2006年度版 - 福岡大学人文学部

目
1.会長巻頭言
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
近ごろ思うこと
2.文化学教養講座
岩隈
鴨川武文
二丈町のお盆調査
3.講演会報告
敏
宮岡真央子
(6)
LCフォーラムへ出かけよう!!
河口綾香
永濵実里
白川琢磨ゼミ紹介
河口綾香
佐藤基治先生の心の研究室
5.特集「理想」
8
(8)
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
上枝美典研究室訪問
3
(3)
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
4.研究室訪問
1
(1)
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
博多を歩く
9
(9)
(10)
佐藤ゼミに所属する13人
(11)
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 13
理想
末光正彦
(13)
理想
師井裕美
(15)
理想の恋愛
田中由希
(16)
理想の自分
白地大輔
(17)
理想のゆくえ
6.卒業生便り
次
安永真一
(18)
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 19
大学院の思い出
入江亜矢子
「今」卒論を振り返る
(19)
坂元滋信
可能性を感じる会社をみつけよう!
今やれることを!!
7.卒業論文・修士論文
重山菜見子
井上純子
(21)
(22)
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 23
平成17年度卒業論文
(23)
平成17年度修士論文
(24)
8.文化学科フォーラム活動報告
活動報告(小林淳一)
(20)
(26)
表紙‥‥A棟8階(撮影:佐藤基治)
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 26
文化学科ジャーナル
№5 2006
会長巻頭言
近ごろ思うこと
文化学科フォーラム会長 岩隈 敏
西洋の近代から現代は、いったいどういう時代だったのか。日本が、明治以降、追い求めた近
代文明とは何だったのか。これを一言で語るのは難しい。
しかし、近代とは、人間が神あるいは宗教から独立し、人間と自然、人間と道徳に関するすべ
ての問題を、人間もち前の「理性」によってのみ解決できると考えた時代である、とは言えるだ
ろう。
神から独立したとはいっても、
18 世紀後半までは、神と無縁ではなかった。
ガリレオ(1564-1642)
やニュートン(1642-1727)の自然研究は、自然のうちに顕現している神の創造の智慧を明らかにす
る、という明確な意図をもっていた。精神と物体とは、思惟と延長という、属性をまったく異に
する別の実体だとするデカルト(1596-1650)の物心二元論も、神を無限で完全な実体としている。
「君の行為の格率が同時に普遍的法則となることを欲しうるように行為せよ」という、純粋理性
に根拠をもつカント(1724-1804)の道徳法則も、人間が自己の有限性、不完全性を徹底して自覚す
る時は、神の命令として受けとめられた。
ところが 18 世紀後半、
「百科全書」(1751-1765)学派などの啓蒙思想は、産業革命の進展にとも
ない、聖俗革命を起した。人間が神や宗教に依存し、自然を自然のまま放置することは野蛮であ
り、神を棚上げして自然を人為によって矯正することが文明だと考えた*。こうして、人は神と
は独立、無縁になった。自分を他人の立場において考えねばならないが、他人に依存せず、自分
自身で、また首尾一貫して考えねばならない。これが啓蒙の精神である。
これまで別々に発展してきた科学と技術が、この時期、
「科学技術」として合体し、神から完全
に独立して俗化した。今や、人が畏れ恭敬する、人間を超えたものは、何もなくなった。自然は
もはや、人が畏敬し、その恩恵に感謝すべきものではなく、無限に肥大する欲望充足の単なる手
段と見なされて、大量生産、大量消費、大量廃棄の高度産業社会が生まれた。
倫理の基本は個人主義、自由主義になった。その原則は、
「他人に危害を加えないかぎり、たと
え自分にとって不利益なことでも、何をしてもよい」という他者危害の原則である。怠惰な自分
を反省し、他人の苦悩への無関心を克服して、自己の完成につとめ、他人の幸福を促進する徳の
涵養は、ひとり人間の理性の力だけでできると考えられた。
しかしながら、これは人間の、分限をわきまえない驕りであり、傲慢である。
自然環境の危機、紛争の絶えない世界情勢、企業倫理の低下、子殺し・親殺しの横行などを見
ると、そう思わざるをえない。いや、外の問題なんかではない。今年還暦を迎えた自分自身をふ
り返り、犯した罪の数かずを懺悔しながらの実感である。個人主義、自由主義がはびこって、文
化は向上するどころか低俗化したのだ。
人間の理性は、そんなに立派ではなく、強くもない。理性には自力でできないことが多くある。
近代になって400年。いま、真の宗教意識の回復が切に求められている。とりわけ私自身にお
いて、そうである。
文化学科はさまざまの文化現象を、歴史的にも地理的にも、学ぶところである。この学問は、
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文化学科ジャーナル
単に外部に向かうものではない。つねに自分自身に立ち返り、自分の血肉となっている、それゆ
え、それと自覚することが困難な文化を掘り起こすことを通してしか学べない。
私は誰?今は何時?ここは何処?この問いを、神であれ佛であれ、その智慧の光に照らされて、
問いつづけて行くしかないのである。
*村上陽一郎『安全学』
(青土社 1998)
、
『文明のなかの科学』
(青土社 1994)参照
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文化学科ジャーナル
№5 2006
文化学教養講座
博多を歩く
福岡大学~川端商店街~櫛田神社~「博多町家」ふるさと館~博多鋏~聖福寺
鴨川武文
「暑さ寒さも彼岸まで」とは古くからの言い習わしであるが、少し涼しくなったら博多の町を
歩いてみよう。今回の町歩きは、大学を出発点として聖福寺に至る博多部で、商店主や職人さん
から話をうかがいながらの約5時間の行程である。
大学から川端商店街までは福岡市営地下鉄を利用してみよう。このような時には乗り降りが自
由な一日乗車券が便利である。昭和 50 年 11 月に建設が着工された地下鉄は、昭和 56 年7月 26
日に空港線の室見・天神間が開業し、その後営業路線を伸ばして、現在では、空港線・箱崎線・
七隈線の3路線 29.8 ㎞で営業運転されている。なかでも平成 17 年2月3日に開業した七隈線は、
バスと比較して、大学と都心部の天神との時間距離を短縮することに大いに寄与することになっ
た。福大前駅から川端商店街の最寄りの中洲川端駅までは、天神での乗り換え時間を含めて約 35
分である。
さて、中洲川端駅で下車して、川端商店街に向かうことにしよう。階段を上がり地上に出たと
ころが明治通りに面した川端商店街の北の入り口となる。明治通りの向かい側には博多リバレイ
ンが見える。かつて寿通りと呼ばれた商店街があった場所が再開発をされて、瀟洒で洗練された
3つの建物で構成される博多リバレインが平成 11 年に開業した。博多リバレインはホテル・ショ
ッピング・グルメ・劇場(博多座)・美術館(福岡アジア美術館)などからなる都市のアメニティ施
設である。
川端商店街を南に向かって進んでいく。紳士服、婦人服、子供服、時計・眼鏡、仏具・仏壇、
生活雑貨などの小売店や喫茶店・食事処が両側に並んでいる。しかもアーケードになっているた
めに雨に濡れる心配はない。川端商店街は博多でも昔からの商店街であり、多くの老舗が軒を連
ねているが、その中から一軒紹介させていただきたい。そのお店は「ハンダ洋服店」である。店
内に入るとブルゾンやジーンズが品数多く並べられているが、そのほかに博多祇園山笠に関係す
