൦43ਖ ိ 26 ༃ 9 ॢ 13 撮影:南部スタジオ 撮影:南部スタジオ ﹁考えさせられること﹂ 藤 井 秀 弘 ま せ ん。最 近 流 行 の 登 山 や キ ャ を 見 出 し、そ こ に 崇 敬 の 心 が 生 社頭講話 ま れ、社 を 建 て、神 霊 を 祀 り、 ンプなど、自然の中でのレジャー で 事 故 が 多 発 し てい ま す。原 因 拝んできたのだと思います。 は知識を文字や写真に求め過ぎ 古 代 中 国 の 思 想 に﹁黄 河 の 水 た り、便 利 な 機 器 に 頼 り す ぎ た を 征 す る 者 は 中 国 を 征 す る﹂と 宮 司 り す る か ら だ と 思 い ま す。自 然 いっ た 言 葉 が あ り ま す が、自 然 は 生 き 物 で す。必 ず し も 本 に 書 を 征 服 す る とい う 発 想 は 当 時 の こ こ 数 年、毎 年 の よ う に 梅 雨 て し ま う 恐 ろ し い 力、人 知 を 超 かれている通りではないのです。 日 本 人 に は 無 かった の で は な い や 台 風 な どの 季 節 に 関 係 な く 自 え た 力 が あ り、人 間 を 恐 怖 の 世 土 石 流 が 起 こ る 前 兆 と し て、異 で し ょ う か。む し ろ 自 然 を 神 と 然 災 害 が 起 き てい ま す。七 月 に 界に突き落とします。今年の夏、 崇 め、自 然 に 寄 り 添 い、自 然 の 臭 が し た り 川 の 水 が 急 に 濁った は 当 県 の 魚 津 市 で、ま た 八 月 に 全国 各 地に 大 き な 被 害 を 与 えた 恩恵を享けて生活してきました。 り す る そ う で す。常 に 自 然 の 変 は広 島 市で大 雨による土石 流が 台 風や発 達した低 気圧などはま 化に 注 意 して 生 活 す ることは不 たとえ災 害に遭おう とも自然と 発 生 し、家 屋 や 道 路、橋 梁 が 流 さしく破壊者でした。 対 峙 せ ず、人 々 が 協 力 し 合 い、 可 能 か も し れ ま せ ん が、せ め て さ れ、尊 い 人 命 が 失 わ れ る な ど も う 一つ は﹁育 成﹂と い う 面 災害発生の可能性があるとき︵警 自 然の再 生 力︵ ﹁育 成﹂の力︶を の 大 災 害 が あ り ま し た。テ レ ビ で す。森 羅 万 象 す べて に 生 き る 報 や 注 意 報 が 出 た 時 な ど︶は、 も って 元 の 生 活 に 向 け て 復 興 の や 新 聞 に 無 残 な 光 景 が 写 って お 力 を 与 え、手 を 差 し の べて く れ 避 難 を し た り、身 の 回 り に 起 こ 努 力 を 重 ね て き た の で す。人 間 り、被 災 さ れ た 方 々の 心 中 を 思 る 優 し い 力 に よって、清 ら か な る 変 化 に 気 をつけ た り し たい も も 自 然 の一 部 で あ る こ と を 常 に う と、何 と も や る せ な い 気 持 ち 水 や 豊 か に 実った 穀 物 や 植 物 な のです。 感 じ て、自 然 と 共 に 生 き て き た に な り ま し た。被 災 さ れ た 皆 様 ど が 育 ち、私 た ち の 生 命 を 繋 い のです。 に 心 か らお 見 舞いを 申 し 上 げ ま でくれています。 便 利 な 世 の 中 に な って、自 然 環 境 適 応 能 力 が 退 化 し ているの す。