(2016—05) 21 世紀情報文化研究センタ・ファイル 想定外演出技術を憂う ―「技術倫理」研究啓発者の悩み― 21 世紀情報文化研究センタ 笠原正雄 1 まえがき 本ファイル資料(Memorandum for File at 21st ICRC)は “急速に発達する技術(テクノロジー)註 1 を真に人類の福利の向上 に結びつけるため、今、私達はどう努力すればよいか“ という問題を考察するプロセスで見えてきた我国の技術の一側面を まとめたものである。日本工学アカデミーの諸賢各位にご高覧賜わ り貴重なコメント、アドバイスを賜りたく衷心よりお願いする次第 である[1]。 註1 本稿で使用する技術の意味について 明治初期、哲学者西周(にしあまね)は外来語 mechanical art と liberal art に対して、それぞれ mechanical art ⇔ 技術 liberal art ⇔ 芸術 という訳語を与えている。 西は前者に対しては機械の術、後者に対しては上品の術と訳して 1 も良いとした上で、それぞれに技術、芸術という訳語を与えている。 西はさらに“技は支体を労するの字義なれば、総じて身体を働かす 大工の如きもの是なり”(この項 1976 年小学館発行『日本国語大辞 典、第 5 巻 p569 より引用)と述べていることから“技術”という言 葉が本来意味する内容を正しく理解できよう。 しかし我国において非常に不幸であったことに、後年、technology という用語が、技術と訳され使われ始めたのである。我が国工学の 世界に於いて痛恨の極みであった。 技術という訳語を介して、今も続く悲劇 technology ≅ mechanical art と理解されるという大きなボタンのかけ違い、いつ改められるので あろうか。 私は 30 年近くこの問題を訴えつづけているが、全く通じないとい うのが実感である、関係者の早急の対応が必要と思われる。 因みに私は電気・通信・電子・情報関係学会で、 「技術倫理」をテ ーマにした講演の機会を数多く与えていただいたが、 “技術”という 用語を使うたびに、会場の皆さんは私の使う“技術”の意味を理解 して下さっているかどうか、全く不安であった。このため、しばし ば講演を始める直前に時間的余裕があれば、アンケート用紙を配り 「あなたの理解されている”技術“という言葉の意味を 100 字未満 でまとめて下さい」 とお願いし回収したのであったが、その回答は 100 点満点で平均点 は高々10 点未満という印象、しかも白紙回答(深く考えていなかっ たので回答はムリとの記述を含む)多数という惨憺たる状況であっ た。一般市民対象のアンケートではないことに注意していただきた い。技術倫理関係の講演会に足を運んで下さっている方々にしてこ のレベルなのである。技術とは?という基本的な質問に全く窮して 答えられないのである。 2 技術についての詳細な説明は紙幅の関係で割愛させていただき、 ここでは以下の要約にとどめたい。 technology は psychology(心理学)zoology(動物学)等々と同様、 学を伴ってせめて真理発見学、術学、技術学……などと訳されるか あるいはテレビ、ラジオなどと同様外来語テクノロジーとしてその まゝ使用されるべきであった。 本稿で使用している技術の意味は、全てテクノロジーと解釈して 下さることを切にお願いしたい。 文献 [1]笠原正雄: 「“技術”対“テクノロジー” 」―基礎・境界分野の将来 を考える―, 特別寄稿, Fundamentals Review Vol.1 No.4 pp.4~16 (2007—04). (本文献は Fundamentals Review Vol.1 No.4 として自由にアク セスすることが可能です https://www.jstage.jst.go.jp/article/essfr/1/4/1_4_4_4/_pdf ) (註 1 終わり) 2 私の目にとまった 3 つの想定外演出技術 本章では過去 20 年の間に私の目にとまった大きな事故・災害のう ち、事後“想定外”という言葉が言い訳のように連呼された事故・ 災害について以下に解説してみたい。 2A 出し平ダム事故(1991~1995) (I)事故の概要 3 1985 年:電源開発のためのダム建設により、黒部川流域の川砂が富 山湾沿いの浜辺に運ばれずダム建設時には想定外であっ た白砂青松の砂浜の減少が目立つようになり、川砂の排出 が喫緊のテーマとなった。土砂排出のため「出し平ダム」 が“救世主“として清流黒部川に誕生する。 1991 年:完成した出し平ダムには想定外の大量の落ち葉が降り注ぎ、 これまた想定外だったと思われるダム水温の高さにより 霞が関ビルー千倍分ものヘドロが短期間にダムに堆積。 “救世主”は“ヘドロ発生ダム”に変身する。全て“想定 外“のことであった。 ヘドロの堆積が危険な状況になったため同年 12 月清流黒部 川に津波を思わせる真っ黒なヘドロを三日三晩にわたって放 流。黒部川は大量のヘドロを含んで真っ黒に変色、富山湾は茶 褐色に染まり、大きな漁業被害ワカメ栽培被害。 