る衣料や小物が売られていた。店内に入って商品を見ていると時間が経つことを忘れさせるお店
であったが、昨年の福岡県西方沖地震による震災のために商店街での営業を中止している。建物
はすでになく、商店街に面して仕切りの鉄板がある。現在、
「ハンダ洋服店」は須崎町の山止め近
くで営業している。長さ約 400mの商店街の南の入り口から 15mほど歩くと博多の総鎮守と呼ば
れる櫛田神社の南神門がある。南神門の向かいには旧カネボウ跡地を再開発し、ホテル・ショッ
ピング・グルメ・劇場(福岡シティ劇場)・映画・ゲームなどのアミューズメントなどの機能をも
つ複合商業施設であるキャナルシティ博多が平成8年に開業した。昭和 50 年代以降の天神地区に
おける商業機能の集積により、川端商店街は衰退の一途をたどり、集客能力が著しく低下したが、
博多リバレインとキャナルシティ博多の開業によって川端商店街は両施設を結ぶこととなり、一
日当たりの歩行者通行量は両施設開業後、平日で約 3.4 倍、休日で約 10 倍にそれぞれ増加した。
さて、櫛田神社境内には南神門から入ってもいいのだが、国体道路に出て土居通りに向かい、
土居通りに面した鳥居をくぐり楼門から入ることにしよう。櫛田神社の由来について武野要子著
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文化学科ジャーナル
「博多-町人が育てた国際都市-」(岩波新書)には、「(平)清盛も父同様に神崎(佐賀県神崎郡神
崎荘)との関係を保ち、博多の港、冷泉津(現在の博多那珂川)などを整備し、日宗貿易の一層の振
興をはかった。冷泉津一帯(現在の博多区川端町)に貨物を集蔵する倉を建て、その倉の鎮守とし
て、神崎から櫛田神社を勧請した。これが博多の夏祭り祗園山笠で有名な櫛田神社である。」とあ
る。
楼門から境内に入る。左手には、7月 15 日の早朝、山笠の追い山で舁き手に担がれた山が走る
清道(せいどう)がある。追い山で最初に境内に走り込むいわゆる一番山は清道で一端止まって、
“祝い目出度の若松様よ”で始まる博多祝い唄を唄う栄誉にあずかる。博多祝い唄を唄い終ると
“ヤー”の掛け声とともに境内から走り出る。その後、山は“オイサ オイサ”の掛け声とともに
須崎町の山止めまで早朝の博多の町を駆け抜ける。また、博多っ子は山笠期間中、きゅうりを口
にしない。祗園の神紋がきゅうりの切り口に似ており、畏れ多いというわけである。また、清道
には「櫛田のぎなん」と呼ばれる大きな銀杏の木があり、そのたもとには元寇の役の蒙古船の碇
石がある。
楼門を入ると正面に御神殿・拝殿がある。御神殿・拝殿のすぐ右手には「霊泉鶴の井戸(れいせ
んつるのいど)」がある。不老長寿の水とも言われ、自分・家族・親類縁者の不老長寿を心に念じ
ながら飲む。塩分・鉄分の濃い味がするが不老長寿の水だから飲まないわけにはいかない。さら
に右手奥には「博多べい」と「川上音二郎の碑」がある。豊臣秀吉による博多の太閤町割によっ
て博多の町が復興し、町には「博多べい」と呼ばれる土べいが長く連なった。
「博多べい」は焼け
石や焼け瓦などを壁土に塗り込めて作られたところに特徴がある。「川上音二郎」は 1864 年に現
在の博多区対馬小路に生まれた。オッペケペー節で一世を風靡し、昭和 60 年には日曜日午後8時
からのNHKの大河ドラマ「春の波濤」で彼の生涯が題材となり、放映された。御神殿・拝殿の
左手には「飾り山」と多くの有名力士が力自慢に持ち上げた石が「力石」として奉納されており、
曙・大乃国・千代ノ富士などの横綱の力石がある。
境内には博多歴史館があり、館内には、博多どんたくや博多祗園山笠などの伝統行事に関する
資料や太閤町割に用いられた物差しである間杖(けんじょう、間竿ともいった)のレプリカなどが
展示してある。間杖は長さ約2mの物差しで、本物は博多の豪商であった神屋家に代々伝えられ、
その後、博多区奈良屋町の豊国神社に奉納されたが、昭和 20 年の空襲で焼失した。見所を見終え
たら南神門のそばで焼かれている「櫛田のやきもち」を食べるのもいいであろう。山笠の西流(に
しながれ、流とは太閤町割によって生まれた町の集合体で、山笠を執り行う単位でもあり、西流
のほか中洲流、千代流、恵比須流、土居流、大黒流、東流の七流がある)で山を舁いたという大将
が焼いている。うかがうと、この場所で代々70 年にわたり、やきもちを焼いているそうである。
ちなみに月曜日は営業していない。
「櫛田のやきもち」を食べたら楼門に戻って鳥居をくぐって土居通りを渡り、鳥居向かいの路
地を東へ 20mほど歩くと「博多町家 ふるさと館」に着く。「博多町家 ふるさと館」は展示棟、
町家棟、みやげ処の3つの建物からなる。展示棟の1階には、映像を用いて山笠や流(ながれ)に
ついての解説があり、迫力ある追い山の場面を見ることができる。また、古い電話機を使って聴
く博多弁講座もある。2階に上がると、
「流れの生活」という一角があり、人形を使って昭和初期
の博多の町家での生活の様子が再現されている。
展示棟を出て隣接する町家棟に入る。町家棟は明治中期の町家を移築・復元したものである。
町家は間口が狭く 5.9mほどで、
「うなぎの寝床」といわれる細長いつくりであった。町家の入り
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文化学科ジャーナル
№5 2006
口から奥までは土間があり、土間に沿って部屋が並び、最も奥に座敷がある。座敷には濡れ縁が
あり、その外に坪庭が見られる。間口の狭さに比べて中の間には高い吹き抜けがある。町家棟で
は、現在では機械織が一般的となっている博多織の手織りの実演を見ることができる。また、み
やげ処には博多人形・博多織・博多曲物・博多鋏・博多銘菓などが売られている。
「博多町家 ふるさと館」を出て土居通りを明治通りに向かって歩き、最初の路地を右折して東
へ 20mほど進むと、路地の右側に博多鋏製造の高柳商店がある。“町中の鍛冶屋”であるが商店
の看板がなく、しかも一般の家と区別がつかないので見落としてしまいそうである。注意して見
ると表札に「高柳」とある。博多鋏は唐鋏を改良して作り出された和鋏である。今から約 700 年
前、南宋の帰化人である謝国明が博多に鋏を持ち帰り、この鋏が唐鋏と称された。幕末の頃、博
多の刀鍛冶師である安河内卯助がこの唐鋏の製作に取り組み世に出した。明治 13 年、高柳亀吉は
卯助の弟子となった。明治 20 年に独立し、唐鋏を博多鋏と改称し、今日に至っている。現在、博
多鋏を作っている高柳晴一氏は、初代亀吉氏、二代宗一郎氏に次ぐ三代目である。博多鋏は実に
切れ味がよく、長く使うことができる。また、鋏だけではなく料理包丁も作られている。工房は
住居の奥にあるが、鋼をたたく音がするので、近隣に気を使いながらの鋏作りである。資料のよ
うに数種の鋏があるが、いわゆる博多鋏を作るとなると一日3本までだそうである。少々お高い
が職人の技を感じる博多の伝統工芸品である。博多鋏は製造元の高柳商店のほか、「博多町家 ふ
るさと館」のみやげ処でも販売されている。高柳商店を出て路地を東へ歩くと道幅の広い大博(た
いはく)通りに出る。大博通りを渡ると東長寺(とうちょうじ)がある。東長寺は弘法大師空海が唐
から帰国して最初に建立した寺で、その歴史は古い。また、境内には、明治時代に国宝の指定を
受けた「千手観音菩薩」や、昭和 63 年から4年をかけて完成をみた高さ約 10.5m、重さ 30 トン
の「福岡大仏」がある。東長寺横の路地を東に歩くと聖福寺の塀が見える。聖福寺は臨済宗の祖
である栄西が 1195 年に建立した日本最初の禅寺で、楼門には後鳥羽上皇の直筆とされる「扶桑最
初禅窟」の勅額が掛かっている。「扶桑」とは日本という意味である。境内には本堂、鐘楼、池、
仏殿、総門、堪忍地蔵などがあるが、本堂は専門道場、いわゆる修業の場であり、
「拝観謝絶」の
立札がある。しかし、どうしても本堂を拝観したければ、毎月第2、第4日曜日の午前6時から
8時まで坐禅会が開かれているので問い合わせてはどうであろう。聖福寺の東隣りには幻住庵が
ある。幻住庵は聖福寺の名僧仙厓(せんがい)和尚が隠居した所で、博多の豪商大賀宗九・宗白の
