精神科読本17: 『社会恐怖(社交不安障害 SAD)』 川谷医院、株式会社精神医療相談室ドンマイ:川谷大治 Ⅰ.はじめに 本論に入る前に,アメリカ医学会が出版した「DSM-Ⅳ」について説明しましょう。DSM とは,Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorder の頭文字のことで, 「精神 疾患の診断・統計マニュアル」と訳されています。すなわち,DSM-Ⅳとはその第 4 版と いうことです。第 1 版の DSM-Ⅰは 1952 年に出版されていますので 50 年以上の歴史が あります。そして 1980 年にアメリカ精神医学会が DSM-Ⅲを出版して以来,様々な新し い疾病概念が登場して医療現場の混乱が収まりません。私にとって慣れ親しんだ「神経症」 という用語は今では使われなくなり,代わりに「○○・ディスオーダー」といった新しい 病名が登場し,中には「人格障害」や「大うつ病」といった訳語が現れて,医療現場だけ ではなく,見聞きする一般の方も何がなんだか分からなくなっているのではないかと想像 します。 「大うつ病」の大とはメジャーmajor の訳語です。野球のようにメジャーがあるの ならマイナーminor があるのかというとそうではありません。この major は大きいという 意味ではなくて重大なという意味のようです。 病名は,医療関係者と医療を受ける方の双方にとってありがたいものでないといけませ ん。悪い例は「人格障害」という訳語です(詳しくは精神科読本15『境界性パーソナリ ティー障害』を参照) 。ある医師から「人格障害」と診断されて,親戚を巻き込む大問題に なった方もいます。それはそうでしょうね。 「人格障害」と言われて人格的にだめな人と「烙 印」を押されたわけですから。かように病名は難しいものです。 本論で扱う「社会恐怖(社交不安障害) 」も曖昧な訳語で聞く人は混乱するだけです。 「社 会恐怖」と聞いて,皆さんはどのように想像しますか。社会と聞いてまず浮かぶのは「社 会に出る」ときの社会ですね。だから, 「社会恐怖」とは社会に出るのが恐いということに なるのでしょうか。引きこもり青年のことを想像するかもしれませんね。 Ⅱ.社会恐怖(社交不安障害)とは 1.社会とは なぜ分かりにくいのか。それは「社会」という訳語に原因があるのです。 「社会恐怖」と は“Social Phobia”の訳語です。この Social を社会と訳したばっかりに,意味が曖昧にな ってしまったのです。 誰が“Society”を「社会」と訳したかを調べてみました。広辞苑には福地桜痴による翻 訳語と出ています。訳語が成立した経緯について柳父章著『翻訳語成立事情』(岩波新書) を参考に説明しましょう。明治になって西欧語の翻訳が国家的規模で進められました。 Symphony を「交響曲」と訳したのは夏目漱石です。すばらしい訳で原語に負けていませ ん。Sky を「空」と訳したのは森鴎外です。この訳語も優れています。それまでは Sky を 日本人は「天」と呼んで,Sky は先祖の霊や神々の住まう所でした。それが何もない「空」 と訳されたわけですからびっくりですね。話が脱線してしまいました。Society に相当する 日本語がなかったので,当時の知識人は Society をどう訳するのか,とても苦労したよう です。福沢諭吉は,人間交際,交際,交わり,国,世人,などと苦労して訳しています。 中には,世間,仲間,世俗,仲間会社,などと訳した人もいます。 オックスフォード英語辞典では,“Society”とは 1)仲間の人々との結びつき,とくに,友人同士の,親しみのこもった結びつき, 仲間同士の集まり。 2)同じ種類のもの同士の結びつき,集り,交際における生活状態,または生活条 件。調和の取れた共存という目的や,互いの利益,防衛などのため,個人の集 合体が用いている生活の組織,やり方。 1)の意味は狭い範囲の人間関係を表していますが,2)の方は広い範囲の人間関係の ことです。福沢諭吉は1)の意味で訳しているのが分かります。ところが2)の意味に相 当する日本語がなかったのです。