こちら - 大阪大学適塾記念センター

号数
第1号 1956.5.20
記事名
執筆者
内容
「適塾」発刊に際して
緒方洪庵時代の病理学
ウイルスの世界
原子力問題の展望
適塾が阪大へ寄贈された経過のあらまし
正田建次郎
安田龍夫
深井孝之助
伏見康治
浜崎照道
幕末の病理学の根底にある思想が生気説か機械説か、『病学通論』の意
ウィルスの性質とその特徴について
原子力に対する冷静で緻密な計算の必要性を説く
緒方洪庵および適塾年譜
今日の生化学 蛋白質の生化学に即して
計数型電子計算機
心臓外科
適塾に学んだ人々(加賀の部)
緒方洪庵屋敷址を訪ねて
古武弥四郎
城 憲三
小沢凱夫
藤野恒三郎
藤 直幹
タンパク質分解を中心に生化学の説明
電子計算機の誕生とその種類と発展、人工頭脳の将来について
心臓疾患への治療の進歩と現況について
加賀出身の適塾門下生と渡辺卯三郎について
足守町洪庵屋敷址探訪記
緒方洪庵および適塾年譜
わが国の造船技術について
適塾と長崎医学校長ポムペとの関聨に就いて
原田秀雄
荒瀬 進
記念行事二題と適塾
藤野恒三郎
石油輸送を中心に、国際的な造船の状況
ポンペの略歴と授業の様子、その著作とポンペ研究について
日本赤十字社創立八十周年にあたり佐野常民のことと、長崎大学医学部
百年にあたりポンペのこと
想い出
真島利行
第2号 1956.10.20
第3号 1957.5
第4号 1958.4.1
緒方洪庵および適塾年譜
百年前の医学
安田竜夫
中年後の精神衛生
肝臓と人生
女性とホルモン
癌の話
癌と放射線
ガンとウイルス
金子仁郎
木谷威男
石塚直隆
久留 勝
山口 寿
釜洞醇太郎
1857年に長崎で日本の近代医学教育が始まったことから、ポンペの功績
について
中年を過ぎる頃の変化による精神病と神経症の特徴と対処について
食生活と肝臓機能、その病気について
女性の内分泌的変化とホルモンについて
癌の増加とその特質、治療法と癌と細菌の違いなど
癌の治療法としての放射線治療
癌の原因と抗原性について
緒方洪庵および適塾年譜
ダーウィニズムと社会科学
アイヌとその人類学
古典の現代的意義―徒然草の味―
百年前のことども
森 東吾
小浜基次
平林治徳
藤野恒三郎
社会科学が進化論に与えた影響と、ダーウィニズムの浸透について
アイヌの現況と人類学的特徴について
古典を知ることはその民族を知ることであることから、徒然草を取り上げる
コレラの流行や橋本左内のことについて
第5号 1958.10.15
第6号 1959.9
緒方洪庵および適塾年譜
今日の青年―その道徳意識と生活態度について 天野利武
日本猿の行動について(記録映画)
天野利武
前田嘉明
洪庵先生の学徳
藤 直幹
高校生の道徳意識についてアンケート結果と戦前との比較
岡山県勝山野生猿の生態について
広瀬旭荘の日記から、洪庵の日常を知る
第7号 1974.10.28
機関誌復刊によせて
緒方洪庵先生とその前後
ウイグル文書をめぐって
適塾の建物構造の耐力について
「適塾記念会」の歩み
釜洞醇太郎
藤野恒三郎
山田信夫
奥島正一
伴 忠康
適塾記念会会長就任の挨拶
文化の交流ということ
適塾に保存される史料について
日本最初の強制種痘「蝦夷種痘図」
適塾の落書
適塾門下生調査資料(追加分)
適塾改築調査専門委員会報告―適塾保全の意味
するもの―
適塾の模型
適塾記念会の歩み(その2)―移築から現地保存
へ―
若槻哲雄
蔵内数太
藤野恒三郎
中野 操
芝 哲夫
木幡 徳
巻頭言 一セントずつの醵金
提言 適塾自由学園を
野口英世博士生誕百年を記念して
日本の風土と栄養―栄養風土論―
大阪と変死三○年
テキジュクランとヒポクラテスの木
適塾門下生調査資料(追加分、訂正分)
適塾改築調査専門委員会調査報告―適塾の周辺
環境について―
適塾記念会の歩み(3)―適塾修復年次計画の決
定―
若槻哲雄
堀内宏昭
藤野恒三郎
須田正巳
四方一郎
緒方富雄
リンカーンの生家の保存運動と適塾保存計画について
適塾の精神をもった実学の場の提言
野口英世の事蹟とその生涯
栄養摂取の歴史的な流れと、これからの農業について
戦後30年の変死体の推移と社会情勢について
適塾のヤブランと「ヒポクラテスの木」の由来について
小川文之助、加藤宗龍、山中献、中根玄山
川崎 清
適塾の大気環境や温湿変環境、振動性状、周辺地盤と浸水について
巻頭言 中天游を見なおそう
歴史へのかかわり
中野 操
仁田 勇
中天游の事蹟と語学力の再確認
個人的に引きつけられる三時代について
阪大隊P29およびカラコルム遠征について
甦るアフリカ美術
篠田軍治
木村重信
ヒマラヤP29登頂など阪大山岳部の活動について
大サハラの岩面画やクシュ帝国の美術、古王国の彫刻のことなど
適塾修復工事について(その1)
適塾の建築年代の考証―適塾居住者の変遷と大
坂の大火―
新出の渡辺家文書
適塾記念会の歩み(その4)―適塾修復工事始ま
る―
適塾関係史料解説(その1)
鈴木 充
解体作業における建物の歴史的変遷と洪庵時代の様子について
伴 忠康
寛政の大火から適塾の建物の建築年代について考察
前田 幹
等級別名簿や洪庵書状など渡辺卯三郎資料の翻刻紹介
梅溪 昇
阪大及び記念会所蔵資料目録と解説
巻頭言 適塾の灯
水帳における除痘館(尼崎町)の記録
大坂除痘館の種痘証明書
黒津敏行
緒方正美
緒方正美
戦前の適塾の様子と新制大学の学生の様子について
水帳の記載の変遷と除痘館跡について
証明書について
ヨーロッパ文明の伝来と解剖学、明治期の医学への展望
ウイグルの歴史とウイグル文書の特徴について
適塾の耐力不足と修理の提言
第8号 1975.11.10
川崎 清
川崎 清
日本人の海外文化受容の歴史とその特徴について
諭吉の書と拙斎の書について
桑田立斎蝦夷種痘図について
落書き作者の入門期間について
佐野雋達
適塾の保全に関して都市における史的空間保全の意義や歴史空間など
について
模型作成の経緯
伴 忠康
第9号 1976.11.10
伴 忠康
第10号 1977.11.1
適塾記念講演会
適塾修復特集
伴 忠康
第11号 1978.11.15
「適塾の夕べ」記念講演
銅座と住友と適塾
水も氷もガラスになるか?
宮本又次
関 集三
銅座の歴史とその設置、過書町周辺の様子、蘭学について
水と氷におけるガラス結晶について
インドネシアの心―ワヤン・ウォン〈パルグナディ
王〉梗概―
谷村 晃
ワヤン・ウォンからインドネシアの音楽と文化の特質をさぐる
適塾記念講演会
F.X.スハルジョ・パルト
適塾修復特集
「適塾」の壁中より発見された古文書
「適塾」跡の家で過ごした私の少年時代の憶い出
姓名録の久保良造は久保良平である
桑田立斎の末裔と桑田文庫寄贈の経緯について
私と解体新書との出合い
蔵書の寄贈者・田村雅太博士
適塾門下生調査資料(追加分)
適塾記念会の歩み(その5)―適塾史跡公園の実
現化―
適塾関係史料解説(その2)
今井修平
緒方裁吉
伴 忠康
加藤四郎
馬渕秀夫
藤野恒三郎
古文書の解説と翻刻
思い出、特に建物について
塾生久保良造について
桑田家の経歴と寄贈の経緯について
解体新書との出会いと寄贈者真嶋氏のこと
田村雅太氏のこと
妹尾遊玄、吉井儀蔵
巻頭言 適塾精神こそ大阪の復権
適塾を想う
適塾史跡公園化資金募金について
山口正民
山村雄一
伴 忠康
今後の人間教育の重要性について
適塾の保存とその意義について
適塾史跡公園化の詳細と発起人などについて
ワクチンの話
奥野良臣
イギリスにおける町並み保全
大久保昌一
ワクチンの種類とその効力、開発・研究について
イギリスの町並み保全に関する法律や登録建造物、開発規制や財政的
援助などについて
エドワード・ジェンナーの五つの彫像を訪ねて
加藤四郎
五つの彫像の紹介
適塾の壁中より発見された古文書・補遺
エドワード・ジェンナーの種痘実験をめぐる謎
福沢諭吉と丸善
適塾門下生調査資料(追加分)
適塾記念会の歩み(その6)―適塾東側の空地化
実現と募金活動―
今井修平
加藤四郎
八木佐吉
古文書の翻刻と解説
牛痘種痘と最初の接種など三つの謎について
早矢仕有的と福沢諭吉、丸善について
藁科松伯、三潴白圭
伴 忠康
梅溪 昇
第12号 1979.12.1
「適塾の夕べ」記念講演
適塾記念講演会
適塾修復特集
第13号 1981.2.15
伴 忠康
適塾修復完成記念 緒方洪庵と適塾展 特集号
巻頭言 “適塾の年”に想う
山村雄一
提言 適塾同門の縁者を適塾記念会の一つの柱 武谷健二
適塾竣工式典(式辞、祝辞)
適塾の修復について
川崎 清
私の知っている適塾
佐々木利三
「緒方洪庵と適塾」展(各会場における挨拶・祝辞
等)
「緒方洪庵と適塾」展記録
梅溪 昇
藤田実
特集 座談会―「緒方洪庵と適塾」展を終えて―
緒方洪庵の寒暖計・薬箱
青木允夫
『エンシリディオン・メディクム』私記―「緒方洪庵と
毛利孝一
適塾」展によせて―
修復完了と一般公開、周辺公園化事業の開始など
門下生調査の集大成のこと
山村雄一阪大総長、犬丸直文化庁長官、岸昌大阪府知事、大島靖大阪
市長など
修復の経緯と建物の歴史などについて
適塾の史蹟指定の経緯について
展示資料目録
藤野恒三郎、伴忠康、梅溪昇、芝哲夫、三輪谷俊夫、中川八郎、藤田
実、青木允夫
洪庵の寒暖計と薬箱について
「エンシリディオン・メディクム」の邦訳について
「適塾の夕べ」記念講演
大坂画壇の源流―狩野山楽と狩野内膳―
お歯黒
武田恒夫
山賀禮一
大坂画壇とその源流、豊臣家の御用絵師について
お歯黒の歴史とその意義、成分について
シェイクスピアの芝居と芝居小屋
蛇の毒
新たに発見された緒方洪庵の振手形
緒方八重の弟、億川信哉の周辺
緒方惟準先生と喘息煙草―祖父小林謙三 蝸牛
の跡―
祖父西村英蔵の旧蔵書とその経歴
藤田 実
鈴木友二
梅溪 昇
中山沃
シェイクスピアの芝居から当時の芝居小屋の実態について
蛇毒の紹介
振手形の翻刻と解説
億川百記、緒方洪庵と教行寺の関係、信哉長男一郎について
小林康喜
緒方惟準と小林謙三について
西村英男
西村家の系譜と西村家資料について
大嶋周禎、佐々木恕伯、武田直道、上杉寛二、黒田行次郎、岩谷雀達、
土佐柳庵、松井元純
武田良祐、有吉文郁、古田杏輔、柴六郎