墓がある。聖福寺や幻住庵がある博多区御供所町(ごくしょまち)は、空襲の被害を免れ、古い町
並みと寺院が見られ、路地の両側に寺院の塀が続く静かなこの地域は秋の散策には格好の場所で
ある。
参考文献
井上精三(1983) 福岡町名散歩 葦書房
川添 昭二 ・武 末純 一・ 岡藤 良敬 ・西 谷正 浩・ 梶原 良則 ・折 田悦 郎 (1997) 福岡 県の歴史
山川出版社
武野要子(2000) 博多-町人が育てた国際都市- 岩波新書
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文化学科ジャーナル
文化学教養講座
二丈町のお盆調査
宮岡真央子
夏休み、民俗系博物館実習の一環として、糸島郡二丈町でフィールドワークをおこなった。お
盆の最中の二泊三日の合宿で、参加したのは文化学科4年生 11 人と歴史学科4年生3人、そして
最終日に飛び入り参加した文化学科2年生1人と私、延べ 15 人。途中で多少の入れ替わりはあっ
たものの、賑やかで楽しい、そして少々ハードな3日間となった。
フィールドワークでは、二丈町教育委員会のご指導のもとで、いくつかの地区に分かれて盆行
事やその他の祭りに関する聞き取り調査、町内に眠る石碑の発掘調査、盆踊りや盆綱引きなどの
見学をおこなった。聞き取り調査をした班はいずれも、見知らぬお宅を訪ね歩いてお話を聞かせ
ていただき、データを持ち帰ってきた。発掘調査に出かけた班は、藪に分け入り、山中に埋もれ
ていた石碑をみつけて碑文を解読し、興奮して帰ってきた。どれも二丈町の文化や歴史を考える
上では、たいへん貴重な資料である。
1日目と2日目の晩には、全員で盆踊りを見学した。波呂地区では、8月 13 日の晩に地区の人
による盆踊りが初盆の家の庭先をまわって行なわれる。男性による横笛と太鼓、
「口説き」と呼ば
れる謡にあわせて、浴衣姿の女性たちが複雑な踊り
を舞う。にぎやかな夏祭りを想像していた私たち一
同は、そのもの静かで厳かな光景に驚き、神妙な気
分になった。このような形の盆踊りは、二丈町でも
今は少なく、多くは公民館広場などでおこなうよう
になったという。2日目の晩は上深江地区の公民館
でそれを見学した。しかしこれまたこぢんまり、ひ
っそりとしたお祭りで、広場には初盆の人の位牌が
並べられた祭壇があり、やはり死者供養の行事だと
いうことを物語っていた。
3日目には、全員で大入という地区の盆綱引きを
見学した。この綱引きは、仏が地獄に落ちる死者た
ちを助けようと綱を垂らし、地獄の鬼と引きあって
助けたという教えに由来する。山の葛を縒って作ら
れる綱を神社の参道で3回引き、最後に綱は2つに
断ち切られ、勝った方の綱は浜辺で子ども相撲の土
俵となり、負けた方の綱は浜辺近くにうち捨てられ
る。
今回、私たちはこれを見学したというより、体験
したといったほうがよいかもしれない。区長さんか
らの依頼で、早朝から数人がお手伝いに出かけて、
上:盆綱引きの綱の材料となる葛を採る
下:葛を両端からねじりながら1本の綱にする
山の斜面を登って綱の材料となる葛を採った。昼からは地区の人と一緒に、数十メートルの長さ
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文化学科ジャーナル
№5 2006
に広げられた葛の束を両端からねじって一本の綱にする作業を、全員でおこなった。しゃがんだ
姿勢で葛の束を道に転がす単調な作業の繰り返しは、相当な運動量である。太く固く縒られた葛
の綱を二手に分かれて引く綱引き本番では、みな引き手となった。私は撮影係にまわって楽をし
たが、みなは炎天下でさぞかしくたびれたと思う。
当日は、行事が終わる夕方に大半が電車で帰宅する予定だった。ところが今年は、この綱引き
がテレビで生中継されたために、その放映時間にあわせてスケジュールが組まれ、時間が当初の
予定よりも後ろにずれこんだ。みんなは、電車の時刻にあわせて途中で抜けると言っていたのだ
が、気がつくとその時間を過ぎても帰らずにいる。自分たちが汗を流して手伝った行事を最後ま
で見届けずに途中で去るのは惜しまれたようだ。結局、みな帰りの電車を遅らせて、綱引きの最
後まで参加してから、ようやくその場を離れた。
このように、よそ者でありながら地元の人に
まじって一つの行事にはじめからおわりまで参
加させてもらうというのは、滅多にない機会で
右上・左:夕ご飯のカレーライス、美味!
右下:調査の合間に海辺を散策
ある。実際に自分も身体を動かして参加したこ
とへの愛着や思い入れは格別なものだろう。
今回の経験は、民俗行事とよばれるものが、
どのように継承され、どのように実践されているのかを内側からとらえる視点を得るのに、大い
に役立ったのではないかと思う。貴重な機会を与えて下さった二丈町教育委員会の古川秀幸さん、
管さとみさん、私たちを暖かく受け入れて下さった二丈町の皆さんに、この場をお借りし、心か
らお礼を申し上げたい。
3日間も一緒にいると、それぞれの持ち味はじわじわと次第に発揮され、互いにずいぶんと距
離が縮まったように思う。これで今期の博物館実習もそろそろ終わりなのは惜しまれる。今はま
だ、二丈町での3日間を頭が浮遊しているような状態で困っている。その後みんなが疲労で倒れ
なかっただろうかなどと心配しつつ、夏休み明けに提出される予定の各自の調査報告を読ませて
もらうことを、心から楽しみにしている。
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文化学科ジャーナル
講演会報告
LC フォーラムへ出かけよう!!
河口綾香
皆さんは『LC フォーラム』の存在をご存知だろうか。ご存知ない方のために簡単に説明すると、
LC フォーラムとは文化学科主催の講演会のことで外部から講師を招いて、あるテーマについてお
話していただくものである。
平成 17 年度は常光先生、納富先生を招いての LC フォーラムが開催された。
これは平成 17 年 12 月 2 日、納富信留先生の講演会の話である。
『今度の LC フォーラム行く?』突然の友達からの質問だった。内容は『哲学』らしい。
『げっ、
哲学。どげんしよう…興味ないんだけど。』さらに追い打ちをかけるように先生から『フォーラム
来るよね』という脅迫まがいの笑顔。そう言われたら行かないわけにはいかない…。
私は哲学が苦手なのだ。案の定始まって5分後、私は退屈さを感じ始めてしまった。かといっ
てこのまま時間が過ぎるのも好ましくない。人生なにがきっかけで変わるか分からないという言
葉は本当で、開始 30 分後の私の体に哲学の神でも降りてきたのだろうか突然閃いてしまったので
ある。何気なく耳にした心の種別についてであった。心は①魂―生命(仏教的)②意識・関心③
意志・方向性④感情(知情意)⑤気(精神)に分けられるという。しかし、私にはそれで種別化
できない心も存在するのではないかと思ったのである。此処で閃いたのはなにかしらの『運命』
に違いないと思う『心』は意志でもなければ、感情とも言いがたい。宗教的な魂-生命にも当て
はまらないような気がしたのだ。
講演を聞く間中、突然閃いた疑問が気になって仕方がない私は、講演の後の質問タイムに思い
切って手を上げた。聞くのは恥ずかしいが聞かなかったら絶対後悔すると思ったからだった。嬉
しかったことは、講師の先生を少しばかり困らせることができたことだろうか。私の意見はバッ
サリと切られることが大半なので意外だったのである。講演会ではただ聞くだけではなく自分の
頭で考え何かしらの疑問を持ち、質問することの大切さを学んだように思う。
あれから約半年。私は進んで哲学の講義を履修した。もちろん普段使わない頭をフル回転させ
ているし、3 分ごとに質問で授業を止めてしまう厄介者である。けれども悩んで、時には閃いて
哲学者の考えを理解した時は何とも言えない充実感である。最近は友人たちと『哲学』している
こともある。これも全ては LC フォーラムから始まったのだ。
まだ参加したことのない人、興味がないと決めつけている人、百聞は一見に如かずと言うよう
に一度参加してみてはどうだろうか。きっと新しい発見が得られるはずだ。
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文化学科ジャーナル
