からは同商社の顧客機への総合サー
ビスとチャーター運航をおこなうグループ会社
となった。
現在、 グアムを拠点とする顧客機は、 グロー
バル・エクスプレス2機、 ガルフ G 、 チャ
レンジャー605
の計4機で、 いずれも日本
企業が所有するNナンバー機。 取材前は、 グア
ムで事業展開するリゾート産業の社用機もある
かと思っていたが、 全て日本に運用環境を確保
できなかったビジネスジェットだった。 長距離
ジェットばかりなので、 グアムから日本に迎え
に飛ぶ程度のコストは、 全体のコストから見れ
ば許容範囲に入るとのこと。
この4機と、 Air Ambulance 用に導入した
Westwind の計5機を、 チャーター用機材と
しても提供している。
年間フライト数 年間フライト時間 チャーター
(うちチャーター運航) (うちチャーター運航) 機材数
08年実績
38回 (21回)
920時間
(508時間)
1∼2機
09年実績
48回 (18回)
1,085時間
(468時間)
2∼3機
2010年見込み 70回 (35回)
1,700時間
(850時間)
3∼4機
事業は順調に発展しており、 現在は FAR パー
ト135 (オンデマンドチャーター事業規定、 日
本は未設定) に基づき管理契約機材のメンテナ
ンスを手がけているが、 2010年内には整備事業
免許であるパート145を取得し、 受託整備事業
へと進出する見通しとなっている。
ACI 格納庫前に飛来したボーイングビジネスジェッ
ト (以下 BBJ) と、 出迎えの税関の車両。 税関ス
タッフはこのあと、 タラップを上って BBJ 機内に
入っていった。 なお、 ACI 格納庫は、 定期便ターミ
ナルとは滑走路を挟んだ反対側に位置している
グローバル Express のエンジン整備
格納庫面積は約3,000㎡、 オフィス部分も含めた建
物の敷地面積は4,500㎡。 一般道路から自動車で格
納庫に乗り入れることも可能。 格納庫は海軍基地時
代に建てられたもので、 非常に強固な構造をしてい
るという。
直近のフライト需要は次の通り。 08年夏ごろ
までは過去最高ペースで増加。 金融危機の影響
で09年春先までは厳しい状況にあったが、 既存
顧客の需要や新規顧客の開拓で徐々に上向き、
2010年はかなりの需要回復を見込めるという。
なお、 チャーター需要に占める日本企業の割
合は60∼70%ほど。 ACI 独自の販売網や、 親
会社である商社の海外支店の営業活動により、
外国企業からのオーダーも40%前後存在してい
る。
櫻井副社長は 「これまで顧客に、 同業他社に
乗り換えられたケースはゼロ。 顧客満足度は非
常に高いと自負している」 と誇るとともに、
「運航拠点を持っている包括的なビジネスジェッ
ト運航整備会社という強みを高めるため、 グア
ムに加えて、“○○空港といえば ACI”のよう
な拠点空港を、 アジアでつくりたい」 と将来目
標を語っていた。
ここで考えてみる。
日本経済の牽引役となる有力企業の、 グロー
バル移動の専用拠点空港を日本国内に用意する
ことは、 何か日本国民に不利益をもたらすのか?
運航安全監査でプラチナ認定を受け、 高い顧客
満足度を達成している企業が、 事業展開できる
環境を日本国内につくることで、 何か日本にデ
メリットが生じるのか?
ACI のパイロット諸氏はいずれも経験豊富
なベテラン揃いで、 シリアスなものからトンデ
モ話まで、 話題には事欠かない。 そんな彼らが
2010 SEP
55
真っ先に訊いてきたのは、 「日本政府がビジネス
航空の利用環境を整えないのは、 JAL・ANA
の商売敵になることを警戒しているからなの
か?」 ということだった。 「いえ、 単にビジネ
ス航空という産業の存在を知らないだけです」
と答えておいたが、 それほど日本の現状は理解
しがたいということだ。
②
Air Ambulance
ACI は2007年11月、 ドクタージェット運航
会社 CareJet を設立し、 Air Ambulance 事業
にも進出した。 グアムやサイパンなどミクロネ
シア諸島では医療環境が発達していないため、
重症患者は医療体制の整ったフィリピンのマニ
ラなどに輸送する必要がある。
交通事故による脊椎損傷など、 一刻一秒を争
う重篤患者のほか、 背骨に病気や怪我がある寝
たきりの患者 (旅客機のシートに座れない)、
伝染病感染者 (旅客機では周囲の乗員・乗客に
伝染する危険がある) などは、 旅客機では輸送
できない。
また、 脳内出血や心臓病など、 気圧の変化が
大きく影響する患者もドクタージェットで輸送
される。 海抜8,000フィート以上の上空を飛ぶ
旅客機と異なり、 ドクタージェットは地上との
気圧差がほとんどない、 0∼1,000フィートの
低空飛行 (Sea Level Flight) が認められてい
るためだ。
定期便は10日以上前にフライト申請が必要だ
が、 ドクタージェットは2時間前に申請すれば
フライトが認められる。 パイロットは24時間体
制で待機している。
往復の輸送コストは患者 (=受益者) が負担
し、 それをグアム政府の医療基金や、 CareJet
が提携する保険会社の保険商品がカバーしてい
る。 ドクターヘリの運航コストが、 運航事業者
負担となっている日本との決定的な違いだ。
グアムでは08年ごろ、 貧困層を対象とした政
56
2010 SEP
CareJet 社が運航するドクタージェットのキャビン。
救命医療機器が設置され、 患者と付添い人 (家族な
ど)、 医療スタッフ2人
の計4人を輸送する
府 医 療 基 金 MIP (Medical Indigent Program) が設立された。 総額約100万ドルで、
カバー率は100%。 貧困層 (グアム人口の約10
%程度) は全額政府負担でドクタージェットの
利用が可能になった。
一定額以上の所得者は、 政府医療基金の対象
外だが、 CareJet 社が提携する保険会社の提供
する保険サービスに加入することで、 ドクター
ジェット利用費の50%がカバーされる。 この保
険の加入者数は、 2010年5月末現在4万人 (グ
アム人口の約25%程度) にのぼっている。
しかし、 依然としてグアムでは大半の市民が、
保険などのカバーを受けられないでいるため、
より多くの市民が費用の心配をせずにドクター
ジェットを利用できるようにするため、
CareJet 社は6月から、 会員制の保険サービス
も開始する。 掛け捨ての保険で、 年間保険料は
1人300∼500ドル、 家族保険の場合は1会員
600∼900ドル。 医師から認定された患者には、
グアム─マニラ間の輸送費 (片道4万5,000ド
ル) が全額支給される。 2010年7月のサービス
開始を予定している。
サイパンでも09年夏ごろ、 サイパン─マニラ
間の輸送コストを米国政府が全額負担する医療
基金制度の拡充がおこなわれ、 ドクタージェッ
トの利用が急増した。
07年11月の CareJet 設立から2010年5月末
までの累計フライト数は、 70フライト。 08年は
認知度も低く、 政府系医療基金の整備も不十分
だったため実績は少なかったが、 認知度の向上
とともに増加し、 09年の年間実績は40フライト
前後に達した。 CareJet 社のドクタージェット
が出払っており、 同業他社が対応したケースも
あるため、 年間50フライト程度は需要があるよ
うだ。
ACI の櫻井副社長は、 「最初はビジネスとし
て成立するのか懐疑的だったが、 09年夏ごろか
ら軌道に乗ってきた」 と手ごたえを感じ取って
いる。
それに対し日本では、 ドクターヘリ運航会社
に対し行政が運航コストを補助しているものの、
実際の出動回数や運航時間が当初の想定の2倍
近くに達していることから、 運航事業者に1機
あたり1億円前後の赤字が発生しているのが現
状。 2010年度の運航コストから補助金額が増加
されるが、 まだまだ採算ラインには届かない。
また、 患者や移植用臓器を乗せたフライトが
救急輸送として扱われることは日本も諸外国も
共通だが、“患者や臓器を迎えにいくフライト”
への対応が異なるようだ。
たとえば早朝に摘出された移植用臓器の輸送
で、 空港の営業開始と同時に飛び立つ必要があ
る場合、 フライト準備のため、 ドクタージェッ
トを空港営業時間前に運び込んでおかなければ
ならない。 だが日本の空港は、 患者や臓器を乗
せていないフライトは、 救急輸送として扱わな
