2011 年度 海外インターンシップ報告書

2011 年度
海外インターンシップ報告書
広島修道大学
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参加者名簿
大杉 豊(商学部商学科 3 年)
小西杏菜(商学部経営学科3年)
小林圭史(商学部経営学科3年)
古屋敷峰予子(商学部経営学科 3 年)
立川雅子(人文学部社会学専攻 3 年)
野藤 彩(人文学部社会学専攻 3 年)
山下紗和(人文学部社会学専攻 3 年)
小迫弘貴(法学部法律学科 3 年)
阿部翔子(法学部国際政治学科 3 年)
佐々木玲(法学部国際政治学科 3 年)
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海外インターンシップの始まりです。
今年度の海外インターンシップは1週間遅れ。自身の国際学会への参加のた
め。学生たちには迷惑をかけてしまった。
今年度は、東日本大震災や中国企業の現地化の影響も少なからず見られる。例
年お願いしていた三菱電機の4日間の実習は東日本大震災を理由に断られてし
まった。また朝日食品容器も、問い合わせの6月ごろ、「その時期(8 月下旬)
はモンゴルへの視察を予定しているため日程が不明」との回答。本プログラムは
教授会を通す必要があるために、他を探すことになる。合計5日の穴を埋めるた
めに相当苦労した。新たにプログラムに加えたのが、日本国総領事館、大連佐藤
広告有限公司(日本人向け広告会社『LOOK』を発行)、大連山九国際物流有限公
司、ラマダプラザ大連ホテル(毎年宿泊している)、Sophie Technogies(中国
蘇飛信息技有限公司、ホームページ制作会社)、中心屋そして最後に東北財経大
学との交流会である。お引き受けいただいた企業の中でも東日本大震災の影響を
少なからず受けているはずだ。お引き受けいただいた全ての企業に心より感謝申
し上げたい。
自分はというと、8 月 28 日に北欧の出張から帰国、29 日には大連行きへの出
発準備だが、当日、大学では会議などが入っている。9 月の出張申請もこの日に
しないと却下される。かつて、海外インターンシップのため提出が1日遅れただ
けで、出張を却下された。学生からのメールの問い合わせなどに対する回答もあ
り、前日からヘトヘトだ。
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1日目(出発)
(大連空港にて)
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8月 30 日(火)
出発
8月 30 日快晴に恵まれた。快晴に恵まれたといっても、どうでもよいように思
われるかもしれないが、結構大事。今年は、大連空港行き飛行機は遅延や欠航が多
いのだ。かつて、夕方 18 時頃、東京行きの飛行機に搭乗しようと思っていたら、
「ただいま、中国北京国際空港を出発しました」とのこと。広島空港定刻 14 時 30
分発のはずなのに・・・・
何があっても不思議でない国が中国。今年は一体何が起こるやら。
さて、自分は 28 日に国際学会でタリン(エストニア)から帰国したばかり、28
日の朝6時は、大連上空だったので、その時、降りられるものなら降りたかった。
機内では寝られたけど、時差ぼけを上手く解消されたことが無いので少し心配。訪
問中、眠くならないように気をつけねば。
広島空港では、新本ゼミ(貿易論、アジア経済論)がゼミ合宿で同じ大連に。近
藤先生(商学研究科大学院研究科長、流通論)と隴本さん(商学部)が東北財経大
学への訪問と、広島修道大学商学部の大連訪問ラッシュである。実際、搭乗した乗
客も、本学学生が目立つ。東方国際航空大丈夫?
大連空港に到着すると、東北財経大学国際交流処課長の余涛さんが、迎えに来て
いた。空港前も、車の駐車場へと工事中。この数年間で、大連空港が改装され、駐
車場も充実した。中国は成長の歩調をさらに早めている印象を実感する。
東北財経大学に到着。鍵を渡して部屋割り終了。学生たちも満足したようであ
る。お金の支払いも終了し、ちょっと落ち着く。
18 時か ら食 事 。集 合場 所 に王 雪さ ん が来 てい た 。2 週間 お 世話 にな る ことにな
る 。例 年通り の麦 子大王 での 食事。「 結構 、美 味し かった 」学 生たち の感 想。そ の
後、買出し。トイレットペーパーや水、そして、翌朝の朝食などを買う。昨年まで、
好又多という台湾資本の大型店舗があったが、同所は米国資本のウォールマートに
変貌していた。人気はあったのに・・・売却したのか、買収されたのか、それとも
何か理由があったのだろうか。この好又多は経済開発区の方には残っていた。一体
どういうことだろう。ちょうど、駐車場を工事していたが、開業しており、店内の
広さも変らない。ウォールマートは大連では五輪(オリンピック)広場の付近に昔
から開業しているが、そこは米国にあるのと類似していた。ただ、ここのウォール
マートは以前の店(好又多)と店舗構成を大きく変えていない。これから変えてい
くのだろう。原型を維持しながら、次第に変えていく。これが、欧米型の店舗編成
の有り方なのだろうか。同一型にしないと気が済まない日本とは大きく異なるとこ
ろである。
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2日目
日本国領事館大連事務所、日本貿易振興機構(JETRO)
(日本国総領事館で、川田所長より講演を聞く)
(日本貿易振興機構で李先生より講義を聞く)
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8月 31 日(水)
日本国総領事館大連事務所、日本貿易振興機構(JETRO)
本日は日本国総領事館(在瀋陽日本国総領事館在大連出張所駐在官事務所)で
の講演と、日本貿易振興機構(JETRO)で講義を聴く日である。そして午後は、大
連市街地の見学である。
日本国総領事館は対中国外交の最前線である。パスポートを紛失したときを始
め、事故などがあったときには、まず総領事館が交渉窓口になる。大連に居留し
ている日本国民の安全を守るのが総領事館である。川田所長自ら講演をいただい
た。
大連のこと、大連にいる在留邦人(6,500 人)のこと、パスポートのことなど
様々な話をいただいた。特に大連は現在日本語学習者が 3,000 人にのぼるとのこ
と(大連外国語大学で 2,000 人程度)。大学卒業予定者の就職難が加速化しつつあ
り、アリ族などとも呼ばれていることなど、興味深い話も聞くことができた。
講演のポイントは、
「中国のことをより理解すること」だったように思う。最早、
日本と中国は切っても切れない間柄である。日本と中国がより親密な関係になっ
ていくことこそが大事である。中国、中国の人々を理解する上で大事なのは大学
生などの若者であるということだ。この海外インターンシップの目的の一つもそ
こにある。川田所長の熱い思いがどれだけ届くか。海外インターンシップの始ま
りだ。
小谷副総領事官が庄原(広島県)出身とのことだった。本学の来校を歓迎して
いただいた。多忙の中、講演を引き受けていただくことだけでも感謝なのに心強
い限りである。学生たちも親近感を持ったようである。異国の地で同郷の人と会
うのは嬉しいことである。
続いて日本貿易振興機構(JETRO)へ訪問する。同じ森茂大厦(森ビル)棟内に
ある。中国経済の現況を中心に話しをいただいた。東北三省に向けた開発と発展
が具体化されつつあることを実感した。確かに中国は改革が早いし、実現性もあ
る。うらやましい限りである。瀋陽まで1時間、長春まで2時間という。高速鉄
道も実現するのだろう。広い中国で輸送路が切り拓かれていくのも壮大な話であ
る。ただ、これからは大連ではなく瀋陽だそうである。広い後背地を有している
ことが理由で、伊勢丹、無印良品、ユニクロ、東横イン、ヤマダ電機と各社が瀋
陽に進出している。サービス産業や量販店など、製造業ではない分野の進出が目
立つ。
驚いたのは、2010 年度の平均給与が 3,718 人民元(約 55,000 円)とのこと。
まだまだ日本の給与とは差があるが、つい数年前が 700 人民元程度だったと思う
ので、大変な成長である。今では日系企業よりも、国営企業の方が魅力あるとの
ことである。経済史では、賃金を始めとした雇用関係は重要なキーワードである。
少し、注目すべき点である。
お昼は、餃子の店。今年度は 10 名が参加、私などの同行者を含めて 14 名が食
堂に居る。これだけの人数の餃子だと多種類の餃子を食べることができる。
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中国には、水餃子、蒸し餃子、焼き餃子とある。30 種類以上ある餃子から3つ
の方法の中から選ぶ。学生たちも楽しそうに選んでいた。
当日は、大連市街地見学。ロシア人街、大菜市場、勝利広場、青泥街(大連一番
の繁華街)を歩いた。私としては普通だが、ちょっと歩きすぎだったかな??夜は
北京ダックの店へ。北京ダックの丸焼きをその場で選り分けていく。学生たちも北
京ダックの味に感動したようだ。「もう一度行きたい」学生からの感想である。
【在瀋陽日本国総領事館在大連出張所駐在官事務所】感想
パスポートの種類は二種類だと思っていたのですが、四種類もあることに驚きま
した。十年前と比べて中国も発展していて、イメージが変わりました。ただ市民の
格差は今も変わらず、不満がたまるとデモにつながり、最近も大連であったことを
日本のニュースで見ました。また、日本のメディアも正しい情報を流すことが必要
であると領事館の方が言われていました。間違った(悪い方の)情報を流すことで、
日本の中で間違った中国のイメージが出来上がってしまいます。今も悪いイメージ
があると思うので、これからは人と人との交流が大切になると言っていました。若
い世代である大学生の私たちが、次の世代に向けて新しい交流をしていきたいと思
いました。
日本国総領事館は中国に北京、上海、瀋陽、大連、青島、重慶、広州、香港の8
公館あります。また在外公館は、大使館133ヶ所、総領事館63ヶ所あります。
これらの在外公館では、邦人保護として、海外で事件やトラブルに巻き込まれた
人であったり、財布やパスポートをなくされた方や地震、津波、航空事故やテロが
起こった場合の安否確認など、様々なサポートをされます。また逮捕や拘束された
場合の領事面会などをされています。
行政サービスとして、パスポートの発給、戸籍・国籍届書類の受付(海外で結婚
したら在外公館で届出ができる)、在留届の受付、在外選挙などのサービスもされて
いる。これらは、中国在中の日本人をサポートする仕事です。
日本のことを中国の人に知ってもらうための広報もされています。広報によって、
中国の人が日本に興味を持ち、交流などをさかんにする目的があり、グローバル化
社会の今にとって欠かせない仕事である。領事館があるので安心して海外に行ける
のだと思いました。
私が印象的だったのは中国から日本へ行く人のビザ申請です。中国人が日本へ行
く際には期限は関係なく、ビザが必要だということを初めて知りました。領事館で
はビザを申請する場合、日本で違法な行為をするためのビザ申請か、そうではない
のかを見分けるとおっしゃっていました。全ての嘘を見破るのは不可能だけれど、
このような作業をしなければ犯罪を減らすことはできないだろうし、地道だけれど
疑うことから始めなければいけないのだなと思いました。
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今、中国の人に日本文化として広く受け入れられているのは日本のマンガやロリ
ータなどということだ。実際、大連でキャラクターの服を着ているのを見て、日本
のマンガ文化はとても広まっていることを実感した。
領事館の方の話で重要だと思ったのは、メディアの話を鵜呑みにするのではなく、
中国は広く様々な考え方があり、文化も違うということを知ることが大切だという
ことだ。実際、私も、日本から行く前と、行った後での中国の印象はかなり変わっ
た。固定観念にとらわれず、物事をみることの必要性を学ぶことができた。
日本領事館大連事務所には日本人が10名、中国人が14名働いていることを知
りました。また領事館の仕事では相手国との交渉・折衝や日本の約6500名の在
留邦人の生命や弁護士の役割を果たしていると学びました。また外国で犯罪した場
合、虚偽の申請をした場合、日本に行く目的がはっきりしない場合、偽造結婚など
をした場合にはビザを発行できないことを知りました。
また、大連は中国の中では一番親日で三万人もの中国人が日本語を勉強している
ことが分かりました。そして、今の中国の恐れは格差問題であり、物価上昇で社会
に対する不満や、就職率低下により反日運動を招いていることを理解できました。
中国に対する誤解が多くあることを感じた。中国に行けば、日本人は盗難に遭う
と思っていたが、実際にはそのような被害に遭うのはごくまれである。確かに 2 週
間生活した私たちは被害に遭わなかった。また、反日運動についても、本当は一部
のデモを、日本のマスコミがあたかも全体で行われているように報じている。こう
いったことは、日本にいる限りずっと分からないことと感じた。中国は反日感情が
そんなに強くないということを知った私達のような人が、日本人が考えている中国
が誤解であるということを伝えることが大切だと思った。
日本国総領事館という名前は、テレビなどでよく聞くフレーズでしたが、どんな
ことを仕事にしているのかはあまり知らず、中国に滞在している日本人を助けると
いう理解しか想像できませんでした。しかし、今回お話を聞いて、日本国総領事館
の仕事は、それだけではなく、中国にある残留法人の保護や、日本を中国に PR する
仕事があると知りました。また、日本から海外へ発信するものは日本の古い歴史的
な文化ばかりだと思っていたが、そうではなく、JPOP やロリータ、アニメといった
新しいものも海外へ発信していることを知りました。
行政サービスでは戸籍・国籍届書類の受付、在外選挙の受付等様々なことを行っ
ています。海外で結婚した場合の届け出が出来ることなども海外で暮らしている場
合には必要だと思いました。普段日本で生活しているため気づかないこともたくさ
んありますが、日本人が海外で快適に暮らして行くには領事館は不可欠な存在だと
改めて思いました。
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【日本貿易振興機構(JETRO)】感想
大連を中心に東北三省の特徴についてのお話を聞いた。JETRO では、中国系企業
と日系企業の橋渡しのような存在でもあり、日系企業に情報を発信したり、日系企
業に人材を紹介したりもしている。
これからは大連よりも瀋陽に企業は集中するようになるだろうというお話も聞
いた。大連は周りが海に囲まれており、人口も比較的少ないことから消費が限られ
ているというのが理由でもある。現に、伊勢丹やヤマダ電機、東横インなどの日系
企業がどんどん瀋陽に進出している。しかし、大連は中学校から日本語の授業を導
入している学校があるなど、親日的な街なので日系企業は進出しやすいようになっ
ている。
中国に進出しようとする日系企業にはたくさんの選択の余地があるようだ。これ
からの日系企業の動きに注目していきたいと思った。
日本貿易振興機構は、中国に広州、上海、青島、北京、香港、武漢、大連の7ヶ
所あり、この度、お話を聞かせていただいたジェトロ大連事務所の正式名称は日本
貿易振興機構大連事務処である。1993年10月1日に設立し、職員数は15名
で、その内訳は日本人駐在員6名と現地職員9名である。こちらの担当エリアは、
中国東北三省(遼寧省、吉林省、国龍江省)で、輸出促進(市場開拓)、対日投資促進、
日中省エネ環境窓口、調査・情報発信、在外日系企業支援などをされている。
こちらのお話を聞いて驚いたのは、大連に訪れる観光客の半分が日本人であるこ
とで、また日本料理チェーン店も餃子の王将、吉野家、味千ラーメン、銀平本家、
中心家などたくさん進出しているとのことでした。
東北三省とは遼寧省 吉林省 黒龍江省があり、鉄鋼石油 自動車、製薬 農業
石炭など省ごとに主要産業があることを学んだ。ジェトロでは日系企業がこのよう
な産業に参入する手助けをすることで、海外と国内各地域における交流を促進し、
新しい製品やサービスの創出や地域産業を支援している。農業について述べると、
トウモロコシによるバイオエタノールの開発が現在注目されているそうである。
JETRO( 日 本 貿 易 振 興 機 構 ) は 企 業 の 紹 介 の 窓 口 と し て 、 中 国 企 業 と 提 携 し た い
企業とのマッチング、企業の悩み・トラブルの解決を行っていると知りました。ま
た東北三省は資源が豊富で石炭が8%で、農産物が豊富。重工業からサービス業に
なってきている。吉林省では、とうもろこしが豊富でバイオ燃料やエタノールなど
の燃料になっている。また大連では鉄道が建設されていて予定では鉄道が開通すれ
ば、大連からハルピンまで三時間で行けるようになるそうだ。
また近いうちにあるダボス会議では、日本の大震災についても話し合う予定であ
ることを知りました。大連の造船・設備・製造では外資系企業が多く、日本語がで
きる人材が豊富ということを知りました。
大連は交通インフラ、大連港は中心部の東側に位置し、東北地区最大の深水、不
凍港、約 140 の国、地域との間で海運航路を設立しています。海上客運は上海、青
島、煙台などの中国沿海都もしくは日本、韓国などの港へ航行します。鉄道では、
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大連から北京、上海から沈陽、長春、ハルビンなどへ、快速列車が運行しています。
大連高速鉄道が建設中で、11 年末には開通の見込みです。東北東部鉄道も同じく建
設中で 13 年に開通見込みです。地下鉄は大連市の南北と東西をつなぐ地下鉄建設中
で 12 年末に開通見込みです。空港は大連周水子国際空港は東北地区最大の航空貨物
基地です。2010 年の利用者は延べ 1070 万人にもなる。大連ならではの港をいかし
た貿易をしているように思いました。
今、中国では東北三省が注目されている。遼寧省はその三省の中でも力を持って
いるのだと思った。大連は海に面しているため、輸出入には適しているが中国国内
で売るのには限界があるということだ。確かに、大連市のライバルである瀋陽市と
比べると、大連市は隣接する市が明らかに少ない。これは中国国内での市場拡大に
は地理的に不利であると感じた。
また、大連の日本語学習者は東北三省の中でも圧倒的に多く、いかに日本語人材
が豊富かというのも分かった。多くの大手の日系企業が入ってきている理由がわか
った。森ビルにも聞いたことのある日系企業が多く入っていた。大連の人は日系企
業が入ってくることに対しての抵抗は少なく、むしろ歓迎しているということだそ
うだ。雇用が増え、仕事の選択肢も増え、労働力を吸収してくれることは、大連の
人々にとって喜ばしいことなのだと感じた。ここでも日本総領事館のときと同様、
反日ばかりという日本人の誤解を感じた。
開発に当って環境保全も大切だというお話をしていただきました。中国で環境保
全は私の考えでは難しいと思いました。まず街を歩いてもゴミが必ず捨ててあるし、
国民もあまり関心がない気がします。このような環境から環境保全をしてくには国
民の力が必要なのではないでしょうか。中国を発達させていくには沿海部からして
いく方針は納得できました。大連は瀋陽に抜かれたとおっしゃっていたけれど、瀋
陽は周囲からも訪れやすく、人が多いからだと思います。大連も魅力的な街なので
もっと活性化していけると感じました。港が近いのは観光の場所としては良いと思
います。海鮮を売りにして他にはない街作りをしていけばいいなと思います。大連
を世界に知ってもらいたいという強い気持ちが伝わってきました。
大連の経済状況について主に話を聞きました。私は大連での日系企業の進出につ
いてあまり詳しくは知らなかったのでここで聞いたことはとても勉強になりました。
まず、初めに驚いたことは様々な企業地区があるということでした。大連ハイテク
パーク、大連ソフトウェアパーク、経済技術開発区などのことです。このときに、
主要だった重工業が情報サービス・ソフトウェア産業や設備製造に移行したのだと
いうように実感しました。更に、大連では日本語学習者数が多く、全世界の22.
