札幌芸術の森のアート達 「札幌芸術の森」へは、市の中心地から車で南に向かって、石山陸橋を渡り国道453号線 を30分ほど走ると辿り着きます。距離にして20数キロほどでしょうか? 原始の森の入り口の門壁に、「札幌芸術の森」と大きく刻まれています。車は右折して、森 を正面にすると、早くもシンボル彫刻が目に飛び込んで来ました。 ステンレスの長い管を使い、空中に向けて伸びやかな曲線を描くアートが見えます。 最初のシンボル彫刻「空と地の軌跡」です。 左脇を抜けて、右手の池を見ると、3つのオブジェが水に浮かんで、風にまかせてくるくる 廻っているのが見えます。2番目のシンボル彫刻「浮かぶ彫刻・札幌」です。 坂道を上って芸術の森センターにやってきました。野外美術館前の広場の中央に、真っ直ぐ に空中に伸びるアートがあります。3番目のシンボル彫刻「昇」です。 さて札幌芸術の森の野外美術館には、74点もの彫刻が展示されていると言います。これか ら暫しの時間、ひとつ一つの彫刻とゆっくりと戯れていくことにします。 1 空と地の軌跡(ステンレス)伊藤隆道作 「北国の空と大地の間を、終わりのない輝く一本の曲線が行き来する。作品を見ながら 歩くと、まるで動いているかのように表情を変える」(野外美術館「ガイドパンフレッ ト」から引用) 浮かぶ彫刻・札幌(ポリエステル)マルタ・パン作(ハンガリー・フランス) 「3つの浮かぶ彫刻は、風や水の流れを受けて刻々と向きと位置を変え、静と動の微妙 な変化が、やすらぎを与える」(野外美術館「ガイドパンフレット」から引用) 2 昇(アルミニウム)ライモ・ウトゥリアイネン作(フィンランド) 「積み重ねられたアルミの板がつくり出すリズミカルな構成。数学と建築学の知識に裏 打ちされ、北欧の光にも似た透明感のある空間を生む」(野外美術館「ガイドパンフレ ット」から引用) 芸術の森の中央に「芸術の森センター」があります。センター入り口には、記念グッズなど を取り揃えたショップがあり、アートロビーには「駱駝の夢」が置かれていました。二階は レストランで、センター正面の右手が、野外美術館への出入り口です。 駱駝の夢 新井東史雄作(1989 年) 3 札幌芸術の森の彫刻群 1 野外美術館シンボルレリーフ / 向井良吉 / アルミニウム/(1986) 2 ウィグ / 清水九兵衛 / アルミ合金/(1986) 3 雲の牧場 / 新宮晋 / ステンレス、帆布/(1990) 4 ふたり / 朝倉響子 / ブロンズ/(1983) 5 そりのあるかたち / 澄川喜一 / 御影石、ステンレス/(1986) 6 隠された庭への道 / ダニ・カラヴァン / 陽光、風、水、雪、石、草、樹木、金箔、 真鍮、白コンクリート、音響装置、ソーラーシステム/(1992・99) 7 人物 1000 / ホルスト・アンテス / 鉄/(1987) 8 池の反映 / ナイジェル・ホール / ブロンズ/(1990) 9 目の城'90 / 新妻實 / 御影石/(1990) 10 ダイナモ / 下田治 / コールテン鋼/(1990) 11 ポートランディア / レイモンド・カスキー / アメリカ/(1986) 12 走向世界 / 田金鐸(ティエン・ジンズウ) / ブロンズ/(1986) 13 関係項 / 李禹煥(リ・ウファン) / 鉄、石/(1988) 14 人物 / ハンス・シュタインブレンナー / 木(カシ)/(1980) 15 ミロク '89-I / 秋山沙走武 / ブロンズ/(1989) 16 波の重なり / 中江紀洋 / 御影石/(1990) 17 月下 / 中井延也 / 安山岩/(1990) 18 鳥になった日 / 山本一也 / 御影石/(1990) 19 石翔ぶ / 小清水漸 / 石、鉄、銅/ (1990) 20 ウレシクテ アノヨトコノヨヲ イキキスル / 最上壽之 / ステンレス/(1990) 21 椅子になって休もう / 福田繁雄 / ポリエステル/(1990) 22 シャフト II / アントニー・ゴームリー / 鉄、空気/(1990) 23 彩霞燈 / 一色邦彦 / ブロンズ/(1982) 24 若きカフカス人の追幻想譜 / 鈴木実 / ブロンズ/(1990) 25 ユカタンの女 / 細川宗英 / ブロンズ/(1989) 26 SAPPORO '90 / 速水史朗 / 御影石/(1990) 27 間 / 安田侃 / 大理石/(1986) 28 ひと No.16-I / 高橋清 / 御影石/(1990) 29 夏引 / 下川昭宣 / 御影石/(1990) 30 交叉する赤錆の壁 / 保田春彦 / コールテン鋼/(1986) 31 うつろひ / 宮脇愛子 / ステンレス/(1986) 32 四つの風 / 砂澤ビッキ / 赤エゾ松/(1986) 33 こだま / 山本正道 / ブロンズ/(1986) 34 挑発しあう形 / 土谷武 / 石、コールテン鋼/(1986) 35 北の柱頭 / 板津邦夫 / 木/(1986) 36 コタンクルカムイの詩 / 米坂ヒデノリ / ブロンズ、木他/(1986) 4 37 風と舞う日 / 峯田敏郎 / ブロンズ/(1986) 38 北の大地の詩 / 鈴木徹 / ブロンズ/(1986) 39 二人の空 / 峯田義郎 / ブロンズ/(1986) 40 花まい / 雨宮敬子 / ブロンズ/(1986) 41 抜海の漢 / 吉田芳夫 / ブロンズ/(1978) 42 大地からの閃光 / 飯田善國 / ステンレス/(1986) 43 日暮れ時の街 No.9 / 國松明日香 / コールテン鋼/(1986) 44 蜃気楼 / 鈴木徹 / 御影石/(1985) 45 道標-けものを背負う男 / 本田明二 / ブロンズ/(1986) 46 風の中の道化 / 坂担道 / ブロンズ/(1985) 47 北斗まんだら / 環境造形 Q / 御影石、安山岩、赤エゾ松/(1986) 48 石縁 / 水井康雄 / 大理石/(1986) 49 位相 / 多田美波 / ステンレス/(1986) 50 道 / 空充秋 / 御影石/(1986) 51 方円の啓示 / 小田襄 / ステンレス/(1986) 52 オーガン No.10 / 建畠覚造 / ブロンズ/(1986) 53 マイ・スカイ・ホール 85-7 / 井上武吉 / コールテン鋼/(1985) 54 開拓の祈り / 木村賢太郎 / 安山岩/(1985) 55 異・空間 / 内田晴之 / ステンレス、マグネット他/(1986) 56 道標・鴉 / 柳原義達 / ブロンズ/(1967,1978) 57 1・9・8・5 知性沈下 / 湯原和夫 / ステンレス/(1985-86) 58 のどちんことはなのあな / 堀内正和 / ブロンズ/(1965) 59 ベエが行く / 掛井五郎 / ブロンズ/(1984) 60 幼いキリン・堅い土 / 淀井敏夫 / ブロンズ/(1985) 61 1・1・√2 / 田中薫 / アルミ合金他/(1986) 62 鶏を抱く女 / 本郷新 / ブロンズ/(1962) 63 女・夏 / 佐藤忠良 / ブロンズ/(1986) 64 浮游 / 山内壮夫 / ブロンズ/(1952) 65 はやぶさ / 山内壮夫 / ブロンズ/(1957) 66 少年の像 / 佐藤忠良 / ブロンズ/(1981) 67 冬の像 / 佐藤忠良 / ブロンズ/(1985) 68 足なげる女 / 佐藤忠良 / ブロンズ/(1958) 69 顔 / 佐藤忠良 / ブロンズ/(1966) 70 腰に手をあてて立つ男 / グスタフ・ヴィーゲラン / ブロンズ/(1926・33) 71 男と女 / グスタフ・ヴィーゲラン / ブロンズ/(1908) 72 トライアングル / グスタフ・ヴィーゲラン / ブロンズ/(1939・40) 73 木の枝をすべりぬける少女 / グスタフ・ヴィーゲラン / ブロンズ/(1907) 74 母と子 / グスタフ・ヴィーゲラン / ブロンズ/(1926・33) 5 1」野外美術館シンボルレリーフ(アルミニウム)向井良吉作 「野外美術館の入口壁面を軽やかに彩る銀色の枝は、実物の枝から直接型取りしてつく られた。金属的な荒々しさと植物の繊細さをあわせもつ」(野外美術館「ガイドパンフ レット」から引用) 野外美術館に入る前に、芸術の森センター前の広場を一周しました。円形に並べられた石畳 が夏の陽に照り映えて輝いています。 広場の中央に建てられたシンボル彫刻「昇」(前掲)を、遠巻きにしながら360度の角度 から何度も眺めてみます。 それから徐々に森の方角に目を移すと、石造りの壁面に2本の銀色の枝に支えられるように して刻まれた「札幌芸術の森野外美術館」の文字が見えます。 見上げると、いくつか、野外美術館のアート達が映ります。。それぞれが思い思いの表情で、 人々が訪れるのを、今か今かと待ちかねているようです。 6 2」ウィグ(アルミ合金)清水九兵衛作 「内から盛り上がったような曲面が左右にゆったりと広がる。日本の伝統的な朱と、鈍 いアルミニウムの光沢との調和とがあいまって、温かみと緊張感を感じさせる」 (野外美 術館「ガイドパンフレット」から引用) 北国の夏は爽やかといっても、時に昼間の気温は30度を超えます。この日も真夏の太陽が 輝きを増してきて暑い!券売所を通り抜けて、涼を呼び込む清流が流れる脇の石段を登ると、 右手に朱色の造形物が見えます。 野外美術館に入り、誰もが最初に目にするアートです。どっしりとして左右がぐいっと跳ね 上がり、朱色が朝陽に映え周囲の緑とのコントラストが鮮やか。 「ウィグ」とは、かつらのこと。かつらは容貌を整えるだけではなく、威厳を示すためにも 用いられてきたといいます。 朱色は古来、高貴な色、幸運を招く色、魔よけの色として尊ばれてきました。そんなこ とを思っているうち、朱色のかつらが、何やら気高い冠や勇壮な兜にも見えてくるから 不思議です。はたまた「ウィグ」は、森を護り森を訪れた人々に幸運を招く守護神なの かもしれません。 7 3」雲の牧場(ステンレス・帆布)新宮 晋 作 「五つの帆は風に吹かれて舞い踊る。目に見えない自然からのメッセージを伝えるよう に」(野外美術館「ガイドパンフレット」から引用) 朱色の「ウィグ」から小高い丘に目をやると、純白の「帆」5体が踊っていました。燃える 緑の丘に佇む赤と白の造形。自然と見事に調和しています。 5つの「帆」は丘の一箇所に群れる。だからどれも同じ方向から同じ風力を受けている筈。 それなのに5体それぞれ廻るスピードが違います。くるくる軽やかに廻る「帆」もあれば、 ゆっくりと廻る「帆」もある。 風が渦巻いているのでしょうか?どうやら自然は5つの「帆」に、それぞれ違うメッセージ を送っているらしい。 そして「帆」は、そのメッセージに応えるかのように廻りながら形を変える。ちょうど風に 流される雲のように。だからここは「雲の牧場」なのです。 見上げると遙か彼方に本物の雲が見えます。この雲がちぎれ落ちて「帆」になったようです。 8 4」ふたり(ブロンズ)朝倉 響子 作 「よく似た二人の女性がゆったりと腰をおろしている。洗練された女性美が漂う。台座 のない作品は、見る人と親密な関係を生む」(野外美術館「ガイドパンフレット」から 引用) 長いベンチに二人の女性が座っていました。一人は「芸術の森センター」の方を向き、もう 一人は反対の森の方を見つめています。姉妹なのか友達なのか、良く似た二人です。 しかし微妙に表情も姿勢も仕草も違います。共にしきりに物思いに耽っているようですが、 巡らす思いも違うようです。 訪れる人たちは二人の間や脇に腰掛けて、 二人に話しかけるように、手や髪に触れ たり、腕や肩を組んだりするそうです。 なるほど親なら「何を考えているの?」 と聞いてみたくもなってきます。同世代 の女性なら尚更のことでしょう。森を背 にして眺めると二人の間に、次のアート 「そりのあるかたち」が見えています。 9 5」そりのあるかたち(御影石・ステンレス)澄川 喜一 作 「植物の発芽、あるいは弓のように、解き放たれんばかりのエネルギーを秘めた『そり』 の形。富士山の稜線や日本刀の形など日本の伝統的な美的感性にも通じる『そり』によ って、緊張感のある空間を見せる」(野外美術館「ガイドパンフレット」から引用) がっしりした御影石を台座に、そり返ったステンレス板が輝いています。「北国だから、雪 の上を滑る『そり』をモチーフにした作品?」と思うのは早計でした。そりはそりでもこれ は「反り」。曲線美に宿る張りと緊張と「反り」に溜め込まれたエネルギーが伝わってきま す。元東京藝術大学学長で彫刻家の澄川喜一氏のこの作品。同じネーミングの作品が日本の あちこちにあります。宇部市青少年会館前の「そりのあるかたち」は 1979 年作。掲載した 札幌芸術の森野外美術館の「そりのかたち」は 1986 年作。「そりのあるかたち’90」、 「そりのあるかたち 97-2」と続きます。澄川喜一氏の「そりのかたち」シリーズの造形の 原点は、岩国工業学校時代に出会った「錦帯橋」のアーチにあったようです。 やがて「反り」の色々な意味合いが見えてきます。「反りがあわない」や「乗るか反るか」 等。作品にはそんな思いも込められているのでしょうか?そして今年最高の「反り」は?と 思い、あの冬季トリノオリンピック・フィギュアスケートで、プッチーニのトーランドット の曲に乗って華麗に舞う荒川静香さんの「イナバウアー」の演技が脳裏に浮かびました。 ところで彫刻の左後方の、白樺の「反り」もなかなかなものですね。ここにも自然の造形美 がありました。 10 6」隠された庭への道 (陽光・風・水・雪・石・草・樹木・金箔・真鍮・白コンクリート・音響装置・ソーラーシ ステム)ダニ・カラヴァン 作(イスラエル) 「7つの造形物を巡り歩き、森のなかへの小さな庭へと至る作品。その途中のさまざま な出会いや体験のなかで、時の流れや、いままであまり気にとめていなかった太陽の光、 風、水、雪、鳥のさえずりなどの自然の語りかけにあらためて気づくことでしょう。感 覚を研ぎ澄まして、この地ならではの自然との対話をお楽しみください。