あとがき 本書で紹介した私の作品?町家の改修や、お寺の現代的な増築

あとがき
本書で紹介した私の作品?町家の改修や、お寺の現代的な増築など?を通じて、過去の歴史を捨て去る事なく、日本の
文化を発展させていくことは可能であるということを、読者の皆さんに知っていただくことができたのではないかと
思います。
私が改修に関わった多くの建物は築100年以上のものでしたが、それらの建物を今日のライフスタイルに適用させ
ることは、決して不可能ではないはずです。一見、現代の生活と合わなくなってしまったと思えるものでも、元々の
建物の水準や雰囲気を壊すことなく、歴史ある建築を現代人 の生活に合わせることができたと自負しています。それ
でもなお、克服するべき多くの障害はたくさん残っているのです。
そうした障害のひとつが、建築に対する日本人の姿勢でした 。そのことは、本書でも取り上げた、京都市岡崎の家
(近藤邸)で改修することができた例に見ることができます。この事例では、その主が生まれた築100年の家を施
主さんたちと建設会社が改修しようとすることさえ考慮しなかったのです。世界のどんな場所においても、このよう
な家を保存しようという話題が、少なくとも、施主と建築業者の最初の話し合いで浮上してこないということは、私
にとっては想像できないことです。
不幸なことに、こうした例は、政治的なレベルでも見られます。これを書いているちょうど1週間前、さきほどの例
と同じようなことを私は再び経験しました。改修して住めることができる古い町家を探していたニューヨーク出身の
お客さんからの連絡で、京都府園部町で取り壊される予定の家を一緒に見にいきました。私たちがその現場に到着す
ると、そこには道路を拡張するために、政府によって取り壊される予定の築200年以上の家がありました。私はそ
の現場を2時間ほどかけて見て回りました。その間、政府が拡げる必要があるといっているその道を通った車の数は、
たったの 10 台から 15 台ほどでした。
さらに、その界隈で取り壊されることになっているのは 、この築 200 年の古い家だけではありませんでした。同じ時
代にたてられたとなりの家はすでに取り壊されていました。1 日のうちのたった数時間、それもわずかな交通量の道を
広げるためだけに、こうした文化を破壊しようとしているのです。そこには「仕事のために仕事をつくる」以外にど
んな利益があるのでしょうか?
これと正反対の例は伊勢神宮の伝統です。伊勢神宮の社殿は 20 年おきに建て替えられています。その理由は、無限に
その建物を保存し、そのことによってその 中に吹き込まれる 文化を恒久化するためだと見受けられます。しかし、物
理的に解体し再建するということだけを見て、それが日本の建築文化だと間違って解釈している方もいます。私は、
建物に吹き込まれた本来の意味を読み取ることが、正しい日本の建築文化の保存だと理解しています。
日本のお役所によるこれらの 心無い決断がなくならない限り、日本の文化は消えていく一方になってしまうでしょう。
この本の中で私が話してきたことが、日本文化を保存するために奮闘している人たちの力となることができたなら幸
いです。
本書の出版にあたって、多くの方々にご支援をいただきました。
まず初めに、私がいつも最善が尽くせるように励まし支えて頂いた、槇文彦さんに多大な感謝の念を表したい。
また、建築家としての成長の年に私を支えてくださり、プロフェッショナルとしての振る舞い方を教えて頂いた、谷
口吉生さん、亀本ゲイリーさん(Gary)、中村義明さん、マーク・マリガンさん(Mark Mulligan)、神田駿さん、パトリ
ック・ガーシックさん(Patrick Gercik, MIT Japan Program)、平野健次さんにも感謝します。
そして、 いつも彼らのすばらしい腕前で新しい方法を考えてくれる私と働く職人さんたち:升田志郎さん、今別府義
人さん、本山浩史さん、庄谷啓さん、また、イエラボの小山薫堂さん、工作舎の米澤敬さん、小林博人・直美夫妻、
そして河添恵子さんとクリスティアン・オートンさん(Christian Orton)の大きな協力が背後にあったことを特に記し
ておきたい。
そして、強情な私を我慢しながらも、私に本書を書くよう勧めて頂いた祥伝社、難しい部分を手伝ってもらった事務
所のスタッフ、幸子さん、新吾さん、ジェフ(Jeff)、健太郎さんに対してもお礼を述べたいです。最後に、果てし
ないサポートをしてもらった私の家族と畑さん夫婦にも心からお礼を言いたいです。
ジェフリー・ムーサス