い (=営業時間外対応はしない) ので、 航空会
社は前夜にジェット機とクルーを現地に運び込
まなければならず、 コスト増の要因となってい
ると、 運航経験者から聞いたことがある。
一方、 CareJet 社の活動エリア諸国の空港は、
時間外利用料を払えば対応してもらえるという。
定期航空会社の地方路線撤退に対する地元の
反応にも共通して言えることだが、 航空輸送は
ビジネスであってボランティアではない。 運航
事業をビジネスとして発展させられる社会環境
を整えなければ、 そのツケは結局、 我々に跳ね
返ってくることになる。 日本が早期に対処する
べき案件だ。
ドクタージェットに用いられる機材は多種多彩だが、
CareJet 社では、 イスラエル製ビジネスジェット機
Westwind を導入している。 1981年製で、 航続距
離4,167km、 最高時速850km。 「同じクラスの機種
に比べ航続距離が長い」 (櫻井副社長)、 「中翼構造
のため、 地面に近い高さでストレッチャー (担架)
を出し入れできる」 (青木美和機長) などのメリッ
トが、 機種選定のポイントとなった
ドクタージェットに乗り込む医師および看護
師には、 救急医療に必要なライセンス
Basic Life Support ( 基 本 救 命 技 能 ) 、 Advanced Life Support (高度救命技能)、 Pediatric Advanced Life Support (小児向け高度救
命技能)
が必要となるが、 CareJet 社はそ
れらに加え、 独自に Aero Space Medicine (航
空宇宙医療) のトレーニングを施している。
同社は現在、 ドクタージェット要員として、
約20人の医師および看護師と契約を結んでいる。
医師・看護師は普段は各自の医療機関で勤務し
ているが、 それぞれに特定の待機日を CareJet
との間で決めてあり、 ドクタージェットの出動
要請があった場合には即座に駆けつける。
Air Ambulance 業務に従事している間の給
料は CareJet が負担する。 専門のスキルを必
要とするため、 病院の給料と比べ高額となる。
また、 ドクタージェットで輸送される患者の
ほとんどは、 自分では意思表示をおこなえる状
態にないため、 家族が同伴し、 受け入れ先の病
院などで必要な書類にサインしなければならな
2010 SEP
57
い。 アメリカ本国やサイパンでは、 患者の家族
の代理としてサインを認められた専門職もある
という。
ブライアン・ウェスト・ブルーク機長 (向かって左)
と、 青木美和副操縦士 (機長資格副操縦士)。 ドク
タージェットのコックピットにて。 ビジネスジェッ
トや定期旅客機との違いについて青木氏は、 「背後
で“心臓停止!”などの声が上がっていても、 動揺
することなく操縦に集中しなければならないので、
非常にプレッシャーの大きい仕事です」 と話してい
た。
次号に続く
文責:石原達也 (ビジネス航空ジャーナリスト)
石原達也氏のプロフィール
1977年愛知県名古屋市生まれ。 元中部経済新聞記者。
在職中にビジネス航空と出会いその重要性を認識。 欧米
のビジネスジェット産業の取材を個人の立場でも進めて
きた。 日本にビジネス航空を広める情報発信活動に専念
するため退職し、 08年12月より、 フリーのジャーナリス
トとして活動を開始。 中部地区に軸足を置き、 ビジネス
航空を主眼として国内外の航空産業の取材記事を下記のサイトにて発信中。
この記事は本来我が国のビジネス航空業界誌のために書かれたものでした。 その掲載が
できなかったため、 筆者には JAPA 読者向けのトーンに改めて頂きました。 記事にある
ドクタージェットに関する内容を何人のビジネス航空関係者が理解していたでしょうか、
今後我が国の EMS 事業がドクターヘリ、 ドクタージェットともに健全に発展するよう、
関係するビジネス航空界には一層のご理解を願うものです。
編集委員 柳井記
著者のサイト http://business-aviation.jimdo.com/
58
2010 SEP
GA:ジェネアビ情報
宇都宮航空連絡会
奥貫
7月7日の午後、 陸上自衛隊の北宇都宮駐屯
地で 「宇都宮航空連絡会」 が開催されました。
この会は、 宇都宮飛行場周辺空域の航空安全
の確保及び円滑な航空業務の遂行を目指し、 同
空域で航空機を運用する公共機関、 民間団体、
及びスカイスポーツを行う各種団体を対象とし
て、 相互の情報交換と認識の共有を図ることを
目的としています。
関東平野から北へ向かう小型機は、 宇都宮近
辺を経由して飛行することが多いのですが、 関
東平野のほぼ北端にあたる宇都宮周辺は、 陸上
自衛隊 北宇都宮駐屯地 航空学校宇都宮校の航
空交通の他、 小型機の航空交通、 グライダー等
の各種のスカイスポーツ機の飛行が錯綜し、 有
視界飛行での通過には注意が必要です。
有視界飛行では、 見張りによる飛行安全の確
保が基本とは言え、 積極的な安全の確保には、
事前の情報把握が重要なことは言うまでもなく、
そのような視点からは、 毎年開催されているこ
の会は、 極めて有意義なものと言えます。
この会は、 陸上自衛隊の北宇都宮駐屯地の呼
びかけで、 計30団体、 55名が参加して実施され
ました。 その内容は、 北関東近隣の団体や関係
者のみでなく、 この近辺を通過する全ての方に
周知を図ることにより、 空の安全が確保される
ことになりますので、 その概要を誌上で報告さ
せていただくことにします。
空は、 かけがえの無い共有財産ですので、 こ
れからも、 このような会には積極的に出席し、
情報交換の結果を紹介することで安全な利用を
考えて行きたいと思います。
博
この連絡会では、 以下の情報交換が行われま
した。
1. 宇都宮飛行場運用の概要
2. 宇都宮管制業務
3. 東京電力の送電線保守業務
4. 栃木県ドクターヘリ等活動
5. 近隣スカイスポーツ活動
6. 質疑応答、 その他連絡事項等
その後、 ターミナルレーダー見学、 ヘリコプ
ター訓練用シミュレータの見学、 及び懇親会が
行われました。 会は、 趣旨説明、 挨拶、 関係者
の紹介の後、 宇都宮飛行場関係の紹介から始ま
りました。
先ず最初は、 宇都宮飛行場の運用時間ですが、
平日の0815∼1700を基本とし、 夜間飛行訓練が、
火、 水、 木曜の日没から約2時間実施されると
のこと。 また、 土曜、 日曜、 祝祭日も、 必要に
より運用することがあるため、 必ずコンタクト
をお願いしますとのことでした。
宇都宮飛行場の運用の説明
2010 SEP
59
宇都宮飛行場で訓練中の UH-1J ヘリコプター
宇都宮飛行場周辺運用の特性
宇都宮飛行場周辺における航空機運用の特性
として、 以下の説明がありました。
・航空学校宇都宮校としてパイロットを育成し
ているため、 多数の学生機が同時に飛行
・自衛隊機の列島縦断任務の中継基地として利
用のため、 他部隊の航空機が頻繁に飛来
・県警、 防災、 ドクターヘリ、 富士重工、 その
他航空測量、 航空写真等の、 公共機関、 民間
会社等の航空機が、 空域を恒常的に運航
・スカイスポーツのメッカとしての周辺空域で
の多くの飛行
・飛行場周辺の市街化による騒音苦情の頻発
・首都直下型大地震等の大規模災害時における
災害救援支援ハブ空港としての存在
(陸・海・空自:立川、 入間、 下総等)
飛行場周辺へリポート等の状況
宇都宮飛行場周辺には、 多数のヘリポートが
あります。 また、 △印の場所では、 滑空機、 ハ
ンググライダー、 パラグライダーによる滑空活
動が行われています。
宇都宮飛行場のヘリコプターは、 飛行場の近
辺を低高度で飛行することが多く、 レーダーに
よるトラフィックのモニターは行われているの
ですが、 トランスポンダーを装備していない機
体による滑空活動は把握できませんので、 特に
注意して飛行することが必要です。
主要展開先と災害救助活動実績
自衛隊機の任務の主な展開先は上の図の場所
となりますが、 大規模災害の発生の際は、 その
関係の飛行が一気に増大します。
御巣鷹山の日航機の事故の際も、 宇都宮飛行
場からは救助活動等の支援に多くの飛行活動が
ありました。
周辺の公的航空機関との位置関係
60
2010 SEP
宇都宮飛行場の飛行活動と空域等
宇都宮飛行場の運用機は陸上自衛隊のヘリコ
プター、 及び固定翼の連絡偵察機 LR-1 及び