7%を占めていました。日本語が出来る人が多く、日本よりも低コストで仕事が出
来るということで多くの日系企業が進出しているのだなと思いました。また、日本
の百貨店・雑貨店、日本料理店が多く進出しており、更に日本語が出来る人が他の
地域と比べて多いため日本人にとって暮らしやすく、大連を訪れる外国人の約半数
が日本人ということで大連と日本の深いつながりを感じることができました。
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(川田所長の講義)
(川田所長を囲んで)
(JETRO前にて)
(ロシア人街で)
(ロシア人街で)
(北京ダックを食べました)
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3日目(大連三島食品有限公司)
(商品開発の説明を聞く)
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9月1日(木)
本日は、大連三島食品有限公司での研修である。雨だ。朝、東北財経大 学 の
余涛さんが部屋に来た。新年度が始まり、小先生(一緒に行動してくれる、 同
大学の学生)が集らないとのこと。集らないというか、日替わりで変更する と
いうほうが正しい。色々と集めてはいただけるようだが、恒常的の参加は難 し
いということだ。また、9 月 12 日に予定していた本学との交流会は難しいとの
ことである。同日が月餅などを食べる日ということで、国民の祝日なのだそ う
だ。年度初めで忙しいことは周知のことである。だけど、国民の祝日は別に 今
日、昨日に決まった話ではないはずだ。なんで、大連に来てから言うのか・・・
「事情がわかるが、もう少し早く伝えて欲しい」
「 こちらに来てから言われても、
対応できない」と言うと、「知らなかった」とのこと。「国民の休日を予測する
ことができないのか」と畳み掛けると、
「どうしろというのだ」と、怒り始める
始末。中国の朝令暮改は今に始まったことではない。自分にとっても油断で あ
る。実施の一週間遅れも影響している。小先生との交流は、若者同士の中国 理
解でこのプログラムの重要な柱に据えていた(もちろんこれは、私のレベル の
ことであり、大学としての目的は海外企業の研修である)。それが楽しみでいた
学生も居たはずだ。それだけに残念である。交流会は9日に実施する方向で お
願いした。
さて、大連三島食品有限公司では福田総経理から話をうかがった。三島 食 品
株式会社は、大連の開発区への進出が早い企業として知られる。開発区に入 っ
てすぐのところに工場があるのもその理由である。周囲を見ると、3年前ご ろ
にはマンションの立ち退きがなされていたが、見事に建て替えがなされていた。
立ち退きに抵抗していた当時の人はどこに行ったのだろう。
さて講義では、概要を説明していただいた。今年度の講義で興味深かっ た 点
は三つある。一つは東日本大震災の影響。東日本大震災というよりも、放射 能
汚染の問題である。大連三島食品でも、食品関係の原料が日本からの輸入を 禁
じられてしまったとのこと。原発の問題の影響は大きい。損害賠償以上の日 本
の損失ははかりしれないものがあったといえるだろう。結局、現地(中国国内)
での調達が実現したとのこと。原料調達も中国、販売先も中国と、次第に中 国
の企業として現地化が実現しつつあるようだ。
もう一つは、労働賃金の問題。日本貿易振興機構で聞いた賃金上昇の話 を 早
速うかがうと、やはり問題とのこと。賃金上昇が今後も続く見通しがあり、 効
率化を図るとのことだった。すなわち、多くの労働者を雇用する労働集約型 か
ら、機械を導入する資本集約型へとシフトするとのこと。従業員も漸減して い
く傾向だそうだ。具体的には、雇用は守られているので、やめた後、採用を 控
えるという形だそうである。なるほど、アリ族(大学卒業者の就職難)も増 え
るわけである。中国は国の本質(社会主義)からも労働者を守る体質の国だ が
大丈夫だろうか。日本でも労働組合が強すぎる企業は、従業員にとって居心 地
は良いが経営を難しくするところは少なくない。労働者と経営者が相互に理 解
しあうのが日本的な経営手法なのだが、それが難しいのだろう。
ちなみに、出勤時には顔認証をするそうだ。出勤簿やタイムカードだけ で は
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心配らしい。そうそう。大学でも出席のための認証システムが各教室に置かれ
てあるが、学生証を預けたり、始業時間に認証だけして出席しない学生も居るこ
とが問題になっていた。大学でも顔認証は効果があるかも。なんてね。
そして最後、市場拡大の問題だ。日本向け販売(世界の工場)であれば、販路
は日本国内の三島食品株式会社が担うので、ただ製造だけをしておけばよかっ
た。ただ、中国国内向け販売(十四億人の市場)を考えるのであれば、それは国
内市場への販売網を構築していく必要があるのだ。この点、売り先の信用度合い
が大事になる。現金払いであれば問題ないのだろうが、付け込みなど信用取引を
するのであれば問題である。信用ある取引先を考えていく必要があるということ
である。
さて、講義が終わって工場見学。窓越しに作業風景を見学する。現在はまだ労
働集約型の印象だ。同社は、経験度合いが帽子の鉢巻きの色でわかるようになっ
ている。それを見ても、若い作業員も多いようだ。他方、機械導入は決まってい
るそうだ。来年度は違った風景になるのだろうか。かつて、工場内を見学させて
いただいたとき、若い作業の人々が一生懸命働いている姿に共感し、自分への励
みともしてきた。なんだか時代の趨勢を感じてしまう。機械化は、しょうがない
のだろうが、14 億人もの人口を有する中国人の労働の場を保障することができ
るのだろうか。多くの労働者を吸収する方向性からすれば逆行することになるの
では。もっとも企業の立場としては、そんなことは関係ないのだろう。企業と、
そこで働く人は生き残れるというのが、企業の課題なのだから。社会全体は疲弊
化しないのだろうか。国営企業も賃金は上昇しているという。利益や労働に見合
った賃金の上昇ならわかるが、若しそうでないのなら・・・いろいろと思いが去
来する。
見学が終わると、食事である。工場食をいただく。学生たちも食事に納得。美
味しくいただいた。かつては、食事時は従業員が殺到していたのだが、随分と落
ち着いてきている印象だ。言い方が悪いかもしれないが、ガツガツしなくなった
という感じである。福田総経理からは「先生も中国人化した」と、からかわれた
が、そうかな~。これはまた、中国の成長過程と捉えてよいのだろうか。
午後は、開発区見学。金石灘を回るということで、まずは中華武館へ。演舞
を見学する。レンガ割りやら、鞭芸など、40 分程度迫力ある演舞が展開された。
学生からの反応も悪くは無かったようである。
続いて黄金海岸、風景区へと行く積りだったが、黄金海岸に立ち寄った後、運
転手は開発区に戻り始めてしまった。意思疎通がうまくいかなかったようであ
る。旅行パンフを持っていれば指差しで指示できるのだが忘れてしまった。結局、
開発区の展望台に変更。開発区を一望する。以前は、霧がかかって見えづらかっ
たが、雨天後の快晴ということもあり、眺望はよかった。大連湾があり、開発区
の中心部がありと、開発区が一望できた。
夕方から『LOOK』(佐藤広告)編集部の方に来てお話をいただいた。長崎出身
の方で、一念発起で大連に来たとのこと。閉塞しつつある日本を何とかするため
にも「もっと海外に目を向けて欲しい」と述べていた。海外での苦労は当然だが、
それでも仕事が充実しているとのことである。騒音がうるさい秘密など楽しい話
もいっぱい聞くことができた。学生たちも楽しそうだった。
今年は小先生が参加しない分、ゲストとして多くの人を招待して、多くの話を
聞くことに決めた。
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【大連三島食品有限公司】感想
工場見学をした際に大根の皮は手作業で剥かれて、切られていました。日本のテ
レビ番組で放送されている工場内の映像では機械で短い時間に大量の材料が加工さ
れるというものであったので、中国の工場も同様だと思っていたので驚きました。
日本でそれが実現できるのは人件費の削減の目的と高い技術力があってこそだと改
めて実感しました。中国には豊富な労働力と低賃金という条件が揃っているため機
械化はまだ進んでいないのです。しかし、それも今までの話でこれからは労働者の
所得を上げていく国の方針により、人件費の削減が求められるようになるでしょう。
そのため機械化できるところは機械化する必要があると感じました。これは日本が
たどってきた歴史とよく似ていると思いました。大連工場では、日本で有名なふり
かけなどを製造するのではなく、レトルト食品を製造、販売している点も興味深か
ったです。健康志向になってきた現在の中国では保存料の少ないレトルト食品は注
目されるというのは嬉しかったです。日本のレトルト食品の技術は高く、味も美味
しいので中国でこれからますます広まると思いました。
中国人従業員の賃金問題についてのお話がとても印象に残っている。現在、中国
人従業員の人件費はどんどん上がっていて、三島食品での従業員の給与も1992
年時には300元だったが、現在では6500元~7000元にまで上がっている。
安い人件費を求めて中国に進出してきているが、中国でも人件費が上がっていて、
機械化を進めるなど、人件費削減に努めている。このお話を聞いて、世界は目まぐ
るしく変化していることを強く感じた。三島食品では中国のみならず他の東南アジ
アの国にも目を向けているということを聞いた。そうやって、新しいところにもど
んどん目を向けていかなければ生き残っていけない。世界がどんどん動いている中
で、自分は何ができるのか、もっと考えなければならないと思った。
三島食品は主にレトルト食品、冷凍食品、調味品の製造及び販売、食品加工コン
サルタント、代理販売を行っています。従業員は 248 人、うち男性が 40 人ほどです。
勤務は二交代制です。2002 年から東南アジアへも販売を開始しました。現在、販売
先は 50%が日本、40%が中国、10%がその他の国(東南アジア、アメリカ)になり
ます。東南アジアにはカレーが主で、アメリカにはふりかけが主だそうです。中国
ではふりかけはあまり売れないそうです。だから、中国のおかゆ文化に注目してお
かゆにかけるふりかけを考案したのだけれど、やはり売れ行きがあまりよくないよ
うです。これからはいろんな国に売っていきたいと話していました。お話の途中で
出てきた紫蘇ジュースがおいしかったです。工場見学で驚いたことは、顔認証のタ
イムカードでした。日本では見たことがありません。中国ならではと思いました。
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三島食品といえば日本ではふりかけが有名だが他の国ではふりかけ以外の販売
が多いことを知った。アメリカではふりかけをポップコーンにかけて食べることが
あるとの話は印象的だった。中国は国土が広大なので地域によって習慣も違うので、
味付けの工夫も必要だと感じた。また、ネット販売が開始されたとのことだったが、
中国のインターネット人口は多く、経済成長していくだけ増加していくと考えられ
るので、これから伸びていく販売方法のように感じた。
工場見学では作業している人の多さに驚いた。工場での勤怠管理が顔認証で行わ
れており、日本よりハイテクだった。文化が違うと発達する技術も違うのだと感じ
た。従業員の帽子の色分けは不良品やミスをできるだけ無くす工夫だと思った。工
程の最終段階では機械ではなく、人の手で確認するということだった。どんなに機
械化が進んでも人の目で見ることが重要で、一番信頼できると感じた。
会社の概要について説明を受けた。三島食品大連工場は古くから開発区にあるた
め、企業や客からの信頼があるようだ。開発区の入り口から近いことも特徴的だっ
た。大連工場では、日本で有名な「ゆかり」などのふりかけよりも、レトルト食品
を主に製造している。業務用での販売も多く、最近ではネットでも販売されている。
話しの中で一番気になったのが 1991 年入社の人の給料が今では 30 倍にもなって
いるということだ。大連(中国)経済の急成長で、物価が上がり、このようなこと
が起きた。またこれからは5年以内に給料を2倍にするという指示を政府から出て
いると聞いた。これにより、日系企業は海外進出のメリットが減り、会社として厳
しくなると話していた。話しを聞いて、今後、日系企業にとって中国進出は厳しく
なり、タイやベトナムにシフトしていくのだと考えた。
三島食品さんは私たち広島県民にとっては馴染みがある企業で、訪問する前から
楽しみでした。ここでは、大連の三島食品の説明・概要を聞き工場見学を受けまし
た。お話を聞いているときに、
「日本人は働きすぎ」ということを言われました。確
かに、多くの日本人は残業をしていると思いました。逆に中国では、定時ちょうど
に仕事を終えるとのことです。これは中国に限らず、多くの国で言えることで、普
段、日本で暮らしている私たちには分からないことが、外国に出てみることで知る
ことができます。また、中国での5カ年計画が所得倍増論ということで1年で 15%
もの賃金を上げなければならず、機械の導入で人件費削減を行うという厳しい状況
に驚きました。更に、2008 年に雇用の変化によって会社側の都合で解雇できないと
いう点からも、中国は日本と違って労働者が国に守られていると感じました。
お粥にかけるふりかけを開発中であることや、業務用のお粥の友を作っているこ
とを知りました。また、中国では支払いが良くなく、信用度が低いことを知り、日
本との違いを実感しました。最近では地方によって味を変えたり、試作中ながらネ
ット販売をしている。昔は日本人向けにしか作っていなかったが、今では、アメリ
カにはふりかけを、東南アジアにはカレーを送っているとのことでした。
また中国では、なかなか解雇ができなくて日本と違い、条件や法律が従業員側で
あり、無料の労働裁判ができ、違約金などを払わなければいけないとのことでした。
17
「LOOK」)】感想
【 大連佐藤広告有限公司(
自分も仲間とフリーペーパーを作ったことがあるので、構成力などで勉強になり
ました。また学校で「書記局通信」を作っているので、もう少し話を聞くことがで
きればと思いました。中国式の結婚式に参加でき、いい経験ができました。
日本の結婚式とは全く異なっており、驚きました。誰でも式に入れるし、すごく
シンプルに終わったりで大変おもしろかったです。他の海外の結婚式にも参加した
いと思いました。また結婚式に参加している方は皆さん大変日本語が流暢でほんと
に今はグローバル社会、国際社会になっていると実感できました。そしてLOOK
さんの情報誌は大連を観光していく上で大変便利になりました。自分もいつかはこ
うゆう人の役に立つような雑誌や情報誌を作ってみたいと感じることができました。
日本人が日本人向けに作ったフリーペーパーがあるなんて、大連に住む日本人に
とって『LOOK』はとても心強くてありがたいと思った。また、中国で仕事をす
るのにこのような形の仕事があることを知り、自分の視野が広がった。どこで誰を
ターゲットにするのか、目の付け所が重要なのだと思った。
日本人向け観光雑誌の発行についてや、中国での食事マナー、他にも色々なこと
を教えてもらいました。結婚式では、急でしたが参加することになって、とても楽
しい時間を過ごしました。結婚式は、日本とは異なり、 来られる人や服装をみても
ラフな感じの印象を受けました。また、様式も日本とは異なっていて焦りました。
日本の結婚式は長く、3時間ぐらいは座っていなければいけませんが、中国の結婚
式は、食事が終わると退席してもいいということで、びっくりしました。また、食
事面では、お皿の上にお皿が盛られるなどで、中国は多く料理を出すとのことでし
たがこんなにも出すのかと困惑するぐらいでした。しかし、この経験は 2 度とは経
験できないと思っています。このような機会をご用意していただき本当にありがと
うございました。
「LOOK」という広告会社は大連日本語情報誌『LOOK』を出版している。
日本でいうとホットペッパーのようなものである。情報誌の主な内容は、くらし 料
理 マッサージ クラブだ。特にマッサージとクラブは未成年禁止のお店が多く掲
載されている。
会 食 で は 、 中 国 と い う 国 で 経 営 し て い く 上 で 重 要 な 話 し も 聞 け た 。「 面 子 = メ ン
ツ」
「コネ」が重要だそうだ。中国人はメンツを大事にしていて、目上の人へのメン
ツを立てなければいけないのだ。もし、メンツを潰すようなことをしてしまえば、
会社との契約や取り引きなどは解消される。メンツを立てることで、その人とのコ
ネができ、そこからまた新しい人の紹介などがもらえる。また警察に捕まってもコ
ネや賄賂次第で罰金などが軽くなったお話を聞くこともできた。このような文化は
日本と少し違うと感じた。日本では少なくとも表沙汰では起きないことである。
この会食をきっかけに日曜日には南さんの友人と中国人の方との結婚式に参加
することになった。とても貴重な体験となり良い思い出となった。ここでもコネク
ションの大切さを実感できた。
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飲食店からマッサージの案内まで大連に旅行にきた方にはすごく助かる一冊だ
と思いました。実際、
『LOOK』を見て、大連でインドカレーやイタリアンを食べ
に行きました。やはり大連は中国の中でも特に日本人が多いので、日本人のための
情報雑誌は必要だと思いました。
大連発行のフリーへーパー(LOOK)編集部の南さんにお食事も兼ねてお話を
聞いた。大連佐藤広告有限公司(LOOK)は「必要としている人に、必要な情報 」
をコンセプトに,大連在住の日本人駐在員や留学生、また旅行者のために作られて
いるそうだ。実際に自分たちも主にLOOKを見て行き先を決めることが多く、と
ても助けられた。
私たち日本人の女性は食事の場所や美容院を決めたりするのにフリーペーパー
を利用する人が多々いる。コンビニエンスストアにおいてあるフリーペーパーもす
ぐ無くなってしまうくらい人気である。しかし、中国の女性はフリーペーパーにあ
まり関心が無いとのことだった。インターネットの方が力を持っているということ
は意外だった。
『LOOK』は大連でのシェア、発行部数が 1 位ということだったが、広告は 9 割営
業で取りに行くということで、掲載企業の確保も大変なのだと感じた。フリーペー
パーである『LOOK』の認知度が上がらないと営業先も掲載を承諾してくれないと思
うので、そういった意味でも市場を拡大していかないといけないのだと感じた。
『LOOK』は大連を拠点に製作されている日本人向けのフリーペーパーの名前です。
大連の観光地や地図、マッサージ店なども掲載されています。
『LOOK』の方にお話を
伺ったのは食事会の場でした。非常においしい食事をいただきながら楽しい雰囲気
でさまざまなお話を聞けました。
『LOOK』に掲載されているお店はほとんど、実際に
編集している人が赴いてページを作るということで、お勧めのマッサージ店を教え
ていただけました。日本人が経営者の飲食店には『LOOK』が必ずといっていいほど
店頭においてありました。それほど大連在中の日本人にとって助かるフリーペーパ
ーだと思いました。私はこの後中心屋さんに行った際に、向かいにあった準備中の
居酒屋さんの店頭に LOOK が置いてあったので、店員さんが日本人ではないかと推測
し、トイレを借りることができました。後々そのお店は中心屋の系列店だったこと
を知りましたが、このように LOOK は大連で日本人にとって強い味方だと思いました。
『LOOK』の南さんとの出会いがなければ日本料理のお店、マッサージなど大連の
情報を手に入れることができなかったので、とても良い機会でした。大連での危険
な情報や信用できるお店を教えていて頂きましたが、このことから旅行の怖さ、面
白さ、経験という素晴らしさを感じました。
知らない土地で怖がっていてはできない仕事だと感じました。日本で旅行者向け
の雑誌を作るのとでは異なるので、作るのにうまくいかないこともたくさんあると
思うので、苦労されてできた一冊だと思います。そのようにして情報提供して頂く
ことは有難く、大連で良い思い出を作って帰ることが恩返しなのではないかと思い
ました。もしも私が旅行者向けの雑誌を作る立場だったら、自分の雑誌に掲載した
お店に行って喜んでもらえたらやりがいを感じます。人と関わることが好きな人で
なければできない職業だと思います。
19
(会社概要の説明を受ける)
(窓越しに説明を受ける)
(作業の様子)
(工場前で総経理と)
(中華武館で演武見学)
(佐藤広告『LOOK』の話を聞く)
20
4日目
大連小野田水泥有限公司
(工場内の説明を受ける)
21
9月2日
この日は大連小野田水泥有限公司での研修である。同社は太平洋セメント株式会
社出資の日系企業である。太平洋セメントといえば、国内最大のセメント会社であ
る。実は、同社の大船渡工場が東日本大震災の影響を受けている。しかも、復興を
考える時、道路整備、港湾整備などを考えるとセメント企業としての同社の役割は
大きく、多忙であろうと考えていた。そんな状況の中でも、歓迎していただき、心
より感謝したい。
同社を訪問すると、工場敷地内は緑いっぱいになっていた。午前中は講義と工場
の見学、午後は実験である。講義では、管理職に中国人が次第に増えてきていると
いうことと、管理職に女性が加わっているという様子をうかがった。また、中国の
ライバル企業と比較してセメントの質では優位性を維持している。道路などでも橋
脚など、大事なポイントに多く使われているという話しである。新しいところでは、
自家発電の施設を建設中とのこと。セメントで不要となった熱エネルギーを利用し
たものだそうである。中国政府からの指導によるそうだが、しっかりと利益も上が
る計算だそうだ。環境問題を含め、有益であるとすれば、すばらしいことのように
思われる。政府の方向性が明確な中国は動きが早い。
工場見学では、石灰山が一層大きく削られていたのが印象的だった。大きなクレ
ーターという感じである。「数億年でできた石灰山を数十年で削るのだから資源を
大事に使わなければならない」というお話は印象的であった。世界規模で資源問題、
環境問題も真剣に考える必要があるだろう。
お昼は毎年定番?と言われるカレーライス。美味しく、たくさんいただいた。学
生たちも久しぶりに日本の味だった?
