D・H.ロレンス 『カンガルー』 とアポリ ジニ

〔東京家政大学研究紀要 第38集 (1),p。137∼147,1998〕
D.H.ロレンス『カンガルー』とアボリジニ
倉持 三郎
(平成9年10月2日受理)
D.H.Lawrence’s Kαngαroo and Aborigines
Saburo KuRAMocHI
(Received on October 2,1997)
これは,「アロンの杖』(Aαron ’s Rod,1922)で始ま
序
り,『羽毛の蛇』(The Plumed Serp ent,1926)でお
D.H.ロレンス(Lawrence,1885−1930)は、1922年2
わる.その中間に,『カンガルー』が入る.
月26日、イタリアを立ち,同年,5月4日,オーストラ
たしかに,この作品には,「カンガルー」とストラザ
リアの西部,フリーマントルに上陸した.これは,アメ
ーズ(Struthers)という,それぞれ在郷軍人会と労働組
リカへの旅の途中であった.5月18日乗船してさらに東
合の指導者が現れる.しかし,中心人物のR.L.サマー
に向かい,シドニーに,5月27日に上陸した.ニューサ
ズ(Somers)は服従することを拒否する.個人の魂の方
ウスウェールズ州のサールールに滞在して,8月10日に
が,政治に優先するからである.この「指導者」はファ
はシドニー港を出港してアメリカに向かった.したがっ
シズムの動きとも結びっけられる.このように見れば,
て,オーストラリア滞在は3か月にみたない.
重要な主題となる.
短期間の滞在ではあったが,ロレンスはオーストラ
もうひとっ指摘されているのは,作品中でサマーズが
リアを題材にして 『カンガルー』(Kangαro o,1923)
言及するDark God(闇の神)である.政治活動が個
を書き,また,M.Lスキナー(Skinner)との共著で,
人の外部であるならば,それとは対照的に,「闇の神」
『叢林の少年』(The Boy in the Bush,1924)を出し
は個人の内部に存在するものである.これは一体なにか,
た.
ということが論じられている.はっきりと定義はできな
『カンガルー』 は,ロレンスの小説のうちでは,比較
いが,ロレンスの思想の根底にあり,キリスト教の神と
は対照的であると考えられる3).
的評価が低い.ほかの主要小説については論じていても,
この作品を取り上げない研究書もある.
さらに注目しなければならないのは,人種問題である.
ただ,オーストラリア滞在という現実の体験を基にし
これまで,この問題は等閑視されてきたと思う.当然の
て,それまでイギリスの読者には,あまり知られていな
ことではあるが,この作品に登場する人物は,イギリス
い国の姿を描いている点では評価される.たとえば,出
からの移民とその子孫であり,舞台は,イギリスの植民
版されたときのTirnes Literαry Suρplementの書
地としてのオーストラリアである.当時は,いわゆる白
評は,オーストラリアの自然を生き生きと描いている点
豪主義のもとで,アングロサクソン系以外の民族にたい
をまず評価する1).
しては,排他的な態度がとられていた.そのことは,作
これまでの研究を見てみると,この作品が評価される
品のなかにも言及されている通りである.日本の侵入に
のは,ひとっは,「指導者」小説だからである.ロレン
たいする恐れも強い.また中国人,インド人など,有色
スの作家活動を4期に分けるとき,この作品は第3期に
民族の労働者にたいする警戒,排斥も強い.人種問題で
はいる2).
いえば,さらに,1788年にイギリスが犯罪者を移民とし
第3期の中心の主題は,「指導者」である.だれか指
て送りこむ以前に住んでいた原住民のことを忘れてはな
導者がいて,それに従う形の人間関係が描かれている.
らない.
英語英文学科 第2英文学研究室
民,アボリジニ(単数形のアボリジナルも使用されるが,
本論では,植民者ではなくて,オーストラリアの先住
(137)
倉持三郎
ここでは,オーストラリア先住民をアボリジニで表す)
やってきた.金がもうかるという夢もあった.
に注意しながら,この作品を見たい.この作品のなかに
イギリス文学にもそういう場所としてオーストラリア
アボリジニが大きく取り上げられているという意味では
が登場する.チャールズ・ディケンズの『デイヴィッド・
ない.これまで問題にされていないので,あえてその意
コパフィールド』で,ロンドンで食い詰めたミコーバー
味を考えたいのである.
一家が落ち延びるのはオーストラリアである.また,
『大いなる遺産』では,マグウィッチは囚人としてオー
1
ストラリアに島流しになるが,そこでひと財産をっくり,
1770年に,ジェームズ・クックが,オーストラリア大
かって恩を受けたピップに,匿名で財産を贈る.マグウィッ
陸の東半分の領有を主張して以来,アボリジニの主権が
チにっいて読んだイギリス本国の読者は,そこが短期間
おかされはじめた.このときは,クックと先住民との間
で財産を築くことができる夢の国と映ったであろう.