自然のなかに、 あるいはそれぞれの心のなかに、隠されていた何かをみつけることができるかもしれま せん」(野外美術館「ガイドパンフレット」から引用) ①「門―1」 「入口となる高さ7メートルの門。内側に貼られた金箔が神聖な光を発し、これからは じまる日常とはちがう世界を予感させる」(野外美術館「ガイドパンフレット」から引 用) 両脇が森の木々に囲まれたなだらかな丘陵の幅広い道に、目映いほどにも青い芝生の絨毯が 敷き詰められていました。靴を履いたまま足を踏み入れて良いものかどうかと躊躇するほど 綺麗です。芝生の前に立つと、沢山のオブジェが見えます。ここは300メートル先にある 「隠された庭」へのスタート地点。先ずは入口にあたる「門―1」(写真上)をくぐり抜け て、2つの丘の前(次ページ写真)に立ちました。 11 ②「丘」 「2つ並んだ直径7メートルの草のドーム。平らな芝生を見慣れた視線を刺激し、私た ちが立つ地面の存在を意識させる」(野外美術館「ガイドパンフレット」から引用) 丘に近づくと、思わずのぼってみたくなります。しかしガイドパンフレットには小さな字で 「危険ですのでのぼらないで下さい」と記されています。 2つの丘の間を通り抜けると、日時計の広場に着きました。3番目の造形物(次ページ写真) です。 広場の脇の遊歩道沿いの白樺林のなかに、 白い立方体のベンチが置かれていました。 木陰に並べられた12個の1つに、腰掛け てここでちょっと一休み。 ベンチと白樺の白さが“涼”を呼んでくれ ます。 ところでこれらも7つの造形物のうちの1つなのだろうと思っていたらそうではなく、これ は美術館が置いたもので、ダニ・カラヴァンの作品には入らないということです。 12 ③「日時計の広場」 「高さ7メートルの柱の影の向きが時を知らせる。太陽が真南に来たときに柱の隙間か ら差す太陽が地面の真鍮プレートを照らす。それは国内共通に定められた12時ではな く、太陽の動きから見たこの地の本当の正午。影の長さは日々変化し、季節の経過を感 じさせる」(野外美術館「ガイドパンフレット」から引用) 「日時計の広場」脇の白樺林に置かれたベンチに座って、ここまでに辿った3つの造形物を 眺めました。日時計の向こうに「2つの丘」が並び、その向こうに「門―1」が見えます。 13 さて次は「7つの泉」(下の写真)です。パンフレットには次のように記されています。 ④「7つの泉」: 「幅・奥行き 1.4 メートルの四角い噴水が一列に 7 個並ぶ。吹き上がる水の数や止まる タイミングに注目」(野外美術館「ガイドパンフレット」から引用) 7つの泉をひとつ一つよく見ていると、どの噴水も一斉に水を吹き上げているのではありま せん。 水柱が1本の噴水もあれば、2本の水柱もある。中には休んでいる噴水もあります。 一番手前の噴水はお休み。2番目には1本、3番目には2本の噴水が見えます。 7つの泉が交互に噴き出したり止まったり。 どうやら1週間の7つの曜日と深い関係がありそうです。 14 ⑤「円錐」 「高さ7メートル、直径も7メートルの円錐。森の中から集めた音がリアルタイムで響 く。床中央に札幌の『眠れる雪』。この地の特徴として、カラヴァンは冬に訪れたとき の風景が強く印象に残っているという」(野外美術館「ガイドパンフレット」から引用) 次は第5の造形物「円錐」です。前掲の「7つの泉」の先に見えていました。その名に違わ ず、均整のとれた美しい円錐形(下の写真)です。 ドームには、大人の背丈には及ばないほどの 低く小さな入口があります。背を屈めて中に 入りました。床面中央がまん丸に(右の写真) に象られています。透明のガラス越しに、外 から差し込む光を反射してキラキラ輝く白い 物体が見えます。札幌の「眠れる雪」です。 7年もの歳月をかけて完成した「隠された庭への道」の全作品。季節を変えて幾度もこの地 を訪れたダニ・カラヴァンが最も興味を持ったのは、冬に地上を瞬く間に銀世界に変えてし まう「雪」だったようです。 15 ⑥「水路」 「幅7メートル、全長約70メートルにわたって蛇行する溝を水が勢いよく流れている。 水の流れは、イスラエルで生まれ育ったカラヴァンにとって、命の象徴」(野外美術館 「ガイドパンフレット」から引用) 「円錐」を背にすると、丘を這うようにしてうねうねと螺旋状に連なる造形物が見えます。 第6の造形物「水路」です。雨水でしょうか?夏になった今でも雪解け水が流れているので しょうか?地中から滾々と湧き出たかのような清冽な水が、サラサラと流れています。 上の写真は「道」の下から写し、右の写真は 登り詰めた上から写しました。 上の写真には、最後7番目の造形物「門―2」が 見えます。 ここまで辿り着くと道幅がすっかり狭くなって先細り、両脇の森が迫ってきて行き止まりの ように思えます。さて本命の「隠された庭」は何処?ここを越えた森の奥深くに、それこそ 本当に隠されているのでしょうか?「隠された」とまで言うからには、見つけるまでに少し 手間がかかるのかも知れません。 16 ⑦「問―2」 「『門―1』と同じ門。造形物から自然を感じる部分の終わりを告げるとともに、自分 の感性のみで自然と対話する部分への入口」(野外美術館「ガイドパンフレット」から 引用) 「水路」にそって見上げると、最初の「門」とそっくりな「門」が立っています。7番目の 造形物「門―2」です。門は「門―1」と寸分違わぬ大きさです。最初と最後の「門」は対 になっていたのです。 ただ違うのは、「門―1」は芝生の上、 「門―2」は水の上に立っていたこと。 透き通った水をなみなみ湛え、鏡のよう に森の木々を映しています。 門の後ろに廻って今来た道を振り返ると、 門柱の間から「円錐」が見えます。 さて森の方に目を移しても、どこにも「隠された庭」らしきものは見あたりません。しかし 森の木陰に人影がちらつき話し声も聞こえてきます。そっちの方向にあるらしい。 細い人道を見つけました。ここを上ると「隠された庭」に行けそうです。昼なお暗い森の中、 一人ではたじろぎそうでも、ここまできたら前進あるのみ。 17 「隠された庭」 「森の茂みのなかの直径7メートルの円形の庭に、方位に合わせて8個のベンチが置か れている。自然との対話や自己の内面への問いかけが生まれる瞑想の空間」 小道は森の少し広い道につながり、前方でふた手に分かれています。道なりに行くと行き止 まり。脇道に入り雑木が覆い被さった小道を少し進むとありました。遂に「隠された庭」に 到着。ここまで300メートル。庭の真ん中のほおの木を囲みベンチが8つ置かれています。 さて「隠された庭への道」に並ぶすべての造形物を見終えました。ところでどの造形物も数 字の「7」に深く関係しているようです。2つの「門」、「日時計」、「円錐」の高さはい ずれも7メートルです。「丘」と「円錐」と「水路」の幅も、「庭」の直径も7メートル。 「7つの泉」は7個とも 0.7 の倍の 1.4 メートル四方。「水路」は全長 70 メートル。「門」 や「日時計」の柱の幅は、70 の半分の 35 センチ。野外美術館「ガイドパンフレット」に は、次のように記されています。 「それぞれの寸法や数などに『7』という数字や、その半分の 3.5 や倍の 14 という数字 がいたるところに使われています。神は6日で世界をつくり、7日目に休息をとったと 聖書にあり、イスラエルでは耕作地を7年ごとに休ませる習慣があります。また、7は 一週間の日数であり、虹の色数でもあります。人間は古くから「7」と深く関わって生 活してきました。カラヴァンは、数は人間のさまざまな体験のなかから生まれたもので あり、生命のリズムであり、環境や宇宙に通じるその場との関係であると語っています」 今の気持ちは?と聞かれれば、「すっかりラッキーセブンに浸りきっています」とでも答え ましょうか!? 18 7」「人物1000」(鉄)ホルスト・アンテス 作(ドイツ) 「自然と人間、過去と未来、生と死をひとつのものと考えるインディアンの部族がある。 そこに伝わる影響を受けたの作品は、原始と現在、未来をも結ぶ姿を表す」(野外美術 館「ガイドパンフレット」から引用) 「隠された庭」のベンチに腰掛けて一休み。今度は「庭への道」の7つのアート達を右手に 見ながら遊歩道を引き返しました。 左に折れると、茶褐色の造形物が突っ立っているのが目に入ります。形は人物ですが、厚い 板のようです。素材感をそのまま残した鉄板製。 この人物像の前に立つと、その大きさに圧倒されます。高さ 2m20cm、幅 90cm、厚さ 70cmで、しかも頭が大きい。 なるほど!「頭足人」で知られるホルスト・アンテスの作品です。ホルスト・アンテスは、 絵画・彫刻など多才な美術家ですが、アボリジニや南北アメリカ先住民のプリミティブ・ア ートの収集家でもある。 この作品も、アメリカ・インディアンの一族「ホピ」が信仰する「カチーナ人形」の影響を 受けているといいます。 19 8」「池の反映」(ブロンズ)ナイジェル・ホール作(イギリス) 「良く見ると同じような形が二つずつ組み合わされている。水に映った世界のように身 近にありながらも現実とは別の世界との関わりを求めている」(野外美術館「ガイドパ ンフレット」から引用) 「人物1000」のすぐ先に、楕円形と直線とを組み合わせたような造形物がみえます。 左右対称なのか、非対称なのか、均整が取れていないようでも、不思議とバランスがとれて いるように感じさせるアートです。 近づいてみると、「池の反映」と表示されています。作者のナイジェル・ホールは、「見る ことはできても、触ることのできないものが創り出す世界を表そうとした」といいます。 その日の陽射しや時間の経過に連れて、水面に揺らめくように、地面に映る影は刻々と変わ る。 造形が実像ならば、影は虚像でしょうか?この作品は、木漏れ日が揺らす影と合わせて鑑賞 しなければならないようです。 20 9」「目の城‘90」 (御影石)新妻 實 作 「どっしりとした4個の石の目が空に浮かぶ。細かく刻まれた線は、光の状態でさまざ まに表情を変える。塊と線によって、秩序と統一が生まれる」(野外美術館「ガイドパ ンフレット」から引用) 細長い広場の一角には4つの造形物が並んでいました。これまで見てきた「人物1000」 と「池の反映」、「目の城’90」と背後に少しだけ姿を覗かせている「ダイナモ」がそれ。 さて「目の城‘90」は、高さ2~3メートルのアートが殆どの中で、6メートル20セン チもあってひときわ目立ちます。方形の真ん中が、丸くくり抜かれた巨大な石が、背骨のよ うに頑丈な芯を通して、4つ積み上げられています。広場に入って遠目に見た時には、それ ほどにも感じなかったのに、近づいて見上げるとその巨大さに圧倒されます。彫刻の大きさ には制約がないようですが、こんなにも大きな彫刻はこの森にしか似合わない。 くり抜かれた穴は目でした。四六時中、森の番人のように目を光らせているのでしょうか? それにしても重量が知りたくなります。 「目の城‘90」自体の重さは判明しなかったのですが、碧南市役所前に立っている作者の 「目の城」シリーズ第4作の「目の城‘86」は3段重ねで、高さ6メートル重さ40トン もあるそうです。推して知るべしです。 21 10」「ダイナモ」(コールテン鋼)下田 治 作 「直線と平面が鋭角的に複雑に構成されている。火花が飛び散るかのような強いエネル ギーを感じさせる」(野外美術館「ガイドパンフレット」から引用) 固い鋼鉄板が、縦横斜めに組み合わされた作品です。ダイナモは通常、発電機を意味します が、活動的・躍動的・精力的などの意味合いがあります。 作品はそんな噴き出さんばかりのエネルギーを表そうとしたようです。素材はコールテン鋼 で、普通の鋼材と比べると錆が少ないといいます。 はじめは錆びても、酸化が進むに連れてやがて表面にきめ細かな皮膜が出来て、それ以上は 錆びなくなるのだそうです。ダイナモは第二期1990年に設置された作品。16年を経過 した今、もうこれ以上錆は進まないようです。 しかしこの鮮やかな紫は錆そのものの色なのでしょうか?周囲の緑を目映いばかりに引き立 てます。 紫の色合いからは、造形の力強さや激しさを和らげるかのように、その名の通り、あの布地 のコールテンのなめらかなビロード感が伝わってくるのです。 22 11」「ポートランディア」(ブロンズ)レイモンド・カスキー作(アメリカ) 「札幌市の姉妹都市ポートランド(アメリカ)の市民から、木造のパビリオンとともに 贈られた。市章に描かれている女神を彫刻にした作品。ポートランド市役所には高さ1 1メートルの同じ像が設置されている」(野外美術館「ガイドパンフレット」から引用) アメリカオレゴン州のポートランド市と札幌市は、ポートランド市北緯 45 度、札幌市北緯 43 度でほぼ同緯度。気候風土も似ていて、共に百数十年と歴史はあたらしく、碁盤の目の ような整然とした街並みもそっくりという。姉妹都市の提携が 1959 年(昭和 34 年)。こ の像は 1989 年、提携30周年を記念してポートランド市の市民から贈られたのだそうです。 少し離れて、パビリオン全体を眺めてから中へ入りました。「ポートランディア」は強さと 優しさを併せ持つ海の女神。「貿易」と「友好」によってポートランド市が繁栄することを 願う市民のシンボル像です。左手で魚を突く「やす」を持ち上げる姿が力強い。裏腹に跪い て差し出した右手は優しさの表現なのでしょう。傍に近づくと握手を求めれれているように 感じ、思わず右手を伸ばして握手をしてしまいました。 右手の指がテカテカです。誰彼とはなく差し出された手に 誘われて握り返しているのでしょう。握手したまま見上げ ると像と目が合います。その目からはやはり強さと優しさ が伝わってきます。 23 12」「走向世界」(ブロンズ)田 金鐸 作(中国) 「札幌市の友好都市瀋陽市(中国)から贈られた作品。ダイナミックな躍動感とた くましい精神力が単純化された形から強く感じられる」(野外美術館「ガイドパン フレット」から引用) 贈り主の瀋陽市は、中国東北地方の遼寧省の省都で人口約 720 万人(2004 年)。東北地方 最大の重工業都市で、政治、経済、文化、交通の中心地です。北緯 41 度 48 分で、札幌と ほぼ同緯度です。