平成21年度同窓会ニュース(第34号)

名城同窓会ニュース No.34
[1]
発行者
武村
學
名城大学附属高等学校同窓会 〒453-0031 名古屋市中村区新富町1-3-16 TEL〈052〉481-7436
目次
軟式野球部が快挙!
第54回全国高等学校
軟式野球選手権大会にて
初出場・準優勝
同窓会長あいさつ
◆トピックス(行事)
文化祭2009
今年のテーマは「君の瞳にレボリューション」
「Yes we can!」
各競技で熱戦−名城オリンピック−
◆トピックス(教育)
君も取組もう!−世界初の実験開発−
SSH高大連携講座を実施
有馬先生を招きSSH公開サロンを実施
第4回SSH東海地区フェスタ2009を開催
〜生命とは…? 附属高生、生命について考える〜
福岡伸一教授による高大連携講座を開催
◆地域で活躍
地域一斉清掃活動を実施
庄内川アダプトグループによる収穫祭を実施
トワイライトスクールの児童とスポーツ交流
留学生とソーラン節で交流
−「ワールドコラボフェスタ2009」に参加−
私たちができる国際貢献とは?
−3S1による再生チョーク寄贈プロジェクト−
◆部活動報告
第54回全国高等学校軟式野球選手権大会準優勝
勝ち上がりのすべて
1.軟式野球部
2.ウエイトリフティング部
3.自転車競技部
4.男子バレーボール部
5.レスリング部
6.スキー部
7.チアリーディング部
8.ダンス部
第54回全国高等学校軟式野球選手権大会準優勝の軟式野球部選手・部員
2
3
4
5
6
7
8
10
11
12
13
14
名城同窓会ニュース No.34
平成22年3月1日[2]
名城大学附属高等学校同窓会
会長
武
村
學
名城同窓会ニュースの発行にあたり、ごあいさつ申し上げます。今年度新しく同窓会
に入会されました卒業生の皆様、ご卒業おめでとうございます。進学されます皆様、新しい
学びの場では、学問のみばかりではなく、多くの人達との出会いを大切にしてください。
就職される皆様、名城大学附属高等学校卒業生としての誇りを胸に、大きな希望を持って
社会でますます活躍されますことを期待いたします。
今年は、在校生の各クラブの素晴らしい活躍がありました。多くのクラブが全国大会に
出場され、輝かしい成績を残しています。中でも、軟式野球部は全国高等学校軟式野球
選手権大会において、準優勝という素晴らしい成績でした。高校野球史上初の完全試合達
成という快挙を成し遂げ、大きくメディアにも取り上げられました。私達卒業生も、我が事
のように喜んでおります。今後も益々の活躍を期待しております。
さて、同窓会として色々な場面で母校に貢献してまいりました。在校生には生徒会への
援助、高校総体・国体出場の際の激励金給付等を毎年行っております。
また、記念事業として、今年8月完成予定の新しい体育館に、同窓会より舞台の緞帳を寄贈
することになりました。名城大学附属高等学校の教育方針である「知・徳・体」とスポーツ
をする生徒の躍動感・エネルギッシュを表現したデザインを取り入れていただき、また、
スーパーサイエンスハイスクール指定校としての科学的なイメージもデザインに取り込ま
れています。
今後も同窓会役員一同頑張りますので、会員の皆様のお力添えを賜りますようよろしく
お願い申し上げます。
トピックス(行事)
名城同窓会ニュース No.34
平成22年3月1日[3]
文化祭2009 − 今年のテーマは「君の瞳にレボリューション」
本校では、9月18日に芸術鑑賞会、20日に文化祭が開催されました。
18日の芸術鑑賞会では、若手お笑い芸人4組(サイクロンZ、ゴー☆ジャス、超新塾、インスタントジョンソン)
による舞台鑑賞を行いました。普段テレビで見ている芸人さんが登場するとともに生徒からは大きな歓声が上がり、
舞台上で繰り広げられる各組の話術・パフォーマンスに加え、舞台に上がった生徒を交えたやりとりに体育館は
終始笑いの渦に包まれていました。
▲ 模擬店は生徒で賑わいました
▲ 茶華道部員もマスクを着用してのおもてなし
20日の文化祭は、校内での新型インフルエ
ンザ発生により、残念ながら外来者の招待を
取りやめ、本校内の関係者のみで行なわれま
した。今年は、相手の瞳に革命を起こすよう
なパフォーマンスをするというテーマ「君の
瞳にレボリューション」のもと、1・2年生を
中心としたクラス発表や各部活動・委員会の
活動展示、第二体育館では、ダンス部やチア
リーディング部等の演技が披露されました。
生徒達は、この日に向けて準備をしてきた作
品に見入ったり、熱のこもった演技に魅せら
れていました。
また、2号館前にはPTA
による「みたらし」の他、
各クラスの模擬店が立ち並
び、買い求める多くの生徒
の姿が見られました。
最後は充実した顔をした生
徒が集まった1号館エントラ
ンスにて、恒例の大合唱(今
年は「遥か」)によりフィナ
ーレを迎え、それぞれの生徒
の心に深く残る文化祭となり
ました。
▲ 演技・演奏を披露しました
「Yes we can!」各競技で熱戦
▲ 外来者へ案内掲示が出されました。
▲ グランドフィナーレの大合唱
−名城オリンピック−
6月10日〜12日に本校で、球技大会と体育祭にあたる名城オリンピ
ックが行われました。
スローガン「Yes we can!」のもと、クラス対抗による球技(ミニ
サッカー、ソフトバレー
)、陸上競技、長縄跳び
の各競技において、生徒
・教員による熱のこもった
声援を受けながら、各試合
とも熱戦が繰り広げられ
ました。
▲ クラスの声援を背にがんばりました
終了後には、日頃の練
習成果を発揮してどの生
徒も充実した顔をしてい
ました。一つの目標に向けて一体となり取り組んだ名城オリンピッ
クは、学校生活において何事にも代え難い貴重な思い出となりまし
▲ 教員チームとデッドヒート!