にはなんらの協定,条約は結ばれなかった.クックは,
また,ジョージ・ギッシングの『ネザー・ワールド』の
アボリジニは,少数で,狩猟と採取の種族であり,農業
読者も,中心人物で,オーストラリアから帰国した老人
に従事していなかったから,土地に対する権利はないと
の財産に注目する.その老人は,息子とオーストラリア
考えたのである.
にいたが,そこで財産をっくり,息子が死亡したので,
1788年には,イギリスは本国の犯罪者を送りこみ始め
本国に帰国し,その財産を慈善に使おうとする.その試
た.さらに,一般人を,積極的に移住させ始めた.アー
みは失敗するが,本国の読者は,オーストラリアでは,
ル・グレイ卿は,1848年8月10日,上院で,移民を積極的
そんなに簡単に財産ができるのかと驚異に感じたであろ
に進めるように次のような演説をしている.
う.これが移民熱をあおることになる.
過去7年間に,122,000人,1847年に,258,000人が移
このようにして,オーストラリアは大英帝国の重要な
住したことを述べたあと,次のように言う.
一部となった.本国からのオーストラリアに寄せる熱い
まなざしはよく理解できるし,当然なことである.
オーストラリア植民地とのわが国の貿易はわが国が
ロレンスとスキナーの共著,『叢林の少年』は,この
行うもののうちで一番重要なものである.わが国がオー
ような時代に,西オーストラリアに移住した一家が,そ
ストラリアに送り出す移民は,主に,我が国の生産業
こで,苦労しながら,生活をしていく様を描いたもので
で使用する原料,とくに一番重要な産業である,羊毛
ある.
業において使用する原料の生産に従事する.
2
その生産品の見返りに,彼らは,イギリス本国の製
品を購入する.そして同じように,間接的に種々の商
他方,イギリス以外の国からも移住するものが出てく
品を購入する.とくに茶と砂糖を購入する.これによっ
る。それにたいして,イギリス系国民からの反発が起こ
て,わが国と中国との貿易は拡大する.なぜならば,
る.ロレンスが滞在した1922年には,いわゆる,白豪主
イギリス製品の中国での消費の障害になっているのは,
義が強く,白人以外の移民を排斥していた.この作品中
中国の支払い能力である.そして,オーストラリアに
にも,それは現われる.
おける多量の茶の消費はイギリス本国の製品によって
日本の脅威が語られている.
支払われ,その製品の見返りは,おもに羊毛によって
おこなわれる4).
「イギリスがやって行けなくなって,おれたちを手
放し,ジャップがやってくれば,おれたちは,血を流
羊毛,毛織物,茶という,オーストラリア,本国,中
すことになるぞ.やっらは,おれたちを,やわらかな
国間に一種の三角貿易が可能となるのである.したがっ
ナシみたいに潰すそ」(89)(5).
て,羊毛を産出し,茶を消費し,製品を消費する移民を
1922年,6月13日,エルゼ・ヤッフェあての書簡で,ロ
送りこむことが重要である.
移民が,イギリスの国策となり,移民にたいして政府
レンスは,オーストラリア人のすべてが日本を恐れてい
は補助金を出した.イギリス本国では食い詰めた人々が
ることを述べている.
(138)
D.H.ロレンス『カンガルー』とアボリジニ
彼らは,日本人をひどく恐れています.ほとんどす
3
べてのオーストラリア人は,とくにシドニーでは,いっ
たんイギリスが凋落して,軍事介入ができなくなれば
今日,アボリジニとよばれる先住民は,植民してきた
日本はすぐに入りこんできて,ここを占領すると感じ
イギリス人の視野に入らなかった.その存在には気がっ
ているのです.
いていたのだが,それはあたかも,動物でもあるかのよ
うに眺められた.人間としての権利というものは認めら
保守的で,国家主義の団体である在郷軍人会の一員で
れなかった.その権利が認められるようになったのは,
あるジャック・コールカットは,有色人種の労働を排斥し
ごく最近のことである.
ょうとする.
1838年の雑誌に掲載されたオーストラリアの記事中に
は次のように先住民は記述されている.
「それにあの有色人種の労働力だが.この国は,ヨー
ロッパから離れすぎているから,あぶないそ.やっら
ニューサウスウェールズ州のアボリジニ,っまり,
は,おれたちを飲みこむぞ.間違いなく,有色人種の
先住民の数は現在ではかなり少ない.彼らは野蛮人通
労働を許せば,やっらは,おれたちを飲みこむぞ.や
有の放浪生活をしており,小さい部族をなして,内陸
っらは,おれたちを憎んでいる.白人以外は,全部,白
部を移動し,それぞれの部族が,本拠地として,それ
人を嫌っている.」
ぞれの土地を領有している.顔の色は真っ黒で,一般
(中略)
に,背は高く,痩せている.頭は大きく,唇は厚く,
「労働党や社会主義者が,世界の労働者と手をっなぐ.
