海の研究(Oc e anogr aphyi nJapan),22 (3),85- 9 6,201 3 ― 2012年度日本海洋学会賞受賞記念論文 ― 亜寒帯北太平洋における動物プランクトンを中心とした 低次生態系の動態に関する研究* 津田 敦† 要 旨 亜寒帯太平洋は,従来,生産力の高い海洋と認識されてきたが,親潮域など縁辺を除け ば,常に植物プランクトン量が低く,栄養塩が余っている HNLC(Hi ghNi t r at eLow Chl or ophyl l )海域である。この HNLC海域形成要因が,微量栄養素である鉄不足によ る植物プランクトン生産律速であることを,亜寒帯太平洋で行なった SEEDSなどの鉄散 布実験で証明した。一方,この鉄仮説の実証により,かつて提唱されたカイアシ類摂餌圧 による HNLC海域形成機構が否定されたと考えられたが,西部亜寒帯太平洋における 2度目の鉄散布実験 SEEDSI Iの結果から,動物プランクトン量の多い年には摂餌によっ てもブルームが抑制され得ることを明らかにした。これらカイアシ類の生活史を親潮域を 中心として詳細に研究した結果,遺伝的差異をもった個体群の存在,地域ごとに異なる季 節性や鉛直分布が明らかとなった。また,これらカイアシ類が,深層で観測される沈降粒 子束に匹敵する量の有機炭素を鉛直移動によって運んでいることを明らかにした。さらに, 近縁種の亜熱帯における生活史の研究から, 亜熱帯の貧栄養海域への適応が亜寒帯の HNLC海域への適応放散を促したこと,環境の季節性が顕著な高緯度域に特徴的と考え られていた成長に伴う鉛直移動が,亜熱帯の大型カイアシ類においても普通に見られるこ と等を発見した。一連の研究により,カイアシ類生物学,生態学の知見を更新するととも に,食物網動態や生物地球化学循環においてカイアシ類が極めて重要な役割を果たしてい ることを明らかにした。 キーワード:亜寒帯太平洋,動物プランクトン,生活史,低次生物生産,鉄散布実験 1. はじめに *2012年 9月 13日受領;2012年 12月 26日受理 著作権:日本海洋学会,2013 †東京大学大気海洋研究所 〒277-8564 千葉県柏市柏の葉 5-1-5 TEL:04-7136-6172 FAX:04-7136-6172 i . ut okyo. ac . j p e mai l :t s uda@aor 北海道大学で学部学生であった頃,北洋(縁辺海を含 む亜寒帯太平洋)は生産性の高い海であると繰り返し聞 いてきた。現在でもある意味では,この理解は間違って いない。スケトウダラやサケ類の高い生産性を支えてお り,サンマなどの魚類,ハシボソミズナギドリなどの海 8 6 津田 敦 鳥類,鯨類などは夏季に北への季節的回遊を行う。一方 よる亜寒帯定点 KNOT時系列観測,環境研究所による で,亜寒帯太平洋は植物プランクトンが増えない海域と コンテナ船による二酸化炭素分圧連続観測,さらには,北 しても古くから知られており,春季に大規模なブルーミ 海道大学による親潮域観測などがあり,かなりの研究資 ング(大増殖)を繰り返す亜寒帯大西洋と比較されてき 源が投入された(Sai noe tal . ,2 00 2)。これに加えて,武 た。亜寒帯太平洋で春季に植物プランクトンが増殖しな 田重信が立ち上げ,多くの研究者が参加した,亜寒帯太 い理由は,季節的鉛直移動を行う動物プランクトンが春 平洋における鉄散布実験(SEEDS,SERI ES,SEEDSI I ) 季に光条件が良くなって増え始める植物プランクトンを によって亜寒帯太平洋,特に西部海域の理解は飛躍的に 食いつぶしてしまうためである,というのが教科書に載っ 高まった。このうち私は Aライン観測と鉄散布実験に ている仮説であった(Par s onsandLal l i ,1988 )。今か 参加することができ,リアルタイムで北太平洋の科学の ら思えば,教科書には植物プランクトンの増えない海域 進歩を体験することができた。 と書いてあるにもかかわらず,日本近海の親潮域やベー リング海陸棚域に春季の珪藻ブルームが顕著に見られる ため,あたかも北太平洋全体の生産性が高いように混乱 していたのかもしれない。 2. Aライン観測 A ライン観測とは厚岸沖に設けられた親潮に直行す 19 8 0年代に Char l e sMi l l e r博士(以下敬称略)を代 る観測線であり,物理観測が 19 8 8年,生物化学観測は 表とする亜寒帯生態系・物質循環に関する大型研究 1 99 0年から開始され,現在でも年間 5航海が維持され (SUPER:SUbar c t i cPac i f i cEc os ys t e m Re s e ar c h)が ている。