№5 2006
研究室訪問
上枝美典先生研究室訪問
永濵実里
上枝先生は私の卒論指導担当であり、比較的に研究室へ行くことが多いので、この訪問記を書
くように依頼されたのは、多分、そういう理由だと思う。
まず、入り口に「中世哲学会
事務局」という札がドーンとかかっている。研究室に入って右
手側にその資料がもっさぁとある。札の上には、アメリカの同時多発テロの時から貼っている"No
Terrorism & No War "の張り紙がある。室内は、整理整頓がきちんとなされ、作業がしやすい状
態である。おそらく整理収納アドバイザーで 1 級レベルにちがいない。来客用の椅子があるが、
先生の部屋には研究室備え付けのソファーがない。なぜだ。調査の結果、先生は、作業机を入れ
たときに、
「必要ないですから撤去してください」と頼んで、持っていってもらったそうだ。ちな
みに昼寝が出来ないので少し後悔していらっしゃるとか。
次に、先生はクラシックをよく研究室で流していらっしゃる。果たしてその実態はどうかとい
うと、長年のボブ・マーリーファンだそうだ。しかもそのことは有名らしい。
さて、ここからが一番重要なことで、先ほど少し触れたが、先生の研究室は整理整頓にかける
技と情熱が現れている。ラックには、講義で使うプリントや資料が、科目、コマ数ごとに分類さ
れている。また、研究室右奥には同じ種類のファイルがズラーと並んでいる。そのほとんどは先
生の研究ノートで、学部学生時代のものまである。私は一度、指導の際見せて頂いたが、こうい
うものがあると、先生はどのように研究をしていらしたのかを、現物で見ることが出来、大変参
考になった・・・と言いたいが、内容はハイレベルであった。ちなみに調査によると、今では整
頓するものがなくなってきたので、将来的には隣の関口先生の部屋を整頓したいという夢をお持
ちであるらしい。
ではここで先生の研究室訪問をする際の注意点を挙げよう。それは、先生の机が入り口側を向
いているため、研究室のドアを開けた瞬間、仕切りも何もなく、先生がデーンと待ちかまえてい
るのである。あれは初めての人ならドキッとする。
(ドア開けた瞬間大量の本というのも凄いが)
どうしてその配置なのですかと尋ねたところ、
「邪気を溜めないためです」という理解不可能なお
答えであった。今でも私の頭を悩ませているものの一つである。
先生は西洋中世哲学を研究なさっている。トマス・アクィナスが中心であるが、広く哲学一般
に関心があるそうで、ゼミでは現代英米哲学のラッセルの著書を使って知識論をやっている。そ
ういえば、このゼミのあと、プールに直行することが多い。マル秘情報だが、先生は昼休み、プ
ールで泳いでいらっしゃる。その理由は「万全の体調で授業に臨むため」と答えていらしたが、
実は、腰痛予防と体重管理のためだということを私は知っている。心理学の武田先生がライバル
で、錦江湾遠泳大会に出るという野望を持っていらっしゃるそうだ。頑張りすぎないよう頑張っ
て欲しいと思う今日この頃である。以上報告を終わる。
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文化学科ジャーナル
研究室訪問
白川琢磨ゼミ紹介
河口綾香
突然ですが、質問です。
「あなたは日本語で書かれているギャンむつかしか(=とても難しい)テキストか英語で書かれ
た比較的簡単なテキストのどちらかを読まねばなりません。さて、どちらを選びますか?」
今年の白川ゼミは一味違う!白川ゼミ 3 年目の感想です。なんと今年は英語で書かれたテキス
トを使っているのです。私は最初、シラバスを見たとき目を疑いました。「英語…あり得ん。」こ
れが当時の本音でした。大の英語嫌いの私にとって、この事態はゼミの登録を悩ませるほどのこ
とだったのです。しかし、大学院を目指すには避けて通れない道と思い英語に立ち向かう決心を
しました。
あれから半年が経ちます。最初は英語に苦手意識を持っていたゼミ生も、ゼミの回数を重ねる
ごとに訳のスピードも速くなり、内容を考えながら訳していけるようになってきました。これも
白川先生の『学生の英語恐怖症を克服する』という熱意がゼミ生に伝わったからだと思います。
苦手意識の克服の為に、訳のコツを教えてくださいます。難しい所は丁寧に解説をしてください
ます。そうして私達は楽しみながらテキストを読めるようになりました。
おっと、忘れてはいけないもう一つの新鮮なゼミがありました。今年はアラスカより Nancy .Y.
Davis 先生が来日された折に、ゼミにてズニ族についての講義をしていただきました。本場の英
語による講義は耳を鍛えることも出来ます。めったにない貴重な経験でした。はじめは戸惑いも
ありましたが、終わってみればゼミ生が質問する場面もあり充実した時間を過ごしました。
そして、何と言ってもゼミコンを忘れてはいけません!人類学の話から恋の相談まで、先生の
美声と話術にゼミ生は酔いしれます。また、3・4年生が仲良くなれる交流の場でもあります。
さらには、来年の春休みにヤップ島にフィールドワークに行こうという計画も持ち上がりました。
こんなに楽しいゼミだから苦手な英語も頑張れるのです。
楽しく学べることに興味を持った方、思い切って外書講読に挑戦してみませんか。本場の英語
で講義を受けてみませんか。まだまだ一味も二味も違うゼミになる可能性を持っている白川ゼミ
です。お待ちしています。
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文化学科ジャーナル
№5 2006
研究室訪問
佐藤基治先生の心の研究室
ゼミ生の評価による Y-G 性格検査 教員用
(注 1)
今期、佐藤ゼミに所属する 13 人(注 2)
作者のことば
わたくしたちは、佐藤先生の性質についてどの程度まで、正しい判断をもっているのでしょう
か。そのようなことを調べてみたいと思います。これは性格検査ですから、日頃のありのままの
佐藤先生を考えて、ありのまま普通に答えてくださればよいのです。お気楽な気持ちでやってく
ださればよいのです。結果に良い悪いはあります。
評価者 今期、佐藤ゼミに所属する 13 人
D
対象者 佐藤基治 先生
抑うつ性:7 点。佐藤先生は、一人の時や、人が少ない時は、結構黙っていて、暗いところ
もあるが、人が増えてくると、いろいろ話したりするようになって明るくなる?傾向がありま
す。また、学生に対しては、何でも、ずばずば物を言うところがあります。しかし、それでも、
全く気にしていない様子があるので、このくらいだと思います(Mo)
。
C
気分の変化:12 点。いつも笑っている優しい佐藤さんかと思えば、いきなりコメントが辛口
になる。凹みます。いきなりビデオ撮影をする!と言う。いきなりアイスクリームをおごります
と言い出す。いきなり性が強いところから回帰性は少ないとは言えません(J)
I
劣等感:5点。何事も淡々とこなす佐藤先生。周りと比べ、ましてや自分が劣っているだな
んて全く思わないだろう。いや、全くではないかもしれない。先生は授業中、なにげに他の先
生を例にあげる。実はひそかに気にしてるのかもしれない(Ue)
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文化学科ジャーナル
N
神経質:3 点。いつもプロジェクターが少し傾いているけど気にしていないから!! けど
車のなかはきれいだったので3点です!!(T)
O
主観的:5 点。先生はどっちかと言うと現実的な事ばっかり言ってるような気がする(On)
Co 非協調的:15 点。佐藤先生は、よく『本当にっ?』っていう言葉をおっしゃっている所か
ら、人を信用しない傾向が少々高いように思える。逆に言えば先生は、なんでも真実を知らな
ければ、気が済まない性格なのであろう(Og)。
Ag 攻撃的:11 点。ゼミの時間はいつも笑顔で、たまに辛辣なことを言う先生。愛想は悪くな
いし非攻撃的でもないので 11 点です(Ha)
G
活動的:7点。佐藤先生はどちらかというとインドア派だと思います。見た目的にも身体は
細身だし色も白いからです。外見から積極的に運動をするタイプには見えないし、心理学の先
生ということもあって身体を動かすより頭を使うほうだと思います(Mi)
R
