口喧嘩で済む世界を夢見て

口喧嘩で済む世界を夢見て
東京大学工学部電子情報工学科 助教授 峯松信明
大学院情報理工学系研究科電子情報学専攻
きな臭い世の中である。この星はいつの時代でも,どこかで戦争が起きている。私は長崎の爆心
地横の小学校を卒業した。「地面掘ってごらん。骨が出てくるよ。昔,君らの先輩沢山焼いたんだ。
」
と言われた。インターネットが国境を,ビデオチャットが相手との空間的距離を無にした。しかし,
「君たちは隣国の方々と対話できるかい?口喧嘩できるかい?」いくら技術が進歩しても,人と人
とに立ちはだかる壁はなくならない。そう言葉の壁だ。私は高校時代,英語教師になることを夢見
ていた。世界中の人と対話したい,対話できる人間を育てたい,そう思っていた。が,結局エンジ
ニアへの道を志した。しかし英語の夢は捨て切れない。大学時代,私はクラブ活動で英語劇の舞台
の上にいた。観客はアメリカ人。どうしたら彼らに通じるのか,彼らの心に響く演技ができるのか,
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音声研究者となって 15 年が経った。音声分析・認識・合成,更には音声知覚や認知科学など,
人文系の研究にも手を染めてきた。その間,世の中はきな臭さを増す一方である。日本人として生
まれ,爆心地で育ち,祈念式典で作文を読み,英語教師を夢見,音声工学に目覚め,そして今があ
る。人生の折り返し地点を間近に控え,一人考えることがある。「私に何ができるのだろうか,い
や,何をすべきなのだろうか,,,,培ってきた技術を使って,世界中の子供たちの英語の先生にな
れないものだろうか。手を挙げなくて済む世界,口喧嘩で済む世界って作れないんだろうか。
」
今,音声情報処理の技術を集結することで,言語学と呼ばれる学問のコアを物理学として捉え直
す試みを行なっている。「何のため?」それは,発音カルテを作るためである。君たち一人一人,
みんな違った英語の発音をしている。その癖ゆえに伝えたい内容が相手に通じないこともある。だ
からその癖をきちんと記録し,どのような学習で,その癖はどのように変化したのかを記録する。
通じる発音にするために,その癖のどこから矯正すればよいのか診断を下す。そう,発音クリニッ
クを作ろうとしている。でも音声の音響現象をそのまま記録したら,そこには「性別」「年齢」「個
人性」など,要らない情報が沢山混入する。ノイジーなカルテしかできない。これでは駄目だ。
ここからが私の研究戦略である。私の声の物理から「私であること」を消したい,音声物理から
非言語的な情報を消したい,言語情報しか見えない音声の物理表象が欲しい。その為には何が必要
か?行き着いたのは,言語学を物理学として捉え直すパラダイムの創成である。分かるかな?今,
音声の言語的側面だけに着眼して,学習者発音を物理的に記述する方法を作り上げた。半世紀前の
言語学の議論(構造音韻論)を,情報理論を使って数学・物理の上に実装した。認知科学の知識を
導入して,癖のどこを矯正するのが最も効果的なのか,を求める方法を構築した。地球上の 20 億
人の学習者に対して,20 億通りの最適な教示生成が可能となりつつある。近い将来,こんな会話が
聞かれるだろう。「あなたの発音と言語的にそっくりな英語が,8 年前,アマゾン川のほとりに一
人いましたね。ただ,この人その後頑張って,もっとましな発音になってますけどね。ははは。
」
音声研究者,峯松信明が行なっている研究の一端を紹介した。「理科系離れ」が囁かれている。
確かに数式と睨めっこするのは辛いかもしれない。でもその数式が語る物理現象がストンと頭に落
ち,その数式が描く素晴らしい世界が目前に広がる快感を想像してほしい。それが見えた時に,君
たちは自らの夢を,自らの力だけで実現できる人間へと進化したんだ,と私は考えるけどね。
最後に。私が自らの人生の幕を閉じる時,少しはきな臭さが減っていて欲しいものだ,,。君たち
からの連絡を待っている。http://www.gavo.t.u-tokyo.ac.jp &[email protected]まで。