ヘドロ放出を中止。この悲惨な状況は新聞に大きく報じられ、 NHK『クローズアップ現代』でも取り上げられ放映される。 1995 年:ヘドロ放出を断念した 4 年後の 1995 年 7 月、出し平ダム 上流に記録的集中豪雨。ダム湖のヘドロを含んだ汚水が一 気に溢れ出て、下流域は大洪水の惨状を呈す。ヘリコプタ ーによる懸命の救出作業が展開されるという騒ぎになる。 富山湾に再び大きな漁業被害ワカメ栽培被害。 (II)この事故後の私の行動 1991 年 12 月「出し平ダム事故」についての新聞報道及び NHK 番組『クローズアップ現代』において放映された事故の実態に強い 衝撃を受けた私は電子情報通信学会「情報通信倫理研究専門委員会」、 米国電気電子学会(IEEE) 「技術と社会の関わりソサイエティ(SIT)」 主催の講演会、シンポジウム等で技術倫理についての啓発活動を前 向きの姿勢で極めて積極的に展開した。そしてこの啓発活動を踏ま えて中央職業能力開発協会から出版された自著『情報の道ひとの道 ―情報倫理を考える―』[2] において 4 予想だけで(あるいは予想すらなく)突き進む技術者の姿は極め て危険である。このことを強く認識すべきであると指摘。 自然に対する技術的支配の思想を確立したフランシス・ベーコン の(技術の世界での金言とされる)言葉: “自然は服従されることによってのみ征服される” を胸に刻むべきことを強く訴えた。2001 年という今から思えば比較 的早い時期に世に訴えたのである。 福島原発事故発生の 2011 年 3 月から丁度 10 年前の 2001 年 3 月 に出版されたこの『情報の道ひとの道―情報倫理を考える―』にお いて、技術倫理の思想を欠くために想定外の結果を生む我国特有の 技術とも言うべき“想定外演出技術”の危険性を強く訴えたのであ った。 電子情報通信学会基礎境界ソサイエティ(ソサイエティ会員数約 1 万人)、米国 IEEESIT ソサイエティで開催される技術倫理関連のシ ンポジウムあるいは講演会においても基礎境界ソサイエティ会長、 IEEESIT 東京支部長として “想定外演出技術”の危険性を何度と なく訴えていたにも拘らず、福島原発事故発生の直後、関係者の多 くから“想定外の事故だから仕方がない”とのセリフが繰り返され たのであった。 歳月の経過とともに出し平ダム事故の大きな要因の一つとなった 技術倫理の欠落への反省そして事故そのものへの関心の程度も薄れ ていくという状況にあるとの実感はぬぐえない。 文献 [2] 笠原正雄:『情報の道ひとの道―情報倫理を考える―』中央職業 能力開発協会(2001-03)。 5 2B 阪神・淡路大震災(1995 年 1 月 17 日マグニ チュード M7.3) (I)震災の概要 【概要】 1995 年 1 月 17 日(火)午前 5 時 46 分阪神淡路島で発生した直下型 大地震であって、マグニチュード 7.3 震度 7 は国内観測史上初めてと 言われている。震災関連の死者約 6 千 5 百人、住宅被害が約 64 万棟 (全壊約 10 万 5 千棟)に及んだ大災害であった。阪神高速道路は想 定外の地震の強さによって大きく破壊され、JR それに私鉄の線路も 大きなダメージを受けた。 (II)震災前の状況 ●公団の事前の想定 道路公団の営業用パンフレットに以下のことが述べられている。 ①阪神高速道路の構造物は南海大地震クラスに十分耐えられること。 ②50 キロ以内で発生する地震の規模を M6.5~M7.0 と想定している こと。 現実に起こった M7.3 の大地震は公団には“想定外”であり、大き な被害を受けた。50 キロ以内で発生する M7.0 以内という公団の想 定に対し、僅か 0.3 の差ではないかとの印象であるが、マグニチュー ドが対数尺度であることを考えるとエネルギーの差は想定値より 2.8 倍ほぼ 3 倍大きい地震ということになる。公団が示した地震エネ ルギーの想定が過小評 6 価であったことが被害を大きくしたことの要因の一つであったこと に疑う余地はない。 ●阪神・淡路大震災後、私の目に焼き付いた新聞報道の記事 当時私が購入していた毎日新聞紙上と思われるが、以下の記事が 強い印象で目に焼き付けられ、今も頭の中に残っている。 道路行政で想定される耐震性以上の耐震性を訴える学者の声 “予算のぶんどり方も知らない学者のたわごと“ として関係者から現実を見ない愚か者として退けられていた。 安全性・信頼性を重視する学者の声が無視されるという事態こそ が、 “想定外演出技術”が我国において連綿として誕生する大きな非 常に大きな理由の一つと考えられる。 私達はこの状況を何とかしなければならない。 (Ⅲ)この震災後の私の行動 古代ローマ時代シーザー父子に仕え現代においても広く知られて いる著名な建築家ウィトルー・ウィウスが、十分な論理的実践的考 察に基づいて発した金言ともいうべき警告: “建造物は堅固な土台の上に建てられるべし” に対し、阪神大震災における高速道路倒壊、ビル倒壊で繰り返され た言葉は、唯一 “予想を上まわる震度、仕方がない” 7 であった。