私が北海道区水産研究所に赴任した 1 9 9 6年は, あり,カナダの気象観測点(St nPapa;50N,1 45 W)に 観測開始から 6年が経過しており,おおよその観測線上 おける集中観測などから,季節的移動をおこなう動物プ の水塊構造や季節変化が明らかとなっていた (Kono ランクトンの摂餌は植物プランクトンの増殖を抑え込む andKawas aki ,19 97 )。データの公開に向け,レビュウ tal . ,1999 ;Ts uda には不十分で (Dagg,1993;Boyde 8) ,ウェッブ上でのデー 論文を準備し(Sai t oe tal . ,199 andSugi s aki ,1994),より早い速度で増殖する繊毛虫 タ公開に踏み切った。公開したことによって,A ライ などの微小動物プランクトンによる捕食圧が植物プラン ン観測データは NEMUROをはじめとする生態系モデ クトンの生物量を一定にしているのではないかとの説が ルの構築と改良に役立ったうえに(Yamanakae tal . , 提 案 さ れ た (Mi l l e r e t al . , 1991; St r om and 20 0 4;Ki s hie tal . ,2 00 7),バックグランドの分かったプ We l s c hme ye r ,1991)。SUPERとは別に,JohnMar t i n ラットホームとして多くの研究者に利用されるように or ophyl l ) 海域を は, HNLC(Hi ghNi t r at eLow Chl なった。 形成する要因は微量栄養素である鉄の不足であるとの仮 親潮域はすでに知られていたように,春季ブルーミン 説を提唱した(Mar t i nandFi t z wat e r ,1988)。SUPER グのある海域である。典型的な HNLC海域であるアラ グループと鉄グループの論争はしばらく続いたが,鉄散 nPapaと比べると,水温,栄養塩, スカ湾中央部の St 布実験などの結果を受け,現在では,鉄が植物プランク 植物プランクトン密度,動物プランクトン密度とも季節 トンの成長を律速する主要な要因であると認識されてい 変動が大きい(Sai t oe tal . ,20 02 )。しかしよく見ると, る。さらに,鉄が律速するのは大型の珪藻の成長であり, -1 を超える年 春季ブルーミングも年によっては 3 0μgl 小型植物プランクトンの生物量は微小動物プランクトン -1 に満たない年もある。さらに,ブルー もあれば 5 μgl による摂餌によっても抑えられているとする Ec ume ni - ミングの終期をみると硝酸塩が枯渇する前にクロロフィ c alI r onHypot he s i sとして拡張されている (Cul l e n, ル aが低下し,摂餌または鉄律速を示唆することがか 19 9 5 )。 なり初期の解析からも指摘されていた (Sai t oe tal . , このような時代背景の中で,日本においても北海道区 水産研究所による Aライン観測,JGOFSの Nor t hPac i f i cTas kTe am を母体とした野尻幸弘,才野敏郎らに 2 00 2)。 このようなプラットホームを手中にして,私は主要動 物プランクトンの生活史を明らかにすることを当初の目 亜寒帯太平洋の低次生態系 8 7 Fi g.1 . Ont oge ne t i c al l ymi gr at i ngc ope podsi nt hes ubar c t i cPac i f i c (a:Ne o c al anusc r i s t at us ,TL:8 -10mm, b:N.pl umc hr us ,TL4-6mm,c :N.f l e mi nge r i ,TL:4-6mm,d:Euc al anusbungi i ,TL:5 -9mm) .TL:Tot al l e ngt h.Phot obyRyuj iMac hi da (a. b)andKe i i c hi r oI de (c ). 標とした。亜寒帯太平洋の動物プランクトンは,比較的 N.f l e mi nge r i大型個体と小型個体が出現するが,それ 単純な種構成で,分布量が大きく,個体も大型種が中心 らの季節性が若干異なり,大型個体は成体になるまでに で あ る (Mac kasand Ts uda,1999, Fi g.1)。 特 に 2年を要することが示された(Ts udae tal . ,1 99 9 )。広 Ne o c al anus属カイアシ類 3種と Euc al anusbungi iが い海域をカバーした試料の分析により,大型個体がオホー 優占する。