印刷用PDF - 日本ミシュランタイヤ

PRESS INFORMATION
2006 年 10 月 23 日
F1 世界選手権
第 18 戦ブラジル・グランプリ
2006 年 10 月 22 日
決勝
ミシュランタイヤのパートナーがダブルタイトルを獲得
ミシュランタイヤを装着するチームとドライバーが F1 ラストレースで、今年の世界選
手権タイトルを 2 つとも制しました。フェルナンド・アロンソ(ルノー)は 2 位に入り、
史上最年少での 2 年連続チャンピオンとなりました。またルノーも、この最終戦で 2 年連
続コンストラクターズ選手権を獲得しました。2001 年に F1 に復帰してから 6 シーズンを
戦ってきたミシュランは、誇りをもって F1 の舞台を去ります。
第 18 戦の最終戦では、ミシュランの栄光に華を添えるように、6 人のミシュランドライ
バーがポイント圏に入りました。アロンソのあとには、3 位ジェンソン・バトン(ホン
ダ)、5 位キミ・ライコネン(マクラーレン・メルセデス)、6 位ジャンカルロ・フィジケ
ラ(ルノー)、7 位ルーベンス・バリチェロ(ホンダ)、8 位ペドロ・デ・ラ・ロサ(マク
ラーレン・メルセデス)が続きました。
ミシュランは F1 での今シーズンの成功に加えて、他のモータースポーツでも、二輪、
四輪を問わず多くの勝利を積み重ねています。MotoGP は、最終戦を待たずにミシュラン
タイヤ装着ライダーが今年のタイトルを決めています。二輪最高峰クラスで通算 26 回目、
MotoGP となってから 5 年連続のタイトルです。今シーズンこれまでに 13 勝、ポールポジ
ション 10 回、表彰台順位 39 回を獲得しています。
ル・マン 24 時間ではミシュランタイヤ装着勢が 13 位までを独占し、1998 年から続く連
続総合優勝記録を伸ばしました。耐久レース界で最も格式が高く苛酷なこのイベントで、
通算 15 回の総合優勝を遂げています。またアメリカン・ル・マン・シリーズとル・マン耐
久シリーズもタイトルを獲得しています。
WRC には、今年から BF グッドリッチ・ブランドとして参戦を開始しました。ブランド
は変わっても、ハイレベルのパフォーマンスはいつもと変わらず、こちらも BF グッドリ
ッチタイヤ装着車のタイトル獲得がすでに決まっています。ダカール・ラリーと FIA クロ
スカントリーラリー・ワールドカップも、BF グッドリッチ装着車が勝っています。競技用
タイヤの世界でミシュラン・グループが幅広いカテゴリーにタイヤを供給している証とい
えます。
ミシュラン、F1 に別れ
2006 年ブラジル・グランプリで、ミシュランは F1 に 2 度目の別れを告げ、一つの時代
に幕を降ろします。ミシュランはこれまで通算 216 戦に参戦しました。第 1 期は 1977 年‐
1984 年で、第 2 期が 2001 年‐2006 年となります。ミシュランタイヤ装着車は両期間にあ
わせて 102 勝を挙げました(7 チーム、ドライバー20 人による)。獲得した世界タイトル
は 9 回にのぼります(ドライバーズタイトル 5 回、コンストラクターズタイトル 4 回)。
ミシュランは世界最大級の市販タイヤメーカーのひとつであり、レースによって製品の
改良が進むと確信しています。モータースポーツの黎明期から参戦を続け、二輪でも四輪
でも長年に渡って輝かしい戦歴を残してきました。F1、WRC、MotoGP といった競争の熾
烈なカテゴリーでも、ツーリングカーやル・マン 24 時間に代表される耐久レースでも、
数々の勝利とタイトルをパートナーチームとともに積み重ねてきました。
ミシュランは 2001 年に F1 に復帰してから多くの支持を集めるようになりました。2005
年には全チームの 70 パーセントに製品を供給し、その他にも供給を希望するチームがある
ほどでした。しかし今シーズンは競争関係がより公平になるよう、一部チームへの供給を
辞退しました。
同時に、2006 年を最後に、6 シーズンにわたって活躍してきた F1 の舞台を去ることを発
表しました。このスポーツの性格が変化したことが撤退の理由です。2004 年末に変更され
たタイヤ・レギュレーションは、1 年後に再び変更されました。ミシュランはそのたびに
効率的に対応し、パートナーが優勝争いとタイトル争いをできる製品を供給してきました。
その証拠に、ルノーは 2005 年にダブルタイトルを獲得し、今年も同じ偉業を成し遂げてい
ます。しかしモータースポーツの統轄団体である FIA は、2008 年から F1 タイヤの供給先
を 1 社に限定することを発表しました。このスポーツが体現すべき、最先端の競争という
要素が薄められてしまう決定です。このためミシュランは 2006 年限りで撤退する決定をし
ました。
ミシュランのモータースポーツ・ディレクター、フレデリック・アンリ‐ビアボーは話
しています。「F1 は純粋な競争の場であるべきなのに、タイヤメーカー間の競争を排除し
てしまっては、その重要な要素を失ってしまいます。そのような条件で参戦することには
魅力を感じません。私たちはパートナーチームに有利なパフォーマンスを提供できること
を証明するために、F1 で競っています。1 社だけで参戦しても、タイヤが話題になるのは
トラブルが起きたときだけでしょう。エドワール・ミシュランがいつも言っていたように、
同じモータースポーツ製品が 1 位と同時に最後尾にもなってしまうカテゴリーには、マ
ーケティング価値はない
のです」
ミシュランの F1 初優勝は、1978 年 1 月 29 日リオデジャネイロで開催されたブラジル
GP で、カルロス・ロイテマンが挙げました。それから 28 年以上の時を経て、当面最後と
なる 102 勝目は、フェルナンド・アロンソとルノーが日本で達成しました。
ミシュランは F1 の舞台をあとにしますが、他のカテゴリーのモータースポーツには今
後も力強い参戦を続けます。ミシュランマンがいつかグランプリ・レースに帰ってくるこ
とは……?