口は大きく,われわれの美の基準からすれば,美の正
そうなれば,あの連中も,れっきとした労働者になる
反対である.実際はかならずしもそうではないのだが,
わけだ.黒い連中や黄色の連中は国民を働かせる.半
彼らは,知力の点で,これまで知られているあらゆる
数どころじゃない.奴隷を使うのは,白人だけではな
野蛮人のうちで,最低の部類に入ると考えられている.
い.馬鹿な有色人種は,自由を求めることなんか,ぜ
たしかに,彼らには技術の才能がとぼしい.地球上の
んぜん感じもしないのだから.あの連中はこちらが自
あらゆる地域の原住民にくらべて,人間の原始状態を
由を与えてやると,こちらを馬鹿だと思うだけだ.チャ
改良するための工夫がすくない.彼らの唯一の武器は,
ンスを得るとおれたちを狩り立てて,集団労働させて,
素朴なっくりの槍あるいは,先が尖った棒である.
嘲笑するだけだよ」(90)
しかし,それを彼らは,すごい力と正確さで投げる.
また彼らが「ワディ」と呼んでいる短いこん棒を使用
これにたいして,サマーズも有色人種には,専制だけ
する.彼らの小屋は最低のっくりである.
で自由がないという.「数百万人を奴隷にするのだ.日
彼らは,身に何ひとっまとわない.彼らを文明化し,
本も同じ.中国も,一部は同じ.黒人も同じ。真の自由
彼らの放浪生活をやめさせようとする試みのすべて
の感覚は白人にしかない」(90)
は,これまでのところ実を結んでいない.シドニーの
労働組合の指導者,ストラザーズは言う.
近隣と,植民町のちかくにすみ,そのため半ば馴致さ
れたものを除いては,内陸部を,放浪の部族としてさ
まよう.最近の情報によれば,白人の植民者たちは,
「世界の労働者と手をっなごう.だが,そのことは
胸から心臓を引き裂いて,それを,褐色の同志に食べ
この悲惨な人々から多くの害を受けているようには見
させるというわけではない.違う.褐色の同志も黄色
えない.実際,すこしの親切と,懐柔によって彼らの
善意を動かすことができる7).
の同志も,みんな,自国にいて,自分の国の通りを掃
除してもらいたい.」(311)
19世紀の後半には,イギリスに民族学会が設立されて,
「黒い同志」(313)も同じことである6).有色人種の
オーストラリアの先住民の研究も盛んになった。
労働力を封じるため,「ヨーロッパ製」というレッテル
Argun2ents About Aboriginesは,それ以後の論
のある製品を買う運動を展開していた.
争史を公平に述べている.アボリジニが,最初は動物で
(139)
倉持三郎
もあるかのような扱いから,人間として平等の権利をあ
とに,自分が,全面的に典拠している観察者の文章を
たえられるまでのことが述べられている.
歪曲したのである.この点のいくっかを例証するため
ヨーロッパの学者たちは,当然ではあるが,自分たち
に,リーチ博士は,タリー川流域,アボリジニにおけ
のもっている社会観から,先住民を見ることになった.
る懐胎信仰にっいてのロスの報告を解説するフレーザー
オーストラリアの先住民を見て,奇異に感じたとしても,
の文と,『ノース・クイーンズランド民族学誌』5号に
もし,それが,文化の違いであるということならば,先
掲載された,報告書の原文を読者に比較してみせた.
住民の文化を異文化として認めればよいだけである.そ
フレーザーの加筆と修正の意図は,先住民の「子供
っぽい無知」を誇張するためだったことは明白であっ
の文化を劣等な文化とみると,問題が生じる.実際には,
た9).
アボリジニを,劣等な民族と見るようになった.
たとえば,アボリジニの妊娠にっいての知識にっいて,
長い間の議論があった.それは,妊娠は性交とは関係な
フレーザーだけがとくに人種差別主義者であったとい
いものであるとアボリジニは信じていたというのである.
うことではなくて,当時のヨーロッパ人が,アボリジニ
ヨーロッパ人が,アボリジニに接触して,質問し調査し
の知性をその程度にしか見ていなかったということであ
た.J.G.フレーザー(Frazer)は,これについて次のよ
ろう.
うに述べた.
宗教にっいても,正当なキリスト教の立場にたっフレ
ーザーは,アボリジニには呪術はあっても,本格的な宗
オーストラリアの大半で,とくに中央部,北部,西
教はないという.
部において,アボリジニは,性交は,子供を生むこと
には必要はないと考えている.実際に一歩進んで,彼
もっとも重要なことは次の区別であった.