1980 年(昭和 55 年)に友好提携が成立し、1990 年に提携 10 周年を 記念して寄贈されました。 「どこからきて何処へ行くの?」と声をかけてみたくなりますが、一心にひた走る姿を目の 前にすると、そんなタイミングを逃してしまいそうです。 ダイナミックで躍動感溢れる走りにつられて、思わず同じポーズをとってしまいそうにもな ります。この森を巡っていると、アート達と肩を組んだり握手をしたり、一緒に駆けてみた りと、すっかり打ち解けあって、ついつい時が経つのも忘れて遊んでしまうのです。 この女子競歩選手像は、1985 年に国際オリンピック委員会賞を受賞。1987 年にスイス・ ローザンヌの同委員会本部に設置されたものと同じだそうです。 24 13」「関係項」(鉄・石)李 禹煥 作 「鉄板は鉄板として、石は石として、素材固有の性質をもつ。それらが組み合わされ、 構成された時、素材は作品として新たな世界を生み出す」(野外美術館「ガイドパンフ レット」から引用) すっかり茶色に錆び付いてしまった鉄板の前に、大きな石ころが無造作に転がっています。 鉄板の組み合わせの部分だけに人の手が加わっていて、石ころは何処かから勝手に転がって きたのでは?と錯覚します。この石には、全く何の造作も施していないようです。 石はどう見ても自然のまま。しかしよくよく全体を眺めると、この大きな石もこのアートの 重要な位置を占めているようです。 素材そのものをそのまま生かしてアートに組み立てています。左手の鉄板の空白部分も人が 切り取ったというよりは、風雪に耐えかねて欠け落ちてしまったかに見えます。 この作品は、人が創ったアートではなく、図らずも自然に、森が生んだアートのようです。 25 14」「人物」(木〈カシ〉)ハンス・シュタインブレンナー 作(ドイツ) 「人間が直立する姿を極限まで単純化した作品。人間の精神の本質に迫るために、余分 なものを取り去っていく行為を重視している」(野外美術館「ガイドパンフレット」か ら引用) 鉄板と石の素材感をそのまま生かした造形物「関係項」の少し先には、やはり素材の素朴な 感じを残した木のアートがありました。 表面が荒削りのままの直方体の長い棒が、三段重ねになっています。まだ制作途中で、これ からツルツルに仕上げるのでは?とさえ思えて来ます。 いいえこれで立派に完成しているのです。この像は、極限まで単純化した人間の姿なのだと いう。上部に窪みがみえます。 目でしょうか?三段のパーツは下から順に、足、胴、頭のようです。 もしそうだとしたらこの人物は、足が短く、胴が細く、頭が大きい。丈夫な足でしっかりと 大地を踏みしめ、身体はスリムに、多いに頭を使って知性を磨けということでしょうか? そろそろ誕生日健診の時期。今年もまた少々肥満度が気になります。 26 15」「ミロク89-1」(ブロンズ)秋山 沙走武 作 「静かに腕を組み瞑想するかのような女性像に、未来の理想郷に思いをはせる弥勒の姿 を重ねている」(野外美術館「ガイドパンフレット」から引用) 弥勒について広辞苑には、 「釈迦牟尼仏についで仏になると約束された菩薩。兜率天に住し、 釈尊入滅後 56 億 7 千万年の後この世に下生して、竜華三会の説法によって釈尊の救いに洩 れた衆生をことごとく済度するという未来仏。慈氏菩薩。弥勒菩薩。弥勒仏。」と記されて います。 弥勒とは慈悲の意味で、再びこの世に如来となって表れて衆生を救う「未来仏」なのだとい う。 NO20「走向世界」の女性像が“動”なら、この女性像は“静”。「何を見つめて、何を 考えてるの?」と聞いて見たくもなります。だが脚を交差させて腕を組み、じっと森の中の 一点を見つめて沈黙。 この世に再来するという「ミロク」。相も変わらず紛争が絶えず、テロの脅威には曝され、 犯罪が増え続けて、地球温暖化や環境問題等々、人心治まるところを知らず世相騒然とした 今を憂え、民衆を救わんとばかりに、そろそろこの世に現れるタイミングを窺っているので しょうか? 27 16」「波の重なり」(御影石)中江 紀洋 作 「時代のうねりのなかの人間の生活を、波に託して語る。単純化された波の形が量感を ともなって訴えかけてくる」(野外美術館「ガイドパンフレット」から引用) 「はて何を見つめているのかな?」と女性像「ミロク」の目を追うと、その先に三段に積み 上げられた重量感溢れる大きな石の造形がありました。これが「波の重なり」。作家は釧路 生まれで制作拠点は今でも釧路。なるほど!これは北の海のあの轟々と鳴るうねりなのです。 「うねりの中に人生をみたのだな」などと思ううちに、孔子の有名な言葉、「我10有5に して学に志し30にして立つ 40にして惑わず50にして天命を知る 60にして耳に順 う 70にして心の欲するところに従いて矩をこえず」が浮かびました。 3つのうねりを人生のステージとみれば、下の段が30才まで、中の段が60才まで、上の 段がそれより後ということでしょうか?還暦を過ぎて数年しか経っていない私にはそのよう に思え、石の表面のギザギザは、これまでのあゆみをこと細かく刻んだ跡のように見えるの です。 そして今、三段目の人生を迎えたばかり。そうです。まだまだこれから先の我が人生にも、 こんなに大きく重たい石を積み重ねることができるのですね。 28 17」「月下」(安山岩)中井 延也 作 「不思議な生き物が月明かりの下で静かにたたずむ幻想的な世界」(野外美術館「ガイ ドパンフレット」から引用) 怪しげな生き物のペアがいました。雪だるまが溶けかかったような体に大きく窪んだ目。森 の妖精なのか妖怪なのか?どちらも得体が知れないけれども、妖精はかわいらしいイメージ で、妖怪となると怖~いお化けといった感じ。 この分類からすると二体はどうやら妖精の部類。美術館の学芸員の説明によると、二体はつ がいのフクロウなのだそうです。手前に横たわっているのが奥さんで、うしろで見守ってい るのが旦那さんでしょうか?。奥さんは身ごもっているのかも知れませんね。 彫像のタイトルは「月下」。月明かりの下、辺り一帯森閑とした中、何とも言えない幻想的 な光景が瞼に映しだされます。何気なく“ゲゲゲの鬼太郎”や“おばけのQ太郎”を思い浮 かべました。つがいは彼らの親かな?親戚かな? 夜ともなればメルヘンの世界に一変。妖精も妖怪もみんな次々と集まってきて“森の木陰で ドンじゃらホイ”となるのかな?などと、何時とは知らず童心に返っている自分に気づいて 可笑しくなります。 29 18」「鳥になった日」(御影石)山本 一也 作 「粘土を手の中で握ってきた形をヒントにつくられた。生命感あふれる柔らかな形は 木々のなかにとけ込んでいる」(野外美術館「ガイドパンフレット」から引用) 二体の丸太のような石が絡まるようにして立っています。タイトルは「鳥になった日」。 鳥になりたいという人間の思いをモチーフにしているのでしょうか?羽なのか?脚なのか? 鳥の姿形とは似ても似つかぬようでも、鳥になりたいという人の強い気持ちが伝わってくる ようです。 大昔から人類は「鳥のように自由に大空を飛びまわりたい」との夢を抱いていた。夢を実現 したのがライト兄弟。1903 年 12 月、人類初の動力飛行に成功。アメリカノースカロライ ナ州キティーホークの砂浜での出来事でした。 それから100年経つうちに、人は誰でも鳥になることが出来るようになりました。今では パラグライダーやスカイダイビングなど空のスポーツも盛んです。 彫像は「いざ飛びたたん!」という姿を表しているのでしょうか?こんなにも晴れた日には 大空に舞い上がり、芸術の森の景色を存分に眺めて見たくもなってきます。 30 19」「石翔ぶ」(石・鉄・銅)小清水 漸 作 「石が翼を大きく広げている。空に憧れつづけた人類が数世紀前に考えたような翼の形。 未完成であるために、空への思いがさらにつのる」(野外美術館「ガイドパンフレット」 から引用) 「大空を飛びとびまわりたい」と夢みた「鳥になった日」から次の彫像に目を移すと、何と 両翼をつけ、いざ大空に飛びたたんとするばかりの石の像がありました。タイトルはズバリ 「石翔ぶ」。 とてもこんなに重そうな石が空を飛ぶはずがない。でも人類は諦めない。羽をつけてこうし ていれば、この石にもやがて大空に飛び立つ日がやってくるかもしれない。それなら石より 軽い人間が大空を飛ぶことは容易い。そんな思いが伝わってくるのです。 「鳥になった日」は“大空を飛べたらなぁ”と願う空想の段階。「石翔ぶ」はさらに進めて それを現実のものにしようとする人間の飽くなき探求心にステージアップしたようです。 大空を飛びたいとの思いと、飛行のメカニズムの科学的解明。ライト兄弟の飛行の成功は、 それまで何世紀にもわたって、世界中の多くの先達の大空に賭けた「思い」と「探求心」が 集積し凝縮した結果のように思われてくるのです。 31 20」「ウレシクテ アノヨト コノヨヲ イキキスル」(ステンレス)最上 壽之 作 「階段を降りて空を見上げると、別の世界への入口のように、周囲から切り取られた景 色が広がる。カラフルな四本の足が、もたつくようでユーモラス」(野外美術館「ガイ ドパンフレット」から引用) 大きな立体がおよそ似つかわしくほどか細い4本の柱に持ち上げられています。濃緑と薄緑 に黄色とオレンジ色とカラフルな色合いが余計に柱の華奢な感じを増しています。 何々!この造形物のタイトルは?カタカナで書かれていてしかも長い。 声に出して辿々しく読み上げました。平仮名と漢字にすると「嬉しくて、あの世とこの世を、 行き来する」となるようです。 階段の下がこの世、上の立体があの世かな?カラフルな柱は、あの世とこの世の通路のよう です。もし登って良いものなら、さっきは緑の柱を登ったので今度は黄色を登ってみよう! などと想像すると楽しくなります。 「それであの世とこの世を行ったり来たりというわけかな?」などと勝手に思って、とって も楽しい気分になりました。 32 21」「椅子になって休もう」(ポリエステル)福田 繁雄 作 「“イスニナッテヤスモウヨ”の語りかけに応えて、見る人までが作品の一部になって しまう。黄色い人間の数に21世紀への夢を託している」(野外美術館「ガイドパンフ レット」から引用) 先ほどから早くこの像に近づきたいと遠目に見ていました。万歳をして互いに椅子になって 腰掛けあって連なる人体の像が目に飛び込んでいたからです。真っ黄色に塗られているので とても目立ちます。タイトルは「椅子になって休もう」。 それにしても最後尾の人はお気の毒!誰かに椅子を外されたのでしょうか?それとも透明な 椅子に座っているのかな?何ともトリッキーでユーモラス。ガイドブックに「黄色い人間の 数に21世紀への夢を託している」と記されています。21体あるのだろうと思って数えて みました。ありました!ありました!21体ピッタリです。 この日8月2日。実はこの像達、つい数日前まで不在でした。今年の7月27日がこの森の 20回目の誕生日。それを前にしてお化粧直しに出かけていたのです。20年間も森に住め ば、風雨や雪に曝されて、かなり傷んでいたようです。目映いばかりにお揃いの黄色の装い をあらたに、傷ひとつなく綺麗に生まれ変わった像たちに会えたのは幸運でした。 小鳥さん達よ!今度はあまりつついて黄色さん達を傷つけないようお願いしますね! 33 22」「シャフト2」(鉄、空気)アントニー・ゴームリー 作(イギリス) 「札幌でしか得ることができない自然と作品の関係を求めて、あえて笹やぶの中に設置 された。自分自身を型取りしてつくられた殻は、人間の内面と外界との関係を強く意識 させる」(野外美術館「ガイドパンフレット」から引用) 目立つ色をして、目立つところにあった「椅子になって休もう」の次にある作品が見つかり ません。ガイドブックには次は「シャフト2」とあります。タイトルからはどんな像なのか、 あまりイメージも沸いてきません。 山裾の方を見上げました。笹やぶに見え隠れして、全身鉄製の人物が突っ立ているのが目に 入りました。やっと見つけたこの作品、素材は鉄と空気です。中は空洞のようです。 作者は 1950 年英国生まれ。自身を型どり等身大の人物像にした彫刻シリーズで名を馳せた という。なるほど!これは甲冑そのもの、中に人がすっぽりと納まりそうです。それにして も横に並ぶとこの人物は随分大きい。寸法は「195.0×50.0×38.0cm」というから、順に 身長、肩幅、胸厚なのでしょう。 目立たない笹やぶの中にあえて人目を避け、自分の化身のようにして置かれたこの人物像。 森の閑けさに心を鎮めて思索に耽っているのでしょうか?アントニー・ゴームリーは、人間 の内面と外界との関係を意識した思索をモチーフにしているといいます。 34 23」「彩霞燈」(ブロンズ)一色 邦彦 作 「木の精霊を擬人化した女性像が、木々の中に静かに立つ。知恵の神ふくろうをたずさ えて、迷い人をやさしく見守るように」(野外美術館「ガイドパンフレット」から引用) 順路に従って段々と細くなる山道を登っていくと、右手に大きな鳥を乗せて肩の上に持ち上 げている女性像に出会いました。その鳥はふくろうでした。 ふくろうはギリシャ神話に登場する迷い人の案内人であり、知恵の女神アテーナの従者なの です。 木の精霊を擬人化したというこの像、やさしい表情です。像は森の草木の中に、すっぽりと 埋もれています。風に擦れる葉音が耳に心地よく伝わってきて爽やかです。ほっとした気持 ちにしてくれます。 タイトルは「彩霞燈」。解説によると「彩霞」とは、美しい夕焼け雲のこと。 今は真昼なので写真は逆光になってしまいましたが、日が落ちる頃には正面が夕陽に反射し て輝き、森を照らす灯火に変わるようです。 35 24」「若きカフカス人の追幻想譜」(ブロンズ)鈴木 実 作 「北海道出身の著名な彫刻家中原悌二郎の代表作『若きカフカス人』と対比させた新た な人間像。人間の形を解体し再構成した時に生じるズレに新たな美を求める」 (野外美術 館「ガイドパンフレット」から引用) 二人の人物が箱に閉じこめられたようにして並んでいます。何とも窮屈そうです。足は箱か ら突き出ていて、両手は身体の中に押し込められたのか、もぎ取られたのか?二人の真ん中 の後方には、高い台座に乗った男性の胸像が見えます。 