た。
トピックス(教育)
名城同窓会ニュース No.34
平成22年3月1日[4]
君も取組もう!─世界初の実験開発〜SSH高大連携講座を実施〜
6月2日、本校で文部科学省SSH(スーパーサイエンスハイスクール)
の一環として、滝川洋二東京大学特任教授を迎え、全校生徒を対象に
第1回高大連携講座が開催されました。講師の滝川先生は、NPO法人ガ
リレオ工房の理事長として、幅広い世代の人たちが楽しめる科学の実
験教室等を各地で開催している他、TVドラマ「ガリレオ」、映画「容
疑者Xの献身」の実験監修を行うなど、各方面で活躍しています。
今回の講座では、「君も取組もう!─世界初の実験開発」と題して、
ドラマや映画の中で取り上げたガウス加速器を使った運動量保存の法
則や光の屈折等、数々の科学の法則を盛り込んだ興味深い実験が繰り
▲ 実演を行う滝川洋二東京大学特任教授
広げられ、不思議な科学現象に驚きの声が幾度となく上がりました。
滝川先生からは、「限界になって止めては普通。 限界はチャンス と思う人こそ新しい発見ができる」など、楽し
みながら 世界初の実験を開発するコツ が生徒に伝えられると同時に、
次世代を担う高校生に 科学を通した社会貢献 をして欲しいと願う先
生の熱意に溢れる内容となりました。
その後、希望者(約50名)と滝川先生との実験交流会も行われ、スト
ローに発生させた静電気を利用し、ビニールテープを空中に浮かせる実
験が行われました。
最後にこの実験を通して、誰もやったことのない工夫に取り組む好奇
心と探究心を持ち、日本の社会を変える原動力になっていって欲しいと
▲ 実験交流会の様子
のメッセージが送られ、生徒たちは真剣に聞き入っていました。
有馬先生を招きSSH公開サロンを実施
6月7日、名城大学名駅サテライトで、日本科学技術振興財団会
長で、元文部大臣、元東大総長の有馬朗人先生を講師に招き、ス
ーパーサイエンスハイスクール(SSH)公開サロン「電気と磁
気〜静電気から発電まで」を開催しました。
本学では飛び級入学の学生たちが、教員や外部参加者らと自由
に議論をしながら、人間関係の構築やコミュニケーション能力を
養う「土曜サロン」を開催していますが、附属高校でもSSHに
指定された2006年度から、四方義啓SSHアドバイザーの指導で
サロン的学習に取り組んでいます。
公開サロンには附属高校SSHクラスの生徒や他校の高校生を
▲ 生徒たちを前に講義を行う有馬朗人先生
含め約30人が参加。有馬先生は「科学の楽しさ」について講義し、
日本人3人が受賞した昨年のノーベル物理学賞のキーワードとなった「対称性の破れ」について解説し、「どんな
難しい問題でも、解いてやろういう志を持てば必ず解決しますよ」と語りかけました。講義に続いて有馬先生は、
静電気が発見されて以降、日常生活で電気が利用されるまでの歴史について、わかりやすい実験を通して紹介。生
徒たちは奥深い科学の世界に魅了された様子でした。
トピックス(教育)
名城同窓会ニュース No.34
平成22年3月1日[5]
第4回SSH東海地区フェスタ2009を開催
東海地方のスーパーサイエンスハイスクール(SSH)指定高校
が日頃の研究成果を発表し、交流を深める「第4回SSH東海地区
フェスタ2009」(本学附属高校主催)が7月18日、約400人が参加し
て天白キャンパスで開催されました。
参加したのは東海4県下の指定高校13校のうち本学附属高校や初
参加の時習館高校を含めた12校。午前中の事例発表分科会では、11
校が口頭発表を行いました。午後のパネルセッションでは、9校が
パネルや実験装置を展示・発表し、各校ブース前では参加生徒たち
が活発に質問や意見交換をしながら交流を深めました。また、事例
発表分科会の審査で選ばれた優秀校(本学附属、一宮、恵那)が名
城ホールで代表発表を行い、参加者400人を前にして堂々と口頭発
表を行いました。
▲ 参加者の前で発表を行いました
最後にグラン亭で、表彰式と参加生徒たちの交流会が行われまし
た。表彰式では、
事例発表で「オオカマキリの捕獲行動の研究」を発表した本学附属
高校と「高濃度デンプン溶液のダイラタンシー性と固化現象の研究
」を発表した一宮高校、「バイオエタノール生成法の確立」を発表し
た恵那高校の3校に優秀賞が、他の8校にも奨励賞が贈られました。
また、パネルセッション特別賞が向陽、恵那、磐田南の3校に贈ら
れました。
参加生徒たちの発表を審査した下山宏学長からは、参加生徒たち
に対して「SSHフェスタも会を重ねるごとに内容が濃いものにな
ってきており、今後も正しい科学技術の発展に向け、また、これか
らの皆さんが地球を支える大きな力となるよう一層の成長を望みま
す」と激励の言葉が送られました。
▲ 本校のブース説明の様子
〜生命とは…? 附属高生、生命について考える〜
福岡伸一教授による高大連携講座を開催
11月9日、附属高校でSSH(スーパーサイエンスハイスクー
ル)事業の一環として、全校生徒を対象に第7回高大連携講座
が開催されました。今回は、青山学院大学の福岡伸一教授を講
師に迎え、「生きることと食べること」というテーマで講義が
行われました。
福岡教授は、脳細胞を守る分子環境の解析や、狂牛病の感
染・発症のメカニズムの研究で知られる生物学者であり、ま
た『生物と無生物のあいだ』や『生命と食』などの著書で知
られる大ベストセラー作家でもあります。
講義では、私たちの身体を分子レベルで観察すると、身体を構
成しているあらゆる分子は日々高速で分解され、食物として摂
取した分子と置き換えられ、つねに更新され続けているとし、
生命は「絶え間なく流れながら、精妙なバランスを保っている
(「動的な平衡」という状態である)」と解説しました。
また、「狂牛病」に関する解説もあり、生徒たちは人間が
▲ 福岡伸一青山学院大学教授による講演の様子
「狂牛病」を作り出してしまったことに驚き、身近な食の問
題から 生きること について考えさせられたようでした。
最後に「自然」「環境」「生命」について、そこで生じる現象を解くキーワードは『動的な平衡』であるこ
とを解説し、また、そのことについて考える時、時間という軸を忘れてはならないこと、部分的思考に陥っては
ならないことなどの注意点を語り、これらはすべての研究をおこなうときに大切な要素であることを指摘し、講
義を締めくくりました。
今回は、少し哲学的な講義となりましたが、受講後のアンケートでは、多くの生徒が「生命に対する価値観
