現在の建築家は何を乗り越えようとしているのか M2

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M2 まとめ
P2
キーワード分布図
P4
現在の建築家の系譜
P5
3R 系
P6
Eco-tech 系
P8
表層系
P11
グラウンド系
P14
都市系
P18
リサーチ系
P20
m2まとめ
■はじめに
「現在の建築家は何を乗り越えようとしているか」
な構造に挑戦し、自然環境と共生する建築を模索する
という問いは、建築家が抱えるジレンマを顕わにする。
人もいれば、情報社会の利点を活かして建築から情報
混沌とした現在においては乗り越えるべき対象の設定
発信することを試みている人、直接地域に関わりなが
さえ困難であるという状況と、建築家である以上乗り
らその土地でしかできないことを実践している人等が
越えるべき対象を持ち、それに向かって建築をつくら
いる。またマイノリティを対象にした建築を扱う人や
なければならないという観念の闘い。思い返せば、私
都市をミクロな視点で扱う人、社会現象などを整理・
たちの建築展(2002 年度)では、社会と建築のつなが
編集して設計に活かす人など、それぞれの活動分野は
りについて述べながら、新しい問題の発見、斬新なも
幅広い。
のの見方にこそ建築家の個性が現れるという結論に至
私達がみた現在の建築家の活動はどれも機能主義と
っており、このジレンマがどのように解決されている
はかけ離れたものであり、その点で伊東らと同様、近
かが、今年度の建築展で私の一番の関心事項だった。
代が生んだシステム(機能主義、合理主義、大量消費、
全体としては、比較分析の方法、パネルの魅せ方、
均質化等)を乗り越えようとしていることが共通点と
アンケート展示等、例年にも増して楽しく参画するこ
して浮かび上がってくる。更に活動の内容を分類して
とができた。しかし、あらためて設問の難しさを感じ
みると、どの活動も全て環境(社会環境、人工環境、
る場面もあった。まずは、定義についてである。採り
室内環境、自然環境)問題だということがわかる。
(別
上げる建築家、作品、年代の設定がなぜこのようにな
紙の図参照)
ったのかという根拠が曖昧にならざるを得なかった。
現在の建築家はそれぞれが専門の分野において積極
また、作品分析・考察から明らかになったのは、伊東
的に環境問題に取り組むことで、近代建築を乗り越え
らの試みが近代建築の枠組みから完全に外れたところ
ようとしている。
で展開されているのではないという皮肉であった。ど
のようなアクティビティを生み出そうとしているのか
■おわりに
について明確な主張がなされなかった原因も同じであ
建築展で扱われなかった建築家の活動から、現在の
る。普遍を装う近代建築への懐疑から生まれたポスト
建築界を取り巻く現状、多様な問題点が浮き彫りにな
モダニズムの逃走劇の終わりが告げられないままに、
った。
新たな潮流を生み出すことの厳しさが露呈していた。
今後実社会において建築を設計する立場に置かれる
私達が、「何を乗り越えるべきなのか?」或いは、「何
■方法
建築展で採り上げられなかった建築家に注目し、彼
をする必要があるのか?」という問いに応える必要性
に迫られる。
らの様々な取り組みについてまとめながら「現在の建
築家は近代建築を乗り越えようとしている」という建
築展の結論の補足を試みた。建築家の活動を分野別に
図示する。
■まとめ
現在の建築家には、先端技術を駆使することで複雑
以下に、M2全員の私見をそれぞれ記載し、このレ
ポートを締めくくる。
◆飯島
今回の建築展で取り上げた現代の建築家のような、近代建築或いはそれに派生した概念(ビルディングタイプ
然り、近代建築言語然り)を多角的に捉え、乗り越えようとする姿勢は、歴史を背負って生きる私達にとっても
必要な姿勢であり、今後も常に付きまとう問題である。ところで、近年では、グローバル社会、IT社会と叫ば
れている。様々な専門領域において、立ちはだかっていた
専門
という名の壁は一挙に取り外された。更に、
IT技術の発達により、時間と空間の距離を一気に近づけ関連づけた。こうした場所、時間の概念が軽薄化して
いく時代において、場が持つ環境(その場所が持つ情報、或いはコンテクストとも一言しても構わない)をじっ
くりと読み込み取り入れながら、建築を作る姿勢もまた必要である。環境の理解、更新、発信である。
(衣袋研究
室では、これを長年「アフォーダンス」と称してきた。)上記の様に、建築に対するアプローチを大きく 2 つに分
類した。どちらか一方のみを実行するのではなく、両刀使いとして、建築に戦いを挑み続けたい。
◆江崎
今回ここで採り上げたような環境志向型の建築は、どこぞの水玉模様のような小手先では済まされないれっき
とした「建築」である。初期イメージの創出においても、分析項目の設定においても、あらゆる判断は建築家の
センスに任されており、彼らが空間や形態のデザインを効果的に操作する能力を培った近代建築の存在が透けて
見える。
「その場その場でうまくやって、それで世界が広がれば楽しいじゃないか」というような楽観主義に浸っ
てはいけない。重要なヒントは隠されている。新たな提案への近道などなく、ひたすら過去を踏襲し、学ぶしか
ないのではないか。
建築展 2006 の結論の補足としてレポートを書いてきたが、兼ねてから興味のあった「グラウンド」にアプロー
チする建築家について勉強する良い機会となった。近代建築の強さをまじまじと感じながら、10 年後に同じ問い
を投げかけられた場合には、より明快で実体験に基づいた解答が出せるようにならなければいけないと思った。
◆寺島
今回の作業は、建築家の様々な挑戦を見ることが出来た。これを踏まえてキーワードを見てみると、
「発明から
編集」、「開発から共生」、「描写から編集」に挙げられるように受動的なフレーズが印象に残った。しかし、具体
的な計画を見るとどの計画も受動的でありながら野心的な挑戦ばかりである。
このような現状の環境を頭ごなしに否定しない、環境の読み方、問題点の選択の仕方に注意を払う姿勢は、将
来、ストックの増加、人口の減少、等々課題が多くあげられ、大規模な計画が現実味を帯びなくなる成熟社会に
おいて、非常に示唆的であるように感じる。
◆本山
次の時代は前の時代を乗り越えないことには訪れない。乗り越えるためには前の時代を意識し、きちんと知ら
なければならない。現代の建築家は社会状況と近代を意識することで十人十色に社会状況の変化に対応し、次の
時代へ進もうとしている。
今回 3R系の 4 人の建築家をレポートして、建築の設計をする際には環境(アフォーダンスや土地性)について
考えていくこと、意識することが重要だと感じた。また、まとめをしたことで、次の時代へ進むことが容易では
ない状況が垣間見え、近代が歴史の中でいかに大きな存在であるかを実感した。これからは近代の建築家が取り
組んできたこともきちんと踏まえつつ、もっと自分の置かれた環境を意識して生活していこうと思う。
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3R 系(Reduce, Reuse, Recycle)
本山
浩子
■はじめに
1970 年代頃から言われ始めた地球環境問題が極め
たデザインや構造システムの他、フローリングやカー
て深刻化し、1992 年には「地球サミット」が開催され
ペット、カーテンといったものにもリサイクル材が用
た。そのような中、建築の分野でも環境に配慮した技
いられている。研究会の発足はアルミニウムがリサイ
術、素材、構法などの開発が進められてきた。
クル容易な材料として注目を浴び始めた頃であり、ま
今回は3R系に取り組んでいる 4 人の建築家(石山
た 2000 年には建築基準法の改正によってアルミニウ
修武、難波和彦、坂茂、藤森照信)に焦点を当て、彼
ムが構造材として使用可能になるという時期であった。
らが何を乗り越えようとしているのかを探ることを目
難波は本格的なリサイクル・システムが確立されれば、
的とする。