何を意味するのか、私の理解はもうひとつ。 「若きカフカス人の追幻想譜」というタイトルが ついています。カフカスはロシア語で、英語ではコーカサス。ということは、カフカス人と は、コーカサス山脈に抱かれた地域の人々を指すようです。 さてパンフレットには、 「人間の形を解体し再構成した時に生じるズレに新たな美を求める」 と記されています。ナルホド!頭部、首、胴、手、足、それぞれ少しずつずれているように 見えます。しかしこの中に美を発見するとなるとかなりの審美眼がいるようです。 因みに追幻想の素となった中原悌二郎の作品のサイトがありました。モデルはロシア人とあ りますが、コーカサス出身の人物なのでしょう。しかし作品の中央と右の人物はヨーロッパ 風でも右の人物はアジア風。チェチェン、アルメニア、グルジア・・・。モデルのルーツに 思いを巡らします。 36 25」「ユカタンの女」(ブロンズ)細川 宗英 作 「ユカタン半島のマヤ遺跡でみつけた一片のレリーフに感じた、消えゆくものの哀れさ と、なおも存在を主張し続ける魅力が、女性像に託されている」 (野外美術館「ガイドパ ンフレット」から引用) 大きな女性像が見えます。あまり近づくと頭部が豊満な体の影に隠れて、顔の表情が分かり ません。少し離れてみます。手を後ろに組み、ぽかんと口を空け、うつろな目で天空を仰い でいます。これが「ユカタンの女」 。メキシコ南部のユカタン半島は、カリブ海に突きだして メキシコ湾を隔てています。マヤ文明が栄えた地。 解説では、作者はこの地を旅し、遺跡の中に小さな女性の手のようなレリーフの断片をみつ けて、それをモチーフにこの像を創作したという。 考古学者の間でマヤ文明は、 「謎の古代文明」と呼ばれているそうです。どのようにして誕生 したのか、熱帯のジャングルの中で栄え、繁栄の絶頂期に何故忽然と消えたか等々、未だに 不明という。女性像がそんな消えゆく運命の中に身を置いているのかと思うとき、うつろで 哀しげな表情から何とも切ない気持ちが伝わってきます。 考古学の常識を超えているというマヤ文明。巨大なピラミッドを建造し、高等数学と天文学 によって「マヤカレンダー」を作りあげ、未来の「予言」まで行っていたと伝えられます。 その時果たして、自らの滅亡までも予言していたのでしょうか? 37 26」「SAPPORO‘90」(御影石)速水 史朗 作 「石でできているとは思えない、斜面を這うような柔らかな形。うねりや平らな面をも つ作品には、札幌の歴史と未来が託されているという」(野外美術館「ガイドパンフレ ット」から引用) 「ユカタンの女」から少し小径を下ると、木陰に入りひんやりとして心地良い。斜面に幅の 広い滑り台のような造形があります。厚み、幅、長さは順に、40.0×70.0×1100.0cm と かなりの大きさです。表面は磨き抜かれたかのようにテカテカに光っています。木立や風に 揺れる木の葉を映し出している表面は、まるで透き通った池の水面のようです。上に乗って 滑ってみたい衝動にかられます。しかし滑り台にしては、途中のうねりが邪魔になります。 「札幌の歴史と未来が託されている」というこの造形。うねりは、厳しい自然と闘い続けて 乗り越えてきた開拓の苦難を表し、その先のもっと大きなうねりは、このハードルを越えた 時に、再びあらたな未来が開けるということでしょうか?札幌の歴史の始まりは 1869 年 (明治 2 年)、140 年にも満ちません。道幅を広くとって、碁盤の目のように整然と区画 された街並みは、海外の先進的な都市づくりに学んだといいます。 軽やかに響く「サッポロ」の地名は、アイヌ語で“乾燥した広大な地”という意味。人口 190 万人近くにも及ぶ大都市なのに、森林が市の 60%を占めていると聞いて、北海道の自然の 広大さを思います。いつ何時までも、こんな豊かな自然を残す街であって欲しい! 38 27」「間(げん)」(大理石)安田 侃 作 「手前の直方体と、丘の上のロの字型の大理石が対をなす。塊と中空という形の対比は、 有と無の対比でもある。両者の間に広がる林と背景の空が取り込まれ、自然と彫刻は一 体となる」(野外美術館「ガイドパンフレット」から引用) 目の前を大きな石の塊に立ち塞がれてしまいました。幅 2.3m、高さ 2.0m、奥行き 80cm の巨大な大理石がどっしりと居座っています。それにしても何の変哲もないこの石のどこに、 造形の意味が潜んでいるのでしょう? ガイドブックを読んで初めてわかりました。見上げると林の向こうに、もう1つの造形物が あります。熊笹をかき分け、時折足を滑らせながら、やっと20メートルほども登ったでし ょうか。四角くくり抜かれた造形の空間は、丁度下にある石が入る大きさです。 下と上の二つの石はペアだったのです。注意深くガイドブックを読まなければ、危うく下の 造形物だけを見て通り過ごしてしまうところでした。 二つの形の間にある林をも作品の一部に取り入れたこの作品は、自然を取り込み自然と造形 が一体となった様相を表し、自然との調和や共生を訴えていると言われます。 この二つの間を行き来した私もこの時、図らずも作品の一部になっていたようです。 39 28」「ひとNO.16-1」(御影石)高橋 清 作 「古代メキシコ文化に共鳴した神秘的で象徴的な世界観。昼と夜、光と闇、神と人、生 と死などの切り離すことができない概念や人間存在への問いかけが、白と黒の対比のな かに表されている」(野外美術館「ガイドパンフレット」から引用) 黒い二本の石で繋がれた二本の白い石柱を、それより背丈の高い黒い二本の石柱が取り囲む ようにしています。石柱の下部には白と黒の石の塊が無造作に置かれています。御影石には 白と黒とがあるようです。 真ん中の芯のような白御影石の縁は、縞筋状に綺麗にトリミングされています。光を反射す ることなく静かで地味で落ち着いた感じを与えます。背後の黒御影石はピカピカに磨き上げ られ鏡のようです。周囲の木々や風景を映し出していて華やかです。白と黒の対比の美しさ に見とれていて、ハタと対称的な2種類の造形の組み合わせの意味は?と気になってガイド パンフレットに目をやります。それを読んで初めてナルホド!と感じ入った次第。 作者は古代メキシコ文化に共鳴して神秘的で象徴的世界観を持ったという。紀元前2世紀頃 アステカ人が建設した古代メキシコ文化圏の大都市テオティワカンは「神々が集う場所」の 意味。アステカ人がこの地を聖地と崇めて名付けたようです。 白と黒との対比!自分の人生にもなぞらえて飽きずに眺めている自分に気づきます。 40 29」「夏引」(御影石)下川 昭宣 作 「『夏引』とは鎌倉時代の名牛の名前。そしてまた夏引の繭(まゆ)の糸のように、力 強さと繊細さをあわせもつ。札幌芸術の森の彫刻アトリエで制作された作品」(野外美 術館「ガイドパンフレット」から引用) がっしりした台座に大きな石の塊が置かれています。牛の顔です。正面に立つて向き合うと 威圧感を覚えます。それもその筈、この顔は、高さ 160.0×台座の幅 140.0×奥行き 60.0cm もあるのです。しかし横顔を見て印象が変わりました。目はとっても優しくうつむ き加減で大人しそうです。タイトルの「夏引」は、牛車を引く名牛の名前という。また夏に 引かれる丈夫で柔らかい繭を指すとも言う。 「牛に引かれて善光寺参り」ということわざを思い浮かべました。高貴な方が、ゆらゆらと 牛車に引かれてのんびり善光寺参りするという意味ではなく、思いがけないことが起こり、 それが縁で良い行いに結びつくということの喩えです。 言葉の由来は、「逃げた牛を捕まえようと追いかけて行ったら、牛が善光寺に逃げ込んだの で、思わずお参りした。それが縁でそれからたびたびお参りするようになった」という話し からきていると聞きます。この牛もそんな導きをしてくれるような気がしてきます。「今日 はこれからちょっとしたハプニングが起こり、それがきっかけで良い行いに結びつくと良い のだが!」などと思ったりします。 41 30」「交叉する赤錆の壁」(コールテン鋼)保田 春彦 作 「重厚な壁と細かな格子が組み合わされ、古代の遺跡や都市の風景をイメージされる。 無機的ななかに人間の営みの気配を漂わせる」(野外美術館「ガイドパンフレット」か ら引用) 分厚い鋼鉄の板が組み合わされた造形は、高さ2メーター80センチ、幅と奥行きがともに 2メーター30センチもあります。近づくと大きな壁に遮られてしまったような気持ちにな ります。 鋼板が組み合わされた壁の向こう側には何があるのかな?ぐるぐる廻ってみます。もちろん 何にもありませんが、造形の右から顔を出したり左から覗いてみたりと、かくれんぼをして いるような気分にしてくれます。この森ではどの造形も童心に帰らせてくれるのです。 だがこの分厚い鋼板は、人為的に何かを分け隔てた壁のようにも見えます。もうとうに取り 払われたけれども、こんな壁がもっと高くて長く連なったならばと、あの悲惨な戦争の傷跡 として長い間民族を分け隔てていたベルリンの壁を思います。 しかしそうではなく、壁のこちらが現在で、壁の向こうには明るい未来があるのかも知れま せん。それともこちらが現世であちらが来世でしょうか? 豊かな創造力で抽象化された造形は、いつまでも止まない想像力を掻き立ててくれるのです。 42 31」「うつろひ」(ステンレス)宮脇 愛子 作 「空に自由に線を描いたような8本の曲線が、小高い丘の上で風景ととけ合う」(野外 美術館「ガイドパンフレット」から引用) 「交叉する赤錆の壁」を越えると急に視界が開けてきました。こんな大きな青空を見るのは 「隠された庭」以来です。それからはずっと森の木漏れ日を満身に感じて、朝露でしっとり 湿った小径を歩いてきたのです。小高い丘です。何と伸び伸びとした姿でしょう。 4本の支柱(写真は1本隠れ3本しか写っていません)から8本の曲線が飛び出して大空を 舞っています。曲線は、彼方の真っ白な羊雲を包み込むかのように、美しいコントラストを 醸し出しています。 タイトルは“うつろひ”。丘を見上げながら進むにつれ、曲線はどんどん形を変え、曲線を 通して見る景色も次々と移ろっていきます。春夏秋冬四季折々、うつろう季節を表している のか?世の中を常なきものと諦観するうつろいなのか?曲線は大空高く伸び上がり、そんな 自然や世の動きに、なるがままなすがままに任せているようです。 作者の発想は「空に線を描く」ことだという。 “うつろい”シリーズは、パリの新凱旋門の そばや、バルセロナのオリンピック公園など世界の各地に設置されているいうから、何時か 訪ねてみたい。 43 32」「四つの風」(赤エゾ松)砂澤 ビッキ 作 「木との語らいと格闘から生み出された作品は、自然への畏敬を感じさせる。風雪とい う名の鑿(のみ)がさらに作品に加わっていくことを作者は願った」 (野外美術館「ガイ ドパンフレット」から引用) 「うつろい」を左に見て小径の右下に目を移すと、4本の木柱が並び立つアートが見えます。 鉄線の柵に囲まれ、その内の1本の根元は朽ち始めています。 タイトルは「四つの風」 。4本の木柱はそれぞれ春夏秋冬を表しているという。木との語らい と格闘によって出来上がったというこの作品は、風雪に晒されて日々朽ちつづけています。 こうして風雪もまた鑿となって作品の制作に関わっているというのです。 ということならこの作品は、完全に朽ち果てるまで完成することはないのです。制作当初は 鑿の跡も荒々しく残っていたようですが、木の肌は北国の厳しい風雪を受けて角が取れて、 丸みを帯びてきたといいます。 何やら厳しさに耐えて困難を乗り越えてきた人間がまるみを帯びてくるのにも似て、思わず 我が身を振り返ります。4本の柱は、来年はもっとまるみを帯びていることでしょう。私も 負けずにまるみを!との思いを強くさせられます。 44 33」「こだま」(ブロンズ)山本 正道 作 「2本の樹をモチーフにした作品が置かれた空間は、そこだけがゆっくりと時間 が流れているような、どこか懐かしい牧歌的な雰囲気を漂わせる」(野外美術館「ガ イドパンフレット」から引用) 二本の樹が持ち上げているのは、樹の精霊の木霊(こだま)でしょうか?呼べば答えてくれ るこだま。ここでキャッチして跳ね返してくれるのだろうか?像をみた瞬間に、そんな想像 をしてみたくなるほどのユーモラスさを感じます。 学生時代、このあたりの山々を縦走してパノラマのように眺望が開ける頂上に到達、広がる 山並みに向かって思わず“ヤッホー”と叫んだ記憶を呼び起こします。響き返されるこだま を聞き漏らすまいとして耳を傾け、それが谷を渡ってはっきりと聞こえてきたときの爽快さ が蘇ってきました。 発した声や音が周囲に反射して、少し間をおいて鸚鵡返しに聞こえる現象は、こだまの他に も山彦という呼び方がある。ウィキペディアによると「山の神が答えたものと考えて山彦、 樹木の霊が答えたものと考えてこだま(木霊、木魂)と呼ばれる」ということらしい。 調べてみると、作者の山本正道氏は、「風景彫刻」というあたらしいジャンルの生みの親と 言われているという。像の体内には、この森の神と樹木の霊が静かに深く宿されているよう です。 45 34」「挑発し合う形」(石・コールテン鋼)土谷 武 作 「自然の石と鉄がきわだつ巧みな構成。造形的きびしさのなかにスケールの大きい新鮮 な空間を感じさせる」(野外美術館「ガイドパンフレット」から引用) 遊歩道を登りきった丘の一角、芝生が敷き詰められた斜面に、大きな4体の石がどっしりと 居座り、石のてっぺんから鉄板が斜めに架けられています。無造作に並べ立てられた石の群 に、風で飛んできた鉄板がそのまま張り付いたような姿。 タイトルを見ると「挑発し合う形」。真っ白な4つの石に挑発されて鉄板が飛んできたとで も言うのでしょうか? しかし石と鉄板が組合わさった形からは、挑発し合うどころか互いに相補っているようにも 感じられます。 これは「挑発」というよりは「調和」。「反発」というよりは「融和」。「個別」というよ りは「一体」。 風雨に晒された鉄板の表面が流れ落ちて石の頭から足許まで茶色に染めだし、すっかり石と 鉄板とを馴染ませてしまったようです。 