が変わった」と感じており、科学の面から生命を考えるよい機会になったようでした。
地域で活躍
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平成22年3月1日[6]
地域一斉清掃活動を実施
3年総合学科人間コミュニケーション系列(3S2)で
は、生徒の活動企画をもとに地域交流を進める授業
「人間関係Ⅱ」の活動の一つとして、庄内川河川敷の
管理と環境保全を目指す国土交通省の事業である庄内
川アダプトに参画し、花づくりとサツマイモの栽培、
収穫祭を通して地元の方との交流を図りつつ地域の美
化活動に取り組んでいます。
その活動の一環として、8月29日に庄内川アダプト
グループ9人が中心となり企画をした地域一斉清掃活
動を実施しました。当日は、回覧等の広報により活動
▲ 地域住民の方と清掃活動を行う生徒たち
を知った地域住民15人とともに、学校の近くを流れる
惣兵衛川周辺の清掃活動に汗を流しました。今回の交
流を通して、地域住民の方に庄内川アダプト活動について広く知っていただく良い機会となりました。
地域で活躍
庄内川アダプトグループによる収穫祭を実施
3年総合学科人間コミュニケーション系列(3S2)では
、生徒の活動企画をもとに地域交流を進める授業「人間
関係Ⅱ」を5つのグループに分かれ活動しています。そ
の中の1つのグループである「庄内川アダプト」は国土
交通省主催の事業で、4年前から附属高校も参加し、活
動の趣旨である地域の美化に取り組んでいます。生徒た
ちは地域美化のためにはその土地の人たちが地域を愛す
ることが必要だと考え、地域一斉清掃や土地の利用を企
画し、活動の一環として、これまでに夏休み中に地域一
斉清掃を行いました。
今回は集大成として、10月17日に河川敷で春から大切
に育ててきたサツマイモの収穫祭を実施しました。当日
▲ 収穫後、参加した地域住民の方とともに
は、庄内川アダプトグループ9人が地域住民約10人ととも
ににぎやかに収穫を行い、大きく育ったサツマイモを掘り出すたびに歓声があがりました。収穫されたサツマイモは
その場でポテトフライなどに調理して振舞われ、これまでの活動を振り返りながら地域住民との交流を深めました。
地域で活躍
名城同窓会ニュース No.34
平成22年3月1日[7]
トワイライトスクールの児童とスポーツ交流
▲ 児童との交流活動を行う生徒たち
3年総合学科人間コミュニケーション系列(3S2)の活動の一環で、
女子9人が、春から月に2回ほど、トワイライトスクールの児童とスポ
ーツを通じて交流活動を続けてきました。
今回は、活動の集大成として10月31日に生徒たちの企画による運動
会を開催しました。
当日は天気にも恵まれ、トワイライトスクールの児童とその保護者
約50人の参加者が、太陽の下、障害物競走、尻尾とりゲーム、リレー、
ドッジボールの各競技に汗を流しました。ドッジボールでは本気でボー
ルを投げ合うお父さんの姿も見られ、会場は大いに盛り上がりました。
最後に、生徒たち手作りのクッキーが児童に配られ運動会は終了と
なりましたが、児童たちに多くの笑顔を与えてきたこの交流活動を通
して、貴重な経験を得たと思います。
※「トワイライトスクール」は放課後などに学校施設を活用して、子どもたちの異学年交流や地域での世代間交流などを
図る、名古屋市の学校開放事業です。
留学生とソーラン節で交流 −「ワールドコラボフェスタ2009」に参加−
3年総合学科人間コミュニケーション系列(3S2)の活動の一環で、留学
生との交流活動を行っています。
今春より始まったこの活動は、これまでに本校生徒11人が名古屋外
国語大学と名城大学に出向き、両大学の留学生に「ソーラン節」の踊
りを教えることを通して交流を行ってきました。
今回は、交流活動の最後のイベントとして、10月24日に栄のオアシス
21で開催された「ワールドコラボフェスタ2009」にて舞台発表しました
。当日はソーラン節を通じて交流を深めてきた留学生2人とともに力強
い踊りを披露し、会場の観客をわかせていました。これまでの活動を
通して、生徒たちは国際交流を肌で感じ、貴重な体験をしました。
▲ 留学生とともに舞台発表を行う生徒たち
私たちができる国際貢献とは?−3S1による再生チョーク寄贈プロジェクト−
平成21年11月13日、グローバルコミュニケーションクラス(3S1)の
コミュニケーションⅡの授業で、再生チョークの作製が行われました。
この取組は、廃棄予定のチョークを原料とした生徒手作りの再生チョ
ークを、海外の恵まれない国々の教育を支援するNPO団体を通じてガー
ナ共和国のプアルグ村の学校に寄贈するもので、授業の中で国際文化・
国際交流を学び、その先にある「他国への貢献」を具現化する実践的な
取組の一環です。取組内容の決定にあたっては、クラス全員がそれぞれ
実践可能な国際貢献のアイディアをプレゼンテーションした上で、優秀
な事例をクラス内投票で決めました。
生徒たちは、この日のために世界の国々の教育の現状をインター
ネットや国際協力機構(JICA)への訪問等を通じてリサーチし、寄贈
先、作製手順などの準備を進めてきました。
▲ 再生チョーク作製 ! みんながんばりました。
そして、再生チョーク作製当日、この日までに高校内で集めた使用
済のチョークを砕いて、再加工し、新品に再生した手作りチョークをみんなで作りました。
この企画を中心になって進めてきた吉田織恵さんは、「遠くアフリカの子供たちが喜ぶ姿を想像しながら頑張
ってきました。この授業を通して、私たちでもできる国際貢献を実践することの必要性、重要性を学ぶことがで
きました」と述べるなど、生徒たちにとっても貴重な経験となったようでした。
部活動報告
名城同窓会ニュース No.34
平成22年3月1日[8]
全 国 大 会 に 出 場 し た 部 活 動 報 告
第54回全国高等学校軟式野球選手権大会準優勝 勝ち上がりのすべて
軟式野球部
準優勝
1 3
4 2
3 2
7 0
3 0
3 0
12 0
4 0
2 0
3 0
1回戦
3回戦
2回戦
6回戦
5回戦
4回戦
7回戦
準決勝
準々決勝
8回戦
決勝
顧問
伊勢田
敬
作新学院(栃木県)
東山(京都府)
秋田商業(秋田県)
初芝富田林(大阪府)
静岡商業(静岡県)
多治見工業(岐阜県)
浜松商業(静岡県)
中京大中京
愛工大名電
名古屋市工業
シード
名城大附
同窓会・教職員・保護者・高等学校野球連盟など多くの方々からのご声援、またご支援をいただき、本当にありがとうございました。
