哺乳動物の排卵,受精機構の解析に基づくブタ新規繁殖技術の開発

哺乳動物の排卵,受精機構の解析に基づくブタ新規繁殖技術の開発
島田 昌之(広島大学 大学院生物圏科学研究科)
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脳下垂体が放出する卵胞刺激ホルモン(FSH)や黄体化ホルモン(LH)は,卵胞発育,排卵を
促し,その成熟卵は卵管において精子と受精する.従って,排卵の仕組み,受精機構を解明する
こと,精子を卵管まで受精能力を維持した状態で到達させることは,卵の体外成熟培養,体外受
精,あるいは人工授精などの繁殖技術の向上につながるものである.筆者は,それぞれの仕組み
を遺伝子発現や分泌因子の網羅的解析と遺伝子欠損マウスの解析を行い,キーファクターを同定
し,その知見からブタの新規繁殖技術の開発を行ってきたので,その概要を紹介する.
はじめに
我が国の養豚業は,生産額が 5,000 億円あまりと畜産業の 20%強を占めている.しかし,その
生産方式(交配方式)は,60%以上が自然交配であり,衛生的にも優れた凍結精液を用いた人工授
精,初期胚の体外生産,その移植などの繁殖技術は全く実用化されていない.これは,ブタ精子
の凍結融解後の運動性が著しく低いこと,個体差が激しいことから,人工授精だけでなく体外受
精においても正常受精率が低いことに起因している.また,体外受精に用いる卵は,食肉処理場
で採取した卵巣から未成熟卵(第一減数分裂前期)を体外培養により受精可能な成熟卵(第二減
数分裂中期)に移行させ,利用するが,体外受精後の胚盤胞期胚にまで発達する割合が著しく低
いことも大きな課題である.そこで,筆者は,革新的な技術を開発するためには,体内の卵成熟
機構,卵管における受精機構,移植後の着床機構に着目した基礎研究と,繁殖技術を向上させる
応用化・実用化研究を一貫しておこなう必要があると考え,以下の研究を行ってきた.
マウスの排卵機構の解明
卵巣には,卵胞という卵を発達させ、成熟させる小部
屋を持っている.卵胞は,卵胞膜,それを裏打ちする多
層の顆粒層細胞,卵を直接覆う卵丘細胞からなる.排卵
期には,脳下垂体からの LH 刺激が,顆粒層細胞に作用
し,①卵胞膜の破裂,②顆粒層細胞の黄体化,③ヒアル
ロン酸合成・細胞間への蓄積による卵丘細胞層の膨化,
④卵の減数分裂再開・第二減数分裂中期への進行,とい
う変化が起こり,成熟卵が膨化した卵丘細胞層と共に卵管へと排卵される.このような複雑かつ
連続的な変化を解明することは,卵成熟の仕組みを解き明かすために必要であると考え,マイク
ロアレイを用いた網羅的遺伝子発現解析を行った.その結果,LH 刺激を受けた顆粒層細胞は,
EGF like factor である amphiregulin (AREG),epiregulin (EREG)の遺伝子発現を上昇させることが明
らかとなった(1,2)
.これら EGF like factor は,細胞膜貫通タンパク質であり, LH 刺激により
ADAM17 が発現,
活性化し,
このプロテアーゼが EGF like factor から EGF domain を遊離する
(3)
.
遊離された EGF domain は,その特異的受容体である EGF 受容体を活性化し,顆粒層細胞の黄体
化,卵丘細胞層の膨化を誘起する.活性型 K-Ras を顆粒層細胞と卵丘細胞で高発現させた遺伝子
変異マウス,ERK1/2 を顆粒層細胞と卵丘細胞で特異的に欠損させたマウスでは,EGF like factor
の作用が認められず,排卵不全の不妊を呈したことから,EGF like factor-EGF 受容体-Ras-ERK1/2
系の重要性が示された(4,5)
.さらに筆者は,本経路の活性を増強させる因子として Neuregulin1
を同定し(6)
,現在,その遺伝子欠損マウスを作製し,in vivo における機能解析を行っている.
ブタの排卵機構の解析と新規体外成熟培養法の構築
マウスにおいて,EGF like factor が排卵必須因子であったことから,ブタの排卵過程における
発現と機能を検討した.その結果,卵胞発育を促す FSH により EGF like factor の発現が開始して
いた.しかし,その標的遺伝子の発現は LH 刺激後に上昇していたことから,この時間のずれの
解明を試みた.その結果,ブタでは排卵刺激後に ADAM17 の発現上昇と活性化が生じるため,
卵胞発育期に EGF like factor は前駆型として蓄積し,それが排卵刺激後に急激に活性型に移行し
ていることが明らかとなった.さらに,EGF 受容体の発現も排卵刺激後に上昇することから,活
性型 EGF domain が高発現した EGF 受容体を刺激し,卵成熟が誘起されると考えられた(7)
.
