「イラク戦争とジャーナリズム」 日本マス・コミュニケーション学会 韓 国 言

第 11 回日韓国際シンポジウム
プログラム・報告集
「イラク戦争とジャーナリズム」
2003 年 9 月 21 日
法政大学市ヶ谷キャンパス
ボアソナードタワー
スカイホール
日本マス・コミュニケーション学会
韓 国 言 論 学 会
第 11 回日韓国際シンポジウム
「イラク戦争とジャーナリズム」
日本マス・コミュニケーション学会/韓国言論学会
2003年9月21日(日)10:00∼17:00
法政大学市ヶ谷キャンパス(ボアソナードタワー)スカイホール
9:30
∼
受
付
総合司会=鈴木雄雅(上智大学)
10:00
開会挨拶
日本マス・コミュニケーション学会会長
韓国言論学会会長
鶴木 眞(十文字学園女子大学)
金 珉煥(高麗大学)
10:30 ∼
第1部 基調報告
「ニュースとしての戦争―求められるジャーナリズムの総点検」
武市 英雄(大妻女子大学)
「発展的なアジア・コミュニケーション共同体を目指して」
呉
澤燮(高麗大学)
12:00∼13:00 昼食・休憩
13:00∼15:00
第2部 特別報告
「攻撃される側」からの視点
柴田 徹(TBS)
「イラク戦争取材記」
姜 仁仙(朝鮮日報)
第3部 問題提起
「イラク戦争とジャーナリズム」
柴田 鉄治(国際基督教大学)
「テレビジャーナリズムの米・イラク戦争報道
−アメリカ式オリエンタリズム論からの考察」 黄 仁性(西江大学)
15:00∼15:20
コーヒーブレーク
15:20∼17:30
第4部
17:30
討論とパネル・ディスカッション
司会=鈴木みどり(立命館大学)
―報告者とともに−
宮崎 寿子(東京工科大学) 伊藤 英一(日本大学)
崔
賢哲(高麗大学)
金
昌龍(仁済大学)
閉会挨拶
大会実行委員長
18:00∼19:30
懇 親 会
朴 明珍(ソウル大学)
《韓国言論学会参加者》
金 珉煥 (高麗大学、会長)
呉 澤燮 (高麗大学)
姜 仁仙 (朝鮮日報)
黄 仁性 (西江大学)
崔 賢哲 (高麗大学)
金 昌龍 (仁濟大学)
金 光洙 (高麗大学)
Noh Ghee-Young(翰林大学)
李 鎬圭 (東國大学)
李 東候 (仁川大学)
夫 敬喜 (光云大学)
朴 宣姫 (朝鮮大学)
朴
尹
金
李
李
韓
趙
明珍
錫敏
姫辰
準雄
珉奎
鎭萬
慶雅
(ソウル大学)
(ソウル大学)
(延世大学)
(ソウル大学)
(中央大学)
(江原大学)
(事務局長)
《第11回日韓シンポジウム 大会実行委員会》
大会会長
鶴木 眞(日本マス・コミュニケーション学会会長)
大会実行委員長 鈴木雄雅(上智大学)
国際交流委員会担当理事 鈴木みどり(立命館大学)、柴田鉄治(国際基督教大学)
同 委員 伊藤英一(日本大学)、大畑裕嗣(東洋大学)、奥野昌宏(成蹊大学)、
川竹和夫(白川プロ)、隅井孝雄(京都学園大学)、西村秀樹(MBS毎日放送)、
長谷川倫子(東京経済大学)、宮崎寿子(東京工科大学)
委 員
今田 昭(日本新聞教育文化財団)、大石 裕(慶応義塾大学)、
小川浩一(東海大学)、金山 勉(上智大学)、原 由美子(NHK)、
藤田真文(法政大学)、本橋春紀(日本民間放送連盟)
事務局
法政大学
翻訳・通訳協力者 申 ギョンヒ、文 ヨンジュ、沈 成恩、金 京煥、金 錫遠、蔡 星慧
(以上上智大学院)、金 美林、李 洪千(慶應義塾大学院)ほか
《会長あいさつ》
日本マス・コミュニケーション学会会長
鶴木
眞(十文字学園女子大学)
日本マス・コミュニケーション学会と韓国言論学会との交流は、両国の研究者の間に強
い人間的絆を築いてまいりました。
近年、両国の大学や研究機関の間で個別的な研究協力計画も多く締結され、マス・コミ
ュニケーション研究に関するセミナーやシンポジウムが頻繁に開催されるようになったこ
とは、まことに喜ばしいことです。
この学術交流の状況は、学会同士の長い交流の歴史が存在したからこそ可能になったの
です。両国とも、今日では多くの研究者がアメリカやイギリスに留学するようになり、国
際語としての英語を使うことが出来る人の数は増えていますが、両学会が交流をはじめた
時に、シンポジウムでの公用語は、日本語と韓国語にすることにしました。なぜなら、英
語を使う機会は、国際学会への参加で満たされるからです。
しかし、中国を含めた北東アジア文化圏に属する私たちが、築き上げてきたコミュニケ
ーション文化は、ヨーロッパのヘレニズム・キリスト教文化圏に属する人々のそれと異な
る点を多く持っていることも事実です。マス・コミュニケーション研究のみならず、近代
の社会科学は、ヨーロッパ・アメリカ文化圏の論理で北東アジア文化圏を照射することを
専らとしてきましたが、これに対し、北東アジア文化圏の論理で我々自身を照射する必要
性が認識され始めています。
今回のシンポジウムのテーマ「イラク戦争とジャーナリズム」においては、アメリカの
論理やイギリスの論理ではなく、私たちの論理で分析枠組みが設定されていなければなり
ません。アメリカやイギリスにおける先行研究の単なる紹介や、断片化された引用の「継
ぎ接ぎ」であってもなりません。シンポジウムの公用語を、日本語と韓国語にした理由が
ここにあるのです。われわれの論理は、われわれの言葉で表現する、あるいは通訳するこ
との中に、その真髄がよく現れてくることがあるからです。
i
《会長あいさつ》
韓国言論学会会長
金
珉煥(高麗大学)
皆様、こんにちは。日韓シンポジウムを主催する日本マス・コミュニケーション学会の
鶴木眞会長をはじめとして、役員、会員の皆様にまず感謝のお言葉を申しあげます。「イラ
ク戦争とジャーナリズム」をテーマとした今回の日韓シンポジウムは、国際化時代のなか、
日韓マスコミの国際問題に関する報道態度を真摯に振り返ってみる有益な機会になると確
信しております。このようにすばらしいテーマをもって完璧に準備してくださった日本マ
ス・コミュニケーション学会の皆様に慎んで敬意を表します。
韓国が近代的な言論現象に目覚めたのは 19 世紀の末です。当時の朝鮮王朝は、韓国より
先だって開花した日本に朝鮮通信使を派遣し、日本の朝野を調査するよう命じました。彼
らは帰国すると、国の近代化のためには何よりも新聞が必要であると政府に報告しました。
1920 年代末には、大学で言論学についての講義が初めて行われました。キムヒョンジュ
ンがドイツのライプチヒ大学でカール・ビュッヒャー教授の指導のもとで博士号を取得し、
帰国後高麗大学で言論学の講義をしました。第2次大戦後の 1954 年と 57 年には、弘益大学
と中央大学に新聞学科が開設されました。1959 年には大学で新聞学を教えている学者たち
を中心に新聞学会が創設され、新聞学研究の揺籃になりました。1960 年代以降韓国では多
くの大学で新聞放送学科が開設され、短時間に最も人気がある学科の一つとして脚光を浴
びました。
現在韓国では 100 あまりの大学で新聞放送学科や類似の学科が開設されており、韓国言
論学会に理事学科として参加している学科も 70 大学 74 学科にいたっています。韓国の言
論学会では現在 800 人あまりの会員が加入し、言論学研究や教育に寄与しております。こ
のような急成長を基盤に韓国言論学会は昨年、国際言論学会をソウルで開催しました。歴
代のどの学会よりも多くの国から多くの学者が参加し、たくさんの論文が発表されたこの
国際言論学会は、情報化時代を迎え、言論学の新たな地平を模索した大会であり、なおか
つ韓国言論学会としては量的発展に基づいて質的跳躍を確固たるものにした場でもありま
した。
1960 年代以来言論学の研究と教育をアメリカが主導したのは事実であります。ところが
世の中は変わり、また変わりつつあります。産業社会への移行の遅れによりアジアは数世
紀にかけて束縛を経験せざるをえなかったのですが、今日、情報化時代を迎え、日本と韓
国は決して欧米のどの国にも引けをとらないインフラを構築することに成功しました。遅
れて中国も猛烈な速度で発展を重ねております。近いうちに東アジアの時代がやってくる
と我々は信じております。
ii
19 世紀に日中韓の3国は西勢の東漸に対し、うわべではアジア共栄を追求していたのに
もかかわらず、その本来の意義を生かすことができず屈曲の歴史を経てきたわけです。し
かし今こそ、東アジア時代を目の前にしている現時点で日韓両国の言論学者たちは中国の
学者とともに共栄の同伴者として連帯をもっと強化し言論学研究の新たな時代を開く準備
を共にしなければなりません。
最後にもう一度、本日の日韓国際シンポジウムを入念に準備してくださった日本マス・
コミュニケーション学会関係者の皆さんのご苦労に心より感謝いたします。本日の学会で
見事な論文を発表し、深みのある討論をしてくださる両国の学者の皆様やマスコミの方々、
そしてこの会場にお越しくださった両学会の会員の皆様にも心より感謝申しあげます。
ありがとうございました。
iii
第1部
基調報告
「ニュースとしての戦争―求められるジャーナリズムの総点検」
武市 英雄(大妻女子大学)
「発展的なアジア・コミュニケーション共同体を目指して」
呉
澤燮(高麗大学)
【基調報告】
ニュースとしての戦争
――求められるジャーナリズムの総点検――
大妻女子大学
武市 英雄
1.はじめに
どの国のジャーナリストたちも、いかなるできごとに対しても、できるだけ正確に、バ
ランスの取れた報道を速やかに行うことを心がけているといえよう。彼らは極力、客観的
な報道をしようと努力する。しかし、民族間の紛争や国同士の戦争について報道しようと
すると、そのようなジャーナリズムの基本的な原則を守ることは非常にむずかしくなって
しまう。ジャーナリストたちにとって、正確に、公平に、客観的にいち早く報道すること
はあたり前である。これはジャーナリストたちにとって仕事上の鉄則である。しかし、紛
争や戦争の取材では、この鉄則を守ることは決して簡単ではない。それだけではなく、ジ
ャーナリストたち自身の生命すら危険な状態に陥る場合がある。
ジャーナリストたちにとって戦争についての報道は、むずかしい報道のひとつであろう。
企業のPRや新しい商品の紹介に関係した報道では、企業の広報課社員が積極的に取材活
動を手伝ってくれる。しかし、戦争はまったく逆である。戦場ではジャーナリストたちは
軍関係者にとってじゃまな存在である場合が多い。秘密にしていることを書かれたら、戦
争相手国を利することにもなってしまう。ジャーナリストたちは軍部にとって目障りな者
として見られる傾向が強い。
しかし、日常的なできごとの場においてはもちろんのこと、戦争という非日常的な場に
おいても、ジャーナリストたちは、できるだけ客観的で、正確な、バランスの取れた報道
ができなければならない。このジャーナリストの精神を戦争という場においても貫くこと
ができるかどうかによって、ジャーナリストの真価が問われる。それは一人のジャーナリ
ストの質がただされているだけではない。そのジャーナリストが所属しているメディアの
質が問われる。さらに、その国のマス・メディア全体の質が試されているといっても過言
ではない。
ここ数年間、日本のマス・メディアは国際的な不安定な状況やできごとについて報道し
なければならない状態にあった。2001 年9月 11 日に発生した「米国・同時多発テロ事件」
(9・11 事件)をはじめ、その後に続くアメリカのアフガニスタン侵攻、さらにことし(2003
年)春のイラク戦争など、日本のマス・メディアは戦争報道を体験しなければならなかっ
た。
これらの報道で、日本のマス・メディアは一定の役割をはたした。例えば、女性のテレ
1
ビ放送記者が戦場報道したのはかつてない例であろう。しかし、一方で、報道活動上の倫
理など反省しなければならない面も見られた。日本のジャーナリズムの弱さも浮き彫りに
された。戦争報道はどの国の場合でも、その国のマス・メディアの質を占うバロメーター
になり得ると思う。とくにその国のマス・メディアが抱える本質的な弱点が一気に吹き出
て来る。
さらに、「そもそも戦争報道とは何か」という根本的な問いかけを私たちに投げかけたと
思う。戦争報道とは、具体的な武力行使が開始されてからの報道を意味するのだろうか。
むしろ、もっと以前の小規模な衝突や小競り合いの段階から報じなければならないのでは
ないか、など報道上のいろんな問題点が提起された。
また「戦争報道とはいつ終わるのか」という問いかけも私たちの胸に鋭く突き刺さった。
「和解はどうしたら得られるのだろうか」という人間の心の奥にまで入り込んだ報道がま
すます必要になってきた。つまり、戦争報道は今日のジャーナリズムに総点検を強く求め
ていると思う。私たちは報道の送り手も、受け手もこの問いに答えなければならないだろ
う。まして、マス・コミュニケーションの研究者たちはこの問いに真剣に取り組むことが
強く求められていると信じたい。
2.感情に訴える戦争報道
ニュースの伝統的な価値基準のひとつは「異常性・新奇性」である。ふだん起きない、
珍しく、非日常的なできごと。しかも、その中身は人びとの感情を高ぶらせるようなもの
であればあるほど、そのニュース性は高くなる。戦争はまさにマス・メディアの伝統的な
ニュース価値基準にもっとも適合した対象といえよう。戦争報道は人びとの感情に訴える。
そのため、戦争はどの国のジャーナリズムでも昔から報道されてきた。日本では新聞が
登場する前に、江戸や大阪、京都などでかわら版が発行されていた。地震、洪水など天災
や親孝行やかたき(仇)討ちなどが題材に取り上げられたが、戦乱のもようも大きなニュ
ースであった。現存するかわら版の中には 1615 年に起きた徳川家康率いる東軍による大阪
城落城の戦況をえがいた「大阪夏の陣」のかわら版もある。幕末には徳川幕府が敗れた「鳥
羽伏見の戦い」(1868 年1月)を報じるかわら版も発行されている。
明治になると、浮世絵版画の一種で、多色刷りの木版画で錦のように美しい新聞錦絵が
発行されたが、東京日日新聞から、日本における初の戦争特派員(岸田吟香)の活躍状況
を伝える「台湾出兵」
(1874 年)の新聞錦絵が発行された。このように、戦争はいつの時代
でも注目すべきニュースであった。
さらに、戦争報道はジャーナリズム産業を発展させるきっかけにもなった。戦争はニュ
ースの速報に拍車をかけることになったといえる。1894 年には日清戦争が起きたが、人び
との間に、戦地のニュースを求める欲求が高まった。戦場へ赴いたわが夫やわが父の安否
を知りたいという気持ちは人情であろう。さらに、日本が国民皆兵になって初めての外国
との戦争であったので、国民全体の関心が高まった。この国民の欲求にこたえたのは時事
2
新報で、号外を発売するようになった。
さらに 10 年後の 1904 年、日露戦争が起きると、ますます新聞の速報が求められるよう
になった。東京、大阪など大都市の新聞は各紙とも号外を発行。中には日に4、5回も号
外を出す新聞が現れるほどの号外合戦が演じられた。これがきっかけとなり、1906 年ごろ
から夕刊が出るようになり、同じ題字の新聞が朝、夕刊の両方を出すという日本における
伝統的な新聞発行パターンが確立するようになった。このように、戦争が新聞産業を促進
させる原動力のひとつになったといえよう。
戦争が新聞業界に何らかの影響を及ぼすのは日本だけではない。アメリカでも同じであ
る。例えば 1898 年の米西戦争では、ニューヨークなど大都市での新聞はセンセーショナル
な報道合戦を演じた。スペインの植民地であるキューバの島民たちが支配国の圧政に耐え
かねて独立を目指していたのに対して、ウイリアム・ランドルフ・ハースト(William