また、選手権大会の全国大会が行われた兵庫県の明石球場・高砂球場、新潟県村上市で行われた国民体育大会に、多くの方々が足を
運んでいただき、本当にありがとうございました。また、このような執筆の機会を与えていただき、本当に感謝しております。
今一度、愛知県大会の2回戦にあたる初戦からの戦いぶりを振り返ってみたいと思います。
2回戦
名
城
名市工
0 0 0 0 0 0 3 0 0
0 0 0 0 0 0 0 0 0
3
0
投手:小林(5回)
・佐野(4回)− 捕手:早川
初回からほとんどチャンスらしいチャンスもなく、小林が無失点で抑え、佐野にスイッチした直後の6回裏に0アウト満塁の大
ピンチ。内野ゴロ・三振・内野フライで切り抜けることができ、そこから名城の快進撃が始まったような・・。その次の回に、
エラーがらみで得点し、それが試合の中で唯一のチャンスであった。
3回戦
名
城
名
電
2 0 0 0 0 0 0 0 0
0 0 0 0 0 0 0 0 0
2
0
投手:小林(9回)− 捕手:早川
大苦戦が予想された試合であったが、相手チームのエースが先発せず、控え投手が先発。その初回の立ち上がりを攻めて、内野安打
・タイムリーで2点先取。守備面に関しては、ほとんどピンチらしいピンチがなく、二回以降は一進一退の緊迫した試合で終了した。
4回戦
名
城
中
京
中
京
名
城
0 0 0 0 0
0 0 0 0 0
0 0 0 0 0 0 0 0 0
0 2 0 1 0 0 1 0 ×
(6回途中で雨天コールドゲーム)
投手:小林(5回)− 捕手:早川
0
4
(翌日の再試合)
投手:小林(9回)− 捕手:早川
春季大会準決勝で敗退したチームだったため、気合の入った試合であったが、雨天でコールドゲーム。翌日再試合となった。
グランド状況が悪い中、相手投手が足元を気にしながらの投球で、四死球に助けられる。先制・中押し・駄目押しと理想的な展
開で、愛知県代表として2年ぶり6回目の東海地区大会へ進出を決めた。
部活動報告
名城同窓会ニュース No.34
平成22年3月1日[9]
5回戦
名
城
浜松商
0 0 1 8 3
0 0 0 0 0
12
0
(5回コールド)
投手:小林(5回)− 捕手:早川
初回に1アウト2・3塁のピンチで、ライトの柿下がファインプレー。東海大会出場に少々浮き足立っていたチームを危機から救っ
た。3回に初めてのチャンスで、9番バッター小林のポトリと落ちるタイムリーヒットで先制。その後、急に相手投手が乱調となり、
一挙8点。試合を決めた。
6回戦
名
城
多
工
0 2 0 1 0 0 0 0 0
0 0 0 0 0 0 0 0 0
3
0
投手:小林(9回)− 捕手:早川
岐阜県大会全試合を無失点に抑えた好投手率いる多治見工業戦では、投手戦が予想されていた。ヒットは出なくとも、四死球、
盗塁などを絡めながら、序盤に加点し、試合を優勢に進めた。相手チームはランナーを出すものの、ヒットエンドランの失敗などが
響き、ランナーを三塁に進ませることのないほぼ完璧な試合内容であった。
7回戦
静岡商
名
城
0 0 0 0 0 0 0 0 0
0 0 1 2 0 0 0 0 ×
0
3
投手:小林(9回)− 捕手:早川
今大会NO.1左腕を擁する静岡商業と対戦した。三連投の疲れからかボールが高めに浮き、ボール先行で、ストライクを取りに来
たところを狙い打った。三回に先頭打者の岡田がバンドヒットで出塁し、バンドで進塁後、三塁盗塁を成功させて、タイムリーヒッ
トで先制した。6回戦同様に3回以降は相手チームに3塁を踏ませることなく、夏の大会では初めての東海地区大会を制覇した。
8回戦
初
富
名
城
0 0 0 0 0 0 0 0 0
1 0 2 1 0 3 0 0 ×
0
7
史上初 完全試合達成 !!
投手:小林(9回)− 捕手:早川
初めての全国大会での試合。良い緊張感に包まれながら、次々に打者を打ち取っていった。攻撃面に関しても、出塁したランナ
ーを丁寧に進塁させ、中盤までに7得点。先発小林投手は、見事に完全試合を達成した。名城の守備力の高さを認識した。
準々決勝
秋田商
名
城
0 0 0 1 0 1 0 0 0
0 0 0 0 1 1 0 0 1
2
3
投手:小林(9回)− 捕手:早川
初めて対戦する東北地区のチーム。序盤から主戦小林が本調子ではなく、この大会初めて、4回にタイムリーヒットで先制された。
相手チームエラーで同点に追いつくものの、6回にスクイズで更に引き離された。その裏、高橋のヒットエンドランで再び同点に追い
ついた。7・8・9回と主戦小林が三者凡退に退け、最終回内野安打で繋ぎ、代打浅井がライト前ヒットを打ち、勝利をものにした。
準決勝
名
城
東
山
0 3 0 0 0 0 0 0 1
0 2 0 0 0 0 0 0 0
4
2
投手:小林(9回)− 捕手:早川
選手権NO.1投手率いる東山高校と対戦。前日までに延長24イニングを投げきったことも幸いして、2回に三連打。また、エラーを絡
めて3得点した。その裏にタイムリーヒットで2失点したが、その後は、両投手が踏ん張り、リズム良い試合になった。最終回、2アウ
トから4番早川が意表をつくセーフティーバンドを成功させ、だめ押し点を得た。
決勝
作
新
名
城
0 0 1 0 1 0 0 0 1
0 0 0 0 1 0 0 0 0
3
1
投手:小林(9回)− 捕手:早川
初出場の選手権大会。初めての決勝戦。王者作新と対戦することとなった。作新は、疲労が見える主戦小林から5回までに8安打打ち、
圧倒的な打力であった。5回裏岡田のホームスチール成功により1点差に迫ったが、相手投手が次第に調子を上げ、13奪三振を喫して、
惜しくも敗れてしまった。
部活動報告
【全国大会
名城同窓会ニュース No.34
平成22年3月1日[10]
大会記録】
1:小林 雄太 投手 史上初 完全試合を達成
2:大会全試合(36イニング)無失策を達成
※参考記録:小林投手は、愛知県大会より58イニング無失点。
※参考記録:チームとして、東海地区大会より59イニング無失策。
10月11日(日)に小牧市民球場で行われた愛知県高等学校野球連盟の特別表彰では、「名城は、さわやかで謙虚な選手たち」、
さらには「軟式野球の特性にあった野球で、守備力と機動力に優れたチーム」である。また、「愛知県に史上初全国大会での
完全試合という栄誉をもたらした」という高評を頂いた。
東海大会を優勝して自信に満ちた選手たちは、全国大会で鉄壁の守備、さらには多彩な攻撃スタイルで塁上を駆け回り、わ
