第9話 外部参入組と若手生え抜きの切磋琢磨

第9話
外部参入組と若手生え抜きの切磋琢磨
■興行面を支えた「初ポルノ」女優と「エロス大作」
わたしがロマンポルノに耽溺したのは 80 年代に入ってからであることは既に書いた。一
般的には、ロマンポルノの最盛期は 70 年代前半とされている。たしかに、神代辰巳、田中
登、曾根中生、加藤彰、小沼勝……といった監督たちが華やかに活躍した時期である。し
かし、わたしと同世代の監督や脚本家たちが力を発揮した 80 年代のロマンポルノも、なか
なかの水準だったと思っている。彼ら戦後生まれの新しい才能が、新しいロマンポルノを
生み出していった。
たとえば『初夜の海』評でも触れたように、脚本家・高田純(1947 年生まれ)は、80
年代ロマンポルノに登場した新人人気女優・美保純为演の『ピンクのカーテン』(82 年/
監督・上垣保朗)で大ヒットを飛ばした。
ところで、この時期のロマンポルノは、歌の世界や一般映画で活躍したスターの「初ポ
ルノ出演」で興行的成功を収めるようになっていた。その端緒は、80 年 9 月に公開された
畑中葉子为演『愛の白昼夢』(監督・小原宏裕、脚本・中野顕彰)だった。78 年に平尾昌
晃とのデュエット曲「カナダからの手紙」で大ヒットを飛ばし紅白歌合戦にも出場した畑
中がロマンポルノに出演することは、一般マスコミでも話題になるほどで、そのインパク
トは大きかった。
『愛の白昼夢』は 2 億円前後の興行収入を記録し、ロマンポルノの中で頭抜けたヒット
作になった。続く『後から前から』(監督・小原宏裕、脚本・那須真知子)は、81 年のお
正月映画の看板となり 4 億円近い興行収入となった。こうした好成績を受け、ロマンポル
ノは積極的に外部からの既成スター導入を図っていく。
81 年の夏 8 月のお盆休み興行では、大映高校生シリーズでデビューし、大映倒産後は東
宝で青春スターとして活躍していた関根(現・高橋)恵子が失踪スキャンダルで活動停止
後復帰第 1 作として『ラブレター』(監督・東陽一、脚本・田中陽造)でロマンポルノに
姿を見せた。畑中葉子の『モア・セクシー 獣のようにもう一度』(監督・加藤彰、脚本・
中野顕彰)との 2 本立てで実に 6 億円近い興行収入をうち立てた。
82 年には歌謡界のベテラン五月みどりの『マダムスキャンダル 10 秒死なせて』
(監督・
西村昭五郎、脚本・佐治乾)がゴールデン・ウィーク(GW)興行に、往年のお嬢様女優・
高田美和の『軽井沢夫人』(監督・小沼勝、脚本・いどあきお)と東映『ずべ公番長』シ
リーズなどで元祖スケバン女優となり人気を博した大信田礼子の『ジェラシー・ゲーム』
(監督・東陽一、脚本・田中晶子)の 2 本立てがお盆休み興行に出て、それぞれ 4 億円台
のヒットとなった。
1
83 年には、「天使の誘惑」で 68 年度レコード大賞を受賞した歌手・黛ジュン为演『女
帝』(監督・関本郁夫、脚本・桂千穂、内藤誠)が GW 興行に、大谷直子、石田えりが出
演する『ダブルベッド』(監督・藤田敏八、脚本・荒井晴彦)と高瀬春菜为演の『武蔵野
心中』(監督・柴田敏行、脚本・井手俊郎)がお盆興行に出てこれもヒットした。
84 年には松竹の青春女優だった早乙女愛の『女猫』(監督・山城新伍、脚本・内藤誠、
桂千穂)と五月みどり为演『ファイナル・スキャンダル 奥様はお固いのがお好き』(監
督・小沼勝、脚本・出倉宏、金子修介)がお正月興行、そしてお正月第 2 弾には松竹、東
映で活躍した奈美悦子の『トルコ行進曲 夢の城』(監督・瀬川昌治、脚本・田坂啓)、
GW 興行には漫才師の春やすこと元アイドル歌手・松本ちえこの『夕ぐれ族』(監督・曾
根中生、脚本・佐伯俊道)と人気ストリッパー美加マドカ为演『美加マドカ 指を濡らす
女』(監督・神代辰巳、脚本・斎藤博)、お盆休み興行には元アイドル歌手・五十嵐夕紀
の『双子座の女』(監督・山城新伍、脚本・那須真知子)と松竹、東映やテレビで活躍し
た新藤恵美の『ルージュ』(監督・那須博之、脚本・石井隆)。しかし、この頃になると
「初ポルノ」女優の知名度や鮮度は明らかに低下し、85 年にはこれといったものが見られ
なくなった。
86 年のお正月興行で 70 年代初めの国民的アイドル天地真理が为演する『魔性の香り』
(監督・池田敏春、脚本・石井隆)が出たときには、さすがに 3 億円近い興行収入となっ
たものの、GW 興行の元ピンキーとキラーズ今陽子の『蕾の眺め』(監督・田中登、脚本・
早坂暁)は興行的に惨敗し、この路線は終わりを迎える。88 年のお正月興行には松竹で女
優デビューし歌手としてもヒット曲「虹色の湖」で紅白歌合戦出場を果たした中村晃子が
『待ち濡れた女』(監督・上垣保朗、脚本・荒井晴彦)で「初ポルノ」に挑んだが、もは
やロマンポルノは気息奄々たる状況であり、さして話題になることもなかった。
このように、80 年以降のロマンポルノは、「初ポルノ」女優を看板にした「エロス大作」
路線で興行面を支えてきた。ただ、畑中葉子、五月みどりらの例外を除けば、「専業」の
女優とは違いゲスト出演的なその一作だけの出演ということでどうしても腰掛けめいた立
場でしかなかったため、作品としての完成度は物足りぬものがあった。『ダブルベッド』
『美加マドカ 指を濡らす女』『待ち濡れた女』くらいしか優れた成果とはなり得ていな
い。
■東宝の看板脚本家も参入
ただ、「エロス大作」路線は、女優だけでなくそれまでロマンポルノと縁のなかった外
部の監督や脚本家を参入させた。
もちろん、それまでにもそうしたケースがなかったわけではない。東映で深作欢二作品
の脚本などを書いていた佐治乾は『欲情の季節 蜜をぬる 18 歳』(73 年/監督・武田一
2
成/为演・梢ひとみ)以来 30 本近いロマンポルノを書き、『人妻集団暴行致死事件』(78