これら 4種の寿命は 1年または 2年であり, ツク海を起源とする個体群であり,小型個体は亜寒帯循 夏季から冬季にかけて 200m 以深で休眠し,冬季から 環を起源とする個体群であることが推測され(Ts udae t 初夏にかけて表層で成長をする季節的鉛直移動種である al . ,20 01a),その後の解析で,2個体群の間には種ベル (Mi l l e re tal . , 1984)。深層へ移動する発育段階が種によ よりは小さいものの遺伝的差異があることが判明してい り決まっているため,この鉛直移動は,成長に伴う鉛直 る(Mac hi daandTs uda,20 10)。E.bungi iも季節的鉛 移動と言い換えることもできる。Ne oc al anus属には N. 直移動を行う種であるが, 深層で産卵を行う ,N.c r i s t at us ,N.f l e mi nge r iの 3種が亜寒 pl umc hr us Ne oc al anus属カイアシ類とは異なり表層で摂餌を行い 帯太平洋に生息しており,このうち N.f l e mi nge r iは, ながら産卵する。 休眠する成長段階も複数で, N.pl umc hr usに酷似しており,1988年に記載された種 Ne oc al anus属カイアシ類とは異なった生態学的特徴を である(Mi l l e r ,1988) 。本来は,この記載をうけ,もっ 持ったカイアシ類である。E.bungi iの生活史も,ほぼ と早期に研究を進めなくてはならなかったのだが, アラスカ湾と同様との結果を得たが,大きく異なるのは 1 0年近くこれら重要種の西部太平洋における生活史は 再生産(産卵)の季節性であり,親潮域の方が 2か月程 手が付けられていなかった。1996年夏から 2年間の採 表層への移動と産卵が早く,海域の基礎生産の季節性に 集を行い,その結果を解析した結果,基本的にはアラス 影響されていることが示唆された(Ts udae tal . ,2 0 0 4 ) 。 カ湾で行われた先行研究で得られた結果とほぼ同様の結 これら 4種の生活史を整理すると,基礎生産の季節性に 果となった(Ts udae tal . ,1999 ;2004)。産卵は 3種と 対する同期と,不安定(予測困難)な季節性に対しての 00m 以深でコペポダイト幼生が表層に出現する も2 平滑化や両賭け(be t he dgi ng)としてとらえることが のは N.c r i s t at usが最も早く 1月, N.f l e mi nge r iが できる。種によって同期や両掛けの方法が異なったり, 3月,N.pl umc hr usが 5月である。成体または亜成体 その配分が異なることが示唆される(Tabl e1 ) 。 となって深層に沈む時期は, N.f l e mi nge r iが 5月, Ne o c al anus属や E.bungi iは,表層で摂餌を行い深 N.pl umc hr usと N.c r i s t at usが 7月から 8月である。 層(季節的混合層より下層)へ移動し,そこで呼吸した アラスカ湾と比べると顕著な違いはないが,N.f l e mi nge r i り捕食されたりするため,表層から深層へ有機物を運ぶ と N.pl umc hr usの出現時期の重なりが,アラスカ湾で 役割を持っている。大西洋での先行研究は日周鉛直移動 は大きく,親潮域ではほとんどない。また,親潮域には を行う生物を対象に見積もりが行われ,有機物の鉛直フ 88 津田 敦 Tabl e1 . Summar y ofl i f ec yc l es t r at e gi e sofont oge ne t i cmi gr at i ng c ope pods(Ne o c al anuspl umc hr us , mi nge r iandEuc al anusbungi i )i naf l uc t uat i nge nvi r onme ntoft hes ubar c t i cPac i f i c N.c r i s t at us ,N.f l e Sync hr oni z at i on Be t he dgi ng N.Pl umc hr us Qui e s c e nc ei nnaupl i ars t age1 N.Cr i s t at us N.Fl e mi nge r i E.Bungi i ? I nt e gr at i onofe nvi r onme nt al Var i at i ons Re pr oduc t i onbys t or age1 Spawni ng& r e c r ui t me nt2 Ye arr ound r e pr oduc t i on (mi norpr opot i on)2 Hi ghbat c hf e c undi t y& s hor t s pawni ngpe r i od1 Re pr oduc