午後はセメント検査の実習。セメントの品質というと、細度、凝結時間、安定性、
強度などが挙げられる。セメント製品の安定性を確認するためにも毎日検査が繰り
返されている。午後、学生たちはセメント検査の実習である。いくつもの部屋で、
様々な検査が繰り返されている。
当日、有益だったのは、セメント検査で指導していただいた現場職員(中国人)
から直接お話しが聞けたこと。創業時の思い出話を聞くことができた。大連小野田
水泥有限公司に入社を決めた理由は、中国の閉塞的な当時、日系企業で何か別のも
のを感じてみたくて入社したとのことだった。入社理由について、当時、「日系企業
は賃金が高かった」というコメントには激しく否定していたのが印象的だった。天
安門事件など、多くの問題を抱えていた中国の社会情勢の中、夢と希望をもって大
手の日系企業に応募したということなのだろうか?日本経済史では、こういったモ
チベーションを評価するのは難しい。とりわけ多くの中国人は賃金を理由に異動す
ると言われる。きっと、日本経済史で当時の様子を紹介すると、改革開放の時、日
系企業に入社した人が多かったのも賃金が高かったことが理由になるだろう。だけ
ど、このような日系企業に何かを期待して入社を志した人も居たという事実は忘れ
てはならない。とくに技術者などにはそういった向上心、モチベーションが入社へ
の動機付けになる場合も多いだろう。心に刻むべき話である。経済が停滞し、社会
が沈滞すれば、日本でも同じことが起きるに違いない。
22
夜は懇親会を開いていただいた。いつも、太平洋セメントの日本人の出向社員が
参加していただいている。今回は通訳の方(中国人)も参加していただけた。中国
での仕事の話、就職活動のようす、大学で何を勉強しているか・・・色々なことで
話しの花を咲かせる。世代間ギャップを感じるのだろうが、親切に話をしていただ
き感謝である。
懇親会の場所は和食を選んでいただいている。学生たちも久しぶりの和食に大喜
び。時間制限の、食べ放題だったが、学生の無尽蔵の食欲に驚きだ。食べ放題は、
どうしても多く食べ過ぎてしまう。私は・・・・最後のデザートでバニラアイス2
個食べてしまった。メタボだといわれているのに・・・・
【大連小野田水泥有限公司】感想
地震の影響で岩手県の会社が壊滅していて、今は瓦礫の処理に取り組んでいると
聞いて、やはり地震の影響は大きかったことを感じました。また従業員はほとんど
中国の方で設備などは中国に借用しているのだと知ることができました。
現在、工場がある所では昔は何もなかったが回りに住宅街が増えて環境問題にな
っていると聞き、昔の日本を連想しました。また昔はアメリカに輸出していたが現
在は中国にシフトして利益を上げていることを知りました。また商品を売った後の
ユーザーケアが大事で、売って終わりではなく、売った商品に最後まで責任を持つ
ことが大事だと知りました。
また工場で出る熱を有効利用して企業としてはコスト削減を目指し、また日本よ
りも中国では育児休暇が取りやすいときいて驚きました。
太平洋セメントではまず初めに金子副総経理にお話を聞いた後に、セメントの原
料を取っているところや、実際にセメントを作っているところ、セメントの品質検
査をしているところなどを私たちに見せてくれた。
私は、セメントとコンクリートの違いも分からなかったのだが、太平洋セメント
でセメントについて教えてもらい、セメントのことが良く分かった。実際に工場を
見学したりする時は中国人の従業員の方が教えてくれたのだが、その従業員の方が
「毎日働くのが楽しい」と言っていたのがとても印象に残っている。そう言えるの
はとても幸せなことだと思った。太平洋セメントは従業員が私たちに対して皆優し
くて、楽しそうに仕事をしていたのでとても良い雰囲気の会社だと思った。そんな
太平洋セメントだからこそ日本、中国、その他の国でも信頼される品質を作り出せ
るのだろうと思った。
太平洋セメントはコンクリートの原料を敷地内の石灰山から掘っている。20年
前から石灰石を掘っており、残りが 7000 トンで、30 年くらいはもつそうだ。中国
には同じような石灰山が多くある。セメントのライバル会社が 10 社ほどある。太平
洋セメントは値段が高くても、品質があり強度があることを売りにしていた。日本
の会社の技術の高さを知ることができた。
石灰鉱山と工場内を見学した。工場内は大きな機械があり安全が徹底していた。
石灰岩の山はとても大きく、工場から車で5分程度で着く距離にあった。
午後から、セメントを作る作業や電気分解による性質検査などの説明をうけ、実
23
際に作業した。理系の人がするような作業で、実際に働くとなると知識が必要で日々
の実験結果が重要な仕事と感じた。一日を通して珍しい経験ができたと思う。
従業員は全部で 370 名、うち日本人は 4 人になります。クリンカは一日 4500t、
品質管理はすべてパソコンで行っています。セメントの種類は三種類で、国内のみ
に販売し輸出は現在していない。中国の文化、日本の良いところを重ねたコミュニ
ケーションが重要とのことでした。安全管理、意識の問題、いかにコストを下げる
かを(省エネ)考えることが大切だ。
工場見学では、想像以上に大きな機械ばかりで迫力があったが、その分、安全性
を保つのも大変だと感じた。石灰鉱山はスケールが大きく、この山がどんどん無く
なっていくことは資源が減ることでもあるので、脅威を感じた。
廃棄物からもセメントを作るというのは環境保全につながると思った。普通なら
捨ててしまうものを無駄にせず、かつ会社の利益になるというのは素晴らしい考え
である。品質管理においては、セメントの材料について1日に何十回と実験してい
るとのことで、品質のチェックがとても細かいと思った。どれも化学的な内容で理
解が難しかったが、クリンカの成分を顕微鏡で見たときは、光の屈折で色が変わり、
万華鏡みたいで綺麗だった。
中国の人から見た日系企業のイメージが聞けて、価値観を知ることができ、とて
もためになった。また、スポーツ大会や運動会もあり、コミュニケーションを深め
るための工夫がなされていると感じた。
太平洋セメント株式会社でセメントの作り方や、日本企業と中国の関係、中国に
進出する上での注意点などを学びました。私は「100 パーセント日本と同じやり方
でやるのではうまくいかない」という言葉が一番印象に残りました。私は、日本の
製品は質がよく受け入れられているので日本にいる時と同様にしたらいいと思って
いたからです。しかし、中国はそうはいかないことを知りました。
太平洋セメントでは初めて実習させて頂きました。実習をしてみて、中国人の方
の優しさ、一生懸命さを感じました。私がイメージしていた中国人とは全く異なっ
ていました。笑顔で、とても丁寧に教えていただき、職場の雰囲気の良さになによ
り驚きました。普段見られないセメントの検査の仕方を見るだけではなく、一緒に
やらせて頂いて、複雑なのに一つ一つきちんと調べていて、とても大変そうでした。
また、セメント作りには欠かせない石灰石の運ぶ様子も見学させてもらい、セメン
ト作りの始めから見学できて良かったです。工場の中で緑を生やしていることもよ
く考えているなと思いました。工場の近くに住んでいる人に迷惑をかけないように、
住民のことも考えているのだと感心しました。
橋や建物を作るのにセメントはかかせません。丈夫で立派なものを作るには、定
期的な検査をしているからできることなのだと思います。少し前は異常がなかった
から今回も異常はないだろうという考えではなく、常に正常なものであるかと作る
過程から考えているので、安心して街づくりを任せられるのだと感じました。
太平洋セメントでの見学はセメント工場ということもあって迫力がありました。
最初に案内された石灰石の鉱山は、ドリルで穴をあけて火薬で爆破して石灰石を取
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りだしていました。危険な現場ですが事故は今まで起きたことがないと聞き、安全
管理が徹底していると感じました。そのあとに案内された巨大なキルと呼ばれる窯
は外からでも熱が伝わるほど熱かったです。途中で出会った現地の職員の方たちは
とても気さくで、日本人である副総経理にコーラをくれるほどでした。会社の雰囲
気がいいように感じました。工場の敷地内に木が植えられ、緑も多いのが印象的で
した。セメント会社は都市が発展していく上で一番初めに必要な施設であることを
私は思ったこともありませんでした。確かに、港も空港も、道路もビルも発電所も
セメントがなければ始まらないのです。小野田セメントは戦前から海外展開に積極
的であり、戦後も中国の発展に先駆けて大連に会社を作ったという功績は凄いのだ
ろうと思いました。
太平洋セメントを訪問し、午前中に説明、午後からは工場内見学でした。説明の
ときに環境保護にも力を入れられているように感じました。中国という国は環境に
対してお金をかけないとのことでしたが、太平洋セメントでは品質管理は自分たち
で意見を出し合うことで最善策がとられているなどの様々な工夫がありました。ま
た、午後からの工場内見学では自分が思っていた以上に間近なところから作業を見
ることができ、体験もさせてもらえました。普段なかなか見ることができないもの
など見せてもらい、とても勉強になりました。更に、私たちが質問したときにも丁
寧に教えてもらえたので、理解しやすかったです。ただ、化学記号や物理の話など
の理系関係の用語が出てくると分からなくて、企業の方を困らせてしまい、普段の
自分の知識の乏しさを痛感しました。今回の企業訪問で何気なく見掛けている物が
様々な工夫や経験、努力によって成り立っているのだなと思いました。
大連小野田水泥有限公司からのメッセージ
無事にご帰国されてお疲れが出る頃でしょうか。お疲れ様でした。研修先として
弊社にお越し頂き有難うございました。
例年でありますが、今年も元気な学生さん達の姿を拝見して元気を頂きました。
懇親会は我々会社のメンバーも楽しみにしていますので、大連小野田で研修頂く限
りは是非これからもお任せ下さい。
私は東京練馬の出身なので、小さい頃は西武池袋線を走るセメント貨車を見て育
ちました。小学校の遠足で武甲山の石灰石採掘も見学しました。従って就職先にセ
メント会社を選んだのはとても自然な感じでしたが、今の子供たちにとってはセメ
ント工場見学は貴重な体験なのですね。
毎年、研修をお引き受けする時に思うのは、少しでも、セメント業界と太平洋セ
メントを知ってほしい。少しでも、ファンが増えて欲しいという思いです。昨年は
「コンクリートから人へ」などと言われて業界全体が逆風でしたが、今般の震災で
セメント・コンクリートの社会的価値が再認識されたのは業界にとっては溜飲を下
げた思いです。
社会貢献はインフラ産業である我々の誇りですから。
御身体に留意され益々ご活躍されることを祈念し、来年もお会いできることを楽
しみにしています。
食べすぎにはご注意を。お互いに余り若くありません。
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(工場内の説明を受ける)
(セメントの品質検査の説明を受ける)
(本部前で)
(セメント業界の動向を聞く)
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5日目(9月3日)(東北財経大学内見学・京劇鑑賞)
この日は、大学学内見学と京劇鑑賞。宿泊している寮が東北財経大学の敷 地
内にあるので、環境に慣れる意味でも学内の見学は早々に済ませておくべき内
容だが、日程上難しかったので、この日に実施した。新しく開館した図書館と
校舎を見学する。図書館内はきれいで広い。特に印象に残ったのは、多くの学
生が学んでいること。去年、学内を見学したとき、校舎の階段の踊り場などで
勉強している学生を見かけた。学びの環境が改善されたということなのだろう。
大学なのだから当然といえば当然だが羨ましい。
広い学内を歩いている途中で、学生たちが注目していたのは「東北財経大 学
ベスト 150」これは、大学卒業生の中から、個人、グループでベスト 150 を選
定し、掲示に紹介するもの。選定基準は GPAに基づく成績と、教員の推薦。こ
れに紹介されるのが在学生の目標でもあるそうだ。
校門と校舎の前でお決まりの写真撮影。街中で食事をとも思ったが、土曜 日
の昼は食堂はどこも混雑していそう。結局、学食(国際交流食堂)で食べるこ
とに。これも良い経験だ。カツがおいしいとのこと。そうなのか。
午後は京劇。物語もわかり面白かった。演目の選定も少し観客を意識して い
るようだ。学生たちに対しては、なかなか理解してもらえない。しょうがない
が、中国文化・芸能の理解として毎年必須にしている。我慢して(寝ないで)
鑑賞して欲しいところである。
その後、北九州市と友好都市締結を記念して造ったといわれる北大橋に行く。
バスから降り、眺望を楽しみながら歩いて渡り、老虎灘公園を散策した。市街
地と開発区、そして大連の三つの観光はこれで終了。その後は、皇城老女馬で
夕食。火鍋は大連、東北地方の郷土料理。皇城老女馬は、火鍋で有名な料理店
である。例年、鍋は辛いものを選ばないのだが、今年は辛い物好きの学生のた
め、一つだけ辛い鍋を用意した。学生たちも汗だくの状態で食べていた。
(新設された図書館の説明を聞く)
(ベスト 150 の説明を聞く)
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(東北財経大学の前で)
(国際交流食堂で)
(労働公園の前で)
(京劇の様子)
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(京劇芸人と一緒に)
(橋の上なのに?何をしている?)
(北大橋にて)
(肉に感動??)