らの多くは,性交は種の繁殖の真の原因であることを
a魔術,これによって,人間は,自分たちの目的の
否定している.中央オーストラリアの不毛なステップ
ために,非人間的で,超自然的な力を捕らえ,強要し
地帯を放浪する,アランタ,ケイテイシュ,ルリチャ,
ようとした.b宗教,ここで人間は,人格化された
イルピラ,その他の部族においては,あらゆる人は,
超自然的な存在に,自分たちを助け,保護してくれる
死んだ先祖の生まれ変わりであり,死者の魂が,直接
ことを嘆願した.フレーザーによれば,人類の歴史に
に女性の子宮に入り,その結果,女性は,男性と交わ
おいて,第一のものが,第二のものの前に来た.そし
ることなくして,子供を生むと,一般に信じられてい
て,オーストラリア先住民は,前者を越える発展をと
るのである8)。
げなかった.彼らの思考は,ほとんど完全に呪術的な
ものであった.超越的存在の観念の形成は,自分たち
だけの能力では不可能であったlo).
これは,調査の結果をまとめたものということなのだ
が,このまま認めれば,アボリジニはいかに,迷信深く,
いかに幼稚な民族であるかということになる.
人格神の欠如によって,劣等な民族だという観念が支
現在では,フレーザーは,アボリジニを下等な民族と
配的になった.これは当時としてはもっともな見方であ
見た人種差別主義者であるという批判がある.
ろう.キリスト教と違った宗教をもち,一神教でもない
という民族は下等な民族であった.
1961年,ケンブリッジ大学キングズコレッジの特別
その他,『金枝篇』中のアボリジニにっいての記述を
研究員であるエドモンド・リーチは,J.G.フレーザー
読めば,アボリジニは,ヨーロッパ人に比べてひどく遅
を批判する文章を発表した.フレーザーは,『金枝篇』
れているという印象を持っことになる.
を書いた著名な学者であるが,実際は平凡な学者であ
4
り,彼が有名になったのは,影響力のある友入とか野
心家のフランス人妻がいたからであるというのである.
では,ロレンスの『カンガルー』ではアボリジニはど
さらに悪いことには,ジェームズ卿は,厚顔無恥な人
う扱われているか.
種差別主義者であった.彼は,文章の優雅さの名のも
(140)
作品のなかに現れるアボリジニに関する言葉である,
D.H.ロレンス『カンガルー』とアボリジニ
aborigines, aboriginalを拾いあげて見たい.まず,
the dark−soaked foliage, in the moonlight.
aborigines, aboriginalの辞書的な意味を確認して
And not a sign of life_.
おきたい.
Yet something. Something big and aware
OEI)は,次のように説明する. aborigines:1The
and hidden1!He walked on, had walked a
original inhabitants of a country 2 The natives
mile or so into the bush, and had just come
found in possession of a country by Europeans
to a clump of tal1, nude dead trees, shining
who have gone thither as colonists;aform now
almost phosphorescent with the moon, when
common esp. in Australia.
the terror of the bush overcame him. He
aboriginal:A.αの.
had looked so long at the vivid moon, with−
1First or earliest so far as history or science
out thinking. And now, there was something
gives record;primitive;strictly native, indige−
among the trees, and his hair began to stir
with terror, on his head. There was a pres−
nOUS.
2Dwelling in any country before the arrival
ence.....
of later(European)colonists.
But the horrid thing in the bush! He
30f or pertaining to aborigines, to the earli−
laboured as to what it could be. It must be
est known inhabitants, or to native races.
the spirit of the place. Something fully
B.sub. An original inhabitant of any land,
evoked tonight, perhaps provoked, by the
now usually as distinguished from subsequent
moon, the roused spirit of the bush. He felt
European colonists.
it was watching, and waiting. Following
with certainty, just behind his back. It might
これを見ると分かるが,aborigina1の形容詞は,
have reached a long black arm and gripped
「(ヨーロッパ人が来る前に)先住した」のほかに,「原
him. But no, it wanted to wait. It was not
生の,原始の」という,かなり広い意味もある.本文の
tired of watching its victim. An alien people
解釈のとき注意する必要がある.
−avictim。 It was biding its time with a
作品の中で重要なことは,主人公,サマーズは,最初
terrible ageless watchfulness, waiting for a
から,オーストラリアに何か,イギリス人が入植する前
far−off end, watching the myriad intruding
の,アボリジニ的なものを期待するということである.
white men._(14−5)
下宿のバンガローにたどり着いたときのことである.暗
がりのなかで,Torestinというバンガローの名前を,
これは,ロレンスが最初に上陸した西オーストラリア
Forestinと読み違えてしまった.森の世界を連想した
での異常な体験である.シドニーに来てから,それを回
想する.
のであろう.
アボリジニが登場するが,これは実際にそこに存在す
He rather hoped for one of the Australian
るわけではない.月の光りを受けて立っ樹木を「裸の青
names, Wallamby or Wagg−Wagga.(11)
白いアボリジニのようだ」と表現したのである.
叢林のなかで,アボリジニが待ち伏せているかのよう
「森の家」と読み違えたものは,実は,「憩いの家」
な恐怖感を抱く.「侵入してくる百万の白人」という表
という,どこにでもあるような平凡な名前だったのであ
現にそれは現れている.