適塾記念講演会
適塾門下生調査資料(追加分)
適塾門下生に関する情報収集および調査報告―
芝哲夫
適塾展を中心として―
適塾記念会の歩み(その7)―適塾修復・史跡公
梅溪 昇
園化・適塾展・皇太子同妃両殿下行啓―
適塾関係史料解説(その3)
梅溪 昇
第14号 1982.3.25
巻頭言 『その後の適塾』
提言 適塾に資料館を
都市環境とアメニティ
モンテベルデ作エドワード・ジェンナーの大理石像
への遠い道
推理「適塾の住いと暮し」
放送された「適塾」の取材から生れた心
緒方洪庵の手紙特別展示
伴 忠康
青木允夫
大久保昌一
修復終了のことと特別展のことなど
今後の適塾運営について
アメニティの概念とその意義、イギリスのシヴィック・アメニティについて
加藤四郎
ジェンナー大理石像の所蔵先とその像の詳細について
中崎昌雄
岡田良一
藤田 実
洪庵の適塾の内部構造について
渡辺卯三郎と牧野隆信について
展示の趣旨と展示資料の概要
足守と名塩における緒方洪庵
連歌の効用
長與専齋と適塾
緒方洪平先生旧蔵史料の紹介
―(一)洪庵文庫設立関係史料・(二)深瀬仲麿
関係資料・(三)中天游緒方洪庵宛書翰―
中山 沃
田中 裕
伴 忠康
梅溪 昇
足守除痘館と藩主の診察について
連歌と武将の関係などについて
長与専斎の事蹟について
洪庵文庫設立関係史料、深瀬仲麿関係史料、洪庵宛中天游書翰
「適塾の夕べ」記念講演
林玄中、小山良運、松下元芳、設楽徳治、真島利民、群馬良三、岡格太
郎、梅溪慊堂
適塾門下生調査資料(追加分)
適塾門下生に関する調査報告(2)
適塾門下生随想
梅谷慊堂のこと
箕作秋坪について(書簡)
祖父眞島利民について
適塾記念会の歩み(その8)
適塾関係史料解説(その4)
芝 哲夫
中崎昌雄
治郎丸憲三
眞島行雄
芝 哲夫
梅溪 昇
梅谷慊堂の事蹟について
秋坪について(写真あり)
眞島利民について
巻頭言 適塾精神
創立のころ
洪庵忌特別展示 オランダ原書と蘭学事始
若槻哲雄
藤野恒三郎
藤田 実
師弟が起居を共にする適塾精神の有効性について
適塾記念会創立のころの話
展示の趣旨と展示資料の概要
中国人のものの見かた―家族と国家―
日原利国
中国思想における家族観、国家観について
第15号 1982.11.30
適塾記念講演会
湯川博士と大阪
内山龍雄
阪大と八木秀次、湯川秀樹について
私たちの生活と微生物
雑誌・医譚と適塾
適塾立地の歴史地理的背景
月も日も―ある一族の明治前半期―
ヨハン ペータ フランクと警察医学―日本衛生史
の一側面―
長與専齋の聯
梅谷左門あての洪庵の手紙
伝記小説「ある蘭方医の生涯」執筆余談
緒方洪平先生旧蔵史料の紹介(補遺)―(一)洪
庵文庫設立関係史料―
適塾門下生調査資料
適塾記念会の歩み(その9)
原田篤也
藤野恒三郎
矢内 昭
須田信英
多糖類やイソアミラーゼ、バイオテクノロジーなどについて
『医譚』における適塾関連記事について
船場・過書町界隈について
桑田立斎家と縁者となった大島家について
後藤 稠
フランクの事蹟とその背景、「警察」訳語の誕生とその意味について
小山金波
中崎昌雄
桑田忠親
寄贈資料の紹介
梅谷左門宛洪庵書状の翻刻と解説
執筆の逸話
梅溪 昇
洪庵文庫設立に関する資料の翻刻・解説
巻頭言 適塾の再興を願う
「適適斎塾」と「懐徳堂」
「適塾」跡の土地・建物が阪大へ寄贈された経緯
適塾特別展示「洪庵先生をしのぶ」
岩間吉也
蔵内数太
緒方裁吉
脇田 修
「適塾講座」への提案
「適々斎」号の由来と懐徳堂の意味について
梅溪昇氏との対談
展示の趣旨と展示資料の概要
生物時計の話
緒方洪庵の学風と大坂の経営風土
中川八郎
作道洋太郎
生物時計の存在場所と摂食習慣の関係について
『扶氏医戒之略』や家訓から大坂の経営風土について
パヴロフ―人と業績
美術館の話
「大阪の除痘館」展示について
大坂古手町(初代)除痘館跡について
適塾の所有者名塩屋熊太郎について
緒方洪庵訳・白内翳(障)手術書の紹介
適塾にある「アンブロアズ・パレ全集」について―
日本の外科を方向づけた書―
山東京伝「本朝酔菩提」の挿絵と解体新書
岩間吉也
川崎 清
緒方正美
古西義麿
中山 沃
藤野恒三郎
パヴロフの生涯と条件反射学の背景とその意義について
美術館の展示環境の変遷と現状について
展示の経緯と展示資料目録
古手町除痘館の設置の経緯とその場所について
名塩屋熊太郎と億川家旧蔵の薬皇国の版木について
白内翳手術書の紹介と翻訳の背景について
大村敏郎
パレの経歴と「パレ全集」のもたらした影響について
中崎昌雄
豊国画『本朝酔菩提』の挿絵と解体新書の骸骨図について
(一)緒方裁吉氏寄託の緒方洪庵和歌短冊につい
(二)緒方洪庵和歌短冊
適塾門下生調査資料(追加分)
適塾門下生に関する調査報告(3)
適塾記念会の歩み(その10)
梅溪 昇
脇田 修
和歌短冊貼交屏風洪庵和歌の紹介
洪庵和歌短冊の紹介
中桐浩吉
巻頭言 適塾の未来
ある解剖研修と除痘活動―適塾と究理堂との交
近藤芳樹と緒方洪庵
適塾春季特別展示「適塾と福澤諭吉」
山村雄一
藤野 明
多治比郁夫
藤田 実
「適塾の夕べ」記念講演
足羽深蔵、太田静馬、林貞造
芝 哲夫
第16号 1983.11.30
適塾記念講演会
「適塾の夕べ」記念講演
史料紹介
芝 哲夫
芝 哲夫
第17号 1984.11.25
教育の場としての適塾とその評価
京都の合同解剖研修行について、山崎僊司と除痘所について
歌学者近藤芳樹の日記と緒方洪庵について
展示の趣旨と展示資料の概要
適塾記念講演会
分子美学とその分子設計
中崎昌雄
「いらち」「あそび」そして「はなやぎ」
廣瀬旭荘の日記にみえる緒方洪庵と適塾生の動 梅溪 昇
分子設計と大阪気質について
福澤諭吉における適塾時代の意味
福澤諭吉の父 百助について
座談会 適塾記念会創立のころ
洪庵著『適々斎薬室膠柱方』
洪庵と津下精斎兄弟
大阪慶應義塾盛衰記
山東京伝『本朝酔菩提』の挿絵と解体新書(続)
適塾生 奈倉道庵について
適塾周辺史跡公園について
ひろた・まさき
梅溪 昇
諭吉の経歴とその言動の変遷について
百助の生涯とその死、文人活動について
藤野恒三郎、蔵内数太、森東吾、芝哲夫、藤田実、梅溪昇
『薬室膠柱方』の内容紹介
洪庵と津下兄弟との関係、津下家の系譜、精斎・鼎甫について
大阪慶應義塾の開校経緯、構成と当時の大阪について
豊国画『本朝酔菩提』の挿絵と解体新書の骸骨図について
奈倉道庵の経歴と墓について
(一)新収の渡辺卯三郎関係文書について
(二)新収の村上家文書について―その一―
適塾門下生調査資料
適塾門下生に関する調査報告(4)
適塾記念会の歩み(その11)
梅溪 昇
脇田 修
巻頭言 適塾の意義
未完の訳稿『舎密全書』
フレスの解剖書を使った幕末維新の解剖学講義
について
適塾春季特別展示「蘭学をめぐる女性たち」
―洪庵夫人緒方八重没後一○○年を記念
して―
熊谷信昭
藤野 明
適塾の歴史とその意義
『舎密全書』の概要と写本の比較、その位置づけについて
石田純郎
フレスの経歴、フレスの解剖書の背景と解剖学講義の分析
藤田 実
展示の趣旨と展示資料の概要
がん予防十二ヶ条
近世大坂の地誌的情報
山村雄一
矢守一彦
「がん予防十二ヶ条」の理由について
名所本四点の編集方針の推移などについて
シーボルトとその時代―ドイツを中心に―
咸臨丸の福澤諭吉と「写真屋の娘」
―ダゲレオタイプとアンブロタイプ―
座談会 適塾門下生調査について
岡部健彦
中崎昌雄
シーボルト時代のドイツの状況について
幕末遣欧米使節の写真の撮影法、「写真屋の娘」について
「福澤井蹟」の現在位置について
梅溪 昇
「日間瑣事備忘」にみる洪庵と旭荘の関係、適塾生の動きなど
「適塾の夕べ」記念講演
藤野 明
内藤二郎
若林喜三郎
中崎昌雄
奈倉道治
史料紹介
渡辺卯三郎の経歴と文書目録
洪庵書状と代三郎履歴書などの翻刻
奈倉道庵、三刀寛一郎
芝 哲夫
芝 哲夫
第18号 1985.12.12
適塾記念講演会
「適塾の夕べ」記念講演
適塾と美濃大垣江馬家との交流
江馬庄次郎
緒方洪庵「扶氏医戒之略」
冨安廣次
―億川家、緒方家、跡見家各所蔵の比較
戦後における福澤先生誕生地記念碑の再建経緯
梅溪 昇
について
蔵内数太、藤野恒三郎、堀内宏昭、梅溪昇、芝哲夫、藤田実
福沢の産湯井戸跡の場所の推定と中津藩屋敷跡と山口病院との位置関
係に」ついて
江馬信成宛洪庵書状の翻刻
相違点について
再建の経緯と関係史料の紹介
史料紹介
新収の村上家文書について―その二―
三刀玄寛資料について
適塾蔵蘭書資料について ―その一―
適塾門下生に関する調査報告(5)
適塾記念会の歩み(その12)
大西 愛
脇田 修
宮尾敬三
芝 哲夫
藤田 実
芝 哲夫
芝 哲夫
村上代三郎宛江川英龍家臣柏木総蔵・中村清八書状の翻刻
資料目録並びに主要資料の翻刻
蘭書資料の解説
第19号 1986.11.25
巻頭言 適塾周辺の公園化
若槻哲雄
咸臨丸に乗っていたもう一人の適塾生 牧山修卿 中崎昌雄
適塾春季特別展示「適塾のころの医とくすり」
藤田 実
適塾記念講演会
適塾周辺公園化の意味
牧山修卿の経歴と咸臨丸乗り込みについて
展示の趣旨と展示資料の概要
薬物に対する生体防御機構
イースター島巨石人像の系譜
佐藤 了
木村重信
生体防御機能の概要とその問題点について
巨石文化とイースター島巨石像の起源について
適塾の塾生と薬物の知識
米田該典
国際情勢のみかた
山室英男
適塾と薬流通の環境について
「国際」「ネーション」「インターナショナル」の意味、国際的国家の自浄能
力などについて
中野操先生を憶う
〈座談会〉中野操先生を語る
中野操先生年譜
百歳の壽
新史料より見たる適塾の過書町への移転及び
その名義の移動につい
西山静斎書状について ―適塾移転の年は改め
らるべきこと
梅溪 昇
「適塾の夕べ」記念講演
特集 中野操先生を偲ん
「洪庵時代の大坂の医師分布図」作成について
緒方裁吉氏寄贈品目録
適塾蔵蘭書資料について ―その二―
適塾門下生調査資料
適塾門下生に関する調査報告(6)
適塾記念会の歩み(その13)
藤野恒三郎、宗田一、長門谷洋治、藤田実
松田 武
花崎釆琰
杉立義一
シーボルト曾孫米山種さんについて
新資料の紹介と、過書町への移転時期について