LR-2 が主体です。
滑走路は1700m×45m です。 大きな機体では、
C-1 ジェット輸送機、 YS-11 輸送機、 U-125、
U-125A ジェット機等の飛行があります。
局地飛行空域及び飛行空域区分
また宇都宮の局地飛行空域及び飛行空域区分
は更に広く、 南は大宮駅から、 北は福島駅、 東
は太平洋岸にまで及んでいますので、 頭に入れ
ておくことをお勧めします。
宇都宮飛行場の滑走路と関連施設の配置
宇都宮進入管制区は南15NM、 北30NM に及
んでいます。 北へ向かう場合は、 足利、 古河、
筑波山のあたりからコンタクトの準備を始める
必要があります。 コンタクトを設定すれば、 進
入管制区内のトラフィックの情報を得ることが
出来ます。 飛んでいる立場からは、 自機よりも
低い高度を飛行中の、 迷彩塗装の自衛隊機の視
認は困難ですので、 無線による情報は、 安全の
ために必須のものと実感されます。
宇都宮進入管制区
低空飛行訓練空域
陸上自衛隊ならではの低高度訓練空域は、 鬼
怒川流域の他、 八溝地区、 茂木地区、 及び栃木
地区に設定されています。 この辺は、 グライダー
の飛行に適したエリアでもありますので、 特に
月曜から金曜等の飛行に際しては、 宇都宮進入
管制区にコンタクトして飛行の意向を伝え、 ま
た自衛隊側の運用状況の情報を得る等注意が必
要です。
山を避け、 雲を避けて先へ進んだら、 自衛隊機
とハチ合わせ、 と言ったことになったら大変です。
現に、 それに近い話は聞いたことがあります
から、 決して自分だけの空とは思わず、 出来る
限りの情報の交換をして、 空の安全を確保する
必要があります。
2010 SEP
61
宇都宮飛行場周辺の場外着陸場
宇都宮飛行場の S-VFR 経路
空の上では何が起こるかわかりませんので、
ヘリコプター用の場外着陸場の情報が公表され
ています。 この辺は、 滑空場の危機意識と同じ
で、 備えがあればいざと言う時の安心感は全く
異なります。 宇都宮飛行場のベースオペレーショ
ンに行けば、 実際の場外着陸場の写真を見るこ
とが出来ます。
S-VFR 経路の進入・離脱ポイントは、 北西、
南西、 北東、 南東の4箇所です。 進入・離脱経
路は同じで、 高度は2000Ft 以下です。 また、
以前の待機エリアは廃止され、 レーダーで安全
な間隔が設定され、 指示に反映されます。
宇都宮飛行場の場周経路及び高度
宇都宮飛行場の進入・離脱経路
次に、 進入、 離脱経路ですが、 北西のオオヤ
ポイント、 南西のオグラポイント、 北東のノー
スポイント、 南東のサウスポイントがあります。
ジェット機は、 滑走路延長の南北から、 オー
バーヘッド進入をします。 それぞれの方角から、
ポイントに向かっての進入飛行が行われますの
で、 管制圏の近傍を飛行する場合は 「管制圏外」
などと安心することなく、 航空交通に注意を払
う必要があります。 また、 進入機と離脱機の高
度・経路は完全分離されていますので、 離脱機
の経路にも注意が必要です。
62
2010 SEP
飛行場は周辺の市街化が進み、 近傍には学校
が多いため、 騒音には注意が必要です。
飛行場又は近傍空域を利用の場合は、 飛行許
可申請書等による調整番号の取得、 当日の通報、
運航状況の確認等を通じて、 確実な情報の交換
に努め、 レーダー、 タワーとのコンタクト・位
置通報に努めることが必要です。
また、 場周経路は恒常的に学生機が使用して
いること、 学生単独飛行 (後席窓に表示) を行っ
ていることがあること、 及び県警、 防災、 陸自
災害派遣、 ドクターヘリ等の緊急任務機が飛行
している場合があるので、 注意が必要です。
学生の単独飛行について
飛行場では、 航空学校宇都宮校の学生による
単独飛行が恒常的に行われています。 離着陸、
及びホバリング等、 管制圏内での単独飛行の他、
学生単独による管制圏外での航法、 制限地操作
訓練もあります。
学生単独飛行 (制限地操作) の経路
学生単独飛行機体の識別
学生単独飛行の機体には、 後席の窓に、 赤、
青、 黄、 白、 緑、 橙のいずれかの色による学生
識別表示が行われていますので、 上空で見かけ
た場合は、 注意が必要です。
学生単独での制限地操作が、 管制圏東側に接
した2箇所の場外離着陸場で実施されます。 こ
れは、 訓練の最終仕上げとして実施されるもの
で、 学生は制限地の地図、 障害物情報、 風、 雲
等を把握して発進し、 上空偵察により着陸する
か別の制限地に移動するかを決定します。
無事に着陸した学生は、 周囲を確認後離陸し、
その操作を数回繰り返します。 陸上自衛隊なら
ではの訓練なのです。 この飛行は、 上空に指揮
統制機を配置して行われます。
航空路 Z119に伴うArea2の統制について
平成21年8月に、 福島空港と新潟空港間の航
空路 Z119 が公示されましたが、 これが、 航空
学校宇都宮校が統制する Area2 訓練、 試験空
域と干渉することから、 その統制要領の説明が
ありました。
学生単独飛行 (航法) の経路
学生の単独航法は、 南は小山、 北は矢板に及
ぶ、 管制圏外約10nm の経路で行われます。 高
度は2500Ft です。
航空路 Z119 に伴う Area2 の統制について
2010 SEP
63
要は、 Z119 航空路の設定条件として、 Area2
における訓練、 試験飛行を全て停止し、 また
Z119 付近における、 6500ft 以上の全ての飛行
を停止すると言うものです。
この確実な実施のために、 空域使用の確実な
伝達及び、 空域離脱の伝達の重要性が強調され
ました。
その他の情報交換
東京電力からは、 送電線保守業務の説明があ
りました。 その主な内容は、 送電線の種類と、
設置されている場所の情報、 及び万一送電線に
係る航空機の事故が生じた場合の影響の大きさ
等でした。
日本には山岳地の高圧送電線が多いのですが、
残念ながら、 送電線自体に対する昼間障害標識
の設置が遅れています。 実際の飛行中に、 送電
線を目視確認することは極めて困難ですから、
先ずは高圧送電線の鉄塔を確認し、 送電線の存
在を認識して、 飛行の安全を確保する必要があ
ります。 実際の高圧送電線に係る事故の影響を
考えますと、 身の引き締まる説明でした。
続いて、 栃木県ドクターヘリの運航に係る説
明が行われました。 このドクターヘリは、 宇都
宮飛行場管制圏内南西の獨協医科大学病院の専
用へリポートに配置され、 緊急発進の場合は、
栃木県内全域を、 片道20分でカバーすることが
出来るとのことです。
獨協医大病院に配置された栃木県ドクターヘリ
64
2010 SEP
このドクターヘリを合わせ、 宇都宮飛行場の
近傍には、 県警ヘリ、 栃木県防災ヘリが配置さ
れていて、 災害等に備えているとのことですの
で、 注意をする必要があります。
スカイスポーツ活動の分野では、 2010年とち
ぎ熱気球インターナショナルチャンピオンシッ
プの紹介が行われました。
これは、 宇都宮市鬼怒川河川敷、 茂木町、 及
びその周辺を会場として、 11月19日∼23日の間
に実施される世界レベルの公式競技会です。 こ
のような大会も、 事前の情報と実際の当日の競
技情報の報告があれば、 御互いの安全が確保で
きる訳で、 情報交換の重要性が再認識された内
容でした。
おわりに
この会は、 以上のような有意義な内容でした
が、 航空学校宇都宮校の側からは、 北関東にお
けるスカイスポーツ大会等の開催予定、 宇都宮
進入管制区周辺における飛行予定、 航空機の航
行に支障をきたす可能性のある行為 (鬼怒川河
川敷のラジコン飛行、 大量の風船の放球、 その
他スカイスポーツ目撃情報等) の情報の提供を
ぜひお願いします、 とのことでした。
会議終了後は、 希望者によるターミナルレー
ダー見学、 ヘリコプター訓練用シミュレータの
見学が行われ、 また懇親会では、 パイロット同
士の本音の話も出来て、 非常に有意義な時間を
過ごすことができました。
この会は、 これまでにも毎年実施されてきた
とのことですが、 その内容の重要性に鑑み、 本
誌に掲載して、 より多くのパイロットに見てい
ただくことにしました。
連絡先:
〒321-0106 栃木県宇都宮市上横田町1360
陸上自衛隊北宇都宮駐屯地
航空学校宇都宮校総務課 運航係幹部
TEL:028-658-2151 (代表)
運航研究に触れた気象委員!