十分鉄に太刀打ちできる、アルミニウムは循環型素材
という意味でエコロジカルな材料であると考えている。
■4 人の建築家
◆石山修武(1944-)
「建築会社によって商品化された住宅を開放し、建
主な作品には『「箱の家」シリーズ(1995 年∼)
』、
『ア
ルミエコハウス(1999 年)』、『コスモポリタン・エコ
ハウス(2005 年)』がある。
主自身が材料を集め、職人と共に作っていく」という
「開放系技術・デザイン」を提唱し、それに賛同する
建主達の指示を集めるようになった。
「開放系技術・デ
ザイン」が目指そうとしているのは、家づくりを介し
て今日の住宅市場(異常な高価さを前提とした市場)
に属さない、より自由な(安価な)市場を構築するこ
とである。
◆坂茂(1957-)
主な作品には『幻庵(1975)』、
『開拓者の家(1986)』、
弱者の住宅問題に鋭い関心を寄せ、難民シェルタ
『世田谷村(2001)
』などがあり、『伊豆の庁八美術館
ーを国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に提案し開
(1984)』では吉田五十八賞を受賞している。
発・試作するなど、環境や要求に適した合理的な構法
や材料を試みている。また作品と活動が高く評価され、
1997 年にハノーバ国際博覧会日本館の設計に参画し
た。そのときの作品である
紙
の日本館は、建築そ
のものによって「環境」に対する新しい解答を提示し
たと言える。
紙管を建築に使う理由は次の 3 点である。①紙とい
◆難波和彦(1947-)
う素材が実は恒久建築に使える強度と耐久性を備える。
伊東豊雄が「アルミ構造の住宅の実現」を提案した
②極めて簡単でローコストな設備で生産できるという
ことがきっかけとなって 1998 年に「住まいとアルミニ
フレキシビリティを備えている。③紙は再生可能なの
ウムの研究会」が発足した。そこで彼はアルミ製の住
で、不要になったらいつでもリサイクルできる。
宅のプロトタイプを作ることになり、最も重要な課題
主な作品に『紙の家(1995)』、
『ハノーバ国際博覧会
として「リサイクルの容易なアルミニウムで建築をつ
日本館(2000)』、
『ノマディック・ミュージアム(2005)』
くることで建築廃材の量を減らすこと」を掲げた。ま
などがある。
産業革命から現在に至るまで、ただ消費するためだ
けに大きさ・量が求められてきた。地球規模の環境破
壊や規格外のものを受け付けないシステム、そしてシ
ステムに乗らないものを個人ではどうすることもでき
ない社会がその代償となった。建築界もまたその原因
となり、かつ、影響を受けてきた。昨年の姉歯事件は
◆藤森照信(1946-)
1974 年に研究仲間と建築探偵団を結成し、各地に残
る近代洋風建築の調査を行なっている。また、1986 年
建築業界の不透明さが表われた出来事であったし、住
宅価格の異常な高騰もまた然りだ。
には赤瀬川原平、南伸坊らと路上観察学会を結成して
現在の建築家は、職能を生かしてよりよい社会を目
いる。専門は建築史学だが、45 歳のときに設計を始め
指し始めた。時間や手間をかける、メンテナンスや壊
る。
したときのことも考えて開発を進めるなど、そのとき、
主な作品には『神長官守矢史料館(1991)』、
『タンポ
その場所で、その人たちのための建築を考え、さらに
ポハウス(1995)』、『ニラ・ハウス(1997)』、『秋野不
その行為や創造物が周辺環境に打撃を与えないような
矩美術館(1998)』、
『大島椿城(2000)』、
『高過庵(2004)』、
建築に取り組む。こういったことが近代の建築家との
『養老昆虫館(2005)』、『茶室
大きな相違である。
徹(2006)』などがあ
り、自然素材と植物を現代建築に取り込むことを試み
ている。またその試みは、大自然の中に小さな人工物
が寄生する光景は美しいと経験的に感じていたことに
■おわりに
4 人の建築家の活動から、3R系においては素材、
建築市場、原風景、マイノリティなど様々な視点で環
因っている。
境に配慮した試みがなされていることがわかる。近代
までの開発や技術革新によって破壊してしまったモ
ノ・コトを今度は保全し、共生あるいは共存してける
サスティナブル(持続可能)な社会を実現することが
現在の建築家の目指すところではないだろうか。3R
系建築家たちの試みはその重要な第一歩であると言え
■何を乗り越えようとしているか
るだろう。
コンクリート・鉄・ガラス
■参考文献
開発
⇒
⇒
アルミ・紙
共生
「野蛮ギャルド建築」藤森照信著
⇒
要求に応じた生産
新建築 2001 年 06 月号
大きい・重い
⇒
新建築 2005 年 11 月号
高騰価格
⇒
適正価格
GA JAPAN
No.35
大衆
マイノリティ
GA JAPAN
No.41
大量生産
⇒
ポータブル
http://ishiyama.arch.waseda.ac.jp/www/homej.html
現在の建築家は「自然環境を考えた創造」
「使い手の
境遇に適した創造」を上記のような様々な方法で試み
ていると言え、それはつまり近代の合理主義を乗り越
えて「思いやりの創造」を試みていると言い換えるこ
とができるだろう。
http://www.kai-workshop.com/index.html
http://tampopo-house.iis.u-tokyo.ac.jp/#
Eco-tech 系
飯島
■はじめに
無味乾燥な大量生産の論理を、急進的な機能主
貴広
ャード・ロンドン・ブリッジという 72 階建て高さ
310m のピラミッド型超高層ビル計画が進み、2010
義に結び付けようとする近代建築初期の努力の中
年ごろの完成が予定されている。
からハイテックという概念が誕生した。現代では
◆ノーマン・フォスター(1935-)
ハイテックな感性はこれまで以上に広範な関心、
フォスターはマンチェスター大学とイェール大
すなわち場所の形成、社会への対応、エネルギー
学で学んだ。彼は建築家・思想家であったバック
利用、都市性、エコロジーといった問題までも包
ミンスター・フラーのもとで働いた後、建築家リ
摂するようになった。その結果、新技術を手放し
チャード・ロジャースと会い「チーム 4」を結成。
で礼賛するのではなく、エネルギー消費や都市環
1967 年自分の事務所フォスター・アソシエーツを
境などの問題を解決する手段として、ハイテック
設立した。
な形態や素材を選択的・合理的に利用しようとす
1991 年のドイツ・フランクフルトのではエコロ
る動きが現れ始めた。新しい世代の建築家を中心
ジカルな超高層ビルを実現させた。300m の超高層
に生まれたこの建築は、エコロジーとハイ・テク
ビルを貫く吹き抜けのアトリウムを中央に作って
ノロジーを結びつけた「エコテック」という名称
周りに柱のないオフィス空間を配し、さらにビル
で呼ばれるようになっている。先端技術を駆使し
のフロアは四つから五つに分節され、その間に日
構造技術を建築表現に結びつけるハイテック建築
光と緑のある「スカイ・ガーデン」が挟み込まれ
が、新たな展開をみせている。
た。スカイ・ガーデンの窓を開閉することにより、
新鮮な外気が各ガーデンからアトリウムを通って
■3 人建築家
オフィスの隅々にまで行き渡る自然換気が実現さ
◆レンゾ・ピアノ(1937-)
れた。超高層を支える構造体、換気や冷暖房など
彼の作品の主要なものは、鮮烈な国際舞台への
のエネルギーを無駄遣いしないエコロジカルで快
デビュー作となったパリの美術館・文化施設であ
適なオフィス空間という手法は、マレーシア・ペ
るポンピドゥー・センター、20 世紀の建築におけ
ナンの MBF タワーやロンドンのロンドン市庁舎ビ
るエンジニアリング・構造設計の最大の成果であ
ル、セント・メアリー・アックス 30 番地(スイス・
る関西国際空港ターミナルビル設計、ベルリン・
リ本社ビル)など、後のビルでも使われている。
ポツダム広場の再建にあたってのダイムラー・シ
ティのマスタープラン設計であろう。いずれも、
巨大建築に求められる技術的課題に応え、国際空