わが国では,国や藩は身分として存在しているのであっ て,個人を単位とする人間関係がなかったからなのです。それで世間,世俗,仲間社会な どと訳されたのです。社会という訳語は非常に曖昧なのです。福地は, 「社会」と訳すると きに,「社で人々が集い会う」という意味をこめたのです。「社」という言葉は,同じ目的 を持った人々の集りや,その名前をさす使い方で,明治以前からありましたから, 「社で会 う」としたのでは Society の意味を成していません。2014 年4月現在では、「社交」と訳 されるようになりました。 一世紀を経て, 「社会」という訳語は私たちの生活に定着してきました。しかしこのとは, Society に相当するような現実が日本にも存在するようになったかというとそうではあり ません。それどころか, 「社会に出る」 , 「社会が悪い」という言い方にあるように,世の中, 世間を意味するほうに移ってきているのです。そうすると,「社会恐怖」は世の中が恐い, 世間が恐い,という意味になるのです。これは本来の Social Phobia という意味からずー っと離れてきます。 2.社交不安障害の定義 本来の DSM の定義を見てみましょう。まず,1980 年の DSM-Ⅲで「社会恐怖」が登 場し,1994 年の DSM-Ⅳで「社会恐怖(社交不安障害)」と併記されるようになりました。 たかだか 10 年,20 年の歴史の浅い概念なのです。最近では「社交不安障害」がよく使用 されるようになってきました。というのは, 「恐怖」よりも「社交不安」のほうが患者にと 1 って軽蔑的色彩が少ないのと, 「社交不安」には恐怖と回避の両方の意味が含まれているか らです。私も長々と上記のように表記してきたのはこういう事情があったからなのです。 これからは社交不安障害 SAD と記載するようにします。 さて,DSM-Ⅳ-TR の診断基準を見てみましょう。 DSM-Ⅳ-TR の社交不安障害(SAD)の診断基準 A.よく知らない人たちの前で他人の注視を浴びるかもしれない社会的状況または行為を するという状況の1つまたはそれ以上に対する顕著で持続的な恐怖。その人は,自 分が恥をかかされたり,恥ずかしい思いをしたりするような形で行動(または不安 症状を呈したり)することを恐れる。 B.恐怖している社会的状況への暴露によって,ほとんど必ず不安反応が誘発され,そ れは状況依存性,または状況誘発性のパニック発作の形をとることがある。 C.その人は,恐怖が過剰であること,または不合理であることを認識している。 D.恐怖している社会的状況または行為をする状況は回避されているか,またはそうで なければ,強い不安または苦痛を感じながら耐え忍んでいる。 E.恐怖している社会的状況または行為をする状況の回避,不安を伴う予期,または苦痛 のために,毎日の生活習慣,職業上の(学業上の)機能,社会活動や他者との関係が 障害されており,またその恐怖症があるために著しい苦痛を感じている。 F.18 歳未満の人の場合,持続期間は少なくとも 6 ヶ月である。 不安を引き起こす状況として以下のようなものがあります。 大勢の人の前,目上の人,異性,交際,スピーチ,朗読,談話,電話,会食(同じ テーブルで食する),視線(人から見られる),正視(視線を合わせる),思惑(グル ープの中で皆を白けさせるのではないかと危惧する) そして不安は身体に現れます。 赤面,表情(顔が引きつる),吃音,震え(手や声),発汗,硬直(身体が固まる), 嘔吐,意識喪失,頻尿,便意,尿閉(公衆便所で排尿できない)。 以上を恐れるのです。 結果的に社会に出るのが恐くなるのでしょうが,社会を恐れているのではないことが はっきりしたと思います。 「人と会う,接するのが恐い」というのが社交障害の基本病態 なのです。ここに訳語の問題点があるのです。 ポイント① 「社交不安障害 SAD 」は歴史の浅い概念で,しかも訳語上の問題がある。社交 不安とは人と会ったり,接するときに生じる不安である。 3.社会恐怖(社交不安障害)の有病率など DSM-Ⅳ-TR に沿って説明していきましょう。 