山口真人 - 日本パワーリフティング協会

2015世界クラッシックパワーリフティング選手権大会(フィンランド・サロ市)奮戦記
6月5日より14日までの長きに渡って表記の大会が開催されました。
開催地のフィンランドへは日本からは成田、関西、名古屋から毎日飛んでいて「一番近いヨー
ロッパ」を実感出来ます。
飛行時間は9時間ほど。あっという間に…でもないけど確かに近い。
よく世界大会が開催されるチェコなどは経由も含めるとざっと15時間くらい掛かるので。
さて今回は日本選手だけでも50名。審判の方や付き添いの方など含めるとざっと70名近く
がここ白夜の地に足を踏み入れました。
フィンランドは環境大国、福祉国家を掲げているだけあって首都ヘルシンキも他の欧州の都市
に比べ静かで落ち着いた雰囲気。
他の国の街角によくあるサイケディックな落書きなどは無くゴミも落ちてない。
道路で信号待ちをしていると渡ろうとしているこちらが赤信号なのに車は止まってくれます。
クラクションを鳴らす光景は一度しか見掛けませんでした。
我慢強く優しい人々の国。
先乗りしていた小職はまず在フィンランド日本大使館を訪問。
篠田研次特命全権大使を表敬させて頂きました。
大使は対米、対露のスペシャリストでいらっしゃるので浅学の小職でさえ、お名前は存じてい
る方でしたが、とても気さくにパワーリフティングの話に耳を傾けてくださり我が国ばかりか
フィンランド国内での普及状況やお隣のスウエーデンなど北欧人に力持ちが多い事などお話さ
せて頂きました。
大使が仰るにはフィンランド人はどこか日本人にも似た気質でシャイで礼儀正しいのだとか。
ちなみにフィンランド航空の就航など、この国に日本人を運び入れ日本との繋がりを更に盛ん
にさせたのは現大使の功績によるものです。
小職との記念撮影をご覧になればおわかりでしょうがスラッとした御仁ですがプロレス観戦が
お好きという茶目っ気のある一面もお持ちです。
今回の大選手団。いざ、という時には現地の大使館にお世話になる事も想定されましたので我
が日本パワーリフティング協会に於いては心強い存在です。
改めて外務省の当該部局、在フィンランド大使館の皆様のバックアップに感謝申し上げます。
さてそんな時間を過ごしているとやがて日本からマスターズの皆さんがやってきます。
空港で無事に合流し、そこからバスで一路、開催地のサロ市へ。
走り出して程なく都市部から離れると車窓には全く町並みが見当たりません。
きっと待ちわびた夏の到来を謳歌している緑が豊かでのどかな風景が続きます。
北緯60度はやはり印象が違います。
なんとなく陽光も優しく木々も北国によくある白樺の樹やライラックの花も。
さすがに皆さん、長いフライトでお疲れも出てバスの揺れが心地良いみたい。
そんなドライブもやがて終わりサロ市に到着。
まずはホテルにチェックイン。
有り難い事にそのホテルこそメインホテルだったので今後の展開が有利です。
早速、スーパーマーケットなど周辺調査。
大体のものは滞在ホテル近辺で済ませられそうです。
バスの移動の際に注意事項をお話ししましたが皆さんは白夜はほぼ初体験。
夜の23:30ほどに日が暮れ一時の夜が訪れます。
但し真っ暗ではない薄暮くらい。
かと思ったらもう2:00くらいからゆっくりと明るくなっちゃいます。
この星の不思議。
この地に来ないと味わえない感覚。
皆さん、今夜は早く寝てください。
翌朝。時間を申し合わせたわけではありませんが朝食の会場のレストランに自然に集まります。
皆さん早くにお目覚めみたい。日本との時差は6時間なので朝の6時が日本のお昼。
朝食はよくあるビュッフェスタイルですが、まあまあ美味しい。
この大会は世界各国から800余名の選手と審判や役員を併せると軽く1000人を超えるパワー関係
者がサロ市という普段であれば静かな地方都市に集結。
街のホテルはどこも満杯。
大変なのは他の国の方達で会場からバスで軽く30分はかかってしまうフィンランドの旧首都の
トゥルク市にしかホテルが取れなかったケースも。
滞在2日目は夜のテクニカルミーティングまで自由時間。
しかし会場まで皆で一緒に行く事になり、そぞろ歩き。
ホテルからノミの市で賑わってた広場を抜けて緑に囲まれた軽い坂道を進むとやがて陸上競技
場などのスポーツ施設が。ゆっくり歩いて15分くらい。明日からバスで移動出来ます。
その中で普段はアイスホッケーやバレーボール、バスケットをしている体育館が今回の会場。
事務所に伺い選手ひとりひとりが入場に必要なパス(ネームタグ)を作り、さて見学に。
施設もまだ新しく試合面も充分なスペースでプラットフォームが2面。
本来は両面の収納式観客席の片側を潰してその片面全部が試合の際の選手の溜り場と2階にア
ップ会場が設営されており真っ新な ELEIKO が8台。
小職も有り難い事に過去にいろんな国際大会に参加してますが、ハッキリ言って最高峰です。
モンゴルやイランでやったアジア大会など、どう見ても怪しいプレートやストッパーもないも
のでアップを余儀なくされたり(またそれはそれで味がありましたけど)
それが国際大会だと言い聞かせ闘って来ました。
おかげで相当、精神的にタフになりましたが今回は言う事ない。むしろ言い訳出来ない?