(結婚式に飛び込み参加しました)9月4日
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6日目(ホテルへ移動、結婚式への参加)9月4日(日)
本日は旅順見学だったが、結婚式に参加することにした。これは『LOOK』のヒア
リングのときに「9 月 4 日に結婚式があるのだが、参加して見ないか」という誘い
を受けたもの。こんなに簡単に参加してよいものか心配だったが、学生たちの参加
の希望が強かったので、参加することにした。もちろん、旅順見学は行程に含まれ
ているので、これは9月 10 日に変更。結婚式の場所が市街地になるので、そのま
まホテルへ移動ということになる。荷物もバスにのせることにした。慌しい朝とな
ったが、朝9時、無事に出発。
さて、結婚式会場に到着。「ここ、ここ」みんなで写真撮影などをしていたが 、
どうも違う。名前も、どう見ても中国人の名前である。「本当にここ?」尋ねてみ
たら、そこではなかった。もう少し歩くと、目標地が見つかった。
結婚式は、簡単なセレモニーのあと、各テーブルでのあいさつ回り。白酒での乾
杯が行われる。新郎が日本人で、新婦が中国人。国際結婚ということなのだろうが、
幸せになって欲しい。結婚式の場は、社交の場でもあるようだ。色々な方々を紹介
してもらった。そのうちの一人、天津外国語学院で日本語の教員で、退職後、大連
に居るという方ともお話をうかがった。日本史に関心があるとのことで、後でホテ
ルでお話を聞くことに。戦時中の日本での疎開の話し、戦後直後の食糧不足、中国
渡海後の文化大革命、多くの歴史を、一身に背負った生涯である。「今は夢のよう
だ」ということを述懐されていた。「中国は難しい国」私の実感だが、中国の歩ん
できた道として改革開放政策は、決して悪い方向ではなかったようである。
ホテルでは支配人と 6 日の実習についての打ち合わせ。お話しだけでは物足りな
いし、1日だけの実習で制服貸与も難しい。結局、テーブルマナーとベットメイキ
ングを実習にした。このとき、支配人からホテルのマネジメントの話しを聞いた。
経営を上手くするのに秘訣などない。実は 2002 年にラマダホテルを利用して以来、
ほぼ毎年、同ホテルを利用している。だから、毎年支配人の姿を見ていた。支配人
は毎朝6時から、朝食時には立たれる。味噌汁の味見、食事のチェックを行なう。
支配人は朝食時に立たれているので、日本人宿泊客は安心感を与える。きっと、支
配人として欠くことのない日課なのだろう。厳しい現実と常に目配りしている。住
み込みだそうだ。日本に帰るのも数日しか無いらしい。ホテルの支配人は一生をホ
テルに捧げている。
この日の夕食は、お好み焼き屋。広島風お好み焼きをみんなで食べた。「美味 し
い」これが感想。本場の学生たちからお墨付きをもらったのだから、なかなかとい
うことだろう。帰り、市電で帰ろうと、駅で待っていたら、何やら日本語が。「ど
ちらからですか」から始まり意気投合した。北海道の昆布業者とのこと。
北海道の昆布を、大連で缶詰にし、そのあと再度、北海道に送るそうである。し
かし今年は、原発事故の関係で昆布の大連への輸出が認められず、結局、昆布も中
国で調達したとのこと。原発の影響がここにも出ている。今回の原発事故の結果、
日本から中国への輸出が止められ、結果として現地(中国国内)調達を実現してい
る。日本人は「ただ、お金を払って食べる人」、ということですか?北海道の昆布漁
業が心配だ。
30
7日目
(大連山九国際物流有限公司)
(大連港で説明を受ける)
31
9 月 5 日(月)
本日は大連山九国際物流有限公司。国際物流としては著名な会社である。池永総経
理は広島県人会の会長をされているとのこと。門の外まで出てきて下さり迎えていた
だいた。運転手も運転手。保税区の南口から入るように言っても、正門から入るので、
道がわからなくなっている。中国人は、いくら指示しても、自分が良いと思ったこと
をするとのこと。この運転手も、その特性があらわれている。
社内には本学大学院の候さんが居てくれた。会計学(原価計算論)の陳教授のもと
で、今年度修士論文を作成する。池永総経理とは大連広島県人会で知り合ったそうだ。
どこで、どのように知り合うのかわからない。いろいろと気を遣ってくれて感謝であ
る。同じ修大生と聞くだけで安心する。すぐに講義に入ったので、あまり話しはでき
なかったのが残念。
講義は会社の概要と貿易実務の専門知識の話し。そして物流統括部の森田部長から
は具体的な物流の話。山九株式会社は元々船会社の荷役から発展している。重量物輸
送技術を得意としている。また、大連山九国際物流有限公司では東北三省に向けた輸
送を担っている。たとえば、日本企業から瀋陽まで輸送しようとすれば、日本から大
連、大連から瀋陽へと輸送手段を調達しなければいけなくなる。これを山九国際物流
有限公司に依頼すれば、色々な手間を含めて一切を担うことができるというわけだ。
山九株式会社は世界に展開している山九グループの特性を生かしつつ、こうしたサプ
ライチェーンの最適化を図ることで、収益力の向上に貢献しようとしている。小口輸
送なども受け入れており、キメ細やかなサービスを提供しているところが強みである。
当初は日中間の物流を手がけていたが、今は中国国内での物流にも関与している。一
貫輸送システムを可能とするためには、自前の輸送手段を有するか、輸送手段を調達
するシステムを構築することが大事となる。大連山九国際物流では自船もトラックを
有していないので、輸送手段の調達システムを構築しているとのこと。船舶について
は、日本との定期航路はいくつもあるので、自船を有する必要は無いとのことであっ
た。また、中国国内では、輸送会社の信用をどのようにして確認するかが課題となる
が、そこは、日系企業との付き合いのある運送会社と取引したり、事前に教育するな
どをしているという。
中国市場を展望する上で信用取引を理解できる中国企業を選定することがポイント
である。そのあと、大連港へ連れていっていただいた。コンテナが往復し、鉄道、船
舶への積載の様子がわかる。戦前から不凍港として大陸への窓口だった大連港。今も
重要な意味がある。
32
【大連山九国際物流有限公司】感想
“多様化するニーズに対応していく”というのがこの会社のモットーです。モノ
づくりを支える、画期的技術、オンリーワンの技術力と常に品質向上をめざしてい
る、すばらしい会社だと感じました。物流にはあまり興味がなかったのですが、
“モ
ノを運ぶ”というだけのことではなく、奥深いものがあり、この会社の情熱が伝わ
りました。社長の目標は「アウトソーサー№1」だそうですが、その目標を押し付
けるだけでなく、人を大切にすることが印象的でした。人材を人財と呼ぶそうです。
山九株式会社は本店を福岡県北九州市に、本社を東京都中央区に置く港運・陸運
がメインの総合物流企業である。一般港湾運送事業、貨物自動車運送事業だけでな
く、国際物流事業、倉庫事業など、幅広い物流サービスを提供している。
中国大連では、海上・陸上・航空貨物取扱業、通関業、倉庫業、作業請負、修理
保全業、物流コンサルティング業をしている。こちらの従業員は、120名で、そ
のうち4人が邦人で116名が現地社員である。
社名の山九というのは八幡や徳山といった九州地方や山陽地方を基盤として事
業をしていたということや、頭文字と英語の Thank you を掛け合わせてできた。
こちらの話を聞いて驚いたのは工場を移設する際、完成形のまま運ぶことができ、
しかも設置場所をミリ単位で調節できるということです。このようなすごい技術を
もった会社が日本にあるなんてとても誇りに思いました。
山九株式会社は、中国のみならず東南アジアの各国やブラジルなど世界各国に展
開していて、グローバル化に広く対応している企業である。そんな山九では現在、
現地化を強く進めている。しかし、どこにいっても山九の仕事の質を変えないよう
に外国人労働者のレベルの向上に努めている。また、現在では中国からインドへと
いうように、一度も日本を通さない物流が増えているという話も聞いた。グローバ
ル化が進む中で日本の立場は危ぶまれており、産業の空洞化が大きな問題となる。
実際に海外で働いている人に直接、現地化についての考え方などを聞くことがで
きたのは大変貴重な体験であった。グローバル化がより一層進む中で、これから私
たちはどうしなければいかないのかとても考えさせられた。就職活動をする際には、
広い視野をもって取り組まなければならないと感じた。
初めは、雑貨類などの商品を中国に仕入れているものが物流と思っていたが、こ
の会社はそのような雑貨類だけでなく、とても大きな部品の輸送もしている。ジャ
ッキップ工法とモジュール工法を使うことで、橋の部品など、重量のあるものを一
括して輸送できるそうだ。日本の機械の精密さ技術の高さはすごいのだと実感した。
実際に港へいき、コンテナが運ばれる風景を見た。大きなコンテナが機械で持ち
上げられ、次々と重ねられていた。
会社は世界中に会社があり、ブラジルにもあるそうだ。ブラジルの会社の責任者
の方はサッカー日本代表候補の永井選手の父だと聞いてとても驚いた。
33
超重力物輸送「ユニット・ドーリ」のビデオは、工場や道路をそのまま運べると
いう印象的なものだった。物流というのも様々な種類があるのだと感じた。貿易に
関する用語も知らないものが多く、商学部の学生としてこれから学習していかなけ
ればならないと感じた。中国では人脈を作っていることが大切だと感じた。こうい
ったことは、日本国内での物流では考えなくても良いが、国際物流では考えておか
ないと損をしてしまうと感じた。
また、大連港に行ったが、そこには船に積載するためのコンテナがたくさんあっ
た。コンテナが規格からオーバーしたら、実質 6 倍の料金を支払わなければならな
いということに驚いた。しかし、実際には頼めば 6 倍の料金を支払わなくても何と
かなるとのことである。非常に大きなコンテナを人が操縦して動かしていて、風も
すごく吹いていて危険な現場であることが伝わってきた。普段見学できる場所では
ないので良い経験になった。
山九国際物流有限会社は企業向けにものを運ぶ会社です。ものを運ぶと一口に言
っても規模が非常に大きく、機械や建物、工場自体などを運び指定された場所にミ
リ単位で運び、配管や電気を通します。太平洋セメントと同じく、都市が発展して
いく上で欠かせないのが物流ではないかと思うようになりました。物流には貿易以
外に果たす役割もあります。インフラ設備や電力会社、大きな工場を建てるときに
山九は力を発揮します。例えば今まで、日本から広東省の火力発電所や上海の製鉄
所、自動車を作るときのプレスなどを運んだそうです。私はそれを聞いて物流には
さまざまなものがあることを知り、また高度な技術に驚きました。日本の物流技術
は世界に誇れるものであるということが知れてうれしかったです。
また人々が嫌う3kの仕事を誇りもってやっていることに尊敬を抱きました。ま
た大連でも部品などが減産されて一個でも部品が届かなかったらできないことや物
流企業を展開して必要な施設を作っていることを知ることができました。また毎日
危険にさらされている仕事なので、人を大切にするという理念があり、人材を人財
と言葉に書き換えている所から私もこういう企業に入りたいと思いました。採用で
は本社採用と地域限定の支社採用に分けられていることを知りました。
大連山九国際物流会社さんが持たれている世界一の技術である「ものを運ぶ」と
いうことについて学びました。他には、日本と中国の関わり方のついてのお話もし
て頂きました。興味深かったのが、安い労働力を求めて中国に進出するというより、
これからは大きな市場である中国としてみた方がいいということです。最近では、
日本で売られているものの中でも、Made in China から Made in INDIA に変わって
きているという印象を受けました。中国の市場は日本とは比べ物にならないくらい
大きく、モノを売るとなると、中国を視野に入れなければいけないと思いました。
今回のお話で印象に残ったことが改善活動についてです。以前、講義でトヨタに
ついて学びましたが、トヨタも改善の際に従業員から案を提出させたのを思い出し
ました。山九では、改善提出申請用紙を提出し、改善されればボーナスに反映した
り、表彰があるとのことです。こうすることで社員のやる気を上げ、働きやすい職
場を作り出しているのだと感じました。その後、港に連れて行っていただき、流通
現場を見ることができました。重たい荷物を輸送するので慎重かつ正確に運搬しな
ければならず、いつも危険との隣合わせであることを実感しました。また、自分が
思っていた以上に流通現場で女性の方が多く働いていたのにも驚きました。
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総経理から説明を聞く
全員で記念撮影
35
8 日目
九州華美達大酒店(ラマダプラザ大連)
テーブルマナー用
修道特製メニュー
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9月 6 日(火)
本日はラマダホテルでの実習である。ラマダホテルは我々が宿泊しているホテル
でもある。実習の可能性を打診したところ、快諾していただけた。感謝。
午前中は、平田支配人と斎藤営業部長からの講義、ランチの食事はテーブルマナ
ー研修、そして午後にベットメイキングの研修である。
営業部長の講義はホテル内の組織と営業のあり方、そして、海外で働くホテルマ
ンについてお話をうかがった。ホテルには、経理、修繕(エンジニア)、保安部(セ
キ ュ リ テ ィ ー )、 客 室 係 ( 洗 濯 、 制 服 の 管 理 )、 フ ロ ン ト ( 両 替 、 ベ ル マ ン 、 オ ペ レ
ーター、ビジネスセンター、車の手配)、料飲部(ルームサービス、会議室、結婚式、
手配)、営業などの部門がある。日本のホテルの場合は、結婚式などの料飲部が利益
を担うが、日本以外のホテルの場合は宿泊で利益を得ているという。
ホテルマンはキャリアが重要であるとのこと。だから、その時々で自身で多くの
ことを学ぶことが、次へのステップにつながるのだそうだ。年棒制で、契約によっ
て世界の様々な都市に行くということ、など様々なことを学んだ。
「おもてなしの心」
や「共感能力」を持っている人がホテル向きなのだそうだ。講義終了後にはホテル
内の見学。スイートルームの見学は学生たちも大騒ぎ。1泊 700 万円には、とても、
とても。1泊 20 万円程度だったら、20 人ぐらい一緒に泊まれば割安・・・などと考
えていたが、それは「とらぬタヌキの・・・・」である。とにかくでかいし、眺望
もすばらしい。政府高官など余程の人でないと難しいとのことだ。一生に一度・・・
いや、ないない。
支配人の話しは、資料をもとに、常識的なマナーを紹介。私の方からお願いした
内容だ。「マナー講習なんて」などと思っていたが、どうしてどうして、役に立つこ
とが多い。知っていそうで知らないことも多くあった。マナーは聞くだけではダメ
だ。しかも、若いうちに実習で反復しなければ身につかない。
印象に残ったのは、支配人が若いときの修行中の話し。トイレを掃除したら、「ト
イレの便器で顔を洗え」と言われたという。それだけ、きれいな便器を心がけると
いうことだ。今、そんなことを学生に指導したら、パワハラだ。「まずはお前からや
れ」などと、言われかねない。60 歳代が筋金入りである意味がよくわかった気持に
なる。
お昼のランチはテーブルマナー研修。メニューは修道オリジナル。ワインから始
まり、マシュルームソース、サラダで、メーンディッシュはポークピカタ。食後は
ティラミス、コーヒー(または紅茶)、チョコレートというコース料理である。食事
中は緊張したが、とても美味しかった。もちろん、テーブルマナーのポイントを学
んだ。
食事後、少し休憩して、ベットメイキング。丁寧に説明していただき、そのあと、
学生も2人1組で実施。結構、重労働。ホテルは、多くの従業員を雇い、そして、
多くの仕事があることを実感。サービスを低下させるわけにもいかず、経営的には
大変なことも多いのだろう。これが率直の感想である。客にどれだけ満足させるこ
とができるか。これはサービス業の永遠のテーマである。
ちなみに、日本人と中国人の違い。不備を見つけたとしても、その時苦情を申し
出ず、後日、連絡するのが日本人。その場で注文するのが中国人だという。完璧を
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求めるのが日本人で、不備があることは前提とし、不満の時にはその場で解消しよ
うとするのが中国人ということだ。
同じチェーン店でも、味が違うことも多いようだ。中国人は、いくら言っても「自
分にとってこれが正しい」と思うと、そうしてしまうそうだ。だから、料理も我流
である。なかなかマニュアルどおりにしてくれない。そして、仲間同士で教え合う
ことをしない。しかも、コックは、賃金が高ければ翌日には運送会社に勤めること
もあるそうだ。仕事に対してプライドが無い。これがマネジメントの悩みの種のよ
うである。
夜はホテル内で食事。時間があったので食後はマッサージに行く。男子学生三名
と一緒に。岩盤浴に寝ていること40分。学生たちから色々と打ち明け話を聞く。
いまどきは、酒を飲むより、こういう場の方が話しやすいのだろうか。さて、その
マッサージ。腰が痛くなるほどツボを突かれた。「腸が悪い」「ここは胆のう」「こ
れが肝臓」など・・・ウーン、ここが悪いのか。心当りがある分、少し怖い。翌日
から快腸、快便となる。マッサージ効果か?