あ ら た め て 自 然 の 力 の 強 大 大 自 然の中で破 壊 と再 生が繰 か も し れ ま せ ん。祖 先 か ら 受 け さ に 驚 か さ れ、自 然 の 何 た る か 自 然の 営 み は 遥 か 昔 か ら 変 わ り 返 さ れ、そ の 中 で 必 死 に 努 力 継いで き た 感 覚 を 今一度 取 り 戻 を考えさせられました。 ら ず に 今 に 至 って い る わ け で す して現在に至っています。 し て、こ れ か ら 変 化 し て 行 く だ が、最 近 は 異 常 気 象 とい わ れ て 環 境 破 壊 は 全 地 球 規 模で 進ん ろ う 自 然 に 適 応 で き る よ う、訓 自然には相反する面があると い ま す。厳 し い 面 が あ り、優 し で お り、我 が 国 だ け の 努 力 で は 練 を す べき 時 に 来 ているの か も 思 い ま す。そ の 一 つ が﹁破 壊﹂ い面 が ある 自 然の 姿 を 私 た ち 祖 限 界 が あ り ま す。し か し 自 然 に しれません。 と い う 面 で す。人 間 の で き る 限 つい て も っ と 関 心 を 深 め な け れ 先 は どの よ う に 捉 え ていたので り の 能 力 を 発 揮 し、最 先 端 の 科 ば な ら な い と 思 い ま す。都 会 に しょうか。 学 の 力 を もって 災 害 に 対 処 し て 多 分、自 分 た ち の 力 で は ど う 暮 ら し て い る と、自 然 を 身 近 に い て も、い と も 簡 単 に 破 壊 さ れ 感 じ るこ と がで き ないか も し れ に も な ら ない 偉 大 な 力 に 神 の 姿 第43号 ܛෂ ێ 平成26年9月13日 2 āૢāᇗ 髙瀬稲荷社例祭 六 月 三 十 日 午 前 十 時 よ り、髙 瀬稲荷講 講員四十名参列のも と、 末 ※ 社﹁髙 瀬 稲 荷 社﹂の 例 祭が斎行されました。 本年も梅雨の合間の好天に恵 ま れ、例 祭 に 続 い て 御 本 社 に て ﹁商 売 繁 昌 祈 願 祭﹂が 行 わ れ、 講員一同の商売繁昌と職場の安 全を祈りました。 神 ※社の社格の一つ。本社に付属する 神社で、境内の内または外にある。 ﹁大 祓﹂は 知 ら ず 知 ら ず の う 夏越の大祓 除 熱 祭 ちに犯した罪穢を半年に一度祓 い 落 と し て 元 の 清 ら か な 心 身 に 七 月 二 十 二 日︵土 用 の 三 番︶ 六 月 三 十 日 午 後 三 時 よ り﹁夏 戻 り、続 く 半 年 も 健 全 に 過 ご せ 越の大祓﹂が行われました。 午 前 十 時 よ り﹁除 熱 祭﹂が 斎 行 おおはらえのことば る よ う 願 う 神 事 で す。特 に﹁夏 拝 殿 に て﹁大 祓 詞﹂が 奏 上 さ され、猛暑の続く夏を乗り切り、 ひとかた 越の大祓﹂は﹁茅の輪﹂をくぐり、 全 て の 農 作 物 が 無 事 に 生 育 す る れ、各 人 が﹁人 形﹂に 罪 穢 を 移 心身を清浄にもどします。 し ま し た。そ の 後、人 形 の 納 め よう祈願しました。 ら れ た﹁茅 舟﹂を 先 頭 に 宮 司 を 本 年 も 前 日 に 氏 子 有 志 の 方 々 祭典終了後、南砺市沖︵井波︶ に、真心込め はじめ祭 の﹁献 穀 田︵奉 耕 者・農 事 組 合 て﹁茅の輪﹂ 法 人 フ ァ ー ム 八 乙 女︶﹂に 御 幣 員・参列者 を奉製い 約百五十名 を立て、稲を祓い清めました。 