古代ローマ時代を生き、今も世界に知られる著名建築家 の金言を守らなかったことへの反省、この歴史の波を越えて現代に 伝えられてきている金言を土木建築関係の研究者教育者が知識とし て身につけていなかったこと或いは看過したことへの反省は全く無 かったことを痛感し、歴史をかえりみず徒に“想定外”を連呼する 姿勢こそが次の想定外演出技術になることを電子情報通信学会「情 報倫理研究会」および米国電気電子学会(IEEE)「技術と社会の関 わり研究ソサイエティ」主催の多くの講演会シンポジウムで警告し た。 阪神・淡路大震災の発生時、私は電子情報通信学会(会員数 1995 年当時 4 万人、100 年に近い歴史を有する)から依頼を受けて下記 文献[3]を執筆中であった。この文献の脚註に注目すべき文章が(注 1) として以下のように述べられている。 (注1) 本稿執筆中の今、阪神大震災のニュースが終日テレビに 流れ、10 兆円に及ぶ被害の惨状が報じられている。10 兆円の 1%、 すなわち 1000 億円が“土木倫理”の確立のために産官学界に有効に 投資されていたならば、貴い人命の救済と投資額をはるかに上回る 被害額の縮小がなされたのではなかろうか。 この脚註の被引用の本文を参考のため下記に記述させていただこう。 情報通信字術の影の部分の大きさにたじろぐ私の心に、近世合理 主義哲学の父、デカルトの言葉が浮かび上がってくる。その言葉は、 彼の著書『哲学の原理』のフランス語版訳者にあてた手紙の中に見 い出される。 「哲学全体は一本の“木”である。その根は形而上学であり、幹は 自然学である。この幹から三つの主要な学問の枝が出ている。これ ら三つの学問は医学と機械学と道徳である。ここにいう道徳とは全 ての学問の完全な知識を前提し、いわば智恵の最期の段階である。」 デカルトは、「智恵の最期の段階としての道徳の枝からは、いつも 8 豊かな実りが与えられ続けられねばならない。」と現代の私達に語り かける。技術倫理、すなわちデカルトのいう(合理的)道徳こそ科 学技術の頂点に位置すべき最高のソフトウェアであり、最も利巧な 智恵でもあろう。人類の英知を全て傾け、産官学界が協力してその 確立に努めたとしても、経済的に十分に引き合う投資である。 文献 [3] 笠原正雄:“情報通信の倫理について―思想・ことば・記号の輪 廻の流れの中でとらえる―”電子情報通信学会誌 , pp.812~814, (1995—08)。 註2マグニチュードに関する注意 基本的に使われるのは気象庁マグニチュード Mj である。 Mj は震源と地震計の距離と振幅で地震のエネルギーを以下の式に従 って算出する。 Mj=logA+2.76logΔ‐2.48 (A は振幅、∆は地震計と震源の距離 (km)) しかし、この式では長い周期の揺れが考慮されないため巨大地震 (>M8)の場合正確に表現できない。 そこで気象庁は断層の大きさ、滑った量、速度、硬さから地震のエ ネルギーを算出するモーメントマグニチュード Mw を巨大地震の際 には気象庁マグニチュードと合わせて発表している。 気象庁マグニチュード Mj は地震発生直後の速報が可能なため Mj が 用いられているわけである。 この 2 つの計測法の切り替えでマグニチュードの発表値がずれる という事態が起こる。因みに 5 年前の東日本大震災では Mj7.9 ⇒ Mj8.4 ⇒ Mw8.8 ⇒ Mw9.0 9 と時間が経つにつれて非常に大きく変化している。今も強く記憶に 残るタイの有名保養地プーケットを襲って大津波を引き起こしたス マトラ島沖地震と肩を並べるような大地震が現実に起こったという 認識は、私達一般市民には東北地方太平洋沖地震直後には Mj7.9 と いう値によって全くなく、避難等の行動に大きな影響があったと思 われる。 二つのマグニチュードが併存し使用されているという事実、全く お恥ずかしいことであるが、私も本稿執筆中の 2016 年 3 月末日に初 めて知り得たのであった。 二つのマグニチュードが混在して使われているという事実を地震 国日本の私達国民の何%が知り得ているだろうか。日頃から必須の 知識として知っておくべきことではないだろうか。この実態を関係 者が認識しながら放置していたというのであれば関係当局の責任は 少なくないと思われる……。かなりの規模の地震の場合には “地震直後に気象庁の発表するマグニチュードは後ほど大きく上方 に訂正される可能性があります。その後の発表に厳重に注意して下 さい” というような形での国民への周知をマスコミだけに任せず国、地方 自治体が全力で取り組むべきと思われる。これによって沢山の貴い 人命が救われることであろう。 (註2終わり) 2C 東日本大震災(2011 年 3 月 11 日マグニチュー ド M9.0) 10 (I)震災の概要 関東大震災を引き起こした地震すなわち 1923 年 9 月 1 日関東地方 を襲ったマグニチュード 8.2 という巨大地震の規模を遥かに上回る マグニチュード 9.0 というメガ巨大地震すなわち東北地方太平洋沖 地震による大災害である。