バックグラウンド クリス・グランディーは 10 歳のときからギターを弾いて

バックグラウンド
クリス・グランディーは 10 歳のときからギターを弾いている。オーストラリアのシドニーで、地元のギター教
師からレッスンを受けるかたわら、ナイロン弦を装備した愛用のクラシック・ギターを武器に、本国で精力
的な活動を開始した。そのころから現在までの驚くべき旅は、彼を「売れっ子」のギター教師にすると同時
に、広いレンジのミュージシャン、バンド、ソロで活躍するプロフェッショナルな演奏家へと導いてきた。
学校卒業後、クリスはシドニー周辺のいくつかのバンドと演奏していた。トミー・エマニュエルから何度か
レッスンを受けるチャンスに恵まれたのもこのころだ。トミーは当事すでに、先のギター・マスター、チェット・
アトキンスから“世界最高のギタリスト”と称されていた。また、幸運にもその数年後、トミーの弟のフィル・エ
マニュエルからもレッスンを受けることができた。トミーとフィルは、クリスが 13 歳のころから影響を受けて
きたギタリストで、このオーストラリア最高のギタリストと定評のある二人からレッスンを受けられたのは、
まさに夢の実現だったといえる。彼らは今でもクリスの大好きなギタリストだ。クリスがギターを弾くときい
つも、トミーとフィルのさまざまな演奏スタイル、タッチ、テクニック、感覚やインスピレーションを垣間見るこ
とができる。
眼鏡士としての研究を修めたクリスは日本へ初めての旅に乗り出した。日本に来たクリスは、最初の日の
偶然の出会いから、すぐに有名なギブソン・ギター社で働くことになる。当初はコンサルタントおよびクリニ
ックの講師として雇われたが、会社を辞めるまでには、よりアーティストに関連したポストに就いていた。こ
のつながりが、音楽業界で、成功している人々やバンドと一緒に仕事をするきっかけを与えてくれると思わ
れた。1995 年、クリスはその職場を離れ、自身のプロジェクトを追求することにした。
ギター・ライヴ
少し時間はかかったが、1996 年、クリスは初めて自分のギター・ライヴを行った。オーストラリアのエマニ
ュエル・ブラザーズ(フィルとトミー)や、他のお気に入りのギタリストたちにインスパイアされたスタイルの
ライヴだった。クリスのライヴはその後も順調に続けられ、彼の演奏はどの会場でも好評を博している。日
本列島を縦横無尽に行われている何百ヵ所もの演奏会場では、観客が素晴らしい演奏を楽しみ、“おなじ
みの”ジョークも場を盛り上げる。帰り際にはみんな笑顔を浮かべ、口々に「ワオ!」などの歓声をあげるの
が常だ。ライヴでは、ジェフ・ベック、サンタナ、SRV(スティヴィー・レイ・ヴォーン)、シャドウズ、ゲイリ-・ムー
ア、フリートウッド・マック、ベンチャーズ、ヘルキャスターズ、チェット・アトキンス、フィル&トミー・エマニュエ
ルなど、他にもたくさんのアーティストの曲がカバーされる。このことはクリスの多様性を立証している。彼
のスタイルは“テイスティー”というほかなく、細かいジャンル分けなど不可能なのだ。またクリスは、最近ラ
イヴにオリジナルの楽曲も加えており、カバー曲同様、大いに人気を得ている。
ソングライティング
クリスは自宅にデジタルの録音機材を備えており、目下オリジナルの作曲に専念している。主にギターの
インストゥルメンタル・スタイルだが、他のアーティストが歌うための曲も書いている。ソングライティングに
関しては、あらゆるスタイルを取り入れながら、常に前進あるのみだ
セッション
バッッキング・ギタリストとしても、クリスはさまざまなジャンルのスタイルをカバーして、数多くのバンドと共
演している。ポップスからフュージョン、ハードロック、カントリー、ブルーズ、オールディーズ、さらに環境音
楽まで、これまで演奏したことのあるスタイルなら、それこそ何でもこなす。彼のそんな姿勢が、常に周りの
トップ・ミュージシャンたちと演奏する機会をもたらすのだ。クリスの即興の才能はこの上なく優れているし、
初見も問題ない。リズム・ギターもリード・ギターも、エレクトリックもアコースティックも弾きこなす、まさにオ
ールマイティーのギタリストといえる。