港の象徴性やベルリンの周囲の歴史的文脈などと
いったものにも配慮をしている。
彼の設計による超高層ビルがベルリン以外ではシ
ドニー(オーロラ・プレイス)などに設計された
ほか、現在ロンドンのテムズ川南岸において「シ
◆リチャード・ロジャース(1933-)
■何を乗り越えようとしているのか
リ チ ャ ー ド ・ ロ ジ ャ ー ス 卿 ( Richard George
Rogers)は、イギリスの建築家。リバーサイド男
短期的
⇒
爵(The Loard Rogers of Riverside)という一代
静
動(環境制御システム、フレキシビリテ
貴族の位も持つ。ロジャースはフィレンツェに生
ィー)
まれ、ロンドンの建築学校である AA スクール
機能性/合理性
( Architectural
ハイテック
Association
School
of
⇒
長期的(サスティナビリティー)
⇒
⇒
ニュートラル/フレキシブル
エコテック
Architecture)で学び、イェール大学を 1962 年に
卒業した。イェール大学でロジャースは同じく学
地球環境と建築デザインとの関係は、1960
生だったノーマン・フォスターと知り合い、イギ
年代後半から70 年代にかけてエネルギー及
リスに帰った後でフォスターおよび自分たちの妻
び環境問題として注目された。直接的な引き
(スー・ロジャース、ウェンディ・チーズマン)
金は中 東諸国の石油価格値上げに端を発す
の 4 人の建築家とともに「チーム 4」という建築の
る世界的なオイルショック、そして、都市公
実験集団を結成し、ハイテク志向・工業志向のデ
害の発生である。これらは、大きく見ればモ
ザインで評判を得た。
ダニズム批判の一環として問われた。
1967 年にチーム 4 が解散した後、1971 年、ロジ
大量生産方式のような合理性の追求に加え
ャースはレンゾ・ピアノと組んでパリのアートセ
て、60年代の日々確実に進歩し続ける技術に
ンター・
「ポンピドゥー・センター」のコンペで勝
対するオプティミスティックな考えが(近代
利した。ポンピドゥー・センターは、以後のロジ
社会の中から派生、蔓延した考え)、自然環
ャースを特徴づける様式(建物の内部空間をすっ
境、室内環境に対する意識を軽薄化させた。
きりさせるために、水道管、冷暖房ダクト、電気
この状況を打開するべく当時の建築は、劣悪
パイプ、階段など建物の共用施設をすべてむき出
化する都市環境に対して閉鎖的に空間を構成
しのまま建物外部にさらし出す)を確立させた作
するのがトレンドとなった。しかし、エネル
品であった。以後、ロイズ・オブ・ロンドン本部
ギーや室内環境に対する解決案は多くなく、
ビルなど、同様の傾向の建物を多く設計している。
重化学産業から情報産業へと構造転換を成し
また、
「都市、この小さな惑星の」という自身の著
遂げ、世界的にバブル経済が進行する中でい
書においては、都市が環境に対してもつ危険性を
つの間にか問題は忘れられていった。
告発するにとどまらず、これからの「都市のある
90年代に入り、地球環境と建築デザインの
べき未来像=サスティナブルな都市」を具体的な
関係は、以前より大きな問題として再び注目
イメージで提言している。
されるようになった。この問題に応えるため
にエコテックが表れた。エコテックの出現に
より、ハイテックな形態や素材が、環境制御
を科学的・合理的に行う手段として用いられ
るようなった。
また上述のように、サスティナブル(持続
可能な)デザイン運動が起こり、環境負荷の
小さい建築を求ようとする動きが勃興した。
更に、建物寿命を短期的と捉えずに、長期的
なスパンで建築を考え、それらを実現するた
めに、建築に環境を制御する装置を導入し、
室内環境を随時変化させるような、室内環境
における柔軟性を追求している。
彼らは、ハイテックを用いて近代以降からの命
題(近代の理論によって生まれた副作用ともいう
べき問い)を乗り越えようとしているのである。
■おわりに
近代において技術賛美と謳われたハイテックは、
室内環境や、フレキシビリティーを重視したエコ
テックへと発展を遂げた。今日においてもエコロ
ジー、環境問題と叫ばれ続ける現代において、
Eco-tech の系譜が消滅することは考えにくい(消
滅したときは、新たな技術の誕生の際か、地球外
での生活が決定したときだろう)。街並みという視
点から見れば、古い町並みに馴染む概観ではない
ために、常に景観論争の引き金となりやすいとい
う問題点がある。しかしながら、最先端の技術を
用いて環境をコントロールしながら、自然との共
生を目指す概念は非常に魅力的である。
今後は、
「3R 系」の様な、建築工法や材料等から
「環境」へアプローチする思考を補完することが
求められる。
■参考文献
「GA DOCUMENT RICHARD ROGERS」
「エコテック 21 世紀の建築」 キャサリン・スレ
ッサー著
表層系
飯島
■はじめに
貴広
の部分での試行を重ねて日々刻々異なる表情を建
90 年代に入り、欧州、特にスイスを中心に、形
築や周辺一帯に与え、注目を浴びた。ロンドンの
態は単純ながら、インパクトの強い外皮をまとう
巨大な発電所建物を美術館に改装するテート・モ
建築が相次いで完成し話題を呼んだ。内部の機能
ダン計画で、以降受賞や注文が相次いでいる。
と切り離された表層デザインは軽視される傾向に
2000 年代に入ってからの東京・プラダ青山店やバ
あったが、それら「表層派」に刺激されて、国内
ルセロナ・フォーラム、ミュンヘンのサッカー場
にも外皮のデザインにこだわった建築が増えてき
アリアンツ・アレナ、そして 2008 年完成予定の北
た。建築をつくることにおいて、決して中心的課
京オリンピックスタジアムでは初期のミニマルな
題とされてこなかった、「表層」。近代建築におけ
作風から様相が一変している。表層に対するこだ
る概念とは全く意を反した、現代の「表層」。彼ら
わりや物質性の優先は変わっていないが、簡素な
は、今何を乗り越えようとしているのか。
箱型の造形から、これまで中に隠れていた建物を
支える柱などの構造が複雑化し外部に現れ、表層
■4 人の建築家
をプリズムのように一様に覆ってしまうようにな
◆ジャン・ヌーベル(1945-)
った。プラダ青山店では建物表面をガラスが覆い
フランスのロット=エ=ガロンヌ県フーメル
蜜蜂の巣のような内部構造が透けて見え、北京オ
(Fumel)出身。1987 年の『アラブ世界研究所』
(パ
リンピックスタジアムでは籐を編んだような複雑
リ)設計で脚光を浴びた。ガラスによる建築を得
な柱が建物を一面に覆っているが、表層の印象に
意とし、
『カルティエ現代美術財団』のようにガラ
よって巨大なボリュームによる圧迫感はやわらげ
ス面の光の反射や透過により建物の存在が消えて
られている。彼らの成功の秘訣は、普通の材料を
しまうような「透明な建築」や、多様な種類のガ
用いながら、それらの材料の異質感やそれらの材
ラスを使い独特の存在感を生み出す建築を多く作
料から感じたことのない印象を見る者から引き出
っている。
した腕前によるところが大きい。
◆H&deM(1978-)
地元バーゼル中心に活動していた 1980 年代から
◆隈研吾(1954-)
1990 年代まで、彼らの初期の作品はモダニズムの
建築の外皮は、プランや形態と比較しても、も
還元主義的作品を思わせる、ミニマル・アートの
っと直接的に身体に対して訴えてくることから、
芸術家ドナルド・ジャッドの彫刻作品のような簡
「人間の身体と環境とがコミュニケーションする
素な造形であった。しかし建物表面を無数の石で
ときに一番重要な媒体」と捉えている。内と外と
覆ったり、金属の表面に切れ目を入れてねじるな
での区別を考えず、自分の身体に向かってくる表
ど見え方を工夫したり、ガラス面にさまざまな時
面が、内壁だろうと外壁だろうと床だろうと、同
代の写真や絵画をプリントしたりと、建築の表層
じ意味として捉えている。
最近は、
「負ける建築」なる概念を提唱している。
■何を乗り越えようとしているのか?