ENRI
・
電子航法研究所
Electronic Navigation Research Institute
JAXA
見学会
宇宙航空研究開発機構
Japan Aerospace Exploration Agency
航空気象委員会
2010. 7 . 12 (月) 気象委員会の活動の一環と
して ENRI、 JAXA を20名で見学に行きまし
た。 南西風が強い日で、 何度か移動中に雨に降
られる一日でした。 9時50分に三鷹の電子航法
研 究 所 に 集 合 し た 後 、 ENRI 新 井 さ ん よ り
ENRI の案内があり、 その後2班に分かれて4
つの施設を見学しました。
まず ENRI の木村さんに 「ATC シミュレーター」
を案内して頂きました。 木村さんは元管制官で、
福管や ATMC で活躍されていた方です。
レーダー管制の訓練装置や、 羽田空港新滑走
路に係わる取り組み等を紹介して頂きました。
ここでは現システムの評価ではなく、 新しい開
発を行うための研究をされていて、 次世代のコ
ンセプト等も研究されているとのことでした。
レーダー管制訓練装置の説明を聞く参加者
次に ENRI の蔭山さんから 「ATM パフォー
マンスツール」 についての紹介をして頂きまし
た 。 航 空 需 要 拡 大 に 、 ATM (Air Traffic
Management) の改善で対応しようという試
みです。 ヨーロッパでは PRR (Performance
Review Report)、 FAA では PAR (Performance and Accountability Report) という取り
組みで、 具体的な改善目標を定めて改善策が講
じられています。
3つ目は ENRI の上島さんによる 「SSR モー
ドS監視画面デモ」 を見せて頂きました。 SSR
は監視機能だけではなく、 ACARS のようなデー
ターリンク機能により、 いろいろな航空情報を
ダウンリンクさせることが出来ると知りました。
例えば、 管制指示に対してパイロットがコック
ピットで入力した指示高度がレーダー画面に表
示 さ れ て い ま し た 。 こ れ は 管 制 官 の Work
Load 軽減やミス防止に役立つものであり、 そ
の他にも沢山の情報を取ることが出来るものの、
航空機側のトランスポンダーの性能に情報量が
制限されるそうです。 ちなみに Mode A とは
「Who are you?」。 Mode C は 「What Altitude?」。 Mode S は 「Selected Question」 で
任意の質問を投げかけることが出来るシステム
です。 このデータリンク機能を有する SSR は、
日本では調布 SSR だけだそうです。
最後に ENRI の河村さんに 「電波無響室」
を案内して頂きました。
尖った内壁は電波の吸収材です。 この中で、
電磁波が航空機に及ぼす影響が検証されていま
す。 旧江東 VOR 付近に設置される橋による影
響をここで評価し、 問題を回避するため VOR
を台場へ移すことになったとのことです。 音も吸
収されてしまうこの部屋の中で一日仕事をする
のは我々には解らない苦労があるようです。 一
2010 SEP
65
般からの依頼に応じて、 この部屋を使用して測
定などを請け負ったりもしているとのことです。
した。 現在、 FADEC を超えた 「インテリジェ
ント制御」 を研究されているそうです。 コンピュー
ターが、 「自己診断」 「予知機能」 を装備し、 エ
ンジンの運航を最適化するシステムです。
電波無響室内にて
午後に入り JAXA に移動して食堂で昼食を
頂いた後、 染谷さんに JAXA のスーパーコン
ピューターを紹介して頂きました。 調布、 角田、
相模原にあった3拠点のスーパーコンピューター
システムを統合したもので、 2009年4月より本
格稼動を開始したとのことです。 コンピューター
は大量の熱を放出するので、 その管理に工夫が
なされていました。 また、 専用のメガネを使わ
ず肉眼で見られる3D 画像も見せて頂きました。
地上エンジン運転試験設備
調布飛行場分室に移動し、 井之口さんにライ
ダーの説明をして頂きました。 最近、 航空機用
ドップラーライダーの研究でボーイングとも提
携をしたそうです。 現在のライダーでは5nm
先の乱気流しか探知できませんが、 乱気流に対
し、 シートベルトサインを点灯させる、 乱気流
中での Auto Pilot による舵面制御を最適化す
る、 乱気流を回避するための ATC との調整を
工夫する等の方策が研究されています。
JAXA のスーパーコンピューターの説明を聞く
JAXA2つめの見学は中田さんによる 「地
上エンジン運転試験設備」 でした。 ジェットエ
ンジンを地上で静止した状態で運転し研究開発
のための試験を行う施設で、 近隣に一般住宅が
あるので、 騒音に対しての工夫がなされていま
66
2010 SEP
ライダーの説明を井之口さんから聞く
次は複合材試験設備です。
B787で使用される炭素系の複合材料や、 大
型の付加試験装置を案内して頂きました。 コメッ
トの疲労破壊は設計段階での破壊検査に問題が
ありました。 ここでは10種類の荷重をかけ続け
ることによって、 負荷試験を行っています。 ま
た複合材料は300℃∼320℃で材質変化を起こす
ので、 高速における温度上昇に対する苦労があ
るようでした。
さてお待ちかねのシミュレーター体験です。
JAXA のシミュレーターは普通のものとは違
い、 存在しない飛行機を模擬できます。 このヘ
リコプターのシミュレーターでは、 小型固定翼
の飛行を模擬し、 後方乱気流に巻き込まれる体
験をさせて頂きました。 非常に面白く、 何度で
もやりたいと思いましたが、 団体行動中なので
遠慮しました。
実験用航空機の説明をする又吉さん
格納庫内で実験用航空機の案内を又吉さんに
して頂きました。
フライバイワイヤを使っての舵面コントロー
ルの実験をされています。 実際に飛んでいるド
ルニエに別の航空機の飛行特性を与えることが
出来ます。 また御巣鷹山の事故のように、 舵面
での制御が出来なくなった時に、 操縦桿を操作
することによりエンジン出力を制御し、 航空機
の姿勢を変化させる研究も行っているとのこと
です。
「ムクゲ」 の花
最後は、 調布飛行場分室に咲いていた花 「ム
クゲ」 をご紹介します。
ムクゲは夏から秋にかけて咲く花で、 韓国の
国花です。 見学をした7月12日は梅雨の終わり
に近い日で南西風の強い不安定なお天気でした。
この4日後の7月16日に梅雨は明けました。 朝
方3時頃に咲いた花は夕方にはしぼみます。 強
い花で、 枝を切って地面に刺しておくといつの
間にか根づくらしいです。 次回行ったときは一
枝拝借して来ようと思います。 ちなみに花言葉
は 「デリケートな美」 「尊敬」 「信念」 「柔和」
だそうです。
女性にプレゼントするには最適ですネ!
JAXA のフライトシミュレーター
2010 SEP
67
ews
FAI N
FA I ニュース
Federation Aeronautique Internationale
今年のグライダー及び飛行機の FAI 曲技飛
行選手権は無事に終了し、 日本からの参加選手
はそれぞれの成果を得て帰国されました。
競技会への参加には、 指導を受け、 競い合う
環境が必要です。 採点結果を反省し、 他の選手
のフライトを見て考え、 と言ったことに加え、
メンタル面の鍛えや、 チームとしての総合力発
揮も必要です。 先ずはこの10月の第1回曲技飛
行選手権等の場で人の和を築き上げ、 基盤固め
を推進したいと思います。
ロータークラフト (ヘリコプター)
少し先の話ですが、 第14回世界ヘリコプター
選手権は、 2012年8月21日∼26日の間に、 ロシ
アの Drakino Airfield で開催される予定です。
参加の予定がある場合は、 前年の2011年から
の練習開始、 あるいは、 国内に呼びかけての試
行競技等が不可欠でしょうから、 そのための年
間計画は、 本年度中に考え、 準備を開始してお
く必要があります。 即ち、 初めての場合は、 2
年先の競技会であっても、 今年度から考えてい
ませんと、 参加は難しいということであると思
います。
国内には、 課目優勝の実績を有する競技会参
加経験者も、 審判経験者もいますし、 小型の
R22、 R44 等のヘリコプターでの参戦も可能
ですから、 参加の希望者が集まれば、 日本チー
ムとしての参加を目指しての推進は不可能では
ないでしょう。
興味のある方は JAPA まで連絡いただきた
く、 よろしくお願いいたします。
GAC:ジェネラル・アビエーション(飛行機)
FAI ラリー飛行世界選手権は8月9日∼15
日の間にスロバキアで開催され、 個人の部は1
68
2010 SEP
奥貫
博
位から3位までをポーランドチームの Cessna
152が独占しました。
国別チームの1位はポーランド、 2位チェコ、
3位フランスの順でした。
細部は下記の URL を御参照ください。
http://www.wrfc-2010.sk/index.php/
en/tasksresults
もうひとつのジェネラルアビエーション競技
の Red Bull エアレースでは、 今年は全9戦の
予定が6戦に縮小され、 来年度は休止との情報
が入ってきています。 年を追う毎に過激になる
競技のリスク回避について、 議論が必要な段階
と判断されます。
エアロバティックス (FAA-CIVA)
7月にフィンランドで開催された第10回グラ