Randolph Hearst)のニューヨーク・ジャーナル(The New York Journal)紙が同情を示し
たのが、アメリカのキューバ独立への介入の直接的なきっかけである。表面的にはハース
トの人道的な精神があったといえよう。しかし、一方では、砂糖プランテーションなどア
メリカのキューバへの投資資産を守る必要性がアメリカ政府や産業界にあった。さらに、
抑圧されるキューバ島民の側に立って報道することはアメリカ人の同情心を高め、ひいて
はハーストの新聞の発行部数を伸ばすことができるというしたたかな
計算
も秘められ
ていたといえよう。
ハーストが火をつけたセンセーショナルな報道は、しだいにニューヨークの他紙にも
伝染
していった。はじめのうちは冷静な姿勢で報道していたジョセフ・ピューリツァ
ー(Joseph Pulitzer)のワールド(The World)紙もしだいにジャーナルのペースに巻き込
まれていき、時にはジャーナルよりも感情的な報道を展開するほどになった。「米西戦争は
ハーストの新聞が仕掛けた」といわれるほどジャーナルはアメリカ人にスペインに対する
敵意をあおった。
このように、ニューヨークのほとんどの新聞は米西戦争の報道において否定的な影響を
与えたが、肯定的な影響が皆無だったわけではない。例えばハーストの新聞もピューリツ
ァーの新聞も現地での取材を充実させるために優秀なフリーランス・ライターを何人も雇
った。リチャード・ハーディング・デイビス(Richard Harding Davis)ら何人かのフリー
ランスの戦争特派員が生まれ、その後、南アフリカでのボーア戦争(The Boer War)や日
露戦争でも取材活動に活躍する者が出た。
センセーショナルな報道を反省することによって、後に建設的な計画を生み出した人も
いる。ピューリツァーは戦後、米西戦争中のセンセーショナルな報道を悔やみ、優秀な若
いジャーナリストの卵を育成する使命感を抱いた。その目的を目指してコロンビア大学に
ジャーナリストの養成機関を作ってもらうために寄付をしようとした。しかし、センセー
ショナルな報道の
片棒
をかついだ新聞人というイメージが強かったためか、コロンビ
ア大学は当初この申し入れを断ったが、彼の死後、遺族より再び寄付の申し出があった時、
3
受け取り、1912 年には大学院レベルのジャーナリズム学部を創設し、合わせてピューリツ
ァー賞も設けた。
このように、ジャーナリズムと戦争とは切っても切れない関係があるといえよう。戦争
ほどに、異常性・新奇性というニュース価値基準を十分満たすできごとはない。と同時に、
戦争ほど取材しにくいできごともないかもしれない。とくに戦争の仕方が近代的な兵器の
開発によって変化してきている。取材の自由が十分に保証されているわけではない。現場
を知ることにも限界がある。ジャーナリストは戦争当事国政府の情報操作に振り回されや
すい。そこで、ことしのイラク戦争を中心に、戦争報道の反省点や問題点をいくつか指摘
してみよう。
3.戦争報道がもたらす多角的な問題点
イラク戦争についての新聞を中心とした日本のマス・メディアの報道を振り返ってみる
と、いろいろ多角的な問題が提起されたことに気づくであろう。具体的に数点取り上げて
みよう。
第1は、真実の報道がいかにむずかしいか、という点である。第2は戦争報道に伴う倫
理上の問題点。第3は報道者の身の安全上の問題。第4は戦争報道とははたしていつから
始まるのかという問いかけ。第5は戦争報道はいつ終わるのか、というテーマである。い
ずれもジャーナリズム活動の本質にふれる問題提起といってよいだろう。
まず第1の真実の報道についてだが、日本のマス・メディアは西側諸国のメディアや米・
英軍からおもに情報を得ていて、イラク側からの情報が限られていたといわざるを得ない。
さらに戦場のニュースは米軍の便宜供与を受けていた。つまり、米国防総省のエンベッド
取材規制(The Pentagon's embedding rules)に従って、記者たちは米軍と同行取材し、身
の安全が保証されるが、発表内容の中での報道にならざるを得なかった。しかし、いまま
でにない戦争報道としてのプラス面もあったといえよう。例えば兵士のふだんの姿を描写
できた。生の声を聞くことができたといえる。兵士が何に喜びを感じ、何に悩んでいたか
などある程度伝えることができた。第二次世界大戦のさいスクリップス・ハワード(Scripps
Howard)系の新聞に記事を送ったアメリカの従軍記者アーニー・パイル(Ernest Taylor Pyle)
は軍の上層部の人びとを取材するよりも、最前線の兵士たちの取材に力を入れたために、
G.I.たちに人気が高かった。兵士たちの喜びや悩みをアメリカ本国へ伝え、読者たちに
も人気を博した。イラク戦争では外国人の記者もエンベッド取材ができたために、兵士の
生の声を吸い上げることができた点はよかったと思う。中には兵士と記者との間に一体感
ができすぎ、米軍の師団を「私たち」と表現したアメリカのテレビ・レポーターもいたと
いう。
エンベッド取材はいい面もあるが、限界があったのも事実であろう。記者たちがいろい
ろ巧みな情報操作をどれほど見抜くことができたか疑問である。従来の戦争報道では現場
へのアクセスがむずかしかった。湾岸戦争ではまるでビデオ・ゲームを見るように、テレ
4
ビのブラウン管上で戦況を確認するだけであった。エンベッド取材はその点は改善された
にしても、現場では見抜けない大がかりな情報操作があったといえよう。
例えば捕らわれの身になっていた女性米軍兵士、ジェシカ・リンチ陸軍上等兵(Jessica
Lynch)の救出劇はふつう以上に劇的に見せようとした演出があったのではないかと疑われ
た。イギリスのブレア政権とBBCとの対立にも情報操作が見えかくれしている。イラク
の大量破壊兵器に関する英国政府報告書に対してはたして首相府の情報操作があったのか
どうか。英国防省顧問デビッド・ケリー氏(Dr. David Kelly)の自殺の原因はなにか、など
疑問が残る。
戦争に関する報道は現場だけの報道をいくら詳しく行っても、全体の真実がつかめると
は限らない。生の材料を十分
消化
しないまま速報することによって、かえって真実が
どこにあるのか分からなくなってしまう場合もある。現場から一歩ひきさがって、大局を
見る報道姿勢が必要である。そうしないと、目先の脅威などの現象のみに振り回されてし
まうことになる。事件の全体像や、戦争がこの時代におよぼす意味合いを把握できるよう
な報道こそ求められる。
さらに人びとの社会的な心理を分析する報道の視点も大切である。とくに日本にとって
北朝鮮の脅威が強まっている。そこで、「この脅威を力ずくで抑えることが必要で、そのた
めには人びとの自由の権利がある程度制限されても仕方ない」という空気が日本社会に少
しずつ高まっていないだろうか。有事関連三法などの成立の背景には、このような社会的
な気運が広まっていたといえると思う。
マス・メディアが戦争の真実を報じるというのは、前線のようすを正確に報道するだけ
でなく、仕掛けられている大がかりな情報操作を見抜き、さらに、市民の間に広がってい
る社会的な感情を冷静に分析するジャーナリストの目が必要になってくる。ミクロ、マク
ロ両面での真実報道が強く求められる。
日本のマス・メディアによるイラク戦争報道で提起される第2の問題点は倫理に関する
ことである。毎日新聞の写真部記者がバグダッドの戦場で拾った爆発物が帰国途中のヨル
ダンのアンマン国際空港で爆発し、空港職員ら数人が死傷するという事件がさる5月に発
生した。本人は、この爆弾(クラスター爆弾の子爆弾 M77)がすでに爆弾ずみで安全だと思
ってしまい、取材の思い出の品として日本へ持って帰ろうとしたという。
優秀なカメラマンであっただけに、ちょっとした気のゆるみが思わぬ大きなできごとに
なってしまい残念である。戦場に転がっている物は危険である可能性が高く、いかなる物
でも持ち帰ろうとしたことは軽率であったと言わざるを得ない。毎日新聞社は社の首脳陣
がただちに現地へ赴き、遺族や負傷者たちに謝罪したが、素早い行動でよかったと思う。
日本の一部の新聞や写真週刊誌に掲載されたが、フセインの息子二人の死体の写真につ
いて話題になった。掲載するには、あまりにも残酷な写真ではないかという議論である。
さらに奇妙なことに、アメリカ政府は捕虜になった米軍兵士の映像を流したアラブ系のテ
レビ局(アルジャジーラ)を非難していたのにもかかわらず、フセインの二人の息子の遺
5
体については記者たちに撮影を奨励した。「捕虜の撮影はジュネーブ協定の違反だが、二人
の息子はすでに死んでおり、イラク国民から二人の影響力をぬぐい去るために写真掲載は
効果的である」というのがアメリカ政府の言い分のようである。しかし、これは都合によ
って倫理の基準を変えてしまう行為であるといえよう。
4.全メディア対象の安全ガイドラインを
イラク戦争報道が日本のマス・メディアにもたらした問題点の第3はジャーナリストの
身の安全に関することである。いままでは日本のマス・メディアではジャーナリストが戦
場へ赴くさい、とくに社が決めたガイドラインはなかったといえよう。せいぜい上司が「気
をつけて行ってこい」と言うくらいだけではなかったかと思う。どういう場合に、何に対
して、どのように気をつけるべきかなど具体的な指示はあまりなかったのではなかろうか。
しかし、毎日新聞のカメラマンのアンマンでの事件が起きた後、同社は「戦場取材のた
めの教育プログラム検討会」を設け、6月末に取材ガイドラインの骨格案をまとめ、紙面
でも紹介した。それによると、ガイドラインは記者の出発前の準備段階から、戦場での取
材の仕方、宿舎に関する点検、帰国後のメンタル面のカウンセリングに至るまで具体的に
注意事項を記している。
例えば、戦場での取材については「戦場では兵器の残がいや遺棄された武器弾薬類に手
を触れない。
何も拾わず、何も持ち帰らない
ことを徹底する」とか「軍や武装勢力の
検問所前では車の速度をできるだけ落とす。Uターンなど怪しまれる行為は絶対にしない」
「軍や警察車両と紛らわしい車は使用しない」
「夜間の移動はできるだけ避ける」などガイ
ドラインは具体的に注意している。
しかし、イラク戦争をきっかけに、このようなガイドラインをひとつの新聞社が作った
だけで、十分な安全体制が得られたといえるだろうか。現に、イラク戦争では記者の死傷
事件が続いている。例えば、バグダッド近郊で毎日新聞記者の車が、三人の男の乗る車に
急停車させられライフル銃を突きつけられて現金を奪われるという事件が7月下旬に起き
ている。ジャパンプレスの記者が一時拘束されるできごとも発生した。8月中旬にはロイ
ター通信社の記者が米軍の戦車から銃撃されて死んでいる。イラク戦争での各国からの記
者の死亡・行方不明者は8月下旬現在で約 20 名にのぼっている。
日本のマス・メディアに限っていうと、日本新聞協会や日本雑誌協会などが協力し合っ
て、全社にまたがった戦場での取材ガイドラインを作成すべきだと思う。一人ひとりのジ
ャーナリスト(マス・メディアの記者もフリーランス・ライターも)の戦場取材での貴重
な体験が多くのジャーナリストたちに生かされるように、情報の共有がはかられることを
望みたい。一人ひとりの貴重な体験が報道界全体の共有財産になってほしい。
イラク戦争報道が日本のマス・メディアにもたらした問題点の第4は「戦争報道はいつ
から始まるのか」という問いかけである。民族紛争でも戦争でも日本のマス・メディアの
報道は、表面的な衝突が起きてからでないと始まらない傾向が強い。だから、いつもある
6
日突然、突発的に発生した事件といった印象を受け手たちに与えてしまう。しかし、民族
間のいさかいも、国同士の対立も表面的な衝突が起きるかなり以前から発生しているわけ
である。しかも、報道し始めた衝突はいくら詳細に描かれても、なぜこのような衝突が起
きたのか背景が十分に説明されていないケースが多く、事件の核心部分がよくつかめない。
アフリカのシエラレオネでの民族間の紛争でもスリランカやバルカン諸国、東チモールで
の民族紛争でも背景の説明が十分とはいいがたい。
とくに同じ国内での異民族の対立はかなり以前から根深く続いている場合が多い。たま
たま米ソ二超大国の対立という冷戦期においてはこのような民族的な対立は表面化しにく
かったが、冷戦が終結した後は一気に表面化してきた。しかし、日本のマス・メディアは
くすぶっている以前からの状況をほとんど報道し続けていないので、紛争が突然起きたか
のような印象を読者や視聴者たちに与えてしまう。
しかも民族間の紛争の原因はただ単に人種的な違いのためだけではなく、地下埋蔵資源
にからんだ利権の問題なども潜んでおり、表面的な衝突のもようを詳細に描写しても、な
ぜこのような対立が起きたのかという原因は理解できない。このようなことを考えると、
民族紛争や国家間の戦争に関する報道は、武力行動が始まってからではおそい。かなり以
前から背景報道にアクセントをおきながらスタートさせないと、事件の核心がつかめない
し、事件の全体像が把握できないと思う。
5.和解プロセス報道に力点必要
イラク戦争が日本のマス・メディアに提起している5番目のテーマは「戦争報道はいつ
終わるのか」という点である。表面的な武力衝突が鎮まると、日本のマス・メディアは戦
争終結と見なして報道を終えてしまう場合が多い。イラク戦争ではブッシュ米大統領によ
る終結宣言のあとも武力的な小競り合いが続いているので、報道はまだ終わっていないが、
ふつうの場合は一応武力衝突が落ち着くと、報道も終わってしまう。
しかし、はたしてそれが本当の終結といえるのだろうか。実は表面だった武力衝突が鎮
まった後の報道こそ大切ではないかと思う。それは少なくとも二つの理由がある。第一は、
紛争や戦争の原因について検証する必要があるからである。日本のマス・メディアは分量
は少ないながらも世界各地の民族紛争について、一応の報道はしている。しかし、各地の
紛争を横に並べて、比較する目を持とうとしない。なぜ紛争が起きたのか、調べてみれば、
いくつかの共通項があるかもしれない。そういったものをグローバルに比較して報道する
センスが欠けている。
第二の理由は、和解のプロセスを報じることは世界の平和追求の報道に役立つ。人びと
の対立、いさかいにはいろいろな要素がからんでいる。人種、宗教上の対立や経済利益上
の対立など複雑な要因がからまっている。しかし、それにもかかわらず、人びとが理解し
合い、和解を求め合うようになるにはどのようなプロセスを踏まなければならないのか。
この点の報道は、外国のできごととして受け手一人ひとりに無関係であると思われがちだ
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が、けっしてそうではない。外国における紛争の和解プロセスの事例が、自国内での少数
派の人びとへの差別感情を解消する知恵になるかもしれない。グローバリゼーションとロ
ーカリゼーションとは接点がある。
例えば南アフリカ共和国では長い間少数の白人たちが多数の黒人住民を差別するアパル
トヘイト政策を執っていた。白人と黒人との結婚の禁止や、黒人居住区の設定など法律上
差別が存在した。1990 年にネルソン・マンデラ(Nelson Mandela)氏が釈放され、ようや
く 1994 年に初めての黒人政権が誕生し、アパルトヘイト政策は解消した。しかし黒人の人
びとの中に長年受けた苦しみや恨みは簡単に消えるものではない。白人の黒人に対する差
別心もすぐさま消えるわけではなく、深く潜在化していった向きもある。
このような状況の中で、全国民が心をひとつにして和解し合うという運動が後にノーベ