この地震の規模が如何に大きかったかは 1900 年以降世界で経験した地震の中でも 4 番目にランクされる大き な地震であったことからも明らかである。2004 年 12 月 26 日に起こ った M9.1 のスマトラ島沖地震以来の大地震が現実に我国を襲った のである。 地震の直後、関係者の口々から出た“想定外の”大津波による大 被害という悲惨な災害に加えて、痛恨の極みとも言うべき東京電力 福島原子力発電所の電源喪失により原子炉のメルトダウンという全 世界を震撼させた事故がこの地震の直後に起こったのである。地震 災害と原発災害、2 巨大災害の同時発生である。人類史上例を見ない 大災害であったと表現しても、決して過言ではないであろう。 東日本大震災は 多数の死者行方不明者(私の記憶する限り、原子炉メルトダウン による高度の放射能汚染が、津波発生直後の行方不明者の救援作 業を大きく妨げていた。痛恨の極みである) セシウム 137 と 134 の広域飛散(東北~関東、中部)による東日本 の放射能汚染 想定外の広さの浸水域(約 560km2(気象庁資料より)) というまさにダブルパンチの形での大災害をもたらしたのであった。 東北地方の多くの人々が地震と原発事故によって筆舌尽くし難い 苦痛を味わうこととなり、地震発生後の満 5 年以上を経た 2016 年 5 月現在も未だに原発被災者及び津波被災者が仮設住宅での苦難の生 11 活を強いられるという状況の中にある。この苦難に満ちた避難生活 は 5 年間を越えしかも未だ先が見えない状況が継続しているという。 一方全国に散在する受入避難先で永住を決意する人も少なからずあ って、放射能津波被災地の過疎化が進み、関係市町村の復興の大き な障害となっている。 福島原発事故による放射能被害は甚大で以下のような被害を与え ている。 放射能汚染による多数の被爆者の長期にわたる苦痛 農林水産業に少なくとも最初の二、三年壊滅的被害 放射能飛散による農林水産物に対する風評被害 被災市町村の過疎化の進展 災害後数年を経ても継続する苦難の避難生活 少なくとも 10 数兆円とも推定されている事故処理費用。この費用、 赤子も含めた国民一人あたりの負担額は 10 数万円となる。 (II)この震災後の私の行動 震災後丁度 3 年を迎えた平成 26 年 3 月、新潟大学に於いて開催さ れた「電子情報学会春の全国大会」で福島原発事故を反省するパネ ル討論会『福島原発事故の背景について考える』が企画され実施さ れた。同学会会長が司会者になるといういわば学会あげての目玉プ ログラムの一つとしてこのパネル討論会、 『福島原発事故の背景につ いて考える』が企画されたのである。 過去半世紀近く工学系技術の実践的且つ実用的物作りの世界に深 く身を置きつつ、同時に技術倫理の研究啓発にこの 30 有余年積極的 に携わってきた経験を踏まえて、このパネル討論会では私は人類 2500 年の技術(テクノロジィ)の歴史を振り返って、深く考察してみ ると 12 技術(テクノロジィ)=倫理 という解釈が十分な論理的思索に基づいて結論されることを具体的 且つ分かり易く説明した。3 人のパネラーの先生方および会場の皆様 に非常に前向きに理解していただいたという心強い印象であった。 (A)出し平ダム事故の原因、(B)阪神・淡路大震災および(C)東日本 大震災を過大にした原因の全ては技術倫理の思想を著しく欠く技術 者、工学分野の教育者研究者の側にあったことが明白である。 2D リニア中央新幹線問題 上記(A)~(C)の災害とリニア中央新幹線建設の問題を同列に論じ ることを奇異に感じる人が過半数、あるいはもしかすると圧倒的多 数であろう。また私のこの意見は、 “非常な変わり者”の考えとして 捉えられる恐れすらある。 本稿執筆中の平成 28 年 3 月 26 日現在「北海道新幹線開通」の明 るいニュースで沸き立っているという状況の中で「リニア中央新幹 線建設」に疑問を呈することは、このお祭り騒ぎに水を差すものと 冷ややかな目で見られる可能性もある。 しかしながら、歴史をしっかり振り返り、過去の失敗例を教訓に して反省し、時代の移り変わりの状況を深く深く洞察してみれば、 明白に(確率 0.5 ぐらいで)営業後僅か 23 年後の四半世紀にも満た ない 2050 年に “想定外の乗客数である!これではペイしない。想定外のことであ る” という事態に至ることが強く推測される。 すなわち 30 有余年に及ぶ技術倫理の研究・教育・啓発の経験を踏 まえると本稿における第 4 の想定外演出技術となることが、強く危 13 惧されるのである。私の大きな懸念は少なくとも 0.5 ぐらいの確率で 現実のこととなるであろう。 もしこのような事態になればその全ての責任はこの技術に関わっ た大学・企業の研究者技術者が技術倫理の思想を大きく欠落させて いることに帰せられよう。 