写真家・濱谷浩 - 世田谷美術館

プレスリリース(広報用資料)
生誕 100 年 写真家・濱谷浩
もし写真に言葉があるとしたら
Hiroshi Hamaya: Photographs 1930s-1960s
①《 稲 刈 り 》 最 上 、 山 形 、 19 5 5 年 / 第 3 章 「 裏 日 本 」 よ り
世田谷美術館
Setagaya Art Museum
www . s e t a ga ya a r t mus eum . or. j p
2015 年
9 月 19 日 [ 土 ]−11 月 15 日 [ 日 ]
◆広報に関するお問合せ:03−3415−6419
Hiroshi Hamaya: Photographs 1930s-1960s
生誕 100 年 写真家・濱谷浩
もし写真に言葉があるとしたら
展覧会概要
日本の現代写真史に深くその名を刻む写真
家・濱 谷 浩 ( 1 9 1 5-1 9 9 9 )。1 5 歳 で カ メ ラ
を手にして以来、生涯にわたり独自の写真哲
学 を 築 い て き た そ の 作 品 は 、対 象 に 寄 り 添 い
つ つ も 常 に 客 観 的 態 度 に 貫 か れ 、と き に 鋭 い
メッセ ー ジ を 私 た ちに投げかけます。
本展は 、 濱 谷 の 活 動前半期にあたる 1 9 3 0 年
代から 6 0 年 代 の 仕 事に注目し、全 5 章の構
成によって、その出発点から転換期までを辿
るもの で す 。早 く か ら日本の風土に目を向け、
民俗学的な視点から地方風俗を記録すること
に 力 を 傾 け た 濱 谷 は、 や が て 社 会 的 な 使 命 感
をもって、自らが対峙した現実を写真の力で
伝 え て い く こ と に 心 血 を 注 ぎ ま す 。そ の 後 、
グローバルな活動を展開することとなる濱谷
浩が、いかにしてその信念と姿勢を確立して
いった の か 、 ゆ る ぎない足跡を追います。
②《 苗 代 》 三 郷 、 新 潟 、 1 9 5 5 年
/ 第 3 章「裏日本」より
展覧会のみどころ
▶p o i n t 1 濱 谷浩の生誕 100 年、戦後 70 年 の 節 目 に 開 催 さ れ る 展 覧 会 で す 。
戦 前 か ら 戦 後 を 通 し て 活 動 し 、人 間 の あ り 方 を 見 つ め 続 け た 作 品 か ら 放 た れ る 問 い か け は 、今 こ の 時 代 を 生 き
る私 た ち に と っ て こそ鋭く新鮮で、幅広い世代 に 訴 え か け る も の で す 。
▶p o i n t 2 国 際的な再評価の機運が高まるな か で 企 画 さ れ た 、 没 後 初 の 大 規 模 個 展 で す 。
ア ジ ア 人 と し て 初 め て マ グ ナ ム・ フ ォ ト 寄 稿 写 真 家 と な り、 写 真 界 の ノ ー ベ ル 賞 と も い わ れ る ハ ッ セ ル ブ ラ ッ
ド国 際 写 真 賞 を 受 賞するなど、生前より海外で の 評 価 を 確 立 し て い た 濱 谷 浩 。 近 年 で は 2 0 1 3 年 に ア メ リ カ 、 ロ
サン ジ ェ ル ス の ゲ ティ美術館において山本悍右 と の 二 人 展 が 開 催 さ れ ま し た 。
かんす け
▶p o i n t 3 活 動前半期(1930 ~ 60 年代) の 代 表 作 が 揃 い ま す 。
濱谷 浩 が 写 真 家 と して独自の視点・姿勢を確立 さ せ て い く 過 程 を じ っ く り と 追 う こ と の で き る 貴 重 な 機会 で す 。
▶p o i n t 4 全 2 00 点のモノクローム作品と貴 重 な 資 料 類 を 併 せ て 展 示 し ま す 。
作品 発 表 当 時 の 掲 載誌や、自筆の日記などもご 覧 に な れ ま す 。
▶p o i n t 5 充 実の展覧会カタログも必見です 。
美し い ダ ブ ル ト ー ン印刷で、全展示作品を収め ま し た 。( 販 売 価 格 : 税 込 2 4 0 0 円 )。
展覧会
カタログ
展示構成 全5章(第1章∼第2章)
第1章
モダン東京―1 93 0 年代・モダン都市 東 京 の 諸 相
写 真 少 年 ・ 濱 谷 が 生 ま れ 育 っ た 上 野 界 隈・
浅 草 の 下 町 風 俗 や、勤 め 先 の オ リ エ ン タ ル
写 真 工 業 が 拠 点 を お く モ ダ ン シ テ ィ・銀 座
の 様 相 な ど 、 1 9 3 0 年代の東京を撮り歩い
た ス ナ ッ プ・シ ョ ッ ト。 写 真 を 撮 る こ と の
新 鮮 な 喜 び に 満 ち、旺 盛 な 実 験 精 神 を 垣 間