近代建築は、象徴性やシンボル性といった建築の
強さを表現してきた。しかし、今日の複雑多様な
機能性(非装飾性)
現代において、近代の建築方法論では様々な問題
単純化/均質化
を内包する建築をつくるのは難しい。よって、そ
アカデミズム=学研
の場所の素材を使用し、象徴性やシンボル性を排
勝つ建築
除した、周辺の環境を破壊せず一体となった建築
白
⇒
⇒
⇒
⇒
物質操作による装飾
複雑化/不均質化
⇒
ポピュリズム=大衆
負ける建築
多種多様な素材
を目指す、
「負ける建築」が必要であると氏は語る。
合理性を重んじる近代主義が幅をきかせていた
時代の建築界では特に、
「表層」に関心を集中させ
る動きは表れにくかったのは言うまでもない。使
用できる色彩や素材は、白、RCと限定され、建
物の表層から、一切の装飾は排除された。ルイス・
サリバンの言った「形態は機能に従う」といった
◆乾久美子(1969-)
有名標語自体が、表層を視野の外に追いやったこ
「ルイ・ヴィトン大阪ヒルトンプラザ店」、「デ
とも、近代建築を考察する上で重要なポイントと
ィオール銀座」等、これまで手がけてきたプロジ
なる。したがって、こうした禁欲状況下で誕生し
ェクトは、商業施設のファサードであったり、内
た均質で、無個性の建築群が作り出した街並みと
装であったり、あるいは明確な機能のないモニュ
いえば、無味乾燥としたものになった。
メントであったりと、プランニングを伴わないも
そういった流れに反逆するように、1960 年代か
のばかりだった。よって、必然的にデザインは表
ら 80 年代のバルブ経済と同期したポストモダニズ
層(視覚にフォーカスしたもの)になっている。
ムは、形態操作の自由や、図像操作の自由は確か
彼女の一番の関心ごとは、その環境に建物がどう
に増したが、多くの試みは文字通り表面的なもの
接触するかということである。
に終わってしまった。視覚的な刺激や記号として
理解されるばかりで、建築の表層の質そのものが
問われたとは言えなかった。
その後、日本の建築界を席けんしていったのは、
「軽さ」や「透明性」を志向する一群の動きであ
った。その理由として、近代建築の概念によって
作られた建築が持ってしまった重さ(物質性ある
いは権威性)に反抗する姿勢があったことが挙げ
られる。
(隈氏の言う 勝つ建築 とはこの事であ
る。)また、ポストモダニズムが陥ってしまった「満
艦飾」
「極彩色」を嫌う反動も理由として挙げられ
る。近代建築だけでなく、ポストモダニズムも乗
り越える対象となったと言えよう。
また、情報の時代という現代的なテーマが、実
体の無さなどとして翻訳されて建築へ反映された
ことも挙げられる。いずれも、要求に応える便利
な素材として、ガラスが用いられている。しかし
過去使用されてこなかった多種多様な素材を扱い
始めているのも事実であり、各建築が個性を主張
し始めている。従って、形成される街並みは近代
には無かった複雑で不均質なものが形成され始め
ている。
■おわりに
近年、表層建築が街並みを楽しませている。新
しい技術や工法の発達により、今後も表層の系は
今後も止まらないであろう。一方で、
「表層」だけ
を手がかりに建築を作ることができる状況も、商
業と手を結んだ建築に限定されてくるだろう。そ
んな状況下、表層系の建築家は今後何を武器とし
て近代建築に臨むのか。
■参考文献
「日系アーキテクチャー
U35
頭角あらわした
ポストバブル世代」
「日系アーキテクチャー
表層の復権」
グラウンド系
江崎
■はじめに
岳史
彼自身は建築や土木といった従来の枠組みを越え
自然環境と建築の関係は、普遍的なテーマとし
たところで大地と格闘するハードな印象を前面に
てこれまで多くの建築家によって取り組まれてき
出して「グラウンド・スケープ」と呼ぶ場所に身
た。ときには建築の起源の問題として、またとき
を置こうとしている。これまで建築家は、敷地境
には都市との対比の問題として、近代を含むあら
界より外に広がるエリアからは阻害されてきた。
ゆる時代、あらゆる地域において扱われてきた。
自然や都市について語るにしても、建築家が現実
私がここで採り上げるのは、自然環境の中でも
にそれらの仕組みを変えることはなかった。いわ
特に「グラウンド」をテーマに活動する建築家で
ば、敷地境界という檻の中から遠吠えしていたに
ある。彼らの闘いの中から、現在のひとつの潮流
すぎない。彼は、その枠組みの一つである建設分
を探る。
野間の境界線を取り払い、融合させようとしてい
る。建築畑の出身にも関わらず土木系学科の教授
■「グラウンド」4 つの視座
であり、その類のシンポジウムを催す等、設計以
◆内藤廣(1950-)
外にも精力的な活動を行っている。
彼にとっての「グラウンド」とは、
「表面ではな
く、大地そのもの」であり、
「地形」
「気候」
「植生」
「風土」「歴史」「風景」を読むためのテクストで
あり、
「諸々の妖怪」が蠢く戦場である。近代建築
が意図的に排除してきた場所や時間に対する個別
の価値観を取り戻す場である。
「グラウンド」の囁きに耳を傾け、トータルな
環境として捉えなおし、語りかけることによって
蘇生を図る。これが彼のスタンスである。
◆FOA(Alejandro Zaera Polo 1963Farshid Moussavi 1965-)
「場所や時間を翻訳することにデザインの本質を
求めれば、それは結果としてモダニズム批判と
なる。
」
『海の博物館(1992)』、『安曇野ちひろ美術館
(1997)』、『高知県立牧野富太郎記念館(1999)』
といった彼の代表作は、一般に「建築+ランドス
ケープデザイン」とカテゴライズされる。しかし、
する「ルール」の強さである。まずそこに状況が
あって、それを前提にデザインを行うという姿勢
自体は新しくも何ともないが、建築家の内部から
創造された個性ではなく、既にあった場を変則的
なルールによって変化させるということに強い個
性が感じられる。
彼らは「グラウンド」という言葉を直接用いては
いない。しかし、空間によって想起される自然地
形と、操作対象の枠に収まらないイメージの参照
「私たちが興味があるのは、プロセスです。達成
物としての「グラウンド」を感じ取ることが出来
することにはさほど興味はなく、何が究極の効
る。生成過程に向けた彼らの意識は、コンピュー
果を持つものなのか良く分かりませんし、あま
タの存在によって生まれたものであることは確か
り気にしていません。
」
である。しかし、数多くのパラメータを受け入れ
ても尚、揺るがない強度を持った「ルール」が、
建築界のメルクマールとも呼べる『横浜港大さ
ん橋国際客船ターミナル(1995)』、その流れを汲
自然界への深い洞察によって得られていることも
また事実である。
む『Downsview Park (2004)
』には、FOA の一貫し
た姿勢を見ることが出来る。
これらは建築というよりむしろ土木構造物の様
態をしており、近代では避けられることの多かっ
た荒さや無造作さの表現が意図的に試されている。