ル平和賞を受賞した聖公会のツツ(Desmond Tutu)大主教を中心に展開し、ケープタウン
に「真実と和解の委員会」が設立された。迫害を受けた人びとが訴えることができる一方、
心ならずも加害者であった人びとも罪を告白し、謝罪記録を公表することによって正式な
法律によって処罰されるのを免れるなどの活動がこの委員会を中心に行われている。
罪を犯した人間が正直に告白し、それなりの罰を受けることによって、あとは国民たち
が和解し合って、新しい国づくりに協力し合おうというねらいがこの委員会にはある。か
ならずしも理想通りに運営されているとは限らないが、このような和解へのプロセスは東
チモールにもバルカン諸国にも、フィジー島にも
応用
が可能かもしれない。大切な点
は、このような心の和解への実現についてマス・メディアが大いに関心を持って報道する
ことによって、世論を高めることができるのではないかということである。マス・メディ
アの戦後に関する報道こそもっと重要視しなければならないだろう。この点は、日韓両国
間にある歴史的なわだかまりを少しでも解消していく方法を考える上でも大切ではないか
と思う。その点、マス・メディアの役割は大きい。
6.まとめ
マス・メディアは報道の仕方ひとつ工夫することによって、過去の戦争を、これからの
平和の基礎づくりに変えていくことができるはずである。戦争体験の検証は人びとを通じ
て、メディアを通して、根気よく、続けられていかなければならない。
記者が戦争をどのように報道したかという自らの検証も忘れてはならないだろう。個々
のジャーナリストの貴重な体験、反省が、一国のマス・メディア全体の貴重な財産に整理
されていくこと、大いに生かされていくことが必要である。
たとえ民族同士、国同士のいがみ合いが起きても、マス・メディアは感情的な報道を慎
み、あくまでも冷静な姿勢を保たなければならない。さらに戦争報道とは具体的な武力衝
突時だけでの報道ではなく、いがみ合いの発生にまで逆上った報道であるとともに、戦後
の和解のプロセスをも大いに追求する報道でもなければならないだろう。異なる民族や多
文化間の人びとの共生を目指すジャーナリズムが今ほど強く求められている時はない。
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【基調報告】
発展的なアジア・コミュニケーション共同体を目指して
高麗大学校言論学部
呉
澤燮
韓日両国のコミュニケーション学者の皆様こんにちは。
韓日両国のコミュニケーション学者たちが国際的な関心事である「イラク戦争報道」問
題に対する研究結果を発表し、討論する今回の韓日コミュニケーション学会で基調報告を
させていただくことを、光栄に感じている。我々は皆一つの地球村に住んでいる。我々は
皆地球の反対側で起きたイラク戦争を家庭のテレビを通じて経験した。メディアを通じた
戦争の経験は我々の世の中に対する知識及び認知体系に至大な影響を及ぼすため、その研
究ははかりしれないほど重要なのである。
イラク戦争は一つの事件だが、これを報道する各国の言論報道システムの慣行と報道内
容には多くの差が見られる。その報道内容に接する読者と視聴者の受容行為にも国家や文
化によってかなりの差がみられる。アジア圏の諸国家における報道慣行と受容効果も常に
同一ではない。汎アジア圏内においても西南アジア、東南アジア、東北アジア、そして太
平洋圏の諸国家ではイラク戦争に対する言論の観点にある種の共通点がみられる一方、明
らかな差異も存在するはずである。差異があるとすればその理由は何であろうか。恐らく
各地域あるいは国家の政治及び経済的な利害関係、そして宗教、人種、民族問題と関わっ
た社会、文化、歴史的な背景がその理由としてあげられるはずである。そして各国言論が
依存する情報源の偏向性、報道要因の活用システム、特殊な報道慣行などは、その差異を
もたらした重要な要因であろう。
イラク戦争報道に関する研究事例でみられるように、米国と異なる、そしてヨーロッパ
とも異なる、最もアジア的で特殊な言論及びコミュニケーション現象の実体を究明し、そ
の特殊な現象の背景にあるアジア的な文脈を説明する作業が次世代のアジアのコミュニケ
ーション学者が遂行すべき研究課題であるという点は皆が同感するところであろう。我々
がコミュニケーションという学問分野で研究結果を生み出す作業の目標は、結局我々の言
論、メディア・テクノロジー、コミュニケーション現象をより明確に説明して「発展的な
コミュニケーション共同体」を形成するところにある。ここに我々がこれからアジア的コ
ミュニケーション現象の研究に注力し、その結果を蓄積して一つの共同研究成果として提
示すべき必要性を見出すことができる。
現代コミュニケーション学は社会学、心理学、政治学、経済学、歴史学など多様な学問
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分野の交差点として出発した。コミュニケーション学はこれらの学際的隣接領域に絶えず
影響を与えながら今日まで成長してきた。歴史の中でコミュニケーション学はすでに下り
坂に入ったかという深刻な問題提起(withering-away)と学問領域内部の動揺(ferment in the
field)という陣痛を経験したことがある。この過程の中で現代コミュニケーション学は米国
中心の主流的コミュニケーション研究とヨーロッパの影響下にある対案的研究の両伝統を
中 心 に し な が ら 今 日 に 至 っ て い る 。 一 般 的 に AEJMC( Association for Education in
Journalism and Mass Communication)と ICA(International Communication
Association)
の よ う な 国 際 学 会 が 米 国 中 心 の 主 流 的 研 究 を 代 弁 す る 一 方 、 IAMCR ( International
Association of Mass Communications and Research)はヨーロッパ中心の研究の求心点に
なっている。
アジア―太平洋圏のコミュニケーション学も歴史の中で刮目すべき成長を成し遂げてき
た。コミュニケーション学におけるアジア的な観点を確立するための努力が 1980 年代以降
ASEAN(Association of South Asian Nations) や SAARC(South Asian Association for
Regional Cooperation)、そして AMIC(Asian Media Information and Communication Center)
などを中心とした学問共同体を通じて絶えず繰り広げられてきた。2002 年の夏、ソウルで
開かれた ICA 年次定例総会でもアジア的なコミュニケーション学の可能性について研究領
域と方法論的な観点を中心に、多様な論議が行われた。その論議の結論はアジア国家の特
殊な家族構造、共同体意識、国家主義、儒教的な生活様式、受容者のライフスタイルなど
に関する理解がこの地域のコミュニケーション研究のために不可欠であるという点であっ
た。西欧の概念と理論をそのまま適用するには限界がある、という点に根ざしている。
一方、西欧諸国で取り組まれたコミュニケーション研究の結果が、アジア的で、特殊な
コミュニケーション構造の説明に有効に活用されることもある。一例として、米国のコミ
ュニケーション学者チャフィー(Chaffee、1972)が社会志向性と概念志向性の高低によっ
て自由放任的、保護的、多元的、合意的な家庭類型を分類した家庭コミュニケーションに
おけるパターンの研究を上げることができる。この中では保護的な家庭の類型の代表例と
して儒教的な伝統下にあるアジア圏の家族関係を論じられている。西欧学者によってアジ
ア的なコミュニケーション現象の概念化が成し遂げられたのである。このような研究テー
マは我々アジアの学者の手によって、これからより精緻化されるべきテーマであり、その
研究結果は共同の関心事として共に論議、熟考されるべきである。
現在、韓国だけでも国内、米国、そしてヨーロッパで教育を受けた 700 余名のコミュニ
ケーション学者が活動している。その中の半数以上は大学で後進の養成や研究に注力して
いる。一方、日本のコミュニケーション学は米国やヨーロッパにおける研究の伝統を選別
的に吸引しながらも、それなりの独創的な研究成果を生み出してきたと認識している。日
本のコミュニケーション学界がすでに長年に渡って情報化社会に関する論議を創意的、か
つ主導的に導いてきたのはすでに皆が知っているところである。中国、香港、台湾、オー
ストラリアなど太平洋-アジア圏のコミュニケーション学者数の多さと研究成果の質の高
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さには目を見張るばかりである。しかし残念なのは、これらの地域において、つまりアジ
アと各国の言論に対する学術的な悩みを皆が理解することができるような言語が共有され
ていないことである。
今後、我々アジアのコミュニケーション学者はアジア地域に対する既存の、そして現在
進行中の研究成果などを共同のフォーラムに提出し、地域、国家あるいは文化間の共通点
や差異を共に議論する試みを本格的に始める時であると思っている。これはすでに多少遅
れた感がある問題提起である。しかし、米国やヨーロッパにない、アジア・コミュニケー
ション学の実体性の確立のために必ず必要な課題である。また、発展的なアジア・コミュ
ニケーション共同体を具現化するために必ず必要な課題である。アジア各国の多様な言論、
媒体、コミュニケーション現象に対する理論的な究明作業やその結果の蓄積、共有の経験
は我々皆の価値ある資産になることは間違いない。
韓日両国のイラク戦争報道に対する言論の報道システム、報道内容、そして受容者の反
応には確かに共通点があり、また差異があるはずだ。これに対する論議は韓日両国でより
優れたコミュニケーション共同体を構築するのに大きく役立つと期待している。アジア圏
におけるコミュニケーション学の発展のためこのような試みは、より持続的に、そして多
様な方式で実現されるべき必要がある。
韓国言論学会(KSJCS)はアジアのコミュニケーション学者たちがアジアのコミュニケ
ーション研究のテーマを多様な方法論的観点からアプローチした研究の論文集積窓口とし
て、一年二回、英文学術誌 Asian Communication Research(ACR)を創刊することとした。
ACR はアジア各国の言論やコミュニケーション現象を多様な観点から取り扱う研究論文に
門戸を開放している。研究の領域とテーマはアジア圏に制限されるが、これに接する研究
の視点や方法論の多様性を認めることにしたのである。
ACR の発刊をきっかけに各国の研究成果が共同の討論の場で読まれ、論議されることを
期待している。米国やヨーロッパのコミュニケーション学ではない、アジアの、あるいは
アジア的なコミュニケーション学の確立の可能性を共に分かち合い、努力してゆくことを
期待している。今度創刊される ACR がアジアにおける理想的なコミュニケーション共同体
の構築に大きく寄与することを改めて期待している。このような新たな学術的討論の場に
韓日両国のコミュニケーション学者の皆さん、そしてアジア圏コミュニケーション学者皆
さんを是非招待致したい。
ご清聴有難うございました。
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第2部
特別報告
「攻撃される側」からの視点
柴田
「イラク戦争取材記」
姜
徹(TBS)
仁仙(朝鮮日報)
【第2部 特別報告】
「攻撃される側」からの視点
TBS外信部
柴田
徹
1.TBSの取材方針
イラク戦争の取材体制について、TBS は早くから検討に着手し、次のような方針で臨ん
だ。まず、イラク全土が戦場になると予想して、「攻撃する側」からの取材と、「攻撃され
る側」の取材が両方とも欠かせないと考えた。
攻撃する側からの取材としては、アメリカ中央軍指令部のあるドーハ(カタール)と、
地上軍が出撃するクウェートへの取材陣の配置が検討された。このうち、クウェートへの
配置については、「バグダッド陥落=フセイン政権の崩壊」という局面を迎えた時に迅速か
つ安全にバグダッド入りするルートとして不可欠と外信部では考えたが、
「イラク側から生
物・化学兵器によるミサイル攻撃が予想され、危険すぎる」という意見が局内から出て議
論となり、結局、配置は見送りとなった。
米軍への従軍取材は、局側に決定権はなく、TBS は海軍の空母トルーマンが割り当てら
れた。ちなみに、日本のテレビ局の従軍対象は、NHK が陸軍第3歩兵師団と空母キティー
ホーク、日本テレビは陸軍砲兵大隊、フジテレビは陸軍第 101 空挺師団で、テレビ朝日と
テレビ東京は従軍を見送った。
最大の問題は、攻撃される側の取材配置で、主戦場になるとみられたバグダッドからは
撤退する方針を早くから決めていた。これは、報道局だけでなく、経営陣をも含めた全社
的な決定だった。
そして、バグダッドに代る「擬似バグダッド」として、アンマン(ヨルダン)とイラク
北部のクルド自治区が検討された。クルド自治区も危険がないわけではないが、退路のな
いバグダッドに比べると、いざという時に陸路でトルコやシリア、イランに脱出すること
ができる。この退路の有る無しが決め手になって、イラク北部への記者派遣が決まった。
2.私自身の取材――イラク北部に 43 日間
このイラク北部のクルド自治区への取材記者に選ばれたのが私である。私は、2月 28 日
に日本を発って、まずイランのビザを取るためヨルダンの首都アンマンに向かった。
イラク北部のクルド自治区に入るルートは、従来、トルコ国境から、シリア国境から、
イラン国境からと3ルートあったが、北部情勢の緊迫からトルコ、シリアの国境は閉鎖さ
れたため、イランから入るほかなかったのである。
ビザをもらってドバイからテヘランを経て、イラク北部のクルド自治区に入ったのは、
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東京を出てから 17 日目、開戦4日前の3月 16 日だった。
今回の戦争でイラク北部に記者を派遣したのは、日本のテレビ局では TBS と NHK だけ
だった。その NHK も開戦直前に撤収したので、開戦後は TBS だけになった。私は外信記
者を 20 年やっているが、今回ほど同業他社に遭遇しなかった取材は初めてだ。
日本の各社がイラク北部に記者を送り込まなかった理由は、安全の問題からだった。ク
ルド自治区では、15 年前にフセイン政権が化学兵器を使ってクルド人を虐殺した前歴があ
る。クルド人は今回も自治区に対して化学兵器の攻撃があると恐れ、多くの人が町を脱出
した。劣勢のイラク軍が攪乱の目的で化学兵器を使う可能性は十分にあると、専門家たち
も予想していたからだ。
しかし、私は個人的には、イラク軍が仮に化学兵器を使うとしたら南部戦線であってク
ルド自治区ではないだろうと思っていた。とはいえ、可能性はゼロではなく、防弾チョッ
キから生物化学兵器防護服と防毒マスク、さらに神経ガス中和剤アトロピンの注射器まで、
装備はものものしくなった。
戦争取材ではいくら事前に準備しても、結局、現場では何の役にも立たないことが多い。
たとえば、マスクは爆弾が落ちてから9秒以内に装着しないと意味がないという。しかし、
どうやってそれを察知するのか。もしそれが夜だったら?