イダーアンリミッテッドのヨーロッパ選手権に
参加した梶 智就さんは28名中23位、 8月にポー
ランドで開催された第9回パワー (飛行機) ア
ドバンスドの世界選手権に参加した内海昌浩さ
んは83名中53位の成績でした。 グライダーは今
年からアドバンスドのカテゴリーが設けられ、
経験の浅い選手がそちらに流れた影響もあって、
梶さんは少数精鋭の中での厳しい戦いを強いら
れました。 内海さんは Free で73%をたたきだ
し、 上位に食い込める実力を見せましたが、
Free Unknown での痛恨のミスが響きました。
上位を狙うにはやはり Unknown 対策が重要
となってきますが、 自分だけで練習するには限
界があり、 これからは経験豊かなコーチの指導
を受けることが必要になってくると思われます。
また、 何人かでトレーニングキャンプを行うの
も有効な方法かもしれません。 いずれにしても、
世界と互角に戦える実力を持った若い選手が育っ
てきたことは本当に喜ばしいことです。
参加報告
コウノトリ但馬空港フェスティバル 10
奥貫
★ コウノトリ但馬空港フェスティバル
毎年、 各地で様々な空のイベントが行われま
すが、 小型機を中心として、 地域と飛行場の活
性化を目指し、 国土交通省、 及び財団法人日本
航空協会の後援を得て実施されるイベントは、
そうあるものではありません。
兵庫県豊岡市の 「コウノトリ但馬空港」 は
1994年5月に開港したコミューター用空港です
が、 小型機の航空スポーツ用飛行場としても力
が入り、 1995年のエアロバティックス・ワール
ドカップ以降、 毎年の夏休みの時期には、 小型
機による但馬空港フェスティバルが開催されて
きました。
今年も第16回目となる 「空港フェスティバル」
が、 ターミナルビル側から1200mの滑走路はさ
んだ西側の小型機専用のエプロンを会場として
開催されました。
航空スポーツ関係のエアロバティックス演技
では、 Deep blues 室屋パイロットの Extra300S、
JAPA 奥貫による富士重工製 FA-200-180 エア
ロスバルの展示飛行が行われました。
室屋パイロットは、 エアロバティックス選手
権、 及び Red Bull エアレースで鍛えた腕の冴
えを発揮され、 FA200 は機体の能力の限りを
引き出した優雅な演技といったところで、 全く
異なる性格の組み合わせは、 展示飛行の、 ひと
つの方向と言えると思います。
では当日の様子を報告させていただきます。
博
今回は、 Deep blues の室屋氏がオープニン
グ飛行を飾りました。 朝から終日、 プロペラ機
が飛び交う、 空のイベントの開幕です。
Deep blues のオープニング飛行
モーターパラグライダーの飛行
先ずは、 モーターパラグライダーです。 普段
は飛べない飛行場の空を楽しんでいました。
2010 SEP
69
スーパーウイングスの編隊飛行
但馬飛行クラブのボナンザの飛行
毎回お世話になる地元但馬フライングクラブ
の皆様は、 高性能単発機ボナンザでの飛行を披
露されました。
いつもはもう1機のボナンザとの編隊飛行の
展示なのですが、 今年は整備の都合から、 単機
での飛行となりました。
しかし、 高級単発機ならではの、 重厚で豪快
な飛行は、 ボナンザを知り尽くした腕の冴えも
あって、 なかなか見栄えのあるものでした。
スーパーウイングスの風船割り飛行
その次は、 但馬ではおなじみの、 スーパーウ
イングスによる編隊飛行と風船割りです。
4機の FA200 は、 はるばる熊本から飛来し
ました。 このチームの魅力は、 その統率の取れ
た行動と、 腕の冴えです。
風船割りは、 風に乗って揺れ動く風船を時速
200Kmでプロペラの回転面内に捕らえる難し
いものなのですが、 皆さん、 本気を出せば百発
百中の腕を持っています。 その後空中集合して、
編隊で会場上空を通過します。 安定感抜群で、
完成度の高い演技でした。
このメンバーには、 フライトのプロはいませ
ん。 皆、 飛行機が好きなだけのアマチュアです。
それでいて、 昨年と今年の5月には、 韓国まで
の遠征を実現したとのこと。
スーパーウイングスの仲間の中には、 戦中か
らの筋金入りの大教官も、 操縦教育証明所有者
も、 英語証明の所有者もいて、 この様なクラブ
のお手本になる存在と思います。
70
2010 SEP
ヒラタ学園シーラス SR22 の飛行
初参加のヒラタ学園のシーラス SR22 は、 そ
の流麗な姿が目を引きました。
複合材構造による滑らかな表面と流れるよう
なラインは、 機体の空力抵抗を減少させ、 固定
脚機でありながら、 引込脚の機体に劣ることの
ない高速性能を実現しているとのこと。
計器は、 先進の統合電子表示パネルです。 ま
た、 いざと言う時は機体ごと、 落下傘で生還で
きる安全性を兼ね備えています。
FA200 のエアロバティック飛行展示
優雅で華麗な WACO 複葉機
次は、 古き良き時代をよみがえらせる WACO
複葉機です。 昨年までは、 黄色の機体が但馬の
空を舞っていましたが、 今年は、 岡山航空が、
赤い WACO を持ち込みました。
見た目は軽快な飛行の印象なのですが、 操縦
にはかなり力を要するとのこと。 若いパイロッ
トの笑顔が印象的でした。
これから活発な活動を考えているとのことで
すので、 大いに楽しみにしたいと思います。
自衛隊ヘリコプターのデモ飛行
日曜には、 陸上自衛隊の AH-1S 及び OH-1
ヘリコプターも応援に駆けつけました。
プロの腕は大変なもので、 但馬の狭い展示エ
リアを上手に使った豪快な飛びには感心させら
れました。
考えてみれば、 自衛隊さんですから、 どのよ
うな場面でも全力発揮の行動ができなければな
らないわけで、 頼もしさを感じる展示飛行でし
た。
豪快なヘリの後は、 FA200 エアロスバルの、
エアロバティック飛行です。 操縦は PILOT 誌
編集委員の奥貫が担当しました。
エンジンパワーも、 舵の利きもエアロバティッ
クス専用機とは別物ですので、 ロールも宙返り
も、 ゆったりと見ていただきました。
様々な性格の機体がそれぞれの姿で元気良く
飛ぶのも良いものです。
Deep Blues のエアロバティックス飛行
次は、 最高峰の無制限クラスエアロバティッ
ク機 Extra300S の飛行です。 操縦する室屋氏
は世界レベルのエアロバティックス競技会、 及
び Red Bull エアレースを戦う選手です。
離陸直後の背面急上昇に始まり、 パワフルな
エンジン、 シャープな舵、 エアロバティックス
で鍛え上げた技の正確さは、 見ていて気持ちの
よいものでした。 これからもエアロバティック
スの技量向上を目指すとのことですので、 今後
の活躍から目が離せません。
2010 SEP
71
このところ、 但馬では、 グライダーの展示が
なかったのですが、 今年は、 大野グライダー・
クラブが、 Discus-T モーターグライダーを展
示されました。 機会があれば、 また飛行展示も
期待できるかもしれません。
★ おわりに
トリニダード GT のローパス
フランスのトリニダード GT は、 地上展示だ
けであったのですが、 その到着時に、 豪快なロー
パスを披露されました。
ドクターヘリの飛行
今年から運用が始まったドクターヘリは、 展
示機ではなかったのですが、 会期中、 燃料補給
のために頻繁に飛来しました。
Discus-T モーターグライダーの地上展示
72
2010 SEP
今年は、 強い陽射しが照りつけ大変な暑さで
したが、 練習日及び土曜、 日曜を通じて天候に
恵まれ、 合計3万2千人の観客が集まって大盛
況でした。
コウノトリ但馬空港フェスティバルは、 小型
機の空の祭典です。 終日プロペラの音が響き、
パラグライダーが空を舞います。
また、 単に見るだけではなく、 熱気球の体験
搭乗も、 フライトイベント終了後の遊覧飛行も
あります。
大規模な航空ショーとは異なり、 航空スポー
ツを愛する人々、 地域、 及び団体によって支え
たこのような小型機のイベントは、 本当に貴重
な存在です。 歓迎パーティーでは、 実行委員会
会長の中貝豊岡市長も、 航空協会航空スポーツ
室の北宮室長も、 このイベントについて熱く語
られていました。
真夏の暑い中、 それは大変なのですが、 この
イベントを支える方々、 また、 楽しみに、 但馬
に集まる皆様のことを思いますと、 「今年も頑
張るか」 となってしまいます。
昨年は、 少し前まで飛んでいたエアロバティッ
ク機の操縦席に座って大喜びのお子様の 「大き
くなったら何になりたい?」 「パイロット ! ! 」
の声がありました。 今年も、 多くのお子様連れ
の来訪があり、 空への夢を聞くことが出来まし
た。
遠い昔の自分がそうであったように、 このよ
うな空のイベントの機会を通じて航空の世界に
親しんでいただき、 空への夢が実現するよう、
心から願って今年の参加報告とさせていただき
ます。
開催予告
西日本支部だより
西日本支部
・航空安全講習会が下記の通り開催されます。
記
1. 日 時
平成22年10月31日 (日)
13:00∼17:00
2. 場 所
ドーンセンター (大阪市中央区大手前)
詳細は航空安全講習会 WEB ページをご覧ください。
https://www.japa-seminar.com/
多数のご参加をお待ちいたしております。
・今後の航空安全講習会の予定
平成22年9月11日 (土):広島市
平成22年12月19日 (日):山口県
・第24回機長養成講習会が開催されます。
機長への道は副操縦士昇格直後から始まる!
