西洋中世学会第5回大会 自由論題報告・報告要旨

西洋中世学会第5回大会
自由論題報告・報告要旨
第1報告
15~16 世紀ドイツにおける「公益」概念の再考
小沼 明生(首都大学東京(非常勤)
)
15 世紀から 16 世紀にかけてのドイツ語圏で、「Gemeiner Nutzen あるいは Gemeinnutz,
Gemein Nutz(公共の福祉、あるいは公益)」の語が盛んに使用されていたことが知られている。
この語は政治闘争の文脈の中で、あるいは支配の在り方をめぐって発せられることが多く、それ
ゆえ中世末期から近世初頭の権力の再編と結び付けられて理解されてきたと言えるだろう。すな
わち、都市当局による都市内への支配権の貫徹やその領域の拡大という状況、また帝国改造をめ
ぐる政治状況の中で、そして領邦国家の伸長とその支配の在り方について、支配や抵抗、そして
正当性の根拠を示すための概念として理解されてきた。一方、この語はもともと都市の中での商
業インフラとその利用について使われてきたという指摘もなされている。中世後期の都市の政治
状況の中で、その用法が拡大していったというのである。近年のドイツ語圏での研究においても、
「公益」の語のさまざまな局面での使用が指摘されている。しかしながら、その用法の全体像を
理解するにはまだ長い道のりが残されていると言わざるを得ない。一方、ドイツ中世史において
は近年史料の整理と刊行が急速に進んでおり、以前の議論の中では論じ尽くせなかった問題に光
を当てられる可能性が開けてきている。
それゆえ本報告では、こうした研究状況への一助として、この概念の意味内容とそれがおかれ
た社会的状況を一定の範囲内で整理、再考することを目的としたい。まず、この概念がこれまで
の研究においてどのように扱われ、理解されてきたかという点を整理し、その上でこの語の使用
状況を改めて観察する。その際、都市の公的文書、会計簿、年代記、そして「上ラインの改革者」
による一連の政治思想を記した文書などを用いる予定である。この語がいかなる文脈やキーワー
ドとともに使われる傾向があり、意味内容にどれほどの幅があるのかについて整理する。
こうした史料の観察と再考から、限定的かつ部分的ではあれ、「公共の福祉」あるいは「公益」
の語が西洋の歴史の中で果たしてきた役割についての理解の一助となることを望みたい。
第2報告
トンマーゾ・カンパネッラ著『哲学詩集』への一考察
澤井 繁男(関西大学)
今回の発表の〈目的〉は、一言でいえば、汎知的な人物であるトンマーゾ・カンパネッラ
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(1569-1639 年)が、同時に汎感覚的傾向の持ち主であるのを示したいことにある。『哲学詩集』
とは、いかにも詩集らしくない表題だが、そこにカンパネッラらしさが体現されており、哲学も
詩で語れるという気概がみうけられる。
〈方法〉としては、彼の詩の系譜を遡りながら、いずれに
その源泉があるかを探る、という姿勢で、彼の詩の文学的位置づけを試みる。まず、同郷カラブ
リアのベルナルディーノ・テレジオ(1509-88 年)の思想に感銘を受け、師と仰いだことから出
発して、ルクレティウス『物の本質について』
、そして、エピクロスの書に行きつく過程をたどっ
ていくことになるであろう。
そこには生命や太陽の賛歌があり、実際、そのような詩も謳われて、ルネサンス・プラトン主
義やヘルメス思想の影響も濃厚である。
イタリア・ルネサンス末期に生き、自然哲学者ガリレイとも友人であった自然魔術師カンパネ
ッラだが、その裡なる吐露が、はからずも多神教的異端詩であり、いかにも南イタリア出身の人
物らしく、その底流にヘレニズム文化の刻印をとどめた「文芸作品」を遺してくれた。報告の〈意
義〉としては、そこにこそカンパネッラの詩人としての存在理由があることの確認まで出来れば、
と思っている。
第3報告
ミンネザングと第 3 回十字軍―― 神への奉仕とミンネの葛藤――
田中 一嘉(成蹊大学)
本発表では第 3 回十字軍(1189-92)およびドイツ十字軍(1197-98)が企図された時期に詩作活
動をしていた詩人フリードリヒ・フォン・ハウゼン、ハインリヒ・フォン・ルッゲ、アルプレヒ
ト・フォン・ヨハンスドルフ、ハルトマン・フォン・アウエのミンネザングにおける「十字軍歌」
に着目し、詩人と十字軍との関わり方と十字軍に対する当時の人々の意識を読み取っていく。こ
の時代はすでに成熟期に入った中世フランス文学との交流が本格化した時期と重なっており、ト
ルバドゥール・トルヴェールの十字軍歌などの影響関係を参照しながら考察を進める。
本発表でとりあげる作品は十字軍への参加の決意表明、あるいは恋人や故郷との別離に対する
心の葛藤を謡ったものであるが、宗教的動機(信仰心)と世俗的動機(ミンネ=愛・恋愛)
、いず
れに力点を置くかは詩人によって違う。ミンネザング研究では、特にミンネ(相・恋愛)を主題
と し た 詩 作 は 個 人 的 な 「 体 験 詩 ( Erlebnisdichtung )」 で は な く 、 理 念 化 さ れ た 「 役 割 の 詩
(Rollendichtung)」である、という常套句が主導的テーゼとして認められている。しかし、十字軍
歌の場合、ミンネの理念性が孕んでいる問題性と実際に十字軍に従軍するという時事性・現実性
が問題となる。この問題は、多くの詩作で「心と身体の分離」という形で顕在化している。この