ずかながらも「名城旋風」を巻き起こしてくれたのではないかと思う。
軟式野球部 顧問 伊勢田 敬
顧問
コーチ
菱田 佳紀
濱田 邦裕
軟式野球部
− 「僕たちの引退の試合は」 −
3年
普通科
池場
大輔
僕たちの引退試合は、9月29日遠い新潟の球場でした。僕は、自分がこの日までグランド
に立つことができるなんて思ってもいませんでした。先輩たちが去年の7月24日に引退した
時、先輩たちは悔し涙を流していました。県大会敗退という、「満足のできない引退」だ
ったと思います。
僕は、2年生ながら先輩たちの試合に出して頂いていたのに、いつも足を引っ張ってばか
りでした。だからこそ、その先輩たちが達成できなかった「全国大会出場」という目標を、
次期キャプテンとして受け継ぎたいと思いました。ありがたいことに、みんなはキャプテン
をすることに納得してくれたので、僕は立候補しました。僕たちの代は、公式試合の出場経
験のあった選手は、僕を含めて3人くらいしかいなく、本当に1からのスタートでした。
先輩たちのように俊足が揃っているわけではなく、野球能力低さや、東海大会7年連続出
場というプレッシャーもあり、キャプテンをやり始めた時は毎日不安で押し潰されそうで
した。新チームが始まったばかりの練習試合では、点を取っても取られるという、軟式野球には有り得ないようなハイスコア
でした。そして、最初の東海大会のチャンスである秋季大会では、健闘もむなしく、2対3で東邦高校に敗れ、あと1勝のところ
で手が届きませんでした。
それから、約3カ月の冬のトレーニングが始まりました。冬トレでは、あまりに厳しかったこともあり、当時コーチとして指
導していただいた榎コーチと衝突し、また反抗しながら、毎日走りこみ、筋トレに励みました。
冬トレ明けの春休みに行われた練習試合は、ロースコアで締まった試合ができるようになり、春は東海大会に出られるとい
う自信が沸いていました。順調に勝ち上がり、愛知県大会準決勝で中京大中京高校と代表決定戦を戦いました。勝つ自信はあ
りました。しかし、終わってみれば0対1で、また東海大会出場権をもう1歩のところで逃していました。自信があった分、その
時の悔しさや落胆はとても大きなものでした。この試合で1点を先制された時、始まりは僕のエラーからでした。そのプレーか
ら僕は、キャプテンという立場も忘れて、自分を責め続け、ベンチで試合をほったらかして悔しがっていました。今振り返っ
てみると、僕は、キャプテンという立場のプレーヤーとして、一番やってはいけないことをやっていた気がします。
「春季大会に負けてしまった、明日からどうやってチームを立て直していこうか」と悩みました。しかし、そんな悩みをその
次の日には、すっかり忘れさせる僕にとって一生忘れることのない事態が待っていました。伊勢田先生に「キャプテンを下ろさ
れた」のです。その時は、今まで自分なりに必死に頑張ってきたキャプテンを下ろされて、頭が真っ白になりました。今までの
自分をすべて否定され、自分への期待が伊勢田先生に無いと感じ、どん底に突き落とされました。それから1カ月あんなに部活に
行くのが楽しみだったのに、自分の身の置き場もなく、チームメイトともどう接していいかわからない苦痛な日々でした。しか
し、チームメイトは、悔しい気持ち、怒りの気持ち、苦しい思いを持ちながら、みんな練習にぶつけて、乗り越えようと頑張っ
ていました。また、誰一人としてこんな頼りない僕を責めませんでした。僕がいない間、副キャプテンの山崎圭介は、春季大会
敗退後のまとまらないチームのキャプテンとして引っ張ってくれて、がむしゃらになって練習してくれました。こうして、チー
ム全員が自分のするべきことを自覚し、お互いを思いやり、少しずつ結束していきました。そうして僕は、「キャプテンとして
駄目だったところを見つめ直して、成長するチャンスを与えられたのだ」と思うようになりました。そして、再びチームの「キャ
プテンとして戻りたい」と強く思うようになりました。それから、夏の選手権大会まで休みなく練習しました。
そしてキャプテン復帰で向かえた、最後の選手権大会。毎試合毎試合が、「引退」の二文字が頭の中をチラつく試合ばかりで
した。その時僕たちは、「東海大会に出場したい」というより、ただ「試合に負けたくない」、「この仲間と可能な限り野球を
していたい」という気持ちで、勝ち上がっていました。そして気がつくと、東海大会の決勝の舞台にいました。相手は、秋に行
った練習試合では0対4で完敗だった静岡商業。正直、その時の強いイメージが頭をよぎり、劣等感でいっぱいになりました。
部活動報告
名城同窓会ニュース No.34
平成22年3月1日[11]
しかし、冬トレを乗り越え、春季大会敗退の悔しさを乗り越えて、秋より強くなった心を信じて挑みました。結果は、3対0で
の勝利。あっという間に試合が終わり、全国出場が決まったというのに、あまり実感はありませんでした。全国出場というこ
とよりも、あと1ヶ月この仲間と野球がやれるという喜びでいっぱいでした。
全国大会では、自分たちのチームが一番弱いという気持ちでした。でも僕たちには、他のどのチームにも負けないチームワー
クや絆があると思っていました。1対1の力では、どこのチームにも勝つことは出来ない。だからこそ、全国大会ではチームが1つ
になって戦うべきだと考えました。キャプテンだからといって主力選手であるとか、4番打者だからといって長打を打つような、
そんなチームじゃないけれど、だからこそみんなが同じ課題を持つことで、一体感を持って練習に取り組むことができました。
初戦の初芝富田林高校戦では、みんなの課題がミスなく達成され、無死四球、ノーエラーで、エースの小林雄太が全国大会
史上初の完全試合を達成しました。二回戦の秋田商業高校戦では、2対2で迎えた9回裏一死満塁で、代打に告げられたのは、浅
井勇貴でした。彼は、3年生10人の内で、唯一レギュラーを外れた仲間でした。それでもずっと笑顔で、僕たちを支えてくれま
した。彼が守備のピンチの時にやって来る伝令は、ピンチであることを忘れてしまうくらいの最高の笑顔で、いつもみんなの
ムードを和ませてくれました。その浅井のサヨナラ右前打で試合に勝ちました。3年生9人全員の涙が出るほど喜んだ瞬間でし
た。ベンチ、スタンドの歓声も言うまでもありません。準決勝の東山高校戦においても、苦しみながらも接戦をものにして、
決勝の作新学院戦を迎えました。しかし、この試合は、今までにないくらいあっという間に終わってしまいました。同じ負け