日 時
平成22年11月18日 (木)
13時∼17時
主 催
社団法人 日本航空機操縦士協会 エアライン委員会
協 力
国土交通省航空局
場 所
大阪府 大阪国際空港内 星の間会議室 (豊中市蛍池西町3−555)
・近畿地区管制・情報懇談会企画中
近畿地区管制・情報懇談会を11月に実施しようと各方面と調整中に入っています。 日程等が決ま
りましたらあらためてご案内いたします。
2010 SEP
73
開催予告
スカイ・レジャー・ジャパン 10イン福井
「夢いっぱい! 美しい福井の空で航空100年の集い」
平成22年9月25日(土)∼26日(日)
於、福井空港(福井県坂井市)
入場無料
スカイ・レジャー・ジャパンは、 毎年、 全国各地で開催され空を安全に楽しむ姿を伝えており、
今年で22回目の開催となります。 また福井空港は例年、 航空イベント 「福井空港スカイフェス」 を
開催し、 地域の皆様に親しまれてきました。 今年のスカイ・レジャー・ジャパン10は、 福井空港
スカイフェス2010との同時開催となります。 日本の航空100年にあたる今年は、 航空の原点となる
航空スポーツ各分野から、 小型航空機、 グライダー、 自作航空機、 熱気球、 模型飛行機、 マイクロ
ライト航空機、 ハング・パラグライダー、 パラモーターなどが福井の空を舞います。
参加諸団体による飛行イベント
・グライダー、 モーターグライダー ・自作航空機 ・ジャイロコプター ・自家用航空機 ・熱気球
・ハング・パラグライダー ・マイクロライト航空機 ・パワードパラグライダー ・模型航空機
各種展示飛行
・福井県防災ヘリコプター ・ビジネスジェット ・Deep Blues のエアロバティックス飛行等
体験イベント
・熱気球体験搭乗(係留) ・パラふわり体験 ・模型飛行機体験
・セスナ体験搭乗 ・ラジコンヘリ体験
航空機地上展示
スカイレジャー機材の展示、 参加団体展示ブース、 開催地周辺のとれたて農産物の味覚紹介、 販売等。
〈お問い合わせ先〉
スカイ・レジャー・ジャパン10 in 福井 実行委員会
〒105 0004 東京都港区新橋1 18 1 航空会館
財団法人 日本航空協会内
Tel:03 3502 1209 Fax:03 3503 1375
URL:http://www.aero.or.jp/koku_sports/slj-top.htm
開催地事務局
福井県庁港湾空港課内 TEL:0776 20 0488
http://www4.ocn.ne.jp/~fukui-ap/event.html
福井空港振興協議会
【主
催】スカイ・レジャー・ジャパン10 in 福井 実行委員会
【特別協力】福井県警察航空隊、 福井県防災航空隊、 海上自衛隊舞鶴基地
【特別協賛】空港環境整備協会、 「空の日」・「空の旬間」 実行委員会、 全日本空輸、
東京海上日動火災保険
【後
援】国土交通省
・大会当日は、 空港周辺に臨時駐車場を設置し、 駐車場、 JR 春江駅からシャトルバス (無料)
を運行します。
74
2010 SEP
開催予告
全日本曲技飛行競技会
開催案内
第1回全日本曲技飛行競技会を開催します。 この競技会は、 曲技飛行競技の要領、 安全確保、 技
量向上、 審判・採点要領等の講習を含むものとし、 また、 曲技用飛行機の安全確実な着陸技術を身
に付けるための着陸競技会を合せて実施します。 細部につきましては、 7. 連絡先等の 「競技会情
報 HP」 をご参照下さい。
1. 日 時:平成22年10月9日 (土)、 10 (日)、 11 (月)
9日 AM フライイン/講習・競技ブリーフィング/PM 公式練習 (10分/1スロット)
10日 競技会1日目 (10分/1スロット)
11日 AM 競技会2日目/ディブリーフィング&表彰式/PM フライアウト
2. 場 所:福島県 ふくしまスカイパーク (http://www.ffa.or.jp/fsp)
3. 競技の内容:曲技飛行競技:
クラス1:プライマリークラス (FA200 C150/152エアロバット シタブリア等の機体)
クラス2:スポーツマンクラス (デカスロン エクストラ200/300 ピッツ等の曲技飛行用機体)
着陸競技:曲技飛行競技機を優先するが、 その他の機体での着陸競技のみの参加も可。
4. 参加機体:曲技飛行競技への参加は、 曲技飛行の実施が承認された飛行機のみとします。
5. 安全対策:飛行開始前にパイロットブリーフィングを実施し、 安全対策確認の署名を得る。
6. 主催・後援: 主催:全日本曲技飛行競技会実行委員会 大会名誉会長:福島市長、 共催:福島市
スカイパーク新観光事業実行委員会、 後援:福島県県北地方振興局、 特定非営利活動法人ふくしま飛行協会、
特定非営利活動法人 Super Wings、 チーム・ディープブルース、 JNAC (Japan National Aerobatic Club)、
WP Competition Aerobatic Team、 日本女性航空協会 日本飛行連盟 有限会社パスファインダー
7. 連絡先等:有限会社パスファインダー 福島市北沢又日行壇7 48 024 558 8318 担当:青島信介
競技会情報 HP URL:http://teamdeepblues.jp/championship/
エアロバティックス競技規定科目
クラス1 (プライマリークラス)
クラス2 (スポーツマンクラス)
競技は IAC (International Aerobatic Club) の2010
年の規定科目、 及び IAC のルールで実施する。
Total K (Figure+Presentation)
スポーツマンクラス:143 (137+6)
プライマリークラス: 63 ( 60+3)
各課目は水平飛行で開始し、 水平飛行で終了する。
科目間に加速のための降下を入れると大きな減点
の対象となるので注意のこと。
2010 SEP
75
競
技
空
域 (案)
・競技空域は1000m×1000m/下限高度 3000Ft (MSL) /上限高度 5000Ft (MSL)
・4隅にマーキングを設置 (の予定)
合せて、 曲技飛行用飛行機の確実な離着陸操作習得を目指す着陸競技を実施する。 一般航空機の着陸
陸競技のみの参加も可とするが、 天候等で、 時間の制約がある場合は、 曲技飛行競技を優先実施する。
着陸競技は、 パワーを使用した通常の着陸、 及び、 エンジンアイ
ドルの360度滑空着陸で行う。 接地点のペナルティは、 FAI 方式
で実施する。 また、 不正及び危険操作等防止のため、 機内採点兼、
セーフティ・パイロットの同乗を義務付ける。 尾輪機体の場合、
接地点のペナルティ判定は、 主車輪の接地位置で行う。
76
2010 SEP
開催予告
第32回
ATS シンポジウム開催のご案内
安全で効率の良い運航と航空管制
ATS 委員会
恒例の ATS シンポジウムが10月23日に開催されます。 1979年に第1回が開催され、 今年は32回
目になります。
ATS シンポジウムは 「安全で効率のよい運航を求めて、 パイロットと管制官が交流を図り共通
の認識をもつこと」 を目的に、 操縦士協会と管制協会とで共催しているものです。
操縦士協会の ATS 委員会では、 ATS に関する研究活動を続けています。 日本の管制のあるべき
姿、 管制方式基準の解釈、 管制方式の問題点と解決策、 日常運航における航空管制の諸問題等々を
検討しております。 このような活動の積み重ねの中から、 広くパイロットと管制官の間に問題を投
げかけ、 議論し、 あるいは啓蒙が必要と思われるテーマを取り上げています。
皆様のご参加をお待ちしております。
●日
時
●会
場
●基調講演
●解
説
●研究発表
主催
後援
2010年10月23日 (土) 午前10時−午後5時
全日空 講堂
羽田空港第1ターミナル1階 (北側)
「我が国の航空管制 いま と これから 」
国土交通省航空局管制保安部 管制課長 堤 清 氏
「管制方式基準改正の解説」
国土交通省航空局管制保安部 管制課
航空管制調査官
井本 岳史 氏
「D滑走路供用後の羽田空港の運用」
「ATC コミュニケーションのあり方について」
*滑走路誤進入防止対策
航空交通管制協会
国土交通省航空局
日本航空機操縦士協会
*参加希望の方は、 当日会場受付にお越し下さい。 写真付き身分証明書携行して下さい。
2010 SEP
77
開催予告
第5回
航空気象シンポジウム
今年の航空気象シンポジウムは、 飛行場周辺の気象について学んでいただくため、 低層ウィンド
シアー、 空港気象ドップラーレーダー・ライダー、 庄内空港での乱気流観測などについて研究し
ていきます。
【日
時】 平成22年11月29日(月) 午後1時から午後5時
【会
場】 東京国際空港第一旅客ターミナルビル ANA 講堂
【気象庁基調講演】 気象庁総務部航空気象管理官
田畑
明 氏 (予定)
【講
演】
● 気象庁観測部観測課観測システム運用室 技官
山本健太郎 氏 (予定)
● 宇宙航空研究開発機構 (JAXA) 航空プログラムグループ
又吉 直樹 氏
【ディスカッション】 〈低層ウィンドシアー発生時の運航と情報提供〉
主催:社団法人 日本航空機操縦士協会
78
財団法人 航空交通管制協会
後援:気象庁 (予定)
空港気象ドップラーライダー外観 (気象庁提供)
機上ライダー搭載機 (JAXA 提供)
空港気象ドップラーライダーの画面
空港の管制卓
2010 SEP
オススメ! 情報ボックス