46 35」「北の柱頭」(木)板津 邦夫 作 「古代ギリシャの神殿の柱を思わせる形の中に、植物が生き生きとまっすぐに伸びてい くようなたくましい生命感を宿す」(野外美術館「ガイドパンフレット」から引用) 「北の柱頭」というタイトルのこの作品。まわりの木々と高さを競うようにしてそそり立つ オブジェは、65 平方センチメートルの角材で高さは 3 メートル 90 センチもあります。 ところでこの写真の雰囲気、ちょっとこれまでと違うのでは?実はこの写真は私の模造です。 背景はフリー素材の風景写真から拝借、その上にマジックペンでオブジェを描いてスキャン しました。何故こんなことを?いやは実は、どうも「北の柱頭」だけ撮り漏らしたらしい(?)。 作品全てを収めた積もりでどんなに探しても「北の柱頭」だけ見つかりません。 森には74の彫刻とシンボル彫刻3つ、合わせて77の作品がある。アートはどれも、自然 にすっぽり包まれひっそりと佇み、すっかり森と一体化している。そのために見落としたの か、惜しくもこの作品だけ撮り損なったと悔やむことしきり。 ところが後で、「北の柱頭」は傷みが激しくなったので、屋内に収納されていると聞きまし た。道理でいくら探してもないはずです。早い時期に修復されて、再び森の中に姿を現して 欲しいものです。 47 36」「コタンクルカムイの詩」(ブロンズ・木他)米坂 ヒデリ 作 「木々や笹に囲まれたおごそかな雰囲気のなかで、コタンの人々の守護神であるフクロ ウは墓標を見守る。永遠の森への願いがこめられている。」(野外美術館「ガイドパン フレット」から引用) 原生林に鎮座する、まるで本物のような二羽のフクロウを見ました。白昼なのに金色の目を ランランと輝かせて一点を見つめる姿から溢れんばかりの威厳を感じます。墓標を見守って いるのです。コタンとはアイヌ語で村や集落のこと。 クルカムイとは守り神の意味です。フクロウは、 「村の守り神」として崇められていたのです。 フクロウは天然記念物のシマフクロー。世界最大で、体長 80 センチメートル、翼を広げる と 2 メートル近くにもなるという。 守り神に相応しい体格と風格を備えているのです。北海道の鳥はと言えば、冬の釧路湿原で 優雅に舞い踊る丹頂鶴の容姿が思い浮かびます。丹頂はアイヌ語でサルルンカムイ、つまり 「湿原の守り神」です。森のフクローと湿原の丹頂はアイヌの守り神の両雄なのでしょう。 ところで近年シマフクローが絶滅の危機にあると聞きます。しかし丹頂もかつて絶滅したと みられたものの給餌に成功、今や約 1000 羽の生息が確認されるといいます。シマフクロー も是が非でも救わなければなりません。 48 37」「風と舞う日」(ブロンズ)峯田 敏郎 作 「春の訪れの歓びが二人の少女に託されている。少女たちは軽やかに風に舞う。」(野 外美術館「ガイドパンフレット」から引用) 8月のはじめ、夏の真っ盛りというのに北国・札幌の気温は、正午近くになっても30度を 超えることはありません。 乾いた空気がさらっとして肌に心地よい。ヒートアイランドの大阪からくると別天地です。 静まり返った森の中、ふたりの少女が空中に躍っています。風に吹かれて舞い上がったので しょうか?両手を広げて全身を思い切り伸ばし、真っ青な大空に吸い込まれようとしていま す。 あたりは風一つないのに、ここにだけふありと少女ふたりを持ち上げる風が吹き上げている ようです。 作者は「風の作家」と呼ばれ、作品にはそよ風を思わせる表現が見られると言う。伸びやか に風に舞って躍る姿には、希望と歓びが溢れています。 解説によると「春の歓び」を表しているという。半年間も雪に閉ざされてやっと冬が去って 待ちに待った春の訪れ。遠い昔に味わったその歓びが込み上げてきます。 49 38」「北の大地の詩」(ブロンズ)鈴木 徹 作 「岩手県遠野地方に伝わる馬と少女の物語『オシラサマ伝説』を題材に、北の大地に根 差した愛情あふれる世界を見せる。」(野外美術館「ガイドパンフレット」から引用) 凛として空の彼方を見つめる馬。ピッタリと寄り添う少女も誘われたかのように同じ方向に 目をやっています。ガイドパンフレットには、『オシラサマ伝説』を題材にしたと記されて います。馬と少女の愛情あふれる世界とも書いてあるから、単に馬好きの少女の話かと思い きや、そうではありません。 オシラサマは、東北地方に古くから伝わる民間信仰です。もともと蚕の神様だったのが、馬、 農耕の神、狩人の信仰する神などに広がってきたといいます。 少女が馬を愛し夫婦となったばかりに父親の怒りを買い、馬は殺されて桑の木に吊り下げら れ、少女が後を追ったという少々怖いお話。柳田國男の『遠野物語』に出てくるオシラサマ 伝説です。 天に昇った馬と少女は神になったと信じられ、馬が吊り下げられた蚕の木の枝で作った像が オシラサマというご神体。住居と馬屋が一緒になった曲り家の生活の中から自然に生まれで た民話です。北の大地に現れた馬と少女。きっと北の自然と人をもまた、守ってくれている のでしょう。 50 39」「二人の空」(ブロンズ)峯田 義郎 作 「木立の中で、巡り来る春を全身で感じて寄り添う若い二人。春を待つまなざしに詩情 が漂う。」(野外美術館「ガイドパンフレット」から引用) ここにも空を見つめる二人がいました。少年と少女の像。良く見ると上半身は融合し、完全 に一体化しています。 見つめる方向は一緒、二人の思いは同じ。だからきっと身体はひとつになったのでしょう? 若々しい澄んだ心が見え、ほほえましさを感じます。 さて何処を見ているのかな?思わず二人が見ている方向に目をやると、北国の淡いブルーの 空が広がっていました。 ところで正面に立つと、二人は台座の真ん中にではなく左端に腰掛けています。右は大きく 空けてある。 解説によるとここは鑑賞者のためのスペースだという。“私達と一緒に空を見上げましょ う!”という粋な計らい。並んで腰掛けても一向に構わないのです。 この森では、どのアートにも親しみを感じて、誰だって直ぐにも友達になれるのです。 51 40」「花まい」(ブロンズ)雨宮 敬子 作 「花はほんの短い間だからこそ美しく咲き誇る。この若き女性の伸びやかな姿は、いま まさに咲き始めようとする花のようである。」(野外美術館「ガイドパンフレット」か ら引用) すらっとした肢体の女性像。暖かな夏の陽射しに照り映える優しい緑に囲まれて立つ溌剌と した姿に清々しさを覚えます。「今まさに咲き始めようとする花」を表わしているという。 まさしく「花まい」というタイトルがぴったり! 解説には「若き女性の伸びやかな姿」とある。そうなると本来は、つま先から頭のてっぺん まで、全身を写さなければならなかった。写真は足許が切れて中途半端にしか伸びやかさを 捉えていません。 実はほんの少しつま先を浮かせているのです。両腕を頭の上で組んで、つま先立ちになって いる姿の全てを写して初めて伸びやかさを表せるのです。 作者の意図にしっかりと添って、自分なりの感性でとらえたアートの姿を、観る人に伝わる ように撮ることの難しさを実感します。 52 41」「抜海の漢」(ブロンズ)吉田 芳夫 作 「強い精神と意志を備えて北の大地でたくましく生きる男の姿。モデルは親友の彫刻家 本郷新。」(野外美術館「ガイドパンフレット」から引用) 目映いばかりの緑に照らされて、一枚の布地を身にまとい、すくっと立って一点を見つめる 男の姿がありました。頬から顎へとたっぷりと蓄えられた髭は良く手入れされ、表情は精悍 そのもの。 タイトルは「抜海の漢」。 「抜海」とは、北海道稚内市抜海村を指します。「バッカイ」という呼び名は、アイヌ語の 「パッカイ・ペ」の「子を背負うもの」の意味からきたようです。事実「抜海村」の町外れ には、親が子供を背負った形に見える岩があるという。 稚内は北方領土を除くと日本最北端の地です。半年も続く冬。地上は雪と氷に覆われ、港は オホーツクの流氷で埋め尽くされます。人々は白と黒のモノトーンの世界に閉じこめられて、 連日の吹雪に耐える。 そんな北の大地で生きる男の厳しい表情は、今日のように暖かくて静かな夏の日にはそぐわ ない。冬に再び訪れれば、厳しい自然に立ち向かう男の内なる強さがほとばしり出ているに 違いありません。 53 42」「大地からの閃光」(ステンレス)飯田 善國 作 「風で動く2枚の羽は風景を映し、また光を反射させる。矢のように走る光が地上から 空への信号のように発せられる。」(野外美術館「ガイドパンフレット」から引用) 北国の夏の陽光は柔らかく、空気はからっとしていて爽やか。大きな二枚の金属羽のアート が時折きらっと光を放ちながらゆっくりと回転しています。 穏やかなこの日、初めて風の存在に気づきました。 自分の身には感じないほどの微かな風でも2枚の羽は少しも逃さず、しっかりと受け止めて いるようです。そして回転が進むに連れて羽は時々閃光を放つ。太陽の光もまたしっかりと 受け止めているのです。 羽の回転で風のくる方角を知り、反射の様子で光の暖かさを知らされます。しばらくアート の周りを行き来して、アートが伝えてくれる光と風に身を任せます。 タイトルは「大地からの閃光」。そう、これは単なる陽の光の反射ではない。真っ直ぐ空へ 向かって走る光は、大地からのメッセージなのだという。 光をじっと見つめれば、誰彼の思いもまた、天に伝えてくれるのでしょうか? 54 43」「日暮れ時の街 No.9」(コールテン鋼)國松 明日香 作 「日暮れ時のひとときの安らぎが、抽象的に構成された街並みのなかに表現されてい る。」(野外美術館「ガイドパンフレット」から引用) 真夏の陽光を反射して閃光を放っていた作品の次には、それとは全く対称的に、受けた光を やんわり吸収している作品がありました。「日暮れ時の街 No.9」とネーミングされた作品 は、昼間の街の喧騒から放たれて、ひとときの安らぎを覚える日暮れ時を表しているのだと いいます。 前の作品、ステンレス製の「太陽からの閃光」が上空に向けて鋭い光を放っていたのに対し て、この作品は光を反射することはありません。コールテン鋼の効果です。 紫色のコールテン鋼は、目にやさしく柔らかな感じを与えてくれます。射すような光にでも 少しも反発することなく、光のすべてを吸収し尽くしてしまったようです。ここまで歩いて きて少しくたびれた身も心までも、ほんのりと包み込んでくれます。 錯綜して立ち並ぶ数々のオブジェ。一日の仕事を終えて家族のもとへと家路を急ぐ人達だろ うか?それともこれから夜の更けるのも忘れて語らうため、友との待ち合わせ場所へ向かう の人々だろうか?ここまででやっと半分ほどのアートに会いました。ここで少し休憩です。 55 44」「蜃気楼」(御影石)鈴木 徹(武右衛門) 作 「横たわる男の姿がダイナミックな塊で表現されている。頭や足が省略されることによ って、塊としての力強さがより強調されている。札幌芸術の森の彫刻アトリエで制作さ れた作品。」(野外美術館「ガイドパンフレット」から引用) 巨大な石の塊は、明らかに人間の男の胴体です。広い肩幅、分厚い胸、がっしりとした胴回 り、頑丈な脚・・・。横たわっていてもぐっと持ち上げた腰の構えは、今にも起きあがろう としているかに見えます。刀折れ矢尽きたのでしょうか?真っ二つに割かれた胴体からは、 テルモピレーの戦いで、ペルシャ軍に勇敢に立ち向かって非業の死を遂げた古代ギリシャの スパルタ兵士の姿が思い浮かびます。 いいえそんなはずはありません。ここは明治維新以前に蝦夷地と呼ばれていた北海道です。 新天地を夢見て、勇んで原野を切り拓いていた開拓の士が、冬の厳寒に耐えかねて志半ばに して倒れたとでもいうのでしょうか? タイトルを見ると蜃気楼とあります。蜃気楼は大気の温度差が光を屈折させて起こす虚像。 それならば今でも、大地を切り拓く野望に燃えた開拓使の実像が、この森の奥深くに棲むの かもしれない。 その実像とは?そうです。それは開拓者精神です。忘れかけていた心が蘇ってきます。 56 45」「道標―けものを背負う男」(ブロンズ)本田 明二 作 「すっくと立ち、まっすぐに前を見つめる精悍な姿。北の厳しい自然と、そこで必死に 生きる人間の関係が簡潔な表現の中に見ることができる。」(野外美術館「ガイドパン フレット」から引用) 身の丈は、優に2メートルは超えるでしょう。見上げるほどの長身。すらっとした体躯の男 が獲物の四肢を首に巻いてそそり立っていました。何とも誇らしげに見えます。 決して痩せ細っているわけではない。筋骨隆々として強くてしなやか。鍛え上げられた鋼鉄 のような身体。長く伸びやかな脚。この脚で森を駆け巡って獲物を仕留めたのでしょうか? じっと前を見つめる姿は精悍そのもの。しかし穏やかでどこか優しささえ漂わせた面持ちは どこから醸し出されるのでしょう。 いま獲物を仕留めた満足感。いやそれだけではない。厳しい自然と闘って森の中で生きてき た自信がそうさせているようにも思えます。下半身が雪に埋もれる冬になれば、もっとこの 思いが強まる気がします。タイトルは「道標」と表されています。アートは道しるべです。 首に巻き上げた獲物がぐっと頭をもたげて行き先を示しているのです。 人生という旅の途中で岐路にさしかかった時でも、この彫像の正面に立ってじっと見つめれ ば、進むべき方向を指し示されて、何時しか迷いなぞは消えてしまうのかも知れません。 57 46」「風の中の道化」(ブロンズ)坂 坦道 作 「年老いたピエロが不安定な台座の上で必死にバランスを取っている。突き出した肩と、 その先を見つめる眼差しは、肩の上に何か乗せていることを暗示する。」 (野外美術館「ガイドパンフレット」から引用) そこには片足を上げ、思いっきりお腹を突きだして天を仰ぐピエロがいました。右足を乗せ た台座は傾き、グラグラ揺れる感じが伝わってきます。ピエロは今にも滑り落ちそうです。 世情を風刺したり人生の悲哀をユーモラスに演じたりして人々を惹きつけて止まないピエロ。 それが束の間だろうが現実世界を忘れさせ、気分を一新して明日の生きる力を与えてくれる ピエロ。それにしても反り返って天を見上げているピエロの顔は、どんな表情なのでしょう? 悲しみに満ちているのでしょうか?それとも歓びに溢れているのでしょうか? タイトルは「風の中の道化」。