る.サマーズには,アボリジニの世界を見たいという強
地霊(the spirit of the place)は,ロレンスの最初
の長編小説,『白くじゃく』(The White Peαccoh,
い希求がある.
1911)にすでに現れていた言葉であり,そのあと,繰り
(1)Ahuge electric moon, huge, and the tree−
返し使われている.世界のどの地域にも存在するもので
trunks, like naked pale aborigines among
ある.ここでは,それが,アボリジニと結びっけられて
(141)
倉持三郎
考えられている.
(5)For the landscape is so unimpressive, like a
ただ,「外国人」が「犠牲者」という表現を使うこと
face with little or no features. It is so abo−
はどういう意味であろうか.もちろん植民者たちが,犠
riginal, out of our ken, and it hangs back
牲になったことはあるにしても,最終的には,犠牲者は,
so aloof. Somers always felt he looked at it
アボリジニであることを思えば,「犠牲者」という表現
through a cleft in the atmosphere;as one
には,イギリス人的偏見があろう.
looks at one of the ugly faced, distorted
aborignes with his wonderful dark eyes that
(2)The road ended on the salt pool where the
have such an incomprehensible ancient shine
sea had ebbed in. Across was a state re。
in them, across gulfs of unbridged centu−
serve_abit of aboriginal Australia, with
ries. And yet, when you don’t have the feel−
gum trees and empty spaces beyond the flat
ing of ugliness or monotony, in landscape
salt water. (26)
or nigger, you get a sense of subtle, remote,
formless beauty more poignant than any−
aboriginal Australiaという言葉から分かるよう
thing ever experienced before.(77)
に,植民者が入ってくる前のオーストラリアということ
を作者は意識している.それはゴムの林という原生林の
ここは,風景の描写であるが,その背後に,アボリジ
形であらわれている.
ニを考えている.アボリジニは,ヨーロッパの基準から
見れば「醜い」し,「形がない」が,一種の美をもって
(3)サマーズの下宿の隣人のコールカット(Callcott)は,
いるいう評価がここにはある.アボリジニはすべて劣等
ふっうの植民者とはすこし違う.
だということではない.もし美の標準が白人のものでな
ければ,美しいだろうという.アボリジニを評価してい
His lips were’nt bitten in until they just
ると言ってよいし,また,文化の相対性という認識があ
formed a slit, as they so often are in Colo−
る.
nials. And his eyes had a touch of mystery,
aboriginal darkness.(31−2)
(6)He did not sleep well in Australia, it seemed
as if the aboriginal daimon entered his body
「彼の目は,ちょっと神秘的で,アボリジニの黒さ」
as he slept, to destroy its old constitution....
があったという.コールカットは,イギリスからの植民
But the dream had been just this. He was
者であり,アボリジニの血をもっているわけではないが,
standing in the living−room at Coo一θθ,_,
目の黒さについてこう表現されている.何か,ふっうの
when suddenly a violent darkness came over
イギリス人とは違う感じを出そうとしている.アボリジ
him, he felt his arms pinned,_. It was as if
ニ的なものが,どことなく存在するという意味であろう.
he saw the man’s face too_astranger, a
rough, strong sort of Australian.(143−4)
(4)The low, coffee−brown cliffs oppossite, too
low for cliffs,100ked as silent and as abo−
アボリジニは,姿は見えないが強い力をもっている.
riginal as if white men had never come.
霊的な存在で,眠っているサマーズの体のなかに「アボ
リジニの守護神」が入ってきたという.夢の中で,「荒っ
(60)
ぽい,たくましいオーストラリア人」に腕を掴まれたと
ここではアボリジナルは人間ではなくて,原生林の感
いう.この部分は,前の「アボリジニの守護神」の続き
じを述べたものであろう.ただ,その背後にアボリジニ
だと考えられるので,「荒っぽい,たくましいオースト
という原住民を意識している.
ラリア人」は,アボリジニを指しているだろう.サマー
ズは,アボリジニを強く意識しているのだが,それは霊
(142)
D.H。ロレンス『カンガルー』とアボリジニ
的な存在で,具体的な姿は見えない.
a2) Hearing the deuce of a racket in the ab
(aborigines)camp near our placb, we
(7) ...unless in the last case the two deep fresh−
strolled over to see what was wrong, and
water lakes, Barrine and Eacham, the
saw a young Binghi giving his gin a father
Barrang and Yeetcham of the aboriginals.
of a hiding for making eyes at another
(166)
buck.(270)
ここは,玄武岩の所在場所の話で,アボリジニたちの
これはシドニーの新聞の記事である.ケンブリッジ版
呼ぶ名称が,入植者のあいだでは違う名前になっている
の注釈によると,実際の記事である.アボリジニの夫が,
ということである.地名の違いも,大きくいえば,文化
妻がほかの男に色目を使ったので,嫉妬して,妻を鞭で
の違いにっながるであろう.