【九州華美達酒店(ラマダプラザ大連)】感想
海外でのホテルマンは雇用の保証はなく、雇用期間が終わっても継続又は他の会
社からの引き抜きがあることから日本人の感覚では安心できないと感じました。し
かし、会社が変わると役職が上がりやすい、給料が上がりやすいので向上心がより
高まるのではないかと思いました。その反面、日本人のホテルマンが海外で働く際、
為替の問題が大きいということも事実です。円高の現在、日本への仕送りが大変だ
という不満もありました。
ラマダホテルさんの研修でコース料理のマナーを学びました。大まかなことは知
っていましたが、細かいことも教えて頂いたので、これからの機会に参考になりま
した。マナーばかりではなく、お食事は楽しくすることが大切だとおっしゃってい
て、私もその通りだと感じました。美しい食事がより楽しく美味しくなると思いま
す。そしてベットメイキングでは体力、部屋のすみずみまで気付く視野の広さが必
要だと感じました。それを毎日何十部屋とするのはさすがだなと感じました。ラマ
ダホテルさんでは社会に出てから役立つことを教えて頂きました。
ラマダホテルではホテルについての説明を聞いた。ラマダというホテルはアメリ
カの会社である。300 人もの従業員がいる中で日本人は 5 人だけである。ホテルの
中には総支配人がいて、その下にレジデントマネージャーがいて、その下に各部門
がある。日本の場合、飲料部門の飲み会や宴会で利益を出しているということであ
る。ホテルの値段は需要と供給があり、夕方になるほど値段が下がっていくそうだ。
客を入れないよりは安くしてでも入れた方が良いということだ。
ホテルのスイートルームも見ることができた。値段も破格なことに驚いた。
昼からは平田総支配人から食事マナーを学んだ。まず、ワインの持ち方からだっ
たが、初めてのため難しく、窮屈に感じた。ナイフやフォークの使い方も学べた。
食べ物はとてもおいしかった。フォアグラは初めて食べた。スープがとてもおいし
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かった。とても貴重な体験となった。
最後にベットメイキングを学んだ。実際にしてみると、力が要る作業で夏場はと
ても大変だと感じた。昔はマナーの悪い客がいて大変だったそうだ。これからはホ
テルを使う際には働く人の気持ちを頭に入れて宿泊したいと感じた。
九州華美達酒店(ラマダホテル)ではこの度、マナーについてお話しとベットメ
イキングの実習をしました。総支配人直々にお話されたマナー学習では第一印象の
3要素、おしゃれと身だしなみの違い、服装の着こなし方、相手別のものの渡し方、
八大接客用語など、これからの就職活動をしていく中で大事な礼儀(マナー)を改
めて学習することができてよかったです。
その後昼食も兼ねてテーブルマナーの実習をしました。今まで食事に関してはき
れいに食べることができればそれでいいぐらいにしか思っていなかったのですが、
これから先、社会に出て恥をかく前に、食事のマナーを学習することができてよか
ったです。
最後にベットメイキングの実習でしたが、その作業はとても難しく、体力を使う
作業でした。今までは当たり前としか思っていなかったのですが、今回の実習で考
え方を変えることができてよかったです。
この度のラマダホテルさんの研修は今後役に立つことばかりでよかったです。
ホテルは転職の激しい仕事で、自分の能力が全ての仕事だというお話を聞いて、
大変驚いた。ラマダホテルの宿泊客の半数は日本人であり、中国人宿泊客よりも日
本人宿泊客の方が多いそうだ。フロントには日本語のできるスタッフがいるなど、
日本人の泊まりやすい環境が整えられてある。日本のホテルで働くとマニュアルに
従わなければならないが、外国のホテルでは色々な仕事ができ、上下関係もあまり
ないので仕事にやりがいが得やすく働きやすいそうだ。そういった日本で働く場合
と海外で働く場合の差についてのお話は普段聞くことができないので大変勉強にな
った。
テーブルマナーの研修はとても緊張したが、みんなで楽しく食事ができた。また、
ベッドメイキングは簡単そうに見えて実はとても難しく、苦戦した。これからは部
屋を綺麗に使おうと思った。
一日に亘って研修を行ってくださったので外国のホテル事情について詳しく知
ることができました。日本は飲食での売り上げが多いらしいのですが、外国では宿
泊で六割以上の売り上げになるそうです。その事実には驚きました。またテーブル
マナーはとても緊張しました。高校の時にやっていたのにもかかわらず、初めて知
ることも多くありました。ベッドメイキングは、初めてでした。意外と難しく、大
変だと思いました。どちらの実習も自分にとってこれから必要な経験になりました。
それだけでなく、中国人と日本人の仕事の見方の違いなど、いろいろなことを教え
ていただきました。
私はアルバイトでホテルの宴会場のバンケットレディをやっていたことがあり、
ホテル業には関心があった。アルバイトをしていたときも身だしなみは非常に厳し
く言われ、清潔感についての項目だけでも 30 項目ぐらいあった。今回ラマダホテル
の研修では、やはりホテルでは身だしなみ、清潔感等について高いクオリティーが
求められることが分かった。サービス業であるので、どれだけお客様に気持ちよく
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過ごしていただくかが大切だと感じた。ホテルでは人が大勢いるので、人を指差し
て案内すると自分が指を差されていると勘違いする人がいる。よって手のひらを返
して案内するという話が印象的だった。マナーにもちゃんとした理由がそれぞれあ
るのだと思った。
ベッドメイキングは予想外の力仕事だったが、シーツがピンと張った姿は非常に
綺麗だと思った。テーブルマナーの研修は、慣れないことばかりで緊張した。スー
プのすくい方など細かいマナーが多く大変だと感じたが、将来恥をかかないために
も、修得したマナーをしっかり覚えておきたい。
ラマダホテルでは接客のマナーやテーブルマナー、ベッドメイキングの実習をさ
せていただきました。接客のマナーは社会人になるうえで非常に重要な挨拶や敬語、
礼の仕方などで、接客のプロであるホテルマンから実習を受けて、とても貴重な経
験でした。テーブルマナー実習では実際にコース料理をいただきました。食事会が
始まる前の場面で立ったままシャンパンやカナッペを頂きながらお話をするという
経験は初めてでしたので非常にいい経験でした。食事会が始まると料理と一緒にワ
インが出て本格的でした。慣れない食事会でとても緊張しましたが料理も美味しく、
ワインを初めて飲んでとても楽しい食事会でした。他の人に迷惑をかけない限りは、
硬くならなくても楽しんで食事を頂けばいいのだと総支配人が説明してくださって
緊張が和らぎました。
ラマダホテルでは海外ホテルについて大まかな説明をしてもらって、ホテル内の
組織について勉強しました。また、テーブルマナーや普段では入ることができない
ような部屋に入って説明してもらったり、ベッドメイキングなどを教えてもらいま
した。自分は以前半年ほどホテルで働き、宴会や結婚式場のサービスを提供してい
ました。なので、海外では宿泊の方がホテルには利益があり、日本では宴会などで
の売り上げが最も利益があるという説明は良くわかりました。更に、結婚式などで
利用する会場もみさせてもらい、懐かしくなりました。昼食はテーブルマナーの練
習をしながら頂きました。今後様々な機会があると思うので学んだことを生かして
いきたいと思います。また、総支配人のお話を聞いていて、
「日本の常識は海外では
非常識」ということを伺いました。今回のインターンシップでもそれが肌で感じ取
ることができました。海外に行ったら、その国のルールやマナーに従わなければな
らないことを感じました。
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斎藤営業部長の説明
平田支配人の説明
テーブルマナー研修
ベットメイクの実習
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9日目
大連蘇飛信息科技有限公司(Shophie Technologies)
大連中心屋(飲食店)
パソコン製作の説明を聞く
店長よりお話を聞く。
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9 月 7 日(水)
本日は、午後から。午前中の自由時間は、持て余し気味になりかねない。翌日
もそうなるので、これはスケジュールの反省点である。自由時間にするなら、一
日丸ごとにした方が良いようだ。ただ、部屋の中でゆっくりするのも、学生たち
にとっては休養になるので悪くはない。私は、市電に乗って往復。どこに行くと
いう目的はなかったが、運転手の脇に居て「鉄ちゃん」になっていた。
二時に集合。まずはホームページ製作会社(Sophie Technogies 中国蘇飛信
息技有限公司)を訪問。これまでのような大企業ではなく、若手起業家が創業し
たという印象だ。日本企業の依頼に応じてホームページを作成するという。中国
人の WEB デザイナーでほとんど対応でき、日本人が微妙なニュアンスについて対
応する。色々のホームページを見せてもらったが、とても魅力的だった。依頼先
からも満足度が高いらしい。学生たちは「ホームページなんかは、個々の会社が
自 身 で 作 っ て い る と 思 っ て い た 」「 こ ん な 会 社 が あ る と は 知 ら な か っ た 」 な ど と
い う 感 想 。 会 社 側 も 、「 こ う い う 会 社 が あ る こ と を 知 ら な か っ た と い う こ と に び
っくり」という反応。おいおい、事前学習で資料とともに説明しただろ。
日本を飛び出て、中国大連で会社を作る。安い賃金を利用してとはいうけど、
大 変 な よ う で あ る 。「 よ く 日 本 の テ レ ビ で 見 る の は 、 貧 困 層 な ど の 問 題 点 が 多 い
だろうけど、我々が相手にするのは、そういった9割の部分ではない。1割ぐら
いは、語学力も堪能で、才智もある。有能だ。彼らと伍していくのは大変だ」
「も
っ と 、 海 外 に 出 て 見 な い と 」「 日 本 で は 当 た り 前 の こ と が 、 世 界 で は 全 然 当 た り
前でないことも多い」などなど、中国で1割といっても1億人。日本人も1億い
ると言っても、全員が全員ではないのだし。日本の将来を考えると暗くなる。
ヒアリングを終えると、次は中心屋。地図通りに歩いたら、すぐに到着。約束
の時間より早く着いてしまった。解散しても何も無いけど、一応、解散。4時半
待ち合わせだったが、時間をもてあましたので4時に訪問。失礼だったけど、快
く別室に通していただけた。中心屋は和歌山県にある居酒屋である。大連では評
判の店で、多くの人々から紹介を受けている。大連小野田水泥有限公司も懇親会
場を中心屋に設定しようとしたそうだが、プログラムに記載されてあったので、
遠慮されたそうだ。2年前から訪問しているが、これはあくまでも食事のため。
ヒアリングなどはしていなかった。和食の安心感も加わり、学生たちは相当に飲
み食いする。「味がしっかりしている」という印象だ。だから、中心屋の訪問は、
いつも研修の終わりの方にする。いわゆる打ち上げ用だ。
中心屋では楠本店長からお話をいただいた。学生一人ひとりから丁寧に近況を
聞いてから話が始まった。中心屋に入店するまでの経緯など。第一声が「海外で
働きたいと思う人がいるかもしれないが、まずは日本で働くことをお勧めする」
ということ。日本で働くことで社会人としての基礎を学ぶことが大事ということ
だ。しっかり学ぶべきことを学んで、海外に出るほうが日本人として良いという
ことらしい。楠本店長は東京で就職したものの、うまくいったり、いかなかった
り、転職を繰り返して、地元和歌山県に戻り中心屋に勤務することに。ただ、そ
の 間 に 多 く の こ と を 学 ん で い る 。「 自 分 を 売 り 、 自 分 の 魅 力 を 持 た せ る 」 と い う
ことが重要だそうだ。そして、「上司からしてもらって嬉しいことをして、嫌な
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ことはその反対なことをする」のだそうだ。また、「一生懸命、本気になること」
など話してくれた。そして、大連。大きな決断だったが、そこで、自分自身のこ
れまで培ったノウハウを生かして成功する。和食料理店であっても、客は中国人
と日本人と半分ぐらいづつ。理想通りといわれる。ホッとしてもらえるような雰
囲気を作る。居酒屋でありながらも、値段は決して安くはない。満足してもらえ
るように努力する。
大連に来たのは開業一か月前、中国語を知らずに大連に飛び込んだ。中国語が
わかるようになって、悪口がわかるようになったことが残念だそうだ。客の不満
の対応は、店長自身が出るときと出ないときがあるそうだ。大変だ。
しばしば、中国人従業員の管理に悩まされることを聞くが、中心屋では、自由
に仕事のしやすい環境を作るように心がけているそうである。中国人は ON と OFF
が明確だそうで、普段雑談していても、やるときにはやる。従業員に対して、グ
ループで仕事させる場合、自由の環境にしておく場合、マニュアルを作成し徹底
する場合、それぞれにメリット・デメリットがあるようだ。上手に対応すること
が大事ということか。やはり、やり方には答えはない。
二号店は、個室中心にしているそうだが、この辺はポイントがあるそうだ。中
国人も個室が好きだが、フロワーもなければいけないそうである。フロワーが繁
盛しているのを横目で見ながら、個室に入るのが中国人の面子だそうである。学
生たちも、飲食店は身近なようで、熱心に聞いていた。忙しい中、ありがとうご
ざいました。
夜は領事館勤務の小谷副領事官がゲストで登場。若い。女子学生たちに囲まれ
て大人気だった。店長さんも、参加していただき大いに盛り上がる。それにして
も学生諸君よ。ちょっと食べすぎや。
【大連蘇飛信息科技有限公司(Shophie Technologies)】感想
中国でHP会社をつくる理由がわかりました。メリットはコストダウンです。大
卒で月給 3~4 万だそうです。パソコンさえあればよく、人件費が安いということで
す。日本のサイトに比べて中国のサイトは 2 倍あるそうです。WEBが効果的にビ
ジネスに繋がることとアクセシビリティ(どんな人でも情報にたどり着けること)
とユーザビリティ(ユーザーが迷うことなく使いやすいこと)を考えWEBデザイ
ン製作、サイトに取り組んでいます。休みは中国の文化に合わせるので、正月やお
盆に帰国することができないのがちょっとしたデメリットかなと思いました。
実際仕事をしている姿を見ると、中国の人が日本語のホームページを作っている
ことに不思議な気持ちになった。いくら日本語が送られてきているとはいっても、
自分だったらやり辛いと思うので、作っている人はすごいと思った。また、1 社の
ホームページを作るのに最低でも 1 ヶ月はかかるということに驚いた。私たちが普
段何気なく閲覧しているホームページも、様々な工夫がされ、手間がかけられてい
るのだと感じた。ホームページ数は既に日本より中国の方が多いということで、日
本のホームページは約 98 万ドメイン数らしいので、それよりも多いのだろう。これ
から中国のインターネット人口が増えることを考えると、今よりも中国でのホーム
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ページ作成の需要が増加することが考えられると思った。
中国でビジネスを動かしているのは、人口の 10%のエリートの人々という話があ
ったが、中国の人口は約 13 億人なので、10%といっても、1 億人を超える。そうな
ると日本の全人口と同じくらいの人数になるので、日本人全員で戦っていかなけれ
ばならないのだと感じた。
ShophieTechnologies はホームページ制作会社です。私はこの会社についてあま
り知らないまま訪問しました。しかしこの会社で知ったことはとても興味深かった
です。なんと言っても日本で見ているホームページが、中国で中国人スタッフの手
によって作られているということを知ったときは驚きました。いまや MADE IN CHINA
は食べ物、手に取るもの、身につけるものだけにとどまらず、ホームページにも広
がっているというのはこの会社訪問がなければ知ることはできなかったと思います。
この会社はビルの中に一つの事務所があり、そこで中国人の若いスタッフがパソコ
ン画面と向き合って日本語のロゴや画像などを操作していました。企業のホームペ
ージを作る際の打ち合わせで企業側と直接対面することなく電話やメールで要望や
ホームページ用画像やテキストを受け取り、ホームページを完成させるという仕組
みに驚きました。
ソフィーはあらゆる企業のHPを作成している会社である。1社に対しておよそ
1ヶ月で作成し、年間で150社程のHPを作成している。企業のHPを自社で作
成する企業は少なく、ほとんどの企業がこのようなHP製作会社に委託しているら
しい。
実際に作業をしているところを見学させてもらったが、そこには何台ものパソコ
ンが並んでおり、1人が2台以上のパソコンを操作し、HPを作成していた。ほと
んどの従業員は中国人であるが、ソフィーで作成しているHPの9割は日系企業の
ものである。もちろん中国人従業員は日本語が分からないが、それでも1日何時間
もパソコンに向かい作業をしている。私にはできない仕事だなと思った。
ソフィーの従業員の方が、色々な企業を見てきた上で、やはり今はコストダウン
のために大連に来るのではなく中国の巨大な市場目当てで大連に来ている企業が増
えているとおっしゃっていた。そしてソフィーもこれから中国系にシフトしていく
ようだ。
日本人より中国人のほうがビジネスがうまいという話を聞いたときは意外に感
じました。しかし、その背景として、中国は実力主義ということがあげられると思
いました。会社の現状として従業員 20 名で日本人 3 名ということで、語学の問題も
多いのではないかなと思いました。
企業の HP を 1 つ作るのに納得のいく HP を作ることは大変だろうと思います。相
手側の要求を受け入れて作ることもあるだろうし、任せられて作ることもあると思
うけれど、どちらも感性豊かで想像力を活かして出来上がるのだろうと思いました。
企業はほとんどが自社で HP を作成しているのだと思っていたけれど、ほとんどが
HP 製作会社に依頼して、会社を宣伝していることを初めて知りました。いまや世界
はインターネット社会で日本も素晴らしい技術があると感じていたけれど、世界の
HP ランキングでは日本は 10 位以内にも入らず、中国は 10 位以内に二つも入ってい
ることに驚きました。また日本のサイトの 2 倍も中国のほうがあることも驚きまし
た。中国ではインターネットの観覧に規制がかけられているものが多く、HP 製作に
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も支障があるのかなと思ったけれど、ほとんど支障はないともことでした。たくさ
んの人に情報を伝える仕事は魅力的でした。
サービス産業でホームページを作る会社で150社のホームページを作ってい
る。また企業のホームページを作る会社があることに驚きました。ホームページを
作る会社は少なく、日本語の会社のホームページを作っていて日本のスタッフ3人、
後は中国人20人体制で働いていると知りました。イラストなどは依頼を受けて作
っていて、大連で作ることによってコストダウンを図っていることが分かりました。
元々はTシャツを作る会社だと知りました。また中国人の方のほうがビジネスが上
手いと聞き、意外でした。中国の方が人権費や物が安いからパソコンでやるだけの
人件費を節約していることがわかりました。基本的に大連の大卒は三万円で中国人
は、外見は日本人だがアメリカ人と聞き理解しました。また中国は実力主義でしっ
かりその国の文化に合わせることが大事であり、実際は規制がいっぱいあると知る
ことができました。またホームページのクォリティーは中国人の方が高いというこ
とに驚きました。
製作が中国で行われて、日系企業のホームページを制作するのに日本語のレベル
は特に関係ないと言われたのにも驚きました。また、実際に働かれている現場を見
て思ったのが、思っていた以上に若い人が多いということです。このような若い人
たちが働くことで様々なアイデアが生まれるのだと思いました。企業にデザインは
指定されないとのことでしたので、一層そのように実感しました。また、お話を聞
いていて中国は実力主義社会に近いといわれ、同じ年代で給料に差があっても特に
違和感がないとのことでした。実力を持っている人が活躍し、社会に貢献している
のだなと感じました。ホームページ制作だけでなく、中国についても色々知ること
ができて勉強になりました。
【大連中心屋】感想