爽やかな風を思いっきり吸い込む歓び一杯の表情なのでは? 作者は羊ヶ丘展望台にあるクラーク像の作者でもある。クラーク氏は“Boys be Ambitious” と印された台座に悠然と立ち、左手を腰にあて、右手で広大な石狩の原野を指し示していま す。フロンティア・スピリットを植え付けてくれたクラーク博士。折しも北の大地にやって きたピエロ。ピエロもまた溢れんばかりのフロンティア・スピリットを抱き、奇抜な衣装と 派手な化粧、滑稽な仕草と言い草で笑いを誘い、北の自然と闘う人々の苦労を吹き飛ばして くれていたのでしょう。 58 47」「北斗まんだら」(御影石、安山岩、赤エゾ松)環境造形Q 作 「木々に囲まれた中央の広場に、石が北斗七星の形に並ぶ。周囲の自然と響き合い、人々 を作品のなかへと誘う開かれたモニュメント。端にある北極星を表す石には、この作品 の配置図が刻まれている。」(野外美術館「ガイドパンフレット」から引用) 「風の中の道化」を見てから振り向くと、右下方向に、緑の木々と茶色の石に囲われた一際 明るい空間が見えます。緑の芝生と、点々と転がる淡い灰色の石が、太陽の光に照り映えて いるのです。赤エゾマツと安山岩の囲いをくぐり抜け、そっと足を踏み入れました。 どこから何処までアートなのか?どうも囲みと中の空間すべてがそうらしい。36メートル 四方というから約400坪にもなる。 しばし広々とした空間を一人占めしました。気分爽快です。芝生に散りばめられた石は全部 で8個。北斗七星と北極星を象って配置されています。御影石はどれもテカテカに磨きあげ られて、夏の陽を照り返して光り輝き、すっかり星になりきっているようです。ひとつ一つ 滑らかで暖かな手触りを確かめながら一周しました。 作者は「環境造形Q」。関西で活躍する3人の造形集団。開かれたモニュメントを目指して いるといいます。となるとこれは、開放型でしかも参加型の芸術作品とでも言うのでしょう か?なるほど!こうしていると自分も、アートの一部になったような気になってきます。 59 48」「石縁」(大理石)水井 康雄 作 「炎や煙が動くような波形の稜線によって、リズム感のある形体が生まれている。」(野 外美術館「ガイドパンフレット」から引用) 北斗まんだらで存分に星と戯れてから順路を進むと、表面が波のようにうねうねと象られた 造形の前に来ました。真っ白な大理石のアートです。近づきました。下から上へ波の流れを 目で追うと、ゆらゆらと揺れ動く陽炎を見ている錯覚に囚われます。この日は30度もあり 北国札幌は夏本番。陽炎が立ちこめても不思議ではありません。 作者は揺れる炎や舞い上がる煙をイメージしたのでしょうか?造形を見ていると、規則的に 彫られた波形からそんな感じも伝わってきて軽やかなリズム感を覚えます。ふと顔を上げて、 造形の先に目をやりました。2~30メートルほど先、何とそこには刀折れ矢尽きて倒れた あの男の姿があるのです。つい先ほど見てきた「蜃気楼」です。この波打つ真っ白な「石縁」 という名の造形を陽炎に見立てれば、ばったり倒れた男の姿は、夏の陽がそそぐ二つの像を 隔てる空間が作用して、その名の通り「蜃気楼」のように浮かんで見えるのです。こうして アート達は個々バラバラにではなく、一体となって「芸術の森」を造っているのでした。 「木(個々のアート)を見て、森も(アートの集まり)また見る」。何時来ても、何時まで いてもこの森は、興趣に尽きることはありません。 60 49」「位相」(ステンレス)多田 美波 作 「斜面の地形を利用して設置された作品は、ゆるやかな曲面に移り変わる空や木々を映 し、非日常的な視覚を体験させる。」(野外美術館「ガイドパンフレット」から引用) 丘の斜面にそって佇み、キラキラ銀色に光り輝いて一段と強い存在感を示しているアートに 辿り着きました。三角屋根のようでもあり、畳みかけたテントのようにも見えます。 そのまま視線を前方に移すと、その向こうにも二枚の羽を輝かせている回転体が見えます。 先ほど見てきた「大地からの閃光」です。どちらもステンレスでつくられています。夏の日 の真昼の太陽は高く上り、緑の絨毯と銀色のアートのコントラストが目映いばかりです。 アートの名は「位相」。「大地からの閃光」が地上から空へ光のメッセージを発するとした ら、「位相」は光り輝くすべてのものを受け容れています。アートのまわりを一周しました。 パノラマのように移り変わって、次々映し出される景色に引き込まれます。森も空も自然の すべてを、そして遙かな宇宙までも取り込んでいるようです。 アートの内部には果てしない宇宙が広がっています。そしてアートは、宇宙からのすべての メッセージを受信しているようです。「大地の閃光」が発信機なら「位相」は受信機なのか も知れません。二つ合わせて自然と宇宙との対話の装置なのでしょう。受信機の中のひとり に、小さな小さな「私」がいることに気づきました。 61 50」「道」(御影石)空 充秋 作 「ほぞで組み合わさった石に、人が互いに力を合わせて生きる姿や、人間の自然との関 わりの変遷を込めている。門のような形や上部の左右に伸びる石が、それぞれの進むべ き道う指し示す。」(野外美術館「ガイドパンフレット」から引用) がっしりした石が3体、組み合わされています。2本の脚の上部には同じ材質の石が橋渡し に乗っています。どっしりした重量感が伝わってきます。そうか!何か心配事でも起きたら、 この彫像の前に立つと良い。じっと見つめれば、すっかり度胸が据わった気持ちにもなるの では? どれほどの大きさなのだろう。 寸法を調べると「370.0×300.0×100.0cm」とある。順に、縦×横×奥行き。人ひとり 楽々くぐり抜けられます。 タイトルは「道」。ガイドブックに目を落とすと、門のような形も上部の石もそれぞれ進む べき道を指し示すと記されている。3つの石をほぞでしっかり繋いで、人々が手を取り合い 助け合う姿を表したのだという。暫く見ていると、門を通り抜けたくなりました。 そのとき思わず柏手を打って頭を垂れました。神社の鳥居と勘違いしたのです。もし鳥居な ら、こちらは俗界で向こうは聖域でしょうか?お参りを済ませたかのようにして再び俗界に 戻ると、すっかり心が洗われ清々しい気分です。 62 51」「方円の啓示」(ステンレス)小田 襄 作 「最も基本的な形である四角と円。上方の半円と三角形は、見る角度によっては互いに 映り込み、虚と実の円と四角形を形づくる。」(野外美術館「ガイドパンフレット」か ら引用) 森の日向に立つ「方円の啓示」と名のつくアートは、真夏の太陽の光を満身に受けて、一段 と煌めいていました。ステンレスでできたアートは、鏡のように周りを映し出します。台座 と合わせ3メートルを超える支柱の天辺の半円と三角形の造形すべてがステンレス製。 「四角」と「円」は斜めに組まれています。見上げたままぐるっと一回りすると、形を変え ながら互いに互いを映し出している様子が見えます。 ふと、「水は方円の器に従う」という言葉を思い出しました。もともと水には形がないから、 水は形にこだわらない。四角の器に入れば四角くなり、円い器に入れば円くなる。ここでは 水だけでなく、映し出された自然のすべてが何のこだわりもなく身を任せ、「方」に従った り「円」に従ったりしているようです。 人もまた同じでは?「方」になるのも「円」になるのも自在でありたい。それには、環境と いう名の容器を変えると良い。いま私は、森の容器に心を合わせて、その非日常を満喫して いるのです。 63 52」「オーガン No.10」(ブロンズ)建畠 覚造 作 「幾何学的な緩やかな曲線が、細胞組織の一部を思わせる有機的な形に浸食されている。 また人工的に研磨された面が、長い間に自然によって浸食されたかのようでもある。無 機と有機との対立、人為と自然との対比が作品に緊張感を生む。」(野外美術館「ガイ ドパンフレット」から引用) この辺りの芝は枯れ果てたのでしょうか?それとも元々植えてなかったのでしょうか?むき 出しの土に立つアート「オーガン No.10」の傍らに来ました。高さは約1メートル、幅は それより少し狭い。奥行き50センチほど。この森では小さな部類のアートが静かに木陰に 佇んでいます。 台座には、二つのパーツが寄り添って1対になったアートがちょこんと乗っかり、その上に 夏の木漏れ日が影を落としています。いや対ではなく、一つの物体が二つに裂かれたのかも しれません。真ん中には亀裂が入ったようにも見え、上下の縁はまるで薬液でも浴びて腐食 したかのようにギザギザに削がれています。 しかし表面は磨き上げられ鏡のような光沢を放っています。緩やかで柔らかなうねりに森の 木々が複雑な幾何学模様を描き出していました。向こうには、緑の芝生に照り輝く真っ白な アートが見えます。二つほど前に見た「位相」です。昼間でも少し暗い木陰から見る純白の 輝きは目映いばかりです。 64 53」「マイ・スカイ・ホール85-7」(コールテン鋼)井上 武吉 作 「赤く錆びた幾何学的な10個の物体が、地中から姿を現し、周囲の空間を緊張させる。」 (野外美術館「ガイドパンフレット」から引用) 土が剥き出しの地面に鋭い角を持つ茶色の金属ブロックが散らばっています。数えてみると 全部で10個。それぞれバラバラの方向に突きだしています。土が剥き出しの地面に鋭い角 を持つ茶色の金属ブロックが散らばっています。数えてみると全部で10個です。それぞれ バラバラの方向に突きだしています。 占有スペースは、10メートル×20メートルというから300平方メートルほど。堅くて 鋭い物体の尖りが、人が足を踏み入れるのを拒みます。タイトルは「マイ・スカイ・ホール (my sky hole)」。「天を覗く私だけの穴」とでもいうのでしょうか? この奇妙な形の物体は良く見ると、二枚の鋼板が併行に組み合わされて空間が象られていま す。どうやらこれは地中から天を仰ぐ窓らしい。300平方メートルの地面の下は、地下室 なのかも知れません。キッチンもリビングも書斎も備えた私だけの生活空間がそこにある。 そして一日に幾度か見上げ、ホールから地上を覗く楽しみ。10個のホールはそれぞれ位置 も角度も違うから、それぞれ別の世界を見せてくれるのでは?はてさて、地下マイホームの 玄関は何処でしょう? 65 54」「開拓の祈り」(安山岩)木村 賢太郎 作 「石野の塊から彫りだされた単純化された祈りの姿。なめらかな石の肌合いにぬくもり と親しみが柔らかく息づく。」(野外美術館「ガイドパンフレット」から引用) 頭も顔も身体も真ん丸なアートが手を合わせてお祈りしていました。台座を含めても高さは 1メートル弱。可愛いらしい小さなアートです。「開拓の祈り」というタイトル。アートの 前に立って見つめると、思わず手を合わせてしまいます。人々が思わぬ危難を被らないよう にと必死に祈ってくれているようです。 はたまた未踏の大地を切り拓いた先達に祈りを捧げているのでしょうか?厳しくとも豊かな 恵みを与えてくれる自然への感謝の気持ちを表しているのでしょうか?それまでは蝦夷地と 呼ばれた最北の地は、明治2年(1869)の廃藩置県で北海道と改称され、この年に開拓使が 設けられて本州からの移民が本格化しました。裸同然で入植した人々は、厳寒の冬をやっと 越せる程度の掘立小屋を建て、荒涼たる自然に立ち向かって樹木を伐採し、原野を切り拓い て次々と農地に変えて街をつくりました。 アートはそんな人々の苦難のすべてを胸中に秘め、あの時の不撓不屈の精神を決して忘れて はならない!と、今の私達に語りかけているようにもみえてきます。明治2年(1869)から 数えて今年は 139 年目。まだ開道 150 年にも満たないのです。北の大地の限りない発展の 可能性を思います。 66 55」「異・空間」(ステンレス・マグネット他)内田 晴之 作 「ステンレスでできた逆三角形の形体が、真っ赤な枠には触れずに、鋭い頂点のみで自 立している。磁石の反発し合う力をたくみに利用して不思議な世界を見せる。」(野外 美術館「ガイドパンフレット」から引用) 木陰にひときわ目を引くアートがあります。先ほどからずっと目に入っていて、近くで見る のが楽しみでした。高さ3メートルを超える枠は真っ赤に塗られ、銀色のステンレスの台座 に乗せられて、枠の中には逆三角形の、これもステンレスでできた大きな物体が吊り下げら れています。 いや良く見ると、吊り下げられているのではなく、上部の枠と三角柱との間には僅かな隙間 があります。ということになると三角柱は、誰の助けも借りずに逆立ちしているのです。風 が吹けばゆらゆら揺れる。それでも枠からはみ出ることもないし倒れもしない。不思議です。 実はアートの内部に大きな磁石が埋め込まれているのです。磁石が反発し合う力で三角柱は、 見事な逆立ちを見せてくれていたのです。 ところで我々の住む地球は大きな磁石の塊です。そしてほかの惑星とともに太陽のまわりを 規則正しい軌道を描いてまわっています。枠と三角柱が引き合いながらも反発するアートの 中にそんな宇宙の摂理をみました。 67 56」「道標・鴉」(ブロンズ)柳原 義達 作 「作者の鋭い観察眼にもとづく生命感あふれる造形。人間のそばで図太く生きるカラス に深い愛情を寄せて長年つくり続ける連作は、自己の生き様が投影された生涯の道標。」 (野外美術館「ガイドパンフレット」から引用) そこの台座には3羽のカラスが止まっていました。つま先立ちになり片足を浮かせ、身体を 伸ばして何時でも飛び出せる体勢をとっています。カラスの構えには警戒心が漂っています。 こんな静かな森の中でもカラスは、緊張を緩めてゆったりするようなことはないのでしょう か? 作者は図太く生きるカラスの生命力を表したのだといいます。そう言えばカラスは、隙あら ばゴミの山に突進しようと、 「ゴミの日」に電線にとまってチャンスを窺う姿に似ています。 不吉な感じの黒い姿やガーガーがなり立てる鳴き声から受ける印象でから、確かにカラスは 気持ちのいい鳥とは言えません。 しかしこの彫刻は決して、カラスを忌み嫌うような気持ちから生まれてきてはいないのです。 作品の底流には、自らカラスを飼育するうちに芽生えた作者自身の飽くなき愛情が溢れてい るのだという。