だったけど、春に負けた時の悔しさとは別のものでした。
この夏、チームは120点の成果が出せたと心から思いました。この全国大会の銀メダルは、高校生活の誇りだから、胸を張っ
て学校に帰ろうと思いました。そして国民体育大会の出場も決まり、再びあと1ヶ月この仲間と野球ができるようになりました。
この時、「自分は日本一幸せなキャプテン」だと思いました。
そして国体も3位という好成績で終えることができ、僕たちの現役生活が本当に終わりました。頭の中で「引退」の二文字が
チラついていた日から、2ヶ月間も野球がやれました。
僕は、それだけで満足でした。みんなも笑って最後の引退試合を終えました。高校入学してから2年半、全然休みもなくて、
練習も苦しかったし、キャプテンを下ろされて本当に辛かったけど、最後の最後にこんな最高の思い出が待っていてくれて、
本当にこの軟式野球部をやってきて良かった、キャプテンを諦めずに再び復帰させてもらえてよかったと思いました。
こんな下手くそな僕たちに毎日のようにノックを打って下さり、また指導して下さった、伊勢田先生、菱田先生、榎先輩、
海老澤先輩、濱田先輩に、深く感謝したいです。そして、新チーム結成が遅れ焦りのある中、最後まで僕たち三年生と一緒に
頑張ってくれた後輩たちに、感謝しています。また、毎朝早起きして弁当を作ってくれたり、泥まみれのユニフォームを洗っ
てくれたり、最後まで応援し続けてくれた両親に感謝したいです。そして最後に、1年以上こんな僕について来てくれた大好き
な仲間に言いたいです。「最高の思い出をありがとう」と。
最後になりましたが、県大会・東海大会・全国大会では、OBの方々の応援をたくさんいただきました。先輩の先輩、そのまた先
輩・・・・と、この名城軟式野球部は、「ずっとつながっているんだ」ととても心強く感じました。本当にありがとうございました。
ウエ イ ト リフティング部
− 「一期一会」 −
3年
普通科
正木
隼人
僕がウエイトリフティングと出逢ったきっかけは、1年生の時、担任の山中先生に出逢えた
ことです。
先生は、ウエイトリフティングの顧問であり、生徒指導の先生でした。1年生の時、僕は、少
し皆より活発で山中先生から指導されました。その時、山中先生がウエイトリフティングに誘
ってくれたのです。それから体験入部をして、やさしい先輩、熱心な先生、競技の魅力にひか
れ入部し、毎日一生懸命練習しました。僕はこの競技を通してたくさんの事を学びました。毎日の
練習で辛いこともあるのですが、自分が決めたメニューを最後までやりきる事で体の鍛錬だけ
でなく、精神のトレーニングもできました。そして、スポーツの事以外にも生活の中で辛い時
などあきらめず頑張れるようになりました。
今、自分がこうして競技を続けられ、全国大会で良い結果を出せたのは、支えてくれた家族、
友達、学校、先生方の存在があったからだと思っています。
僕はいつも感謝という言葉を大切にしてきました。「感謝する」を言葉で言うのは簡単な事ですが、それを態度で示したり、
素直な気持ちで相手に伝えたりすることは、大変難しいことです。しかし生活していく中で何よりも大切なことだと感じてい
ます。
そして、何より僕の高校生活を180度変えたのは出逢いでした。最近「山中先生と出逢ってなかったら」とふと考えた事があ
りました。きっと先生に出逢ってなかったら、ただ毎日を平凡に過ごし、遊んでばかりだったと思います。学校生活も部活も
大学もすべてうまくいったのは、山中先生に出逢えたからだと思っています。
スポーツや山中先生に教えてもらった事をしっかり胸に刻み、出逢い「一期一会」を大切にして生きていきたいです。
部活動報告
名城同窓会ニュース No.34
−
「ウエイトリフティングを通じて」−
3年
平成22年3月1日[12]
総合学科
磯部
真介
私は、ウエイトリフティングというスポーツを高校から始めて、2年生の時にインターハイ、
全国高校選抜に出場し、3年生には東海大会優勝、インターハイ9位、国民体育大会6位とい
う成績を収めました。この成績一つ一つにさまざまな人の支えがあり、自分なりのドラマ
がありました。
一年生の時、山中先生から「全国大会を目指そう」と言っていただいたのをきっかけに
入部したウエイトリフティング部、初めは60kgも挙げられず、100kgや110kgを挙げている
先輩を見て、圧倒されました。
ウエイトリフティングには、スナッチとクリーン&ジャークの2種目があり、それぞれ3本
ずつ挙げ、良い記録のトータルで順位を決めるスポーツです。
オリンピックの公式競技でありながら、知名度の低いこのスポーツは、一見すると筋肉だけで挙げている様に見えますが、
それ以外にも、さまざまなテクニックを使い挙げています。よって反復練習が中心になり、決して楽しい練習ではありません。
が、厳しい練習の成果を、試合で残すと言葉ではあらわせない喜びと感動があります。
試合で、結果を出すために、練習以外にも大切な事があります。それは周囲の人の強力です。ウエイトリフティングは、
セコンドという選手のサポートをする人がいます。それにこの競技を続けさせてくれた家族、山中先生、クラスメート、部員、
全員の人に感謝しています。大学でも、ウエイトリフティングを続けて、大きな夢に向かって、頑張りたいと思っています。
応援していただいて本当にありがとうございました。
自転車競技部
−「全国大会に出場をして」−
3年
総合学科
桜井
雄太
僕は第六十四回国民体育大会に出場させてもらいました。昨年も出場させていただいたので、二
回目の出場となります。出場した種目は、1㎞タイム・トライアルです。この競技は、一人ずつスタ
ートし、1㎞をいかに速く走り切るかを競うもので、自転車競技の中で最も基本的な種目です。単純
な種目に見えますがスタートのタイミング、素早い加速、ペース配分、コーナーの走り方等いろい
ろな要素があり、1000分の1秒を競う大変過酷な競技です。
八位入賞以内を目指してきましたが、惜しくも九位でした。大舞台で自分の走りをできたこと
にとても満足をしています。
たくさんの全国大会に出場することが出来たのは、日頃の練習をがんばったことと努力をしてき
たことだと思います。僕は、努力をすれば必ず結果が出るものだと思っています。なぜなら、努力
に勝るものがないからです。もし、結果がでなければ、諦めもつくからです。
この高校生活三年間で、得たものを次の目標につなげられるようにがんばりたいと思います。また、僕一人では自転車に乗