のんきさ::15 点。 先生は見た目からして、のんびりしてそうなのがうかがえる。授業も、
マイペースなうえに余談なども交えてくださり、時には学生を皮肉ったりしながら、とても楽
しく受ける事が出来る。心理学の実験もパソコンを使って楽しみながら出来るので、少しでも
興味がある人なら面白いと思う(d)
T
思考的外向:4点。先生はひどいことを悪びれずにさらって言ってのける人です。言ってし
まったという後悔、反省という言葉は果たしてあるのでしょうか…(笑)
。先生は熟慮的かと言
われるとそうでもない気がしますが、多くの知識をもち興味深い話を数多くしてくださります。
瞑想的ではないと思います。先生いわく「自分の言ってるコトは半分以上は嘘」らしいです…
まずは疑ってかかりましょう!(Mo)
A
支配性:12 点。私たち学生の前ではもちろん先生・学生の関係なので社会的指導性はあり、
発揮してると思いますが、私たちに強制することはほとんどなく、
「自分で考えてしなさい」が
多い気がします。私たちのためを思ってかもしれませんが、もしかしたら面倒臭いからかもし
れません。適当が大好きで常にどうやって楽をするか・・ということを考えてる先生です♪笑
尊敬します!私もそうなので・・そんな先生が大好きです★笑 また、自分ひとりでなく、
他の先生がいれば任せて、それを眺めてそうです★笑(Us)
S
社会的外向:3点。どちらかと言うより明らかに内向的!携帯のメモリーも 10 件ほどしか入
っていないし、少しうつ病かも・・・でも、人を実験などでいじめるのは好きな、なかなかい
やらしい性格〈笑〉でも、たまに相談にものってくれるいい所もあるらしい。
・・・先生怒らな
いで下さいね(>*<) (Hi)
判定 C(calm)型:情緒安定、社会的適応、消極的内向性で、おとなしく、問題を起こさない。
犯罪傾向とは縁がなく、事務職向きで、積極性が必要販売関係には向かない。いるかいないか
わからない、影が薄い、記録にも記憶にも残らないタイプ。(sa)
(注 1) 本当はこのようなテストはありません
(注 2)
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2006 年後期
文化学科ジャーナル
№5 2006
特集「理想」
理想
末光正彦
「理想ばかり求めてないで現実をみなさい」という言葉をたびたび耳にするが、それは
おそらく「都合のいい想像ばかりしてないで」の誤用で、両者は意味合いが大きく違う。理想を
求めること自体は、決して悪いことではないのだ。
手元の辞書で「理想」を引いてみたところ、簡潔にいえば「それが最もよいと考えられる目標。
考えられるうちで最高の状態のこと」などと記されている。要するに山頂に立てられた旗みたい
なもので、それを求めるというのは山登りをこなすということと同義であり、まず怠惰なイメー
ジは消える。ただ旗を指差すだけなら「想像」で終わり、山道が途中で消えていたりして山頂を
目指すことが理論的に不可能な状態にあるなら、その旗は「空想」となる。
空想と理想は違う。
「空想」は百パーセント現実化しないことを考えること。これに対し、 「理
想_は理論的に起こり得る最上の状態のこと。空想と理想は対義語ではないから比較に用いるのは
不適切かもしれないが、とにかく「理想」は「空想」みたく一本道の結果は出ないのだ。
「理想」が「空想」で終わることはありえる。理想の実現はふつう、並大抵なことではない。た
だ想像したり希望するのとでは行動力が違う。常に何らかの努力が裏付けられるものだ。しかし
理想の実現に成功した時、結果はもちろん、達成感も並ならぬものになること請け合いである。
そしてそうなる資格、機会は、万人に与えられている。
ところが最近の人々を見ていると、「理想」を持っている人は少なくないが、「理想」を求めて
いる人はあまり見かけないような気がする。自分の夢に本気になっていないと換言できようか。
「将来は○○になる!」と豪語した若者が、年月を重ねるにつれて理想を弱めたり、自分で限界
の壁をつくって諦めたりして、折角抱いた夢を空想で終わらせる。案外こういうパターンは多い
ほうなのではないか。
プロのスポーツ選手を志望しているにも関わらず、家でのゲームの時間の方が長い少年。ラン
クの高い学校を志望しているにも関わらず、ついついゲームセンターヘ足が出向いてしまう受験
生。昔、将来の夢を熱く語ったにも関わらず、現状で満足してしまったNEET。
「理想的な街づ
くり」を公約としていたのにも関わらず、汚職に手を出すのに忙しい政治家。
挙げていくとキリがないが、これらは非常によくない。理想は立てた以上、求めなければ意味
がないのだ。そしてその理想は高ければ高いほど美しく、素晴らしいものになる。どうか理想を
持っている人には、今一度自分がそれを求めている努力をしているか見つめなおして欲しい。理
想を求めている状態にある人には、その実現を応援したい。
ただし、その理想の実現に他人を巻き込んではいけない。5年前に起きたアメリカの 9.11 事件は、
テロ側の「全ての米国人を抹殺せよ」という理想が引き起こした事件である。他人を犠牲にして
まで無理矢理実現させる理想など、決してあってはならないことを強く主張しておく。
最後に、真摯に理想を求めている人に言っておきたいことがある。先ほど「理想は空想に終わ
ることはありえる」と前述したが、その逆もまたあり得るのである。理想の実現を強く望み、そ
れ相応の行動を取ったのであれば、その力は空想を現実に変えられるのだ。
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文化学科ジャーナル
かつて人が空を飛ぶことは笑い話に止まっていたが、ライト兄弟がその常識を覆した。かつて
有人飛行は不可能とされていたが、科学力は人類が月に降り立つまでに発展した。
偉人になれと言っている訳ではないが、理想を求める力が大きければ大きいほど、それに報い
た結果は必ず得られるのだ。
もし理想が叶ったなら、更なる理想を抱き、それに邁進して欲しい。その連鎖もまた、人生単
位の大切な糧となるだろう。
「理想」は、人が充実した人生を築き上げる礎、基盤、源なのである。
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文化学科ジャーナル
№5 2006
特集「理想」
理想
師井裕美
人々は理想を持って人の世を謳歌しているに違いない。少なくとも漠然とした理想は誰でも持
っている、はずである。理想とは「こうありたい、こうなりたい」と思うことのかたまりである。
貪欲であってもなくても人々にはこうなりたいという理想があり、それが我々の生活の原動力に
なっていることが少なくない。追求しようとするためにはそれなりのエネルギーが要ることでは
あるが、我々は理想を追求しようとして高みへの一歩を踏み出す。その高みへの一歩はあるとき
は着実に、あるときは螺旋状になっていて、どのような形にせよ次への一歩となるのである。
理想は人間が進歩していく上で欠かせないものである。人類は停滞することなく次への一歩を
踏み出している。人類が理想を持つことをやめたならば、きっとただの動物になってしまうだろ
う。人類における理想とはそのようなものであるが、個別の人間における理想とはどのようなか
たちであるものなのだろう。
個人における琢磨な理想は、人が求める限りにおいて人を高みへと導く。理想を持ちかつそこ
までの段取りを考えてはじめて、そこへ向かう一本の道がわたしたちの前に照らされる。そして、
その道を歩くためには堅固な動機がいる(それはたとえば、現状のままではいけないという危機
感や、より高みを目指したいという貪欲さから発生する)。そして理想は、目標と違い達成しよう
とする過程において常に変化しつづける。それは目標と理想との関係が、目標は道標で手中に収
、、、
められるものであるが、理想は望ましい完全な状態の姿だからである。人には必ずどこか欠けて
いるところが見つかり、それを充足しようとする目標を立てて遂行することが理想の追求、人間
の姿として望ましい。
最近は琢磨な理想を持てず人生の道半ばにして辟易とする若者も多数いると耳にするが、彼ら
は、そして今道を歩む人々も、道中にある石ころには注意しないといけない。理想を追求するに