現地の主催者と IPF の力の入れようが伝わって来ます。
その夜はテクニカルミーティングが我々が宿泊しているホテルで。
19時開始がいきなりガストンさんが遅れるとかで21時からに。
これだよ!(笑)
ミーティングの中身は IPF ルールに則り厳格に試合が進行する事などを確認。
国内の大会のようにセコンドも自由に出来るわけではありせん。
バックヤードはもちろんアップ会場もコーチの人数制限が。
その割り振りをどうするのか毎回、頭を悩ませます。
明日から試合が始まります。
遅くなりましたがチームミーティングをホテル側のご厚意で広くて良い会議室にて。
小職も長い国際大会の経験から「体重は落ち過ぎないよう」「失格は厳禁、第一試技は確実に」
などお伝えして。
さて、朝を迎えました。
いよいよ試合が始まります。
皆が心配していたコスチュームチェックは当初は検量時に同時に行われていましたが、審判も
このような規模のクラッシック大会で厳格に行われるのは初めてなのかモタモタしてます。
これは進まないな…と思った途端、技術委員長のハニー・スミスさんが怒鳴り込んで別室でや
る事に。以降はそのスタイルに。
以前より公認品のみ使用可とお手紙を送っていたのと前日に申し合わせしているので日本選手
は割とスムーズ。しかし一部でベルトの印章がないものなどわざわざハニーに聞きに行くケー
スも。
他の国の選手は結構、撥ねられていました。
今後は国際大会に出場を目指す日本人選手はいずれにせよ公認品で統一する必要があります。
この日から最終日まで日本選手はおおむね体重が落ち過ぎて行きます。
「あんだけ言ったのに…」
原因はきっと乾燥している事やこれは医学的根拠はないのですが初めて経験する白夜も影響し
ていると思います。まだ夜だと認識出来ず、ずっと起きている感じなので身体が休まらない。
それにも増して試合前の緊張感とか皆さんが一生懸命にセコンド作業をしているだけで痩せち
ゃいます。
今まで「日本のマスターズは強い!」という印象でしたがクラッシックでは世界にも強い選手
がしぶとく生きてます(笑)
そんなマスターズの熱戦が繰り広げられている一方で日本からはジュニア・サブジュニアの選
手団が来場。
大人数を捌く為に2面で開催された嵐のような「おじちゃん、おばちゃん」のマスターズが終
わると今度は「お坊ちゃん、お嬢ちゃん」たちの試合に。
このカテゴリ―でも世界はずっと先まで進化してます。
もちろん若年なのでフォームなどバラバラだったりしてますが力の強さに驚愕します。
この世代の強化も我が国の課題ですね。
小職の個人的な希望ですが未来ある日本の若者たちがこういった国際大会に積極的に参加する
事で見分をより一層広げて欲しい、と老婆心ながら思う事、多少。
スクワットやベンチプレスを練習するのを1回減らしてでも「英語」に慣れ話しましょう!