ることは出来なかったので、両親や先生に感謝したいと思います。
これからも怪我や病気にかからないように、十分に健康管理に気を付けて、練習や生活をしたいと思います。
男子バレーボール部
−「最高の思い出」−
3年
普通科
竹島
優太
僕は名城高校のバレー部に入って技術的だけでなく、人間的にも大きく成長するこ
とができました。キャプテンとしてチームをまとめていくことは大変でしたが、3年生
最後の大会では、インターハイにも出場することができ、国体の選手に選ばれました。
国体では、ブロック予選で負けてしまいましたが、いい経験や素晴らしい仲間ができ
ました。
インターハイ出場は試合に出たメンバーだけでなく、部員37名全員で勝ち取ったも
のなのです。また、このような成績が残せたのは、部員だけではなく、指導してくだ
さった米原先生や藤原先生、いつも夜遅くまで練習をできる環境を与えてくださった
名城高校の先生方やOBの方や爽球会の方、応援してくださった方の声援や支えがあっ
たからです。言葉では言い表せないほど感謝しています。
僕は大学でもバレーを続けます。名城高校で得た経験を生かして、今度は大学日本一を目指して頑張っていきたいと思います。
そして、僕たち3年生15名は、誰一人脱落することなく、最後まで頑張ってこられたことを誇りに思っています。名城高校で
バレーができて本当に幸せでした。3年間ありがとうございました。
部活動報告
−「これまでの歩み」−
名城同窓会ニュース No.34
平成22年3月1日[13]
保健体育科教諭
藤原
和人
私は現在、名城大学附属高等学校で保健体育科教諭として勤めています。私にとってこの名城高校は母校になります。そこで
今日に至るまでの私の歩みを話そうと思います。
まずは名城高校に入学したきっかけは、バレーボールが思いっきりやりたくて、全国レベルでプレーできる高校に行きたいと
思い、この名城高校への進学を決めました。
私が全国大会に始めて出場できたのが、1年生の冬に開催された全国私学高等学校男女バレーボール選手権大会です。リーグ戦
突破することはできなかったものの、全国大会のレベルを実感することができました。後の全日本となる選手たちとも会話でき
たりしてとてもいい経験になりました。そしてまた一年後の同じ大会も全国大会に出場することができました。高校3年間は思い
っきりバレーボールができて、充実した3年間でした。
そして将来の夢は体育教員だったので日本体育大学へと進学しました。そこでは、体育の実技や知識はもちろん、さまざまな
ことを学ぶことができました。全国幅広く友人ができ、部活動に励むことができ、大学生活を楽しむことができました。一番き
つかった事は2年間学生寮に住んでいて、門限や掃除の徹底、起床・消灯時間などの規則正しすぎる生活を学び、そして何より上
下関係を学びました。たった一年上の先輩の存在がとても大きく、4年生の先輩方は遥か遠い雲の上の存在でした。とても良い人
生の勉強になりました。
教育実習もこの母校で勉強させていただき、晴れて今年から保健体育教諭として名城高校に戻ってくることができました。嬉
しいです。今は社会人1年目で、いろんな先生方からたくさんご指導していただいています。本当にありがたく思います。たくさ
ん経験を積んで一人前な立派な教員になりたいというのが今の夢です。一生懸命頑張っていきます。
レスリング部
−「強く」なりたい 〜全国大会出場を終えて〜−
3年
普通科
中村
喬祐
今年の夏、僕は愛知県代表として全国大会のマットの上にいました。これまでいくつかの大会に出場
してきましたが、全国大会はこれまでと比べものにならないほど会場が広く、かつ厳粛で、観客も多く、
緊張しました。正直な話、この大会で今まで練習してきたすべてを出し尽くせたという実感はありませ
ん。悔いが残る大会でした。でも、だからこそ、この経験を生かし、次につなげたいという思いを今は
強く持っています。
もともと僕は入学時からレスリング部に所属していたわけではありません。一年生のころは「帰宅部」
でした。希望を持って附属高校に入学したつもりなのに、いつのまにか中途半端な生活を送っていま
した。
それがいつなのか、今となっては思い出せませんが、この高校3年間で、何か形のあるものを残そうと思ったことがきっかけでし
た。僕は2年生の夏休みからレスリング部に入部し、毎日道場に通い始めました。
秋の県大会の最終戦は、マッチポイント6-7の接戦でしたが、最後にはフォールされて完敗しました。同時に東海大会への出場権
も失いました。あと一歩で上位大会へ行けたのにと思うと、マットからしばらく顔を上げることができませんでした。でも、その時
から少しでも人より強くなりたいという気持ちが湧いてきました。
レスリングという競技は、簡単に言えば、相手選手の両肩をマットにつけることで勝敗が決まります。特別な道具はいりません。ま
た体重別なので、体格差もあまり関係ありません。だからこそ、本人の力と技が直接勝敗に反映されます。ごまかしがきかない競技
なのです。
何か一つでも他の選手に負けないものを作ろうと思った僕は、大会後からまず筋力トレーニングに励みました。他の選手より在
籍期間が短いので、技のうまさではアドバンテージを取られてしまいます。それなら力で他の選手を圧倒しようと思ったのです。
トレーニングを積み重ねるうち、いくつかの試合で勝てるようになりました。そして、最後の夏の大会で全国大会の切符を手に
入れることができました。結果は初戦で沖縄県の1位選手に負けてしまいましたが、「全国大会出場」という形を高校時代に残すこ
とができました。
後輩のみなさんも、高校3年間で、あるいは大学4年間で形あるものを残して下さい。どんな分野でも、自分なりの「形」を残す
ことができると思います。それを見つけるためにはまず、失敗を恐れず何かに取り組むことだと思います。そうすれば人間は変わる
ことができます。これは自分が高校で得た経験です。そして、これからも僕は変わり続けていきたいと思います。
部活動報告
名城同窓会ニュース No.34
平成22年3月1日[14]
スキー部
−「白銀に描いたシュプール」−
3年
総合学科
倉橋
晴美
私は高校生になって新しいことを始めようと思い、スキー部に入部し、クロス
カントリーという競技を選びました。クロスカントリーというのは、雪上でスキ
ー板を履いたマラソンのような競技です。
スキーは冬や春というイメージがありますが、夏や秋も厳しいトレーニングが
あります。
私は1年生の時、走ることが苦手でとても嫌いでした。陸上トレーニング