井上孝治
西山静斎宛書状の翻刻・解説と過書町への移転時期について
芝 哲夫
大西 愛
脇田 修
藤田 実
『大坂医師番付集成』から作成した分布図
寄贈史料一覧ならびに翻刻
蘭書資料の解説
佐々木恕伯、坂井隆徳
芝 哲夫
芝 哲夫
第20号 1987.11.20
巻頭言 適塾一五○年記念の年を迎える
適塾春季特別展示「錦絵にみる医療の歴史」
藤野恒三郎
藤田 実
洪庵の事蹟を振り返る
展示の趣旨と展示資料の概要
情報と通信 ―その歴史と現状―
円ドル・レートと貿易摩擦
熊谷信昭
新開陽一
近年の「情報革命」について
円安、貿易黒字と貿易摩擦について
ヨハン・ペータ・フランクという人のこと
―職業病からみた医学史―
大坂医学校の創建の頃
後藤 稠
フランクの経歴と職業病の背景について
酒井シヅ
大坂医学校創建の経緯と年譜
藤野恒三郎、作道洋太郎、大久保昌一、藤田実による適塾の背景として
の大坂の特徴について
和田幸治
神植格之助の孫、建築家中村順平について
伴 忠康
山田政弥
田崎哲郎
管井光男
浅井允晶
今井一良
芝 哲夫
旧来の洋学史と地方からの洋学史について
塾生の紹介とその分類
公館化の過程において医療と医育施設の一体化をみる
今村有隣の生涯について
主要資料の紹介と翻刻・解説
梅溪 昇
史料の翻刻
脇田 修
芝 哲夫
中川八郎
江川英龍書状二通の翻刻
適塾記念講演会
「適塾の夕べ」記念講演
〈座談会〉適塾の精神と大阪のアイデンティティ
〈てきじゅく あら・か・る・と〉 神植格之助と中村順
平
堀内宏昭氏を偲んで 堀内宏昭さんと適塾
文人・堀内宏昭氏の思い出
在村適塾生について
緒方洪庵門下生 ―その広島県出身者について
大坂除痘館公館化をめぐる問題
今村新斎は仏語学者今村有隣ならんか
村松岳佑資料について 附「重要日記」
史料紹介
緒方洪庵関係記事と佐伯瀬左衛門惟因の「文化
九申年八月
十六日出立浪華に登る記」―「佐伯家関係
文書」(一)
新収の村上家文書について ―その三―
適塾門下生に関する調査報告(7)
適塾記念会の歩み(その14)
第21号 1988.11.15
巻頭言 適塾開塾一五○年を迎えて―創造的模
熊谷信昭
倣から独創的創造へ―
適塾開塾一五○周年記念特別展示「緒方洪庵」 藤田 実
近代化における適塾の再評価
展示の趣旨と展示資料の概要
適塾記念講演会
ウイルスワクチンの現状と将来 ―エイズの予防
は可能か―
離婚法の新時代 ―欧米と日本―
高橋理明
B型肝炎ワクチンと水痘ワクチン、ワクチン開発について
久貴忠彦
近年の離婚の動向と日本、欧州の離婚法について
適塾生 黒田行次郎について
老化と老年病
特集 藤野恒三郎随聞記
水原 完
熊原雄一
梅溪 昇
黒田の事蹟とその門下生について
人間の寿命と老化のメカニズム、その対策について
映画作成の経緯、適塾と小石塾、長与専斎のことなど
一八三八年(天保九) ―アジア・日本・大坂―
奴隷解放とティー・ブレイクの成立
―「最初の工業国家」の食生活革命―
脇田 修
川北 稔
当時の状況と蘭学者の苦闘、大坂について
150年前のイギリスの食糧事情と奴隷解放の関係
医学と生物学の発展より
藤田尚男
緒方洪庵と一八三八年のヨーロッパ
理工学と技術の発展
福沢諭吉のある一面
竹内東白書簡について
ロビンソン漂流記本邦初訳者 黒田行元麹廬のこ
緒方裁吉氏寄託品について
適塾門下生調査資料
適塾門下生に関する調査報告(8)
〈てきじゅく・あ・ら・か・る・と〉―先生の先生
適塾記念会の歩み(その15)
藤田 実
須田信英
東光寛英
芝 哲夫
平田守衛
脇田 修
巻頭言 洪庵・適塾と大坂
適塾春季特別展示「適塾の塾生達と日本の近代
西尾正也
藤田 実
適塾顕彰について
展示の趣旨と展示の解説
知られざる適塾生達
予防医学への期待
芝 哲夫
蟻田 功
適塾と村上代三郎ら塾生について
予防医学の南北格差や効用などについて
大阪のオランダ医学とその背景
コレラ研究はここまで進んだ
石田純郎
三輪谷俊夫
洪庵訳書のオランダ人の特徴とその背景について
コレラの流行史と感染・治療法、研究について
ひろたまさき
酒井シヅ
田崎哲郎
近世後期の医師の地位向上と適塾の役割について
適塾創設の頃の蘭方医とそれまでの蘭学塾の流れについて
三河における蘭学塾入門者とそれぞれの関係性について
梅溪 昇
宗田 一
蘭学並びに教育機関としての適塾の歴史的評価について
コレラの流行と洪庵の対策について
「適塾の夕べ」記念講演
適塾開塾一五○年記念
特集〈一五○年前―世の
中と出来事〉
細胞学説、ミュラー「人体生理学教科書」、フーフェランド「医学ハンドブッ
ク」などについて
ロマン主義の勃興とその影響について
理化学の発達、熱力学の形成、電磁気学の形成など
福沢の宗教観について
竹内東白の生涯と書簡の翻刻・解説
黒田行元の「漂流記事」の紹介
寄託品の解説
湯浅方斎
芝 哲夫
中川八郎
第22号 1989.12.1
適塾開塾一五○周年記
念講演会
適塾の夕べ―洪庵忌―
記念講演会
適塾開塾一五○周年記
念シンポジウム
〔報告〕
日本の近代化と適塾
適々斎塾創設の頃
地域社会における蘭学
〔コメント〕
適塾の歴史的評価をめぐって
洪庵とコレラ ―『虎狼痢治準』をめぐって―
奥山静叔のことども
討論「適塾の歴史的意義について」のまとめ
長門谷洋治
脇田 修
奥山静叔の人格的なことについて
討論のまとめ
日蘭修好三八○年記念行事の概要
「大阪とオランダ」展と記念冊子の刊行
「史跡訪ね歩き」について
「科学技術フォーラム」について
サン・ミケーレ島に緒方惟直の墓をたずねて
恩師・緒方準一先生を偲んで
緒方富雄博士を偲ぶ
蔵内数太先生と興譲館―追憶―
適塾門下生「高井𣳾造」について
緒方洪庵生誕一八○年前年祭
適塾門下生調査資料
適塾門下生に関する調査報告(9)
適塾記念会の歩み(その16)
芝 哲夫
脇田 修
米田該典
伴 忠康
緒方正美
石川兵衛
藤野恒三郎
森東吾
高井史男
緒方正美
記念行事の経緯と概要
展示と冊子の概要
オランダと大坂の関係、大坂の医人の系譜など
フォーラムの概要とシンポジウムの報告内容について
惟直の晩年とその墓について
巻頭言 適塾・緒方家とのご縁
適塾春季特別展示「大坂の町と適塾」
弘世 現
宮本又郎
日本生命と適塾・緒方家との関係について
展示の趣旨と展示資料解説
ロナルド・トビ
「日本型華夷世界観」や他者意識について
藤田尚男
解剖学の誕生とその勃興について
杉立義一
宮本又郎
『医心方』の由来と第二十二巻の内容について
数量経済史や生活史から江戸時代経済史の動向をさぐる
宮本又郎、宗田一、中川八郎、脇田修、多田羅浩三による適塾と懐徳堂
の意義とその比較
医学史の中の謎 二題
「我が蘭学一変の時節到来」―維新期医育史へ
のアプローチ―
オランダの繁栄と日本の銀
野口英世博士の死因について
窮理学研究所・適塾
適塾・大坂医学校の人脈と生命保険
新出の明治期「適々斎塾門人帳」について
―大阪と東京の適々斎塾―
適塾生「牧山脩卿」と東京府病院
東濃における蘭学の一例
手塚治虫と適塾
藤野恒三郎
「解体新書」の扉絵と「蘭学事始」について
ヨーロッパの軍医学校教育の意味と適塾を含めた幕末維新期の医育の
成立について
オランダ貿易とアジアにおける日本の銀について
野口英世の死因の再検討
適塾が医学のみならず理化学の研究所でもあったということについて
緒方家の生命保険制度・事業の関係について
二冊の新門人帳と明治期の適塾について
適塾門下生・赤昌齋について
適塾門下生調査資料
適塾門下生に関する調査報告(10)
適塾記念会の歩み(その17)
赤祖父一知
巻頭言 適塾からの連想
適塾春季特別展示「適塾の門下生たち―その風
貌と著作―」
岡田善雄
若者の自主的な集団活動について
広田昌希
展示の趣旨と展示資料の解説
藤野恒三郎
『解体新書』扉絵アダムとエバの図像について
青木 保
日本の受容性と閉鎖性、「中間社会」と国際化について
糖尿病今昔物語 ―洪庵忌に寄せて
池上・関大阪市政の制度的基盤
垂井清一郎
山中永之佑
医学史としての糖尿病の歴史
近代大阪市政の変遷と市長権限の変化について
洪庵先生の適塾購入
歯学が医学より分かれた理由 ―遠藤周作氏の
質問に対して―
『中浜東一郎日記』考
適塾雑感 ―「日本」の国際化への提言―
風景印が語る適塾と神農さんの虎
『長崎府医学校規則并附録』にみる「医」の原点
カステーラ事始
脇田 修
適塾購入の際の収支について
猪木令三
歯学の歴史と医学と分離した法的要因などについて
塚本 宏
高橋理明
石原理年
小野尚香
杉村啓治
中浜東一郎の生涯について
大学入試のヒアリングテストの必要性と日本語の一人称について
郵便の風景印と神農さんについて
作成者長与専斎の思想とその背景について
岩村藩のカステーラ製造について
本野盛亨翁逸事再録
芝 哲夫
「本野盛亨翁逸事」の掲載と解説
森 納
門人の紹介と解説
広沢澄郎
堀合光男
山成大年、緒方郁蔵と小寺陶平について
佐々木恕伯の事蹟とその門下生の解説
佐々木恕伯
日蘭修好三八○周年記
念行事
高井𣳾造
芝 哲夫
中川八郎
第23号 1990.12.1
適塾記念講演会
異国観と他者意識 ―近世日本の民衆史料を中
心に―
人体解剖のルネサンス
適塾の夕べ―洪庵忌―
記念講演会
『医心方』巻第二十二(妊娠篇について)
江戸時代経済史の新傾向
特集
座談会「適塾と懐徳堂」
論考
神谷昭典
角山 榮
加藤四郎
西川俊作
小川 功
松田 武
神前五郎
杉村啓治
ひろた・まさき
牧山脩卿伝とその事蹟について
東濃の蘭学の系譜と三尾家の紹介
門下生調査
赤昌斎
芝 哲夫
中川八郎
第24号 1991.12.1
適塾記念講演会
医学史中の謎 二題(続)―解体新書の扉絵・ア
ダムとエバ―
国際化と日本文化
適塾の夕べ―洪庵忌―
記念講演会
論考・随想
資料
適塾門下生調査
新出の「明治期・適塾門人帳」中の鳥取県関係の
医師たち
緒方研堂そして小寺太純
佐々木恕伯とその門下生
適塾門下生調査資料
適塾生―広島県出身者について(2)
適塾門下生に関する調査報告(11)
適塾記念会の歩み(その18)
管井光男
芝 哲夫
中川八郎
第25号 1992.12.1
巻頭言 適塾の伝統
金森順次郎