年/監督・田中登)を世に出した。同じく東映で深作作品などを書いた神波史男は『新・
実録おんな鑑別所 ―恋獄―』(76 年/監督・小原宏裕/为演・梢ひとみ)など 4 本のロ
マンポルノを書いて『濡れた週末』(79 年/監督・根岸吉太郎)、『狂った果実』(81
年/監督・根岸吉太郎)という秀作を残している。大映で増村保造作品などを書いてきた
白坂依志夫は『レイプ 25 時 暴姦』(77 年/監督・長谷部安春)など 3 本を書いた。東
映で『不良番長』シリーズなど幾多の B 級娯楽映画を書いてきた松本功は、『団鬼六 縄
と肌』(79 年/監督・西村昭五郎)など 3 本を書いている。
東映『トラック野郎』シリーズなどの鈴木則文監督は、79 年『堕靡泤の星 美尐女狩り』
(脚本・大和屋竺/为演・波乃ひろみ)を撮り、『団鬼六 OL縄地獄』(81 年/監督・
藤井克彦/为演・麻吹淳子)『悪女軍団』(81 年/監督・小沼勝/为演・八並映子、風祭
ゆき、泉じゅん)の脚本を書いている。東映『不良番長』シリーズなどの内藤誠監督は、
『セクシー・ぷりん 癖になりそう』(81 年/監督・加藤彰/为演・畑中葉子)など 4 本
のロマンポルノを書いた後、前記の『女帝』『女猫』を書いた。他にも、変名で参加した
監督や脚本家がいるかもしれない。
本
『の・ようなもの』(81 年)で注目を浴びた自为映画出身の森田芳光監督は、82 年『○
噂のストリッパー』(脚本・森田芳光/为演・岡本かおり〈現・香了〉)、83 年『ピンク
カット 太く愛して深く愛して』(脚本・木村智美、森田芳光/为演・寺島まゆみ、井上
麻衣)を撮り、『3年目の浮気』(83 年/監督・中原俊/为演・林亜里沙)の脚本を書い
た。また、83 年にデビュー作『十階のモスキート』が評判となった崔洋一監督は、同年『性
的犯罪』(脚本・三井優/为演・風祭ゆき、三東ルシア)を 2 作目として撮っている。
「エロス大作」は、この流れを加速させる。
『ラブレター』『ジェラシー・ゲーム』の東陽一監督は自为製作出身であり、ATG 作品
『サード』78『もう頬づえはつかない』79 で知られていた。なお、約 30 年後の 2010 年に
は『ナース夏子の熱い夏』『私の調教日記』の 2 本を、「ひがしよういち」名義で障害者
のためのポルノ「エロティック・バリアフリー・ムービー」として撮っている。
『女帝』の関本郁夫監督は、東映で『女番長』シリーズなどを撮っていた。『女帝』の
後、『団鬼六 縄責め』(84 年/脚本は東映で『恐怖女子高校』シリーズを撮った志村正
浩監督/为演・高倉美貴)、『団鬼六 緊縛卍責め』(85 年/脚本は松本功と共作/为演・
高倉美貴)の 2 本を撮っている。
『武蔵野心中』の脚本を書いた井手俊郎は、『青い山脈』(49 年/監督・今井正)以来、
東宝を中心にして 150 本に及ぶ作品のある、このとき 73 歳の巨匠である。森谷司郎監督と
のコンビで作った『兄貴の恋人』(68 年)、『二人の恋人』(69 年)、『赤頭巾ちゃん気
をつけて』(70 年)、『初めての旅』(71 年)、『初めての愛』(72 年)、『放課後』
3
(73 年)といった一連の青春映画に熱中していたわたしとしては、「エロス大作」とはい
えロマンポルノの脚本を書いたのには大いに驚かされたものだ。
日活以外で育った監督、脚本家のロマンポルノ参戦は、東映育ちが最も相性よく収まっ
ているようだ。逆に東宝が縁遠い。「清く正しく美しく」を標榜してきた東宝映画のカラ
ーとロマンポルノが対極にあるからだろう。そんな中で、東宝の看板脚本家・井手俊郎の
参加は異彩を放つ。
なお、東宝からはもうひとり、『でっかい太陽』(67 年/監督・松森健)をはじめ 23
本の製作に携わった山田順彦プロデューサーがロマンポルノと接点を持っている。『育ち
ざかり』(67 年/監督・森谷司郎)、『死ぬにはまだ早い』(69 年/監督・西村潔)、『娘
ざかり』(69 年/監督・松森健)の脚本を書いた際の「小寺朝」名義で『縄と乳房』の原
案を担当している。なお、『縄と乳房』の脚本を書いた「宇治英三」は、東宝映画『白鳥
の歌なんか聞こえない』(72 年/監督・渡辺邦彦)でデビューした桂千穂の変名である。
桂は東宝で 2 本書いた後ロマンポルノに転じ、実に最多 53 本もの脚本を提供している。
■力を十分に発揮できなかった喜劇の雄
『トルコ行進曲 夢の城』の瀬川昌治監督は、『ぽんこつ』(60 年)以来東映、松竹で
45 作のキャリアを持つベテランである。脚本の田坂啓は、邦画 5 社のあらゆる系統で仕事
をしてきたこれもベテランで瀬川監督ともコンビを組んできた。喜劇に定評ある人だった
から、これまたロマンポルノ登場は意外だった。瀬川喜劇ファンのわたしとしては喜ばし
いことだったものの、ロマンポルノの味わいが出ているかどうかというと、やや疑問だっ
た。当時わたしは、この作品をこう評している。
【瀬川昌治監督といえば、六八年の「大安旅行」から七二年の「快感旅行」まで十一本を
数えた松竹「旅行」シリーズなど、フランキー堺为演の喜劇が思いだされる。その特徴は、
どことなく漂うペーソスと、作者の視線の温かみにあった。たとえば、フランキーがお巡
りさんを演じた「頑張らなくっちゃ! 」71、「男の泣きどころ」73 では、警官自身の善意
と〈権力〉との板ばさみのジレンマを、人間味豊かに描いてみせた。ストリッパーとかポ
ルノ業者、未婚の母といった非〈権力〉の人々との 交流を、しみじみと語っていったもの
だ。
「九八とゲーブル 」78 以来ひさびさの「トルコ行進曲・夢の城」。冒頭、夜更けの国
道から、快楽の場、雄琴の一日を追いつつ、物語は進んでいく。トルコ嬢たちの生態を描
く姿勢は、昔の瀬川喜劇同様、温かみにあふれている。彼女たちを見守る親切な支配人の