当たっては、道を歩くための一歩一歩が大事なのであって、足元からつまずくことがあっては理
想の前に目標へ到達するにも大きな時間がかかってしまう。ニートとよばれる人々はきっと知ら
ないうちに石につまずいてしまって、転んだ状態のままであるから何をしたらよいのか分からな
いのだろう。一度転んでしまってから起き上がるのにはエネルギーが要る。歩くのにはもっとエ
ネルギーがいる。
大河の一滴がなければ大河が生まれないのと同じように、人類が一歩を踏み出せるのは個々の
小さな理想への歩みがあるからである。時々人はつまずいたり回り道をしたりするだろうが、我々
の一歩は、我々をそして人類を満ちたることのない理想の追求の一歩として燦然と輝くものにな
るであろう。
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文化学科ジャーナル
特集「理想」
理想の恋愛
田中由希
今回このタイトルをいただいたとき正直ちょっと迷ってしまいました。
ひとくくりに理想といってもいろいろあります。
そこで私は『理想の○○』というのに絞って考えてみました。
そういったときにふっと思いついたのが『理想の恋愛』
。
私たちの年頃なら誰しもが一度は考えることではないかなぁとおもいます。
自分が本気で好きになった人と、理想の恋愛がしたい! それは誰もが願うことでしょう。で
は、実際に理想の恋愛を手に入れるためには、どんなことに気をつければいいのでしょうか。
恋がうまくいかなくなるには、必ず原因があるはずです。もしかしたら、いつも同じ失敗を繰
り返したりしているひともいませんか。かくいう私もその一人・・・。
気軽にメールをやりとりしたり、遊ぶ異性の友達はいても、本気で好きになった相手には本音
を言えない。嫌われることが怖くて、自分らしい態度で接することができなくなってしまう。真
剣に恋愛をすることで、傷きたくないという思いがあるのかもしれません。また、恋人がいても
実は昔の彼(彼女)のことが忘れられず、過去の恋愛をひきずっている場合もあります。
ところで、最近「恋愛依存症」に悩む若い女性が増えているそうです。つらい恋や不毛な関係
をずるずると続けてしまう、うまくいかない恋愛を現実として受け止められないなど、恋人とう
まくコミュニケーションを取ることができず精神的ダメージを受け、自分を追い込んでしまう恋
愛をしている人が多いのです。生活の全てが恋愛中心で、自分を傷つける恋人だと分かっていて
も依存してしまうということは、やはり理想の恋愛のカタチとはかけ離れていますよね。
いい恋愛をするためには、自分の長所だけでなく短所や弱点も把握しておく必要があるとおも
います。恋愛はとても個人的なことだし、気持ちが通じ合って、つきあうことになってもその中
で「理想と現実」のギャップに愕然とすることもある。自分と相手、その関係を冷静に受け止め
られなければ、恋愛は続かないでしょう。自分の理想だけを相手に押しつけたり、恋人に嫌われ
ないように自分を飾っていてもいい関係は築けません。
「こんなに尽くしているのに、彼の気持ちが分からない」とか、
「彼女は、どうしたいんだ? 結
局何が言いたいんだ?」など、好きでつきあっていても相手のことを誤解したり、すれ違うこと
があります。そもそも、男と女は違う生き物なんだし、人それぞれ恋愛に対する理想を持ってい
ますから、言葉にしなければ本当の気持ちは伝わらないんです。
自分と相手の現実をしっかりと受け止めて、あせらずゆっくりと理想の関係を模索していく。
前向きに、自分と相手を信じることが、理想の恋愛への第一歩なのでしょうね。
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文化学科ジャーナル
№5 2006
特集「理想」
理想の自分
白地大輔
理想の自分というものがある。宮沢賢治がなりたいと願ったように、多くの人はそれぞれおぼ
ろげながらに持っていることと思う。理想とは考えうる最高の状態などのことを言うが、
「理想の
自分」になるということは難しい。
例えば私の「理想の自分」を例にとって見よう。自信を持ちそれだけの能力がある、問題解決
能力に優れ、博識で見識豊かであり、他人の考えも広い視野で見つめることの出来る、、、などと
いった人間だが、これは今までの私の経験によって作り上げられたものだ。私は高校時代にまと
もな経験を積んだ自信が無く、それが大学の進学を希望した理由の一つとなった。それは多くの
ことから逃げてきた自分に原因があり、その自分を変えたい、変わりたいといったコンプレック
スが私の「理想の自分」を作り出した大きな要因なのだろうと思う。これからより高い理想を描
くか、方向の変化した、もしくは低い理想を描くかはわからないが、その時々の「理想の自分」
は自分とは離れたものでありつづけるだろう。
高い理想を実現するためには、それだけ到達するための適切な道を行く必要がある。今まで培
った自分の能力で適切な道を考え、努力する。必ずしも十分とは言えないが、私は上記の理想を
追うための力を自分で持っていると思う。だが、力が及ばないことや道を間違えること、努力を
怠ることがあるかもしれない。また、道の途中で自分に合った新たな到達点を見つけ出す事だっ
てありうる。今の私はその変化を想像して複雑な気持ちを抱くが、それに挑まずに逃げてきた過
去の自分よりは「理想の自分」に近づいたと思う。
理想には実現可能なものと実現不可能なものとがある。たとえば、理想の国家や社会などの、
皆が幸せな、不幸も貧困も飢餓も無い世界を作るなどということは不可能だが、
「理想の自分」に
関する限り、あまりに高いハードルで無ければそれを叶えることは不可能ではないと思う。その
時々で変化してゆく理想と自身とが合致することは稀だ。しかし、向上心を持ち、努力をしてゆ
けば、知らず知らずの内に過去の自分が描いた理想に到達することがある。完全な到達ではない
が、そのハードルを越えることができた自分は誇るべきものであろう。宮沢賢治がなりたいと願
った私と比べ、あまりにも俗っぽく自分本位だが、高くなってゆくハードルを越え続け、自分を
誇れる。そんな人に私はなりたい。
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文化学科ジャーナル
特集「理想」
理想のゆくえ
安永真一
今回、「理想」について書くことを頼まれてはじめて気づいたが、僕は普段の生活の中で、「理
想」なんて真剣に考えたことがなかった。せっかくなので、この機会をいい機会に「理想」につ
いて考えてみることにしたのだが、なんだか規模が大きすぎるし、違和感があって、想像するこ
とが難しい。このぎこちない感じは何だろうか。
ということで、とりあえず「理想」を広辞苑で調べてみたところ、
「行為・性質・状態などに関
して、考えうる最高の状態」
「未だ現実には存在しないが、実現可能なものとして行為の目的であ
り、その意味で行為の起動力である。
」と書いてあった。…分かるような、分からないような定義
である。だけど次のことだけは言えると思う。それは「理想」だけでは何を指しているか分から
ない。「理想の~」
「~の理想」というふうに、何か対象がないと僕らの想像力ではついていけな
い。更に「理想」=「最高の状態」という言葉があるということは、本来、その「理想」とする
見本、もしくはモデルがないと、その「理想」という言葉は存在しないし、僕たちもうまく想像
することができないということだ。実現可能な理想的な世界を作り上げるには、神様のような存
在でなければ、その到達地点(目的)を見極めることができない。
最近、そういえば、理想という言葉を聞く機会が少なくなってきている気がする。その代わり
に「失望」とか、
「絶望」のような言葉の方が、世の中に、蔓延しているような気がする。現在が
抱えている問題は、テロや格差社会、凶悪犯罪といったマイナスのイメージが取り巻く中、
「理想」
という言葉が語られなくなったのは、現代人、特に若い世代の人たちが、理想的なものを思い浮
かべること(もしくは想像すること)が難しくなってきているからではないだろうか。僕が感じてい
た違和感はここにあった。
現代の若者の象徴的な言葉に「やりたいことが見つからない」というのがある。その理由の一