見 る こ と の で き る初期作品を紹介。
③《 オ フ ィ ス 街 》 丸 の 内 、 東 京 1 9 3 7 年
第2章
雪国―新潟・豪雪地帯の人々とその暮 ら し
“こ れ は 日本人の
生 活 の 古 典を
記 録 し た 本である”
―写 真 集 『 雪 国 』 より
1 9 4 0 年 よ り 1 0 年間、新潟の豪雪地帯に
暮らす人々の日々の営みを撮り続けた濱
谷。民 俗 学 的 な 視 点 に 立 つ テ ー マ の 確 立
と、記録性と芸術性を両立する濱谷作品の
原 点 と も い う べ き重要シリーズより 4 0 点
を展示。
上 :④《歌ってゆく 鳥 追 い 》 桑 取 、 新 潟 、 1940 年 左下:⑤《地蔵様年始》桑取、新潟、1940 年
右下:⑥《ホンヤラ洞で歌う子どもたち》十日町、
新潟、1956 年
展示構成 全5章(第 3 章∼第 4 章)
第3章
裏 日本―日本海 側 の 風 土 、 漁 農 村 に お け る 生
北 は 青 森 の 竜 飛 岬 、 南 は 山 口 ま で、 日 本
海 側 12 府 県 の 農 漁 村 を 取 材 し た シ リ ー
ズ。女 た ち が 胸 ま で 泥 沼 に 浸 か っ て 挑 む
富 山 県・ 白 萩 の 過 酷 な 田 植 え の 様 子 を 写
し た 作 品 は 、 社 会 的 な 反 響 を 呼 び、 行 政
を も 動 か し た。厳 し い 自 然 に 生 き る 人 々
の 逞 し さ を 伝 え る と 同 時 に 、社 会 的 使 命
感 を 漲 ら せ た 作 品 群 に よ り 、ま さ に 写 真
に よ っ て 発 言 する写真家の真髄に触れる。
⑦《 田 植 女 》 白 萩 、 富 山 、 1 9 5 5 年
⑧《 停 留 所 》 指 江 、 石 川、1955 年 第4章
戦 後昭和―終戦 後 の 日 本 か ら 、 安 保 闘 争 を め ぐ る 〈 怒 り と 悲 し み の 記 録 〉 ま で
日の丸が反転したかのようにもみえる象徴
的 な 作 品 《 終 戦 の 日 の 太 陽 》を 皮 切 り に 、
戦 後 日 本 の 都 市 と 地 方 の 様 相 、そ の 光 と 影
を 見 つ め た 作 品 群 を 紹 介 。章 の 後 半 で は、
濱 谷 の 写 真 家 人 生 の 分 岐 点 と な る 、安 保 闘
争 を 徹 底 取 材 し た 〈怒 り と 悲 し み の 記 録 〉
等 、 6 0 年 代 ま での作品を展示する。
上:⑨《終戦の日の 太 陽 》 高 田 、 新 潟 、 1945 年 下:⑩《首相官邸前 で 抗 議 す る 全 学 連 学 生 た ち 》
永田町、東京 、 1960 年 6 月 3 日
展示構成 全5章(第 5 章)
第5章
学藝諸家―昭和を生きた文化人たちの ポ ー ト レ イ ト
戦 前 か ら 撮 り 続 け た 作 家 や 美 術 家 、学 者 な ど 、 昭 和 日 本 の 文
化 を か た ち づ く っ た 著 名 文 化 人 の ポ ー ト レ イ ト ・シ リ ー ズ は 、
濱 谷 が 対 峙 し た 時 代 の 記 録 と も い え る。濱 谷 作 品 の さ ら な る
魅力に迫る。
⑪《 室 生 犀 星 》 1959 年 ⑫《 會 津 八 一 》 1 9 4 7 年 ※ 掲 載 画 像 に はすべて右記クレジットを掲載 し て く だ さ い 。 C ou rtes y E s tate of Hi ros h i Ham ay a, Oi so , J a p a n
濱谷浩 略歴
(1915-1999)
1915 年(0 歳)
東京下谷に生まれる。
Hiroshi Hamaya
1930 年(15 歳) 父の友人よりブローニー判ハンドカメラを贈られ、初めて写真を撮影する。
1933 年(18 歳) 関東商業学校卒業後、二水実用航空研究所に入所。
同所解散後、オリエンタル写真工業に入社。
1935 年(20 歳) ライカを入手し、銀座や浅草など東京の下町風景を撮影して歩く。
1937 年(22 歳) フリーランスの写真家となる。
1939 年(24 歳) 雑誌取材にて、新潟県高田市を訪れる。
翌年より 10 年以上におよび新潟の豪雪地帯に通い、雪国の風俗を撮影。
1956 年、初の写真集『雪国』(毎日新聞社)として出版。
1954 年(39 歳) 裏日本の撮影を開始。以降 3 年間で日本海側 12 府県を取材する。
1957 年、写真集『裏日本』(新潮社)として出版。
1960 年(45 歳) 日本・アジア人初のマグナム・フォト契約寄稿写真家となる。
安保闘争の取材を経て、日本の政治体制や人間に失望し、新たに自然に目を向け