t i onbys t or age ,Sl ow Ear l yf al ls pawne r& bi e nni all i f e s omat i cgr owt hwi t hl i pi d 1 c yc l e s t or age& bi e nni all i f ec yc l e1,3 Eggpr oduc t i onr e s pondi ng t ol oc alpr i mar ypr oduc t i on2 Mul t i pl edi apaus es t age s2 Re pr oduc t i onbys t or age2 Mul t i pl edi apaus es t age s2 1Ts udae tal . , (1999) 2Ts udae tal . , (2004) 3Ts udae tal . , (2001b) ラックスへの寄与は小さいとされてきた (Longhur s t れていなかった。しかし,炭素フラックスを考える場合, andWi l l i ams ,1992)。しかし,亜寒帯太平洋は鉛直移 糞粒を落としたり,自らが沈んだりすることの効果は, 動をおこなうカイアシ類の生物量が大きいため,かなり 非常に大きい。また,一次生産と比べるのではなく,沈 のフラックスが期待された。同時期に Ne oc al anus属の 降粒子束と比較するというのも,JGOFS (Joi ntGl obal 研究を行っていた(Kobar iandI ke da,1999;2 0 01 a;b) Oc e anFl uxSt udy)で得られた感覚である。 小針統と共同で見積もりを行った結果,親潮域において 北海道区水産研究所は 2 001年より,オホーツク海に y ,E.bungi iが も観測ラインを設け,年数回の観測を実施した。オホー は Ne oc al anus属 3種で約 5gCm -2 運ぶ量を含めると 7gC m -2 -1 y となった(Kobar ie t -1 ツク海はロシアの排他的経済水域の観測が困難なため, al . ,20 0 3;Har r i s one tal . ,2004)。これらカイアシ類の 研究の制約が大きいが,北半球最南端の海氷域であるこ 季節的鉛直移動によるフラックスは,通常のフラックス となど,非常に特徴のある縁辺海である。植物プランク 測定に使用されるセディメントトラップでは採集されず トンの動態などは Kas aie tal . (20 10 )などにまとめら (下降移動するカイアシ類はほとんどセディメントトラッ れているが,動物プランクトン生活史に関しても調査を プでは採集されない),なおかつ,亜寒帯太平洋で測定 行った。基本的には,親潮域と同様の動物プランクトン されている水深 100 0m を通過するフラックス(Honda が優占し,季節的消長を観察できたが,いくつかの点で e tal . ,2 00 2 )とほぼ同等の値であった。すなわち,海 主要動物プランクトンの生活史において差があった。第 洋の炭素循環,特に炭素の鉛直フラックスに関して,成 一 に , 親 潮 域 に 比 べ て Ne o c al anus属 3種 お よ び 長に伴う鉛直移動を行うカイアシ類が大きな役割を担っ E.bungi iの表層での滞留時間が長く,出現時期の重な ており,それらは今までの観測や見積もりでは見過ごさ りが大きいこと,第二に,それを補うような形で 4種が れてきたことが指摘できた。この研究の着想には,当時, 鉛直的な棲み分けを行っていることである(Fi g.2 )。 JGOFSに関する研究集会に参加し, 炭素フラックス これら現象の主な要因は 2-4月に海氷域が発達し,解 (単位時間に系外に輸送される炭素量)に関する発表や 氷後に植物プランクトンの増殖が起こるため,漂泳生態 議論を多く経験したことが寄与している。JGOFS時 系の生産が季節的に後にずれ込んだために起こった現象 代よりも前の研究では,プランクトンネットで採集され と考えられる。オホーツク海観測線と親潮観測線は直線 る動物プランクトン(メソ動物プランクトン)は,せい 距離で 100km も離れていないが,大きく異なった特色 ぜい一次生産の 15%を消費する生物としてしか認識さ を持った海域である。