適塾春季特別展示「緒方洪庵のふであと ―日記
藤田 実
と手紙と和歌―」
適塾の精神と福沢諭吉のことばから、日本の科学における独創的アイデ
アの必要性について
緒方富雄氏所蔵資料の寄贈による特別展の趣旨と解説
藤野恒三郎先生を偲ぶ
適塾人藤野恒三郎
藤野恒三郎先生を偲んで
藤野恒三郎先生と私
藤野先生の思い出
叔父・恒三郎と大叔父・厳九郎
藤野先生を偲ぶ
今は亡き藤野恒三郎先生へ
藤野適塾学の最後の門下生として
司馬遼太郎
三輪谷俊夫
芝 哲夫
宗田 一
藤野 明
辻 忠男
梅溪 昇
藤田 実
医学・医療の進歩を支えるもの
近世大坂町人の生活と意識
曲直部壽夫
脇田 修
心臓外科の歴史と日本の後進性について
大坂町人の意識や経済観について
生駒の神々
男と女―昔と今
塩原 勉
松本圭史
現代の宗教ブームとその複層構造について
性の分化と社会環境の変化について
適塾記念講演会
適塾の夕べ―洪庵忌―
記念講演会
論考・紹介
佐野常民旧蔵の『和蘭字彙』について
現代語訳 大庭雪齋『民間格致問答』について
足守緒方洪庵顕彰会の近況について
大西 愛
安田雄平
乗金米蔵
『和蘭字彙』ならびに佐野常民の解説
『民間格致問答』の解説と現代語訳
資料
洪庵の父 佐伯瀬左衛門惟因の「御奉公記録」と 梅溪 昇
「文政八乙酉年十月ヨリ大坂御留守居役手帳」
―「佐伯家関係文書」(二)
宮永家旧蔵資料について
芝 哲夫
史料の翻刻と解説
書翰にみる大野での伊藤慎蔵
薩摩出身の適塾門人八木称稱平
適塾門下生に関する調査報告(12)
適塾記念会の歩み(その18)
書翰からみる伊藤慎蔵の大野での暮らしぶりについて
八木稱平(元悦)を中心に薩摩藩の蘭学について
宮永家史料の概要と良山・典常の解説
適塾門下生調査
長橋 務
森 重孝
芝 哲夫
中川八郎
第26号 1993.11.20
巻頭言 適塾・懐徳堂資料館建設について再考す 中川八郎
適塾特別展示「オランダの歴史・風土と日本の蘭 藤田 實
西欧技術・知識の受容の問題と資料館建設の意義について
展示の趣旨と展示資料の解説
本居宣長と『古事記伝』
がん研究はどこまで進んだか
子安宣邦
豊島久眞男
本居宣長の評価と『古事記』『古事記伝』について
発ガンのメカニズムやガン抑制遺伝子などについて
脳の働きとエタノール
近世大坂の銅精錬と銅貿易
和田 博
今井典子
酒とエタノールの体内代謝について
日本の銅生産と銅吹所について
『洪庵・適塾の研究』補遺四題
梅溪 昇
洪庵と後藤松陰との関係、「一廻り」が七日であること、緒方洪庵書翰の
翻刻・解説
適塾記念講演会
適塾の夕べ―洪庵忌―
記念講演会
論考・随想
―緒方洪庵と後藤松陰・杏雨書屋蔵洪庵の
肖像と書・
一廻り七日の説・新史料緒方洪庵書翰二通
いわゆるお雇い工師デレーケなどのこと
井口昌平
杉田成卿『蘭文玉川紀行』難解箇所について
中崎昌雄
オランダ人土木技師デレーケを中心に明治初期の土木技術史について
『蘭文玉川紀行』の解釈と成卿について
山崎家旧蔵図書について
宮永家旧蔵資料について(補遺)
佐光昭二
芝 哲夫
資料目録
資料の翻刻・解説ならびに宮永実吉について
富山県の適塾門下生について
適塾門下生調査資料
適塾門下生に関する調査報告(13)
赤祖父一知
佐光昭二
芝 哲夫
片山文哲、佐渡賢隆、赤昌斎、浅野泰仲、大館昌平について
有持皋平、宇津進、高畠耕斎、高畠耕益、秦四郎
梅溪昇著『洪庵・適塾の研究』
芝哲夫著『オランダ人の見た幕末・明治の日本
―化学者ハラタマ書簡集―』
適塾記念会の歩み(その20)
脇田 修
藤田 實
資料
適塾門下生調査
紹介
多田羅浩三
第27号 1994.12.1
巻頭言 緒方洪庵と除痘館
加藤四郎
―ジェンナー牛痘種痘法発明二○○年 (一九
九六年)を控えて―
適塾特別展示「緒方洪庵とくすり―薬箱とてがみ 藤田 實
天然痘の歴史とWHOによる天然痘根絶宣言について
国連の再生と日本の役割
国連の諸問題と日本の役割、国連中心主義の意味について
展示資料の紹介と解説
適塾記念講演会
神余隆博
適塾の夕べ―洪庵忌―
記念講演会
緒方富雄博士編『緒方洪庵のてがみ』最終巻の完
梅溪 昇
成・刊行について
和魂洋才の医学
小野啓郎
最終刊(「その三」)発刊の経緯と緒方富雄氏の遺文、「その三」の紹介
日本における洋医学受容の歴史について
論考・随想
薬学者としての緒方洪庵―薬箱を巡って―
「颶風新話」と「築城全書」の原著について
玄真、信道と洪庵 ―蘭方から蘭学へ―
若槻哲雄先生と適塾
洪庵忌
米田該典
中西秀樹
長与健夫
芝 哲夫
須田信英
洪庵の二つの薬箱の概要と洪庵の薬学について
伊藤慎蔵訳著の原著の紹介と解説
宇田川玄随、玄真、信道と洪庵という蘭方から蘭学の流れについて
適塾門下生田中信吾の碑銘文について
藤野家文書・蘭学者関係書翰の紹介
大國明次郎姓名録
適塾門下生中村恭安の手書き残稿
―山井明氏から適塾への寄贈資料―
岡澤家資料目録
赤祖父一知
梅溪 昇
芝 哲夫
米田該典
撤去された碑銘文の紹介
藤野昇八郎、敬所宛書状など翻刻
姓名録の翻刻と人物解説
資料の目録と解説
芝 哲夫
資料の目録と解説
適塾門下生調査資料
適塾門下生調査資料
適塾門下生に関する調査報告(14)
適塾記念会の歩み(その21)
佐光昭二
伊藤忠芳
芝 哲夫
多田羅浩三
篠田秀道、猪子鼎
松浦道伯
巻頭言 適塾に思う
適塾特別展示「適塾とその界隈―幕末の頃の大
坂―」
松岡 博
適塾の功績から現代の大学改革の原理を明確にすること
米田該典
移転150年、大坂の産業と文化・学問を紹介する展示の概要について
資料
適塾門下生調査
第28号 1995.12.1
適塾記念講演会
江戸の名作に秘められた謎
信多純一
ヒト・ゲノム 全遺伝子を解読しようという試みにつ
松原謙一
いて
滝沢馬琴と近松門左衛門の作品の中の作者の深意を探り、隠微世界を
専斉の祖父・長与俊達と「適塾」
適塾と船場 ―近世大坂のビジネスと学問―
長与家の系譜、俊達と種痘、専斎のその後について
船場の位置づけと江戸期の大坂の役割、洪庵の思想と行動について
ゲノムの解説とヒト遺伝子の研究について
適塾の夕べ―洪庵忌―
記念講演会
長与健夫
作道洋太郎
論考・随想
維新を生きた津下精斎の生涯
津下健哉
「癸丑年中日次之記」収録の藤田源二郎について 浅田信雄
適塾門人神植兄弟の遺した四冊の蘭文写本のオ
石田純郎
リジナル蘭書について
津下精斎の生い立ち、適塾との関わり、維新前後の事蹟と晩年まで
藤田家の系譜と浄界和上について
四冊の訳書の原蘭書から、適塾におけるオランダ語学習について
資料
長崎修行中の緒方洪哉(のち惟準)にあてた母八
梅溪 昇
重のてがみ(二通)
佐野常民書簡
芝 哲夫
中村恭安訳『ベーツ「乾薬韻府」』について
米田該典
適塾門下生調査
適塾門下生に関する調査報告(15)
適塾門下生著作目録
適塾記念会の歩み(その22)
「適塾」二十七号 口絵の「解体図」について
芝 哲夫
芝 哲夫
多田羅浩三
梅溪 昇
翻刻と解説
翻刻と解説
キニーネの記事を例に恭安と洪庵の化学・薬学知識を考察
第29号 1996.12.1
巻頭言 世紀末を思う
園田 昇
適塾特別展示「適塾と除痘館―ジェンナーの種痘
米田該典
から二○○年―」
来世紀における日本の科学技術の発展について
百年後のためのタネ ―生命誌研究館の試み―
邪馬台国論争と考古学の新知見
これからの日常生活において科学を文化として根付かせるあり方につい
邪馬台国論争の概要と、遺跡の発掘状況から邪馬台国の所在について
ジェンナーの事蹟と特別展示の様子について
適塾記念講演会
中村桂子
都出比呂志
適塾の夕べ―洪庵忌―
記念講演会
「人口論争」の前後―イギリス人は人口をどうみて
川北 稔
きたか―
高祖父のヨーロッパ旅日記
須田信英
人口史研究と産業革命、「人口論争」について
黒澤新左衛門「欧羅巴航日録」の紹介
論考・随想
緒方研堂及びその周辺
緒方洪庵夫人・八重の生涯と大坂の除痘館
―とくに緒方八重の終焉の地をめぐって―
付・緒方八重葬送関係新聞資料
適塾生 ―その広島県出身者について―(三)
億川翁佐(信哉)宛坪井信友書状
広沢澄郎
古西義麿
研堂師山鳴大年、独笑軒塾、扶氏経験遺訓のことなど
八重の略伝とその終焉について
管井光男
中山 沃
亥野 彊
門下生の経歴や墓碑について
書状の翻刻と解説
緒方惟準・収二郎・銈次郎関係書翰等の紹介
緒方洪庵先生の薬箱とその内容薬物について
書状の翻刻と解説
洪庵の薬箱、丸薬や生薬の概要、薬の分析
柳下家文書適塾関係資料について
梅溪 昇
米田該典
前平由紀
芝 哲夫
適塾門下生に関する調査報告(16)
適塾記念会の歩み(その23)
芝 哲夫
多田羅浩三
資料
適塾関係の書状の翻刻と解説
適塾門下生調査
第30号 1997.12.1
附:中天游先生夫妻墓碑整備・顕彰事業
巻頭言 「平成の適塾」
岸本忠三
適塾特別展示「洪庵の師―中天游と大坂の蘭学」 米田該典
故適塾記念会理事 司馬遼太郎氏を偲んで
梅溪 昇
大阪大学から世界にむけて日本の新体制を想像する人材を育成する必
要性について
中天游の事蹟とその家族の展示資料と、公開講演会のことについて
適塾記念講演会
小アジア(現トルコ共和国)地中海沿岸におけるビ
辻 成史
ザンチン遺跡
現代医学より見たジェンナーの業績について
加藤四郎
―ジェンナー牛痘種痘法発明二百年を記念
して―
ビザンチン遺跡における聖人崇拝場所からキリスト教教会への流れにつ
いて
現代ウィルス学から見た、ジェンナーの業績について
中天游の蘭学
海上随鷗と中さだ
吉田 忠
森 納
中天游の経歴と『引律』や『暦象新書』研究などについて
海上随鷗及び中天游の経歴とその関係について
〔緒方洪庵〕像制作、設置の経緯
緒方洪庵筆とされる解剖資料二点について
川合敏久
米田該典
〔緒方洪庵〕像制作までの経緯と作成過程について
「解体図」と「蒲郎加児内景書」について
中天游顕彰記念講演会
論考・随想
資料
綾部勤史料について
芝 哲夫
今治市河野美術館所蔵の緒方洪庵および適塾出
梅溪 昇
身者の書翰
綾部勤の系図と史料を紹介・解説
堀内忠亮宛洪庵書状、宮原寿三郎宛村田蔵六書状など10点の翻刻と解
説
適塾門下生調査
適塾門下生に関する調査(17)
適塾記念会の歩み(その24)