残念ながら戦場の記者は十分
な情報を持っていないのだ。
安全のための装備は、そろえ出せばきりがないが、どこまでいっても結局は気休め的な
部分が否定できない。イギリスのメディアなどは今回も防弾仕様の特殊車両を持ち込み、
移動に使っていたが、取材のためには車を降りなければならない。
軍事アドバイザーを同行させたテレビ局もあったが、一行はイラク北部をクルド人部隊
と移動中に、米軍機の攻撃を受けて通訳が死亡する事件に遭った。軍事アドバイザーも米
軍機の「誤爆」までは予測していなかったわけで、そのように戦場では何が起こるか分か
らないのだ。
戦争取材における「安全」とは、通常の意味における「安全」とは全く次元が違うので
はないか、と思う。われわれは伝えるべきものを伝えるために戦場に赴く。その時に優先
されるのは 100%の安全ではなく、何よりも取材の意義である。
私は、イラク北部に 43 日間滞在したあと、4月 28 日、イラク北部を発って、数時間後
にバグダッドに到着した。その後、バグダッドに1か月間滞在した。その間、「今回の戦争
とは一体何だったのか」と、考えつづけた。
そして私が今回の戦争取材で得た結論は、
「こんな戦争でけがをしたりしなくて本当によ
かった」というものだった。こんな戦争ってどんな戦争か。それは「こんな戦争だ」とい
うしかない。
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【第 2 部
特別報告】
イラク戦争取材記
朝鮮日報ワシントン特派員
姜
仁仙
1. エンベッド (Embed) 取材の誕生
イラク戦争はエンベッド・プログラムという新しい戦争報道方式を生み出した。1991 年
の湾岸戦争から 2001 年のアフガニスタン戦争に至るまで、記者たちの戦場への接近を防ぐ
か、制限することに力をいれた受身的な立場を取り続けたアメリカ国防総省はエンベッ
ド・プログラムという実験的な方案を取り出した。戦争中に記者たちを部隊に入れて、兵
士らと同じ生活をしながら戦争を体験し、報道活動を行うことである。
アメリカ国防総省は 2002 年 10 月にエンベッド・プログラムをマスコミに紹介し、2002
年末から 2003 年 1 月までに、アメリカ軍の訓練所で記者らを対象として訓練を実施した。
生物化学武器の攻撃に備えた訓練、駆け足、軍組織と武器体制に関する講義などが事前訓
練の内容だった。国防総省は、正確な統計を明らかにしていないが、エンベッド・プログ
ラムに参加した記者らはアメリカとその他の国で約 600∼700 名ぐらいであると推定される。
その中で約半数にいたる 300 名の記者らが事前訓練に参加した。筆者も申請したが、訓練
は受けられなかった。
2003 年 1 月、国防総省は同省記者団とワシントン駐在の外国のマスコミ支局長を相手に
ブリーフィングを行った際に、エンベッドの条件の幾つか提示した。一つ目は、派遣され
た記者らは交代なしに、長期に従軍取材ができるように配慮すること。二つ目は、国防総
省が指定した部隊と同行する記者らは、所属部第を離れるとエンベッド記者としての資格
を失うこと。三つ目は、戦争中に兵士の生命を脅かす可能性がある作戦内容は報道しない、
ことであった。このような約束を守る、という前提下で国防総省は検閲や報道制限なしの
無制限の取材を許可する、と発表した。
国防総省は 1 月末にエンベッドに選ばれたマスコミ社に最終通告した。国防総省はマス
コミ各社から参加者のリストをもらった後、エンベッド記者らが所属部隊と直接連絡を取
るようにした。アメリカの大手放送局、通信社と新聞社は各社ごとに 10 名がエンベッドに
参加したが、雑誌、ラジオ、地方メディアと外国メディアはひとりのみだった。
2. イラク戦争取材の期間と移動場所(2003 年3月8日−4月 19 日)
筆者は 3 月8日にクウェートとイラク国境地域の砂漠地帯に位置したキャンプ・ヴァー
ジニアから陸軍第5軍団に入り、2 日間泊まった。その後、所属された部隊と一緒に 3 月
10 日にイラク国境から約 20 キロ離れたカデアン基地に移動して開戦先日まで砂漠と軍基地
での生活に適応した。
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ブッシュ大統領が開戦宣言をした3月 20 日には、イラク国境近辺のトッソン基地へ移動
して越境の準備をした。開戦翌日の 21 日は、イラク国境を越えた後ナシリヤ近辺のシード
基地を通って、24 日にはイラク中部のナザフ地域に近いブシ・マスタまで移動した。4 月 4
日にアメリカ軍がバクダット市の外廓に位置したバグダッド国際空港を占領した後の6日
は、バグダッド南西部の産業団地のドグウードへ移動した。9 日にバグダッドへ入ったアメ
リカ軍は、サダム・フセイン政権の崩壊を宣言し、戦争は最終段階に入った。
筆者は、バグダッド国際空港とバグダッド市での取材を終えて、16 日にドクウードを離
れて陸路でイラク国境を越えて、18 日にクウェートに帰ってきた。ブッシュ大統領は 5 月
1日に事実上の終戦宣言に当たる戦闘終結を宣言し、アメリカは復旧と治安維持を中心と
する戦後処理の段階に入った。
筆者は、アメリカ陸軍の第3軍団支援司令部 (3rd COSCOM)の攻撃指揮所(Assault
Command Post:ACP)に配属され、戦争期間中に兵士と行動を共にした。ACP は弾薬、ガソ
リン、水と食料など第5軍団の補給を担当している部隊だ。戦闘部隊か先頭で立って、爆
発物処理や普及路の確保を担当する戦闘工兵隊がその後を続く。ACP は最後方で補給を担
当した。
3.取材過程と環境
エンベッド記者たちは戦争中所属部隊の兵士と寝食を共にしながら、彼らと同じ携帯用
の非常食料(MRE:meal-ready-to-eat)を食べ、米軍車両(ハンビー)に乗って移動した。記
者たちは所属部隊と移動する間にほとんどの情報に制限なしに触れた。武器を携帯しない
という国防総省との約束によって身の安全は兵士らに任したまま、携帯用のパソコンとデ
ジタル・カメラ、衛星電話を手にして戦場の中に飛び込んだ。国防総省は戦争中にどんな
被害を受けても、国防総省やアメリカ政府を相手に訴訟をしない、という書類にサインす
るように要求した。戦争中に記者たちは兵士と同じように危険にさらされたり、イラク軍
の攻撃や事故などによって死んだりした。
筆者は、開戦2週間前から部隊と合流した後、所属部隊の兵士たちと一緒に会議に参加
し、彼らの訓練を見学し、生物化学武器への攻撃に備えた訓練を一緒に受けるなかで人間
的な信頼を作ることができた。その過程の中で、兵士と記者らの間では人間的信頼と尊重
が生まれた。ペンと刀というお互いに混じりにくい関係であったが、生命を担保で仕事を
行うお互いの立場を理解するようになった。
国防総省は、開戦前にエンベッド記者たちと同行する予定の部隊の兵士を対象に、記者
の質問に知っている限り答えるように教育を行ったが、記者との対話はいつでも記事にな
れることを考えて答えるように注意を付けた。また、記者は悪人ではないし、戦争中でも
記者が締め切りの時間に記事を送れるように協力するように頼んでくれた。筆者は、衛星
資料伝送システムを携帯していたが、部隊の通信施設を利用した記事の送信も可能だった。
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4.検閲 vs.自律/全体 vs.部分/客観 vs.主観
前例がない実験であり、発想の転換であるエンベッド・プログラムは戦争報道に幾つか
の論争を残した。
(1)検閲と自律
エンベッド記者として戦場から報道する時にアメリカ軍から報道資料をもらったことも
ないし、検閲や報道を制限されたこともなかった。戦争中の兵士は、記者たちがどんな記
事を送るのかに気をつかう余裕がなかった。
国防総省側からしばしば一部の記者が書いた内容が正確な内容であるかどうかを部隊に
確認することがあった。多くの場合、記者たちは兵士と一緒に移動しながら、自ら状況を
判断して記事を書くしかなかった。情報収集は作戦会議の情報報告と部隊の動きがすべて
だった。しかし、兵士の生命を脅かす可能性のある「現在と未来」の作戦に対しては報道
しない、という国防総省との約束があるため、作戦内容と展開を知っているにも関わらず
書けなかった。
作戦内容を記事に書くことは、自分の安全を危険に陥れるか、同行部隊から追放される
ことを意味していた。実際に部隊の位置や作戦内容を報道して、同行している部隊から追
放された記者もいった。それもあって、アメリカ軍の広報官が書いてもよいという内容を
記者が自ら思い迷う場合もあった。自分の安全を守るためでも自己検閲するしかない状況
のなかでの活動だった。従ってエンベッド・プログラムによる戦争報道は、特ダネに対す
るモチベーションが発揮できない状況での報道活動だった、といってもいい。
(2)全体と部分
エンベッド・プログラムは、戦場で記者と兵士との距離をなくした。その反面、記者が
一つの部隊に長期間生活を共にすることによって取材の範囲と戦争を見る記者の視野は狭
くならざるをえなかった。遠くから見ると森の全体像が把握できるが、森のなかでは個々
の木しか見られないこととおなじだ。この点は国防総省が 1 月に行われたブリピングです
でに認めた部分であり、エンベッドに参加した記者たちもその点は既知であった。
近すぎて逆に遠く見られない限界にも関わらず、エンベッド・プログラムに対する記者
らの反応は熱かった。戦場の真ん中に飛び込んで、戦争中の兵士らを目の前にすること自
体が、以前の戦争ではできなかったことだったからであった。
エンベッド・プログラムは、森の中に入ってしまう、という限界があって、戦争のすべ
てをカバーすることまで至らなかった。経験的にいえば、エンベッド・プログラムが効果
を発揮するためには、多くの取材網を設ける必要がある、と思った。イラク全域の違う部
隊に属さられた多数のエンベッド記者から、ワシントンのペンタゴンやカタールのドーハ
の中部司令部で取材する記者から送られる情報から戦争を総括する必要がある。
このような理想的な戦争報道システムを営められるマス・メディアはアメリカの一部言
論社しかない。まず、会社が多くの取材陣を送る熱意を持っていなければならないうえ、
国防総省がその会社の影響力を認めるときに可能なことである。多くの従軍記者たちは兵
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士たちの中で自分が経験する現場を伝えることに満足せざるをえなかった。
(3)客観、主観そして公正性
兵士と共にするエンベッド記者たちは自分の安全を脅かすかも知れない内容に対して慎
重にならざるをえなかった。戦争という特殊な状況で生じた兵士との人間的信頼関係は、
兵士の生命と安全を考慮するようになる。このようにエンベッド記者と兵士が運命共同体
になってしまった。また、エンベッド記者は、アメリカ軍の保護を受けながらアメリカの
情報に依存しているので偏った立場を取らざるをえない、と批判された。しかし、部隊の
一員としての記者は、事実記録者として、観察者や批判者としての義務を忘れてはいなか
ったと思う。
エンベッド・プログラムが客観的な報道を制限することを恐れた、一部の従軍記者はエ
ンベッドを拒否し、自由な取材を行った。アメリカ軍はこのような記者たちをユニラテラ
ラル(unilateral)と分類して身分証明書を発行し、彼らもイラクで取材ができるようになった。
正確な数字ではないが、戦争勃発直後のクウェート市ではエンベッド記者以外にも約 3,000
名の記者が集まったし、その中で半数近い記者がユニラテラルとして国境を越えたそうだ。
実際に、メディアという表示をつけて取材を行っている記者たちをイラクのあちこちで
目にした。ユニラテラル記者たちの中には、兵士らがエンベッド記者を国防総省が認めた
公式記者として考え、取材に応じてくれる反面、自分らにはそうではなかったと非難する
人もいた。国防総省が、エンベッド記者を公式化することによって当たり前の取材をして
いる従軍記者たちを除外させた、ということだ。
エンベッド記者がイラク戦争を取材する過程は大変な例外だった。軍本部のメディアセ
ンターで戦況の報告を聞き、たまに戦場を訪ねるようなことではない。すべての事件関連
者の意見を聞いてバランスよく報道する、という平時に通用される義務は戦場の外側にい
る支援チームが補完する問題だった。エンベッド記者は、戦場で自らが体験し、目にした
ことを生々しく伝えるべきだった。
5.従軍取材が残した教訓
記者なら誰でも歴史的な事件や現場で立って報道したい、という気持ちをもっている。
危険が高いほど大きな報酬が期待できるのは、記者たちの世界でも同じである。記者の現
場というのは、いかに大きな事件現場といっても事件が発生した後の場合が多い。しかし
従軍記者は、現在進行中の事件に飛び込んで取材を行う。従って、危険度が高いゆえにも
っとドラマ的な記事を書ける可能性も高くなる。
「生と死」
、「勝利と敗北」、「勇気と左折」、「栄光と苦難」
、「高潔な人間愛と残酷な本能」
等など。極端な形で吹き出される暴力の中で、戦争は偉大な叙事のあらゆる要素をもっと