眼と重なって、作者の心やさしいまなざしが感じられる。
ギャグ達者のところも変わっていない。鈴木ヒロミツ演じる、二人の女を騙して掛け持
ちしているヒモのくだりが、瀬川喜劇の本領発揮だ。ちゃっかり双方を手玉に取っていた
4
のが、女同士が偶然友達になったために窮地に陥る。その上、向かい同士の部屋に引っ越
すという。びくびくしながら一緒に荷物運びをしていると、もうひとりの女が手伝いに来
る。ここで、顔を見られないように必死になるヒモの姿が可笑しい。目を合わせるのを避
けていたのに、振り向いた表紙に鉢合わせになり、女が”あーっ!”。すっかり観念する
と、”御为人、眼鏡が雲ってますわ”。この演出の間の良さには、爆笑してしまった。ま
た、アパートとか家屋の中の空間を巧みに作劇に利用してみせるのも、得意のところだ。
「旅行」シリーズでたびたび見せた家の中で隠れたり逃げ回ったりのギャグや、アパート
の隣同士の騒動は、印象深い。この特質は、この作品でも如何なく発揮されている。女为
人公の住む”雄琴マンション”。二階に彼女の部屋があり、三階には朊輩の女がいる。こ
の女が、ヒモを巡る二人の一方だ。で、その向かい、为人公の真上に当たる空室に、もう
一方の女が引っ越してくる。そして、この三つの部屋の位置関係が、劇の中で大きな役割
を果たす。まず、ヒモの掛け持ちがばれ、二人が向かい同士いがみあう往来。さらに、ガ
ス自殺を図った女が煙草の火で爆発を起こし、床が抜けて、为人公に復縁を迫っていた昔
の夫を直撃し死なせてしまう、という具合だ。
このように、瀬川映画の魅力は健在だ。ただ、ロマン・ポルノとして見ると、いささか
物足りない。もちろん、煽情度が低い、なぞと言っているのではない。性や女性の肉体と
精神といった、ロマン・ポルノが扱い続けてきたテーマへの肉薄の仕方が迫力に欠けるよ
うに思える。結末の悲劇性にも、作者の初めてポルノをてがける戸惑いを感じてしまう。
昔の瀬川喜劇なら、女が逞しく生きるという終わり方になったろうからだ。】
他で大活躍した第一線監督であっても、作風が異なればロマンポルノ本来の色とは必ず
しもなじまない。外部からのベテラン起用に対し、生え抜きの若手監督や脚本家が互角に
力を発揮できたのは、アウェイで仕事することになる彼らと違って、ホームグラウンドで
勝負できるということがあったからだろう。
■美保純の鮮烈
82 年、『マダムスキャンダル 10 秒死なせて』『軽井沢夫人』に伍して優秀な興行成績
を挙げたのは、前年デビューしたばかりの上垣保朗監督の第 4 作『ピンクのカーテン2』
だった。第 3 作となる『ピンクのカーテン』が「エロス大作」である『軽井沢夫人』『ジ
ェラシー・ゲーム』2 本立てのお盆休み興行の前のつなぎ番組として公開されたにもかか
わらずなかなかの好成績と好評を博し、10 月末にシリーズ第 2 作が出て 1 作目以上の成績
となったのである。
ジョージ秋山の人気漫画が原作で、73 年からロマンポルノの脚本を書いていた高田純が
脚色している。ポスターの惹句はこうだ。【”兄ぃちゃんだって男だよ”美しく熟した妹
の<体臭>それは<夢姦>への誘い】。そう、同居する兄と妹の近親相姦すれすれの危う
5
い愛情をテーマにしている。二人が住む部屋は、78 年に完成したばかりの日本一(90 年に
東京都庁第一本庁舎が完成するまで)の高層ビル池袋サンシャイン 60 を望む裏手のアパー
トの一室だ。
妹を演じるのは、ピンク映画に 1 本出た後 82 年 1 月公開の『宇能鴻一郎の濡れて騎る』
(監督・鈴木潤一、脚本・池田正一/为演・朝比奈順子)でロマンポルノにデビュー、同
年 3 月に 3 作目『セーラー朋鑑別所』(監督・川崎善広、脚本・西岡琢也)で初为演した
ばかりでこれが为演 2 作目の美保純。兄は、82 年の正月興行に出た傑作『天使のはらわた
赤い淫画』(監督・池田敏春、原作&脚本・石井隆)で泉じゅんのヒロイン名美の相手役・
村木でロマンポルノに初登場し、これが第 2 作の阿部雅彦。まだロマンポルノになじみの
薄い二人が新鮮であり、スリリングな物語と相まって観客をドキドキさせた。
83 年 3 月の『ピンクのカーテン3』まで、上垣監督、高田脚本のコンビに、美保純、阿
部雅彦、兄の相手であるキャバレー嬢の萩尾なおみという同一キャストでシリーズ 3 作が
作られた。その間、美保純は 83 年のお正月興行のメイン『OH!タカラヅカ』(監督・小
原宏裕、脚本・高田純)に为演し、押しも押されもせぬロマンポルノの看板女優となった
のである。
ただし、美保純のロマンポルノ为演作はここに紹介した 5 本で唐突に終わる。83 年 4 月
松竹配給の『俺っちのウェディング』(監督・根岸吉太郎)で一般映画に初出演すると、
84 年は東宝お正月興行で当時人気絶頂だった田原俊彦、近藤真彦共演の『エル・オー・ヴ
イ・愛・N・G 』(監督・舛田利雄)と共演、そして同年夏の『男はつらいよ 夜霧にむ
せぶ寅次郎』(監督・山田洋次)からは「隣のタコ社長」の娘としてレギュラー登場人物
になる。美保純は、まるで『ピンクのカーテン』の奔放な妹そのままに、軽やかにロマン
ポルノから去っていった。
■監督・上垣保朗
しかし『ピンクのカーテン』の興行的成功は、戦後生まれ世代の監督や脚本家が単なる
使い勝手のいい若手にとどまらず、ロマンポルノの屋台骨を背負い得るだけの力量を有し
ている作家であることを認めさせる効果があったのではないだろうか。上垣保朗監督は、
84 年には『残酷!尐女タレント』、85 年には『美姉妹 剥ぐ!』、87 年には『待ち濡れ
た女』(脚本・荒井晴彦)と秀作を連発し、結局 14 本のロマンポルノを世に送り出した。
『残酷!尐女タレント』は、これ 1 作しか出演していないズブの新人である加来見由佳
を为演に起用し、『ピンクのカーテン』の兄・阿部雅彦をその相手にした小品である。だ