芝 哲夫
多田羅浩三
巻頭言 適塾の風貌―大学の原型―
適塾特別展示 日本の近代化と適塾門下生
適塾の人 伴忠康先生のこと
多田羅浩三
米田該典
多田羅浩三
適塾とボローニヤ大学との比較
適塾門下生の活動と著作や資料について展示解説
"Of Mice and Men"(生きとし生けるもの)
『舞姫』のベルリン・『輪舞』のウィーン
野村大成
平田達治
子宮内被曝の研究の歴史について
『舞姫』『輪舞』の都市文学としての評価について
第31号 1998.12.1
適塾記念講演会
洪庵忌―適塾の夕べ―
知的所有権の未来像 ―経済法規のリストラへ向
江口順一
けて―
都市計画におけるパラダイム・シフト
大久保昌一
日本の経済基本法の改革について
戦後の都市計画の変遷と、その方向性について
適塾研究会
適塾研究会始まる
米田該典
特集 座談会『適塾』を振り返りながら、今後の適
塾を語る
緒方裁吉、梅溪昇、芝哲夫、大久保昌一、藤野明、米田該典、中直一、
多田羅浩三による『適塾』の思い出とこれからの適塾および『適塾』につい
論考・随想
世界土俵の上の幕末維新史
洪庵と和蘭薬学 ―窮理堂蔵の二資料を中心に
大槻玄澤・司馬江漢の西遊と木村蒹葭堂
―日記にみる大坂での交流―
洪庵の蘭語学統 ―江戸・長崎の遊学から―
紺野大介
藤野 明
村田忠一
世界における幕末維新史研究の一端について
『薬名韻府』『薬事簡語韻』の紹介と洪庵の訳著について
蒹葭堂と玄澤・江漢の交流と大坂の蘭学について
藤野 明
若き日の洪庵の蘭語学の位置づけ
資料
緒方洪庵に宛てた坪井信道の洋薬注文書
芝 哲夫
「緒方収二郎宛書簡他」紹介(1)
梅溪 昇
賀古鶴所より緒方収二郎あて書簡 ―明治初
期医学事情―
阪大所蔵の独逸学資料について
中 直一
注文書の翻刻と注釈
賀古鶴所の略歴と書簡の翻刻
明治初年ドイツ学関係史料の紹介
適塾門下生調査
適塾門下生に関する調査報告(18)
適塾記念会の歩み(その25)
芝 哲夫
多田羅浩三
第32号 1999.12.1
巻頭言 「平成の適塾」の実現を
本間正明
適塾特別展示「種痘伝来百五十年―予防医学に
加藤四郎
盡瘁した先人達の記録―」
適塾特別展示 嘉永二年秋・浪花の除痘
藤野 明
笠原良策「戦兢録」とその
周辺
大学の再生・活性化について
牛痘種痘法の歴史と桑田立斎によるアイヌ人への種痘など展示資料解
説
笠原良策の「戦兢録」から大坂における除痘をみる
ボロブドゥールの説話図浮彫
説話図浮彫の解説とその目的と意味について
適塾記念講演会
肥塚 隆
洪庵忌適塾の夕べ
緒方洪庵と除痘館活動―牛痘法定着一五○年に
浅井允晶
寄せて―
本家緒方家思いだすままに
緒方惟之
緒方洪庵と除痘館の活動のあり方について
惟準からの緒方家の思い出や逸話
第一回適塾研究会
第一回適塾研究会について
中 直一
日蘭友好四○○周年記念行事について
多田羅浩三
日蘭友好四○○周年記
念行事
オランダと大阪医学の関わり、記念行事の内容について
論考・随想
適塾出身の久留米藩医北村節斎(政記)・鶴田仙 深谷眞三郎
適塾門下生中村恭安「ベーツ乾薬韻府抄訳」の原 村田忠一
北村節斎と鶴田仙菴の事蹟について
「ベーツ乾薬韻府抄訳」の原書の紹介とその比較
杏雨書屋所蔵適塾門下生書簡(その一)
―佐伯理一郎宛 足立寛、長瀬時衡、川本
泰年書簡―
芝 哲夫
書簡の翻刻と解説
緒方家旧蔵の四史料について
梅溪 昇
緒方洪庵贈位奉告祭及び祝賀会について
緒方惟準翁の死去と葬儀
「開国文化大展覧会」にみる洪庵と適塾生たち
機関誌『適塾』の表紙絵について
中山 沃
中山 沃
藤野 明
大久保昌一
適塾門下生に関する調査報告(19)
適塾記念会の歩み(その26)
芝 哲夫
多田羅浩三
巻頭言 大阪大学の創立七○周年と適塾
城野政弘
ヴァーチャル適塾と大阪大学中之島センターについて
芝 哲夫
松田 武
米田該典
村田路人
大阪における医学・理化学の教育についての展示解説
大阪の知恵とデリバティブ
再開された心臓移植
仁科一彦
松田 暉
デリバティブとそのルーツ、大阪の役割について
心臓移植術の紹介とその経過について
適塾とロシア
ワクチン開発の楽しさ、厳しさ
藤本和貴夫
上田重晴
ディアナ号来港、幕末の日露関係と派遣伝習生について
ワクチン研究の歴史とその現状について
第二回適塾研究会について
村田路人
日蘭友好四○○周年記念行事について
多田羅浩三
資料
「緒方様御入用出払帳」「大坂出立着府後日記覚書」「壬戌旅行記」「緒方
御隠居様御遺髪高林寺合埋法事廻状」解説と翻刻
「緒方病院産婆看護婦同窓会雑誌」所収の両会の様子記事の再録
惟準死去の新聞記事と「緒方病院産婆看護婦同窓会雑誌」記事
「開国文化大展覧会」での洪庵と塾生の展示紹介について
適塾門下生調査
第33号 2000.12.1
適塾特別展示
日蘭交流四○○周年記念
日本における近代医学・理化学の源流と大阪
適塾記念講演会
洪庵忌適塾の夕べ
第二回適塾研究会
日蘭友好四○○周年記
念行事
シンポジウムや適塾紹介について
論考・随筆
「中村恭安の家系を探る」
山井 明
大鳥圭介筆「福寿無量」扁額と圭介孫娘八重のこ 小島種子
中村恭安の先祖について
「福寿無量」扁額の来歴について
杏雨書屋所蔵適塾門下生書簡(その二)
―池田謙斎、緒方拙斎、高松彜、坪井信良、箕
作秋坪、村田蔵六―
「緒方収二郎宛書簡他」紹介(2)
緒方惟孝・惟準・吉重・拙斎・八千代より緒方収
二郎あて書簡
―明治中期医学・病院事情―
緒方洪庵『扶氏経験遺訓附録』とその引用蘭書
中村昭氏寄贈の図書について 「扶氏経験遺訓」
の初稿本を巡って
緒方洪庵と和歌をめぐって―緒方家の人々と和歌
芝 哲夫
書簡の翻刻と解説
梅溪 昇
ドイツ留学中の収二郎宛書簡の紹介
村田忠一
引用蘭書の原書名とその解説
米田該典
中村氏寄贈の『扶氏経験遺訓』初稿本の解説と寄贈図書リスト
管 宗次
洪庵訳述「和蘭詩鮮略説」の緒方家本
藤野 明
緒方家の和歌への関わりについて
昭和58年の沼田次郎氏の講演と緒方富雄氏の解説と補足、墨書の二人
について
付 表紙に墨書きされた謎の二人はだれ
除痘館と大和屋喜兵衛
久保武雄
適塾門下生に関する調査報告(20)
芝 哲夫
適塾記念会の歩み(その27)
多田羅浩三
巻頭言 適塾に想う
宮西正宜
大学教育における新年と努力の重要性について
適塾から大阪大学へ
澤井 実
適塾から近代大阪の医学・理化学・工学研究教育の変遷についての展示
解説
太ることの科学―良い肥満と悪い肥満―
狩野探幽の新しい絵画
松澤佑次
鬼原俊枝
肥満の是非と内臓脂肪について
狩野探幽の特徴を余白の美や水墨画の和様化などで論じる
明治維新と現代
猪飼隆明
公と私の分離、私の自立を軸に明治維新について
第三回適塾研究会について
米田該典
適塾の謎(その1)
芝 哲夫
適塾門人佐渡賢隆と『蘭訳千字文』
正橋剛二
「緒方収二郎宛書簡他」紹介(3、完)
適々斎および適塾の蔵書―旧洪庵文庫の蘭書に
ついて―
億川家所蔵の適塾関連資料について
クリストフ・ヴィルヘルム・フーフェラント
―緒方洪庵がその医学・思想に傾倒したドイツ
名医の生涯―
梅溪 昇
適塾門下生に関する調査(21)
芝 哲夫
適塾記念会の歩み(その28)
多田羅浩三
史料
道修町と大和屋喜兵衛について
適塾門下生調査
適塾記念会の歩み
第34号 2001.12.1
適塾特別展示
適塾記念講演会
洪庵忌―適塾の夕べ―
第三回適塾研究会
論考・随想
洪庵の置き手紙、長崎行、瓦町適塾の位置と移転の年、ヅーフ部屋と諭
吉の階段などについて
『蘭訳千字文』をもとに越中の開業医の蘭語能力と佐渡賢隆について
史料紹介
村田忠一
米田該典
梅溪 昇
大阪緒方病院近況報告や惟直の遺児探し、在欧留学生の交信など
蘭書のうち、仏語辞書と文典、クラムレス『古語・俗語辞典』、スマーレンブ
ルグ『化学教書』について
億川家資料の概要について
フーフェラントの伝記記述の翻訳紹介
永谷麻衣子
適塾門下生調査
適塾記念会の歩み
第35号 2002.12.1
巻頭言 箕作元八の夢―歴史学の再生と大学改
川北 稔
革―
東大西洋史学の箕作元八と戦後史学から、これからの大学の学問のあり
方を問う
適塾記念会創立五○周年記念 適塾の所蔵品特
村田路人
別展
適塾記念会および大阪大学の所蔵資料から代表的な50点ほどを展示、
解説
21世紀の医療―遺伝子は命を救う
都市の自画像
荻原俊男
奥平俊六
テーラーメイド医療と再生医学に向けた遺伝子解析と遺伝子治療につい
「洛中洛外図」における都市への視点について
適塾門下生調査について
芝 哲夫
門下生の出身地、入塾動機、滞在期間、本人の職業などを分類、藤野昌
言・卓爾兄弟などについて
適塾記念会五十年の歩み
梅溪 昇
適塾特別展示
適塾記念講演会
洪庵忌―適塾の夕べ―
第四回適塾研究会
緒方洪庵と大坂の除痘館―丹波国松本節斎への
分苗を中心に―
緒方洪庵のオランダ医学
シーボルトの点眼筐の調査―緒方洪庵と蘭方医
の薬箱―
緒方洪庵の足守藩内での種痘と備前藩主の診察
石田純郎
牛痘種痘法の歴史と大坂の除痘館、除痘館引き札、松本節斎・足立敬里
への分苗について
洪庵の訳著の原著の特徴について
米田該典
シーボルトの眼科薬と点眼筺について
中山 沃
洪庵の足守藩での種痘活動と備前藩主の診察について
適塾の謎(その2)
『適塾』誌のあゆみ
芝 哲夫
藤野 明
息子の勘当、弟子の破門、適塾の経済状態や洪庵の死生観などについ
『適塾』発刊の経緯とこれまでの内容について
適塾門下生に関する調査報告(22)
芝 哲夫
適塾と大阪北浜船場ライオンズクラブ
芝理事の「適塾の謎」に対する私の推論
緒方洪庵と和宮―山崎佐氏の見解について―
適塾門下生「村上代三郎」について―その知られ
ざる事蹟を中心に―
久留米藩出身の適塾門下生 後藤徳太郎(津留
壽徳)
適塾時代の橋本左内―漢詩を手がかりとして―
「明治前半期のコレラ流行と対策」=岐阜県を例と
して=
秋山弘雄
緒方裁吉
村田忠一
船場ライオンズクラブの来歴と適塾との関係について
ヅーフ部屋の場所、福沢諭吉が裸で飛び出した階段、便所の場所などを
山崎論文とその資料の検討
西山勝仁
新史料による村上代三郎の事蹟紹介
深谷眞三郎
後藤徳太郎の事蹟について
前川正名