打った.男にはその権利はあるのだがあまりひどく打っ
たので気絶してしまった.それを知って,妻の親戚が怒
(8)The old Fraser Island aboriginals told me
って,抗議に押しかけてきた.気付け薬で正気に戻った
that the deep blue lake, two miles from the
妻は,こん棒を取り上げて,夫の助太刀をして親戚を追
White Cliffs, was once a level plateau, on
っ払った.このように面白おかしく書いてある.
which their fathers held fights and corrobo−
サマーズにとってあまりにも卑近な事件として映った
rees, and that it sank in one night.(167)
であろう.サマーズのもっていたアボリジニ像と違うの
ではないか.もっと神秘的なものを,サマーズは期待し
これは火山の噴火によって,かって高原であったとこ
ていたであろう.
ろが陥没したことをアボリジニが語るところである.
ここで新聞の記事を挿入した理由は種々考えられるが,
(9)It was evening, and the intense dusk of the
皮相な現実の世界の対照があろう.新聞の記事は,たし
そのひとっとして,サマーズの持っていた想像の世界と,
far−off land, and white folks peering out of
かに,その当時の動きを伝えているが,皮相的で,その
the dusk almost like aborigines。(181)
真実の意味までを確かめることはしない.たんなる人目
を引くだけのゴシップ記事にすぎない場合も多い.
闇の暗さがアボリジニたとえられる.そして白人もま
㈱ Iknew another case of a white girl marry−
た,それと比較される.
ing an aboriginal about 20 years ago on the
aO) The strange and aboriginal indifference that
Northern Rivers(N.S.W.). She was rather
was bottommost in him seemed like a dy−
pretty, a descendant of an English family.
namo in her.(182)
(271)
彼(コールカット)の態度にアボリジニ的な無関心が
これも新聞記事である.白人女性がアボリジニと結婚
したという.民族の融和として前向きに評価されるはず
あるという.
であるが,ここでの扱いは違う.アボリジニの夫は,そ
q1) The aboriginal sッmpαthetic apathy was
の独身の女主人から,広大な土地を遺贈されたのだ.さ
upon him, he was like some creature that
ぞかし,色男で,女主人をたらしこんだのだろうと皮肉
has lost its soul, and simply stares.(182)
まじりに書いてある.この財産は,そのアボリジニの男
が死ぬと,死んだ女主人の親戚にわたることになってい
これはジャックを描写したところである.共感はあ
る.それで,親戚は,彼が死ぬのを待っている.
るが,無関心な態度である.
この男は,「野生の叫び」を抑えることができず,妻
子を離れて,叢林の中に住んでいる.そして荒馬に乗る
(143)
倉持三郎
のが得意だ.親戚は,これ以上ない荒馬を彼に贈った.
q8) And the thick aboriginal
落馬して早く死んでもらいたいというのである.
down.(344)
dusk settling
そのアボリジニは,もしかしたら,善良な男だっかも
夕闇が迫る叢林の描写.aboriginal duskは,白人
しれぬが,こういう偏見に満ちた書き方をされている.
が入植する以前の,アボリジニの時代の,電灯もなにも
aの Willie Struthers, his dark−yellow face gone
ないころの真の暗闇ということであろう.現代の文明と,
demoniac, stood and faced them. His eyes too
アボリジニの文明が対比されている.
had suddenly leaped with a new look:big,
上記のように,aborigine, aboriginalが使われて
dark,91ancing eyes, like an aboriginal’s,
いる例が18ある.この例を見ていくと,必ずしも,abo−
glancing strangely.(313)
riginalを使わなくてもよい所に使っているように思う.
暗い,黒いとだけ言ってもすむところで,aboriginal
ストラザーズの眼の表情.彼には,アボリジニの血が
を使う.アボリジニとその文化を意識していることが分
混じっているわけではないが,サマーズにはそう見える.
かる.
彼は,オーストラリア全体を,アボリジニの影響を受け
新聞はアボリジニを未開の人種として,からかって書
ているように見たいのである.
いているが,サマーズは違う.彼には,アボリジニは,
皮相な新聞記事には現れない「地霊」的な存在である.
サマーズに目には,至るところにアボリジニの影が見え
㈲ Aplume of smoke beyond, out of the scarp
front of trees. Near the sky, dark, old abo−
る.実際は,サマーズはひとりの原住民にも会っている
riginal rocks.(331)
わけではない.彼は,オーストラリアを,アボリジニの
見えない力が残っている国と認識している.だからコー
風景の描写.aboriginal rocksは黒い岩というこ
ルカット,ストラザーズという白人さえ,アボリジニ的
とであるが,先住民の時代を思わせるということであろ
な容貌をもっことになる.
う.