も刺激的、ドラマ的に見せてくれる。記者たちが戦争の危険に心を奪われてしまうのは、
平時では見つけにくいことが戦場では込み合っているからだ。
戦争という例外的な状況は例外的な捉え方を要求される。イラク戦争が勃発する前のク
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ウェートのアメリカ軍基地で、戦場で送る記事が人生の最後のものになるかもしれない、
と筆者は心を構えた。それで、記事の文法がよく合わなくても、自分が経験する戦争をあ
りのままでよく書ける方法を選択しよう、と思った。
メディアが総力をかけて報道する戦争という大事件は、一本の記事で描かれるものでは
ない。ワシントンのワイトハウスとペンタゴンから、カタールのドーハの中央軍司令部か
ら、そして大手の通信社や 24 時間ニュースチャンネルからは数え切れない情報が吐き出さ
れる。新聞が伝えるすべでの情報の中で、筆者が伝えるのは、体験的で、微視的なアング
ルで戦争の現状感を描くことだ、と考えた。
開戦が近づくにつれ緊張が高くなると、「私」で始まる一人称で記事を書き始めた。これ
は新聞記事では許されない書き方だった。もちろん、「カンザス州のスミス下士官」で始ま
る記事を書くことがもっともやさしい方だったかもしれない。しかし、エンベッド記者と
して兵士と同じ生活をしているので、それを「私」に書き換えると生きいきした描写がで
きる、と思った。イラク戦争の戦場では、多くの記者たちが筆者と同様に1人称で記事を
書いたし、多くの媒体がその例外を認め読者からも熱い呼応があった。筆者にも読者から
一日何十件の激励のメールが届いた。
しかし、このような書き方は主観的で、感想的である、という批判もあった。当時の新
聞を開いてみると、無味乾燥な情報の記事が溢れている。戦争はいくら国家と国家間のこ
とだとしても、結局人間同士の間で起きることだ。従って、戦場に投げされた人間たちの
心の奥を伝えるのが従軍記者のやることだ、と思った。
筆者は、今回のイラク戦争以外にも 1997 年のカンボジア内戦を取材した経験がある。戦
場とは、記者に一人の人間として、また一人のジャーナリストとしてのすべてを問う最悪
であり最高のところだ。自分の命を担保するというのは、平時では問われることのない記
者の能力と姿勢をもっとも厳しく問われることを意味する。それと同時に戦争という大事
件はそのときの焦眉の関心事なので、平時では決してもらえない読者からの強烈な反応も
得られる。
従軍記者は、その機会を利用して戦況を伝えるし、反戦メッセージを出すこともできる。
しかし、戦争とは、一人の記者やメディアの力で全体像を描くには、大きいすぎた事件で
ある。結局、自分が描くのは巨大な事件の一断面を伝えるにすぎなかった、ということを
痛感した。
18
第3部
「イラク戦争とジャーナリズム」
問題提起
柴田 鉄治(国際基督教大学)
「テレビジャーナリズムの米・イラク戦争報道
−アメリカ式オリエンタリズム論からの考察」
黄
仁性(西江大学)
【第 3 部
問題提起】
イラク戦争とジャーナリズム
国際基督教大学
柴田 鉄治
イラク戦争をめぐる日本のマス・メディアの報道について、私は三つの問題点を指摘し
たいと思う。
1.真二つに割れた開戦前の新聞論調
イラク戦争は、開戦にいたるまでにかなり長い時間の経緯があり、その間にかつてない
ほど「戦争反対」の世論が盛り上がったことと、結局、国連の決議が得られなかったこと
が、これまでの戦争とは異なる大きな特徴だったといえよう。
湾岸戦争のようにイラクが隣国を侵略したわけでもなく、大量破壊兵器の脅威にしても
確証はなく、現に国連による査察が継続されているなか、それを打ち切って先制攻撃が行
われたのだから、国際法にも反する「大義のない戦争」であることは明白だった。にもか
かわらず、日本の新聞論調は真二つに割れ、開戦前からイラク攻撃を全面的に支持する新
聞が少なからず存在したのである。
日本の新聞は、第二次大戦の敗戦時に全新聞を廃刊にしたドイツとは異なり、大半が戦
前・戦中から戦後に継続された。したがって、どの新聞も戦前・戦中の報道に対する深い
反省のうえに立って、
「二度と戦争には協力しない」と誓って戦後の再出発をしたのである。
この「戦後の誓い」は、ベトナム戦争のころまでは比較的よく守られていた。
ベトナム戦争に対し日本政府はもちろん米国一辺倒だったが、日本の新聞は、政府とは
違って米国に厳しい姿勢をとった。米軍側からの従軍取材だけでなく、解放戦線(べトコ
ン)側にも潜入するなど、命がけの取材で戦争の不条理と悲惨さを浮かび上がらせ、戦争
反対の世論をリードしたのである。
ところが、1970 年代に入って、まず産経新聞が、次いで 80 年代に入って読売新聞が、
政府・自民党寄りに論調を大転換させた。その結果、いわゆる「朝日・毎日新聞
対
読
売・産経新聞」という新聞論調の二極分化と呼ばれる状況が生まれたのである。
それが、湾岸戦争によって一層際立ち、「憲法を改正して、日本も軍事面での国際貢献に
乗り出すべきだ」とする読売・産経新聞と、「日本が果たすべき国際貢献は、非軍事面でい
くらもある。改憲はすべきでない」という朝日・毎日新聞の主張が真っ向から激突した。
そして今度のイラク戦争で、「二極分化」がさらに先鋭化し、開戦前から戦争支持と戦争反
対が明確に分かれたのである。
19
論調の違いを反映して、二極分化した新聞は、反戦デモに対する記事の扱いなど報道の
姿勢まで大きく異なった。たとえば、世界中の反戦デモが最高に盛り上がって 60 か国、600
都市で1千万人が参加したといわれる2月 15 日の「全地球的な反戦のうねり」も、読売・
産経新聞は一面のニュースにはしなかったのである。
また、開戦前の世論調査結果の報じ方も対照的だった。朝日新聞の世論調査では「イラ
ク攻撃に賛成 17%、反対 78%」、読売新聞の世論調査では「賛成6%、国連決議があれば
賛成 34%、反対 57%」で、設問に多少の違いはあっても結果にそれほどの差はなかった。
ところが、朝日新聞は「反対 78%」と一面トップで報じたのに対し、読売新聞はこの結果
を見出しにもとらず、「内閣支持5割切る」という記事の中にさりげなく含めて、目立たな
いように報じたのだ。
さらに、戦争が始まるや、二極分化の新聞は、「イラクへ進攻」「イラクへ侵攻」と使う
言葉まで分かれたのである。
ところで、日本のテレビ局には「社説」に当たるものがなく、その論調は必ずしも明確
ではなかった。番組によって、あるいはニュースキャスターらの姿勢によってさまざまだ
ったというほかないが、ほとんどの局が「進攻」と報じていたことで、そのスタンスはう
かがわれよう。
2.全社の記者がバグダッドから離脱
第二点は、戦争が始まる直前に日本のマス・メディアは、新聞もテレビも全社の記者が
バグダッドから離脱したことである。
実は、湾岸戦争のときもそうだった。しかも、そのときは全社の幹部が事前に話し合っ
て、つまり「談合」して離脱を決めたのだ。湾岸戦争では、米 CNN テレビのピーター・ア
ーネット記者らがバグダッドに残り、空爆下の状況を報道したこともあって、日本のマス・
メディアの対応が国民から強い批判を浴びたのである。
それだけに今度はどうするか注目されたが、結果は同じだった。明白な談合は避けて各
社それぞれの判断で、となったようだが、水面下での談合があったのか、あるいは以心伝
心というか、全社の判断が一致したのである。
「湾岸戦争のときより、今度は市街戦や無政
府状態も予想され、ずっと危険が大きい」というのがその理由だったが、日本のマス・メ
ディアの「横並び主義」というか、談合体質の表れだといっていいだろう。
湾岸戦争のときには離脱した反省から今度は残ったフランスのメディアをはじめ、外国
のメディアはバグダッドに多数が残り、また、日本人ジャーナリストでも、組織に属さな
いフリーの人たちは大勢残ったので、日本のマス・メディアの対応の異様さがひときわ目
立ったわけである。
日本のマス・メディアのなかには、このフリーの人たちと「特別契約」を結んだりして、
現地からの情報をフリーに頼ったところも多く、「危険な仕事は『下請け』を使うのか」と
いう批判の声まで出たのである。
20
いずれにせよ、バグダッドからの全社撤退は、日本のマス・メディアのジャーナリズム
精神の衰退を物語る象徴的な事象であり、ベトナム戦争のときと比べると、戦争に対する
批判力という点でも、現場に肉薄する取材力という点でも、大きく後退したといわざるを
得ない。
3.戦後の『戦争の大義』追及の甘さ
第三点は、イラク戦争が一段落した後の追及姿勢の甘さである。バグダッドが「陥落」
し、フセイン像が引き倒されてから5か月がたつが、いまだに戦争の大義とされた大量破
壊兵器は見つかっていない。
これに対し、戦争を仕掛けた米英両国内で、
「イラクの脅威を捏造したり誇張したりした
のではないか」という疑惑が浮上し、マス・メディアの厳しい追及がつづいている。英国
では、誇張があったとする BBC 放送の報道に対し、政府からその情報源だったと名指しさ
れた科学者が自殺する事件もあって、ブレア政権が存亡の危機に立たされている。また、
米国でも「まだ確証はない」とする情報機関の報告を政府が勝手に捻じ曲げたとする証言
が次々と報じられているのである。
それに比べて日本はどうか。大量破壊兵器の脅威をことさら強調して米英両国のイラク
攻撃を支持したはずなのに、小泉首相は、その根拠を国会で追及されると「フセイン大統
領が見つからないからといって、存在しなかったとはいえないでしょ」という人を食った
答弁ではぐらかした。それに対して日本のマス・メディアの追及は、なんとも中途半端な
のである。
その理由は、もともと日本政府より早く米英支持を打ち出していた読売・産経新聞は、
最初から小泉首相を追及する意思がなく、一方、その他の新聞やテレビは、日本政府の米
国追随はいまに始まったことではないという諦めと、北朝鮮情勢が緊迫してきたことから
追及が及び腰になったものと思われる。
そして、追及どころか、イラクの国内情勢が混沌としている中で自衛隊をイラクに派遣
する法案が国会であっさり成立。それに対するマス・メディアのチェック機能も極めて弱
いものだった。
以上、三つの問題点に共通する日本のジャーナリズムの特徴を一言でいえば、イラク戦
争に直面してその脆弱さをさらけ出し、
「二度と戦争には協力しない」という「戦後の誓い」
からも遠くなってしまったということである。
21
【第 3 部
問題提起】
テレビジャーナリズムの米・イラク戦争報道
―アメリカ式オリエンタリズム論からの考察―
西江大学映像大学
黄
仁性
1.はじめに
第 1 次、第 2 次湾岸戦争(1991、2003)とアフガニスタン戦争(2001)など、過去約 10
年間、アメリカを中心に行われた一連の戦争に対するグローバルジャーナリズムの報道を
通して、我々は幾つかの批判的反省から逃れることは出来ない。ここには、20 世紀を支配
してきたジャーナリズムの客観主義イデオロギーに対する批判的反省、特に 1990 年代東欧
圏の没落以降世界で唯一超大国になったアメリカ帝国主義論の特徴に対する批判的認識、
ジャーナリズム報道を通じてみたアメリカ式帝国主義談論形成に対する反省などが含まれ
ることになる。このような反省のため、まず、
(韓国の)テレビジャーナリズムの米・イラ
ク戦争報道方式の特徴的傾向に対する批判的理解を図る。次に、先ほど論議された内容な
どに基づいてアメリカ式帝国主義談論の特徴をサイード(Said)のオリエンタリズム概念
を参考に、我々のテレビジャーナリズムに対する批判的反省を試みる。
2.テレビジャーナリズムの米・イラク戦争報道の特徴的傾向
アメリカで非営利組織であるメディアデモクラシー・センター(Center for Media &
Democracy)を運営する社会運動家のS.ランプトンとJ.スタウバーは 2003 年の米・イ
ラク戦争を 91 年の 第1次湾岸戦(Gulf War Ⅰ) に続いて勃発した 第2次湾岸戦(Gulf
War Ⅱ) と命名することで、今回FOXテレビが中心になって行った第2次湾岸戦に対する
報道は、そのスタイルや内容全ての面でCNNが中心だった第1次湾岸戦に対するメディア
報道の 続編(a sequel) と違いがないと主張する1。第1次、第2次湾岸戦を通じてCCNN
とFOXテレビを中心とするテレビジャーナリズムは戦争に対する単純な情報伝達機能を越
え、戦争している両側の間のコミュニケーションチャンネル機能を果たした。そして、二
つの湾岸戦は「メディア戦争」だったと言えるほどアメリカ政府はかなり効果的な方法で
戦争報道を統制した。
アメリカ政府は至上最初の「テレビ戦争」と言われたベトナム戦での痛い経験を繰り返
さないために 90 年代以降の戦争では新たなメディア報道統制システムを開発した。第1次
湾岸戦の
メディアプール(Media pool)
と第2次湾岸戦の
embedded journalism
S.Rampton & J Stauber, Weapons of Mass Decepton: The Uses of Propaganda in
Bush’s War on Iraq, NY: Penguin, 2003, pp.173-81.