なお、技術(テクノロジー)の歴史を深く、極めて深く振り返り、現 在の世の中の状況を可及的、深く洞察し、将来を可能な限り正確に 予測することは技術’(テクノロジー)に携わる人が備えるべき最重要 基本姿勢であることは論を俟(ま)たない。この姿勢が技術の世界全て のスタートラインにあることを強く認識すべきである。 技術全般の世界に技術倫理の思想のもと我が国が真に技術 立国として充分に堅固な基盤を構築することを技術関係研 究者、教育者、技術者各位に心の底からお願いする次第であ る。 私の技術倫理思想の啓発活動 1991 年の出し平ダム事故後「技術倫理」の大切さを一層強く痛感 し、工学系研究者技術者全てが「技術倫理」の思想を真に身に付け ることを大きな目標にしなければならないと考えた私は電子情報通 信学会、米国電気電子学会(IEEE)の「技術と社会の関わり研究ソサ イエティ SIT 東京支部」主催の講演会において「技術倫理」に関す る啓発活動を極めて積極的に展開した。 この 10 年間電子情報通信学会情報通信倫理研究専門委員会委員長、 IEEE SIT 東京支部長として行った研究・教育・啓発活動を踏まえて、 「技術倫理」について、抽象論を避け、具体的に非常に分かり易く 解説した成書: [2] 笠原正雄:『情報の道ひとの道―情報倫理を考える―』中央職業 能力開発協会(2001-03)。 [4] 笠原正雄:『情報技術の人間学―情報倫理へのプロローグ―』電 子情報通信学会(2007-03)。 14 を出版した。 前者については中央職業能力開発協会が我が国の幾つかの代表的 新聞の第一面に名刺大の広告を出して下さったが、売れ行きは全く 振るわず、ついに数年で絶版という憂き目にあっている。 後者については私が生活費の中から 70 万円と言う大金を捻出して、 我が国で発行されている代表的新聞の第一面に名刺大の広告を掲載 したのであったが、人間学、情報倫理というような書名が大きなバ リアとなったためか、数部が売れたか否かという結果で終わった。 (C)の東日本大震災に対する反省として企画された電子情報通信学 会春季全国大会特別企画パネル討論会「福島原発事故の背景につい て考える」においても災害後満 3 年を経過していたためか、結局は “この講演に耳を傾けるべき人が来聴していなかった。残念なこと であった” という空しい思いだけが残り、パネル討論会では講演者と聴衆が“お 互いに心の傷をなめ合う”と言う結果に終わったように思われる。 3、むすび 前章 2 で述べた(A)~(C)の災害によってもたらされたものそして (D)の現在進行形の問題が“想定外”の結果に終わった場合にもた らされるものは以下のようにまとめられよう (A) 「出し平ダム事故」による自然環境破壊、水産業被害等 (B) 「阪神・淡路大震災」による人的被害、建物被害、交通被害等 (C) 「東日本大震災」の津波による人的被害、建物被害、広域放射 能汚染による生活環境の破壊、避難生活による精神的苦痛、農林 水産業への風評被害等まさに二重、三重……の複合被害 (D) リニア中央新幹線が不幸にして、30 年にも満たない短期間に 15 営業停止の事態に至れば、延べ何十万、何百万人と言う貴重な労 働力と膨大な金銭投資が水泡に帰し、トンネル工事等に伴う広大 な山林山岳地帯の地下水脈の変化による恒久的な自然環境破壊が 残されるとともに、排出土砂土石輪送による生活環境破壊の歴史、 山紫水明の山岳地帯の地下に貫通する 500km 近いトンネルとが 空しく残されよう。 技術倫理への私の思いはここにあります 40 年に及ぶ学会を中心とする啓発活動に大きな限界を感 じた私は広く一般社会にこの問題の重要性を訴えることを 決断致しました。 学会解説論文あるいは教科書風記述では一般社会の 方々には大きなバリアになる可能性を危惧し、本稿 2D「リ ニア中央新幹線問題」の内容をいわば完全にバリアフリーな 文章『リニア中央新幹線、まともな話なの?』として本年 5 月、一般市民の方々が自由にアクセスできる形で (京都 工芸繊維大学時代(2000 年)) HP 上に公開致しました。 すなわち学会風という厚い扉を取り外し、いわば草花の咲 く自然の道から入って、肩を凝らさずに読んでいただくこと ができる文章を HP「洛中洛外落書」としてアップロードし ました。この HP はスマホ等で、単に笠原正雄 HP としてア クセスしていただいた上で、そのトップページから HP「洛 中洛外落書」にアクセスしてお読みいただくことができま す。すなわち単に笠原正雄 HP と入力していただくとお読み いただくことができます。文章を童話風に記述し、親しみや すい表現に努めています[5]。 日本工学アカデミー会員諸賢特に高速鉄道に関わる広い 工学分野にかかわる分野の研究・技術・開発に携わっていら っしゃる会員各位にご高覧賜わり忌憚なきコメント賜わり ますよう切にお願い申し上げます。 16 笠原 正雄(名誉員:フェロー) 昭和 40 年阪大博士課程了。阪大助手、講師、助教授、教授(併任)、 昭和 62 年京都工繊大教授。平成 12 京都工繊大名誉教授。平成 24 年 大阪学院大学名誉教授、早稲田大学理工学研究所招聘研究員歴任、 中央大学研究開発機構教授歴任。