アボリジニは,叢林のなかで白人を待ち伏せるオース
トラリアの「地霊」として存在している.
a6) As alone and as absent and as present as
5
an aboriginal dark on the sand in the
この作品を論じるときによく問題にされる「闇の神」
sun.(332)
(Dark God)はアボリジニと関係があるだろうか.ま
aboriginal darkは,実際の暗さではなくて,象徴的
ず,「闇の神」に言及しているところを拾い出してみる.
である.先住民の時代を頭に描いている.
the great God, who enters us from below,
α7)like snow in aboriginal wine one could float
not from above.(135)
and deliciously melt down, to nothingness,
The pagan way, the many gods, the differ−
having no choice.(334)
ent service, the sacred moments of Bacchus...
avast, phallic, sacred darkness.(143)
aboriginal wineは,前でdusky wineという表
He tried to think of the dark God he had
現を使っていることから,アボリジニの肌の色を思わせ
declared he served.(154)
る黒い色のワインということであろう.白人とアボリジ
the intense knowledge of his “dark god”
ニをかなり意識している.ここだけ読めば,植民した白
(155)
人が,アボリジニの文化のなかに消えていくということ
the great dark God (199)
になる.
To turn to the old dark gods, who had
waited so long in the outer dark.(265)
(144)
D.H.ロレンス『カンガルー』とアボリジニ
Sacrifice to the dark God, and to the men in
しかし,ロレンスが,アボリジニの「神」を頭に描い
whom the dark God is manifest.(283)
ていたとは考えにくい.phallicと言ったときは,一般
There is the dark God knocking afresh at
的に,原始宗教にしばしば見られる,豊饒の神を頭に描
the door. The vast mass hear nothing, but
いていたのであろう.
say:“We know all about the universe. Our job
オーストラリアを舞台にしたとき,なぜ「闇の神」が
is to make a real smart place of it。”(297)
繰り返し出るのか.「闇の神」は,オーストラリアの
「地霊」を媒介にしながら,「地霊」と同一化されている
上記の引用で分かる通り,「闇の神」は種々の表現で言
アボリジニの「守護神」とも結びっくのであるまいか.
われており,まとめることは困難である.ロレンスがキ
アボリジニと連想される「黒さ」は,Dark Godの
リスト教信仰から離れた時点から,キリスト教の神に代
“dark”とつながるのは,すぐに分かるが,そのことだ
わるものにたいする希求をもっているから,「闇の神」
けではなくて,叢林に住む「地霊」が,「闇の神」を呼
が道徳的なキリスト教の神と対照的であることは理解で
び起こしているのではないだろうか.また,アボリジニ
きる.「闇」という表現も,キリスト教の中心のイメー
が「闇の神」に結びっけられるということは,アボリジ
ジである「光」に対応するものである.
ニが,生身の存在ではなくて,霊的な存在としてとらえ
オーストラリアを舞台とした作品で,「闇の神」が繰
られているということにもなる.
り返し言及されるのはなぜか.「闇の神」とアボリジニ
「闇の神」は,「悪夢」の章で,言及されているコー
は関係があるのだろうか.
ンウォルのトアーハ・デ・ダナーンと似た存在である.
文化人類学の研究によれば,アボリジニは,呪術の段
コーンウォルで,サマーズは,トアーハ・デ・ダナーンに
階であって,キリスト教におけるような人格神は存在し
呼びかける.
ないという.しかし,これは,あくまでもキリスト教か
らの見方である.アボリジニにも神がいるという説は多
He would go out into the blackness of night
い.そのひとっの,Rainbow Snakeと英語でよばれ
and listen to the blackness, and call, call
ている神は,次のようなものである.
softly, for the spirits, the presences he felt
coming downhill from the moors in the night。
“Tuatha De Danaan!he would call softly.
First the sex of the Rainbow Snake in north.
(226)
eastern Ambem Land is usually said to be fe.
male. Berndt writes reassuringly that this
キリスト教文化から離れ,文明から離れた場所が,
“does not affect its role as a Penis symbol,”
but we are left to wonder why not. Second,
「闇の神」の住まいとしてふさわしい.状況は,コーンウォ
while the swallowing of the Wawilak Sisters
ルもオーストラリアの叢林も同じである.
symbolizes coitus, regurgitation signifies re−
結 語
birth. The Rainbow Snake, it seems, contains
within itself the generative properties of both
イギリス人がオーストラリアに入植してから200年以上
sexes. Third, as well as expressing the dual
経つ.そのあいだに,先住民にたいする見方,扱いは大
concept of Rainbow Snake and Fertility
きく変化してきた.最初の劣等な野蛮人という見方から,
Mother, the word hunapipi also means“sub−
同等の権利をもっ人間という見方に変わってきた.
”11)
incised penis.