1
22
がそ
のようなシステムである。前者の場合、選別された記者たちに厳格に統制された条件の下
で戦闘部隊について行き報道できるようにしたが、結果的にテレビ視聴者たちが経験した
戦争はアメリカ国防総省が提供するビデオ資料を中心に構成されたいわゆる
(clean war)
綺麗な戦争
2だった。従って、視聴者たちはまるでコンピュータゲームあるいは「スター
ウォーズ」みたいな映画を観覧するように気軽に戦争を楽しむことができた。他方、彼ら
は繰り返し提供される映像資料に接しながら、カメラを装着したスマート爆弾などにより
精密な目標物打撃能力など、各種最新兵器の性能を学ぶことはできたが、実際にそのよう
な爆撃を受ける戦場の実像に対しては正確な把握が困難だった。実際、両湾岸戦はアメリ
カ側とイラク側の比較できないぐらいの戦力の差により「湾岸戦争は起こらなかった」と
いうボードリヤール3の主張のように、直接対面して戦闘する伝統的な概念の「戦争」は起
こらなかった。
第1次湾岸戦当時の報道統制に対する社会的批判を考慮したアメリカ政府は、第2次湾
岸戦では記者たちを戦闘部隊と一緒に戦場に投入させる embedded journalism 戦略を開
発した。このシステムを通じて記者たちは戦闘部隊に随行しながら戦争報道が出来たが、
それは一定の規則を守るという制限された条件の下だけで可能だった。結局、記者たちは
独自的かつ自由に報道できず、インタビューの対象も退役した軍人や将校などアメリカ側
に有利な証言をしてくれる人たちに限定された。時には「作戦上の安全保障」のため報道
内容が統制され、報道が暫定的に延期されることもあった。このような戦略的報道統制は、
メディアを通じて間接的に戦争を経験することになる視聴者に戦争の真の意味とその背景
に対する理解を求めることに障害物の一つとして作用した。その結果、視聴者たちが記憶
する第2次湾岸戦の現実はテレビジャーナリズムが提供する極めて部分的なイメージに依
存して構築されるしかなかった。このような脈絡から第2次湾岸戦に対する我々のテレビ
ジャーナリズム報道に対する反省は、次のようにまとめることが出来る。
第1に、先端コンピューターグラフィック技術を活用した仮想空間上のシミュレーショ
ン映像のおかげで戦争が戦争らしく描かれないで、まるでスタークラフトのような一本の
コンピューター・シミュレーション・ゲームのように提示された。特に、各放送局はコン
ピューターグラフィック・シミュレーションを利用した仮想の戦闘場面と実写場面を絶妙
に結合して巡航ミサイル、ステルス幾、誘導爆弾 JDAM、新型爆弾 MOAB など米・英連合
軍が使用する各種先端武器の破壊力を説明した。また、華やかに彩られたシミュレーショ
ンなどを利用して戦争進行状況を知らせることで、視聴者たちに戦争による混乱と苦痛よ
りは派手な見ものを提供することに焦点をあてた。バーチャルスタジオ(KBS)、マジックス
タジオ(MAC)、サイバースタジオ(SBS)など放送局が設計した多様な仮想スタジオも視聴者
の視線を引き付ける見物的効果を向上することに貢献した。開戦直後アメリカ軍特殊部隊
D.Kellner, The Persian Gulf TV War, Boulder, CO: Westview Press, 1992, pp.157-59.
J.Baudrillard, The Gulf War did not take place, trans. and intro. by Paul Patton,
Bloomington & Indianapolis: Indiana University Press, 1995.
2
3
23
「デルタフォース」を紹介する報道場面では、同部隊をテーマにした「ブラックホークダ
ウン」から抜粋してきた多様な戦闘場面と交互に編集され、映画と現実との区分を難しく
することもあった。
第2は、今回の戦争報道はアメリカ中心的であるという点である。特に
embedded
journalism システムの導入により米・英連合軍側は、アメリカ中心の偏向された戦況報道
を維持することで全世界の視聴者たちに彼らの視覚で戦争を読ませ、日に日に増加し続け
た世界的な反戦世論を彼らに有利な方向に転換させようとした。資料のほとんどを FOX、
CNN などグローバルジャーナリズムが提供するものに依存している我々のテレビ報道を通
じて思い出せる戦争イメージとは、各種の先端武器の性能を試すかのように絶え間なく繰
り広げられた多彩な種類の爆撃と、まるで花火を連想させる目標への攻撃場面、イラクの
限りなく広い砂漠をカーレースでもするように失踪する連合軍陣軍の姿、その間で巨大な
火柱を吹き出す油田、爆撃を避けて逃げ回るイラクの軍人たち、連合軍側の爆撃で破壊さ
れたバグダッド市内の建物、その間に略奪したりまたはカメラに向かって彼らの苦痛と怒
りをぶつけるイラク人たち、イラク軍につかまったアメリカ捕虜の怖がる姿、たまに見ら
れる各国の反戦デモの場面、米兵士ジェシカ・リンチさん救出作戦の場面、そしてこのよ
うな見慣れないイメージの意味が何か一目瞭然にまとめてくれる連合軍側記者とスポーク
スマンの姿などが含まれる。たまにアルジャジーラとアブダビ放送の報道が流されたりも
したが、イラク人たちや非連合軍側の人々がこの戦争に対してどのように考えているのか
に関してはほとんど分からなかった。
3.アメリカ式オリエンタリズムに対する批判的理解とテレビの戦争報道
周知のようにサイードが「オリエンタリズム」論を通じて主張する論議の核心は、東洋
論が東洋そのものに対する研究ではなく、東洋に対する一種の「談論」ということである。
彼のオリエンタリズム論は西洋(主にヨーロッパを指す)がどのように東洋(中東に焦点
を当てる)を
他者化
することで東洋に関する
知識
を作り上げ東洋に対する西洋の
優越性を強調しようとしたかに関する批判的な論議で構成される。サイードの話を引用す
ると、オリエンタリズムは「東洋に関して何か記述したり東洋に関する見解に権威を与え
たり、東洋を描写したり、講義したりまたはそこに植民地を立てたり統治するための…(中
略)…簡単に言えば、…(中略)…東洋を支配して再構成して威圧するための西洋のスタ
イル」である。歴史的にはオリエンタリズムは
啓蒙主義時代以降のヨーロッパ文化が政
治的、社会的、軍事的、イデオロギー的、科学的に、また想像力で東洋を管理し終いには
東洋を生産した場合の巨大な組織的規律―訓練
である4。結果的に、オリエンタリズム概
念は東洋と西洋間の権力関係と支配関係を含む多様なヘゲモニー的関係として理解できる。
それでは、18 世紀以降縮積されてきたヨーロッパ式オリエンタリズム伝統は 20 世紀に入っ
E.W.サイード、 パク・フンギュ(訳)
『オリエンタリズム』
(ギョボ文庫、1978/1991, pp.
18-19.
4
24
て登場したアメリカ式オリエンタリズムにもそのまま適用して理解することができるのか。
基本的にヨーロッパ式オリエンタリズムの力はアメリカ式オリエンタリズムでもいまだ
に強く作用すると思われる。しかし、第2次世界大戦以降、特に 1990 年代以降アメリカが
世界で唯一の超大国として浮上しながら伝統的オリエンタリズムに戦略的変形が加えられ
たと見られる。アメリカはイギリスやフランスのようなヨーロッパの核心的なオリエンタ
リスト国家とは違って中東地域国家らと歴史的・文化的に長い間緊密な関係を結んでいな
い。アメリカが関心を持っている東洋とは、サイードが言及したように日本、中国、イン
ド、パキスタン、インドシナなどであり、アメリカはこれら地域との関係の中で政治、軍
事、経済など実利的次元の目的を達成するためのまた違うオリエンタル談論を必要とする。
従って、中東地域に関するアメリカ的オリエンタリズムが志向する東洋に関する研究は最
近のオリエンタリズム展開現象に対するサイードの論議で指摘されているように、文献学
的研究と文学的想像力に基づいて長期にわたり複雑な様相に発展したヨーロッパ式オリエ
ンタリズム伝統とは異なり、単純に行政及び政治上の効率的統制のための社会科学的専門
分野の一つに転換されることで
人間性
が剥奪された一つの統計数字作業として表現さ
れたりする。
サイードによると、このように文学や文献学的関心が排除されたアメリカ的中東研究は
オリエンタリズムの新たな偏向を見せてくれることだそうだ5。そうであれば、このように
偏向されたアメリカ式オリエンタリズムが生産する知識の根本的属性とは何だろうか。こ
れは重要な問題で、その理由はテレビが現代社会で世論を主導する一番重要なイデオロギ
ー的国家装置の中の一つで、このようなテレビを通じて生産され流布される知識こそ今後
アメリカを中心にした世界権力構図を再編し、アメリカ的帝国主義の夢を実現するのに決
定的役割をすることができるからだ。
さらに、サイードによれば、現代の西洋で(主にアメリカの場合)作られる知識のほと
んどを決定的に侵食しているのは、知識は非政治的であるべきという希望、すなわち知識
は学問的、純理論的、中立的なもので党派的、教条主義的信念を超越したものであること
を要求する希望である6。このような脈絡で、アメリカ式のオリエンタリズムは東洋に対し
て彼らが希望するような非政治的で客観的な中立的知識を生産する。21 世紀のはじめを従
来の地域と地域、国家と国家間の地理的距離感や区分が無意味になる全地球的な情報化時
代の本格的出発点として見なせば、今後アメリカの全地球的ヘゲモニーが持続される限り、
アメリカ式オリエンタリズムは何よりも地政学的に
東洋
という限界を越えて
全世界
を対象にする新たな形態の談論形成を必要とする。すなわち、新たな排除と包含の原則を
仮定したアメリカ式の新しい枠作りは中東地域と極東地域を区分しない汎東洋的、そして
汎世界的形態を要求する。このような観点から、二度の湾岸戦を通じてアメリカが中心に
なって実行した象徴的暴力は
5
6
東洋
対
西洋
サイード、前掲書、p.506.
サイード、前掲書、p.31.