のランニングはいつも最下位で、先に終わった先輩や同輩たちを待たせてしま
っていました。そんな状態で初めてのシーズンを迎えたのですが、雪山は空気
が薄い上、自分自身、持久力も無かったので、体力の無さを陸上トレーニング
以上に痛感させられました。そんな状態のまま、1年目の冬と春のシーズンが
終わってしまいました。
2年生になり、陸上トレーニングが始まって、シーズンでの課題を克服し
▲ 本人は中列右から二人目
ようと思いました。後輩もたくさん入ってきてくれ、ますます活気に満ちたス
キー部は私にとって、とても居心地の良い大好きな場所でした。
体力不足を克服するために部活には休まずに参加し、月間80キロ以上走り、技術的な練習も1年の時以上に頑張りました。
陸上トレーニングで最も私を苦しめたのが、夏休み中の練習でした。アスファルトの照り返しが強い中、意識が朦朧となるくら
い長距離を走ったりしました。毎日の練習はとても疲れましたが、きっとこの辛さは意味があると思って頑張りました。
2年目のシーズンが来て12月下旬の合宿が過ぎました。2年目の目標は、県で優勝することでした。スキー競技には個人競
技としてクラシカルとフリー種目が、団体競技としてリレー種目があり、私は、1月上旬のインターハイ予選のクラシカルで
優勝し、フリーでは上位入賞することができました。リレーでも仲間と協力し合って優勝することができ、白馬で開催された
インターハイに選出されました。1月中旬の国体予選でもクラシカルで優勝し、トキめき新潟国体にも選出されました。
インターハイや国体では、全国からスキーの強豪たちが集まります。そのほとんどが、私たちと違い、小さい頃からスキーをし
ていた雪国育ちの選手です。世界大会に出場している優勝候補の選手の滑りを見ると、滑り方の技術やオーラが自分と全く違うのを
感じました。雪が降らない愛知県は不利ですが、他の雪が降らない県に負けないように頑張りました。リレーも、団体競技ならでは
の感覚を味わうことができ、協力し合って完走することの喜びを感じました。
春の合宿では、春の大会に向けて精神面で負けてしまわないよう努力しました。春の愛知県大会では、1年生からの全ての反省をき
ちんと活かせるよう意識し、試合前のアップも今まで以上に時間をかけて多くやりました。何度試合を経験しても、スタート前は緊張
で押しつぶされそうになります。しかし全力を尽くし、目標であったクラシカルとフリーでダブル優勝することができました。
今はスキー部に入ってとても良かったと思っています。部活に入って体力、忍耐力、マナー、仲間の大切さ、気持の大切さを知
ることができました。これらは将来に活かしていきたいと思っています。
最後に、1から教えてくださった先生や先輩方、支えあって共に部活を作りあげた同輩や後輩のみんなにとても感謝しています。
ありがとうございました。
チア リ ー ディング部
−「充実していた毎日」−
3年
総合学科
小浦
奈菜美
私がチアリーディング部に入った理由は、先輩たちがすごく楽しそうに練習していて、時には真剣になる顔がかっこうよく
見えて、私も先輩たちのようなチアリーダーになりたいと思ったからです。新入生歓迎のときに見た演技がすごく綺麗で、か
っこうよくて感動したことを今も覚えています。
入部当初、みんな初心者で戸惑っていた私たちを先輩たちは、優しく、時に厳しく教えてくれました。毎日が大変でしたが、
本当に充実した学校生活をおくっていました。二年生のとき、先輩たちといっしょに出場した中部選手権大会は、あと3点足りず、
全国大会へ行くことができませんでした。みんなですごく泣いたことを覚えています。そして大好きな先輩たちが引退し、新チ
ームとなったとき私は部長を任されました。私は人に頼るのがあまり得意ではありませんでした。私だけが突っ走り部員と気持
ちのすれ違いが起こったときに部員の子が「もっと私たちに相談して。もっと頼っていいんだよ。」と言ってくれて、なぜか気
持ちが楽になりそれからは頼ることができるようになりました。たくさんのすれ違いが起こったりしたけど、その度にしっかり
話し合えてまた絆が強くなっていきました。
部活動報告
私たちは「必ずJAPAN
名城同窓会ニュース No.34
平成22年3月1日[15]
CUPに行く」ために、毎日ハードな練習を頑張ってやってきました。そのおかげで「2009 JAPAN
CUP」に出場することができました。JAPAN
CUPに向けての練習はいろいろ悩んだり、意見を言い合ったりと予選大会より
もハードでした。でも、チアー部の明るさでその大変さも吹っ飛んで頑張れました。JAPAN
CUPでは満足のいく演技はでき
なかったけど、3年生最後の演技としてみんなで楽しめたし笑顔で終えることができたので本当によかったと思います。良い思
い出になりました。
私はチアー部に入ってたくさんのことを学びました。人を引っ張って
いく大変さ、キャプテンとしての責任、チーム内の協調性、目上の方へ
の礼儀など演技の技術だけでなく、社会で生きていくための大切なもの
を教えてもらいました。毎日のように顔を出してくださった顧問の先生、
忙しいのにいつも笑顔で、時に厳しく指導してくださったコーチ、大会
が近づくと手伝いに来てくださった先輩方、いつも明るさで助けてくれ
たチームメイトのみんな、私はいろんな多くの方のおかげで三年間毎日、
チアー部で充実した日を過ごすことができました。とてもみなさんに感
謝しています。
ダンス部
−「仲
間 」−
3年
普通科
山舗
彩香
私は名城高校のダンス部に入りたく、この高校を志望しました。部活動では
最高の仲間と出会うことができ、毎日充実した日々を過ごすことができました。
私たちの部活動は経験者が少なく、初心者が多かったので一からコーチや先
輩に教えてもらいやってきました。また毎日コーチが来てくださる訳ではない
ので、自分たちでメニューを考え練習していかなければなりません。
年に二回行われる大会では、ジャンプやターンなどの他にもタイミングや表
情のそろい具合などを総合して競い合います。だからチームの団結力や信頼関
係がとても大切です。
三年間の部活動を通し挨拶や礼儀など基本的なことから仲間の大切さ、一つ一つのことをやり抜く力など多くのことを学びま
した。今こうして私たちが大好きなダンスができるのは、コーチや顧問の先生、名城の皆さん、親、先輩など本当に多くの人に
応援してもらったおかげです。この感謝の気持ちを忘れずに、これからも頑張っていきます。本当にありがとうございました。