ただきま 夕 刻 に は﹁熱 お く り 太 鼓﹂が が、向拝に した。 設置された 行 わ れ、氏 子 有 志 が 町 内 を 練 り ﹁茅 の 輪﹂ 歩きました。 を く ぐ り、 残りの半年 を清々しく 過ごせるよ う祈念しま した。 KWWSZZZWDNDVHRUMS 3 第43号 ܛෂ ێ 平成26年9月13日 第十五回 人形感謝祭 海の日の前日に当たる七月 二 十 日 午 前 十 時 よ り、﹁人 形 感謝祭﹂が行われました。 本年で十五回目となる感謝 祭には約七十名が参列し、子 供の成長とともに古くなった り、壊れた りした﹁人 形﹂や﹁ぬ い ぐ る み﹂ に感謝の心 を捧げ、お 別れしまし た。 第43号 ܛෂ ێ 平成26年9月13日 七夕祭 並 技芸上達祈願祭 八 月 七 日 午 後 三 時 よ り﹁七 夕 祭 並 技 芸 上 達 祈 願 祭﹂が 斎 行 さ れ、七 夕 に あ わ せ 織 姫 さ ま の は た 織 り・裁 縫 上 手 に あ や か っ て、習 い 事 が 上 達 す る よ う 祈 り ました。 当日は夏休みという事もあり、 家 族 揃って 書 き 記 し た 願 い 事 が 叶 う よ う、心 を 込 め て お 参 り し ました。 くにたまの会総会 御神山﹁牛嶽﹂ 開山祭 七 月 七 日、全 国 の 大 国 様 を お 祀 り す る 神 社 で 組 織 す る﹁く に 六 月 六 日 午 前 十 時 よ り、牛 嶽 た ま の 会﹂の 平 成 二 十 六 年 度 総 山 頂 に 鎮 座 す る 当 神 社 の※奥 会 が 北 海 道 神 宮 参 集 殿 にて 開 催 宮・牛 嶽 社 で﹁開 山 祭﹂が 行 わ されました。 れ、砺 波・富 山 両 市 の 奉 賛 会 会 発 会 後、初 め て 会 員 神 社 で の 員や住民 約四十名が参列し、今 開 催 と な る 今 回 は、平 成 二 十 六 年 一 年 間 の 山 の 平 安 と、入 山 者 年 度の活 動 計 画や予 算 協 議に 続 の安全を祈願しました。 き、 ﹁樺 太の神 社﹂と題して、北 ※奥宮は標高九八七メートルに鎮座 海 道 神 社 庁 副 庁 長・静 内 神 社 宮 し、当 神 社 の 奥 宮 と し て、牛 に 司 山田一孝氏の記念講演が行わ 乗 っ た﹁大 国 主 命﹂が 祀 ら れ て れました。 いる。 来 年 度 は 当 神 社 にて 総 会 が 開 催されます。 4 ܛෂ ێ 熊野 幸子(砺波市) KWWSZZZWDNDVHRUMS 飛騨山静恵(富山市) 中島 邦子(富山市) 中林 雅代(富山市) 坪川瀬都子(氷見市) 南部 祥雲(高岡市) 野村 幸子(南砺市) 草月流富山県支部「秀抱会」会長 梅崎 秀鈴 5 形展 海道 貴哉(射水市) 笹波 美恵(高岡市) 川原 るみ(南砺市) 第十四回人 宮長 由紀(射水市) 長谷川創一(南砺市) 安達 陽子(砺波市) 七月十九日︵土︶∼ 福島まゆみ(金沢市) 松本 昌子(南砺市) ∼一期一会∼ 牛島 辰馬(南砺市) 第43号 二十一日︵月・祝︶ ▽監 修 梅崎 親美 ︵秀抱︶ ▽銘木材提供 嶋田 数男 ▽写真提供 荒井 恒雄 木彫や和紙・陶磁器等、県 内外の作家十七名の創作人形 が展示されたほか、草月流富 山県支部﹁秀抱会︵梅崎秀鈴 会 長︶﹂に よ る﹁い け ば な﹂ が会場に彩られ、期間中は大 勢の人で賑わいました。 