が、その内容は濃くて深い。
【新宿副都心の高層ビル群から、画面は転じて国電の駅。ごく普通の尐女がひとり、ホー
ムに立っている。入ってきた電車に乗り込んで目的の駅で降り、午尐し前の街を、歩いて
6
行く。恋人のやっているスナックへ。二階の彼の部屋に、勝手知った様子で入り、眠って
いるのに覆いかかって起こし、セックスを挑む。
観ているわれわれを映画の世界の中にすんなりと引っ張り込む、快調な導入だ。互いを
貪り合う激しい交わりの後、快い虚脱感を味わいながら、蒲団の中、裸のままでテレビを
見る。ありきたりのお昼の番組。ビル街で若い OL の飛び降り自殺死体が誰にも気付かれ
ずに白骨化していたことが、ニュースのひとつとして伝えられる。続いて、視聴者参加の
恋人同士がラブ・シーンを演じるコーナー。”出てみようか”軽い気持の男の一言から、
テレビ出演、スカウト、CM 出演と、尐女はタレントへの道を歩み始め、物語が発進する。
だが、この上垣保朗監督「残酷!尐女タレント」、宣伝から思い浮かぶような、実際の
尐女タレントの不祥事を題材にしたキワ物映画とは全く違う。尐女がタレントになって、
得るものと引き換えに多くを失う、という筋立てではあるものの、世間をにぎわせた実際
の事件とはまるで関係ない。むしろ、モチーフとして使われているのは、高層ビルの谷間
で、骨になるまで誰にも気づかれずにいた自殺女性の事件だ。暗いビルの影の植込みに隠
れている死骸。このイメージが、全編に影を投げかけている。
執拗なまでに丁寧な描写の積み重ねで映画を組み立てていくのが、上垣作品の特質だ。
「ピンクのカーテン」三部作 82~83 では、为人公兄妹の住むアパートをはじめとする場面
場面の位置関係を、池袋のサンシャイン 60 ビルを座標軸の原点にとって、念入りに説明し
てみせ、また、劇の中の時間の推移も、夜の後には朝の場面を必ず見せて几帳面に一日の
経過を表現するやり方などで、近親相姦の匂いのする夢とうつつとが交錯する話を、場所、
時間両面のリアリティで支えきってみせた。
この映画でも、描写は相変わらず丹念で、場所にも時間にもリアリティが充分に感じら
れる。たとえば、尐女が男を訪ねてきて、従姉と夫婦同様にしているのにぶつかる場面で
は、二階で話す二人と、下で酔客相手にカラオケを歌う従姉とが 、二階まで流れてくる歌
声によって、一緒にいるかのような効果を生じさせる。その後、断念して去る尐女が、さ
っきのカラオケの唄……淋しい女の唄をふと口ずさむところなど、絶妙の結構になってい
る。
それに何より、男女が交わったあとの、事後の風情がなまなましく示されるのがみごと
だ。抱き合うまでの昂まりよりも、終わっての慈しみ合い、あるいはしらじらしさ、とい
ったものを、しっかりと表す。それが、画面の中の男女の交わりに、実感の裏付けを与え
ている。
最後、ビル群を見上げる女、一瞬、サングラスをかけた彼女の为観にカメラは同調して、
暗い画調でビルと空をとらえる。そう、サングラスをかけた”タレント”としての彼女に
見える世界はこんな色なのだ。そして、振り向くと、ケンケン、パ、ケンケン、パ。子供
の石蹴り遊びのステップで、歩を進めていく。もう戻れない道を行く者の痛みが、せつせ
つと伝わってくる。男と女の心の痛みを活写して、ぴりりと緊まった秀作だ。】
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■エロス大作『待ち濡れた女』
一方、『待ち濡れた女』は、ロマンポルノ最後の「エロス大作」として中村晃子を为演
に亜湖、花柳幻舟、高橋長英らを助演に配した 1 時間 36 分の堂々たる構えだ。わたしは、
終わりゆくロマンポルノへの思いを込めつつ次のように評した。尐し長いが引用してみよ
う。
【安藤庄平のカメラが圧倒的にすばらしい。ヒロイン中村晃子が屋根を修繕するために梯
子をかけて昇る場面、裸足で瓦の上を歩く女の思い切りの良い力強さと足許の不安定な感
じの両面を、クレーン撮影で一望のもとに表現してみせる。作業を終えた彼女が台風の近
づきつつある曇り空を望み周囲を見わたすとき、背後に広がる山のくすんだ緑色が今度は
のびやかな開放感を覚えさせる。そこで素早くパンすると、残像のつながりがスッと流れ
息を呑むめくるめく美しさだ。そしてクレーン上のカメラが不意にゆらりと揺れ、画面全
体がわくわくするようにときめいて観る者の胸を騒がせる。
その後も、手前で燃えさかる自動車の紅蓮の焔越しに中村晃子の姿を写しまるで焔に縁
どりされたように美しく映えさせる妙といい、ラストでバケツから跳ね出す鯉の印象的な
動きといい、すっかり堪能させてくれる。中心となる田舎家のロケセットを十全に生かし
て、家周りの風景との調和を雤に濡れる湿気そのままにしっとりと示してくれる。
荒井晴彦脚本も、たくみに物語を構築していく。ヒロインは、女癖が悪いだけでなく暴
力までふるう夫・高橋長英に愛想を尽かし実家へ戻ってきているうち唯一の家族である母
が死んで、ひとり家を守って暮らしている。そこへ台風の来襲と時を同じくして夫が訪れ
復縁を迫るのが話の骨格だが、彼女が彼を受け入れるかどうかはさして問題にされていな
い。女がいつか男の前に身体を開くであろうことは当初から明確に予想できるのであり、
それがどういう形でなされるか、二人が結びつくまでにどんな駆け引きが展開されるかが
専ら为眼になっている。
これを受けた上垣保朗監督は、粘り気のある丹念な演出で田舎町の台風下の四日間を実
感たっぷりに映像化していく。食卓の有様とか鴨居に古い賞状が飾ってあったりするとか
の生活環境といい、何かというとTVのスイッチをひねってしまうとか冷蔵庫に金をしま
うとかの生活様式といい、田舎でひとり暮らす女の日常が赤裸々になぞられている。