日本海も含めて,非常に距離的に 亜寒帯太平洋の低次生態系 8 9 Fi g.2. Sc he mat i ci l l us t r at i onsofve r t i c alands e as onalut i l i z at i onofhabi t at sofont oge ne t i c al l ymi gr at i ng c ope pods (Ne oc al anusc r i s t at us ,N.pl umc hr us ,N.f l e mi nge r iandEuc al s nusbungi i )i nt heOyas hi or e gi on (uppe r )andt hes out hwe s t e r nSe aofOkhot s k(l owe r ).Theve r t i c aldi s t r i but i onoft hec ope podsi nt he Oyas hi or e gi onwe r es ummar i z e df r om Kobar ie tal . , (1 999 ,2 00 1a;b)andShode ne tal . , (2 0 05). 近いところに異なった特色を持った亜寒帯太平洋の縁辺 を試みた。私は,動物プランクトン担当としてこのプロ 海を持つ我が国の特徴を,今後の研究に生かしていくべ ジェクトに加わることができた。そもそも,HNLC海 きであろう。 域で鉄が不足しているかどうかを確かめるためなら,瓶 に詰めた海水に鉄を加えれば済むことである。しかし, 3. SEEDS,SERI ES,SEEDSI I 人間活動が作り出した二酸化炭素を海洋に吸収させる技 術としての海洋鉄散布を考えた場合は,固定された炭素 HNLC海域の鉄欠乏仮説を実証するための海洋鉄散 が深層に移動するかどうか,すなわち沈降フラックスを 布実験が,赤道湧昇域で行われ論文として発表されたの 測らねばならず,これにはボトル培養は不向きである。 は 19 9 4年である(Mar t i ne tal . ,19 94)。当時,電力中 また,動物プランクトンの行動変化や,日周鉛直移動を 央研究所に在籍した武田重信は,HNLC海域の一つで する動物プランクトンによる植物プランクトンの除去過 ある北太平洋でも,鉄仮説を確かめるため,米国とは異 程なども重要であるが,ボトル培養では研究できない。 なったアプローチを模索していた。それは,メソコスム そこで,鉄散布実験やメソコズム実験が必要になってく という大型バック実験である(Ni s hi okae tal . ,200 1)。 る。武田は 1 9 96年には沿岸における実験を行い,翌年 武田はメソコズム実験で実績のあるカナダ I OS (I ns t i - からは外洋での実験を開始した。しかし,バック実験に t ut eofOc e anSc i e nc e )の研究者らと,外洋バック実験 は,バック自体の強度や採集における足枷が大きく,チー 9 0 津田 敦 Fi g.3 . Dayandni ghtve r t i c aldi s t r i but i onsofEuc al anusbungi i5 t hc ope podi t e ,i ns i deandout s i deoft he i r one nr i c he dpat c hdur i ngt hel at e rhal fofSERI ESi nt heGul fofAl as ka.Hor i z ont als ol i dbar si ndi c at e +1S. D. (modi f i e df r om Ts udae tal . ,2006 ) ムとしては,米国グループが行ったような鉄散布実験へ すなわち,天然でもダストの降下や渦などで,局所的な と向かった。 植物プランクトンの増殖は起こっているはずであるが, 鉄散布実験には船舶と研究費の確保が必要であったが, これらの現象を現場観測で捉え,対象区と比較すること 当時,水産研究所にいた私が,この二つを担当すること は難しい。鉄散布実験はまさに,植物プランクトンの増 になった。論文も主著で書かせて頂いたが,どう考えて 殖に対する動物プランクトンの応答観測をする機会を提 も,一連の鉄散布実験の PIは武田である。運よく,研 供した。 究費と船舶を確保して,太平洋での初めての鉄散布実験 植物プランクトン(餌)の増加に従って,摂餌速度や SEEDSは 20 0 1夏に行うことができた。今から思うと, 行動を変えることを機能的応答(f unc t i onalr e s pons e ) 綱渡りであったが,実験は成功し,2nM の鉄添加で, と呼び,産卵速度が増加することなどによって個体数を 珪藻 Chae t oc e r osde bi l i sが大増殖した(Ts udae tal . , 変化させることを数量的応答(nume r i c alr e s pons e )と 20 03 ;2 0 0 5a)。 そ の 後 , カ ナ ダ I OSと の 共 同 研 究 で 称する(Hol l i ng,196 5)。