平成26年9月13日 牛嶽のこと に、此の髙瀬の杜へ来て感謝し、 祈 り、訴 え、親 し み つ ゝ、お 互 いによりよき生き方に努力せら れたでありましょう。 当 神 社 の 奥 宮・牛 嶽 社 が 鎮 座 髙 瀬 神 社 の 御 祭 神 は 御 存 知 の す る﹁牛 嶽﹂。今 回 は 故・藤 井 大 国 主 命 で す。此 の 神 様 は 越 中 秀直名誉宮司が砺波の杜 第二号 の国へお越しになった時の伝説 ︵昭 和 四 十 八 年 八 月 発 行︶に 寄 が数多くあります。 稿 さ れ た﹁髙 瀬 神 社 の 御 神 徳 を 富 山 県 に 鎮 座 の 神 社 の 中 に 牛 讃 え 奉 り て﹂よ り、当 神 社 と 牛 嶽 神 社、宇 志 多 気 社、或 は 気 多 嶽とのつながりについて紹介し 社などの神社はみんな大国主大 ます。 神 を 祀 っ て あ る 神 社 で す。又、 牛嶽の山々にも大国主大神の御 髙瀬神社が此の地に御鎮座に 事蹟を物語る伝説が沢山残され なってから二千有余年にもなる ています。 と い う こ と で す が、そ の 間 に 御 出 雲 の 大 社 造 り に﹁横 座﹂と 社 殿 が 戦 火 に 遭 っ た り、い ろ い い う も の が あ り ま す。此 の 富 山 ろな争いに巻込まれたりした出 県の方言にも主人の坐る席を横 来 事 が あ り ま し た が、御 神 徳 は 座 と 申 し て、一 番 上 席 に な っ て 今も昔も変りなく越中の守護神 います。家の中心になる柱を﹁大 と し て 民 衆 か ら 親 ま れ、心 か ら 国 柱﹂と い っ た り、そ れ に 従 う 信仰されて来ました。 柱 を﹁ウ サ ギ 柱﹂と い っ て 近 年 うえ 人 に は 感 情 が あ り、自 分 の 喜 ま で 山 家 に 残 っ て い ま し た。上 たか 怒哀楽の情を自分で始末できな の 事 を 高 と い っ た り、二 階 の こ あま い も の で す。越 中 の 国 の 守 護 神 と を 天 と い っ た り、幾 千 年 も 前 と し て 二 千 有 余 年 の 間、沢 山 の から私達の親達が残していった 人 々 が 喜 び と 楽 し み を 感 謝 し、 方 言 の 中 に、此 の 髙 瀬 の 神 々 の 怒りと悲しみを訴えたことであ 御事蹟を讃える言葉が沢山ある り ま し ょ う。私 達 の 祖 先 も 人 間 こ と を 思 う 時、私 達 の 日 常 生 活 としての喜怒哀楽を感ずる事毎 の中に大国主大神と私達の祖先 第43号 ܛෂ ێ 平成26年9月13日 と 現 在 の 私 達 と に、今 も 尚、生 政 治 に も 事 業 に も 或 は 教 育 に き生きとした血と心が生きつゞ しても大国主大神の﹁和﹂の心、 けていることを物語っていま 則 ち﹁愛 撫﹂の 心 が あ れ ば 日 本 す。牛 嶽 と い う 山 の 名 称 の 由 来 の国は高天原となりましょうに。 は、越 中 一 の 宮 伝 記 の 古 文 書 に 此 頃 よ く﹁闘 争﹂と か、﹁勝 依 り ま す と、大 国 主 大 神 が 牛 に ち 抜 く﹂と か い う 言 葉 や、文 字 乗って鍬先山に悪者共を愛撫せ を使いますが非文明の国々はと ん と お 登 り に な り ま し た。そ れ も か く 文 化 の 国 に はこん な 殺 伐 から後は牛嶽山という名称にな な言葉も文字も不要と思います。 りました。 