すぐではないかもしれませんが、この業界に
絶対
はありません。
ニック・ショロック(ミシュラン、F1 部門ディレクター)
「今日のレース前には、温度の高さを少し心配しました。一部のパートナーが選んだタ
イヤにとって理想的な作動温度域をいくらか超えていたからです。しかし実際にはまった
く問題ありませんでした。タイヤはよくもちましたし、その性能はレースを通じてきわめ
て安定していました」
「今日はもちろん、フェルナンド・アロンソとルノーが獲得した 2 つの世界タイトルを
賞賛したいと思います。そして年間を通じて素晴らしい仕事をしたすべてのパートナーに
感謝します。最大のライバルが今日とても速かったのは確かです。しかし私たちにとって
有利な出来事が序盤にいくつか起きました。これもレースというものです」
「今年の世界選手権は今日決まったのではなく、長い 18 戦シーズンを通じて形づくられ
ました。ミシュランはその期間を通じて製品の優秀さを証明してきました。私たちは F1
最後のシーズンに強い決意を持って臨みました。この結果がそれを物語っていると思いま
す」
「ミシュランのチームメンバーについては、サーキット、工場、研究センター、輸送グ
ループのすべてのスタッフに感謝します。全員のおかげで多くの成功が成し遂げられまし
た」
ミシェル・ロリエ(ミシュラン CEO)
「フェルナンド・アロンソとルノーの要求を満足させることができたミシュラン・チー
ムを、とても誇らしく思います。エキサイティングなシーズンでした。タイヤメーカー2
社の熾烈な競争がさらに興味をかきたてた一年でした。フェルナンド・アロンソとルノ
ー・チームに対しては、シーズンを通じて私たちを信頼してくれたこと、そして絶えまな
い要求で私たちをこれほどの高みに導いてくれたことを感謝します。そして今は、ミシュ
ランの F1 参戦を常に熱心に支持していた故エドワール・ミシュランのことを思わずにい
られません。今年のダブルタイトル獲得を彼に捧げたいと思います」
アラン・ダッサス(ルノーF1 チーム社長)
「2 年連続世界タイトルは大変な偉業です。たまたまできるようなことではありません。
チーム全体の高いパフォーマンスを裏付け、ルノーとミシュランが協力して勝つ方法を知
っていることを証明しています。今日はいろいろな意味で感動的な日です。ミシュランを
してこの偉大な F1 参戦にむかわせた故エドワール・ミシュランに思いを馳せています。
私たちの関係がここで終わりになるのは残念です。しかし最後をいい形で飾れました」
F1 におけるミシュラン
主な記録
ミシュランの F1 初参戦は、1977 年 7 月 14 日‐16 日イギリスのシルバーストン。出走し
たジャン‐ピエール・ジャブイユのルノー(F1 初のターボカー)は、結果はリタイヤに終
わりました。しかしミシュランが創始したラジアル技術は、やがて業界標準となり、今に
続いています。
ミシュラン装着車の F1 初勝利は、カルロス・ロイテマン(フェラーリ)が挙げました。
それはラジアルタイヤ装着車の初勝利でもあります。1978 年 1 月 29 日、ブラジルのリオ
デジャネイロにあるジャカレパグア・サーキットでの出来事です。
ミシュラン・チームで初めて F1 のコンストラクターズ選手権を獲得したのはフェラー
リで、1979 年ジョディ・シェクターによります。1984 年にはマクラーレンが、ニキ・ラウ
ダを擁して 2 度目のタイトルを獲得しました。ミシュラン装着チームとドライバーはコン
ストラクターズ選手権 4 回に加えて、ドライバーズ選手権も 5 回獲得しています。シェク
ター、ネルソン・ピケ(1983 年ブラバム BMW)、ラウダ、そしてこの 2 年間はフェルナ
ンド・アロンソ(ルノー)です。
ミシュランの F1 参戦第 1 期は 1977 年 7 月から 1984 年 10 月までで、そのパートナーチ
ームは 59 勝を挙げました。この期間のタイヤメーカーの中では最多です。
2001 年にミシュランが F1 に復帰して以来、通算 216 戦中、装着車の優勝は通算 102 回
に増えました。ポールポジション 111 回、レース中のファステストラップ 108 回を記録し
ました。溝付きタイヤ時代になって最初のミシュラン装着車の優勝は、ラルフ・シューマ
ッハ(BMW ウイリアムズ)で、2001 年 4 月 15 日イモラのサンマリノ GP でした。
当面最後のシーズンとなる 2006 年、ミシュランのパートナー6 チームは計 9 勝を挙げ、
ポールポジションは 11 回。可能な 702 ポイントのうち、455 ポイントを獲得しました。
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