そしてそんな爽やかや世代の頑張りの最中にオープンに参加する選手団が来場。
いやはや目まぐるしい。
試合の細かいレポートは参加された選手の有志が書いた臨場感に溢れたコラムに譲ります。
試合における判定の印象は「スクワットの高さは厳しい」
諸外国選手は日本選手のようにテクニックよりも力に頼るようなスタイルなのでしゃがみのス
ピードは速く一気にしゃがみます。グシャッって音が聞こえてくるみたい。
つまりその高さが基準になるのか日本選手は割と赤を貰ってます。
当初のエントリーでは小職も含めて日本選手は上位にいても試合が始まると割と他の国の選手
(特にヨーロッパの連中)はフル稼働。
特に地元のフィンランドをはじめヨーロッパはデッドリフトが強く最後にまくられます。
中にはきっとまるで詐欺にあったような気になって優勝を逃した選手もいます。
後に出て来る本当に強い武田選手さえも目指したベンチプレスでの種目別の金メダルを得たの
ですがデッドリフトで第一試技者という典型的な「JAPAN タイプ」なのでベンチの最後の試技者
だった武田選手が試技を終えた瞬間にテレ笑いを浮かべながらアップ場にダッシュで帰って行
く姿は外国人選手にはさぞ不気味に映った事でしょう。
つまりはデッドリフトが強い人がパワーリフティングは断然、有利なんですね。
ちなみに小職も選手としても試合に出ましたが全く納得のいくものではありませんでした。
昨年秋にギアの世界マスターズで優勝した時など行く前から「優勝しちゃうんじゃないの?」
と根拠のない感覚が訪れて力を与えてくれました。
その時さえ記録自体は「平凡」でしたが常に優位に立てたので割と余裕を持って試合が出来た
のです。確実な試技を繰り返す「記録よりも順位」と心の中で何度も繰り返してましたね。
そして今回…すいません、全くそんな「予感」がしませんでした(笑)
種目別ではなんとか面目を保ちましたが参加した国際試合でトータルでメダルを逃したのはた
ぶん10年ぶり。仕方がないですね。弱かったんですから。
世界記録を狙ったスクワットの第2試技などしゃがみ過ぎたのかクラッシックの試合で初めて
潰れちゃいました。トホホ…
しかも何年も国際大会に出続けている小職もここで間抜けなミスを犯してます。
自身にとっては初めての潰れと、こんな重量を…という混乱だったからなのか。
第2ですぐ次の選手が小職が失敗した同重量を申請していて見事に挙げてます。
ここで一旦、その選手に世界記録の認定。
その成功を見通して(或いは失敗したとしても)次の試技は0.5Kg アップを申請すべきでした。
そうすれば次に空しく試技をするより世界記録を例え一瞬でも…
そんな第3をやっとこさ挙げた後に「そう言えば…」とやっとこさ気づいたので今から思えば
やる前に「しまった…」とはならなくて良かったのかな?
滅多に出くわす事のない大物に出くわした際に、それをちゃんと釣り上げられるかは常に鍛え
ているはずだった心の問題ですね。
試合の出来、不出来はその時の条件や運もありますが、やらなければいけなかった事を怠った
のはそれが全力を尽くせなかった何よりの証です。本当につまんないもんですね(笑)
それでも納得いかないその記録でさえも昨年の南アフリカ大会であれば優勝している記録なの
でヨーロッパ開催における国際大会はレベルもこれが本当の「世界大会」なのでしょう。
もちろん悔しいとか情けないとか思いはありましたけど「大惨敗」だったので「勝つ事もあれ
ば負ける事もある」と不思議と割り切ってもいました。
初めて本音を吐露すれば「もう辞めてしまおうか」とさえ思いましたけど。
次にまたミッションが待ってますので立ち止まってはいられないですね。
面目ない…まだまだです。トホホ…
そんな自分の事などともかく今回、世界大会に初めて参加された選手が何名かいらっしゃいま
した。
今まで何回か参加した方さえその力を出し切るのは至難の業です。
「こんなはずじゃ…」
でも、それが国際大会(特に世界大会)
パワーリフティングの試合は単にバーベルの挙げ下げだけではない「約束事」が多いです。
団長として全ての選手に管掌しましたが(そうしたつもりですが)国際大会に向いている選手
とそうでない選手の差は何度か参加した経験から見抜けます。
でも、対処法はあります。
事前にお手紙でお伝えしたり現地でのミーティングで出来るだけの事は話はしますが「付け焼
刃」では限界がありますがいつも国際大会を意識した練習を心掛ける事だと思います。
パワーリフティングはもちろん持ってる力を争う競技です。
しかしながらその大会の雰囲気や細かな条件に如何にアジャストするか。
例えば試合前のコンディション。
前述のように思わぬ体重減を味わった選手。