また大国主大神は﹁和﹂と﹁愛 現 在 も 四 月 末 頃、呉 東 地 方 か 撫﹂の 気 持 を 人 々 に お 教 え に な ら此の山を見ると乳牛のよう る と 共 に、御 自 分 か ら も 実 行 さ に、﹁ま だ ら 牛﹂の 姿 を 残 雪 が れ ま し た。﹁ウ サ ギ﹂を お 助 け 残 し ま す。特 に 申 し あ げ た い の に な っ た 話、人 々 の 病 を 治 し た は、大 国 主 大 神 が 悪 者 共 を 征 伐 り、耕 作 を お 教 え に な っ た り、 で な く、愛 撫 せ ん と は る ば る 越 お母さんが我が子を愛撫するよ うに慈愛の瞳で私達越中の人々 中の国へお越しになったとい を 見 守 り 導 い て 下 さ い ま し た。 う、﹁愛撫﹂という言葉です。 ぬし 牛 嶽 は﹁主﹂の 嶽 と い う こ と で いつもニコニコとして兄神達 大国﹁主﹂の山ということです。 の重い荷物を大きな袋に入れて ぬし 今も尚越中の方言に、山の﹁主﹂ 背 負 っ て、日 本 国 土 を お 歩 き に ぬし の 大 蛇 と か、河 の﹁主﹂の 大 鯰 な っ た、大 神 の 慈 愛 に 満 ち た 御 と か い う 方 言 が 残 っ て い ま す。 気持を表現した言葉です。 ぬし 或 は 一 家 の 主 人 の こ と を﹁主﹂ 福 徳 円 満 の 神 と し て、私 達 が と い っ て、﹁主 は ど う 思 う か﹂ 敬慕して止まぬ理由がそこにあ う し な ど。ま た﹁大 人﹂と い っ て 其 ります。 後 世、聖 徳 太 子 が﹁和 を 以 て の道の大家或は最高の権威者の 尊 し﹂の お 言 葉 を お 示 し に な っ こ と も﹁う し﹂﹁ぬ し﹂と い う たのも大神の御心を体されての ことにもなりましょう。 ことと信じます。 6 越中の郷土料理① ∼芋がい餅 ︵里芋のおはぎ︶∼ ﹁和 食・日 本 人 の 伝 統 的 な 食文化﹂がユネスコ無形文化 遺産に登録され、和食がもつ 自然の美しさや季節の移ろい の表現、栄養バランスに優れ た健康的な食生活などが再注 目されています。今回は、毎 年十二月に開催される﹁里芋 おはぎ茶会﹂の主菓子にも使 わ れ る、﹁芋 が い 餅︵里 芋 の おはぎ︶﹂をご紹介します。 富山県南砺市は里芋の産地 で、里芋を使った料理が多く あります。その中で私の最も 好きな料理は里芋を使ったお はぎです。 窯の中でもち米を潰して作 る餅を﹁かい餅﹂といいます が、里芋を混ぜて作られるた め﹁芋がい餅﹂と言われるよ うになりました。 昔、米 が 貴 重 だ っ た 時 代、 米を節約するために里芋をブ レンドした事が始まりです が、里芋の粘りのある、ねっ とりとした食感が良く、米の 収穫量が増えた今でも、地元 で愛され続けています。 先人達の生活の知恵や風土 気 候 を 活 か し た 郷 土 料 理 は、 時代と共に変化してきた食文 化を見直すきっかけとなりま す。そんな料理に対する想い も、受け継がれていけば良い と思います。 出張料理 たけや 代表 竹内 秀訪 ﹁高瀬﹂の 由来について 高 瀬 の 歴 史 は 古 く、﹃続 日 本 紀﹄に、高瀬神が宝亀十一年︵七 八〇︶に 叙 位 さ れ た 記 述 が あ る こ と か ら、﹁高 瀬﹂の 地 名 は、 そ れ 以 前 も し く は そ の 前 後 に、 定着したことが推測されます。 ﹁高 瀬﹂の 地 名 の 由 来 に は、 主に以下の説あります。 ・雄 神 川︵庄 川 の 古 称︶が こ の 辺の高いところを流れていた の で 地 名 と な っ た。