ブタ卵の体外成熟培養は,卵・卵丘細胞複合体(COC)を培養することから,卵成熟因子を分
泌する顆粒層細胞が存在しない.また,食肉処理場で採取した未成熟雌ブタ卵巣には,卵胞発育
を促す FSH が曝露されていない.したがって,卵丘細胞は排卵期への移行準備ができていないと
考えられる.そこで,①卵の減数分裂再開を IBMX 処理により停止させた条件で FSH+エストロ
ジェンにより卵丘細胞を増殖させ,②その 12 時間後にプロジェステロンを添加し,EGF 受容体
形成を促す,③前培養した COC を AREG 添加培地に移し,卵丘細胞の膨潤と卵成熟を促す,と
いう新規培養法を考案した.その結果,卵丘細胞における排卵期特異的遺伝子発現が有意に上昇
し,体外受精後の胚盤胞期胚への発生率も既存の培養法に比較して,有意に向上した(7,8)
.
受精と免疫機能
卵丘細胞のマイクロアレイ解析から,これまで免疫担当細胞が発現すると報告されてきた初期
免疫関連遺伝子が,卵丘細胞にも発現することが明らかとなった.その中には,細菌感染を認識
する TLR2 と TLR4 が含まれ,卵丘細胞が貪食作用などの初期免疫機能を有することが示された
(9,10)
.この TLRs は非自己だけでなく,変性した自己をも認識することが知られている.例え
ば,細胞外マトリクスの損傷時に生じる断片化ヒアルロン酸が TLRs のリガンドとなる.卵丘細
胞層も排卵過程でヒアルロン酸を蓄積し,受精過程でそれが分解されることから,ヒアルロン酸
が卵丘細胞に発現する TLRs のリガンドとなると仮説立てた.受精過程において,精子が分泌す
るヒアルロニダーゼは,卵丘細胞層の分子量 100 万以上のヒアルロン酸を分子量 10 万の短鎖ヒ
アルロン酸へと変化させた.この短鎖ヒアルロン酸は,TLR2 と TLR4 依存的に,サイトカイン・
ケモカイン類,特に CCL family の発現と分泌を亢進した(11)
.CCL の受容体である CCR family
は Ca2+放出に関わること,Ca2+上昇は精子の受精能獲得に必須であることから,CCL-CCR に着目
した.その結果,CCR は精子の中片部に発現し,その活性化はケモタキシスと受精能獲得を誘起
させ,これが受精に重要な役割を果たしていることが明らかとなった(12)
.
精子の免疫機能の解明
ブタ精液中の細菌感染は,精子の運動性低下を引き起こし,受精能力の欠失原因の一つとなる
が,その負の作用機序は明らかとなっていない.したがって,細菌感染と精子の関係を解明し,
精子の利用効率を向上させる手法の開発を行った.まず,採精直後に精液中の細菌数を測定し,
37 度に加温後の運動性を解析した結果,採精直後の運動性と細菌数の間には統計的な関係はみら
れなかったが,3 時間培養後において相関関係が認められた.この 3 時間後における負の影響は,
ペニシリンやアミカマイシンなどの抗生物質で改善しなかった.そこで,細菌が放出する内毒素
に着目し,ブタ精液中にはグラム陰性菌が主に感染していること,それが LPS を放出すること,
LPS の中和剤が負の影響を抑制することを明らかとした.さらに,ブタ精子の先体部に TLR4 が
発現し,それが細菌が放出する LPS を認識し,精子のアポトーシスに関与していることも突き止
めた(13)
.この結果から,細菌を死滅させるペニシリンなどに加えて内毒素を不活化するポリ
ミキシン B を添加した溶液で精子を液状保存する技術を開発し,保存期間を 10 日以上へと延長
することを可能とし,かつ人工授精成績の向上に成功した.
ブタ凍結精液を用いた人工授精法の確立
上記のように精液中には,細菌が含有し,それが精子に負の影響を与えることから,ブタ精子
の凍結保存において,採精後直ちに精漿を除去し,凍結した(14)
.その結果,個体間差がなく
なり,融解後の運動性が高い凍結精子を安定的に得ることが可能となった.しかし,この高い運
動性を有する凍結・融解精子を用いて人工授精を行った結果,受精率は 100%であったが,着床
率が著しく低いという結果であった.さらに,子宮内の白血球数の増加と初期胚が貪食されてい
る痕跡を認めたことから,精漿中には細胞性免疫を抑制し,着床を促進する因子があると仮説立
てた.そこで,サイトカイン類の網羅的探索などを行ったが,個体間で大きな差があり,重要な
因子の同定には至らなかった.しかし,お
もしろいことに,消炎作用を持つコルチゾ
ールが安定的に高濃度で検出された.そこ
で,凍結精子の人工授精時にコルチゾール
を同時注入した結果,着床率が著しく向上
し,受胎率が 80%以上,平均一腹産子数が
10 頭以上という自然交配と遜色のない繁
殖成績を得ることに成功した(特許 1,2)
.