最も特徴的なのは、その空間構成である。テー
マである「揺れ」を表現するために従来の建築の
ように柱や梁で支えるのではなく、床をうねらせ
ることによって連続性を強調し、一体性を感じさ
せている。近代建築の特徴である直交座標や納ま
りの露出等は徹底的に排除され、例えば手摺は斜
めに傾き一続きになったフェンスとなり、例えば
ガラスは両端を埋め込まれ存在感を消している。
ここで興味深いのは、彼らの中に新しい建築を
生み出すことへの意識が殆ど認められないという
事実である。いや、建築で有ることを志向してい
ないと言った方が良いかもしれない。あるのは「偉
大なカリスマ」への憧憬ではなく、
「媒介者」足ろ
うとする意志である。彼らの売りは、外からやっ
てくる物事への「適応能力」であり、場所を生成
◆團紀彦(1956-)
「建築デザインがただ環境というグラウンドに対
して、フィギュアをつくり続けるというのではな
くて、グラウンドをつくる能力をもつこと。
」
團紀彦の近作である『京都市西京極総合運動公園
プール施設(2002)』、『Hsiangshan Visitor Center
(2008 予定)』
、
『Shuishe Park Bus Terminal(2008
予定)
』には、大地に溶け合う人工物の姿が見受け
られる。彼の造形理念は、
「ユニヴァーサル・フォ
「環境に配慮し、環境デザインの立場でつくられ
ーム」という言葉に集約される。言うまでもなく
たものを環境建築と私は呼んでいる。それはすな
これは、近代建築の巨匠であるミース・ファン・
わち総合的で関係的で地球環境に配慮した建築と
デル・ローエの「ユニヴァーサル・スペース」の
現況を示す。
」
もじりであるが、
「空間」の源である「ユニヴァー
サル・デザイン」に対して、
「ユニヴァーサル・フ
子どものための空間を主に数多くの実作を世に
ォーム」は「場」の源として構想されている。近
送り出してきた彼が『富山県こどもみらい館
代建築が陥った「どちらかを破壊し消し去ってし
(1992)』、『海南市わんぱく公園(2000)』で試み
まう方法」ではなく、
「建築とグラウンドがペース
たのは、自然環境と建築の豊かな出会いである。
トになってどちらにも変化」し、人工物と自然が
今までになかったもの、あるいは今までと全く異
「共存」する方法を模索している。異質なもの同
なるものをそこにつくり出すのではなく、
「そこに
士がつなぎ合わせられ、溶け合い、場所は一体化
すでにある物語を尊重し、ある程度は壊してもで
する。彼はこれをしばしば、カレーの具(フィギ
きるだけ影響を小さく抑え、またある時は再生し、
ュア)とルー(グラウンド)の関係に例える。上
新しい物語をつくっていくという作業」を行った。
述された「グラウンドをつくる能力」とは、人工
2000 年に日本建築学会の建築系 5 団体が共同で
物が自然にとって変わることではなく、既にある
制定した地球環境建築憲章の起草に携わった彼は、
「グラウンド」と人工物との調停によって場のポ
様々な環境に配慮し、環境デザインの立場でつく
テンシャルを引き出し、変化させる能力のことを
った自身の建築を「環境建築(環築)
」と呼ぶ。そ
言う。景観ばかりではなく、建設における残土処
れは「総合的で関係的で地球環境に配慮した建築」
理やエネルギー省力化の問題をも解決しようとし
であり、近代建築の言語の新たな解釈によって生
ている。
まれたものである。
「グラウンド」は常に彼の遊び
場であり、地球と対話する場である。都市に建つ
◆仙田満(1941-)
ものと違い、
「グラウンド」では柔軟で伸びやかな
デザインが行われている。
■何を乗り越えようとしているか
■参考文献
建築
仙田満(2002)
『環境デザインの展開
⇒
環境
普遍化された価値
技術の翻訳
⇒
要素還元主義
初源
⇒
⇒
固有の価値
とプロセス』鹿島出版会
場所と時間の翻訳
環境デザイン研究所 HP:
⇒
環境統合主義
コンセプト
http://www.ms-edi.co.jp/
過程
直交座標
⇒
うねり
内藤廣(2004)
『建築的思考のゆくえ』王国社
カリスマ
⇒
媒介者
内藤廣(2004)
『GroundscapeDesign』丸善
自閉と孤立
強固
⇒
⇒
共存と調和
柔軟
4 人の建築家に共通して見られるのは、近代建築
内藤廣建築設計事務所 HP:
http://www.naitoaa.co.jp/
青木淳×FOA『新建築 2005 年 6 月号』新建築社
では当然のごとく無視されてきた場所や時間への
Foreign Office Architects HP:
強い執着心である。彼らは、それに固有の価値を
http://www.f-o-a.net/flash/index.html
与え、建築の設計を通して自然環境との関係の改
善を図る。断片的な要素還元主義から既成の枠組
エーアンドエー株式会社編(2003)
『建築という冒
みを横断する環境統合主義へ、初源的なイメージ
険』エーアンドエー株式会社
を貫徹する強い作家性よりも、実体化の過程にお
團紀彦建築設計事務所 HP:
いて立ち現れる諸条件の調停を求めている。
http://www.dan-n.co.jp/
■おわりに
最も興味深い点は、
「グラウンド」に基づくそれ
ぞれの闘い方が実に斬新で爽快なことだ。創出さ
れる空間や形態は、単なる自然のモノマネではな
く、最新の技術と発明によって支えられた人間の
原初的な感覚をくすぐるものである。彼らを新し
い潮流の建築家と呼ぶのは、このためである。
「グラウンド」は彼らにとって戦場(バトル・
グラウンド)であり、遊び場(プレイグラウンド)
であり、近代建築の墓地(ブリアル・グラウンド)
であり、新たな関係が築かれる舞台(バック・グ
ラウンド)である。建築と自然環境との関係をこ
のような視座から捉え直し、21 世紀を夢想するこ
とがこれからの私たちには必要なのではないだろ
うか。
都市系
寺島雅樹
■はじめに
「東京計画 1960」は、拡張していく都市に対して、
丹下健三が計画した計画である。東京計画 1960 に代表
されるように建築家は未来の都市に対して活発な議論
を行ってきた。
都心から東京湾にスパインを伸ばした場合にどういう
ことが起こるか提案してみた。これを「シビック・ア
クシス」と名付け、具体的な構想を練った。
こうした構想は、単に東京という一つの都市の未来
像を描いたというわけでなく、
「構造主義」という新し
この計画から 40 年たった今、社会状況はあまりにも
い概念として受け入れられた。それはひとつひとつの
変化し、何時しか建築家は建築と都市を一続きの場の
機能を如何に働かせるかということだけではなく、そ
中で論じなくなった。しかし今年、大野秀敏は将来、
れぞれを如何に結びつけ、全体を構造づけて行くかと
人口が減る東京に対して、ファイバーシティー東京
いう考え方である。
2050 という新たな提案を行った。
本小論は、丹下健三が提案した東京計画 1960 と大野