適塾時代の左内の漢詩から当時の左内の心情や適塾の様子を描く
杉村啓治
明治前半期の岐阜県のコレラの流行と予防対策、適塾生について
適塾記念会の歩み(その29)
多田羅浩三
杉立義一氏旧蔵・現適塾記念会所蔵『緒方収二
郎宛書簡・葉書』ほかの紹介
梅溪 昇
緒方収二郎宛書簡のうち主要なものを解読・紹介
巻頭言 バーチャル適塾
宮原秀夫
適塾に関するこれまでの成果の整理にマルチメディア技術を駆使を提案
洪庵と塾生の墨蹟 適塾の所蔵品特別展Ⅱ
村田路人
洪庵および塾生の墨蹟など展示資料の紹介と解説
記念式典
会長挨拶・祝辞・祝電披露・感謝状贈呈
記念講演
適塾から慶應義塾へ
西川俊作
適塾の遺産と学問のこれから
金森順次郎
適塾から福沢諭吉の慶應義塾設立とその教育方針について
懐徳堂・適塾における自然科学の芽生えと適塾の精神、今後の自然科
学・学問のあり方について
古西義麿
論考・随想
適塾門下生調査
寄稿
適塾記念会の歩み
史料紹介
第36号 2003.12.1
適塾特別展示
適塾記念会創立五十周
年記念行事
洪庵忌―適塾の夕べ―
最新のマルチメディア技術とバーチャルミュージア
岸野文郎
ム(適塾への適用)
若き日の洪庵を小説に書く
築山 桂
高度情報社会におけるミュージアムのデジタル化・マルチメディア化につ
いて
小説の主人公に取り上げた洪庵の魅力について
古文書の読み方
古文書学習のポイントと古文書への取り扱いや認識について
第五回適塾研究会
村田路人
論考・随想
緒方洪庵先生塑像の亡失について
梅溪 昇
今治市河野美術館所蔵の緒方洪庵および適塾出
梅溪 昇
身者の書翰(つづき、完)
適塾記念会所蔵 適塾門下生書簡
芝 哲夫
―長与専斎、渡辺卯三郎、小林文叔、渋谷良
次、土山春庵、
吉雄養正、佐野常民―
緒方洪庵塑像の由来と亡失までの経緯
堀内忠亮宛書状、洪庵書、佐野常民書大鳥圭介書などの解説
門下生書簡の翻刻とその解説
適塾門下生調査
適塾門下生に関する調査報告(23)
芝 哲夫
寄稿
『「適塾」跡の家で過した私の少年時代の憶い出』
の続編
幕末長崎のプロテスタント宣教師と宣教医―緒方
四郎の英学教師をさぐる―
伊藤慎蔵と『筆算提要』
蘭学者時代の橋本左内
―嘉永五年作の漢詩を手がかりとして・橋本
左内漢詩研究(二)―
緒方裁吉
女中部屋からの三階部屋のことなど
村田忠一
長崎のプロテスタント宣教師と宣教医と緒方四郎について
飯塚修三
前川正名
伊藤慎蔵の略歴と『筆算提要』の内容について
嘉永五年の左内の漢詩から、当時の左内の人物像を描く
適塾記念会の歩み
適塾記念会の歩み(その30)
木下タロウ
資料紹介
適塾生にまつわる『甲斐国医史』出版される
芝 哲夫
『よみがえる適塾―適塾記念会50年のあゆみ』の
梅溪 昇
補訂
第37号 2004.12.1
巻頭言 『緒方洪庵全集』の編集・刊行事業の発
足をのぞむ
故適塾記念会理事 緒方正美先生を偲んで
梅溪 昇
『緒方洪庵のてがみ』刊行の経緯から全集刊行への想いについて
梅溪 昇
適塾特別展示
洪庵と塾生の著書 適塾の所蔵品特別展Ⅲ
村田路人
洪庵の著作、福沢諭吉の著作、福沢以外の塾生の著作などを展示資料
を解説
国民健康づくり運動「健康日本21」の意義
多田羅浩三
医薬分業体制や保険制度、生活習慣病の実態から国民の健康増進意識
と国の政策について
モンテスキューにおける「経済の精神」
佐村明知
ネズミの病理学から人の病理学へ
北村幸彦
「適塾を育んだ大阪の蘭学」を開くに当って
麻田剛立、山方蟠桃、伏屋素狄―大阪の科学の
発祥―
木村蒹葭堂・小石元俊―天明寛政期における江
戸蘭学界との交流―
橋本宗吉・川本幸民と緒方洪庵
芝 哲夫
適塾記念講演会
洪庵忌 ―適塾の夕べ―
時代背景からモンテスキューの経済への考え方、モンテスキューと洪庵
の比較
マスト細胞研究からヒトの腫瘍の治療薬について
第6回適塾研究会
芝 哲夫
麻田、山方、伏屋の関係とその事蹟について
村田忠一
元俊と蒹葭堂の学問的背景から江戸の蘭学界との交流について
柳田 昭
橋本宗吉の生涯と、洪庵の比較
論考・随想
適塾生・奥州手土の南三隆(入門番号六三二)に
梅溪 昇
ついて
南三隆が秋田県ではなく福島県の出身であったことなど
中天游の『暦象新書』研究
吉田 忠
『暦象新書』写本の比較から中天游の刪定の状況を読み取り、思索家とし
ての天游の再評価
適塾門下生に関する調査報告(24)
芝 哲夫
適塾門下生調査
寄稿
『適塾跡の北浜の家で過した少年時代の憶い出』
緒方裁吉
の続編並に
洪庵夫妻の肖像画にまつわるエピソード
緒方洪庵夫妻の油絵の来歴と五姓田義松の経歴について
蘭学者時代の橋本左内(承前)
―嘉永六年作の漢詩を中心として・橋本左内漢
詩研究(三)―
生誕地における「洪庵緒方先生碑」の建立につい
適塾門下生「備中都宇郡早鳥 金平廉平」につい
―姓名録六百三十六名の中でプロファイルが明ら
かでなかった門下生のひとり―
前川正名
江戸遊学前の左内の漢詩から、政治的好奇心の兆候をみる
中山 沃
木村 丹
建碑に関する新資料から除幕式の様子など
金光廉平の自宅見取り図と墓石、戸籍簿、業績について
松田俊悟
適塾記念会の歩み
適塾記念会の歩み(その31)
資料紹介
億川家資料について
戦前の適塾の様子を残す写真2葉
芝 哲夫
米田該典
億川家資料の解説
第38号 2005.12.1
巻頭言 緒方洪庵生誕二○○年を五年後にひか
芝 哲夫
えて
追悼文 故適塾記念会理事 億川新先生を偲ん 米田該典
内藤祐次氏の逝去を悼み適塾記念会へ
芝 哲夫
の御貢献を想う
洪庵生誕200年の記念事業案
適塾特別展示
蘭学時代の洋書と適塾 適塾の所蔵品特別展示 中 直一
緒方洪庵と医学書、語学書、物理学書・化学書・兵学書などの展示資料
コンピュータで生命を探る―ゲノム情報とその利
用について―
DNA塩基配列とその比較、ゲノム情報の医療への応用について
適塾記念講演会
松田秀雄
洪庵忌 ―適塾の夕べ―
共生を生きる日本社会―二十一世紀COE研究プ
津田 葵
ロジェクトから―
最近話題のウイルス感染症
山西弘一
子供の学校教育における「共生」のあり方から、共生を生きる日本社会を
目指すこと
ウイルス及びウイルス感染症の歴史と現状について
「教育改革と適塾の心」を開くに当たって
科学的思考と人間性
教育方法の観点から
適塾に学ぶ新しい大学のしくみづくり
大久保昌一
大久保昌一
菅井勝雄
河田 聡
洪庵の教育者としての才覚などから、教育機関としての適塾を評価する
適塾の教育的性格と方法から「認知的徒弟制研究」のアプローチを行う
フロンティア研究機構を軸にユビキタス時代の産学連携と大学について
福澤諭吉と適塾生との交友
芝 哲夫
適塾後の福沢と適塾生との交流について
第7回適塾研究会
論考・随想
寄稿
江戸城の緒方洪庵 ―『勤仕向日記』とその背景
村田忠一
―
大鳥圭介の生涯と適塾
福本 龍
「大坂の除痘館」分苗所調査報告(1)
古西義麿
「勤仕向日記」における診察や当番の記述から江戸城内での洪庵と関係
者について
大鳥圭介の生涯とその事蹟について
関東・中部、中国、四国、九州の分苗者について
資料紹介
番外生三枝俊徳の日記から三枝家の歴史、大坂城加番役随行の医務、
在番時の大坂城内について
小山田主鈴宛洪庵書状の翻刻と解説及び小山田家系図
佐伯家文書の概要について
佐貫藩侍医の『三枝俊徳日記』記事抜萃
梅溪 昇
小山田主鈴あての緒方洪庵のてがみ
緒方家から新たに寄贈された資料について
芝 哲夫
米田該典
適塾門下生に関する調査報告(25)
芝 哲夫
適塾記念会の歩み(その32)
木下タロウ
巻頭言 予防は治療に優る
加藤四郎
予防医学の重要性と洪庵の除痘活動について
「除痘館発祥の地」記念碑が建立された
芝 哲夫
加藤四郎
「除痘館発祥の地」記念碑除幕式について
適塾の所蔵品特別展Ⅴ 緒方洪庵の手紙
村田路人
頓宮宛書状、小山田主鈴宛書状、渡辺卯三郎宛書状など展示資料解説
中之島の蔵屋敷・堂島の米市場
宮本又郎
中之島の蔵屋敷の歴史とその実像、堂島米市場との関係について
福澤諭吉の国体論―その背景
米原 謙
適塾門下生調査
適塾記念会の歩み
第39号 23006.12.1
記念碑建立
適塾特別展示
適塾記念講演会
洪庵忌―適塾の夕べ―
量子情報の話―究極の暗号通信から超並列情報
井上 恭
処理まで―
丸山の福沢論を批判しつつ、明治初期の政教論から福沢の国体論をとら
え直す
量子力学の基礎からそのシステム応用としての量子暗号と量子コン
ピューターの仕組みについて
第8回適塾研究会
第8回適塾研究会「適塾と医学」を開くに当たって
適塾と長与専斎
適塾と北里柴三郎
芝 哲夫
多田羅浩三
芝 哲夫
緒方洪庵と種痘―関連する話題について―
加藤四郎
適塾と現代の感染症
木下タロウ
大坂の町と適塾の風貌と洪庵の事蹟、福沢や橋本左内、長与専斎につ
適塾関係者と北里との関係について
痘瘡と種痘、洪庵の種痘法と「扶氏経験遺訓」の牛痘種痘法などからワク
チン予防について
長与専斎から現代の感染症研究の系譜、専斎三男又郎から谷口腆二宛
書状について
随想
朝日放送株式会社新社屋建設に伴う福澤諭吉生
梅溪 昇
誕地記念碑の一時撤去・保管について
福沢諭吉生誕地記念碑の沿革と一時撤去・保管の経緯
寄稿
「大坂の除痘館」分苗所調査報告(2)
適塾門下生栗原唯一、土山将曹、渡新吉につい
―京都の医学史料および勝海舟の日記から―
洪庵先生の師・坪井信道とその一生
適塾出身者・三皷龍斎について
蘭学者時代の橋本左内(三)
江戸遊学期の漢詩を中心として・橋本左内漢詩
研究(四)
適塾門下生「別府琴松」について
古西義麿
村田忠一
近畿地方141名について
栗原、土山、渡の経歴と京都の医学について
長与健夫
中山 薫
前川正名
坪井信道の生涯と洪庵との関係について
「三鞁龍斎」が「三皷龍斎」であることと、墓碑の紹介など
江戸遊学期の左内の漢詩とその心情について
木村 丹
松田俊悟
別府琴松の資料と墓碑などの紹介
別府琴松資料補遺
芝 哲夫
別府琴松の資料の紹介、蘭文フーフェランド「神経熱書」写本や蘭文ヨハ
ネス・ボイス「物理教本」写本など
“緒方洪庵のてがみ”拾遺
梅溪 昇
新出の洪庵の書状の紹介、山成大年・山成直蔵宛、堀内忠亮宛など
