ギニア・ビサオ内乱からの脱出

紹介
畏友の高杉重光さん(JICA 定年退職時に、水産専門家として2年間ギニアに瀞在した)
の書いた以下の文章が上条清光さんからメールで送られてきた。面白い内容であり、此
処に掲載した(真道 記)。
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{寄稿}
ギニア・ビサオ内乱からの脱出
高杉 重光
平成 10 年 6 月 12 日付の朝日新聞紙上に、次の様な小さい記事がのった。
「セネガルの日本大使館によると、西アフリカのギニア・ビサオで続いてい
る政府軍とマネ前軍参謀長派との軍事衝突で、邦人を含む在留外国人約 1200
人が、ポルトガルの船で国外に脱出が決まった。同国には 23 人の在留邦人がお
り、全員が脱出に加わり、セネガルに向かうとみられている。」
この記事の邦人 23 人の中に、正に当地に水産経済の専門家として滞在してい
た私が入っていたのである。
6 月 7 日、軍の参謀長が更迭されたのを機に反乱軍と政府軍の戦闘が一気に
激化した。
その頃私は空港に近いホテルに住んでいた。そのホテルにまで銃撃戦による
流れ弾が当るようになり、在留外国人は一斉に首都中心部へ避難することにな
った。私もホテルにすぐ戻れるという軽い気持で旅券だけの身軽な状態で抜け
出したが、帰国してから、身の廻り晶や貴重品も全て現地に放置してきたこと
が判り、妻から呆れられた。
ホテル従業員も慌てふためいて、逃げ出した様で、ホテルのフロントもガラ
ンとして、妙に寒々しい風景であった。
戦闘は更に拡大したので、避難外国人は港から海路で国外へ脱出することに
なり、我々は 6 月 12 日昼、在セネガル日本大使館の尽力で派遣されたセネガル
軍の巡視艇に救助された。ビザオ港を離れる船上から、砲撃により、所々で燃
える陸上施設が見えた。
この内戦で、日本始め、多くの国の政府や国際機関の援助が中断されて、こ
れまでの努力が無駄になるかと思うと非常に残念であった。
18 時間後の翌早朝、艇はダカールに入港し、伊藤大使他関係者の出迎えを受
け、共に脱出した仲間達と安堵したのを覚えている。
その後、一時避難していたダカールで、任国での配属機関のバロス局長と出
会った。彼は内戦勃発時に海外出張していたため、本国に帰国出来ないでいた。
ダカールを離れる前に、彼は私をアパートに招待して、夫人の手料理で別れの
会を催してくれた。彼は日本政府の援助に対する感謝の念を何度も口にした。
だが、母国の話になると、内乱の中にある母国の将来を憂慮して、何時も陽気
な彼も無口になり、淋しい別れであった。
私は JICA 定年退職時に、水産専門家を希望して、二年間この地に瀞在した。
ギニア・ビサオは最貧国ではあるが、当初は治安は良く、住民の表情は明る
く、外国政府や国際機関の援助に支えられて、農業、水産業等の面での発展が
期待されていた。しかし、着任後、毎日の停電や断水、悪路に悩まされ、この
国の貧しさを痛感させられた。
日本政府の援助は着々と進み、小規模漁業の無償資金協力として、主要水産
拠点であるカシーニに漁業施設の建設が決まり、そこを拠点としての漁獲物の
加工、保存、流通の発展に大統領始め大変な期待を寄せていた。
この援助が軌遭に乗りかけた頃、私の任期も終りに近づき、更にその延長が
決まった。
そんな時の内戦の勃発であった。
結果として、任国での内乱の中からの脱出という、奇異な体験をしたことに
なった。
現在もなお、ギニア・ビサオ空港は閉鎖中との情報を聞き、複雑な思いで、
あの日の脱出に思いを馳せている。
(完)