現 在 で は 流 れ て い ま せ ん が、中 世 に は 庄川は西流して旧高瀬村を 通 っ て、小 矢 部 川 に 合 流 し て いました。 ・高 瀬 は﹁こ う ら い﹂と 読 み、 高瀬神社は高麗権現に由来し 地 名 と な っ た。地 域 の 伝 承 の 一 つ に、高 瀬 神 は 高 麗 よ り お 渡りになられたというものが あります。 ・米 沢 康 氏 が そ の 研 究 の 中 で、 ﹁高﹂が 古 代 に お い て 壮 大 さ の美称に用いられたことに触 れ、﹁高 瀬 の 地 名 に つ い て、 それが庄川の奔流に臨んだこ の 地 区 の 自 然 的 要 素 と、恐 ら く不可分な関係に発するであ ろうことを考えないわけには い か な い。高 は、庄 川 の 瀬 の 壮大さに基づく美称であった ろ う﹂︵﹁高 瀬 神 社 の 創 祀 と 発 展﹂︵﹃神 道 史 研 究﹄巻 十 五 第 二号︶と述べています。 以 上 は 管 見 に 及 ぶ 限 り の﹁高 瀬﹂の 由 来 で あ る が、諸 説 を 見 る 限 り で は、こ の 辺 り を 流 れ て い た 雄 神 川、も し く は 高 瀬 神 に 起源を持つ地名であったことが わかります。︵魚岸 一弥 記︶ KWWSZZZWDNDVHRUMS 7 第43号 ܛෂ ێ 平成26年9月13日 ܛෂ ێ 平成26年9月13日 第43号 9月12・24日 10月 6・18・30日 11月11・23日 12月 5・17・29日 平成27年 1月10・22日 2月 3・15・27日 3月11・23日 4月 4・16・28日 腹帯のお祓いも行いますのでご持参下さい。 新年初祈祷のご案内 平成26年 ∼一年の計は元旦にあり∼ 福の神・結びの神様であります﹁大国主命︵大国様︶﹂ をおまつりする髙瀬神社では、全ての災厄を祓い退け、 心に平安をもたらす髙瀬の大神様のご神徳により、ご家 族皆様の安泰と繁栄、また諸々の願いが成就するよう祈 る、﹁新年初祈祷﹂を承ります。 新しい年が事故・災難や病気・怪我無く、家族の﹁絆﹂ が結ばれ幸せであるよう、年頭にあたりご家族お揃いで ご祈祷をお受け下さい。 ・内 容 家内安全︵開運招福︶家族結び祈祷 商売繁昌︵事業繁栄︶他 願意はホームページをご覧ください ・期 間 節 分の頃までにご参拝ください 午前八時三十分から午後四時三十分まで ︵元旦は午前零時から午後六時頃まで︶ ・受 付 ご祈祷入口からお入り下さい ・祈祷料 一祈願五千円より ︵ご志納願います︶ ご祈祷をお受けになり、 一年間清々しくお過ごし下さい。 まず大国様に初詣 戌 の 日(安産祈願) 七五三詣(数え年) 本年は次の通りです。 ○7歳(女子) 平成20年生 ○5歳(男子) 平成22年生 ○3歳(男女) 平成24年生 ※10月1日より11月末日まで、毎日午前 9時より午後4時30分まで随時受け付 けております。 平成27年 厄年・身祝一覧 〈厄年〉ౘȢ༃ ! ! 〈身祝〉ౘȢ༃ āᄛ! Ⴈāᄛ! ষāᄛ! ! ! 24ਫ਼! ိ 4 ༃ Īడī ! 25ਫ਼! ိ 3 ༃ Īī ! 26ਫ਼! ိ 2 ༃ Īī !ට ! 41ਫ਼! ூሆ50༃ Ī۬ī ! 42ਫ਼! ூሆ49༃ Ī່ī ! 43ਫ਼! ூሆ48༃ Īۯī ! ! ! ! 61ਫ਼! ூሆ30༃ Īī ! ! 18ਫ਼! ိ10༃ Ī່ī ! 19ਫ਼! ိ 9 ༃ Īۯī ! 20ਫ਼! ိ 8 ༃ Īાī !ட! 32ਫ਼! ூሆ59༃ Īાī ! 33ਫ਼! ூሆ58༃ Īۉī ! 