まとめ
以上のように著者は,体内の仕組みを網羅的に検出し,いつ,どこで,何が起こっているのか
を解明し,それぞれの仕組みにおいて必須な機構を繁殖技術に応用する,という研究をしてきた.
その成果として,ブタ卵の新規培養法の構築,凍結精液作製法,人工授精法の確立に至ることが
できた.今後も,基礎研究を基として,実用化技術を開発することで,養豚業をはじめとする畜
産分野の発展に貢献していきたいと考えている.
謝辞
マウスの研究は,米国 Baylor College of Medicine の JoAnne S. Richards 博士との共同研究により
実施したもので,謹んで感謝申し上げます.ブタ卵の研究は,EGF like factor の機能解析に尽力
してくれた山下 泰尚 博士(県立広島大学 准教授)などの研究室の卒業生と共に行ったもので
あり,深く感謝の意を表します.ブタ凍結精子を用いた人工授精法の開発は,大分県との共同研
究で,研究室の卒業生である岡崎 哲司 博士(大分県農林水産研究指導センター 研究員)の強
靱的な研究遂行力により成功したものです.さらに,本賞にご推薦を頂きました日本畜産学会 理
事長 甲斐 藏 先生をはじめとする役員の皆様,東北大学 佐藤 英明 教授に厚く御礼申し上げます.
発表論文
1.
M. Shimada, I. Hernandez-Gonzalez, I. Gonzalez-Robayna, J.S. Richards (2006) Mol. Endocrinol.,
20, 1352-1365.
2.
H.Y. Fan, A. O'Connor, M. Shitanaka, M. Shimada, Z. Liu, J.S. Richards (2010) Mol. Endocrinol., 24,
1529-1542.
3.
Y. Yamashita, I. Kawashima, Y. Yanai, M. Nishibori, J.S. Richards, M. Shimada (2007) Endocrinology,
148, 6164-6175.
4.
H.Y. Fan, M. Shimada, Z. Liu, N. Cahill, N. Noma, Y. Wu, J. Gossen, J.S. Richards (2008)
Development, 135, 2127-2137.
5.
H.Y. Fan, Z. Liu, M. Shimada, E. Sterneck, P.F. Johnson, S.M. Hedrick, J.S. Richards* (2009) Science,
324, 938-941.
6.
N. Noma, I. Kawashima, H.Y. Fan, Y. Fujita, T. Kawai, Y. Tomoda, T. Mihara, J.S. Richards, M.
Shimada (2010) Mol. Endocrinol., in press
7.
I. Kawashima, T. Okazaki, N. Noma, M. Nishibori, Y. Yamashita, M. Shimada (2008) Reproduction,
136, 9-21.
8.
M. Shimada, M. Nishibori, N. Isobe, N. Kawano, T. Terada (2003) Biol. Reprod., 69, 1142-1149.
9.
M. Shimada, I. Hernandez-Gonzalez, I. Gonzalez-Robayna, J.S. Richards (2006) Mol. Endocrinol., 20,
3228-3239.
10. J.S. Richards, Z. Liu, M. Shimada (2008) Trends Endocrinol. Metab., 19, 191-196.
11. M. Shimada, Y. Yanai, T. Okazaki, Y. Yamashita, V. Sriraman, M.C. Wilson, J.S. Richards (2007) Mol.
Endocrinol., 21, 2487-2502.
12. M. Shimada, Y. Yanai, T. Okazaki, N. Noma, I. Kawashima, T. Mori, J.S. Richards (2008)
Development, 135, 2001-2011.
13. T. Okazaki, T. Mihara, Y. Fujita, S. Yoshida, H. Teshima, M. Shimada (2010) Theriogenology, in press.
14. T. Okazaki, S. Abe, S. Yoshida, M. Shimada (2009) Theriogenology, 71, 491-498.
知的財産権
1.
島田昌之,岡崎哲司,名称:受胎率および産仔数向上豚凍結精子およびその製法 出願人名:
国立大学法人広島大学,大分県 特許出願 2007-325313
2.
島田昌之,岡崎哲司,名称:精子用希釈液,及び,これを用いた人工授精法 出願人名:国
立大学法人広島大学,大分県 特許出願 2009-144703
Development of pig reproductive techniques based on the analysis of ovulation and fertilization process
Masayuki Shimada (Graduate School of Biosphere Science, Hiroshima University)
[email protected]