私が中心屋で一番驚いたことは和歌山の中心屋が居酒屋選手権で全国 9 位という
ことです。居酒屋選手権は自分たちの魅力を最大限に引き出し、評価してもらうこ
とから全国の居酒屋の目標であるので、接客・サービス・料理にとても力を入れて
いるのだろう思います。またお客様が心から落ち着くことのできるお店作りをされ
ており、努力されていることが伝わりました。第一にお客様、第二にお客様、第三
にお客様、全てお客様のために尽くされているお店だったので気持ちよくお食事さ
せていただきました。この精神がなければ安心できるお店作りはできないのだろう
と思います。
店長さんがおっしゃっていた日本人としての考えが定まっていることが国際社
会で大切だということはその通りなのだと思いました。また、
「物を売るだけでなく
自分を売ることで自分の魅力を分かってもらう。その人に魅力があるから売れる。」
という言葉は名言です。今までの自分の考えがこの一言で変わりました。まずは一
生懸命、とにかく頑張るということに意味があることを忘れていたので人生の素晴
らしいアドバイスを頂きました。
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店長は日本人で開店時から中心屋を任されている。今では向かい側にもう一軒居
酒屋を開いている。店長さんがどのような経緯で大連にきたのかを聞いた。何回も
転職して、その経験を活かして今に至るそうだ。
話しの中で一番印象に残ったのは、不動産会社に勤めているときの話しである。
営業では商品を売ろうとするだけでは売れないそうだ。自分自身を売ることで信頼
ができ、そこから人脈が広がっていくのだ。営業では世間話しが大切とはこのこと
だと分かった。
実際に食事をしてみて感じたことは、中心屋の中国人従業員でとても愛想がよく
て日本語が上手だった。また、味は日本の居酒屋よりおいしいのではないかと思う
ほどおいしく感じた。特につくねは絶品だった。日本でもう一度、中心屋へ行って
みたいと思う。
企業のかたと研修だけでなく会食などで飲みに行けたことはとても良いことだ
と思う。
私が一番印象に残ったお話は、日本と中国の居酒屋の違いです。日本と中国の居
酒屋では、考え方が全くちがい、中国人のほうが日本人よりオン・オフの切り替え
が早く、中国人のほうが日本人よりやる時の行動力がすごいということでした。他
には、楽しい雰囲気を作ってあげて、ほどけると伸びるということも教えて頂きま
した。また、それを踏まえた上で、日本の考え方を押し付けるってわけではなく、
文化の違いを認めてあげることが大切だということを学びました。
中心屋の店長さんはとても気さくで優しい方だった。店長さんには中国人と働く
際の大変さや日本人だからできることなどを教えてくれた。
まず初めに、新卒のあと、すぐ中国で働くのはやめたほうがいいというお話を聞
いた。なぜならば、中国の企業では新人に対する教育はほとんど行われないのだ。
一方、日本の企業の社員教育は充実している。また、日本で一度就職をして日本の
特性や文化などを身に付けて、日本人としての自分の考え方を持つことが重要だと
おっしゃっていた。また、中国人と働くのに、日本のやり方を押し付けていてはい
けない。文化の違いを認めることが重要であるとおっしゃっていた。
お話の後に実際に中心屋で食事をしたが、サービスや料理など日本と変わらない
ものであった。中心屋の店員さんは皆笑顔で接してくれて、とても嬉しかった。日
本語のあまりわからない店員と働くのは大変なことだと思うが、それでもこんな素
敵なお店が作れるのはすごいと思った。
店長の楠本さんの話はリアリティーがあり、日本のビジネスマナーがいかに素晴
らしく社会人の基礎を作ってくれるものなのかがよく分かった。転職についても、
向こうから呼ばれた転職と、自分から飛び出した転職はぜんぜん違うことなど、普
段なかなか聞けない話を聞けたと思う。自分を売り込むことや自分を魅力的に見せ
ることが大切という点については、今から就職活動を始める私の心にとても響いた。
中国の人は完全個室が嫌いというのは初めて知った。たくさんの人が入っている
ことが美味しいことを表しているという考えはわからなくもないが、日本では完全
個室が嫌いという人は少ないだろうと思った。また、中国の従業員の瞬発力や、や
る時のパワーは凄いが、私語を禁止したらやる気を無くしたり、元々笑顔でサービ
スする習慣が無いので気を付けてあげないと笑顔で接客していなかったりするとい
う面で、日本とは少し違った社員教育や指導をしないといけないのだと感じた。
47
日本にある居酒屋チェーン、大連ではオープンして 4 年半になるそうです。「こ
れからは中国」といわれて、おもしろそうと思い飛び込んだそうです。中国人はや
る時のパワーがすごい、暇な時はしゃべるけれど怒ってはいけない、ON|OFF
があるからだそうです。接客で大事にしていることは、サービスのテクニック、ス
ピード、居心地が良い、ホッとするような店づくりを目指しています。大連で飲食
店を成功させるには特徴がないと無理だそうです。あとはメニューの多さ、刺身や
寿司、ラーメンは大連の人が特に好きなのだそうです。大連は小さいので口コミが
すぐ広がるのでおいしい、おいしくない、という評価がすぐに伝わり、シビアなの
だと思いました。店長さんがすごく中国人スタッフのことを理解していて、暖かい
店だと思いました。
中心屋では飲食店の現状について学びました。最初に海外での飲食店はなかなか
成功しにくいということをお聞きしました。考えてみれば、現地の人の口に合うか
どうかということや、海外で働いている人に受け入れてもらえなければ難しいのだ
と思います。このような厳しい状況で工夫されたのが「ほっとするような店作り」
ということでした。自分がこうされたら嬉しいということを実際に行うそうです。
また、中国の人に日本人の考えを押し付けるのもあまり良くないようです。そのた
め、文化の違いを認め、受け入れることが必要だと教えてもらいました。中国人も
日本語が上手くなりたいために働いていたりするそうです。実際、料理の注文や私
が困ったときに応対してくださった中国人はとても日本語が上手で、最初日本人だ
と思ったぐらいでした。このような点から、中国で運営するに当たって、中国人の
スタッフとうまくコミュニケーションが取れていることが伺えました。
48
ホームページ製作のポイントを聞く
中心屋の前で
説明を聞く
49
10 日目
大連坤姿時装有限公司(グンゼ株式会社)
50
9 月8日(木)
この日も 12 時集合。グンゼ(大連坤姿時装有限公司)を訪問する。アパレル会
社である。京都府綾部郡の郡是製糸は、日本経済史研究者なら知る人ぞ知る企業で
ある。以前も3度ほど訪問していたので、私にとっては馴染みの会社でもある。今
年度も訪問を快諾していただけた。
訪問すると、まずはヒアリング。縫製工場は安い労働力を期待して工場を移転さ
せていく。私にとっては「ああ野麦峠」の世界である。もちろん、そのようなつら
さは無い。中国の成長に従い、ミヤンマーやベトナムの工場にシフトしているそう
だ。基本的に製品の売り先も日本向け輸出であるとして変化しない。
従業員に対して、日本の工場(倉吉工場)への研修や1年に 1 度社内旅行もある
そうだ。恵まれているという印象だ。雰囲気も良く、自己都合退職は3%程度だと
いう。
工場見学では作業場内にまで入れていただき説明していただけた。生地からブラ
ジャーが製作されるまで。過程を追って説明していただいた。危険を伴いつつも、
安全管理はしっかりしている。これまで大きな負傷事故は無いそうだ。製品管理も
徹底している。商品一つ一つを確認している。「万一、針が入っていては」という
ことだそうだ。また、
「本日の予定枚数」
「この時間までにできていなければいけな
い枚数」「現在、できている枚数」がデジタルで掲示される。厳しいノルマのもと
作業をする。作業が遅れても問題としないそうだが、賃金に影響するという。厳し
いものである。真剣作業が多いわりに、従業員同士が和気藹々としている様子が印
象的であった。グループを組織し、班長などを設けることで教え合う関係ができて
いるそうである。ただ、それまでには、大きな道のりがあったのだろう。
賃金の上昇は悩みの種だそうだ。工会(中国でいう労働組合)との協議は大変だ
そうだが、協議が終われば、サッパリしているそうである。これも中国人気質とい
えそうだ。
神田うのデザインのブラジャーも製作しているとのこと。学生たちも興味津々で
ある。学生たちにお土産があった。その内容は・・・・ここでは書けません。だけ
ど、学生たちは喜んでいました。
夜は四川料理。「これは本格的なのか」と聞いても、誰もわからない。だけど、
日本に無い独特の辛味に学生たちも苦戦。美味しいことは美味しいのだけど、あま
りたくさんは食べれない。ゲストも4名の方に来ていただいた。大連市街の話、起
業の話し、どうやって知り合ったかなどなど。これまでわからなかった、大連内の
日本人ネットワークがわかってきた。なるほど、なるほど。そういえば、5名のう
ち2名が東北財経大学で勉強したそうだ。東北財経大学は語学教育にも熱心とのこ
と。「東北財経大学はいい大学だ」という言葉に、私もうれしかった。
51
【大連坤姿時装有限公司(グンゼ】感想
今中国にある会社では 98%が日本向けに作られているそうですが、これからは中
国向けを考えているようです。基本的に個人主義で“自分で得たものは自分の財産。
他人にはただでは譲らない”という考えがあるそうです。日本人とは少し価値観が
違うと思いました。工場の中は、ミシンがずらっと並んでいて、各人がもくもくと
手作業をしている従業員の姿が印象的でした。普段私たちが身につけている下着が
あのように段階分けをされていて縫い合わされているのを初めて見ました。丁寧に
作業しているからこそしっかりした物ができるのだと実感しました。最後にもらっ
たお土産の下着は、とてもいい記念です。
日本人は3人で中国政府の所得倍増計画の影響で人材の募集・採用が難しい。賃
金が低い東南アジアにシフトしていてタイ・ベトナムにも会社があると知りました。
またグンゼに就職した従業員は定着率が高く、他への企業へ異動することが少ない
ことがわかりました。仕事をしていく上で、能率が低く遅れると、ラインで評価さ
れるシビアな仕事で大変だと思いました。また中国の場合は人権費が安く、設備が
高く、日本とは逆だと理解できました。また日本のメーカーが材料を中国に持って
きてグンゼに供給していることを知りました。中国は男女の平等性が日本より進ん
でいて、日本ほどサービス産業がないと聞き、少しうらやましいと思いました。ま
た元のデザインは日本から送られてきていると知ることができました。中国の交通
マナーはまだまだですが、東日本大震災の際には一億人もの人々が寄付しているこ
とを聞き、驚きました。
また中国の従業員の方は日本に三年間研修に行き日本語や技術などを学んでい
ると知ることができました。
工場の従業員の多さと、たくさん並んでいるミシンには圧倒された。縫製作業は
日本の工場においても人の手でやらないといけないところもあるが、裁断作業につ
いて日本は自動で機械が行っているが、中国では人の手で行うということで、日本
と中国との賃金の差を感じた。工場内では針折れを防ぐために、床に水を撒いたり、
もし折れた場合、出てくるまで徹底的に探したりして、しっかりクレーム対策がさ
れていると思った。縫製の場面では商品のレーンごとに、目標枚数と実際今できて
いる枚数が表示されてあって、目標達成できない人には訓練する等、目標管理もさ
れていると感じた。
中国の人は帰属意識がなく給料が高い方へとすぐ転職してしまうイメージがあ
ったので、97%というグンゼ株式会社の定着率の高さには驚いた。その背景に勤続
年数給与にして、グンゼ株式会社にいてもらうようにしたということで、日本的経
営である年功序列が中国での会社の定着率向上につながるのだと感じた。
グンゼで生産されていた下着はほぼ日本向けの商品でした。私はそこに注目しま
した。つまり人件費や材料費の削減で中国に進出したことが分かったのですが、こ
れから中国という大きな市場に入っていく企業である点に大きな可能性を感じまし
た。工場内はたくさんのミシンが並び、まさに中国という印象を受けました。三島
食品同様に人の手でなされている工程が多くみられました。これは下着を作る工程
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を機械でこなすのは難しいと言うのが理由のようです。寸断、裁縫、検査などです。
確かにミシンを使った裁縫の工程は機械を入れるに難しそうですが、寸断は機械の
技術が進めば機械化されてもおかしくないと思いました。工場内の乾燥を防ぐため
床に水がまかれていたことと、機械の故障を知らせるための黄色や赤の花が部署ご
とに飾ってあるのが印象的でした。ミシンの針が折れると見つけるまで作業を中止
するということや、チームでノルマをこなすまでは残業するということ、また最終
段階での製品チェックや異物を取り除く精密な製品検査などは私の考えていた中国
の工場とは大きく異なっていました。中国人労働者の方たちはとても勤勉でオン・
オフがしっかりとしている印象を受けました。
グンゼは主に女性の下着などを作っている会社である。従業員の方も女性が多い。
私たちは、女性用の下着を作っている工場の見学をさせていただいた。そこでは、
布から型を取るところから仕上がりまで、全て手作業で行っていた。私は下着がそ
のように全て手作業で作られているなんて考えたことがなかったので大変驚いた。
日本では人件費が高いため、できるだけ機械化を進めるが、中国ではまだまだ設備
費の方が高いため手作業で行っているのだ。しかし、これからは機械化が進むこと
が予想される。工場内では作業ごとに細かくグループが分けられていて、1グルー
プごとのノルマがあり、そのノルマを達成させるためにたくさんの中国人労働者が
黙々と働いていた。ノルマの達成率が悪いと残業をすることにもなるので労働者の
方は一言も喋ることなく仕事に集中していた。
このように工場で働く人を普段間近で見たことがなかったので、とてもいい経験
になった。
生産する上で色々注意してあることを知りました。例えば、折れた針が飛ばない
ようにビニールがかけてあったり、一定時間になるとブザーがなり、針の点検をし
たり、金属探知機のようなものを導入したりしていました。私は、あまり工場に入
ったことがなかったので、細かいところまで注意していることに驚きました。
こちらでは、330人ぐらいの従業員がおり、その内訳は裁断27名、縫製17
0名、検査30名、企画4名、その他(総務、管理者、保全、生産計画、資材、事
務員)109名である。その中の男女比率は95%が女性で、男性は保全、総務に
在籍しているという。
こちらでの生産能力は、内作のブラジャーが年間7万枚、ショーツが年間4万枚、
ランジェリーが年間1万枚で、外注のブラジャーが年間3万枚、ショーツが3万枚
である。
大連に進出した理由は大連市内まで40キロ、空港まで20キロ、且つ貿易に欠
かせない港の大連港は不凍港で中国第三の大港として年間取扱い能力として6千万
トンを保有し、日本へのアクセスがよいからだという。
その後工場を見学して驚いたのが作業がすべて手作業であることに驚いた。
グンゼという会社はアパレル企業と聞いていたが、中国大連工場では女性の下着
を製造する会社だった。会社に入るとすぐに神田うのがデザインをした下着類が飾
ってあり、日本向けの商品が作られているとわかった。
会社の概要を聞き、その後、実際に工場の見学を行った。一階の工場を見た第一
印象は、言い方は悪いが「ロボットのように働く中国人」である。ミシンが何百台
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も並び手作業で中国人が働いていたことに驚いた。ブラジャー一つ作るのに対して
20 個近い部品があり、一つ一つ丁寧に素早く手作業で中国人が作っていた。また日
本向けのためかなり厳重に商品チェックがされているのには感心した。
自分の業績が分かるように、電光掲示板で本日中の現段階で何個商品ができて、
不良品の数も一目でわかるようにしてあった。作業管理がしてあることが分かる。
中国人の富裕層の増加や人件費を上げなければならない政策、輸送費の上昇から
これからは日本向けから中国人向けのへと変わっていくことがわかった。日系企業
が中国に進出するメリットがだんだん減ってきていると分かる。
グンゼさんで工場を見学させて頂いて驚いたことは、まず手作業で下着を作って
いることです。
「中国」らしい雰囲気を味わいました。機械で行われているのが当た
り前だと思っていたので手作業で作られていた工場の風景が印象的でした。日本で
は生地のカットやフックの部分というものは機械化されているけれど、中国では人
件費が安いので機械化より手作業で行われているとはいえ技術が必要です。中国も
給料が値上がりしてきているので機械化を考えなければいけないことから進展して
いることが分かります。人件費が高騰していることからミャンマーやインドなど東
南アジアの賃金が低いところに工場を移行させなければいけない可能性も強くなっ
ています。下着を作る過程で何回も検査をしながら作られていたので、お客様から
の信頼を得られているのだろうと感じました。より良いものを提供しようとされて
いる気持ちが 1 枚 1 枚に込められていました。
私にとって1番印象が強かったのが工場内見学でした。思っている以上に人が多
く働いており、機械が導入されていないということを強く感じました。裁断すると
きも型の書き方1つで生地のロスが決まり、縫製のときは針を折らないためにも湿
度を保つために水を一定の時間でかけたり、目標数を達成するため、無駄な時間を
使わないよう故障した機械には決められた花を置くという工夫などされていて、現
場でしか分からないことなどたくさんあるなと実感しました。また、工場内で働い
ている人たちを見ていると、帽子をかぶっていました。これは帽子の色によって役
職が分担されているということでした。そのときに思ったのが、課長クラスの帽子
で女性が多いことでした。女性が活躍しており、男女平等化が進んできたというこ
とを実感しました。普段利用している下着などがこのように多くの人たちの工夫や
アイデアから成り立っており、様々な面で勉強になりました。
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会社の説明を聞く
工場内の様子
工場内の説明を聞く
検品が大事です
研修ありがとうございました。
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11 日目
東北財経大学との意見交換
(東北財経大学との意見交換)
56
9 月 9 日(金)
本 日 は、 東北 財 経大 学で 学 生と の交 流 会。 12 時 に出 発し て 東北 財経 大 学に向か
う。1週間ぶりに寮に到着して、時間をつぶしていたら、韓国の交換留学生とばっ
たり出会った。本学の男子学生が「オー」と言われながら熱く抱擁される。とまど
う学生。これも異文化交流か。
13 時 30 分、学生同士の交流会、東北財経大学の学生も任意で10名ほど参加
してくれた。自主的に参加してくれるのだから立派なものである。感謝したい。ま
ず私から「日本と中国の交流」の話。内容は古代が中心。手応えなし。隋王朝、煬
帝、唐王朝とか、中国の学生に問いかけても、反応無し。これは、知らないという
ことか?その後、車座になって、学生同士の交流。ちょっと話が合わなかったが、
面白いことを発見。東北財経大学で日本文化を専攻している学生たちは全て、第一
志望では無いということ。別の分野を希望したが適わず、結局、日本文化を選んだ
とのことである。別の話だが、大連に行く前に、欧州の国際学会に参加した。その
盛会ぶりに、
「日本については魅力があるのですね」と問いかけたら、
「いや、日本
のことをしていると仕事になるから」ということ。最近は、アジアの講座は、中国
研究が主流になりつつあるという。日本研究は次第に力を落としている。中国でも
日本ヘの魅力は低下しているということか。国際交流処の余涛さんの話では「だけ
ど、就職はよい」とのこと。確かに、希望した専攻に行けなくても東北財経大学の
学生たちはよく勉強する。
ところで、一週間後の9月 16 日にSMAPの北京公演が開催されたが、日本の
首相よりも訪中の期待も希望も強いようだ。SMAPの方が中国国民の人気も高い
し、継続性もあるということか。海外を見ていると日本のことがよくわかる。交流
会はちょっと不調。原因を学生に押しつけてしまうのは簡単だが、対面方式ですぐ
に「さあ、話をしろ」というのは難しいかもしれない。お互い遠慮してしまう。何
か工夫が必要だ。
交流会終了後、解放広場のショッピング街に行く。ユニクロなどもある街だ。時
期も時期なので、お土産物の買い物をしていたようである。夕食は春餅の店に行っ
た。そういえば、女子学生たちは、いつもおしゃれをしている。ずっと何故だろう?