2 有病率 アメリカの報告では SAD の生涯有病率 10%以上(3~13%)といわれ,90 年代のパ ニック障害と呼ばれています。うつ病の発病率に匹敵するのです。ここで,疑問を感じ た人は勘が鋭い方です。アメリカ人は陽気でゼスチャー交じりによく自己主張する人た ちではなかったのか。われわれ日本人のように恥ずかしがり屋で内気な人間が社会的問 題になるくらいに多いのかと。 「ある研究では,人前で話したり行動したりすることに対 する強い恐怖を 20%の人が報告していたが,社会恐怖と診断できるほどの障害または苦 痛を体験しているのは,約2%に過ぎなかった」と言います。たとえば, 「最近,人の目 が気になるのよね」とこぼす人にチェックリストをあげて,評価してみると意外と高か ったりすることがあるのですね。だからといって病気だとは限らないのです。試しにイ ンターネットを覗いてみてください。SAD のチェックリストが掲載されていますから, 自分で簡単に診断がつきます。しかしそこに実は落とし穴が待っているのです。不安は 状況によって大きくなったり小さくなったりするものなのです。あなたがスランプに陥 って,何をやってもうまくいかないときには,不安も高くなります。チェックリストで 病気にさせてよいのだろうかと私は危惧するんですね。 ポイント② チェックリストの罠に嵌らないように 経過 SAD は「典型的には 10 台半ばで発症するが,小児期に対人関係の制止や人見知りの形 で現れることが時にある」。「経過は持続性の場合が多い。期間としては一生続く場合が多 いが,成人期に障害の重症度が弱まったり,寛解することもある。障害の強さは,生活上 のストレス因子や要求に伴って変動することがある。例えば,デートをすることを恐れて いた人が結婚をして社会恐怖が消え,配偶者が亡くなった後に再びそれが現れるというこ ともある」と説明しています。対人関係の質によって不安が強まったり弱まったりすると いうことなんですね。当たり前の話なのですが,このことは治療のところで再び問題にし ますので記憶して置きましょう。実は,このことは,とても重要なことなのです。 Ⅲ.わが国の対人恐怖症と DSM-Ⅳの社交不安障害(SAD) アメリカ人にこんなにナイーブで神経質な人がいるとは思わなかった,と思った人もい るでしょうね。私たち日本人であれば,SAD は医者でなくても「対人恐怖症」と診断でき るポピュラーな病気です。昔,電信柱に「赤面恐怖は治ります」と書かれた広告をよく目 にしました。福岡ではあまり目にしないのですが,東京の下町なんかに行くと今でも遭遇 します。今日でも,朝刊に「対人恐怖症はこうして治す」といった本の紹介を目にしない ことがないくらいです。それでは私たちにとってポピュラーな「対人恐怖症」は SAD と同 じ病気なのか違う病気なのか,について説明しましょう。 1.わが国の対人恐怖症の研究 3 1960 年に東京慈恵医大の精神科教授森田正馬先生は『神経質の本態と療法』を出版しま した。その中に,対人恐怖症のことを述べています。 「赤面恐怖とは,人前で自分の顔の赤 くなることを苦にするもので,つまり自分は,気が小さくて,恥ずかしがり屋である,こ んなことでは一人前の立派な人間になることは出来ないと悲観し,苦悩する」,「自ら人前 を気にすることを恐怖する(強迫)」と描写しています。そしてこの病気は森田療法で治癒 すると主張し実践したのです。対人恐怖とは社会が恐いのではなくて人前を気にすること だと定義しているのです。1972 年には名古屋大学グループによる研究が報告されました。 笠原先生らは『正視恐怖・体臭恐怖―主として精神分裂病との境界例について』を出版し, わが国の青年が経験する対人恐怖を4型に分類し,その分類は広く使用されました。 1群:青年期に一時的に見られるもの 2群:恐怖症段階にとどまるもの 3群:関係妄想性を帯びているもの(重症対人恐怖) 4群:前統合失調症症状,統合失調症回復期にみられるもの 3 群を「重症対人恐怖」と呼んで, 「自分の視線や体臭が他者を不快にしたり傷つけたり することを恐れる病態」と定義しました。