書籍&Goods紹介
編集委員会
このコーナーでは、 書籍紹介を始めとして航空に関するお勧めグッズ等を紹介しています。 読者の皆
さんも、 是非、 フライトで使用している便利グッズや、 パイロット仲間に紹介したいグッズ、 書籍など
の情報を、 編集委員会までお知らせください。 もちろん、 ステイ先などでの飲食店情報なども大歓迎です。
プロフェッショナル パイロット
著者:杉江 弘
発行:イカロス出版株式会社
〒162-8616 新宿区市谷本村町2 3
TEL
FAX
:03−3267−2734
:03−3267−2766
ISBN 978-4-86320-353-2
定価:1,600円+税
本書は総飛行時間2万時間を越える現役エア
ライン機長の 「プロフェッショナル パイロッ
ト」 をテーマとする著書である。
その冒頭には、 以下の記述がある。
パイロットにとって、 訓練、 審査をパスして
晴れてチェックアウトしてからが真価を問われ
るのである。 理想的なフライトとは、 当日の飛
行状況や乗客のニーズによって毎回異なるもの
であるから、 他人から教えてもらうものでなく、
自分自身で考えていかねばならない。 「プロ
フェッショナル・フライト」 とは、 どこにも定
義は無いが、 私がよく使う言葉である。 その中
身は、 フライトごとに異なる状況の中にあって、
常に絶対的な安全性を保ち、 一期一会の乗客の
ニーズを汲み取り、 最大限の満足を与えられる
パイロットへの勲章のようなものである。
また、 本文には以下の記述もある。
快適性や定時制をどのように確保するかとい
うことは定量的にマニュアルに書かれているわ
けでもなく、 まさに一人ひとりの機長の裁量に
任されているものである。 (中略) ゆえに一人
前の機長になってからでも単に業務の反復だけ
でなく、 目標を高く持って理想とするフライト
を定年まで探求し続けることこそがプロフェッ
ショナル パイロットの条件と言えるものであ
る。
本書は、 プロのエアライン機長としての経験
を記述したものであるが、 事故例等の分析を含
む内容や、 飛行に対する姿勢等は自家用操縦士
等、 全てのパイロットに役に立つものであるこ
とは言うまでもない。
ポイントはフライトに臨む意識と姿勢であり、
常に高い目標を掲げて飛行の安全を確保し、 ま
た自らの飛行を分析して、 技量の維持向上を図
り、 以降のフライトに役立てることである。
本書に記述されている様々な内容は、 非常に
興味深く、 また安全でより良い飛行の実現のた
めの示唆にあふれている。 本書を全てのパイロッ
トにお勧めしたい。
2010 SEP
79
自家用・事業用操縦士の航法
航法の学科試験問題対策
航法計算盤 AN-2 対応
著者:紺谷 均
発行:鳳文書林出版販売株式会社
〒105-0004 東京都港区新橋3 7 3
T E L :03―3591―0909
FAX :03―3591―0709
E-Mail :[email protected]
ISBN978-4-89279-296-0
定価:3,500円+税
C3055
この本の目的は 「まえがき」 に、 以下のよう
に述べられています。
………………………………………………………
この本は、 自家用操縦士を目指して初めて空
中航法を学び、 航空従事者学科試験の航法 (飛
行機・回転翼) を受検して合格することを目的
としている人たちのために書かれたものです。
既に出版されている 「空中航法入門」 を土台と
して、 自家用及び事業用の学科試験合格のため
に必要事項を絞り込んだものです。
空中航法を実施するための基礎知識と計算方
法と理論的背景について深い理解を求められる
場合は 「空中航法入門」 を参照していただくこ
とを願うものです。
風力三角形については航法計算盤 AN-2 を用
いて解説しています。 「空中航法入門」 では
80
2010 SEP
AN-1 を用いましたが、 使いやすさの見地から
は、 AN-2 を推奨します。
第14章には学科試験問題の例題を掲載してい
ます。 「運航方式に関する一般知識、 人間の能
力および限界に関する一般知識」 については解
答のみを示しています。 それ以外の範囲の問題
には解答に至る道筋を示して、 類似問題を添え
ています。
自家用操縦士及び事業用操縦士を目指す人に
とって、 よき指南書であり、 良き参考書として
扱ってもらえることを望むものです。
………………………………………………………
その構成は以下の通りです。
第1章:空中航法
第2章:諸元解説
第3章:航空図
第4章:チャートプロッティング
第5章:風力三角形
第6章:航法計算盤
第7章:磁気羅針儀
第8章:高度計
第9章:速度計
第10章:無線航法
第11章:飛行計画
第12章:地文航法
第13章:行動半径と等時点
第14章:学科試験問題対策
目的を航法の学科試験合格と明確に定め、 関
連する全ての内容が示されていますので、 これ
1冊で空中航法の全てを学習することが出来ま
す。
また、 著者は、 独立行政法人航空大学校の教
官・学科教授であるだけに、 様々な例題ととも
に、 図表や、 航法計算盤の写真等も、 本書の内
容の理解には極めて有効でわかりやすく、 航法
を独習しようとする人の助けになります。
これから航法を学ぶ人への良き教科書として、
本書を紹介させていただきます。
航空局通達
先般の神戸空港における着陸時の事故等に関連して、 下記通達を受領致しました。
会員の皆様におかれましては改めて日々の運航の安全確保に努めていただきますようお願い致し
ます。
(事務局)
2010 SEP
81
通信
協会活動スケジュール
−平成22年8月−
8月3日
航空身体検査証明審査会
8月25日
編集委員会
8月5日
三役運営会議
8月26日
経理委員会
8月14日
ATS 委員会
8月27日
航空大学校卒業式
8月16日
編集委員会
8月19日
GA 委員会
8月23日
月次会計検査/公益法人認定に係る
航空安全講習会 (福井)
W/G
東日本支部 (調布東ヘリ分会)
第3回 RNAV/RNP に係る連絡会
8月28日
航空気象委員会
−平成22年9月−
9月1日
編集委員会
9月18日
航空安全セミナー (GA)
9月3日
航空保安大学校講義
9月21日
第58回 「空の日」
9月6日
ISASI@札幌 (9日まで)
航空協会 「航空関係者表彰式・祝賀会」
機長養成講習会 (東京)
第58回 「空の日」 記念式典
9月7日
航空身体検査証明審査会
学科試験問題検討会
9月8日
空港安全技術懇談会
9月22日
公益認定等委員会事務局個別相談
9月10日
第203回常務理事会
9月24日
運航技術委員会
9月11日
ATS 委員会
9月25日
スカイレジャージャパン福井
航空協会 「航空平安祈願大祭」
(無線科:システム統制官課程特別研修)
航空安全講習会 (広島) 及び施設見学
航空気象委員会
(広島空港事務所)
9月26日
スカイレジャージャパン福井
9月13日
滑走路誤進入防止対策推進チーム会議
9月28日
飛行場証明制度研修 (航空機安全運航支
9月14日
法務委員会
9月16日
乗員養成検討委員会
9月17日
援センター) 講義
9月29日
飛行場証明制度研修 (航空機安全運航支
三役運営会議
援センター) 講義
航空安全委員会
経理委員会
月次会計検査
ビジネス航空委員会
−平成22年10月−
10月3日
夢は叶う Yes, I can (航空教室) 静岡
10月16日
航空安全セミナー (GA)
10月5日
航空身体検査証明審査会
10月17日
夢は叶う Yes, I can (航空教室) 名古屋
10月8日
第259回理事会
10月20日
編集委員会
飛行場証明制度研修 (航空機安全運航支
10月23日
航空気象委員会
援センター) 講義
10月9日
82
ATS 委員会
2010 SEP
ATS シンポジウム
10月25日
10月27日
月次会計検査/公益法人認定に係る
10月28日
経理委員会
W/G
10月30日
ビジネス航空委員会
ASI−NET 会議
10月31日
航空安全講習会 (大阪)
−平成22年11月−
11月1日
編集委員会
11月19日
航空安全委員会
11月2日
航空身体検査証明審査会
11月20日
航空安全セミナー (GA)
11月12日
第204回常務理事会
航空安全セミナー (北海道支部)
11月13日 ATS 委員会
11月25日
経理委員会
航空安全講習会 (沖縄)
11月27日
航空気象委員会
11月14日
夢は叶う Yes, I can (航空教室) 沖縄
11月29日
航空気象シンポジウム
11月18日
機長養成講習会 (大阪)
乗員養成検討会
新契約施設のご案内
(JAPA ホームページでも紹介しています www.japa.or.jp)
● ロイヤル高松カントリークラブ
住
所:香川県綾歌郡綾川町千疋1848
TEL:087−877−0307
ゴルフプレー料金 (キャディー付)
◆ 火曜日∼金曜日
(一般料金) 10,500円→ (優待料金) 9,000円
◆ 土・日・祝日
(一般料金) 15,700円→ (優待料金) 13,500円
◆ 月曜日
(セルフデー)
(一般料金) 6,800円→ (優待料金) 6,000円
ロッジ宿泊料金 (一泊朝食付)
(優待料金) 2,600円
予約時には日本航空機操縦士協会会員である旨伝え、 利用時には会員証を提示願います。
開催予告
AHS 国際会議 「Heli Japan 2010」 ∼ヘリコプターの先進技術と安全運航∼