符号・ 暗号理論、情報倫理の研究に従事。昭和 42 年電子情報通信学会稲田賞、昭和 62 年電子情報通信学会著述賞、平成 5 年度 電子情報通信学会小林記念特別賞、平成 16 年度電子情報通信学会功績賞等受賞、 電子情報通信学会名誉員、IEEE ライフ フェロー、著書「情報技術の人間学」な ど。趣味:コーラス、水泳。 文献 [1] 笠原正雄:「 “技術”対“テクノロジー” 」―基礎・境界分野の将 来を考える―, 特別寄稿, Fundamentals Review Vol.1 No.4 pp.4~16 (2007—04)。 [2] 笠原正雄:『情報の道ひとの道―情報倫理を考える―』中央職業 能力開発協会(2001—03)。 [3] 笠原正雄:“情報通信の倫理について―思想・ことば・記号の輪 廻の流れの中でとらえる―”電子情報通信学会誌 , pp.812~814, (1995—08)。 [4] 笠原正雄:『情報技術の人間学―情報倫理へのプロローグ―』電 子情報通信学会(2007—03)。 [5] 笠原正雄:“リニア中央新幹線、まともな話なの?”洛中洛外落 書大学(2016—05)。 追記:熊本県を中心とする大地震群発の悲報に、今、 17 接して 本稿を脱稿した直後の 2016 年 4 月 14 日午後 9 時 26 分熊本県益 城町で震度 7 マグニチュード 6.5 の大地震が発生し、その後余震と思 われる強い揺れの群発地震が続きました。これら一連の地震の“本 震”とされる震度 7 マグニチュード 7.3 が熊本県南阿蘇村で記録され るという大地震が発生致しました。 マグニチュード 7.3 という大きさは私が実際に体験した凄まじい ばかりに強く、終生忘れることのできない兵庫県南部地震の大きさ と全く同じです。この意味ではマグニチュードを尺度とする限り“ウ リ二つの大地震”と呼ぶことができるでしょう。 今回の熊本地震の大きな特徴の一つは、新聞紙上で見た談話すな わち毎日新聞夕刊 4 月 16 日(土)紙上の気象庁青木地震津波監視課 長さんの談話: “広域的に続けて地震が発生したケースは近代観測が始まって以降 は思い浮かばない” に表されているでしょう。思い浮かばない事態ということは現在ま でに地震に関わる研究分野では“想定外”のことであったと考えて も無理はないでしょう。 実際 4 月 14 日以降大きな地震が相次ぎ 4 月 25 日午前現在下表に 示すような群発地震が起こっています。 表:4 月 25 日までに観測された震度とその回数 震度 回数 7 2 6強 2 18 6弱 5強 5弱 4 3 3 7 76 この大地震と群発地震による被害の状況は 4 月 20 日正午現在死者 47 名、行方不明者 3 名とされ、また避難者の数は当初 12 万名に及 んだと報じられています。(2016 年 4 月 30 日 21 時には死者 49 名、 行方不明者 1 名、避難者 2 万 6 千名、2016 年 5 月 8 日現在では避難 者 1 万 4000 人余りとなっています) 熊本県を中心に家屋倒壊土砂崩れについての生々しい状況もテレ ビ等で連日報じられています。本稿で阪神淡路大震災、東日本大震 災についての記事を脱稿した直後、数日もおかずに起こった熊本地 震とその災害、私は悲しみに打ちひしがれています。 熊本地震により貴い生命を失われた方々に深く哀悼の意を表しま す。残されたご遺族の皆様に衷心よりお見舞い申し上げます。 一刻も早く復興への道が切り拓かれますことを心より願い、祈り を捧げます。 私達国民一人ひとりが強い衝撃でこの大地震がもたらした悲劇の 数々を悲しい思いで目の当たりにした今こそ、我が国の宿命ともい うべき大地震に対する備えを心しなければならないでしょう。 熊本地震についてのニュースが新聞、ラジオ、テレビ等で連日の ように報じられている今、私が強く思うことを以下に述べてみたい と思います。 直下型地震の恐ろしさを考える マグニチュード 7.3 を記録した地震が 16 日午前 1 時 25 分熊本地 方を襲い熊本県南阿蘇村、熊本市で震度 7 が観測されました。 一方、阪神・淡路島に大災害をもたらした兵庫県南部地震のエネ 19 ルギーは熊本地震と全く同じ大きさのマグニチュード 7.3 でしたが、 この地震は 1995 年 1 月 17 日午前 5 時 46 分に発生しています。 兵庫県南部地震が起こったのは真冬の大寒の頃の早朝 6 時前のこ とであったために食事の準備、あるいは暖をとるための石油ストー ブ等の使用があったことが幾多の貴い人命、数千名に及ぶ貴い生命 を奪った大火災の原因の一つとなったと考えられています。これに 対し熊本地震の場合は「春分の日」を過ぎてほぼ 1 ヶ月という比較 的暖かい時期であったこと、そして午前 1 時 30 分頃ということで朝 食のための火気器具の使用が少なく阪神淡路島災害に比べると火事 による被害は少なかったのではと思われます。 熊本地震と兵庫県南部地震に共通することは、共に早朝に発生し、 朝夕のラッシュ時ではなかったことが道路上あるいは鉄道上での人 的被害を少なくしたことでしょう。 