そして 1977 年に,北海道大学の山下格先生が『対 人恐怖』を刊行しました。山下先生は,対人恐怖症を「相手に不快な印象を与えたくない, 嫌われたくないという願い,そして自分が相手を不快にさせ,嫌われるという恐れである。 それは本人の基本的な対人態度に関連するものである」と考えました。そして緊張型対人 恐怖と確信型対人恐怖(自己臭や醜貌恐怖が妄想的に確信される)の 2 型に分類したので す。笠原先生の 2 群と山下先生の緊張型対人恐怖が DSM-Ⅳの SAD に相当します。しか し当時,日本で研究された対人恐怖症という疾病概念は日本独自の文化に根ざしたもので 欧米にはないと見向きもされなかったのです。 やがて DSM-Ⅲから SAD が注目を浴びてくるのですが,笠原先生の 3 群や山下先生の 確信型対人恐怖は DSM-Ⅳでは文化結合症候群の1つとして“Taijin-Kyoufusho” (TKS) と呼ばれ,身体醜形障害あるいは妄想性障害身体型と診断されているのです。または,SAD の他者影響型(offensive type)とも呼ばれ,通常の SAD とは区別されているのです。そ れは,通常の SAD は,単に「周囲に見られているかもしれない」ことを過剰に心配するの が定義だからです。 ポイント③ 日本 わが国の対人恐怖症の軽症型が DSM-Ⅳの SAD で重症型が身体醜形 障害あるいは妄想性障害身に分類される。 Ⅳ.社交不安障害の原因と治療 日本の文化に根ざしたものと考えられていた対人恐怖症なのですが,実は欧米人にもそ の軽症型が高い率で存在しているというのは驚きでした。そして日本では,その原因を性 4 格論に帰着しましたが,アメリカでは SAD の原因は性格ではないときっぱり否定していま す。詳しく議論する余裕がないのですが,これは治療に関する考え方にまで及ぶ大きな問 題でもあります。それを鵜呑みにしている大学教授もいますが,アメリカの考え方が第一 で自分の考えがないのでしょうか。話がそれますが,この「自分がない」というのは対人 恐怖症を解く鍵の一つです。SAD の患者さんはしばしば「自分は八方美人で自分がない」 と洞察しているものです。患者さんのほうが病気に関しては一枚も二枚も上手なのです。 1.社交不安障害の原因 遺伝的要因と環境的要因の二つが複雑に関与している,ということは多くの人に受け入 れられています。 1)遺伝的要因 近親者が SAD を発症すると近親者の発症リスクが5%から16%に増加するという報 告があります。遺伝子レベルでの研究も盛んに行われています。ある人が不安になったと きに,その不安をどう処理するかは,脳の不安の処理システムによることが大きいわけで すから,親の体質の影響を抜きにしては考えられないでしょう。その傾向を性格と呼んで も構いません。たとえば,人前で緊張すると赤面する体質の人とそうでない人がいるよう に,赤面する人の方が SAD になりやすいでしょう。SAD の患者の父親が若い頃 SAD で, それを空手など鍛錬によって克服した人が多いのもよくあることです。 2)環境的要因 遺伝的要因よりも大きいのは環境的要因でしょう。家庭環境,養育態度,同胞順位など が関与しています。より大きいのは養育です。環境的要因に関する研究はわが国の独断場 なのですが,残念なことに英語の論文にしていないので海外ではあまり知られていません。 環境的要因について説明しようとするなら,もう二部ほど必要になるほどわが国の研究は 豊富なのです。遺伝的要因と環境的要因によって SAD になりやすい性格が形成されていき ます。性格の中に甘えの抑圧や二重性が見出されます。これが,あるできごとをきっかけ に意識に上ったときに不毛の思考の連鎖が生じ,発症するのです。 3)私の注目するミラーニューロン 1997 年のことです。私の患者さんの赤ん坊が 8 ヶ月になったばかりでした。母親の診察 時に抱かれていた赤ん坊は私の方をじっと見ていました。私はお返しに舌で音を出してみ せました。それに赤ん坊が興味を示したので,何度も私は舌を鳴らしました。すると驚い たことにその赤ん坊は私と同じように口を開けて自分の舌を鳴らすしぐさをし始めたので す。