適塾門下生に関する調査報告(26)
芝 哲夫
適塾記念会の歩み(その33)
木下タロウ
巻頭言 歴史的空間の保全
講義科目「大阪大学の歴史」を始めて
大久保昌一
高杉英一
欧州の歴史的空間保全の歴史を紹介し、適塾の保存を評価
講義科目「大阪大学の歴史」立ち上げの経緯とその意義について
緒方洪庵と適塾
米田該典
洪庵と億川家の人々の事蹟と自著・訳書、適塾関係者と適塾教育に関す
る資料
資料紹介
適塾門下生調査
適塾記念会の歩み
第40号 2007.12.1
適塾特別展示
村田路人
適塾記念講演会
古代ギリシャ・ローマの笑い、上方の笑い―喜劇
の場合―
木村健治
上方の喜劇に代表される笑いと古代ギリシャ・ローマの笑いとを比較検討
緒方惟之
整形外科における心身医学の必要性について
超重元素の化学的研究の現状と将来、高エネルギー加速器研究機構の
共同利用実験の成果
洪庵忌―適塾の夕べ―
整形外科(医)と心
新しい原子の創生―超重元素とエキゾチックアト
ムの化学―
篠原 厚
第9回適塾研究会
「適塾門下生についての調査と情報」を開くに当
たって
名塩と伊藤慎蔵の生涯
適塾と名塩の人々 洪庵、舎密を勉強する
三重・熊本・京都の適塾生
適塾門下生「別府琴松」について(第二報)
芝 哲夫
伊藤慎蔵と名塩の関係とその生涯について
億川家の人々と洪庵の舎密学への姿勢について
菅野秀二、奥山静叔、栗原唯一、土山将曹、渡新吉について
琴松の肖像画、種痘資料、証券について
別府琴松資料について
頓宮篤弼宛の緒方洪庵の手紙
幕末明治期における北陸の医学と適塾門下生
適塾門下生 村上代三郎の晩年について
江本純三
米田該典
村田忠一
木村 丹
松田俊悟
芝 哲夫
芝 哲夫
赤祖父一知
西山勝仁
藤野恒三郎先生の弔辞「藤先生を偲んで」につい
洪庵が一般外来患者の診察をしたか
緒方洪庵五十回忌の記事について
死直前の福沢諭吉の緒方洪庵先生に関する談話
梅溪 昇
緒方裁吉
中山 沃
中山 沃
藤直幹氏の文学部葬における藤野恒三郎氏の弔辞テープ起こし
洪庵の一般外来の診察はなかったとの見解
「助産之栞」掲載の洪庵五十回忌記事の紹介
「医事会報」107号掲載の「故福沢先生の緒方洪庵に関する談話」紹介
土佐の適塾生徳弘数之助
適塾出身奥村健二と千村家関係者
村田忠一
杉村啓治
徳弘数之助の人物像と事蹟について
奥村健二と領主千村家、伊藤圭介との関係とその学問について
梅溪 昇
「脚気説」「脚気論」「穋私篤別里別里篇」翻刻
前号詳説にて省略
同号詳説にて省略
黒川良安と金沢の西洋医学、適塾生について
大熊邦也家所蔵「有寅録」から晩年の代三郎について
論考・随想
寄稿
資料紹介
緒方章公裁稿「脚気説」について ―付、穋私篤
別里別里篇―
頓宮篤弼宛の緒方洪庵書状
芝 哲夫
村田路人
適塾寄贈資料 布野雲平伝「花失せじ」卜部忠治 適塾記念会
適塾関係資料を探す 史跡指定の頃の適塾
適塾記念会
頓宮宛洪庵書状7通の翻刻と解説
寄贈書紹介
昭和17年の適塾写真と当時の平面図(口絵)の解説
適塾門下生調査
適塾門下生に関する調査報告(27)
芝 哲夫
適塾記念会の歩み(その34)
木下タロウ
巻頭言 国際都市大阪の史蹟 ―適塾とその界
脇田 修
適塾の価値と、時代劇によってより関心を持たれることへの希望
適塾から大阪医学校へ
多田羅浩三
村田路人
適塾を源流として、激動の時代に大阪医学校ができるまでをえがく
洪庵の教え ―適塾のこころ―
多田羅浩三
「扶氏医戒之略」や適塾の伝統、諭吉の父・百助の詩などから適塾のここ
ろをくみとる
考古学から見た古墳時代河内政権論
肝臓病といかに付き合うか
福永伸哉
林 紀夫
王陵の移動現象や最新の調査結果から「河内政権論」を説く
ウイルス性肝炎など肝疾患の紹介と、その治療の現状について
糖鎖と病気
文学状況が語る現代ビルマ
谷口直之
南田みどり
糖鎖の働きと癌の転移との関係、抗体医薬について
ビルマとミャンマーの歴史、政権と文学の関係について
適塾研究会の十年を顧みて
第一○回適塾研究会を開くに当って
芝 哲夫
中 直一
芝 哲夫
中 直一
芝 哲夫
日野信行
全十回の一覧
高橋輝和
日本で初めてドイツ語学習に取り組んだ宇田川榕庵と市川斎宮について
芝 哲夫
榕庵の考案した化学用語の訳語を紹介
適塾・慶應義塾の語学教育と官立学校の語学教育から日本の語学教育
史をみる
適塾記念会の歩み
第41号 2008.12.1
適塾特別展示
適塾特別展示関連論文
適塾記念講演会
洪庵忌―適塾の夕べ―
第10回適塾研究会
江戸時代の外国語研究と適塾の蘭学
緒方洪庵の医学用語
現代の英語教授法から見た適塾
独学事始―洪庵の兄弟子・宇田川榕庵と洪庵門
下生の市川斎宮―
宇田川榕庵の訳語と化学用語
蘭学塾の素読法と明治以降の語学教育
中 直一
オランダ語習得法の歴史とその背景について
洪庵による「健康」と「有機」の使用について
適塾のカリキュラムと教材、教授法について
寄稿
洪庵門人と伝えられる太田精一について
村田忠一
書院番時代の橋本左内
前川正名
江戸往復期の漢詩を中心として・橋本左内漢
詩研究(五)
太田精一が大坂で開業し、ポンペに学んでいたことを紹介
書院番時代の左内の漢詩から当該期の左内の状況をみる
緒方洪庵の『家塾虎狼痢治則』について
梅溪 昇
〈「死直前の福沢諭吉の緒方洪庵先生に関する談
話」の一部訂正〉
緒方家本と村上家史料館所蔵の「家塾虎狼痢治則」について
周防国都濃郡下松町飯田家文書
村田路人
初期に塾頭をつとめた飯田柔平関係史料
適塾門下生に関する調査報告(28)
芝 哲夫
適塾記念会の歩み(その35)
木下タロウ
巻頭言 歴史の授業
須田信英
戦後の歴史授業について
緒方惟準の生涯 ―没後一○○年記念展―
中山 沃
村田路人
緒方惟準の生涯と業績について
資料紹介
新着資料情報
適塾門下生調査
適塾記念会の歩み
第42号 2009.12.1
適塾特別展示
適塾記念講演会
イメージとしての“大大阪”
橋爪節也
―モダン都市はいかに語られようとしたか―
大阪の画家の意識から「大大阪」のイメージやシンボルのあり方をみる
「持続可能な都市像」を求めて
大久保昌一
日本の都市政策の反省と都市政策のあるべき姿、歴史的空間の保全か
ら新しい都市像を描く
クラゲの蛍光タンパク質で命の仕組みを照らす
岡部 勝
惟準四男知三郎の話とクラゲ由来の蛍光タンパク質による着色の研究利
用について
第一回適塾講座の記録
村田路人
適塾と大坂町人社会
中川すがね
大坂の学芸社会と適塾
有坂道子
種痘事業の展開と大坂町奉行所
村田路人
洪庵忌―適塾の夕べ―
第一回適塾講座
町人による信用社会でありながら合理主義と「不思議」のせめぎ合う大坂
を描く
大坂の学芸の独創性と活躍した人々の紹介
除痘館の官許など大坂町奉行所が洪庵らの種痘事業にどのように関
わったのかをみる
寄稿
長崎出身の適塾生郡元之進
村田忠一
―オランダ医ポンペおよびファン・デン・ブルッ
クの門人に関する知見―
郡元之進がポンペに学んだことや、ポンペ前任のブルックの門人につい
明道館時代の橋本左内
前川正名
教育者期の漢詩を中心として・橋本左内漢詩研
究(六)
緒方洪庵先生の書について
原 一郎
原 二郎
漢詩を通して交流関係をみる
村田蔵六(大村益次郎)の学塾鳩居堂の所在地
村田忠一
鳩居堂の場所と、大村益次郎伝記の幕臣の解明
適塾門下生に関する調査報告(29)
芝 哲夫
適塾記念会の歩み(その36)
木下タロウ
「富家一握之黄金」軸を通じた緒方銈次郎と原玄一郎について
資料紹介
適塾門下生調査
適塾記念会の歩み
第43号 2010.12.1
巻頭言 原点と未来 ―大阪大学にとっての適塾 鷲田清一
大阪大学の研究精神の原点を適塾に見いだし、『洪庵全集』の刊行のこ
えがかれた適塾
洪庵生誕200年記念 適塾がこれまで漫画や小説・映画などでいかに描
かれたのか
適塾特別展示
村田路人
橋本孝成
廣川和花
洪庵忌―適塾の夕べ―
地方分権と統合 ―ローカリズムとグローバリズム
齋藤 愼
の相剋―
「見る」ことの背景 ~脳が私を操る、私が脳を操
藤田一郎
るのではなく~
日本における地方分権の歴史と特徴を述べ、今後の設計思想を問う
視覚に関わる脳の働きと脳研究の最前線について
第二回適塾講座
第二回適塾講座の記録
都市大坂の医療環境と適塾
江戸時代の大坂町人社会と適塾
安政五年のコレラ流行と医療行政
村田路人
海原 亮
今井修平
村田路人
大坂の医師の実態と洪庵の医療活動についてみる
適塾と天王寺屋忠次郎、壁中からの古文書から大坂町人の経済力をみ
安政五年のコレラ対策について大坂町奉行書の対応をみる
寄稿
水戸藩へ招かれた適塾門下生栗原唯一と下間良
村田忠一
弼(為善)
志士時代の橋本左内(一)
前川正名
―志士時代前期の漢詩を中心として(上)・橋
本左内漢詩研究(七)―
二冊の緒方洪庵著「医薬品述語集」
橋本孝成
水戸藩の蘭学教師であった適塾生について
志士時代の漢詩掲載
二冊の「医薬品述語集」を比較し、弟子による増補の仕方と適塾の指導に
ついて
―洪庵の著作と弟子の増補について―
適塾記念会の歩み
適塾記念会の歩み(その37)
木下タロウ
巻頭言 「独立自尊」と適塾
江口太郎
適塾への思いと、適塾記念会、適塾記念センター、大阪大学の進むべき
芝哲夫先生の偉業を偲んで
木下タロウ
故・芝哲夫大阪大学名誉教授(適塾記念会理事)の適塾記念会における
業績
継承する適塾の精神
廣川和花
大阪大学創立80周年記念 適塾の精神が大阪大学へ継承される過程を
たどる
適塾の蘭語教授法から今日の英語教授法へ
薬物依存、特に覚醒剤中毒について
日野信行
的場梁次
適塾の外国語教育法の今日的な意義と、現代の教育への活用方法につ
覚醒剤中毒の現状と問題点
第三回適塾講座の記録
村田路人
幕末期大坂の私塾と適塾
山中浩之
「政事」と「文事」~武士たちの大坂~
藪田 貫
幕末期大坂周辺地域の触伝達
村田路人
第44号 2011.12.1
芝哲夫先生追悼文
適塾特別展示
洪庵忌―適塾の夕べ―
第三回適塾講座
幕末期大坂の代表的な私塾の動向と、適塾を取り巻く学問的思想的環境
について
大坂における武士の活動と交流について
将軍家定の死に際しての鳴物停止令の出方から、大坂周辺の領主のあ
り方をさぐる