つには目指すべき理想がない、だから希望が持てないということになると思う。しかし、考えて
みれば、いや、考える必要もなく「やりたいこと」というのは常にあるはずだ。例えば、いつも
5 時間ぐらいしか眠れないから 7~8 時間寝たいとか、あのテレビ面白そうだから見てみたいとか、
夏木マリと話してみたいとか(僕だけか)、挙げると限がないほど出てくると思う。なのに彼らが「や
りたいことが見つからない」と言いたいのはきっと、ある程度の稼ぎがあり、家族などの支援も
中にはあって、なんとか不自由なく生活できる水準があるからこそ、やる気を起こす起動力が高
まらないのだろう。つまり、このような状況にある人達は、
「やりたいことを見つけるよりも、や
らなければならないことを見つけることの方が難しい。
」という言葉がもっとも相応しいのではな
いだろうか。
大きな社会で、理想のモデルがはっきりしない現在、語られるべき現代の人々の「理想」は、
遠いどこかのユートピアの世界に行ってしまったのだろうか…。
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文化学科ジャーナル
№5 2006
卒業生便り
大学院の思い出
社会・文化論専攻 2006年度修了
入江亜矢子
大学院では、学部時代よりも濃く、大きく成長した2年間が過ごせました。それは研究の
ための野外調査・読書(大学の図書館でアルバイトもしていました)・報告発表に追われる日々
でした。先生や先輩・多くの同輩と、研究室や時には居酒屋で、様々な議論を交わすことは
楽しいことです。
そんな大学院生活にとって、ちょっとしたイベント&息抜きは学会です。学会とは、最新
の研究を知る良い機会になるものです。その学会の「ついで」に行った、USJやディズニ
ーランドもまた、良い思い出です。このイベントが大学院2年の秋、私にとって一番の刺激
となりました。それは学会での発表です。学部時代にも学会へは行きましたが、それは発表
を聞くだけのものでした。大学院では、未熟ながらも一研究者としての立場で「考える」場
です。そうした場で、自分の研究を先生方と一緒に発表したことで、ひとつ成長できたよう
に思います(発表に至るまでには、指導教官である白川先生・中西先生には多大なご迷惑をお
かけしましたが…)。
大学院という場所は、大学と就職の「猶予期間」だと言われることが多々あります(「猶予
期間」という甘い響きにしては、なかなか厳しい2年間ですよ)。大学院を卒業し就職をした
今、私が感じることは、社会で役立つことの多くを大学院で学んだということです。博士で
研究を続ける人にとって、大学院は不可欠な場所です。しかし、就職をした私にとっても、
不可欠な2年間でした。研究のために本を大量に読むことは、話の要点を掴む訓練です(大学
院の授業で何度も練習します)。それは相手へ効率よく、スマートに話を伝える、あるいは聞
き取るために必要です。また、多面的なものの見方・考え方が身につきます。つまり大学院
は猶予ではなく、実践的な、自分の成長に不可欠な訓練の場だと思っています。数年かけて
1つの研究論文を書き上げる機会もそうありませんから、相当な自信にもつながります。
私自身、社会人としてまだまだヒヨッコですが、大学院で自分の可能性の殻を破れた気が
してなりません。多くの先生方や先輩・研究室の皆様の助けを借りて、大学院に行かなけれ
ば得られなかった成長と思い出ができたことを、心から良かったと感じています。
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文化学科ジャーナル
卒業生便り
「今」卒論を振り返る
2006 年卒業 [株]USEN 勤務 坂元滋信
2006 年の初夏、梅雨明け宣言が待ち遠しい時期に一通のメールが届きました。「卒業論文のす
すめ」として、何かを書いてほしいとのこと。
私が卒業論文を提出したのが 2005 年の 12 月。友人の N 氏から電話がなければ、自分が大学生
だったことすら忘れていたくらいです。卒業論文など、とうに押し入れの中で、忘却の彼方・・。
とにかくまずは卒論だということで、ほぼ半年ぶりに自分の卒業論文の資料を押し入れから引っ
張り出してきました。山のような参考文献、殴り書きのメモ、書きかけの原稿、そして貼り付け
られた卒論指導のS先生のありがたい付箋の数々・・。読み返してみると、自分の卒論ながら、
これが面白い。いや、卒論を書いたものならば皆、同じように思うのではないでしょうか。つい
つい引き込まれて、斜め読みのはずが、気づいたら最初から読み始めていました。この、たった
一言の背景に、どれだけの参考文献が、重ねた実験があったか、この言い回しは何回添削で書き
直したか。そんな思い出に詰まった論文が面白くないはずがない。卒業論文は必ず良い思い出に
なる、という話を学生時代に何度も聞かされ、当時の私も半信半疑でしたが、全く持ってその通
りだと今は思います。
とはいうものの、これから卒業論文を書こうと思っている皆さんにとって、「卒論って、どう書
けばいいのかわからない」と思われる方も多いのではないでしょうか。
好き勝手に色々と実験したり調べたりするのは気楽で簡単だけど、論文の文章はなんだか小難
しく書かないといけないみたいだし、難しそう・・。そんな人は、自分と同じようなテーマの論
文を見つけてみるのが一番の解決法だと思います。それは他の先輩方の卒業論文でも良いし、論
文雑誌の 1 ページでも構いません。確かに難解な文章も多いですが、自分と共通するテーマとい
うことで、何とか読めるはず。そうしたらきっと「これが論文か!」と衝撃を受けることでしょう。
事実、私がそうでした。
私の「卒業論文」としての原点は、たまたま見つけた一冊の卒業論文です。私と同じテーマを掲
げたその卒業論文は、他大学の、全く面識のない二人の先輩方によって書かれていました。その
分量・質に驚かされた私は「この先輩方に負けない卒論を書いてみせる」と心に誓い、何か壁にぶ
つかり悩むたびに、先輩方の卒業論文を読んでは奮起したものです。
どうでしょう、今から図書館に足を運んでみませんか?
まずは、自分の卒論テーマ・キーワードを検索機に入れてみてください。その中にあなたの「原
点」となる論文がきっと見つかるはずです。テーマがまだ決まっていない人は、論文集を適当に眺
めてみるのも楽しいかもしれません。その中で「面白い!」と思ったテーマを自分のものにすれ
ば良いと思います。
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文化学科ジャーナル
№5 2006
卒業生便り
可能性を感じる会社をみつけよう!
2006 年卒業 [株]サイバー・コミュニケーションズ勤務 井上純子
福岡大学人文学部文化学科各位
「平素よりお世話になっております。CCI の井上と申します。」
この言葉を使うようになり早半年が経つ。
3 月 22 日に福岡大学人文学部文化学科を卒業し、新たな土地・新たな環境で社会人のスタート
を切った。
私は現在、
東京の会社でインターネットの仕事に携わっている。メディア(媒体)の広告枠の売買、
メディアプランの作成、EC 事業 etc。初めはどうなる事やら…と思われたが、現在では周りの方々
に支えられながら楽しく仕事をしている。
というのも、就職活動をしていた時、私は今の会社が第一志望ではなかった。
やりたい事があった。しかし、志望していた会社から不採用通知が届き、一気に就職活動をする
気が失せていた。失せてはいたが、就職活動はやめなかった。すべて投げ捨ててしまう事は甘え
であると私は思っていたからだ。現状で何も変わらないならば変えるしかない。就職活動は就職
することが目的ではなく、自分の生きる道の指針である。
やりたい事が今できないのならば、可能性を感じる会社をみつけよう!そう思えた会社が現在
のインターネットの会社である。
インターネットが普及して約 10 年。まだまだ若い市場で可能性を感じている。
今は私も社会人 1 年生。勉強の日々であるが、いずれ福岡にも戻ってきて、何かの形で貢献で
きればと思う。
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文化学科ジャーナル
卒業生便り
今やれることを!!