と思っていた。すると、その答えを教えてくれた。彼らが道を歩くと、各所から「日
本 人 」「 日本 人」 という 声が 聞こえ てく るらし い。 そうか 、君 たちは ファ ッショ ン
リーダーの自覚があるということか。本日だけだが、一緒に行動してくれた馬さん
と、駱さん。謝謝。
57
【感想】
東北財経大学へ行き学生と意見交流をした。交流会の前に東北財経大学の図書館
などを見学した。図書館では多くの学生が勉強していた。修道大学より PC などの設
備がしっかりしていて、ロッカーなどの設備もあり、中国の大学の印象が少し変わ
った。意見交流会には日本語を学んでいる中国人がきてくれた。まず、みんなが日
本語を上手に話していることに驚いた。修道大学でも第二外国語として外国語を学
んでいるが、会話できる学生はめったにいない。仕方なく日本語を履修した生徒が
多いようだが、それでもみな大体聞き取ることができるぐらいには話すことができ
ていた。
交流会を通じて中国人の生徒たちは自分の将来設計をはっきりとさせながら大
学を選び、勉強していることがわかった。反対に日本人ははっきりと考えを持つ人
は少なかった。
私たちもただ何気なく授業を受けるのではなく、もっと自分の考えを持ち、身に
つけることをしないといけないと感じた。
交流会をすることで自分の将来の考えの無さに痛感した。この海外インターンシ
ップで学んだことや感じたことを日本で人に伝え、就活や今後の自分に活かしたい
と思う。
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12 日目旅順見学
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9 月 10 日(土)
本日は、旅順見学。9時 30 分に集合。10 時に東北財経大学で王雪さんと待ち合わ
せ。ずっとお世話していただいた王雪さんとは本日が最後。
旅順は、観光地としての基本的な東鶏冠山、二〇三高地、白玉山塔を見学。東鶏冠
山では銃痕の跡を見たり、ロシア軍の宿舎であったトーチカなどを見学。資料館にも
行って、日露戦争を学習する。学生たちにも私の思いが通じたと思いきや、「先生、
パンダのTシャツ見に行っていいですか」。それはそれ、これはこれ、ということな
のだろう。「観光地でないと、お土産品を売っていない」そうである。王さんも「み
んなパンダが好き」と苦笑い。
二〇三高地は登山である。歩け歩け。日露戦争最大の戦場二〇三高地。歴史家なら、
だれでも知ってるし、旅順に行くとなれば、「二〇三高地に行くのか」と必ず言われ
る。旅順港もきれいに見ることができた。重要地点であることを確認。さて、降りる
のは別の道。難所を降りる。ハイヒールの女子学生たちが悲鳴を上げていた。ファッ
ションリーダーも山歩きはお気の毒。
白玉山塔は去年から開放したが、今年は塔のそばまで車で行けないらしい。道路が
狭いことが理由だそうだが、本当?リフトなら登れるそうだ。それならばとリフトを
利用。だけど、リフトは怖い。乗ってしまえば、じっとしていればよいが、乗るまで
は・・・白玉山塔は、旅順港がよく見える。日露戦争の旅順港閉塞作戦のイメージも
よくわかる。私はもう遠慮したが、学生たちは元気に白玉山塔の上まで。螺旋階段を
えんえんと登って降りる。戻ってきたら、みんな座り込んでいた。
旅順から戻って、王さんとお別れ。お礼のプレゼント。王さんから最後の一言が涙
声に。みんなもらい泣き。ほぼ2週間、いろいろなことを手伝ってもらった。お別れ
だったが、見えなくなるまで手を振っていた。迷惑だっただろうけど、常に快く対応
していただけた王さんに感謝である。謝謝。再見。
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61
9 月 11 日(日)、9 月 12 日(月)
この 2 日間は、全くの自由時間。学生たちの行動には関与しない。私は・・・
といえば、秘密である。なーんて、9 月 11 日(日)は日本国領事館の小谷さん
のお誘いで市内観光。小谷さん一家。孫さん一家。それに、日本国際協力センタ
ーの大岡さんと私の合計 8 名のドライブ。棒錘島を中心に見学。何も考えずにゆ
っくりできた。9 月 12 日は、大連理工大学の大学院生と久しぶりに会う。就職
活動が大変そうだ。アリ族が多いことを実感。自分にキャリアになる職場を希望
しているそうだ。彼女は優秀だ。何を話しても全てが的確に通じる。良いところ
に就職できると良いのだが。午後から大連恵豊博物館に行く。資料は無かったが
色々な話を聞くことができた。夜はラマダホテルの支配人から食事のお誘い。
9 月 13 日(火)
本日帰国。7時 30 分集合。みんな時間通りに集合してきた。2日間何をし
ていたのだろう。ちょっと気になるが、みんな集合したので言うことなし。さあ
帰国と思いきや、バスが時間通りに来ていない。これだよ。言ったつもりなのに。
電話の催促が効いたのか、15 分遅れで到着。大連空港には無事に到着。チェッ
クインも済ませて無事に帰国。
今年もいろいろあったが、深刻なハプニングはなかった。腹の調子を悪くし
た学生もいたようだが、それも例年と比べれば楽なほうである。私も、毎年、必
ず一度は体調を壊すのだが、今年度は無事だった。むしろ、快腸、快便で、ご機
嫌だった。天気もずっと雨天続きだったそうだが、プログラムの実施期間、ほと
んど晴天に恵まれた。学生たちも協力してくれたと思う。集合時間も守っていた
し、自分たちで計画して色々な経験をしていたようだ。めでたし、めでたし。こ
れらの成果は、きっと自分自身の人生に大きな糧だったろう。
もちろん、反省点はいくらかある。大したことではないので、心に留めて来
年に生かしたい。
多くのことを学ぶことができ、大連ありがとう。プログラムに協力していた
だいた全ての皆さん、本当に感謝である。
62
【全体の感想】
私は学生時代に一つのことに留まりたくなく、海外インターンシップに参加しま
した。自分の考えの視野を広げるという点でとても良い経験となりました。
中国で訪問させて頂いた企業の方々のお話は、それぞれに特徴があり、面白かっ
たです。また企業の方それぞれが考えられていることも異なっており、興味深かっ
たです。特にラマダホテルの総経理がおっしゃっていた「日本の常識は非常識」と
いう言葉は、残念な気持ちと確かにそうなのかもしれないという気持ちの二つがあ
りました。私は、日本人の考えは真面目で世界に通用すると信じていたけれど、コ
ミュニケーションで考えてみれば硬すぎるのかなと思います。
もっと柔軟に少し失礼なくらいが世界では受け入れられるのだと考えました。そ
の理由として「食事のおもてなしをされたとき、全て食べるのではなく、残す方が
いい」と言われました。全て食べると足りない、満足していないという意味になる
からです。この考えは日本にはないので、このようなことから文化の違いに考えさ
せられました。
一方、中心屋の方は「日本の常識がなければやっていけない」とおっしゃってい
ました。
「すぐに海外に出るのではなく、何年間かは日本で働いてから海外に出るべ
きだ」と言っていたので、他の人とは違う意見で新鮮でした。日本の心を忘れず、
遊び心のある人が世界では通用できるのだと中心屋の店長さんを見て確信しました。
私も中心屋の店長さんみたいな考えで、これからの厳しい就職活動を頑張りたいと
感じました。
大連では先生に色んな所に連れて行ってもらいました。毎日楽しみにしていたご
飯はとても良い経験でした。中華料理は量が多いのでみんなで楽しく食べるものだ
という理由が分かります。北京ダックなど普段口にすることがないので、すごく美
味しい北京ダックを食べることができて幸せでした。なぜかメニューを置いてない
お店が多く、一階で注文するシステムはなかなか慣れませんでした。日本とは違う
形式で謎でした。美味しいものや時には口に合わないものもあったけれど、それを
みんなと意見交換しながら食べることが楽しかったです。初めてのタクシーでは通
常の 4 倍もお金を取られてしまったけれど、これも経験だなって思います。先生は
一人で私たち学生の面倒をみていただき、大変だったと思います。本当にありがと
うございます。すごく考えて日程やお店を選んでくれたのだと思います。先生と 2
週間中国での思い出が作れて良かったです。
海外インターンシップを通して少しだけだが国際的な企業の価値観や、国際業務
の経験と知識を学ぶことができたと思う。また、自由時間に様々な観光地を探索し
たことで、中国 大連の生活習慣や、文化にも触れることができ、大連について多
くのことを学ぶことができた。
海外インターンシップでは研修を通じて会社を知ることができたが、それ以上に
良い経験になったと思うことがある。それは、研修が終わり、後日都合の良い日に
伺った会社の方たちが来てくださり会食したことである。研修のときはほとんどが
その会社についての質問だったが、会食の場では中国での私生活や、その人の体験
談など多くの話しを聞くことができ、とても楽しかった。深く接することができ、
出会いが深まったと思う。
63
自由時間で毎晩、外食をしたが、一番印象に残ったのが北京ダックである。目の
前で調理するところが見れたし、味もとてもおいしくて感動した。物価が安いこと
もあり2週間で様々な料理が食べることができた。丸田さんに紹介されて行ったレ
ストランもとても良い経験となり楽しめた。
中国大連に来て出会った人達から言われたことで共通したことがある。それは、
「中国の悪いイメージ、固定観念で国を見てほしくない」という言葉である。私自
身、その言葉は大連に来てすごく理解することができた。食べ物もおいしく、経済
は発展し、住みやすいところだと感じた。またそれは、大連だからそうかもしれな
いのかな、とも思った。中国はとても広くひとつの国として全地域が同じ考え方で
同じ文化などありえないこともわかった。地域それぞれで言葉を持ち、文化、思想
を持っていることを私たちは理解しなければならないのだと学んだ。
中国だけでなく、日本でもこの考え方も持って生活することが大事だと思う。他
人の考えを尊重し、自分の考えを理解させるのはとても難しいが、海外インターン
シップを通して感じたこと、考えたことを活かすことで少しはできることかもしれ
ないと考えている。
今回、この海外インターンシップに参加し、たくさんの日系企業を回り、企業の
方からお話を聞かせてもらい、とても勉強になった。また、実際に中国で働いてい
る方に、中国人と仕事をする大変さや、中国の実情、中国人と日本人の違いなどの
お話を聞くことができたのは大変貴重な体験であった。現在では、中国人の人件費
も上がっていて、安い人件費を求めて中国に進出するような時代は終わり、中国で
も人件費削減のために機械化を進めなければならず、ほとんどの企業の方からこれ
から中国に進出する企業は中国の巨大な購買力(市場)を目当てにやってくるとい
うお話を聞いた。企業の方のお話を聞く中で、中国が今ものすごく発展しているこ
と、世界ではグローバル化が進んでいることを肌で感じることができた。
大連の中心地では、高層ビルが立ち並び、道もきれいに整備されていたが、少し
離れると建設中のビルばかりが立ち並び、道も全く整備されていなかった。そうい
うところで私は、中国はまだ発展途上だと感じた。大連に2週間滞在し色々な場所
やお店に行き、たくさんの中国人を見たが、大連はすごく活気に溢れていると思っ
た。日本と比べ大連はもちろん不便だし、決して清潔とはいえない町ではあるが、
人々は活気に溢れていてとても元気なのだ。これは現在、中国が好景気でもっと成
長しようと頑張っているからだと思った。
大連ではいまだに数ある外国語の中で日本語が一番学習している。そして、日本
語の話せる人もたくさんいて、とても親日的な街である。2週間の滞在の中で日本
人だからという理由で何かトラブルに巻き込まれるというようなことは全く無かっ
た。むしろ、みんな私たちに優しく接してくれた。日本では偏った報道がなされて
いて、中国人はみんな日本人が嫌いというようなイメージを持っている人はたくさ
んいるだろう。しかし、すべての中国人がそうではないし、中国に大連のような親
日的な街があることをもっと日本人は知るべきだと思った。その国が本当はどのよ
うな国なのか、それは実際に行ってみないと分からないことだと思う。私は2週間
という短い間だったが大連に行き、中国のことを以前よりも身近に感じるようにな
った。今回この海外インターンシップに参加して本当に良かった。
64
海外インターンシップを終えて、様々なことを学び本当に来てよかったと思いま
した。
私は、海外に行くのは2回目ですが、前は観光という目線でしか海外を見ていませ
んでした。しかし、今回は日系企業の研修ということで、多くの企業の方のお話を
聞くことができました。
私が最初に海外インターンシップに応募した理由は、秋から始まる就職活動で何
か言えることが作りたかったということです。今からどこの企業も日本だけでなく
世界を相手にしないといけないと思ったからです。中国に行って色々なことを学び
ました。例えば、中国進出に伴う課題点についてです。課題点の主な原因は、
「日本
と違うこと」です。日本人と中国人は他の国と比べるとどちらかと言えば顔が似て
いる方であり、それが思い違いを生んでしまうこともあると思います。やはり、両
者間の違う点・同じ点をきちんと把握して相互理解することが必要だと思いました。
その点を企業で乗り越えていくためには、様々な面で課題があるので、安い労働力
の確保と、課題との間で天秤をかけながら中国進出しなければならないと学びまし
た。実際、その壁を甘く見て、失敗した企業は数多くあるそうです。また、中国に
行って、ほかにも中小企業の技術が奪われるということについてもお話しして頂き
ました。日本は欧米諸国の技術を真似しながら経済大国にまで成長しました。生産
技術を奪われるというのは、ある意味、先進国の宿命とも言えます。それを踏まえ
て、世界に進出していかなければならないと学びました。
他には、日本と中国の雇用問題の違いについても学びました。日本と中国では、
中国のほうが従業員よりな法律で、解雇できなかったり、解雇するには違約金が高
いということを知りました。そして、賃金が安い中国という見方が変わるぐらい賃
金が上がってきている現状もお話頂きました。
このように、日本に居るだけではわからなかった中国の現状や、進化しつつある
世界をきちんと把握するために、今回の海外インターンシップはとてもためになる
ものだったと考えます。
2週間の海外インターンシップを通して、ほんとに自分にとっていい経験をさせ
ていくことができました。最初は日本に帰りたくて仕方がありませんでした。そう
思うことで自分がいかに日本で恵まれた環境で暮らせていると実感させられました。
でも日にちが経っていき、だいぶ大連にも慣れ、インターンシップのメンバーと徐々
に会話をしていく中で、最後にはもう少し大連のこと、中国のことを知りたいと思
えるようになりました。最初に不安の中で支えになったのは一緒の部屋にいた韓国
の方々でした。外国の人が隣の部屋にいると聞いてすごく不安でしたが、ほんとに
優しくて毎回自分が部屋に帰ってくるたびに「今日はメンバーと話せた?」と身振
り手振りで話してくれて、「自分が心を開けば言葉なんて関係ないんだ」とわかり、
ほんとにいい経験になりました。
また、実際に中国に来て感じたことは日本の報道とはまったく違うことにに驚き
ました。中国にもいい人もいれば悪い人もいて、なんら日本と変わらないと知るこ
とができました。また中国は日本と違って領土が広く、日本で大きく取り上げられ
た尖閣諸島の問題でも中国では一角に過ぎないのだと理解できました。例えば上海
と北京ではほとんど違う国のようなもので東京弁と大阪弁以上に言語が違うと聞い
て驚きました。中国は一つの角度から見ることができるほど単純な国ではないと知
ることができました。
現在の中国は高度経済成長に入っていて教科書で見た昔の日本を連想させられ
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ました。大連も例外ではなく、たくさんの高層ビルが並び、自分が想像していた中
国とは全く異なっていて驚きました。しかし、中国は面子社会ということもあり、
地下鉄から見える景色だけを綺麗に見せたり、外装はすごく豪華だが中はボロボロ
というようなこれからの中国の課題の一部を実際に見ることができました。
海外に2週間滞在するということは初めてでしたが、改めて自分の母国である日
本を好きになることができました。それは日本に居るだけでは感じることができな
い初めての感覚でした。これから卒業して社会に出ていくと思いますが、これから
は世界に旅立って、日本のために働きたいと思うことができました。まさか自分が
そんな気持ちになるとは夢にも思いませんでした。
この2週間の海外インターンシップで友人の大切さ、物事をいろんな角度から見
る視野の広さが大切なんだと感じることができました。ほんとに自分にとっていい
経験になりました。
今回、海外インターンシップに参加してさまざまな人にお話を伺い、二週間大連
に滞在したことはとても貴重な体験となりました。私にとって初めての海外での滞
在だったので文化の違いに驚き、戸惑う場面もありました。一番印象に残ったのは
中心屋の店長の楠本さんのお話でした。
「 中国や海外では日本人の考え方を押し付け
てはいけない」「文化の違いを認めることが大切である」、また「海外に出るときに
は日本人としての考え方を持っていることが魅力である」というお話です。これは
非常に難しいことですが、日本人が海外で日本のやり方を現地の人にさせようとし
たり、日本の感覚で他国の習慣に否定的になるべきではないのだという忠告と、だ