思想家ロジェ・カイヨワは「生物はその環境の中で自分が虜になったものになる」と 考察しています。野うさぎは冬には白い毛に生え変わり,夏には茶色になります。ウサギ が意識してそんなことをしているのかどうかは分かりませんが,環境の一部に成り変るの は事実です。フランスの精神分析家のラカンは 1936 年に赤ん坊の鏡像段階論を発表しまし た。赤ん坊は未熟児で産まれるので,自分の未熟さにどう対応するのかが生きるために重 5 要になってくると考えたのです。ラカンは「赤ん坊は自分自身の外部イメージに自己同一 視する」と結論しました。未熟児で生まれた赤ん坊は自分が目にする対象(多くは養育者) を模倣することで身体の新しいコントロールの仕方を学ぶというのです。優れた見解です ね。 そしてラカンの発表から 60 年後の 1996 年にある事件が起きました。イタリアの脳神経 の研究者によって猿の前頭葉にミラーニューロンが発見されたのです。そして人間では言 語に関するブローカ野の周辺で見つかったのです。ミラーニューロンとは,他人の行動を 見て自分も行動している気分になるニューロンの集まりのことです。最初は模倣段階なの ですが次第に脳は共感能力(心の成り立ち)へと発達していくのです。最初は相手のふり を模倣することから相手になりきることを学んでいくのです。ウサギは自分が雪になった と本気で考えたのでしょうかね。 日本では「相手の身になって考えること」を徹底して教え込まれます。一方,欧米では 生きていくために自分を主張することを教えられます。この「相手のことを考える」とい うことは共感能力の獲得につながり,それによって以心伝心のコミュニケーションが出来 るようになっていくのです。もしそれが何らかの原因で妨害されたとしたら対人関係に支 障が発生するでしょう。遺伝的要因や環境的要因がそれです。その時期と程度とによって ある人の場合は自閉症になり,ある人の場合は対人恐怖症やうつ病になりやすい体質や性 格になるのだと思います。SAD の患者は自分が環境の一部になれなくて,自分だけが浮い てしまうと恐れているものです。この鏡像段階に SAD の原因がある,というのが私の基 本的な考えなのです。冬になっても茶色のままの野うさぎを想像してください。詳しく述 べる暇がありませんが,このことは自尊心と強く関連しています。 ポイント④ 私の考えでは SAD の原因は幼少期の鏡像段階にある。 2.社交不安障害の治療 さて,SAD の治療に移りましょう。アメリカの治療指針では薬物治療を第一に考えてい ます。それは今日の生物学的研究の成果でもあります。 1)生物学的研究と薬物治療 SAD では線条体のドパミン D2受容体結合性の低下とドパミン再取り込み部位の減少, セロトニン機能の低下,海馬-扁桃体の活動性の上昇をセロトニン放出増加が減弱するこ とによって不安・恐怖を減少させる,という研究が報告されています。問題は上記の事態 が何によって引き起こされたのかということなのですが,現段階では分かっていません。 わが国の対人恐怖症の研究はその先を行っているので,今後生物学的研究とわが国の対人 恐怖症の考え方のドッキングがあると面白い学説が生まれるのではないかと思います。 薬物治療は,ベンゾジアゼピン系抗不安薬クロナゼパムの有効例が報告されています(眠 気と脱力感に注意)。さらに良いのが SSRI です。欠点は効果発現が遅い(6~8週目)の 6 と少なくとも 1 年以上の使用を必要とするのと,薬を止めると再発するので,長期にわた って使用しないといけないといけないことです。パロキセチンは 20mg 程度,フルボキサ ミンは 150mg 程度で効果が現れます。アメリカの研究によると薬物治療の効果は 50%程 度だといわれています。残り 50%は芳しい効果を挙げていません。とするとどうしましょ う。 2)精神療法 SAD の治療は熟練した精神科医の精神療法に限ります。森田療法,精神分析療法が双璧 です。アメリカでは認知行動療法が盛んに行われていますが,森田療法と精神分析療法を フルコースの料理に喩えると,この治療法はそのおいしいところだけをチョイスした料理 と考えたらよいかと思います。