ロレンスは,オーストラリアの先住民に,西欧文化と
は違う文化の可能性を見ようとした.この作品では,ア
こう見ると,Rainbow Snake(虹の蛇)という「神」
ボリジニはたんなる野蛮人ではない.オーストラリアの
の信仰は,生殖力の増進と関係がある.「闇の神」のひ
「地霊」と結びっけられている.西オーストラリアの叢
とっの属性としてあげられている「男根的」phallic
林のなかで感じた地霊は,アボリジニと重なりながら,
(143頁)もこの意味ではっながってくる.
サマーズの想像力のなかに存在し,白人文化を溶かしこ
(145)
倉持 三郎
むような可能性さえ持っている.
Robert Darroch:Lαωrence in Austrαliα. Aus−
trαliα’Macmillan,1981.
注
J.G.Frazer:The Golden Bough:Part IV Adonis,
1)1).H.Lαtvrence’The Criticαl Heritαge, p.214.
Attis, Osiris,Vol.1. Macmillan,1936。
2)Harry T.Moore:The Lifeαnd W()rhs of
L.R. Hiatt:Argurnents About Agorigines’Aus−
D.且LαLbrence, George Allenαnd O加επ,
trαliααnd the evolution of sociα1αnthropol−
1951∫Jbんn E。 Stoll: 7ワle 2>oひels qブヱ). H. Lαω一
ogy. Cambridge University Press,1996.
rence∴A Seαrch/br Integrαtion, University
D.H.Lawrence:Kαngαroo. Cambridge Univer−
of Missuori Press,1971参照.なお,『カンガ
sity Press,1994.
ルー』研究史は,『ロレンス研究一『カンガルー』』
D.H.Lawrence and M.LSkinner:The Boy in the
にくわしい.
Bush. Cambridge Univerisity Press,1924.
3)Yudhishtar:Co nflicts in the 1>ovels qf 1). H
The Letters of 1).H.Laωrence, IV. Cambridge
Laωrence, Oliver and Boyd,1969;Samuel A.
University Press,1987.
Eisenstein;Boαrding the Ship (’f 1)eαth’
Susan工、ever(ed.):Oxf()rd BooたOf A ustraliαn
D.H. Lαtvrence ’s Quester Heroes, Moulton,
Womens’s Verse. Oxford UP,1995.
1974,参照.
Ian Shapiro&Will Kymlicka:Ethnicity and
4)『〈移民と植民地問題〉雑誌記事集成』Vo1。1,pp.
Group Ri8hts. New York University Press,
5−6.
1997.
5)作品からの引用は,ケンブリッジ版の頁数でしめす.
Les Murray(ed.)Fivefathers’Five A ustrαliαn
6)ケンブリッジ版,311頁の注には,Terms(i.e.
poets(>f the、pre−Acαdemic Erα。 Fyfield Books,
Brother Brown, Brother Yellow and Brother
1994.
Black)used frequently by the Bulletin and
K.ラングローバー・パーカー(松田幸雄訳)『アボリ
others to denote foreign labour, Indian,
ジニ神話』青土社,1996.
Melanesian, African, Chinese.とある.
D.H..ロレンス研究会編『ロレンス研究一『カンガルー』』
7)『〈移民と植民地問題〉雑誌記事集成』Vol.
朝日出版社,1990.
IVt p.725.
D.H.ロレンス(丹羽良治訳)『カンガルー』彩流社,
8)The Golden Bough’Pαrt lV Adonis,Attis,
1990.
Osiris, Vol.1,P.99.
サリー・モーガン(加藤めぐみ訳)『マイ・プレイス』サ
9)A「guments About Abori8ines, p.130.
イマル出版社,1992.
朝日千尺『ロレンスとオーストラリア』研究社,1993.
10)Ibid.,p.105.
ジェフリー・ブレイニー(越智直雄・高野真知子訳)
11) Ibid.,pp.114−5.
『アボリジナル』サイマル出版会,1994.
主要文献
L.H.モルガン『古代社会』岩波書店,1995.
Noel Butlin:Our Originα1、488res8εoπ’Aborigi−
日・豪・ニュージーランド協会編『オーストラリアとの
nαIPopulαtions qプSoutheαstern Austrαliα,
出会い』サイマル出版社,1997.
『〈移民と植民地問題〉雑誌記事集成』本の友社,
1788−1850.Allen&Unwin,1983。
Ellis Cashmore:1)ictionαrッ()f Rαce and Ethnic
1997.
.Relαtions・Routledge,1996.
(146)
D.H.ロレンス『カンガルー』とアボリジニ
Summary
D.H.Lawrence’s Kαngαroo and Aborigines
D.H.Lawrence traveled to Australia and stayed there about three months and wrote a nove1, Kan−
gαroo, based on his experience during his stay in the country. Although some are critical of the
w6rk as lacking in what is expected of a great novel, yet it is interesting because it represents the
feeling and opinions of those Australians in those days. So far focus has been put mainly on the
theme of“Dark God”and the conflict between the conservative and radical political parties, but in
this essay light has been thrown to the so far neglected aspect:the problem of non−white people,
especially aborigines, presented in the work.
(147)