25
という地政学的な葛藤構図を抜け出し最
終的には全世界を新米と反米という二分法的な対立構図を区分する全地球的分裂を強要し
た。
アメリカ式オリエンタリズムの究極的目的も過去ヨーロッパ式オリエンタリズムと同じ
ように東洋を管理し支配し抑圧するためである。しかし、戦略的にはこれ以上東洋を非理
性的で文明化されていない神秘的な異国的存在として見るのではなく、世界の法と秩序を
乱すテロリストとして 悪 の存在と同一なものと扱う。このような点は 2002 年初めから
ブッシュ政権がイラン、イラク、リビア、スダン、シリア、キューバ、イラクなどいわゆ
る7大
不良国家
たちの中で特にイラン、イラク、北朝鮮を「悪の枢軸国」と名指した
事実と関係が無いわけではない。アメリカ中心の新たなオリエンタリズムの構図はもう東
洋と西洋という特定地域中心の地理的基準よりは、むしろ
善と悪
というかなり抽象的
な対立概念を中心に展開されるだろう。これから各地域は東洋と西洋と地政学的範疇の代
わりに、全ての人類に普遍的な、しかし極端な
善と悪
という二項対立概念に基づいた
範疇により分類されるだろう。2001 年アメリカ議会演説を通じて全世界に対して行ったブ
ッシュの演説内容中 “Either you are with us, or you are with the terrorists. From this day
forward, any nation that continues to harbor or support terrorism will be regarded by the
United States as a hostile regime.” という警告発言は 我々(善) 対 彼ら(悪) という
極端な範疇たけを許容するアメリカ式オリエンタリズムの過激な性向を反証してくれる。
21 世紀型アメリカ式オリエンタリズム論を形成し維持するためには政治、経済、社会、文
化、宗教、科学、歴史などを含む多様な次元の談論形成が必要で、現在のテレビジャーナ
リズムはそのような談論を生産して配布するために権力者が利用する代表的なイデオロギ
ー的国家装置の中の一つである。ある部分アメリカ的知識と想像力の伝統に依存して変遷
してきた我々のテレビジャーナリズムも、今回の戦争報道で主に FOX や CNN のようなグ
ローバルジャーナリズムが提供する映像資料に依存したし、結果的にアメリカ式オリエン
タリズム論を形成し実践するのに一助したという事実を認めざるを得ない。
要約すると、我々のテレビジャーナリズムもまた二度の湾岸戦を、ブッシュ:フセイン=
英雄:悪魔=定義:テロリズム = 理性:非理性 = 自由:拘束 =ハイテク科学文化:ローテ
ク伝統文化 = 秩序:混乱 = 文明:非文明(野蛮)= 善:悪
などの二項対立的枠に依存
し報道しながら、アメリカ式オリエンタリズム談論と知識の形成に寄与した。結局このよ
うなイデオロギー的実践は今後
東洋
対
西洋
アメリカ式オリエンタリズム談論を形成して
という構図を超越する
悪の軸
脱地政学的
として分類される一部国家に対し
道徳的審判を下すことで彼らを他者化する作業に寄与するだろう。
4.おわりに
現代社会の暴力は銃や剣のような武力だけに依存するものではない。すでに様々な社会
科学者たちが指摘したように、現代的暴力はそれが可視的な暴力として認識されない文化
的で象徴的な次元で働くこともある。今回の戦争に対して全世界の人々が戦争主導国のア
26
メリカの立場に対して賛成と反対の両論に分かれ悩んでいた理由は単純に戦争で都市が破
壊されて罪のない人々が死ぬという近視案的事実だけではなかった。それよりは今後全世
界地域別の差や宗教の差、または価値観の差等が人類文明の多様性を担保するよりはアメ
リカ中心の新たな敗権構図形成のための象徴的な葛藤要素として悪用できるという心配か
らであっただろう。
グラムシのヘゲモニー理論に照らし合わせてみると、アメリカが自分の帝国主義的目的
を達成するためには、莫大な資本力を基盤として開発される先端武器の力に依存する直接
的で強圧的支配方式と共に、全世界的な談論的合意を誘導することで直接的支配を支援し
てくれる間接的な文化的ヘゲモニーの作動を必要とする。強圧的な、そして文化的な二つ
の支配方式を見ると、1991 の湾岸戦、2001 年アフガニスタン戦争、そして 2003 年の米・
イラク戦争を含めて過去 10 年間アメリカ中心で行われた一連の戦争は強圧的支配方式が実
践に移された行為であろうし、直接的な戦争行為とは別に、テレビ放送を含んだグローバ
ルメディア空間を通じて持続されている戦争関連談論の論争は、文化的ヘゲモニー獲得に
向けて繰り広げられるまた違う次元の戦争と言えるだろう。
二つの湾岸戦争報道に対する批判的反省を通じてアメリカ式オリエンタリズムの実態を
慎重に再考してみようという努力が必要なのはこのためである。マクルーハンが予告した
グローバルコミュニティーの夢が現実化される 21 世紀型世界では、特に後者の葛藤と戦争
が一層深まるものと見られ、グローバルなテレビジャーナリズムはそのような象徴的戦闘
が繰り広げられる重要なヘゲモニーの場の機能を受け持つことになるだろう。
27
第4部
討論とパネル・ディスカッション
司会=鈴木みどり(立命館大学)
―報告者とともに−
宮崎 寿子(東京工科大学)
伊藤 英一(日本大学)
崔
賢哲(高麗大学)
金
昌龍(仁済大学)
【第4部 討論とパネル・ディスカッション】
戦争報道ジャーナリズムに求められる視点
東京工科大学メディア学部
宮崎
寿子
3 月 24 日から 4 月 23 日にかけて毎日新聞に掲載された従軍記者の姜仁仙氏による 18 本
の記事では 戦争はどんな理由であれ野蛮/戦争とは「消耗」そのもの/基地の「不安な平和」
/見えるのは「侵攻」「戦略」/イラク兵の心境痛感/戦場離れるときなぜ憂鬱なのか など見
出しや、 戦争は 1000 倍の水で薄め、砂糖を入れても飲めない毒薬のように苦い などの
記述が並ぶ。こういった表現からもうかがえるように、記者は戦争というものが国家の暴
力そのものであることを意識し、その上で攻撃することを強いられるアメリカ兵士たち、
攻撃されることを強いられるイラクの人びとの視点から状況を描き出そうとしているので
ある。
従軍記者にはルールに従わなければならないという制約がたとえあろうとも、ジャーナ
リストとしてその場で見聞きした事実を寄せ集めて報告するだけではなく、自らがメッセ
ージを届けようとする相手である市民に共感を寄せながら、その視点に立って語る必要が
ある。そのためにも従軍取材では記者が前もって戦争に対する自己の問題意識を高め、そ
の制約を打ち破る自分なりの戦略を持って臨むことが求められる。これが日本の従軍記者
にできていただろうか。
今回の戦争報道には日本からも今泉浩美記者(日本テレビ)、山本美香記者(ジャパンプ
レス)などの女性記者が従軍取材やバグダッドでの取材を行った。このことが持つ意味は、
一つには女性が戦争報道というまさに「男の仕事」として捉えられがちな領域で十分活躍
出来ることを示したこと、もう一つはこれまで捉えられていなかった視点から戦争を捉え
ることによって戦争報道ジャーナリズムに新しい点を吹き込んだのではないかということ
である。
振り返れば、世界のオーディエンスの半数は女性である。にもかかわらず、その女性の
視点があらゆる報道の中でわずかしか反映されていないことは、比較的常勤として働く女
性の多いテレビ局でも女性就労が 20%前後にとどまっていることからも明らかである。上述
の姜仁仙記者の報告が女性、男性を含む多くの人たちの共感を得たのは、戦争を悪と捉え
るジャーナリストとしての確固たる信念と、記者が女性としてこれまで生きてきた経験が
従来の報道とは違った視点や表現を含んでいたからではないだろうか。
従軍取材には同行してもバグダッドにはフリーの記者しか残らないなど、イラク戦争後、
日本のジャーナリストのあり方の問題点があちこちで指摘されている。今後、日本のジャ
28
ーナリズムが独自の視点を持ち、世界の状況を的確に掴んでいくためには、やはり大学あ
るいは大学院教育のレベルでジャーナリストになる人材を育成していく必要があるのでは
ないだろうか。ジャーナリスト精神を学び、世界のさまざまな問題を討論し思索を深め、
さらには、少なくとも英語およびアジア、アフリカ、中東地域を含むその他の地域の言語
が一つ以上できるジャーナリストを育成し、その知識と資質がジャーナリストという職業
と繋がっていくようなシステム作りが必要ではないか。現在、市民の側には情報を判断し
ていくリテラシーが求められているが、同じことがジャーナリスト自身にもより一層強く
求められている。ジャーナリズムが、絶えず多様な視点からの情報を提供し、問題提起を
していくことが、市民の間での議論や対話を活性化していくことに繋がっていくのではな
いか。ジャーナリズムのあり方だけでなく、マス・コミュニケーション学がジャーナリズ
ムに対する、そして社会に対する働きかけも問われている。
29
【第4部
討論とパネル・ディスカッション】
「ジャーナリズムの独立性」とメディア戦争
日本大学法学部
伊藤
英一
『エデンの園』―――メディア史上、最大最長のベスト・セラーである聖書(ユダヤ教、
キリスト教およびイスラム教に共通する聖典)の創世記に描かれた地上の楽園―――があ
ったとも言われる地で戦争が起こった。
今回のイラク戦争をして第1次メディア戦争(the First Media War)と呼ぶ人々もあるが、
その表現があながち不適切とも言い切れない様相が見受けられる。元来、戦争と情報・メ
ディアとは密接不可分な関係にあり、目新しい事象ではない。にもかかわらず、この戦争
がメディアを巡る本格的なものと看做される所以となっている動きを追ってみた。
先ず、中近東諸国における新しい動きに着目すると、この地域に拠点をおく複数のメディ
アが、活発な報道活動を競争的に展開していることがあげられる。
アルジャジーラ(Al-Jazira, Al-Jazeera)はバグダッドに6人のレポーター、約20人からなる
技術陣を配し、グローバル・チャンネルとしての先駆者的役割を果たし続けた。このアル・
ジャジーラに加えて、アブダビ・テレビ(ADTV)は12人のレポーターをイラク各地に配し、
独自取材を核とする報道を行った。また、レバノンのアルハヤット(Al-Hayat)/LBCも特ダネ
を出し、イランのアルアラム(Al-Alam)も言語の障害を乗り越え、更にはサウジアラビア、
クウェート等の合弁によるアル・アラビアも参入。これらのメディアがテレビ、ラジオ、
インターネットを介してのグローバルな活動を展開し、アラブ諸国からの情報発信は活気
に漲っている。先のアフガニスタンでの戦いでは、CNNですら時としてアルジャジーラを
画像情報源として頼るという寡占市場であった。が、今回のイラク戦争は、様変わりの多
様多彩な競争市場となった。特に、この変化が、中近東地域からの積極的な情報発信によ
るということには新鮮なものがある。
また、情報通信の世界的なハブとなることを目指して2001年初頭、アラブ首長国連邦に
開設されたドバイ・メディア・シティーが、このイラク戦争においては、情報の発受信の
基地として機能するようになって来ている。情報時代のシルクロードの要として蘇生する
ことが期待されている。ただ、今日までの例から見ると、これらのメディアによる当該政
府へのジャーナリスティックな立場は強固なものであるとは言えず、今後の自由化の進展
が望まれる。
次に、アメリカメディアの動きを振り返って見ると、FOX効果(the FOX effect)とも呼
ばれる現象が生じた。2001年9月11日以来、米国で顕著となった愛国主義の波に乗り、ブッ
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シュ政権支持を明確に打ち出したFOXの方針に基づくニュース番組の編成と、それを補完
するテーマ音楽や効果音等が人々に受け入れられ、視聴者獲得競争でFOXがケーブル・テ
レビのトップとなった。民間調査機関であるピューリサーチが7月に発表した調査結果に
よると、テレビによる戦争報道に関し、報道内容については中立性を重要だとする人々が
64%いる一方で、報道機関の愛国的立場を是認する人々が70%いるとのことであった。組織
的には帰属先を明確に、個々のニュースでは中立ということが可能なのかどうかが、今後
の問題となろう。また、新聞を含む他のメディアにも、このような愛国的な傾向が見受け
られたが、これをジャーナリズムの役割の変化としてみるか、一時的な現象と捉えるか、
検証を要するテーマであると思われる。
また、今回のイラクへの侵攻に際して、アメリカ国防総省は,500人以上の記者やカメラ
マンを従軍させた。軍がジャーナリストとの一体感創出に取り組んだということよりも、
多くのジャーナリストが従軍を受け入れたという事実が注目される。従軍記者制度は多く
の先例があり、実体験に基づく報道ができるというメリットがあるものの、ジャーナリス
トとしての精神的独立性と批判能力/資格維持を両立できるかが問題である。
このディレンマに満ちた問題を含むジャーナリストとしての姿勢に関して論議が交わさ
れたのが、クリミア戦争以来の伝統を担うイギリスである。イギリスのテレビでは、BBC、
ITN、およびBSkyBの3社がイラク戦争を24時間体制で追ったが、ここではBBCを取り上げ
てみたい。
BBCの場合は、イラク戦争の期間を通じて、その報道チームをバグダッドに滞在させ続
けた。政府をはじめとした外部からの圧力に抗して、バグダッド駐在を維持したのは、バ
グダッドからの報道が、BBCの求める適切性と公平性のクライテリアを満足するもので
あったからとされている。また、政府の圧力に関しては、民主主義達成のために担う役割
が政府とBBCでは異なるためとグレッグ・ダイク会長は説明している。
政府の主張する国益と、真の公益とは異なる可能性があるとの問題意識は、1938年にナ
チス・ドイツと英仏との間に締結されたミュンヘン協定に関する報道への反省から形成さ
れ始めたと言う。ただ、BBCの独立性と公平性が揺らぎないものとして確立されるために
は、1956年のスエズ危機で、時の首相アンソニー・イーデン卿の演説に対するヒュー・ゲ
イツケル労働党首の反論を放送した時を待たなければならなかった。
そして、今回のイラク戦争に際し(厳密には開戦前のthe Iraq crisis/conflictの状態で、the
impending war in Iraqに備えていた時点)、アフガニスタンにおける場合と同様、BBC War
Reporting Guidelines
がBBCのジャーナリストに対し示された。そこには、イギリスだけ
でなく世界に跨るBBCの視聴者の信託に答え、愛国主義(patriotism)とジャーナリズム
(journalism)を混同してはならないとする矜持が保たれている。
また、ダイク会長は
the whole culture of BBC journalism is based on the drive for
accurate and impartial reporting. It's in the DNA of the organization.