しかしいずれにしても時間がかかり治療費の高いのが欠点 です。保険で行うことも出来ますが,1 回のセッションが 50 分ほどかかりますので,日本 の一般の精神科クリニックでは行われていません。一部の専門家が保険診療以外のセッテ ィングで行っているのが現状です。 精神分析療法には様々な流派がありますが,SAD を治療するには自己心理学派と英国独 立学派のウィニコット的治療が効果的だと思います。ベテランの精神分析医だとどの派に 属していても立派に治療できると思いますが。 上記のような時間と治療費の制限があるために私は二つの工夫を行っています,1 つは 1 回 50 分の精神療法を臨床心理士に担当してもらって薬物治療を精神科医である私が行う やり方です。これだと経済的負担が軽くなります。もう 1 つは通常の精神科診察の中で私 が薬物治療を行いながら精神療法的面接を行うやり方です。これで十分に良くなる人もい ます。ただ精神分析療法のような自分探しの楽しさ,その後の物事の考え方や感受性の変 化は少ないかもしれません。 3)私の行う SAD の精神科治療 アメリカの一般的な治療法は,SAD を弱気で内気で神経質な性格のせいではなくて,生 物学的に考えていこうとします。そのため,人間の心をシナプス次元で考え,薬物治療を 行っていきます。一方,わが国では,弱気で内気な性格と強気で傲慢な性格の二重性,森 田療法では精神交互作用,精神分析では甘えの抑圧,にその病因を求め,治療に当たって いきます。このような考えを医学教育のなかで教える精神科教室が少なくなったこともあ って,最近の精神科医はアメリカ的思考に傾いてきています。要は患者さんのニーズにあ ったアプローチを行うことでしょう。 先の DSM-Ⅳ-TR の説明の中で「人間関係の質によって不安が強まったり弱まったり する」ということの重要性を指摘しておきました。この人間関係の質を治療者である私と の関係と置き換えて考えて見ましょう。私との関係が安定し,信頼関係によって安心感が 得られるのであれば,不安は軽減され,SAD の症状も軽くなるでしょう。治療関係が安定 するためには私と患者さんはどのような努力をするとよいでしょうか。 7 1.私は誠実に患者さんの話に耳を傾けること。患者さんは恥ずかしいことやつまらな いと思うことに思わぬ宝物が見つかることがあるので,あらかじめ考えた話よりも その場その場で思うつくままに話すことが治療に役立つことがあること。 2.症状が私との間で起きたときに治療の展開が見られるので,治療を中断させないこ と。一時的に悪くなるときは治療の展開が起きる可能性が大きい。 3.私に分かってもらえない,十分に話を聞いてもらえない,あるいは治療に幻滅を感 じたときにはそのことを心にしまうのではなくて,言葉にして伝えてみること。そ のことを私は謙虚に受け止めること。 4.不安の対処の仕方は脳のシナプスレベルで調整されているので,薬物治療も捨てが たいということ。 5.私との関係に似た対人関係が診察以外の場でも起きることがあるので,対人関係に 注目してみること。そのときに誰が悪いという犯人探しをしないこと。 6.そのパターンを知ることで自我が自由になり偏った考え方から脱出することが出来 ること。 7.私との関係の中で,自分が大切にしてきたもの,つまり誇りに気づき, 「純なこころ」 に触れることが出来たら治療は終わり。ここのところがもっとも重要です。 Ⅴ.まとめ 駆け足で社会恐怖(社交不安障害 SAD)を説明してきました。饒舌で要領を得ない文章 でくたびれたのではないかと心配しています。森田先生が発見した「純なこころ」にもっ とページをとりたかったのですが,欲はいけません。これで終わりにします。また症例を 提示したかったのですが,掲載許可を得る時間がなかったので,DSM-Ⅳ-TR の診断基 準を掲載しました。とくに精神療法の詳しい報告は皆さんの参考になるのではないかと思 っています。 (2014 年 4 月 30 日) 8
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