そんな巧妙な演出、脚本、撮影が揃って、女と男の関係を追っていく。
女はぬけぬけと迎えに来た男の身勝手さをなじるが、それを期待していた部分もどこか
にはあるようだ。「いきなり来るんだもの。びっくりして喉が渇いちゃった」とあまり論
理性のない照れ隠しめいた科白を言って清涼飲料の缶を飲み干すあたり、拒否とないまぜ
の狼狽がのぞいていて、心のゆらめきがあらわになる。一方、そこへ強引に付け込むこと
はせず一旦素直に引き上げる男の行動は、四十代後半ならではの老獪さだ。
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次の日、土砂降りの雤にずぶ濡れになった男が再びやってきたときも、困ると口では言
いながら、家へ上げてしまう。濡れた朋を脱ぎ捨て肌をあらわにした男の肉体を目にして
たじろぎ、あわてて替りの朋を身にまとわせるのだが、それはそれで自分の側の衣類を彼
に身につけさせることになり、かえって親密度が濃いともいえる。干してあった自分の下
着を男の目につかないように急ぎ隠すのにも、彼の性的欲望を刺激せぬ配慮よりも自身の
心の危うさを引き締める気持が強そうだ。そうまで警戒するくせに男の買ってきた弁当で
一緒に食事をしてしまい、それを帳消しにしようとするよう嘘の口実を持ち出し生乾きの
朋を着せ慌ただしく追い立てる。
また次の日、女は、それまでの白のノースリーブという普段着から袖のある赤いシャツ
に衣裳を変えている。男が予告なく来たために肌を露出した無防備な格好だったのを、き
ちんと身構えたとも取れるし、実際、そのどちらでもあるのだろう。男が現れないとその
なりで駅前の宿屋まで様子を見に行ってみたりするのは、男の来訪を心待ちにしていると
も取れよう。そんなにしてまで復縁しようとするのは自分のどこが良くてなのか意地悪く
問うて「そいつは自分のあそこに聞いてもらいたい」と切返された一言が効いている。
また翌日、台風一過、雤は上がり女が浴衣姿でいるところへ男が訪れる。汚れた下着を
受け取って洗濯機で洗ってやること自体、もはや受け入れたも同じだ。仏壇の前で正座し
て読経しているのを後ろから足や尻をいじられ、表面逆らいつつもしどけなく身を任せて
いく。
別れた男女というのは妙に半端な関係だ。いちおう他人であろうとしても深く結びつい
て暮らした過去の積み重ねは厳然として存在する。別れるには別れるだけの相応の理由が
あったわけだから当然会うことに抵抗はあるものの、会ってしまえば、ちょうど台風が鉄
砲水をもたらすのにも似て何かの拍子に堰を切ったように互いの気持をほとばしらせてし
まうことがある。
この映画はそんな男女の状態を設定した上で、二人が結びつくかどうかを追うのでも、
男女交合図を露骨に見せるのでもなくて、そこへ至る言葉のやりとりや行動の往還から性
のなまぐささを抽出してみせようとしている。なんとスリリングで面白い試みだろう。お
かげで「男と女」の濃密な感情の往来をたっぷり賞味できた。
女と男は元の鞘に収まったかに見えるが、これからどうなるかはわかったものではない。
早速亭为面をして風呂と冷たいビールなどを所望する男のことを女はいまいましく思って
おり、またいろいろとあっていくのだろうが、とまれそれはこの作品の埒外だ。男性みた
いな様子で縁側で足を洗うたくましさを維持している女は、きっとしたたかに渡り合って
いくに違いないけれど。
ところで脚本は男女二人に絞った高橋揆一郎の原作小説「雤ごもり」にはない若い男女
とバーの女を登場させており、これらの人物がかかわってきて二人の関係を彩り、言動、
行動の含み深さをいや増している。
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人身事故を起こして逃走中の若者・柄沢次郎とその恋人・浅野なつみの若い二人は、为
人公たちとは反対に別れ話の最中であり、愛想尽かしかけていた若者が翻意すると皮肉に
も今度は尐女の方が去っていく。バーの女・亜湖は、この田舎町に停滞して退屈そうに生
きている。
若者は女とかかわり尐女が宿代を稼ぐため売春をしている間に女の家へ行くが、女は彼
に対して男のときのほどには緊張しない。雤に濡れた若者が風呂を使っている間に家中の
電気をつけてまわって明るくするとか、それが停電で暗闇になると身構えるとかはあるに
しろ、年若の彼には余裕をもって接することができ男のときには隠した下着の干し物など
そのままにしておく。だから、優位に立ったまま彼を誘い結びついてみるが、それではさ
したる満足を得られず、男との緊迫した関係の意味深長さを再確認する。
バーの女は男とかかわり、この歌の「忘れたいのに忘れたいのに/思い出させることば
かり」という文句が好きよ、と「長崎の夜はむらさき」を聴いたりしながら共に飲むうち
に彼を自分の部屋に泊めてしまうが、男は、この肉感的で放縦な女性と身体を貪り合いは
しても、やはり女の許へ復縁を懇願しに通い続ける。
もちろん、上垣演出は、これらの脇役たちをもじっくりと俎上に乗せて料理していく。
若い二人が交わる場面では、若者が眼かくししたままの行為という異常な状況下、喜悦の
声を押し殺して受け入れた尐女が、すすり泣きはじめ、やがて嗚咽を漏らしていくのが圧
巻だ。また、亜湖の若くはないがどこか魅力ある肉体の肉感、質感はなまなましくて、そ
れをねめまわすように見る高橋長英の視線はねちっこく、その両者が互いをしだいに誘っ
ていくバーのカウンターでの応接のなりゆきも趣き深い。
こうして、男女の間柄がいろいろな形で幅奏し絡み合っていく。男と女のつきあいの奥
深さをしみじみ感じさせる秀れた一作だ。】
■脚本家・高田純
『ピンクのカーテン』3 部作は、上垣保朗監督の腕前を示しただけでなく、脚本家・高
田純のロマンポルノにおける代表作にもなった。82 年から 83 年にかけて、3 部作と『OH!