日本列島撮影の旅へ出る。写真集『怒りと悲しみの記録』(河出書房新社)出版。
1986 年(71 歳) ニューヨークの国際写真センターにてマスター・オブ・フォトグラフィを受賞。
翌年、ハッセルブラッド国際写真賞受賞。
1999 年
平塚市内の病院にて永眠(享年 83)。
生誕 100 年 写真家・濱谷浩
もし写真に言葉があるとしたら
Hiroshi Hamaya: Photographs 1930s-1960s
開催概要
会期 :2015 年 9 月 19 日 [ 土 ]−11 月 15 日 [ 日 ]
休館日
:毎週月曜日 (ただし 9 月 21 日 [ 月・祝 ]、10 月 12 日 [ 月・祝 ] は開館、9 月 24 日 [ 木 ] 、10 月 13 日 [ 火 ] は休館)
開館時間 :午前 10 時∼午後 6 時(入場は午後 5 時 30 分まで)
会場 :世田谷美術館 1 階展示室
観覧料 :一般:1,000(800)円、65 歳以上:800(600)円、大高生:800(600)円、中小生:500(300)円
※( )内は 20 名以上の団体料金。
※一般の障害者の方は 500 円、大高中小生の障害者の方は無料、介助の方は 1 名につき 1 名までは無料。
※リピーター割引 会期中本展有料チケットの半券をご提示いただくと、2 回目以降は団体料金にてご覧
いただけます。
主催 :世田谷美術館(公益財団法人せたがや文化財団)
後援 :世田谷区、世田谷区教育委員会
協賛 :キヤノンマーケティングジャパン株式会社、文化堂印刷株式会社、株式会社資生堂
助成 :公益財団法人三菱UFJ信託地域文化財団
特別協力 :濱谷浩写真資料館
企画協力 :株式会社クレヴィス
関 連企画
◆記 念 講 演 会 「 濱 谷 浩 その人・その写真」
『濱谷 浩 写 真 集 成 地 の 貌 ・ 生 の 貌 』(岩波書店、1 9 8 1 年 ) な ど の 編 集 に 携 わ り 、 濱 谷 浩 を 間 近 に 知 る 多 田 亞 生 氏に、その人
物像 や 生 前 の エ ピ ソ ードについてお聞きします。
日時 / 会 場 : 2 0 1 5 年 10 月 10 日 ( 土 ) 午 後 2 時 ∼ 午 後 3 時 ( 開 場 午 後 1 時 3 0 分 ) / 当 館 講 堂 講師 : 多 田 亞 生(本展監修者) 聞き手 :当館学芸員
定員 : 先 着 1 50 名(当日午前 10 時よりエン ト ラ ン ス ・ ホ ー ル に て 整 理 券 配 布 )
参加 料 : 無 料 、手話通訳付
◆1 0 0 円 ワ ー ク シ ョ ッ プ
どな た で も そ の 場 で 気軽に参加できる工作など。
日時 / 会 場 : 会 期 中の毎週土曜日 午後 1 時∼午後 3 時 / 当 館 地 下 創 作 室 対象
参加 料
参加 方 法
:どなたでも
: 1 回 1 00 円 : 時 間 中随時受付
※イ ベ ン ト の 詳 細 に ついては決定次第当館ホームペ ー ジ に 掲 載 い た し ま す 。
交通案内
・東急 田 園 都 市 線 「 用 賀 」 駅 下 車 、 北 口 か ら 徒 歩 1 7 分
/美 術 館 行 バ ス 「美術館」下車徒歩 3 分
◆一般来館者用
南口 か ら 渋 谷 駅 行バス「砧町」下車徒歩 10 分
・小田 急 線 「 成 城 学 園 前 」 駅 下 車 、
・小田 急 線 「 千 歳 船 橋 」 駅 か ら
田園 調 布 駅 行 バ ス「美術館入口」下車徒歩 5 分
・来館 者 専 用 駐 車 場 ( 60 台、無料):
東名 高 速 道 路 高 架下、厚木方面側道 400m 先
美術 館 ま で 徒 歩 5 分
次 回企画展
「スペインの彫刻家フリオ・ゴンサレス
――ピカソに鉄彫刻を教えた男」
2015 年 11 月 28 日(土)−2016 年 1 月 31 日(日)
同時開催収蔵 品 展
ミュージアム コレクションⅡ 「おもしろいかたち・いろいろ」
2015 年 8 月 1 日(土)−12 月 6 日(日)
お問い合わせ
展 覧 会 の ご 案 内:0 3 - 5 7 7 7 - 8 6 0 0( ハ ロ ー ダ イ ヤ ル )
◆報道関係者用
世田谷美術館学芸部
◇広報担当者の連絡先 ※取材および写真貸出依頼
T el : 0 3 - 3 4 1 5 - 6 4 1 9 ( 広 報 直 通 )
F ax: 0 3 - 3 4 1 5 - 6 4 1 3
〒157-0075 東京都世田谷区砧公園 1-2
世田谷美術館
Setagaya Art Museum
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