―将軍家定死去時の「慎み」関係触を例に―
適塾記念講演会―緒方
洪庵生誕二〇〇周年記
洪庵の学問を育んだ心
洪庵先生と大坂
多田羅浩三
脇田 修
洪庵の医の心と弟子達について
近世大坂の世相と、大坂における洪庵の活動
寄稿
志士時代の橋本左内(二)
前川正名
―志士時代前期の漢詩を中心として(下)・橋
本左内漢詩研究(八)―
緒方洪庵訳「人身窮理小解」写本の相違点につい 橋本孝成
志士時代の漢詩考察の続編
土佐の適塾生・石田英吉
―その入門年次と生涯―
西山勝仁
土佐出身の適塾生石田英吉(伊吹敬良)について
適適は 豈唯に風月のみならんや 福澤諭吉
合山林太郎
福澤諭吉書軸の紹介
適塾記念会の歩み(その38)
大阪大学適塾記念センターの設立について
木下タロウ
廣川和花
巻頭言 無意の人乃ち如意の人
平野俊夫
無心のこころで打ち込むことの素晴らしさと、適塾から大阪大学に受け継
がれる精神について
洪庵・適塾と蘭書
廣川和花
蘭書の展示を通じて、オランダ語書籍の持つ歴史的意義と役割について
考える
日本の近代化と法の役割
中尾敏充
明治以後の法律制度の整備について特徴的なものを紹介し、日本が西
欧型近代法を継受することができた理由を考察する
写本の多い「人身究理学小解」の比較を通してその系統をさぐる
門下生情報
適塾をめぐる詩と書 第一
回
適塾記念会の歩み
第45号 2012.12.1
適塾特別展示
洪庵忌―適塾の夕べ―
―西欧型近代法の主体的・選択的・変容的継受
の前提―
X線で見る複雑な蛋白質複合体の構造とそのはた
月原冨武
らき
蛋白質の構造と、その働きの仕組みについて
第四回適塾講座
第四回適塾講座の記録
明治期の大阪高等工業学校と大阪経済
戦間期の大阪高等工業学校・大阪工業学校・大
阪帝国大学工学部と大阪経済
戦時期の大阪帝国大学工学部・理学部と大阪経
済
澤井 実
澤井 実
環境政策最前線
大久保規子
澤井 実
澤井 実
明治期の大阪高等工業学校の展開と大阪経済の関わりについて
戦間期における高等工業教育にたいする需要の高度化と、大阪高等工
業学校および大阪工業大学の組織的変遷
科学技術動員下の状況において大阪帝国大学が示した動向と、戦時統
制経済の進展について
適塾記念講演会
―グリーンアクセスとは何か―
環境政策における日本の先駆的取組と、グローバルスタンダードからみ
た課題
整形外科の歴史と、近年の大阪大学整形外科における基礎研究・臨床研
究の成果
整形外科の歴史と最先端治療
吉川秀樹
第一回(平成二三年度)適塾見学会の記録
村田路人・橋本孝成 適塾見学会の実施記録
渡辺卯三郎の科学技術への関心について
志士時代の橋本左内(三)
―志士時代後期の漢詩を中心として・橋本左
内漢詩研究(九)―
福田舞子
前川正名
渡辺卯三郎が関心を示した科学技術領域について
安政五年以後の漢詩を通じ、同時期の左内の内面をさぐる
周防国都濃郡下松町飯田家文書七点の紹介
村田路人
飯田マツノ氏寄贈の飯田家文書のうち、幕末維新期の飯田家に関わるも
の七点を翻刻・紹介
西山勝仁
適塾門下生内山成庵、千原英舜、千原貫一、千原己三郎、大村達吉、中
川善継、井上碩平、竹田祐伯の事蹟紹介
懺雨 迷雲 劫後の天 緒方拙斎
合山林太郎
緒方拙斎書軸の紹介
適塾記念会の歩み(その39)
木下タロウ
適塾記念センターの歩み(その1)
廣川和花
第一回適塾見学会
論考
史料紹介
―適塾生飯田柔平関係文書その他―
門下生情報
洪庵門下生について
―知られざる八人の番外生―
適塾をめぐる詩と書 第二
回
適塾記念会の歩み
適塾記念会と適塾記念セ
ンター
第46号 2013.12.1
巻頭言 継承すべき「適塾の精神」とは、何であろ
大久保昌一
うか
適塾から継承すべき「科学的思考」「ヒューマニズム」「リベラリズム」につ
いて
適塾の展示リニューアルについて
廣川和花
適塾創設175周年・洪庵没後150年にあたり、33年ぶりに適塾の展示見直
しを図った
社会学の立場から正義を考える
友枝敏雄
記憶固定のしくみ
小倉明彦
適塾特別展示
洪庵忌―適塾の夕べ―
現代社会における正義と幸福とはなにか、社会学の立場から考える
記憶の成立に重要な学習や訓練の繰り返しが、細胞レベルで何を起こし
ているか、細胞神経の分析から明示
―記憶研究のパラダイム転換を目指して―
第五回適塾講座
第五回適塾講座の記録
澤井 実
病院での臨床教育と医学の長期的な転換
鈴木晃仁
Hygieneと衛生
永島 剛
病院での医学教育の歴史が西洋の医学にもたらした、長期的・広域・構
造的な変動について
ヨーロッパにおける公衆衛生の歴史と、明治期の日本における伝染病の
流行状況から、長与専斎が「衛生」という語を考案するに至った過程を考
―長与専斎のみた欧米と日本
日本の工業化・都市化・結核
花島誠人・友部謙一
経済的発展のなかで女工の結核死亡率が持つ意味と、結核の蔓延にお
いて大阪が担った役割について考察
―再考「女工と結核」―
適塾記念講演会
新蘭学事始
松野明久
―今、オランダに学ぶこと
シーボルト・コレクションの歴史的意義と適塾の役
塚原東吾
割
シーボルト像の転換と、史料の新たな「使い
オランダ社会の現状と、今の時代にオランダに学ぶことの可能性について
近年の研究動向にみられるシーボルトへの再評価を通じて、適塾の歴史
的役割の新解釈について考察
適塾記念センターシンポ
ジウム
記録 「鎖国」のベールの裏側で
古谷大輔
ケンペルの時代の日本、ケンペルの事績とヨーロッパでの受容、オランダ
貿易の実態、の各側面を論じ、江戸期の日欧交流のあり方を立体的に提
―ケンペルとその時代の日欧交流の実態にせ
まる
第二回適塾見学会
第二回(平成二四年度)適塾見学会の記録
村田路人・福田舞子 適塾見学会の実施記録
志士時代の橋本左内(四)
前川正名
橋本左内が安政五年十月から翌六年十月の謹慎期間中に詠んだ漢詩に
ついて
謹慎期の漢詩を中心として(一)・橋本左内漢
詩研究(十)
「適々斎塾姓名録」の調査について
緒方道平の生誕地
緒方医学化学研究所からの寄贈資料について
二宮美鈴
中山 薫
廣川和花
日本学士院所蔵の適々斎塾姓名録の調査記録
独笑軒塾の塾生・緒方道平の生誕地について
緒方医学化学研究所からの資料寄贈の経緯、および特に重要な資料を
梅谷家関係史料の紹介
福田舞子
梅谷進氏寄贈の梅谷家文書から、梅谷佐門・慊堂兄弟の医学修行に関
するものを翻刻・紹介
事に臨んで為すこと無きは賤丈夫なり 篠崎小
合山林太郎
篠崎小竹書軸の紹介
適塾記念会の歩み(その40)
適塾記念センターの歩み(その2)
木下タロウ
廣川和花
史料紹介・調査報告
門下生情報
―適塾生 梅谷佐門の大坂における医学修行
を中心に―
適塾をめぐる詩と書 第三
回
適塾記念会と適塾記念セ
ンター
第47 号2014 .12.1
歴史における周縁と共生 巻頭言 改修と地層
―大阪大学適塾記念センターのめざすもの
適塾特別展示
永田 靖
緒方洪庵・適塾と近世大坂の学知
廣川和花
平成の改修
廣川和花
適塾耐震改修工事の完了と、文化の実践としての「改修」について
緒方洪庵没後150年および適塾創設175周年を記念し、大阪大学総合学
術博物館第六回特別展示として行われた「緒方洪庵・適塾と近世大坂の
学知」の概要と展示資料の紹介
適塾の耐震改修工事「平成の改修」完了を記念して行われた特別展につ
いて紹介
―歴史遺産を未来へ―
適塾耐震改修工事
適塾の平成の耐震改修に至る道
江口太郎
基礎医学研究からアカデミア発創薬へ
米田悦啓
近代日本の研究開発体制
澤井 実
第六回適塾講座の記録
澤井 実
スイスの病院史
ピエール=イヴ・ドンゼ
平成25年10月から翌26年3月に行われた適塾「平成の改修」着工に至る
経緯について
洪庵忌―適塾の夕べ―
基礎医学研究の重要性と、アカデミアにおける「創薬」の可能性について
1910年代以降約半世紀に及ぶ長期的視野からみた近代日本の研究開
発体制の特質について
第六回適塾講座
19世紀後半から20世紀前半にかけての欧米における医療の近代化につ
いて、経営史の視点から分析
戦後の外資系製薬企業
―日本事業の展開プロセス
日本からみた一九八〇年代以降の世界ワクチン
産業の衰退と再生
竹内 竜介
外資系企業の日本における取り組みについて、医師の社会的ネットワー
クとの連携に注目して考察
ジュリア・ヨング
フランスとアメリカのワクチン産業の歴史的発展に焦点を当て、日本の状
況との比較研究を行う
岡美穂子
京都や大坂でのキリシタンの動向を中心に、日本におけるキリスト教の受
容と変化について考察
適塾記念講演会
大坂・京都のキリシタン
―受容における特徴から―
緒方洪庵の薬箱由来生薬の本草学的意義と東西
髙橋京子
融合医療
医療文化財としての緒方洪庵の薬箱がもつ学術的意義について、本草学
の視座から検証、考察
第三回適塾見学会
第三回(平成二五年度)適塾見学会の記録
村田路人・福田舞子 適塾見学会の実施記録
蘭学と洋風画
―石川大浪をめぐって
勝盛典子
石川大浪の事蹟を通じて、蘭学と洋風画との関係について検証
ロシア使節プチャーチンの来航と大坂・下田
西澤美穂子
クリミア戦争の危機について、ロシア船来航という事例を通じて、当時の
日本がおかれていた状況を提示
特別展ミュージアムレク
チャー
書評
『種痘伝来 日本の〈開国〉と知の国際ネットワー
ク』
『歴史における周縁と共生 女性・穢れ・衛生』
鈴木晃仁
廣川和花
アン・ジャネッタ著 廣川和花・木曾明子『種痘伝来 日本の〈開国〉と知の
国際ネットワーク』の紹介と書評
鈴木則子編『歴史における周縁と共生 女性・穢れ・衛生』の紹介と書評
史料紹介・調査報告
新収の村上代三郎関係資料について
志士時代の橋本左内(五)
福田舞子・二宮美鈴 新たに寄贈された村上家ゆかりの書状二点についての調査記録
橋本左内が安政五年十月から翌六年十月の謹慎期間中に詠んだ漢詩に
前川正名
ついて
謹慎期の漢詩を中心として(二)・橋本左内漢
詩研究(十一)
適塾をめぐる詩と書 第四
回
酒を江湖に戒むるは 事 之有り 長与専斎
合山林太郎
適塾記念会の歩み(その41)
適塾記念センターの歩み(その3)
木下タロウ
廣川和花
適塾記念会と適塾記念セ
ンター
長与専斎書軸の紹介