秀敏が提案したファイバシティー東京 2050 を比較す
ることによって、都市という視点から現在の建築家は
何を乗り越えようとしているのかという課題に対して
論述する。
■2 人の建築家
◆丹下健三(1913-)
東京計画 1960
東京は工業化社会の高度化に伴い、膨大な物的投資
が行われ、フィジカルな都市の姿が急速に変化しつつ
あった。それに対応し、成長する都市のストラクチュ
アをどうするかがひとつの課題であった。そしてさら
に、コミュニケーションによって大きな革命が起こり
つつあった。それは情報を軸にした第二次産業革命と
もいうべきもので、大都市はさらに大都市になり、コ
◆大野秀敏(1949-)
ミュニケーション・ネットワークが完備していないと、
ファイバーシティー東京 2050
都市は生き延びて行けない状況でもあった。同時に媒
50 年後の日本は総人口が 3/4 になる。これまでのす
体を使った情報の交換だけでなく、人と人とが顔を合
べての都市デザイン戦略や計画論は膨張する都市のた
わせることも重要であり、自動車交通は増えることは
めのものだった。そのため縮小の時代には新たな都市
あっても減ることはないと考えられ、それに対応した
デザインの思想と方法が必要である。
「ファイバシティ
交通体系の導入が必要であった。つまりコンピュータ
ー東京 2050」は、縮小を東京にとって好機と捉え、魅
ーによって情報が集積されるなかで、人間によって情
力的で安全で持続可能な都市に向けて再編成する戦略
報が運搬されるのである。
の提案である。
もはや東京は「都心」という求心的な構造の概念に
とらわれていてはこれ以上の発展は望めない。そこで
・緑の指
■何を乗り越えようとしているか
人口減少で大きな打撃を受ける郊外住宅地を鉄道沿
線歩行圏内に徐々に集中させ、それ以遠を緑地化する。
発明
⇒
編集
鉄道沿線によってネットワーク化されたコンパクト・
マクロ
シティ。
インフラ
⇒
自然
都市計画
⇒
まちづくり
⇒
ミクロ
現在と歴史を白紙に戻さず、それらに敬意を払うフ
ァイバーシティーの基本コンセプトは、
「発明から編集
へ」と表現できる。すなわち、創造行為は無からの発
明だけではなく、既存の要素の組み替え、つまり編集
にもあるという発想である。革命的原理主義である近
・緑の間仕切り
代主義の目からすると、既存の環境は改善されるべき
都心を囲むように広がる災害危険度の高い木造密集
劣った環境としかみなされない。それは最新の計画で
市街地を緑の防火壁で小さく分割して火災被害を最小
置き換えられるべきということである。つまり、近代
限にし、同時に緑地を増やすことで居住環境を改善す
主義は進歩と成長を前提とした革命主義である。とこ
る。
ろが、革命主義は環境問題を憂うものにとっては多く
の場合最大の敵となる。ある理想像が環境的にも正し
いとしても、それを建設するために既存の都市を全部
つくり直し膨大な廃棄物を出さなければならないとす
れば、それは総合的に見れば理想の建設が環境的でな
かったということである。
「拡張していく都市から縮小していく都市へ」
大野秀敏は、東京計画 1960 に挙げられるマクロな視
点からインフラを発明する近代主義の創造から、ミク
ロな視点から現状を編集し自然を挿入する現代の創造
へと創造行為を転換し近代を乗り越えているといえる。
■おわりに
・緑の網
建築展では語られなかった都市という視点で近代と
首都高速道路の中央環状線内側の交通機能を、災害
現代を見ていると問題点の違いが対極にあることに気
時に緊急救援道路と緑道にコンバージョンする。併せ
づかされた。確実に社会状況は変化していき、求めら
て沿道敷地の高度利用と地域エネルギーシステムの導
れている提案も変化している。
入を図る。
・都市の皺
私は、これから建築設計を志す者として、社会の変
化に敏感にならなくてはいけないと感じた。
均質化し抑揚のない都市空間に、それぞれの場所の
風景と歴史を生かした特徴のある線状の名所をつくり
■参考文献
出す。
新建築 200606
リサーチ系
水上 淳史
■はじめに
リサーチという方法は、建築家の側からいえば、
―つまりオランダ政府と同様―つまり同じ人々の
間で取替えっこしているだけなのだ)誰もが緊張
再び建築とリアリティとの関係*1 を取り戻そう
感を感じていた。突然、バシッという大きな音が
とする試みである。
したと思ったら、リチャードロジャースが誰かを
一方で、ヨーロッパの統合やグローバル化する
「叩きのめしていた」―リチャードロジャースが
世界において、地域のアイデンティティを再発見、
彼の顔を叩いたのだ。白いタイルの上に血が滴り
再確認したいという要求、あるいは未来へのエネ
落ちた。本当の取っ組み合いだ!その後は全員が
ルギー、資源、食料、人口等の問題に対する不安
何も起こらなかったかのように振舞った。彼らは
を映し出している。方法論は統計学、都市社会学、
グラスの破片が散らばる中でひたすら踊っていた。
ポストモダン地理学や空間経済学の方法に影響を
コールハースの伝説的著作「S M X XL」に掲載さ
受けており、またGISのテクノロジーが応用さ
れたこのエッセイは、建築家たちを外部から眺め
れている。コールハースの「錯乱のニューヨーク」
た描写である。コールハースは 6 年間アムステル
「プロジェクトオンザシティ」や MVRDV の「デ
ダムの「ハーグ誌」でジャーナリストを務め、脚
ータタウン」が先駆的な研究といえる。
本家としても活躍していた。その後、ロンドンの
ただしもっと過去を振り返れば、ヴェンチューリ
AA スクールで建築を学び、コーネル大学で客員研
の「ラスベガス」アレグザンダーやケヴィンリン
究員を経て建築事務所を設立した。その意味で建
チの仕事がある。
築界ではコールハースは他者であった。彼の経歴
*1 とりわけ、
「建築家のかかわることが出来るリアリティはどの
は建築という極めて専門的な領域に対する姿勢に
程度であろうか?建築家が現実にかかわるなど不可能だ。彼らは
多く影響しているだろう。
空っぽの建築言語に戯れているだけだ。」1973 年マンフレッドタ
フーリがフーコーを引用しつつそう述べた。
建築の世界で長年の間に発展した彼らだけの言語
がある。言葉について、人々にどのように伝える
■2 人建築家
かもっと考えなくてはならない。
マイケル・ロック
◆レム・コールハース(1944-)
経歴
ジャーナリストであったコールハースはとりわけ
それから彼らは踊りだしたが、その踊りのひどさ
このことに意識的である。また彼は建築事務所を
といったらなかった。というのもみないらいらし
開いた後でも、世界の第一線で設計しながら、ア
て、床を踏み鳴らすぐらいしかできなかったから
ーバンリサーチ、雑誌出版、ブランディングなど
だ―いかにも建築家らしい踊りである。つまり洗
幅広い活動領域がある。
練され過ぎていて、踊ろうと思ってもできないの
だ。だから彼らが踊ると、その踊りは幾何学的な
アーバンリサーチ
スパニッシュダンスと同じくらいみっともない!