鉄散布実験では両方の応答が SERI ES(Subar c t i c Ec os ys t e m Re s pons et oI r on 期待できるが,最も観察したかったのは,飼育実験では c hme ntSt udy) を 2 002年, 米国グループと共同 Enr i 見ることができない,鉛直移動などの行動の変化である。 で SEEDSI Iを 2004に行うことができた。結果の詳細 この変化を顕著に観察できたのは,2回目のアラスカ湾 は, それぞれの特集号を参照願いたい (Take daand で行った SERI ES(Subar c t i cEc os ys t e m Re s pons et o Ts uda,20 05 ;Har r i s on,2006 ;Ue mat s ue tal . ,20 0 9)。 I r onEnr i c hme ntSt udy)においてであった。カイアシ 鉄散布実験の中で動物プランクトンに関する研究も重要 類 Euc al anusbungi iは , 通 常 , 亜 表 層 ( 水 深 2 0- である。摂餌や排泄などの炭素フラックスに関する部分 5 0m) に分布しているが, 鉄散布によって表層に植 や日周鉛直移動の寄与などがプロジェクトの中で重要で 物プランクトンの高密度層が形成されると,表層に移 あるが,それとは別の視点で捉えると,鉄散布実験は, 動 す る 様 子 が 観 察 さ れ (Fi g.3), 顕 著 で は な い が 意図的に植物プランクトンの生産を上げ,ブルームを作 N.c r i s t at us ,Me t r i di apac i f i c aにも同様の行動変化が り出す外洋では初の操作実験として捉えることができる。 見られた(Ts udae tal . ,20 06)。表層水塊は亜表層とは 亜寒帯太平洋の低次生態系 9 1 異なった移動速度を持つと考えられるので,高濃度植物 かけて飛躍的に進歩したように思う。理解の深化は現在 プランクトン水塊が,移動することによって,動物プラ でも進行しており,アムール川流域圏としての西部北太 ンクトンを集めていくプロセスの一つと考えることもで 平洋の理解(たとえば Ni s hi okae tal . ,20 07 )や東西比 きる。また別の見方をすれば,鉛直的な数十メートルの 較の国際プロジェクト(I ke dae tal . ,20 10),中長期変 動物による移動が水平的なもっと大きなスケールの分布 動(たとえば Onoe tal . ,2 001 )などはその例である。 の偏り(パッチネス)を形成する一つの要因を解明した それに比べると亜熱帯に関する理解が十分ではないと感 と云える。また,最も植物プランクトン密度が高くなっ じていた。だた,動物プランクトン研究者から見ると亜 た実験(SEEDS)では,大型カイアシ類の初期コペポ 熱帯は,生物量が小さく,種数が多く,小型生物が優占 ダイト幼生の現存量が鉄散布域で高くなった。この要因 するため,優占種から研究していくといった亜寒帯での は,大型珪藻が増えたため,粒子食者によるノープリウ 手法や考え方では,なかなか手が出し難い海域である。 ス幼生や卵に対する捕食圧が低減し,結果としてカイア そこで正攻法ではないが, 亜熱帯に分布域をもつ シ類生残率が高くなったためと考えられた(Ts udae t Ne oc al anus属カイアシ類から手を付けることにした。 al . ,20 0 5 b)。いずれの場合も,植食性動物プランクトン 折しも大気海洋間相互作用を研究の中心課題とした特定 現存量を比較的短時間で変えるプロセスとしての重要性 t e r nPac i f i cAi r Se ai nt e r ac 領域研究 WPASS(We s が指摘されよう。さらに,植物プランクトン密度があま t i onSt udy,研究代表:植松光夫)に参加することがで り増えなかったことで特徴づけられる実験(SEEDSI I ) き,台風や黄砂といったイベントが亜熱帯生態系にどの では, 増えなかった要因として大型カイアシ類 ような影響を与えているかを研究する機会を得たので, Ne o c al anuspl umc hr usによる摂餌圧があげられる。こ このような大気起源シグナルを捉える海洋表層指標とし のカイアシ類は,北太平洋において最も優占するカイア て Ne oc al anus属カイアシ類などの大型カイアシ類を選 シ類であるが,SEEDSI Iの開始時には SEEDSの時に 定した。この亜熱帯での研究は,PDとして研究室に参 比べ 3倍の生物量が存在し,約一か月の実験期間に生物 加した下出信二に託して行った。 量で 20倍以上に成長し,植物プランクトンを食べ尽く Ne oc al anus属カイアシ類としては 6種が知られてお したと見積もられた(Ts udae tal . ,2007;2009;Sai t oe t り,南大洋に 1種,亜寒帯太平洋に 3種,熱帯・亜熱帯 ,2 00 9)。 