2006 年卒業 [株]木下写場勤務 重山菜見子
皆さんこんにちは。私は今年文化学科を卒業した、重山菜見子というものです。今回どういっ
たわけか平田先生よりご指名を受け、こうやって書いているわけであります。せっかくですので、
今社会人になって感じるところを話してみたいと思います。
一言でいうと学生時代に色んなものに触れて下さい!ということです。学生時代にあって、社
会人にないもの・・・それは自由な時間です。何でもいいのですが、例えば人に出会ったり、違
う土地に行ってみたり、はたまた本に触れたり、芸術に触れてみたりと自分から進んで色んなも
のを見て欲しいと思います。大学は義務教育ではないので自らの意志で進学し、今福岡大学にい
るはずです。誰かが導いてくれるわけではないので、この大学生活をどう過ごすかは皆さん次第
でいくらでも有意義なものにできます。私は世の中に無駄なことはそんなにないと思います。つ
まり生かすも殺すも自分次第!ということです。皆さんには出来るだけ色んな経験をしてほしい
と思います。そして、自分自身の幅を広げ、視野を広げ、引き出しをどんどん増やして下さい。
多くの人に出会って色んな考え方があることを知って下さい。何を引き出しに入れるかは皆さん
の自由です。けれども、ちょっとした知識・経験が会話のきっかけになったりするものです。就
職活動中の四年生の皆さんはよく「コミュニケーション能力重視」という言葉を耳にするのでは
ないでしょうか。なんだか曖昧な言葉ですが、専門的な話ができるとかではなくて、単純に自分
の考えをいかにわかりやすく他者に伝えることが出来るかということではないかと最近感じます。
社会人になると限られた時間の中で話をまとめるという機会が多くなってきます。話すことも一
種の慣れです。いくら頭で上手くまとまっていても、話せなければ意味がありません。本を読ん
で自分の意志を明確に伝えるための言葉をたくさん吸収し、人と話すことに慣れることが一番の
就職対策かもしれません。
社会人になってもうすぐ半年が経とうとしています。本当にあっと言う間の半年でした。最初
の三ヶ月は落ち込むことばかりでしたが、やっとペースがつかめてきた今日この頃です。私は社
会人になって怒られ上手になりました。これが会社に早く馴染むコツです。今、時間にも少し余
裕がでてきたので新しいことにもチャレンジしたいと思えるようになってきました。私はやりた
いことがまだまだあります。今更ですが、もう少し学業にも身を入れておけばよかったな~なん
て思っています。大学は学ぼうと思えばいくらでも学ぶことが出来ます。皆さんこの機会を活か
さない手はないですよ!とは言っても在学中にはなかなか実感がわかないものです。
(実際私もそ
うだったので・・・)
とにかく、何でもやってみたらいいと思います。立ち止まっていても何も得られません。私は
人に触れることで人の優しさに気付くことができたし、自然に触れることで自然の偉大さや自分
の無力さを知ることができました。本を読んだり、話を聞くことで自分とは違う考え方を認める
ことができるようになりました。小さなことでもいいのです。今は何てことのない積み重ねが、
いつか皆さんの活力となり自信となることを願い、私からのエールとさせていただきます。
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文化学科ジャーナル
№5 2006
卒業論文・修士論文
平成 17 年度卒業論文
鶴 恵梨子 若者の職業観と性役割態度の関係
田代 亘
人間関係におけるうその効用
大庭一葉
スポーツにおけるメンタルパワーの重要性
平野多恵
大学生における母性意識と乳幼児感情の研究
市丸沙矢子 タイにおける児童売買春とその観光産業化
森山沙由里 日本における 1950 年代以降の住宅問題と家族構成
新井菜津子 アフリカ系アメリカ人とジャズ
温水 梢
日本における「県民性」の実在性
森 未来
宝飾品について―アール・ヌーヴォーとアール・デコの視点から―
中村美紀
ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」について
中園幸恵
ハリウッド・ミュージカル映画の中の「サウンド・オブ・ミュージック」について
枌 仁美
ヒップホップカルチャーを通して見るグローバリゼーション
小野芙由子 ジブリ作品からみる日本の社会問題
テイコウ
中国・日本のホテル文化の比較研究
藤原生光
日本の新宗教についてと既成宗教との対比
井上純子
IT と消費者行動の変化
伊藤千尋
ライフスタイルの変化とメガヒット
重山菜見子 旅行の誕生とその現状
梶原あゆみ 戦争と歌について
丸山寛太
ヒップホップ・イン・ジャパン
岡城麻世
色文字と色名単語によるストループ干渉効果
大宅加寿子 「感情」と「記憶」―感情は誘導できるのか―
貞清麻紀
黄金分割は本当に美しいのか
坂元滋信
プライミング効果による活性化-拡散モデルの実験的実証-
矢野聡子
鬼は善か悪か
寺川祐子
日本人の死生観
川上 毅
パーカッションと意味の拒否
富永華代
人間機械論―マーク・トゥエインの『人間とは何か』を中心に―
出口俊裕
何故滑稽なのか―噺の分析―
濱野優子
対人関係におけるユーモアセンスの効果
矢野真紀
少年犯罪とマス・メディアの影響に関する調査研究
吉田紫乃
在日コリアンのアイデンティティーについて
中村 琢
等覚寺の「松会」
上塘祥子
クレオール文化の可能性
塚本春奈
通過儀礼研究-人間は通過儀礼によって成長する!?-
三好久美子 北九州市黒崎地区の変遷
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文化学科ジャーナル
卒業論文・修士論文
平成 17 年度修士論文
赤瀬川幸子
日本における口頭伝承のモチーフ研究
要約
少子化や IT 技術が進む日本において、昔話が語られる機会も少なくなってきたのではないだ
ろうか。かつて、さまざまな説話を語り、子どもたちに伝承していったのは村の老人たちであ
った。核家族が急増する中、今の日本で口頭伝承を耳にする機会は少なくないように思う。我々
は、昔話も幾つかなら、代表的なものを言えるだろう。しかし日本の神話について語れる人は
どれぐらいいるだろうか。
今忘れられつつある、こうした古き良き口頭伝承をみなおし、その伝承の作られた背景を考
察することで、かつての日本にあった共同体の生活や信仰を追究する。
そこで、ハイヌヴェレ神話素に代表される、大林太良や吉田敦彦の研究を基に、
「死体再生型
物語」という 1 つのモチーフを手がかりにして、日本昔話「天道さん金の鎖」の中に隠れる日
本の基層文化にせまる。
さらに本論文では、対馬の天道信仰と、山陰地方の金屋子信仰を取り上げ、我が国の口頭伝
承、つまり神話や昔話の世界観を見いだしていく。
そうして作られた過程や、形・モチーフを追究することで、我々をはぐくむ風土とそこに生
きた過去の人々が、どう行き、どう考えたかを知ろうと試みる。
キーワード:死体再生型神話、天道さん金の鎖、天道信仰、金屋子信仰
入江亜矢子
境界を越えて-日本の民俗と多配列分類-
要約
本 研 究 の目 的 は、 単配 列 的 分 類 (Monothetic Classification) と 多 配列的 分 類 (Polythetic
Classification)の分類概念を明確にし、民俗事象に対する多配列的分類の有効性を見ることであ
る。
これまで文化人類学において、社会的事象を理解する主たる方法は、単配列的分類であった。
単配列的分類の場合、各個体に共通の個別特性(Specific Feature)を規定することによって、分
類を可能とする。しかしながら、人々の現実のあり方は極めて多様であり、そこには個別特性
を予測できない場合や、分類原理が異なる場合、どのように分類すればよいのかが疑問となっ
てくるのである。それに対し、多配列的分類は、各個体の間に共通の特性がなく、本質ではな
い、偶然に発生した特徴特性(Characteristic Feature)によって、緩やかに全体のクラスを構成
する。つまり多配列的分類は、単配列的分類が生み出したカテゴリーや、境界を越えてクラス
を構成することができる。
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文化学科ジャーナル
№5 2006
信仰対象や儀礼における人々の構成、人々の思考というものは、学問体系のなかに捉えられ
ると、単配列的分類によって理解されがちであった。しかし現実には、これらは明確な分類を
持たずに、私たちに認識されている。そこで、大分県豊後高田市天念寺の調査を中心事例とし
て、単配列的分類だけでは捉えきれない現実は近代にも存在していることを指摘する。そのう
えで日本の北部九州の祭祀主体や儀礼において、相互の緩やかな繋がりで民俗カテゴリーとそ
の意味を理解し、多配列的分類の有効な導入を試みる。
キーワード:象徴の解釈、単配列分類、多配列分類
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文化学科ジャーナル
文化学科フォーラム活動報告
活動報告
文化学科フォーラム幹事 小林淳一
(1)講演会
講演者:常光 徹(国立歴史民俗博物館教授)
演
題:しぐさの民俗学-霊柩車と妖怪変化-
日
時:平成 17 年 11 月 7 日(月) 5 限(16 時 20 分~17 時 50 分)
場 所:A棟 402 教室
参加者:約 60 名
講演者:納富信留氏(慶應義塾大学助教授)
演
題:哲学を始めるということ ―古代ギリシアと現代との対話―
日 時:平成 17 年 12 月 2 日(金) 5 限(16 時 20 分~17 時 50 分)
場
所:10 号館 1023 教室
参加者:約 80 名
(2)卒業論文・修士論文発表会
日
時:平成18年1月27日(金)午後1時~4時
場
所:131教室
司 会:片多順教授
参加者:約70名
*発表者及び発表題目
・卒業論文発表
1.大庭一葉
:スポーツ場面におけるメンタルパワーの重要性
2.川上 毅
:パーカッションと意味の拒否
3.坂元滋信
:プライミング効果による活性化拡散モデルの実験的実証
4.重山菜見子 :旅行の誕生とその現状
5.テイコウ
:中国・日本のホテル文化の比較研究
6.中園幸恵
:THE SOUND OF MUSIC -1960年代のミュージカル映画-
7.中村 琢
:等覚寺の「松会」
8.枌 仁美
:ヒップホップカルチャーを通してみるグローバリゼーション
9. 矢野聡子
:鬼は善か悪か
・修士論文発表
1.入江亜矢子 :境界を越えて-日本の民俗と多配列分類-
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