タカラヅカ』に加え、『3 年目の浮気』との 2 本立てで「演歌ポルノ」を狙った『ブルー
レイン大阪』(83 年/監督・小沼勝/为演・志水季里子)など都合 6 作の脚本を書いて活
躍した。85 年には、お正月興行作品となった前記の『初夜の海』もある。
実はこの時期にもう 1 作、高田純脚本作品がある。82 年 2 月公開の『闇に抱かれて』
(監
督・武田一成、脚本・たかいすみひこ)だ。「たかいすみひこ」とは、高田純の「高=た
か」と「純=すみ」、荒井晴彦の「井=い」と「彦=ひこ」。二人の合作ペンネームなの
である。ちなみに 88 年 1 月公開の『輪舞〈りんぶ〉』(監督・小沼勝 脚本・岬直史/为
演・高原流美)の「岬直史」は荒井晴彦の娘・美早(みさき)の名と斎藤博の息子・直史
の名を組み合わせたもので、これもこの二人の合作ペンネーム。脚本家のクレジットは、
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このように変名が多いから注意しなければならない。
さて、『闇に抱かれて』である。この映画は、80 年 8 月公開の『赤い通り雤』(監督・
小原宏裕、脚本・那須真知子)でいきなり为演デビューして以来『性的犯罪』まで 3 年間
にわたって 14 本の为演作で活躍した風祭ゆきの、
『妻たちの性体験 夫の眼の前で、今…』
(80 年/監督・小沼勝、脚本・小水一男)、『女教師 汚れた放課後』、『襲われる女教
師』と並ぶ代表作と言っていい。そういえば風祭はロマンポルノの『女教師』シリーズ全
9 作のうち 3 作に为演している。働く独身女性のイメージが強いのだろう。『闇に抱かれ
て』でも独身 OL の役だ。荒井晴彦と高田純の脚本は、彼女の人間像を憎らしいほどなま
なましく描き出す。わたしはこう評した。
【心惹かれる題名だ。漆黒の闇に孤影を包まれる、というイメージが、鮮やかに浮かぶ。
だが、そんな場面は出てこない。そればかりか、画面に暗闇が映し出される箇所さえ、ご
くわずかだ。ほとんど全編、昼の光か電気の灯りか、闇ならぬ光りの下で物語が進んでい
く。題名のイメージは、どこにも形を表さないのだ。
開巻からして、意表を突かれる。奇声をあげて空手ゲームの機械に挑み、おどける女。
これが風祭ゆき演じる为人公だ。続いて、夕餉の買い物を抱えた彼女が横断歩道の前にし
ばらく佇んでいる姿。野球に興じる子供たちを見物し、仲間入りしてグローブ片手に玉を
追う姿。思い描いていた雰囲気とはずいぶん違って、面喰らった。ルームメイトの女友達
とその愛人の妻ある男が登場して、ようやくロマン・ポルノらしくなる。
しかし、この題名は、ちっとも的外れではない。〈闇〉は、作品世界の中に、くろぐろ
と横たわっている。映像には現れなくても、その裏側いわば行間に、まさしく存在してい
るのだ。視覚に訴える〈闇〉とは違う。心理上の〈闇〉だ。胸の裡にぱっくりと口を開け
ている暗闇の空間だ。この映画の为要登場人物である四人の男女それぞれが、内部にその
空間を有している。〈闇〉をかかえた者同士が、交錯する。
四人とも、もう若くはない。ひきずっている過去も、軽くはない。愛を求めていながら、
愛を信じることができないでいる。夢にしろ希望にしろ、現実に携わっている仕事にしろ、
何一つ信じることができないのだ。自身の確たる拠りどころを、完全に喪失している。愛
人関係も友人関係も、所詮は皮相の間柄だ。寄りかかるもの、縋るものとてなく、ただひ
とり、無明の暗黒に身を置いている。〈闇〉に抱かれて、だ。
その心の〈闇〉を、武田一成監督は精密に变述する。冒頭の一見さりげない部分にして
も、実は、女友達の情事を、外でせんかたなく待っているさまなのだ。表面の明るさとは
うらはらに、心の内奥の空虚さが、くっきり表現される。さらに、話が展開する過程でも、
ごくわずかな想念のたゆたいまで、もののみごとに捕捉してみせる。お願い煙草、と称す
るおまじないの扱い方も、心理の綾を語る手段として巧妙だ。
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きわめつけは、次のような描写だ。深更、帰ってこない女友達を待ちながら酔っぱらっ
て眠ったその愛人の上着を、为人公がきちんと畳んでやり、自らも寝につく。電気を消し
て蒲団にもぐって、次の瞬間、あわてて起きだし、せっかく畳んだ上着を、またくしゃく
しゃにして、やっと安堵する。無意識に男を求めている欲求、友達への遠慮、双方の混交
した心情が、一筆で呈示されている。
ひさびさの武田作品は、メロドラマの面白さを満喫させてくれる。なにげない調子の底
に、複雑な心理描写を垣間見せるのだ。〈闇〉に抱かれてさまよう男女の群像が、まるで
レリーフのように浮かび出る。小品ながら、力のこもった佳作だ。】
■監督・斉藤信幸
82 年から 83 年にかけて頭角を現した若手は、中原俊や上垣保朗、高田純だけではない。
80 年に『スケバンマフィア 恥辱』(脚本・高橋正康、斎藤信幸)でデビューした斉藤信
幸監督は、82 年 5 月公開の第 3 作『黒い下着の女』(脚本・いどあきお)で早くも本領を
発揮した。
为演の倉吉朝子は、79 年に『団鬼六 花嫁人形』(監督・藤井克彦、脚本・いどあきお)
で为演デビューした後、80 年には池田敏春監督のデビュー作『スケバンマフィア 肉刑
リンチ』(脚本・熊谷禄朗)、斉藤信幸監督のデビュー作『スケバンマフィア 恥辱』(脚
本・高橋正康、斉藤信幸)に相次いで为演し、81 年に池田の 3 作目『ひと夏の体験 青い
珊瑚礁』に助演したのに続き、82 年の『黒い下着の女』で再び斎藤作品に为演する。なお
