イタリア アルベロベッロの 家

INFORMATION
The Little World Museum of Man
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しゅう
おもや
ちくしゃ
ちめい
こうがい
ふくげ ん
く
いさん
かじゅ
ゆらい
なまえ
うつく
き
い
み
げんざい
きゅうりょうちたい
う 意味です。 現在はゆるやかな 丘陵地帯 にオリーブやブドウ、アー
はたけ
かし
もり
モンドなどの 畑 がひろがっていますが、かつては 樫の 森であったた
そだ
風土のもと、ウシを 飼いながらオリーブなどの 果樹を 育て
のうか
せかい
した
ちちゅうかいせい きこう
か
う
“アルベロベッロ”という 舌をかみそうな 名前は、「 美 しい 木」とい
農家をモデルに 母屋、畜舎などを 復元 し、地中海性 気候の
ふ うど
だつぜい
【地名の由来】
イ タ リ ア 半島 南部 、 プ ー リ ア 州 ア ル ベ ロ ベ ッ ロ 郊外 の
の うか
す
歴史と 住まい: 脱税が 生んだ 世界 遺産
イタリア アルベロベッロの家
はんとう なんぶ
The Little World Museum of Man
れきし
いえ
うつく
じゅもく
もり
よ
め「 美 しい 樹木のある 森」と 呼ばれていました。
さいげん
る 農家の 暮らしを 再現しています。
ねんまえ
【500年前】
うつく
もり
かいこん
はたけ
いま
しゅうらく
そんな 美 しい 森を 開墾し 畑 をひろげ、 今のアルベロベッロに 集落
ねん
むかし
ができたのは、およそ 500年ほど 昔 です。
おう
りょうしゅ
【王さまと 領主 】
ころ
りょうど
にんめい
しはい
この 頃、ここはある王さまの 領土で、王さまに 任命された領主が 支配
あた
じゅうみん
しんちく
いえ
ほうこく
ぜいきん
おさ
しており、王さまは、新しい 住民 や新築の家を報告して税金を納めろ
めいれい
いえ
けんすう
ぜいきん
きんがく
き
と領主に 命令していました。家の 軒数で 税金の 金額を 決めていたので
す。
だつぜい
【 脱税 】
わる
かんが
ここんとうざい
悪いことを 考 える人は 古今東西どこにでもいるようで、このアルベ
めいれい
そむ
ぜいきん
のが
ほうさく
おも
ロベッロの領主は、王さまの 命令に背 き 税金を 逃れる 方策を 思いつき
いえ
かず
ぜいきん
き
いえ
かず
へ
いえ
ました。
“ 家の 数で 税金が 決まるのなら、家の 数を 減らせばいい、家
こわ
つく
なん
らんぼう
おも
のうみん
をいつでも 壊せるように 造ればいい。”何とも 乱暴な 思いつきで、農民
つく
す
たちはトゥルッリを 造らされ、 住まわされたのです。
せかいいさん
【世界遺産】
じゅんすい
いしづく
つか
いえ
おう
でんとうてき
かおく
ぼうし
や
ね
や
ね
ひら
いし
つ
あ
や
かおく
よ
ゆか
や
ね
いし
つく
ざいりょう
きんこう
やくにん
ふ
つく
あ
から づ
いえ
い
しさつ
や
ね
こわ
す
なお
かんたん
かんたん
じゅうみん
たいへん
くえき
せいき まつ
つづ
れきだいりょうしゅ
とっては 大変な 苦役でした。しかし、18世紀 末まで 続いた 歴代領主
かべ
いくつか 持つ家屋をトゥルッリと呼びます。トゥルッリは、床、壁、
てんじょう
つ
ことができ、 造り 直すことも 簡単でした。 簡単とはいっても 住民 に
ね
特徴 です。屋根は 平たい 石を 積み 上げてつくり、このような 屋根を
も
いし
王さまの 役人が 不意に 視察にきても、すぐに 屋根を 壊してやり 過ごす
も
アルベロベッロの伝統的な家屋は、とんがり帽子の屋根を持つことが
とくちょう
たん
セメントなどを使わずに単に石を積み上げただけ(空積み)の家ならば、
【 純粋 な石造りの家】
だつぜい こうい
づく
ぎじゅつ
しんぽ
の 脱税 行為のもと、トゥルッリ 造りの 技術は 進歩しました。トゥルッ
と
天井 、屋根すべてを石で造ります。材料 は、アルベロベッロ近郊で採
まち
う
はってん
こんにち
じんるい きょうつう
ぶんか
リの 街アルベロベッロが 生まれ、発展 し、今日では 人類 共通 の 文化と
せっかいがん
せかいいさん
れる石灰岩です。
してい
してユネスコの 世界遺産にも 指定されています。
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