諸言でも述べたように, 亜寒帯太平洋で al . に N.gr ac i l i sおよび N.r o bus t i orの 2種が生息してい HNLC状態が維持される主な要因は鉄の不足が最重要 る(Mac hi dae tal . ,2 006 )。北西太平洋亜熱帯海域から 視されている。しかし,Tadokor oe tal . (2 00 5)が指 は,N.gr ac i l i sが主に出現し,その生活史をほぼ追う 摘するように,大型動物プランクトン現存量は 10倍以 i l i sは, ことができた(Shi modee tal . ,2 009 )。N.gr ac 上の年変動を示し,このレンジの中には SEEDSI Iで観 ほぼ生活史の全期間を 2 0 0m 以浅の表層で過ごし季節 察された生物量が入る。多分,SEEDSI Iで鉄散布する 性も示さない。これは我々が常識的に考える亜熱帯性カ タイミングが 2週間早かったら,植食者生物量が低く, イアシ類の生活史であるが,細かく検討すると,いくつ SEEDSで観察されたような大規模な珪藻ブルームが起 か特徴的な点が明らかとなった。成体は比較的深くに分 きたと考えられる。北太平洋の植物プランクトン動態に 布し産卵は比較的深いところで起こっていると推測され 与える,鉄,光(表層混合層深度),動物プランクトン る(津田 のバランスは,我々が想像する以上に微妙なのかもしれ 後期幼生よりも若干深くに分布し,小さなスケールでは ない。 あるが成長に伴う鉛直移動をしている。初期コペポダイ 未発表)。また,初期コペポダイト幼生は, ト幼生(I期)には,頭胸部に油球が観察され,これは 4. 亜寒帯から亜熱帯へ 亜寒帯太平洋の海洋学や生態系の理解は,大型研究計 画がいくつか実施されたため 1990年代から 20 00年代に ノープリスス幼生期の成長が卵由来の蓄積栄養に依存し ていることを示唆している。亜寒帯の Ne oc al anusでは N.c r i s t at usのみに見られる特徴である (Sai t oand Ts uda,200 0 )。これら生活史の特徴は,恒常的に餌濃 92 津田 敦 度が低い亜熱帯で大型カイアシ類が生存していくための 近年,分子生物学的手法が飛躍的に進歩し,種を分けた 戦略と考えられるが,これらの生活史の特徴が HNLC り機能を推測したりといったことが,比較的短時間のト 海域である亜寒帯太平洋に Ne oc al anus属カイアシ類が レーニングでできるようになりつつある。種を同定する 進出できた理由ではないかと推察される。さらに亜熱帯 ことが苦痛であった私のような研究者にとっては良い時 性 Ne o c al anusが祖先型と考えれば,N.c r i s t at usが分 代となった。プランクトンを研究するメリットの一つは 化し,そこから N.pl umc hr us ,N.f l e mi nge r iが派生し 群集を簡単に採集できることである。しかし,このメリッ たと考えられる。 トを生かした研究は意外に少ない。分子生物学的手法は, さらに, 下出は, 優占する大型カイアシ類として 圧倒的な処理能力のおかげで群集を扱いながら,物理・ Euc al anus科カイアシ類を対象とした研究を進め,移行 化学パラメータとほぼ同じ処理速度でデータを得られる 域から亜熱帯に分布する E.c al i f or ni c us ,Rhi nc al anus 可能性がある。今後は,これらの手法を軸に,太平洋や us ,R.r os t i f r osは,個体群の多くが中深層で休眠 nus t 全球を視野に入れた研究展開を図っていきたい。 しており,春季に亜熱帯縁辺域で表層で再生産を行って いることを明らにした(Shi modee tal . ,2012a;b)。す なわち,亜寒帯域等とは対照的に季節性の希薄な亜熱帯 6. おわりに に生息するカイアシ類でも,成長に伴う鉛直移動は広く このたびは栄誉ある日本海洋学賞をいただき,大変光 認められる現象であると示唆された。これらの結果は, 栄に思っております。3 0年前に,この道を志したとき 亜熱帯生態系というものを考える場合に重要な示唆を与 は,まさか,学会賞をいただけるとは微塵も思っていま える。すなわち,亜熱帯は季節変動が小さく生産性の低 せんでした。北海道大学でプランクトンの世界へ導いて い海洋と考えられてきたが,大型カイアシ類の生活史か いただいた箕田嵩,河村章人,志賀直信各先生,大学院 ら見ると,高い生産力の時期が来るのを休眠して待って で指導をいただいた東京大学海洋研究所の根本敬久,寺 いる生物がおり,これら生物の生物量は小さくない。