70 年代、社会学や建設科学の調査としてはあった
このパーティーは最悪だった。皆、お互いを睨み
ものの、当時どの大学の建築学部も本格的なリサ
合っているのだ。ひとりはコンペに勝ち、他のも
ーチはやっていなかった。インテレクチャルな仕
のは全員彼を羨ましがる(しかも誰かのはじめの
事とは思われていなかったし、ましてそれが建築
夫人は、今でもほかの誰かの 2 番目の夫人なのだ
の分野全体を考え直す手段になるとは、誰も夢に
も思っていなかった。
ルタナティブとしてラゴスが定義されてしまう。
AMO ディレクター、ジジェフリーイナバ
AMO のディレクターはこれらのリサーチを「能動的
リサーチ」と読んでいる。
レム・コールハースは、1996 年ハーバード大学
リサーチとデザイン
の GSD で ア ー バ ン リ サ ー チ で あ る そ の 名 も
コールハースはリサーチとデザインを慎重に区別
「HARVARD PROJECT ON THE CITY」をはじめた。基
している。上記プロジェクトオンザシティもリサ
本的に毎期異なったテーマを決めてリサーチが行
ーチのみでプロジェクトが提案されているものは
われ、終わると Taschen から書籍を出版している。
ない。(たとえば、MVRDV はリサーチのあと、得ら
「Great Leap Forward」は中国、広州の珠江三角
れたデータや成果を使って建築や都市をデザイン
州の研究、「Guide to Shopping」は商業(と)建
する。)
築の研究であり、「Logos Wide & Close」はナイジ
都市プロジェクトが新しい建築デザインやフォル
ェリアの首都ラゴスの研究である。他にも出版は
ムに直接貢献することを期待する人が大勢います
されていないがヒューストン、モスクワ、北京、
が、このプロジェクトが貴重なのはまさにそうい
各地でリサーチを実施している。
う願望を寄せ付けないことにあると思います。
ジェフリーイナバ
コールハースは、リサーチ自体がある主観もの
の見方を提示しおり、すでにデザイン行為と認識
「Great Leap Forward」
「Guide to Shopping」
「Logos
しているように見える。ただ、視点を提供すると
Wide & Close」
いうこと。都市には手出し無用と考えているのか
われわれの仕事は事実から出発しますが、都市の
もしれない。
本質や形態、あるいは設計対象の背景にたいして
巨大さは、都市を「確定的なものの総和」から「神
主観的に解釈することのほうが大事なのです。
秘の集積」へと変貌させる。都市はもう「外見と
ジェフリーイナバ
見た目が同じ」ではなくなるのだ。サイズが大き
くなるだけで、建築は善悪を超えた、道徳とは無
リサーチは基本的に徹底的に観察することから
縁の領域に突入する。
コールハース
始まる。古典的な方法をとる場合もあるし、リア
リティに近づくためにあえて観光用の資料を採用
したりもする。そして彼のリサーチは描写するに
組織
とどまらない。たとえば、ナイジェリアの首都ラ
OMA / AMO という二分法は、ひとつのプロセスに対
ゴスのリサーチがある。ラゴスは一般的にインフ
してふたつのアイコンがクリックできる状態を生
ラの整備もままならない、機能不全に陥ったひど
じさせる。
い状況の都市である。しかし「Logos Wide & Close」
ブルース・スターリング
ではこれともまったく違うものになる。ラゴスは
濾過のプロセスや分類再配分のプロセスが機能し
た都市として描き出された。最終的にあり得るオ
コールハースは、OMA および AMO の代表である。
OMA はオフィス フォア メトロポリタン アーキテ
クチャーの略でいわゆる建築設計事務所である。
Nouveau)という雑誌をやっていた。その中でコル
AMO は建築や都市計画を越えた、社会や文化の領域
ビジェは自らの主張を展開。装飾芸術を非難し、
を探究している。AMO はハーバード大学の GSD での
「建築は住むための機械である」と提唱したもの
リサーチメンバーがそのまま所員として、設立さ
本誌の中である。この雑誌は決定的に同業者に向
れた。AMO は OMA の建築設計にはじめからコラボレ
けられたものである。
ーションすることもあるし、ある部分だけかかわ
ることもあるし、まったくかかわらないこともあ
■MVRDV(1991-)
るようだ。そのプロジェクトごとにコールハース
方法
が OMA と AMO(と各分野のコラボレーター)から組
都市(あるいは建築)は情報によって描写される
織構成をデザインしてプロジェクトが進められる
ことを欲する。トポグラフィ、イデオロギー、リ
という、フレキシブルな関係を保っている。
プレゼンテーション、コンテクストのいずれによ
ってでもない。ただ膨大な純粋なデータによって
のみである。
メディア
ヴェニー・マース
コールハースは、最新のテクノロジーとビジネ
スを専門に扱う『ワイヤード』誌の 2003 年 6 月号
のゲスト・エディターを務めた。また「VOLUME」
マトリックスは、単なる妄想めいたハリウッドの
という雑誌が 2005 年 6 月から
SF 脚本かもしれない。しかし MVRDV は同じデータ
隔週で出されている。これは
の雨を見ている。
AMO と C̶LAB (コロンビア大
アーロン・ベツキー
学)によるもので、建築・政
WIRED 2003 年 6 月
治・経済・文化等、カラフル
このような視点から眺める建築や都市、これが
でユーモアを交えた紙面と
MVRDV の手法「データスケープ」である。MVRDV は
なっており、建築専門でな
建築を設計するさいに敷地に働く力、建築法規や、
くても十分読める内容でもある。しかし、建築関
プログラムをデータに置き換え操作し面白い形態
係者には見逃せない挑発的なマニフェストも紛れ
を作る方法として、データスケープをみることが
込んでいる。
「デザイナーはできるだけ何もするべ
できる。これらのプロセスを「VPRO スタジオ」や
きではない」
「建築家は無責任にならなけれならな
ユトレヒトの「Villa KBWW」、アムステルダムの
い、はじめから責任等もてないのだから」等。
集 合 住 宅 「 WoZoCos 」 等 で 見 る こ と が で き る 。
コルビジェは「エスプリ・ヌーヴォー」
(L'esprit
VOLUME no 5
VOLUME no 7
Amsterdam,
MVRDV,
「WoZoCos」では現在は規制緩和されてなくなった
夫妻による「パワーズオブテン」*1のように自
過去の都市計画法で定められていた壁面ラインを
然にスケールを越える。
採用しつつ、要求を満たすようにボリュームを飛
*1「powers of ten」1968年チャールズ&レイイームズが
び出させた。このようにデータスケープは、デザ
IBM のために作成したショートムービー。ウェブで検索す
インを主に発生させる交渉の過程を導入されてい
れば、YouTube などで見られる。
たとえば、
「データタウン」は 400 ㌔×400 ㌔、
た。
建築的なスケールではじめたこの方法は、やが
100 万人が自給自足できるキューブ「3Dシティ」
て都市に応用されることになる。都市を扱うため
は?㌔×?㌔×?㌔、資源の最適配置を目指した
に彼らは統計データを利用した。統計データのよ
「Hyperoptimizedworld(高度に最適化された世