カラスは人にとって身近な鳥。「夕焼け小焼け」や「七つの子」に登場する カラスを思うと、人がどれほどカラスに親しみを抱いていたのかが分かります。日暮れ時に カラスと一緒に家路を急いだ遠いあの日が思い出されます。 68 57」「1・9・8・5知性沈下」(ステンレス)湯原 和夫 作 「鏡面に映し出された虚の世界と、その隙間から見える本物の風景が入り交じる。知性 不在の現代社会への風刺のように。」(野外美術館「ガイドパンフレット」から引用) 正方形の枠を縦横に組み合わせた銀色に輝くアートは、ジャングルジムのようです。童心に 返って直ぐにも駆け上がりたい気持ちにもなります。 鏡のような表面には森の樹木が、まるでそこに描かれたかのように映されています。吹く風 に任せて、木々の葉が揺れれば映る葉も揺れます。枠に映し出された風景が虚の世界、枠の 隙間から見える森が本物の世界。一瞥しただけでは入り乱れた虚実の区別が難しい。 「知性沈下」という名のこの作品は、虚実を見分ける力を失うと、知性が沈下してしまうと いう現代社会への警鐘なのでしょうか? 作品に吸い込まれ、「私の心の鏡にもありとあらゆるものが映し出されている。見えるもの だけではなく、目には見えない人の心までも・・・」と思います。 そのとき私は、虚実を見分けることが出来ているのか?正しくありのままを映しているか? そもそも心の鏡を曇らせてはいないだろうか?表面に映し出された様相の奥底に潜む、本物 の姿を見抜く大切さを思います。 69 58」「のどちんことはなのあな」(ブロンズ)堀内 正和 作 「ユーモラスなタイトルそのままの、のぞいて見る彫刻。鼻の穴を思わせるところをの ぞいてみると、のどちんこが笑っている。ウィンクすると・・・。」(野外美術館「ガ イドパンフレット」から引用) 肩幅より少し広めの立方体が1本の太くて円い支柱に乗っています。真ん中には大きな穴が 開けられ、その上に小さなふたつの穴が開いています。おやっ、こんなところに小鳥の巣箱 がある!いや、巣箱にしては大きすぎる。こんもりと繁った木の上ならともかく、人が往来 する道に面した住みかでは、小鳥だって落ち着くまい。タイトルを見ると、「のどちんこと はなのあな」と書かれています。そうです。これは、人間の顔だったのです。円い大きな穴 が口で、小さなふたつが鼻の穴なのです。 あんぐり開けた大きな口の奥に、立派なのどちんこが見えます。しかしどうももっと近づい て、ふたつの鼻の穴からのぞいて見ないと、この彫刻の本当の味が分からないらしい。そこ で両目で覗くと、のどちんこも両目を開けて笑いかけてくる。片目をつぶってウィンクする と、のどちんこもウィンクで応えてくれる。何というユーモアに溢れた楽しいアートなので しょう!創造力に感嘆しきり。これは眺めるアートではなく、のぞいて楽しむアートだった のです。ところで解説によると、覗いているつもりが、実はアートに覗かれているのだそう です。 70 59」「ベエが行く」(ブロンズ)掛井 五郎 作 「あかんベエをして、おどけた表情の女の子。子どもの落書きのような無邪気な造形の なかに、現代社会に対する皮肉めいたものが漂う。」(野外美術館「ガイドパンフレッ ト」から引用) 時を忘れるまでも「のどちんことはなのあな」を覗いて、十分に楽しんだところで振り向く と、大きな石の上に乗った埴輪のようなブロンズ像が見えます。つま先立ちになって片足を 浮かせて両手を広げ、今にも踊り出しそうなポーズです。しかし顔を良く見ると口を開けて 舌を出し「あかんべェ」をしているのです。 この子は「ベエ」という名の女の子。「あかんベエ」をしているから「ベエちゃん」です。 お下げ髪だから女の子。ぺろりと舌を出しておどけた表情が何とも愛らしい。 しかしあんまりそばへ近づくと「あかんベエ」の次には、「鬼さんこちら!」と手を叩いて 逃げられそうです。そうなると「よし、捕まえてやるぞ!」と追いかけっこです。ところで どうして「あかんベエ」なんかしているの?悪戯でもして見つかったのかな? そうではなく、大人達があんまり長いこと「のどちんことはなのあな」を覗いて、さっぱり 相手をしてくれないので業を煮やして、「あかんベエ」が出ちゃったのでしょうか?「もう いい加減、覗くのやめて!早くこっちへきて遊んでよ!」という声が聞こえてきそうです。 71 60」「幼いキリン・堅い土」(ブロンズ)淀井 敏夫 作 「動物園のかたい土の上で生まれたキリンの宿命。不安げに遠くを見つめる表情から幼 いキリンの緊張感が伝わってくる。」(野外美術館「ガイドパンフレット」から引用) おおよそ子供達がみたら「キリンさんがいた!」と叫び声を上げ、直ぐにも近づいて行くの でしょうが、このキリンにはそうたやすく人を寄せ付けない雰囲気があります。おそるおそ るそばに近づいてそっと顔を見上げる。「どうしたの?」と小さく声をかけてみる。それで もキリンは何も答えてくれません。首をのばせるだけ伸ばし、耳をピンと立て、大きな瞳を 見開いて、じっと遠くを見つめているだけ。 もう親離れしたのでしょうか?それとも餌をとりに行った親を待っているのでしょうか?し かしキリンは草食動物だから狩りはしないはず。このキリンからは、サバンナを思うがまま に駆け巡って悠々と木の葉を食む、あの伸び伸びした野生をうかがい知れません。タイトル は「幼いキリン・堅い土」。 動物園の狭い檻の片隅で、堅い土の上に座るキリンと作者が出会ったことから、この作品が 生まれたという。不安げな目、首をもたげ辺りに気を配り、一瞬も気を許すことのない緊張 感。檻の中で一生を終える宿命を背負って健気に生きるキリン。しかしここは広く豊かな森 の中。 「さぁ立ち上がって自由にはね回ってごらん!」との言葉が思わず口をついてでます。 72 61」「1・1・√2」(アルミ合金他)田中 薫 作 「折れ曲がった四角柱は、5分ごとに形を変える。動くおもしろさと次への変化を期待 させる。」(野外美術館「ガイドパンフレット」から引用) 時計を見ると、森に入って2時間近く経過していました。それのその筈、これまでに60も のアートと会ってきたのです。売店が見えます。しかし閑散としています。どうやら土・日 と祝日だけの営業のようで、平日の今日は閉じられています。自動販売機でお茶を買い喉を 潤すことにしました。 売店前のベンチに腰掛けて前方を見ました。上方が矩形に折れ曲がった角柱が立っています。 高さは、少なくとも5~6メーターはあるようです。タイトルは「1:1:√2」です。中 学生の時、数学で習ったあの「いちいちるーとに」です。そう言えば「いちにのるーとさん」 もありました。三角定規を思い浮かべます。それにしても何処が「1:1:√2」なのだろう? 解説によると、四角い柱の奥行き対幅が「1:√2」で、柱の長さも上から「1:1:√2」 なのだという。 ところでこのアートは、5分間毎に形を変えます。その形は全部で16通り。形は自然の力 で変わるのではない。アートにはモーターやコンピュータ、歯車が組み込まれているのです。 しかし形が変わっても、どの形も美しいことに変わりない。それは「1:1:√2」の比率 が変わらないから。見かけの姿形(すがたかたち)が変わっても、変わらぬものがあること の大切さを思います。 73 62」「鶏を抱く女」(ブロンズ)本郷 新 作 「どっしりと大地を踏みしめて立つ、野性的でたくましい女性像。」(野外美術館「ガ イドパンフレット」から引用) 売店の右手に目を移すと、何か大きな袋のようなものを抱えた女性像が見えます。近づいて 見ました。抱えているのは袋ではなく大きな鶏でした。 まるまると肥えた大きな鶏です。堂々と胸を張って軽々と、そして如何にも大事そうに抱き かかえています。鶏は、首を持ち上げて少女を見上げています。原点は、作者が少年時代に 出会った少女の姿にあるという。脳裏に焼き付いて消え失せることのないその姿を、今この ブロンズにしっかりと再現したようです。 タイトルは「鶏を抱く女」。すくっと立って目を凝らしてじっと遠くを見つめる少女。一体 どこを見つめているのでしょうか?今にも駆け出しそうなしなやかな脚。女性とは思えない ほど鍛え抜かれたアスリートのような逞しい体躯。前に立つと、像の高さは2メートル近く もあり圧倒されます。 人と鶏との歴史は長く、古くは紀元前にも遡るようです。にわとりは「庭のとり」といって、 「野のとり」と区別されてきました。どうやらこのとりは少女の友達らしい。森の何処かで 放たれて思う存分木々の間を駆け巡るのでしょうか? 74 63」「女・夏」(ブロンズ)佐藤 忠良 作 「池を背景にひときわ存在を主張するのびやかな女性像。」(野外美術館「ガイドパン フレット」から引用) 小さな谷間のせせらぎから注がれる流れを溜めて池がつくられていました。池の傍らの台座 には、左足を少し浮かせて突きだした腰に右手をあて、全身で逆S字ポーズをとった女性が 立っています。 首を傾げて、じいっと水面を見つめています。滾々と湧き出る清流に透かされた池に見とれ ているのでしょうか?それとも淡い夏の陽を受けて水辺に咲く名もない花に心を寄せている のでしょうか?ここは広場の中心です。解説によるとここに、人々に憩いとくつろぎを与え るような作品を、という札幌市の依頼によってこのアートができあがったのだという。 タイトルは「女・夏」。北の大地の雄大な大自然を表しているというこの作品。若き女性の 全身から、北国の短い夏を謳歌している気配が伝わってきます。女性の姿は、まわりの景色 にすっかり溶け込んでいます。こんなにもこんもりとした豊かな森という舞台が与えられた からこそ思わずして、これほど伸びやかなポーズがとれたのだろうと思います。 それほどにもこの森は懐が深いのです。森の奥から原始の命の息づかいが聞こえます。今日 の日、森でほんの僅かな時を過ごしているだけなのに、生気が漲る自分に気づきます。 75 64」「浮游」(ブロンズ)山内 壮夫 作 「薄衣を身にまとい、空に漂う単純化された天女の姿。」(野外美術館「ガイドパンフ レット」から引用) 鶏を抱く女」と「女・夏」。どちらもしっかりと大地を踏みしめた女たちでした。ところが この像はそれとは違って空を飛んでいるのです。2メートルほどもあるこの像は、薄い衣を 身に纏って、軽々と宙を舞う女性の姿です。夏の日のそよ風に乗って森の中を散歩している のでしょうか? 身体を真横にして、両脚を思い切り伸ばし、両手を胴体にぴたりとつけています。流線型の スタイルをとって、できるだけ風の抵抗を少なくしようというのでしょう。やわらかな風が 頬をかすめました。そのとき像が、ふぁっと持ち上がったように見えました。吹く風に身を 任せて、次から次へとアート達を訪ねながら、空中散歩を楽しんでいるのです。 タイトルは「浮游」とある。なるほどこれは、天女がふありふありと漂う姿なのです。天女 なら空から舞い降りてきたはず。でも今何故こんなところへ?それはこの森に、こんなにも 大勢のアート達が集まっているからです。今日の日は、北国ではまたとない穏やかな夏の日。 今日はアート達を訪ねる絶好の日和です。それほど高さがない像は、冬にになると雪の下に 埋もれて隠れてしまうかも知れない。いやその時にはきっと、厳しい北の冬の寒さを逃れて 天に帰っているのでしょう。 76 65」「はやぶさ」(ブロンズ)山内 壮夫 作 「すばやく飛ぶハヤブサの勇壮な動きを、単純化した形であらわしている。」(野外美 術館「ガイドパンフレット」から引用) 「はやぶさ」です。アート越しに遠くを見ると、「夏・女」が池に影を落とし、首を傾げて 水面を見下ろしている姿があります。その奥には「1:1:√2」と休憩所が見えます。 さて「浮游」の天女の隣に並ぶ「はやぶさ」。これは「飛翔」と呼ぶに相応しい。身を任せ て宙に漂うのが「浮遊」なら、「飛翔」は目指す目標に鋭く突っ込む姿。「浮遊」が華麗で やさしい天女の舞なら、「飛翔」は勇猛果敢な勇者の挙動。「浮游」が風に和して浮かぶ姿 なら、「飛翔」は風に抗して宙を切り裂く姿。「浮游」と「はやぶさ」の作者は同一人物で す。二つの作品はいずれも、宙に浮かばせるというテーマは一緒でも、対称的なそれぞれの 違いを際だたせるデフォルメで仕上げられているのです。 彫像は良く見ると、上部の「はやぶさ」と下部の円形が流れたようなパーツを組み合わせて 造られています。アートの上部の「はやぶさ」はまさに空を切って飛ぶ様子、下部はその時、 「はやぶさ」が起こした渦巻く空気の流れのように見えます。 解説によると作品は、空気の流れまでも視覚化しているのだという。こうして「はやぶさ」 のスピード感が強く鋭く伝わるように練り上げられているのです。 77 66」「少年の像」(ブロンズ)佐藤 忠良 作 「手を前で結び、遠くを見据えながら少し背伸びをした少年の姿に、大人への憧憬が感 じられる。」(野外美術館「ガイドパンフレット」から引用) 小さな谷間のせせらぎの音が、耳に心地よく響きます。その脇道を登る道すがら、それほど 大きくはなく、少し遠目にみても少年と分かる像がありました。モデルは作者の孫の竜平君 (当時12歳)だという。 真っ直ぐに背筋を伸ばし、直立不動の姿勢で立ち、両手を前に合わせています。閉じられて はいても、きりりとした口元からは、今にも言葉が発せられそうです。じっと見つめる目の 先には祖父の作者がいるようです。少年は、祖父に何か語りかけようとしているのでしょう か?12歳といえば中学1年生。子ども時代に別れを告げて、大人へ向かう第一歩を踏み出 す時期。「僕はもう大人なんだ!おじいちゃん心配しなくていいよ!」と言う声が聞こえて きそうです。 アートの制作当時の年齢から推測すると、少年は北海道開拓者の4代目にあたりそうです。 北海道の開拓は、明治2年(1869)の廃藩置県から始まったので、今年は 139 年目。解説に 「まだ見ぬ未来へのまなざし」とある。純真な心と若々しく伸びゆく肢体。夢をいっぱいに 膨らませる少年の姿は、北の自然の限りない未来をも象徴しているように映ります。 78 67」「冬の像」(ブロンズ)佐藤 忠良 作 「直立した動きのないポーズと物静かな表情のなかに、女性の内面的な美しさが漂う。」 (野外美術館「ガイドパンフレット」から引用) せせらぎを中に夾み、「少年の像」の対岸に女性の像が見えます。コートをがっちり着込み 両脚をブーツで包み込んでいます。 タイトルは「冬の像」。冬の厳しい寒さを耐え抜く北国の女性の姿です。すくっと立って、 右手を下に左手を上にして胸の前で交叉させています。少年像がしっかりと遠くを見据えて いたのに対し、この女性像は伏し目がち。何かに向かい、ひたすら祈りを捧げています。 直立不動の姿勢からは、確かに動きもなく物静かな様子しか伝わってきません。なるほど、 こうして女性の内面的な美しさを表したのだという。少年の像と比べると一段と低く、高さ 1メートルほどのこの小さな像。しかし前に立ってじっとみていると、この小さな身体から 果てしのない慈愛が溢れでているのを感じます。 解説によると「小さなからだに宿るあたたかな生命感」とある。半年もの冬の間、雪に閉ざ され寒さに耐える精神力が、こんな心の暖かさを育んできたのでしょう。実際に冬に訪ねて みたらどうでしょう。からだ半分が雪に埋もれて、上半身だけが覗いている様子は、まわり の雪を溶かすほどにもっと暖かく映るように思えます。 79 68」「足なげる女」(ブロンズ)佐藤 忠良 作 「足を大胆に広げ、上半身を斜めにそらしたポーズは、気取りがなく、健康で開放的。」 (野外美術館「ガイドパンフレット」から引用) 小鳥の鳴き声と小さなせせらぎの音、目に染みる緑と北国の森のほのかな夏の香り、そして 時々頬をよぎる優しい風。こんな自然に身を置いたら誰でも、こんなポーズをとりたくなる でしょう。微塵の警戒心も抱かずに伸び伸びと森に身を預ける女性像。見ているうちに釣ら れて、思わず両手をいっぱいに広げ、つま先立ちになり、身体を反らして伸びをしてしまい ました。 タイトルは「足なげる女」。解説によると、モデルは木曽出身の素朴な女性だという。森の 中で育ったから、これほどまで森に溶け込んだ感じを与えてくれるのだろうか?思いっきり 伸びをした次には、私も椅子に腰掛けて足を投げ出したい気分に陥ります。どこかに椅子の かわりになるような適当な根株は無いものかと探しましたが見あたりません。 どうやら森で会えるアート達も残り少なくなりました。すべてのアートと会ってしまったら、 森の出口のベンチに腰掛けて、同じポーズをとることにしよう!傾げた頭から胴体、両手、 両脚への流れがスムースで美しい。若さが溢れ出る肢体と投げ出す脚に、開放的な気持ちを 存分に乗せているようです。 近づいて顔を覗きました。今森の優しさに包まれている満足感に浸りきった表情を見ました。 80 69」「顔」(ブロンズ)佐藤 忠良 作 「演劇志望の女性がモデル。意志の強さを内に秘めた個性の強い顔だちは、力強くたく ましい。」(野外美術館「ガイドパンフレット」から引用) 広場の中心の「女・夏」に始まって、「少年の像」、「冬の像」、「足投げる女」と続いて、 小さな流れの沢の両脇に佇む佐藤忠良の作品は全部で5つ。沢の一番奥に5番目の作品、 「顔」 がありました。大づくりでくっきりした目鼻立ち。しっかりと前方を見つめる眼差し。きり っと閉じた口元。見るからに意志堅固な表情です。 モデルは作者の娘で女優の佐藤オリヱの友人だという。彼女も女優志願。目下女優への道を まっしぐら、厳しい修行の真っ直中にいるのでしょう。険しい表情です。しかしその表情を じっと見つめていると、夢を抱いて、希望に胸を膨らませ、あくなき自分の可能性を信じて 進む、ひたむきさが伝わってきます。 そう言えば「男の顔は履歴書」と言ったのは大宅壮一だったし、「男は40過ぎたら自分の 顔に責任を持て」と言ったのはリンカーンでした。年をとるに連れて「顔」が変わることは 誰もが承知していること。女の顔もまた同じ。時を経るほどに、一筋一筋の年輪がうかがわ れる履歴書の筈。 問題はその顔の襞に、厳しい自分との闘いから得られた人への優しさが、どれほど刻まれて いるかということなのでしょう。 81 ヴィーゲラン広場 さて佐藤忠良の作品を心ゆくまで堪能してから、沢を登り詰めると小さな広場がありました。 周辺を5体の彫刻が取り囲んでいます。一歩足を踏み入れるとこれまでとはちょっと違って、 異国を訪ねたような感覚に陥ります。ここにはノーベル平和賞のメダルをデザインしたこと でも知られる、ノルウェーのグスタフ・ヴィーゲラン(Gustav Vigeland 1869-1943) の作品が集められています。いよいよクライマックス。芸術の森の最終章を飾るアート達の 登場です。 広場の口のレリーフに次のように記されています。 ビーゲランはノルウェーを代表する偉大な彫刻家です。 その作品は、作者とオスロ市との契約により、市内の ビーゲラン彫刻公園と美術館に収められており、作者の 没後は門外不出とされてきましたが、オスロ市の特別な ご好意により、オリジナル作品5点を、札幌芸術の森に 設置展示することが可能となったものです。 いままでビーゲランの作品は、ノルウェー国外で屋外 設置された例は非常に少なく、また5点もの作品が一ヶ 所に集められ常設展示されたことも、オスロ市以外では 初めてのことで、札幌芸術の森が世界に誇り得る貴重な 作品コレクションです。」 「芸術の森のアート達」との出会いの最後に、5つのアート達との戯れを綴ります。 82 70」「腰に手をあてて立つ男」(ブロンズ)グスタフ・ヴィーゲラン 作(ノルウェー) 「おおらかな丸みをもつ形に、親しみやすさと強くたくましい男の息づかいが伝わる。」 (野外美術館「ガイドパンフレット」から引用) ヴィーゲラン広場に入って左手の、最初に出会うアートが「腰に手をあてて立つ男」。堂々 たる体躯。両手を腰にあてて、うつむき加減。右足を一歩前に踏み出しています。像の高さ は1メートル 95 センチ。台座を含めると、2メートルをはるかに超えます。アートの前に 立つとぐっと睨まれて、上からのしかかられそうな気持ちに襲われます。 どうみても恐ろしく近寄りがたい大男の像。しかしガイドパンフレットには「親しみやすさ と・・・云々」とある。どこに親しみやすさが見られるのだろうと近くに寄って見上げる。 離れて見るのとは違って、下から見上げる表情は決して怖くはありません。そこには、人を 責めたり見張ったりする目でなく、何かを優しくじっと見守る目がありました。 解説によると男は、「父の威厳と包容力」を表しているのだという。なるほど!像は父親の 姿なのです。まるみを帯びたがっしりした身体には、厳しくとも頼れる父の貫禄が見られま す。「母なる大地」にどっしり立つ「父の像」。「父なる空」の姿です。父親の目の先には、 これから先、独り立ちしようとする子どもがいます。愛情いっぱいに母が育ててきた我が子 を、いよいよここで父親の出番とばかりに、今大空へと大きく羽ばたかせようと促している のでしょう。 83 71」「男と女」(ブロンズ)グスタフ・ヴィーゲラン 作(ノルウェー) 「ヴィーゲランの比較的初期の作品。写実的な表現によって、男女の複雑な愛の葛藤が 感じられる。」」(野外美術館「ガイドパンフレット」から引用) ヴィーゲランは、人の人生のさまざまな場面を彫刻にして表現したのだといいます。広場に ある5体の彫刻はすべてそんな人々の姿ばかりです。偉大な「空なる父」の隣に並ぶアート が「男と女」。すがりついて女性の下肢に顔を埋める男。女は男の頭を押さえ、突き放そう としているのでしょうか?近づいてみると、男の表情には一途なひたむきさが、女の表情に は清らかな優しさがありました。二人は離ればなれになっていて、今やっと再会を果たした 恋人同士なのか? 男と女の姿を見つめていると、今にも男の慟哭と女のすすり泣きが聞こえてきそうなリアル な感じが伝わってきます。ガイドパンフレットにも「写実的な表現」とある。男の姿を見て 思うのは、「真面目に恋をする男は、恋人の前では困惑したり拙劣であり愛嬌もろくにない ものである。」というカントの言葉。女の姿を見て思うのは、「すべての偉大なる恋愛のう らには母性愛がある。真の女らしい女たちが男の力を愛するのは男の弱さを知っているから である。」というモーロアの言葉。 解説には「男女の複雑な愛の葛藤が感じられる」と記されています。ゲーテの言葉が脳裏を 掠めます。「難しいのは愛することではなく、愛されることである。」と。 84 72」「トライアングル」(ブロンズ)グスタフ・ヴィーゲラン 作(ノルウェー) 「男一人、女二人でつくられた逆三角形。人間の命は永遠に受け継がれていくという『生 命の循環』の思想が、三人の身体をつなぎあわせて力強く象徴的に表現されている。」 (野外美術館「ガイドパンフレット」から引用) これはサーカスなのかアクロバットなのか?3人の男女が、両手両脚をつないで逆三角形を つくり、空中を飛ぶようにしてしています。淡い北国の青空と緑の森を背景に、伸びやかで しなやかな3つの肢体がひとつに同化して夏の陽に照り、重厚な緑青色の輝きを見せてくれ ています。 トライアングルは、頂点が下に来ると不安定になって動きが出てきます。アートは3人の頭 を先にして、今にも右回りに回転しそうです。3人が両手で相手の両脚をしっかりと握って つながっています。もうこれで離れてしまうことなど絶対に有り得ないように見えます。 ガイドパンフレットに「生命循環の思想を表現している」とあります。アートからは、永遠 に受け継がれていく命の移り変わりを見ることができるのです。 アートの3人の口からは、“お互いにしっかりと結びつかなれば、人の命は受け継がれませ んよ!”というつぶやきが聞こえてきそうです。希薄化しがちな現代の人と人との心模様。 “もっともっと強い絆を!”生きとし生けるものすべてへの警鐘のように思えてくるのです。 85 73」「木の枝をすべりぬける少女」 (ブロンズ)グスタフ・ヴィーゲラン 作(ノルウェー) 「人間の誕生から死までの姿を、生命の象徴としての木と組み合わせた20点のシリー ズのひとつ。若々しいエネルギーが躍動するなかに、思春期特有の戸惑いと不安が漂う。」 (野外美術館「ガイドパンフレット」から引用) これは一体何なのでしょう?大きな籠を逆さまにしたような中から上半身を乗り出した少女 は、今にも地面に真っ逆さまに滑り落ちそうです。「このまま頭から落ちたら大変!顔でも 擦りむいたらおおごとになる!」とばかりに、思わず手を差し伸べたくなります。 少女の表情は驚き怯えているように見えます。小さく握りこぶしをつくって胸に両手をあて がい、飛び出そうか飛び出すまいかとためらっているのでしょうか?少女を包んでいたのは 木でした。木の枝が束ねられてゆりかごのような形状をしているのです。これまで少女は木 の籠に守られ、何の不安もなく健やかに育ってきたのでしょう。解説には、“君は何を怖が っているの?”とあります。思春期の少女が、生命を象徴する木の籠から飛び出そうとする 様子を表したものだという。 自我が目覚めはじめた少女。もう籠の中に止まっているわけにはいかない。多くの庇護から 離れて自立への一歩を踏み出そうとしています。そして籠を抜け出して地上に立った時には、 少女の思いは段々と、不安から希望へと変わっていくことでしょう? 86 74」「母と子」(ブロンズ)グスタフ・ヴィーゲラン 作(ノルウェー) 「生の喜びを全身で表す母と子。安心しきってはしゃぐ子どもと、わが子を掲げて走る 母親は、躍動感にあふれ深い愛情ときずなが伝わる。」(野外美術館「ガイドパンフレ ット」から引用) さて広場の入口に立つのが父親の像なら、広場の最後を飾るのは、母親と赤ん坊の像です。 広場の様々な人間模様を締めくくるアート達。赤ん坊を両の腕で高く掲げる母親。 “たかい! たかい!”とあやす母親、“きゃっきゃっ”と喜ぶ赤ん坊の叫び声が聞こえてくるようです。 母親の満面の笑み、赤ん坊への限りない愛情が溢れています。信頼しきった赤ん坊は、母親 の目を見つめて離しません。男の子のようです。母親は赤ん坊を掲げたまま、長い髪を風に なびかせて走り出しました。こうして広場を一日に何周もするのでしょうか?そして辿り着 く先は、広場の入口の「腰に手をあてて立つ男」の像の元。そうです。父親の像の前で止ま りました。母親が赤ん坊を父親に渡したその時、父親は肩車をしてくれるのでしょうか? 広場で僅か5体のアートに会っただけでも、人生の縮図を見たような気がします。ところが ノルウェーのフログネル公園には、193 体ものヴィーゲランの彫刻が野外展示されていると いう。いつか彼の地を訪ねる日が来ることを願わずにいられません。 87 -結び- 「芸術の森」で「森の芸術」に出会う! 今年で開園20周年を迎える札幌「芸術の森」。札幌市南の丘陵地にあります。原始の面影 そのままの大自然の懐に抱かれて、数々の芸術作品や施設が静かな佇まいを見せていました。 作品を発表して鑑賞もできる「美術館」や「工芸館」。創作実演を見て、自ら体験もできる 「クラフト工房」や「ガラス・陶工房」に「木工房」。「野外ステージ」では、屡々音楽会 や演劇が催されています。さてお目当ては「野外美術館」。ここには70点以上もの彫刻が 展示されています。順路に従い、ゆっくりと観て廻りました。アート達は、遊歩道脇や森の 木々の中、水辺や芝生の一角に、きままに配置されています。人の創った作品が持ち込まれ てここに置かれたのではなく、ずっと昔からこの地に存在していたかのようです。ところが アートを全て見終えて、森にはもっと大事な何かがあることに気づきました。「森の芸術」 です。つまり森自らが創作した芸術がここにはあったのです。繁茂する木々、倒木に絡まる 蔦、白樺林、苔むした岩、草花、風で擦れる枝葉の音、虫や小動物の動き、野鳥のさえずり、 清冽なせせらぎ、水面に揺らめく風景等々。来週早々にも再び森を訪ねることにしました。 平成 18 年 8 月 1 日 平成 19 年 7 月 25 日発行 著者・写真:佐 藤 【非売品】 徹(エルム マネジメント オフィス 代表) e-mail:[email protected] URL: http://www.eonet.ne.jp/~hello-elm/ 88
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