熊本の場合も、勿論、大都市でありますが、兵庫県南部地震で非 常に大きな人的被害、建物被害、交通被害等を受けた神戸市は人口 約 150 万のいわば過密都市であったこと、そしてそれ故に家屋が密 集し道幅も狭く消火活動がスムーズに行われなかったことが被害状 況において両者に大きな差を生じていると判断致します。 さて、首都直下型地震に襲われた時の被害予想を度々耳にします が、私はその都度 “過小評価ではないのか……?” という不安な思いを強くします。危惧の念はマグニチュード 7.3 とい ういわば地震エネルギーの点ではウリ二つの大地震であっても都市 型か過密都市型かによって差が生じ得るという事実を目の当たりに した今、この思いをより一層強くします。 我国の中枢首都圏に不幸にして二つの地震と同じマグニチュード 20 7.3 の直下型地震が起こった場合、人口 900 万の東京都は緑地等が他 都市に比べ遥かに恵まれているように感じますが、全体としては超 過密都市という印象はぬぐえないと思います。 また通勤通学時の JR、 地下鉄の混雑ぶりは凄まじいばかりです。超高層ビルの林立、そし て縦横に走る沢山の高速道路、その上を走る車輛の多さを見る度に、 コンクリート、鉄筋等々の経年変化による耐震性の低下などは十分 に考慮されているのだろうかと(技術の世界を半世紀近く歩んでき た私、阪神・淡路大震災の筆舌尽くし難い惨状を目の当たりにした 私は)非常に不安になります。とても心配です。 東京都防災会議地震部会(部会長:平田直 東京大学地震研究所 教授)によってまとめられた 200 ページに近い 『首都直下地震等による東京の被害想定―概要版―』 を読ませていただくと非常に細かく検討されている印象でほんの少 し安堵の心境です。しかしそれでも想定マグニチュードがごく最近 に起こった 1995 年の兵庫県南部地震および本年、2016 年の熊本地 震のそれらと同じ 7.3 であることによって、想定値 7.3 が果たして十 分に安堵し得る値なのかという疑問の思いを強く抱かざるを得ない でしょう。 想定マグニチュードを少なくとも 8.0 とした場合の被害想定も同 時に行って、こういった大地震に備えた対策はなるべく安全側にと ることが望まれると思います。上記報告書 p.11 に記載されている元 禄関東地震(マグニチュード 8.2)の例がある限り、このマグニチュ ード 8.0 もまた決して安心できる想定値ではないことも明らかでし ょう。 直下型地震によって建物の被害は東日本大震災の場合とは比較に ならないほどの惨状となるでしょう。 実現可能な地震への安心安全対策についての特効薬は以下のこと 21 を強力に進めるしかないという考えを述べさせていただき本稿の追 記のまとめとさせていただきます。 ハードウェアによる安全対策は もはや限界! ソフトウェアによる安全対策の 優先を! 東京都が想定する 7.3 は十分ではないという思いを払拭すること は到底できませんが、仮に熊本地震、兵庫県南部地震と同じマグニ チュード 7.3 の地震が起こったとして、2016 年 4 月 21 日現在、新 聞テレビ等で報道されている熊本県の状況と 2011 年 3 月 11 日東北 地方太平洋沖地震発生時に首都圏で帰宅困難者の数が約 500 万人の 多きを数えたことを考えてみますと首都直下型地震の場合は帰宅困 難者を含めると避難者の数は少なくとも 600 万~800 万人程度とな るでしょう。熊本地震の場合避難者は市の指定した場所つまり市が 想定した以外の場所にある建物の中、駐車場等で夜を過ごされてい る状況です。一方、強い地震が群発したことによって 30 パーセント 近い市の指定避難場所が使用不能になったと報告されています。こ れらの想定外の場所で救援を待つ避難者の方々に食料、水、薬品等々 の人命にとって貴重な品々が無事速やかに行き渡るか非常に不安に なります。 熊本地震と同じように 2 回以上の震度 7 の地震を含めて震度 4 以 上の群発地震を伴うような首都直下型地震が、不幸にして起これば 建物の被害、電柱の倒壊、林立する自販機等の散乱などで生活道路 はまひするでしょう。都内には、避難者、帰宅困難者、外国人観光 客等々が溢れると共に都指定の避難先も熊本地震の経験により非常 に大きなダメージを受けることが明らかでしょう。 兵庫県南部地震の際、震源地から約 70km の位置にある我が家の 洋間に置いてあった大きなグランドピアノが跳ね上がって、20 セン チ程移動していたことを考えても色々の物が道路上に散乱し、消火 活動だけではなく人々の移動を大きく妨げるでしょう。 22 加えて熊本地震で起こっているように頼みの高速道路網、頼みの 鉄道網が一週間、二週間単位で寸断され得ることを考えますと ・家屋の耐震化の促進 ・高速道路、鉄道の耐震化の促進 ・コンクリート、鉄筋の経年変化そして金属疲労等々を考慮し て高層建築物を含む 3 階以上の 建物の耐震性の一層の強化 ・ガス、水道、電気等の生活インフラの抜本的耐震強化 ・地震に危険と思われる生活道路の環境改善 等々を早急に急ぐことが望まれるでしょう。 ……しかし、こういった地震に備えてのハードウェア面での強化 は必ずしも十分な効果が期待できないのではないかと考えます。 まず最初のステップは技術の世界での金言: Nature obeyed and conquered(自然は服従されて初めて征服される ことを許す) を心すべきでしょう。自然とは何か。このことを私達はしっかり理 解し技術に向う姿勢の第 1 ページに記しておかねばならないでしょ う。しかし、この姿勢あるいは“思想”が日本の技術の世界では全 く欠けているのです。抜け落ちているのです。 このことこそが日本の技術の世界の最大のウィークポイントであ ると言えるでしょう。 非常に注意すべきことは以下のことでしょう。今から 70 年前のこ とですが、我国のノーベル賞第一号受賞者となった湯川博士が昭和 20 年 10 月発行の科学朝日に掲載された「新生の科学日本に寄せる」 23 の記事: “我が国においては”思想“という言葉自体が、空理・空論に走り 科学の発展をむしろ妨げるものとして理解される傾向にある” に真剣に目を向け、耳を傾けねばならないと思います。 因みに湯川博士はこの後、以下のように述べていらっしゃいます。 “我が国の科学者の多くは専門分野に閉じこもるのみで、自然、人 事全般を論じる能力、哲学的素養が著しく欠如している” 湯川博士のこの言葉は、勿論、プラトンやアリストテレスの著書 を勉強しなさいとおっしゃっているわけでは全くなく、貴方自身が 専門分野に深く深く没入し、一つの真理を発見したならば、その瞬 間、必ず自然、人事全般が鮮やかに見えてくるはずである。このこ とを深く考えなさい、 “普段着の哲学”を身につけなさい、生きた哲 学の心を持ちなさいとおっしゃっていると思います。 ハードウェアによる一時しのぎの耐震化作業による成果も結局は 金属疲労、経年変化等によって 10 年、20 年単位で当然劣化し、次 に襲い来る大地震に耐えられなくなるでしょう。 大自然に対しハードウェア的対策で安堵しようとする姿勢は湯川 博士が指摘された“思想”の欠如を示す姿勢と言えるでしょう。 私達が自然を知ることもなく一方的に定めた想定値のもとに、ハ ードウェア的な地震対策を考えることの大きな限界を、今、強く悟 らねばならないと思います。 かわってソフトウェア面からの抜本的対策を急ぐことが必然のこ とでしょう。この観点に立ちますと現政権によって中央省庁の地方 移転策の第 1 ステップとして 24 “文化庁の京都市への移転” が決定されたことは非常に歓迎すべきことと思います。京都市の他 にも徳島県、和歌山県、大阪府への中央省庁の移転が検討されてい るとか、歓迎すべきことと思います。大きな希望の光が見えてきま す。一極集中態勢の緩和、そして同時に過疎化対策に四苦八苦する 地方自治体を非常に勇気づけることでしょう。 心を静めて歴史を振り返ってみましょう。明治 6 年(1873 年)に は和歌山市、徳島市は全国の中でトップ 10 に入る堂々たる大都市で ありました。それが現在、これらの都市は、私の知る限りではトッ プ 60 にも入っていないという惨めな状況です。 太平洋戦争前、著名国立大学は北海道(札幌) 、東北(仙台) 、関 東(東京では三校)、中部(名古屋)、近畿(京都、大阪)、九州(福 岡)と比較的均一に分散していました。 昭和初期の都市人口の分布を見ますと驚くべきことに昭和 5 年 (1930 年)には大阪市が人口約 250 万人で全国 1 位、東京は人口約 200 万人で 2 位でありました。(出典: http://www.geocities.jp/kingo_chuunagon/kikaku/japan_city_pop. html) 北海道、本州、四国、九州合わせても約 37 万平方キロメートルと いう小さな国土ではありますが、その領域は亜寒帯から亜熱帯に拡 がり自然美豊かな国土にさまざまな動物が生息し、多種多様な植物 が繁茂する山紫水明の国として世界の国々からせん望のまなざしで 見られている日本の国土を保全し、全国民の福利向上のためにこの 国土をより有効に均一に利用するための努力を早急且つ全力をあげ てするべきでしょう。このことによって我が国はさらに魅力的且つ 力強い国になるでしょう。 25 このためにも東京だけでなく 2000 年の時点で東京に続く横浜、大 阪、名古屋等々の大都市の過密状況を早急に緩和させると同時に若 年人口が減少し過疎化が進む全国自治体の悩みを人口構成年齢層に 十分に配慮した上で解決すべく国が総力をあげて努力することが必 要でしょう。そしてまさにこのことこそが巨大地震そして地球温暖 化に伴うメガ台風の襲来、河川の氾濫等への最良の対策となるでし ょう。 この狭い国土を可能な限り有効に利用することを考える。このこ とこそが最良の大地震対策となるでしょう。 26
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