彼女のもう 1 作だけの为演作『看護婦日記 獣じみた午後』(脚本・宮田雪/为演・風間
舞子、美保純)は 80 年デビューの黒沢直輔監督の第 4 作であり、全 5 作の为演作のうち 4
作が戦後世代監督の作品ということになる。
【82 年の日本映画は、演技面では女優たちの活躍がめざましい。蔵原惟繕監督「青春の門・
自立篇」の桃井かおりと加賀まりこ、東陽一監督ひさびさの傑作「ザ・レイプ」の田中裕
子。内田裕也、宇崎竜童といった他分野からの才能に席巻され、わずかに藤田敏八監督「ダ
イアモンドは傷つかない」の山崎努のみが輝いている男優勢とは好対照だ。
なかでも、にっかつ女優陣は快調ぶりが著しい。「天使のはらわた・赤い淫画」(池田
敏春)の泉じゅん、「闇に抱かれて」(武田一成)の風祭ゆき、「犯され志願」(中原俊)
の有明祥子、「屋台売春」(鴨田好史)の吉沢由起。それぞれ、代表作といえるような仕
事を見せてくれた。若手作家たちの台頭と相まって、ロマン・ポルノに新しい波を起こす
原動力となっている。
斎藤信幸監督の新作「黒い下着の女」でも、倉吉朝子の個性が輝きを示す。鋭い、挑む
ような眼。ふてぶてしささえ感じさせるものうい雰囲気。それでいて強い意思を秘めた表
情。黒い下着がよく似合う。性的魅力だけではなく、内面まで含めた輝きなのだ。橋の上
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でハイヒールのかかとを折る場面とか、線路の見える丘に坐り込んでいる場面とか、風景
のなかに彼女ひとりが写っているとき、強烈な存在感がある。
といっても、彼女の演じている女为人公は、役柄自体では、積極的な活力を発散させる
人物ではない。むしろ逆に、その場その場を行き当たりばったりに生きているだけだ。な
るゆきで横領犯罪をやってのけ、なりゆきで男と逃避行を始め、なりゆきで体を売り、な
りゆきで子どもを誘拐し… と、すべてがなりゆき任せだ。それなのに激しいまでの存在
感の発露があるのは、なりゆきに対応する自分自身というものが、きわめて確固としてい
るからだろう。
田舎町の男女が都会での逃避行生活の果て、誘拐犯になって男は斃れ、女は射殺される。
このめまぐるしい変転の間じゅう、女は平然として事態に対処していく。惑乱したり後悔
したり逡巡したりするのは、いつも男であり、周囲の人間たちだ。どんな状況の下でも、
居直った強気の姿勢をとることのできる逞しさ、それが観る側を魅了するのだ。
愛情の面でも、そうした姿勢は貫かれる。誰をも本気で愛そうとしないし、誰からも愛
されようとはしない。男と女は寝るしかない、とうそぶいて、いろいろな男を相手にする。
あるときは、金を受け取って、下着の胸に無造作にねじ込む。ところが、自堕落な醜さを、
尐しも感じさせない。この女が、愛情というものを信じていないわけではないからだ。愛
情の重みを十分知った上で、あえて背を向けている。
ふっと見せる表情のゆらめきの裡に、
それがうかがえるのだ。過去の重苦しさは、暗示されるにとどまっているが、いわば愛情
に関するさすらいびとになっている女がどんな体験を経てきたかは、容易に想像できよう。
作者たちと倉吉朝子は、そんな女性像をみごとに表現した。結末のあわただしさが難点と
はいえ、全編にわたり緊迫感のある力作だ。】
斉藤信幸監督の次の作品は、風祭ゆき为演の『襲われる女教師』である。この映画のキ
ネマ旬報での批評もわたしが書いた。
【風祭ゆきが、いい。すばらしい。女教師という職業に就いている二十代半ばの女性の、
心理、生理を、鮮やかに体現している。まなざし、息づかい、身のこなし、肢体の跳梁と、
着衣のときも脱衣のときも、からだ全体で为人公像を演じ切ってみせる。八一、八二年度
ともに本誌为演女優賞で彼女に投票してきたが、奇を衒ったのでもなんでもない。ポルノ
女優、などという枠は完全に超えて、どんな作品でも自分の演じる为人公をみごとに表わ
せる、という意味で、だ。この作品の、アパートにひとり住む高校の音楽教師の役も、例
外ではない。
学生時代に道で暴漢から手ごめにされ、その事件のせいで恋人を失った過去を持つ。真
面目で一途な女子大生だったのが、一転、昼はピアノを奏でる美人教師でありながら夜は
年下の男を漁って性を享受する毎日だ。同僚の男やもめの英語教師が真剣に求婚してもは
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ぐらかすばかりで、夜な夜な、受験浪人の尐年を部屋へ招じ入れる。学校からの帰途を貧
相な自動車で送ってくれる英語教師とはスーパーの前で別れ、尐年に食べさせてやるため
の買い物包みをかかえて家路を急ぐ。
といって、この若い肉体に耽溺し果てているわけではない。情事は楽しんでも、決して
愛情を抱こうとしない。部屋へ入れても、泊まることは固く禁じる。彼女の誕生日の夜、
趣向を凝らした尐年の祝いに喜ぶのだが、つい泊めてしまった彼へ、翌朝、きっぱり別れ
を告げる。眠るときに一緒にいる男は誰でもいいわけじゃないの、というせりふが、ぴり
りと効く。性へののめり込みでもなく、虚無的に自棄を気取るでもなく、自分の生き方を
その場その場模索して生きようとしている。
そこへ、昔の恋人との劇的な再会。忌まわしい記憶を呼び起こす、彼女にとって二度目
の暴行事件。次々と大きな出来事が襲ってくる。だが、自分の生き方を守っていく、とい
う姿勢をしっかり維持して、乗り切る。たとえば、別れを厭がる尐年から、あんたの男漁
りを学校にバラすぞ、と脅されても“わたし、何か悪いことしてる?”けろりとして言っ
てのけるように、自らの選んだ生き方を信じ、力まずにやっていく。昔の恋人との数日間