からといって自分の考えを持たずに行動し、すべてをそのまま鵜呑みにしては日本
人としての魅力がなくなるという忠告でした。私はここでいわれている前者につい
てはいつも気をつけていました。他国の文化や習慣は好き嫌いはあっても当然です
が、否定する権利は誰にもないと思っていましたし、大連でも中華料理はできるだ
け何でも挑戦してみたいと思っていました。しかし後者は非常に難しいと思いまし
た。日本にいてもいつまでたっても見えてこないのが、この日本人の考え方の魅力
ではないかと思いました。
日本に帰国すると安心感とともに大きな虚無感がありました。早く帰りたいと思
っていた故郷なのに静か過ぎてただ寂しさがありました。日本には先進国であると
いう余裕があり、中国のようなハングリー精神が今はもうなくなったのではないか
と考えました。中国にいるときに感じた騒がしい人や街の様子がとても印象深いで
す。
「行け行けドンドン」という感じでみんなが急いでおり、発展して豊かな生活を
手に入れるぞ!という熱気がありました。もちろん国の発展が全てだということは
ないですし、日本と中国では考え方の違いもあると思います。日本もそういう時期
があって、公害や環境汚染の問題を抱えてきました。国の発展が全てではないです
が、私は中国の発展の可能性に非常に興味を持ちました。
今回の滞在では中国語がほとんど話せず、中国でのマナーなど無知でした。もっ
と知識を身につけて、また中国に行けばもっと楽しいのでないかと思います。中国
についてもっと知りたいと思うようになりました。またこれから先進国になるかも
しれない中国の人たちに日本の文化や習慣などを知って欲しいと思いました。具体
的には日本の接客やマナーのよさが中国の人の間でも広がるとうれしいです。
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いろいろな企業に行き、企業の話や中国についての話、得たものはとても多かっ
た。その中でも印象的だったのが旅順に行ったことである。旅順は日露戦争の舞台
になったところであり、多くの銃痕や機関銃、穴などたくさんあり、戦地だったこ
とが伺えた。初めに東鶏冠山景区に行った。ここでは博物館があった。そこには写
真があり、日本人が中国人を虐殺しているのがあった。そのときに衝撃的だったの
が、周りの日本人が笑っていたということである。正直その写真を見たときに、腹
が立った。だが、このときの時代に自分が生まれて、そのような教育をされている
と、このようになるのかもしれないと思い、複雑になった。そして次は、二〇三高
地に移動し、機関銃などを見た。この場所を制圧すれば、旅順港まで弾が届くと言
う場所であり、少し怖いと思った。また、その何日後かに大連満鉄旧跡陳列館に行
った。この場所はゼミの先生からオススメされていた場所である。ここに満鉄の情
報がたくさんあった。中国人の方が日本語で説明してくれた。だが、何箇所か抜か
しているところがあった。これは、先生から言われていたように、日本人にとって
あまり良い歴史ではない情報は中国人の方は通訳してくれなかったということなの
だ。例えば、日本式の教育や戦争などは抜かしていたのである。説明が終わった後
にもう 1 度回ってみていると、日本が悪いということを書いてあり、納得できた。
悪いことは受け入れなければならないので説明してほしいと思った。中国に行って、
昔の日本がいかに悪いことをしてきたか痛感した。今回中国に行くに当たって、様々
な人たちに苦い顔をされた。イメージとして中国は衛生状態があまり良くない、反
日感情などがあるといったあまり印象が良くないというのが目立った。実際私もあ
まり良いイメージではなかったというのが事実である。しかし、今回実際行って、
中国の国の一部を見て、体験してみると、思っていたものと全く違った。日本では
メディアの情報によって印象が植え付けられていると実感した。様々な企業に行っ
て言われたことが「中国は広い」ということであった。つまり、一部の報道で中国
人全員が反日感情を持っていると言う風に思ってしまうのである。そのため、日本
では中国に良い印象を持たないのだ。私はこのインターンシップを終えたあと、中
国について話しているメディアを見ると、前みたいな印象は持たなくなった。この
ように、今回のインターンシップで自分の考えや気持ちも変わった。本当に行って
良かったと思う。
今回の海外インターンシップでは、有意義な時間を過ごせた。そして、自分にと
って価値のある経験ができたと思う。
大連に到着して最初に感じたのは交通量の多さである。中国のイメージは自転車
だったが、実際には自転車はほとんど走っておらず自動車ばかりだった。大連市内
では、日本車や高級自動車が多く見かけられ、日中貿易における自動車、自動車部
品の輸出の増加、そして中国国内での消費の増加を感じた。大連の街は活気に溢れ
ていた。私は日本の高度経済成長やバブルを体験していないが、きっとこんな感じ
だったのだろうと思った。今の日本は少子高齢化で市場が拡大できないので中国は
重要な存在だろう。
研修で訪れた企業で多く言われていたのが、労働賃金上昇の問題だ。2010 年には
GDP 成長率 10.3%を記録した中国だが、その背景としては、日本などの先進国の企
業が労働賃金の安い中国に工場を持ち、中国への輸出が増えたことが挙げられる。
しかし、今では中国の労働賃金は経済成長に伴い、上昇し続けている。工場進出と
いえば中国だと思っていたので、今やもっと労働賃金の安いインドやベトナムへと
移転していることを知り、驚いた。今後は中国を製造の場として捉えるのではなく、
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マーケットとして捉えていくことが重要であると感じた。企業が大変なのは労働賃
金を 5 年間で 2 倍にしようという計画があることだ。よほど売上が上がらないと難
しく、リストラにつながるらしい。確かに少し無理があるようだが、中国では政府
に従わないと罰金や退去させられる可能性があるので、企業は努力する他ないと思
った。
今回、本来予定になかった中国の結婚式など、ツアーなどではできない体験がで
きたことも良かった。結婚式は基本的に誰でも参加でき、式は 30 分程で終了、あと
はご飯を食べて各自好きな時に解散という、なんとも自由で中国らしい結婚式だっ
た。しかし、ホテルなのにハエがたくさん飛んでいたし、中国で結婚式を挙げたい
とは思えなかった。
食事では油が合わずお腹を壊し、タクシーに乗れば運賃をぼったくられた。街の
臭いはひどいし、交通ルールは滅茶苦茶で、外出するたびに自動車やバスに轢かれ
そうになるし、子供に無理やり花を買わされたこともあった。大連では驚くことが
たくさんあったが、それもまた、良い思いである。
中国は国家主義であり、サービス精神があまりない。中国の人は愛想がないと勝
手に思っていたが、それは文化の違いから生まれたものであることを知って、主観
的にしか見ていなかったことが恥ずかしく思えた。ラマダホテル総支配人がおっし
ゃっていた「日本の常識は世界の非常識」という言葉が非常に印象に残っている。
海外インターンシップを通して、文化が違ってもその違いを受け入れ、互いの価値
観を理解していくことが大切だと感じた。
広島空港から大連空港についた瞬間に自分の目がおかしくなったのかと思うぐ
らいに空気の汚さに驚きました。そして空港からバスで東北財経大学に行く途中に
また衝撃的なものを目にしました。それは道路の真ん中に人がふつうに立っている。
日本ではまずありえない、非常識な行動だと思います。しかし中国ではふつう。む
しろ常識になっているのではないかと思いました。
そして研修1日目領事館とJETROと聞いて堅くるしい話を想像していたの
ですが、逆に話を聞くうちに興味が沸いてきた。そして市内観光をして思ったこと
は、ハングリーな光景が多すぎると思いました。
夕食の中華料理は自分の中であまり期待していなかったのですが、落合先生が長
年の経験から日本人の自分たちでも安心して食べられるお店を選んでくれていたの
で、多少の腹痛はありながらもおいしく食事ができてよかったです。
5日目に行った中国の少林寺の演舞はとてもおもしろかったです。逆に6日目に
行った京劇は中国のわからない自分にとってはあまりおもしろくなかったです。
7日目の夜、ホテルに移動してホテル生活になりました。なによりもホテルがき
れいでよかったと思います。朝の朝食バイキングもおいしくてよかったです。
9日目の夜の中心屋のご飯がとてもおいしくて、毎日中心屋でもいいぐらいでし
た。そして中心屋でごはんを食べた後、二次会で行った串揚げのお店もとてもおい
しかったです。
12日目に行った旅順は、久しぶりに歴史に触れた日でした。戦争の跡が残って
いてすごいと思いました。あと印象に残っているのが白玉山塔の螺旋階段です。1
00年間ノーメンテナスだからと言って脅かされましたが問題なく登れて、景色が
きれいでした。その後の自由時間も楽しむことができてよかったです。
この度のインターシップ参加して、企業の方からためになる話をたくさん聞くこ
とができたので、無駄にすることなく、これからの就職活動に生かしていきたいと
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思います。
中国インターンシップは本当に貴重な体験と経験になったと思います。普段見る
ことのできない工場の中の見学や結婚式に参加させてもらったり、テーブルマナー
やベッドメイキングなど二週間で端から端まで勉強させてもらいました。
今の中国の現状、現地で働いている人からの生の声を聞いたらほとんど企業のひ
とが同じようなことを言っていたような気がします。
製造業の人たちは、今は日本向けに製造をしているけど、いずれは中国向けにし
たいと思っています。大連で日本のものを造る、いわゆるコストダウンですが、元
が上がりつつある中国というのも現状です。いつか日本が抜かされてしまうかもし
れないという状況にあるということです。そのことは中国に行って目で見て実感し
ました。明らかに、自分の描いていた中国のイメージが覆されました。こんなにも
急速に経済が発展していると思っても見ませんでした。
あ と 、 中 国 で 働 い て い て い る 企 業 の 方 々 は 口 を そ ろ え る か の よ う に 、「 海 外 に 出
て働いたほうがいい」「外からの日本がよく見えるよ」などと、言われていました。
確かに海外に旅行するだけでも日本と海外を比べてしまうところがあります。日本
は世界から見ると独特なのかもしれないですけど、私はそんなちょっと変わった日
本も嫌いではないです。今回、二週間中国にいて自分の中の価値観がまた大きく変
わった気がします。去年は韓国に三週間、語学研修で行っていました。しかし、今
回もまたたくさんの経験ができ、一期一会の出会いがたくさんあり、本当に良い経
験になりました。
中華料理は期待はずれが多く、香辛料のきつさに驚きました。お腹を壊すと言わ
れてて、なかなかこなかったので大丈夫だと思っていたら帰国する三日前にお腹を
下すという苦い思い出もありましたが、本当に中国インターンシップに参加して良
かったと思います。
企業の方々、東北財経大学の関係者の方々、大連でのたくさんの方との出会いは
一生忘れることのない経験となりました。ありがとうございました。
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おわりに
「海外インターンシップ報告書」もおおよそまとまって、「おわりに」を書い
ている。2001 年度に近藤教授が始められ、2002 年度より自身が引き継いだが、
もう 10 年近くになる。この間、ずっと支援をいただいている東北財経大学を始
め各社企業には心より感謝申し上げたい。
毎年、訪問させていただいて思うことだが、各企業、常に精一杯の研修をし
ていただいている。貴重な時間を使ってご指導いただき、感謝である。
本プログラムに参加する学生たちは、遊び半分の人もいるのだろうが、この
研修期間の2週間で確実に成長している。就職への見方も変わっていくし、他
者理解で大きく成長している。海外で大変な苦労を乗り越えてきた先輩たちの
話をうかがう。しかも、全く反対の意見もある。正論は無いし、その場の臨機
応変の決断こそ大事である。答えを求めず、幅広い選択肢から自分なりの考え
を導き出す。こうしたことが重要だと理解してもらえたと考えている。
「報告書」というと、数字が並んで、経済動向や企業動向を示すべきかもし
れない。しかし、講義時間などの関係もあり、十分に反映できない。お許しい
ただきたい。ただ、私のコメントを含め現在の中国の動向は一定度示すことが
できたと思う。また、おとなしい学生が多いため反応が無いと思われる方もい
るかと思うが、今回の報告書の感想でお許しいただきたい。
この海外インターンシップという講座は、商学部の講座の一つであるが、全
学部が受講できるようになっている。そういうこともあり、この海外インター
ンシップに参加し、得られた知識や経験を各学部に戻って自分なりに理論化し
ていただければと考えている。
振り返ると、中国経済の動きは早く、しかも特徴的である。本文中にも述べ
たが、「世界の工場」から「14億人への市場」へとシフトする動きが顕著にな
ってきている。具体的には、①(東日本大震災の影響もあるが)日本からの輸
入が難しくなり、結果、現地(中国国内)調達が達成できたこと、②労働者の
賃金が上昇し、労働集約型では対応しきれなくなって来ていること、③最近の
中国進出企業はサービス産業などが多く、改革開放初期に進出した企業は東南
アジア、インドなどの新たな地域を志向しつつあること、④①を含めて役職者
などにおいても現地化が急速に進んでいること、などが挙げられる。これらは、
現在の中国にとっては、成長の表れともいえるが、中国経済にとってリスクと
背中合わせのような気がする。労働集約型から資本集約型へシフトすることは、
企業は残るが、雇用の機会を奪う。そうなれば、14億人もの人口を労働者と
して吸収できなくなるに違いない。もっとも、「機械が雇用を奪う」などという
話は日本の高度経済成長のときにもあった。事態の推移を見守っていきたい。
現在、大学改革が進み、夏休みなど長期休暇は短くなってきている。それで
も大学時代は自由な時間は多い。それを利用して2週間、じっくりと海外の特
定地域で生活することは、とても有意義だと思っている。本プログラムについ
て、暖かく見守っていただければと思っている。とにもかくにも、今年度は、
大きなハプニングもなく、病気もなく帰国することができた。関係者の皆さん
に心より感謝申し上げたい。
広島修道大学商学部教授
70
落合
功
午前
午後
夜
9:00
10:00
11:00
12:00
13:00
14:00
15:00
30日(火)
12:00
広島空港集合
広島発
14:20
大連着
15:20
財経大学着
16:00 16:00
17:00
(全員)
食事及びミーティング
18:00 18:00
19:00
20:00
21:00
31日(水)
8:30~集合
9:15~11:00
研修1
日本総領事館講演
大連市内見学
1日(木)
8:50~集合
10:00~
研修3
食品メーカにおける
中国進出戦略
(三島食品株式会社)
2日(金)
8:30まで
5日(月)
8:00~9:00
4日(日)
7日(水)
8:30まで
8日(木)
8:30まで
国
中
情
事
国
中
社
13:00~
東北財経大学
研修11
意見交換会
広島着
13:00
大連発
10:00
宿舎出発
7:00
9日(金) 10日(土) 11日(日) 12日(月)
13日(火)
情
中
事
社
食事
国
情
会
食事
事
市
調
食事
情
場
査
食事
社
調
9:00~
会
査
9:00~
10:00~
食事(全員)
18:00~
調
9:00~
中国ホテル業
経営と競争
12:00~集合
13:30~
食事(全員)
18:00~
(九州華美達酒店)
13:00~
研修8
食事(全員)
18:00~
査
9:00~
研修7
8:30まで
6日(火)
2011年度海外インターンシップ予定表
3日(土)
食事
9:00~
11:30~集合
食事
10::00~12:00
旅順見学
8:30~集合
9:00~
学内見学
伝統芸能等見学
大連観光
12:10~
研修5
セメント産業の
中国進出戦略
(太平洋セメント
株式会社)
大連小野田水泥
有限公司
(京劇観賞)
13:00~
経済開発区見学
研修6
研修10
情報サービス産業の現在
大連蘇飛信息科技有限公司 アパレル産業の
中国進出戦略
大連坤姿時装
有限公司
食事(全員)
18:00~
(株)グンゼ
食事(全員)
18:00~
国際物流有限公司
大連山九
国際物流とは何か
JETRO
(対中国経済の課題)
(日本貿易振興機構)
研修2
ホテルへ移動
16:30~
研修9
飲食サービス業界の現在
食事(全員)
18:00~
大連中心屋
食事(全員)懇親会
18:00~
大連市内見学
17:00~
研修4 日系広告業界の現在
『LOOk』編集部南様
食事(全員)
18:00~
大連佐藤広告有限公司
食事(全員)
18:00~
1,研修は、工場、事務室、寮、プラザなどの見学と、可能な場合軽作業、そして事前に質問を用意しヒアリングを実施いたします。
2,食事は、基本的に決めていません。
3,宿泊は、7月29日までは東北財経大学、それ以降は、九州華美達酒店(ラマダホテル)TEL:0411-82802231 (代表)です。
4, 時間が確定されていないものもあります。前日、打ち合わせの時に詳細のことを言いますので、確認するように。