34ਫ਼! ூሆ57༃ Īᖎī ! ! ! ! 37ਫ਼! ூሆ54༃ Īī ※数え年とは、満年齢に誕生日前には2歳、誕生日後には1歳を加えた年齢です。 ! ! !ᇗ! !গࡏ! !ࡈୁ! !ઝୁ! !ဴୁ! ༃ᇖ! 61ਫ਼! 70ਫ਼! 77ਫ਼! 80ਫ਼! 88ਫ਼! ౺ɘɦ༃ ூሆ30༃ Īī ூሆ21༃ Īᖎī ூሆ14༃ Ī۬ī ூሆ11༃ Īાī ூሆ 3 ༃ Īī Ī່ī !ലୁ! 90ਫ਼! ౷15༃ ூሆই༃ Ī່ī !ཆୁ! 99ਫ਼! ౷ 6 ༃ Īაī ※男女ともに祝います。 8 平成二十七年﹁初詣献灯﹂の御案内 当 神 社 で は﹁初 詣 献 灯﹂を 実 施 致 し て お り ま す。 本行事は、 初詣期間中に正参道両側に﹁提灯﹂を掲げ、 来る新年が更なる輝かしい一年となるよう、尚一層 の御神徳を授けて戴くことを願い奉納するものです。 一、 ﹁初詣献灯﹂は正月七日まで、境内等参拝者道筋 に献灯いたします。 一、 ﹁初詣献灯﹂は、それぞれ正面に希望の芳名︵会 社・氏名等︶を記入いたします。 一、献灯者の家内安全・商売繁盛の祈願祭を奉仕い たします。 一、献灯初穂料は、一基につき 金 壱 萬 円 御 志納願 います。 一、申込締切 十一月三十日までにお申込下さい。 ※記載芳名 例︵約八文字︶ 一、会社 南砺市 ㈱高瀬 高瀬産業株式会社 高瀬 高瀬太郎 二、個人 高瀬 太郎 奉 納 納 奉 ○﹁鉾鈴・鈴ノ緒﹂一対 元巫女 今井映里奈 殿 平成二十六年六月三十日 伊藤 三春 殿 ○﹁日本画﹂ 河合 晴明 殿 ・鵬︵写真左︶ ・黄金龍︵写真右︶ 平成二十六年八月三日 編集後記 八 月 五 日、北 陸 神 道 青 年 協 議 会 の 会 員 有 志 と 共 に、東 日 本 大 震災復興支援活動を行いました。 今 回は避 難 指 示 解 除 準 備 区 域 で あ る、福 島 県 双 葉 郡 浪 江 町 に 鎮 座 す る 神 社 の 本 殿・拝 殿 の 解 体作業でしたが、三月十一日以降、 町 も 神 社 も 当 時 の ま ま、時 間 が 経過しております。 少 しで も 被 災 者の心に 寄 り 添 え る よ う、今 後 も 継 続 し て 活 動 を行って参ります。 ︻表紙写真︼ 御神楽太鼓 KWWSZZZWDNDVHRUMS 9 第43号 ܛෂ ێ 平成26年9月13日 ܛෂ ێ 平成26年9月13日 発行日 平成二十六年九月十三日 発行所 越中一宮 髙瀬神社社務所 〒九三二 〇二五二 富山県南砺市高瀬二九一 | TEL ︵〇七六三︶八二 〇九三二 FAX ︵〇七六三︶八二 三二〇四 || 第43号 一日のできごとが、 一生の宝ものになる。 この地で二千年の歴史をもつ越中一宮 髙瀬神社は、 縁結びの神様をまつる神社として多くの神前挙式を 執り行い、お二人の幸福を願ってきました。 巫女の先導による∼参進の儀∼ お二人の幸福にむかって、参進の儀から結婚式が はじまります。 一日一組限定の 新バンケットホール OPEN! ! 縁結びの神様に誓う伝統の結婚式を挙げていただく、 一生に一度の日だからこそ、一日一組のカップルの為だけに、 このバンケットは生まれました。 編集人 長谷川宏幸 印刷所 牧印刷株式会社 只今 御予約 受付中 新バンケットホールでのご結婚披露宴のご予約を承っております。 お気軽にお問い合わせ、ご相談いただきますよう、お待ち申し上げます。 高瀬神社 検索 10
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