こ 崎誠,西田周平,古谷研各先生は,生意気で我儘な一学 れらのことから,私は,亜熱帯海域においても高次栄養 生を,研究者として育てていただきました。根本先生が 段階につながる生産が,時間空間的に不均一な高い生産 ご存命なら,どのような評価を下されたんだろうと,い (たとえば地形的効果や季節性を持った縁辺域)に支え ろいろな転機で思いました。今回評価された研究成果の られているという新しい仮説を提唱する。 大部分は,北海道区水産研究所に在籍した時のものです。 また,水産研究所に移る直前に,1 0か月渡米し,Mi ke 5. それから Dagg,Char l e sMi l l e rの研究室に滞在し,多くの議論 を重ねたことも,水産研究所で研究が進展した要因かも 亜熱帯生態系の研究は,当然まだ十分ではない。研究 しれません。水産研究所では,自由な研究風土を愛する のある程度進んだ亜寒帯も,まだまだやらねばならない 柏井誠を上司とし,何事にも向上心を持って接する齊藤 ことがある。動物プランクトンに限っても,初期生活史 宏明,忍耐強く仕事を続ける葛西広海を同僚とし,短期 や,多くの研究者が挑戦してきた休眠・脱休眠のトリガー 間でしたが,田所和明,小針統らと過ごした時間も忘れ や生理的メカニズム,長期変動の要因や魚類資源長期変 られません。また,研究所では政也聖恵,久能博美,千 動に対する動物プランクトンの役割などは,大きなテー 葉恵子らのサポートスタッフに恵まれました。人に使わ マである。また,なぜ亜寒帯性 Ne oc al anus属カイアシ れるのも人を使うのも苦手ですので彼女たちは苦労され 類は大西洋に生息せず太平洋にのみ生息するのか,ハプ たと思いますが,Aライン観測も SEEDSも彼女たちな ト藻がなぜ北太平洋でブルームを形成しないのか,など しでは動かなかったと思います。さらに,研究所では北 はいつかチャレンジしてみたい問題である。 光丸,探海丸,開洋丸乗組員および事務職員らと同じ目 さらに,亜寒帯像がある程度整理され,亜熱帯のイメー 的に向かって一緒に働くという喜びを経験させていただ ジが固まると,太平洋や全球といった興味も湧いてくる。 きました。SEEDSをはじめとする鉄散布実験は本稿で 亜寒帯太平洋の低次生態系 も述べたように,科学的,精神的支えは武田重信です。 しかし,実験が成功したのは,西岡純,齊藤宏明,野尻 幸弘,津旨大輔,吉村毅,工藤勲,鈴木光次,今井圭理 ら参加した多くの研究者の尽力のたまものです。 私を育ててくれたのは,半分は船だと思っています。 特に学生時代から数多く乗船し貴重な経験をさせていた だいた,白鳳丸,淡青丸の歴代船長および乗組員の方々 には深く感謝します。最後に,常に海洋研究をリードし, 適切な助言をいただき,研究者としての羅針盤であった, 才野敏郎,植松光夫に感謝します。 9 3 Kobar i ,T.andT.I ke da (1999):Ve r t i c aldi s t r i but i on,popul at i ons t r uc t ur eandl i f ec yc l eofNe oc al anusc r i s t at us (Cr us t ac e a:Cope poda) i nt heOyas hi or e gi on,wi t hnot e soni t sr e gi onalvar i at i ons .Mar . 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Ke ywor ds :Subar c t i cPac i f i c ,z oopl ankt on,l i f ehi s t or y, pr oduc t i onofl owe rt r ophi cl e ve l ,i r onf e r t i l i z at i one xpe r i me nt (Cor r e s pondi ngaut hor ・ se mai laddr e s s :t s uda@aor i . ut okyo. ac . j p) (Re c e i ve d1 3Se pt e mbe r201 2;ac c e pt e d26De c e mbe r201 2) (Copyr i ghtbyt heOc e anogr aphi cSoc i e t yofJapan,20 13 ) † At mos phe r eandOc e anRe s e ar c hI ns t i t ut e ,Uni ve r s i t yofTokyo 5-1-5Kas hi wanoha,Kas hi wa,Chi ba,277-8564Japan
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