うな数値データをヴリュームに置き換える。これ
界)」や、GDPが均等な世界「Free migration
らを編集するように操作することで建築や都市の
world(自由移民世界)」の舞台は地球全体であり、
形態を編み出していく。
あるいは「スペースシティ」のシリーズは地上か
ら3万8千㌔メートルの距離のところにある。か
ハイパースケール
つてコルビジェのモデュロールは建築と身体とを
グローバリゼーションの時代とスケールの拡大に
結びつけた。一方 MVRDV のグローバルなのスケー
よって、(空間の単位において)定義のアップデ
ル感は、建築と大きな世界を結びつける。メート
イトが必要とされるように思う。メートルはキロ
ルとは「地球の北極から赤道までの子午線の長さ
メートルへ、M3(立方メートル)は KM3(立方キロ
の 1000 万分の 1」であるということを思い出させ
メートル)へ、キャパシティの逸脱。
る。
ヴェニー・マース
MVRDV, FARMAX MVRDV,KM3
これは 2005 年に出版された MVRDV の 1415 ペー
MVRDV, Datatown
ジに及ぶ書籍のカバーに記された宣言である。本
書のタイトルを「KM3」という。その 5 年前に出版
シミュレーション
された「FARMAX」も極大を意味し、とりわけレム・
これらのプロジェクトは、実際に建つような代物
コールハースの「S M LXL」の XL よりも大きいこ
ではない。かといってユートピア的なものでもな
とを意識している。それらもわかるよう彼らの関
い。ヴァーチャルの領域で建築の可能性を模索し
心は、第一にスケールである。あるいは「量」と
ている、いわば、空間の大規模なシミュレーショ
いってもいい。彼らのプロジェクトは、イームズ
ンである。KM3 は仮説であり、理論上の都市であ
り、可能性の都市の理論である。
ヴェニー・マース
スケールでドローイングを描いたが、MVRDV の武
器はドローイングだけではない。大きなスケール
の取り組みにおいて MVRDV がよく使うツールに、
統計学的方法(とりわけ外挿)と GIS がある。外
挿とは、ある既知の数値データをもとにして、そ
のデータの範囲の外側で予想される数値を求める
ことである。MVRDV は今ある世界の統計データか
ら世界のオルタナティブ、新しい空間のシナリオ
を設計する。一方 GIS(地理情報システム)とは、
コンピューター上の地図に付加情報を持たせるシ
MVRDV, Free migration world
ステムで、土地、道路の管理や、科学的調査、馴
染み深いところではグーグルマップなどに応用さ
れている。MVRDV は一連のグローバルなプロジェ
クトにおいて、GIS の方法を使って、(世界)地
図をあたかも建築図面の拡張のように操り、プロ
ジェクトの情報媒体にする。ご覧のように前出の
「 Hyperoptimized world 」 や 「 Free migration
world」は建築的な図面ではなく、最終的に地図が
情報媒体となっている。
MVRDV, Hyperoptimized world
ソフトウエア
コラボレーション
建築とアーバニズムは今、複雑性の増加に直面
この果てしないスケールでの仕事は、建築以外
している。より多くの参加者、テクノロジー、よ
の領域を横断せざるをえない。ランドスケープ、
り多くの専門家、より多くの課題、地域、マテリ
インフラ、地域、国家などの領域、あるいは環境、
アル。スケールと数の純粋な拡大がある。より広
エネルギー、資源、食糧、経済、など複数の分野
いパースペクティブにこの規律を置こうという野
に跨る。MVRDV はマルチタレントなわけではない。
心は、さらなる複雑性を作り出し、終わりなき調
必然的にコラボレーターが存在する。デルフト工
整に時間を費やし、決定者の数を増加させる。ど
科大学、ベルラーヘデザイン大学においてリサー
うやってこのことをナビゲートし、大小のスケー
チや都市プロジェクトを行っているほか、交通エ
ル、コンセプトと実現、テクノロジーと形態、経
ンジニア、情報系アーティストや環境研究機関、
済と希望のギャップを埋めるのか?この領域の開
NASA、cThrough(ソフトウエア開発)が挙げられ
発を可能するための仕組みを作ることはできるの
る。
か?このことに対する道具としてヴァーチャルの
領域は役に立つ。このテクノロジーは、膨大なデ
ツール
60 年代、建築家は都市に立ち向かうとき壮大な
ータを操り、整然と複雑性を明らかにできる。つ
まり、それは知識をみつけ、アップデイトし、情
報を蓄え、データベースに関連させ、類似を発展
■何を乗り越えようとしているのか
させ、選択肢を提示し、発展を予測し、新しい方
向性に思いをめぐらす。それは新しい集合―新し
描写
⇒
編集
い公共領域―を作り出すだろう。 ヴェニー・マー
ユニバーサル
⇒
オルタナティブ
ス MVRDV は cThought とともに、プランニングの
ための情報収集および情報処理のためのソフトウ
リサーチはモダニズムの「建築に対するエゴ」
エアを研究してきた。これらのもデータスケープ
への批判としてある。つまりアカデミズム→ポピ
という考え方の延長線上にある。
ュリズムという流れを汲む。
「ラスベガス」のヴェ
都市を構成する要素がパラメーター化され、そ
ンチューリは、
「既存の環境に学ぶことは革命的で
のパラメーターを操作することで都市像得られる
ある」といった。しかしコールハースも MVRDV も
というものだ。それだけでなくインフラ、ハウジ
そういうふうにリサーチを見ていない。ヴェンチ
ングや、機能の組み合わせあるいは食料や資源、
ューリのリサーチが「描写」ならば、コールハー
エネルギーの配分、またある特定の地域に特化し
スや MVRDV のリサーチは「編集」である。彼らに
たプラグインが準備され、利用できる GIS データ
とって、リサーチとは、都市というソースを使っ
や都市計画に関する歴史を含むあらゆる知識がア
て、我々の知らない都市をデザインする術である。
ーカイブとして利用できる。これは複雑に要求が
計画するということで都市は変えられない、
「計画
絡み合った都市計画の調停を助け、都市計画に参
ではいかなる秩序ももたらさない」とコールハー
加する人たちの媒介となり、都市計画の負担を減
スは言う。コールハースのリサーチは、都市に徹
らす道具である。またヴィニーマースはこうも言
底的にオルタナティブな視点を持ち込み、都市を
っている。このソフトウエアは専門家と市民のコ
何一つ計画することなく都市を別のパッケージに
ミュニケーターとしても役立つ、そしてプランニ
包み込む。都市から得た膨大な資料とデータを編
ングは専門家によってのみ成されるわけではなく、
集しなおし、極めて理論的に別のリアリティをデ
終わりなきそして容易な、みんな都市計画者にな
ザインしなおす。当然ここで示された視点は唯一
る!
正しいものなどとは考えていない。たくさんある
ェニー・マース
うちの視点のうちの一番挑発的なそれを一つ提示
しているだけである。リサーチそのものが、建築
と同様、彼のメディアである。MVRDV はさらに最大
化や最適化というキーワードで、都市を編集しな
おす。あるいは「もし人口が 2 倍に増えたら」等
MVRDV,OptiMixer
MVRDV, Functionmixer 16.0
の仮のもと、さらに多くのオルタナティブをしめ
す。