それから経験した事がない国際ルール。
国内で練習や試合をする時にはほとんど使わない外国での言葉の壁。
検量を待っている時に眼に入ってしまう自分より強く見えてしまう外国人選手。
IPF が契約していて大会に駆け付けた MC のジーロさんにきっと面白いから、と教えてあげた
「イツモドオリ」という言葉。
国内の試合会場でさえよく聴くのは既に「いつもどおり」ではないのですよ。
特のクラッシクの選手は人の手助けが必要なギアの選手に比べて、お一人で練習されているケ
ースが多いようです。
むしろ煩わしいものから解放されるスタイルを好む方が多いからかも。
しかし試合に出て見て吃驚仰天。
今までひとりで何でも出来ていたとしても試合では何もかもが違います。
例えば慣れてないまだ触った事もないシャフトだったり。
言い知れぬ緊張感から「いつもどおり」で無い事に動揺したり。
ついにはテンパっちゃってセコンドの言う事も全く耳に入らない。
強い選手、良い選手は一旦信頼すると決めたセコンドの言う事をよく聞ける選手です。
つまりは「客観性」をいつも大事にしなくては練習で強くても試合では弱い選手。
そもそも「いつもどおり」のわけがないのが国際試合なのです。
今回はほとんど全てが狙い通りに運んだ武田選手でさえもその道程は昨年暮れのアジア&オセ
アニアクラッシックでの自身に去来した口惜しさと小職と交わした約束からそこに繋がってま
す。
まるで当たり前のように世界チャンピオンになった古屋選手も約束どおりに正確な試技を繰り
返しその栄冠を勝ち取りました。
また、辻選手や松永選手のようにご自身の肉体ばかりか駆け引きという頭脳も駆使し、薄氷を
踏む思いで世界チャンピオンを勝ち取った選手もいます。
しかし、それさえも何かの歯車がほんのちょっとでも欠けたならば…
ひょっとしたら「「向こう側」にいたのかも知れません。
寺原選手は同重量の体重差という本当に残念な結果に。
それも充分に勝てる試合だったから。
しかしこれが試合であり結果が全てなのです。
寺原選手の本当に偉かったのは「また頑張ります」の一言だけで言い訳を一切せず、きっと本
当は泣きたかったり叫びたかった思いを断ち切ろうと毅然と立ち振る舞っていたところ。
それでも別れ際に「楽しかった」と言って貰い、こっちの目頭が少し熱くなりました。
また強くなりますね。きっと。
日本選手のほとんど全てが記録的はこんなもんじゃないかと思いますが国際大会は記録より断
然「順位」が最優先です。
おかげさまで今回は参加した選手皆さんの頑張りで全ての選手が失格なしで試合を完走して終
えられました。
わざわざ遠く離れた国まで大切な生活のお金も大切な人生の時間も犠牲にしてやっとこさ来た
のに失格ぶっこいちゃったら「絶望」しかないですよね。
実は、最初から危なそうな(失格しそうな)選手も大抵わかります。
なかなか親から貰った性格は簡単には直せませんが努力のし甲斐はありますよ。
事実、小職は以前は試合の前の晩など全く眠る事も出来ないような青っちょろい輩でした。
パワーリフティングの試合を重ねるうちに滅多には慌てないよう落ち着いて振る舞えるように
なれました。
そんな小職のパワーリフティングに於ける唯一の自慢は大した成績でない一方で失格が一度も
無い、事なのです。
「こんなもんじゃない!」と思えるうちはまだ続けられるのかも知れません。
最後にこの遠征の最中に執り行われた「公益社団法人
日本パワーリフティング協会」の総会
に於いて小職は正式に理事に就任する事が承認されました。
職務は主に今回のような国際大会を推進する国際委員会と委員長を務めさせて頂く広報委員会
の管掌理事として、その中で日本を代表する選手を戴くアスリート委員会の設立と推進、それ
から規約作りに着手するフェアプレイ委員会と…
つまりは「何でも屋」です。
若輩者ですが一層寄与して参ります。
皆さまにおかれましては、これを機会にそして今まで以上にどうぞお気軽に声を掛けて頂けれ
ば幸いです。
2015世界クラッシックパワーリフティング選手権大会
日本選手団
篠田研次特命全権大使と山口団長
団長
山口真人
アップ会場にはこの大会の為に新品のエレイコが用意されていた
試合会場は2つのプラットホーム
大和撫子、花盛り!
最重量級に登場した Uepa 選手。メルボルンでの顔馴染みからかにこやかに
人類で初めて1000kg の壁を越えた超人 Ray Williams 選手
世界大会で全てのレフリーがアジアからという歴史的な場面も
日本選手団と行動を共にしたフィリピンのレスリー選手と世界のシェー君とアジア会議を開催
最終日にヘルシンキ観光。大きな岩を繰り抜いた教会はとても興味深かった
ヘルシンキ大聖堂とボク