ことは、婦人奉仕の観念と実際的な神への奉仕という二重構造ゆえに引き起こされるものである
が、いずれの場合も封建体制における主従関係のすり替えであるとも言える。
また、十字軍歌は政治詩のジャンルにも近く、社会批判的内容を含んでいることから、詩作に描
かれている理念的な要素(理想像や教訓)の前提として、実際的な現実の存在が認められる。以
上の点を踏まえると、当時の人々は、奉仕の二重構造に見られるような中世の宮廷社会における
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聖と俗のダブルスタンダードの世界の中で、十字軍という目の前に突き付けられた現実に対して、
時には決然と、時には動揺しながら生きねばならなかったと言える。
第4報告
13 世紀のゴシック彫刻と旧約聖書『雅歌』註解――「聖母戴冠」図像と
花嫁の神秘主義――
仲間 絢(京都大学大学院/日本学術振興会特別研究員/ミュンヘン中央美術史研究所客員研究
員)
1170 年頃、サンリス大聖堂西正面扉口にて誕生した「聖母戴冠」図像は、神もしくはキリスト
と聖母マリアを同等の玉座に座す夫婦像として描いた革新的なイメージであった。図像成立の主
な契機は、オリゲネス、クレルヴォーの聖ベルナルドゥス、そして聖母学を背景としたホノリウ
ス・アウグストドゥネンシスなどの旧約聖書の『雅歌』の註解である。
『雅歌』は教会の最高の栄
光を表す原典であり、註解者たちは神もしくはキリストを「天上の花婿 sponsus」、そして聖母マ
リア、エクレシア、または信者の個々の魂を「天上の花嫁 sponsa」と解釈した。
本報告では、オットー・フォン・ジムソンが早期の段階で指摘しながらも、先行研究ではほと
んど考察されなかった、13 世紀ドイツ語圏ゴシック聖堂彫刻のイメージ・プログラムにおける『雅
歌』註解の役割を探る。イル・ド・フランスの「聖母戴冠」図像を受け継ぎながら、騎士の宮廷
文化を背景とした異なるコンテクストにおいて『雅歌』註解を参照したと考えられる。ストラス
ブール大聖堂やマグデブルク大聖堂についての先行研究の指摘を確認しつつ、新たに《騎馬像》、
《聖母像》、
《冠を掲げる天使像》
(バンベルク大聖堂聖ゲオルギウス内陣障、1225-35 年頃)、
《キ
リストと聖母による聖フランシスコと聖エリーザベトの戴冠》
(マールブルク聖エリーザベト教会
内陣、1250 年頃)、
《エッケハルトとウタの像》
(ナウムブルク大聖堂聖ペテロ内陣、1243-49 年)
などの作品を例として、
『雅歌』註解の重要性を指摘したい。
キリスト教世界において重要な意味を持ち続けたものの、
『雅歌』註解の伝統は一部文学史の分
野以外では未だ十分な研究がなされていない。本報告では、ゴシック美術の聖母図像の主要主題
の背景にある『雅歌』註解を、とくに「聖母戴冠」図像と花嫁の神秘主義において明らかにし、
新たにドイツ語圏のゴシック彫刻の特性を抽出することを試みる。
第5報告
Sir Gawain を襲う危機――リチャードⅡ世と 14 世紀末のチェッシャー地
域――
岡本 広毅(立教大学大学院)
中英語ロマンス作品を考える上で、虚構色の強い「冒険譚」の背後に潜む歴史的・文化的背景
を鑑みた解釈がますます求められている。14 世紀末に書かれたとされる中世アーサー王ロマンス
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Sir Gawain and the Green Knight においても、当時の時代背景を踏まえた研究が活発に行われてい
る。中でも、2001 年に出版された John Bowers の The Politics of Pearl: Court Poetry in the Age of
Richard II は、多角的な視点からリチャード二世の時代の反響をガウェイン詩人の作品に見出した
好著であるが、Pearl に力点が置かれているため、本作品の検証が十分になされているとは言え
ない。例えば、リチャード二世とチェッシャー地域との結びつきが重視されてはいるものの、ガ
ウェインがその地域で経験する出来事に関して「第三フィットは全体として国王宮廷人に対する
辛辣な風刺として捉えられる」とごく簡潔に推論するに留め、本作品自体に接近した具体的な検
討を控えている。本発表ではまず、ガウェインが地方の滞在先で受ける試練の一つである奥方の
誘惑の場面を、詩人の用いる語彙や文体から精密に分析し、騎士の受動的な振る舞いの意味を考
察する。奥方と円卓の騎士の一連の攻防は、当時「戦よりも寝室での遊戯に耽っている」と揶揄
された国王とその宮廷人の状況を映し出す実に象徴的な場面となっており、対仏関係において非
好戦的な姿勢を保った国王の政策が見え隠れしているように思われる。さらに、ガウェインの「戦
場」として表されるこの誘惑の場面は、本作品の冒頭を飾るトロイ人の西方諸国への植民とその
余波 (bliss and blunder l.18) を想起させることを指摘する。ブリテン島の起源と発展に深く関わる
トロイ人建国の叙述は、その後に続く騎士のチェッシャー地域への旅を占う上で重要な意味合い
を帯びてくるのである。このように本発表では、当時のリチャード二世の地域的・政治的動向を
踏まえつつ、本作品で描かれるガウェインの地方での経験とその意味を検討する。
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