国際会議ヘリジャパン2010実行委員会
(構成:日本ヘリコプター協会、 日本航空宇宙学会、 AHS International)
日
時:2010年11月1日∼3日
埼玉県
さいたま市ほか
(1日、 2日:講演会、 ブース展示 (大宮ソニックシティ))
(3日:見学会 (立川防災基地、 アークヒルズヘリポート))
参加される方は、 下記リンク先の参加登録ページ (英文) からお申込み下さい。
http://www.helijapan.org/HJ2010/jpn/hj2010_info_menu_jpn.html
2010 SEP
83
書籍紹介
航空関係者の皆様へ
今般、 航空関係の仕事に興味を持つ学生、 航空関係事業者職員等の参考書として 「航空管制入門」 (全改訂
版) を発刊しました。
つきましては、 蔵書の一冊としてご購入頂くとともに、 お知り合いの方等に紹介頂き、 広く管制業務の知
識の普及活動に対してご支援を賜りますよう、 宜しくお願い申し上げます。
本書の内容、 価格等については、 下記のとおりです。
1. 概
要
第1章
航空管制の歴史
第2章
管制業務に使用する用語
第3章
管制業務の概要
第4章
航空規則
第5章
管制方式基準
第6章
管制業務の流れ
第7章
資料
全198ぺージ
フルカラー
2. 販売価格
一
般
2,100円 (1冊につき送料160円)
管制協会賛助会員
航空管制入門 (全改訂版)
1,890円 (1冊につき送料160円)
3. 申込方法
直接、 管制協会へ申し込み下さい。
TEL:03−3747−1685 FAX:03−3747−0856
E-mail:[email protected]
事務局だより
PILOT・AIM−J 等確実にお届けするために、 自宅・勤務地・mail box 等、 変更された場合は速やかに協
会事務局までご連絡下さい。 また郵便振替にて会費を納入いただいております会員の皆様には、 便利な口座
自動引落による納入についてご案内致しますので、 協会事務局までご連絡下さい。 申込書をお送りさせてい
ただきます。
∼ 結婚祝金を給付しております ∼
正会員の方 (60歳未満の方) が対象となりますが、 結婚祝金を給付しております。 (給付額は20,000円) 給付申請には戸籍抄本1通 (原本)、 振込口座の書類提出が必要となります。 なお、 婚姻届の届出より 6ヶ月以内に申請いただくこととなっておりますので、 予めご了承願います。 JAPA ホームページ (http://www.japa.or.jp) 会員限定ページより申請書をダウンロード出来ますので、 是非ご利用下さい。 84
2010 SEP
お 知 ら せ
SP 会 (シニア・パイロット)
活動の休止について
昭和60年 (1985) に第1回 OB 会懇親会を航空会館内スエヒロで開催して以来、 25年間に
わたりシニアパイロットにお集まり頂き、 年一度の SP 会懇親会を開催してまいりました。
平成17年にはそれまでの OB 会の名称を SP (シニア・パイロット) 会と変更して、 昨年
10月に第25回 SP 会懇親会を開催しましたが、 その準備を担当しております幹事一同、 寄る
年波に逆らえず高齢 (平均年齢76歳) になりました。
さる6月2日の幹事会で今後の活動は身体的に無理ではないか、 との意見が出されました。
また SP 会に於いては“若手”である60歳から65歳のパイロット諸兄の当活動への積極的な
参加がないこと、 現在 JAPA が進めている公益社団法人に向けて SP 会の組織がなじまない
こと、 等の事由により、 残念ながら今後の活動を休止することに致しました。
毎年5月に開催される JAPA 総会には積極的に御参加いただき、 再会を祝し、 旧交を温
めていただきたくお願いいたします。
これまで SP 会懇親会に参加して頂き、 会を盛り上げていただいた皆様には厚く御礼申し
上げます。 ありがとうございました。
再会を期して。
SP 会幹事
手塚精三、 三神武雄、 大島梓、 泉田誠男、 田中一男、 上杉美治、 川久保剛、
赤星珪一
以上
JAPA ホームページ会員専用ページ開設しました
JAPA ホームページ (http://www.japa.or.jp) に会員専用ページを開設しました。
ログインしていただくには、
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パスワード欄に [********] (本誌巻末の編集後記 下欄にある JAPAWEB**** の数
字部分を入力)
*パスワードは毎号変わります。 新しいパスワードは発行月 (奇数月) の翌月1日
(偶数月) より適用となります。 (例:3月号のパスワードは4月1日から適用)
現在 PILOT 誌記事等掲載していますが、 今後コンテンツの充実を図っていきます。
2010 SEP
85
JAPA Aerial Photo Exhibition
40年を経て、 まだまだ頑張る海上保安庁の YS-11
海上保安庁の最新鋭捜索機 Gulfstream G-V
海上保安庁の翼、 新旧2機を並べてみました。
海上保安庁提供
86
2010 SEP
あなたが写した
航空機の写真が
表紙 に!
編集委員会では、 PILOT 誌の表紙を飾る皆様からの航空機の写真を
募集しています。
尚、 応募写真は編集委員会で審査の上、 掲載いたします。
下記応募要領をご了承の上、 ふるってご応募ください。
・写真はカラー・白黒・Digital Data を問いませんが、 投稿者が撮
影されたものに限ります。 撮影日時・場所・説明等の添書きも添
付してください。
尚、 Digital 写真の場合はできるだけ大きな画素数で撮影したも
のとして下さい。
・応募写真の取り扱いは日本航空機操縦士協会に属し、 お返しでき
ませんのでご了承ください。
・PILOT 誌の表紙に採用させて頂いた場合、 謝礼として2万円
(複数写真で表紙構成となった場合は分割)、 表紙に掲載とならな
かった場合でも優秀な写真は本誌に掲載し薄謝を進呈いたします。
・住所、 氏名、 年齢、 職業、 電話番号、 E-Mail Address 等を明記
してください。
※個人情報に関しては当協会で厳重な秘守扱いと致します。
送付・お問合せ先
社団法人 日本航空機操縦士協会
編集委員会
〒1050003 東京都港区西新橋1−18−14
TEL 03 (3501) 0433 FAX 03 (3501) 0435
E-mail:[email protected]
JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOCIATION
2010 SEP
87
編集後記
●FA200 のアクロ飛行展示をしていることか
ら、 空の自己責任について考えることが多い。
必要な練習と、 決めたことの忠実な実行。 そ
して第三者の評価による反省。 それが出来な
くなったら止めるべきなのだろう。 (奥貫)
●iPhone や iPad の普及は結構ながら、 最近、
米国青少年の携帯電話使用回数は、 一日平均
約100回で、 専門家は麻薬による依存症と同
じだと警告している。 他の先進国も同様であ
り、 確実に若人の純粋な心を蝕んでいると思
われる。
(徳田)
●編集者たるもの原稿を求めてさまようほど淋
しいことはありません。 原稿のストックが増
えるほどリッチな気分になります。 今月号か
ら技術・運航講座コラムを新設しました。 読
者からの原稿をお待ちしています。 ポケット
の小銭を投げるように気軽に投稿ください。
(カレン)
●酷暑のためか、 熱中症に罹ったらしい蝉が、
散歩道にひっくりかえっているのをしばしば
見つけます。 明らかに異常気象と思われる今
年の気候です。
さて、 ヘリコプターの事故が続発しています
が、 その多くが類似事故の再発と言っても過
言ではありません。 我々PILOT が類似事故
を防ぐには、 教訓 (Lessons Learned) を生
かす以外にありません。 事故情報から何をつ
かむか、 常日頃から気をつけましょう。
(KEN)
●Miwa さん、 お帰りなさい。
(T. A.)
今月の表紙は東京消防庁航空隊のユーロコプター
AS332L1 型です。 航空隊は、 ビル、 山岳、 水
難等での救助、 救援物資搬送、 消火、 情報活動
の他、 大規模災害時には国や地域を越えて活動
を展開します。 また、 東京型ドクターヘリの任
務も担っています。
(奥貫)
●基礎訓練の地を思い出す様な暑い夏でした。
(T. O)
●実行の伴わない、 口先介入はこまったものだ。
(RYU)
●猛暑・猛暑の中でも編集委員会は活発な議論
で編集作業をしています。
(蔵岡)
No.322 2010年 9 月号/平成22年9月発行
発行
社団法人 日本航空機操縦士協会
(Japan Aircraft Pilot Association)
〒105-0003
ホームページ
FAX 03 3501 0435
E-Mail:[email protected]
振替口座/00180 9 88490
88
落丁・乱丁本がありましたら
お取替えいたします
東京都港区西新橋1−18−14
TEL 03 3501 0433 (代)
2010 SEP
禁無断転載
URL http://www.japa.or.jp/
JAPAWEB20100901
編集人
蔵
岡
賢
治
発行人
中
村
俊
治
定価
印
刷
800円 (税込)
株式会社プリカ