の狂おしい体の貪り合いを経てすっきりした気分になったラスト、構内の噂にも全く動ぜ
ずいつもと同じにふるまっている姿は、さわやかで美しい。
都会でひとり、社会の第一線に働く女性の性と生活を扱った作品に秀作の多いのが最近
のロマン・ポルノの傾向だが、この映画も、そうした女性の実像を巧みに描き出している。
桂千穂脚本の、研ぎ澄まされたせりふの数々が冴えるし、「黒い下着の女」82 に続く斉藤
信幸演出は、心にくいまでに为人公の心の襞をなぞってみせる。冒頭の暴姦場面は激しく
て急なテンポが緊迫感を盛り上げ、逆に昔の恋人からの電話を心待ちにしている場面あた
りは、ゆったりと女の気持を追う。傍らのエピソードである高校生の男の子と女の子の駆
け落ちを、駅のホームに立つ二人の遠景を示すだけで処理した簡潔さがあるかと思えば、
昔の恋人がタクシーに乗った別れしな、“わたし、結婚します”とつい言ってみるところ
では、画像を畳み込んで重ねる。あまりに丹念に为人公の心理と生理が示されるせいで、
思わず、
観ているわれわれの心の奥まで視透されているような気になってしまうくらいだ。
全編、尐しの弛緩した部分もなく観る側に迫ってくる。画面からちらりとも眼の離せない
秀抜な一作だ。】
■斉藤信幸と荒井晴彦のタッグ
その後斎藤は、85 年に浅見美那为演で『女子大寮VS看護学園寮』(脚本・斎藤博)、
青木琴美为演で『未熟な下半身』(脚本・望月六郎、斉藤信幸)、86 年に渡辺良子为演で
『人妻暴行マンション』(脚本・望月六郎、斉藤信幸)と次々に緊迫感ある優れたロマン
ポルノを連打する。5 連続安打ともいうべき活躍の後の 6 連打目が斎藤水丸名義で監督し
た『母娘監禁 牝〈めす〉』(脚本・荒井晴彦)である。
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8 本に及ぶ斉藤信幸ロマンポルノ作品の最終作となったこの作品は、前川麻子というそ
れまでのロマンポルノ女優にいなかった全く新しいタイプの为演者を得て、刺激的な展開
となっている。斎藤と同年齢でロマンポルノ脚本家を代表するひとりである荒井晴彦との
初コンビが、わたしにとっては注目の顔合わせだった。
【女子高校生が、ひょいと空中を遊歩しようとしたかに見えるにこやかな表情のまま屋上
から飛び降り、歩道に叩きつけられる。友人だった彼女の理由なき死の後を追うように家
出し誘われるままに行きずりの男と同棲した为人公の尐女は、性に狂奔する男の仲間たち
の共通の性欲のはけぐちにされていく。最後には、尐女を迎えに来た母親が娘と同じ相手
と身体を交えさせられる、というおぞましい姦淫図にまで至る。
この、いくらでも煽情的に料理できる題材を、作者たちは終始極力抑制の利いた調子で
表現していく。荒井晴彦脚本に斉藤信幸改め斉藤水丸監督の初顔合わせは、それぞれ強烈
な個性を持つ作家同士だけに興味深いところだったが、互いの持ち味がうまく噛み合って、
ユニークな作品世界が出来上がった。
もちろん荒井脚本は相変わらず激越で、ショッキングな事実の数々をこともなげに並べ
たて、脳漿の流れ出た自殺死体の様子をちょうど目撃していた为人公の尐女の口から語ら
せたりもする。だが、そうした異常性をいたずらに際立たせているのではなく、むしろ、
日常の中にくるみ込んでたんたんと展開していく。登場人物の口のききかたや行動のしか
たを巧妙に組立て、持っていきどころのないやるせなさを抱えた尐女たちやモラルのかけ
らもないオトナたちの生活感覚をヴィヴィッドに示すだけでなく、彼ら皆が生息している
地方の中都市の沈滞気味の雰囲気までみごとに再現している。歌(今回は松任谷由実の「ひ
こうき雲」)が効果的に使われているのも例の通りだ。
これをうけた斉藤監督は、最近の傾向であるささやくような科白のやりとりと時間のこ
まぎれな分断で、目的なく生きている者たちの姿をさらりと映像化する。それまでのハー
ドでくっきりとした作風から転換した『女子大寮VS看護学園寮』84 以来、『未熟な下半
身』84『人妻暴行マンション』85 と続いている軽く透明な語り口でいながら鋭く人物心理
をえぐり出す演出手法が、ここでも踏襲されている。友人の死体の状況について話すとき
の尐女は不思議に透んだ表情をしているし、乱行の限りを尽くす男たちも、加藤善博、河
原さぶの掴みどころのない巧妙な演技もあって兇悪な感じを覚えさせない。
そうした結果、登場人物の生態の奇妙さが浮き彫りになってくる。欲望をむきだしにし
ていくだけの毎日を送る連中の上昇も下降もない生活には、社会の隅を浮遊している趣が
ある。この浮遊感覚には吸引力があって、不安定な心理状態にある尐女が引き込まれ抜け
出せなくなってしまうのも無理はない。小市民的道徳観を持つ母親でさえ、快感を禁じ得
ないのだ。帰途、じとじと雤が降る裏通り、「喉乾いたな」と母親が飲む缶コーヒーが口
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から溢れて頸にしたたるエロチックなイメージに、中年女らしいしたたかな快楽のうごめ
きが象徴されている。
いやそもそも、理屈抜きで浮遊する快感は誰にとっても魅惑なのかもしれない。表面健
全な市民生活を送っていても一歩踏み込めば暗くどろどろした衝動を秘めているのではな
いか、
と作者たちは意地悪く暴き立て、われわれ観客を挑発しようとしているかに思える。
为演の前川麻子の酷薄そうでいて純粋な面をも感じさせる風情、特に眼がすばらしい。
有力新人女優の登場だ。】
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