と2003年4月24日にロ
ンドン大学で講じている。(ちなみに、ロイター通信は1941年に民営化されているが、その
31
理由は第2次大戦中の英国政府からのBritish interestsに奉仕せよとの要請を回避し、ロイタ
ー通信のindependence とneutralityを擁護するためであったとしている。この一例も示すよ
うに、BBCのみならずイギリスの情報産業のDNAともいえるのかもしれない。)ところで、
BBCによるテレビ・ラジオの視聴者は、米国でも急増しており、特にBBCのウェブ・サイ
トはその中立性により、米国でも人気と信頼を勝ち得ており、米国系マスコミの間隙を埋
める役割を果たしている。米国の動きで例示したピューリサーチの結果に見た矛盾ともい
える視聴者の要望の一つに、外国メディアが応えるという構図が形成されている。
イラク戦争の大義に最後まで疑念を持ち続けたフランスのシラク大統領やドミニック・
ドビルパン外相の立場は、フランスの多くのメディアが強く支持。ここ数年に亙るジャー
ナリストの倫理を巡る論議を忘れさせてくれるようなハーモニーが奏でられた。ジャーナ
リストとしての個人およびその組織との一体感に齟齬が生じなかったと言えよう。フラン
スの報道機関は、イラク戦争にあたって、イラク各地から、独自の視点による報道を貫徹
してきた。また、先に中近東に関する話題の中で触れたアブダビ・テレビは、五大陸をカ
バーするグローバルな衛星放送を開始したが、5個の静止衛星を利用したこの放送サービ
スのネットワーク・インフラの担い手は、フランス・テレコム系のグローブキャスト
(GlobeCast)である。ヴィクトリア王朝時代から形成された英国系情報通信の牙城に、フラ
ンスが、これまた旧来の関係を基礎にしながらも新たな拠点を築きつつあることは注目に
値する。
絵文字および楔形文字の生まれた地を舞台にしたイラク戦争。多様なメディアが、グロ
ーバルな競争を繰り広げる中で、ジャーナリズムの役割やそのあり方について、中でもジ
ャーナリストとしての「個」の独立、あるいはジャーナリズムを担う「組織」の独立につ
いて考えさせられることが多い。
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【第4部
討論とパネル・ディスカッション】
イラク戦争報道の主な特徴
−テレビ局3社のメインニュースを中心に−
高麗大学言論学部
崔
賢哲
1.序論
2003 年 3 月 20 日の米国によるバグダッド爆撃(空爆)から始まったイラク戦争は、外
形的には 5 月 2 日で終結した。今回の戦争でフセイン政権は没落(崩壊)したが、イラク
戦争は多くの問題点を抱えながら未だに続いている。
韓国の放送は 1991 年の湾岸戦争以後、9・11 テロによるアフガン戦争などを報道してき
たが、未だに米国 CNN を中心にした米国寄りの報道姿勢から逃れることができないでいる
との批判を浴びている。特に今回の戦争は開戦日が予測されていた戦争であるため、戦争
報道にみられる問題点を十分に再考し、改善するための時間が与えられていたが、全般的
に見ると、過去の戦争報道で指摘された問題点は今回のイラク戦争報道でも繰り返される
傾向があった。
私は韓国のテレビ放送が今回のイラク戦争をどのように報道し、その主な特徴はどのよ
うであったかについて考察し、断片的ではあるが戦争報道における改善策を提案したい。
私は KBS、MBC、SBS など、韓国の地上波テレビ 3 社のメインニュースを対象とし、イ
ラク戦争勃発の 1 週間前から、終戦宣言が行われるまでの期間のイラク戦争関連報道を考
察した。
2.イラク戦争報道の特徴
(1)戦争関連アイテムの過剰編成
イラク戦争の間、韓国の放送局 3 社は過度な戦争関連番組を編成した。もちろん、今回
のイラク戦は北朝鮮の核問題を巡って朝鮮半島の危機感が高まっている中で展開されたこ
と、また韓国軍の派兵問題をめぐって大論争が巻き起こったこともあり、過去のどの戦争
に関してよりも国内での戦争に対する関心が大きかった。このような状況の中、戦争関連
報道の量は必然的に多くなってしまう。とは言え今回のイラク戦争報道は量的に少々行き
過ぎた傾向を見せたのである。
(2)米・英側に有利な報道
全体的にみて米・英に直接有利な報道(22.2%)と間接的に有利な報道(18.6%)が 4
割を越えたのに対し、イラクに直接、または間接的に有利な報道(それぞれ 10.0%と 15.7%)
は約 25%にとどまった。
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(3)外信の引用問題
放送局 3 社のイラク戦争報道は外信ソースの引用において米国の FOX News や CNN、そ
して AP や AFP などの通信社に過度に依存していた。特に、韓国の放送局が今回のイラク
戦争において取り上げた外信報道の多くは、米 CNN であったが、CNN より量的に少なか
ったとはいえ、アラブ圏のアルジャジーラを取り上げていた。
(4)専門的な人材の不足
今回のイラク戦争報道で最も残念だったことは、国際紛争地域、特に中東地域を専門に
担当する記者が非常に不足していた点である。もちろん、今回のイラク戦争報道は過去の
他の戦争と比べて関連分野の専門家を活用することが量的に増えたとも言えるが、戦争報
道の専門家について質的な側面を更に充実させる必要がある。
(5)ゲーム式の報道と人道主義の喪失
今回のイラク戦争報道は戦争の残酷さに光を当て、戦争の原因と結果、全世界に与える
影響、(戦争の)悲惨さなどを見せるよりも、最新ミサイルの発射場面、戦車、空母、戦闘
機などの頻繁な露出と CG(コンピュータ・グラフィックス)の使用などが特徴的であった。
このように米国が保持する最先端の武器を派手な映像でみせるセンセーショナルな報道
姿勢は、戦争の惨状や悲劇を見過ごすだけでなく、人道主義的な視点が欠けた戦争報道の
蔓延という結果をもたらした。
3.結論
(1)人道主義に即した戦争報道
戦争報道では正確性、事実性、迅速性などのジャーナリズムの原則よりも人道主義に即
した報道が重要であると思われる。しかしながら、イラク戦争中の国内放送は最先端の武
器紹介と軍事戦略、戦争の進行状況に関する報道に偏る一方で、空爆による人命被害、難
民問題のような戦争の惨状を人道主義的な視点から報道することがおざなりにされていた
と思われる。
(2)視聴率中心の報道姿勢の是正
今回のイラク戦争報道に見られた派手な CG の乱用は、視聴率至上主義にとらわれた放
送各社が視聴者の興味を刺激するために扇情的な報道を追求した結果であるといえよう。
戦争報道において、少なくとも視聴率競争や商業主義から距離を置いたニュースの確立が
必要である。
(3)専門性の強化
戦争報道において韓国の放送が追求すべきは、詳細な報道を通じて戦争に関する問題
を提起することで、視聴者が戦争の本当の意味や本質を見抜くことができるよう手助けす
ることである。しかしながら韓国放送ニュースのイラク戦争報道は、戦争の専門家の視点
に基づいて体系的に行なわれたものと見るには不十分である。韓国の放送は今回の戦争報
道を機に国際報道の専門性強化のための対策を用意しなければならない。そのためには国
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内新聞社の専門記者制度にみられる報道人材の専門化政策はもちろんのこと、外部の専門
家集団と学界をつなぐ非常時の連係体制を確立することが必要である。
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【第4部
討論とパネル・ディスカッション】
イラク戦争とジャーナリズム
仁済大学校言論政治学部
金
昌龍
1.はじめに
韓国言論の 2003 年イラク戦争報道は勃発時点と戦争初期の3日間、
それ以降の戦争期間、
そして戦争終結後の4つの時期に分けて考える必要がある。
戦争勃発の時点では韓国の新聞や放送は米国の言論、とりわけ CNN に全面的に依存し、
さらに一部の放送局では CNN の同時通訳室を運営するほど米国の報道内容と方式をその
まま中継するレベルであった。
戦争勃発後、初期の3日間は米国言論と国防総省の一方的な発表や情報をそのまま報道
する過程から誤報や偏向された報道が集中した。これは戦争初期の世界の世論を米国側に
持ってこようとする米国の戦時言論統制政策と当てはまった。イギリスの言論が米国国防
総省の言論プレーに巻き込まれ、誤報を毎日出したという指摘もあったが、韓国言論はこ
のような誤報の事実さえもろくに伝えることはなかった。
以降イスラム圏世界のアルジャジーラ放送の登場と引用が増えるとともに、公正性の是
非や偏向報道に対する議論は減り、報道の内容においてバランスを取り始めた。誤報や偏
向の是非が戦争報道初期の3日から4日の間において集中した裏には、米国の言論統制戦
略もあったが、アルジャジーラのようにイスラム側の立場から報道する言論媒体の不在、
さらに言語の限界などがあったことも指摘すべきであろう。また韓国特派員たちの努力に
もかかわらず、全体的に独自の観点や公正な報道形態の実現は、依然として克服すべき問
題である。
最後に戦争が終わってから韓国言論の職務放棄議論を取り上げたい。戦争は公的には終
わったが、戦後のイラク政府の構成とゲリラ戦、韓国軍の派遣など、継続的な報道の必要
性があったにもかかわらず、韓国の特派員たちは皆撤収し、国際報道ではこれと関わるも
のさえも消え去ってしまった。戦後の中東における政治変化や次期政府の構成を巡る議論、
石油問題などをめぐる主要懸案事項があったが、「派手な映像」が消え去った戦場はそれ以
上の取材対象とはならず、除外されてしまった。このため、韓国の言論は徹底的に外信に
依存したのである。戦争当時、多くの時間や紙面を割いたが、戦争が終わるとまるですべ
ての問題が解決したように、報道が一切中断されたことは、(韓国言論が)国際問題に対し
ていかにも即興的で、短絡的に対応するかを示した端的な事例である。
韓国の特派員たちの中ではそれなりに必要な情報を発屈して報道した点もあるが、一部
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では米国の発表や米国の言論に頼りすぎ、まるで米国の記者のように行動しながら一方的
に報道した内容は、今後の特派員教育や運用に対する課題として残されている。国際紛争
が多くなり、複雑化する状況の中で韓国の言論は果たして適切に対応しているかについて
疑問を残す事例であった。
2.発表の細部内容
(1)米国の言論統制戦略と戦争開始から表れた問題点
この戦争の正当性に疑問を呈しながら国連憲章に対する違反を指摘する声はあまりにも
微弱である。UN 憲章の基本と核心は、地球上に「平和の名において」起こる戦争を防ぐこ
とであり、最悪の場合は経済的な封鎖か外交断絶などの形態で国際社会が罰することを、
単に要求している。
米国は言論の自由の国として公正な報道をするとみられるが、戦時の状況では徹底した
言論統制戦略をとっていることを忘れてはならない。1970 年代のベトナム戦争で国内世論
の悪化によって初の敗戦を経験した米国は、以降 1980 年代のグラナダ侵攻やパナマ侵攻の
ような国際法に違反する軍事的な侵攻を計画した際、徹底的に言論を統制した。1991 年の
湾岸戦争の際には、このような言論統制戦略をさらに精巧に整えた。その統制戦略は三つ
の点に要約することができる。
第一に、言論を可能な範囲で戦線から遠く離れて取材するよう隔離する。第二に、長期
間取材・報道ができないようにする。第三に、最大限の報道統制をする。この三つの統制
指針は抽象的であるようにみえるが、現場の報道記者たちには非常に具体的に行使される。
まず米軍当局は代表取材制を適用して限定された数の記者たちを戦線に案内する。湾岸
戦争の際は米国と世界から特派された 192 名の新聞、放送、通信社の記者たちをいくつか
のグループに分けてそれぞれ違う米軍基地に駐屯させた。選抜された記者たちに対しても
分割統治(divide and rule system)戦略で友好的な記者には現場取材の協力をし、一方非協
力的な記者たちには危険が伴う独自的な取材をさせたのである。
今回のバグダッド侵攻の前から米国防総省は世界の言論をグループ化し、米国防総省が
決めた米軍基地内に限定して報道を許す方式を取った。湾岸戦争後、国際記者連盟はこれ
に対して「明白な言論の自由への侵害である。重要な情報は遮断されており、非イギリス、
非米国記者たちを差別している」と抗議したことがある。このような言論統制の方式は今
回も同様に適用されたのである。
湾岸戦争当時、世界の放送局で放映された米軍のバグダッド軍事施設を標的にした爆撃
の場面が米軍当局によって選択された放映用映像であるという事実は知らされなかった。
イラクの人口密集地域であるバスラ地域に対する米軍の絨緞爆撃とターゲットを外れた誤
爆がイラクの罪のない一般国民をどれほど殺傷したかについては、今でも知らされていな
い。国内の言論が果たしてイラクの民間人被害や米軍の誤爆をどれほど報道することがで
きたかについては疑問が残る。
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自分で主導的に作った国際機構の存在を自ら否定しながら戦争に踏み切った米国。ブッ
シュの「狂った戦争」に巻き込まれた韓国の派兵決定に、問題提起さえも拒否する多数の
国内言論は世論無視と戦争論理の拡散に手を貸した。戦争の当事者国(米国)が精巧に整
えた言論統制戦略に従って浴びる、歪曲されたニュースや情報を、今度の湾岸戦争でも「切
実な真実であるように」そのまま接するしかない国民は、一体どこに向けて「情報主権」
と「公正報道」を訴えることができるであろうか。
戦争を褒め称えるその口では真実を言わないでほしい。一人の個人を、一家族を、一国
を一瞬に崩壊させる戦争は悲惨なだけである。
(2)戦争開戦前後一週間の報道変化
3 月 20 日、イラク戦争が勃発してから一週間の国内地上波放送3社の主要ニュース 510
件あまりを分析した結果、次のような結論が出た。
第一に、国内地上波放送の戦争ニュース報道では情報源や取材源の出所を知らせない報
道が絶対多数を占めた。戦時には情報の出所が重要であるだけに、それを明かさないこと
は報道の信頼性と直結するし、放送倫理の点においても問題になる。新聞が聯合通信や AP
通信などの外信を信頼性の証として示すこととは対照的なニュース製作の形態を見せた。
報道の根拠を明示する外信の信頼性公開は言論の選択事項ではなく、義務事項である。
第二に、国内の放送局3社が最も多く引用して中継した海外言論社は CNN であり、機関
としては米国国防総省であるという集計結果がでた。これは戦争の当事者国(米国)の放
送局とその当事者国(米国)の片側だけの主張を一方的に伝える結果となり、公正報道自
体を不可能な構造にさせた。一週間の間 KBS は 21 回、MBC は9回、SBS は 48 回 CNN の
ロゴを通じた報道物を流した。MBC は回数では相対的に少なかったが、別に「CNN 同時通
訳室」などを運営したため全体量としてはむしろ依存度がもっと高く表れた。
第三に、放送局3社は共通して誤報を流したが、一度も訂正や謝罪の放送を流さなかっ
た。「フセイン死亡説」、
「フセイン亡命説」、「イラク 51 師団 8 千名全員投降」など、誤報
に関連してイギリス BBC が、米当局が心理戦に出たことから、ほとんど毎日誤報を流すこ
とになったと事実を認めたのとは対照的である。BBC のように誤報が確認された時点で、
外部の要請がなくともこれを解明し、訂正させる報道綱領を実行するように強制化するこ
とが望まれる。
第四に、米国に偏った不公正な報道は米国のイラク侵攻が始まった 20 日から 23 日まで
の 4 日間に集中しており、これ以降は国内の放送各社がより中立的な報道の傾向をみせた。
アルジャジーラ放送の登場は CNN の独占体制を崩壊させ、
同時に国内放送の報道において、
質的、量的にバランスがとれた報道をするのに寄与した。
第五に、米国に偏った不公正報道とイラクを混乱させようとする誤報が戦争初期の 4 日
間に集中したのは戦時初期に世界の世論を米国側につけようとする米国の戦時言論統制戦
略の結果であったと分析される。とりわけ誤報や不公正報道の内容が韓国特派員たちの取
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材ではなく米国防総省の発表や米国言論(ABC 放送)の引用による結果であるという点か
らも明らかである。具体的にデータを引用すると、KBS、MBC、SBS の不公正な報道件数
が初期 4 日間で全体の約 85%(65 件のうち 55 件)を占めた。誤報件数もやはり初期4日
間に 90%(20 年のうち 18 件)を記録した。
第六に、今回の戦争では放送局3社が実に多くの特派員を動員したが、一部特派員の報
道を除いて大部分は難民キャンプの描写報道や米国政府の立場を代弁する報道に限定され、
この戦争の本質や意味などに関する深みのある報道はほとんどみられなかった。さらに多
数の特派員たちは米国側からの主張について、フィルターを通さずに伝えるメッセンジャ
ーの役割にとどまる程度の報道で終わった。放送各社の現行特派員制度の運営に深刻な疑
問を提起せざるを得ない部分である。
第七に、MBC は 2003 年の戦争報道においても過去と同様に「CNN スタジオ」、
「この時
刻 CNN 」などを通じて同時通訳放送を流した。頻度と全体放映時間は減ったが、依然とし
て CNN に大きく依存する様子をみせた。放送局3社は共通して、CNN をはじめ西洋言論と
米国防総省の発表を最も重視する報道形態を見せた。
第八に、MBC と SBS はコンピューター・グラフィックスと3D映像を利用した電子的な
状況提示、マジックスタジオ、サイバースタジオなどを運用しながら戦争の状況を詳しく
伝えようとしたが、実際の戦争の状況を、かえって興味本位の電子ゲームのように娯楽化
させたとの指摘を受けた。戦争の悲惨さはいかなるコンピューター映像でも描き出すこと
ができないことを確認させるものであった。
最後に国内放送局3社はブッシュ大統領、ラムズフェルド国防長官、マイヤーズ統合参
謀本部議長など米国の「戦争主導者3人」をほとんど毎日登場させて彼らの話を忠実に伝
えた。米国の戦争主導者3人の出演回数は合わせて 110 回にのぼった。これとは対照的に
フセイン大統領とイラク情報省長官の出演回数は全部で 53 回に止まった。回数より重要な
のは内容である。米国側の戦争主導者 3 人は出演するたびに「米国式の戦争論理メッセー
ジ」を強調したが、一方でフセイン氏に関しては、大部分が「生きたか死んだか」、「海外
亡命説」などについて報道しながら資料映像として若間見せただけであった。
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